縮刷版2009年10月上旬号


【10月10日】 もしもガルマ・ザビが「機動戦士ガンダム」の本編のようにはホワイトベースの攻撃とシャア・アズナブルの裏切りによって死なず、生きのびて宇宙へと戻り兄のギレン・ザビに反旗を翻して政権を奪取し「宇宙に平和をもたらす。約束する」と言ったら果たしてノーベル平和賞は与えられただろうか。地球圏を2分する戦いを引き起こした張本人の血筋であり、また今なお尾を引いて各地で戦いが引き起こされているのを止められずにいるリーダーがどうして平和を象徴する賞などもらえるのか。普通に考えれば当然だろうが、そこは百鬼夜行と魑魅魍魎が跳梁跋扈し右顧左眄する複雑怪奇な北欧事情。深淵なる判断かあるいは単純明快なノリがバラク・オバマ米大統領に就任から1年を待たずしてノーベル平和賞を与えるという不思議な事態を引き起こした。

 単純に考えるなら頑張ってくださいを背中を後押しするための賞。言い換えればもはや逃げ場のないように追い込んで世界平和のために米国の経済力と軍事力を使ってもらおうと画策しての賞。もらってしまえば幾らなんでももはやイラクで戦争は起こせないし、イランを相手に攻撃だって執行しづらい。北風を吹かせず太陽の光を与えて相手も警戒を緩めて対話が始まり世界が平穏へと向かえばなるほどノーベル財団の思惑も達成できるんだろうけれど、相手の手足が縛られてしまったのを見透かし今がチャンスと平和を望む勢力をそそのかし、反攻を招き攻撃を引き起こさせて相手の堪忍袋の尾が切れるのを待ってそして前より酷い状況へと、向かわないとも限らない。

 そんな状況を願うブラックゴーストたちが深慮遠謀を見越してノーベル賞に関わる人たちをも操って、アメリカの手足をいったん縛らせたのだとしたら。うーんそこまで考えることもないんだろうけれども、陰謀論ってのはひとつの類推された結果を何が何でも導くためにどんな可能性だってそこに載せて考えてしまいがちだからなあ。あるいは宇宙からの侵略者がノーベル財団の脳に救ってアメリカの手足を縛らせ自分たちに都合の悪い核兵器を消させてそして一気に空からの侵略を成し遂げようと画策している、なんて話があったらそれこそ「ムー」だ。そしてそんな世界のこれからを愛読者としてしっかり認識した夫人が夫に耳打ちしておいたことで、日本は宇宙からの勢力といち早く手を結んで核もなければ超大国すら消えた地球を支配する代行者となる、と。何でも起こる世の中だよなあ。

 久々に倉庫へと段ボール2箱分を運んだけれども焼け石に2階から目薬状態で室内環境の改善にはまるで役立たず。軽トラックでも借りて一気に20箱ほど運び出せたら状況も一気に好転するんだろうけれど、20年近く運転をしていない身には狭い路地を走って荷物を運ぶ自信がまるでない。かといって頼める誰かもいないし。ここは頑張ってバイクの免許を取って荷物を運べるだけの巨大なバイクを買ってそれに積んで一気に運ぶしかないよなあ。ってそんばバイクを買う金で広い部屋に住み直せるじゃないのかってご意見は聞こえないふり。っていうかもはやバイクとは無関係に転居できるだけの財政が担保できないんだよなあ。このままいけば冬は薄謝か薄氷か。その先はさらなる絶望か。ここまでにして逃げるなんて許されないけどそんなの気にする人ならとっくに何かしているはずだからなあ。いつどうなってもいいように身辺だけは身軽にしておこう。つまりは一生独り者ってことだ。嗚呼。

 えっとあれは黒(ヘイ)? コートはボロボロだし仮面も壊れかけていたけれど、放たれる電撃は前と変わらず確実に相手を倒していく。酒好きのエイプリルも倒されてしまったけれどもこれは本当に倒されたのか単に気絶させられただけなのか。折角の久々の登場で、そしてポジションとしてもそれなりの役割を与えられていたのがとりたてて活躍もないまま退場じゃあ、声をあてている本田貴子さんともども立つ瀬がない。ってことで今後に期待。そんな「DARKER THAN BLACK 流星の双子」はロシアのシベリアに暮らす女子が生脚見せて良いのだろうか、それとも季節は夏なのだろうかといった疑問をさておいて、2年前に起こった東京でのゲートをめぐる戦闘のおそらく最中にシベリアで起こった1つの事件が、少年と少女の双子の身に何かをおこし、少年を契約者へと変えてそして一家を狙われる存在へと変えた。

 少年がどんな契約者で「払い終わった」という対価が何なのか、って興味もあるしそんな双子が狙われる理由とそして黒が現れ双子の父親を殺し双子を救おうとしていたMI6を倒そうとしていた理由が何かも気になるところ。物語はどこへと向かい霧原美咲はやっぱり眼鏡っ娘として登場し、銀(イン)は長門有希以上の寡黙さで煙草屋をきりもりしマオは相変わらず愚痴っぽいのかどうなのか、ってあたりも含めてこれからの展開を見守ろう。原作がなく先が見えないオリジナルがこんなに楽しいとは久々に味わう快感だよなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」と「マクロスF」以来か。どっちもMBS。やっぱりアニメ界には必要な人なんだなあ竹Pは。何でもかんでもパンチンコにしてしまう癖はあるけれど。

 だから本田だけで良いんだよ。守備にちんたら走って当たらず削らないオシャレさは気になるところだけれど寄せて止めて戻させることには成功していたから速攻を喰らうことはなく、攻撃では中心にかまえ起点となって左右に振ってクロスなりシュートをさせてそこから得点が生まれるお膳立てをしっかりやっていた。フリーキックも強烈。だからあとは場数をこなして成功の数を積み上げ周囲との連携を深めていくことでかけがえのない中心選手になれるだろう。でもそこはやっぱり偉大な10番がいてこそ成り立つ一般ピープル的関心。右に構えてちょん出しするかバックに下げて様子を眺める仕事をそつなくこなして中心だと讃えられたまま、南アフリカでもピッチに立って最後の花道を飾るんだろうなあ。決然たる判断をできる指揮官を望みたい。森本貴幸はやっぱり逸材。フォワード勝負ができるサッカーって奴を日本代表で久々に見た気がするなあ。


【10月9日】 「機動戦士ガンダム」のプラモデル、通称「ガンプラ」の究極という位置づけで作られた「MG」ことマスターグレードをさらに上回るものを作ろうってことで「PG」が生み出された流れをそのままプラモデルフィギュアに当てはめるとするなら「ドラゴンボール」の孫悟空を「MG」でプラモデルにした企画のその先に、「PG」の悟空なりフィギュアのプラモデルがあるんじゃないかと勝手に妄想。そんな場合にサイズがデカくなってだいたい50センチくらいになるのは分かるとして、ギミックとして何が仕込まれるのかを考えるとおいらワクワクして来たぞ。

 「機動戦士ガンダム00」の「ダブルオーライザー」が、GNドライブを回転して光らせるなら、悟空はやっぱり手から「かめはめ波」を発するくらいのことはやって欲しいもの。腕の中にポンプを仕込んで、背中から取り入れた空気を圧縮。そして音声認識の仕組みを仕込んで、外から「かめはめはーっ」と叫ぶと、聞きつけ手のひらから一気に空気を噴出する、なんてギミックがひとつは考えられそう。あとは全身から光を発してスーパーサイヤ人になる場面を再現するとか。もう何かプラモデルとはかけはなれているよなあ、ジャンボマシンダーだよなあ。

 アクション部分も「MG」で結構しっかり動くから、それをそのまま大きくしても十分に通用しそうだし、大きくなったからって間接が2つに増えるって訳でもないから、あんまりいじり様はなさそう。だとしたら素材の方に工夫をこらして、触れると皮膚みたいに弾力性があるとか、よくよく見ると産毛が生えているとかいったことになれば、それはそれで愉快だけれどももはやプラモデルではなく、一種ドールの方へといってしまいそうなんで、そこの棲み分けも必要かも。付属の尻尾をつけて満月にさらすと巨大化する、なんてギミックははたしてどうやったら再現が可能か。それが出来ればあらゆる変身ギミックを仕込んだプラモデルが作れるのになあ。「PG」でセーラームーンとかあったらやっぱり脱がせられるようにして欲しいなあ。

 充電するとどうして垂らしたりするのかがか謎なアニメは多分もう見ないか、見てもすぐ消すことに決定しつつなぜかこちらは残していたりする「けんぷファー」のアニメ版は、三郷雫が雫らしさを発揮してプレッシャーをかけてきた。危うし瀬能ナツル、ってところで大逆転から雫のピンチに手を差し伸べたナツルたん。そうかそういう経緯でナツルに興味を持ったのか。もう随分と前なんですっかり経緯を忘れていたよ。そんな雫の臓物アニマルはカンデンヤマネコで、声は水樹奈々にそっくりってことになっててアニメではどうなるんだろうと聞いたら、とっても水樹奈々にそっくりだった。そんな声優ネタが鬱陶しいって人もいるようだけど、原作かそうなんだから仕方がないと思って楽しみましょう。他の臓物アニマルってどんな声の設定だったっけ。山寺宏一みたい、ってのがあったとしたらそれはどの山寺宏一なのか、なんて楽しみもあるんだけど。

 でもって「にゃんこい!」は少佐のデブ猫ぶりがすっかり板につていた。これで「攻殻機動隊」シリーズを見たらたとえそれが草薙素子でも、表面にデブ猫が浮かんで重なってしまいそう、ってそれはさすがにないか。ストーリーは幼なじみなんだけれども次第に疎遠になっていたヤマンバギャルと再び仲を取り戻すという展開。ヤマンバって日焼けで黒々となっている訳じゃなく、化粧で黒々となっているらしい。本当か。眼鏡をとったら美人って例は過去にいくらもあったけど、ヤマンバが化粧を落としたら可愛いってのはどうなんだ。ヤマンバってのは可愛らしさを覆い隠そうとするための化粧なのか。女子はあれが可愛いと思ってやっているんじゃないのか。うーん謎。ともあれ普通に見られる平穏アニメ。「ヒャッコ」が受けたフレックスコミックスからのアニメ化ってことで、似た傾向の作品が選ばれるってことなのか。

 親のいない少女が働きながら毎日を頑張って懸命に暮らしているって構図は、「びんちょうタン」と共通してやっぱり読んでいて泣けるよなあ。奇麗にしていた家の屋根が隕石みたいなのの衝撃で吹っ飛んでしまったことに涙を流して慌てふためくシーンとか、大変だよねとついついもらい泣きしてしまうんだけれど、そんな場面が出てくる杉崎ゆきるさんの「アスクライブ・トゥ・ヘヴン1」(少年画報社)はそ、泣いてる少女に夢があってロマンスもあって冒険が待っていそうで、それらをこなした先に広がる未来に期待を抱けそう。

 人間がほとんど死に絶えてしまった世界を、ロボットから進化したっぽい生命体がはびこり宇宙をを2分して支配しているというシチュエーション。そのうちの1つは人類と仲を良くしようとしているのか、あるいは利用しているだけかもしれないけれども人類の王子様と握手しようとしていたその時に、王子様が乗っていたロケットが襲われ落ちていった先が少女の暮らす星だった。

 少女はその星でたった1人の人間としてニードルと呼ばれる人間とは違う生命体から虐げられつつ、お仕事をしてお金をもらってどうにかこうにか暮らしている。一人のニードルの少年だけが少女のことを思って何くれとなく気にかけてはいたけれど、ニードルって存在ならではの制限があって少女と四六時中いっしょにいる訳にはいかなかった。その日も別れて少年は留まり、少女は家へと帰ったところに降るきたロケットが屋根を吹き飛ばして近くに落っこちた。

 近寄ると偉そうな口調の野郎がいて、そして見目麗しい王子様が怪我をして乗っていたのを見て、少女はいつか王子様がって願いがかなったと大喜びするものの、何者かに追われていた王子様にはじわじわと危険が迫っていて、それに少女が巻き込まれるんじゃないかとニードルの少年は大心配。王子様とその連れが宇宙に出るための方法を見つけに行った山へと少女が追いかけていったのを知って、そこには危険が待っていると、制限を越えてエリアを飛び出し危険から少女を守ろうと動き始める。

 宇宙を大きく揺るがす事件の始まりって感じで、ここから人類の存在意義を探る壮大なドラマの幕が開きそう。追いかけて来いって書き置きを残して、ある日どこかへと行ってしまった奔放な少女の両親の秘密なんかも気になるし、王子と少女とニードルの少年との三角関係も気になるところ。壮大なスケールをどこまで描くのかってところにも関心を抱きつつ、「ヤングキングアワーズ」でのこれからの連載を読んでいくことにしよう。「エクセルサーガ」はまだあるけれど「ジオブリーダーズ」が休載なだけに、毎月が楽しみな作品が増えるってのは良いことだ。平野耕太さんの「ドリフターズ」はしかし連載が続いている割には先が見えないなあ。どこに向かっているんだろう?

 死滅しかかった人類がいったいどこへと導かれようとしているのかってストーリーは、花田一三六さんの「創世の契約5 新天地」(中央公論新社)もどこか共通。猫と犬と鳥かが進化したような知性ある生き物が、大陸を支配するその上に龍族が管理者めいた存在として君臨している世界。人類は大陸の端っこにある半島めいた場所に押し込められて、そこから出ることを許されず、誰かが入ることも制限されていたりする。そんな構図に当初はやっぱり人類が、龍族が頂点としたヒエラルキーの最下層にあって猫や犬や鳥からも差別されているんじゃないかって設定が浮かんだものの、差別されているっぽいのにやたらとバイタリティーがあって、居留地を飛び出し傭兵の集団も作りあちらこちらで勢力を保ち、さらには鳥や犬や猫といった種族との間に混血の子供を作ることもできたりしてと、案外に自在にふるまっている姿にもしかしたら違う意味があるのかもと思えて来る。

 それはどういうことなんだ、ってことで龍族から白羽の矢があたった1人の青年が、半島を引っ張り出されあちらこちらを旅させられた果てにたどり着いた真相が、最終巻の「新天地」に描かれてなるほどそういうことだったのかと分からせる。最初にふっと浮かんだ龍族にとって人類が最下層ではなく、むしろ上位存在ではないのかといった予感に迫る設定で、そこでだったら権勢を手に取り戻そうと企む人類がいても不思議じゃないのに、龍族から選ばれた主人公の青年は、旅の先々で触れた猫や犬や鳥の種族の人たちへの理解と情愛を背景に、世界をすべてが認め合って暮らせるように導いていこうと決意する。

 同じ人間でありながら、ちょっとした違いを理由に角つき合わせたり、背中を向け合ったりするような愚を改め、誰もが認め合い理解し合って暮らせる世界の素晴らしさを訴える物語が浮かび上がって感嘆のうちに完結。しばらく時間も開いたけれども、ちゃんと終えてくれたことに作者の花田さんには感謝の言葉を贈りつつ、また同様にスケールが大きくメッセージ性もある作品を、花田さんには描いて欲しいとことに強く願おう。

 またしても「劇的3時間SHOW」へと行き、「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さんが登壇して、「ほぼ日」の企画会議という名の雑談を壇上でくり広げる様を観察する。人によってはいかにしてコピーライターとして有名になって、埋蔵金を掘ってバスを釣って「MOTEHR」を作って、インターネットの偉い人になっていくのかってサクセスな話に興味を抱いて聞きに来ていたのかもしれないけれど、そういう話はすでにあちらこちらで語られてもいたりする。むしろ今まさに進行中の「ほぼ日」が、どんな空気の中で作られているのかを目の当たりにする方が、そういう雑談の中から楽しい企画も生まれそして発展していくものだと分かって良かったのかも。

 もっとも、そういうサイクルも会議に参加するスタッフ側の聡明さと前向きさがあって、そんな前向きさを受けていろいろと考えアイデアを付け足してふくらましていく糸井重里さんて人の存在があって成り立つこと。普通の会社でこのスタイルを採用したらどんな感じになるのかというと、やっぱりまとまらないに違いない。いくら開明的を装ったって、上司への口の利き方が悪いって知事がキレちゃうくらいだし。そこをニコニコしながら受け止めつつ苦言も直言と認めて喜びつつ、自分なりの意見を足してより最善へと向かわせるような態度を取れば、支持だってぐっと集まったのに、あれじゃあいくら正統だって狭量だって思われるだけだよ。それとも元から狭量だったのか。やっぱり普通の社会では成り立たないことで、過去に成功を背負って人脈も広く生き方に余裕を持っている糸井さんの所だからこそ、成り立つスタイルなのかなあ。楽しそうだなあ「ほぼ日」。世界が「ほぼ日」になれば良いのに。


【10月8日】 認知度が必要というなら「機動戦士ガンダム」はアニメーションの中でも広く知られているため、パロディをされた場合にそれがパロディだとちゃんと分かってもらえて笑ってもらえる。名セリフの数々もあればフォルムとしてもしっかり伝わっているから言葉の端にちらつかせる鳴り、モザイク越しにうっすらと見せるなりすればなるほどそうだと感づいてもらえて、それを笑ってもらえる。最近だと「夏のあらし」の前のシリーズでセリフに声色も交えたパロディがくり広げられていたっけか。

 とはいえそれもそうだと伺わせるから行えるのであって、明らかにしっかりと取り入れるとなるとやはり権利がどうといったことも気にかかってくるのだろう。制作会社が同じで版権ビジネスでも共同歩調がなされている「ケロロ軍曹」ほどにはどこも取り入れられないでいる。ならばケロロと同じホールディング須をバックに持つ会社のコンテンツの上でなら、どこまででもイジり倒して良いのかというとそうではないのか、そうする必要もなかったのか、新しく始まった「生徒会の一存」のアニメーション版ではぐっと時代が下がって21世紀に入って作り上げられた、涼宮やららきがすたといったものが既にしてパロディのネタとして繰り入れられている。

 もとがどちらかといえば既存のライトノベルのパスティーシュにパロディといった赴きもあった「涼宮ハルヒの憂鬱」に、それすらもまたパロディのネタとして取り入れていたりする「らき☆すた」をさらに包含しているというこの構造。マトリューシカとも入れ子細工とも言えそうだし、自家撞着が過ぎるとも言えそうな状況を果たして是として良いのかというのは悩ましいところで、これが小説として繰り出されていると語り口の饒舌さもあって鬱陶しさが先立ち押しつけがましさものぞいて「やれやれ」といった気持ちに駆られる場合もあったりする。実際のところ小説としての「生徒会の一存」は「一存」を最初にして最後の1冊に留めおいて、先に進めないでいたりする。

 けれどもアニメーション版の「生徒会の一存」は、冒頭から「メディア違いを理解せよ」と訴えているだけあって電波にのっかり広く世間に届く関係で、小説を読んでいない人にもちゃんと伝わるような作りになっていた様子で見ていてそれほどストレスも感じないで済んだ。まあ美少女が文字だけじゃなく絵だけでもなく動いて喋ってるってことのアドバンテージは極めて高いんだけれど、それ以上にやっぱり作り手側が「メディアの違いを」考えていたりするところに、アニメーションとして独立して存在し得る基盤があるのだろう。うん。スタジオディーンって老舗なのに絵はどこまでもしっかりとして動きも完璧、展開も軽快。有る意味で今の秋でも最上級の出来って言えるんじゃなかろうか。「とある魔法の超電磁砲」に並び劣らない出来かも。かといって小説を読んでみたいかというと……やっぱり読んでおかないといけないかなあ、どうせ似たようなのがいっぱい応募されて来ることになるんだろうから。

 「うみねこ」は脳味噌に何かささってモザイクがかかって妙だった。他のは見ないで眠り起きたら快晴ではあったんだけれど駅に行ったら総武線が動いていない。晴れているのに動かない電車って何なんだ。って怒っても仕方がないんで京成へと周り民鉄ならではの融通で徐行しながらでも運転している電車に乗ってまずは京成津田沼まで行き乗り換えて幕張本郷へとたどり着き、そこからバスで幕張メッセへと向かう。所要時間は1時間だからいつもの倍だけれども、それでも辿り着けるところは地の利って奴か。東京からじゃあ山手線も総武線も京葉線も止まっていたからまず辿り着けなかったみたいだし。

この量感、このポーズ。アクションフィギュアを自分で組み立てられるとあっては売れないはずがない。次はセーラームーンでお願い  その関係で今日が開幕だった「全日本模型ショー」もオープン直後は客がおらずプラモデルの類を見放題。まずはいよいよ発表された「機動戦士ガンダム00」のダブルオーライザーなんかを間近に見てデカさに驚きつつ「RX78」なんかとは違ったスリムなフォルムを装備の派手さに組み立てたら楽しめそうとは思いつつ、積み上がった部品の多さにそんな時間はねえと断念。自分にはガンプラは向きそうにもないと肩を落として歩いていたところに見かけた「ドラゴンボールZ」の孫悟空のプラモデルって奴に、何だこれはと近寄り眺めてこれは凄いと簡単し、これからのプラモデルはまさしくこれだと確信を得る。何がそんなに凄いのか。

 それはあの筋肉モリモリに鍛えあげられた孫悟空のフォルムがちゃんと立体化されていること。そしてそれがちゃんと可動すること。まるでアクションフィギュアのように手足が曲がり腰が周り首も動いてかめはめ破のポーズから蹴りのポーズまで自在に作れる。なおかつデカい。アクションフィギュアならせいぜいが手のひらサイズの人形がプラモデルだと8分の1。つまりは22センチもあって手のひらにおいたらはみ出そう。そんな悟空を目一杯に楽しめるプラモデルにするのって、設計から製造から相当に大変なんじゃないかって思えるけれどもそこは可動部分のめちゃめちゃ多いガンプラを作り続けてきた会社だけあって関節部分が曲げてもパーツを引っ張り出したり引っ込めたりするような動きをそこに加えることで、ぶつかり合わないように工夫されていたりするみたい。素材も柔らかいもの固いものを部品によって使い分け、髪が硬質だったり帯がペキペキだったりはしない素材を使用して、フィギュアっぽさを出している。

 ガンプラだったらコンピュータ上でCADみたいなソフトを使って設計もできそうだけれど、立体物をいったいどうやってコンピューター上で設計しているんだとたずねたら、3DCGのモデルを消しゴムで削ったりパテで持ったりしてディティールアップしていけるようなソフトが導入されているんだとか。そうした技術が重なりベースにガンプラの技術があって生まれて来るだろう今後のフィギュア系プラモデルってのがいったいどんなものになるのか、今から楽しみで仕方がない。個人的にはやっぱり美少女キャラってところだけど、細い手足に悟空みたいな間接はつけられないからなあ。男性キャラだとやっぱろ「ジョジョの奇妙な冒険」系統か。北斗はちょっと厳しいかもしれないし。

 そんな北斗と重なる「花の慶次」のキャラがアオシマからフィギュアになって登場していた。といっても慶次ではなく「愛」が輝く直江兼続の方で顔立ちは原哲夫風なところに交渉が生かされた鎧兜に具足がついて、良い感じのフィギュアに仕上がっていた。歴史マニアなら欲しい1品。同じ系統では童友社から兜があれこれ出ていて華やかで賑やか。昔っから兜や刀やお城なんかを造っている会社で、僕も子供のころに松本城のプラモデルなんか作って橋が天守閣へと向かう構図の美麗さを楽しんだりした口だけど、ロートルな品だと思われながらもしっかり作り続けていたら、ぐるりと時代が回って旬にして最先端の製品を作るところになっていた。継続ってやっぱり大切だ。松本城とか名古屋城とかまた作ってみたいなあ。もう爆竹で爆破とかしないから(前だってしてないってば)。

 ついでだからと「CEATEC」も見に行ったら午後1時からの開場になっていた。そりゃあそうだ、京葉線は風に弱いし総武線まで止まっているから誰も東京方面から幕張へと来られない。説明員も誰もいないブースを並べている訳にはいかないなら、せめて少しは誰かが来るまで待っているより他にないってことなんだろう。客だって来られない訳だし。ってんでプレスセンターで時間を過ごしてから中に入ってあれこれ見物CELL搭載のテレビが出ていて久多良木健さんの野望もようやくかなってこれでソニーも安泰だ、って見たらロゴが東芝だった。ダメじゃんソニー。結局は支えきれずにうっぱらってしまった技術を結実させて東芝が楽しそうなテレビを作り出した。ソニーは3Dがせいぜい。立体ていうけど立て看板を何枚も重ね合わせたようにして表現される奥行きに、どうして立体感なんて覚えられよう。それならばより高精細なテレビを作って毛穴から息づかいから感じられるような映像をながす方がよっぽど臨場感も上がるってものだ。立体に見えるってのは3Dだからじゃない。その場にいると感じられるかどうかなんだよ。だからたぶん3Dテレビはしばらく普及しないんだろうなあ。などと感じて「CEATEC」を後に。首都圏ってののとりわけJRの脆弱ぶりを感じた1日でありました。


【10月7日】 超能力者みたいなのはいるけれども宇宙人も未来人もいないんだよなあ「機動戦士ガンダム」の宇宙世紀物って。ニュータイプだって単に直感が優れているなり判断の速さが人に比べて異常でちょっとした変化を察知し他人の思考を先回りする能力の長けているだけでいわゆる超能力とは違うかもしれない。ああでもそれだとサイコミュみたいなシステムは動かせないか。それとも精神から発せられる微電流の差異を単にとてつもない精度で汲み取っているだけなのか。未来人は無理でもあの広い宇宙のどこかからやってきた宇宙人ならまじってたって良さそうだけれどそれをしなかったのは何かの矜持か。いつか聞いてみたい。あるいはどっかに書かれてあったっけ。「SEED」「00」ではどーなってたっけ。いつか調べてみたい。

 おっとそうだった「射手座の日」があったんだってようやっと思いだした「涼宮ハルヒの憂鬱」は、隣のコンピュータ研が散々っぱらハルヒに蹂躙された腹いせをゲームで晴らそうと挑戦状を叩きつけに来たらハルヒにドロップキックを食らって吹っ飛び一巻の終わり、とはならずゲームとなって敵に蹂躙されかかるものの超絶技巧を駆使した長門有希の活躍によって救われるというストーリー。でもって案の定ハルヒは何の訳にも立ってない。ああでもコンピ研の部長を肉体言語で沈黙させたから多少はプレッシャーにはなったか。

 あのシーンはハルヒの「うりゃー」とか何とかいうかけ声の尻上がりなイントネーションが実に巧みで前も聞いて感動したし今回もやっぱり感動したなあ。平野綾さんの真骨頂。でもって飛び蹴ってる動きもちゃんと描いてあってなかなか。当たった瞬間に膝がちょい曲がって相手の頭が吹っ飛んでから伸びて行く感じでもって衝撃を出している、と。でもって切り替わって手前に吹っ飛んでくる部長の向こうでハルヒがすたっと着地する、と。どの動きも肉体の軽さと重力の存在がちゃんと見えるんだよなあ。そういう細やかさが京都アニメーションの持ち味だった。それが今では……ちゃんとしているか。ところで今って何かやっていたんだっけ。シャフト系が凄すぎて気にしている暇がない。

 PENTAXのK10Dは新宿センタービルのサポートセンターでドック入り。撮像が紫色になってしまう現象なんて過去にあんまり起こってないみたいなんでもしかしたら基盤の全とっかえとか必要かもって心配したけどお値段的にはパソコンを修理する時のようなロジックボード全とっかえめいた価格にはならなさそう。でもコンデジなら1台変える値段か。まあいいデジタル一眼レフは何台あったって困らない。K7だっていつ壊れるか分からないで直して手元に置いておくのだ。取り付けておくレンズがやっぱり欲しいなあ。パンケーキよりも広角にするか、って金ないよ、だから月末に出る「鉄腕アトム≪実写版≫」のDVDボックスもきっと買えないよ。

 しかしフル3DCGでは初の「ATOM」の後悔が間近ってこの磁器に、実写ドラマ版では初だしそして唯一だろう「鉄腕アトム≪実写版≫」が発売されるってのは何かの縁か。どちらかが頑張ってしまった結果なのか。60数話あるうちの何話かは原版が見つからず収録は58くらいになってしまうそうだけど、それでも大半を掘り起こしてDVD化にするってのはとてつもない偉業。これを讃えずして何を讃えるのかって声も立ちそうだけれどそれは作品そのものを讃えている訳ではないんで悪しからず。だって頭がパッカリなんだぜ。体は肉襦袢なんだぜ。そんな「アトム」を見せられてよく子供がアトムが嫌いにならなかったもんだ。途中からコスチュームチェンジしたのも奏功したのか。それにしてもやっぱり気になるその中身。買おうかなあ。どうしようかなあ。

 3DCG版の「ATOM」に付いて言うなら個人的には立派に「鉄腕アトム」だった。デザインはしっかり和風でそれでいて西洋が見ても大丈夫そう。何よりやっぱり動きが良い。ほったらかしがどうしたって3Dアニメもあったけれどもやっぱりどこか人形劇。「ATOM」はそうじゃなくってピクサーがドリームワークスなテイストを取り込んだ絵柄になってて見ていてまるで大丈夫かなあ感を覚えない。日本のってよくやった感がどうしても出てくるんだよなあ。それって本当はただの贔屓の惹き倒しなんだよなあ。

 海外の3DCGのアニメがとってもハイクオリティなのは、それこそ1作品が作れるくらの半端ない金を注ぎ込んで生みだしたモーションのノウハウを使って本編を作るからなんだろう。ピクサーで「ワンマンバンド」と作ったマーク・アンドリュースだったっけ、その人に昔インタビューした時も、短編で表現とか実権したのを長編に持っていくんで短編には金も出れば人もかけられるし時間だって十分に与えられる。これが日本だと……。研究に予算は出ないよなあ、多分。だから絵についても動きも安心。声については日本語版は上戸彩ちゃんでなかなかに可愛い。役所の天馬博士も悪くはない。林原めぐみさんが声質故に妙に目立つ。山ちゃんはやっぱり山ちゃん。誰もみな安心して聞いていられる。物語についてはアトムの誕生と拒絶そして……といったところか。楽しめる。以上、実写版「デビルマン」は良い物であるという信念を未だに買えていない人間の感想。信じるか否かはその人次第。


【10月6日】 「機動戦士ガンダム」って傭兵っていたっけか。ランバ・ラルはあるいはドズル・ザビの私兵的な扱いでガルマの仇といった個人的な感情からドズルが雇って派遣したのかもしれないけれどもその当たりってどうなっていたんだっけか。安彦版の漫画を読まないといけないなあ、やっぱり。黒い三連星も見た目だけなら傭兵っぽいけど最新機種を与えられているところを考えればやっぱり軍の人間か。連邦側だと傭兵どころか民間人を無理矢理軍人に仕立て上げているくらいの人手不足なんで傭兵だっていれば求めていたことだろう。戦あるとこに傭兵あり。ならば連邦にもきっといるんだろう。アムロだって傭兵みたいなもんだったし、最初のうちは。金の代わりにびんたくらてたけど。

 ジョン・コーテはイラクで死んだ。兵士として戦死したのではない。ボランティアとして働いていたところを襲われたわけでもない。まだ23歳のアメリカ人青年は、民間の警備会社に雇われた傭兵としてトレーラーを護衛する任務に就いていて、武装集団の襲撃にあい拉致されてそのまま殺された。アフガニスタンとイラクで兵士をやっていた。軍功を挙げ金も稼いで除隊し、さあ気楽に凄そうとフロリダ大学に入って美女に囲まれ、仲間たちに囲まれる楽しい日々を送っていた。けれどもそんな平和に飽き足らなくなって、大学を辞めて傭兵になってイラクに入り、命を失った。勿体ない人生か。そうするしかなかった人生なのか。ジョン・コーテに聞いてみないと分からない。けれどもジョン・コーテのような人間が今のイラクにはいっぱい集まっていて、傭兵のような仕事に従事しているという。

 米軍だけで12万人も駐留しているイラクで、ジョン・コーテのような傭兵に出る幕なんかあるのかというと、これがおおいにあるらしい。2万5000人とも7万5000人ともいわれる数の傭兵がイラクには入っているそうで、補給物資の輸送車や外交官が乗る車をガードしていたり、ボランティアを守っていたりする。基地の護衛を任せる軍隊もあるというから本末転倒というか。だいたいが傭兵に護られる軍があるということ時代に何かの転倒が見て取れる。

 それはだからイラクでの戦争の始まりに、9・11に端を発した国際的なテロの撲滅という大義が掲げられてはいながらも、それって本当に効果があるのといった懐疑を一方に抱きつつ、きわめて政治的な事情もあったりしたからで、そんなことだから国のため家族のためといった真剣味を抱けないまま、軍も及び腰を続けメディアもそんな及び腰を真っ当と見る雰囲気に生まれた間隙に、雰囲気から離れてドライに働ける傭兵が入りんではびこった。平穏な日常に関心を持てないジョン・コーテのような若者が引き寄せられ、それから心の奥底から戦争が大好きな連中も集まって、過去の戦場では考えられない奇妙な空間がイラクに生まれてしまった。

 軍隊なら軍律で罰せられるような振る舞いだって、傭兵なら誰に縛られることもなく行える。外交官の車とすれ違っただけの親子連れが乗る車を撃って親子の命を奪い、結婚式を祝う席で祝砲が挙げられたのを聞きつけ攻撃だと思いこんで銃弾をばら巻き、戦争とは無関係の市民の命を奪う。やりすぎれば会社もさすがに咎め立てるだろうけれども、中には本当に危険な場合もあったりするからすべて止めろとはいえない。そうなれば手足を縛られている軍隊と代わらなくなって、雇われる意味がなくなる。雇う側の軍も軍で、傭兵がいなければ安全を確保できないからと不問に付す。かくして人々の恨みは深まり、現地の人の反乱を招いてジョン・コーテのような拉致事件が起こり、殺された家族のイラクへの憎しみが深まってそして、連鎖した戦いはいつ果てるとも知れず続いていく。

 正義も愛国も後ろに下がり、強欲と享楽に彩られた現代の戦場を描いてピューリッツァー賞を受賞したノンフィクションの問題作「戦場の掟」(講談社)がいよいよもって登場。ボストングローブ紙とかで活躍していたスティーヴ・ファイナルのルポルタージュは、声高に非難することはなく淡々と傭兵たちの日常やプロフィールを描いてそこに浮かび上がる矛盾や無理を感じさせ、あの戦争が持つ不思議さを問う。最初にボタンを掛け間違ったのがいけなかったのだろうけれども、かといって今さら戻ってかけ直せないのも悩ましいところ。清く正しい正義の戦争なんてあり得なくなってしまった現状から、事態はいったいどこへ向かおうとしているのかを考えた時、混沌とする中を富があり、力を持った者立ちだけが“正義”を名乗れる世界の訪れを感じてどうにもいたたまれなくなってくる。果たして世界はどうなるのか。でも月給7000ドルとかで誘われるんだから傭兵稼業に憧れる人が出るのも当然だよなあ。

 ようやくやっと見た「とある科学の超電磁砲」は、ヨーヨーも竜巻も出さなくって指でコインを弾いて飛ばす技を見せる女子高生だかがヒロインだったけれども、その威力たるや車をひっくり返してプールの水を干上がらせるくらいの凄まじさ。町でもナンバー3くらいの位置にあるそんな力の持ち主の少女が、姉と慕ってまとわりついてくる少女とかそのお仲間とかの組織的な活動の、埒外にありながらもしっかり町を守るために活躍する話ってことになるのかな。もっと凶悪な組織が絡んで、世界の命運にまで関わってきているっぽい「とある魔術の禁書目録」よりは普通度が高くて楽しめそう。けどしかしやっぱりスカートの下の短パンは邪道だ。スパッツ以上に邪の道だ。

 あと「聖剣の刀鍛冶」もようやくやっと見て、セシリーの騎士服の胸の部分はいったい何で出来ているのかが気になった。防護用なら金属の類だろうけれどもあんなにふくらんでへこんでいる立派な双球を収める形を作るのは、最高級の腕前を持つブラックスミスだって無理だろう。なら布だとするとそんなもので大事な心臓を守っていてそれでも騎士かというツッコミが入りそう。つまりは謎ってことなんだけれど、走っている姿があんまり揺れないところを見ると、革か何かでそれなりの固さを持った素材にふくらみがつけてあるんだと考えるのが良さそう。それでもあの立派なものを収めふくらみを作るには、どれだけの職人芸が必要なのか。刀を打ってもらっている場合じゃないぜ。

 そんな2本のアニメはどちらも絵がしっかりしていて、動きもちゃんとしていてなかなかのハイクオリティ。展開もすごく真っ当なんでみていて突っ込む心が起こらない。このクオリティでもって例えば「けんぷファー」が作られたとしたら、どんなに楽しいビジュアルが見られただろう。まあでもあのイラストは元から平板な感じがするんでそのテイストが生かされたアニメがああしたシンプルさになるのも分からないでもない。「超電磁砲」と「刀鍛冶」のいったいどちらが先に絵として脱落するか。それとも最後まであのクオリティを維持し続けるか。秋スタートのアニメでは絵として興味深い2本って言えそう。ほかにはやっぱり「空中ブランコ」か。実写混じりのヘンタイ作。「11eyes」ってのはどうなんだろう。サッカー物か(違います)。

 何か周囲で誰も話題にしていない「コ・フェスタ」にあって、「東京ゲームショウ」だの「東京国際映画祭」といった大型イベントの影にかくれてまるで目立っていないけれども中身の充実度では1番だと個人的には思っている「劇的3時間SHOW」に、スクウェア・エニックスで出版をアニメを見ている田口浩司さんが出てくるってんで見に行く。だって田口さんだよ、「鋼の錬金術師」に始まって「ソウルイーター」だとか「黒執事」だとか「黒神」だとか「バンブーブレード」だとか「ぱにぽにだっしゅ」だとか「セキレイ」だとか「咲 −saki−」だとか「天体戦士サンレッド」だとか「隠の王」といった作品をアニメーション化して、それぞれにちゃんと収益にしている会社の責任者が、大っぴらに公衆の面前で喋るってんだからこれは聞き逃せない。そう思ってわんさか人が訪れるのかと思ったら、意外に割に人が少なくって拍子抜け。

 つまりはこれだけ世の中に影響を与えていても、メディア的な露出がないと、例えば鈴木敏夫さんなり、石川光久さんというかそこの監督の押井守さんといった名前くらいにならないと、たとえそうした人たち以上の仕事をしていたって、人は関心を持たないのか、メディアも関心を抱かないのかってことが見えてきて、なるほどこりゃあ一極集中の果てに、コンテンツもほころんでいく訳だって思えてくる。いつまでも鈴木敏夫さん久保雅一さんじゃああるまいし、いや鈴木さんも久保さんも確かに凄い人だけれど、それに負けないことをやっているんだから、田口さん。ただ来ていた人の濃さは相当だったみたいで、質疑応答の時間には、ビジネスをどう組み立てればいいのかってことをしっかり聞いていた。そうした若い人たちの頑張りが、中間層が騒動を嫌ってすべてをスポイルしてなあなあにして、結果誰も面白くないものばかりが生まれてしまうような実状を変えていってくれるのだろう。

 というかすでにして孤高ではあっても変えようとしているし、現実に変えてきたプロデューサーもいるってことで、田口さんとは「鋼の錬金術師」でがっちり汲んでいる毎日放送の竹田青滋プロデューサーが登壇。本当だったらボンズの南雅彦社長もいっしょに上がる予定だったんだけれど、何か事情があって会場に来られず田口さん竹田さんの2人によるぶっちゃけトークになっていった。これがまた面白いおもしろい。よく竹田さんの作品は内容がハードで血みどろで、クレームも起こって潰されそうなのにそれがアニメになって普通に放送されているのは、竹田さんが戦っているからだって言われるけれどもなるほど確かに戦ってはいるけれど、その前段として脚本作りの段階からちゃんと参加していて、作品の内容がどうなのかを把握して、その上でそうした表現が必要だからと分かってゴーサインを出しているから、たとえクレームが来たって対処できるんだと話してた。これが単にできあがってきたものだけを見るPDだと、それはやっぱり拙いあろうと削って現場を萎縮させる。その意味では竹田さん、珍しいPDなのかもしれないけれど、それが本来だと思うべき筋の話。簡単なことのはずのに出来ていないのは、やっぱりどこかに構造的な問題があったりするんだろうなあ、テレビ局というシステムの。

 そんなこんなで3時間があっという間に過ぎた「劇的3時間SHOW」。過去にいろいろな講演を見てきたけれども、1番面白かったし1番為になったといっても絶対にいい過ぎじゃない。誰だこの人と思い見過ごしてしまった人は後悔せよ。竹田さん話では今でも南さんと喧嘩するみたいだけれどもそんな後でも南さんは、アニメにとって必要な人だと竹田さんのことをいっているらしい。同感。時間帯の移動によって最後に残っていたアニメの灯火を消してしまいそうになっていて、そこに有名声優の降板だとかいった事態も重なって沈滞ムードが一気に増した某局の轍を踏まないで、深夜でもいいからアニメを作り続けて僕たちに見せていって下さい竹田さん。とりあえず「黒執事」の第2期とか、どうなっているのかも含めて楽しみ。原作そろそろ読もうかねえ。

 会場では買ったばかりのPENTAXの「K7」でがしゃぽんがしゃぽんと写真撮影。操作感が妙にキヤノンぽいっていうか、ニコンの硬質さともPENTAXの頑なさとも違った軽快さがあって感覚が狂う。ただし操作性は抜群で、しっかり撮れるしいろいろ試せる。「K10」は数日前から撮った写真がなぜか紫色になってしまう現象が出て、色分解のソフトか何かに異常が出ているみたいでドック入りが必要なんだけど、入れている間にいろいろとイベントが目白押しなんで、無理にでも手元に1台、デジタル一眼を置いておく必要があった。「istD」もあるけどストロボとのシンクロが今ひとつで不安。ならばやっぱり最新型を買うしかないと、借金までして買った次第。後が大変。「K10」は直ったらサブにしてパンケーキでもくっつけて普段用に使うか。コンデジの「G10」もあるけど操作性がやっぱりデジ一眼とは違うんだ。「G11」ってそういやあプラスチック感が増してないか。


【10月5日】 いくら「機動戦士ガンダム」が現代に復活したところで、オープニングにラクル・アン・シエルを起用できても「面影ラッキーホール」はまず起用できないだろう。そこが作品として維持していかなくてはならなくなった伝統の重さというもので、「オタク大賞R」の中で取りざたされたガンダムのキャラクター化ともどこか通底して、「機動戦士ガンダム」をメジャーであり且つ、いささか窮屈な存在にしてしまっている。

 ガンダムのキャラクター化についていうなら、かつては単なる兵器であって、ラストに首を吹っ飛ばしても途中で部品が取り換えられても、文句なんて出なかったものが今は途中で壊れる野は、新型メカへの乗り換えが前提。兵器でありながらもパターンが様々あるのは非効率だと分かりながらも、何とかガンダムというものがわんさか登場して搭乗員のタイプとマッチして存在感を醸し出している。

 そんな「機動戦士ガンダム」に相応しい主題歌はやっぱりメジャーのそれも東京ドームを満杯くらいにできるくらいのバリューを持ったバンドが担当して当然。フェイクさあふれる「面影ラッキーホール」に出番なんかがあるはずがないし、出張ったところでやっぱりイメージがぶつかり合う。原作自体はストレートでもそれを捻ってフェイクさを出しつつ根底にストレートさを維持した2重のひねくれ具合で引き付けた、新房昭之監督によるアニメーション版の「夏のあらし」だからこそ、フェイクさの中にシリアスを込めて社会を撃つ「面影ラッキーホール」がとても似合っていた。

 だったら「夏のあらし」の第2シーズン「夏のあらし 春夏冬中」で主題歌をやくしまるえつこが唄うのは果たしてマッチしているのかどうかというと、メジャーに近い知名度を得つつはあってもインディーズの王女然とした立ち位置でもって存在感を希薄にして活動を続けるシンガーの、どこかギミックっぽさを頂いたところはまさしくアニメーション版「夏のあらし」向き。何か底知れなさをはらんだ澄んだ歌声が響けば響くほど、純真さの向こう側にフェイクを讃えた作品本来のカラーが浮かんで見る者だちを虚構の世界へと引きずり込む。選んだ人はさすがだなあ。

 そんな「夏のあらし 春夏冬中」はのっけから水着回。といっても第6巻の水着比べではなくって海にみんなで遊びに行くって話で加奈子とやよいも参加し水着を披露して、全員がそろった2期らしさを醸し出しつつ1期の最初からのメーンキャラクターたちが見せる恥じらいたっぷりの水着姿を心ゆくまで堪能させてくれる。ああ青春。しかし揉まれても柔らかいなあと相手に与える程度の量感しかない潤であっても、父親の短パンいっちょうではやっぱり目のやり場に困るくらいの裸になってしまうのか、ってあたりに謎が浮かぶ。それはいったいどんな形だ。DVDでは手前のデジタル時計をどかして見せてやってはくれまいか。くれないな。

 こんな夢を見た。犬をキャリーバッグに入れた女性が地下鉄の都営大江戸線の六本木駅へと降りていく。駆け込もうとした時に犬が逃げ出してしまい、慌てておいかけて飛び込んだ列車に乗客はおらず、犬も見あたらない。ここはどこなんだろうと見下ろすと、違う犬が現れすり寄ってきた。私の犬を知らないか。訪ねると今度は後ろから声が聞こえ、そして気がつくと周囲に男性が立っては自分たちを地下鉄の駅だと言い出した。まるで意味不明なこの夢が意味するものは何か。教えてフロイト先生。

 それは正夢です。っていうか正に存在していたアニメーションであって決して夢ではございません。いやあアニメも世界が広くなったもんだよなあ。実際に見る人が想定されるからこういうアニメが出来るだもんなあ。んで誰が見ているの? 地下鉄大江戸線の駅名が名前に鳴っているという美声年たちのうち、月島六本木両国はともかく新宿に都庁なんて名字はやっぱり奇妙。名乗って声をあてている声優さんたちがいったいどんな感情を抱いているのかちょっと聞きたい。

 そういやあ地下鉄前で名字らしくない駅名ってどこだろう? 東西線では市川妙典? 原木中山は原木もいるし中山もいるけど続けた名字はちょっとなさそう。総武線だと船橋から新宿まで全部いそう。水道橋博士とか飯田橋先輩とか。それは駅名が先だよなあ。絵的には丸目の豆柴が可愛かった。マガジンラックにおさまって目をきょろつかせている場面とか。つか駅にも気づかれないで隠れられる豆柴って天才? それとも駅が阿呆過ぎる? そんなところも含めてこれこれからも見ていこう「ミラクルトレイン 大江戸線へようこそ」。東西線だとやっぱりどこかあか抜けてないのかなあ。半蔵門線だと全員が忍者なのかなあ(違いますって)。

 10月5日がやって来た。高嶺愛花さんの誕生日。朝から部屋に迎えに来てくれてそこでいきなりいちゃいちゃしたり、学校に行く途中でもいちゃいちゃしたりと求めてくるものが激し過ぎ。そんな彼女に答えてあげなくちゃとお昼のイベント時間になると同時に愛花を訪ねて走ったらそんなに急ぐなんてと笑われた。でもちゃんとプレゼントは受け取ってくれた。青いカチューシャ。ずっと前にこの日がくるのを予想して、ショッピングセンターで買っておいた奴。色が気に入ってくれたのかカチューシャが良かったのか、最高に嬉しいとか言ってくれて心はハッピー。もう1年だってずっといっしょにいたって良い。これが彼女がいる暮らしという奴なのか。有り難う「ラブプラス」。んで凛子と寧々さんの誕生日はいつなんだ。何がプレゼントに最適なんだ。


【10月4日】 すでに実写化もされている「機動戦士ガンダム」が本格的に実写映画化されたとしても今さらだからと驚く人もいない。むしろ今までよりは真っ当になるかもしれないという期待を抱きつつ、進化したCG技術で描かれるモビルスーツ戦の出来の良さに興味を向けて人間が演じるドラマは二の次三の次といった心の持ちようで乗り切っていくような感じさえある。しかし「宇宙戦艦ヤマト」は別だ。こればっかりは実写になって真っ当になるという姿をまるで創造できない。

 漫画でもアニメーションでも、松本零士さんの筆だからこそ見られた長髪でスリムなキャラクターたちも、実写になればなよなよとしたおよそ軍人らしからぬ風体に見えてどこに関心を抱いていいたのかが分からない。ましてや中身がアラフォーに至ろうとしている俳優に雪の白さとは真反対に位置していそうなハード系女優。その役どころも従来の看護師で通信士といったものではなく、戦いの最前線へと向かうファイターとなっているからイメージとはまるで違ってくる。

 ずらりとそろったクルーたちもなるほど俳優としての存在感はあるものの、逆にそうした存在感が従前からのイメージを「宇宙戦艦ヤマト」ならではの強烈なキャラクターとぶつけ合ってそこはかとない違和感を醸し出しそう。沖田艦長。徳川機関長。その役にあてられた超ベテランならではの存在感が納谷吾郎に永井一郎といった声も含めたビジュアルイメージとぶつかり合って生まれる違和感を例えるならば、それは流行歌手に人気俳優たちが年に1度のお祭りだからと普段は絶対に演じそうもない役に挑む「新春かくし芸大会」の外国語劇だ。

 かつて「宇宙戦艦ヤマト」もそんな劇にとりあげられたといった記憶がある。配役が誰だったのかはまるで覚えていないけれども、「ヤマト」というアニメーションがいよいよ一般の芸人たちの間でも演じられるようになったことへの歓びと、逆に「ヤマト」が笑いの渦中に引っ張り込まれてもみくちゃにされてしまう心配がない交ぜになった感情を、確か感じさせてくれたのではなかったか。本格的な実写映画として作られる「宇宙戦艦ヤマト」から感られるだろう感情は、きっとそれを遙かに上回るものになるに違いない。

 あるいは既に過去に営々と作られては埋もれていった作品群から得た諦観の延長に位置し、何の興味も抱かせないまま過ぎていくことになるのだろうか。分からないけれどもともあれどんなビジュアルになるのかだけは興味深々。狭い艦橋にあのスーツを着た俳優たちが並んでいる場面で敵の攻撃があたった瞬間、カメラだけがグラグラと揺れてその中で俳優たちがどたばたとするような“特撮”とか、または攻撃が着弾した瞬間にスチロールかと見間違えそうなヤワい内装の一部から火花が飛んで煙が出る横で、俳優たちが自分から吹き飛ぶ“アクション”とか、あったら何という20世紀的特撮映画かと讃えよう。「宇宙からのメッセージ」も「さよならジュピター」も「レムナント6」に続く宇宙映画の到来。ああ待ち遠しい。

 「超電磁砲」とかまだ見ないまま早朝に起きだし向かうはお台場、「痛Gフェスタ」。前年にも500台とかの痛車に痛チャリに痛単車なんかを集めて盛り上がったイベントが今年はさらにスケールをビッグにして還ってきたとあって行くのが人間の使命。武蔵野線から京葉線へと入ってりんかい線に乗り換えフジテレビの下から抜けだし歩いて歩いてゆりかもめの「船の科学館駅」の下まで通り過ぎて入った会場には、700台とかの痛車がずらりと並んでもう壮観の一言でありました、ってそんなに数いたのかなあ、でも拠点よりはいたような。人もいっぱい来ていたような。天気が晴れだったってことも奏功したのかな。

どんな人がどんな場所で乗ればピッタリくるのだろう。長嶋自演乙の入場とかか。  んでまずは「痛リムジン」とやらを拝見。おお。リムジンだ。たぶんキャディラックか何かのリムジンなんだろうけれども長い胴体の両サイドにいろいろとキャラクターが描かれ華やかに鮮やか。ボンネットには何も描かれていなかったけれどもそこは痛トランスのセールスプロモーションも兼ねての出品だけあって、客を集めるためにその場でシートを張って痛ボンネット化する実演がスタート。すでにそれなりに形づくってはあったんだろうけれども、張る直前にはちゃんと位置を決めたりする作業があってそこでプロのお手並みってやつがくり広げられたかどうかは最後まで見ていなかったから知らない。ボンネットより長い天井に張ればさらに壮観になったんだろうけれどもそれには足場とか必要になるだろうから流石に見送った模様。っていうか他の車もよく天井なんか張ってあるよなあ。そういう職人が生まれて来ているのかなあ。

 気づいたことは去年よりも企業の出展が多かったってことで懐かしの「PIAキャロットへようこそ」の会社とかニトロプラスとか有名どころのゲーム会社が出ては痛車にキャラクターを描いて並べてた。昔だったらゲーム雑誌に広告出すとか深夜アニメにCMを出すとかいった方法が主流だったプロモーション。かかる費用の割に広まる効果のはてさてってところもあるのか見直される動きがある一方で、ダイレクトに情報をそれも関心を持っている層に届けられるリアルなセールスプロモーションってものが注目を集め始めている。痛車っていう”媒体”もそんなひとつ。それが走れば注目される上にそういうのがあると報じられる効果も相まって告知の範囲を広くとれる。個人がブログに写真を載せてそれがリンクと口コミで広まっていくという構図も。その意味で痛車はこれから注目を高めていきそうだし、そうしたメリットを訴えクライアントを集めて出展させる「痛Gグラフィック」の立ち入りもなかなかのものになっていきそう。

 去年も出ていたバスのラッピングなんかを専門にやっている業者が出してたシェリルさんのノーズアート風イラスト(弾丸が股間に当たりそうになっているあれ)の小さいのを3000円出して買ったんだけど小さい割には普通のシールにくらべてデカいデカい。ミニカーに貼るんじゃなくって自動車に貼るんだからそれくらいなくっちゃってことなのかも。しかしイヤらしいイラストだよ。同じような業者で広島から来ていたところもあって聞くと数年前までは普通に看板とかの仕事をしていたんだけれど、最近お客さんが増えてきてそっちを本業にし始めたんだとか。イベントも開きたい旨話してた。もはやブームは全国区。やがて世界に広まってパリとダカールの間を痛ラリー車が走り抜ける時がやってくるかも。っていうかすぐにでもやれば注目ナンバーワン。やらないかなあ大手オタク企業。F1だって1試合だけなら5億もあればフルコーティングできるって痛車の企画をやってる人が話してたし。そうか幕張にあったロータスエリートの痛車はその人んところのだったのか。

 もはや痛車も男子ばかりのものではないってことなのか。会場に妙に女性が集まっている一角があって近寄ったら宙出版ってところがだしているらしい「ラッキードッグ」ってタイトルの漫画? 小説? 分からないけどそんな感じの恰好良い男が出てくるコンテンツがテーマになった痛車が出ていて周辺に男装した女性の方々が経っていて、それを取り囲んで9割9分9厘の女性が写真撮影をくり広げていた。果たして自分でそういう車を作って乗るかどうかってところまでは分からないけど、興味を持って食いつくことだけは確かだと判明。そういう層に向けたプロモーションの手段として、痛車は存分に意味があるってことが見えてきた。そりゃあそうだよなあ、車ってのは基本的に格好良い乗り物で、そこに格好良い男たちが描かれれば格好良いと関心を抱く女性がいたって不思議じゃないもんなあ。車に可愛い美少女というギャップで萌えた痛車のブームも一般化によって確実に変質しているってことで。現場に行って分かる事柄。だから出没家は止められない。歳をとっても。不惑を過ぎても厄年を超えても。

 「オタク大賞R」に言ったら「ラブプラスワン」だったロフトプラスワンは半分くらい「ラブプラス」話(自分量)立ったけれども残りはしっかりロボット話。聞いていて近年に話題となったロボット物として大きく挙げられるはずの「創世のアクエリオン」とか「機神大戦ギガンティックフォーミュラ」とか「アイドルマスターゼノグラシア」を挙げる人が1人としていなかったのが自分的には解せなかったけれども時間は常に流れているから仕方がない。それにサイコロトークで「アイマス話」だの「ギガフォ話」だの振られても困るだろうし。「アクエリオン」はさすがに河森メカだけあって話所はいくらだってあるけれど。

 そんなロボットアニメ話から設定的にいろいろどうしようかと思案するのが大変で、次第に作るのがなかなか難しくなっているって話を聞いてまさに今読んでいるところの鎌池和馬さんの「ヘヴィーオブジェクト」(電撃文庫)なんかが次世代のロボットアニメとして最高にクールでホットな話になるんじゃないかとほぼ確信。だってロボットがデカいんだよ。でもって球形とかだったりするんだよ。それが空を飛んで襲ってくる。操るのはエリートと呼ばれる少女。もはや戦争はオブジェクトと呼ばれる超強力なロボットというか核兵器を喰らっても倒れない巨大兵器どうしの闘いに委ねられ、人間は周辺を整備やサポートのために回るしかなく、いざ見方のオブジェクトがやられたら、蹂躙されるかさっさと逃げ出すかって程度の役割しか与えられなくなっている。

 人命がことさらに損なわれないという、ある意味でクリーンな統治の時代にあって、最前線を経験すれば位もあがるとあってアラスカの前線に勇んでやってきた整備見習いの少年と、箔をつけるためにやってきた貴族の跡取り息子が出会って雪かきくらいしかやることもなく、拙い食糧事情を自助努力で改善しようと鹿撃ちを鮭釣りに勤しんでいたところに起こった戦争は、見方のオブジェクトが相手の戦地に特化したオブジェクトにやられてしまってさあ大変ってところに向かう。敵はそれこそ幾万もの兵を集めたより強力な兵器。逃げるのが正解なんだけれども見方のオブジェクトを操縦していたエリートの少女と前日に知り合いになっていたこともあって、見捨てて逃げるのもしのびない。それに見捨てて逃げたところで休戦の紳士協定を相手が守る風はなく殲滅されるのはほぼ確実。ならばと整備見習いに貴族の2人が始めたのが、爆薬と銃器をいった鳩に空気鉄砲以下の装備で立ち向かっていく無謀極まりない闘いだった。

 強大な相手に徒手空拳で立ち向かうって構図はどことなく「ダイハード」。でもって相手はそれよりもハードだったりするんだけれど人の作った物だけに、人が思案して見いだせない弱点もない、かもしれないってあたりを勇気と運と偶然なんかも織り交ぜ描いて人の凄さって奴を感じさせてくれる痛快さがとにかく良い。本来だったらヒロインになるはずのオブジェクトの乗り手たちはどこか浮世離れしていて剽軽で、少年たちに恋慕めいた感情を抱いてはみるもののはっきりとした恋仲になるということもなく、どこか高みから見守っているといった雰囲気。でもって少年たちの上官はストッキングにタイトなミニスカートがお似合いの豪傑姉さんで、少年たちを叱咤し脅し、それでも聡明さで助けては腐れ縁的にあちらこちらの戦場を着いて回る。

 そう。闘いはアラスカだけで終わらず素手(じゃないけど)でオブジェクトを倒すという空前絶後の異形を成し遂げ英雄となってしまった少年たちは、休まることなくあちらこちらに転属させられては前よりもハードな境遇に置かれる羽目となっていく。まさにダイハード2。そしてダイハード3。状況は戦争と平和に絡んだシリアスな状況なのに出てくる面々は洒落が効いてて熱血でも悲壮でもなく愉快で元気。読み始めればそんな空気にみるみるうちに取り込まれ、世界の理不尽さを前にやれやれといった諦観を抱きつつえっしゃおらーといった具合に挑んでいけそうな気分がわいてくる。巨大なオブジェクトどうしが空でぶつかりあい、モーターヘッドよろしく人間たちを蹂躙する姿を仰ぎ見つつちっぽけだけれど知恵と勇気とユーモアを持った生身の人間が、前に動いて闘い進む絵をいつかアニメでも見たいなあ。すぐにアニメ化の準備を。それとも既に始めてたりして。


【10月3日】 夕方にかけてのプレゼンテーションに登場したのは、「機動戦士ガンダム」の着ぐるみでもなければ間寛平さんの「かいーの」でもなく、15歳のシンガポールだかから帰ってきたらしい英語の得意な体操選手の女の子。なるほどサプライズではあったけれどもそれがどうした的な意味でのサプライズ。15歳ってんならすでに選手としての可能性も見えて来ているはずなのに、15歳という年齢ばかりが取りざたされるあたりはあんまり有名ではない選手ってことになる。それなのに引っ張り出されたのは単に帰国子女で英語が巧いってことでしかなかったのかと類推。だとしたらナックルが投げられる女子野球選手と意味において代わらない。というか独立リーグであってもプロの野球選手にまったく及んでない。

 だって15歳で英語が喋れたって、コペンハーゲンの会場じゃあ誰も吃驚しないもん。なぜってアメリカじゃあ3歳でみんな英語がペラペラだもん。そりゃあまあ当然。でも当然であるからこそそう思われてスルーされてしまう。それで驚かせようと考えていたのだとしたら日本の召致委員会は、英語を喋る15歳の体操選手という女の子を、言葉を喋るロボットかカボチャか何かの如くに位置づけていたって言われても仕方がないんじゃなかろうか。ナックルを投げる姫よりよっぽど大熊猫。もちろん誰が出てこようとも話す言葉の中身に将来性なり説得力なりがあれば目的は果たせる。果たせるけれどもそれで衆目を集めることは難しい。誰だってあの場じゃ真っ当なことを言う。その向こう側にある何かが投票の決め手になる。日本に何があったのか。何もなかったからこそ真夜中に始まった投票では、シカゴに続いて2番目に消えてしまった。これも当然。

 見るとマドリードでは広場に大勢が集まり手に巨大な手の玩具をつけて今か今かと発表を待っている。すっげえ熱気。リオじゃあさらに大勢の人たちが今か今かと発表を待っているのに日本ではせいぜいが都庁に関係者と、動員されたスポーツ選手達が集まって静かにしんみりと待っている。とても是非に心底からオリンピックが来て欲しいって空気じゃない。真夜中だからお祭り騒ぎにはならないって可能性もなかった訳じゃないけれど、でもそれだって本気に願っていれば真夜中のお台場に1万人くらい集めてカウントダウンくらいやってただろう。オリンピックを願う歌手やらタレントやらが動員されて盛り上がる中を大勢の人たちが心待ちにしていただろう。そんなことはまるでなかった。つまりは誰も望んではいなかった。そして願ってもいなかった。一部をのぞいて。それが明らかになっただけでも今回の立候補は意味があった。またやるって? どうぞご自由に。石原家のポケットマネーでご随意に。国と都民のお金は今度はサッカーのワールドカップ招致に回してやって下さいな。

 ああでもナショナルスタジアムの整備がこれで滞るってのがちょっと残念かなあ、北京にだってベルリンにだってパリにだってローマにだって巨大なスタジアムがあって国際的な陸上競技も開かれればサッカーの国際試合の決勝戦だって行われる。でも東京にはそんな試合を行えるスタジアムが今はない。国立競技場はかつてはそうした役目を担っていたけど今では規模でも設備でも並以下。屋根もなければ座席もお粗末な老施設を嫌って陸上競技もサッカーも横浜に行ってしまう。地方の活性化って意味ではそれも悪くはないけれど、首都でビッグなイベントを開けないってのもどこかに寂しさを感じないではいられない。五輪開催に会わせてスタジアムができれば霞ヶ丘がサッカー専用になったかもしれず、そこを拠点に首都に本格的なビッグクラブが生まれたかもしれない可能性……は薄いけれども首都に居ながら西東京レベルのローカルな存在でしかないクラブしかない状況は、日本の世界におけるサッカー的な地位にどこか影を落としてる。だからこそワールドカップは是非にも読んで東京で決勝を、ってことになるけれどそれも遠くに行ってしまったなあ。犬飼会長は秋春制への移行にまたぞろ鎌首持ち上げて愚策を吐いているけどワールドカップ開催に血道を上げている風はないしなあ。

 落胆もせず眠り起きてから「電撃キャラクターフェスティバル」とやらを見物に行く。アスキー・メディアワークスの電撃ブランドが大集合するイベントで確か2年くらい前にも開かれたことがあったっけ、記憶に薄いけれどもそんなイベントにいったいどれだけの人が来ているのかと会場を見たらとてつもない人が並んでた。いったい何がそんなに興味を惹くのか。会場が開いて判明。女子。女子。腐女子な人たちがわんさかとはいってきてはステージの周囲に人垣を作り、また女性向けのアイテムを売るブースに行列を作ってみせた。「キャラホビ2009」でもすでに見られた光景だけれど誰だっけ、神谷浩史さんと小野大輔さんだっけ、人気声優の2人がやってる番組だか何かから派生したグッズに大行列が出来ていたのがそのまま「電撃キャラクターフェスティバル」にも移って来た模様。いつの間に電撃ブランドに女子が着いてきたのかは分からないけど男子ばかりが群がりがちなオタクビジネスでしっかり女子を確保しているところがやっぱり電撃ならではの先見性と行動力か。女子に人気があってもコバルトじゃあここまでハンドリングできないもんなあ。

 ってかもしかしてステージの周囲に陣取った女子は夕方から始まる神谷さん小野さんのステージまで待ち続けたってことなのか。ううんご苦労。というかある意味男子より凄いかも。いくら目当ての声優がいたって始発の電車でやって来て夕方までずっと待ち続けるなんてことはなかなか出来ないからなあ。さすがに観察するのも大変そうだったんで会場をぐるぐる。「とある魔術の禁書目録」から派生した「とある科学の超電磁砲」だかが大人気と化している様子であちらこちらにベストを着たコスプレっ娘が立ち映像が流れてグッズなんかを売っている。見たところで風紀委員の腕章とかベストとかがあって欲しかったけれども行列を作っている人を尻目に入っているんで遠慮。そのうちショップに出てきたら買おう。電撃文庫1億冊突破関連のTシャツとかもあったけれどもそっちはまあ記念品としては意味があってもグッズとしての見た目に派手さがないんでパス。という訳でなにも買わずに1時間くらいで開場を後にする。出口からちょい歩いたところでフルハシさんみたいな人を見かけたけれども当人だったかどうだったか。作家な人とはそんなに知り合いじゃないし会っても印象が薄いのか覚えてもらえない風体なんで遠巻きに眺めるだけに留める。明日とかほかにもいっぱい歩いてそうだけど明日は用事があるんでパス。それとも腕章だけ買いに行こうかな。

 でもって京葉線から武蔵野線から埼玉高速鉄道を乗り継いで浦和美園まで行って降りたら駅前にマンションが建っててこんな液の真ん前に建てちゃって今後の開発に邪魔にならないのとか心配しつつ歩いていく途中で肉丼ではなく焼き魚が中心になった丼を見つけて食したらこれが美味。鮭とイクラに茄やらなにやらが乗ったもだけれど肉がっつり系とは違ったヘルシーさがあって昼時に屋台村として都心に来てくれたら人気が出そう。マグロとか鯖とか美味しそうだった。でもって途中でお好み焼きも1枚。キャベツばかりでベーコン半切れに卵がのった程度の屋台焼きだけれども量的には満足。やや堅かった。でもって吹奏楽部の演奏を見てジャガイモのつかみ取りを見てからスタジアムに入って気がつくとスタジアムを後にしていた。もしかして何かがあったのか。記憶がずっぽり途切れている。いやいや阿部勇樹選手がとてつもなく素晴らしいフリーキック決めた場面だけは見ていたぞ。トゥーリオが立ちはだかって蹴りたそうな空気を見せていたのを押し戻して蹴って決めた我らが阿部ちゃん。これだよこれがずっと見たかった。右で蹴るのにゴール右寄りでもやっぱり右で蹴って向かって右隅にインゴールはやっぱり凄い。あれだけ低く落とされたらキーパーだって弾けない。もう気兼ねすることなく蹴ろうよ阿部ちゃん。ああでもこれが引導になったなあ。来年はスタジアムで会えないなあ。


【10月2日】 中学の頃にたしか川崎の「Z400FX」が大流行して400CCなのにマルチのパワフルさとそれからやっぱりスタイリングの格好良さで人気になってていつか欲しいバイクの筆頭に上がっていたって記憶があって、それから何年かは別に買いもしなかったけれどもバイク雑誌なんかをペラペラとめくりながら前後して流行ったバイクなんかを眺めてた。ちなみに「Z400FX」は「機動戦士ガンダム」と同じ1979年生まれ。その角張ったタンクデザインなんかがトリコロールに塗られていたら「ガンダムバイク」と呼ばれて騒がれただろうかとも思うけれども79年に「ガンダム」は巷でブームにはなっておらず、川崎のバイクにトリコロールも似合わないから邂逅はやっぱり無理だったと言うしかなさそうだ。

 「Z400FX」の後くらいに話題になったバイクといったらやっぱりヤマハの「RZ250」で初期の黒系に金色のラインが入ったタンクデザインの奴なんか本当に格好良かったなあ。でもってまもなく350CCのも出てナナハンを凌駕する動力性能なんかが話題になっていたっけ。350だなんて排気量の中途半端さも面白かった。スズキの380CCの奴に負けてなかった。そんなバイクもあったってこと、覚えている人がどれくらいるんだろう。とはいえいしかし東本昌平さんの「RIDEX」第2巻には残念ながら「Z400FX」も「RZ250」も登場しない。あの時代のバイクってことになるとスズキのKATANAとあとはホンダのGL400が出ているくらいか。でも掲載されているKATANAは1100CCで日本で発売された750CCのではないからちょっとイメージ違うかも。

 調べると750CCのKATANAはハンドルが妙にアップになってて格好悪くてそれを直そうとハンドルを1100CCのに取り換える人が多かったのだとか。でもって違法改造だと取り締まられる人が多く出たんだとか。「RIDEX」のバイク紹介にある、警官に「整備不良だろう」とよく言われたって話はパッと見で7500CCの改造だと決めつけられたことを現しているのかな。いずれにしてもその先進的なデザインは2000年に生産終了となるまで20年近く作られるくらいに世界からも高い評価を受けていたってことか。同じころ合いに出たバイクじゃあ確かに飛び抜けていたし、現在だって見てもこれを上回るバイクってそんなにないもんなあ。バイクが売れなくなっている、っていうけどそれはそうした“楽しさ”がフォルムから消えて転がして見せる楽しさを発揮できなくなっていることもあるんじゃないのかなあ。

 「パラダイスロスト」に出てくるNSR400は出て来ないけど代わりにNSR250Rが登場。いかにもレーサーレプリカって感じのスタイリングに憧れ走らせた人も多かったんだろう。そんな若い時代を今にひきずっては倒れても転んでも峠にNSR250Rを持ち出し走る男が漫画には描かれる。そういうものなのかなあ、そういうものなんだろうなあ、これ読むと乗ってみたくなるなあ。でも個人的にはレーサーレプリカなら好きなのはスズキのガンマか。排気量に見合わずデカいガタイをしていて転がすだけでレーサーになったような気分を味わえる、ような雰囲気を持っていたっけ。大学で1つ上の竹ちゃんが乗っていたなあ。同じ1つ上のバヤン大林さんはVT250だった。田舎の大学はバイク乗りが多かったなあ。あの時に免許を取っておけば今頃は「RIDEX」第2巻に出てくる親父たちのような楽しみを味わえたのかも。今からでも遅くはないか。とれたら何に乗ろう。やっぱり「Z400LTD」か。アメリカン。格好良かったんだよこれ。

 確かに「昔のしずかちゃんのような声」だと小説版には書いてあるし「口の悪い田村ゆかりのような声」だとも書いてある臓物アニマルのハラキリトラとセップククロウサギだけれど、いよいよもて始まった築地俊彦さん原作の「けんぷファー」のアニメーション版で本当にハラキリトラが昔のしずかちゃんのような声で喋り、セップククロウサギまでもが口の悪い田村ゆかりのような声で喋るとは思わなかった。どこでそっくりさんを探してきたんだろう。じゃなくってよくぞここまでこだわった。野村道子さんも田村ゆかりさんもよくぞ引き受けた。これが声優の心意気、って奴か。そうなるとやっぱりカンデンヤマネコは水樹奈々みたいな声なのか? 水樹奈々さんみたいな声みたいだ。ううううう。「にゃんこい」のデブ猫が田中敦子さんなのと合わせて声優という職業の凄みを思い知った1夜。

 瀬能ナツルを男版も女版もひとりで任せるにはやっぱり女声を使うしかなかったんだろうなあ。男女を重ねて使うって思っていただけにやや意外。別に女声っぽさを残してもいない男版のナツルの声が井上麻里奈さんというのはちょっぴり違和感があるけれどもまあおいおい慣れていくんだろう。沙倉楓は中島愛さんか、ランカ・リー、うーんあんまり気づかない。三郷雫は名塚香織りさん。S系な声をどこまでクールに出していけるのかに注目。S系といえば知らないうちに「つばさキャット」に結末もつけないで終わってしまっていた「化物語」の戦場ヶ原ひたぎの斎藤千和さんもS度が高くて良い感じ。あの声でベッキーを演じたらどんな番組になったのやら。逆に今のひたぎをベッキーで演じたらどんなに愉快になったことやら。その意味でやっぱり声優さんってマーベラス。

 小学生で4年生くらいで50キロ、ってのは軽いのか重いのか。それで見目が麗しいんだから50キロだって悪くはないんだろうけれど、でもちょっと前に登場した亡くなってしまった大人のシンガーソングライターが44キロだった訳だから、そこに出てきた小生意気な小太郎といっしょの学年で女の子で50キロはちょっぴり拙いかもしれないなあ。ってことで悩んだ千草ちゃんが悪魔が出てくるおまじないを交差点で唱えて現れ出でたミノウエさんにあることを頼んで幕をあけた木村航さん「マジカルパンプキン44キロ」(メガミ文庫)はミノウエさんの脅しに屈してメフィスとフェレスの遂になった美少女悪魔も現れては、カボチャに育つ魔法をかけつつ千草には体重を減らす魔法ならぬ特訓を繰り出す。悪魔で特訓とはまた現実的。そして始まる秋の恋。エンディングも爽やかに味わえる物語を皆様ご堪能あれ。


【10月1日】 だから「機動戦士ガンダム」を連れて行くべきだったのだろう。2016年の夏季五輪開催都市を決めるIOCの総会で、シカゴを候補地に推すアメリカからはオバマ大統領とその夫人が連れ立って来訪して応援を行うとか。東京も鳩山総理を送り込んではみたものの、世界に未だたいしてインパクトを与えていない新米総理が来たところで誰が感心を持つものでもないし、日本でもごくごく一部の人しか興味を抱かない芸人とか、バロンドールなんて遠く仰ぎ見るだけだったサッカー元日本代表の現旅人がたとえ駆けつけたところで、世界から見ればそれこそあんた誰? ってなもんだ。

 そこで100キロを走ったところで時間がかかると退けられるのがおち。リフティングだってプロのリフティング職人の技にかなうはずもない。いっそだったら必殺「かいーの」を壇上で連発すれば笑いはとれるけれども信頼は地に落ちる。リアルに活躍しているスポーツ選手や世界が憧れるハリウッド女優を揃えているような国を相手にかなうはずもなかったのに、そうした人たちが行くの行かないのいったことがニュースになるくらい、日本は世界の中でも非常識を極めているとしか言いようがない。そこで「機動戦士ガンダム」だ。なるほど世界には知られていないかもしれない。アメリカでだって視聴率はそれほどとれなかった。ごくごく一部が知るくらい。「鉄腕アトム」にはまだかなわない。

 だがしかし、あの18メールのガンダムを持っていったら世界はどれほど驚いただろう。会場の外、手にトウキョウの旗をもちたすきをかけてコペンハーゲンの空に向かい屹立する18メートルの「機動戦士ガンダム」等身大立像がその威容を見せ続ければ世界は日本とはいったいどんな国なのか、これほどまでに凄い物を作り上げる句にななのだと多いにアピールできたに違いない。元首相に芥川賞受賞作家ごときが会場内を練り歩いたところで誰も関心を抱かない。けれども巨大さだけで「機動戦士ガンダム」の等身大立像はその凄さその楽しさその素晴らしさを全世界にアピールできる。そして告げる。「トウキョウにはこんなのゴロゴロあります。NARUTOもピカチュウも歩いてます」。

 行ってみたい。いや行かなくちゃ。子供の顔を思い浮かべた全世界のIOCの委員達が東京に票を投じる姿が目に浮かぶ。7年後には子供を連れて東京に乗り込み、持ち込んだ巨大なスーツケースにご近所の浜松町のポケモンセンターで買った品物をぎっしり詰め込むIOCの委員達が大勢現れるだろう可能性に頭がおよぶ。あそこでは狭すぎるなら「東京ビッグサイト」全館をポケモンセンターにすればいい。いや4分の1はNARUTOセンターにして残りはJAPANなCOOLを詰め込めば、そっち系が好きなIOC委員たちも大喜びだ。東京に行けて嬉しかった。そう思うだろう。そう思わせなくちゃダメなのにお笑いランナーと旅人くらいしか浮かばないとは日本……。そしてそれをご大層に持ち上げるメディア……。やはり1度リセットが必要なのかもしれないなあ。見たかったなあ、オリンピックスタジアムに屹立する等身大「マジンガーZ」を。

 そんな「マジンガーZ」のチタニウムバージョンも並んでいたけどそろそろ売り出すなろうか「タマシイネイション」。いつもならそっち系がメインになるところだけれど今回は「聖闘士星矢」をメインにフィーチャーして過去から現在のクロスたちをずらりと並べてお出迎え。前にもサジタリウスだったっけ、そのゴールドクロスを人間大で作って飾っていたけど今回はライブラのゴールドクロスを作っては、人間大という設定を取り入れた上で誰も着ないで安置されている天秤の姿で飾ってある。いずれ老師が脱皮して蘇って着ることになるんだろうけれど、しわしわバージョンしか思い浮かばないんで格好良さが今ひとつ伝わらないのが難点か。あと星矢が背中に背負っていたクロスを入れる箱もご用意。背負えます。20キロです。背負って崖も上れます。幟ながらペガサス流星拳を放てたらあなたもブロンズセイントになれません。

 気がつくとメガミ文庫からもノベライズじゃない新刊が出ていて読むのに大変な連日連夜。とはいえしかし今回の2冊はどっちもどっちに面白い。まずはメガミノベル大賞で金賞を獲得した三井雷太さんの「パラダイスロスト」(メガミ文庫)は訳あってダサダサな格好をしている主人公の少女ヒトミが、分厚い眼鏡とジャージを身に着け夜のコンビニに買い物に行くと、目に見えて不良ってな奴らに女子高生が絡まれていた。あんまり関わり合いになりたくないと立ち去ってから警察に電話しようと思っていたら、なぜか名前を呼ばれて騒動に引っ張り込まれた。知り合いかと絡む矛先を向けてきた不良にヒトミは密かに鍛えていた体術でもって反撃し、女子高生を連れてバイクでその場を脱出する。

 とはいえ呼ばれた名前とジャージから素性がばれていたらしいヒトミは、同じ学校にいた不良たちに屋上へと呼び出される。取り囲まれて大ピンチ。相手は空手も猛者。絶体絶命かと思いきや、握力75キロのパワーと身につけていた格闘技で不良たちをことごとく撃沈。そんな活躍を見て不良のボスが告げた言葉は「好きだ!」。かくして不良とダサダサ少女の恋物語が始まるかと思いきや、話は助けた女子高生によって目から隠されている結界の向こう側にある、廃れてしまった団地やそこに暮らすヒグマとの邂逅へと向かい、また女子高生をさらった暴れる元警官と戦う話へと進んでいく。世間から背を向けた少女とどこかに謎を踏めた女子高生と絵に描いたような不良と優しいおじさんが絡んでくり広げられる日常からわき出る不思議との遭遇。難か昔の平井和正さんを読んでいるような気分になって来た。泉谷あゆみさんが絵だったらなおさらだったかもしれないけれどもこっちは緒方剛志さん。雰囲気出てます。3気筒でツーストロークのレーサーレプリカはやっぱりNSR400か。

 でもってあだ村むだらさん「ゴほうし!」(メガミ文庫)は汚くしていたアパートにキノコがはえてそれが幼い女の子の姿をしていたというからもう大変。でもって数がわしわしと増えて12匹となったキノコの幼女が子作りしようと迫りぶっかけてくれと大騒ぎするというエロスにあふれた展開に、もうどうにでもしてくれってぶん投げそうになったけれどもそこを気にせず読んでいったらこれが実に面白い。そりゃあなるほどエロさは留まるところを知らないけれども、騒動を聞きつけ現れた大家さんがまだ若い美人でありながらも巨乳好きのヘンタイさんで、手にしたハサミか何かを振るえば誰でえあってもその服を粉砕できる技量の持ち主だったりして、現れたつるぺたなきの子たちに憤り卒倒したりする一報で、きの子たちも巨乳が苦手でがくがくぶるぶる震えるという妙展開にゲラゲラできる。

 でもってきの子たちと金を稼ぎにいった銀行にいた先客は全裸を胸とする強盗団。ぶらぶらとさせる彼らを相手にきの子たちが立ち向かってはひとりが巨大化して銀行どころか東京の街をピンチに陥れる。そこを身を呈して押しとどめた主人公。失ってしまったきの子に悲しみを抱いて部屋に戻ったらまた生えていた。そしてはじまる大冒険は子づくりしたいからぶかっけてと言いつつも、自分たちからいろいろぬとぬととした液を出したりするきの子たちの描写も交えつつ、宇宙でくり広げられるとある大会に参加しお宝をゲットしようとする話に向かっては、とんでもない相手やとてつもないライバルとのバトルを経てきの子たちの絆を深める話へと進んでいく。ああ面白かった。おっと肝心なことを忘れていた。部屋を汚くして幼女のキノコを生えさせてしまった主人公の“正体”、それは……読んでのおたのしみっと。


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