縮刷版2008年5月中旬号


【5月20日】 細川護熙さんだって参議院の経験とか熊本県知事の経験はあっても主義院議員についてはまだ1期目って時に総理大臣に就任したから代議士経験の長さとは違ったパワーバランスの中でそーゆー総理が登場することもあり得るんだってことをやや滑稽なシチュエーションの中で風刺的に描いて見せたって理解でオッケー? あといくら仕事がしたいからといって目上云々ではなく先約としてあった会食をすっぽかすのは人間としてどーかと思うぞ、たとえ相手が陳情であっても約束は約束なんでまた来て頂戴その時にはいくらだっておつきあいしますと言えば、たとえ泉谷しげるだろーと分かってくれるし分からなければ話す資格だってない。常識と良識は永田町だろうがどこだろうが変わらないってことで木村拓哉さんの「CHANGE」。阿部寛が絡むとやっぱり圧倒的に面白くなるよなあ、深津絵理に加藤ローサを交えた4人が掛け合っている場面なんか最高に面白かったよ今後もそーした無駄口から生まれるユーモラスって奴を見せ続けてくれれば支持します。いよいよ次は総裁選か、阿部ちゃんの奇策炸裂か、ってそいうのもプランニングするのかな。

 相変わらずのとてつもないクオリティーで血が吹き出て血まみれになるシーンが午後の6時から繰り出されていて良いんだろうかと録画分ながら見て頭をぶんぶんさせる「ソウルイーター」だけどでも、人がバンバンと死んでいく「名探偵コナン」が相も変わらず午後の7時半ってお茶の間な時間に放送されてて世間的に何のおとがめもないんだから血くらい別に平気ってことなのかも、テレビ東京系だから日本テレビ放送網よりネットの範囲も狭いし。でもってあの世界にはイタリアって国が存在するのかと理解。そーいや前にキッドがエジプトだかにも飛んでいたから「死武専」がある地域以外はとりあえず現実を模してるんだよなあ、ってな割にはお月様とか血涙流していらっしゃる。どーゆー月だ。エピソード敵にはマカとソウルしか出てこずお気にな二丁拳銃のトンプソンしまいのデカい方に会えなかったのが残念。その分はオープニングのちょびっとな映像で補充。というかオープニングで輪の中でぐるりと開店する椿の肉体が凄すぎ。鍛えられているっぽい上に背中越しに横にちょろりとはみ出している。でも先っぽは曖昧。巧みの技だ。

 とか妄想に微睡んでから起きて仕事に行く途中の秋葉原で劇場版「空の境界」の第1話「俯瞰風景」のDVDをとりあえず確保。3巻まで買いそろえればテレホンカードとやらがもらえる店ではなかった上に、朝も1番だったんで普通に手に入ったけれどもこれがあれこれ付く店だったら、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」の特装版以上の争奪戦の果てに、品切れなんて事態に直面することもあったのかな。劇場での公開だって1度だって見に行ってないユル過ぎる人間なんで、テレカの1枚にこだわるだけの気迫はちょっと抱けないんだけれども、上映されている劇場の伝わってくる混雑ぶりから考えると相当な手練れのマニアが少なくない数いて、ありとあらゆるグッズを集めているっぽいから正式発売日の明日にはもはやどの店でも、ご対面とはいかない可能性もありそー。ちょうど秋葉原に行く用事もあるんであちこち回って様子をうかがってみよう。余ってたら買い直すかってーとうーん、テレカのデザイン次第かな。

 しかしビジネスとして考えるとちょっと面白い構造をしているなあ、この「空の境界」の映像化って。テレビ放送はなく劇場でもって7話だかを順次公開した上で、DVD化して発売していくって寸法はOVAとしていきなり出すよりもなるほど広く告知が行き渡るけど、その分改めて買ってもらえるかってあたりがちょっと謎。だってテレビだったら無料で見られるし見られないOVAだったら買ってはじめてお金を支払う。劇場版ってのはそれだけで入場料が発生する訳で2000円とはいかないまでも1000と数百円を支払い劇場で見た上で、さらに5000円だの7000円だのを出してDVDを買うという、2重の出費を強いられることになるんだけど、そーした部分への異論ってのはあまり聞かない。見られる劇場が少ないってこともあってDVDをファーストウィンドウと位置づける人が圧倒的に多いこととあと、劇場で見てもなお買いたいって思わせるだけの内容を持っているってことなのかな。あの時間帯で劇場まで見に行く人は最初っからDVDだって買う剛の者。そんな人たちの発進する情報が劇場で見られない人にも響いて購入を促す幸せな関係が、この場合は出来ていたりするのかも。だったらいったいどんなクオリティなのか、確かめたいけど時間がないなあ、まだ見てないんだよDVDで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」のDVD。

 そんなDVDを月に5本も10本も買うことに比べたら、新しく登場したライトノベルのレーベルの新刊をひとそろい、まとめて購入したってせいぜいがDVD1本分。たいした金額じゃあないって思えば思えないこともないけれど、振り返ってみれば僕が高校生とかだった自分にDVDの1本すら買っていたかというと、DVDなんて存在していなかったからそいつは出来ない相談だとして、相当する5000円だか6000円の金額を本に支払っていた、なんてことは全然ない。「SFマガジン」に月2冊の「POPEYE」にあと新刊のSF文庫と「グインサーガ」みたいなJAが数冊に単行本が多くて1冊、なければゼロ。高校3年生になった時には新潮社から「筒井康隆全集」の刊行が始まったんで月にそれで1500円が取られるよーになったけれども、その分が上積みになったという記憶はない。そもそも親が小遣いくれないんだから上積みさせようがない。

 しかるに高校生あたりをおそらくはメーンターゲットにしているライトノベルのすべてを現時点で補則しようと思ったら、5000円ではひとつの小規模のレーベルがやっとで電撃文庫はまず無理で、全部のレーベルを読もうとしたらDVDのそれこそ10本分くらいの金が飛び、なおかつDVDの10倍の時間を読み終えるまでに必要としそう。DVDならそれでもお金周りの良い大きな子供の人たちが財布の紐をゆるめてくれるってビジネスモデルも想定されているけれど、ことライトノベルの世界でそーゆー本来から外れた層を当てにせざるを得ないほど、出版点数が拡大している状況ってのが向かうだろう将来が、いったいどんな姿になるのかに、目下のところ興味が及んで尽き果てない。

 今日も今日とて一迅社から刊行された新レーベルの7冊をまとめて購入してそれで幾らだっけ、5000円くらい? でもって「MF文庫J」からも新刊が出ていて話題のシリーズも含めて4冊だか5冊だかあって揃えれば2000円3000円が吹き飛ぶ。富士見ファンタジア文庫もご搭乗で「スレイヤーズ」の出し直しなんかも含まれていてコンプリートすればやっぱり5000円コースか。1日でだから1万5000円とかもっていかれるライトノベルを、その日以外の刊行も見据えながら全部買うなんて高校生あたりには無理も無理。それどころか1つのレーベルのコンプリートだって無理でこれだけ出ていてせいぜいが2冊か3冊を選びレジに持っていくくらいだろー。人気が集中しがちな昨今の傾向を踏まえれば、外れた残りの10冊だか20冊はだからそのままひっそりと埋もれ消えてしまう可能性がそれなりの高さであったりしそうで、いったい誰のために書かれ誰のために出されているのかが分からなくなって来る。

 無駄って訳ではなくってそうして生まれた中から大輪となるものだってあるだろうけど、競争が激化すればそーした埋もれてしまいそーな中から引っ張り出される確率もぐっと減ってしまう。1つ当たればレーベルのすべてが潤うなんて麗しい構図もこれだけレーベルが増えてしまうと分散も行き届くだろーから難しそう。トータルでは冊数は減ってなくても1社あたりの利が減り倒れる連鎖が続けば、そしてその連鎖が評判を痛め関心を薄れさせる結果を招いたら、市場そのものが雲散してしまう、なんてこともあったりするのかそれとも強さは正義と強力なタイトルを引っさげた所が勝ち残って帝国を築き地位を固めまくるのか。

 もはや中高生だけではリクープは不可能と大学生から20歳代30歳代をもターゲットにしたカテゴリーへとライトノベルがクラスチェンジを果たし、市場の広がりによって維持を図るというのならそれも結構、というかそうせざるをないのが実状だし、現実にこの歳で楽しんでいたりする人間もいたりする訳で、かくして日本の読書界はライトノベルが席巻し、大学読書人大賞どころか本屋大賞も推理作家協会賞も泉鏡花賞もノーベル文学賞までもが、ライトノベルより選べる事態なんてものが向こう30年のうちに到来するって予言したら叶うかな。そんなこんなを言い訳にして今日も今日とて漫画みたいな表紙の文庫を電車で堂々と広げて読みふけるのであった。一迅社は初回7冊かあ。今週中に読み切れるかな。


【5月19日】 えっとナナリーがルルーシュの妹だってことはカレンは知っていてちゃんと覚えている訳で、でもってそのナナリーが皇女殿下で「エリア11」の新総督として赴任してきたってことはつまり兄貴のルルーシュも皇子殿下であらせられたってことを、知ってそうだったんと驚くのが普通の反応じゃないかって思えたけれどもこの1年、ゼロが捕らえられ仮面を剥がされ記憶を書き換えられた後、ルルーシュ・ランペルージとして生活してきたのをC.C.と各地を放ろうしながら見守り奪還のために計画を練っていた訳で、どーして記憶を書き換えられなくてはならなかったのか、でもってその記憶とは何かをカレンも当然知っていたってことになるからナナリー新総督就任の場で、改めて驚かなくって別に不思議はないってことで。

 しかしナナリーの幸せこそが何よりの目的でそのためにゼロになって「黒の騎士団」を結成して戦って来たのにそのナナリーが幸せにも安定した総督の立場にカールおっさんの差し金ではなく自らの意志で就き、「優しい世界」のために頑張り始めたのにそれぞゼロとして立ちふさがって妨害したら、ルルーシュの目的と矛盾が生じてしまう。だからこそもう止めようって逃げ出したのにシャーリーやリヴァルやミレイが花火で戯れている様をみてナナリーが幸せに、ではなくみんなが仲良くできる社会を作ろうだなんておよそ初期の怨念を外れた理由をつけて再起するとはいったいどういう了見なのかと、仮面をはがして問いつめたい気もして来たけれどもそれでこそ午後5時のプリンス、深夜のピカレスクとは一線を画して行かざるを得ないってことかあるいはこの後に更なる悪漢ぶりを見せてくれるのか。「ブリタニア人は全員が腕立て伏せだ!」。そりゃ大変だ。

 それにしても知らずどこにでも浸透しては爆弾手料理を食べさせるセシルさん。今回の被害者はギルフォード卿だったみたいだけれども直接食べた描写はロイドさんだけ。独特な食感のライ麦パンに黄色いウコンと甘い和三盆を練り込みそしてわさびを塗ったサンドイッチってそりゃあ中に何も挟んでないに等しいじゃないかと思うんだけれど遠目にはマスタードが塗られレタスでも挟み込まれているように見えたのかな。皿の上には三角にカットされたものが3つってことはあと1つあたってことでそれをきっとギルフォード卿も食べたんだろう。だからこそロイドさんが手にした瞬間に微妙な表情をした、と。ギルフォード卿っていったら総督代行とかやってる偉い人。なのに病室が検査入院したスザクと相部屋ってのはそれだけトウキョウ租界が狭くって、ナイト・オブ・ラウンズであっても騎士であっても個室を与えるほどの余裕がないってことなのか。残された2つをギルフォード卿は食べきったのか。監督に会ったら聞いてみたいなあ、ってそこかい聞く所って。

 寡黙な割に残酷そうな幼い少女、っていうと「コードギアス 反逆のルルーシュR2」ならアーニャ・アールストレイムってのがいたりして、見た目の華奢とは不釣り合いなモルドレッドって重武装型のナイトメアを操り4連のハドロン砲をぶちかましたりしてくれちゃったりしているけれども同様に、倉田英之さん原作でokamaさん絵のファッション格闘SF(なの)漫画の「CLOTH ROAD」(集英社)では第6巻が登場しては美美介が連れていた幼い少女のジュリエットがガーメントに引っ張られては潜入して来たフェロやマチュピチュと戦ってはほとんど一方的に粉砕してしまう。ちょっと強すぎ。

 ニケのトップモデルで俊足俊敏なマチュピチュですら片手片足を輪切りにされて蹴散らされてしまうから凄まじいというか。こんなジュリエットでもガーメントの配下に群れている人たちの間では抜きん出た存在ではなさそうで、そんな奴らに守られそして死ねと言われれば一切の反論なしに身を散らし、血でもって香りに紛れたフェロをあぶり出すくらいの忠誠心でもって敬愛されているガーメントを相手にファーガスとジェニファーがいったい何を出来るのか? ってなあたりが興味津々だけれども真正面から戦うまでにはあとどれくらいの巻数を積み重ねることになるのかな。そしてどれだけの死が待っているのか。フェロとマチュピチュの敵なのに助け合い最後は共に沈黙する最期に涙。アーニャもそんな涙を誰かに流させるのかそれともとっととご退場へと向かうのか。モルドレッドのパワー以外の凄さが見えないもんなあ。

 壮大さ緻密さじゃあやっぱり田中芳樹さんの「銀河英雄伝説」にかなわないって感じだけれど、身近さ親しみやすさって点なら遜色はない面白さを持っている小河正岳さん「ウェスタディアの双星」(電撃文庫)。星間であれやこれや帝国だか共和国だかが力を拮抗されている間にあって聡明な王により中立を維持していたウェスタディア王国の要の王が死去。それならば聡明さでもって育成していたであろう跡継ぎを担ぎ、聡明さを慕い集まっていた家臣たちが一致団結して国難に立ち向かって不思議じゃないところを聡明さっていうのは時に自己中心的になるのか、後継者は育っておらず家臣団も弱腰揃い。近隣のラミアム大公国が攻めてくると聞いて家臣宰相から果ては跡継ぎの王太子までもが逃げ出してしまうっていう前代未聞の事態に陥る。なんてこった。

 まさになんてこったな事態に商人から外務卿へと抜擢されたチェザーリは修道院だかに出ていた娘ルシリアを引っ張り女王に担いで対抗を画策。といっても傀儡ではなくそれなりな聡明さを持った女王だったことから残った誰もが頑張ろうと感じ、そして敵国と対面する場所では癖のある将軍のバドエルと、若いながらも聡明な参謀アルファーニのコンビが少ない艦隊を頑張り指揮して向かってくる敵を打ち破り、ラミアムの大公すら屠って勝利を得たのも束の間、秩序を乱すとラミアムの宗主国にあたるロキア統星帝国が戦線を布告しやって来たからたまらない。そして第2巻の「幸運の女神(?)降臨の章」ではまずは前に敵として退けたラミアムに入ってロキアを迎え撃とうと画策するものの、ラミアムを守っている若い将軍ユリアヌスがなかなかな腕で手こずっていたところにロキアの大軍が到着。したと思ったら保護すべきラミアム大公国を侵略にかかったからもう何が何だか分からず、三つどもえに加えて帝国と向き合うルフェール共和国も絡んだくんずほぐれつの事態が到来する

 ひとつひとつの戦闘のリアルさシリアスさではやっぱり「銀河英雄伝説」に一日の長があるけれど、どこをどう押せば何が起こり、それが起こればこれがこうなるといった戦略的な部分の見え易さはあって読んでそうなんだって納得できる。女王様なのにブドウ畑を耕すのが好きなルシリアのキャラクターが全体のやや後ろに下がり気味なのが気にかかるけれども一層の国難が待ち受けているだろう展開の中で、戦術と戦略の鬼たちとはまた違った活躍をきっと繰り広げてくれるだろう。双星はバドエルとアルファーニのコンビに限らないっていうからにはきっと、ルシリアと対比すべき逸材も出てきては銀河をめぐる攻防と、そしていっそうの発展って奴を見せてくれると思ってこの先を待とう。アルファーニに迫る女の子の将軍様、ロゼリエッタのぞっこんぶりがルルーシュに迫る神楽耶みたいだなあ。


【5月18日】 羨ましいぞ万城目学。羨まし過ぎるぞ万城目さん。王朝の赤であるところの浦和レッドダイヤモンズと、蒼天そのものの青を象徴色に掲げるガンバ大阪の騒動がどうというより、これより天下を糺すと意気込む黄巾のジェフユナイテッド市原・千葉が勝利した試合のリポートを読もうと買った「スポーツニッポン」の2008年5月18日号に登場していた栗山千明さん。おかっぱ頭に黒縁の四角い眼鏡をかけた顔はまるで大木凡人さんそっくりだなあと思い記事を読んだら何と! 何と何とあの万城目さんの小説「鴨川ホルモー」の劇場映画にヒロインの凡ちゃんとして栗山さんが出演するとの報ではないですか。

 つまりは原作者としてこれから栗山さんを撮影の現場で見かけるどころか原作者としてお目通りして、あまつさえ会話する機会もあるかもしれないということでああ羨ましいニクらしい。たとえ現場では凡人頭で黒縁眼鏡の姿であっても内より放たれる黒魔術的なチャームは不変。見えれば得られる至福も絶大と想像できるだけにやはり羨望をもって眺めるより他にない。嫉みすら生まれ凡ちゃんならぬ栗山さんが使役するオニに群がられ囓られてしまえば良いのにとすら思えてしまうけれども、使役しているのが栗山さんだと考えればそれもまた至福の時間に他ならない。どっちにしたって羨ましいので万城目さんには撮影の現場を見ていただくという企画をセットした上で、現場には凡ちゃんならぬ凡人さん本人に来ていただいて終日、万城目さんに接していただくドッキリを仕掛けて差し合えて下さいな、DVD化に向けた得点映像の余興として。いやまあそれもそれで楽しい1日にはなりそうなんだけれど。

 DVD化と言えば3月まで放送されたドラマ版「鹿男あをによし」「DVD−BOX ディレクターズカット完全版」が凄まじくも素晴らしい。キャストや原作者へのインタビュー映像は言うに及ばず現地にロケして得た情報をもとに「斎藤くん」と「堀田イト」ちゃんがナレーションを被せてナビゲートする観光ガイドにもなりそーな映像や、評判になりまくって見物客が増えすぎ怯えて鹿が走らなくなってしまったらしー例のエンディングの鹿疾走映像を、カラーでもって収録しているというからやNHKの大河ドラマで鎧武者を背に疾駆する馬たちの爆走にも勝る迫力を、目にも見せてくれるんじゃなかろうか。いや見せてくれ。

 ほかにも当該のエンディングをノンテロップで収録した映像もあり、さらには鹿の声を演じた山寺宏一さんが司会役となってキャストや万城目さんと語るオーディオコメンタリーも入っているから素晴らしい。天下に鳴る山寺さんをして超ベテランのリチャードこと児玉清さんといったいどんな会話を繰り広げてくれるのか。生真面目な演技を見せた玉木さんがどんなにはっちゃけてくれるのか。綾瀬はるかはやっぱり綾瀬はるかなのか。万城目さんの飄々としたペースに果たしてバズーカ山寺のマシンガントークはしっかり絡めるのか、等々。こんなに興味をそそられる特典って他にない。

 おまけは鹿フィギュアならぬ例のサンカク。もらっても地震は止められないけどお守りくらいにはなるかもなあ。それだけ詰まって税抜き2万2000円だからドラマって素晴らしい。キャストを考えると1話あたりの制作費だってアニメに負けてなさそうなんだけれどもこの易さってのはそれだけ市場が広いと見込まれているからなのか。うーんだったらアニメも万人に受けそうな素材を選べば良いってことなんだけれどアニメってだけで壁があるのが実状だからなあ。「ノイタミナ」枠なんかがそれを変えようとはしているんだけれどさてはて。「図書館戦争」はどれくらい売れるかなあ。いずれにしよ万城目さん羨ましすぎ。やっぱり作家として映画化される原作を書くしかないのかなあ。滝本竜彦さんは雪崎絵理ちゃんを演った関めぐみさんに合ったのかなあ。蹴り飛ばされたいよなあ。

 現役感バリバリなシリーズがふと気が付くと別な会社の文庫から真説版とか銘打たれて刊行されていたりするこの戦国下克上的なライトノベルの世界にしちゃあ同じ会社のミステリーからファンタジアへとするりと抜けることくらいはまるぜ全然平気な事態。とはいえ海冬レイジさんの「幻想譚グリモアリス1 されど魔刃の名のままに」(富士見ファンタジア文庫)あたりになるといったい前のミステリー文庫版とどいうつながりがあるのか、っていうかそもそもどういう話だったかが思い出せずそっちの3冊を読んでおかないといけないんだろうかって気遅れもするけどまあ仕方がないので黒ヤギ白ヤギなバトルから移籍したらしいと語られている浅井ラボさん「されど罪人は竜と踊る」(ガガガ文庫)はんかも含めて購入。「スレイヤーズ」の新装版はまあそのうちに。

 でもってやっぱりミステリー文庫から“移籍”になるっぽい北山大詩さん「神聖のレジスタ1 リリーアの子どもたち」(富士見ファンタジア文庫、580円)を読んだらこれが面白い。幼い頃に両親が目の前でバス事故で死んだはずなのにそれを覚えていない少年が迎えた高校生活。現実の世界とは違いひとつの宗教的な教義に全世界が覆われていたりしていて、そして覚醒すると神が見えるようになっていてその中でもさらに顕現の度合いが強まると、奇蹟っていうか超能力を使える子供たちも誕生する登場して来ていた。

 歴史にも違いがあって日本は戦いに破れて国連米国ロシア中国に分割統治されていたりして、そんな中にあって少年は未だ覚醒しないまま学校でも優等生の少年とつるんで適当にやっていたところに変化。まずは街で起こったテロ事件の現場で出動して来た対テロ組織のLCATが仕事している最中に、何者かに襲われ幾人かが霧のような姿になって消えてしまう様を目撃する。顕現どころか覚醒すらしていないにも関わらず、危機を察知して危険だ逃げろと叫んだ少年はその場で昏倒し、気が付くと寮で寝ていて何かがあったらしいということを聞く。

 そして朝方に領に届けられた謎の小包が消えてしまっていったいどうしたんだろうと訝り、テロ現場で見かけそして再会した際に転校して来たと名乗った少女も伴い調べに出たところで、ホームレスたちが霧のように消えてしまう集団に遭遇。そしてその場に居合わせたLCATの女性指揮官ともども事件に巻き込まれ、その事件の首謀者扱いされて追われる身となり更には捕らえられてしまう。いったい背後に何が動いているのか。鍵は記憶を失っている少年の過去にありそうで、覚えていない両親の遺産めいたものが及ぼす影響の恐ろしさが発動する中、失った記憶を取り戻し強大な力も顕した少年が再会した少女ともども立ち向かう。

 親友との哀しい別れもあって、その彼に期待していた未覚醒故に差別され貧乏暮らしをしている両親の被るダメージも含めて切ない気分が湧いて出るけどそんな親友との“再会”めいたものも経て、いよいよ始まる強大な敵とのバトルって感じから先への期待もあったりする。教会が何にも勝る支配者的な存在となっている世界なだけに、国連だって教会の影響から独立しているとは言えないだろうはずなのに、その教会が力を顕現させた子供たちのことを良くは見ていないにも関わらず、力を持った子供たちが参画してテロと戦う組織が出来上がっているという権力の構造がちょっと面白い。宗教力が弱まっているのか。神への憤りが世界に溢れてきているのか。ほかにもロシアに中国といった大国の思惑も入り交じりテロ組織まで出張ってきているくんずほぐれつの状態で、少年と少女が何を正義の拠り所として戦うのか、教会か人命か家族かそれともすべてを倒して新たに切り開くことになるのか、といった辺りを見据えて先を読んで行こう。

 見かけた少女は得体の知れない力の持ち主。でもって普通だったらそんな力を見られるはずがないのになぜか少年には見えてしまったからさあ大変。少女に気づかれ引っ張り込まれてパートナー的な立場で敵と戦う羽目になる、ってプロットの一方は狗牙って魔物を相手に剣を振るうている少女が出てきてその剣をなぜか胸から体に取り込んでしまった少年を引きずり込んで敵に立ち向かうことになる舞阪洸さんの「狗牙絶ちの劔 刀と鞘の物語」(富士見ファンタジア文庫)で、もう一方は演芸大好きな少年が背中に薔薇の花を背負った少女を見かけついていくと植物のお化けと戦っている場面に行き会わせそして少女から自分を舐めろと迫られる桜こうさん「僕がなめたいのは君っ!」(ガガガ文庫)のさてはて、どちらに軍配を上げようかと迷う今日このごろ。

 つか何かそいういうのって多いよなあ、「灼眼のシャナ」の影響か何かか、それより以前にも似たのがあったか、まあいいやとりあえず「狗牙絶ちの劔」はイラストが可愛らしくって剣道少女が世間知らずの真面目さとお菓子大好きな少女っぽさが同居したキャラでその師匠が見かけは女の子なのにとんでもない歳っぽいといったキャラクターの特質が際だっていて眼にも麗しい。「僕なめ」はなめるってところにばかり注目を集めさせようとしている煽りがどこか形式ばってて半歩身を引いてしまうんだけれど美少女に花を背負わせるビジュアル的な面白さはあるし悲しみを背負った少女を癒す展開も嫌いじゃないんでまあこちらも、続くんだったらとりあえずは中身を確かめて行こう。「狗牙絶ち」な世界ではちなみにウテナってアニメが存在するそうな。意味は分かるね。


【5月17日】 50歳を超えてるよーな人たちに向けたかのように20年遅れのロートルな話題で埋め尽くされてる文化紙面を作ってる部署へと行って入り口で「文化してるーっ?」って叫んで逃げるピンポンダッシュをしてやりたくなって来た今日このごろ。発進から吶喊へと向かう場面でやっぱり「射手座☆午後九時Don’t be late」はぴったり来るもんだと感じつつ見た「マクロスフロンティア」は、そんな歌とのシンクロとはまた別に進化系テクノロジーの姿って奴を見せてくれているのが良いところでもりました。

 そりゃあ戦艦がロボットになるよーな突拍子もないものもあるけれど、ってかれを言うなら飛行機がロボットに変形するのだって25年経っても未だ不可能な技術だけれど、、一方に例えばランカの持ってるコミュニケーターだとか、シェリルがステージで見せる現実にCGのようなグラフィックスを重ねるオーグメンテッドリアリティ(拡張現実)の概念を応用したよーな衣装の転換なんかのよーにあと半歩、進めば出てきそうな技術の数々が新鮮な上にリアル感があって、そんなリアル感に引っ張られていくに戦艦だって本当に人型に変形するかもって思えて来るから面白い。いややっぱり戦艦はあと100年経ってもトランスフォームはしないよな。そもそも戦艦が宇宙に出るのだって、ってそれを言ったらすべてがおしまいになるからそこは見ないふり。

 今回だとオズマ・リーが戦闘場面で見せたミサイル発射時の視線入力の技術なんかがすぐにでも実用化するか既に実用化されていそうな雰囲気。モニターを見てそこに映し出されている敵バジュラのメカをめまぐるしいスピードで目玉を動かし目視・確認するとそれが自動的にインプットされてミサイルへと伝わり、あとは自動追尾かあるいは事前の瞬時の位置計算による推定移動先へと向かい発射されて撃破といった寸法に、進化した戦闘の様って奴を見せてくれた。なぜか人気の「ケーニッヒモンスター」で甲板に降り立ったカナリアも重火器を発射する際に撃ち落とされたくなかったら視界から消えろって言っていたから同様に視線入力の機能を搭載してるのかな。

 今時のテクノロジーって言えばデジカメだってレンズから入ってきた画像を分析して瞬時に顔とかを識別して、そこにピントを合わせてしまうくらい進んでいるから戦闘シーンだって敵の識別くらいはコンピュータがすべてやってしまっても不思議はないんだろうけれど、それだと同じ形の入り交じった戦場では不向きだし、かといって敵味方識別のビーコンが常に飛び交っているとも限らない中で、人間の長年の勘と経験に裏打ちされた処理能力って奴を取り入れ組み合わせることによって、より正確でより強力な仕組みを作り出せるんだと見るべきなのか単にそれをやらないと、人間の出る出番がなくなってしまってアニメーション的に美味しくないっていうことだけなのか。ともあれオズマの目玉はぐるぐる動くと。その動きでもってランカ・リーを毎朝毎晩瞬時に識別しては発達具合を瞬時に把握しているに違いない。1センチ膨らんだとか。メイドガイアイとどっちが上だろう?

 せっかくだからと「デザインフェスタ」。もう何回目くらいになるんだろう、10年位は通っているような記憶もあるけどはっきりしないけれどもともあれ回を重ねるごとにメジャーになっていく感じで訪れる人手も多ければ出展する人たちも新顔が増えて実に賑やか。毎回それなりな発見があって面白い、って言ってもとりあえずのぞくのは前に見て気に入ったブースで前回2007年11月が初出店だった鎌田光司さんって人のブースでカエルとかネコとかトリとかをモチーフにしたフィギュアを鑑賞。メカなんかと同化したカエルとか王様然としたカエルとかお茶目な雰囲気のネコとかいった具合にオリジナリティ溢れるデザインの品々を、レンジで焼ける樹脂か粘土で作ってそして色を塗って出している。その完成度の高さは素晴らしくって行き交う大勢が脚を止めて見入ってた。

もはや商品級の完成度。ブランドがアイテムとして売ったって不思議じゃない品物が手がるに買える、それがデザフェスの素晴らしさ  小さいアクセサリーっぽいのもあれば大型で数万円はする置物もあってとりわけ大きいものは細部まで凝った意匠でそのまま幻想文学とか海外文学とか純文学の単行本の表紙に配してもぴったり来そうな雰囲気。「ワンダーフェスティバル」には4回くらい出ているし先週の「GEISAI」にも出ているから少しは知られては来ているとは思うんだけれど検索してヒットする感じもないいのがちょっと不思議。「GEISAI」なんかだとアーティストの人たちにそれなりに関心を持ってもらいながらも受賞とかにはまるで至らなかったのは、造形物として既に完成され切っちゃっているところがアートっていうコンセプトからその背後のパフォーマンスまでも含めて考えなくちゃいけない厄介さを持つカテゴリーにあまりそぐわなかったのかもしれないなあ、いやしかしきっと目を付けた人はいるに違いないからいずれ遠からずのメジャー化に期待。

 でもってすぐ裏手にある今回が10回目っていう網ぐるみ作家さんとか前にエロっちいTシャツを買ったCGクリエーターのブースとかを見て回りCGクリエーターのブースではPマンにも再会し(何時以来? SF大会以来?)てそれからこれも前に貂蝉が描かれたTシャツとか黄巾賊バンダナを買った三国志グッズ専門の「赤兎馬」で今度は緑に黄色って実にジェフユナイテッド市原・千葉してるジャージを購入。ジェフ千葉で巻選手が100ゴールを上げた時に作られたジャージにも似た色なところも良いけれど、背中に「蒼天己死黄天当立歳在甲子天下大吉」って超有名らしい四行詩が1本で縦に張り付けられているところが実に雅やか。黄巾の乱の時に張角が掲げたスローガンで、意味は確か漢王朝が腐敗している今こそ黄色が天下を取る時だ、とかいった内容だからこれまた反抗へと向かうジェフ千葉にこれほど相応しいアイテムもない。

 いっそそれならジェフ千葉がこいつをオフィシャルなアイテムとして採用して「フクダ電子アリーナ」で販売すれば良いのにとすら思えるけれども割ととっとと黄巾の乱って鎮圧されてしまったから倣うのもあんまり縁起でもないのかな、いやしかしそうも言っていられないのが今のジェフってことでさっそくジャージを着込んで背中に文字を翻し、浦和レッドダイヤモンズ王朝ならずともとりあえずは蒼い相手を撃破すべく「フクアリ」へ。もっぱらの観賞場所となっているSA自由席のアウェー側前列にて見た試合はやっぱり最初は左サイドの青木良太選手が前へと進めず代わって右サイドでフォワードなはずの新居辰規選手が張りつき突破を重ねる攻めを中心に展開する。

 右ではだから前目に谷澤達也選手が走っては受けてドリブル突破に挑む展開の中で次第に相手にプレッシャーをかけてそして右サイドからの短いクロスにフリーになってた谷澤選手が頭で会わせて得点という、見事な展開でもって1点を先取する。BGMは田村ゆかりさん「童話迷宮」。前の試合で2回目くらいのローテーション時に得点が入ってラッキー曲となった「射手座☆午後九時Don’t be late」をかけた後にいろいろテンポの良いアニソンを「iPod」から選んで流していた中に入っていただけなんだけれどもこれでラッキー曲が2曲になった。しかしやっぱり「射手座…」をバックにすると試合も面白く見えるなあ、選手たちの動きが走り止まり迎撃して走るバルキリーに見えてくるよ。

 斎藤大輔選手のとんでもない弾丸ミドルが決まりそうで西川周作選手にはじかれる不運もあったりレイナウド選手のヘッドがやっぱり西川選手にはじかれたりと惜しい場面の続出に不安も浮かんだけれども8枚のブロックでがっちり守る守備は容易には突破できなかったみたいで無得点。高さには飛び上がり低いところでも頭を下げて突っ込むエディ・ボスナー選手の守備が兎に角鬼のよーで、その前で斎藤選手がさばき下村東美選手がつっかけ守り抜く守備に、これまで幾度となく打たれては得点となっていたミドルシュートがほとんどなくなり失点する恐怖感がぐっと減った。今までだってやってやれなさそうなことがどーして出来なかったんだろう? そこが監督の差って奴なのか、だからサッカーって面白い。そんなこんなで連勝、未だ最下位ながらも光明は見えた。やはり聞いたか「蒼天己死黄天当立」。


【5月16日】 男の恋は並列保存で女の恋は上書き保存とか何とか7歳の紫相手に吹聴して、男の扱いも女の心根も全部ぜーんぶ見透かしているだよってな感じに超越的で超人的な存在と思わせておいて実は、自分が1番男の気持ちを分かっておらず女の感情も客観視できていなかったんだってことを暴露してしまって、武藤環ってキャラクターの本質にあった身勝手さというか未熟さを示しつつ、日向ぼっこのような腐れ縁的なシチュエーションに堕していた五月雨荘に波風を立てるきっかけを作って見せる。

 その一方で九鳳院の家におけるしきたりとしての男と女の、どこか退廃的で耽美的な関係を示しつつ、その限界を見せることによって環の一件と合わせて欺瞞的な関係の息苦しさを浮かび上がらせ、そんな間にあって無垢ながらも高い理解度を誇りながら、ひとり自由に思考する紫の振る舞いに、人間として真っ当に真っ直ぐに生きるってことの正しさ美しさを感じさせるといった流れが実にリアルでナチュラルで驚く。

 普通だったら気恥ずかしさと痛々しさに目をつぶり耳をふさぎたくなるような類の会話なり、展開なはずなのに、自然な流れの中から強がりで意地っ張りで、臆病で恥ずかしがりな人間の心情がしずしずと染みて来て目を離せない。見る人の気持ちのここを過ぎれば辟易さが生まれるかもしれないと抑え、かといって沈めたままにはしないで引っ張り上げる心理のコントロールに長けた1編。「紅」第7話はその意味から前週のミュージカル炸裂さった第6話に勝るとも劣らない問題作であり傑作として、語り継がれることになるんだろー。

 原作は伝奇的に超常の輩が跋扈する世界の物語。突拍子もないシチュエーションで記号的なキャラクターたちがフィクション的な大見得を切って楽しませてくれるストーリーを題材にしながらも、すべてにおいて等身大のリアルでシリアスな人間ばかりで描かれた世界に押さえ込んで描いてみせて、それでいて「紅」って作品が持つ本質は失わないで通す。そんな案配を見せる松尾衛ってクリエーターの技っぷりにとにかく感嘆。原作ファンの毀誉褒貶は招いているけれど、ドラマでだって最近は大根な役者を視聴率的にキャスティングせざるを得ない現場で学芸会以下の演出がまかり通っている中で、優れた役者を集めた上で演技させ、そこに優れたクリエーターで絵を宛て演出してみせた効果がこのリアルさと、それでいて実写では得られない面白さにつながっているのかなあ。やはり演出論の専門家とかに方って欲しい作品だね。

 私生活とかあんまり見せなかった環さんの“正体”が露見してもなおひとり闇絵さんだけはどこか不思議なところを残していて、一体何を考えているのかそもそもどんな仕事をしているのかといった辺りが謎めいていたりするけれどもそこに果たして松尾さんは切り込むか? 原作なら軽そうで実は強い環に妖しそうで案外にしたたかそうな闇絵といった配置を通して背後に五月雨荘の不戦のルールを両者に認識させていたりと背後に何かを仄めしているけれど、アニメ版はそうしたキャラクター設定とは無縁のところでリアルな造型を目指しているだけに何かやってくれるかも。でもずっと単なる有閑お姉さんのままで行ったりして。

 内面が露見し過ぎて崩月夕乃はベタベタぶりばかりが浮かび崩月流の跡取り娘としての最強さが引っ込んでしまっているのがやや残念。このままただの鬱陶しい小娘で終わらせるのかそれとも「不覚をとりましたね」と見抜いた格闘への眼力が活かされる展開を残しているのか。いよいよ本格的なバトルが始まる今後に期待。ところでアームウォーマーを手作りしてプレゼントしていたシーンってあれは実像なのかそれとも紫の妄想なのか。本当だったらやっぱり「痛い子」だよなあ、「日本語が通じない」もんなあ。つかアームウォーマーって何? 事務員の袖カバーとは違うもの? 是非にアニメショップには「夕乃のアームカバー」を商品化して頂きたいもの。角が出ても破れない奴を。

 揺るぎない人道への敬意から発露されたことだとしたら何とまあ煌びやかで麗しい行いなのだろうことか。すべてのメディアが発生した地域をつける従来からの慣習を採り、ジャーナリスティックに事実をまずは記録しようという意図から「四川大地震」と称しているところ1紙、「サンケイエクスプレス」のみが「四川・チベット大地震」という名称を使うと宣言。「震源地のシ文川県がある『アバ・チベット族チャン族自治州』という州の名前からもわかるように、四川省には多くのチベット族が住んでいます。先のチベット騒乱では、チベット自治区の東側に位置する四川省にも影響が及びました。四川省のチベット族にとって、今回の大地震は騒乱に続く悲劇なのです」ということで、チベット族が連続して受けている悲惨な状況をここに文字として刻みつけることによって、世間に事の大変さをアピールして、情を惹きたいって理由からの判断らしー。

 もちろんそれは純粋無垢に悲惨な境遇にあるチベットの人たちへの同情から発した好意であって、背後に例えばチベットを圧していると言われている中国政府への反感というか、大元に中国政府への反感があって彼らのやることなすことすべて悪、なんて決定事項から逆算して虐げられているチベットを善と位置づける相対主義的な計算があるなんてことは絶対になくって、だからこそ主張に理解を認めるに吝かではないかもしれなかったりする感情が、懐疑の壁を突き抜けて現れ出ようとしていたりなんかしちゃったりしている。実に美しい博愛主義。懐疑があるとしたらそうした政治的な計算の有無なんかじゃなくって、州の名前に入っているもうひとつの少数民族「チャン族」への配慮がそのネーミングには見られないってこと。調べるとチベット族は数も多くてその州以外にも結構いたりするんだけれどチャン族はそのほとんどが「アバ・チベット族チャン族自治州」に暮らしていたりする。

 そこが根こそぎひっくり返されるような地震の襲来を受けたんだからあるいは民族全体に対する大変な割合で被害が起こってそれこそ民族存亡の危機なんかに直面していたりする可能性なんかも考えられ、人道的で博愛主義的な感情から敢えて「チベット」の名前を地震のネーミングに加えようとしている人たちが、「チャン族」への配慮をまるで考慮していないように見えるのはいったいどういう了見なんだろう? って疑問にとらわれる人もいそうだけれどそこは計算とか政治性とかは抜きにして純粋無垢な精神の発露から行っているはずのネーミング。当然にして調査してチベット族にとんでもない被害が出ていることを把握しつつ幸いにしてチャン族には被害が及んでいないことを確認した上で、心からの哀悼と今後に対する激励の意を込めて「四川・チベット大地震」なる名称を導き出したと見るのが妥当なんではなかろうか。それでこそ多数派メディアに反して新しいネーミングを持ち出した人たち。決して脊髄反射的なものではなく政治的なものでもなく、多大な情報を得て冷静に判断した上に揺るぎない博愛の心を込めているんだと、ここは心を真っ白にして受け入れて、賛意を示しておくことにしよー。

 いきなり最強。っていうとそうだな「ナイトウィザード」のアニメーション版に出てきた柊蓮司が説明も抜きに最強の戦士って感じに現れ強大な敵をばったばったとなぎ倒していたけれどもしかしテーブルトークRPGとして歴史もある「ナイトウイザード」の主要キャラクターならそれくらいはあって不思議じゃない。これが最初の1冊って本で登場した主人公が既に神に匹敵する力の持ち主になっていて、そして狙ってくる神を相手に戦いを繰り広げるっていうのは斬新と言えばとっても斬新。過去に類をみない作品って言えるんじゃなかろーか、丈月城さんの「カンピオーネ! 神はまつろわず」(集英社スーパーダッシュ文庫)のことね。

 神を倒すとその力を得てカンピオーネとなるのが習わしの世界で登場する少年は冒頭からすでに神を倒してその力を得ていたという設定。いったいどこでどーやって神なんてものを倒したのか、普通はそこから話を始めてレベル上げを行った果てに舞い込む運命と闘うんだぜベイビー、ってなるんだけれどどうせ強くなるのならそこんところは後回し、今はそうして強くなってしまった少年が起こる事態にとまどいながらも世のため自分のためとばかりに戦うことになるってやった方が、シンプルだしクライマックスもより高い目のものを楽しめるって考えもあったのかな。

 ともあれ始まったシリーズはそんなカンピオーネを崇める組織より騎士の少女が送り込まれ、日本にもやっぱりカンピオーネを見守る組織から少女がやって来て三角関係の腐れ縁がスタート。おそらくはそこに神が現れバトルしつつ世界の理なんかを求める展開になるんだろーけどさてもいったいどーやって、少年が神の力を得たのかはやっぱり描かれるのかな、だまし撃ちした訳でもなさそうだし。罠にかかって啼いていたところを後ろから石でゴツン、ってことでもなさそうだし。まあいいや、とりあえずは「そういうもんだ」と理解してこれから先がどうなるかを楽しむことにしようっと。


【5月15日】 大昔に事件があった日。犬養死すとも自由は死せず、だったっけ、違うか。講評も終えて段ボールに入れて一息ついて、せっかくだからと録画分の「隠の王」を1話から見る。日本って忍者ばっかりだったんだ、政治評論家が伊賀の親玉なら忍者解説本の著者が風魔の首領で、そして学校の先生が岡山かどっかの萬天って廃れかけた忍者の頭領代行みたいなものだけど、手下がいないんで部活動によって再興を目指している、と。

 そんなにあちらこちらに忍者がいたら日本中はほとんど全員が忍者だって不思議はないけど、そう見ると目の前て飛ぼうが消えようが忍者話をしようが回りはあんまり騒いでないからなるほどこれは「日本人=ニンジャ」って外国人が見るような歪んだ史観が現実化した、パラレルワールドの日本を舞台にした作品なんだって思い込んでも良いのかな。違うかな。原作未読。たぶん放送が終わるまでは見ないつもり。キャラクターでは斎賀みつきさん演じる強大だけど病弱な敵も出てきて盛り上がりそうで、あとはやっぱり「VELTPUNCH」のオープニングが兎に角カッコ良い。同級生の眼鏡君にも謎がありそうなんで終わるまでちゃんと見届けよう。

 山岸智選手は川崎フロンターレの右でレギュラーだし佐藤勇人選手は京都サンガで不動のボランチだし羽生直剛選手は怪我から復帰後にややぎこちなさが見えるけれどもやっぱりレギュラーとしてFC東京で活躍中。水野晃樹選手は優勝争いをするトップチームで流石に出番はなかったけれどもリザーブではアシストに得点を大活躍でセルティックでの来シーズンでの期待は大きい中にあってひとり出番を与えられながらもフィットできずレギュラー落ちしているガンバ大阪の水本裕貴選手に、名古屋グランパスが食指を動かしたってニュースが「スポーツニッポン」に。うわあああ。

 だったら返してよって思わないでもないけれど、4バックのガンバでフィットし切れていないににやっぱり4バックにしたジェフユナイテッド市原・千葉に戻って入るポジションがあるのか? それを言うならグランパスだって4バックだけれどベテランを活かしつつ若手も引っ張り盛り立てるストイコビッチ監督のマネジメント力があれば、冷遇されるとどこか突き放された感じになってしまいがちなチームにいるよりは前を向く気力も生まれそうなんで悪い話じゃないのかも。さてもどうなるか。中田英寿トラベラーの去就も含めて楽しみな中断期間。なんだオーウェンは来ないのか。オーウェンがダメなら王焔、王燕、王園でも良いから来ておくれ。人呼んで王家蹴球三兄弟。いるかもなあ、あれだけの人口の国なんだし。

 1998年1月25日に開かれた「ワンダーフェスティバル」でちらりだったかしっかりだったか、その製作が発表されたのが最初だったっけ。当時からすでに乳縄跳びの「HIROPONちゃん」もあればすっくと立って腕を差し出すメイド娘の「Ko2」ちゃんもあってと、村上隆さんのオタクフィギュアのアート化計画は始まっていてそれは「Ko2」ちゃんの完全変形バージョンにて一応の完結を見ることになるんだけれど、そんな一連の作品にあって最も異形で、そしてもっとも個人的には大好きなスペルマ投げ輪の少年フィギュア「マイ・ロンサム・カウボーイ」が海外のオークションで16億円で売れたってニュースを聞いて、ここまで来たんだなあって感慨に間の10年って時代の重さを思い知る。

 そりゃあ確かに凄い値段だって思うけれども昨今来ていた村上さんへの注目を考えるならここでポンと飛び上がって1億円どころか10億円の壁を破っていってもそれほど不思議はない。加えて言うならこの「マイ・ロンサム・カウボーイ」は客観的に見ても村上さんのフィギュア系造型作品でもそれ単体でいろいろと語れる作品で、例えば少年の性的な願望がひとつの形になっているという点と、そんな人形を「ドラゴンボール」的な髪型を持たせ目に星がちりばめられた日本の漫画的でアニメ的なフォルムで創り上げているという点の2つが凝縮されていて、文脈とかコンテクストとかいったものを考えなくてもひとつのポップなイコンだってことが見る人にすぐに見て取れる。まあ10年前よりも海外で日本のアニメ的なフォルムが認知されて来たってこともあるけれど。当時はあまりに日本的、だったからなあ。その意味でもこの10年のオタク文化の海外への流出ぶりは感慨深い。

 とは言えある意味で最高にして究極の傑作とも「マイ・ロンサム・カウボーイ」は言える訳でこの後にもあれやこれやと活動は続いているけれど、っていうか一般の人にとってはこの後の活動の方が「六本木ヒルズ」のキャラクターだのルイ・ヴィトンとのコラボレーションだのといった具合に多く目に触れていたりするけれど、こと作品のクオリティて意味では「マイ・ロンサム・カウボーイ」を超えているかとゆーと内心は超えていないって気がする。あるとしたら「TAN TAN BO」ってデカい絵か、あとは「Ko2」ちゃんの3段変形バージョン「S.M.P Ploject Ko2」あたりで、以後はキャラクターの変形なり、素材のキャラクター化ってアプローチはあっても所詮はバリエーションの範疇でしかなく、かつてのよーな目新しさはあんまり感じさせてくれない。達磨だか仁王だかをポップに描いた絵がそういえば「アートフェア東京」の「カイカイキキ」の会場に貼ってあったけど、まるで輝いていなかったもんなあ、むしろ別のブースに飾ってあった昔の「TAMIYA」刻印入りランドセルの方がパワフルだった、無意味さの意味って奴もあったりして。

 振り返ってみれば「HIROPONちゃん」から「Ko2」ちゃんあたりを造型の職人たちが集まる「ワンフェス」って場に持ち込んで展示して見せて、これこそがオタク好きするって要素を抽出して形として練り上げつつも、フォルムとしてどこかいびつな風体に、中途半端なフィギュアでしかなとかいった反発を引き出しながら、一方では人間なら内面に隠しておきたいものを暴かれたような感覚も喚起して、毀誉褒貶を招いたあたりが知名度でも、質でも急上昇へと向か勢いの最も強かった時期だったよーな感じがする。生み出される作品自体も興味深かったし、そうした軋轢すらも飲み込んでひとつの作品にしてしまうアグレッシブさが、外側に身を置いて見たときに見てとれて、何かをやらかしているんだって雰囲気が熱気とともに伝わってきた。

 「マイ・ロンサム・カウボーイ」はそんな最中に生まれたものだから、当然のように熱は十分。そして熱気は「S.M.P Ploject Ko2」で頂点に達し、ここまで引っ張り頑張った村上さんに嫌悪を超えた賛辞も漂って、アートとオタクのラインがひとつにクロスし重なった瞬間を、その3体が展示された「ワンダーフェスティバル」の会場では見た気がして、その興奮を「モデルグラフィックス」に書いたよーに記憶している。そうか昔はいろいろな仕事をしていたんだなあ、自分。何をどこに書いたかは村上さんが「東京都現代美術館」で開いた個展のカタログに、文献のひとつとして紹介されていたはずで、遠巻きにただのファンとして眺めて来て、今も観察し続けている自分が、村上さんの活動と表の場で接点を持ったそれが唯一の機会になっていたりする。その時にお近づきになっていればなあ。まあいいや有名人は知り合いの知り合いくらいに持っておくのが調度良い。

 そんな訳で「マイ・ロンサム・カウボーイ」からしばらく後の、「東京都現代美術館」での展覧会までが僕にとっての黄金期で、以後の活動についてはあんまり興味を抱いていなかったりするんだけれど世間的にはいったいどういう評価になっているのか、分かるって意味でオークションの場での価格設定にはちょっとばかり関心がある。ただし数千万円だかの「HIROPONちゃん」にしても16億円の「マイ・ロンサム・カウボーイ」にして黄金期のそれもピーク時に作り出された作品であって、それ以降も10年ばかり続いている活動の中からどんどんと生み出されている作品について、億円どころか数千万円って価格がオークションというセカンダリーに出る以前の最初の個展での段階で、着いているって話はあんまり聞こえてこない。

 そりゃあまあいきなりの作品で億円とかいう値段が付くことはありえないけれど、これだけ話題になっているアーティストなんだから飾れば数千万円、なんてことがあって不思議じゃない。そうなっているなら良いんだけれど違うんだったらやっぱり世間もしっかり作品として見て考えて値段を付けているんだろー。そして今に関してそれなりの評価を下しているんだろー。だから16億円を喜び慌てるのは早計。今、作り出されているものが10年後にどれだけの値段で取引され得るかを考えつつ、いやそれより先に今、作り出されているものが文脈だの知名度だのを剥がしていったいどれだけ「マイ・ロンサム・カウボーイ」を超えているのかを考えつつ、その活動の行く先を見ていきたい。それこそ100億円を超える作品なんて出て来た日にゃあ、我が家の999本限定腕時計にもそれなりの値段が付くだろーなー。頑張れ村上さん、僕の老後のために。


【5月14日】 おとなしくしろと諭されていたにも関わらずのこのこと出かけてきては交渉をぶち壊した上にかくしておかなくちゃいけないサラをその場へと引っ張り出してしまっただけに止まらず、逃げろと言われて扉から外へと向かうどころか隠れていたテーブルから銃撃戦のまっただ中へと飛び込んではサラに銃弾が当たるピンチを招いてしまう鬱陶しさ。それを自分の責任だなんて殊勝なことを言って反省の色をちょろりと見せたもののそりゃそうだぜって突っ込むボスに心煽られ穏やかさを失い挙げ句に自分にも出来ることはないかと騒いで拳銃を手に入れようと画策する。

 ガキが拳銃を手にしていったい何が出来るんだ? 鉄砲玉よろしく飛び込んで行っては捕まるなり反撃をくらうなりして他の人を危地へと引っ張り込むのが関の山。これまでの振る舞いを認めていれば絶対にとらないだろうそんな行動に何の疑問も抱かず邁進するキャラクターを見ていると苛立ちが怒りにすら変わってきてしまう「クリスタルブレイズ」のいったいどこに心を添えて見ていけば良いんだろう。衒いも込めてサラを衛のは仕事なんだと言うボスのコメントの裏も奥も見ないで言葉尻だけで突っ走る直結頭に手を突っ込んでガタガタ言わせたくなって来る。きっともはや処置なしなんだろーな。そんな展開をナナメから見て楽しむしかないのか、それとも犬と亀の漫才に期待するべきなのか。とりあえずボスの過去めいたものが仄めかされるようになって来たんでそのあたりを拠り所に見ては保存せず消して行こう。

 録画しっぱなして見ていなかった「隠の王」をここんところの2話分くらい見たけれども忍者がいっぱいな話の主題が見えずお好み焼きやの孫がいったい何者で、凶華様な声のツインテールの剣術少女がどれくらい強いのかもやっぱり不明ながらも斎賀みつきさん超えの美形の雰囲気だけはちょっと気になったんでしばらくは見よう。というか本編よりもむしろオープニングの音楽の格好良さが抜群で、もしかしたらこの春にスタートしたアニメの中でもトップクラスの素晴らしさかもしれないんだけれども唄っているのは「VELTPUNCH」なんてまるで知らないグループで、調べたら結構前からインディーズで仕事をしている人たちみたいで、それをアニメーションとは言え主題歌に一体誰が選んで連れてきたのか興味いっぱい。製作会社か、ジェネオンか。

 ギターにベースにドラムという楽器で叩き出すストレートなロックではあるんだけれども、男のボーカルの後ろに女性のボーカルが小さく被さって来るのが実に繊細で気持ちに刺さる。ツインボーカルっていうとお互いに張り合う感じの「バービーボーイズ」が有名だけれどそれとは違う、例えるならまだ向井美音里さんがいた頃のユニコーンの楽曲で「Maybe Blue」って曲で奥田民夫の声に女声が混じるような感じ? って記憶も遠いんで合っているかは判然としないんだけれどもロックなチームに1人だけいる女声ってのはそれだけでそそられるものがあって、似た感じのは無いかなあって気に留めていた所に登場して来た「VELTPUNCH」。そんな声を出してるベースのナカジマアイコって人がいったいどんな感じに絡むのか、でもってどんなスタイルでベースを弾くのかってのに興味が及んで「タワーレコード」のサイトで昔のアルバムと、あと1000枚限定とかいうライブのDVDを注文してしまった。

 「隠の王」のオープニングに関しては間奏か或いは締まりの部分で背後にチロチロとギターのリフ、でいいのかな、短音で綴るサウンドが重なってこれも気持ちをハッと惹く。こうしたサウンドやボーカルの構成が最近だとしたら昔のアルバムを聴いてがっかりさせられる可能性もあるけれど、そういう経験を経て人間って新しい音楽に出会えるもの。チャートの上位だけをさくっと聞いて良しってんじゃあ生きててつまらないって思うんだけれど世間ってのはそういう感覚がどんどんと交替して、小説でも漫画でも映画でも音楽でも流行っているものだけしか受け入れられず流行っているものだけがさらに流行って他はなかったものにされてしまう風潮がどんどんと強まっているからなあ。お金をかけて時間を潰して外れる経験をするのが嫌ってよりは、もはやコミュニケーションの手段が共通項の確認しかなくなって、異論のぶつけ合いが排されているからなのかもしれないなあ。だからこそのマイナー主義。金があるうちは続けたいけど金も尽きかけメジャーですら追いつけない。toto当たらないかなあ。

 いやあまあいろいろ買ってしまうから金も尽きるんであって今日も今日とてレベルファイブの記者発表があった秋葉原の「UDX アキバスクエア」に行ったついでにのぞいた東京アニメセンターに、例の分厚い「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序 全記録全集」ってのが売っていたのをこれ幸いと1万円+500円を突っ込み購入。始まるまでに近所のアニメショップをひとしきりのぞいてもまだ販売されていたかっただけにあるいは予約で完全に売れてしまっているのだとしたらここで買っておかないと拙いって心理も働いて、4キロとか5キロとか言われる巨体を抱えて記者発表に出てそれから歩いて持って帰って来た。DVDならボックスだってこんなに重くはならないのになあ。さすが本。そしてエヴァ。序でこの分厚さなら最後の1冊はそれこそ厚さが2メートルとかになっていたりするのかも。でもって表紙をひらくとくりぬいてあって中に等身大の綾波レイのフィギュアが入っている、と。それやったら大受けするけど値段はいくらになるんだろう? 限定1000個。ただし1つだけはプラグスーツじゃなくてオールヌードになっている、ったら買うよな10万円でも。

 帰って開いて中身のインタビューの充実ぶりに満足まんぞくぅ。ムックでもパンフレットでもここまでの分量が載るってことはありえないし、ぶっちゃけ話もカットされるケースが多いんで商売に絡めて持論を語る大月プロデューサーのインタビューとか面白かった。それからやっぱり付録のフィルム。開けたら横顔のミサトさんが画面の右に映っていて、背後に初号機の腕が見えたけれどいったいどこの場面ななろう、格納庫かそれとも初戦を指揮する司令所か。フィルムでたどった序も見たけれどあんまり一致しないなあ、後でもう1度見直そう。ちなみにDVDの方に入っていたフィルムがどこかがようやく判明、ポジトロン砲の撃ち方なんかを説明する場面で背後にトランスだか何かをバックに3人ではなく4人が見合っている場面だった。だから2人はシンジにレイ。ちゃんとキャラクターが入っていたんだなあ、でも見られないから一緒なんだけど。その意味では「全記録全集」は当たりってことで。外れたってもう1冊買う気は流石におきないけど。

>  「はじめの一歩」を読もうと「週刊少年マガジン」を手にしたら哲也がコスプレしてた。サイボーグの。って違うそれがリメイク版の「サイボーグ009」らしいんだけれど絵柄こそ「哲也」にはなっていてもストーリーはまんま石森章太郎さんの「009」の第1話。キャラクターの風貌もそれなりに「哲也」的ではあっても基本はやっぱり石森さんで、腐フランソワを筆頭に001も005も004も006も007もまんま石森デザインを踏襲。ピュンマこそテレビ版の唇が普通なデザインにはされているけどまあ許容の範囲でそしてアイザック・ギルモア博士までもが大きさこそ人並みにはなっていても花の四角いデザインで、見ればギルモアだってちゃんと分かる。

 そりゃあリスペクトってものがあるんだろーけど単なるカバーではかつて「009」を貪り読んだおっさんには物足りない。それこそ浦沢直樹さんみたく徹底したリアリズムで描くとか、「どろろ梵」みたくひんしゅくを承知で大改変してみるとかすれば楽しかったんだけれど狙いは今の「009」を知らないティーンにあってそこにこういう話があるんだと紹介することだからまるっきりのカバーに留めておくのも仕方ないのか。しかしなあ。だったら再掲載すりゃあ良いだけじゃん。50周年でこんな企画ばかりじゃあ漫画の活性化なんておぼつかないと思うけどなあ。


【5月13日】 録画してあった「ソウルイーター」を見て思う。男の子って莫迦ばっか。マカを放りだしてブラックスターと組んでデス・ザ・キッドにたてつこうとするソウルイーターも、やっぱり椿を放りだしてソウルイーターを使おうとするブラックスターも共にベストなパートナーから目を逸らし、実力をわきまえないで強大な相手に立ち向かっては粉砕されてコテンパン。そしてようやくブラックスターには椿、ソウルイーターにはマカがいるんだって気づいてさあいよいよ戦いだ、って展開になっていくのかな。相変わらず絵は素晴らしく動きも完璧。トンプソン姉妹ではリズ姉がやっぱり好みかなあ、でもパティより胸ちっちゃいのか。目で見ても分からない。でも触ろうものなら銃弾が。想像するに留めよう。

 おもしれえ! じゃないか「CHANGE」。木村拓哉さん主演の政治コメディ、ってコメディなの? コメディだろうなあ、もうベタで先の先まで丸見えな展開なのに、小気味良いテンポでセリフを回し、見ている人をまるで飽きさせないで持ち上げ引っ張り込んでそして最後の演説での父親の汚職の謝罪でハッとさせ、開票、敗戦、沈黙からの大逆転と美味しい要素で最後まで連れて行った脚本と演出の勝利って言えそう。政治だ汚職だしがらみだ何だとドロドロとした展開とか入れず、徹底した小気味良さ痛快さでもって突っ走って行けば、出だしは「ごくせん」に負けていても鰻登りに上昇し、最後は視聴率30%超えだってあり得るかもしれないなあ、冗談じゃなしに。

 キムタクについては押さえ気味の演技から時にぼわっと本音を出すいつものタイプで安心感。でもって脇の役者が誰も彼も彼女までも素晴らしい。まずは代表格的な阿部寛さんがいつもながらの存在感。ボストン下げて登場した阿部ちゃんが、いきなり選挙参謀と名乗りそれに誰も意義をはさまず事務所のみんなから今回もお願いしますと迎え入れられ、計画を立て運動を始めるあたりの説明を省きっぷりが凄いというか痛快というか。ここで国会議員秘書としてやって来た深津絵理さんとキムタク演じる候補者をめぐる勢力争なんかをさせると、鬱陶しさも増して見ていて気持ちが躓いてしまっただろーし、阿部ちゃんとキムタクとが熱を帯びた政治家論争なんてものを繰り広げた日にゃあ正義の正義さが出過ぎてしまって辟易とさせらだろー。傍若無人な無頼漢。だけどやり手。そんなキャラクターをしっかり作って出していた。

 ドロドロとした心理描写を一切見せずにカラリと流して一気に選挙戦へとなだれ込ませるところが見ていて実にお気楽ごくらく。かといって一切の葛藤も懊悩もない訳じゃなく、演説の時にどうして自分が政治から離れお気楽ごくらくな暮らしに埋没していたかを話し、その清廉さをやや見せることによってキャラクターを語り、なるほどこれだから選挙に勝てたのかもって思わせる。巧いなあ。巧みだなあ。そりゃあ選挙戦の最終日の演説をまるまる放送するようなテレビ局は、候補者の公平性も考えればまずないだろうし、選挙結果も出口調査でほぼ判明して最後の最後でひっくり返った結果が出るようなこともほとんどない。いろいろな場所で街頭テレビに見入っている有権者たちの姿もわざとらしい。

 父親の汚職を語ればそれが仲間だった政治家に及ぶ可能性も勘案すれば、例え清廉さにつながる可能性があっても黙っていてもらうのが通例。リアルさからは遠いファンタジーの世界って言えば言えそうだけれどでも、ドラマなんてものは所詮はすべて架空の世界。見て溜飲が下がればそれで十分って割り切れば、これはこれで素晴らしくも愉快なドラマだってことになる。この先もまずあり得ない展開が起こり偶然も作用してあれよあれよと総理大臣になっていくんだろーけれど、その結果起こる大改革が果たして何か、それによってこの国がどうなるかって辺りに共感が集まれば、あり得ないことであってもあって欲しいと願う人たちによって、リアルな政治も動いてしまったらこんなに愉快なことはない。それくらいのインパクトだけは持っていそうだけど、さてはて。期待したいよなあ。何にせよ織田信長が内閣総理大臣になるよりはリアルだもんなあ。復刊しないかなあ「内閣総理大臣織田信長」。

 オーウェン獲得だってジェフユナイテッド市原・千葉。でもきっと違うんだ、期待をさせておいて来日するのは中国の「Cリーグ」のどっかのチームでフォワードをやってる王炎って選手だったりするんだ、そうでなきゃあジェフ千葉なんて貧乏チームが雇えるはずがないんだけれど、もしかすると日本代表クラスを売り払ったお金も余っていたりするならオーウェンとはいかないまでもプレミアリーグクラスのフォワードを招いたって不思議はないのかも。かつてはリネカーだってリトバルスキーだってラモン・ディアスだってストイコビッチだって活躍していたJリーグだけどここんところ、世界のトップリーグで仕事をしている現役感のある選手とはとんと縁遠い。監督に目茶現役感のある人を招聘したからには選手でも是非にひとり、出場が見出しになるよーな選手が欲しいものだよなあ、湘南ベルマーレで練習生をやっている旅行好きな人でもこの際構わないよ。

 最前列で空きっ腹を抱えながら巨大なスクリーンを見上げて映し出されるゲームの画面なんか見るもんじゃあないなあと「メタルギアソリッド4」の完成披露記者会見で頭をぐるんぐるんさせかかったけれどもいよいよもて登壇のアッキーナこと南明奈さんのいつもにこやかな表情を見て気分も一気にスッキリ。これが癒されるっていうことか。まあすでに「ミライスコープ」の時にこれも間近でじっくりと顔を看てたりするから激しい感動を味わった訳じゃないけれど、今が旬の人ってのは見ていてとっても心にパワーを与えてくれるんで有り難いというか得難い経験というか、ともかく笑顔をありがとう。

 んでもって「メタルギアソリッド4」は「プレイステーション3」の上で高精細の画像でもって激しいバトルを見せてくれそう。素晴らしすぎるキャストも含めて楽しみだけれど15分の1とかを進めるだけでいったいどれだけの時間をかけていたのか。その困難さを思うとプレーにちょっと二の足を踏んでしまう。でもきっとそんな疲れも壁に張り出されたアッキーナのグラビアポスターが晴らしてくれるんだろーなー、ってそんなものが登場するのか「メタルギアソリッド4」。全世界同時発売で。外国人も見て言うのか。「Oh Akkina!」。すばらしい莫迦っぷりだ「メタルギアソリッド」。これからも宜しく。


【5月12日】 ジェットスクランダーだ! って「コードギアス 反逆のルルーシュR2」第6話を見て思った人の意外な多さは、つまり登場から35年が経った今も、巨大ロボットが“合理的”に空を飛んだ瞬間を強烈に覚えている人の実に大勢いるってことの現れで、つまりはそれだけとてつもない衝撃を、「マジンガーZ」を空に浮かしたジェットスクランダーは見ていた人に与えたんだってことになるんだろー。もはやこれまで、って時に「こんなこともあろうかと」とは言わないまでもしっかりと作られ投入された空飛ぶ翼。ピンチをチャンスに変えて機械獣に立ち向かったマジンガーの勇姿に叶うだけにインパクトを持ったシーンって、その後のアニメにいったいどれだけあっただろう?

 腹からオブラートを引っ張り出して大気圏に突入していった「機動戦士ガンダム」のガンダム? いやいや劇場版じゃあブクブクに替えられてしまってる。完全な沈黙から復活して暴走した「新世紀エヴァンゲリオン」の初号機? 暴走って展開についてはエヴァって看板は確保したけど繰り返されたり他に用いられるシチュエーションとは行かなさそう。ランスロット・コンクエスタが放ったハドロン・ブラスターをはねとばしたものの足場を確保できずにガウ、じゃない空飛ぶ船から落下していく紅蓮弐式の中で祈るカレンに向かい叫んだもりもりしてないラクシャータ博士が「こんなこともあろうかと」とは言わずに潜水艦から発射したまっ赤な翼。空中で見事に合体を遂げた紅蓮弐式は紅蓮弐式可翔式となって空へと舞い上がり、バキュミラーみたいな巨大な手を持つ「徹甲砲撃右腕部」も受け取りギルフォードが駆るナイトメアをハンドパワーで瞬殺し、ジノやアーニャといったナイトオブラウンズも拡散波動砲にて動きを沈黙させてナナリーをさらいに向かったルルーシュことゼロを助け出そうとスザクの後を追う。

 いやあもう燃え燃えの急展開。前週の終わりに扇要とヴィレッタ・ヌウの関係をネタに強請ろうとしていた展開の続きはまるでなく、その後に出たナナリーのエリア11新総督就任の報から続いて危機に陥ったルルーシュがロロの機転で救われる冒頭からチーズくんを大事に抱えるC.C.の暑いからか妙に露出した肌が艶めかしく見え、そして皇帝シャルルとギアスマスターなV.V.との驚異の関係が露見したりといった前半戦ですでに脳内はシェイク状態。そこに繰り出されたメカ戦のスケールアップにいったいどこまでインフレしていくのかって心配すら浮かんできた。というか「マジンガーZ」では実現しておらず「機動戦士ガンダム」でもまだだった可変モビルスーツ、じゃない可変ナイトメアフレームすらすでに登場済み。あとは3体合一ゲッターナイトメアとか6体合身ゴッドナイトメアなんてものが出てきては、腹から無限にミサイルを発射するなり念動力で無数のビーム砲を操り四方八方から敵を射抜くなりして、戦いに果てしないスケールアップをもたらしてくれることになるんだろー。手のひらサイズのライターが身の丈50メートルのナイトメアに変形するギミックは最後くらい?

 しかしキャラクターも変化が激しい「R2」。神楽耶はいきなりミニスカートになってて脚をにょっきり。洛陽ってそりゃあ内陸だから夏とか30度近くまで気温が上がって暑そうだけれど冬場はやっぱり内陸なんで氷点下まで下がるはず。文化だって古風な場所でにょっきり脚を見せては非難も浴びるし風邪だってひくだろうところを、そこは神国な出身だけあって平気に乗り切ったってことなのか。ラクシャータだってお腹を平気で出してるし。「紅」の武藤環のずり下がったジャージから見える腹より開けっぴろげ。ちらちらと見えちゃわないかって心配すら浮かぶ。何が見える? ひじきとかひじきとかひじきとか。軌跡の藤堂は弱くなったのか乗ってるマシンが弱いのか活躍できずに脱出の羽目に。あれで飛翔タイプに乗ればナイトオブラウンズとだって戦えるのか。四聖剣も強靱だった割には2人も減ったしなあ。1人2人黒の騎士団に手練れを入れないとバランスが取れないよなあ。ヴィレッタ参戦とかあるのかな。前からきわどいレオタードだったから今度はそれこそ超ビキニで。

 違うだろう総務省。電波利用の電子申請・届出システムなんてページにその名も「電波りようこ」とかいうらしいキャラクターが登場して話題になっているんだけれどそーした一般に伝わりやすくて且つ反発も少なさそうなアピール手法は、いち早く伝えるべき地デジへの完全移行のPRで用いるべきであってだから総務省はすぐにブロッコリーの所へ行ってライセンスの許諾を受けてから、例の猫耳メイドなキャラクターの額なり胸なりに「地」の字を加えたその名も「地デジ・キャラット」こと「地でじこ」を作っては、テレビ画面の隅っこに鬱陶しい文字で「アナログ」とか入れるんじゃなくってもうバカーンとでっかく画面の上に「地でじこ」を登場させて「にょにょにょにょにょ、いつまでアナログなんか見てるにょ、はやくチューナーを買ってもっと綺麗な画面で地でじこを見るにょ、その方がただでさえ美しいでじこがもっと美人に見えてくるにょ、地デジを導入しないと目からビームでおまえの部屋を粉砕にょ」とか言わせればアピール度も高いし、逆に代えなくたって1日中、でじこの顔をそれはそれで楽しめるんじゃなかろーか。時々は「地ぷちこ」も出てきて「とっとと移行するにゅ」と言わせればもう完璧。急げ総務省。

 王子が貧民の少年になり逆に貧民の少年が王子になって立場を入れ替えながらそれぞれに新しい発見をするって話は大昔から枚挙に暇がないけれども、いつか立場が元に戻ってしまうという段で王子になってた貧民の少年に去来する思いを考えると何だか切ないものがある。そこでお利口な王子は貧民を救おうとか言うんだろうけどそう簡単に立て直せるものならとっくに立て直されている貧富の差。そううまくはいかない。だったら暗愚な王子の立場に奴隷からいきなり抜擢されてしまいそして暗愚な王子は闇へと葬られてしまった場合、果たして一生を王子になれたと喜ぶべきかってことになるけど周囲に知る者もいないなかで化け続けるってのは至難の業。誰かの導きがそこにあったのだとしたら良いように使われ一生を傀儡で終わらされる可能性だってある。奴隷の方がまだまし、とまでは言わないまでも比べればどっこいってことにもなりかねない。

 そんな設定の小説が杉原智則さんの新シリーズ「烙印の紋章 たそがれの星に竜は吠える」(電撃文庫)。奴隷の剣闘士となった少年オルバはその際に何者かによって仮面を被らされて2年ほどを闘技場で戦い、勝ち残ってきた。仮面を被せられたのはその顔を看たとある貴族の差し金だったけれども、それが2年後になって生きてきた。皇子が我が儘勝手に振る舞った挙げ句に殺害されてしまいぽっかりと相手しまった位に、そのそっくりぶりをいずれは皇子の替え玉に使うなり何なりしようと考えていた貴族が闘技場に奴隷として置いていたオルバを据えることにして、仮面を外し魔法の力も加わってて皇子そっくりの顔になっていたオルバを連れて城へ行き、敵対していたものの今は休戦状態にある隣国から姫を迎える算段をしていた。ところが歓迎の席にも近い場でオルバが化けた皇子に暗殺の危機が迫りさらに両国の和睦を潔しとしない、敵対する国の騎士が立ち上がって国境の砦に籠もったから大変。オルバに出陣の命が下り隣国の軍隊も伴い砦に向かう。

 過去に母親や知り合いを蹂躙された記憶を強く抱いて復讐に燃えていたオルバの前に家臣をして現れたのがその蹂躙した奴。皇子の力をもってすれば復讐も可能ながらも理由のない誅殺は流石に難しいと我慢しつつ望んだ砦との戦いを経て、オルバは皇子というその身に迫るとてつもない謀略のにおいをかぎつける。国を維持し護り発展させていくために必要なのことは、たとえ非道とののしられようとも遂行するだけの剛胆さを持ち合わせていることが不可欠だという、考えようによっては当然だけれど巻き込まれる者にとっては理不尽な状況に直面してオルバは奴隷とはまた違った高貴で立場ある者たちならではの生きる凄まじさって奴を強く味わう。暗愚だった皇子からいっぺんして聡明で且つ腕っ節も強いオルバに皇子の座がとって代わられたことに気づいてのちょっかいなのかそれとも。ともあれ否応なく巻き込まれた権力闘争の中でオルバがどう生き抜いていくのかを、今後の展開の中から楽しもう。


【5月11日】 風邪をひいて寝込んだくらいでドジっ娘はないよフブキさん。んでもわずかな体重の増加に悩み富士原なえかいっしょに断食部屋に籠もってしまうんだからやっぱりドジっ娘か。そんな「仮面のメイドガイ」はなえかの必殺料理が炸裂。その見た目の毒々しさは「狂乱家族日記」で凶華が作る物言う料理とどっこいかも。たかだか人間のそこにある材料を使った料理が凶悪そうな異教の御本尊が得体の知れない材料で作った手料理とどっこいとはなえか、恐るべし。フブキとコガラシが来るまで家があんなになってた理由も分かるってもんだ。断食部屋で瀕死になってた時にコガラシが見せた胸がしぼんでしまう悪夢って本当に悪夢なのか。数学ができないって理由で悩んでいたのにやっぱり大きい方が良いのが乙女心って奴なのか。複雑過ぎて素人には全然分かりません。

 いやあでかいなあ扱いが。「スポーツニッポン」も「日刊スポーツ」も割と大きなスペースを割いて昨日のJリーグの「ジェフユナイテッド市原・千葉vs京都サンガ」戦の模様を扱ってる。初勝利、ってだけでこの扱いは他に買ってるチームには申し訳がないんだけれども応援していた身としてはこれが自信となって選手たちに反映されて、ちょっとの差が連敗につながっていた悪循環を断ち切りちょっとの差を連勝へと結びつけてもらえたらこんなに嬉しいことはない。

 クゼ監督の頃とメンバーが変わっている訳じゃないのにいきなりの勝利は、記事にもあったけれどもやっぱりバランス感覚の有無ってことになるのかな、浦和レッドダイヤモンズ戦で誰がどう考えたって新居選手のトップだったのを苔口選手にしたりとか、ちょっとづつピースのはまり具合が違ってそれが不信と疑心につながっていた感じ。真っ当さが貫かれ信頼が生まれれば後は突っ走るだけ。走ることにかけては前から面々と続くアイデンテティ。その走りに躊躇がなくなりさえすれば、寄せも速まり突っ込みも切れ味を増してそして得点へとつながるだろうと信じて来週もフクアリに行くのだ。敵は若いけれども老獪なシャムスカ監督率いる大分トリニータ。勝てば更なるステップアップも図れるぞ。図って欲しいぞ。

 そんな感じに頑張りが見えて来たらちょっぴり二の足を踏んでいた今シーズンのユニフォームの購入もちょっと考えてみたい気もしてきたけれども一方で、ちょっと珍しいレディースのユニフォームの予約も始まっていて心が揺れる。レプリカではあるんだけれども男子とは違って胸にハートマークでピーチジョンのロゴとか入っていて可愛らしい。それより何より目下のところディビジョン2でトップを疾走してこのまま行けば念願のディビジョン1昇格も夢じゃない。届くのが8月とはまた悠長過ぎる商売にはやくしろよって憤りも浮かぶけれども昇格争いが本格化して来る夏場から秋にかけて応援に通う機会も増す中で、来て共に闘う気持ちを抱けるってのも悪くない。ちょっと考え。背番号入りなら誰が良いかなあ、やっぱりCDでのメジャーデビューも決まった石田美穂子さんか、それとも得点王に近い清水由香さんか。

 眠り起きて支度をしてから秋葉原で何故か春の開催も決まって年2回になりそうな「文学フリマ」を見物に行く。前回前々回と超有名な作家さんがブースを出してた関係で開場と同時に行列が出来る光景が見られたけれども今回はそうした作家はいない……訳じゃなくって過去の2回で作家席になってた角にあのゲームクリエーターにして名作ゲーム化プロジェクトで有名な飯田和敏さんが店を構えて本には入れられなかった江戸川乱歩の「芋虫」をゲーム化する企画をリーフレットにして頒布してたんだけれど、裏側の漫画評論に大行列は出来ていても「ドシン」「太陽のしっぽ」「アクアノートの休日」の名クリエーターを目当てに来る人は少ないのか人通りもなく隠れ気味。せっかくだからとおそらくは最初の1冊を購入しつつ周囲を回って戻ると前回に人気だったブルボン小林本の搬入が始まってたんで午後にはきっと来場者も増えて大人気になっていたんじゃなかろーかと想像、いや見てないけど。

 1階では「怪獣工場ピギャース」の松山剛さんが店を構えていて新風舎から出たものの新風舎なんで絶版確定な本を並べて販売中。すでに布教用に仕入れてはあるもののここはやっぱり買っておくかと前の「閻魔の弁護人」も含めて買ってサインを頂きさらに新刊の同人誌も購入する。KEIさんの表紙絵はやっぱり可愛いなあ。でも中身はとんでもなくシビアな反差別的テーマを持ったSFなので読めるうちに読んでおけ。それから「spore」ってところで荒木経惟さんのインタビューって目次に引かれて第5号を購入。宮下マキさんの写真とかも入っててしっかりと作ってあってそれで1000円とはお買い得、かな。前の号では柳下毅一郎さんと中原昌也さんの対談もやってたりするから同人誌とは言えなかなかな目配り。でも表に経ってアジる人とかいないんで大手書店に並べられるなんてこともなく、静かにひっそりと読まれて逝くんだろう。

 30分程で退散して電車で「東京ビッグサイト」まで行き久々の「GEISAI MUSEUM#2」を見物、あの村上隆さんがアートマーケットの創出と若手クリエーターの輩出を狙って立ち上げたものの務めは果たしたと認めたかまた何か別の理由があってか終了していた「GEISAI」がいきなりの復活を遂たのにまず吃驚。いったい何があったんだろうかってことはパンフレットの巻頭にチアマンの言として書かれてあったけれども、そんなの読んでいる暇もなしに飛び込んでステージの側で平野綾さんのライブステージを見物。したんだけれど登場してからのトークが長くてややいらいら。まずは音楽でどかんと盛り上げてからトークに行けば場も和むのに司会と15分くらいのトークが続いて見ていて脚がだれてきた。

 でも始まってからは3曲を一気につないでノンストップで行ったんでまあそれで良し。「涼宮ハルヒの憂鬱」のオープニング曲「冒険でしょでしょ」から最新の「怪人20面相の娘」の主題歌まで新旧を織り交ぜて演ってくれたんでファンとしても納得出来たんんじゃなかろーか。しかし「GEISAI」ってゆーアートでメインカルチャーでややサブカルな雰囲気もかかったフェスティバルに、果たして平野綾さんを見に来るファンがどれくらいいるんだろうかって訝りもしたけれど、到着すればまあそれなりに100人とかそれ以上がステージ前に陣取りサイリュームを振ったりしてたから安心というか、本尊を見られるんあら場を選ばず来る人はちゃんといるんだってことが確認できただけでも収穫か。入場料だって安くはないのに。終わった後にするっといなくなったのも潔いというか。あるいはしっかり場内を見てアートにふけってた? うーんそこのリンクが出来ている程にまだ世界はカオス化が進んでないような。

 唯一「Mr.」ってアーティストのブースだけは平野綾さんのファンにも、というか平野さんのファンだからこそ見て納得の状況だったんじゃなかろーか、いわゆるオタク部屋をまるまる映した感じでモニターでは「こどものじかん」と「機動戦士ガンダム」が再生され寝床には抱き枕カバーが散らばり枕もとには「ヤングジャンプ」が埋まり書棚にはアニメ雑誌が刺さり棚にはフィギュアが並べられ「バンブーブレード」のポスターやらが貼られてカレンダーは「CLANNAD」だったりと、見てああこれは俺の部屋かもって思える人が相当数、平野さんのライブにはやって来ていたんじゃなかろーか。いやいや筋金入りのファンだからMr.の部屋如きはまだまだ清潔ってくらいに思えたかも。そんな中に何枚か、本人が書いた作品も展示されていたけどいつかの偽ハイジ的な崩れっぷりが10年も経つとすっかり上手くなっていたのが意外というか、ちょっと面白い。

 上手いMr.なんてMr.じゃないって気もしないでもなく、いくら上手いたってプロには届かない上手さであって、そんな風に中途半端に上手いんだったらプロのアニメーターが描いた作品の方が何百倍も価値があるって言えなくもないけれど、アートとプロダクトは価値付けが違うものだから仕方がない。そんなブースの前に平野さんのライブで「冒険でしょでしょ」のポスターを掲げながら激しくジャンプしていた、ひげ面で眼鏡をかけながらスタイルは制服姿の綾波レイだったりするおっさんがいて見たらMr.本人だった、のかな? そのあたりは徹底してくれているねえ、変わらないっていうか、これでルイ・ヴィトンとかイッセイ・ミヤケとかスタイリッシュに着こなしていたらゲンメツしたけど未だに貫くどころは突っ走っているのはとっても偉い。この筋の通りっぷりがあるからこそアーティストとして見なされ認められているんだろー。これからも筋は通してメトロポリタンでもグッゲンハイムでも綾波だかハルヒだかの恰好を貫いていって下さいな。

 ぐるりと回ると「デザインフェスタ」にも出ていた造形作家の鎌田光司さんが店を出していたので挨拶、相変わらずに恰好良いフィギュアを出している。完成度も抜群で外国からの来場者が購入していた。「デザインフェスタ」だと一般の人が多くって出展者も圧倒的なだけに見過ごされる可能性もあるんだけれど会場もそれほど広くない「GEISAI」だと来ているだろうプロのバイヤーな人とかクリエーターの人の目に留まる確率も高そうで、そんな中にあってセンスは独特な上に完成度も高いこれらを見て、何かに使ってみたいとか想う人も出てきたらファンとして嬉しいかも。大きめの作品とかドラゴンがモチーフになった作品なか、本の表紙なんかに使うとアクセントが効いて目立つと想うんだけどなあ。あるいは作り下ろしをお願いするとか。来週の「デザインフェスタ」にも出展するみたいなんで目にして驚きたい人は行け。

 あと気になったのは久恒亜由美さんって人の脳やら目玉やら内臓やらがぬいぐるみになってぺたぺたと張り付けられた造形物か。グロテスクなモチーフなんだけれども素材が素材なだけに妙に可愛らしい。絵の方もグロテスクな感じがあんまりしないのはタッチに不思議な柔らかさがあるからか。でもややオブセッション。その微妙なバランスって奴がパワーになって見る方へと迫ってきたのかも。他では「/39」って名前の人の女の子がモチーフになった絵なんかが丸尾末広さんとはまた違った東亜な雰囲気の中に耽美なタッチの女の子とかが描かれていて目についた。ガーリーな絵ってのはもう山ほど出ていたけれども気合いとテーマ性ではちょい抜けてたかな、瞬間目にしただけなんでちょっと曖昧。今後どこかで出てくるかを見守ろう。

 でもって9月にも開かれるって「GEISAI」を復活させた理由としてチアマンが上げているのが「1、現在の日本のアートバブルが20年前のアートバブルとまったく変わらないことがわかり、『日本に新しいアートマーケットを!』のスローガンが有効である確信を得たため」「2、海外のアートピープルに対して情報訴求力のある日本のフェアはGEISAIしか無い、と客観視出来たため」「3、アートバブルも今年一杯で終息し、行き先を失うであろう業界の水先案内をGEISAIが出来るという自信があるため」の3点。言えば言えることばかりなんだけれどもしかし、昨今のアートバブル的な状況の中心にいる村上さんがこれを語っているってところに何とも言えないアートな世界の難しさが見てとれる。

 っていうか、コンセプチュアルな作品にコンテクストなる札を貼り付け、旧来からの“美”という価値観から離れた所に新たな価値をバブル的に現出させて注目を集め、高みを目指すってところが村上さんの狙いにはあったように記憶していて、そのタクラミを面白がったメディアなんかも相乗りして、ムラカミバブルを膨らませた結果がクリスティだかサザビーズだかの巨額な取引へとつながって、それが更なるバブルを煽って今の日本アートへの注目を引き起こしたような気がする。「GEISAI」にはそうやって浮き上がった自らの価値をおっかぶせることで、他のアーティストを引っ張り上げて盛り上げつつ、その上に君臨することで更に自らの価値を高める狙いもあったように見えたんだけれど、トップの色の濃さがどこまでも付いて回ってしまった結果、村上さんの看板を外れて活躍する人は終ぞ出なかったんじゃなかろーか。タカノ綾さんとかMr.とかは「GEISAI」前からの人たちだから除外するとして、パンフレットでも登場している佐藤玲さんがピンで活躍している場、ってどの辺にあるんだろー? ちょっと分からない。

 バブルを起こしバブルの上でサーフィンよろしく波を駆け上がっていった人が、バブルだ甘言に乗るな気をつけろと警鐘を鳴らすこの不思議。あるいはそうした自己矛盾的な言動がまたある種の陽動となって世間の耳目を集めさせ、次なるステップへと向かうきっかけになるのかもって考えも浮かぶけれども、ことアートについては割に純粋なところもある村上さんなだけに、自分の名前があまりにも先に立ち過ぎて後が続いて来ないメディア的な状況も鑑みつつ、ここで敢えてそうじゃないんだと言ってのけることで本当に次なるフェーズへと向かおうとしているのかもしれないし、そうでないかもしれない。その辺は詳しい人に解説をお願いしたいところ。

 それにしてもバブルの片棒を担いでいると青田買いに走り使い捨てに走るギャラリストの無定見を暗に非難し、他にアートフェスは無しとこないだの「アートフェア東京」を暗に無価値と断じてみせるところが戦闘的というか村上さんらしいというか。「アートフェア東京」にはなるほど出してはいたけれど、隅っこであんまり派手にやってるって風でもなかったし。ともあれ還ってきた村上さんと「GEISAI」がどこに向かうのか。そこから何が生まれるのか。メディア的な状況に飲まれることなく目的を果たせるのか。眺めて行こう遠くから。


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