縮刷版2012年3月下旬号


【3月31日】 検索してみてアートフェア東京でユカリアートが出している大畑伸太郎さんの評判がなかなかなのが嬉しいというか、極めて初期のGEISAIで見てデザインフェスタなんかでも姿を見かけてその独特のセンスに、いずれ世に出て来てくれると信じてからだいたい6年とか8年とか。その間にギャラリーから声がかかって作品を寄せ、海外なんかにも紹介されるようになってじわじわと人気を広げるとともに、絵の前に立体物を置く新しい試みなんかにも挑戦をしてたりして活躍になおいっそうの期待がかかってただけに、会場で個展風のブースを置いて貰って出した今回のアートフェア東京がきっかけに、更なる飛躍なんてのも大いに望めそう。

 英字紙のジャパンタイムズが出してたアートフェア東京の特集ページでも大畑さんの絵が何枚かの作品とともに紹介されていたい上にスペース的には1番大きかった。それだけ記者に与えた印象も強かったっておとで何かを感じさせる力が大畑さんの作品にはあるんだろう。ともすれば漫画風の女の子が描かれたイラストと思われるかもしれないけれども点描のように塗られた同じトーンの絵の具でもって陰影を表現し形象を表現し表情を表現した上に空気と、光をも合わせて表現してしまうその腕前は作品を見れば一目瞭然。そして誰もがそこにある世界に引き込まれてしまうのだ。

 今回はジャパンタイムズに紹介されてた高所から東京タワーを見下ろす夕刻の絵も良かったけれど、個人的には朝のホームで向こうから登ろうとしている陽光が低い角度で射している冬の情景が好き。朝靄の雰囲気までもがそこにあって寒さと、射す日の熱が絵の中にいる少女を経て身に迫ってくるような気すらする。人気者だけにもうきっと売れちゃっていろいろなところに行っているんだろうなあ。ほかにもあれは市電かなにかの中で少女が座席に座っているような絵もあって、大昔に見たバスの中で少女が顔を窓に傾け外を眺めるような絵を思い出した。これとか降り出す雨を見上げる少女の絵とか、雑踏の瞬間をとらえ絵にして止めてみせる感性が秀逸。止まった時間から見る人は情景と人物を長め観察してそこまでの物語、そこからの物語を想像するのだ。やっぱりいつかは手元に置きたいなあ。

 南極から氷山を引っ張ってくるという壮大希有なストーリーの割に少年少女でもすっきり読めていろいろ学べそうなメッセージを持っていた池澤夏樹さんの「氷山の南」(文芸春秋)を読み終えてからさあゆっくり出かけようかと家を出たら超強風。おかげで京葉線が止まって幕張メッセにたどり着けない人が続出しているという人を後目に、自分は総武線で幕張本郷駅からバスだからそんなに困らないかと思ったら飛んでも八分、京葉線から流れてきた人たちがバス停に長蛇の列を作ってバスになかなか乗り込めず、しばらく待ったけれども減る気配がないんでこれはもうダメだと思い徒歩でもって幕張メッセへと向かって歩いて30分、ようやく到着したアニメ・コンテンツ・エキスポ会場は1から3ホールという限定された空間の、おまけに1ホール分をステージが占拠していた関係で通路に人がぎっしりな感じで賑わっていた。いやそんな単純でもないか。

 さすがにコミックマーケットの西館(にし・やかた)4階にできる企業ブースほどの混雑ではなかったけれども行列ができているブースにはコミケ的な長い列が出来てて購入まで2時間とかそんな感じ。時間を区切って販売しているブースもあってようやく昼過ぎにたどり着いた人には何もなくって唖然呆然ってこともあったかも、というか午後には当日券の販売が打ち切られたそうで、苦労してようやく幕張まで着たのに帰れと言われたその悔しさは果たしてどこに向かうのか。主催者、ってこともあるんだろうけどそこで気を利かせた都庁クラブの人間が、閣下を相手に終末のイベントがどうとか利いて「天罰だ」「ざまあみろ」と言わせたら一気にそっちに矛先が向かうんで是非にどこかお試しを、いやそれで来年も分裂な上に春の嵐で大混乱では面倒なんで穏便に。

 会場をざっと見てニコニコ動画のブースで合体ロボットの横に立ってたジーンズ姿のお姉さんがカッコ良かったとか、ワーナーのブースにいた黒雪姫がなかなかに白雪姫っぽかったとかそんな印象を抱いた場内。それ以前に幕張でバスをどうしようかと待っていた時に、横にいたスカート姿の娘さんが手を後ろに伸ばし背を折り曲げる柔軟体操を始めてしまったため、後ろから何かが見えてしまってどうしようかと迷った、そのイメージが鮮烈に残っていたため場内の綺麗所もあんまり目に入らなかった。冬だから生足ってことはなく黒いストッキングだったけれども、それでも透けていろいろ見えたのだ。今はどこでどうしているやら。場内ではむしろ巨大なニャンコ先生とか巨大なおっぱいとか、そんなもが並んで思わず触れてみたらマウスと似たようなクッションだったという。柔らかくもなければ温かくもない。騙したな。コスプレではモリガンさんが立派だった。今でもモリガン、人気あるんだ。

 あまりに混雑してたんで抜け出して隣でやってたペットフェアをのぞいたら、おそらくはACEに来るどんなタレントよりも日本国的に有名なCMタレントがやって来ていて思わず近寄り写真をパチリ。いやがって手をはらうこともなくむしろ大勢から傅かれ一緒に写真を撮られることを喜んでいるのかどうなのか、分からないけれども優しげな表情でもって一緒にカメラにおさまっていた。その透き通るような白い肌、そしてつぶらな瞳に参る人多数。おまけにあれだけ縁起も出来てはファンにならない人はいないってことで。いやあ良かった。敢えて嬉しかったよソフトバンクのお父さん犬。でも別に日本語とか喋らなかったなあ。喋らないだけなのかな。

 戻って「図書館戦争 革命のつばさ」のイベントを見ていたら、プロデューサーの人が遅れてた。やっぱりこの雨風ではたどり着くのが大変だった様子。それでも監督と担当編集(そうだったんだ!)の人が出てきて作品とか映画の内容とかをいろいろと解説。とりあえず「図書館革命」がベースにはなっているけど新キャラとか入ったりして既読の人でも見て違いとかを楽しめるらしい、というか既読な割にはもうずいぶんと前に読んだきりなんで新キャラが誰だか忘れてた。「ザ・スニーカー」で確か紹介したんだよなあ。読み返すか今を機会に。映画はとりあえず柴崎麻子を沢城みゆきさんが柴崎麻子っぽく演じてくれているようで善哉、知的で裏でいろいろ策略を企てていそうでそれでいて顔に出さない美女って好き。僕なんか手玉にとられて終わりだけれど。


【3月30日】 アートフェア東京ではアートラボ・トーキョーがいろいろ出してて撫子凛さんなんて聞くとアニメ「化物語」の絵なんかも描いたことがあるそうだけれど、出していた作品は戦場とかいった時代がったモチーフに入り込んだ女子高生たち。会田誠さんなんかとも通じるところがありそうだけれど会田さんは戦争画の中に女子高生をぶちこんだり、あるいは「機動戦士ガンダム」のザクをぶち込んだりして浮かぶ意外性なんかがまず来るアーティスト。今時のアグレッシブな女子高生ならそこにいたって当然とも思わせつつ、時に前面へと出過ぎる女子高生たちが戦場ですりつぶされ、蹂躙されるビジュアルからわき上がる客体としてのサディスティックなほくそ笑み、または主体としてのマゾヒスティックな痛痒を、感じたり覚えたりする面白さがある。

 対するに撫子凛さんは主体としての女子高生が古典的なモチーフの中へと果敢に入り込んでは自分色に染め上げていくっていったパワフルさが売りって感じ。それこそ女子高生のルックスを打ち立てながらもロックの王道を突き進んで武道館まで来たSCANDALにも通じる感じのエネルギーがあって見ていてそうかそういう意識で今を生きてるんだな女子高生とか元女子高生って思わせる。いわゆる萌え絵でも百合絵でもないところに漫画系腐世界との接合があるかどうかは分からないけれどもデザインとして、モチーフとしてのキャッチィさでもってアート方面、デザイン方面へと抜けていくって印象。というか既に人気者っぽいし、これからどんどん世に出ていってくれるでしょー。次はデザインフェスタに出展か。前も出ていたみたいだけれど気づかなかったなあ、っていうか広すぎるんだよデザインフェスタ。

 遠目に見るとやたらとリアルなあれはハーレー・ダビッドソンのエンジンか何かの絵に近寄ってみると写真ではなく絵。クロームメッキの輝きって写真にとればそのまま映るけれどもいざ描こうとなるとその輝きをどういう色をどういう配置で重ねればそんな感じが出るのか分からない上に、メッキだから当然にして周囲の風景とかエンジンパーツなんかも映り込んで反射しあってより複雑な模様になる。それを理解した上で分解して色にして形にして描いていった果てに浮かび上がる写真ような、けれども写真では出せない味が画廊くにまつってところに出ていた牧田愛さんって人の作品にはあった。

 目で見える世界とかを写真に撮ったかのように絵として描くスーパーリアリズム絵画の系譜に連なる感じだけれども、ロールシャッハテストの絵のように、あるいは鏡を置いて対象にしたような絵もあって、バイクのエンジンが持つその複雑だけれど美しいフォルムを、拡張して見せてくれていて美しい蝶でも眺めているような感慨を味わった。これはなかなかかも。4月に個展もあるみたいなんで寄って見入ろう。バイクで乗り付けられりゃ格好いいけどバイク持ってないんで。免許もないんで。徒歩で。こっそり。マッドマックスみたいなバイク乗りたちがいっぱいだったら怖いなあ。

 ギャラリーくごうってところでは墨絵でもって女子高生たちを描くって人の絵があってモチーフにも線にも衒いとか媚びとががないその純粋さを、アート方面の人は評価するんだろうかとしばし沈思。サイボーグみたいに体の諸所がぱっかり開いてケーブルなんかが見えている絵はSFイラスト美少女イラストの世界では多分にあったりするモチーフな訳で、それを墨絵で描きました純粋さから生まれましたといって受け入れられるかというと難しい。とはいえそうしたマーケットを意識せず、己の中にあるモチーフへの思い入れをとにかくぶつけて描くってのがアートな人たちの心理で、それをどういうコンテクストに載っけて展開するかはギャラリーがやることで、それをどういう人たちが受け入れるかはマーケット次第。そこへと至る幸運があり、世に出てきた涼さんの対象への切実さをむしろここはしっかりと受け止め眺めることが必要なんだろー。Mr.だって最初は何これと思わせながらも貫き通して今に至ってる訳だし。

 ちょっと前に民放連の次の会長になるらしい人がNHKのネット向けの番組同時配信をやめてくれって言っていたけどその理由が地方で民業を圧迫するからだって聞いて頭が呆然、まったく意味が分からないよ。っていうかNHKなんてほとんどの地域で普通に放送が見られる訳でそれでも見られない難視聴な地域にとっては同時に配信されることは娯楽の上でもニュースで必要な情報を得る上でも意味があるって程度。そういう人たちがNHKが見られないからって民放を見るかっていうとそもそもテレビが映らないんだから見るはずがなく従って圧迫もない。普通にテレビを見ている人たちにとってもわざわざローカルニュースの時間にネットにアクセスして東京のニュースを見るかっていうとそれもない。なべて世は事も無し。何が問題かが分からない。

 いやNHKがネットで流れるんだったら移動の時とかにモバイルで見られるからそれはプラスってことになるけどそういう人はそもそも外出している訳で民放のテレビを見ていない。敢えて家に居てNHKか民放かを選んでいたのが外に出られるようになったことでNHKを選びました、って言う人もいるかもしれないどもそれがいったいどれくらいの人数なのか。どっちにしたって民業を圧迫するほどのマスなケースとは思えない。けど民放連の会長は何かを言う。言ってその中身のなさを露呈する。テレビはもはやどうしようもないって満天下に植え付ける。その方がよっぽど“民業”としてのテレビの圧迫になっている気がするんだがなあ。

 そんな民放がNTTドコモと組んでnottvなんてものを始めようともしているけれど、スマホで見られるテレビだなんて触れ込みを世に喧伝している割には実は見られる端末が2機種くらいしかなくって、それでいったいどういう層にどれくらい見てもらえるんだって疑問が頭を埋め尽くす。見たい番組があるなら端末を買うってこともあるけどそこに見たい番組があるのか。ないよなあ。サッカーを敢えて携帯で見ようって人はスタジアムに行くし。オールナイトニッポンが見られるからといってそんなもんradikoを危機ながらネットに書き込みやって乍(ながら)で楽しむに決まってる。アニメとかミュージックビデオとかが抱負な訳でもない。それならバンダイチャンネルとかfuluを見ればいい。見たそうなものを見せる。見せたいものを見てもらう。そんなコンテンツの送り手に必須のマインドが、まるで見えないままもうすぐスタートする4月1日。端末を揃えて始まった放送が「嘘ぴょーん」という四月馬鹿の告知になってたらどうしよう。


【3月29日】 檸檬先輩の車がトランスフォームしてイチカを助けに来た救援ポッドとかいいつつしっかり攻撃兵器を相手に戦うことになるとは、第1話が放送された時にはまるで思わなかった「あの夏で待ってる」。もっと静かに人間の間に入ってしまった宇宙人のイチカが、怪我を負わせた海人を助けそのまま同居しつつ自分の心に残っている場所を探して信州を歩くご当地紹介ストーリーに、人間ならぬ存在との恋愛は可能かというテーマとか、彼を好きな彼女が好きな彼を好きな彼女といった具合に連鎖する恋愛感情を絡めもつれさせるストーリーとか重ねて楽しませるんじゃないのって見てたらどんどと話がデカくなって、日本にはMIBの支部まで実在するよーなSFストーリーになってしまった、って宇宙人が出てきた時点で既にSFではあったんだけど。

 途中から絡んでは作品により大人の魅力って奴を醸し出してた哲朗の姉の真奈美が、よく喧嘩して逃げ出していた夫の聡までもがそこに絡んでどんちゃかしてたのはさらに謎、まあ檸檬と真奈美とはずっと昔から知り合いだったみたいだから、その旦那の聡とだって知り合いだったかもしれないけれどもまさか上司とその部下とは、っていうかだからいったい檸檬何歳だ。そしてたどり着いた湖では愛し合っている事は確かめ合ってもその場でのハッピーエンドとは行かず離別があって戻ってきた平穏があってそれぞれの成長があってといった感じ。そこで終わってもまあそれなりに一夏の経験値って意味合いを噛みしめられたけれども何年後かに上映が続いている映画のラストでボリビアの衣装を着たイチカが登場していたあたりに、その後に何かあったらしいって示唆があってまあそれも含めて想像する余地は与えられた。あとは誰かが詳しい解説をしてくれるのを願うか、木崎湖らしいところで喋った永遠の16歳の意味合いとかも含めて。

 関係を確かめ合うのに時間をかけすぎて終わりがスペクタクルになりすぎて、それが本当にあったことなのかあるいは海人たちが作った映画の中での話なのか、分からない訳ではないけれどもごっちゃにしたくなるくらいにかみ合わない感じもあったりして、そんなあたりの配分がどーなったのかも脚本の人に訪ねてみたい気分。あと突然に出てきたボリビアのお守り人形のエケッコーとか。帰ってきた姉が持っていたものだけれどこれって人形自体は陶器だから手にして手足がくにっとなるものではないし、首から下げられているものだって日本の御菓子とかじゃなく現地の物品とか穀物とか。あと口にタバコをくわえさせてこその完成なんだけれどそこまで作り込む気はなかったかそれとも気づいてなかったか。パッケージ化の際にはせめてタバコを。これでエケッコーが大流行するなんてことはないよなあ、アニメを見た人の反響も目茶薄そうだし。気になったら日本のあちらこちらにある南米グッズショップの「チチカカ」なんか訪ねると実物にお目にかかれるで是非に、1家に1体エケッコー。家にもあったけど最近見ない。埋もれたか。

 やっと見た最終回の「ちはやふる」は最終回である必然性がまるでないくらいに続く気バリバリな感じでしっかり新一年生たちがアイキャッチの如くにイラストで出てきて続くぞって意欲を満天下に示していたけどそれで続くとは限らないのがこの世界。「BLEACH」だって最終章を残してテレビアニメが終わっちゃうくらいだしスポンサーが乗っかってない「ちはやふる」に次があると考えるのはあまりに楽天的過ぎる。とはいえこれで視聴率がある程度あったり番組の販売がうまくいっていたりDVDやブルーレイディスクがそれなりに売れたらやっぱり続きをって話も出てくるかも。講談社だって雑誌を売ろう単行本を売ろうと乗っかって来てくれる、かっていうろそうでもないのが出版の世界だけれどもお預けするばっかりで得られる実入りよりもパッケージが売れて得られる実入りが大きいと分かればあるいは出資とかしてくれるかな。しなくたってこれから面白くなる作品を映像化しないのはクリエーターの矜持に関わるって現場が発憤して突き上げてくれたら。現場ってマッドハウスってまだちゃんと動いているんだろーか。

 去年が震災でちょいズレして開かれたためそれからは1年経たずの開催となったアートフェア東京に、「透明標本」の冨田伊織さんがアーティストとして登場するってんで見に行ったらギャラリー戸村のブースに発見、そしてすでに何個も売れていた。1番高いエイも売れていたりとすごい引き合い。いつもデザインフェスタとかミネラルショーで見るものとは容器を変え、ソリッドで標本をメタに表現したような雰囲気にした上で価格もやや高めの設定にしてあるんだけれどもそれでもアートの界隈で初めて見る人にはなかなの衝撃だったもよう。まずはその見た目の美しさに驚き、それが本物の生物の標本だと知って驚き、どうやって作っているのかと尋ねてそして、不思議だからと買っていく。日本人だけでなく外国人もひっきりなしにやって来るのはやっぱりそれが万国共通に“分かる”モチーフだからだろう。

 イギリスのダミアン・ハーストのように動物の死体を切ったりしてホルマリン漬けにしたものを作品として出すアーティストがいたり、ヤン・ファーブルのように昆虫記のファーブルの末裔だけあって昆虫をいっぱい像になんか張り付けてその独特の輝きを作品に取り入れたりするアーティストがいたりと、海外で有名どころを挙げてもいとまがないくらいだけれどどこか世間を驚かせたいハーストとも、その色調を素材として使っているファーブルとも違う冨田伊織さんのアプローチ。すでにそれは死体なんだけれども生の残り香を感じさせ、色彩によって生の神秘を見せ、何より深淵な美しさでもって惹きつけるところがあるいは新しさをアート界隈の人に感じさせているのかも。飛ぶように売れていくその感じから期間中にいったいどれだけの評判を呼ぶか。2009年の夏にワンダーフェスティバルで見かけてからかれこれ3年。着実にステップアップしているなあ。凄いなあ。

 そのギャラリーと村では高松和樹さんが相変わらずに白いレイヤーを重ねて描く手法でもって少女達を描いた作品を並べてて、これまでと違ってやや年齢の下がった少女たちが睦み合い、戯れ合うようなモチーフに今まで以上に欲しさが増すけど手が出ない。水風船を少女の頭に掲げて千枚通しで刺そうとしている絵なんて本当に素晴らしい。50万とかあったらすぐに買うのになあ。買っても置く場所ないんだけれど。それなんだよなあ。それから小岩敬之さんという新鋭がいて萌えっぽさが残りながらもアートとして生み出されたという美少女が阿修羅みたいになってた絵を置いててこれがなかなか良かった。聞くとゲームも漫画もアニメも普通に需要している世代でそうしたところで得た感性が、漫画やアニメの方面には向かわずアートというジャンルで発現する。それだけポップカルチャーが普遍なものになっているってことなんだろう。他の絵も見たいなあ。サイトにある「ゼンセから来ました!」とか無茶苦茶良いじゃん。マジ良いじゃん。

 ほかDMOARTSってとこにいたコハラチアキさんって人がキュートな上に作品もキュートでなかなか。美少女なんだけれどおばさんぽさも感じさせるキャラを立てて絵に描いて光る石とかなんかを塗り込めた作品はゴージャスな上にポップでキッチュ。多分すぐさま人気が出るんじゃなかろーか。今はまだ6万円とかだけれど10年経ったら100倍とか。なってたりするのがアートの世界なんだから分からない。ユカリアートには大畑伸太郎さんがいてウエブ上で見せていた早朝のホームに立つ女の子の絵をさらにファインに仕上げてた。朝靄の空気観を光の中に示す作品はやっぱり見る日との目を惹きつけてたようでひっきりなしに人が来てた。向かいには淀川テクニックさんの淀川で集めたゴミを固めちゃったスツールとか、張り合わせたランプなんかを展示。拾ったものをその雰囲気を行かしたまま張り付け額に入れた作品は、人の営みから生まれ出て流転の果てになお存在するジャンクの存在感が、消費社会とか環境とかを感じさせてやっぱり良かった。東松照明さんの漂流物を撮影した「プラスチック」シリーズに通じるメッセージがあるなあ。


【3月28日】 見始めたのって虚圏(ウェコムンド)でノイトラ相手に一瞬だけ戻ったネリエルがやっぱり子供に戻って粉砕されたあたりからだったような記憶があるアニメーション版「BLEACH」は、そこでの戦いの迫力とあと間にちょっとだけ挟まった100年前だかに藍染が平子を含めた面々をはめてホロウにして、それを浦原が助けて空座町へと送り込んだ「過去編」を見て、ただ戦っているだけじゃなくって、割に大勢のキャラクターが関わっているんだと興味を持って調べるようになってからだからだいたい2008年の終わりごろ。だから7年半とか続いている「BLEACH」の過半を見ている訳じゃないけどそれでも割にのめりこんで毎週録画しては見て消してまた次を見るくらい、ファンだっただけに今回、原作がいよいよ最終章に突入したこのタイミングでのテレビアニメの終了はちょっと驚いたし凄く残念にも思った。

 原作がようやく再開されて護挺十三隊を相手に何者かが反旗を翻し、そこに虚圏まで絡んでネリが久々に登場してみたりするあたりに壮絶にして壮大な戦いなんかが予想できるだけに、それがアニメで見られないのはどうにもこうにも物足りないというか、はっきりいえば作り手のスピリッツを疑いたくもなるけれど、現状そのままテレビを続けてもすぐに話数が届いてしまってそのたびに、いれなくてもいいオリジナルを入れるとかしなくちゃいけなくなるのは避けたいところ。かといって大人の事情を鑑み「斬魄刀異聞篇」とそれから「刀獣篇」を入れたようなオリジナルをぶち込むのもそろそろ限界。どちらも面白かったし最後はキャラとなった斬魄刀たちが刀に戻っていくシーンに涙ぐみもしたけれど、原作準拠な人にはどうしても余計に映ってしまいそう。

 つい最近もやってた「護廷十三隊侵軍篇」も初回2回目あたりの作画の凄さ素晴らしさに圧倒されつつ古川登志夫さんの諸星あたるとも、火拳のエースとも違うニヒルな声に惹かれつつ、見てそして死神たちの戦いぶりを大いに楽しんだ訳だけれどもそれもやっぱり本筋からは外れてる。その後に待っていた「死神代行消失篇」は今読むとなかなかに人なのに人ならざる者に片足突っ込んでしまった者たちの葛藤や懊悩が染みて良い話になっていて、そこにリルカのようなキャラクターも絡んで見ばえでも楽しめた訳だけれども藍染相手の死闘の直後で見知った死神たちがまるで出てこない展開は、リアルタイムで付いていく人の気持ちを大分、殺いでしまったような気もしないでもない。結果、敢えてオリジナルを混ぜてまで続けるだけの意味がなくなったと、テレビ局やスポンサーやパッケージ会社が判断した、ってこともまあ分からないでもない。

 いっそ人気の「尸魂界潜入篇」と「尸魂界救出篇」あたりを再放送してつないでくれて再開を待ってくれてもファンにはおさらいになって嬉しかったかもしれないけれど、それで儲けられるパッケージ会社って訳でもなさそうだしなあ。ボックスもう出しちゃってたし。だからここはひとまずお別れってことにして、2年ほど経って原作も進んだ時点で放送再開とか、あるいは4話100分の見合いで月1にOVAを出して最終章も映像化して出すってことになってくれれば見てきた者としては納得できる。とはいえそれでパッケージ会社が納得できるかは別だしなあ。売れないかやっぱり。そこはネリと夜一と砕蜂と卯ノ花烈と勇音と伊勢七緒と矢胴丸リサと、松本乱菊と涅ネムとやっぱり織姫あたりをフィーチャーして、どっかんどかんとしたシーンをいっぱい見せてくれれば大丈夫、たぶん買う人も多くなる、んじゃないかな。かな。

 イヤボーーーーーン、プシュ〜〜〜〜〜ゥ、ハッピー、バイバーーーイ。という感じだったと「輪廻のラグランジェ」の第1期最終回を理解しているんだけれどどうだろう。あながち外れてないような気はするけれど。従姉妹がケガして動揺して憤ってウォクス・アウラを暴走させた京乃まどかによって空に開かれた巨大な穴から世界を滅ぼす何かが出てきそうな予感をさせておきながらも、彼岸へと渡ってそこで横から見ると相当なボリュームがあったことが判明したユリカノらしき少女から励まされ戻って気持ちを立て直しては穴を塞いだところに突っ込んできたヴィラジュリオ。

 けれどもかけつけたランちゃんのお兄ちゃんが艦隊でもって制圧して、地球を舞台にした戦いにはひとまず決着、そして特に何事が始まる訳でも成しに平穏な日々が続いているという。それ事態はまとまってはいるけれどもウォクス・アウラがいったい何で、宇宙の奴らはそれの何を恐れていて、そして勢力がどうして反目し会っていてそれがどうして地球へと拡大しているのか、なんていった辺りの設定がまるで行かされず膨らまされないまんま放り出されてしまったのって、やっぱりちょっぴり物足りない。

 それこそ宇宙すら脅かしそうな陰謀をめぐらしているっぽい奴らを相手にアプリポワゼして戦ってた割に世界どころか日本にも何も影響がなかった「STAR DRIVER 輝きのタクト」にすらたどり着いてない世は事も無し状況。「タクト」にはそれでも美少女に美女たちの絢爛があったけどこっちは水着と女装メイドくらいだからなあ。2期でいったい何をするのか。つか6話くらいで決戦までいき残り6話で2期分を圧縮すればトントンとか言われないような壮絶で奥深い展開をお願い。鴨川だって書き入れ時のシーズンなんだから、そこに行きたくなるようなストーリーを。

 「週刊SPA!」の4月3日号に松本零士さんのインタビュー。中心はちょっと前にWOWOWで放送された「オズマ」の話で間もなく上映がスタートする「宇宙戦艦ヤマト2199」については聞かれもしていなければ答えもせず。コメントでかろうじて「漫画映画をいつの日か作ることが子供の頃からの夢でしたから、必ずやると」「だからこそ『宇宙戦艦ヤマト』の話が来たときはうれしかった」くらいか。一所懸命にデザインなんかを作った話をそこに添えることで松本さんのヤマトへの思い入れの強さ、てものを仄めかしていたりするし。

 けどしかし、今回の「宇宙戦艦ヤマト2199」には一切の名前が出てこないんだよなあ。とはいえかつての雰囲気をメカもキャラも残して作られている新ヤマト。それなのにトータルなイメージとして僕らの世代が抱いている、松本零士さんと「宇宙戦艦ヤマト」の関係への“信仰”にも似た気持ちを、今回の「宇宙戦艦ヤマト2199」ではどこにも持って行きようがないのが何だか切ない。どうしたものかなあ。もやもやしてしまうなあ。

 ああ凄かった。そして素晴らしかったSCANDALの初武道館。2階席の中段というステージには決して近い席ではなかったけれどもそこからも見下ろしてステージにいるたったの4人がそれでもでっかく見えるくらいに激しく強く大きなアクトを見せてくれた。完全に武道館をノックアウトした。このキャパシティすら自在に振り回せるなら念願の大坂城ホールだって大丈夫なはずなんだけれど果たしていったいいつ実現するか。路上でのライブから見上げたあの天井。その中でやれる日が来たら絶対に行く。そのチケットを確保できるように終了後にファンクラブに入ってしまったよ。しょうがないなあ。

 見て驚いたのがやっぱりRINAの力強いドラミングか。途中に珍しくRINAのソロコーナーってのがあって前髪ぱっつんのロングヘアから顔をのぞかせ微笑んではアイドルっぽさを漂わせはするんだけれどスティックを握って叩き踏むとそこに現れるのはロックバンドの歴としたドラマーで、リズムよく迫力もたっぷりに響かせ音を続かせるその叩きっぷりは、時に華麗に腕を振り、時に前屈みになってのめり込むように全身をつかってスティックを振り抜いて広い武道館の隅々にまで届く音を出す。アンコールでは前に作られたステージにセットされたドラムについてやっぱり激しく、体を前へと追って背筋をフルに使って打ち抜くパワフルなドラミングを見せてくれたRINA。美しすぎるドラマーとかってワイドショー的ネタにされそうだけれどもそのパフォーマンスで完全に、ロックドラマーの系譜に名を刻んだんじゃなかろーか。これからどんなミュージシャンになっていくんだろう。見守りたい。

 出たばかりのベストアルバム「SCANDAL SHOW」を中心にした名曲を揃えたライブでは当然に「瞬間センチメンタル」もあれば「Pride」もあれば「ハルカ」もあってと楽しく嬉しいセレクト。演奏もRINAのドラムを支えにMAMIのギターがしっかり響いてTOMOMIのベースも低音を響かせてそこにHARUNAのカットが絡んでボーカルが乗るという4ピースの編成をしっかり行かして厚みを持たせる。マニピュレーターがテープでシンセなんかを載せてはいるけど基本、4人で作れる音。だからでっかい武道館でも小さいライブハウスでも関係なしに人を熱くさせられる。凄いバンドになったなあ。途中で「SCANDALなんてぶっとばせ」ではRINAをのぞいたギターの3人が歌わず特攻服でギターを持ったまま踊ったりしてダンススクール出身なところも見せていた。ホールライブとかではそんな遊びも混ぜつつまた楽しいステージを見せてくれるかな。でも今度はライブハウスがメーンのツアー。狭い上に数も少なくチケットとれるか心配だけれどとれたら行こう。


【3月27日】 いやあ凄いというか何というか。もちろんハメようとしたのか何かを意図してリストを捏造した職員とやらが第1に悪いのは当然としても、そういった謀略の匂いがするリストを疑いもせずに信じて組合の攻撃に利用した市議とやらもやっぱり同様に謀略の片棒を担いだ訳でその身の不徳を恥じるべきだし、そんな市議を抱えている党派のトップも同様に手下の不徳を糾弾して汚名をすすぐべきなのに、悪いのは捏造した職員であって議員は悪くないんだと言ってしまえるから不思議というか何というか。それで済むならメール問題で暴走した挙げ句に嘘だと分かって失職し、挙げ句に自死を選んだ永田元議員だって今なお健在でバリバリやってる。あの時はあの時でこの時はこの時。何だこの温度差は。そしてメディアの対応は。世界は壊れてしまったようだ。

 幼少期の居場所がなくって取り残される少年の悲しさや、そんな少年の境遇に気づきながらも自分の居場所が奪われそうな恐怖に怯えた少女の憤りを見るのはあんまり楽しくないんで、音声を小さくして飛ばすようにして見た「夏目友人帳・肆の最終回。訪ねていった夏目の家が何やら道もない切り通しのくぼみの奥にあったりして、いったいどういう暮らしをしていたんだろうって不思議な疑念がわいてきた。祖母がつまりはレイコだったってことはやっぱり変わり者だと周囲から非難されたのかどうなのか。だからあんな場所に暮らしていたのか。

 早くに死んだというから夏目の父だか母だかなレイコの子もやっぱりたらい回しにして暮らした結果、ようやく得た居場所はあっぱり人里から離れた隠れ家のような家だったというならそれも悲しい。奔放に妖怪たちと戯れるレイコは描かれても、人間として家族を得て子を成したレイコの像はまだ語られていない「夏目友人帳」。まだ語られていないエピソードもあるだろうし連載もまだあだ続いていたりするのを見ると、やがて遠からず「夏目友人帳・呉」とかが作られ放送されることになんだろー。笹田純と柊に会えるのは嬉しいので是非に。できれば柊の素顔も見たいなあ。

 なぜか最後まで全編見通した今クールでも数少ない作品の1つが「男子高校生の日常」だってあたりに難しい話をおいかけるより単純明快な笑いを淡々と嗜む方向へと気分が向かっている現れか。それだけ脳が弱ってきているというか。とりあえず卒業話ってのがあったけれどもサザエさん方式でそういう季節の変わり目のイベントはやっても終わると元通りな関係が続くだろーから会長もりんごちゃんもやっぱり出てきて男子高校生たちを振りまわすことになるんだろー。

 最終回なだけに奈古さんが凸面鏡の中から抜け出して来てくれてとっても心がときめいた。ずっとあのままでいたら。世界が凸面鏡になれば。他はもっと細くなって奈古さんが相対的に太くなる、のかどうなのか。皆川純子さんも頑張って声出してたなあ。柊ともどもまた見たいキャラクターだなあ。文学少女はクールぶっててバレてあたふたしている姿がやっぱり可愛い。アークデーモンがロンドンで出会った相手は誰だ。強そうだった。でもアークデーモンにはかなうまい。前週にバトルでどーしてルールが必要と真顔で訪ねて手に早速石を持っていたくらいのフリーダムさだから。本当に映画化したら愉快だなあ「女子高生は異常」。

 すでに読売新聞が3回も策定しては紙面に掲載している日本国憲法の改正試案。たしか最初の時はいきなり新聞にどかんとそれが掲載されては何だどういうことなんだと世間を驚かせた記憶があるっけか。やるならつまりはそれくらいのインパクトを持ってしないといけないし、そうやったとしてもやっぱり2番煎じどころか3番4番に下がりかねない可能性すら色濃いにも関わらず、この時期に憲法改正の試案をまとめると言ってはそれをすでに出すんじゃなく、これからまとめますって話を堂々1面の頭に掲載してみせるスピリッツの吶喊ぶりには何というか頭が下がる。よくやるなあっていうか。

 なおかつ特に憲法が策定されてから何十年とかいったアニバーサリーではなく、逆にまとめる側が創立何十周年だかというアニバーサリーの記念事業として、それをやるっていうんだからつまりは事業。その告知を天下の公器の頭に堂々と載せては、今もっとも世界にとってホットな核問題についての会合を、1面にから追い出してしまえるその編集スタンスも独自っぷりが利いててなかなかにデンジャラス。普通だったらやらないというか真っ当だったらやれないことをやってしまえるアバンギャルドさが、きっと今のこの混迷を突っ走る力となるんだろう。向かっている先がレミングと同じ方向だとしても。何というか参ったなあ。

 道楽亭にて「大東京トイボックス」のうめさん(片方)によるゲーム業界物語、というより先に漫画業界のあれこれを聞いて最初に連載されてた「モーニング」で単行本の第1巻が出て評判が出始めた段階で打ち切りが決まって残り3話か4話でキレにまとめ上げたとか。「島耕作」が看板で平均年齢が高いとはいえ若い世代にはそれなりに支持されていたものを止めてしまえるその判断が、雑誌を安定させている一方で未来を殺いでいるような気もしないでもない。今はなるほど「大東京トイボックス」として人気は出たけど版元なり掲載誌のパワーが段違いな中で大展開できて迅速に動ける版元だったらいいったいどこまで行けたのか。頑張っているバーズには頭が下がりつつメジャーな雑誌がその看板を新鋭のホップステップあたりに使ってくれたらもっと豊穣さも増すのになあ。そのへんはスクウェア・エニックスの雑誌に頑張ってもらおう。


【3月26日】 斧アツシさんといえば「BLEACH」でちょい前に出ていたフルブリンガーの沓澤ギリコの底冷えするような低音が印象的だったけれども、「モーレツ宇宙海賊」の方でもヨートフとしてセレニティ連合王国のグリュンヒルデ王女にくっついて黄金の幽霊船へと乗り込んで来ては、加藤茉莉香を相手に阿吽の呼吸でやりとりを行いグリューエルもグリュンヒルデも共に眠らせながら間を取り持ってみせる冴えって奴を見せてくれた。もはや終わり間際にきている王朝を後進に譲るために一気に終焉に導こうとするグリューエルに対して可能な限り引っ張り安寧を保とうとするグリュンヒルデの共に聡明な娘たち。こんな為政者がいたらきっと世界ももっと楽しく美しく平和になっただろうになあ。残念。

 そして中身では図体のデカいシュニッツァーようやく本格的にパワーを発揮し扉を何枚も開ける大活躍、ってそれだけか? いやまあその辺はこれからおいおい。メイドのキャサリンはヨートフにくっつき戦闘の構えを見せていたけどもしかして強いのか。シュニッツァーと戦わせてみたい。茉莉香ではきっと瞬殺だろーから。ともあれ黄金の幽霊船編を片づけてなお2クールが連続して続く「モーレツ宇宙海賊」は次は白鳳学院へと留学して来たグリューエルとグリュンヒルデをお招きしてのお食事会、でも生粋のお姫さまを相手にうまく出来るのか海賊の家系で。まあそこは海賊流のおもてなしを見せるんだろー。その後は見習い海賊編を少しやって残る話数でオデット2世号をめぐる海賊ギルドとの丁々発止か。長いし複雑だけれど描ききったら他にないSFでスペースオペラなアニメの誕生となるからそこは是非にしっかりと、きっちりと、がっちりと。

 最大のピンチに現れた才人がルイズと寄り添い最後の大技を見せるところで流れ始まる「First Kiss」に滂沱しちゃったよ「ゼロの使い魔」の今やってるアニメーション。もうほとんど見てなくって何か戦ってるなあ大変だなあキャラも増えたなあタバサはお姫さまだったんだよなあこっちのお姫さまは才人を諦めて可愛そうだけれど仕方がないなあ、なんて思ってた程度だけれど最初に連載が始まって、それがアニメ化された時にはMF文庫Jでは初期のアニメってことで気合いも入っていたし中身もとっても面白かった。そして流れる主題歌が「First Kiss」。作品の面白さとともに名曲って刷り込まれていたし、何よりその歌詞が作品の中身を言い表しているようで心にビンビンと来た。そんな思い出とともに浮かんできた感動。大団円の果てに現世にルイズが来ているような展開も見えたけれどもそういう終わりかをして感じた幸せを噛みしめながら、こういう作品が2005年からこっちあったんだということを記憶に刻もう。

 玄関がオートロックになっているような豪家な家の、階段を上がった2階にある大広間で大勢を招いて宴会をやっているところに来客があって、玄関に降りるとどうやらカメラマンの加納典明さんらしく、その人が階段をダダダダッと駆け上がっていく姿を追いかけながら戻って宴会場へと案内して、そこにいたサッカーの長友祐都さんと引きあわせると長友選手は嬉しそうな顔で喋り始めたという、そんな夢を見たけれどもいったい何がトリガーになっているのかまるで分からない。長友選手はちょうどインテルがユヴェントスと試合をしていて、動向が頭にあったかもしれないけれども加納典明さんはなあ、まるで引っかかるところがないんだよ、うーん。何かを予言している風でもないし。いずれにしたって大勢とパーティをすることも、そんなに人が入る家に暮らすこともおそらく一生かなわない夢。だからこそ夢でかなったことを今は静かに喜ぼう。嗚呼。

 そんな夢から醒めたらAKB48のセンターを張ってた前田敦子さんが卒業を表明してた。名実共にトップを行くアイドルグループでの1番人気がグループから抜ける、ってことがなるほどすべてのスポーツ紙でトップニュースになることは理解するけれど、これでもう終わりといってしまうのはAKB48を一種の人間養成所めいた存在として考えている総帥、秋元康さんの考え方から外れてしまう。そこでいくらトップになろうとまだまだプロフェッショナルとは言えない、そこを出て初めてスタートラインに立てるんであって、その後にどこまで行けるかが重要だ、ってな感じなことを確かデジタルコンテンツエキスポの関連トークショーで喋ってたっけ。前田敦子さんもだからこれから何をしてどう成長していけるかで己のタレントなり女優なりアイドルとしての価値は決まる。出来なくってもまだ20歳、いくらだって道を選び直せるんだから気にせずガンガンと突っ込んでいてくださいな。ところで篠田麻里子はやっぱりまだしばらく残るのか。ますますどんどん年上に。良いけど、推してるから。

 4月からスタートするアニメーション版の「アクセル・ワールド」は、メディアワークスから出ている電撃文庫の原作を既に読んでいるなら、黒雪姫やらハルユキやらタクムやらといったキャラクターの立ち位置も分かっているので、神秘的で高邁な美少女の黒雪姫による太って弱々しい少年への意味不明なちょっかいも、実は訳ありだと理解できるのでそれがどういう形でいずれ表現され、そして自分を卑下してばかりいるハルユキを鼓舞しては、加速世界での戦いに真剣に挑ませるのかを待ちながら見て行けるんじゃなかろーか。これが初見となると、何であいつばかりがモテるんだってことになるけれども、そこはそれ、バーチャル空間でプレーするゲームが大の得意という、ハルユキならではの特技がものを言ったのかもと思わせ、なるほど人には取り柄が必要なんだと分からせるので問題なし。2話目までは出会いとアッシュローラー相手の初戦と再戦で、本当の戦いはアニメ版の3話以降になりそー。そこでレギオン結成、クロムディザスター戦へと向かうのか。肉丸くんの系譜を引くふとっちょヒーローに勝利あれ。

 日比谷へと行くんだったらと虎ノ門にある、今は東京にここだけしかないあんかけスパの見せ「パスタ・デ・ココ」に寄ってウインナ載せな奴をもりもりと。やっぱりヨコイとかそーれとかに比べると麺が上品でソースも優しげではあるけれども本格に近いものが他では食べられないから仕方がない。渋谷の東急で名古屋物産展があればまたやってきてくれるのに。待つか秋まで。ちなみに「パスタ・デ・ココ」のすぐ側にもちょっと前に独立系のあんかけスパの店があったんだけれど、1度行ったらどうにも繁盛してなさっぽい空気がた漂っていて、2度は行かなかったらやっぱり店が消えて立ち飲み屋さんになっていた。それはそれで美味そうなものが並んでいたんでやっぱりあんかけスパは向いてなかったってことで。千葉にも1件くらい出来ないかなあ。「コメダ珈琲店」といい千葉方面にはあんまり来ないんだよ名古屋飯。


【3月25日】 そうそう第11回の東京アニメアワードでは公募作品部門で石田祐康さんの「rain town」と植草航さんの「やさしいマーチ」がともに入選していて、ICAFで見て共に気に入ってとりわけ「やさしいマーチ」はイベントくらいでしか見られない相対性理論の「ミス・パラレルワールド」版を見るために武豊方面まで出むいたくらいに好きな作品だっただけにちょい前の文化庁メディア芸術祭ともども世に認められ広まっていくのは嬉しい限り。これにあとやっぱりICAFで見た「Spots Spots」も受賞していてやっぱりメディ芸に入っていたこれらがなるほど今の学生作品での上位ってことになるのかな。

 石田さんは受賞の挨拶でちょい前まで映画(「グスコーブドリの伝記」かな)に参加していたけれども、今は求職中だって話してて「これからもアニメーションと関わっていければ」とも言っていたけどあの完成度にきっと声もかかったんじゃなかろーか。でももうしばらく現場で仕事をして今度は「フミ子の告白」ばりのアクションを商業の中に入れ込んで欲しいという気も。植草さんは「これでいいのかという思いを抱えながらやっている」といった胸中を吐露、その上で形になったものが評価されることをやっぱり誇りに思って良いんじゃないのかな。今回も会場で上映されていたんで時間をおいて2度ほど観賞、飽きないなあ、次はどこで見られるかな。

 もっともこの3作品は入選であって優秀賞をとったのは学生部門は今林由佳さんの「おにしめ おたべ」と吉川さゆりさん、川平美緒さんの「ざりがに」の2本。「おいしめ おたべ」は日仏のCGアニメ対決イベントで確か見た記憶があってどーしてそれで予定にあった「やさしいマーチ」が流れないんだって訝った記憶も一方にありつつまあなるほど、動きと主題の分かりやすさは一般にも通じるかもなあといった印象を抱いたっけ、そんな感性が選考の側に働いたってことなのか、選考委員のリストを見るとそんな想像も浮かんでしまうけど果たして。PVにしちゃった「やさしいマーチ」はだからメーンの賞から避けられ、それでもやっぱり凄さで入ってしまうというか。

 「ざりがに」は確かICAFで見たんだっけか、作った吉川さん川平さんはともにあれはラピュタ阿佐谷を拠点にしているアート・アニメーションの小さな学校の生徒さんたちで、震災なんかを挟んで困難な制作環境にありながらもがんばって作った結果を認められて、檀上で言葉を詰まらせながらコメントを発していた吉川さんの言葉は、なかなかに響くものがあった。とりわけ人形アニメーションは根気と努力の積み重ねでしか生まれない動きに更にセンスも重ねて初めて作品として完成する。そこにかけた時間と気持ちが晴れ舞台で評価されるのはやっぱり嬉しいものだろう。作品自体もとっても良いもの。学生が作ったとは思えないくらいに動いてそして生命感が宿ってた。これだけのものなら受賞は当然。選考委員に名を連ねる、アート・アニメーションの小さな学校の講師の真賀里文子さんも後進の勇躍にはきっと喜んだことだろう。

 後は作り続けることだけれどこれが1番の困難。というのは午後にクリエイターズワールドの企画で、青木純さんアオキタクトさん大山慶さん新海岳人さんの既に活躍する4人のアニメーション作家の人たちが、オリジナルで飯は食えるかといったテーマでトークを行った時にもやっぱり作り続けるのは大変で、それでもそれぞれに自分らしさを出せる範囲を探りながら作品作りに挑んでるって話してた。前に「アジール・セッション」って実にエネルギッシュでハードにロックなアニメーションをテアトル新宿で公開して話題になったアオキタクトさんなんか、新海誠さんい続き吉浦康裕さんに並ぶインディペンデントアニメーションクリエーターのトップランナーみたいに思っていたら、どうもそんな作品でもやっぱり抱えるものがあったらしい。

 本人はいつかリベンジを果たしたいと思っているようだけれど、思うに任せない経済環境。それでもファンらしい人を半ばパトロンにして「ロボと少女(仮)」って凄く素晴らしい作品を作ってのけたりする訳だから、ちゃんとしたところがお金を誘導してあげてその才能を活かす方向で動けば絶対に再び世に問えるオリジナル作品を出してきてくれると思うんだけれど当人は、なぜかCG制作会社に就職して今はパチスロパチンコのCGなんかを作っているというから何というか。出せる金もないのに現場でオリジナルを作れとはいえないけれども金を持っている世の中の人には出してあげてとお願いしたい気分、あるいはその会社がオリジナルを作る機会があるなら是非に、きっとロボットの加藤久仁生さんのような看板になるから、なんて思ったりもしたけれどもその会社、加藤さん級が揃っているからなあ。いずれにしてもオリジナルの映画が観られるのは当面先か。アマゾンで取り寄せた「ロボと少女(仮)」を見ながらこれだけでも、NHKなり民放で放送してくれればと願う限り。

 大山慶さんは愛知県とか文化庁から助成をもらってアート的なアニメーションを作って世に評判も高いけれどもそうした評価が経済と結びつかないのは世の常って奴で、ここでトークでは具体的な名前なんかを挙げつつどうして自分たちがNHK方面から仕事がないんだろう的懐疑を差し挟んでいたけれどもあまりにも直裁的だったのでここでは割愛。とはえいCALFからDVDを出している、和田淳さんというベルリンで銀熊賞をとって大きく世間に取り上げられたアニメーション作家ですら日本より海外から資金をもらい作品を作っているという現実を鑑みるならやっぱりいろいろ流れってものがあるのかも。水江未来さんはそれでもNHKの「シャキーン」で作品を提供してたっけ。でもそれくらい? ヴェネチア出品作家が作品ではなくPVを作っているこの日本。不思議っちゃー不思議。

 そんな環境を突破すべく大山さんは、CALFにスタジオのような機能を持たせてそこが仕事を引き受けて、アニメーションを作り世に評判を広めることによって資金を集め、オリジナル作品へと還流させるような仕組みを作りたいって話してた。今ならベルリンの銀熊受賞っていう、アニメフェアにおいてメロン熊に噛みつかれるくらいの高いアピール度を持った看板があるから、そこを期待して集まる人たちのために商業をしつつ芸術も入れ込みやがて作りたいものを作っていくという算段は、ありといえばありだけれども商業に飲み込まれ自転車操業となった果てにそっちばかりとなってしまう可能性もない訳じゃないから案配が大変。やっぱり必要なのはアートアニメーションでも面白くって為になって必要なものなんだ、って意識を小さいうちから持たせることなんだろうけれど、それは教育の問題だからなあ、山村浩二さんが中学校でアートアニメーションに出会って今があるような展開を、国単位とはいわないけれども個人の教員レベルで行う自由は認めたいなあ。

 そんなメロン熊は4日目のアニメフェアでも元気に暴れ荒ぶり囓りまくっていたようで善哉善哉。まるでアニメとは無関係なご当地キャラで、東北の震災復興とも無縁ないちお土産屋のキャラでしかなかったりするんだけれど、いろいろあった今回のアニメフェアに出展をして、新作アニメの情報とグッズと出演声優に気をとられがちな人たちが来週に回るなかでゆったりゆっくりアニメを楽しみたい人たちの前にその姿をさらして大受けしたのはひとつの機会。見れば衝撃のビジュアルとも相まって強烈な印象を残した模様で、来場した一般の人から業界の人から偉い人まで、気にして紹介していた辺りに次への展開なんかも期待できそう。それがグッズなのかアニメなのかは分からないけれど、一気に盛り上がって来年に盛り下がるんじゃない、長く愛される展開なんかへと向かえばちょっと面白いかも。とりあえずあの等身ですぐに出来るねんどろいど化をグッドスマイルカンパニーにはお願い。ぐま子と戦わせてみたいよう。


【3月24日】 買った「もやしもん」第11巻の限定版には画集というか今まで出た関連グッズも含めた全紹介めいたものが載っててその中に初期のキャラクターデザインめいたものがあったけれども蛍はあんまりゴスロリじゃないし遥さんは眼鏡なおねいさんになっていた。あと造形が妙にリアルに走っていたけど当時と比べて巧みさを増しながらも漫画的なバランスを保った絵を見慣れた目にはやっぱり少し不思議に映る。っていうかやっぱり漫画家でもどんどんと絵が変わっていくんだなあ。限定版ではそういやオリゼーのぬいぐるみ付きを買った記憶があるけどいったいどこ行った。枕元にまだ積み上げてあったっけ。

 単行本ではミス農大話がまるまる1冊でクライマックスに満を持しての登場となった蛍な遥さんがやっぱり最高。その姿を実写版でも見せて欲しいけど今度やるのはアニメ版の方か。果たしてミス農大まで行くかなそれともフランス編オクトーバーフェスタ編アメリカ編あたりで終わりかな。出来れば途中をすっ飛ばしてもミス農大編が読みたいもの。賑やかだし。ちなみに限定版ではない通常版の方は表紙が蛍に見せかけた遥さんでそれも帯あと美浜や直保らを隠して下半身とかしっかり描かれているからやっぱり買わないとけない感じ。商売巧過ぎ。誘い過ぎ。

 寝て起きてそしてやっぱりメロン熊を見に東京ビッグサイトへと出むいたらやたらと外国から来ている人が多かった東京国際アニメフェア2012。来週のアレな関係でおにいさんたちがあんまり来ていないこともあってそんなに押し合いへし合いにはならない通路なだけに目立つってこともあるんだろうけど、でもやっぱり感覚的にもおそらくは物理的にも外国からの来場者が多かった。中国香港台湾韓国あたりならビジネスって意味での来場もあるだろうけれど、どう見ても欧米系の人たちとそれからイスラム系な頭にずきんを被った女性なんかもいたりした。

 これほどまでにバラエティに富んだ来場者がいったいどうして増えたのか、海外からツアーを組んでやって来たのかそれとも違うのか、聞いてみたかったけれども僕は英語がしゃべれない。かろうじてこのポスターをテイクンして良いかってウルトラマンの消防庁提供ポスターを差した外国人にノーノーノーノーと言えた程度。コミュニケーションの道未だ険し。しかしこんなにいっぱい外国から人が来ているのに、そこでどーして作品をアピールしないのかねえと、来週のアレに出展を絞ったメーカーやら版元やらへの不思議さを感じてみたり。

 なるほど主要な顧客といえる国内のファンに新作情報を伝えイベントを楽しんでもらう意味では、来週のイベントがあればそれで十分に役割を果たすけれども、そこに外国からの人はいったいどれだけ来るのって考えた時、折角のチャンスを自ら放り投げてしまっているような気がしないでもない。もちろんアニメフェアで見てくれたからってすぐに海外に売れるものではないけれど、見た人の口コミの評判って奴が伝わり広がり何かになるきっかけは生まれたかもしれない。そうでなくても、せっかくはるばる海を越えて来てくれた人に、日本の最先端を見てもらうっておもてなしの精神が、示せなかったことに日本としてやっぱり残念に思う。

 それもこれも悪いのは、って言えば言えるけれどもだったらこの1年、何か具体的な進展はあったのか、綿密な話し合いの果てに歩み寄るような所は出てきたのか、その一方で版元はクリエーティブの現場に一切の制約を加えなかったのか、プレッシャーと戦ったのか、等々の本論への取り組みを外に余り感じさせないままで、構えたたファイティングポーズだけアピールしては、その陰で残念がる子供や外国からの来場者が少なからずいるって構図はやっぱりあんまりらしくない。敵のイベントだから手前の媒体では伝えないっていうのもどこか統制っぽい空気。かみ合わないまま実質が抜けているこの状況が続くと何かやっぱり宜しくないことになりそうだけれど、果たしていったいどーなるか。

 減ったとはいえしかしやっぱり目当てのものがあるのか開場とともにダッシュする人ともいたりとそれなりに賑わっていたパブリックデーのアニメフェア。東映アニメーションのブース前なんか、上映されるプリキュアの映像を待って大勢のもう子供ではない人たちが立ってカメラを構えてた。ちょっと子供を引かせたかな、でもメロン熊ほどではないか、今日も元気に荒ぶては子供を怯えさせグッスマのマスコットを圧倒してた。その場面はアニメアワードの発表会を見ていたため目撃できなかったけれどもそうやって、人気キャラとの絡みが世間を通して伝わることでメロン熊、ますます認知度を上げて行きそう。はるばるアニメフェアに出た甲斐もあったってことで。来週のアレがなければきっとお呼びとかかからなかっただろうから、その意味では怪我の功名、そしてチャンスを物にした。ねんどろいどメロン熊、ってちょっと欲しいかも。かも。

 モーターサイクルショーでホンダのブースに行って痛バイクを見てそれからヘルメットメーカーで回るお姉さんたちを眺めてから東京アニメアワードの発表会へと行ったら3時間半ほど引っ張られた。長かった。けど功労賞を受賞した久里一平さんが挨拶で、あの時代ですら「みなしごハッチ」は冒険的な企画で、世間が高度成長でイケイケドンドンで熱血スポーツ根性物万歳な中で、昆虫が主人公で泣き虫で母親を求めて飛び回るアニメの企画をタツノコ側ですら通るはずがないと思っていたのに、テレビ局もスポンサーも良い企画だからと通してくれた、作品作りが好きな人たちだった、それが今ではサラリーマン的になってしまったと話していたのを聞くにつけ、先人の思いをやっぱり受け止め何とかしないと、どうにかなってしまうって心配も浮かんできた。意義深かった。

 やはり功労賞で撮影の世界を長く経験してそしてアニメのデジタル化にも早くから取り組んだ吉村次郎さんが、いろいろと苦労はしたけど今、東京アニメアワードの公募部門で学生たちが作った作品なんかを見るにつけ、デジタル化には意味はあって、これからもますます新しいものが作られるだろう、若い人たちに期待したいと話してて、そんな先人たちの成してきたこと、その上澄みだけではなく何のために成そうとしたのかを噛みしめて、物作りに挑んでいくことで次の世代につながる何かが残せるんじゃないかって気がして来た。受ける方へと劣化コピーを繰り返していてはやっぱり行きづまる。壁を突破し分野を開く意志。それを持とうって気持ちを功労者賞の人たちからは教えられた。杉野昭夫さんが来場していなかったのは残念だけれど表舞台には立たない裏方の技術の人からいろいろ聞けて為になる授賞式。来年も聴講したいなあ。東京に居られるかなあ。


【3月23日】 やっとこさ見た「あの夏で待ってる」はいきなりなお姉ちゃんの登場なんだけれどおあるですっかり地球人。いったい宇宙にはどれだけ地球人が蔓延っていたりするんだ。それでFランクっていうんだからあるで訳が分からないけれどもそんなイチカと姉の中に残っている地球の記憶、それがどうやらスキャンから覆い隠されているらしいという状況へと至ってやっぱり地球には、信州には何かあるらしいってことが見えてくる。それが「おねがいティーチャー」絡みのことなのかまるで無関係かは分からないけれどもそんな接続への期待なんかも煽りつつ、そしてイチカの姉を即座に宇宙人だと見知って接触した檸檬の正体なんかも誘いつつ、残る話数での綺麗な大団円を期待しよー。つか何だあのワゴン、後ろからロボットアームが出てきたぞ。

 「ハイスクールD×D」は何かバトルが始まったけれどもイッセーのドレスブレイクも炸裂して相手を弱らせたりして勝利に近づきながらもやっぱり相手はフェニックス、その血を回復に使うという起死回生の技でもって反撃されて味方を削られた挙げ句、先輩は勝負を投げてしまってこれで敗北が決定、そして許嫁から結婚へと至りそうな展開だけれどまあそこはいろいろあってひっくり返るんだろー。っていうかこれってあと何話くらいの予定なんだろー。1クールだったら次で締めなきゃいけないけれどもそれには中途半端だから2クールで妥当フェニックスまで行くのかな。生徒会の眼鏡な2人の活躍もエンディングでのポールダンス以外でもっと見たいんで是非に続けてくださいませ。

 占い師に向かない性格って奴を知っているか。それは正義感の強い奴。相手に信頼されて望まれるんだから嘘つきよりは正義感の方が良いんじゃないのって見方もありそうだけれどそれが実は宜しくないってことを神野オキナさんの珍しい四六版のソフトカバー作品「タロット・ナイト 星詠みの騎士」(双葉社)によって知る。どーやら姉が人気占い師として活躍していた予備校生の弟だけれど姉がバイクで事故って両足を骨折してそのままでは仕事を長く休んでしまうことになる。母親とは死別し父親はいるにはいるけどアメリカに単身赴任中。そして生活費や学費もあまり面倒を見てもらえないとあって姉が働いていた訳で、それが事故で金にならないとなるとたちまち干上がってしまうし、占い師の職場でも客が離れてしまう。さあ困った。

 ってとおろでピンチヒッターとして白羽の矢が当たったのが弟くん。とはいえクールなイケメンとして婦女子からきゃあきゃあ言われる容貌でもないため、女装して化粧を施されて女占い師として代打に立つことになった。経営者からはほんわかとしたキャラでいけといわれてそのとおりに演じつつ、タロットのリーディングについても教えて貰ったり学んだりして対応しようとしたものの、最初に現れた姉の顧客に対して自分は適切な占いをしたと思っていたらどーして、最初に姉の知り合いだというなら彼女にまず連絡するなり、連絡するふりをしなかったのかと怒られる。そうすることによって相手に安心感を与えるという心理的な誘導をこそが、占い師にとっての必須の技。それを見知って弟は、次から単にカードを読むだけではなくって自分で考え、相手の言動から推理しつつ相手が望んでいるだろうことを意ってあげようとする。

 ここで肝心なのは、正しいことが相手の望んでいることではないということ。タロットによくない卦が出たとしてもそれをそのまま言うのはやっぱり失礼、かといってねじ曲げるのも間違っているならそれを相手が望んでいる方向で、読みとり諭し導いてあげることが求められる。相手が例え危険な道に踏み込もうとしていると分かっても、それを相手が気づかないままなら無理に気づかせる必要はない。占い師は正義の味方ではなく相手の心の味方。それを誤ったら失格だというのに弟は、我慢できない事態に正義感を発揮してしまう。その相手はかつてアルバイト先で出会ったキツめの女性。長身で真面目でアルバイトを見下すような態度をとっていたのを根に持って、良くないことをいってやろうと思ったもののそれを言うのはまず違っていると占い師らしく判断し、かつてとはまるでちがった純情そうなその女性が望んでいる男性との交際をプッシュする。

 ずっとその路線で行くことで望んでいることに応えようとした弟。とおろがどうやら彼女がつきあっている男には何か裏があるらしい。そう気づいたところでみすみす女性が不幸になることを止めるのが正義な訳だけれどもそれを占い師の経営者は余計なことだと言って止める。そう思いたい弟。けれどもどこか黙ってられない弟。そこで浮かび上がってくるのが流れというもので、いろいろありそうだと知ってしまったこと、そしてつきあっている男性の正体を探るのが難しそうな時にそれを出来る人と巡り会ってしまったことが、正義を貫く流れを読んで弟の背中を押す。結果。それを受け入れればハッピーエンドなんだけれどもそれは一方で占い師の本質から外れてしまう。どういう結末にするのかといったところで神野オキナさんの下した判断がクールで良い。でもちょっともったいないかな。長身で痩躯で切れ者の年上女性。最高じゃないか。なあおい。

 今日も京都って東京ビッグサイトへと出むいて眺めた「東京国際アニメフェア2012」はやっぱりメロン熊が大活躍で、ブシロードのブースへと出むいてはゲームを楽しんだり、来る人に噛みついてマミさんみたいな目に会わせて評判をとっていた。あれだけキャラがいっぱいいる会場で目立つ見ばえ、そして響く存在感はもはや全国区へと高らかに駆け上がる予兆ななんだけれどもそーやって、消費されて数年で消えてしまうキャラクターも多々有る中で生みだした大本ではもっと長くやりたいといった考えを持っていて、どいういう方式で展開するかをいまなお模索中。ライセンスを与えて商品をいっぱい出してもらってそれで盛り上げすぐ衰退、じゃあつまらないしモッタイナイ。そこをどう案配していくか。キャラクターというものの着想から成長、そして展開への1つの指針を見せてくれそう。ウオッチしていこう。一般公開日やしかしやっぱり子供、なくなかなあ。

 ああそうだ去年はこの発表会を聞いて帰ったところで激しい揺れに襲われそして日本は未曾有の事態へと突入していったんだと思い出しながら聞いた「アニメロサマーライブ2012」の発表会見、ずっと出ていたJAM Projectが半ば卒業という形で舞台を海外へと移しそして水樹奈々さんもツアーが重なっているとかで今回は事態と1回目からの連続してのアーティストが共に出ない初の状況にいったいどういう布陣で向かえるのか、人気でもって水樹さんと双璧を成していた観のある田村ゆかりさんは今回も出場の予定できっと会場をオールピンクに埋め尽くしては姫ならではの「かわいいよ」といったコールを全身に浴びて輝いて見せてくれるだろー。

 あとは栗林みな実さん茅原実里さんMay’nさんが何度も出ている人ならではのアクトを見せ、キャリアはあるけど今回が初出演という川田まみさんもその激しいボーカルを聞かせてくれるに違いない。喜多村絵梨さんはどんな感じになるのかな。また行きたいけれども不安定な身の上故に8月終わりに果たして生きていられるか。そこだけが不安だよなあ、いや生命といういみでは生きていられるんだけれど社会に関わる人間としての生命線がいままさにぎゅんぎゅんと細くなっているんで。SF大会も行ってメロン熊に会いたいけれどもそっちはさらに未定だし。うーん。踏ん切りつけるかいっそのこと。どこか雇ってくれないかなあ時給1000円くらいで。

 おお。ある意味では王道なのかもしれないけれどもその作品が、農業高校の青春期という少年誌にはあありないカテゴリーってことを考えるとやっぱり冒険的な作品だったって言えるのかもしれない荒川弘さんの「銀の匙 Silver Spoon」が栄えあるマンガ大賞2012を受賞。「鋼の錬金術師」で世の中を席巻した人が「少年サンデー」に描くなら当然、そうしたヒーロー物になると思っていたところで描かれたものがまるで方向性の違った学園ストーリー。それもいわゆる部活物とかラブコメ物と違った内容にいかな荒川さんでもと世間も思ったし僕も思った。「マンガ大賞」への推挙はだから今回は見送ったんだけれど、おおくの支持を得ての受賞となったし実際売上もそれなりに達しているからある意味妥当な受賞だったって言えるかも。

 編集の人が話していたけれど、この漫画が受けていることから鑑みるに、どーやらいまの若い人たちにとって重要なのは恋とか魔法の世界での冒険とかいったものではなくって将来のこと。そこにひとつの道筋って奴を見せてくれる「銀の匙」が、それなりに受けているってことらしく、つまりは漫画といったものを需要する社会における変化の兆しって言えるのかも。夢を見るより未来を見る。堅実に先を読む。そのためのツールとして漫画がなっている。諸手をあげて歓迎したいかっていうと、どうもそういのよりやっぱり夢が欲しいし僕自身、漫画から夢を与えられてきた世代だけに残念な気もしないでもない。とはいえ誰のための漫画かということに見事に応えそれでいて阿らず面白いものを作り上げてきた才能を、やっぱりここで「鋼」以上に讃えるべきなのかもしれない。おめでとうございます。しかし授賞式ではヤマザキマリさん、大車輪だったよなあ、いまや超絶売れっ子な人なんだけれど。有り難う御座いました。


【3月22日】 東京国際アニメフェアを見に行ったらなぜかメロン熊がいた。その存在は2010年9月に開かれたアミューズメントマシンショーの会場でタイトーがプライズとして引っ張ってきたのを見て知っていて、巨大なメロンの頭を持った熊が闊歩するその威容に、恐怖しつつも面白がった記憶が今も鮮明にあったりして、その後にプライズとして評判になった後、幼稚園を表敬訪問しては子どもたちを喜ばせるどころか泣かせたというニュースを見るに至って、いよいよもって世間にその存在が知られ始めたと喜んでいたけか。とはいえ未だ夕張のローカルキャラクター。それがなどーしてアニメフェアに? まさかアニメ化?

 とか思って眺めたら何とブースを出展していたメロン熊。あるいはアニメコンテンツエキスポとの分裂騒動からこっち、出展者の数なり出展のスペースなりに余裕が出来たところをキャラクターコンテンツという枠組みで埋めようとして誘いをかけたんだろーか。とはいえ全国から注目が集まるアニメーションのイベントで、これだけの衆目にさらされることによってメロン熊の存在が一気に全国区へと拡大し、果ては海外から来たバイヤーの目にもとまって全世界レベルへと飛翔しないとも限らない。ローカルからグローバルへ。その可能性って奴を是非にメロン熊には体現してもらいたいけれどもきっと入国しようとした途端に入管で止められるか射殺されるかどっちかだろうなあ。それもまた一興。

 そんなメロン熊のブースで話していたらやっぱり今年の夕張でのSF大会に及ばれしているそうで参加者はもしかしたら本物のメロン熊とスキンシップを楽しめるかも知れない、頭の皮を囓られるという意味での、血まみれな、骨も砕ける。とはいえ担当の人に聞いたら「SFって何ですか」といったあたりで未だSFの何たるかがメロン熊サイドには浸透していない様子、その存在そのものがSFであるにも関わらず認知されていないというのは寂しい限りなので主催の人は早くにメロン熊の元へと参じて、あなたこそがSFですキメラです合成獣ですと伝えつつ、それならばと率先してミュータント物なり怪物物なりのSF作品をアッピールする旗頭として、SF大会の知で活動してくれるようにとお願いしよう。食べられてしまうかもしれないけれど。

 聞くとそんなメロン熊が絵本になりたいと出版先を大募集中。「きょうふのめろんくま」ってのを第一話にして「平凡な否か。そして広大な北海道の涼しい初夏。いつもと変わらないメロン収穫作業中に信じられない光景を目の当たりにする。メロンが食い荒らされていたのはいつのの鹿だと思っていた。が、なんとびっくり、今までに目にしたことのない、大変恐ろしい生き物がメロンを食い荒らしていたのである」って導入から「一所懸命に作り上げたメロンを食い荒らす野生行為。凶悪で恐ろしい顔つき。しかし、それとは裏腹にやさしく血の通った行為が垣間見える」へと展開。血が通うっていうか血が滴ってそうだけれどもそこから「これはメロン熊が地域に及ぼす感動のフルーツアニマルストーリー」へと繋げていくらしい。絵は誰が描けば良いだろう。平野耕太さんか。荒木飛呂彦さんか。読みたいなあ。どこか出さないかなあ。

 ふらふらと歩いていたら「石黒昇監督の最新作!!」なんて張り紙でもって上映される映像があっていったいどんな戦艦どうしの対決かなんて見たら女の子達が踊ってた。それは圧倒的というよりも不思議なタイプのダンスでめいめいに踊ったりしているその姿に、どこか引きつけられ見入った後でこれが「エンジェルスキャンディーズ」という作品だと認識する。調べると去年のオタコンに石黒監督はこれを引っさげ行っていたのか。でもって内容はと聞くと女の子が音楽に合わせて歌い踊るミュージカルだとか。過去にそうした作品を多く手がけてアニメに音楽を持ち込んだ石黒監督らしい作品と言えば言えそう。元気だったら来場したかもと言われるとなおのこと残念さが増す。と同時にこれは是非に完成して欲しいと心より願いたくなる。アニメーション事業協会がやっているらしいけれども果たして。

 そんな東京国際アニメフェアはフードコートが異常なまでの充実ぶりで、いつも出ているような弁当屋さんとかフランスロール屋さんとかではなくって歴としたB級グルメの屋台が店を構えてあれやこれやと販売中。隅っこにあったのは長州小力さんがやってるらしいキングヤキソバでただのタレント物かとおもったけれどもさにあらず、太めでコシの強い麺は歯ごたえがあって美味しくそしてソースも具もしっかり絡まりそれなりの満腹感を与えてくれる。鹿児島の黒豚丼も牛ならぬ豚が敷き詰められた下にご飯があって食べると美味しい美味しい。スパゲッティもあるみたいだったけれど今度は試してみるか。ほかに唐揚げとか牛串とか海鮮とかラーメンとか、もう迷う程の充実ぶり。ビジネスデーだからそんなに人も並んでなかったけれども一般デーとなったら大勢の人がいっぱい集まって長蛇の列となりそう。その後ろから忍び寄ったメロン熊が全員をバリバリと囓っていくという。見たいなそんなビジョン。

 特に大きな発表が行われる訳でもなくってもっぱらクリエイターズワールドで新鋭の方とかに話を聞く。東海テレビで絶賛放送中だと前に帰って見た武豊アニメーションフェスティバルの会場で知った「かよえ!! チュー学」を作っている愛知県立芸術大学出身のスターアニメーションクリエーター、新海岳人さんはなかなかの好男子ぶり。その作風の軽やかさでもってFROGMANさんラレコさんといったFlash系からNHKへと立身出世を遂げたクリエーターのその後を、襲うのは確実にこの人かもしれない。そうでないかもしれない。テレビせとうちで放送中の「プっとべ! プ〜デル」なんて子供とか大喜びして見そうなのになあ。今からチェック。来年にはヴェネチアで銀獅子賞かも。そうでないかも。

 隣にコタツにはいった美少女が。青山桃実さんという人が出してた3DCGの作品は宇宙戦闘機が飛びキャラクターが演技をするって商業アニメーションとしても存分に通用思想な楽しさで、これを見てしまうと青山敏之さんの「プロジェクトワイバーン」もユルく見えてしまうねえ、といったらご主人だった。なるほど名字がいっしょだ。なるほど10数年前の発表当時に今のようにツールも技術も進んでなくってウインドウズ用のライトウエーブなんかが普及し始めた時に、宇宙船が戦う迫力の映像ってことでとてもとても評価されたし僕もディ・ストームって会社で見せられ驚いたけれどもそれもやっぱり当時としての凄さ。アクションで引っ張り驚かせてはくれたけれども、それがそのまま商業でってなるとちょっと届かなかった。

 桃実さんの方は、良い表情をするイケメンキャラがいて戦闘があって物語があって展開がある。構成が良くテンポがあって見ていてずっとダレずに見ていられる。そこが多分映像クリエーターというより映画作家としての才能で、敏之さんのアドバイスによるアクションとかの面を取り入れながらもしっかりと、自分オリジナルの作品に仕立て上げている、っていうかほとんど自分ひとりでやっているんだからやっぱり凄い。青山敏之を追いやるのは青山桃実さったというか。その面白さはできれば大きな画面とか、スクリーンとかで見たいんだけれど果たして作品として世に出てきてくれるかなあ。昔だったらクリーク&リバーあたりがこうした3DCGのアニメを映画館で上映し、パッケージにもして販売する企画をやってたんだけれど最近とんとご無沙汰。「A・LI・CE」なんて劇場に見に行ったんだけれどそういう剛毅な振る舞いをしてくれる配給なりディレクション企業なりってないのかなあ。自主上映じゃ寂しすぎる。もう海外に一足飛びに行っちゃうしかないかなあ。


【3月21日】 戦火が迫っているっていうのにどーして奴らは校庭に残って集まって人文字なんか出していたんだ。お陰で誰かによって撃ち落とされた敵兵器の下敷きになって何人もの人が怪我をしたり酷ければ命を失っていたりしそうで、そんな中に母親の妹を見かけた京乃まどかはあれだけ元気いっぱいに出張っていって、そして周囲の彼女には支えがあるから大丈夫だなんて諌言なんかもすべてひっくり返すかのよーに、苛立ち悲しみ怒って俗称「イヤボーン」を発生させては輪廻の華を辺り一面にまき散らしてみた模様。3本の矢だって折れる時にはあっさり折れるんだってばよ。

 起こっては行けない事態がおこったみたいな状況から、想像される来週の展開は世界がそのまま滅んでしまって彼岸となった鴨川の海辺にひとり取り残されたまどかが海を眺め、昇ってくる巨大なおらが丼を遠くに身ながら気持ち悪いと呟きそして、時間を巻き戻して始まる新劇場版的ストーリー。同じに見えてちょっとずつ違う展開には新しい眼鏡っ娘キャラがいたり逆にアイパッチキャラもいたりする中で今度こそは逃げちゃダメだと意を決したまどかが、ランちゃんムギナミを誘って交えて敵を倒すということになるのかそれともならないのか。どっちにしたって間抜けな人間の行動が招く悲惨な事態ってのは見ていてなまり気持ちよくないんでここは第1クールの終わりにきっちり明るく未来につながる終わりを見せてやって欲しい物。頼みます。

 っていうかどうして誰も解説の人は突っ込まないんだろうと驚いたクイーンの激太り。そこは言わないのが情けって奴なんだろーけど明らかに前とは別人がやって来てそれであんたいったい何なのさって驚き慌て探って本人だと確かめる作業はなかったのか。そんな「ちはやふる」は太一の母親の冷えた笑顔に怯える千早。あれだけの美人がやって来たなら母親だっていい顔するのが普通なのにそうじゃないところがやっぱり息子可愛さって奴か。怯える千早も千早だけれどもきっと子供のころに散々っぱら虐められ、それで精神にまで恐怖が刻み込まれているんだろなあ。面白い顔だった。

 そして42インチが小さいテレビだというブルジョアな部屋でもって見たクイーンのかるたは、前クイーンから転じて挑戦者となったもめ由美だって軽くあしらう速度と正確さでもってクイーンが圧勝。それでも勉強させてもらってますとはなるほどやっぱりイケズな京女。連載ではそんな若宮詩暢がまさに煌々選手権で綿谷新と対戦中でおそらくは次くらいで決着もつくんだろうけれども果たしてどーなのか。むしろクイーンよりは周防名人に近い位置にいる新の凄さをどうにかしのぎつつ、現時点では実現不可能な周防名人との対戦を望むようになっていくのかどうなのか。1度くらいは見てみたいよあなあクイーンと名人。それはそれとしてテレビを見ている奏ちゃんはやっぱり大きかった。背がじゃないよ。当たり前じゃん。

オーソドックスだけどダイナミックなアニメを有り難う  贋人(ギニョル)と呼ばれる人造人間でも心のあるのはなぜか3流扱いで処分されることになったところを逃げ出した美少女贋人たちが少年と始めた道中は、7年目に贋人のひとりが贋人狩りにあって命を失い魂となる石だけ残して逝ってしまった。残された2人は贋人から人間になるための方法を知っていそうな人物を捜してあっちこっちを旅するけれどもその稼ぎ方が贋人の少女の持ってる冷凍能力を使ったクール宅急便というのがちょっと面白かった淡路帆希さんの「グロリアスハーツ」(富士見ファンタジタ文庫)。贋人でもないのに少年は逆に炎の力を秘めていたりするけれども終わり掛けにその理由がちょい示されてどーやら7種類の力が眠っているっぽい。未だ残る贋人狩りと戦いながら果たして2人は生き延びることができるのか。いろいろ知ってそうな情報屋がボスと仰ぐ存在の正体は。期待を持たせて次へと続く。文倉十さんのイラストも楚々として良いなあ。

 「10数年ぶりに現場をやってみて 演出家にしても絵コンテマンにしても、様変わりしていて、描いてくるものが随分と違う。どアップとか真正面からの絵とか、使っちゃいけないと僕らは思っているけど、それを平気で描いてくる。様になってないんと思わないんだなあ。アップはここぞという時にとっておかないとけないのに、どうってないところで使ってみたり、逆に引いてみたり。僕らが習った演出理論が、完全にぶち壊れている」。あれはNHKで「タイタニア」が放送されていた2008年末のこと、石黒昇監督にインタビューをさせていた抱いた時に最近のアニメーションについてもいろいろと聞いてみた。

 「街を映して家を写して部屋を映してといった理論が完全に無視されているし、イマジナリーラインについても、実写だったらカメラを動かせるし、カメラが向こう側に回ったら光の加減で分かるけれども、アニメは情報量が少ないから、なるべく古典的なカメラワークを踏襲すべき。敢えて逆に入るなら、演出的に計算してやらないと混乱するけれど、説明不足でも誤解されて構わないちった雰囲気がある」とも。一方で「今のアニメーターは逆に動きが小さい。手を振りまわすのも小さくて、細かいところには凝っても、びっくりさせるようなデフォルメができなくなっている」と話した石黒監督。自身の作品は、オーソドックスだけれどダイナミックで分かりやすく面白い。そんなアニメを普通に見て育った僕たちの世代にはだから、石黒監督の良さは感じられても凄さはそれほど伝わっては来なかった。

 急逝、といっていいだろうタイミングでその訃報に接して改めて思ったことは、本当に本当に大切なアニメーションの監督を失ってしまったんだなあということ。「宇宙戦艦ヤマト」に「超時空要塞マクロス」に「メガゾーン23」に「銀河英雄伝説」に「タイタニア」。その時々にあって大勢のファンを生みだし、のみならず大勢のクリエーターも生みだして今のアニメ大国日本があるその礎を築き上げた。しっかりとした演出がそこにあったからこそ美樹本晴彦さんや板野一郎さんや河森正治さんや庵野秀明さんや山賀博之さんや平野俊弘さんや垣野内成美さんといった人たちがその才能を一気に爆発させて、アニメに新しい時代が来たってことを世に知らしめた。それを見た世代からまた新たに大勢のクリエーターが生まれてと、父親でありおじいちゃんでもあった石黒さんの功績は、だから作品単位、ファンの熱さ度合いだけでは決して測れない。存在そのものが大きかったという、そんな人に存命中、1度であっても話を伺えたことはとても貴重だった。嬉しかった。謹んでご冥福をお祈りします。有り難う御座いました。


  日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る