縮刷版2009年11月中旬号


【11月20日】 「機動戦士ガンダム」で衣料関係をコラボしようとたって、どうしても未来的なあのイメージを覆して、ファッション性の高いものを生み出すことが難しいような気がしないでもない昨今。ミリタリーなアニメでありながらも、ミリタリーファッションに転嫁されるモチーフがあんまりないのは、どこかノスタルジックさが漂うミリタリーファッションと比較して、ガンダム世界が先鋭的過ぎた現れか、それとも現実のミリタリーにはあり得ないデザインばかりだったということか。でもジオンなんてドイツな感じがしたからなあ。さすがにドイツじゃミリタリーにはしづらいか。世間的な目もあるし。

 まるでミリタリーじゃないのにミリタリーな雰囲気を漂わせている「東のエデン」からはM−65なんてミリタリーファッションの権化みたなのが商品として登場。せっかくだからと吉祥寺まで見物に行って羽織ってみたけどLですらタイトで腕なんかいっぱいいっぱいで、着ると何か無理している感が出てしまってこいつは無理だと諦める。3万円が飛んでいかずにラッキーではあったけれども、ちょっと悔しい。がんばって痩せようあと5キロ。せめて少しは楽しみたいと「AKE20000」とかって黒字でグレー地に描かれているロングスリーブのTシャツなんかを購入。6000円とかしやがるけれども3万円に比べれば安いってことで。あとは映画公開のご祝儀。着て「マクロスF」「マイマイ新子」のライバルアニメ映画を見に行くことにしよう。みんな人、入ると良いな。

 愛別離苦。そして生老病死。人にとっての苦しみと、仏教に言われてきたこれらは決して、人に限っての苦しみではないく、生けとし生きるものたちすべてが感じ、想い味わって嘆く苦しみなのだと改めて教わった。市川春子という、「月刊アフタヌーン」でひっそりと漫画を描いてきた人の作品を集めた「虫と歌 市川春子作品集」(講談社、600円)。そのいずれにも人ならざるものたちが関わった、出会いの愛おしさと別れの切なさ描かれていて、悲しと苦しみの情感を深々と味わわされる。

 少年が訪ねた叔父の家には、少年の切断された指先から育ったという少女がいて、少年としばしの交歓を持つ。少年は身より出たこともあって少女に好意を抱くものの、少女は育ててくれた叔父を愛おしく想い、その腕を切り落として少年のために新たな少女を生み出そうとする。最初に集録の「星の恋人」では、脈絡もなく人間ならざる生命体の存在が示され、清々と物語が進められていく。その静けさにはじめは戸惑っていた読み手は、次第に状況へと入りこんでは、繰り広げられる向かう愛が向けられた先で阻まれ届かない切なさに泣き、永久の別れと未だ訪れない新たな出会いの悲しさと喜びの間に立ちすくむ。

 飛行機に乗っていたはずの少年が、目覚めると山間で知らない少年と2人だけになっていた。やたらと静電気の強い見知らぬ少年と連れだって、主人公の少年は山を歩き、川を越えて進んでいく。その最中で主人公の少年は、身に起こったことを知り、引いた視点から見知らぬ少年の正体が語られ、突然の悲劇によって引き起こされた死と離別の苦しみに胸引き裂かれ、心揺らされる。「ヴァイオライト」から浮かぶ引き裂かれ残された生の虚ろさ。少年の消滅と呼応し現れた少女の生もまた、空虚さに沈むのか。それとも今度こそ喜びの淵に浮かぶのか。

 肩を壊した高校生の投手が、手術を拒否してこもった家で、タンスの中から小さい奇妙な物体が、現れ転がっていく様を見る。やがて物体はだんだんと大きくなり、形を持ちはじめそして手足のようなものを生やしては、本を求め知識を吸収してひとつの生命として成長していく。出会えた歓喜が離別の悲しみへと至ったその先。寄り添って歩く喜びというものが立ち現れ、さらに大きな出会いへの想像力がわき上がって前へ、上へと向かう大切さを強く激しく想わされる。「日下兄妹」。奇妙な存在を目にしてひるまない主人公とその仲間たちの、それが決して悪事ではなく好事と感じて受け止める大らかさがどこか嬉しい。異常でも騒がれず、淡々と受け入れられていく描写の優しさが、シンプルな線による柔らかい描写と噛み合って、静かな感動を呼び起こす。

 「虫と歌」。読み終えた時に浮かぶ悲しさと虚しさは、前の3編に大きく勝って心に鋭く刺さる。どうしてなんだと叫ばずにはいられなくなる。虫の模型を作って暮らしている兄と、学生の弟に妹の3人が暮らす家に、羽をもった不思議な少年が現れた。どうやら兄が、虫を改造するようにして生みだしたものらしい。最初は恨みかと身構えたものの、帰巣本能に近いものだと感じ、受け入れいっしょに暮らしはじめた兄妹たち。けれども訪れた冬に虫の少年は寿命を迎え、そして弟と妹にも厳然として逃れられない未来が突きつけられる。

 愛別離苦。肉親であろうとなかろうと、関わりを持てばそこに情動が生まれ心を揺り動かす。生老病死。人間であろうとなかろうと生きとし生きるものには生きることへの喜びと、死ぬことへの恐怖がある。残していくものは断ち切られる生に怯え苦しみ、残されるものは訪れるだろう別れに胸焦がす。それゆえにどうしてなんだ、どうしてそこまでするのだと詰り、叫んであたりを駆け出したくなってくる。その時期が来て、過ぎたあとに兄がひとりつぶやく言葉の、一言ひとことが後悔と自責を招く。けれども。

 「生まれてきてよかった」。そんなひとことが救いとなって一筋の光を闇に沈んだ心にもたらす。たとえ断ち切られるものでも、そこに存在できたことを喜びたい。それはあるいは優しさで、同情で慈愛から生まれた慰撫の言葉に過ぎないのかもしれない。それでも生きられたこと、生きて出会えたことを喜ぶ気持ちに偽りはなかっただろう。免罪符とはせずとも動機にはできるその言葉を刻むことで人は、否、人ならざるものも含めて生けとし生きるものは自らの生、ほかのものたちの生を感じてそして繋がりあっていけるのだ。SFとしての設定に物語としての奥深さも備えた珠玉の短編たち。漫画界はまた1人、とてつもない描き手を得た。

 素晴らしい漫画を読めて嬉しいところに「怪物王女」も新刊が出てきて姫のツンケンっぷりを久々に堪能。時空を超えたりする話がやっぱり入っているところも昨今の「怪物王女」らしいけれども、とっつかまっていたところを解放された姉があれやこれや策を弄して上を目指そうとしているエピソードもあって状況はさらに複雑化。初期の愉快な仲間たちが日々起こる謎めいた出来事を解決していた時代が懐かしく思えて来たけどもう後戻りはできない。激しさを増すバトルの中で姫とヒロたちがどう生きのびていくのかを期しつつ不安がりつつ見に行こう。令裡はまたも黒いのをいっぱい見せてくれてありがとう。次はテレビでも見せ欲しいものだよなあ。そろそろ第2期とかって話は来ないのかなあ。


【11月19日】 落合博満監督なら買うだろうなあ「新起動戦記ガンダムW Endless Walts 特別編」のDVD廉価版。「機動戦士ガンダム」の放送30周年を記念してバンダイビジュアルが出し始めた「ガンダム30thアニバーサリーコレクション」の1本として12月22日に3000円で登場。OVAの3話分に15分以上の新作映像が加わって劇場公開されたって奴だけれどもそんな映像より登場するウイングガンダムゼロカスタムがガンプラ好きな落合監督の確か大のお気に入り。何でか理由は知らないけれども翼を生やした美しさはなるほど歴代ガンダムでもピカイチなだけに美学を求める落合監督の琴線に触れたと思っても不思議はない。お台場に立てられたのがこいつだったら中日新聞社に進言してもナゴヤドーム脇に持ってきただろうなあ。等身大立像はいったいどこに行ってしまうのかなあ。

 でもって最新のガンダム「機動戦士ガンダムUC」の上映が来年の2月20日から新宿ピカデリーやらなんばパークシネマやらミッドランドスクエアシネマなんかで行われる模様。各劇場でブルーレイ・ディスクの1巻なんかも売っちゃうみたいでいち早い観賞に臨む人の気持ちが興奮に沸き立っている時に、お土産気分で売ってしまうって手もひとつの手かもしれないなあ、サイモン&ガーファンクルのライブを見た帰りに、家のどこかにあるはずのセントラルパークコンサートのDVDを買ってしまったことみたいなもんだ。テレビで流して数ヶ月後からパッケージでは、もはやスピードが遅すぎるって判断もあるのかなあ。でも急ぎすぎるとその場で盛り上がって終わって後に何も残らないって可能性もあるからなあ。「機動戦士ガンダム」がどうして人気が出たのかは、繰り返し再放送されて認知されていったから、ってことを忘れて欲しくないよなあ。

 そしていよいよ「装甲騎兵ボトムズ 幻影篇」がスタート。来年3月からOVAとしてリリースが始まるみたいだけれどもキャラクターにキリコが見えずバニラとココナのカップルにおっさんのゴウトも絡んだストーリーになっていきそう。キリコはどこへ行ったのか。去年あたりに話を聞いた時には時間をテーマにしたいとかってことを高橋良輔監督は話していたけど、そのとおりに時間を絡めて未来からキリコと3人が過ごした時間を描くのか、それともまったく違った設定のストーリーを生みだしたのか。どっちにしたって「ペールゼンファイルズ」を送り出して以降も変わらず模索し続ける高橋監督の脳髄が、あからさまになるだろうその作品を楽しみに待とう。オリジナルTVシリーズもDVD化ふたたびかあ。3箱で6万円弱。買い時かなあ。

 人情ひらひら紙より薄いこの世の中で人情よりも濃くて厚くて深いのが幽霊や妖怪たちの情という奴。恩を受ければ子々孫々まで見守り盛り立て尽くしてのけるし、惚れた相手がいれば取り憑きその気持ちを根こそぎ味わい尽くそうとする。それはさすがに死んでしまうから大変だけれど逆にいうならそれだけ思われているということ。惚れられる立場に立ってみれば案外に悪い気持ちはしないものなのかもしれない。牡丹灯籠だってそういえば最後は幸せそうに相手にくっついていくものなあ、確か。

 小林恭二の「麻布怪談」(文藝春秋)はそんな妖怪変化に幽霊物の怪の類に見込まれた40男の物語。大阪にあって儒学者の息子に生まれて嫁をとったものの、産褥によって子とともに死別し心にぽっかり穴があく。仕事をするでもなく儒学を極めるでもなく生きていた主人公は父親えの反意もあって国学に興味を抱いてのめりこみ、これを学びたいと親をだまして江戸に出て、儒学の師ではなく国学の師につき学び始めたもののやっぱりそこは腑抜けの中年。やがて親に嘘がばれて仕送りをとめられ、仕方なく麻布の寓居に引っ込みそこでさてどう暮らそうかとしていたところに不思議な女がやって来て、なにくれとなく世話を焼き始める。

 その正体は狐。それも歳を経た妖狐だったけれども別に主人公をとりころそうとするでもなく、酒の肴を運び世話をし夜もともにする。そこに新たな女の影。狐の女が来ない日を狙って若い少女があらわれるようになって主人公に体を許し、そのまま深い関係になっていく。とにかく男が好きらしく、のべつまくなしかよっては体を求めたそのつけか、男の体は弱り始めて死の淵まで行ってしまう。どうやら少女は幽霊らしく、寝ればいのちを奪われる。これは拙いと狐の女が邪魔をしようとしたものの、男の心が少女のどこかあいてをだまそうとするのではなく、ひたむきな姿に惹かれたのか、関係を断ち切らずいよいよ瀕死といったところで少女も自分が原因と気付き、男を助けようと狐の女と語らい動き出す。

 この世に残した未練と見初めた男への情愛が起こした少女の行動。それが結果として男の命を奪いかけてしまった状況から、願っても容れられない思いの哀しさというものが浮かんでくる。そんな迷惑な思いであっても思いなのだからと受け入れようとする男の優しさというものも同時に浮かんで、打算ばかりが横行するこの現代に一服の涼風を呼び込む。わだかまりも解け引きずっていた過去もきれいにして、男が選んだ新し道は40歳が過ぎたからといって人間、まだまだ新しい人生を歩めるんだとも教えてくれる。異形なるものへの関心と、生きる前向きさを与えてくれる物語と言えるだろう。

 これでもまだ終わらない、ってのが不満よりもむしろ快感となって来て押し寄せて来る作品なんてしばらくなかったかもしれないなあ。劇場版「東のエデン」は来週末にも第1部が公開になるんだけれど既に第2部が予定されているだけあって当然ながら終わらない。それもとっても良いところで続きはこの先ってなっているから劇場に来た人はテレビの最終回を見た時以上にいったいどうなってしまうんだろうってハラハラ感にとらわれる。でもだからって何で見せないんだって気にならない。まだ見られるんだ。もっと見られるんだって期待の方が上回って迫ってくる。ミサイルをたたき落として記憶を消した滝沢朗の半年後。そしていっしょになって大騒ぎした森美咲と愉快な仲間達のその後。それから蠢くセレソン達の半年先。みんなまとめて現れては、前よりも派手な騒ぎを起こす。そしてその先に待っているものは。嗚呼。胸躍る。でもそれはまた来年。今はとにかく新たに提示されたドラマと波乱を噛みしめよう。とりあえずNo.6のJuizが最高。チョー最高。

 それにしても高いなあ、「東のエデン」で滝沢朗が来ていたM−65フィールドジャケットを模した「M−65 TYPE Takizawa」。2万9400円って値段はアメリカ軍が本当に使っている奴のデッドストック品の約2倍。安いところを探せば1万円を切っているものだってあるからもしもリアルを追求したいんだったらそっちにした方が良さそうだけれどそこはミリタリー品だけあって、サイズがデカ目で女の子なんかにはちょいキツい。スモールのレギュラーで伸張171センチな僕にとってやや大きめなだけに女子だと太い上に長いコートになってしまう。だからこうしたオシャレな品なんかが嬉しいんだろうけどでも約3万円。ちょっとしたジャケットだって買えてしまえる値段をぶっこむだけの価値はあるか。あると思えば買うしかないな。よし買うか。って買うのか? うーん。0.915改め1.00でもやっぱり手取りで未成年ではちょっとなあ。何のこっちゃ。


【11月18日】 調子に乗ってセブン−イレブンで「機動戦士ガンダム」の一番くじをまたしても引いてはみたものの、頭部も立像も出ないで貯金箱のエルメスと、ヒートホークのボールペンが1つづつ当選。1つ500円が妥当か否かが迷われる商品であるけれどもそういう分も含めて混ぜた中に前回当たったハロの巨大な縫いぐるみも存在する訳で、足して慣らして2000円で縫いぐるみにエルメスにジオングの貯金箱にヒートホークのボールペンなら安い方なんじゃなかろーか。まだしばらくは続いているみたいなんで立像狙いで走ってみよう。

 でもって読んでみた「中二病でGO!」に掲載の滝本竜彦さんの作品は、「アセンデッド・サガ 序章 天を照らせ我が空なる心」ってタイトルからして中二病的雰囲気に溢れていたけど中身の方もとてつもなく中二病なストーリー。ヤハヴェとやらに選ばれた少年が自分を最初はマスターと間違えた寡黙な少女がカピバラを抱えている姿に惹かれつつ、出かけた野外ライブで100人もの暴走族に囲まれた少女を助けようとして果たせそうもなく、けれどもそこに起こった変事が少女と少年を変化させ、さらにそこに教室の寡黙な少女がマスターを引き連れ有られて天神なんてものを巻き込んだ戦いの幕が斬って卸されたりする展開からしてどうにもこうにも中二病。読んで背筋が凍りつく。頬がふわっと熱くなる。

 そんな戦いを序章で終えて、俺達の戦いはこれからだ的結末で後にねばねばとした尾を引いてみせるあたりも中二病。捻るとか裏返すとかいった技なんて使わず真正面から堂々と中二病的小説を中二病的文体で中二病的雰囲気の中に作り上げるその体を張った果敢な態度に涙が出てくる。魔龍院とかみたいなメタに逃げない真性ぶりに頭も下がる。すごいなあ。こうじゃなくった滝本竜彦さんは。それから松山剛さん。とりあえずしましま最強。「しゅうちぷれい・ろーるぷれい」はストーリーもすっきりまとまり良い感じだし中二病的な気恥ずかしさって奴をふんわか感じさせつつそれでもあったら良いな的シンパシーを感じさせる。とりあえず最強の技名と最恥の技名を考えてみたくなったりして。「れんほうのしゃしんしゅうううう!!」あたりか。有るんだよ僕の家にはそういうものが。

 可能になっていたんでユナイテッドシネマ豊洲で11月21日の第1回目の「マクロスF劇場版 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜」のチケットを予約。同じ日に公開の「マイマイ新子と千年の魔法」はすでに午後の舞台挨拶付きを予約済みなんでこの日は1日に2本の封切りアニメを梯子するっていうアニメオタクに相応しい行動をとてつもなく久々にとることになりそー。ってもそういうことって昔はやってなかったよなあ、映画を1日に2本も見るなんてお金の余裕もなかったし。せいぜいが1日に3回転くらいするのをずっと見ていたくらいか。昔はそういうことが可能だったんだ。けどしかし不惑を過ぎて厄年も越えてやることかっていうとなかなかに悩ましい行動様式。来週は来週で「東のエデン」を聖地豊洲で見るべくいろいろ画策していそう。日本が平和なのか僕がガキなのか。どっちにしたって面白ければそれで良いのだ。

 「マイマイ新子」に備えて秋葉原の洋物DVD屋で久々に見かけた「BLACK LAGOON」のDVDの第2巻を確保。こいつにはレヴィとロックとダッチとベニーのシルエットが刻まれたタグがチェーンとともにくっついてくるのだ。首にかけて片渕須直監督の挨拶に臨もう。それからガガガ文庫から出た「コップクラフト DRAGNET MIRAGE RELODEAD」を購入。こっちは始めっから賀東招二さんの名義になっているけど中身にも前の「ドラグネットミラージュ」から手が入っているみたい。どこなんだろう。イラストは篠房六郎さんから村田蓮爾さんに変わってラストエグザイルな雰囲気? それはないけどどっちかっていうと西洋っぽかった異世界の文化がぐっとエスニックな雰囲気に変わって見えた。イラストって影響力大きいなあ。篠房さんだからツンデレさが増大していたティラナは小生意気さへとシフトか。百舌谷さんみたいなスベりは期待できないかもしれないけれど、ちょこまかとした暴れっぷりを見せてくれそうな予感。なので売れて続編続々編と記録を更新していって欲しいもの。他に書いている感じもないんだし。ないよなあ。どうなっているのかなあ。フルメタとかフルメタとか。フルメタとか。

 知らない間にキス魔の幼女がおまけについてた「キディ・ガーランド」はGTOの前身のGOTTに乗り込んだアスクールとクフィーユが地下で得体の知れない幽霊と遭遇するストーリー。17歳おいおい17歳おいおい17歳おいおいだなんて言って迫ってくる幽霊には正直あんまり会いたくないし、若本声でうなる妖怪変化もちょっと遠慮したいよなあ。つか若本ってシュバリエ長官演ってなかったっけ。17歳おいおいともどもそうしたGOTTの“亡霊”なんかも絡んで面白くなっていくのかなあ。それとも小ネタに抑えながら劣等生2人組の頑張り日記に終始していくだけなのかなあ。下から仰ぎ見てのぞくホワイトがあったからまあ良いけれど。とても良かったけれど。「BLEACH」は斬魄刀話が延々と進行中。いつまでやったら本編にアニメ化していける分量が溜まるのか。まあ今のまんまでも死神がオールスターで楽しいんだけど。ジャンプアニメってこれがあるから難しい。


【11月17日】 「機動戦士ガンダム」はガンダムが主役メカではあったけれども「機動戦士Zガンダム」は最初のうちはZガンダムなんて出てこずいったいどういうことだといぶかったかどうかは放送当時のことを良く憶えていないんで分からない。「聖戦士ダンバイン」は途中から主役メカがビルバインになってもずっとタイトルは「聖戦士ダンバイン」だったし「戦闘メカザブングル」もそんな感じ。「重戦機エルガイム」は別に途中からMark.2とか付かなかったなあ。ことほどさようにタイトルと中身は頻繁に乖離するものらしい。

 んで和田竜さんの「小太郎の左腕」(小学館)はなるほど小太郎の左腕の凄さって奴にスポットは当てられているけれども、それが主役メカかといわれるとちょっと曖昧。少なくとも小太郎は主人公ではなく林半右衛門って武将を主役に物語は進んでいく。時は戦国時代の西国で、織田信長とか出てくる前の群雄割拠というか小競り合いが続いていた時代、戸沢家を盟主に仰いだ領国があってそこの領主でもある半右衛門は戸沢家に見方する形で戦っていたけどどうにも後継者が暗愚で仕方がない。

 戦功を上げようと先陣したはいいけれども、奸計にあい引きずり込まれて殲滅の危機。そこで見捨てれば良かったもののそういう卑怯な真似は絶対にするなと教えられ育った半右衛門は危地へと飛び込み後継者を救いながらも自身は傷つき落ちて農民に狩られそうになったところを小太郎という少年を連れた要蔵という老人に助けられる。人嫌いな雰囲気のある要蔵とは対称的に小太郎は素直で純朴。半右衛門の連れが持っていた左利きの銃に興味を示すもののそこで要蔵がきつく然って下がらせる。とはいえ恩人。半右衛門は小太郎が出たいと望んだ鉄砲の大会に来ても良いぞと誘いその場は別れる。

 領国は不安定で敵も攻めてくる雰囲気。和睦が妥当なところを戸沢は負けたくないと籠城を覚悟し景気づけに鉄砲比べを開催。そこに祖父を残してやって来た小太郎が、相変わらずの無様な腕を見せて失笑を買うもののその腕前の奇妙さに気づいた半右衛門が授けた策が、小太郎の隠されていた力を引き出し彼をとてつもない存在へと変えてしまう。やがて始まった籠城戦。もはやこれまでかと思われたところで君主は小太郎の腕を頼り半右衛門に小太郎を連れてくるように命じるが、それには頑固な祖父の存在が邪魔。曲がったことが大嫌いな半右衛門も後込みするがそこは戦国、君主が生き残ってこそ浮かぶ目もあるという訳で、半右衛門はとある決断をして行動を起こし小太郎の武器を手に入れる。それは同時に半右衛門にとっても心の死を招く出来事だった。

 見方につければ最強無比の小太郎も敵に回せば戦慄の兵器。純朴で素直ゆえに御しやすく実際に御され操られる小太郎の姿に定見なき者が操る殲滅兵器の恐ろしさといったものをじんわりと感じさせ、武力や兵器といったものへの疑念を抱かせるストーリーとも言える。小太郎の左腕はそうした意志持たぬ強力な武器への警鐘でもあるんだけれどもストーリーの中心は、正々堂々と生きようととした戦国武将がいながらも、正々堂々だけでは生き残れない戦国の世にあって取らざるを得なかった振る舞いから、この世知辛い世の中を果たしてどうやって生きていくべきなのか、ってあたりを考えさせる。

 勝ち残った者だけが歴史に名を残せる。せいぜいが勝ち残った者に敗れた者たちまで。戦国時代に生まれ、戦って敗れ去っていった武将のほとんどは、功名を今に伝えられないまま、時間の彼方に置き去りにされてしまっている。けれども、そうやって消えていった武将が、名だたる戦国武将たちに劣る存在なのかというと多分違う。武勲においても忠義においても、後生に名を残した武将たちに劣らない物を持っていた。

 持っていたけれども敗れ去ったからこそ誰も知らず語られないまま埋もれていく武勲と忠義と正義の生き様。そうした山ほどあるエピソードをひとつの形にして描き出した物語って言えそう。とはいえやっぱりタイトルどおりに小太郎の左腕にもっとスポットをあてて、意志なき武器が辿る数奇な運命を描きつつ、武器自身が意志を持って正義を貫くなり、悪に転ぶといった展開を通して愚鈍な王を頂く不幸を嘆くかあるいは英明な王を抱ける幸いに喜ぶ話を読んでみたかった気もするなあ。

 生きていたのか滝本竜彦! ってそりゃあそうだけれども久々に活字の上でその名前を見るといよいよもって雌伏の時を越えて復活の狼煙を上げ始めたのかって期待もふくらみこころウキウキ。とはいえさすがに1冊まるまるって感じではなさそうで、スクウェア・エニックスから出た「中二病でGO!」っていかにも中二病的なタイトルのアンソロジーに作品に寄稿。これが結構な長さで前に「ビッグイシュー」で読んだような見開き1枚程度のショートショートとは違ったながれるように語られる滝本節って奴を堪能できる、のかどうなのかはこれから読んでのお楽しみ、と。加えて「怪獣工場ピギャース」の松山剛さんも一迅社から出た小説に続く感じで短編を寄せてさらには12月に「天才ハルカさんの生徒会戦争」ってのをガンガンノベルズから刊行してくれる模様でこれにも期待。同時発売は日日日と書いてアキラと読ませる日日日さんの「うさぎさん惑星。」。句点の意味は? ともあれガンガンノベルズ、始まったな。


ハロがでかいのは分かったが隣の顔もでかいのは何だ? 【11月16日】 セブンイレブンガンダム祭り。ってことで「機動戦士ガンダム」の1番くじをセブン−イレブンで始めて引いてみたら何というか驚きというか例の巨大なハロの縫いぐるみがいきなり当たって超ラッキー。もうひとつの貴重な品はガンダムの立像で、それもそれで悪くはないけど飾るしか他に利用方法もなさそう。対してハロなら縫いぐるみだから置いて楽しくけ飛ばして面白くといった具合に、さまざまな利用価値がありそう。部屋のどこにも置けそうもないけどがんばって置いておくことにしよう。やがて手がでる脚が出る。出ませんってば。

 ちなみにもうひとつがジオングの顔の貯金箱。こっちはたいした賞じゃないけど手ぬぐいよりはちょと上って感じ? 悪くはない。それにしてもこんなところで運とか使ってしまているから、日常の生活の方でまるっきり運がなくなっているのかもしれないなあ。ジェフユナイテッド市原・千葉は連敗連敗また連敗。下に落ちるどころかそこからはい上がれそうもない可能性が膨らんで来年のフクアリ通いを億劫にさせる。別方向に目を転じれば「週刊現代」なんかが手取り10万円台とか何とかって記事を掲載している。どこの話かは知らないけれども想像するなら4万キロは離れた場所での出来事みたい。モデルではなく実質でそれは不惑を上回っていたりしそうなだけに、涙を流して同情したくなる。しくしく。しくしく。

 あんまり悲しいんで日曜深夜のアニメはまるで見られず。「夏のあらし 春夏冬中」は何がどこまで進んだっけ。案外に面白いのは大江戸線なアニメーションで先週に見た月島は、破天荒な展開ながらもお嬢様の1日の逃避行が描かれていてとっておも愉快だった。もんじゃが食べたくなって来た。でもひとりで喰いに行くもんじゃないんだよなあ、もんじゃ。いつか誰かと。誰とだ。誰でもない。しくしく。しくしく。ビデオで見た昼間のアニメは「クロスゲーム」がどうでも良いんでないかいな。「ONEPIECE」は劇場アニメを前にして本編を歪めてインペルダウンから誰か脱出できたことにしていやがった。まあ良いんだけど。ニコ・ロビンが久々に見られてとっても嬉しい。脚奇麗。胸元深い。深い。

埋めたいけど窒息しそう  深い胸元といえば10月から始まっていてまだ見たことがないんだけれど評判よろしげな「戦う司書」のバントーラ図書館館長代行ことハミュッツ・メセタの胸元の深さに改めて感嘆したのは来年1月からスタートする第2期のオープニングを唄う佐咲紗花さんのお披露目会見に置いてあったPOPを見たから。いやあデカい。そして深い。それをいったいどうやって支えているのか。アップリケも可愛らしい白いシャツからはそうした装具がまるで透けて見えないんだけれど。あるいはハミュッツお得意のぶんなげ用の道具でしっかりサポートしていたりするのかな。でもってイザというときには自ら巨大なそれをひっかけ飛ばすという。それだけが飛んでいく訳ありません。まあそうだよね。

 そんな会見と取材でノロティ=マルチェがたどった悲しい運命について思い出しつつむせび泣きつつ、第2期ではいったいそこまで描かれるんだろうかと想像。とはいえ今の1期がどこまで描かれるのかも分からないんでその当たりは月末にスーパーダッシュな人に聞いてみよう。でもって竹芝を飛び出し浜松町へとかけつけて、BS11ってところが年末に開くらしいアニソンの年越しライブ「キングラン アニソン紅白2009」ってイベントの発表会見を見物する。そういやあ昔に日本武道館でアニソンの紅白なんてものを見たような記憶があるけれども、あれってどこが主催だったんだっけ。でもってどうしてなくなってしまったんだっけ。客は入っていたからきっといろいろ事情があったのかもなあ。知らないけれど。

 今回も今回で事情があるのかそれとも状況からなのか、登場するアーティストがどちらかといえば懐かしい面々に集中。なるほど串田アキラさんとか宮内タカユキさんとか、MIOさん改めMIQさんとか太田貴子さんとか、僕らの世代には懐かしくって嬉しくって涙無しには聞けないアーティストばかりが揃っている。ちょい下の世代にだって成田賢さんが「サイボーグ009」を唄えば感激の嵐は間違いない。でも現在進行形のアニソンムーブメントを動かしているファンにとってこのメンバーってのはどうだろう、のれるだろうか、どうなんだろうか。ちょっと悩ましい。井上あずみさんが唄う「となりのトトロ」にあわせて打てるオタ芸なんてないもんなあ。

 とはいえもっともBS11にとってそうした濃いファンを狙うのは先の話で、今はもう少し一般性のあるところからファンを引き寄せBS11としての存在感を高めていくのが先決ってことなんだろう。分かりやすくて老若男女が楽しめるセレクトってことで、行けばまあそれなりに楽しめそうだし、行けなくたってテレビで見ていれば心も洗われそう。おそらくはジャニーズの年越しで賑わうドームの横にアニソン野郎が近づくのもなかなかに困難なだけに、ここは家で普通の紅白の後に楽しむのが吉ってことで、って家じゃあBS11とこどかNHKのBSだって見られないんだよ。そういう家なんだよ。どうにかしたいなあ。でも無理だよなあ。4万キロの彼方の10万円台ほどではないかもしれなかたったりどうだったりするかもしれない状況では、そんな余裕など金輪際与えられそうもないのです。運がないなあ。


【11月15日】 阿佐ヶ谷あたりで「機動戦士ガンダム」を題材にしたガンダム講談が開かれていてとっても興味をそそられたものの、今日は栄えある天皇杯を鷲掴みにいくジェフユナイテッド市原・千葉の戦いが、遠く埼玉県なのが群馬県なのか長野県なのか調べてないけどきっとその辺の熊谷で行われるってんで早寝早起き。その前にサッカー日本代表が旨にレッドカードを張り付けて戦うはじめての試合が、これはさらにはるか彼方の南アフリカであったんでテレビで生ではない中継を見てつぶやく。もうダメだなのね。なるほどスピードはあるし展開力もあるしサイドバックも徳永悠平選手なんかの上がりは凄まじいんだけれど、そこから上げられるクロスがさてはて。いかに岡崎慎二選手が中央で構えていたってこれじゃあ如何ともしがたい。

 守備に関してもセンターバックの薄い方がボランチからさらに先まで上がった裏なんかが心配めくけど、ここは相手も別に真剣になる相手じゃあないと、しゃかりきに前に圧力をかけるようなことをしないで淡々と試合を進めた感じ。だから破綻こそしなかったものの、本気の相手にどこまで通じるか未知数のまんま終わってしまった。本番ならこれで引き分けられて御の字なんだけれど、それをさせてくれるほど南アフリカだって弱いチームじゃないし、それ以上にきっと他の対戦相手は強いだろう。3分けでは上がれない。かといって勝利できる印象もない。見えてしまった6月のアフリカに振る雪の向こう側、2014年をかけるに値するチームとそして監督を今から楽しみにしてしまうのって、やっぱりどこか間違っているよなあ。

 とはいえ早寝なんかできるはずもなく「とある科学の超電磁砲」をそのまま観賞、ようやくもってシリアス展開の連続劇が見えてきた。過信とまではいかないまでも力があることが行動に無謀さを与えてしまって、イザという時に失敗するととてつもないダメージを喰らいそうなレールガン。そこにすかさず飛び込みイマジンブレーカーを発動させた上條当麻によって事なきを得たものの、その異様な力がいずれ学園都市を巻き込む壮大な戦いに発展していくことをこの時の御坂美琴はまだ知る由もないのであった、ってそういう展開で良かったのか「とある魔術の禁書目録」。ずっと見送っていたけどそろそろ読み時かなあ。それより心配なのは佐天さんか、何か力の暗黒面に見入られて来ている。見返せば第1話から力がないことを劣っているかのように受け止めている描写があった。そうじゃないって分かろうとしても分かりきれないのが人間の弱さ。そのあたりにつけ込む動きが出てくるのか否か。この秋でトップクラスの作品という評価。変わらことのないまま突っ走ってって欲しいもの。

 遠く防府で片渕須直監督が千年前を辿っているらしい映画「マイマイ新子と千年の魔法」だけれど東京の方は公開が来週なんであと1週間を首を長くして待とう。「マクロスF」は早朝の舞台挨拶付きに先行で外れたんでパス。ぴあの先行って当たった試しがないんだが。なにかコツでもあるのか。名前のあとに「ぴあ」とか入れるとか。「ぴよ」じゃなく。その後には「東のエデン」の劇場版前編も控えているんだよなあ、そういやあ総集編とか結局見に行ってないぞ、何か最近人ごみに並ぶのが億劫になって来ている、そこまでしなくてもいずれパッケージでって頭になって来ているあたりによる年並みを感じてしまう今日このごろ。イベントだからこそって同時代性がイベントにあんまり感じられなくなって来ていることもあるのかなあ、あの時そこにいたって体験、最近だと何かあったかなあ、お台場ガンダムくらい? それも万博とは違って一生は引きずれないからなあ、あれを見て実物作りましたって人が出て来ないとなあ。そういうものだよ体験って。科学未来館もスパコンも。30年後の種まきなんだよ。それを今の国民目線とやらでやるから話が曲がるんだ。蓮舫。あの20年前の写真集があったから今のファンがいるんだってことを忘れちゃいけない。

 起き出して朝方のヨドバシカメラで崩れかかっているパソコンのデータを移管するソフトを物色して元アルファオメガソフト@「英雄降臨」な会社のを仕入れてから電車で熊谷へ。上野で乗り換えられそうと京浜東北線から下に降りたら列車は見あたらず、探すと1つ上のホームから出るってんでそっちへと走り乗り込み待つこと1時間と10分ほど。あわむら赤光さん「無限のリンケージ2 ディナス・ザ・ウィザード」(GA文庫)を読んでいたら程なくついた。3つの武器だか防具だかを使って人間同士が戦うBTR(バトルオブスリーリング)とやらの戦士となって下部のリーグから1年づつしっかり上がってそしてたどり着いたその星のトップリーグで戦いはじめたラーベルト。理由は簒奪された故国で奴隷として苦しむ同胞を救うための資金稼ぎでお姫さまをトップに仰ぎつつ稼いでは来たものの、トップともなるとそう易々とは勝たせてもらえず4連敗を喫していた。

 とはいえそこはトップリーグ。ガチで挑んで粉砕されるような真似はせず、地道に勝ち点を稼ごうと引き分け狙いをしていたにも関わらず、普通だった避けきれる相手の光弾がなぜか避けられない。喰らって敗れて4連敗。どうしてだ。おまけに次なる相手はトップリーグでもさらにトップの9人にあってすらさらにベテランの魔術師ディナス。あらゆる武器を自在に操り相手の攻撃も完璧に見きって確実に勝利を収めるファイターだけに引き分けすら危ういと思われていたところに助っ人参上。まだ学生の少女がやって来てはラーベルトを手伝いたいと行ってきた。ラーベルトの師匠にも許可をもらったという彼女の感性はなるほど正しくお手伝いとして受け入れることにしたものの、実は彼女には秘密があって……。

 とまあそんな展開はつまり戦うんなら堂々と、ってことで妙にセコく行けばそれだけ姿勢もセコくなって体もセコさにまみれてしまうってご教訓。聞いて思った我らがジェフ千葉の戦いぶりは……セコさに玉砕も交じったなお最悪な戦いか。焦って球だしをしては相手にとられて反撃される。あと1歩が出れば攻撃を止められそうなところを見送って抜けられ得点される。そんな繰り返しをもう2年近く見せられて来たっていうのに、ちっとも改善されないのはあるいは現場ではそうした戦いぶりが真っ当と思われているからなんだろうけれども、そうだとしても出ていない結果を厳然と受け止めるならここでっていうよりとっくに何かしていなくちゃいけない。にも関わらずなんにもされていない。ボランチは前に出ず横にパスして奪われミドルはすべて天空へ。サイドバックは上がらず突っ込まずクロスを上げず守備もせず。これではいくらトップががんばっても得点にはつながりません。

 むしろ岐阜の方がチェックは確かで動きも速くシュートも確実に何本も枠に飛ばしていた。見て強かったのは岐阜。そして勝ったのも岐阜。当然だよなあ。たった1人の選手を5人が囲んだシーンとかには驚いたけど、昔のジェフ千葉てそれをやってたんだよなあ、1人の選手がいたら最低でも3人で囲んで潰して奪ってそこから走って攻撃してた。それがいつからなくなってしまったんだろう。クゼ監督が就任して行われたちばぎんカップでもちゃんと走れていたんだよなあ。でもそこまでだった。あれからもうすぐ2年かあ。チームって簡単に潰れるし、選手たちって簡単に衰える。そこを何とかするフロントが真っ先に衰えているんだから何ともはや。かくして期待のカップ戦も消えて残る消化試合に上位虐めなんて可能性も見えない通過点。このままズルズルと最下位なんて喫した日にゃあ1年で昇格だなんて夢のまた夢、っていうかフルメンバーで戦って岐阜相手に得点できないんじゃあJ2でも下位に沈むことはほぼ確実。それでもつき合うか、っていわれればつきあうけれどもそれで良いのか選手は、チームは。シュワーボオスタニ。無理でもせめてそれくらいの人を。


【11月14日】 いよいよもってX60のグラフィック表示がいかれてきた感じで白いはずの画面が青くなったり黒いところが赤くなったりとめっちゃくちゃ。これで「機動戦士ガンダム」を見るときっと白い部分も青くなって青いところといっしょになって胸元の黄色が赤くなってと妙なガンダムが出来てしまうに違いない、ってそれはまるで日本代表の新ユニフォームみたいだ、ってネタはサッカー・アンダーグラウンドの人がやっていた。ともかく妙なユニフォーム。それが南アフリカの地に立つ。日本の妙さもきっと世界に伝わったことだろう。ワールドカップが終わったらすぐに取り換えてくれないかなあ。アジアカップまで保たせるのかなあ。

 それよかパソコンの起動を用意しておかないと。X41をバックアップにしつつX61を使うってのが取りあえずのチョイスかな。X60は修理に回すってのが良いんだけれど場合によっては3万円くらいかかるからなあ。それだったら中古でX60を買ってきてそいつに手持ちのHDDをぶっこ抜いて差し込むってのが手っ取り早いのか。そういうことってThinkPadの場合って出来たっけ。とりあえずクラッシュに備えてデータ関係画像関係のバックアップだけは密にしておかなおと。とりあえず今はまだ動くX60でお仕事お仕事。

 いろいろと見る「ファイト一発充電ちゃん」はいきなりのシリアス展開に。絵の上手さがエロの見せ合いとどつき合いに使われて怠惰に落ちかけていたところに加わったドラマ要素がエロとの対比となって作品にメリハリを与えそう。エンディングは相変わらず揺れている。「けんぷファー」は原作だとどの当たりになるんだろう。原作どおりなのかも憶えてないけどいろいろ臓物アニマルの種類が見られてたのしい。冒頭で能登麻美子さんが石川県の開設をしていた。何でだ。能登だからだ。分かりやすい出おち。今後も臓物アニマル声優の大バーゲンはあるんだろうか。原作どうなっていたっけか。探して読み返すか。探せません。

 けど「けんぷファー」、宝島社から出るらしい「このライトノベルがすごい2010」のランキングに見あたらないっぽいんだよなあ。好きなのに。人気ないのか。でもアニメになってるし。人気あるのか。どっちやねん。わかりません。「DARKER THAN BLACK 流星の双子」は契約者のむだ遣いがまたも炸裂。現れた母ちゃんはシフォンケーキを焼いてそれからバトルに望んだところを負けた訳でもなくおそらくはミス・オレアイダ、だとポテトになっちまう、ミス・オレイユとやらの刺客か何かによって空中に絡め取られて操っていたはずの水で死亡。でも兄ちゃんは蘇芳がやったと思ってる。残酷だねえ。ロシア君みたく排除されなかっただけましか。

 でもっていよいよ銀(イン)登場。眠っているのと蠢いている観測霊とは別もの? 分離中? 謎おおし。霧原美咲はすっかり元通りいん。黒服刀の口直しに使われるのは何時なのか。先が読めないってのはやっぱり面白い。オリジナル。冬にはそんな作品にまたいっぱいめぐり会えるかなあ。「月刊アニメージュ」も「月刊ニュータイプ」も別ん所に置いて来てしまったから何が新番組として始まるのか分からない。「おおきく振りかぶって」はモモカンがジャージになってしまって残念。やっぱりベルトをきっちり締めたユニフォームじゃないと、あの前に飛び出し上にせり上がるような巨大感は味わえないのだなあ。ブルーレイ化してくれないかなあ。

 なでしこジャパンの試合に埼玉まで行こうかと空を見上げたら雨模様なんで断念。でも時々上がって雲間から青空も覗いてたんで行ってもよかったかもとちょい後悔。でも明日は明日で遠く熊谷まで天皇杯を見物に行かなきゃいけないんでそっちに備えて都内を散策。見るものもなし。途中でマサト真希さんの「よめせんっ!」(電撃文庫)なんかを読む。「かんなぎ」が大量化したって感じ? ひろった女の子が神様だけど記憶なくってそれでも土地の神様らしいんで同居していくって展開だけどその周辺に蛇の化身や雪女や家守の化身やなんやらかんやらが現れ大騒動。とりあえず主人公に嫁を見つけてあげるって話になったけれども相手がいないんでさあどうしようって展開。うーん。楽しいから良し。幼なじみではないけれども同級生の少女が妙に大金持ちってのは「迷い猫オーバーラン」とも通じるなあ。そういうことで。


【11月13日】 「月刊アニメージュ」とか「月刊ニュータイプ」とかをペラペラ。やっぱり「劇場版マクロスF 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜」がどっちもメインで表紙を張っているけど、描かれた谷間の深さでニュータイプにやや軍配。でも少年少女には手にしづらい表紙かも。広告を見たら「機動戦士ガンダム」絡みでCDが何枚か。ビクターの「GUNDAM 30th SYMPHONY」ってのはロンドンシンフォニーオーケストラと佐橋俊彦さんがガンダムの音楽をやっているみたいだけれど、SEEDの佐橋さんだけにSEEDをあんまり見ていない身にはちょっと印象が浮かばず。どんなだろう。

 本家のキングは「燃え上がれ! ガンダム・ブラス 機動戦士ガンダム(吹奏楽版)」ってタイトルのCDをすでに発売。有名な大友直人さんが指揮してガンダムの名曲の数々をブラスバンドでやってるみたい。見知った楽曲だけにこれはパッと印象が浮かぶ。不思議なのはジャケットがザクじゃなくってズゴックとゴッグがやたらと目立っていること。大河原邦男さんのデザインらしーけど、どういう事情があったんだろう? ザクよりもズゴックゴッグドムグフって感じなのか吹奏楽は。2つのCDのほぼ同時期発売も何かの縁。オーケストラとブラスバンドという対極っぽいアレンジで、ガンダムを聞き比べてみるのも面白いかも。バロックとジャズもきっとそのうち出るんだろうなあ。世にガンダムのネタは尽きまじ。

 録画したアニメもあんまり消化できない中で、どうにか「うみねこの鳴く頃に」を見たけど過去を相手に未来から妹がちゃかちゃかするだけで、ストーリーがあんまり進んでない感じ。毎回のよーに残酷描写が山積みだっただけにここに来ての静かすぎる展開。とはいえ物が物だけに、ここからの巻き返しもあって人死にもたんまりとある上にベアトリーチェの高笑いも乗っかって、喧噪のフィナーレを迎えてくれるものと期待。んでもって「生徒会の一存」は絵は奇麗で先生は谷間だけれど、話の方はまあまあ普通。面白いんだけれど普通。小説は言葉の畳みかけとシチュエーションの山津波で引っ張れるけど絵にすると普通になってしまうんだろうなあ。普通なシチュエーションが絵になるとニュアンスが生き生きし出す「けいおん」とは真逆な作品、ってことになるのかな。

 「Fellows!」に連載中な上にちょっと前に始まってからの3話くらいをそれぞれまとめて掲載した合本も出ていた森薫さんの「乙嫁語り」(エンターブレイン)とそれから入江亜紀さん「乱と灰色の世界」(エンターブレイン)の第1巻が相次いで刊行。なるほどこりゃあ看板作品な上に、どちらもマンガ大賞ノミネート級の完成度なんでますます来春が気になりそう、ってそろそろ第1次のノミネートも考えなくっちゃいけないんだよなあ、確か5冊までだったっけ、こりゃあちょっと困るかも。萩尾望都さんは入れたいし羽海野チカさんにも入って欲しいし高橋慶太郎さんにもラストチャンスをがんばって欲しいし。

 しかしアプローチが真反対って感じの森さんと入江さん。19世紀の英国はメイドな人たちの大変さって奴をリアルに描いた「エマ」に続いての森さん「乙嫁語り」は、やっぱり19世紀だけれど舞台を中央アジアへと移して遊牧民たちの暮らしぶりって奴を楽しげななかにリアルに描いて興味を惹く。遊牧民って言いっても一部は町に定住をはじめてて、そこの12歳くらいの子供が早くも嫁を迎えることになって、山を越えて遠くの方からやって来たのがアミルって娘。娘といってもすでに20歳で当時とすれば行き遅れの感も強く、だからこそ相手が12歳でも送り出されたんだろうけれどもこれが後になっていろいろと騒動を引っ張ってくる。

 それはアミルと夫との間の問題では全然なくって、むしろ2人は出会って時から仲睦まじく夫のために毛皮の付いた服をつくったり、ウサギが食べたいと言われれば嫁入り道具の弓矢を持ち出し馬をかって草原へと出て、ウサギを狩って煮て振る舞う。なんとまあ野性的。とはいえその町に繰らす遊牧民たちにも昔はそれだけの腕前を持った人はいた訳で、定住して町での暮らしを続けるなかで馴染んで、狩猟のことは忘れていってしまったってことを、老人たちは憂いている。現代にも通じる環境の変化がもたらす生活習慣の変化。そこに訪れた異分子が混乱を招かないのはまだまだそれでも自然の近くに寄り添って暮らしていたからなんだろう。親族に会いに行くにも村を出て遊牧民の住んでいる場所まで行かなくちゃならなかったし。

 問題は2人がそんな親族のいる場所まで出かけていた時に発生。アミルがもといた村から送り出した別の嫁がすぐに死んでしまって、嫁いだ相手からいろいろクレームがつけられた。大切な部族らしくって代わりを送り出したいけれどもすでに女性はおらず。仕方がないのでアミルを呼び戻そーとして一族の男たちを送り出す。乱暴に無礼に乗り込んでいっては騒ぎ立てようとしたものの、そこは老人というか老婆が昔取った杵柄で、弓矢を取りだし無礼と誹って相手を引き下がらせる大活躍。婆さん強し。とはいえ向こうも切羽詰まっていたりするからいろいろと後に尾を引きそう。そんな要素を含みながらも歳の離れた夫婦の仲睦まじい光景も描かれていくストーリーから、中央アジアの文化や暮らしぶりって奴を存分に味わえそう。続きが楽しみ。ほのぼのとした幸せが続いていってくれると良いけど。

 んで入江さんの「乱と灰色の世界」は、タイトルどおりに混乱の極みが初っぱなから繰り広げられるスラップスティックマジカルファミリーファンタジー。何のこっちゃ。最強の魔女を母ちゃんに持ち、鴉に変じる父ちゃんがいて狼になれる息子がいたりする家に繰らすのは、魔法の靴をはくと大人の女になってしまう娘。そんな家族を描いた内容は、年頃の娘が世界を鎮める仕事で忙しい母親に会いたい一心で、魔法の靴を履いて大人になって家を飛び出し突っ走っていくのを兄貴がどうにか止めようとして起こる大騒動を描いていく。美女になっているとき出会った大金持ちの青年からアプローチがかかったりして更なる混乱の予感。そして母親が娘を教育しようと魔法の教師を送り込んでくることになってそれが誰なのかってお楽しみを抱いて1巻の終わりとなる。父親は相手を知っていそうでさっそく逃げ出す算段。いったいどんな奴なんだろう? 躍動感があって絢爛で美女はグラマラスな入江ワールド。続く限りは楽しんでいこう。

 そうかやっぱりそう来たか。王家の  家族を皆殺しにされた中をたった一人だけ生き残った王子が、憂愁だった双子の兄貴がしっかり合格していた竜を駆る騎士になる学校へと兄貴になりすまして入学した物の、頭は追い付かず技能も伴わない中でそれでもなぜか自分に目を向けてくる竜のお姫さまの引きで学校に通いながら、とりあえず才能を目覚めさせて高慢な同級生の鼻っ柱をへし折ったのが前巻まで。三上延さん「偽りのドラグーン」はそんな感じに学園マジカルストーリーが続いていくのかと思いきや、第2巻では逆に高慢さを見せ始めた主人公の少年が、勇んで訓練へと赴いた先で自分なら出来ると突っ走った挙げ句に大失敗。武器を奪われ苛立っていたところに友達へのスパイ疑惑が浮かんでいてもたってもいられない。けどどうしようもないと焦っていた最中。

 本当のスパイを見つけだすんだと忍び込んだ地下で仮面を付けた本物のスパイをつかまえやれ良かったと地上に出たらそこに故国を滅ぼした仇敵が現れた。自分と同じように力を過信しそして鼻っ柱をへし折られ、戦いが嫌いになっていたお姫さまの心を知って共に精一杯に大切な人たちを守るためにがんばろうと立ち上がった主人公の少年は、仇敵を相手に無理を承知で戦いを挑んでいく。いきなりの戦乱という急展開が起こった上に意外な人物の登場もあってぐわっと広がる世界観。元の事件そのものが何か陰謀めいていたって可能性も浮かび、いったい何が目的だったのかって疑問の中で第3巻を楽しく迎えられそう。劣等生に見えて意外な才能を秘めていた主人公。そこまで関心を持たれているってことは更なる何かがあるのかな。


【11月12日】 「機動戦士ガンダム」のピンバッジセットがことのほか好調だったようでバンダイではまたしてもピンバッジのセットを出す模様。ネタは「聖闘士星矢」でこれだと連邦だかのマークでは作れないんで中央にアテナを置いてたっけ、でもって周囲を星矢やら紫龍やら瞬やら誰やらのブロンズセイントのバッジを背負っていた箱なんかともいっしょに並べ、その周りを12人のゴールドセイントたちの顔がはいったバッジとそれからやっぱり背中に背負う箱の形を模したバッジを並べて飾ってみせるみたい。1人につき2つとは剛毅だけれどキャラの顔だけじゃあやっぱりだし、かといってクロスだけじゃあ何が何だか分からないからなあ。そこんところがマークだけでも欲しがるガンダムファンとは違うところか。キャラが入った分、女性受けは良さそうな印象。さてはてどれくらい売れるやら。これが売れたら次は何で作って来るかなあ。やっぱりガンダムヒロインか。中央にセイラさん。でもって周囲をハマーン様。あとはどうでも。趣味偏り過ぎ。

サインだ直筆だ片渕監督もmookiさんも持っていない貴重品だ  昨日申し込んだ「マイマイ新子と千年の魔法」サントラが今朝に届いた。何という速度。クレセントスタジオさん仕事早すぎ。注文してすぐ発送したってあったけれどもこれほどまでだとなるほどリアル店舗が衰退していくってのも分かるよなあ。つかリアル店舗だと置いてあるかどうかすらも怪しいんだよ、アニメ映画のサントラなんて。あってスタジオジブリの楽曲が中心。あとはディズニーとポケモンとキッズアニメ諸々で、いわゆるハイエンドなアニメの関連CDとなると普通の町中にあるレコード店にはまず置いてない。秋葉原の専門店でアニメのDVDやブルーレイディスクなんかといっしょに売っているのを探すのが精一杯で、それすらも最近のショップだと回転が速くなっていて、カタログ的なものは消えてしまっている。

 ジブリでもなくヒットアニメどころか公開がこれからって映画のサントラが、だからリアル店舗で売っているってのは相当にマニアック。でもネット店舗だと確実にそこにある。あるからアクセスできて購入できる。問題はだから届く間dねお時間的なラグで、家にいないと受け取れないとかいった問題が解決されない限りは利用もなかなかままならないだろうなあって、大昔に考えたけれどもコンビニでの受け取りとか配送所での預かりなんかのシステムがきっちりしてきた上に、駐車場問題を受けたヤマト運輸なんかは配送所をそれこそご町内に1つの割合で置いて脚で配るような体制を整えたから、脚で行ける範囲に受け取れる配送所があったりする。これって結構便利。朝からやってるし。

 ロジスティックのシステムさえ整えばあとはもうバーチャルもリアルも関係ない。むしろバーチャルの方にこそ軍配が上がりそうってことを痛感もさせられたりする昨今。おまけなんかも付けやすいし。ちなみに「マイマイ新子と千年の魔法」のサントラには監督をした片渕須直さんのほかに作曲した人と歌った人のサインもはいって背後に新子ちゃんたちの絵もプリントされているなかなかの逸品。アイドルとかとは遠いけれどもアニメ回りでもあんまり出ないだろう品物なんで、欲しい人は早めに申し込んでおくのが吉。ちなみに歌っている女性シンガーはあの「BLACK LAGOON」で双子が唄った歌を実際に唄っていたMinako“mooki”Obataさんって人。だから「BLACK LAGOON」のファンも是非に絶対におさえておくべし。また双子出して欲しいよなあ。無理だけど。あっと新シリーズでは巻末のセルフパロディなおまけ漫画が映像化されるんだっけ、そこに双子も出てるよなあ、歌も是非に、ってちょっとタイプ違い過ぎ?

 幕張メッセでやってる「フラワーEXPO」とやらに出かけてサントリーが子会社でスポンジに苗を植えて育てたのを壁に貼り付ける新しいアイディアなんか見せていてこりゃあネタになると仕込みつつ、フランスパンにソーセージをぶっさす「フランスドッグ」ってのを久々に喰らいつつざっと見てから三井アウトレットモールなんかをちょい舐め、なんにもないと見きって戻って健康診断を受けたら体重が前回の5月から6・8キログラムほど下がっていた。ラッキー。つか夏前にパスポートの更新というか期限切れだったんで再交付を受けた時に撮った写真があまりにも丸くて、こりゃあダメだと一念発起し朝というか昼は野菜サラダにおにぎりにヘルシア緑茶で済ませて夜もそんなに喰わず、「もやしもん」の影響でガブ飲みしていたビールも止めて寝る前もせいぜいが野菜サラダに抑えてかれこれ3ヶ月。見事に大幅ダウンを勝ち取った。

 はじめる当時は5月よりもさらに上積みされていただろうから実質的にはどうだろう、8キロぐらいは減らせたかもしれないけれども大学時代からすればまだまだ重たく社会人10年目からでもちょっと多め。なのでここは引き続き節制に勤めてヘルシア緑茶に黒烏龍茶に番爽麗茶をがぶ飲みしつつサラダサラダサラダ肉サラダサラダカロリーメイトソイジョイな食事を続けて年越しまでに63キログラムまで持っていこう。いけるよね。つか野菜ばっかり喰っていると何か野菜がとっても美味く思えてきたんだ。むしろ肉丼とか逆に食えなさそう。そういうものなんだなあ味覚って。

 好調さに小躍りしていたら何と六本木は東京ミッドタウンでmookiさんが登場するイベントが開かれるって情報が見つかってさっそくかけつけたら昨日は首相夫人とご一緒していた片渕須直監督も見学に来ておられたんで手持ちの記事を渡して御礼。それからmookiさんがパソコンに入れてあった多重録音をバックに唄う様を見る。なあるほど。山下達郎さんがアカペラでコンサートをやる場面は見たことがあったけれども多重録音とはいえ同じパートを重ねて厚みを出している達郎さんとは違って、mookiさんは4つくらいのパートを左右のチャネル向けに作って入れてあるのを再生した、その上にメロディだったり別のリズムだったりをその場で歌って重ねていく。

 その意味では本当の多重性って感じ。聞いていると多層的に聞こえて来る声が奥深さを感じさせて脳を揺るがす。でもってクライマックスあたりで声が重なりボリュームがわっと上がった感じがする場面があってそこなんかで感動がぐっと増す。例えるならラベルのボレロのオーケストラバージョンで最初のあれはフルートだっけ、静かに始まったのが様々な楽器が重なっていって、クライマックスに差し掛かるような感じ? とにかく面白い。おもいっきり低音のリズムもmookiさんが唄っているのかなあ。ジャズのスキャットっぽい声を自分で出した場面でも割に低めの声とか出してたし、そういう訓練も経てそして高い声も出せるシンガーななろう。その力がおもいきり爆発しているであろう「マイマイ新子と千年の魔法」のサントラを聞きこむのが楽しみ。イベントでも売るみたいなんで週末に余裕のある肩は六本木ミッドタウンへとゴー。

 取材中のジャーナリストが警察によって逮捕されるという、その文言だけを見ればとてつもない言論弾圧だと世界のジャーナリストが抗議に立ち上がってくれたっておかしくはないんだけれどもその内容を知った時、それでもいかなる場合であってもジャーナリストの逮捕を認めることは、これからのジャーナリズムに禍根となるといって厳然たる態度をとれればこんなに頼もしいことはないんだけれども現実において、ジャーナリストが逮捕された取材の内容が、それでも国民より知る権利を付託されたジャーナリズムである以上は、規制を突破してでも国民のために貫き通さなくてはならないものなのかどうか、といったあたりで躓き、戸惑い、悩み、立ちすくんでしまうあたりに問題がありそう。

 切り分けこれはダメ、これはOKとやっていくことが、囲いを生んでその囲いがいずれ狭められていく可能性を、エロティックな表現をもった出版物において見せられているだけに、囲は出来るならば作りたくない。けれども何か合った場合に確実に囲いが作られ、狭められるのならば問題が起こる前に自主性でもって制限を課し、その範囲内で自由を求めるというのが権力側と戦う上での大切なことだろう。それなのに自ら権力に付け入れられるような振る舞いをしてしまうところに、義務も責任も忘れてしまってただ自由ばかりが先走るようになってしまった昨今のジャーナリズムの問題が、あったりするんだろう。それでも守りこれからも求め、けれども自ら制していくとここで言えるかどうか。言うにはもう遅すぎるって気もするだけに悩ましい。やっぱりもう終わりなのかなあ。ニッポンのジャーナリズムって奴は。


【11月11日】 もしも森繁久弥が「機動戦士ガンダム」に出ていたら、役はやっぱりレビル将軍になったんだろうなあ。さすがにあの声でギレン・ザビとかやられたら演説を聞く方もどこかで腰が抜けてしまいそう。かといってデギン・ザビでは悪役っぽすぎて好々爺な森繁さんではちょっとそぐわない。その他もろもろの永井一郎さんキャラでもちょっと難しい。とはえいレビルでも森繁さんだとちょっと脇が甘くなりそうか。まあ先行してソーラーレイに焼かれちゃうんだから迂闊といえば迂闊だったんで森繁さんでも構わないか。聞いてみたかったなあ、森繁節のナレーション。そして「君は生きのびることが出来るか」を。

 映画「もののけ姫」の大イノシシ役を演じた時に森繁久弥さんは宮崎駿監督とか、美輪明宏さんや松田洋二さんや石田ゆり子さんといった出演者たちといっしょに確か帝国ホテルでの完成報告会見に登壇して、あれやこれや喋っていたってことを日記なんかを掘り起こして気がついた。1997年の6月25日だからもう12年も昔の話。あの頃僕は若かったけれども森繁さんはやっぱり十分に高齢で、網膜が焼けちゃって目が見えづらくなっているとかどうとか話して周囲を慌てさせたけれどもそのな言葉に続けて洒脱なコメントを続々と発して、さすがはニッポンの社長だと場を感心させたんだっけ。後生は好々爺っぽさが売りになっていたけど昭和のある時代を喜劇の王様として支えたんだよなあ。見見てないけど。

 その後もメディアには出ていたけれど、いつの頃からか高名な方の葬儀にも高齢の森繁コメントが載らなくなったと思ったら、やはり体を悪くされていたようでいよいよもってご本人が没。送るにはやっぱり森繁久弥の「みんな先に行く、ああいやこんどは一緒だね」とかいった肩の抜けるようなコメントが欲しいけれどもそれはさすがに無理だから、ここは「花右京メイド隊」や「フダンシズム」のもりしげさんが役を買ってで「みんな先にいく、そりゃまあとうぜん」とかってコメントを、引っ張り出して掲載するくらいの大業って奴を見せるマスコミとかないのかなあ、ないよなあ。カメラマンが移送中の容疑者にかけてあったジャンパーを手で引っ張ったり、社員の描く描く似顔絵が下手なことを売りにしようとするメディアはあっても。

 毎回の戦術レベルでの化かし合いでは同じことの繰り返しになるか、それを避けるためにエスカレートしていった挙げ句に収集がつかなくなるっていった可能性もあるんでここでひとまず中休みして、お料理合戦へと向かうのも全然悪くない鷹見一幸さん「ご主人様は山猫姫3」(電撃文庫)。かつては熾烈な戦いをくり広げていた辺境の遊牧民と、話し合いによって保っていた均衡が話し合いの主の失脚でもって崩れたところに、居合わせた若い通訳がこりゃあ拙いと家庭教師のようにしていた遊牧民の氏族の娘といっしょになって遊牧民でも好戦派を退け、帝国にはその腐敗ぶりを糾弾すると反旗を翻したのが前巻まで。帝国は収拾をつけようと軍隊を送り込んではみたものの、やっぱり中身はドロドロで出した戦費を取り戻したいと企む偉い奴らもいたりして、そこに若い通訳の兄貴なんかも巻き込まれようとしていた。

 そんな兄貴を助ける話を一方に、とりあえずは通訳が本当に遊牧民たちと仲良くしていけるのか、ってことで遊牧民から妻を娶る話に転がり家庭教師の教え子の山猫姫が候補として手を上げるものの、前の巻で打ち破った好戦的な氏族の弓矢に自身満々な娘も名乗りを上げてさあ始まったぞ恋のバトル。決着は料理でってことになったけれども肉を手づかみで喰らう山猫姫も、戦大好きな別の姫も料理なんてしたことがない。肉を焼くにしても美味くしようとこらした工夫が徒になる。弓矢を調理道具に変えて何か作ろうとしても得体のしれないものになってしまう。それでもどうにか出来た料理はそれなりにまとまっていてさあどうする? ってことになってまあとりあえずってことに落ち着いて、そして次あたりではいよいよ本格的な反攻の狼煙が上がるのか。もう1人いる兄貴あたりが軍人として立ちふさがりそうだけれどもそこをぶち抜きつかむぞ天下。そこまでエスカレートしていくのかなあ。楽しみ。

 グランパスでシャチなら名古屋物(なごや・もん)としては応援するより他にない。ってことで久々にご対面な中村恵里加さんの「ぐらシャチ」(電撃文庫)は主人公の女の子がいきなり海で高波に巻き込まれてこれで一巻の終わりだなんて早すぎると思ったら、現れたシャチが助けてくれた。何でシャチが? って見上げたらシャチがはろーと喋りかけてきた。ああなるほど喋れるシャチなら人助けだってするよねえ、ってそんなことはない、というか喋るシャチなんていない。でもいた。何物だ? ってことはさておいて少女は喋れるシャチとコミュニケーションを取り始め、そのシャチが彼女のデカ過ぎるって声に答えて身を削り、肉を削って人間の形になって現れたことでさらに驚き、そしてひとつの不信を抱いていく。

 どうして彼の姿をしているんだ。彼をもしかしてどうにかしたのか。違うとシャチのグラはいう。でも周辺では犬が食べられニワトリが食べられ猫が食べられる不思議な事件が続出。人間への好奇心と少女への愛情を純真にぶつけてくるグラにあるいは潜んでいるかもしれない純真故の残酷さって奴が漂って、少女を迷わせ悩ませ怯えさせる。そしてクライマックスへと至り、シャチが何者かってことが分かりその純真さが本当に純真さだったことに気づいて安堵を抱きつつ、繰り広げられる戦いの行方に一喜一憂する。最初の接触が最悪の接触になるかもしれない分かれ目に、どうすべきなのかを考えつつ最高の接触が訪れる可能性を想像してその時に備えよう。しかし相変わらず明るさの裏にある暗さも描いてのけるなあ、中村さん。もっといっぱい書いて欲しいなあ。「ソウル・アンダーテイカー」の続きとか。

 細田守のアニメーション映画があまりに素晴らしいストーリーで感動させたことを端から見て、その人気が細田流のアニメの絵柄とストーリーにあったことを脇においてタイトルへの認知度が高かったからと考えて、それじゃあもう1本と作った映画なんじゃないのかって心配も浮かんでどうなることかをやや醒めた目で見ていた2010年版の実写版「時をかける少女」を試写で見たらこれが何と。素晴らしすぎた。むしろとこっちの方が僕は好きかもしれないとすら思わされた。何が素晴らしいかってケンメリのハードトップが出ている。それから「SFマガジン」が登場する。好きにならずにいられない。

 それは半分は本気としても、核心としては時間と歴史に対する厳然とした態度がしっかりとあって、その上で繰り広げられる逢瀬が何とも楽しげでそして儚げで、見終わった時に悔しさともどかしさとそれらを乗り越えていく逞しさといったものを感じさせられ身を震わせられる。1974年の日本に行った現代の女子高生が当時の青年と自主映画を撮る、ってのが骨子で、そこで繰り広げられる昭和な青春と昭和な風景にノスタルジーや半分くらいはパロディーとしての感慨を、抱く人もいるかもしれないけれどもそうした背景は背景として、細田版にも入っていた「かけがえのない時間」というものへの真摯な態度が、芯にしっかり通っているからいたずらなノスタルジーにも、邪なセンチメンタリズムへの向かわず悲しいけれどもそれでも歩いていくしかないっていう気にさせられる。会場におられた筒井康隆さんも見ていて隣の人に「良かった」といっていたみたいだからもうお墨付き。仲里衣紗さんの現代ギャル演技もとても完璧なんでそっちを楽しみにしている人も大丈夫だと行っておこう。異論があるとしたら「SFマガジン」を読んでいるような男は、未来から来たと少女がいったらそれは素直に信じるべきだ。うん。


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