縮刷版2011年月下旬号


【5月31日】 バイオリンを弾くときに左手はバイオリンの竿を持って中空に突き出されるから良いとして、右手は肘を曲げて弓を持ってバイオリンの弦に当て、何度も前後に動かすことになる訳で、その時に肘のしたあたりに巨大な脂肪のカタマリがあったとしたら、果たして弾きづらいものなのかそれとも右手の支えになって弾きやすいものなのか、といった問題について考えたけれども答えが出ないんで、ここはぜひに「天にひびき」に登場の暗黒系バイオリニストの波多野さんに、ご回答を頂きたいところであるのだけれどもそいういう展開はあるのだろうか。あるわけないか。しかし大きいよなあ。表紙絵とかもういったいこれは何事かと。そんな波多野さんに関心を持たれながらもひびきにベッタリの朴念仁は呪われろ。

 気が付くと今月号でそんな「ヤングキングアワーズ」から「ツマヌダ格闘街」が「月刊ヤングキング」に移籍とか。前は何で連載されてたんだっけ、憶えてないけどアワーズに来てその面白さに改めて触れて単行本を揃えた身には移籍はちょっと寂しいかも。そいういう人が追いかけていって他に読める作品とかあるのかなあ。「並木通りアオバ自転車店」も行くみたいだけれどもそういうのばかりでもなあ。経過観察。そしてドラエさんは浦密さんから借りた魔王ファッションをお披露目して久々にその波多野さんにも負けないナイスっぷりを見せてくれた。昔はよく見せてくれたのになあ、技とか筋肉の動きとかを教えてくれるために。最終決戦を前に淡れんい励む八重樫ミツルのパワーアップのためにまた、諸肌見せてやって下さいな。それなら追いかけていきますから。

 あれだけ激しく美咲が感情を露わにしたことあったっけ。死んだと思った相手が目の前に出てきてとびかかっていきなりキスしてれからマウントポジションからのタコ殴りだもんなあ。これが感情失禁という奴か。いつもクールな美咲らしくなかったと「エクセルサーガ」。そんな美咲のヒップが良かった。失禁なら本当にやってしまった娘が出てきた「サムライリーガーズ」。とてつもないバッターが打った途端に腕ごと吹き飛ばすボールって何だ。そんな相手が本性を発揮した途端に男は立ちすくみ、女はへたりこんでついつい。そんな相手に挑んで果たして勝てるのか。勝てならどういう展開を描くのか。さあお立ち会い。シスターにももっと活躍の場を。「ブロッケンブラッド」ではクリスチーネ幸田なノイシュヴァンシュタイン桜子がまた派手な格好に。ついてるんだけれど。それでも。

 星雲賞の締切が迫っていたのであれやこれや考えたかれでも思い浮かばないので読んでない海外短編長編は棄権しつつ候補にあがっている奴からピックアップして投票する。アニメーションは「REDLINE」ってのも浮かんだけれども「宇宙ショーへようこそ」が挙がっているんだからやっぱりね、こっちをね、入れてあげるのが「フォトン」の時代からのマスナリストって奴だよね。ノンフィクションはやっぱりきくまこ先生? 自由部門は放っておいても「はやぶさ」が取るんだろうなあ。金星行きのはちょっぴり道を踏み外してしまったみたいだし。長編短編もたぶん予想どおりにいきそう。分からないのはイラストレーション部門か。大御所に気鋭と並んでいるけどライトノベル系の人が入ってないのはちょっと不満。では誰かと言われると思い浮かばないのが悩ましい。toi8さんとか入っても良さそうな。ともあれあとは行くだけ。宿泊地をとっておいた方が良いんだろうか。それとも家から通うか。

 油断してたら末次由紀さんの「ちはやふる」がテレビアニメーション化になったとかで第1回目のマンガ大賞を受賞した「岳」が実写映画になって第3回の大賞の「テルマエ・ロマエ」も実写映画だからやっぱり「ちはやふる」も実写が先かなって思っていたら普通にテレビアニメあった。あの無駄美人を人間に演じさせるのって難しいからなあ。しかし誰が監督やるんだろう。前に「のだめカンタービレ」のファイナルの時に今千秋さんにインタビューしたらやりたい作品として挙げていたけど人気も高いから希望したからってやれるものでもないしなあ。出崎統さんが最後まで絵コンテを描いていてカルタをとった瞬間にハーモニーが入って「ちはやふるー」の札が読み上げられた瞬間に3回パンが入ってカルタを見つめる千早とクイーンの画面分割が入っていたりするとそれはそれでちょっと面白そう。問題は声か。人気にあやかろうとスフィアの誰かをあてようとするなら誰が合う? LIPSなら? 誰が誰やら。ミルキィホームズなら? ありえへん。ってことでそっちも興味。

 仕事もかねて松戸に行ってわけがわからない動物がいたりする店を見物。わけがわからない動物の形をしたハヤシライスだとかマミさんの頭を囓ってしまった魔女の顔をしたケーキだとかを堪能しつつそんな魔女がぶらさがった部屋の中をじっくり見入る。なかなかのハマりくがい。前に「BLACKROCK☆SHOOTER」のカフェの頃に来たことがああるけれど、その時よりも関連の品々が充実していてファンなら来ればじっくりしっかり堪能できそう。ファンでなくてもそういう店にはいってそれなりなメニューを楽しめるし。日曜日土曜日といったあたりは凄い人が訪れ大変らしいけれども、平日はオープン直後あたりは混雑しても、午後の3時過ぎあたりはすかっと空いてすぐに座れるみたいんでちょっと狙い目。それでも近所から高校生とかやって来たり、大学帰りの人とか来たりするんで、Twitterの情報なんかを気にしながら行ってみよう。この人気なら会期延長もあるかなあ。


【5月30日】 碑文谷に行った本当の目的だった「タイヨウのした」ってショップの話をどうにかこうにか文字にする。先がちょっとだけ浮き上がったお箸とか、そのままで自立するおたまといった不思議なプロダクツを作っている小林幹也さんってデザイナーの人が、自分の事務所といっしょに事務所以上のスペースをとって立ち上げたショップで、行くと1階にはいろいろな雑貨があってアラビアの陶器とかイッタラのグラスのそれもアンティークがあって、懐かしくも美しい色合い形状の品々を眺めたり、手作りのジャムなんかを食べたりできる、買えばだけど。あとはフットサル用のボール。そんなものもデザインしていたんだ小林幹也さん。

 本業は、というか大きな仕事はやっぱりインテリアのデザインで、愛知県にあるカリモク家具なんかと組んで作った「HARU」というシリーズの家具や、徳島県にある冨士ファニチアってところといっしょに作った「nagi」ってシリーズの家具なんかが置かれていて、見るとどれもが丁寧なつくりで、シンプルなデザインで、落ちついた淡い色調で、見ているとそんなに迫ってはこないけれども、置いておくとどことなく気になってしまう雰囲気を持っている。主張せずそこに自然と馴染むデザインというのがどうやら小林さんのデザイン上のポリシー。あと長く使っても飽きがこないってところで、そんな作品が並んでいたりして、ずっといたくなるけどそこはショップだからちょっと無理。だったら買うかというと、置く場所なんて我が家にはどこにもありません。いつか並べたいそれらの家具。そんな日は果たしてくるのだろうか。

 ちょっと前に超合金魂だかから新しい聖衣(クロス)が登場するかと思ったら、今度はミュージカルにまでなってしまう「聖闘士星矢」のいったいこのリバイバルぶりは何なんだ。原作の漫画は読んでいたし、むしろテレビアニメーションを夢中になって見て黄道十二宮編で刻一刻と迫るアテナの落命の瞬間を止めようと、星矢や仲間たちがオリンポスだかを必死になって走りながら、次から次へと現れる黄金聖闘士たちと戦ったり、語らったりするなかで必殺技を磨き、スケールアップさせていく展開に酔いしれた。それはなるほど今の「BLEACH」にも通じる面白さだったけれども、それぞれのメンバーたちにつきまとっていた過去との戦いめいたドラマが挟まれ、新たなキャラクターの登場なんかもあって、長さ以上に深さが感じられて飽きずむしろのめり込まされた。

 そんな記憶も今や四半世紀の彼方になっているはずなのに、人気の方は相変わらずに続いていて、超合金もしっかりと売れている様子。土曜日に立ち寄ったアキハバラのヨドバシカメラ前のコーナーでも、最新の製品に見入り次に出るなら何が良いかってアンケートに答える人が大勢いた。何が上だったっけ。アイオロスか。星矢か。アルデバランもいたなあ。でもキャンサーのデスマスクはいなかった。そんなもんだよ我が蟹座。その1点についてのみ、僕は「聖闘士星矢」があんまり好きじゃない。いや違うシリーズでは結構、強い奴になっていたんだっけか。黄道十二宮編以外は実はあんまり知らないのだ。「週刊少年ジャンプ」での最終回も。それは「北斗の拳」でも同様だけれど。ケンシロウってどうなったんだっけ。

 そうだミュージカルだ。「聖闘士星矢」のミュージカルと言えばかつてあの人気アイドルグループが、それぞれの役を吟味して演じて話題になったというか、今にして思えばブラックなヒストリーになっていたりするかもしれないけれどもそんな作品の人気ぶりが、漫画原作のミュージカル化ってものにある種のお墨付きを与え、担当した片岡義朗さんの自信にもなって後の「テニスの王子様」のミュージカル、略称テニミューの勃興から興隆へとつながった。陳腐さがどこかつきまとっていた漫画やアニメ原作のミュージカルを面白いもの、格好いいものいんした功績のその端緒を、担っている「聖闘士星矢」のミュージカルが今ふたたび登場することの意味。それを考えた時にこれは見に行かなければって思うけれども、しかし果たして男子が1人、見に行って大丈夫なものなのか。見て楽しめるものなのか。そんな辺りをふと考えてしまう。せめてゲネプロでもあれば見てみたい。そして本番に行くかを考えたい。

 スクデットだったら既に中田英寿選手がローマ時代に獲得しているし、ラウンデルというらしいあの丸いマークもやっぱり中田選手がパルマ時代に獲得しているから、インテルミラノでイタリア杯を優勝したからといって、長友郁都選手はようやく半分、中田選手においついたって言えそうだけれどそれでも名選手がひしめくインテルで、途中から入って背番号55なんて大きな番号をつけながら、しっかりと出場して獲得に貢献したって意味合いは、パルマの中田選手に負けず劣らず凄いこと。そして来期はちゃんとレンタルではなく完全な移籍を果たした上で、レギュラーとしてサイドバックに定着し、スクデットまで獲得してようやく中田選手を上回り、ブンデスリーガの長谷部誠選手や香川慎司選手も上回れたって言えそう。そしてそれが可能な位置にいて実力もあるってところが凄いんだけれど、そうした期待を中田選手以後の誰もが外して来ているのもまた恒例。果たしてそんなジンクスの壁をうち破れるか。見守ろう。来年はユニフォーム買ってあげようかなあ。

 平野綾さんのベストアルバム「AYA MUSEUM」とか聴きながら名曲揃いだよなあ「Super Driver」は確か第2期のアニメーション版「涼宮ハルヒの憂鬱」の主題歌になった曲だけれど、そのノリの良さはアニメを離れても抜群で、車転がしながら聴いてみたい感じ。それからシングルとして出て買った「MonStAR」は曲調が絶妙で「NEOPHILIA」もダークなドライブ感が最高。幾つか作詞もしているようだし、歌声だってちゃんと歌詞が嬉々通せるくらいに発声がすばらしい。アーティストとしての高い完成度を見れば、事務所だって続けさせられるなら多分続けさせたいところなんだろうけれど、それを続けさせられない“何か”があるいはあるのかもと、事務所を何となく見知っている人間として想像してしまう。これで終わりは寂しいけれども彼女は「RIOT GIRL」でこう書き歌った。「ここで終わる私なら きっとここまで来れなかった」。だから終わらないで走り出せ。そのために出来ることをやり尽くせ。帰ってくる日をずっと待ってる。


【5月29日】 あれは何の会見だったんだろう、ブロッコリー絡みだから「ギャラクシー・エンジェル」のそれも「ギャラクシー・エンジェるーん」の方だとは思うけれども、それに声優として出演している平野綾さんが、登場する発表会が渋谷であっていそいそと出かけて待つことしばらく。既に「涼宮ハルヒの憂鬱」でもって一気に有名声優の仲間入りを果たし、歌もいっぱい歌っていて、いよいよこれからスター声優へと駆け上がっていこうかというタイミングだっただけに、その姿を見られる喜びなんかを抱いていたところに、現れた姿がちょっと前までDVDのおまけ映像に出たり、ダウンタウンが司会しているテレビに出ていたような、黒いロングヘアーでもって頭に帽子なんかを被った、ロリータ系とでも言えそうな格好からガラリと変わって、茶色い髪をなでつけた大人の雰囲気になっていたから驚いた。もうとてつもなく驚いた。

 他の「ルーンエンジェル隊」の面々は、とりたててとてつもなくはない、いわゆる声優さんのイベントに出てきてそうな格好髪型顔立ち。そんな中に1人入ると、これほどまでに飛び抜けるものかといった印象を抱いた記憶が、今もくっきり残ってる。それだけやっぱり衝撃だったったってこと。その瞬間があるいは分水嶺だったのか、またはルビコン川とでもいうべき分かれ目だったのか、以後に活動の幅はそれなりに広がり、普通にテレビに出るようになり、歌も歌ってスター声優からメディアスターへの仲間入りを果たしていきそうな印象を抱いたものの、どこかで何かひっかかっているような感じがつきまとった。凄いアニメにどんどん出るって状況でもなく、歌番組にいっぱい出てくるって風でもなく、バラエティの司会に収まるといった感じでもない。名前はそれなりに取りざたされても、業界をある種代表しているような感じにはなっていかない。

 そうこうしているうちに後ろから、歌でもって水樹奈々さんが一気にまくって声優界の歌姫としての名を確立してしまって、NHKの番組で司会をし、紅白歌合戦にまで出てしまって、ますますその名を一般の間に印象づけてしまった。他の声優が何をしても目立てない中で、出演するというだけでスポーツ新聞が記事にするほとんど唯一の女性声優、といったポジション。男性だってそこまでの人は山寺宏一さんくらいしか見あたらない。一方で平野綾さんも、なるほど名前は取りざたされても出演するからそれが新聞記事になる、といった取り上げ方をされるところに、まではたどり着いていない、というかたどり着けなかった。

 何でだろう。どうしてなんだろうという思いを抱くのも当然。「ハルヒ」に「らき☆すた」の頃はあれだけ光ってたし目立ってたんだから。それなのに……。思い当たる理由はいろいろあるけれど、それが本当にそうなんだとしたらやっぱりちょっと勿体ない。踏み間違えたのはどこでなんだろう。詮無いけれどもかえすがえす残念、って別に終わった訳ではないし、これからだって活躍を期待してみたいところなんだけれども、そういう方向に自分を向かわせられるのか、そして周囲がそうさせたいと思ってくれるのかといった辺りを、ちょっと見てみる必要がありそう。傑作そろいの楽曲も多くはいったベストアルバムが出て、これで所属のレコード会社といったん離別といった話が次につながるものだと信じて、その動静を見ていきたい。見せてくれるかな。

 という訳で、千葉のアニメイトで平野綾さんの新譜にしてベストにしてランティスでは最後と自分で明言したアルバムを購入。最初に買ったランティスのCDが「冒険でしょでしょ?」だったような記憶もあるだけに、その感慨もひとしおというか何というか。それからいっしょに西炯子さんの「ひとりで生きるモン!」の第4巻も購入、いったい最初のが出てからどれだけ経つのやら、当時は知る人ぞ知る漫画家だったけれども、今はいろいろな作品がバンバンと出まくるOLな人たちの半ばバイブル的な作家になりつつある……って言えるのか、うーんそういう所に刺さってはいるような気もするけれど、どこか絡めてからギャグ混じりで攻める方法論が今ひとつ、西さんを柴門ふみさん敵、あるいは安野モヨコさん的な位置づけに収めさせないんだよなあ、アニメーション化とかテレビドラマ化とか映画化とかされてないし。嫌がっているんだろうか。単に話がないだけなんだろうか。聞いてみたい。そもそもどんな人なんだ?

 バルセロナ強いよバルセロナ。最初こそマンチェスター・ユナイテッドの早いプレスと球出しにラインを押されて攻められない感じもあったけれども15分を過ぎたあたりから中盤を徐々に支配しはじめて高いポールポゼッションを発揮。つったってるだけの選手の間をボールが行き来しているだけのように見えながらも、その立っている選手たちがその都度ポジションを変え相手をかわし素早くボールを動かすものだからマンチェスター・ユナイテッドの選手の誰もそばに飛び込めない。飛び込めばかわされ前に運ばれ見ていれば回されるだけの生殺し。そして隙ができればすかさず動いて飛び込むシュートが放たれる。それでまず1点。すかさずルーニーが巧妙なシュートで返したものの、すぐまたメッシによる2点目が入り3点目も奪われ万事休す。チャンピオンズリーグはFCバルセロナがインテルに敗れた雪辱を果たすかのように返り咲いてビッグイヤーを手中に収めた。

 どうしてあんなにパスが回るのか、っていえばきっとそれは選手たちが誰もそう感じて動いているからで、ここに来ると思い動いてもらいそこに動くと思って出せばだいたいそのとおりにいくという展開は、練習の賜なのかそれとも才能の塊なのかは分からないけれども、その域へと達するように頑張ればできないものではないけれど、我らがジェフユナイテッド市原・千葉は中盤で持っても出せず持ちすぎて奪われる展開から前半に2失点を重ねるという始末。トップにいる巨人にも送れず再度も崩せない状態では、そうそう楽には勝てはしない。それでも後半に逆転できたのはホームの利とそれから戦術的な交代もあったからだと思うけれども、それを前半から見せられないのもまた問題。どうしたものか。走りの良もあんまり足りてないような一瞬の勝負をできるルーニー選手なりパク・チソン選手だって試合の大半を弾丸のように走っているのに、ジェフ千葉はどうしてあれが出来ないんだろう。昔はやっていたんだよなあ。それがトレーニングという奴か。いつかまた見たいなあ、あの千葉を。


【5月28日】 何やら興味深そうな煽りに手を出したら、これがなかなかに面白かったホームラン・拳って凄い名前の人による「まじかる☆チェンジ」(新書館)は、魔法の力を与えられた少年3人が侵略してくる魔王と戦うってストーリーなんだけれども、3人のうちの1人が与えられたのは相手をスイーツにしてしまう力。見た目まるで女の子みたいなその少年は、そうやって戦い食べて相手を倒す。それからもう1人は空を飛ぶ力、なんだけれどもどうやって倒しているのかはよく分からない。上から物でも落としているのかな。

 そしてもう1人の少年で主人公が与えられた力が、絶世の美少女になるという魔法。それってすごいの? なるほどたしかに変身して絶世の美少女にはなるんだけれども、それが何かの力になるって訳でもなく、敵には手にしたステッキを振りかざしてぶん殴るという肉体系。それで倒される魔物っていったい何? って気もしないけれどもまあそこはそれ、可愛いは正義だから仕方がない。何よりそんな変身した可愛らしさに魔王が惚れてしまったというからやっぱり、立派に魔法の力として働いたって言えるんだろう。言えるのか?

 そんな変身した少女の方を自分に嫁にと望む魔王だけれども、当人はいたって健全な男子として拒否し続ける主人公。魔王だって別に変身した男子の姿が好きって訳じゃないから、BL的なシチュエーションには向かわない。願っても得らずそれでも願ってやまない少女姿の主人公を求めて侵略し、無理矢理に変身させ、親が見合いを進めて来たなら連れ帰って嫁だといって紹介しようとして、けれども当然のようになびいてくれない相手に悩むというドタバタが繰り広げられる。なかなか愉快な1冊。というかその魔法の力って誰にだって使用可能なんだなあ。スイーツに変えてしまう力をもった少女のような少年が使うと、グラマラスになるのはそれだけ、内面が大人ってことなんだろう。主人公が可愛くなるのはそれが内面? だったらやっぱり興味あるんだその姿に。人間の気持ちっていろいろだ。

 雨で遠出する気もなければ金もないので、家に引きこもっていようかとも思ったけれど、それもつまらないのでちゃらりと調べたら前にデザインフェスタで見かけた侍ロックな和装侍系音楽集団MYST.が、つくばの研究学園にあるショッピングセンターでライブをやるって判明したんで、船橋から野田線でおおたかの森までいってそこからつくばエクスプレスで研究学園まで向かって、だいたい1時間と10分くらい。あるいはパシフィコ横浜へと行くより近い時間で到着する。駅を降りると見るからに何にもない場所の、その向こうに見えたショッピングセンターにはいると、モールの中に店がわんさか入っててなかなかの賑わい。地域からぐいぐいっと人が集まって来ているんだろうなあ。これが郊外化って奴か。

 ってもまあその昔の名古屋の東の方も、ショッピングセンターとかなくって車で野並にあるダイエーか、八事に出来たジャスコか、三好にあるショッピングセンター辺りまで出かけてそこで日用品を買ったり、玩具を見たり本を見たりしていたから郊外に、巨大なショッピングモールが出来てそこに周辺から車で向かい、1日を過ごすってのは今に始まった光景って訳ではない。30年続く日本の発展の光景。問題はそれが行き着いた果てのその先が、見えないってことなんだろうなあ。栄えたところがしばらくたって、人が減って廃れてそして閉鎖され、あとに何も残らないという一方通行のその先にある風景は? ソーラーパネルだけが立ち並ぶという空虚な景色か。それだって20年保たずしてきっと廃棄の繰り返しだろうし。うーん。こんな日本に誰がした。責任者出てこい。

 そして奏でられるMYST.による「俺が介錯仕り候」は、そんな気分にまさしくぴったりの詞を持った楽曲。「責任を取れ、腹を切れ」という怒りにあふれたメッセージをロックのサウンドに載せて叩きつけてくるから、聞いていると心に沸々とエネルギーが湧いてきて、拳を振り上げたくなってくる。ただし、そうした怒りが向かうのが菅総理の率いる現政権に対してかというとさにあらず、なるほどあんまり芳しくない状況ではあるけれども、やるだけのことはちゃんとやってて別にたいして失点はない。むしろどこか弱いその足腰を皆で支えて持ち上げていくことこそが、今の救国に必要なのに、あることないこと論っては政権打倒に燃える勢力が政治、とそれからメディアにあったりするから鬱陶しいし気持ち悪い。

 誤報を垂れ流してそれが否定されると、誤報があったから真実が明らかになったと開き直って平気な神経って何? それが1度は国のトップに立っていたということの不気味さ。戦争を仕掛けて負けたってそれで一致団結が計られ新しい時代が到来したんだからオッケーとか平気で言いそう。それもひとつの主義主張なのかもしれないけれど、そんな矛盾にたっぷりの人間を、矛盾と言わずに奉るメディアがあるってことの方がさらに薄気味悪い。不偏不党にこだわる必要なんてないけれど、せめて正義と公平性だけは守るのが矜持ってものなのに、尻馬にのってああいえばこう返されたらそう言う外野を時に支え、時に引っ張っているから何というか。なおかつ政治家は主張が受け入れられなければひとり去っていくだけだからいいけれど、メディアはその後も居座り新たな言説にすがって生き延びる。それこそ言いたい。「責任を取れ、腹を切れ」。切らないよなあ。そして誰かが切らされるという。痛いなあ。

 終わって秋葉原へと出て、西尾維新くじを5枚ひいたらきゅんキャラ4つとタオルが当たった。否定姫は当たらなかった。あのデカいのが欲しいんだ。でも置く場所なんてないんだけど。ラジオ会館は盛況。だけどいったいあとどれだけの命? 考えていったいいつ頃から中を散策するようになったんだろうかと振り返ったけれど、海洋堂のホビーロビーが出来たあたりか、K−BOOKSが入ったあたりか、コトブキヤが出来たあたりってところが関の山で、それ以前にいったいどんなエレキな店があったかは、ちょっと思い出せないところがラジオ会館の、本質に迫れていない僕の弱みか。とはいえ今はアキハバラ的オタク殿堂となってそれが、喧伝されていることは立派な事実。そうやって世界に知られた場所が消えてしまうのはもったいないので、ここは世界線をねじ曲げて、存在しなくてはいけない場所にしてしまうのが常考。エル・プサイ・コングルゥ。


【5月27日】 やっぱり最初の「涼宮ハルヒの憂鬱」が唯一にして絶対のマスターピースであったのだなあと、いろいろ起こっても結局のところは最終奥義のハルヒ全能シークエンスに引っ張り込まれ、終息させられるその後の「涼宮ハルヒ」シリーズのフォーマットなんかに、思ってみたりする梅雨の曇天。唯一あの全能への奉仕者たる長門有希が“反乱”を起こした「涼宮ハルヒの消失」だけはイレギュラー感があってそれから時間線の操作と収斂がアクロバティックに描かれたSFとして、読んでいて面白かったくらいかな。もちろん他のも語り口の妙、そして展開の愉快さで超一級の楽しさを味わわせてくれたけど。

 もっとも「…消失」の驚きはやっぱり唯一のもので、キャラを増やして迫ってきた「涼宮ハルヒの驚愕」はだから、キャラの多彩さがとっても楽しかったけれども、やっぱりどこか“続き物”感が出てしまっていて薄膜1枚、隔たれている感じがあって気持ちをのめりこませていけないんだったり。これが歳をとったということか。っても「涼宮ハルヒ」シリーズなんでまだ出て10年も経ってないんだよなあ。それでいてこの倦怠感はそれだけいっぱい、いろんなところで接してしまった反動か。それとも畳み込まれなかった4年という時間が生んだ落ち着きか。まあ良いともあれ再び動き始めたことで次次次と出てくるだろう何かが刺激を生みだして、興味をかき立ててくれると信じよう。「…消失」のブルーレイでも見ようかなあ。

 さいしょはちょっとした小物ならだいたい持ってる便利なサチさんだったのが、今や油田を掘削するボーリングから油田そのものまで持っていたりするような、ゴージャスにして万能の少女へと成り上がってしまって、それはそれてエスカレーションが愉快だけれども物語の軸を、どこかズラしてしまっているような気もないでもない「まりあほりっくあらいぶ」のエピソード。まあそういうこともすべてなしにして普通のどこにでもいてちょっとだけ便利な少女へと、戻して差し上げれば楽しい女子校ライフが一丁あがりってなもんだから気にする必要なんてないのかも。ギャグ漫画って便利だ。ギャグ漫画なのかあれ。おまけアニメが長くって、まりあと妹ととのかけあいがなかなかいスリリング。まりあが出した現代国語の宿題とやらのほとんどが瞬間に理解できなかったのはやっぱり脳が歳をとってしまったからなのか。出てこいクイズ研、そしてすべてを鮮やかに解き明かせ。

 人魚はどうして服を着ていたんだろう。普通はどこにだって上半身は露わにして現れ男子をときめかせたりするものなのに、まるで宿屋の湯上がりのような格好をして道ばたから現れたって、足下が見えなければただの不思議なお姉さんだと思ってしまうんじゃないのかなあ、ってそれは見える夏目に限った話か。とはいえたぶんあれでなかなかの妖怪をぐーパンチ1発でのしてしまう夏目もなかなかの妖術使い。ニャンコ先生に守られているとはいっても、時には単独で妖怪たちに囲まれながら窮地を脱し、味方にもしてしまえるその才覚はあるいはレイコを上回っていたりするのかも。レイコってしかし本当になにをやって生きてたんだ。そして本当に死んだのか。うーん。奥深い。

 碑文谷へと行ってインテリアデザインの人が立ち上げたショップを見物する前に時間があったんで環7を歩こうとしたら目に入った懐かしい自転車、いわゆるジュニアスポーツ車と呼ばれるタイプのセミドロップハンドルがついて5段変速の変速機が逆三角形の上辺についている自転車なんだけれども僕らが小学生の頃にはやったのは、変速機がボックスタイプになってカチカチとギアチェンジができてそして、ライトが二つ目になって時にはスーパーカーみたいにリトラクタブルするようなものになっていて、さらにお尻にはピカピカと光るフラッシャーと呼ばれる装置がついたゴージャスな奴。色も黒でスタイリッシュさを出していたけれどもそのP−KOENって店の前に止まっていたのはフレームも青でパーツはシルバーが中心。懐かしさはあるけれどもどことなくシックさもあって何より美しかった。

 しばし眺めていたらなかからお兄さんが出てきてどうですいいでしょうまだ新品のもあるんですよ倉庫から引っ張ってきたんですと言われたんで間口の広いその店の奥まったところまでいくと何と、同じようだけれどもちょっぴり違ったやっぱり青系統のフレームのジュニアスポーツ車が1台。タグまでぶらさがった新品状態で置かれていてこれを乗って疾駆したら格好良いなあと思ったけれども既にある1台を乗らず錆びさせてしまている身には荷が重く、また碑文谷自由が丘学芸大学あたりで疾駆すればスタイリッシュでも田舎で乗れば田舎の子と思われるのがおちなんで、ここに紹介して欲しい人は即手に入れに行くようにと喧伝する次第。スピードメーターのコードが外れてて修理が必要だったみだいだけれどもそこもきっと何とかなるだろう。

 何せスマートボールとまではいかないまでも、エレメカっぽい縦型の駄菓子屋系ゲーム機を仕入れては尚して置いていたりするその店、小学生が集まってきてわいわいとすることもあるそうで、なんだそれなら駄菓子屋さんかかというとさにあらず、ファッションの店でもあって店長らしき兄さんが手がけた白いシャツなんかが1万2800円で売られていたり、Tシャツやら帽子やらジョン・レノン系丸眼鏡なんかが売られていたりとオシャレさもいっぱい。なのにそんな店の床下には、ミニ四駆のレースコースなんかも据えられているからもうわけがわからないよ。AKIRAの金田のバイクについてた「成田山」の丸いお札もあったりして、サブカルにも寄っていたりしつつホーロー看板が並んでいたりとレトロにも寄ってて、いるとどれだけでも楽しめそう。ふと見ると「涼宮ハルヒの驚愕」が……。そういうのも好きなのか。近くに住んでいれば毎日だって通いたくなる店だけど、遠いからなあ碑文谷は。引っ越すか。いい加減生活を真っ当に戻すか。でもなあ。金がなあ。


【5月26日】 っていうか一護の卍解、強すぎだろう。朽木ルキアは別にして居並んだのは隊長副隊長各が総勢いったい名人だっけ。ひとりひとりでも当人たちが戦えば決行苦戦し、負ける死神だっていたのに一護は月牙天衝の1発でもって全部を消し去ってしまった。さすがは藍染惣右介を倒しただけのことはある。でもそのバランスで果たしてこの先の戦いを平等に描いていけるのか。たとえ更木剣八のニセモノが出てきたって軽くひねって終わりにしてしまえそう。互角なのは山じいくらい? その山じいも京楽春水や浮竹十四郎のニセモノと戦っているからなあ、あそこで倒してしまっては盛りあがらないけど負けるってのも妙。そこはだから山じいのニセモノ乱入でもって互角にしつつ、一護の三角で一気に逆転とか行って欲しいもの。けどそれもまたつまらないし。さあてどうなる「BLEACH」アニメーション版は。

 「E.G.コンバット」の続きを待ち続けてもういったい何年くらいになるか分からないし、「激突カンフーファイター」の作者の新刊が出るのを待ち続けてなら10年は軽く経っていそうな今日的状況において、たかだか4年新刊が出なかったくらいで別に渇望にうごめくなってことはなかったけれども、いざ出るとやっぱり嬉しいものでさっそく買って続き物と分かって前の「涼宮ハルヒの分裂」も読んで再び戻って前編後編を一気に読んだ谷川流さんの「涼宮ハルヒの驚愕」(角川スニーカー文庫)はとりあえず、ハルヒは分裂はしていたけれど、あんまり驚愕はしていなかった模様。っていうかそもそも天井点が唯我独尊と生まれる前から子宮のなかで未だ受精卵状態であるにも関わらず、そう言ったと後生に伝えられるくらいの傍若無人なハルヒが何かに驚くなんてことはない。いやあったか。SOS団の新団員募集でひとり、自分についてきた少女がいたことには。

 それすらも驚愕というよりむしろ歓喜に変えてしまうくらいの独尊さの持ち主でもあるハルヒな訳で、あからあんまりタイトル的に相応しって思えなかったりもしたけれども、まあ別にタイトルで中身が変わる訳ではないんでそれはそれ。とりあえず読んで佐々木って僕っ娘、っていうかむしろ精神的な年長者的スタンスから自分を僕と呼ぶ少女を中心に、新たなSOS団を結成してしまおうって企みに対してキョンが引っ張り込まれ、ハルヒと長門を危ないっぽい状況におかれながらもそこは何事にも超然と、それもまったく自覚せずにぶつかって乗り越えていってしまうハルヒなだけに、終わってみればなるほどそういう風におさまるかって展開を見せてくる。なべて世はこともなし。あるはずがない。それが涼宮ハルヒの力なんだから。

 そう思うとどんな危地だってやがて何とかなるって確定がまずあって、そこからこの危地からどう抜け出すか、どうかわしていくのかといったテクニカルな部分を楽しむ物語ってことになってしまいそうな「涼宮ハルヒの驚愕」、というかすでにしてそういう路線が固まってしまった「涼宮ハルヒ」シリーズってことになりそうで、だから書く方も絶対確実なピンチからの脱出法を考えて、その隙間でハラハラを描かなくっちゃいけない窮屈感を憶えてあるいは、しばらく筆が止まってしまったのかもとか勝手に推測してしまう。いずれすべてぶちこわせるならそうしたいのが創作者。けれどもハルヒの全能にからみとられて身動きがとれない苛立ちと、そしてそれ以上の喜びを、あるいは作者も感じてしまってその世界に止まっているのかも。ハルヒはやっぱり偉大だなあ。

 未来を変えるために時間線を飛び越えようとあがく物語だったら、むしろやっぱりゲームから生まれ海羽超史郎さんが小説に書き今まさにアニメーションが放送中の「Steins;Gate」の方がテクニカルでスペクタクル。いかんともしがたい状況に追い込まれ、幾度となく悲劇を味わいながらもそれに屈せず挑戦し続け、未来を拓こうとする男の姿を楽しめる。それと比べると「涼宮ハルヒ」シリーズのキョンは、あがいているようで結局はハルヒって神に誓い存在の手のひらの上で泳ぐだけ。そうした全体の構造を終わってからなるほどと楽しめはしても、共感し同一視していっしょに何かと戦うような感覚はあんまり味わえないかもしれない。まあそれでも良いのが昨今の男子。ハルヒの理不尽につきあうなり、佐々木の引力に屈するなりして漫然と、今を重ねて行ければそれで幸せって気もしないでもない。っていうかむしろその方が楽だし嬉しい。だからそうか売れるんだなあ、「涼宮ハルヒ」シリーズは。でもたまにはちょっとで良いから「Steins;Gate」も思い出してあげて下さいな。でないと海羽さんがハルヒ以上に何にも書かなくなってしまうから。

 いったい何が問題で何が問題じゃないのかまるで分からないし分かりたくもない東電福島第一原発海水注入問題。官邸が入れないでおけって支持したのを、メディアが問題視しようとしたら官邸は別に止めろとはいってないって話が出てきて、それなら東電が自主的にとめたのは、官邸の顔色をうかがったからって旗幟を鮮明にしない官邸の態度を問題にしょうと騒いだら、今度は実はずっと入れ続けていたって話が出てきて、それなら別に良いんじゃないって喜ぼうとしたら、官邸が精査もしないで入れ続けさせていたのはけしからんといった話までわいて来て、いったいメディアはどっちが良いんだって混乱に脳が捻れる。

 ようするに政権を叩きたいってテーゼがまずあって、そこに材料が乗っかればその可否はともかく官邸を攻撃する材料に使ってみせてきただけ。でもって材料がひっくりかえったら、すべてがパーになるところを、やっぱり官邸が悪いってもっていくために、アクロバティックな論理をひねり出してみせている。そんな空中ブランコぶりを、世間はもう知ってはいるんだけれどメディアは気付かないふりをしているのか、本当に気付いていないのか、相も変わらず政権叩きの繰り返し。それが続いた先にあるのは、ってまたいつもの話になってきた。もちろんそうしたメディアの硬直ぶりは、前々から指摘はされていたけれど、前は数ヶ月に1度くらいだったらメディアの脳捻転が、今は1日に何度も繰り返されてしまうのがどうにもこうにも。取り繕うひまもなく、地におちた評判はそのまま埋もれて地の底へ。立ち上がれないままやがて塵となって消えていく。哀しいなあ。って他人ごとじゃあないんだけれど。


【5月25日】 「イブニング」の表紙の及川と武藤の格好がエロ過ぎるので買う。水着というかレオタードというかバニーというか何というか。大酒呑みだけれども武藤はあれで一応ミス農大。それから潔癖性だけれども見栄えは悪くない及川なだけに、2人ともボディを露わにすればそのインパクトは3倍段。けれどもそんな2人の横にいつものゴスロリな格好で立つ結城蛍の方が、億百倍も可愛く見えてしまうのはどうしたものか。原作者がいくら熱意を持って及川や武藤をナイスバディに描こうとも、内面からにじみ出る存在の美という奴が、全身を覆ったゴスロリ衣装から透けて滲んでくる。これはもう仕方がないこと。蛍だから。長谷川遥がいればあるいは。でもいつものボンデージからさらに倍増しにすると、着ている服がなくなってしまうからそれはそれで大変。なおかつそれでもやっぱり蛍の方が上を行く。

 その上でさらに武藤や及川のよーな格好を蛍がしたら、いったい世界はどれだけのパニックに襲われてしまうんだろう……と考えてあれで中身の事を思うと、バニーでも、レオタードでもちょっと拙いことになってしまいそうだから、やっぱりゴスロリで仕方がないってことで。いやしかしすでに処理とかしちゃっていたりするのかな、何しろ蛍、通学途中に沢木を乗せた自転車とぶつかったことを及川から「ごめんネ結城君彼氏の事はねちゃって」と謝られて、「まァ男の子はケガ位つきものだから」としか返してないから。そこには沢木が自分にとっての「彼氏」だという自覚がしっかりあるみたいだもんなあ。もっとも彼氏でも沢木にとって蛍が彼女である必要はないのがポイント。彼氏かどうかはともかく彼であったって構わないから、まだついてる可能性はゼロではない。そんな彼だかから彼氏呼ばわりされてさてはて、沢木はいったいどんな気持ちなんだろう? 嬉しくないはずがない? そりゃそうだ、ついてたって蛍だし。ついていようが蛍なんだし。

 読み始めたらまるで理解不能なんで、改めて「涼宮ハルヒの分裂」を買いに秋葉原のゲーマーズに立ち寄ったら、テレビ局がカメラかついで取材に来ていた。それだけ世間の関心が高いってことなのか。でもいくら「涼宮ハルヒの驚愕」がセットで45万部とか売れていたところで、既にして万城目学さんの「プリンセス・トヨトミ」は文庫で70万部とか行っていたりする。いくらライトノベルが世間に広く認知されはじめているといったって、もっと広い一般を巻きこまなければベストセラーにはならないんだ。極端さといびつさでもって狭い範囲で話題になることを選ぶなら、薄めたって世間が読んでちょっぴり驚きつつも納得できる線を狙う方が、売り上げって面で言うなら正しい振る舞いなんだろう。そしてその領域に真っ先に飛び込んで、領地を確保してしまったからこそ、万城目さんのこの人気ぶりがある。凄いなあ。羨ましいなあ。頑張ればその隅っこくらいをとれるかな。

 階段で見かけた「とある科学の超電磁砲」のガチャを回して、キャラクターの水着シリーズという目にも素晴らしいシリーズの中から、よりによって白井黒子が最初に出てしまって自分の半生を振り返る。何か悪いことしたかなあ。なるほど面積的にはもっとも過激な線をいっているけれど、その小面積で覆われた部分の質量的な足りなさを思うとあんまり嬉しくないのだった。リベンジもかねて2回目を回すと、今度は欲しかった固法美偉さんがちゃんと出て、そんなに前世で悪いことはやってなかったのかもと思い返す。あとは「魔法少女まどか☆マギカ」のブルーレイディスク第2巻と、「月刊アニメスタイル」の創刊号を購入。アニメスタイルはアマゾンに頼んでいたのを忘れてて、発送の案内が後で届いたけれども、まあ良いご祝儀だ。今度は3号もちゃんと出して欲しいし。それ不吉。

 日本が世界に誇るアニメーションの偉才で、世界が次に何を作るのかを常に注目されているクリエーターなら、黙っていてもパトロンは現れ、資金も潤沢な中でいろいろと新しいチャレンジをできるものかと思いきや、なかなか厳しい環境の中で、着想からなら7年くらい、作り始めてからも3年近くを費やすことになってしまうところがこの国の、クリエーティブに対する無理解というか無関心さを現していたりする。世界4大アニメーション映画祭でことごとくグランプリを受賞し、アカデミー賞の短編アニメーション部門にも真っ先にノミネートされた山村浩二さん。その新作「マイブリッジの糸」は、だからカナダ国立映画制作庁という、アカデミー賞作品をわんさか生みだしている国家機関をバックにつけながらも、日本でのスポンサーがなかなか見つからなかったというから、ちょっと吃驚してしまう。

 なるほど、それがすぐに劇場で興行収入20億とかになり、DVDも10万枚売れるなんてことにはならないけれど、世界に日本のクリエーティブの力を示すという意味、そして生まれた作品を見た人たちが、何十年後かにさらなるクリエーティブの力を育み高め、この国への世界からの関心を高めるという意味を持つ。なのにそうした将来よりも、目先の評判ばかりを尊び重んじてしまう風潮が、アニメーションに限らず将来性をスポイルし、未来の芽をつみ取ってしまう。アニメーションに限らずメディアにおけるバリューもそう。今が良ければそれで良し、では明日はぜったいに良くならないのに。そんな中でも最終的にパートナーとなったNHKとポリゴン・ピクチュアズは、やっぱり先見性があるなあ。番組だって実際、NHKが今はどこの民放よりもチャレンジしているもんなあ。

 そんな曲折も経て誕生した山村浩二さんの短編アニメーション「マイブリッジの糸」をカナダ大使館で観賞、凄かった、もう本当に凄かった。連続写真を撮ったエドワード・マイブリッジという人の生涯と、それから東京に暮らす母子との関わりを、マイブリッジが連続写真でシャッターを何回も切らせるために使った“糸”をある種の象徴して挟みつつ、マイブリッジの生涯とともに流れ終息していくリニアな時間と、母子の円環して繰り返されるノンリニアな時間とを並べ、混ぜて見せることによって、観客をぐるぐると回り混沌とした次元へと引きずり込んで考えさせる、時間って何なんだろう。生きているってどういうことなんだろう、と。

 1度見ても2度見ても、何がどうつながり重なっているのかを理解するのが難しい作品。鏤められた具象が、中小となって流れ出し混ぜ合わさって、そのなかから様々なメッセージが浮かんできているようでもあるし、変幻自在なフォルムそのものの重なり具合、つながり具合も、それはそれで意味とか考えなくても面白い。そして見終わると、醸し出される生への慈しみめいたものは感じられ、少しばかり涙ぐんでしまう。「頭山」にしても「カフカ 田舎医者」にしても、ハデでややグロテスクな動きで見せていたところがあったけれど、今回は写実性があって静かな動きの中にしっかり、動かし変化させるアニメーションの面白さを入れているのも特徴。見てビジュアルの深みに感心し、展開の不思議さに感嘆しよう。秋に東京都写真美術館で公開。通って見て迫るぞその深淵に。


【5月24日】 ブッシメン、さあ立ち上げろよ、ブッシメン、今堀り出そうぜ、ブッシメン、もう悩むことは、ないんだから。なんて歌は別に聞こえてこないけれどもそのタイトルから最初はいったい、何の漫画かと思う人もいそうな小野洋一郎さんの「ブッシメン」(講談社)は、ブッシすなわち仏師つまりは仏様を彫る職人さんの物語。父親が名うての仏師だったその息子が、火事で亡くなった父親の後を継いで仏師をめざし、なかなかの腕前を評判を取っていたけれど、火事の時に父親が手に握っていた何か仏様の腕らしいものの姿が何だったのか分からず、今もその正体を求めて修養の日々を送っていた、そんなある日。

 幼なじみの少女がたずねてきて迷う少年を連れて行った先があのワンダーフェスティバル。仏様とは対極にありそうなガレージキットにフィギュアの祭典を見渡し、その仏師とはまた違った造形への情熱に関心していたその目にふと、父親が残した腕に近いものが入ってきた。何だそれはと探し求め近寄って仰天。そして唖然。半ば落胆をしたものの、そこから少年は仏師とはまた違ったガレージキットの原型師という仕事があることを知り、フィギュアメーカーで企画を担当する女性と知り合い、依頼を受けて仏教をテーマにしたアニメのフィギュアの原型作りに取り組むことになる。

 儀軌という仏像のきまりごとを重んじる仏師の観念を一方に持ちつつ、そうしたものよりも見た目の凄さ、そしてそれがユーザーの気持ちをどれだけ動かすかを重用視するフィギュアの世界にも足を踏み入れ、どっちに行くべきかを迷い悩む主人公。けれども自分が長く愛し探し求めた遺品の腕が作られた経緯を思い出し、またフィギュアであっても仏像であっても、それを求める人がいったい何を望んでいるのかを想像することで、少年はフィギュアの原型作りにひとつの芯を見出していく。形も大事。けれども心はもっと大事なその世界で、現実にいったいどれだけのフィギュアが僕たちの心を揺り動かしてくれるのか。似ているけれども「コレジャナイ」と言いたいものも多々ある世界。そうならないための道をめざす者は知るために、そしてそうなってしまったのは何故かを求める者は感じるために読もう「ブッシメン」。

 しかし崇め奉るための仏像がインテリアにもなってしまっている時代なだけに事情はさらに複雑なのかも。MORITAって会社が作る「イSム」ってブランドは興福寺の阿修羅像やら中宮寺の弥勒菩薩やら広隆寺の弥勒菩薩やら浄瑠璃寺の吉祥天やらを今の姿だったり、作られた当時の色彩なんかで再現してみせた品々を用意。ポリストーン製だから海洋堂なんかが展覧会で販売しているものに雰囲気こそ近いけれども、サイズが30センチから40センチ近くあって重厚な上に値段も5万10万といったなかなかさ。それの果たして“魂”が入っているかどうかは不明だけれども、同じ形ならば同じだけの信仰、とまではいかないけれども信頼を入れたくなるのも人情って奴。そうした気持ちを捉えることで、それなりに売れていくような気もしないでもないけれども果たして。

 東京電力という会社で発表されたトップ交代では確か、会長が留任しつつ社長が退任するという傍目から見れば不思議な構図が繰り広げられたけれども、一般的な会社だったら社長が会長になって会長は退任して相談役なりなんなりになって、静かに禅譲が行われるもの。それがそうでなかったのは、誰もが周知のとおりに東京電力の置かれている状況が状況だったからで、誰かが詰め腹を切らされる時にいちおうは看板となっている社長がその責任をとる、といった体裁を整えること以上の意味はあまりない。それもまた日本の企業らしい対応で、責任を糾弾する矛先をとがらせているメディアだったら責任の所在を1人に押しつけるのは何事か、ってことになるんだけれどもそんなメディアが何というか、会長が留任しつつ社長が相談役に退く人事を行っていたりするから不思議というか、東京電力に抱かれた懐疑が今度はそのメディアに対して抱かれる可能性もありそうで、それにたいして東京電力に求められた説明を、メディアもやっぱり果たすのがこの状況を妙に勘ぐられないために、必要なんじゃなかろーか、って思うんだけれどいったいやっぱり何があったんだろう? ちょっと知りたい。

 安藤健二さんが封印されずに喋っている姿を見つつ、せっかくだからと秋葉原まで出て午前0時からの「涼宮ハルヒの驚愕」の発売カウントダウンを見物、並びながら。11時半くらいに言ったらおよそ80人くらいがいたような印象で、最終的には100人くらい並んだのかな、ライトノベルの発売で行列ができるのも異例ならカウントダウン販売されるのも異例。ならそれほどまでに待たれているのかというと待たれてはいるんだろうけrども8時間の時差が気になるほどのものではない。そうやって時間に制約をつけてカウントダウンをさせることによって話題を作り評判を膨らませて関心を煽るって意味ならおおいにあったもようで、こうして午前0時に買いにいってみありするおっさんもいるんだからまあ仕方がない。

 そして開店から20分ほどで無事に購入。おまけももらって電車に乗って開いて読むと前の「涼宮ハルヒの分裂」からまるで続きのストーリー。状況がどーなっていて誰が何なのか、すっかり忘れているからまた読み返さないと意味がとおらない。かといって部屋のどこにいったやら。パックにするならいっそ「分裂」もセットにしてしまえば買う方だって探したり買い直さなくてすんだのに、ってもまあそこはライトノベル、若い読者に無駄な出費をさせるのも無理だから仕方がない。明日探して買い直そう。ところで本当にスランプだっただけなのか。うーん。


【5月23日】 なのの手首が飛んでいったけれどもあれって当たると爆発するものなのか「日常」。囲碁サッカー部の1人が退部を表明してついに2人になってしまってこれから一体何が始まるのか「日常」。エレベーターの中に閉じこめられたら呆然とするよりやっぱりずっと寝ているよなあ、でも金縛りになるのかいやだなあ「日常」。笹原はいつも超然としているけれどもそんな笹原にツンしてデレる乙女がいるのが何だか羨ましいよなあ「日常」。佐咲紗花さんのエンディング曲の発売も迫って来たなあ今度こそビッグヒットになってアニソン番組に出まくって紅白歌合戦に秋田枠で出て有名になってくれると嬉しいなあ「日常」。今日も楽しかったよ。

 トイズフィールドっていう、何やら懐かしい雰囲気を持った熊みたいな兎みたいなぬいぐるみが流行っているってことで、中の人と話す機会があってあの漂う懐かしさは、1950年代とか60年代に流行った顔がセルロイドか何かで出来ているぬいぐるみから来たもので、そのテイストを現代に甦らせつつオリジナルな要素も加えていって出来たものが、トイズフィールドなんだと教えられる。というかトイズフィールド自体が誕生してまだ1年半くらい。感じる懐かしさの割にこの期間の短さは、すなわちトイズフィールドが誕生した瞬間から普遍性を持ち、浸透力を持った存在だってことを裏付ける。

 だから決して目立ってはいないけれども、じわじわと人の気持ちの中に入り込んでいって居る模様で、持ち歩いてあちらこちらで自在なポーズをとらせて写真を撮ったりする人が、増えてきている模様。その中には有名人とかもいるみたいで、遠からずセレブ御用達、とまではいかないけれどもメジャーなシーンに躍り出て、「カワイイTV」で紹介され「ワールドビジネスサテライト」で紹介され「笑っていいとも」のゲストにトイズフィールドが呼ばれて「いいとも」と叫ぶ、ことはないにしてもそれなりなメジャーなプロパティとなって、2010年代から先の半世紀を生き抜いていくだろう、と思いたいけど果たして。それにはやっぱり続けることが寛容。続けてこそ生きるんだけれど玩具会社ってそこがなかなか辛抱できないからなあ。育てて支え続けることだけでしかスタンダードは生まれないと知れ。

 神宮前で話とか聞いてからとってかえしてお茶の水の明治大学で最終日となった吾妻ひでおさんの展覧会を見物しに行ったらのた魚がのたっとしていた。原画もいっぱいあって国宝級の原画に目も眩みそうになるけれど、そんな中に混じって吾妻さんと萩尾望都さんがコラボレーションした漫画の原稿まであって、国宝に国宝が乗ったダブル国宝がこんなとこに置かれていて良いのかと心配に胸がいたむ。盗みに入るドロボウさんだってきっといるんじゃないのかなあ。そんなドロボウさんのアニメ「ルパン三世カリオストロの城」を特集したアニメックの大辞典に寄せたパロディイラストの原画があって、懐かしさに落涙。これを見て1982年当時に存在感をちゃんと残していた吾妻ひでおさんに感動しつつ「カリオストロの城」という作品への関心を深め宮崎駿さんへの傾注を深めていったんだ。

 あと大辞典ではかがみあきらさんという存在も知ったっけ。それから2年後……。また泣けてきた。美少女という図像とそのバリエーションを他の作品とも絡めて展示したコーナーは吾妻さんの足跡を普遍化する上で大変に見やすくためになる展示。よく企画した。とはいえあのミサカ盛りを積んだまではいいけれど、背後に鏡を置かなかったのは個人的にはやや残念。ミサカ盛りの神髄は並べて積み上げたものを後ろから見ることにあるのだから。本物だけが短パンで残りは縞パンというあのビジュアルこそが、増殖する美少女の放つ妙な淫靡さ不思議さ不気味さを露わにするのだから、ってそれはちょっと言い過ぎか。もうちょっと買い足しておけばよかったかなミサカ盛り。2パックと4つじゃちょっと足りないかなあ。

 うーん。っていうか海水の注入があの時点で1時間、中断したからといってどんな影響があったかっていえばもう既に炉心溶融は始まっていて遅きに失していたか、あるいは粛々と事態は進んでいったかのどちらかで、事故の大小に影響があったってことはなさそう。そもそも論から言うなら津波でぶっこわれる場所に電源施設を置いていた東京電力が悪く、津波を除けるだけの防波堤を築いていなかった東京電力が悪く、故障した電源を復旧させるのに手間取った東電が悪くって、それ以上でもなくそれ以下だとするなら水素爆発の危険性を感じつつ、ベントに手間取ったという落ち度が加わるくらいで、それは別に総理の視察があったからではないことは既に周知のこととなっているから、やっぱり東電が悪い。今の総理だから、あるいは今の政権だから何かが大きく違ったってことはない。たぶん誰もがそんなことだと思ってる。

 でもメディアは、とくに新聞は、それも特定の新聞は執拗に総理なり与党の失策をのみ追求していく。というか何が何でも失策にしようといった意識でもって物事をとらえ、書いている。そうした意図はもはやまるまる透けて見えているにも関わらず、主張も1万回言えば本当だと思われる的な主張の集中豪雨を浴びせかけようとしている。そしてそうした意識すらも透けて見えてしまっていることが、果たして後にどんな影響を及ぼすのかといったことを今、考えているようにまるで見てないところが何だか薄気味悪い。分からない訳でもあるまいし、とは思うけれどももしかしたら本当に分かっていないのだとしたら、来るのはひたすらに奈落の底へと落ちていくルートのみ。その瀬戸際にまで来ていそうなのに踏みとどまらず引き返しもせず進むレミングの明日はどっち? って落ちるしかないんだってばよ。


【5月22日】 いなり寿司とかいっぱい食べて目黒から戻って眠って起きて支度して、電車を乗り継いでお台場まで来て「痛Gふぇすたinお台場」を見物、これで来たのは何回目? 4回やってるうちの多分3回は来ていたけれども春の開催は初めてで、10月のちょっぴり肌寒さも出始めた頃とは違った熱気に果たして1日、来ている人たちは保つんだろうかと心配にもなるけれど、そこは車なんでいざとなったら乗って暑さはしのげるし、この晴天だからないだろうけど雨でも降ったらそれもしのげるから無問題。何の心配もないと高をくくっていたらどうやら暑さより雨の方が大変だった模様。それと急な寒さか。いきなり冷え込んだもんなあ。これが寒冷前線って奴か。違うのか。

 何やら小さいランドセルを背負った真っ白なあれはブルマーに体操着なのかそれとも白いスクール水着なのか、近寄って確かめるなんて恥ずかしいことはできなかったけれどもカメラでにじり寄って写真だけはいっぱい撮ったコンパニオンさんがいた車の脇に、車に描かれたキャラクターと同じ姿の人もいて、ああこれが噂の「痛車娘」本人なのかと眼の保養。違うって。それは漫画のキャラクター。あまのがみだいさんが作ったユーノスロードスターの痛車がやって来ていて作家の人までもが来て単行本の1巻と2巻を手売り中。そのストレートなまでの熱意とあと、ちょい割引もあったんでこの際だからとまとめて購入。そして眼をキャラクターと同じ娘とそれから白いブルマだか何だかの娘に転じてやっぱり写真をいっぱい撮る。これでしばらく戦える。何とだ?

 震災の影響で2カ月くらい延期になっていただけのことはあった「痛Gフェスタinお台場」にはそうした震災へのチャリティを目的としたブースも出展。あの屋根の上に乗ってた船を動かしたクレーンとか持ち出していた会社なんかも来てナンバープレートを売っていたし。「かんなぎ」のなぎさまの聖地、七ヶ浜の鼻節神社の同人誌を作っている人たちもステッカーなんかを持ち込んで販売。あと9月だかに東北で開く予定の痛車のイベントの案内なんかをして現地しっかり頑張ってますんでよろしくって意気込みを見せていた。午後には「かんなぎ」絡みのオークションもあった模様。まあでもDVD全巻保っているからここは遠慮。東北は宮城ナンバーの車もいたなあ。頑張ってるなあ。見習いたいなあその前向きさ。

 カーセブンってところも来てここは200円の募金でゆうこりん小倉優子さんのサインがプリントされたタオルとあとステッカーなんかを配ってたんでさっそく購入。経済記者あたりにリリースまいたみたいだけれどお高くてお偉い経済記者なんてたとえ世間がひとつの巨大な産業だって認めていたって痛車とか、サブカルのイベントなんかに来やしないってのに。ってイベントに行く自分はサブカル&オタクが専門。だけど媒体からはそんなコーナーも消えつつある。乗っているのは底の浅い政権叩き。記者会見で当てられないって愚痴言ってなら聞きたいことを新聞に書いて公開質問すりゃいいじゃねえか。それがメディアってもんだろうに。面前で罵倒して脚光を浴びたいがために質問する訳でもあるまいし。まあいいや。ともあれ賑やかな痛車イベントは次もちゃんと開かれるのかな。お台場は開発が進んで来ているし。幕張メッセまわりでやってくれた近いけど、駅から遠けりゃ意味がない。さて。

 まだ晴れているうちに会場を後にして秋葉原へと向かってラジオ会館に人工衛星が落っこちてない様子を確認。そして角の元石丸が新しいラジオ会館を名乗るって看板をようやく発見した。ずっと空き家になっていたから取り壊すのかと思ったよ。何がそっちに移るんだろう。海洋堂は別の場所に行くみたいだけれど。ボークスは。コトブキヤは。K−BOOKSは。気になるなあ。それからメガハウスがやってたメガホビエキスポをのぞいたらパンダーZが復活してた。マジンガーZみたいなパンダのキャラクターでメガハウスってメーカーがやっているように見せずにデザインフェスタに出ていたことを憶えてる。その後ちゃんとキャラ化したけどちょっと止まってた。でも東京にパンダが来たことだし復活ってなった模様。今度は何が出てくるんだろう。等身大か。200万円のカーボン製か。あとは「ONE PIECE」のベローナちゃんが色つきになっていたのを発見。どうするか。

 吉田親司さんの「女皇の聖戦 内親王那子様の征途」 (朝日ノベルズ)が出たことだしその前段となるシリーズも読んでおこうかとK−BOOKSに寄ったら全6巻のうちの6巻がなかったんで全巻一気揃えはあきらめ2巻までを購入してから電車を乗り継ぎ清澄白河へと回って無人島プロダクションのギャラリーで「Chim↑Pom展 REAL TIMES」を見物。3回目。日曜の昼下がりでまだ雨も来てなかったこともあってそれなりの人手。とりわけ原発前で旗を降って防護服のかかしを置き去りにしていく映像の前に集まっていて近寄れず。でもあそこは暑いからいいや。僕はといえばお気に入りの「気合い100連発」を3回転くらい見物。エリィちゃんに番が回ってくるたびに耳そばだててその声を聞く。喧騒の中でも不思議に抜けて来る声だ。あと引きの映像になった時に見えるピンク色の長靴にも注目。どこのメーカーだ。この「気合い100連発」が入ったCDも3枚もらったことになるけどさてどうしよう。3連奏のCDチェンジャーにいれて延々と流すか、ってそうしなくてもiPadに移してループさせればいいのか。聞いて歩けば勇気100倍。そしてイカが食べたくなるという。

 そして読んだ吉田親司さんの「女皇の聖戦 内親王那子様の征途」 (朝日ノベルズ)はなるほど架空戦記めいて改変された歴史が描かれてはいるけれども、改変することによってあの敗戦をなかったことにして溜飲を下げるものではなくってそうあったら果たして世界にはどんなに美しい光景が広がっていただろうかと夢を見させつつ、現実にはそうはならなかったけれどもこれからそうあるべきだろうと指針を示すって意味で、前向きさを保った内容になっていた。かつてソ連に帝都宮城を占拠され、天皇陛下ともども宮城を脱出して反攻し、帝都を取り戻した那子内親王がいよいよ婿探しに出かけるってことで列強各国が軍艦を寄せお招きしようと画策するものの、そこはまだどこに靡くわけにもいかないとひとり屹立して毅然とした態度で外遊に出かける那子様が、乗った船が凄かった。その驚きを浴びつつしかし那子様が生きる世界が置かれた情勢が、大きく動き始めた中で帝都奪還のようなわが身に直接関わることではなくても、世界の平和のために遠い異国の地で身を粉にする那子内親王に迫る危機、そこからの脱出とこれからに注目して読んでいきたいシリーズかも。世界はどうなっちゃうんだろう。


【5月21日】 だから講談社でもどこのテレビ局でも映画会社でも構わないから、早く青柳碧人さんの「浜村渚の計算ノート」シリーズの映像化権をとって、テレビドラマ化なり映画化なり進めなさいってば。絶対に面白くって絶対に可愛らしくってそして文部省からも推薦を受けられるエンターテインメントができるから。情緒を重んじる教育がもっと必要と数学が義務教育から削られてしまたことに腹を立て、数学者がテロリストとなって起こした事件に中学生の数学好きの女の子が挑むというこのシリーズ。主演の浜村渚にはSKE48の松井珠理奈さんをあて、敵となるキューティー・オイラーにはAKB48から大島優子さんあたりを当てて映像化すれば、とっても良い感じに仕上がると思うんだけれどそういう話ってまだ進んでないのかなあ。

 進んでないんだとしても新発売になった最新刊「浜村渚の計算ノート 3さつめ 浜村渚の水色コンパス」(講談社Birth)を読めば、もうこれは映像化するしかないときっと誰だって思うはず。面白い。次から次へと起こる事件に数学的な解決で挑む浜村渚。幕張あたりで起こる事件では恋する女子社員ばかりを雇った会社に起こった事件で残された暗号をさらりとといて、テロリストグループを大きく追いつめる。次なる事件の発生場所、北海道では函館山に五稜郭といった函館の名勝やいかめし等々函館の名物をどっさり取り入れながら、スペクタクルな大捕物を演じてみせる。そこに絡んでくるラベンダー隊にAKB48のメンバーをいっぱい使えば、もうヒットは確実。ショートパンツ姿で妙なかけ声をかけて現れ、走り回る彼女たちをぜひみたい。

 そして愁眉は劇中劇的な「『プラトン立体城』殺人事件」。正多面体でのみ構成された不思議な館を舞台に起こった殺人事件を描いた上で、謎解きをしないまま死んでしまった著者の挑戦に答えるように浜村渚はあっさりと謎を解き明かす。とはいえ数学は好きでも国語は苦手で、小説を読むのを人任せにしてしまってミスしそうになるのはご愛敬。やっぱり国語も大事って教えるストーリーになっているから、数学を廃して不興を買った文部科学省を糾弾するような内容をフォローして、文部科学省の言い分にも一理を認めてあるから文部科学省推薦をもらうに不備はない。とにかく楽しい1冊。そして未だつかまらないドクター・ピタゴラスをどう追いつめていくのかを、読みたいんだけれど続きは出るかな? 出て欲しいな。

 しまった「GHOSIK」の時間設定を世界卓球のまんまにしてあった。でもって撮り逃したけど最近あんまり見てないんでショックは小さい。そして眠って目覚めて清澄白河へと向かって「Chim↑Pom展 REAL TIMES」へと再び。初日は夕方にかけてそれなりに人も入った一方で、メディアなんかが相変わらずの小窓からのぞき見える部分でしか報じなかったりする影響もあって、いったいどんな様相を呈しているかと思いのぞいてみたけれど、そんなに満員って程でもなくってまあそれなりに人が途絶えず入ってくるって感じ。現代アートの新進のそれも有料(500円で寄付されて「気合い100連発の音声入りCDがもらえる)の個展にこれだけ来るなら、万々歳ってとこじゃあないのかなあ。たとえそれが岡本太郎効果でも。

 もちろんそれも1つの表現として含めた上での「REAL TIMES」ってことであって、首尾一貫したテーマのもとに構成されていたりするんだけれど、メディア的にはあの岡本太郎さんの壁画にプラスアルファした行為だけが、一種の“犯罪”めいて取り上げられてしまい、それを世間を省みないまま行った宣伝だと取られてしまって、世間の気持ちをささくれだたせている。でも行けば分かる。岡本太郎だけがメーンじゃない。今の福島で起こっていることが何なのか。それを知ってもらおうとする思いがそれぞれの作品にしっかりあって、岡本太郎へのプラスアルファはあくまでも部分でしかないことが分かるはず。はずなんだけれど、それは行かなきゃ分からないし、行けない人にはメディアが伝えなくては分かってもらえない。でもそな肝心のメディアが分かろうとしない、伝えようとしないボトルネックを突破するのはだからネット、ってことになる。だから伝えよう。そして訴えよう。行って見よ。見て感じよ。そして行為せよと。

 岡本太郎さんの壁画へのプラスアルファだって、それ自体を抜き出してみれば、ほんとうはイタズラなんて言葉におしこめるべきではないけれど、何歩がゆずったイタズラだったとしてもかわいいもの、忠犬ハチ公に眼鏡をかけて帽子を被せることと比べて大差があるかっていうとそれほどない。なのにそれが広島の空に「ピカッ」と飛行機雲で描いた“前科”が、アバンギャルドさユニークさとは違ったネガティブな印象を、Chim↑Pomに与えてメディアの先入観をそちら方面にぐいっと引き寄せ、その眼を通して世間の印象をネガティブなものにしてしまっている感じ。でも行けば坪井直さんという被爆者の団体の代表を務める人から「不撓不屈」と書かれたFAXが飾られているのを見ることができる。これはとっても意味があることだ。広島でのあの一件の後、Chim↑Pomのメンバーは被爆者団体の人たちと膝を詰めて語り合った。そうすることによって何をしたかったを分かってもらっただろうからこそ、今につながるそうした関係があると分かる。

 行けば瞭然。なのに変わらないこの雰囲気は何故なんだろう? とってももどかしい。メディアはあの一件からChim↑Pomは、市民の心を踏みにじった面子といった印象を固定化されてしまって、そこから抜け出る術を得られないまま来てしまっている。そもそもが怒る市民といった概念ですら、メディアがメディア的に創造したものだったに過ぎなかったりする。けれどもそれが報道を通してすべてになってしまうのが今の世の中。その印象に上塗りされる形で岡本太郎さんの一件が乗ってしまって、なおいっそう世間に喧伝されてしまっている状況は果たして正しいのか。否。断じて否だと思うけれどもそれをひっくり返せるだけの術がない。力もない。

 メディアは今なお世間を騒がせ続ける面々といった印象をのみChim↑Pomに感じ、そう伝えるままにして、是正しようとしない。実際に清澄白河の展覧会場に来て、並んでいる作品を見てもなお、改められないというメディアの人間もいるというから悩ましい。けれどもそれも一部と信じたい。幸いというか不幸というか、喧伝されたことで来る人は増え、見る人は大勢になって語られる機会も広がった。そこでの言葉が広まれば、今のメディアへの不信任ぶりともあいまって、正当に語られ絶賛でも、あるいは批判でも構わないから評価され、位置づけられていくことだろう。そのために語ろう。何の助けにもならないけど。それでも語ろう。エリィちゃん可愛いと。それかよ。

 アートかプロダクツか。そのどちらでもあって、どちらだって構わないといった雰囲気があるのがザリガニワークスってところが作っているコレジャナイロボ。名前から何となく分かるように、いわゆるパチ物的なロボットの玩具を与えられた子供が、親に向かって泣きながら「コレジャナイ!」と言うシチュエーションを逆手にとって、いかにも「コレジャナイ」的なデザインのロボットを作ってしまえば面白いといったところから出来上がった品物。もうかれこれ10年くらい経つんだけれど未だに人気のそれを、遂に等身大にしてしまえってことで21メートルのロボットを作ろうとしたけど、お金もなければ場所もない、ってことでせめて顔だけでも作って置いた東京は青山のポール・スミスのビルの上。あのオシャレでアバンギャルドなポール・スミスが何でまた、って思うけれどもそこに漂うユーモアはなるほど英国人好み。ポール・スミス本人も気に入っているといったことで、去年に続いての展覧会が実現した。

 行くとなるほど等身大。ただし顔だけ。3メートル四方の立方体が屋上テラスにでんと乗って出迎えてくれるんで、行ってその巨大さを実感しつつ、これがお台場なり東静岡に立っていたらいったいどんな驚きを得られたんだろうと想像してみるのも楽しそう。そんな会場で売られるお土産とかTシャツなんかも作られていて、本当にあったら買ってしまうかって言うとうーん、やっぱり「コレジャナイ」かも。つなぎみたいなのも作ってあってこれは本当にでるみたい。胸にマークで両肩にワッペンのザリガニワークス謹製つなぎ、着て中にシャツとネクタイを着込めば会社にだって通え……さすがに無理か、いや防災服だと言い募ればあるいは。折角だからと赤い「コレジャナイロボ」を1つ所望、モノアイで赤、ってことは角は……なし。だから「コレジャナイ」。でも「コレナンダ」。そのギャップが嬉しい品。買ってみんなも感じよう。「コレジャナイケドコレナンダ」と。


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