縮刷版2009年2月下旬号


細い。けど丸い。 【2月28日】 ニコ・ロビンが届く。ロビンちゅわぁぁぁん、とサンジなら抱えて頬ずりしそうなくらいの良い出来なメガハウスは高度な出来で評判の「ワンピース」フィギュア、「ポートレート・オブ・パイレーツ」のシリーズ。前に出たもののリペイント版らしーけど、前のがどんなだか知らないからどこがどうリペイントされたかは分からない。ローライズのパンツに臍だしキャミソールなファッションはとてつもない細腰の下にゆたかな尻回りがあってそこにひっかかっているだけのパンツの背後にはうっすらと谷間が下へとさがって量感を表現。でもってキャミソールのすそを上へと引き上げるくらいに張り出た胸はどこまでも丸くて柔らかいけど張りもありそうなあの雰囲気をしっかりと再現してくれちゃっている。逸品。飾る場所も置く場所もないけれど。

 えっとあれはいつ頃だったかそれまでまるで見ていなかった「ワンピース」が日曜午前9時半に知らんどる間(知らない内にの名古屋弁)に移ってたのを何の気無しに見て現れたミニスカートに網ニーソの麗人。実は原作もまるで読んでいなかったでそれが誰でどういう役回りなのかもまるで知らなかったけれども、声が赤城リツコさんだったのも心をグッと引っかけ見始めたらこれがもう恰好良いやら美しいやらですっかり虜となって見続けるよーになってしまったのがすべての始まり。すでに過去にいろいろあった上に仲間になっていたらしい情報を仕入れつつフランキーとペアになっての活躍ぶりを楽しみつつ、次から次へと強敵が現れる「スリラーバーク編」の巧みな物語の動かし方にも引っ張られてかれこれいったいどれくらい? 軽く半年以上は過ぎ去って鼻歌ブルックの過去話も経由し魚人島編へとなだれ込んだ今もずっと見続けていたりする。

 さすがに単行本は買ってないけどこの前ちょろっと出てきた、今はすっかり楚々としてクールになってしまったロビンちゃんが壇上か何かで自分に絶望しているよーな声音で叫んだシーンだけは揃えてみたいなあ。でもそのエピソードだけできっと半年とか続いているんだろうからDVDを買うのはちょっと。ってか今いったいどれくらの話数が溜まっているんだろう「ワンピース」。明日もまた見よう。何かいろいろシリアスな展開になって来ているし。フィギュアについていうならだから最初に見た「スリラーバーク編」でのあのショート丈のワンピースに網のニーソックス版が欲しいんだけれど全体を通せばパンツスタイルが多いみたいなんで仕方がないか。ガレージキットにでもなっていれば嬉しいんだけれどそーゆーものに版権、下ろす会社だったっけ。

 チケットぴあから「ジェフユナイテッド市原・千葉」のシーズンシート代わりのICカードが届く。聞くところによればJリーグエンタープライズとやらの大ポカでシーズンシートをICカード化させたもののカードの生産が間に合わず、来週にもいよいよ開幕だってのに未だに申込者の手元に届けられないクラブが続出しているとか。かくいうジェフ千葉もそんなチームのひとつで、親会社のJR東日本が日本でも有数のICカードの利用企業だってゆーのにそれをどーして回してやれないのかって疑問なんかも浮かんだけれどもそこが官僚的な集権制度が蔓延るリーグのことだけあって、一括購買でもしてお渡し下げでもしているんで配分時にクラブ間で綱引きでもあってデカくて覚えのメデたいクラブに優先的に回されでもしたんだろーか。埼玉のクラブじゃあインフォメーションに配達遅延のお知らせとかないもんなあ。弱小は悲しい。

 しかし微妙なICカード。Suicaだからなのかそれともカード自体が毎年更新されずにずっと使うことを前提にされているのか券面にはただジェフ千葉のホームスタジアムの「フクダ電子アリーナ」が描かれているだけで席種とかゾーン指定の記述は皆無。でもって別にペリっとはがすタイムのラミネートだか何かのカードがついていて席種なんかはそっちに記述してあったりする。おそらくは入り口なんかにICカードをかざして入場するよーな機器がおかれるんだろーけどそこから座席へと入る入り口には機械なんか置いてなくって、れどもICカードを見せたところでそれがどこのエリアなのかは分からない以上は別にペラペラのカードも持っていっていっしょに見せろってことになっていたりするんだろー。

 ああ面倒。ICカードだけだったら財布の中に放り込んでおいていちいち出さなくってもタッチすりゃあ入れたし、そこに席種が書いてあれば片面だけラミネートのSuicaケースに入れてぶらさげていりゃあ良かったのに、席種が書いてあるカードを別に見せないとなると片面ラミネートでは意味がなく、裏も表も透明なパスケース入れなんかを手に入れて背中合わせでICカードと席種カードを放り込んでおく必要がありそー。でもそんなカード入れってのは展示会なんかで名刺とかを入れて首からぶらさげておく安っぽいラミネート製のカード入れしかないんだよなあ。さらに普通のストラップで首からぶら下げておくだけじゃあ、低い場所のカードリーダーに首をかがめて触らせないといけないんだよなあ。浦和レッドダイヤモンズあたりだとそこを考えワイヤーがしゃらっとのびる繋ぎ部分を用意しているみたいだけれど、ジェフ千葉にそんな甲斐性はあったっけ。指定席な人にはパスケースがもらえたみたいだけどそれってどーなっているんだろー。

 っていうか年間シートなんって買う人には自由席だろーと配れば良いのにって思ったりもしたけれど、弱小クラブにそんな余裕はないってことでまあ勘弁。ならばと用事もこなしついでに秋葉原へと出向いてヨドバシカメラでICカード入れなんかを探してみたらケースこそラミネートで安っぽいけどネックストラップ部分がゴムになっててびょいーんと伸びるタイプのものを見つけて即座に購入。浦和レッズみたくワイヤーがじゃらんっと伸びる金具も売っていたけどそれを下げてジャラジャラっとさせるのもあんまり軽やかじゃないんで見送ることにする。とりあえず態勢は万全。あとはユニフォームを買うかどうかってところだけれどもここんところ無駄遣いが多すぎて出費に回す余裕がないんで、シーズンが始まりフトコロと心にゆとりが出来たら仕入れよう。とか言いつつ初戦で売ってたら買ったりして。明日のファン感謝デーでも売るのかな。うーん。

 ストロボが届く。何か調子も悪かったけれども電車の中で落としたところズームの伸ばし縮めに連動して動く部分が壊れてしまって使えなくなってしまって、こりゃあ仕事に差し支えるとマップカメラで頼んだらもう届いた。速いなあ。ニコンとかキヤノンだと数量も出るからななのかガイドナンバー540あたりで3万4万円の出物もあったりするけどペンタックスはシェアが貧弱なためアクセサリーも種類が少なく値段も市場であんまり割引無し。そこをさすがはマップカメラ、ぐっとお安い値段になってて完全保証をつけても4万円を切ってたんでこれ幸いと購入した次第、っても壊れていなきゃあ騙し騙しでも使えていただけに無駄な出費にはかわりない。さらにカメラ本体もシューの部分が破損して修理にいったい幾らかかるか。うーん頭が割れるように痛いけれどもそれも自分への出費と前向きに考えよう。仕事に使うカメラを買っても経費なんか出ず、書評に使う漫画本も自分家のコレクションから回してたりする以上は、それらに自腹を注いで得られた経験も中身も自分の物にするしかないのだ。しかしどんな環境だ。これざみぞうゆうの不景気って奴か。

 ってな訳で漫画も買い込む。「鉄腕バーディーEVOLUTION」は貴重なぐうたらの眼鏡っ娘、高柳緑さんを退場させてしまったことに強く激しく憤る。こういう世界じゃあなかったんだよなあ、そりゃあ死人とかが出てなかった訳じゃないけどあからさまに出てくるよーな話でもなかった。それが微温的ではあるけれども安心につながっていたんだけれども、月でいろいろ発見された宇宙人の遺体の傷ましさも含めて死が厳然として存在し、且つ死をもたらす奴らがいたりする世界へとバーディーが眠っていた2年の間に、というか連載される場所が切り替わったことで移ってしまったみたい。「週刊少年サンデー増刊号」とはもはや違うし「ヤングサンデー」とも違って行こうとしている「鉄腕バーディー」シリーズのたどり着く場所。それがやっぱり同様にフェーズを切り替え突っ走ってる「ジオブリーダーズ」の神楽総合警備がたどり着く場所を同じではないことを願う。んまあつとむは死にゃあしないけど。姉貴とかもろ、ヤバそうだもんなあ。


【2月27日】 たぶん作画としてすごいことをやっていて、かつ腕前としても素晴らしいことには間違いないんだろう「鉄腕バーディーDECODE02」の「We will meet again」は導入部こそセントラルタワーでの記念式典へと連れて行かれるバーディーが普通に描かれていたんだけれども事件が起こってバーディーを心配したヴァイオリンが出てきてからがあららって感じに絵として崩れはじめてどこか落書き風味に。けどその落書きなテイストがまんま激しく、そして正しくアクションを重ねてはヴァイオリンが潰されバーディーがぶちかます展開をしっかりと描ききっていたりするから、きっと意図してそういう絵を描いてそしてそれを動かすことであのシーンを表現しようって思ってやったことなんだろー。

 そんなアニメーターとしての意気や良し、ではあるんだけれど問題はどーしてあーゆー崩した絵にする必要があったのか、ってところでその方がスピーディーでスタイリッシュな感じが出るからってのも理由だし、バーディーの記憶の中に潜ったつとむが見ている光景だって理由から、衝撃の大きなシーンになると情報が単純化されてデフォルメされてしまったって見方も出来ない訳じゃないけれど、そーした説明をまるでなしにいきなりヴァイオリンの目が人形よりも無表情になり、バーディーの輪郭がラスコー洞窟に描かれた壁画よりも不安定な感じになってしまったりするから誰もが驚き、慌て悩んで今も納屋見続けている。そうする必然性、って奴を単にアニメーターの腕比べってものじゃないところから引っ張り出して欲しいもの。オーディオコメンタリーでの説明に期待。最近のオーディオコメンタリーって映像が流れる前で関係者が雑談して終わりってのも多いから、そうはならないようにと作っている人には平にお願い。

 「鉄腕バーディー」といえば原作の方は現状で「ビッグコミックスピリッツ」に掲載されて続いているのがあるけれど、古手のファンからするならやっぱり最初期の「週刊少年サンデー増刊号」に掲載された方をオリジナルにしたいっていうのが偽らざる心境だったりするのかも。最初に見た物を親だと思うような刷り込みの気持ちもゼロじゃあないけれど、どこか剽軽なところがあってそして圧倒的なパワーがあってさらに隠されている設定のデカさなんてものもあってこれがどう折り畳まれているのかを興味津々で眺めていたら、ゴメスに腕をへし折られたバーディーがようやく立ち直ってはいよいよクリステラ・レビに挑むってところでひとまずの終幕。その後って奴は新版の方でも実は描かれておらず、もちろんアニメ版ではまるで違う方向へと行ってしまっているから想像の役にはまるで立たない。

 超オリジナル版の延長、ってのをだから願っているファンもいたりするんだけれど新版の連載場だった「ヤングサンデー」すら休刊な時代にオリジナルなんてものを描く場所なんてあり得ない、って思っていたら何と「月刊少年サンデー」略して「ゲッサン」なるものが登場の予定とか。編集長になる人が「僕の7年越しの夢、念願の月刊少年誌が創刊されます」「子供の頃から大好きだった少年サンデーで働き始めて早12年。その日々の仕事の中で7年前から膨らみ続けた夢が『少年サンデーの月刊版が絶対必要だ!』という強い思いでした」とかって書いてて驚いた。

 その人が働き始めた12年の中で月刊の増刊を超にして月刊を止めておいて何を今さらって気もむくむくと浮かんだけれども、とりあえず漫画を描く場が減るよりは増える方が良いのは漫画好きとして当然のこと。実質月刊として出ていて若手の鍛錬の場になっていた「増刊」にも似た立ち位置で「ゲッサン」が生まれた暁には、是非にオリジナル版の連載の続きって奴を「スピリッツ」の新版と並行してやってくれちゃったらもうゆうきまさみさんには足を向けて寝られない。寝ているかもしれないけれども心の中では絶対に寝ない。どうせだったら連載も「さすがの猿飛」に「風の戦士ダン」に「とってもひじかたくん」「県立地球防衛軍」に「ファイティングスイーパー」に「八神くんの家庭の事情」に「ジャスティ」あたりを21世紀版って形でもって連載してくれたら、毎月だって絶対に買ってしまいそう。再録でだって買うよなあ。「人類ネコ科」も新作が読みたいけれどこればっかりは……。だから「ブラッディエンジェル」とともに再録で赦す、ってそうなることが前提みたいだけれどそうする方が売れるって、絶対に。

 箱に入れたまんまで飾って楽しむコレクターがいるってことも分かるし、作り手だってそうしたファン層を意識しながらコレクション性のあるラインアップを提案して来ているんだろうけどそればっかりじゃあどこかで絶対に息詰まる。食玩だって揃えなきゃならないって強迫観念がそれくらいなら買わなくたってって方に転じて売れなくなってしまったりするだけに、揃えるよりもまず欲しくなるにはどんなことをすればいいのかて考えたところで「figma」のグッドスマイルカンパニーとマックスファクトリーが出して来たのが「ディベース」ってゆー「figma」専用の台座。正方形の板にいっぱい穴が開けられているだけって言えばいえるけれどもこれを敷き、壁にするなりした上で「figma」についてる支え棒を差し込むことによって中空を走ったり壁から突き出たりするよーなポーズをフィギュアにとらせて飾って楽しめるよーになる、らしい。

セバスチャンがシンプルすぎるがあくまで執事なので仕方がない  そこにペーパークラフトでもって背景なんかを加えていけばちょっとしたジオラマだって出来てしまう。フィギュアは完璧でポーズだって自在。プラモデルとかガレージキットよりは扱い安い人形に、箱から出してあそんで仕舞うってだけじゃなく、飾って作り込んで楽しむってゆー新しい遊び方を加えてあげることでコレクターだけではない、モデラーとかって層にも広がって行くことになりそー。アクションフィギュアなんだからあそんでもらってナンボってゆー意識は、ガレージキットを作っていた時代から買い集めてもらった方が楽しいと簡単に作れるキットとか、コールドキャストの完成品を売ってた浅井真紀さんらしい発想と言えば言えるのかな。そんな浅井さんのプレゼンもあった「ワンホビ9・5」は2月14日に行われたものの1万1000にとか来て視られず断念したファンも多かった“血のバレンタイン”な「ワンホビ9」を時を改めもう1度、やってみましたってイベント。廣瀬無線のビルでもって2月28日と29日に開催なんで、じっくり見たい人は是非に。ってかあそこに1万人も来たら今度は床が抜け落ちるぞ。

 そんな帰りにコトブキヤで引き続き「黒執事」を2個買って明けたら何と! まだ揃ってなかったセバスチャンにノーマルなシエルが出てきて既に引き当てているドレスのご令嬢シエルも含めた6種類がダブりなしでコンプリートできてしまった。こりゃあどういう運の良さだ。今年1年分どころか来年再来年あたりも含めて運を使い果たしてしまった恰好。きっとだから日本はワールドカップには行けないし、ジェフユナイテッド市原・千葉だって最終戦を待たずに2部に落っこちるんだ。うーんそれは拙いかも。造形的には凝りっぷりじゃあシークレットのシエルだろうし、マダム・レッドもなかなかのドレープ感。あとは赤執事もコートの感じが悪くない。逆に簡単過ぎるのがセバスチャンか。シンプルなだけに特徴を出しにくいってこともあるんだろー。少年シエルは帽子にステッキで量感を出していたからセバスチャンにもあと1味が欲しかったかなあ。とりあえずこれにて完了。再販売されている「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の一番くじにまた挑むか。


【2月26日】 若くして天剣授受者となったレイフォン1人の戦闘力の高さはそりゃあ凄まじいものがあるんだろうけど、それでも1人で汚染獣を倒せるってほどのものじゃなく、前にいたグレンダンでだって天剣授受者が何人かかかって、ようやく倒していく繰り返しだったような気もしたけれども、ツェルニの前方に現れた汚染獣が脱皮して強くなっていたにも関わらず、レイフォン1人とあとまだ学生でしかないニーナの囮にシャーニッドの狙撃くらいで倒せてしまうとは、案外に汚染獣って弱っちい存在なのかも。いやいやそれで片が付くなら世界から汚染獣は一掃されて平和になっていたって不思議じゃないから、あれはまだまだヒヨッ子で、本当に凶悪な奴らは地下にわんさかと眠っていてそれが束になってかかって来たりするんだろう「攻殻のレギオス」。人類滅亡まであと何日?

 PENTAXのストロボがぶち壊れてしまって分解でもすれば治るかと、精密ドライバーを仕入れにいったついでにCD屋で「可憐Girl’s」のアルバムを確保、って何やってんだか。でも良いのだPerfumeの妹分って大義名分があれば次代を担うクリエーターを先取りするって名目も成り立つのだ。ただの言い訳。もちろん買ったのはDVD付きでポスターももらえて家に飾って映像を流して1日浸っていたい気なんかがむらむらと湧いてきたけど、それをやってしまうと廃人一直線。せめて踏みとどまってiPodで歌声を聞くくらいに留めておくのが社会に生きている者として護るべき線なのかも。でもって自然と口から漏れてくる「ぜったーい」「だいたーん」って声に周囲がいっせいに身を引きそう。生きてるって辛いのよ。

 そんな秋葉原のコトブキヤで「黒執事」のフィギュア箱を暗牌。でもどれもだいたい似た重さなんでえいやっと2つばかり買ったらまずラウがでて、それからグレル・サトクリフが出てといった具合に脇が揃って相変わらずの運の無さに愕然とする。すでにしてコトブキヤにはフルコンプリートされたサンプルが展示されていて、そこには箱の裏側に描かれていないパーティードレスバージョンのシエル・ファントムハイヴがいたりしておそらくはこれがシークレット、ならば是が非でも出してやるって意気込んではみたものの運の悪さはそう易々とはひっくり返せなかったみたい。まあ仕方がない。でも1箱買えばコンプリートできるってあるからあるいは1つのボールにシークレットも含めて6種類が必ず1つづつ入っていて、あとは誰かがダブっているってことなのかも。そっちを行くのが速いかなあ。でも1つ800円以上もするんだぜ。ガチャより高いとはえ3倍近い値段とはまた剛毅な商売だ。

 その場はひとまず退散して乃木坂へと出向いてカトリーヌちゃん変じてHIMEKAさんの日本デビューの発表会を見物。アニソングランプリで1等賞に輝いたカナダ人、ってことですでに一部には知られた存在で、これがもうちょっと広まってくればアニソン界のジェロって言われて並び称させるんじゃないかって思っていたら芸能関係の記者にはどっちかってゆーとリア・ディゾンさんと比べたがる風潮があるみたい。まるで違うのに。日本に独自の文化を外国人が情感もこめて見事に演じてみせるってのはだからジェロの方と立ち位置が重なるって思うんだけど。ジェロが見事に演じているかは知らないけれど。

 あとHIMEKAさんにしょこたんのことどう思う? って聞いていたのはアニソンっぽい業界で一般性を帯びている人が中川翔子さんくらいしかいないってことの現れなのかと認識。水樹奈々さんが好きですって言っているのにしょこたんどうよ? だもんななあ。この前の3日間武道館連続ライブでちょっとはスポーツ紙にも水樹さんの名前が広まったって思ったんだけど、新聞記事で比較の対象として挙げるにはバリューとしてまだまだみたい。これが格差社会って奴か。んでもスポーツ紙に声優さんがバンバンと出よーとしたら写真チェック記事チェックだなんて言っていられなくなるだろーから、そのあたりで露出を計算したい人には今の状況が逆に有り難がったりするのかな。

 でもって秋葉原へと再び回ってブシロードの戦略発表会。MAKOちゃんがいた。マラカスは持っていなかった。残念。何でも「ヴァイス・シュヴァルツ」から「宇宙をかける少女」が「舞−HimE」「舞−乙Hime」も混ぜた形でトレーディングカードゲームになって戦列に加わるそーでそのご挨拶にご登場。ここで「XENOGLOSSIA」はどーなった、って聞くのは野暮か。「アイマス」は別に本家が入ってるんでそっちに混ぜ合わされて出てきて欲しいとDVDを全巻揃えた身としてお願い致したく。MAKOちゃんは相変わらずの愛くるしさ。まだ歳だってそんなに行ってないはずなのに活動歴は長いんだよなあ。それこそしょこたん以上に露出していたっておかしくないのになあ。唾つけるんなら今の内、と。

 あとの見物は「サンデーvsマガジン」の宣伝担当に抜擢された内藤大助チャンピオンが登場したことか。前に「トミカヒーロー レスキューフォース」の発表会で間近に見たけれど、1年が経ってもなおちゃんとチャンピオンのままってところが素晴らしいというか、柔らかそうな人柄の奥にある強さって奴を証明してる。会見の後に出席者のあれはアクアプラスの代表取り締まられ役とかって人だっけ、その人から希望されてパンチを披露していたけれど、脇腹を叩くんでも右手で相手の左腹を叩いても痛くないのが、左拳で右脇腹をえぐると肝臓に当たって激しく痛むってことを教えていたのが印象的。やっぱりプロのボクサーはプロのボクサーなんだよなあ。そしてチャンピオンはチャンピオンなんだよなあ。拳で人間、壊せます。

 会場を出てキッチンジローでご飯をかきこんでからコトブキヤへと戻り再び挑戦した「黒執事」。2つ買った最初の箱でフィギュアのキャラでは唯一の、中身までしっかりとした女性キャラのマダム・レッドを獲得してこれは幸先が良いと次に移って開けて万歳! ピンクのドレスを身にまとったご令嬢版シエル・ファントムハイヴを確保できました。ひだひだまでしっかり創り込まれた造型の素晴らしさもあるけれども、やっぱりそんな恰好なんてしたくないんだぞ的に腕組みをしてすっくと立って前を睨む佇まいに表情が素晴らしい。これを見ればセバスチャンでなくてもお世話して差し上げなくっちゃって気にもなる。ちなみにふくらんだスカートの中もしっかり創られているからご安心。でもってもちろんちゃんと履いているけどそれは時代がビクトリア朝のロンドンにそぐう物だってことはお忘れなく。これで残るはセバスチャンのご令息バージョンのシエルか。主役2人が出ないってあたりが基本としての運のなさをやっぱり現しているよなあ。

 「やってきたよ、ドルイドさん」はアイルランドだかの魔法を割にしっかり取り入れつつギャグ風なストーリーを仕立て上げているけれど、新シリーズとして始まった横山忠さん「神乃崎綾香の魔獣」(集英社スーパーダッシュ文庫)はおそらくは北欧神話あたりを割にそれなりに取り入れつつラブコメアクションを作り上げたって感じ。ガイゼルって魔獣がいて1000年ばかり獄に繋がれていたけれど、アエチュルって神様側にいる執行者とやらに呼び出されては、人間の少年の姿に変えられ人間界にいる神乃崎綾香を護るようにと命令された。うさんくささがあったことに加えて綾香は自分が呪われた存在で、知り合いも家族に不幸にしてしまったという負い目もあって他人をなかなか寄せ付けない。

 だから最初は毛嫌いされたけれど、迫る危機とあと魔獣な上に自分の命がかかっているって条件もありながら割に真面目に綾香を護ろうとしていたこともあって綾香はガイゼルを受け入れる。でもって迫ってくる敵。それが何か分かった時、綾香は自分にかけられているらしい呪いの正体を知り、そして未来を自らの手で掴もうとするだけの理由を得る。形式だけみればすごい力を持った少女と強い力を持った下僕な少年との関係を描いたラブストーリーっといった感じ。少女がそもそもどーしてあれやこれやの中心に位置する存在になったのか、ってあたりが見えないけれども語られるだろう続刊あたりできっと明らかにされていくんだろー。ボーイッシュな佐久弥のイラストがまったくないのが残念至極、っていうかガイゼルの魔獣バージョンだって載ってない。どんな姿をしているんだろう、佐久弥、ってそっちだけかい。


【2月25日】 録画分を見返して、レオパルドを相手に冷却装置が奪われたのは大変じゃん、探しに行きたいんだけれど地図どこよ、って話をしている3人娘の横でカサカサと動いているのは何だろう、掃除機か。21インチくらいのアナログ画面を2メートルくらい離れたところからしょぼついた目で見ているんで判然としないんだけれど、姉貴が何処からともなく取りだした掃除機が、叩き出されたあとも残って動いているって方が、首無し騎士の闊歩より怪獣たちの跋扈より不思議って気もする「宇宙をかける少女」。あとどーして桜は叩き出されなかったかも。高慢なようで案外に裏でいろいろ計算して喋り動いているのかレオパルド。いつきの問いをはぐらかすように3人まとめて叩きだし、ほのかに「なして」って意外な顔をされてるし。

 食わない、ってことはつまり出さない、ってことでそれはつまり魔導国にはトイレもなければ便器もないってことになる訳で、そんな世界にひとり滞在しているユメミはいったい、催してきた時にどこへお花を摘みに行くんだろうかというのがひとつの謎。それより根本的なのは、食べず飲まない存在が人の形どころか動物の形をしていることすら不要な気もするし、服なんてまるで不要とすら思えるんだけれど、人の形でないとなかなか感情を添えづらいのが人間ってものだし、服を着てなければ作品として放送が難しい。

 あるいはひとりユメミって人間の世界から来た少女を安心させようとして、全員が人間みたいな形をして現れただけで、ユメミが見ていないところではドロドロと融けだしヌトヌトとした形で触手なんかを伸ばしながら、振動でもって「俺様ムント」と言っていたりするのだろーか。まだまだ謎が多いなあ、「空を見上げる少女の瞳に映る世界」。ってかユメミがやって来たって全然、良くならねーじゃん天上界。アクトとやらを溜め込んだって元通りにならないんだったらもう完全に封鎖して、そのまま滅びるに任せた方が良いんじゃないか時空の監視者さん。それはそれとしてもっとライカを出してくれ。スズメににゃーと言わせてくれ。残る話数で、期待。

 こだわる割には徹底してないなあ。朝っぱらから宅配便がやって来て巨大な箱を差し出して来るから受け取り明けたら中に箱。開くとそこにはプチプチにくるまれた缶が入っていて取りだし両脇のストッパーをはずして蓋を開けるとそこにも箱が入ってた。つまりはおまけの模型を紙箱に放り込みその周囲を紙のスペーサーで埋めてそして底にブルーレイディスクを入れて紙で抑えただけの底上げ仕様。スペーサー代わりのボール紙を捨てたらデカい空間の中でパッケージがごろごろとし、模型がゴトゴトとするだけになる。何って「スカイ・クロラ」のブルーレイボックス特装版のことだ。

 せめてこーゆー化粧箱めいたものに入れて発売するんだったら、クッションで間仕切りするなり層を分けるなりして底に模型を鎮座させ、上にディスクを置いておくなりしてくれなきゃあ美しくもないし有り難みもない。値段も目茶高いしなあ。んでもまあいい、これで草薙水素のボウリングシーンは見放題。人によっては異論反論あるだろーけど「可愛そうなんかじゃない!」って叫ぶあたりの菊池凛子さん演じる水素の声も好きなんだ。あとはやっぱり谷原章介さんのへらっとしつつ深みを感じさせる声、か。声優さんを使わないことへの意見とか聞くけど宮崎アニメよりよっぽど良いセンスでキャスティングしていると思うんだ。とりあえず週末にかけて見てみよう。ボウリングはリピート100回。

 ロボットの加藤久仁生さんといい「B型TV」ってB型専門のテレビ局が作った番組ってコンセプトで制作された映像を集めたDVDを手がけたピクスの安藤隼人さんといい、会社に所属しながらその会社の仕事として自分にしか作れない映像を作れるポジションにあるよーで、ヒットすれば会社の宣伝にもなるって計算も一方にはあるんだろうけど、それを個人の才能って場所でちゃんと発揮させられるようにしているところが最近の、効率化を目的に個性を殺して平均化させては結果として何の特質も見せられなくなる企業たちのなかにあって羨ましくもあり、またそうすることによって逆に差別化を成し遂げ、収益につなげていたりする現状をとかく個性を押しつぶそうとしている企業は見習うべきだって思っていたりする昨今。

 とはいえ才能がいくらあったところで世の中にアピールする機会が少ないんじゃあどうしようもないわけで、そこに降って起こったアカデミー賞短編アニメ賞の受賞って事態は、短編アニメってカテゴリーへの注目を集めて人材の発掘を急ごうって企業を生みだしているかもしれないし、一方で作り手の方もいずれはアカデミー賞か文化庁メディア芸術祭って気分を抱いて、モチベーションを高めて創作に取り組めるようになっているかもしれない。そんな時期に偶然にもタイミングよく学生が作ったショートアニメがテレビに流れ、ネットで配信されるってプロジェクトがスタート。

 「キャラディのジョークな毎日」ってコンテンツは、実にシュールで愉快だった「ポピーざぱふぉーまー」の増田龍治さんが総合監修をしつつ世界のジョークを題材にした映像を、京都造形大のキャラクターデザイン学科だかの学生に作らせるってプロジェクトで、声なんかも案内役の女の子だけが安田美沙子さんを当てるほかはアミューズメントメディア総合学院の生徒が担当するっていった具合に、これからの才能をよに送りだそうって意欲にあふれている。シナリオについては天願大介さんが担当して平均化を図っているみたいで、それを受けた学生が、どんな映像を作るかってのはひとつの勝負。上がってきたものの中に見つかった原石が、引っ張り上げられ磨かれやがてアカデミーに、ってな事態も生まれるかもしれない。問題は引っ張り上げる側がいるかってたりだけれどもことコンテンツの世界では、効率化や平準化が何も生み出さないのは周知の事実だし経験でも分かってる。加えてアカデミー賞の受賞って天の配剤もあった中で、勇気を出して踏み出せるかが10年後の企業の格を決める、って言ったら言いすぎ? ありえると思うよ。


【2月24日】 すばる堂とかユージンといったタカラトミーの周囲にあった小物系の会社がぐっと集まって出来たタカラトミーアーツの製品発表会があったんで 秋葉原まで行って見物。ガチャポンの景品なかを中心にあれやこれや置いてあってなるほど昨今の不景気では、ちょいお高めの玩具じゃあなかなか手を出しづらくなっているなかで数百円って価格帯の商品でもって客を引きつけようって戦略なんかが、この会社には与えられているだろうかって考えたけれどもそれだと本体とやや食い合う部分もあって、果たしてどうさばいていくのかにちょっと関心。一時は減少しても入り口になることで幹が太り本体にも好影響があるって考え方もあるしなあ。果たして。

 近場で「キャシャーンSins」のブルーレイボックスなんかを購入。予約していなかったんで特典はもらえなかったけれどももらっておいた方が良かったものだったのか。でも置く場所もないしなあ。ちょっと思案。さらにボンブラのMAKOちゃんが獅子堂秋葉として唄っている「宇宙は少女のともだちさっ」なんかも入っているキャラクターソング週を購入。秋葉はマラカスを振っているのはやっぱりお約束。MAKOちゃんには是非に秋葉のコスプレでマラカス振りながらボンブラのライブで歌って欲しいけど、最近活動してたっけ? ついでに神凪いつきの遠藤綾さんに河合ほのかの牧野由依さんが唄っているエンディング「宇宙は少女のともだちさっ」も購入。主題歌にもよーやく慣れて来たけれどやっぱりエンディングの方が好きだなあ。

 そんなアニメーション「宇宙をかける少女」はレオパルドに会いに来た獅子堂姉妹たちから開かされた半世紀前の事件! なるほどネルヴァルの反乱を獅子堂とレオパルドが留めたらしーんだけれどもそんな英雄がどーして半世紀もどこかに隠れていたのか、でもって最近になって現れたのか、ってところが目下の謎か。獅子堂ナミはどこかぼんやり。やっぱり仕込まれたジョーカーか何か。でもって3バカ……じゃなかった3人娘はレオパルドの中を地図を求めて図書館に。首なし騎士との対決を経てたどり着いた池の側で怪獣バトルを目の当たりにしていったい何が住んで居るんだこのコロニーはって驚きつつ、一方で後半に存在が消えた姉に次女の行方に興味。5女だけはうろちょろしてたけどその合間に何かいろいろ仕込んでいたのか? 首にされちゃったミンちゃんとブーゲンビリアの運命は? もう毎週が楽しみで仕方有りませんぜ。

 女子プロレスの会場には足を運んだことがないから分からないけれど、試合の合間なんかに身長が1メートル半もない男たちによるプロレスが行われていたらしい。つまりは小人プロレスって奴で、背こそ小さいけれどもムキムキに全身を鍛え上げた男たちが、ロープに囲まれたリングをスピーディーに動き回ってはぶつかり合い、投げを打ち合い蹴り合いながら繰り広げる戦いは、どこをどう見たってプロレス以外の何ものでもなかった。おまけに今の「ハッスル」みたいなコメディタッチのやりとりもあって、迫力と楽しさを味わえるエンターテインメントに仕上がっていたという。

 そんな小人プロレスを25年も追っかけ続けているジャーナリストの高部雨市さんが書いた「笑撃! これが小人プロレスだ」(現代書館)によると、どうやら小人プロレスはもうどこに行っても日本では見ることがかなわないらしい。主戦場だった全日本女子プロレスが崩壊したことも要因だし、2002年に最後のレスラーだったリトル・フランキーさんがが病死して、リングに立つ選手がいなくなってしまったのも消滅の大きな理由だけれど、場所なら別に作ろうと思えば作れるし、フランキーさんたちがかつて憧れたように、小人プロレスの世界に入りたいって人がまったく途絶えてしまうってのも何か不自然。

 だから高部さんも「誰が小人プロレスを葬ったのだ!」って憤り、ルポルタージュの中でこれまでのインタビューとか新たな取材なんかを通して理由を探っていった果て。見えて来たのはやっぱりというか、異質さを認めたがらない日本人に特有の感情ってものだった。それが仕事と誇りをもって戦っているレスラーたちは、是非に試合を見て欲しいと願ったし、見られてこそのプロだと訴えた。テレビ中継だって希望していたんだけれど、あれだけ女子プロレスが騒がれた時だって、テレビはどこも合間に繰り広げられる小人プロレスを映そうとはしなかった。視聴者から可愛そうだっていう同情のような抗議が入ったこともあったかもしれないけれど、高部さんはそうしたお節介よりもさらに深いところにある、「こんなもの見せられるか」って思いこんでいるメディア側の侮蔑にも似た思いなんかをえぐり出す。

 抗議があるから鬱陶しいから流さないことに、やっぱりどこか見せるにははばかられるって差別の意識がテレビから小人プロレスを遠ざけて、日陰へと追いやってしまった。見て憧れる人たちも出てこなければ、それが純粋にスポーツとして素晴らしいものだと感じて見に行く人も出てこなくなる。観客も選手も途絶えればあとは自然と消滅していくしか路はない。一方通行のまま崖から落っこちはいそれまで。「そんなもの」とつぶやく声が「どんなもの」なのかすら、今では誰も伝えられなくなってしまった。

 だからこそ「笑撃! これが小人プロレスだ」が刊行されたことには意味がある。何しろDVDがついていて、リトル・フランキーや隼大五郎やプリティ・アトムといった往年の選手達が動いて戦っている姿を目の当たりにできる。見ればその凄さが分かる。レフリーが仏に動いている周りをとてつもないスピードで動き回っては技の応酬を繰り返す。実にハードでスピーディー。それをあの体躯でやってのけるんだから負担もきっと大きかったに違いない。動けなくなってしまった選手もいれば、急になくなってしまう選手達もいたようで、もはや現実の小人プロレスを見ることはかなわなくなってしまった。1つのスポーツが消滅してしまった。

 なるほどそのことも問題だけれど、より大きな問題としては小人症の人たちに限らず、世の中には自分たちとは違った存在がいるんだと知って、どんな苦労を感じながら、どのように生きているのかを想像してみる機会を奪ってしまったことがある。格差社会と言われて、貧困にあえぐ人たちが増えているけれど、なかなか対策が打たれない状況ってのはつまり、弱者が存在していて、どんな苦労にまみれているのかを想像する力が世間から失われているから。いつか自分がそうなるとして、どんな境遇に陥るのかを思えば、そうでなくても誰かが苦しんでいることを、我が身に置き換えて感じられれば何かしないではいられない。

 知らないことが罪なんかじゃなく、知ろうとしないことが罪であり、また知らせようとしないことがより大罪。そんな大罪を無自覚のまんまメディアが犯し続けていることに、大勢の人が気づき始めている。だからこその昨今のメディアに対する信頼感の低下が起こり、収益の減少が起こっているんだけれどきっとメディアは気づかないまま、衰えていくんだろーなー。もはやだからメディアなんて相手にしないで、本を読んで想像力を養うしかない。小人プロレスの歴程が書かれた「笑撃! これが小人プロレス」はそんな想像力への入り口に成り得る。読み終わってDVDを見終わったなら、何がレスラーたちを動かしたのかを考え、彼らを追いつめていったものが何かを感じ取ってそして自分に何が足りなかったのかを考えさらに、世界に何が足りないのかを口ごもらないで訴えていくのだ。

 やり残していたことや、言い忘れていた後悔なんかをやり遂げたり、吐き出せたりするとしたらどんな形が最適なんだろうかと考えた時にやっぱり美少女だったらやり残しを片づける時だって、後悔を吐露する時だって周囲に警戒感を与えないで済むってことなのかも。これが瀕死のゾンビな感じだったら引かれ恐れられ排除されて何もやれず何も言えないままで時間切れを迎えてしまう。ってことで清水マリコさんの最新刊「ハートレス/ハートフル」(MF文庫J)は電車の線路に落っこちた女性を助けようとして跳ねられ意識不明になった少年を兄に持つ弟の前に、突然少女が現れ兄貴の心の中から脱獄してきたと告げる話。そりゃどういうことだと訝りつつも、妙に家の事情に詳しい辺りから本物かもしれないと思いとりあえず家に置く。

 そんな少女が子供の頃からの知り合いの蓉って少女に見つかってしまった。もっとも蓉も事情を信じて少女が何のために現れたのかを弟君と一緒に考えるようになったけれども、ゆきついたのは兄貴が過去に起こしていた、溺れた少女を助けたという事件。その裏側にあった諸々が少女の登場による刺激もあって浮かび上がっては蓉を戸惑わせ、弟君を悩ませ、そして脱子(すげえネーミング)と名付けられた少女に目的を遂げさせる。不条理なシチュエーションではあるけれども過去の作品に比べればストーリーとしては分かりやすく設定も純粋。埋めたい心を埋めっぱなしでいたらやっぱり心に無理が出る。痛みを覚えながらも乗り越えていく勇気ってのが人間、やっぱり必要なんだろうなあ。ってわけでもしも同じ境遇になった時、自分の心から出た脱子はいったい何を触れて回るのか。考えると……ああおそろしや、おそろしや。


【2月23日】 熱くもないし燃えてもいないけれども熱くて燃えているように見られて話題沸騰の「バクマン。」よりも、よっぽど漫画に対して熱いし燃えている感じが滲んでいるんじゃないかって気がしてならない平尾アウリさんの「まんがの作り方」(徳間書店)。「月刊コミックリュウ」に連載されているけど「リュウ」に対して浮かぶオタクっぽさSFっぽさとは対極の絵柄とストーリー。13歳でデビューしたものの鳴かず飛ばずのまんま沈黙していた川口さんが一念発起し漫画を再開。そこに後輩として現れた森下が、実は現役の女子高生漫画家で、でそんもって川口さんのことが好きだったりして、そんな森下の好意をあるいは漫画に転嫁できないかって打算もあって、川口さんと森下さんの付き合いがスタートする。

 再デビューをかけて割に真面目に漫画を描こうとしている川口さんだけど、どうもうまくネームとかが流れない。それを観て森下は「描こうとしている」って言って何を描きたいかじゃなくって何かを描かなきゃっていった気持ちばかりが先走っては、面白い漫画なんて描けないんじゃないってことを指し示す。そんな気まぐれが作品の進み具合を左右したり出来に反映されたりするから、森下こと「さち」の漫画も人気がだんだんと下がりつつあったりするんだけれど、それでも描きたいものが描けないことを悩んだりする森下や、そんな彼女の姿に自分の漫画家としての立ち位置はどこらへんにあるんだろうと考える川口さんの態度の方が、とにかく漫画を描く、そしてデビューしてアニメ化するってだけの「バクマン。」の2人よりも、漫画に対して誠実なんじゃなかろーか。

 あくまで“成功”をこそ最終目的に据えて漫画を描いている「バクマン。」だから、思いとかってのが背後に押しやられていてストーリー的には問題はないんだけれど、そうやって得られた作品としての“成功”は、どこかマーケティング的な計算によって作り上げられたものであって、だからこそ感じられる面白さはあっても、それ故に吐き出されてくる感情に触れる素晴らしさってのが、果たしてあるのかって考えると、やっぱりあんまり少ないような気がしてならない。まあ「バクマン。」も単行本で読んでるだけなんで、今どこら辺まで来ているかがちょっと不明。完結した上で「まんがの作り方」と今一度比べてみて、どっちがより切実さを持ったものかを考えてみるのも悪くない。

 この物語のどこが「いつも心に剣を」(MF文庫J)なんだろうかと1晩考えてみて、今ひとつくっきりとはしてこなものの名が体を表さなくたって物語自体がそれなりならば気にしないのが本読みってもの。だから気にせず読んだ十文字青さん「いつも心に剣を」は、何か2人で村だか町を飛び出した少年と少女のうちの少女が親譲りかどうか分からない無鉄砲で子供の頃から少年に損ばかりさせているかのように洞窟に突っ込んでいっては、一組の男女の白骨死体にぶちあたり狼たちに襲われ大慌て。そこで白骨が指に填めていた金色の指輪を持ち帰り、旅を続けてみたものの余所者に優しくない土地柄らしく宿にすら泊めてもらえない。

 ならばと指輪を売っぱらって金に換えて宿を得たものの、その指輪が魔女の指輪だったらしく、売った少女は魔女だと告発されて哀れ火あぶりの刑を言い渡され、少年はそんな少女を見守るしかなかったんだけれどそこに現れたのが本物の魔女軍団。集まっていた人間たちを蹴散らし、少女を救い本拠地へと連れ帰る。少年にとって魔女軍団はまさしく救世主。なのに残された少年は魔女軍団を倒すべく結成された武装集団に加わり、洞穴で拾った得体の知れない剣を振るって、立ちふさがる魔女軍団を打ち倒して少女の元へとたどり着く。麗しい再開。けど少女にとては命の恩人でもある魔女軍団がズダボロにされて、少女は果たしてそれで良いのだろうか。少年は少女を陥れた人間たちに味方して平気なのだろうか。

 まあそんな感じに、信念とかなくふらふらと町を出ては旅を続ける2人のガキンチョの無鉄砲ぶりに大人たちが振りまわされていたりするような雰囲気があって、分別って奴をもっと考えた方が良いんじゃないかと思えてくるけど、ガキが無分別なのは昔からの決まり事。善とか悪とか判断できない手前勝手な子供をセンターに置きつつ、どちらが善でどちらが悪とも言えない人間と、魔女たちとの戦いぶりを描きつつ立場によって裏返る善悪の曖昧さと、そんな中で生きていくために必要なものは何かを教える展開が、今に迷う子供たちをどこかへと導いていくんだろう。なるほどそんな心の支えとして剣を置くならば、「いつも心に剣を」ってタイトルも悪くはないのか。だったらせめて剣にもうちょっと主役っぽさを与えてやって欲しいなあ。喋らないし。変身もしないし。正体相変わらず不明だし。

 無鉄砲が若さ故の特権とはいえ引き起こされる事態にまるで頭が回らないまま突っ走っては自爆するだけでなく、周囲に迷惑をかける輩ってのがどうにも気になる身にとって「RIDEBACK」の弟君の無鉄砲ぶりがもたらした事態にはどうにも納得がいかないし、それで飛び込んでいっては巻き込まれた挙げ句に1人をケガさせ、さらに拉致に来たテロロスト集団によって大勢の人が殺害される事態をも招いてしまった尾形林の行動原理もやっぱりちょっぴり気に入らない。普通に大人しくいていたら友人はテロリストの巻き添えを食らったかもしれないし、弟君はケガをしたかもしれないけれども死ななかった可能性もあるし、捕まってお灸を据えられただけで終わったかもしれない。死者は出ない。少女の家族も傷つかない。

 んまあ権力による管理の網がキツくなった可能性は高いけれどもそれと戦うのがただの少女である必要はない。こもって逃げていた野郎とかもいたりする訳で、そんな火中に火薬の詰まった栗を拾いにいくような行動原理のどこに妥協点を見いだせるかで、この作品への前向きさも変わってきそう。とはいえ「太陽の牙ダグラム」の昔からそうやて巻き込まれていった先に浮かぶ解放もある訳だから、ちょっとした無鉄砲がもたらすカタルシスの方が大きければそれはそれで納得もできるんで、作っている人たちには途中の挫折とかなんかを上回る開放感ってやつをもたらしてくださいと平にお願い。「おれたちのたたかいはこれからだ(せんせいのつぎのさくひんをたのしみに)」だけは勘弁な。

 週が明けて週刊誌あたりが例の中川昭一財務相の会見の前後に何が起こったかをリポートしはじめて実は直前まで食事しながらワインをかっぱいでいたって話も浮かび上がって来たけれど、主張は依然として風邪薬の飲み過ぎが酒で増幅された眠気ってとこから動いてない。まああの会見だけを観るなな眠そうだって言って言えなくもないけれども、分かってきた会見後の行動がバチカンの美術館で有名すぎる「ラオコーン」の彫刻に触ろうとしたとか台座に触っていろいろ注意されたってものだと分かってくると、薬のせいで眠気がキツまっているってよりはやっぱり酩酊、つまりは酔っぱらって気分が大胆になって周りの言うことも聴かずにフラフラしているだけなんじゃないかって思えてくる。

 薬の作用でひたすらに眠い人間が、言うことを聴こうとしないでふらふらと歩き回るのか。制止を振り切り策を越えようとするのか。薬にも酒にも詳しくないけど行動パターンとして正反対に思えるそれらから類推すればやっぱり会見の時のあれはそれなんじゃないのかって気もしてくる。なるほど既に終わった事態だけれど、次に似た状況になった時に薬だ御免よと言い訳させないよう、その違いを明確化しておいて欲しいもの。それにしても「ラオコーン」、1度観てみたいなあ。正真正銘の傑作彫刻なんだよなあ。親父くさいけど。

 ベルリンから宮崎駿監督が持ち帰ってきた金熊賞は確か記者発表会で観たけれども同じく宮崎監督がアカデミー賞で穫ったオスカー像は観たことがなくってどこにあるのかも知らない。個人的にはそんな宮崎監督がもらったネビュラ賞の実物を間近に見られた事の方が重大事で、ヒューゴー賞と並んでアメリカの、というか世界のSFの2大タイトルでもあるネビュラ賞が、世界SF大会にくっついてやって来ていたヒューゴー賞なら観られたパシフィコ横浜にやって来ていて、宮崎監督宛てにプレゼントされた場に居合わせた時には、SFやってて良かったなあと思ったものだったけれどもやっぱりオスカー像を見逃しているのはちょっと残念。

 なので第81回アカデミー賞の短編アニメーション部門で、加藤久仁生監督が「つみきのいえ」で獲得したオスカー像を是非に拝見にうかがいたいし、持って本当のソーヘビーなのかも体験させてて頂きたいものだけれど、自分のデスクの側に置きっぱなしって訳にもいかないだろうから、会社のどこに飾られることになるんだろうなあ。日本アカデミー賞だったら浴びるくらいに関わっていそうだけれども、本場のアカデミーはこれが初めて。並み居る諸先輩型でも届かなかった地平を掴んで加藤さん、さて次にいったい何を作ってくれるのか。作り続けていってくれればとりあえず嬉しいし、山村浩二さんはほかの短編アニメ作家にも資金が回り作品が作れる環境が整えばなお嬉しい。そういう効用があってこその賞って奴なのだから。


【2月22日】 ニンニンニンの日。ハットリくん? さそれはさておき走らない、捌けない、飛び出せないじゃあ得点の機会なんて早々生まれるもんじゃないってことは、去年のシーズンで散々っぱら経験しているはずなのに、中盤に置いたアレックス選手にボールが入ってさてそこからチョンチョンと蹴りつつ左右を探し、どこにも出さないまま後ろに戻す繰り返し。前へとボールが進まず人も進まない一方で、相手に攻められ囲まれて、プレッシャーの中からパスをミスしトラップを跳ねさせボールを奪われ、そしてポーンと前線に蹴り込まれてはするするっと抜け出す相手に持たれてシュート、そして得点。反撃しようにも中盤で沈滞し左右に振れず前に送れない状況では、得点は絶対に奪い返せない。

 どこがいったい拙いのか、って考えればやっぱり判断の速度の遅さと、そんな判断の遅さを招く動き出しの少なさって奴か。センターでボールをもらったら左右にさばいて走り受け取り、開いたところを両翼に持たせそれを追い越していくサイドバックにボールが渡り、前へと走りディフェンスをかわしてねじり込むクロス! それをトップに詰めた2人3人が飛び込み得点といったセオリーの、まるで反対をいくかのよーに中央で沈滞し左右は止まり追い越しはなく飛び込みはせいぜいが1人ってんじゃあ、護られ囲まれ奪われるだけ。それはもう去年から見えていた問題点だったんだけれど、この数ヶ月で変わるかって思っていたらまるで変わってない。

 まあメンバーもほとんと同じで監督も同じなんだから変わるはずもないってことで、ここはやっぱりちゃんと前後に走れるサイドバックを持ってこないと、最後尾の4人と2列目の4人がラインをつくったまんまでロケットペンシル、では知らない人も多そうだからむしろ適切な例えとして挙げるトコロテンのよーに、前後に動いている隙間を縫って飛び出されては奪われる繰り返しになりそー。対して柏レイソルは魔術師フランサ選手の持てば必ず確実にさばいて見方に届けるテクニックと視野の広さを使いつつ、いっせいに前へと走り込んで得点機を作り出す運動量が素晴らしい。これでトップに確実性があれば3点どころか5点だって奪えたに違いない。アルセウ選手の離脱はあったけれども現状の戦力でなかなかやってくれそう。追い付くのは難しいけどせめて来年も「ちばぎんカップ」を同じ1部のチームとして出来るよう、ジェフユナイテッド市原・千葉には何とか食らいついていってもらいたいものだけど、うーん。

 超能力でモテモテ、になるのは良いんだけれどもそれが結婚前提で子作り必至じゃあ高校生くらいにはちょっと荷が重い。なおかつ相手も動物の声が聴けるとゆー仏頂面な少女にちょっとだけ念動力が使えるスレンダーな少女に微妙な瞬間移動が可能な外国人系少女に、子供っぽい体型をしながらも実は教師だったりする念写が得意な女性だったりすると喜ぶよりまず身構えてしまってそこから先に進めない。テレビ番組に出演して披露した火を出す超能力にこれは世界でも珍しい男子の超能力者がいたと知り、1人2人3人4人と集まってきた少女に女性の求婚を、あしらいかわしていた佐々木与四郎を主人公にした樋口司さん「ぴにおん!」(MF文庫J)。

 第2巻では新たな超能力者の登場、それも男子の登場にパワーバランスも大きく変わるのかと思いきや、何とこれはってな展開が待ち受けていて事はなかなか思い通りにいかないんだってことを見せてくれる。っていうかいくら超能力だって、10数年間も周囲のみならず自身すら謀り生きていくことって可能なものなのか。それを知って果たして真っ当な暮らしに戻れたりするものなのか。分からないけどこれでさらに新たに候補者も加わってのハーレムファンタジー。抜きん出るのは果たして誰? そして予告されたイタリア娘が原因で起こる事態とは? 続きが楽しみになって来た。

 メイドさんが。それも眼鏡のメイドさんが勿体ないことになってしまったことについて作者の陸凡鳥さんに何てことしてくれたんだよと言って差し上げたいもののどんな人か知らず知る機会もないんでここで遠吠え。何てことしてくれたんだあ。でも忠義を果たして滅び行く美学ってのも認めない訳にはいかないんでここはおあいこということで「七歳美郁と虚構の王2」(ガガガ文庫)は世界を外木場外郎って犯罪者から護ったと評判をとり英雄と讃えられている九重白雪が実は悪の親玉だったりして、弟すら部品として使うかのごとくその人格を飛ばしてプログラムって別の様々な人格を注入したりする悪逆さを見せていたものの弟の九重九音は今近衛久遠と名を代え探偵事務所の所長代理となりながら、白雪とは仲間だったもののやっぱり今はもうない七歳美日月を姉に持つ七歳美郁を秘書兼経理として使い共に白雪の攻撃に立ち向かう。

 ってな導入から進んだ第2巻ではいよいよ白雪が腰を上げて久遠攻略に乗りだした、その尖兵として送り込まれたのがメイドと呼ばれると怒る侍従の≪シャトー≫S・ティアラ。もうばりばりにクラシックなメイド服に身を包み、怜悧な顔に眼鏡をかけては白雪配下の「女王陛下の52枚」のうちの何人かを使って久遠を襲い美郁を襲いはじめる。とにかく異能の力の持ち主ばかりで毒虫を使い爆弾やガスをつかい香りをつかって追いつめようとするんだけれどどこか手応えがない。何しろ久遠は中に99人ものプログラムを放り込まれ、なおかつその99人がそれぞれに想起する外木場外郎への畏敬をかき集めては、理想のソトキバ・ウィローを内に現出させる力の持ち主。絶対に負けないという恐怖心。弾よりも速く動けるという伝説。そんな諸々が寄せ集められるんだから負けるはずもないんだけれど、ネックがあってどうやら何度も使える技ではないらしい。

そこを突いて動いたティアラ。さらにソトキバ・ウィローにインスパイアされたかのよーな手法でもって自らを高めてあるからいかな超人であっても早々には倒せない。そんな合間に美郁が姉のよーに頼りにしていた女性がプログラムをぶちこまれては敵となって現れる。解放すれば自分の記憶まで失われてしまうと逡巡する美郁だけれどかといって戦って倒せるはずもない。さらに白雪までもが自らに施した施術を開かして美郁や久遠を驚かせ、追いつめていった果てに訪れる最終決戦の勝者やいかに? とはいえそこに現れた究極的な存在が久遠を助け美郁を助けて白雪を追いつめていくって可能性も見えて来た。プログラムって擬似人格の注入によってパワーアップされた異能者たちのバトルに、そんなプログラムが寄せ集まって生まれる究極にして理想の人格って設定の面白さも乗ったアクションエンターテインメント。たとえ眼鏡のメイドは亡くとも読み続けて損はない、と思いたい。

 新聞ヤバい。まじヤバいかもしれないなあと朝日新聞の1面「TV局、下請け保護指針」なんて記事を読みながら考える。テレビ局の話がどうして新聞かっていえばそりゃあテレビ局が下請けを活用して支出を圧縮して確保していた利益が、ただでさえ広告不況で収入が減り視聴率も低下で単価も下がり作る映画もワンパターンが多くなって見向きもされれなくなって来ている中で大きく目減りしてもはや新聞に広告なんかを出して番組を宣伝してもらう余裕もないって言い出したりするかもしれないから。とはいえまあ普通の新聞はそんなにテレビ局に依存している訳じゃないから対岸の火事めいたスタンスでもって観ているのかもしれないけれど、地方なんかではテレビ局が新聞と似た資本になってて電波事業で免許性で独占性の強いテレビから上がる収益で新聞を支えちゃっていたるするケースもあったりするような話なんでここでテレビが傾けば、新聞もヤバくなるんじゃないかと思った次第。地方紙に限った話しかっていうとこれ以上は頭が悪いんでよく分からない。分かりたくもない。


【2月21日】 羨ましいぞチョコちゃん羨ましいぞ。秋葉原メイド掃除クラブの1員としてアキバの受け師さんことミルクちゃんも所属し派遣されては家々をお掃除して回る仕事をしている彼女も含めた5人が総出で街頭に出ては集まってくる人たちと将棋を指しつつ、ひとりミルクちゃんだけが背後に座って鬼将会のメンバーを待ち受けそして遂にやって来た1人を撃退し、這った姿で本拠地に向かわせようとするその一方で捉えられた菅田はパンツ1丁からはい上がり、脱出できる寸前まで勝ち続けて金を稼いだエピソードが収束された「ハチワンダイバー」の第10巻。

 その裏表紙にて5人のお掃除メイドさんが勢揃いしたショットで背後に立ってその大きさを誇示している受け師さんことミルクさんすら上回る覇道っぷりを、おまけ漫画「ハチチワンダイバー」で見せてくれたプリンさんの前に飛び出し左右に膨らみ下にも上にも広がった巨大にして広大な質量と大きさを持ったそれにもたれかかって頬を埋め、すやすやと眠るチョコさんの皮膚から伝わってくる感触。それはやっぱり柔らかいのか、温かいのか、ふわふわとしているのか、弾力性に富んでいるのか。等々の想像は浮かぶけれどもやっぱりわいてくるのは羨ましさ。いつかそんな体験をしてみたいとは思いつつ、まず絶対に不可能である以上は想像の海で疑似体験するしかないのである。本物のプリンじゃあダメだよなあ。潰れちゃうもんなあ。

 こっちもなかなかの見えっぷりに顔を埋めたくなった人も多そうだけれど問題はそれが本物か幻想かってあたりか、スフィンクス、冲方丁さん原作で夢路キリコさん漫画の「シュヴァリエ」第8巻は表紙に描かれているたぶんスフィンクスのたわわっぷりがカラーでもって描かれてて目にもどかんと迫ってきて、ファンでなくてもついつい手に取ってしまいそー。でもって読んで何だこの「おれたちのたたかいはこれからだ(せんせいのつぎのれんさいをおたのしみに)」っぷりはと頭を抱えるんだ。詩人たちとの戦いも大詰めに迫り司祭を倒し死人を倒し赤ん坊を浄化して片づいたかに見えたら今度は別の詩人が現れソフィアの魂が封じ込められた魔鏡のカケラを奪い逃走、そしてプロイセンへと荷担しフランスをその不思議な力でもって攻め立てる。

 迎え撃つは騎士に任じられたレオン・ド・ボーモン。だけれどその姿はすっかりと本体のレオンに戻っていたりするから戦ったところで麗しさなんてまるで感じない。なので「おれたちのたたかいはこれからだ」と勇んでいった先のことはもはや想像に任せるとして、その身が姉のスフィンクスをまとった最後の姿を存分に味わいながらページを閉じるのがいいのかも。問題はだからそんな“女装”したレオンの中身までもが“変化”しているのかってあたりで単なるコスプレだったら当然に中身は詰め物で、なるほどだから戦っている場面で胸元を大きく開いたドレスを着ることもなかったんだと思っていたら表紙にドカン、とスフィンクス、それも立派に突き出て広がったものを見せまくってる。やっぱり中身も代わっていたのかそれともこれがラストの大サービスか。どっちにしたって最後なんだから楽しませて頂くこといしよう。プロイセン編は「マガジンZ」の復刊まで待つことになるのかな。

 「マガジンZ」はあれこれだけれどこっちはちゃんと続いている「サンデーGX」でまずは「ヨルムンガンド」。バルメが、バルメが、バルメが、バルメが……まあ大丈夫だろうってことにしておこう。あの鍛え上げられた背中を打ち抜ける拳銃など存在しないってことで。抱きしめていたヨナくんに血もついてなかったし。カレンの方は腹をぶち抜かれているからまずダメだろうなあ、んでもって断末魔が「こんな世界もうイヤだ」とは何という乙女っぷり。そんなに少将に惚れ抜いていたのか。「ワイルダネス」はひたすら逃亡編が続く。ジーンズ姿の格闘戦は栄ちゃんの専売特許だったけれども立派に恵那が後を継いでくれているようで。あっちとちがってこっちはまだまだ誰も死にそうもないモードが続いているから安心だけれどどこで切り替わるか分からないしなあ。まあ気にせず付き合おう。

 ふらりと秋葉原まで出向いて「ゲーマーズ」でもって開かれた「アクエリアンエイジ」の10周年を記念して始める企画についての発表をいく。榎本温子さんが喋ってた。というか10周年とは長く続いているものだよなあ、別に「遊戯王」みたくオリジナルがあるわけでもなければ「デュエルマスターズ」みたいに「マジック・ザ・ギャザリング」の流れを汲んでいる訳でもない。キャラクターから世界観から基本はすべてオリジナルから始まったものがカードを積み上げエクスパンションを重ねて8000枚とかいったカード数を持つトレーディングカードゲームにまでなった。一時ほどの派手な宣伝もなくなって白が黒なカードゲームの方ばかりCMでは見かけるよーになったけど、あっちは漫画にアニメといったキャラクターをぶち込みオールスター的に遊ぶ感じが強いんでオリジナル性で10年保たせた「アクエリアンエイジ」はやっぱり評価に値しそー。がんばって欲しいけれどもさて。というか出てきたプロデューサーの人が30歳と聴いてそっとに驚き。

 人が減るというか減らそうとしたんだから当然に想定できた事態に対して何らかの対応策をとっておくのがマネジメントにたずさわる者としては当然の振る舞いであって、それにより生産性に著しく支障が出ないように配慮するなり起こりそうだと分かった時点で善後策を講じて当たり前であるにも関わらず、起こった事態がさも想定外のように驚き慌てつつそれでいて善後策など講じないまま生産性を落とした上に、さらに商品性まで減じるような、経営の教科書に載せて伝えるべき歴史的な事態が仮に起こっているとして、そんな歴史に立ち会う側の気持ちというのは高揚か、それとも不安か。分からないけどいつか分かるときが来そうな感じ。どっちにしたて歴史の動き逆らおうとしたところで、人間がいかに無力かなんてことはまさしく歴史が証明していたりするのだから。


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