縮刷版2009年12月上旬号


【12月10日】 微睡んで起きたらクラブワールドカップでアルアハリがオークランドシティに2対0で負けていた。微睡みながら観ていた間はバレーをトップに攻めていたけど攻め方が単調で、これに対してオークランドシティは誰もが前を向いてしっかり組織だった攻撃をするチームだったので、あるいはと思っている間に寝てしまって起きたらやっぱりな結果。これでバレーともおさらばで、日本人が見ていて愉快な試合が1つ減ってしまった。まあでも見たいのはメッシにイニエスタのバルセロナでありベロンのエスティディアンテだから別に良いのか。さらばバレー。ジェフ千葉に来て。

 昨日あたりから流れていたPSPgoの売れ行き今ひとつってニュース。そうかやっぱり。ちょっと前にとある場所で顔を看た久多良木健さんもあれ欲しいと思うかい思わないでしょ誰が買うのか分からない、って喋っていたからなあ。でもPSの生みの親がそんなことを言って良いのと尋ねたら、だって自分触ってないからって答えてた。そりゃそうだ。もしも今も久多良木さんがいたら果たしてどんなマシンにしたのかって興味も同時に浮かんだけれど、やっぱりiPhoneみたいなモダンでスタリッシュなマシンになったかなあ。

 そりゃあ無理だろう、あんなPSXを作ったくらいだしPS3だって立ち上がらないでそれが責任で座を退いた訳だしって声も出てきそうだけれど、個人的にはPSX、あれはあれで良いHDDレコーダーだったって思ってる。とってもコンパクトで性能も良くってGUIも洗練されていた。あの思想が今のソニーのテレビとかPS3に受け継がれているってことで、それほどまでに洗練された思想と、今のPS3に使われているCellチップが組み合わさったらいったいどんなに素晴らしくって使いやすいHDDレコーダーが出来るんのかなって想像してみたくなる。2TBくらい搭載でPS3も楽しめブルーレイも見られて6万円くらい。ブルーレイ録画? 2TBありゃあいらないよ、って感じかな。

 そんなことを考えながら商売敵な会社が開催している「エコプロダクツ2009」って展示会へと出向いてエコなグッズやら何やらを見物。グリーン東京ってプロジェクトに参加してエコさを訴えていた「機動戦士ガンダム」の等身大立像が期間限定で復活……はしていなかったけれど、大手電器メーカーに自動車メーカーに健在住宅素材化学メーカーなんかも出展しては、自社の技術は世界いちぃぃぃぃって感じでアピールしてた。とはいえそうした大手メーカーなんかの製品よりも、ベンチャーな鳥取の会社のうわっ、まぶしいって感じなLEDランプだとか、安城の会社が作っているベランダ太陽電池発電装置だとかが楽しく思うのは、そうした製品に作り手の創意工夫が感じられるから。そうした工夫が市場を開き世界へと討って出て日本を支えてきたのが昔だったんだけれど今はそうした匠の技術をスポイルする方へと走っているからなるほど景気も良くならない訳だよなあ。

 ざっと見て思ったのは社会見学の学生が増えたなあってことか。小学生の女の子とか女の子とか野郎のガキとかがわんさか詰めかけ目にはまずまず。中学高校もいっぱいいて外国人なのにセーラー服っぽい制服姿でやって来ている一群もあって、いったいどこの学校なんだろうと興味を覚える。先生も外国人だった。そんな姿に目を奪われつつもしっかり仕事をしようとナチュラルな製品を扱うブースを見物。面白い面白い。ニカラグアの松葉をよって編んだ籠とかなかなかに美麗。持つと堅くて頑丈そうな上に色彩もナチュラルだし、松葉なので虫とかに喰われにくいといった効果もありそう。日本にはないタイプの製品かも。

 問題は松葉って固いんで女性がよるには手とか指とか痛めそうなこと。草鞋とかだとわらを最初に叩いて柔らかくしてからわらを寄り合わせて紐にするので、そういう作業をしてみたら果たしてどうなるのでしょうかと売ってた人に話してみたけど、それで果たしてうまくいくのかどうなのか。成功したらちょっと嬉しい。とうかニカラグアってどこにあったっけ。中米か。政情とかって大丈夫なのだろうか。心配も浮かぶけれども松葉の籠とか作っている人は高地に暮らす純朴なお母さんお姉さんたち。そういう人たちの頑張っている姿を応援するべく何とか紹介できないかと画策する。成果はいつかご覧じろ。

 あと竹の布とかが良かったエコプロダクツ2009.中国の竹をばらして繊維だけをパルプにして綿を作って糸にして布にするんだけれど、竹素材というから固いといった先入観を覆される柔らかさな上に水を含んでしっとりしていて抗菌効果もあって肌に心地よく病人や高齢者の人には喜ばれそうな素材だと感心。何しろ竹だから放っておいても生えるし延びる。森林だと伐採したら後が大変。綿花もあれでなかなかに土地をハードに使う。オーガニックコットンはなるほど農薬はつかっていないけれど、畑って土地を使い肥料も使うだろうからやっぱりコストはかかっている。竹はその辺は大丈夫そう。興味があるのはそんな竹の繊維を取り出す過程で廃棄物とかでないかってあたり。まあきっと考えられているんだろう。エコだけに。

 回りきれなかったんで明日も行くとしたら元気に早起きしなくちゃいけなくって明後日は「アフロサムライ:レザレクション」の舞台挨拶を見に早起きで明後日も「マイマイ新子と千年の魔法」の4回目を見に行くために早起きだったりするのが大変だけれどそれが青春と諦め次の仕事を見たら1時間間違えてた。もーちょっとエコプロダクツにいれば良かったけれどもせっかくだからとこっちも仕事になるかと渋谷のパルコに寄って、SFマガジン50周年の展示会のパート2をのぞく。「Sync Future」ってアートブックの発売記念イベントね。

 でもって「Sync Future」も買おうと考えたけれどもA3ポスターが付くってことなんで誰のを買うかは視て決めようと思ってやって来ました渋谷のパルコの6階会場。眺めてやっぱりエロくて可愛い村田蓮爾さんのピンナップが同梱されたパルコ限定版のピンクバージョンを確保。聞くとやっぱり村田さんのがなかなかに関心が高い模様で1番くらいに売り切れてしまうかも。それ以外でもKEIさんとか前嶋重機さんとかがなかなかな美麗さ。KEIさんはYOMBANでちょっと前に配ってた壁紙に近いトーンでこれも好き。欲しいなあ。全部まとめて欲しくなる。

 森岡浩之さんの「星界の紋章」もイラストになってて描いているのが分からなかったんで本を読んで確かめたらゆーげんという人の絵で、描かれたラフィールのお尻がとても丸く中に履いているものまで透けて見えるような描き方で、とっても素晴らしい上にエクリュアもまた尻が丸くて目にも麗しくってこれもやっぱり欲しくなる。伊藤計劃さんの「虐殺器官」をイラストにしている森本晃司さんも欲しいし桜坂洋さんを描いている今井とぅーンズさんも欲しいし「アフロサムライ:レザレクション」が公開間近の岡崎能士さんも欲しいよう、って叫んでいてもしたかがない。頑張ってあと1冊、誰かのを選ぼう誰のにしようラフィールと呼ぶがよいかやっぱり。お尻。

 デカいハンバーガーを喰らっていた時期があって、その意味でウェンディーズの撤退はデカいバーガーを出してくれる店ってことで先輩格だったバーガーキングが撤退した時並に衝撃ではあるけれど、ちょっと前からゼンショーが雇用の面であれこれ言われ初めてから何かすき家も含めてなるたけゼンショーグループの店には立ち寄ろうとしてなかっただけに直接的なダメージはあんまりない。バーガーキングも復活したしマクドナルドを含めてメガを出す店も増えたんで食べようと思えば食べられるようになったこともあるし、そもそもがダイエット中なんでデカい半バーガーなんてあんまり食べないんだ。でも撤退となると寂しいから頑張って挑戦してこようクラシックトリプル。114グラム×3。

 ウェンディーズで言えば今は題字としてはない日本工業新聞が、何を考えたか代々木で恐竜の屋内型テーマパーク「ジュラシックパーク・インスティテュートツアー」を開催した時にスポンサーになってくれたのがゼンショー。代々木とかで開かれた記者会見で社長の人がクラシックダブルの分厚さ重さをを訴えていたのが今は懐かしい記憶だったりする。イベントにも出展してくれていたっけか。ちなみにイベントは資金調達のためにファンドを組成して売ったんだけれど魅力がなかったか宣伝が行き渡っていなかったかでまるで客が来ず組んだファンドは果たしてどれくらい償還されたのかが今持って分からないちうかたぶん大赤字だったんだろう。なにもかもみななつかしい。


【12月9日】 時期的に「機動戦士ガンダム」と「探偵物語」はモロに被っていたりするというか「ガンダム」の放映が1月に終わってそれから3月の終わりまで「探偵物語」が放送されていた訳だけれども当時の記憶により鮮烈に残っているのややっぱり「探偵物語」の方で、リアルタイムに放送を見ていたかというと見ていたような見ていなかったような曖昧模糊とした状況ながらも工藤俊作という探偵のスタイリッシュなビジュアルとその飄々とした言説と、妙に格好の良い映像なんかはその後の再放送なんかで補強されて、それが時間を遡航して、リアルタイムにあの格好良さに触れていたはずだっていった記憶にすり替わってしまっている。記憶って不思議だ。

 そんな「探偵物語」がいつの間にやらヴィジョネアってところのペイパービューDVDになっていて、1つもらって見たらあの名作というか再放送される度に見てしまう第1話とそしてやっぱり鮮烈な最終話がそのまま見られたんで見て見入ってしまう。格好良いなあ工藤ちゃん。当時でもすでに30歳は過ぎていただろう緑魔子さん演じるシスターが着替える処を磨りガラス越しに見る目のイヤらしさヤに下がる顔のみっともなさは「蘇る金狼」なんかで見せていたハードボイルドなイメージとは正反対。とはいえ浮ついた感じはなくってこれも立派に松田優作さんって俳優の個性といった雰囲気になっているから素晴らしい。

 もうちょっと後になっていくと「家族ゲーム」なり「ブラックレイン」ではどこか虚無的で刹那的な役になろうとして演技が先に立って優作っぽさが下がってしまう。「家族ゲーム」と同じ年の劇場版「探偵物語」も同様でこのあたりから極め始めた演技派な雰囲気が「それから」で固まり「ブラックレイン」でひとつの形になるっていうか。とはいえその間にある「ア・ホーマンス」は有名な作品な割に見たことがないんでここで松田優作がどんな松田優作なのかが分からない。でもやっぱり好きなのはTVの「探偵物語」の工藤俊作であり「人間の証明」の棟居刑事あたりかなあ、少年が憧れる男って感じで。ほかに6話が入っていてもちろん中に水谷豊さん出演「夜汽車で来たあいつ」も含まれているけどそれらは別に料金が必要。でも105円とかだからお手軽に見られるんで借りに行くよりも気楽だし、買うよりは当然に安いってことで。でもいつかブルーレイのセットで欲しい。緑魔子の美声をクリアに聞いてみたい。

 流されやすい自分にほとほと呆れたというかそれが自分らしいというか。大手町ビルに入っているショップの年末バーゲンが1階の長い通路に出ていて、そこにグローバーオールのダッフルが1万500円で出ていて眺めていて店主の甘言に誘われ残り1枚だと煽られ、手元におろしたての金があったこともあってついつい買ってしまう。この前に同じグローバーオールの真っ赤なダッフルを買ったばかりなのに。色違いだしあっちはヘリンボーン、こっちはメルトンでビジネスなチャコールグレーだからとか、いざとなったら弟ん家に送りつければ良いとか言い訳を自分にしていたりする冬の1日。トグルは前に買ったのと同じ木製だ。ダッフルっちゃあこれだよね。

 そして「マイマイ新子と千年の魔法」の新宿ピカデリーでの日曜日の上映を予約してしまう。行けば4回目。朝の1回だけに上映がなってしまっていて、剛毅というか惰弱というか何ともかんともな状況だけれどそれがそうならそうするしかない。というわけで13日には朝から新宿行き。ドルビーサラウンドだかで聞くmookiさんの歌声とそしてエンディングに流れるコトリンゴさんの「こどものせかい」は絶品。だから行くのだ新宿ピカデリー。MOVIXの亀有とかがどんな音響かは知らないけど、ちなみに前日は「アフロサムライ:レザレクション」の舞台挨拶を見物。サプライズゲストって誰だろう? ナレーションやる杉田“キョン”智和さんか、それともルーシー・リュー様か。おっと「ONE PIECE」も上映開始だ。0話もらいに行かなきゃいと。でもいつ行こう?

 ぽーにょぽにょぽにょスズキの子。ちがう宮崎駿監督の子供なんだけれども登場したブルーレイ版の特別保存版を買おうとしたら宮崎監督がポニョを生み出すまでをとり続けたドキュメンタリーがセットになっていた上に、プロデューサーの鈴木敏夫さんがNHKだかで喋った番組のDVDがくっついて来てブルーレイのサイズとそぐわないDVDのパッケージが針合わさって何とも微妙な包装になってしまっている。駿さんよりサイズだったら目立っているからスズキの子。これなら例えばパッケージサイズをBDに合わせるなりすればいいんだけど、そこはあくまで特典であって単品の商品ではないってスタンスだから、混ぜずにおまけっぽくくっつけてあるのかも。メイワクというか何というか。まあでも聞けば面白いお話なんでいつか見よう。

 かまたきみこの「てんから」(朝日新聞出版)という漫画を買ったのだが別に天麩羅と唐揚げのセットではなく天から何かが降ってくるようになった西洋のとある田舎町に暮らす役場の青年が行き場のない焦燥感に気持ちをもやもやとさせているところに起こった奇跡が寄り添える人を得る素晴らしさというものを教えてくれる。あとネット上のお墓を作った開発者が突然死してネットのお墓に蘇って作った覚えのない機能に驚くといった話があったり月に暮らす編み物の得意な男性を銀河のアイドルが訪ねてきて良い仲になるといった話があったりして萩尾望都のSF短編を読んでいる感じを味わえる。そういうのが好きな人は是非にご一読を。


【12月8日】 考えようによっては「機動戦士ガンダム」だってあのまま終わりになっていく可能性もあったところを救ったのは、作品への評価ってことももちろんあるけど、やっぱりガンプラの売れ行きが良くってスポンサーもお金を出しやすかったってことがあるんだろう。同じ富野由悠季監督でも「聖戦士ダンバイン」は物語への評価は高くっても、メカの方で売れるってものじゃなかったからテレビで続編が作られることはなく、代わって小説とかへと世界が広がり最近になってようやく「リーンの翼」のアニメ化ってのも行われた。とはいえ映像ソフトを買ってくれる人狙い。それ単体で完結するビジネスだからスポンサーなんっていやしない。

「マイマイ新子と千年の魔法」も決してグッズとかが売れる類のものじゃないから、例えばスタジオジブリのよーに、菓子メーカーとか飲料メーカーとかコンビニエンスストアとか、あちらこちらの企業がついてグッズを作る代わりにバーターで宣伝を広く行って、作品の告知に勤めるよーなことは起こらない、もうちょっと時間があったらグリコとかとのタイアップなんかも行って、期間限定でマイマイ新子の世界に出てきたおまけをそのまま復刻して、入れてみせつつ宣伝も行うなってことが可能だったかもしれないけれど、そうした賞品となるとロットは1万2万じゃあ効かず、ならばと作るおまけの数も相当なもの。でもってそれがちゃんと売れるには、映画が広く喧伝されて大勢の人に知ってもらえてるって前提も必要になる。

 それを担うのがグリコって意見もあるだろうけど、そこに賭けられるほど残念ながらマッドハウスにも片渕須直監督にも、スタジオジブリや宮崎駿さんほどの一般を超えて広まるネームバリューが足りていない。残念極まりないけれどもそれが現状。そうなってしまっている一旦はメディアにもあって、知ってる人しか知らせないというスパイラルに飲み込まれ、新しい人材を発掘して押し上げる役割を果たせていない。週末公開の「アフロサムライ:レザレクション」なんていったいどれだけのメディアが取りあげた? 「東のエデン」の神山健治監督ですら一般紙でほとんど見たことない。「マイマイ新子と千年の魔法」も同様。僕はやった、っていってもメディアがメディアだからなあ、どマイナーで誤差レベル。だから期待しているんだ、ボーナスがちゃんと出ている大手メディアの人たちには。

 それゆえにだからこそ映画としてのアニメーションには、もはやテレビシリーズのスペシャルと宮崎駿監督と押井守監督しか残されていないのか、って懸念も浮かんで仕方がない。細田守監督もどうにか戦列に加わってきたけれども、妙に口うるさくなっている人たちは前の「時を駆ける少女」と比べてどうだといって、「サマーウォーズ」を下げてみて脚を引っ張ろうとしているから何というか。それも正しい批評のあり方だけれど、今が戦争のただ中にあって厭戦気分を醸し出す言説が必要なのか? そりゃリアルな戦争では厭戦反戦おおいに必要だけれど、アニメ映画というジャンルが潰されるかもしれなり戦いにおいて果たして必要なのか、ってところにも考えを及ばせながら今、どんな言説が求められているのかを勘案してもらえれば、ちょっとは前に進めて上下左右に広がるかもって気もしてる。

 弱いから潰れる、面白くないから潰れる、といった意見も正しい。正しいけれどもそれで良いのかということでもあるのだ。ううん。悩ましい。とはいえしかし他の言説よりも今は自分にも出来ることということで、その面白さを少しでも広めて続映から拡大へとつなげていければと思う次第。幸いにしてラピュタ阿佐ヶ谷でのレイトショーも、1週間と限定ながら決まったみたいで、その後の続映の可能性も膨らんできた「マイマイ新子と千年の魔法」。ここで改めてその粗筋を説明して映画に見に来る人を増やしたい。

 時は太平洋戦争の終戦からしばらくの昭和30年、周防灘に面した山口県防府市は、広島から下り来た軍人あがりの女頭目が率いるマフィア、小倉より上がる2挺マウザーの元大陸浪人率いるヤクザ組織、周防灘を挟んだ国東半島からやってきた陽気だが悪辣な盗賊団が、互いに権益を争いしのぎを削り合って、無法の街と化していた。そんな街にあって、周防灘から瀬戸内豊後水道日向灘日本海を狭しと、高速艇を操り走り回る特攻帰りの巨漢を船長をに、東京から流れてきた中野学校出の電子技術者、そして地元で生まれ育って名を馳せた不良少女で、額に尖った旋毛があることからそうあだ名のついたマイマイ新子の黒礁一味が、ヤクザ者たちの引き起こすさまざまな事態に銃と度胸で立ち向かう。

 見所は東京から転校して来たお嬢様のキイ子が、次第に阿婆擦れの本性を現し銀座の夜を締めていた時に着ていた、漆黒のカフェ服に身を包み手に99式短小銃と南部14年式拳銃を持って繰り広げる新子たちとの銃撃戦。何しろ監督はあの名作「BLACK LAGOON」の片渕須直さん。これぞ昭和ノワールの決定版! 見れば感動すること間違いなし! だから行こう「マイマイ新子と千年の魔法」へ! 大嘘です。まあとにかく見れば楽しめる2時間弱ってことをここは訴えつつ今日もきょうとてジャンプショップで「ONE PIECE」の1番くじを引いたらまたしてもチョッパーの携帯ストラップが当たった。

 これまでに2枚づつで5回はひいて毎回1つはチョッパーな気が。そんなに世界はチョッパーが好きか。どうしてクリアファイル如きより出る枚数が多いんだ。ニコ・ロビンのクリアファイルが欲しいんだ。ニコ・ロビンのフィギュアが欲しいんだと訴えたところでくじは残酷に景品を選ぶ。たまったチョッパーのストラップを携帯に取り付けていたらチョッパーだらけて重くて仕方がないし、鞄の中でとれてポケットの底にチョッパーが転がりまくる現象まで起こって来た。それでもやっぱり挑まざるを得ない1番くじ。頑張れせめてフィギュアが出るまで。出た。ウソップ。そしてチョッパーの組み合わせ。ここでもかよ!


【12月7日】 そりゃあ行くのが1番の良薬だけれど現実に地域が遠くて行けないとか、時間帯が合わなくって見られないって人もいっぱいいたりする訳で、そんな人が出来ることといったら私たちにも見せて欲しい、見られるチャンスを与えて欲しいと訴えること。だから「マイマイ新子と千年の魔法」の上映拡大を願う署名を集める意味は十分にあってそこで集まった言葉と名前の大きさが、興行側を動かして上映の延長なり拡大なりへとつながってくれればこんなに嬉しいことはない。あとはそうなった時に実際に脚を運ぶこと。そして素晴らしさを喧伝してより多くの足を運ばせること。そうすることだけが「マイマイ新子と千年の魔法」を千年の後までも傑作として世に名を刻ませ続けるのだから。

 もしも30年前にこんなシステムがあったら「機動戦士ガンダム」の放送延長にも署名が集まったかなあ。当時はネットとかいった情報を共有できるようなツールもないから、1月に入って「ガンダム」の放送が終わりそうになったのを見てこれは視聴率が今ひとつだから打ち切りをくらいそうだって気づいた人が果たしてどれくらいいたのか。あるいはアニメ誌なんかにはそうした情報が出まわっていて実際に署名なんかが行われてそれを名古屋テレビに持って行く人なんかもいたりしたのか。アニメと署名の歴史をちょっと調べてみたい気が。力石の死には確かそうした助命の嘆願が集まったのかな。あとはマーグか「六神合体ゴットマーズ」の。今回も声が力となると良いけどそれには与えられた時間が余りにも少ない……。祈るのみ。

   船橋の巨匠。それはときわ書房書店員の宇田川拓也さんという人にいつの頃から付いたかそれとも、誰かによって付けたかした肩書き。巨匠というくらいだからきっととてつもない権勢を誇り影響力を持っている訳で、POPをかけば見た人の1万人に1万1人がその本を買ってしまいたくなるに違いなく、歩きながら平台や店にそっと指先を触れるだけで、その本が羽を生やしたように売れていってしまうといった神話的伝説を持っていたりするかもしれないけれども、残念ながら未だその人の姿を見たことがない、っておいうか顔知らない。

 それこそ毎日のようにときわ書房に寄っているんだけれど、誰か分からないのは勿体ないので宇田川拓也さんには是非にでっかく「船橋の巨匠」と刺繍されたエプロンをつけて店頭に立っていただくなり、背中に船橋の巨匠と染め抜かれた法被を着て店内を闊歩して頂く成りしたいもの。でないと巨匠とは知らずエロマンガの新刊は入りましたかどうですかって聞いて憐れみの目で見られてしまいそう。ちなみにこちらは顔を見たことがある茶木則雄さんは時々店頭にいて冬に恒例のコミケカタログをいっぱい運んでは次々に店頭に並べてた。何か価値ありそう。

 もとい、船橋の巨匠。そんなすっげえ肩書きの人の推薦文が掲載された、これまら色川地球王とかいうどうにも凄すぎる名前の人の「レーシング・ガールズ」ってトクマノベルズEdge新人賞受賞作の、手作り感あふれる販売促進冊子がときわ書房本店に平積みになっていたので確保する。文学フリマで売打ってた同人誌よりも手作り感漂う冊子なんだけど、これは徳間がちゃんと作ったものなのか、それとも船橋の巨匠が自ら奮起して作り上げたものなのか。表紙からしてB級っぽさ漂うイラストをしている冊子だったけど、肝腎の小説はといえばこれまたはB級アイドルがオートレーサーになるとかいう話し。そういや女性オートレーサーっていないよなあ。ちょっと前には擬似イベントだけれどウーマンズリーグってのもあったみたいだけれどエキシビション的な存在でそれも今はない。やっぱり難しいのかなあ。整備も全部やるオートレースに女性選手は。

 いやいや競艇だって女性選手はいるけれど、ペラ叩く仕事をしなくちゃならないからそれはそれで大変そう。そういえば漫画誌の「イブニング」ではB級じゃないけど万年2位の女子フィギュアスケート選手が、広告代理店の1発当てたいって仕掛けに乗って競艇選手に転向するって漫画が連載されている。あと川西蘭さんが書いた「あねチャリ」(小学館)ってタイトルの、女性のピスト選手すなわち競輪選手が登場するって小説が最近出た。何かブームなのか女性ギャンブルレーサー物。競馬はすでに女流騎手がいるから今さら書かれることはないけれど、競艇選手が漫画なんかでずっとあってピストレーサーも小説で出てきてそのうち漫画になったりして、そしてオートレーサーも出てきてといった感じに広がっていきそう。そこに続くとしたら何だろう。女流ばんえい競馬騎手とか。パワフルそうだねえ。

 女性剣道選手、ってこれはもうすでにムーブメントになっていて誉田哲也さんの「武士道シックスティーン」が「武士道エイティーン」まで描かれた上に「武士道シックスティーン」が劇場映画になってまもなく公開される予定。丸い丸い成海璃子さんがかつての松茸のお吸い物のイメージにどこまで戻っているのかそれともさらに丸く丸くなっていたりするのかは謎というかちょろりと出ている画像なんかを見れば明朗会計一目瞭然なんだけれども、それを言うのは後回しにしてそんな映画化と絡んで動いている各種メディアミックスで、先に安藤慈朗さんによる漫画の単行本が講談社から出たと思ったら、こっちは「デラックスマーガレット」って少女漫画誌に連載されているらしい尾崎あきらさんによる同じく「武士道シックスティーン」の単行本が集英社から登場していて驚いた。

 最近は「図書館戦争」みたく少年漫画誌と少女漫画誌の両方に描かれたりするケースもあるから珍しい話しではないんだけれど、ちょいタイプを替えてあったりしたって記憶があって、それと比べると「武士道シックスティーン」はどちらも極めて原作準拠で、導入から展開からすべてがほとんど誉田さんの原作小説をなぞったものになっている。安藤さんの漫画がややキャラクターの内面に踏み込み西荻早苗と磯山香織の出会いとして再開の葛藤なんかを書いてあったりするけれど、それもおおむね原作どおりといえば言えそう。そして尾崎さんの「武士道シックスティーン」もまた、原作と同じように市民大会でのやりとりがあって、そして同じ高校の剣道部に入って再開するって展開へと向かって原作の楽しさを思い出させてくれる。

 だからどちらを読んでも筋は筋として終えるんだけれどそこはやっぱり少年漫画誌と少女漫画誌って媒体の違いもあって、キャラクターの可愛らしさが尾崎さんの方に特徴的で、時折見せるポップな感じも少女漫画っぽさを感じさせる。雰囲気としては「ちはやふる」にとっても近い雰囲気か。おっと千早と違って香織は無駄美人じゃなくって目つきの鋭い強面少女。それが先輩たちをなぎ倒して自分の武士道を探求しようとしているところにほんわか早苗が絡んできて、まとわりついて考えさせられ悩んだ果てに……って展開がここから描かれていくんだろう。武士道へのこだわりって部分も安藤さんより明確に描かれているかな。あと早苗の家族の事情なんかも。ちょっとギャグたっちだけれど。どっちもどっちに面白い「武士道シックスティーン」の漫画の競演。どうせだったらどっちも読もう。


【12月6日】 やっぱり犯人だった木山春生の生脱ぎは来週にお預けとして、危なさそうなものだと分かっているのにレベルアッパーを使った上に、他人にまで勧めて共倒れを喫してしまう佐天さんの突っ走りっぷりがどうにもこの身にそぐわない。「機動戦士ガンダム」でアムロ・レイが発揮するニュータイプぶりに、けれども自分だってニュータイプだからと焦りの気持ちを吐露したシャア・アズナブルの故事に見るまでもなく、異能で超常の力に憧れる人は確実にいる。「とある科学の超電磁砲」ならなおのこと、周囲にあれだけの凄い人たちがいるんだからりゃあそういう仲間になってみたいと思うだろう。

 これではなっから無関係だったならまだ諦めもついたんだろうけれど、あるいは可能性があるかもって学園都市までやって来ながら、レベルゼロだと言われて家族の期待を裏切ってしまった罪悪感なんかも働いて、ついつい手を伸ばしてしまったって感じ。そんな気持ちはとっても分かる。分かるけれどもやっぱり人の道として、外れているって断じて過ぎないその行為。どういう処罰が下るかってところで、見ている人に自分の欲望のためなら何をしてもってマインドへの抑制もかけられるんだろうけれど、仲間だから、友だちだからだまされたんだからと緩められては、そうした抑制も働かない。さてどうするか。ジャッジメントのジャッジぶりに注目。あと木山春生の本脱ぎにも。脱ぐのかやっぱり。

 でもって起き出して電車を乗り継ぎ「文学フリマ」へと駆けつけて、まずは真っ先に「マイマイ新子と千年の魔法」のブースへと向かい、草案なんかがしたためられたフリーペーパーを確保する。人気はなかなかのもので行列ができてどんどんともらわれていっていたし、午後に始まった夕方からの講演会の整理券にもそれなりな人が群がっていた様子。きっと充実の時間になったことだろう。そうやって関心を持った人たちが、あとはちゃんと劇場へと足を運んで興行成績に貢献し、劇場を驚かせてこれなら次の上映もちゃんと確保しておかんかくっちゃと感じさせることが重要なんだけれどもこればっかりは平日の午前から午後あたりの上映では物理的に難しい。

 出来ることなら1番館での上映が一段落した後も、2番館での夕刻からレイトショーでの上映なんかも含めて続けて欲しいんだけれどそれはそれでアニメファンなりアニメマニアのための映画になってしまうからなあ。本当に見て欲しい現役の小学生の子供たちや、小学生だった時代がある元子供たちが見られなくなるってのも本末転倒なんだよなあ。だから頑張って普通の時間帯での上映を、これからも確保していって欲しいんだけれどそうも行っていられないならまずはとにかく続くことを願うしかない。応援しよう。雪王子なんて止めて上映すれば良いのにって、思いたいけどそれは雪王子の関係者に失礼なんで、せめて雪王子と同じくらいの宣伝と、公開を願おう。そうでなけりゃあ失礼だよ、芸術の神様に対して。

 それから松山剛さんのブースを回って同人の新刊と、それから12月中にスクウェア・エニックスからでる「天才ハルカさんの生徒会戦争 帰ってきちゃった伝説の生徒会長」ってタイトルも勇ましく表紙も「天下無職」と心に刺さる惹句の鮮やかな新刊のチラシを拝領。そして取材モードへと切り替えて、あちらこちらのブースを回って文学フリマの存在意義なんかを尋ねてまわる。まずは代表の人からやっぱりそりゃあコミケってのが12月の末にあって、出展している人には大変なこともあるだろうけど、12月の第1週ならギリギリで出るのは可能だし、とにかくデカくてジャンルも多彩なコミケでは評論はどうしてもごくごく1部と切り取られ、その大波の中に個々のブースも埋没してしまいがち。文学フリマのように、専門のイベントなら出ている個々の存在感はより高まるし、そんな中でアピールできるチャンスも大きいのではって話を伺う。なるほど。来る方もあらかじめそうした出展者を意識して来る訳だから、マッチングもしやすい。文学評論オンリーとして存在する意義は、なるほどそんなところにありそう。

 出ている人たちもコミケには出ていないけどこっちなら出てもそれなりにアピール力があるんじゃないか、って考えている人があれやこれや。申し込んだけど通らなかったって人も中にはいるけど、そういった“救済”の役割も文学フリマって場が果たしているって言えば言えそう。一方でコミケも含めてこうした同人誌即売会の場が、出版流通の変革する中において小さくない意味を持ってきている、といった角度から話をしてくれたロスジェネの人とかも。最近になって「ブルーシート」(朝日新聞出版)ってタイトルの、とっても心に響く小説集を出した浅尾大輔さん。小説の方はといえば母親と狭い部屋に暮らしながら自動車工場で働くヒロシが、ギリギリの生活を送っていたところに母親の死が来てそして契約打ち切りによる解雇が重なって未来を奪われ、路上へと追いやられる表題作なんかを含めて、どれもこれからの未来を暗示されているようで、ドンヨリとして暗澹とした気持ちにさせられる。必読。

 そうした小説で社会への異論が表現され、掲載される場合もあるけれども、ストレートに世の中の矛盾を指摘したい、そして訴えたいって考えたところで、既存の売れるものしか売ろうとしないメディアとそして流通システムでは、そうした意見もそうした本もなかなか受け入れられない。そんな時に文学フリマのような場は、欲しいって人や読みたいって人にダイレクトに批評を伝える場として、とっても有効だってことを話してくれたた。幸いにして「ロスジェネ」自体は規模を考え大きく拡げないで、やれる範囲でやって商業ベースにも乗っけていけているけれど、これから来るだろうより厳しい波を超えていけるかっていった保証はない。それは新聞も含めてあらゆる活字メディアについても言えること。でもってだからといって批評が不要になるってことはない。ならばどうやって集めどうやって伝えるか。そんな場としての可能性を、見せてくれているのが文学フリマことなんだろう。

 佐々木敦さんの門下生? な人たちが作っている「アラザル」も、商業誌における批評って場の少なさに自分たちで挑もうとして立ち上がった雑誌と言えそうで、そうしたところから生まれ育った批評家が、商業誌へと出ていく状況も生まれている模様。とはいえそれで食えるような世の中ではもはやない時に、同人誌はほかに食い扶持を確保したうえで、どこに阿ることもなく純粋に心からの言葉を書き連ねられる媒体として、とても重要な位置を占めている。きっとこれからもこうした雑誌が増えていくんだろうなあ。とはいえ見る側に、そうした言葉によって訴えることの真剣さよりも、紡がれた言葉がどう需要され消費されるのか、ってプロレス的な派手さを求めるところもあるのが悩ましいところ。あと批評される対象が「ロスジェネ」的な社会方面とは違って、漫画アニメゲームといったサブカルに向かいがちなところも。必要な言葉が生まれ必要とされる人に届きそれが社会をリアルに変えるために何が必要か。文学フリマという場を通してそうした変革が果たして可能か。ちょっと考えてみたいなあ。

 「マイマイ新子」のトークイベントに後ろ髪を引かれながらも心はこっちに引っ張られて当然といった感じに秋葉原へと向かいセーラームーンのDVDボックス発売記念イベント。何がすごいってセーラー戦士の中の人たちが大集合。もう見目麗しくって耳に心地よくって過ぎた時間の大半を上の空で聞いていたんで写真撮影の時に上がったシートに気づかず背中から落ちて打撲を負って隣の人にも衝撃を与えてしまって申し訳ないこと仕切り。でもセーラー戦士に笑って頂けたのでそれはそれで本望と。いずれ遠からず記事にして今なお健在なセーラー戦士の素晴らしさを伝え次の20年を経て3度の結集を誘いそこへと駆けつけお祝いの「ムーンライト伝説」を唄い上げよう。還暦超えてるぜこっち。登壇して唄ったHIMEKAさんは最後まで唄いきって偉かった。このパフォーマンスが常に発揮されるようになれば盤石。目指せ紅白、ジェロなんて吹き飛ばせ。


【12月5日】 ネットってそりゃあ便利なツールで、ひとつの情報を光の速度で伝達させて大勢に広めることができるし、それを受けてさらに発信することで、等比級数的って意味分かんなくて使っているけどともかくネズミ算的勢いで、広い範囲に情報を届けられる。もっともその反面、そうやって情報を発信することによって伝播に貢献した気分になってしまって、伝えることで使命は終えたと満足するなり、そこが自分の限界だって留まってしまって、肝腎の情報によって起こって欲しかった物理的な動きに、ほとんどつながらなかったりする場合、ってのがあったりするのもなるほど一考。ネットで話題、って言われたところで、それはひとつの情報がグルグルと回っているだけのこと。本当の動きは極めて些細ってこともあったりする。

 それでもそうやって動きはじめる現象があれば良い訳で、広がった範囲が大きければ分母も増えてその上で動く現象も多くなって不思議はないけど、動きが欲しいのは喫緊であて、情報が広まるまでって悠長なことを言っていられない場合、やっぱりすべきことは情報を投げると同時に、自らが率先して行為してみることだって短絡的というか直情的な気分を盛り上げつつ、世界が震撼すべき映画であるにも関わらず、日本すら震撼させられないという状況に陥っている「マイマイ新子と千年の魔法」を新宿へと朝1番で観賞にGO! 1万人がネットで素晴らしいから見ようよと言ったところで、その全員が見ていないからこそのこの窮状。言うならまずは動いてみせるのが、行ける範囲で映画をやってて時間もあって金はないけどひねり出せる動ける立場にある者の義務なのだ、たぶん。

 そして試写も含めて3回目となった「マイマイ新子と千年の魔法」はやっぱり良いなあ、諾子ちゃんのの声が。予告編で上映される「よなよなペンギン」のヒロインでもあるんだけれどもそっちにも負けない可愛らしいトーンの声で一人遊びに興じたり、ようやく出来そうな友だちの貧しい家で懸命にお人形遊びをしてみんなを勇気づけようとするお姫さまを演じてる。この声を聴くだけでも一興。おにやらいおにやらい。ちいさいせいのめ。あそぼうよ。どうやったらあんなに自然にはしゃぎつぶやき喜ぶ子供の声が出せるんだろう、って子供かまだ。森迫永依さんは。

 あとエンディングで流れるコトリンゴさんの「こどものせかい」が、映画館ならではの臨場感あふれる立体音響で聞こえてくるから実に最高。とても楽しい田舎での子供の暮らしがあって、けれども昔ながらのちょっとしたことが死につながってしまう子供の生活があって、それでも明日はちゃんとやって来るんだってことを感じさせてくれる詞の内容が、映画を見終わった人ならストレートに心に響いて泣けてくる。家のCDからでもiPodからでも音楽は聴けるけれども、あの臨場感とそして余韻は映画館ならではのもの。最後の歌を聞くってことだけでも、劇場に足を運ぶ意味がある。それも音響の良い劇場に行く意味が。

 120人弱は入る劇場で朝1番って時間的な不利はありながらも入場は20人くらい。若い人とかもいてアニメファンって感じじゃないオシャレっぽい人もいたから、きっと何かに興味を持って来てくれた人なんだろう。あと年輩の人もちょっといたかな。肝腎の親子連れがいないのがどうにも。でも子供に見せてウイスキーボンボンとか食べられたら拙いか。あの場面で貴伊子に母親がいないって最初に語られればとっても深刻にならざるを得ないシチュエーションを、あっさりと通り過ぎさせて貴伊子の境遇を示しつつ、新子と貴伊子の間を一気につなげて彼女を田舎の子として迎え入れてしまう流れの妙に感心。

 それが原作のままなのか、手元に本がないから確かめようがないけれど、映画として見ている人間にあんまり心を湿らせさせず、心に無理をさせないまま、楽しい展開の中に異文化への浸透と定着が計れるんだってことを教えてくれているのは、このどうにも世知辛い世の中で、異質なものへの壁が高くなりがちな風潮を壊し、人間関係なんかが小難しくなっている学校生活にひとつの解決策を見いださせる上で有効なような気がしてならない。それだけに同世代の子にもっと見て欲しいんだけどなあ。見に来ている感じがないんだよなあ。かといってもう自分は遠く離れ、かといって子もいない世代が昭和30年をノスタルジーで見に行ってたんじゃあ伝わらないし。悩ましい、ってそうした世代ですらない不惑過ぎの独りもんが言うことじゃないけれど。

 そんなこんなで残る上映期間を伸ばす意味でも「機動戦士ガンダム」に加えて「マイマイ新子と千年の魔法」についてもしばらく毎日語っていこうというか、「ガンダム」について語ってないじゃんっていうか、まあそこはそれとして映画が始まる前に見た予告編にどうしてこれがこんなに宣伝してもらえてて「マイマイ新子と千年の魔法」がまるで宣伝されていないのかという理不尽さに胸を痛める。だってフランダースの犬だよ。それが日本の寒村で繰り広げられるだけなんだよ。どうしろって言うんだ。

 チビって名付けられた段階ですでにでっかい犬がさらにでっかくなって唖然としたのもそうだけれど、やっぱり物語としてどこにも工夫がなさそうな、ただ感動というエッセンスを引っこ抜いて舞台を置き換えただけの映画が作られ上映されてそれを見に来る人がいるというこの不思議。良い話なら何度リメイクされたって良い話って意見もそりゃあるし、悪いこととは思わないけれどもそれを一流と言われるような構成作家がやるのは何というか、やってて楽しいんだろうというか。楽しいんだろうなあきっと、いろいろな理由で。そんな人を偉いと讃えなくちゃいけない芸能界テレビ界。そんな人の力を借りなきゃいけない映画界。そんな人を見に行ってしまう一般社会。日本の感性はデフレスパイラルのすでに末期に来ているっぽい。

 ごくごく小さなSFブームがやってくる。あるいは「SFマガジン」ブームがやって来るかもしれない「時をかける少女2010」の公開で。「マイマイ新子と千年の魔法」を見に行ったスクリーンに出てきた予告編に「SFマガジン」が大写し。もちろん本編中で使われているシーンなんだけれどもその場面は少女が飛んできた時間をその雑誌の日付で確認するってシーンで、別に「SFマガジン」じゃなくっても、学生の部屋に転がっていそうなってところで「平凡パンチ」でも良い訳だし、「週刊少年マガジン」のような漫画雑誌で良い。もっと手っ取り早く新聞の日付で示すって手もあるところを「SFマガジン」。いくら本編中でSF映画を撮ってるSFファンの登場人物が読んでいるいって言ったって、そんな雑誌をわざわざどうして時をかけた仲里衣紗に取りあげさせたのか、ってところに多分監督の人のSFというジャンルに抱いているスタンスがありそう。でも当時の最新号な割には何か古本っぽいよなあ「SFマガジン」。古本なんだけど。

 ともあれかつてない規模で「SFマガジン」が世の中に喧伝された瞬間であってこれから劇場で予告編が流れるたびに「SFマガジン」が伝わって、そしてテレビでCMなんかも始まったらそこでも「SFマガジン」が映し出されて世の中にこんな雑誌があるんだと世間から注目を集めて人気雑誌になってベストセラーへとつながって100万部とか出るよーになって原稿料は一気に10倍になって書いているライターの人はかつての「POPEYE」とかに書いてたライターにも負けない人気者となって世のトレンドの最先端を言っている人だと引っ張りだこになって億万長者とかになってファンレターとかガンガン届くよーになっていくに違いない、違いないとも。


【12月4日】 記憶では平針小学校へと歩道橋を渡って登っていく途中のキリスト教会の分室みたいなところがあった場所の前庭に、月に1度机を並べて売っていたのが学研の「学習」と「科学」だったっけ。それを買って帰って読んでいたけどどういう経緯で買い始めたのか記憶がないし、どういう経緯で買わなくなったのかもちょっと不明。それでもある時期に家には学研の「科学」と「学習」があってそれを双子の弟を分け合って読んでいた。

 人気はそりゃあ「科学」で何しろ付録が楽しかったけれどもそこは兄としての引き際を心得たというか、純粋に力負けしていたというか、そうした楽しそうな科学道具は弟のおもちゃ箱へと仕舞われ本もそっちに持って行かれてこっちは「学習」を読む羽目になっていた。でもそうやって活字を読む習慣が今の本をいっぱい読む生活へと繋がっているとも言えそうで、選んだというか選ばされた生活もまんざらではなかったと35年近くが経って思ってみたりもする。そんな影響を受ける人ももう出なくなるのか「科学」と「学習」の休刊によって。寂しいけれどもそれも時代か。

 っていうかマゼラン滅茶苦茶強いじゃん。ルフィだってイワンコフだってその毒にやられた訳だし王下七部海の黒ひげだってあっさり毒にやられて仲間もろとも死の淵へ。かろうじてシリュウの裏切りでっても解毒剤を投与されて助かったけれどもそれがなければまとめて葬り去られてた。助かる運ってのも含めて強さというなら強さなんだろうけれども、そういう展開になっているから仕方がないことでもあって、純然たる強さ比べをしたらやっぱりルフィよりもイワンコフよりも黒ひげよりも上に来そう。もちろんエースよりも。

 つまりは王下七部海クラスに入れる強さであって普通に海軍にいれば大将クラスになっていても不思議じゃないけどあの技で大将になると海賊だけじゃなくって普通の人にも被害がいっぱい出そうだから、場に制約のあるインペルダウンに留まっているのも仕方がないってことなのか。本人も暗くて狭いところが好きって言ってるし。って感じで買った285万分の1冊の「ONE PIECE」第56巻はイワンコフを表紙にクロコダイルやジンベエやNO.1やイナズマが散りばめられて毒々しさではトップクラス。どうせだったらサディちゃんと戦う時のバージョンにしてくれれば麗しさも出たんだろうけど元を思い起こせば一緒だから別に良いのか。っていうか元はどっちなんだイワンコフ。

 そうそう「文化庁メディア芸術祭」では初めてというか当初の規定を曲げて功労賞に特別な枠を設けて、物故者の金田伊功さんを表彰すると決定。アニメーションにおける表現に新しさを加え、後に続く大勢の人を生みだしたってことで、その功績はなるほど十分に表彰されるに値するけれど、「文化庁メディア芸術祭」ってあくまで作品を残した人に対して与えられている賞で、映画だったら監督だし漫画だったら描いた漫画家が対象になっている関係で、金田さん個人が受賞する機会ってのは過去になく、かといって現役からやや外れた本当の意味の功労者を顕彰する仕組みとして作られた功労賞。「機動戦士ガンダム」の富野由悠季監督だってもらっていないものを、より功労の長い人たちに与えていたら先に金田さんが亡くなってしまった。

 こうして与える機会を失してしまいそうになったところを、これはやっぱり残念と、審査員たちの計らいなのかそれとも浜野保樹さんの考えからなのか、特別枠が作られ表彰されることが決定して金田さんに贈られることになった様子。粋、ではあるけれどもそれなら亡くなった時に米澤嘉博さんとかも受賞してしかるべきだったような気もしないでもないよなあ。あの人くらいに漫画文化の定着と底上げに力を発揮した人っていない訳だし。ああでも直接のクリエーターではないってところが弱いか。いやいやコミックマーケットっていう、場の創出も立派なクリエーティブって言えば言えるか。うーん。難しいなあ。

 金田さんは「デジタルコンテンツグランプリ」でも受賞をしていてこれで2冠。死後の棺を覆う受賞ってのはやっぱり寂しいことこの上ないけれど、日本にアニメが登場してから経った年数を思うと、そうやって賞とは縁がないまま監督のような場ではなく、現場で力を発揮したまま世を去るクリエーターってのも大勢出てきそう。金田さんはなるほど凄かったけれども、他にも凄いクリエーターはいたはずで、そうした人たちが現代の選考委員世代の思い入れの埒外だからを見逃され、忘れ去られていってしまうのも何か寂しい。そういう人たちを収蔵し顕彰するという、本当の意味での「アニメの殿堂」がやっぱりこの国に欲しいよなあ。有名選手のバットやグローブやユニフォームが置いてあるクーパーズタウンの「野球殿堂」みたいな場所。行けば殿堂入りした人たちの額が飾ってあって、道具や作品が見られる場所。作るべきだよなあ練馬か杉並か秋葉原かどこかに。絶対に。

 なんかどんどんと深淵へと向かう「ファイト一発! 充電ちゃん!!」。ぷらぐとアレスタのペアが時々パラレルの人間に会ってるってことを怪しみレーカとクランって2人の監査役の漏電ちゃんが派遣されたものの反撃を暗い閃人の粉砕バットをくらって沈没。だけど何かアレスタ同様にキているものがあるらしい。大人も堕ちる謎バット。見せてくれた赤いアンダーなウェアも目に眩しかったなあ。んでもって暗躍する放電ちゃん。果たして対決はあるのかってあたりでこれから盛りあがっていってくれそう。最初は絵だけはしっかりしつつも中身はベタでエロいラブコメに見せていたけど、そうやってキャラを増やしてドラマを深めていったあたりに勝利の鍵が見え隠れ。あとはこの勢いを継続だ。充電ちゃんの下半身は相変わらずにピチピチだよなあ。描いている人楽しいだろうなあ。楽しいのか?


【12月3日】 やっぱり「サマーウォーズ」だよなあ、文化庁メディア芸術祭も。すでに経済産業省の「デジタルコンテンツグランプリ」でもグランプリを受賞しているからこれで国内2冠。きっとデジタルメディア協会のAMDアワードでも受賞するだろうから、国内デジタル関係コンテンツ賞で3冠を獲得するだろうことは想像に難くない。ああいやでもそこはAMDだから、目先を変えて「ドラゴンクエスト9」かあるいは年末に出る「スーパーマリオブラザーズ」の新しいのに受賞させるって可能性もないでもないか。さすがに「機動戦士ガンダム」の30周年プロジェクトは無理だったか。でも取って欲しかったかも18メートル等身大立像。でもって六本木の国立新美術館の前にぶったて威容でガラスカボチャを圧倒するんだ。

 でもって漫画部門の方はといえば「プラネテス」でSFな人にはお馴染みな幸村誠さんが「ヴィンランド・サガ」で受賞、と。イングランドの歴史なんかを描いた地味も地味過ぎる内容の漫画だけれど、そのリアリズムが高い評価を受けてすぐさま大人気。でもってその勢いが漫画部門の審査員をなぎ倒しての受賞となった次第。でもまだ完結もしておらず、始まったばかりでもない漫画が受賞するのってどこか妙。手塚治虫文化賞なんかでもどうしてこのタイミングでの受賞なの、ってのがあったりして、だったらこの前完結したこれに与えた方が良いじゃんとか思わされるけれども、完結のタイミングを待っていたら賞を与え逃す場合だってあるから難しい。まとめて凄い作品がばたばたっと終わった時なんか迷いそう。だからあげられそうなタイミングで出すののもひとつの判断だったりするんだろう。とはいえやっぱり地味だよなあ、ほかの受賞が三村乱丈「イムリ」に五十嵐大介「海獣の子供」にこうの史代「この世界の片隅に」に山田芳樹「へうげもの」だもんなあ。

 そうした、割と緻密に描かれリアルさもあって強いメッセージを持っていて、漫画ファンの最前線ではなく漫画を作ったり研究したりしている大人にウケるってところが、この賞で受賞できる条件なのか。だとしたらいくら売れていたって「ONE PIECE」なんて無理だろうし、そもそもが公募なんで応募してこないってことなのか。五十嵐さんと同じ「ikki」連載なら、西島大介さんの「ディエン・ビエン・フー」とか、こういう場所に出してもっと世に知られてもらった方が良いような気もしないでもないけれど、ベトナム戦争をああいう風に描くってことが、リアリズム系の作品を割とお好きな審査員のお眼鏡にかなうかどうかがやや微妙。でも出してみる価値はありそう。というかすでに出していてこれまで未受賞だったらやっぱりちょっと妙な賞かも。「BLACK LAGOON」とかが受賞して、あのお綺麗な六本木の美術館の中を血と硝煙とそしてレヴィのヒップで埋めてくれたら、こんなに痛快なことはないのに。

 そんなリアリズムが評価された「ヴィンランド・サガ」の幸村誠さんは、見るからに渋くて寡黙で研究熱心なおじさま、って感じではまるでなくって、スーツこそ場に合わせて着てきていたものの中身は陽気というか何というか、喋ることがないから田中角栄のものまねをしようとして司会のお姉さんから留められたり、それでも普段からの研究成果を見せようとしてザクがビームサーベルで切られて爆発する場面の口真似をやってみせたりともう大変。それを横で細田守さんが楽しそうに聞いている。ああこれがサブカルチャー的共通言語空間だって内心はほくそ笑むけど周囲で聞いている人たちにはきっとなにがなにだかだったかも。

 そういうオタク言語というか文化経験のあるなしが、おたくな人たちと一般の人立ち役人の人たちの間にはやっぱりあって、にもかかわらず今が旬だっていったマーケット的な認識の中にサブカルチャーを入れ混ぜてしまっているから、いざ何かが尾こた時、最近だと「国立メディア芸術総合センター」の騒動で作るべき、作らないべきといった議論が戦わされた時に、政治的な立ち位置からだったとしても「国営漫画喫茶」だの「アニメの殿堂」だのといた、本来の目的から大きく外れたネガティブ極まりない別称がこうぜんお如くに一般メディアでも使われてしまうんだろう。悲しいけれどもこれが現実。厳然として存在する高い壁。

 そこをきっと食い破ろうとして文化庁の意ある人たちも頑張って居るんだろうけれど、13年が経っても未だ頑張り切れていないとうか。でもこうして文化庁メディア芸術祭は続いた訳だし、きっとこれから仕分けされないで続いてくれると期待。東京都現代美術館とか、東京ミッドタウンなかにもサテライト会場を持って、イベント規模を3倍にして展開するそうなんで、その勢いで世間を振り向かせて、予算をがっぽり頂戴して、永遠に楽しい漫画と面白いアニメと愉快なゲームと深淵なるメディアアートが見られ保存される環境って奴を、作り出して欲しいもの。でも混雑するのは勘弁だよなあ、去年なんて5万人も来たっていうからなあ。

 夜には「日本ファンタジーノベル大賞」の授賞式があって生きている椎名誠さんをいつかのSF大会以来、久しぶりに見たような。見た目は相変わらずダンディだけれど言っていることが回っている感じがるのはそうした世代に来ているからなのか元からなのか。奄美大島を沖縄の明るさ九州の質実剛健さの間にあって中途半端でどこか暗いと言ってしまって全国の奄美大島出身者からいろいろ物とか投げられたらどうするんだろう、でもアマミノクロウサギを投げられたら捕まえて喰うから大丈夫か。そんなに暗いかなあ奄美大島、行ったことないから知らないけれど。といった感じで紹介された「月桃夜」は未読。もう1冊の「増大派に告ぐ」も同様。すでに店頭に並んでいたけど今は読んでいる時間がないのだ。いても知っている人が誰もいないんで立ちすくんでいるだけになるってこともあって受賞パーティーも即座に撤収して原稿を熟読しようとしたのに風邪っぽいのか瞼が降りてきてそのまま夢心地。何か充電ちゃんが漏電ちゃんと戦っている夢を見た。


【12月2日】 巨大すぎるハロを2つゲットした近所のセブン−イレブンに3つ目のハロをゲットしに言ったらもう終わっていた「機動戦士ガンダム」の1番くじ。売れ残った茶碗やら貯金箱やらタオルやらボールペンは1つ500円で投げ売りっていうかくじの値段で売られていたけどさすがにハロはなく、立像もなく顔面の貯金箱もなし。そういった高めの商品が切れたところで投げ売りに回るってのがやっぱり手なんだろうなあ、いくら惹いたところで1等2等が出ないってのはさすがに拙いし、どっかのゲーム機が当たるかもしれないくじ引き自販機になってしまうし。

 3つハロが球ったら串でつらぬいて団子三兄弟ごっこがして遊べるかもって考えたけれどもそれもさすがに痛そうだし、そもそも2つなんでここは手に持ってアッガイだって叫びながらパンチをするのが正しい遊び方かも。黄色いんでジェフユナイテッド市原・千葉の試合に持っていってもマッチしないことはないけどとにかくデカいんで却下。かといって家に置いておけるわけもないし。うーん。倉庫行き決定。30周年はこれで終わりっぽいけどでも来年がガンプラ30周年の歳なんで、1番くじでガンプラってのも是非に企画してもらいたいところ。1等はもちろんパーフェクトグレードだ、ってそりゃあもっと持って帰るのが大変だよ。

 ガンプラといえば静岡は長沼って駅のご近所にあるのがガンプラを専門に作っているバンダイの静岡ホビーセンターで、前に取材にいった時に時間があったでそこからぶらぶらと歩いてJRの東静岡駅の方へといったらなにやら巨大な宇宙船みたいな建物が見えたって記憶が残っている。そのはるか以前に「葵博」ってのが静岡界隈で開かれた時も、大道芸フェスティバルを見に行ったついでにそっちも会場だからって駿府城から回って東静岡へと向かった記憶があるけれど、当時にそんな巨大な建物が建っていたかどうかはちょっと憶えてない。見ればあれだけの建物だからきっと当時はなかったんだろうなあ。知らないけれど。

 んでそんな巨大な宇宙船みたいな建物でなにと、2011年に日本SF大会が開かれるらしい、ってまだ決定じゃなくてあくまで立候補の段階で、ここから審査があって投票なんかもあって決まるんだろうけれどもやりたい地域もそれほどなさそうな昨今の情勢では、そこに決定するのはほぼ間違いなさそう。あの巨大な建物の中に今度は10倍サイズのモノリスなんか立てたらきっと、いろいろぶっさせて楽しそうではあるけれども果たして中も天井が高いのかどうかは不明。決定すればいろいろ使い方も考えられて、やっぱり本物のホワイトベースを作ろうとか、18メートルの「機動戦士ガンダム」の立像を駆り出して限定で立てようなんて話も出てくるかも、ってそれは無理、金ないし、SFなんで。

 立像は無理だけれどもせっかくの好立地、それこそホビーセンターまで歩いて10分程度って地の利をここは生かしてバンダイさんにお願いして、見学ツアーとか企画してくれたら傘下する人も割と出そうな予感。「ガンダムはSFに非ず」の大元めいたところなだけに全員がのるとは限らないけどそうした過去を乗り越えて、どっぷりハマった面子だって結構な割合でいたりする。

 滅多に行けない場所なだけに折角の機会と思って当然。まだ1年半も先の話なだけにその時もまだ静岡にホビーセンターがあるかどうかは分からないけど、あったなら是非にのぞかせてもらってザクと赤ザクの自動搬送機がホワイトベースみたいな射出成型器の間を動き回る姿を、その目に治めさせてやって欲しいもの。でもってSF大会専用ガンプラなんてものも作って会場で売るんだ。胸にSFと書いてあるガンプラを。それちょっとかっこわるい。

 「沈黙は金」とか「言わぬが花」とか昔っからいろいろ言われていて、なるほどムダに喋らない方がかえって真意も伝わるし、自分だって大きく見せられるってことではあるんだけれど、でもそうやって語るべき言葉を語らず飲み込んだままでいることで、語られるべき真実が歪んで自分ではない他の誰かの人生が歪んでしまうってこともある。それでも本当に「沈黙は金」だの「言わぬが花」だって態度を貫き通せるのか。ってあたりを道尾秀介さんが「球体の蛇」って小説で書いている。

 離婚した父母とは暮らさないで隣の家で白蟻駆除の仕事をしていた一家に引き取られた主人公の友彦は、アルバイト代わりに手づたいをしていた仕事でとある屋敷に行った時に、老主人とは妙に釣り合わない若い智子って女性をみかけて心を惹かれて、夜中に屋敷の床下へとしのびこんでは彼女と屋敷の老主人との情交を耳そばだてて聞くようになる。程なくして屋敷が火事になって老主人は焼死。でもって残された智子から友彦は、火を放ち老主人を殺してくれてありがとうってお礼を言われる。

 もちろん身に覚えのないこととだけど、その場で違うと即座に否定しなかった友彦の口は、実は過去に隣家の長女を自殺に追い込んでいたことも黙ったままでいて、死んでしまった娘を想い続ける父親の親切にすがっていた。なにという裏切り行為。ところが老主人から解放された智子も、高校生の頃に友彦の知る人を失火で死なせたかもしれない過去をずっと黙っていて、それが理由で老主人とつき合う羽目になっていたことを、火事の後で情交を重ねるようになった友彦に明かすまで黙り続ていた。そんな彼女の自責が、別の沈黙によってもたらされていたことまで明らかになっるに至って、黙ったままの連鎖がもたらす不幸の輪って奴の怖さをまざまざと見せつけられ、背筋をぞぞっと冷やされる。

 さらに加えてそれを理由に智子を責めて追い込んだこともあって、友彦が受ける絶望と後悔の泥沼はもはや再起不能レベル。なのにそんな友彦は、なに喰わぬ顔で厚情に甘えて表向きの幸せをつかんで生きていく。そんな生き様は、ょっとした嘘を重ねて生まれた不幸に傷つき、それでも生き続けていかなくてはならない生き様は果たして幸福か。まるまるとして幸せそうな体の内部に蠢く嘘という名の蛇どもが、いつか体を食い破って平穏な日々をぶちこわすことへの怯えはないのか。いやなら「沈黙は金」など嘘だと否定するしかないし、そうでないなら黙り続けるより他にない。生き方を問われる物語。あなたならどうする?


【12月1日】 「夏のあらし」は「時をかける少女」とか出てきてああ懐かしいなつかしい。ほかにも70年代80年代がザラザラでて来ているけれども「機動戦士ガンダム」は前のシリーズん時にそっくりさんなアムロとシャアが会話していたシーンくらいであとはとりたててセリフもガジェットも出てきた感じがないのはやっぱり、いろいろ面倒なことがあるからなのか。でもキングだし。いちおうは音楽については大元なんだし。出せそうな気もするけれどもさすがに唄う歌がないか。明日も元気に早起き。

 というわけで久々に、それもとてつもなく久々に「週刊少年ジャンプ」の2009年第53号を買って読んだら「よくわかる現代魔法」のDVDとブルーレイディスクの広告が載っていた。「ジャンプSQ」に漫画を連載しているってこともあるからこちらに広告が載っても不思議はないのか。でも子供さんが多い「ジャンプ」読者で買う人は果たしてどれくらいいるのかなあ。そして「ONE PIECE」の第0話をようやく熟読。扉になってるカラーイラストのニコ・ロビンが胸元もぱっくりなら短いスーツの裾からのぞく脚もニョッキリと美しい。ナミがいないのはさらわれたナミを助けに行く話だからかな。

 でもって本編。シキってのはそうかそんなに強かったのか。でもゴール・D・ロジャーと唯一互角に渡り合ったのは白ひげってことになっていたのに、そこにいきなり割り込むシキ。うーん。まあきっと今までみんな忘れていたんだろう、モノワスレの実の能力か何かが世界を覆っていて。センゴクはこのころは大将で、ガープは相変わらずの中将。青雉がそんなガープを「また昇進ケッたんでしょ!」って讃えているところを見るとこの頃はまだ少将か、ロビンの島にバスターコールをかけた頃には中将だったからガープと同格か。赤犬は見えるけど黄猿はいないなあ。おつるさんは既に婆さんだ。今も婆さんだ。何歳だ。

 そんな感じに散りばめられたキャラたちと、そして挟み込まれるシキという存在のエピソードから、割り込まれた正史であっても厳然として存在していた正史に思えてくるから不思議なもの。上書きされたここから何か新しいことが始まるかもしれないって期待から、読むと劇場版も見たくなってくるから不思議というか、巧いというか。やっぱり尾田栄一郎さん本人が脚本を描いて総指揮をとっていることが大きいんだろうなあ。だったらテレビの関連エピソードの方も何とかして欲しかった気が。正直言って意味不明過ぎます展開も主題歌も。でも背景が処刑台に連行されるエースになっていたりするから、お話がそこまで進むまでは使われ続けるんだろうなあ。インペルダウンで暴れて抜け出すまで、あと何話? あるいは何年?

 せっかくだからと他の漫画も読んでみた。「バクマン。」。ネーム大過ぎ。読んで面白いんだろうけど読むまでの眼力が。「BLEACH」。いったいどこでの戦いだ。藍染がいるってことは、ウェコムンドから攻めてきた空座町の上空での戦いがまだ続いているってことか。でもって平子にひよりの虚化したヴァイザードも参戦しているってことか。テレビだとそこに至る前に、とりあえず今の斬魄刀シリーズへと突入してしまったからなあ。思い出せないどこまで行ったか。まあこれがテレビになるもの1年くらい先のことだろうから、今後もあんまり読まないでおこう。両さん。落語の本編と時代劇の落ちが強引過ぎるがまあ良い、両さんだから。「SKET DANCE」なんて漫画があったんだ。山田デージー花子じゃなかった、浅雛菊乃が気に入ったので気にしよう。眼鏡にポニーテールで得意技目つぶし。完璧じゃん。

 ってな感じに雑誌って、読むとほかのいろいろな漫画のことが知れて楽しいなあ。途中から読んだにしても、そこに引っかかるキャラがいたらついつい前まで遡って読んでみたくなるもんだし、そうやって読み始めたら、そのままずっと読んでいってしまいそう。そのうちに新連載も始まり、新しい作家も登場して広がっていく知識の範囲。こんな“出会い”って、ピンで好きな漫画家を単行本だけで読んでいるようだと絶対に起こらないんだよなあ、当たり前だけど。だから雑誌って好きだし、なくなって欲しくないんだけれども、そうした好きかどうか分からない漫画を読もうとする意識が、今やノイズ的な感覚で受け止められてしまっているところに、雑誌の減退と漫画の広がりの途絶があったりしていそう。欲しい情報しか欲しくないっていうか。

 流行っているって情報だけで、ダイレクトに特定の漫画家の特定の作品にアクセスして、そればっかりを読んで他は読んでも仕方がないというスタンス。流行るものだけが流行って、流行らないものは流行らなくなってしまう格差がエンターテインメントタイトルに起こる理由がここにある。音楽だって同様で、ラジオ番組がいろいろな曲をかけた中から、これ気に入ったって曲を探して聴いていくような繋がりが前だとあったけれども、今だと流行っている曲にダイレクトにアクセスして、ネットからダウンロードして終わり。マイナーなところには誰もたどり着かない。ネットがもたらしたロングテールって、そうした雑多な情報への道になっていたはずなんだけれども、いくら道が造られていたって、そこへと至る看板がないか、あっても見に行かないんだから意味がない。

 最近だと映画の劇場で予告編を見ないで、本編が始まってから入って来るような人もいるらしい。周囲の迷惑を考えればマナー的にどうよって行為だけれど、そうした意識よりもよりも自分の見たいかどうかっていった都合を優先するのが、感性として当たり前になってしまっているのかも。予告編からだって、新しそうで面白そうな作品に出会えるかもしれないのに。まあ予告編を見て見た気にさせられてしまうような予告編が多すぎるってのも問題だけれど。

 ともあれ、そんな時代に情報てんこ盛りの雑誌とか、新聞とか届けようとしたって最初っから無理な訳で、だからこそもっといろいろ情報を知ろうよ、興味を持とうよ、雑誌を読んでラジオを聴いて映画も予告編を楽しもうよって言いたいんだけれど、そうした方向へとは逆戻りしない状況に、だったらどうすれば目立てるかって方向へと突っ走った挙げ句に、情動を誘う行為ばかりがまかり通って、中身がおろそかになって、気がつくと誰にも関心を持たれなくなっているというデフレスパイラル一直線。トップ以外は全部ダメならトップになれるかというと絶対無理な状況で、トップにいない面々はだからそろそろ地獄に飛び込む覚悟をしておかなくちゃいけないってことで。辛いなあ。

 というわけで久々に、いったいいつ以来だろうかというくらいに久々にナムコのフードテーマパークの新しいのを見に行く。ミートレア。南大沢に京王が作った新しいショッピングセンターの上に入ったお肉関連食品のモールだけれどステーキもあればハンバーグもあるにはあるもののそこに交じって親子丼とかあったりトンテキとかあったりしてなかなかにバラエティ。肉巻きおにぎりに関しては千葉で食べているから良いとしてやっぱり目玉は愛媛からやってきたとんかつパフェ。クリームにとんかつとリンゴのスライスしたのがぶっささっているビジュアルは、はた目にはなかなかの重さだけれど食べるととんかつのサクサクとして美味い感じにクリームの冷たさと甘みが馴染み、そこをリンゴの酸味が繋いでくれるって感じになかなかのできばえ。1つ食べれば癖になって2つ3つと行きたくなっても不思議じゃない。値段もそこそこ。南大沢まで行かれる方は是非におためしあれ、って行かないよなあ南大沢。とんてきも美味かったけどこれは渋谷で食べられそうなんでそっち行こ。


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