縮刷版2011年3月上旬号


【3月10日】 光永康則さんといえば「怪物王女」だけれども、別にいろいろ書いているみたいでそっちを買ってもたけれど、普段から美少女があられもない格好をしているイラストが載っているライトノベルとか、もっと派手な場面が描かれているアトミック文庫の類を電車の中で平気で読んでいる僕でも、思わずページを閉じてしまったくらいに「チアチア」(白泉社)って漫画は凄かった。いやエロかった。もうビンビンにチラチラだった。チラチラ。

 何がってそりゃあタイトルが「チアチア」で中身がチアリーダーになる美少女たちの物語だら、見えてしまうのが当たり前。むしろ見せてしまうんだけれどその前段として、女子校があてそのトップの息子が唯一の男子として通いながら、権勢をつかって盗撮しまくりだったりするからたまらない。もう見えまくり。あるいは見まくり。そんな彼を幼なじみとして見守る生徒会長もいるんだけれど、彼女にまずは白羽の矢が当たって、学校に来年できる男子野球部の応援団作りが始まった。

 以降は残りのメンバーを集めて回るというストーリーで、陸上部の長距離のエースとか、おとなしそうな眼鏡の娘だけれど実はな少女とか、学校の臨時教師とか写真部の女子とかがまとめて引っ張られてチアリーダーをやらされる。中には恥ずかしがっている人もいたけれど、表向きではそうでもやっぱり魅力があるのかその衣装を、隠れてこっそり着ては脚を上げていた場面を少年に見られてジ・エンド。でもそれは内心にあった願望を露わにする機会が得られたってことで、いっしょになって応援の場に臨もうとしたらチアリーダー部は結成されず、少年も男子校への転向が決まってしまうという展開。

 それで1巻の終わりだけれども場面はたっぷりあって落ちもついた良いまとまり。なおかつ最高のビジュアルを、是非にアニメ化して欲しいものだけれど、これをあったらまずは光が輝き、そして湯気が沸き立ち、さらにはまったく別の空だけが映し出されて終わってしまいそうだからなあ。そうはならないためにも是非に、OVAとかでのアニメ化を。好みはといえば美瑛あさりだけれど、人によっては美唄ありさの方になるのかな。どちらも絶対領域が素晴らしいらしいし。どう違うかは分かりません。

 「星を追う子ども」。それは新海誠さんの最新作。「秒速5センチメートル」から幾年月、世間では吉浦さんお「イヴの時間」をはじめ「センコロール」「アジール・セッション」「プランゼット」といったインディペンデントなアニメが劇場で公開されて来たけれど、そうしたムーブメントの嚆矢として「ほしのこえ」で世間をわかせ、世にフォロワーを大勢生みだした新海誠さんが今ふたたび、劇場作品を引っさげ戻ってきた。

 5月7日という公開日を前に始まった試写を見て思ったことはまずしっかり、2時間近い映画を映画としてまとめあげているということ。山村から始まって少女が出合いそして踏み出すストーリーだけれど、何が始まりどこへと連れて行かれるか分からないわくわく感がまずあって、そして始まった冒険で繰り出されるとてつもなく広々としてすがすがしくもあり、一方で恐ろしくもある世界のビジョンに目を見張らされた果て。思いが果たされるその向こう側へと、自ら向かい進んでいく大切さというものを教えられる物語が繰り広げられる。

 なるほどキャラクターの雰囲気はスタジオジブリに似ていると言われれば似ているし、繰り出されるビジョンにもどこかで見たような展開があると言われればあるかもしれないけれど、それはジブリに限らずボーイ・ミーツ・ガールでありまた冒険の物語の定番ともいえるもの。そうしたものを誰にも受け入れられやすい画面で描こうとした時に、先達に重なって見えるというのも当然と言えば当然。そこから先、繰り出されるメッセージとそしてビジョンが新海誠さんというクリエーターのオリジナリティを感じさせ、且つ持てるクリエイティブの才能を感じさせるのだと思う。

 主演の少女は金元寿子さんだけれど別に「じゃなイカ」とも「でゲソ」とも言わずに多感で真面目で張りつめて遠くを見ている少女をしっかり演じている。脇に入野自由。強さと透明感を併せ持った少年の声はばっちりだ。そして井上和彦さん。優しさの置くに疚しさと企みを持った声を今、池田秀一さんとは別に演じられるのはこの人くらいなのかもしれないという名演を見せてくれている。さらに我らが女神・島本須美さんも登場。聞き惚れる。折笠富美子さんがお母さん役をやるようになったというのも興味深い。

 映像は真っ当に劇場アニメーションのクオリティ。そして音楽も優しくて耳に響く。太陽が輝き雲が流れる映像はまさしく新海調。色彩設計も新海さんが担当していることからもそうしたトーンは全編に行き渡る。脚本や絵コンテといったクオリティを左右する部分を個人が担当し、作画などを任せる制作耐性は吉浦さんの「イヴの時間」にも通じる制作体制か。そうやってコントロールを個人に握らせつつ共同作業の書かせないアニメーションを作り上げることが、あるいはこれからの主流の1つになっていくのかもしれない。それが独りよがりにならず、また製作期間も商業の間に収まるようにするための、プロデュースの力も相当に問われそう。

 ともあれなかかなの傑作。過去の「秒速5センチメートル」や、その前の「雲のむこう、約束の場所」よりも、エンターテインメント性を持ったアニメーション映画としてどんな世代も楽しめる。それこそ夏に公開の本家ジブリによる「コクリコ坂から」に負けない評判を、得られるかもしれないけれどもそれは見てみないと何とも。ただジブリだからという理由だけで「コクリコ坂から」を見に行こうと思っている人がいるのだとしたら、その気持ちの幾分かを「星を追うこども」に振り向けても絶対に損はしないし、むしろおおきな得をする。このゴールデンウィーク過ぎは、誰もが見て楽しめて旅できて、そして得られるひとつの開放感。命への優しさと慈しみにあふれた物語を存分に味わい、そして目も覚めるようよな世界のビジョンを全身に浴びようではいか。大きなスクリーンで見れば見るほど、感動できる映画。是非に劇場へ。

 発売された「Number」って雑誌に賀川浩さんが登場。86歳のサッカー記者。50歳で西独W杯に行く時、既にサンケイスポーツの編集局次長って立場にありながら、是非に行きたいと考え「自分でスポンサーを探し」た上に「出張費用はすべて自費」でもって「面白い記事を書く自信」があり、「記事の下には広告も入って会社に金は落ちる」と上を説得して渡航したとか。そのとおりに面白い記事を贈ってきたというから凄いものだけれど、それとは別にそういう気持ちを当時は記者が持っていて、そうした気持ちを認めて送り出す度量が会社にもあったんだなあということが見えて面白かった。今はどうかはあんまり知らない、ワールドカップとかいったことないし。あと賀川さんの尽力でセルジオ越後さんに特別コーチの資格が与えられ、それでさわやかサッカー教室が開けたという裏話も。その教室でサッカーに触れた人から大勢のプロ選手が出ていることを考えると、賀川さんが蒔いた種はとてつもなく大きくふくらんでいそう。それだけの種を今の協会は蒔いているか? うーん。考えよう次の世代その次の世代に残せる何かを。


【3月9日】 超能力でも魔術でも、得体の知れない力はすべてうち消す黄金の左腕は持ってないけど、代わりにマウスにはすべてを見通し、計算し尽くすコンピュータが付いている。それ以上に当人が、上条当麻の愚直さとはまた違った、己の意志だけは貫き通す真っ直ぐさを持っているから、あらゆる困難だって突破して、解決してそして助けた女性たちに気持ちを寄せられる。

 ってことで大間九郎さんによる、栗山千明賞だなんて聞いただけで戦慄が走るうらやましさ炸裂の賞を授賞した「ファンダ・メンダ・マウス」(宝島社)に待望の2巻が登場。いきなり海で新たな彼女をゲットかと思いきや、現れたミチルちゃんに凄絶なもてなしを受け、帰ったら帰ったでネーネが騒ぎマコチンが縛ってマウスを汲々とした身にさせる。

 さらにそこに加わっていたのが、キンバリーちゃんって13歳の女の子。誰だそりゃ、って言われれば、マウスが実はチャイニーズマフィアの子息だと分かって父親というボスが押しつけてきた政略結婚の相手で、アメリカの名家の子女から受け入れたものだそうだけれども、その手みやげとしていっしょにつけられていたらしい、大量の麻薬が消えてしまってキンバちゃんの一家が困ったことに。

 そりゃあいけない、一度嫁にした以上は絶対に守るといった感じでマウスが突っ走り始める一方で、そんな麻薬を運んでいた男が撃たれて死んで、その男の娘こと前作から引き続き登場の美月が事件に巻きこまれ、麻薬を狙う誰かをおびき出すよう、それを持って走り回れと命じられる。デス・ゲーム。そして浮かび上がる陰謀は、今はもういない少女の想念と、今も生きてあがく女の妄念とがぶつかりあって、13歳の少女をいためつける。

 彼女の願いはかなうのか、ってあたりで今回もマウスとそれからくそったれなコンピュータのコンビがまあ活躍。ラップにも似たリズム感ある文体も織り交ぜながら、癖やら特徴やらのあるキャラクターたちをしっかりまとめあげて1本の筋を仕立て上げた。いやあ面白い。愚直で真面目で他人思いのキンバちゃんも可愛いけれど、そうした愚直さとはちょっと違って、誰かに頼る自分ではまだいたくないけれど、本当は頼りたいほど怯えている美月の揺れる心理ってのにも可愛らしさが漂う。そして大団円の果てにあの部屋に、あれだけ暮らして大丈夫? 次があるならマコチンの暴れっぷりも見てみたいもの。アルゼンチンから奴はどうやって帰ってくる?

 一方の上条当麻はといえば、「とある魔術の禁書目録」の第22巻で右方のフィアンマとの壮絶な戦いの果て、海の藻屑となったかどうかして姿を消してしまってそして始まった当麻なき世界での物語は、いきなりとうとつに「新訳 とある魔術の禁書目録」としてスタート、っても別に誰もの頭から当麻の記憶が消えてしまった訳でなく、不在を思いながらも戻ってきた平和の裏側で、またもやうごめき始めた闇とやらにロシアより無事に帰国の浜面仕上と、そして一方通行とがぶちあたってはどうかしのごうと走り回る。

 浜面の周りには滝壺理后がいて絹旗最愛がいて、そして妙にかわいらしくなってしまってセクシー担当を自認するようになった麦野沈利とかもいたりして、わいわいとやっているように見えるんだけれどやっぱり怒ると恐い第4位。ドリンクバーで汲んできたジュースに氷が入っていない、温いといっては浜面仕上げを言葉でもって痛めつける。さすがに能力は出さないけれども表面だけは戻ったその美貌の裏で、ふき上がる情念だけでもって浜面クンも超びくびく。超といえば絹旗は超のいくつもつく映画を浜面と滝壺のカップルに薦めてみせたりする。何せ主演がクウェンサーヘイヴィア。そりゃあ凄い超映画だったあろうなあ。見てみたい。

 一方通行はといえば、やっぱりソ連から戻ってラストオーダーとミサカワーストを連れて黄泉川愛穂の家で大騒ぎ。けれどもそこはいまだに成長途中な羅ストーダーが、ミサカワーストの胸元に見入り、そこから吉川桔梗がそれなりに悩みをかかえてがんばろうとしている実態が明かされ、それを見た黄泉川桔梗が茶々をいれるけれども、そうした茶々がもはやすでにして嫌味でしかない黄泉川の揺れる存在感に、誰もがクラクラしている中で一方通行だけは淡々としながら、買い物に出かけてそして新たに生まれた暗部とのバトルに巻きこまれていく。もしかして当麻より戦ってないか一方通行。

 そんな浜面と一方通行の共闘の果てに見えてきた、次なる展開は学園だの魔術だのといった間でたった1人、上条当麻だけが挟み込まれていた状況が一変して、世界をも視野に入れたバトルが始まりそう。その目的は。つまりはアレイスター・クロウリーの狙いは。ってところから始まった「新訳」。たぶん30巻き続いた後に「超訳」が20巻ほど続いて、上条当麻が左腕1本でアンドロメダを消し去り、一方通行が銀河をベクトルで宇宙に飛ばし、そして浜面仕上げが何にもしない展開へと向かうのだろう。楽しみだ。

 面白い漫画を探して面白そうだと手に取ったnaked apeって人の「マグノリア」(講談社)って漫画がヘンで良かった。とある王国の皇太子として生まれたアヤトだけれど、彼には弟や妹と違う秘密があった。性的に未分化で女性を好きになれば男性に、男性を好きになれば女性になるというその秘密を知ったアヤトの前に1人の男が現れる。自身は皇太子であり男であるという意識が強いんだけれど、人見知りする正確もあって知り合いも増えないなか、衆人環視のパーティを嫌気して逃げようとして女装したところに、前にもすれ違ったその男が現れ、ダンスで場を凌ごうと提案する。

 女性となってその男と恋をすることになるのか、それとも男性の道を選びながらもその男に感心を抱くような展開になるのか、なんてBLっぽさも漂わせるストーリーだけれど、嘆美で繊細な絵柄にも関わらず展開はどこかギャグってのが目新しい「マグノリア」。何か笑いながらも男女の間で揺れるアヤトの戸惑いを楽しみ、どっちの転ぶかを想像して読んで行けそう。妹に関わる眼鏡の青年とか現れて、いたりしてこれから陰謀めいた話とか、いろいろあるんだろうか。でもやっぱりアヤトは女装姿の方が良いよなあ。そっちで良いじゃん、って外野が言う話でもないけれど。

 なんかね。桐生悠々とかの筋道立てて真っ当なことを話す、苛烈だけれども存分に理解させられ、あるいは納得させられる論陣とか見た後だとね。ただひたすらに上品の反対にしか見えない文章って奴は、読んでてげんなりとするのね。でもってこれが、言論の府を自認する新聞の、それも1面に載っている“名文コラム”の枠に載っていると思うとね。ここはもういけないのかもなあとも思うのね。実際にあんまりいけてないし。

 言いたいことは分かる。そこにある二面性って奴を暴きたいって気持ちに理解は及ぶ。だったらそう言えば良い。でもね。へりくだった文体が、沖縄の人に敬意を示している訳じゃなく、むしろその逆だってことをあからさまに感じさせる分だけ、相手を愚弄しまくっているってことが見えてしまってね。読んだあとにもわんとした思いしか残らないのよね。かつての名文家だったら、互いの事情を踏まえつつ、ちゃんと提言もして締めたと思うんだけど、もうそういう人はいないのね。誰1人として残ってないのよね。困ったなあ。


【3月8日】 胃の周りに重みがあって疲れ果てた感じだったんで、深夜アニメは見ないで寝て起きて早朝アニメとして見た「レベルE」はなるほどそういう話だったかもしれないと、薄らぼけた記憶からたぐり寄せようとしたけれどもそれだと女王様の種族は納得するのかしないのか。しなくたって科学の力で滅ぼす訳にはいかないし。っていうか犯人をすぐにドグラ星だと見破って制裁とか課すんじゃないのかなあ。まあいいや。それで幹久今日子ちゃんはどんな風に変化したんだろう。でもその変化もアンチウイルスへの対抗もいっしょに行われていたんじゃなかったっけ。クローンだけ抜き出しアンチウイルスとか混ぜても無駄なような。まあいいや。ともわれ地球は救われた。王子なかなかやるじゃんか。でもこの次は。何だっけ。原作まるで覚えてないや。そろそろ読み返しても良いかな。

 なんかどシリアス。ギャグとシリアスの混ぜ具合が良い感じだったところがあった「アニメーション版「これはゾンビですか?」だけれど、ここはやっぱり見せ場ってことでユークリウッドの過去現在を描いてその怯えその悲しみをクローズアップ。一方で歩たちがもう離れられないくらいに仲良くなっていた描写を示すことによって、あの物語が単なる同居ラブコメを越えた、絆の強さを描くストーリーになっていたんじゃないかってことをくっきり浮かび上がらせてみせた。このあたりはやっぱりシリーズ構成の人の差配か。大先生は強すぎるけどお陰で尻尾の方でがんばっていた智紀に被害が。あんなに健気な彼女をぶっつぶしてしまいそうになる大先生、知らなかったこととはいえ容赦ない。でも大丈夫、っていうか何がいったい出てきたんだ、そしてユーの行方は。残る話数もそんなにないけどそんなあたりをきっちりまとめ、そしてギャグも混じった愉快な日常を、また彼と彼女たちに与えてあげて下さいな。ブルーレイはやっぱり買わなきゃいけいなかな。

 あれはまだ「電撃アニメーションマガジン」という雑誌があってそこで書評のページを受け持っていた頃に、これも混ぜてと渡された1冊の漫画が滅茶苦茶面白かったんで、もちろん紹介したって記憶が今も強く残っている。漫画家自体はそれ以前から、パイオニアLDCってところの作品のファンでもあったんで、作品に混ぜられた4コマ漫画とかイラストなんかから、存在は知ってはいたけれど、本格的にオリジナルの活動をし始めていたんだと知ったのはその漫画の単行本から。版元の偉い人のコメントまで入ったそ漫画本は立ちどころにベストセラーとなって、「あずまんが大王」という本のタイトルとともにあずまきよひこさんという漫画家の名前を一気に世間に印象づけた。あれからだいたい10年くらいか。

 もはや世界にあずまきよひこさんって漫画家の名前を知らない人はいない。それが証拠にアメリカに行って「アズマ」といえば東ちはるさんでも東八郎さんでも東浩紀さんでもなくあずまきよひこさんのことを指す、かどうかは知らないけれども国内的にはやっぱり売り上げの面で今のところあずまきよひこさんが全あずまんのトップを走るんじゃなかろーか。何しろ第2作目として描き始めた「よつばと!」の累計発行部数は800万部。1000万という歴史的な大台を近くに見るくらいの勢いで今も冊数を増やし続けてる上に、毎年発行される日めくりカレンダーもこれまた売れに売れる訳で、相当な実入りって奴がきっと入ってあずまきよひこさんとよつばスタジオを潤わせているに違いない。でも。

 ここで本当に心から儲けたいと思えば当然、アニメーション化だキャラクターグッズ化だ果てはパンチンコ化だたおいってマーチャンダイジングを仕掛けまくるはずなんだけれど、そこを抑えて「よつばと!」ではなかなか映像化をしようとはしていないし、キャラクターグッズもコントロールできる範囲でしか作っていない。なぜなんだろう? それは多分キャラクターをピンで抜いて楽しむ作品を作っているつもりはなくって、あの絵で描ける物語の中でまずはキャラクターの心情を見せ、空気を感じさせ世界を味わわせることにまずは腐心していて、それを映像化という形で音と動きの枠組みに押し入れてしまうことに、どこか気持ちを離していたりするからななんだろう。グッツもそう。キャラクターを張り付けるだけでは世界観も心情も伝わらない。添えられる何か。あるいはレイアウトも含めて作品として、もっというなら「よつばと!」という世界として提示したいって気持ちが強くあるからなんだろう。

 だから、渋谷のギャラリーで始まった、「あずまんが大王」と「よつばと!」の日めくりカレンダーが発売からまるまる10年経ったことを記念した展覧会で、ずらりと貼られた10年分のカレンダーを眺めた時に、決してそれが絵だけの羅列ではなくって、物語性があって空気感があって心情が感じられるものになっていることに強く気づける。最初にそれを意図して作ったのもすごければ、「よつばと!」という「あずまんが大王」に比べてキャラクターの数も動きも少ない作品でやってしまったこともすごい。相当数の描きおろしも混ぜながら、物語性を作り空気感を築いていく作業のきっと膨大なことは想像に難くないけれど、それをやらなくてはいけないという意識の持ちようが何より、あの世界を愛するファンには嬉しい。だから買うし、展覧会にも行列をつくって並んで見ようとするんだろう。

 10年分のカレンダーのほかには、20枚ほどの「よつばと!」の原画もあって、これがまたどれも細密で丁寧で正確。撮影したのを取り込み張り付けるようなことはなく、すべてをちゃんと手で描いてみせているところがあって頭が下がる。雨が降っているシーンとか、遠目に見ればただの雨のシーンだけれど、ペンで斜線を入れてから、ホワイトで斜線を重ねて雨粒がよぎって後ろをかくす雰囲気を、作り上げていたりするところが分かって勉強になる、って別に漫画は描かないけれど、こういった工夫によって1枚の絵が作られ、1編の物語が作られているんだと思うと、漫画をこれまで以上におろそかにできなくなる。でもこういうのって、単行本になると伝わらないんだよなあ。もう本格的に高解像度のスキャナーで、原稿を読みとり同サイズくらいで出してくれれば後進の勉強にもなるなけどなあ。高くて買えない? ごもっとも。ならばやっぱり通って眺めるしかない。20日まで。

 夜は夜で花澤香菜さんと日笠陽子さんの漫才を見に紀伊國屋ホールへ、って違う「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」だかいう本がアニメーションになるってこともあって開かれた、番組宣伝番組の公開録音を見に行ったものであの格調高い演劇の殿堂に、集まるサイリウムを持った若い奴らの嬌声が、響いて耳にいったいここはどこなんだZEPPかステラボールかってな感覚を覚えさせる。でも始まるとそこは朗読劇だけあって静かに見守りどうにか完了。そういう話だったんだ、って実はまだ読んでいなかった「もしドラ」の内容を何となく知る。だって大ベストセラーじゃん、読んだら負けって気分になるよね。でもアニメ化までされるんだからもはやここで読むしかないのかもしれない。でもアニメを見れば良いかな。すぐ始まるみたいだし。うーん。とりあえずエンディングを歌う14歳が可愛い上に上手かった。曲も良かったんで大注目。花澤さんはまああれだ、陽気な人だ。日笠さんには「このクソ虫」とさげすんで欲しかった。とか。


【3月7日】 えっと宇宙人さんだったの部長&副部長。それにしては形態が違いすぎるけれども一方を魔法宇宙人少女でもう一方を使い魔宇宙人狐とかだと思えばカップリングも成り立つか。残り話数も少ない中で世界を広げては見せたものの、おそらくは島での話が終わって1年とか、半年の期間をおいて続編だなんて「コードギアス 反逆のルルーシュ」的な展開を、見せてくれちゃったりしそうな予感も今んところありあり。だってあんな狭い島だけでこちょこちょやる話じゃないでしょ。地球を滅ぼすとかいってるサイバディが暴れないまま終息しちゃあダメでしょ¥。それこそ世界が滅びるかどうかって瀬戸際まで来て、タクトの銀河美少年ぶりが炸裂してこそのアニメーション的カタルシス。それがないまま終わるとはとても思えない。

 だいたいが「銀河美少年」で「STAR DRIVER」ってタイトルに今はまだ全然及んでないでしょ。宇宙へと出てタクトが銀河を貫く美少年となってアンドロメダ美少年と戦うとかしてくれないと、壮大さも出ないし痛快さも出ない。そんな展開へとどうつなげていくのか、ってところを今は興味深く見ていこう、とか思っていたら3月ではい終わり、だったらどうしよう。まあそれはそれで。それにしても部長のあの格好は色っぽさを通り越してアメイジング。普段はあんな格好をしているのかな。それともあれも外側で背中のファスナーをおろすと中からドロドロな奴がぬらぬらと……。ちょっと想像したくない。地球に他に仲間はいるのかな。そんな辺りも気にしながら言動を見返してみよう、ブルーレイディスクと録画から。
 どっちがタイガーでどっちがジャガーかは忘れたけれどもどちらもなかなかな豊満ぶり。前屈みになった時に見える谷間の深さにクラリと来たけどそれに籠絡されるスガタではなかった模様。というか何か画策しているようで、眠りを偽装してはニチ・ケイトを読んでもらって抱き合って、そして相手が離れたところで目を覚ましてキミだったのかと言って彼女をぎょっとさせる。昔は好きだった相手で今は表向きは敵でもある関係で、直接ふれあうってのはやっぱり体ものぼせるね。でも割と冷静。タクトに歌っているところを見られたような仰天のしかたはしなかったのは、それだけタクトへと関心が向かっていた現れか。何となく事情を知っていたからなのか。どっちにしたって何か画策してそうなスガタのこれから。そしてタイガー&ジャガーのこれからもやぱりしっかり見守りたい。それにしてもどっちがジャガーでタイガーだったか。眼鏡をかけている方? どっちもかけてるんだよなこれが。

 講談社X文庫ホワイトハートは普段はビーでエルな作品が大半なんであんまり見てないんだけれども、時々出る新人の作品にはファンタジーでもSFでも、画期的な作品が混じることがあるから見逃せない、ってことで発売された新人賞受賞作の桃華舞さんによる「アリス イン サスペンス」(講談社)。舞台は多分近未来で、アウトローが吹き溜まった街に暮らすヒツジコって名前の少年が、なぜかおでん屋を営んでいる女装が似合う少年や、ドクター志望なんだけれども切り裂き魔のジャックや、ロボットめいたところがあるっていうかむしろ本当にロボットらしい手品師とつるんでいたところに、女優を志望する可憐な少女がジャックによって連れてこられた。

 華やかな場所で晴れ舞台を目指すアリスにみんなぞっこんで、最初は若者同士でつるんで仲良くやっていたけど、魔が差したのかどうだったのか、都会が持つ暗闇にとらわれたアリスは身を売り始め、それを止めさせようとヒツジコたちは仲間で応援をしようとしたものの、それを聞かなかったアリスに悲惨な運命が訪れる。そこから始まる事件の真相を追うストーリーの向こうに、待ち受けていたある悲劇。高みを望んでもそこに実力が伴わなかった時、人はいったいどうすればいいのかってあたりを鋭く突きつけられる。14歳にして世界に背を向けたヒツジコ少年が、それでも仲間や少女のために疾走する姿の格好良さと、展開のスリリングさに引きつけらる物語。イラストは六塚光さんの「レンズと悪魔」と同じカズアキさんで、美麗な少年少女のオンパレードだからそこも見どころ。表紙で1番の美少女が実は……だったりするけど、本人はいたってノーマルなんで別にBLには向かわない。なかなかの近未来サスペンス。ホワイトハートでこれだけ出せて、講談社BOXもあり星海社も稼働している講談社で、いったいラノベ文庫は何を目指すんだ?

 クリスマスにはケーキを囓り聖バレンタインデーにはチョコレートはもらわないけど囓ったりはし、節分には恵方巻きを囓るのに日本の心の拠り所になっている仏教の中心、お釈迦様の誕生日にとくに何かを囓るといったことがなかったりするこの日本。お釈迦様だから蓮でだったら芥子レンコンでも囓るかって言われると、ちょっと遠慮したいけれどもともあれあんまりお釈迦様の誕生日、4月8日が祝われていないことに忸怩たる思いを抱えている人がいっぱいいたのか、映画会社の東映なんかが中心となって4月8日をロータスデーって記念日にしてお釈迦様の誕生日をお祝いしよう盛りあがろうって行動を始めるってんで発表を見に東映へ。

 そもそもがどうして東映かって言うとそれはひとつには5月公開のアニメーション映画で手塚治虫さんが原作の「ブッダ」の前宣伝も兼ねたもの、ってことになるんだけれどもそれだけですますにはお釈迦様は偉大すぎる。いっそみんなで盛りあがろうってことで東京タワーの会社やら、JR東日本やら伊藤園やらを巻きこんで、4月8日に向けていろいろなことをやるらし。例えば東京タワーでの展示会とか、東京タワーを蓮の色にライトアップするとか、成田山新勝寺に特別列車を走らせるとかいったもの。食い物が足りないけれどもまあそのあたり、あ蓮のみが入ったロールケーキとかどっか作ってくれるかもしれないし、今現代でもどこかの会社が蓮ドーナッツってのを作って配ってた。ドーナッツだと贈るとか丸被りするとかいった儀式が不足しそうだけれど、そこはそれ、100個喰うとかいった大食いに最適な食い物でもあるし、挑戦会とか開いてもらえたら行ってドーナッツの穴だけ喰らって見せる所存。穴だけなら1億個だって食べられそうだし。

 東映では久々に岡田裕介社長の顔を見る。もう60歳を越えていたのか。何か佇まいが映画界のドン中のドンとも言える父親の岡田茂さんに似てきた印象で、風格めいたものがが顔立ちなんかに漂い始めたって印象。かつて石坂浩二さんと並び称された、ひょうひょうとした感じの男優時代の面影はすかり下がって、経営者っぽい雰囲気になっていた。興味深かったのは質疑応答にはいって、とある宗教関係のメディアから、いきなり原作初期版元の会社、すなわちあそこに関連した意見を問おうとした質問が出たけれど、映画はあくまで手塚治虫先生の作品としての映画化であり、自分だってそこだけじゃなく講談社のだって読んでいる、意見はいろいろあっても今は論争の場ではないと岡田社長は即解答。それがどういうシチュエーションから発せられた質問なのかを即座に理解し判断し、場を収める差配を見せた。そういわれりゃ引っ込むしかないよなあ。というかやっぱり未だにそういう現場でいろいろと齟齬を起こしているということも見えたけれども、そこをするりとかわしてみせる腕前に、世襲で収まった以上の何かを持っていた、ってことの現れと見るべきかそれとも。とりあえず映画の出来に注目するしかなさそう。どんな映画なんだろうなあ「ブッダ」。キリストといっしょに下宿している話かなあ。


【3月6日】 明け方にかけてツイッター上にずらりと並ぶ「ニンニンマン」の検索結果に若手アニメーター育成プロジェクトから生まれた4作品のうちの1作「万能野菜ニンニンマン」の評判を知る。ちょっとばかり話が分かりにくいのと、ヒーローなのにあんまりひーろ然としていないところが果たしてどう受け止められるか気になったけれども、深夜にアニメを見る人たちの肥えた目にはあれだけしっかり動く絵と、それから内包されたテーマなんかがしっかりと映り、若手アニメーターの育成という目的も含めて好感触を得られた模様。まりちゃんが夜にトイレに行くエピソードとそれがニンニンマンたちにどう関わるかをちゃんと読み解いていたし。

 NHKの夕方とか民放の日曜朝とかに放送したら良いんじゃないのといった反応もごもっとも。だったらどうして夜中にという意見ももちろん出てきたこれどもこればっかりは、単発で作られたアニメーションをテレビで放送してくれたってことだけでも、実は大きな意味があるんだと知って頂ければ幸いなこと。なぜってこれを放送するのは、全国津々浦々まで民放があっても、実は毎日放送1局だけ。若手アニメーター育成プロジェクトにも絡んでいた毎日放送の竹田青滋プロデューサーが、「機動戦士ガンダムSEED」とか「鋼の錬金術師」を作ったその眼力をグリグリいわして、こいつは地上波で放送しなくちゃいかんやろ的意識をもって、放送させたから実現したことで、他の地域は劇場でしか見ることができない。それも全国8カ所だけ。

 行かなければ見られずそれも大都市圏に限られてしまう劇場公開。対して地上波は家に夜中に帰ってテレビを着けたら何か妙なものやってるじゃん、的な出合いをもたらす効果がある。それだけでも実は意義有ることで、そこから何かアニメへの渇望が生まれて放送をのぞみ視聴率が上がるようになれば次へのビジネス展開も開ける。若いアニメーションを志す人が見たらこういう取り組みがるなら業界に脚を向けてもいいかなと考える文化的な可能性も高まってくる。冒険も計算も含めて、何か面白くってためになることをやってみたいというテレビ屋の心意気ってものが、実はそこに発揮されていたりする。

 本来、テレビってそういうものだったような気がするんだけれど、今回は毎日放送1局だけ。その意義を考えれば、誰が得する放送時間であってもやっぱり放送されるだけ有り難いし、未放送地域からすれば羨ましい。最大人口をかかえる首都圏で、どうして実現できないんだろう? って慚愧の念も浮かんで漂う。そんなの放送したって、今すぐの金にならんと言われれば確かにそのとおり、かもしれないけれど、カンニングやら地震やら事件やらといったものへの一点集中の吶喊と、その後の集中豪雨的な紹介が、では実際に金にんっているかというと、むしろそれこそ誰得的な状況を読んで著しい離反を招いていたりする。それでもやるのは単純に、他がやるからうちもやらなきゃという恐怖感によるもの。そんなチキンゲームのスパイラルをぶち壊すきっかけとして、何か起こるとしたらやっぱり地上デジタルの登場以後ってことになるんだろうなあ。ちょっと興味。しかしやっぱりどこかに時間を作ってもう1度くらい、放送して欲しいなあ、若手アニメーターの育成プロジェクトの作品たちを。

 考慮時間に入ってからほぼ渡辺竜王に1手も攻めさせないで、相手の矢倉を崩して攻めきり勝ちきってしまう羽生名人の腕前が凄いのか、そこで攻めたところで敗れると読んで受け続ける渡辺竜王が凄いのか。いやあ凄かったNHK杯。最近は午前中にイベント取材に出かけていたので、久々に見たNHK杯だったけれども現代を代表する名人竜王の戦いで、それも薄氷の鬩ぎ合いで見ていて無茶苦茶楽しかった。絵になる棋士はやっぱり絵になるなあ。というか羽生名人が20年以上も頂上にい続けている状況はやっぱり凄い。その直前に話題になってた55年組は今何処? 塚田スペシャル神谷スペシャル。何か凄そうだったのに、羽生世代に何か蹴散らされてしまったなあ。そんな中で今もA級に残っている高橋道雄九段と谷川浩司九段はやっぱりちょっと別格かも。

 羽生名人といったら同じNHK杯で大山加藤谷川中原を確か破ったあのあたりからずっと君臨し続けているけれど、名は挙げ名誉は得ても、升田大山みたいな時代の空気って奴をあんまり作ってないように感じられるのはなぜだろう。やっぱり無頼のライバルの不在ってことなのか。升田幸三さんが見せたあの血気が、あってこそ大山康晴十五世名人も輝けた。中原誠永十六世名人なら芹沢博文、米長邦雄あたりが相手になっているのかな。羽生名人だと世代が近いって意味で先崎学八段が無頼でならしているけれど、成績面でちょっっぴり役者が不足している。「三月のライオン」ではブレーンになって良い活躍をしているけれども、やっぱり本番で常に対峙できないと、ね。

 実力伯仲なら渡辺竜王ってことになるんだだけれど、あれで若くして結婚して子煩悩な真面目棋士だから、無頼と言うにはちょっと遠い。そう考えると返す返すも村山聖九段が存命ならって思えてしまう。見た目も指し手も無頼の中の無頼。そして生真面目な羽生名人とがしのぎを削りあって君臨し、佐藤康光九段や森内俊雄九段といったあたりが拮抗し、さらに郷田三浦丸山とそして渡辺といったところが群雄割拠になってる将棋世界があったなら。今と空気も違っていたかなあ。そこに割ってはいる我らが斉藤歩ちゃん。男子に鞍替えしたけど引きづつきの女装でもって連戦連勝となれば世界の目も向いたのに。嗚呼。現実世界で歩になれそうなのはいないかな。いないなあ。

 はるか北九州の地では身長204メートルが大暴れしたもよう。それこそ一またぎでゴールラインから反対側のゴールラインまで行ってしまうくらいの巨体がゴール前に君臨し、上がってくるボールを触ればそのままゴールに入ってしまうし、逆にゴールの前に田ったら脚の先だけで完全にゴールをふさいでしまう。試合の途中で踏みつぶされる敵も味方もいるかもしれないけれども、ともあれそれで奪って守りきって連戦連勝は間違いなし。我らがトル・ホグネ・オーロイ選手。次は牛久大仏とツートップだ。ってなになに204センチ? 小さいなあ。いやいやそれで十分。相手のディフェンスに抱え込まれながらも引きずって、頭に当ててゴールを決めてみせたりしているその姿は、サイドからのクロスさえしっかり上げれば何点だって奪ってくれそうな強さを見せてくれている。あとは守備でしっかり守れれば。その勇姿、初のフクアリ登場でしっかり拝んで来るぞ。


【3月5日】 読み終わって思い出したのは平井和正さんの「超革命的中学生集団」で、どいういう理由からだったか忘れたけれども妙な力を得た中学生たちが、戦ったり遊んだり悪そうなことをしているうちにゴタゴタに巻きこまれていくという展開の、鬱屈だの傷心といったネガティブなことはあんまりなく、そういうのがあっても怒りで乗り越えていくような破天荒さに最後まで引っ張られていくストーリーに痛快さを感じたっけ。今だとそこにいじめとかが絡んで復讐もどこか陰惨になってネガティブのスパイラルへと落ち込んでいくなり、ひたすらな無関心の中に埋没させてしまいそうなところを、真正面からとらえ受け止めぶち壊していくパワーってのが、あの時代あの物語には多分あった。

 架神恭介さんって人の「戦闘破壊学園ダンゲロス」(講談社BOX)はなるほど若い人たちの様々な願望が妙な異能の力となって発動し、それを元にいろいろな勢力が戦うってストーリーで、いわゆる中二病的設定オンパレード物語の範疇に入れられそうだけれどもそれにしては最近風の、鬱屈だの傷心だのといった陰惨な部分があまりなくって、暴力を振るわれたらそれを怒りに変えて異能を発動し、それこそ酷いことをした男子をすべて破壊し殺害してしまうような破天荒さを見せるところが馬鹿馬鹿しいまでに痛快で、読んでいて辟易として目をそむけたくなるような気分を感じない。

 両性院男女だんていかにもなネーミングの主人公がいて、さらわれた幼なじみを助けるために番長グループに与し、生徒会グループを突破してその先にいる超常的な力を持った転校生グループを倒すと言った構図の中に、妙な力をそれぞれにもって発動させる面々がいて、それらが肉弾をぶつけあったり異能の力を交わし会ったりして戦う場面の迫力というか唖然呆然の凄まじさというか、とにかく読めばなるほどこいつら莫迦かもと思いながら、一方でカッコイイよなあと思えてくるところがこの小説から、「超革中」的1970年代風カラーリングを感じる所以か。

 臭いの酷い学ランを来た巨体の番長が主人公の力によって見目麗しくも可憐な美少女になったりするような展開も無茶苦茶さ。でもってその力のネーミングが「チンパイ」という臆面のなさ。それだけとってもこいつは面白いと思わせる上に、敵が使う能力が例えば「木曜スペシャル」って名前で実際に木曜スペシャル的だったり、脳みそを全部喰らえば相手の能力を身につけられる能力の持ち主なんだけれども、実は脳みそを食べるのはやっぱり大変、むしろ大嫌い、だって食習慣まで怪物になっている訳じゃないからっていったあたりのそういやそうだ的見せ方が、読んでいていちいち心に残って興味をそそる。そして結末。異能どうしの戦いの向こうにある世界を見せ、その上にいる存在を示して終わる物語は果たしてメタか。それともベタか。そんな想像もさせられながら、やっぱり楽しいのは迫力たっぷり驚きいっぱいのストーリー。読んで驚き左さんの可憐でグロテスクなイラストを見て楽しめ。

 せっかくだからと起き出して、都内では唯一の午前中スタートになる上映を見に練馬区は大泉学園にあるティ・ジョイ大泉へ。目的はもちろん「若手アニメーター育成プロジェクト」って文化庁の委託事業から生まれたアニメーション4作品の上映で、すでに初号試写とそれから完成披露試写でも見ているけれども、関係者の満足とは別の作品として見てどうだったといった雰囲気を、感じるにはやっぱり劇場で見たかったのと、あとはやっぱり何回見ても面白い作品が集まっているってこともあって、はるばる2時間かけてたどり着いた大泉学園は、さすがアニメの街だけあって通りの両側にはプリキュアの石像が、別に並んではいなかった。うーん残念。でもあればあったですぐに獲られてしまうだろうから仕方がないか。持って帰ったら祟られそうな鬼太郎だって獲られる国なんだし。

 まだ早かったんで近所にあって8年前にオープンして、その時に取材もした「東映アニメーションギャラリー」を見物。当時は確か初期の「白蛇伝」から始まって「安寿と厨子王」とか「西遊記」といった東映動画のアニメーション映画に関する資料がいっぱいで、中には手塚治虫さんの書いたコンテとかあったような気がしたけれども、いわば国宝級ともいえそうなそうした資料を常設展示していては、やっぱり大変と思ったのか今はパネルとあとは制作時のスチール写真なかに限られていて、「狼少年ケン」だとか「太陽の王子ホルスの冒険」といった作品のちょっとした資料が飾られている程度になっていた。本とは若手アニメーター育成プロジェクトを見に来たアニメ業界に関心のある人に、そうした初期の東映動画のアニメがどういやって作り上げられていたのか、ってのを見て欲しかったけれども仕方がない。

 とはいえ千葉真一さんに演技をしてもらって、それを撮影するなりスケッチするなりして、動画の動きに活かしてたってかつての作りかを説明するスチルから、今のアニメづくりからなにが削られてしまっているのか、ってのを感じることは可能かも。そういやちょっと前に帰国して話したディズニーでプロダクツ向けの絵を隠し事をしていた宮本さんって人も、ディズニーではスタッフに実際の動物を見せて動きをスケッチさせたりするし、自分も虫プロダクションにはいったころは、動きが欠けなくて百科事典を山ほど買い、動物園にもいって動物の動きを観察したって話してた。基本の動きを知った上で、どう見せれば良いのか、リアルなのかそれともデフォルメなのかを判断して映画いていく積み重ねが、あの完成度につながっているんだろう。アニメを見てアニメならではの動きの積みかさねから動きをそういうものだと理解してしまう層が増えている昨今、今一度原点を見つめるって意味でもちょい、のぞいてみるのが良いのかも。フィルムしおりももらえるし。「聖闘士星矢」の魔鈴さんとかの。

 そして上映。30人くらいはいたかなあ。関係者が多かったのか一般のファンもいたのか分からなかったけれども総じて好印象だったような。完成披露試写では「おぢいさんのランプ」の上映が終わって休憩がはいった関係で、ちょっとした余韻があってそれが思い返しての感涙につながったんだけれど、劇場ではそのまま「万能野菜ニンニンマン」という、まるで先の読めない話にはいって身をひきつけてしまうんで、ちょっと感情の持って行き場に困ったかも。普通にテレビで放送される来週の土曜深夜あたりは、感情に揺さぶられる人とかがいっぱい現れるかもしれないなあ。ちなみに初回の放送は映画とは順番が違って「万能野菜ニンニンマン」。パイロット的には良くできた話だけれどもそれだけに深夜の人からみればわかりやすすぎるかもしれないんで、反応がちょっと心配。さてはて。

 「おぢいさんのランプ」はそれでもやっぱりしんみり。3回目なんで途中で絶望先生が現れ「絶望したっ! なんでもかんでも新しいものがあれば見境なくとびつく文明開化に絶望したっ!」って叫ぶんじゃないかっていった妙な興味も浮かんだけれども、それでも真面目に現状を問い認識を問い未来を問うていく内容には、絶対に何かを感じさせられる。仕事の未来。勉強の未来。生活の未来。今にこだわっていればどうにか暮らしてはいけるけれどもやがて行きづまる。かといってすべてを改める勇気を持たない人たちに、そうじゃないんだってことを示してくれる物語。この行き詰まり感がたっぷり漂う世界に、これほどまで訴えてくるストーリーはないのかも。かつてそう感じた新美南吉たちがいて、けれども大きな発展があった経緯を思えば、今だって突破できるんだと信じたい。そんな話。これも放送後の反応が楽しみだ。

 「たんすわらし。」はやっぱり良いなあ。そしてたんすが欲しいなあ。放送されたあとにジャパネットとか出てきて「夜帰ると部屋が綺麗に掃除されてて、朝起きると朝食とお弁当が準備されてて、メイクもメイク落としもしてくれて浴衣も仕立ててくれる便利なたんすが何と! 7万8000円です!!」とやれば飛ぶように売れそう。アニメファン的にはこれをプロダクションI.Gが作ったってことと、声が能登麻美子さんだってことが興味津々か。I,Gなのに硬派じゃなくって柔らかいタッチのデフォルメキャラで舞台は現代、そしてファンタジー、能都さんはといえば儚げでも弱々しげでも怨み節でもない、現実にちょっぴり疲れ気味だけれど元気だけはまだあるOLさん。そんなファン的な目線から見える異質さが、異質に感じられないくらいにまとまっているから驚きというか、アニメってまだまだいろんな可能性があるんだっていうか。

 いやあるんだけれどもマニアに向けてこその商売に、中身が硬直化して画一化しているだけなんだ。たとえ展開に外しがあっても、それは枠内での外しであってそこの「キター」っと叫んでも、所詮はコップの中でのやりとりなり、1つのコインの裏表。コップの外には大海が広がっているし、コインは1枚じゃないってことを改めて見せてくれるって意味で「たんすわらし。」は誰もが見ておくべき作品なのかもしれないなあ。「万能野菜ニンニンマン」と「キズナ一撃」はともにコメディ要素があって少女のゆっくりとした成長だったり、家族の絆の大切さといった主題も感じされて、これはストレートに“良い話”。すぐにでもシリーズ化されて欲しいけれども、そういう需要をとらえビジネスに乗せられるメディアってのが限られるからなあ。がんばって欲しいなあ。


【3月4日】 直後に監督の山本寛さんと評論家の氷川竜介さんがツイッター上でやりとりをするってことでこれは録画せず、そのまま見た方が良いんじゃないかと思ってベッドに入り、もうすぐ古くなることが決まっている「iPad」を抱えながら見た「フラクタル」の第7話で、突然に出現した山と谷とが織り成す弾力性の魔境にふと目を奪われそうになったものの、その後に登場してはチラりとその鮮やかな色を見せつけてくれた“クレインの赤”へと気持ちが向かっていってしまった自分の感性の、あるいは常識的に傾き霞んでいそうな有様に、思い返してしばし佇む。いったいどういうことなのだ。

 それが三角形を貴重とした繊維製品ではなく、長方形をベースにしたものらしいという話は知っているし、その中に治められているものにもそれなりの質量があり、あるいは硬度もあることをちゃんと理解はしている。けれども、そうした先入観を上回って、瞬間にのぞく赤さ、その形状そのシチュエーションから放たれる強烈なインパクトを前にすると、いわゆる脂肪の塊であるところの弾力が、回転とともに揺れ動いたり前傾とともに深い谷間を作った場面も、記憶から振り払われてしまう。あるいはこれが人間の、本能といったものなのかもしれない。文化人類学として研究する余地がありそうだ。あるのかな。

 しかし一気に世界観が広がった「フラクタル」は、もはや完璧なまでにシステムによって支配され、そう見えるように仕込まれた近代的な都市が登場しては、そこに暮らすドッペルたちの自由気ままに見えて案外に、生臭い欲望を持って生きている様が見えてきた。肉体的に健全をたもてたところで、精神的な渇望はやはり人間には生まれるもの。そこを埋めたり刺激する芸術というものの存在を、そこで見せようとしたのかむしろそうしたものにすがらなくてはいけない人間がいて、その評価に一喜一憂する滑稽さを描こうとしたのか。判然としないけれどもそうした思考をすべて“クレインの赤”が吹き飛ばす。恐ろしいなあ、赤。

 ネット批評の是非とかリアル割れ云々の問題とかいった、同時代生を持って語られた時に意味を持つシチュエーションは一方において、ハイテクノロジーに保護された世界に見えたほころびから、なにかがこぼれおちようとしていることだけは伺える展開。そうした枠外への意識って奴が、ずっと枠内で乳母日傘のもとに生まれ育てられ生き死んでいった人間たちの積みかさねから、どうして生まれたのかっていった部分の関心はまだあって、固まってしまった世界が急に代わるはずはなく、小さなズレがほつれを生んでほころびとなり、亀裂となっていくプロセスがあの世界にもあってしかるべきだと思うんだけれど、そうした前提まで言っていたらちょっと大変。

 だから「フラクタル」は11話だかの」短い話数の中で見せるべきところを見せ、想像させるといった手法をここでは取ろうとしているのかもしれない。そうやって見る側も鍛えられ、矛盾を考え創造へと向かえば次に生まれるものもきっと、奥深さをもったものになってくれるという期待があるのかそれとも今はただ、やりたいことをやっていてその結果がこうなっているだけなのか。その辺りを考えながら残る話数で起こるだろうスペクタクル、そして驚きの結末を楽しませてもらおう。あとはまた出てくるかだな、“クレインの赤”が。

 そんなことを考えながらやりとりを眺めながらも目が向かったのは「IS」の水着サービス回。そこへと至る以前よりラウラ・ボーディリッヒが全身これ素肌といった繊維業界に喧嘩を売るような出で立ちで、織斑一花の部屋へと入り込んではその素肌を密着させ、のみならず一花の腕をとっては抱え込んで腕ひしぎ逆十字という技を決めてみたりするその勇敢さに、一花の立場を思って涙する、いや逆か、憤る、だって腕が、ラウラの、逆十字で、つまり……。そんなサービスから始まったエピソードはシャルロットといっしょの更衣室で着替えたり、姉の千冬や山田先生なんかの登場もあってもう目にいろいろ。とはいえやっぱり“クレインの赤”に勝る衝撃がなかったのは、それがあまりにノーマル過ぎたからなのか。うーん。官能のスイッチとはこれでなかなかに難しいものなのだなあ。

 そんな「IS」からは人生にとってとても大事なことを教えられた。「旧型スクール水着では、色物の域を出ない」。大事なことなのでもう1度言っておこう。「旧型スクール水着では、色物の域を出ない」。なるほど人によってはとてもとても目を向けてしまう装いかもしれない。それをラウラ・ボーディビッヒという存在がまとうことによって醸し出される空気もそこはかとない清楚さ、可憐さを含んで人の心を奪うだろう。けれどもそれはあくまでも脇役がちょっとした存在感を一瞬だけ示すために見せる裏技であって、本命はやはりそこに陥らず、真っ当さ順当さでもってそれなりな肢体を選ぶだろう。ドイツの副官たちはよく分かっていた。だからおう言ってラウラを翻意させた。素晴らしい隊長思いの部下たちよ。あとはそんな期待に応えるだけ。素肌での腕ひしぎ逆十字でも揺らがなかった魂を引きつけるのは大変だけれど、そこは是非にがんばって欲しい次こそは一気に。見せるのだ。赤を。赤なのか?

 大口を開けてチョコレートの返礼を待つ世界を相手に戦う困難さを味わっている男子諸君に告ぐ。もわらなければかえさなくていい。何と真理。だが虚勢。渡し返されてこそ生まれるリアルなコミュニケーションからしか、細胞分裂は起こらないのだと知ってなお、晴れる虚勢というものがあるのだとしたらそれはもはや、生物としての本能に反していると言えるのではなかろうか。と言うわけで来年こそは3月に入った途端に、2週間ほどの休業期間を経て再びワゴンなんかを構え始めたチョコレートの売り場で両手に抱えるほどのチョコを買い、お礼だといって配れる時が来ることを願おう。願いたい。願うけど。願っても。弱気だねえ。


【3月3日】 言わずと知れた桃の節句で、菱餅を雑煮に入れてぐつぐつと煮込み、雛あられを赤飯代わりに重箱に詰め、ちらし寿司をすし太郎でもって桶いっぱいに作り、そして蛤のお吸い物を鍋いっぱいに作ってかき混ぜようとしたら重くておたまが動かなかったという、そんな食事をしたかったけれどもお金もなければ道具もないし、そもそもいっしょに食べる人がいないので断念する。っていうか自分、雛祭りと関係ないじゃんまったくもって。でもお祭りの時にお祭りに載るのがスノッブな野郎のたしなみってことだから仕方がない。せめて5月5日の単語の節句では歳の数だけ柏餅を喰らうか、ちまきを喰らう行事に参加しよう。そんな行事ありません。

 雛祭りっていうのは女性にとって戦いの日らしく、ドカンと飾られた雛飾りをいち早く撤去しないと行き遅れるという伝説にのっとって、眼前にそびえる雛壇へと向かいまずは下の段から三歌人を相手に戦うんだけれど、相手は猿拳蟷螂拳に酔拳の使い手、生半可な腕では通過できないから気をつけろ。そして待ち受ける五人囃子を相手にするんだけれど相手は楽団に見えて音を音波に変えて攻撃してくるホーン・ザ・ミッドバレイの仲間たち。ヴァッシュとウルフウッドのペアでも苦労するような相手に挑むためには日頃の鍛錬が必要だからがんばろう。

 そして三人官女は全員がカンフーの使い手。まるでルーシー・リューのようなしなやかで凄まじい攻撃をしてくるんだけれどそこはユマ・サーマンばりの戦い方を見せて各個撃破だ。右大臣左大臣もやっぱり強いけれどもこれらはお金に弱いところもあるから袖の下で油断させて後ろからゴツン。その先にいるお内裏様を色気で籠絡し、本当の敵ともいえるお雛様を相手に戦うことひとしきり。ここで日頃の鍛錬の成果が発揮できれば、昼前には雛飾りを全段制覇して、仕舞えるから行き遅れることはないかもしれないけれど、そんなに早く雛壇を制圧できる筋力体力握力が、旦那様探しに有利に働くのかというと悩ましいところもあるから要注意。おしとやかに。見せかけだけでもおしとやかに。

 だったら端午の節句は鎧甲の武将が相手か、って言われるとちょっとかなわないからこの辺で。そんな男子にとっては何語もない桃の節句であるにも関わらず、季節の話題がテレビのニュースでまるで取り上げられないというこの事態に、日本人としての寂しさを感じてみたり。それ以上に日本のメディアの堕落っぷりを感じさせられたというのが正解か。カンニング。ほらカンニング。ここで一発知恵袋。落ちてたまるかなるものか。ここでYahooの知恵袋。そんな感じにカンニング事件のニュースがワイドショーのみならず、NHKの普通のニュースのトップで繰り広げられるというこの状況を、世界の人たちはどう見ているんだろうなあ。そんなに凄まじいテクノロジーがカンニングに使われたのか、だからトップニュースなのかと驚くだろうなあ。

 でも実際は試験官が目を離した隙の携帯電話でのアップロード。おそらくはそれが世間を騒がすといった考えもなしに、そこで気軽に聴ける場所があるって頭ばかりが動いてさらりとYahoo知恵袋にアップして、あとで問題になって慌ててるってだけの素人による阿呆な振る舞いに過ぎないんだろうなあ、っていうか過ぎなかったけど。想像すればそんなもんだと分かりそうなところだけれど、やれ組織的な犯罪だテクノロジーがもたらす未来的行為だ的な言説がうわっとひろがり、恐いですねえネットだの、心が病んでますねえ若い人だのといった情報害悪論、若者劣化論へとまとめあげて語られる。それを見て若い層はますますメディアの阿呆さ加減にげんなりするという構図。ずっと言われ続けているのに、改まらないんだよなあ。参ったなあ。

 テクノロジーの進化を口にするなら攻めて「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」あたりで使われているテクノロジーを引き合いに、そんなことも可能になるんじゃないかな、それをどうすればいいのかな、って議論をしてくれればいろいろ楽しめたのになあ。「試験問題が配られた。転送するから答えを教えなさい。バトー、この漢文はどういう意味?」「少佐、それは論語だ、こういう意味だ」「わかたわ。イシカワ、この数式の途中の式と答えはどうなるの」「かんたんだぜ、こうこうこうだ」「了解、これで試験は完璧ね」「はいはじめます。通信ができないように電波を遮断します」「がーん」 そんなやりとりくらい漫画にして見せてやって欲しかった。電波を遮断されて義体の少佐がどうして動けるのかって? 「こんなこともあろうかと有線にしてきたのよ」。だったらそっちから解答を取り入れろってーの。「切断切断」。ブラックアウト。試験は自力でやりましょう。

 おお神よ。世界が滅びてもなお発売されないだろうともはや誰もが諦めていたあの「キスダム」が遂に、DVDをすっ飛ばしてブルーレイディスクとして発売される可能性が出てきた模様。前にやってた「ゼーガペン」とか「True Tears」なんかと同様に、ある程度応募がたまれば発売しますって方式だとは思うけれども、その激しくてシリアスな内容とは反対に、崩れ落ち欠けた映像だったりサイケデリックな映像なんかが繰り出されて、多くを悶絶させた奇蹟中の奇蹟と呼ばれるアニメーションだけに、これを逃すと永久に見られないと思ったファンが、きっと買うだろうから発売されるだろうと信じよう。僕ももちろん応募する。でないと言われてしまうから。「失格」って。「失格」「失格」「失格」。聞きたいなああの三重奏。


【3月2日】 ようやくやっと出た第2巻きがやたらと分厚いのはきっと待たせたサービスなんだと理解し、読んだ田名部宗司さんの「幕末魔法士」第2巻は大阪の敵塾へと戻ってきた見かけは男子ながらも実は婦女子の伊織ちゃんと、目が真っ赤なシーボルトの息子という冬馬たちの前に事件が勃発。何やら敵塾の熟成が大店の娘に薬を与えて鬼にしてしまって大騒ぎだということで、伊織なんかも幕府に弓引く長州の出ということで疑われてしまったもののそこをどうにか凌ぎきり、新撰組の追求もかわして鬼に変えた犯人という男を捜し、どうしてこんな事件が起こってしまったかという真相を探って大阪の街を走り回る。

 沖田総司が実はといった描写もあったりするけれど、そんな沖田はすぐさま鬼にされてしまって大暴れしてあんまり楽しみはなさそう。でもって最初は見方に見えたものが実は敵だったり、そうなった理由に誤解なんかがあったりしてこんがらがった糸をほぐすかのように進んだ果て。幕府を狙う一味の暗躍なんかが浮かんできたけど歴史ではぶっつぶれる幕府の敵はすなわち善と見た場合、ああいったものを使う輩が善だってことになるのかそれとも違う歴史軸の上で違う展開へと向かっていくのか。そんな辺りの“改変”ぶりも考慮しながら楽しみたいシリーズ。見た目はともかく触ればわかるはずの伊織ちゃんなはずなのに、触って分からない可能性もったりするのかな、それはそれで何とも涙ぐましい事態かな。

 あれだけ世間に話題にされて、NHKなんかニュース速報まで流してカンニングを誰がやったのかが特定されたかを、周知してしまうくらいの一大事。この騒ぎに載らない手はないって考えた人たちが、問題のYahoo知恵袋とやらに入試問題を伺わせる予備校の問題めいた体裁で、さまざまな問題を書き込んでは解答を求めます、なんてやったりするんじゃないかって、可能性について考えているけれどもどうなんだろう。それ事態は何の罪にもならないはずで、次に何か出やしないかと鵜の目鷹の目でネットを見張っているメディアあたりを「こりゃ参った」と面白がらせて、自分も面白がるような空気が生まれてきたら、この花粉舞う3月も一気に熱を上げてくるんじゃなかろーか。

 邪魔しやがってと憤る、菊門の狭いメディアとか出そうだけれども、そうしたメディアですら唖然呆然を怒りにさせずに、してやられたって思いにするような質問って奴があったとしたら、いったいどんなんだろうなあ。「4以上の全ての偶数は2つの素数の和で表すことができ、6以上の全ての偶数は、二つの奇素数の和で表すことができることを証明して」とかいった質問を投げて、スラスラと解答してみせる人がいたらそれこそニュース物。あるいは「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある」なんて設問に、説破と答えてみせる人とかいたら、ちょっと足下にひれ伏したいかも。

 でもやっぱり、難渋する受験生が答案に1番書きたいことといったらこれしかない訳で。問題ではなくもしもそれを、本当に試験会場から書き込んでみせたとしたら、アッパレとはいかないけれども何か無意味な凄みって奴を、大勢に与えたかもしれない。そんな試験に究極の質問とは。当然「おいしいカレーの作りかた」に決まっている。答えられたら優がもらえるという噂の質問。だったら入れない難関校にだて入れてしまうかもしれないじゃないか。日本人にはカレーが嫌いな人なんていない。そんな日本人にとって切実で重要な問題。受験生でなくても答えが欲しいよね。なのでお願い答えてYahoo知恵袋。「ルーはSBよりハウスだ」とかってのでも構わないから。

 ふと気が付くと石丸ソフトワンのDVDやらブルーレイの割引率が1枚からでも4割引となっていたのでここが正念場と思って「人狼 JIN−ROH」のブルーレイディスクとそれから「ストレンヂア」のブルーレイディスクを買い込む。足して1万円は普通だったら2万円というとで死にそうになるけれど、1枚5000円なら映画のパッケージとしてまあ妥当。とりわけ「人狼」の沖浦啓之さんは来年に新作映画「ももへの手紙」の公開が控えているだけあって、ここでパッケージを買い込んでしっかりと見ておくのも準備右堂として必要かもしれにあ、って既にDVDは持っているんだけどね、豪華版の方を。でもブルーレイで聞く溝口肇さんの音楽ってのもきっと悪いものじゃないから。あと気になっているのはやっぱり「機動戦士Zガンダム」のブルーレイボックスか。遂に7割引。でも足して7万円の3割だとそれだけで2万1000円だからなあ。ちょっとした出費。でもやっぱり欲しいなあ、ハマーン様の下僕としては。

 市ヶ谷駅から総武線に乗ってお茶の水方面へと向かった車輛に小学生くらいの女子3人が乗り込んできてそれがいずれも眼鏡っ娘だったのはそれとして、3人が3人とも赤い縁の眼鏡をかけていたってところに何か世界的に赤い眼鏡が若い女性の間でトレンドになっていたりするのか、それとも小学生の間に赤い眼鏡をトレードマークにした秘密結社でも出来ているのかと想像をめぐらせる。まあだいたい子供の女の子が眼鏡を選ぶとなるとどうしても、そっちに行ってしまうってのがジェンダー的ないろいろは知らないけれども世の中の常。ガリ勉の黒縁だの委員長の銀縁だのを選ぶ女の子もあんまりいないってことなんだろうけれど、それでも3人揃うと、それがなかなかの見栄えだとやっぱりいろいろ想像してしまう。赤い眼鏡といえば「紅い眼鏡」という映画を撮った押井守監督も浮かぶだけに、東京帝都にうごめく陰謀とやらがやがて、発動してはかわいいを正義に赤い縁の眼鏡をかけた小学生の女の子たちが警視庁を占領し、シュプレヒコールを上げたりするのかもしれないなあ。可愛いなあ。


【3月1日】 えっと単行本とかだとあそこでカップルの相手がそれだとバラされて、これで地球も安心だってことで終わるんじゃなかったっけ「レベルE」。彼方より地球へとやってきた美少女は星を統べる王女様。全員が女性という星でたった1人だけ繁殖の能力を持っていて、宇宙を渡って婿を探して繁殖をするのが役目になっているんだけれど、そうやって繁殖の相手に選ばれた星は、数世代のうちに絶滅してしまうことになっていて、それを地球で起こされてはかなわないと、騒動好きな莫迦王子を外に放り出して部下たちがとりあえず歓待のそぶりを見せつつ、さっさとお引き取りを願おうとやっきんあっていた矢先。

 彼女といっしょにホテルに気ながら彼女に逃げられてしまった幹久という人物が、王女とすれ違い様に相思相愛となってしまってさあ大変。説得しても聞かず共に運命の相手と認め会い、そのまま地球は滅亡かと思われたところに莫迦王子のおつきのものが宿帳を取り出しどうなってるんだこれはと言い募る。つまりはそういうことなんだけれどそこで終わらず続きがあるのがアニメーション版「レベルE」。いったいどういう結末でもって地球にとっても大丈夫な上、王女たちにとっても未来のあるような展開へと持っていくのか。王子が絡んでぐちゃぐちゃになってしまってしまう可能性もあるけれど、これで割に良い終わり方ばかりをしている「レベルE」。きっと誰もが発表まるく収まる結末を、見せてくれると信じよう。

 さすがにまだ目がついていかないんで「ウイニングイレブン3Dsoccer」は封印して、内臓されている「顔シューティング」ってゲームで適当なところから顔を取り込んでプレー。手元にあった「マクロスF サヨナラノツバサ」だとちょうどいい具合に正面のアルトやランカやシェリルやクランクランがいたんで、次から次へと取り込んではステージ2をプレーしてみたけどここは割と簡単にクリア。だったらと1番くじのきゅんきゃらから戦場ヶ原ひたぎを取り込んでみるとこれが実にいい具合にはまるものの、ステージ自体が難しすぎて5度やってもクリアにたどり着かず6度目でようやくの達成。全部ひっくり返した上で中心をつぶさないといけないプレーは2度あてて元に戻ってしまうのが続出して、なかなか留めをさすところまで至らない。これで3なら4はどれだけ難しいんだ。とりあえず顔をいっぱい取り込んで遊ぶのは1か2でやることにするか。

 デフォルメがあってもまあ何とか取り込めるってことは店頭とか駅とかにある顔のポスターだともうちょっとしっかり取り込めそう。実際に中吊りの女優さんを入れてみたら実にぴったりハマって、それこそ自分の顔を取り込んだものより口の位置とか目の位置が、はまって表情も豊かすぎる顔を見せてくれる。この面白さは予想外。手に3DSもって顔ハンティングといって町中にあるポスターなんかを狙う人とか出てきそう。書き入れ時は選挙期間か。町中に顔写真があふれ出すからなあ。あるいはAKB48の集合ポスターとか。でも取り込んでどれが誰だか分かるかというと……。分かる人がいたらそれこそBOことビッグオタ。誉めてあげます讃えます。

 これでパンツとか取り込むとやっぱり中を舞うパンツを相手に戦うゲームになるんだろうかと妄想。ほかにもイケナイものを取り込んでいる人とかいたりしそう。ルネ・マグリットの有名な「陵辱」って絵だと顔を取り込んだつもりが実は女性のボディを取り込んでいたりするという事態になっているんだけれど。今なら国立新美術館で展示してあるから行って撮影……は禁止なので注意注意。最近はルーブル美術館あたりだと撮影が可能だから、その場で「モナ・リザ」とか「ミロのビーナス」とか撮影して、美術品に囲まれた部屋で美術の名品たちが襲ってくる中を撃退して楽しむ遊び方、なんてものも出てきたりしそうだなあ。喧しいことこの上ないけど。あるいは三十三間堂の千体仏を順に撮っていってすべてクリアする大会とかあったらちょっと愉快。任天堂のお膝元だし、やってみてはいかが。

 「ヤングキングアワーズ」の2011年4月号が出ていたんで読んだらノイシュヴァンシュタイン桜子ちゃんが相変わらずの可愛さだったけれども、ときおり現れる元子役もあれでなかなかにかわいらしい本体だと判明。そのための方策がまるで奇面フラッシュだといったあたりにあの面々の凄まじさって奴が伺える。そりゃあ汗も出るよなあ。可愛さでは「サムライリーガーズ」で主人公の許嫁として海を渡ってやって来た娘もなかなかの可憐さだったけれども、そこから豹変して見せた姿が繰り出す技はいったいどんなだ。来月が楽しみ。スポーツだと「ツマヌダ格闘街」で王子が空手と対決。空手の技がいよいよ炸裂したと思ったら王子もこれでなかなかにしたたか。その勝敗の行方は。そして決勝の対戦相手は。乞うご期待。「ナポレオン」は妹のしたたかさ炸裂。「ドリフターズ」は那須与一の兄が美形そろいと判明。でも出てこないんだから意味はない。「超人ロック」は表紙が超人コックだった。何のこっちゃ。それより何より表紙が美麗。でも誰だったっけ。そんな感じに読みどころも増えてきた「アワーズ」。次も買おう。

 メディアワークス文庫賞受賞の浅葉なつさん「空をサカナが泳ぐ頃」(アスキー・メディアワークス)が傑作なので読むように。カメラマンになりたいなあと思いつつならないまま、しがない情報誌の制作をやっている青年が主人公。筋肉大好きな女性の上司にいじられる日々に疲れ、それでも抜けられないでいたある日。喫煙室に置いてあった見知らぬ煙草を吸った青年の目に、AR(拡張現実)よろしく中空を泳ぐ魚が見えるようになってしまった。もしかすると幻覚を呼び起こす大麻か何かだったのか。それとも仕事に疲れた果ての心理的な問題か。とはいえ魚が見えると言っても病院でも相手にされず、麻薬に詳しそうな店を回っても要領を得られない。おまけに友人と、それから出入りの宅配便業者でダイバーにあこがれながら、怪我であきらめた男もやはり同じ煙草を吸うと中空に魚が見え始めた。

 いったいどういうことなのか。ほどなくして原因は特定されたものの、今度はそのままでは視界いっぱいに魚が埋まった時、死んでしまうと脅される。どうすれば魚は見えなくなるのか。そんな探索の旅路から、生活に膿んでいた青年に交流が芽ばえ、それぞれに悩みをかかえていた青年の友人や、宅配便業者の未来が開けていって、自ら閉ざしていた扉を開く勇気の大切さを教えられる。まさに青春。そして開放感に溢れた物語。今に諦め自分から投げている人に前へと向かう気持ちが芽ばえる。他人を関わり振れ当ていく楽しさへの関心がわく。

 主人公の青年を中心に絡んでくるキャラクターが特徴的な上に、出し入れがうまくて知らず引っ張られて展開を追ってしまう。怪しげなオカルトグッズの店にいる関西弁の黒人のアルバイト店員や、道ばたをリュック背負って歩いて怪しげなグッズを売り歩く女性。人形を愛でて飾っては看護婦に怒られている心療内科医。そして青年があこがれ続けるカメラマン。そんなキャラクターたちの絡み具合が絶妙で、あれが誰でこれがそうでといった具合に点だった関係性が、だんだんと露見し線で結ばれる楽しみを味わえる。何よりやっぱり物語で貫かれる、今を変えようって気概が心地良い。読めば誰もが感じるはず。閉じこもるな。諦めるな。まだ間に合うんだという気概を。もしもこれが普通に中間小説系の新人賞とに応募されてたら、きっと受賞してだろうなあ。2000万円だって受賞してたかも。それだけの品質。小説好きなら読め、ゼッタイ。


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