縮刷版2008年3月下旬号


【3月31日】 年度末。粘土で松。意味不明。アニメーションも最終回が続々。「俗・絶望先生」は“鬼は外”話で節分から間が外れてる。あとどんなエピソードだったっけ。作画的脚本的構成的に素晴らしい作品なんだけれどもそこでDVDを買わせるだけの何かが無い。“歪み”ってやつか。「レンタルマギカ」をずっと買っているのはおまけが豪華なのと限定版はボックスが綺麗なのとあとアディリシア・レン・メイザースってキャラクターが持つ“歪み”に引かれたから。伝統ある魔術集団の首領として多くの幸福な未来を失いながらもその立場を守りつつ心は未だ少女らしさを残したキャラクター。おそらくは絶対に描かれないだろうけれども年を経て父親ぐらいになった時に、文庫の最新刊で描かれているような自分たちのためになら残酷なことも涼しい顔で行える魔王のような存在になっているのかそれとも、抱えた“歪み”を引きずったまま命を失ってしまうのか。なんて想像をふくらあませる楽しさもひとつにはあるんだけれども、大半は単純にアディの可愛らしさか。まあそんなもんだ。さらに言うなら「コードギアス 反逆のルルーシュ」はC.C.のお尻が目当てだ。そんなことある訳……あるかも。

 やっぱりDVDを買っていない「みなみけ」及び「みなみけおかわり」は、DVDで買ってまで見返したい手元におきたいってシーンの乏しさか。いや「おかわり」になってからの冬馬は制服姿とかいっぱいあて女の子っぽくってビジュアル的になかなかで、前々週みたくシェラスコとエラシコの類似性(なんてものがあるのかは知らない、ブラジルつながり?)をもう藤岡をあなせなくなるのかと落ち込み、浴槽で膝をかかえていた姿がとっても素晴らしかった。あそこだけ買っても悪くはないけれどもでもやっぱり買わないか。最終回は妙に良い話。というか中学生の小学生の妹が2人いて面倒をみなきゃいけない立場の姉を事情だって知ってる学校が留学生に選ぶはずないじゃん。スタート地点をはずして勘違いから盛り上げてでもやっぱりな決着は、そうした立場にある人たちには家族思いの大切さよりも己を縛られる悲しさを感じさせ悩ませそう。春香が願いをかなえ夏奈も千秋もみんな幸せになれる方法を示してこそのハッピーエンドだったのになあ。でもやりすぎると嘘っぽさが増すからなあ。難しい。ともあれ終了。手紙が届いていたけど冬木って結局何だったんだ。

 人の思念が神を産みそして神を殺す「エンデュミオン・エンデュミオン」の平谷美樹さんらしいと言えばらしい話。なおかつ観念に先走らずにスリリングでエロティックでバイオレントなストーリーを組みあげ並べて叩きつけて来るよーになっているから読み始めれば分厚さなんて気にせず一気呵成にラストまで持って行かれる「ヴァンパイア」(角川春樹事務所)。とあるバーでジャーナリストが聞かされた欧州の小国にある吸血鬼伝説がささやかれる古城の話。そこから古城に連なる過去が繰り出されて現在に至る陰謀が示され人類の未来に関わる主題が突きつけられる。それはつまりは人の思念が持つ力の意味でなるほどそこから「エンデュミオン・エンデュミオン」へと繋がっていくのだなあ。連続性があるかどうかは分からないけど。

 吸血鬼、って存在に耽美さだとか幽玄さだとかいった属性を持たせつつそれがいったい何によるものかを説きつつ吸血鬼って伝説の存在を“科学的に”顕在化してみせる。バーを経営する五十嵐のようにロマンを吸血鬼に抱きたがる一方で現実的な解釈を持ってリアルとフィクションを切り分ける、そうせざるを得ない科学の世に生きる多くの一般の人にとって薄くて細いけれどもなにがしかの可能性ってやつを感じさせてくれる。幾度となく繰り広げられる性の饗宴もそんあ憧れを下半身からそそってくれて気もそぞろ。ここまでのバイオレンスを描いてみせるとは平谷さん、どこか吹っ切れたみたいだなあ。先生、のままで書いたのかなあ。ともあれ楽しいエンターテインメント。エロスといったら野阿梓さんの「伯林星列」も凄まじかったけれどもあっちのソドミーな雰囲気とは違い大半がセクシャル的にはノーマルな範疇での営みなんで大丈夫、って訳でもないか、本当に凄まじいからなあ、描写。

 人がサーカスを異形と見るのか、サーカスが人に異形を見させるのか。ふと立ち寄った書店で見かけた写真集はミカル・シェルビンって名前のあんまり知らない写真家によるサーカスの人々を撮影した「ストレンジリイ・ファミリア アクロバット、アスリート、旅するサーカスの人たち」(赤々舎、3500円)って本で表紙に可愛らしげな少女が映ってはいるけどそれがサーカスを撮った写真集だと知った目でみると歳に似合わない醒めた感情なんてものをそこに見てしまいがちになる。筋骨隆々とした男たちもこれがボディビルの写真だったら鍛え上げているなあといった感じなのにサーカスだと思うと人知を越えた力持ちたちの饗宴と見える。幼い少女もやや歳を経た女性もそこに至る過程であったさまざまなドラマみたいなものを妄想してしまう、さらわれ閉じこめられ仕込まれた、といった。

 もちろんそんなことはあり得なずエンターテインメントの世界に暮らす突出した才能の持ち主たちってことになるんだけれどもやっぱり「サーカス」という場への意識が目に異形のフィルターをかけさせる。実際に背が小さい小人症の大人たちも幾人か取り上げられていて、これがミゼットプロレスだったらややほほえみを抱くような楽しさを感じたものが「サーカス」という場では見せ物のためにかき集められた存在、なんてやや畏れを抱かせるような感情をそこに漂わせていたりする。

 「サーカス」。何で人はサーカスを異形と見てしまうのだろうか。サーカスが元より異形の存在だったから必然としてそう感じるように教育されてしまったのか。今は純粋なエンターテインメントとなっても「サーカス」に抱かせる感情がそう見せ、「サーカス」自体もそんな感情に答えようと形を合わせて来るのか。ともあれいろいろと考えさせてくれる写真集だけれども楽しさの基本は団員の少女たちの可愛らしさってことで。そこかいやっぱり。

 ふと気が付いたら木村伊兵衛賞が発表になっててこの「ストレンジリイ・ファミリア」を刊行している赤々舎から志賀理江子さんの「CANARY カナリア」って写真集と岡田敦さんの「I am」って本がいっしょに受賞していた。やるなあ赤々舎。「アサヒカメラ」での選評なんかでも言われていたけれど、大手の出版社がもはや写真集の世界から手を引き芸術方面に強い出版社ですら有名所はあんまり刊行されていない中で独立系で記事によれば社長に編集者の2人くらいしかいない会社の出してる写真集が2冊同時に賞を取る。文芸で例えるならばそれこそ「早稲田文学」に乗った川上未映子さんの小説が芥川賞を取るよーなもので現実には取らずに終わり大手の本命な版元に掲載された作品で受賞したことが、写真界の芥川賞で起こった事態の異常さって奴を際だたせる。

 逆に言うなら詩集のよーに個人出版に近い形で専門出版社から刊行された作品が高見順賞とか取るようなものへと変わったってこと? こっちはこっちで思潮社と書肆山田の独壇場と化しているからなあ。大手出版社にとって“真っ当”な写真集はもはや商売にならないのか。売る文脈を大手はもはや持ち得ないのか。売れてなおかつ衝撃的な写真集というものが存在し得るのか。選考委員のマイナー志向が激しさを増しているのか。今回の賞からいろいろと考えられそう。ともあれ岡田敦さんにはおめでとうの言葉を。未読の人には是非に1冊。見れば目を見張りやがておののき深淵へと沈み生を探りたくなる写真集だから。


【3月30日】 ところでどーしてテレビの「ONEPIECE」はあんなにオープニングの主題歌が長いのか、って疑問に気が付いたのは「ハヤテのごとく」の最終回に向けて割にリアルタイムでスタートを待ち受けるよーになる直前にいつの間にやら(ずいぶんと前からだけど)日曜の朝9時半に移ってきていた「ONEPIECE」を見たら登場していた細腰な癖にすっごい巨大でなおかつ脚もすらりとしいておまけに口が悪いクールな美女、つまりはニコ・ロビンが妙にツボにはまってしまったから、だったりするのはあまりにも理由が単純だけれど人間ってまあ、そんなもんだ。

 ゾロもサンジも姿が見えずルフィすら捕まってしまった中で、ナミにウソップにチョッパーといったあの中では割に戦闘力の低い面々に混じりスリラーバークで苦闘しつつもクールさを失わないその容色を、見逃す手はないと見始めてかれこれ数週間。前週のおさらいがあって途中のCMも長くてその分が午前10時ギリギリまで引っ張られエンディングもなかったりするけれど、でもやっぱり重なっている部分とオープニングを足すと1回の新作分っていった何分ぐらいあるんだろうかって興味も浮かぶ。でも数えないのが人情って奴だ。スリラーバークでの結末も漫画連載なんかで先が見えてはいるんだろうけどリツコさん声で冷静に話すニコの顔立ちとあとスリップみたいな衣装に長いソックスというかブーツというか、そんな姿を愛でるべくしばらく見続けよう。「コードギアス 反逆のルルーシュ」には出ていなかったタイプだよなあ、ラクシャータみたく捻れてはないしコーネリアみたく燃えてもないし。「ナイト・オブ・ラウンズ」にはいそうかな。

 一方で「ハヤテのごとく」は最終回でミコノス島へとご案内。途中の放送であれだけはっちゃけていたのに妙に昔みたく引きこもってるナギをどうにか外に連れ出そうとするハヤテに訪れた緊急事態。そこで出会ったまだ幼いナギとの経験を経てお互いにひとつ区切りをつけてさあ2期へと向かうのだ、って2期やるのか。カッパドキアとかアクロポリスで高い場所を怖がる桂ヒナギクの衣装が何といいますかエロティックといいますか、さらしみたいなものを旨に巻いた上からサスペンダーでショートパンツを履いただけってそりゃあ実物を見たら相当に激しい露出になりそーだけれどまあ、観光地だし良いのかな、ってイスラムなトルコでも大丈夫なのか。歩と妙に仲良く旅行しているのは何だっけ、クイズ大会の賞品だったっけ。記憶が続かない。歳だ。そして来週より「絶対可憐チルドレン」。椎名高志さんっていったら「GS美神 極楽大作戦!!」だったけどその後どうよって感じだったけれどもちゃんとしっかり活躍しているのだなあ。歳いっしょみたいだし頑張らねば。

 んな訳で頑張って川崎は等々力まで出かけて今日が最終日の「川崎市民ミュージアム」での「少女マンガパワー!」を見物、そんなに超広くはない会場にピックアップされた漫画家さんの作品が原稿とかカラーイラストとかで並べられているだけって言えば言えるんだけれど始祖に手塚治虫さんの「リボンの騎士」を起きつつ松本零士さんや石森章太郎さんちばてつやさんといった男性ながらも少女漫画を最初は描いていたり手を出していたりした漫画家があって水野英子さんがあって牧美也子さんがあって池田理代子さんがあってといった感じに並んでそして、竹宮恵子さん山岸涼子さん萩尾望都さんといった耽美な御方々が来て陸奥A子さんくらもちふさこさんといった名が並び吉田秋生さんから岡野玲子さん今市子さんと並ぶ間にCLAMPさんがあって絵柄の違いにこれもまた少女漫画の多様性のひとつなんだと目の当たり。

 人によっては萩尾さんの前に溜まる年輩層もあればCLAMPさんの前で喜び年少層もあったりと、漫画が映す同時代性って奴も感じられて興味深い。個人的には「リボンの騎士」のサファイアが頬杖をついてそれをチンクが励ますようなカラーイラストを間近で見られたのが収穫。原画なのか印刷なのかは知らないけれどもそれ1枚で手塚さんって漫画家のSFとか時代物だけじゃなくって何だって描ける画力とそれから、一目で大勢を引きつけるキャッチィさを打ち出せる構成力って奴を感じさせられる。女の子の体に男の子と女の子の心を持って生まれた、凛々しくって可愛らいっていう中性的っていうか両性的なキャラクターの内面までもがにじみ出るよーなサファイア王子をここまで描けたのは宝塚に通い詰めた成果か。つまりはとっても奥深い作品なのに誰かのリメイク版ときたら何というか何も言えないというか。そんな発展もまた漫画の時代性社会性を映した“進化”の形ってことで。商業性もか。

 会場を出て等々力の公園内を散策。桜が咲いていた。風呂敷をひろげて桜を愛でる川崎フロンターレのサポーターもわんさかいる中をひとりぶらぶらとインディペンデントに花だけをひたすらに見る花見を挙行し年中行事をコンプリート。集まり騒ぎ浮かれるオーソドックスな花見の場には縁もないけど人見知りして口数も少ない人間にゃあこんな程度が似合ってる。このまま5月にはインディペンデントに一人で菖蒲を見て6月にはインディペンデントに梅雨を経験して7月には海水浴に行き8月には昆虫採集に行って9月には月見団子を食べるのだ。4月の「らき☆すた」まつりもきっとひとりでうろうろしているかな。つか行く気か鷲宮。

 さても試合は中盤が……作れない……中島浩司選手を外して調子の良さげな米倉選手を入れるってのは手としてありなんだろうけれど、ボランチからではあんまり攻撃力を発揮できない上に展開力も今ひとつ。動きまわって守備に攻撃に獅子奮迅な下村東美選手とは絡めずトップ下くらいにいたっぽい工藤浩平選手とも連携が見えないなかで孤軍奮闘を装っては取られ守ってはファウルを連発して退場となってしまう。これが若さか。中盤が緩いためか連携してサイドから崩すよーな場面もほとんどなく、たまに放ってもクロスが遠く選手たちの頭を越えていくか、逆に手前のディフェンスに引っかかってゴール前に入らない体たらく。怖さもなにもない攻撃では点なんて入るはずもない一方で、圧倒的なパワーを持つチョン・テセ選手に決められ更にもう1人のフォワードでジュニーニョでもフッキでも我那覇でもない日本人選手に追加されたまま2対0で試合終了。得点を奪えないまま17位の降格圏へと一気に突っ込んだ。

 割に選手が揃った上でのこの敗戦は何だろう、中盤を作りポゼッションを高めサイドを崩し正確なクロスを放り込むことが出来ていないってことか、ってことはつまり試合がまるで作れていないってことで選手層が現状より上がることがない以上はもはやここまでと諦めてしまうべきなのか、それとも構成を変えれば少しは改まるのかを思案中。とりあえずサイドアタックにいて守備には頑張っても攻撃に怖さが見えない坂本選手に更なる発憤を願いたいところ。新居選手が復活してくればレイナウド選手のキープ力に新居選手のスピードを載せ巻選手の高さも加えたすごいトップが出来そうなんだけれども、問題はそこにボールを入れるまでの段取りが出来ていないことか。それが1番の問題なんだけど。珠離れが良くってパスミスもしなくなった中島浩司選手がいればなあ。


【3月29日】 結論を出すにはまだちょっと早いかもしれないけれど、とりあえずイングランド協会がうらやましい、あとイングランドのフットボールファンも。だってほら、使えなかったマクラーレン監督をクビにできたじゃない、そりゃあ「EURO2008」への出場を逃すっていう痛い授業料は払ったけれども、欧州にはすぐ2年後に「FIFAワールドカップ南アフリカ大会」の予選を戦うってゆー楽しみがある。カペッロってゆー有能な監督を頂いてのぞむってドキドキ感があと2年は続く。出場を果たしたら果たしたで本番でも期待が持てる。でも日本には苦しみしかない。その苦しみが2年は続く。下手したら6年も続きかねない分水嶺へとさしかかっているのに、サッカーの世界にそんな危機感がまるでないことがさらに苦しみを倍加させる。

 「アジアカップ」の出場を就任から早々にして果たし、そして次はいよいよ本番のワールドカップだって時に倒れたオシム監督。その後を継いだ岡田武史サンがどうにもこうにも危なっかしい。のぞむ試合のことごとくで攻撃を沈滞させて、じたばたとした中でどうにか勝利を掴むという試合運び。鮮やかなサイドチェンジもなければ前戦からのプレスも消え、最終ラインの押し上げもない間延びした布陣の中をちょこまかと触れあい囲まれ潰され攻められる、フラストレーションばかりが溜まる試合を懲りずに繰り返す。最初はそこから大きな展開へと持っていくのかと思ったら、肝心の本番のそれも天王山的な意味を持つアウェイでのバーレーン戦で見せたのは前へのポン。且つ押し上げ無し。中盤での制圧もままならないまま押され気味の中で、疲弊した選手の判断力は鈍り体力も衰えた挙げ句に失点を喫し、そのまま敗戦へと至る。

 オシム監督だったらまずやらない戦術。でもってオシム監督の時にはありえないような動きの鈍化。あれだけ動けて点もとれてたメンバーをしてこの惨状へと変えてしまう当たりはもはや、監督としての力量に依るとしか言えないところなのに何を考えたか岡田さん、メンバーが悪い前の監督の戦術が悪いといった旨のことを言って自分流を始めるらしい。それは別に構わない。監督が自分なりの戦術を自分ならではのメンバーで行うことは構わないけどでも、前の勝ってたメンバーを使って何もできなかった自分の不明は恥じないんだろーか。力量に懐疑を抱かないんだろーか。抱かないからこその監督業、ってんならきっとこの先も振り返らず改めないまま叩かれ続けるだろー。

 何より岡田サン的なチームに何の未来も抱けない。突出した選手の力を押し出しつつ守備を固めてカウンター。それなら勝てる相手には勝てるけれどもワールドカップという場では通用しないことぐらい、分かっていて当然だろー。なのに分かっているような風を出さずに自分流で行くといって省みない。期待なんて抱けるはずがない。だから誰も見に行かないだろう。想像できるもん、どんな試合を行いどんな結果を出すかが。でも未来はそこに伺えない。世界を驚かす姿を想像できない。オシム監督だったら。あるいは別のカペッロのような世界で戦った実績を持つ監督だったら。練習の積み上げからテストマッチでの戦いぶりを経て、何かしかの未来につながるメッセージを放ってくれるはずだろー。そこに未来を感じて成長を楽しみながら、スタジアムへと通う気持ちも浮かんだだろー。

 なのによりによって1番未来を閉ざすような選択を行ってしまった。なおかつ選択された当人が未来に決別する宣言をしてしまった。だめだこりゃ。そりゃあ日本代表にはワールドカップに出て欲しいから応援はしたいけれども、出てそれでまたドイツの屈辱を味わわせられ続けるのだと思うと、苦しみの方が先に立つ。よしんば出場を逃すよーなことがあったら「アジアカップ」の開かれる3年後まで何の希望も抱けないし、弱体化したチームを再び立て直せるかって気持ちも漂い6年先まで苦しみが続くような気もしてならない。1度は間抜けをやったイングランド協会は2度目はないと監督人事をしっかり行った。対して日本協会は前にドイツでの経験があって1度は改めようとしたにも関わらず、同じように成長なき結果のみ。加えてその結果すらおぼつかないかもしれない人事を行い平気な顔。せっかくここまで盛り上がったサッカー日本代表への関心も、そして集まった収益も後は下がる一方へと向かうんだろー。自業自得という非難とともに。悔しいなあ。まだ間に合うと良いなあ。

 んで「東京国際アニメフェア2008」。ビジネスデーでは誰が何を好きなのかってのが見えないんでパブリックデーでどんな作品にどんな層が群がるのかを見たかった。まず驚いたのが「天元突破グレンラガン」への集まりの良さで、グッズ売り場には大行列が出来ていたしイベントにもブースからはみ出るくらいの大群衆が詰めかけていた。番組終了から半年が経ってDVDの方もほぼ完了。深夜に放映はされているけどビジネスとしてはもう1サイクルが終わってしまって不思議じゃないのに、しっかりとファンを集めてグッズも売れて、そして劇場版の公開ってゆーイベントへの期待も抱かせる。つまるところは作品の強度がことのほか高くって、終わってからも商品としての消費を許さず作品としての堪能を、まだまだファンに与えられるものだったってことなんだろー。欧州ほどじゃないけどパッケージビジネスも陰の見えてきた日本で、作品の寿命を引っ張り続けるために必要なこと。しっかりした企画としっかりとしたクオリティ、そしてパッケージメーカーに消費のサイクルに落とし込まさせないような可能性の提示。できればファンも付いてきて売上も立ちビジネスも広がるって、そりゃあ日本代表にも言えるよなあ。

ヨン様のアニメにも同等のアイを感じられてこそアニメファン  あとファンワークスが「やわらか戦車」に続くクリエーターをいっぱい送り出している中の1人、ちぃさんのとてつもない少女人気の高さ。「mofu☆mofu」とかいろいろ可愛らしいキャラクターが踊ったりするアニメを得意にしている人なんだけれどネットでの公開が中心のFLASHアニメであるにもかかわらず、パソコンとか持ってなさそーな小中学生っぽい女の子たちがファンになってブログを読んで、サイン会があるからって「アニメフェア」までやって来たみたい。その人気はラレコさんも上回る感じで、見ていたファンワークスの人もきっと吃驚したんじゃなかろーか。クオリティを追求するアニメとは方針が対極にあるけれど、一種の動くキャラクターグッズとしてFLASHアニメは認知されている感じもあって、それを大勢に広める上でネットってメディアの存在が大きな意味を持ったって言えそう。こーゆー場所から次のクリエーター、次のデザイナーが出で来ればアニメの幅も広がるんだけど。さてはて。

 バンダイナムコゲームスがジョイサウンド向けに開発している、アニメの声優になれる「アフレコ」ってマシンもなかなかの好評ぶり。見ていると圧倒的に「機動戦士ガンダムSEED」で試す人が女の子、男の子とも多くって世代って奴はもうそこまで下がっているんだってことを目の当たりにさせられる。「機動戦士ガンダム」でシャアをやるよりアスランを演じたいんだなあ、それが普通なんだよなあ、なのにおやじな発想でファーストばかりを企画してちゃあいつか沈滞も起こるよなあ、考え所か。さらには「機動戦士ガンダム00」関係も壮絶な人気ぶりでブースの裏手にあった「.ANIME」で三木眞一郎さん登場によるDVDの手渡し会があるって案内に見てきゃあきゃあという女の子たちが山といた。ステージのイベントに至っては行列の津波になってて近寄れる風もなし。その人気ぶりはいつかの「SEED」並って感じでここから半年、番組が途絶え情報が少な目になる中で高まる気持ちが半年後くらいに爆発し、一挙の盛り上がりを見せれば「ガンダム」もまた大きく飛躍できるかも。

 正面へとまわると「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュ・ランペルージみたいな恰好をした人が何人か。でも誰も「合衆国、ニッポン」のポーズや「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる」みたいなポーズはとってくれていなかった。難しいからあれ、真っ当にやると腰に来るそーだし。ぐるぐるとまわってユーフォーテーブルで「空の境界」の第1部と第2部の原画集を購入、って映画は見ていないんだけれどユーフォーがやるからにはなハイクオリティの原画もやっぱりハイクオリティと想像したらハイクオリティだった。両儀式だかのアンダーウェアな絵もあってモノクロながらもなかなか。映像になって動いていると思うと発売されるDVDはやっぱり買わなきゃって気にさせられる。映画はあんなに大盛況な割にブースが今ひとつ混雑していなかったのはあんまり知られていないから? けどそんな状況を越えて凄かったのが「冬のソナタ」のアニメ紹介のブース。アニメフェアに似つかわしくない中高年の女性が手に手に携帯電話を持ってモニター前に立ち、アニメの場面では構えもしないのにヨン様がメッセージを喋り始めた途端に手に構えてパチパチ。そうかやっぱり生が良いのか。いっそだから映画もヨン様の場面は実写の顔をはめた方が客も来るんじゃなかろーか。不気味? でもヨン様だからそんなの関係ねえ。とおばさま。


【3月28日】 それはやっぱり願望が産んだ模造の記憶に過ぎなかったと朝起きて向かいたどり着いた臨海線の国際展示場駅のエスカレーターで実感。壁に貼られた看板の「鉄腕バーディー」はひらりと片足を上げた姿を下から仰ぎ見ている構図だから当然にして見えるはずのヒップのラインとかその辺が何故か不安定にも重なって描かれた岩によって陰に入ってしまって確認できない。蹴り飛ばしたんだと思えば思えない構図だけれどもやっぱりどこかアンバランス。訝る頭を抱えて「東京国際アニメフェア2008」の会場へと入って「鉄腕バーディー」のでっかいポスターが掲げられた多分アニプレックスのブースに行ったら、もうしっかりとお尻とかその辺のラインが描かれたバーディーがでっかく張り出されていたのを見つけて理解する。公序良俗。でも別に絵だし勇ましいポーズだし、わざわざ岩で隠す必要もないと思うんだけどなあ、夏場になればその絵以上に過激な露出の女性がお台場あたりを闊歩するんだから。

見せるエロスに見せないエロスなら見せる方が良いに決まってる!  むしろそーした配慮よりも横に掲げられた「セキレイ」ってアニメのポスターの方が3人そろってダイナマイトどんどんな感じでよっぽろ劣情を催す。そーゆー趣味の人にとっては。逆の趣味の人にもこのポスターは凶悪で4人のうちの3人がばいんとしてぼわんだったりするのに対して1人はつるりんのぺたりん。そーゆー趣味の人をも1枚で満足させるポスターって訳でこれが目配りって奴かと関心至極。まあやっぱり金髪さんで胸元もフカキョン以上に開いた衣装の女の子に目が向かうんだけれど眼鏡で詰め襟のドレスを着ている少女も詰め襟な癖に胸の上にホールが開いてて、こぼれ出ようとしているあたりがあざといというか人の欲望に忠実というか。残る巫女は巫女だけあって巫女衣装で前身はぴったりと閉じられていそうで関心の埒外。でもそこは和服の良さで着崩れして来て着けてない下着の下がぽろりんとしないとも限らないからなあ。始まったら1度くらいは見てあげても良いかな。

 そして会場に入って会見ばかり見ていて昨日は行けなかったところを見物。まずはグッドスマイルカンパニーとマックスファクトリーのブースに行ったらとんでもないものを見つけてしまった。どうしよう。朝、目を覚ましますと枕元に涼宮ハルヒが立っておりました。わたくしはおやおやどうしたんだいこの人形めと捕まえ手足の関節を折り曲げ畳んでやりました。また横を見ますと、ルルーシュ・ランペルージなる生意気なくそガキが立っておりましたので、枕元の竹槍を手にしてどんどんどん、とつっついてやりましたら泣いてどこかに逃げていきました。パン工場勤務。42歳厄年。鳥肌実でございますな「figma」のフィギュアが棚に並んでいて一体だれが企画したんだ誰が出すんだ誰が買うんだ僕は買うんだってな思いが頭をかけめぐる。ご近所に並んでいるハルヒだとか「プラレス三四郎」の「柔王丸」なんかが子供の玩具に見えてしまうそのリアル感。竹槍持ってハルヒとか「らき☆すた」の面子をこの鬼畜米英めと叫んで串刺しに行くんだじゃないかって迫力すら漂わせる。

 しかし本当に誰が企画したんだろう。テレビには絶対に出ないし出られない芸人だからネタを見せる番組で見知る人なんて皆無。ほとんど唯一の接触点となる演説会に行くような人しか知らないはずなんだけれども、こうして作られるってことはそれなりにしっかりファンも付いてきているんだろー。始めて演説を見に行ってもう何年になるのかなあ。そういやあ最近は行ってないなあ。42歳厄年。いや厄年は去年で終わったか。まさか鳥肌実の歳を越してしまうとはなあ。なんて感慨すら浮かばせるくらいのリアルさ。なるほど似ている、と言えば似ている出来で髪のペタンとした感じにつんつるてんのスーツなんか良く再現されている。スーツに刺繍された様々なスローガンも自体を含めて完璧。喋っている時は声音に狂気もこもっていてビジュアル的にもっとおどろおどろしさが漂うけれども人形ではそこまでの空気は再現できないから、やや目つきが優しげに感じられるのも仕方がない。ちょいクマとか陰をメイクしてあげればさらに凄みも出るかな。首を「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュにすげ替えれば恰好言い鳥肌とちんちくりんなルルーシュが出来て愉快かも。「figma」って首って取り替えられたっけ。しかしやっぱり気になるなあ。本当に発売されるのかなあ。皇居に向かって敬礼。

 アニメワールドスターでセル画を物色する外国人の姿にアニメの国際化を実感。クリエーターズワールドでも外国人に囲まれていたTAKORASUさんの姿に「東京国際アニメフェア」も7回目にしてだんだんと外国の人たちに日本までアニメを見に来てもらう習慣を落とし込むことに成功したのかもしれない。まあその間に日本への関心もさらに一団と高まったってこともあるけれど。あとはこれがしっかりとビジネスに結びついているかだなあ、ジェトロの人がやってたセミナーだと欧州は政策的なこともあって日本のアニメがまだそれほどは浸透していないんだけれど、ケーブルとかネットテレビでは普通に日本語のオープニングとか入ってアニメが放送されるよーになっているらしーから、ゾーニングが取れるメディア向けに売れていってくれるんじゃなかろーか。

 問題は何か欧州の人はクオリティとか気にしないそーでだからDVDも買わずネットで見て海賊版を買って済ますとか。CDだって学校中でコピーしまくるくらいに意識もあんまり育ってない。パッケージを買ってもらいたいとクオリティアップに励む日本の意図は通じなさそう。ここでクオリティの意味を啓蒙してコピー商品への罪悪感を醸成していく教育って奴を施しておくべきで、それをしなければ海外どころか国内のエンターテインメント産業も回収が不能になって壊滅へと向かうことだって考えられるんだけれどまあそこは文化の香り漂うヨーロッパ、自国のものだけは補助金を出して護り作っていくんだろー。でもって内容的に今ひとつかふたつのものばかりが並び殿堂に祭り上げられ一般の目には届かないと。やっぱり教育していくしかないのかなあ。それとも他に稼げる道を探るとか。どこだろう?

 会場を出てニッポン放送の地下にある「イマジンスタジオ」で開かれた「マンガ大賞2008」の授賞式を見物する。取材ってのが半分とあとは選考員としての参列。ずらりと居並ぶ強敵の中から1番くらいに地味といったら地味な作品が受賞したこともあってどういうことなんだろうかって気もしていたけれど、登壇した受賞作品「岳」の作者の石塚真一さんの喜びようを見ると、これもこれで悪くないかなって気になって来た。「温かみが有る賞。感激です」って顔を上気させつつ話し「ほかの賞が5合目まで車で来てそこから富士山に登るようなものだとしたら、これは海抜ゼロメートルの所から昇ってったような賞」とも言って、手作り感あふれる賞を受け取ったこと、評価してもらったことへの心底からの感謝を全身でもって表していた。こうまで喜んでもらえると賞を作り上げた人たちも嬉しかったんじゃなかろーか。

 28歳でマンガを描き始めたっていうくらいの遅咲きな人で世間が大注目もするベストセラーもないけれど、読まれている人にはしっかりと読まれて感動を与えている作品。それをもっと大勢の人に読んでもらえればっていう趣旨もこもっている「マンガ大賞」の狙いにここまではまる作品もそういえばなかったような。いずれ小学館漫画賞くらいとったかもしれないけれど、それは売れた結果に対するどこか栄誉賞的なものであってこれからの作品をアピールするって意図にはそぐわないし遅すぎる。今を伝える賞としての立ち市をもった貴重な賞としてこれからも続いていってくれることを願おう。しかし本当にエントリー作全作読破はお財布的にもきっついなあ。きっついけれども知ってる作品を読み直し、知らない作品を読み込む楽しさがあるからなあ。いやあ、漫画って本当に、良い物です。


【3月27日】 えっと今野泰之選手はどこにいたんだっけ。というのは別に今野選手の消えっぷりをどうこう言いたいんじゃなくって、今野選手が持ち味のオーバーラップをまるで発揮できないくらいに至らない試合運びをしてしまったことが解せないってことで、引き気味の3バックから離れてしまった中盤では、使い使われながら前に出て決定的な仕事をしてみせる今野選手ならではの動きが出来るはずもない上に、中盤からトップがまた離れ気味では放り込んでポストをしてもらおうにも精度には欠ける。落としたところで誰が取りに来る訳でもない。高いプレッシャーの中を奪われ相手に中盤を支配されつつ攻められるだけで、そんな攻めを中盤が跳ね返すこともできないから、カウンター気味にサイドに振られてはクロスを入れられミスを誘われ得点を奪われる羽目になる。

 そういやあ山瀬功治選手もどこにいたんだっけ。いたにはいたけどたった1人で浮き気味にボールを任されては、いかな華麗なテクニシャンでも奪われない方がおかしい。はたこうにも近くにおらず前に送り込もうにももらってドリブル派はいても、走り込んで受け取る派がいなければ意味はない。あっとその意味では駒野友一選手は前に行こう行こうとサイドで張っていたけど、そっちへと飛ぶボールもあんまりなかったなあ、見えていないというか見ないようにしているとか。サイドチェンジもほとんどなくってスピードに乗ったままフリー気味に受け取り、相手を振りきって優位を作る動きをほとんど誰もしていなかった。これじゃあスピード感が出るはずもない。もらい出してちょろりと走って止まりまたもらう静止画像的ポゼッションサッカー。こんなことやっていたら「ウィニングイレブン プレーメーカー」だったら引っ張り操作で攻めてくる相手にずたずたにされて蹂躙されるだろーなー。

 まるで消えていた2人がともに岡田武史サン(ちょっと杉山茂樹さん風)のコンサドーレ札幌時代の教え子ってところに意味というよりは驚きを感じる。2人の特質を知り抜いているはずなのにそれが発揮されるよーな試合運びをしない。メンバー選びでも戦術でも2人の凄さをむしろスポイルするよーな使い方をするのは、何かの試練を与えているんだろーか。それはでもワールドカップの予選ですることじゃあないよなあ。考えれば考えるほど監督として岡田サンが真っ当なのか否かが分からなくなって来た。でも山瀬今野を見出した監督でもある訳だし、ここはだから「泣いた赤鬼」方式で自らが悪役を買って日本代表を下手くそにしてしまって上を怒らせ更迭されつつ、上の無責任な責任者も道連れにしつつイビチャ・オシム監督の復帰を促す作戦なのかも。まあもっともそれを知ってオシム監督が友情を域に感じて泣くとも思えないけど。元祖赤鬼のトゥルシェだったら……泣かないか。結果がすべてと分かっているから。結果無き身は去るしかないのだから。去らないかなあ。

 録画はしたけど「愛は流れる」は見ないで眠って早起きして東京ディズニーランドへと向かう女の子たちまで加わってすし詰めな武蔵野線から京葉線へと抜ける電車の中で幸と不幸を合わせ感じつつ到着した新木場から臨海副都心戦で国際展示場駅へと向かい降りたエスカレーターの両脇に尻と乳が並んでいて「東京国際アニメフェア」の季節だなあと感慨。乳の方はどんな作品か忘れたけれども尻は「鉄腕バーディー」のバーディー・シフォンがそれなりに引き締まったお尻を半分くらいの角度で見せてくれていたような。それともそれを見たいと思う僕の願望が見せた幻だったのか。明日また行って確認してこよう。そんな「アニメフェア」では超リアルに真っ当な乳というか谷間も見学。どの展示物よりもどんな発表よりも今回の「東京国際アニメフェア2008」で話題を集めていた「ヤッターマン」の実写版の製作発表会に登場した我らがドロンジョ様役のフカキョンこと深田恭子さん。金髪の髪たないかせそして胸元の大きく明いた衣装で登場。そのトローンとした雰囲気から一体どーしてドロンジョ様なんて役にはめたんだって訝っていた心も、己からドロンジョになろーと髪を染め肉体を露わにして来た心意気に打たれこれならきっとドロンジョ以上のドロンジョを演じてくれるものと確信する。

 まあ普段の撮影で来ている衣装があるいは会見に着てきた衣装なんかよりも何倍も露出が激しいから、人前に出るのにこの程度じゃあ恥ずかしくもないよって達観しただけなのかもしれないけれど、それならそれで撮影には勇気ある恰好で臨んでいるってことでやっぱり期待は膨らむ一方。生瀬さんのボヤッキーも雰囲気ありそーだしケンドーコバヤシさんのトンズラーもやや理知的っぽい感じはあるけどそれはそれだ新しそう。負けず生瀬さんもあの八奈見乗二さんのセリフ回しを自分がやってはものまねになると言って自分ならではのボヤッキー像を作り出そうと苦心惨憺しているみたいなんでテレビのアニメとはまた違った3悪人がスクリーンを大活躍してくれそー。これじゃあヤッターマンも叶わないだろーなー、だってあまりに普通っぽいし。

 というか櫻井翔さんでは恰好良さが普通っぽくって突出した何かが見えて来ない。アイちゃん役の福田沙紀さんも可愛らしいんだけれど可愛さの中に1本通ったところを持ってるアイちゃんを演じきれるかどーか。そこはそれ、三池崇史監督の手腕ってことになるんだろー。何しろ「スピードレーサー」には軽く勝利し「ドラゴンボール」にも負けないって日本のアニメが原作の実写映画の舶来版を歯牙にもかけない自身ぶり。っていうか実際問題、そんな雰囲気も今から漂っては来ているんだけれど、相当な自身を持って作っている作品だし、相当な作り込まれたキャスト陣によって演じられるってこともあるんで海外がどうとかじゃなくって立派に楽しい作品になってくれることだろー。ドクロリングが揃ったら何を頼む? って質問にもこれで受賞して日本映画監督協会に誘われるって言ってたし、って映画監督協会に入ってないのか三池さん、近年で1番本数を撮ってる監督なのに。理由は不明。でも誘われたのを断っていた風でもなかったからやっぱりいろいろあるんだろー。映画界って不思議。

 映画界初のネーミングライツを導入した「秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE2 私を愛した黒烏龍茶」ってフロッグマンさんの新作映画の発表とか聞き相変わらず無茶する人だと大笑い。乗ったサントリーも凄いけど。「C.C.レモンホール」よりはまだなじみやすいかな。果たして映画の中で「黒烏龍茶」はどんな使われ方をするんだろーか。「ウルトラヴァイオレット」は映像がまだ少なく作品の精度は不明ながらも相当に力が入っていそう。クオリティを高め買ってもらえ見てもらえる作品にしなきゃ生き残れないって意識が広まってきている現れか、いやそれだったら「鷹の爪」は真逆だし……企画力だなやっぱり。「RD 洗脳捜査官」は未だ不明。「スカイクロラ」は結局未だ分からずじまい。「崖の上のポニョ」と言い日本テレビは宣伝もしづらい難儀な作品をよくぞここまで抱え込んだもんだ。あとは延期にならないことを祈るばかり。

 フジテレビジョンのブースにはバニーガールがいっぱいで眼福。メディアファクトリーのブースには「ソウルイーター」のキャラがいっぱい。あの鎌は持って歩けば秋葉原あったら銃刀法違反かな。バンダイナムコグループのブースではカラオケのジョイサウンドに置くカラオケならぬカラアフレコのマシンが登場。画面に出てくるアニメに合わせてセリフを喋るとタイミングとかの質からABCの評価を出してくれるってマシンでシャアになったり「トップをねらえ!」のコーチになって恰好良さげだったり渋かったりする声を宛てて楽しめる。でも後で自分のセリフを聞くと妙に気恥ずかしいのは何だろう、照れがあるからかそれとも自意識過剰なだけか。テスト版なんでどんなアニメが入るかは不明らしーけどそこはバンダイナムコグループなんだから是非に「コードギアス 反逆のルルーシュ」を。「撃って良いのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」とか「合衆国ニッポン」とか言ってみたいよなあ。是非に。


【3月26日】 1年くらい前に出た第1巻が「パンツ! 蟲! パンツ! 蟲! お尻(ハート) 蟲!! パンツ! 蟲! お尻(ハート)」って帯を巻いて登場しては、その趣味の人たちの目を引きそして過酷な月世界で改造された蟲を使いながら生きる人たちを襲う危機に立ち向かう、蟲たちを統べる「女王蟻」と地球から移り住んだ変わり種の婦人警官の姿を描いた大井昌和さんの「女王蟻」(幻冬舎コミックス)に待望の第2巻が登場。傷を負って蟲に取り込まれた警官のハヤセちゃんは冒頭では死亡したか行方不明になっていたし女王蟻も死体が見つかったりしてもはや月に未来はないかも、なんて思わせたところに現れた新・女王蟻。その顔立ちはハヤセそっくりだったけれども恰好が股間に白い布を張り付けただけの露出も激しい恰好で、ちょっぴりニヒルな表情を持って暴れる蟲たちを抑え混乱を収めようとする。

 改造されたか取り込まれたかはともかく意識もいろいろ揺れているみたいで前みたく純粋無垢に猪突猛進するキャラクターから違ってしまっているけれども、過去の女王蟻とは違った感性でもって月を襲う危機をどうにかしてくれそー。良い方なのか悪い方なのかは物語が進んでみないと分からないけど、ラストに現れた復活のチビ女王蟻なんかが絡んで来ればきっと良い方向へと向かってくれるんじゃなかろーか。SF的な舞台設定でSF的なガジェットてんこ盛りで未来へのビジョン、人類への警鐘なんかも盛り込まれたサイバー&バイオ&スペースなSFコミック。広まって欲しいんだけれど媒体がネットだから広がりが今ひとつなんだよなあ、それともあのインパクトある帯に引いてしまった人が多かった? 今回はパンツやや少な目だけれどその分物語に激しさがあるんでご安心。安心して良いのか?

 読んだけど「BT」こと「ベースボール・タイムズ」、第1号は読むところがないっているか読み方がまだ分からないって感じでデータからいろいろと数字を並べられてもそれをより所にしてどう試合を楽しめば良いのかってところがまだ分からない。得点圏打率だろうと対戦相手に対する打率だろーとそれがだから具体的に試合の中でどういう意味を持つのかって辺りを解釈してくれないと、単に数字としてしか見えずするりと流してしまう。防御率が良いとか去年何勝したとかいった数字もそれは数字でしかなく、データとして有効か否かってところがまだ見えない。見せてくれよーとはしているけれども興味をそこに抱いて試合をながめられるよーなリードって奴を、してくれないとこれは厳しいかもしれないなあ。

 始まりのフォーメーションと得点時或いは失点時のシチュエーションを読めば何とはなしに試合を楽しんだ気分になれるサッカーと違って、個々の対決の積み重ねとゆー野球では個々人の記録って奴がとっても重要視されるんだけれど、結果としての記録は理解できても予測のより所となるデータを理解するだけのリテラシーがないし、なくっても見ていれば試合自体は楽しめるからなあ。そのあたり、開幕して予想よりも結果を載せる分量が多くなって来たら結果としてのデータを示しつつ次への展望なんかを見せてくれるよーな記事が増えて、試合への興味を引いてくれるよーになると信じよう。

 コラムはまだまだって感じ? 宮本賢治さんってヤクルト・スワローズのスカウトの人のコラムはいきなり「由規こそ、日本人初の160km/hを出す投手ではないかと思っている」って始まっていてどこの何という選手なのかが分からない。そりゃあスワローズの選手かもって予想はつくけど、まだ新人で2軍スタートの選手を登録が由規だからってそれ一言でやっつけてちゃあ、興味を持っていない人にはまるでさっぱり理解されなんじゃなかろーか。壁有りすぎ。つか新人をいきなり名前だけで登録するなよスワローズ。カカくらいに有名になってからニックネームは使うべき。イチローだって打ち出して鈴木一郎がイチローになったんだから。そんな中で1つ、報知で長く野球の記録を付け続けた宇佐美徹夜さんに関する評伝はちょっと面白くなりそー。今現在は難病で体が動かせず文字も書けず言葉も発しにくくなっているんだけれど、その宇佐美さんが見続けてきた野球とそれから記録との関わり合いのドラマが、記録に対する意識って奴を啓蒙してくれるんじゃなかろーか。とりあえず来週も勝ってみよう。大リーグの記事は見開き2ページで興味程度。でも本格化すれば増えるかな。

 この夜が明ければ街に待った「コードギアス 反逆のルルーシュ」の続編スタートまでいよいよ10日となってカウントダウンにも気合いが入りそう。まあ実を言うならすでに見知ってはいるんだけれども細かい部分のちょっぴりエロティックな画像なんかを録画して静止させつつじっくりと見てみたいって気もあるんでその日の到来が今か今かと待ち遠しい。キャラクターでは体育の先生になったらしーヴィレッタさんのにょっきり生えた太い股とか、バニー姿の設定画が出回っているカレンのおかれた境遇とかを改めて確認したいところ。それとやっpりC.C.か、半年ばかりをビジュアル面では「DARKER THAN BLACK」のアンバーで満たし声では「フルメタル・パニック!」のテレサ・テスタロッサで誤魔化してはいたものの、アンバーみたいに可愛らしくはないしテッサみたいに儚げではないからなあ、C.C.は。だからやっぱりC.C.そのもののC.C.を改めて見たいところ。1年間、何をやって来たのかも含めて。ピザ屋の宅配とか?


【3月25日】 お帰りなさい! とまずは歓待、イビチャ・オシム監督が初台とかにあったらしーリハビリの病院を退院して自宅に帰ってまずはとりあえず日常生活へと復帰したことを大きく喜びたい。倒れたって聞いた時には本気でヤバいと感じたからなあ、あの巨体であの年齢、そして脳梗塞という病名からもはや眼が覚めることすらないかもって絶望視していたんだけれどもいったん明いたらあとは一気呵成の快復ぶり。初動には遅れたけれども実働の面ではしっかりとやってくれた日本サッカー協会と順天堂浦安病院の方々には世界のサッカーピープルからの感謝の声が届くだろう。よくぞ戻してくれました。

 最初に国立に現れた時には眼光もぎらぎらしていて怖かったけれど、Jリーグを視察する中で関係者と会話している表情には以前のような笑みが戻ってきていたから、思考も運動も元どおりに近い状態へと戻って来ているんだろー。途中に聞こえてきた関係者による「会話した」ってコメントを、意思をそれとなくやりとりできたって程度のものだろうって低めに見ていたけれどもこの快復ぶりなら以前にも並んで普通に会話していたって考えるのが妥当かも。肉声が未だ聞こえない点が気になるけれども、何より言葉を重んじる人だっただけにその言葉が戻ってきたならまた再び、ピッチに立って選手たちに言葉をぶつけてあげて欲しいなあ、言葉がもらえず迷っている選手も多そうだし、バーレーンとかで。

 そんなバーレーンでは続々の負傷者発生でいったいどないなってんねん状態、稲本潤一選手が来なかったのを筆頭に高原直泰選手が怪我でリタイアで、玉田選手もあんまり調子が良くないの? まあ巻誠一郎選手がいて大久保嘉人選手もいるんで大丈夫だろうとは思うけれども今度は試合に出て巻選手が負傷して、30日から再開のJリーグに出場できなくなるのがジェフユナイテッド市原・千葉を応援する身として困るんでまあそこそこに。ここでマズい試合運びを見せたらやっぱり声も出て来るんだろーなー、オシム監督の復帰って声が、未だ岡田武史監督を“岡田サン”と呼び続ける4231の信奉者あたりから出てきても不思議はないけどオシム監督は別に4231教の教祖でもなかったし。むしろフォーメーションなんてとりあえずの配置ぐらいにしか考えてなかったし。

 でもそんな人に経緯を抱いて“岡田サン”と今を呼ぶのは口で4231と唱えながらも、そのフォーメーションの裏にある、相手を見据え己を整え戦いへと乗り出す戦術への意識をさぐり取ろうとしていたからなのかも。いやしかし割と舌鋒するどく批判もしていたし。どっちなんだ杉山茂樹さん。とりあえずどっかから新書で出ていた数霊術の教科書を読んでみるか。そういやヨジップ・クゼ監督は割に4231か4141を使うよなあ、杉山さんはどう見てるんだろう、見てないかジェフ千葉の試合なんて。オシム監督もフクダ電子アリーナには視察に来ないよなあ。社長の人が嫌いなのかなあ。いやいやそこは思慮深い人だから、来ては選手も監督もやりづらいと感じてのことで仮に何かの役職に復帰したならその遂行のために来てくれるだろーと信じたい。その時こそが真の“お帰りなさい、シュワーボ”だ。待ってる。

 んでもって「DARKER THAN BLACK 黒の契約者」の第26話を見る。26話? そんなもんあったんかい? ってあったのだDVDには26話の「桜の花の満開の下」ってエピソードが収録されているんだけれど第25話ですべてが決着してから見ることになるんでホワンもマオも健在で、公園の滑り台に座ってインとヘイを相手にいつものよーに仕事の話をしている姿を見せられると知らない人はちょっぴりぎょっとなるかも。本来は普通に製作されてそしてどっかに挟まれるネタだったのが、あまりにギャグがすごいんで後回しにされたのか。まあインのあのはっちゃけぶり(といってもインなんでインなりのはっちゃけぶり)を見ればおまけ的サイド的「釣りバカ瑛花さん」的な作品だって見るのが妥当か。ラストに向けてインに人間らしさが見えてきた裏には茅沼キコの粘りと大塚真由の情熱と、そして何より「薔薇のモーリス」の凄まじいまでの影響力があったのだとは。恐るべし腐力。

 アニメーション化も近いんで大久保篤さんの「SOUL EATER」を読み始める。この画的に完成度が高くってテンポも動きも完璧な漫画を動かしたって漫画の二番煎じにしかなりそーもないんだけれどそこは同じスクウェア・エニックスの「鋼の錬金術師」を漫画のエッセンスもしっかり入れつつオリジナルな要素もまぶして独自の世界へと引っ張ったボンズなだけに、漫画で読むのとは違った動きなり物語を見せてくれるって考えよう。でなきゃアニメで見る意味、ないもんなあ。平日の午後6時から放送なのに夜中に追加バージョンのレイトショーもやるってのは何だろー、露出が増えているのか血糊が増えているのか、でも血糊が赤くなってる程度じゃわざわざ夜中にする意味ないもんなあ、かといってテレビ東京だから夜中になったって見えないものは見えないし。謎。これが日曜夕方に移った「コードギアス 反逆のルルーシュ」だったら夕方は主役のルルーシュに葛藤を持たせ改心をさせて親御さんの了解を得つつ夜中の版ではモノローグで高慢さを残して悪辣なキャラとして描き通すんだけど。あるいはC.C.のお尻が夜中ではより丸くなるとか。


【3月24日】 無駄に作画だけはハイテンション。アディは見た目かよわげなのに芯の強さで屹立してはひるまず突き進み、穂波も揺れるこころを覚まして涙にくれる。みんな良い表情。そんな絵の力を持っていながら「レンタルマギカ」の今ひとつの盛り上がらなさってのは見せ場を見せ場に仕立て上げる絵と動きの出し入れが、こっちの盛り上がりたい気持ちをずれてしまっているからなのか。アスモダイなんてご大層な成りの割には瞬殺だったし。でもまあここまで見せてくれた御礼もこめてDVDは買い続けるつもり。福山潤さんは弱々しげな演技を終えていよいよ凛々しい「コードギアス 反逆のルルーシュ」の続編「R2」へ。まあ妖精眼を見開いた時に出していたから大丈夫かな、いきなりギアスを発動させつつ「社長命令だ」なんて言ったら笑うけど、ラジオ番組とかで言ってくれたら楽しいな。

 やるなスクワッド、ってのはあのサッカー新聞「エル・ゴラッソ」を立ち上げてから3年以上を休刊なく廃刊もなしに発行し続けているのみならず、海外のサッカー情報をしっかりと紹介してカラー写真もふんだんい載せる週刊誌まで発行してしまっている会社なんだけれども、今度はいよいよ「週刊ベースボールタイムズ」ってのの発行に乗り出す模様。26日の発売なんだけれどもあんまり情報が伝わって来ていないのはサッカーは任せられてもこと野球となると、流石に自分たちの商売の検疫を侵害されると感じた大手のメディアがこぞって情報の遮断に乗りだしているからか、あるいは派手に宣伝して既存メディアを刺激するより静かに滑り出しては中身で賞美し、いずれひっくり返すって確信を抱いているからなのか。

 ともあれスポーツ選手の”紹介”ではなくスポーツそのものの”報道”を行う手腕については過去の実績で既に明白。もちろん人物にもスポットをあてるけれども野球という競技そのものが持つ魅力って奴を、詳細な試合の情報とあと米国流のデータ分析手法によって余すところなく紹介してくれるみたい。誰が何かを喋ったとかいったゴシップが前面に出ることもなければ、1試合にだって登場していないプロ野球選手が過去のネームバリューだけで“番長”などと持ち上げられて紙面を飾ることもないはず。そりゃあメディアだから売れるためにそれなりに、知られた選手を表紙とかに持ってくることもあるだろーけどそれも実績が伴っていてのもので、そうでない時には別の商法、たとえばサッカーで言う宇ところのダービーのような因果因縁をより所にした戦いの楽しみ肩って奴を提案してくれることだろー。

 発売が26日でメジャーリーグのオークランド・アスレチックスとボストン・レッドソックスによる開幕戦が「東京ドーム」で堂々と開催される翌日のスタートってことで紙面が果たしてメジャーリーグに染められるのか、それともしっかりと行われている日本のパシフィック・リーグをメーンにするかも興味の置き所。まあさすがにメジャーの迫力とそして情報の伝達力にはなびかない訳にはいかないだろーけれども問題はその後、米国でも本格的に始まるメジャーの情報をメーンに据えるか、地道に日本の野球の情報を拾って日本にファンを作るのか。その辺りの判断って奴にも興味を引かれる。まあそこはJリーグから始めて海外サッカーの情報も拾いつつ週刊誌として独立させたスクワッドだけに、需要があればメジャーリーグの専門紙って奴を発行して来るだろー。その後は何だろー、アメリカンフットボール? シーズンが短すぎるから難しいか。そういや野球だってシーズンは11月で終わってキャンプインの2月過ぎまでない訳で、サッカーより長いオフシーズンにどんな紙面を作ってくるかにもちょっと注目。その時まで保ってくれるかにも。

 しかしメジャーはさすがにエンターテインメント。ボストンに本拠地があるっていう金融会社のステート・ストリート・コーポレーションがレッドソックスのスポンサーをしていて日本での開幕戦も支援してるってんで日本に社会貢献しよーと小中学生を130人ばかり東京ドームに招待して、現役の大リーグのコーチ陣によるベースボールクリニックを開催した。入り口チェックをくぐりぬけて降り立った人工芝のフィールドでは、あのラミレスがドレッドヘアを後ろにたらしてがっつんがっつんとフリーバッティングをしていて感動。立っているだけで感じるオーラってのはないんだけれどもそれだけ雰囲気が和気藹々としていて、メジャーリーグってものの世間とは隔絶されていない近さってものを感じさせてくれる。いや余裕をかましているだけなのかもしれないけれど。

 そんでもってクリニックにはオーキーこと岡島秀樹選手が参加。ピッチングとかバッティングとか守備とかのチームをまわって眺めてた。経っていれば広島カープの日本人選手ってカラーリングなんだけれどもそこは胸に「BOSTON」の文字。世界チャンピオンのレッドソックスにあってお中継ぎのエース格として大活躍をみせた全米でも屈指のピッチャーがそこにいるって思うと興奮も……しないのはやっぱり岡島選手の人柄か、100人からの子供達にもみくちゃにされて、通訳の人からあぶないよって言われながらも笑顔を絶やさなかったし。それもファンサービスってものの大切さを1年のメジャー暮らしで学んだから? でも終わると囲みとかせずにベンチへ。明日にも投げるかもしれない大事な時期だから仕方がない。

 メジャーリーグの球団だったり企業だったりのこうしたファンを大切にして育てていこう、地域に貢献していこうって姿勢の地面に脚がついた振る舞いっぷりってのを見せられたあとに聞くと気持ちも震える日本のJリーグによる無為無体な所業。そりゃあサッカーって競技には米国流のオールスターって概念はそぐわないのかもしれないけれども、それが文化として定着していくのひとつ進化のの形。だったら原則としてファンによるファンのための”球宴”って土台だけはしっかりと護っていくことが務めであり、またそれを支援することによって企業にも感謝の念がむくもの。それなのにJリーグはオールスターを日韓のリーグの対抗戦にしてしまったのみならず、選手の選出からファンを排除し監督と一部の人たちによる選抜形式に改めてしまった。そんなもんオールスターじゃねえ、ただの日韓選抜戦だ。

 見たいか見たくないかって意味では見てみたいゲームではあるけれど、オールスターっていう看板を背負ってのゲームだとするなら認めるべきではない。だってスターじゃないじゃん。万人が認め選んでこそのスターじゃん。そうしたフィルターを経ずして誰かの思惑だけで選ばれていった選手をどーしてスターと認められる? 憧れ近づきたい選手たちだと思える? 理念もなければ信念もなく大義もなければ名分にすら乏しい試合を、どーして平気で繰り出せるのか。スポンサーの意向なのだとしたらもはやそのスポンサーはスポーツのスポンサーではない。レッドソックスのクリニックを発案してスポンサーしたステート・ストリートの会長の人は、宣伝のために支援しているんじゃなくって地元の貢献のために支援してるって会言っていた。ワールドチャンピオンだからってことはさらさら考えていなかった。

 ファンのため。その姿勢があるからこそ日本なんて会社の名前を知らせる意味なんてあんまりなく、そもそもが機関投資家を相手にした商売なんで広く一般にアピールする必要のない金融会社が子供たちのための野球クリニックを支援した。宣伝臭さなんてまるでない、その潔さにかえって人は好感を抱く。だからこそレッドソックスも試合前だってのに嫌がらずむしろ前向きにクリニックを繰り広げた。ひるがって日本はスポンサーが宣伝としてスポーツを利用する。あるいはスポンサーの宣伝のためと言いつくろって誰かがスポーツを利用している。誰? 知らないけれどもその誰かの思惑のおかげでオールスターはオールスターではなくなった。参加するのはつまりはそんな思惑に乗ってしまうことになる。思惑は思惑を抱いた誰かの利とはなってもスポーツのためには換えってこない。ならばどうするか。答えはサポーターが出すだろう。出して欲しいなあ。


【3月23日】 あれだけ艦橋が滅茶苦茶ならば人だって雲散霧消したって不思議はないんだけれどもそこが外連味って奴で破壊された機材の中を割と無傷で残っていたシエラちゃん。ツェーリがしっかり身を挺して護ってくれたから、って言われても周囲の破損状態から鑑みるにバリアーでも出して保護したか、って訝りたくなる。まあそこはだから外連味って奴で。もっともしかし無事に見えてもしっかり刺さってたシエラちゃんはここで退場。思い入れはなかったけれどもやっぱりちょっぴりもの悲しい。

 そんな「機動戦士ガンダム00」は前週のロックオン・ストラトスの退場に続いて続々と追い込まれていくソレスタルビーイング。ガンダムマイスターたちも停滞激しくいったいこの先どんな奇蹟が起こって未来につながるのかって来週のケリの付け方が今から気になって仕方がない。まさかお互いに銃で撃ち合って終わり? それじゃあ「コードギアス 反逆のルルーシュ」だ。でもそれがあったからこそ夏の特番から半年以上を気持ちを保てた訳で綺麗な大団円よりも気持ちに残るってことでまあ適当なエンディングにして何時だろう、半年後? そんな再開の時へと気持ちをひっぱいって頂ければ。とりあえず向こう半年は「コードギアス 反逆のルルーシュR2」もあることだし。他には何にもいらないし。「図書館戦争」は柴崎に注目。

 それを勇気と呼ぶなら勇気と言えないこともない。蛮勇というニュアンスでの。その日の朝にまず伝えたいことのうちから5項目ほどをピックアップした上で、それにすら順列を付けて並べて価値観というものをそこに示すのが本来の1面であり、施された編集の結果というものの姿であって、読者はまずその1面を見て知らなくてはいけないことを知って価値を認識する。と同時にそれらを価値づけた側のスタンスというものを推し量って商品としての価値を判断する。媒体的な要素を持ちまた啓蒙的な要素も持ち、そして合わせて媒体のみならず関わるすべての人たちでありそれらによって構成される企業体の価値を集約させたものが、1面なのだという理解が成り立つ。

 ここにわずか2本の記事とそして1枚の写真程度しか提示できなかったとしたら、読者はもはやそこよりその日に知っておくべき大切なことを、1面からだけでは得られないことになる。のみならず知らせたいことよりも言いたいことへとシフトした主張に、バイアスのかかった記事が大半を占領している上に、100万言よりも価値があるかもしれないという写真を、中心にかからせ紙面を半分に畳んだ場合に割れて何が写っているのかが人目では分からない状態に置いてしまっているから何ともはや。そこから情報として得られものは何もない。

 半分に見切れてしまうなら動かせば良いというのは以前までの至言。今は動かそうにもかつてほどの自在さがきかない。もはや情報ですらなくかといってオピニオンという程の影響力にも乏しいコラムが連日、広い範囲で1面を占拠し啓蒙にはなっても情報にはならない漫画が入ってそして、老獪な筆者の退場とともに直截さが増し洒脱さも韜晦もない散文が埋めて、肝心の情報を自在に配置する自由を奪ってしまっている。

 情報源にすらならず見て美麗さすら感じさせず、オピニオンというよりはアジテーションに近いニュアンスの文言が並んだ1面より、読者はいったい何を得れば良いのか。それはもはや企業名にも題字にも入っている、聞くを新たにするという目的を逸脱した別物としか言いようがない。開けばそこに情報は溢れているから大丈夫? 開かずとも一目で理解できるからこその紙媒体。その利便性を捨ててしまって果たして電子に対する勝利などありえようか。勝利はもはや無理だとしても共存すらあり得ない。情報をないがしろにしてバイアスのかかったアジテーションばかりが“受ける”風潮の蔓延と、情報が情報として万人に価値を与えるよりも、情報を宣伝として利用したい存在へのサービスを提供する方を尊ぶ施策の浸透が、情報の多さと重さと公正性、正確性によって成り立ってきた価値を損なう。その価値あっての電子媒体への展開をも不可能にしてしまう。

 ならばいっそオピニオンとアジテーションの集合体として生き残るべきであって、そのための大改革だという主張があるならば、なるほどその主張にそぐう改革だとは認めた上で、けれどもそれを行うべき場所だったかを翻って考え直す必要がある。誰がそれを望んだのか。読者にそれは望まれていたのか。公器としての振る舞いにそれはそぐうものなのか。公正中立な存在だからこそ与えられている数々の“特権”にこれからも依拠し続けて良いのか。同じ業として止まり続けつつ方向性を変えるのならばそれは、勇気ではなく蛮行であって社会と読者への裏切りでもある。そう自覚するならすぐにでも踏みとどまって戻り改めるべきだろう。今ならまだ間に合う。いやすでにもう遅いかもしれないけれど。

 一方で天におわす主を仰ぎ見て、その想いを体現して世間に広め伝える存在へと完全にシフトし、言論の世界にひとつの新しい柱を築き上げようとするならそれは讃えられるべき振る舞いである。改革だの改訂だのといった曖昧な表現は使わず、過去との清算を明確にして題字も企業名もうち捨て特権も返上した上で、新たな柱をそこにうち立てたのだと満天下に訴えるべきだろう。それを行ってことその先駆者であり革命家であり英雄だ。後はその先駆的革命的英雄的な振る舞いが、改めて万人に認められるかを問えば良い。下より支持されるかを問い直せば良い。曖昧にして中途半端なままでいれば情報を求める人々からも、論評を欲しがる人々からもどっちつかずと疎まれ排されるだけ。言論としても情報としても価値なき媒体は商業の場としても価値はない。決断すべき時はすでに来ている。その決断に従うべきかを決断する時も。なんてことをいずれ書かなくちゃいけなくなるのかなあ、今はまだたぶんおそらく貧困なる想像力の欠片に断片として浮かぶ程度の可能性の端くれでしかないんだけど。けど。

 春の陽気に誘われ千葉へと出向いて「フクダ電子アリーナ」でサッカーJリーグのナビスコカップ「ジェフユナイテッド市原・千葉対柏レイソル」の黄色ダービーを見物。最近はもっぱらSA自由席のアウェイ側前列に陣取り前半の攻撃ぶりを見つつ後半の守備ぶりにやきもきしてたりするんだけれど今日も今日とて前半に奪われた後の攻撃がなかなか滞ってうまくいかない様を目の前で確認し、後半にようやく追いついたものの初参加のフルゴビッチが初参加にして初退場を喰らって以降、少ない人数で攻め込まれるのを耐えに堪え忍ぶ様をやっぱり眼前で見せられ気もそぞろ。サイドを頻繁に使う攻撃にやられるんじゃないかを心配したけどセンターに構えるエディがことごとくを跳ね返してくれるおかげでどうにかしのぎきって1対1の引き分けで勝ち点を確保した。ホームでこれではいかんのだけど。

 中盤が作れないのがちょっと痛くで中島浩司選手が後方から支援しようにも下村東美選手が突っ込んだ後をトップ下から米倉恒貴選手が戻らず青木孝太選手もフルゴビッチ選手も前掛かりになってて中盤を作れない。かといってトップで頑張るレイナウド選手にボールが入ってもそこから次につながらないから波状攻撃へと持っていけない。ポストタイプってよりもむしろ組み立てを得意とするレイナウド選手を前に置くのは何か違うって感じ。それもこれも巻誠一郎選手が代表でいないからなんだけれど。まあそれでも後半にトップ下で持てる工藤浩平選手を入れて米倉選手をやや下がり目から両サイドに散らす動きをさせたことが奏功してかボールを失わず両サイドに起点を作れるよーになった。オーバーラップの少なさは正直物足りないけど慣れてくればいずれ攻め上がりも可能になるんじゃなかろーか。ともあれ1人少ない中を引き分けられて重畳。再開なるリーグ戦で1つ勝ってどうにかシーズンへとうまく入っていって頂きたい。とりあえず今日のジェフキッズの女の子がむちゃくちゃ可愛かったのが収穫か。何を見に行ってるんだ。


【3月22日】 なぜ闘うのか、という理由がたぶんあの頃にはあってそれは最初は明確な意志だったんだろうけれども最後の方には目的と化してそこに意志を合わせるようになっていったんだろう。いみじくも作品の中で「クウキ」と称され英語では「エアー」ならぬ「ムード」と意訳されたその空気に押され気持ちを奮わされた乙女たちの壮絶な闘いぶりって奴が吉岡平さんの「払暁の特務戦隊 ワイルドアームズ」(KKベストセラーズ、933円)って本には綴られていて、何でまたさっさと降伏しなかったのか、すれば誰も死なず何も壊れずに済んだのにって憤りが浮かぶけれどもそうはいかないのが空気って奴の恐ろしさ。吸い終わってようやく気づいて後悔に駆られるんだけれどもそばらくするとまた同様に空気の中で流され漂うことになるんだろー、日本人って奴は。

 1945年8月15日に玉音放送があってしっかりと終戦を迎えた日本にあって陸軍の特攻部隊にいた尾白鷹志は占領軍にパイロットとしての腕とそして小笠原諸島の地理への知識を買われて引っ張られ妹島へと向かう。かつては野鳥の宝庫だったその島に日本軍が駐屯して抵抗を続けていたのだった。物量に勝る米軍だったが自然破壊に遠慮し艦砲射撃は行わずまずは飛行機を飛ばして様子を見るが、そこに高射砲が飛び銃声が響いて爆撃機も戦闘機も近寄れない。尾白も乗っていた飛行機を歩兵銃でねらい打ちされる体たらくで不時着。そして島を護っていた部隊の面々と体面して驚く。そこにいたのは全員が少女たちの部隊だったのだ。

 ってところからそれぞれにそれなりの力量を持った少女たちが空戦では米軍のパイロットたちを翻弄し、上陸してきた敵兵はまたぎの血を引く少女がスナイパーとしてねらい打ち。戦車を相手にしてもドイツ製の戦車で待ち受け緻密な弾道計算によって続々撃破といった具合に米軍の蹂躙を許さない。とはいえ敵は戦力も豊富でいつかは陥落もやむを得ない状況。それ以上に終戦した今、少女たちが闘う理由が何もない。けれどもとあるはずみをきっかけにして戦闘は続き米兵は大勢死んで少女の中にも犠牲者が出る。いったい闘いはどこへと向かうのか? 悲劇の予感が最後の最後で覆される。

 衝動と空気が動かし始めた闘いの意味はなさって奴に呼んでいてどうにも腹が立つ。最新鋭の武器を凄腕の少女たちに与えたらいったいどんな闘いぶりを見せてくれるのか、ってシミュレートをしてみせたって意味ではなるほど面白いんだけれども、そんな目的の陰で米兵は山と死に少女にも無駄な戦いを強いる。犠牲者も出す。すべてが終わった後で少女たちは少女であるが故にヒロイン視されて歓迎を受けるけれどもそれってどうなんだろう? あれだけの大量の人死にを出しておいた原因の多くを持つ存在に相応しい処遇なんだろうか? 状況が状況だからって言い訳も可能だけれども分かっていて押し流されて始めた戦いもたらした結果に対するおののきって奴のその時点での足りなさに、小説としての楽しさの陰におしやられた正気さって奴を思わされる。

 そこはベテランなだけあって吉岡さんは少女たちを果てまでヒロインとして持ち上げることはせず、残る後悔の念をもしっかり描いているからバランスはどうにか保たれる。保たれるけれどもそうした所までを読者がくみ取るかどうかは別。いたずらに美少女戦士が巨大な敵を相手に奮闘したぜヤッホウ、って叫んでもてはやしては真意も伝わらずただそれを恰好良いと感じる空気だけが蔓延して世の中から正気を奪う。下手すりゃ今度は勝てるし勝たなきゃって気分すら生まれて世を満たす。とんでもない。勝ち負けなんて考えてる時点でどうにかしてるんだってことを、読んで感じることが戦車と共に散ったのじこにちどりにくいなへの、せめてもの手向けとなるんだろう。乙女心に火など着けさせるな。

 素っ裸がいっぱい。というかヴィーナスがいっぱいの展覧会を上野の「国立西洋美術館」で見物。ちょっと前まで五反田にあるルーヴルDNPミュージアムラボに展示されてたティッツィアーノという画家のルーヴル美術館にあるのとは別のイタリアにあるウフィツィ美術館に収蔵されてる「ウルビィーノのヴィーナス」って大きな絵が来ていてながめてなるほどフィレンツェのルネッサンスとはまた違った耽美にして幽玄な雰囲気を明るさの中に感じさせるヴィーナス像がそこに描かれていて目を楽しませてくれた。いや決して素っ裸で美女が横たわっているからじゃないぞ。それもあるけどそれだけじゃないぞ。多分。ティッツィアーノは2枚あってもう1枚は向きも逆ならポーズもやや動きのある作品で。ミケランジェロの下絵をポントルモって人が起こして描いたミケランジェロ的なボリューム感を持ったヴィーナスの絵にレイアウトを似せつつティッツィアーノ的な柔らかさを持たせた作品って感じでこれもこれであの時代の、流行や技法の行き来って奴を感じさせてくれた。だから素っ裸だけが目当てじゃないってば。

 そんな目玉を割と最初に並べてあとどーすんだって心配したけど展覧会は、ヴィーナスの神話に関する作品ばかりを集めた部屋ってのも用意していてヴィーナスにミネルヴァにユノって3美神が誰が1番綺麗ってことを争いパリスにご褒美をちらつかせつつ自分が1番を言えって迫った神話の場面なんかを絵とかカメオとかに描いた作品が並んでたいんだけれどもミネルヴァが背中を向けてる図像が多かったのは何だろう、それが決まり事になっていたからなんだろうか。謎。それとも美人とは言いつつミネルヴァって本当は不細工だった、とか。ちょっと研究してみよう。

 「コードギアス 反逆のルルーシュ」のニーナとはまた違ったぽっちゃりとした眼鏡っ娘が会場にいたのを遠目で追いつつ回ってそれから久々に常設展へと上がったらルノワールの2枚を独り占めできたりゴッホの小品を間近で眺められたりしてこれがなかなか。大行列の中で遠目からしか見られない企画展よりこーした常設展で名品を眺める方がよほど気持ちに張りが出る。コレクションするこれが意味って奴なんだなあ。でもどっかのおニューな国立美術館な収蔵品を持たず常設展を置かない単なる貸し画廊と化している。ミュージアムの存在意義を学ばず育った間抜けなお勉強好き共が国を仕切るとこーゆーことになるから困ったもんだよまったくもう。

 せっかくだからと「上野の森美術館」で開かれている「VOCA展」も見物。平面作品に限定した公募展で前にやなぎみわさんとか福田美蘭さんとか今をときめく現代アーティストを排出している実績も高い展覧会なんでこれからのアーティストを探る意味でもなかなかにタメになる。ってことで入ってまず目に付いたのが藤原由葵さんって人の作品でリアルな人体が不思議な構図で絡み合っている中に幻想的なモチーフが絡まる不思議な絵。1枚は女性の下半身は女性なのに上半身は鮫でそれが逆さ吊りされている構図にポリペイモスも大変だって思った人はきっと年寄り。ってかポリペイモスは女性じゃないや。ハイパーリアルな幻想系なんでそーした系列の書籍の表紙に推したい感じ。他の作品はどこで見られるんだろう。

 それから佳作賞を受賞していた伊藤政恵さんって人も気になった。花畑が乱舞する様を魚眼レンズで捉えたような構図と色彩を描いた油絵、っててあたりが特徴で色彩感覚ではどこか蜷川実花さんを想起させつつそれを絵で描いてみせたって所にオリジナリティがあって人目を引く。過去の個展とか見るとやっぱり花が乱舞する作品が多くあって目にもとっても鮮やかなんだけれども毒々しさも同時にあっていたずらに身を委ねるって感じよりも半歩引いて目を見張るって感じが先に立つ。「銀河鉄道999」に出てきた綺麗なんだけれども毒の花に覆われた惑星を思い出したよ。シンプルさでは阪本トクロウさんって人の湖上を描き隅にアヒル型の船が浮かんだ様を描いた絵が。大胆な構図とシンプルな色使いが特徴。過去の作品は割とリアルなオブジェクトをシンプルな構図に描いて際だたせていたんだけれどもやや構築的になって来た? 今後に興味。


【3月21日】 終わってしまったなあドラマ版「鹿男あをによし」。ご存じ万城目学さんの昨春に出た小説を早くもドラマ化したってだけでも驚きだったけれども、そんな驚きを覆すようなしっかりとして中身の詰まったドラマに仕立て上げて来た共同テレビジョンのスタッフの凄さとあの難しい役を演じきった俳優女優の素晴らしさいんはただかだ喝采を贈りたい。なるほど視聴率的には10%に平均でやや届かなかったみたいで、裏番組にあった「だいすきっ!」に敗れたみたいだけれども、ネットなんかの評判では「だいすきっ!」よりもはるかに高くインフォシークあたりが調査しているキーワードランキングの最新の調査なんかでは、あの香取慎吾さんが出演している月9の「薔薇のない花屋」すら上回ったみたい。つまりは尻上がりに評判を上げて最後まで突っ走ったって言えそー。

 なるほどそんなに大長編ではないあの小説を、都合10回のドラマに伸ばす大変さはあったみたいで綾瀬はるかさんと玉木宏さんが食べ物やに入って延々と会話を繰り広げていたりって間延びした所もあってそれが、客離れを呼んだ感じもないでもない。ただ多部未華子さんがメーンに立って剣道の試合を繰り広げる「大和杯」当たりから俄然とテンポも上がり先の読めなさも加わって、見た人に次も見なけりゃって感覚を抱かせたみたいで、2月半ばあたりからネットなんかで見かける絶賛と期待も昇り調子に膨らんだ。そして迎えた最終回の大団円。ピタリとした着地に誰もが喝采を贈ってる。来週からどうすれば良いんだって声を上げている。これほどの絶賛はドラマ史上でここしばらく見たことがない。大げさじゃなく。さすがにちょっと大げさか。でも良いや好きだから。

 驚きの最たるものが藤原かりんとう役の綾瀬はるかさんの起用で本来なら男性の役を女性にはめたのは堀田イトが出てくるまで、画面に彩りが欠けてしまうのをカバーして玉木宏さんと綾瀬はるかさんのペアが探偵よろしく物語をつないでいくっていった、考えようによっては狂言回しに近い役回りが与えられていた訳なんだけれどもいざ、ドラマが始まってみるとデラーンとして覇気のない玉木宏さん演じる小川先生を、無垢というか無鉄砲というか何にも考えていない脳天気さでひっぱたき引っ張っていくって重要な役に。これがピタリとハマっていったい次になにをしでかしてくれるんだろうって興味を最後まで引き連れて行ってくれた。玉木さん1人じゃあ、あるいは男2人のペアじゃあここまで愉快な作品にはならなかっただろうなあ。藤原先生の役柄の変更を考えた人を讃えます。拍手喝采。

 堀田イト役は多部さんにとってもたぶん1つのメルクマールになったかも。憮然としていながらもどこかに焦りと可愛らしさを感じさせる微妙な役を1人で見事に演じきった。綺麗なだけじゃあない女優って奴をこれからきっと演じていけるだろー。キスシーンも見事。いっそ芸名も堀田イトに代えればさらに分かりやすいのに。柴本幸さんは重さんにひっかけられ気味で告白っぽいことをしていたシーンの焦りっぷりが可愛かった。真正面から映すカメラワークの多さが半歩間違えるとリズムが狂って気持ちを逆なでするんだけれど、喋りと切り替えのタイミングがピタリと合ってて見ていてストレスなく、2人の会話って奴をリズムに乗って楽しめる。この当たりの演出の妙味って奴をこれから研究する必要があるのかも。そのためにもDVDの発売が待ち遠しい。出たから買う。鹿のフィギュアがついてればなお買う。サンカクも付けてくれ。大和杯の方な。

 もしかしたらライトノベル史上で最低にして最悪にして最下劣かもしれない神楽坂章吾。映像製作会社のプロデューサーなんだけれども一言目から乳を見せろ尻を震わせろと叫んでは、そんな番組ばかりを作って流して悪罵を浴びても反省の色なく尻に胸が乱舞する映像ばかりを作り続ける筋金入りのエロおやじ。「拉致って監禁、調教しちゃえ」って番組の視聴者が番組をマネして事件を起こして人が死んだら死んだで責任は部下におっかぶせてとんずらここうとする抜け目無さも見せたりして、そんな野郎の下でだったらどーしていつまでもかなわぬドキュメンタリー作りの仕事をしたいと言い続けるのか、辞めてとっとと他のプロダクションに映れば良いんじゃないのかってカートライト君には言いたくなるけど、訳あって映像製作の世界に飛び込んだ彼に開かれた唯一の扉が神楽坂の配下。教えてもらったことも多々あってなかなか下を抜けられない。

 それでも神楽坂の躓きは自分の企画を通すチャンスを地球から独立した惑星連合と関係があるのかないのか不明ながらも地球の船とかを襲う海賊を取材したいと求めたところこれが通ってサインはゴー。ところがしゃしゃり出てきたのが神楽坂で、海賊は女性ばかりでなくちゃいかんと言い出したからたまらない。それを聞くカートライトもカートライトだけれども、とりあえず受け入れ有名なドキュメンタリー作家の伝も頼ってようやく見つけた女の子ばかり5人の海賊たちに接触し、ドキュメンタリーを撮ることを同意してもらってさあ船に乗ろうとしたら神楽坂まで付いてきた。そしてプライドもあって力も持った海賊っ娘たちに露出を増やせ、裸で踊れと要求しては殴られ脅され、それでも懲りずにエロさを要求し続ける。

 これが当たり前の小説だったらそこまでの徹底ぶりには理由があって結果として海賊の少女たちを助けたりする方向に働いたりするんだろーけど、そこは鈴木一二三さんの「海賊彼女」(集英社スーパーダッシュ文庫、590円)、最後の最後の最後まで神楽坂には良い部分とかはみじんも見えずひたすらにエロおやじっぷりを全開に発散し続けてカートライトすらキレさせる。この徹底ぶり。ありがちな予定調和とかは断固として拒絶し”実は良い人”なんてフォーマットにも落とし込ませず、悪は悪として貫かせるところが逆に新鮮だったし、ストーリーにも1本の筋となって通ってた。

 それにそーした人情のドラマって部分よりも、単に美少女の海賊たちがドキュメンタリー撮影に協力して1人の青年の成長を促すってんじゃなくって、もっと大きな話が裏にあってそれに巻き込まれたというか利用された形のカートライトによって暴かれたりするって謎解きめいた設定もあって、騙し騙される世界の苛烈さとそこに生きる人々のしたたかさって奴を痛感させられる。宇宙に生きるのって大変だ。とまあ見かけの割に案外に硬派な1冊。でもしかしやっぱり神楽坂の外道っぷりは凄まじい。同道していて1枚のイラストもないのはそれだけ描くに値しない外道とイラストの人も認めたからなのか。まあ仕方がない。描かれていたら目とか多分潰れるだろーからなあ。醜悪すぎて。

 「フラワー・トラヴェリン・バンド」を聞き込む日々。そのボーカルの人に会うって仕事があっていきなり会ってどんなバンドだったんですかと聞くのも恥ずかしいんで仕方がない。というかむしろ前から関心はあったんだけれど、なかなか聞くチャンスがなかったのをこれがちょうど良い機会って感じたこともある。そして聞いたFTBはとにかく凄まじい。本当に70年代の前半にこんな音楽があったのか、それも日本に生まれていたのか。レッド・ツェッペリンとかブラック・サバスといったハードロックやヘビーメタルの雰囲気がそれらが活躍していた時代とほぼ時を隔てずにFTBの中に再現されている。それも本家なんかを上回る凄まじさで。「SATORI」なんてものが今世に出たら世界は仰天するぞ、絶対に。

 実際にカナダを起点にツアーを行ったFTBの知名度は今も割かしあるらしくってこの夏に開かれるフジロックフェスティバルにFTBが活動を再開して参加するって聞きつけた海外のファンが、是非に行くってことを言い出しているらしー。日本からだって行く人もきっと大勢いそー。「コードギアス 反逆のルルーシュ」ではサクラダイトの採掘場と化した富士山を、間近に見られるってその外国人が思っているかどーかは知らない、つかまだ知らないだろーな「コードギアス」なんて外国人は。ともあれ凄いサウンドが今も完璧に作り上げられ、なおかつ新しさだって加えられると確信していたボーカルの人、つまりはジョー山中さん。あのハイトーンボイスも出せるって言っていたからきっとフジロックの当日は、魔神ならぬ伝説が蘇った日として永遠い刻み込まれることだろー、僕の心にも世界の音楽シーンにも。


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