縮刷版2009年12月中旬号


【12月20日】 「機動戦士ガンダム」の1番くじでは1回目で巨大なハロを出した運がまだ続いているはずだと、取らぬ狸の皮算用というか信じて救われるなら神様なんていらないというか、案の定運なんて使い果たしていたみたいで街で見かけた「けいおん」の1番くじを引いてみたら全部G賞、すなわち小さいフィギュアのセットだったので残念無念と3つもらってあけたらいきなり楽器セットが出てきて何だこりゃ。といぶかったらどうやら秘密なものらしく人形とセットにして遊べるらし。もしかしてやっぱりラッキー続いてる?

 フィギュア自体も800円では買えないくらいのボリューム感に完成度。箱を手にするとずっしりと重くてあけると巨大な顔がゴロリと出てきて組み立てると可愛らしいぷにフィギュアができあがる。ちなみに2つは柚と梓。キーボードをセットしてマスタングを引っさげさせたらあとはやっぱり他の面々も欲しいよなあ、ってことで頑張って「けいおん」1番くじでG賞ねらいうぞ。とりあえず律をもらってドラムセットの前に座らせたい。当然にして唯に澪もそろえたいけどこういう時に限って他のものが出たりしそうなんだよなあ。でもって10回8000円くらい突っ込むことになるんだろう。年の瀬に何というむだ遣い。だけどそれがマニアなのだ。

 っていうか佐伯日菜子さんだよ、「エコエコアザラク」でセーラー服美少女暗黒魔女を演じて世界を圧倒した佐伯日菜子様さま様が、当時からの押井守監督の熱愛に応えて10年の年月を経て出演した「真・女立喰師列伝」の「ケンタッキーの日菜子」に続いて出演しては、レザースーツにピッタリと収まるスレンダーなお姿を見せてくれる映画に良いも悪いもあるはずがない。だから「アサルトガールズ」は誰もが観るべき。観て劇場で日菜子様の美しさに大暴走を起こすべき。凛子が喋らないとか妙だとかメイサがバレエを踊らないとか関係ない。ワープしたってきっと脱がないメイサよりここはボディスーツ姿でも素晴らしくて美しい日菜子様にだけ、観てしびれて歓喜の暴走を起こすのだ。のだ。

 土曜日に池袋で劇場版「東のエデン」を観てそういやあエンディングのschool food punishmentののCDをまだ買ってなかったと探したら、今月頭に出ていて普通のCDサイズにあとDVDパッケージサイズのがあって、後者には滝沢朗のイラストが描かれライブDVDも入っていたんでそっちを買う。音楽はやっぱりかっこいいけどライブに入っているテレビ版「東のエデン」のエンディングのライブ映像が超格好良い。そういやあテレビのスタートん時にどっかでインストラライブをやったんだけど、忙しくって行けなかったことを思いだして、目の当たりに出来る機会を失していたことを主題してやや公開。もはやライブとかいっぱいなんだろうなあ。観たいなあ。

 「ラルクアンシエル」というバンドが現れるより前から「虹」を意味するアルカンシエルという言葉を知っていたのは、自転車の世界選手権で中野浩一さんが3連覇してそして連覇を伸ばして10連覇を成し遂げる過程で、出場していた世界選手権の勝利者が着られるジャージが虹色のアルカンシエルだと聞かされていたからだったりして、その後に出てきたラルクに自転車とどんな関わりがあるのかを考えた。もちろんラルクアンシエルと世界自転車選手権との関わりは無関係だったようだけれども、それとは別にツールドフランスへの関心が自転車競技への関心へと広がり、ロード方面から世界選手権に興味を抱く人も増えたことで、アルカンシエルという言葉と、それが意味する事柄も一般化という程ではなくてもそれなりに知られるようになってきた。

 だから川西蘭さんの「あねチャリ」(小学館)の帯に「奇跡の『虹色ジャージ(マイヨ・アルカンシエル)』物語」と書かれてあれば、それが自転車競技で世界を目指す話だと感づかれ易いかというと、一般にはしかしやはり無理があるのか横に「日本初のケイリン小説」とあって上に大きく「”ピストの妖精”現る」と書かれてある。そこに「あねチャリ」というタイトルが重なって、なるほど自転車競技に女子が挑む話なのだということを感づかせることができるような気もしないでもない。それでもやっぱりケイリンでピストとなるとロードとはまた違った世界というか、自転車=ロードみたいな風潮もあったりするだけに中身は伝わり難いかもしれないなあ。

 分かる人にはそれでも分かる「あねチャリ」は、バレーボールをケガで挫折した女子高生の早坂凛が堤防のサイクリングロードを自転車で走っていたらパンクして、それを直してもらうことでかつて恐竜と恐れられた元競輪選手と出会い見込まれたか見入られたかして自転車競技の道へと向かうストーリー。最初はロードから始め才覚を見せてピストにも乗るようになり、有望な競輪選手候補とも出会い成長していく。とはいえ現実に競輪の世界に女子はおらず、男の世界という偏見もあって競輪場での練習を鬱陶しがる親父とかいて前途多難だったものの、まずは競技を目指す方向で鍛え力を発揮し成績で周囲をうならせ理解を得ていった主人公。頑張って頑張り抜いて競輪は走れなくてもケイリンで世界選手権に出るまでの選手へと育ちそして栄誉を得る。

 頑張り続ける気持ちよさもあるし、理解されない中をひたむきさで唸らせていく感動もあるストーリーは、スポーツ物に共通の楽しさに溢れている。そして弱いと見なされがちの存在が大逆転を繰り出す痛快さにあふれていて、読み始めれば引き付けられてその中で自転車競技への理解も深まっていくし、同時に自転車を実際にやってみることの難しさも見えて来る。高校にいかず自転車に打ち込むからと、親の反対を押し切って家を出た凛主人公が、仕事として任されたアパートの管理人として面倒を見る老女の頑固さに、時に苛立たせられるけれどもそこを負けずに平静に親切に対処していくことがメンタルトレーニングにもなったみたいだし、そんな彼女の成長を最後に喜ぶ老女の言葉には、ついつい涙も浮かんで頑張り抜く大切さを知る。

 大流行のロードについては小説も漫画もあいっぱいあって、川西蘭さん自身も書いているけどケイリンで女子ともなるとほかに余りなさそうな「あねチャリ」。れこが売れてドラマ化でもされれば、あるいはもっと日本に女子のピスト選手が増えていくかもしれないけれど、ドラマ化に対応可能な女優となるとちょっといそうもないよなあ、脚の太さがまず追い付かない。成海璃子さん? 太いけどそれは……。だったらいっそ「あねチャリ」をアニメ化でもすればムチムチとしてバキバキな太股が疾駆する姿を拝めて良いかもなんて思うけれども、最新号の「サンデーGX」に付録の「ヨルムンガンド」のバルメのクリアファイルの腹筋ぶり、太股ぶりは観れば観るほど凄絶なんで、そういうのに慣れてない目にはちょっと大変かも。すげえよバルメ。後ろからスリーパーかけられたいよ。首筋を境に苦しみと、喜びが共存するその技を。


【12月19日】 午前6時に起きるとどさみー(とても寒いの意味)のでどーなっとるんだがやまるで冬みたゃーだぎゃ(どなっているのだまるで冬みたいだの意)って今は冬だったがや起きてまわしせんとかんがや(今は冬であり起きて支度をしないといけないの意)と寝ぼけた頭で家を出て、池袋へ向かって「劇場版東のエデン」のトークショー付き上映会を観る。いやあ行列だ。こんな時間に行列ができていてそれが4周目に入る映画でテレビの続編でってあたりにいろいろ驚き。苦闘する業界でも単館でレイトショー中心から盛り上げパッケージを売るビジネスなんかも模索される中でまた1段階、新しいやり口も見えて来たような気もするけれどもこれとて監督に作品にキャラクター原案にタイミングと、様々な要因が絡んでいるだけに一概には言えなさそう。

 「マイマイ新子と千年の魔法」のように切羽詰まってからの巻き返しが阿佐ヶ谷ラピュタでの満員札止めを生みだしていたりもするけれど、この勢いを最初から出せるとは限らないし、出せなかったからこその間際の大盛り上がりでもあったりする訳で、そうなるとやっぱりタイトルごとにいろいろ考えてその都度宣伝とか、公開とか口コミを考えるしかないんだろうなあ。「機動戦士ガンダムUC」みたいに作品力があれば良いんだけれど。とはいえ作品力にのっかり殿様な宣伝をやればそれはそれで思ったほどの伸びを示さない可能性もあるけれど。弱小媒体には鼻も引っかけてもらえなさそうなんだよなあ。

 とりあえずキルティングライナーを仕込んでもM−65はあんまり防寒にならないと分かりつつ映画を見て途中でみっちょんの顔が変わるシーンの不思議さをまたしても確認しつつ見終わって神山健治監督の登壇となって氷川竜介さんの司会で謎解きと展望。あの豆柴がどうやら意味深らしいと聞いたけれども毎日ひとつ豆知識らんらんらんなだけに豆柴の何がそんなに重要なのかが分からない。やっぱり豆知識を喋るのか。なまずって全身に味覚があるのか。

 後は爽快感の中に終わるかどうかも判然としないというところか。作品の中に出てくるニートな世代に自分たちが世の中の中心だと思わせるようなストーリーを出せれば良いんだけれど何をやっても諦めが漂よう世代にしょせんはフィクションなアニメーションがそれだけのパワーを持たせられる? いっそだったら作品そのものを「AIRKING」にして祭り上げ盛り上げご本尊にして旧体制をぶち壊す、ってなイベントを繰り出せば良いのに。東京ドームに2万人のニートを集めてしまうとか。

 会場を出ると行列で同じ池袋で開催中の萩尾望都展の前まで来ると午前なのに人がいっぱい。やっぱりお姉さま方多し。壁ができるほどではないから原画を観るにはとても良い環境なんだけれども、あの萩尾望都さんをしてこれくらいしか集まらないってところがどこか不思議というかやや寂しいというか。井上雄彦展覧会の長蛇の列ぶりなんかを思い起こして与えた影響では段違いな萩尾先生でこれくらいとうのがちょっと信じられない。あとはジブリブランドが付けば長蛇な現代美術館とか。まるで取りあげた感じが見えない一般メディアは、もしかして萩尾望都さんに未だに気づいていないのかしら。謎。

 会場では見たことのある人がいて眺めていたら阿修羅王の版画をお買いあげ。うらやましい。我が家では買っても張るところはなく倉庫行きが確実なので悩み中。前に買ったタカノ綾さんののポスターも梱包されたまんま段ボール山の上に平べったくなっているし、いつかスパイラルで展示があって切り分けられて売られた黒田征太郎さんの絵とかもそのまんまだし。「アフロサムライ:レザレクション」のエロっちいポスターだって飾りたいし他にもいろいろ張り出した絵があるのにもはや部屋には壁がない。床もない。居場所もないしお湯も出ない。おかげで尻が腫れて痛い。困ったなあ。引っ越し代どころか餅代だってないもんなあ。どうしようかなあ。有馬記念に通うかなあ。

 「月は地獄だ!」とジョン・W・キャンベルjrは言ったけど、日日日と書いてあきらと読む作家が月はパラダイスなのだと言う。スクウェア・エニックスのガンガンノベルズから登場なった「うさぎさん惑星。 一周目」は、地球が汚れて人は続々と月に移住して暮らしている未来が舞台。月に早くから移住した月宮の人々と、後から移住して月の風土病に効くにんじん煙草を作る玉宮がいて、そして「うさぎさん惑星。」とタイトルにあるだけあって、うさぎのような耳と尻尾をもった月裏の一族が人類よりも早くから月には暮らしていて、権力と資力の月宮に、にんじん煙草権益の玉宮の人間たちとは別に集落を作り暮らしていた。

 原住民だけと既得権益を主張する訳ではなく、かといって迫害を受けるわけでもなく、月浦の人たちは月に現れる<餅>なる怪物を手にしたハンマー<杵>で倒す仕事を請け負って存在感を保っていた。<餅>とはどうやら人類が月をテラフォーミングした際に使われた物質が、今も大気に拡散していてそれが何かの拍子で固まって大きくなると怪物化して人類を襲うものらしく、それを見かけは美少女でも、実は超絶的な体力と腕力の持ち主の月裏たちが倒す代わりに、うさぎさん煙草をもらい月の住民たちが心を寂しくすると発病する病気で、ほとんと風土病になりつつある「うさぎ風邪」を抑えていた。

 月に元から住んでいる住民なのに、どうして月裏がうさぎ風邪に罹るのかという理由は後に明かされるとして、月宮に玉宮に月裏と3者のバランスが保たれている月にやって来た玉宮の少年、砂山(サザン)が、月の学校に通い始めて会った生徒会の月宮烈花が、うさぎ風邪で苦しみ初めて手持ちの煙草を渡すと拒絶された。どうしてなのか分からず、砂山はうさぎ風邪に詳しいと評判の、校舎裏にいつもひとりでいる月裏チュチュ美に相談に行って、そこで初めて月裏という種族に出会い始まった物語。<餅>の暴走の裏に見えた存在と、烈花がにんじん煙草を拒絶する理由との連鎖を経て、人類の敵にしか見えない<餅>との共存が探られそして、月宮玉宮と月裏の関係は新たな段階へと向かっていく。

 月に海もでき、チュチュ美の妹のガチャ子にも彼氏ができて幸せが訪れかけたものの、そこに新たに起こる問題は月裏という存在と技術力のとてつもない秘密が明かとなり、人類に怨みを抱く存在の暴発へと向かいすべてを危機へと陥れる。人類の進出が月の環境に多大な影響をもたらし、それがコミュニティー間の力関係に作用しバランスを決めているという社会構造への洞察がある一方で、分かり合えそうもない相手と分かり合うための方策が示され、月といういつまでも神秘的な存在の裏側が想像される。なかなかの秀作。さらに「うさぎさん惑星。 二周目」の刊行も予定されているようで、そこではおそらく強じんにして凶暴な月裏キシュ奈の過去に触れられ、彼女に起こった出来事とそしてこれから起こる出会いなんかが描かれては、感動の中に誤解は解かれて新たな出会いが生まれていくんだろう。かくして月はパラダイスになっていく、って信じても良いのかな。

 ハルカさん最強。そりゃハルヒさんの宇宙をも未来をも超能力をも引き従えての最強ぶりには適わないかもしれないけれど、人類という範疇でいくならその才覚はおそらく最強の類にあって天下国家を統べるくらいの力を持っているに違いない。ないんだけれど何故かそんな過去を隠して入学していた高校で、見かけた少年とそして彼とは幼なじみという少女に目を掛け、引き連れ行った先が校内ガイドから食堂の調理からイベントの運営からボクシングプロレスといった部活から何から何まですべての活動が生徒会という単位で繰り広げられていては、時折開かれる下克上のイベントで順位づけられた生徒会が別の生徒会を倒してポイントを稼いで成り上がっていくという仕組みを持った学校。

 そこでハルカさんは連れてきた2人の能力を引き出しながら、上を目指して突進していくかというとそこは過去にいろいろあって最強伝説を振りまいていたらしいハルカさんだけあって、逃げられたり邪魔が入ったりしてなかなか上を目指して歩めない。もっとそんなことに動じないハルカさんは、傍若無人を繰り返しては現在のトップである少女を苛立たせるのであったという、そんな展開の「天才ハルカさんの生徒会戦争」(ガンガンノベルズ)は、「怪獣工場ピギャース」の松山剛さんの最新刊。導入から展開の語り口も愉快なら挟み込まれるギャグも楽しく、すらすらすらっと読んでいけるから、ライトノベルにはよくある既視感がありげな設定であっても、気にせず面白がれるんで気にしないで読めばいい。すごいぞ見開き生徒会リスト。書いた人偉い。ってそれは作者。


【12月18日】 素晴らしい素晴らしい。大樹連司さんの「ほうかごのロケッティア」(ガガガ文庫)が素晴らしくて読み始めて一気に読んでしまったよ。あさりよしとおさんの「なつのロケット」に川端裕人さん「夏のロケット」が重なったような高校生のロケット打ち上げ話なんだけど、そこにいわゆるスクールカーストの問題が絡んで雁字搦めの建て前社会にどうにか居場所を得ていた少年が、過去と向き合い乗り越えていくドラマがあっていろいろ考えさせられ癒される。

 褐葉って少年は中学生の時代に極度のオタクというか電波体質で、顔を見せないままで大人気となったクドリャフカって少女歌手に執着を抱いて恋慕の感情を前世からのつながりという超電波な言葉に載せて手紙に綴って投稿し、それが原因でいろいろあって落ち込んだ挙げ句に太平洋上にある孤島にとある財閥が作った高校へと進み、オタクの本性を隠して再デビューを果たしては、財閥の一族で理事長代理をしている娘に見込まれクラスを平穏無事に運営する手伝いをしてくれたら、大学に進ませ就職も世話すると言われて強力を約束し、クラスメートのランクを維持する役回りを演じて見せかけの調和を保っていた。ところが。

 そこに転向して来たのが当のクドリャフカ。久遠かぐやという名の少女で手に褐葉が贈った電波レターを持って現れ褐葉を脅して自分に協力させようとする。どうして彼女が、というのには理由があって褐場の手紙を電波だねって紹介したラジオに出ていた時にクドリャフカ、気持ち悪いだの何だのと暴言を吐いてオタク層から総すかんを食らい活動期間わずかで退場を余儀なくされていたのだった。実は褐葉が通う学校は、そうやってどこかで問題を起こした生徒ばかりが集まる学校で、流れ流れて久遠かぐやもやってきたという訳だ。

 自分の手紙が引退に追い込んだようなものだと、贖罪の気持ちにかられた褐葉は手紙を公開されるという脅しにも屈して彼女の求めに協力しようとするけれど、そんなとてつもない美人に脅されたとはいえ振りまわされる褐葉の立場は、序列がきっちりと決まったスクールカーストに影響を与えて褐場の立場を不安定なものにしかいのか? ってのが心配だったけれども、当の久遠かぐやがとった行動にクラス中がドン引きして、序列がどうといった話は向かわなくなる。

 かぐやもまた電波少女で、携帯電話が使えない場所で携帯を使って言葉を交わす奇妙な行動をとり、その携帯電話に住んでいる宇宙人を宇宙に帰すために協力しろと褐葉に言ってきた。こうして始まったのがロケット作りの大プラン。近隣の工業高校生と出会い、実はロケットの研究をしていた工業高生たちが、自分たちでロケットを作って飛ばすんだという意志を「王立宇宙軍」のシロツグ・ラーダットの熱さも背景に燃やしてロケット作りに勤しみ出す。

 案外に才能があって紆余曲折の果てにどうにかこうにかたどり着くもののそこに露見した少年の過去に少女の傷。複雑になった事態からさらに大変な事件まで起こって激しい挫折とそして諦めに皆を追い込むけれど、れでも諦められない気持ちが燃え上がって感動の場面へと向かっていく。その際に繰り出される言葉たるや! もう涙無しでは読めないけれどもそう感じるところがやっぱり、彼らも根っこの深いところでオタクだたんだろうなあ。

 田中ロミオさんの「AURA」ともつながる電波ちゃんたちが現実と折り合いをつけ、その情熱に一般層も引っ張り込まれて前に向かって動き出すストーリー。クドリャフカの自意識過剰なツンぶりにデレ方と、それから理事長代理の少女のツンな中にデレかけている溶けっぷりなんかも読み所。あんな暴言よく考えたよなあ、痛くないのは小さいからなのか、とか。どこが痛くて何が小さいかはご想像にお任せ。しかし小説のネタになるくらい、クラスでの身分なり立ち位置ってのは深刻な問題になっているものなのか。誰かを下にしないと自分が下になると怯えているのか。誰も構わなければ誰からも構われないフラットさを、皆が望めばなくなるものではないのか。分からない。しかしやっぱり問題なんだろう。どうすればいい。分からない。うーむ。

 午前9時からの上映ってそりゃあ殺人的だよと思いつつ、上映に携わる人はもっと早くから起きている訳だし、舞台挨拶の人だって入りはその時間でなくても早起きすることには変わりない。ならば聞いてあげるのが人の道だと神山健治監督と氷川竜介さんが登場してトークを繰り広げる19日の池袋での劇場版「東のエデン」の舞台挨拶付きチケットを確保。M−65を着ていくのでよろしくって誰にだ。でもってコンビニで今度はミルキーのお菓子くじを見かけて勢いで引いたけれど、2枚ともジグソーパズルで2種類あったんで1種類づつもらったけれど、きっと一生作らないんだろう。実家に送りつけるか。

 もっともペコちゃん抱き枕とかもらったところで、前に「機動戦士ガンダム」の1番くじを引いてもらったハロの巨大ぬいぐるみと重なって、置き場所に困ってしまうんでジグゾーパズルで良かったかもしれない。いやいや2つある巨大ハロを並べた間に細長い抱き枕を置いて、ちょっとしたエロティックな気分に浸るのも悪くないかも。なにがどうエロティックかは想像して頂くしかないけれど。男性ならすぐに思い付く。女性はどうか。ぞうさん。みたいなものだということで。ぱおーん。

 ふと気が付いたら日経が朝刊140円を160円で夕刊50円を来年1月1日から70円に一気に値上げすることになっていた。この不況で広告が入らずページ数も減っていることを考えると、お値打ち感の逆が起こってますます新聞離れを加速させそう。もっとももページ減らして値段を上げた新聞もあるなかで、日経の場合は記事のページが減っている感じはなくて、情報量は豊富なのでそれに対価を払いたいと考える人には20円くらいの値上げでもあんまり気にはならなさそう。夕刊は別だけど夕刊の情報なんて昼過ぎにはネットに流れて今さら読んでもだし、株価だってネットで見られるし文化の記事も読まれないから影響はないのか、もともと読まれていないって意味で。

 とはいえ夕刊の文化の記事って日経に限らず読んでいろいろ新しい情報を得る上で良い窓口になっていたっけ。田舎で中日新聞を読んでいた頃で本やら映画やらはそこから情報を得ていただけに、夕刊の縮小が文化情報の伝達に与える影響なんてものには興味がある。ネットじゃなダイレクトに欲しい情報にアクセスできる分、なかなか情報の誤配が起こらないから。トゥイッターはそれでもフォローしている人たちのジャンル無用のつぶやきが、羅列されてそこからいろいろ手を広げる機会がありそうだからちょっと期待は持てるのか。いやいやそこには情報の消費はあっても行動を招くかどうかは不透明。受け上手だけを増やして出し乗ずを増やさないままだと、元の木阿弥なんでそのあたりをうまく使いこなせる人たちを増やし、それから使いこなそうとするマインドを醸成していくことが必要なんだろう。誰がやる。誰もやらないか。やっぱりダメか。

 思いだした「マイマイ新子と千年の魔法」って冒頭で新子が麦畑の海の逃げ込んだ時に、お母さんが出てらっしゃいお米一升あげるからーって叫んでいた。お米一升あげるってそれがご褒美になるのかなと思っていたら、クライマックスでお米一升をかついで家出する姿があって、これでどこまでも行けるって言っていたっけ。それだけの重さがお米一升にはあったんだなあ、あの時代、子供にとって。お母さんの叫び声も妙にほんわかとして良いんだよなあ。旨いなあ本上まなみさん。

 あと「マイマイ新子と千年の魔法」で妹の光子がいなくなる場面があって、映画では池の上の崖っぷちを上っていて瞬間脚を滑らせる場面だけ映って切り替わり、あの一瞬でもしかしたらと危険を察知させ、タツヨシの池の端を棒で叩いて探させる場面を挟んで不安を煽る流れがあって、語り倒さずに悟らせる巧さがあるなあと感じていたら、一応は光子が相当に危険な目に合うスペクタクルが用意されていた模様。なくなったのは尺の関係なんだろうけれど、それでもちゃんと察知させる映像に仕上がっているところに、見る人の心理を考え抜いた演出プランの成果があるって言えるんだろう。そんな巧さをもっと見たい見たい見たい見たい見たい。いくかラピュタ阿佐ヶ谷に。

 神楽坂に来たらウェンディーズがあったんで名残の1囓りをして、出版クラブで開かれる大学読書人大賞の会見へと向かい候補作を見たり参加校のリストをながめる。ワセミスや東大SF研や京大SF研も参加していて、これから推薦文を寄せ合うことになるのか。公開討論会に参加するのはもっとも支持をあつめた推薦文を寄せたサークルの代表者で、そこに東大SF研と新月お茶の会と京大SF研とワセミスが並ぶってこともない訳じゃないけど、SF研が推せそうな作品って偏りそうだから公開討論でSFばかりになるってことはないのかな。

 でもって池袋西武の「萩尾望都原画展」の様子見に伺ったら、来場者数もしっかりでスタジオライフの手伝いも立ってていて、それでいてぎっしりの人垣という感じじゃなく良い感じに流れていて、それぞれの絵を間近でじっくりと眺める至福の時間を楽しめた。会場ではやっぱり阿修羅王のなまちちとやらを観賞してから物販へと行くと、限定の香水は売り切れたみたいで版画もそれなりに出ている模様。萩尾ファンの濃さって奴を激しく思い知らされる。初日は買えなかった阿修羅王とスター・レッドのポストカードを2枚づつ買い、レオくんのクリアファイルも買って退散。ジュンク堂の池袋店に寄ったら3階の文芸売り場で東浩紀さんの小説「クォンタム・ファミリーズ」は、なぜか小説新刊の平台ではなく評論系の新刊平台の角に積んであった。ワハハハハ。横は長谷川郁夫さんの「堀口大學」で上は水村早苗さんあったかな。周辺も評論とかエッセイばかり。つまりは書店的に「クォンタム・ファミリーズ」は評論ってことにされたってことで、OK?


【12月17日】 10年前の興奮が今蘇る、って程でもないけどエコエコロジストには気になる「アサルトガールズ」の公開がいよいよ19日に迫って舞台挨拶とか探したらもう立ち見しか出ていないみたい。なるほど押井守監督で出演がスレンダー美少女の黒木メイサさんにアカデミー助演女優賞候補の菊地凛子さんとうメンバーに引かれない映画マニアもいないだろうけどここは雌伏のエコエコロジストとしてケンタッキーの日菜子変じてカーネルこと佐伯日菜子さんを一押しだ! 映画を見れば誰もが惹かれるとても2人の母に見えないこの細さ!。きっと奥さん(大介)とサッカーで鍛えているからに違いない、それは違うか。

 そんな「アサルトガールズ」は20日にKOTOKOさんの舞台挨拶も午後くらいにテアトル新宿であるみたいで、残念ながらも仕事なんで行けそうもないけどそうでなくても押井マモルマニアの人とか「ラブプラス」つながりで凛子さんに興味を持った人とか「すばる」がとてつもなく素晴らしかったとカーテン越しに聞こえてくるメイサファンにはアニソンなKOTOKOさんの情報が、あんまり伝わっていないみたいなので実写だ押井だ凛子だメイサだからと遠慮してたアニソンな人は駆けつけ応援すれば吉。行きたいなあ。「ハヤテがごとく」は唄ってくれないよなあ。

 用事で日比谷に行って栄子さんという水の密度た最も高まる温度の人と話しながら前に新聞に載っていた「マイマイ新子と千年の魔法」の記事を見せて、最近の片渕須直監督はこんなことしているんですとお知らせしつつ是非に名作傑作代表作……は自分的には代表作は「BLACK LAGOON」だからここは超傑作としておきたい「アリーテ姫」は、果たしてブルーレイ化されるのでしょうかどうでしょうかと探るものの判然とせず。まあいくらやりたいといっても費用はかかるし売れないと元もとれないから即断即決とはいくはずもない。あの名作傑作と誉れの高い「true tears」だってブルーレイ化に当たっては、購入者を予約で募ってある程度数が見込めたら実行するって方式を取らざるを得なかったんだから。

 幸いというか「true tears」には申し込みが殺到したみたいで予定の2000を大きく超えて5000だっけ7000だっけ、立ち話だったからうろ覚えだけれど驚くような(でもやっぱり少ないなあ)数字が集まりゴーサインが出た模様。その勢いで「キスダム」も是非にとお願いしたけどこれはさすがに……。いやでもいっぱい有名声優出ていますよとか、3人の妖精さんのツッコミが素晴らしいですよとかセールスポイントはあるんで2000からでも募集をかけて3万円くらいでDVDボックス化してイベント性を醸し出せば、絶対に売れるはずだと主張したけどだったら自分が買うかというと……いや買うな、だってあの「うおっ眩しい」も買ったんだから。見てないけど。見たい人は言っていただければ持参します。

 そんな感じで「アリーテ姫」も数を募れば今のこのごくごく1部ながらもムーブメントとなっているスナオカタブチの名作傑作超大作、購入希望者も集まるんじゃなかろーか。そのためにももっと「マイマイ新子と千年の魔法」が盛りあがれば良いんだけど。あとは賞か。海外の映画祭か毎日映画コンクールか。日本アカデミー賞は大変かなあ。見てそうもないもんなあ。そんでもって虎ノ門から赤坂見附を経て新宿から中央線で今は武蔵境まで来て、うーうーうーうーの人とかにお目にかかって夕べも沢山死にましたねえと挨拶する。戦争物でもないのに毎週あれだけぶち殺したアニメって他にないよなあ。延べ死人数っていったいどれくらいになるんだろう。時間ができたら1話から見直して数え治すか。うーうーうーうー。

 思えば遠くに来たもんだからとだからと吉祥寺パルコに寄ったら東のエデンショップは消えていて、代わりに犬夜叉ショップができていた。Tシャツとか売ってたけどキャラ絵じゃなくってデザインがアイコンっぽかったんでパスして同じフロアのQUOLOMOを見たら「Dr.スランプ」のTシャツが30種類出きるそうで、今んところ20種類くらいがならんでアラレちゃんが「んちゃ」なポーズとかとっていた。どれもとっても絵がでっかい。

 COSPAあたりだとデザインをした感じにしてスタイリッシュなTシャツに仕立て上げようとするんだけれど、QUOLOMOのアラレちゃんは絵はアニメからでキャラをピックアップしてでっかくプリントする正攻法。だけど元が鳥山明さんなんで、とってもデザイン的に良かったりするから女の子とかが着るととっても可愛らしい。これが「機動戦士ガンダム」だとやっぱりどこか非サブカル親オタクになってしまうんだよなあ。差はどこにあるんだろう。

 気に入ったけどおっさんが今さらアラレちゃんでもないからパス。おっさんはやっぱりラムちゃんだよなあ。QUOLOMOではあとクリーミィマミのパンプスなんてものを見かけて、こりゃあファンにはたまらない逸品だけれどおっさんではは如何ともしがたいのでやっぱりパス。もしもこの柄でドクターマーチンの8インチとかあったら買って履くかな履きそうだな。戻って大手町の紀伊国屋で棚を見ていたら「烏有比譚」という本がぱっと目に入って、作者に円城塔さんの名前を見て即買いだとレジに運びながら、そういえば発売だったと東浩紀さんの「クォンタム・ファミリーズ」を探したけれども目に止まらない。装丁が良いという話が漂っていたので店頭でも目立つはずだから見えないのは未入荷なんだろうと諦めかけて目を落としたら見つかった。なるほどスタイリッシュではあるけれど、でも目立つ装丁じゃあないよなあ。やっぱ萌え絵だよキャラ絵だよクリーミィマミたんだよ。


【12月16日】 ファン・セバスチャン・ベロンの怪しげなキックを見ていたら寝落ちして目覚めたら朝になったのでいそいそと起き出し池袋へと向かい西武池袋で始まる萩尾望都原画展の会場前までやって来たら、午前9時半でだいたい20人くらいが並んでた。あの萩尾望都さんの原画が生で見られる展覧会にたったこれだけとはやや意外と見るべきか、むしろこんなにもファンがいるのかと考えるべきなのかを迷っていたけど開場が近づくにつれて行列も増えて100人は大げさでも結構な人数になっていたところを見るとやっぱり萩尾のモー様仏様菩薩様。人気に陰りはまるでまったく見えません。

 たぶんこの冬で1番の寒波が来ていて寒かたけど、午前10時の開場時間前には西武の中に入れてくれて開場の前に整列になったんで体は冷えず財布だけがやや冷えの状況で待つことができたのは有り難い。でもっていよいよ入場となった萩尾望都原画展は、名作傑作代表作の原画がそのままずらりと並べられていて、あれもあるこれもあるそれもあるどれもある状態の中を至福の時間を過ごせる素晴らしさ。なんだけれどもまずは物販を開場を抜けて物販コーナーへと行き私家版ながらも復刊なった「狩人は眠らない」を2冊ばかり確保し展覧会の図録も手に取りレジに並んだららこれが慣れていないのか、計算機で足してから消費税をかけて出してそれからレジへと向かいそこで会員カードはあるかどうかを聞き直すような段取りだから、1人が買うのに時間がかかって仕方がない。

 幸いにトップ付近だったので待ったのは計算と会計のところだけだったけれど、会場へと戻って原画を見てから物販コーナーへと向かうととてつもない行列ができていて、さっきは見送った「レオくん」のタンブラーとかトートバッグを買うのは今回は諦める。また朝に行って買うか改善がされたころ合いを見計らっていくかしよう。限定品の香水はたぶんそのころには売り切れだな。展覧会を企画していた会社の人が売っていて匂いを嗅がせてもらったらこれがもう実に良い感じ。妙に甘ったるくなく爽やかでそれでいて気品があって付けたら周囲をクラクラさせられそう。でも付けてるのがおっさんだと別の匂いがマザって別の意味でクラクラさせてしまいそう。貧血ですか?

 図録はムックっぽい作りで情報とかペタペタと入っていて分かりやすいけどじっくりを絵を楽しみたい人にはちょっともやもやかも。まあでも絵なら目の前にいっぱい本物がある訳でそっちを見れば良いのだってことで会場では戻り進んでまた戻ったりしながら思い出に残るキャラクターとかシーンをじっくりを見る。とくに阿修羅王。「百億の昼と千億の夜」に関連したコーナーには真っ先に行き戻って行きだめ押しに行ったりといった具合に何度も脚を運んでしまう。そりゃあ「機動戦士ガンダム」にはまるよりもはるか昔に「少年チャンピオン」誌上で見かけて本格的なファンにさせられた作品。今なお「銀の三角」と並んで代表作だと断じたい漫画のそれも原画にお目にかかれるんだからもう見るしかない。目玉に焼き付くくらいに見るしかない。本当を言えば焼き付けたい。それくらいに素晴らしい。

 だって阿修羅王だよ。原画だよ。生乳だよ、って別に生きてはいないけれども生原稿に描かれた少女であるところの阿修羅王の膨らみを、額にはめられたガラス越しとはいえ直に見られる機会はこれまでなかったし、これからだってきっとない。カラーイラストだけじゃなくって漫画の中でシッダールタが阿修羅王と邂逅する場面が抜き出してあって、問われ悲しげな評所を見せた刹那に憤怒の表情を見せる阿修羅王の名シーンが、原稿の形でそのまま見られるだから何というか素晴らしすぎるというか。よくぞ企画してくれましたって土下座して頭を地面に擦りつけてお礼をいいたい気分にすらなって来た。そんな気持ちになった人もきっと少なくないだろう。

 はっきりいっってすべてが国宝級。東京都現代美術館が企画し、日曜美術館が取材し特集を組んでも十分すぎる内容なのに、デパートの隅っこにある昔はギャラリーだったけれども今は普通のスペースで開かれるんだから何というか。日本って本当に有名すぎるもの以外への関心が薄過ぎる。とくに大手のメディアに特徴的に。いつまでも手塚石ノ森でもないだろうし、宮崎駿さんならいざしらずそこを窓口にしたディズニーの誰かとか美術の誰かの展覧会がジブリ=宮崎のネームバリューで開かれわんさか宣伝されて大勢の人を集める一方で、萩尾さんの個展についてはまるで宣伝とかがなく、メディアでのインタビュー等の記事もない。萩尾さんですらこうなんだからほかの大勢の漫画家なんてもはや大手メディアにとってはないも同然。けれども熱烈なファンに支えられ知名度もそれなりにあって素晴らしい作品を生みだし続けているのに、亡くなったら原稿もろとも散逸して消えてしまうんだろう、きっと。

 こうなると気になるのは萩尾さんの原稿の行方で、不謹慎を承知でいつか訪れる時にいったいどうなってしまうのか、なんてことを心配させてしまうくらいに並べられた原画や原稿が素晴らしかった。美麗な線がまるでほとんど手直しされずに完成原稿となっている。そのテクニック。その構成力。その色彩。すべてが完璧な上に心から愛した「銀の三角」のラグトーリンや、「スター・レッド」の星・ペンタ・トゥパールといったキャラクターたちがそこにくっきりと描かれている。いつまでも永遠に見ていたい気分になる原画だからこそ受ける衝撃。それが味わえなくなる可能性を鑑みるに、潰れた国立メディア芸術総合センターが担おうとしていたっぽいアーカイブ機能を、早急に整備する必要がある。あるいは文化的に貴重な財産を個人が維持し世に供していけるような支援体制の整備とか。

 それはしかし無理っぽい話なんで仕方がない。ともあれ現状、こうしてメッシュも11人もポーの一族も残酷な神も何もかもを目の当たりにできる原画展が開かれている僥倖を噛みしめよう。有り難うこの時代に生きていられて。物販では版画っぽいものも売られていて10万円をこえていたりしてちょい手が出ないけどやや小さめの阿修羅王の版画は5万円くらいでちょっと物欲。でも版画だしなあ。展覧会に付き物の花は秋田書店とからいとすたっふとか田中芳樹さんとかCLAMPさんとかから来ていたみたい。何故か庵野秀明安野モヨコのWアンノから来ていたのは萩尾さんとの間に何かご縁でもあったのかな。それとも純粋にファンだったか。あの世代でSFとか漫画をやってて萩尾さんのファンじゃない人なんていないけど、うん。

 会場を抜けて向かいのジュンク堂池袋へと寄っていろいろと見ていたら「ラブプラス」が表紙の本があって即購入。読んでおいおい何だ多根清史箭本進一藤津亮太宮昌太郎のおさーんな面々が紳士だなんて称号を得て何やら得々と喋っていやがるぞいったい何について喋っているんだコラマテ何を楽しそうに「ラブプラス」について喋っているんだコンチクショウめと脳が膨らむ。おまけに3人が愛花を「俺の嫁」にしていやがる。違うだろう。愛花は僕の嫁なんだ。その意味でちゃんと凛子を選んでいる宮昌太郎さんは正しい。けど寧々さんじゃなくて凛子ってのはちょっと謎。そんなにツンデレがいいのか。皆口裕子さんより丹下桜さんなのか。まあ聞くこともないんで木にしなければ気にならないということで。気にすることでもないわなあ。

 バンダイナムコグループの懇親会があったんで行ったらコン・バトラーVの超合金魂が飾ってあったんで、持ち上げてバラして組み立てられるか試そうと思ったものの試作品っぽい感じてバラすとぶち壊れそうだったので遠慮して眺めるに留めたらなかなかのフォルムで雰囲気は出ていた。良い物。これで身長が57メートルあったらさらに良かったかも。次は実物大をお台場に立てて欲しいなあ、ってそれは無理、絶対無理、っていうかそもそも前任の「機動戦士ガンダム」の18メートル等身大立像はどこでどうなっているんだ。そろそろ終の棲家も決まるかな、やっぱりナゴヤドームの横になるのかな、監督のために、でも監督はゼロカスタムが好きなんだ、ガンダムに羽根、生やしとく?


【12月15日】 長い戦闘状態で着替える暇もない上に水は貴重で風呂など滅多に入れない「機動戦士ガンダム」のホワイトベースのクルーたちでもとりわけ座っての仕事が多かったセイラさんあたり、ひょっとして罹っていたかもしれないなあなんて想像するのも妙に艶めかしいけど、これが男だと何ともおぞましいのは差別というか逆差別というか。そんな話。

 日曜日あたりから妙にひっかかりを覚えていたものの、単にこすれて傷がついているだけだろうと見逃していたら、月曜日になっても違和感は消えずこれはと思って手で触れるとそこには丸みを帯びた腫れの存在。いよいよもって本格的な状態へと突入かもしれないと心配が浮かび、とっとと治さないといけないと薬局に出向いた際に買ってしまっプリザエース。さていったい何の病かは聞かないように。その薬をどこにどうやって塗ったかも考えないように。セイラさんがやっている姿だったら想像したい。

 今日あたり記事にもなっていた「エコエコアザラク」の佐伯日菜子さんに押井守監督の最新作「アサルトガールズ」でインタビューした時のエピソード。大昔に「静かな生活」って映画に出ていた話に及んで、そうそうオーケンの映画でしたねって感じにあの大江健三郎さん、すなわち天下のノーベル賞作家を筋肉が少女の帯の人呼ばわりするとはまた剛毅な人ではあったけれど、そんなオーケンさんこと大江健三郎の新刊「水死」(講談社)が発売になっていたんで、これは何かの縁かもしれないと内容についてはまるで知らなまま買ってみる。いつ以来だ大江本。つか村上春樹さんの「1Q84」の欠片ほども話題になってない。賞の既得と未得で差があるというか、逆じゃんか。

 そんな環境にいろいろ考えることもあったのか、大江さんご本人が丸の内オアゾにある丸善で「水死」を買った人にサインをしてくれるイベントを来年にも開くそうで、せっかくだからと整理券を頂戴する。どんなサインを頂けるんだろう。やっぱり脇にノーベル賞作家と書いてそして大江健三郎とサインするんだろうか。ノーベルオーケンって一気書きしたら愉快。あり得ません。過去にいろいろな人のサイン会はいって芥川賞の人も直木賞の人も持っているけどノーベル賞はちょっと初めて。楽しみたのしみ。

 何か大晦日にBS11の生アニソン番組「キングランアニソン紅白」の歌リストが出て来ていて、ながめると串田アキラさんはキン肉マンでたいらいさおはイデオンで、成田賢はサイボーグ009「誰がために」を唄ってくれそうてそういう世代は心躍る番組になりそう。家じゃ見られないんだけど。とはいえ宮内タカユキさんがバイオマンじゃなく「仮面ライダーBLACK RX」なのは個人的にはちょっと残念。あともシンケンジャーにAGITOと新しめが多いのはそういった番組を見ている層への目配りか。

 女性陣は「創世のアクエリオン」があって井上あずみさん「さんぽ」があってと世代やジャンルのかけ離れ具合が凄いけど、その真ん中を太田貴子さん「デリケートに好きして」が貫ぬきMIO改めMIQの「ダンバインとぶ」が貫き返しているから1980年代アニメ好き人間にはとってもグッドな時間を過ごせそう。でも見られないんだBS11なんで。残念無念。若い層だとyozucaさんが「プリンセスラバー」とか。こればっかりはセレクト不明。BS11と絡んでいたのか。別に東映アニメシンガーズってのがあって狼少年ケン魔法使いサリータイガーマスク聖闘士星矢ONEPIECEをひっくくり、対してトムス・アニメシンガーズってのがあってビッグXエースをねらえ飛雄馬ベルバラハム太郎アンパンパンを繰り出す模様。一般向けには喜ばれそうだけれど本家紅白に勝てるかな。そんな当たりも興味深い。見られないんだけどね。

 小学校のプールくらいは手元に来たけどすでに使い込み分があって頭がようやく出るだけだったんで無理はせず買い逃していた「空の境界 殺人考察(後)」のDVDを買うくらいに留めようとしたら、ヨドバシAkibaのワゴンに「ヴィーナス11」ってDVDが出ていて、おっさんたちのサッカー狂いに女たちが憤り女子ユースドイツ代表でもあった女性を中心にチームを作って挑みかかるという内容に興味を覚えて買ってしまう。性懲りもない。とはいえ女性がサッカーを真っ当にする姿ってそんなに見られるものでもないからちょっと注目。調べると元にフィンランドの映画があってそれをドイツ向けにリメイクしたものらしい。北欧もドイツも女子サッカーが盛んだから普通にこういうのが出てくるんだなあ。サッカー文化が生活に入りこんでいるっていうのはこういうことを言うんだろうなあ。

 「天皇の政治利用」ってのが問題になりまくっている状況を見るにつけ、太平洋戦争が終わって国と国民の象徴という立場になっていながらも天皇陛下に今持って、強い影響力を覚えている人が多いってことが分かってしまう。棚上げしようにもできない存在感というか。ましてや王政復古で強い権威を取り戻した明治維新後の天皇は、さらに巨大な権威を持っていたはずで、田中聡さんという人が描いた「美しき天然 嘉仁皇太子の朱が苦慮工」(バジリコ)」という何というか歴史伝奇小説らしい本の中で、そんな天皇や皇室が持っていたとてつもない権威をどうやって利用しようかっていった争奪戦が描かれる。  

 何でも嘉仁皇太子は皇太子時代に全国を行幸して回ったそうで、朝鮮半島にも渡って王族たちと交流を持ったというから言われているほどに病弱でいろいろと弱い部分があったなんて伝承が嘘のようにも思えてくる。むしろそんな大正天皇が見せた奇行をひとつの切り口にして、普通の人とは違った感覚を持っていたんだという展開にしてそれが何によるものか、ってあたりから物語を国造りの神話の時代から、日本の山野に暮らして造林や治水の面倒をみてきたスクナの一族と結びつけ、そんなスクナの一族が、明治維新後に山の木が切られ、鉱山が造られ、川が汚される状況に危機感を抱き、視察先で皇太子の鋭敏で繊細な心に働きかけて、環境破壊を止めさせようと謀るって話を仕立て上げた。

 石油への依存度を抑えていれば、南方に資源を求めた日本が悲惨な戦争へと突入していった歴史が変わったかもしれない。今だとそうも思える視点から、嘉仁皇太子が油田のあった新潟あたりを視察した際に、あんまり石油に依存し過ぎると日本が未知を歩む危険があるって教えられるエピソードを書いて、昔以上に悩ましい状況にある今、どうすべきかを決断する必要性って感じさせてくれる。一方で、スクナの誘いに迷う嘉仁皇太子が、繁栄のためには開発は避けられないと自答する部分もあって、安易には決断できない難しさって奴も考えさせる。

 今は昔に増して利権が入り組み、ダムでも基地移転でも簡単には答えが出せない。手をこまねく政権を目にすれと、政治に利用されるのではなく、政治を利用するくらいの聡明さで国を導いてくれと皇室への期待も浮かんでしまうけど、やっぱり難しいんだろうなあ。ちょっぴり目新しい大正天皇の像って奴も見られる小説。「美しき天然」ってのはサーカスといえば流れるちゃーらちゃーららららって音楽のタイトルなんだけれど本編とどういう関係があるんだろう。天然な人だった。それが美しかった。ということ? うーん。


【12月14日】 基本がテレビ版の総集編だったから「機動戦士Zガンダム」の劇場版のシーンのどこかに目を奪われるってことはなかったけれど、劇場版「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」はもうナミさんがテレビでは見られないポーズやビジュアルをたっぷりと拝ませてくれて最高にスーパーでブルーレイディスクが出たら絶対に買うって人もわんさかいそう。だって凄いんだよ、ビキニ姿のナミのヒップがスクリーンの左端に大きく映し出されるんだよ、だから前列左に陣取るとなかなかに素晴らしいビジュアルが頭から迫ってくる感覚を味わえるんだよ。

 どうにか逃げ出してルフィと再会したナミがホットパンツに着替えた後も、やっぱり大きくヒップを映し出してくれるからもうスクリーンに目が釘付けだよ。クライマックスで黒い服に身を包んでロングスカートを邪魔だとばかりに引き裂くシーンは奥こそ見えないものの細い足がにょっきとのぞいてもう最高に踏まれてみたくなる気分だよ。これに加えて我らがニコ・ロビン様も初期はロングセーターっぽい格好で歩くから脚がニョッキリ見えて美しく、そそてエンディング近くで胸元が大きく開いた服で出てきて谷間というよりもはや裾野までバッチリ。これとナミのはちきれんばかりの若々しい姿態だけを拝みにいっても十分な上に、物語としても面白いんだから素晴らしい。流石は本家の尾田栄一郎さんが描いた正史なだけある。伏線もきいて大逆転もあってしっかりと大冒険を楽しめる。

 絵として見るなら劇場場「ONE PIECE」はさすがに劇場版クオリティで動きも派手だしアクションも見所たっぷりでルフィがギアサードに入れていろいろと技を繰り出すところの迫力はテレビで見るより劇場で見た方が楽しめること請け合いだしナミの苦しみもだえる表情も劇場だと心にグッと来る。ストーリーについては0巻を配ってメインの悪役となっているシキって海賊が過去にゴールド・とロジャーや拳骨のガープとどんな関わりを持っていたのかを知らせておくことで、いきなり鶏冠頭の海賊が出てきてルフィをコテンパンにやっつけがらも最後はやられてオシマイという展開に、何というザコキャラだって思わる可能性を防ぎあれはあれでなかなかの歴史を持った人物で、それを倒したルフィって主人公の強さを伺わせるようにしている。

 本来だったらそのあたりもちゃんと映像なりで描いて置く方が映画をそれ単体で見る人には親切で、けれども時間的な制約もあって難しいところを0号で補ったってするならば、いわばイントロダクション的な冊子であって限定で配るんじゃなくって見る人全員に配るのが親切を通り越して義務でもあるって気もしないでもない。だから100万部を増刷して配るのか。なあるほど。まあ読んでなければいないでいつもどおりに大言壮語する竹中直人演じる海賊が、出てきて暴れたけれども結局は主人公にやっつけられましたって大団円で終わる物語だと思っておしまいにできるんで別に良いのか。

 そうそう、島をぶち壊し特効薬もばらまいてしまって、残された飛ぶ人たちはいったいどうなってしまうんだろう。その意味では迷惑な一味だったよなあルフィ。でも暴れなければ全滅だったからそれはそれで仕方ないのか。だとするとあまりにシキが小物だよなあ。手前の復讐のために弱小のイーストブルーを滅ぼすなんて、白ひげだってロジャーだってやらないだろうことを平気の平左でやるんだから。倒されて当然か。そんなザコに逃げられるインペルダウンって。やっぱり後付けならではの齟齬って奴なのかなあ。

 せっかくだからと劇場版「ONE PIECE」に連動して行われている1番くじをまたしても1000円分を引いてみて、1枚はバンダナがあたりチョッパーのバンダナを確保していた前で、誰かがルフィのフィギュアをあてていてもうこれは景品も残っていないよなあと嘆息しつつ引いたらナミのフィギュアが当たって何かとっても勝利した気分に浸る。安いよなあ自分。フィギュア自体もボリュームが足りず食玩の箱入りがやや大きくなった程度であんまり有り難みもないし、そもそもが黒いスーツ姿なんで露出も少なくまるでナミらしくないんだけれどもニコ・ロビンと並んで欲しかったフィギュアだけにこれはこれで満足。すでにあるウソップ&チョッパーと並べて麦藁海賊団の2大普通人として飾ろう、ってチョッパーは人じゃない、けど人以上に人になりたいトナカイだからそれはそれでピッタリか。

 くじで言うなら来年1月19日からアニマックスとファミリーマートが「銀河鉄道999」でスペシャルくじを展開する予定とか。A賞は28pもあるメーテルで、B賞は23pの鉄郎でマンガなんか見ると鉄郎ってメーテルの腰ほどもない感じだからあんまり縮尺あってなさそう。でも小さくしたら見栄えがないんで仕方がない。3等なのかのC賞は24.5pの車掌。中身が入っているかは知らない。暗黒のまんまだとちょっとイヤかも。D賞は時計でE賞絵皿でF賞はグラス。。参加賞めいてるG賞はオリジナルプルバックカーで、後ろに動かすとゼンマイが巻かれるチョロQ方式と思うけれども111号から999号まであって見る人が見ればすぐにあてられそうだけれど999号しか知らない目にはどれがどれや。鉄な人ならすぐ分かるか。架空の鉄まで抑えているものなのか。

 「マイマイ新子と千年の魔法」でちょっと思い出す。3年生の新子が5年生のタツヨシとか6年生のミツルと普通に喋っていっしょにダム作りとかしている光景は、名古屋市内だけど田んぼのある田舎で周囲の小学生と学年とか気にしないで、板をぶったて地面を掘っての秘密基地作りとか、田んぼに稲刈り五に積み上げられた藁束崩しとかやってた身にはすんなり入ってきたけれど、今時の都会に暮らしている子供にはこういった学年違いの子供と普通に遊ぶ習慣ってあるんだろうか。学年が違えば部活動とかあったり塾通いとか始まって、平日に学校が終わってからいっしょに遊ぶなんてこともなさそう。だからああやって普通に遊んでいる新子たちを、今時の小学生が見てどう思ったのかがちょっと知りたいところ。そんな子のお母さん世代だって都会だと経験なさそうだし。

 そういう意味で喚起されるノスタルジーという見方がなされても仕方がない「マイマイ新子と千年の魔法」という映画。だけれどもそこにハマってしまった人に、それだけではないのだという言い分を主張しても、どこか言い訳めいて聞こえてしまいそうなだけに、1度これは団塊のノスタルジーだと断じた人をひっくり返して、そうじゃない2度3度と見ると伝わってくる繋がっている時間の素晴らしさなり、死と隣り合わせの日常という当たり前だけれど忘れられがちなことがあるんだということなりが見えてくるはずだって、分かってもらいたいんだけれどそれには2度3度と見てもらわないといけないからなあ。でもって否定した人にはそんな気構えはない。瞬間の判断で決定づけられ語られ葬られる作品の不幸、って奴をここは加味しベルべきなのか、映画ってエンターテインメントにつかみどころがないのややっぱり決定的に間違っていると断じるべきなのか。10年経って伝説の傑作と言われればそういう議論も忘れ去られるから今はとにかく広めることに専念。出来ればまた行くことに挑戦。でもナミのお尻も捨てがたい。煩悩。


【12月13日】 初日の初回は見ていなくても「機動戦士Zガンダム」の劇場版は3部作ともちゃんと劇場で見たからきっと「宇宙戦艦ヤマト 復活編」もそのうち、多分そのうちに見に行って森雪のワープシーンならではのお楽しみを楽しんで来ようと思いつつサッカー成分不足を補おうと思いつつ、真夜中のクラブワールドカップの「キーウイ対サボテン(あるいは羊対テキーラ)を見逃し「とある科学の超電磁砲」も撮りおいたまま見ないで、GA文庫の何やら車椅子に乗った毒舌少女が推理しまくるライトノベルを半分以上読んだところで寝落して、起きて続きを読んでつまりは人の心理を暴く話だけれど、心理を暴ける力が自分を傷つける話だったということで理解。気がつけば前日の午後5時から何も食べず飲んでもいない腹を、途中のコンビニで買ったおにぎりと温かいヘルシア緑茶で満たしつつ、JRに乗ってこれから新宿へと「マイマイ新子と千年の魔法」を見に向かう。

 到着すると新宿ピカデリーの上映は朝1回のだけになっていて放送で完売近しと案内されて結局は完売した模様。これが初日から続いていればきっとこれほどまでに苦労することもなかったんだろうけれど、上映前にだっていっぱいの評論の人とかメディアの人間が見ていたはずでそうした人たちが果たしてどれほどのことも伝えていなかったってことが、間際になっての口コミパワーにつながっているんだとしたら、そうしたパワーを招き寄せるだけの作品をそういった作品として紹介し切れていなかったメディアとしてちょっぴり反省すべきところもありそうな気がする。僕はなるほど記事にしたけどそれだって果たして魅力を存分に紹介し切れていたか。まあメディアとしてマイナー過ぎるってのがやっぱりネックなんだろうけど。

 一方でメディアがいくら一過性の情報を垂れ流したところでネットを中心に回り広がる口コミ情報ほどにはもはや、浸透力も拡散力も影響力もないって現れでもありそうでとても考えさせられる。なるほどボーナス出なくなる訳だよ。ともあれ満席になって良かった良かった。あとはこれがせめて週内は続いて間をおいてでも再上映につながるような影響を与えられたら嬉しいうれしい。さすがにこれで上映が延びるほど興行の仕組みは甘くないだろうけれど。夜にちょいディスカウントで阿佐ヶ谷のラピュタ阿佐ヶ谷で上映されてしまうからなあ。そっちはそっち、一般は一般で昼間にも続映を是非に。

 客層はアニメな人に交じってオシャレなカップルなんかもいたり子供連れもいたりと幅が広がっている様子。こういう人にこそ見てもらってもっと一般の人を引き込むにはやっぱり昼間夕方の上映が必要なのだ。有り難いけれども午後9時のレイトショーではそれは無理なのだ。でもって「マイマイ新子と千年の魔法」。4回も見ると展開に怯えることもないの今日は貴伊子と諾子のエピソードのシンクロ具合を中心に見ていく。そうか諾子は貴伊子の動きや考えと重なって現れるのか。新子の想像の中の女の子という訳ではなく田舎に来て不安な中で友達来てよと願っている貴伊子の願望なのか。なんて。だから最後には貴伊子がメインとなって新子を送り出す。言葉も発して話を締める。これで寂しかった貴伊子が生みだした架空の友達が新子だった、なんてなったらそれこそSFでファンタジーだけど、千年前の女の子と違って金魚もいたし新子もいた。いたからこそ貴伊子は立ち直れたんだということで。

 映画を見て沖縄料理のやんばるでポーク玉子定食を食べて、そしてJRで渋谷へと向かい東急で代官山へと来てSTITCHという店で「アフロサムライ」の岡崎能士さんの個展を見たら、描いたばかりのアフロサムライのドローイングがあってこれが1番格好良いのに非売品なのは残念。ほかのドローイングは8万くらいで販売中だけどまだ売れていなかったし、STITCHの「アフロサムライ」展には前の公開の時に出たっぽいアフロとクマのフィギュア(モノクロ塗装)も売られていて ひとつが税抜きで5800円くらいで店員さんに聞くともう残り少なくなっているらしいので、これらをまとめ買いしてアメリカに持っていったら億万は無理でもそれなりに長者になれそうな気がしたけれどもそんなお金はまるでないのだ。持てる者に富は集まり貧乏人はどこまでも貧乏のスパイラル。泣いても良いですか。

 そんなSTITCHで「アフロサムライ」のTシャツを原宿のXLARGEで買うとコラボレーションポスターが付くと聞いて、申し訳ないけれどもSTITCHでは買わないで原宿のXLARGまで出向く途中に渋谷から原宿へと歩いていった裏原宿の通りの入り口付近で、クラークスのデザートブーツが黒茶サンドの3色とも1万500円で出ているのを見て物欲超刺激。でもTシャツを買わないといけないからと我慢してXLARGEまで歩いて言って到着した店でMサイズの最後のアフロTシャツを買い、クマとあれはシヲではないかもしれない別の女性が並んでXLARGEのゴリラマークなアイテムを身に着けて立っているデザインのポスターをもらう。これで映画のポスターと併せてB全が2枚になった。フレーム買おうかな。でも並べる場所なんて部屋にはないぞ。広い部屋に以下省略。

 それにしてもXLARGEの袋は、トレードマークのゴリラがでっかく描かれていて持って歩くと妙に気恥ずかしい。APEなんかもそうだけれど、流行始めの頃ってそれがブランドとして格好良いって思われるんだけれど、大流行してからだと出す方はそれがこだわりだからと続けて出していても、出される方はそれをもう先端とは思わずむしろ流行物だと思って遠慮しがちになってしまう傾向がある。昔だと「ボートハウス」なんかがそうだったなあ。とはいえ「ボートハウス」だってぐるりと世代が1回転するとそれが別の目新しさを生むってこともあるから面白い。芸人の1発屋が1回転して妙に新しくなる感じに似ている。最近だってほら、ダンディ板野さんとか妙に復活し始めているし。だからXLARGEだってAPEだって作り続けるのが正解、って2つをダンディ板野さんと一緒にして良いのか?

 そうしたブランドの頑固性とはまた別に、アイコンとしてのブランドを利用するのもひとつの考え方ってことでワタリウムで見たEBDってファクトリーのTシャツがどれもこれも超格好良い。いろいろなTシャツの格好良いロゴとかイラストの部分なんかを切り抜いて張り合わせたパッチワークのリサイクル品、って位置づけになるんだけれど、そうしたパーツをただ張り合わせるだけでなくテーマ性を持たせてあるのが特徴。あと縫製の確かさとか。見ていてもうどれも欲しくなってしまって、ワタリウムの人から出始めでこれから有名になるだろう品で気合いを入れて作ってあるんで縫製なんかも絵柄のセレクトなんかも気合いが違うとかって聞いて、お金もないのにカードがあると言い訳してついつい買ってしまったよ。こうしてお金は逃げていく。品物が残るから良いんだけれど。

 僕が買ったPOPEYEのTシャツは、ミッキーマウスがいて裏にシンプソンズがいてとアメリカンサブカルチャー尽くし。ほかにもハーレー風味とかアメコミ調とかあって格好良いことこの上ないのでTシャツマニアは是非に買うべき。本当は入り口に飾ってあったスターウォーズのものとか、ワタリウムのパンフレットに出ていたスーパーマンのマーク入りのが良かったけれどもスターウォーズはデザイナーの所有物でスーパーマンのマーク入りは即座に売れたとか。通えば他のデザインのにも出会えるかな。見た中では大昔に行ったことのあるサウスダコタ州のマウントラシュモア入りのがちょっと気になった。高いけどあと1枚2枚欲しいなあ。アート作品だと思えば安いかな。安いかもって気を紛らわせて買ってしまう悪い癖。だから貧乏は直らない。

 Tシャツで言うならデザインフェスタギャラリーにいたKAI−TってファクトリーのTシャツが手書き風だったり染め付け風だったりして感じが良い上に、タグが輸送用段ボールを切り抜きペイントしてつくられた1点ものだしラベルも布地を丸く切って張ってあって手作り感もあって着ると幸せになれそう。ちょんちょんとペイントして絵の具のついた筆を布でふいたり洗う代わりにつり下げてあるTシャツにつけてふき取っていった、そんなTシャツも品物になっていて背中に散りばめられた筆先の色彩がなにというか鮮やかで欲しくなったけれどもこっちはカードとか使えそうもなかったんだで、いずれ川崎市中原区小杉町1の543にあるショップに行こうと決意。なあに等々力グラウンドのそばだから川崎フロンターレの試合を見に行ったついでに、ってところで気づく。我がジェフ千葉は2部落ちでフロンターレ戦がもうないのだ。呆然。まあ川崎市民ミュージアムにアニメ漫画企画を見に行く時もあるんでその時に。

 そうそう裏原宿を歩いていたらチラシを配っていた兄さんに赤いダッフルコート良いですねえとお世辞を言われて引っ張られてbluesdressってインディーズブランドの店に引っ張り込まれて、モッズ風のオリジナルファッションをいろいろと見せてもらう。黄色いタータン系のスーツがテーラードでくるみボタンでスタイリッシュで格好良かったけれど、セットアップで6万7千円もしたんでお見送り。というかそもそも細身過ぎて着られそうもない。それでも痩せたから少しは入るかな。うーん。

 あとブリキロボットのシルエットが小さく散りばめられているパーカーとか見せてもらったり、Vネックの首のところだけが赤くて後はネイビーのコットンセーターとか見たりして、良い物を作っていると思ったけれどもいかんせんビルの2階では人は寄らず呼び込みに頼っているらしい。もっとも生き馬の目を抜く裏原宿で10年も店を出しているんだから人気もあるのだろう。赤いタータンのセットアップはパンツは売れないのにジャケットだけは売れたみたいで需要はありそうだし、店員だか店長の人はDJで江口寿史イラストのコンピアルバムも作ってるとか。夏にはTシャツも出るだろうからそっちなら買えそうなのでbluesdressにはまた行こう。

 裏原からワタリウムを経て外苑前へと回り、ベルコモンズ前で自転車屋が出来たと看板にあって4階まで上がってみたら格好良いイタリア製のオールドファッションな自転車が並んでいて物欲がモリモリ高まる。ベルコモンズ4階の自転車屋ではイタリアのハンドメイドなフレームを販売していてとりわけPELIZZOLI(ペリッツォーリ)というビルダーの品がロゴの字体も美しければカッティングされたラグも美麗でコロンバスのクロモリチューブで組まれたフレームは細くてそれでいて丈夫そうで美しそう。展示してあったPELIZZOLIの赤いフレームのロードレーサーは、フォークが真っ直ぐなところが妙に新鮮でなで肩のクラウンの先端に飾り風の細工がしてあるのと同じデザインの細工がフォークの先端にもあって、もう本当に彫刻のようで乗るのが勿体ないけれど在庫はそれのみらしいので欲し人は急ぐのだ。


【12月12日】 たぶんそれが「機動戦士ガンダム」の待望の続編でも見に行かないかもしれない人間が、「宇宙戦艦ヤマト」の待望されているのかどうなのか誰も答えづらそうな「宇宙戦艦ヤマト 復活編」を見に行くことはあり得ないというか、すでに「アフロサムライ:レザレクション」の舞台挨拶付きの初日初回を行くと決めていたので、前に矢印がついた衣装とかに着替えもしないで家を出る準備をする前に、録画しておいた「DARKER THAN BLACK 流星の双子」を見たら蘇方が偽物扱いされて凹んでて、モモンガで前は猫の人間だった頃が出ていて、奴は日本人じゃなかったのかと気づいてそれから紫苑の母親も組織とかのことは知っていて、かの東京エクスプロージョンも予見していたらしことを知って事の根深さ、蘇芳や紫苑というキャラの奥深さを想像。

 とりあえず紫苑の能力の一旦が伺え知れるようになって来てそれでなるほどパブリチェンコも未だに一緒に行動しているのかと理解しつつここまで来ても未だ解けない謎謎謎に1クールではとても終わりそうもないって決めてかかっているけどそれでも終わらせてしまうのか、流行の1クール置いて続編とかって流れが決まっているのか。とはいえ毎回登場が楽しみだったビジュアル担当要員の耀子がここに来て退場。ああなる可能性は予感していたけれども一応は最初の方から出ている重要人物なだけに、ああもあっさり逝かされるとは思わなかった。葉月は能力を使った後の口直しが出来なくなって困りそう。代わりはいるけど味が違うからなあ、三咲ちゃんでは。そっちもそっちで好みにしてそうだけど。

 とはいえ三咲では決定的に成分が足りない。「DARKER…」で耀子が担当していた成分は、直後の「大きくふりかぶって」でモモカンがユニフォーム姿でいっぱい出てきて醸し出しているひとつのビジュアル的なテイストというか質量な訳で、それを三咲に求めるのはある意味でイジメにも等しい話なだけれど、だったらほかに誰かいないのか? って見渡しても誰もいないんだよなあ、「DARKER THAN BLACK」の世界って。いやいやひとりいた、茅沼キコの腐女子仲間のマユコがそれはもう立派にモモカン成分を醸し出してくれていたんだけれども腐だけあって人が見てないと態度がガサツで耀子のような可愛げとは正反対。なおかつ登場も今回は前週の1回で終わってしまいそうなだけに、あとは謎の女か誰かに期待するより他になさそー。数年の眠りを経て銀(イン)が急成長している可能性……。ないな。

 そして渋谷に着いて上映開始まで時間があったんで、パルコのリブロへと入りこんで漫画版「アフロサムライ」の発売に合わせたサイン会のために整理券をゲットしようとしたらまだ未入荷だったんで、予約だけして周囲を見渡して似た行動を取る人のあんまりいなさそうな感じにエミー賞候補にまでなった「アフロもサムライ」も、日本ではやっぱり未だにそれほど認知度が高まっていないのかもって状況をやや実感。さらに空いた時間をパルコの6階に上がって「SF50展」をのぞいたら、パルコ限定版の山の上の方に岡崎能士さんのピンナップが入った分が上がって来ていた。サイン会のあとに立ち寄るかもしれないってことでの大盤振る舞い。欲しい1冊ではあるんだけれどもさすがにいっぱい有りすぎて、ちょっと迷っているんだよなあ。ラフィールのヒップを先に行くべきか否か。

 そして開場して入ったシネマライズで「アフロサムライ:レザレクション」のB全ポスターをまずゲット。アフロサムライが下から見上げる上にはシヲってルーシー・リューが声をあてている美女が描かれてしてそれが短いスカート姿で片足を上げるよーな格好をしているから見える見える。黒っぽいものが見えるのだ。もう最高に格好良いポスターなんでそのまま売ってとお願いしていたらちゃんと売ってくれていた。有り難うシヲ。今晩の夢に出てくれるように妄想を頑張ろう。

 でもって映画は身内っぽい人も含めて4割くらいの入り。映像に関しては岡崎能士さんと木崎文智監督にインタビューする前に見ていたけれども劇場で見るとまた格別。冒頭から桟橋の上に待ち受ける敵を切り伏せなぎ倒して進むアフロの迫力と格好良さは、今年に見たアニメのアクションでも究極に近いできばえで、これを見ればなるほど目の超えたアメリカの人でもアニメだからって下には見ないで強く納得するはずだし、復讐の連鎖によって戦うことになったアフロと蘇った父親の皮肉めいた位置関係なんかからは、強さを誇る虚しさと弱さに逃げるみっともなさが浮かんで流されるだけの人生に嫌気が差してくる。そうするしかないんだけど、今のままだと。

 大きな画面で見られるべき映画。大きければそれだけシヲも立派にいろいろ見せてくれるはずだから。そして舞台挨拶でさらに驚愕。何かをやればそれがスベることが習い性になっている「愛と真実のダンサー」ことGEISAIなんかで時々見かけたパフォーマーのスメリーが駆けつけて、岡崎さん木崎さんのコンビを応援していた。たぶんスメリーさんのアフロヘアつながりなんだろうなあと理解しようとしたら何とスメリーさん、岡崎能士さんの実兄だとかで本名岡崎太威でアーティスト名スメリーで、芸大の学部で学んだ彫刻だけじゃなくってパフォーマンスとかを繰り広げて来たらしい。

 テレビなんかにも出ていたからあるいは日本では「アフロサムライ」よりも岡崎能士さんよりもスメリーの芸名の方が有名だったりするのかも。街角で100人に聞きました「アフロサムライ」と「愛と勇気のダンサー」どちらをご存じですか17対42でスメリーの勝ち残りはどちらも知りません、といった感じか。うーん。しかしもっと知られていい「アフロサムライ」。そしてスメリー……はどだろうかと思うけれども、こうして今なお活動しているとこを見るとしっかり認知されているのかも。そうでなくても才覚のある兄弟。何とかして共に国内国外を問わず超ビッグネームへとさらに飛躍をしていって欲しいもの。

 パルコでは「アフロサムライ」の漫画版のサイン会も無事に行われて、岡崎能士さんからクマのイラスト入りのサインをもらって行列を見ると木崎文智監督までもが並んでいるというこのゴウジャスさに加えてさらに何故かマッドハウスの丸山正雄プロデューサーもいてサインをもらっていたりしたのは次の仕事のお願いか。鈴木敏夫さんをいろいろなイベントで見かけることはないけれど、丸山さんはいついかなる場においても出没してはアニメな人たちに声をかけたりしている。この人間力が老舗なんだけれども現役感だけじゃなくって先端感すらあのスタジオから憶えさせる要因になっているのかも。「サマーウォーズ」も作れば「マイマイ新子と千年の魔法」も作り「よなよなペンギン」も作り出す。そんな会社、どこにある? 「夢みる機械」も期待しちゃうぞ。


【12月11日】 負けた責任なんてないのに「機動戦士ガンダム」でシャア・アズナブルはガルマ・ザビ戦士の責任を負わされ軍を追われた。敗軍の将ならなののこと身を処して自ら道を選ぶべき処を何だかそういう当たり前のことが行われない空気が房総半島の付け根あたりに漂い始めた模様。ジェフユナイテッド市原・千葉のサイトをのぞいたら告知。「今季に引き続き、2010シーズンも江尻篤彦監督が指揮を執ることが決まりました」。おいおい本気か、アレックス・ミラーを引き継いでから、降格圏すれすれにあったチームを最下位まで叩き落とした監督を、どう考えたら再雇用できるのか。大分の末期に勝利を並べたポポビッチ監督が退任させられているというのにこりゃあいったいどういう訳だ。というかポポビッチ取らないのか。うーん。何が何だか分からない。

 あまりの衝撃に気絶して起き出して今日も今日とて「エコプロダクツ2009」に向かう前に録画してあった「けんぷファー」を見たらいきなりクライマックス。楓が悪の正体をばらし、雫やナツルたちは結束して楓を相手に狼煙をあげて「さあ私たちの戦いはこれからよ!」的まとめでもってまずは終了。来週は臓物アニマルの番外編みたいでいったい楓は誰によって何を狙って動かされているのかってあたりも投げっぱなしのジャーマンスープレックスホットドッグ。これまた何が何だか分からない。もしかすると1月以降も続いて完結するのかこのアニメ。調べてないから知らないけれどもとりあえず、完結もしていない作品をアニメ化するとこうなるってことを世間はもーちょっと分かるべきなんじゃなかろーか。「ゼロの使い魔」はだからうまいタイミングで切って繋いでいるなあ。

 さらに「ファイト一発!充電ちゃん!!」も見て、変わったっぽいオープニングの無駄に淫靡さ美麗さに感銘。しつつも物語は放電ちゃんの登場によって一気にシリアスへと向かう模様。合間に先週から出てきた漏電ちゃんというかちゃんが登場して、それなりな歳のお姉さま方が飛びまわって揺らして見せてくれる様をこれまた堪能したけれど、放電ちゃんの圧倒的なパワーの前に敗れてそして助けに向かった閃登も倒される展開に、残るぷらぐにアレスタはいったいどう戦うのか? ここは閃登が放電ちゃんも含めてバットで殴ってヤキ入れて、そして見方につけて仲良く大団円ってことになるのかな。お約束。でもそれが心地良い。

 さあて「エコプロダクツ2009」。見つけた意外性たっぷりな商品ナンバーワンは四万十新聞バッグって新聞紙を使ってエコバッグを作っているお店のブース。本来は四万十川の近隣で土産物卸なんかを営んでいる会社らしいけど、そこん家が地元の四国新聞を使って作り始めたエコバッグは、折って張って丈夫でとてもじゃないけど新聞が原材料には思えない、ことはない、見れば新聞だけれど頑丈さが新聞って概念を超えている。これは凄いと感心していたら案内の人が最近ではこれを海外から輸入して売っているブランドがあるとかで、何dめおロンドンのポールスミスに置いてあるというからさらに凄いと感心感激。

 なるほど日本人の感覚だと英字新聞の包み紙とか格好良さそうだけれど、外国の人にとっては漢字がキッチュでだから得体の知れない漢字の刺青とかTシャツも売れる訳で、だからこそ「乳豚ロック」なんて外国で日本語Tシャツを作って売ってパクられて売れなくなった男の物語なんかも成立する。そんなお国柄にリアル漢字に平仮名も混じり写真も入った新聞のエコバッグが並べばもうキッチュ。そしてエキゾチック。買うしかないんじゃなかろーか。中国だって漢字の国だけれど簡体字になっていてあんまり見栄えが漢字っぽくない。韓国もハングルが中心。となると漢字がデザイニングされて使われているのは日本の新聞。それが売り物になる。だったら仕入れようと海外から新聞への注文が入れば聞きに喘ぐ日本の新聞にも活路が見えるのになあ、本来の意味とは違う使い道だけど。いかんどっかの新聞はタブロイドな上に横書きだ。

 日本が新聞紙ならフィリピンはジュースのパッケージを切って張ったエコバッグとかペンケースなんかを作っているらしくて、NPOが現地でスモーキーマウンテンってゴミの山に捨てられたジュースのパックを集めてバッグにしてもらったのを、フェアトレードで日本に持ってきて売っているそうでこれがまた美麗。同じアイディアはデザインフェスタに出ていたkupukupu27というユニットか何かが、インドネシアのこちらは洗剤の容器を切り張りして作ったエコバッグというのを出していたっけ。インドネシアならではの派手さカラフルさで強く印象に残ったから、他の国とか商材に目をやればいろいろと作れそうな感じ。

 それをいうならフライターグってドイツだかのバッグメーカーが、トラックの幌からバッグを作って売っているけどオシャレなファッションの品ってことで、妙に高いんだよなあ。フィリピンのは安い安い。そして買えば誰かのタメになる。そう思うと延びる手も出てきそう。そうやって還元されたお金でゴミがなくなり生活が豊かになってリサイクルバッグが作られなくなって商材が減る……って悩みもないでもないけどそれは贅沢。幸せになれば良いってことでそれを目指して頑張る人たちを、応援。

 本屋に行くと「ちはやふる」第7巻が出てたんで買って読む。クイーンは相変わらずのファッションセンスに性格で、スノー丸大福を食べては限定グッズをもらおうとプレゼントに応募券を張っていたり。残念美人とは彼女を言う。そして新登場の名人も若いんだけれど髭面な上に鯛焼きをむさぼり食って大会に出ない天才肌。千早が挑んで果たして勝てるのか。

 でもって大会に臨んだ千早に立ちふさがる1番手は小さいけれども天才と呼ばれたリリカちゃん。巧いし早いかるたの腕だったけれども千早はしっかりと自分のかるたを落ちつかせ、そして持ち前のスピードも解禁してリリカちゃんをねじ伏せる。天才の子はそれでも千早に勇気を与える。悔しさを噛みしめて人は強くなるのだ。そして次に立ちふさがるのは元クイーン。だけど弱気で現クイーンにはやっぱり勝てないんだと心を折ってしまうけど、きっと次で千早の攻めに奮起して、地の性格を出して千早を苦しめるんだろう。楽しみ。

 そんな末次由紀さんの別な連作短編集「クーベルチュール」の第1巻も出ていたんで読む。チョコレート店の話で、イケメンショコラティエとイケメンフロアサービスの兄弟が営む店に、働く女性がやって来たり駄菓子屋を占めて働きにくるおばちゃんがいたりして、それがチョコによって彼氏を得たり居場所を見つけるという良い話。野球がうまくならない少年がコーチの女性とのお別れにあたって奮起するのも良い話。

 とりわけ元駄菓子屋のおばちゃんが、風邪で店を休んだ二郎に代わってフロアに立つ羽目になって、二郎目当ての女性の視線に臆していたところに、昔駄菓子屋に通っていた娘たちがたまたま交じっていて、すっかり大きくなっていながら昔通った駄菓子屋のおばちゃんとの再会を喜ぶエピソードには、個人が押しつぶされてしまう八方塞がりの世の中だけれど、過去に培われた人の繋がりは時間が経っても失われないのだと思わされ、感動して落涙してむせぶ。良い漫画家だなあ。「ちはやふる」には「クーベルチュール」から一郎二郎が出てくる4コマが乗っていて、逆に「クーベルチュール」には「ちはやふる」の面々が店に尋ねてくる4コマあり。どちらも共通に楽しめます。

 ようやくやっと「月刊アニメージュ」の2010年1月号を読んで「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督がロングインタビューに登場しているのを見て、これが1ヶ月前だったらさぞや集客に貢献したかというと「アニメージュ」を読んでいるくらいのアニメ好きなら、既にそんな映画があるってことくらい知ってて見てる筈だからあまり関係ないのか。けど「アニメージュ」をアニメの情報を知るというよりキャラとか声優の情報を知るために読んでいる人もいるだろうから、そういうアニメに少しはベクトルを向けていても積極的ではない人に「マイマイ新子」という作品があって、見るととても良いということを知らせられたのが公開ほぼ終了の前日なのはちょっと残念な気もしないでもない。やはり世の中はままならない。


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