縮刷版2008年月中旬号


【9月20日】 血を吐きもせずバイザーに血痕すら飛ばさず、脇から噴き出す熱線を見下ろし驚愕の表情を浮かべたアオリから、次に引きで四散するヴァルキリーを映した訳でもないのに早乙女アルトがこれで退場、あとは残ったランカとシェリルのお二人さんに宜しくっね、ってなったと思うのはやっぱり早計だということは、「コードギアス 反逆のルルーシュR2」で超絶無比な破壊力を誇るフレイヤの爆発に巻き込まれて蒸発したはずのナナリーが、実は替え玉だった! 的な復活劇に比べても、唐突さで遙かに薄かったりしたりからだったりしちゃったり。

 そんな訳で次回「マクロスF」の最終回「アナタノオト」でもって、「まだ終わんよ!」とばかりに遠方より馳せ参じた「マクロスクォーター」より射出された愛機「VF−25」に乗り込み巨大ランカを守るヴァジュラへと立ち向かっていったら、やっぱり圧倒的な腕前を誇るブレラ・スターンに撃ち落とされました、ってなったらそれはそれで総監督さんが言うオセロのよーな大どんでん返しだけれど、流石にそれじゃあ盛り上がらないんできっといろいろ考えてくれているんだと信じて待とう、1週間後を。

 そりゃあ妄想だったらいくらだって膨らむもので、四散したヴァルキリーにはやっぱりアルトは登場していて断末魔の中から魂が、シェリルから受け取っていたフォールドクォーツのイヤリングを通してヴァジュラネットワークへと遷移、そこで中心になって唄うランカに手を差し伸べよーとしたもののガードが固くて届かない。ならばと自在に表現形態を変えられるネット世界の特性を活かして、得意の藤娘へと変じた姿を宇宙空間へと東映させ、その踊り、その演技でもってヴァジュラの目を見張らせフロンティア船団の意識を引きつけ、日本の伝統芸能の圧倒的な奥深さを宇宙へと見せつけながら恒久平和への端緒を拓いたのであった。

 なんて展開もやっぱりあんまり面白くないか。でも前にルカがヴァジュラに捕らえられた時には輝いた耳のイヤリングが、今回は戦闘中にチラリとも見えなかった以上、何らかの小道具として使われる可能性は極めて大。なのでそこから起こる何かをやっぱり想像しておくのが良いんだろー。いやでも伏線だとか新キャラなんざあ潰さず流すのが「マクロスF」だったりした訳で。虚心坦懐に待つのが吉か。

 いやいやしかしそれでも浮かぶ様々な妄想。数度の登場を経てまるで見なくなった徳川喜一郎さんがここは屹立して「宇宙兄弟船」を唄い「銀河のティターン」と呼ばれ讃えられる生涯を送るとか。横になっていても潰れたり横に広がったりせずにしっかりと盛り上がっている若さゆえの弾力を持ってルカを誘い、キスまでされたナナセがぱっちりと目を開いて立ち上がって片方の眼にかかった包帯を外して邪眼なり、龍の力を発動させて混乱を上から抑えつけるとか、意味もなく燃えていたグレイス・オコナーがヴァジュラのクイーンの元へとジャックインしよーとしたら「婆さんは用済み」と拒否され「まだ17歳なのよーっ!」と叫びながら宇宙の塵と化してちゃんちゃんと幕が下りていくとか。

 そんなどうでもいい枝葉はすべて吹っ飛ばし、場面はいきなり老婆の語りから始まって、アルトの冒険をアルトによくにた少年と、シェリルによくにた少女とあとついでにランカにも似た少女に聞かせてそして「夢を信じて」が流れる必殺技を投じて来るか、いろいろと考えも浮かぶけれどもどれもこれも月並みでとてもじゃないけど歴史に残るエンディングにはなり得ない。だからやっぱり見守るしかないのだ来週を。

 知事は来ず。まあ台風がご近所を通って被害もそれなりにあったりするだろう中で、東京へとやって来て芝大神宮で開かれた「チームワーク・オブ・ザ・イヤー2008」の表彰式に出席する訳にもいかないって事情は存分に理解可能。評判になってかれこれ1年半とか経つけど未だにご尊顔を拝する機会の無かった東国原・宮崎県知事におしかしたら会えるかもって思った気持ちはまたいつかのご対面へと取っておこう。ってそれほどまでに見たい人でもないけれど。

 ただ落下傘からタレント候補の勢いでもって当選したその後も、長きにわたって存在感を示し続けていることには驚きをもって畏敬の念を感じないではいられない。口が巧くて弁が立つってだけじゃない。それはタレントだからちゃんと立つけど中身もしっかりしていて周囲をちゃんと納得させる。鬼面人を驚かすような言動もないし挑発的な言辞もなく極めてストレートに県政について語り、県民の幸福について探求を重ねて理解を得ようとするその真摯さが、あってこそここまでの期間を批判も受けずに知事として仕事をし続けられるんだろー。妙に挑発的な言辞ばかりが目立つ大阪府知事とはある意味で正反対。まあ橋下・大阪府知事も当選してまだ間もないんでいずれしっかり府政を行い府民の幸福を第1に置いた施策でもって世間を納得させて、くれるかな? どうしてああも喧嘩腰なんだろうねえ。

徳川家などダゴンの前には小物よ  前後してポニョを引き連れ芝増上寺あたりを散歩。暑さは8月後半と並ぶくらいの雰囲気で浮かぶ雲のもわもわ感も夏っぽいけどもう9月も20日で残り10日を過ぎれば10月ではいサヨウナラ、って何からだ? まあいろいろだ。本堂は何やら工事中で正面から見られず中に入っても暗くてよく分からず。下がって見上げると東京タワーの屹立するこの光景が、葛飾だか墨田だかに次のタワーが建って放送局の電波発信がそっちへと移管してしまったあともちゃんと生きた光景として残ってくれるのかが目下の興味の対象か。

 使われなくなったままどこか寂れた塔が、いつまでも屹立していることの不気味さったらない訳で、仕事をこなしながらも昼には観光客を寄せ、夜にはイルミネーションによって輝き都心を照らしてくれてこその東京タワーがなくなって、きっと人は失ってしまったランドスケープの勿体なさに気づくんだけれど時すでに遅し、だからなー。その辺も勘案した最良の施策って奴を願いたいもの。せめて「天地無用! in LOVE」の舞台となった“聖地”として残って欲しいなあ、って思うアニメファンも今となってはそんなにいないか。岡山に行って来ようかな。

 薬でもって超常的な力を得るに至った少年は、政府の雇われ人となってボディーガードのよーな仕事をしていてそこに、入ってきた依頼がシアちゃんて可愛らしい女の子を守るお仕事。頼んできたのは外国から亡命してきた科学者の父親なんだけれど、頭脳を持った彼じゃなくってどーして少女を守るのか、考えてみれば分かりそうな展開にちゃんとなって少女に秘められた秘密が世界を変えるかもしれないって懸念がわき上がった時、少年は少女のために立ち上がってその異能の力を振るう。

 って聞けばとってもありがちだけれど突拍子もない展開へといかず性格的に破綻したキャラクターも登場せず、予期せぬ力を得てしまった少年が葛藤しつつ、異能の力でシアの運命を視てしまったことに絶望しつつそれでも立ち直って今をしっかり生きようって思い、裏切りにも立ち向かっていく様を剽軽だけれど根はしっかり者の上司が見守り、導いていくって構図がとっても気持ちにすっぽりハマる。そんな弥生翔太さんの「第7回スー派脱す小説新人賞」の佳作受賞作「反逆者 〜ウンメイノカエカタ〜」(集英社スーパーダッシュ文庫)は、だから読んで安心のエンターテインメント。今回は出番の少なかったシアちゃんの学校での同級生たちの、とりわけ冷静沈着な郁美も交えた学園ドタバタから急転直下、シアの秘密を狙い迫る勢力との血みどろの闘争が繰り広げられるような展開を持った続編の登場を望みたい。


【9月19日】 余禄、って訳では決してないのは受賞後の激務をこなして筆を整え「荒野」をまず出しそれからしっかりと次の執筆もこなしてポッカリと明いた時間を使っての旅行だったからで、なおかつその旅行記を帰りの飛行機の中でしたためるというビジーぶり。よくよく作家という職業は書くことに取り憑かれていなきゃあ出来ない仕事なんだと、そのパワフルさに深く頭を垂れるとして、それでもやっぱり羨ましいなあと直木賞受賞によって「ナンバー」なんて出版社的には裏と表にあったとしても、内容的にはおよそ文壇からは離れている雑誌に誘われラスベガスへと飛びソフトダーツの大会を取材した桜庭一樹さんの手記に思う。やっぱり「ナンバー」で五輪関連の記事を書いてた川端裕人さんといい、五輪を見て「スポルティーバ」に観戦記を書いた万城目学さんといいモノカキにもたらされる本業以外での、でもってとても楽しそうに見えるお仕事ぶり。ならばと目指そう2012年のロンドン五輪での女子サッカーの観戦手記。

レインボーブリッジの上まで水に浸かれば世界は水びたし  まんま「うる星やつら」のラストシーンだよなあっと「To LOVEる」のアニメーション版のラスト前。とつぜん現れたデビルークの王様からいよいよ最終試験と下されたのがララが捉えられている円盤までやって来いって一種の鬼ごっこ。「うる星やつら」のオープニングを飾ってそしてラストをしめたラムと諸星あたるとの鬼ごっこを彷彿とさせるしそう思わない漫画読みもそうはいないんじゃなかろーか。邪魔をする蔓草が生えてくるのは何処からより持ち込まれ、友引町を埋め尽くして巨大化したキノコへのオマージュか? いつか見た光景ながらもそーゆーシチュエーションこそが腐れ縁的な恋愛関係を清算する上ではベストなチョイス、ってことで次回にいったいどんな競争があってそしてあたる、じゃなかったリトはしのぶ、ではなく春菜との真の愛を育もうとしてやっぱりラム、ではなくってララに邪魔をさせてしまうのか。しっかり見ようぞ。

 ダゴン、海より来たりて海へと還る。って訳でダゴン、じゃなかったポニョを引き連れ芝浦にあるボートスクール「tokyo harbour b.l.s」のリニューアル体験会へとゴー。本当はレセプションだけ見物して帰るつもりだったのがそれほど人が集まっていなかったと見えて行くなりボートに乗れますと言われて乗りますと答えてトヨタ製の10人くらいが乗れる船の後ろに乗って、芝浦から運河を下って左に曲がると見えました見えましたレインボーブリッジが。上だったらもう数え切れないくらいに通ったことのある橋だけれども下から見上げるとその巨大さは圧倒的。あそこをねじ曲げ引きちぎった浅上藤乃ってすっげえエスパーだし、それに打ち勝った両儀式もすさまじい能力者だって強く激しく実感する。そんな奴らは実在しねえ。関係ないけど赤いボマージャケットってどこに行けば買えるんだろう? ちょっと着てみたい気が。

球体まで水に漬けて日本テレビを応援だ、ってそれだと日テレも沈んじゃう  そして東京港へと出て向かうはお台場フジテレビジョン。これまた何度も見つつあそこで働いている人たちは同じ年齢できっと3倍の年俸をもらっているんだろうなあって妬みの気持ちに呪詛でも吐きたくなったけれども、連れ歩いているダゴンにそんな気持ちを聞かれたら魂とかもっていかれる代わりに水面をあげてフジテレビジョンの球体展望室を品川水族館の展示室みたく中から深海魚が鑑賞できるくらいにしてしまいかねないんで遠慮。そーなったら大手町だって船橋だってただじゃあすまないんだけど。でも良いのだポニョがついているからグランマンマーレに守られた養老院と同様に我が家もきっと大丈夫なのだ。いやいやあれは死後の世界だよ、って説もあるからなあ。

 まあそれはそれとしてフジテレビジョンにとっちゃあ日本テレビが一番押のポニョを含めたスタジオジブリの作品は、手を触れられない遠くの宝石みたいなものだから近寄らせると反発も起こりかねないんで船は桟橋の手前で引き返してお台場の島を横目にレインボーブリッジをくぐって元の運河へ。陸地だったら交差点とかあるからどこに進めば分かるんだけど海の上だと大きな目印はあっても水路がどこにあるのか遠目にはまるで検討がつかない中を、運転していた人はちゃんと見つけてすーっと入っていったのには感心。っていうか覚えていなきゃあクルージングは出来ないか。

 ちなみに夜はさらにわかりにくくなるって言ってたけど、夜だからこその夜景も素晴らしいそーで、そのスクールで免許を取ってレンタルボートのクラブ会員になれば冬場の平日昼間だったら3万円とかでボートを借りられるみたいなんで学びに行こうか。いやいや別に2万円の月会費も必要なんでお台場球体電影所の3分の1の身にはちょっとキツそー。なのでどなたかここん家で船を借りてクルージングパーティなんぞを計画している方がおられたなら、ぜひにお誘い下されば海の守り神を連れてはせ参じます、ってそれじゃあ波を呼ぶだけじゃん!

 何を買ったかすら記憶に残りにくくなっている昨今のライトノベルの大量出版下で読んだ作品すら覚えられなくなっているのには参った困った。少しくらいはメモとして残しておかないと振り返ろうとして振り返りきれなくなる恐れも出てきている我が身の実状に他のライトノベル評論家の人たちっていったいどうしているんだろうと不思議がる昨今。記憶力が良いのか整理整頓が出来ているのかそれとも読みたい本しか読んでないのか。全部読んだらそりゃあライトノベルの主読者層じゃあ破産確実、だものなあ。とか言いつつ一迅社文庫から出た「白銀のローレシアン」と「ハーフボイルド・ワンダーガール」と一迅社文庫アイリスから出た華藤えれなさん「天の螺旋」とここから出したのか! ってな諸口正巳さん「ムシアオの森、カササギの剣」とあんまり知らない石踏一榮さんって人の「ハイスクールD×D」(富士見ファンタジア文庫)とこれは3巻目になる「SH@PPLE」と新人らしー陸凡鳥さんって人の「七歳美郁と虚構の王」(ガガガ文庫)を買ったら5000円弱が吹っ飛んだ。でもこれだけ買ってDVD1枚以下なら安いのか、そうかやっぱり気楽な娯楽なんだな小説って。でも痛い。財布が。

 ってことでそれらは積み上げ脇から川上稔さんの「終わりのクロニクル」シリーズ完結から久々の電撃文庫での新シリーズ「GENESISシリーズ 境界線上の洞依存1(上)」(電撃文庫)ってのを手に取ったら手首が折れた。それは大げさだけれど相変わらずの分厚さで、綴じ方も甘いのか口絵に出ている「P01−s」って美少女自動人形のキュートでズキドキなヒップを指先でなぞったらページがベリッと外れそうになった。何かのトラップか? そんな表紙にも登場している自動人形娘をひとつの鍵としながら天空を行き交う船に暮らすようになったおそらくは日本の民族が、日本列島を分割統治している諸国列強なんかを相手にしながら戦っていくらしーストーリー。平凡以下の剽軽男に秘められた闘士がどう爆発し、それが自動人形娘とどう絡んで世界を作り替えて言うのか。軽薄さが走った文体によって紡がれる重層的な世界観を持った重厚な“川上ワールド”の真骨頂にして新機軸。読めば圧巻の時間を過ごせます。でもって続きの刊行を待ちわびる、と。次は両手で持っても手首が折れる分厚さになったりして。


【9月18日】 クィアの日。ではないか。4月4日とかを冗談めかして呼ぶならもっとより範疇を広げてあらゆるクィアが団結せよ示威せよ闘争せよと叫べる日があればそれはそれでアピールにもつながるんじゃないかなあ、なんて意味もなく思った朝から「幕張メッセ」で始まった「アミューズメントマシンショー」。階段を下りるといきなり二足歩行ロボットをクレーン代わりにつかったキャッチャーマシンがあって何だこりゃとしばしなかを巡回したあとで立ち寄り観察。九州大学のベンチャーが作ったロボットだけあって「ロボカップ」とか「ロボワン」とかに出て来るロボットみたく歩行動作はしっかりしていてカプセルを抱え持ち上げる手もちゃんと動く。転んだってほら元どおり。これならロボット操作の訓練用シミュレーターにだって使えるんじゃなかろーか。

 とはいえカプセルを持ち上げ運んで穴蔵に落とすとなるとどーしても必要なのがフラットな場所。一方でキャッチするカプセルはちゃんと床に並べておかなくちゃいけない訳で置ける数に制約が出る。上から掴むUFOキャッチャーみたく縫いぐるみとかを敷き詰めて数で誘うって真似が出来ない以上は選ぶ景品も景品そのものってよりは、中に景品の引換券を入れて「PSP」とか「Wii」とか書いて取れたら引き替えてあげるよーな仕組みにしないといけなさそー。ロボットが持ち上げるんだから時計みたいな重量のあるものは入れられないし、かといって宝石なんてれたってその価値なんて遠目には分からないからね。

 とはいえそれだと「ロボワン」常連客がやって来て華麗な操作で次々にカプセルをかっぱいでいく可能性もある訳で、つかむ腕の強さとか縮められる肩の幅なんかをしっかり調整しておく必要もありそうだけどそれって可能? まあ製品化も間近ってあったんでその辺り、検討は終えているってことなんだろー。見かけたら近寄りスティックを握って「行け鉄人」とか「アムロ、ガンダム行きまーす」とかって叫びながらカプセルに挑もう、ってどっちのたとえが古すぎる。むちゃくちゃ操作で「暴走!」って叫ぶのもやっぱり古い、か。

 中だとセガで見かけた「タッチストライカー」が「Wiiイレ」っぽかった、って感想がやっぱり誰の頭にも浮かぶかな、むしろ「DS」か。モニターに向かってタッチペンを下ろして選手の行き先なんかを支持してあげるとそこに走り込んでシュート、って寸法。遠隔地からリモコンで操作する「Wii」と違って直接触れる分、反応も素早く行えるんだろーけど「Wii」の場合はシュートのタイミングとかをリモコンを振ることで支持できたからそのあたり、「タッチストライカー」がどういう操作系になっているか興味のあるところ。これと「ワールドクラブチャンピオンフットボール」を組み合わせて世界の選手を自在にペンで操られるよーになったら気分はモウリーニョ。でもカード集めの面倒さに逃げる人もいるんで今はとにかくゲーム性に追求にこそ勤しんで欲しいと嘆願。

 セガではあと「ハーレーダビッドソン」にまたがってルートをボントビワイルドするよーなマシンもあったけれどもそーした本格志向とはまた別に、キッズ層って奴を引っ張り込もうとしたマシンに特徴があって注目。「ムシキング」以来のキッズカードゲームがキャラクター物に席巻されてしまって焼け野原状態な中で一足早くキッズライド系にカードを取り込んだ「いっしょにワンワン」を出して犬が迫ってくる車に乗ってお出かけできて犬カードも集められる楽しさでファミリー層を引っ張り込もうとしていて、その後も職業系の車を運転できるキッズライドを出して新機軸にしていたその最新作が参考出品ながらも登場。

 親子で並んで座って2つあるハンドルをそれぞれ握り画面内に現れるレース場でレースを楽しむという趣向。2人用のレーシングゲームって普通にあるけどそれって大人用で親子が楽しめるものじゃあなかった。これなら親子が一緒に走って座席も揺れてゲームも楽しめカードも集められると一石多鳥。カードには乗り物と性能があって重ねていろいろパワーアップできるらしい、ってその辺りはムシキングか。もうひとつは絵本が出てくるライドってよりはカードゲーム機があって画面で電子絵本を楽しんだ後で出てくる絵本で物語を楽しめるって寸法。アイディア的にはなかなか。これでライトノベルとか出して画面で萌え系声優と人気イラストレーターのストーリーを楽しんでそれから角川mini文庫みたいなオリジナルノベルが出てくるマシンを作ったらファンは群がる……かな……。

 他にも山ほどあったけれども仰天度合いではどこかの会社の1メートル世界新記録マシンがナンバーワン、か。スターティングブロックに足を当ててクラウチングスタートの姿勢をとり、横のマシンから流れる用意ドンのかけ声とともにスタートして勢いで1メートル進んだところまでのあれは秒数なんだろうか、測って記録を出してくれる。正面には衝撃吸収用のマットもあるからぶつかっても安心。ただしわざとぶつかるなってあったから1歩2歩進んで止まるのが正しい遊び方、なんだろーか。遊びはしなかったけれども横に立っていたお姉さんがスリムで長身で見目麗しさ抜群。その人にこそクラウチングなポーズでダッシュをして欲しかった。ボルトだとどれくらいの記録を残せるんだろう。でもボルトは追い込み型だからスタートは苦手か、どっかの新春特別番組でこれを使った有名アスリートによる競争とか、やらせないかな。

 時代はリアル青春系? 「集英社スーパーダッシュ文庫」の第7回の新人賞で佳作をとた滝川廉治さんの「超人間・岩村」(集英社スーパーダッシュ文庫)に出てくるのは絵を描かせても巧みなら戦わせても強いんだけれどやや虚弱な多村に圧倒的な巨漢で大食漢だけど食べないとタガが外れてしまうところまるマルカーノとそしてそれなりに強く誰よりも熱血漢で「無理だ」「不可能だ」という言葉を聞くと「そんなことない」と乗り込んでいって手助けしてしまう正義感の岩村という3人組。「アメコミ同好会」なんてものを作ってはいるものの柔道部が部員の不祥事から廃部にされそうだと聞くとそれはそれだがこれはこれとばかりに手助けし、存続を来める大会に選手として出場してチームを勝利へとみちびく。

 そんな岩村たちを内心ではライバルと目しながらも表面上は取り繕って鷹揚に構えて圧倒的なプリンスぶりを発揮するのが生徒会長の森や副会長の秋川といった面々で、実は数ある部活動の縮小廃止を進めていたんだけれどもその幾つかを岩村たちによって阻止されて苦々しく思っていた。生徒会に所属しながら作曲活動なんかを行う美貌の少女が芸能部を立ち上げたことで部員が1人になってしまった演劇部が次のターゲットとなったのを、伝え聞いた岩村たちが乗り込んでいって演劇を始めようとした時も、副会長の秋川が親切をよそおい演劇部員に取り入って役をもらい舞台を中から滅茶苦茶にしようと企む。

 絶体絶命の大ピンチ。これをいかにしのぐかってところが見所となる物語から浮かんでくるのは徹底した前向きさによって支えられ飛翔することの心地よさ。無理強いをする訳でもないし相手の気持ちをねじまげ自分たちの正義の軸に沿わせるよーな訳でもなく、その行為や言動から無理だ不可能だって最初から諦めてしまっている人たちにほのかに残っていた火を強くして、前を向かせ歩かせ走らせ高い山へと登らせる。そりゃあ連戦連勝とはいかない場合もきっとこれからあるんだろーけど、やり抜いた達成感だけは残るもの。それを糧にできる人生を得られただけでも十分過ぎる幸せだ。

 ともすれば島本和彦さん系の熱さに満ちたギャグ小説になりがちでライバルの生徒会長も大仰さの目立つ陳腐なキャラに陥りがちなところを抑え人間としてリアルな造型にし、性格も飛び抜けた奇矯さは廃して人間として真っ当な範囲に入れ込んであるから読んでいて鬱陶しさは感じない。それでいて平板にならずしっかりとキャラクターの魅力が発揮されるよーな言動をそれぞれに与えていたりする筆の運びが実に巧み。学園異能伝奇バトルばかりな昨今にあってこれはこれで逆に新鮮。現実の重さに沈み架空に逃げてそこに耽溺しがちな人たちを、ちょっとした気の持ちようで、現実の中でも夢を抱け夢を叶えられるんだと諭す効能もありそー。注目作。

 リアル世界が舞台の青春系って意味ではもしかしたら岡崎裕信さんの最新刊「アクマ・オージ」(集英社スーパーダッシュ文庫)も当てはまるのか。悪魔と自認する相馬逢司少年には幼なじみの少女がいて賑やかなクラスメートもいてそんな幼なじみやクラスメートが悪意を持った者たちが起こす事件に巻き込まれるのを相馬逢司が防ぎ助け出していくというストーリー。立ちふさがる悪意の持ち主たちが現世に蘇った悪魔で相馬はそれらと戦う悪魔の王子、なんだって話なら伝奇系にも割とあるけどそのあたり、曖昧にしつつ展開した後でそうなんだという納得を与えてくれる。

 世界観的には「紅」をややリアルに振った感じ? それはそれとして「超人間・岩村」の岩村陽春といい相馬逢司といい、多大な絶望と悔恨に溺れず潰されないで立ち上がって更なる高みを目指すキャラクターたちの相次ぎ登場して来た背景がちょっと気になる。架空の世界への逃避なんざあ何の解決にもなりゃしない、だったらこのリアル世界を何とかしなきゃいけないって意識が醸成されて来たことの現れか。田中ロミオさんの「AURA 魔竜院光牙最後の闘い」も伝奇に見せつつリアル世界での心の解放を唄ってる。逃げられないなら変えるしかない、って意識がここから育まれ10年経った世界はどんなだろう。


【9月17日】 中央区でも本石町とか兜町あたりは、明日をも知れぬ日本経済に不安を覚えながら飯屋に行列を作る日銀マンやら証券マンが溢れかえっているのに、銀座では和光に三越が並ぶ銀座4丁目の交差点から中央通りを新橋方面にずらずらと歩く人の波で歩道が見えないくらいの大混雑。平日の昼過ぎにどーしてこんなに表参道状態なのかといえば、ひとえに「H&M」とやらのお陰らしくって今日もきょうとて入り口に行列が並んで大勢が入場を待っていた。バーゲンでもないのに何なんだこの人気は。

俺たちゃ案内人じゃねえってごもっとも  良い品物が安い、ってんじゃあ「ZARA」や「無印良品」あたりと変わらないしデザインだったら「ベネトン」の方がビビッド。値段なら「UNIQLO」の方がとことん激安だし品質だって実は良い。縫製だって悪くないしなにより30分で裾直しまでしてくれる。デザインだけがいまいちか。対してスウェーデンからやって来た「H&M」にはそーしたサービスはないらしいけどそれでもこんなに人が訪れるのは、きっとこんなに人が訪れているから、なんだろうなあ、ってそりゃトートロジー。でも実際はそんなもんだよ。

 この賑わいのお陰で銀座の人の動きは「アップルストア」方面へと向かう波から逆に変化。訪れる人の数も激増した。関係ないのに「ZARA」も満員で「UNIQLO」にもそれなりの来場で歩いていた2人連れの女性が「何処に行っても混んでる」ってプリプリしてた。ごもっとも。4丁目交差点にある交番にも問い合わせが殺到したのかもう聞いてくれるなとばかりに地図を張りだし「あっちだ」って案内してた。親切なのか不親切なのか。ともあれそれほどまでの“現象”を興している「H&M」に入れる日はいつ訪れる?

 そしてやはり亡くなられていたのだなあ。「宇宙カントリー」より野田凪さん死去が正式発表。鎮痛剤の誤飲とある理由に募る残念な思いもひとしおで、遠因となった交通事故がなかったら、あるいはそれを受けても回復が早かったら起こらなかった事態なだけにどこかで組み間違ってしまった人生の積み木を、出来るものならリセットして組み直してみたいという願いに駆られるファンの人もきっと多くいるんだろう。およそ僕とはクロスしていない趣味嗜好のクリエーターって感じだけれど、日本の文化風土が生みだしたキッチュな可愛さを真正面からぶつけて外国を仰天させたその手腕は、自信がないのか内にどこかこもりがちな日本のクリエイティブに、前向きさを与えて引っ張る貴重な導き手となっていたはず。その走りは残念にも潰えたけれども拓かれた道を後に続く人たちには、是非に突破して先へと向かっていって欲しいもの。謹んで哀悼。

 そんな野田凪さんの表だってはこれがラストのワークになるの? 分からないけど見知っている範囲ではこれが最新のワークになってるMEGさんってアーティストの「PRECIOUS」を買う。ずっとパンツじゃないから恥ずかしくないかもしれないけれども実はそうじゃないから恥ずかしいかもしれないものを恥ずかしげもなく見せたジャケットだったのが一転して、アートディレクターに野田さんを起用したアーティスティックな雰囲気になっていて、きっとここから新しい「MEG」さんが始まるんだろうなって矢先のクリエイティブワーク担当者のご不幸に、続くコンセプトをどう展開していくのかがちょっと気になる。DVD付きは黒地に黒子がわんさかといる周りを椅子が浮かび、その上にMEGさんが立ったオブジェのよーな作品。開けるとディスクにお皿が描かれDVDなしのバージョンともどもお部屋の中のキッチュな空間って奴を感じさせてくれる。

 思い出すなら「ハチミツとクローバー」のオープニングも、お皿の上でグロテスクなんだけれども可愛いお菓子が踊るキッチュで奇妙な映像だったっけ。家庭的なものに異質なビジョンを持ち込み驚かせる手法が得意だし、当人も好んでいたって見方もあるけれども、内的に抱いた可愛らしくってグロテスクなビジョンへの偏愛と、そして一方に抱いた家庭というものへの感情が、ぶつかり合いながらも重なって表現へと結びついていった、なんて考えるのも上っ面過ぎて面白くないか。プロモーション映像は未見なんでどんな感じに野田テイストが現れているのかは不明だけれど、着ぐるみが踊る不思議世界に倣ったストレンジなビジュアルを、MEGさんって実に見目麗しくてキュートな素材を使って表現しているんだろー。早く帰って見て踊ろう。

 キツいというかリアリスティックというか、見ている場所が違うんじゃないかって思えて来たよ女性陣。「紅 〜Kurenai〜」のDVDの最新巻ではいよいよもってあの第6話も収録。でもってオーディオコメンタリーには“ぷちこ”な沢城みゆさんに“ミルフィーユ”の新谷良子さんが、それぞれ紅真九郎と崩月夕乃の声優さんとして登場しては真九郎と紫、田舎の夕乃宅を訪ねるの巻とそして五月雨荘の住民達、ミュージカルを演じるの巻についてあれやこれやと喋っているんだけれど、普通だったら繰り広げられているシチュエーションのおかしさを爆笑しながら話して終わりってなりそーなものが、新谷さんと沢城さんだと例えば演技についてどういう組み立てからそういった声になったといった真摯なものから、真九郎が助っ人で読んだ夕乃のファッションセンスがビビッドで目に痛いって話まで、聴いてなるほど声の側からこうやって作られていったんだってことが伺える話になっている。深いよお。

 夕乃が真九郎にあげたストラップは誰のだっけ沢城さん? が東急ハンズとかその辺で買ったボールペンにキラキラ加工したものをもってて、それが画面に登場したんだって話が披露されたり、弥生さんが闇絵さんから唄ってみてと言われた唄った歌はその場ででっちあげた演歌風の歌だったって話が聞かれたりと裏話満載。あと割と同じ目線でみんな揃ってる五月雨荘の女性陣や紫と違って、銀子だけは真九郎が上から見下ろすよーな位置にいてちょっと違ってたってキャラクターの関係性についての深い追求があったり。アニメのキャラクターになって歌を唄う場合にキャラクターのキーに合った歌ならやりやすいけれど、違うキーだとキャラとして唄うのはなかなか大変といった話もあってなるほどさすがはプロの声優さん、言われてはあいと演じることはしないでちゃんとしっかりキャラをつかみ、シチュエーションを考え声を出して演じているんだってことが見えて来る。プロなんだなあ。

 キャラソンとえいばエンディングで夕乃さんを演じた新谷さんが歌を唄っているんだけれど、これを夕乃として唄うことはしなかったって発言は、あの歌詞を夕乃として唄うのは間違っているって考えてのことらしい。でもって各話を見終わったあとであのエンディングを聴くと内容からの余韻で毎回、違って聞こえるって沢城さん。そーゆー所にまでちゃんと心を配っているのか。それらの積み重ねが真九郎ってキャラクターに現れ「紅」って作品のトーンとなって描き上げられるのか。凄いなあ。
B  あと集まって1発どーんって録音じゃなくって前に1回、リハーサルをやるのが松尾衛監督の手法だったらしくって、例の6話では何と「貴方の頭上に光が輝くでしょう」そのままにクリスマスイブにリハーサルが行われたんだけれど、女性陣の圧倒的に多い声優さんたちがロマンチックに心ときめかせていたところに現れた松尾監督、クリスマスイブにこーゆー集会を開いていることにいっさいの申し訳なさを感じていないとかって断言したそーで、それにはさすがに声優さんたちも心が折れた、って話してた。でもそこでくじけずあれだけの作品を創り上げる。やっぱりプロなんだなあ。ファンならずとも声優さんのお仕事に興味がある人は必聴。新谷良子さんって決してミルフィーユみたいな素っ頓狂な人ではないのだな。

 夏侯淵とシェンホアとのどちらがチャイナドレスの似合う女闘士かクイズ。どこまでいっても普通の人間のシェンホアでは三国時代の闘士の魂を受け継ぐ夏候淵にかなうはずもないんだろーけど、あれでなかなかしぶといんで引き分けかも。下を履いているか否かではどちらもたぶん履いているに○。見せっぷりじゃあきっと夏候淵に作品が作品なだけに軍配が上がるんだろーけど、でもちょろっと見えるのもなかなかに良いものだったりするからこれも引き分け、と。って何のことだよ「一騎当千GG」は、そんな夏候淵にとって最愛の男が突然に復活。でもって左慈元放は王允子師となって最後のバトルに挑んでそして次回にいよいよメイド服姿の呂蒙ちゃんが! 見なくては。もう見なくてはしっかりと。

 とか喜んでいたらエム・シーシーってところから三国志のカレーが出たってんでさぞや美少女爆乳闘士たちがパッケージに描かれた、華やかなものかと思ったらおっさんんばっかりだった、って当たり前だよ横山光輝さんの「三国志」が題材なんだから。例の神戸に18メートルの「鉄人28号」をぶったてようってプロジェクトに協力しているMCCが連携の一端として去年のカレー缶に続いて今回は「三国志」を使ったカレーを発売、もちろん中華味。「鉄人28号」そのものとは横山さんが同じ作者ってだけで関係ないんだけれど、「一騎当千」に「恋姫無双」と三国志物が連続している昨今のブームにしっかり乗ってアピールしつつ、買うとその売上の一部が「鉄人28号」の建設に寄付されるってことにして「KOBE鉄人PROJECT」にもしっかりと協力していくみたい。三国志の爆乳闘士を見ていろいろなところを立てるばかりじゃなくって、たまにはカレーを食べて本当の鉄人も立てましょう。


【9月16日】 しばらく録画だけして放っておいたら鬼神の復活シーンにまでたどり着いてた「ソウルイーター」。ガリッガリの肢体に張りついた皮を引っ張ったり伸ばしたりしながらケタケタっと笑い、全身を使って立ち向かってくる死武専の面々を易々と退ける圧倒的な強さを見せる、その悪辣さと軽薄さと残虐さと高邁さが入り交じったキャラクターを外見も内面もまとめて表現するかのよーにくるくると声質を変化させ、演技していた声優さんの実力ぶりにいったいどこの凄い若手が現れたんだとエンドクレジット見たら古川登志夫という人だった。ふーん最近の人気若手声優さんでは見かけない名前だなあ。

 っておいおい古川登志夫さんかよ! カイ・シデンで軟弱者を見事に演じ、諸星あたるで軽薄な中に純愛さをかすかに交えつつでも徹底して軽薄だった男を演じきった偉大な声優。「機動警察パトレイバー」でも映画じゃああんまり目立たなかったけれどもそれでも遊馬の実直さを演じて永遠の少年ぶりを見せてくれた超ベテランが、最先端を行く若者向けのアニメーションの最前線にある技術でもって描きあげられたよく動くキャラクターの外観に適切で内面にもピッタリの声を、いっさいの違和感を抱かせずに出してしまうんだから凄いというか素晴らしいというか。

 そんな鬼神に相対する死神の小山力也さんだって、軽薄さから凄みを聴かせた本来の姿まで、広い触れ幅で演じていたけど、その小山さんですらおそらくは足下にひれ伏し讃えるだろー古川さんの芸達者ぶり。これほどまでの人をキャスティングして且つ画面のクオリティを落とさないで引っ張り続ける「ソウルイーター」は、映像作品として今年1番の完成度を持ったアニメーションだって断じて良いんじゃなかろーか。問題はだからやっぱり視聴率、って奴なのか。どれくらいなのかは知らないけれど。でもプラスして深夜にも放送しているくらいだし、窓口を広げておくことで伝わっている層もいるはずでそこからクオリティの凄さが漏れていけばやがてDVDのセールスにだって波及して、かけた費用だって回収し切れるんじゃなかろーか、ってのはやっぱり甘いかなあ、GDHだっていよいよTOBな訳だしなあ。

 いやいやGDHなんて小さいとばかりに、海の向こうではリーマン・ブラザーズが強制退場となって吹き荒れる金融恐慌の嵐に飛び出す金額は億円どころか兆円レベル。大きすぎて頭の中が追い付かない。事の重大さは何とはなしに伺え日本のバブル崩壊とその後の地価下落に伴う資産デフレがもたらした長い不況を何倍ものスケールに拡大した格好で、世界にいろいろなことがこれから訪れるんだと思うとこんな時期に金融の情報いりまへんか? なんて紙を持って回っていったい誰が受け取るんだろうかって疑問もわいてくる。会社が潰れりゃ売り先だって減る訳だし。でも走り出したら止められないのが恐竜って奴で、向かう先に広がる裂け目に全部まとめてどんぶらこ。ああ何となく大変さが身に染みてきた。

 けどでもしかしアメリカって面白いなあと思ったのは、破綻が伝えられると即座に社員たちがウォール街とかにあるリーマン・ブラザーズの本社へと集まってきて、自分たちの私物を段ボールとかカートにおしこみガシガシと運び出していったシーン。これが日本だと倒産したって会社はしばらく継続されるから、三々五々と会社に集まり仕事の滞る中で机に座って四方山話を決め込んでから、カバンを持って普通に帰っていくだけなんだけど、アメリカじゃあ破綻がイコール解雇につながるってことなのか、もはや未練はないのかネズミが沈没船から逃げ出すが如くに私物を持ったエリートたちがビルを出て、そして同業他社に声をかけられ数日だか数ヶ月の後には段ボール箱をかついで新しオフィスへと入っていくことになるんだろー。

 ドライっちゃードライだけれども極めて合理的。失敗したのは経営者で解雇された責任は自分にはないと強気に構え、周囲もそれを認め再帰に手を貸すこの人材の流動性が、あの国の底力を支えているんだとしたら日本も是非に見習って、そう遠くない時期に船からこぼれだすネズミめを是非に拾ってやって戴きたいものだけれども、そうは問屋が下ろさないんだろーなー、日本って国じゃあ。頼れるは貯金か保険か。なになにAIGも破綻間近だって? 銀行だって危ういなあ、まとめてデフォルトになっちゃわないかなあ、金を買っておくのが正解かなあ、金のキン肉マンじゃあダメかなあ。

 もはや数え切れないくらいに広がってしまった「神曲奏界ポリフォニカシリーズ」なんだけれども、やっぱり赤は元祖だけあって安定した面白さって奴を読ませてくれると本家な榊一郎さんによる「神曲奏界ポリフォニカ エイディング・クリムゾン」(GA文庫)を読んで堪能。表紙のコーティカルテの体育座りした可愛らしさはそれとして、本編の方では精霊たちに恨みを抱き弱点を知るために神曲楽士を目指す不憫な少女リュネアの狙いどーりに、メガ・フロートでは不穏な曲を耳にした精霊たちが暴れ出しては人間を襲い関係をどんどんと不仲にしていく。このままでは深刻な対立が再び起こると立ち上がった精霊のコーティと神曲楽士のフォロンのペアは、リュネアの恨みの原因となった精霊カーマインと出会いリュネアを取り巻く事情を知り、リュネアを改心させようと頑張り、さらに不穏な曲で騒乱を巻き起こそうとする悪意を持った精霊との戦いに立ち向かう。

 スケールは過去にないくらいの大きさで、繰り出されるテーマも人間と精霊の決してなれ合いではない関係とは何かを、改めて考えさせてくれるって意味でなかなかに深刻。リュネアが恨みを抱いた馬型精霊のカーマインが見せた振る舞いに潜む“究極の選択”の答えも含めて、提示されるテーマの深さや難しさを受け止めて、なにがしかの解決策を見つけだしていくことで人としてちょっぴりでも成長できそー。ありがちな異能バトルの範疇に留まらない人気も、きっとこーした深さにあるんだろう。コーティの可愛らしさが最上で最強? うーん否定はしない、したら精霊雷とか飛んできそうだし。

 そんな確固たる本筋があるからサイドを走るシェアードワールドの作品も頑張って幅広さに奥深さを出そうと挑戦し、成果を出してそれが売上や人気へとつながっているのかも。こうなると一口乗りたい作家の人とかも出そうだけれど、誰でもって訳じゃなくってそれなりに何かをもたらせる人だけが、同じ舞台に乗って自分の世界を繰り広げられる。あざの耕平さんもそんな1人で「神曲奏界ポリフォニカ ダン・サリエルと銀の虎」(GA文庫)って珍しく色を含まない名称で立ち上がったこのシリーズも、展開の愉快さ以上にキャラクターの確かさ、音楽とゆーものに対峙する心構えってなものを教えてくれる。

 若き天才バイオリニストともてはやされているダン・サリエルは、神曲楽士でもあってモモちゃんんて少女の四枚羽の精霊と契約しては身の回りの世話をさせつつ天才ならではの傲岸さも見せて周囲の老人達を辟易とさせている。当人はそんな批判的な視線など構うものかと真っ直ぐに振る舞うものだから、モモの被る苦労もなかなかに大変。さらには見かけた白銀の虎の姿をした精霊と契約したいとダン・サリエルが言い出したものだから、自分だけの神曲楽士を取られるんじゃないかって不安が湧いて仕方がない。ちゃんと自分にだって神曲を演奏してくれるんだろーけど、自分の一途な思いが向こうではワンオブゼムでしかないことを見せつけられるのはやっぱり心苦しいってことで。

 もっともそんな俗事は一向に気にしないダン・サリエル、虎が契約を希望している名門の出ながら神曲楽士になれず田舎に引っ込んでいた少女のところを訪ねて、まずはと道ばたで引いてた彼女の音楽を聴いたら……下手だった。住民たちから騒音呼ばわりされて苦々しく思われているお嬢さん芸。でもダン・サリエルはそんな音から秘密をつかみ、そそて彼女が本来の姿を発揮できるようなシチュエーションを作り出して聴いたその音楽は! ってな感じ始まって、少女は虎ともどもダン・サリエルのいる街にやって来て押し掛け助手みたいなことを始める。

 とんでもないと押し返そうと頑張るものの、押し切られそうな関係の所にいろいろと、起こる事態から音楽の意味するものなんかが浮かび上がって来て音楽の持つ深遠さって奴を伝えて来る。叶わないと思った相手に師匠と迫られる不幸ってものも強烈なんだろーけど、それを気にせず我こそがって突っ張り続けるダン・サリエルって実はとっても大物なのかも。でもツゲ・ユフィンリィ相手に単身楽器自慢を繰り広げ合う子供っぽさもあるからなあ、ってそれはツゲも同様か。ツゲが出てくるってことで手下のフォロンにコーティも登場。赤ファンにはだから嬉しい新シリーズかも。虎あんまり目立って無いなあ。


【9月15日】 1夜明けても興奮さめやらぬ「フクアリ」での勝利はひとえにやっぱり巻誠一郎選手の献身的で率先的なプレー態度と、それを成し遂げる肉体的精神的な頑健さによるものではあるんだけれどもあの瞬間にあの場所に飛び込んで、工藤浩平選手からのクロスにぴったり合わせる野獣的で頭脳的なプレーの流れを見定めるマインドもしっかりと持ち合わせているからなんだろーろひいき目に賛辞。でも鍵は後半に守備では頑張っていた戸田和幸選手をそれでも引っ込め守備にやや軽いけれども攻撃センスは抜群な工藤選手を入れて飛び出させたアレックス・ミラー監督の采配か。この采配が浦和レッドダイヤモンズにあったら一体、どんなチームになるんだろうって想像もしてみたくなるけどあそこはバイエルン派だからミラーに声はかからない、か。

 というかそもそもミラー監督にどーやってコンタクトをとったのかをフロントに聞いてみたいところ。祖母井さんがいた頃だったら分かりやすいんだけれども今はそーした海外にネットワークを持って口説き落とせる人っていない訳だし。そんな祖母井さんもフランスのグルノーブルじゃあ苦心惨憺な毎日らしくって「サッカー批評」の最新号でそのあたりの状況を吐露してる。もうインデックスを排除したくてウズウズしている面々がチームの周辺にわんさかといてそれを排除するためにプレーとは関わりのないところで戦わなくちゃいけないみたい。アウェーの試合に1度くらいしかいったことがない偉いさんがいて表じゃそうやって見た試合を絶賛しつつ裏で最悪の采配だったとこき下ろして後ろから刺す真似をするそーだし。嫌な組織。どっかの会社みたいだ。どこだそれ。

 そんなプレッシャーに打ち勝つにはだから結果しかないんだけれども、チーム創設以来で始めて上がった1部で今のことろ順調に勝ち点を積み重ねて上位に張りついているから流石というか。バズダレビッチ監督の手腕もあるけどやっぱり監督を呼び選手を集めクラブハウスとかを整備して環境を整えた祖母井さんの経営手腕が大きいんだろーなー。そんな人にこそぜひに鴉がマークのサッカー協会に入ってマネジメントを立て直し、監督選びからチームのバックアップから何から何まで面倒を見てもらいたいんだけれど。大嫌いだって言った例のキャプテンが名誉キャプテンだかで残っているうちは無理か。市原にチームを作りたいって言ってるらしーからジェフユナイテッド市原・千葉にとってはライバル? でもそれもあり。そーやって刺激を与え受け続けることによって進化は生まれるのだから。とりあえずグルノーブルの躍進に期待。伊藤翔はどーすんの?

 「兄上もなかなかお甘いよう(ズダダダダダッ!)ウグァッ!!」。じゃあいかんのだよコーネリア様。ブリタニアの帝都にフレイヤを落として大穴を開けてそして口では市民はちゃんと避難させたよを言ってナナリーを安心させつつ、実はそんなの大嘘でまとめてポイしてその後も10億20億は失ったったって世界征服の前には無問題って言い切る悪逆非道なイケメン王子のシュナイゼル如き、裏を読んで「こんなこともあろうかと」着込んだ防弾チョッキを見せつつにじりよってバッサリと、シュナイゼルを両断してその手に玉座を掴んで欲しかったんだけれど今一度のご退場。せっかくの巨大なふたつの丘もこれで見納め? いやいやあれでなかなかにしぶとい御仁だから苦悶しつつも蘇ってはナナリーを救いルルーシュに寝返り姉妹兄弟アタックでもってシュナイゼルを潰えさせて戴かなくちゃあ浮かばれない。最近モブ化も激しかったし。

 そんなモブ化は避けられたけれどもこっちはおバカ化? なナナリーは周囲からコーネリアの気配が消えたことにもいささかの懐疑を抱かずシュナイゼルの甘言に乗ってルルーシュを討つためにフレイヤを連続発射。ただの傀儡に成り下がっているよーに見えるもののあるいは人の心を読むのに長けた少女だけに、シュナイゼルの嘘も見抜いて裏で実はやっぱりゼロを未だに信奉しているディートハルトあたりと組んでいろいろと画策しては大逆転を狙っているのかも。でないとはっきりいって当たり前すぎて面白みに欠けてしまうんだよ今の兄弟げんかの果ての果てじゃあ。ピンク色のあれはランスロットか何かで出撃するC.C.はどんな役割を果たすのか。ってかどーしてチーズくん色じゃなくってピンクなんだ。ピンク好きなユーフェミアを慮ってのことなのか。セシルさんの悪趣味か。そんなセシルの作った手料理を食べたニーナ。よく顔をしかめるだけで済んだなあ。味音痴? お腹をさするヴィレッタだけは生き残りそう。ここに来てシンクーの病気設定が復活? とまれあれこれあって楽しめそうな「コードギアス 反逆のルルーシュR2」。つき合うぞ地獄の底まで。

ランドマの上のポニョ、あそこが水に浸かれば世界は水びたし  そうだ「横浜トリエンナーレ」に行こう、と思い立ってカバンにポニョを詰め込み横須賀線で横浜まで行きそこからどこまで行けば良いのかととりあえず「みなとみらい線」で馬車道まで行ったらそこで正解だった。前回はもう1つ先で降りて延々歩いた記憶が。でもって貨車のアーチがあった記憶が。さらにその前回では桜木町から「パシフィコ横浜」まで歩いた記憶が、でもって巨大なバッタがホテルにとりついていた記憶が。何もかもみな懐かしい。んでもって馬車道駅でチケットをかってパンフレットをもらい地上へとでてまずは手近なところから回ろうと「日本郵船海岸通倉庫」の会場へ行き1階の最初の展示で脳天に死神チョップを振り下ろされた衝撃を味わう。なんだこりゃああああああ。

 正面には祭壇で赤い汚れがついているのは血のあと? でもって両脇を見ると写真のパネルで女性や男性が張り付けになって全身を血みどろにしていたり、牛だか何かが解体されてその臓物を人間たちが群がってぐちゃらぐちゃらとかき回していたりするビジュアルが屹立していて目をまっ赤にさせる。でもって振り向くと入り口を挟んで2枚づつ、平面ディスプレーが設置されててその片方ではトマトを踏みつぶしたり裸の男共がまっ赤になりながらスクラムを組んでいたりする映像が流れ、そしてもう片方では素っ裸の女性がツルされ口に白濁した液とか血とかを注ぎ込まれたり下がった下半身というかもう下腹部そのものの上で牛か動物か何かの脳味噌に卵の黄身らしき粘液やら白濁した液やらをぶっかけ脳味噌コネコネコンパイルしたりする映像が流れてエロさにグロさを欠けて100乗したくらいのインパクトって奴を放ってた。

 もうモロ。デルタがモロに見えてそしてさらに股関節を広げられたりするからモロさに拍車もかかったりしてそれを見ていると入り口からどんどんと女性の鑑賞者も入ってきてさていったいどーゆー顔で見たら良いんだと迷いつつこれがアートなんだと眉根をやや顰め小難しい顔になって芸術マニアを気取ってみせてもやっぱり映っているのは女性の下腹部だからなあ、いろいろ思われたんだろうなあ。作者はヘルマン・ニッチェとゆーオーストリアのアーティストで宗教的なモチーフを持ちながらも静謐さとは逆の原始宗教にありがちな狂熱を大勢の暴力的な行為や切り裂かれた動物、生け贄のように吊された全裸の男性や女性といったビジョンから感じさせるパフォーマンスをウィーンあたりで展開しているらしー。写真と映像ではどこまでも無臭で音もないけど現地でみたらさていったい、どんなグロさで迫ってくるのか。且つそんな狂熱のパフォーマンスの根元から人間の奥底にある衝動を見つめ直させてくれるのか。見たいなあ。やらないかなあ。日本で? そりゃ無理だよなあ。

あたしの方がアートよね  中西夏之さんの作品なんかは90年代に入ってから続く白地に紫とか緑がドットのよーに浮かんだ作品の延長で、赤に眩んだ目をとりあえずいやしてくれた。ほかにオノ・ヨーコさんの服を切り刻んでいく映像も最近のと昔のが流れていて、若かった自分ならまだしも歳を経た今もこれやってるんだ的な驚きと、そしてどうしてそこを切らないんだといった内心の叫びを感じつつ、いざ実際にハサミを手にした場合に、どこを刻むかによって人間性って奴を試されているんだよなあ、ってな感覚を見る人に味わわせる今に通用するコンセプトの確実さを再確認。かくも早い時期から発現していた、オノ・ヨーコってアーティストのパフォーマンスを通したインタラクション性に改めて感心する。

 ほかにあれやこれや見てから会場を出て歩いて向かったのが手近な「赤レンガ倉庫」の会場で何やらイベントが開かれていたよーで、屋台も出て賑やかな中を1棟だけ「横浜トリエンナーレ」会場にされた倉庫に入ったらそこにもオノ・ヨーコさんが映ってた。「シェルタープラン」。懐かしいなあ「ハイレッドセンター」。前後左右上下から写真を撮り体重身長を測定して体にピッタリのシェルターを作りますよってパフォーマンスなんだけれども実際に作る訳じゃあなく、そういうものを作りますよって計画を示して、それならひとつ作ってみるかと参集する人たちを巻き込んだ、なれ合いとはまた違った高踏なタクラミが感じられて何だか愉快。

アートたっぷりでおなかふくれた  会場も帝国ホテルなんて生真面目すぎる場所でそこに背広姿の受付を置いて、診断や測定を経てお金を頂戴して証書を渡す一連の行為が、おそらくは深まっていた冷戦下で行き詰まり塞がりつつあった気分をそれならそれで結構だ、こうして笑いのめして受け止めてやる突破してやるって諧謔もやや含みつつ、気分を高揚させてくれたんだろー。銀座の道路を清掃する「東京ミキサー計画」もそう。そんな社会の権威に肘打つアート側からの行為を本当は村上隆さんに期待していたんだけれど、逆に社会となってコピーライトって形で権威を固めてそれを保持する行為でもってアート界に屹立する方を選んでしまったからなあ。まあそれもそれであり、なんだけれど愉快かどうかはまた別の話、ってことで。

 さらに歩いて「新港ピア」のメインな会場へ。前回のでっかい倉庫を2つばかりつかって並べた展示に比べると規模も小さくって瞬間で見て回れてその分気楽。くんずほぐれつな「GEISAI」よりもスッキリしている上に人もそんなにいなくってひとつひとつをじっくり見て回ろうと思えば回れたんだけれどもじっくり見ていて見入ってしまうくらいの作品がないのが気にかかる。

 ミニマルっていうか割れたガラスを並べたり円形のガラスを吊してはい作品ですって言われてもそれでだから何がどうしたって感じでピンとは伝わってこない。かといって映像作品もなあ。延々と顔だけ映すよーな作品とかじゃあ見ていて疲れちゃう。衝撃を求めすぎても鬱陶しいけどシンプルさに落ち着かれても面白みに欠ける。難しいなあアートって。って感じにすらっと見て記念撮影して帰宅。大さんばしとか見てない場所もあるんでもう1日、見られるらしーんで暇を見つけてまた行こう。暇になっていると良いな。リーマン・ブラザーズ破綻で金融恐慌で株安で景気失速って時期なだけに暇を出されたりするかもな。


【9月14日】 デカく人類と非人類との対立と融和めいたビジョンが打ち出されるかと思いきや、縮小均衡へと向かいそうな雰囲気が出てきて残りのブルーレイディスクを買うか否かに迷いが生じそうな予感が漂い始めた「マクロスF」。移民船団を裏側で操り「S.M.S」なんてものを立ち上げ来るべきヴァジュラの襲来に備えていた聡明さで人類を明日へと誘う傑物かと考えていたビルラーが案外に小物でヴァジュラを叩きたいのはそれから採れるドールドクオーツを独占したいってだけのこと。大統領になれれば良かった程度のキノコよりは多少は目端が利いてはいるけどそれでも私欲まみれの俗物ってことには代わりがない。

 永遠の17歳なグレイスだってヴァジュラ本星を叩いて人類をみちびく存在になるって程度の小物っぽさが今のところ濃厚。これがランカの実験を通して人類とヴァジュラが融合できるようにして、ヴァジュラ的な集合知性を人類でも発現できるようにしてそして中心に自分なり、傀儡なりをすえて宇宙に生きる全生命を一手に支配しよーと企んでるって感じなスケールを見せて欲しかった。所詮はマッドサイエンティスト止まりか、いやまだ残る話数はあるからその中で何とか評価の上がるよーな言動を。さもなくば脱ぐ。揉んでないで。さっさと脱ぐ。それしかない。

 あと前週まではアルトの誰かに言われればほいほい信じて従うガキっぽさが気になっていたけど、ビルラーにしてもキノコにしてもグレイスにしても実に卑小なあたりにアルトのガキっぽさがむしろ純粋さに映るから是非もない。こーなったら全人類のみならず全宇宙の平和と繁栄につながるスケールのデカい発想は、すたこら逃げだし決戦へと臨むことを決めた艦長に期待するしかなさそー。流石は中の人が総統のみならずホムンクルスの全てに反抗を企て画策するロイ・マスタングだけのことはあるねえ。さても残る話数でどんな結末を見せてくれるか。それによってブルーレイディスクの売上も激変するから製作者は覚悟を、ってもう遅いか。作っちまったもんなあ。

 借景、とはよく言ったものでそれらが本流として存在する場所に間借りして小屋を建てて窓を開け、そこから外の景色を眺めつつ中でそれっぽいサービスを、決してそれそのものではなく、ややソフィストケイトした上で万人になじみやすい形にして出せばそれがそれなんだと受け止められるよーになってしまって、窓の外にある本来のそれらを覆い見えなくして駆逐してしまう可能性って奴を、かつてある人が指摘していたけれどもどこかの首都の知事さんが、どうしても開きたいオリンピックのために日本は今やそれの大国なんだからそれで世界にアピールするんだとそれを取り入れよーとした、そのそれが借景の中で味わうそれに似て似通っているけれどもそのものではない料理だったりした様を見るにつけ、なるほどこーやって世間は動かされ大衆は惑わされそして歴史は塗り固められていくのだと深く実感した昨日今日。

あたしのいたしゃもつくってよう  村上隆さんが主宰する「GEISAI#11」ってイベントのある意味で裏バージョンであり意図としてもしかしたらこっちが表なのかもしれない「学園祭実行委員会」ってイベントをのぞいた感想も、また借景が本流となって幅を利かせて世界を覆い尽くすドリーミーなビジョン。且つそれは夢ではなくって現実のものとして定着しつつあったりするから悩ましい。なるほど痛車だの痛バイクだのメイド喫茶だの執事カフェだのコスプレだのヲタ芸だのといった、オタク的文化をかき集めてその一端を披露するオタクの最先端であり神髄が結集したイベントと言って言えたりするかもしれない。傍目には。

 でもどうしてなんだろう? 入って見回した雰囲気から浮かぶのは気まずさであり居心地の悪さ。それはおそらくオタク的な流行って奴を表層的にすくいとって商売化したものが、最先端扱いされて大々的にフィーチャーされていたりして、普通はそーゆーフェイクに乗るのは恥だって思うオタク心に寄るものなんだろーけれど、見渡すとあんまり苦虫をかみつぶしたよーな表情でうろついている人はおらず、それなりに受け入れこーゆーもんだと理解して散策している人たちはたいていが嬉しそうな表情。違和感なんて別に覚えてないっぽい。

 つまりはもはや作品本意作家本意で突きつめ表現なり意図なりをつかみとって、そして作品としてどう位置づけるかを土台に、そこから派生する趣味的な要素を楽しむ一種のマインドゲーム的なオタク道は存在しないってことの現れで、流行ってるぜってノリで突っ走ってそれらを愛でる場にこそ居場所を探って集い合い、品々を媒介にしてコミュニケーションを成立させることに重点が置かれていることの現れでもありそー。心性としては繋がりをこそ重視するヤンキー的なノリに似通ったものがある。

 だからそうか、車のデコレーションであり純愛をギミック的に成立させるメイド喫茶的なものへの傾倒なのかも。旧世代には厳しくても新世代にはたぶんこれで良いのだ。これが正解なのだ。やがて遠からずというか既にしてそーしたノリがオタクの最先端であり最大公約数なんだって一般メディアには認識されていたりする。借景をリアルに見せそしてメディアとともに体制側に交じり生き残る。そうかなるほどだから「GEISAI#11」に「AKB48」が来たんだなあ。お互いにその存在価値を見抜き認め合う目を持っていたんだ。だから共に勝ち残っていくんだ。羨ましいけど、でも乗らない。乗りたくない。

 気になるのはそーした借景的な存在を村上隆さん自信がどう捉えているかってところで、メタ意識なレベルでそーゆーギミックを文脈に乗せて見せることがアートであって歴史的に正しいかどうかは無関係、って割り切っているならそれはそれでアーティストとして在りなんだけれども、時折聞こえてくる声だと真面目に真剣に真っ直ぐそーしたカルチャーをこそオタクの最先端だと捉えている節があるから紛らわしいというか。計算の上でやっているならそれによって被る恩恵なんかも勘案しつつ、逆にこっちだって利用して地位向上に勤しむか、って共犯意識も生みだし易いんだけれど、これが世界のためにベストなんだって純粋なまでの信念が、背後にあるんだとしたらやっぱりどこかでリセットしてもらって改めて、それはそれだから良いんだって感性を磨き世間がそれと認めるアイテムでもって、世界に日本のカルチャーの本質的な素晴らしさをアピールして欲しいんだけれど、でも無理かなあ。あるいは海外の方でフェイクとそうでないものに気づいて欲しいなあ。

吸い込まれる、都市  そんな一方で本妻、じゃなかった本祭の「GEISAI#11」は会場の巨大に西館の1階部分を全部使って展示したりステージを作ったりして大にぎわい。しばらく休んでいたこともあって手ぐすねひいて出展を待ちわびていた人がわさっと集中したからなのかもしれないけれども完成度的に高い作品が多くあって見るだけで疲れたし歩いてもっと疲れた。そんな中で気になった1つが吉田博さんって人の都市を上から描き斜め上空から描いて空に浮かぶ月かもしれない何かを描いた3枚つながりの巨大な絵画。テクニック的にどうってよりも選ばれたモチーフの静謐にして広がりをもった雰囲気に見ていて吸い込まれそうになった。遠目には真っ黒なのに見ていると目が慣れてあれこれ描かれているものが浮かび上がってくるのにも感心。そうなるとさらに吸い込まれそうな気分が浮かんでくる。あるいは都市に落ちていくよーな感じ、か。

吸い付きたい、ボディ  金沢美術工芸大学の在校生で画廊なんかでの活動はないけれど置いてあったカタログに載ってた他の絵なんかのコンセプトもなかなかに見事で縦長の四角い屏風の1枚みたいな感じに中空を浮かぶ何かが描かれていた作品なんかもどこか近未来的な味を感じさせてくれた。ちょっと注目。屏風といえばこちらは東京芸大の中島千波研究室っていうから名門も名門なところを出た名古屋剛志さんって人の作品にも瞠目。何枚かは金箔押しの上に金魚が顔料か何かで描かれた伝統的な日本画の屏風絵なんだけれども残る3枚はそーした技法を活用しつつも選ばれたモチーフが戦闘美少女。制服からフラッシュして変身するまでが描かれていて遠目にも目立つし近寄るとこれまたなかなかに目立つ。目に飛び込んでくる。

 日本画の技法を使った現代アートなら「GEISAI」チアマンの村上さんが先駆者で削りの技法でもって「DOBくん」が描かれた巨大な作品に大昔、感動してこーゆーのもありなんだと思った記憶があってそれがどーして今はこーなんだといった感想もちょっぴり抱かないでもないけれど、それはそれとして名古屋さん。少女ってモチーフをベタに金屏風に描いてみせたストレートさにはそれがそれっぽいって狙いはなくってそれはそーなんだって生真面目さがあって昨今の、若い世代の感性めいたものが伺えて面白かったしさらにベタ化していくより下の世代には、これが真っ直ぐに響くのかもって想像すると未来のアートな風景も垣間見えて来た。痛車に痛自転車に痛アート。そんなくくりにされては迷惑かもしれないけれど、借景の中で取り上げられる間に認められてばあとは自在。頑張って頂きたい。Mr.がすでにいる? でもなあ、どんどんと絵が巧くなってそれでもプロに至らない中途半端に今、悶々としている感じが傍目にはあるからなあ。映画、面白かったのかなあ。


【9月13日】 錯綜するのだなカンタービレ情報はやっぱりパフォーマンスで数日後に現れるんでメディアはどこも訃報を打たないといった話が妙に信憑性なんかを帯びてしまっていたりする一方でやれクボヅカだの何だのといった意見もあってぐちゃらこちゃら。どっちにしたって個人的にはほとんどまるで関わりを持たない人なんだから良いんだけれどパフォーマンスだとする妙に格好悪いなあ、それはラオウのお葬式くらいに格好悪い。あれって結局は力石徹の二番煎じだった訳だしね。

 ユリアとケンシロウの「結魂式」ってのはまあ、本編で結ばれなかった2人だから許されはするんだけれどカリスマウェディングコーディネーターとやらがこぞって現れ演出に勤しむってのは僕ら私たちのヒーローヒロインを商業が弄んでいるようでどっか居心地が悪い。それを言うなら力石ん時だってやや商売っ気もあったけれども寺山修司さんんて文化な人が音頭を取ってたって意味でどこかアートなパフォーマンス的タクラミが感じられなくもなくって、権威に冷や水を浴びせたって意味で喝采できた。これがラオウの「昇魂式」となると、完全に新作映画の宣伝だったからなあ。のって楽しめないことはないけれど、のると妙に癪に障るというか。

 そんな意味合いを含み置くならラオウの一件は力石徹の二番煎じですらないのか。むしろ野田さんの一件の方が、仮にパフォーマンスとするならより力石の二番煎じに近くって、なればこその白っとした気分も漂う。かといってリアルだとするとせっかくの才能が惜しいって残念さも増すだけに、どっちに転んで欲しいかを明確に決められず状態としては生殺し。早くどちらかに転がってと希望。これで明日に「東京ビッグサイト」で開かれる、村上隆さんがチアマンを務める新人アーティストの作品展示即売会「GEISAI」の入り口に、ゾンビ姿で野田さんが立っていたら笑うか泣くか怒るか逃げるか、どれだろう? どれでもないか。

 「GEISAI」前ってことでもあいけど村上さんところの門下生の青島千穂さんとタカノ綾さんが新作を展示するってんで広尾から元麻布方面へと行き「愛育病院」って有名な病院のすぐ側にある「カイカイキキ・ギャラリー」へと午前11時前にかけつけたら既に数人が並んでた。人気あるなあ2人とも。入るとそこは巨大なスペース。ギャラリーに相応しいそのスペースを元麻布で借りるといったいどれくらかかるんだろうって計算が頭に働いたけれども、展示してあった新作の値段を聞くとそんなスペースに見合った額でつまりはそれだけの価値をもったアートの集団に、相応しい場所であり広さなのかもしれないって思えて来る。

 だって1350万円だよ、1350万円。フェラーリだって買えそうな値段にタカノ綾さんの新作はなっていた。正方形の角を頂点と下と左右にもっていった菱形なカンバスに描かれた作品のうちの1枚の値段だから似た大きさのものもやっぱりそんな値段なんだろう。対角線の永さは2メートル27センチ3ミリ。ちょっとした大人よりも巨大なスペースに描かれているのはいつものはだかんぼ系の女の子でその周囲には幽霊めいたものとかが浮かんでいたり、宇宙人のグレイがいて少女に鍼を指していたりといった幻想のビジョンが繰り広げられている。

 題して「パワースポット」シリーズ。大きさに負けない濃密さでもって都市やらガラクタやらのオブジェが描かれていて見ていて飽きないし、そんな雑踏の前面へと浮かび上がってくる少女のあらゆる雑事を統御し制圧して屹立する強さやら奔放さが浮かび上がってくる。お金さえあれば欲しい1枚だけれども、ってかお金はあるけど(強がり)買っても置いておく場所なんてないんでここはコレクターな方々にお譲りします。小さなドローイングもあってそれが45万円。大昔にナディフで開かれた展覧会じゃあ同じサイズで1万5000円とかだったからその時に5枚10枚とまとめ買いしておけば今頃結構なコレクターになっていられたかもしれない。けどそいういう時に額とか気にせず買えるのが真にのコレクターって人種。良い物を見抜き抑えそして愛でるマインドがあるから成功もするしコレクターにもなれるのだ。あそこで躊躇した僕はだから永遠の夢追い人。次にブレイクするのは誰かってさもしい目線で「GEISAI」をうろついては何も買わずに帰るんだろうなあ。見抜かれている。

 そんなスクェアな作品も悪くはなかったけれども個人的には「イザナミとイザナギ」だったっけ、タカノ的なフォルムの少女の顔がぶわんとくりぬかれた脇に半分だけ男の子の顔が重なっていてその口が後ろから少女の耳を咬んでいる構図の作品で、カンバスの形が顔の形のまんまになっているところにどーやって作ったんだろうなあ、って努力を見たりする一方で四角い平面からフランク・ステラがいびつな形へと描きたいモチーフに会わせてカンバスの形を変えていった過渡期をふと思い出した。両脇にUFOだか花だか星だかの絵がその形にカンバスとしてくりぬかれて添えられている様も目新しかった。トータルでひとつの神話的でエロティックな雰囲気を醸し出す。新境地へと入っていったんだなあ、タカノさん。これはいったい幾らになっていたんだろう。目分量、3000万円。それはしかしいやでもうーん。

まんまるお腹の赤提灯  ちなみに青島千穂さんの方も新作は700万円。ななひゃく・まんえん。って年収かよ。誰の? いやそれはそれとして以前はCGでもって描いたよーにのっぺりとしてフォルムがくっきりとした作風だった青島さんだけれどタカノさんに刺激されたか淡くて揺らぐフォルムのものもいくつか発表。でもって立体の犬だか猫だかもあってイラスト的雰囲気からよりアートな方面へのシフトが見られた。ただどこかコンセプチュアルというか左脳的というか考えてやっているよーな節があって、そこがコンテクスト重視で時代と“寝る”雰囲気がある村上さんの弟子っぽさを色濃く感じさせる。同じ弟子でもタカノさんは右脳的というか本能的にフォルムを描きオブジェクトを添えガジェットをばらまき仕立て上げている感じでそれは描きたいものを描いている奈良美智さんに近いかなあ。良い意味で対立しているナラカミの関係をアヤチホも創り上げられればそれでゼロ年代からイチゼロ年代のアートシーンは決まったも同然。関係ないけど綿金世代ってどーなった?

 芳名録に名前を書いても反応が薄かったところから当方を知っている風もないって過剰な自意識が告げていたんでとくに画廊の人と話もせず退散して地下鉄で浅草へ。雷門の前でポニョを遊ばせてからバンダイの本社へと出向き「ジョジョの奇妙な冒険」を題材にした百人一首の第二弾発売を記念した大会を見物するとこれが、何と、女子率高し! およそ半分くらいが女子ってあたりにかつての汗が飛び散り波紋が疾走しスタンドが乱舞する絢爛な世界を男子の特権として愛でていた時代が様変わりして、あれやこれや特徴を持った美形どもが最高のポーズで屹立して甘い言葉をまき散らす中に、腐的妄想を抱く女子が大勢増えてきからなのかもって考えたけれども真相は不明。でも意外だったなあ。そっち方面をやや濃くしてテレビアニメ化したら受けるかな。ワムウ×カーズとか。いや意味知らないけれど。

 んでもって大会にはCDで読み札の朗読をしていたケンドーコバヤシさんが参加してトークを披露したり大会に参加して札を取り合ったりとなかなかのジョジョメイニアっぷり。でも大会では真剣無比になっていたのに取れず敗れて1回戦で去っていった。敗れた瞬間の表情とか本当に悔しそうで、終わったあとはやや呆然としてた感じだったから例え他に用事があって抜けなくちゃいけなかったんだとしても、ジョジョファンとしてやっぱり勝ちたかったんだろー。それこそがジョジョ魂って奴だから。

 ちなみにこの百人一首、前作は1万8000セットも売れたそうだけどやや佳境から下がる4部から6部が題材で果たしてどれくらい売れるのか。でもこの女子ファンの増えっぷりとそして年齢の若返りっぷりを見れば「スティール・ボール・ラン」も含めて新たなファンが入ってきているってことなんだろー。何だかんだ行っても「結魂式」が成り立ってしまう「北斗の拳」と同様に世代を越えて愛される漫画になったものだけが成しえるビジネス展開。休刊相次ぎ市場規模縮小が言われる漫画市場なだけに懐かしさがあって新しさを加えられる“古典”がますますもてはやされていくと予想。でもやっぱり新しいものが盛り上がって欲しいよなあ、それが20年後の市場を支えるんだから。半世紀前の「鉄腕アトム」にいつまでもデカい顔させてちゃ、いかんよなあ。ミッキーは幾つだ?


【9月12日】 まるで錯綜する情報に一種のアートパフォーマンスなんじゃないかって懐疑も未だに消えずにいたりするんだけれどネットの諸所に断片的に上げられる情報なんかを見るにつけ、海外での拠点になってたワールドワイドな映像プロダクション集団の「パルチザン」がトップページで「Nagi Noda passed away on Sunday, 7th September 2008.」って書いてる以上はそれをそのまま信じるのが正しいんだろう。「野田凪さんは2008年の9月7日に逝きました」。うーん残念。なおかつそんな情報が出回ってから1日以上が経つのに国内主要メディアのどこもそれを確報の訃報として伝えていない所にも。そんなにマイナーか? そんなことはないだろう。だからまだ一種のパフォーマンスじゃないかって疑いも消えないんだけれど。どうなんだ。

 直接の面識なんてまるでなくってただ単に作品を通して名前を知る程度の人だけれども繰り出してくるキッチュなイメージのビジュアルは、好悪はともかくとして非常にインパクトがあった。広告とかプロモーションビデオのアートディレクションなんかが有名だけれど個人的には「ノイタミナ」枠の1発目に登場した「ハチミツとクローバー」のあのオープニングが強烈で、世間的には本編のイメージに合わないだのどうだのと不評をかこっていたけれど、YUKIのパンチがあるんだけれどどこか切ない歌声が、本編で繰り広げられる届かない恋心や入れられない気持ちといったものとマッチし、そこに重なったグロテスクだけれどどこか甘やかなイメージが目から脳へと届いて心を揺さぶってくれた。見ているうちにだんだと好きになっていったっけ。

ハンパンダたちとともに何処かへ  間接的には大日本印刷が「ギンザグラフィックギャラリー(ggg)」で行った個展のオープニングに登場した姿を見たのが最初で唯一でつまりは最後。着飾った姿で北島義俊社長なんかといっしょに写真に撮られていたっけか。居並ぶ巨大なパンダがゴムか何かで半身をコーティングされたオブジェの可愛らしさとグロテスクさが混じり合ったフォルムはなるおど「ハチクロ」のオープニングにも通底するセンスだと感慨。且つそれを作った人がスレンダーなお嬢様とあって興味も湧いたけれどもどこの誰も知らないメディアの雑兵如きが話せる人でもないと臆して遠巻きに眺めていたっけか。そんな小心者だから知り合いが増えないんだよなあ。かくして誘われず誘うこともなくインディペンデントにうろつく週末ばかりを重ねて淡々と老いていく、と。

 まあそれでもせっかくだからと、そこで売ってた半身がゴムのパンダはちょっと高かったからパスしてしばらく前に「六本木ヒルズ」で開かれた「ハローキティ」とアートとのコラボ企画「KITY EX」で売っていた、キティとパンダのコラボぬいぐるみが残って販売されていたんで購入。したけど今は家の部屋のどこかで「ちよ父」「ぷちこ」あたりと一緒になって埋もれてる。未だに疑問も残る訃報だけれどもこれが確報なら、いやたとえパフォーマンスであってもひとつのケリを付けたクリエーターへの敬意をはらい、掘り出して眺めて存在を偲ぼう。

 だからそれほどキャリアも持ってないのに自意識を過剰にさせて自分たちの暮らす内輪な世界を露悪気味に語ればファンも喜ぶんじゃないか的発想でもって描かれたメタレベル私小説は嫌いなんだよなあ、ってな思いも半分入って手にとって読んだらこれが! 何と! 面白いじゃあありませんか杉井光さんの「ばけらの!」(GA文庫)。舞台は池袋あたりでそのあたりにある古いアパートに暮らしながらライトノベル作家をしている杉井ヒカルの周囲に集う同業作家は全員が化け物。どうやら業界ではそれが普通らしくってそんな中になぜか人間なのに新人賞に通ってしまって作家になってしまったものだから、人間離れした(当たり前だよ化け物ななから)作家とそんな作家たちを御す編集者たちに手を焼きつつもそれなりに作家としての日々を送ってる。

 株やパチンコといったギャンブルにハマって仕事が手に付かない自称狼の末裔とかいう「イズナ」って美少女作家がいたりドカ食いしつつバリバリと書くアンデッドな「風姫屍鬼」って姉御な作家がいたりして、そりゃあ狼神を主役にした経済小説で評判の株好き作家や殺しと愛とか入り交じった作家じゃねえかって感じる人は感じてそれに辟易とする人はするかもしれないけれども別に気にしなければいろいろと特徴を持った作家の人がいるんだあと正面から受けつつそんな面子が繰り広げる、ドタバタとしつつも時に助け合ったりしながら暮らす日々のおかしさを感じて楽しめる。妖怪たちが群れるファミレスでウェートレスをして化け物たちの無体さに対して高飛車に振る舞うデニ子さんのキャラとか最高。末尾に来るニホンオオカミたちの思いが途切れて消えそうになるイズナを巡るエピソードとかも心にシンミリ。だから普通に読めば悪くない。

 悪くないんだけれどもそこに作家の側から露悪に内輪を重ねるような言動が出るとお前ら何をそんなに盛り上がってるんだって妙な感情を惹起しかねないのが悩ましいところ。ただでさえ最近は自著のあとがきなんかで池袋に仕事場を持ってライトノベル作家の何人かと同じ部屋でそれぞれが机に向かって、9時5時きっちりではないけど仕事をしているってことを明かしてたりして裏側を見せつつ内輪での盛り上がりっぷりを感じさせてしまってたりするだけに、そんな綺羅星の如くに輝く人たちの列へと加わり、毎日を愉快に過ごしたいってファンや予備軍の憧れを、いつかのパラレルクリエーションを格とした下北沢ネットワークみたく喚起しつつもそんな場に届きそうもない面々のいたずらな反感を、招いてしまわないかと心配。まあそれでもとりあえず誰もが内輪ネタじゃないところで活況なんでガス抜きしつつ創作の糧になっていると認めるのがここは良いのかも。どっちにしたって年寄りにゃあ遠い世界だ。

 遂に来たぞ羽生善治名人が名人位と並ぶタイトルとも言える「竜王戦」の挑戦者決定戦を制して渡辺明竜王に挑戦することが決定。勝てば間を置きつつ7期目で「永世竜王」の資格を得るし負けて渡辺竜王が防衛すればこちらは確か連続5期での「永世竜王」獲得と、どっちにしてもいろいろと見所の多い対局になることだけは確実。それよりも先に王位戦もあってこちらは深浦康市王位に羽生名人が挑戦中で1勝3敗の瀬戸際から2連勝して最終の第7局へともつれ込んで9月25日に対局と最前線での活躍が続きまくる。

 ここで羽生名人が勝てばえっと幾つ目になるんだろう、棋聖を獲得して棋王は敗れたものの王将王座は堅持しているから現在は4冠でこれに王位が加われば5冠で竜王まで奪えば6冠でさらに挑戦者決定トーナメントを勝ち抜き来年新春の棋王戦にも勝てば夢の7冠! って既に前にやっているから目新しくはないんだけれども10数年の時を経て、再び成し遂げられるって所にまるで衰えを知らないその棋力の凄さって奴が伺える。同世代のチャイルドブランドからその下の深浦康市三浦弘行久保利明世代から更に下の渡辺竜王橋本崇戴山崎隆之村山慈明と強豪揃いの中でのこの異形。逆に考えるならそれだけ羽生名人が飛び抜けているってことの現れなんだろう。名を知って20年以上になるのに未だ現役で最高峰。翻って我が身は瀬戸際のその先に両足が出て首に縄。下には逆さの針の山。ああ無情。まだ間に合うかなあ。


【9月11日】 そんな劇団「スタジオライフ」のメンバープロフィールを見ていたら松本慎也さんが次に立つ舞台の名前が「風が強く吹いている」ってなっていて、これは何だろう? 三浦しをんさんの小説と同名だけれど関係あるのかないのかどうなんだ? って調べたら、そのまま三浦さんの小説の舞台化だったよ驚いた。すでに漫画にはなっててそれなりに評判になっているようだけれども、読んでこれがビジュアル化されるんだったら真っ先に映画化だろうって思っていたら、漫画が先で次は舞台と不思議な進捗。どんな判断が働いたのかを聴いてみたい。まさかドラマ化映画化の申し込みがなかったなんって筈はないだろうし。

 もっともいきなり映画化されてどっかんどっかんと喧伝されてはみたものの、公開が終わってみたら後に誰も記憶に残らず本編もろとも陳腐化してしまうって例も幾つもあるだけに、多メディア展開でもってじわじわと認知度を上げてそして映画にドラマって大きなタイトルで更なる盛り上げを狙うってのもひとつの戦術。小説が盛り上がり映画が大ヒットしたのにドラマは誰も見てなかったって「恋空」の轍を踏まないよう、考えて出していくのもエージェントの仕事ってことになるんだろー。だからこそ映画化とかへの期待もかかるなあ。「KAT−TUN」に「嵐」で映画化とか、って足すと11人だから10人の駅伝チームから1人余るか。

 いやいやそれだとウェブでの展開が難しそうなんで、普通に舞台の面子でやったら面白いんじゃなかろーか。面子もバリ揃ってるし。主役なカケルは箱根9区の経験を持つ和田正人さんだし10区の最後を走って感動をもたらすハイジは「仮面ライダーNEXT」の黄川田将也さん。双子のジョージとジョータは森川心平に森川万平とイケメンな双子は演じるみたいでこれも映えそう。そして王子の松本さん。スクリーンに映えてその演技ぶりを見せてくれたらファンも増えて劇団にも足が向かってそして公演はプラチナチケットに……なったらちょっと困るかな。どっちにしても東京から富山仙台をまわって全国に行くみたいなんでそれが終わらないと映画も無理か。目指すは来年末の「箱根駅伝」ちょい手前か開けて再来年の「駅伝」に湧いた新春2弾。どうかなあ。

 つらつらと「月刊ニュータイプ」の2008年10月号。「コードギアス 反逆のルルーシュR2」関連の記事でDVDの次のおまけに笑う。「ロロぞうきん」。ってそりゃあネットのネタだろう? 「ぼろぞうきんのようにして云々」とルルーシュに言われて途端に吹き上がったネタまでをも取り込み商品化してみせるそのフットワークの軽さに脱帽。この勢いでカレンが学園祭の時に来ていた謎の動物「タバタッチ」の縫いぐるみとか、つけてくれたらさらに脱帽するんだけれど。ピザはさすがにナマモノだから無理か。いやいやどこかのスタジオはおにぎりをおまけに付けたぞDVDの。ただしプラスチックだけど。おまけにミニチュアだけど。あそこは今ならローソンと組んで「千尋のおにぎり」を商品化するところだよなあ。

 そんな「ニュータイプ」で村田蓮爾さんの絵を発見。新作アニメでスタジオはGONZO、ってことはそうかいよいよ再会したか「マルドゥック・スクランブル」って考えるのは早計も早計。同じSF方面でも池上永一さんの「シャングリ・ラ」のアニメ化ってことで村田さんの描いたキャラクターが密林と瓦礫の山となった東京あたりを舞台にどんな激しいバトルを繰り広げてくれるのかに注目。冠水した都市ってイメージなら村田さんキャラで「青の6号」ってのがあったけれども紀野真弓ちゃんは派手なアクションとかしてくれなかったからなあ。丸っこくってぷにっとした村田キャラのアクションぶりに注目。あとは最強のオカマちゃんだかの爆裂っぷりとか。声とかやっぱりちゃんと女声にしてあげようよ。

 なんじゃこりゃ。ってか本になったのか。かつて大昔に存在した「電撃アニメーションマガジン」という雑誌がありましてそこで2年ばかり書評のページを担当して4枚くらいの長い原稿とあと4冊の小さい紹介をやっていて、もう小説からライトノベルから漫画から画集からあれやこれや突っ込み紹介する無茶をやらせてもらって冲方丁さんの「ばいばいアース」とか「テンペスト」より早く沖縄を舞台にした歴史ファンタジーだったりする藤川圭介さんの「シギラの月」なんかを取り上げて今になって2年分とかまとめたら結構それなりに時代感も出るんじゃないかって思ったもののバックナンバーは手元にないし原稿はマッキントッシュとかの中で取りだし不能でメディアワークスあたりに揃っているならコピーして手元に置いておくなり古本屋でまとめ買いして倉庫に飾っておきたい気もあるんだけれどそれはともかく「クラブ・パンターニ」だ。

 「クラブ・パンターニ」。マルコ・パンターニってツール・ド・フランスで優勝だってしたことのある希代のロードレーサーだったりするその選手の禿頭で髭という妖しげな風体に刺激を受けたアニメ漫画イラスト業界に関わる大友克洋さんに寺田克也さんに北久保弘之さんって3人が、自転車好きってこともあって結成したのが「クラブ・パンターニ」って訳でそんな3人がこともあろーにアニメの雑誌にコラムを持って、3人順繰りに自転車話を描き継いでいったから驚いた。アニメ好きであっても当時に自転車まで好きって人なんてそうはいないと思っていただけに、大昔に「サイクルスポーツ」を読みベルナール・イノーの活躍に憧れ「少年キング」連載の「サイクル野郎」も読んで自転車に興味を覚えつつも終ぞ真っ当な自転車なんぞ買わずに終わった頭でっかちの目に、自転車について詳しい人がアニメな業界にもいたんだって映ってちょっぴり嬉しくなって毎月を貪るよーに読んでいた。

 でもしばらくたって休刊となって僕もお役ご免で「クラブ・パンターニ」も行き場を失ったのかと思いきや、どっこいしっかり居残っては「モノマガジン」あたりで連載をスタート。んでもってそのまま結構な年月を重ねていたそれが、昨今の自転車が讃えられる風潮が漂い、オタクな世界にも高千穂遥さんが一本木蛮さんと自転車に冠する本を出したり「アンダルシアの夏」って自転車がテーマのアニメまで出来たりしてそれなりにオタクと自転車が結びついた時代に「ビバ・イル・チクリッシモ!」(マガジンハウス、5800円)として蘇ったのも半ば当然って言えるだろー。むしろ先駆者としてもっと早く讃えられるべきだったけれども何せパンターニだからなあ、レモンやインデュラインやアームストロングといった強豪に隠れフィニョンにすら及ばない目立たなさ。最後はドラッグ禍か何かで亡くなってしまった傑人の名が、偉大なクリエーターたちの本とともに蘇るってのも実に喜ばしい。ビアンキのパンターニモデル、格好良かったもんなあ。何はともあれ懐かしく新しい自転車本の登場を喜ぼう。高いけど


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