縮刷版2009年1月上旬号


【1月10日】 「わたしには信仰しかない。わたしは明日も夢見る魂人である。誰でもわたしの信念を知っている。私は賞賛しか持たないのだ。私は押井に接近する。溢れ出すアニメへの熱意。溢れ出す映画への標的。だから押井に接近する私の赤い魂は、なんと明確にオシイストではないか」。そうだ僕はオシイストだ。押井守への熱狂者だ。「うる星やつら」がテレビ放送されてその名を意識するようになってから、四半世紀を越える長きにわたっての押井ファンだ。

 「うる星やつら ビューティフルドリーマー」は来る4月が大学入学という直前の2月だか3月という、普通の人なら大学受験に勤しんでいる最中にとりあえず1つ合格が出たからと受験休みの学校を休んで見に行ったかどうかした。復活ののろしをあげた「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」は得体の知れないCD−ROMのムックを買い、恵比須ガーデンホールで開かれた公開イベントにも行き、米国でのビデオチャート1位なんかを記念して作られ、村上隆さんが宣伝に絡んだ国際版はイマジカでほとんど1人で試写を見た。その後に新宿にも見に行った。

 世間的にいろいろと評価も別れて悩ましげだった「スカイ・クロラ」だって劇場で3回も見た。菊地凛子さん演じる草薙水素のボウリングシーンは歴史に残る名場面だと感動し、その場面を家で何度も見返すためにブルーレイのボックスを買った。何かどうでも良いおまけがついて4万円を超す品物だけれどポイントを使って安くした。それでも軽く2万円は越えている。どういうことだ。でも仕方がないと認め受け入れるくらいに立派に確実に骨の髄まで押井守ファンだ。

 2009年ぼ1月7日に放送された「ケータイ捜査官7」は押井さんが脚本を書いた回。それはもう押井さんならではの衒学的な語りと幻想的な展開に溢れていえ素晴らしかった。素晴らしく押井だった。完璧だった。つまりはもう何が来たって何が描かれていたってそれが押井的であるなら、押井の手が触れたものなら全面的に肯定し、賞揚し、賛美し、激励するだけの熱情を常に心に抱いて毎日を生きていてきた人間だ。そしてこれからも生きていくだろう押井守の魂の奴隷だ。そんな筋金入りのオシイストであるこの僕が、押井守脚本・演出の舞台版「鉄人28号」について語るのだ。答えはひとつしかない。

 野菜は小さく切りすぎると鍋の中で形が崩れてしまうから適度な大きさを保つように。まずフライパンで野菜をいためてから鍋に移して水を入れてローレルなんかを加えてぐつぐつと煮込みそこにフライパンで炒めたブロック状の牛肉を放り込んでさらに煮込んだところにカレー粉を振り込んでやっぱりぐつぐつぐつぐつと煮込むこと一昼夜。さらに1晩を冷ましおくことで味にコクが出てそれでいてマイルドなカレーに仕上がります。美味しいカレーの作り方。これで先生よろしく単位をお願いします。

 いかん筆が逃げた。逃げていった。どういうことだ「鉄人28号」のことを書こうとしているのに言葉がどんどんとすり替わっていく。「鉄人」から逃げていく。しかしやはり筋金入りのオシイストとしては讃えなければならない。褒めそやさなければならない。舞台版「鉄人28号」。その評価を決めるのはあなただ。あなたがその目で決めるのだ、ってやっぱり逃げている。逃亡している逃避している逃走している。向き合おう現実に。向かい合おう現代に。だからありのまま今起こったことを話すぜ。俺は銀河劇場で「鉄人28号」を見ていたと思ったらいつの間にか『人狼紅い眼鏡立喰師列伝ケルベロス』になっていた。もっとも恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。だからいったいどうなんだ?

 つまりはこういう内容だ。ダイヤモンド☆ユカイが登場するなり皮のタイトな衣装に身を包んで「レッドウォリーアーズ」時代の名曲「バラとワイン」を小暮シャケのギターをバックに熱唱すれば、サンプラザ中野くんもパッパラー河合に江川ほーじんを両サイドに従え「ランナー」で対抗する80年代Jロックの競演が繰り広げられるなかを、超ミニの半ズボンで脚を付け根まで剥き出しにした南果歩タンが小さいヒップをフリフリとさせながら若さを振りくその一方で、まっ赤なトレンチコートに身を包んでケツネコロッケのお銀として登場するなり千葉繁演じる親父を向こうにステージ上で10杯のキツネコロッケ蕎麦を平らげ金も払わず逃亡する立喰芸を披露する。

 そんな騒動をずっと舞台中央でブルマーをはき胸にゼッケンをつけたジャージを着た姿で体育座りをしながら見守っていた我らが鉄人28号は、最後の最後になって身の丈4メートルの巨体を起きあがらせてては銀河劇場の天上をぶち破り、バンギャオーと吠えて東京港上空へと飛び上がり2014年の「東京五輪」の予定地になっている有明の上空に背中のジェットででっかく五輪のマークを描き出す。そんなクライマックスからエンディングへと至る舞台では、100匹のバセットウォーカーが舞台袖から現れ壇上を埋め尽くしプロテクトギアと壮絶な撃ち合いの果てに全滅。ラストをラムちゃんの恰好をした果歩たんが壇上に現れ「責任とってね」と言って終演を告げると奈落から煎餅布団にくるまれた押井監督が現れ、枕元に積み上げた原稿を全部引きちぎり「とどのつまり!」と叫んで一斉に照明が落ちるという、もう空前絶後にして前代未聞の舞台を1時間45分に渡り堪能できる。

 そんな訳ねえ。いやまあつまり何を書こうににも何も書けないくらいに様々な“感動”を味わうことが出来た舞台だって棒読みの言葉で語って呼びかけよう。みんな行くのだ。そして勇者になるのだ。ああやっぱり筆が進まない。進まないなりに断片でも拾ってその舞台の様子をここに記すことにしよう。野犬狩り。文明化していく国家が葬る闇。虐げられる存在。使う毒薬の蘊蓄。野犬リーダーの捕縛に成功。その意義。戦後の混沌をここに終演させ明るく清潔な明日を開こうとする国家的詐欺。その分かれ目に存在するのが鉄人。太平洋戦争の決戦兵器にして戦後民主主義の象徴。科学の正義を貫く力。しかしリモコンを奪われれば暴虐の徒と堕す魂なき鉄の塊。

 めぐらされる野犬奪還の謀略。登場する人狼党。拉致される正太郎。科学の正義と生存の意義との間で揺れる正太郎。鉄人にも野犬にも重なり戦後の混沌に活力をもらい生きてきたお銀によって逃がされる正太郎。始まる東京五輪。開会式への妨害。起用される鉄人。人狼党の乱入。始まる鉄人の奪い合い。鉄人の心たる正太郎は決断を迫れる。そして……。どこまでも押井的なセリフ語り。どこまでも押井的戦後への疑義。昭和を平成と言い換えるだけで何の責任も果たさず清算を置き去りにした詐欺的な行為を暴き出し、こんなものだぜ世界はとつきつける押井戸昭和史の本質だけはしっかりと貫かれている。いるけれどもでも……。

 とりあえず権力が責任を放棄し人々も希望を失い誰もが現状に甘んじ、いや現状すら怠惰に埋もれさせ退廃へと向かおうとしているなかで一時的な逃避のシンボルとして掲げられつつある第2期「東京五輪」の会場側の天王洲の地でこの演目が行われたことに意味を見出すしかないだろう。脇役は巧みでダイヤモンド☆ユカイやサンプラザ中野の歌はまずまず。南果歩は脚が細くて可愛らしいし池田成志さんは科学の正義に燃えていた。田鍋 謙一郎さんは卑近ながらも善意に正義な隊長をコミカルに演じきっていた。藤木義勝さんは「ケルベロス」や「人狼」のようなプロテクトギアに身を包まずとも過激な輩を相手に任務をこなす実直な男を演じ倒していた。

 だから見ていられる。しっかりと見て何かを感じられる。楽しめるかどうかは人それぞれ。だからやっぱり行くしかない。いって前代未聞の1時間45分を味わい歴史の生き証人になるしかないぞ。行くのだオシイストたちよ。行けば勇者確定だ。だから結局どうなんだってば。しかしお弁当食べる時間をとって家族で楽しめるようにしたいって、どの演目についての発言だったんだろう。それだけが気がかり。

 2時開演で4時前に終わるって映画よりも短い中身でなおかつ値段は映画の6倍以上と実にゴージャスな時間を過ごした後は余った時間で秋葉原、といっても買う物も時間もないんでコトブキヤで一番くじの「ワンピース」を引いてチョッパーを当てようとしたけど当たらずキーホルダーだけもらい石丸電器でかいのがしていた「紅」の第6巻と「鉄腕バーディー」の第4巻を買ったらともに店頭在庫分のそれも最後くらいだったのでラッキーと歓喜。閉店したブロッコリー向かいの石丸パソコン館の前で愛想を振りまく地場アイドルが誰なんだろうかと眺めつつ「ゲーマーズ」の壁にでっかく貼られた虎子の可愛さにうすら笑いを浮かべつつ秋葉原を後にして帰って寝て起きて今ここ。押井さん次はどんな題目を舞台にしてくれるかなあ。普通に「麿子」をやってくれないかなあ。


【1月9日】 ようやくやっと見たアニメーション版「まりはほりっく」はでじことぷちこの掛け合いが超最高に懐かしい。沢城みゆきさん演じる耳がピコピコ動く寮長さんのどこか得体の知れないなかでミシミシと相手にプレッシャーを与える雰囲気と、真田アサミさん演じるかなこの妄想に突っ走ってすっころぶうかつぶりの絡み合い。ぷちこにでじこの関係だあ。こんな関係、見ていないけれども2人が出ている「ローゼンメイデン」シリーズではなかっただろうし、少年声の紅真九郎と大学生声のエロ混じった環さんの競演があるにはあった「紅 −Kurenai−」もイメージ的にはまるで違ってたから、何か久々の「DUP」って感じ。あっと「U」のうさだはいないのか。「ウィンターガーデン」以来ってことか。それもちょい違うか。

 猫なで声から強面へと変じる鞠也の小林ゆうさんなんかもピッタリな声優陣。そんな配役に加えて演出もなかなかに新房昭之監督的で、テンポがよくって挟まれるおかずみたいなデフォルメも愉快。でも「ぱにぽにだっしゅ」とか「絶望先生」みたいな物語世界の外部が侵略してくるようなことはまだなくって、あくまで作品世界の中であれやこれやイジり倒しているところはそういうメタを苦手な人でも普通に受け入れられそう。とはいえ内容は巨大百合少女が女装美少年にイジられ悪口メイドに罵倒される話だからなあ。一般人が普通に楽しもうとして引っ張り込まれて染められ不健全になっていくのもまた一興。というわけでこいつは毎週ちゃんと見よう。ついでに「キャシャーンSins」も山場らしいんで見ていこう。ルナ。月という名の太陽。正体やいかに?

 そして待望の「黒神 THE ANIMATION」。日本だけじゃなくって韓国とアメリカでもほとんど同時に放送されるってゆー業界的に超画期的な試みがとりあえず行われている作品だけれどそうした話題性をのっけなくっても十分以上に凄まじいクオリティに激しい物語。家族を失ってどこかぼんやりと生きている少年の周囲に起こる事件。ドッペルゲンガーを見てすぐに死んだ母親の記憶を引きずっていた少年の前に現れた少女が、ふところから目つきの悪いミニチュアダックスフンドを引っ張り出しつつドッペルゲンガーではなくそれはドッペルライナーだと教え世界には似た人が3人いるけど1人以外はサブでサブの場合はドッペルライナーを見たら死んでしまうのだと告げる。

 なるほど母親は死んだし同級生の少女も死んだ。もしかして事実なのかと考えた直後に 少女がバットで粉砕されかかるハード描写へと突入しては、ズガンゴキンとバットにパンチが乱れ飛ぶバトルシーン。それが一件落着したらしたで今度は少年が親しくしていた隣の少女が自分と似た子を見たと何気なく少年に話してそして起こる衝撃の出来事。そこでそこまでリアルに描写するかと誰もが絶対に目を見開かれる。よく描いたなあ。というかこれを描くんだったら夕方の時間帯は絶対に放送は無理だよなあ。深夜だってあるいは難しいかもしれないところをテレビ朝日はよくやった。米国じゃあどうだろう? 韓国は? ともあれそうした描写によって見た目のふわふわとしたキャラたちとは違って世界も設定もハードでシリアスなんだということが見えた「黒神」。そりゃあブラウスの前ボタンが弾け飛んだりするサービスもあるにはあるけれど、そんな口直しがあったところで心に残る後味の悪さを果たして物語がもたらす感動が、どう塗り込めていってくれるのか。これも毎週目が離せない。

 んで読んでみた朔ユキ蔵さんの「セルフ」はつまり生まれてこのかた女性に不自由したことがない若者が自分でイタすことに挑戦するってゆー設定で、読んでこんちくしょうって思った秋葉原に集う魔法使いたちもきっと大勢いて立場的に正反対な境遇への憤りを覚え己が至らなさを改めて噛みしめ自らを慰撫に走ったに違いない。こんちくしょう。でもラストでいろいろと大変なことになったみたいで海辺の崖っぷちで白濁した粘液を介して出会った2人がどうなっていくのかは「ビッグコミックスピリッツ」を読んでのお楽しみ、と。チラ読みした雰囲気じゃあその後になかなか大変なことになっていたみたい。相手もあるいは自分でイタしたことがなかった人なのか。男子と違ってありそうだよなあ。どうなんだろう。聞ける相手もいないんでちょっと分からない。どうなんでしょう。

 さらに井上智徳さん「コッペリオン」(講談社)第2巻も登場。東京のお台場あたりに出来たって原子力発電所が絶対に壊れないって言われていたにも関わらず地震か何かであっさりと倒壊。あふれだした放射能が東京を覆って人を住めなくしてしまい、日本は首都をよそに移して再生のプロセスを辿っていた。そこからだいたい20年くらい? 遺伝子操作によって放射能に抗体があるっていった女子高生たちが生み出され、「コッペリオン」部隊と名付けられて未だに人が居座り続ける東京へと送り出されたのが第1巻。人の住めないくらいの状況であるにも関わらず、なぜか優れた防護服と放射能の進入を防ぐ技術が広まっていて、生存者たちがいて中には夫婦となて子供を作った人もいた。

 そんな人たちが起こす騒動なんかをこなしつつやがて3人のコッペリオン部隊の女子が出会ったのが防護服を作ったという老人。調べて彼こそが東京に原発を作った技術的責任者だと分かるものの、それを女子高生達が糾弾するって話とはならず突如現れたステルス機が東京上空を飛びまわっては生き残っている人たちを攫い調べようとしていた。救出に向かう3人娘がスカートをひるがえして銃を撃ち、脚をひらいて構えミサイルを撃つシーンはビジュアル的には見物だけれども背後に屹立する東京で、原発が、倒壊し、放射線があふれ出し、人が住めなくなっているという設定が持つ重さの方が気になって仕方がない。

 地震くらいで原発は壊れない。放射線廃棄物は厳重に封かんされて永久に近い時間を保存されるか。だから安全。そして安心。なので原発を作りましょうよというロジックを打ち出し、原発の建設に反対する勢力を牽制しつづけているのが電力業界だったりする。でもってそうした見解を広告という形にし、安全でクリーンなエネルギーだってことをアピールする内容のメッセージを電力業界は出し、それを出版社は週刊誌とかに掲載してお金をもらっていたりする訳なんだけれども、媒体こそ違え同じ会社が自分のところで出している雑誌に、原発の安全性を危惧する漫画を掲載してよくいろいろと言われないものだなあ。これを例えば経済系の新聞なんかで書評しようとすると、どっかから誰かがやって来てお止めがかかってしまうんじゃないかって気がしてならないんだけれど果たしてどうなるんだろう。こりゃ実験するしかないな。

 最近とっても気になるのは「ターミネーター」のTVシリーズの宣伝で、よくビジュアルに使われてる美少女ターミネーターの、半裸の半身が作り物なのかそれともリアルを取り込んだ上で手とかをカットし胴体とかをカットして合成したのかってところで、前者なら髪にかくれながらも見えている下の丸い部分は本物ってことになるし、後者ならただの絵ってことになるけれども、真に高度な技術で描かれた絵は本物と変わらないという言葉もある(ないない)ので、それを本物だと信じれば本物なのだということで信じて見て楽しもう。しょせんは印刷なんだけど。あとポスターなんかになってるあれはサラ・コナー? の頑丈そうな姿もなかなか。ピタピタのジーンズに包まれた脚のラインとかタンクトップの開いた胸元とか見てとっても好奇心をそそられる。息子のジョン・コナーだってクラクラしちゃいそう。そんなサラと美少女ターミネーターがどんな感じに大暴れしているのか。見たなあ。買っちゃおうかなあブルーレイボックス。「ターミネーター3」見てないんで接合しなくたってまるで気にならないし。


【1月8日】 なんだまだ始まった訳じゃないんだ「鉄腕バーディーDECODE2」の時間枠で放送された番組は、「1」のおさらいみたいなのが半分とそれからこれからの展開っぽい話が半分って感じになっていて、空中を不思議な恰好でジャンプするバーディーの肢体を改めて堪能できたけれどもやっぱりタイミングとして早すぎるっていうか、スピードがつきすぎていて一瞬の残像も目に残らないのが悩ましい。1枚ぐいっと近づけるカットがあるだけで人間、迫力を感じたり官能を覚えたりするものなのだ。んで「2」っていったいどんな話になるんだっけ、まるで覚えてない。有田しおんはいっぱい出てくるらしいんだけどマネジャーのテュートがいなくてもちゃんと仕事は舞い込むものなのか。その辺りにも注目しながら次週を待とう。「とらドラ」はやっぱり撮るだけか。

 むっくりと起きだして市ヶ谷へと向かい映像ソフト協会の年賀会をのぞく前に寄った本屋で、始業式後なのか早めに街に出てきた女子高生たちが話している会話にウサギ耳。何でも「ミラーズ」って洋画に出てくる子供の部屋にはCLAMP先生とあと「ネギま!」のポスターが貼られているんだとか。そうなのか? 外国にはびこる日本のアニメっていった話は聞こえていたけどそういう形でメジャーな映画の中に登場して来るとなると、やっぱり相当に進んでいると言えるのか、それとも裏にスターチャイルドあたりが絡んでいたりするのか。CLAMPってもどのCLAMPか分からないしなあ、映画見るしかないのかなあ。

 でもって女子高生たちはそんな風に外国人が日本的なオタク趣味を見せていることに最近はあんまりトンガったものを感じなくなってしまったとか。うんうん。それは自分にとっては好ましいものでありながら世間的にはネガティブにとらえられていたものが、ちょっぴり認められるのは広がりが出たんだと喜べるけど全面的に採用されて公認されてしまうと、それはちょっと違うんじゃないか、僕たち私たちの気持ちを横取りしようとしているんじゃないかって懐疑の気持ちが浮かぶのと似た感情なんじゃなかろーか。外務大臣くらいが漫画好きだぜと言ってるうちは良かったけれども、総理となっても漫画好きを公言しまくりそれをメディアが取り上げまくる風潮の、作為っぽさを覚えて居心地が悪くなるのと同様っていうか、まあそんなところ。敏感なんだよ人の気持ちって。繊細なんだよオタクの心性って。

 んで映像ソフト協会の会合。東宝の偉い人が会長だかで挨拶に立って最近は海外ドラマばっかり見ています、ハリウッドの才能を感じますって公言するのって何かどっか曲がっているような気がするよなあ、つまりはそれだけ日本のドラマが見るのもはばかられるってことだから。来場者にはそんな日本のドラマを扱っているメーカーなんかもある訳で、ある意味では発憤を促したとも言えなくもないけれども総じて否定してしまっている言葉を受けてソフト屋さんはどう思う? そうそうそのとおり、いくら俺達ががんばって売ろうとしたって作って来るテレビ局がポン酢なもんでどうしようもないんでさ、って実は内心でうなずいていたりして。日本のドラマで買おうって番組、ないもんなあ、「ハチワンダイバー」より後。まだ見てないけど。

 仮構の問題について思考る。とある場所で仮に行われたとする施策によってもたらされる要員の減少や締め付け強化によるモチベーションの低下は、絶対的に商品のクオリティへと反映される。英明で敏感な購入者はただちに劣化を感づき、もはやこれではと忌避したけっかがよりいっそうの締め付けと削減を招き、それがさらなる劣化をもたらすというデフレスパイラルが起こって総体を破滅へと導く。踏みとどまるべき箇所を間違えたために1つの出城が雲散霧消した事例というものを身近に得ながらも、どうして同じことがより巨大な規模で繰り返されるのかというとやはり立場にある者が、立場の堅持こそが未来をもたらすと確信して、そこにサンクチュアリを築き上げてしまっていることがひとつの遠因なのだろうか。もっとも他に適材も見あたらない状況では致し方ないと認めるしかないのかもしれず、ならばどうすれば良いのかと問わることになる訳だけれども、そこで妙案を誰も提示し得ないのはそれだけ事態が逼迫し、もはやのっぴきならない処まで来てしまっているからなのではないのだろうか。

 わんさかと築き上げた出城に砦に別荘を、その責任の所在を有耶無耶にして清算しきれない雰囲気が打てる施策を縛っている可能性もあるのだけれど、もはやとやかくいっている場合ではないと挙党し、出城も砦も仕舞って本丸1つに絞りその堅持をこそ大事と認めるべきだといった指摘も可能。というよりそうしなければ減少した要員によって維持されなければならなくなる出城も、砦も遠からず退廃し、崩れ落ちては全体への印象低下を引き起こすことは間違いない。故に選択して集中して堅持するしかないにもかかわらず責任の所在を特定するのは憚れると規模は堅持し、一方でかかる要員は減らすという矛盾がもたらす虻蜂取らずが大名割れた場合の結末を、想定するなら内に留まるも地獄の1丁目。ともに血の池へと落ち針の筵の上で鞭打たれることは必至だろう。それならば外で寒風に吹きさらされる方がまだマシだといった想定も成り立つのだけれど、果たしてどちらが正しいのか。非現実的過ぎる問題だけにやっぱり答えは出てこない。考えよう。深く静かに考えよう。

 考えても仮構の問題なんで答えも出ないんでエンターブレインの新年会へと出向いていろいろと挨拶しつつ未来につながる道を探るもどこも厳しいみたいだなあ。いやいやエンターブレインは景気は悪くないみたいで、去年のハッスルに続いて今年は「マッスルミュージカル」なるものを特別編として見せてくれた。映像なんかで見てはいたけど体を剥き出しにした筋肉な人たちが、脚踏みならしながら肌を叩いて音を出してリズムをとる舞台ばかりだと思っていたら、まるで違ってハイパーヨーヨー使いがいて、マジシャンがいて自転車乗りがいてフラフープ回しがいてシンクロスイムダンサーがいてと合間にそうしたプレーを挟みつつ、跳び箱を跳んだりダブルダッチの縄跳びを演じたりとメニューも豊富で飽きずむしろ引っ張り込まれるように楽しめた。もちろん肌バチバチもあってなかなかの迫力。よりいっそうの統率とメニューの追加とシナリオの完成度向上があればこれはこれでひとつの立派なショーになるんじゃなかろーか。まあ高い跳び箱越えも宙乗りもレイラさん1人の演技に粉砕されてしまうんだけど。やっぱりすごいよなあレイラさんは。


【1月7日】 普通の現代に生きる少女が白い狼と結婚してしまう破天荒な展開に目を見開いた葉村哲さんの「この広い世界にふたりぼっち」(MF文庫J)にまさかの続編「この広い世界にふたりぼっち2 人形カラシニコフ」(MF文庫J)が登場。メイドさんだか委員長だかが手にカラシニコフを持って撃ちまくるというさらなる訳の輪からなさが乗って「ギロチンマシン中村奈々子」に負けないびっくり箱感を最初は味わえたけれども後半は、いたいけな少女とかをめぐって何やら引っ張り合いが行われているような雰囲気でダイナミックさが後退して、頭を捻らないとちょっとついていけなかった。シロという名の狼もあんまり活躍しなかったし。カラシニコフメイドにカラシニコフ委員長をもっと!

 なるほど面白い。ぐいぐいっと引っ張り込まれて漫画を描くのって大変そうだけれど面白そうだって思わせてくれる大場つぐみさん小畑健さんの「デスノート」コンビニよる「BAKUMAN」(集英社)だけれど、でもなあ、ってちょっぴり気持ちが背後に下がるのは漫画を描いて成功を目指す子供たちの話ってのを、漫画そのものが掲載されている雑誌としては頂点にある「週刊少年ジャンプ」で連載して、果たして良いんだろうかって疑問が浮かんだから、だったりする。

 どういうことかというとキャラクターがあって物語があって世界が創造されていて、引き込まれて楽しんでしばしの快楽を得られる漫画というものの、至高にして最上のものが揃っているのが「週刊少年ジャンプ」であって、そこにそうした漫画を生み出す過程として個々人の間で消化され、作品へと昇華されるべき描き方マニュアルというか描き方ガイドブック的な話が、たとえ読んで面白い作品だからといって、漫画として描かれ紹介されていて良いんだろうか、って気がちょっとしてしまうこと。なるほど内輪物なら竹熊健太郎さんと相原コージさんによる「サルでも描けるマンガ教室」って作品が過去にあったけれど、これはマニュアルっていうよりは漫画の形を借りた内幕物。そのまま参考にならないこともないけれど、漫画に染みついていたお約束を暴いて新しい展開を導き出そうって意思もそこにあった。

 掲載されていたのも漫画の王道をややはずれて、漫画に革新をもたらすような作品を多く掲載していた「ビッグコミックスピリッツ」。そういえばこの「スピリッツ」は後に土田世紀さんによる編集者魂の何たるか、漫画家人生の何たるかを破天荒な男を狂言回しに描いた「編集王」って漫画も掲載してたっけ。こちらは逆にやや大げさな表現やらエピソードの中に編集者なり漫画家の神髄って奴をのぞかせることで漫画業界全体に活を入れていた。読んで誰もが奮起して漫画界は大隆盛……になったかというと小池一夫さんいわくゼミの学生と合宿をやっているから見学に来ないかって誘っても編集者の誰も来なかったりする状況があって熱量が下がっているって状況が、変わらないどころかさらに後ろに下がっているっぽい空気を示唆していたりする。

 だからこそ「BAKUMAN」のように本気で漫画を目指す人を育てたいって意識をもった漫画が描かれることにも意味はある。きっと登場して来るだろう編集者たちの描写も教師なり反面教師となるだろう面々からいろいろと示唆されることもあるはずだ。だがしかし。これが掲載されているのがそうやって鍛えられ挫折も味わい訓練を重ねた果てにつかんだ座でもって、存分に才能を発揮している至高にして最上の作品たちばかりであって欲しい「週刊少年ジャンプ」誌上ってところがやっぱりどうしても気にかかる。掲載されている作品そのものがアドバイスを内包していて、それを読んでキャラとは何かを感じ取り、物語とは何かをつかみ取って自分の漫画の中で表現していって欲しいというのが感覚で、そこにまんまアドバイスのカタマリのような作品を持っていって漫画の志望者を増やしても、漫画の神髄を自らの探求によってつかみ取る心底からの求道者を増やすことにはつながらないんじゃないのかな、って気がしてならない。

 原作と作画の2人の少年も漫画を描きたい、でもって有名になって彼女に告白したいって動機をしっかり語ってくれているけど、どんな物語を紡いで、どんなビジュアルを見せつけたいのかって部分をあんまり見せてくれていない。こんな漫画に感動して、だからぼくも漫画で感動させたいんだってことですらなさそうな主人公達の、偶然にも親戚に漫画家のおじがいて残されたさまざまなアイテムを参考にしながら漫画を描けちゃったぜラッキー! ってイントロダクションから漫画への熱情を汲み取るのってなかなかに難しい。これを読んで漫画家志望者が増えて良いんだろうかって心配が浮かぶ。

 まあそこは、漫画を描きたくって漫画を描いて成功をつかみ挫折も味わいながら前のめりになって死んだおじさんの存在が、半端じゃないモチベーションの必要さを感じさせてくれるからまだ救われる。あとは主人公達が何を表現したいのか、ってクリエーターとして最大に重要な部分が欠けていたことに気づくなりする展開があれば、カーボンコピーのさらにコピーみたいな「漫画家志望」ばかりが増えるんじゃなく、漫画でもって何かを表現したい人たちが感化され、触発されて増えていくって構図にもつながるんじゃなかろーか。とはいえやっぱり「週刊少年ジャンプ」誌上ってのは引っかかるよなあ。あの「ジャンプ」ですら、ここまでして漫画家志望者のすそ野を広げなくっちゃいけないって考えている現れなんだとしたら、漫画のおかれた状況はやっぱりなかなかなに末世的なんだってことなのかも。「BAKUMAN」が面白いだけに気になったろいろを吐き出してみました。「編集王」読み返したくなって来たなあ。

 ふと気がついたら今敏さんの傑作映画「千年女優」が大阪の方で舞台化されるって話が聞こえて来て調べたら本当に舞台化されてもうすぐ上演開始の模様。期間は短くおまけに大阪なんで見られそうもないけれど、あの時間と空間が錯綜しまくる展開をどう舞台向けに演出しているのかは興味のあるところ。アニメだからこそ成しえた場面の転換やら衣装のチェンジやらを物理的な制約が入る舞台でどう見せるのか。そいういうところはキャストを違えて語る老婆の背後で演じられるような感じにするのか。5月に愛知でも公演があるみたいなんでゴールデンウィークの合間にのぞいてみようか。そのころには毎日がゴールデンウィークになっている可能性もないでもなさそうだし。

 それにしても多いよなあ、アニメや漫画の舞台化。既報のように押井守さんによる「鉄人28号」の舞台が10日からスタートするし、女性役も男が演じることで有名な「劇団スタジオライフ」も2月にあの「フルーツバスケット」を舞台化なんかする予定。んまあ「劇団スタジオライフ」は萩尾望都さんの作品とかいっぱい舞台化しているから珍しくはないんだけれど、「テニスの王子様」とかミュージカル化される作品も結構あったりするなかでストレートプレーとして(「鉄人」はレビューだからそうでもないのかな?)アニメや漫画原作の舞台が増えているように見えるってのは、つまりテレビのドラマなんかといっしょで集客とか考えた時に知名度がある方がやりやすいって思われるようになっているのか。オリジナルこそ至高、って雰囲気がある世界な気もしたけれどだんだんと変わって行くのかなあ。三谷幸喜さんの「東京サンシャインボーイズ」の帰還まであと15年くらい?


【1月6日】 キャット空中3回転を見せてくれないニャンコ先生なんてニャンコ先生じゃないぞなもしかして。って言っても歳がバレるだけなんで黙って「夏目友人帳」の新シリーズ。良い話でなかなかの評判だとも知っていたけどどこか妙なズレを感じて前のシリーズは全部録画はしたものの、熱心には見ていなかったのに今回は1話から普通に見てしまったら、割に普通に良い話になっていた。

 妖怪たちの主様がよみがえっては人間たちに仇なそうとしている妖怪たちを諭して消えていくって話。だけどどうして力が封じられていた時にニャンコ先生みたいな招き猫姿だったのか、でもって黒色だったのかは謎のまま。元の姿で言うならニャンコ先生よりずっとずっと白皙な感じなのに。それとも妖怪的感性ではあれがとっても美麗なのか招き猫。お話はとりあえず斑形態とあと女子高生形態も見られて3変化できると示してくれて、続くこれからの展開やいかにって感じ? きっと原作を綺麗にフォローしているんだろうなあ。原作あんまり読んでないけど。

 んでMAKOちゃんがちゅちゅちゅのちゅー、って言ってくれないのが残念だった「宇宙(そら)をかける少女」は、ラミエルだか何か使徒みたいな立方体がルルーシュの声で漫才やっていたことばかりが印象に残って、肝心の設定の方をあんまり覚えていない。宇宙に人類が暮らすようになって幾年月。あれはロボットなのかアンドロイドなのか人口知性なのか地球外生命体なのか分からない、逆さ蕪(かぶ)みたいな存在がふわふわと漂い操縦なんかもやってのけつつ人間のお友達にもなっていたりする時代がどうやら部隊らしい。

 そんな世界にあって経済だか産業を牛耳る一族の末の娘が、姉らしい女性から見合いしろと言われ嫌だと逃げ出した先で、宇宙空間を割って出てきた巨大なサイド7、じゃないオニール型コロニーの中に飛び込むとそこにはロンドンみたいな街並みがあって、路面電車が走っててエレベーターを昇るとそこにいたのがルルーシュ声の立方体。偉そうに最高の人口知性だ何だと言っていたのに死にたいと地球に突っ込んでは思い返して復活して、そして宇宙に何やら昔の電化製品やら雑貨やら乗り物やらをまき散らして飛びまわる。

 そもそもワープみたいなのが確立された時代なのかも分からないのにコロニーが人口知性に操られながら飛び出し飛びまわる設定のリアリティの度合いが分かるはずもなく、ファンタジーにギャグを交えた宇宙っぽい物語と認識するべきなのか、実は深くてしっかりと構築された世界の上で繰り広げられていることだと見るべきなのか、ちょっと迷っていたりする。大気圏で摩擦熱を発して燃えているコロニーが急停車するなんてあり得ないっちゃーあり得ないもんなあ、物理的に。

 でもあり得たってあたりに重力制御の技術も取得している時代を見るべきなのかどうなのか。まあそのあたりもおいおいと明らかになっていくんじゃないかと期待しつつ、ボンブラ最近どうなんだろうなMAKOちゃんの声を愛でつつしばらくは見ていこう。ヒロインを学校に迎えにいったあれは真ん中の姉? の自意識過剰なのか対人恐怖症なのか人混みで視線にさらされ震えだした設定も何かの前振り? そんな性質と知りつつ派遣した姉の非道さもきっと展開に絡んでくるんだろう。どうなんだろう?

 年も明けて仕事始めでいろいろと動きも活発化しているようすでジェフユナイテッド市原・千葉、深井正樹選手がしっかりと完全移籍で加わってくれた上に柏レイソルにいるアレックス選手だとか、和田拓三選手だとか福元洋平選手とかいろいろと移籍して来てくれたみたいでディフェンスの厚みも増し、アタッカーにもコマが増えてちょっとは期待しちゃってみても良いのかな。あとはやっぱり中盤を固められる中後選手の獲得かあ、でもこれはちょっと難しいかな、鹿島アントラーズでもレギュラークラスの逸材を、利根川を超えて引っ張って来るのってなかなかに大変そう。南の方が温かいぞと誘ったところで、千葉と茨城じゃあそんなに大差、ないもんなあ。あとはフォワードに超強力なのが欲しいところでそこは指揮をとることが決まったアレックス・ミラー監督の人脈でひとつ。倉内とか蔵内とか鞍内とか。福岡の偽クラウチはマリノスに戻らないのかなあ。

 無音で見ているとアットホームな家族ドラマに見えたものが、実際に音声を聞くとドロドロとハードでなかなかに複雑な男女関係が描かれたメロウなドラマだったりすることって、よくあると言われるとそもそも音声を聞かずにドラマを見るってシチュエーションがあまりないから難しいんだけれど、とある営業所に勤務する青年は、先輩の女性社員2人から指令をうけてお昼時の病院の待合室に進入しては、騒音になるからとボリュームが絞られた昼ドラの映像だけを見て帰って、内容を2人に説明するように命じられる。

 イジられる楽しさも吹くんだ一種のゲームみたいなもので、2人の先輩社員はそんな青年の話を聞いた後に家に帰って録画されているドラマを見て、そのズレっぷりを確認しているらしい。というかそんなドラマ自体が演技している時の気持ちや展開と、まるでそぐわない心理描写のナレーションを付けられていたりするらしく、主演女優は演技している時に感じたこととはまるで違った心理描写を喋らされては、ズレっぷりに辟易としていた。青年がだから画面で見た表情や仕草などから物語を判断しても、つけられるナレーションによってまるで状況が違っていたりすることもあるわけで、はなっから正解を言い当てるなんて不可能に近い。

 近いんだけれども2人の先輩社員も当の青年も、春には閉鎖されバラバラになってしまう3人のドラマをはさんでつながった関係を楽しんでいた模様。綺麗に見えていることでも実際にはさまざまな軋轢や葛藤なんかもあったりする人間の関係や社会の現実を、無音で見るテレビドラマという着想から浮かび上がらせ、悟らせる巧妙な仕掛けを持った小説って言えそうな宍戸悠太の文藝賞受賞作「おひるのたびにさようなら」(河出書房新社)。結局はバラバラになってしまった3人の間柄に、上っ面のビジョンを重ねその上に美麗な言葉を重ねて、なにごともなかったかのように振る舞おうとする青年の行為が何とも切ないなあ。


【1月5日】 別離の朝。今日のうちに遠くへ行ってしまう我らのシュワーボよ。暗雲が漂って日本サッカー界はへんに薄暗いのだ(走れ、走れ、走れ)。どす黒くいっそう陰惨な協会から暗雲はびちょびちょと漂ってくる(走れ、走れ、走れ)。黄色いユニフォームをまとう選手の親たちに、息子さんを最後まで走る子供に育てましたかと聞いて、親たちは安心してシュワーボに子供を預けた(走れ、走れ、走れ)。協会の名誉会長室の扉の内から暗雲はじとじととにじんで来る。

 ああイビチャ・オシム、オーストリアに帰るという今この時になって、サッカー好きの日本人に希望を抱かせるために、貧血をものともせず最後のアドバイスをシュワーボはサポーターたちに託したのだ。ありがとう、我らが偉大なシュワーボよ(走れ、走れ、走れ)。苦しい病魔からのリハビリと手に残る麻痺の間から、シュワーボは日本人たちに託したのだ。走れ、最後まで諦めずに走りさえすれば世界のサッカーに日本は追いつけるのだと……。三本足の鴉を頂く協会に暗雲はどすぐろく溜まっている。我々はその下にあやうく彷徨い、雪と氷に閉ざされようとしている日本サッカー界の将来に、オーストリアへと戻りリハビリを続けるシュワーボから、最後のアドバイスをもらいたい。

 私たちがいっしょに希望を抱いて育ててきた、もう見られない日本代表のブルーのユニフォームとも、もう今日、シュワーボは別れてしまう。本当に今日、シュワーボは別れてしまう。ああ、浦安の閉ざされた病室の集中治療室の中から復活し、もはや何の懸念もない我らがシュワーボよ。協会はあなたを再び選ぶにはあまりにとことんまで真っ黒なのだ。あんな恐ろしい乱れた協会から、この素晴らしいシュワーボは追放されたのだ。シュワーボが帰るオーストリアの空に我々はいま、心から祈る。どうかシュワーボが地獄の閻魔様に変わって、日本サッカー協会の亡者どもに正義の鉄槌をもたらすことを、日本サッカー界のすべての幸いをかけて願う。シュワーボ・オスタニ。

 雰囲気的には無印「みなみけ」なんだけれどもキャラの造型はやや美麗がかって「おかわり」的というかとりわけ藤岡が妙に良い男風になってしまっていて夏奈と番長を争っていた時のようなおばかっぷりがちょっと薄れてしまっている。んでも話のノリは無印に似てまぬけな展開ばかりで押し切ってあるから見ていて気持ちがささくれることもない。かといってのめり込むところもないのが無印に短し「おかわり」に長しといったところなんだろうなあ「みなみけ おかえり」。オープニングまでのアバンが長くエンディング後のエピローグも長いのは展開の芸の無さを違和感で引きつけようって算段か。とりあえずエンディングの春香がとってもグラマラス。録画はしておいて来週も見よう気がむいたら。

 「まりあほりっく」は録画したけどまだ未見。単行本の方は読んでいるけど初期の入れ替わり系女装少年の百合のっぽ少女イジリ展開からだんだんとズレて話に脈絡っていうか筋が見出しにくくなっているんでアニメの方でそのあたり、どんな展開になっているかは興味があったりするかれも録画分から時間を作って見ていこう。「乙女はお姉さまに恋してる」ほどのいつバレるかも系ドキドキ感が薄いのも興味をそらさせる一員か。「屍姫」は全部録画しておいてまだ1話すら見ていないのは「喰霊−零−」があまりにも凄まじくってそっちに気持ちを集中させてしまった弊害。これがなくなった今こそ見るチャンスなんだけれど前の1話から見返すのも時間が食われそうだしなあ。来週からスタートの「RIDEBACK」と比べて優先順位を決めよう。

 ほかに新しく始まって見ておかなくちゃいけないのって月曜日夜の「宇宙をかける少女」と水曜夜の「鉄腕バーディー」の第2期と木曜夜の「黒神」とあとは「明日のよいち」あたりか。21世紀にもなって「はじめの一歩」はともかく「釣りキチ三平」を見せられるとは思わなかったけどこれはどうかなあ、野沢雅子さんに野沢那智さんがコンビで出ているんなら見てもいいけど、ってきっと今聴いても全然違和感ないんだろうなあ、変わらないもんなあ2人とも。おっと白石冬美さんもご登場は。全盛期のナッチャコの声を聴けよ若人。「マリみて」あたりはどうでもいいや。元「あさきゆめみし」な出崎統さんの「物語千年紀 Genji」はいつからスタートだ。ハーモニーに3連続の繰り返しとあと画面分割を堪能せねば。そういやあ「ウルトラヴァイオレットコード044」のブルーレイボックスが出たんだっけ。買うべきか買わざるべきか。

 買ってから昨日までのうちの1日をのぞいて着倒しているコックピットの皮ジャンのG−1はファッション用だけあって柔らかいのは当然として、本当に温かくってシャツなしで素肌にセーターを着た上に羽織っただけで鷲宮も池袋も東京ドームも中山も、どこを歩いても寒さをピクリとも感じない。なるほど確かに防寒着。これでこれならムートンが裏にわしわしとついてるB−3なんていったいどれだけ温かいことだろう、ってついつい買い気がふくらんで来るのが悪い癖。買ったところではかないズボンだってわんさかあるし、羽織らないコートだってたんとあるのに目移りが激しいのは、気分をそっちへとそらしたいくらいに日々があんまり愉快ではないってことなのか。そうか日本人を消費に向けるには日頃の暮らしを味気ないものにすれば良いのか。仕事で充実なんてさせないぞ、その分を自棄買いに回すんだ、って感じ。実行したら生きてて本当に冴えない国になりそうだなあ。


【1月4日】 メタってオタった内向きに愉快な戯れ話ばかりが内輪でグルグルと人気になって、市場を作ってまあそれなりに潤った果てに何も残さず10年後には誰も覚えてないような綱渡り的状況の重ね合わせが、いつまで保つかってあたりが傍目には気になるけれどもそうした内輪な盛り上がりに乗ってこそって風潮も、未だ衰えないあたりを眺めると、そっちを主流になおいっそうの偏りと盛り上が進むのも仕方がなさそうな雰囲気。

 内輪なぐるぐるが丸まって出来上がった小さな泡がいくつも浮かび上がっては、しゅわしゅわと弾け飛んでる空間に、身を委ねて楽しんでいられるうちが華だけど、抜けきった炭酸からもはや泡など浮かびもしないのもひとつの真理。今がはたして栓を明けてすぐなのか、それとも散々注いで泡切れも間近なのかは分からないけど熱中できる商材の新しい物のなかなか見えて来ないあたりに2年先3年先あたりの冷え込みなんかも想像できてちょっと気鬱。いやそんなエンタメな世界よりもさらにヤバい世界が足下にあったりするんだけれど。年度末越えられるかなあ。

 などと仕事も始まる直前に鬱々してみたりする昼下がり。景気づけに「らき☆すた」純米酒に続いて「ラムちゃん」の日本酒を開けてみたけど味はまあ普通。とりたてて舌がしびれるとかもない模様。裏側の原材料なんかを見たら、純米酒でもなければ大吟醸でもなく、米に米麹に醸造用アルコールもつかった普通の清酒で、それなのに「らき☆すた」の「豊明」から見て値段的には倍ってあたりに、地元で街起こし的に作られているものとマスキャラクターがマス向けに作ったものとの間にきっとある、いろいろな諸事情が果たしてあるのかそれともないのか。

 まあ「らき☆」すたの中身になっている「豊明」は、純米酒ったって米は地元の埼玉県は幸手の産で酒の原材料として知られる山田錦とか使っている訳じゃないし、蔵本も新潟とか灘とかいった酒所じゃなくやっぱり地元なんで、酒で知られる新潟で作られている「ラム」に比べて値段が安いのも当然なのか。味については日本酒音痴なんでどっちもどっちに甘くて旨い。端麗辛口ったって日本酒ってやっぱり甘いよねえ。

 家に居ても飲んだくれているだけだからと抜け出して神保町辺りを散策。行きつけの「タリーズ」が締まってたんで今時全面喫煙可能とチャンレンジぶるな経営をしちえる「VELOCHE」に入って原稿とか本とか読んで時間を流す。まるで初見な水藤朋彦さんって人の「ラドウィンの冒険」(電撃文庫)は突如現れた精霊っぽい女の子が消えてしまうのを防ごうと、魔法使いだったのに今は剣士を目指す少年ラドウィンがあちらこちらを冒険するって物語。最初は見えなかった精霊のエルニがとつぜんに誰の目にも見えるようになったって展開の急転ぶりが妙だけれどもそうしないと話が進まないんだから仕方がない、か。

 そんなエルニがまずは魔女っぽい女に目を付けられてさらわれてしまったものの手段の割には良い人っぽくってエルニを無理矢理下僕にはしないで、ラドウィンにエルニを治すために必要なことを教えて王国へと送り出す。そこで出会った老魔法使いが言うにはエルニを治せるのは王女さまだけ。もっとも今は対立する国に人質になろうと出向いてしまって不在とかでラドウィンはだったらと王女を捜しに対立している国へと乗り込んでいく。

 そこで知ったエルニの真実。なるほど人間、心にいろいろなものを抱えて生きていくのは辛いんだなあ。話はおちついたもののさらに増えてしまったエルニ軍団を相手にラドウィンは果たして無事に騎士となれるのか。誰がどう見たってそうだろう的なビジュアルなんだけれど朴念仁なラドウィンには気づかれない相棒セネマの活躍ぶりにも興味があるんでせめてあと1冊は続きを読んでみたい気が。出るのかな。

 集英社スーパーダッシュ文庫では「制覇するフィロソフィア」とか愉快で奥深い話を結構書いていたりしたし、中央公論新社でも「ユーフォリテクニカ」なんてこれまた痛快極まりないお話を書いてくれていた定金伸治さんの新刊がどういうめぐり合わせか講談社BOXから例の毎月刊行だかの大河ノベルズとなって登場。「四方世界の王」ってそれはバビロンのあるメソポタミア地域を舞台にした歴史ファンタジーって赴きで、書記になる学校に通っていた少年が同級の少女の憮然とした雰囲気に興味を抱いていたらその少女が市場で盗みをする場面に遭遇。追いかけられた少女を助けたのか助けられたのか分からないうちに関係が出来てそのまま彼女が起こすとんでもない事態に巻き込まれていく。

 空間に浮かぶ別の空間でもあるらしい小泡をとらえ認識し利用する力を持った少女、は敵対する人間の体の一部を小泡に放り込んで肉体的にはつながっていても空間的にはそこにブランクを作れてしまう技でもって首を消し、頭を転がしてしまう技も見せたり剣を差されても小泡へと逃がして自分は傷つかない技を見せたりとなかなかの超人っぷり。でもって少年にそんな泡の存在を教え、見えるようにした上に自分が養女となっている街の有力者が敵対する別の有力者を排除するために仕組んだ企みに参加させ、いったんは失敗したかに見えたその企みを大逆転の果てに成功させた挙げ句に特別な存在となった姿を少年の前にさらけ出す。

 謀略を成功に導いた魔女的な少女とそして少年の前に現れた偉大過ぎる存在が、肉体的にまったくの同一人物なのかそれとも別々の体を使っているのかは不明ながらも、後に強大な世界をうち立てる英雄との邂逅によって、少年がどんな運命を辿っていくのかに今は興味。歴史が厳然としてある以上はその制覇に少年が付き合っていくって感じになるのか。それとも歴史は歴史としてたどりつつ、内にある泡よりそとにある泡へと目を向け手を広げ、銀河どころか宇宙すら越えたすけーるへと物語を拡げていくのかにも。どっかから流れてきた親子のうちの娘の親を徹底して小馬鹿にしつつも愛を傾ける言葉のプレイっぷりが愉快。


【1月3日】 気がつくとこの3日間でいわゆるテレビの番組って奴をまるで見ていない。見たのって「かんなぎ」の最終回と「天皇杯」の後半くらい? 元旦に家に帰り着いてちらりと見つつ遠藤保仁選手のPKが出るかなあって期待してたら延長後半に播戸選手が得点を奪いガンバ大阪の勝利が決まって消しちゃった。あとは以前にムーディ勝山を送り出した「さんまのまんま」のこれから来るかもしれない芸人選手権みたいなコーナー。奇妙な毛の生え方をしている三浦マイルドさんは、叫ぶ恐い夢の中身をもうちょっと聞き取りやすくしないと普通の人には辛いかな、んでも最近のテレビ番組って親切丁寧に喋りを字幕にしてくれるからくぐもっていても平気なのか。ネガティブに雰囲気を持った顔立ちなんでドラマ方面でいけるか。

 あとは「フレンチ・ブルドッグ」とかいうコンビ。楽器屋に行って客が弾き出すギターが目茶巧いと感心したら、店員役が被せてこれまた目茶巧いバイオリンを弾き始めた。驚きの瞬間だけれどこれ1発じゃあ、ね。ヴァイオリン漫談でもやるのかなあ。お笑い系の番組は他にもわんさかと放送しているけれども、見てもこれは笑えるって人たちにあんまりお目にかかれないような。見ている時間帯が悪いのか。スポーツは箱根駅伝しかやっていないもんなあ、関東ローカルの大学の大会を喜ぶ奴なんざぁ箱根の関所の向こうにはいないんだってことを東京の人たちはそろそろ知るべき。ドラマはあっても未来につながるスポーツの可能性って奴が見えて来ないんだよなあ。と関東に無縁の大学生活を送った者の愚痴。

 ってことで毎年恒例になっている「第62回ライスボウル」。大学とXリーグのトップどうしが戦う頂上決戦で、昔はラグビーもそんな形式だったけれども実力差が付きすぎXリーグが大学を圧倒する試合も続いた関係で、今は大学も交えたトーナメント形式に確かなっていたんだっけ。アメリカンフットボールの方は人数が大量に必要な関係もあって、部員が多くて練習もしっかりできる大学にもまだまだ勝てる余地がある模様。この4年間はそれでもXリーグが勝ち続けていたけれど、一昨年の法政大学とオンワードスカイラークスなんてわずかに1点差でどっちに転ぶか分からなかったし、去年の関西学院と松下電工インパルスだって点差ほどには実力に差はなく、ミスが出なければあるいはってこともあったかもしれない。

 おまけに今回登場の立命館は直近で最後に学生が勝った時の出場チーム。翌年は松下電工インパルスに敗れたけれどもその分リベンジにも気合いが入っていたんだろうか、名前が代わってパナソニック電工インパルスだなんていったいどこのインチキ企業かって思わせる社名が違和感ありまくりだった旧松下電工インパルスを相手に序盤からしっかりとボールを進め、タッチダウンからトライフォーポイントを決めフィールドゴールなんかも決めてハーフタイムまでに17点を奪ってパナソニック電工相手にリードを拡げる。そんなパナソニック電工もハーフタイム直前にタッチダウンからトライフォーポイントを決めて追いすがり、ハーフタイム後にドライブをかけるもなかなかに追いつけず。そのまま逃げ切られて立命館が2年ぶりのライスボウル制覇を成し遂げる。おめでとう、って前の立命館の試合って見てたっけ? ちょっとその辺うろ覚え。歳をとると記憶が……。

大回転もあればバナナもある、って何だバナナって  それでも一昨年の法政大学ん時くらいからは右翼内野席の前列あたりに陣取って、チアリーディングを間近に見つつ試合をながめることを(ちょっと言い訳じみている)目標においたんで割にしっかり覚えてて、法政の意外な善戦を見つつ関東の大学チアの若々しさって奴を間近に見ては年の始めににエネルギーを頂いたんだっけ。そりゃあ対面に陣取る社会人のチアリーダーの方が容姿も端麗ならスタイルもすばらしく、そして振り付けもど派手で見ていて楽しいかもしれない。おへそだって剥き出しだし。そーしたプロフェッショナル的なチアリーディングに対して学生の方は、肌の露出も少なければスタイルだってご尊顔だって……以下略だけれどそれでも人数の多さは大学だけあってなかなかなもの。でもって内容もこの日のために練習を重ねて来ているなろうことはあってしっかりとしたものを見せてくれる。なにしろチアな本場のアメリカンスポーツでも頂点のアメフトの頂上決戦。意気込みだって違ってらぁな。

 ってことで総勢いったい何人いるんだくらいに大勢出てきた立命館大学のチアリーダーは対面のパナソニック電工のチアと並んでもしも立ったらその間にあるいろいろな段差に人間という存在の幅の広さを強く思わされただろうくらいの存在感ではあったかもしれないけれど、そんな間にあるきっと年齢や経験の差ってやつんも考えおけばあるいは10年の後にパナソニック電工チアへと華麗なる成長を遂げるかもしれない訳でまあ、そんな将来性を鑑みつつ現時点での瑞々しさを堪能するのもひとつの楽しみ方、ってことで並んだ面子の中にこれはという人を幾人か見つけ、周り足を跳ね上げ飛び踊る姿をここぞとばかりに1年分、脳内に焼き付け今年1年の糧にする。これで今年も楽しく明るく過ごせそうだよ。前半まで向かって最右翼の方で踊っていながら後半からカウベル鳴らしに転じた人とか良い感じ。でもジャンプやリフトの時に直接の支えにはなっていなかったからまだ若いってことなのか、だから後半で入れ替わったのか、ってことは来年も出場すれば来場するのか、頑張れ立命館。

 出場チームが去年と同様に今年もいずれも関西で、だったら箱根の向こうでやった方が地元の応援団が集まるんじゃないか、って気もしたけれども去年とこれも動揺に、東京ドームの1階部分がぐるりと満席になるくらいにお客さんを集めているところを見ると、年に1回くらいしか見ないアメリカンフットボールの試合を楽しみにしている人も結構いたりするってことなんだろう。Xリーグとかってやってはいるけど会場が横浜だったりどっかの海岸だったりで行く機会がなかなか。あと試合も平日が多いのかな。東京ドームでも時折やってはいるみたいだけれども、オンワードスカイラークスの休部とかもあって企業側に今後もどれだけ支えていく体力があるかが不透明。かといってアメリカみたくプロ化するほどの人気もないのが悲しいところ、か。

 とはいえNFLジャパンなんかが協力していた「アイシールド21」なんかの人気もあって競技自体への関心は上向いていたりするし、将来の人材発掘なんかを見越して始められていたフラッグフットボールも協会と連盟が統合されてひとつにまとまったみたいなんでここは景気の逆風をものともせずにアメフトを、見れば楽しいスポーツなんだしやっても愉快な競技なんだと広く知ってもらって定着から発展へと向かっていって欲しいもの、だけどそうした草の根的な定着をはかり将来の日本人NFL選手発掘なんてのも訴えていたNFLジャパンがライスボウルから協賛協力の面で外れているのは何だろう、日本的体育競技系のストイックとも排外的とも言えそうな風土にNFLマーケットの拡大って商業を大前提として競技人口の拡大を率先垂範していたNFLのスタンスがマッチしづらいって判断でもあったのかどうなのか。フラッグフットボールが指導要綱に載るとかって話もあるしNFLジャパンの人にその辺の状況を聞いてみたいものだなあ。


【1月2日】 今年も残すところあと……何日だっけ。そういうことを今から言うようになったってのはよほど未来が大変らしい。つか大変だけど。ボーナスまであと何日? 出るかどうかは別にして。んでもって真夜中にアニメーションもやってないんで撮りだめてあった「魍魎の匣」なんかを全話見通してから消して眠って早起きして、午前9時に家を出て向かうはもちろん埼玉県鷲宮町の「鷲宮神社」。周囲で誰も行っている風がないんだけれど、せっかくいろいろ話題になっている場所へと行かないって手はないのだ、出没系的に。

ここは神社だゲーセンじゃないのだ  ってことで総武線から武蔵野線へと乗り継ぎ東武伊勢崎線へと乗り換え春日部を越え東武動物公園を越え久喜で乗り換え降り立った鷲宮神社には、すでにどっさりの参拝客が来ていて2日目でこれは3日目になったらいったいどれだけの人が来るんだと、思ってここは「コミックマーケット」じゃないから初日が1番来るんだと理解。でも2日目で午前11時半の時点で行列が駐車場を1往復したあとで、大酉茶屋から交差点へと向かう道路にはみ出て交差点までの半分くらいにまで伸びていたのはちょっと意外。やっぱり効果もデカいってことか「らき☆すた」の。

 到着したのは11時よりちょい前で家から「鷲宮神社」まで2時間もかかっていないことが判明。見ると参拝の行列はまだ駐車場を行って来かけた感じだったんで、並ぶ前に駐車場に出展していたグッドスマイルカンパニーの「ねんどろいどぷち らき☆すた お年賀カプセルVer.」とやらを1回の制限の10個まで購入。そこから行列に並び初めてから10個を確認したら、泉こなたが4個に柊かがみが2個に高良みゆきさん2個で柊つかさが1個とやや偏り。ボウリングのピン状にして手前にかがみの壁が作れるなあ、とか思ったもののこれでは開いて組み立ててみる分がないと参拝の後でまた挑むことにしながら行列が進むのを待って待って1時間弱。ようやく到着した本殿前で2礼2拍1礼を行ってから脇の巫女さんズ&福の神から何やらお札を頂戴し、おみくじを引いたら大吉だったんでこりゃラッキーと叫ばないまでも喜び健康祈願のお札を買ってお好み焼きとフランクフルトを貪り喰ってさあ「ねんどろいどぷち」に再挑戦だ。

16個並べるとこなたは6人でおそまつくんだな  今回は2個。でもって……またこなたか、またかがみか。キャラとしちゃあ好きな2人だけれどここまで重なるとなるとちょっと困る。こりゃ困る。でも周囲に交換できそうな人材も見あたらず声をかけるのもはばかられたんでここは運がないと後にして、確かそっちでも販売していたんじゃなかったっけって記憶を頼りに、道路をとことことを歩いて鷲宮町商工会の会館前の売り場へと向かいそこで2つ引くと……またこなたか、でもってみゆきさんか。みゆきさんはこれで3つとなって余裕が出来たけれどもつかさは1つのまま。つかさが出ない。まるで出ない。全然出ない。出てこない。

 そのあまりの出なさに、作った数に偏りがあるんじゃないのと売り場の人に尋ねたけれども当然ながらそういうことはないそうで、やっぱり日頃の愛情の足りて無さがここに来て現れているんだと自戒しつつさらに2個、引いたら何と2つともつかさだった。これで3つ。ああ良かった。っていったいどれだけ買ったんだ? 16個? 1つ500円だから8000円。はあ。んまあ「コードギアス 反逆のルルーシュR2」のプレミアム1番くじが1枚800円のを軽く20回は引いているからそれを思えば安いもんだと納得、して良いのか悪いのか。ともあれ3セットコンプリートにこなたが3つとかがみが1つ、残ったんで開いてどっかに飾っておこう。職場? それやると流石になあ。今さから。

 評判の桐絵馬については完売の店が多くって買わず。残っている店もあったけれども欲しい人も多いだろうからそちらに譲って途中の魚光ってお店で売ってた「柊つかさのきちんとしている弁当」と「柊かがみのとっても質素なお弁当」のうちからやや残り気味だった「とっても質素なお弁当」を買って途中でむさぼり食う。鮭にオクラに沢庵に梅干しとご飯がセット。なるほど質素。でもうまいじゃん。鮭の切り身が肉厚な上にご飯が粒だっていて、冷えていてもしっかり口の中で味がひろがってコンビニあたりの鮭弁当の何百倍もの美味っぷり。これで500円なら普通にサラリーマンが大勢いるビジネス街で売っても売れまくるんじゃなかろうか。

 愉快だったのは買っている途中でやっぱり立ち寄ったどうみても一般のおじいさんが「縁起物だから」とつかさの弁当を2つ、きちんと「柊つかさのきちんとしている弁当」と言って買っていったことか。つまりはすでにそれだけ一般にも認知されているってあらわれか。あるいは近々にどっかの新聞とかで報道されて目に入ってた? 分からないけどもそうして一般人に嫌がられることなくむしろお楽しみ的に受け止められているってのは、フェーズがオタク観光的特殊状況から芸能人に縁の地的一般状況へと変化している現れってことなのかも。そこまで持っていった商工会の人たち街の人たちの地道な努力に拍手。

 特に見るテレビもないんで矢上裕さんの新刊「打撃女医サオリ」の第1巻をペラリペラリ。なぜかしっかりと続いている「コミックチャージ」に連載されている絵柄とちらっと見て見覚えがある線だなあと作者を見て「ドッコイダー」の人だと気づいたけれどもギャグ中心だった「ドッコイダー」よりはややシリアスにキャラが寄っててスタイリッシュ。とりわけ女医さんのスマートさは目にも麗しいんだけれどそんな女医さんが手にバットを持って診察室を迫ってくるとあっては尋常じゃない。

 まさか病気? 違う病気は患者の方でサオリさんはそんな患者をバットで叩いて治す打撃療法の第一人者、っていうか他にいるのかそんな医者。とにかく半端じゃない叩きっぷりで道ばたで出会った就職活動中の青年を殴っては彼方のビルにぶちあてビルごとたたき壊し青年の腎臓結石を粉砕。引きこもっている少女は殴って壁をぶちやぶって山へと送り込んで空手の修行に勤しませる。145キロのピッチングをする少女のピッチャーもぶん殴ってスタンドに叩き込んでは血行障害を見事に治療。その手で投げられた超剛速球を今度もスタンドへと叩き込む。ボールのどこが治療されたかは不明。少女の心は折れたかも。そんな破天荒さが目にもスカッとする漫画。同じ「チャージ」連載の「ぶっちぎりCA」と並んで職業系ギャグの双璧を成しているんじゃなかろうか。ぶっちぎりCAと打撃女医。戦って勝つのはどっちか興味があるなあ。


【1月1日】 近賀。はゆかりか。謹賀。「らき☆すた」の清酒は当然ながら呑みきれないんで途中にして泥水のように眠る前にハードディスクレコーダーの整理整頓もかねて最終回の録画に失敗して全部消すことにしたんだけどその前に最終回の一種異様な空気にやっぱり見ておくかってことで「魍魎の匣」を行ったり来たり見直してこりゃあやっぱりDVDを買うべきだ、いや買うなら4月に発売とやらのブルーレイボックスの方だと決意する。だってエンディングが2人の女の子がすっぽんぽんで歩いていく数珠繋ぎなんだもん。ってそれは別にどうでもよくって(よくもないけど)本編の方の演出脚本展開にあと女性キャラクターの半端じゃない美しさを手にして解析しまくる必要があると感じたことが最大の理由か。

 脚本については村井さだゆきさんが担当しているから錯綜する展開も長大なストーリーも断片を重ねつつしっかりとまとめあげてて巧みの技。作画にしても「桃華月憚」や「ロミオ×ジュリエット」の耽美な絵とかをやっている西田亜沙子さんらがいたりするから耽美さに磨きがかかっていて当然。これはこれとしてやっぱり気になったのはの演出的な部分でえっと何話だったか鳥口君と関口が京極堂を訪ねて行って卓を挟んで魍魎話を聞かされるエピソードで、卓上の水ようかんだかが何度も何度も映し出されるその演出ぶりに「さっさと食わんか」と突っ込みたくなりつつも、どういう重ね合わせの意味があるんだろうかと不思議になった。

 これが予算も時間もないまま、動かさず喋りでもって話を進める上で思わせぶりな雰囲気を作るのに最適だったというんだったら分からないでもないけれど、だからといって顔じゃなくって水ようかんばかりがアップにされるのかはやや不明。それよりもずっと絵は崩れずしっかり動いて話も最後まで筋が通っていた作品で緊急避難的な小技はあんまり必要ないって気もするから、やっぱりそこに何か意味があったのだろう。数話たぶんあとで鳥口が水の妖怪だとか何とかと手に水ようかんを持ってのたまった、その伏線として見せつけたのだとしたらそれはそれで英断、なんだけど。ともあれ不思議さの中にシナリオの深みも感じさせてくれた作品だったってことで2008年秋アニメのベスト上位に入れること決定。1位は「ヒャッコ!」だがな。どういうセレクトだ。

 世間的な1位らしい「かんなぎ」は千葉テレビでは年もあけた元旦に最終回。んでも冬も真冬に夏っぽい空気のアニメをやられてもなあ。自分が記憶している姿を掘った木が顕現して動き出したのを目撃している上に猫とかが死んでしまった時にもやっぱり力を発動させているのを見ている癖に挑発されると由来で下級の霊とか何とか疑ってかかってぶち切れる御厨仁のガキっぽさに、辟易とさせられるのはいい歳をしたおっさんだからで自分に迷っている10代にはそんな御厨に気持ちをシンクロさせて迷い憤りながらも悩み悔やんだりできるのかなあ、そういう初(うぶ)さってティーンズな小説ならありえるけれども、アニメになると見る世代も広がっていろいろと言われてしまうんだよなあ、とか。見てもらって漫画が売れればそれでオッケー、という割り切りもありなのかな。DVDはそうした青春よりもナギの太股と薄い薄い薄すぎる胸板に興味を抱く大きい人たちに可ってもらうということで算盤も合う、と。うーん。

 総じて印象としては普通なまとまり方で、原作がなければ神だと自称する電波子ちゃんが現れて、沈みかかっていた少年の暮らしを引っかき回すといった展開から、時に疑う気持ちも浮かぶし鬱陶しさも感じるけれども、救ってくれたことへの感謝の気持ち、相手のひたむきな心を信じる気持ちがあればすべてがうまくいくんだと、皆が自信をもらって前へと迎える物語になったかもな。アニメ、って意味では仕草や動きの描き方は流石に巧み。河原で鼻をチンするシーンのぐじゅぐじゅな目をこすったりする仕草とか最高によく出来てたし、かんだ鼻からつるっと垂れ下がる瞬間もリアルだった。サービス的にはやっぱりお風呂上がりの場面とか。着替えがないとしゃがんだ画面の3が横倒しになったようなラインとか、廊下で仰向けになっても左右に崩れないくらいな小ささとか。泣きながらつぐみが走り去るのはちょい後味が悪いんで、皆が幸せになれるようなエンディングとか期待したいけど、そういったストーリーとか原作にあるのかな。それが2期で描けるくらいに原作にストックはあるのかな。「ヒャッコ!」の2期ともども期待しつつまあ気長に待とう。

ぬこ  蛸でも食いに行くかと中山法華寺へと出向いて鬼子母神ちゃんのイラストの可愛らしさとか、石垣の猫のふわふわさとかを感じつつ鬼子母神へとお参りをしてお札をもらい祖師殿にも詣でてから参道で恒例のイイダコ入りたこ焼き。ところが例年だったら確か1匹がまるまる入っていたように覚えているイイダコが○の1つには頭でもう1つには足といった具合に分割されて入ってて、6個入りだと6匹だったはずが3匹しか使われていないことに気がついた。それとも去年からそうだったのかもしれないけれども当時はそう感じなかったってことはそうではない可能性も高く、だとしたらやっぱり今年からの頭胴分裂はやっぱり不景気から来る原材料費の高騰に対処したってことなのか。ここにまで及ぶ不景気。来年は6つに1本づつの足だったりして。

 帰りがけに下総中山のマクドナルドでひかわ玲子さんの「龍の七部族」(朝日新聞出版)が完結したのをきっかけにして3冊まとめ読みの第1冊目を一気読みして帰宅し遠藤保仁選手のコロコロPKがまたも回避された天皇杯の決勝なんかを横目に2部3部と一気読み。そうかSFだったのだなあ。龍が住まうその星で人類は龍と共生する者が勢力を拡げて国のようなものを作ったもののそこに入らない者たちもいて、辺境へとおいやられてしまい龍と共生する部族は高い「万里堰」を作って外から敵が侵入してこないようにしたものの、外に住まうものたちは星を行き来する天上人なる存在から文明を分け与えられて発展。力を得た外部の者と、龍との共生の中で豊かな大地より恵みをもらい発達した内部の者たちとの間で1000年もの間、均衡しつつも押したり退いたりもする争いが続いていた。

 堰の内部は龍に近い支配者が7つの部族に別れてそれぞれに収めつつ砦をもって堰を守っていた。団結はしないけれども争いはせず堰を守り内部の安寧を保つことにかけては一致していた七部族たち。ところが均衡が崩れる事態が起こって星の歴史は一変する。これまでになかった強力な武器を使うことを天井人より認められた「中央政府軍」が壊れないはずの堰を壊してひとつの砦を攻撃し、公守とその妻をともに殺めて占拠する。かつてなかった事態を受けて王子と姫は居城を抜け出し別の部族の元に身を寄せる。さらなる攻撃が七部族を壊滅に追い込むかと思ったものの、強烈な兵器が使われたのはその時限り。この事態に聡明な部族のリーダーたちは何かあるのではと察し、また攻撃によって光を失ったものの代わりに鋭敏な力を得た姫は、龍の気脈を追って意識を宇宙へと拡げてそして事の真相に気づく。それは……。

 といったあたりの解明が、単なる文明への認識が異なる面々の小競り合いから生まれた若いへの物語に過ぎないように見えたストーリーを一気に惑星規模から宇宙規模へと押し広げ、認識の差異がもたらす悲しい出来事をあらわにし、それでも理解し合うことが大切なんだという気持ちをかき立てる。七部族のトップの誰もが聡明で事態の本質に気がつきそれならばと行動を起こすあたり、頭の悪い奴らが大騒ぎしたあげくにいらぬ悲劇が起こって苛立たされるドラマとは正反対の痛快さ、愉快さ、心地よさを覚える。むしろそうした人間の叡智に比べてオーバーロード的な存在が見せた態度の方がどうにも偏狭というか視野狭窄的な気もしないでもないけれど、下々のことはよく分からないってのが偉い人によくある態度、なのでこれも仕方がないのかどうなのか。ともあれ開かれ混ざり合ってしまったひとつの文明が1000年の禍根をどう裁ち切り、どう新しい歴史を紡いでいくのかに興味があるけど、それはひかわさんの仕事ではないんでこちらで想像して楽しもう。あれだけ聡明な族長たちに率いられた世界だからきっと大丈夫。あっとひとりデュオンだけはあんまり何もしなかったなあ。愚兄賢妹とはこのことか? 彼女いそうにもないし。


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