縮刷版2009年8月下旬号


【8月31日】 たぶん最終日だけれど明日になったら日付は7月10日に戻っていてお台場で富野由悠季監督が古谷徹さんといっしょに「機動戦士ガンダム」の等身大立像の下に立ち、何か言っているのを前にもなんとなーく聞いたことがあるなあと思いながらもいよいよ始まった夏シーズンの暑さに辟易としながら、それでも選挙に向けて動く人々の喧噪をながめ高まる民主党への政権交代への可能性にここで何とかしないといけないぞって思いながらも果たせないまま迎えた8月30日。

 総選挙は民主党の大勝で終わり会見で無念をさらした麻生総理に向かって何か一言、いわないとまた同じ敗北の会見を繰り返すだけだと思いながらも果たせず8月31日の「機動戦士ガンダム」等身大立像閉幕は台風の中でとてもじゃないけどイベントにならず、このまま消滅していくんだろうなあと漠然と迎えた午前0時に時間は7月10日へと戻ってそして富野監督や古谷さんやGACKTの叫びや自民党の断末魔なんかをまたしても目にして耳に聞いて8月30日のあの場面を迎えるという、悪夢のエンドレスエイトであってもその先に来る民主政権を思えばそのままエンドレスで8月が続いていてくれた方が良いよなあと思っている人も案外近くにいたりして。たぶん4万キロくらい離れた場所に。

 外は良いから中が見たいのに外は描いてあっても中は見せてくれないのが残念至極な林トモアキさん「ミスマルカ興国物語5」(角川スニーカー文庫)は、いよいよ極東の地へと降り立ったマヒロ王子ご一考。ひとあし早く到着しては、ハオウと名乗る肉体言語だけが言語の大東京国国王あいてにゴロまいて、チョーパン(頭突き)連発で沈黙させたルナス姫からかかる追っ手も何のその。富士山そばにある紋章の在処へと出向いては、マヒロの力で手中に収めようと画策したもののたどり着いたそこは何故か忍者のテーマパーク。忍び忍ばれて生きるべき忍びが何でまたこんなに派手なことを? との問いにはすなわち「恥を忍んでいる」という名答も飛び出しやんやの喝采となったものの、それでもやっぱり意味不明。

 とはいえ楽しげなところには飛び込んでいくのがマヒロ王子その人。のぞけばそこにはテーマパークに絶対必須のかわいいかわいい着ぐるみがいて、自らを「ニンニンくん」と名乗った途端にマヒロ王子のドロップキックが炸裂し、哀れニンニン君は転がり河へと落ちて水浸しと相成った。何がそんなに嫌いなのか。でも後ですぐに仲良くなったりしかたら案外に自分より目立つものが嫌いなだけかも。それとやっぱり中身を知らなかったという。そう中身。中に人なんていないというのが着ぐるみ界の鉄則とはいえ、それで着ぐるみが動き回れるようになるほど世の中は甘いもんじゃあございません。

 カパンと首を外せばそこには立派に人の影。あまつさえその姿態たるや……ってところで途端にヨロめくマヒロ王子だったけれども、それがいったいどれほどのものだったのかは確認不能。表紙に描かれた兄貴の忍者の覆面から、ちょっとだけのぞいた目から血のつながりを頼りに想像するしかないのかな。いやしかしそれだと鋭すぎ。果たして引き続いての登場となって晴れて姿をさらすか否か。頭領の葉多恵さんのトランスフォームした姿はあんまり見たくないよなあ。次巻は帝国が手に入れた100人のニンニン隊にマヒロがゼンラーマンとなって挑みます、って中の人が全部最初のニンニンと同じとは限らないから、キャーと逃げ回る前に見苦しいと袋叩きに合う可能性も大、か。

 汝いま何時? とは時間を聞くことはないけど他人を汝と呼ぶエミットの正体とかあって、そんなにエラい人だったんだと驚くんならパリエルだって負けてないのは先刻承知。武装メイドのエーデルワイスも奥底にあれやこれやと秘めていそうで、全開爆発となる日が楽しみだけど、それよりもやっぱり主役のマヒロが何者で、そして何をやろうとしていて紋章は何をやらせようとしているのかって辺りも、これからの展開で意味を持ってきそう。単なる恒久平和って訳でもないんだろうなあ、それにはマヒロの正体が凄すぎるっぽい。ルナス姫は……単純筋肉娘だからこれには裏は別にないか。んでもその真っ直ぐっぷりで魑魅魍魎のうごめきドロドロしがちなマヒロたちの策謀に、鋭く切り込んで行って欲しいもの。最後にはちゃんとシアワセになって欲しいよなあ。でも相手がマヒロじゃ毎日がチョーパンの繰り返し、か。これではいかなマヒロとて……大丈夫だったりして、エーデルワイスにやられ慣れてるから。やっぱり人間じゃねえ。

 音楽ライトノベルなんってのが昨今、流行っていたりしてあれやこれやと登場して来る気配。一方では神さま妖怪の類と同居する系ライトノベルがなおいっそうの繁盛ぶりを見せいる中に、はたして割って入れるのかが注目された土木系ライトノベルの「星図詠のリーナ2」(一迅社文庫)。街をめぐる裏切りへの対抗だった前巻からうって変わって最新刊では、国境付近にある街に隣国から火山の噴火を避けて流れ込んだ人たちの処遇を果たしてどうするかってところでリーナの頭脳が大回転。したもののしょせんは御姫さまだけあってなかなか答えを見つけられないまま、広場を占有している移入民への地元民の反発が高まり、押し込められた移入民の不満が爆発しかかる中で導火線に火を着け、自分たちの飯の種を作ろうと画策する面々が現れリーナたちを脅かす。

 街にはもはや新しく住まわせられる場所はないし、近隣の森はエルフの住処で伐採厳禁。下手に手を出せばエルフから総攻撃を喰らって人間の命も危うくなる。かといって遠くに放り出す訳にはいかないってところで、リーナは先代の領主が死の間際まで勘案していた施策を最後に残したヒントから考え、拒絶するエルフとも親しくなりながらしっかりと答えを導き出す。なあるほど。けどそうした工夫もより聡明な姉から見ればまだまだってところがあったりして、それなら最初っから姉が出てくれば万事解決だったのに、って思わなくもないけれど、何かと合理的が過ぎる姉ではどこかで諍いを増長させていた可能性があり、また裏でめぐらされていた陰謀にも太刀打ちできなかったかもしれない。

 だからここはリーナで正解。なおかつ新しい友人も得て未来への希望もしっかりつないだ。目先だけでなく未来につながる政治、誰かを切り捨てるんじゃなく、誰もがちゃんと幸せにになれる政治って奴の素晴らしさを、どっかの国よりも先に見せてくれている。そんな国にもリーナがいてくれたらなあ。擬せられそうな人はいっぱい誕生したけど、目がギラギラして当選することが目下の目的と化していて、民意の実現より自己の実現が先走りそうな人たちが多いからなあ。まあいい、まずはお手並み拝見といってから。その上で手腕がリーナを超えているか否かを判断だ。ビジュアルでは全滅なだけに。

 選挙速報の間隙を縫うようにちゃんと放送されてた「プリンセスラバー」はシャルロット王女様を引き連れ有馬哲平が突き進む先に強固なシャッター。マグニチュード8とかいた地震にだってびくともしないシャッターの向こうに爆弾があるんだったら、そのまま爆発させたってビクともしないんじゃないのかってツッコミはさておきそんなシャッターを木刀は無理でもチェーンソーで切り破るシャルロット王女の使い手ぶりに感心。夜な夜な振りまわす練習でもしていたか。んでもってダストシュートも耐震仕様だったみたいで放り込んで一段落。ホッと行き着くシャルロットを載せて出発したリムジンの帽子を上げたその顔は! ってことで進む陰謀。あるいは爆弾騒ぎそのものがシャルロットを拉致するためのブラフだったとしたら最後まで哲平を待ってたテロリストの立場がないなあ。ジョセフィンはまあハルトマンの秘書だけあって結局は秘書だったってことで。残る話数もそんなにない中でどんなドラマと結論が待っているか。結局誰と結ばれるのか。そんなあたりにも注目。シルヴィアと「ミスマルカ」のルナス王女といったいどっちが強いのか。戦わせてみたい。

 雨中だけれども仕事なんて京成を乗り継ぎ立石へと赴きオソカワシュピールバーレンって会社が運営している木製のおもちゃばかりを集めた「スリーリトルバード」って店の葛飾店を探したらいつも行ってるエアギター日本代表も勤務するタカラトミーの本社の真向かいだった。何度か中を覗いたこともあるよーな。前に立ち寄った「インテリアライフスタイル」ってイベントで見かけた不思議な歩く馬の玩具が気に入って、調べたらショップをやっててこいつは是非に紹介したいとコンタクト。その日が来たんで言ったら台風のど真ん中だったという不運はあったものの、その分来店客がとぎれがちでゆっくり撮影とお話を伺うことができた。

 とにかく温かみがある玩具たち。値段もそりゃあ普通の玩具に比べれば高いけれどもアニメなフィギュアとかに慣れ親しんでいる目には5000円が2万円だってそんなに高いとは思わない。むしろ安いくらい? 見た中では胡桃割り人形らしさ炸裂の胡桃割り人形なんかがあって欲しかったけど大きくて高そうだったんでパス。あと犬の形をしたゼンマイの玩具なんかもあってこれは安くてちょっと良いかも。最近入ったっていうドールハウスみたいな玩具はロールケーキを切り分けたような形からテーブルやイスなんかが引っ張り出せるようになってる工夫が素晴らしい。どこにでも転がってそうな木の小さい丸太から窓とか壁とか引っ張り出してドールハウスになるって奴も素材の妙に工夫が生きてた。これなら日本の村おこしとかで作れそう。技術があるかは別にして。どっか参考にしてみてはいかが。

 そんな品々にあって作る人の後継者があんまり育たず在庫限りって噂も出ていたブライトシュベルツのモビールが妙に気に入ってひとつ所望して帰る。本当は派手に広がりくるくる回る星の奴とか幾何学模様の奴とかが良かったけれども部屋に飾るには狭すぎるし、インテリアとしてはちょっと派手。むしろそれなら風鈴のデカいやつ見たいにつり下げられる奴がいいと選んで持ち帰る。とはいえもちろん我が家のどこにもつり下げられないんでいつか遠からず破綻が放逐へとつながって再帰から成功をつかんだ果てに、得た巨大な部屋の中につり下げる日を夢みて倉庫に眠らせよう。そんな頃には値上がりしていてくれたらちょっと嬉しい。いやしかしやっぱりつり下げたいよう。実家に送るか。


【8月30日】 雨っぽさが漂う中で早起きしてお台場に「機動戦士ガンダム」を見に行くパワーにも不足。一方で「キャラホビ」は大半の品物を見てしまっていたからあとはガレージキット系の「機動戦士ガンダム」絡みの品を見に行くって手もあったけれども起きて「ONEPIECE」を見ていたらもう11時近くになってしまったんで断念。そのまま出撃しつつ水道橋あたりを舐めて散歩して秋葉原へと到着してヤマギワの並びにある「」ドトール」に入って読書してパソコンを開いたら店員が寄ってきてパソコンは禁止だと言ってきた。

 秋葉原だぜ。パソコン持っている人間がいっぱいいてネットブックとかだって売っていたりする場所で禁止って何だそりゃ。もちろん大混雑していて席がない上に外に行列ができているってんならまだしも空席だって目立つ中で「混雑していますから」って理由にも何にもなっていない。それが禁止ってんなら読書だって禁止だし携帯電話でメールを打ったり見たりしているのだって禁止だろうに。パソコンなら長居をしそうだからダメっていうなら例えばトルストイの「戦争と平和」とか山岡荘八「徳川家康」とか持ち込んで読み始めた方がよっぽど時間もっかるって。それなのにパソコンはダメで読書は良いって発想がわからない。混雑して来たのなら携帯だろうが読書だろうが瞑そうだろうが居眠りだろうが長居は長居、だろ?

 他のたとえば雅やかな場所ならお読書は良いザマすって理由もわからないでもないけれど、そこはPCの聖地・秋葉原。パソコン開いて携帯見てネットブック触ってiPod聞いてる人間なんてゴロゴロしる場。なのにそういった措置に出て、あまつさえ理由にもなっていないことを言い出すなんてそりゃあいったいどういう了見だ、って思ったけれどもそこであれこれ言っても面倒だし、そもそもがすぐに出る用事になっていたんでそこは黙って退散する。きっともう2度と行かないし見てもドトールは多分行かない。やっぱり自分んや「VELOCHE」が似つかわしい。珈琲安いし。味はアレだけど、ってんならドトールだって一緒か。

 そんでもって石丸ソフト1へと向かって「東のエデン」のイベントの整理券を確保。参加券を整理券に引き替える抽選をやっていて箱から抜いて番号を見たら50番だった。100人くらい来るだろうからまあまあな数字かなあ、なんて思っていたら後で整列を始めたら最下位だった。なんだそりゃ。それだけしか来ないのか。ってまあ超絶有名声優が来る訳でもアイドルが歌って踊る訳でもないから仕方ないかもしれないけれども、とりあえず今んところ若手でも実力的にはトップクラスにありそうで、9月3日発売の話題のソフト「ラブプラス」では主役級にいたりする早見沙織さんがご登場って訳だから、先々を抑えたい人なら行って見てしかるべきイベントって言えるだろー。

 なおかつあのみっちょん役の斎藤彩夏さんまでご登場。調べたらそうかあの「青の6号」で幼いソナー担当の少女ホアンを演じていた子か。ってそりゃあいったい幾つの時の演技だったんだ。見かけによらず芸暦長そうな斎藤さんも」行かねばならぬ見ねばならぬと勇んでかけつけて当然なのに、この人数ってのはやっぱり世間が選挙でイベントになんて行っている暇がなかったから? それとも「東のエデン」のファンって大半がニートでDVDとかブルーレイディスクを買ってイベントに行くだけのフトコロがないってこと? うーんわからないけどともかくそれだけ集まった人には濃いめの「東のエデン」ファンが多いってことで、予定に組まれていた「東のエデン」検定での勝利がちょっと遠のく。と思っていたら案外に勝てて3問目まで正解。4問目の滝沢朗の偽名当てクイズで敗れ最終問題のパンツが願った広島カープの優勝率も分からなかったんで結果的には無理だったんだけど、それでも半分くらいまで残れたってことはそれなりにファンなんだって言って自慢しても良いんだろう。いつかまた神山健治監督にお目にかかる機会があったら頑張りましたと挨拶しよう。でも勝てなかったんでしょって言われるのが落ちか。

 トークイベントではアニメ会の2人をサイドに置いて例えば「東のエデン」でどこが好きかトークなんかもあって森美咲役の早見さんはあの水上バスに乗った滝沢が咲に手を差し伸べるシーンをピックアップ。そりゃ当然だ。あそこで大量の滝沢キュンが出たもんなあ。そんでもって斎藤さんはみっちょんが滝沢から話しかけられみったんと言われ「みったんちがう」と唸るシーン。顔とか喋りの可愛らしさが自分で演ってても心に響いたみたい。もしも滝沢朗がいたらいったいどこのシーンを選んだんだろう? やっぱりあそこかワシントンのホワイトハウス前ですっぽんぽんで立ってるシーン。あるいは咲といっしょで手を差し伸べるシーン。有りすぎてちょっと選べない。大杉君ならやっぱりヤケ食いのシーン? それともジョニーをカットされそうになるところ、ってあそこは違うか。どのシーンが良いって行っても人間としてウザがられそうだよなあ、可愛そうな大杉くん。映画には出るのかな。映画の話はなかったなあ。

 会場を出たら雨。なおかつ体調も低下傾向でちょっと西が丘でサッカーの「なでしこリーグオールスター」を見るにはキツいと感じて帰宅して野菜食べて寝て起きたら自民党が大敗していた。それはもう見事なまでの大敗ぶり。4年ほど前にあそこまで勝った政党が4年後にどうしてここまで負けるのかが分からないっていうか、分かってしまうとあまりにも虚しさと薄気味悪さが激しさを増すといった感じで一朝一夕に答えが出ない。単純に言えば前は支持されていたし今回は支持が民主党に移っただけ、ってことなんだけれどもだったら4年後にまたしても支持が移ってしまう可能性だってあるってことで、その支持がいったい何に根ざしているものなのかを考えないと、行ったり来たりで結果的に何も変わらない泥沼が、果てしなく続いてしまうことになる。

 4年前の大勝からいったい自民党に何が起こったのか。何も起こらなかったって意見もあるんだろうけどしかしそれなら何も起こしていなかった民主党に票が根こそぎ移るってのもどこか妙。野党だから起こせなかったのかもしれないけれども起こそうとして来たことを眺めてみてもいったいどれほど違うのか、って声もないでもない。つまるところは風だの空気だの気分だのってものでしかない辺りにどうしようもないモヤモヤ感が募る。とはいえもはや何も期待できないところより、これからに期待したって良いかもしれないところに流れてしまうのも道理といえば道理か。

 4年前のデカい数字が取れた要因でもなった厳然とした改革に人情の棹を差して反発を喰らって参院選で大敗し、政策運営を困難にした上とっとと逃げだし苦しさを増し、その苦しさをカバーするべくよりライトな方向へと走った挙げ句に中道すらも根こそぎ失っていってしまったの、が風なり空気なりへと至ったって考えも可能な訳で、そんな原因が今回の選挙で一掃されたかというとより濃さを増した形で居残ってしまった。あとはひたすらに先鋭化して極端化してくだけだろう。そうなってしまってはもはや取り返しがつかないんだけれどもそうなることに危惧をせず、むしろそうなって欲しいと尻を叩き続けたメディアもいたからなあ。そんなメディアはいったいどうなってしまうのか。やっぱり機関紙化か。食えそうもないなあ。既に食えないんだけど。


【8月29日】 いくら「機動戦士ガンダム」の中で主役がガンダムだからといって、ガンダムを模したアイスクリームを作って面白い商品になるだろうか。色ならバニラアイスなりミルクシャーベットで白い色を再現できる。その上にストロベリーで紅、マンゴーで黄色、着色料のシロップで青を載せれば再現できないこともない。しかし色だけんらべてもそれはトリコロールカラーに過ぎない。フランスを模したものだと言い換えても通じてしまう。

 つまりは唯一にして絶対のガンダムアイスではない、ということだ。完成されたフォルムにこそ意味がある。それはそれでモビルスーツとしてのデザインの素晴らしさを言い表していても、あまねく知らしめるアイコンとはなりづらい。だからガンダムは主役であっても、人気の熱烈度でシャアが操る赤いモビルスーツに及ばないのだ。シャアの人気にアムロが絶対に及ばないのと同様に。

 シャアのモビルスーツは違う。ひとつには色がすべて赤い。それがアイデンティティとなって一目菱電で人にシャアの愛機だと感じさせる。設定上の“3倍速い”という特徴もその存在に何かしらの意味を感じさせる。そしてこれも重要なことだが、あの独特のモノアイも、見る人に異形感と存在感を覚えさせる。一つ目小僧がはなつ原初的な恐怖に、それとは裏表のユニークさ。シャアの、というよりジオンの喪居るスーツはそのモノアイがあったからこそ連邦軍の主役メカたちに対峙して、単なるザコキャラに終わらず同等以上の存在感を放ち得た。

 ましてや赤い色に塗られたモノアイのモビルスーツたちだ。シャアの愛機が飛び抜けて強く認識されるのも当然だと言えるだろう。だからこそプラモデルになっても常に高い人気を誇って売れ続ける。アイスクリームにだってなって注目を浴びる。もっとも「ガリガリくん」のアカギが出した「モノアイアイス」は単にシャアの赤いザクとズゴックとゲルググをモチーフにしている訳ではない。

 それだったら単に赤いシャーベットの真ん中にモノアイのクリームでも載せればことたりる。実際、カップを開けて見えるモノアイアイスはそうした仕組みになっていて、シャーベットの中央に人間で言う白目部分がおそらくはコーラアイスあった目があって、中央に赤いストロベリーのクリームが詰められた、同心円状の層になっている。

 すごいのはだからカップの方で、ザクなりズゴックなりゲルググの顔の部分がプリントされたカップはベースが透明で、目がのぞく部分が実は透明に透けて見えるようになっていて、同心円状になったアイスの上に被せると、そこに描かれた目がカップにプリントされた目が動くスリットの部分から透けてのぞくようになっているのだ。

 商品写真を見た時は、単に紙のカップにザクなりズゴックなりゲルググの顔が印刷してあるだけかと思ったら、違ってアイスのモノアイ部分がちゃんと外から透けて見えるようになっていた。何という凝りよう。難というアイデア。考えるならそうするのが合理的とはいえ思いつくまではなかなか大変。まずモノアイアイスがあってどうやったらモノアイに見えるかを考えた挙げ句の結果なのか。こうしたらモノアイが外から見えると思い至って、そこから透明容器の使用を決めたのか。是非に開発者に尋ねてみたいものだ。「キャラホビ」にて記念価格で売られていたのでズゴックを1つ所望。美味かった。コンビニで売り始めたらまた買おう。今度はザクを。そしてゲルググを。

 そう「キャラホビ」が始まったんで「幕張メッセ」へとかけつけて見物。先々週の「コミックマーケット」に先週の「ガンダムビッグエキスポ」とイベント続きで売る方も買う方も疲弊しきってんじゃないかと心配して中に入ると朝1ばんではやっぱりな人手でこりゃあちょっとまずいかな、いつか「ワンダーフェスティバル」と日付が重なった時の二の舞になるのかな、なんて心配したらとんでもない。ほどなく人がわしわしと集まり始めてあちらこちらに長蛇の列。とりわけアスキー・メディアワークスのブースには婦女子ばかりの大行列がブースの横から離れて壁づたいにぐるりと伸びるくらいになっていた。こりゃあいったいどこのネオロマンスイベントだ。

 見るとどうやら神谷浩史さんとか小野大輔さん絡みの商品を中心にしあ乙女なグッズの売り場らしくって乙女な人が大集合、したみたい。「DearGirl〜Stories〜」。なるほどこういう商品はガンダム絡みが基本の「ガンダムビッグエキスポ」では売れないよなあ。あるいは「コミケ」の企業ブースに持っていっても居並ぶ男子に交じって並ばせる訳にはちょっといかないもんなあ。その意味では「キャラホビ」に持ってきて正解。とはいえとくに美少女とか美青年のキャラクターが描かれている訳でもないグッズにどうしてこんなに人が集まるのか。例え人気声優でも茅原平野後藤堀江水樹なイメージだけ、マークだけのグッズに男子の声優ファンが群がるとは思えない。その人となりが感じられるものなら紋様であっても手を伸ばし慈しむ、というのが男性声優のファンのあるいは特徴なのか。研究の要あり。

 見渡してメガハウスのブースでは「ONEPIECE」のポートレート・オブ・パイレーツシリーズで間もなく出るバーソロミューくまのフィギュアがとてつもないボリュームっぷりでちょっと欲しくなる。なるおどこいつは強そうだ。ニョキニョキの肉球はちゃんとついているのかな。あと鷹の目ミホークがいよいよ再発になるとか。央下七武会つながりで買っておくか。ナミの再発はまだまだないよなあ。ボア・ハンコックとかはやっぱりいつか出るのかな。メガハウスだとあとノーズアートなスタイルのシェリルさんフィギュアがなかなかのでき。ヒップもバストもくっきり鮮やか。これも必買。シェリルさん絡みではいよいよ公開も近づく劇場場のチケットがポスターつきで売られてた。あのヒップもあざやかなポスターが手に入るんならと確保。眺めながら公開までを指折り数えて待とう。

 見渡すと何やら賑やかな一角。近寄るとやなせたかしさんがデザインしたあれとかこれとかそれとかどれとかいった着ぐるみが大集合して踊ってた。あちらこちらの施設だとか商品だとかに向けてデザインされたものなのか。どれも確かにやなせんさんだけれどどれも全部違っている。その想像力の逞しさ豊富さにはただただ感嘆。これで「アンパンマン」ではさらに山ほどの、それもチョモランマどころか火星で1番高い1万メートル級の山を越えるくらいのキャラクターを創造しているんだから恐れ入る。国民栄誉賞ならまずは最初にやなせさんだろう、数でも人気ぶりでも稼ぎっぷりでもすべてにおいて。いやいや小さいもはや手垢のついた国民栄誉賞では足りない。ノーベル賞とエミー賞とピューリッツァー賞とアカデミー賞をまとめて繋いで贈呈。これで正解。でもまだ80点。ファンの支持がやっぱりすべてに勝る賞なのだ。

 そんなやなせさんのオリキャラたちに比べるとさすがに霞がちになるけれども、歴史からみてまだ10年がやっとなんだから仕方がない。萌えおこし系のキャラクターもすぐそばのブースに大集合していた「キャラホビ」。何やらそんなキャンペーンキャラクターを集めた本が出たそうで、そこに掲載されているものを中心に全国からいろいろなキャラクターが集まった。近いところでは銚子電鉄から例の「鉄道むすめ」が来場して濡れ煎餅と販売中。あとは最近話題になった大阪は日本橋のいとうのいぢキャラが東京へと東下りして来てくれた。東のイベントに出るのはこれが多分最後くらい? 大阪まで行くのが大変な人はここん家で確保。タペストリーとか良い感じ。

 北は羽後町からあきたこまちも来訪。隣でも違う米を売っててライバル関係? しかしやっぱり注目は遠く和歌山はみなべ町やって来てくれた「びんちょうタン」。いわゆる萌えおこしだったらここん家が最初っくらいの老舗キャラ。だけれど遠くてなかなか行けず看板に施された声優さんのサインを見る機会もなかなかなかったのが、今回に限ってわざわざ来訪してくれた。売っているのはグッズに炭入りあんパンにあとは炭。バリバリの備長炭。それがたったの1本100円というから大盤振る舞いも素晴らしい。聞けば普通に買えば1本500円は下らない品らしいんだけど、こういう場だからとまとめて売っていたからまとめて買っておきたいところだったけれども家に冷蔵庫がないからペットボトルに入れて浄化するとか、電気釜もないからご飯に入れて炊くとかできないんで遠慮する。打てば鳴る音を楽しむって手もあったけど。まあいいとりあえず今が絶好のチャンスを宣伝。もちろん頭にくくりつけてびんちょうタンになっても良いぞ。

 んでもって一眠りしてからニッパツ三ツ沢競技場へと遠征。ここん家はまだちゃんと冠がついている。でも夏休み最後の週末にホームでやる試合をメイン会場の日産スタジアムで開けないってのも妙な話。ほかにイベントが入っていたんだろうけれどもそれでも抑えるのがファンへの筋ってもんじゃないのか。俊輔来てたらとんでもないことになってたぞ。んでもって試合はくっしー大爆発。ファインセーブ連発な上にロビングの目測を誤って後ろにそらしたところをゴールされる失敗も記録。でもファインセーブの数が失点を上待っているんで差し引きでは勝ちだ。

 いや結果だけでいうならその1点があって引き分けにされて勝ち点を失ったから良くはないんだけれども負けてしまうことに比べれば、ってここはおとなしく引っ込むのが筋なのかもしれない。しかしホント、パスが回らないよなあ。トラップは長くて奪われドリブルに行こうとしてすっころんで奪われる繰り返し。それがないのはネットバイアーノ選手くらい。つまりはやっぱりジェフ千葉の選手は技術がポン酢だったってことなんだ。サイド付近でボールが来ても誰もサイドバックがオーバーラップしないから攻撃が前へとつながらない。中央でもらっても前に走らないから戻したところをミスして奪われ反撃の繰り返し。得点機なんて1回あったくらいでそれもバーにはね返されて無得点。PKでの1点じゃあちょっと先が思いやられるなあ。やっぱり攻撃を作れる監督を連れてこないとなあ。なあ。なあ爺さん。


【8月28日】 軍費に窮した連邦軍にジオン軍が苦肉の策として打ち出した戦費調達の手法としての命名権売買が現代の社会と重なったときに果たして「機動戦士ガンダム」ではどんなネーミングライツが出てくるのかと考える。やはり主役のガンダムには世界を代表する企業の名前が冠されるだろう。すなわちトヨタガンダム。見るからに地味だけれども堅実な戦いぶりを見せてくれそうなロボットだという印象を受ける。色目からするならトリコロール大好きな日産自動車なんだけれど、あそこはちょっと、ねえ。対するザクにはゼネラルモーターズ、といきたいところだが破産法の適用でとてもじゃないけれども資金がない。ということで元気だけならまだあるインドあたりの企業が名を買いタタザクとなって世界を跋扈しインドの神秘を伝え歩く。

 ただし赤いザクだけは知名度もあるため別売りとなってそして買うのは当然にして赤い跳ね馬フェラーリ。名付けてフェラーリザクとなればいかにも早そうで高級そうで派手好きのシャアにも乗って相応しい機体になりそう。ホワイトベースくらすになると規模も大きくなるからオイルマネーが入ってエミレーツホワイトベースあるいはエミレーツ木馬。中が一気にゴージャスになった印象を受けそう。すべてのベッドがふかふかになってセイラさんなんかは天蓋付きのベッドから「そなたならやれるぞよ」とか言ってアムロを激励しそう。そんなエミレーツ木馬でもってネーミングライツでもって島ごと宗教法人に買われた黄金のア・バオア・クーなりピース・バオア・クーなんかに突入していくクライマックスに妙な期待が浮かんでくる。

 それは確かにビジネスであって、費用に対してどれだけの効果があったかを考えつつ、その効果に見合わない部分があるなら手を引くべきだという意見に、異を唱えて棹さすことは難しいかもしれないけれど、一方で公共に対する貢献といった側面もあって、単純に直裁的な費用対効果で割り切っては至らない部分があるのでは、といった考えも成り立つだけに、ネーミングライツの出す出さないをめぐる問題について、はなかかなに明快な答えを出しづらい。なるほど日産自動車は景気悪化で自動車が売れず業績はボロボロ。そんな会社が年間で5億といった金額を注ぎ込んで、日産スタジアム等のネーミングライツを維持する必要がというと、企業経営という観点側からだけみれは必要がないといった結論に落ち着く。それはもう厳然として。

 これだけ世間に露出をして、それでも日産の自動車が売れないのだったらどうしてスタジアムに名前を関して宣伝する必要があるのか、と言われて真正面から反論するのは難しい。ただし、もしも日産スタジアムが日産スタジアムでなかった場合に、日産自動車が売れなかったケースも一方には考え得る訳で、そうした数字では捕らえづらい効果も含めて考えてみないとネーミングライツの費用対効果がどれだけあるって、どれだけないかを結論づけるのは難しい。あるいは日産スタジアムという名前を引き上げた場合に被る、企業が社会的な責任を放棄したのではないのかといった誹りから被るダメージについても、考え合わせてみる必要がある。

 そうなのだ。ネーミングライツに応じるということはつまり、公共に名を関するという貢献の意をはらんだ行為であって、それには費用がどれくらいだから効果がどれくらいという単純計算では計れない、責任であり義務といったものが絡んでくる。小さなホールならまだしも、最大で7万人が集まる国内最大の集客施設な訳で、地下鉄だとかに案内板は出るし交通の看板にだって名前が出ている。ネーミングライツを継続しないということは、それらをまとめて変えなくちゃいけなくなるけど、そうした費用を日産が支払うということは多分ない。

 それまでにじゅうぶんに潤ったから良いだろう? という論理ももちろんなりたつけれども、そうしたものが撤退すれば必要になるという事実、それを当然ではなく遺憾の念を持って当初からネーミングライツに応じつつ、そうした事態に陥ることを恥だと感じる心理を持って永続を覚悟して応じるべきだという見方も一方に成り立つ。覚悟して応じよ、ということであってそれが例えば不祥事で、名を冠することが不可能になったとか経営がもはや一切立ちゆかなくなったといった場合でもなければ、引くべきではないのではないのかもしれない。良識として。

 だから日産は将来を見越せば応じるべきではなかったし、応じたのならばそこに覚悟を見せるべきでもあった。テレビへの出稿がどれくらいかは知らないけれども、スタジアムのネーミングライツにかける年間費用を下回っているということはないだろう。そして、テレビの広告効果が下がり気味になる中で、ネーミングライツによって得られる効果も相対として上がっている、といった可能性も考えられる。いや、そうした効果ありきではない企業の社会に対する責任であり義務として、こうした活動はとらえるべきであってそれをあっさり裏返してしまうことへの非難、とまではいかないものの、哀悼なりといった視線を世間が持つことの方が、ここでは重要なのだ。

 そうでなければ金を払えばそれで良い、金が払えなくなったから後はいいといった公共のつまみ食いばかりが横行し、企業という存在の機能化ばかりが進んで人間が蔑ろにされてしまう。景気という側面からだけでなく、もっと別の責務責任といった部分から、考えられて良いニュースなのだろうけれどもそうはならないのだろう。「フクダ電子アリーナ」のみならず「フクダ電子スクエア」にも名を冠し、蘇我の地にひとつの街を作り出そうとしているフクダ電子にはだから頑張って、20年30年、彼の地に名を刻み続けてもらいたいものだが果たして。そのためにはやっぱりジェフユナイテッド市原・千葉が、J1に残留する必要があるのだろうなあ。

久々に久しぶりに立ち寄った日吉は何か駅前にいきなり地下鉄ができていて、いったいこれはどこに繋がっているんだろうかと降りて調べたくなったけれども時間がないのでパス。まさか慶応大学があるからそこに地下鉄が引っ張ってこられて路線の反対側は三田に繋がっていたりするのかなんて妄想もかき立てられたけれどもそうではなさそう。

 というか三田なら都営三田線とかとの直通があるし南北線だって三田は通るはずだから、名前でも実質でも諭吉のパワーが発揮されたというならそっちの方が先だったってことだろう。生田と駿河台はつながっていたっけ明治大。駒場と本郷だとそうか乗り換えが必要か。その意味でもさすがは諭吉パワー。重信パワーでは小手指からバスを走らせるくらいだもんなあ。

 少しは真面目に選挙について考えてみようかとも思ったけれどもうーん、どうなったって未来の見えなさにさほどの変化がないんでどうにも良いようがないっていうか。いやいや自民党がコテンパンにやられてしまった暁には、自民党にベッタリのメディアに反撃が届いて経営に差し障りが出るっていった状況が起こったりする可能性もないでもないけれど、弾かれたら弾かれたでそれも一興、堂々の野党として天下国家に向かい一切のおもねりを捨てて発言していくメディア本来の姿を取り戻せるんだと考えれば別に臆することはない。

 問題はそれが経営につながるかといったところだろうけれども言論こそが本意で始まったメディアに経営なんて二の次三の次。言いたいことを言って言っていいまくれる環境の到来をまずは喜び、そこに集まる支持を育てていつか再びといった夢を抱き続けるのもそれはそれで楽しいかもしれない。それで人気が取れるんだったらとっくにとれていたんだけどね、だってつまりはしばらくはそれがずっとメインストリームだった訳で。なのにまるで稼げなかった訳で。結局のところはつまり世間からはほど遠いものだった、ってことなのか、うーん。困ったねえ。他人事じゃなく。


【8月27日】 そろりそろりと店頭に「機動戦士ガンダム」の主題歌ばかりを集めたDVDなんかが入荷していてちょっと欲しい気もしたりしているけれども、それぞれがテレビサイズってことだから見て1分半。とはいえそんな中に絵も含めて凝縮されているって訳だから、見終えたら耳から目から相当にくたびれはてるのではないだろうか。第1弾ではターンエーまで収録の様子。とはいえ見知っているのは「Z」あたりまで。せいぜいが聞いて「新機動戦機ガンダムW」くらいだろうが、それがどんな歌かをすぐにでは思い出せないところに早期でしかないガンダムファンの弱さが滲む。むしろほぼリアルタイムで見ていた「SEED」から「00」の辺りの方が、耳に馴染んでいたりするのかもしれない。買うか。ブルーレイを待つか。悩むところだ。

 他愛がないというか展開が薄いというかアニメーション版「涼宮ハルヒの憂鬱」のエピソード「涼宮ハルヒの溜息2」は電器屋さんからビデオカメラをガメて模型屋さんからモデルガンをガメた代わりに朝比奈みくるを派遣して、映画の中で流すCMを撮影するってエピソードを重ねた程度でストーリー的に進展はなく展開にも驚きは見えず。原作がどうなっていたかはすでに記憶の奥底に入って覚えてないけどいずれ遠からず「朝比奈みくるの冒険」へとつながり文化祭のエピソード「ライブアライブ」へと流れていくんだろう。

 そしてそんな展開の手前にくり広げられるドタバタが、絵となって映像となって放送されるだけと言えば言えなくもないんでそこから「ライブアライブ」のような快楽も「サムデイインザレイン」のような郷愁も、そして本編「涼宮ハルヒの憂鬱」のようなボーイミーツガール的なエンディングも感じないで過ぎていくんだろう、きっと。「涼宮ハルヒの消失」はやらないのかなあ。絵では見せづらいのかなあ。

 とはいえやっぱり買うしかないだろうと朝の「ゲーマーズ」でもって「涼宮ハルヒの憂鬱4 笹の葉ラプソディ」の長門有希限定版って奴を購入してスピードくじを引いたら「あるすまぐな!」ってタイトルのゲームか何かのテレホンカードがはずれなのに当たってもらえた。何かのおまけが余っていたのか。それはそれとして謎めいたゲーマーズ限定の長門有希バージョン。中身はいわゆる限定版で、その上にスリーブケースか何かがついてあと細かいステッカーとかポストカードとかもついて来て値段は確か変わらなかったっけ。

 あんまり興味もないから調べてないけどそんなに差異はなかったはずで、長門好きならここん家で買うしかないってことになるんじゃなかろーか。鶴屋さん好きあどこに行けば鶴屋限定版が買えるのか。ハルヒ限定版はアニメイトか。古泉限定版は……欲しくないなあ、朝比奈限定版ならあって当然だけれど果たしてあるのか。まあとりあえず全部揃えると何かもらえるっぽいんで全8巻は長門有希バージョンをゲーマーズでコンプリートだ。それまでちゃんとあってくれよゲーマーズ。

 恋の病とは言うけれど、恋が本当の病になってしまったらいったい人類はどうやって生きのびていけばいいのか。神林長平さんの場合は抱き合えば燃えてしまう病みたいなのが蔓延した世界を描いた「抱いて熱く」って短編で、たとえ滅びようとも思いを成就する大切さって奴を示していたけれどもそれでは世界は救われないということで、ここに新鋭の日日日と書いてあきらと読む日日日さんが書いた「みにくいあひるの恋」(MF文庫J)では恋をしたら遺伝子に潜んだ何かが発動して死んでしまう世界にあって、人類が滅亡を回避する方法ってやつをものの見事に考え出した。恋はダメだが兄姉姉妹なら大丈夫。ってことでこの世界では兄なら妹で姉ならたぶん弟を相手に結婚して子供を作っていくことで、滅亡するのを免れている。

 いやいやそれはまずいっしょ、遺伝子が近い親族での結婚ばかりやっているといつかどこかに無理が出るっしょというのは先刻承知の助って奴で、なるほどたしかに戸籍の上では兄姉姉妹であっても実は赤ん坊の頃に親どうしが生まれの近い赤ん坊を取り換えるなり預けるなりして資の繋がらない兄妹または姉弟って組を作りだし、そのまま育てていずれは結婚させることで、禁断故に恋がそこに発生することは絶対にあり得ない兄弟姉妹でありながら、血は繋がっていないから遺伝子的に心配のないカップルを生まれさせていたのだった。

 なあるほど、ってそれで大丈夫なのか。兄弟姉妹が恋じゃないってのはあくまで認識の問題であって、そのことをそれなんだと知ってしまっている以上はたとえ強打しまいであっても血縁になければ恋なんじゃないかと思いついてしまって、そして病が発動してしまうんじゃないのか。あるいは兄弟姉妹なんだという認識の強さがたとえ見てくれだけでも遺伝子の暴走を押さえつけるのだとしたら、恋した相手を親の養子にしてしまって戸籍上の兄弟姉妹にしてしまって、発病を回避することも可能なんじゃないのか。

 考え出すときりがないけどそうした抜け道は存在せず、兄あくまで生まれた頃からの弟姉妹ならば発病は避けられるのだということだけは厳然として存在しているっぽい。もっとも兄弟姉妹でなくても自由恋愛しても、実はすでに病気が発生しないように人間の間に抗体が行き渡っているって説もあったりして、だったらいいったい何を描いているんだって思いも浮かんだけれどもそこに落とし穴。全員に免疫が行き渡らないように埒外に置かれた人もいるらしく、だからこそこの「みにくいあひるの恋」という物語が成立する。女の子のような可愛らしさで人気の少年陀衣が呼び出されていった先にいたのが学校の3大美少女といわれているひとりのあひるさん。またしても恋の告白かと思ったら何と彼女は陀衣に向かって大嫌いだと言い放った。

 そこはまあ嫌よ嫌よも好きのうち。病を回避するために生まれたツンデレ技が繰り出されるんだろうと手ぐすね引いてまっていたらさにあらず、あひるの兄が陥った境遇とそしてあひるが陥る状況から、恋が未だに病ななと突きつけられ、そんな残酷さの中でどうやってあひると陀衣が結ばれ合うのかっていった哀切さと緊張を覚えさせる物語がくり広げられる。恋の成就に燃え尽きても構わないのだと思うかそれともどこかに抜け道が用意されるのか。続きが書かれるとしたらそんなあたりに関心を置いて読んで行こう。あるのか続き。

 これはひとつの好奇心というもので、テレビなんかで流れているプロモーション映像の衝撃度から堀江由衣さんの新作CD「YAHOO!」の初回DVD付きって奴を買ってしまう。何がどう衝撃なのかは見た人なら理解も可能ってことだけれども簡単に言うならあの堀江さんのチアリーディング姿をたっぷり堪能できるってことで、背後にチアリーダーたちを並べてその前で踊る姿の可愛らしさといったらもう、不惑を過ぎた目からみれば心からの喝采を贈りたくなるくらいにキューティーでコケティッシュ。これから世の中に出ようとしているヤングな人にはどう見えるかはわからないけど、個人的には学校の中で制服っぽい格好で踊っていた前の作品よりも映像として好みかもしれない。欲を言うならチアリーダーのスカートはもうちょっとだけ短い方がより可愛さが増したような。いやあ眼福。僕には眼福。僕にはね。


【8月26日】 そういえばと無理矢理に思い出す。「機動戦士ガンダム」には多分アンダーウェアがチラリと見えるような描写がなかったのではないか、と。あるいはすでにそのことについて考察済みかもしれないが、何度でだって考えたくなるテーマであるので仕方がない。そして考えても思い浮かばないところにあの作品がそうした媚びを排除してなお屹立するキャッチさを持っていたという事実を深く感じる。実際はそんな代わりといっては何だがシャワーシーンにお風呂のシーンが確実にあったから、話題を読んで男子を引きつけヒットしたということもあるのだが。

 あるいはセイラさんが履いていたあの白いロングタイツは、一種のスパッツであってあの下に何も履いていなかったとしたならばすなわちそれがアンダーウェアであってそれを、ワンピース形の制服の下に大きくのぞかせていたという可能性も考えられないこともない。つまりは足首までとちょっと長めのアンダーウェアをチラリどころか堂々と除かせていたということで、見る人がそれをアンダーウェアだと強く激しく認識すれば、少なくともあの姿でいる時はずっと見えていたということにならなくもない。のかどうなのか。それがそうだと思えばそうななのだという認識問題について考えてみたくなる秋の夜。まだ8月なのに風が妙に秋臭い。

 いくらなんでもセイラさんのロングタイツでそう言い張るのは無理があっても、神原駿河のスパッツだったらそう言って言えないこともないかもしれないのかもしれなかったりなかったり。「化物語」に登場して猿の腕をご披露した神原駿河のスパッツが直履きだったという事実を突きつけられた阿良々木暦が、それはつまりどういうことなのかと考えて考え抜いてたどり着いた結論はいったいどうだったのか。スパッツとはいえ直履きならばそれは嬉しいものと見るべきなのか、所詮はスパッツなのだからと落胆して目を逸らすか。直履きならばスパッツでもと割り切れられる精神を得れば、「飛べ!イサミ」のイサミにも喜べる。それはつまり世界に対する認識が一気に大きく広がることになる。

 なあるほど。ならばそう前向きに考えるのがこの時代には良さそうだという結論に落ち着いた「化物語」の「するがモンキー」第2話。あっけらかんと明るく自分をカミングアウトしてしまえる神原駿河の超ポジティブさにはほとほと関心。ああ生きられれば世界はもっと生きやすくなるかもしれないけれどもそんな彼女が猿に願い事をしたくなるくらいに悩んでいることがあるとなると、よほど解決不可能な悩みということになるのだろう。なるほど確かに戦場ヶ原ひたぎは阿良々木暦にもう一途。線路に横たわる暦の顔の真上に立って風にまくれあがるのも平気にずっと立ち続けている。きっと下から見えたそれはとっても白かったに違いない。否、そんな白も縞も拒絶して素肌をさらけ出していたという可能性もあるけれど、テレビ画質では情報が少なく黒く潰れてしまってた。情報の多いブルーレイならきっと濃淡もくっきりと出て細部まで確認できたに違いない。それはいったいどんなに素晴らしかったのか。待ち遠しいなあブルーレイ。

 舞台も良かったけれども映画もやっぱり良いものになりそうな感じの「風が強く吹いている」はとりあえず言うなら林遣都さんの走る姿のとてつもなく美しい映画。それだけをずっと見ていてもきっと嬉しい気分になれるんだけれど、そこに走れなかった人たちが走れるようになってそして予選会で勝ち本大会でも好成績を治めるようになるってスポーツ物ならではのサクセスストーリーが乗っかって、見ていて涙のにじむストーリーに仕上がっている。万引きして走る姿を見初めるという小説でも漫画でもキモとなっていたシーンからはいらず別のところで出合ったハイジと走が縁あって一緒のアパートに暮らすようになるって展開にしたのは何故なのか。淡々として初めてそこに徐々にドラマを載せていくのを良しとしたって判断できるかな。

 あとはメンバーがことごとく落ちこぼれなのを叩き直して激励して、鍛え上げていくってったやや絵空事っぽい部分を修正したのも小説や漫画が持つ言葉で丸め込む説得力と、リアルな映像の積み重ねによって見せる映画との差異を考えてのことなのか。なるほどそういったバックグラウンドがあるならいきなりの挑戦でも、予選会を勝ち抜けてそんなに無理ってことはない。本格化してから半年かおしれないけれどもそれ以前にユキとかは2年以上、ニコちゃんだって同じくらいちゃんとやっていた訳だから。そのニコちゃんが映画ではとっても恰好良い。なよなよとしていそうな文系眼鏡男子って設定なんだけれども映画だと芯が通って一途で真面目。その真面目さでもって取り組んで来た成果って奴をいきなり見せつけてくれる。走とあれだけタメはれるってことは案外にすごいランナーだったかも。演じるは森庸さん。これから注目集めて行きそう。

 ビジュアル面でいうならアオタケ荘のセットは完璧に古下宿。あんなに楽しそうなら自分も暮らしてみたいって思う人が結構出そう。それ以上に実に美しく走る走とかを見ていると、走ってみたいって思えて来るから不思議というか映画の強い説得力というか。とはいえ淡々としたドラマがクライマックスで急激に盛り上がっていくのを人によってはやや大げさと見るかもしれない。でも大半はだからこそ盛り上がれるんだと思いそう。見終わった後に良かったなあという気持ちが湧いてくる映画。その後がどうなったかが知りたくなる映画。「武士道シックスティーン」に意外な続編が誕生して「武士道エイティーン」まで続いたんだから、この作品も「風が強く吹いている2」として小説が書かれ漫画になり舞台になって映画も作られて欲しかったりしちゃったり。どうかなあ。

 誘われて秋葉原へと出向き石丸電器で「東のエデン」と「夏のあらし」のブルーレイディスクとDVDを買ってからUDXへと回ってセガの「プロサッカークラブをつくろう6」だかの発表会を見物していたら我らがイビチャ・オシム監督がオシム語録を語ってた。そうなのだ今回の「サカつく6」はイビチャ・オシム監督がジャケットに堂々の登場となってアドバイザーとしてプロサッカークラブをつくる極意を語ってくれている。プレイすればチームをいかに作り選手をどれだけ育て上げ、そしてサポーターをどれだけ喜ばせてそして日本のサッカー全体をどれだけ強くできるかをしっかりと学ぶことができそう。自分でもプレイしたいけれどまず真っ先にプレイすべきは本郷の青いビルで居直る会長殿、だよなあ、まるで手前の体面だけを立てるためにしか見えない言動が目立ちまくっているもんなあ。送りつけてやろうよ有志で100本くらい束で。


【8月25日】 何やらお台場方面で動きがあったらしいけれども興味がなかったというか案内も何もなかったんで行かなかった「機動戦士ガンダム」等身大立像下での結婚式。行ったからといって他人様の結婚式を見てたのしいはずもないので行かないのが正解なのだけれどもこれが相手がセイラさんだったとしたら、あるいはマチルダさんだったとしたら行って婿に向かって役者不足と叫び誹ってセイラさんまたはマチルダさんを奪いガンダムへとよじ登ってそのままコアファイターで脱出を決め込んだことだろう。幸いにもアムロはアムロというよりリュウで相手もセイラさんでもマチルダさんでもなくタムラさん、ってそりゃあコックだ。いやまあそんな感じなので遠くからよく頑張りましたと心の中で励ましの言葉を贈るに留めよう。次ぎはリアルなセイラさんとリアルなシャアの婚礼を見たいもの。それ流石に近親婚だから不味いのか。日日日的にはオッケーなのか、ってのは新刊を読めば分かります。

 第2作目を途中で蹴躓いてからやらなくなって幾久しく。セットしていた「ニンテンドーDS Lite」も部屋のどこかに埋もれてしまって出てこない状況で第3作目なんてやるのもはばかられると見送っていたら、何と当初の予定を外して第4作目が作られることになっていたらしい「レイトン教授」シリーズ。まあ日本で280万本とか売って世界全体なら550万本に及ぶってんだから規模だけで言うなら「ドラゴンクエスト9」なみ。あっちが5年に1本で500万本だとしてもその開発費用分とたぶん同じくらいで3年の間に4本出して世界で700万本とか行けば、レベルファイブにとってはじゅうぶんに勝ちだって言えるだろう。自社タイトルだし。

 その成功の秘密はやっぱりアイディアと面白さってことで脳トレ系が単純作業の繰り返しになりがちなところを、ストーリーの中にナゾを入れ込むことによってこれをクリアしなきゃ次はない、ってな感情を喚起させ、やり込ませることに成功した。ストーリーとナゾがリンクしてないって意見も最初はあったけれども新しくなるにつれてそーゆーこともなくなった? 知らないけれども評判として落ちていないところを見るとそれなりに支持を集めているんだろー。キャストも当時はまだまだでも今はますますな大泉洋さんを起用していたのが大きかった感じ。堀北真希さんはどんあ具合か今ひとつ不明。何か最近出てたっけ。

 そしてアニメーション。その美麗さ愉快さからいったいどこの手のものだってクレジットを探して見つけた名前がPAワークス。そりゃどこだ、って調べてそして富山の会社なんだなあ、実力あるなあって注目していたらみるみるうちに有名になって「トゥルーティアーズ」でテレビでオリジナルをやるよーになって京都に京都アニメーションあれば富山にPAワークスあり、ってなぐらいの注目を集める会社になってしまった。年末にはいよいよ「レイトン教授と永遠の歌姫」って映画も公開。力のあるところはやっぱりしっかり伸びていく。だからしっかり仕事しようって励みにもなっているんじゃなかろーか。

 それにしても「レイトン教授と魔神の笛」は果たしてどんなゲームになっているんだろう。ルークが初めてレイトンと出合った頃が描かれているってことで当時のレイトンにいた別の助手の人ってのが登場してくるみたい。スタイリッシュな感じの人。レイトンとどんな仲だったのかな。そしてそれを見てぶんむくれるルーク少年。ってことはルークってレイトンに……。広がる妄想。腐れる脳味噌。さらに映画はそんなルークがレイトンと組んで初めて手がけた事件を描いたストーリー。初々しい関係なんかも描かれ見ていてやっぱり妄想かき立てられるのかも。そんあ人でいっぱいの劇場に漂う腐の香りたるや。公開が今から楽しみだあ。

 そんでもってPAワークスが地道に作っている「CANAAN」は酒場の美女から音波発生。それが蛇の紋様によってもたらされた能力か。カナンは人の感情を色で見分けることが不可能になって、そしてご一行様で消えた村を尋ねることになって自動車でゴーゴーウエストニンニキニキニキニン、ではなく唄うは「ガンダーラ」。そこへいけばどんなゆめが。一帯幾つだあいつらは。走る道路のかたわらに幟あり。饅頭屋? でもって漕いでいたのは! 薬を飲まなきゃ生きていけない彼女がそこにいるってことはやっぱり回った組織の手、ってことなのか。うーん。とりあえずショートチャイナの女が出てこないのが寂しい。次こそは。

 そうそうレベルファイブはPAワークスとも組む一方であのスタジオジブリとも組んで「二ノ国」ってゲームを鋭意制作中、とか。なるほどアニメパートのバザールっぷりにジブリの空気を感じないでもないけれど、キャラも含めたあの雰囲気って宮崎駿さんから醸し出される空気を吸って生まれて来るもので、百瀬ヨシユキさんではいくらジブリでもどこかニュアンスに違ったものが出てしまうのかなって気がちょっとした。むしろ近藤勝也さんが手がけた「玉繭物語」の方がジブリっぽかったかなあ、って懐かし過ぎだよ。フォーシーズンズホテルで発表会とかやったよなあ。あのころは元気だったよなあ、って今も元気かGENKI。どうなんだ。しかしエンディングテーマを久石譲さんが作るのは良いとして唄うのが娘の麻衣さんで、作詞が鈴木麻美子さんって鈴木敏夫さんの娘さんってのも何かどっぷりな感じだよなあ。そんなに有名なのか鈴木麻美子さんて? なになにあの有名な「カントリーロード」の作詞者? 「コンクリーロード」じゃなくって? そりゃすごい、のか? うーん。

 55ヶ月分だったのが45ヶ月に減ったのは半年先まで禄を得ていたからってことで諸手当に時間外なんかも含めた分を半年分、余計にもらっているのを10で割ったら何ヶ月分かを算出する基礎となる数字にほらピッタリ……にはならないか、やや少ない、それはつまりは居残りが負担をかけているって認識の現れであってつまりはそうして居残られることを良しと思っていないって意味だと考えると、人をいったいどういう風に見なしている組織なのかってことがだんだんと浮かび上がってくる。

 つまりはいらないってことだよなあ。いらないからこそ最後まで頑張っている人の分を増やさずむしろ早くいなくなった方を優遇する。人あっての組織が人なんていらないと思い始めた先に至る場所、それはもう誰だって想像できることであとはその場所にいつ到着するかってことだけが、当面の問題となっていくんだろう。でもしかしどこも問題と思っていないなあ。マイナーってのはつらいよなあ。それにしても果たしていったいどうすべきか。選ぶべきか選ばされるべきか、ってそれは一緒のことか。選ばないとして果たして先に広がる地平は沃野か荒野か崖の下か。地獄煉獄に決まってる? ごもっとも。地獄へようこそ。くぐり抜けたら「神曲」だって書けちゃうかも。


【8月24日】 セイラさんかシャア・アズナブルに関連したもの以外はたとえガンプラであってもそれほど興味を惹かれない「機動戦士ガンダム」関連グッズだが、近く受注が始まるというG−SHOCKについてはやや興味をそそられそう。白いモビルスーツことガンダムをモチーフにした5600系と、そして我らがシャアの赤いザクがモチーフになった6900系の2種類があってそれぞれに文字盤にシルエットが浮かんだり、裏蓋にガンダムなりザクの刻印があったりベルトにプリントが施されていて好きな人の魂をくすぐる。

 人気で言えばきっと赤いザクのバージョンに集まりそう、と思うのはあるいは早計か、かつてFROGMANのイルカ・クジラモデルに赤いG−SHOCKが登場したことがあって、余りの格好良さについつい惹かれて買って今なお使っているが、隣近所を見渡して同じモデルを持っている人に出合ったことが終ぞない。仕事には向かず浮いてしまいがちな赤い腕時計はやはり敬遠されるのか、それとも今のこの世相の中でガンダムだからと受け入れられるのか。ガンダムが持つバリューを計る意味でも売れ行きに注目したいところ。

 白い方はシンプルでスタイリッシュさでむしろ売れそうな印象。スクエアの形状はカジュアルでもビジネスでもそれほど雰囲気を壊さない。それにやはりタイトルロールのガンダムが刻まれている、という点が大きいか。さてはていかに。ちなみに価格は1万6800円だからどちらも電池式でタフソーラーではなさそう。腕時計の何がイヤかと言えば電池の交換が面倒なことで、だからFROGMANもソーラー式をずっと使い続けている。2年で寿命が来てしまうような時計など使用に向かないと思うがしかし、キャラクターグッズとしてコレクションするのなら電池寿命などこの際関係ないのかも。しかし使ってこその時計という考えに立つなら、使い勝手の今ひとつさにこれはやはり見送るのが良いといった考えに至りそう。どうするか。10月上旬まで予約受付中。お届けが来年3月とはまた気が長い。

 ウザすぎる。もうこらえようがないくらいにウザくてヘタレで鬱陶しいのにそこが良い、と勘違いする奴がいるからきっとこの世界から恋の不運に苦しむ人間がいなくならないに違いない。7章をもって完結と相成った「空の境界 第七章 殺人考察<後>」における黒桐幹也のウザさといったら単にナンパな男よりも、自己顕示欲が肥大した男よりも遙か彼方の上を行っては、急降下爆撃のように身に突き刺さってウザさの海で窒息させる。これほどまでにウザいキャラがかつていただろうか。諸星あたるもなるほど確かにウザかったけれども奴の場合は嫌よ嫌よも好きのうちって奴の裏返し。だから見ていて納得できたし見方もできた。

 なのに黒桐は自分がそうしたキャラだとまるで自覚していない。人を殺すのは絶対にダメだ。だからもしも両儀式が人を殺したら嫌いになっちゃうぞって言い放って両儀式の手を封じ、戦えば軽くひねれる相手に苦戦し挙げ句に捕まり全身をなめ回される屈辱に沈ませる。それでいて自分が弱いのも構わず危地へと突っ込んでいっては、敵の攻撃に遭ってあっけなく沈没させられる。それを知れば当然にして怒り心頭の両儀式。体の一部を失ってでも憎き仇を討とうと立ち上がっては相手に立ち向かってこれをねじ伏せる。なのにこんな事態に両儀式を追い込んだのが自分だという自覚もないままこの期に及んで殺人はいけないとつぶやき、それを破ってしまった両儀式に対して罪は自分で引き受けるといって彼女の関心を誘って心を奪って頬を染めさせる。

 なんというジゴロっぷり。ヘタレっぷりで同情を誘い心を鷲掴みにしてそのまま引き離さないって手管を見せればあの誰にも靡かず誰にも阿らない両儀式だってオトせるっていうんだったら是非に学びたい、是非に取り入れたいものだけれどもこれってある意味まるっきりの天然で、言葉を換えれば単なるバカでなければ至れない境地。人を殺したら許さないぞといった口が相手を詰ることなく自分が全部引き受けると言ってそれだったら最初っから認めてあげれば少なくとも自分も両儀式も傷つかないで敵を葬れたんじゃないのかと、思ったけれどもそれだとやっぱり心理が積み重ならないってことなのか。傷みがそこに介在してこそ心も開かれつながるってことならやっぱりちょっと真似したくないなあ黒桐幹也的ジゴロ術。

 ともあれ完結した「空の境界」。ラストシーンでの黒桐幹也の顔立ちがぐっと大人びていたよーに見えたのはそういう感じに描かれていたからなのか単なる気のせいか。両儀式も式で頬を赤らめはにかんだ表情なんか見せちゃってすっかりしっかりオンナノコ。これで良いのか? って憤る人とか出て不思議はないんだけれどもそんな式を手中に収めた幹也の気持ちになっている男子が大半だから別に構わないのか。女性がこの作品を見た時にいったい何をどう思うのかが知りたい。そういやああんまり女性側の意見って聞いてない。どんなだろう。蒼崎燈子さんはこれで退場? いったいどこへ行くのやら。鮮花は報われないなあ。でもあの性格だからきっと巻き返しに出るだろう。焔の錬金術師となって。腕を鉄腕に買えて鋼の錬金術師を名乗った式を相手に。作品が違う。ああでも同じアニプレックスか。

 しかし池袋テアトルダイアの朝の回でも満員で次の回も満員と、キャパシティはたいしたことなくてもそれなりな人数を集めてしまうところにイベント性を持ったコンテンツの強さって奴を感じ入る。そうした売り方を選んで実行して成功させたアニプレックスには先見の明があったと言えそう。それを言うなら朝のさらに早くから上映の「センコロール」が早々と売り切れ夜のレイトショーまで売り切れ見られないってのも異常といえば異常。どこにそんな魅力があるのか。あるんだろうけどそれをどういった層がどんな風に感じているのか。フックはどこにあるのか。それは絵なのか声なのか主題歌なのか。ちょっと気になる。そんな訳で「センコロール」は未だに見られず。アニプレックスとはどうにも縁遠い。「はれときどきぶた」の頃は身近だったのになあ。今はすっかり大会社。まあいいや。いつか発売されたらちゃんと買って視よう。

 つまりは誰にでも訪れる離別を特殊な形に置き換えててみて特別なことへと昇華させつつそれを題材にして見えやすい形で離別の哀しさとそしてその哀しさを乗り越えていく力強さを描くことによって人間にとっての離別とは何かを考えさせる物語、とでも言えば良いのだろうか三崎亜記さん「刻まれない明日」(祥伝社)。かつて街がすっぽりと消えてしまう「失われた町」って話も描いていたけどどうやらそれと姉妹編っぽい物語は、一瞬にして消えてしまった3095人に縁の者たちを描きながら、離別の哀しさ寂しさ苦しさをまずは感じさせ、それでも10年という時とそれから新しい出会いがもたらす次へと向かう勇気の大切さというものに思い至らせる。

 町でなぜか残ってしまった1人は道路を歩いて道路を道路たらしめる不思議な仕事をしている男と出会い町の記憶からにげず向き合う力を得、ついでに知り合いも得てそしてラストに結ばれるのかどうなのか。図書館につとめる女性は消えてしまった図書館から届くという貸し出し記録を消えてしまったにも関わらず今も借りているらしい人の親族へと届ける仕事をしている男性と知り合い、最初は何て無駄なことを訝りつつもそうやってつながる思いに気づきそしてそこから抜けられない大勢の辛さを感じつつ、頼りが届かなくなってしまった現状を前に離別を乗り越えようとする人々の頑張りに胸打たれ男性を結ばれる。バスの運転手だった恋人を失いバスの運転ができなくなった女性もどうにか前を向き、娘が結婚式をあげていた上で鳴り響いてい鐘の音が嫌いだと嘆いていた父親は再び鐘を作るようになる。

 消えた町からの頼りやリクエストやさまざまな現象はあるいは残された者たちが無意識のうちに消えた人を忘れたくないと行っている行為であったり思いであったりするのかも、といった指摘もあるものの超常現象を否定したくてそういっているだけに過ぎないようで、なるほど現実に町から3095人が消えてしまった事件に何の説明もつけられない以上、不思議は不思議であって何の問題もない。そうした不思議がだったらどうやって起こるのか、といった部分へと迫ればハードさを持ったSFとして受け入れられることもあるだろうけれども、現象が起こったことによって動かされる人間の心や生活や社会やその他諸々を描いて見せるってのも立派にSF。なおかつそうした不思議をテコにして描かれる、人間にとって普遍の離別にまつわる感情を、クローズアップさせてみせる手法が素晴らしい。三崎亜記ならではの不思議でリリカルな物語。しかしいったい町はどこへ行ったんだ?


【8月23日】 3日目の「ガンダムビッグエキスポ」も行けば「機動戦士ガンダム」に関連しての発表会なんか見られたはずだろうけれども、今日は日曜日なのに出勤という状況でちょっと出られず。1番でのぞいても良いんだけれどもさすがに横から入ってグッズを買うのは御法度だし、かといってイベントもまだ始まっていないとあって行ってもあんまりすることがない。展示物だって特に見落としてなんかいないはずだし。「Ring of Gundam」はもう1回くらい見たかったけれども見てもきっと意味、わかんないだろうしなあ。

 だからせいぜいが来ている人たちの顔とか伺って、これからの「機動戦士ガンダム」があり得るのかどうなのかを探ることくらいなんだけれど、ファーストから続く宇宙世紀におっさんなファンがいて、「SEED」「00」に女子のファンがいたりしてとファン層がぶった切れている状況を、接続できるコンテンツが果たしてあるかが不透明。そこがあって続く10年の栄光も生まれるってことで、それだけに「機動戦士ガンダムUC」が抱き込むファン層がどこら辺りなのかが目下は気になる。メカ派か。宇宙世紀信者か。腐女子か。ミリオタか。それらの全部か。

 っていうか新刊12冊ってまるで電撃文庫だよなあ「MF文庫J」。もちろん昨今の電撃はその上を行って15冊とか出ていたりするんだけれども、足して27冊とかで集英社スーパーダッシュ文庫も最近ちょっと増えてて6冊で、GA文庫なんかも8冊出ていて角川スニーカー文庫の6冊に富士見ファンタジア文庫の11冊に小学館ガガガ文庫の6冊なんかを足して、これだけで58冊であとはHJ文庫があってファミ通文庫があってさらにレディースのビーンズやらビーズログやらがあってノベルズがあった日には、月にいったいどれだけ読めば気が済むんだと自分にいってやりたくなる。

 かといって外に露出しているメディアで恒常的に紹介できるのって月に6冊が精一杯。そこでなるたけ頑張って限界ギリギリに挑む努力はしているけれどもジャンル系のメディアなだけに現実系とかどーしても入りきらないものが出てしまう。まあそっちは凄い媒体の方でもひっかけられるけれども続刊系とか中間系はやっぱり難しいよなあ、あとノベライズ系なんか。なので全部の紹介は無理です御免なさいとしか言いようがないけどまあ今は、個人メディアも発達しているんでそっちからうまく世に出てミリオンとって、アニメ化されて売れて外に出て直木賞芥川賞を獲得していってやって下さいな。そんなお手伝いのために今日も頑張って読むぞライトノベル。

 といっても全部買う訳じゃなくってある程度は見切りがついたものを外しつつ買うんで実際には半分くらいか。そんな中から弓弦イズルさんの「IS<インフィニット・ストラトス>」(MF文庫J)は前作読んでいたっけって記憶を探りつつ女の子だけが持ち得るISって力をなぜか発揮できてしまう少年が、女の子だらけの養成校へと入って起こる大騒動、ってラブコメ展開がメインだったかと思ったら案外にシリアスな能力バトルへと展開し、さらに国際的な謀略なんかも絡んでスケールアップに熱血化が進みそう。

 記憶だと1巻目でライバルっぽく相手になった箒だっけ、そんな一本気な少女との間が改善されたのも束の間、第2巻ではドイツからやって来た少女が主人公の少年にいきなりびんたを噛ましてライバルを宣言。どーやら少年の姉に世話になってたみたいで、その姉が弟を探すために大会をキャンセルしたのみならず、今は弟がいる学校で教師なんかをやっているのが気に入らないらしい。でもってさらに別に1人、シャルルって子がやって来てこれが主人公と同様に男の子なのにISの力を使えるってことで大注目。ただでさえ男がいない学校で女子の注目を集めてしまう男たちに、まずはストレートな視線が突き刺さり、さらには男の子が2人でいるってシチュエーションに濁った視線が浴びせられる。

 そんな空気をぶち壊すかのよーにドイツ娘がケンカを吹っかけバトルへ発展。主人公の少年はフランスから来た子をパートナーに戦いをくり広げる最中に、ドイツ娘の操る機体に何やら得体の知れない細工が施されていたことが明らかになる。陰謀の気配。でもまあそこはそっちで進んでいくとして注目はやっぱりシャルルの“正体”って奴か、まあバレバレだったけど。あとただでさえ絡まれ安い主人公の少年にドイツ娘もその気になり、さらにはフランスから来た子まで乗っかりくんずほぐれつのハーレム状態。羨ましいったらありゃしない。続く巻ではさらに加わるのかそれとも一気に事件の核心へと迫るのか。壮大な敵を出したら出したで落とすのが難しくなるけれど、学園ハーレムラブコメには留まる雰囲気もないだけに、迫力の展開とそして圧巻のクライマックスに期待しつつ続きを追って行こう。

 ヤンデレとはツンデレがこじれたもの、って理解でOK? でもまあ行き過ぎて独り占めしたくなったり裏切りを許さず刺しちゃったりってことはままままあったりもしちゃったりする訳だからそんなに特殊な性癖ではないのかも。ってことでみかずき紅月さん「僕とヤンデレの7つの約束」(集英社スーパーダッシュ文庫)は秋葉原にあるツンデレメイド喫茶のマネジメントを任されることになった少年が、現場のツンデレメイドたちを教育しなおすって話なんだけれどもそもそもがツンデレで売ってるお店のツンデレっぷりがなってないからと、純喫茶で働いてきた経験をもとに改変を申し立てるってスタート時点にけつまずく。それじゃあツンデレメイド喫茶じゃなくなっちまうじゃん。

 それでいてツンデレっぽさをなくしたら客足が途絶えてこれはいかんと反省するってことにはならず、まんまツンデレっぽさを残しつつシステマチックな部分を効率化する方面へと展開して店はまあそれなりな売上を保つって展開に、少年の細腕繁盛記でもなければ挫折を経てのサクセスストーリーでもないひっかかりの無さを感じて戸惑う。まあメインはそういった方面ではなくってツンデレな1人が極度にヤンデレで、世話して約束して裏切ってつかまって手足をバラバラにされそうになったけれどもどうにか助かりヤンデレも立ち直ってそして明るくハッピーなツンデレライフへと向かう話だからこれはこれで良いのかも。できるならヤンデレちゃんにはもっと突っ走って欲しかったけれどもそれをやると犯罪だからやむを得ない。しかし鎌の柄の反対側にトゲトゲの球体がついている道具って何なんだ。

 「SFマガジン」の2009年10月号は神林長平さんに谷甲州さんに野阿梓さんという1979年あたりデビューの日本人作家のデビューから30年を記念した特集で満帆。共通しているのがしっかり現役だったりする辺りで谷さんは山岳小説方面でちょっとは名が出たけれどもおおむねしっかり3人が3人ともジャンル方面を守りつつそれでもしっかり現役なところにSFへの愛を感じSFからの愛を思う。しかしこれなら来年は大原まり子さんに火浦功さんのデビュー30周年ってことで火浦さんには是非に新作短編書き下ろしってのをやってもらいたいところだけれどもそれだけの根性を発揮できる編集はいるか。せめて2ページでもとれればそれは貴重過ぎるページになるんだけれど。それすらも。うーむ。「高飛びレイク」の長編第2作とか出たら裸で踊っても構わない。


【8月22日】 目覚める前からの熱気にこれは「東京ビッグサイト」で開催中の「ガンダムビッグエキスポ」も、入場までの西館(にし・やかた)から東館(ひがし・やかた)へと至る通路で熱中しまくる人も出るんじゃないあと想像。平日の金曜日ですら「機動戦士ガンダム」に関連したグッズが並ぶ通路を人がぎっしりと並んで歩き、落合監督が見ればそのまま連れて帰りたくなりくらいに恰好良いポーズで展示された「新機動戦機ガンダムW」のエンドレスワルツに出てくるウィングガンダムゼロカスタムを撮影する人で人垣が出来ていたくらいだから、休日の土曜日日曜日ともなれば人の上に人も重なり地層になっってしまうに違いない。

 そんな中に飛び込む不惑過ぎでもないだろうと遠くから応援するに留めつつゆっくりと起き出しては最近まとめ読みとか始めた「ONEPIECE」の単行本ではなく総集編を探して水道橋の「東京ドーム」にあるジャンプショップをのぞいて未購入の号が入ってないかと探したけれども見つからないんで中途半端だけれど第3号だけ買ってそのまま地下鉄丸の内線で池袋へと出て山手線で恵比須へ。1000人は下らない人が集まるって心配も噂された「SFファン交流会」までの時間をNadiffなんかを見て凄く。おお荒木経惟さんの写真集だ。

 「猥景69」ってタイトルのそれはいつものような500部くらいの私家版っぽい。最近あんまりフォローできてないんでいけなかったタカ・イシイギャラリーでの展覧会似合わせて作られたものらしくって真っ白な表紙に写真がなくって、どんな内容なのか分からなかったけれどもまあおそらくはと想像。買うべきだろうとはかんがえたけれども手元不如意につき次回へと回して細身の女の子たちが水着だか下着だかでいっぱいでている雑誌を買って引き上げる。調べたらメキシコ初のガーリーマガジン「Baby Baby Baby」って雑誌だった。メキシコかあ。

 別にそれなら「PJ」のカタログだって構わないんだろうけれどもやっぱりね、体型がね、違うんだよね、あとやっぱり雰囲気がいかにもって感じじゃなくって割と自然。すぐ隣の部屋にそんな格好した女の子達が群れているような雰囲気を感じさせてくれるところが向こうの雑誌っぽい。暇をみつけて眺めて凄そう。時間があれば英語も読もう。あと気になったのは伊島薫さんの個展が銀座のギャラリーで始まったってチラシか。9月後半からの部では伝統の死体写真、というか有名人が死体に扮した写真なんかの展覧会になる見たいだけれども今は360度をぐるりと円形に撮った写真の中を太陽が輝いていたり横切ったりするシリーズが展示中。そんなのも撮っていたんだ。見に行こう。

 Nadiffへと入る路地の向かいくらいにある前に寄った時から気になっていたブーツ専門店は開店前で寄れず。バイクが中に入っていたからバイク用? 美部ラムソールのペコス系ブーツがショウウィンドウ越しに見えて良い感じだったけど高いんだろうなあ。また行こう。戻る途中で来る途中ではいっぱいだった「たいぞう」ってラーメン屋が好いていたんで入って食べたら美味かった。面に味がありスープにも味があってこってりしっかり。池袋あたりが発祥? 見渡すと恵比須もあちらこちらにラーメン屋が点在。船橋の方は最近あんまり新店が出来ず開拓も出来ていなかっただけに恵比須あたりで食べ歩き、ってのも悪くない。恵比須行く機会なんかないんだけど。

 到着した「SFファン交流会」は恵比須の区民会館だかの前に長蛇の列、はできてなくっていつもより1割増しくらいの入りっぷり。でもそれくらいなら前にもあったからネットに情報が出たからって格段に人が増えたって訳でないみたい。そんなものだよSFなんて。でも行けばなかなかに面白かったハーフあかね雲ちゃんなとり・みきさんのミニライブ、っても1曲だけだけど吉田拓郎さんの「青春の詩」だかを替えて「それがSF」ってタイトルでSF者の習性を歌いあげていた。結婚できないとか。結婚できないとか。他の歌詞にちついては手元のキヤノンのG10で動画撮影をしたんで再生しながら耳コピしよう。それがSF。

 混雑するんで新宿は行かずに秋葉原。「サマーウォーズ」の主題歌を聴いたら入っていた「アトムの子」のライブ音源で響くライブな達郎さんの声がよくって久々に聞いてみたいとライブアルバムの「JOY」を買う。そりゃあすでに買ってあるし持ってもいるんだけれどご存じの如くに部屋のどこかに行ってしまって発掘不可能なのでござい。それがSF。というかオタク。KブックスではMF文庫Jとかから出た日日日さんの新刊とか「緋弾のアリア」の第4巻とかあれこれ購入。アリアは超常能力が発揮されすぎると女性を引きつけるどころかみずからが女性になってしまうキンジの兄貴が本格登場。所属するイ・ウーって組織の内情を明らかにしてそしてアリアを狙う理由を明かす。

 そしてラストに現れるイ・ウーのリーダーこと「教授」の正体。ってそれって教授じゃないよなあ、教授はライバルの方だったよなあ、まあでもそこに何か理由があるのかも。あと買ったのが冲方丁さんの「カルドセプト創伝 ストーム・ブリング・ワールド」の待望の続編、ではなくって元に戻って改訂したバージョン。どこか中途半端に終わってしまた感があって勿体ないなあと思いつつ、進んでしまった道の傾向からもう続きは書かれないものと諦めていたらここに来て改訂版としての刊行。カルドセプトってカードゲームを主題にしたビデオゲームが元になっているだけに能力バトルがあってそこにドラマも乗っかる冲方丁さんにあっては珍しい、エンターテインメント性と読みやすさが特徴だった作品だけに復刊によって冲方ファンの新たなる開拓につながると良いんだけれど、さて。どれだけ変わっているかにも注目したいけど、前のあんまり覚えてない。探して読むか。読むのがやっぱり筋だよなあと思ってしまう、これがSF。


【8月21日】 「機動戦士ガンダム」の世界は輪となって永遠に続くのだ、って理解でオッケー? なのか分からないけれども富野由悠季御大の言によるならそういったニュアンスもこもっていそうだった最新映像「Ring of Gundam」。あのロボットなんかも参画してポリゴンピクチュアズも関わって作られた映像は3DCGだからつまりMSイグルー? って思わせておいて実はFFっぽい感じ。ただしモーションキャプチャとかは使ってないそーでロボットだかの会議室だかで演じさせた動きを巧みに取り込みアニメでも不可能だし人間だけでも出ない動きと雰囲気を持った映像に仕立て上げているってことらしい。

 そんな人間が何を演じているかというと山登り。少年が頂上へと到達するとそこにはびゅうびゅうと風が吹いていてそしてスカート姿の見目麗しい女性が立っている、てことはつまり吹き上げる風にまくれ上がって見え放題かというとポリゴンの重さは1粒2万噸。どんな風にもぴくりともまくれ上がらないので期待はするだけ無駄ってことで。そんな場面から転じてガンダムが宇宙を飛びまわるシーンでは月を取り巻き直径600キロとかって巨大なリングワールド、じゃなかった宇宙コロニーが出来ていたりして、そこでまたしても岩を砕くと中から今度は眠っている美少女が、って展開から得られることはいったい何か?

 ってことでやっぱり伝えたいのはガンダムのガンダムは皆ガンダムだ世界に広げようガンダムの輪。受け継がれる記憶の中で永遠につながっていくガンダムが、時々の問題を描いて人類に警鐘を鳴らしていって欲しいっていった思いなんだろう、きっと。「Ring of Gundam」のイベントではそんな富野さんからひとつのお願い。「自分はまだ地球を救っていない。だから誰か地球を救って欲しい」。なあるほど。っても「機動戦士ガンダムSEED」だって「機動戦士ガンダム00」だって地球が救われたってよりは地球も関わる紛争がひとまず沈静化したってことくらい。地球が永続的に救われる方法は未だ提示されていない。そんなの不可能だよって言われればそれまでだけれども、あきらめたらそこで試合は終わってしまうと偉い人も言っていた。諦めないための路ってものを続く世代のクリエーターには是非に示してもらいたいもの。「機動戦士ガンダムUC」にはいったいどんな路が示されているのだろう。来春のスタートに期待だ。

 しかし飛ばしまくっていたなあ富野さん。本広克之さんや「Ring of Gundam」でキャラの原型を演じた役者さんたちがあんなに細やかに演技をつけるなんてと言っていたことにはそりゃあアニメ監督なんで細かく演技はつけないと、っていうか役者以上に演技をつけていかないと絵ななからダメだから演出くらいはできるよってなことを言って本広さんたちちょいびくびく。あとロカルノでもって何やら賞をもらったことにおめでとうと言ったことに対して20年前にもらっていなければいけない賞だから今もらったところで全然気にならないってな感じのことを話してた。ごもっとも。

 日本のアニメ特集があるからって日本からアニメの重鎮を呼んでとってつけたように賞を与えてみせたりしたことを、どうしてさぞや名誉なことと日本のメディアは報じるのか。それも映画ではないテレビが主戦場だった富野さんの受賞を持ち上げるのか。それはひとつには外国が認めた権威だからという賞賛であり、また昨今話題のガンダムを作った人だからというメディアバリュー的な位置取りの上昇を背景にした承認に過ぎない。本当に映像作家としての実力を認めての賞だったらもっと昔の全盛期に与えてしかるべき。そうでなかった賞をもらって嬉しがらない態度を示してみたりするところに、自分の仕事への自信が見えるし自分の仕事の範囲を客観視している冷静さも見える。そんな人が満を持して映像を作り見せた意味、ってのも当然ある訳で、それだけに「Ring of Gundam」からはもっといろいろなことが読み解けそう。繰り返し見たいけれども会場、長蛇の列だもんなあ。いつかどこかで見られる機会を探ろう。

 「汚いさすが現代魔法使い汚い」はとっても名言だと思われ。ってことでアニメまるで見ていなんで果たして「絶讃」されて「大好評」なのが自分では判断できないところが難だけれども、アニメーション版「よくわかる現代魔法」のオンエアにあわせて刊行された「よくわかる現代魔法が256倍よくわかる本」(集英社スーパーダッシュ文庫)は、現代魔法のこともそれなりに分かるよーにはなったけれども書き下ろされている短編なんかも載っていたりして、坂崎嘉穂ちゃんが坂崎嘉穂ちゃんらしさを発揮していてとっても素晴らしいと思われ。

 冒頭の一語はアミュレットを失った姉原美鎖が別の次元の美鎖からアミュレットをかすめとろうと魔法を繰り出したことに対する嘉穂のツッコミで、講釈によれば取られた美鎖も別の次元の美鎖からアミュレットを奪うその連鎖が、永遠に続くから誰も損なんてしないんだっていうことらしいんだけれどそれって本当なのかどうなのか。世界があるいは無限の多層ではなくくるりと回ってつながる輪だったなら、イス取りゲームじゃないけど取ればまた取り替えされる繰り返しが続くんじゃないかって気もしないでもない。まあ違うんだろうけど。りょーしりきがくって難しい。

 でもって多層世界からはなぜかこよみが2人ばかりやって来て「ふええん」の×3。そりゃあやかましいし鬱陶しい。これがパンツを履いていない一ノ瀬弓子クリスティーナだったらエベレストのように横へとそびえるバストがさぞや壮観だったかもしれないけれども、こよみじゃあ、ね。そこはだから嘉穂を×3にしてフォローさせれば大丈夫ってことなのか。そっちはそっちでツッコミが厳しさを増しそう。ってことで野中藍さん生天目仁美さん戸松遥さんに寿美菜子さんのこよみ美鎖弓子嘉穂がそろってリアルで登場してくれていてなかなかに壮観。とくに戸松さんはスラリとした脚が弓子ちゃん級。胸はどうだか言及しない。問題はだから戸松さんがパンツはいてないかいるかどうかだけれどそればっかりは聞けないからなあ。原作者なら聞いてくれるかなあ。聞いてくださいオーディオコメンタリーか何かで。聞いてくれたらDVD買うと思われ。

 つまり初音ミクは永遠に人間には勝てないという話なのか瑞智士記さん「フォルマント・ブルー リミックス」(一迅社文庫)は大昔に富士見ミステリー文庫で出たもののリニューアル。人間の形をしたシンセサイザーの話ってことで、今どきの人口音声ボーカロイド大隆盛をとてつもなく先取りしたストーリーって言えば言えるんだけれど、出てくる結論はそんなに初音ミクにたいしてみっくみくはしていない。それはまあ個人的にも感じているところでいくらうまくまねたって、人間には絶対的にかなわないものであってそれを人間を超えたの超えないのと騒ぐのは筋違い、ああいったものだと認めつつそれに対してどう愛でるべきなのかをかんがえ理解し身に入れ込んでそしてダイレクトに反応できるよう、感性の動物化に勤しむってのが路なんだろう。

 それができればイラストの美少女に萌えられるよーに初音ミクの声にも官能できる。けどでも生身の女性にピクつく感性が死んでる訳じゃあないからやっぱり生声の良さにもしっかりと反応するという多層構造は変わらないってことで。ただまだそこまでには内的にはいたってないんだよなあ初音ミク。絵と違って歌はやっぱり感性なのかなあ、もとより歌の巧い歌手が好きってこともあるからなあ。ってことで「フォルマント・ブルー」は楽しい話なのでとりあえず読んでおくと良いと思われ。


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