縮刷版2010年11月上旬号


【11月10日】 録画してあったNHKの1980年代洋楽特集のうちから、ガールズ特集だけ抜いて見たらシーラEがシンバルをけっ飛ばしてたカッコイイ。今になって振り返ってみれば、あの一瞬にシーラEのすべてがあって、そして今となってはあの歌以外の何を歌っていたのか、そして今いったい何をやっているのかなんてまるで分からない。それでも強烈な記憶とともに、その名前を僕の中に今も残しているというのはやっぱり、そのインパクトがとてつもなく強烈だったってことなんだろうなあ。美人がやんちゃなことをするって姿は、時代に関係なく面白いものだから。

 1980年代ってのは、MTVが生まれミュージックビデオが一般化していく中で、そこに映し出されるビジュアルのインパクトが大きく物を言っていた時代でもある。その究極がマイケル・ジャクソンだった訳だけれど今、ミュージックビデオがまるで見られない時代に果たして、同じような映像を起点としたブロックバスターが起こるかというと、ちょっと難しいかもしれない。youtubeにしたってニコニコ動画にしたって、範囲は限定的だから。その意味で、メジャーな音楽シーン映像がかならずついて回るアニソンが、隆盛を極めているってのもよく分かる。映像を見ずして音楽だけ聞いても成り立たないのがアニソンの世界。テレビCMよりもミュージッククリップよりも音楽と映像が一緒になって迫ってくるアニソンが、音楽シーンではしばらくトップを走っていくことになるのかも。

 アニソンといったら水樹奈々さん、という昨今の構図はいったいどうしてなのかという問いは、だから「ANIMAX MUSIX」でトリがMay’nさんになる場合が多いこととも裏表だから難、答えるのに少しばかりしい問題ではあるんだけれど、並んだ時のバランスと知名度を勘案すれば、中トリがKOTOKOさんなら大トリがMay’nさんでそんなに落ち着かないものでもないのが「ANIMAX MUSIX」という現場。そこと比べると、NHKのアニソンスペシャルで水樹奈々さんが常に大きく扱われていることには、だからNHKのアニソンSPなんだという以外の理由が、それほど浮かびにくかったりする秋の夜。

 注目をしてスポットを当てて司会に抜擢して、紅白歌合戦にも押し出して回した2年近くの時間が、NHKというバリューとも重なって存在を世間に可視化させ、その結果としての現在だという考え方も、あるいは可能なのかもしれないし、そうなってしまえばあとは地力が着いてくるから、異論もそれほど起こらないって見方も存分に可能。ここであとは大役をつかめばもう盤石、なんだけれどもこうなってしまうとそこがなかなかに難しい。キャラクターがあっての声優ではなく、声優があってのキャラクターとなってしまって、なかなか一体化が難しく代表作になりにくいんだよなあ。さてもどうするこれからの人生。やっぱり一般アーティスト化か。それとも声優とアニソン歌手にこだわりつづけるか。5年後にどうなっているかにひたすら注目。

 人気なんだなあと改めて思った「モンスターハンターポータブル3rd」の完成披露発表会の現場。集まったメディアの人数の多さは決して三浦春馬さんって人気俳優の登場があったからだけではなく、今時のゲームで最高峰の売り上げを誇り、最大の人気を持っているタイトルだってことに注目したメディアが、こぞって集まったから以外の何物でもない、と思いたい。でなければ失言しそうだったり恋愛話が持ち上がっていそうな女性タレントも女優もアイドルもいない、男ばっかりの地味で暑苦しい会見に、あんなに人が集まるとはとても思えなかったりするから。

 それとも三浦春馬って今、何十人ものメディアを引きつけずにはおかない人気俳優になっていたんだっけ? 「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」に出演していた時とかまだ無名だったし、セガがアミューズメント施設のイメージキャラに起用した時だって来たメディアは10人そこそこ。それが今ではそれなりの注目を集める俳優だから、なるほど過ぎる時間って奴は恐ろしい。その前にセガのイメージキャラやっていた小倉優子さんが未だにトップニュースを飾れるバリューを持っているってことも同様に恐ろしいだんけど。偉大なりゆうこりん。

 いろいろと楽しそうな要素は入っているみたいだけれど、一緒に遊ぶ人間のいないインディペンデントな身にはほとんど関係ないゲームだと、半ば覚めた眼で会見を見てから六本木に移動し沖縄料理屋でポーク玉子を食べたらとても上品だった。新宿のやんばるの荒々しさはやっぱり他にはないんだなあ。そのままミッドタウンの地下1階にあるコナミのショップで、新登場したウェーブ製の姉ヶ崎寧々さんのフィギュアをながめてその付きだした部分の丸々っぷりに堪能する。あんなものに迫られたら普通の男子なら1発でコロリだよなあ。愛花や凛子に行く理由がないっていうか。それとも凛子は凛子で薄さの魅力が放たれているのか。発売はやや先っぽい愛花は愛花で別の色香って奴を放っているのか。期待せずにはおかれない。

 そのままコナミデジタルエンタテインメントでキネクトのスノーボードゲームとかを体験。なるほど本当にスノーボードを操る体の動きを読みとって反映させるんだなあ。説明してくれた山口隆司さんいよれば全身の関節の動きを18カ所読みとるとして、18本のコントローラーを微調整しながら1人の人間が操作しているようなもので、その繊細な動きをしっかり読みとりゲームを進めるキネクトはやっぱり凄いってことになるらしい。足をあげればちゃんとボードの前が上がるし回ればボードごと回ってしまう。前傾すればスピードが出るし後ろに引けば速度が落ちる。それはコントローラーではもちろんWiiでだって不可能。進化したゲームの形と言えるけれども問題はやっぱり遊ぶスペースの足りなさか、我がやの場合。テレビの前に1・5メートル四方のスペースなんて絶対に確実に捕れません。スノボならまだしも「ダンスダンスレボリューション」は手を上げたりするからさらに不可能だよなあ。Xbox360はあるのになあ。引っ越したいと思った秋の昼。

 つまりはだから人工知性は基本萌えっ娘型にして、性格はツンデレ系にしておけ、それが人類にとって大切なことだからって訴えるストーリーだったと、日本SF新人賞を受賞した山口優さんの「シンギュラリティ・コンクェスト」(徳間文庫)は理解しておくべきなのか。地球に迫る危機に対処できるのは、限りなく人間に近づき超えてすらある人工知性なんだという意見が一方にあって、けれどもやっぱり統べるのは人間の知性だっていった意見もあって対立する中で、人工知性の側にも個性があって感情があるように見える美少女アンドロイドがいて、ただひたすらに演算を繰り返すマシーンみたいなのもいて、どっちがどっちだったりする状況で、起こった人工知性推進派と反対派の対立の狭間、迫る人類の危機を救ったのはだから萌えでツンデレな美少女アンドロイドだったりしたことが、すべてを物語っているのである。人工知性の研究者は読んで開発の糧とせよ。


【11月9日】 三田紀房さんの「透明アクセル」が最終回ってんで買った「イブニング」では冒頭に小野洋一郎さんが新連載を掲載。その名も「ブッシメン!」は仏師として活躍していた父親が工房の火事で焼死して、残された息子が仏師となって21歳まで来てどうにか名を挙げつつあるんだけれども、どうにも心残りなことがあった。それは父親が最後に手に握っていた仏像の正体が分からないこと。腕だけしか残っていなかったそれは見たことがない錫杖を握っているようで、仏師として得た知識を探っても分からなければ、専門家の人に見せても答えを得られない。

 それが気になっているのとあと、やっぱり父親に迫れないという苦悩も抱えながら生きていた主人公は、幼なじみに誘われ気分転換もかねてとある場所へと出かけていく。そこで目にしたのがまさに父親が手に握っていた腕と同じ形のもの。どうして父親がそれを、と考えそしてたどり着いた答えから、主人公は新たな経験に向かって走り始める。その経験とは!? 夏と冬になじみの場所が舞台になっていることもあって、もうとっても楽しそうな展開が待っているって期待も存分に膨らんでいるけれど、それが仏師としての生き方とちゃんとリンクしていくのか。仏師を捨てるかそれとも融合させられるか。そんな所に作者の腕前が試されそう。「もやしもん」が掲載されていなくてもこれがあるなら読んでいこうっと。それにしても関西弁の眼鏡っ娘、変われば変わるもんだなあ。

ふぐちょうちん  そんでもって「もやしもん」は蛍がゴスロリ衣装で絶賛運転中。奥の方が見えそうで見えないアングルもあるけど見えたところでそれは……それでも見たいお年頃。そして沢木たち一行はケンタッキー州のルイビルまで来てカーネル・サンダースと記念写真中。その先で出向いた日本料理の店ではタマネギをタワーにして油を掛けて火を着ける芸とか見せらていたけどそういう芸ってあるのかな。あと花火で誕生日を祝う様子を欄外で「名古屋出身の担はなぜかステーキのあさくまを思い出した」って書いてあるけどあさくまってそんなサービスやってたっけ。もう20年くらい行ってないから分からないや。本店は実家の近所だったのになあ。すぐ近くには仕出し弁当の朝熊ってのもあったっけ。兄弟会社?

 週末の「デザイン・フェスタ」をざっと振り返ってやっぱり良かったのは野口美香さんさんって人が作った海の雰囲気いっぱいの陶器類か。逗子に住んでるのも海が好きだからってことらしくって、作る品物もだからフグの形をしていたりフジツボがくっついていたりと海尽くし。置いておくだけでも飾りになって楽しいけれど、そこは陶器だけあってちゃんと実用にも向いている。最近流行のタジン鍋とかも作っていたけどこれには流石にフジツボやイソギンチャクの類はなし。でも作るんだったらやっぱりシーフードなパエリアっぽいものだよなあ、ってモロッコにシーフード料理ってあったっけ。そもそもタジン鍋って何をどう料理して食べるんだっけ。

かわいいかわいい  あと欲しさが高まったのは森風社って木工クラフトのショップか。桂の木を1枚板からくりぬいて削って作るオブジェはそれ単体でも美しい上にピースがバラバラにできるようになっていて、パズルとしても楽しめるという優れもの。だからといって触れば崩れることはなく、垂直に持ち上げれば縁がひっかかってそのままの形で上にすっと持ち上がる。誰が考え出したんだろう? 聞くと師匠らしい人がいてその人が考えたものもあれば、森風社の人が考えて作ったものもあるとか。間に流通が入ってない分値段も安く、サンタクロースの彫刻なんかは幅が30センチくらいもある大きさなのに8000円と、おそらくはブランド玩具の半分とか3分の1とかの値段になっている。欲しかったけれども我が家にはすでに置く場所が。小さい天使とかもあるんでクリスマスに向けて買っておくのも悪くないかも。

 笑ったのが「PORTRITE THINGS」ってところが出してたカメラストラップ、なんだけれども遠くから見るとお下げのウイッグにしか見えない。両端にちゃんとカメラに取り付けるためのパーツがあるんだけど、ストラップの部分は金髪を三つ編みにしたものだったりひもやら布をやっぱり編んだもので、これをカメラにつけて首からぶら下げているとどこかほんわかとした気分になれる。あるいは世間を驚かせて楽しめる。欲しかったけれども流石に仕事のカメラで使うと使い勝手に支障が出そうだったんでパス。とはいえそういうのを楽しんでくれそうな仕事先もありそうなんで、1つ買って置いて相手を考えながら取り付けて使ってみるってのも面白いかな。使っていないデジタル1眼もあることだし、そっちに取り付けておくってのもありか。でもってメインを忘れて緊急出動させた時についているのが三つ編みストラップ。それで向かうは国会議事堂。何と愉快な。

 前にオリジナル造形の怪獣フィギュアを並べて驚かせてくれた廣田慎太郎さんが今回も出展していたけれどもその隣には怪獣とはまるで違った男の子やら女の子がはだかでもつれ合ったイラストを出している人が。聞くと廣田さんの妹らしく、まるで違う作風に人間って環境を同じくして育っても決して同じにはならないんだと実感する、って現実に双子の僕ん家がまるで違っているんだけれど。あっちは平和に家族もいて家もあって車も乗ってる。こっとは1人で六畳間に煎餅布団で暮らしてる。どこで間違えたんだろう。もとい廣田さんの妹さんはタカノ綾さんが好きだということでなるほと見ればタカノさん的裸ん坊たちがいっぱい。ただしキャラはかわいい系になっているからアートってよりはイラストのテイストが高そう。ストーリーもあるみたいなんでそっち方面で絵本なり、漫画とかになってくれれば読んでみたいかな。


【11月8日】 後遺症、とでも言うのか「ONE PIECE」はあのマリンフォードでのバトルが凄すぎた上に、その後のインターバルでいったいどれだけの凄い仕込みがあったんだと、そんな期待が上積みされ続けてしまっていた結果、あらわれたシャボンディ諸島でのルフィやゾロやサンジやニコ・ロビンの偽物たちのうざったさでまず気持ちがぐわっと引いて、そしてやって来た本物の麦わら海賊団の圧倒的な強さに緊張感が途切れ、さらに居残った偽物たちのゲスな空気にトーンが濁ってしまって、どうにも前ほどの爽快さ痛快さが誌面から漂ってこない。

 ナミさんロビンちゃんのナイス過ぎる肢体に救いがあるから、ビジュアル的にはまだ良いけれど、物語的な展開に壮絶さ壮大さが伺えないって部分が、どうにも引っかかって読む手をどうにも鈍らせる。子供だったらさらにこのせせこましさに、とっとと雑誌を放り出してしまいそうだけれど、そこはそれ、あれだけの高さを築き上げた人がここで留まっているはずはないという期待も一方にあるんで、今はいったん沈んだ上で、前に倍した高さを駆け上がっていく圧巻のドラマが繰り広げられると、見ておく態度も必要なんじゃなかろーか。とか思うんだけれどもでもやっぱりドラマが狭いよなあ、コーティングされた船の中で阿呆やってるだけではなあ。せめてサービスを。ロビンちゃんナミさんのどアップを。

 会ったこともないし、仕事をしたことなんてもちろんないから、単純に「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーとう部分だけで評価をできる西崎義展さんは、やっぱり「宇宙戦艦ヤマト」をこの世に送り出して、アニメーションを子ども向けの番組という枠組みに止めず、大人が見て楽しんでそのままずっと引きずっていけるものとして、世の中に定着させたっていう、その功績だけで存分に国民栄誉賞に値する人物だと思う。だって、もしもあの時代に「宇宙戦艦ヤマト」がなかったら、それを見てアニメに燃えた人たちが後に続いて様々な作品を送りだし、あるいは対抗して様々な作品を作り出していただろうか。

 そうしたことがあった結果が、今の日本のアニメ大国ぶり。あるいは「宇宙戦艦ヤマト」がなくても「機動戦士ガンダム」は生まれていたかもしれないけれど、それだけでは果たして劇場で「機動戦士ガンダム」が公開されて、ムーブメントを引き起こすまでに至ったか。直前のあの「宇宙戦艦ヤマト」の騒動で、世の中が多少はアニメを劇場で大人も含めて見る心境に至っていたことが、シリアスなアニメを面白がって見る心理も含めて、「機動戦士ガンダム」のムーブメントへとつながったのだと、同時代を生きてきた身として凄く感じる。

 もちろんあの「宇宙戦艦ヤマト」のブームを、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」まではしっかり維持し、むしろ盛り上げながら、テレビで「宇宙戦艦ヤマト2」を放送して世間をがっかりさせ、その後もひたすらにがっかりさせ続けた責任はないでもない。ただ、それはあくまで「宇宙戦艦ヤマト」というプロパティに関してのことで、「宇宙戦艦ヤマト」を踏み台にして、世の中に名を広めた松本零士さんが、「銀河鉄道999」を生み出し、「宇宙海賊キャプテンハーロック」を送り出してSF漫画の面白さ、SFアニメの素晴らしさって奴をさらに世に布教し、「機動戦士ガンダム」の方からは「装甲騎兵ボトムズ」が生まれて今に続くリアルロボット路線を固め、対極として「超時空要塞マクロス」が現れ、それがぐるりとくぐって「新世紀エヴァンゲリオン」へと至っているという、この血脈の源流には、やっぱり確実に「宇宙戦艦ヤマト」がある。絶対にある。

 と、書いていてふと思ったのが「新世紀エヴァンゲリオン」を最後に続くプロパティがあんまり生まれてないってことで、これから劇場版が公開になる「SPACE BATLLESHIP YAMATO」だって「宇宙戦艦ヤマト」の実写リメイクだし、「機動戦士ガンダム00」だって「エヴァンゲリオン新劇場版」だって「マクロスF」だってやっぱり元ネタありの存在。1995年の「新世紀エヴァンゲリオン」を最後に、がっつり進化が止まってしまっているんだとしたら、それはそれでやっぱり淋しいことだったりする。

 だからこそ、破天荒なアイディアを持ち、なおかつ世間を動かすパワーを持ったプロデューサーが欲しいところだけれど、それが出来た西崎さんは、それをやらずに「宇宙戦艦ヤマト」にほとんどかかりっきりになって、そのまま退場してしまった。そして見渡して果たして誰が……。その意味でもここでひとつ、新しい時代を開く人に現れてもらいたいってところなんだけれど、どこかに誰かいるのかなあ。「コードギアス 叛逆のルルーシュ」も、あれだけのムーブメントが今は沈黙し、「STAR DRIVER 輝きのタクト」も放送が終わればあるいはってところ。「ハートキャッチプリキュア」は、それが玩具と併走するものである以上、確実に終わりがやって来る。「新世紀エヴァンゲリオン」と同じ15年をこれから突っ走れる作品、コンテンツ、プロパティは何処に。それをぶん回せるプロデューサーは何処に。見守るしかないのか今は。

 アニメそのものは手探り状態でも、またゲームは進化って奴にかげりが見えていたりもするけれど、ライトノベルの分野だけはまだまだ盛況ぶりが続いているようで、5000通なんて過去最高の応募作を集めた「電撃小説大賞」からは、新しくって頼もしい新人がどんどんと出てきてくれる模様。授賞式があったんでのぞいて来たけれど、受賞が決まったといって喜ぶ一方で、それを改稿していく必要があるからとすでに身を削る作業に入っている大賞の人もいれば、人を楽しませる文章を書いていきたいと抱負を語る他の受賞者もいたりして、今に安住せずむしろそこをスタートラインにして、競争のますます激しくなってるライトノベルの世界で抜け出す模索を始めている。

 このアグレッシブさがさらなる競争を生み、その中から新しくって画期的な世界を生みだしてくれているんだとしたら、ライトノベルもまだまだ安心。読み手がいるかっていう問題もあるけれども、そこはそれ、漫画と同様に手軽に楽しめるエンターテインメントって部分は揺るいでいない訳だから、良い作品さえ出せればあとはどうにかなるってもの。もちろん裾野が広がった分、頂点に達する難しさはあるけれどもそれでも目指せばたどり着けない訳ではない。どんな頑張りを見せてくれるのか。ひとまずは来年2月にも刊行となるだろう受賞作に期待しよう。ポプラ社小説大賞の受賞作ってのもそんな辺りには出て来たりするのかな。あおりを食らって霞む可能性もないでもないけど、ともに新人賞ムーブメントを作れればそれはそれで面白い絵が描けるかも。


【11月7日】 っていうか自分の場合って就職が決まったのって、確か大学4年生の11月くらいで試験を受けに行って筆記試験と面接を受けたら、それで数日して合格が決定。ほかに受けようかって思っていたところもやめて、とりあえずそこに決めてから、卒業して就職をしてそして2年くらいをそこで過ごしながら、あちらこちらを受けてひっかかった会社に入って東京に出てきて、そして親会社に吸収されて今ココって感じ。その間もやりたさそうさなことができるように訴えても、まるでやらせてもらえないんで自分で勝手にやっていたら、時代がそっちに傾いてきたって雰囲気。20数年かけてようやくどうにかなって来たってことを鑑みれば、世の中これで結構どうにかなるものなのかもしれない。

 そう思うんだけれど一方で、今の世の中って隙間と余白がどんどんと削られてしまって、そこに入り込んで居場所を作り広げて表に出ていくことが、難しくなっているのも事実。ライター方面だと大勢のまだ見ぬ書き手が仕事をもらって書いてた余白のコラムだの、書籍や音楽や映画の紹介だのといった部分がどんどんと削られてしまい、そこをとっかかりに世に出ることがなかなか難しくなっている。頼む方はまあそれなりに知られた人とか知っているところに頼んで終わり。新陳代謝が起こらないまま年齢ばかりが上がっていき、かといって情報は洗い直されないまま、本来相手にしなくちゃいけない世代からズレたものが出来上がってギャップを招き、離反を生んでますます売れなくなっていくという悪循環。

 これでも景気さえ回復すればと思っていたら、今度は電子だ何だってものも始まって、ますます余白が消え失せ多彩さえ失われ、まったくもってとっかかりが無くなってきている現状で、そこに果たしてモノカキの未来があるのかというとうーん。未だ乗り切れていない身としては将来への不安も大きい大きい。ただでさえ世間から認知されづらい下請け業。そこから抜けるには創作者に回るしかないんだろうけど、そうなったところで関心は抱かれても喰っていくのは同様に大変だからなあ。最後の2000万円を無理にでも取りにいくべきだったかなあ。もはやtotoなり宝くじで基盤を作った上で好き勝手をするしかないのかなあ。

 女の子の顔が変形するくらいの威力で殴り倒す上条当麻の容赦なさって奴を堪能しつつ、案外に役立たずだったオルソラ・アクィナスの存在ぶりに嘆息しつつ、ひとまずのバトルを終えた「とある魔術の禁書目録2」のこの先は、学園都市を挙げての祭りがあってアドリア海でのバトルがあってってあたりまで進んでいくのか、それともその先の第3次世界大戦まで向かうのか。ふくらみ続けて終わる気配のない展開の中でアニメをどうやって運んでいくかは判断に苦しむところで、下手にオリジナル展開を入れると整合性がとれなくなって、後を続けられなくなったりするから悩ましい。「とある科学の超電磁砲」は後半のオリジナル展開をどう収斂させていくんだろう。そもそもがスピンオフなんで漫画とかと違ってたって気にしないってことにしておくのか。うーん。「探偵オペラ ミルキィホームズ」はまあ、あんなもんだな。小衣ちゃんはまだ捕まっているのか眼鏡っ娘に。

 午前様間近の野球につきあっていたおかげで、遠く八王子に行く体力も雲散霧消したんで、近所の幕張メッセで開かれている「サイクルモード」にいって新車を見物。いわゆるロードレーサーには見向きもしないでランドナーを探して京都にあるショップが作っているグランボアってブランドの作りの良さにただただ感心。新しい部品を組み込みながらも70年代80年代のランドナーが持っていた雰囲気をちゃんと感じさせるデザインになっていて、これならパーツのなさに怯えずとも、乗って乗り倒せて峠だって越えられそう。とはいえ値段は25万円とかで、注文にも京都まで行く必要があるのが悩ましいところ。1ヶ月くらいで完成したらあとはやっぱり取りに行くのか。それを乗って帰るるのか。関ヶ原とかどう越える? さすがに運んでくれるだろうけれど、そもそもやっぱり値段がね。ボーナス? それってもう3年くらい食べてない。

 ARAYAのランドナーも良い出来だったけれども、軽快車ではダイヤコンペってブレーキ関係のブランドを展開しているヨシガイが出してたエネシクロとかいうブランドがこれまたなかなかの出来。シンプルなフレームに現在形のパーツ構成だけれど、それでもクラシカルな雰囲気を醸し出しているところに作り手のこだわりが漂う。サドルをブルックスに代えてあとブレーキをヨシガイのギドネットレバーとグリップ代わりのブランクカバーに代えれば、無理せず乗れて走れるマシンになりそー。こっちは価格が15万円とかだから……やっぱり無理だわ今の経済情勢じゃ。そう思うとちゃんと就職活動をやって今の年齢で3LDKくらいには住めて、イヌとかネコとかも飼えてて家族もあって外車に乗れて、それでいて趣味にお金を注げるくらいの暮らしができる職場に勤めておくべきだったかもと後悔。学生はだから頑張ってつかみ取るんだ未来を。

 ウサギ耳にネコ耳のメイドでもかなわない相手を両手に持った剣で叩き伏せる銀河美少年はやっぱり凄いけれど、それでもやっぱり普通の人間だった模様。その彼を遙かに凌駕する力を出した兄ちゃんは、そのまま昏倒してしまってこのまま退場? それだとエンディングとかにあんなに登場している意味がなくなるから、きっと仕組みを変えての復活とかいくんだろうなあ「STAR DRIVER 輝きのタクト」は。そのまま続けて日本シリーズ第7戦を見ていたらまたまた延長戦。このまま昨日と同じ状況かと震えたのもつかの間、育成からはい上がってきた岡田選手が値千金万金のタイムリーで1点をリードしそのまま逃げ切って千葉ロッテマリーンズが優勝を果たした。千葉的に幸福。気分としてはドラゴンズが勝って韓国チームとのシリーズにチアリーダーとドアラを連れて乗り込んできて欲しかったけれども、千葉県民的にはこれでオッケー。柏レイソルも昇格を決めて全千葉的に熱い日だったなあ。えっ、ジェフユナイテッド市原・千葉がどうかした? きこえないきこえない。


【11月6日】 表紙だけ見ればまるでライトノベルって感じにすっかり様変わりしてしまっていて、これがたとえば大昔から続いていたら、あるいはもうちょっと世間様の関心って奴もよりたっぷりと向かっていたかもしれない日本SF新人賞のシリーズだけれど、残念ながら今回の刊行分で歴史にピリオド。最後の最後に打って出た大冒険は果たして効果を見せるのかそれとも。冒頭をさらりと読んだ限りでは、山口優さんの「シンギュラリティ・コンクェスト」(徳間書店)はクール系な美少女アンドロイドと、やや熱血ながらも時々ツンデレな美少女サイボーグ戦士とがまずはバトルし、次いでチームを組んだりもしたりと表紙から来る期待を裏切らない展開になっている。

 マッドサイエンティストも現れ繰り広げられる戦いは、宇宙が紫色になるという謎へと向かいつつ、人工知能の限界からその先って奴を伺わせるハードでシリアスな物語へと向かっていく。読めばきっと納得のSF新人賞。これまでだってそうだったんだろうけれど、あの真っ赤な装丁が妙なキケン信号って奴を放って、読者の手を寄せ付けなかったのが、賞も終わってしまう理由になっていたんだとしたら何とももったいない。今からでも遅くないから過去の作品をすべてラノベ風にして出し直して、は売り場を作ってもらって売り上げを稼ぎ、それをSF新人賞の復活に当てたら果たしてどんな作品が現れるか。エロトークが大好きなアンドロイドのメイドが現れ、青年を助けてバトルするって作品か。ってそれ昨日読んだ。

 むくっと起きて向かうは東京ビッグサイトの「デザインフェスタ」。電車を乗り継ぎ到着したりんかい線の国際展示場駅には、デザインフェスタらしく色とりどりのファッションに身を固めた若い人たちがわんさか……いなくてなぜか黒いスーツに身を固めた若い人たちが、ビッグサイトから展示場駅の前まで延びる大行列を形成していた。いったい何事かとは思わず、すぐに就職活動か何かの展示会だと気づいたけれど、それにしてこの時期でのこの賑わいようには、何事かって意識が浮かんで釈然としない思いにかられる。だってこれ、2012年3月に卒業する人たちが対象だよ。あと1年と5ヶ月も先の卒業時の進路を、今から探しに来てるんだよ。そんな先のこと、どうしてみんな分かるんだろう。

 まず学生。1年5ヶ月もあればいろいろな人と出会いいろいろな経験を積んで、将来について自分自身について、いろいろな思いを浮かべることができる。人生において決定的な出会いだってあるかもしれないのに、そうした可能性をまずは未来に隠して、今の気持ちだけで就職先を決めようとする。それって本当に楽しいんだろうか。もちろん10代の頃からずっとやりたいことを決めていて、それに向かって邁進している人だっている。チャンスが前倒して来たのなら、ここで決めてしまうってのも手だけれど、そういう人がどれだけいるかっていうとまだまだ少数派。みんな迷いながら考えている。そもそも何に迷っているのか分からないでいる。

 そうした迷いに対して、セミナーという場が企業という場所が何をしているところで、どういう人材が求められているのかを見せ、そしてそうした企業の日々が個々人の人生にどんな意味をもたらすのかを感じさせる場所だったら良いんだけれど、現実は学校だの成績だのといった部分だけ見て、とりあえず人材を確保しようとする企業が集まる場所。そこで認められるってことは、決して自分の資質なり可能性を認められたってことじゃない。だから実際に仕事の日々が始まった時に、どこかにズレが出てしまう。企業にとっても後の1年半の間の成長性を見込んで、早くに採用を決めたはずだったのが、すでにゴールと思って肩の力を抜いてしまい、成長を止めてしまった人に入って来られることもある。それて決して幸せなことではない。学生の意識と企業の意図、双方のズレが、どちらにとっても不幸な環境をを招いて、早期離職者の大量発生を生んでいる。

 まあこれだって20年前にもあったことで、好景気ってものをバックに企業が大量に人材を抱え込んでは、やがて不景気でリストラしていく過程で使う場所がなくなり、そして使われる方も使われ方に疑問を保って離職へとつなが事態が起こった。だからこそ今はそうした当て所のない採用に乗っかるなり、乗せることはしないで適切なマッチングを計る様にし、そしてそこから外れても修正が効く弾力性を、社会に作り上げる必要があるんだけれど、現実はもっと酷い方へと向かっていて、1年以上も前に進路が決まったと思ったら、半年前にすでにいらない子扱いされてしまって、未来を失ってしまう人が出てしまう。なおかつそこからの挽回は不可能。これっていったいどいういう事態だ。どこかがやっぱり違ってる。狂ってる。

 そんな事態を憂慮すると報じるメディアにしてからが、3年生を相手にセミナーとかやってて抱え込んでいたりするから酷いというか虚しいというか。果たしてどうすれば是正られるのか、ってところだけれどもうーん、昔みたいに建前としての4年生時の10月1日を解禁日としてその前3ヶ月くらいを就職活動に当てるようにすれば収まるかっていうと、やっぱりそうでもないからなあ。かといって新卒採用というシステムを変えるには時間がかかる。雇用の流動性向上は同時に解雇の流動性も招きかねず、そこに不景気がのっかれば起こるのは、大きくない流れの外側にはじき出されてしまった人が陥るとんでもない事態だったりする。

 そうなった時に働くセーフティネットが強くって、そしてワーキングさえしていればプアにはならず将来にまだまだ希望を持てる社会って奴が、あれば何とかなりそうだけれどそっちはそっちでまるで是正される風がない。このままだと大学入学前から就職活動が始まって、大学の4年間を就職後の下準備に当てるなんて社会が来てしまうかも。だったら企業が大学作って採用者を入学させて、成績とかで振り落としていけば良いんだ。それはそれで実に薄気味悪い世界。そんな世界に今まさに生きている人たちには、ただただ同情するけれども、そう言っているこっちにだって、福祉切り捨てという現実の中でのたれ死んでいく可能性があるからなあ。ホント、生きてて良いんでしょうかってなもんだ。

 とか言いつつ一方では、でデザインフェスタって奴が同じ会場で開かれていて、そこには就職とかしていてもやりたいことのために時間を作ったり、辞めてしまってのめりこんでいたりと自在に生きている人たちがいっぱいいて、めいめいに作品を出してそれが他人に喜びを与え、自分にも喜びをもたらすような環境を作り出している。仕事を辞めてひょうたんを作り始めて綺麗な塗装のひょうたんとか、いっぱい並べてるおじさんもいたし、かえるのようながま口を引っさげ並べ、参加4回でプロデューサーがついて企業コラボが始まった青年もいる。やればやれる実例って奴を、すぐ真横にながめながら、法律でもあるかのように真っ黒いスーツで並ぶ男子女子はいったい何を思ったか。それどころじゃないって感じか。うーん。

 それにしてもどうしてあんなにもみんな真っ黒黒介なんだろう。昔は薄いグレーもいたし茶系だっていたよなあ、就職活動。そこからして何か根本が違っているような気がしてきた。たぶんそれは学生が冒険をしなくなったってよりは、そうした冒険の真意を見抜く目を企業が持てなくなった、企業に人を見る目がなくなって来たからなんだろうなあ。だから外見をまず見て、そして学歴成績といったデータに頼るという。そんな企業に未来はなく、そんな企業が大手を振ってる社会にも未来がないんだけれど、そうした状況が続いてもはやいったい何十年? もう取り返しがつかないんだろうなあ。うーん。今のうちに稼げるだけ稼いでどうにかゴールまで逃げ切りたいものである。


【11月5日】 目覚めたら何やら海上保安庁の巡視船が中国の漁船とヒートしている映像が、youtubeに流出しては消されたとかいった話題が並んでいて、すっかり出遅れた感。誰が漏らしたかってあたりはまあこれから、調査もされていくんだろうけどでもやっぱり、思うのは昔だったらこういうのってテレビ局なり新聞社なりに持ち込まれては、報道の名の下に公開されていたものが、今は全世界レベルに編集なしで一気に放送配信できるシステムが、選ばれ使われるんだなあってこと。

 まあ沖縄返還密約事件の昔から、たとえ正義のために情報を漏らしたところで、それをメディアがそのまま使うってことはなくって、内部の競争に使われたり、政治的な駆け引きの材料にされて、漏らした側の意図そのままにメディア上で展開されることなんてないって分かってしまっているから、出す方も相手を選びたい気持ちになって、当然かもしれないてことなのかなあ。例の大阪地検におけるフロッピーディスク改竄の問題だって、メディアには持ち込まれているけれどもその裏でどういう意図が働いていたか、考えればあれやこれや考えられるし。

 今回も割に引き合いに出されている沖縄返還密約事件は、何かメディアの頑張りが政治的な圧力に屈したって構図でもって語られていたりするけれど、その情報がどうやってとられたかって尾籠な詮索はまったく抜きにしても、情報のすべてが報道されたって訳じゃなく、それが政治家の手に渡され国会っていう場所で質問されるといった展開を見せたことに不思議がある。それもひとつの告発の方法だとしても、ジャーナリズムがジャーナリズムの範囲で論陣を張るのが筋ってものだったはずなのに、政治家たちによる論争の具にされてしまったところに、どこか違和感がつきまとう。

 もちろん今回の映像流出に、まったく意図がなかったと言い切ることは難しいけれども、少なくとも政治的な駆け引きの具として材料が使われ、それにメディアが1枚かんでいたりするなり、かまされているような構図がない分、すっきりと対象物を見ていろいろと判断できる。メディアがもはや社会の木鐸でも正義の徒とも見なされていない時代の到来を、誰が漏らしたといって起こる前にメディアは深く考えるべきなんだろうなあ。って他人事でもないんだけれど。

 とっとと消されてしまった映像を、すぐさま録画してDVD−Rか何かに焼いて秋葉原で売る業者とか出てきたら、それはそれでアグレッシブだったんだけれど、ジャニーズのライブはその場で焼いて水道橋の橋の上で売られても、こういったものは需要もあんまりないのか実行はされなさそう。だったら中国の漁船と日本の海上保安庁の巡視船を、それぞれに擬人化しては追いかけあったりぶつかりあったり掘りあったりす様を、ボーイズラブな漫画にして、同人誌としてとらのあなあたりで頒布するくらいのアグレッシブさを見せてくれても、日の本鬼子的にユカイツーカイなんだけど。それをどういった層が購入するか分からないから誰もきっとやらないか。かといって萌えっ娘化ではあんまりぶつかりあったり掘りあったりするビジョンを耽美的に描けないからなあ。

 まあメディアが恣意的で誘導的でためにする記事を載せて平気の平左なのは昔っからなんでどうということもないんだけれど、それにしても出来レースだなにだと批判する口でもって平気で誘導をやるから信用できないっていうか、それこそ出来過ぎ記事じゃねえかって意見を食らって沈んでいくことになる。FRIDAYが例の水嶋ヒロさんのポプラ社小説大賞新人賞の受賞について記事にしているんだけれども、そこに「大きな文学賞は、大抵の場合、すでに発表された作品に与えられるので、今回のようなケースは珍しい」なん大手出版社の文芸担当者のコメントを引っ張ってきたりしているからうさんくさいというか何というか。そりゃあ芥川賞なり直木賞といった文学賞は刊行された本なり掲載された作品を大賞にした賞だけど、一方に新人賞って奴もあってそれが発表されている作品に与えられるものでないことくらい、文学担当者だったら新人だって知っている。

 講談社で言うなら野間文芸新人賞なんかは発表された作品が大賞の賞だけれども、支援している江戸川乱歩賞なり、主催している小説現代長編新人賞載は応募してもらった作品を審査して選考して受賞者を決める。ポプラ社小説大賞はそうした新人賞のひとつであって、珍しくもなんともないんだけれどもその受賞の不思議さを強調したい記事を作り上げる文脈では、誰だって分かっていることが伏せられ、さもおかしいかのように書かれる。でもねえ、今時のFRIDAY読者だってそういった指摘がまるで見当違いなことくらいすぐ分かる。それなのにあえてそうした文脈を載せてしまうところにいったいどういう意図があるんだろう。

 結果のためには過程なんですっ飛ばして良いって判断か。それとも本当に筆者は文学賞に発表作に与えるものと、未発表作に与えるものがあるって知らなかったのか。前者だったら悪趣味だし後者だったら拙劣。どっちにしたって劣化には代わりがない訳で、それをまかり通ってしまっているところにこの国の、メディアの不振とメディアへの不審の根っこがあったりするんだろう。苦しいなあ。あと、読んだけど今いちだったんで突っ返した編集者がいるって話は、これだけの話題性のある素材を逃したって点から論われても、決して自慢にはならないよ。来たのなら捕まえ育てるのが編集じゃん。それを怠り今になって言うのはやっぱり、悔しかったんだろうなあ、相当に。

 何気なくはめた腕時計がコントローラだったのか。通りがかった道ばたに座っているのはミニスカタイプのメイド服を着た女の子。会うなりご主人様と呼んで少年に付き従おうとするばかりか、エロトークを炸裂させては少年の煩悩を刺激する。けど半ばそうした冗談めかした会話でもって距離を縮めたメイドは自分がロボット娘だといい、とある博士によって作られたものでそれがコントローラを填めた少年に従うことになったんだと言って家に押し掛ける。どうして少年の家にそんなコントローラーが。っていった理由もなければ少女がとんでもない技術でもって作られれたロボットだという非現実的な設定が成り立つ理由も不明。そういうもんだという不思議さと、そして少女が淡々と繰り出すエロトークにまみれながらも少女が少年を主人と認め、必至になって闘う様にジンとさせられる舞阪洸さん「スーパーロボッ娘 鉄刃23号」はガガガ文庫から発売中。


【11月4日】 届いた3日の「ANIMAX MUSICS 2010 FALL」のセットリストを眺めて見直してなるほど1980年代からずっとアニメばかりを見ていた人間にとってはベスト過ぎるチョイスで、その下の世代にとっても見知っていたり伺っていたりする作品からのグッドなチョイスだったと感じられる雰囲気があって、だからこそ大勢を納得させられたんだろうと理解。そうでなくてもアニソンのイベントなのにアニメでもなく特撮でもなく映画でもないオリジナルの楽曲を歌われたりするケースも多少、あったりすると言われる昨今、完全に知ってはいなくても何とはなしに覚えている楽曲だったら聞いていて分かるし理解も及ぶ。置いてけぼりにされるって気分を味わわずに済む。ここが多分とっても大切な所なんだろう。

 我が世代ではLIPSってニャル子な阿澄佳奈さんと黒ロリな片岡あづささん、そして原紗友里さんが並んだグループが今はもうとてつもなく懐かしい30年近くも昔の楽曲「ラムのラブソング」を歌ってくれたのはクリティカル。とはいえ集まった世代にはやっぱり少し縁遠かったのか、「好きよ好きよ好きよ」のあとに来る「ウッフン」を大きな声で叫ぶ人がいなかったのが淋しかった。これが中川翔子さんによる「星間飛行」だとちゃんと揃って大声で「キラッ!」を叫んでいたもんなあ。そこんところがなるほど世代という奴か。ちなみに「星間飛行」はランカ・リーの踊りを中川さんが完璧にコピー。左右に体を振る動きも、急降下で手のひらを下に下ろし急上昇で上に上げる仕草も見せてそこにランカがいるんじゃないか、って思わせはしなかったけれども感じさせてはくれた。偉いぞしょこたん。

 アニマックスのアニソングランプリ出身者では第1回目の受賞者の喜多修平さんが「機動戦士ガンダムZZ」から「アニメじゃない」を披露。これは世代的にもちゃんとマッチしていたようで「アニメじゃない」と歌うと「アニメじゃない」ってちゃんと返して盛りあがっていた。最初の放送からだって四半世紀近くは経っているんだけれどそこは再放送なんかもちゃんとあって見てたんだろうなあ。やっぱりガンダムからは「機動戦士Zガンダム」の主題歌の「水の星へ愛をこめて」を下川みくにさんが歌い、「機動戦士がナムF91」から「ETERNAL WIND」をLiaさんが歌ったりとガンダム好きで森口博子好きな多分30代後半あたりにはたまらないセレクトだった印象。オールドファンには「機動戦士ガンダム3めぐりあい宇宙編」の「めぐりあい」をGRANRODEOが歌って、いっしょにGRANRODEOのファンも引っ張り込む。これはちょっと他では聞かれないロックなアレンジだった。

 一方で玉置成実さんが冒頭近くで「機動戦士ガンダムSEED」から「Believe」と「Reazon」を歌いKalafinaが「あんなに一緒だったのに」を歌ったりとSEEDから00と続く新世代のファンにも目配りをしていたりする所も抜かりがない。っていうかそれほどまでに世代世代にピンと来る楽曲があるってのもガンダムの凄いところか。ここにT.M.Revolutionとかラクル・アン・シエルが混じれば「機動戦士ガンダム00」の歌だって聴けたのに、ってのはさすがに無理難題か。いやいや去年の秋は新木場で「アビングドンボーイズスクール」が出た訳だし、やってやれないこともないのかな。それだとガンダム大会になってしまうから今の濃度くらいでちょうどいいのか。

 むしろ本当にいて欲しかったのは平野綾さんなんだけれども、見てはいたけど出演はなくって名曲のひとつの「Lost my music」はMay’n部長が歌いそして「God knows…」はHIMEKAさんと、どちらもそれぞれに完璧な歌声でもって聞かせてくれたけれどもそれが本家でなかったことが一抹の寂しさを感じさせる。これが3年前だったら紅白に出るの出ないのって言われていたのは確実に平野綾さんだったのになあ。今だってシングルでは名曲もたくさんあるんだけれど、アニソン中のアニソンといった感じで迫ってくる部分がややないだけに目立てない。ただでさえメディアは目立つものだけを余計に目立たせることしか出来ない情報弱者だから、今の平野さんだと知らない聞いたこともないってスルーされそう。ならばだからテレビシリーズと劇場版のブルーレイ化を機会にアニメ声優でありアニソン歌手としての存在感を、今いちど満天下に示して欲しいもの。そしてタレントであり女優であることも天下に感じて欲しいもの。そのための協力は惜しまないつもり、って協力できる立場でもないんだけれどね。デカくなりたいなあ。

 千葉県始まったか。あの千葉県擬人化キャラクター、って言っていいのか謎だけれども千葉県の形をそのまま引き起こしつつも富津岬にだけは訳あってご辞退願ったキャラクターとしての面白さ、そして真っ赤な色の派手さでもって数年前から何だこりゃ的話題を巻き起こし、そして知らず人々の心の中に浸透して、本番を迎えた千葉国体でブームに一気に火がつきそのボディの色と同様に真っ赤に燃え上がってしまったチーバくんを、このまま眠らせるのは惜しいと千葉県が千葉県のキャラクターにチーバくんを起用したとかどうとか。既にして千葉市には菜の花だか何かをモチーフにしたキャラがいたりするけど、千葉県には何があったかと考えて何もなくってちょうどぴったりそこに収まったって感じ。埼玉が国体のキャラクターのコバトンをそのまま県のキャラクターにしたようなものか。ユルキャラブームなだけに何かにつけてキャラを作ってしまう風潮が、良い巡り合わせを生んだってことで。これがもうちょっと時代が下がって萌えキャラが一般化した際には、まだキャラクターがない県に作られた萌えキャラがそのまま収まったりすることもあるのかな。それはそれで愉快そう。

 うーん。鷹崎駆真にとって在紗はだから12歳の今が可愛らしさの頂点であって絶対であってそこから成長して例えばボッキュンとなったりスラリとなったりしてはちょっとゲンメツってことになりはしないかって懸念おあったけれどもそこは姉バカも極地を極め抜いた駆真だけあって、肢体とかではなくって存在すべてを愛おしく思っていた模様。橘公司さんの「蒼穹のカルマ6」(富士見ファンタジア文庫)ではいろいろあって未来からやって来ることになった5年後の17歳の在紗“たち”を見たカルマは今の在紗に負けない反応をびしばしと示しては、その影響でもって脳天に血を上らせあげくに花から血をまき散らして沈黙に至るという始末。情けないことこの上ないけれど、当の駆真にとっては至福も至福の時間だったかもしれないと思うと案外に同情はできなくなるかも。

 それにしても幾度となく時間軸をずらしていった展開でどれがリアルな駆真なのか分からなくなるのが辛いところ。反復では因果がズレてしまうけどそうれないとしたら確実に幾人かの時系列で駆真は断たれ誰かが悲しみを追っている。それがシリアスというものなのかもしれないけれど、だとしたらギャグにまみれさせてしまって良いというものでもないだけに悩ましい。あるいはめぐりめぐった状況の果てが女王様ですら制御の聞かない空獣が現れ襲ってきている物語世界の訪れなのかもしれない。さても複雑さを増す状況の中で駆真は最強にして最愛の敵に挑めるか。見たらやっぱり鼻血を出してあの世行き? 個人的にはでもやっぱり博士な在紗が良いかなあ。でもそんな上を行くのが鳶一槙奈のキャンディカルマ姿かも。なんと愛らしい。是非にフィギュア化を願いたいものである。である。


【11月3日】 なんかの日。大臣が国旗に例をしないといきまいている人の家にはきっと旗が立てられ車の前にも旗が掲げられていることでありましょう。ちなみに僕ん家は実家ではたんと旗日に旗を立てていた。ボーイスカウトって割と国旗を扱うこともあったんで、儀礼への感度はあったし田舎だったんで家にはちゃんと旗があって、白黒の竿も頭の玉もそろってた。そもそもがちゃんと玄関脇に立てる金具がついていた。今時の家ってそういうのってあるんだろうか。アパートとかだとまずないし、オートロックのマンションだと玄関前に郵便受けすらなかったりしそう。そんな国旗から放されっぱなしの住環境をとやかく言わずに、儀礼が廃れるも何もあったのんじゃないのでとあるライトなメディアには、住宅メーカーが家を建てたなら旗立てを玄関脇につけることを旨とするようなプレッシャーをかける論陣を、是非に張って頂きたいもの。崇高にして高貴な問題を、特定勢力の非難のための道具にしちゃあ、いかんよな。

 別に国旗のつもりはないけど赤いコートを羽織って出陣。横浜方面へと出かける用事があったんで、ついでにみなとみらい地区にある横浜美術館でドガの展覧会で見ようと思ったんだけれど、聞くところに寄るとみなとみらい辺りはAPECに向けた警備が激しく、警察官がわんさかで、そんな所にこの季節だからとM−65フィールドジャケットとか、アルファのM−1とかを着てジャングルブーツなんかを履いていったら、胡乱と思われ手招きされるのがおち。ただでさえ人見知りで挙動不審で自意過剰な人間なんで、そうでなくても怪しいと思われるんでここは状況を逆手に取って、むしろ目立つ格好をしていれば相手もそんな目立つ奴が危ないはずはないと思って寄ってこないんじゃないかっていう、まさしく自意識過剰でしかない思いこみから赤で固めていった次第。

 けどしかし実際に到着してみると横浜駅にも立っていたし、みなとみらい線の改札口にも立っていたし地上にも辻に警察官が立って警邏中。道路の方はといてばパシフィコ横浜へと向かう道路のほとんどすべてに警察官がいて検問を張ってて、休日だったら気楽に回って展示場とかモールとか、マリノスタウンとかアンパンマンミュージアムなんかを見られる一帯になかなか入れない状況。もはや展示場しかなかった時代とは大きく変わって、ショッピングモールもあればアミューズメント施設もあり、住宅もあってマリノスタウンもあるあの地区を、ガチガチに固めて会議をやる意味ってどこにあるんだ? 洞爺湖サミットだったら山奥を占拠しメディアも押し出し安心安全の中で世間に迷惑をかけずに開催できたものを、今回は町中も町中で開催とは。病院だってあるのに急患とかどうするんだって見たらそこはけいゆう病院、神奈川県警の病院だったんでそこは警察のためにってことになるのかどうなのか。いずれにしても近寄らないのが吉。

 さてドガだ。踊り子だ。村下孝蔵だ、ってそれは古すぎる。印象はでも写実に走ったところのあるドガの絵がいっぱい来ているだけあって、午前10時のオープン前からやや行列が出来ていて、これはしばらく待ちかもと心配したけどどうにか10分くらいで中に入れてあとは自在。それほど観客もおらずゆっくりと間近にいろいろな絵を見ることができた。踊り子を斜め上から見下ろして描いた有名な「エトワール」って絵は、100年とか昔に描かれたとは思えない艶と照り。油絵ってそういうところがあって生々しさが伝わるんで面白いけど、それってどれくらい保つものなんだろう。あと100年保つんだろうか。そんなあたりを考えると、今これを見ておく意味ってのもあるんだろうなあ。写真じゃなくって実物として。

 絵よりも面白かったのは彫刻で、生前に作られたらしい1つはブロンズの像なのになぜか布製のバレリーナのスカートめいたものをつけて、布製のリボンを頭にまいてあったりして、ミクストメディア的なアバンギャルドさを醸し出していた。そりゃあ無骨な土塊の見た目よりふんわりとした布地の感触の方が美しいよなあ、踊り子を愛でたい目にはだから布をつけるのが当然の選択だったんだろうなあ、などと邪推。死後にブロンズにされた作品もあって、こちらもさまざまなポーズの瞬間をちゃんととらえた作品になっていた。目がカメラになっていたってドガへの評価もなるほどと伺える、て思っていたらちゃっかり写真を参考にした絵も。そうかドガの時代にはもう写真があったのか。でもそうではなかった時代には、通い詰めて踊り子の動きの瞬間を見つめ切り取り絵にしていたんだろう。その方がむしろ躍動感が感じられるから不思議なもの。現実の瞬間を切り取った写真を上回り、想像の瞬間を描いた筆はなおいっそうの想像を喚起し、よりいっそうの動きを感じさせるものなのだ。

 警察官の網をくぐり抜けて地下鉄で新横浜へと到着して、午後の2時には横浜アリーナ入り。「アニマックスミュージックス2010フォール」っていうアニマックスが主催しているアニソンのイベントを見物に来たんだけれど、去年の今頃が新木場のライブホールだったのが今年の春にはJCBホールへと格上げになって、そして横浜アリーナと段々に会場を広げ規模を広げているところが、昨今のアニソンイベント花盛り状況を映していて実に頼もしい。この勢いなら次は埼玉スーパーアリーナでもってアニメロサマーライブに匹敵する規模にまで行けるかな、っていうとあっちは2日間で5万とか動員しちゃうイベントなだけにまだまだ格が。横浜なり代々木なり武道館でもうちょっと揉んでからいよいよ埼玉進出、そして東京ドームといった出世を見せて欲しいものだなあ。けどしかしそろそろ本当にアニソンだけで野外フェス、出来るんじゃないのかなあ。

 さても登場したアーティストの多彩なことよ。誰も彼も旨いんだけれどやっぱり耳をそばだてて聞いてしまうのがKalafinaで、そしてアニメの主題歌として聞くとき以上にパワフルなステージを見せてくれたのがKOTOKOさん。どっちも面会したことがあるけれども、普段のおとなしかったりにこやかだったりする姿とはまるで違って時に荘厳に、時に優しく、時に激しく歌い駆け回って見る人たちを圧倒する。これがプロのシンガーって奴なんだろうなあ。Kalafinaは珍しく「魔法騎士レイアース」の主題歌をやったり、あとこれは梶浦由記さんサウンドの延長だけれど、SEEDの主題歌の「あんなに一緒だったのに」をKalafinaバージョンで聞かせてくれたのが貴重な体験。ライブじゃあやってくれないもんなあ、こういうカバーは。

 同様にSCANDALが中川翔子さんといっしょにやった「けいおん」の第1期のエンディングもなかなか。前にNHKのアニソン番組でSCANDALだけで演奏していたのを聞いたことがあったけれども、その歌声に加えてしょこたんのパンチが効いた声が乗るとまた格段に面白さ素晴らしさが輝く。最後にSCANDALのリードギターのあれはMAMIさんだっけ、がスロープの端ですっころんでいたけど大丈夫だったんだろうか。手首とか心配。SCANDALはライブでは冒頭の方で登場して、「BLEACH」とか「ルー・ガルー」の曲を披露。やっぱり旨いなあ。「KOSHI−TANTAN」なんてベースもサイドギターもハンドマイクのみになってドラムとリードギターだけでサウンド、刻んでそれでも迫力の音を聞かせるんだからなかなかに凄い。やっぱり1度は単独のライブで見ておきたいバンドだなあ。次こそは頑張ってチケット取ろう。

 しょこたんはカバーで「スレイヤーズNEXT」の「Give a Reazon」を披露してくれて、好きな歌を巧い人がうたってくれるとこんなに有り難いものかという嬉しさに浸る。あと聞いて懐かしかったのは「鳥の詩」とそれから「last regrets」っていうゲーム発のアニメの2曲か。詳しくは見てないんだけれどCMに流れてたんで耳に強く残ってる。そんな感じに耳になじんだ曲とかいっぱい出てきて楽しかったカバーとそれから最新の曲がわんさか登場したライブパートも含めて時間は実に7時間。間に休憩も入ったけれどもそれでもしっかりと聞かせてくれたライブはきっと記録になり、記憶となってこれからのアニソンの歴史にしっかりと刻まれることだろう。テレビで放送するから見たいんだけれどもCS、入ってないから見られないんだよなあ。DVDは出ないのかなあ。


【11月2日】 なんかどこもかしこも劇場限定版のブルーレイディスクは完売みたいな「機動戦士ガンダムUC epsode.2」はなるほと、公開当日にチケットだけ買ってそれで行列に並んでブルーレイだけ買って、映画を見ないでそのまま転売に走った人た多数だったってことなのか。舞台挨拶を終わった後で降りてきたエスカレーター横の張り紙に、夜までの公開スケジュールがすべて満席になっていた理由が分かったよ。チケットがそれが購入券代わりになっていたってことなんだな。

 いくら人気シリーズだからって、それほどまでに席の埋まる作品でもないって思っていただけに、満席の連発はちょっと不思議だったけれども、売値の7000円に映画のチケットの1000円某を乗せても、ブルーレイさえ手に入れば、転売して1万円以上になればしっかり元は取れるって訳だから、そりゃあ映画なんか見ないでチケット買って行列に並ぶわな。そんな映画をないがしろにする奴ら、でもって付録に興味も持たずに金だけ抜こうって奴らに協力してやる義理もないんで、バンダイビジュアルはとっと限定版をシナリオ付きで増産して劇場にまくなり、方針を改め発売版にもシナリオを乗せて売り出して、転売屋共を愕然とさせてやるが良い。

 そうでなくてもいずれパッケージを買うつもりでいて、それでも余録があるからと劇場でも見ようとしていた人たちの足を遠のかせ、空っぽの劇場で映像だけが流されるという無意味で空虚な時間があと10日間も繰り返されることになりかねない。それって劇場で見て貰って評判を感じて貰って、作品への好感も抱いて貰ってパッケージの売り上げ増に結びつけようっていう当初の意図からまるで外れてしまってことだから。本意どころかむしろ逆の効果しか生まないことを認めてはアニメ屋さんの名折れだぜ。まあでもの細密な絵はやっぱりデカいスクリーンで見ておきたいって気にもさせないこともないからなあ。気が向いたら見に行こう。再生産が来ていることもちょっぴり期待しつつ。

 「こども園」か。こどもの園か。その語感だけで妙に昂揚した気分を覚える世間も一方にはあったりするんだろうけれど、一方にはどこかヌけた感じの語感に合わせて丸めて八方治めようとしてスベってコけるお役所仕事のパターンに準拠したものでしかないような気もしないでもなかったり。たとえば「私しごと館」とか。もう名前を見るだけで本気で仕事についての理解を深め、ついでに就労の支援に向けた活動も行うような場所に見えないし聞こえない。何かやってます的アリバイ作り感が芬々と漂う語感は、現実にもそのとおりの活動しか出来なかったみたいで、哀れにも本気で子供に職業体験をしてもらう「キッザニア」のつま先にも及ばないまま廃止に至った。まあ当然か。

 「こども園」については、そうした特殊法人的なおまけ事業とは違って一応は、幼稚園と保育所っていう2つの機能をいっしょにして、未就学の子供たちについての面倒をちゃんと見る仕組みを整えましょうって意識から生まれた制度なんだろうけれど、あまりなネーミングセンスが、そうした意欲をげそっと剥いで、別の違った空気を漂わせてしまっている。出来上がって来たものはどっちつかずでどうにも使い勝手の悪そうな空っぽの箱。幼稚園のような明確な方針に基づいての選別的教育もなければ保育園のように働く親を支える機能も殺がれた、妙な平等が蔓延る一方で融通も利かないという代物になっていそう。そうはならないように頑張りますって言われても、現実に過去に出てきたのが「私のしごと館」だったりするからなあ。名は体を表す、ってことで再考をば願いたいところ。んじゃ何が良い。「幼学校」。味気ないなあ。

 12歳だからこそ目を奪われ心を砕かれていたんじゃないのか、鷹崎駆真は鷹崎在紗に。でもそこは超弩級の戦闘能力を持ちながらも超絶級の変態でもある駆真のことだから、それが個体としての在紗でさえあれば容姿も属性もお構いなしに興奮して脳に血を上らせ花から血を噴き出させたあげくに失血とショックによって死に至らしめるように働くのかもしれないなあ。といった感じの橘公司さんによる「蒼穹のカルマ」第6巻は、もはや異次元異世界何でもありのごった煮状態に加えて遂に時空の壁すらぶち破られ、未来から17歳に成長した在紗がやって来ては駆真の死を防ごうと尽力するも防げない。

 目の前で駆真に死なれた在紗が、長じて姉の死を防ごうとして戻って頑張る繰り返しの果てに見えるもの。それは強い思いがねじ曲がって悪意となってしまう恐怖だったという展開の、探れなどこかにパラドックスなかも見えたりするかもしれないけれども、さまざまなパターンで現れる在紗の前には、そうした矛盾なんてものは見えない聞こえない知らない感じないから大丈夫。気にせず繰り返されるおバカな死に様に笑い転げよう。しかし本当に見境ないんだなあ駆真は。個人的にはキャンディカルマのポーズで立った鳶一槙奈も悪くないけど。まったくもって悪くないけど。


【11月1日】 二代目メルクが女の子にしか見えない「トリコ」は良いとして、久々に連載が再開された「BLEACH」は一連の事件から17ヶ月とか経って平穏無事になった世界で始まる新たな戦いだけれど、死神の世界はおろか現世まで巻き込んで大揺れに揺れた話を上回るスペクタクルって奴を得られるのか、それとも小さく黒崎一護が日常を護ろうとする話で押さえるのか。

 何しろ先日まではほとんど全編に渡るクライマックスだった訳でそれを上回るスケールにすると、今度は1年2年では話しが終わらない。かといって小さいままってのも……。そんな塩梅をどう裁き、これからもずっと興味を抱かせる展開へと持っていくのか。久保帯人さんの手腕、見物です。そんでもって「ONE PIECE」はナミさんロビンちゃんの胸が大きかったり大きかったり。サンジが上から見ただけで鼻血を出すのも分かるくらいの成長ぶりで、ナミはともかくもう良い大人だったロビンちゃんまでが成長できるものなんだと、人間の持つ素晴らしさって奴に舌鼓。この勢いでいけばヴィヴィだって……あんまり育ってなさそうな感じ。

 あと久々にベローナが4段ぶち抜きの巨大さで登場してはルフィもゾロもサンジも討ち果たす必殺のネガティブホロウを放って海軍を返り討ち。しばらくの共同生活でやっぱりゾロに気が移ったか。ゲッコーモリヤもアブサロムたちの救出にあってどこかで養生しているはずらどうけど、そっちには合流しないでルフィたちの旅路を見送るのかな。さても始まった新世界への旅。そこで待つものは? ってことで次号もまた売れちゃうんだろうなあ。

 本屋でチラりと「鉄腕バーディーEVOLUTION」を読んだらクリステラ・レビがいつパイだった。もうとてつもなくいっパイいっパイな誌面にこれは買わないといけないという思いに駆られて乗っていなかった先週を飛ばして「週刊ビッグコミックスピリッツ」を買ってしまった。こういう動機って重要だよね。漫画を読む側にも。描く側にも。いやあなかなかに良い物を、拝ませていただきましたので感謝感激優木まおみ。なんでやねん。

 気になるのはクリスタル・レビとチュニカの混ざり具合で、レビが怪我をしてチュニカは死んでしまったあの事故で、どいういったまぜこぜ作業が行われたのか、それはつとむが心だけ抜かれてバーディの体の中に放り込まれつつ、日常はつとむの格好でいるようにされているのと同じなのか違うのか。つとむの場合は意識として完全にバーディと2分されているれど、レビの時代はまだそれが不可能で、レビの意識がチュニカを覆ってしまった形になったのか。分からないけどどっちにしたって良い物、見せてもらっているので気にしない。これからもいっパイにいっパイな展開を期待。むしろお願い。

 おいおい今だって6位だよ、3位のガンバ大阪から勝ち点で4つでうまくすれば逆転可能な位置にいて、どうして監督が今年いっぱいで契約終了になってその一方で、4位にあって3位までの勝ち点差が7に広がって、もはや逆転はほぼ不可能って状態にある監督がそのままのうのうと居座っているんだよ。たとえ今すぐにではなくても準備を始めておかないと、良い監督はとれないし来年からのスタートにも間に合わないって時期にあって、それでも今の監督を置いたままにして自分たちも居座るつもりなのかジェフユナイテッド市原・千葉のスタッフ陣は。

 それとも密かに起死回生の監督を用意していて、J2残留が確定した段階で契約を行い天皇杯がもしも残っていたらそっちに任せるとかすれば認めてあげないこともないけれど、そんなことが出来るくらいなら夏場に3位くらいに下がったあたりでこりゃダメだと見切りをつけて、首をすげ替えているよなあ。たとえはい上がったって1年で逆戻り必至だもんなあ。ダメだこりゃ。市川大祐選手&伊東輝悦選手を獲得したらまだ許す。監督付きならなお結構だ。

 よくは知らないけれどもあれだけ地道にひとつひとつの作品を読んで賞をやれそうな時だってやらなかったりしたポプラ社小説大賞の人たちが、いくら有名どころが飛び込んできたからって今までの鉄則をぐいっと曲げて横から滑り込ませるなんてことはないし、ましてや上に積み上げるなんてこともないってのがとりあえずの印象。だいたいが既に1次の時に残って2次上がりが発表されていた訳で、締め切られた初夏の時点ですでにしっかり応募していたんだろう。

 そこから最初の選考を抜けて1次のいくつかに入ってそこから2次を抜けて最終選考へと回っていったんだと考えるのが極めて妥当。その時点ですら気づかれなかったものが結果を発表して名前を出した途端にそれはと気づく人がいて、殺到する問い合わせに調べたらそういう自体になっていたのか、あるいは最終結果を発表するときにすでに分かっていて、おそるおそる出したけれども反応が激しくて戸惑ったというのが状況なんだなかろうか。少なくとも2次の段階で正体が露見していたとは思えないんだけど、実際のところはどうなんだろう。担当した人になら分かっているかな。調べるとことか出てくるかな。

 まああの2000万円って高額賞金は、それで3年は食いつないで良い作品を書いてくださいよっていう、主催者側の温情であり、いっぽうで、うちでしばらく書いてくださいっていう契約金みたいなもので単なるそれを目当てにして良い作品を集めようっていったものとはちょっと違う。ある意味では奨学金的なニュアンスを持ったもので、それがあんまり必要ない水嶋ヒロさんの場合には辞退って選択もありえたのかもしれないなあ。辞退と一緒に専属契約も除外っていうこともあったりするのかな。とはいえ同じ土俵で戦ってそして勝ちえた栄誉なら、堂々と貰った上で何に使うかをみせて欲しかったって気も。

 奥さんがバセドウ病で苦労しているなら、そうした境遇にある人の支援に回すとか。高校生でサッカーで怪我をしてリタイアした人が進路に苦労しているなら、そうした人がセカンドサードなキャリアを選べるような基金とか。やったらさらに格好良かったけれど、辞退した以上はそれを受けたポプラ社側に、何か文学のため世界のために役立つような施策を求めたいところ。低原稿料に喘ぐ書評家たちに日々の糧となるような基金を設置しお金を回すとか。そうした結果が好評に跳ね返ってくる……ってそれはさすがに買収だからやらないか。ポプラ社の本で育った世代には、子供たちがいっぱい本を読める環境作りに使って欲しいなあ。


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