縮刷版2008年月上旬号


【4月30日】 「モノクロームなんとか」はみんな超能力者? 誰にも見てもらえなくなる不安と戦いながらも敵を倒してあるくってクールさがぶっとびギャグいっぱいの愉快な退魔ストーリーになっていた。漫画だときっとおねいさんの綺麗さとか引き立つんだろうけどアニメーションだとすっかりギャグ要因だしなあ。諏訪部な美人はあんまり目立たず。敵の眼帯野郎はどこから来て何を目的にしているのか。そろそろ絡んで来ないと話しがパターン化してしまうんで次回あたりの展開に期待、はしないけれどもまあ見よう。

 んで「クリスタルなんとか」。ようやく理解。主役は犬だ。あるいは亀。だって1番可愛いし1番目立ってる。100歩譲って女子高生探偵のマナミとアヤカ。犬と亀の次くらいに目立ってる。偽冴羽? なーんにもすごいところを見せてない。拳銃の腕前も調査の深さもまるでのぞかせない。だいたいが探偵の仕事すらしてない。完全な脇。超脇。それともこれからすっごいところを見せてくれるんだろーか。もっこりな所だけは冴羽と同じくらいに見せてくれたからそっちだけでもより激しくやっててくれれば見る方としては嬉しいんだけれど。主役が亀ならヒロインは犬、あるいはボンデージなナースってことで。サラ? ベッドで寝っぱなし。ずっとベッドのヒロインというのもまた凄い。橋本紡さんの「半分の月がのぼる空」の里香以来か。

 ストーリーではプロデューサーを懇ろになってひとりデビューが決まり、街から行方をくらましかけた先輩に電話をかけて挨拶ぐらいしとけやと呼び出したら謎の少女に襲われガラス女にさせられ崩壊。でもって親切に先輩の行方を突き止めたアヤカをののしって落ち込んだアヤカが近所で見かけたサラを怖がってネットに速報して騒乱の予感と、マナミの空回りっぷりが傍目に痛い。過去を詮索されない街ってことだけれどもいじめられっ子だったアヤカと違って元気ハツラツなマナミにも過去があってそれがあの意固地な前向きさにつながっているんだろうか。そんな安定しない面子を顔見せただけで落ち着けるボスはなるほど、これが精神的支柱って奴なのかも。ってことはボスがやっぱり主役で良いのか。スピリチュアルヒーロー。斬新。

 ああなんか今年も3分の1が経ってしまったみたいだけれども状況に変わりはなくむしろ深刻さの度合いが増しているような。年度改めって意味ではまだ1カ月でしかないのにあれやこれや絞れ縮めろの空気が周囲に満ちあふれてそれでモチベーションなど上がるはずもないというかもともとないのがさらにマイナスへと沈むというか、ともかくもはや断末魔の声すら発せられないほどになっているような感じが漂うっているのに戦場から遠い場所では楽観主義だけが蔓延り無責任な言動が力とともに振りまかれてはなおいっそうの混乱を巻き起こしていく、と。いつかのシチュエーションが今や5倍10倍の規模で起こっているとなるといつかの結末もより凄まじい状況で再現されるんだろうなあ。知ったことか。

 逃避するようにひたすらに本読み。人間なのか妖怪なのか単なる悪食なのかを曖昧にしつつも追い込まれた精神がひたすらに明るさを求めてあがく姿って奴を見せ始めて来た野村美月さん「“文学少女”と神に望む作家(上)」(ファミ通文庫)は井上心葉が美雨との件に折り合いをつけてそしてクライマックスへと向かう1歩手前の大盛り上がり。いつも明るくそして健気に導いてくれていた遠子先輩のプライベートがどんどんと明らかになって来てはその置かれた境遇の不安定さに心揺れる。と同時にそんな遠子に一途な“姉”思いの流人が一途さ故の残酷さをのぞかせ心葉と琴吹ななせに迫って来る。起こるのは悲劇? でも両天秤はかけられないしなあ。どっちを取るのかなあ、心葉。

 流人の母親で遠子の面倒も合わせてみている櫻井叶子の作家ぶりってのもまたなかなかにシビアというかこれが作家というやつか、プライベートをのぞかせあふれださせたような小説を書いてはスキャンダルを誘発しつつ存在を見せつつあくまでフィクションだというスタンスを貫き通して生きていく。ずいぶんと前なら山田詠美さんだしちょっと前なら柳美里さんでこれからだったら本谷有希子さん? 時に誤解もされるだろう中で流されず潰されないで作家し続けていける人の凄みって奴を見せてくれる。野村さんは誰を意識してこのキャラクターを造型したのかな。人の悪意とまではいかないけれどもネガティブな感情に囲まれて生きる辛さがさて、どう解消されどう回収されていくのか、そんな最終巻を待とう。完結しないで他に移る作品もある中で野村さんはずっと頑張っているなあ。居心地が良いのかな。

 頑張ったと言えば中村恵里加さん。いやもう本当にありがとうとしか言いようがない。あの「ダブルブリッド」に4年ぶり? くらいの新刊にして最終巻がいよいよ登場。潰えるシリーズも多々ある中で、ちゃんと書いて頂けたのは出た当時からのファンとしては嬉しい限り。物語的にはアヤカシの血を求める“童子斬り”に取り憑かれた山崎太一朗を相手に片倉優樹と6課の面々が戦いを始めるクライマックスを前に中断してしまったものにいよいよ結末が加えられるというか加えられたというか。

 大昔に退治されたっぽい鬼な癖していつの間にやら復活しては、日本を支配するくらいに強大な力を得てしまった“主”を相手に一介の半妖半人の女ひとりがどう戦うんだろうって興味も一時はあったけれども、そちらの風呂敷をぐぁばと畳みつつ目先の太一朗との決戦で話を収束させるってのはそれで妥当な選択。アヤカシと人間が生きる世界の様を描くってよりは、最初からアヤカシと人間の狭間にあって悩み苦しむ少女(って実年齢でもないけど)を描いた物語だったってことなんだろー。くびきの外れた日本や世界がこのあとどうなっていくのかは、読む人たちの想像に任せよう。んで「ソウル・アンダー・テイカー」の続きは、いつ?


【4月29日】 決心が固まったんで前に買ってあった出崎統さん監督の「劇場版CLANNAD」を見て出崎の出崎たる所以を理解。いやもう止め絵のハーモニー処理もあれば左右の画面分割もあるし渚が智也を坂で追い抜く場面なんかに3度の繰り返しが使われていたりと巷間言われている出崎演出のセオリーが盛りだくさん。降り注ぐ光に差し込む光と光の使い方もそのまんま。こうなるともう自分の特徴って奴を存分に自覚した上でそれなら使ってやろうとぶち込んでいるようにしか思えない。

 もっとも一方で作品に対して極めて真摯なクリエーターな出崎さんがそんなイタズラをするはずがない。作品をアニメーションとして綴る上でこの瞬間を現すならハーモニー、この感情を見せるなら繰り返し、このシーンを分からせるなら画面分割といった具合に演出の作法として染みついたものがシナリオを読んでドラマを咀嚼しコンテを切る時に自動的に自然に出ているってことなのかも。だからこそ見てなるほど出崎さんとは感じるもののそれが過剰な出崎節とはならずストーリーを見せる上で自然な流れを作り出している、って見れば良いのかな。

 そう感じるにはあまりに出崎さんの作品に触れすぎているんで何とも言えない。「劇場版CLANNAD」で始めてこの作法に触れた人が素直にどう感じたかを聞くしかないんだけれど一方でゲームとして「CLANNAD」があまりに熱烈なファンを持っているってところが単純に演出の妙味を考えてもらう上でネックになってしまっているからなあ。一ノ瀬ことみは指揮をするだけで風子はおらず公子先生が演劇部の顧問。椋はいなくて杏だけでその杏は坂上智代の先輩ではなく同級生っぽい位置づけになっている。まあこのあたりの知識はテレビアニメーション版「CLANNAD」を見て得たものなんでゲーム版にどこまで準拠しているかは知らないけれど。

 そんな程度の目で見た「劇場版CLANNAD」は90分なりの映画の尺におさめるとしたらああいった選択は実に巧みだったんじゃなかろーか。テレビではずっと邪魔っけにされている智也の父親に重要な役割を与え父と子、子とその子の間に生まれてしまった行き違いを回収して未来を開くって1本の筋がちゃんと通ってて、放たれるメッセージにも強いものがあった。ゲーム知らなくたってそれをそれとして伝えられればって想いで作った「劇場版CLANNAD」。単に技法のみが語れるんじゃなくってそんな技法の背後でしっかり人間のドラマを描き続けてきた出崎統さんって人の芸が、見た目の柔らかいキャラクターとは無関係にしっかり発揮されている映画、ってことになるのかな。

 とか言いつつぐるりと見渡して我が家にある出崎作品のDVDが実は「劇場版CLANNAD」しかないてことに我ながら愕然。「スペースコブラ」「だって「コブラ スペースアドベンチャー(劇場版)」だって「宝島」だって「ガンバの大冒険」だって「あしたのジョー」も「劇場版エースをねらえ」だっって「悟空の大冒険」だって何度も何度も見ていて大好きだったりするんだけれど、夏休みのまとめ放送とか夕方の再放送でもう見た作品ってこともあり、また常に新作に追われていることもあってカタログとして古い作品をボックスで揃えるだけの余裕がない。買ってもたぶん見ないで積むだけって可能性も大。リアルタイムで見てしまった者のこれが宿命という奴で。仕方がない、老後に楽しみとして取っておこう。その頃には「ジャングル黒べえ」もDVDなりブルーレイディスク化が実現していると信じて。

 しかし休日の吉祥寺ってのは半端じゃなしに人が多い。駅を降りるともうぞろぞろぞzろぞろと人が北へ南へ西へと歩いてく。東はあんまり。ヨドバシカメラくらいしかないもんなあ。けど南は井の頭公園とかがあるからまだ分かるけど西って何があったっけ、パルコとか超えてアニメイトの入っているビルも抜けた向こう側へと続く道を歩く人が埋め尽くしていたけど見通して下北沢みたく路面店が群を成しているって感じもない。それとも何か見て素晴らしい街並みでもあるんだろうか、白とピンクのストライプが入った家が百軒くらい立ち並んでいるとか、っていうかどこにあるんだろう楳図邸。時間もなかったんでそっちへは行かず駅前で「スタミナ丼」系統を看板だけ目立つ「吉祥寺どんぶり」ではない店でかきこむ。これってどうやら国分寺国立立川あたりが発祥らしーけれども最近じゃあ都心部でもたまに見かける、水道橋とか。量がたっぷりでやさいも食べられご飯もいっぱい。牛丼とかより健康そうだけれども量を食べれば一緒か。次に吉祥寺へと出向く機会があったらまた挑戦。今度こそは楳図邸の確認、それまでは保っててね。

 ふらりと入ったガード下のレコード屋で「ウルトラヴァイオレット」のDVDが1000円だったんで買う。面白いのかこれ。アニメ化するそーだけれども面白くなるのかそれ。面白くしてくれるんだろうなあ出崎統さんが監督をする以上はきっと絶対に。裸もいっぱい夢いっぱい。そこから井の頭線で渋谷へと出て東急東横線で菊名まで行き横浜線に乗り換え新横浜から歩いて「日産スタジアム」へと出向いてJリーグの「横浜F・マリノスvsジェフユナイテッド市原・千葉」の対戦を見物……だめだこりゃあ、ゴールデンウィークの連戦がなければとっくに首だろうなあヨジップ・クゼ監督。幾らメンバーが前年より何枚も少なくけが人も続出しているからといってこうも連敗が重なっていては心機一転するしか他にない。去年だって決してスタートダッシュが良かったって訳じゃないけど確か川崎フロンターレに引き分け浦和レッドダイヤモンズ相手にも良い試合をしたんじゃなかったっけ、引き分けたっけ、強豪相手にそれなりな試合をしてみせて先への期待は残してくれてた。

 それが今年はもうどんじり。勝てない。でもって引き分けいにすら持ち込めない。はっきりいってゆるんでる。前線から追わず中盤を好き勝手にさせて両サイドから持ち上がられては何度も中央のフリーの選手にパスを回されシュートを撃たれてる。これが調子の良くはなくても悪くない時期なら前戦から追いバックラインをあげ中盤をコンパクトにしつつ両サイドを追い込んで用意には攻めさせなかった。今は中盤ががらがら。前戦から戻らずバックラインはあがらず制圧されて圧力をかけられっぱなし。いくら守備が頑張ってもこれではいつか気が抜けてしまう。やっぱり3バックで中央にスイーパーで両脇にストッパーを置くよーにしないと中盤をコントロールできないなあ。工藤浩平選手がはいっていっきに活気が出て攻められるよーになったけれども時既に遅し。3点を不幸な形でとられて万事休すのえっとこれで何連敗? もはや処置無しのなかで望むはあの人の復帰、なんだけれどもこればっかりはなあ、古巣の一大事に何とか立ち上がってくれないかなあ。まあ下でもがくのも別に良いんだけれど。それもサッカーなんだから。


【4月28日】 今日のおすすめはこの「ロロ雑巾」でございます。そんじょそこらの雑巾とは違います。優しく愛をもって触れてあげればとっても素直に言うことを聞いてくれて、人でも何でも綺麗さっぱり消してくれる素晴らしい人型雑巾です。ふと気が付くと置いた場所から動いていたりしますがご愛敬、それも掃除の能力ですからお気になさらず見なかったふりをしてあげてください。

 繊細なところがあって触れる場所を間違えたり、夜中にこっそりおしゃべりしているところを立ち聞きしたりすると、逆に拭かれて消される方に回ってしまいますから取り扱いには注意が必要ですけれど、それさえ気をつければこんなに頼もしい雑巾は他に絶対にありません。誰かの役にたっているんだという感動を絶やさないよう気をつけて使ってあげれば、ボロボロになっても言うことを聞いて何でもかんでも綺麗にお掃除してくれます。限定1枚。ご購入はお早めに。お問い合わせは機密情報局のヴィレッタまで。お電話お待ちしています。

 買いましょう、というか横取りに近い形で絡め取ったルルーシュ・ランペルージ。猜疑心のカタマリのよーになってるはずのロロなのに、ああもあっさりと甘言に絡め取られてしまうとはそれだけルルーシュの方が上をいっていたのか、単にロロの鍛え方が足りなかったのか。セラピーとかが見てればあの極端な愛への飢餓感を利用されるんじゃないかって感じて不思議はないんだけれどもその辺り、表だって管理監督できない人材だったってことなのか。見るとまだ幼い頃からいろいろとやらされていた模様。ルルーシュがC.C.からギアスを得てからまだ2年は経っていない所を見ると、それより以前から力を使い仕事をしていたってことになる。

 つまりはブリタニアはそれほどの過去から能力者を認め囲い利用していたってことなんだけれど、その割には皇室の面々の誰もギアスのことを知っている感じはなかったよなあ、今だってブリタニア皇帝をのぞけばV.V.と持ち主を除けばスザクとヴィレッタくらい?  バトレイとクロヴィスはきっと知ってたんだろー、C.C.の存在を通して。どんなレベルが何を目的にギアスをもてあそんでいるのか、そのあたりが見えてようやく皇帝の狙いも見えてくるんだろー。何話くらいかな。

 んで生で見て夜中に2度見返した「コードギアス 反逆のルルーシュ」の第4話は一昼夜を柱にしばられていた「黒の騎士団」の面々がトイレをどれくらい我慢したのか、ひとり女性の千葉はきっと大変だっただろーなーと同情しつつ、中華連邦の総領事館で1年の逃亡生活を経て友情でも芽生えたか親しげに嫌味混じりで会話するカレンとC.C.が、何というか不思議な雰囲気を醸し出してて微笑ましい。危機が迫りながらも青森よりはましだなぜならみんな服を着ているっていったい2人は青森でどんな境遇に陥ったんだろう。温泉にでも浸かってたところを急襲されて全員裸で逃げ出した?

  さらに中華連邦のたぶん本国とかに亡命しているっぽいディートハルトとラクシャータと咲世子のチームに神楽耶も加わっていたことが判明、だんだんと人が増えていく。来週はここに桐原も加わって遠巻きにわいのわいのと外野からあれこれ突っ込んでいるに違いない、ああゼロまた白兜に不覚をとっているとか何とか。逃げ出す途中に実は庭園で瀕死の状態になったコーネリアも誰かに拾われていて中華連邦へと持って行かれてて、ディートハルトたちの歓談そこに加わって来たら愉快だけれどもユフィの仇と同衾は出来ない、か。あの場にいたのはだいたい捕虜になっているし。しかしどこに行ったんだろうコーネリア。あとアーサー。

 しかしゼロってリーダーを失ったと思われているにも関わらず、中華連邦が「黒の騎士団」を支援し続けたのはやっぱりC.C.がその感覚でもってゼロすなわちルルーシュがまだ死んでいないと知っていたからなんだろーな。神根島へと飛ばされた時もルルーシュは生きていると玉城や藤堂に主張して、それが当たった訳だしギアスって力の存在を知ったカレンが亡命一派には加わっていた訳だから、それを根拠に奪還計画が練られ独立に向けた計画も練られていたんだろー。

 そんなこんなで1年をかけてディートハルトが準備していて咲世子に実行を指示した計画とは? そんなあたりも気になるし、扇が奪還された瞬間にどこかほっとした表情を見せたヴィレッタの今後も気になるけれど(失敗続きで栄達は無理、いっそ気になる扇の元へと走って合衆国・日本に亡命しちゃえば良いのに)、とりあえずは次回のアッシュフォード学園の学園祭に乗り込んで来るナイト・オブ・ラウンズの面々の騒ぎっぷりが楽しませてくれると期待して、またテレビの前に待機だ「君の名は」だ日曜午後5時。開幕を継げる「にゃーん」のかけ声は誰がやるんだろう?

 日本出版販売が出してる5月の新刊刊行予定に文藝春秋から出る桜庭一樹さんの「荒野」ってタイトルを見つけて何だろうこりゃと頭ぐるぐる。まあ想像すればファミ通文庫から出ていた「荒野の恋」をまとめつつ刊行されていない3巻目を付け加えた1冊にして出すってことだろーから長く続刊を待ち望んでいた身としては嬉しい限り、あの恋愛にテキトーな親を持って苦労しっぱなしの少女がいったいどんな恋をしていくのかってあたりを確認できるのは有り難い。

 前に出た1巻2巻をオリジナルのファミ通文庫で読んでた中学生とかにはでもちょっと1800円近い値段を出すのは苦労がありそーだけれど、改稿を経た「荒野」がそもそも「荒野の恋」と同じターゲット層に向けたものになるのか分からないから何とも言えない。子供たちがそのままで続きを読めないのは残念なことではあるけれどもそれが世の中の仕組みのひとつってことで。もっとずっと早く3部まで出しておくって選択肢は版元にはなかったのかなあ。あそことはまるで付き合いがないだけに内情とか知らないんでここはいろいろあったと妄想。とりあえず1冊をさっと買える大人で良かったと理解。

 受賞関連のページを見て山本周五郎賞と三島由紀夫賞の発表も近いと確認して候補者は決まっているのか調べたら山本周五郎賞の方はすでに発表になっていて、伊坂孝太郎さんの「ゴールデンスランバー」が入ってた。本屋の大賞にもなったからこれで受賞すれば2冠で売れ行き倍でさらに倍となりそーだけれど案外に、そーゆー流れに冷たいところもあるから隙間を塗って道尾秀介さんの「ラットマン」あたりが中年ノスタルジーを誘って受賞しちゃったりするのかも。他の候補は今野敏さん「果断 隠蔽捜査2」と海堂尊さん「ブラックペアン1988」と北重人さん「月芝居」。最近のヒットぶりなら海堂さんでも構わないけど作品を読んでないから何とも。北さんも同様。今野さんは超ベテランなだけに今さら感もあるけど06年によーやく「吉川英治新人賞」だから別に良いのか。三島賞は誰なんだろう?


【4月27日】 見返してみて破竹の勢いだった名古屋グランパスにもいつかのジェフユナイテッド市原・千葉みたく手詰まり感が出てきたっぽい雰囲気。両翼が前に行こうとしてもそこを固められると最終ラインに戻して再びビルドアップを始めようとするものだから前を相手に固められてしまう。そこから逆サイドに振ってもワンテンポ襲いものだから寄せられ奪われる繰り返し。いつかのジェフ千葉はそこからさらに前へと突っかけつつ追い越していく選手に渡してさらに走り込むといった攻撃が出来ていたのが、着かれて衰えたのか守備意識が浮かんでしまったのか前への圧力が薄れて自滅していったっけ。名古屋グランパスの場合はまだ右サイドバックとかに追い越していく姿が見られたけれども、そこから先がやっぱり厳しい。クロスも合わない。跳ね返されて逆襲。その繰り返し。

 かといって中央にくさびを入れようにも固い守りにあって届かない。守備を固めてカウンターで1人2人がテクニックとスピードで持ち上がるチームに対してあるいはこれから夏場に体力も衰えるなかでこてんぱんにされるんじゃないかって思えて来たけど、そこはそれ、ストイコビッチ監督も承知しているだろーからネジをまき直してフリーランにトライアングルな動きを強めて立て直していくんだと思いたい。巻祐樹選手はプロでは始めて見たけど高さに加えて動きもしなやか。ポストの意識も高いんで動きを鍛えれば良いフォワードになって行きそう。問題はジェフ千葉かあ、先制しても追い付かれて逆転を喰らう繰り返し。守備陣があれで整っていれば変わったっていうけれど、もとより分厚いわけではないからなあ。高さにはボスナー選手だけれどもスピードには読みで勝負し守るディフェンスが欲しかった、大阪で燻っている水本裕貴選手が戻って来れば……でもそれは無理か、うーん困った先が見えない。来年は地方めぐりも覚悟、かな。

 「仮面のメイドガイ」は敵登場、なんだけれどもコガラシの爆裂ぶりが卑近な所で止まっていて突き抜けない。もっと笑わせてくれ。明けて朝。ニコ・ロビンの腰つきに誘われしばらく見ている「ONEPIECE」。オープニングが2番まであったり前回の振り返りとあと中のCMがやたらと長かったり10時ぎりぎりまで放送したりと、異例づくしの編制だったんだとようやく気づく。夕方にやってた時もこんなんだったっけ、何でこんなんなってるんだろー。それはそれとしてニコ・ロビンはやっぱり良いので登場し始めたあたりから見返したくなって来た。「絶対可憐チルドレン」はキャラクターもストーリーも面白いはずだし絵柄だって嫌いじゃないのに今ひとつ盛り上がらない。完璧過ぎるからなのかそれともやっぱり何かが足りていないのか。平野綾成分の魅力は声じゃなくって演じられているキャラに依るものだってことなのか。答えが出るまではしばらく視聴継続。

 天も地も子も知らずただ我のみが知っていることを実は菓子も知っていた、とはつまり菓子には作った者たちの想いが如実に込められているということであるのだと、上田早夕里さんの「ショコラティエの勲章」(東京創元社、1500円)を読んで実感。まあそりゃ作る人が何も考えないで適当に作るはずはないってことで、それをどう食べどう味わい、そしてどう感じるかを極めてはじめて辿り着ける境地があるってことなんだけれども目の前の色や形に目を見張り、食べてひろがる甘さに引っ張られているうちはきっとまだまだってことで、そんな境地に至り物語として著すまでに作者の人が、どれだけの菓子を食べ歩いたのかを考えると羨ましくもありつつ飛ぶお金の重さに涙も。それだけの“犠牲”を払う価値が素晴らしいお菓子には当然ながらあるんだろー。

 京都の高級和菓子店の支店が神戸にあってそこでその和菓子店の工場長を父に持つ娘が店頭で働いていて日々売る和菓子に満足もしていたし敬意も抱いてはいたんだけれども2軒隣にできたショコラトリーだからチョコレート屋さん? も気になっていて時間が出来た合間にのぞいて買い物をしていたら騒ぐ女性。たむろしていた女子高生たちが万引きをしたんじゃないかと言い、実は主人公の少女もそんな様を目撃していたんだけれども決定的な証拠がない。なるほどカバンから菓子は出てきたものの箱がない。そんなものは他に隠せないからやっぱり万引きはしていなかった? ってところで飛び出す名推理。ミステリ・フロンティアって叢書の1冊なだけに以後もそーした感じに菓子にかかわるエピソードがあって、そこにミステリアスな事件が重なるのを少女が半ば巻き込まれがちになりながら解決していくって短編の連作が続く。

 フォーチュンクッキーじゃないけれど中に「フェーヴ」って陶製の人形が入っていた「ガレット・デ・ロワ」って一種のパイがあって、切り分け人形が入っていた人には幸運がもたらされるって伝承があるんだけれどもそれを仲間内で結婚する女性に贈ることになってせっかくだからと仲間6人分のフェーヴを入れて贈ったら、なぜか7つ目のフェーヴが入っててこりゃあ誰が入れたんだ薄気味悪いって贈られた側も思って、なぜか和菓子屋の少女に突き止めてくれって話が持ち込まれる「七番目のフェーブ」。店で働く若い和菓子職人が社内コンテストに出す和菓子を作ろうとしたものの、アイディアを近所の例のショコラトリーを仕切るシェフに見てもらいたいと言いだし逡巡しつつも間をつないだら和菓子店のコンテストでは落ちたその和菓子のアイディアが、ショコラトリーの新製品に使われていてもしかして盗作かそれとも機密漏洩かを女性が訝る「月人壮士」。どれにもふんだんなお菓子の知識が詰め込まれていて、読むだけで食べたくなって来る。勉強にもなる。

 ただ素晴らしいのはそんな知識の詰め合わせに止まってないところで、最初の「鏡の声」だったら万引きをした女子高生達のどうしてそんなことをしなきゃいけないのかって心理と、女子高生の犯罪を指摘した婦人のなぜにそこまでこだわったのかという心理が、菓子っていうものを一種の媒介にしてしっかりと描かれている。表面的にはたかが菓子、なのかもしれないけれどもそれを作る人、食べる人たちにはそれぞれに心があって想いがある。そんな想いの様々がそれぞれの短編から浮かんできては、自分ならどうなんだと考えさせてくれる。「七番目のフェーブ」は仲良しに見える人たちの間に渦巻いていた見えない感情。「月人壮士」には極めたい上りたいという職人の意地。なるほど菓子は人が作るものなんだと見えてくる。

 思いこみ思い詰めた人の心の真っ直ぐさと裏表の拙さもまた見える短編たち。「七番目のフェーブ」で必死になって真相を暴こうとして主人公の女性が行き着いた先に待っていたドロドロとした情念。「約束」で自分の思いと願いをとにかく果たしたいと焦っていた若い職人がやってしまった失敗。祖父への思いと父親への、というよりむしろ母親への反感ばかりを募らせすぐ足下にあった“青い鳥”に気づかずいたずらに反抗心ばかり募らせていた洋菓子職人の娘。それぞれがそれぞれに熱意のカタマリのようで気持ちを奮わせてはくれるけれども、自分が、自分だけがという想いの強さで周囲を染めようとするあまりに周囲を悲しませていることに気付けない様が見えて心痛い。そんなことを浮かび上がらせる菓子たち。なるほど菓子にはなるほど作り手の想いもこめられているけれど、それは食べてくれる人たちがいてこその想いでもある。菓子で知る天と地と子の諸々。そして我という存在。奥深いなあ。こんな境地に至るためにさて、いったいどれだけの菓子を食べれば良いのか。「うまい棒」30本ではきっとまだまだ足りないんだろうなあ。

 前週あたりは金沢カレーの食べ歩きに邁進したけどここんとこは続けて「キッチンジロー」の2品盛りでご飯大盛り。デミグラで煮込まれたハンバーグをメーンに魚フライだったりスタミナ焼きだったりメンチカツだったりを食べて、ハンバーグのなかなかの味わいにお腹もいっぱい、腹でっぷり。困ったなあ。ほかにいろいろとあるけれどもどんな組み合わせが1番人気なんだろー、ハンバーグはやっぱり外せないんだろーか、和風ハンバーグってのもあるけどこっちはどんな味なんだろーか、今度はそれをメインに唐揚げか、牡蠣フライかエビフライか豚カツを添えてみよーかな、カレーライスとハヤシライスはダメってことだけどカレーライスの2品ってことはハンバーグを乗せたり豚カツを乗せたりできるってことなんだろーか、奥深い。いや単純か。食べることくらいしか楽しみがないってのも何だかなあ。四月の新年度早々から予算の削減を言い出す環境だもんなあ、気力も萎えるってもんだよなあ。だめだなやっぱり。


【4月26日】 どこかのピザ好き魔女が言ってた「王の力は人を孤独にする」って文句って実は嘘じゃねえの? って思うのはほらルルーシュ・ヴィ・ブリタニアには年齢不詳ながらも見た目は可愛い(が口は悪い)美少女のC.C.がいてかいがいしくお世話をしてくれているのを毎週目の当たりにしているからで、あと読んだばかりの萩原麻里さん「黒耀姫君」(ビーズログ文庫)にだって、魔法遣いみたいな宰相によって半分くらい傀儡にされてた王様ん所に猪突猛進な女の子がやって来ては、その力で自分にかかってた魔法を解いて明日へと導いてくれる場面が出てくる。

 林トモアキさんの「ミスマルカ興国物語2」だってマヒロ王子にゃパリエルって護衛の少女がいてハリセン持ったメイドにして最強のエーデルワイスがいたりして、対峙する敵にも何人か美少女の姫様がいて自分たちを口先三寸で退けたマヒロ王子に関心を示してたりする。言っちゃあなんだがみんなモテモテ。王とか王子とか領主様の力は女性を魅了する? まあだからといって挙げた2作で結ばれた人はいないあたり、見かけは賑やかながら現実は孤独なまんまなのかもしれいないけれど。

 冴木忍さんの新シリーズ「ドラモンド家の花嫁1 王宮は陰謀だらけ」(角川スニーカー文庫)に出てくるアルトゥースだって王家が目をつけるくらいに大金持ちな上に迷い込んできたちょっぴりドジでそれからとてつもない大食いだけれど見た目はまあ可愛いと言えなくもないメイドと一緒に暮らすことになれた訳で羨ましいと言えば羨ましい。ただドラモンド家がそんな大金持ちになれた背景には悪魔だかとの契約があって家は栄えるし財産は奪われないんだけれども代わりに当主とその妻は35歳を超えて生きられないって条件があったりする点が他とは違う。

 嫁を差し出す代わりに得られる財産を目当てに望んでもいない結婚を親から言われ、あるいは何処から買われ養女となってドラモンド家の財産と引き替えに送り込まれる女性たちの立場はなかなかにみじめ。それを見知って現当主のアルトゥースは誰も嫁にするって意識は持たないでいる。これはちょっと孤独かも。もっとも敵もさる者というか、王家に招かれ家臣として赴かざるを得ず向かった先で巻き込まれた奇妙な出来事。街に人がおらず家臣たちは誰もが王と妃を讃えるもののそればっかり。王家を継ぐはずだった息子の姿は見えず聞けば死んだと言われたものの確たる証拠はない。

 いったい王家に何が起こっているのかを調べてアルトゥースは場内を走り回る。脇ではドラモンド家に住み込んでいる幼く見えてこれがなかなかな少年と、あと道ばたで倒れていたところをアルトゥースに拾われたメイドが絡みはするものの、20人分は食べないとお腹が空いて空いてたまらないメイドのその大食いぶりが本筋で何か力になるって感じがなく、その割には冒頭からその大食いばかりが取りざたされたことを勘案すると何だかバランスがよろしくない。

 「ドラモンド家の花嫁」ってタイトルからしてメーンはあくまで呪われたドラモンド家でそこにどんな花嫁候補がやって来るかってあたりで、だから主人公はドラモンド家のアルトゥースであって大食いメイドは脇でも良いんだけれども初っぱなに主人公然とした所も見せていたからなあ。後にしっかり主役ぶりを見せて来るのか、あくまで先触れであり狂言回しであってその線で落ち着くのか。ともあれ始まった若き当主と悪魔と大食いメイドの暮らしが、変わらぬ呪いの発動へと向かうのか呪いを超えた新たなる次元へと向かうのか。その大食いぶりが役立つ時なんかにも期待しながら続きを待とう。

 んで葉山郁さんの「人質をあたし」(イースト・プレス)はどっかの国の王の子だかで貴族の家に養子に入ったラーシャリオンって少年が女性にさらわれ身代金も奪われながら身柄も連れて行かれた先からさらに隣国へと入ってそこでも不幸な王太子様がいたりするって感じの話。権力闘争から脇に追いやられているとは言っても王様王子様皇太子様王太子様の類の寂しがりっぷりはなるほど力故の孤独なのかもしれないけれどもそれでも美少女がいて元気な誘拐犯の美人がいたりと女性キャラはまずまず。その辺りだけを見ればなかなかなに羨ましい。

 しかし何というか出自が訳ありながらも今は辺境の村のために頑張っているミリアって少女が皇族ながらも貴族の家に養子に出た少年をさらった先でストックホルム症候群だかが発生しては世の不幸ぶりに意気投合して少女は先祖の力を蘇らせ、少年を助けて世界を救うってな分かりやすいストーリーになるのかと思っていたら国境の向こうの国が絡んでそっちでも権力闘争から不幸な少年が生まれ、その実直さにミリアが傾いていってしまって哀れラーシャリオンは蚊帳の外。1人の少女を挟んで2つの国の王子様たちが争うって話にもならずいったい誰が主役で誰が脇で、何が結末なのかも見えなずかといって3人の背景を持った少年少女の群像劇かというとそれほど3人が際だっていない所もきにかかる。

 まあそれをあまりにやってしまうと多々ある話と変わらなくなってしまうってところで人を人とも思わない権謀術数の類に溺れた貴族の青年が自ら不幸へと追い込んだ少女の血を吐いてでも進む姿に少しだけ心をとかされかといって彼女を得られず苦しむ様を見せて人の道の真っ当さを訴えつつ少女も少女でひとり誰かのためと張り切っているようでいてそれは言い訳、つまりは誰かを守ることではなく自分が守ることが重要なエゴイストだったことを浮かび上がらせ復讐に燃える心の至らなさって奴を見せようと、しているんだと考えればなかなかに奥深い所まで練られた小説って言えるのかも。あとはその出し方見せ方か。深化に期待。

 録画で「マクロスF」は絵がコミカル方面でしっかりしているのが嬉しいかも。動きとかはともかく人の輪郭のとりわけ女性のラインなんかは実に安定しているし、戦闘シーンに入ればスピード感も上がって楽しめる。何をやっているのかが分かるのも良いかも、「SEED」とかだとほんと何やってるか誰と誰が戦っているのか追いつけないところがあったし。それが戦場? まあもっとも。でかいクラン・クランと小さいクラン・クランの差が激しすぎなのも愉快。デカいときは「BLACK LAGOON」のレヴィだけど小さい時は「バンブーブレード」の千葉紀梨乃でもないし「仮面のメイドガイ」のフブキでもない子供声。幅広くなっているなあ。10年前に「エーベルージュ伝説」だかの発表会で三石琴乃さんといっしょに登場しては歌を唄ったのを見てからもうずいぶんと経ったのだなあと遠い目。人は進む。自分は下がる。下がる。下がる。こりゃもうだめかも。Bigあたらないかなあ。


【4月25日】 物語が成り立つ限界まで社会にしても心理してにしてもレベルをリアルへと近づけようとしているんだろうなあアニメーション版「紅」は。片山憲太郎さんの小説だと紫は幼稚園の権利書をガメた暴力団の事務所に乗り込む真九郎にくっついていくけれども、アニメーション版では出ていく真九郎の後をちょろちょろとつけては暴力団が事務所代わりにしているオートロックのマンションの部屋へとたどり着く。そこで真九郎が騙されているって相手の顔を看て喝破するのは小説もアニメも同様だけど、小説ではそこに紫の血筋から来ているっぽい不思議な力を匂わせ、これは1本とられたとばかりに暴力団が銃で真九郎を撃ちまくる。

 そこは崩月の戦鬼として鍛えられていただけあって弾丸すら通さないのが小説版。アニメ版ではさすがに拳銃で背中を何発も撃たれて平気な普通の人間がいるはずもないということなのか、7歳の子供が言うことを信じる大人はそうそういないという現実を踏まえてのことか、真九郎にその場で騒ぎは起こさせず部屋を出てからの一悶着へと持っていく。信頼してもらえなかったことを落ち込む一方で言いつけを守らなかったことを反省する紫の聡明さを伺わせる流れはなるほど真っ当。そこに超常的な力をもった女神としての属性を与えてしまわず、やや勘の鋭い少女といった程度とどめておいて人が互いを認め合い、理解していくプロセスって奴を見せようとしているんだろー。自らを過信しては失敗してヘコむ真九郎のスタンスも人間っぽい、っても肘から角を生やして力を開放するシーンは流石に外せなかったか、これはある意味でキモだし。

 拳銃の弾が角に当たってのもまあ超常的ではあるけれどもそこは撃った方の腕が下手だったということで。紫が喝破した暴力団の嘘は多分真実だったんだろうけれどもそのあたりについての解決がどーなったかが見えない。権利書はやっぱり偽物だったのかな。その後の乱闘でとりあえず本物を取り返したのかな。お風呂シーンはいつもながらとっても健康的。銭湯に行きたくなって来た。いるかな子供連れ。闇絵さんは相変わらずに不気味。強いのか。次週はいよいよ姉さん女房から姉弟子としての力を見せる夕乃さんが登場。ユルみきってる真九郎をきっとこてんぱんにしてくれるだろー。やあ痛快痛快。

 それにしても真九郎ってどーして独り立ちをしたがるんだろー。紅香に憧れた、って理由はあってもあの域へと達していないことは自覚している訳で、今は修行と認めあせらないのがお利口さん。なのに荒事へと突っ込んでいっては自爆する連続。それ事態が紅香に到底及ばないことを証明しているのに何故か焦って突っ走る。家族を奪われたことへの復讐心なら秘めて今は耐えるのが普通。守りたい人がいるから急にでも強く成らなきゃいけないって感じでもしばらく前まではなかった。破滅願望があるよーにも見えないのに、1人で暮らして仕事をこなす真九郎の気持ちの真相って奴を、見せてくれればあのへらへらとして弱々しげな態度にも納得ができるんだけどなあ。

 絶対に外に出るなって厳命されているのに出ては見つかり逃げ出さなくちゃいけない羽目となり、その際にすぐさま逃げろって言われていたのに置き手紙なんかして友人を危険な目に遭わせた上に逃げた先まで露見してしまって追い付かれて捕まってしまい、引き離されて捕まっていた奴の場所へと行ってそこですぐに逃げろと言われて助けるまでは逃げないと頑張ったら敵に見つかり共倒れというとにかく頑固で我が儘でそれが周囲に多大な迷惑をかけているのにまるで気が付かないヒロインを見ているとどうにも気持ちがせっぱ詰まって来るけれどもまあそうした猪突猛進さが時に事態を打開したり、あるいは自らの成長へとつながっていくんだから仕方がないというか受け入れるべきだというか萩原麻里さん「黒耀姫君」(ビーズロング文庫)シリーズ。

 とある国の衰亡に関わると予言された別の国の女が全員連れて行かれた中で1人残された少女が逃げ隠れて長じたもののやっぱりそこは曰わく因縁のあった存在で、女たちを奪われた国に生まれながらも疎外感から敵についた男に見つかり追われ捕まってしまうというストーリー。そしてやって来た皇帝の居城で大冒険の果てに仲良く暮らしていた少年の正体を知り、そして自分の記憶を取り戻して真実への扉を開く。あれだけ我が儘が危険を招いたのにやっぱり態度を改めない女王様っぷりはもはや敬服の境地。少年の正体を知って恐怖ばかりが先に立ってそれまで世話になったことも吹っ飛んでしまう辺りは何だろう、思考のマルチタスク化が出来ないタイプなのかもしれないけれども打算とか計算しないで真っ直ぐに生きている現れと見ればそれはそれで可愛いのかもしれないなあ。次回で完結、か。期待しつつ少女が果たして成長できるかを待とう。

 成長しすぎられてもちょっと困るか林トモアキさん「ミスマルカ興国物語2」(角川スニーカー文庫)は前作で帝国の尖兵を口先と知略でもって翻弄し、撃退した唐変木に見せる裏に叡智を隠し持っていた王子が今ふたたび、迫って来る帝国を相手に知略をめぐらせるってストーリー。もっとも自分では頑張ったつもりでもその上をいく王の奸智がまた凄まじく、例えるならば日本で踊るルルーシュを天空から高笑いして見ているブリタニア王みたいな感じに翻弄される王子がそれでも知略でもって事態を改善へと向かわせるあたりは流石なもの。その目的がいったいどの辺りにあるのかも含めて先が楽しみ。まさか本気でハーレムを作りたいとか考えているんじゃなかろーな。ありかんねんなマヒマヒ王子には。

 前回は帝国の皇帝の3女の豪傑が相手だったけれども今回は2女の知略家が相手でやりにくそー。なおかつこの2女魔法とか使えるみたいで暴れるマヒロに対して必殺の黒いトゲトゲが特徴的な海産物にしてお仕置き用暗黒生命体、「その名も、うに」を取りだしぶつける所業に出る。これは痛い。とくにオールすっぽんぽんで走るとゆれるあの辺りに突き刺さるのはたまらない。大人しそうにみえてあれでなかなかにイケズな2女だけれども可愛いところもあってかつての恩人と再会を果たして心浮き浮き。そして収まった事態の向こう側にはやっぱり本気の決戦が待ち受けているのかそれとも共に手を取り魔王へと挑む日々が訪れるのか。より明晰になる長女の登板に対してマヒロのどんな知略が張り巡らされるかも含めて注目。しかしマヒロを助け2女の姫に慕われる隻眼隻腕の勇者が見つけようとしている「姫」をマヒロは心当たりがあるっていったけど、ただのブラフじゃないよね、ってかやっぱりそこら辺にいるんだよね、王女。


【4月24日】 風邪もどうにか治り喉の痛みもとれかかって来たんで悪食再会とばかりに金沢カレー巡りをはじめてとりあえずはお茶の水に知らんどる間に(しらないうちにの意)出来てた「ゴーゴーカレー」を攻めた後日にあれはいつだったっけ、「FIFAクラブワールドカップ」の決勝を横浜国際競技場まで見に行った途中で「ユニクロ」に寄った時にテナントとして入ってた「ビックカメラ」だか「ヨドバシカメラ」の地下に出来てた「カレーの市民 アルバ」もそういや金沢カレーだと検索をかけて見つけた錦糸町へとゴー。「ゴーゴー」のそれはそれで強烈な印象のルーとはまた違ってじっくり煮込まれた感のあるルーと大人し目のご飯でチキンカツとか食べてそしてそういやあ本場より本物の「カレーのチャンピオン」も東京へと出てきていたなあと、調べて高田馬場にある店へと出向いたら閉まってた。

 もしかして定休日? ってそこは治めて早稲田方面へと戻り「バレーカレー」でチキンカツ+ソーセージ。ここん家は別に金沢カレーとは言ってないけどルーにカツにキャベツのトリオが何だか金沢っぽくって人によっては一蓮托生の範疇に入れられてた。味は普通。早稲田が近いだけあってまあおやすい。そういや馬場にはゴーゴーも出来てたんだっけ。んでもっていつかまたのリターンを近いつつ「チャンピオン」について調べたら何と、先週の18日で閉店になっていやがった。出来て確かまだ半年? 短かったなあ、人生、いや本場の金沢じゃあしっかり営業はされているから東京では受け入れられなかったってことか。

 でも「ゴーゴーカレー」はあんなに店を出しているし「アルバ」は遂に秋葉原へと進出して、ますます繁盛な様子なのに味で負けていない「チャンピオン」の敗北は何だろう、やっぱり立地の問題か、「ビッグショット」から大久保方面へと歩いて5分じゃあ駅前1分の「ゴーゴーカレー」にかなうはずもないってことで。商売って難しい。まあいずれ再出店を期待しつつ次はそうだな「チャンピオンカレー」を出しているって噂のメイド喫茶にでも行くか、いやしかしそれは歳も歳だし恥ずかしいし。レトルトを買って家で作って食べるか。でもキャベツがないしなあ。金沢に行くしかないのか。

 明け方にかけて「UEFAチャンピオンズリーグ」の準決勝第1レグ「FCバルセロナvsマンチェスター・ユナイテッド」を見たらクリスティアーノ・ロナウドがいきなりPKを外してた。飛び込み頭で押し込もうとしてハンドされたのがPKになっただけであれが果たして入っていたかというと微妙なだけに儲けもののPKだった訳で、あの後にろくすっぽチャンスらしいチャンスを作れなかった所から考えればやっぱり決めておきたかったんじゃなかろーか。1点でもアウェーで奪えば引き分けたってホームでの戦いがぐっとやりやすくなる。逆に0点で折り返してホームに戻ると今度は1点でも奪われたら勝つしかなくなってしまうからなあ。

 でもってメッシにデコにエトーとあとはアンリも含めた攻撃陣がスペクタクルなバルセロナ、1点くらいなら取る可能性はあるだけにホームのオールド・トラフォードでは守備陣の奮闘が求められそう。カンプノウでも頑張ってたから大丈夫か。攻撃はだからルーニーがまるで目立ってなかったのを要改善。決勝はマンチェスターとリヴァプールで見たいなあ。でもってクラブワールドカップにはマンチェスターに来て欲しいかな、「ボーダフォンカップ」だかで浦和レッドダイヤモンズと対戦したのを前に見てるしその時にクリスティアーノ・ロナウドの姿も拝んでいるけど本気で戦う奴らがやっぱり見てみたい。チェルシーでも悪くないけどモウリーニョのインテル監督就任がそのとおりなら冬まで今のメンバーがいる可能性は薄そうだし。リヴァプールもフェルナンド・トーレスがいなくなりそうだし。ロナウド移籍は流石にないよなあ。

 店頭に並ぶ頃だと寄った近所のレコードショップで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」 のDVDの特装版を買って開いて敗北感に打ちのめされる。付録のフィルムのこれはいったいどこだろう、暗い場面で後ろに階段状になって見えるのはトランス車? 脇に電源だか何かがあるその前に針金みたいな細さで人が数人立っているのが見える。拡大すれば誰か分かるかもしれないけれども見てすぐに誰か分かるくらいじゃなければこういうのってあんまり嬉しいものじゃない。「笑うといいと思うよ」な場面での綾波レイの笑顔とか会議室でぼわんと上を見上げる葛城ミサトさんとか贅沢を言えばキリがないけどせめてだったら碇シンジとかゲンドウとか、あるいは使徒でも良いからキャラクターのが欲しかった。これはもう1本買えというご託宣か。でも次もやっぱり風景とかだと衝撃もデカいしなあ。思案思案。

 築地俊彦さんの「けんぷファー」(MF文庫J)もはや7巻目でみんなそろってプールで宿泊。当然のよーに瀬能ナツルも男性型から女性型へと変身しては水着にその身を包んで見せてくれるものの問題はその夜、どこかへと出かけた最愛の沙倉楓の後をつけていったら現れたのが当の彼女なんだけれどもどこか妙、ってことでいよいよ彼女がバラまき続けた臓物アニマルによって「ケンプファー」が続々と誕生した理由って奴が語られるのかどーなのか。会長の三郷雫は相変わらずに良いキャラクターをしているよなあ。しかしここまで巻を重ねればそろそろアニメ化って話しも出てくるのかな、でもってキャラクターマーチャンダイジングとしていよいよ臓物アニマルのぬいぐるみ化も実現すれば巷に切腹したり窒息したりな動物が溢れて愉快な事態となりそー。期待して待とう。なる訳ゃないか。

 ソクラテスだプラトンだニーチェだサルトルだ埴谷雄高だ吉本隆明だ渋澤龍彦だ浅田彰だマルキ・ド・サドだ村上春樹だ村上龍だジャック・デリダだフェリックス・ガダリだジル・ドゥルーズだエドワード・サイードだノーム・チョムスキーだオルハン・パムクだホルヘ・ルイス・ボルヘスだイザベル・アジェンデだ円城塔だガブリエル・ガルシア=マルケスだアレッホ・カルペンティエールだトマス・ピンチョンだジョン・バースだティム・オブライエンだせめてスラフスワフ・レムだとまあ適当に挙げたもののこれ意外も山ほどの思想家文学者って奴が世界には溢れていて、そんな人の書いた物を読むか読んだふりをしてでも大人っぽく見せたいお年頃、って奴が大学生なんだろーけど所詮は虚勢と割り切って、読んで楽しく面白い本って奴を皆々様にご紹介したいって感情が爆発している「大学読書人大賞」って奴が、いつの間にか生まれてしっかり候補作も挙がってた。

 他にずらりと並んだ本を見てもやっぱりあんまり背伸びしているような感じはなし。中学高校と読み継いで親しんで来た作家をなおも読み継いでいる感じが見えて、書を捨てよゲームに行こうとならない本好きたちの成長とか拒絶した頑張りが伺い見えて微笑ましい。新刊縛りってこともあるんだろーけどクラークが挙がってるんだったら再刊でも大丈夫ってことで、だったら国書刊行会とか河出書房新社のSFの出し直しがもーちょっと入ってたって不思議はないとか、柴田元幸さん金原瑞人さんがどかどか訳した海外文学の美味しいところが混じってたって良いのにって気もしないでもないけれど、この世知辛い世の中にハードカバーの海外文学なんて高くて買えなくって読めないかもしれないって状況が、かくもライトノベルかライトノベル発の作家を上位へと送り込む結果になったのか。山田悠介さんは入っていないのがある意味で意外は意外。あの人気はだったらいったいどこの辺りにあるんだろー。

 大賞を決める公開討論会が5月4日にあるって分かったけれども既に募集は締め切りか、ちょっと残念、居並ぶ最高学府の叡智が「人類は衰退しました」についてどんな討論を聞かせてくれるのかをちょっと見たかった。「だいがくせいだよ」「じんるいのえいち」「じつぞんしゅぎってやつですね」「いやいやこーぞーしゅぎだ」「ほんとやらはどこだ」「らのべだってぶんがくです」って妖精さんたちが会話していたりして。受賞はやっぱり田中ロミオさんかなあ、世界に誇れる高学歴国・日本で最高学府に通い文学なるものを嗜む方々によって07年の1番だと田中ロミオさんがセレクトされるこの様子こそがデカルチャー、知られぬ文化との出会いって奴を世界の大人たちに喰らわしてくれることだろー。いや個人的にも十分にデカルチャーな事態なんだけれど。ニッポンきてます。


【4月23日】 「モノクロームなんとか」は主人公の友人のお姉さんが登場して飲まずに迫り途中で妖怪か何かを飲まされてパワープレイで迫るよーになったのを退けるって話。影を切り話したら人間にはもう見えなくなるって設定もどこへやら、霊感か何かが鋭ければ見えてしまうこともあるってそりゃあそうかもしれないけれども居場所のなさに心を沈めながらも戦う孤独なヒーロー、っていった部分がぞぶっと抜け落ちコメディ展開ばかりが前面へと出ていて騒々しい。それはそれで分かりやすくって良いんだけれども深夜に設定の複雑さやら心理描写の深さで関心を買おうってアニメが続出しているなかで、いささか簡単過ぎる展開かも。まあお姉さんを操った敵も姿を現しいろいろ絡んで来そうなんで今後はバトルで楽しませてくれるかな。

 あとは「クリスタルハンター」だっけ、「シティーハンター」の続編の、じゃない「クリスタルブレイズ」はやっぱり冴羽遼よろしくあっちこっちの女を相手にまりもっこりさせる探偵さん。その傍らで子供2人が事件を解決しようと突っ走るんだけれど、自分たちで何でもやるんだってゆー1人の思いこみの激しさが壁にぶつかり、どうしよーもなくなった時に助け船を出して詳しい人から情報を聞いたもう1人の眼鏡の親切を、怒り詰る様が見ていて若さを通り越して痛々しい。

 探偵だったら依頼されたことを解決するのが何よりの目的。なのに解決のプロセスを重んじ自分だけでやるんだって自尊心と名誉欲みたいなものにとらわれている様を、大人が誰も諫めず注意しないのが鬱陶しい。アウトローがお上から預かって監視カメラのネットワークを張り巡らせている街って設定は興味深いし絵もまあ見られるしキャラクターの表情や仕草もそれなりに豊か。なのに話が見えずヒーローは活躍せずヒロインは寝たきりで下っ端が暴走するこの展開だけは何とかならないものなのか。まあいずれ何とかなると思ってしばらくは見続けよう、亀と犬が可愛いし。

 せっかくだからと枕元の本タワーから片山憲太郎さんの「紅 −ギロチン−」(集英社スーパーダッシュ文庫)を引っ張り出して来て読み返しつつ最新の「紅 −醜悪祭−(下)」(集英社スーパーダッシュ文庫)の巻末の用語辞典を眺めつつ、崩月夕乃の恐ろしさにガクガクブルブルな春の夜。4月も後半でどうしてこんなに寒いのだ。「用語辞典」には「年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」とかって他人には実に有り難くもその出所とシチュエーションを想像するに真九郎にとってはすさまじいばかりの警句となっているコメントが項目として立てられていて、夕乃さんの執念深さ……じゃない情愛の深さって奴を思い知らされるんだけれども「うちの真九郎さん」って項目もあってやっぱり「金の草鞋」と同様に、深い愛情を感じさせてくれるというか、やっぱり凄まじいというか。

 「ギロチン」の夕乃が紫の授業参観に真九郎と一緒には行けなくなったって会話の辺りだったっけ、そこにいた銀子に向かって出たセリフで真九郎にとっちゃあお世話になってる家の人だからって普通というか鈍感にとらえてヘラヘラ聞き流してたんだろうけど言われた銀子にはきっと笑顔の裏側に滾る夕乃のすさまじさが響いて来たに違いない。すぐさま「長い付き合いですから」って返すんだけれど敵もさるもの戦鬼もの、「深い付き合いですから」と重ねて畳みかけて来てこれには銀子もグウの音もでなかったか呆れたか、言い争うような真似にはでなかった。いやあ一触即発、均衡が崩れれば学校だって全損しかねない事態だったけれどもよくぞお互いに我慢したもんだ。

 それだけの暴力的な圧力が込められた言葉の応酬があってもまるで気づかず用語辞典によれば「和やかな会話」だと思っていた真九郎、いつか絶対に女で痛い目を見るね、ってかすでに見ているか、<孤人要塞>なんていくら紫の精神注入があったって叶いそうもないんだけれど。そこをどう突破していったかを溜めて留めて先へと興味を誘われてはもう付いていくより他にない。用語辞典でおさらいしつつ巻末の「銀子の『紅』ゼミナール」を読んでやっぱり夕乃さんのすさまじさを噛みしめつつ(これを怖いと思わない真九郎の脳天気さに呆れつつちょっとだけ羨ましがりつつ)、アニメーション版のまるでキャラクターは違っているけど雰囲気は出ていてとりわけ夕乃さんの不気味さが優しげなビジュアルの向こうに漂い銀子の切なげな心根が無表情な顔や言葉の端々に浮かぶ様を眺めつつ次なる展開をしばし待つのだ真九郎。

 砂浦俊一さんの「シアンとマゼンダ」シリーズ第2巻「13階段」のラストに「戦う司書と終章の獣」のラストとか、「紅 −醜悪祭(下)−」の用語辞典の夕乃さんなんて目じゃない衝撃を受け、この先いったどーなってしまうんだって気になっていたら藍上陸さん「アキカン」の「5缶めっ」のラストに更なる驚きが待っていたことに気づいて動揺。嬉しいことなのかそれとも新たなる悲しみへの序章か。こんなにあらゆる小説のシリーズで先が気になって仕方がない引きをたっぷり着くってばら巻くとはいったいどーなってるこのレーベルは。「週刊少年ジャンプ」の連載漫画から引きの極意を学んだか。「よくわかる現代魔法」の第6巻も夏には出るって後書きで桜坂洋さんが断言しているから夏から秋にかけていろいろと楽しめそう。ラブコメ系は淡々と重なり退魔系学園バトル系は引きたっぷり。やっぱり「ジャンプ」だ集英社だ。


【4月22日】 初めから考えていたんだとしたら素晴らしすぎるし後から考え付け足していったのだとしても凄まじいことに変わりはない。山形石雄さんの「戦う司書」シリーズもこれでいよいよクライマックスへと突入するのか最新刊の「戦う司書と終章の獣」(集英社スーパーダッシュ文庫)は、前作のどこか幕間的な楽しさから一転して世界が一気にそれも唐突に滅亡してしまうからたまらない。いやまだ完全に滅亡とまではいかないけれども圧倒的なパワーの前に武装司書はおろか人類はもとより世界しのものがひれ伏すより他になくなっているシチュエーションで、果たしていったい次に何を起こし得るのかって興味がわき上がって持ち上がって興奮に心も沸騰する。

 神溺教団と裏で図書館が結託していたってところまではまだ良い。正義と悪なんてしょせんはカードの裏と表で双方があってこそ世界は立体へと浮かび上がる。でもそんなレベルで話を治めず世界そのものがどうやって形づくられその中で図書館がどんな役割を果たしていたかが明かされるに至ってもはやすべての価値観はひっくり返され、これから先に起こるだろう展開への予想を阻害する。能力バトルなんて次元じゃ片づかない展開にさていったいなにをぶつけて来るのか山形さん。超越的な存在をさらに引っ張り出していけば今度は超越のインフレも起こしかねないだけにここが肝心。踏みとどまりつつ納得の、そして驚嘆の帰結って奴を見せてやって下さいな。とりあえず今回も表紙のハミュッツ=メセタはいやらしい。あのボリュームで着けてないのだとしたらいったい下はどんな筋肉だ。

 だから「コスモス」は。杉浦太陽は。まあ平成とはいえ「ティガ」「ガイア」「ダイナ」の平成3部作とは系統が違うから今回はオミットされて仕方がないのかもしれないなあと考えつつ見た「ウルトラマン」の新作劇場版の記者発表。というか「ティガ」をメインに据えればアイドルグループ「V6」の長野博さんを主役にできてジャニーズファンの女子を映画に引っ張り込めるし、会見でも長野さんが話していたように今の中高生から大学生あたりが子供心に楽しんでいたのがこの初期平成3部作。懐かしさと思い入れを込めて作品を見てくれるってこともあるんでこれに「メビウス」を加えた平成組と、あと「ダンディー4」と名付けられた「ウルトラマン」から「セブン」「ジャック」に「A」と続いた初期の昭和の4作品を絡めて今の30代40代50代をも引っ張り込めば、ティーンに女子に年輩者と3世代の性別を超えた層に「ウルトラマン」をアピールできるって、そんな思惑もあったって見るのが普通なのかなどーなのかな。

 会見じゃあ冒頭に俳優ではなく「ウルトラマン」たちがずらりと並んでテーブルに向かい腰掛けいろいろと発言する寸劇めいたイベントが仕掛けられてて熱い薬缶を触って「ジュアッチ!」と「ウルトラマン」が叫んだCMみたくビジュアル的に愉快ではあったけれども、そんな中でメインを務めた「ウルトラマン」がCGも使うけれども伝統のミニチュアも使ってデジタルとアナログを融合させたすっごい映像を見せると言ったのが記憶に強く印象。発端はTYOが円谷プロダクションを買収した会見でTYOの偉い人がミニチュア否定、CG全肯定みたいなことを喋って古手の特撮ファンを震撼させたことで、これで背を向けかけたファン層を引き留め振り向かせるためにあれやこれはフォローが行われたっけ。

 例えば2月の「ワンダーフェスティバル2008冬」のパンフレットでビルドアップから円谷プロの副社長へと進んだ岡部淳也さんが、これからも特撮は使い続けるって宣言していて模型の世界のカリスマの発言として模型の世界のマニアたちを納得させよーとしていた。今回もだからCGは使うけれどもミニチュアの良さも存分に活かすみたいなことを喋らせたんだろー。まあ現実にそれがどれくらいの迫力と効果を持っているか、TYOの偉い人が日本の予算ではどーしてもハリウッドレベルのクオリティは出せずチープになってファンの目を背けさせるって話していたのをどれだけ覆しているのか、って所を映画では確認したい所。ビルドアップが円谷プロと合併したのは1月だから岡部さんが直接関わっているとは限らないけれども立体の造型でもCGでも冴えを見せてた人たちの参画が、チープではない特撮と薄っぺらくないCGを「ウルトラマン」の世界に持ち込んで、かつてない迫力の映像を見せてくれるものだと信じよう。公開は9月13日。「コスモス」は出ないけれどもすっかりサラリーマン風になってしまったダイゴこと長野博が世紀のヒーローをどう演じているかに注目だ。

 おいおいおいおい。おいおいおいおい。もひとつ重ねておいおいおいおい。「東京スポーツ」のスイカップがどーしたって話しに興味を惹かれて買った号の中を開いてサッカーの日本代表にラモス瑠偉さんが臨時コーチを務めるなんて話を見つけて、心の中で土砂崩れと大津波と暴風府が同時に荒れ狂ったくらいの衝撃を受ける。端でそう思ったくらいだから代表に選ばれている田中マルクス闘莉王選手なんていったい何を思ったか。鈴木啓太選手みたく遠慮しておいた方が良かったか、なんて思われたりしたのかな、でもほらあのラモスがコーチでどーしてみんな忌避するなんて考えるの? って言われればそりゃあ選手としてはともかくコーチとしての信頼感が今ひとつだからって答えるだけのこと。J2に墜ちてた「東京ヴェルディ」で監督として指揮をとって1年目は上がれず2年目も驚異の連敗を喫した監督を、コーチに引っ張って何の上積みがあるんだって考えるのがここ数年のサッカー日本代表を見てきた人たちのコンセンサスだろー。

 名選手必ずしも名監督ならず、って定説に最近だとストイコビッチ監督が外れてはいるけれども彼の場合は師匠がオシムでベンゲルだし、テクニックの凄さからカリスマとして引っ張るだけの力を持っている。対してラモスさん。どーだろー、現役の選手たちにいったいどれだけの影響力を持っているんだろー。皆無、とは言わないまでも指導の方法、口調の印象から考えるとロジックよりはパッションで引っ張り焚きつける人っぽい。かつてはそれで良かったんだろーけれども、アジアの各国の力が拮抗しつつある現在においてパッションが力となるのはよほどの場合。むしろロジックを鍛え上げて相手を圧倒する方を尊ぶべきだろー。だからこそオシム監督の登壇は喜ばれ選手たちからの支持も集めた。

 それがパッションへと転じた。監督もロジックを重んじるよーで実はパッションの人らしーし、ラモスさんに至っては9割9分がパッションで出来ていそー。魂だ情熱だって叱咤してはそれで勝てるんだったら70年代だって80年代だって勝ってワールドカップに行ってるぜ、って受け止めた選手たちから浮かぶ叛意が日本代表を崩壊へと導きそうでちょっと心配している。協会だって考えれば予想できそーなそんな事態を、けれどもむしろ称揚しつつ裏で操っているっぽいのは、実力が例えあろーとも手駒として扱いやすければそれで十分ってな感じの、反サッカー的なマインドが生まれ蔓延りかけているからなのか。いやいやサッカー協会は昔からそーで、オシムを監督に仰いでいた時代が特別だっただけなのかもしれない。いずれにしても本当にラモスさんが代表の臨時コーチを務めるよーなら、でもってそれを岡田監督自身が依頼して実現したんだったとしたら、日本のサッカー界は代表を中心に歪み砕けて行こうとしているのかも。さてはて如何に。


【4月21日】 もう1度見返した「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の第3話でルルーシュがミニスカートではなくスパッツ姿になってたヴィレッタ先生から指導を受けていたスポーツがバスケットボールだと確認。そうかあるのかアメリカ生まれのこのスポーツがルルーシュ世界には。前のシリーズで逃げたアーサーをとっつかまえるイベントに確かアメフトっぽい一団が出てきたような模造かもしれない記憶があったけれどもそれも含めてアメリカ合衆国って自由と平等だなんて口では言ってたあの国のあの風土がなくって、いったいどーやってアメリカ的スポーツが生まれたのかをアニメな人たちには是非に想像して頂きたいもの。調べると冬場に雪の多い地域で屋内スポーツとして籠にサッカーボールを放り込むスポーツとして生まれたとか。アメフトも元はサッカーってことはやはり源流のサッカーがどうやって生まれたのかにも研究が欲しいところかな。戦場でブリタニア貴族が敵から刈った頭を蹴りっこしてたんだろーか。

 麻生俊平さんの「ホワイト・ファング 狼よ、月影に瞑れ」(トクマ・ノベルズEdge、819円)を読んで思う。平井和正さんの「狼の紋章」ってむちゃくちゃに面白かったよなあ、たった1人で周囲から虐げられようともひとり孤高を貫きながらも最愛の女教師の危機に立ち上がって強大な敵を相手に立ち向かっていく犬神明の何と恰好良かったことか。敵の権力を嵩にきた醜悪さもあるにはあったけれどもその醜悪さの中には人間の奥底に滾る情念のよーなものがあって一方の極として共感したくはないけれども理解はできた。そしてけれどもそれでは駄目だといった理性が求めた正義の像として犬神明があって彼のまさしく狼としての高潔さに惹かれその高潔さを我が身になぞらえ置き換え正しく生きる心地よさって奴を味わった。ああそれなのに。

 今時において正義を貫くとか口ではいいつつ浮浪者を見捨てることを勇気の証などと称揚するおぼっちゃんが出てくるとは。そんな輩に最後間際までなびくことこそが正義だなんて示してみせるとは。真っ当な正義が挫折し権力におもねってこそ長生きできる現代社会のこれが反映された姿なのだとしたら、もはや現代に絶望するしかないのかもなあ。せめて物語の中だけは正義を貫く恰好良さって奴を読ませて欲しかったよなあ。平井さんはそのあたりのバランスも絶妙だったよなあ。時代は巡る。筆は回る。話しはまだ続くみたいだけれども現代って奴の強気におもねり弱きを虐げる醜悪さをこれからも描いていくのかな。書いてて作者も辛いだろうけどそれが時代だ、仕方がない。弱そうに見えて実は……な美少女がどんな暴れっぷりを見せ、そして物語にどんな決着が付くのかを心配しつつ続く限りは読み継いでいこうっと。

 箒にまたがり空を飛べば下から見えて当然だ。なのでアニメーション版「レンタルマギカ」の確か第1話で高い場所から箒にまたがったまま垂直落下して来た穂波・高瀬・アンブラーのスカートが鉄板のよーにまくれあがらずむしろしっかりとお尻の下に敷かれまたがった彗の柄でもって抑えられてふわりともしなかったのは物理学的に考えてもおかしいのだと吉田親司さんの新刊「突撃彗少女マリア 出撃の章」(ガガガ文庫、600円)を読み口絵に織り込まれていたピンナップを拡げて強く激しく確信するのであった。でも本編じゃあしっかりとスパッツを履いていやがる。見えるんだったら見せない努力をするってことか。現実って奴は厳しいなあ。

 いや現実には誰も彗でなんて空を飛ばないから。小説の世界だけだから。そんな「突撃彗少女マリア」の世界で日本人の少女は、処女ならば彗にまたがり空を飛べるようになっているんだけれどもそれが何というか貞操観念と結びついてしまっていて、手に箒を持っていれば淑女だのといった見方が定着してしまって女性には、それも開放的な女性にはなかなかに居心地の悪い世界になっている。一方では、彗の力でもって空を飛んでは迫り来る台風ならぬ怪獣を相手に戦っている面々がいて、箒に乗れる清い体であるってことが強さと直結している世界でもある訳で、そんな世界を救い導く力を持った処女こそが至高、男性はそれを頼り尊んでいれば平穏に生きていけるんだって感じて敬意を示すような、女性上位のヒエラルキーが成立していたって不思議はなく、男性はただ生殖のための存在と堕して、一仕事を終えた女性が男性を選び囲うよしながふみさん「大奥」のよーな世界になっているって可能性も想像できるんだけれど、彗を持っているかどーかを男性によって選別される視線が強そうに見えるってことは、まだそこまで社会が変革していない段階にあるんだろー。

 だから彗に乗れる乙女たちを彗から開放することを唱える中年の女性党首もいたりするんだけれど、彼女の真意も含めていろいろと裏のありそーなこの世界。台風のよーに現れては日本に上陸して被害をもたらす「海獣」を相手に戦う部隊を指揮する女性の妹で、力量を姉に認められながらも学校では戦いへの道は選択せずに家政科へと進んだ摩里愛の前に、とある人気アイドル男優にそっくりな顔をした江隻恵瑠って転入して来てひと騒動。こいつの目的はいったい何なのか? でもって海から出てくる海獣がどーして日本にばかりやって来るのか? って疑問も立ち現れてそれに何らかの答えを今後の展開で示してくれそーなんで、その設定がいったいどんなものなのかを確かめる意味でも、やっぱり次巻は読まなくちゃ。摩里愛の彗での落下シーンも是非に一杯描いてね。本編はスパッツを履いていよーとイラストではそのあたり、宜しく。恵瑠でも別に悪くはないぞ、趣味はどうあれ見かけは……なのだから。帆村敦美党首だったら……それもそれで無理すれば趣味の範囲と強弁。だからしっかり描いて頂戴スパッツなんぞに逃げることなく。

 「崩月の“戦鬼”、紅真九郎と全身をこれ武器と変えた美少女、星噛絶奈との戦いの、その決着や如何に! そして真九郎を心より慕う幼き少女、紫の運命は?」「片山憲太郎先生の次回作にご期待下さい」。なんて言葉を思わず探してしまった片山憲太郎さん「紅 醜悪祭(下)」(集英社スーパーダッシュ文庫)。上下だなんて仕立てだから当然にひとつの山場が終わり上巻で明らかになったとんでもない事態に決着も付くかと思っていたら話の良いところでひとまずの終了。これが予定どーりのことだったかは、下巻の残り50ページくらいがアニメ版「紅」の第1話のシナリオと、用語辞典とあとキャラクターが入れ替わり出てきて作品世界について質疑応答の形で明かすコーナーになっていたりすることが果たして証明しているのか。本当に「次回作に期待してね」とならないことをまずは願う。しかし軽々と包丁で敵の首を飛ばすギロチンよりも全身これ武器な絶奈よりも恐ろしいのは案外に崩月夕乃さんなのかも。まだ幼かった紅真九郎に向かい最初に教えた人生の指針となる言葉が「年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」だもんなあ。深慮遠謀。急がば回れ。女心とはかくも深くて黒いのだ。


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