縮刷版2010年3月下旬号


【3月31日】 ぢゃっぢゃーん。って感じに出てきたエクレールとそして「女の子はエレガントに」しか言わないリュミエールがそろって大活躍してすべてが終わりってそりゃああんまりだよ「キディガーランド」。まあそういうこともなくってちゃんとアスクールにク・フィーユも力を発揮し、時間が止まっていたのに動き始めた星の爆発を防ぎ惑星を守ってみせたあたりに主役っぽさは残ってた。それでも最後の最後を持っていったのはミ・ヌゥルーズってまるで全然白石稔って声優さんの名前とは関係ない、と思いたい筋骨隆々な姉さんで、扮装をといて戦闘用のスーツに着替えて最前線へと飛び出し2人を無事に救出する。やるねえ。

 こうして事件は終わったけれどもどーしてラストにガクトエルがすーっと消えていってしまったのかとか、リトゥーシャとバウークの導きでとりあえず脱出したもののノーブルズの面々はガクトエルの一派と見なされ、これからの生活でいろいろ不都合を被りそうで可哀想とか、思い描くところもあるけどそれからの人生なんてそれからのこと。そうはならない可能性の方にこそ人間の英知って奴を求めて、アスクールにク・フィーユがそろいエクレールとリュミエールも加わって最強度と盆暗度を増したGTOのESメンバーたちのこれからの戦いを想像して、つき合ってきた半年の幕を閉じるとしよう。あれやこれや文句を言いつつ最後まで見た作品って、これとあと「交響詩篇エウレカセブン」くらいかなあ。「エウレカ」は伝説になったけれども「キディガーランド」は果たして、って無理かやっぱり。

 せっかくだからと取材の予習もかねて「THE ビッグオー」の廉価版DVDボックスから最終の1枚を開いて5話を一気に見倒す。そうかこういう話だったか。ダークシティならぬパラダイムシティってのがあって、そこの住人たちは過去の記憶、存在の記憶ともいえるメモリーを失っているんだけれどそれでも毎日を普通に生きている。そんな街に起こる事件を颯爽と現れ解決するのが我らが主人公にしてネゴシエイターのロジャー・スミス。無口でぞんざいなアンドロイドのR・ドロシーちゃんを相棒に、モノクルの執事も侍らせ車を転がし叫んで呼んで巨大ロボットのビッグオーに乗り込み動かし巨大な敵もぶちのめす。そんなレトロフューチャーな巨大ロボットヒーロー物に見せかけ始まったアニメは、途中でロジャー・スミスの存在に対する疑義が挟まれ、町を動かす黒幕の存在が示唆され混沌へ。挙げ句に黒幕は廃位させられ息子が跡を継ぎロジャー・スミスに対する攻撃を深めていく。

 そうして迎えた最終5話で、ロジャー・スミスは苦渋しつつもパラダイムシティを王会に導こうとする輩へと立ち向かおうとした、その果てに明らかになるのがパラダイムシティがおかれている状況。例えるなら書き割りの舞台の上で演じられていた虚構だったりしたんだけれども、それが例え虚構であってもそこに生きている人たちにとってそれは実体を持った日常。息を吸い飯を喰らい生きて死ぬ現実に向き合った人々の存在を背中に感じ、自身が抱いた存在への疑義を振り払ってロジャー・スミスは今そこにいる自分を信じ、未来を切り開こうとしている自分に確信してビッグオーを操る。

 なあるほど。「lain」でもってリアルワールドとネットワールドの曖昧さをついて溶け合う未来を描いた小中千昭さんの脚本を得て、片山一良監督がやっぱり持っているメタフィクションへの憧憬、虚構への関心を塗り込め描いた作品って言えそう。今みてもストーリーは斬新でメカニックは先鋭的でキャラクターは可愛らしくかっこいい。これほどまでの作品がオリジナルとして作られアメリカで大人気となり、日本でもシーズン2まで作られ完結し、今またDVDボックスが新たに出し直されるくらいのプロパティになっていることを、もっとアニメ業界の人たちは鑑み、意欲的で革新的なオリジナルのアニメ企画は旬として漫画とともに盛り上がり、漫画より早く消えていく原作付きのアニメと違って、長く愛されたとえ当時は停滞してても将来に画期的と持ち上げられて商売に結びつく可能性があるんだってことを、踏まえておくべきなんじゃないだろうか。オリジナル。あるのか今。そして生まれるのかこれから。とりあえず「HEROMAN」の展開に期待か。

 ある会社があって経営難になって新旧分離を行い、新会社が事業を引き継ぎそれなりな学の資本も入れ直して再建を始めたんだけれど、それから2年とか経たないうちにその新会社をまた新旧分離してさらに新しい会社を資本金を注入して立ち上げて、そこに事業を継承した上で元の会社は親会社の子会社にとりあえず吸収させるというこの企業再建スキームって奴が、いったい何を目的にしていて何を狙いとしているものなのかがまるで見えない分からない。

 山一証券に毎日新聞。戦後の大きな経営再建で用いられた新旧分離もその後はちゃんと新旧を統合するなりしてのれんを維持して今に至って……いないか山一は。でもそれは別の事情。分割した後でさらに分割するスキームって奴は終ぞお目にかかったことがない。そう嘯いていたら流れてきたのが普通だったら一括一体での事業継続を前提に新旧分離し債務を整理するなり軽減緩和をおこなうのに、それからさらに会社分割するなんて目誰かに身切れになった事業を譲渡する前触れだろうと見るのが適切だといったサジェスチョン。その意味するところが何かを考えられるほど冷静でもなく利口でもないけど、空気として春なのに寒い今以上に、寒さが増していくだろうってことだけは感じられる。果たして未来は。明日すらもはや。

 「ニューズウィーク」の「iPad」特集がスカスカでがっかり。アップルのiTunesによる囲い込みなんざあ先刻承知の助で、それでも使っておきたいプラットフォームになってしまっているところにこの何年かをしこしこと、iPodによって積み上げiPhoneによってネット上におけるコンテンツのハンドリングのパワーを築き上げてきたアップルとそしてスティーブ・ジョブズの深慮遠謀ぶりに感嘆する。とはいえ果たしてどこまでiPadの上に情報が載るのか、GOOGLEのあれやこれやは使えてそしてiTunesをかまさないコンテンツはどれだけ利用できるのか。それは無料か有料か。無料ならばコンテンツプロバイダーはどこで利潤を確保するのか。それともやっぱりiTunesの軍門に下るのか、ってあたりを見据えないと、ハンドリングの良さで売れたiPodの次を受け継ぐかどうかは判断しづらそう。サファリ以外のブラウザ利用とFLASHの再生機能をプラスして持ち運べるネット端末にしてしまわないとちょっと食指が伸びないなあ。信者でもないし。


【3月30日】 なるほど。「ヤングキングアワーズ」の2010年5月号は表紙にヴァッシュ・ザ・スタンピードが格好良く登場しているのはそれとして、「ツマヌダ格闘街」でジローがスパーリングをしている相手の女性の、チャイナドレスのスリットが大きく開いて脚はおろかその付け根当たりもしっかり見えて、丸くて柔らかそうなものが眼に突き刺さってとってもラッキー。なるほど黒か。そして「惑星のさみだれ」でアニムスを倒したアニマが「おにいちゃ…」と崩れ落ちた場面で、しゃがんだ上着の左右に開いた背中のスリットからのぞくやっぱり丸くて柔らかそうなそれがとっても素晴らしい。

 さらにBoichiさんの読み切り「スペースシェフシーザー」で、3人娘の丸くれ柔らかそうなもの×3がページのあちらこちらで出ずっぱり。目の保養になりまくりました。でもやっぱり「ブロッケンブラッドV」で敵のメカに衣装のほとんどを吸い取られてしまったノイシュヴァンシュタイン桜子ちゃんの、丸くて柔らかそうなのが眼に1番の衝撃だったかも。たとえその向こう側にあれやこれや付いていたとしても。ちなみにこのシーズンは今回で終わり。でもシーズンって単行本の巻数以外に意味あるの? 巻末に平野耕太さんの2ページ。そうかいよいよ新しい単行本が出るのか。そういえばそろそろ「時オブリーダーズ」の休載も1年くらいになるのか。うーむ。

 一目ぼれで求婚した相手と見事に添い遂げてはみたものの、相手の点子は家事も料理もまるでダメ。紅茶を淹れるというから砂糖を多くしてねと頼むと、湯を沸かしたままで砂糖を買いに走り、薬缶を沸騰させて大変な事態を招き書ける。掃除機はフィルターを変えず埃が残ったまま。料理はトーストをただ焼くだけ。そんな彼女に幻滅したのか旦那は出先で仲間たちに点子を愚痴り、その晩は家にも帰らず薔薇の花を買って舞っていた点子を待ちぼうけさせる。売野幾子さんの漫画の単行本「薔薇だって書けるよ 売野幾子作品集」(白泉社)の表題作。読んで真っ先にこう思う。

 このど阿呆で甲斐性なしで手前勝手な糞野郎め。もちろん旦那への批判。見かけだけで結婚してそれが思い描いていたものとは違ったら、とたんに気分を冷めさせるのが愛情か。物語は点子がそれでも彼のためになればと、テーブルクロスをそろえ食器を並べ薔薇の花を飾ってこざっぱりとした部屋を作って彼を喜ばせるものの、それにはちょっとした問題が裏側にあったという展開に向かう。それだって彼女の性癖に問題があったというよりは、彼女の思いや考えにまるで至らなかった男の側の問題。気づいて悔いてはいるけれども、いろいろとしでかしてしまった点子に残る周囲の視線の痛さを思うと、どうしてそうなる前になんとかしてやらなかったんだ、って憤りも生まれてくる。

 とりあえずまるくは収めてみせたけれども、残る釈然としない気持ち。まあこれはだからフィクションで、一方的な思いなんて相手にとっても世界にとっても迷惑なだけってことを感じさせ、そうはならずに互いを理解するように務めましょうって考えさせてくれる物語として受け止める方が良いのかも。「晴田の犯行」って話もやっぱり男の側の無理解というか世間知らずぶりというか、彼を密かに好いている少女に休日つきあわせては、自分の思っている人のためのプレゼント選びを手伝わせるとは無神経にもほどがある。それに気づいた彼がとった行動のまたどうしようもないアイタタぶり。読むほどにこうはなるまい、こういうのには引っかかるまいと男女双方に思わせそう。絵柄は軽くてそして柔らかいけどなかなかにシビアな恋の模様を描いた作品集。ちょっと気になる漫画家。注目していこう。

 無理解で無神経さが疳に触るといえば、映画なんかも公開されてる吉浦康裕監督の「イヴの時間」を「時間泥棒」の水市恵さんがノベライズした「イヴの時間 another act」(ガガガ文庫)の主人公「僕」の思考の俺様っぷりにも、ちょっぴり辟易させられる。時代はちょい未来でロボットというかハウスロイドが家事手伝いなんかをしてくれるようになっていたんだけれど、そんなハウスロイドのサミィの行動にどうも不審なところが見つかった。どこかに立ち寄っているみたいだけれど、それが買い物とかで行く場所とは違っている。指示したことだけは確実にこなしてくれるハウスロイドが勝手な行動をとっている。どういうことだと訝った僕が、その場所を探し当てて尋ねてみたら、そこにはハウスロイドも人間も区別しない手扱うことを旨とした喫茶店「イヴの時間」があった。

 サミィがそこに立ち寄ることに僕が憤るところがまずは納得不能。ハウスロイドだって息抜きしたっていいじゃんか。もとよりハウスロイドが人間っぽく見えているんなら、それが仕事に一切差し支えのない範囲で何をしてたって気にしないのがオトナって感じなんだけれど、僕はそうした態度がまず許せないといったニュアンスでもって「イヴの時間」に通い詰めてサミィが現れるのを待つ。でもって人間とロボットは区別しちゃだめってルールがある店内で、ロボットっぽいところがある客に向かってそういうことなのかどうなのかってことをしつこく尋ねてペナルティをくらい、なおかつ店でまるで人間ぽかった客が外では完璧なまでのハウスロイドだったことに憤る。どっちだっていいじゃんか。

 まあ、そうした態度がだんだんと溶けていくところが読みどころな訳だから、最初のかたくなさは必要と言えば言えるけれども、スタート地点にそうした人とロボットの対立があって、そして融和があるというステップ自体が不可欠にして原初から刷り込まれている情動で、それを人知なり理性が覆っていくんだという、妙に賢くてこなれた思考が感じられて釈然としない思いにかられる。人種だ宗教だ出自だ性別だってことで行われてきた差別が、決してそういうものじゃないんだってことを原点として理解させて来たのが人類の歴史。もはや段階を踏んでの理解ではなく、原点からの博愛にして平等な理解があって当然な現代の世界で、原初での乖離を描いてみせるのは寝た子を起こしかねないって気もしないでもない。だからこそ結末で得られた理解と融和が強いメッセージとなって、あらゆる差異への差別を忌避し、退けるように働いて欲しいと節に願う。ところで映画もこういう話なんだろうか。まだ見てないんだよやってないし。

 朝方に書店でチラッと読んで、そのままにしようと思って手にとった「週刊サッカーダイジェスト」の2010年4月13日号に挟み込まれた「なでしこダイジェスト」の記事に感銘し、感涙にむせびそのまま購入してしまう。何しろあの和製メッシの名が、他のすべての選手たち(男子も日本代表も含む)の中でもっとも相応しい選手だと世界が認めた岩渕真奈選手が表紙になっていて、それ、だけでも相当な破壊力。もしもこれが本誌の表紙に本田圭佑選手の代わりになっていたらダイジェストの売上は100倍くらいになっていたんじゃないかと思わせるくらいに、可愛らしさ愛らしさに溢れたビジュアルになっていた。デカくしてポスターにしたい人もきっと1億人くらい出るだろう。

 そんな表紙に加えて中身も充実。まずは国内でのなでしこリーグの展望があって、アメリカや欧州で活躍する選手たちの紹介があって、今まさに大活躍しているんだってことを感じさせる。なおかつそうした海外で活躍する選手たちを送り出すのに一役かった代理人の人のインタビューも掲載されていて、今はまだたいしたビジネスになっていないにも関わらず、選手のため女子サッカーのために働いておられる方々の存在が分かって未来に希望が抱ける。男子がああいった状態でJリーグもどこかピントが外れた施策ばかりが打ち出され、ファンとの乖離を招いて先行きに不安も漂う今日この頃。女子サッカーはファンの気質も業界とか協会とかでで頑張る方々の意志も、ともにひとつのベクトルを向いて着実に前進している気がする。メディアのブームにも踊らず岩渕選手を育てようとしている佐々木監督に所属のベレーザのスタンスなんかにも、今より未来を考えての態度が伺える。

 このまま一気に女子ワールドカップ、そして五輪と突っ走っていって欲しいもの。応援するしかないんだけれど、不幸にもジェフユナイテッド市原・千葉がJ2へと落ち日曜日の試合が多くなって、なでしこリーグ通いに暗雲が立ちこめてしまっているこのシチュエーション。一方で超遠方でのアウェイが多いこともあって(九州とか北海道とか四国とか)行けずならばとなでしこに行こうって思うことも割とありそう。ジェフレディースも昔から応援している日テレ・ベレーザも、荒川恵理子選手を補強して早速韓国チームとの試合に逆転勝利した浦和レッドダイヤモンズレディースも見てみたい気が満々。ネット配信とかもあるみたいだけれどもやっぱり現地で応援してこそのファン気質ってことなんで、頑張って通って躍動する姿態を楽しもう。もちろん全身がだよ。一部じゃないよ。


【3月29日】 歴史がつくられた日、というか作られることになっている日ということで、昭和33年というから1958年ですなわち50年以上も昔に作られてから、実に半世紀以上も日本で1番高い建造物だという名誉を保って屹立して来た「東京タワー」が、遂に日本一の座を「東京スカイツリー」に明け渡す瞬間を、抜く側の「東京スカイツリー」の下なんかではなく、抜かれる側の「東京タワー」で過ごすのがやっぱり日本電波塔を創業し、「東京タワー」を作り上げた前田久吉さんに、あれやこれやと繋がったりする立場にいる身としては、正しい処し方だという思いもあって朝も早くから町へと向かい、地下鉄の都営三田線芝公園を降りて「東京タワー」へと向かう。

 おそらくは午前の10時くらいが日本一の座を明け渡す時間だという報が流れていて、これで「東京タワー」のオープンが午前10時だったら、すでに2番となったタワーに用もないぜって気分になったかもしれないけれど、不思議というか幸いというか奇跡というべきか、「東京タワー」の開場は午前9時。これなら朝1番に切符を買って中へと入ってしばらく過ごせば、まさに日本一から日本二へと転げ落ちる瞬間をその場で体験できるということで、きっと似たことを考える人たちで切符売り場も長蛇の列、でもってそんな瞬間を味わいたいメディアもわんさか群がって、インタビューさせてくださいとか何とかうっとうしい目に遭うかもなあ、なんて思い行ったら誰もいねえ。

日本二より日本一を臨む、また楽しからずや  白いジーンズに白いタートルで白いソックスを履き、赤い帽子を被り赤いピーコートを羽織り赤い靴を履いた「東京タワー」仕様のファッションで赴いて、さも自慢げにメディアの前を横切ろうとしたのにそれでも出来ねえ。何というつまんなさ。大勢が日本一が作り上げられる瞬間を、当該の「東京スカイツリー」の真下や真上でながめようとするのはごくごく当たり前の思考。それよりは搦め手から攻める気分で「東京タワー」へと赴き、まさにその瞬間を体験するってのが江戸っ子の粋ってもんじゃあねえのかい。真っ当さに背を向け裏を狙って遊んでみせるのがネット時代の現代っ子ってもんじゃあねえのかい。どうやらそうではなかったようで、到着した切符売り場の前には人っ子ひとりいやしない。仕方がないので1人佇みようやく並び始めた数十人の先頭に立ち、午前9時前の発券開始と同時に特別展望台まであがれるセット券を買ってエレベーターに乗り、まだ日本一だった「東京タワー」へと上がっていく。

 まずは大展望台まで行ってそこでエレベーターを乗り換え、整理券の1番を渡して特別展望台へと一直線。乗っていたのは働く社員とエレベーター嬢と僕だけという状況で、つまりは日本一であった2010年3月29日の「東京タワー」の特別展望台に、最初に上がった一般人はこの僕であるという、歴史に永遠に刻まれるべきであろう栄誉に浴した訳で、それがいったい何の意味があるのかというと、たいしてなさそうだけれどそれでも完成時には誰もが心を躍らせた日本一の建造物、日本アカデミー賞を受賞した映画にだって描かれ、世界中の特撮マニアが愛する怪獣にだって倒された日本の象徴の現実としての“最後”を、真っ先に体感した人間が僕だということは、僕自身の心に深くそして永遠に刻まれる。それでいいのだ。誰のためでもなく自分のためにこそそこに行き、そこに居て、そして消える。出没道とはそういうもなのだ。

 そして見渡した特別展望台からの景色は……雲がたちこめ雨まで降って「東京スカイツリー」はなかなか見えず。それでも係の人から教わって目をすがめつつ見た先には、ぼんやりと立ちぬきんでた高さを持つ建造物の像が。あれがなるほど「東京スカイツリー」かと見つめ見入りつつ過ごすことおよそ1時間。いよいよ訪れたその時間になると、これもまた奇跡のなせる技か、雲もやや張れ「東京スカイツリー」の全景が双眼鏡越しにくっきりと見えるようになっていた。のぞくとクレーンでなにやら直方体っぽい構造物がクレーンによって引き上げられていく。あれがもしかすると今日載せられる構造物? でもって10メートルちょいあって乗っかると338メートルに達して「東京タワー」の333メートルを抜くアイテム? ラジオもテレビも見られずそうした情報は入って来なかったけれど、おそらくそうだと双眼鏡越しに観察を続け、やがて直方体が「東京スカイツリー」の天辺よりやや上まで引き上げられ、それからしずしずと置かれて天辺に据え付けられるまでをこの目で見て、今まさに歴史が動いた、今この瞬間に日本一だったこの場所が日本二に変わったに違いないと感じ入る。

 その瞬間、半世紀もの間をトップに立ち続けていた「東京タワー」に対して観客から感謝の拍手が上がったかというとそういうことはまるでなし。いつがその瞬間かも知らない多くの人が上がってきては降りていく繰り返しの中で、今日がその日なんだねえ、あれが「東京スカイツリー」なんだねえと会話を交わす程度で、歴史が動いた瞬間に立ち会った感慨にむせぶような空気はまるで見られない。当然ながらそうした瞬間をおさえているテレビカメラはまるでおらず、特別展望台まで上がって来ていたメディアは読売新聞のカメラマンのみ。でもって割と朝早くから頑張ってはいたカメラマンの成果が夕刊を飾った様子もなく、「東京タワー」での歴史的瞬間はこのままなかったことにされていってしまいそう。

 だからこそそこに居合わせたのだという自覚は大事な訳で、何物にも補完不可能なそうした自覚を心に刻んだことは、これからの人生を過ごしていく上できっと何かの意味を持つだろうと思いたい。思いたいけどしかし本当に淡々としてたなあ。やっぱりこの国は2番じゃダメなんだなあ。まあ良いや。そして大展望台へと降りて見渡しお土産は特に買わず2階のマクドナルドで復活なったテキサスバーガーを喰らってから外へ。切符売り場には長蛇の列で、日本一ではすでになくても「東京タワー」が世間にまだまだ認められた観光スポットなのだということを満天下にしろしめす。半世紀の日本一だったという実績は伊達ではないし、まだしばらくは実際にあがれる建造物としての最高であり続ける。臨めば東京湾も一望できるロケーションの良さも手伝って、これからも観光スポットとして大勢のお上りさんたちを集め続けるだろう、と思いたいけどさてはて。

 矢野貴章選手はだから電柱ではなくスピードと馬力で抜けるタイプだからいざという時の放り込まれ要員にはなり得ない。高さでいくならやっぱり必要なのは平山相太選手のような圧倒的な高さであったり、前線からプレッシャーをかけられる巻誠一郎選手のようなパワーも含んだ高さなはずなんだけれどもそうした攻撃が必要になったところでかたくなにやろうとしてこなかった過去を鑑みれば、もはや岡田サンはちびっこフォワードで心中する覚悟を固めたんだろうと今度のセルビア戦でのメンバーを見てほぼ確信する。それならば得点も重ねている佐藤寿人選手がどうして外れているのかといえばそれもやっぱり岡田サンの脳味噌こねこねコンパイル具合のなせる技。かくして南アフリカでは蹂躙され蹴散らされる一方で踏みつぶされたたき壊される落ち武者ジャパンが見られることになるだろう。会長がアレだしブラジル大会も期待薄だなあ。というかもうワールドカップに出られないんじゃないのかな。

 重たい言葉を聞いた。「いつも本を読んでいて、原稿と向き合っている姿が印象に残っている。5万枚の原稿は彼の生きていた時間。1枚たりとも分散させず保存するのが、残された者のつとめです」。漫画家が死去して残された原稿の扱いにおいて、複製芸術でもある漫画は単行本として刊行されたものがすべてであってプロセスに過ぎない原稿に散逸はあって問題はないといった意見も時には出たりするけれども、手で少しづつ引かれた線が形になった1枚の原稿、それが重なった1編の作品はプロセスだという言葉で片づけられるものではない。「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」の発表会見で夫人の正子さんが話した言葉を聞くにつれ、漫画原稿というものの保存保管について日本はやはりもっと強く考えるべきなのかもって思えてきた。

 それはだからいつかの「国立メディア芸術総合センター」構想でも繰り込まれていた権能なんだけれども、諸処の反対意見が出て潰されてしまったことで漫画の文化財としての価値まで半ば否定され気味な空気ばかりが残ってしまった。川崎市という自治体がいちおうでも主体となって漫画家のミュージアムを作ることは、だからそうした空気に活を入れるひとつのきっかけになってくれそう。ここに出てきた村上隆さんが果たして適切かどうかは別にして、世間に知られた芸術家という立ち位置から漫画が持つルネッサンス的価値を強調し、保存し保管し展示する意義を語った意味は世間一般に届く声としてやっぱり有効。あとは巨大な壁画の1枚、巨大な人形の1体、面白いアニメの1本でも提供すれば株も上がるけれどもそれでなくても役目はそれなりに果たし得たと、あの場にいて喋ったことに対して喝采を贈りたい。ところで最近どんな作品を作ってるんだろう村上さん。


【3月28日】 まるで映像を見てないうちにフィギュアスケートの世界選手権トリノ大会で桜野タズサ、じゃなかった浅田舞央選手が見事にショートプログラム2位からフリーでトップに躍り出てそのまま優勝。バンクーバー五輪では銀メダルに留まった表彰台の場所をもう1段、そして最も高い場所へと移す栄誉をつかみ取った。一方でバンクーバー五輪金メダルのキム・ヨナ選手はショートプログラムでの出遅れが響いて2位。それでも7位から2位まで上がってくるところは素晴らしく、この2人がこれからも切磋琢磨していけば、フィギュアに新しい地平が見えてくる、って言って良いのかどうなのか。引退の文字が最近は若いうちからちらつくから。

 しかしバンクーバー五輪での“失敗”を、トリノでの世界選手権で挽回するとはまさにリアル桜野タズサだ、真央選手は海原零さんの「銀盤カレイドスコープ」を生きながらに実践してくれた。これで言動までもが桜野タズサだったら圧倒的にしびれるんだけれど、芯の多分強さは笑顔に隠して、メディアにはいつもにこやかにふわふわと当たって見せる真央選手。その代わりはスノーボードの国母選手が引き受けて、メディアに向かい理不尽さへの思いを叩きつけてくれれば気分も爽快なんだけれど、やっぱりメディアにおける扱いではスノボはフィギュアに適わない。国母選手がバンクーバー後に活躍してても世間はあんまり注目しないし、言動にも振り向かない。

 ここはだから誰から夜中にこっそりと、真央選手の寝ている頭にヘッドホンをかぶせて川澄綾子さんが吹き込んだ「銀盤カレイドスコープ」における桜野タズサの名言集を睡眠学習させればきっと、理不尽で無体な質問をしてきたメディアに向かって「実力で勝ち取ったものを泥棒扱いするマスコミに感謝しろって?」とか、(「貴方のような無名人間の、ひがみと嫉妬。そう言い換えるなら、理解もできますけど」とか言って、ウザいことしか聞いてこないメディアの姿に辟易している視聴者を、スッキリさせてくれるに違いないんだけど。

 まいったなあ。どっかの国で始まったりしてそれが伝わって日本の社会にあれやこれやと影響なんかも与えて問題になることもあったりするような集団と、背中合わせと俗に言われていたりするメディアが張った東京都による漫画とかアニメーションとかへの規制に関する言説が、僕から4万キロほど離れた場所にあってそれなりに存在感を醸し出していたりするメディアがちょっと前に出してきた言説と、まるで同じというかまるっきり一緒というか、表裏一体どころの話じゃなくっていったいどういう関係にあるんだろうかと、4万キロの彼方から目頭をそっと抑えてむせび泣く。なるほど下がる訳だよトータルもプロフィットも。かといってどうしようもないのであるからして、衛星軌道よりも距離的には遠い場所から成り行きを見守るのであった。

 見守り続けるのもアレなんで、日曜版の朝日新聞を買ってみたけど昔みたいに求人欄がいっぱいじゃなく中身も厳しく、昨今の就職事情とそれから求人広告の主メディアとしての新聞の地位の下がりっぷりを感じ入る。昔は開けば有名な出版社とか広告会社とか銀行とかが中途採用の広告を並べていたんだよ。才能がある人だったらそれこそ選び放題なくらいだったけれど、無能ゆえにどこにもひっかかりもせず幾年月、時代はそうした出版社や広告会社や金融機関すら存在を脅かされるようになって人減らしに勤しんでいる。一方でネットの発達が新聞を経ずしてダイレクトに人を募れる状況をもたらし、広告収入へと影響してそれが広告会社をヘタらせるという悪循環。未来を探ろうと電子出版の可能性について雑誌が企画したら、それを編集長すら通り越して社長が潰すって話も広まっているくらいだから、もはや商売的にも意識的にも低落に歯止めはかからないんだろうなあ。なんだかなあ。

 今日も今日とて午前9時には家を出て参るは「東京国際アニメフェア2010」。パブリックデーの人でとやらを見に行ったんだけれど出展は全体に減退気味で通路がやたらと広くなっている間をぎっしりの人が詰めかけ歩いてステージとかに見入ってる。四つ角の3つをバンダイビジュアルと東映アニメーションとアサツー・ディ・ケイが向かい合ってステージを広げている交差点なんか、それぞれの方向を向く人たちでぎっしり。もうちょい作り方を考えてさばけば良かったのにって思いもしたけど、こうした光景もまたファン気質としてのアニメへの愛情の衰えていなささを示すものとして、見る価値があったので良しとしよう。どれが1番人気だったんだろう? 数えた人がいたら偉い。

 山口県のフィルムコミッションが山口からパネルを取り寄せ展示し賑やかさを増しているのを見つつ、マッドハウスのところで「ハイスクールオブザデッド」だったっけ、そんなアニメを見て人とかぐちゃぐちゃ潰れたり死んだりしていく悲惨な絵を、かわいく躍動的で白とか見えまくりな女の子たちが和みあるものしている不思議な光景にこれは流行るだろうと核心。「喰霊」とも似たビジョンだけれどあっちはキャラがまだシリアスに寄っていたからそれよりはソフトでしかしハードなバイオレンスを見せてくれそう。横を見ると「BLACK LAGOON」の待望の第3期のポスターも張ってあってロベルタがなかなかに残忍そう。ファビオラはやっぱり声聞いてみるまで分からないや。スターチャイルドでは「SFマガジン」が言うところの豪華本とやらを入手。豪華本? 冲方丁について書かれたものならそれはすべてにおいてゴージャスなのだってことで。

 会場を適当に抜け出し外に出てフクダ電子アリーナへと向かおうと思ったもののだんだんと厳しさを増す寒さにこれはタマランと家に立ち寄りM65フィールドジャケットの中にキルティングを仕込んで家を出て、そして到着したフクアリがとてつもなく寒くって途中で逃げ出す。まずは気温が寒すぎる。いったい今は何月だ。12月か。2月か。大昔に埼玉スタジアム2002のメインアッパー上段で2月の夜に五輪代表の壮行試合だか予選だかを見た時だってこれほど寒くはなかったぞ。まるで2月の東アジア選手権並。3月ですらこうなることもあるのに12月1月2月をまるまるシーズンにするのはやっぱりダメだよ。

 試合内容が良ければそれでも耐えられるけど、相変わらずサイドで2人くらいに囲まれている選手にパスを出しては前へと出せず、戻して横にパスしたら大きく展開せずまた同じサイドに渡して行き詰まる繰り返し。見ていて心は苛立ち体は冷え込んでだんだんと気分が多くなってきた。前半はまともなシュートを1本も放てずジェフユナイテッド市原・千葉は停滞。対戦相手のザスパ草津はサイドに張って廣山望選手がスペースを生かした攻撃なんかを組み立てたりして、どん詰まり感をあんまり感じさせない。こりゃダメだ、とりあえず今日の最大の目的だった湯もみ娘が見られたから良いと前半で後にしてケーズ電器に逃げ込み凍った体を2割くらい溶かして帰ってみたら1点を奪われた後でどうにか追いつきロスタイムに追加して勝ってはいた。いたけれどもやっぱり危ない戦いぶり。これで1年で富貴だなんて余計に心も冷えてくる。春になったら体はほぐれるけれども果たして試合内容はこの硬直ぶりから抜け出せるのか。4試合やって同じなんだから無理かやっぱり。はあ。


【3月27日】 土曜日に朝の6時くらいから置きだして電車で鈍行で水戸へと行って翌朝も午前8時くらいから水戸の町をふらふらとして帰宅して月曜日はまた午前の6時半には家を出て埼玉県の鷲宮町へと向かい「らき☆すた」ってから火曜日水曜日と午前中から仕事に勤しみ木曜日金曜日とこれまた午前9時には「東京ビッグサイト」にいて「東京国際アニメフェア2010」を見物するという強行日程からようやく解放されるかと思った土曜日は仕事が詰まって朝から詰めてパソコンに向かい入ってくる情報を横から縦へと直して張り付けていったら夜になった。開けて日曜日はこれでゆっくりできるかというととんでもないのだ「東京国際アニメフェア2010」に行くのだフクダ電子アリーナで湯もみ娘たちを迎えるのだ。これで年収×××万円。やってられねえしてられねえ。

 座っていても1日のスポーツの情報だけは濃くなれるってことでとりあえずJリーグで湘南ベルマーレがJ1で11年ぶりくらいに勝利したとか。そんなにJ2にいたのっていう驚きはすなわちそれすらも覚悟しておかなくちゃいけないかもって恐怖でもあって泥沼に片足とられた今の状態があしたも重なって続くようなら両足が泥沼にはまってずぶずぶずぶずぶと沈んで気が付くと20年が経っていた、なんてこともあるのかも。あって欲しくないけどしかし。だからこそせっかくの千葉詣でをしてくれる湯もみ娘には悪いけれどもジェフユナイテッド市原・千葉はしっかりフクアリでザスパ草津に勝たせていただきますそうさせてください、ってお願いしてるよ下手だよ。でも実際にそういう心境なんだよなあ。

 だからJ1の方でこれはリーグの鬼武チェアマンが言い出したことなのか、それとも1億出すアイディアの2億がどうしようもなく無意味と言われる犬飼協会長の直言なのか、分からないけれどもともかくJ1のリーグ戦の最後に上位チームでクライマックスシリーズみたいなのを行って、それでリーグ優勝を決めるとかってまるで意味が不明なアイディアが浮上していることにも、とりあえずはどうでも良かったり。だってそこまで行くのに少なくとも1年、そしてそれから数年はかかりそうなんだもん。とはいえ客観的に見るなら、そうやることによって唯一無二のリーグ優勝っていう価値を貶めることが、結果としてサッカーからファンの離反を招きJ2JFLも含んだ日本のサッカー界全体を衰退させかねないって可能性があるだけに、反対の意思表示をしておくことにやぶさかではにあ。というか真正面から反対だ。

 っていうかどうやったらこれをファンが喜ぶって考えられるのかが分からない。もとよりアメリカで開かれている野球のプレーオフが念頭にあって、それに倣って日本でもクライマックスシリーズめいたものが導入されて、さらにそこからサッカーもアイディアをいただこうってことになったんだろうけど、大リーグの場合は地区が2つのリーグにそれぞれ3つづつあって、それぞれの優勝がひとつの栄誉とはなりつつもそこからリーグ優勝を決める戦いってのがあって、そこでひとまずの栄誉ってやつが得られるようになっている。そこから先は神の領域。リーグ優勝という次のステップに進んでの戦いが繰り広げられるんだけれど、3地区ってのが妙味で個々にワイルドカードの1チームを混ぜ込むことで、ちょいシーズンでは居たらなかったけれどもあるいはって夢を、1つのチームに見させてファンを巻き込む要素になっている。リーグ優勝が決まればその先はさらなる神の領域たるはワールドシリーズ。そこで勝てればもう有頂天という、夢のまた夢が抱けるだけにファンはポストシーズンに戦いにまで心を配る。

 対して最初っから2つのリーグしかない日本のプロ野球が、それぞれのリーグで上位3チームを競わせリーグの代表を決めるって仕組みがそもそもよくわからない。去年だっかたその前からだったら、リーグ優勝は優勝っていう栄誉が与えられるようになったけれども、それで代表が決まっているんだからすんなり2つのリーグの代表どうしが戦って日本一を決めれば良いってのが客観的な価値観だし、ファンとしてもその方が納得できる。たとえ優勝できなかったとしてもクライマックスシリーズからリーグ代表になれるんだ、って言われて嬉しいかどうなのか、嬉しいような気もしないでもないけどどこかにやっぱりやましさは残る。2つのリーグがあるプロ野球ですらそうなんだから、1つしかリーグがないサッカーでそれをやったらさらにやましさが濃さを増す。3位だかのチームがポストシーズンを戦って優勝しました、って言われて誰が嬉しがる?

 とうかサッカーって結果としての優勝を嬉しくは思っても、そこまでのプロセスにおいて得たさまざまな感動とか喜びの方がより上で、そうした積み重ねの果てにたとえ2位だったとしても、あるいは4位5位だったとしても、それを結果なんだ今の実力なんだと受け止めるだけの感覚がファンにたぶん行き渡っている。今年はダメだったけれども来年は頑張ろう、あと1歩で優勝に手が届かなかったけれどもそれは次の課題として取り組めばいい、だから来年も応援し続けるぞ、っていう心理を抱いている。

 そこに君たちは3位だったけれども優勝の目はありますから頑張ってね、って暮れも忙しい時期に言われて誰が嬉しがる? それで勝てたとしてどう喜べばいい? 納得できないし理解もできない。そうした感情をわかっているなら、とてもじゃないけど妙な案なんて出せないはずなんだけれどもそれをファンが喜ぶと出し、ファンが喜ぶならスポンサーだって喜ぶと考えてしまうこのむちゃくちゃさ。さらにそうした検証もなしにファンもお喜びでスポンサーも万々歳と書いてしまえるメディアがいたりするこのおぞましさ。なるほど日本のサッカーが強くもならなければ世界からも置いて行かれる訳だよなあ。まあおそらくはうやむやのうちに消えてしまう案だろうけど、反対意見に異論も山ほどありながら、オールスターを意味不明な日韓戦にした挙げ句にぶっつぶしたサッカー界及びサッカーメディア。なのでこれも案外に早く実現しては滅びの呪文となってサッカー界を崩壊へと導くだろう。「バルス」。

 開いた時間に「SFマガジン」の最新号を開いたらクトゥルー特集なのに「ニャル子さん」の紹介がされていなかったのは何故だ何故なんだ。「邪神大沼」の紹介もなかったし「フジミさん」の紹介もなかったけれどもやっぱりまだまだ奥深くて名状しがたいクトゥルーのサークルに、ライトノベルは混ぜてもらえていないのかも。面白いのにニャル子さん。だから面白ければ良いって訳じゃないんだってば。というか怖くなければダメなんだろうなあ。怖いニャル子さんって何だろう。そして気が付くと亀田興毅選手が血まみれになってポンサクレック相手に奮戦空しく敗れてた。初黒星なのか亀田選手。

 早いラウンドに偶然のバッティングで右目の上を切られなかったら、もっと近寄りパンチを放ってポイントを稼いで互角の戦いに持って行けたんだろうけど、あれだけ血が流れるとドクターストップが怖くて近寄れずパンチも打てない。逆に相手は迫り放ってポイントを重ねて結局はポンサクレックの勝ち。順当ではあるんだけれども波乱の余地のまるでなくなってしまったのは残念というより他にない。でもまああのポンサクレックに12ラウンドまで戦い抜く体力はあるしパンチのキレだって悪いものではない。ここで敗れても弟がチャンピオンのうちはボクシング一家としての面子もあって引退はしないだろうから、ちょい耐えつつチャンスをねらって再びタイトルに挑んで奪取となる場面を、見られるかもしれなさそう。内藤大助がポンサクレックに勝ってそして亀田が挑む、なんて物語的には美味しいけれども果たして。


【3月26日】 土曜日曜と水戸で仕事し、月曜日に鷲宮に向かって行列をしてコインをもらって記事を書き、火曜水曜も原稿を書いて木曜は朝の9時に「東京ビッグサイト」にいたというこの歩きまくり書きまくりな日常が、今日で終わったかというと終わる訳がない不器用貧乏暇皆無。やっぱり「東京ビッグサイト」で開催中の「東京国際アニメフェア2010」へと向かわねばならず、満員の電車を乗り継ぎりんかい線で国際展示場まで行って入った「東京国際アニメフェア」の会場で、まずはプリキュアに挨拶してそしてキングレコードのコーナーへと行き冲方丁さんの関連コンテンツが大結集した小冊子を手に入れる。

今日もがんばるプリキュアさん  メインは新作の冒頭の掲載、もあるけど本当はアニメーション化が決まった「マルドゥック・スクランブル」の情報で、表紙には今はもう懐かしいGONZO版の村田蓮爾さんデザインによるバロットとはまるで違った、麗しくもゴシックでロリータなバロットが描かれていて、おしりのすれすれまで見せてくれててなかなかにキューティー。情報としてはバロットの声にベテランもベテランな林原めぐみさんが当たり、監督は「プリンセスラバー!」で絵コンテや演出をしていたように見受けられる工藤進さんで、制作はその「プリンセスラバー!」を手がけたGoHandsが担当するってことになっていた。キャラクターデザインは「しゅごキャラ!」の鈴木信吾さんってことで、きっと「プリラバ」みたいにムチムチで「しゅご」みたいにふわふわなアニメになるに違いない、ってそんな話じゃないぞ「マルドゥック」って。

 冊子には林原さんのコメントが寄せられていて、冒頭が「あれから5年たちました」という書き出しから旧「マルドゥック・スクランブル」でもバロットに決まっていたことが書かれててあって、子どもが生まれて忙しいから断ろうとしたら原作が送られてきて読んだら面白かったから出ると決め、イベントに出て制作発表も終わってさあこれからと思った半年後、中止が告げられ「私の中のバロットが声なき声で泣き、まるく背中を上に向け顔を見せずに泣き崩れ」ていったと振り返る。そうまで思い入れの深かった作品が林原さんと言えばなスターチャイルドでアニメ化される。ならば自分がと出向いていくところを逆に林原さんは「『遠慮や気遣いは、時として作品の方向性を見誤ってしまうことがあります。愛をもって私を気ってください』と信頼するスタッフへ密電」したという。

 とてつもないプロ意識。自分ではなく作品を思えるそのプロフェッショナルな考え方を持っていたからこそ、もう20余年もトップランナーとして突っ走り続けていられるんだろう。なおかつそんなプロ意識が葛藤を経て向き合ったバロットなだけに、出てくる声にはもう期待するより他にない。でっかい声で「カジノで儲けさせてくれなきゃあばれちゃうぞ!」と言うなんてことはなく、寄ってきたウェイターにショボショボと「にんにくラーメンチャーシュー抜き」を注文することもない。切なくて激しくて儚げで強靱な少女バロットを演じて見せるに違いない、と思うけれどもこればっかりややっぱり動いている絵で聞いてみたいとなあ。映像とかアニメフェアで見られるのかなあ。あと蓮爾さんのキャラとはまるで違った絵柄なだけに、演じる際にやっぱりプランが変わったのかも気になるところ。シナリオの上での声なのか、絵も見ての声なのか。声優さんのそんな機微がちょっとしりたい。

 でもって「東京国際アニメフェア」で開かれた個人アニメーションの15年史についてのシンポジウムに出たら、青木純さんが吉浦康裕さんにそっくりだった、じゃなくって仕事の都合で遅れてしまった青木さんの変わりに吉浦さんが入って、うもとゆーじさんロマのフ比嘉さん竹内泰人さんに話題の「フミ子の告白」の石田祐康さんによるトークが繰り広げられたけれど、面白かったのはそうやって入った吉浦さんが、うもとさんロマのフさんより後の世代で彼らが築いていた個人がアニメを作ってコンテストで入選して商業の場で存在感を発揮していった方法論を、どんな道具を使ったかも含めて見て育った世代だったてこと。加えてそんな吉浦さんの活躍を先輩と仰ぎ見て、さらに簡便で安価になったツールを使いコンテストもネットもフラットに大勢に見てもらえる場として利用しデビューしていったのが、竹内さん石田さんの世代だという個人アニメの発展のプロセスが、メンバーのセレクトでくっきり浮かび上がったってこと。ちょうど吉浦さんの存在がブリッジになって、時代の変化とクリエーターの変遷が理解できるようになっていた。まさに怪我の功名って奴か。

 興味深かったのが、竹内さんや石田さんの世代がCGアニメコンテストのような場での受賞という“権威”も、youtubeとかニコニコ動画で何万回のアクセスがあったという“評判”も、フラットにどちらも嬉しいものでしょうといった感じに受け止めていること。むしろコンテストでプロの人に高評されることよりも、ニコ動youtubeでのコメントと回数の方がダイレクトな声として感じられるって話していたことで、そうした場にさらされることによって得られた心地よさが、作品作りの原動力になっている世代が育っていることはつまり、同じ感覚を持った大勢のクリエーターが、広がるネットを通して誕生してくるって可能性を示しているとも言える。

 ただ、一方でそうした場での“評判”は直接的なお金にはつながらず、“権威”となって何か後の仕事につながるってこともそれほどはない。評判を聞いて使ってみようって動きはもちろんあるけれど、世間が賞とか何かに弱いのは小説でもアニメでも漫画でもいっしょ。すぐさま商業で活躍できる人材を送り出し得るコンテストの場より、ダイレクトでストレートでスピーディーな“評判”を求めて作品作りを行い、そこでの“評判”に喜んでいるだけで留まってしまいがちなシャイで引っ込み思案なクリエーターに、世間の目が届かないままいつの間にか消えていってしまっては勿体ない。商業としてのアニメの発展を是と考えるとするならば、必要なのはそうした心地よさに安住しているクリエーターを商業の場に引っ張り出して、一般の世界で使えるようにすることと、そうした商業の場で得られるものが、個人としてやっているよりも大きいことを感じてもらえるようにすることなんだけれど、そうした発掘育成が日本の企業もメディアもとことん苦手だからなあ。NHKを除いて。

 NHKはすごいよなあ。というかその下でいろいろディレクションしているディレクションが偉いのかもしれないけれども、新進気鋭の個人クリエーターが出展している「クリエーターズワールド」の参加者のほとんどが1度は「星新一ショートショート」を作ってたのにはちょっと驚いた、圧倒された。物語はすでに完璧な完成度のものがすでにあるから、それをどう表現するかを競い合えば良いだけ。とても個性を発揮しやすい作品である上に、NHKっていうパブリックな場で紹介してもらえるんだから、個人クリエーターの名を世間に広める上で、これほどのバックアップはなかなかない。

 そうやって発掘された人たちが、世に出た時にNHKが受ける恩恵は、金額としてどれだけってことではないだろうけど、印象としてはポジティブなものになり、番組として協力をしてもらえることでクオリティが上がり、視聴率の確保につながり収益の安定に繋がる。パッケージメディアの展開とかネットへの展開なんかもこれからどんどん増えるだろうから、そっちでの収益も期待できる。ドラマのネタで映画を作って一瞬の盛り上げに終始しつつ、トーンとしてテレビ局映画の衰退を招いていたりする現状を後目に、NHKだけが強くなっていくこの構図。分かって突っ走らせているんだとしたら民放は何というかポン酢なんだけれど、分かっていたら何か手を打っているんだろうなあ。現場の最前線は分かっていても、上に居座る既得権益がそうしたディレクタープロデューサ個人の“得”にならない発掘育成から目を背けさせていたりするとか。新聞だってその辺は似たようなところで、かくして若さに理解を示す朝読は生き残りそうでない新聞は消えていく……。参ったなあ。

 シンポジウムが終わって会場に戻ってやっぱりブースに戻って来ていたロマのフさ比嘉さんの所に寄ったら、何でも青森県立美術館で7月10日から開かれる「ロボットと美術」って展覧会でオリジナルアニメを作っているとかで、それの案内を見せてもらったら超可愛い。ロマのフさんを監督にした面子は、キャラクター原案にD.Kさんを配しキャラクターデザインは「みなみけ」の田中誠輝さんが担当。ロボットがテーマの展覧会自体で絵だけじゃなくってフジパンロボット館とかで有名な相澤次郎さんの作品も展示されるとかで興味深いけれども、そうした展示に加えて可愛いアニメも作られ上映されるってことにどれだけの人が反応して、遠く青森まで押し寄せるのか。興味があるなあ。でも首都圏からだと続く静岡の方が近いしちょうど等身大「機動戦士ガンダム」の公開時期なんで、そっちに回る人が多いかな。さてどうしよう。

見て喜ぶか触れて浮かれるか  ふらふらしてたら山口県フィルム・コミッションのブースがあるのに気づいて、そこで「マイマイ新子と千年の魔法」が大フィーチャーされているのを発見。さらに映像が流されていて、映画に出てくる駅前の風景やら通学路やらが実写の映像でくっきりと映し出されていて、それをひづる先生の中の人が出演して案内してくれていて、喋りがひづる先生になっていてひづる先生ファンとしてはとても嬉しい映像になっていた。現場の実写とアニメの映像が重なって出てくるから、どれくらい同じでどれくらい違うのかがすぐに分かるのも有りがたいし面白い。新子が転げ落ちてはまりそ、こでみどりの小次郎を思いつき、新子と貴伊子が並んで座りイタドリを囓ったあの弦でできたハンモックもちゃんと作られていたんだなあ。貴重過ぎる映像。そしてとても楽しい映像。「東京国際アニメフェア」のために作られ、今のところはそこでしか見られない映像を見に行け諸君。配布されてる袋にも新子と光子が出て居るぞ。三坂知絵子さんもいたりするぞ。

 それから帰りがけに「東京国際アニメフェア」で「ハーロック」に登場していた有紀蛍と並んで2大しりと評判の(ごく一部でだけど)、アニマさん作成による「艶華王道 ダイ☆ショーグン」の映像をじっくり見て揺れるしりとやらに1日の疲れが吹き飛ぶ、心が癒される。あれはいいものだ。会場ではそんなゆれる姿を披露しているキャラクターの服部霧子のフィギュアもあってやまとから発売もされる模様で、映像に見え感動した延長でフィギュアを手に入れ官能したいと思ったものの、値段が値段だからそうは容易には動けない。とはいえこのサイズでこの値段は版権物とはちょっと違うってこともあって安い方。未来に有名になる可能性、あるいは単純に造形物としての素晴らしさを感じ入るなら、ここで買っておくってのも一つの手かもしれないなあ。どうしようかなあ。早起きしてあしたも行くか「東京国際アニメフェア」。


【3月25日】 土曜日日曜日月曜日と早起きをして火曜日水曜日はまあ普通だったけれども木曜日になってまた早起きをして向かうは「東京ビッグサイト」で開催となる「東京国際アニメフェア2010」。いちばん最初の新世紀なんとかって時からに始まった時からずっと通い詰めているイベントだけれどもそれがいったいいつのことで、今が何回目なのかがだんだんと分からなくなってきた。代わり映えしないというか。それは裏返せばこの季節にとっての日常になったってことでもあって夏に開かれていたいくつかのイベントが消えても「東京国際アニメフェア」はちゃんと生き残って規模を落とさず開かれている。これを幸せといわずして何という。いやまあ夢を語るのならばさらに巨大なイベントとなって、「ビッグサイト」の全館をアニメが埋め尽くすくらいになってくれたら楽しかったんだけど。西館(にし・やかた)の上でこぢんまりと始まった頃を思えば十分にでかくなったかな。

なにぷりきゅあ?  とはいえ中に入って感じた事は「通路広いな」。それはつまりは出店規模と裏腹で社数こそ去年から11くらいしか減ってないけどブースの規模においてやや低減傾向があるようで、おかげで通路が広くとれるようになっててこれで土日のパブリックデーはわんさか人が来てもきっと楽にすれ違えられそう。それって良いことなの? それでも細かく見ていけば工夫もこらしてあってフジテレビの「ノイタミナ」関係のブースではARって書く超現実を使った仕掛でもってパンフレットをかざすとモニター画面に情報が現れるようにして来場者の脚を引き留めるていた。中央のステージでは前に「ノイタミナ」の新しいラインアップを発表した時に司会をしていた人がひとりで空間に向かって何かを喋っていてそのパントマイムな感じに惹かれてひとりでしばらく眺めていたけど時間もないので程なく退散。あれは何だったんだ、ってプレゼンテーションだ。ビジネスデーではさすがに脚を止める人はいないよなあ。芸能人でも芸人でも。

 ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントは奥にカウンターをおいてパンフレットを並べ上にモニターをおいて映像を流すってだけの超シンプルな作り。だけれども流される映像がハイクオリティな作品ばかりなんで見ていて飽きない。でもブース前でパンフレットを配っていた人たちの胸元の方が見ていてまるで全然飽きなかったことは秘密でも何でもない。とくにオレンジ。素晴らしかった。そっち系ではほかにもあれこれ散見はされたもののこれぞキャラって感じのコスプレコンパニオンを見かけなかったのは何だろう、ビジネスデーではやっても無駄だと思ったからなのか。着ぐるみ系では新しいプリキュアがいたり鬼太郎猫娘小なき爺が固まっていたりたまごっちがとことことしてたりしたけどそれくらいかなあ。プリキュア見られただけでも良しとしよう。中がどうなっているかは知らない。

 そのプリキュアを見た東映アニメーションのブースでは「ハーロック」に「ガイキング」のCGアニメーション化だかのプロジェクトが発表になってて映像を見たらハーロックがブラックジャックになっていた。声でいうなら中田譲治さんか大塚明夫さんならぴったりって感じの強面な面構えのハーロック。優男に見えてクールで強靱だった井上真樹夫さん演じてたアニメのハーロックとは違ったものになるのかな、そうしたいって意志なのかな。そしてアルカディア号のクルーは……クルーは……トリと有紀蛍しかいないのか? ヤッタランも婆さんもいないのか? コンピューターは友じゃないのか? うーんパイロット版なんで重要な奴らを描いただけと信じたい。でもまああの超絶的にグラマラスでスレンダーな有紀蛍がいれば十分って気もしないでもないけれど。いろっぺーって言葉しか出てこないその姿態。瞼に焼き付けておく価値あり。「ガイキング」は……大空魔竜ではないな。

 しかしどうしてこの2作品なんだろう。「ハーロック」は海外でも人気が高くてSF大会とかコンベンションの様子を見ると必ずハーロックの格好をしている外国のコスプレイヤーがいるから海外マーケットも目指してプロジェクトを立ち上げたんだろうって想像できる。「ガイキング」についてはどうなんだろう、最初のアニメも最近のアニメもそんなに世界的に人気だったっけ? 日本向けならなおのことCGなテイストではちょっと受け入れられはしなさそう。というかCGなのか実写をコンピューター上で処理してCGっぽさも加えた映像なのか、判然とはしなかったけれどもどっちにしても日本よりは海外向けてってテイストの映像で、取り上げられる題材が「ガイキング」ってところにちょっと謎がある。いつか聞いてみよう。誰に聞けば良いんだろう?

 とか思いながら見るものはないかろうろうろ。今年のアニメーション映画で最高の話題を撮りそうな「アリエッタ」は映像が流れていたけれども草むらと家だけでキャラはなし。まだ見せない? まだ見せられない? 映画では対抗に来そうな「宇宙ショーへようこそ」はアニプレックスのブースであれこれ上映。たぶん見ればハマる作品なんだけれどアニプレックスってこっちに向けてあんまりプレゼンテーションしてくれないんで取り上げる機械があるかどうか。1ページだって2ページだって使って紹介する気なのに。それくらいに僕はますなりこうじ監督のファンなのだ「フォトン」「ココロ図書館」「R.O.D」はパッケージを買っているのだ「かみちゅ」はこんどブルーレイ買います、ってなくらいに。待ってますのでよろしく是非に。

 そんな商業な作品をずらずらっと見たあとは恒例の「クリエーターズワールド」へと出向いて新鋭の人たちのすっげえ作品を見ようとしたらどれこもこれもすっげえんで驚いた。まずは植草航さんって人。最近「向ヶ丘千里はただ見つめていたのだった」って作品で評判になっている人なんだけれどブースに飾ってあったイラストがどれもスタイリッシュ。可愛らしさを残しながらもタカノ綾さん的なアーティスティックな感性をフォルムに反映させてあるため見ていてちょっと不思議な気分にさせられる。アートなんだけれど馴染むというか。本人に伺うと傾向としてはアートっぽい方面で、ビジュアルデザインみたいなのもやるけれどもそれ以上に自分でデザインから映像からトータルでアニメーション作品を作っていきたいみたい。どんな活動を進めていくのか、どこにどうはまりこんでいくのかちょっと気になる。

 それから高橋昂也さんって人もちょっとどころかとてもとても気になった。遠目にはCGでモノクロな世界を描きましたって感じなんだけれども地下より伺うと全部が手書き、シャチだかイルカだかを浜辺で解体していく土着的な映像も馬が進んでいく土俗的な映像もどれも手書きの絵を取り込んで合成して作り上げているんだとか。レイヤーで重ねながら動かし動きを出しつつ奥のをぼかして遠近感を出していたりと工夫もこらされていて、それがトータルの映像となった時にとてつもない完成度、圧倒的な世界観となって迫ってくる。すでにテレビ番組のオープニングなんかでも活動はしているみたいだけれども、絵コンテを描きストーリーを作り絵を描いて合成し映像にしてこその作家性。それ故にやっぱりそれなりの尺が必要そうで、そういうものを作れる場が与えられればとてつもない傑作、歴史に残る傑作を送り出してくれそう。海外の人たちに見せてみたいなあ。カナダの国立映画制作庁のマーシー・ペイジさんとかに見せたいなあ。

 近所で増田智美さんとかTAKORASUさんとかもブースを出してて眺めつつバーナムスタジオは静かだったので遠巻きにしつつスタジオアールエフでは剣闘士だっけ、そんなゲームのオープニングで3Dキャラの剣でのバトルがトゥーンシェードから色鉛筆でのデッサンっぽいテクスチャーになった不思議な質感の映像で描かれているムービーを見てやっぱりすごいスタジオなんだと認識。信玄vs謙信vsエイリアンも頑張って。向かいではカミカゼドウガがデカいブースを出しとなりでは動画革命東京が支援作品を飾り通路を挟んで「デジスタ」なんかを手伝っている会社のブースに「イヴの時間」の物品なんかが並べられてて個人制作あるいは少人数制作のアニメーションにあれこれ活気が出てきそうな空気。商業としてのベースに乗るか否かは不明だけれども少なくとも、才能だけはいくらだって出て来てくれそう。それをだからどう育て、どう商売に載せるかってところで企業は、役所は、政府は頭とお金を使うべきだ。天下をとれる分野はもはやそこしかないんだから。

 とか考えながら見渡すと誰も彼もが巨大な袋をエプロンのように体に貼り付け歩いてる。見ると「HEROMAN」って書かれてある。ボンズが作る新作アニメのプロモーション。それを紙袋なんかでやるところを電通様の意向か何かで巨大な巨大な袋になったみたい。実際に目立って大成功。B2ポスターをパネルにして体に貼り付けて歩いているくらいのインパクトはあったから。もらった人には会場を出て外でもそんな格好で歩いていた人もいたかもしれない。これまた良い宣伝。せっかくだからと僕もそれをつけて浜松町から東京駅から大手町から六本木から茅場町あたりを歩いてみたけど果たして宣伝になったかな。「HEROMAN」。

 あの、ってどのくらい凄いか知らないけれどもアメコミ界隈では偉大な人らしいスタン・リーの原案をボンズがアニメ化したこの作品。タイトルどおりにHEROなMANが現れ悪を倒して大暴れするってストーリーらしい。中身にはアメリカンカルチャーがてんこ盛り。同じボンズの「交響詩篇エウレカセブン」が西海岸のサーフカルチャー系だったとしたらこっちは西海岸でもっと明るくポップでロックな感じ。今更西海岸でもあるまいしって錯誤感がないでもないけど、そう思って苦笑していた「エウレカ」が若い世代に目茶受けしてしまった状況を思うとあるいは「POPEYE」で西海岸特集なんて読んでない中学生高校生が、明るく軽やかで爽やかで恋は風まかせな「HEROMAN」の世界にハマってしまうなんてこともあるのかも。4月からの放送。注目だ。


【3月24日】 タイトルに偽りあり、って言ってもそれほど間違いじゃないのは、別に風魔小太郎は早雲の孫の軍配者として抜擢されただけであって、決して「早雲の軍配者」にはならなかったからなんだけれど、氏綱氏康と続く戦国でも早雲が飛び抜けて有名なだけに仕方がないことなのかもしれない富樫倫太郎さんの最新作。下克上で知られる戦国の世を開いたといわれる伊勢新九郎こと早雲は、伊豆から小田原にかけて領地を広げ、軍事では連戦連勝によって関東に拠点を持つ上杉や甲斐の武田といった勢力と拮抗しつつ、内政においては年貢を厳しくしないやり方で農民たちから慕われていたものの、今は歳を取り息子に家督を譲ってほぼ隠居状態にあった。

 とはいえ孫の代になっても果たして領地を保持していられるかが心配だった早雲は、立ち寄った寺で下働きをしながらも漢籍の講義を横で聴き、内容を理解しているそぶりをみせる小太郎という名の少年に関心を抱き才能を認め、彼を孫の軍配者、すなわち軍師にしようと計画する。風間という忍びの一団でも頭領だった男の嫡男として生まれながらも小太郎は父が早く死に、父の弟に疎んじられて命まで狙われる。それでも他人を信じ人の心を信じる素直さを失わないままでいた小太郎は、足利学校という関東にあった軍師の養成所に入校して、そこで後に山本勘助として武田信玄に使える男や、北条と敵対していた上杉家の家宰の孫と知り合い切磋琢磨しつつ、勘助の正体に絡んで浮かんだ難題もかわしつつ学問を修めようとする。

 そこに起こったた早雲の死。そして新たな戦乱の予感に少年は故国へと帰り早雲の後を継いだ息子のために働き始める。一方で上杉側の男も戻りそして2人は戦場で対峙することになる。時代小説でありながらも少年たちが学び友情を深めるストーリーがあり、そんな中にも戦国の世を生き延びていくために必要な苛烈さも描かれた、心わくわくさせられる物語。大人たちとの軋轢を少年がどう受け止めどう突破していくかといった政治面、そしてやはり軍師として見せる冴えが差配の部分も多いに楽しめる。続編があれば小太郎に曽我に勘助と3人の同窓生たちが分かれて戦うバトルって奴が見られるのかな。でも勘助って次に名を挙げるのか甲斐の武田信玄に使えてからだからずいぶんとあとだしなあ。でも読んでみたい。映像でも見てみたい。

 しかし反則級だよまったくもってハミュッツ=メセタの双房は。ずっと断っていたという中で「戦う司書」シリーズの完結があって10年のフリー生活を総括するって意味もこめて、前嶋重機さんのイラスト集「SERENDIPITY」(集英社)が登場。表紙からしばらくずっとハミュッツ様のイラストが続いて、その我が儘そうなまなざしに表情とそして我が儘きわまりないボディが存分に堪能できて、夜に思い出してモジモジとしてしまいそう。あれだけふくらんでいてどうして普通の白いシャツが入るんだろう。男性用だとまず入らないと思うんだけれど、女性用のシャツって前にふくらみを収めるための袋がついていたりするんだろうか。アップリケもウサギがタヌキにはならないし。それとも中に収まってふくらんであの大きさ? もとのアップリケって相当に小さいのかなあ。

 ハミュッツに継いで多いのはやっぱりノロティ=マルチェで、健康そうな体と表情を存分に見せてくれている。彼女が小説でああなるなんて……。でも最後にはどうにかこうにか……。ともあれ良い人でした。ミレポックもまずまずの扱い。その他の男性陣は誰も彼も適当過ぎる、っていうかカラーで男性はそんなに描かれていないんだなあ。「戦う司書」以外では小川一水さん「約束の地」のさし絵とか、「レキオス」のイラストとかなんかも収録されててやっぱりグラマラスで我が儘ボディの女性たちでいっぱい。珍しいのは「GONIN −the Five Killers」ってタイトルのキービジュアルの未発表の3枚って奴なんだけれど、何だろうなあこのタイトル。GONZOが作ろうとしてたアニメのこと? それともすでに完成してた? 分からないけどショートヘアな眼鏡っ娘がいてなかなかなだけに勿体ない。でもやっぱり凄いのは巻末にご登場のあのお方。ハミュッツ以上に我が儘勝手そうな雰囲気を見るからに醸し出している。彼女が最初っからいればすべてがあっという間に片づいて、「戦う司書」も1ページで終わっていただろう。もっと見たかったけれどもここで見られて僥倖としておこう。

 これも一種のFREEか。というかFREEそのものなのか。グッドスマイルカンパニーがフィギュアなんかで力を入れている「ブラック☆ロックシューター」をいよいよアニメーション化するってんで、秋葉原のUDXシアターで制作発表が開かれて、赴くとヤマカンこと山本寛さんとそれから監督を務める吉岡忍さんに並んでグッスマの社長の人が登壇して、いったいどういうビジネスモデルなのかを話してくれた。それによるなら「ブラック☆ロックシューター」のアニメは50分くらいになって、DVDなんかに入れられて無料で配布されるとか。まあ無料といっても「ホビージャパン」の付録になったりすると発表されていだけで、それには雑誌を買わなきゃいけに訳でまるまる無料ってことにはならないけれど、ショップ限定でのDVD配布とかネット配信とかってのも考えられるから、あるいは本当に無料でまるまる映像の本編を見られる機会があるかもしれない。

 それでいったいどうやって商売するの、ってところで答えて曰く、ブルーレイとか特装版といったものを販売してそちらで売上を計上するのとあとはグッスマが出しているフィギュアの販売につなげるってことになるのかな。玩具メーカーが出資してテレビでただで見せてそれで玩具を売るのと同じ構図。ただしアニメを作っているのも玩具を作っているのも同じ会社ってところがちょっと違うか。トータルとして果たして設けになるのかってところはちょっと分からないけど、テレビで電波料払って放送したってそれでDVDが売れるとは限らないだけに、電波料分を製作費に回して作った映像をいろいろ見てもらってそれでパッケージの売上を狙いつつ玩具やキャラクターでも稼ぐっていう、モデルもそんなに外れてはいないのかも。

 あとはだから映像として購入に値するものができるか否かってところで、声には花澤香菜さんに沢城みゆきさんとビッグネームが並んだから期待は抱けそう。ところで「ブラック☆ロックシューター」ってどんな話なんだっけ。そもそも話なんてあったんだっけ。元は一枚のイラストで、それに音楽がついて人気になって盛りあがっていったところでグッスマがフィギュアを作ってこれが5万体くらい売れる人気を得て、アニメ化というところまでたどり着いた。FREEなビジネスモデルも新しいけど、ユーザージェネレイテッドコンテツが本格的なアニメーション化までたどり着いたってのもモデルとして新しい。当たらしずくめの「ブラック☆ロックシューター」が巻き起こす新しい風。それは次にどんなアニメの世界を呼び寄せるんだろうか。狭いアニメ業界の空気に異論を唱えているヤマカンさんも絡んでのアニメ化なだけに、行く末がちょっと楽しみ。

 朝に「ヨドバシカメラ」の秋葉原見せに出向くとすでに積み重ねられている「BLACK LAGOON」のブルーレイの第7巻と8巻。いわゆる日本編ってやつでこれをもって第1期と2期のブルーレイ化が完了して、7月からの第3期の映像化って奴に目も映る。それにしても発売日前日という実質的な発売日の朝1番でちゃんと品物を用意しているヨドバシの充実ぶりは、同じ秋葉原の専門店が軒並み欠品を出しているのと比べると、秋葉原が誇った電気街としての存在意義に変化が生まれてきてるってことが見えてくる。頑張っても11時からしか商売できない店じゃあかなわないよなあ。おまけに予約でしか変えなかったりするし。ついでに「東のエデン」の劇場版のブルーレイを買い「ダンスインザヴァンパイアバンド」のブルーレイの第1巻も購入。ジャケットからして非実在な青少年を感じさせるけれどもこれでミナ姫、数百歳の大年増なんで別に配慮も必要ないのか。そこんところはどうなのか。聞いてみたいねえ知事殿に。


【3月23日】 水戸から帰り鷲宮行きもこなしてようやく録画してあったいろいろと見たら「とある科学の超電磁砲」が終わってた。婚后光子さんの能力って空気噴射だっけ。お知りに触られるとけっこうあられもない姿で吹っ飛んでいきそう。でも触らないと意味がない能力なんだよなあ。だったらやっぱり白井黒子の方が上なんじゃないのかな。でもって正体がベアトリーチェだと分かったテレスティーナはさらにベアトっぷりを拡大させて暴れ放題。でも止められやっつけられて沈黙。逮捕はされたけれども有力者の血縁だからきっと大丈夫。それが学園都市って奴だ。みんな手のひらで踊ってる。そんな世界観に打開点ってあるのかな。やっぱり「とある魔術の禁書目録」を全部読んでおいた方がいいのかな。

 カンピオーネカンピオーネ、オーレオーレオレー、ってチャントってあったっけ。覚えてないけどあったとしても丈月城さんの「カンピオーネ!」(集英社スーパーダッシュ文庫)とは特に関係はありません。んで最新刊の「カンピオーネ!6」はまず北米でもって神殺しの力を振るってまつろわぬ神と戦うジョン・プルートー・スミスなるカンピオーネの存在がつむがれ、その正体も露わにされそしてジョン・プルートー・スミスに敗れ去ったまつろわぬ神を使ってはかりごとを巡らせる中国のカンピオーネが登場して、日本は日光東照宮に封じ込められたまつろわぬ神へのちょっかいを始める。

 こいつが暴れ出したら大変と押さえ込みにかかる我らが主人公、日本人でカンピオーネだけれど気弱な草薙護堂がはるばるやって来た中国のカンピオーネと一戦交える急展開。とはいえ相手は長く生きてて武術も気孔も収めた戦いのエキスパート。その上にカンピオーネの力まで持っているからなかなか勝てないどころか命すら危ない。まあそれでもどうにかしてしまうのが主人公って奴で、どうにかなった後に現れたまつろわぬ神を倒すためにいったいこれからどんな作戦を練り上げるのか。でもって女性を知らずなびかせてしまうジゴロな草薙護堂の回りに集まる女性カンピオーネたちの心境はどう転がるのか。とりあえずまつろわぬ神は巨大な手でも用意し祈ると締まる輪でも用意しておけば良さそうだけれど、女性カンオーネ陣はなあ。護堂を取り合ったら世界が滅びるかもしれないなあ。

 4万キロの彼方にどよんとした空気が漂っていそうな雰囲気を感じ取りつつ、衛星軌道よりも遠い4万キロの距離があるんだからと安心していたら、どんよりとした空気の濃度が高すぎて4万キロ離れていてもちょっぴり肺に入ってきた。とたんに胸がキュッとなって腰がギッといって首がゴリゴリッと固くなって全身がピクピクっとけいれんしてきた。すごい影響力。きっと4万キロの彼方にある渦中にいる人たちは相当な状態に陥っているに違いない。ああでもそうした空気を逆に清浄と思っている人たちばかりだから、防護マスクもつけず予防接種も打たないで、むき身で闊歩していたりするのかも。心が強いって素晴らしいなあ。まるで亀の甲羅の中にある心臓のように。外に出たとたんに踏みつぶされるだけなんだけど。

 それにしても訳が分からないというか理解が至らないというか。何かを表して生きている人たちにとって表現することの自由は絶対的な防衛戦。そこより下がれば待っているのはひたすら拡大してくだけの規制であり抑圧で、だからこそ守って守り抜いた上で現実にそうした表現がもたらしかねない悪影響も考慮して、表すべき場所を守り見せるべき対象を絞って適切に運営されていくように努力する。けれどもとあるところでは、そうした表現の自由すらも場合によっては踏みにじられて構わないといった論調が繰り広げられているから驚くというかひっくり返るというか。

 宗教的な教義なり道徳的な心理なりからそういった言説を紡ぐんだったらまだ分かる。悩ましいのはそこが表現の自由を絶対において死守べき報道機関だということ。常日頃から報道の自由を標榜し、隠す相手にくってかかり守られるべき人権も報道の自由の前には存在しないとプライバシーを書き立てている報道機関が、とある場合においては表現の自由に法律や条令といった権力によって制約が設けられても構わないと嘯く。これっていったいどいういうことだ。頭が良いとか良くないとかいった以前に感覚で是非が問われそうなロジック。それが堂々と報道機関を代表する見解として述べられている。何が何だか分からない。

 もしもそれを認めるのなら、将来において国が隠しておきたいことを隠しておいて欲しいと言われてそれはできないと反対することも認められなくなってしまう。権力がとある方向に世論を持っていきたいので協力して欲しいと言って来た時に、報道は自由なのだからと逆らい反してみせることにも筋が通らなくなる。是々非々で考えるべき問題ではない。ひとつを譲ればすべてに譲歩が生じかねない恐れを持った絶対防衛戦を、根拠も示さずそれがもたらす懸念を上回る成果にも触れずに、あっさりしっかり制約を認めようと訴える。成果があってももちろん当然に認められないことは言うまでもない。それでも世間を説得するにはそうしたロジックがあってしかるべき。なのに示されもせず表現の自由に制約があって構わないと論じてみせる。もう訳が分からない。

 条例に定められた規制の運用が的確になされるかどうかって問題もあるけれど、それが的確に運用されようとされまいと、規制によって取り締まられるべきものではないから却下。実在する存在に悪影響を与えているかどうかという論議も重要ではあるけれども、それより先に表現の自由の堅持という部分が重要になる。そこをあっさり突き破って論陣を張って、果たして言論を旨とする組織に属していて心に何かいろいろ去来するものがないのだろうか。ないのだろうなあ、あったら今頃4万キロの彼方へと逃げ出して深呼吸をしているはずだ。ああでも上に4万キロでないと意味はない。北へ向かって4万キロ、走り続けたらどこに出る? そろそろ酸素ボンベを買い込んでおく必要があるかなあ。あるいは落下傘。ゴールデンが付いてればなお良いんだけれど。このご時世に生身で放り出されたら空気は清浄でも凍えちゃうよ。どっちにしたって地獄だなあ。

 よく考えるんだ。「裸眼で3D映像によるゲームが楽しめる」ってことの意味をちゃんと考えるんだ。かつて存在した3Dゲームも別に眼鏡なんて必要なかった。両目でのぞけばそこには立体の空間が広がっていた。そして奥行きのあるゲームを楽しめた。だから新しく登場する「ニンテンドー3DS」が顔を近づけのぞき込むとそこに3D空間が広がっているゲームではないという保障はない。形だってまるで双眼鏡のような形になっていないとは限らない。さすがにスタンドはなくなっているけど代わりに頭にくくりつけるタイプになっていないとも限らない。誕生した姿にゴッドは愛するゲーム機が21世紀に蘇ったとお喜びになるかもしれない。果たしてどうなのか。どうだって良いけど。ああでも「ラブプラス」が立体になるなら考えちゃうなあ。キスも立体。着替えも立体。うふふふふ。


【3月22日】 「だから言ったではないか」。と、桐生悠々の「畜生道の地球」でつぶやかれた2・26事件を避難するコラムになぞらえジェフユナイテッド市原・千葉における江尻篤彦監督の今ひとつぶりを評する気力もすでに失せた。言うんだったら1試合目のロアッソ熊本戦、いやいや昨年末の天皇杯におけるFC岐阜戦での選手たちの無気力ぶり無策ぶりを鑑みつつ、監督の不能を誹るべきであった。「Number」が最新号で歴史に残る試合をJ1とJ2の全チームに尋ねてFC岐阜がトップに挙げた試合がそれ。彼らにとっては白眉でもジェフ千葉にとっては愁眉な試合をやってしまった責任者が、今の段階でその地位に留まっているというのはやっぱりどこかに無理がある。もはや諦め気分で向かう日曜日のザスパ草津戦。あまりの憤りから今の気分を曲げて「だから言ったではないか」と書く羽目にならないことを願いたいけど、でも遠くないいつかにはやっぱり書いてしまいそうだなあ。

 だから言ったではないか、吸血鬼の完璧なまでの治癒力回復力をもってすれば、あらゆる傷など即座にふさがり、まっさらさらの生まれたまんまの姿がすぐに蘇る、だからあらゆる検査など無駄で不能なのだと。でもそれだと話が進まないらしく「ダンスインザヴァンパイアバンド」では、真祖の血を引く公主たちが現れミナを婚約者を虐げその純血を確認しようと妙な機械を持ち出してきた。いや、あれは椅子か。それがどう使われるにしろアニメに描かれ得るかは微妙なところ。仮に描いたとしたらそれはストーリーにおける必然性を満たし、描く必要性を認められたものとなるかどうか。だから無駄なんだと言えばそれは良くないと誹られそうだけれど、長い歴史を持つヴァンパイアでそれが唯一無二の確認手段だとされているならやっぱりそれは手足や肌とは違った組成なりを持っているのだろう。難しいなあ、女体の仕組みって。

 そのまま沈黙して目覚めたら午前6時だったんで支度をして午前7時には家を出て、総武線から武蔵野線を乗り継ぎ南越谷で東武伊勢崎線へと乗り換え向かうは鷲宮。いわずとしれた「らき☆すた」の聖地が何でも22日を最後に久喜市に合併されてしまって栄えある鷲宮町の名前が消えてしまうとかで、それはちょっぴり寂しい話と地元の商工会が中心となって鷲宮町の卒業式をやってしまおうって企んだ。いやあいろいろ考えるなあ。まあでも水戸でコミケを見てその盛り上がりっぷりに、アニメやら漫画を使った町おこしの有用性を改めて感じ、その原点とも言えそうな鷲宮町が町として最後の何かをやらかすとあってはやっぱり見ておかなくちゃいけないと、水戸から戻った体を休める暇もなく早起きをして鷲宮町へと乗り込んだ。今日は良い天気。

 とりあえずやっぱり詣でておくかと鷲宮神社に行ったら、やっぱり今日の好き日を止めておこうとテレビ埼玉が取材に来てた。映ったかな自分? んでもって2拝2拍1礼をして絵馬をながめて卒業を祝い悲しみ受け止める絵馬を見つけていろいろ思ってから通りを鷲宮町役場ならぬ明日からは久喜市鷲宮支所へと向かって歩いてたら、シャッターを開けていた懸賞品屋のおやじさんに「鉛筆買ったかい?」と呼び止められた。何だ鉛筆って? ってことにはならず神社のすぐそばにある酒屋でガラス越しにそんなのが売られるってことを見知っていたから「まだです」と答えたら、「売るよ」って言われたのでこれは買わねば男が廃る、ファンが廃ると店内に入って世にも珍しい鳥居型の鉛筆を買い求める。地元の木工業者が作ったそれは鳥居の脚の両方が鉛筆になっているという優れもの。どっちをつかんでもすぐ字が書ける。片方を止めておけばコンパスにもなる。ああ素晴らしい。

 書きづらいとか書きにくいとかいった意見もあるにはあるけど、それより書いている姿のインパクトの方が凄いと思うし思いたい。関東最古の神社という御利益もどこかにありそうな鉛筆なだけに、来年の入試はこれを使ってマークシートを塗りつぶせば、きっと神様が降りてきていろいろと良い事をしてくれるんじゃなかろうか。知らないけど。おじさんにはありがとうとお礼を言って店を出てテクテク歩いてようやく到着。そこにはすでになにやら行列ができていて、見ると「コンプティーク」の最新号を持っていったら地域通過にもなる記念コインをもらえるという列だった。

 取材なんでそうした物には目もくれないでいるつもりだったけれども、行列の長さがまだそれほどでもなかったことと、現地で本屋さんが「コンプティーク」を売っていたことに刺激され、雑誌を買って行列に並んで待つことだいたい1時間。昨日水戸芸術館前に2時間近く並んだことを思えば何てことはない時間だけれど、厄年をとうに越えた身にはちょっぴりなかなかな長さの時間。それでも記念だからと耐えてしまうところが芯に刻まれた魂って奴を改めて思い起こさせる。何の魂だって? オタクの魂以外の何だってんだ!

 それ故に耐えてコインをもらいさらに30分くらいを耐えて並んでコインケースも買い、ついでだからと箱に入ったツンダレソースのセットも購入。いつ使うんだこんなもの。でも仕方がない。魂だから。見渡すとどこからか現れた(ケロン星に決まっている)ケロロ軍曹が可愛らしいしぐさで歩いているところを子どもたちに引っ張られ、垂れ下がっている耳をまくられている姿に遭遇。ギロロがいたら即座に子どもたち排撃されているぞ。でもいなかったんでケロロはひとり奮闘。結構な時間を子どもたちに揉まれていた。中に人なんていないけれども中の魂は大丈夫だったんだろうか。寒くはないけど暑くもなくて良かったよ。

 例の2万2500枚も売れて7500枚しか余っていない住民票も、卒業式の会場でこれが最後と売り出されていて、やっぱりこれが最後なんだからと買い求める人で長い列。すでに正月に買っているから参加はしなかったけれど、途切れることがない行列は、午後になっても続いて遂に当日まで残っていた5000枚が完売し、前の1万枚と会わせた4万枚もの住民票が綺麗さっぱり売りさばかれてしまった。何という凄さ。あるいは新聞が売れ残りで廃棄の危機で行政は怠慢で記者は尊大ってことを見せつけるような記事を書いて載せたのも、そうした声が刺激となって大勢の有志を鷲宮へと向かわせ住民票を買わせる後押しを裏で画策したからか。そうした深慮遠謀が働いていたとしたら、メディアもなかなか侮り難し、なんだけれども多分違う、と思うけれどもさてはて。


【3月21日】 目覚めると外は雨。でもそれくらいで良かったと、水戸にすでに入っていた身を嬉しく思うのはもうしばらく経ってからで、傘を探してコンビニを周りそれから会場が開く午前11時まで、あちらこちらを歩いて時間を潰すのもしんどいなあと心配してたら午前9時にはカラリと雨が上がってなかなかの好天、というには雲も残ってはいたけど曇天とまではいかず青空も見える涼しげな1日に、さすがは「コミックマーケット」、その伝家の宝刀ともいえる天気替えをちゃと発揮してくれた模様。

 そのおかげでホテルを出てから傘も差さずに近所にある本部までたどり着き、プレス受付をしてからとりあえず、南町ってところの広場に行ったら、夜に強風が吹いたみたいでそれを避けるために畳んだテントの復旧作業にみなさん頑張って取り組んでいた。そんな頑張る方々を横目に京成百貨店へと向かうとなにやら長蛇の行列が。1階のテラス下に出ている土産物屋で、あれやこれや買った人たちの精算の列を見ると、朝日新聞の茨城版にも出ていたりして、評判が評判を呼んであちらこちらで売れまくってる梅酒の「うめ物語」がずらりと並んで売られてた。

 ここで見つけたが百年目、ってその時に思った人は実は少なかったかもしれないけれども、あまりの行列に後回しにした人が午後に行ったら今日の分はすでに売り切れ。そこからちょっと離れた市役所前の広場に並べられたテントでも、やっぱり売り切れという人気ぶりに、価格の手ごろさと絵柄の優しさとあと、評判が評判を呼ぶ構図って奴がちょっとばかりほの見えた。同じ美少女でも胸元がふっくらとあらわな少女が描かれた日本酒とか、水戸黄門の若い姿が描かれた焼酎はまだまだ絶賛販売中だったけれども、同じ酒でもうめ酒と違って焼酎に日本酒では、キツくてなかなかコミケ参加者には買いづらいところがあるのかも。だったら梅酒なら良いの? ってそこはよく分からないけど。良いのかな。

 頑張る買い物客を横目に美少女イラストの描かれたパッケージに入った焼きそばを食べたら肉が多くなかかなに良心的と感謝。それから会場となっているビルの裏手に回って水戸芸術館の庭を見ると、すでに大量の人たちが行列を作りはじめていて、そこについていけばそう遅くない時間に入れたかもしれないけれども、それでもオープンは午前の11時でそれから30分くらい並ぶなら、11時に並んで12時くらいに入ってもそう違いはないとその時は思って後回しにしたら、れど後にそれが大変な事態を招くのであった。

水戸芸前にこれだけの人が来たのはいつ以来?  ともあれそうとはその時は気づかず、せっかくだからと午前10時に再び水戸芸術館の中へと入り「REFLECTION」って展覧会をじっくりと見物。ローレン・モンタロンってアーティストによるESPカードの実験をしている博士と女性の映像は、黄色いタートルネックの女性が歳はいってそうだけれど胸元とか豊かで知的な部分もあって目に映えて、昨日に続いてしばらく見入ってしまった。映像自体が意味するところはちょっと分かりづらかったけど。どっちがテレパシーを贈ってどっちがキャッチしてたんだろう。女性? 博士? ちょっと調べてみようっと。

 あとはやっぱり胸を真っ平らにした女性(?)がしゃべり続けるライアン・トゥリカーティンって人の不思議な映像。クィアな方々の大量出演で目には結構な毒だけれども、紡がれる言葉のテンポの良さとつながっていく映像のリズム感がなかなか目を離させず、どこか猥雑でそして深淵な世界へと見る人を引きずり込んでいく。その昔に見た「キュピキュピ」ってグループの歌謡ショー的映像とはキッチュさで近くてもベクトルが正反対。かといってダムタイプみたいな様式美的でもない。どんな作者なんだろう? 映像とはDVDとか出てくれたら毎日だってじっくり見て分析したくなったけれど、実際に手元にあると見そうもないって可能性の方が実は高いのは先刻承知。映画でもアニメでも上映中なり放送中に、イベント的に巻き戻しも席立ちもなかなか不能な環境で、強制的に見せられ続けることにあるいは意味があるのかもしれない。しかししゃべり倒しているシーダーだったっけ、そんな役の人物は女か男か。詳しい情報が知りたいなあ。ブランド物爆破はそうたChim↑pomだったか。なるほどそれっぽい。猥雑で。猛毒で。爆笑な。

 さて11時になったからと外に出て、行列の様子をながめたらさらに増えて庭いっぱいを埋め尽くしていた。あちゃあ。本来はコスプレ広場なはずなのにコスプレの余地もないのはちょっぴり計算違いか。まあそれでも1時間も我慢すれば中に入れるだろうと高をくくって行列に向かう間隙を縫って、ご当地ヒーローらしい「イバライガー」が歩き回ったり黄門様が歩き回ったりとなかなかにご当地的。もちろん「うみねこのなく頃に」のベアトリーチェと戦人もいたりして、赤の復唱合戦はさすがにやってなかったけどゴージャスに絢爛な雰囲気を醸し出していた。もっと遅い時間にはさぞや雅やかだっただろうなあ。でも仕方がないととりあえず入場を待つ待つ待つ待つ……列進まない。

 これが有明だったら動いているところが見えるんで安心できるんだけれどビルを使った会場は人が滞留できる場所もないため順繰りに入れていかないと危なくって仕方がないんで、様子を見つつ手前にある信号を守って車の往来も保持しつつ流していたんで一向に進まない。あんまり進まないんでメロンパンを食べて囓って時間を潰して待つことおよそ100分か。ようやく動き始めた列に従い、頭にワンダーフェスティバルみたくカタログを載っけて見せて入って上まで行ってふと見渡したら「LANVIN」のブランドロゴをバックに同人誌を売っている人がいた。

 ブランドが発売した同人誌、な訳はない。つまりはデパートの跡地を利用した会場ってことで、ショップの看板やら什器やら姿見なんかがまんま残されていたりして、ただのイベントホールとは違った雰囲気ってやつが感じられた。もういいかシンポジウムに回ろうかって思った時もあったけど、そうした雰囲気が確認できただけでも中に入って見た意味はあった。会場自体は狭いように見えるけれども結構な奥行きがあって、中は割と自由に動き回れたのもそんな広さが影響していた模様。無茶に突っ込まなかった配慮って奴も良かったか。

 そんな会場をぐるりと見渡してから歩いて歩いて歩いて歩いてイバライガーブラックも追い越して、市役所の側にあるホールでシンポジウムを聞くその前に、広場に行ってコスプレを見て永山薫さん昼間たかしさんに挨拶をしてから戻ってシンポジウム。題して「コンテンツビジネスと地域振興」。それは今回の「コみケッとスペシャル5in水戸」がテーマにしている「まちおこし」って奴とも関わるシンポジウムで、まずは水戸で現地の代表格を務めた常盤台の横須賀徹教授が、市役所の若い人たちが中心になって新しいことを出来ないかって考えているチームが手を挙げて、通ってしまったまちおこしコミケットスペシャルの開催に向かっていろいろ苦労もしたけど、ようやくたどり着いて嬉しいって話をしてくれた。

 前後してイベントが始まる前には得体の知れなさそうな人たちがわんさかやって来るコミケとやらに、街がどんな反応をするか心配していた人もいただろうけど、いざ始まって午前中を過ごしてみて、おおむね良好だって話を共同代表の筆谷芳行さんがしてくれて、見渡してどこの商店もお弁当とか用意して朝早くから売ってくれたりしていた姿も勘案しつつ、歓迎される嬉しさって奴を噛みしめながら、そうした歓待に答え続けるために必要な態度って奴も考えなくちゃいけないと強く心に刻む。

 それはシンポジウムに登壇した森川嘉一郎さんが、秋葉原の状況を引き合いに説明したこととも重なって来る。かつては普通のオタクが普通に買い物をして普通に帰るだけの街でしかなかった秋葉原が、メディアによってオタクの街と喧伝され、そのオタクの特異性ばかりをクローズアップして見せる番組が流行って、それを見てオタクってそういうものだと感じた人が、オタクを見に行ったりオタクになりにいったりする街になって来たらしい。そこがオタクの街だって喧伝されているとはいえ、決して特区ではないにも関わらず、そこではそうあるのが当然なんだといった振る舞いをしてしまう人が、ちょっぴり前から増えて来て、困った印象を醸し出していて、それを旧来からいるオタクな人たちがどうしたものかって眺めているという、多層的な構造ができはじめているらしい。

 水戸の場合はわざわざ水戸まで行く側に、初めての場所では無茶はしないという了解が一方にあり、もう一方には街の人たちの一種のお祭りであって、ハレの場であってそういうこともあるかもしれませんという心構えが、これまでの準備の中で出来上がってもいたりして、そうした双方に細心さと鷹揚さがあって、相互理解が可能な空間が出来上がっている模様。昨日と今日の2日しかいなかったけれども、観光地温泉地に似た大変に心地よい時間を過ごすことが出来た。でも秋葉原では、それがオタクの聖地だからとはいえ、ハレの時間が連日連夜、続いて特別な場所になるってことは現時点ではない。にも関わらず特別な場所だと思いたい人たちの突出した行動が、どちらかといえばネガティブな印象を、一般の人にも昔ながらのオタクの人たちにも抱かせてしまっている、って状況がやっぱりある。これってとても残念なことだ。

 何が出来て何ができないかをやる側が踏まえ、何はしても良いんじゃないかという雰囲気をさせる街も抱くような空気がもしも秋葉原に、あるいは東京に出来上がっていったとしたら、それはとても面白い街になっていきそう。世界からだって新しい街だと人が大勢やって来そう。そのための道のりは決して平坦ではなく、むしろ東京都の例の非実在青少年問題に絡んだ大騒動からも凸凹な上にギザギザな道のりで、さらに行く先には巨大な穴がパックリと口を開いているかもしれない。けれどもそれでも、水戸でできたことが秋葉原でできないはずはないし、東京や他の地域でできないはずはない。そうした未来を探る上でも水戸を舞台に開かれた「コみケッとスペシャル5in水戸」ってものには大きな意味があり、とてつもなく大きな意義があったって言えそう。伝説になるとしたらそんな場に居合わせられたことを喜ぼう。そして語り継ごう。

 しかしすでに水戸入りしていた人間には無難でも、今朝から水戸を目指した人には大変だった模様。強風で常磐線が止まり動かず退かない、ラオウにも増して苛烈な状況に見まわれ水戸入りが遅れる人続出。朝早くからの来場を見越して駅に張り付けた要因が、することがないと手持ちぶさたになったらしく、それでも午前11時にあの大行列が出来たってことは無事に電車が動いていたらいったいどれだけの人が開場時にいたんだろう? って予想もしてみたくなる。1万人は軽く越えたんじゃなかろうか。帰りも帰りで特急電車が遅れまくりで、最初に買った券より後の電車が先に来たりともうめちゃくちゃ。それでも動けばスムースに動くのは特急の良さ。行き鈍行だったから帰りくらいは奮発、許してね。どっちにしたって自腹だし。


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