縮刷版2012年8月中旬号


【8月20日】 それは別に明文化されたルールではないけれど、国際試合の会場で必ず奏でられる国歌に対してどう振る舞うかといえば、それは例え自国がそこに出ていなくても、起立して本当なら脱帽して、国旗に向かい対戦する両国の歴史と現在に心からの敬意を表することなんだけれども昨日の浦和駒場スタジアムで見たサッカーのU−20女子ワールドカップ日本大会で最初にブラジルとイタリアが対戦した時も、次にナイジェリアと韓国が対戦した時も驚くくらいに観客の人が国歌の演奏の時に立たなかったのが気になった。もちろんこれらの国から来ていた応援の人はみんな立って国歌を歌詞があるものは歌っていたし、すぐ後ろにずらりと座っていたFIFAの関係者の人たちも斉唱の間は全員が起立して場を見守っていた。

 それなのに日本から来ている観客で立っていたのはどれくらい? 4割くらいはいたかなあ、いやでももっと少なかったかもしれない。どうしてなんだろう。そもそもが女子でそれもU−20というカテゴリーの限定されたマイナーな大会に来る観客というのはそれなりにサッカーの試合を見慣れた人で、国際大会だって観ていてそこで国歌斉唱の時には起立するのが普通だって、感じているはずなんだろうけれども昨日の有り様を見るとどうもそうではないらしい。教えてもらってないとかいう話ではなく、そうするものだとうのが身に染みていいて当然の話なんだけれども昨今、そうしろと教えられなければそうしない、する必要もないって考えている人たちが或いは増えていたりするのだろうか。

人しか見えない  ならばせめてサッカーを指導する立場にある人たちとかは、引き連れてきている少年少女のサッカーチームの選手たちにこういうときはそうするんだと教え諭して起立させれば良いものを、どうもそうはしてなくってバックスタンドにいたぽいユニフォーム姿の子どもたちは、国歌斉唱の時に誰も立っていなかった。ここで教えれば身に付きずっとそういう振る舞いをするようになる。けれどもそこでしなかったことが大人になってもやなず教えない人になて、そんな積み重ねが今のこの状況を招いているんだとしたら何だかちょっと恥ずかしい。JFAはだからこういう場にはこうしようということを、この大会を通じてもっと教え広めていくことが必要なんじゃないのかなあ。未来のなでしこ、未来のサムライブルーがいっぱい来ている大会なんだから。なんてこんなところで提案したって届きもしないし、聞き入られもしないんだろうけど。寂しいなあ。

 銀座にメダリストたちがやって来るってんで見に行ったら見られなかったぎゃふん。午前の8時くらいだとまだ沿道にそんなに人もいなかったんで普通に歩けるところをバスが練り歩いて終わりかなあと思ったら時間になったら何処からともなく集まってきた人たちが、沿道から近所の道路から埋め尽くしては中央通りに近づけないくらいの人の壁ができていた。中央通りにクロスする形で延びる道路にも人がいっぱいで近づけて通り1つぶんくらいまで。それではまるで見られなかった選手だけれどかろうじて、両方の通りに出入り口を持つビルを素通しする形で走っていくバスが見えてその上に赤い服を着ている選手が見えた。まるで銃眼からのぞく敵兵というか、ピンホールカメラの向こうの景色というか。ともあれこれだけの人が応援してくれると分かると選手にも励みになるだろうし、身を律するきっかけにもなるだろう。そういう意味でパレードって価値がある。それをささっとまとめて実行させるところが石原都知事だよなあ、やっぱり。そこだけは凄い。尖閣絡みではどうでも良い。

 覆面作家という触れ込みだけれど、覆面にしておかなきゃならない理由が分からないくらいに、普通に面白かった一条明さんの「猫刑事(ネコデカ)」(光文社)。動物を知性化させる技術が発達した未来で、知性化させられた存在が繰らすコミュニティで起こる事件を通して、知性の意味とかその同一性とかが問われたりする話になっている。飼い猫とか飼い犬なんかから弾かれ保健所送りになりそうな動物は今もいっぱいいるけれど、それを殺してはいけないといった風潮が高まるなか、だったら集め知性を持たせ人間みたいなボディを与え生活させれば良いじゃんということになってしばらく。そうやって複合体となった人間だか犬猫だかの中間みたいな存在が、集まるコミュニティで起こる事件を操作する元猫の少女の捜査員が主人公。

 そして彼女の前には知性だけ持った猫が現れ、美味い肉作りが妨害される事件が起こり、小型原子炉が暴走しようとしたりしてと様々な出来事が起こっては、彼女を右に左にと振りまわす。猫とか犬を人間みたくしてしまう技術が普通にある上に、ひとつの意識がずっとつづいているならそれは人間と見なすといった認識の展開があったりとSF的。それが後にコンピュータと人間の複合から生まれた知性が、最上位に立つべきだといって暴れ回る事件にもつながったりするんだけれど。あと肉の培養時に人間の遺伝子とか混ぜ合わせて美味な肉を作ることが普通に行われていたりするのは面白い。ヤマモト・イチローさんの肉がどうやら美味らしいけどどんな味なんだろう。元飼い主が人間になっている犬猫に感心を抱いたりするのも面白い。それも迷惑な話だけれど、一方で飼われていた側には思い出でもあるんだよなあ。そういうものか。

 考える主体についての考察があった前作の「ルーシーにおまかせ」も立派にSFだったけれども今回もとてつもなくSFな上に読みやすく、キャラクターも立っていて全体を追いやすい。それでいて訴えかけてくるテーマはなかなの深さ。読めばこれは凄いってことになるのは「ルーシーにおまかせ」と同様なんだけれども世間でそれほど一条明さんが読まれている風がないのは残念というか。もしかしたらライトノベルだと思われて一般のSFの人は敬遠している? そういうことなんてもはやないとは思いたいけど現実、あったりするからなあ、凄いSF書いても早川から出てないと知られないちった具合に。ともあれ正体が誰であれ今年重要な1本と言える「猫刑事(ネコデカ)」をSFは読むこと。そうでない人も読んでおくこと。日本SF大賞の候補に入るだろうから。入らないかなあ。やっぱり。うん。

 「月刊ヤングキング」で「ブロッケン・ブラッド」に続く塩野干支郎次さんの新連載が始まっていたけれどもいきなり宇宙で腹をぶち抜かれた少年の話でそして異星から来た偉い人種に支配された人類めいた展開になっていて何を真面目なスペースオペラを描いているんだとその面白そうな雰囲気に感嘆していたら何のことはないやっぱり干支郎次さんらしい変態さんのお出ましだあ。その逆ギレからせっかく偉くなれた若い人たちが虐げられそうになるけれども主人公の元王子あたりに秘められた力が爆発して跳ね返したみたいで、ここから宇宙をまたにかけての大活躍なんかが描かれそう。でもやっぱり変態さんが次から次へと出てくるんだろうなあ。タイトルは「この人類域のセルフィー」。なんかすっげえ奥深そう。これが可能なら「月刊ヤングキング」も性交漫画ばかり載せてないで大井昌和さんに「おくさん」と平行してハードなSFを描かせてあげて欲しいなあ、すっげえ描ける人なんだけどなあ。


【8月19日】 ライトノベルだとかアンチライトノベルだとかメタライトノベルだとかいった前説でもって語られそういった読み方を作者自身も誘っているけど、何のことはない筒井康隆さんの「ビアンカ・オーバースタディ」(星海社FICTIONS)は紛うことなき筒井康隆さんの小説だった。その特徴が最大に現れているのはあのラストで、まずもって一段落させた後でもう1発のネタをぶん投げさてはてどうしたものかって余韻を与えてページを閉じさせる。あれは確か「講演旅行」って中編だったかなあ、講演に出むいてそれが良いと編集者に言ったら延々引きずり回されいつまで経っても東京へと戻れない作家に向かって、編集者が「あんたまだ帰れると思っているのかい」とダメを押すような感じに近いというか、ちょっと違うというか。読み終えて残るのは感動というよりは苦笑いと驚きで、そんな傾向を持った作品はライトノベルではあんまりないし、だからそれをメタにしたようなメタライトノベルでもあり得ない。筒井康隆というジャンル。まさにそれにしっかりハマった作品だって言えそう。

 ライトノベルの美少女ヒロインは、男子生徒にスキンを被せて精子を抜いたりしないよってところが、アンチだのメタだのというのならそれは違って、筒井康隆さんは昔っから誰彼構わずエッチなことをさせていた。オナニーの快感でテレポーテーションができるようになった世界が舞台の「郵性省」なんて、学園きっての美少女が遅刻するのを嫌さにオナニーをして上記した姿で学校に現れる場面ななんか描いていたりする。それを思えば精子を抜くとかどうとかなんて可愛いもの。ありのまんまの筒井康隆さんをそこに描いただけってことで、それがたまたま今時のライトノベル的なレーベルと言われている「星海社FICTIONS」から刊行されただけってことで、何も驚くことはないし、何も面白がることもない。ああまた筒井さんはヘンなものを書いているなあと読めば良いんだ普通に。

 とはいえ今時の若い読者は「郵性省」も読んでいなければ「陰悩録」だって「だばだば杉」だって読んでない。それが普通に筒井ファンの中高生にも読まれていた30年前とかを経ていない世代にとっては、パンツが見えるとかおっぱいが揺れるといったエロスはあっても美少女が精子を抜き取るなんてエロを小説で読むなんてことはなくなっていた。それはライトノベルというレーベルがいつしかそうした直裁的なエロをセーブしつつ、仄めかすエロスを尊びちょい見せするような感じで官能を煽っていたからで、そこにかつての爆発的なエロを叩き込んで見せたって意味では、なるほどアンチライトノベルって位置づけにこの「ビアンカ・オーバースタディ」を入れるという考え方もありなのかも。あるいはライトノベルの最先端に見えて実は前時代的な形式に挑んで、ぶち破ってみせたメタライトノベルって言い方もありなのかも。

 そうした形式を云々する議論をすっ飛ばせば「ビアンカ・オーバースタディ」は実に現代を風刺してみせたSF作品で、今でさえ男子が軟弱になって女子が男子の精子を抜き取り、酷ければ金玉すら切り取ってみせるような前向きさを持っているのが、未来はさらに男子は軟弱になって女性を襲うなんてこともせずせいぜいが眺めてオナニーをするくらい。衰弱した精子は数も少なければ動きも弱く、だからこそ現代へと代表者がタイムトラベルしては未来の巨大化したカマキリに対抗できるカエル人間を育て放ち戦わせようとしたんだろう。けどそれもやり過ぎれば歴史が歪むってことで、そうした未来改変の難しさへの言及なんかも添えてみせたあたりがSF作家。「時をかける少女」の作者って言えそう。

 加えて「太田が悪い」ことから遅れ遅れになった最終章の執筆がおろさくは震災以降になったことで、原発への言及なんかがあってそれがSF作家らしく化石燃料に依存したら温暖化が進んで陸地が減って、人類がさらに衰退しましたって状況を描いてそうなるんだけれども原発なくして良い? って問いかけなんかもしているあたりが、単純に空気に流される世間一般の作家とは違う、その道で50年近く食べている筋金入りのSF作家で社会派作家ってところ。もしも今が全盛だったら反原発に凝り固まった運動を、いったいどういった筆致で揶揄してくれたか気になるけれどももう喜寿をなって執筆意欲も減退して、「ビアンカ・オーバースタディ」の続きすら書けなさそうなのが残念。だからここは伊藤計劃さんの遺稿を円城塔さんが書いたようなリレーでもって、誰かが手を挙げ書いて欲しいなあこの続き。あの毒をまるまる受け継いで書ける人って誰だろう。牧野修さんか。北野勇作さんか。どっちにしても太田が悪い。

暑くて熱い試合をありがとう  やっぱり見て置かなくっちゃと電車を乗り継ぎバスを乗り間違えながらもたどり着いた浦和駒場スタジアムでもって、FIFAが主催するU−20女子ワールドカップのイタリア代表対ブラジル代表の試合と、韓国代表対ナイジェリア代表の試合をダブルヘッダーで観戦。最初のイタリア対ブラジルなんて午後3時からというサッカーにとてつもなく相応しくない時間での試合になったけれども、そこは見る方としてかつてのL・リーグが日曜の午後1時からとかいった試合ばかりだったことを思い出しつつ、女子サッカーってものの置かれた環境の未だ変わらぬ厳しさなんかを噛みしめつつ、それでもプレーせざるを得ない選手たちに心からの喝采を贈る。もっと良い時間帯に試合をあせてあげたかったなあ。

 そんな試合は前半と後半にそれぞれ1回づつ、給水タイムを挟むことになっていたみたいでなるほどちゃんとFIFAも考えているんだと感心。そんな時間に選手たちは飲むだけじゃなくって頭からがばがばと水をかけるものだから、ユニフォームが水に濡れてイタリア代表の白いユニフォームが透けてしまって、下が見えてしまったりするこれはハプニングというのかそれとも僥倖と呼ぶべきか。分からないけれどもとにかくいろいろ目にできた。んで試合はといえば最初にイタリアがものすごいフリーキックを決めて1点をリードし、そのまま逃げ切るかと思ったら、インジュアリータイムに入ってブラジルが相手のゴールラインの際でぽーんとボールを浮かせてディフェンスをかわして、そしてこれも浮かせ気味に放ったシュートがゴールに吸い込まれて同点になっていまった。

 もうほとんど勝利を確信していたイタリアとしては手痛かったようで、試合中はそれでもちゃんと立っていたけど、試合終了後に何人もピッチに倒れ込んで悔しそうあった。技術的にはブラジルもイタリアも大きくは違わず、どちらかといえばドタバタとした感じだったけれどもそれでもあの暑さの中を最後まで走り抜いた気力体力は素晴らしい。見ているだけで感動の一戦だった。あと目の保養も。イタリア代表のサイドバックの3番の人、まるいお尻が小さいアンダーウエアでは抑えきれずにひろがって、それが濡れたトランクスを通して見えてしまうんだよなあ、なんかとってもイケナイ気になってしまった。また行けば見られるかな、さすがに2度は炎天下の試合はさせないか、どうなのか。

 続く韓国とナイジェリアの試合はあの年代では最強とまで言われた割に韓国がボールを回せず、持ちすぎのところを奪われたり、パスをカットされたりして攻められず。逆にナイジェリア代表がスレンダーな姿態を躍動させては、走り受ける組織的なサッカーをしっかりと見せて韓国代表を攻め立てる。そんな中でゴール前の混戦からナイジェリアがまず1点を奪い、後半に入ってサイドからのプレースキックを今度は9番をつけた頑健な選手が頭できめて2点差に。その後もサイドの崩しに中盤のチェックといった基礎的な動きをしっかり見せて、ナイジェリアが逃げ切り勝利を飾った。どうしちゃったんだろう韓国。あるいはナイジェリアが強すぎたのか。だとしたら日本もちょっと注意が必要かも。想像を越えたプレーをするから本当に。

 それを言うなら応援も遠い国のナイジェリアがメインスタンドだけでなく、バックスタンドにも集団をつくるくらい来ていたのに、近所の国で日本にだっていっぱい朋友が住んでいる韓国の応援に組織だったものがまるでなかったのも気になった。せいぜいが数人がいた程度。これっていったいどうしたことなんだろう。何かストップがかかっていたんだろうか。それとも自主的に行かなかったんだろうか。今までの韓国が絡んだ試合からすると、ちょっとあり得ない光景だっただけに気になった。そして悲しくなった。次はだからもっといっぱいの赤で埋めて韓国代表に本気を出させてやって下さいな。そうでなければ面白くないから。次もまたこのスタッツを見に来ようかな。イタリア代表とかやっぱり可愛い娘が多そうだしな。


【8月18日】 いよいよ明日からサッカーのU−20女子ワールドカップが開幕で日本からもチームが出て遠く宮城でもって開幕戦を迎えるんだけれどとてもじゃないけど行ってられないんで関東では埼玉の駒場スタジアムで開かれるイタリアとブラジルの試合と、ナイジェリアと韓国の試合を見てこようかと考え中、ともに20歳以下というぴっちぴちの美少女たちが躍動する試合になると想像するといてもたってもいられなくなるけれどもそこはアスリートだけあって、ただの美とは違った肉体美って奴も楽しめそう。あと技と。何か日本が勝つめいたことを言ってる人がおおくそれがメディアでも既定路線いなっているのが気になるけれどもこの世代で強いのは韓国だし、ブラジルだってイタリアだってサッカー大国なだけに実力は高そう。そしてナイジェリアの身体能力。それらが一同に見られる機会は滅多にない。みんな以降よ埼玉駒場に。そういやいつ以来なんだ行くとしたら。

 ふと気がつくと「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督による次回作が、「夕凪ぎの街 桜の国」のこうの史代さんによる「この世界の片隅に」に決まったという報が流れていて、そういえばうまくいけば8月中にも発表できるかもしれないと、先だって新文芸坐で開かれた「マイマイ新子」の上映会の時に片渕監督も話していたっけと思い出す。というかこの情報自体は「マイマイ新子」の上映からしばらくしてあちらこちらで取りざたされていたものだったけれども、公式に発表されたものではなかったからようやくいろいろ固まって、外に向かって言える時期が来たんだろう。だったらいっそ、ずっと早くからやるよやるよと言って関心を盛り上げておけば良いのに、解禁時期なんかを厳密にしてかえって宣伝の期間を短くしてしまうのって勿体ない気もしないでもない。そういうものなんだろうなあ、権利とかが絡むエンターテイメントビジネスって。

 でも考えてみればそうやって制作が発表されてもしばらくは誰も無関心で、作品が完成してから試写とか雑誌への情報掲載を経て公開まで数ヶ月、ってのが昨今の宣伝の常道だし、だいいち1年2年と気分を盛り上げて公開を待っている人なんて少数派。公開前の物量がすべてを決めてしまうのが実状なだけにそこでの力のあるなしが、映画の成績にも現れてしまって結果、「マイマイ新子」みたいに良い作品であってもヒットするとは限らないギャップが、山と起こってしまっているんだろう。どうしたものか。ともあれ今回は原作にバリューもあるし、片渕監督の知名度も各段に上がっている。それだけに期待するところ大。ヒットを受けて「アリーテ姫」と「マイマイ新子」のブルーレイディスク化なんかも実現して欲しいところだけれどこればっかりは。そして次は虚渕玄さんによる小説版「BLACK LAGOON」の劇場映画化とかを。無理かなあ。無理だよなあ。

 池袋方面へと出かけてジュンク堂でもってライトノベルの新刊なんかをあれやこれや。すでにして筒井康隆さんの「ビアンカ・オーバースタディ」も紅玉いづきさんの「サエズリ図書館のワルツさん」も買ってあるんでもっぱらそれ以外から目に付いた野村行央さんっていう人によるコバルト文庫のノベル大賞受賞作「ロスト・グレイの静かな夜明け」(集英社、500円)を購入、竹岡美穂さんによる小舟に乗せられ花で埋め尽くされて眠る少女の表紙絵と、タイトルから漂う幻想と退廃のムードに妙に引かれたところがあったけれども読むとなるほど死と生というどこか耽美で退廃的な主題を含んだ内容と、幻想的な舞台設定がティーンの恋愛にどうしても向かいがちなレーベルにあって一種独特の雰囲気を醸し出していて、これからの展開とかあるいは作者のこれから書く物への興味が浮かんできた。

 海を遮る霧の壁は、現世にて飛行機でも船でも越えられないものとして現実に認識されている上に、そのそのむこうに天寿を全うできなかった死者を送ると甦るといった伝承があった。アズサとう少女は両親に愛され育ったものの出かけた百貨店で煙に巻かれて15歳で死んでしまい、可愛そうに思った両親から死んで霧の壁のむこうに小舟に載せられ流される。そしててアズサが目覚めると、そこには岸部があってカーゴという青年がいて、彼に連れられ森を抜け、そこからひとりで街へと行くとそこには普通に人々が暮らしていて、時折送られてきた死者が甦ることが受け入れられている。だから霧の壁は単純に三途の川とか冥府の川にかかって此岸と彼岸を隔てる概念ではなく、そこに在るものといった認識らしい。ちょっと面白い。

 そしてアズサは街にある教会で世話になり、やがて出かけた先で教会の運営者の知り合いらしい謎めく女性がシェフを務めるレストランにウエイトレス兼ピアニストとして働き始める。そんな街では昨今、兵器工場が造られマニージという名のオーナーが剛腕をふるっていて、体に悪そうな煙を吐いたり、武器を通して戦争に荷担して間接的に人の命を奪っているといった評判から、一部にとても嫌われていたりした。とりわけカーゴはマニージを父のを敵と狙っていて、奪われたという父親の秘蔵の時計を取り換えそうといろいろ探っていた。もっともカーゴと共に教会で育ったスタイフという青年が、マニージの下で働いていて、確かに戦争の道具を作り、工場も稼働させているけれどもそれは雇用につながっているし、子どもたちには未来が必要だと口癖のように言って支援をしようとしていたとマニージのことを言う。

 その意味で、善と悪の、立場によってはどちらともとれる、その両義性が問われている物語でもありそうな「ロスト・グレイの静かな夜明け」。カーゴの父親にしたところで、放浪していたところをマニージの工場に雇われ職を得て、その対価として時計を渡したようなところもあって決してマニージに虐げられていた訳ではない。そもそもが霧の壁を越えて来たらしいマニージには、その死を悼み悲しむ者たちがいたという現れで、一面だけで人を見る愚かさといったものがそこに浮かぶ。紆余曲折があって時計を手元に取り戻したカーゴにしたところで、浮かぶ感慨はマイナスがゼロになったといったもの。それで良かったのかとカーゴは己に問い直し、何かを作り上げることへと意識を向ける。

 ヒロインのアズサ自身はといえば今はやや狂言回し的な役割で、カーゴに引っ張られスタイフにも引きずられて振りまわされてばかり。とはいえそんな彼女がいたからこそカーゴもスタイフもわだかまっていた場所から足を踏み出し、その幸不幸は別にして次のステップへと向かうことができた。今はまだ何も知らない場所で目覚め、始まったばかりの新しい暮らしに戸惑っているアズサも、無能ではなくピアノの才能で居場所を見つけてどうにかやっていこうとする。そんな彼女自身の目を通しながら、これからも霧の壁を越えて来たり、すでに来ていた人たちの過去を描き今を問い、未来を探って可能性を示す物語になっていくのか、それともアズサ自身の成長の物語に向かうのか。続きがるなら読んでみたい。サムシィという謎めく女性のシェフが見せる堂々として特別な活躍も楽しみ。期待。

 池袋では西武の地下にあるリブロで金髪のおねえさんが棚の前にたって一所懸命に本の中身を解説してこれは面白いこれはベストとやっていて、引かれてついつい買ってしまいそうになったけれども懐も寂しく退散、っていうかつまりは豊崎由美さんが自ら店頭に立って読んで欲しい本をセレクトして並べ売っていたものでその中身を知り尽くし、それ意外のものも知り尽くした人なればこその解説の力、アピールのパワーは多分それに興味を持っていなかった人でも引きつけ読ませてしまいそう。小さい街の本屋さんとかでそういった買わせ方、読ませ方をしていたんだろうし本屋に限らず商店ってのは店主なり店員が自信を持って商品について話し最適を進め買って貰っていた。今はそれが難しいのは大量な品を大量にさばく場に本屋も、商店もなってしまっているからでそれは仕方がないことだけれど、一部にこうしたブティック的な運営も、あって良いしあるべきなんじゃないかと思っていたら松丸本舗はまもなく閉店か。難しいなあ物を売るのって。


【8月17日】 なんかロンドン五輪で日本選手団がいっぱい使っていたというマットレスパッドのエアウィーヴを作っている会社が愛知県の幸田にあるって「Number」を読んで吃驚したけど、調べてその親会社が日本高圧電気ってこれも大府市にある会社だと分かって2度吃驚。どっちも愛知県にある会社としてはトヨタ自動車を筆頭に系列の日本電装だとかアイシンだとかトヨタ車体だとか豊田自動織機だとか、別の森村グループに属する日本ガイシだとか日本特殊陶業だとかに比べて全国的な知名度もある訳じゃないけれど、高圧電気の方は配電機器類の方で日本屈指の企業だとかで、エアウィーヴを出しているウーヴァジャパンも今年の売上が50億円弱に達するとか。

 この両社に限らず愛知県にはアンテナの分野で高いシェアを持つマスプロ電工があるし、工作機械に関してはオークマがあって森精機があってヤマザキマザックがあって旧豊田工機のジェイテックもあったりと知る人ぞ知る世界的な企業が目白押し。けど地方ってこともあるし地味ってこともあって就職の人気で上位に来るってことはない。他の地域でも探せばこうした、特定の分野でトップシェアに近い実績を持ちながらも知られておらず、求人に悩む企業ってきっとたくさんあって、そういうところを探して入ればきっと面白い仕事ができるんだろうなあと今さらながらに思ってみたり。金融にマスコミばかりが働き口じゃないぞ、って僕が言うことでもないか。半ば無職の窓際が。

 なんというか理解できないんだなあというか、例のロンドン五輪のサッカー競技で政治的なメッセージが掲げたプラカードを持って場内を走り回ったからといって、五輪を仕切るIOCがペナルティとしてその選手にメダルを与えず、授賞式にも出させないまま国へと帰らせたという一件について当該の国でもトップクラスのメディアがコラムで反論しているんだけれど、そのことごとくが「オリンピックでは政治的メッセージの発信は許されない」という基本中の基本をどうにかかいくぐろうとして、必死に言葉を並べ立てたもので、けれども事実として「政治的メッセージを掲げてしまった」以上は何を言っても通じないと感じたからか、今度は「ほかもやってるじゃないか」といった論調へと矛先を向けて有耶無耶にしようとしていてどうにもモヤモヤが溜まる。

 だってそこにはまるっきり自省がないから。矛先を向けるときに大人だったら「確かに拙かったがほかにも拙い例はあるんじゃないの」と問いかけた上で「だから罪一等を免じて戴きたく候」と頭を立てるものなんだけれどコラムの論調は「ほかにもいっぱい悪いことをしちているんだから謝る必要なんてない」といったもの。それどころか「愛国心から出たものなんだから罪すら存在しない」ってな感じの論調すら発しているからたまらない。そもそもが「愛国心から出たメッセージ」がすなわち「政治的なメッセージ」であってそれを主張するのは自ら「政治的なメッセージをオリンピックで掲げた」と認めることに等しい。にも関わらず「やってない」と言うこの自己矛盾に、コラムを書いてた人は書いている時に気づかなかったんだろうか。そこが気になる、とてつもなく。

 さらに言うのは「優勝した選手が国旗をもらって掲げるのだって政治的なメッセージじゃないか」という、踏み込みすぎた意見。なるほど国旗を掲げ国家を歌う行為は国というひとつの政体をアピールすることだと言えないこともないけれど、一方で依拠するコミュニティに対する感謝であり送り出してくれた人への御礼でもあったりして、むしろ社会的に生きる人間の根源をそこに示す原初的な行為と言えなくもない。IOCなんかもだから国の称揚なりアピールがナショナリズムに繋がらないよう、持ち込める国旗の大きさを制限したりしてギリギリ限界の線というものを提示して、それを超えない限りは大丈夫だと認めている。

 そのガイドラインを存在しないかの如くに扱い訴えるのは僭越さを通り越して無礼でもある。加えて言うならプラカードを掲げた国では試合後に、制限を大きく越えた巨大な旗を持ち込みグランドで掲げてみせた。これ事態が明確な規約違反。プラカード以前に糾弾されるべきだし、プラカードを偶発的なものだと言うならむしろ巨大な旗を広げてしまった違反を認め謝るべきだろう。けどまるで触れる気配はなし。まあそもそもが愛国心から出る行為は何をやっても無罪といった基準がそこにあるから、謝るなんてことはできないし必要もないと考えている。

 のかというとうーん、決して頭が固かったり、酷かったりする訳でもないだろうから、書いている方は多分それなりに気づいているものの、それを言ってしまうと国内で火が着いている人たちに、受け入れられないと感じて敢えて内向きに受ける意見を並べ立てているのかもしれないなあ。それが買って貰って読んでもらってなんぼの商業メディアの運命って奴で。いろいろと大変だなあ。とふり返って同じように内向きのそれも限定されたエリアに受ける結論を述べてそれにそぐう意見を並べる牽強付会に燃えるメディアが日本にもあった。どっちもどっちだなあ。はあ。

 ぜんたい成田童夢さんって人はどれくらいのマジっぷりでサブカルタレントをやっているのか、ネット上での言説からでははっきりとは確信が持てなかったりしたんで秋葉原のAKIBAスクエアで昨日からやってた秋葉原でスポーツを語るだなんて不思議なイベントのおおトリを飾るトークショーを見物に行ったら初音ミクさんとかが立っていた。なかなかのスリムっぷり。でも1日仕事をしっ放しだったのか夜も9時近くまで経って疲れたのか、ふくらはぎをのばして疲れをとろうと頑張っていた。あんな可愛いミクさんにそんな苦労をさせるなんて。太田が悪い。というフレーズがきっとこれからしばらくあちらこちらに頻出するだろう。理由は後日。

 そして現れた成田童夢さんは見かけはヒップにホップでボーダーだって今言われても納得の紛争。「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のTシャツを着ている訳でもなくって普通のカジュアルでスポーティな格好は何だりニコニコ動画での放送に配慮し自己主張を抑えたってことなのかな、メーンは2020年に東京オリンピックを引っ張ってくる、そのPRイベントって訳だから。でも本番が始まると好きなアニメを語りアニメに関わる仕事をするためにスノーボードで頑張って名を売ったって話をしていてそれだけ頑張ってここまで来たなら認めるに吝かでないとか思ったり。いや本当に頑張っている感じだけれどやっぱりどこかイロモノ感が抜けないのは、お笑いタレントのアニメ好きとかと違ってちょっぴりあっぱりテレビなんかが誘いをかけ辛いからなのかなあ、普通にタレントとしてもいけそうなしゃべりをしてたから、いずれグングンと出てくるでしょう。

 そして卓球のジャンヌ・ダルクと呼ばれて奇抜だったり美麗だったりするユニフォームを披露し評判になった四元奈生美さんもエレガントなウエアで登壇しては卓球を見せてくれた。やっぱり巧いねえ。プロ選手であってそれは今も変わってなくって、五輪には出られなかったけれども日本選手権には出たいと放していたからきっと頑張ってくれるだろう。年輩でも頑張って日本選手権に出たいと昨日もフィギュアスケートの村主章枝さんも言ってたし、自分がやりたいことをとことんまでやり抜くアスリートの魂って奴をみればそれに間近に触れられる、オリンピックって場も悪く無いなあと思えてきた。だいたいが東京都民じゃないんで税金とか気にならないし。決まるのは来年の秋とかでそれまでに支持率を上げておかないといけないとか。アスリートが生で必要性を語るこういったイベントが、また開かれたらきっと面白いし有効かも。こんどはフィギュアのメインどころもなでしこジャパンもバレーボールの全日本もそろってメイド姿で登場を。レスリングは……オッケーだ、何だってオッケーだ。それが秋葉原だ。うん。太田が悪い。


【8月16日】 水本裕貴選手がサッカーの日本代表に帰ってきた。そしてセンターバックとしてピッチに立った。それだけで十分だった日本代表対ベネズエラ代表との試合は攻められるかと思ったら案外に守備が固くて攻撃も巧い南米4位のチームを相手に難しい戦いを強いられた様子で、1点は奪ったものの後半に奪い返され1対1のドローで試合終了。香川慎司選手とか出ていた割りにはあんまり目立っていなかった上に、失点の“起点”になるようなプレーもみせて世界におけるそのポジションと、日本代表とでの違いが改めてくっきりと浮かび上がってしまった。まるでメッシ選手だよなあ、バルセロナではあんなに自在なのにアルゼンチン代表ではまるで輝けないという。

 そんな香川選手だけれどチーム方でも大変そうで、アーセナルからプレミアリーグ得点王で変幻自在なプレーを見せるオランダ代表のファンペルシー選手がマンチェスター・ユナイテッドに移籍してきて香川選手とポジションが被りそう。ただでさえナニ選手もいればアシュリー・ヤング選手もいてベルバトフ選手もいたりするくらいに攻撃陣が豊富なマンチェスター・Uにさらにもう1枚、トップクラスの看板が加わって果たして香川選手は何番手くらい? そんな境遇で出場できるかどうかでコンディションも変わってくるだけに日本で遊んでないで戻ってチーム内での競争に勝ち抜くだけのプレーを見せることが必要かも。それともどこかにレンタルされちゃうのかなあ。宮市亮選手は昨シーズンに続いて今シーズンはウィガンにレンタル。まだ19歳ならそれで出場機会を得るのが最善だけれど香川選手はどうなんだろ。そう思うとあの陣容の中で出場を果たしていた朴智星選手ってやっぱり凄い選手だったんだなあ。

こんな可愛いメイドがスケート選手のはずがある  さて水本選手はといえば北京五輪の以前からオシムジャパンの方でも実力を買われていたんだけれどもオシム監督の急病から退任の流れの中で岡田ジャパンからは呼ばれなくなってしまって幾年月、南アフリカでのワールドカップにも出られない中でチームを移り移ってたどり着いたサンフレッチェ広島でオシム監督とは関わりのあるペトロビッチ監督の下でディフェンスに定着して実力を取り戻し、森保一監督の下でもしっかりと守備に貢献してチームの首位進出に大きく貢献してくれている。そんな水本選手をようやく呼んで連携の薄い中、中盤がザルの中でも見せた速度と高さはこれからのザックジャパンの中でも絶対に有用とされるだろうと期待したいけど、あれで保守的な選択をする傾向があるからなあ、ザック。今野選手とか戻ってきたら脇に追いやられそうだけれど高さじゃやっぱり水本選手。3バックにだって適正もあるからきっと選ばれリオに地に立ってくれると信じたい。オシムっ子じゃあもう水本選手くらいしかいないんだから。

 誰がやってもメイド服とは良い物で、それに眼鏡がついてなおかつネコミミまでくっついた日にはもはや完璧以上の存在として讃えられて当然。そしてその中身がフィギュアスケートの世界で長く日本のトップクラスに位置して五輪に出て世界選手権にも出た村主章枝さんと来た日にはもう世界中がそのキューティさを賞賛して絶賛して不思議はない。秋葉原のUDXってところにあるAKIBAスクエアで、ひっそりとでもないけれど開かれていた来年の東京国体をPRするイベントに、村主章枝さんがメイド姿で登壇するという噂を聞いて駆けつけてみたら最初の顔出しは普通の服装。なんだガッカリだと引き返そうと思ったものの、そこをグッとこらえて待って始まったその瞬間、美しくも可愛らしいメイドが現れ舞台上から満面の微笑みを僕たちに与えてくれた。

 絶対領域を持ち腕にも長い手袋をして眼鏡をつけてネコミミまで生やしたその姿は、とてもじゃないけど普段の村主さんからは、というか直前のTシャツ姿だった村主さんからも想像できない変わり様。サニーサイドアップの鬼社長こと次原悦子さんの厳命によってかはたまた自主的な関心からか、秋葉原に相応しいという衣装ってことでメイド服を着て現れたとかで、ネット中継で見ていた人の間にも賞賛の声がわき上がった。良い物を見た。この暑い夏にこれで勝利できたと確信できた。有り難う村主さん、そてい次原社長。今はまだニュースとしてはごくごく一部のネット界隈でのみ取りざたされているだけだけど、いずれ世界中のスポーツファンとフィギュアスケートファンと日本のネコミミメイドファンが、存在に気づきピックアップして喧伝し、その美しさその可愛らしさを世界に広めつつ東京国体の存在、ひいては2020年の東京五輪招致の意志を知らしめてくれることだろう。そうなれば村主さんがメイド服を着た甲斐もあった。ってそういう打算以前にむしろ本人、のりのりだった訳だけど。着たかったのかなあ。これからもずっと着てくれないかなあ。

 女の子だと自分を感じ女の子の格好をしている男の子と、好きになった男の子から女の子ならと言われ女の子の格好をしている男の子と、女の子になりたくないけど死んだ姉の身代わりで女の子の格好をしている男の子の3人が出合う、ふみふみこの漫画「ぼくらのへんたい1」(徳間書店)が気になって買って読んだら凄かった。帯には「百合? BL?」という分かりやすいカテゴライズがされていて、それから「男の娘×男の娘」というキャッチーな惹句も書かれていて、何だか流行ってるらしい男の娘系、あるいは百合系への読者に買ってもらいたい気分が漂っているけれど、読むと中身はそうした流行のタームに絶対に収まらないし、収めちゃいけない心と体の矛盾なり、ヘテロではない性向なり、家族への親愛なりといった”理由”が描かれていて考えさせられた。

 流行で言うなら可愛い女装、可愛い男の娘は正義といった風潮なんかが拡散されてて、メディアがそれを拡散してたりもするんだけれどそうした言葉はすなわち可愛くない女装や男の娘はどうなんだ、っていった懐疑をもたらしてもやもやさせる。性同一性障害という状況があって心に会わない体や服装はしたくないと、止むに止まれない気持から女装をする人の全員が、美しいという言葉に括れるものではない。そんあ、本当の自分になりたいと苦労や逡巡を重ねている人たちへの視線もちゃんとある所が買える「ぼくらのへにたい」。もちろん3人とも可愛いんだけど、3人もとそうすれば可愛いからそうするんじゃないんだってところがちゃんとある。そこを読んで欲しいんだけれどやっぱり可愛いは正義の認識に埋もれてしまうのかなあ。とか言ってたらネットで突発的に注文していた「かしまし ガール・ミーツ・ガール」のDVDボックスが届いた。戸惑いと恥じらいに溢れたトランスジェンダーなアニメーション。もっと流行ってもいいだけどなあ。あかほりさとる作品なんだよなあ。ちょっと意外。


【8月15日】 アニメーション版『境界線上のホライゾン』を見ると原作が読みたくなるというか、アニメで描かれていなかったところのディテールを確認したくなるというか、そんな気持を即座に満たせるようにと枕元に積み上げてあるあの鈍器系文庫から、アニメが正に放送されている2巻を引っ張り出して下の方で英国のトランプたちと、武蔵アリアダスト教導院の特務や役付たちとのバトルシーンを読み返してやっぱり文章の方が密度が濃いと思いつつ、マルゴット・ナイトとジョン・ホーキンスとのバトルはむしろアニメの方がイメージとして伝えやすいとも思ったり。

 空中の水中でオベリスクなんかが叩き込まれてナイトがやられたり、ホーキンスが食らったりする場面なんか字だとなかなか想像できなかったもんなあ。とはいえネイト・ミトツダイラとウォルシンガムのシーンは字で読んでもスピーディだけれど絵だとなおスピーディーでそこで何が起こっているのかを確認してたら再生がいちいち止まって先に進まない。よくぞ作ったものだとサンライズに喝采を贈りたいけどそこまでして報われうる作品だってことなんだろうなあ、自分たち的にやりがいがあり、商業的に売上もあり。

 そして読み終えていたはずに文庫の「境界線上のホライゾン」第5巻の上をつらつらと読み返して伊達・成実の凄まじいばかりの強さを目の当たりにすつつこんなのに勝ったウッキーことキヨナリ・ウルキアガっていったいどれだけ強いんだ的瞠目を覚える。姉だから本気を出したってことではないと既に明らかになっているってことはつまりそれだけウッキーにとってどストライクだったってことか、あの割り切ったような性格が。でもそれはマルガ・ナルゼとも通じる性格だし。なのにガっちゃんとウッキーという関係はない、というかガっちゃんはナイちゃんとイチャイチャだから。うーん。錯綜している強さ比べ。だいたいがウッキー、第二特務で上に第一特務の点蔵がいるんだよなあ。どれだけ強いんだ点蔵。

 どれだけでも強いか点蔵。あの柴田勝家の腕を切り飛ばしもしたし第5巻の上では黄泉を持ってきた海野六郎相手に勝利を収めたり。おまけに傍らには英国王女がいてエクスカリバーなんてのも持っていたりするからもう最強、武蔵アリアダスト教導院の誰もかなうはずがないか、っていうとそこはオリオトライ真喜子がいるし葵・喜美だっているし。第三特務とかやってとてつもない狙撃の腕前を持ってていて運送チームのトップで魔女界からそれなりと認められているナイちゃんですら喜美を前に自分が強いという気を抱けずにいるそうだし。しばらく本気で戦ってないんでそろそろ見たいなあ、喜美と誰かの相対を。

 一方では真田十勇士たちとのバトルが続いて一方では浮きドックの有明をめがけた滝川・一益による攻撃を武蔵がどうかわすのかって戦いもあって凄まじいばかりのテンションでもって終わる第5巻の上だけれどもせっかく出てきて何か喋ろうとした羽柴・秀吉をまたしても葵・トーリがいじめてフラフラにさせてしまって一体彼女が何者で、何をやろうとしているのかが分からなくなってしまった。大罪武装めいたものを持っているんだけれどなあ、ホライゾンのと似通った。あと小田原の北条・氏直とノリキとの関係なんかも進展があるのかないのか。表紙に堂々の登場ってことはこの巻では点蔵、ウッキーにあとネシンバラとシェイクスピアのカップル化に続くノリキと氏直の結びつき、なんてのも期待がかかっているんだけれど無役の彼では収まりも悪いし。戻るのか小田原に。そして向かってくるのか王として。嘔吐して、ってのは竹中半兵衛。えろえろえろえろしてたなあ。可愛いなあ。次もえろえろえろえろしてくれるかなあ。

 まああれだ、予告の上でのこのことやって来た不法入国の人たちを、海上保安庁が待ち伏せ警告を発しそれでも振り切って上陸したのを、警察といっしょにしっかり囲んで逮捕した訳で、それは例えば他の島とかあるいは本土でだって同様のことを、粛々と行い主権があることを表明してみせたってだけのことで、何も騒ぐ必要はないんじゃないかなあ、って考える平穏主義者。だからあそこに人とか置いておくべきなんだってご老体は叫んでいたけど、あんな孤島に人なんか住んで果たしてちゃんと生活できるのか。昔は住んでいたみたいだけれどもやっぱり大変だったんじゃないかなあ。山羊なら勝手に育つけど。育ったっけ。

 竹島みたいに要塞にでもして逐次監視の目を向けておく、なんてことを言い出す人もいそうだけれどもそうやったところで、入ってくる奴は入ってくるし上陸しようとする奴はする。それをいちいち見張っていられるほど日本には余裕なんてありはしない。なぜって四方が海に囲まれた海洋国家だから。なんで何か事あれば粛々と厳正に報に基づき対処する。それで良いんじゃないかなあ。向こうが日本の海保や警官を不法入国したって逮捕しようとしたなら話は別だけれど、そこまでやって来ないんだから今はこちらの実効支配を認めているってことでもあるし。騒いで相手を騒がせチップを積み上げ続けた果てに何かを駆け引きでもっていかれるくらいなら、最初っから勝負に乗らず現状を維持し続けること。それでどうにかなって来たなら、これからもどうにかしていければ万々歳なんだけれども果たして。

 そして祭りが終わってなでしこジャパンというブランドの価値は極大にまで達してその中心選手となっている澤穂希選手を筆頭に多くの代表選手をかかえるINACレオネッサの価値も鰻登りに上り詰め、続くのが宮間あや選手がいる岡山湯郷Belleかあるいは岩清水梓選手も所属する名門の日テレ・ベレーザといったところ。とはいえ後ろの2つはぐっと価値的に下がるのか、新しいスポンサーがついたりつきそうだったりするのはおそらくINACレオネッサくらいでそれはそれで経営努力として選手を集め、支援してきた結果だから文句の言える話ではないんだけれども一将功成り万骨枯るの故事ではないけれども人的資源も金銭もひとつところに集中してしまって果たして未来永劫の隆盛はあり得るのか、って考えた時に一時のJリーグブームと当時の川崎ヴェルディとの密接な関係、そしてその後のブームの急速な衰退なんかを思ってしまって不安が浮かぶ。

 今は良いかもしれないけれども多くがそれなりな年齢に達しているINACの代表陣がいつまでもいつまでもトップでいられる補償はないし、INACだっていつまで果たして女子サッカーチームを丸抱えしていられるか、ってところにも考えが及ぶ。大丈夫だろう、っていうのは甘い話で丸抱えしていたTASAKIペルーレはそれが禍となって放り出されて消滅し、盤石なはずの東京電力をバックに持っていいたTEPCOマリーゼも未曾有の事故によって会社が傾きかけて休部から移管の憂き目をたどった。企業が丸抱えしているってリスクはだからそういうところにあって、その可能性を今の人気だけで見過ごしていると後でいろいろと大変な事だって起こりそう。それがリーグ全体の沈滞を招く可能性あってある。

 すべきことはだから今の成功の上澄み部分だけをフレームアップして讃え儲けさせることと同時に、そうした人気をどこまで下位のチームや下部のチーム、組織、そして女子サッカー全体に広げていけるかってところでアップしそうなスポンサー収入をひとつところに集中させるだけじゃなく、一括して得て分配するような差配でもって全体が底上げをはかれるような道をつけて上げること、だったりするような気がする。でないといずれ来るだろう波の時にそれが2000年のシドニー五輪不出場と前後した大波でなくても、あっさりとひっくり返ってしまうから。1990年頃からの女子サッカーリーグは会社が丸抱えの企業スポーツ的な状況が大半だったけれどもそれだけサッカーに熱意をもって取り組んでいた。それでも耐えられなかったクラブ運営なだけに、今の脆弱な基盤ではなおいっそうの準備が必要になる。それをできるのがまさに今、なんだけれどもそうした方面へとメディアが目を向けることなんてなく、フレームアップされた上位だけが取りざたされているその下で今までどおり、あるいは今までよりさらに大変な目に会うこともありそう。どうにかしたいなあ。どうにかならないかなあ。


【8月14日】 葵・喜美の「巨乳防御」はなるほど見ればその分厚い胸があらゆる攻撃を跳ね返し、身を守るだけでなく相手にダメージまで与えるだろうことは納得だけれど、ト・ミトツダイラがウォルシンガムを相手に見せた貧乳回避は、狭く差し出された2枚の剣の間に体を入れると出っ張っていないものだからどこにも刺さらず、それどころか削れもしないで隙間を通り抜けて相手に迫るという技で、それはそれであり得る話ではあっても、やってしまってなおかつ技名を高らかに叫ぶのは当人にとってどれだけの精神的なダメージを与えるのか、悔恨を及ぼさせるのかがちょっと気になった「境界線上のホライゾン2」。

 テンポよく進むのはいいんだけれどそれで削られてしまったエピソードも割とあるだけにやや気になって、できればパッケージ化の時に足すとかしてくれたら嬉しいんだけれどそういうことってあるのかな。同じ貧乳の本多・正純もハットンの攻撃を貧乳によって服から抜け出し回避した訳で、それを並べればミトツダイラも救われるけれどそういう話は削れてた。あとマルガ・ナルゼが敗れた獣人のドレイク相手に立花・ぎんが勝てたのも、呼吸すら英国への敵対行動と見なす聖顕武装を持つ相手に対して止められた呼吸とは違う呼吸で再起し挑んだからって話が抜けていた。あれがないとマルガがいかにも弱っちく見えてしまう。まあでも点蔵と傷有りの関係を、尻をメーンに描いてあったりしたのは好感。あれを見せたいがために他を削ったならそれはそれで合格だ。あの途切れない階段を上る尻の映像、BDに是非に入れてくれないかなあ。延々と見ていたい気分。

 まだ「ドラゴンクエストX」も無ければMMORPG普及のきっかけになった「ウルティマオンライン」すら存在していなかった1990年代前半に、多人数参加型のオンラインゲームって奴をそれもそのワールドにジャックインして遊ぶタイプのものを小説ではなく漫画として描いてみせた作品があったということは多分1つの驚きで、自在に動き回れるように見えてサーバー上の制約があったり、プログラム上のバグがあったりする状況をそこから先にはもう行けない、あるいは虫だか歪みだかが現れプレーヤーを邪魔するといったビジュアルイメージによって示してみせたことにはただひたすらに敬服するばかり。今なら実在するゲームのイメージを利用してそうした世界を思い描けるけれども当時は想像はできてもビジュアルとしてイメージすることはなかなかやっぱり大変だった。

 そんな内田美奈子さんによる漫画「BOOM TOWN」はだから先鋭的にして革新的な漫画として、士郎政宗さんの「攻殻機動隊」なんかとともにもっと現代に読み次がれていいはずなのに連載されていた雑誌が休刊になったのと同時に連載も途切れたまんま10余年。4巻まで出た単行本のお尻は切れたまんまその単行本すら店頭から消え古書店でもみかけないような悲しい状況がずっとずっと続いていたのを悲しく思ってこうしたバーチャルワールド物の作品が出てくるたびに「BOOM TOWN」という素晴らしい漫画があったと訴え復刊を呼びかけて来たもののかなわず。もう読めることはないんだろうと諦めていたら何と絶版漫画をいっぱい集めて、それも無料で読めるようにした「Jコミ」ってサービスの中に全4巻がそろって登場。何でまたとは思うものの未刊の作品を出す新しい版元も見つけづらいのは事実だし、あの判方で美麗なカラーも含めて出し直せるところもそうはない。ならネットでってなったのも仕方がないかもしれないなあ。

 そりゃあ欲をいうならウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」を出してジャックインの概念を世に知らしめ、東野司さんの「ミルキィピア」シリーズを出してネットワールドの擬人化を世に問いそして柾悟郎さんの「ヴィーナスシティ」というジャックインして楽しむゲームの中で起こり得る出来事に思弁性すら加えた小説を出して「ソードアートオンライン」の世界を20年近く先に描いて見せた早川書房あたりから、再刊して欲しいしそれに続いて「SFマガジン」とかで続き書いてもらいたい気もしないでもないけれど、そうは簡単にはいきそうもなさそう。ただこうしてJコミで公開されたってことは著作権的な問題はクリアされているってことだからあとは商売的なものか、あるいは条件的な問題がどうにかなったら紙として改めて世に問える、ってことになるのかならないのか。ううん。読みたいなあ。続きを。

 それは多分しょうがないことで、ロンドン五輪での日本の体操陣が来ていたユニフォームに旭日旗っぽいものが描かれているということが、国内でネットでもって取りざたされてそれがクローズアップされて伝えられて来た時に、それに対して意見というものを聞かないことには、メーンとなっている国内における情報の受け手が納得できないだろいうという状況があるなら、そうせざるを得ないのが“知る権利”の付託を受けたメディアというもの。たとえどう見たってただの太陽のモチーフであって、それが国旗の日の丸とも関連しているかもしれないなあ、という連想は浮かんでも旭日旗と結びつけ、なおかつ旭日旗を日の丸以上に戦争と結びつけて考えるというステップも、そこに加えた上でいかがなものかと尋ねる何というか、迂遠さがあったとしてもしょうがないことなのだ。

 だから問題はそれを聞かざるを得ない境遇へとメディアを追い込んでしまっている国民的な関心であり感情の方で、どうしてそんなことを言い出したのかといえばそれは例のロンドン五輪の3位決定戦における政治的なプラカードを持って走って政治的だと咎められ、メダル剥奪はもとより他の制裁にまで及ぶ可能性をつきつけられたから。ここで本来だったら政治的ととられかねないメッセージを持って選手がピッチを走り回ったという、IOCが嫌がりFIFAも嫌う行為を行った事実に対して、これをやってしまいましたと認めた上でいささか個人的に突っ走りすぎてしまったのだという釈明から入って、しかしといった条件を並べ圧力の減衰を求めていくのが、真っ当な手段だったりする。

 だから、そこに書かれてあることが自分たちにとっての自明の事実だという、内向けの認識はまるで関係なく、行為そのものへのお咎めなんだという理解を持つことが何より先に立つべきだったりするんだけれど、どうもそうしたIOCとの共通理解に立てないのは国内でそうした理解がなかなかなされ得ず、前線がそこで理解を示そうものなら同類と見なされ糾弾されかねないから、なんだろう。それともグローバルであるべき前線も今やドメスティックに固まってしまっているのだろうか。難しい。ましてやIOCの委員長に他はどうなんだと問いかけるなんて、何が問題だったかをまるで理解していないことを自ら晒してしまったのと同じ事。他が悪いかどうかはそれこそIOCが決めることであって、そんな専権事項に横から口を突っ込まれる不快を味わわせて、いったい何がしたいんだって話になる。

 まあここでやんわりとそれは問題じゃない、問題なのは行為をしたという事実に対してどれだけの釈明ができるかってことを求められているのだと即座に気づいて、できうることをするのが最善なんだけれども、いつでも最善が選ばれる訳ではないのは過去の歴史をみればどの国に限らず同じ事。ましてや内向きにアピールすることだけが正しいと思っていたりする人たちが、シグナルを読んでそれに倣うなんてことが果たしてできるのか。まさにターニングポイントなんだけれど、引き返せそうもないよなあ。まあ似たようなことはこちらもこちらでまだ1部のメディアだけれど南の島についてとかでやっていたりもするから、あんまり大きなことは言えないんだけれど。それに今は1部だからといって、雪崩を打って皆がそちらに偏らないとも限らない。そういう歴史を踏んできた。だから他山と石としつつ自戒もしつつ、様子を眺めて最善へと進むことを願おう。無理かなあ。あっちもこっちも。


【8月13日】 本屋大賞を受賞して次に出す本はだからやっぱり小説かと思ったらエッセイ集だったりするところが世間の荒波を潜ってかわしてずんずんと進んできた三浦しをんさんらしいなあと、大和出版から登場の「お友だちからお願いします」(1400円)なんかをペラリペラリとめくって読んでぐふぐふと笑いつつ、思ってみたりするお盆な夏、英語でいうならサマー・オブ・ボン。三浦しをんさんといったら直木賞をとり本屋大賞もとってベストセラー連発な超売れっ子な訳で、住まいは白亜の豪邸が白金にだって成城にだって建てられそこで使用人を使い身の回りを世話させながら朝に執筆昼にランチで午後は昼寝から夜は社交といった優雅な文人生活を送っているかと思いきや、引っ越した先で枝から雀の雛が落ちてきたのを、呼びもしなのにやって来た古事記なお父さんが、見つけ拾い上げるなんて優しさは見せず、周囲に親鳥がいるはずだと触れずにそのまま置いておく、スパルタというか自在な振る舞いを見せる様を親であるにもかかわらずあからさまに明るみに出していたりする。そこには文壇コミュニティのハイソサエティなんて空気は微塵もない。

 旅行に出れば出たで新幹線の中で給仕に世話をさせるなんてことはなしに品川あたりで弁当をかい、京都当たりで昼になったら食おうと思っていたのを大きく前倒しして小田原当たりに着くまでに食べてしまってあとは名古屋であたりめでも買って囓って飲んで過ごすという意志の薄弱さ。それをやっぱりあからさまに書いてみせるところに本が売れ名が売れるのと反比例に日常を隠し謎めいた雰囲気を出したがる人間の性向とはまるで違ったマインドが伺える。浜松では昼にご馳走になった鰻の見せに夜の入って飲み食いしてから新幹線のホームに上がってそこで地酒が足りないと気づき改札の外に出してもらって売店で地酒を買ったりするという飲み助ぶり。それをやっぱり包み隠さない上に、そうした露出がまるで自虐にならず嫌味にもならずああそうだねそれあるね的なニュアンスでもって共感を誘うところに多分、長く続く人気の秘密って奴があるんだろうなあ。しかし365日のうちに360日こもっている割りには鳥取とか三重とか浜松とか、いろいろとお出かけしているなあ。動いている三浦さんはもうしばらく見ていないけれどもどこかですれ違える時はくるのかな、来たら確認したい、何キロ増になっているかを。

 開会式に出ないんだったら閉会式には来るだろうと思ったらやっぱり来たよ、ロンドン五輪の閉会式に我らがクイーンが登場、したものの当然ながらフレディ・マーキュリーは既に亡く当人の登場は当然無理。そこを例えば初音ミクのミクパみたくCGにして立体映像風にモニターに投射してほらそこにいますよ的な演出をするって考えもあったりするんだろうけれど、背後から投射することでどうにか立体感を出している疑似ホログラフィーでは四方に人がいる閉会式ではちょっと使えない。そこはとモノリスみたく中央に四方を向けてモニターを立てまたスタンドやその上方にも置いたモニターに生前のフレディの雄叫びを移し、それもちょいコンピュータで加工して生さを減衰させる代わりにショウっぽさを出してそこからフレディが甦って呼びかけているような雰囲気を出していた。巧いなあこういう演出が海外のエンターテインメントって。

 そして雄叫びが収まると現れたのがクイーンのギタリストにして博士論文も書いたブライアン・メイ。手にしたレッドスペシャルをかき鳴らしてはあの独特にして深いサウンドを響き渡らせるとそこにドラマーのロジャー・テイラーも現れ現役なクイーンのだいたいが揃う。ならばボーカルはやぱりポール・ロジャースってことになるのかと思ったらそこはフレディを出した直後であまりに違うと踏んだか、すでに閉会式に現れ何曲か歌っていた新鋭のシンガー、ジェシー・Jをフィーチャーしての「ウイ・ウィル・ロック・ユー」がスタート。人によってはポール・ロジャースが良いって声もあったようだけれども若いながらもよく鍛えられた声を出せるジェシー・Jはフレディのハイトーンボイスに負けない声を響かせ名曲を聴かせてくれた。悪くないかったんじゃないかなあ。

 そもそもがポール・ロジャースだってフレディのあのパフォーマンス、あの声と比べるとやっぱ違うクイーンになってしまう。物真似ではないところは好ましいんだけれどもやっぱり偉大すぎるバンドの偉大すぎるボーカリストの代わりをこちらもこちらで素晴らしいシンガーが、務めるってのはどこかに無理があるって思えて仕方がないんだよなあ。でもそんなポール・ロジャースの娘さんのジャスミン・ロジャースが、BoAってバンドにいてあの名作中の名作アニメ「serial experiments lain」のオープニングに使われていた「DUVET」を歌っているとなると途端に親しみが湧いてきてしまうlain脳。実を言うならテレビCMくらいで流れた新生クイーンの様子くらいでしかポール・ロジャースのボーカルを知らないんだけれどこれをきっかけにちょっと聞いてみたくなってきた。でも先に見聞きするのはウェンブリーでのクイーンのライブ、かなあ、DVDどっかにあるはずなんだけど、どこ行った?

 けどでもすべてを持っていったのは久々に5人そろった姿を見たようなスパイスガールズかなあ、全盛期ってそれほど知ってる訳じゃないけどアイドルっぽい立ち位置からそれでも頑張って女性5人組のボーカルユニットとして世界的に名を高めていった頑張りは何となく知っていて、そしてやっぱりポッシュことヴィクトリアがあのデビッド・ベッカム選手と結婚して目立ってなかったメンバーの中から一気に名を高めたこともあって、半ば伝説の女性ユニットめいた雰囲気すら漂い始めていた、そんな矢先にロンドン五輪の閉会式っていう場に登場して今の姿を満天下に披露。そりゃあ若くはないけど老けてもいない姿態を全員が見せつつ、こちらは衰えるどころかなおいっそう迫力を増したメルBのボーカルを聞かせて「スパイスガールズ健在なり」ってところを示してた。このままツアーとかやってくれたら嬉しがる人もいそうだけれどもそれは無理かなあ。なにかの大きなイベントがあって時々参加、てのはあって欲しいなあ。

 そんなロンドン五輪の閉会式を午前4時半ごろから見続けて見続けて見続けいたら朝も8時になっていったいどれだけやっているんだ的な。テレビで見ている人は自由だけれどスタジアムにいる選手たちはそうも動けず大変だったんじゃなかろーか。なおかつこれで知ってるバンドとかわんさか出てくればいいけれども今の世代では多分分からない1980年代とか90年代のUKロックでは果たしてどこまで関心を示せたか。ああでもあの「モンティパイソン」から登場のエリック・アイドルがギャグをやり歌を歌い踊ったりしている姿にあれは多分日本のバレーボールの選手だろうか、両手に持った小旗を振っていたりする姿が挟み込まれていたからあれはあれで不思議な爺ちゃんだって感じに楽しんでいたのかもしれないなあ。でもテレビはせめてそれがアーティストではなくモンティパイソンのエリック・アイドルだって伝えて欲しかった。例えばクレイジーキャッツの植木等さんだとか、ザ・ドリフターズの加藤茶さんみたいな立ち位置の人なんだと言うだけでそうなんだって親しみと関心が湧いてくるから。それがテレビの役割って奴だろ?

 とはいえUKロックの歴史をたどるって看板の割には登場したのがジョージ・マイケルにペット・ショップ・ボーイズにファットボーイ・スリムにキンクスにザ・フーにほか、いろいろって感じでまあ確かにビッグネームではあるけれどもザ・ローリング・ストーンズとかパブリック・イメージ・リミテッドとかザ・ポリスとかジェネシスとかいった世界も日本も知ってるUKの超メジャーなところが出ていなかったってのはやや残念。80年代をたどるって面でもそこにロキシー・ミュージックもいなければカルチャー・クラブもおらずデュラン・デュランも見えずプリテンダーズも立たずヒューマンリーグもユーリズミックスもスタイルカウンシルもジャパンもおらずあの耽美で倦怠の80年代UKロックって気分をあんまり感じられなかった。いやそれやられたら明け方で確実に寝ていたかもしれないけれどもそうした不満が出るくらい、UKのロックシーンは豊穣で分厚くそして世界に開かれていたんだと改めて理解。何だかんだ言って知ってたもんなあ、だいたいを。

 翻ってこれを日本で2020年に開きたいと都知事が吠えている東京五輪に当てはめてみた場合、誰が出ていたってことになるのかと考えた時に凄く頭がいたくなる。ジョージ・マイケルは田原のトシちゃんでペット・ショップ・ボーイズはCCBでエリック・アイドルは加藤茶かあるいはビートたけしでクイーンはX ジャパンといった感じ? あるいはBOWYとかB’zとかミスチルとかラルク・アン・シエルってあたりがフィーチャーされそうな気はするけれどもそのうちどれくらいが世界に通じていたりするのか。世界で人気、って報はあってもそれが世界のどこか、ってことはあんまり問われないだよなあ、マニア的なファンの間、ってこととか。でもそれじゃあ五輪では通用しない。世界の誰もがだいたい。その基準を満たすとなると布袋寅泰さん個人とかYMOとかパフィーって所になってしまうんだよなあ、ごく少数。けど知らず演出家は日本にとっての今をそこにぶち込んで来るんだろう。差詰めEXILEのオールとAKB48の姉妹グループのオール、そしてSMAPを始めとしたジャニーズ勢。日本人はとっても楽しいかもしれない開会式。でも……。スパイスガールズがどれだけ偉大か改めて突きつけられる気分だなあ。

 ならばどうだ世界の誰もが知っているらしいアニソンで埋め尽くすっていうのは。御婦ニングはもちろんイタリアやフランスで放送されて大勢のファンを持つ「マジンガーZ」から水木一郎のアニキに引っ張ってもらってそこに40万人とかが見たりするというJAM Projectなり影山ヒロノブを着けつつ「美少女戦士セーラームーン」や「ドラゴンボール」や「キャプテン翼」や「マッハGo!Go!Go!」といった往年の作品の主題歌も突っ込みつつトラックをマッハ号が走りフィールドを翼くんたちがパスを応酬しももいろクローバーZがコスプレをしてセーラームーンとなて中を飛んで中を見せ、そこに生きたガンダムともいわれるクラタスが完成品として突っ込み激しいバトルを繰り広げるその上を、完成した八谷さんのメーヴェみたいな乗り物にのって生きたナウシカが舞い降りて来るとかすればもう、世界は絶対に釘付けになるだろう。選手だってあらかじめコスプレして出てくるかも。そんな日本文化の広がり方を、知らずにやると失笑の閉会式になるんじゃないかなあ、東京五輪。というか本気でまだやる気なのか東京五輪。都民じゃないから別にどうだって良いんだけれど。


【8月12日】 いやあネイマール、格好いいよネイマール、鼻血を止めようとティッシュをでっかくぶら下げながらもプレーする姿に惚れたよネイマール、でも得点できなかったよネイマール。ロンドン五輪のサッカー競技決勝のブラジルとメキシコの戦いは、開始30秒でメキシコに先取点を奪われたのもフロックと割り切って、戦力に優れたブラジルが攻めても攻めすぐに逆転するだろうと思いきや、なかなかメキシコの守備を突破できないままに前半も終了。絶対に肉襦袢を着ているだろうてき身体の分厚さを誇るフッキ選手が入って攻撃の圧力がさらに強まっても、ゴール前での攻めが単調なのか入らず奪えず後半に入って逆にメキシコに巧みなゴール前での外しから、ヘディングを叩き込まれて2点のビハインドに。

 ブラジルこれはもう攻めるしかないとなってもやっぱり崩せないままロスタイムに入って、フッキ選手がサイドを駆け上がってゴールを決めて1点差。とはいえ残りは2分もない中、最後のクロスをゴールラインぎりぎりからフッキ選手がいれてそれをドンピシャでとらえたブラジルの選手がいたけれど、ヘディングは外れて追いつけないまま悲願だったオリンピックでの金めだるをまたしても逃してしまった。ああ残念。何が悪かったというよりメキシコの統率された守備とそして誰もが労をおしまない攻撃が奏功したってことなんだろう。

 それにしてもあのブラジルと互角以上に戦ってみせるそのプレーは、体格の似た日本にとって多いに学ぶところ多し、って昔から言われているのに全然追いつけないんだよなあこれが。何でだろ。やっぱり国内リーグのぬるさかなあ。あっちはどれだけハードなんだろ。パチューカでプレーした福田健二選手なら知っているだろうなあ。教えを乞えば良かったのに。ともあれおめでとうメキシコ。この勢いで国内のあの麻薬をめぐる血みどろの事態も抑えてやって戴きたい。無理だろうなあ。スポーツはスポーツで政治は政治、なんだから。

 かつて黒人の公民権運動なんかが盛んだった時期にオリンピックの表彰台でメダルを獲得した黒人選手たちが黒い手袋をした手を掲げて黒人差別の撤廃を訴えたことがすぐさま、オリンピックの精神に反するといった声から非難され2人はすぐさまオリンピックの会場から追放されたという事態があって、これなんか世界の歴史という広く大きな目からすれば現実に虐げられている人たちがいて、そのことを世に訴え改善を求める最大にして最高の機会を得て実行しただけで、むしろ人権という観点から讃えられるべきなんじゃないか、なんて見方をしたい気分もないでもない。

 でもオリンピックという場に限っていうならそこはあらゆる争いを持ち込まずただ純粋にスポーツでのみ競い合う場であって勝利は純粋にスポーツの勝利であってアピールできるのはその勝利のみ。もしもそこにたとえ歴史に刻まれるべき事柄であっても政治的なアピールを紛れ込ませると、歯止めが利かなくなってとんでもないことになるという懸念も一方にあるだけに、国際オリンピック委員会が即座のパージを認めたという理屈もよく分かる。虐げられている人たちはどこの国にもあって民族問題の爆発が国を揺るがし世界を揺るがしかねない地域だってある中で、差別なり虐待の撤廃は歴史に必然といって認めていたら誰もが何かをアピールし出して収拾がつかなくなる。だからすべて認めないというのはなるほど真っ当な意見だろう。

 それは是々非々で考えれば良いというけれど、何が正義で何がそうでないかというのは時に相対的なものでもあって一方からは決められない。それは個々の現場で論じられるべきであって少なくともオリンピックという場ではやってくれるなというのが共通の理解になりつつあって実際、スパイクを掲げたりするような商業的な行為をやってお叱りを受けたりするケースはあっても、明確な意志を持って政治的なアピールをする選手はあんまりいなかった中で堂々と、それをやってしまった選手がサッカーの競技でいたりするのは何だろうなあ、それがあまりに政治的すぎるアピールだって気づかなかったのか、そこが政治的アピールをしてはいけない場所だと気づかなかったのか。

 前者をとるならなるほどそうした対抗意識を当然と教え育ませ、内向きの結束というか政治的な支持に繋げたい層による意識の誘導なんかもあったりしたことが、場をわきまえない行動へとつながってしまったのかもしれない。だとしたら選手も一種の被害者か。ちょっと可愛そうになってきた。後者だとしたらそれは教えなかった国の協会の責任でもあるけれど、その国側もまさか奨励してたとなったらちょっと大変かも。っていうか本当は全選手が超政治的なアピールをしようかなんて話し合っていたって、キャプテンが自ら喋っていたりするからもう言い訳はきかないかも。問題視される前に、勝利者の軽くなった口から出たんだろうけれど、そこでそういう言葉が出てしまうって時点で事の重大さに対する認識が、誰にも浮かんでなかったって証明になってしまう。どうもなあ。どうだかなあ。

 その点で日本は思慮深いというか、周辺からの声に耳を傾けつつオリンピックという場をどう過ごすかをわきまえているというか、陸上ハードルの為末大選手なんかがツイッターでもって例え人権弾圧への抗議であってもやっぱりオリンピックという場は使っちゃいけないって書きつつ、一方で相手がたとえ政治的なアピールをしてきたとしてもそれはスポーツの場でもって裁定が下される話であって、対抗して政治なんかを使ったらダメだよー、なんてことを書いていたりしてなるほどその目配りぶりにただ者ではないと改めて理解する。とてもそういう雰囲気の人だとは思ってなかったなけどなあ。タイツくんにまたがった写真なんかも載せてたし。

 でもそれはタイツくんの会社の人の編集でツイートをまとめたアプリや本を出した時のもので、そんなツイートでは去年のなでしこジャパンのワールドカップ優勝で、浮かれ騒ぐ日本中に対して警句を投げかけここまでの努力があったればこそと賢し、彼女たちが未だ厳しい環境におかれている構造を変えないと先はないって訴えて、その視野の広さに誰もが瞠目した。今回の一件でもそうした視座は揺るがず深化している。そのあまりに自明な叡智に同じ日本の中でも、経営のプロめいた人で多分とっても頭の良い人が一方で「スポーツに場に政治は厳禁だ」とか言いつつ「だから日本は抗議せよ」って支離滅裂なことを言い、そして「日本が抗議するのは相手と同じじゃない」と意味不明なことを言っていたりするから何というか。知性というのはだから出た学校とか肩書きなんかじゃなく、出た言葉そのものによって決まるものなんだと知ろう。

 暑い中をコミケにいって森田季節さんとか日日日さんとか大樹連司さんとかが書いている文庫サイズの同人誌なんかを買ってそそくさと西館(にし・やかた)から東館(ひがし・やかた)へと移って氷川竜介さんところに寄って直言父娘の父を見てマンガ論争を可って退散、正味1時間。企業ブースなんかをめぐっていたらいろいろ欲しいものもあっただろうけどTシャツとか買いすぎてもう着てないものが山ほどあるんだ残念ながら。設定集とかもあったけれどそれも保管場所が。見て嬉しがる年でもないでいずれ部屋が広くなる時にまとめて買おう。一生無理ってことか。

 帰りがけに防災館へと寄ったら「東京マグニチュード8.0」のダイジェストが流れていてちょうど東京タワーの崩壊シーンだった。あの時喧嘩してなかったら、あのとき歩みだしていたら、あの時止めていたら……といった後悔が先に立たない残酷さに生きる難しさを改めて知る。見学者向けコースでも「東京マグニチュード8.0」のダイジェストの鑑賞会はあるみたいで、しっかりと世に残り見られ続けるアニメになっているんだなあと実感。これ1本を送り出しただけでもノイタミナって枠には価値があるというかあったというか。決してメジャーでもないオリジナル作品が初回5・8%なんて視聴率をよくぞ叩き出したもんだ、そうした流れがあったんだ当時は。それが……。もったいないよなあ。


【8月11日】 ああ負けた。完璧に負けた。負けるべくして負けた。負けるはずがないと思っていたのが甘いくらいに激しく負けた。完敗だ。最初の試合でスペイン相手に良いところを見せたから、そのまま行けるかもって期待を抱いたロンドン五輪のサッカー日本代表だったけど、他の試合ではあんまり点が取れない中を、永井謙佑選手による縦ポンからのゴールによて救われ続けていたようなところがあってそれが、準決勝のメキシコ戦で完璧なまでに封じられてこれはもう限界だって見えていたにも関わらず、布陣を変えるどころかまるで同じ戦い方で臨んでは、同じ様に永井選手の突破を阻止し、荒れたピッチでパスが繋がらないのを見越して縦へと放り込むサッカーへと切り替えた韓国代表が、そんな縦ポンの2発で2点を決めてリードを許す。

 そこで日本も杉本健勇選手を入れてみたのは良いものの、固められた守備を突破できないままただ周辺でパス回しをして、自ら時間を潰すという体たらく。そして1得点も奪えないまま試合終了を迎えて万事休す。ピッチに倒れ込んだ選手もいたけどそんなに疲れる戦いしたの? って思えるくらいに動けず走れない試合だった。もしもこれがスタート時から永井選手ではなく杉本選手を使って、清武選手や斎藤選手といったサイドを突破できる選手によるクロスを当てて、そこに大津選手が飛び込むといった攻撃なんかを見せていたら、それで得点を奪えていたらあるいは相手が得点を奪おうと前がかりになってきて、そこに永井選手とかを入れて縦ポンをやれば、さらに突き放せたかもしれないなんて思ったけれど後の祭り。向こうは向こうで巧いフォワードを3人並べて、日本の緩い守備を衝くことをやって来たのに、それを止める中盤が機能しなかったってことも拙かった。負けるべくして負けたんだなあ。

 まあ仕方がない、なでしこジャパンことサッカー女子日本代表だって北京五輪でメダルを目前に準決勝で敗れ、3位決定戦でも負けて悔しい思いをかかえて3年を過ごし、ワールドカップという場で優勝を果たしてひとつ悲願を達成し、そして臨んだ五輪で銀ではあったけれども完璧な戦いぶりを見せて、晴れて銀メダルという栄誉にたどり着いた。呻吟して臥薪嘗胆した経験が彼女たちを強くした。それを言うならあの世代、世界大会に出られない悔しい思いをしているはずの、今の五輪代表にしてはだらしないという気もしないけれどもひとつ繋がったチームではない、ってところがやっぱり思いの繋がってなさとなっているのかもしれない。そこが五輪代表の難しさか。でもまだある。2014年にブラジルでのワールドカップが待っている。そこに全員が出られる訳ではないけれど、この経験をチームに持ち帰ってそこで奮起して、フル代表が嫌でも呼ばざるを得ない活躍を見せれば道は開ける。そのための階段だったと思ってここは耐え、開化を待とう。宇佐美選手とか覚醒すると面白いんだけどなあ。岩渕真奈選手のような下を向いて唇を噛むあの熱情が宇佐美選手から見え始めると凄いことになりそうなんだけどなあ。

 そんな試合でやらかした韓国の選手がいたということだけれども、そういう時にはじっと悲しい目で見てあげるのが良いんじゃないかっていうのが当面のスタンス。いくら自らその主張が正しいことなんだと信じていても、スポーツという場、それも五輪という平和をうたった祭典の場でそういう真似をするのは、とっても恥ずかしいことなんだよって、諭して分からせてあげるようが後々のその人自身の生き方にも良いんじゃなかろーか。そうした態度に国が抗議しろとかいうのは論外。スポーツの場での話はスポーツの場に任せるべき。向こうが政治を入れてきたからってこっちまで政治を入れたら同じことになってしまう。なのにそうせよって頭の良さそうな人たちが言っているから、こっちもこっちって感じ。言ってることの矛盾っぷりが分からないくらいにそれぞれに、鬱屈していることがあるんだろうなあ。バブルでわっしょいしていた時代に、こんな面倒ごとってあんまりなかったもんなあ。悲しい時代。どうにかならないかなあ。

 勝った、勝つべくして勝ったか、かどうかは分からないけれどもセットカウントが3対0なら完璧なまでの勝利ってことになるんだろうバレーボール女子日本代表。いくら日本での大会で好成績を上げたところで、FIVBとかいったところのスポンサーカントリー様への全面バックアップで最高の時間帯に最高の状況でプレーさせてもらえる代表の強さっていかほどと、疑問符がつけられていたりもしたけれど、こうやってタレントのワッショイもなければバルーンスティックによる応援もなく、長い長いインターバルもない中でしっかりと勝利を積み重ねては準決勝までたどり着き、敗れてもなお3位決定戦の場で韓国をストレートで下したってことには素直に世界3位の実力がるってことを認めたい。おめでとう。

 誰が誰ってあんまり知らないけれども、エースと呼ばれているらしい木村沙織選手はちゃんと頑張って活躍してたし、セッターの竹下佳江さんも年齢とかまるで見せない活躍ぶり。共に北京で果たせなかった夢を掴むことができた。若くして代表に選ばれながらも病気で退き没した木村選手の親友、横山友美佳さんは何を思うか。いろいろな思いが乗って遂に栄冠を掴んだ代表を、スポーツとして讃え敬い伝えていく方向へとシフトするチャンスなんだけれど、きっとこれから、というかこれまで以上に商業の波にもみくちゃにされてしまうんだろうなあ。それに乗っかって浮かれ騒いで落ちなきゃ良いけど。その意味ではたとえワールドカップで勝って注目が集まっても、踊らされず揺さぶられないままサッカーはサッカーでやり抜き通しているなでしこジャパンとなでしこリーグはしっかりしているというか、過去に盛り上がってそれから手のひらを返された記憶を背負って、一時の好況に乗らない心構えができているんだろう。両者のこれからに、ちょっと注目。

 まあ負けるんだなあ、あのブラジルでさえも。ネイマール選手とか途中からフッキ選手とか、さらにアレシャンドロ・パト選手なんて既に世界のクラブチームで活躍している選手たちを並べても五輪では勝てないブラジル代表。日本を寄せ付けなかったのは当然としてもその組織的でかつアグレッシブなメキシコ代表のディンフェンスは、ブラジルチームですら跳ね返して得点機をほとんど作らせない。そして最初の30秒で入れた得点と、そしてコーナーだかフリーキックだかのボールにディフェンスを交わすように回り込んで走り込んだ選手による得点の2点を守りきり、ロスタイムに入ってからのフッキ選手の突進から強烈なシュートによる1点で抑え、そのフッキ選手から入った絶妙のクロスをブラジルの選手が頭でドンピシャで合わせながら外すという僥倖も重なって、メキシコ代表が金メダルの栄冠に輝いた。おめでとう。いやしかしあのブラジルですら押さえ込むことができる試合運びは日本も多いに学ぶべき。とはいえパスの速さに精度、そしてトラップの巧さとなによりシュートの正確さで、日本はまだまだ及ばないからなあ。体格そんなに変わらないのに何が違うんだろ。欧州に行くよりメキシコで学んだ方が良いんじゃないか、福田健二選手みたいに巧くて強い選手になって帰って来られるかもしれないし。


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