縮刷版2010年月上旬号


【2月10日】 「週刊少年チャンピオン40th」って、週刊漫画誌のチャンピオンが誕生から40年を迎えた記念に歴代の連載作家の人気作品を今更ながらに描いてもらって掲載していった企画が1冊にまとまった本が出たんで買ってみたらとり・みきさんが自分の「クルクルくりん」をパスティシュってた。っていうかあんな昔の絵を良く現代に再現できるものだと感心。何かの漫画では他の様々な漫画家の絵柄を1コマごとに模写してストーリーを組み上げる実験なんかもしていたから、自分のくらい出来て当たり前なのかもしれないけれども一方で、自分のだけに今の自分が先に出てしまって昔のは描きづらいかもしれない。どっちだったんだろう。ちなみに漫画フィーチャリングで「るんるんカンパニー」の名前も入っているけどさすがに初期「るんカン」の雰囲気は出てないかなあ、しばらく読んでないんで忘れてしまったよ。

 自己模倣って意味では小山田いくさんが「すくらっぷ・ブック」をやっぱり当時のまんまな絵柄で描いていて驚き。そんなに大きくは変わってないけど比べるとやっぱり今と昔では違っているから、大変だったと思いきやコメントでは「あの頃の気持ちのままスラ…と描けてしまった」って言っているからそんなに苦労はなかった模様。もとより割に完成された絵柄だっただけに当時を振り返れば出てくるものなのかもしれないなあ。そうでない漫画家の場合はちょっと不明。ほかでは「がきデカ」に「花のよたろう」に「らんぽう」に「月とスッポン」に「750ライダー」に「エコエコアザラク」といった辺りが夢中になって読んでた時代の代表作か。「青い空を白い雲がかけてった」もあれば嬉しかったんだけど。「魔太郎がくる」もそういやあないなあ。「マカロニほうれん荘」も新作が世、痛かったなあ。

 「SFが読みたい2010」が発売されて書店には並んでいたっぽいけど朝に手元には来ておらず書店でぱらぱらっと見たら長谷敏司さんの「あたなのための物語」が国内SFの2位になっていた。1位は亡くなられた伊藤計劃さんの「ハーモニー」。だけどインタビューは掲載不能だから長谷さんが繰り上がっての登場となったって感じ。もっともあの内容が高度に哲学的でテクノロジカルな上に出自は小学生の少女が二十歳を過ぎた偽教師をいろいろとイジめる話をはじめとしたライトノベル。いったいどんな経歴を歩んできたのか、そしてどういった謂われであの「あなたのための物語」が生まれたのかって辺りが語られているっぽいので読んでみてみるのも悪くない、って書いたのは僕だった。もっともっといっぱいいろいろな話もあったけれども誌面の都合で70枚近く削ったんで落としたところも多々。「戦略拠点32098楽園」の端緒に「ウインダリア」の新居昭乃さんがいる、ってところはやっぱり残した。曲を聴いて本を読むとまた違った印象を受けるなあ。本の再刊を願いたいなあ。

 そしてTwitterではメイゼル様にイジられる。「タニグチリウイチ、そこに横になりなさい。手はじめにこのあたしが体中に油をぬりたくって忘れられない思い出にしたげる――って何で逃げるの。離れようとしたときは、あんな一生懸命すがってくれたのに。もっと素直になったら、痛くしたりしないわ!」。一言罵倒が多い中でこんなにたくさんの罵倒を食らって何という僥倖。もう死んでも良いかもしれない。いろいろとキーワードを投げればそれに応じて返事もしてくれる仕組みらしいけれども今ひとつ使い勝手が分からないからやってない。フォロワーのひとり一人を適当に引っ張ってナジってくれる仕組みもあってそっちにようやくもって引っかかって得られた罵倒がこれってのはやっぱり運が良いのかも。でもってこれですべての今年の運を使い果たしてしまったのかも。早いなあ。3月4月でやっぱり何かあるのかなあ。

 「キディ・ガーランド」はク・フィーユが記憶を失ってGソサエティにとらえられて目覚めて自分が誰か分からず敵の2人に囲まれお食事。普通に敵をやってるよーに見えた龍ビスというか猫と、サフィルってよりは京言葉の2人が実は過去にノーブルズの下で暗殺の仕事をしていてそれがノーブルズの失脚でもって今度は新しい権力に従えってことになって言うことを聞かなかったら四半世紀も閉じこめられては拷問を受け続けたという。そこまで引き延ばすほど価値を持った2人だったのかって疑問もあるけどそういうものなんだろう、あの世界では能力者たちは。さらにク・フィーユにジェイドによって新たな記憶が刷り込まれて口調が変わってやや蓮っ葉に。そんな態度で接した猫と京都弁がどんな反応を見せるのか、やっぱり自分がガクトエルの妹と思っているリトゥーシャなんかが暴れ出したりするのか、ってな予想出来そうな展開がどう裏切られるかに注目しつつ見続けよう。

 女性になったり死んだり死んだり狼男の嫁にされそうになったりと大わらわの人生だったヴェドリッックにもいよいよ年貢の治めどき。志麻友紀さんの「神父と悪魔」(エンターブレイン)は第10巻まで来て12枚の羽根を持ったヴェドリックが創造主らしき存在と最後の決戦へと向かう過程でオッフィーは兄と退治しサーシャは一族との対決をこなしデニスも存在をかけて闘いアンシャールも明けの明星との闘いに終止符を打つ、って感じなのかなペラペラっと読んだ限りでは。そしてヴェドリックの闘いにも幕が引かれてそれぞに迎えた旅立ちを経ながらもなぜかヴェドリックにまとわりつくメイド系の方のアンアンと翼を再び2枚に戻したオフィエルの腐れ縁関係が続いていく。最初はもっと適当な関係かと思ったヴェドリックとアンシャールの間に深くて長い因縁が生まれそして宇宙どころか全存在をかけた対決になるとはちょっと思わなかった。そんな“暴走”をよくぞまとめ上げたと志麻さんに拍手。


【2月9日】 録画に失敗しかかったところをかろうじて踏みとどまり、リアルタイムの録画状態にしながら「刀語」の第2夜を見たら途中で何度か意識を失った。そのまま気づかないで朝までいったら録画枠をいっぱいに使ってしまうところだったけど、どうにかラストで踏みとどまって必殺のかかと落としが決まる瞬間を眺め、エンディングで2度3度と失い書けた意識を元に戻して次回予告だかまで含めて、しっかり見てから録画を止めてひとまず完了。面白かったかと言われれば面白かったけれど、しかしその割には何度も意識を失い書けたのは何だろう?

 簡単に言えばやっぱりセリフ劇の多さで、あーだのこーだのとくっちゃべっている2人の言葉のとがめはともかく七花のトーンの茫洋とした感じが脳に良い感じに働きかけてアルファーふぁだかを出してリラックスから睡眠へと誘っていたりした模様。敵の居合いの達人もまたやっぱり良い感じに眠りを誘う穏やかな声。それが対決するんだからダブルで眠気を誘われる。真夜中にやるアニメじゃないよなあ、これ。ともあれ2話まで片づき、とがめはかわいらしく七花は強力。絡まなかった姉とそして謎めいたお姫様だかが出てくるようになれば、さらに話にも破天荒さが加わり眠るどころか見終わって朝まで目がくっきりの興奮を、与えてくれると信じて続きを待とう。次は何月何日だ。

 ハルユキ復活編、になるのは当たり前だったけれどもものの見事に蘇った上に仲間まで増えてこのまま最強への道を突っ走っていくのが黒のレギオンことネガ・ネビュラス。でもチユリと黒雪姫との間にハルユキを奪い合う火花が散るってことはあるのかな。それだったらああいった展開は迎えないか川原礫さん「アクセルワールド3」(電撃文庫)は。転校してきた嫌な野郎の奸計でのぞきの疑いをかけられそうになって弱みを握られ、ゲーム世界でも最強のアイテムだった翼を奪われもはやこれまでのシルバー・クロウ。そこで過去に徹底して虐げられ続けた人間ならではの強さとあきらめの悪さが発動し、修行し策を巡らしそして最強の見方も得て見事に復活を果たすという、ストーリーの華やかさがやっぱり心を引きつける。そして浮かんだゲームの謎。進む先にあるのは何だ。それにしても黒雪姫の黒ストッキング姿はやっぱり良いなあ。ライトノベル界で1番黒ストッキングが似合うヒロインと言っても過言じゃないね。

 ヘンリー・セリックという何か世界的に有名な人を見かけて、首から革ひもで下げていたボタンがヘッドについた鍵を見せたら、もうひとつの世界への扉を探さなくっちゃねと言われてごもっとも。でもその先にはボタンの魔女がいるからご用心。おいしいご飯と優しい言葉にだまされていると魂とられちゃうからね。でもって鍵を渡してしまったんで代々木にあるBANDITってアメリカントイショップで入荷してあった鍵を再度購入。そのまま新宿三丁目の紀伊國屋ビル1階にある革細工店の入り口につるされている革ひもを1本買って、鍵にくくりつけて首から下げられるようにする。これさえあればいつだってもうひとつの世界に行けるんだ。そこではちゃんとした全国紙でそれもナンバーワンで議員の1人もいない政党の党首のコラムとか載ってなんかいないんだ。きっとそうだ。

 決死隊が紅衛兵と裏表の関係にあったりしたり、正規軍が反乱兵に転じたりしたりする可能性を類推つつ、そうではない場所で出来ることをしようと文字を書いてから渋谷の「」ON AIR EAST」で開かれたkalafinaってユニットのライブを見物する。言わずと知れた「空の境界」の主題歌なんかを歌うために結成されたボーカルユニットで、映画ごとのシングルなんかもいくつか買ったし7作ある映画のエンディングにオリジナルなんかもプラスしたファーストアルバムの「seventh heaven」も持っていて、iPodに入れて頻繁に聞いていたりするファンだけれど、そういう人種だとはきっと事務所の人には思われていないんだろうなあ、事務所とかには。

 というかそうやってアルバムを聴いていたりする人間でも、今回のライブにはちょっと驚いた。印象からするならとてもコンセプチュアルなボーカルユニットって雰囲気で、レコーディングの時には重ね取りしてハーモニーを出し、プロモーション映像ではそれに合うわせて雰囲気を作っているって感じがしてたんだけれど、それがライブではちゃんとしっかりライブしていた。いやいや言葉が足りない。とてつもなく完璧にライブしてた。歌もアクションもトークもすべてがリアルタイムに進行。それでいてあの完璧なまでの声とコーラスが繰り出される。驚いた。梶浦由記さんのテクニカルで難しい旋律を詠いこなし、、そして梶浦由記さんの意味の不明な歌詞を歌いこなしてみせる。もう驚くより他にない。

 こんなユニットは広く音楽業界を見渡したって国内には他にない。3人組って意味ではPafumeが先行もしているけれど、その可愛いパフォーマンスと独特の声を聞かせ派しても、歌を聴かせるって雰囲気のユニットじゃない。Kalafinaはもうとてつもなく完璧な歌とコーラスを繰り広げる。それを聞きに来ているのは「空の境界」から「ソラノヲト」といったアニメ作品で存在を知ったファン。ということはアニメファンってもしかしてとてつもなく贅沢な音楽体験をしているってことじゃなかろうか。世間の音楽好きとかいう人たちよりも早く、そして間近に日本が誇れる3人組の女性ボーカルユニットに触れている。心から誇って良いと思う。

 「空の境界」だとどちらかといえば割に押さえた静かな雰囲気の音楽が多いけれど、「sevens heaven」に入っている曲にはロック調のもあって、それもライブではちょっとした動きも添えて披露してくれる。静かだったり技巧的な曲では澄んで綺麗な歌声を見せるWakanaさんがリードをとり、ちょっぴり甘い歌ではかわいらしい声を持ったHikariさんがリードをとって、その合間で低音の魅力を響かせているセンターのKeikoさんだけれど、ロック調の曲では真ん中で声も張り上げて目立ってくる。三者三様の個性がそれぞれに得意とする楽曲でぐっと前に出て、その横や後ろを2人がサポートして、独特の世界を作り上げる音楽性はやっぱりとっても珍しい。そして素晴らしい

 そしてCDとかでも聞こえない訳じゃないけれど、ライブだと目の前でそれぞれがリードをとる場面がはっきりと分かる。目に見えてパフォーマンスが感じられ、そして耳に声がダイレクトに飛び込んでくる。決してレコーディング専門ユニットなんかんじゃない、とてつもなく素晴らしいライブパフォーマー。そのすばらしさも今日の東京でひとまず終わりになるみたいだけれど、しばらくしたらまた大阪横濱名古屋とそして東京の今度はJCBホールなんてビッグな箱でライブを行ってくれるみたいなんで、とりあえずは3月に出るというセカンドアルバムで「空の境界」時代から広がる楽曲を耳に入れて不覚なじませ、そして待ちに待ったライブで目の前でその歌の上手さそのコーラスのすばらしさそのビジュアルの美しさを堪能すべし。今度はちゃんと行こう。

 個別の曲ではやっぱり最初に耳に響いた「空の境界 第一章 俯瞰風景」の主題歌になってた「oblibious」が耳になじむなあ、ライブでも拍手の後から再会って感じにならないように前の曲から余韻を引っ張った中で静かに、そして貫くようにイントロを初めてそしてビートに乗った本曲へと張っていく。目に浮かぶのは両儀式の疾走する姿。DVDを見返したくなって来たよ。そしてラストにかかった「sprinter」。これも7作ある「空の境界」でも最も評判が高かった「空の境界 第五章 矛盾螺旋」の主題歌で、快活に始まったと思った楽曲が途中で激しいロックとなってそこでKeikoさん大活躍。全部の曲でもやっぱり1番目立ってた。そんなKalafinaライブにはカメラも入っていたけれど、映像ソフトとかになるのかな、それともアルバムの特典になるのかな、どっちにしたって見られるなら買うぞ、できればやっぱりこの2曲は入れておいて欲しいぞ。


【2月8日】 新宿のロフトプラスワンから帰る途中で日が替わってコンビニに寄ったら「週刊少年ジャンプ」が出ていたんで、早速読んだらエースが、エースが、エースが、エースが、エースが、エースが、エースがエースがエースがっ! 白ひげもいよいよっぽいし沈みがちな雰囲気がむわむわっとわき上がって来たけど、そんな暗さが似合う作品でもない「ONEPIECE」。

 これまでだってアラバスタ王国の消滅の危機を間際に防ぎ、ニコ・ロビンの絶体絶命を救い出してはエニエスロビーを見事に脱出してのけた。その過程で誰も死んでなんかいないのがこの作品の凄さな訳で、そんなポリシーをいくら見せ場だからといって破るはずがない。だから大丈夫だと信じたいけどでもしかしエース、腹、ぶち抜かれているもんなあ。来週が待ち遠しい。そしてちょっぴり恐ろしい。

 朝になって「ウェルかめ」でゆっさゆっさしているのを久々に見てから家を出て、電車に乗って本屋に行ったら四角い箱があちらこちらに山積みになっていて、目を凝らすと「純潔のマリア」の字が読めた。そうか発売になったのか石川雅之さんの新刊が。「goodアフタヌーン」だかに連載されている漫画で、魔女がいたりする時代にその魔女がちびつ子で男を捜しているんだけれど見つからない一方で、使い魔のフクロウは美女となっては世界を飛び回って男と良い関係に。そして新たに男の使い魔も作ってみたけど、男なんて知らない初さから肝心な場所が作れないというていたらく。そんな使い魔たちに挟まれたマリアの足下で魔女を狩る動きが起こって、それに憤って出ていくと大天使ミカエルが光臨して来てマリアを退治しにかかる。

 っていうかマリア自身が天界となにやら関係がありそうなんだけれど、そうした説明はあんまりなし。でもって主よりマリアが純潔のまんまだったらずっと魔女の力を持っていられるけれど、そうじゃなくなったら終わりだよってことが告げられ、早く男といろいろしたいと口では言ってるマリアにとってはこっちをとればあっちを失う板挟み。さらに新しいフクロウなんかも加わって動き始めた物語の先行きは? とりたてて連載は追ってないんでこの後がどうなっているかは知らないけれどもとりあえず筆は細かい上に女の子キャラが多く出ていていろいろいっぱい見せてくれてて目には嬉しい。

 けど顔立ちがだいたい似ているってのは何だろう、全部マリアがモデルだからか。サキュバスもインキュバスもそっくりなんだよなあ、マリアに。単行本は箱入りの限定版とともに通常版も買って読んだのはそっちで、フクロウのぬいぐるみが入った限定版はたぶん永久保存用。前も「もやしもん」でオリゼーのぬいぐるみが入ったのを買って箱のまんま部屋に積み上げてあっていたりするんだけれど、その上に重ねて置いておくのがベターってことか。邪魔だが仕方がない、それがマニアってものだから。箱から出して実際に愛でる用のも欲しいんだけれど、さすがにそれをやってしまうと財布が許さない。1週間経ってまだ残っているようなら拾い上げよう。2巻はできればよりコンパクトになるように、マリアのリボルテックフィギュア付きにして欲しいなあ。

 昨日の約束を明日につなげるために阿佐ヶ谷へと出向いて「ラピュタ阿佐ヶ谷」のロビーの様子を観察。キューピーちゃんはいたけどセルロイド製で手足が紐でつないである奴ではなかったなあ、ってそりゃあ仕方がない、それがあったら財産だよ。あとメンコとかブリキのポンポン船なんかも置いてあったけれども、乱雑ではなく整理されてて良い感じ。美術ボードとか動画集とかアニメを知らない人が見たらアニメってこんな風に描かれているんだと分かって勉強になるかも。

 そういう恒久的な展示をやる場所があったらなあ、ってあったじゃん「国立メディア芸術総合センサー」ってのが、構想だけ。でもつぶしたんだよなあ、国営漫画喫茶だのアニメの殿堂だのってくだらないレッテルをメディアが貼り付けて、麻生政権への憎しみとともに。感情の前に合理的な判断なんて雲散霧消するってことなのか。目的のためには見方にすべきものだって敵と誹るのが戦略なのか。

 何しろ熱狂的な愛情だってそれが深ければ深いほど、ちょっとでも容れられない部分があると全部を否定されてしまった気持ちになって、愕然として焦りと憤りにせかされながら憎悪と反感を吐き出してしまうものらしいからなあ。諦めっていうだけなら良いんだけれど、そうじゃなくって全否定にまで向かってしまいがちなところがどうにももの悲しい。

 当方は世の中にはいろいろとあって、そのなかで可能なところから少しづつでも変えていければそれで良いって思う立場だけれど、それでは遅い今が攻めどきだから一気呵成に攻め立てて、乗り切り突破しようと熱意を燃やす立場もある。それらがともに平行していければ良いんだけれど、急ぎたい人にはゆっくりな人がやっぱり気になってしまうもの。そして内側へと向けられた言葉は混乱を招き分裂を呼読んで…ってのが古来からの組織崩壊のプロセス。そうではないところをだから見せていかないと、先を逆に短くしてしまう可能性なんかもあるんじゃないか考えつつ、ここはってところで一気呵成に出られる手段も残しておく。難しいけどそれをやらなきゃ未来は来ないと思って、今はひたすらに出来ることを頑張ろう。

 幕末が話題になってる今のタイミングに受賞作が刊行されると踏んで幕末をテーマに持ってきたのだとしたら電撃大賞を受賞した田名部宗司さんはなかなかの策士かもしれないなあ。まあそんなことはないんだろうけど「幕末魔法士」(電撃文庫)は幕末の大阪にあって数々の偉人を輩出した敵塾の学ぶ1人の学生が松江へと派遣されて起こる騒動を描いた歴史物、かと思いきやそこに魔法が絡んでくるのが大きな特徴。何でも欧州では魔法がそのまま発達して鎖国していた日本にも魔道書とともに伝わり蘭学とともに学ぶ人たちが出てきたりしていたその筆頭が敵塾。久瀬伊織はそこの生徒で長州の出身で学んでいたところを魔導書の解読をお願いしたいと頼まれ松へへと赴く。

 途中の茶屋で難癖をつける武士がいて正義感から立ち上がった青年がいてバトルが始まろうかってところで伊織は青年を引っ張り抜け出し暴れたって茶屋には迷惑なだけだと諭すも直情径行の青年はぐだぐだといったんで魔法で吹き飛ばし、松江へと入って前任者が斬り殺されてしまった魔導書の翻訳の任につくため前任者の家へと行ったら吹き飛ばしたはずの青年がいてひともんちゃく。さらには魔導書の中身も明かとなってそれを使ってあれこれ企む存在なんかも浮かびあがって狙われる伊織に青年だったけれども伊織が能力で立ちふさがり、そして青年もまた隠された秘密を発露させて場にのぞむ。「魔界水滸伝」に似た侍と魔法のミックス具合が程良い上に幕末の事情が絡みさらに伊織の境遇にも工夫があってキャラで魅せ、物語で引きつけぐいぐいっと読ませる。なるほど大賞な訳だ。これで龍馬とか出てきたらさらに面白そうだけれどこの時代だともう死んでるんだっけ。次巻にも期待。


【2月7日】 冷たそうな印象の眼鏡女はデレる。それが「とある科学の超電磁砲」の法則である。って言ってももはや言い過ぎではないくらいに眼鏡の女性がデレまくっていた最新エピソード。本編の「とある魔術の禁書目録」にはどういった役柄で出ているのかは知らないけれど、アニメ版の「超電磁砲」にはオープニングでもキラリと眼鏡のフレームを輝かせては冷たそうな表情を見せていたりするから、それなりの役柄を与えられているのかと思っていたら、寮監としてあのレベル4だかの黒子を瞬殺。そんなあたりに相当な力の持ち主だって想像が浮かぶ。

 1分の門限破りも許さない厳しさは、口言うだけなら容易いもののそれを護らせるのは至難の業。権力を嵩に来たところで大人なんてと反抗したがる世代の少女たちに通用するものでもない。けど寮監はすべてを畏怖させ絶対権限を隅々にまで浸透させている。これはやっぱり凄い人だと想像するより他にない。そんな凄い人が頬を赤らめ男性あいてにデレる。もうとろとろになるくらいにデレまくる。何と素晴らしい。何とかわいらしい。赤いジャンパーを持ち出して着直して昔の男を思う固法先輩くらいにいとおしい。

 そんなかわいらしさを見せる寮監になびかない男がいるなんて信じられないけれど、世の中はそんな男ばかりみたいで、哀れにも寮監は相談はされても関心を持たれず意中の男は余所の女性へとなびいてひとり取り残される。心の準備をしていたのに。勝負服まで着ていたのに。そんな彼女にやっぱりデレまくってた眼鏡女の固法先輩みたいな意中の相手は現れるのか。それとも出ないまま今回を最後にオープニングだけの人になってしまうのか。再起を期したい。そしてデレるなり圧倒的なパワーで黒子の首を狩りまくってもらいたい。つか名前はやっぱりないのか寮監。

 午前11時からの入場ってことで、ゆっくりと起きて準備をしてから「ワンダーフェスティバル」へとゴー。何しろ会場が前回から「幕張メッセ」へと移ったんで家から30分もあれば行けてしまうのだ。これ便利。でもって入場してざっと見渡して会場のあまりの広さに、どこから行けば良いか迷いこっちが前回は企業ブースだったと1ホールの方へと向かって歩く途中、「サマーウォーズ」から「キングマズマ」のガレージキットを発見。格好良かった。他にカズマとかいるんですかと尋ねるといたらしいけどどこかは不明。あるいは「サマーウォーズ」物はあったかも気になったけれどもあまりの広さにチェックできず、時間もなかったので流し見して面白いものがあればチェックする方式へと切り替える。

 でもって西島大介さんの「世界の果ての魔法使い」に出てくるらしいしっぽ犬のぬいぐるみなんかを見かけて、作った人と話をしていたらタグがすごいと教えられ見たらシュタイフのパロディだった。シュタイフ知らないと分からないくらいの似せっぷりにして偽っぷり。そんなのがついたしっぽ犬もなかなかに素晴らしかったけれど、手持ち不如意な上に容量もあって家に置く場所がないと判断し断念する。西島さん物はそれくらいかな。でもって1ホールは前回と違って企業ブースではなくアダルトブースだったんで、とって返して企業ブースへと向かう途中で「絶対少年」を筆頭に、オリジナル系のアートフィギュアを出している一角を発見。鎌田光司さんのゴスなウサギ1万5000円が2つセットで売れていく様に人気のほどを知る。可愛いもんなあ。

 twitterで岡田斗司夫さんがピックアップしていた、街とマッチをかけたジオラマの鉄道模型の精巧さに感心し、小さいペンギンのフィギュアの愛らしさに溺れロンドンからくり博物館にあったような可愛いからくりに見入り、そのからくりで人形が自動書記するからくりに驚きつつ、そこを後にして企業ブースでリボルテックの特撮シリーズの完成度に感嘆。アニメに始まってロボットなんかもいっぱいやってそして特撮。ネタはいくらでもあるんだけれどそれを形にしてみせる開発力はやっぱり凄い。「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のジャックの出来が異様に良かったんで出たら買おう。「コララインとボタンの魔女」も出ないかなあ。

 TVチャンピオンなんかで大活躍している原型師の寒河江弘さんのブースもあって、キューティーハニーのテレビ実写版「THE LIVE」から飛び出したキャラクターの表情の、とてつもない高い似てるっぷりに流石と感嘆。ハニーは赤ハニーが原幹恵さんもそっくりなら青ハニーの水崎綾女さんもボディラインも含めて超そっくり。これに白ハニーも加われば勢ぞろいとなたけれど、そこは押さえて敵キャラを1つとあと違う原型師の人による美形男キャラのフィギュアを出しててこれまたそっくり。女性に大受けしそうだったけれども女性で買って組み上げられるんだろうかって考えると、これを原型にコールドキャストとか作れば結構売れそうな感じがした。

 っていうか寒河江さんのリアル系の似てるっぷりの凄いフィギュアが、どうしてもっと世の中に出回らないんだろうかといった不思議さも。あんなにアニメキャラのは出てるのに。やっぱり本人がいるってところが商売のラインに乗せづらいのかなあ。仮にジャニーズの人とかをジャニーズがオフィシャルで作れば10万円だって買う婦女子がいそうなんだけれど、それはやっぱりいろいろと難しいことがあるんだろうなあ。実際のところ男子のモデラーだってハニーを買って展示品と同じクオリティで組んで塗れる訳じゃない、ってところに写実系の悩ましさがあるのかも。良い物見せていただきました。

 「特撮魂」を刊行した川北紘一さんがサインをしている姿を見つつ、コスプレイヤーがカラオケで熱唱している姿を拝みつつ会場を後にして新宿へと向かう前に家に戻って一休み。こーゆー時にも「幕張メッセ」が会場って地の利が活かされる。そして適当な時間に家を出てから「ロフトプラスワン」へと向かい「マイマイ新子と千年の魔法」をこれからいかに再び世の中に宣伝していくかって会議を見物する。最初はどんな感じで盛り上がっていったかって説明があって、それから後半に会場からいろいろな意見を募集。ジブリのマークを入れれば売れるという意見もあれば、ジブリと覆わせることで逆にいつものジブリなんだなと見に行かなかった人もいるという意見もあって、作品を宣伝することの難しさって奴を強烈に感じさせられる。

 試写みたいなのを再びやって、情報発信力のある人に見てもらうことで口コミで届く範囲を広げるとかいった意見は実現もできそうなアイデア。あと応援バナーのようなものとか。孫と祖父祖母がいっしょに見るとかお母さんたちとのアクセスがありそうな場所で宣伝するとかいった意見も。そんな活発な意見が繰り出されれば繰り出されるほど、これが公開の前後にどうして出来ていなかったんだろうかという後悔なんかも生まれてくる。公開2日で動員が見えてしまっ、てあとはそれに応じて上映数を決め期間を決めてしまうというこの興行における状況が、「マイマイ新子と千年の魔法」の場合は悪い方に働いてしまっただけに。

 そうした見切りの是非については経験値的に割に適切だったりもするんだろーけれど、そうでないものがないという可能性はない、というよりあってしかるべきな訳で、もしもこれから「マイマイ新子と千年の魔法」がリベンジの様相を見せていけば、公開2日ですべてを決することの無意味さとはいわないけれども難しさを、世間が気づいていろいろと考えることになるという、そんなききっかけが今生まれつつあるんだといった意見もマッドハウスの丸山プロデューサーから飛び出してた。何年もかけて作り上げたものが公開2日で没にされかねないことへの作り手としての無念さと、それでも諦めないで挑み続ける強さって奴が感じ取れるご意見。もしも歴史が変わるとしたら、そのきっかけになった1夜がこのイベントで、そこに居合わせられたことはあるいは凄いことだったんだと、後になって思うためにも何か出来ることをしていこう。とりあえず記事書こう。問題は読んでくれてる人が少なすぎることか。ダメじゃん。


【2月6日】  そうか朝は「ニューヨークバーガー」は売ってないのかと豊洲にあるマクドナルドに入った午前6時45分。ユナイテッドシネマ豊洲で午前8時から“はるきえ”、あるいは“はるしょう”とでも略されるんだろう劇場アニメーション映画「涼宮ハルヒの消失」の予約をしてあったんで、それに間に合うようにと午前5時40分に妹に猫ごと引っ張られることもなくちゃんと起き、午前6時過ぎに家を出たら案外に早く豊洲へと着いてしまってさすがにまだユナイテッドシネマ豊洲も開いていないんで、朝食がてらに休憩。小室やら鈴木あみやらといった90年代Jポップがあれやこれやと流れてた。誰の趣味だ。

 実は前にテキサスニューヨークカリフォルニアハワイの4つが勢ぞろいして売り出した時に、ニューヨークだけは食べていてさっぱりとしてたっぷりとした食感に、こいつはテキサスバーガーより好きかもって思っていただけに再発売時には再体験、してみたかったけど今回はパス。とりあえずダブルエッグマフィンを食らい、頃合いを見計らってララポート豊洲へと入場。別方向へと走っていく子供は「キッザニア」行きかあ、もう開業してずいぶんと経つのに相変わらず凄い人気だ。このご時世に繁盛の秘訣、アミューズメント屋やゲーム屋が学ぶところがあるとしたらどこなんだろうなあ。

 そして「涼宮ハルヒの消失」を見終わって感じたこと。1984年のちょうど今と同じ季節に、僕たちの世代が劇場で「うる星やつら2  ビューティフル・ドリーマー」を見てその瞬間にかけられたまま、これまでの26年間という長い時間をまったく解けずに来てしまい、真っ当な世界への出口なんて求めず非常識で非日常な時間が、終わりを知らないまま繰り広げられ続けると良いなという願い抱いて、ずっとさまよい続けるという呪いを、2010年に「涼宮ハルヒの消失」を見た人たちもかけられてしまうんだ。そして26年が経ってやっぱり同じような話が作られて、26年前と同じ感じを味わっているなと思いつつ、面白がりつつ嬉しがりつつ我に返ってそれで良かったのかな? とちょっぴり悩むという妙な気分になったりするんだ。

 それはつまり未来にも同じくらいに面白い作品が作られるってことでもあって、アニメ好きとしてはとっても嬉しいんだかれども一方で、26年前に「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」という物語の全体から感じたメッセージなりへのインプレッションとはまた違う、もっと単純に長門有希ちょっと可愛くなっているよね的な直裁的な反応を、そこだけダイレクトに受け止め味わい喜ぶだけに止まって、メッセージの部分は綺麗さっぱり忘れてしまって、次だ次ってばかりに別のキャラの即物的なビジュアルへと向かって愛でていく感じになってしまう可能性なんかも想像できたりする。どっちなんだろう?

 たぶん1984年頃ってアニメでも漫画でも情報が少なく情報源も少ない上に作品だって少くって、そんな中をようやく出会えた最高の作品にのめり込むということが、そこに描かれた世界と同様にとっても居心地が良くって楽しめる行為だった。だからそれが永遠に繰り返されることに憧れ、それが永遠に繰り返されることを称揚するドラマに強く共感し、作品自体の客観性におけるすばらしさとはまた違った、絶対的な神の位置へと「ビューティフル・ドリーマー」を祭り上げてしまった。対して今は情報はあふれ作品も山とあり、メディアも多様化していて、内にこもり沈思するより外に吐き出し消費してそしてさあ次って具合になっていたりする。

 そんな時代なだけに「涼宮ハルヒの消失」が、その作品の客観的相対的な価値判断からではなく社会的世代的な位置づけとして、21世紀の「ビューティフル・ドリーマー」にはなり得ないと考える方があるいは良いのかもしれないなと、帰り際に電車で長門かわいいよ長門と話している若い観客の声を聞きながら思ったりもした。実際可愛かったしなあ、長門。キョンに迫られる場面でのフルフルと震えがちな脚とかもう実に。そんな長門をあっさり見切りやがってキョン。あそこで迷い葛藤しないところが何というか次がたくさんある現代なんだなあという気もしないでもない。「責任とってね」って言われないもんなあ、キョン。あるいはジョン・スミス。あの言葉、または呪文があったことが「ビューティフル・ドリーマー」に僕たちの心を縛り付けた。この呪文がないことで「涼宮ハルヒの消失」は人を縛らないまま違った道を歩んでいく。そう思っておくのが今はいいのかな。26年後にまた考えよう。

 会場を出てから渋谷へと出て井の頭戦で吉祥寺とめぐって時間をつぶしつつヨドバシカメラで「意志の勝利」のDVDなんかを買いつつ、これを見てプロパガンダを学べば存在感が希薄でお声がかりがきわめて少なく、目立たず敬われず誹られもしないけど認められない身も、少しは押し出しが強くなるかと考えたけれどもそうするにはレニ・リーフェンシュタールがいてアルベルト・シュペーアがいないと無理だよなあ、やっぱり。「野ブタ。をプロパガンダ」って小説とか書けるかな。ってなことを考えながら井の頭戦を明大前までとって返して乗り換えて調布方面へと向かい、飛田給で降りて味の素スタジアムでサッカーの東アジア選手権だかの試合を見る、女子だけ。

 何で? ってそりゃあ女子サッカー観戦家だからってこともあるし、女子の方の試合が面白いってこともあるけどやっぱりこの真冬の夜にサッカーなんて観戦するもんじゃないって気がしたからかなあ。スタジアムに暖房でも入っていりゃあ別だけど、そうでもないスタジアムに頑張って居続けて退屈な試合を見せられた上に、ほらこんなに人がいるんだから秋冬だって大丈夫じゃないかと会長なおっさんの無茶の理由付けにされるのは適わない。実際に午後3時半から始まった女子の試合も、後半に入ると日が沈んで日陰になって寒さが一気に強まり指とかカチカチ。これが夜になったらもっと気温は下がって立っているだけで体が凍り付いてしまう人が出たって不思議はない。

 そこにルーニー選手とかクリスチアーノ・ロナウド選手とかがいるならまだしもいるのは……。ってことで女子の澤姉さんの大車輪の活躍と、宮間あや選手の鮮やかなフリーキックと近賀ゆかり選手の頑張りと、そして16歳だかの岩渕真奈選手のこれがA代表デビューになるんだっけ? な試合っぷりを見て満足して帰途につく。山口麻美選手も久しぶりに見たなあ。そうした海外組と国内組との間でもっと連携がとれてくれば、パスの方向が選手の向かう方向とズレたりすることも減ってもっとポゼッションが高まり攻撃にも厚みが出るんじゃなかろーか。期待出てきた。

 それにしても澤穂希選手って男子の楢崎選手に中澤選手に継ぐ年齢になるんだなあ、男女合わせると。っていうか山郷のぞみ選手って男子女子合わせた誰よりも年上。でもって岩渕選手は誰よりも年下。世代が広がってバランスがとれている。対して男子は……ってことろに男子の問題の根がありそして女子の強さの理由もあるのかもしれない。とか言ってたらテレビで男子が始まった。中国むちゃくちゃうまいじゃん、テクニックもあるし組織力もあってなおかつ高さもある。これで海外組が加わったら日本なんて軽く蹴散らされてしまいそうな予感。2014年。ヤバいかも。ってかすでにして2010年がマジヤバい。誰か何とかしておくれ。


【2月5日】 放っておいたら新しいエピソードが放送されてしまうんで「デュラララ!」のアニメーション版を見たらセルティがしゃべってた。まあいちいちもって携帯情報端末に打ち出された文字をアップにしていちゃテンポも悪いし目にも毒だし耳が不自由な人にだって申し訳ない。だから声をつけてくれるのは有り難いんだけれどその声がいったい誰がベストかって考えたところで、起用されていた沢城みゆきさんのちょいぞんざい系な声音がベストか否かってあたりは迷うところでもある。たぶん今の黒いライダースーツに身を包んだ首無しライダーとしてならベストなんだけれども本来の、欧州でのセルティはもっとお姫様っぽい声だったんじゃなかろうか。まあ見かけが変われば声も変えられるのが妖怪変化の利点ってことでこれはこれとして受け入れておこう。しかし話はいっこうに進まないなあ。本編では一応主軸になってた張間美香の首話。どこいった?

 「楽園まで」の張間ミカさんなら順調に新刊を刊行の様子で、日本出版販売の月報あたりにトクマ・ノベルズEdgeより「星をさがして」が17日に刊行予定。どんな話なんだろう。朝日新聞出版からも懐かしい秋口ぎぐるさんが「いつか、勇者だった少年(仮)」を刊行の予定。ファンタジーかな。赤城毅さん「薔薇とサーベル」。騎士道物かな。期待は幻狼ファンタジアノベルズから出る西魚リツコさんの「石霊と氷姫」。上の刊行が遅れたけれども下もいっしょくらいに出るんだろーか。田代裕彦さん「疵痕師の憂鬱」も面白そう。やっぱりファンタジー? それともミステリー? 「レンタルマギカ」が出たばかりの三田さんはあとがきにも書いてあった「幻人ダンテ」が講談社ノベルズからもう出てるはず。永井豪「魔人ダンテ」の新解釈ノベルズ、ってことはないよな。いろいろ期待。一方で散財。

 日本出版販売の月報から3月末締め切りになるだろう「ザ・スニーカー」向けの一般書の候補なんかも探ってみる。まだやっていない人を個人的には基本にしているんで「バスジャック」で取り上げ済みの三崎亜紀さん「コロヨシ!」(角川書店)はちょっと出来そうもない。矢作俊彦さんの「気分はもう戦争」(角川書店)も出るみたいだけれど、これって大友克洋さんの漫画版とは違うっtけおとなの? 梶尾真治さんはまだやってないから「ボクハ・ココニ・イマス 消失刑」(光文社)は大丈夫。問題は内容はまるで分からないことか。そして山尾悠子さん「歪み真珠」(国書刊行会)はちゃんと発売、されるといいな。タイトルだけだと木村友祐さん「海猫ツリーハウス」(集英社)が面白そう。きっと六軒島で全員が逆さ吊りを喰らうような血みどろのホラーに違いない。そんな莫迦な。

 朝井リョウさん「桐島、部活やめるってよ」(集英社)も「海猫…」と同じくすばる文学賞物か。石田衣良さんと対談やってるくらいの内容だからそういうものか。うーん。北森鴻さん「うさぎ幻化刊」(東京創元社)は最期くらいの作品か。もったいななあ。時代小説っぽい富樫倫太郎さん「早雲の軍配物」(中央公論新社)。北条早雲の配下の誰かを描いた話と予想。羽田圭介さん「ミート・ザ・ビート」(文藝春秋社)はちょっと面白そう。ビートはホンダのビートのこと。ミート・ザ・コペンじゃなくミート・ザ・カプチーノでもないところにこだわりとか時代感とか出ているのかな。エンスーもどきとしては読んでみたい。そんなところかなあ。1月刊行だとやっぱり新井素子さん「もいちどあなたにあいたいな」(新潮社)ってことになるのかな。まだ読んでないのです。もーちょっと本屋を掘ってみよう。

 なるほど世界なんて意識しないで自分が面白いというものを素直に真面目に作っていくことが逆に世界のどこでも売れることにつながるのか。「文化庁メディア芸術祭」のシンポジウムに功労賞の受賞者として登壇した任天堂の宮本茂さんは世界で誰もが振り向くだろう超有名人でありながらも、そんな風体はまるで見せずに飄々と現れては開発にあたってのスピリッツなんかを語ってそして去っていった。1時間ちょっとの講演だったけれどもとてつもなく濃密な内容で、そこから聞いて学べることの多さにさすがは世界の宮本茂って印象を改めて強く抱く。

 まず京都でずっとやっていたことが良かったんじゃないかなあと宮本さん。東京とかに出なくてmおまるで問題はなし。世界中に羽ばたきたいんだったらまずは自分の足下をちゃんと見て作りましょう、奇をてらうようなことなんてしないで、ちゃんとしたことをやっていれば世界はそれを認めてくれると言っていた。真似なんてしない。というよりまねして回りの良い物を越えようとすることにパワーをさくぐらいなら、独自に物をつくる方にエネルギーをかけるほうがよっぽどまし。その方が楽しいしいろいろな国でヒットするかどうかを考える必要なんかないってことを話してた。そりゃあまあ新しいアイデアがゾクゾク生まれる人だから言えるってことかもしれないけれど、そんなアイデアだって自分が体重を量るのが好きだったから、Wii fitを作っただけでそれが結果として売れただけだとか。きわめて身近なアイデアが世界に通じるアイデアになる。何か宮崎駿監督の作品作りに似ている部分がある。あの人も身の回りでの出来事を広げるタイプだったから。

 オンラインゲームとかについてもそれは面白いって思うけど、そういうのを作れる人はほかにたくさん居るからってな意見。あとオンラインだとやっぱり対戦することへと走りがちになるんだけれど、対戦が楽しいのは当たり前で、人間は2人そろえば何かと対戦をやって時間をそれから時にお金を費やし合う。でもゲームデザインでそこに頼ってしまうのはやっぱり拙い。だからまずは対戦することなしにやってみて、それが面白ければ最後に対戦を持ってくれば、もっともっと面白いものになるんじゃないのって話してた。だから対戦に頼らなくたって面白いものを生み出せるアイデアの持ち主だから……って言ってはやっぱり逃げか。逃げずに戦える場所があるから良いってこともあるんだろうけどそれだってほとんどゼロから築き上げてきたもの。だったら他の人にもできないはずはないってことで、集まった人には頑張って欲しいもの。でなきゃ20年後に日本はないか、ガラパゴスと化してサボテンを囓っているに違いない。

 気がついたら明日から東アジア選手権とやらが始まるみたいなサッカー界。でも男子の代表がどーなろうともまるで興味が湧かないってところに今の代表が抱えている悩ましさなんてものが見え隠れ。つまらないんだもんなあ、勝ってもまけてもそれがどうしたって感じ。そこから先に何の展望も見えてこない。今が40位なら次は30位で20位10位を上がっていけるサッカーか、っていうとそうじゃないからなあ。誰のせいだ。一方の女子はいよいよ岩渕真奈選手が入ってきて大活躍してくれそうな予感。今までトップチームに入ってこなかったけれども本国での開催に起用となったってことか。残念なのは巨大ゴールキーパーの山根選手の落選だけれど山郷福元海堀と上がまだまだいるんで1番若い山根選手には我慢してもらって次って判断があったのかな。ともあれここで圧倒的な強さを見せてワールドカップとそして五輪に一気呵成に走り込んでいただきたいもの。応援に行こうかな。でもってそれだけ見て帰るんだ。男子? 寒いじゃん。

 あーあとしか言いようがないかな。あるいはやっちまったとか。そんなことで稼いだところで世間に堂々と顔向けできるもんじゃないだろう。というより普通だったら良心が許さない。または矜持が。なのに平気の平左とやってしまえるその性根の、どこがどんな感じになっているのかを分解してのぞいてみたい気がする。いやいや、それをやるとあまりのすごさに3日は寝込みそうだから遠慮しておこう。どっちにしたってもはや終わりの始まりとしか言いようがない事態。外に露見すれば阿呆さ加減を失笑されること確実だけれど、そうした外部の眼中にすら入らないってところに存在自体の危うさが漂う。どれだけ無茶やってもどこもご注進に及ばなかったいつかの頃合いが思い出されるなあ。その時の教訓が生かされるどころかむしろよりスケールアップした無茶がまかり通っているから何ともはや。あとはいつになるかってことか。ファイナルカウントダウン、スタート。


【2月4日】 不起訴なんだけれどもそれは法的なものであって、道義的な責任はあるとかどうとか民主党の小沢幹事長について書いていたりするメディアもあったりするこの状。だったら法律っていったい何なんだ、白黒決める規範じゃないのか、それに従っていたって色眼鏡を通されれば黒くなってしまうのかって意見も湧いて来たりするんだけれど、そうした法のスピリッツとは違った規準で思考している人たちがごくごく1部にはいたりするから何というか世の中はなかなかに興味深いっていうか。

 そんなライティーなメディアが次に言うだろうことは、大相撲の横綱・朝青龍はたとえ示談で法律にらいっさい問われていない状況であるにも関わらず、潔く横綱を辞めたなから小沢幹事長も道義的責任をもってして、議員はさすがに辞められないだろうけれども幹事長の職はやはり辞めるべきってことなんじゃないかと、予想したけど果たして当たるかな。1億$$(ダブドル)くらいならベットしても良さそうな確信。とりあえず明日あたりに注目だ。

 しかし驚いたというか吃驚したというか、そりゃ意味的には同じことだというか、つまりはそれくらいに動転している朝青龍の突然の廃業・引退発表。だって示談で落ち着いたんでしょ。つまりは疑惑にすらならないことで辞めてもらっては世の中の罪かどうかを争っている人にはどうにも居心地が悪くなる。小沢幹事長もそんな1人。まあそれくらいで辞めるとか言う球でもないけれど。記者会見で誰かそんな突っ込みはしなかったのかなあ。どう切り返したか興味深いなあ。

 だいだいが横綱の品格とかいうけど一方で相撲って荒ぶる神様たちの代理戦争っぽさもあって、普通のスポーツの良識とはかけ離れたところで魔神たちの闘いが繰り広げられているって所が魅力になっていたりする。だから力士も一般の良識なんてものは気にしないで、破天荒さを貫き周囲はそれを驚きつつも崇め奉りながらいただくってのが一種の作法。なるほど力士の手は凶器かもしれないけれども、それを知る人がそれでも凶器に近づこうとするから怪我をするんだってな捉え方で、冷静かつ平身低頭して臨めば良いだけのことって言えば言えたりするような気がする。

 そうやって破天荒な姿を平静から見せつつ土俵ともなればもはや人間の感覚なんて打ち捨てて、ラグナロクとはこれのことだと言わんばかりのぶつかりを、繰り広げて見る人を恐れさせ戦かせればもう力士として完璧。そうした非日常への憧憬をもって人は国技館などへと集まり相撲を見る。スポーツなんてものじゃない。もしもスポーツだって言い張り、だから健全性が尊ばれるんだと言うのだったら、あんな巨大な脂肪のカタマリっちがぶつかり合って転がらせ合うだけの競技にいったいどうすれば興味を持てるんだって言い返そう。荒ぶる神々の闘いだから相撲は見ていて素晴らしい。

 そんな荒ぶる神々の日常に人間の良識なんて通用しない。従って朝青龍の日常なんでどうでも良い。ましてや示談で収まった事柄をもって糾弾するなどもっての他。なのにやってしまった相撲強化とあと良識ぶってるメディアの面々。そうやって不世出の大横綱を引退へと追い込んだ。この過ちはいつかきっと還ってくるだろう。すでにして朝青龍くらいにしか話題性をとれなかったメディアにとっても、そこにすがった協会にとっても強烈な反動が向かうだろう。年に4回くらいの興行になってしまうかもなあ、相撲。

 せっかくだからと六本木の青山ブックセンターに新井素子さんのしゃべりを聞きに行ったらとてもとてもよくしゃべってくれていた。あんなにしゃべる人だったんだ。最新刊が出たとかで買ったけどまだ読んでないんでネタの発覚は困るかどうかと心配したけど、しゃべってくれたことのほとんどが、スラーッと頭から抜けてしまって耳に残っていないんで、まるで気にならなかった。これが老人力(ろうぢん・ちから)というものか。むしろ残ったのは、日本SF作家クラブと日本推理作家協会の違いで、推協は社団法人でちゃんと健康保険もあるけれど、SF作家クラブは親睦団体でお墓参りと温泉と励ます会がメインです、だからまるで性格が違いますってな話をしてくれてた。

 どっちもまるで無関係で、健康保険が温泉でもその有り難みに触れる機会もほぼ永遠になさそうだけれど、傍目から勝手に思うなら、あれだけの人数がいたりするSF作家クラブが、未だに親睦団体として全体のまとまりを大事にして運営されているすごさと、それから身動きのとりづらさって奴なんかが、あるいはあったりして、それが推協の活発さと比べて、ちょっと違うフェーズにあるんだて印象の要因になっているのかも、てことが浮かんできた。

 それなりに年輩な人たちが、SFの火をともし続けようと頑張っていて、それに若い人たちがあんまり絡んできてくれないのは、全員が仲良しの親睦団体であるという存在意義を持っているが故に、そうした親睦の真ん中で頑張っている中堅ベテランの人たちに、まだ若い人たちは絡めないまま遠慮して、そして遠くから応援してしまうスタンスに、陥ってしまうのかも。どっちにしたって無縁であることには変わりがないので、「未踏の時代」で福島正実さんが必死の思いで立ち上げた、SF読みなら誰もが夢見てあこがれる組織としての輝きを、いつまでも放っていっていただきたい、それをファンとして、遠くからまぶしく思いつつ眺めていきますと言っておこう。


【2月3日】 大人の事情って奴はそうかそのまま斬魄刀のシリーズを続けるってことなのか「BLEACH」。それもちょっぴりコミカル風味に。村正亡き後にも斬魄刀の実体化は解けずしっかり現れる染白雪ほか愉快な奴ら。それより問題は死んでしまった死神たちの剣を抜け出し実体化していた奴らが持ち主の死にも関わらず居座り現れ悪さをしているってことで、そいつを刀獣とかって名付けて退治する役目がルキアたちに降りかかる。

 今回は一護たちの出番はなしに尸魂界を舞台にしてルキアの成長話に持っていくって算段なのか。一護といっしょだと掛け合いでセリフも半分になる少ないルキアがいっぱいしゃべって、押さえて低いトーンの中に時々女の子っぽいうめきとか叫びとか混じっている声が耳になかなか面白い。冷静さを演じていても、感情を高ぶらせると本来の声質が漏れ出るもの、ってことなのか。まあ片桐姫子な人な訳だしな。

 明けてサッカー日本代表は……なかったことにされるのか。いやそれは無理にしてもしかしなかった方がよかった感はサッカー協会な人なら誰でも抱いているのかも。いよいよワールドカップに向けてスタートを切った代表が初お目見えする試合の観客が2万人ちょい。それもほんとうかよって言いたくなる大分の地で繰り広げられたのは詰まって回せず散らしても抜けられず上げても決められないガチガチサッカー。きまりごとを繰り返しているんだろうけどその決まり事にパターンが1つ2つしかないからそこで終わると次がない。まるで去年のジェフ千葉のミラーの試合ぶりを見ているよう、って言ったらミラーに失礼か。結果として起こることは多分同じだろうけれど。代表に降格はないから衰退か。

 だいたいがこの期に及んで必須を終えて一般教養とかいっている時点でもう阿呆かと。必須ってのが予選突破ならそれからの期間で一般教養を詰めておくのが学生のたしなみってもので、本番すなわち卒業を控えたこの時期にやるのは専門科目であったり卒論の制作といったより高度な勉強。より専門性を高めて磨き上げそしてそれをまとめあげて1つの論文に仕上げる作業をこの時期にやっておかなきゃ卒業すなわち本戦でのグループリーグ突破はおぼつかない。といより無理だよな。あるいは岡ちゃん大学では一般教養しか学ばずあとは体育の授業を受け続けて卒論も書かずに卒業したのか。その経験が自分の指導に出ているのか。うーん。困ったなあ。もう襲いから次だ次。次って誰だよ。

 貴女の小津杯を云々といったら今は無き「週刊宝石」の人気企画だったりしたけれども、少年向けの週刊誌にすらボウボウとした毛が映っていたりする昨今に、乙肺なんぞ見えてどうかというと、そこは見られそうもないものが見られるという喜びなんかもある模様。「週刊SPA!」でもって今時のデフレなご時世にいったいいくらで見せれくれるんだ的特集をやっていた。男性向け週刊誌でも異端だった「週刊宝石」のワールドがサブカル誌の世界にも広がって来てしまっているということか。世の中全体が週刊宝石化してしまったってことなのか。

 幾らで見せるって「円環少女」の全裸錬金術師、セラ・バラードだったら無料なんだけれど、そうでない一般人でも9800円で同じくらいのことをしてくれていたり、先っぽまでをも含めつつアンダーウェアも込みで6000円だったり、上だけで1万円だったりといろいろな値段があって、それぞれに見せる側の自意識なんかも含まれているようで心理分析なんかをするといろいろ面白そう。もっともこれをたとえば実地でやったらぶん殴られること確実なんで、ここは彼女だったらどこまでがいくらかを想像しつつ、その上で見られるだろう形を妄想するにとどめるのが奥ゆかしい日本人なんだと理解。セラ・バラードコスプレとか誰かしてくれないものか。

 古来より日本で人を化かすのは狐狸の類、つまりは狐や狸だって言われてきたけど、文明開化に高度成長を経た今時の日本で、狐や狸が人の大勢住む場所に現れては人に悪さをするなんてポンポコな話はなかなかない。代わりに人里にあふれ出したのは、ペットとして飼われていたアライグマやらフェレットやらの外国から来た動物たちに西洋タンポポとかセイタカアワダチソウのような外来の植物たち。動物については飼ってみたのは良いけれど、面倒になったり持て余したりした飼い主に捨てられ気候の合わない日本で路頭に迷うハメとなる。

 そんな動物たちの身勝手な人への恨みは増すばかり。妖怪となって人にとりつき悪さをしたって不思議はないけど、そこに立ちふさがったのが28歳派遣社員のマタタビ潔子! というより彼女が飼っている猫の魂“猫魂”で、血筋から憑き物を引き寄せる力を持った潔子に入り込んでは、彼女に近寄ってきてあれやこれやとちょっかいを出す外来種の妖怪たちを引きずり出し、ペロリと喰らって始末する。まるでニャンコ先生だね、「夏目友人帳」の。

 朱野帰子さんって人の「マタタビ潔子の猫魂」(メディアファクトリー)はそんな妖怪退治のストーリーに、外国から入ってきた動物や植物がはびこってしまう問題とか、職場 で正社員から見下され、こき使われる派遣社員の苦労なんて社会性を持ったテーマなんかが織り交ぜて描かれてい作品。退魔物があふれかえったライトノベルではない第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞作を通ったってのもこのあたりが要因か。そういやボイルドエッグズ新人賞もやっぱり退魔物だったっけ。こっちは日本の衰退と中国による買収、そして性商売って主題が入ってライトノベルとは一線を画してた。ネタを引っ張りつつ社会や経済をかぶせるってのがこれからの一般小説のトレンドかも。

 読めば潔子と似た境遇にある人たちなら、自分にだって猫魂が憑いてくれたら良いのにと思えてくる展開。残念ながら現実には猫魂はいない。猫魂がついていないと本当は地味では気弱な潔子が頼る「孤独を愛せ」だの「さあ笑おう」といった占いの言葉も、結局は気休めでしかない。頼れるのは自分だけってことで、潔子を助ける猫魂に学んで、嫌味な同僚も理不尽な上司も蹴散らす術を覚えよう。


【2月2日】 ニンニンの日。ニンニンって何? 撮り溜てあったいろいろを見てとりあえず「とある科学の超電磁砲」の黄泉川愛穂の「じゃん」は多すぎるじゃんと思ったじゃん、じゃん。どこまでじゃんを着ければいいのやら。しゃべる方もそのじゃんにどんな意味とか意図を込めたら良いのか悩むだろうなあ。でもって鉄装綴里はあれで普段着だと着やせするのか前のオープニングみたいにユラユラとさせてくれなかった。というかお風呂場のシーンだと黄泉川の方がでっかく見えるんだけれど。引っ込み思案な性格が胸を張らせず前へと突き出させず、従って絵でもはっきりとは伺わせなかったってことなのか。ファンの為に精神から鍛えて出直せ鉄装。

 対して「聖痕のクェイサー」の方ではテレサが惜しげもなくさらす覚悟を見せてフロントホックに興味津々。だけれども相変わらず中身を拝ませてくれるようなシーンはなし。いつかみたいにそんなシーンに「そのままお待ち下さい」的ビジュアルが被る無様さはなかったけれども、霞ごしに見ようにも見えなくっても見えた気になれる描写でもなくやっぱり忸怩たるものが残る。お話はともかくとして絵はオープニングから本編から完璧すぎる出来。誰がどう動かしているのか気になるくらいの完璧さなだけにそれで描かれるのがこれという悩みに苛まれたりする日々。まこと世の中はままならない。

 テレビの方ではインペルダウンでレベル6へと向かって突き進むルフィがマゼランの前に毒まみれとなって倒れた一方でボンクレーはといえばいよいよ能力を発揮し本編ではしばらく見ないナミさんの姿をチラッとだけ拝ませてくれた。来週は正面からしっかりと拝ませてくれるのでは。でもって漫画の方はそんなレベル6から移送されたエースが大復活して青キジの氷技に対して火の強さって奴を見せてくれている。やっぱり強いんだなあエース。とはいえ白ひげがいよいよ覚悟を決めたみたいで総員退避の大号令。従うだろう海賊たちを残してひとり白ひげどこへ行く。それを見捨てるエースでもルフィでもないからなあ。やっぱりここは全員で。そのためにこそ大終結だ麦わら海賊団、とはならないか、さすがに。もうどれくらいロビンちゃん見ていないんだろう。

 えっとうんと何をどう考えれば良いんだろうかこの言葉について。「率直に言えば、このスクープ記事は背景説明の不足を要因として、報道機関に求められる公平性・中立性に欠けている」。ごもっとも。報道機関にとって最も尊ばれるべき中立性と公正性の堅持を高らかに訴えた言葉のそれそのものにまったくもって異論はないし出るはずもない。ここでだから考えられるべきはそんな言葉がどんな口から出ているというかということで、ここまでのことを断じつつ話しつつそうでないメディアを誹るでなるなら自らは敢然としてこのとおりなのだと心底からの確信を抱いているのだろう。不偏不党にて公平中立。だからきっとそんな言葉が載ったメディアに特定宗教なり特有の政党なりの代表が自説を開陳するこはないし、今がまさに下野なのだと嘯いてみたりすることもない。あるはずがないしあったこともない。そうだろう? そうだよね。

 妄想が自分を変えて周囲を巻き込んでいるうちは良いけれども、妄想が力となって自分自身を変化させ、世の中をすべて変化させてしまうとなったらそれはもはや災害だ。確保するなり隔離するなりして遠ざけるか、あるいは妄想に合わせて一緒に踊って妄想を収めるより道はない。ということで妄想が実体化してしまう「空想病」なる病が発生した世界では、病気に罹った人の中でも自己完結に止まらない、周囲を巻き込んでしまいがちな症例の持ち主に対策をほどこす仕組みができていた、というそんな日本で少年はある朝少女と出会う。彼女は空想病の発作で自分をファンタジーの住人と位置づけ、少年を相手に見立てて芝居ならぬ本気の言葉をたたき込んできた。そこはどうにか少女を取り巻く国の機関のガードで乗り切ったものの、発作を完結させられなかった少女は少年の高校入試の会場へと乗り込み、ひとしりきり空想を発揮した後でどうにか発作を収めて帰還する。

 それで終わったかというと終わらず。少女は再び少年の前に現れては、日常をいっしょに凄そうとしつつ時折発作もおこしつつ、それでもどうにか何とか少年との日常を平穏に送ろうと臨む。隔離されて来た暮らしは誰かとの交流を持てなかった暮らしでもあって、そうした日々で積もった寂しさが、少女を少年に向かわせたのかそれともこれが一目惚れという奴か。そしてだんだんと深まる合間に、学園祭での演劇があってそこでも発作を見せた少女の心の寂しさと、身の上への哀しみが浮かんで隔離され、虐げられ差別される立場への同情とも、恋情ともいった気持ちが浮かんでくる。さらには少年と同じ学校に通うようになっった青井晴という少年の、なぜか学校では女子の制服を選んで着ている女装者としてのその裏に、もっと複雑な事情があったりすることも見えて来て、空想病のすごさと恐ろしさも浮かんでくる。

 その恐ろしさが一気の撃退へ、すなわち患者の排除へと向かわないという保証はなく、それは現代にもある異端とみなされた者たちへの、言われなき差別へと向かいかねない恐れと重なって身を苛む。そこで踏みとどまるには何が必要か。勇気か。愛か。それとも踏みとどまるべきではないのか。それはあり得ないならやっぱり愛する気持ちを育むしかないのか。ぐるぐると回る思考の向こう側に浮かんで来る、少女と少年のそれでも僕が君を守るんだ的なかっこうよさが、やっぱり虐げるより退けるより愛して受け入れる気持ちよさって奴を感じさせてくれる。田中ロミオさんの「AURA 魔龍院光牙最後の闘い」がリアルな社会に止まったままでバーチャルも含めて愛するべきだと唱えるならば、本田誠の「空色パンデミック」(ファミ通文庫)はバーチャルな世界でリアルを感じて慈しもうと訴える物語、って言えば言えるのか。なかなかの意欲作。そして傑作。とりあえず青井晴がお風呂の時にいつも何を考えているのかを知りたい。自分にはやっぱりそう見えるのかな。ぺたんで、ぶらんと。


【2月1日】 2月になってしまった。残りはあと11ヶ月。それだけ経てばお年玉がもらえてたっぷり休める年末年始が来ると思うと身にもやる気が満ちる、訳ねえな。しかし相変わらずなんにもない1ヶ月だった。新年会の類もなければ賀詞交換会の類もなし。1つ行ったくらいでそれは本業絡みの半ば取材で、文筆業絡みの方では駆け出しの下っ端にかかる声もないらしく、どこにも行かず招かれず抽選会の類にも参加せず。当たったところで飾る場所もないから別に良いんだけれど、そういった華やかな場に出ていける身にいつかなりたい者だと呻吟。あと10年も書き続ければきっと日も射しこむだろう。でもって弱った身に耐えられずグズグズと灰になってしまうんだ。

 そんな灰になる種族がわんさか出てくる「ダンスインザヴァンパイアバンド」を見たらミナ様のリボンがピコピコしてた。あれはどういったタイミングでピコピコするんだ。嬉しい時か悲しい時か振り向いた時かそれとも。探ると正体も弱点も見えてくる。訳ないか。さらわれた生徒会長はいろいろいたされているようで今後の登場に期待。漫画のような陵辱された姿での登場はあるんだろうか。一方で送り込まれた女性リポーターはテレビ向けに押さえた露出。とくに胸元。腹はどばっと出たけれどもそれも一瞬で杭をうたれて灰になってしまったよ。服とかもいっしょに消えたのに爆弾だけが残ったのは何か理由でもあるんだろうか。演出だな。そして来週には再び学園での騒動か。ミナさまの切る啖呵に知的興奮を味わおう。

 吸血鬼といえば漫画の単行本が出ていた秋重学さん「アンリ・ザ・ブラッド」(小学館)が絵的にスタイリッシュな上にエロティックで、「ダンスインザヴァンパイアバンド」とは違った興奮を与えてくれる。高いところから飛び降りて死んだはずの姉の杏里が火葬場で今まさに燃やされている窯から現れ無傷でにっこり。そりゃあ誰だって吃驚するはずなんだろうけど、まさか怪物になっているとは思わなかったか信じたくなかったか。そのまま日常を取り戻したかに見えたけれども、実は屋上で吸血鬼にかまれて吸血鬼と化してしまっていた杏里。双子の弟くんを餌にしながら学校にも通って美しい様を見せつけている。

 そんな彼女に迫る追っ手。なにやら薬でもって強靱な体力を得たヴァンパイアハンターらしき存在が、行く先々で現れヒロインの杏里を脅かす。まあ撃退してはみるものの中には強力な奴もいて、秋葉系アイドルのメンバーに混じって杏里を襲って追いつめつつも反撃をくらって退場、したかとおもったら立ち直って再び杏里の前に現れたりしたその先で、杏里を吸血鬼にしたユリアなる始祖的な吸血鬼を迎え入れる。実は裏でヴァンパイアハンターを作ってもいたユリアの目的は。でもって杏里にかまれ続ける弟の運命は。ってなストーリーも気になるけれども、やっぱりそれなりに肉付きがよくって性格も暴虐な杏里のキャラクターが素晴らしい。「モバMAN」ってことは漫画サイトの連載か。こんなのもあったりするからネット漫画も捨て置けない。

 漫画といえばいよいよ佐々木規子さんのバカテレビパーソンズストーリー「チャンネルはそのまま!!」(小学館)の第2巻が発売になって、冒頭から北海道☆(ホシ)テレビの広報部長が見目麗しい姿をさらしてくれている。いったい年齢は幾つなんだって想像はしても聞くのはちょっと怖いそのたたずまい。ニコニコとしてマスコットのホシイさんに入って踊ったり人を入らせて踊らせたりする傍若無人さは、未来の雪丸花子を思わせる。アナウンサーの花枝まきは真っ当なのに、ほかの女性社員ときたら。でもそんなナチュラルに天然なキャラクターが破天荒さを通り過ぎたバイタリティをテレビに与えているのかも。頭脳的にまとまりすぎてたり、関係者から回されるお嬢様だったりが多くなってしまった在京のキー局が衰える訳だよなあ、なんて。

 気がついたら貴乃花親方が日本相撲協会の理事戦に当選していて仰天することしきり。脱藩組をかきあつめたって届かなかった票なのに、ふたをあけてみれば無記名だったからなのかプラス2票がどこかからの買って当選ラインの10票に達してた。あおりをくらって当選確実だった1人が落選の憂き目に。もらえる給料も惜しいんだろうけれどこういう音され方って精神にもダメージをくらいそう。あとはそうやって当選した貴乃花親方が、理事としてどこまで権限を獲得できるかってところなんだろうけど、どうせ理事長の即断即決な体制では添え物的な活動しかできない、って感じが今んとこ。そうした疑義を乗り越え何かやってくれるのか。それが何をもたらすのか。生まれてこの方見てきた相撲の世界が大きく変わるこれが転機となるのかな。野球でいったら江川問題くらいのインパクトを後世に残すのかな。むしろ再編問題の時くらいか。とにかく今後に注目。その処遇も含めて。

 科学は人を幸せにする。けれども科学だけは人を幸せになれはしない。幸せになりたいと思う気持ちがあって人は科学の力を身に取り入れて幸せになる。幸せになりたいと思う人には科学は何の幸せももたらなさない。科学のすごさと科学の限界。戸田誠二という漫画家の連作短編集「スキエンティア」には、そんなエピソードがつづられる。たとえばとある女性の場合。何をやっても自信がもてず限界と思いこんでいた彼女が、人格を乗り移らせる科学の力を体験した。老婆がやりのこしたことを若い体を使ってやりたいと言って、女性の体に人格を乗り移らせて自在に動かし、その様を映画を見るように体験した女性は老婆が元の体に戻った後に、死のうとは思わず自分でもできるはずだと自信を取り戻して幸福を探して歩み出す。

 誰かを好きにさせられる惚れ薬を手に入れた男は、誰かにそれを飲ませるのではなく、自分自身が飲んで先輩の女性に惚れた勢いで告白する。なかった自信を惚れる力で高めて挑んだ告白は成功して、先輩の女性といい仲になっていったもののその先で仕事が重なりぶつかりあったりもして苦悶し、果てに惚れ薬をのまないようになって彼女との仲を後退させようとした矢先。片づいたプロジェクトの帰結に彼女が見せた涙顔が、男の心を動かしよりともどさせる。薬はきっかけ。ひとつの姿を見せてくれただけ。そこで得られたひとつの経験が自信となって男に前を向かせた。

 最愛の夫と娘を交通事故で失った女性が、隠された技術だからと申し出られたクローンを作る技術で娘のクローンを作り、新しい娘として世に生んだ。同じ顔をもって育っていく娘に失った娘を重ねてみる母親。これが普通なら決して同じではない姿に絶望して放り出すところを戸田誠二の筆は母親が新しい娘を前の娘と重ねさせつつ新しい娘なのだという思いを母親に宿らせ、失った年齢を超えたところで一段落をもたせて、新しい生を娘にあたえ、新しい人生を母親にあたえて歩かせる。酷い鬱に悩まされていた男が鬱を抑制する一方で副作用も出る機械に身を任せ、仕事をバリバリとこなした果てに限界がきて落ち込んだ時、それでも頑張った彼を認める女性の存在が、酷い鬱からさらに落ち込もうとしていた男を奮い立たせる。

 科学技術はだからきっかけで、そこから立ち直るのは人間の気持ち次第。科学を称揚しつつ人間を讃えるストーリーからにじむ温かさと、決して人間を見捨てない優しさにあふれた短編たちは、読んでいて心に強く響く。こういう話を書ける人だったんだなあ。絵柄は訥々として平板といえば平板。女性も見目麗しいと行った感じではないけれど、それだけに妙に生活感があってリアリティがあって、読んでいてジンと来る。能力を高めて詩歌の才能を開花させる代わりに、寿命を縮める機械を使ってスターとなった男と、使わないまま平凡な人生を歩んだ男とを重ねて描いたラストの1編。幸せだったのはどちらの人生か。選び方によってあなたの人生への態度も決まる。幸せな家庭も才能もどっちも得たい? それこそ機械に頼り薬に頼り自分に頼るしかないよなあ。


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