縮刷版2008年3月中旬号


【3月20日】 「2001年宇宙の旅」がテレビで初めて放送されたのって1981年の事だったっけ、高校に行っててSF好きらしく既にしてその年の「DAICON3」に参加していた中岡君か誰かが既にビデオを持ってて録画してたってんで家までケッタ(名古屋弁で自転車)を漕いで見に行ったような記憶があるけど果たしてねつ造された記憶なんかどうか不明。近くの映画館で「007」と「スキャナーズ」を見た記憶もあるけど果たしてその時だったのか。うーん老化。でも周囲にSF好きがいて、学校の真下にある「緑図書館」に早川書房のSFシリーズも「SFマガジン」のバックナンバーも揃いまくっていたという、そんな環境の中でジュブナイルではない「SF」への傾倒を一気に強めた1981年は同時にアーサー・C・クラークへの認知を一気に深めた年でもあった。

 前年に「楽園の泉」が出て話題になっていたのが81年で「軌道エレベーター」に関する話なんかも掲載されてたんだっけ、そんなこんな渦中に飛び込んでいったから知らずクラークの名前が頭の上位にインプットされていったんだった。既に出ていた「地球帝国」に「宇宙のランデヴー」へと遡って3部作を読みそのビジョンの壮大さに打たれ図書館で「世界SF全集」を借りて「幼年期の終わり」を読んでそのメッセージの強烈さに打たれ「2001年宇宙の旅」の原作本を読んで訳の話からなさにうなだれた熱い年月も、そう長くは続かずより観念的なディックへと興味が移ってしまったんで、クラークのすべての作品を熱心に読むようにはならなかったけれども、ディックを神に置いてそのしたに連なるアシモフにハインラインの3連星の1人として、強く意識はしてたっけ。最後まで存命だったのもクラークだったけれども歳も歳だし仕方がない。これを機会に読み残していたり25年も昔で忘れてしまっている話を読み返して、今なお感じさせてくれるに違いない新しさとメッセージに親しもう。

 そうかそうなのだ白川方明さんを実質的な総裁に担ぎ出すために自由民主党は民主党が表向きは同意できない財務省の事務次官経験者を何度もぶつけ、それに応えて民主党も財務省の次官経験者だからと拒否を繰り返して日本銀行の総裁の任期切れという事態へと至らしめて空位の状況を作り出したに違いない。どちらかをとればどちらかが立たないにらみあいを演出しているシチュエーションで、片方ばかりが英雄になっては拙いってことで両方が身を引き悪役になる道を選んで実質上は何の問題もない環境へと移行する。これこそが中心なき世を思いやりと空気でもって動かし導いていく日本ならではの政策運営。素晴らしいというより他にない。

 だいたいが白川さんなら副じゃない総裁で良いんじゃないって意見もあったくらいに金融政策には通じた人。企画局畑に特徴的な学究肌な雰囲気もあるけれど、同じく企画局上がりで先輩に当たる山口泰さんよりはまだ、顔立ちなんかに人情っぽさも漂うんでこのまま副総裁から総裁へと上がってもそれほど問題は起こらないんじゃなかろーか。1949年生まれだから1953年生まれのバーナンキFRB議長とも歳が近いしバランスも取れてるし。僕が知ってる白川さんは企画課長で44歳くらいの時でまだ顔もつるりとしてたっけ。今の自分とそんなに変わらない歳にあっていろいろ日本の金融を仕切ってた人が15年経って日銀総裁代行へ。それに比べてこっちは……人生はいろいろだ。

 アッキーナを見に行く。いや別にそれほど詳しく生い立ちとか馴れ初めとかは知らないんだけれど最近妙に話題になっている名前なだけに1度は見ておく必要があるんじゃないかとじゃあなりすとな魂を発動させて渋谷区にあるクラブで行われた「未来予測機 ミライスコープ」の発売記念イベントを見物に行く。決して雨なんで等々力競技場の屋根への不安から我らがジェフユナイテッド市原・千葉が川崎フロンターレと闘うナビスコカップの試合をけ飛ばした訳じゃないぞ、でも晴れてたらアッキーナを飛ばしたかな、いやしかしアッキーナだしなあ、悩ましい。んでも試合の方は後半に投入の米倉恒樹選手がまず点を奪いやっぱり途中から出場のNAKAZIMAこと中島浩司選手がダメ押しの得点を奪う采配の妙。相手が幾人かを日本代表に持って行かれているとは行っても強烈なフォワード陣を揃えたチームに無得点で勝てたのはやっぱり喜ばしい。中島選手の復活も有り難い。でも1試合の中で落ちては復活を繰り返す選手だからなあ。23日の柏戦こそが勝負だ。

 んでもってアッキーナ。南明奈さん。名前はあっちゃこっちゃで聞いていたけど個体識別が出来るほどには知らなくって年齢もキャラクターも知らずに見える直前に、高校を卒業したばっかりと聞いてそんなに若いのかとまず吃驚。てっきりバラエティなんかでおばさん程じゃあないけど耳年増っぽいキャラクターでもってお騒がせをしているよーなキャラクターかと思っていたらそうではなくってバリバリなアイドル系。だからなるほどアッキーナってあだ名を持ってはいても若いファンが大勢いるんだろー。だからアッキーナ。細くて可愛らしい。喋りはしっかりしていてちょっぴりとぼけているところもあったけれどもイライラさせられるよーではなくって良いタイミングで返してくれる。笑顔が抜群。スリムだからグラビア系って感じはないけどビジュアルでもってファンをつかめる顔って言えそう。

 そんなアッキーナの理想のタイプって奴が判明したイベント。いや観念的な理想ってよりは性格的な理想ってことで「ミライスコープ」によって診断された「自由奔放」ってキャラクターから類推された理想の結婚相手、それは「優しくて辛抱強い人」ってことで自由すなわち我が儘放題なお姫様を温かく我慢強く見守ってあげる性根の座った人でなけりゃあとてもじゃないけど付いていけないってことになる。当たり前っちゃー当たり前だよなあ。でもアッキーナのためなら100時間だって雨の路上に立ち続ける覚悟も生まれるかもなあ。可愛いし。ちなみに気持ち的な理想はヨン様とか。まだ若いのに渋い趣味。でもヨン様全盛な時代に高校生とかやっててテレビとか雑誌とかで浴びるように情報を見てたらそう思うのも仕方がないのかも。アッキーナ。婚期は遅くなりそうでその分芸能界では早く成功するらしーアッキーナを、射止めたいと思った勇者はまず顔をヨン様似にして辛抱強くその時を待つのだ。20年後にきっと祝福が訪れる。かもしれない。無理だよな。

 早速なんでもらって来た「ミライスコープ」で遊んでみる。暗くて地味な奴って結果になる。大当たり。結婚相手も静かで地味な人が良いとのこと。アッキーナには届かない。恋をする回数も少ないとか。つかしてねーよ。当たってるっちゃー当たりすぎ。この「ミライスコープ」を「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュ・ランペルージになった気分で設問に答えてみたら「クールでやりてなタイプ」と出てこれまた大正解。すごいぞ「ミライスコープ」。「能力は高いが性格はキツイ」ってのもバッチリだ。「きつく他人を攻撃する」ってのもそのものだ。凄すぎるぞ「ミライスコープ」。せっかくだからと会社での出世を調べたら「ずるいマネをして出世するでしょう」と出た。うわあああドンピシャ。なるほどそーやって国を1つ、手に入れようとしているからなあルルーシュ。ちなみに理想の結婚相手は「自分につくしてくれる女性」ってことでカレンに皇神楽耶にはチャンスあり。C.C.は結婚相手じゃないもんなあ。なるほどこれは素晴らしい機械だと判明したので後でスザクでも試して見よう。


【3月19日】 そろりそろりとラインアップも発表になって来た「一迅社文庫」は個人的には「さよならピアノソナタ」の杉井光さんによる「死図眼のイタカ」あたりに関心であと「薔薇のマリア」の十文字青さんが書く「ANGEL+DIVE」がどれくらい“読みやすい”かにも注目しているけれども他はあんまり知らないだけに文字通りの未知数。ゲームの世界ではそれなりに知られているらしー西川真音さんあたりがそっちに詳しい人にとっては注目の人ってことになるんだろーけど果たして田中ロミオ的な評判の再来となって「ガガガ文庫」のように「一迅社文庫」を支え持ち上げるか否か。読んで見るまでやっぱり分からないよなあ。

 他だと黒史郎さんか、「幽」あたりで活躍しているってことはホラー作家? その人がどんなライトノベルを書いて来るのか関心も高いけれども、日本出版販売が出してる週報の2008年3月24日号にある紹介文だと「ライトノベルといえば『独特のアク』が特徴の1つだが、その反面、読者対象が限定され、各レーベルともその『アク抜き』が大きな課題となっている」って前提のもとに「一迅社文庫」では「一般的に陥りがちなイラストでの中和を図るだけでなく、文体や登場するキャラクターの個性においても融和を図り、ライトな路線を狙う」そーなんで、あんまり突拍子もないものにはならないのかも。

 ってゆーか「独特のアク」が抜けてそれって本当にライトノベルなの? キャラクターが突飛じゃなくって文体も一般的だったらそれってただの普通のセーシュン文庫じゃないの? あるいはジュブナイルっていうか。それなりに発展して来てスタイルも出来て来て時々は裏返しみたいなのも出るけれどもそこからさらに広がりを見せていくライトノベルの潮流に棹をさすかのように普通普通を求めて果たしてどれだけの読者から支持を得られるのか。そーした既存の読者の外側にある人にこそ届けたいって想っているんだろうけれど、そーゆー人がネックになっているのって漫画みたいなイラストだったりするからなあ、けどそれを抑えたら書店では目立てないし「ヘビーユーザーにも読みごたえのある作品に仕上げ、読者のニーズに応える」ってことにもならないんだけれど、果たしてどんなパッケージへと仕上げてくるのか。待とう。でももう買えないよ多すぎて。

 日販の週報にはウェブサイトにはないラインアップもあって上げると鷹野祐希さんの「井上円了真怪手帖〜偽怪〜」とか「サムライガール」ってことはエロが主戦場っぽいみかづき紅月さん「アンサンブル!」とかファンタジーの手練れの萩原真里さん「塔の学校あるいは秘密の青い部屋」とか挙がってる。高橋直樹さん、って誰だろうプロ野球選手の人? じゃなくってゲームの人かな、「IZUMO3」ってのが出るみたい。ゲームのノベライズだな。「食卓にビールを」の小林めぐみさんによる「日々之正義!」ってのは何だろう、代ゼミの正義版? 深見真さん「少女たちは血雨の中、恋をする」ってのもの何やら血みどろな感じがして今からわくわく。きっと表紙も血飛沫の飛び散る中を少女が抱き合いキスでもしているイラストなんかが描かれているんだろー。大人だったら飛びつくね。子供は知らない。ってな感じにラインアップは魅惑ぷんぷんだけれど問題は、ちゃんとこれらを出していけるかってこと。やがて減りそして減って消滅してった過去数多あるライトノベルの二の舞三の舞にはなってくれるな作家のためにも。

 「東京国際アニメフェア」関連の発表予定が続々と来た中にグループ・タックの新作の話があって見たら宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を杉井ギサブローさん監督でますむらひろしさんのキャラクターで作るって話だった、って「銀河鉄道の夜」の再来? 音楽が細野晴臣さんだったらなおすっごいけれどもその辺りは不明、脚本は村井さだゆきさんだからまあ確かなものになるんだろー。公開は2009年春。1年も先だけれどなあに「コードギアス 反逆のルルーシュ」を1年待った身からしたらそれくらい何の不満もありません。あと「アニメフェア」では「機動戦士ガンダム00」絡みのイベントが注目かあ、前回のアレを受けていったいどれくらいなソレな人が集まるか。それこそ喪服で胸にロックオンの遺影を掲げた人とか大量に集まったら絵にもなるけど見て普通の人にはまるで意味が分からないよなあ、「あしたのジョー」とは時代が違うし浸透度も違うし。

 とはいえ浸透度が行き過ぎて半ば国民的な財産めいた捉え方をされているのも良し悪しというか。「あしたのジョー」と「巨人の星」が絡むと途端にノスタルジックな空気が漂い八方が慈しみの眼ですべての事態を捉えてしまう風潮があって今回も「週刊少年マガジン」と「週刊少年サンデー」がともに創刊から50周年を迎えたって話の中で、あの「あしたのジョー」でありあの「巨人の星」が連載されていた国民的財産ともいえる「週刊少年マガジン」と、一時のラブコメ旋風で一世を風靡し今の30代から40代のオピニオン的なメーンストリームを行く面々を慰撫し鼓舞して来た作品が連載されていた「週刊少年サンデー」の合同での企画を誰もが素晴らしいこと美しいこと楽しいことって感じに微笑みの中で受け止めている。

 そんな誰も彼もが讃える空気が何だかちょっぴり薄気味悪くなって来たような気がする今日このごろ。だってライバルだよ、それも50年間も闘ってきたライバルであってこれからの50年間も闘っていかなくっちゃいけないライバルが、どうして呉越同舟なんて出来るんだろー。むしろ互いに50年も相手を叩きつぶせなかった不甲斐なさを悔やみつつ、今まさに新たな戦争を仕掛けるような熱情と敵意を露わにして、互いに漫画家を引き抜く成りすっげえ新連載をそれぞれが20週連続て始めるとかいった勝負を仕掛けるのが普通なんじゃなかろーか。もはや長期の連載が大半を占めて新鮮味の薄さから新しい読者を獲得し損ねているのが実状だったりする「サンデー」にとってこれは新陳代謝を行う千載一遇のチャンス。なのに居残る看板を看板として磨き直しては掲げて世の中にアピールしようとしている。そんなんじゃあ新しい子供は読まないって。かつて懐かしんだ面々の興味を引くだけだって。

 「マガジン」だって似たよーなもので新陳代謝どころか超昔のコンテンツを引っ張り出して来ては絡めておっさん層にアピールしよーとしている程度。こんななれ合いを1年も続けたら今まさに現役で読んでいる層だって呆れて離れていってしまうだろー。1年が経ってそして再びのバトルを、なんて気勢を上げたところで1年もの間に肩を並べて傷をなめあって今を護持しよーとした守りの姿勢が見え隠れしてしまう。現場だって相手を叩きつぶしてでも未来を我が手に、なんて気持ちへとすんなりは移りづらいんじゃなかろーか。

 結局のところはだから過去の遺産とネームバリューを50年なんて言葉の中で固めて見せてはそのまま殿堂入りへと向かうだけの終末事業。なのに懐かしさを土台に持つおっさん揃いのメディアばかりが愉快だ素晴らしいと持ち上げるからうまく事が運んでいるよーに見えてしまう。その底で確実に起こる子供離れ。ここから週刊少年漫画誌の滅亡が始まった、なんて歴史に刻まれなきゃ良いけど。「週刊少年ジャンプ」がもしも同じ時期に50周年を迎えていたら、決して乗らずにむしろここで新連載50連発なんてやって世間をあっと言わせただろーなー。全盛期のジャンプだったらアニバーサリーじゃなくても今がチャンスと見て突き進むくらいのパワーを見せたかも。でもとりたてて動きがあるよーには見えない。やっぱりもはや道はひたすらに下へと向かうだけなのか。「ローゼンメイデン」連載の「ヤングジャンプ」こそが天下を取るのか。「甘い生活」の「ビジネスジャンプ」が僕的には好きなんだけど。小さいのに巨乳の新キャラ、なかなかっす。


【3月18日】 つーか阿呆しかおらんのかこの国の政治家には。前に武藤敏郎さんだったっけ、財務省の事務次官の経験を持つ人と日本銀行の総裁候補に上げたら財務次官の経験者は“財金分離”の原則からまかりならんと民主党によって退けられたにもかかわらず、またもや同じ次官経験者でなおかつ主計畑を歩いてきた田波耕三さんを推して相手が頑なに護持する原則を破ってはいそうですかって受け入れるはずがないって分かろうものなのに、敢えて推しては玉砕してみせる自民党のスタンスがまずは間抜け。でもって一方でだったら誰ならオッケーなのって聞いてもそんなことは政府が考えれば良いって何も言わない民主党も端から見てれば間抜けの片棒でそんな間抜けどうしが見合ったところで間抜け以外の結論が出るはずもない。かくして時間は過ぎ去り金は飛ぶ。まあ日銀総裁が空席になったところで日本の金融政策が級に滞るってこともなさそーだけど、財務省とか政府とかがある程度は方向性を決めていたりするのがこの国だし。

 つまりは実質的にはまるで“財金分離”なんてされてないのに言葉だけ掲げて体面を護ろうとしている民主党は極めて間抜け。金融のハンドリングが財務省からフリーであるならば政治からもフリーであるべきなのにその政治がトップたるべき日銀の総裁の資質についてあれやこれやと議論にならない議論を重ね、反対のためでしかない反対をしているこの自己矛盾を、どうして誰も言い出さないのかが奇妙というか間が抜けているというか。それだったら全国の日銀マンが投票でもして決めれば良いんだよ日銀総裁なんて。金融についてのお勉強が大好きな人たちが集まっている組織で選ばれるんだから少なくとも金融の理論については間違いなし。その信念にそって政治とか財政とかとは無関係に金融政策を繰り出していってくれるんじゃなかろーか。人気投票だから時には本石町のアイドルが総裁になったりするかもしれないけれどそれだってひとつの叡智って奴だ。渋い顔して禅問答しかしない総裁よりもそっちの方が会見だって面白くなるし。問題はそんなアイドルが日銀にいるかだなあ。15年前に担当していた時はキャリアな女性行員なんてとんと見なかったしなあ。半井小絵ちゃんに戻ってきてもらうってのもありかなあ。

 双子の少年と少女がお互いの性別を偽り少年は女子校へと行き少女は男子校へと通うってそりゃあどこの「まりあほりっく」by遠藤海成さんですかってちょっとだけ考えたけれどもそっちの双子がメーンってよりはあくまで双子の兄にして女装している鞠也に翻弄される少女のストーリーになってる「まりあほりっく」とは違って、竹岡葉月さんの「SHAPPLE(シャッフル)」(富士見ファンタジア文庫)は双子の姉が通う女子校の生徒に一目惚れしてしまった弟の少年が姉に成り代わって女子校へと行ってそこで様々な人と出会い出来事を経験しつつ周囲に様々な影響を与えていくってストーリー。なおかつ少年に扮して普通の学校へと行った姉も姉の方で新たな出会いを重ねそして弟が女装して出向いた自分の母校との間をつなげつつ起こっている怪事件の解決までしてしまう。なかなかにして盛りだくさん。なのに読んでて分かりやすい。さすがはベテラン竹岡さん。コバルトファミ通文庫と来てようこそファンタジア文庫へ。
 単に入れ替わり物じゃないってところは少年の雪国が通い始めた女子校で姉の舞姫は生徒会長として庶民な生徒達の憧れではあったものの一方に胸の巨大なお姉さまを筆頭にして良家の子女が集ったソロリティがあってそちらからはどうにもライバル視されててなかなか大変。姉が入れ替わろうって提案に乗ったのもそんなソロリティとの諍いに気づかれしたからでもあったんだけれど同性ではやたらに気にかかるとげとげしさも異性の雪国にとっては女の子らしさと見えて絡まれても反発はせずむしろ親切にしてあげると、それをどう感じたのかソロリティのリーダーから妙な関心を抱かれるよーになってしまう。

 その傍らで雪国が潜入した目的であった蜜って少女とも関係が生まれて万々歳。でもいつまでもそのままではいられない。弟の学校に潜入していた舞姫がぬるい生徒会の面々に対して半ば挑戦状を叩きつけ、いつのまにか仲間になってた美少女研究会の面子のためにも自分の母校の女子校と合同コンパを開くと行ってしまったからもう大変。戻って根回しに乗り出す一方、雪国も自分の学校へと戻って舞姫がしでかした事態の収拾やら舞姫のアグレッシブさが生み出した新たな関係をつなぎながらその日を待つことになったけれどもやっぱり気にかかるのが残して来た蜜のこと。女装した自分とは仲良くなれても同じ関係は舞姫との間には築けない。ほころんでいく関係がもたらすきしみのようなものを雪国はどう修復するのか、ってあたりがひとつ読み所とはなっているんだけれども妙な誤解を与えてしまったようでこれから続く展開の中で、いろいろと報われない恋路を辿りそう。んでもってソロリティの姫君は真相に気づいた様子で迫る巨乳にどーする雪国って辺りも楽しめそう。つか純粋無垢にうらやましいぞ。双子の姉でもいればなあ。

 結婚して子供を産んでしばらく経ってどんどんと可愛らしさが増している感じがある三船美佳さんだけれど登場するといっつもセットで何でもないような高橋ジョージが突いてきてはのろけ100万%な空気を漂わせてくれるからたまらないけどまあそんな夫婦を見ているってのも決して楽しくない訳じゃないんで気にせず「大手町カフェ」で行われた「シムシティDS2」の発売記念イベントに行ったら三船さんと高橋ジョージさんがおのろけ1億度の高熱を発して焼けた焼けたつかまだ25歳なんだよなあ、美佳さんは。んでもって高橋ジョージさんは僕より年上の49歳。なのにそれほど開いたカップルに見えないのは三船さんに落ち着きが出てきた上に、高橋さんのまるで衰えない若さがあるからなんだろー。何を食べたらあんなに若いまんまでいられるんだ? 若い嫁をもらうことか。他にあるのか。知りたくもあり、知りたくもなし。

 そんな「シムシティDS2」は何でも原始の時代から集落を作り長となって差配しつつ村落を営み里を作り町から街へと発展させていくというゲーム。途中で祈祷所と置いた場所が後に神社になるとかいった関係性も維持される辺りは歴史って奴やら考古学って奴を体感する勉強にもなりそだけれどそれとは別にこのゲームには環境も大きな要素となているとか。環境をおろそかにすると街がとんでもないことになってしまし、かといって厳しくし過ぎれば発展もない。その辺りのバランスって奴を考えさせてくれるゲームになっていそー。例えばブリタニアをどう弾圧しつつどの辺りを慰撫すれば、ナンバーズの占領地をうまく経営できるかって「コードギアス 反逆のルルーシュ」のシムシティ版があったらやってみたいなあ、でもって慰撫しようと特区を作ったら跳ね返りが出てきて撃たれちゃうんだ。


【3月17日】 かしこさ40なのは可愛らしさの1要素でもあるけれど、体脂肪率まで40なのはちょっと叶わないんで頑張ってダイエットして欲しかったけれどもそこはかしこさ40なロザリーちゃん。七月隆文さんの「ラブゆう」(集英社スーパーダッシュ文庫)の第5巻に収録の短編でぷよぷよして来たお腹をどうにかしなきゃお嫁にいけないと知ってお姉ちゃんのみこととそして妹キャラのナギサも巻き込みダイエットを始めたもののボディブレードを振れば高速さに体までもが浮き上がってしまう始末。我慢して1日を食べずに過ごしたその夜に持ち帰られたケーキを頑張ったんだから大丈夫だと食べまくってリバウンドしてしまっては減るどころか逆にぷくぷくと膨らんでいく。

 果てはノートに1日食べたものを書き出していくダイエット方式を採用してはノートいぱいに「しゅーくりーむ」と書き連ね、書いたものは食べても良いんだという理屈をこねて食べまくってはお腹をぷっくりぽっこり膨らませてしまう。これじゃあ強さ99の姫勇者だって台無しだ。まあ常に自分を高めているとは言いつつ冷泉院撫子だっておみ足を太くしていたりするくらいで年頃の女の子たちは体に脂肪をためつつ未来の成長へと備えているもの。そこを無理矢理我慢させては成長に支障も出るってことでロザリーにはめいっぱいのシュークリームを与えて餌付けて我が家へと引っ張り込んでみたいなあ。でもかしこさ40じゃあ何をしでかすか分からないし。おまけに体脂肪が40を超えていたら……ロザリーはやっぱり俊に任せます。一部に脂肪の偏ったみことで僕は十分です。

 夕べにアニメーションで放送された作品が今日に漫画化されて単行本化されて店頭に並んでいるとは日本とはなるほどエンターテインメント大国だなあ、ってそれは逆。すでに掲載されてようやく単行本化された「みなみけ」第5巻のの冬馬が女子の制服を着ている姿を藤岡に見られてバレたと心配してお風呂場の空の浴槽にしゃがみこんで鬱々としているエピソード。それが掲載からあった間をつかってアニメ化されて放映に至ったってことなんだけれどもこう近接しているとこのままあと半年もアニメが続いたら原作も途切れてオリジナルばかりになってしまうかもしれないなあ、ってもう終わるから別に良いのだ。漫画じゃあスカートからのぞく脚のつけねにアンダーなウェアがのぞいているのにテレビ東京で放送のアニメ版じゃあ何やら黒くモヤモヤと。残念。炬燵からクワガタがのぞくエピソードも単行本化と同時にアニメ化。夕べに見て笑い今朝に読んでまた笑う。これぞメディアミックスの醍醐味(違う)。

 そんな桜場コハルさんの「みなみけ」第5巻はでっかいオリゼーのぬいぐるみならぬ「みなみけおかわり」のアニメ第1話がまるまる入ったDVDがおまけについた特装版で980円とは大盤振る舞いも大振る舞い。何にも付いてない通常版が560円だからDVDの1話のお値段は420円でもしもこれがこの価格で行ったとしたら4話入ってすらDVDは1巻が1680円しかしないってことになるんだけれども現実は遠く「みなみけ」の場合で3話入って7140円で1話あたりは2380円とかそんなもん。おまけの実に5倍以上とは何だかDVDを買うアニメファンも舐められてるよなあ。

 まああくまでプロモーションってことでここから全巻を揃えてもらうことを前提としたお試し版ってことになるんだろーけど、人間ほど安きに流れる生き物もいない。これで見られるって体感させられると逆にそんなに高いならって臆して引いてしまうんじゃなかろーか。こーゆー時こそヴィジョネアだっけ、携帯電話とかで暗号鍵を購入して出てきたキーワードをパソコンだっったらキーボード、DVDプレーヤーだったらリモコンのテンキーをつかって画面に打ち込み1話分だけ数百円で1週間見られる、擬似レンタル的なDVDを続けて出してくれたら見ようって気になる人も増えるかも。その増えた分がパッケージを購入してくれるマニアを上回って収益になるって見えてきたらヴィジョネアの「DVDマジック」の技術とか使ったDVDも広がって行きそー。セルに限界が見えた時がひとつの分かれ目か。

 「レンタルマギカ」は最終回を目前にした大エピソードで多分3話連続の間の2話目。いっちゃん伊庭いつきがグラムサイトで竜を見てしまったがために起こった竜の覚醒をアストラルの面々が封じ込めて行く年月。緩んできた結界に起き出した竜を生け贄にすることでいっちゃんのグラムサイトが治せるってチェンジリングに吹き込まれた穂波が何やらよからぬことを企むってエピソードは絵もしっかりしているし展開もなかなかにシリアス。気を抜けないで一気に見られてどーしてこのテンションで1話からずっと作り続けて来なかったんだって寂しくなる。フォルネウスだっけ、アディがよく使う中空を泳ぐ魚だって最初の頃はなんじゃこりゃって雰囲気だったのに最近は本当に空を切り雲に潜って時空を泳ぐよーな恰好良さが見えて来たし。

 あとアディが抱えた運命みたいなものもにじみ出てきて目に涙が。ソロモンの姫として魔神たちを束ね受け継ぐ代わりに平穏な生活や恋といったものを失っていることがチェンジリングの口より語られ改めて実感させられてアディも夢のように思い慈しんでいたアストラルでの日々を傷つけられた気分になったんじゃなかろーか。それは仕方がないことなんだけれどもせめて今くらいは、って想いすら許されないくらいにゲーティアの首領って立場は重いんだろー。そこに居ながら超然として減らず口をたたき続けるアディの目から見れば恋心と贖罪の意識から魔法を学び魔法使いのタブーを破ろうとする穂波の振る舞いはどう見えたか。その辺りも含めて最終回に語られそして連載でも語られ続けて行くんだろー。そんな間に挟まって依然として優柔不断を続けるいつきこそが諸悪の根元。さすがは「コードギアス 反逆のルルーシュ」で悪の王子、ルルーシュ・ランペルージを演じる福山潤さんの当てたキャラクターだけのことはある。


【3月16日】 感染した1人の発病を抑えるために罹患して発病してもはや元通りに治るのは不可能って人間を潰して搾り取ったワクチンだかエキスがいっぱい必要だってヤバい病気に1人だったらそれでも対応可能かもしれないけれど、こうもいっぱい感染者の仲間が増えてしまってこれからいったいどうやってワクチンだかエキスを調達していくのかって考えると夜も眠れなくなっちゃう。

 って考えることは正しいのかそれとも抜け道がほかにあったのか1読でははっきりしなかった関涼子さん「サーベイランスマニュアル」(GA文庫)は、レトロウィルスが人間のDNAを刺激して改変して虎やら狼やらに変身させてしまう奇病が流行した時代の日本が舞台。主人公の少年の従姉妹が結婚したいって相手が尋ねて来ることになっていたけど急用で来られず。それならと家を出て歩いていた所で何故か突然現れた猛獣に襲われていた青年を発見。自分も襲われそうになったところを少女とそして巨体の男が助けてくれた。

 彼らこそが「サーベイランス」という組織で獣化して後戻りできなくなった発病者を狩る存在。少年はその一員となって少女や巨体で虎化できる男といっしょに事件を追う日常へと引っ張り込まれ、そこで獣化して暴れる巨体の男のかつての知り合いだかを追いかけ始める。その過程で感染し獣化できるとことまでいってしまった子供と絡んだりした果て。親しかった者が巻き込まれていたことを知って心を揺さぶられる。

 組織で働く巨体の男を1人維持するのにそれなりの感染者から搾り取る必要がありそーなのに、知人が1人2人3人とそんな病気に罹っていたことが分かってこれからいったいどーやってワクチンを集めていくのかが見物。狩られ潰される感染者と狩り薬を得る感染者との違いが身内か否かってあたりで線引きされるなんて倫理も何もあったもんじゃないんだけれど、そのあたりどーゆー判断になっているんだろう。異能の力をもった仲間が増えたなんて喜んでる場合じゃないんだけれど。その辺に抜け道みたいなのが設定されていたかを読み返してみよー。

 2節の結果が出そろって1敗1引き分けで得点はわずかに1ながら失点も2なんで准尉的には12位で下に川崎フロンターレがいてガンバ大阪がいて浦和レッズがいてといった具合に和製Big4のうちの3つがいたりする風景にとりあえずにんまり。まあいずれ川崎は超すっげえトップたちをすっげえトップに抑えつつバランスのとれた攻撃を見せるようになって浮上しガンバもバレー様復活となって上位に上がっていくだろーから追い抜かれる時も特はなさそうだけれど浦和はドイツ帰りのフォワードに代表の時からずっと得点の匂いが見えないあたりが気にかかる。

 2連敗でオジェク監督が解任されてエンゲルスが監督に昇格して選手とスタッフとのコミュニケーションは改善されても戦術面がどう改善されていくのか。されるくらいならコーチ在任中にやれたんじゃないのって思えなくもないけれど、それを許さない雰囲気がオジェクにはきっとあったんだろーなー、顔怖いし。振り返れば去年の終わりごろから得点が奪えず試合に勝てなくなってリーグ優勝を逃した辺りから予兆はあったんだろーけどACLで勝ってクラブワールドカップに出場してしまったんで解任とまでは踏み切れなかった。様子を見て1試合じゃあ流石にアレだったけど2試合目でも未だってなれば解任もやむなし。あとをエンゲルコーチが引き継ぎつつ次を探したとして日本に今いるボスニアの名将が引っ張り出されたとしたら浦和、強くなってしまうなあ。父を射んとすればでアマルからまずは狙うかな。

 家に居ても春はあけぼのとばかりに眠り微睡むだけなんで尻を叩いて家を出て水道橋へと向かいJCBホールのこけらおとしって以前のプレイベントを見物する。やたらと女の子が多くってここは「東京ビッグサイト」で開かれている同人誌即売会のだぶるおーのコーナーかって見渡したけれどもロックオンの生死について激しく議論している人は見あたらない。あっちはあっちで一杯でこっちもそれなりに一杯になって来たってことはなるほど30年前から続く大看板に加えてもう1枚、サンライズとバンダイビジュアルは手に入れたって言っても良さそう。半年経ってないのに「天元突破グレンラガン」が話題に上ることは少なくなったのに1年経ってもしっかりファンを掴んでるんだから。

 ってことで初めて入った「JCBホール」は地下3階部分のアリーナは広く地下2階地下1階とそして地上と同じ改装にある階層から見下ろしてステージはあんまり遠くなく、武道館をミニチュアにしあよーな感じでイベントを見られそうで「横浜アリーナ」ほどではないけど「日本青年館」に近いくらいに人気の出てきたアーティストとかを招いたイベントにはちょうど良さそう。ただ深いんでファンがあんまり飛び跳ねるよーなイベントにはちょっと不向きかも。地下3階へとまっしぐらだとさすがに頑健なアイドルファンでも命に関わるから。

 そこは「コードギアス 反逆のルルーシュ」の続編「R2」の先行上映会なんて飛び跳ねる人もおらず安心。3階席からでも十分に見られるスクリーンへと映し出された第1話に面白さは、席を立つどころか息をつく暇も与えてくれず2007年の7月末に放送された第25話からの続きって奴を見せつけてくれる。アニメ誌じゃあバニー姿のカレンとか、体育教師になったヴィレッタとか出て来ていったい何が起こってるんだって想わされたけれどもどうやら“いろいろあった”模様。そのいろいろが何なのかを知るには第2話も見る必要があるんだけれど放送は1カ月後だからなあ。いやいや半年だって1年だって待ったんだ、1カ月なんてあっという間だ、傾く一方の会社だって命長らえてるんだからこっちの踏ん張って続きを見て、そして半年後の最終回を見極めよう。またしても最終回はその半年後、ってなったって、大丈夫、だと想う、会社以外は。


【3月15日】 両手に花どころか両手に片足あるいは真ん中の足にも花じゃねーかと説教だ説教だ説教だ説教だって読んでて憤った杉井光さん「さよならピアノソナタ2」(電撃文庫)は天才ピアノ少女の指が動かなくなって落ち込んでそれでギターへと転じで少年と出会いバンドへと引っ張り込まれていくって第1巻から続いてバンドの1員にとりあえずなりかけたもののやっぱり自分はここにいても良いのかと悩む元天才ピアノ少女の向かう先にいた少年は天才的な唐変木。その気持ちに真正面から答えてあげるなんて上等な真似ができるはずもなくって少女をやきもきとさせる。

 そこに割って入ったのがバンドのリーダーで先輩の女性で何やらアナーキーな行動力でもって少年とピアノ少女を引っ張り込みつつ元からいたドラムの少女といちゃいちゃしているよーに見せながらもその実気持ちはビートルズで言うところのベーシスト、すなわち下手くそながらも天才ピアノ少女が奏でる超絶速弾きギターとの対バン勝負にベースで挑んで少女を更生させた主人公の少年へと向かっていたりしたことが分かって少女をなおいっそう戸惑わせる。

 自分はここにいてもいいのか。自分を求めてくれる人はいるのか。等々。そこで熱血系だったら自分の居場所は自分で作るし欲しいものは自ら出向いて手に入れるって所を見せるんだろうけどそこは繊細にして臆病らしくって前へと出ようとしない。そして少年は自分の本当の気持ちに気づいて少女の所へと向かうのかそれとも筋金入りの唐変木を貫くのか。ってあたりは読んでのお楽しみとして未だやっぱりはっきりとしないうやむやとした関係が続く中で果たして少女は元のようにピアノを弾く指を取り戻せるのか、そして少女の屋敷にいる家政婦さんにして性格はヴェルヘルミナ並に堅物っぽく強さもヴェルヘルミナ級らしい松村さんは再登場するのかといった興味を引きつつ、物語は次巻へと続く、のかな。続いて欲しいな。それにしても女性3人に男性1人のバンドって。なおかつ想われっぱなしって。いやドラムの千晶はちょっと分からないけどそれでも十分な境遇にあって精神の均衡を守り抜くとはやっぱりとてつもない唐変木だなあ。それが真の天才って奴なのか。

 昼過ぎまでまどろみ眠ってから起きて始まったJリーグの「浦和レッドダイヤモンズvs名古屋グランパスエイト」の試合は録画に任せて家を出て「フクダ電子アリーナ」へと向かい今年のホーム開幕戦となる「ジェフユナイテッド市原・千葉vs清水エスパルス」を見物、入っているなあ、最終的に1万4000人だからほぼ満杯。あれだけ日本代表選手が外に出てしまってなおこれだけの観客動員数を誇るってことはそれだけチームへの期待が強いのか、あるいは去年までの余韻がただ残っているのか。いずれにしたってここから答えを見せていかないと落ちることは必然。さてもいったいどんな試合を見せてくれるのかを期待しつつ不安を抱きつつキックオフを待つ。

 そして始まった試合はやっぱりマッチしてなかった馬場優太選手が早々に代えられてしまったのが可愛そうだったけれども仕方がない。ただし代わって入った谷澤選手が動きも殺陣に機敏で横にもしっかり動いていたりしていたから、なおのことどーしてスタメンで起用していなかったのかが気にかかったけれどもそこは歴戦のクゼ監督。開始30分で変えられるなんて本人的には相当なダメージだろうけれども悪ければ代えるってメッセージを選手に強烈に植え付ける役には立ったってことなんだろー。大昔に臨海で中西選手が前半で代えられた時をちょっと思い出した。オシム監督並にクゼ監督もなかなかの策士ってことで。

 最終的にはミドルとあとはゴール前のちょっとした油断からミドル気味なのを決められ2点を奪われ1点差で破れはしたものの谷澤選手が入って以降の連携はとれてて走りもなかなか。前半ではボールを持った選手の周囲を走る選手がおらずボールがつながりそうもなかったけれども前半も途中から人が動き始めて攻める形が見えるよーになって来た。後半にもそれは続いて何度となくゴール前へとボールを送り込むんだけどあと1歩を飛び込む選手がおらず得点を奪えなかったことが最終的に敗戦へとつながった。まあ攻め手は見えて来てるしこれにレイナウド選手や新居選手やボスニアから来た秘密兵器が加われば、攻撃力もアップして上へと向かってくれるだろうと、期待したいけれどもさてはて。中島浩司選手が持ちすぎなのは周囲が走らずパスが相手に渡るのはその天才的な視野を感じてボールが出される場所すなわち攻撃にベストな場所へと他の選手が向かわないからだということにしておこう。半分くらいはそんなような気がするし。気だけど。

 でもって名古屋強い。浦和弱い。サイドに開いてあずけて向かって入れてドンしてって単純なんだけれどもスピードがあって正確性も高い攻撃を名古屋が繰り返し見せては幾度となくチャンスを作り出した様にこれだよこれが出来れば巻誠一郎選手も生きるノニって想ったよ。惜しいヘディングがあったしなあ今日も。対して浦和は高原直泰選手がボールをおさめても周囲が動かず取りにいかず孤立し奪われ反撃。ならばと下がってさばこうとしても前に人がおらずボールが出せない悪循環。45分で代えられてしまったのは本人の調子の悪さもあるんだろうけど周囲との連携のなさにオジェック監督も音を上げたってことなんだろー。これで中東でのバーレーン戦にはついていくんだから何というか。辞退して別の誰かに譲った方が本人のためにも日本のためにも良さそうなんだけれど。

 真似していやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバロッキンオンロッキンオンロッキンオンロッキンオンロッキンオンロッキンオンロッキンオンロッキンオンと書いてみたけどあんまり実感湧かないや、ほらまあ過去に幾度となく爆発炎上に巻き込まれながらも平気で復活してきた赤い人とかいたんでロックオンだってきっと平気な顔をしてマスクとか着けて赤いガンダムに角でもつけて大復活、と。でもそこまで黒田洋介は甘くはないかな。サンライズは甘いかな。そんなこんなで「ガンダム00」で動きあり。あったんだけれど残り少ない今シリーズの話数でどこまでカタを着けるのか。楽しみでもあるけれども半年だか1年を待てるだけのネタを振ってくれるのか。考えてみればほぼ1年前にゃあ「コードギアス 反逆のルルーシュ」で来週にもユーフェミアがあっなことになるなんて思いもよらなかったからなあ。大ネタに期待。皆殺しの果てに時空を超えて彼方へと。


【3月14日】 イベントとか行くと昼間っから缶ビール片手に歩いてて夜になるとウイスキーに代わってたりしてあっちゃこっちゃを歩いて喋ってどっかに行ってしまう賑やかなおっさん、ってなビジュアルばかりが目に入ってくるけどこれがどうして「ダブ(エ)ストン街道」(講談社)でデビューしてからこっち、超絶ベストセラーはないものの読んで頭がぐるんぐるんとなるよーな作品を書き続けてきているミステリーともSFとも純文学とも違ってそれらのどれとも言えそうなジャンルを1人で背負いもり立てている浅暮三文さんがいったい、どうやって出来上がったのかを自ら綴った浅暮三文版「新橋烏森口青春編」とも「腹立半分日記」とも言えそうな本が「広告放浪記」(ポプラ社)だ。

 本業はコピーライターだったとは聞いていたけどそれより以前は新聞系の広告会社で3行広告を取っていた営業マン。ルートセールスなんてお得意さんとの関係維持だけがもっぱらなお仕事とは違っていきなり飛び込みでもってあっちの会社にこっちの飲み屋と、回って広告を下さいと頼んで回る毎日はいくら陽気に見える関西人だって大変だった模様で、ほどほどのつき合いを作ってそこに顔を出しては日報に記録する日々を送りながら、いつか上を目指してやるとコピーの勉強をスクールに通ったり手紙で東京の有名コピーライターとやりとりしながらスタートさせつつ苦節2年くらい? ようやくとった英会話学校の広告がクライアントの夜逃げでパートなり、通販会社の広告も登記簿を寄こせと会社に直接いって信用していないのかと誹られおじゃん。それでも逃げずに地べたとぺたぺた回りつつ金沢に手伝いにいってタウン誌の広告をとりつつ夜に昼間にコピー修行に明け暮れそして、念願かなっていきなり3つもの会社から制作を手伝ってくれと頼まれる。

 頑張れば叶う。ってあたりの信念がこの時の経験から培われたのかは分からないけど東京でコピーで一旗揚げて今なおあげ続けている生活に安住しないで作家修行を初めて幾年か。新人賞からデビューしてそしてミステリーでは権威ある「日本推理作家協会賞」までとってしまったんだからまずはすごい。作品数はどんどんと増えて遂には「群像」にまで登場してとフィールドを広げてはいるんだけれど難しいのはジャンルに収まりきらないのか、いわゆる芥川直木三島山本な賞にとんと顔を出して来ないのが残念というか不思議というか。けどもし仮に受賞して東京會舘とかの発表会場に来ては椅子に突っ込む代わりに「あっさぐれでーす」とポーズを決めて、そればっかりが目立って肝心の仕事が椅子に突っ込んだパンクさん並になってしまっては困るんでここはあと1歩のところでギリギリと、上を見続け書き続けて頂ければ読み手としては実に僥倖。しかしいったい本業じゃあどんなコピー、書いてるんだろう?

 世間があれだけわいのわいのと騒いで凄い凄いと言っていたから、もっと壮絶な奇想なり壮大な幻想なり「コードギアス 反逆のルルーシュ」くらいの大どんでんの連続なりと想像していたけれど収まるところに収まったって感じな貴志祐介さん「新世界より」(講談社)。とっかかりは人間の数がぐぐっと減った未来の日本で少年少女が力に目覚めていくところでそこで人間を脅かす存在が示唆され人間たちが暮らす場所の外にすむ大きなネズミみたいな生命体の存在を教えられつつ今の世界の様子って奴が浮かび上がってくる。内にこもってはわざわいを避け中でも災いの種を抑えようとしている雰囲気が滲んできた中で少年たちの一団は旅へと出てそこでどうしてこうなっているのか、って知識が与えられる。

 つまりは力への恐怖って奴で力を持つ者の存在があって尊ばれ忌避され背き戦って起こった果ての荒廃で、そこから立ち上がってきた人間たちが力への畏れを抱くのは当然。リミッターが壊れて暴走する機械は便利でも壊して捨てなきゃいけないロジックは、相手が同胞であっても当然ってところでそうやって人間たちは文化を維持して生き延びてきた。けれどもだったら人間以外なら、他の生命が相手だったら何をやっても良いのかって疑問が続いて起こりそれは読み終えた後もずっと尾を引くことになる。ネズミみたいな一団の反抗のあまりの激しさに逃げまどいながらも意識じゃあ虫けらみたいな存在の下克上だと憤っていた人間たちが気づいて感じた意識ってのは、裏返せば虫けらだの獣だのと感じている存在だったらコミュニケーションが可能であっても虐げ蹂躙して構わないって意識につながっていく。そうじゃない、って言い切るだけのビジョンがあんまり示されていないところにどうにも紡がれる物語世界の“狭さ”であり“真っ当さ”を覚えてしまう。

 さらにもう1歩踏み込んだ着想なり、迫ってくる強烈なメッセージが欲しかったかもってのがひとつの心境で人間だと信じていた自分たちが実は、とか物語で示される階層的な暮らしぶりは実は日本列島でだけのシチュエーションでそこで起こっている戦いを外国なり地球の外部から観察している目があってそれは全宇宙的に必要な実験であったのだとかいった、大きな枠組みでもって驚かせて欲しかった気もするけれどもあまりに荒唐無稽になるとSFな人はついて来られてもミステリーやホラーの人には大風呂敷過ぎると映ってしまい釈然としない気分を与えてしまいかねないから、収まる範囲で収めてみせたって腕前の方をここはむしろ讃えてみせるべきだろー。元は何でもSFマガジンの新人コンテストの短編だそうで短編ならではの驚かせを長編にすればディテールは細かくなってエピソードも増えるけれども驚かせの威力自体は短編的なスケールのままに止まってしまうのも必然ってことか。探せば家のどこかに選評とかありそうだけれど発掘は無理なんでここは想像に留めておこう。とりあえず読めば読み切ってしまえる傑作長編エンターテインメントちょっぴり苦いスパイスがけ。

 だから山岸智は素晴らしい選手なのだあそこにボールを出す選手さえいれば走り受け取り攻めていけるくらいの核弾頭なんだけれどもこれまでは誰もその力を活かせず小さいところでちょこちょこと回しては囲まれ潰され続けていただけなんだと岡田サン(杉山茂樹風)も理解しつつその実力は認識してしっかりとバーレーン戦の遠征メンバーに山岸選手を呼んで入れているのが素晴らしいというかマニア的には嬉しいというか。あとはボランチの位置から前を向いた阿部ちゃんの鋭いフィードが入ってそれに合わせて飛び込み受け取り攻める山岸選手の姿を見るだけ、なんだけれども常に大事な場面でケガをする闘莉王選手がまたしても肉ばなれで招集されず。頑健に見えて弱すぎるってイメージの定着した中で今後も呼ばれずそしてセンターバックを阿部ちゃんが務める羽目となってボランチの攻撃力はなりをひそめて山岸選手はサイドで孤立し遠藤選手が持っては潰される目にあいつづけるんだろー。用兵の非妙。


【3月13日】 そうかもしかしたらというか既にそうだけれどもこれからは更にミステリー評論家の方が、ライトノベルとかSF方面の書評よりも食えるし重宝されるかもしれないなあと芦辺拓さん「裁判員法廷」を読みつつ思う春の夕暮れ。夕暮れとは限らないけど。

 つまりは1億総探偵時代の到来とも言える09年の裁判員制度の導入によって、誰もが証拠を吟味し証言を咀嚼し健闘を重ね矛盾を探り弁護士に検察官の双方の意見を判断した上で決断を下す立場にいつならないとも限らないって状況で、過去現在においてどんな事件が起こってそれらがどう解き明かされたかって知識が重要になって来そうで、それらを書いたミステリーが尊ばれそしてそんな作品を類例化しインデックス化して紹介できるミステリー評論家も重宝されるようになるんじゃないかってことで、実際に「裁判員法廷」だと裁判員になった人たちが探偵さながらの推理を働かせていたりする場面もあって知識の重要性って奴に気づかされる。

 現実がまさにミステリーの渦中となってしまう裁判員時代がミステリー評論の必要性を高めるのならば現実がまさにSFになってしまえば、SF的状況に通じたSF評論も必要とされるかっていうと非現実的な事態にたとえSFファンは物語でよくあることと努めて平静を保てても、一般の人にそんな心理を伝える前にパニックが起こってしまうから意味がない。かといって現実からそれほどはなれていない宇宙開発だとか新惑星だとかいったシチュエーションでは、突飛な発想が持ち味のSFな人よりも先に科学技術に秀でた人とかの方が尊ばれ、重用されてしまう。

 現実から半歩進んだ世界について考え解説しようって感じで小松左京さんが未来学ってのをうち立てたんだろうけれど、それがSFになっていた時代だったらまだしも既知の科学の進化の延長程度では、SFとしては陳腐なんでSFな人はもっと先はるか先を考えてしまい、社会が求める半歩先とは乖離が生まれてしまう。つまりは役立たずってことでミステリーほどにはこれからも重用されそうにもない。間を埋めて一般性を確保するべくポリティカルフィクション的な作品への必要性なんかも取りざたされたけれども、そっち方面もミステリー側の方巧みだしなあ。SF的飛躍なんてお呼びじゃない。

 ライトノベル的世界? 来るもんか。いや猫耳娘が闊歩してたり美少女戦士が剣をふるってる場面が現実化してくれればこんなに嬉しいことはないけど、さすがにそれはないよねえ。という訳でやっぱりSFと同様に現実とのリンケージは起こらなさそうで、解説のために引っ張り出される機会もこなさそう。食いっぱぐれないためにもミステリーにも手を出したいけれども先達の山といる業界に隙間なんてなく、近寄ることすら不可能だからなあ。ライトノベル的現実とかをもたらす法律なり制度が出来ないものかなあ。女子は8歳にして猫耳を着けメイド服を着よ、とか。

 いやあクールだ。こんなにもクールな品々が日本で作られてたってことにも気づかなかったし、その会社が鳩ヶ谷の板金とか溶接とかいった金属関連の部品工場が居並ぶ地域にあるってことも知らなかったよ最近まで。ふと読んだ「週刊新潮」の小さい記事で京都にジュラルミン製の鞄を売る店ができたって記事が載ってて調べたら「エアロコンセプト」ってゆー名の品々があって、その専門店が京都に出来たって話が京都新聞にちょっぴり前に載った模様。そこから辿って行き着いた先が「渓水」って名前の会社でこれは面白そうだと話を聞きに言ったらそれがまた超絶的にクールな話で、いっぺんにブランドのファンになった。

 いやもしかしたらブランドって概念すら作っている職人さんは思っていないのかもしれない。何故ってもともと飛行機のシートの骨組みだとかを作っている工場の経営者で、板金の技術とそれから飛行機用ってことで丸く肉抜きした上に強度を保つノウハウって奴を持っていたことをこれ幸いと、自分が使いたい書類ケースを作ったのが始まりで、そうやって出来上がった品物の機能面から醸し出されるクールさに、作った人のこだわりなんかも乗せられた他にはない輝きが知人たちの目にとまって作って欲しい作っておくれと依頼が到来。それをこなしているうちにひとつのブランドという形になっていっただけの話で、作っている人は今もってデザインだのマーケティングだのといった思考からは無縁に、作りたいものを作り使ってもらいたいものを作ってる。

 例えば見せてもらった眼鏡ケースは薄くて小さくて眼鏡なんてとてもじゃないけど入りそうもない大きさ。開くとツルがくるりと曲がる関係ですごく小さくなるジョン・レノン風の丸眼鏡が入ってた。そうした形の眼鏡がピタリと合うよーになった専用ケース。著しく汎用性には欠けるけれども、自分が必要とするものだからそれで構わないという姿勢で作ったとか。祖父の代から40年を生きてきた眼鏡をあと40年間行かせるためのケースって意味合いもあるらしい。クールだ、クール過ぎる。このクールさだったら「コードギアス 反逆のルルーシュ」のゼロの仮面を入れる専用ケースがあったとしてもそこにあの頓狂な仮面が入っているとは気づかれないかも。

 もちろんコストなんかを考えた汎用品もバッグとか名刺入れなんかとして作っているけど、だからといってどっかとのコラボレーションをやって派手に売り出そうって考えもない。ポルシェジャパンから頼まれフロントのトランクに入るケースを作ってはいるけど、それもコラボというよりはポルシェの人に既存のケースじゃつまらないって頼まれたから。あのポルシェに挑めるんだから職人冥利に尽きるってもんだ。一方じゃあ超有名バッグブランドが自分たちのブランドとして出す鞄にベースを提供して欲しいって話には、有名への期待も抱いたけれども本意じゃないからと断ったとか。自分の作品でありたいとうコダワリに満ちている。

 薄いアタッシェを開く時のバネを開放する音はバルナック型ライカのシャッターを切る音と同じだとかいったこだわりもあったりするし、ハンドルの皮は張り付けじゃなくって芯のアルミも含めて縫いつけてあったりして絶対にズレないようになっているといったこだわりもあったりと、兎にも角にもこだわりづくしの逸品。だから値段も相当なものになるけどそれだけの価値はあるってことを聞かされ見ていて感じられた。

 ありきたりの軽自動車を1台買うなら誰も持っていない鞄を1つ、持ってた方が絶対にクール。30万円とかする鞄でも30万円のロレックスを身につけているより絶対に出来る奴だと思われるし、気持ちだって“安物”のロレックスを持っているよりずっと良い。そう言われるとなるほどそうかもって思えて来るし、そうでなくてもいろいろ聞かされれば買って持っていて損はないって確信できた。とはいえやっぱりちょっと手が出ない。せめて名刺入れでも、って考えても2万円以上はするしなあ。でもいつかは買おうそのバッグ。夢はクラプトン御用達らしいフェンダーのギターケースを買って中にストラトキャスターを入れて持ち歩くこと、かな。弾けもしないのにねえ。


【3月12日】 案の定というか非道い状況にあったんだと「サッカー批評」の第38号に掲載の「唐井直の“実像”」を読んで激昂。GMっていうこれからチームを作り上げていく要職に就いて「ジェフユナイテッド市原・千葉」の改革に乗りだしてわずか1年で解任されてしまったその謎に挑んだ記事にあったのは、あの淀川社長が唐井さんを「仕事は評価するが、君は風土に合わない」といって切ったという経緯。何だよ風土って? 唐井さんは後でせめてもうちょっと真っ当な練習環境を整えましょうよ、でないとどんどんと人材が流出していきますよって言って何とかグラウンドを整備させようとしたけれど、そんな直言が“風土”とやらには許されていなかったんじゃないかって話してる。どんな風土だよそれって?

 「残念ながらGMという仕事が理解されていないと感じました」って喋っているそれは自分が1年で成果を出す間もなく解任されたことではなくって、祖母井秀隆さんが退任して次が決まらない時に「じゃあ俺が(GMを)あるからいいだろ」と社長が言ったこと。経営は経営として行いミッションを与える一方でチームについては構成から何から全権を与えて見守りミッションがクリアされたのなら満足をして次のステップを模索するのが経営者のあるべき姿。GMの仕事とはまるで相容れないにも関わらず自分でやろうなどと冗談ではなく言ってしまえる人が未だにトップにいたりする以上はまた、同様のことが起こり得るんじゃないかって心配が浮かんで夜も寝られない。

 クゼ監督がやって来て若い選手も出てきてどうにか戦える陣容が整って臨んだ今シーズン。ちばぎんカップでは柏レイソルを相手に引き分け開幕したJリーグでもガンバ大阪相手に引き分けてみせてそれなりの滑り出しは見せたものの選手の実力と層の厚さでは他にかなくべくもなく、それを若さと采配でもって何とかやりくりしていくのが今シーズンのあり方だろう。けれどもあるいはシーズン終わりに「優勝争い」だなんて分不相応な望みを抱いていたのがかなわなかったからと、またまたGMを解任しかねない怖さが彼のお人には未だにつきまとう。

 「残念だったのは、シーズンが終わって、来期の選手契約に立ち会いなさいと言われたことです。契約が1月末まであるからやれと。さすがにお断りしましたよ」と唐井さん。来期いない人間が何を言えるのかってことなんだけれど社長の人にはそんな理解は及ばなかったもよう。つかそんな時期に次のGMも決めていなかったのかという暗澹とした気分が湧いて出る。そこでこそ自分がGM代わりにになって選手たちの矢面に立って交渉から何からやれば良いのにやらずに逃げ出す体たらく。なるほど選手たちも逃げるはずだよなあ。JR東日本と古河の、というか古河をひとりで体現しているような社長との対立も改めて見えてきて、それがチーム全体にどんな影響を及ぼしているかをそろそろ古河側も見えてきたんじゃなかろーか。なおそれでも動けないなら先はないかも。古河的なものが滲む協会も含めて。

 今日もきょうとて「FOODEX」へと赴いてあちらこちらを見物。とりあえず8ホールにいるマッコリを展示しているブースに時々いるチマチョゴリを着たコンパニオンの娘が全体でのトップかと。顎がきゅっと三角で笑顔がキュートで田中麗奈さんっぽいというかそんな可愛らしさ。初日も見かけてどこにいるんだと韓国ブースを探しても見つからなかったのがようやく見つかり小躍りしたけど恥ずかしくってカメラを向けられず記録はなし。まあそこは網膜に必死に焼き付け思い出すから良いんだ。もはや画像を持っているだけでも犯罪にされかねない状況がうわうわと起こり始めているし。

 でもって漫画やアニメといった絵までいっしょに規制しようなんて話が起こってるからなおたちが悪い。この2つが結合されて起こり得るのはつまり自分で描いた絵でもそれが要件に合致するなら犯罪にされるってことか。おちおち絵も描いていられない。児童ってのは少女に限った話じゃないはずで、学校で美術の時間に小便小僧をみんなでデッサンしてそれを鞄に入れて歩いていたら単純所持だと見とがめられるってこともあったりしちゃたりするのかどうなのか。性的虐待が絡んでないからそうはならない、って言われたってそうなる可能性はゼロにはならない。それがあるかどうかを判断するのは人でそして人の思考は恣意的なものだから。

 同世代的に官能をもたらしたしずかちゃんのお風呂シーンが毎度のように出てくる「ドラえもん」は劣情を喚起するものだから立派に該当すると判断されて全部廃棄しなくちゃいけなくなるのか。丸出しなシーンがいっぱいの「クレヨンしんちゃん」もその猥雑さが少年好きな官能を刺激するからダメだととやっぱり廃棄か。曖昧で拡大解釈も可能でそれでいて実効性があるのかどうかが怪しまれている法律を、後押しするのは何だろうやっぱり新たな運動を立ち上げそこに協賛を得たいって方々の思惑か。国連の冠を被ったような紛らわしさで誘い煽って権勢を増す。焼け太りっていうより焼き太り。でも世間とか政治の場面じゃ……。ジェフ千葉以上に未来は混沌。とりあえずマイクロソフトは使いたくないしヤフーも使いたくないけどMSだけはパソコンがウィンドウズだし。マックに乗り換えるか。

 メガな食い物もインパクトが薄れたかあんまり聞かなくなった中で週内まで販売が行われているらしーペッパーランチの「メガ角切りステーキ」を喰ったらなかなかだった。マクドナルドの「メガマック」は「ウェンディーズ」のクラシックダブルと量で劣り味はびちゃっとしていて今ひとつ。「すき家」の「メガ牛丼」は量はたっぷりとしているけれどもたっぷりとし過ぎで胃袋に根性を入れないとなかなか厳しいものがる。その点「メガ角切りステーキ」は肉こそ倍ながらもごはんは大盛り普通と選べるんで普通だったらちょっとお肉がいつもだったら足りないなあって気持ちを埋めてやや余るくらいの分量で、食べたなあって気持ち良さで終わることができる。食べ過ぎたなあって感じはない。ご飯大盛りにしたらどうだったんだろう? 値段は930円だったっけ、まあ高いけどたまには良いか。次は「メガハンバーグステーキ」とかやってくれないかなあ、ってそれは普段からメニューにあるか。

 眼鏡な漫画が並んでいたんでまとめて買う。日坂水柯さんの「めがねのひと」(白泉社)は全編が眼鏡でなまめかしいけど柔らかそうな女性との性的描写にあふれているけど18禁な漫画みたいな即物的な描写はなくってむしろシチュエーションを楽しんでもらおうって感じ。でもやっぱり女体がエロい。TOBIさん「眼鏡なカノジョ」は眼鏡のカノジョがいっぱい出てくる話。まだ読めてないけど時東ぁみにぃが推薦していてつまらないはずはない。と思うけどどうだろう。絵は達者っぽい。R2の映像も出始めた「コードギアス 反逆のルルーシュ」だけれど眼鏡娘は依然としてニーナくらいか、ここは是非にヴィレッタ先生に眼鏡をかけてもらいたいんだけれど体育教師だから眼鏡は邪魔か。コーネリアどこに行った?


【3月11日】 んでもって「月刊アニメージュ」2008年4月号の「コードギアス 反逆のルルーシュ」関連の記事はやっぱり素材が同じな関係で「ニュータイプ」とそれほどは変わらず。あっちはCDなんかが付いている分がやっぱりべったりな感じだけれども「アニメージュ」も折り込みのポスターなんかが入っててC.C.の顔とか拝めるんで良い感じ。本文は教師になったヴィレッタさんがやや大きめな絵でウィンクしてた。腰細過ぎ。その分はお尻も丸くてカラードっぽいグラマラスっぷりを見せてくれた。それにしてもあのブリタニアで色黒なヴィレッタさんが騎士侯にまで上れたのって色黒ならではの血筋に理由があるからなのかそれとも純粋に腕前ゆえか。ラクシャータもそーいや色黒だよなあ。同系?

 いやあしかし驚いた。例えるならば「天才バカボン」が「少年マガジン」からライバルの「少年サンデー」へと移ってそして「少年マガジン」へと戻り世間を右往左往させたり、ルイス・フィーゴがFCバルセロナから仇敵のレアル・マドリードへと移籍してカンプノウで豚の首を投げられるくらいのひんしゅくを買ったことにも似た衝撃? いやいややっぱりそれ以上、歴史に刻まれるって意味では敵対関係にあったはずのナチス・ドイツとスターリンのソビエト連邦が不可侵条約を結んだ時にも匹敵する衝撃を宇宙にあたえたかもしれない「スーパーさぶっ! 劇場」の「週刊サッカーダイジェスト」から「週刊サッカーマガジン」への移籍。

 だってまるっきりライバル誌だよ。それなのにまったく同じ絵柄でテーマもサッカーの4コマで、タイトルまで「うるとら」がついた程度でまるで一緒。手に取った人はあれっこれ「ダイジェストだっけ」と訝り表紙を100にが99人は見返しそー。でもって「マガジン」だと知っていったい何事が起こったのかと首をかしげるんだ。まあリニューアルしたかった「ダイジェスト」との契約が切れて晴れて移籍したって単純な理由なんだと思うけど、「ダイジェスト」での連載が終わった時は額に「キャプテン」と書かれた謎のおじさんの悪さが散々っぱら描かれていた漫画がそんなおじさんによく似た人の不興を買って放逐されたって創造も浮かんだ。でもより歴史が不覚ってキャプテンな人との関係も熱い雑誌に登場したってことはあれはあれで大丈夫だったんだろー。あとは「うるとら」の方でも額に「キャプテン」なおじさんが周囲の人を右往左往させる漫画が載るのを待つだけだ。やってくれると信じてるぜ。

 世界の食材がバトルロイヤルを繰り広げている「FOODEX」を見に「幕張メッセ」へ。食材関係の記事を書かないといけないんだけれども地方への出張なんて今の経済情勢がとてもじゃないが許してくれず、何しろ紙代すら惜しいといらないページを削ったりして身軽さを追求しては水面上に浮上しようと足を水面下の深いところでドバダバしていたりする状況なだけに向こうから地方の食材がやって来てくれるイベントはまさに一網打尽の絶好のチャンス。行ってあちらこちらをうろうろしながら豚肉を食べさつまあげを食べナシゴレンを食べて食べまくてたら取材を忘れそうになってしまった。仕方なくブラジルのブースへと出向いて日本人のブラジル移民100年を記念して発刊されたパンフレットを拾うする式典を見物。鶏肉が結構な数日本へと輸出されているって話を聞いてこれを核にして日本の地鶏の話なんかを絡めて日伯対決、とか何とかでっちあげようと画策する。ブラジルに取材にいけりゃあ世話かからないんだけどなあ、地鶏を作ってる東北とか九州にだって行く金も余裕もないのだ。末期だ。最終段階だ。

 ブラジルのブースでは「トルマリンコーヒー」ってのがお店を出してて頂くとこれが美味い美味い。酸味よりも苦みとコクがあって飲んで口中にヘビーなコーヒーの味が広がって楽しませてくれる。コーヒーらしいコーヒーっていうか。モカ系の酸味が強いコーヒーがどちらかといえば好みではあったけれどもこーゆーのも悪くない。聞くと日系人のやってるトルマリン農園ってところで作られているそーでトルマリン鉱石がいっぱい出た場所に残された地名からそういう名前なんだそーだけれども未だに地中に残るトルマリンの効果なんかもあるとかないとか。そのあたりだけはちょっとアヤシゲ。

 でもまあトルマリンとかなくたって別にいっせいに実を着けるよーになっている関係で未成熟の豆が混じることがないってあたりも美味さの理由になっていたりして、砂糖もいれずブレンドもせずそのまんま挽いて淹れて飲めば最高のストレートコーヒーを味わえる。別にエスプレッソもつくっててはいローストかシティローストか何かを挽いたのをマシンでもってエキスパートのバリスタが抽出したエスプレッソはこれまた砂糖不要の奥深い苦みを口中に残してくれる。これを味わうならマシンを買ってもいいかな。んでも腕前も必要だしなあ。おとなしく普通に豆を挽いてドリップして飲もう。ミルってどこにしまい込んでたっけ。その前にミルをおけるよーな場所を台所に作らなきゃ。本を倉庫に運ばなきゃ。

 えっとあれば「Big1」でアルバイトをしていた時だから1984年から87年の間のいつかで自動販売機に缶入りのマテ茶ってのが入って飲んでこれがマテ茶かと顔を渋らせた記憶も懐かしいけどいわゆる南米のお茶だといった理解はあってもどんなシーンでどう飲まれるかまでは関心を抱かずに過ぎた20余年。「アイチ・ウルグアイ」って会社の出してたブースで見せてもらったマテ茶は円筒形のタンブラーにも似た形のカップにお茶筒というかお茶の入ったカンからマテ茶をふさふさっと入れてそこに水をそそぎ、数秒すら待たずにお茶より先にカップに差し込んでおいたスプーンの形をしているけれども実はストローで、スプーンの救う場所みたいなところに穴があいててそこから茶葉を漉しつつ口元へとマテ茶を吸い上げる「ボンビーリャ」って道具で飲むんだそーな。へえ。

 味はなるほど昔飲んだ缶入りのマテ茶のまんまだけれど新鮮な分だけ強烈で元気もむりむりと湧いてくる。ミネラルビタミンがいっぱいで野菜とかとれない南米ではこれが栄養の源になっているんだとか。ポリ容器のカップになみなみとそそいでもらたシアトル発のコーヒーをちゅうちゅうとすすりつつ飲むオフィススタイルもなるほど恰好良いけれど、それなりな大きさをもったカップにそそっとマテ茶の茶葉をそそぎ手元のミネラルウォーターをペットボトルからそそいでそれを口元に運びボンビーリャでもってマテ茶をすすり、なくなったら水をつぎ足してまたすするってオフィススタイルもどこかエキゾチックで恰好良さげ。ドラマなんかで誰かがやれば流行りそうだけれど。誰もやらないなら自分でやるか。基本は瓢箪カップらしいけれども銀のも恰好良いなあ。


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