縮刷版2011年10月下旬号


【10月31日】 そりゃ「フラクタル」も入ってくれて「STEINS;GATE」も入ってくれたらエントロピーな未来の物語への打開なり、繰り返される時間からの脱出なりといた主題の重なる作品から何が見えるか、って議論も働いたかもしれないけれどもさすがに1回の候補に、アニメーション作品を何本も入れることは不可能な訳で今度の日本SF大賞は、順当に穏当に「魔法少女まどか☆マギカ」が候補入り。もしも受賞となればいつかの「電脳コイル」以来ってことになるのかな。

 それを聞いて、またSFが人気アニメを引っかけ話題を作ろうとしているとかいったアニメ側の声や、逆にSFでもないのにどうして入れるんだといったSF側の声なんかが錯綜する、って構図が思い浮かばれがちだけれどもアニメ好きとしてはこの作品が持つSF的な主題が評価されるのは嬉しいし、SFファンとしてアニメでこれがやられたっていう感慨を改めて感じられてやっぱり嬉しい。取るかとうかは別にして、こうやって候補に挙がった意味は存分にあるんじゃなかろーか。

 そんな日本SF大賞は個人的には三島浩司さんの「ダイナミックフィギュア」と上田早夕里さん「華竜の宮」が共にハヤカワJコレクション勢として一騎打ちの様相。過去に受賞の瀬名秀明さん「希望」は良い作品だけれどやっぱり2回目ってところがひっかかってくるのかな。労作な横田順彌さん「近代日本奇想小説史 明治篇」も捨てがたいけど一種の研究でアンソロジーとなると去年の評論と比べてやっぱり大賞としてどうかってことになってくる。

 地上を舞台に迫力の戦いを描いた「ダイナミックフィギュア」かそれとも地球の人類の命運を壮大なスケールで科学的政治的外交的に描いた「華竜の宮」か。迷ってやっぱり星雲賞を逃しながらもやっぱり凄いと誰もが認める「華竜の宮」に落ちつくってことになるのかな。選考委員は誰だったっけ。いっそ2作で「華竜の宮」と「まどか☆マギカ」で、どうだ。来年こそは市川春子さんを。「25時のバカンス」を是非に。漫画がとったのっていつ以来になるんだろうなあ。鶴田謙二さんとかいつか取って欲しいよなあ。

 超傑作女子野球小説の「ぐいぐいジョーはもういない」から暫く、あの樺薫さんが発表した「異界兵装タシュンケ・ウィトコ」(講談社BOX)は巨乳が好きという馬のロボットが恋路を邪魔する奴をけっ飛ばすSF小説だった。ホントだってば。20年前とかに現れ大暴走したものの、今は化石と化して首だけになって研究室に置かれている巨大な馬のロボットが、なぜか今になって甦る。もっとも死んでいるようでしっかり意識はあって、研究室に出入りする学者や生徒たちをその目でしっかり品定め。

 会話の中で出てくる女性が巨乳だと聞けばそれはぜひに見たいなあ、なんて思ったりもする助平さを秘めつつ化石のふりをしていたけれど、新入生として入ってきた貴志範子という女性に一目惚れ。そんな最中に化石となった馬のロボットについて研究していたものの、疾走してしまった女性科学者が10年ぶりに現れその場に居合わせ、そして襲ってきた何者か分からない敵を関知し化石から実態へと戻って敵を撃退する。

 どうして眠っていたのか。そして甦ったのか。単純に範子に一目惚れしたから、ってこともありそうだけれどやっぱり大きな理由は異界からの侵入者たちの存在があった。元は別々だった世界から、20年前に馬がこちらにやってきたことで起こったひずみを埋めようと、現世から異界へと大勢の人が移住。そうやってバランスをとっていたものの、ひずみは大きくなって異界が現世へと堕ちてくるってことになって、現世に嫌気を覚えて異界へと渡った人たちを怯えさせていた。

 止めなくちゃいけないという企み。むしろいっしょにしてともに滅びてしまえばいいという策謀。入り混じって始まる異界からの攻撃に、ロボット馬は範子を乗せて颯爽と立ち向かう、かというとそれに至るまでは異界から来た女性や彼女を見張る軍人、そして範子らとともに学会のある沖縄にいって遠くから水着を眺めて悦に入ったりする日々。そして最後の戦いではちょっかいをかけてくる異界の男に蹴りを入れる。勇ましくも楽しくそして俗物めいた馬ロボット。何か親しみがわくなあ。

 そして本多・忠勝、逝く。まあ原作を読んでいればどうなるか、ってのは先刻承知ではあったけれどもアニメーション版「境界線上のホライゾン」を見るとその戦いの無双っぷりがビジュアルでもって目に飛び込んできてもうつええのなんの、相手が西国無双の立花・宗茂であっても戦い倒して退ける、その凄みって奴がリアルにクリティカルに響いてきた。なるほどああやって留め置いて囲み刺したんだなあ。でもそんな一瞬をしっかり守って命だけは先に延ばした宗茂も強いつよい。くそ真面目な感じの杉田智和さんの声がなおいっそうの強さって奴を感じさせる。

 そんな宗茂すらたぶん上回っていると噂の立花・ァ(ぎん)が、本気出して戦った時にいったい何が起こるのか。胸が揺れるのか。揺れるよなあ、あのサイズ。浅間っちも大きいし賢姉な喜美も大きいけれども戦う時にはぎゅっと締めてる浅間もそもそも滅多に戦わない喜美も目立つもんじゃなあい。かといって戦うアデーレもミトツダイラも薄めな側から数えたトップでは……。ってことでァ(ぎん)の本気な参戦があるエピソードに期待、っていつだったっけ、この第1巻であったっけ。

 やっぱり今の女性シンガーでトップを突っ走るといったらMay’nさんなんだけれども一般的にアニソンの人って思われている関係もあってそのカテゴリー内で名前が先に立ってしまう水樹奈々さんとかに比べて今ひとつ、メジャーなシーンで名前が聞こえてこないという残念な気分がもやりもやり。聞けば圧倒的な歌唱力が耳に届き見れば圧巻のダンスでもって衝撃を与えてくれるそのパフォーマンス。けどやっぱり「アニソン界の女王」というカテゴリーで括られてしまってそこでのバリューの多寡から下がってしまう。武道館でだってやっているのになあ。

 だから来年3月の横浜アリーナとか大成功させて、海外でも10万人規模とかのライブを成功させれば一気にスターダムへと躍り出る、って信じたいけれど果てさて。そのためにもMay’nさんの記事なんかを書いて応援してみたいるす昨今。まさか臓物系の料理をするのが得意だったとはなあ。ハツの甘辛煮とか、モツ煮の下ごしらえとか家でやっているんだって。手伝ってあげたい。


【10月30日】 たぶん100人ほを並んだうちの男性は10人ほどでそれはさぞや雅やかで華やかな行列かと思いきや、四半世紀も前ならきっとそうであっただろうということが想起されるシチュエーション。というのも行列が「Z 完全版」(秋田書店)を刊行された青池保子さんのサイン会で、つまりは青池さんがとてつもなく大人気を誇っていた1970年代から80年代にかけて、乙女として青池さんのファンをやっていた人たちがサイン会にも集った様子。脳内を思いっきりぶん回して目にフィルターをかけ、25年前だと思いこむことによって広がる世界の煌びやかさに胸躍らせつつ、糖分が切れて元に戻った空間を見てそうか時間というのはかくも鮮やかに過ぎ去るものかと。感嘆してみたいるする秋の空。

 そんな「Z」はなるほど今読んでも面白いなあ、エーベルバッハ少佐の元、NATOの情報部に入った新米エージェントのZ君が陥る様々な事件を描いた連作だけれど有能なのか無能なのか、行く先々で大失敗しては少佐から激しい叱責を受けるものの、最後はちゃんと事件を解決してみせたりするから侮れない。自力ってよりは巻きこまれつつヒントを残しきっかけを与え勇気を振り絞った結果が、仲間を呼び込み失敗を招いて結果的にいい方向へと転がっていくといった感じ。それもまた才能ってことになるんだろうけれど、少佐がそこまで見込んで仕事を与えている訳ではなさそうだしなあ。ともあれシリーズも後に蚊かレア第6話でもって終わってそして完結編の登場。大昔に「花とゆめコミックス」で出た「Z」とは違って充実し増補されおまけ漫画も抱負なんで今読んでも大丈夫。中身的にもオッケー。そして振り返ろう、乙女だった時代を。鏡はしばらく見ないこと。

 そうか出たのか続きが「僕の妹は漢字が読める2」(HJ文庫)。23世紀の日本は漢字がなくなったどころか文学の傾向も萌え一色。はては総理大臣までが2次元になっていたりするという状況にあってなぜか漢字を勉強していた妹を持つ少年が、前回は過去に行ってそうした文学が出来たきっかけに出合う物語が描かれたけれども今回は、そんな過去に行って世界が萌えな文学一色になることをねじ曲げようとした企みを、阻止すべく主人公のイモセ・ギンと妹のクロハおよびミルちゃんに、ベストセラー作家のオオダイラ・ガイ先生もなぜか金髪ツインテール美少女となって過去に行って犯人探しに邁進する。

 そしてたどり着いた過去の文豪の家から探して出合った犯人は、23世紀きっての発明家でタイムマシュマロを発明した博士の兄貴で自分の才能のなさをごまかすべく周囲の無理解をあげつらって23世紀的な現代文学の駆逐に載りだしたという次第。そんな兄貴の企みを阻止しようと戦った果てに世界は戻ったけれども少しばかりの変化が。それはひとつには未来にも過去の文学を愛好する勢力が出てきたことと、それから次巻につながる出来事が起こっていたもよう。いったいどうなる。とりあえず過去で一考が出合った熊さんみたいなおっさんニートの正体めいたものとか、イモセ・ギンが成し遂げることとかに興味。今を愛し過去を否定するイモセ・ギンが未来にいったい何を残していくのか。パンスト総理大臣の登場だけじゃない、その大きな影響力が明らかになる時を待とう。

 せっかくだから東京アニメ祭2011内のクリエイターズワールドで見かけたirodoriって自主アニメーション制作スタジオを見にコミティアへ。全作品はそろってなかったけれども有名な「眼鏡」とそれから「たれまゆ」のDVDを買って冊子も買ってから場内を見物、新清士さんがゲームに関するエッセイを集めた本を売っていたり足立淳さんが和田慎二さんの追悼本を売っていたりする会場はコミックマーケットと違って人がそれほど詰んでないため割と見やすく気候もあって気分はまったり。探せば作家漫画家の人もいっぱいいたんだろうけれど、そこまでの気力もないため作家関係は今週の「文学フリマ」に任せることにして場内をふらつきフランクフルトを囓ってから適当に後にする。小田ひで次さんの本もあったなあ。好きな漫画家だけれど最近は何、描いてたっけ。

 会場となってるホールの外のアトリウムには各地に専門学校や大学がブースを出していて、中に京都精華大学があったんで近づくと201年度卒業生のアニメーションコースの卒業制作作品を集めたDVDを上映中。もちろん「フミコの告白」で名を挙げた石田祐康さんが作った「rain town」も収録されていてICAFなんかの上映でも凄みを存分に感じさせてくれた作品が、ずっと見られるとあって配布されてたDVDを拝領する。どうもありがとうございます。これにはやっぱりICAFで見て感動した白井孝奈さんの「トリップ・トラップ・マップ」も収録。地図からぐにゃっと抜け出てくる悪魔的なキャラクターの変形具合とそれに追いかけられる少女のアクションが凄まじくも素晴らしく、いずれ名を挙げる人だと思っていたらパンフレットに名があって、あのSTUDIO 4℃に就職したみたい。なるほどやっぱり放ってはおかなかったか。これからに期待。その名を遠からず人は耳にすることになるだろう。

 切り上げて京葉線からフクダ電子アリーナへとたどり着いて見たジェフユナイテッド市原・千葉と徳島ヴォルテスの試合は何というかトップの久保祐一がディフェンダー引き連れ抜けようとしているのにボールを回さず後ろでこねくりまわしてサイドとかに送って攻撃のテンポを遅らせそしてサイドに回ったところで抜けきれずセンターに適当に挙げてあとは何とかしてちょーだい的攻撃の連続。これでピンポイントで会わせられるオーロイ選手がいたならまだしも久保選手が1人くらいでそして囲まれてしまってはどうしようもできないできるはずがない。かろうじてPKを奪ったところでそれを外してちゃ、ね。ってことで敗れて4位の徳島にすら話され北九州と並ぶ勝ち点で、仰ぎ見る昇格ラインまでの勝ち点差は8。これを残り5試合でひっくり返すのは至難の業とくればもう1年、J2での生活が続くことになるんだろうなあ。かといってそこには将来トップで活躍できそうな選手の姿は見えず。仮に上がったところで1年で降格の憂き目すら合いそうなところが何というか情けない。これで責任回避が出来たら社長の人、ちょっとすごいかも。まあ営業的にはしっかりしてるからそちらのセンスを信じてもうちょい、チームマネジメントに才能を発揮できるようになってくれるのを待つか。監督誰になるかなあ。


【10月29日】 もう散々っぱらに観てDVDも買ってさらに1本拝領すらしているんだけれどもやっぱり大きなスクリーンで観られるんなら観たかったんで年甲斐もなくオールナイトのチケットを買って赴いた六本木ヒルズでの東京国際映画祭「映画人の視点」プログラムにおけるアニメーション関連上映会。そこではまず「マイブリッジの糸」の上映があって山村浩二さんが影響を受けた映画としてルイス・ブニュエル「アンダルシアの犬」とかフェデリコ・フェリニーニ「8 1/2」とかジャック・ドゥミ監督「シェルブールの雨傘」とか鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」とか上げて映像の特異性で目を引きつける作品に好感を抱いていることを表明。それが奇をてらってのものではなくってしっかり美として目に映るといったところが今の観て不思議さを感じさせる映像の連続した作品に、繋がっているんだと感じさせてくれる。なるほどなあ。

 これまでにカナダ大使館で2回とそして東京都写真美術館で1回、観てはいるんだけれど始めて映画館の上映施設でもって巨大なスクリーンで観た「マイブリッジの糸」は、改めて細部まで手の入ったアニメーションだと判明。過去から現代の妊婦を経て結婚と出産があって現代での成長があって過去での射殺があって時計の放逐があってそれが冒頭での時計の登場に連環していく流れなんかを改めて観つつイメージとモチーフの連携って奴を、漫然と観つつ感じ取れるくらいまで観て見込むことによってさらに得られる何かがありそうって感じてみたり。やっぱり大きくて綺麗なスクリーンで観るべき作品かもしれないなあ。エンディングに出てくるすっぽんぽんの母親と娘も綺麗な画面で観るといろいろなところがくっきり見えて来そうだし、ってそりゃどこだ。次はアップリンクでの上映か。また行くか。

 そして続いて登場した諏訪道彦さんのトークはそれほどワインが入っていなかったこともあって普通に進んで「名探偵コナン」における大人だって納得のミステリーを毎回やるんだって決意が今も放送が続く人気シリーズになった理由といった話が披露。そして待望の若手アニメーター育成プロジェクトより生まれた作品の上映となってまずはアセンション制作による「キズナ一撃」が上映されて、その中でキズナの声を演じていた安野希世乃さんが道着姿でもって現れ作画監督の末吉裕一郎さんとトーク。まだ若くてそして声優の人なのに、ちゃんと疑問点を挙げつつ面白かった部分も指摘して、さんとの間にほんわりとした空間と作って深夜を回って沈みかけた気持ちを快復させてくれる。

 そんなトークから始めて分かった猫の甚五郎の秘密。企画を考えた末吉さんによれば、あれはただ強い猫ってことではなくって、捨てられ殺処分される年間30万匹にも及ぶ犬や猫といった動物たちの生きたい生き延びたいという気持ちを背負わせたような一種の象徴であって、だから強くてそして背中に十字架のような模様を背負っているのだと。これはちょっと始めて聞いた話。その場で作ったことかどうか分からないけれど、冗談めかして作品を語るようなタイプの人には見えなかった末吉さんの様子から見るにちゃんとそういう思いを込めて描いたものだって感じられる。クリエーターって基本、真摯に真面目に作品に取り組んでいるんだなあ。本当だったらこの続きをやりたいみたいだけれども現状、どうにかなったって話は聞かず。その意味では企画の立ち上げに繋がっているとは言えないけれどもクリエーターの育成には繋がっていそうなんてそこから生まれる未来の作品に、今は期待を表明しておこう。

 そして続いて黄瀬和哉さんを招いての「たんすわらし。」の上映とトークセッション、これは前に聞いてもいた子供がわらわらと出て来る作品の面白さ、みたいなのから始まった話だってことでそんな子供たちに教え子供たちから教えられて少し育っていく女性の姿って奴が描かれていてやっぱり心に染みてくる。能登かわいいよ能登。すぐに続きが出来るって話ではないけれど、こういうテイストの作品がもっといろいろ観られたら嬉しいかも。とはいえ続く「アニメミライ」て名前までついた若手アニメーター育成プロジェクトで出てくる企画は白組が絵本「しらんぷり」のアニメ化で童話っぽくなりそう。「おぢいさんのランプ」のテレコム・アニメーションフィルムは「BUTA」って作品でアニメチックな動物たちとオン赤海賊とのバトル。どうぶつ宝島? って雰囲気だけれど「おぢいさんのランプ」とは違った感じになるんじゃないかなあ。

 ディズニー・スタジオ・ジャパンが変じたアンサースタジオの「南海のジュジュ」は少女とジュゴンとの交わり。ちょっとジブリっぽいかも。水中での絵とかどんな感じになるのかなあ。腕前と作品とに注目。そしてプロダクションI.Gからは「たんすわらし。」でキャラクターデザインをした海谷敏久さんの監督作品「わすれなぐも」で陰陽師の家計に生まれた少女と娘蜘蛛との交流に友情が絡む話でそのままテレビシリーズなんかへと発展できそう。これは良い作品だったけれども単発な「たんすわらし。」への対抗? それとも商売っ気? 「キズナ一撃」よりはスタジオが営業力とか持ってるIGなだけにいろいろと続いていく可能性もありそう。問題はそれが面白いかどうか、だけれど。規模も広がりニコニコ動画にアニマックス、ティ・ジョイなんかのロゴもついてウィンドウの面で支援もありそうなんで前以上に広がって、観られて望まれていって欲しいもの。

 おお出崎統監督だ。「エースをねらえ!」の劇場版だ。どこかで観た、って記憶もあるようなないような作品だけれど改めて観ると冒頭から寝転がった岡ひろみが雨だからって猫のゴエモンを蹴り上げけ飛ばしているシーンとセリフにこりゃいったい何がテニスなんだって、関心を抱かせ引っ張り込まれてしまう。それが狙いか。あるいはただの普通の女の子って位置をここで見せておきたかったのか。そこから始まる怒濤の展開、ふつうなのに見初められ鍛えられ挫折しそうになっても踏みとどまって蘭子を退けお蝶夫人まで。そんな成長の隅々に、ただの熱血だけではない優しく見せてその内に秘められた気分の進展って奴を現そうとしている、ようにも見えるこの映画。なんであそこで鼻歌歌うかなあ。でもそれが逆に落ちついていく心理、ひらきなおった心理って奴を示す。人間、超えると逆に冷静になるんだな。良い映画。BDが出てるのか。買って見よう。


【10月28日】 今日も今日とて「東京アニメ祭2011」の会場へと出むいていっては「境界線上のホライゾン」のPVを見つつでてくるキャラクターの名前を瞬間的に思い浮かべる訓練をして脳の活性化を図る。あれだけの分量があってそしてあれだけのキャラクター数があって、それを覚え瞬間的に引っ張り出すのはなかなか難しい。やりとげられれば記憶力が散漫になりつつある脳にも多分善いはずだとは思うけれども問題は、そこに至るまでにアニメーションを3回は見返し、そして原作をしっかりと読み返す必要があってそれにかける時間と、得られる知識との兼ね合いからすればちょっぴり時間の優雅すぎる使い方かもしれないと思ってみたりもする。でもまあそれがオタクって奴だから仕方がない。ああ仕方がないんだ。

 そして聞いたシンポジウムはあの今年上半期における超ヒット作品「TIGER&BUNNY」のヒットの秘密をサンライズの専務さんが語るという内容で、もちろん渋いおっさんとイケメンの兄ちゃんとの燃えて萌える関係が乙女たちのハートをズッキュンした結果がオタク層とかアニメマニアの枠を超えるヒットにつながったんだ、って話はまるでなくってまずはテレビで流し同人にUstreamでも配信し、それから東京MXで放映しBS11で放映しって感じにウインドウを循環させた結果が口コミふぇファンをひろげ、同時に楽しみたい人たちの共感を誘ったといった話が主にされてそうかそいういうものかって感想を抱く。たしかに今年ほど絆とか友情といったものへの関心が高まった年はない。そんな中にそんなテーマを持った作品が現れたことがヒットの底にあったって意見は間違いない。けど。

 そうしたことはあくまで現象であって根源ではない。作品自体が持つキャラクター性とかストーリー性とかメカニックとかいった部分での検証ってことを、作り手がやるのが難しいならそこはやっぱり評論の出番ってことになるんだろう。なおかつそうした部分は新聞メディアにとっては弱くて不備なところなんで、ここはアニメづく「ユリイカ」あたりが大特集を君で何が婦女子の心を誘ったのか、ってあたりを大々的に文責してやって欲しいなあ。難しいかな。広告の新しいモデルにもなったって作品ではあったけれどもその広告料で設けるってよりはどうやらそうしたことの話題性を重要視してたっぽい感じ。選んだのは番組のスポンサーになってくれる企業だし。でも牛角みたくそこに選ばれたことで生まれた双方向の盛り上がりってのもあった訳だし、両方にメリットがあるコラボの例として、後に続く展開もあったりするかも。

しんでる、わけではありません  とはいえサンライズの専務さん的には同じことをまらやる気はあんまりなさそう。っていうか二番煎じじゃ話題にはなりづらい。するならしっかとした広告モデルにならなきゃ意味がないけどそれだけの評判を得られるメディアって訳でもないし、アニメは。なるほど9万人は最終回のUSTREAMを見てそして全国で3万人が劇場でイベントに参加しライブビューイングで最終回を見た。けれどもそこはそこで留まり全国の誰もががなんとなく知っているコンテンツ、ってところにはまだ行ってない。そうなるためのステップをこれから踏み始めるという「TIGER&BUNNY」がたどり着くのはどんな世界か。体に広告を入れてあるく奴らが闊歩する世界か。楽しみであり、恐ろしくもあり。見守りたい。

 クリエイタイーズワールドの方ものぞいて喋った池ヶ谷愛さんのブースに転がっていたウサギがちょっぴり可愛かった。仰向けになって血まみれ、ではなくインクまみれ。どういうシチュエーションなんだろう。作品は「ウサギ紳士」ってものらしいけれども面白そうなのにまだそんなに作品数がなくってまとまるまでには先が長そう。ラレコさんみたく1分とか3分程度のものを延々と作り続けるとかすればそれがまとまってDVDにしましょうってことになるんだろうけど、1分ちょいのが3本ではさすがに展開は厳しそう。そこにホワイトナイトなエンジェルが現れお金を出して作ってくださいって依頼すればハッピーなんだけれど、そういう投資が昔ほど自在じゃないみたいだしなあ、映像業界。コミックスウェーブとか頑張って欲しいなあ。いや今回1本世に出すのか。山本蒼美さん「この男子、宇宙人と戦えます。」。ちょっと面白そう。売れて欲しいなあ。

 あときのしたがくさんのブースも眺めて雰囲気のある作品にこれもパッケージとか何かになって欲しいと切望。可愛らしいキャラクターが情感のある世界のなかを動き回っている映像は、そのまんまNHKとかで流れていて不思議はないけれど、あそこはあそこで競争率の激しい場所、OBETOMO学園みたいな感じにハマって人気になれるといいけどそこにたどり着くまでの運とか出合いなんかがなかなかに難しいからなあ。ワーナーホームビデオのオンデマンドサイト「EDGE」とかその他のサイドで、こういった日本のインディペンデントアニメーションの作家たちを派閥とか無関係に広い流してお金を還元していく仕組みがもっともっと出来てそして、知られていけば良いのになあ。そのためにも伝えていかないと、存在を、頑張って。

 唐揚げ丼とかかきこみつつシンポジウムで西武鉄道が頑張っている話とか上田市と秩父市と聖蹟桜ヶ丘を愛する人たちが頑張っている話とかを聞く。「耳をすませば」なんて上映から10年が経った記念になにかやりたいって人たちが始めた上映とか地域周りとかがだんだんと、周知を得て理解ももらって大きくなっていったという事例。それは一時の盛り上がりに載ったものでもなく、地元の手放しの歓迎があった訳でもないなかで、ひとつの優れた作品がしっかりとファンを呼び地域の振興につながるって例を示してくれた。騒ぎを厭う地元の人にもそうはならないと示し理解を得る日々。何かがあれば終わってしまうという懸念とも戦いながらそれでもやりたいという思いが今につながった。鑑みて今の盛り上がりを刹那的に楽しみたいと、繁華街では有り得ない格好をして地域に乗り込み盛り上がってるからいーじゃん的に振る舞って、果たして理解は得られるか。そこを考え乗り越えていって10年続く作品に、そして振興につながっていくんだろう。鷲宮は本当に頑張ってここまで来た。秩父は。見守りたい。


【10月27日】 パネルを立てて映像を流してそれではい商談ですって言われてもなあ、という煩悩はさておいて、秋葉原UDXで始まった「東京国際アニメ祭」とやらをのぞいてクリエイターズワールドの充実ぶりにはすこし感嘆。もともとは3月の東京国際アニメフェア2011に出展するはずだったものが、東日本大震災でフェアそのものが中止になったことによってクリエイターズワールドもなくなってしまって、そこにむけて準備をして来た人たちは仕方がないとはいえチャンスを失い未来にいろいろ考えることもあっただろー。そうした人たちをしっかり招いて場を作り、作品を見て貰って将来へとつなげる機会にする。実行した人にはありがたいと言いつつならばもう少し、人が集まる仕組みって奴を見せてもらいたい気もしないでも。一般企業の出展がなあ、チラシと映像だけではなあ。

 そんなクリエイターズワールドではピコグラフのブースで新しい取り組みを発見、ポニーキャニオンとの連携でスマートフォンとかむけに一種のビジュアルノベルっぽいものを配信するらしく、mebaeさんが描いた美少女とかの絵が飾られていてこれがなかなかに美麗だった。でも首だけの絵もあったりと中身はちょっぴりミステリアス。どんな作品になるのかなあ。そしてirodoriさんという人がいて伺うとサンライズの荻窪スタジオで「FREEDOM」とか「いばらの王」とか「コイセント」といった3DCGの造形を2Dになじませる映像を作っていたところでそういう仕事をしていた人らしく、スタジオの中で苦心して使った技術を自分でも高めつつオリジナルの作品を作っているとか。日曜日のコミティアにそんな作品を持ってきてDVDで販売しているみたいなんで行って買おう。「コイセント」は本当に良い話なんでもっといろんな人に見て欲しいなあ。

 去年の同じイベントでもって支援作品に選ばれていた市川量也さんロマのフ比嘉さん児玉徹郎さん武藤健司さんがそろって出展、本当だったら3月にお披露目されているはずのものが半年以上ズレこんでしまって大変だったみたいだけれどもこれを機会に声をかけ、映像作品への進展を得られれば良いんだけれどもはたして話はあったかな。市川量也さんはバーナムスタジオでもって「星に願いを」、ってオリジナルブルーレイアニメーションなんてものを作って売った人だけれどもそいういう3Dとは違った2Dっぽい世界観でもって迫力たっぷりのキャラが活躍する映像を見せていた。見たいなあ映画になったものを。ロマのフ比嘉さんの「カナイ」は得意の3Dを使った2Dっぽい映像。沖縄が舞台のロボットアクションだけれど果たして完成に至るか。

 児玉徹郎さんなんて「くまのがっこう」の映画まで撮ったプロフェッショナルなんだけれどこちらでは「インテリア」ってちょっぴりレトロな街並みを舞台にした不思議な世界観の映像を作ってた。湯浅政明さんほどではないけれどちょっぴり独特な線が面白そう。これもえいがになって欲しいけど、果たして。そして武藤健司さんは「化石泥棒と恐竜石」ってキッズむけっぽい企画を提案。楽しげな世界でもって子供たちが活躍する話。NHKとかで連続シリーズになったら見たいな、って思わせられるんだけれどNHKって今むしろ、どんどんとオタクな映像が増えていたりするからこういう純キッズなものはむしろ民放さんとかの方が良いのか。でもオリジナルを育てる労力を厭うのが今の民放なだけになあ。いや「ちーすい丸」みたいな例もあるし。結局はやる気のある人がいるかどうか、なんだろうなあ。出てこいやる気。

 さっと会場を見てから今度は六本木ヒルズへと回って「クリエイティブマーケット東京2011」を見物、一時お台場の東京ビッグサイトへと移って大々的にやろうってことになっていたけど、一緒になってたライセンシングアジアが今ひとつなところでむしろやっぱり原点回帰とTIFFCOMが一緒にやってる会場に、戻って来たって感じ。内容はむしろちょっぴり充実したのか新しいところが結構あって目に楽しい。例えばQUACKARTS!ってところはスタイリッシュなデザインのキャラクターを出して造形も出展。猫のレディにスカンクの探偵、腹に鍵穴があって尻尾が鍵のライオンとそのコンセプトになにかありそうな雰囲気と、そしてやっぱりデザインそのものに見てグッとくるものがあった。今んところどこも手つかずなんで玩具にするにもアニメにするにもお声がけははやいもの勝ちだよ。

C2Cの「フルウの旅」。このキャラデなら日本でも存分。臍見えてるぞ。  こちらは愉快なキャラクター「はくさい君となかまたち」。作っているのはタキタサキさんって人で美大の院生で美少女、かどうかは見てご覧じろとして長身っぽい人であったことは確か。そして作っているものが可愛らしい。やさいのようせいとかおでんくんとか、競争の激しそうなジャンルにあってしっかりオリジナリティを出している。何よりフィギュアにしたりイラストにしたりエッチングにしたりと展開が多彩。エッチングなんて実に細かく描かれていてそのまま売っても、絵本にしても対応可能な感じだったけれどこれがいまだに手つかずの、個人制作品ってところが残念というか、展開していくことの難しさというか。だからこうしたイベントが開かれる意味があるんだろうなあ。要注目。

 見るとなかなかにグラマラスな美女の絵がかざってあったんで訪ねたらトリプルAってアニメーション制作会社の関連のC2Cって会社のブース。その作品「フルウの旅」はファンタスティックな世界が舞台の冒険ストーリーって感じだったけれどももらったパンフレットに書かれていたコンセプトデザインが大野安之さんだったんでちょっと驚いた。聞くとあの大野さんらしい。つまりは「That’s! イズミコ」の。もちろん伽rくあたーデザインとははほかの人だからあの絵が動くって訳ではないけれど「精霊少年ヒューディー」とかにも描かれた異世界の雰囲気なんかと通じるものがありそうで、ちょっと楽しみ。

 トリプルAとかC2Cはあんまり聞かないけれども日本と韓国と中国にネットワークを持って元請けから回ってきたテレビシリーズの各話制作をまるっと請けているらしいから実力は確か。オリジナル企画をどこか実現させるスポンサーは出てくるか。見たいなあ。やっぱりC2Cの「パンダーラ」は中国向けを意識した作品。パンダが出てくる。でもキャラも可愛く動きも確か。むしろ中国あたりからスポンサーを募る方が手っ取り早いのかなあ、今の時代は。作る人材だけでなく、マーケットも意識しての3国展開ということだったとしたら、なるほど先見の明はありそう。どういう意図であっているのかいつか聞いてみたいなあ。


【10月26日】 杉井ギサブロー監督にますむらひろしさんが乗っかり宮沢賢治さんの作品のそれも「銀河鉄道の夜」を加えた時に生まれたのがあの20世紀の歴史に残る傑作中の傑作アニメーション映画「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」だったとしたら、そんな杉井ギサブロー監督にますむらひろしさんが重なり宮沢賢治さんのこれまた「グスコーブドリの伝記」が加わって、21世紀に残る超傑作アニメーション映画にならない訳がない。さらにこれにオフコース、もしくは小田和正さんの奇跡の1曲「生まれ来る子供たちのために」が重なった時、そこに生まれる世界にはもはや涙なくして臨むことはできないだろう。いやまったく。

 TIFFCOMとう東京国際映画祭に関連して開かれている映像コンテンツのマーケットをのぞいて手塚プロダクションのブースの前を通りかかった時に、流れていた映像がまあにその杉井監督による「グスコーブドリの伝記」。ちょっと前に杉井監督に取材した時に、グループタックの倒産によって宙ぶらりんになっていたものを手塚プロダクションが引き受けるような形で制作が続行されていると聞き、そして世界観がどうなるか、ストーリーがどうなるかといったあたりも聞いてはいたんだけれど、実際に動く映像はまだ見ていなかった。それが流れていて見るともう「銀河鉄道の夜」の時に負けない幻想性が出ていて、目の奥深くに刺さってくるような強さがある。

 クオリティが上がっているのはもちろん質感もちゃんと柔らかくって滑らかそうな猫の肌。といっても「アタゴオル物語」みたいにCGでもって猫の毛1本まで再現するんだといったテクノロジーオリエンテッドな挑戦ではなくって、その物語に必要な雰囲気ってものをしっかりと作り上げているから見ていて押しつけがましいってところはない。それでいてしっかりと猫によるキャラクターって感じになっている。すごいなあ。そしてブドリたちが置いていかれる森のこわごわとした感じ、しばらくは豊かだった畑の青さ、脅威を感じさせる火山島の威圧感なんかもしっかりと表現されていて、あちらこちらを彷徨したブドリの気持ちになって世界を旅できそう。

 そんな高品質の映像に重なって流れていたのがあの1曲、「生まれ来る子供たちのために」。それがイメージとして重ねられていたのか、それとも本編での使用を前提としていたのかは分からないけれど、子供たちを善き世界に送り出すために今を感じ、未来を意識して生きていく、その力を、勇気を持とうと誘いかける優しげでそして力強い歌が、自らを光に変えて未来を開いたブドリの伝記とマッチして心に迫る。それほど長くない映像を見ているだけでもう目が離せなくなるくらいだから、これが感性して物語となりあの結末を迎えてそして流れて来たとしたら、誰もが落涙どころか滂沱となって劇場の床をぬらすだろう。分かっていても誰もがなく。それはもう確実に。

 企画が持ち上がりながら理由があってポシャるケースなんて枚挙にいとまがないのがアニメーションの世界。ましてや作られながらも途中で会社がなくなってしまった企画が繋がっていただけでも奇跡なのに、それが予想をはるかに超えるクオリティと内容でもって公開されそうなんだからもう、これは歓喜するよりほかにない。資料によれば年内にも完成へとこぎ着けそうだから来年にも公開となってくれれば本当に嬉しい限り。沖浦監督の「ももへの手紙」とか優れたアニメーション映画もいっぱい来そうだけれどももうこれは「グスコーブドリの伝記」で最優秀作品は決定。手塚プロダクションも本当に良い作品を手にした。だから残る期間を目一杯にクオリティアップに当て、そして来年を目一杯宣伝に当ててこの映画をヒットさせて欲しい、日本で、そして世界で。

 そうかもう11年になるのかあ。そして最後に本が出てから5年くらいになってしまうのかあ、倉田英之さんの「R.O.D」(集英社スーパーダッシュ文庫)。いつか完結するだろうと思いながらも待てど暮らせどなかなか出ず、その間に「宇宙ショーへようこそ」なんて映画も出来てこれはこれで面白かったんだけれどもやっぱり読みたい最終巻への布石というのか、それとも捨て石か。創刊された漫画誌「SD&GO」であの丸宝編集長が倉田英之さんに直に聞きただすインタビューが載っていたんでさっそく読んだらもういきなり「えー、まずは、お約束ということで…(大声で)『R.O.D』最終巻、12巻の進捗はいかがでしょう?」。さすが丸宝さん容赦ない。そしてその答えは? 雑誌を読もう。そこにすべて書いてある。つまりはまだしばらく出ないってことか。でもやる気はありそうなんで気長に待つ。待つ。待つ。

 この年になって果たして行っても浮いてしまわないか、周囲は女子高生とかばかりの中におっさんが1人佇んでいて気分がチクチクとしないかって不安を抱えながら赴いた中野サンプラザでの「SCANDAL」初のホールツアー。着くとそこにはおっさんとはいかないまでも兄ちゃんたちがいっぱいで、アニソンのイベントに少しばかり重なる客層もあったりしてなるほどこれなら安心と中に入って時間を待つ。でもちゃんとSCANDALの雰囲気に近そうな女子高生とかもいたから、この辺がメーンとなっていわゆる一般カルチャーの部分で持てはやしていってくれれば、遠からずもっともっとメジャーなシーンでSCANDALが取り上げられるってことにもなりそう。

 それにしてもSYOW−YAとかプリンセス・プリンセスとかガールズロックが大隆盛だった1980年代後半から90年代にデビューしてたら、とっくに時代の寵児となてテレビに雑誌に引っ張りだこだったはずだよなあ、SCANDAL。ミリオンヒットだって連発してきっと時代に強く刻まれたに違いないけれど、そーやってテレビが音楽番組をいっぱいやってそこから新しい才能をどんどんと送り出していた時代も時の彼方へ。今のテレビは売れているものを出すことによって視聴率を稼いでそこにすがるだけの存在と化している、NHKをのぞいて。だから新しいバンドなんて出てこず出そうとも思わないままそこにSCANDALがピックアップあれることもなく一般の目になかなか触れないで通り過ぎる。

 とはいえNHKとアニメの世界だけは放っておかないというか、そこから新しいアーティストを世に送り出そうをいう意気込みだけは持っているからNHKの番組にSCANDALが出たことはあるし、アニメの主題歌とかにもよく使われていたりして、それを聞いて何とはなしに知っている人たちが出てきている。「鋼の錬金術師」のエンディングとかをやって女子のファンもいっぱいついているっぽく、ライブにも足繁く足を運んでいる様子。そうやってファンになった子たちの口コミによってブレイクしていくのが今の音楽の構造で、来年3月にはいよいよ武道館でも開いてそれによっておそらくはテレビもスポーツ新聞なんかも“気づいて”持ち上げていくことになるんだろう。だから衰退するんだテレビもスポーツ新聞も。一般紙もか。いつか取材したかったなあ、SCANDAL。でも名古屋組と大坂組で名古屋組引きしちゃいそうだし。

 ライブはしかしやっぱりパフォーマンスがしっかりしていて歌も巧くて見ていて安心。多少はテープとかマニピュレーターで音を被せているとは思うけれども基本的にはギター2本でベースにドラムの4ピースでもって音をつくってそこに声を乗せて来るから夾雑物もなしにストレートに音楽が伝わってくる。ドラムなんてほとんどずっと叩きっぱなしなのに疲れないんだろうか、あの細い手足で、途中でダンスまで披露していて、凄いなあ。ベースも巧いもんだ、歌は可愛いし。リードギターは途中の歌で弾かずに何かくねってた。可愛かった。そしてメーンボーカル、ギターも弾き語りっぽくやって歌も歌うフロントガールとしての役割をしっかり達成。MCも外さず安心のクオリティを見せてくれた。行って良かった見て良かった。あるいは伝説を作り続けている途中に触れられたかもしれないけれど、それが事実になることを願って祈ろう。渋谷も行こうかなあ。


【10月25日】 鷲宮だいじん、ってまるで知らない人だけれども本を書くからにはそれなりに知られた人なのかもしれないし、ただの新人なのかもしれない。ともあれ「合コンに行ったらとんでもないことが起こりました」(メディアワークス文庫)だなんて、MWじゃなくってMFじゃないのかって思わせるタイトルがついた作品が出てきたんで読んでみたら、これが本当に合コンに行ったらとんでもないことが起こったという話。東大を出て首都庁という、まあ架空の役所に入った青年が、合コンに行ってそこに送れてやってきた美人さんに興味を持って、2人で飲みに行ってキスしたら、後に起こったのはその美人からのストーキング。同僚と喋っても突っ込まれ大事な記録が入ったUSBメモリを奪われ脅されたりしてのっぴきならない状況へと陥ってしまう。

 まるで見張られているような感じで、それが職場の同僚にも先輩にも及ぶ。なおかつどうやらその女性は正体が不明。いったい誰なんだ、どうして自分のサイズやプロフィルや職場のことまで知っているんだといった辺りから浮かぶ想像が、膨らんで転がっていった果てに分かる事の真相は、つまるところモテモテじゃんこの野郎ってちょっと言いたくもなったけれども、当人にとっては切実で、相手にとっても切実ってことなのかもなあ、しかしまあ、こんなモテモテ野郎はどうなったって知ったことかよまったくもう。個人的には柏木さんより年上の佐藤さんが好みかなあ、仕事は出来る上に可愛らしいんだぜ。それで良いじゃん桜田くんよう。

 こっちは楽しく読めた文月更さんの「猫かぶり娘とにわか貴公子」(ビーズログ文庫)はフランス人の貴族の末裔の母と成り上がりの商人の父の間に生まれ早くに母は亡くなり父の成功でイギリスに住んで良い学校にも通っていた少女が父の訃報で学校からすぐさま叩き出されて路頭に迷っていたところを執事に拾われとある貴族の屋敷で下働きのメイドとなって雇われたところ、その家にはかつてお嬢さまだった時に通っていたピアノの教師の家で働いていたメイドの息子が実は貴族の御曹司の子息だったと分かって引き取られ、久々の再会を果たすというストーリー。とはいえ今はメイドの身では貴族の子弟に近づくこともできず、かといって相手はフランス語の教師として少女を使ってその関係に祖父の貴族が気づいていろいろ大変そう。

 なおかつそんな祖父の貴族が孫の話し相手にと求めたのが、少女を追い出した女学校の理事長の娘で少女とは中の悪かった少女。とたんに始まる虐待の日々に耐えつつ被った猫をはがして暴れようとしつつそれでも果たせないでいるなかで、起死回生の一手が刺されるという展開は見ていてなかなかに愉快だけれど、しかしそこまで人間って卑劣になれるのかなあ、ってことを考えてもみたり。まあ今と違って面も割れずデータもない世界で成り代わりなんて割と簡単に出来たんだろうなあ。ともあれラストはなかなかの痛快さ。でも猫かぶりとにわか貴公子のカップルじゃあ祖父の伯爵もやっぱり心配だろうなあ。そんな時代でもないって? でも英国って今も階級社会らしいしなあ。良作。

   なるほどそうか。今年も東京都が絡む、というか既に実質は日本動画協会の下にメーンが移管されている東京国際アニメフェアへの参加を遠慮して、別に立ち上げたアニメコンテンツエキスポにのみ出展するというのか。開催の事由には去年あれだけ支持されていたにも関わらず、震災の影響で中止となってしまったことに鑑み、感謝の気持ちで開くといった言葉が並んではいるけれど、そうした支持の背景に、いわゆる都条例への反意を鮮明にしたことがあったんだと考えるなら、たとえ文言にはなくても、依然として都条例への反意を支持の拠り所としていると考えるのが蓋然性も高そう。そうした意図をもって開かれるイベントだと、言われて違うと言い切ることはなかなかに難しいかもしれない。

 とはいえ、あれから7カ月。都条例の話が持ち上がってから数えるならば、1年以上は経過した今もなお、反意の行動をアニメフェアへの出展の可否に置いているというところが何ともどうにも見えづらい。この間に何か具体的な条例廃止へのアクションはあったのだろうか。連日の話し合いの上にやはりどうにもならないということが分かっての、分裂開催といった流れになったのだろうか。この間、一切の妥協なく表現者がこれを出したいんだと望んだ表現を、エロティックなものバイオレンスが濃いもの衝撃的なもの凄まじいものも問わず、そこに一切の異論を差し挟ませず、戦って掲載し続けていて、それに強い圧力がかかっているなかで、クリエーターを守る一方で、やはり協調は難しいという判断から参加を見合わせたのだとしたら、これは喝采するより他にない。だがしかし。

 本当に漫画作りの現場では、一切の萎縮は起こっていないのか。あるいはライトノベルの現場で、前なら書けた描写が書けなくなっているということはないのか。一方で戦うといった姿勢を見せて拳をふりあげ気勢をあげているその反対側で、規制とやらに触れないよう、もめ事を起こさないようないろいろな作業が行われているということはないのか。あったとしたらそれはなかなかに難しい印象を世に与える。そこで戦い世に喧伝し、挑まれれば受けて立ってそして満天下に勝利を宣言してこそうち破れる檻というものがある。それをしてこその戦いだという高潔で純粋な思いの裏を行くような振る舞いが、あった一方でそうした規制には抗議します、だから東京都が関わっていそうなイベントには出ませんという態度では、どこか微妙な迷いをそこに醸し出すのではないのだろうか。

 もちろんん、公の場で戦う難しさ、そこで敗れた時の影響の大きさも考えなくてはならないから、裏で妥協しつつも表では拳を振り上げアピールすることを、真っ向から否定できない難しさはある。やらないよりはやれるところから始めようといった振る舞いだと、前向きに受け止めることだって可能かもしれない。そうだとしても、原作を握りそれを縦にして、他のメディアをも縛り他の事業体をも巻き込みかねない振る舞いをするのは、やはりいろいろと多方面に気まずさを残す。己の枠内で決定した意志のもとに囲い込みをするならするでそれは善し、ただしいったん他に出したものについてはその事業体の意志に委ね、でる場を選ぶことができるようにして欲しいと、願って止まないけれども、果たして事態はどう進む。


【10月24日】 すっかりハマってしまっている「境界線上のホライゾン」のアニメーション版を見て今日は本多・二代の永訣の朝、御座るの割には寝乱れた格好から起きて父親に連れられ過ごしそして先行艦にて空に出て待っていた松平・元信による一種の反乱に際して直情径行な雰囲気があった割りには冷静な判断を下して中間的な位置に自らを留め、成り行きを見守っていたその下では、いよいよもって東国無双と西国一との戦いが勃発。そして鹿角による派手さもたっぷりの戦いが始まって目に凄まじいばかりのアクションシーンを見せてくれる。いやあすごい。ここまで激しく動くアニメも最近あんまりなかったような。

 でもってそれが文章ではいったいどんな風に表現されているのかを、枕元に積み上げた文庫本の方から探ってようやくまだ1巻目の後半にたどり着いたくらいと判明。ここから元信による花火が始まりそのまえに本多・忠勝と鹿角との組み合わせにより、立花相手の激しい戦いがあってそして悲しい離別があるのかと思うとますます次のアニメーションでの描かれ形が気になってしまう。行って戻ってまた行くアニメと小説との良い関係。これがメディアミックスの醍醐味って奴か。まるで違う話だったらこうはいかなかっただろなあ。あの難しくも文字通りに重厚な世界を、そのままアニメーションしたサンライズのスタッフに喝采と感謝を。

 ふと気が付くと凄まじいことになっているオリンパスによる英国人の社長解任騒動は、情報なんかを知れば知るほど不可思議な投資に大金が消えていったにも関わらず、それを追求しようとした英国人の社長がなぜか即座に解任された挙げ句に、日本の経営にマッチしないことをやろうとしてなじまなかったといった論調でもって、叩かれていたりするその一方で、英国的にはやっぱり不可思議なものは不可思議で、それを不可思議といって怒るんだったらどうどうと英国の法廷へいらっしゃいと誘っていたりするあたりに、まっとうなのはどっちかってのが感じられ、そうでない方への憤りと、そしてそのそうでない方をなぜか今も守ろうとしているっぽい日本のメディアへの妙な感情って奴が浮かんで来る。

 とはいえ流石に1週間以上が経って、状況も見えてきたってこともあり、「週刊ダイヤモンド」「週刊東洋経済」と月曜日に並ぶ経済誌のうちの2誌が、割と大きなスペースを割いてオリンパスの一件について扱い、そして「ダイヤモンド」みたいにこれはちょっと妙だといいった論調を掲げ、調べなくっちゃいけないって感じに日本側へのネガティブな視線を見せて、ジャーナリズムの矜持って奴を見せている。ところが日本における経済報道のエスタブリッシュメント的な存在と認知されている新聞の、系列に当たる「日経ビジネス」では、扱いが巻末の雑報の1つのそれも小さいコマといた感じな上に、まず会長の話を載せ、前社長の言葉をフィナンシャルタイムズから引っ張り、市場が注視している関係から、成り行きを見守っていきたいちった感じに流すのみ。そこに糾弾の言葉も懐疑の態度も見られない。なんでそなるのか。さっぱり訳がわからないけれど、これがつまり日本のジャーナリズムの形ってことなんだろうなあ。

 朝に行ったらまだなくって、昼頃に本屋に行ったら並んでたんで初にして多分最後の公認伝記となる「スティーブ・ジョブズ」の上巻を買って読む。だいたいがジョブズについて良いことが書いてある模様で、スカリーと喧嘩したり他のいろいろと喧嘩してもジョブズの切れ安さや態度の豹変ぶりを天才ゆえのナイーブさととらえ、逆に相手をガチガチの官僚主義的な面々として対比させ、たとえ嫌われても追い出されても失敗してもジョブズには何かがあるだなあ、って思わせるようにしてあるあたりがなるほど公認の伝記ってことか。とてつもなく嫌な奴、とてつもなく身勝手な奴、とてつもなく情緒不安定な奴って書かれてもそれが天才との裏返しに見えてしまうんだもんなあ。

 何しろ僕達は今のiPodやらiPhoneやらの成功を見て、神格化されたジョブズの情報を得てそれを読むわけで、なおいっそうのジョブズ贔屓の視点がそこに混じってしまう。故に本当にそうだったのか判断に迷うけれどもまあ、どっちにしたっていなくなったジョブズのその後に、世界がどうなるかがすべてを決めることになりそう。案外に巧くいったらいったでジョブズのおかげ、失敗したらジョブズがいないから、では大変だなあアップルの今の経営者も。次はDVDやブルーレイディスクを駆逐する発明が待っていたって? でもねえ、すでに今の日本じゃブルーレイディスクなんて熟れてないし、ケーブルテレビやネットを通して世界的に映像の配信は進んでいる。それを今さら「ジョブズはDVDもブルーレイもなくすつもりだった」と言われてもねえ。神格化の悪弊? いずれにしても審判は世界が下す。その時を待とう。下巻はいつ発売だ。

 カフェゼノンに行ったらケンシロウの尻が輝いていた。何を言っているか分からないかもしれないけれど、真相は明日発売「コミックゼノン」の最新号を読めば分かる、ってことになっているのかな。発刊から1年が経って「コミックゼノン」は堅調順調に部数を維持しているみたいでカフェゼノンであった1周年のパーティには、ゼノンの発売を預かっている徳間書店から社長の人だけでなくって徳間建て直しの立て役者という松下武義会長も来ていたからそれなりに大切にされているってことみたい。お膝元から出ている「コミックリュウ」はどうなっているかというと今は残念にも休刊中、とはいえ再刊も決まっているんで熱血にポップも混じった「ゼノン」と両輪でサブカルにオタクも混じった「リュウ」として並んでいけば徳間の漫画の骨も立つ、ってことになるのかな。

 そしてケンシロウはといえばそんな1周年を記念して作られたものらしく、海洋堂の巨大なフィギュアの衣装部分にスワロフスキーを50万個、ペタペタペタとはりつけていった結果が煌めくケンシロウ。ジッパー部分も細かく細工され衣装にも全面にスワロフスキーがスキマなくびっしりと張り付けられ、近寄れば尖った威容で迫り離れれば浴びる光を跳ね返してキラキラと煌めく。まぶしくて目も開けられない、ってほどえはないけど確かに凄い。写真で見るより実物が凄いんで明日から登場する博品館にマニアはゴー。あとオークションにもかけられるみたいなんで欲しい人は入札を、って幾らになるんだろうなあ。徳間康快さんがいたらきっと買ってただろうなあ。そういうやんちゃなところがあった人だった。


【10月23日】 学園異能バトル物もふんだんあ世の中にあってあとは能力がどrだけエスカレートしていくか、とか能力がどれだけくだらないか、といったあたりへと先鋭化していくのがライトノベルの世界って奴か。ってことで「十六夜聖域1」(富士見ファンタジア文庫)ってのは世界に異能者が生まれるようになって10数年って世界、そんな異能者が集まる学園があって入ってきた1人の少年が、学校へと向かう途中で不良っぽい人に絡まれ大変だったところを手が鋼鉄になる新入生に助けられ、友達になるかと思ったらその新入生は学園を牛耳る不良集団のトップに挑んで毒を仕込まれ従うようになってしまった。

 最初に絡まれていた少年はといえば大した力もないけれど、得意な音楽で学校内で演奏しては稼いでとりあえずの日々。けれども学園で1番を決めろっていう本当に学園を仕切っている能力者で、まだ小さい頃にたった1人で独裁国家へと乗り込んでいっては独裁者をやっつけ民主化を実現しつぃまった規格外の少年にして理事長の言い付けもあって、バトルが始まる中で主人公は脇を歩いていたものの、周辺でおこった戦いが潰し合いとなった果てにアフリカ帰りで野獣化する能力をもった少女を従え必然としてトップ3になっしまい戦いに巻きこまれる。

 そんな果てに2年生で毒をつかって学園を牛耳ろうとした相手との戦いも起こってきて、その最中に主人公の少年の本当の力が炸裂するという展開は、まあ異能バトルの形式にはのっとっているんだけれども、その間に不死身の少年がいるわ、前述したような1人で国家戦略級の力を持った少年もいるわとバランスが無茶苦茶。それでよく秩序が保てるものだと思うけれども超人は統治に趣味を見いだし不死身はあんまり世の中と関わりたがらない。そんなところが抑止力となって狭い範囲で戦いが、繰り広げられてそして弱いけれども決定的な能力を持った少年が、高い位置につくとう展開がちょっと面白い。さて続く戦いは誰とのになる? そしてその先は?

 光瀬龍さんとそして萩尾望都さんの小説であり漫画の「百億の昼と千億の夜」であしゅらおうは、人類より高次の存在を知りそして戻った地表で56億7000万年の後に来る衰退した世界にひとり佇み沈思した。諸星大二郎の「暗黒神話」で山門武は宇宙を統べる存在へと近づいたもののあはり戻った56億7000万年後の地表で、半跏思惟の姿でひとり黙考した。ともに孤独に迎えた審判の時。人類は果たしてどうなったのだろうと想像して浮かぶ寂寥感に未来を切りひらく難しさ、永遠など存在しない無常観にしばし呆然として宙を見た。

 滅びへと迫る人類にもはや救いはないのか。神も悪魔もいないのか。違う、断じて違うと五代ゆうが書き上げた5冊から成る物語「クォンタムデビルサーガ・アバタールチューナー」(ハヤカワ文庫JA)が語りかける。まずはじまったジャンクヤードでの戦いは、地上へと移り過去に起こった神との交接への挑戦と失敗のドラマが語られそしてやって来た滅びの日々、結晶化して崩れ去っていく人々の合間にかつてジャンクヤードで育まれた治世が、生命が現れ強靱な肉体を得て人々から悪魔と呼ばれ疎まれながらも己の信念、人類を救いセラを救うという目的のために力を振るう。

 明らかになった神という存在の正体。そして判明した肉体が結晶化するキュヴィエ症候群の真相。果てにあるのはなるほど宇宙にとってのひとつの調和だったかもしれないけれど、それは人類にとっての平穏とはほど遠い。だからあがこうとした。けれども届かなかった時に人類は、導きをえた。それがエンブリオ。サーフ、ヒート、ゲイル、アルジラ、シロエの5人にセラを得たチームが人類を見捨てず、虐げられても膿まないでひとつのことにむかって疾走する。時に反目しあい、喰らいあうように見えた彼ら、彼女たちの中にあったひとつおn願いがかなった果てに人は未来を得る。そこには孤独に佇むあしゅらおうも、黙する山門武もいない。明日がちゃんとそこにある。

 まるでファンタスティックに見えた、あるいは未来的に見えたジャンクヤードを仮想空間のレイヤーにおとし、育まれた治世をコアにして未来への礎とする。それを果たして誰がやり遂げたのか、何者がそれを画策したのか。神は堕ちてのちに戻ろうとあがいて人類を見放した。ならば神ではなかったのか。否、神すらもさらなる高次の下に行かされユルされている存在に過ぎない。この世界、この宇宙、この存在そのものを律し調べていく流れのなかにあって人類は、それでも流れに身を任せていては滅びるだけだ。自立し意識して己を得て、そして歩め、未来のために。それだけがあらゆる意識をも超越して思いを貫く。

 いつの間にでもないけれど、去年あたりに立ち上がっていよいよBJリーグ参入初年度を迎えた千葉ジェッツの試合を見に船橋アリーナへ。サッカーはジェフユナイテッド市原・千葉があって柏レイソルもあってラグビーはNECが千葉にあってアメリカンフットボールもオービックシーガルズが千葉に拠点を構えてたりするんだけれどバスケットボールはたぶんなかったんじゃなかったっけ。それがプロリーグのBJリーグに所属するチームが遂に誕生、これは応援に1度は行かねばと2連勝のあとに迎えたホームでの初戦を勝利した翌日、4試合めとなる今日に横浜との試合を見物にいったらチアリーダーの人たちがどっかんだった。どっかん。何がとは聞かない。

 そんな人たちを間近で見られるのがバスケットボールの良さではあるけれどもやっぱり肝心なのは試合ってところでここまで3連勝とはもしかして強いんちゃうんかと思ってながめていたら何か今日はミスが多くてどうにも最初の点差が縮まらない。4点差まで来たけれどもそこから外したりドリブルをミスしたりゴールラインから入れたボールを奪われたりともうあれやこれや。どうしてそうなってしまうんだろう。疲れだろうかやっぱり肝心なところだろうか。分からないけれどもそんなミスが重なって広げられてしまった点差を最終Qに埋めようとしてファールからフリースローのミスを待って奪い3点シュートなんてことを考えていたようだけれどシュートがことごとく弾かれる。結局20点の大差となってしまったけれども序盤のミスをあれでしっかりなくしていけば、もっと接戦を演じられるんじゃなかろうか。そこんとこしっかり。まだシーズンは長いんだし。頑張って。我らが千葉のプロバスケットチームよ。


【10月22日】 それは誰にでもあったはずの春夏秋冬で。そして彼にしかなかった春夏秋冬で。森田季節さんの「エトランゼのすべて」(星海社FICTION)はそんなとある1年のめぐる春夏秋冬への懐古と悔恨を惹起させ、けれども今というかけがえのない時間への決意を改めてさせてくれる物語。大学に入ってさあデビューだと思ったものの面倒な部活に飛び込む勇気を持てなかった少年が、ふと見た京都観察会というチラシに惹かれていった先で出合うのは、どことなくお嬢さま然とした女性。彼女は彼の名前も出身地も最近の動向もピタリを言い当て、占い師か魔法使いかといった面もちで微笑む。

 そして紹介されたメンバーや、いっしょに説明会に参加した少女とともに新歓へと向かいそのまま成り行きでサークルに参加。そして何をするでもない集まっては喋り時間があればアルバイトに勤しむとくに刺激もなければ大きな変化もない時間が始まる。少年はちょっとは焦る。その時間に世の中ではもっと人生に劇的な変化が起こっていてそのチャンスを自分は逃しているかもしれないと。彼女ができて薔薇色の夏休みを過ごすはずが特段の彼女もいないまま、サークルの人たちとしゃべり、アルバイトを手伝いカラオケにいくくらいが関の山。そんなダラけた日々で本当に良いのか。といって飛び出すでもなくそのままの日常を続ける少年。

 それが普通。誰もがたぶんそんな季節を経てきた。劇的なことなんてそんなに起こらない。目に見える変化なんて起こらない。だからといってそうやって過ごした日々は無駄じゃなかった。少年はサークルの先輩っちを通して人間とつながった。それ以上に少年やサークルの先輩たちによって1人の女性が救われた。その経験はたぶんかけがえのないもので、後の人生にたぶん何か意味を持つ。劇的でも画期的でもないけれど、何年後かに、何十年後かにきっと思い出となって積み上がり、甦っては悔恨よりも大きな懐古となって心を微笑ませるのだ。

 誰もが迷っていて誰もが悩んでいて誰もが彷徨っていて誰もが苦しんでいる。そんな時間をだからといって無理に変えようなんて思わない。どんな怠惰な日常にもどんな沈んだ気持ちでもきっとそこには意味がある。どん底にあったからこそ決意できたこともある。平凡だったからこそ考えられた多くのことがある。そんな積み重ねから得た今を大切にして、それでもやっぱりちょっぴりの悔恨があるんだったら、ここから新しく始めれば良い。その決断のための経験を、たっぷりとしてきたんだから。時間は無限ではないけれど、でもまだたっぷりと残っている。あの春夏秋冬を厭うことなく、これからの春夏秋冬を慈しめ。

 朝から六本木ヒルズに行って昨日はまだ配っていなかったプレスキットをもらってからTOHOシネマズ六本木で「マジック・ツリーハウス」のID試写。原作はまるで読んでないけれども世界で評判の童話らしくそれを日本ではメディアファクトリーが出していて、どいいう経緯からかアニメーション化の運びとなったみたいだけれどもまず映像を見た印象は、日本向けっていうよりは海外のそれも欧米をねらっていそうな雰囲気。たぶん小学校くらいに通う少年ジャックとその妹のアニーが主人公なんだけれども2人が通う学校の教室の雰囲気がもうアメリカン。椅子やら壁の張り紙やら建物やら図書室やら。雰囲気から現地をしっかりロケハンしたって感じが伝わってきて、これならどこの国? って現地の人に言われなさそう。どう頑張ったって日本のキッズアニメの学校って日本の小学校感がバリバリ。でも「マジック・ツリーハウス」にはそれがない。

 帰宅した先の家ももうどこまでもアメリカン。路地に立つ大きな家でダイニングにはテーブルがあってその上でプレートを並べみんあが分け合ってとりあって朝食夕食をとっている。パパは金髪碧眼でややがっしり。そしてママはホットパンツから長い足をのぞかせながらもエプロン姿で調理に家事にいそしみ子供たちのことを思っている。実にすばらしいファミリー。周辺の自然も出てくる標識も英語仕様でそしてアメリカのどこなんだろう、北部か中西部か分からないけれどもそんな街や森の雰囲気ってやつをたっぷりと醸しだしている。あの広い家にあの優しいパパとママ。日本だといじめやら虐待やらといった問題がクローズアップされるのと同じシチュエーションで子供はのびのびとして暮らし仲間とわいわいやっている。羨ましいなあ。

 なるほどハリポタみたく家庭での抑圧が解放につながるケースもあるけれど、あれは両親が亡くなって引き取られた先での話であって、学校に入ってから知り合う仲間たちの家はどれも幸せと優しさに満ちていたりする。それがあくまでイメージなのかは分からないけれども、そういう場面から啓蒙していくことによって得られる憧憬が、どういう家庭を維持させる方向に働いているんだとしたら日本は逆にいざこざをクローズアップさせて刺激にすることによってむしろ状況をどんどんと悪化させている、って可能性もあるかもしれない。むしろいまはテレビが積極的に優しさと慈しみの家庭をもっと伝えて世間にそれへの憧憬をもたらすべきなのかもしれない。だからいっぱい放送しよう、「OH! マイキー」を。

 さて「マジック・ツリーハウス」は魔法使いが奪われた力を代わりに取り戻してあげるために、魔法の力を使ってあちらこちらをめぐって4枚のメダルを取り戻しにいくという話。いつも元気な妹のアニーは純粋な好奇心と頑張ろうという気持ちから突っ走り気味。そんな妹を兄のジャックは最初は諌めようとして、そして自分がヒーローになった気分で逆に突出し、けれどもそこで受けた衝撃から引っ込み思案になてしまい、喧嘩したもののやっぱり捨て置けない妹のために勇気を振り絞るといった流れ。1つのストーリーのなかに気づきがあり喚起があり悔恨があって成長があってと、見ればなるほど子供の気持ちをくすぐって前に進ませようとする意識が漂っている。小さい子も不安のなかで得られる友達の優しさを知って誰かに分け与えようって思えてくる。そんな面では良い児童映画かも。

 いくらなんでも科学的にありえないとか歴史的に不思議とか、そこんとこはやく気付よとかツッコミどころもあるけれどもまあ、子供のやることだし、児童文学なんだしといったことで知らないふり。何より声優として演じているジャックの北川景子さん、そしてアニーの芦田愛菜さんが抜群に巧くって聞いててまるでストレスを感じないのが素晴らしい。とくに芦田さん。アニーって子の声をただ演じるんじゃなくってちゃんと感情をこめて演じているように聞こえてくるところが素晴らしい。声質もいいんだなあ、耳にちゃんと響いてくる。あの凄さは貴重。これから女優となるのか声優になるのかは知らないけれども、ただの可愛さや小ささだけでもてはやされているんじゃない、何かを持っていることが大きく意味を持って来そう。映画「半分の月がのぼる空」の未来ちゃんもそうか芦田愛菜さんだたのか。なるほどあのときも巧かった。魔法使いの真矢みきさんは単体では巧いんだけれどシチュエーションとすこしズレてて不思議な感じ。まだ絵がない中で撮ったのかな?


【10月21日】 イラン革命の時にパーレビ国王は自らジェット機を操縦してエジプトへと脱出し、その後世界を転々としてアメリカに渡った際に反発した学生がイランのアメリカ大使館占拠事件を起こしたりして、そしてエジプトに戻って病気で死去した。フィリピンのマルコス大統領は包囲された宮殿からヘリコプターで脱出して後に国外へと渡りハワイで病没した。ウガンダのアミン大統領は反体制派の攻撃を避けて国外に逃げて四半世紀近くをを生きて死亡した。

 独裁者と言われる人たちが政権の転覆を受けてもなお生き延びた例は過去にいくらだってあるのに一方では、ルーマニアのチャウシェスク大統領が革命の最中に脱出しようとして捕まり夫人ともども銃殺され、イラクのフセイン大統領が他国籍軍というか米軍の攻撃を受けて追いつめられて捕縛され、短い裁判の後に死刑に処された。アルカイダのウサマ・ビン・ラディンの場合は独裁者ではなく指導者だけれど逃げ切れず補足されて攻められ殺害。他に安全な国などなかったのかもしれないけれどもそれでもホットスポットから少しは安全な国へと亡命を果たすことはできなかった。

 そしてリビアのカダフィ大佐。一気に攻められ包囲され逃げ場を失ったって訳でもなく、しばらくの戦いがあってその間に安全地帯だった首都トリポリにいたにも関わらず国外へとは向かわないで留まった挙げ句、追いつめられて下水管に逃げ込み捕縛され、連行される途中に射殺という悲惨な最期をたどってしまった。たとえば隣国のエジプトへと逃げたところでムバラク大統領の退任したエジプトに居場所はなかっただろうし、他のアラブ諸国も受け入れるにはやや荷が重そう。欧州にだってどこにも居場所はなさそうだし、アメリカなんてもってのほか、パンナム機を落とした訳だし。

 中南米だとどこか行く場所はあるんだろうか、キューバあたりか、しかしやっぱり名のある闘士として戦ってきたカダフィ大佐にとって、逃亡という選択肢はなかったんだろうなあ、だから留まり逃げ遅れて捕まり射殺。確かにいただけない行為ではあるけれども、そうなる可能性の少なからずある中で、自らをその運命へと向かわせた矜持、あるいは見栄にちょっぴり人間らしさを感じてしまったりもした。ともあれひとつの時代が終わった事件を朝に千葉テレビで放送しているBBCワールドニュースでは30分近くをまるまる使って報じていたのに、同じ時間帯のワイドショーはタレントの映画の宣伝やら歌手の復活やらといった話題ばかり。世界はそこから見えてこず社会すら見えてこないテレビにどんな意味が? そんな感覚の積み重ねが今の不信であり不振を呼んでいるんだろう。たまらんなあ。

 あの秋元康さんが出てきて1時間半近くも喋るってんだから集まる人は1000人は下らずメディアだって100社も並んで不思議はないと思ったけれど、案外に知られていなかったのかデジタルコンテンツEXPOの会場で開かれた、創賞っていうアジアグラフが毎年の優れたクリエーターに与えている賞に決まった秋元さんへの贈賞と、その後の講演に集まった観客はそれなりのホールをどうにか埋めると言った程度。メディアも10社にようやくでカメラはNHKがいたくらい。あれだけ普段からお世話になっておきながらもこういうところにはやってこない民放の、刹那は追っても真実は追わない軽さって奴をかいま見る。あれだけの内容が撮っておいて流せばそれなりに評判になると思うんだけれどなあ。そこにAKB48のメンバーの1人もいないと、とたんに興味を失うメディアの見た目主義にすこし絶望。

 そんな秋元さんが行った講演はやっぱりAKB48の話がメーンになったけれども最初は本当にあまり深く考えないで劇団を作ろうとしてアイドルに変わって良いって渋谷や新宿も探したけれども秋葉原に場所があってそこになり見に来られるアイドルという他になかったものをやって最初は7人しか来なかったけれども口コミで人気が出ていったといったとか。そこには深い洞察もマーケティングもなくって、それがただ面白そうだからっていう自然体。最初に7人しかお客がいなくてもそこから増やしていくことを自分は望んでたんだと面白がる心意気があったから、落ち込みもせずむしろやる気を感じて支えていったってことらしい。なるほど自然体だからこそ続いたんだなあ、ここまで。

 形にはめないところも自然体で何か受け答えで嘘がつけず憮然とするようなところがあるらしい前田敦子さんにたいして周囲がいろいろいってもそれが良いんだと訴えしりぞけ守ってみせたり、板野友美さんが髪を染めて目立っても、そういう人がクラスには1人くらいいるよねって流したりするところもなるほど自然体。つまるところはプロフェッショナル中のプロフェッショナルではまだなく、そこへと至る過程にいるアマチュアたちが目立っているという位置づけ。これは秋元さんがいっていたことだけれど、地元にささえられて立ち上がった高校の野球部が地区予選を勝ちそしてようやく甲子園で優勝したくらいってところで、それでもあくまでアマチュアなんでこれから本当にプロの世界に言った時、どれだけやれるかってことが課題になってくるらしい。なるほど甲子園。

 とはいえ今の世の中はそんな甲子園のヒーローをやたらと持ち上げもてはやす。あるいは高校大学の野球にラグビーといったスポーツ選手を。それだけでマーケットは確かに回ってメディアは潤い世間も心を躍らせているけれど、いざ世界と勝負した時にラグビーなんて惨敗を重ねてしまっているし、野球もワールドカップで悲惨な成績を被った。WBCは勝ててもあれがアメリカの本気とは思えない。メジャー選手出てないし。そんなアマチュアか半プロみたいなものでも持ち上げもてはやす風潮に、AKB48も飲まれもてはやされていった果てに来る凋落を、心配したくなってきたけどそこは秋元さん、ちゃんと次を考えいろいろ示唆を与えて居るんだろう。

 あと海外で果たしてAKB48が売れるかってところだけれど売れない可能性もあるし、売れるんだったらAKB48をおいてほかにないというアンビバレントな回答。プロの技を見せる欧米で歌も踊りもあんな程度のAKBがショウビズとして売れるかは分からないけれど、そういった国にはないエンターテインメントとして受け入れられる可能性もあるという。実際、3曲目まではどん引きの外国のオーディエンスも、その迫力やひたむきさにほだされ4曲目あたりから一気にヒートアップするという。伝わる何か。それをマイルドにせずマーケティングにはめず、納豆なら納豆のままでぶつけることによって海外に、そいういうものがあるんだという驚きを与え、受け入れてもらうことができるという。なるほど独自。そして自然体。それを逸脱しないためにも、メディアのマーケティング志向にはのらない強さをメンバー各位には持って欲しいけれど、誘惑も多いからなああの世界。

 秋元さんだって40歳くらいまでは自分が世界を知り尽くし、感性のままに突っ走れば どうにかなったと信じていた。ここに市場があると踏んで仕事をしてぶつけて、それなりな成功をとってきたけどあるとき、そうやって作りだしたコンテンツを時分自身は見ていない、楽しんでいないことに気が付いた。自分がトレンドと思って出したものが自分のトレンドになっていない矛盾。それはズレなのか、それとも単なる思い上がりなのか、分からないけれどもこれはいけないと気を取り直し、自分が面白いと思えるものをやっていこうと考え立ち上げたAKB48の、この成功ぶりを見るとなるほど瞬間的な沸騰はなくても、面白さの感性はじわじわと広がり根ざしていくんだってことが見えてくる。それに気づいた秋元さんはあるいは無敵か。これから何を生み出すか。ちょっと関心。


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