縮刷版2010年7月上旬号


【7月10日】 みすず書房なんてところから出ているだけあって、ドイツでも有名らしいコメディアのハーベイ・カーケリングって人が書いた「巡礼コメディ旅日記」は、巡礼の行く先々でバカやって笑いを取るって感じではまるでなくって、コメディに生きてきたけれども弱まった体に思い直し、旅をしながら自分を見つめ直していく姿が、それでもどこか世間を斜に見るコメディアン的サービス精神も漂わせながら書かれてあるから、読んでいていっしょにランララランとスペインのサンティアゴまで歩く長い旅を楽しめて、そしていろいろと考えさせられる。

 生きてるってどういうことだ。生きていくってどういうことなんだ。旅に出たくなってくるけれど、それをやるには人生っていろいろと重たいことがついて回るんだよなあ。金に時間に将来。それを気にしないところまでいたからハーベイも旅に出られたのかな。性根時代から笑いに生きてテレビに出ようと手紙まで送って文句を言われて、それでもちゃんと若気の至りの手紙を保存しているテレビの人(そこがしっかりエンターテインメントの未来を考えている現れなんだろうなあ、日本でそんなディレクターなんていないもんなあ)とかの誘いもあってデビューして、一気にスターへ。そうしたドイツ的お笑い芸人への道の紹介もあって楽しめるけれど、そうした地位がなければ休みはとれないか、っていうと旅の途中で出合う人たちはどこまでも市井の人たち。自分がしっかりあるからこそ、何をやろうと気にせず回りも気にしないで踏みだし送り出せるんだろう。それがせいじゅくした大人の社会って奴か。羨ましい。そして考えたい。今を。これからを。

ニコとナミとハンコックさえいてくれれば人生は…  そう思ったのもお誕生日だっからかではあるんだけれど、だからといってお祝いしてくれる人もいないんで、秋葉原に行って「刀語」の第4巻を買う。これの心理のいったいどこがどう接続するかどうかを分析するには、お誕生日までのかれこれとんでもない時間に培われた無駄無駄無駄無駄無駄な経験やら、知識やらを相対的総合的に判断して得た答えの裏を行くようなことが必要なので、自分でも結局のところは分からない。そういうものだということにしておくのがここは吉。せっかくだからとお祝いしてくれそうな美女2人も購入。バンダイから出た大型フィギュア+玩具菓子のニコロビンとナミ。顔立ちが何かロビンは優しすぎるというか若作りしすぎているというか、あれで結構な歳だったって記憶もあるけどボディの素晴らしさに免じて認める。ナミも腰細いよなあ。

 「ガンダムカフェ」には回らず白い方のカレーはまた今度にして読書とか。鷹見一幸さんの「ご主人様は山猫姫5」(電撃文庫)は的は幾万ありとても、図抜けた軍師と聡明な指導者とあと山猫姫がいれば何とかなるかもしれなかったりするかもしれない可能性を見せてくれる導きの書。3万の帝国兵に取り囲まれたタルトって町を守る奴らは敵の攪乱のためにロケット兵器を開発してぶつけて混乱を誘う。敵の方はといえば優秀を鼻に掛けた軍師が負けを認めたくないばかりに無茶ぶりをするものだから大慌て。まさしく全愚突撃状態となった果てに敗れ去る。

 とはいえそこで無能さに帰結させないところが鷹見さんの優しさであり厳しさか。なるほどロケットにしても援軍にしても絶妙のタイミングで新兵器に新戦力が現れ勝利を得られたけれど、ほんの毛ほどの差で大崩壊へと至った可能性は存分にある。そこにしっかりと釘を差し、少数でも大軍をうち破れるんだなんて幻想を与えず、それだけでは局地戦での戦術的勝利は得られても、立場を是へと傾ける戦略的な勝利は絶対に得らずあまつさえ戦術的勝利しら無にされかねないことを、分からせさあてどうするべきかと問いかける。長期的視座。そして展望。人智に活路を見いだしそこから未来をつかみ取ろうとする晴凛という人間の大きさが浮かび上がってくる。ヤン・ウェンリーやらマヒロ王子やら、策を弄して大群を破る天才たちは過去にもたくさんいたけれど、王者としての大きさではあるいは晴凛が1番かも。その未来。見定めさせてもらいます。

 なるほどNMB48が一方のお膝元の難波に出てくるんだったら、吉本興業は抗してもうひとつのお膝元になる梅田にUMD48を立ち上げ、若くて綺麗でそして面白い美少女芸人たちを集めて舞台上で48人漫才とかを演じさせて、大阪には笑いがイチバンとアピールすべき。そして阪急電鉄もエンターテインメントの殿堂、宝塚市にTKZ48を立ち上げて、所有する歌劇団の見目麗しい若手を投入して絢爛さで勝負するのだ。男役ばかりのチームと娘役ばかりのチーム、混成チームといろいろつくるのもありかなあ。

 なにいっとるどすえ。とばかりに千年の都、京都も和のエンターテインメントの本場としての意地をここは発揮して、花街・祇園にGON48を結成。まだうら若い舞妓を並べて詩に踊りに三味線の技を見せて西洋の音曲など叩きつぶすがいいどすえ。さすがは関西芸所。探せばいろいろあるのに東くんだりから秋元なんて輩に入り込まれて席巻されていいものか。立ちあがれ結束して秋元の陰謀から関西の芸を守るのだ。滋賀は? 滋賀ねえ。うーん。信楽焼の狸が48匹並んで踊るSGR48ってのは、どう。

 ちょい待て関西だったら奈良もある。奈良。奈良……。美鹿たちを集めSKA48を結成して春日山で毎日鹿たちがダンスを踊ってみせるくらいしか思い浮かばない。和歌山。KKY48が蜜柑でお手玉をして遊ぶ。うーん。関西だからといって対抗できるとは限らないか。だったらいっそ芸に限らず地元の特徴を生かせばいい。三重なら伊勢志摩の美人すぎる海女さんたちを集めてAMA48を結成して、その名も国際秘宝館で国際秘宝館らしい姿で踊りまくり。ちょっと見たいかも。岐阜はGRO48として下呂温泉宿の若女将やら美人仲居が混浴してくれる。是非に入りたい。り岡山はホルモンうどんで有名な津山市にTYM30と銘打ったユニットを。っても見せるのは懐中電灯をはちまきに差した1人が、日本刀と猟銃で観客席から毎回30人を……。涼めます。

  青森からはOSZ48がエントリー。恐山から48人のイタコがそれぞれに偉人や名人やご先祖様や買ってたペットのワニやらを下ろしながら歌い踊り脱ぐ。脱いだらすごいのか。すごいだろうなあ。いろいろと。対抗するのは沖縄から傘下のUTA48。青森の芸を見て抜け出たマブイ(魂)を引っ張り体に戻してくれる。ちゃあんとバランスがとれている。とまあそんな具合に1つの都道府県に1つの48運動が進んでいけば、今は持ち上げられている秋葉原に栄にこれからの難波も霞んで丸儲けを防げる上に、日本中にエンターテインメントの灯がともり、娯楽産業が生まれて日本全体が活気づく。もしかするとそこまで狙った秋元康のプロデュース? だとしたらやっぱりすごい人だ、秋元さん。さあみんなもおらが町の48を考えよう。千葉はもちろん48匹のチーバくんが踊るCHB48だ。赤そうだなあ。


【7月9日】 ボンデージがーボンテージではなくボンデージであることは広く知られている事実かと思ったらどうやらそうでもないらしいというか、始まったばかりのドラマ「もやしもん」ではなぜか長身の二枚目野郎になっていた沢木惣右衛門直保が、現れた長谷川遥のとてつもなく扇情的で目を奪うようなボンデージファッションを指して口にする言葉がボンテージ。それとも本当はちゃんと濁ってボンデージと言っていたのかもしれないけれど、耳にはそうは聞こえず間違った認識が行き渡っているのかとボンデージ好き的に心配になる。

 とはいえあのフェチ中のフェチとして名を馳せる石川雅之さんを相手に、フェチ話しで馬があったというシリーズ監督の岩本晶さんが、ことボンデージの言葉をボンテージと取り違えるはずもないだろうから、耳にはそうは聞こえただけでちゃんと沢木はボンデージと言っていたんだと信じよう。とはいえめの前にあの立派な谷間が現れたら、沢木でなくても目が眩んでまともなコメントなんて出せなくなるよなあ、いや凄かった、長谷川遥こと加藤夏希さん。覚悟をきめたんだなあ。

 お話の方は本編との違いがあるとしたら結城蛍がいっしょに入学していないばかりか、電話をかけてきていきまり休学するといったことでその声がまた普通に男性でそして割に低めの声だったんだけれど、その後に結城がどうなるかは漫画の原作を読んでいたりテレビで前に放送されたアニメ版を読んでいる人になら先刻承知の既成事実。だからいったいあの声は誰が出していたのか、そして変身後も声は変わらずその麗しい見目にそぐわない野太い声で出てきたりするのか、なんてことはないだろうから、やっぱり電話をかけていたのは結城ではない別人、ってこともあるのかも。いやそれはないか。うーん。

 見た目はさすがに美里そっくりで笑った笑い飯の西田幸司さん。しゃべると関西弁だけれどもこれがデフォルトになってきっとこれから漫画を読むと美里は関西弁で喋っているように聞こえてしまうんだろうなあ。川浜はとてもじゃないけど年取り過ぎだけど西田さんと釣り合う年齢ってことで並ぶと普通に見えてしまうから不思議というか。そう言う効果を狙ってキャスティングしたんだとしたらなかなかに策士かもしれないなあ、企画した人作った人に監督した人御一同。続くだろう武藤のそっくりさんぶりにも期待が膨らむ胸ゆれる。武藤って揺れたっけ?

 地球の歴史が始まってだいたい50億年くらい? 生物が生まれてからだって結構な時間がたっているけどそんな長い歴史を通して、今日ほど注目を集めたタコはいなかったんじゃなかろうか。FIFAワールドカップ2010南アフリカ大会におけるドイツ代表の戦績をことごとく当てたというタコのパウルくんが、身の危険を省みずサラダにされるのもパエリアとして炊かれるのも覚悟で挑んだ3位決定戦の予想とそして決勝でのスペインとオランダの予想はまずは3位決定戦で地元のドイツが勝つと予想して安心させつ、そして決勝ではスペインが勝つと予想してパエリアにされるピンチをひとまず凌いだ。

 もっともこれが外れたとしたらいらぬ予想をしたから逆ばりになったんだと、スペインの人達からいわれ突っ込まれかねないし、それより以前に優勝しないと名指しされたオランダが、許し難いタコだと怒り国境を越えてタコのいるドイツに攻め入って、水槽を破りタコを引きずり出しては天日で干し、ひらひらになったところを脚をつけて凧として空に飛ばしかねない。当てても結果は同様で、外れればジブラルタル海峡で鮫の餌。果たして次のブラジル大会までパウルくんの命脈やいかに。ああ愉快。ワールドカップの楽しみ方がひとつ増えた。

 はじめての媒体向けにはじめての原稿を書く緊張から秋葉原を逃避気味に散策したついでに「ガンダムカフェ」へと立ち寄って、新しく始まった夏のメニューからアッガイカレーとやらを食べてみたけどどこがどうアッガイなのかがまずは不明。土色はたしかにアッガイと同じ色だけれどもくっついてきたレンコンが、一瞬何なのかと迷いエアダクトかと思ったけれどもそれはズゴックであってアッガイではない。ってことはつまり手の先かってことで片方はミサイルポッドだけれどももう片方は爪が出る手を両方ともレンコンでやってしまっていいのだろうか。かといって種の入ったレンコンで表現されても困るからまあこれで一応は○ってことで。トマトはきっとモノアイだな。


【7月8日】 西班牙対阿蘭陀。牙に蛇とはいったいどこのヤンキー集団による抗争が勃発するんだと字面から思う人も多そうなFIFAワールドカップ2010南アフリカ大会の決勝カード。すでに阿蘭陀ことオランダ代表が光速ヘッドの連発によって決勝出場を決めていたのに続いて、西班牙ことスペイン代表もドイツ代表を0点に押さえて1点を奪い見事に決勝進出を確定。試合は散々っぱらパスを回すものの一向にドイツのゴールを割れないスペインの見かけ倒しポゼッションが炸裂していて、スコアレスのままPK戦なんて想像も浮かんだけれど、一方では9人がベタ引きするようになってドイツの攻撃を封じつつ、セットプレーからチームの支柱ともいえるプジョルが魂のヘッドを炸裂させて1点を奪取。華麗なパスワークも圧倒的なポゼッションも関係のない活躍が、スペインを初の決勝の舞台へと送り込んだ。

 そして決勝はオランダが光速の光明を光彩させることで光臨してスペインを粉砕、ってまるで意味分からないけどとにかく輝かしい戦いぶりを見せてくれるだろうってこと。どこを相手にしてもなかなか点を奪えないスペインの見てくれポゼッションは、例えオランダであろうと崩せないまま苛立ったところにビームが注がれレーザーが飛び交うなかを反射衛星砲が炸裂し、1点2点と奪われていくことになると見た。対抗するには全員がサングラスをして眩惑してくる相手から目を守り、カウンターを避けるように守りつつボールを保持しつつ、隙を見てエクステをかぶせるなり周囲を多人数で覆うなりして輝きを減らしたところで一気にゴールへと迫ることが必要そう。さてどうなるか。その前に3位決定戦もあるなあ。タコがどういうか楽しみ。

 秋篠宮殿下がボイジャーのブースを見学されるくらいだから世間的な電子書籍って奴への注目は今がピークで今後も上昇機運にあるんだろうけれども、だからといってやっぱり今を元年と騒いで喜ぶってのは、東京国際ブックフェアの中で14回目を数えるデジタルパブッリシングフェアにもう10回以上はたぶん出ていて、そこで電子出版の形をずっと見せ続けて来たボイジャーとか、電子書店パピレスなんかの努力を無に見て意識しなくなってしまう風潮を招きかねないだけに、スキップを踏むような気分で騒いで喜ぶってことはしたくない。実際にボイジャーだってパピレスだって、別に去年とどれほども違わない展示を行って現在地を示し将来へと向かって何かをやろうとしていたりする。経過であって始まりではないにも関わらず、そこに沃野を発見したって騒ぐのは、アメリカインディアンが住んで文化を育んできた新大陸に乗り込んでいった白人が、そうした文化に目もくれずフロンティアだと騒ぎゴールドラッシュだと狂気した様に、どこか重なって見えてしまう。

 そうじゃないってことを知っている人たちが、ここまでの積み上げがもたらした今日を称揚し、これからの積み上げの困難さに言及しつつそれでも向かう先を予見してこそ新大陸の新は白人にとっての新でしかなかった皮相さを、浄化し歴史を真っ当に紡げるものなんだけれどもそういう感じでもないからなあ。まあ仕方がない、メディアってのは瞬間の沸騰に弱くてなびきがち。そんなメディアと併走していかなければならないジャーナルの世界の人間にとって、今がやっぱり騒ぎ時なのだから。そうした騒ぎがあとは一過性に終わらず永続的なものとなるように、問題点は問題点として指摘し良き方向へと導くような言説を、唱え引っ張っていって欲しいもの。そうなってこと元年、ではなく維新は果たされ近代が訪れ現代がもたらされ、そして未来へと道が開かれる。

 外に出ると炎天下な上に湿気も高く3歩歩けば倒れそうなところを我慢して、臨海線で品川シーサイドまで出たら駅名表示が英語になっていた。どうやら近所の会社が英語を王用語にしたってんで駅からショッピングセンターから英語を基本にしたらしい。銀だこの店で昼飯を買おうとしたら店名の表示はシルバー・オクトパスになっていて、そりゃあどこのジュエリーショップかTシャツ屋かと吹き出しそうになったけれども仕方がない。ネット上のショッピングモールを展開している公用語を英語にした会社の店子も、今はまだ日本語での表示が認められているようだけれどおいおい英語を基本にしないと、海外展開に連れて行かないぞって言って変えさせるに違いない。大変だなあ。

 ってのは冗談だけれど世界有数の企業を抱える自治体の名前が世界有数の企業と同じになったりした例も過去にあるだけに、遠からず品川シーサイドは良いとして、青物横丁はブルーオブジェクト・ストリートとかに変えられるに違いない。その方が何かモダンな来もしないでもないなか。いやいやさすがにそれでは鬱陶しいので向かいにある会社は対抗して、社内の公用語を「ガンダム語」か「鉄拳語」か「たまごっち語」に変えるべきだと言ったらTwitter方面から「ゼビ語」というのが還ってきた。なるほどゼビウス語。16進数で進むアルファベットに似た言葉、らしいけれどもそれを駆使してしゃべれるようになればきっと向かいの会社が目論むちょっぴりイケてます的示威行為も、とたんに陳腐化して矮小化されて誰もなびかず銀だこも銀だこに戻るだろう。違う違うそれが今度はゼビ語になるだけ? なるほどそうかも。んでゼビ語で銀だこって、どう言うん?

 なんてことを妄想しながら聞いたパックマン30周年記念事業。とりあえずアヴィ・アラドってマーベルのコミックをハリウッドメジャーで次々に映画化して当てた偉い人がアドバイザー的な存在となってフルCGアニメを作って全米で流すみたいで、パックマンがそのまま歩いているような鵜野沢さんもいたくお気に召した様子で良さを強調。スタジオはロスだかにあるけど中身はハワイのFFの残滓らしいんで日本的な味とアメリカ的な練り込みがちゃんと入った、奥深さを持った作品になりそう。でも完成は2012年。先の長さもアメリカ的。あと4人で対戦するみたいな台とかWii用のパーティーゲームとか。パーティーゲームはマリオパーティー的なものでそれがマリオと無関係なようにもはやパックマンではないけれども、キャラクターの知名度を使って面白いことをやれば成功するのはマリオパーティーが証明しているんで、パックマンも頑張って欲しいもの。ふと見るとパックマン・ファーザーの創業者がいて、それからGAGAを作った人もいた。久々に見たけど今、何やってるんだろう?


【7月7日】 「大相撲名古屋場所がテレビ、ラジオを含めて生中継されないことを受けて、メディア各社は速報体制強化に向けて、テレパシー能力者の採用に乗りだした。通常の場所では無線有線といった既存の通信手段で速報を自社に送っていたが、主催者側では午後6時からダイジェスト放送する放送局に配慮し、場内ではいっさいの通信手段が使えなくなるよう対処。速報を行うには会場から糸電話を延ばすか、紙に『勝利!』『敗北!』と書いて体育館の外で待つカメラに向かって記者を走らせる等の対応が必要となっていた。テレパシーは電波等に頼らず、居ながらにして情報を伝えられることから有力な速報手段として候補に挙がった」

 「大相撲名古屋場所を超能力によって速報するため、メディアに採用されたテレパシー能力者たちが、情報の伝達中に次々に倒れてしまう問題で、県立超能力研究所は、極度に肥満した体型の多い力士たちが、汗を流しながらぶつかりあう取り組みの様子を詳しく伝えようと、土俵上に意識を集中し続けた結果、脳内が暑苦しさでオーバーヒートを起こし、熱中症のような状態になったものと解明した。こうした中、ひとりだけ倒れないでテレパシーによる中継を続けている霊能力者のA氏は『自分はデブ専、太ったお相撲さんたちがくんずほぐれつしている姿が大好きなの』と、元気でいられる理由を話している。なおA氏からのテレパシーを元にした放送を行っていたテレビ局には、A氏に感化された視聴者からマツコ、石塚、松村といったタレントをもっと出して欲しいという要望が、強く寄せられるようになっている」

 「放送局がテレビ、ラジオでの生中継を行っていない大相撲名古屋場所が、某大国でほとんどリアルタイムで中継されていた問題で、県警は軌道上に制止していた偵察衛星が、体温等も感知可能な超高性能カメラを使って大相撲が行われている愛知県体育館を上空から撮影し、収集した体温データを即座に解析して、取り組みを行う力士の像をリアルな3DCGムービーによって作り上げ、実写のような精細さで放送していたものと解明。のぞき見の罪に当たる可能性があるとして、外務省を通じてただちに放送を取りやめるよう要望を行った。某大国首脳は熱烈な相撲ファンとして知られている」

 「日ごろは裁判所に詰めている法廷絵師たちが、名古屋市に大集合しています。大相撲名古屋場所の生中継が行われないことになって、メディア各社では文字による速報を行う検討を始めましたが、取り組みの様子を、ビジュアルによって知りたいという読者が多いことから、絵師たちに勝敗が決まるまでを絵にしてもらって、それを放送することで、視聴者ニーズに応えようとしたものです。法廷画家歴40年のB氏は、シンプルな線で勝敗が決まった瞬間を絵にして、高速度撮影された写真に負けない迫力だと評判になっています。変わり種は漫画家のC氏で、相撲取りのキャラクターをすべて水着の美少女に変えて描写して、若い人たちの支持を集めています」

 考えれば考えるほど、いろいろと取り繕うアイデアが湧いて出てくる大相撲の中継注視問題。現実問題、NHKが放送しない場合に果たして活字のメディアはいったいどう対応するのかってところで、そのスタンスが問われそうで興味が及ぶ。公共放送という場での興業の中継は拙いとしても、結果を知りたいという人に結果を伝えることはメディアの責任であり義務でもある。テレビが結果を速報できないなら、活字メディアがネットという速報性を持ったメディアを通して結果を逐次伝えれば、それはそれで義務を果たしたことになるんだけれど、そこまでの人数を裂いて経過から決まり手から星取の具合から明日の取り組みまでを、ネットで逐次伝えていくつもりがあるのか。NHKが中継しないと批判するのは楽だけれど、自らも報道機関としてどう対処する構えなのかを、各社には示して欲しかったし、聞いて回るメディアがあって良いとも思ったけど、さてどうなるか。なければそれこそ有志が逐次結果をアップしていくうごきを見せて欲しいもの。それでこそネットメディアの沽券も保たれるって言うものなのだから。

 真夜中に目覚めて見始めたテレビでまたしても光りのスピードで決まるヘディングを見てしまった。あの速度で放たれればどんなキーパーだって反応はできなよなあ、できたとしてもまぶしくてボールの行方なんて見定められやしないし。そしてオランダは3点を奪いそれも見事なゴールで奪って決勝に進出。ウルグアイは惜しかったけれども最後に1点を返す良い戦いを見せてくれた。3位決定戦が行われる訳でそこにハンドで退場になったスアレスも復帰してフルメンバーが揃うことになりそう。相手はまだ決まっていないけれど、ドイツでもスペインでも相手に不足はなさそうで、そこで見せる気概が南米に勇気をもたらす。かつての宗主国的な存在のスペイン相手に検討するってのが歴史的な意義もありそうだけれど、それにはスペインがドイツに負ける必要があるか。でも実際問題勝てそうもないしなあ。とりあえず1つは決まり、もう1つもまもなく決まってそして最後の決戦まであと数日。寂しさも浮かぶけどまずは喜びの中に終幕を見定めよう。

 たった1枚の絵が2万枚のアニメになったということも驚愕なら、そのアニメを雑誌の付録で配ってしまうと言うモデルも驚愕だったグッドスマイルカンパニーによる「ブラック★ロックシューター」のアニメーション化計画。そうやって完成した映像のエンドクレジットに、驚愕の渦中にある谷川流さんが脚本として参加していたことが分かって全世界の1億人以上が驚愕したなじゃなかろーか。筋道をたどれば作っているのが「ハルヒ」を手がけた山本寛さんの会社でヤマカンさんも監修にあたっているから、誰か世界観を作れる人ってことで誘ったってことは十分に考えられる。

 あとはその起用が正しかったか否かってことなんだけれど、どう見たってスタイリッシュでクールでダークな美少女ガンアクションにしかならないだろう最初の1枚の絵から浮かぶイメージを膨らませ、女子中学生にありがちな日常をひとつのレイヤーとして取り入れ、喜びから迷いへと流れ苦しみを誘いつつ嬉しさへと向かいながらも、新たな苦悩を示唆する青春のあれやこれやを描いてティーンの世代にキュンと来るストーリーへと仕立て上げた裏側には、監督の吉岡忍さん以上に谷川さんの力があったように思える。そういうの得意そうだし、「ハルヒ」とか「学校を出よう」なんか読んでいると。

 肝心の絵の方も急須が薬缶くらいにでかくなったり、窓際にいるキャラの目が点になったりと抜けた部分もあるけれど、総じてしっかりと描かれてあって目に不思議なところはない。キャラに関してはマトは健気でヨミは綺麗でデッドマスターは淫靡でブラック★ロックシューターはクールに描かれ目を奪う。アクションは激しく日常は丁寧。とりわけ積み重ねられていく日常がしっかりと描かれているからダルさはなく、むしろ身に覚えのありそうなできごとにこの先どうなっちゃうんだろうといったハラハラした気持ちにさせられながら50分間をつき合っていける。ブラック★ロックシューターとデッドマスターの戦いは迫力たっぷり。絵もしっかり。胸はぺったり。どっちも薄い。それはそれとしてトータルとしてなかのものだった「ブラック★ロックシューター」は、ホビージャパンとアニメディアとメガミマガジンなんかにつくそうな。買おう。そして見よう。ワンフェスでもイベントを覗こう。

 会場も早々に抜け出して護国寺へとかけつけ星海企業の設立会見を見物したけどムックホッファも又八もお富姉御もいなかった、ってそれは当たり前か、星海企業じゃなくって星海社、だし。講談社でファウストとか創刊し講談社BOXなんかを立ち上げた太田克史さんが副社長となって立ち上げた講談社100%出資の新会社。それだとどこか小学館に対する集英社とか集英社における白泉社みたいな関連出版社っぽいイメージも湧くけれど、それほど大きいガタイにはせず数人の編集者が出したい本を作っていくような小回りの利いた出版社になるみたい。紙に限らずネットも重視し、テキストなんかをプレーンでベタおきして自由に見てもらう、ってなことすらやって講談社ではできないような実験を繰り返していくという。

 収益的には11月から出すFictionすなわち小説あたりや文庫やコミックしゃ新書なんかが柱になっていきそうだけれど、誰が何を書くのかが見えていないのが悩ましいところ。まあ太田さんだけあって球は揃えてくるだろうから、それを打ちつつどれくらい世間を巻き込んでいけるかを見ていこう。Fictionの売上か1%を新人賞の賞金に回すとか、新しめの試みなんかもやってくれそうだし、思春期をずっと心に抱えている人、が星海社の読者である、って太田さんが断じてくれたのも、該当する患者としてはありがたい。その人脈からとてつもない人たちが設立会見に集まっていたくらいで、そうした人脈が胎動し爆発した果てに、見える出版界の変革の絵図って奴をとりあえず楽しみにしていこう。明日のブックフェアとかでは何か見せてくれるのかな?


【7月6日】 素晴らしい。展開とキャラクターの言動のインチキくささがとてつもなく素晴らしかった「世紀末オカルト学院」第1話は、オープニングからして白い短めのワンピース姿でハードル越えみたいなことをするヒロインが現れ、見えるか見えそうだ見えるかも見えないっていった瞬間の逡巡を味わわせてくれたその先で、屹立するヒロインを下から見上げる形のポーズが現れ、これは見えているのかそれとも単なる影の描写なのかと悩ませる。素晴らしい。おそらくはコード的には影だといって言い抜けるだろう絵なんだけれども見方によっては黒いそれだと思って思えないこともない。というかそう思いたいし思うべき。本編にもそんな場面がいくつかあって、あの話ワンピースが標準服ならこれからもそうした場面が期待できるんだけれど、制服になってしまうこともあるのか、残念。

 絵柄的にはとってもスマートとうかやや地味目で、題材なんかも暗いオカルトでは耽美さの漂う「屍鬼」とか派手な剣劇のあった「喰霊 零」とかにかなわないんじゃないのって気も最初はあったけれども、さっそうと現れたヒロインがまず出合った死んだ父親の秘書らしき女性からたれる鼻汁にこれはと興味をひかれ、眼鏡眼鏡とさがす少女のあまりのベタっぷりになんだと関心を導かれ、そんな眼鏡が大暴れするシーンのスピーディだけれど切迫感がない雰囲気に笑いを誘われ、それでも斧で首を吹っ飛ばす場面にシリアスさを覚えたものの、どこかからターミネーターよろしく現れた素っ裸の少年のおそらくはぶら下がっていたもおに赤面するヒロインの純情っぷりに絆されて終わった第1話は、トーンとしては真剣なのにどこかからか笑いがこみ上げ、ああした世界への共感より以前の嘲弄を招いて醒めた心で対峙させる。

 決してそっちの世界に溺れさせず楽しませる手法。そもそも「月刊ムー」が協力ってところが真剣さより娯楽を追ったものという意味合いだと理解したけど、それとも「月刊ムー」って真正面からガチで超常現象を追いかけていたりするのか。同じように超常現象を扱いながらも臣事させるより裏側をあれこれ方って聞かせてそういう世界の楽しみ方を教えてくれる小説ってのがあったなあと記憶を探って「明日葉−File Season1」(幻狼ファンタジアノベルズ)を思い出した、ってこないだ出ていた本じゃんか。超常現象専門誌のたった1人の編集長の少女の下に押しつけられた新聞記者のエリートが、嫌いといいつつとっても詳しく超常現象を語ってしまう当たりに、嫌いだと言いつつしっかり知識を持っている「世紀末オカルト学院」のヒロインが重なった。この2つが今出てきたのはやっぱりブームだからなのか。他にも何か出てこないかと注目しておこう。

 取材で奄美大島へと赴き安くてもホテルに泊まって取材相手のところを尋ねつつ南洋で羽根を延ばすような極楽を果たして、今時のライターの人って堪能できるんだろうかと思ってしまう位の出版不況だけれど、本さえあればあとは読んで書くだけという書評系ライターと違って出かけてなんぼ、会ってどれだけって取材をしている売れっ子のライターにだったら出版社も、ちゃんと取材費を出して寝泊まりを認めるんだろう。そう思わなければ誰も今時ライターなんてやらないよなあ。っていうか最近は新聞社だって遠方に取材なんてそうそう認めていなさそうだからなあ。その一言を得るために沖縄(北海道)に出張、だなんて話は古き良きおとぎ話なんだろうなあ。それで良い物ができるかっていうと現実を見れば明々白々。やがていずこかへと消え去る老兵でありました。消えたらいかんじゃん。

 ともあれ中村啓さんの「鬼の棲む楽園」(宝島社)に出てくる夏木ってライターは、出版社の受けもいいのか大役を任され奄美大島に住むカリスマ占い師のゴーストをやるつもりで尋ねたら、当の占い師は頭をかち割られて脳味噌と延髄を引っこ抜かれた姿で絶命。その様を見た夏木は事件の真相に興味を持って探りはじめるものの、占い師が直前に尋ねたノロ(巫女)の女性は死んでいて、そしてカリスマ占い師の秘書のようなことをしていた愛人でもあった女性も死んでしまうという事態に。これはますます妖しいと夏木が真相に迫った果て。現れた古き伝承がもたらす恐怖が読む人の首根っこをじんわり冷やす。現実に南洋でそんなことが行われている訳ないって、突っ込まれそうな要素もあるけどそういう不思議さを覚えて仕方がない南洋の、不思議っぷりを取り込み描いた伝奇サスペンスとして楽しめるんで「月刊ムー」に飲み込まれないで臨む意識を引っ張りつつ、その不思議な世界を堪能しよう。女性陣が背丈の大きい理由ってあるのかな。鬼だからなのかな。

 おっさんくさいことをいえば「ニコニコ大会議」の雰囲気っていつかの「イカすバンド天国」が大ブームになった当たりで出身バンドを集めて行われた日本武道館でのライブあたりに似ているなあ、番組を見ていた人なら知っている超有名人だけれど音楽というストリームからはまるっきり外れたインディーズですらない面々が、それでも時の勢いでステージに上がってインディーズですらないというそれ相応のパフォーマンスを見せては、それでそれなりに知られた勢いから喝采を感性を浴びてフレームアップされていたって構図。その後にそれでは「イカ天」メンバーがどうなったかといえばどうにもならなかったりした訳で、時代の流れがまた繰り返されているだけなのか、それとも移り気でそして流動性がなく小回りがきなかいテレビメディアとは決定的に違う身軽さを持ったニコニコ動画のシーンでは、より強大な潮流となって世界を革命していくのか。のめり込みはしないけれども観察だけはしていこう。

 それよりとりあえずニコニコ動画が生中継なんかもするミュージカルが開かれるって話。中心になって動いてるのは片岡義朗さんでテニスの王子様のミュージカル化なんかで知られる人が舞台をネットも含むニコニコの世界に映して新たに何かはじめようってしているらしい。ようするに座席の数しか人を入れられなかった劇場での公演を中継すれば家からアクセスする人もカウントできて儲けを広げられる上にチケット代も下げられ敷居を下げてビジネス全体を広げられるじゃないか、でもってそうして増加した収益を還元することによってより大きなビジネスへと成長していけるんじゃないかっていった目論みなんだけれど、舞台ってのはやっぱち現場で見てこそって気もしないでもなく、ダンマクのような同時アクセスによるコメント集合の共感性がいつまでも強みとなり得るか、もっと別のツールが出てきてニコ生的なプラットフォームを脇に追いやる可能性はないのかって当たりを考え会わせて、それでもやっぱり浮かぶメリットって奴を想起するのが正しそう。だからどなんだ、って言うほど知識も経験もないんで秋には始まるだろう舞台の様子を見て決めよう。ホリエモン。ちゃんと出るんだろうなあ。収監されるなんてことはないんだろうなあ。


【7月5日】 バレンシアが名乗りを挙げたかと思ったらA.C.ミランが魂のガットゥーゾや人気トップのロナウジーニョを放出してでも欲しがっているという噂が伝わってくる一方で、バレンシアよりさらに名門なバルセロナからも声がかかったりして本田圭佑選手の前途はまさに揚々な模様。話ばかりでまとまらないのがこの世界なだけに噂9割嘘9分で見ておくのが良いんだろうけど、それにしても挙がる名前のデカさはこれまでの日本選手にまつわる噂や嘘とは残る真実味で大きく違っていそう。

 もしもこのうちのミランかあるいはバルセロナに決まったとしたらどうだろう、Jリーグが出来てからの日本人選手の移籍では、というか過去も含めた海外での日本人選手の所属チームではビッグクラブ度でトップってことになるんだろうか。なるほど中田英寿選手がローマに所属して優勝を果たしたことがあったけれどもローマって、やっぱりミランとインテルとそれからユヴェントスに比べればビッグ度で1段、下がっているような気がしてならないんだよなあ、ボローニャやパルマならなおのこと、ペルージャなんてもうプロビンチャもプロビンチャ、比べるべくもない。

 日本では知名度人気でナンバーワンの中村俊輔選手でも所属していたのは最初はイタリアでも先っちょにあるレッジーナで次はセリアでもリーガでもプレミアでもブンデスでもないスコットランドのリーグ。2強の1つったって世界で見るならどれくらい? ってなところでいくら活躍したって、どこからも声がかからなかったのも道理だろう。小野伸二選手もオランダで頑張ったけれどもフェイエノールトでUEFAカップ制したって次には進めなかった。それを思うとVVVなんてプロビンチャからCSKモスクワなんて僻地に行ってそれでも嘘でもバルサにミランが浮上する。これは快挙って言えるだろう。

 とはいえ行ってもそこで何をするかが大切で、ビッグクラブ度でならそれらに名を連ねることが可能なアーセナルに所属していた稲本潤一選手だってチームではあと1歩及ばず飛び出ていくつか回った果てに日本に帰国。下積みでも頑張っていればパク・チソンのようにいずれ芽が出てプレミアでも注目の選手になれた、かとうかは別にして、あれだけの選手であっても試合には出られない境遇を余儀なくされるのがビッグクラブ、そこに入って本田選手に何が出来るのか、って考えたところで案外に何かやってくれそう、って思えるのも本田選手だったりするからなあ、実際にやって来た訳だし、わらしべ長者的生き様を。これなら目指すレアルだってもう少し。でもってその先をいったいどうする? 頂点のその次、世界リーグ創設、その初代チャンピオンとしてトロフィーを掲げる、ってのもありかなあ。ともあれまずは行き先を決めること、すべてはそこからだ。

 そして連載漫画も読む前に「鋼の錬金術師」がアニメーション版で終了、アニメもきっとそーなると分かっているから今更8月発売号に掲載されてもきっと買わないだろうなあ、単行本待った方が良さそうでもあるし。けど見ていろいろ考えることも。ロイ・マスタングは審理の扉を開いてしまった代償として視力を奪われてしまった訳だけれど、それでもいろいろと知識を得て国を統べるための道を探ろうとしていた。その意気や良し、っていうかそんなハンディを負ってもなお、国のために尽くしてこそ浮かぶ情感ってものがあるのに、マルコーから手持ちの賢者の石を示されこれで目がなおるを言われた時に、材料となったイシュヴァール人への申し訳なさは示しても、ハンディキャップをものともしないで乗り越えていくって気概はあんまり見せてくれなかった。そこがひとつ残念。

 でもってマスタングが材料の少しを使って、下半身が動かなくなっていたハボックを治療しようとしたことにはさらに残念。なるほど仲間で親友ではあっても国のために尽くせるか否かって部分でいうなら、ほかに才能をもった人はいろいろいるだろうし、そもそも下半身が不随であっても仕事の遂行は十分に可能。むしろもっと難しい困難を抱えた人をこそ、救って救える材料なのに知人だからと使ってみせた行為をどうにも真正面から肯定しづらい。サービス? でもなあ、やっぱり私用だよなあ、それならむしろホークアイの背中の酷い傷を治してあげた方が彼女の美しさを蘇らせるため、ひいては世界が彼女の美しさに喜ぶ上で大いに良かったし、功労とこれからの活動の意味からエドワード・エルリックの残された片足の義足を元通りの足にしてやっても良かったかもしれない。ハンディキャップはなるほど大変だけれど、それを大変にさせているのはハンディキャップそのもののみならず、社会の構造とか意識などにも理由がある。そこへの言及をしないであっさり直して復帰させてしまった展開。良かったのかなあ。悩ましい。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ  でもって映画化の情報も。総集編なのか続きなのか。続きだとしたらいったいどんな話になるのか。原作にはないオリジナルってことで、テレビの最後にちらっと見えたあれはエドなんだろうか、アルなんだろうか、子供たちが成長してから新たに始まった戦いなんてものを描いてくれるとそれはそれで面白いかも。敵はもちろんホムンクルスとしての力を取り戻したセリム・ブラッドレイ。けれども表に立つことはなく、裏から人間たちに不思議な力を与えてはエドやアルの一家を攻撃して苦しめる。これは拙いと立ち上がった子供たちは、襲ってきた中から学生服の同級生を救い仲間にし、妹を人質にとられた騎士を解放して仲間に付け、前からの仲間の魔術師と、それから犬なのに錬金術を使える不思議な生き物でチームを組んで一路大陸を端から端まで歩いてセリムが潜む町へと向かうのであった。どっかで読んだ話っぽい。そして更に続きがあってとサーガ化決定、だったら良い……のか?

 ああこれは良い物だ。バンダイがサターンV型ロケットに続いて大人の超合金シリーズにスペースシャトルのエンデバーを発売。アポロ世代としてサターンにも気持ちは湧いたけれども見た目は棒状なロケットのフォルムに比べていかにもスタイリッシュで空を飛んでいそうなスペースシャトルはやっぱり美しくてカッコウ良い。並べてみれば高さでやや劣るもののボリューム感は満天だし、オービタから燃料タンクやブースターを外して飛んでいる風にしたり、元にもどしてこれから打ち上げって風にしたりと飾る際のバリエーションも豊富でいろいろと楽しめそう。背中がぱっくりとひらいてそこにユニットとか入れたり飾ったりもできるから、違う何かを入れて楽しむなんて遊びも可能、スペースシャトルで運ぶ巨大ロボット、なんて。値段は5万円弱とこれもお手頃…ではないけれど、買って手のでない値段じゃないところがまた気をそそる。問題は飾る場所が皆無なことか。でもそうはいいつついろいろ買い込み、いつか飾る日なんかを夢見て倉庫に寝かせていたりもするから、案外に手に入れてしまっていたりするのかな。しないのかな。してたりしそうだな。拙いなあ。


【7月4日】 今日もやっぱり赤いなあ、というそれが何かはここでは言及を避けるとして、その後に始まったジュニアのウィンブルドン女子決勝で、舞妓さんっぽい顔立ちだなあと感じてしまった石津幸恵さんって17歳のテニスプレーヤーがセンターコートに立ってあと少しというところまで来ながらも、巨大なプリスコバってチェコの選手に敗れ去っていく姿に儚さを覚える7月、梅雨。ブレイクして2つ話したところで畳みかけられれば勝てたかれどもそこはやっぱりプレッシャーからかファーストサービスが入らずセカンドも弱くなって跳ね返され、ブレイクバックされてそしてリードを許す展開へ。そのまま立て直せないで勝利を譲ってしまった。試合後に見せた涙は美しかったけど、それはやっぱり精神のタフさの足りなさでもあるんだなあ。勝って泣け。それがプロなのだ。

 ジュニアで決勝の舞台は40数年ぶりっていうから逸材ではあるんだけれど、所詮はジュニアであってその先の、シニアでどこまで行けるかって前例として伊達杏子、じゃなかったクルム伊達公子さんがいるから、その域に近づいて来てからテニス選手としての評価をしたいもの。ただしビジュアル的には今が旬というか、17歳というにはどこか細くてそして薄くて、幼さの残る肢体に衆目が集まりそうで、そこで得られた人気をずっと引っ張るためにも無駄に成長なんかせず、そして日焼けにも気を遣ってお人形のような顔立ちに成長途上を感じさせる肢体を維持したまま、シニアでセンターコートに立って厚さで3倍、太さでも2倍はありそうなセリーナ・ウィリアムズを粉砕してくれたら世界がきっと歓喜する。そして赤いものを受け継ぎセンターコートの緑に赤を映えさせる。その日を目指して頑張れ、石津幸恵選手。

 ああでも相手のクリスティナ・プリスコバ選手の方がビジュアル的には石津選手とは正反対な面で世界から注目されそうか。まず美人。美少女というよりもはや美人。そしてデカい。182センチ。欧米人のテニスプレーヤーには188センチのマリア・シャラポワ選手もいるから目立って大きい訳ではないんだろうけど、それでもあれで160センチ以上はあるらしい石橋選手と並ぶとやっぱり子供に大人。その体格差がありながらフルセットにもつれこんだ石橋選手の凄さが改めて浮かび上がるけど、勝ったプリスコバの方が上なのは言うまでもない。その恵まれた体格、とりわけ弾めば揺れる部分なんかも誇らしげに勝利を重ねれば、遠からずシャラポワ選手すら越えてテニス界のトップアイドル&トッププレーヤーとして君臨しそう。ライバルになれるのは双子の姉のカロリーナのみ。そしてダブルスでセリーナとヴィーナスの姉妹に挑んで粉砕されるのだ、ってやっぱり粉砕されるのか? 赤だもんなあ、赤には叶わないよなあ。だから何が赤いんだ?

 見据えているのは4年先で、だから次なんてなさそうなベロンを使わずミリートも使わずメッシをとことん起用して、それも良い場所で起用して何もできないことを教え込ませてそこから1皮剥かせてみせようって親心、なんて殊勝なものをマラドーナ監督が持っているとも思えないだけにここはちやほやされっぱなしのスターに限界って奴を突きつけて、いい気になってんじゃねえ俺ならあそこから5人10人抜いたぜ、へってところを全世界に改めて教え込もうとしたんだろうなあ。でなきゃああも勝つための算段を繰り出さない訳がない。それとも算段なんて考えたこともなかったか。俺がやる。それで勝つ。でずっとやって来た人だからなあ。

 ともあれFIFAワールドカップ2010南アフリカ大会で最大のスターだったマラドーナ監督がこれで消え、ドイツ代表が圧倒的な強さでもってアルゼンチンを撃破して準決勝のラウンドへと駒を進めて当たるはパラグアイをギリギリのところで退けたスペイン。けど日本だって結構良いところまで迫ったパラグアイにギリギリだったスペインが、アルゼンチンからいとも簡単に4点を奪ったドイツを下し、デル・ボンバーことゲルト。ミュラーのドイツ代表での得点記録に並んだクローゼを押さえ込めるのか。

 爆撃機より上ってことはもはや地対空ミサイルであり、あるいは七月鏡一さん方面からの示唆ではV2ロケットともはや兵器の域を超えた迫力威力をもったフォワードが、ポゼッションの高さ故に日々それほど当たりに揉まれず強さが衰えがちなリーガエスパニョーラの守備陣が、分厚い胸板とぶっとい足でわしわしと迫るドイツの電撃戦に対抗できるのか。それともひらりひらりとかわしてドイツを奔走するのか、見物だなあ、ベスト4決戦。残った4カ国では第2次世界大戦時に仲の良かったドイツにスペインにウルグアイとそしてドイツに占領されたオランダという関係から、オランダに奮起を促し勝利に進んでもらいたいところだけれそそれにはだから輝きを増してボールドネス・フットボールを突き詰めてもらわねば。オランダ代表は全員床屋行きね。

 気が付くと完結になっていた橋本和也さん「世界平和は一家団欒の後に」第10巻は星弓家総動員って感じではなく軋人と柚島香奈子との関係から派生する事件に一家でも残っていた幾人かが対応しつつやられそうになりつつ最後は残っていた家族たちでもってどうにかしてしまうっていうこぢんまりとした展開。まあ最終兵器の七美とそして七美すら一撃で昏倒させる父親の耕作がいたら話が5秒で片づいてしまうんで、出さないところで弟を助け妹を思い姉を頼り自信を高めて彼女を取り戻す少年の頑張りと、その頑張りを支える家族に彼女といった面々との、愛情あふれるドラマを描こうとしたんだろー。有る意味で原点帰りとも言えそうな家族の絆の物語。そして戻った平穏、ではなく彼らにとっての日常がどうなっていくかはご想像にお任せ。きっと続いていくんだろう。そして結束は変わらないんだろう。羨ましいなあ。星弓家。

 「勝手に桃天使」で業界に入ったらしい人からあの破天荒な映画は破天荒なシナリオによるものであってアニメ的な部分で培ってきた演出作法、理詰めで理屈っぽい絵作りはすべてひっくり返して徒手空拳で望んだ結果が全編のうちの耳分量8割がモノローグという凄い映画になったのだという話を聞いてなるほどと理解、あまりに作法が違いすぎていたから驚いたけれどもそれはシナリオの力だった訳で、いわば与えられた環境で他流試合を挑んだ結果、出来上がったものに対してアニメの人たち終わっただの言うのはやっぱり間違い、それもひとつの姿として認めつつならば再び本領を発揮したときに、実写映画で得た経験なり方法論がどこまでフィードバックされつつ、元よりの理詰めで見せつつギミックもかませる手法も生かされつつ、どんな作品が仕上がってくるかに期待しよう。とりあえず「かんなぎ」Tシャツで目は眩ませられた。でも相手もナギ様名刺入れを持っていた。引き分け。

 そして駆けつけた現実の舞浜は鼠の王国で遊ぶカップルやカップルやカップルやカップルなんかを横目にすっ飛ばしてイクスピアリのお洒落な空間に集うオシャレさとは縁遠き面々の情熱を見物。こんなにも愛されているなんて「ゼーガペイン」、世に送り出された甲斐もあったものだといつか大昔に緑色の輝きの中で360なんかといっしょに発表された時代を振り返る。本体は日本ではけちょんけちょんでもその緑色のカラーはしっかり、受け継がれているのだ。それにしても「true tears」に続いての限定募集ブルーレイ化の成功は、お祭りにして関心を集め悲哀さも滲ませつつ壁を突破する手法にこそ、このパッケージ不況を打破するための指針となりそう。

 それが作品力に依存していることも確かだけれど、往々にして作品力って初期には浸透しないで忘れられ、打ち捨てられてしまうことも多いから、何年か経ってこうして復活させる上で、良い商材になるだろう。この勢いで「キスダム」のブルーレイボックス化なんかも行って欲しいところだけれどこいつの場合はDVD化すらまだだからなあ。作品力って意味でも……。「ファンタジックチルドレン」をならば先に。そして「ノエイン」も。


【7月3日】 弾みで足がのっかったんならまだしも、倒れ込んだままボールを抱え込むようになっていたロッベン選手だったっけ、それをぎゅっと踏んづけててをのばしてボールを奪い取る姿がくっきりとテレビに映し出されたんでメロ選手、何の言い訳ができようはずなくレッドカードをもらって退場。それでなくても攻撃に老かいさがなく喜びもなくただ焦りばかりが見えるブラジルでは、固めたオランダの守備を抜けるはずもなく逆に前掛かりとなったところをオランダの輝けるロッベン&スナイデルによって蹂躙されて得点を奪われそのまま終幕となってしまった。

 すごかったのはやっぱりロッベンだったっけ、そこから放たれたコーナーキックがカイトを経てスナイデルへと回ってヘディングでもって決めた追加点。放たれた輝きがまるで反射衛星砲のように角度を変えてブラジルゴールへと突き刺さっていくシーンを見るに付け、いかなブラジルであっても光の速度にはかないっこないとしか言い様がない。足下から足下へと自在に回しつつポジションも自在に入れ替わって相手を蹂躙していくトータル・フットボールに強固な守備が立ち向かい、体力勝負で粉砕してから幾年月、輝きから輝きへと光速でボールを回して奪われないようにしつつその輝きで相手も眩ませるオランダならではの新たなスタイル、いわばボールドネス・フットボールを、さてはて真似するチームは出てくるだろうか。日本は妙に気取ってふさふさに茶色い選手が多いから無理だけど、望みがあるとしたらきっと手入れも大変な闘莉王選手がすっぱりあきらめ剃髪し、そして最前線に平山相太選手を起きつつ鋤柄選手とアルシンド選手の復帰を仰いで中盤を固めれば、あるいは可能かもしれないなあ。コッリーナ審判にも復帰を希う。

   多田が瑛太で行天が松田龍平は気持ち若めって気もしないでもないけれど、年齢に似合わず経験も豊富で幅を持った演技ができそうな役者だし、旬でもあるんできっと完璧なまでの多田と行天を演じてはぷるぷると震え続けるチワワ相手に悪戦苦闘する姿を見せてくれるだろうと期待も大きな劇場版「まほろ駅前多田便利軒」。いつか大昔に「鬼武者」だかのテレビCMに登場して、屋上で白皙の顔に醒めた視線でゆらりと立つ姿を見て、この美形ぶりなら父親とは違ったカテゴリーで勝負できる役者になるかもって思った松田龍平さんだったけど、最近は口調にやや生意気さが入った浅野忠信さんみたいになっていたんで、父親から離れてもそっちへ流れてはライバルも多いから、やっぱり顔立ちで勝負して欲しいかもって思っていただけに、口調はどこかおちょくりながらも顔は徹底した美形という行天をこなすことで、本来のところへと戻ってきてくれるんじゃなかろーか。

 しばらく前にエキストラの募集なんかも始まっていたから実写映画化は公知の事になっていたけど、改めてキャストも含めて発表になるともう逃げられない、後戻りできないところで企画は実現へと向かい動き出しているんだと安心できる。アメリカなんかだと企画は上がっても実現しないタイトルって山ほどあるからなあ。実写版エヴァってどうなった? 実写版ドラゴンボールは……記憶にないからまだなんだろう、きっと。日本の場合はそれでもちゃんと実現しては、中身の至らなさに茫然自失とする繰り返しでもあったりして、それはそれで悲しいことだけれどもなにがしかは出来上がってそれが良い物になるってケースもあるから半分くらいは期待していて良いのかな。

 その点で言うなら監督が大森立嗣さんってことで、「ゲルマニウムの夜」で見せた役者たちの淡々とした演技をひたすら追い続ける中に、にじみ出る人間のドロドロとした本性なんかを浮かび上がらせる方法なんかが「まほろ駅前多田便利軒」の場合は多いに生かされそう。どちらかといえば狂言回しのような多田と行天を通して、あの町に生きるさまざまな人たちの心を活写した物語なだけに、大森さんの起用はまさに適任と言って良い。突然の暴力なんかも行天の行動の突飛さに現れそうで、それをあの松田龍平さんが平然とやってのける様が今から浮かぶ。弟の大森南朋さんの出演とかもどこかであったりするのかな。でもかわいい格好良さを他の作品では演じてる南朋さんが「ゲルマニウムの夜」では情けなく卑小な男を演じていただけに兄の容赦ない起用がここでも炸裂したら本人的にも困るんで遠慮するかな。例えばチワワを演じさせるとか。それちょっと見てみたいかも。いやいやインパクトならチワワはやっぱり麿赤兒さんか。これもすごく見てみたいかも。

 山田のこと、ってどこの山田かと覆ったらニアのことだったか上条淳士さん「山田のこと」(小学館)。今でこそ「TOY」とか「JINGY」なんかでスタイリッシュな線とそれから内容の漫画を描く人って印象が強くあって、とりわけ音楽業界を主題にしているところなんかは後に様々なバンド漫画音楽漫画ロック漫画メタル漫画なんかを生みだすきっかけにもなったんだけれど、そんな上条さんも初期には江口寿史さん的というかモロ江口さん風でちょっぴりとり・みきさんも思わせるナンセンス&シュールなギャグをいっぱい詰め込んだ愉快な漫画を描いてて、それが「週刊サンデー増刊号」なんかに掲載されてはこれ誰? って笑いつつ驚いていたっけか。

 敵方が美形なのに破天荒なところがあったり美少女がブルマ姿で疾走したり主人公が金田飛びしていた「怪傑委員会」に銭湯では戦闘してはいけないと教えられた「密林伝説」。面白かったねえ。「もっぶ・はんたー」は初出で読んでいたのかな? というかどれが最初の出合いか今や記憶にないけれど、そんな笑いにあふれた漫画の人がスタイリッシュでエッジな漫画の旗手になって今なお君臨しているところに、漫画の面白さと漫画家の凄さって奴が伺える。「ごぉ・うえすと」の大友克洋が藤原カムイでみやすのんき風にとり・みきしつつ江口寿史な上にロックでメタルなスピリッツが乗った感じはとっても斬新。けどそこからさらにスタイルを極め進んでいく才能を、見抜いていたとしたら編集の人ってちょっと凄い。そんな先見性を持って漫画への熱さを持った編集の人たちがいた「少年サンデー」が、1980年代に最高潮だったのも今となってはよく分かる。巻末の「FLOWERS OF ROMANCE」なんて今も存分に通じるスタイリッシュさだけどもう23年も前の漫画なんだよなあ。この路線を読んでみたいなあ。


【7月2日】 谷間のように本を読む、といっても漫画だけど。びっけさんの「あめのちはれ」(エンターブレイン)は高校に進学した男子5人がまだ始業前の学校を見学中になぜか雨が降ると体が女の子になってしまう体質になってしまってさあ大変。男子寮を抜け出し女子寮ではなくその途中にある家にかくまってもらう形で女子部へと通うようになるって導入部から始まって、制服だけではなくって下着をどうするかといったドギマギとした展開を経て女子部で仲良くなった少女に関心を寄せたいけれども身は女、向こうもそれと信じて頼ってくるから明かすわけにもいかないジレンマに、悶える物語が2巻あたりまで続いていく。

 そして3巻では女の子に変身中の1人が同級生の女の子と歩いているうち怪我をしたところを年上の青年に助けてもらって送ってもらうという展開に、漂う妙な女心が果たして自らを男子であると戒めた上での友情へと向かうのか、それとも男子であっても優しさになびく耽美な方向へと進むのか、さらには身のみならず心も乙女となってイケメン男子になびっていくのか様々なパターンが想像できて、この先どんなどろどろぐちゃぐちゃが繰り広げられるのかに興味が及ぶ。

 双子の兄弟まで出てきてバレたらどうなる的展開もあるのかそれとも、そっくりならばと身代わりに仕立て上げる手もあるのか。楽しみ。あと男子の洗濯場に女子になった時の下着を間違えて置き忘れた眼鏡君が、それを恥じるこころに自分の下着を見られた恥じらいがあって、そして諦めてしまう惜しさを感じたかどうかってところにも。始終ひたっているとだんだんそんな感情が湧いてくるものなのかなあ。いわゆる女装物も流行っていたりするけれど、それ以前からあって絵柄も翼って物語的にも楽しくて深い「あめのちはれ」に、もっとスポットが当たればいいと祈願。「マンガ大賞」にまた推すか。これも先達なのにスポットが当たりづらいもりしげさんの「フダンシズム」(スクウェア・エニックス)ともども。

 そして日日日と書いてあきらと読む日日日さんの「うさぎさん惑星」の第2巻も一気読み。月が地獄どころか汚れてしまった地球に比べて天国となってしまっている時代にあって、月に昔から住むウサギみたいな耳をもった一族にあって鬼子のような存在だったキシュ奈の暴発もおさまって、平穏を取り戻したかのように見えた月面にひとりの少女がやって来たことから新たな騒動が持ち上がる。地球から移住したばかりで月の風土病的な喘息をおさえる煙草の権益を独占する一族の少年が、地球にいたころに慕われていた少女がやって来ては母親に会いたいと言い出した。

 その母親こそが! ってところから彼女を伴い地球へと降りてそこでかつて月を追われた先住民の女性の遺志というか怨念めいたものとの決着のドラマが繰り広げられることになるんだけれど、その背後で汚れた地球に清浄な月の力関係を背景に、月に発生する餅と呼ばれる謎めいた生体を退治できる力を持った先住民と月の経済を牛耳る人間の一族と、そして煙草から権益の幅を広げようとするこれも地球の一族との間に巡らされている陰謀めいた話が浮かんで、この世の中のままならさって奴を感じさせる。正義だけでは誰も幸せにはできないのかなあ。でも何かが犠牲になるってものもいやだなあ。ともあれ見かけ以上に深さがあって人類の未来について考えさせられる物語。こんなのも駆けるんだから凄い作家だ日日日さん。

 勝利こそが絶対条件という勢いで、相手のミスを誘い得たら徹底して譲らないところがクレーマーのクレーマーたる存在感、ってことは鬱陶しいクレーマーに絡まれた記憶からも鮮明だけれどそんな程度などまだまだ平和だってことを推してくれるのが範乃秋晴さんって人の「マリシャスクレーム」(メディアワークス文庫)。何しろ相手にしたプロフェッショナルなクレーム対策の面々が、心を壊され体すら破壊されてしまうんだから凄いというか。いくらお客さまは神様だっていってもそれでは溜まらないと、企業側では激しく悪質なクレーマーを専門に相手にする組織を立ち上げて対抗する構えに出た。

 何しろすごい。相手の要求を完璧に理解し、一切の遺漏なく対処することで引き下がらざるを得なくなるようにする技があれば、現役の高校生で名にも分かりませんと言わせ泣かせて相手を引き下がらせる技というよりほとんど虐めに近い地の行為があり、無数の声色を使って何人も対応しているように見せかけ相手を満足させる技なんかもあって、それから完璧なまでの法律の知識をたてに相手を屈服させる技もあって、いかなるクレーマーでもそこで撃退してのける。

 現場でそういうのに立ち会って、丁々発止をしている時ならまだしも、小説としてそうした言葉で言葉にで対抗していく様を描いてのける作家の技にひとまず感心。なおかつ想像の範囲すら超えそうな、悪質さに幾重もの輪をかけた強力な悪意で臨んでくるクレーマーの表現にも挑んでいて、その悪辣さに小説であるにも関わらず、現実に出合ったらどうしようかって身震いがしてくる。そしてそんな相手にも微動だにせず、立ち向かっていく男を主人公に据えて描いていく腕に、ただひたすらに簡単する。

 もしかしたら作家の人はプロのクレーム対策専門家? それともクレーマー? 気になるなあ。ともあれ言葉と言葉の戦い、心理と心理の読み合いの物語はとてつもなくスリリング。自分だったらクレーマーの言葉にどう反撃するのか。言葉の細かい所に見える綻びをつかみ、反撃し真相すら暴いてみせる主人公の域に、自分は果たして近づけるのか、なんてことを読みつつ考え、そして無理だと絶望しよう。出合わないのが吉。


【7月1日】 2010年も半分が過ぎたという1980年頃からしたら遠く果てしない未来に来てしまっているにも関わらず、ゆうきまさみさんの「鉄腕バーディー」が未だに連載されて単行本が刊行されていることも驚きだけれどそれにも増して驚いたのは火浦功さんの名前が堂々、表紙に掲げられた文庫が店頭に並んだこと。角川書店のスニーカー文庫から登場の「S BLUE」は同時発売の「S RED」と並んで創刊から100号を数えるに至った「ザ・スニーカー」を記念して、過去に掲載されたかしながら文庫に未収録のものもあったりした短編なんかを引っ張り出してまとめた一種のアンソロジー。

 このうち「RED」には返す返すも逝去が残念な吉田直さんの「トリニティ・ブラッド」を安井健太郎さんがカバーした短編が掲載されてて、ファンとして涙もののの上に表紙までTHORES柴本さんが描くアベル・ナイトロードともう間隙。あのまま完結していたら中世が舞台の吸血鬼バトルに見えつつおそらくは科学がそこに凝縮された人類と新人類とのバトルといった壮大にして精緻な物語に仕上がったんじゃないのかな、なんて想像も浮かぶだけに悔しさも募る。「熱血海陸ブシロード」もそういえば冒頭が示されただけで消えたなあ。アニメも主題歌も全部。だけどやっぱり完結まであと少しだった「トリニティ・ブラッド」の方が残念さもデカい。6年を経ての再開をじっくりと味わおう。

 それはそれとして火浦さんだ。掲載されているのは当然ながら「未来放浪ガルディーン」の短編「怒濤編。」とやら。けど連載が何年かに及んでいる上に末尾に<つづく>と入っていて、それは2010年も半分が過ぎようかというのに達成されていないところに伝説の伝説たる所以がありそう。ちょうど発売された「ザ・スニーカー」の100号にもその名は載ってページも1ページが配され「ガルディーン」についての文章が。もはや物語としての進展は無理(なのか?)でも存在が示されているだけで空気として「ガルディーン」を感じていられると思えばそれはそれで幸せ…な訳はないので早く書いてくださいお願い。

 しかし100号かあ「ザ・スニーカー」。このん家で自分はいったいいつから何かを書いていたんだっけか。今やっている一般書の紹介(今月は近藤史恵さんの「エデン」だがかれこれ28本目だから6で話って4年と半年とちょい。その前に5冊くらいのライトノベルを紹介するコーナーってのを多分2年くらいやっていただろうから、足せば40冊くらいには何か書いているかもしれないなあ。半分には届いてないけどそれなりな数に無名とはいえ存在を刻めたってのはやっぱり名誉なことなんだろうなあ。これからは分からないけど雑誌としては続いて出自と歴史から言うにライトノベル・オブ・ライトノベル的な立ち位置とそして存在感を、示していってくださいな。時々火浦さんの本も出してくれればなお最高。それが1番難しいんだろうけれど。

 アンチフットボールがどうとかいったポエムの連発にサッカージャーナリストとしての遙かさを感じてしまって遠い目になってしまった「スポーツニッポン」連載の金子達仁さんのコラムだけれど、2010年7月1日号に限って言えばとても納得できる内容だったりしていったいどんな頭になっているのか悩み沈む。「積み重ねてきたものを捨て、付け焼き刃で本番に突入した。それでいながらのベスト16進出は、日本選手のポテンシャルが、日本人が考えていた以上に高いところにあることを証明したといっていい」。その通り。だからそこそのポテンシャルを最大限に引っ張り出せる環境を与え状況をもたらしていたらいったい、どれくらいの所に行けたのか。悔しさが再びわき上がってきた。

 「大久保と松井は、明らかに疲弊していた。唯一の武器を研究され、かつ消耗っせてしまっていた日本に、相手を脅かす手段は遺されていなかった」。なぜ残されてていなかったのか。ベンチにはいっぱい人はいたけどそこに相手を脅かすような選手がいなかったという事実。それをもたらしたのが誰なのかを考えた時に、おのずと評価は決まってくる。「アジアレベルを抜け出しつつある韓国と、アジアレベルの中で精いっぱい頑張った日本。今大会における岡田監督の功績は否定しないが、この差を生んだのは、間違いなく彼と、日本サッカー協会の責任である」。そうである。あるんだけれども終わりよければ全て良しという人がいて、そもそも最初からこれを狙っていたんだとあり得ないことを言い出す人もいたりして、何を信じてみれば良いのかまるで分からなくなっている。

この異形さが動く様が見たい見たい見たい  帰国して会見して選手達の妙な明るさ、結束感にベンチもちゃんとしっかり昨日していたんだなあと思うことは可能。その中心に岡田監督がいたのか、それとも反面教師としての岡田監督だったのか。朝日新聞で金子さんの盟友的というか双子的な意見をいつも呟いている馳星周さんが「強運に恵まれて、日本代表は快進撃を見せた。だが、それが監督のおかげだと考える選手たちは皆無だったと見るのはうがちすぎだろうか?」と言っている。そう思う。「オシム監督が病魔に倒れさえしなければ。どうしてもそう考えてしまう。彼ならば弱きに陥った選手たちを一喝しただろう。もっとクリエーティブな戦いで我々と魅了しただろう」。そのとおりだと思う。美しく散るより醜くてもはい上がるのがワールドカップの戦いだという点で金子さん馳さんとは意見が異なるけれども、岡田監督への評価については一致してしまうだけにこれからの媒体で、2人が何をかいてくれるのかって部分からは目を離さないようにしよう。翼賛絶賛の嵐の中できっと未来につながる言葉を(一部であっても)確実に持っているだろうから。

 前にデザインフェスタで見かけて手作りの怪獣達の造形に目を引かれ、喋って成田亨さんを敬愛していると聞かされそれはなるほどと納得し、そんな成田さんみたいな怪獣デザイナーになりたいと話していたのを聞いて、頑張ってという意味合いも込めて字にして提供した廣田慎太郎さんが、東京の銀座にあるギャラリー156で個展を開催するって聞いて早速尋ねる。銀座1丁目5番6号にあるから156とは分かりやすいけど場所的には銀座も竹橋に近い方なんでとりあえず確認のこと。でもって入るとデザインフェスタにいた廣田さんが来場していて一所懸命にパーツ作りをやっていた。まだ途中だったみたい。デザインフェスタが終わってから作り始めたものもあるそうで、忙しい中でコツコツとほとんど寝ないでやっていたその成果を、本格的に目の当たりにできるのは明日以降になるのかな。

 生物がとんでもない進化をしたら? って感じの造形はオウムみたいなのが変形したり象に蜘蛛みたいな脚が生えたりと変幻自在。それでいてグロテスクさってよりは異形の不思議さを感じさせてくれる造形で、畏れおののきつつも妙な関心を覚えてしまう。リアルさって言っても良いのかも。そんな怪獣たちもかつては変身ヒーロー物の中で存在感を示せたけれども、今時の番組では異形のスタイリッシュさよりも異色の滑稽さの方が尊ばれたりするテレビ界。廣田さんが希望する成田亨さん的な活躍が出来る場があるかって所なんだけれども、メディアが発達してDVDやらショートフィルムといった場で、本当の特撮を作りたいって活躍している人がいる。そんな人たちに造形を提供していくもよし、イラスト方面で異形さを見せつけるも良しってな感じに、活動の場を探していけばいろいろと進んで行けるんじゃなかろーか。とりあえずここに喧伝して、次につながって欲しいとアピール。どうかなあ。


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