縮刷版2011年7月上旬号


【7月10日】 ふと気が付くと、ドイツで女子のワールドカップに出ている日本代表ことなでしこジャパンが、ホスト国にして大会2連覇中のドイツに勝っていた。BSが見られないから後で知った状勢によると、相当な死闘だったみたいで前半後半を無得点で乗り切り延長も前半を終えて入った後半早々に、澤穂希選手からのワンタッチのロビング気味のパスが、ディフェンスの後ろへと走り抜けた丸山桂里奈選手にピタリとあって、受けた丸山選手がドリブルとかせず切り返しもせず、そのままゴールにダイレクト。インをぶちぬかれまいとした相手ゴールキーパーの動きの反対側を行って、ファーのサイドネットに見事ささったゴールはただひたすらに素晴らしいの一言。男子でだってあんまり見られない鮮やかなゴールシーンと、そてして何より勝ったことがなかったドイツ代表に勝ってしまったなでしこジャパンの成長ぶりに、ひたすらの喝采を贈りたくなる。

 通して後で見直すならば、ドイツが高さと巧さをかして前戦へとよくボールを送っていたものの、フリーにせずシュートを打たせず打っても体制を整えさせない守備っぷりが、まずはとっても輝いていた。ディフェンスラインのみならず中盤から戻ってカットに入る澤穂希選手や阪口夢穂選手の動きもとっても質が高く、それでもってそこからちゃんと攻撃への芽もつってみせる鬼神のような働きぶり。相当に疲れているはずなのに、それでも延長戦であれだけのパスを澤選手は出せるし、宮間あや選手だって最後になってもセットプレーで正確なボールを蹴れるところが、長くやってる選手ならではの強さってものなんだろう。

 なるほど大会前からやたらと持ち上げられている若い選手たちもいたけれど、下の世代では一頭抜けたテクニックは持っていても、トップカテゴリーの国際大会で体の大きな選手にぶちあたると、得意のドリブルでは抜けず、かといって守備に回ってそこから起点を作れるだけのフィジカルもまだ足りない。そんな若い選手たちには、年輩ながらも最後まで走り抜く上の選手たちを見て、何が必要なのかを自覚して、それを得ようって思えたんじゃなかろーか。メディアにいくら持ち上げられたって、プレーに自身があったって、まだまだ叶わないと思えばきっと努力に向かう。それを期待しての投入であり、けれども最初からではなく途中からだったりする起用には、現実を見つつ未来を見据えた深慮遠謀があったと思いたい。

 しかし丸山桂里奈選手、よくやった。ずっとホープを呼ばれスピードとドリブルでもって切り札的な位置づけにあって活躍もしていたけれども、絶対的なところでの活躍っていうと荒川恵理子選手とか永里優希選手といった面々に比べて足りず、スーパーサブ的な位置づけから抜け出せなかった。前に所属していたTEPCOマリーゼは東京電力の持ってるチームってことで、環境は充実していたはずなんだけれどもそこでも絶対的な存在にはなれず、代表でもやっぱりスーパーサブのまま。チームを離れてアメリカに行って、そこから戻ってジェフレディースに所属はしたけれど、代表となるとちょっと遠い所になってしまっていた。北京五輪後の代表での活動、そんなになかったもんなあ。

 若い選手の台頭もあって、過去の人になりかかっていた感もあった丸山選手。そこに起こった震災の影響で、TEPCOマリーゼが活動休止となって東京電力にも批判が集まるなかで、知人も多いだろう前所属への気持ちが先走って騒がれもしたけれど、一方で選手としては見事に復活を遂げ、代表に選ばれ、晴れの舞台に起用され、そして見せた速度と技術。挫折とか停滞とかって言葉もあるけど、当人しだいでどうにでもなるってことを示してくれた。若い選手には見習ってもらいたいところ。あと、前の職場で上がしでかした不始末に悩み、迷っている普通の人たちにも、頑張っている姿が届けばそれは決して悪いことではない。頑張れば認めてもらえる。落ち込んでも立ち直れることを示してくれた丸山選手を追って是非に、立ち直ってもらいたい。

 前田敦子さんと同日だ、ってことで何か希望も出てきたけれども誕生日が一緒ってことが何か有効に働くのは、当人を目の前にして会話のきっかけをつかむ時くらいな訳で、そんな機会なんておそらく絶対に訪れないだろう状況を鑑みるに、まるで無意味だとも思えてやっぱり絶望に浸るたったひとりのバースデー。っていうかAKBのSKEにNMBに研究生も混ぜれば軽く100人を超える総勢を、詳しく見れば自分といっしょの誕生日の人がいたりする訳で、そんなところからファンを誘って増やしていくことも出来そうな印象。バースデーベアならぬバースデーアイドル。いっそ別に閏年も含めて366日分、オーディションして集めて366人のアイドルユニット「バースデー隊」とか作れば良いのに秋元康さん。バースデーにはライブを開いてそこでもらえる誕生日プレゼント、出したCDの売り上げ枚数が一定数に満たなかれば即引退で、来年は別の人に変わるとなればファンも当人も目の色が変わるぞ。

 せっかくだからと東京国際ブックフェアへと向かって、プレミアムエージェンシーのブースに来られてた板野一郎さんに挨拶。そんなに喧伝してなかったら人でごったがえすってことはなかったけれど、マクロスなんかを見知った人には板野サーカスの偉い人の登場は、やっぱり分かった模様でサインとかもらってる姿も見えた。配信は7月の予定がややのびて秋だけれど、その分中身の充実も図られれば善哉。そこから目黒へと抜けて日本SF大会の打ち合わせなんかやってる会場で星雲賞の発表を見物。そうか上田早夕里さんの「華竜の宮」は及ばなかったか。でも日本SF大賞は取るでしょう。山本弘さんはようやく届いたか。ハヤカワSFコンテストの元常連にしてライトノベル界の重鎮だけれど届かなかったSF本流の総本山。ファンの気質も変わるなかでピタリをはまらず次点に終わることもあったけど、ようやく星回りが巡ってきた。このまま小川一水さんみたいに何度も授賞となるか。漫画のハガレンにメディアの第9地区に自由のはやぶさは鉄板。長谷敏司さんにはまたの機会を。いつか必ず。


【7月9日】 生存戦略黙示録。って合唱が流れ薔薇が回って胸から剣が生えるアニメかと思ったら、薔薇は回ってなかった代わりにペンギンがいっぱい浮かんでた。回ってたかは覚えてないけど、タイトルからして「輪るペンギンドラム」じゃなかった「輪るピングドラム」だからペンギンだって踊って回ったって不思議はないかも。でもってやっぱり幾原邦彦さんだけあって、平凡なシーンなんか作らず家には飾りがいっぱいで、兄と弟と妹の3人家族の日本家屋的風景が、キッチュでカラフルな雰囲気にすり変えられててなんだこりゃって引きつけられる。

 そして指さし案内図は使わないけど間にキャッチをまじえて妹が不治の病で余命幾ばくもないことを示しつつ、それでも明るい妹を引き連れ元気なうちに向かったあれは池袋サンシャインシティの水族館か。ペンギンと戯れペンギンの帽子を被って少し、目を離したうちに妹はぶっ倒れて死に至って悲嘆にくれていたところに復活して叫ぶ。「生存戦略」。なんだそりゃ。子供でも作るのか。遺伝子を引き継ぐのか。そもそもが目の色が変わった妹の中身が何なのかも分からないまま、現れた謎のペンギンと、時折女王様になる妹に囲まれ始まる兄弟の生活に、敵は現れるのかそれとも冒険が始まるのか。先の見えないオリジナル。楽しみだなあ。

 妹が感じが読めるということよりむしろ大文豪が笑顔でパンツ被ってるビジュアルで世間に衝撃を与えた「僕の妹は漢字が読める」のHJ文庫で、喧騒に紛れるように刊行された鳥居羊さんの「巨竜城塞のアイノ」(HJ文庫)もやっぱり異世界に飛ばされた少年と出合った姫がパンツをはいてなかったりと、妙にくすぐる設定があってそういう話かと耳目を引っ張ったけれど、ストーリーの方はそんなアオリとは裏腹に硬派でシリアス。戦国へのタイムスリップ話みたいなテイストでもって文明の凄さって奴を感じさせてくれる。謎の事故で乗っていたバスが破壊された少年が、目覚めると異世界で巨大な竜の上に城塞が乗って大地を闊歩。王族の権威を見せつけていた。

 そんな王族間にも争いがあって少年が来たところは脅かされていた。文明は中世程度で科学は今ひとつ。服飾も下着が発明されてらおず出会った王女からもアレがチラ見えては少年を戸惑わせている。そんな世界で少年はパンツを作り石鹸を作り、そして持てる科学の知識をぶち込みいろいろ作って弱小国に迫った危機を救おうとする。自衛隊のように装備をまるまる持っていった訳じゃないから、頼りになるのは少年の知識ぐらい。だから最新のテクノロジーって訳にはいかないけれど、少年が学び覚えていた近世のテクノロジーでも大金愛力を発揮する。何しろパンツをはいてない世界だから。そうやって技術で理不尽に勝利していく展開と、巨大な竜の城塞に寿命めいたものがあって世界の混乱に拍車がかかりそうだという想像、さらには現世で知り合いだった者が共に落ち、別に活躍しているっぽい話が示唆されて、これからの広がりに期待を持たせる。続くかな。続くと良いな。

 外に出たら炎天下でもって歩くだけで体が溶け出しそうな暑さの中を千葉へと出むいてフクダ電子アリーナでジェフユナイテッド市原・千葉対ロアッソ熊本の試合を観戦。早めに入ったらスタジアムの椅子が熱くて座ると背中が燃えそう。暑いんじゃなく本当に熱い。その熱をまとめてお湯を沸かしてタービン回せば発電だって出来そうな気もしたけれど、夏の一部にしか使えない施設を導入するのもかえって無駄。そこが自然エネルギーを四季のある日本で取り入れる難しいところか。四季の寒暖差をエネルギーに変えられる技術ってのはないものかねえ。ないわなあ。

 そして始まった試合はいきなり失点。前もフクアリで見た試合がそーだったなあ。そのときも引き分けだったから嫌な予感が頭を過ぎったら案の定、得点で追いついたものの追加点を奪えないまま時間が流れて結局引き分けに。オーロイ選手が突っ立ってボールを落としてもそれに絡む選手がおらずシュートが打てない問題が1つと、サイドをふかくエグってセンターにボールを入れる攻撃がまるで出来ていないという問題が1つ。せっかく中央に大きな選手がいて走り込む選手もいるのに、サイドをえぐらず遠目に放り込んでいるだけじゃあいつまでたっても点にはならない。できない訳じゃないんだろうけど、あんまりやらないのは何かなあ、走れないのかなあ。ともあれそれでも首位はキープできている模様。明日に栃木が勝てばおいつかれるか得失点差で抜かれるし、東京ヴェルディもじわじわと上がってきていてちょっと心配。爆発力が欲しいなあ。帰って来ないかなあ、巻誠一郎選手。

 一部に死去が報道された江沢民前国家主席の本当の死去が確定にならないうちに関東地方では梅雨があけてしまった模様。これで東北まで梅雨があけて日本全国が夏へと突入してもなお死去が発表されなかったらやっぱりちょっぴり拙かったってことになるのか、そともそれこそが中国共産党の恐ろしいまでの情報統制、死んだはずの人間を生きたと見せかけて世界を操ろうとしているなどと主張し続けたりするのか。匂いとしては後者くさいけど何を持って正しいかどうかを判断した場合の基準からみればやっぱり大きくズレてしまっていることは否めない。そしてメディアにとって正確性こそが生命線だとするならばやっぱちょっぴり難しい局面に至ったりすることになるんだろう。お膝元にいて針の筵の人が今のところやっぱり居心地敵には最悪か。自分に責任があるならそれでも覚悟しているか。責任の埒外だったら居たたまれないよなあ。悩ましい。


【7月8日】 ムッツリーニにときめいてしまった。半年くらいで2が始まる場合もあったりするテレビアニメーションの中で、随分と久しぶりになる「バカとテストと召還獣」のアニメーション第2期は、のっけから明久のおねえちゃんが巨大なふさふさと深い谷間でもって弟をたぶらかそうとしたけれど、そこは抑制の利いた明久によってとりあえず放置。一方で明久は雄二と連れだって、海でのナンパに出かけるもののカメラ扱いの巧いムッツリーニほどの取り柄はないため、誰にもひっからないまま夕暮れの海岸で、見かけた2人に声をかけたら1人は雄二の妻の翔子で、もうひとりが何と! ってことで秀吉以外にも見どころのあったりした第1話。やっぱり安定して面白いなあ。召還獣はどこ行った?

 マードックでもテッド・ターナーでも良いから、そんなくらいの人が誰かからこっそち耳打ちされた最重要情報があったとして、本当なのかと現場で確認したけれどもどうにもはっきりしないというか、どこか怪しいところもあるんだけれども、折角の情報なんだから、それを報じなさいとマードックなりテッド・ターナーが勅命を下したとして、マードックだったらウォール・ストリート・ジャーナル、ターナーならかつてのCNNが掲載したり報じたかというと、そこはやっぱり正確であることがセンセーショナルであることを上回り、というか正確であることが絶対であるべきメディアの態度として、確認がとれない情報をそれでもえいちゃっと載せたり報じたりすることは、絶対に有り得ないんじゃなかろーか。

 後にそれが事実だと判明したとしても、その時に未確認なら敢えてリスクを冒さない。もし事実でなかったときに被るダメージ、失う信頼が、いち早く掲載することによって得られる一瞬の名声よりも、より大きいということを自覚しているから。メディアがその地位を保っていられるのは、ひとつひとつ正確で意味のあるニュースを報じて、信頼を積み上げてきたからで、けれども一回でも信頼を損なえば、メディアとして生きていく場所は、そこに存在しなくなる。また積み上げようとしても、果たしてどれくらいの時間がかかるのか。それを考えれば、一瞬の栄光、あるいは刹那の歓心のために振る舞うことが、どれくらい危険で愚劣かが分かるだろう、普通なら。けれども世界は普通ばかりではない。永遠の安定よりも、刹那の喝采を願う者が集まる場所がある。そしてその場所は永遠の存在を許されない。どうなるか。答えは出る。遠からず。

 いつか白馬をかついだお姫さまが現れて、僕を馬といっしょに肩に担いでお城へと連れて行っては力一杯愛してくれると信じて半世紀近くを生きてきたのに、未だ叶わないのはどーしてなんだと吠えたところでお姫さまなんて現れないのがこの現実。それを思うとボイルドエッグズ新人賞を獲得した石岡琉衣さんの「白馬に乗られた王子様」(産業編集センター)でヒロインになっている美月さんは、夢に見て憧れてていた白馬に乗った王子様が、現世へとやって来るんだからもう羨ましいかというかというとちょっと微妙。 なぜって夢に見て美月を楽しませていた白馬に乗った王子様が、夢の中では白馬に乗られるへたれ野郎だったから。彼の正体がただのキャストで美月を夢で喜ばせる役目を果たしていただけ。憧れることなんて出来はしないし、これまでの憧れまでもが吹き飛ばされた。

 そこに追い打ちをかけるように、王子と白馬は美月に告げる。「あなたは一生、恋をできない」と。王子様に憧れ続ける夢に溺れて、本物の恋の花の種すら尽きたからというのがその理由。ただ面白かったという理由で、美月を大人になるまで王子様ワールドに溺れさせた王子と白馬は、神様から責任をとらされる形になって、それでも救われるために美月に最後の期待をかけて、彼女が実は種を枯らしておらず、まだ芽吹かせてないだけだと信じて、自分で恋が出来るよう、現世にやって来て手伝いをすることになる。というのが石岡琉衣さんの「『白馬に乗られた王子様」の導入部。お見合いパーティーに行き仕事先に現れた野球選手と飲みに行き、IT長者とも近づくけれども誰もが王子様に見えて、実は王子どころか人としても至っていないことが見えてきた。

 現世に白馬の王子様なんてどこにもいない。美月は現実の男に幻滅するばかり。恋は出来ず王子と白馬は夢の中の世界から追い出され、あまつされもっと過酷な運命に陥ることになりそう。そりゃあ自業自得だとはいえ、やっぱり浮かぶ可哀想といった気持ち。どうにかしたいと願い悩んだ果て、例え自分たちの命脈を伸ばそうという意識があったとしても、それでも美月が恋を得られるようにと懸命になる面々の姿に美月の心がぴくりと動く。青い鳥が実は身近にあったように、白馬の王子も夢の彼方ではなく案外に近い所にいて、気持ちが向くのを待っているのかもしれない。恋なき少女は恋を探して辺りを見渡せ。きっと出会いが得られるから。でもって男はどうすりゃ良いんだろ。あきらめるしかないよなあ。白馬をかついだお姫さま。

 着た服自体にパワーがあって人間の力を増幅してくれるのが広沢サカキさんの「アイドライジング」(電撃文庫)だとしたら、着た服によって内面が刺激され内にある力が解放されるのが藤原健市さんの「彼女も僕もコスを愛しすぎてこまる」(ファミ通文庫)って感じか。第2巻となった「アイドライジング」は最初はアイドル採用が決まっていながら長身のモモの乱入ではじき出されたオリンが、虎視眈々と上を狙っては横滑りするキャラでそれなりな人気を保っていたところに敵が現れ完全敗北。そしてその敵は双子の特徴を活かしてタッグでの戦いを申し込んできて、オリンとモモが相手に決まったんだけれど仲の悪い2人ではなかなかタッグの試合がうまくいかない。さてどうなる?

 ってところで発動する友情パワーが目にばぶしい「アイドライジング2」に対して、「彼女も僕もコスを愛しすぎてこまる」はコ、スプレすると力がわき出る一族の少女が、完璧なコスプレ衣装を作る少年のハンドメイドをまとい、同じ一族から別れて衣装の力を悪用しようと企む一味と戦うファッションバトルストーリー。コスプレ作りが巧い少年の空気を読まない真っ直ぐすぎる性格が、ちょっぴりウザい印象があるにはあるけれど、それでも頑張る少女のために作る衣装が放つ威力たるや。コスチュームには魂が宿るって本当だったんだ。


【7月7日】 雨ざあざあ降ってはいけない日。湿度も高くて降り出しそうな雰囲気ながらも、維持されている天候を仰ぎ見ながら、電車を乗り継ぎ東京ビッグサイトへと出むいて東京国際ブックフェアを見物する。今年から電子書籍関連がエキスポとなって独立したけれども、会場はブックフェアと同じでちょい増えたブースを大きめに固めたってのが実態。とはいえ全体の半分近くに及ぶ一方で、国内から大手の版元が出て来なくなり、また海外からの出店もなくなって、国際的な書籍の見本市って雰囲気がぐっと後退したって印象。だから大使館勢ぞろいのテープカットも、昔は50人とかいってた人数が38人まで減ったのか。日本の地盤沈下ってのは、こーゆーところにも現れているのかもしれない。

 今年からって意味ではライセンス企業を集めたライセンシング・ジャパンなんてイベントもスタート。いつも秋に別の会社がライセンシング・アジアってのを開いていて、国内外のプロパティを集めて見せていたけれども、東京コンテンツマーケットといっしょになった一方で、企業の出展が減ってしまって見劣りがしはじめたのを横目に、ここいらへんで内でかっぱごうと、イベント運営のリード・エグゼビジョンが立ち上げたのかどーなのか。事情はともかく新しいキャラクターとかプロパティを持っている企業が出展。とりあえず目に付いたのはスタジオフェイクで、ご存じ「セバタン」と展開している企業。ギフトショーなんかに出たり、ライセンシング・アジアにも出たりしていたけれども、今回は海外展開が決まったって報をまじえつつ、大きなセバタンを持ち込んで愛想を振りまいていた。大きいと可愛いなあ、セバタン。

 スタジオフェイクではそんなセバタンとともに、アイスリンク仙台ってスケート場が先の東日本大震災で受けた被害からの復興を支援するため、シンボルキャラクター「アイリン」のグッズを発売するって発表。アイスリンクだからアイリンってことらしーけれども、大阪方面だと別の意味とか浮かんできちゃうとかしちゃったり。知らないけど。被害の大きさを思えば、グッズが目茶売れてどうにかなるってレベルでは多分ないんだろーけれど、こーやって誰かが動くことで今いったいどーなってるかが世間に喧伝され、何とかしなきゃって気持ちが浮かび上がることが、まずは重要。ただでさえ全国的にアイスリンクの運営が滞って、今では中部くらいしか通年のアイススケート場がなくなっている中で、東北で唯一の24時間通年利用可能なアイススケート場の沈黙は、日本のスケート関連競技のためにも宜しくない。7月24日に営業再開が成ったそーだけれども、そこにこのアイリンを乗せてより広く現場が知られていくことで、次なる荒川静香選手の登場にもつながっていけば善哉善哉。

 そんなスタジオフェイクのそばのブースでは、アニソン紅白のスポンサーでおなじみのキングランが、韓国から連れてきていた「CELTA」ってキャラクターを展開。いわゆる美少女のイラストなんだけれども、水森亜土さん系っていうかオタク系とはまるで違ったギャル系美少女たちで、K−POPとかのアイドルがよりゴージャスになった風体でもって様々なものに描かれて、持つ人をゴージャスな気分にしてくれそー。面白いのがだいたいが手描きだってことらしく、何人かの絵師が手で描いたその上からラメとかストーンを散らし、コーティングとかしてとれないようにした財布とかケースとかが並んでた。Tシャツもあったかな。ハンドメイドだから普通よりは高いけれども、1万とかはせず、ゴージャスさの理由を理解すればなるほど適正って思える値段。自分だけのものだという感覚でもって、持つ人とか出てきそう。これからに注目。

 歩いていたら手塚プロダクションがあって、去年と同様に豆本の手塚治虫全集を並べてたんで今年は「リボンの騎士」を購入、なかよし版の方で講談社から出ていた手塚治虫全集では全3巻になっているものが、そのままの装丁で小さくなっていた。読もうと思えばちゃんと読めるし、手塚さんの絵柄も楽しめるんだけど、やっぱり大きい方がサファイアは可愛いかなあ。でもまあ縁起物だから。そこでいっしょに貰った小冊子が「ブラックジャック創作秘話」の抜粋になっていて、あの手塚治虫さんが現役時代にどんなだったかが、編集者とかアシスタントへの取材を通して漫画として描かれている。それがとにかく凄い。凄すぎるくらいに凄い。

 モダンな知識人に見えた手塚さんが、でぷっとしたおっさんに描かれている絵柄のせいもあるけれど、自分があんまり気に入らなかった「ブラック・ジャック」の原稿を、まるまる描き直したいといって編集者を嘆かせ、彼に憤りから壁に穴まで空けさせながら、自分はエアコンの効かない夜の部屋で、ランニングシャツになり頭にベレー帽なんて載せず、手ぬぐいを巻き、汗だくになりながら眼鏡も外して原稿用紙に顔を近付け、刻みつけるように原稿を描いていたといった、エピソードが綴られる。ちょうど発売になった単行本には、他のエピソードも入ってて、「ブラック・ジャック」のアイディアを聞かされた編集者が、早く仕事にかかって欲しいから適当に答えていたら、自分は真剣なんだから君も真剣になれと怒ったって話も入ってた。

 大ベテランなんだから描きたいものを描けば良いのに、出入りの新米編集者を小馬鹿にせず、一緒になって考えるパートナーと見なすその真摯さが、あったからこそいつも新鮮で時代にマッチした作品が描けたんだろー。海外へと仕事を持っていってしまい、時間がなくなって海外から原稿の下準備をさせる際に、手元にはいっさいの資料をおかず、どこにあるどんなイメージをどう並べるかを国際電話で支持して、日本にいるアシスタントたちに準備させたというエピソードは、描いたものなら完璧に覚えているという現れ。つまりはどの原稿も全霊から出た真剣さから生まれたものだってことを示してる。

 さらには、戻る飛行機の中でも、手にインク壺を持って描いていたという永井豪さんの証言に驚嘆。隣で手塚さんに原稿を描かれた同乗者は、どんな思いだったんだろう。神様が描いているって興奮した? 当時は手塚さんの名刺があれば、飛行機会社が便を世話してくれたとか。それほどまでのスター性で漫画の神様と呼ばれた手塚さん。それは作品そのものの凄さでそう呼ばれたんだろうけれど、そうなるためには凄まじいまでの努力をし、集中力を乗せ、体力を注いでいたってことが伺える。そりゃあ早くに亡くなる訳だよなあ。そんな「ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜」(秋田書店)を読んで知ろう、漫画の世界を、神様の正体を。

 子供がアニメではないリアルなドラマの女性に接するといったら、今では戦隊ヒーローとかの女性メンバーなり、敵の女幹部といったあたりが中心。そこで戦うおねえさに憧れたり、ちょっぴり悪そうなおねえさんに魅力を感じながら女性について学んでいくんだけれど、そいういう流れを自分にあてはめた場合、リアルな女性にテレビで触れた最初はやっぱり「ウルトラマン」のフジ隊員なり、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員といった、特撮番組のヒロインたちが真っ先に挙がる。「仮面ライダー」にも女性が出ていたけれどもあんまり印象には残らず。その後になるとアニメになるからリアルではやっぱりこの2人が突き抜けて記憶に染みついているってことになる。

 つまるところ僕の感情を大きく左右している女性像の根源には、桜井浩子さんがいてひし美ゆり子さんがいるってことで、そんな文字通りのミューズとも言える人のひとりが、目の前に現れるってんで出かけていって待つことしばらく。現れた人はなるほど今の時代相応になっていたけれど、著書の表紙とかに使われた写真なんかは、底抜けの映画にぱっちりした目が見るからにミューズで、そんな表情に触れた自分が子供心に惹かれた理由もよくわかる。

 「ヒロコ ウルトラの女神誕生物語」(小学館)って桜井浩子さんが綴った自伝を読めば、今の40代から50代は女神の往年の可愛らしさに触れられて、狂喜乱舞しそう。でもって書かれた内容に、桜井浩子さんがとてつもない生い立ちを持ち、そして幸運なデビューを遂げたあとも、苦労しながら「ウルトラ」と巡り会い、今に至ったかが分かって驚嘆しそー。苦労したんだなあ。桜井さんが東宝で専属として活動していた昭和30年代の映画って場所の雰囲気も伺える貴重な自伝。しかし桜井さんがモデルとして登場していた「なかよし」で連載されてた写真と小説のコラボで小説を書いていたのが、三谷晴美さんこと今の瀬戸内寂聴さんだったとは。人に歴史あり。面白いなあ。


【7月6日】 気が付くとなでしこジャパンがイングランド相手に敗戦していて、失点したシーンを見たらやっぱり最終ラインとゴールキーパーとの連携が、どことなくぎこちないって初戦から言われていたことが、出てしまった模様でたてにポンから抜かれ前がかりだったキーパーの頭上を抜かれてしまった。あれが身長187センチの山根絵里奈選手だったらって思うけれども、瞬時の反応とかゴールキーパーに必須の要素は多々あるから、大きければ良いとは一概に言えず、そこがまだ至っていないのか山根選手は代表にはまだ選ばれてない。早く成長して欲しいけど、それには活動しているチームに行く必要があるからなあ、ってことでおいでよジェフ千葉レディースに。

 長く代表キーパーだった山郷のぞみ選手やその前の小野寺志穂選手だったら、って記憶を探ると、ジャンプ力とかでかき出した可能性もないでもないけど、それよりもむしろポジション取りであり連携であって、そこがぎゅっと締まれば余計な失点はせず、しっかりと守って相手を焦らせ取りに来たところをかわして速攻、とかいけば勝てないまでも引き分けられたかもしれない。まあでも次にドイツとやれるんだからこれはこれで僥倖。フランスと対戦して引き分けが挙げ句にPKで敗戦となって、強いところとどこも当たれず引き上げるよりは、強いところと戦って今のレベルを確かめる方がよっぽど良い。

 そもそもが女子代表にとって本番は来年のロンドン五輪。それにむけた予選も近い中で、2チームしか生き残れない過酷な試合を勝ち抜くための根性と技術と連携を、ここで養っていってもらえれば有り難い。次はだから目一杯、フルブーストで戦って散ってください、って散られちゃ拙いか、本当は勝って欲しいけど、うーん。前半で勝負がつきそうだったら後半はやっぱり岩渕真奈選手がドイツの守備あいてにどこまでできるか、あるいはできないかってのを見極めるとか丸山佳里菜選手と鮫島綾選手が見た目だけじゃない凄さで世間の耳目を集めるとか、してくれれば夏以降の女子サッカーに弾みもつくけど。その辺にも関心を及ぼしつつ見守ろう、ってまたBSなのか、地上波でやってよNHK。

 「ピグマリオ」を割と追いかけてはいたものの、どっちかといえば「ブルーソネット」の柴田昌弘さんや「パタリロ!」の魔夜峰央さんの方を一所懸命読んでいて、「超少女アスカ」や「スケバン刑事」といった後に代表作と呼ばれる作品はあんまり追いかけていなかった和田慎二さんだけれど、熊みたいな風体でもって可愛い絵柄を書く人だって印象はあってそんな人が女性作家の多い少女漫画の世界で、活躍している状況ってのの面白さは感じて、何とはなしに関心を及ぼしてはいただけに、亡くなったという報にはやっぱりちょっとくるものがあった。決して若くはないけれど、だからといって歳でもない還暦前後のその年齢を、そういえば手塚治虫さんは大きくは超えられず石ノ森章太郎さんも遙かに超えてはいけなかった。創作の過酷な毎日はやっぱりクリエーターを消耗させるのかなあ。文字通りに体を削って描いた作品。今からでも遅くないから読み返そう。

 しかしあの頃の、1980年代の「花とゆめ」って思い返すと面白い雑誌だったかもなあ、「ガラスの仮面」の美内すずえさんは別格として和田慎二さんに柴田昌弘さんに魔夜峰央さんという男性の作家が割と看板に近いところで漫画を描いていた。少女漫画も昔は手塚さんをはじめ楳図かずおさん石森章太郎さん松本零士さん赤塚不二夫さんといった人たちが少年誌でも描く一方で少女漫画誌でも描いてた。それがやっぱり萩尾望都さん大島弓子さん竹宮恵子さん水野英子さん山岸涼子さん里中満智子さんといった女性の漫画家が少女漫画誌に描くようになって、そちらがメインとなってひとつの状況を形作っていった中で、柴田さん和田さん魔夜さんは初期の系譜を受け継ぐ存在として、男性でありながらも少女漫画誌を活躍の舞台に選んでいたようなところがあった。

 望月あきらさん弓月ひかるさんといった面々が少年誌へと出ていった後でもあったけれど、それでも残っていた系譜はやがて廃れていって、今の段階で少女漫画誌で男性作家ってどれくらいの人がいて、看板を背負っていたりするんだろうか。実はあんまり聞いたことがない。逆に少年漫画の世界では、女性の漫画家が看板を背負い大ヒットをとばすおとが頻繁に起こってきたりしている。その差はどこにあるんだろう。その状況はどうして生まれてきたんだろう。読み手の問題か描き手の意識か。うーん。分からないけれどもそうした中でひとり、魔夜峰央さんだけが今も白泉社を舞台に少女漫画誌で活躍しているのはちょっと凄いことなおんかも。最近ちょっとご無沙汰だけれど、読んでみるかなあ「パタリロ!」とか。

 問題はだから「天にひびき」の波多野深香と、「神様ドォルズ」の史場日々乃とでは同じやまむらはじめ作品のヒロインとして、どちらが大きいのかということなのだけれど、触って計る訳にもいかないし揉んで確かめることも不可能。ここはやはり作者のやまむらはじめさんにどちらがどれくらいの分量なのかを明らかにしていただかないことには、夢の中に大きいのが2つ×2人分、ちらついて眠れなくなってしまいそう。いやそれが夢の中に出てきたんならこんなに嬉しいことはないんだけれど。ってんで始まったアニメーション版「神様ドォルズ」は田舎の村で神様使ってた一族の跡取りっぽかった少年が外れて東京に来たら因縁のあった危ない奴がやってきて、それを追って今は跡取りの妹が神様連れてやってきたという展開。シリアスなバトルとかあるんだけれど表情とか展開が妙にかわいくシリアスさが緩和されるところがやまむらはじめ流。それを緩急のある展開でまとめあげているシリーズ構成の妙と、どこまでも高品質な画面があってアニメとしての出来を良いものにしている。これは見よう。でもどこまでやるんだろう。単行本の半分くらいか。


【7月5日】 来ちゃったってお茶目な婆さん。だけどやっぱり寂しいのかなあ、自分への関心が途切れてしまうってことは。「夏目友人帳・参」で最初に登場しては、道ばたで杖を落として困っていたところを通りかかった夏目に助けられた、そのお返しに呪いをかけつつ家まで押し掛けニャンコ先生を苛立たせる。でもとくに悪さをする訳でもなく連れだって蝶の舞う草原へ。そこは多分人間は入り込めないだろうところなんだけれど、大昔に夏目レイコは入り込んでは婆さんと会話し、人間かと思ったら妖だって分かってガッカリする。なんでガッカリするかなあ。そもそもそんなところで出会うならすぐに分かりそうなものなのに。それだけレイコも寂しかったってことなんだろう。

 そんな婆さんと夏目との邂逅があった一方で、茶碗に足が生えた妖怪があっちこっちを走り回ってそして別に夏目をおいかける狂暴な妖怪もいたりして、くんずほぐれつの中で夏目は噛まれながらも命拾い。そして帰ると割れた茶碗が。別に夏目がいいことした訳でもないのに、ちゃんと身代わりになってくれた茶碗に黙祷。そんな感じに始まった第3期は純も相変わらずにぞんざいな口調でもって夏目に接し、ニャンコ先生も豚猫のときには豚猫の如く、斑のときには斑のような口調でちゃんと喋る。沢城みゆきさんも井上和彦さんもさすが。夏目の神谷浩史さんは2期の時よりややコミカルさが強まった? 間にいろいろ役を増やしていたから引っ張られた? たぶんこっちの耳が絶望先生色に染まってしまっているんだろう。聞き込めば慣れて夏目に聞こえてくると信じて見続けよう。んで柊はいつ出るの?

私はお金で動く。ゲイパレードにだって行く  あの揺れの中で思ったのは決して新しくないビルの3階で、果たしてダンボーが無事を保っていたかってことだったけれども幸いにして勇気ある人がダンボーを抑えていてくれたみたいで、倒れず壊れないまま揺れを乗り切ったものの世間では交通が滞り、混乱も続く中で再開へとはいたらず、そのまま中断となってしまった「よつばと10年1日展」が、あれから4カ月をおいて同じ渋谷のギャラリー・ルデコにて再開。無事を祝いつつ新しくなった展示もあるということで、見学にいってまずは3階へとかけあがり、ダンボーが無事に屹立している姿を見てよく頑張ったと島崎一歩みたいに心の中で声をかける。

 前とは位置も違って拾い場所によつばと一緒に置かれてて、これなら大勢が集まってきて写真を撮ろうと並ぶ混雑も少しは緩和されそう。とはいえ人気のイベントで、なおかつ中止になった残念さも加わって、相当な人手となりそうな予感。その熱気に果たしてダンボーは耐えられるのか。中に入っているけど入っていないみうらちゃんは大丈夫か。ちなみに3階が広くなったのはそこにあったショップが1階に降りたからで、グッズ待ちの混在もそっちに移る分、見学もしやすくなるってことなのかな。グッズも前より見やすくなって中身も充実。Tシャツが増えててよつばが何かやってる絵柄と、写真撮るなのマークをプリントした絵柄のものが並んで好きずきに選べるからちょっと嬉しい。

 図録については前に作ったものがそのまま販売。何せ3日間だけの開催だったから一杯作っても残ってしまっていただろう。ここで一気に放出できればファンもうれしい、よつばスタジオも嬉しいってことで。4種類とあと絵本みたいなのがあって、それぞれに中身が違っているから要注意。とりあえずイラストレーションを収めたものが風香の水着とか載っててとっても嬉しいかも。そんな風香ってモデルがいて平田裕香さんって人で「戦国乙女」で伊達マサムネ先生を演じてて「ヒデさん」という声を出したり次回予告で生身で出てスーツ姿を見せてくれてた人なのか。なるほど風香に……もう似てないか、昔はそれでも似てたのかな、今でもボディはそっくりなのかな。ともあれ復活を喜ぶ「よつばと10年1日展」は15日まで。行くっきゃないない。

 煉獄で戦いに明け暮れていた奴らに知恵がつき、戦いの意味を求めてさまようなかで少女を旗印に脱出の道を求めた奴らのあがきが描かれていた1巻から2巻のラストあたりで、そこがEGGなるコンピューターの世界ではないかといった設定がのぞいてきた五代ゆうさんの「アバタール・チューナー」シリーズは、第3巻の辺土でもってそんなEGGがどう作られ、どう運営されていたか描かれたけれどもこっちの世界も煉獄に負けず劣らずせっぱ詰まっている様子。太陽の光を受けると体が結晶化してしまう病気が大流行して人類は闇の中で生きるしかなくなり、経済も大きく停滞していたけれどもそんな中にあって、天使のような存在を得た人々が打開の道を探って実験を繰り返していたという、そんな展開。

 そこに招かれたテレパスと、読んだ青年はそのまま煉獄での主要な2人と重なり、さらに煉獄でメンバーだった女性に少年まで現れた展開が、そうした関係性をキャッチして仮想世界に投影していいた少女の存在を浮かび上がらせる。そして彼女をめぐって起こった争いの果てに世界は大きな壁にぶちあたったんだけれど、その向こう側にはいったいなにがあるのか、リアルな滅亡なのかそれともレイヤーをさらに1枚、上がったところにある楽園なのか。だいたいがそんなリアルに見える世界からして物理の法則がねじまがり、超常的な力もふるわれているから、案外にひとつのレイヤーにすぎず、さらにいうならこれもまた大きなコンピューターの中の出来事だったりするのかも。そもそもが人類が生きているこの世界だって次元を超えた目で見ればただの現象に過ぎないと、「百億の昼と千億の夜」の中で書かれてた。そんな連続して重なる次元の果てを求める物語へと、向かえばとてつもなく深いSF作品として世に問われることになるのかも。期して待とう、続きの刊行を。

 自殺が増えたのはタレントの死をメディアがガイドラインを超えてかき立てて騒いだからだという意見を陳述したはずなのに、それがタレントの自殺がほかの自殺を呼び込んだといった感じに報道によってねじ曲げられてしまって困っていたりする、その上にそうやって自殺の原因をタレントの自殺に押しつけるなんて政権は何て卑怯なんだといった非難まで始めるメディアもあたりして、発表した内閣参与の人の頭はもうなにがなんだかわからないよ状態なんじゃなかろーか。メディアに気を付けてといったのにそれをメディアがまるまるねぐった上に責任まで押しつけてくるんだから何をかいわんや。まさに正体見たりって感じだけれどそういうメディアだからこそ、ガイドラインを超えてセンセーショナルに報じて恥じない訳だったりして、言っても聞かない相手に言っても虚しいだけってことを、知ってしまって果たして萎えないか。萎えずにひとつひとつ言説を糺して行こうとする姿勢が見えるし、そうした姿勢をすくうメディアもネットを中心に増えている。真実はそこにある、ってことをこれでさらに浮かび上がらせ、シフトへと導くことがやっぱり最良なんだろう。そして旧態依然としたメディアは滅びるばかり、と。いやそれはそれで拙いんだけれど。うーん。


【7月4日】 なのなのなのなのはかせはかせはかせはかせなのなのなのなのはかせはかせはかせはかせ。そんなやりとりも脇においてなのちゃんは学校に行けると大喜びしているんだけれど背中にくっついたネジだかゼンマイが果たして世間にどう受け入れられるのかちょっと心配。けれども何しろあのクラスでありあの学校。モヒカンにしか見えない頭の少年もいれば弥勒菩薩をめでる少女もいたしするなかで、背中のネジくらい全然気にならないっていうか気にしてたら生きていけないかもしれない。

 だいたいが昼に買ってきたのが焼きそばではなく焼きサバだったからといって大喧嘩をおっぱじめるクラスメートがいるくらい。お互いに相手をののしり悪口雑言をぶつけあったはてにあっさり仲直りしてみせるそのカラッとしたクラスの風にまみれれば、背中のネジだって誰にも見えないか見えてもただの飾りだと思われるのがオチ。部活にいたっては囲碁サッカー部なる謎の部活があったりして、いったい何をやるのかと思ったら当初は部長の趣味でしかなかったのが、実は本当に囲碁サッカーなる競技があったらしく、中学でそれに邁進していた生徒が入部を希望して来たというからもうしっちゃかめっちゃか。

 そんな学校にあってロボットだからといってどうして差別なんかされるだろう。と言うわけでなのは元気に学校に通っているのでありました。新しくなったオープニングでは3人組にプラスなので4人になってダンスを踊ってるくらいだから、きっとそのままレギュラーメンバーとなっていくんだろう。そうなるとちょっとはかせが可哀想。だったらやっぱり学校に先生として赴任して教室で生徒を私は天才だと言って見下す……ってそれは「ぱにぽに」か。悩ましい。エンディングも新しくなって「翼をください」になっていたけど歌っているのは前と同じ佐咲沙花さん。しんみりとして心現れるこの歌が、秋のライブでは大トリを飾るのかな、みんなで手を振りながら合唱するのかな、ちょっと期待。

 いちおう見ている「青の祓魔師」ではスポーツマンではない山田の正体が明らかに。って今までずっとそのフードの下の顔を確認してこなかったのか。一緒に誰もお風呂に入らなかったのか。入ったらそりゃあばれるよな、あのデカさでは。ってことで霧隠シュラって名前らしいエクソシストと判明し、なおかつフーデッドパーカーを脱ぎ捨て小さい三角形では覆いきれない胸元もさらして仲間に加わりいろいろ楽しませてくれそうだけれど、巨大さだったら杜山しえみも負けてないどころか上回っていたりするから主人公たち選り取りみどり。唯一、神木出雲だけが薄くて平たくてぺったんだったりするのが可哀想に思えてきたけど、人間いつから成長するか分からない、ってことでいつか大きくなる日を思いつつ、今は目の前のシュラとしえみに注視注目。

 父親があの深作欣二監督だからといってヤクザ映画が大好きという訳では全然なかった深作健太さん。5歳の時に連れて行かれた映画の現場が「宇宙からのメッセージ」で、そんでもって特撮は今ひとつだったけれども殺陣ではダース・ベイダーとオビ・ワン・ケノービが蛍光灯を振り回しているだけの「スター・ウォーズ」なんかより、十兵衛と烏丸少将を後に演じる千葉真一さんと成田三樹夫さんが見せた殺陣の方が、圧倒的に凄かったと感じたとう感性は、アニメ世代特撮世代という時代の洗礼も浴びながら育まれ、いくつかの実写作品を経てこのほどマーベルコミックが原作となったアニメ「ブレイド」の上で結実した、ってことらしいけど実は1話を試写で見ただけなんで、どんな感じに続いているのかちょっと不明。ブレイドはともかくマコトって日本オリジナルの美少女ヴァンパイアハンターがなかなかのグラマラスで衣装の露出も多いんで、見たいんだけれど見られないのだ我が家では。DVD買うべきかなあ。

 花魁道中ってのの歩き方を知っているかと言われれば、そういや何か吉原がテーマになった映画で、ゲタを傾け外に歯をひらいてからずるりと前に動かして立てるのを、左右交互に繰り返して前に進んでいくのを見た記憶があるけれど、それを実際にやってみせろと言われた時に、できるかどうかは結構微妙。だから潮見知佳さんって人の「ゆかりズム」(白泉社)って漫画に出てきた主人公が、どーやら前世らしい花魁の中に入っては、折しも道中にあった花魁の体を倒さずにしっかり歩いてみせよーとしたのはなかななに、凄いことなのかもしれない。

 まあ普段から江戸時代のことを小説に書いては、若い身空で先生と呼ばれている主人公。それがふとした弾みで過去へと飛ばされ、死ぬ前の前世の体に入ってなるほどそれもこれも前世の記憶のなせる技だと、気付いたもののだったらどうして自分は死んでしまったのか。それも普通の死に方ではなかったっぽいのか。現世に戻っては過去へと富んでみせるうちに、主人公が花魁となったときに周辺に現れる人物に不審な姿が見え始める。さらに現世に戻っては、下働きをしていた花魁の卵が転生しては現れたりもして、深まる謎にいよいよ迫るだろう第2巻ではどんな活躍を見せてくれるのか。客を相手にした時でも、着物の裾をまくってあぐらを組むくらいの破天荒さで過去にただ潰されるのではない行動力を、見せて歴史を変えてくれると楽しいかも。それで歴史が変わって現世でも、花魁やってたりしたら何か愉快。うん愉快。

 者の言い方は野卑で上から目線かもしれないけれど、叱咤してことが迅速に運ぶなったら別にそれほど悪いことではないのかもしれない。とはえいオフレコだといったその後で、書いたところはおしまいだといってしまったことは拙かった。だって明らかに脅しだから。どうおしまいにんるかってのはともかく、権力を持つものが報道に抑制を加えようとすることは、裏での依頼ベースはともかく表の建前ベースではあってはいけない。だからみんあ気を付けその場をやんわりと収め、あるいは裏から手を回して書かれないようにするところを、表で堂々と書いたら潰す的なことを言ってしまったからたまらない。これ1つでアメリカだったら辞任も必死なんだろうけど、飼い慣らされたメディアの多々ある日本ではそうした“弾圧”よりもやっぱり野卑な言動の方ばかりが問題にされ、言い過ぎだったって謝って事を収めてしまうことになりそう。

 そうやってオフレコの容認、そしてオフレコ破りへのプレッシャーが既成事実化していくという。なおかつそのプロセスが衆人の目にさらされてしまっているという。メディアも弱るはずだよなあ。もっともそんな事件すら目くらましのでっち上げだと騒ぐ人もいたりするから、この国の揺れっぷりは行き着くところまで行っているのかも。拉致容疑者親族の所属していた団体から派生した団体とやらに、菅首相とか鳩山前首相の政治団体が献金してたって書いている新聞が1紙。もう見事に1紙。なぜ? だって話が無理筋過ぎるから。拉致容疑者親族っていうのはハイジャック犯と拉致容疑者らしい女性との息子で、随分と前に日本に帰ってきて普通に社会人をやっている。選挙にも出たのかな。そんな人物は、なるほど拉致容疑者親族ではあるけれど、彼自身は1人の個人であって、拉致に関わった訳でもなければ犯罪に手を染めた訳でもない。

 にも関わらず、その人物が所属していた団体、ですらなく関連団体への献金を悪し様に言うということはつまり、犯罪を犯した者を親族に持つ者は、たとえ潔白であっても同類と見なされ糾弾されるべきだと、天下の公器を標榜する新聞が堂々と主張しているってこと。そんなの良いのか。あり得るのか。良くないし、有り得ないからこそ他のどこも追随しない。追随できるはずがない。献金の額とか方法で問題だと追求できるか、あるいは倫理的によっとよろしくないと訴えるならまだしも、拉致容疑者の親族=犯罪者だといったミスリードを誘ってまで、大展開しているからどうにもこうにも居たたまれない。倫理面でいかがなものかと諭すような記事だったら、まだ納得も出来たんだけれど、論理の組み立てが無茶過ぎるから、得られる印象も宜しくない。そう思った人もきっと少なからずいるだろう情勢が、いずれ結果となって返ってくることになるんだろう。そして果ては……。たまらんなあ。


【7月3日】 誕生日も近いんで幕張まで運転免許に切り替えに行く。5年ぶり。住民票はいらなかったんだな。午前8時半からの受付で15分くらい前にいったらなかなかな人で、申請用紙をもらうまでに20分とかでそこから証紙を買って並んで適性検査を終えるまでに30分とかかかって、写真を撮ったらだいたい9時25分。そこから待って講習を受けて後部座席もシートベルトが必要になっていたことを知って、僕が乗ってた1975年式のケンメリのスカイライン2000GTは確か後部座席にシートベルトってなかったんじゃないかとか思いつつ、そいういう旧車はどーなるんだろうと考えつつも講習を終えて免許証交付。ICチップが入って分厚くなってて写真もプリントで色合いが微妙。昔は有り難みもあったけれどもこれも時代と言う奴か。次に更新の時には髪、ちゃんと残っているかなあ。

 せっかくだからと吉祥寺まで出かけて有名な漫画家さんとかイラストレーターが寄せたオリジナルのTシャツを販売している「30T」の会場をのぞく。午前1時くらいに行ったら何と昨日だかに1分で瞬殺となった江口寿史さんのTシャツが到着するってことで、これは待つしかないと会場の中をあれやこれや見つついろいろ買いつつ待機。BLUEBERRY CHEESECAKEって超エロ格好いいイラストをはりつけたTシャツがあって、サイズのあったエロいのを買ってそれから安斉マリアさんって人の女性が描かれたTシャツを買って、さらに立花満さんってイラストレーターの人が細い線で手羽先らしーものを胸のポケットに描いたTシャツを購入。デザイン系でオシャレ系ばかりそろったのは漫画っぽいのは秋葉原とかで買えるってこともあったからなのかな。

 あるいは漫画家の人が出していたのが、あんまり漫画っぽくなかったからってこともあるのかな。漫画っぽさでは1番だった上條淳士さんのは売り切れで買えなかったし。ってことで江口寿寿さんのがどんな風になるか期待して待っていたら、午後の2時になって先にTシャツだけが登場。前といっしょの冷蔵庫めいた中にアシカかアザラシが寝ているってデザインで、それが昨日は黒い線で描かれていたものが今日は白。ピンク字だとうっすらと見える程度でなかなかにおしゃれで、買うならこいつだと決めてからが長かった。ご当人がタグを付けて売りたいってことで待っていたけどなかなか来ず。10分が経ち20分が経ち30分が経って40分近くになってようやくスタジオからかけつけた江口さんが横でタグを管理する中で、どうにか目的のTシャツを手にして喜び勇んで後にする。待った甲斐もあったってものだ。

 待ってる間にいしかわじゅんさんのも来たけれど、あのいしかわじゅんさんらしいキャラクターではなくって可愛い猫の絵柄で、これはこれで悪くないけどいしかわじゅんさんっぽさとはややズレていたんで見送り。猫なら前に勝った北道正幸さんのがなかなかに可愛いし。さべあのまさんのは着心地の良さそうな地のシャツに少女が描かれたファンシーな作品で、欲しかったけれどもサンプルしかなく手を出せず。いずれまたどこかの機会で手に入れよう。大地丙太郎さんのはNHKエンタープライズの証紙が貼ってあったから一応キャラ物ってことか。おじゃる丸とか十兵衛ちゃんとかはさすがに使えないか。田村信さんはチュドーンがアルファベットになっててオシャレ。でもこれだと着ていて田村さんのだと分からないよなあ。そこんところが難しい。ともあれ希有な企画。また違う作家陣でやってくれると嬉しいかも。

 候補にするかどうかを判断するため六塚光さんの「ブラッド・スパート」(幻狼ファンタジアノベルズ)シリーズを1巻2巻と一気読み。前に角川スニーカー文庫で刊行していた「レンズと悪魔」は、目にレンズをはめると塵となって惑星に偏在している悪魔が召還されて人間にとっての武器となる、という設定の物語だったけれど、こちらはは19世紀末から20世紀初頭の英国とフランスあたりをモデルにした世界を舞台に、麻薬に似た煙草を吸って吐いた煙を様々な形に実体化させる力を持った人々が戦うという話。主人公のトロイは保険会社の調査員として働いていて、少し前に巨額の保険金がかけられた男が首なし死体となって発見された事件の調査を依頼される。本当に本人なのかそれとも替え玉か。調べるうちに死体の主の周辺に強烈な作用を持った煙草を使う奴らの陰が見え始める。

 しがない保険の調査員に見えるトロイが実は先の戦争の英雄で、禁断の赤い煙草を吸って巨大な魔神を出してきた敵を相手にひかず、3つの幻影を同時に操る才能を発揮して撃退してのけ、なおかつ中毒症状も起こさないで生き延びたんだけれども、そんな過去を誇らないまま戦友の息子や娘を仲間にして日々を漫然と送っている。そこに持ち上がった過去の因縁に、かつて戦場で知り合った男たちの力も借りつつ、内に秘めた力を発揮して襲ってくる奴らと戦い、事件の謎へと迫っていく。ファンタジーでありながらハードボイルドといった面もち。2巻では戦争で潰したはずの敵の残党が現れ、あろうことかトロイの上官たちと結託して悪巧みをして、トロイを窮地に追いつめる。政治の中枢にまで食い込んでいそうな敵を相手に果たして打開の道はあるのか。1巻から続く2巻で全容が示された上で、続く第3巻ですべてが明らかにされるというから楽しみ。

 天皇陛下の存在が、あの大震災の後に普通だったら起こるだろう暴動等を抑止させたと書いてた新聞があったけれども、そんな新聞が日頃から唱えているのは、戦後に日教組によって繰り広げられた教育によって、天皇陛下への親愛も国旗国家への信奉も崩れ去ってしまったから、何とかしなくちゃいけないという主張。でもそんな教育を受けて育って人たちが、世の中の大半を占めてしまっている実状で、こと震災に際しては、天皇陛下の大御心を裏切らないよう、平静を保って暴動なんて起こさなかったというんだから何というか不思議というか。日本人はしっかり教育されているのかいないのか。まったく訳が分からないよ。

 そもそも大御心への配慮があるならどーして平時においてネグレクトであるとか、企業による従業員への圧迫であるとか、イジメであるとか暴走した車による事故死なんてものが起こるのか。震災なんて大事の時にしか陛下への畏敬は甦らないってことなのか。つまるところは言いたいことを言うために、手近な例を挙げてあてはめただけの牽強付会。それが透けて見えるから、世間もそんな言説に賛意を送らず納得もせず、平気で載せるメディアへの信頼も減っていく。それを分かっているならまだしも、分かっていないっぽいところが何ともやりきれない。別に尊皇を謳おうと逆を訴えようと右だろうと左だろうと、それは主義主張の類だから自由で自在。ただし、多くの共感を得ようとするなら多くが納得するようなロジックを組み立てることが必要なんだけど、そこがあまりにも欠けた言説が跋扈しすぎる某方面。昔はそうでもなかったんだけれど、どうしてしまったんだろうなあ。哀しいなあ。


【7月2日】 ネット経由で中継をおっかけて見た、FIFA女子ワールドカップ2011ドイツ大会における日本代表対メキシコ代表での、まずは澤穂希選手の2得点目。コーナーキックに対してニアに飛び込み角度を変えてゴールに突き刺したその突き刺さりっぷりにどーしてこれが日本のサッカーのとりわけジェフユナイテッド市原・千葉の試合では、あんまり見られなくなったんだろうかと物思い。あれだけ巨大な選手がいながらコーナーキックに悠然と飛び込み合わせるゴールってそんなに見ないんだよなあ。

 それだけマークされてるってことなんだろうけど、だったら別の人がニアに飛び込み突き刺すようなことをすれば良いのに。昔は巻誠一郎選手がおとりになりながら阿部勇樹選手がニアからヘッドをよく決めていたような。やっぱり漫然と放り込んでポン、では得点にならないってことなんだろうなあ。それにしても澤選手、すごかった。1点目は見てなかったけれどもやっぱり左サイドからのフリーキックをこちらはファーで合わせた模様。それが2点目では思いっきりニアに走り込んでそれにピタリと宮間あや選手が会わせてみせる。どんだけ練習してたんだ。あるいは通じ合ってるんだ。

 この連携は他の選手たちにも言えてるみたいで澤選手の3点目、後ろの方にいたはずの澤選手が中央をするするっと上がっていくその脇で、近賀ゆかり選手が岩渕真奈選手にあずけたものをそのまま走り込んで受け取りサイドからクロス。近くに永里優季選手もいたけれどもそんな選手をおとりに中央でフリーになってた澤選手が、送られたパスをそのままきっちりと蹴り込みチームでは4点目、個人ではハットトリックとなる3点目を決めてのけた。どーしてあんなに慌てずきっちりとゴールできるのか。男子だったら焦ってふかしてそうなものをそれこそ海外のプレミアやセリエAのトップ選手みたいにきっちり決める。それは才能であり、それは経験。代表デビューして18年、選手としても相当なキャリアを誇る澤選手ならではの凄みって奴がそこに凝縮されていた。

 なるほどドリブル突破が凄いといわれている岩渕選手だけれど、ワールドカップに出てくるような上位のチームの守備陣相手に八面六臂なドリブルなてまず不可能。つかっけては取られる繰り返しになってしまう。そこがアンダーで注目されながらもトップチームでは無双できずリーグでもなかなか目立てなかった要因なのかもしれない。澤選手は周囲との連携もとり、且つ守備でも中盤をがっちり固めつつピンチがあれば近くに行って削りもするし止めもする。その無尽蔵の体力と果てしない経験の前には、スターシステムなんてものはまるで無意味だってことをスポーツメディアはもっと自覚しなきゃ。

 ましてや今はメディアが様々に発達している時代。意図した持ち上げでもってそれが評判を呼びそしてメディアが更に取り上げるスパイラルなんてものも、そこに実績や実力がなければただの道化芝居と合羽されてしまう。体操の女子なんかだとトップにちゃんと実績を積み上げているにも関わらず、なぜか2位の選手ばかりがクローズアップされていたりする状況があって、なるほどビジュアル方面からするならそっちの方が評判とれそうだってことも分からないでもないけれど、当人にとってはやっぱり不本意だろうし関係にもぎくしゃくとしたものがある。

 そこで自滅せず開き直りトップを目指せる根性があれば良いんだけれど、それにはちょっと様子見が必要。サッカーでは澤選手が圧倒的な実力を見せつけ、世間受けするスターを作り出したいメディアの欲望を封印してしまっているのが痛快無比。なおかつ今のこの活躍ぶりを見ていると、五輪も次のワールドカップもまだまだ活躍してくれちゃいそう。おそらくは現役最高の女子サッカー選手であり、歴代でもミハ・ハム選手に並び上回ることすらありえる伝説の誕生を、目の当たりにできる幸運を喜ぼう。そして伝説が間近にプレーするなでしこリーグを見に行こう。

 ゆるゆるとはせずにまだ朝早い幕張メッセへと到着して「次世代ワールドホビーフェア」へ。午前も10時を過ぎると混雑で身動きがとれなくなるんで、取材するにはやっぱり早めでないと拙いのだ。っておとで入るとあっちい「ダンボール戦機」がいてこっちに「イナズマイレブン」があってそしてでっかく「機動戦士ガンダムAGE」があってとほとんどレベルファイブな展示会。大人向けには「レイトン教授」シリーズも持ってるこの会社が今やキッズ向けでも絶大なコンテンツ所有者になっているってことを目の当たりにさせられる。遠くもない昔に「レイトン教授」シリーズの発表会をスパイラルでやってた頃は果たしてどーなっちゃうの白騎士ぃ、って感じだったけれどもどこかでギアがチェンジされたんだろ。そのチェンジの瞬間を調べてみたくなって来た。

 大人の古手のガンダムファンいんはことほどに評判がアレな「ガンダムAGE」だけれども現場でプラモデルを手にしてマシンに挿入して動かしたり、ハロに何かデバイスを差し込んだりしてみせる連動に対して子供の食いつきが妙に良いのが気になった。女の子ですら近寄ってきてガンダムを見てハロを見てマシンを見て欲しそうな顔をする。ただ作って飾るだけだったガンプラって商材は、だから緻密な方向へと進化していって今や大人ですら作るのがなかなか大変っぽいイメージを持たれてしまった感があるけれど、こっちなら組み立ては簡単にあ上に組み立てた後でもう1段、何かを得られるって嬉しさがある。だったら買うよ。そして作るよって人がいっぱい生まれて来そう。それがプラモデルって商材をリアルからコミカルへと変えてしまう可能性もあるけれど、それでも緻密さは失わないのが職人魂。それを載せて遊ばせ興味を持たせた先に緻密さへと引っ張るという、こちらも3世代作戦を採るってことになるのかな。始まりに期待が沸いてきた。

 「プリティーリズム」のキャラクターがでっかく描かれたTシャツを買おうか迷いつつ自分には着られそうもないとあきらめつつ会場を出て、近くのシネプレックス幕張で劇場版「鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星」を観賞。試写でも見ているからこれで2度目で、多分試写だともうちょっと赤かったような血液系がややダークになっていたんだろうか、記憶にはないけど全体としてのトーンに変化はなくって、皮膚から紋章を剥がすところとか痛そうだけれどちゃんとやってくれていた。脇腹を思わず押さえた人もいたりして。そしてストーリーは国境にあって大国に挟まれ虐げられ続けてきた民の思いが爆発する話を絡めて描き、正義のためには犠牲も厭わない態度を是とすべきか否か、どうして民族は争わなくてはならないのか、といった社会的なテーマを浮かび上がらせる。

 そんなストーリーを持ちながらもアクションは痛快で作画は迫力たっぷり。これのどこが崩壊だって思うけれどもきっとそういう人はキャラクターデザインへの違和感が、絵を動かして物語を見せて感じて貰い楽しんで貰う上での手段であるとこのろ作画によって、生まれていると思って批判しているだけなんだろう。お上品なキャラがお上品に踊ってそれで物語が感じられるのか。まあ両立されていれば問題ないけれど、そういうもんじゃないってこを教えてくれるアニメ映画でもある今回の作品。ゲストとして登場する少女もよく動き回るし、彼女をささせるミランダって女戦士がまた肉感もたっぷりで実に良い。その胸なんか特に……ってこれは作画とは関係ないか、でも鳩胸細腰いかり肩は東映動画あたりからの日本のアニメのお家芸。それが存分に発揮されてたキャラを見て、圧倒的なアクションに溺れ、深淵なストーリーに浸る。最高の体験ができる映画を、アニメの国に生まれ育った日本人なら絶対に見るべき、それも劇場で。


【7月1日】 そして気が付くと半年が終わって後半戦に突入していやがった。その間に何が好転したかというと何も変わらずむしろ悪化の一方。言説は足腰が弱まって頭ばっかりになってそれも羊頭狗肉なもんだからとてもじゃないけれど食べられない。信頼って奴はどんどんぱんぱ失われ、そして数字になって跳ね返ったものを取り戻そうとして声のデカい方に頼った結果、さらなる離反を招いて今は果てしない底なしの沼へと沈み込んでいく最中。底になってまるで突かずこのままひたすら沈み続けた挙げ句に来るのは文字通りの瓦解か。お隣さんも建物こそ瓦解しているけれどもこれは未来を見据えた建て直し。比べてこちらはいつまでそこにいらえるのやら。夏に路頭に迷うのもいやだけど、寒くなってからだともっと大変。いっそ実家に引きこもってこの荒波をやり過ごすかなあ。そんな資金はありません。共に果てるまでしがみつくしかないのかなあ。

 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」はやってないし「C」もやってない夜。そういえばパルコにあるノイタミナのショップが梶浦由記さんのコンサート前に寄ったらとてつもない人混みで、いかにもパルコとか渋谷あたりに生息してそーなギャルっぽい女の子とたちがガチャガチャ回して「めんまが」とか喋ってるのを聞いて結構、というか異常に一般層に届いていたんじゃねえかってことを実感する。これが漫画で人気の「のだめカンタービレ」とかだったらそういう現象も起こり得たけど、オリジナルのアニメでそれもユーレー系。ちょっぴり引いてしまいそうなシチュエーションだけれど誰にでもある少年だったり少女だったりした時の思い出と、その時に残した公開めいたものを今に感じさせ、払拭してくれたって意味でも普遍性を持ったドラマだったんだろう。

 これだけ人気があるんだったらそれこそフジテレビジョン本体が本気を出して喧伝して、夏にショップとか作ってワイドショーで特別番組も組んで、そして夏休みには午前中に再放送とかすればさらに人気に火が着いて、ブームが起こってDVDとかブルーレイディスクだてバンバンと売れるところなのに、フジテレビ本体ってところがノイタミナの作品そのものを喧伝したことなんて過去にあったかどうか定かではなく、今はもうほとんどと言っていいほどないからワイドショーで今秩父が賑わってますとかっったムーブメントも含めて紹介されることはないし、この人気をフジテレビの財産にしようと実写ドラマ化とか映画化が画策されるなんてこともない。

 っていうかフジテレビ、ノイタミナを“番組”って思ってないんじゃないのかなあ、あくまでも作った場所を埋めてくれる商品であって、流してそれで稼いだら、あとはパッケージメーカーが頑張りなさい、だってあんたたちの商品なんだから、でもちょっぴりは潤わせてもらいまっせ的スタンスが、あるような気がしてならないんだけれど本当のところはどーなんだろー。来週から新番組が始まるっていうのに、それに関するPRをやって欲しいなんて話はこっち方面にはまるで回ってこないし。同じ目ん玉なのに。まあこっちはそれにすがりたくっても向こうは何とも思っちゃいないってのがここしばらくの動静から分かっちゃいるんで、気にはしないんだけれどでも、折角の着いた日を一瞬で終わらせるのは勿体なさ過ぎる。「ホッタラケ」みたく目ん玉でも超偉い人が関われば看板として掲げてもらえるのに。それがなければそうなるくらいの迫力って奴を見せてほしいなあ、関わっている人たちには。僕は僕でブルーレイディスクとか買って応援するから。

 熱帯みたいな中を微睡みつつ「続・夏目友人帳」とか見つつ柊の久々の登場にあのお面の中で狼狽え苦悶する顔はいったいどんなだろうかと想像しつつ、さらに久々の登場となった笹後と瓜姫も瞬殺されてしまったことに哀しみの意を示しつつ、カイって妖怪の寂しがりっぷりに同情しつつ夏目レイ子って本当に死んでいるのかと想像しつつ、いよいよ始まる第3シーズンへの期待に胸をわくわくさせながら朝を迎えて上野へと出むいて国立科学博物館で明日から始まる「恐竜博2011」の内覧会を見物、本当にティラノサウルスとトリケラトプスが戦っていた、って骨だけど、ってそれも複製ではあるけれど、これとブロントサウルスにステゴサウルスあたりを加えたのが人気恐竜な訳で、それが「原始少年リュウ」の世界よろしく戦っていたりするシチュエーションは、恐竜好きならずとも見て引かれそう。なおかつトリケラトプスの足ががに股ではないって説を取り入れた立て方になっているのも注目か。今は見られない生き物を骨から想像するのって、難しいけど、楽しそうだなあ。

 そんな恐竜たちとはまた違って、涙を誘ったのが陸前高田市博物館にあったというオウム貝とかの標本。プレートが泥に汚れてよく読めなくなっていたのはその博物館が3月11日の震災で津波に流され、標本も泥の中に埋もれてしまったから。なおかつ博物館では職員が6人とも津波の犠牲になったというから、残された標本にはそんな職員たちの日頃からの丁寧な保存活動が染み、津波に犠牲となった時に思っただろうさまざまなことのひとつとしての、標本への思いも染みているようで見ていて心が熱くなる。テレビの向こうの出来事で、ダイレクトにつながる実感を未だ持てずにいる人たちも少なくないだろうけれど、こうやって実際に何かの影響を受け、そして周辺で多くの犠牲を払ったものを目の当たりにすると、いろいろな気持ちが浮かんでくる。それは現地で得られるもののほんの僅かに過ぎないだろうけれど、それでも浮かぶ思いがあるなら、それを拠り所にしてより強い思へとつなげていきたい。そんなきっかけを与えてくれる展示もある「恐竜博2011」にみんなで行こう。

 かじいたかしさんって人の「僕の妹は漢字が読める」(HJ文庫)SFだったのでSFの人は気にしよう。筒井康隆さんの「美藝公」に描かれた社会は、映画が社会の中心になっていて映画や文化を尊ぶ世界ってのが素晴らしいもののように表現されているけれど、この「僕の妹は漢字が読める」は妹萌えこそが文学の至高であり極北となった未来を描いて、そんな世界の到来を望む者を喜ばせてくれる。社会通念にまで妹萌えと兄思いは行き渡っている世界。大作家は頭にパンツを被ってファンという少年を出迎え少年を感激させる。そんな一行が見た21世紀の文学事情。そこから未来の妹萌えが生まれた歴史的転換点。けれども未来が変わったら? ほうらSFでしょ。とにかく妹萌えが文学の極北となった世界の綿密にして緻密な描写が素晴らしい。そうした世界で描かれる文学の凄みたるや! これで1本まるまる描かれた本がもし現在に生まれたとしたら、僕たちはついていけるか? そこで本当に誰かが挑戦して、それがスタンダードになった時。未来は変わるかも知れない。傑作なり。


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