縮刷版2010年3月上旬号


【3月10日】 「メグメル」は違ったそれはCLANNADの主題歌だった「メグル」ってタイトルだった乾ルカさんの連作長編は、大学のアルバイト斡旋コーナーに行くとどこか不気味っぽい女性の職員がいてあなたにぴったりだからと半ば無理矢理に仕事を押しつけてくる。いくべきだとまで言うその根拠がどこにあるか分からないまま男がアルバイト先にいくと、何と仕事は死んでしまった婆さんが、手だけ死後硬直にならない状態でこのままでは誰かを引いていってしまうということで縁の遠い人を読んでもらって夜通し手を握ってもらおうってものだった。

 つまりは死体と手をつないで夜を過ごすっていう妙すぎるバイト。そのまま夜が明ければ大江健三郎の死体洗いじゃないけれど、不思議なバイトで妙な経験をしましたってだけで終わったものが何故か死体が夜中にしゃべりだし、男に自分がそんな状態になってしまったことを嘆きながらもやっぱり浮かんだ寂しさに、自分は不細工だから死んでしまいたいと思って夜の寺にやってきた孫娘をいっしょに連れて行ってしまおうかって言いだしそれに気付いた父親母親が止めに来て大混乱。そしてすべてが片づいた時に男は自分の身にとても不思議なことが起こっていたことに気付く。

 そうして始まった作品はやっぱり同じ女性が奇妙なバイトを紹介する設定を元に、指輪をなくして夫に怒られ続けている母親の姿にうんざりして逃げ罹っていた娘が親子関係を回復したり、猛犬のために肉の餌をやりにいくバイトにいった青年が恐怖の体験をしたり、人前でゲロった経験から人前でたべられなくなってしまった青年が、誰かの家に呼ばれてその人の前で自分だけたべるバイトを通じて人と交わる楽しさを取り戻していったりと、不思議なバイトを通じて身に何らかの大切な経験がもたらされるストーリーが続いていく。

 どうして女性にはそんな奇妙なバイトが舞い込み、それを適切な人に紹介していけるのかってあたりの説明はなく、女性自身も幾度となく不思議な体験をしていたりする話もあってその裏にあるいは誰かがいたりするのかもって思えなくもないけれど、そうした細かい裏事情なんてものはこの際気にせず、起こる出来事から自分のモヤモヤが吸い取られたり、無理をしたことで恐怖を味わったり、切なさを覚えたり共感を取り戻したりしていくってことのそれ事態のすばらしさだったり恐ろしさを、感じ取り味わうってのが正しい受け止め方なんだろうなあ。自分だったらどのバイトをやってみたいかな。死体との手つなぎは持って行かれるものもないから楽かそれとも不要な人材だからと全部持って行かれるか。怖い怖い。

愛知はどれだえいびふりゃー  犀が球になっているから埼玉。大事なことなのでもう1回言っておこう。犀の体が球になているから埼玉。それでいいのか埼玉県民。これがまかり通るなら群馬は馬がメデューサの髪のごとくに頭に群がっているキャラクターが選ばれ、富山は山が金ぴかをして富豪みたいな雰囲気を出したキャラクターが選ばれ、熊本は熊が本を読んでいるキャラクターが選ばれる、ってそれはどっかにありそうなキャラクターだけれどもともかく名前から選ぶといろいろと見た目に無理が生じそうなご当地キャラづくり。それもあってかナムコがゲームセンターなんかを展開している43都道府県について作り上げた43体のキャラクターで、県名の語呂合わせのようなビジュアルのキャラクターはほかにはあんまりいなかったみたい。

 多かったのはやっぱりご当地の名産品やら名所やらをモチーフにしたもので、例えば水戸はそのまま納豆だし静岡は富士山で背中にサッカーどころを現すように背番号がついていた。福島県は会津磐梯山で別に宝の山にはなってなかったのはグループがバンダイでタカラではないからか、って巧いこと言った気もしたけれども意味分からない。愛媛はサッカーの愛媛FCと同様にミカンで輪が地元の千葉はジェフィとユニティに合わせたのか、それとも元から千葉と犬とは縁があるからってことなのか、分からないけどおそらくは犬吠埼の灯台にちなんで灯台型の犬にしたんじゃなかろーか。それをエグザイルによく似た風体の2人組が登場して歌いながら讃えてた。なかなか面白いなあ、彼ら。

 だがしかし、愛知が海老フライってのはどういう了見だ、なるほどむかしはそういう説もあったけれども別に名古屋で海老フライが名物になっている訳ではないし海老フライだけを食べている訳でもない。むしろ今なら海老天ぷらを入れた天むすの方が名物で、それは決してフライむすではないのである。であるからして海老フライは違うって気もするし、それを察して紹介するたかなしゆみさんも「海老フライです」とだけ説明して謂われもなにも触れようとしない。可哀想に。あんまり可哀想なんで薬丸印じゃないけど愛知はやっぱり海老フライをこそナンバーワンの名物として給食にお弁当に仕出しに洋食にパフェにすべての食べ物に、海老フライを使うことを命じる。三河とか良い迷惑だよなあ。海老フライあんまきとか。ちくわ海老フライとか。これはこれで美味かったりするかも。

 教室にいると妙に明るくそして間抜けに見えるルキアちゃん。画用紙だかノートにウサギの絵をウサギぴょんぴょんとか言いながら書き殴っていたけれど、いざ斬魄刀が主人を失い独立した刀獣に乗り移られた少女があらわれると死に神の衣装に身を包み、刀を保ってすっくとたって挑んでそして蹴散らされる。弱いのかルキア。しかしいつまでサイドストーリーが続くんだろう「BLEACH」。大人の事情も分かるけれどもこうやって毎週毎週がまるで無関係なエピソードを重ねられても大きな物語を見ているって気になれない。個別にはなるほど面白い回もあるけど今回なんておそらくは1回こっきりのゲストキャラ。後に絡むとも思えないし単体で感動があった訳でもないからなあ。それなら毎週が水着回で良いのに、卯ノ花烈隊長の、ってそれでいいのか見たいのか。見たくないとは言えません。怖いし。恐ろしいし。

 もう見たんだけれどやっぱり見て置かなくっちゃと聖地・豊洲での第1回目の上映を予約したら午前8時からで泣きそうになった「東のエデンU Paradise Lost」。午後にはエデンメンバーが勢ぞろいしての舞台挨拶もあったりするみたいだけれどもそうした場所でガチャガチャ見るよりもやっぱりいの一番に見るのがマニアっぽくって自分っぽい。もちろん着ていくM−65。だけどしかし朝の8時はやっぱりキツいなあ。でもっていったいどれだけの人が来るのやら。1の観客動員がえっと10万人を越えたんだっけ、それだけの人が来ることにはなりそうだけれど見てどういった印象を抱くのかってのも興味深々、卓袱台替えしと見るか明日への逃走と見るかそれとも。来年に続編が作られていたりすることを密かに願おう。あるいはいきなり実写で続きが始まったりして。大杉くんは声の人そのままで大丈夫だね。


【3月9日】 まだ使ってるんだな「チェリオ」って。それはだからジュースの名前なんだって。ってさすがに江戸じゃなかった尾張幕府の時代にチェリオはないか。ミリンダもスコールもないけれど。そんな「刀語」の第3夜は出雲とやらに行って山上にある神社から神主の女性、敦賀迷彩が持つという千本で1つの刀って奴を奪取するまでがストーリー。その敦賀迷彩の声が聞いたことあるようであんまりなくって、担当している湯屋敦子さんって名前を見てもピンと来なくって調べたら外画なんかをよく吹き替えている人だった。例えばジョリ姉とか。なるほど自然体な演技。

 それを言うなら「刀語」は声優さんの使い方とかにひと味ありそう。前回の砂丘だかの真ん中にいた刀の持ち主、宇練銀閣の声もなるほどアニメもやっているけど主戦場は外画って感じであんまりアニメっぽくなかった。主役の鑢七花をやってる人も割にナチュラルな声で演じている感じ。そういう演出の中では田村ゆかりさんの演技だけが突出してアニメっぽい。全体に流れるアニメからすら遊離しかかっている異次元な感じの中でひとりアンカーとしてアニメ的現実を見せて引き止める役ってことなのか。ともあれどうにか決着がついて次なる敵は最強っぽそう。おまけに迫力のアクションも見られそうで忘れずに録画しておかなくちゃ。今度は月曜日じゃないんだっけ。注意注意と。

 神様ごめんなさい許してください「イブニング」をコンビニエンスストアでぴらぴらっと眺めて「もやしもん」が掲載されているのを確認して、ちらちらっと読んでそのまま収めようとした時に宴会の席で酒に酔って寝入っている結城蛍のゴスロリ姿のスカートから伸びる脚を膝上まで包んだニーソックスが途切れてのぞく絶対領域の白さに目を奪われてしまって、そのまま「イブニング」を買ってしまいました。それってやっぱりイケナイことなんでしょうかそれとも正しいことなんでしょうか。ちなみに長谷川遙のなにやら得たいのしれないスリム過ぎるジャージ姿にはピクリともしませんでした。それってやっぱり普通なんでしょうかそれとも普通じゃないんでしょうか。及川と武藤はどうでもいいや。

 いろいろと問題の多々あることは何とはなしに分かっても相手はなにやら入り組んで書かれた法律文書。どこがどれくらい問題なのかを直感として理解できても論理的に解釈して論理的に反論するにはやっぱり専門家の意見が不可欠ってことで山口貴士さんってちょっぴり覚悟をススメたくなるような名前の弁護士の人が問題点を列挙してくれているのでそれを見て、ああなるほどそういうところがやっぱり無理筋なんだろうなあと理解する。

 非実在といった部分の曖昧さもあるけれども法律面でいうなら青少年育成条例というものが目的とする青少年の保護を強化するために青少年ではない18歳以上の者に対して表現の制約をもたらすような要素を含んでいるところが表現の自由が憲法で保障された日本においてまず問題。且つ都民に義務を押しつけることによって法律的な手段を行使しないで自発性というプレッシャーの裏返しを都民の側に発動させ、都は手を汚すことなく不穏を一層してしまえるという、卑怯きわまりないスタンスが大手を振ってまかり通ることになるらしい。

 非実在についても現行の法律が決める範囲ですら曖昧でありなおかつ議論百出で検討が重ねられている時に、恣意性を思いっきり発揮して包括し処断しようとしている態度はやっぱりすっかり大問題って指摘。そこを踏まえれば事が憲法に関わるような問題に、地方自治の分際で出しゃばって範囲を広げて一網打尽にしようといった態度がどれだけ不遜さに溢れたものかってことも伺える。でもなあ。そうしたことをいくら言ったところで100億円以上の金をどこかに雲散霧消させて勉強になりましたありがとうございましたと言って知らん顔を決め込む偉い人が鎮座まします都政において、真っ当さがまかり通るとも思えないところがどうにも悩ましい。

 東京国際アニメフェアのようなイベントを立ち上げここまでもり立てて来てくれたことには感謝感激雨霰だし、うっとうしくはあっても東京マラソンだって大勢が待ち遠しく思うイベントであることには違いない。そうしたところで発揮されりリーダーシップが、どうして己が本業に関わる表現の自由において決然と発揮されないのか。何かできない理由でもあるのか。そこんところをやっぱり知りたいなあ。なぜ今なのか。どうして今なのか。誰が何のためにやろうとしているのか。そこから日本の行く末なんかも見えてきそう。

 雨が夕暮れ過ぎて雪へと変わるなかを六本木ヒルズに出向いて「六本木天文クラブ」とかってところが開いた富野由悠季監督と作家の福井晴敏さんが科学者の福江純さんなかといっしょに宇宙について語るトークショーを見物。「機動戦士ガンダム」に出てきたコロニーの位置がどんな感じになっててそれはどういう順序で作られたのかを意図も含めて肩ってくれたけれども驚いたというか面白かったのは富野さんがエンターテインメントとしてのスペースコロニーは認めても、それが3000年持つ構造物ではない以上、実現に向かうことはないんじゃないのって言ってコロニーに憧れ作家になって「ガンダムUC」まで書いた福井さんを苦笑いさせていたことか。

 なるほど現代の技術に現代の素材では3000年も宇宙に浮かべてぐるぐる回して重力を発生させるような巨大な構造物なんて作れるはずがない。保って100年? そこについての言及はなかったけれども奈良の大仏殿より保たない品物を大枚はたいて作っては持ち上げ壊してまた作るなんて真似がこの疲弊する地球に出来るはずがないってことらしい。だからこそやっぱり人間は地球を大切にしよう、資源をちゃんと大切に使おう、だいいちこれだけ自然があって女の子もいっいいる地球を出てどこに生きたいの? って主張をしていたあたりに、重力に縛られた人間の解放を高らかに作品では訴えていた富野監督とのギャップを感じて福井さんなんかはゲンメツではないけれどもそれを今更いうかよって感じを抱いたってことなんじゃなかろーか。まあ福井さんだって夢は夢であって現実にはやっぱりいろいろと問題はあるって理解しているんだろうけど、やっぱりほら、夢を見させてくれた人にはずっと夢を語っていて欲しいものだから。それにしても富野さん、宇宙エレベーターについて調べているらしいけれどもまた何か作るのかなあ、ひょっとして「超時空世紀オーガス」のリメイクか(なんでそうなる?)。


【3月8日】 白ひげが。大切なことなのでもう1度書こう。白ひげが。ちょっと前にポートガス・D・エースが逝って、白ひげが自ら船団を率いてマリンフォードまでやって来た意味がなくなってしまった訳だけど、その上を行くように白ひげまでもが「ONE PIECE」の世界を退場していく羽目になりそうってのは、つまり一連の行動はまったく無意味どころか飛んで火にいるナントヤラってことだったのかと、その猛進ぶりを誹りたくもなって来た。もっとも、行動してこそ示せる何かって奴がある訳で、それを白ひげは信頼に応えることの大切さって形で示してみせた。あと「ワンピース」が存在しているんだとうことを命を張って伝えて信憑性を示してみせた。

 世界を未曾有の混乱へと陥れかねない真実を、最後の機会に口にしたことで世界はこれから大きく変わっていくことになるんだろう。そんな中で兄貴を死なせ白ひげ親父まで死なせたルフィに果たして上がる目があるのかっていうとそこはそれ、兄貴と親父がそれほどかけても守ろうとした存在だって意味をもって白ひげ海賊団の面々から押し上げられ、持ち上げられながら駆け抜けていくことになるんだろう。やっぱり主役だモンキー・D・ルフィ。そんなDの称号についてもルフィには意味があって黒ひげことマーシャル・D・ティーチにはあんまり意味がなさそうってことも語られた。Dの意味がここまで明かされたのって初めて? 何かつながりがあるって訳でもなさそうだけれど、意味はあるって分かってさてはてこれからどんな展開が見られるか。次なるD、真なるDが現れるのか。興味津々。

 ここでいったんは片づいた戦いから世界が、どんな勢力図になっていくのかにも興味。脱獄囚を集めた黒ひげ海賊団はそのまま新世界へと入りワンピースを目指すだろうし、白ひげ海賊団は親父を失っても結束してまとまってそのまま勢力を維持していきそう。問題は王下七武海とインペルダウンの脱獄囚で、七武海でもハンコックあたりはルフィ恋しさから袂を分かちそうだけれど、ルフィについていくかっていうと国があるからちょっと無理。遠くから見守るって形になるのかな。悶々としながら。それともあっさり捨ててサウザンドサニー号に乗り込んだりして。いつもウソップ見下しながら見上げているという。海軍も今は弱体化しているからそれほどちょっかいはかけてこなさそうだし。

 脱獄組ではイワさんはきっとルフィの親父のドラゴンが率いる革命軍に行くだろう。クロコダイルは昔みたいに一旗上げようするのかな。それとも引退気味になるのかな。ジンベエは魚人海賊団を再結集して魚人島を守りにかかるはず。残りはバギーがまとめてし大暴れするように見せかけ周囲をフラフラしながら漁夫の利を狙う、と。そしてルフィ。麦わら海賊団の再結集はいつになり、どこでになるのか。飛ばされた面々がどれだけの成長をして戻ってくるのか。そこに注目。とりわけロビンちゃんの再来に。禁断症状起きてきてるんだよロビンちゃん恋しさに。サンジはカマになってるな。でもってボンちゃんとカマペアを結成。ありそうありそう。

 困ったねえ、って黄ザルな口調でうそぶいている状況ですらもはやなさそうな東京都における青少年保護条例の改正案の今にも成立してしまいそうな状況。果たされれば「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」とか「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から18歳未満として表現されていると認識されるもの」、すなわち「非実在青少年」という何とも珍妙なネーミングの存在を「相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」がダメになるという。うーん読みづらい。法律用語ってややこしいなあ。

 それは、被害者の実在が想定される写真や実写の映像といったものによる児童ポルノの根絶や摘発といった行動と似ているようでまるで違う。現実には搾取される存在のいない絵画などの表現物を規制する必然性はない。あるいは読んで影響を受けて実在へと走る可能性なんかも想定して、それなら芽は早い内から摘んでおくべきといった考えから、絵にも規制しようといった論理がそこにはあるのかもしれない。けれども、それは憲法でもって保証された、何かを表現することへの自由って奴に真っ向から挑婿と似他ならない。

 憲法をたてに裁判を起こされれば粉砕できそうな気がしないでもないんだけれども、それを誰が行うのか、でもってどれくらい時間がかかるのかってことを考えると、なし崩し的に恒例化慣習化されて既成事実化されていってしまいそう。でもってその間に出版社は触らぬ神にとばかりに対象となりそうなものをどんどんと埋没させていく。たとえ数年後に再び揺り戻しがあったところで、その間に規制でもって刈り取られた作品は永遠に復活することはないだろう。そういうものだ、出版社って。

 東京に住んでないから関係ない、とも言えないのは作り手の版元とかが対外において登校都内において都民な方々は「都が実施する児童ポルノの根絶に関する施策に協力するように努めるものとする」ことと「青少年をみだりに性的対象として扱う風潮を助長すべきでないことについて理解を深め、青少年性的視覚描写物が青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害するおそれがあることに留意し、青少年が容易にこれを閲覧又は観覧することのないように努めるもの」としなくちゃならないそうで、とてもじゃないけど作っていられないし売ってもいられない。

 だからつまりは他の県にも流れ込んでこなくなるってことで根っこを締め上げられた木は枯れそして衰滅へと至るという寸法。それでいったい誰が得するんだ? って気もしないでもなく権益のこれほど絡まない案件にこうまで必死になるのは何故なんだって気もしないでもないんだけれども、あるいは主張している集団が何らかの信念で結びついていて、それがそれなりの影響力を票田という形で持っていたりするのかもしれない。そこには表現の自由とか文化の醸成なんて観点は入り得ない。

 国でもう何年も議論されている話で、何年か前には神奈川あたりで枝野議員なんかも招かれて絵への規制に反対するような集会が行われたこともあったりして、結果危険性も言われて止まっている絵への規制があっさりと出てきて、すんなりと成立してしまうってのはいったいどういうことなんだ? 周到な準備があったのかそれとも守る側に油断があったのか。本気で権力者が権力を振りかざせばそれを止める手だてなんざあ存在しないんだってことを見せつけられる一見として、児童ポルノ云々を越えて問題にし、成り行きを注目しておかなくっちゃいけない案件と言えそう。

 100億円だかそれ以上の金を虚空に消滅させて何の成果も得られなかった五輪招致の親玉が、未だに居座り偉ぶっている自治体なんでそういうこともありそうだけれど、その親玉だってかつて背徳的で反社会的な描写を得意とする表現者だった時代もあった訳で、そのあたりを認識させればとてもじゃないけど受け入れられないこの仕儀が、まかり通ってしまう構造にもちょっと興味がある。誰が動かしているのか。何で動かそうとしているのか。ここから未来への不安がのぞき、うち砕くべき“敵”が見えてくる、と思いたいけど、集団の検証なき総意って奴もまたあって、これがなかなかに強敵だからなあ。どっちなんだろう。

 おいちょっとまて5月1日が「SFセミナー」でいつもの場所で講義があってそれからいつもの旅館で夜を徹した懇談が行われた朝は仮面ライダーとプリキュアに燃えて萌える輩が息も絶え絶えになって水道橋とか本郷三丁目へと流れていくその5月2日に「第9回ライトノベルフェスティバル」が開かれるってのはいったいどういうハードスケジュールだ。4月には「はるこん」って目新しいSFのコンベンションもあっててんこ盛だけれど、それでも連日連夜は厄年過ぎた人間にはちょっと厳しそう、体力的にも、金銭的にも、いやなあに「月刊創」の某特集みたいに前向きな話ばかりじゃないんだよ、ってかあの特集って前向きな話しか載せない決まりでもあるんだろうか。

 ともあれ出席を左右するのはゲストが誰ってことで、SFセミナーの方にどんな面子が出るのかは、東浩紀さんをのぞけば今まだちょっと分からないんだけれども夜も含めてライトノベル的な企画が皆無だったとしても、SFファンでありライトノベル好きな人間にとってはどちらも義理立てできないと、行って徹夜して朝になってはるばる板橋へと移動しなくちゃいけないってのは、割に結構大変かも。それとも移動用のバスとか出るのかな。ライトノベルのゲストは誰か聞いたような気もしないでもないけどまあいいや、5月2日は我らがジェフ千葉は遠く大分での試合で行けそうもないんで、昼間だけ出る繰り返しで両方をこなしてみるかそれともフルコースを味わうか。


【3月7日】 テレスティーナさんって本当に単純にレスキュー隊員の偉い人で心から純粋に学園都市の治安を守ろうとして行動しているだけなの? 「とある科学の超電磁砲」で木山春生が別に脱ぎもしないで人体実験されたチャイルドエラーの子供たちを集めて治療をほどこそうとした場に現れ、正義の言葉を吐いては子供も直すしポルターガイストも起こさせないと豪語し引き取って行ったけれど、オープニングで登場する姿は前のオープニングの木山以上にラスボスっぽい感じだし、思わせぶりにマーブルチョコレートを含む顔にもどこか裏がありそう。

 学園都市でもそれなりに権威を持り、どちらかといえば良心を象徴されていそうなカエル顔の医者こと冥土帰しが木山の見方についているなら、逆にテレスティーナには敵方の悪意が背後にあっても不思議はない。でなければ復活した木山があまりにも猪突猛進で自分本位な感じがして可哀想過ぎるし、そんな木山をただただ糾弾する御坂美琴が阿呆過ぎる。木山がやろうとしていることの真意を知ってなお、怒髪天で電撃をまき散らすだけの考えなさっぷりには、いくら細かい所まで考えの及ばない中学生だとは言ってもちょっと同意できない。

 それを言うなら枝先絆理をポルターガイストの犯人と疑った黒子を嫌う初春だって、枝先がどういう状況におかれ無意識のうちに力を漏れだしているって可能性を知らされてもなお、その存在を被害者としてすら見ず無関係と見たがるガキっぽさがあって、どうにも釈然としないんだけれどそうした描写がまかり通ってしまっているからには、このまま木山も単なる悪役として滅び去ってしまうこともありそう。それならそれで最後にもうひと脱ぎ、していって下さいな。できれば上だけじゃなく下も。その下すらも。ところで木山先生って歳幾つなんだ。

 むくむくと起きたらやっぱり雨の中を柏へと向かう。当然にして柏レイソルの応援なんかのためではない。途中の野田線で朝井リョウさんの「桐島、部活やめたってよ」(集英社)を読む。「桐島、部活やめたってよ」「ほうか」(完)って話だった。いやそれは言い過ぎだけれどバレー部のキャプテンでリベロをやってた桐島ってのが、ウザがられて避けられたことを嫌気して部活を止めたって話からバレー部で後がまのリベロに座った少年のエピソードが語られ、そこから吹奏楽部だったり映画部だったりソフトボール部だったり野球部だったりに所属している生徒たちのエピソードが語られていく連作風の長編といった感じ。

 こういうのになると桐島が止めたことによってもたらされる影響が、それぞれの物語に深く関るように描かれていて、登場してくるキャラクターたちの行動も巧みに重ね合わされて、重層的な物語が織り上げられているのかもって印象を抱いてしまったけれどもバレー部以外のエピソードでは、まさしく「桐島、部活やめたってよ」「それで」「誰それ」「あっそう」「だから」といった感じに、あんまり深く関わってこないしそれぞれに出てくるキャラクターたちが、重なりあったりつながりあったりして全体としての1つの物語を構成するような雰囲気にもなっていない。

 その意味では読み解く楽しさは少ないけれども、逆に読み流す気楽さがあって誰がどうなろうとそれぞれに青春を生きている若い人たちの姿って奴を楽しめる。そこがきっと受けての増刷ベストセラー行き、ってことなのかも。誰に共感できるかといったらオタク的な扱いを受けながらもやりたいことに前向きな映画部の面々か。あと作者が岐阜県ってことで使われている会話の言葉に名古屋っぽさも滲んでいるのが好意点。地方の言葉は青春の物語に素朴さとリアル感を与えてくれるのだ。でも知らない人だと関西方面の言葉みたいに感じるかもしれんなあ。

 地方の言葉っていうと映画にもなる「半分の月がのぼる空」が今度、舞台となっている伊勢の言葉に書き直されて映画と同じ4月に発売されるとか。いったいどんな雰囲気になっているのか期待しつつ思い悩みもするけれど、そういったことについてはあんまり語られなかった柏での橋本紡さんの講演会は、とにかく伊勢は食べ物がおいしくないってところから始まって、そんな伊勢を出たいと大学に入ってすぎに中退してアルバイトをしながら本を読み、本なら書いて応募したところ最終選考に2回連続で残って編集の人もついてデビューできる可能性もあったって聞いていったいどこの新人賞だったんだろうって考えた。1980年代後半だからライトノベル系ではないよなあ。文藝賞か文學界賞か。

 とはいえそこで積極的にデビューするには気持ちが純粋過ぎて踏み切れず、アルバイト暮らしを続けることにしてしばらくしていよいよ金がなくなり結婚したくても許されそうにもないので書いて受賞して賞金をもらってオサラバしようにもそれは出来ずに書き続けてきて今に至る、といった前半生が語られて、なるほどそれだけの前段がありまた年にそれこそ3000冊は読んでいたという積み重ねがあってあれだけの、しっかりとした一般文芸の描写も出来る人になっているんだってことをようやく知る。初めて書いた本が受賞しましたデビューできましたじゃあ、行き詰まるもんなあ、普通は。

 あとは自分のことをそのままに出していくだけでは1本2本は書けてもあとが続かないって話も。もちろん小説家だから書くキャラクターに自分が反映されないことはないけれども、それが5割を越えることはなくエピソードも見たことが書かれてあっても実体験がそのまま物語になるというより一種の情景描写に止めてあって、ストーリーは別にしっかりと作られている。なるほどしっかりとしたプロ意識。もっとも病気で寝込んで子供の相手を断っても、ふと思いついた書き出しのために置きだして原稿を書いてしまう自分には、ちょっぴり嫌悪感も覚えるそうで、それが作家だという周囲の慰めも嬉しくは受け入れられないという。受け入れられなくてもやってしまう自分の中の矛盾と、闘い続けて描き続けて生み出される物語。なればこそ受け止める方も雰囲気ではなく真摯に向かい読み込むしかないだろう。書き直しの「半月」じゃなくって次に出る新作って何だっけ。

 わはははははははははははははははははははは。柏レイソルの地で成り行きを見守っていた熊本でのジェフユナイテッド市原・千葉のJ2デビュー戦は熊本相手にわずか1点のリードを守りきれずロスタイムに同点弾を食らって勝ち点2つを落とす始末。ここで普通に大勝して強さを印象づけてこそ、怖さを見せつけてこそJ2でも優位に戦いを進められるものを終了間際で采配が失敗につながってしまう事態を招いて、それが監督の責任ではないにしても監督としての技量の至らなさを印象づける結果となってしまった。あとは舐められ攻められる一方で1年を終えて気が付いてみれば中位に静で居る可能性が大。だからやぱりちゃんと戦術を組める監督、状況を見られる監督を据えておけばよかたと言うのはもう遅いのか。いやいや横浜FCだって1戦で監督をすげ替えた。それくらいの荒療治がないとあの空気は変わらないと思うんだけれどさてはてどう出るか。次のホームが見物だなあ。


【3月6日】 今日気がついた大切なこと。アニメーション版の「おおきく振りかぶって」の西浦の応援席で大太鼓を叩いている女の子には深見という名字があって声もちゃんと担当する人がいて、それが新ハガレンの高木めぐみさんだってこと。これまで出てきても同じポーズで前屈みになりつつ横に目線をやりながら三三七拍子で太鼓を叩いていたくらいだったからなあ。過去に喋ったことってあったけ。んでもってこれからも喋るんだっけ。試合は桐青相手に逆転で最終回。でもって1期は終わりとなって2期に突入かあ。でも延々と試合やってるんだよなあ。今どこまで連載来てたんだっけ。阿部が怪我してキャッチが田島になったとこまで単行本で読んだけど。

 知らんどる間にeufoniusってユニットのアルバム「碧のスケープ」が発売されとったのにやっと気づいて買って聞いとるけど、やっぱりええね声の透明感とサウンドのうねりが。「神曲奏ポリフォニカ」の新しい方でもテーマソングを担当していてそれのシングルは買ったしその前の「空を見上げた少女の(以下略、通称ムント、で良いよね)」の主題歌も買って聴いていたんだけれどアルバムになるとそういったのとは別にオリジナルのも入ってて、テレビ主題歌のキャッチィさとはまた違った実験的な音楽性とそれでも澄んだボーカルが重なり合ったサウンドが聴けてなかかなに楽しい。

 このユニットとそれからちょっと前にライブを聴いてご本人たちにも見えたKalafinaは、いわゆるアニソンとかそうでない一般の音楽とかってジャンル分けとは無関係に、純粋な音楽性で勝負できるとユニットって思っているんだけれどそういうものを紹介して広めていくだけのタクラミを含んだマインドって、今のメディアにはとことん期待出来ないからなあ。自分たちが知らない、ってだけで出すのにためらったりそれ以前に無視したりするんだから。でもってちょっと知られるととたんに群がりそれ1本に集まってしまう。

 水樹奈々さんなんてその好例。だって去年の今頃にどこの大手のメディアが持ち上げてた? でもって今現在において水樹さんのほかのどれくらいが話題にされている? もちろん水樹さんは素晴らしいパフォーマンスを見せているけど、それに負けない人たちはアニソンの背下院いたくさんいる。でも取り上げられない。世間が騒ぎ出すとそればっかりを代表として出して、ほかにもいっぱいいてより凄い人には知らん顔。そんなことやっているからメディアは本当に今を知りたく未来をさがしたい人たちから飽きられ見捨てられるんだよ。まあそれも仕方がないか、本当に知らないんだよ世間の流行を。

 「笑い飯」が漫才コンビの名前ってことも知らないし「BLEACH」って漫画があって大ヒットしていることも知らない。「ONEPIECE」は1つ前の単行本が何百万部に達したニュースが流れてようやく知った程度。そんな狭い世間から話題を拾って提供していてどうして広い世間が受け入れよう? まあいきなるeufoniusやらKalafinaってのも無理があるけどそういったのを取り上げていくことで未来を作ってあげれば3年後5年後に良いことがあるかもしれない、って若干の下心も含みつつ未来をいっしょに作り上げるタクラミを、していけるのがメディアの楽しさだったはずなのに、今はもう今すぐ確実に売れるものでないとやろうとしない。幸福を実現させてくれそうな人の連載とか、あり得ないだろうけどあっちゃうのが今現在。そうやって食いつぶされていく信頼という遺産がゼロになってマイナスになってしまった先に、あるのはただどうどうと流れ落ちる滝であった、ってこれは筒井康隆さんだったっけ。

 なるほどこれが原点回帰ということか。やっぱり見て置かなくっちゃと超久々に市川妙典にある「ワーナーマイカルシネマズ市川妙典」まで出かけて「超劇場版ケロロ軍曹 誕生! 究極ケロロ 奇跡の時空島であります!!」を見て感動してちょっと泣いた。いや結構泣いたかも。佐藤順一監督が5本目となる映画で目指したという原点回帰。それはガンダムも含めたパロディとかギャグといったものではなくって、冬樹とケロロ軍曹との関係でありケロロと小隊メンバーの友情。もちろんパロディが人の興味をさそっていて、ギャグが大勢の子供たちを笑わせているのは分かるけれども、そうした合間ににじみ出てくるケロロという存在の自由さと身勝手さへの憧れが子供心を誘い、それでもしっかり冬樹や隊員たちとはコミュニケーションをとっているうらやましさに惹かれて「ケロロ軍曹」を見続けているんだと佐藤総監督は考える。

 映画はだからそこに話の軸を置こうって考えたそうで、だから必然的に姉の夏美も二重人格が愉快過ぎる西澤さんも忍者な小雪も出番がなくなって、そっちのファンには物足りなさもあったかもしれないけれども無理矢理に羽目こんで活躍の場を与えるころで、かえって全体の印象が散漫になってしまうのがこういうイベント的な要素を持ったテレビアニメーションの激情版ではよくあること。それを避けて映画単体として見て楽しめるものにしたいってことから、友情であり仲間意識といった「ケロロ軍曹」が内容している面白さ、楽しさの本質を見せる映画にしようってことでそういった選択になったらしい。なるほどなあ。

 映画はまずもってアリサは出てきてきっかけをもたらし、それから冬樹がイースター島行きを訴えケロロとともに向かってそこで出会った悪の精霊アクアクとの闘いに、小隊メンバーは危機に陥りケロロですら窮地に追い込まれてしまう……といった感じ。とにかくそこからのケロロがとっても格好良い。冬樹もしっかり強さを見せてクライマックスの友情パワー炸裂へと持っていく。もちろんガンダムパロディもいっぱい。パロディってよりはリスぺクトに近いかな。シンプルな構造の中に滲む友情の大切さ。すべてを慈しむ心のすばらしさ。良い映画を見たって気にさせてもらえた。でも観客あんまりいなかった。残念だなあ。寂しいなあ。松元環季ちゃんは天子の時よりセリフも増えて役柄から声に明るさが出ていた。可愛いなあ。

 イースター島のロケにも40時間かけて出向いた成果もちゃんとあったみたいで、人が暮らしている町並みの様子なんかはたぶんきっと本物に近い雰囲気なんだろうし、モアイが海に背を向けて立っていてほとんどが倒されていたりするって描写も遠目から想像されがちな海をにらむモアイだの、針山のように立っているモアイといった風景へと向かわせないで風景にリアル感を与えている。マケマケにアクアクの使い方も伝承に沿ったもの。見れば相当にイースター島に詳しくなれて、そしてより興味を抱きそう。でもって行ってみたくなる。とはいえ聖地巡礼と決め込むには遠すぎるんだよなあ、それは山口県防府市よりも遠そう。でも行ってみたいなあ、行ってイオラナって元気良く挨拶したいなあ、行くとケロロたちが闘った山もあんな感じに見えるんだろうなあ。いつか行くぞ小説にイースター島を書いてそのアニメ化が決まってロケハンと称して。ありえねえ。


【3月5日】 そして豆魚雷から「9(ナイン)」ってシェーン・アッカー監督の振るCG映画に出てくるキャラクターのフィギュアが届いてこれがなるほど良いNECAなのか、それとも悪いNECAなのかは分からないけど大勢が良いNECAだと語る「コララインとボタンの魔女」のキャラクターフィギュアと同じくらいには良い造形。だからたぶん良いNECAなのだろう。とはいえブリスターパック入りなんで気軽に出して遊ぶようなことが出来ないのが難点。それ自体がショーケース的になっているブリスター。そんなことにこだわって玩具は遊ぶものだって本質に行き着いて、開けて遊べるようになるにはもうちょっと修行が必要なのかも。これぞ玩具(求)道。

 聞けば「9(ナイン)」のフィギュアって1と9のキャラクターのしかないみたいで9人出てくるサイボーグ戦士、じゃなかった麻袋人形たちの全員を揃えて並べることが出来ないみたい。何でかって理由は知らないけれどもたぶんあんまり売れなかったんだろう、だから続きは出ませんってまるで売れなかったライトノベルが世界観を広げた上で1巻から後が出ないみたいな状況っていうか。でも1と9だけってのはなあ、1は主役だけど9は嫌味な爺さんで活躍はするけどヒーローじゃない。

 活躍するんだったら頭にろうそくとかつけた2が導き手として大活躍するし、眼が1つない7だったっけ、あれも結構な活躍を見せてくれる。それはまだ用意されてない。だいたいがもっとはるかに大活躍して実質的なヒロインになる6がないのは許せない。その滑らかな袋につまった弾力ありそうで引き締まってもいそうな脚に映画で惚れた身としては、是非にフィギュアでその魅力に迫りたかった。日本でのヒットを期にコララインみたく再生産プラス新生産を。問題はヒットするかどうかだけれど、「新造人間キャシャーン」に「サイボーグ009」と「ナンバー7」が合わさったような興味深い映画だから日本人には心にいろいろ去来するものがあるだろう。うん。

 本の方は途中で手が止まり気味になっているんだけれど短距離走に面白さを詰め込んでみせるアニメの方はなかなかだったりする関係でついつい見てしまったって意味では「生徒会の一存」に続く感じが「バカとテストと召還獣」。監督がえっと大沼心さんだっけ、「ef」の超絶演出だかをやってた人って記憶があってそちらの心象的に流れる不条理ではなく即物的に繰り広げられる不条理が妙に楽しく次に何が起こるかって期待で見させられてしまうのだ。でもって最新エピソードには主人公の吉井明久の姉登場。いきなりバスローブ姿で。ってかバスローブって言われるまで気が付かなかったよ。単なる短いワンピースかと思ってた、前がぐわっと開いてくっきり谷が見えるような。

 電車の中で着替えてきたっていうからきっと周囲にいた人は相当過ぎる眼福を得られたことだろう。でもって坂本雄二も居合わせて霧島翔子にすぐさま目つぶしをくらい首を絞められ引きずりおろされ蹂躙されながら翔子の愛を心ゆくまで堪能するのだ。ほとんど生きてる最後くらいまでの。でもって展開あまあ普通に良い感じに厳しい姉であり弟思いの姉の姿って奴を見せてくれたストーリーは爆裂もなく爆発もなくエンディングへ。秀吉も秀吉のまんまだったしそっちを期待する向きには見入る場面も少なかったかも。秀吉に倒錯する奴らが吉井の姉のあの素晴らしくも凄まじい姿態を受け入れるはずないもんな、って名前は吉井玲って言うのか。仮面天使ロゼッタ。見てたなあ。写真集も買ったなあ。いろいろあったけど存命で活躍しているみたいで安心。いっそ演じてもらうか吉井の姉を。姿態だけならバッチリだ。

 仕事ということで「日本SF大賞」の授賞式へと入って伊藤計劃さんの「ハーモニー」受賞とか栗本薫さんの特別賞受賞とかを見る。両名ともまだまだこれからという人たちだったのに、ただただ残念という言葉しか浮かばない。新人賞は2人。これが最後ということか。そもそもが最初がどこで途中が誰なのかもあんまり強烈に印象として残らない感じになってしまったなあ、決して作品としてどうってことよりもやっぱり徳間書店を早川書房と並ぶSFのブランドとして認知する人たちがあんまり生まれず、そういう人たちに向けて本を展開していけなかったってところがあるのかなあ。

 もとtもどこがやっても早川ほどのブランドは得られなかったりするのが昨今というよりずいぶんと続いている状況。それが星雲賞とかSFマガジン読者賞とか日本SF大賞のラインアップにくっきりと出てしまうからますます濃縮が進む。他にもいろんなところから一般小説の顔をしてSF作品が出ているのに。それがとっても現代的で社会的で面白かったりするのに。まず手に取ってもらえないから知られない。知られないから候補に挙がってこない。残念というより他にない。アニメやゲームに表現としてSFは拡散して浸透しても、小説という部分では逆に1つに集まってしまっているって感じか。まあそれでもまだあるだけ嬉しいって考え方もあるか。冬はもうイヤだ。

 おおあれは小島秀夫監督だ。「メタルギアソリッド」の偉い人。別にスネークみたいに潜入して来たんじゃなくって伊藤計劃さんが「メタルギア」のファンでノベライズも担当したってつながりで招かれていた模様。相応しい人が相応しい場所にいる。あとは「楽園まで」と「星をさがして」が素晴らしい張間ミカさんという人がいて見たらセルティみたいな顔をしていたけれども首をぐるりと取り囲んで切り取られたのをつなぎ合わせたような跡があった、ってそれは「デュラララ!」の張間美香の話。小説家の張間さんは張間さんという感じの人でした。なんだそりゃ。あと「コカンセツ」の人もいて全身がこれ股関節といった感じの人だった。そんな訳はない。こちらもちゃんとした人。股関節が柔らかいかどうかは知らない。


【3月4日】 25年くらい前だって、気のいいマスターがいて不思議な常連がいて、そんな喫茶店があってそこで会話があって事件もあって恋愛なんかもあったりして、それに揉まれながら人間として成長していくような話なんて、ずっと物語の中だけのことだと思っていたし、ドトールにスタバにタリーズにヴェローチェといったセルフな店が中心となってしまった現代には、さらに夢の空間と化しているんだけれどもそうした環境が現実にあったからこそ物語の中に描かれて来たし、そうした環境への憧れがあったからこそ物語は受け入れられてきた。多分これからも描かれては夢憧れを誘うんだろう。

 小路幸也さんの「DOWN TOWN」(河出書房新社)に登場する「ぶろっく」という喫茶店もまた実に魅力に溢れた夢のような空間で、マスターは美人の女性でそこには中学校の時の先輩で生徒会長だった少女が働いていたりして、集まってくるのも女医さんだったりホステスさんだったりファッション店の店長さんだったりと女性が中心。男子禁制みたいな噂すら立っているその「ぶろっく」に、主人公の少年は先輩に再会したことをきっかけにして誘われ入ってみて、なぜかそのまま受け入れられて足繁く通うようになる。

 何というハーレム。とはいえそうした色恋沙汰に絡んだ話にはまるで向かわず、むしろ少年は少年で自分が何をしたいのかということを、友人との音楽活動や、その友人が父親への反発から家を出ようと苦闘している姿なんかから考えるようになっていく。一方で「ぶろっく」に通っている大人の女性たちが、これまでにしてきた経験や味わってきた悲しみに触れ、大人だからといって子供と変わらず思い悩み苦しむんだと知りつつ、それでも大人だからこそ心の強さなり経済的な確かさなりで乗り越えていけることがあるんだと知って、漠然とうっとうしく思っていた父母への感覚を新たにし、そして自分自身も大人になっていくための道を模索し東京へと出ることを決意する。

 同じ高校生であっても生徒会室にまとまって同じ年頃の女性たちとひたすらに駄弁っている「生徒会の一存」とはあまりに対称的といえばいえそうな設定。けれども今時の若い人には「DOWN TOWN」のような空間はうっとうしくもうざったく思え、気の置けない仲間たちと分かり切った会話を楽しめる生徒会室の方を選ぶ。もちろん「ぶろっく」に来る大人たちのような達観と稚気とが混じり合って人生を迷いながらも楽しんでいる大人がいなくなってしまって、肥大化させた自己を引きずった大人の恰好をした子供ばかりになってしまったかもしれないということが、だったらより身近な同世代とのコミュニケーションに引き込ませている可能性もある。

 杉井光の「神様のメモ帳」に出てくるスイーツも出るラーメン屋は、どちらかといえば「DOWN TOWN」に近い雰囲気があるけれどもそこにいるのは大人というにはやや若い面々で、主人公の少年も友達感覚でつきあえるし何よりひきこもり探偵の少女という存在がハブになってみんなを引きつけている。大人たちの洒脱さとは無縁だ。そう考えるとやはり「ぶろっく」のような空間、あるいは小山田いくが「すくらっぷブック」に描いた「アルフヘイム」なり、たがみよしひさが「軽井沢シンドローム」に描いた「ら・くか」のような空間はやはり想像の中にしかできないまま、遠い火の憧れとして気持ちを誘い続けるしかないのかもしれないなあ。だシュガーベイブの「DOWN TOWN」が流れる喫茶店で女性に囲まれながらモカコーヒーを飲み煙草を吸う。やっぱり夢過ぎる。

 朝方にコンビニエンスストアで「ONEPIECE」の300万部最新刊を買う。そういやあ大昔に300万本RPGってのが話題になっていたなあと思い出す。話題になっていただけで出た訳ではないけれども出たらやっぱり300万本売れたんだろうか。それはともかく「ONEPIECE」では表紙にドカンと白ひげが登場していていつかのイワンコフにも勝る迫力。こんな萌えず腐れもしない表紙なのに300万部とはやっぱり凄いというかそれが物語とキャラクターの力なんだろうなあ、次は黒ひげティーチが表紙でも400万部売れてしまうに違いない。ってか展開からいくと黒ひげでもおかしくないのか、それはさすがにないか、やっぱりエースだろうなあ、その生涯を飾るって意味でも。

 本編ではボア・ハンコックの身長がますます不明になってきた感じ。マリンフォードの海軍本部で王下七武海の面々とずらり並んで海賊を待ち受ける場面なんかだと結構デカそうな雰囲気があったのに、降ってきたルフィにがぶりよられ抱きしめられる場面ではほとんど同じ身長。挙げ句に腰をおられてへなへなとうずくまってしまうくらいのたおやかさにそれで九蛇の蛇姫かって罵声も飛びそうだけれどこと闘いとなるとドレスの下からすらりと延びた脚でもって触れるもの皆石に変える力を発揮。なおかつその美貌でもって敵すらも従わせたりする強さを見せていて他の七武海たちに遜色のない力を発揮している。やっぱり強いんだ。そんな七武海にも若くして誘われていたことがあるエースもどんだけ強いんだ。ともあれ単行本の発売に併せてお休みになった連載が、再会される来週からが次の山場。現れたティーチたちの意図は。そして白ひげとルフィの運命は。ロビンちゃんいつ出てくるんだよう。

 13日に公開される「東のエデンU Paradise Lost」をちょい先に見てこれで夏公開未定の「東のエデンV Games Continue」が楽しみになって来たってそんなものはない。絶対にない。ないとは思うけれども脳内であれこれと展開を想像してみたくなるくらいにいろいろとちりばめられて、投げかけられている映画だと「東のエデンU」について言っておこう。見どころはタイトスカートの制服を着てメガネのやや丸顔な女性たちのジェットストリームアタック的ビジュアル攻撃か。これを見て声を聞きに行くだけでも劇場に脚を運ぶ価値はある。あとはやっぱり豊洲で見るべきだよなあ。エアキングなTシャツとか着て生きたいなあ。13日はそうか「時をかける少女2010」も初日なんだけれども勘弁してもらおう。もちろん頑張って初日に見るけど、「SFマガジン」の1974年2月号を持って。


お雛様の方が強そうだなあ 【3月3日】 ぷちこにゅ。つじじんせいがまねしてるにゅ。いつかぜったいにぶっつぶすにゅ。にゅにゅにゅにゅ。って思った人の数がおそらく無量大数に達したであろうことは想像に難くない3月3日桃の節句は雛祭り。せっかくだからと目の前にいたポニョをお雛様にしたガチャで出したクシャトリアをお内裏様に見立てた雛飾りを作ってみたけど、何か足りない気がしたんで前に「土偶展」で出したひまわりみたいな土偶を3体、並べたらちょうどいい具合に三人官女が出来上がった。此に後は5人囃子と右大臣左大臣と3歌人を並べれば壇飾りのできあがり。だけれどそこまでグッズがそろってないから今年はここいらで勘弁してやる。いや別に雛飾りなんざあ出す歳でもないけれど。歳の問題だけか。にゅ。

 そんなことをやっていたら浅草方面からビッグなガンダムがやって来たんでクシャトリアに暇を出してそっちをお内裏様に迎えたポニョちゃんはやっぱりメジャーがお好き。それにしても巨大なメガサイズモデルガンダム。48分の1ってのは60分の1のパーフェクトグレードよりも大きくって、それでいて何万円かするPGに比べて値段はたったの8190円、ってそれはまあそれなりな値段だけれどジャンボマシンダーとか買う値段を考えれば、あるいはソフビのプライズの大きなガンダムをゲットするための費用を考えれば着実に手に入って組み立てて遊べるメガサイズモデルの値段は決して高くない。

 そしてソフビのプライズと違ってちゃんと動かして遊べるところが凄いぞメガサイズ。さすがに2重間接にはなっておらず正座とかは難しいけど膝も肘も肩も紛ってビームライフルを構えたポーズを作って遊べる。きっとそのまま手を上にあげて「脱出」での名シーンも再現できるに違いない。これをPGでやるには作った手間もかけた費用も惜しいけれどもメガサイズだったらまあ何とか。でもって手間もそんなにかからないというから素晴らしい。ランナーにくっついたままパーツを張り合わせてぶっこ抜いて組み合わせてはいできあがり。早いと数時間で組み上がるってんだからこれは快挙。MGですら3日がかりで組み上げる人間にとっては嬉しい悲鳴で近所から苦情が押し寄せそう。

サイコガンダム、ではない  さすがに色はまっさらだけれど色プラではあるんで塗り分けはされている。それにガンダムマーカーをキュッキュとやって色を塗ればそれなりの艶を持ち、モールドなんかに墨が入ってきゅっと引き締まったガンダムがはい一丁上がり。プロポーションもHG−UCなんかに遜色ないから飾っても眺めても動かしても爆破しても楽しめる、って爆破はさすがに勿体ないし危ないからやらないように。この手法でできればザクとか出して欲しいけれどもそれにはどれくらいの期間がかかるかなあ。さすがにクシャトリアは無理だろうけどキュベレイだったらあるいは。いやさすがにキュベレイはマイナー過ぎるか。ともあれ30周年のガンプラはさらにやるようになっていた。この勢いで次は1分の1ガンプラだ。にゅ。

 やっぱり玉越博幸の絵じゃないと。そして脚本にはイタバシマサヒロさんを持ってこないとニュアンスとしての恋愛エナジーは出ないんじゃないかとも思うけれども作品自体が持っているほんわかとしてちょっぴり電波な雰囲気は、誰が描いてもきっと出るだろうから講談社の漫画5誌で順繰りだか一気だかに始まる「ラブプラス」の漫画もそれなりに読めたものになると期待。しかし9月の頭に発売されてからかれこれ半年が経つってのに評判は衰えるどころかしっかり下地をキープしては「コンプティーク」なんかが表紙に使ったりするくらいに高い人気を保っているから不思議というか興味深いというか。ポッキーと連動したバレンタインデーのイベントだって話題になってあれで買った人もいそうで、今頃は必死にプレーして彼女を出してホワイトデーから春休みへと流れるイベントを是非にこなそうって頑張っているプレーヤーも結構いそう。

 半年どころは1週間で終了となって売り飛ばされるのがゲームの常って感じでそれは国民的超美麗グラフィックRPGだって免れ得ぬ運命だったはずなんだけれどそうした制約をエンドレスってゲームシステムでまるっと外してみせたところに「ラブプラス」の新しさがあり、そして楽しさがあって半年が過ぎても衰えない人気の秘密があったってことなんだろう。そうなるだろうことは発売される前から分かってはいたけれど、いざ現実のものになってみるとやっぱりとっても面白い。さて漫画の方はといえば3人の女の子のそれぞれが描かれる一方で、「アフタヌーンgood」では彼女たちの過去が描かれそうで男子的にはちょっと興味。実は寧々さんがスケバンだったとか愛花が男の子だったとか凛子がエドワード・ファーロングだったなんて話しが……描かれません。「週刊少年マガジン」がないのややっぱりイタバシマサヒロ×玉越博幸コンビの到来を待っている?

 本田さんかっけい。というかほとんど試合は見てないんだけれども本田圭佑選手の参画でボールは前へと向かうようになって大勢がゴール前に詰められるようになって得点もバンバン、とはいかなかったけれどもしっかり2点が入った模様でまずは重畳、あとはそうした攻撃の良さがひっくり返されないように守備をちゃんとできるようにすることなんだけれどもそれにはやっぱり代表選手の全員がイタリアの監督経験者5人によって書かれた本を読む必要がありそう。読めばきっと名古屋グランパスに移った選手なんていたたまれなさに苛まれて毛が抜けてしまうかもしれない、ってそれで抜けるようならとっくに丸坊主になっているよな、そうじゃないからこその存在感だったりする訳で。幸いにして今日は相手もせめて来なくて心配な場面は少なかったけれども本番の相手はどれもこれもが予選を勝ち抜いた競合な訳でいつもどおりの守備では粉砕されこてんぱんにされて本田さんかっけいの得点も無駄に終わってしまうだろう。それでも本田選手が名を残せば良いんだけれど。もうそれくらいしか楽しみがなにゅ。にょ。


【3月2日】 何話かすっ飛ばして「聖痕のクウェイサー」を見たけど別にどうということもなく話が進んでた。あるいは止まってた。キャラは増えて男の子みたいな女の子とか出ていたけれどもそれは女の子みたいな男の子がすでに出ているから半分くらいキャラかぶり。敵も酸素使いが現れたけれども見た目も性格も主戦級には遠く及ばない雑魚っぷりなんですぐに忘れてしまいそう。そんな感じで今月も続くだろう「クウェイサー」はいったいどこへと向かうのか。そもそも何か始まっているのか。うーん。どっちにしたって次は「刀語」を重なるから見ないんだ。

 寝て起きて幕張メッセに出来た巨大なデパ地下へ試食に行く。違う「FOODEX JAPAN」って食品関係の総合見本市があったんで出向いて萌えキャラなんかを使った食品がないかとさがしてみたけど見つかったのは秋田県の仙北市にある会社か何かがつくっている米くらい。それでも1つは見つかったんで当初の目的は果たしたと認めてあとはいろんなブースを回って珍しいものを食べてそれから取材する、じゃなかった取材のついでに食べるんだった。いっしょか。

 とりあえずワールドカップイヤーってことで、開催される南アフリカにある会社が並んでいるブースでシリアルを試し、これはなかなかの美味だと今後の展開に期待を示しアメリカのブースへといってアメリカらしいソーセージとかを試し、デンマークだかベルギーだかのブースで冷凍食品のポテトを試し千葉県のブースで落花生入りのソーセージを試し鹿児島県から来ていた会社で不思議な緑茶を試し飲みして訪問を終える。あとは日本一おいしい豚肉だったっけ、どこの県かは忘れた。高知県のブースには坂本龍馬関係の酒があったけど、ご近所の佐世保バーガーのブースにも龍馬コスプレが何人か。出身地が攻めれば出世地も並ぶといった感じに龍馬をめぐって鞘当てなんかがあってなかなか愉快。いっそ斬り合うとかすれば勝負も簡単に付くんだけれどもそれをやっては迷惑先晩。なのでやっぱり勝負は味で。酒かバーガーか。難しいなあ判断が。

 龍馬関連ではなかったけれどもご当地の高知にある四万十ドラマって新聞紙のトートバッグで知られる会社が本業の名産品なんかを出展。とりわけ栗を甘く漬けた品がマロングラッセのような味わいがあってマロングラッセのような砂糖まみれの甘さとは違った甘味になってて、栗の味わいを存分に楽しめてちょっとこれから人気を呼びそう。8個くらいが入って2000円とかそんなもんだったっけ。ちょっと高いけどマロングラッセだって結構な値段がするしなあ。そういやあ名古屋じゃベルヘラルドのマロングラッセがテレビCMでよくやってた。マロングラッセったらそこの会社のものだと思ってた。ちょっと懐かしい。今もあるのかベルヘラルド。ちなみに栗きんとんは寿やだ中津川の。

 名古屋といったら鬼まんじゅう、って名古屋な人じゃないと誰も知らない蒸しパンみたいな中に角切りのサツマイモがごろごろと入った菓子が何故か出展していて、聞くと名古屋じゃチェーンで展開しているんだけれど東京にはまだないんでこれからを期して出展したとか。ちょっと期待。通りがかった女性が鬼まんじゅうだと叫んで私名古屋だからと言っていたのを聞くと名古屋人には普通過ぎる食べ物って分かるけど、それ意外の人にはいったいどう映るのかなあ。ただの蒸しパンかなあ。

 南アフリカのブースで巨大なザクミに挨拶してから会場を出て帰る途中で「サマーウォーズ」のブルーレイディスクを購入、1万円超と定価は高いけれども割引があって8000円もしなかった。得した気分かそれともやっぱり高すぎるのか。でもって早速開いて付録のフィルムを確認したら全裸全裸全裸全裸全裸の5連続だったぜひゃっほい。もう嬉しくって嬉しくって涙が出てきたえけれども、その涙が本当に心底からの喜びなのかどうかは僕自身でも分からない。フィルムに映っていたのはこんな場面。お風呂場で。湯船に向かって。立つ人物。ひとり。全裸で。手にタオル。その胸は……真っ平ら。そりゃそうだ。健二だもんなあ。これよりちょい前だと風呂場から首を出す夏希が見えたんだっけか。おっさんでも婆ちゃんでもアバターでもない人物なのは当たりといえば当たりなんだけれど、やっぱり欲しかったなあ「募集人員1名なの」のあのシーン。

 昔って州兵って徴兵逃れの最善手で、ベトナム戦争に行くのを嫌がった息子のために親父がコネで州兵に放り込んだりしたって話が、大統領になった親子に関して語られていたりしたけれど、そんな親子の息子の方が大統領の時代に始めたイラクでの戦争の激化が、今や州兵を決して徴兵逃れの隠れ蓑ではなくって、イラク行きにつながる決して狭くはない道にしてしまった様子。NHK出版から出ている「母親は兵士になった」って本によれば、家計を助けたいとか学費を稼ぎたいといった理由で州兵に登録して、年に2週間程度の任務をこなしつつお金をもらおうとしていた女性が突然招集されて軍隊に入れられイラクに送られて、そして心に傷を負って変えてきては前のような夫や子供との明るい家族生活を送れなくなってしまっているという。

 もちろん州兵が軍隊に編入される可能性はゼロではないと分かっての登録だった訳で、それで招集されるのは決して理不尽ではないし、女性だからといって戦争に行かずに済むというのは、男性も女性も同じことができるんだって言って権利を獲得して来た動きに逆行した話でもある。むしろ戦場で男性と同等に戦えることを見せて愛国心を証明して、社会の中でも同等の地位を得ていこうって動きの方が先にあって女、性の戦場行きをむしろ歓待していたりする。ただ体力的な問題はどれだけ男女同権になってもついて回る話なんで、戦闘の最前線に出るようなことはなく後方支援が中心だったはずなんだけれど、そこは泥沼のイラク、前線も後方もなく米軍がいてイラク人がいるところがすべて戦場になっているから話はややこしい。

 支援のためにトラックを走らせていても、それが町中で襲われる。街道では大規模な襲撃に遭う。近寄ってきた子供の笑顔に手を振り返したら、笑顔のままで銃を向けられる。赤信号だからと車をとめたら、とたんに銃撃を受ける。ベトナムでもどこでもそんなことはなかった。後方は後方で比較的安全でいられた。ところがイラクではそうはいかない。どこもかしこもが戦場で、生き抜く暇もない状況にさらされ続ける。それなのにそういうものだという建前で任務に就かされた女性たちが、祖国のため家族のために敵を殺めることもあるという覚悟を抱く暇もないまま、襲われ銃を手に取り反撃しては、多くのイラク人を撃ち殺す。そんな血まみれの手で帰って果たして子供を抱けるか。夫を愛せるか。できるはずがないといって悩む気持ちが、女性の心を壊して病院へと送り込む。

 人を撃ち殺しはしなくても自爆テロが恐ろしくて人混みに出られなず、銃撃を食らうのが怖いと赤信号で車を止められなくなる。それでは日常生活は送れない。引きこもりがちになって子供はほったらかし。夫は仕事を辞めて家につきっきりとなって子育てに励む。家族全体のグランドデザインを変えてしまう。収入はPTSDにかかった妻への慰労金くらい。本来ならば支払われるものではなかった金がイラク戦争が長引けば長引くほど積み重なっていく。国庫は圧迫され経済は停滞する。そうした影響も無視できなくなっているのにアメリカはイラクから離れられないでいる。

 誰かのために戦っているんだという心のよりどころが持てない戦場で、覚悟も抱けないまま州兵から招集された女性たちが銃を手に取らされ、戦わされては人を殺めて心を壊される。国民のためという戦争が国民を不幸にしているアメリカの、こんな矛盾に目をつむれば、待ち受けるのは同じ不幸だと日本人も知るべきで、そのためにいろいろなことを教えてくれる本かもしれない。それとも戦闘美少女が氾濫しているこの国で、女性が戦場で暴れ回ってもそういうものもあるんだと案外に普通に受け入れたりするのかな。それはそれで頼もしくもあり、恐ろしくもある事態。予測の上で戦闘美少女が野放しにされているのだとしたら、かなりの策士がこの国にはいるってことになるんだけれど、さてはて。


【3月1日】 ぼくはスケザ、3000年の昔から時空を越えてやって来た、ってのは何かのアニメの枕っぽいけど、こっちは別に愉快なテーマソングもかからないまま銀河をまたにかけた大宇宙戦争が繰り広げられる荻野目悠樹さん「ソード・ギャラクシー」(幻狼ファンタジアノベルズ)。その昔に富士見ファンタジア文庫から出たらしいものが再刊されて続刊となったものらしくって、それが再刊されて1巻2巻として3巻の登場によって晴れて完結。一気に読んでその面白さ痛快さに感無量。どうして富士見では完結しなかったんだろう。やっぱりスペースオペラはあんまり受け入れられない土壌だったりしたのかなあ。

 人類とどうやら起源を同じくするらしい銀河に覇をとなえる羅課帝国ってのがあって、そこは皇帝を君主を仰ぎ見つつも実質は家を単位とした勢力が群雄割拠している状況。例えるなら天皇あるいは将軍がいて、大名がいるって感じ? そんな例えもふさわしく羅課帝国には武士に似た階級が支配者として君臨していて、戦いによってすべてを決着させるって気概を持って生きている。そんな大名みたいな家のひとつが、すでに滅びた家が支配していた地域に3000年の昔から埋もれていた冷凍カプセルを手に入れ開くと、中に人間がひとり眠っていた。

 どうやらすでに滅んだ一族が、かつて地球に降りたって連れ帰ったサンプルらしいけれど、目覚めさせるには同じ地球の人類の遺伝子や血液を調べる必要があるっぽい。そこで白羽の矢を立てられたのが、帝国とはここしばらく敵対していて交戦状態にある地球を中心とした連邦で、そこで手広く商売をしている一家の嫡男クリス君。宇宙にある学校に留学しようとしていた彼が乗り込んでいた船を襲って拉致して連れ帰り、冷凍カプセルの男を目覚めさせたらこれがいきなり大暴れ。手に剣をとって当たるを幸いと切り伏せる。

 これは大変と迎え撃ったのが、男を目覚めさせた一族の息女。剛勇無双で知られる姫さまが男を相手に斬り結ぶ。こうして始まった戦国の侍と帝国のお姫様との腐れ縁は、間にさらわれた地球の少年も破産で帝国と連邦の間でめぐらされる陰謀を暴露し、激しくなる激戦に割って入ってこれを止め、そして追いつめられた場所から大逆転していくドラマが繰り広げられる。通底するのは目覚めた男、スケザが一貫して抱く侍としての精神で、何にも増して戦いこそがすべてという態度で貫き通して、ピンチに陥った御姫さまたちを救い難局を打開する。一方の帝国も武士のような考え方が浸透していて侍の生き様を時に認め、時に迎え撃っては新たな時代へと進んでいく。

 第2巻第3巻と続いて完結した物語でも圧巻なのが、蘇った侍、スケザの戦いぶり。単分子の刀を手にして単身、宇宙艇をかって敵船に近づき装甲を切り開いて潜入し、レーザー飛び交う中を生身で飛び込み切り伏せる。さらわれてきた少年が相棒にしていた優秀なフクロウの形をしたコンピューターを共にして、船を乗っ取り敵陣を攪乱するような頭脳戦も見せたりするけど、やっぱり見物はどんな相手にもひるまず単身立ち向かう、スケザの強さといったところになりそう。荒唐無稽なようで案外に整合性もとれていたりするところが、SFに近いところで活躍している荻野目さんの作品らしいところ。これで終わりみたいだけれど、ちょいもったいない気もするのでその後のスケザと姫との今度は別の銀河を相手にした戦いを、読ませていただければなお結構。

 向こうが3000年後の未来へと侍が飛ぶ物語なら、こちらは300年前の侍たちの世界へと少年が飛ばされる物語、といっても「戦国自衛隊」なんかとちょっと違うのは過去が歴史シミュレーションゲームで見聞きしていたものとはまるで違っていたこと。何しろそこにいたのが織田信長ならぬ織田信奈という美少女で、うつけだ何だと言われながらも勇猛果敢に戦って、これまたお公家風な美少女だった今川義元を桶狭間でうち破って捕虜にしてしまう。殺さない? そう殺さない。この信長ならぬ信奈は幾度となく謀反をおこす弟も殺さないま配下に入れつつ天下布武を目指そうとしているから不思議というか何というか。

 そんな信奈に拾われ仕えるはめになったのが、未来から飛ばされてきた少年の相良良晴で、1巻目では信奈を支えて桶狭間を戦い斎藤道三を見方に引き入れ、褒美に尾張1の美少女(年齢やや低め)をもらい蜂須賀小六といわれているらしい忍者軍団の頭目の少女も配下にしつつ、織田家中でまあそれなりの居場所を得る。そして待望の第2巻では、美濃に居城を構える斎藤道三の息子の義龍を抜いて京へと攻め上ろうと画策するものの、そこに美青年の浅井長政が現れ攪乱し、また義龍の配下に軍師として名高い竹中半兵衛がついて信長の攻撃を1度とならず退ける。やはり浅井長政と婚儀を結んで挟み撃ちするしかないのか。それはどうにも業腹と考えた良晴の、歴史の知識を生かしつつ自らの信念を曲げない気持ちで突き進んでは、竹中半兵衛を乗り越え信奈の野望を叶えようとする。

 信長に止まらず柴田勝家も前田犬千代こと後の利家も松平竹千代こと後の徳川家康もみんな美少女という変換は、ライトノベル的な楽しませ方だけれどそうしたキャラ的な変換を別にすれば、巡らされる陰謀の深さや繰り広げられる知略の細かさはシミュレーション小説的な要素を色濃く持っている。なおかつ良晴が持つ歴史からずれ始めた信奈の世界の未来の見えなさが、歴史の上に決然として刻まれている本能寺の変をどう乗り越えるのか、それともやっぱり乗り越えられないのか、乗り越えた先にはいったいどんな世界が広がっているのかといった興味を抱かせる。見かけによらず硬派な春日みかげさん「織田信奈の野望2」(GA文庫)。次はどんな戦いぶりを見せてくれるかな。そして美幼女ねねはどんな可愛らしさを見せてくれるかな。

 時間をリセットしたりそのリセットを指令しつつ自分は記憶を維持したり、口にしてとなえた物を消滅させたり未来を見通したり写真を破るとそこに写った世界に入れたりといった異能の力を持った者たちが、狭い街に集まって能力を駆使し合うストーリーといったらやっぱり浮かぶのは異能バトルだけれど、河野裕さんの「サクラダリセット」(角川スニーカー文庫)は、国とか世界とは隔絶された街に能力者たちの存在を限定させ、且つ時間をリセットできる能力を加えることによって、さまざまな能力がどう使われていけば問題が解決へと導かれるのか、といったパズラー的な物語に仕上がっている。というか最初っからそっちを狙って地域限定異能バトルにしたのかも。

 第2巻も同様で未来を見通せる女性がいて彼女のところに連れて行かれた少年は、かつて関わりをもったことがあった少女が心を歪めて挑んできて、少年とセットでいたりする時間をリセットできる少女が力を奪われたりする事態を防ごうとして、そしてより大きなスケールで動いていたとある事態を見抜きつつ、それが成就するような方向へと導いていく。これまたパズルとして優れた作品。なるほどだからそうだったのか、なるほどそしてそうなったのか、って驚きを得られること間違いない。その上にコピーされて生まれた存在は果たして同一か否かって命題も突きつけられる。その結論は続刊でどう示され、そして物語はどう進むのか、世界はより広がりを持つのかそれとも狭い街を舞台にしたパズルで終わるのか。興味津々。やはり角川スニーカー文庫から出た北川拓磨さん「A&A アンドロイド・アンド・エイリアン 未知との遭遇まさかの境遇」にも事故死した少年の意識が転写されたアンドロイドが登場するけどそれは果たして少年そのものか否か、っていった命題が果たして描かれるのか。それがなけりゃあちょっとなあ。読み込もう。


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