縮刷版2009年8月中旬号


【8月20日】 すでに完結している物語の場合はもはや関連していた誰がどうなったとしても作品自体は現存し続けるということで、不謹慎ながらも言えば富野由悠季監督に安彦良和さんに大河原邦男さんといった面々が高齢から身を引いたとしても「機動戦士ガンダム」はガンダムとして在り続ける。唯一心にひっかかるとすれば漫画版として連載が続く「THE ORIGIN」に支障が出ることで、安彦さん解釈によるガンダムにもたらされている変化がどういた終息を迎えるのか、変化していないにしてもあの名場面をどう描くのかといった興味が埋められずに終わってしまうと、それはやはり心に大きく穴が明いてしまう。だから安彦さんには健勝にて最後まで筆を撮り続けて欲しいと願うばかり。

 それと同じことを今は伊藤明弘さんについて心より言って差し上げたいもの。先月号の「サンデーGX」で国境を越えていよいよ展開が改まるって予想された「ワイルダネス」が休載になってそして月末の「ヤングキングアワーズ」で新章に突入して新しい神楽が登場して古い神楽とご対面、さあどうなる? ってところでやっぱり休載になって残念な思いをしていたものの、単行本の仕事にでもかかって休んでいるのかと思ったらどうやら体調不良の模様。それでも一時的なものかと楽観視していたら今月発売の「サンデーGX」でまたしても「ワイルダネス」が休載となり、そこに体調不良で長期療養が必要といった文言が書かれてあって戦慄が走る。

 おそらくは月末の「アワーズ」にも「ジオブリーダーズ」は載らないだろう状況が、いったいいつまで続くのかってところにファンとして気もそぞろ。そりゃあすぐにでも再会して欲しいし無理にでも決着をつけて欲しいという気持ちが先走るけれども描く人がいてこその作品って訳でそれを描ける唯一の人が筆を取れない状況にあるなら、今はひたすらに快癒を願いみずからの筆による完結を果たしてさらに新たなる作品に挑戦して欲しいと願うばかり。不謹慎なことなど考えるまでもなくただひたすらにご健勝ご健勝と祈り奉り候。しかしやっぱり気になるよなあ新生神楽の少女隊の実力と、ブロウトンファミリーに働く下着メイドの実力が。

 夏はやっぱり海。それは吸血鬼だっても変わらない、って訳には決していかないのは吸血鬼って日光を浴びれば灰になって崩れてしまうのが習い性だからなんだけれども、それでも夏の海に飛び出して行かなくちゃいけないのが六塚光さんの「やってきたよ、リヴァイアさん」じゃなかった「灰とリバイアサン」(一迅社文庫)。時代は大地震か何かで日本列島がずたずたにされて島だらけになってしまった未来か何か。日本人たちはそんな島に点在して暮らしていたけどそこに天災ならぬ天敵が現れた。

 何の因果か巨大化した蟹だか海老だか磯巾着だかがわしわしと押し寄せては島をピンチに陥れる。そこに僥倖、3000人に1人の確率で海獣たちと戦えるだけの力を持った吸血鬼が現れるようになって人類が滅亡するのを防いでいた。といっても海獣をまとめて滅ぼすまでにはいかず拮抗状態。そんな世界にあって吸血鬼を連れて旅をする青年がひとりいた。それが主人公の顕九郎。吸血鬼を調整する知識を持った彼は姫乃というヴァンパイアを連れて海を渡ってとある島へと流れ着いた。

 その島にも吸血鬼は3人いて島を守ってはいたけれど、戦いになれば日にさらされ海獣を倒しても灰になることは避けられない。集められた灰が元の姿に戻るまでの数日を棺桶で過ごし、その間は残る2人が海獣の襲来に備えていた。そんなギリギリの生活につけ込むように、島を束ねて連合を目指す精力の尖兵が乗り込んできては島に参加というなの隷属を求める。そりゃあ嫌だと考えあぐねていたところにやってきた顕九郎。姫乃が日傘さえ差せば日の下を歩ける体なのを不思議がりつつそんな力を身に着けたいと願う島のヴァンパイアたちにも受け入れられ、無理押しをする連合との戦いに備えようとした矢先。かつて顕九郎がいた島を滅ぼした最強のヴァンパイアが連合側から派遣されて来た。

 海獣と戦うのは人類共通の目的なのに、そんな海獣を操る力を確保して連合としての勢力拡大を狙う一派の目的ってのがちょい見えないのが気にかかる部分か。脅し時には滅ぼしてまで連合の精力を拡大したって、海獣が減らなければいつかはじり貧となっていく。それにあまりに自分勝手が過ぎるといくら強力な力を持っていたって離反は免れず懲罰を下そうとしたら集団で袋叩きに逢いかねない。恐怖で支配し飴で慰撫するバランスをどのあたりでとっているのかがちょっと気になった。ヴァンパイアに日光への耐性を持たせニンニクへの耐性すら持たせ得るとある手法ってのが吸血鬼学的にあり得るのか。そっちの権威に聞いてみたいなあ。夏と水着と吸血鬼ってそれにしてもすっげえ取り合わせ。

 決して胸元に釣られた訳では絶対にないないないと強調しておきつつ秋葉原にあるギター屋さんの店頭で流れていた教則ビデオでの華麗なるテクニック、そうあくまでも華麗なるテクニックに表向きは惹かれて購入して見てやっぱりその胸元のとてつもなさは当然にしても、テクニックの方もやっぱりとっても素晴らしかった安達久美さんが組んでいるバンド「安達久美クラブパンゲア」の3枚目が出ていたんで買って聞いてみてなるほど流麗にして骨太なギターだとしばし聞き入る。

 同じポールリードスミス使いの大師匠、サンタナならではの泣きっぷりとはまた違った響きなのは年の差なのか性別の差なのか。かといってカシオペア的なフュージョン風の乾いて流れる感じとも違ってしっかり地に足がついた響きっていった感じ。って思ったけれどもそこまで言い切れるほど詳細には聞きこんでいないんで、1枚目と2枚目も機会を見て買って聞きこんでその神髄に迫って見よう週末にでも。ジャケット的にはやっぱり1枚目2枚目の方が見目麗しくって嬉しいよなあ、ってやっぱりそっちがメインかよ。3枚目にはライブ映像もDVDに収録。こっちじゃストラト弾いてるなあ。

 出るか出るかと心配半分期待半分で待ち受けていた魔族のトップリーダーはついに顕現かなわないまま長い封印の向こう側へと抑え込まれてしまって人類的には万々歳だけれども物語的にはやや寂しい気もしないでもなかった貴子潤一郎さん「灼熱のエスクード4」(富士見ファンタジア文庫)。強力な力を持った盟主のひとり、アロマに血を吸われた薫は力こそ得たものの夜は激しい痛みに苦しみ身となりならがも、アロマに屈することはしないでさらわれたレイニー奪還のためにモンサンミッシェルへと向かう。ご近所にはエロさ抜群な使徒の女も同行して、エロさに開眼しつつあった薫を誘惑するっていうか誘惑され代えそうになったもののそこはライトノベルの範疇に収まり奪還への旅は続く。ちょっと残念。

 でもってアロマをその身に長く宿していた嬢ちゃんは抜けた後でも自分には何かができるはずだと立ち上がっては、アロマを封印するための方法を探して魔法使いたちと現場に向かう。そこに迫る追っ手。けれどもなぜか味方する魔族たち。よっぽどアロマって嫌われていたんだなあ。でも可愛いところもあるのに。長く人間たちの間に揉まれて人間臭さが身に付いたアルフェルムとは違って暴れん坊だっただけなのかもしれないけれど、それにしては人間どもを根絶やしにしてすべてをひっくり返そうとするだけの理由が今ひとつ。それはグランマスターが望んだことなのか。薫がなびかないんで自棄になっただけなのか。最後に来てちょい駆け足気味にすべてがまとまってしまって、そんな洞察をする暇がなかったのもちょっと寂しいところか。とりあえず終わりみたいだけれども可能性があるなら短編あたりでその後の魔族たち使徒たち薫たちってのを描いてやってくれれば嬉しいかも。


【8月19日】 例えるなら「機動戦士ガンダム」のセイラさんだかフラウ・ボウだかがホワイトベースには乗り合わせないでクルーにはならず逆に敵のジオン軍の将校に名を連ねてホワイトベースを追撃する側にあったけれども最後の最後でだまされていたんだと目覚めてホワイトベースに見方するようになるってくらいの改変か。瀬尾つかささんが描く「宇宙をかける少女」のノベライズの下では上巻で獅子堂の姉妹には入れられていなかったナミが獅子堂神楽の妹だか何だかとして登場しては神楽の代わりにアレイダとなって獅子堂秋葉を始めとしたレオパルドの一党に迫ってくる。

 なるほどあのフラついてはっきりしないキャラがもしもいなかったとしたらアニメの方も割にスッキリとして敵ネルヴァルを迎え撃つ獅子堂4姉妹って構図が描けたはずなんだけれどもそこにナミが絡み、秋葉はグダグダでつつじは悪目立ちしていつきは手前のことで精一杯というキャラのごった煮状態が、終了間際にはブラックホールレベルまで濃縮され、挙げ句にゲシュタルト崩壊を起こしてしまって何が何やらさっぱりになってしまったっけ。そこを整理して主題をむしろレオパルドとネルヴァルの“兄弟”の対立と融和に横滑らせ、絡む人類の物語にしてすっきりとしたものに仕立て上げた。

 本編がしっかりし過ぎて遊ぶ余地がなく、だからこそエロスの要素に走った小説版「機動戦士ガンダム」とはある意味で逆のアプローチのノベライズ。そして真っ当さが輝くノベライズ。でもしかし今読んでもまるでアニメのことを思い出さないのは何でだろう。まだ2ヶ月も経ってないのに。「黒神」だって多少は……多少は……やっぱりあんまり思い出さないや。まあそんなものだよアニメって。「けいおん」だってもはや気分に欠片もないし。

 なるほど確かにハルヒの顔が「けいおん」化していた「涼宮ハルヒの憂鬱」の新作部分は、この後で「朝比奈ミクルの冒険」へとつながりどうでも良い自主製作映画を撮って見せるお笑い展開が待っているってことになるんだろうけど、普通にストレートに物語が始まると思わせておいていきなりあの頓狂なオープニングテーマを長して素っ頓狂なイントロで驚かせて大受けを取った最初の放送時と比べて、すでにみんながそれと知っている自主映画の制作エピソードを流して果たして面白いのかどうなのか。1度は受けを取れても2度目はないのかそれとも3度目があったりするのかって辺りに関心を抱きながらもまあまたやっているなあといったニュアンスで放送を待とう。みんみんみらくるみくるんるん。

 でもって「化物語」は元気な少女が駆けていく物語だけれどスパッツで興味半減。戦場ヶ原ひたぎは阿良々木暦を狭いアパートへと招き入れてお勉強だけれどノートにいったい何が書いてあるのか、文字は読めても英語なんで意味が不明。まあきっと誰かいずれどこかで訳してくれるだろう。動かないかあんまり動いてない絵をセリフに逢わせて断片として見せつつ話をつなぐ巧みさに見覚えがあるなあと思ったらそうか「少女革命ウテナ」に近いものがあるんだ。物語と関係あるのかどうなのか不明ながらも何かを暗示する絵を言葉に被せるように流して目は画面に集中させつつちゃんとセリフを聞かせてどこか虚構的な気分を醸し出すっていう、あれ。

 「ウテナ」だと指の張り紙とか、ウサギの形に切られたリンゴなんかが妙に不気味だったけれども「化物語」はあれは昔のホンダかフェアレディか何かのオープンカーのテイルを並べてオシャレだけれども不気味なニュアンスを浮かばせている。断片だけれどキャラがメインだった「ef」ともまた違った絵作り。どうしてそんな気分になるかは言葉とそして絵を詳細に分析すれば掴めるのかなあ。でも面倒だから良いや。でもって暦は何者かにコテンパンにされて線路の上で危機一髪というか風前の灯火。そこに現れた我らがひたぎはいったいどんな武器を持って相手と戦うか、ホッチキスか三角定規がコンパスか。それら全部かそれとも普通に肉体か。引きがうまくて次が気になるって意味ではとりあえず今期で最高の部類。もっと物語で引っ張ってくれるアニメも見たかったなあ、って「バシュカッシュ!」はどーなった? 最近まるで見てないぞ。

 「わたしには葉脈があるのよ」「ばななだからね」。という会話を思いつきつつ秋葉原へと出向いてソニー・コンピュータエンタテインメントの発表会を見物。日通の跡地に出来たビルの地下にあるそんなに広くもないホールが会場なだけにたいした発表じゃないだろうと高をくくっていたら「プレイステーション3」の新しい機種の発表だった。おいおい前のSCEだったらバージョンアップでもホテルの大広間とか六本木にある「東宝シネマズ」の1番大きなスクリーンを借り切って海外プレスも読んで大々的に発表してたんじゃないのか。当時は今ほど売れると誰も感じていなかった最初の「プレイステーション」の価格発表の時ですらあれはホテルニューオータニだったっけ、ホテルの広い部屋で徳中さんが登壇してあれやこれや喋ってたのに、世界が動向を注目するようになった現在でフラッグシップ機の新バージョン投入が、社長はおらず会場の手狭なホールってのは何だろう、もはやその程度の注目しか集められないと感じている現れなのか。

 実際のところ中身がガラリと変わるって訳でもないんでバリューとしてはその程度でも良いんだろうけど、ひところの派手っぷりを知っているだけにちょっぴり寂しい気分がもわりもわり。新しくくり広げるプロモーションって奴も髭面の兄ちゃんたちがわんさか出てきてしかめっ面したり破顔一笑したりする絵の連続で、そこにはゲームがかつて主力にしていた中高生や任天堂が得意にして実際にかっぱいでいる小学生といった層がまるで見えない。大人のオシャレな層にはピクって感じさせるプロモーションなのかもしれないけれど、ゲームを主に遊ぶ人たちとはちょい、というか随分と違ったオシャレさんたちの恰好着けたプレイぷりに、これって僕たちが遊んでも良い物なのかなって思わせ手を引かせかねない心配も浮かぶ。

 その意味で秋葉原とか新宿池袋を主戦場にするコアゲーマーは切り小中学生も捨て、渋谷原宿方面から時代の先端を走るエッジの立った層にアプローチしていく腹を固めたってことなのか。その割には発表会場が秋葉原ってあたりが謎。どういったユーザー層を作りたいのか。そこをどうやって育てていくのかってところがどうにもメロメロメロウになっているような気がしてならないんだけどさてはて。まあ小中学生が主戦場にしている任天堂プラットフォームに「モンスターハンター3」がどれだけマッチしているかって謎はあるけれど。出荷数じゃなく実売数とそして平均プレイ時間が知りたい。

 ところで新型「プレイステーション3」はいったい全体小さくなったのか薄くなったのか格好良くなったのか。パッと見であんまり変化しているって感じがしないなあ。「プレイステーション」が「PS ONE」になった時には明らかに可愛らしくなっていたし「プレイステーション2」が薄型になった時も変化の度合いに驚いた。今度のはスタイリッシュさが増した程度で極端な変化ってものがあんまり感じられない。むしろ「3DO REAL2」感っていうか「富士通タウンズMARTY」感が強まったって気分? 今となっては歴史の彼方に埋もれているけどかつてそういった名前の据え置き形ゲーム機がこの日本には存在していたのだよ。つまりはデザイン性でもかっとんでいるって訳じゃない新型を、Wiiよりも高い29980円出して買う層っていったいどんな人? そこが知りたい。だから発売日には秋葉原に並んでみよう。


【8月18日】 原作を持たない「機動戦士ガンダム」は43話に放送が短くされても予定されていたシナリオを端折ることによってどうにか完結させられた訳で、これが原作付きだったら端折られた場合だったらあれやこれやと論じられただろうし、原作に追い付いてしまった場合だったらどんなオリジナル展開を見せるのかといった議論が起こっただろう。すでにしてテレビ版という原作を持った劇場版はだからどこがどう違うのか、どう端折られたのかといった議論が起こったし、漫画版の「THE ORIGIN」も同様にテレビ版にはなかった設定が加えられたり展開がくり広げられたりして、その差異が論じられたりする。最初にやってしまうというのがだから何につけても1番やりやすいということだ。

 でもって漫画版の原作に追い付いてしまったのが「咲 −Saki−」で高校生麻雀大会の県予選で団体戦が終わったことでこれれからいったい何をどう描いても原作より先になってしまう状況を、どうかわすのかと見守っていたらやっぱりというか夏だからというか、水着でプールの回となって目の保養になりテコ入れにもなり原作を埋める力にもなった。そして来週以降も朝目覚めるとなんとなーく部長から電話がかかってくると思っていた咲が鳴り出した電話をとるといきなり部長が「午後2時に駅前に集合。水着を忘れないいこと」と言い出してかけつけるとメンバーが揃い自転車で龍門スポーツ倶楽部へとかけつけプールを楽しみ、龍門渕の面々と興隆し原村和や宮永咲と天江衣とが友だちになってああいい1日だったと思った翌日、なんとなーく部長から電話がかかってくるなあと思っていたら電話がかかって来て「午後2時に駅前に集合、水着を忘れないこと」と聞いたことがあるような言葉を喋り始めた。

 なんて展開がその後にさらに4回続いてリアルタイムの9月が終わって2クールだったアニメ版「咲 −Saki−」の放送も終了。漫画版の先を描くようなことはせず、かといってオリジナルの展開で属性を書き換えるようなこともしないでどうにか1ヶ月をしのぎきりつつ話題性も確保できたって寸法。これなかなか良いんじゃないのと提案したいけれども果たして今の制作会社に毎回毎回、原村和の水着を描き変えて胸が見えたり見えにくくなったりするような工夫をこらす余裕があるのかどうなのか。それをいうなら誰がいったい原因なのかってあたりを解決できるのかどうなのか。まあそこはそれ、すべて夢でしたって落ちでもっていきなり団体戦の決勝という状況に叩き込まれてわたしたちの戦いはこれからよで終わるってのも1つの立派な解決法、なのかもしれない。どっちにしたってしばらく楽しみ。

 エルメスのスカーフとミャンマー製造のショールがあって、どちらが良い物か聞かれれば、100人のうちの100人ともがエルメスと即答するだろう。エルメスはデザインがすばらしいし、クオリティも高い。そんなイメージがあるからだろうけれど、それって本当に、心の底からデザイン性や品質を認めているからなんだろうか。実際のところは、それがブランド物だから、みんなが買っているから、自分も買ってみただけなんじゃないのか。

 もしも違うって言い張るんだったら、銀座に行っても立ち並ぶブランド物のブティックには目もくれないで、サンモトヤマというセレクトショップに入り、蓮の糸から織られたミャンマー製のショールとか4000メートルの高地に生きる山羊の毛で作られた本物のパシュミナショールを手に入れるべき。だってそれらはエルメスの品質を認めて日本に持ってきたサンモトヤマの偉い人が、こいつは素晴らしいと直に触って確かめて持ってきたものたちだから。

 幸田真音さんの「舶来屋」(新潮社)って小説は、そんなサンモトヤマ創業者の茂登山市郎さんをモデルにした小説。中国から復員して来て父親のメリヤス屋を立て直そうと働いている中から糸を靴下に加工して売る儲けのテクニックを見いだし、米軍の横流し品を売りさばく仕事の中から良い品物を売る楽しみって奴を見つけだし、新聞社の社長や広告会社の社長や写真家の名取洋之助といったお歴々を顧客にするようになって繁盛していく一代記って部分もあるけれど、本当に重要なのはそうしたサクセスストーリーよりもむしろ、商売の本質がどこにあるのかってことを考えさせてくれる部分だ。

 フランスに行って見つけたエルメスの品質の良さに感動し、日本で扱いたいと尋ねてけんもほろろにあしらわれ、それでも諦めないで日参し、手紙も書いてやっぱりダメ。一方でイタリアで見つけたグッチの良さにも感動し、こちらも日参したけどやっぱりダメの連続だった果て、店にいた社長の人に銀製品を丁寧に扱う手さばきが気に入られ、品質に対する経緯を認められて日本で売る許可をもらってグッチを日本に紹介し、さらにはエルメスも日本で扱えるようになったというエピソードは、たしかにビジネス上のサクセスストーリーではあるけれども、同時にブランド品とは名前ではなく先に品質があってそれが認められてブランド品になったんだってことを教えてくれる。

 だって最初は日本ではほとんど知られていないブランドだった訳で、それをサンモトヤマでは頑張って売って認められるようになった。今じゃあ触れなくたって品質は良いものだし見なくたってデザインは抜群だって認識が広まっている。あんまり広まりすぎた果てにデザインも品質もおかまいなし、ただブランドロゴがついてさえいればそれは“良い物”なんだといった空気が漂うようになってしまって、店に大勢の客を引き寄せあらゆるものを買わせてしまう。ブランド品であることに品質の良さなんておまけでしかないような風潮が、偽装米だとか銀座で長蛇の列を作った北欧ファッションだとかの見てくれはあっても中身は……ってな品物に客を群がらせる。

 売る方だって変わってしまった。品質の良さを訴え日本にブランドを定着させたサンモトヤマを、グッチは切って現地法人を作りエルメスもやっぱり外して直営を始めた。商圏をたてに粘れば粘れたんだろうけれども小説によればそこで粘らず、預からせていただいたものだからお返しすると手放してしまったというから潔いというか何というか。あるいはそうした空気の背後にある、ブランドだから売れるといったスタンスを感じ取ってこのまま販売競争に巻き込まれてしまうと、品質の良さを売りにしてきた商売上のポリシーに逆らう事態が出てきてしまうと考えたのかもしれない。

 その代わりにやっているのが本物のパシュミナストールであったりミャンマー製のショール。ミャンマーのは何でも何万本もの蓮の茎から1本1本引っ張り出された細い繊維を織り上げて、作り上げたものらしくって現地を尋ねたおりに偶然見かけて触ってこれだと感じて、日本に持ってきた。エルメスを見いだしグッチを見いだした確かな目が選んだものなら大丈夫、って太鼓判を押したい気持ちもあるけれど、これはあるいはサンモトヤマってブランドへの信仰なのか、純粋にサンモトヤマの目利きぶりへの信頼なのか。ちょっと考えてしまう。

 まあモデルとなった会長が存命でポリシーを受け継いだ社長も世界を飛びまわっている現状では、信頼しても良さそうだけれどそんな気概がいつまでも続いて支持されるには、買う側も名前ではなくコストでもなく品質に対して適切な評価を下す目利きぶりを持ち、そして支持を与える粋さを持つことが寛容。それがなくなったら品物はうれず、ならばと名前に走り安さに走ったあげくにせっかく培われた質へのこだわりがまとめてガラガラと崩壊してしまいかねない。政治だって経済だって芸能だって見てくれに走りがちな空気が強まっているだけに、ここでふんばることがあるいは未来に確かさをもたらすといった気概も一方に持って、サンモトヤマって店の頑張りを支えていきたいところだけれどもどれもこれも高すぎてまるで手が出ません。残念無念。

 えっとどうして親父生きているの? ってあたりがあんまり説明されていない上に、殺された場面が相手を油断させるためのフェイクかもしれないって可能性を親父の関連筋から入手した上で、大統領をウイルスごと焼き潰す指令を発動するかどうかをどうして決められなかったのかってあたりにアメリカの衰退を見てしまったというかそれはいくらなんでもって考えてしまった「CANAAN」。フェイクかますならアメリカが空爆を決意する可能性も考えて連絡しておくのが主義じゃないのか、そうじゃなきゃあ親父を生かしておく意味もないんじゃないかと考えてしまったけれどもとりあえずショートチャイナの妹分が見捨てられ嘲られて切れかかっていたのがなかなかに御一興。続く展開でどれだけ乱れ顔をしかめてくれるのか。注目して見守ろう。脚もいっぱい見せとくれ。


【8月17日】 身長が人間の10倍という18メートルもある「機動戦士ガンダム」は歩幅も人間の10倍だからだいたい8メートルからランニングで10メートルといったところ。その幅で100メートルを走ったらいったいどれくらいのタイムが出るのかと気になるところではあるけれど、鈍重なボディは一気には加速しそうもないため出足は絶対に人間の方が速そうで、100メートル走のトップランナーが10秒で走ったとして果たしてガンダムは追いつけるのか追い越せるのか。悩ましいところではあるけれども横で18メートルの巨人が走っていたら振動とあとはいつ倒れてくるかもしれないという恐怖で人間、走れるものではないだろうからやはりガンダムが勝つ、といったところで結論。ハンマー投げならガンダム圧勝の巻き。ガンダムハンマーを投擲された日にはスタジアムだって無事じゃ済まないだろうし。

 という感じでベルリンでの世界陸上をつらつらと見ていたら寝落ちして史上最速を決める100メートル走の決勝を見逃して、目覚めたら再放送か何かでウサイン・ボルト選手が9秒58だなんてとてつもない記録を出していたと知ってこりゃあやっぱりガンダムだってかなわないなあと慨嘆。つか去年の北京オリンピックよりも0秒1近く縮めてくるっていったい何者? どこの重力が高い星から移民船に紛れてやって来たの?

 記録とかひっくり返すと、9秒8台が9秒7台になるのにだいたい10年くらいかかっているのあな、でもって9秒7台か9秒6台になるまでにもやっぱり10年くらいかかっているっぽいのにそれが今度は1年ってんだから何かとてつもないことが起こっているんじゃないかって人間の進化を疑ってみたくなる。けど別に走り幅跳びが20メートル台に到達した訳でもないし棒高跳びが7メートル台に近づいたってことはない。100メートル走くらい。だから陸上に関する人類の能力が全般的に進化しているってことではないらしい。

 とはいえ短さでは短距離で随一な100メートル走での急進ぶりはすなわち100メートル走に関わる世界で何か異変が起こっているってことなんだろう。それがウサイン・ボルト選手という個人に関わるものなのか、それともアサファ・パウエル選手やタイソン・ゲイ選手といったライバルたちも含めてのことなのか。100メートル走で全身に浴びる空気の抵抗が過去の物理法則から少し変化し弱まって来ているような事態が起こっているのか。地球温暖化が空気の密度を下げて走りやすさをアップさせせていたりするのか。

 それならやっぱりハンマー投げとかやり投げといった投擲競技の記録だって伸びていいはずだから、やっぱり選手個人の資質が異常に発達しているのか。うーん。分からないけれども面白い時代に入ってきた。なにしろボルト選手はこのタイムですら最後は余裕を噛ましてよそ見なんかしていた訳だから。突き詰めればいったいどこまで伸びるのか。夢の8秒台なんて事態も10年経たずに起こるのか。その時に人間はどんなスタイルをしているのか。生きている間には見られそうな“ニュータイプ”の登場。「機動戦士ガンダム」のファンとしちゃあ喜ぶよりほかにないなあ。

 そんな裏では浅尾美和選手と西堀健実選手のペアがビーチバレーの大会で栄えある優勝をしていて、明け方にかけて珍しくテレビでの録画中継なんかをしていたのをついつい録画して見入ってしまったよ。今回はきっと録画率も高かったんじゃなかろーか。前にも優勝したことがあるそーだけれど、優勝候補が途中棄権したなかでの居留守みたいな優勝だった訳で世間もあんまり納得はしなかった。今回はしっかりと強豪も出場したなかでの優勝だった訳で見栄えばかりが先行していたペアにもようやく実力ってものが備わってきたんだと、これで認めて良いのかそれともやっぱりまだまだなのか。

 囲碁の梅沢由香里さんだって女流棋聖を獲得してそれはそれで快挙だった訳だけれども2期連続で防衛を果たして在位が3期に及ぶにいたって顔立ちの良さ以上に実力って奴があるんだと、万人が認めるよーになった。美醜が評価のバーを上げ下げするなんてあってはならないことだけれども、でもやっぱり美が讃えられがちな人たちって、少々の活躍ではなかなか認められないってハンディがある。今回ばかりはそうしたハンディすら粉砕しての優勝に、これでこのまま活躍し続けてくれればと願うビーチバレー関係者も多かったんじゃなかろーか。個人的には試合の中継が増えるって意味で2人の活躍に大期待。やっぱりエロいもんあの衣装。

 それは滅びへの序曲なのか。それとも隆盛の極みを現しているのか。9月発売の一迅社文庫のリストにあった「えでぃっと −ライトノベル界は今日も大騒ぎ?!−」って作品のあらすじ紹介なんかを読みつつ世界も来るところまで来たのだなあって悩ましげな気分がわりゃわりゃ。「僕の名前は羽沢雛太。中学三年生の時に一迅社文庫大賞を受賞し、今ではラノベ作家と学生、二足の草鞋を履く高校生。そんなある日、僕の担当変種胡散が変わると連絡が届き、やって来た新担当は僕と同じ、高校一年生の美少女、片桐文香だった。(中略)作家どころか編集者視点も入れてしまった、初のライトノベル業界総合コメディついに登場!」。なにかすっげえあらすじだ。

 ライトノベルの業界を描いた作品ってことでは杉井光さんの「ばけらの」(GA文庫)平坂読さんの「ラノベ部」(MF文庫J)があって毛色はちょい違うけど伏見つかささん「R−15」(角川スニーカー文庫)なんてのもあったりと、作家業界系ラノベがあれやこれやと出まわって来ては妙な人気を集めていたりする。それはもはあ新しい設定の新しいドラマを生み出せなくなった業界が、手前んところの話を書いて共通認識下にあるラノベファンの支持をかっさらっていこうってどちらかといえば消極に属する気分に陥ったりしている現れなのか。単に題材として一般に認知され得るくらいに広まってきた現れか。

 個人的には韜晦的にでも自虐的にでも、形而上学的にでも虚構的にでもラノベ界隈のことなんて別にそうなんだよねって知って喜べるほど業界に詳しくないので、単純に物語として楽しいか否かで判断していくことになるんだろー。どうでもいいけど早矢塚かつやさんんの『文芸部発マイソロジー2』には、どうやらニャルラトテップが出るらしいけどそれはニャル子さんとの関係者なのか。名状しがたいバールのようなものを持っていたりするのか。期待はともかく発売を待つしかなさそー。


【8月16日】 女子棒高跳びの得も言われぬエロさを飛び飛びで堪能しつつもイシンバエワがどうなったのかを確かめる前に寝落ちして起きたら朝だったんで、支度をして電車を乗り継ぎ「東京ビッグサイト」で開かれているコミケを見物。午前11時ちょい前についたら割にすんなりと中に入れたのは、すでにして企業ブースが全滅に近かったから、なのか。西館(にし・やかた)の屋上もコスプレ広場に開放されてて行列とかなくブースの方でも品切れの文字のオン・パレード。アニプレックスなんかは正午のあたりで売るものが何もないって状況に君たちはいったい何をしに来ているんだ、チラシでもポストカードでも配って宣伝するのがブースを出してる責任だし、安くもないだろう金を払って出展した以上は精一杯に稼ぐのが企業としての態度だろう? って突っ込みたくなって来た。

 まあもっとも正午あたりに来るような人間なんかは今日日のセグメント化されてタコツボ化した市場では埒外にある人たち。すでにしてそれなりに狭い範囲で稼いでいるだから無理に広げなくたって、収支の帳尻は合っているんで、無理に遮二無二やる必要もないなよ、ってな気持ちがあるいは漂っていたりするのかも。せっかくだからと「BLACK LAGOON」絡みで見たらホテルモスクワのシエラカップが出ていてシリアルナンバー付きに惹かれたものの3000円出して買ったところで、部屋のどこかに埋もれるだけだろーとお見送り。ラグーン号バージョンだったら欲しかった? 買ったのは一迅社で「かんなぎ」の設定集。ちゃんと売れ残っているのは何だろう、もはや時代は「かんなぎ」を離れて「けいおん」すら離れかけているからなのか。年末に紅白って話もあるけどその頃にゃあ誰も「けいおん」、盛り上げてないんじゃないのかねえ。セグメント化された上で3ヶ月で終わるブームの重ね技でアニメの市場は出来ている。

 企業ブースへと回る前に評論コーナーをざっとながめて東浩紀さんと宇野常寛さんが並んで同じものを売ってるブースの東さん側で購入。それぞれに特典が違っていたのかどうなのか。知らないけれどもまあいいや。氷川竜介さんの本は行けなかったSF大会での講演だったからラッキー。来年は行けるけど申し込みをするブースが見つからなかったんでネットでやろう。あるいは郵便で。石田汗太さんの直言兄弟ん家は生娘がいた。誰んだ? あとはふらふらと歩いてそれから企業ブースを回ってそのまま退散。都合1時間もいなかったかな。まあそんなもんだよ年寄りにとってのコミケって。

 ゆりかもめに乗って帰ろうかと思っていたらガンダム話をしている女子がいたんでふっと思い立ってお台場駅で降りて「機動戦士ガンダム」の等身大立像を見物に行く。さぞや人でごった替えしているだろうと心配したけど会場が広いせいかそんなにギッシリにはなていなくて遠巻きからでも近くからでも眺め見上げることができた。物販の方は見なかったから何が売り切れていたかは不明。屋台はソーセージ串だかに長い行列ができていた。焼く匂いが美味そうなんだよあれ。せっかくだからと広島焼きを食べる。高いなあ。でもってお台場でガンダムで広島焼きってどういう取り合わせ? まあそれだけ全国なんだってことで。空には漂う鰯雲。青空だけれど抜けていない空気はだんだんと季節が秋に近づいているってことを示してる。夏が終わりガンダムの展示も終わってそして自民党が終わり職場もついでに終わったりしたら冬をどうやって過ごせば良い? 内職だ貯金だ物乞いだ。

 お台場駅の入りに開けた改札が1台切りってのはいくらなんでも狭すぎだけれど出を少なくするとホームに人が溜まってどえりゃーことになりかねないから仕方がないのかゆりかもめ。まあ今日当たりがひとつのピークなんでこれを過ぎればあとはどうにかなるのかそれとも来週末の「ガンダム」関連イベントの連発でまたもやパンクか。そんな改札をどうにか乗り越え汐留で降りて大江戸線に乗り換え春日へと大回りして東京ドームあたりのジャンプショップをさっと眺めて「ONEPIECE」の総集編をまとめ買いしよーとしたら歯抜けになってた。7月11日の「サイモン&ガーファンクル」のコンサートん時はちゃんと揃っていたから単にお盆で補充が出来ずに欠品しているだけなのか、それともそろそろ在庫も増刷分も尽きてきたってことなのか。単行本よりデカくてカラーもしっかり載っててお得感があるんだよこれ。しかたがないのでアラバスタ編のラストだけ買い神保町へと周るもののお盆で新刊は入っておらず唯野美歩子さんって人の「僕らが旅にでる理由」(文藝春秋)ってファンタジーくさい本を買ったけど果たして。そのうち読もう。


【8月15日】 仲間由紀恵といっしょに狭い部屋で逆立ちする夢を見たけどいったいどういう意味があるのか。ひっかかるような事例も別になかったしなあ。それとも何だろう、コミケに行きがてら庵野秀明監督のことを考えながら実写映画「ラブ&ポップ」のことを考え誰が出ていたかを思い起こしたことが頭の片隅に残っていたのか。それをいうならこの4月7日からずっと毎日「機動戦士ガンダム」のことを考えているのにガンダムが夢に出てきたことはないし、セイラさんが夢に出て来て「あんたならやれる」じゃなかった「あなたならできるわ」と言ってくれたこともない。考えすぎるよりもすっと思い浮かんだことの方が脳に残って夢になりやすいのか。セイラさんクッションを枕にしているようだとやっぱり夢には見ないなあ。考えないように考えないように。

 旧聞ながらもアジアの女子サッカーの大会でU−19の日本代表が見事に優勝を果たしてこいつは夏から縁起が良い。西森彰さんも行っていたみたいだからいずれ「週刊サッカーマガジン」か「週刊サッカーダイジェスト」に詳細なリポートが載るだろうと期待しつつもざっと眺めた感じだと、少なくとも下の世代において岩渕真奈選手は相当に期待ができそうなストライカーって感じで、シュートを放ってゴールを決めて得点王に輝き大会MVPにもなってと同じ世代のプレーヤーでは、目下のところアジアでナンバーワンに立っているといって絶対に言い過ぎではなさそう。

 去年だかに開かれたU−17の女子ワールドカップでも、別に決勝戦に残った訳でもないのにズバ抜けた活躍ぶりを評価されて、大会MVPを受賞しているからある程度の年代では同様にトップクラスにいるって言えそう。現地のサッカー関係者が認め日本で今いちばん期待できる選手だって言ったって話もあるだけに、相当な逸材ってことになるんだろー。日本の女子選手で過去にそんな選手って澤穂希選手くらいしかいなかったから、同じだけの活躍を、してくれるって期待を抱くのはそんなに間違ってはいなさそう。まずはワールドカップ、そして五輪での活躍が今かた楽しみで仕方がない。

 とはいえしかしあくまでも下の世代でのトップってところだけは考えておかないと。何度かなでしこリーグの試合に出場している姿を見たけれども、上の世代もいっしょになった試合でズバ抜けたプレーを見せているって印象が実はあんまりない。澤選手の動きの確かさとか引退してしまった加藤與恵選手のカバーリング能力の高さとか、最近復活気味で嬉しい小林弥生選手に視野の広いパスセンスとかアメリカで活躍する宮間あや選手の超絶フリーキックといった凄さをリーグでそれほど見せている訳ではないし、ましてやすべての世代が出そろった国際大会で未だにひとつの活躍を見せたって訳では決してない。修羅場もくぐってない。

 世代が上がっても女子サッカーって男子ほど世代間の差があるかっていうと日本ではそれほどあるとは思えないけど、海外だと30代に入ったベテランがドイツとかアメリカなんかだと頑張っていてトップクラスの活躍なんかを見せている。そんなベテランに交じっていったいどれだけの活躍を見せられるのか、ってところ確認しないことにはまだまだ期待の逸材と、讃えるのは早計のような気がしてならない。メキシコの高地でヘロヘロになりながらも走りゴールを決めた荒川恵理子選手のようなタフさが果たしてあるのか否か。そんなところを確認するためにもすぐにでも代表のトップチームに合流させては国際試合の中で使って力を確かめてやって欲しいなあ。

 ついでじゃないけど身長187センチのゴールキーパー、山根恵里奈選手もトップチームでそのポテンシャルを見たいところ。去年だかのなでしこオールスターの前座で福島にあるJAFアカデミーの代表として登場してはゴールを守っていた。その長身ぶりにいったい何者を驚きそして試合になってからの動きの確かさにこれは鍛えれば伸びると思っていたら1年が経って世代別の代表でメインのゴールキーパーとなっていた。いくら背が高くたって動きが鈍重ならゴールキーパーは務まらない。170センチに満たない選手でも立派にゴールを守ってきた訳でそこにただ背が高いからってレギュラーを与えれば誰もゴールキーパーなんて目指さなくなる。背丈に加えての確かなプレーがあってのポジション確保とここは認めるべきなんだろー。そんな辺りのリポートにも期待したいところ。遠征先では山口麻美選手は活躍できたのかな。去年までとはガラリと変わった若手も加わりいよいよ動き出した新世代なでしこの未来に心からのエールを。

 不足しっぱなしだったサッカー成分の補充にと久々のフクダ電子アリーナでJリーグの「ジェフユナイテッド市原・千葉vs柏レイソル」戦を見に行く。午後の7時半という昨今ではちょい遅めのスタート時間を見越して微睡みまくった家を午後の2時に出て、郵便局で荷物を受け取りららぽーと船橋まで歩いてラーメンをかき込みさて「サマーウォーズ」でも見るかと思ったけれども時間が合わず、満席気味だったこともあって断念。そのまま南船橋駅へと出て京葉線で海浜幕張まで行き三井アウトレットパークにあるルコックの店でジャージの上下セットなんかを買ってみる。体力増進というかダイエットのために運動しなきゃあいかんだろうという気になったことがひとつとあと、いつ何どき毎日が日曜日ともならない経済情勢において普段出歩く上に必須となるジャージがあれば最良といった考えに陥ったことがひとつ。それが果たしてどこまでマジかといえば実に本当にリアルにマジかもとだけ言っておこう。冬来たりなば春永遠に訪れず。

 適当な時間に海浜幕張を出て京葉線で蘇我まで行ってそこから歩いてフクアリへ。今日も出ていた「肉まきおにぎり」の店で1つ所望。美味い美味い。ご飯に焼いた豚肉を巻いて固めたおにぎりなんだけれども肉の焼き加減にタレの味加減ご飯の炊き方加減が実にしっかりマッチして、得も言われぬ食感って奴になっている。1つ300円はおにぎりとしていれば高いけれどもスナックと思えば安いかな。宮崎発祥で全国浸透中で千葉なんかにも店が出てきたみたいでその関係でフクアリに屋台を出している模様。これからずっと来てくれると嬉しいかも。チーズ入りは50円高だけどいったいどんな味なんだろう? ちょっと気になる。50円分の価値と味は果たしてあるか。今度買ってみよう。

 夕方も5時過ぎとなって日差しがぐっと下がった中をフクアリに入場。そのままスタンドに着席してしばらくすると日も落ちて、空が暗くなるにつてれひんやりとした風が出てきて気分は10月の昼間って感じ。8月半ばでこの涼しさはちょい冷菓っぽさはあるけれど、夕方なんてものはだいたいにおいてこんなもの。昼間じゃなければ夏にサッカーをやっても別に全然平気な証明になっているんだけれどもどこかの1万出すアイディアの1万9999個が下らないと言われている協会長は、しつこく秋の開幕で春過ぎに終幕のスケジュールにこだわって、夏に長い休みをとるんだと息巻いているから溜まらない。

 サッカーに大丈夫な温度で夏休みで観客万歳選手も万歳な季節に、何で試合を休まなきゃならんのか。あくまでもスケジュールを先に考えるから肝心なことが見えなくなっている。夏の夕方はサッカーできても冬の雪中にサッカーは無理。選ぶならどっち? って現実を考えそしてスケジュールの過密ぶりを改めて出直して来い、って言ってあげられる人がいれば良いんだけど。いないもんなあ。まあこの気温なら7月末に開幕で夕方でしのぎつつ秋からは天皇杯も混ぜて週2回の開催もありにして、1月中旬から2月下旬まではウインターブレイクにしてそして再開後は3月3月5月と試合して決着という風にできない訳じゃないけれど、これのどこにナビスコカップを入れるかかが後は問題になりそうだなあ。ベストメンバー規定なんて骨董品も未だ蔓延っていやがるし。

 でもって試合は西村雄一クオリティで、ちょっとした接触プレーでカードが出まくる。果てはセンター付近でゴール付近から飛んできたボールを競り合っただけでネット・バイアーノ選手が1発レッドで退場に。後ろ向きで受ける場面で体を預ける普通のプレーでなおかつ相手も致命的な打撃を受けた訳ではなく、またそれが得点機会を阻止したとか、得点に一気につながるよーなプレーでもないのにレッドカードとはこれいかに。警告を前に発していた訳でもないのにいきなりって辺りがまるで分からない。

 その後もイエローカードが頻発する試合にプレーが止まって苛立つけれども、相手にも“公平”に出る分まだましか。1人少ない中をどうにか逃げ切って0対0で試合を終えて勝ち点1は確保できたけれども降格争いから抜け出ることはかなわない。次の名古屋に勝てれば良いけどネット・倍あーの選手が出られず相手には巨大なケネディ選手にバルカンの代表クラスが加わっているからこいつはヤバげ。復帰する巻誠一郎選手を軸に頑張って欲しいけど……。まあまだ先はあるから気を落とさずにじっくりと最後の逃げ切りを狙おう。狙いたい。けど……。弱気だねえ。


【8月14日】 息をするだけで喉が焼けるような暑さの中を、どうにか起き出し一路「東京ビッグサイト」へ。何やらシンポジウムがあるってんで見物に出かけようとしたものだけれど、仕事だからって総本部までスルーで駆けつけられるものでもなさそうなんで、午前11時にりんかい線の国際展示場駅を降りてから流れる人並みに続いてアプローチになっている橋の下をくぐってぐるりと周り、Uターンして「VELOCHE」の前あたりでしばしの足止め。「残念ですが入場までみはまだまだかかります」って「VELOCHE」店員の的を射た発言に余計なお世話だと苦笑いしながらジグジグと待つこと40分ほど。どうにか動き始めた行列に続いて階段を上り、橋を渡っていよいよビッグサイト正面に経つ。何か金曜日なのに人多いなあ。

 でもって左の一般参加口へとは向かわず右の企業ブースへと向かう行列を迷わず選択。いつの頃からコスプレ広場ではなくなってしまった西館(にし・やかた)の屋上は、すっかり企業ブースの待合い嬢になっていて、うんざりするくらいの行列があちらこちらにできてはきっとこれから数時間って難行苦行に挑む勇者たちの姿を白昼にさらけだしていた。頑張れ君たちの根性が日本のコンテンツ産業の振興につながるんだ、ごくごく一部だけれど。でも今はそんな一部の集合がむしろ市場の中核ってあたりを、後のシンポジウムで東京工業大学の出口弘教授なんかが話してて、10万いってない雑誌、5万にすら届いていない雑誌からそれなりに人気の漫画がザクザクと出てきて、アニメになってグッズができて市場を賑わせてくれているってことをグラフなんか使って見せてくれた。言われてみればそうだよなあ。

 とはいえしかし、それらを果たして全部足して「機動戦士ガンダム」のバンダイナムコグループだけで500億円、末端まで含めれば1000億円とかに近づく額を作り出せるのか? っていった疑問も浮かんで板挟み。考え直すなら「ガンダム」がすでにあってそれをコンテンツマーケットの太い幹と見なしつつ、周辺に実にさまざまな枝葉が茂っては枯れてそして繁る連続でもって市場をトータルでしっかり維持しているから心配は無用、って見方もできない訳ではない。とはいえしかし一方では、それってある意味で消単純な費のサイクルでもあって、人気が出ました流行りました盛り上がりました売れました衰えました廃れましたの繰り返しから、果たして30年続くコンテンツは生まれ得るのか? なんて心配なんかも浮かんでくる。市場としてはそれでよくても、作り手としてそで嬉しいといった懐疑が浮かぶ。

 3年稼げたんだからもう万々歳、って喜ぶ人もいて当然だし、それだって存分に羨ましいことなんだけれども、そんな細分化された人気の連環を渡り歩いているうちに、きっと受け手だってそののめりこみ続けられない虚ろさに、気づいてすべてから手を引いてしまうことになるんじゃなかろーか。あれのつぎはこれでそしてそれといった渡りをしている俺ってトレンディ、って感じに自分を客観視しつつそれを心底から好きなんだっていう主観にすり替え、サーフライドしているうちにふっと我にかえって何やっているんだろ自分はって感じにと立ち止まり、もう1歩も動けなくなったその先に広がるのはすべてが枯れ果てた不毛の荒野。いや、しっかり草花は茂っていてもそこに入っていくだけの気概がわかないツクリモノの荒野。そうはならないためにはだからもっと誰もが心から、向かっていけるコンテンツって奴が必要なんだと思うけれどもなかなか出てこないんだよなあ、次代の「ガンダム」も。「エヴァ」すらも。

 あるいは飽きることなく永遠にサーフライドを続けるコンテンツイーターが生まれ得て、そこに食らいつく餌を作れたところがとりあえずは勝ち逃げできるって状況が繰り返されていくだけなのかも。まあそれもそれで日本っぽいかもってことを考えつつ、これもやっぱり10万とかは出ていない少部数な漫画誌から出てきて世界が知った「BLACK LAGOON」の同人めいた本なんかをサンデーGXのブースで購入。とりあえずグラビアが凄かった。得にロベルタ。メイドさんだったはずなのにすっかり肉食女子になっていた。これじゃあ坊ちゃんちょい引くよ。むしろファビオラの方が坊ちゃん的にはちょうど良くってそっちに寝取られちゃうかもよ。とまあ心配したところですっかりロベルタに骨抜きにされてるガルシア君はAAと悲しいファビオラよりも、Hなロベルタへと引き寄せられては挟まれ揉まれてシアワセな毎日を過ごすことになるんだろー。ああ羨ましい。

 っていうか何でファビオラがAAでロベルタがHなんだと分かるかとゆーと同人本の巻末でもってしっかりそんなあたりを広江礼威さんが紹介しているんで分かりすぎるくらいによく分かる。これによれば最薄はがきんちょのグレーテルだけどがきんちょだけに未着用なんでとりあえずは除外。そして続くのがファビオラだったってことでその薄さはグレーテルといったいどれだけの違いがあるのかっていったもの。あんなデカい銃を撃ってて腕力が筋力となって胸板を押し上げないものなのか。発育って残酷なのあなあとそうしたサイズに振りまわされることのない身として遠くより激励の声をおくる。AAだってないよりゃマシ。AA好みはこの地球に確実に何十万人も存在するぞ。届いたかな。

 そんなファビオラに勝ったまきちゃんはとりあえずA。けどあのガリガリで胡乱なソーヤーですらBあるんだからファビオラを上回ったとはいえあんまり喜んではいられないかも。まきちゃんの相棒(?)の雪緒はCとまあ年相応。その後ろにいるショートカットの白人がちょい誰か分からないんだけれど誰だっけ。記憶力の低下が激しい今日この頃。Dって立派なサイズを見忘れるはずないんだけど。同じDのシェンホアみたく。ってシェンホアはDよりっむしろ刀を投げる時にのぞく脚の方が目を引きつけやすいから覚えられて手当然かも。誰なんだろうショートヘア。そうした面子の後ろに立った我らがレヴィはE。すばらしい。でもエダはF。こっちの方がすばらしい。バリバリなヤンキーに勝てる東洋系などおらんということか。

 そして下段。こちらはレヴィから始まるんだけれど後ろでバラライカの姐御がGで威圧し、そのさらに後ろからHでロベルタが威圧しまくっていてレヴィ形無し。相手が悪かった。でもってロベルタの後ろのIが今ひとつ誰だかわからないソバージュ頭だからローワンの店の踊り子? そして横からの高さ比べの掉尾を飾るのはΩなヨランダババアだったりして、いったいどれだけ伸びているのか怖いけれども見たいかというと見たくないなあやっぱり。ヨランダの前にはQなローワンの店のファットな女性。こちらは専門に好みな方がいるだろーからお任せします。そんな2人の異人を除けば栄えある高さ比べの最高峰に輝いたのは偽札職人のジェーン。サイズはK。Kだって? いやあ素晴らしい。素晴らしいけどでもあの小さくって細身の体のどこにKサイズなんて肉が埋まっていたのやら。じっくり見ればそれなりなサイズになっていたのかな。ちょっと謎なんで漫画を読み返すなりアニメを見返すなりしてみよー。しかしKかあ。ベニーうまくやりやがったな。

 「おもひで屋」って小松左京賞を獲得した人の2作目なんかを読む。一種の時間旅行もの。でもなんていうか決してハッピーとはいえない結果のために遡って働いて、それでやっぱりあんまりハッピーではない結果が続くだけって話みたいな感じがあって、読んで読み込むにはあんまり興が乗らない。未来で待ってるとか何とかいったカタルシスがあってこその遡る力なのに、それがすべて決まったレールの上を人生って列車が走る様を見ることに留まっているっぽい。無駄力。だいたいが本当に線路に人が落ちて誰も気づかないものなのか。電車が出たばかりのホームでも反対側に行く電車は出たばかりじゃないから人だっているだろう。だいたいが落ちて危ないって誰もが感づいた時、そこには人垣が出来て救いたいという人たちがすぐには近寄れないくらいになっていたくらいの混雑ぶり。それでどーして誰も停車ボタンを押さず、飛び込んで助けたりもしないのか。ちょっと不思議。けど多分良い話なんで読んで何かを泣きたい人はこいつを買って読んで泣こう。


【8月13日】 そういえばまだ肩に五輪招致のマークが入ってからの「機動戦士ガンダム」の等身大立像を見に行っていないことに気がついた。そのマークがいったいどれだけ五輪招致への関心を喚起させているかは謎だけれども少なくとも「ガンダム」というものの認知度をおおいに上げる結果にはつながっている模様。五輪は来ずともガンダムは、といった形で2016年以降もガンダム人気が続くことを決定づけたイベントとして、或いは後生に記録さっることになるのかもしれない。明日からコミックマーケットでお台場には人の波。ガンダムの周辺にもいったいどれだけの人が来るのだろうか。数万人? それだともうあの芝生はすべて踏みつぶされてしまうだろう。すでにして芝生なんて存在しない? これでグリーンプロジェクトとは何というか言葉って不思議だ。

 青春とは疑うことなのだ。ってことをもしかしたら考えさせようとした物語なのかもしれない彩坂美月さんの「未成年儀式」(富士見書房)は、嵐の山荘ならぬ地震と豪雨で閉ざされかけた女子寮を舞台に起こるあれやこれやな物語。夏休みに帰宅せず寮に留まった七瀬は、何人かの未帰省者といっしょに過ごすことになる。そこに起こったのが仲睦まじげに見えて実はいろいろ諍いがあった女達の間でくり広げられる連続殺人。誰が犯人か分からず怯える少女たちのところに、下着を盗もうと1週間前から忍び込んでいた名探偵がさてみなさんと言って押入の中から姿を現し、この痴漢と罵倒を浴びながらもさらさらっと事件を解決してみせる、って展開では全然ない。

 事件は外から持ち込まれる形。勤務する教師が同僚の事務職員をスコップで殴って殺害した場面を目撃してしまった双子の姉妹が、寮に逃げ込んできて助けを求めたところから動き出す。最初は信じなかった居残り組の寮生たちも、追ってきた教師のシャツに返り血がついていたことから真実と知って締め出そうとするものの、教師も必死になって証拠をもみ消そうとしてイっちゃって寮生の口封じを目論んだからたままらない。迫る大人の暴力に怯える少女達。そんな渦中にさらに恐怖を増幅させるかのように、大地震が起こって寮に損害が発生。なおかつゆるんだ地盤を襲った雨が土砂崩れを招いて寮生達を押しつぶそうとする。彼女たちは生きのびることができるのか?

 って展開ではまあまああるかな。そんなスリリングな設定は確かにあっていつあの教師が復活するか、いつ土砂崩れが寮を押しつぶすかっていった恐怖が背中を押すけど、むしろメインになっているのはそんなスリリングな展開の中にくり広げられる、少女たちの青春らしい心の葛藤って奴の暴露合戦。舞い込んできた双子はいつも脳天気にふわふわと生きてすべてをうまく乗り越えていくように見える姉に対して妹が、嫉妬心を抱いて殺害しようと本気で考え何度か実行に移そうとしている。寮に現れたあかりという少女は、寮生だったけど帰宅中に死んでしまった繭という少女に兄が婚約者に与えた鞄を切り刻んだ場面を見られ、それを理由に脅されていた過去を隠して何かをしようと目論んでいる。

 バスケットボール部のキャプテンは、試合に真剣になり過ぎたあまり後輩たちとの間に溝が生まれてぎくしゃくイライラ。可愛い容姿が男の子たちに人気だと言われている薫は、そんな自分の媚びた態度に我ながら嫌悪感を覚えているのに他人から指摘されると怒ってしまい、素直に謝ることができない。そして七瀬。幼なじみの隣人の亨のことが本当は気になって仕方がないのに、それを口にできないまま、近所なのに家を出て寮へと逃げ込んでしまって家に帰ろうともしない。分かり合おうとすれば分かり合えるし、誤解があったって口に出せば明らかになって誤解も解ける。そんな簡単なことができずに、見たことから妄想を広げて肉親を疑い、幼なじみを疑い、友だちになりたいだけだった少女を疑いそして自分自身を疑って、状況を悪化させて果てに人の命を殺めようとすら思い詰めてしまう。

 青春というものは信じることで、愛することだと前向きに考える人もそりゃあいっぱいいるだろうけど、世の中にはそんなに明るくなれない人も結構いる。好きだ愛してる友だちになろう。そう言い出せないまま考えを暗い方へと傾けてしまった挙げ句に、憎悪へと変えてしまって外に向かい爆発するなり、内に向かって自爆するような事態を招いてしまう。それもまた青春のひとつの形。疑うことで憎むこともまた青春なのだという現実を、ミステリー的な物語の中に描いた作品だとこの「未成年儀式」は言えるのかも。とはいえ疑ったまま、憎んだままで終わる物語に救いはない。忌むべき事件、恐れるべき災害が内に向かった少女達の心を開いて外へと向かわせる展開に、救いを見た気分になれる。もっとも現実には起こらない事件や災害といったものを、ではいったい何で肩代わりすべきなのか? それはやっぱり外からの、信じて愛する気持ちなのだろう。迷える少女たちに愛と信頼を。迷える少女たちは偽りのない心からの叫びを。

 ポリフォニカの青い奴が出ていたんで読んだら終わっていなかった。こういうのが1番辛いなあ。でもって「純愛を探せ2」は虚言と姦淫の魔神カルマが正直な純愛を目指して自家中毒にかかり死にそうになっていた。下手に力が強いだけに正反対の言動をとれば喰らう反動も桁違い、ってことなのか。そこに迫る天使の一軍。もはやこれまでのピンチを我らがカルマはしのげるか、ってあたりの切羽詰まった設定と名裁きと喝采を贈りたくなるエンディングに著者のとてつもないポテンシャルを感じたり。レイナ王女の相変わらずの非道っぷりも愉快。衣装を誉めてくれないからってそのデザイナーを八つ裂きにしたり斬首したりするのって。まあレイナだから仕方がないか。それにしても限界まで来ている純愛を、カルマはいったいどうやって得るのかそれとも諦めるのか。ギャップが愉快なラブコメディから愛について真剣に考えさせるシリアスラブへと、変化して来た今後の展開に要注目で期待大。


【8月12日】 「機動戦士ガンダム」を含めて45年もキャリアのあるアニメーション監督をとっつかまえて名誉豹賞も何もないものだっていう気がしないでもないロカルノ国際映画祭。どちらかといえばテレビシリーズの人であっていわゆる本編とは違う文脈に位置づけられる人でもある富野由悠季監督と、「火垂るの墓」を筆頭に「太陽の王子 ホルスの大冒険」や「セロ弾きのゴーシュ」といった映画作品を数多く残してきた高畑勲監督が並び立って同じ賞を与えられるっていう不思議さを、もっと考えても良さそうなんだけれども日本人にとっちゃあ海外から有り難いお墨付きが昨今流行のアニメとやらに与えられてそりゃあ目出度いねえってことになってあれこれ報道されたりするからどこか落ち着かない。

 高畑さんならもうとっくに世界の映画祭で評価されていて不思議はないはずなのに世間の目には宮崎駿監督しか入っていないようで今回の受賞でも富野監督の方が扱いが大きかったって印象。そんな富野監督はさっきも言ったように映画の人という感じではなく、もっと別の文脈で評価されるのが相応しいのに何故か今回の表彰という辺りに、世界の日本のアニメに対する見方の曖昧さって奴を覚えてしまう。だいたいが過去にも何人かの日本人が受賞していたりするのに、富野監督ほど果たして報道されたのか。与えられる賞の重みではなく、与えられる人のバリューでもって報道上の位置づけが代わるなんてそれは賞に対して失礼だろうといった気もしないでもない。が、それでももらえるものは有り難い。これを景気に高畑監督には是非に1本、新作をお願いしたいところで富野監督にはテレビシリーズで集大成を、よろしくお願いいたしたいもの。やっぱり「THE ORIGIN」か。

 8回目を終えて印象はといえば実にあっさりとしていて演出面に凝りはなく、8回目だからという不安感を示すようなトーンもなくって普通に見ていって最後に例の喫茶店でのシーンが来て、逡巡しつつもスポンと抜けてそして9月を迎えるといった流れにこれじゃあ8回も重ねた意味がないんじゃないかって呆れ気分も湧いてきたけど、むしろそうして1回目と似たようなあっさりとして普通の雰囲気に戻すことで気持ちは不安でもあって状況としてはまったく同じ繰り返しだったんだと理解させ、そして日常はこのまま普通に続いていくんだと言うことを認識させようとしたのかも。

 気分でいうならあの場面でキョンが背中を押された何かって奴がもっとくっきり見えても良くってそれは何か手形のようなものだったり、響いてくる声のようなものだったりしても面白かったんだけれどそういったあからさまな何かはハルヒの時空をねじまげる力を超越したものになってしまう。それがあり得ないからこそのハルヒであってそこはやっぱり何も見せずに、ただキョンのみが何かをきっかけにして突破できるんだということにしておかないと、話もきっとまとまらない。

 というならむしろハルヒの側にキョンの一押しを出させるような逡巡なりしぐさなりが欲しかった。それはわずかな脚の止まりでも良いしフッと見かえろうとするアゴの先だけの絵でもいい。何が同じで何が違っていたのか。それがあったら分かりやすかったんだけれどもそれがないのもまたひとつの偶然の作用って意味で、やっぱりハルヒにはそっちの方が似つかわしいのかもしれない。つまりはさっぱり分からないってことで。この8回の1回目と8回目はそのままにして残る6回をシャッフルして流して1発で何回目かを長門有希が指摘した回数ともども答えられる人って果たして全国に何人くらいいるのかな。涼宮ハルヒ検定があれば絶対に出題される問題なんで検定を受ける気分が湧いたら勉強しよう。検定できるのか?

 でもって「化物語」はみゃあひゃあ(名古屋弁でもうこんなに早くの意)総集編とはこれいかに。まあでもいっぱい戦場ヶ原ひたぎのすっぽんぽんぽんを見られたから別に良いか、って録画してあるのを見返せば済む話じゃん。むしろ多めにまとめて繰り返し放送してくれるくらいのサービスがあっても罰は当たらないんじゃないかって思うけれどもそれができるんだったら普通に新作、流しているよなあ。全部で何回くらいの予定なんだろ、これ。せっかくだからと発売されたばかりのエンディングだかのCDも買ってみたけど聞いて思い出すよーな絵もないところは同じ新房昭之監督作品でも「夏のあらし」とは違うところか。やっぱり新房監督はオサレよりもオゲレツが勝ち。

 買ったのはあと荒川弘さん「鋼の錬金術師」の最新23巻と羽海野チカさん「3月のライオン」の第3巻。アームストロングん家のオリヴィエはあれで弟と肉体だけでも互角の勝負ができるくらいかと思っていたけど相手がホムンクルスだとちょっと勝手が違うよう。でもアレックスは立派に筋肉でもって相手を押さえつけていたからあれでやっぱり姉貴に遠慮していただけなのかも。一方ではキンブリーが食われエンヴィーが消滅してと主要なキャラにやや間引きが。終息に向かい始めた中で強い奴らが生き残ってはきっと鋼の錬金術師たちのバトルをくり広げてくれるんだろー。エルリック側はちゃんと最後までみんな生きのびられるのか。ってか肉屋の主婦はいったいどれだけ強いんだ。次巻の大活躍に期待だ。

 そして「3月のライオン」第3巻はこれまでと違って将棋の対局があれやこれや。主人公の桐山零自身が獅子王戦って竜王戦をモデルにしたトーナメントに出場しては準々決勝に準決勝と戦っていたりして、それだけで軽く200万円近く対局料を稼ぎ出している感じだけれども相変わらず自分に自信がないのか若さ故の過ちなのか、とっても勝ちたい準決勝の相手の実力を見誤ったというか見損なってしまって敗れて落ち込むその姿が、将棋しかない棋士なんだなって久しぶりに思わせる。あと挑戦者決定戦に臨んだ2人のうち、負けた方がスッキリとした風情でインタビューに応じ買った方が最後の最後まで読みを続けて全精力を傾けた結果、対局後に疲労困憊して盤上でうなだれているって描写がとっても将棋の世界っぽかった。そんな辺りは先崎学さんの仕込みかな。それとも羽海野さんの取材の成果?

 一方で家庭の描写はどこまでも温々。もちろん川本家は狭い長屋に3姉妹が暮らしていて決して裕福ではなく風呂だってとってつけたような場所にあって結構大変そうなんだけれども、猫がこたつで3匹そろって仰向けに寝転がっていたりする周りを幼い姉妹もぐうすか眠り爺ちゃんも紅白で贔屓の出番が繰るのを眠りながら待っていたりするような、賑やかさがあって楽しさが見えてそうした暮らしから縁遠くなってしまっていた零をぐっと引きつける。と同時にやっぱりそうした正月をもう10年以上も過ごしていない身にある僕をぐらつかせる。思い出すのははっぴいえんどの「春よ来い」、か。家さえとびでなければ……。まあでもその分、正月に鷲宮神社に言って萌え絵馬いっぱい見られるから良いんだけど。まあ今年くらいは帰っても良いかな。いやでも都落ちしなきゃならなくなったりするかもな。

 40年前に名古屋市の平針ってとこに移り住んで、この20年くらいは千葉に出てはいるけど実家はやっぱり平針にあって、時々帰ってみると周囲にあった森がすっかりなくなって、宅地になっていたりする様に経った時間の大きさなんかを感じてみたりする今日この頃。そんな平針で運転免許試験場のすぐ側に残された里山がいよいよもって削られるってんで残したいって活動がおこなわれていると最近知って、調べたらいきなりの御大登場、宮崎駿監督が何やらメッセージを寄せていて、よくもまあこんな地方の運動にと思う一方でそれだけやっぱり関心が深いんだろうなあと遠い目、は実は実はあんまりしてられなかったりする理由があるんだけれども、それはさておいて、感じるのは果たしてこの保存の運動に例えば宮崎監督の「トトロの森」保存運動や、愛知万博で話題になったような「海上の森」保存運動のような、世間全般を巻き込んで盛り上がれる要素があるんだろうかといった部分。

 40年前から住んでた人間にしてみれば、このあたりはさらに大きく広くて深い山だった訳で、それがだんだんと売られ開発され開かれて、大勢の人が移り住んで来た。残された森の周辺に住んでいる人たちは、ほとんどの場合そうやって潰された里山の跡地に建てられた建物に住んでいたりする訳なんだけれども、いよいよもって近隣の、背後にある山が消えようとなった時にそりゃあ困ったと言ってみたくなる。もちろんその気持ちは存分に理解できて、せっかくの静かな環境が消えてなくなってしまうのは嫌だといった考えに素直さを感じたりはするんだけれども、直接ではないにしても間接的に里山なるものの消滅に関与して来た身を一切省みず、そして近所の静かな森が消えるのはかなわないといった個人感情の素直さも出さず、広い意味での環境保護を大上段から訴えて、そうだよねって遠来の無関係な人達の理解を果たして得られるのかどうなのか。

 宮さんの場合はそういう設定がなされた人だから言葉を出すけど、多くはそりゃあ気持ちは分からないでもないけどしかしねってボヤけた気分になるだろう。もはや瀬戸際まで追いつめられた里山が残されるてことに決して悪い気持ちはしない。むしろ時代の流れだとも思う。でもそこに個人の利得が透けて見えてしまうと世間はなかなか説得できない。周囲が言い出さなければ動きは起こらなかったのだとするならば、後はそんな動きを推進しつつこれからも他の地域で似た運動が起こればとてつもなく積極的に、自分たちの暮らしとは直接の利害はなくても里山は保存されることが何にも勝る善なんだという信念を発揮して、永遠に関与し続けていくことによって、誰にだって素晴らしい活動だと理解してもらえるんじゃなかろーか。戦うなら世界のために。


【8月11日】 貸したDVDボックスは隠岐だかどっかに流れていってしまって帰って来ずまた大昔に買ったLDボックスは機械が壊れて見るに能わず、というよりも大量のDVDの下に埋もれそもそもが掘り出せず見られない。劇場版のDVDボックスは比較的手近にあって見ようと思えば見られるものの、古谷徹さんと池田秀一さんのサインが入ったポスターとセットになって段ボール箱に入ったままで取り出すのも勿体ないと買ってから1年半はそのままの状態。そうこうしているうちに廉価版のDVDも出てきたりする中で敢えて取りだそうという気にならない。

 もしもそれを捨てられたら? 残念だけれどもどうせいつか登場して来るブルーレイディスクのボックスを買う気で満々だから大きく悔いるといったことはないだろう。それらの他に手元にある「機動戦士ガンダム」関連のグッズ類で捨てられて惜しいものといったら何かあっただろうか。ほとんどない。敢えて言うならバンプレストの1番くじでもらったセイラさんの水着姿が描かれたクッションくらいか。これも存分に楽しんだ後だけに今、消えても一生を悔いるといったことにはならず、従って絶望から家に火を着けて身を焦がすような真似もほぼ絶対しなさそう。映像がすべて。そしていざとなったらネットでだって映像は見られる。「ララアにはいつだって会いにいける」。そんな気でいれば別に物にこだわる必要なんてないのだ。

 だから分からないといえばガンダムのプラモデルをまとめて処分されたくらいで、世をはかなんで死のうと考え家に火を着ける人の心理は分からない。そもそもが処分を言われるくらいにガンプラを溜め込もうという気すら起こらないか分からなくって当然なのかもしれないが、「ガンダム」から外れて例えばレアな漫画だったり細かいアニメのDVDがまとめて奇麗に消えていたら、愕然とくらいはするだろう。溜め込むくらいに思い入れを持った品ならそれが「ガンダム」ではなく狸の置物だったとしても、やっぱり世をはかなんで不思議はない。いやそれはさすがにないか。蛙だったらまだしも(同じだ)。

 それにしてもどうしてここまで世間が湧いたのか。それは現在において「ガンダム」がある程度認知されたアニメーションのコンテンツだからで、大人が嗜むにはどうかと思われがちならがも、嗜む大人がそれなりにいる境界線上のコンテンツとして知られ始めた「ガンダム」が、捨てられることによってやはり上の世代には価値の分からないものであり、世をはかなむくらいに下の世代には多大な価値を持つものだといったことが、この一件でくっきりと浮かび上がったと言えそうだ。世代のギャップに立つ分水嶺のアニメーション。「機動戦士ガンダム」にひとつの看板が出来た。

 そのガンプラは果たして大丈夫だったのかと静岡で起こったマグニチュード6とかいう地震の報を見ながら心配になる。ガンプラが生み出されるバンダイホビーセンターは、静岡市内にあって地震の直撃を受けている可能性が大。高度なマシンがうなり自動で毎日何千個とかいうガンプラが作り出されている工場なだけに、精度が狂えばそれだけ生産に支障が生まれて供給に影響が出そう。お台場に屹立しているガンダムを模したガンプラなんかは常に売り切れで工場ではきっとフル生産がおこなわれているはず。来週にあるらしい(連絡とか案内がまるで来ないのは何で?)「ガンダムビッグエキスポ」で売るだろうガンプラだって今が生産の佳境なはず。そこに滞りが出たら変えず嘆きの果てに火を着ける人だって全国的に生まれそう。果たしていったいどーだったのか。あの建物は無事だったのか。気になるなあ。

 気になるといえばリャン・チーはちゃんと履いているのかいないのか。「CANNAN」に出てくるショートなチャイナで銃とか振りまわしている悪くれサディスティックで姉萌えな女だけれども短いチャイナから足を剥き出しにして大沢マリアに回し蹴りを決めても、上に乗って踏ん張るポーズで銃を向けてもその奥に布地も地肌も見えて来ない。あるいは回し蹴りの場面で見えていたのかもしれないけれどもあまりに旋風脚が早くて目に泊まらなかった可能性は……ないな、描いてなければ見えないってのがアニメの鉄則。コマで送って見えないんだからきっとあのショートチャイナの裾には針金でも入っているか素材が鉄板に違いない。残念。姉を思うあまりに周囲を睥睨して顔を歪めてもだえるリャン・チーのいじらしさ。そのままフィギュアになったら買ってあげても……やっぱりいやかも。すっげえ顔だし。

 書き起こすんなら3代目が夢の中で過去の活躍を振り返りながら最後に訪れた離別を後悔してのたうち回っているところに振り下ろされる女店員の帳簿の角。目覚めてそこがいつもの魔法材店だと気づいてパチクリしてると女店員が昼行灯な3代目の店主を攻めてくるから仕方なく街へと出てドラゴンの鱗を探していたところに現れた尊大な少女がひとり。伝説のドラゴンキラーを捜す彼女をヘラヘラと相手しようとしたもののついてこられてその上に尊大な少女が実は大身の娘らしいと見えてそりゃあ良いお得意さんだとon阿店員に叩き出されてドラゴンの鱗をいっしょに探しに行く羽目となる。ところが道中に起こるさまざまな襲撃。機転を聞かせた3代目の未だ隠した力も加わって逃げ切ってはいたものの、そこに絡む王家の勢力争いと、その解決のためにはどうしてもドラゴンのキモなり何なりが必要という尊大に見えて繊細な少女の願望が重なり合って唐変木な3代目に真の力を振るわせる。

 って感じだったらすんなりと読めるし筋もスッキリしていて分かりやすいんだけれど冒頭にいきなりジジイがバトルしている場面が出てきて、それが最後の辺りまでまるで本筋に絡まらなかったりして何じゃこりゃって雰囲気がもわもわ。かつ尊大な少女はただひたすらに尊大なだけで分もわきまえず自分が1度は死んでいるのも気にしないで竜を倒すの何のと突っ走っては周囲に迷惑をかけ続ける。感情移入できる要素ゼロ。一方で冒頭から続いて登場した魔法材店を切り盛りする少女は表紙にもなっているのに本編ではとくに活躍もせず単に自分の力を過信するように店主のケツを叩いて悦に入る。井の中の蛙ってこういうことを言うのかなあ。そして最後に現れた冒頭の老人は何をするでもなく消え去ってそしてひとり何かを納得してどっかへと消える。うーん。引っかからないなあ。けど細部を気にしなければいろいろと気になる部分もあるから今後に期待と言っておこう葵東さん「魔法の材料ございます ドーク魔法材店三代目仕入れ苦労譚」(GA文庫)。期待に答えてくれるよね?

 あちらこちらに書評やら雑文やらを、書き散らすようになってたぶん10数年が経っているけどとりあえずこれだけは自信を持って言えるのは締め切りというものをまず過ぎることがなかったといったことだろうか。連絡のミスで送ったはずの原稿が届いていなかったりする場合も数度はあったけれども、恒常的に破り送らせるようなことだけはやらなかったし繰り返すなんてもってのほか。ましてや遅れすぎですと指摘されれば即座に改め気をつけ次より遅れるようなことなんてしなかった。それが相手への敬意であるし自分にとってのプライドでもあるからだ。もしも繰り返し遅れ注意されても気にせず送らせるようなことがあったらそれは相手のみならず相手が所属する組織伝対を愚弄しているのと同じこと。かける迷惑も1対1では済まず周囲に及んで多くを傷づけ自分も貶める。だからこれからも締め切りは守る絶対に、とは言いたいけれどもそれでも時には遅れることもあるもの。なので精一杯の努力はするから皆様よろしくと申し上げよう。恥と自責の念をもちろん噛みしめて。


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