縮刷版2009年11月上旬号


【11月10日】 もしかすると今のこの市場あと「機動戦士ガンダム」のブルーレイボックスだって安易には発売されないかもしれないなって不安も浮かんでしまった今日この頃。さすがに2万とかは売れるだろうけれどもそれくらいのオーダーで、果たしてあの大作をブルーレイ化してくれるかどうかってところが迷うところ。かといってこれまでのように5万10万といった数になるのかがちょっと見えない。ならばここは3万人のオーダーがあればブルーレイボックス化しますよ価格はセットで10万円、とかってギャザリングっぽいことになってしまう可能性だって決してないとは言えないよなあ。さすがにガンダムではそれはないか。しかし。うーん。「キスダム」のブルーレイボックス化を3万円で2000人から、ってんなら是非にやって欲しいなあ。2000人なら集まるよね? よね?

ブルーレイボックス発売まであと××人  集え2000人! 「true tears」ブルーレイボックス化のために! って叫んだところで申し込みだけじゃあいけないんだよなあ、ちゃんとお金を払ってくれないと。だからまだまだ不安があるんだけれども傑作富山アニメ「true tears」がいよいよもってブルーレイ化されるって報に喜んでいたら条件がついててちょっと待て。予約の上にお金を払った人が2000人いてはじめて商品化されるとあってこりゃあとにかく申し込まなくっちゃと専用サイトで申し込む。第1関門は突破。しかし2000人くらいなとりあえず出せば売れちゃいそうな気もするんだけれどそれすら不安にならざるを得ないくらいに昨今は、パッケージメディアへの欲求が減退しているっとも言えそう。

 あるいは普通に出したら買わない人でも、イベント性を加味することによって参加し盛り上がってくれるんじゃないかと踏んだって可能性もあったりするから本当のところは分からない。ともあれDVDではかいのがしていた高品質作品を、ようやく手に入れられそうな可能性が生まれただけでも良しとしよー。ここから得られた収益を、次ぎのハイクオリティー作品に注いでくれたら嬉しいなあ。今度もやっぱり富山を舞台で。言葉も富山弁で溢れさせて。

 お稲荷さまが現れ家に住み着くっていうか、狐は稲荷神の眷属だからクーちゃん自身はお稲荷さまではないけれど、狐=お稲荷さまだと見なされがちな風潮もあるだけにそんなタイトルになったんだろう柴村仁さん「我が家のお稲荷さま。」シリーズってのがあったりする上に、神様仏様妖怪悪魔に邪神の類が、押し掛け女房よろしくやって来て同居する話にかけては枚挙に暇がなさ過ぎるライトノベルで今さらそんな設定を持ち出されたところで、よほどの力業なりキャラクター性なりがなければ関心を持たれないのが世の常って奴だけれどもたまに「這いよれ! ニャル子さん」のような擬人化美少女化宇宙人化邪神も出てきたりするから侮れないのだライトノベル。

 それはそれとしてやっぱり相当に狭き門となっていたりする設定だけれどそれは読者層が限定されていると見なされがちなライトノベルのカテゴリーだからであってそうした設定を一般の世界へと拡げれば、いくらだって戦う余地はあるんだってことを見せつけてくれたのが叶泉さんによる第9回ボイルドエッグズ新人賞受賞作の「お稲荷さんが通る」(産業編集センター)って感じ? 稲荷って名前の女の子が白い石に顎をぶつけたら神様が現れとりついた。それ事態なら割とある設定で、対象が女子なのも男子向きではない少女向けのライトノベルにあったりするけど違うのは少女のお仕事が体を売って稼ぐ世界最古のお仕事ってこと。いきなりそれなりなものをくわえて出させて入れさせてよがらせたりする描写はティーンが対象のカテゴリーでは絶対に絶対に描けない。

 なあに二次元なんとかとかいったライトノベル風味のエロ小説だってあったりするのがこの世界だけれどそうした分野を読ませて楽しませる方へとは向かわないのがこの作品の一般向けって部分。何しろ舞台が100年後の日本列島は京都あたりで、大飢饉の果てに国力が衰退した日本は何と中華人民共和国に買収されてて日本省とかになっていて、日本人は劣等民族として漢民族なんかの下でほそぼそとを生きていたりして、そこに独立した台湾とか日本族よりは上だけれども漢民族よりは下に見られる香港出身者なんかも絡んだりするという、ポリティカルにフィクショナルな未来像が描かれていたりするからなかなかにユニーク。ライトノベルではちょっと出来ない設定だったりするところが興味深い。ああいや高丘しづるさんの「エパタイユカラ」(ビーズログ文庫)が確かそんな感じに日本が分断され西は中国の翼下に入った世界像が描かれていたんだっけ。あれはあれでレーベルに似合わずハードな作品だった。

 信心されなくなって存在感が薄くなった神様が、巫女の血筋を持った女の子とかに取り憑くって設定は古戸マチコさんの「やおろず」(イーストプレス)なんかにも通じる設定。そこに留まればほのぼのファンタジーの範疇なのを体を売って生きざるを得ない日本族の女性の苛烈さと、そんな状況も100年が経てば何とはなしに序列として受け入れ甘んじてしまう人間の心性めいたものが浮かび上がっていて、どうにかなる前に何とかしておかなくっちゃって気にさせられる。それは対立とか反攻ではなく作品の中で主人公の少女が誤解を埋めて理解を得て強力を取り付けていくようなプロセスを踏んで、誰もが前を向けるような世界にしていくこと、か。描き込めば戦いの部分とか世界の部分とかもっといろいろ描けそうだし、始まった神様バトルの行く末なんかにも繋げて行けそうだけれどそれをやると続編続編また続編の陥穽に落ちるから、ここは世界を創造できる力とキャラを描ける筆でもって次なる物語をつむぎ出すってのもひとつの手か。

 メディアのとりわけ報道って存在が何よりも大切にすべきことは、伝えなくてはならない事実をしっかりと分かるように予断も偏見も交えないまま伝えること。それなのにどうにも最近、事実とうものがあってそれをどう伝えるかの手練手管ばかりに邁進し、その挙げ句に伝え方の妙ばかりがクローズアップされ、一方で肝心の事実が背後に下がってしまい、結果介在するメディアのお祭り騒ぎのような振る舞いばかりが目につくようになっていたりする。なるほどメディアにとっては注目されているという部分において同じだし、それで稼げるインターネットサイトへのアクセスにも区別はないけれども、そうやって振る舞い続けた挙げ句に肝心の事実を伝えられなくなってしまってはまったくもって意味がない。

 なあにそれなら伝えるように戻れば良いさと言い出しても、今度は伝えようとしている相手がメディアのパフォーマンスの好悪だけを判断するような体質に変わってしまって、事実よりもそれをどう伝えているかのパフォーマンスにのみ注意をはらうようになってしまっている。真面目な報道が駆逐されて振る舞いの派手さばかりが取りざたされ、そして肝腎の事実は埋もれ果てていったその先に、待ち受けているのはメディアの取り返しの付かない衰退であり、受け手の後戻りの難しい後退だったりするんだけれど既にしてそうした兆しも見え始め、トウシロのヘタウマっぷりをメディア側も受け手側も大喜びするご時世なだけに、もはやどうにもならないのかもしれないなあ。どうにもなっていないから既にしてとてつもないことになっているんだけど。

 六本木へと回って円城塔さんが大森望さんの前で服を脱ぐイベントを見物してたら後ろで柳下毅一郎さんが殺人アンテナから伝え聞いたか一橋容疑者逮捕の報を喋っていたのでパンダのyomyomの頭の上でパソコンをつないだら森繁久弥が死んでいた。そっちの方が世間的には大事だけれど訃報がトップになるのって国家元首といったあたり。明日の新聞はだからやぱり一橋確保をトップで森繁サイドってことに普通はなるのかそれとも違うのか。円城塔さん脱ぐ、はさすがにどこの新聞でも1行未満かと。だから芥川賞をとっておけば。YOMBANで連載中の「ホワイトスペース」も刊行の見通しになっているそうだけれど版元はどこだろう。自称ライトノベルが他称でもライトノベルになるにはやっぱり電撃スニーカーファンタジアスーパーダッシュガガガルルルファミ通MF文庫Jメガミデュアルあたりから出ていないとね。一迅社は……イラスト次第。


【11月9日】 「機動戦士ガンダム」をモチーフにした「ガンダム喫茶」というのが出来たと聞いて行ってもそこにガンプラは並んでおらずガンダムの雑誌も見あたらずコスプレをした店員もまるでいない。だったらいったいどこが「ガンダム喫茶」なのかと下がってみると床の下に手があってその下に腕があって根本には胴体があってそれには首がついていて脚もあってといった具合に等身大のガンダムの立像が地球に埋まっていて、その手のひらの上にカフェがのっかっていたという釈迦の手状態。なんて「ガンダム喫茶」があったら行きたいか? ちょっと行ってみたいかも。かかった費用の凄さとか思いながら食べる食事はきっと巧いぞ。アムロがホワイトベースで食べさせられたレーション並でも。

おしゃれなロゴを囲む形は何とフキダシ  「なんでゲームがないんだよう!」とおっさんに叫ばせたCMが今も記憶に残る「ゲーマーズ」が、名前に反してキャラクターグッズのお店だったのと同様というか、名前にこそ漫画が入ってはいないけれども経営している面々から想像するに漫画でいっぱいにあふれた場所だって想像しても当然と言える場所に行って誰もが「なんで漫画がないんだよう!」と叫びたくなるのもあるいは仕方がないことなのかもしれない。むしろそれが狙いといった方が良いのかもしれないくらいに、いろいろと企まれていたりするあたりにさすがは「週刊コミックバンチ」を立ち上げ漫画週刊誌なんて成功不可能と言われた21世紀を、しっかり生きのびているコアミックスの凄みって奴を感じ取る。

 そのなも「CAFE ZENON」は吉祥寺のガード下を北口から新宿方面の歩いて4分ほどの場所にあって北向きなのに採光よろしく明るい店内はウッド調のインテリアで整えられてシックな上にとっても暖か。見ても現代アートっぽいものはあるけどそこに漫画の漫の字も見あたらない。「コアミックスがやるんだから漫画喫茶だろうと噂された」と堀江信彦代表取締役が言うのも仕方がないところだけれどもそんな噂を真っ向から否定するインテリア。つまりはコアミックスといえどもおしゃれな吉祥寺にあっておしゃれから逃れる事が出来なかったのかというとさにあらず。目を凝らして見ればほら、そこかしこに漫画の雰囲気が見えてくるから面白い。

 例えば柱。黒く塗られて白い模様が描かれた柱なんだけれどもその白い模様をよくよく見ればラオウにケンシロウにリョウちゃんにキャッツアイ。コアミックスの立ち上げに参画した北条司さん原哲夫さんの代表作がシルエットで抜かれて天井までを走っている。その天井には車が走ったタイヤの後。車といえばな「よろしくメカドック」の次原隆二さんから得たモチーフがちゃんとあった。そんな天井からぶらさがる明かりには漫画が束になって重ねてあって雲形定規なんかがぶら下がっている。ある意味でこれが1番漫画らしい。そんな明かりから目線を下に向ければ床に金線で何かが描かれている。四角かったり吹き出しっぽかったり。説明によればそれは「北斗の拳」の第1話でケンシロウが「お前はもう死んでいる」と告げる名シーンのコマ割りを再現したものとか。なあるほど。

さすがにもっこりはさせてないねえリョウちゃん  カウンターの背後の壁にはキャッツアイのシルエット。忍び込んで来た? トイレへと向かえば入り口に金属のプレートでリョウちゃんと100tハンマーを持った香が「MEN」ではリョウを前、「WOMEN」では香を前へと浮かび上がらせた造形でもって張り付けられている。中は男子トイレにはやっぱり漫画のコメントが。女子トイレは入れないんで不明だけれどきっと元気が出る言葉が書かれてあるんだろう。メニューを開けば商品から吹き出しが飛び出しレイアウトも漫画のコマ割りっぽくなっている。もう漫画尽くしに漫画だらけのカフェ。ないのはだから単行本とか雑誌と言ったものだけ。つまりはそうした漫画雑誌を読むカフェではなく、それ自体が「空間の雑誌」として漫画のスピリッツを発信していくものなのだ、とかどうとか。よく分からないけどカッコ良い。

 アートと漫画ってコンセプトもあったりして、それだと漫画の意匠の格好良いところを抜き出し絵にした村上隆さんって先達がいたりするんだけれど、そうした抜き刷りの美って奴とはまた違った、漫画そのものが持つ吹き出しやコマ割りといった意匠とか、漫画ならではの簡略化してデザイン化してメッセージを伝える手法なんてものを抜き出しアートの中に落とし込んで見せるような作品って奴を、集めて発信していく基地になりそー。デザインフェスタに出ているような雰囲気の若いアーティストが作品を寄せていて、眺めて先物買いする楽しみなんかを味わえそう。もちろん料理も美味しそう。だけど食べてないからはっきりとは。開店したら食べに出かけるか。漫画の匂いに釣られて漫画家さんとか集まってきていたらちょっと面白いかも。周囲は漫画家の巣窟という吉祥寺だし。でも誰が誰だか顔知らないしなあ。赤白の服を着てる人だけは分かるけど。まさか来たりはしないよなあ。

 そして読み終えた藤谷治さん「船に乗れ!」(ジャイブ)の第3巻。つまるところコンセルヴァトワールとやらに留学できたのだめも千秋も音楽にかけては超絶的に天才だったのだなあってことが分かって来たというか、音楽は漫画のようにはいかないというか。いや「船に乗れ!」だって小説だけれど、そこには才能を多めに見積もり楽観の中に成功へと至らせるような優しさはなく、むしろ才能への過信を絶望へと変えて味わう苦衷を示すことによって人間にとって音楽とは何で、生きることとはどういうことなのかを描いて見せた。

 第2巻で悲壮の中に彼女との別れを味わった津島サトルは、3年になって音楽を続けていたもののどこかに迷いを引きずっていた。哲学教師の金窪を彼女との別れに怒り悲しんだ感情の赴くままに讒言して糾弾し退職へと追い込んだ後悔なんかも抱いていたんだろうけれどもそれ以上に己の限界というものが見えてしまい、そこを超えてもまた見える限界を乗り越えていくだけの力を得られなくなってしまった。そこで己が信じられればどこまでも突っ走っていけるけれども、逆に己を信じ過ぎれば限界も同時に信じてしまって前へと進めなくなってしまう。サトルは後者に陥って歩みを止めてしまう。そして卒業して後にさまざまな職を経て今も彷徨う人生の中にある。

 それは敗残の生なのか。それとも生涯をかけての航海のまだ途中と見るべきなのか。若くして何か目標を得たらそれに向かってひたすらに突っ走る生も悪いものではない。何より早くからはじめることによって限界も早めに見えて次ぎへと向かう時間的な余裕もできる。けれどもだったら歳をとったらもはやどうにもならないのかというと、40歳からでも50歳からでも新しい路は開けるし、そこで成功をつかむ人だっている。早いから成功とは限らない。早いから良いとは限らない。つまるところはすべて己の信念にあって何かになりたいという目標があって何かになろうとする努力がある。それが欠けてしまったサトルの人生の虚ろさを感じつつ、だったら自分には何が出来るのかを、若い人も歳をとった人も感じ取れる物語。とはえいしかしこの歳まで船酔い続きの身には、津島の域にすら届きそうもないんだよなあ。0.915から1.000。どっちにしたって終わってるねえ。

 どうしてレッドカードが最初からついているのだろう。いったい何のためにそんな意匠を着けたのだろう。問いつめたい気が満々だしきっと見た記者たちもそう感じたに違いないけれども質疑応答の雰囲気からそんな様子がまるで聞こえてこないのは、キャプテンの無き今も会長殿を筆頭にしたヒエラルキーの最下層に記者連中が押し込められて、見上げ逆らうような言動なんかをしようものなら立ち所に本郷から所払いを喰らってしまうからなのか。でもはっきりという。日本代表の新しいユニフォームはかっこわるい。もうとてつもなくかっこわるい。ピチピチ系の仕様のユニフォームも首がぶっとく胴体が長い日本人には絶対的に格好悪い。そんな格好悪さで試合にのぞんで相手を苦笑させた隙を狙って勝つ気でいるならそれはそれで勝負に徹して潔い。でもそんなユニフォームを着て応援だけはしたくない。したくないけどやっぱり買ってしまうんだろうなあ、どっちを買おう、ユルユルかピチピチか。赤い部分には何を書こう。


【11月8日】 そうか今は「機動戦士ガンダム」のプラモデルではないんだ「川崎フロンターレ」の等々力陸上競技場。ちゃんと場内には「ガンプラ」の看板は出ているけれどもおまけに選手カードが着いてくるだけの普通のHGとかを1000円とかで買える人はそうもいない。だったっらってことでそれ自体が一種の選手カードになっている「ペラモデル」って奴を作って選手のシールと一緒に販売をし始めた。これっていつからなんだろう? でもアイディアとしては面白いかも。こういうことが出来るっていう商品のPRにもなっているし。

 んじゃあどういうことかっていうとそれはランナーに人型のプラ板がはまっている商品が「ペラモデル」。ペラペラのプラモデルだからペラモデルって訳だけれどもこのペラペラがただ者じゃあない。ペリペリとランナーから外した人型はそのまま平面ながらも可動フィギュアに早変わり。首が動くし手足も動くし間接も曲がる。バンダイがガンプラで培った可動モデルを製造工程で作り上げるすごい技術、PGことパーフェクトグレードなんかだと取り外したらそのまま指が曲がる手になっているパーツなんかを作る技術が投入されている。あとはその平面に人がプリントされたシールを貼るだけ。商品版だとネット上にアクセスして、デジカメで撮った自分の体をあてはめプリントアウトするとシールが出てくるよーになっている。

 等々力ではそれが選手のシールになっていて、好きな選手を選んで抜き取りペラモデルに張ればは中村憲剛選手のできあがり、って寸法。もちろんレナチーニョ選手だってジュニーニョ選手だって山岸智選手だって作れちゃう。森勇介選手はあったかな? パッと見では分からなかった。でもってせっかくだからと見てすぐに誰だか分かったチョン・テセ選手のシールをセットでペラモデルを購入。これを青く塗ったアッガイといっしょに飾ればもう気分はチョン・テセって感じ? そんな気分に浸りたい奴ぁあいったいどれだけいるのやら、少なくとも他チームのサポーターとしてはあんまり。だってすっげえんだもん奴、とっても、やっぱり。きっとワールドカップでも活躍するだろうなあ。そして世界へ。羨ましいなあ。

 幸いというかジェフユナイテッド市原・千葉戦ではチョン・テセ選手はサポートに徹して自分は得点しなかったけれども時折見せる突破と後トラップからシュートの素早さに才能の片鱗を見たり。うまんだよなあトラップが。ジェフ千葉の選手と比べるともうまるでアッガイとモデルガンくらいに威力が違う。トラップしたってそれが足下に収まらず距離を出しては相手に奪われ反撃につなげられるジェフ千葉の試合っぷりをこの2年ばかり散々っぱら見てきただけに思いはなおいっそう激しく募る。あとは中盤の守備意識攻撃意識の希薄さか。

 バランサーに徹しているって言えば聞こえが良いけどあそこで前へと走り込めばってところで下がったまんま動かない。そこで1歩詰めれば相手が競られないところを間ってボールを出されて得点につなげられる。背番号でいうなら6番8番あたり。それから今日は出ていなかったけれども右サイドバック。上がらないんじゃあ攻撃の手が1枚、足りないまんまに終わってしまう状況をずっと見ていてどうにかすればって思っていても誰も何ともしなかった。そんな積み重ねがいよいよもってJ2行きという事実へと繋がっていったんだろう。

 そうJ2。買っても大宮アルディージャが勝つか引き分ければ決まってしまったJ2行きだったけれども自力で川崎フロンターレに敗れることで達成してしまった。残念だけれどこの2年を見てきただけに仕方がない。というか選手たちにはよくやったとしか言いようがない。むしろ問題は選手の層を底上げできず選手に戦術を伝えられないまま2年を過ごしたフロントとそしてコーチ陣にこそ問題の核心がある訳で、ここをどうにかしないでJ2の過酷な戦いを乗り切れるはずなんて絶対にない。J2。甘くない。むしろとってもとてつもなく厳しい世界だ。

 湘南ベルマーレもアビスパ福岡もベガルタ仙台も横浜FCもセレッソ大阪までもがJ2の苦渋をもう何年も舐め続けている。東京ヴェルディの場合は事情も違うんだけれど結果は同様。その列に加わる可能性が今んところ高いだけに経営にはとっとと目を見開いて現状を把握して、J1に上がりたいんならその方策を取り地域のクラブチームに徹して楽しくなりたいんならここに至った責任者を、言葉通りに留任させれば良いだろう。応援はし続ける。通いはし続けるけれどもそれも何をしたいのかを見せてくれればの話。そこに託せる何かがあればJ2がJFLだって応援するけどそうでないならサヨウラナ、だ。決まってしまった今、果たしてどう出る? とりあえず天皇杯くらいとってカッコ良く落ちたいねえ。

 「とある科学の超電磁砲」はやっぱり黒子の声がおばさんっぽい。ほかのアニメだと出さない声なんだけれどもこっちの方が生き生きとして聞こえるってことはこっちの方が得意なのか。話ははじめて後に続くって感じで得体の知れない眼鏡野郎のドロドロとした憎しみが爆発して起こる事件に挑むって展開に向かいそう。コンビニで盾持って爆風を雨声だジャッジメントのお姉さんの脚がとってもきれいだった。そんなとこ見ているのか。遅ればせながら「充電ちゃん」は海で果たして彼女たちも日焼けするのかに興味。見えなくたって紫外線くらいは影響するのか。するくらなら重力だってしてるよなあ。謎。しかし充電されたくらいで車を水没させられたのから立ち直るのか店長。おきらくごくらく。ジェフ千葉の選手に充電してやって欲しい。あと森勇介選手にも。謝罪の挨拶ん時はさすがにずっとうつむいていたもんなあ。歩く時も泣いてた。やっぱり気にするタイプなのか。まあ気を落とさず。来年は会えそうもないし。


【11月7日】 もしもアムロ・レイが能力者でニュータイプ的な察知能力を使うたびに対価として大福餅を食べなくちゃいけなかったとしたらア・バオア・クーに至る前のソロモン攻略あたりで胃袋は大福餅でいっぱいになり、顔までもが大福餅みたいになってノーマルスーツに入らなくなってコックピットに座るのも大変だって様子がきっと「機動戦士ガンダム」には描かれたんだろうなあと想像。でもってララァもニュータイプ的能力を使うたびに酒をグビグビとやる羽目になって大佐には溜め口を叩きラクチンラクチンと言って先行してはホワイトベースのメガ粒子砲の餌食となって雲散霧消。そんな姿を泣き叫ぶ肥ったアムロとは反対側でニュータイプ的能力の対価をはらって青い服を着なくちゃいけない屈辱に沈みながらシャアも悲しみの言葉を口にする、と。何て「ガンダム」。

 なるほど展開は確かに楽しみではあるんだけれど、一方で能力者たちによる能力合戦+対価披露会になって来た感じな「DARKER THAN BLACK 流星の双子」は、バーのオカマ風のママさんが前に結婚していた女性が契約者として登場したけど歳、あんまりとってないねえ。契約者って感情も停止するついでに老化も止まるのか。それなら嬉しいけれども蘇芳は契約者になったあとで女性になった訳だから、成長しないってことはないみたい。あんまり笑わなくなるから笑い皺が出来ないだけか。

 そんな母ちゃんの能力は水を操りぶるけること。そして対価はシフォンケーキを焼くことか? ちょっと面倒くさい能力。人里離れた場所に行くときは移動用のママオーブンでも持っていくのか。今週の新能力者はこのひとり。でもって来週にはご退場? サイクル早いね。しかしこれほどにいろいろな能力者が出てくると、たまには能力が重なっていたって良さそうなのにそんな感じがないのは誰か、神様でもいて調整していたりするのか、対価も含めて。これまでにいったいどれくらいの数の能力者が出てきたか、死神図鑑ならんう能力者図鑑として放送してもらいたい感じ。100人とか溜まっていたならカードにもして欲しい。トレーディングカードゲーム。ただし使った能力者分の対価はプレーヤーがその場で支払うこと、ってルールで。使いたくないカードは、どれ?

 モモカンはユニフォーム姿が1番美しい色っぽいグラマラス。そして美星戦がアニメ版「おお振り」ではいちばんモモカンの迫力たっぷりなユニフォーム姿を楽しめるエピソードってことになるのかな。最初の放送ん時もちゃんと全部見ていたけれどもその後の試合になるとじっくりとは見ていなくってはっきりと憶えていない。そもそもアニメーション版「おおきく振りかぶって」ってどこまで描いたんだっけ。でもって漫画の方はどこまで進んでいるんだっけ。ブルーレイ化でもあれば買いそろえるんだけれど。それとも第2期が近いってことなのか。

 枕元にある単行本の最新刊では、阿部が三橋に首を振るサインを教えてそれを、予告でモモカンが聞きとがめている絵が描かれていたっけ。試合には勝ったのか。「クロスゲーム」のあっという間の2年生、でもって夏も終わりの十五夜お月さんなスピードとはまるで違った濃密さ。朝方にやってた「MAJOR」がひたすらストレートの真っ向勝負で三振の山を気づいているのとは実に対称的な野球アニメだって言えそう。でもってどちらも面白いのは野球がパワフルでありスピーディーであり、同時に戦略的で戦術的なスポーツだってことの現れなんだろう。サッカーでそんな緻密な描写を持った漫画ってあったっけ。あったら読みたい。いや読ませたい。ジェフ千葉の選手たちに。

 てっきり復活した「あみん」が替え歌で「わたしだーすーわ、いくらでもだーすーわ、たとえあなたがむだづかいをしてーもー」と歌うコメディ映画かと思っていたら全然違った「わたし出すわ」。このタイトルで小雪さんの謎めいた微笑みがメインビジュアルに使われているんだからお金をめぐって起こる騒動を通じて人の心にひそむ欲望を浮き彫りにして、傍目から笑いつつ我に返って身もだえる映画になっていて不思議はないのに、森田芳光監督はまるで全然コミカルさを交えず、かといってサスペンスフルにもしないで淡々と静香に函館の町を撮り、そこに繰らす人々のお金と暮らしの関係を描いて、人それぞれにお金に対して考え方を持っていて、そしてそれ以上に人生に対する考え方を持っているんだって分かって妙な安心感がわいてくる。そう安心感。お金は人を不幸にするばかりじゃないし、お金が人を眩ませるとも限らないんだってことが分かった安心感に。

 東京から戻ってきた小雪演じる女性は、同窓生でも中の良かった5人にそれぞれに何かするためにお金を出すと言い出す。路面電車の運転手には世界の路面電車を見て歩くたびの費用、故障した陸上選手には治療の費用、魚の研究をしている男には男が誘われて海外に流出しないような妨害をしつつ道を歩ませるように誘い、箱庭を作るのが趣味の夫をもった妻には1万円くらいの小形冷蔵庫を買ってあげ、そして夫が箱庭協会の会長になるための費用も出す。それでランナーは脚を治すけれども路面電車の運転手はつましい生活に舞い込んだ大金が妻を買えてしまう。お金はやっぱり悪の象徴? そうじゃない、路面電車の運転手本人はずっと自分を保ち時分を高めるためにのみ、お金を使う気でずっといるしランナーも自分の治療にのみ使う。

 箱庭協会の会長に夫をさせてもらった女性にいたっては、自分のためにはほかになにも望まない。その理由も明らかにされて、お金ってものが自分をどうするかってことを強く激しく知らされる。そして黒谷友香さん演じる女性。小雪にライバル心を燃やし地元に残ってお金持ちと結婚してレストランの経営をしたりと大成功をつかむものの、夫は死んで借金が残り財産を失い妻はクラブで働き働き上を目指しはじめつつ、周囲から聞いた小雪の秘密を知ってお金をもらいたいと願い、金塊をもらって喜び勇んで引き返す。そして……ってあたりにお金を目指す浅ましさってのが1番滲んでいたりするけれども、それでも決して無謀ではない、得られる範囲の幸せを求めたいという気持ちに留まっている。お金だけを得たって意味はない。お金で何を得るのかが大切なんだ。そう教えられる。

 小雪がいったいどういう仕事をしていて、それでどれくらいのお金を稼いだのかははっきりとは明かされていないし、どうして彼女が母親をあそこまで慈しみ、たぶん莫大な治療費をはらって生命を維持しているのかもよく見えない。そうした説明があればミステリでサスペンスな話として引っかけられたんだけれど、そういう所を狙った物語ではないのはいわゆるアクションとか謎解きに邁進する人達が出ていないことからも明か。淡々として平板なんだけれど、楽とかを重ねずそのシチュエーションを見せようとする演出と、飽きそうだなってところですぐに切り替わるカット割りの絶妙さが、見ている人たちをスクリーンにしっかり釘付けにする。巧いなあ、さすがはベテランの森田芳光。母親の快方が小雪の仕事や人生観に与える影響も見えず、それがあって小雪が変わるって推測も出来ないところにモヤモヤも残るけれども、まあそこも気にはしないでお金ってどうよ的命題を、受け止め考える方へと気分を傾けて見るべき映画なんだろー。


【11月6日】 ティム・レイがサイド6で再会したアムロ・レイに差し出した「こんな古い物」がいったい何の装置なのかが今もって分からないのはそれが実際に使われることなく、アムロによって路上に放り出されてしまったからで、もしもそれが実際に取り付けられていたとしたら「機動戦士ガンダム」でガンダムは果たしてどんな動きをしたのか、考えてみたくもなったけれどもきっとどんな動きもしなかったのだろうから意味はない。おおざっぱに見えてあれでなかなかに精密機器のカタマリなんだろうモビルスーツ。そんな可能性に気づかせてくれるエピソードでありました。んでやっぱりあれはどこのパーツなんだ。

 こっちは間違えずにちゃんと適切なパーツだったThinkPadの「X41」用のキーボード。さっそく発掘されたマシンに取り付けたら英語キーボードだったんでエンターキーが小さくちょっとタイピングのタイミングが掴みづらい。まあこれは慣れるとしても、アットマークの位置が日本語キーボードと違っている上に、そのアットマークを入れても出てこない。こりゃ何かトラブルだってことで調べると、ドライバが違っていたそうで、ネット上のアドバイスなんかに従い入れ替えてみたらちゃんど出てきた万歳良かった助かった。みんなやっているんだなあ。そして困っていたんだなあ。

 手元のこれはねじ回しって意味でのドライバーでは頭がすべって外れなかったけれど、ちゃんとした所で買ったドライバーだとクルクルとネジが回って6本がスポポンと抜ける。でもって表側からキーボードをぐいっとやってカパッとやってコネクタを外して新しいキーボードを取り付けて、はめてネジをとめてはい完成。なるほど見た目がシンプルになる英語のキーボード。どうせローマ字入力しかしないから日本語の言葉がついてないくたって気にならない。カギカッコとかどうなっているか分からないけどそれもおいおい調べていくとして、問題はそうやってX41が普通に動いてしまったことなんだよなあ。

 ワープロにエディタに通信関係のソフトも入れてブラウザにメーラーも導入して、手元のX60とほぼ同じ仕様に出来てしまってこれをサブ機として置くと、買ったばかりのX61が浮いてしまう。接点復活材をちょろっと射したらなぜかX60も普通に動くよーになった。これは気のせいかもしれないけれどそれでもまだしばらくは動いていそうな感じなんでここはしばらくX60を使いX41を準備しておき、X61はいつかハードにパソコンを使うよーになるだろうその時を予想して手元に眠らせておくことにしよー。その時ってのが意外に早く来そうな感じもしないでもないし。0.915。悪魔の数字。天王洲よりゃあましだけど。

 数字は別に悪魔的ではないんだけれども仕事のモチベーションという部分でやっぱり青山にいてももはやって考えもあったのかどうだったのか、飯田橋の富士見あたりを牙城にいよいよもって巨大なスケールのメディアコングロマリットへと変ぼうを遂げつつある角川グループで社外取締役になっていた久多良木健さんをひょんなところで、っていうかまあ電撃大賞の授賞式なんだけれど、見物に来ていたみたいでご挨拶。合い言葉は「ゴー!」。ってのは嘘だけれどもあれについて流石に真正面から伺うだけの根性はなく、言葉の端々に滲ませ婉曲にどんな感慨をお持ちなのか、探ろうとしなくってもちゃんといろいろ話してくれた。まあどっちかっていうとあっちな感じ。そりゃあそうだよなあ。どんなだよ。

 個人的には夢の抱きようがないマシン。かといって実用にも縁遠いってあたりが、実用とか言ってる間もなく壮大希有な夢を内部に溜めていたりするマシンやらチップを作り続けて来た人にとってどう映るかは瞭然だろう。まるで関わっていないマシンならなおさらってことで、そんなご意見がもはや青山方面で反映されるだろうこともなさそうなだけに、今のポジションから果たしてどんな夢を爆発させてくれるかってところに興味を向けたい。けどメディアコングロマリットとはいえコンテンツの会社だからなあ、プラットフォームでこそ発揮される才覚なだけにちょっと謎。それともそうした企業も含めたコングロマリットを目指してたりするのかなあ。あやかりたいなあ。何せ0.915なんで。本当にそうなのか?

 気がついたら「メディアワークス文庫賞」なんてのも決まっていて2人がピックアップされて「電撃大賞」より早い12月にはデビューするとか。当人たちはもちろんはなっからそっち狙いって訳でもなくって看板の「電撃大賞」に応募し「電撃文庫」からカラフルなイラスト付きでもって投入されてベストセラーになるんだろうことを夢みていたりしたんだろうけど、その内容が大人な感じの人たちにピッタリかもってことでメディアワークス文庫へと回されることになったみたい。一般性、って意味では将来に期待が持てるけれども今すぐって意味だとやっぱりライトノベルのレーベルだからこその読者がいて、ファンがいて購入意欲もあってってところで、それが真新しいメディアワークス文庫だとどんな読者がどれくらい、買ってくれるのかが分からないだけに受賞者にもいろいろ思うところがありそう。そっちよりこっちの方が良かったよ、っていうか。

 とはいえ見るとメディアワークス文庫も有川浩さん古橋秀之さん入間人間さん壁井ユカコさん渡瀬草一郎さん等々のそれなりに知られた面子がラインアップに挙がっていて、それなりの冊数をさばいて存在感を示していきそうで、そんな中に交じって出ていけることはそれはそれで幸運かも。でもってそうした既存の作家がつかんで引き上げてきたファン層が、さらなる年齢へと挙がっていく時に、読書から離れないで読者としていつづけることが出来るのがメディアワークス文庫。今が旬でも次はいない若年層に限定のレーベルで血を吐くマラソンを続けるよりも、次から次へと歳を経て挙がってくるファン層を捕まえ続けられる上にそのまま上へとどこまでフォローし続けられるレーベルなだけに、むしろ幸運と見て広く普くファンを得られる作品を、メディアワークス文庫賞の人には書き続けていって頂きたい。でもって電撃大賞の人には競争の中で切磋琢磨して10年を走り続けられるランナーになってもらいたい。そのことを会場に追悼コーナーが設けられていた中里融二さんもきっと臨んでいるだろう。去年はいたんだよなあ。そして今年は見られない。1年って重たいなあ。

 ベアトリーチェのツンデレ編が終わって戦人(ばとら)の兄妹編がスタートした「うみねこの鳴く頃に」は果たして戦いの矛先がどこへと向いて何がどうなるのかってところへの興味も浮かんできたけど想像をめぐらせるよりは毎週の超展開を楽しんでいくのが良さそう。「充電ちゃん」はダラダラと見ると愉快。でもって見たらすぐ消すと。「生徒会の一存」も同様に見ている間はとっても楽しいけれども後に残るものが何だろう? ってことで見てすぐ消す品に。「けんぷファー」も以下同文。ってそんな感じのアニメがちょっと多くなって来た感じ。DVDなりブルーレイディスクを買って置きたい作品は……「空中ブランコ」くらいかなあ、んでも絵としちゃあイマイチなんだよなあ、あれも。「キディ・ガーランド」? 脳天気娘の身勝手ぶりが怒髪天なんで見ても買わない、かな。「DARKER THAN BLACK 流星の双子」が一人勝ち、ってことで。


【11月5日】 「機動戦士ガンダム」で楽器といったら確か記憶ではザクのヒートホークだかガンダムのビームライフルだかをモチーフにしたギターがあったような気がするけれど、その他にはどんなものがあったっけっと思い返して思い出せないくらいに、これといった品物がないのは「機動戦士ガンダム」が楽器と相性があまり良くないからなのか、それとも他に理由があるのか。

 バンダイの通販サイトから「BLEACH」とか「ケロロ軍曹」のギターは出ているんだけれど、これはフェルナンデスだかの像さんギターの表面なんかにイラストを入れた一種のグッズ。それで作ればいくらだって作れそうなところもあるけれども、あの「ガンダム」を楽器にするのにそうしたお手軽ではやはりファンが納得しない、かといってヒートホークやビームライフル型のギターなんてそうそうは作れないってあたりに、「ガンダム」の楽器が、世間にそれほど出まわっていない理由があるのかも。ボディも弦もピックアップもネックもすべてが赤の3倍早弾きギターとか、売れば売れるかどうなのか。ボディから生えてる角が邪魔で弾けません?

 せめて「けいおん」関連で賑わっているんじゃないかとのぞいたパシフィコ横浜の「楽器フェア2009」。だったけれど、そうしたヌルい楽器は見あたらなくって並んでいたのは真っ当なエレキギターに真っ当なアコースティックギターに管楽器に弦楽器に電子楽器に鍵盤楽器。つまりはちゃんとした楽器を見せて売上につなげようって考えいるメーカーやら代理店やら販売店の展示会なんで、そこにたとえ今が旬だからといって「けいおん」関係のコスプレをしてギブソンのレス・ポールに左利きのフェンダージャズベースを抱えて弾きまくる女子高生(コスプレ含む)の姿はいなかった。残念無念。

 ついでに言うなら初音ミクとかのコスプレをした人も見あたらず。アニメへの関心がぐっと高まりブルーレイディスクがわんさとうれ、あちらこちらの楽器店にPOPが立ってオリジナルの楽器まで発売された「けいおん」が、バンドブームを招いて楽器の売上に画期的な効果をもたらしているって話があって、それから初音ミクがDTMの世界に革命をもたらしているといった話もあったりしたけれど、そうしたものを愛でる特定層にとっての妄想でしか今はまだないってこなんだろー。そんなもんだよ世の中なんて。

 うりゃうりゃと見た中では、フェア会場の横に仕切りを入れて設えられた販売コーナーで大々的にデモンストレーションされていたポールリードスミスの色塗り実演がなかなかの見物。あの深みがあってそれでいて煌びやかなPRSならではのカラーリングがどーやって生み出されるのか、ってところを目の前で見られる機会はそうそうないし、名機と讃えられるPRSをいっぱい目の当たりにできるのもここぐらい。古くはサンタナで最近だとマイケル・ジャクソンのロンドン公演に参加する予定だったオリアンティちゃんが使っているギターとして目にも入ってきたりして、まるでギターが弾けない人間でもちょっと触れてみたい気もしているけれども触って弾けない醜態をさらるのも恥ずかしいんで見るだけに留めておく。

 でもなあ、ブースで老齢のおじさんが奥さんらしい人と来ていて目にも鮮やかにPRSを弾いてる姿とか見かけたりすると、自分でもやってみたくなるんだよなあ。いずれ遠からずできる永遠の日曜日に買い込んで練習するか。永遠の日曜日を生きる金をそんなものに使えるかって? ごもっともごもっとも。その他の出展ブースだと、モズライトってのが目に入る。ベンチャーズが弾いていたあれだよなあ、って近づくと日本ならこの人って加山雄三さんのモデルがケースに入って立てられていた。40周年の奴か、だったら2001年くらいだなあ、なんてことを思いつつパンフレットとかもらいそういやあどんな歴史があったんだろうと調べたら、何と今はモズライト、日本の楽器屋さんが作っていてそれもフィルモアと黒雲とそして未亡人系の3つがくんずほぐれつしていたりするってことが分かってありゃりゃこりゃりゃ。

 楽器フェアに出ていたのは1番大手のフィルモアらしいんだけれど、ネットとかで見ると未亡人んところも形はよく似てる。値段はカスタムっぽい未亡人ん所は高くって、メーカーっぽいフィルモアはまあそれなりのギターの値段。黒雲製作所のは割にリーズナブル。でもってどこにも決定版がなさそうってところが面白いんだけれど肝心な音はどーなんだ、ってのがちょっと分からない。まあ聞いても分からないけどそこんとこが重要なはずの楽器で、正統性ばかりが取りざたされるってのはなかなかに妙な話ではあるよなあ。それもこれもブランド好きの日本人向けならではの商売だからってことなのか。デケデケデケデケ。

 うろちていたらソプラノサックスを鮮やかに鳴らす若い人とかユーフォニアムを吹き鳴らす女の子とか見かけて楽器ができるって格好良いなあっと感嘆しつつ嘆息。ここで手に取った楽器をすべてどれも鮮やかに弾きこなし吹きこなしていけたら格好良いんだけれども人前に出て聞かせられるくらいの腕前になるのってのには相当な鍛錬が必要で、40過ぎてから始めたところで手習い以上のものにはならないんじゃないかって藤谷治さんの「船に乗れ」(ジャイブ)なんかを読み始めて切実に痛感。

 だってこの主人公、半ズボンをはいていた頃からおじいさまおばあさまの教えも受けつつピアノを始めたけれどもままならず、それでも楽器をやらせたいって意向を受けてチェロをはじめてそれなりの腕前にになったけれども中学は慶応に落ち、高校は東京芸大の付属をねらったらそっちは学科で落ちてしまって進めなかったというから何というか。それでも楽器の腕前は進学した高校の音楽科でそれなりってんだからつまりは上には上がたくさんいるってことなんだろう。

 そんな山ほどの努力ととてつもない才能が不可欠な音楽の世界を相手に、まるで楽器を知らず音楽にも無関心な素人が、今さら何かを始めようとしたってかなうはずもない。楽器になんてやらないことにこしたことはないんだろうけれども、楽器を吹き鳴らし弾きこなす楽しさって奴も同時に「船に乗れ」からは伝わってくるから悩ましい。高校で見初めたバイオリンの少女と仲良くなりたいと思いつつ、つかずはなれずしつつ合宿でのとある出来事をきっかけに距離が縮まり、学園祭に向けてアンサンブルをやるってことでさらに縮まり学園祭には出られなかったけれども家で開かれたホームパーティで弾くチャンスを得られて一気に距離が縮まっていく。

 小説を読んで、そんな音楽と楽器を媒介にした出会いがあるって教えられると、しまった楽器をやっておけば良かったって後悔も浮かんで来る。もっとも、小説の方はそんな青春を経て物語は山あり谷ありの展開へと進んでいく模様。2巻を読んで間もなく出るだろう3巻を読んだあとにどんな感想を得られるか。楽器はそれでもやっぱりやっておいた方が良いと思えるのか。思えたんならたっぷりととれるだろう時間を使い、何かをはじめてみるのも悪くはないかも。だから時間に反比例してお金はなくなっていくんだってば。


【11月4日】 いっそだったら神田は駿河台の明治大学前にある広場に「機動戦士ガンダム」の等身大立像を立てたら、背後にある巨大なリバティタワーとのバランスもとれるしオープンしたばかりの「米沢嘉博記念図書館」とも相性があって漫画やアニメやゲームに理解のある名医大学ってのを満天下にアピールできるんじゃないんだろーか。とはいえしかし立てば立ったで連日連夜に1万人とかがやって来たりして、近所の道に人も溢れかえりそうだからやっぱり都心部では無理なのかも。でも近所の楽器屋さんには来店客が増えて良いことなのか。いっそだったら楽器商たちで等身大ガンダムにぴったりの楽器を作って立像に持たせたりしたらどうなんだ。あり得ないあり得ない。

 そんな明治大学で7日にシンポジウムが開かれるってチラシをなぜか秋葉原の海洋堂ホビーロビーで見つけてながめたら海洋堂の宮脇修一さんが登壇する予定になっていた。タイトルを「マンガ・アニメ・ゲーム・フィギュアの博物館学」というオタク的には総花な感じのイベントだけれどそれが明治大学だなんてアカデミズムの塔(会場がリバティタワーだし)で開かれるのがなかなかの異例。ほかにコミックマーケットから共同代表の3人が出て、明大からは漫画評論の藤本由香里さんに建築が専門なのになぜかオタクな展示のエキスパートになっていた森川嘉一郎さんが出てあれやこれやと話すみたい。

 漫画だったらご近所にある集英社なり小学館といった版元から人が出て話していたのが普通だし、フィギュアだってバンダイなりタカラトミーといった大手企業が出てビジネスとしてのガンプラ話リカちゃん話をしていたのがこれまでのシンポジウム。けれどおそうした既製品ではなくってファンが自分の思いから作り上げていった同人誌なり、ガレージキットといった存在がオタクのマーケットを飛躍的に増大させ、ファンの活動をプロの活動へと引き上げそして日本に豊饒なオタクの文化を創り出したといった歴史の流れを、踏まえ語りその上でこれから何が起こるのかってことを論じる上で、欠かせない人選だったって言えるのかも。4時間は長いけれども言っていろいろと聞こう。途中で寝たら御免。寝させないくらいに活気在る議論をだから出演者にはお願いと言おう。

 3ヶ月ばかり手持ちのThinkPad「X60」の調子がおかしくモニターがチラついて歪んだりする症状が出てどうにも不安定。いつ見えなくなるかって恐れもあって予備機を復活させようと本の山からHDDがクラッシュしかけて初期化したThinkPadの「X40」を引っ張り出して整えようとしたらキーボードがおかしくなって「h」連打の症状が出る。こりゃあ拙いと思ったもののキーボードを取り換えて直る症状とも思えない。かといってレノボの新型はPCカードが使えない設定になっているんでウィルコムのデータカードを使っている身にはちょっときつい。とはいえしかしここでパナソニックに変えるのも癪に障ると探していたら、「X40」のキーボードを売ってる秋葉原の店で新品の「X61」をまだ売っていると分かって駆けつける。

 すでにニッシンパルからも消え去っている「X60」シリーズなだけにこれは買い。HDDを320ギガに増やしつつOSはウィンドウズXPへとダウングレードしてもらって値段は8万7000円とかそんなもんだから、程度の良い中古より1万2万高いといったところ。それでまっさらがてにはいるんだからこんなに素晴らしいことはない。ついでに8セルのバッテリーも購入してとりあえず予備機の準備は整ったけど、そうなると手元の「X60」の行方が気になるところ。とりあえず今のところは動いているみたいなんで騙し騙し使いつつ「X61」の方も準備を進めてイザという時に移し替えるってのがとりあえずの方法か。だとしたらこまめなバックアップだけは欠かさないようにしよう。

 ついでに別のショップでバルクの「X40」のキーボードも購入。これを付け替えて異常なく動くようならそっちをメインに起動させ、買ったばかりの「X61」は将来のために取っておく、ってのも手か。何しろ0.915って悪魔の数字が眼前へと迫っている上に、その先に至ってもまるで上向く気配はなし。それでいて誰が何をしたっていった話もなく、まとめてガラガラと崩れ去るってオチも決して絵空事ではなくなっている。そんな時にものをいうのは何かについて書ける腕。道具となるパソコンには使い慣れたものを使いたいってことでIBMからlenovoへと名前は変わっても、キーボードの打ち易さだけは維持されたX61あたりまでのシリーズを確保しおく必要性は極めて高い。商売道具にかけた金。取り返せるくらいになっておかなくちゃ来年なんてやって来ないだろうからなあ。そんな状況? そんな状況!

 あると思うからあったという行き過ぎた心理がもたらす偶然のような必然を描いたリアル世界の物語なのかもって想像もしたけど違って純粋にホラーへと向かって戦慄の終盤を迎えるに至った綾辻行人さんの「Another」(角川書店)。600ページとかあって分厚いんだけれど読み出したらもう一気にラストまで連れて行かれるリーダビリティの高さがとにかく素晴らしい上に、次ぎから次ぎへと繰り返される謎とその解決とそして新たに生まれる謎なんかが、この現実の中に浮かび上がる不思議って奴を感じさせ、そんな不思議さの向こう側にある恐怖ってやつをじんわりとひたひたと身に迫らせる。

 父親が教授の仕事でインドへと調査に出向いてしまい、残された息子は死んでしまっている母親の実家がある町に言って祖父母といっしょに暮らし始める。母親の妹って人もいたりするけれどもそんな新しい暮らしにいきなりけつまずいてしまったのは、持病の気胸が出てしまったから。1ヶ月ほど入院をして中学校に行くと最初は普通だった光景から、だんだんと奇妙なものが見え始める。クラスに1つ席があってそこに入院中に病院で見かけた少女が1人、いたことが分かる。けれどもクラスの誰もその少女がいるんだってことを認めようとしない。

 そうとは最初は気づかないまま学校でみかけた顔見知りの少女に話しかけてしまった主人公は、周囲の奇妙な視線をだんだんと感じ始める。もしかして少女は幽霊で主人公のしょうねんいしか見えない存在なのか。よくわる座敷童的な階段話かと思ったところにその学校の3年3組にまつわる奇妙な噂が耳に届く。それはかつてひとりのクラスメートが死んでしまったことをはかなんで、クラスの全員がそのクラスメートをいるものとして扱い卒業まで行ったということ、そして最後の集合写真にそのクラスメートらしい人物が写り込んでいたということ。これもよくある階段話。そこから今なおクラスには、居ないはずの誰かがいるということになっているのかと思ったら話はどんどんと恐怖の方向へと傾いていく。

 3年3組では人が死ぬ。クラスに関わる人間から2親等以内の人が誰か死ぬ。それはもう大変な人数が死んでいて、酷い年では毎月1人は死んでいることに学校の関係者は恐れクラスの名前を変えようとしたり、クラスの場所を変えようとしたけれども祟りめいた事態はおさまらない。どうすれば抑えられるのか、ってことで考え出されたことがあってその影響が転校して来た少年の目に入り、奇妙な事態として映ったらしい。とはいえそれも効き目がなく、少年の回りで次々と痛ましい死が繰り返されるようになる。いったい何が起こっているのか。それを防ぐ手だてはあるのか。スリリングな展開を経て少年はひとつの事実へとたどり着き、悲しい思いの中で手にしたつるはしを振り下ろす。

 リアルな中で解決させようとすればできないでもない展開だけれど、それではただのパズルに終わってしまう。ミステリー作家としての頸城をはずし、ホラーの領域へと足を踏み入れ徹底した恐怖を描き出そうとしたとも言えそうな綾辻さんの最新作。とにかく怖い。考えるならどうしてそういう事態が続いているのか、別に怨みを秘めて死んだ訳でもない最初の1人がどうして末代まで祟るのか、ってところが分からないんだけれどそこはあんまり考えず、提示されたさまざまな条件の中から”事実”を推理し、”真犯人”を導き出す楽しみを味わいつつ、繰り出される恐怖に身を委ねていくのが楽しい読み方なのかも。奇妙なことがあるんだと認める大切さ、って意味では猫砂一平さんの「末代まで!」(角川スニーカー文庫)と重なるかも。次の「ザ・スニーカー」向けの候補に挙げておこうっと。企画はまだまだ続くのかな?


【11月3日】 川崎フロンターレといえばガンプラすなわち「機動戦士ガンダム」のプラモデルで、ホームにしている等々力競技場へと行けば構造上あんまり人がやって来ないメインスタンドの一角に専用ブースが据え付けられて、フロンターレブルーに塗られた大きなガンダムが置かれフロンターレ専用に塗られたガンプラが販売されては子供達に変われていったりする後継を目に出来る、というかその時は目に出来ただけであっていつも同じかは分からないので、8日に等々力へと出向いてジェフユナイテッド市原・千葉の有史以来の2部リーグ落ちを確認するついでに状況を見ておこう。

 それにしてもどーして川崎フロンターレがガンプラなのかというと、それはバンダイの人に聞いた話では首都圏にあって親子連れでの来場者がとても多い球団だったってことで、親子にアピールしたいバンダイとしてはここと組むのがベストだったという判断があり、またフロンターレ側にもそうした親子を引き寄せたい意図があって、双方の思惑がピッタリとマッチした、なんてことだったような記憶がある。たぶんそんな感じ。でもって効果もあったみたいだし、何よりガンプラって4億個とか出ているアイテムを通して川崎フロンターレのイメージが全国区へと繋がっていったことも、別の効果としてあげられそう。これが例えばガンプラじゃなくってトランスフォーマーだったら……人気は世界に広がった? それはないか流石に。権利も絡んで使い勝手も悪そうだし。

 つまりはだから川崎フロンターレはそうしたファミリーな客層を多く抱えたチームってことになるだけに、ややクローズアップされ過ぎな感じもあるけれども、サッカーJリーグの「ナビスコカップ」決勝で、FC東京に敗れて銀メダルに終わった選手たちか、あるいは一部の選手が表彰式後にすぐにメダルをクビから外して、それをJリーグの鬼武チェアマンが見とがめた、って展開にはいささかの残念さを憶えないではいられない。ワールドカップもそうだけれど、カップ戦の決勝でまず審判にメダルが贈られるのはそうした名誉あるマッチ、そこに至るまでに敗れ去ったチームも含めてすべての参加チームたちの思いが集まった決勝の場に立ち、裁いたことを名誉として讃えるためだって聴いたことがある。

 それほどまでに名誉ある場に立った2つのチームは、なるほど制度として勝ったチームと負けたチームもあるけれども、同じ場まで来たという意味においては平等だし、背中に負った参加チームたちから託された思いも等価。だからまずはその場に立てたこと自体に意義を見いだすのが適切で、たとえ試合そのもおに敗れたからといって、表彰される資格はあるしそれが銀メダルだからといって、背負ったチームたちのために胸をはって受け取り掲げる義務がある、とまあそんな解釈も成り立つんじゃなかろーか。

 そりゃあ選手たちからすれば勝つと負けるとでは大違い、敗れて得られるものは何も成しと考えたくなるのも当然だし、応援する人たちにとってもそういう気持ちがあって不思議はないけれど、そうした感情は感情として内に潜ませ、決勝という場に立てて戦えたことを喜ぶ気持ちを見せることで、多くいるという子供たちのファンに伝えられることもある、なんてことも考えられなくもない。そんなことだからワールドカップで勝てないんだと言われてしまえば納得。でもそこはそれ、決勝の場に立つまでは戦争気分で戦っていくって気概があれば良いだけのことでそんな気持ちのメリハリを持てるようになってこそ、戦い方の幅も広がり人間としての強さも増すってことで。

 しかしテレビとかで見ていてたのしそうだったなあ「ナビスコカップ」。あの場に2005年、2006年と2年続けて立ててそして勝利まで出来たことが夢みたい。真ん中付近を挟んでまっぷたつに塗り分けられたスタンドの鮮やかさといい、秋の好天の中で戦う気持ちよさといい、元旦の天皇杯とはまた違ったリーグカップならではのJリーグファンの思いに溢れたスタジアムの雰囲気がそこにある。若手育成の場にしようだなんてぬかした阿呆もいたけれども、そうした声がしぼんでいるのもあの空間の素晴らしさを感じたファイナリストたちの気持ち、その場にいられたファンの気持ちが赦さなかったからに違いない。

 いやいやそこは100言うことのブラッターより1つ多い101個が下らないと巷間言われる協会長なだけに、いろいろと裏で画策していたりするのかもしれない。なによりおそらくは現実問題として、我らがジェフ千葉は来年あの場に立てそうもない。そしておそらくはもうひとつの千葉のチームも立てなくなってしまうだろうけれども、そこで奮起しともに上がって再来年の11月に国立でぶつかり合う試合を、真っ黄色に染まったスタジアムで見られたらもう何も言うことはないなあ。まあいい、われわれには世界3大カップがあるからそっちでスタジアムを黄色に染めよう。やるでしょ来年も「ちばぎんカップ」。


【11月2日】 「銃堕武」と書くのがやっぱり「機動戦士ガンダム」っぽいのかどうなのか。いやいや「銃」をガンと読ませるのは拙いんでここは「岩堕武」とするべきなのか。「丸駄六」ではちょっぴりまるで駄目夫くん。「元田矛」ではあんまり意味がない。中国ではいったいどーゆー表記になっているんだろう。そんなことを森田一哉さんって人の小説なのか自伝なのか分からないけどロンドン暮らしの日々をつづったストーリー「乳豚ロック」(小学館)って本を読みながら考える。

 40歳も過ぎて自分探しだなんて人に言ったら笑われるかもしれないけれど、景気の厳しい今日この頃は40過ぎで職にあぶれて否応なしに自分を探せと迫られることも多々ありそう。ハローワークに通って自分がどれほどからっぽだったかを思い知らせれ、回りに敗残者だと蔑まれる屈辱に、身をよじらせるのはさすがに勘弁して頂きたいもの。だからといって誰も知らない海外へと雄飛したところで、何が変わるという訳でもないことは何とはなしに見えている。

 日本にいたって海外にいたって同じ人間。変わるはずがない。ロンドンへと出かけた均ことキーンも同様で、フラットに暮らし外国語学校に通いながらも習い覚えた掃除の仕事をこなしながら、毎日をダラダラと過ごしている。きれい好きのスーダン人があっけらかんとしたコロンビア人の女性が乱雑だと怒る姿を間近に見つつ、どっちに見方する訳でもなくヘラヘラと生きているキーン。勤め先で赴いた邸宅でボヤ騒ぎを起こしてクビになっても慌てることなく帰国もしないで、Tシャツに漢字を書いたものを売ってみようかと思い立つ。

 それがちょっとばかり成功しても、すぐに真似が現れ仕事を奪われ一攫千金の夢はパー。だからといって怒り憤ることもしないで生きる姿を40男の達観と見ることは可能かもしれないけれど、そこでずっと足踏みし続けているだけとも言えないこともない。生きていられれば幸せか。それとも成功したいのか。自分探しに迫られた40代にはいろいろと考えることが多そうな森田一哉の「乳豚ロック」は小学館から発売中。ちなみに「乳豚」と書いてニュートンと読むそうな。まあこれはそれなりなセンスだけれどディアナが「出穴」ってのはなあ。でもっそてそれを刺青にしてしまったダイアナもなあ。「泥孔」って方が画数も多いし深遠そう。「別化無」も「蔑火武」の方が勇ましそう。自分探しにロンドンに行くなら漢字Tシャツ屋のために漢和辞典を持っていくべし。

 届いた「ザ・スニーカー」では長谷敏司さんの「あなたのための物語」(ハヤカワJノベルズ)の紹介なんかをやっているけど果たして本人は目にするのだろうか。「円環少女」のシリーズは角川スニーカー文庫でやっているけど本誌に何か書いていたかどうかはちょっと確認できていないからなあ、まあとりあえずやっておきましたとSF方面にご報告。何か日本SF大賞にもノミネートされていたみたいで、一般向けで始めて書いて発売からまだ2ヶ月しか経っていない本がライトノベル読みとは違ったSF読みの目に止まっていたと、驚くこととしきり、そしてSFの人が目にした一部の人以外でどんな感想を持っているのかに興味津々。僕はSFの人って訳じゃなさそうだし。SF評論賞とかどんな人が受賞しているのか知らないし。

 候補作から見るならやっぱり伊藤計劃さんの「ハーモニー」(ハヤカワJノベルズ)になるのかな、前の「虐殺器官」は個人的にも感じていた部分への指摘なんかもあったようで受賞を逃したけれども今回は、作品として鉄板な上に「星雲賞」を獲得して賞レースはこれだってな感じになっている。逝去しかかどうかって部分は作品単体を評価する仕組みと考えれば不問だろうけど、存命か否かが受賞を左右するかどうかは過去に例がないだけにちょっと不明。神林長平さんの二度目の受賞は「雪風」シリーズの第3作だって面もあるからたぶん無理と考える。ってことで本命は「ハーモニー」で対抗というよりSFな人がどう評価しているかってのを探る意味で「あなたのための物語」の健闘に期待。一般向け第2作はもう準備を始めているのかな、それはどんな話になるのかな、「戦略拠点32908楽園」と「天になき星々の群れ フリーダの世界」をハヤカワで再刊ってのも悪くないかもな。

 鳴り物入りで発売されたか鳴るというより閑古鳥が鳴いたかは現場にいなかったから分からないソニー・コンピュータエンタテインメント期待の携帯型ゲーム機「PSP go」の初日の販売台数がエンターブレインから発表。その数2万8275台! 多いのかこれ。参考までって添えられた「PSP」の販売台数が1279万7180台だからもう比べようがないくらいに話されている訳だけれど発売から5年で重ねた台数だから比べるのは論外。じゃあと漁ってみたほかの携帯型ゲーム機ではワンダースワンなんかが10万20万って数字を初週で出して最終的には300万台まで積み上げたからそれに比べてもちょっぴり及んでいないような感じがしないでもない。まあ値段も高いし他にとって代われるハードも多い状況。そもそも携帯型ゲーム機と比べることすら違っているのかもしれなんでここはターゲットにしているっぽい「iPod」の初日と……比べない方が良いみたい。しかしどんな人が買って何をやっているんだろう。今なら衆目のためだけに何かをやるフリをしているってのもひとつの手かも。

 いろいろと見ては消す日々。「鋼の錬金術師」はストーリーのハードさが増してイシュヴァール戦でのマスタングやホークアイといった面々の人間としての非道ぶりと軍人としての適切ぶりがつまびらかにされて生きていく大変さって奴を強く激しく見せつけられる。逃げたアームストロングはある意味で真っ当。けどそこで逃げたからこそ階級も低いままで留まっているのだろう。見所は軍人になる前にマスタングの師匠の墓の前に出てきたホークアイの胸元か。丸くて。深くて。そりゃあマスタングも顔を埋める訳だ。埋めたかどうかは見てないけど。そしてマルコー医師がスカーと出会ってそして始まる長い旅。落ち着く先は分かっているけどその先の、単行本でも連載でも未だ描かれざるシーンへとどう積み重ねていくのかに興味を惹かれて見続けそう。単行本にあったかどうか覚えていないシーンも多いし。ブラックハヤテ号は強いなあ。エルリックが弱すぎるのか。

 「夏のあらし 春夏冬中」はやっぱりオリジナルな展開で加奈子が眼鏡をかけると美少女変身ヒロインになるって展開だけで引っ張った企画物。それはそれで面白いんだけれどやっぱりなあ、背景にとてつもなくシリアスだった60年前があってこそ浮かばれる現代の平穏って奴を感じさせてくれてこその「夏のあらし」だったりするからなあ、そんなあたりの目配りは一切配して今シーズンは進むんだろうか、それとも残りの半分でそのあたりはこってりとやっていくんだろうか。やって欲しいなあ。あとマスターが口走ってたちゅうかなぱいぱいはとてつもなく古すぎるような。でもってポワトリンからトトメスときたのにシュシュトリアンや大竜宮城は無視ってのも悲しすぎるような。パンシャーヌは流石に入れられないか。美少女って訳ではまるでなかった訳だし。


【11月1日】 「HIGH and MIGHTY COLOR」ってのが「機動戦士ガンダム」シリーズで何か歌っているなあって記憶はあったけれども「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」の主題歌だったことを曲を聴いて思い出す。でもどこか違う。どこだろう、ってそうだボーカルが違うんだ。そうか代わっていたのか。もっとアニメの主題歌っぽい声だったというか、あるいはアニメの主題歌だったらそう聞こえたのかもしれないけれど、もともかくアニメで描かれた「SEED」の初々しさにマッチした声と歌い方だったなあと振り返りつつ、新しいボーカルの人もこれでパンチが利いてへヴィロックの「ハイカラ」らしさはむしろ出ているって感じ。これで合ってる?

 そんな「ハイカラ」の爆音を目の当たりにしたアニマックスのライブイベントは、「ハイカラ」より前に喜多修平さんが出てきて「ペルソナ4」の主題歌とかを披露したあと、先だってアニマックスのアニソングランプリで優勝した佐々木改め佐咲紗香さんが登場して何と「戦う司書」の第2期の主題歌を唄うってことを披露。ハイトーンでハイテンポの曲をよくぞ歌いこなしてはいたけれど、コンテストで聞かせてくれたような、歌い慣れて歌い込んだ曲にはまだちょっと届いていないかな。でも相当なアニソン好きみたいな感じなんで自分の物として歌い込んでいくことで、そこに感情もこもって耳に響き目に絵が浮かぶ曲になっていくことだろう。あなたの舞台はこれから始まるのだから。

 でもしかし激しいパフォーマンスで湧かせた「abingdon boys school」なんかを見てしまうと、そこにいっしょに居て良いのかなって思ったりするのもやむを得ないか。聞き慣れないバンド名だけれども耳に慣れた曲はわんさか。第1期の「DARKER THAN BLACK」主題歌とか「戦国BASARA」主題歌とか「ソウルイーター」エンディングなんかもやっていたりするその曲に、聞き慣れているのも当然というかつまりはボーカルが西川貴教さんな訳でそうかそういうバンドが最近は専らなのかと気づきつつ、そんなバンドに5年近い歴史があってわんさかファンもいて、ライブに詰めかけていることにアニソンって枠の広がりっぷりを実感する。

 先だって「東京アジアミュージックマーケット」でもアニソンナイトが開かれてはいたけれども、いかにもアニソンな感じの歌手が出てきて歌う姿を見るの観客の大半が男子。それも聞くというよりは何か場を楽しみに来ているっぽい感じの人も少なからずいて、そうしたイベントとしてのアニソン、場を共有する手段としてのアニソンというものがあるってことを改めて実感させらつつ、けどでもそれで音楽はいったいどこに行ってしまったんだろうという不思議さも抱いた。音楽はそれぞれに素晴らしいし聞いている人もファンだからこそやって来るんだけれど、そうした場になると音楽を受け止めるというより音楽を受け止めている自分を表現する方へと、重点がズレてしまう人も中にはいたりする。

 「abingdon boys school」の音楽はそうした“ワガママ”をまるで赦さない。もう圧倒的な歌唱力に絶対的なサウンド力がステージからフロアへと浴びせかけられ、聞く側にひたすらに追従を要求する。聞かされてしまうといった方が良いのか。もちろん観客も手は挙げるし振るし飛びもするけどそれは音楽がまずあってそれに乗らなくちゃ、一体化しなくちゃ勿体ないっていった衝動によるもの。音楽を素材に自己表現しようなんて気はまるで起こらないし起こさせない。絶対的な音楽の力で引っ張り導きねじ伏せる。ベテランにして今なお常に新しさを追求する西川さんだからこその力業とも言えるんだろう。そこへと至ってアニソンも、カテゴライズされた中で一種の材料として扱われることなく、聞かれ受け止められる存在になっていくんじゃないのかなあ。なんつって。とにかく圧倒されたステージだった。また見たいなあ。でもしばらくは海外とか。世界もきっと驚くだろうなあ。

 出演したバンドではアニソンとあんまり関係なかったっぽいけど「ヘイ・マンデー」ってフロリダ出身のバンドが気に入ったというか気になってCDも買ってしまったよ。きっとまだ若いボーカルのグラマラスなお姉さんの歌声も耳に届くしバックのバンドが奏でるサウンドもなかなかの迫力。冒頭でギターの2人がクルリとそろって回転した動きとかもキュートで見てたのしく聴いて嬉しいバンドって言えそう。でもそなにまだあんまり有名じゃないみたい。アメリカンバンドサウンドを聴かせてくれるレディースボーカルのバンドの登場をさて、日本ではどうやって拡げていくんだろう。アニマックスのイベントに出たってことはアニソンとかにも起用を予定しているのかな。ライブとかまたやるなら今度はもっと間近で見てみたいなあ。要観察。

 なぜかどこからか赤いダッフルコートが欲しいという衝動が浮かび上がって来てネットなんかで探したら高知の方で1つ発見。グローバーオールって英国でも有名なダッフルのメーカーのタグとかが付いているようだけれどクラシックなロゴのものは割に見かけてもスリムでシンプルなロゴって奴はそんなにお目にかからない。なかった訳ではなくって存在していたって記憶があるし、だいたいが今の日本で流通しているグローバーオールのロゴも最新のものとはちょっと違っている。100年も同じロゴを使っている会社じゃないってことだ。

 とはいえしかしどういう素性のものかは気になるところではあったものの、欲しいのは別にグローバーオールというメーカーのダッフルコートで色が赤いもの、ではない。赤いダッフルコートが欲しいのであってそれが他には出ておらず、唯一そこにあるのだったらそれを買うというのが着る心意気って奴なのだ。ってことで仕入れて届いた赤いダッフルは、前にユニクロで買った赤いフリースのピーコートほどには鮮やかな赤ではなく、けれどもレンガ色のようなくすんだ赤でもない実に落ち着いた色の赤。一時話題になった千鳥が淵の側にあるイタリア大使館がまさにそんな色で、煌びやか過ぎる目が痛いと騒ぎ立てる輩の声にどれほどの色かと見に行ったら、側に生えてた木の方がよっぽど赤いじゃねえかと思った程に落ち着いた赤だったことを思いだした。

 裏側のタグなんかには韓国語とか日本語とかも書かれてあって気にならないでもないけれども、1枚立てのヘリンボーンウールは柔らかくって羽織れば体にフィットし優しく包んでくれそう。トグルは昔ながらの麻ひもに木製の組み合わせ。似せて作るんだったらそのあたりは高級そうで日本人にも受ける革に水牛のセットにするだろう。わざわざ粗末に、けれどもオリジナルに近い雰囲気にするってことなんてそうはないんじゃなかろーか。ともあれ色は良く形も良く着た感じも最高。デッドストックってことでよれよれになっているんじゃなかって心配もあったけれどもそうした織り皺もなくかといって固さもない、着慣れた感じを最初っから醸し出してくれそうな逸品。欲しかったベストが手に入ったと喜び小躍りしたいところだけれども、問題は支払いなんだよなあ、0.915。悪魔の数字。それもアーマーなんかをフル装備して武器も搭載されたものへの乗数ではなく、剥き身で一切の艤装もないどころか、制度的にコンパクトに抑えられている本体への乗数なんだよなあ。参ったなあ。終わってるなあ。

 そんなダッフルを受け取ってから電車で蒲田へと出向いて「ラブプラス」関連即売会の「ラブインクリメント」とか何とかをのぞいたら凄い人。1回目の入場には間に合わなかったんでしばしモスバーガーで時間を潰して戻って2回目に入って中を散策、そんなにテーブルは出ていなかったけれどもそれなりの数のディーラーが出て寧々さん愛花に凛子といった彼女たちに関連した冊子を売っていた。男が作るエロ系だけじゃなくって女性が描くサークルも少なくなかったって印象。一方で買う側は圧倒的に男子ってところに最初はそうした層がまず食いつき、それからファンとしてゲームにのめり込める女性がこれから増えていくって可能性なんかに思い至る。15万本ほどがさらに膨らみ20を超えれば超ヒット。そして社会現象となれば果たしていったいどれくらいのムーブメントが起こるやら。テレビに内Pが「みんなのお父さん」として紹介される日も近い、かもしれない。

 そういやあ「PSP Go」とか何とかってゲーム機が発売になっていたっぽいんだけれども世間的な関心がまるで沸き立ってないように感じられるのは単に「ラブプラス」のハマり過ぎていて目がそっちに向かっていないからなのか、それとも純粋に世間の関心がまるでそっちに向いていないからなのか。振り返ればまだ「ワンダースワン」の方が感覚として賑やかだったよなあ、一応は当時唯一の携帯型ゲーム機だった「ゲームボーイ」に挑んだ機械が出たってことだったから。今は「DS」が圧倒的で「DSiLL」なんてものも出て別に「iPhone」があってグーグルの何かがあったりして、何より「プレイステーションポータブル」だって値下げで賑わっている中での登場に、どーやってスポットを当てればいいのか。静けさで比すなら「ネオジオポケット」に匹敵しているような気がするなあ。いやあれはあれで面白い機械だったんだけど。どこへ行ったのやら。


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