縮刷版2008年12月中旬号


【12月20日】 ようやくやっとギャグとシリアスとのメリハリも出てきてダークでブラックな雰囲気が醸し出されてきた「黒執事」だけれど、これってあと何回で終わりだったっけ、1クールだっけ2クールだっけ、2クールだったらリズとの一種の仲直りを経て新たな敵の登場、そして対峙っていった展開へと盛り上がっていくんだろうけど、妙に手強そうなのところが、どんな敵でも軽く一蹴してのけるセバスチャンのピカレスクな魅力って奴を損なうんじゃないかって心配も浮かぶ。赤い死神の方はもとよりセバスチャンに敗れているから良いんだけれど。あとあれ橋のところで人形を踏みつぶしたのって魔犬の村にいたメイドさんだったっけ、記憶力が落ちているけどたぶんそうだとしたらただのゲストキャラではなかったってことか。謎。

 とりあえず藍上陸さんグッドジョブ。でもって集英社スーパーダッシュ文庫の新刊から「円卓生徒会」を脇において本田透さんが「がく×ぶる」ってのを刊行、えっと確か双子なんだけれど運動万能な妹に比べておとなしめでロックを奏でて学園のアイドルになっている姉にも見劣りする地味な少年がひとり。まるで女子大生のような風貌の母親の溺愛も受けているんだけれどもそんな環境にあって羨ましくないのは彼が女性アレルギーらしいから。さぶいぼができるは心拍数があがるはでもう大変。だから中学は男子校に行ってたんだけれど一念発起し高校からは共学校に行ったのがちょっと拙かった。

 姉も通い双子の妹も通う学校で少年は同級生の少女と知り合うことになるけどその彼女が親切なのを良いことに、女性アレルギー克服に向けた相手役として彼女とは遠い親戚らしい少年の同級生の男の画策もあって少年は彼女と付き合うことになってそして街をブルマー姿になった(何で?)彼女と学ラン姿の少年が共に歩く姿が見られるようになる。妹が入部した野球の試合に行っては完全試合間際の妹を動揺させつつ応援によって鼓舞し、姉のライブハウスに行ってはやっぱり動揺させてオルタナティブなロック大好きな姉に何故かアニソンを唄わせなおかつ、モデルを努めている雑誌で姉にブルマー姿を披露させてしまう。

 どうしてそこまで少年は家族に思われているのかとうと実はいろいろ理由があって姉のロックも妹の野球も、少年への憧れがあって始められたものなんだけれどそこはすっかりアレルギーになってる少年。魅力のカケラも失ってしまっている彼になんどか昔の自分を取り戻してもらおうとしていは横やりを入れた格好の同級生の少女と張り合うことになる。さらにその少女にもいろいろと秘密があって……って具合に絶妙のバランス配置と巧妙なストーリー展開によって繰り広げられるハーレムラブコメの王道覇道な物語。ぐいぐいと引き込まれること確実で個人的には本田さんのライトノベルの最高傑作、とすら思えるんだけれど次は「円卓生徒会」の方か。数ある引き出しを開きながらこちらも続きとかお願い。

 んで松智洋さん「迷い猫オーバーラン」の第2巻。ケーキ屋大ピンチ、って感じでお嬢様な千世が自分んところの部活に来てくれない面々をもっと振り向かせるにはたまり場になってるケーキ屋をぶっつぶしちゃえば良いんだと近所に一流パティシエがいる店を出して挑戦するもそれがなぜか水着コンテストへと向かっていくという趣向。千世を焚きつける普通はおとなしめなんだけれど実は邪悪なお嬢様も出てきたりとキャラクターの量には不足なし。ツンケンとしてデレリンとしているキャラが千世と芹沢文乃とでかぶっていたりするけれども体型とかちょい違うからこれはありか。世界の危機を救うお姉ちゃんの謎は未だ判明せず。でもって活躍もご町内レベルなのはやや残念。いつかこっちをメインにしつつ他の面々はケーキ屋でのんびりと過ごす話も読んでみたいけれどもまあ、秘してこそ華って言葉もあるから想像の中に留めておくのが吉、か。

 とか読んでたら川崎についたんで「ラゾーナ川崎」へと出向いて「ウルトラギャラクシー大怪獣バトルNEO」関連のイベントの時間をチェック、午後2時半からとわかって仲見世だからの通りへと出向いてがっつり炒飯とかをかっこんで戻って「ラゾーナ川崎」の中を散歩、クレーンゲーム機で明日の防寒にと小さい毛布を落とそうとしたけど2400円を突っ込んでも落ちず。でもって下のユニクロにいったら1900円でキャラこそ描かれてないけどちゃんとしたのが1900円で売られていたんで購入。4400円ありゃあブランド品だって買えたかもしれないけれどもそこはそれ、ゲームってのは楽しい時間を買うものだからそれに商品が付く付かないってのは二の次なのだ、と自分を慰める。下手になったなあ。

 ついでにヒートテックも買って万全。でもって前庭に出て「ウルトラギャラクシー大怪獣バトルNEO」のイベントを見物、おおコニタンだ、コニタンがいるけど今日は泣いていなかった。ZAPメンバーも見るのはこれで3回目か、おっさんっぽい人が1人足りないような、でもいいのだ若い女性に男性がいるだけれステージは華やか。そんなイケメンを狙って最前線に陣取る婦女子(腐)もいたような感じ。そういう方面に盛り上がってくれるのも嬉しいけれどもやっぱり集まった小さい子どもが手にカードを持ち、ウルトラマンがプリントされたTシャツなんかを着ていたりする姿を見るにつけ、「ウルトラQ」から数えてそろそろ43年って歴史が作ってきたものの重さを感じるし、未だ現役感バリバリなキャラクターの強さってのも感じる。それだけにこの何年かを右に左にじたばたとして地上波のテレビから消えてしまっているのが惜しまれる。今回だってBS11だからなあ。映画もそれなりに存在感を示せた訳だし、資本も固まり人も揃ったところでひとつ、大きな勝負って奴を見せてやって欲しいもの。期待してるので是非に。


【12月19日】 そんな横浜国際での熱戦の反対側では、将棋の羽生善治名人が渡辺明竜王に挑んで1世永世竜王の座をかけた「竜王戦」が繰り広げられていたけれど、3連勝でもはや奪取は確実と見られていた羽生名人が、そこからまさかの3連敗で逆王手。他の棋戦でも負けていたりしたようで、同じ相手に1年で続けざまに負けるなんてあり得ないからここは最後にきっちり締めてくれると願いつつ、けれどもやっぱり負け続けているのには理由があって、今回も或いはなんて心配していたら、杞憂が当たって羽生名人の敗北と、そして渡辺竜王の連続防衛且つ永世竜王の資格獲得、さらにタイトル戦での3連敗から4連勝なんて、日本シリーズでもそれほどはない偉業が果たされ時代の移り変わりめいたものを見せてしまった。

 それこそ20年以上は羽生名人の活動を遠巻きながら眺めて来ているkれど、ここまで続けざまってのはたぶんおそらく確実に始めて。いつかの7冠制覇もあり得るかって思わせるくらいの活躍ぶりで、タイトル戦にすべて顔を出していただけに、調子が悪かったってことはないんだろうけどどこかをきっかけに崩れてしまった。その理由は何だろう? 将棋の質が変わった? それはないか。なら渡辺竜王が一気に強くなった? うーん、それもあんまりなさそうな話ではあるけれど、共に何かがきっかけになって一方は手が詰まり、一方は手が伸びるようになって差が縮まり、そしてひっくり返ったってことになるんだろー。だから将棋は難しいし、故に将棋は面白い。

 まあ、まるで説明になってないけど、でも紙一重の世界ではそれもあり。そして紙一重の一重が何かに気づけた人だけが、抜きん出て高みを目指して駆け上がって行けるのだ。これが渡辺時代の到来を告げるものなのか、羽生渡辺時代の確立を意味するものなのかすら不明ではあるけれど、森内俊雄さんだって佐藤康光さんだってまだまだ強いし衰えはなし。そんなチャイルドブランド羽生世代からさらに下がったあたりにも、何かをきっかけにして渡辺竜王のように大爆発する可能性だってないとはいえない。しばらく前はタイトルが分散して平準化されてしまった感があったけれども、羽生名人の巻き返しから渡辺竜王の大攻勢を経て起こる群雄割拠は、前の分散とは違ってベクトルが上向き。世の中に何か起こしてくれるだろう。巨乳メイド棋士の登場も近い? それはないない。

 いったい何が問題なんだ「ロザリオとヴァンパイアCAPU2」の月音。ロザリオを外したことでピンク色の髪をして弱々しくってお茶目な萌香さんは消えてしまったけれども、代わりに強くて凛々しくってそれでいてどこかに可愛らしさも残した萌香さんが出てきたじゃないか。でもって嫌うどころか前以上に近づき迫って胸元をすりすりとし、さらに愛のカプッチューをしてもくれそう。こんなに素晴らしいシチュエーションはないにも関わらず、月音は消えた萌香さんの方にばかり気を向ける。これじゃあ自分は全然ダメだと言われているようでリアルな萌香さんが傷つくって思わないのか? 可愛そうじゃないか萌香さんが! でもまあ恋はいつの時代も盲目なもの。目の前のご馳走を無くしてツンしてデレなリアル萌香さんにけ飛ばされたいと気づくんだ。気づけよ月音。

 こっちは復活のツンツンデレツンデレツンツン。広がりまくった桜の下で繰り広げられたバトルに決着がついて銀ともども円陣は去って世界は綺麗に元通り。これなら最初から悩まずに突っ返しておけば問題も広がらなくって済んだじゃん、って思えなくもないけれども葛藤があってこそに青春って奴だから仕方がない。シスター姿の土地神妹に大暴れして欲しかったとかマリアベルにもさらに過激な衣装を着てほしかったとか希望はあるけど短い12話でできることも限られているんでそれは多分ないだろうけど「夜桜四重奏」の第2期とかがあれば是非に。あるかなあ。ツンツンデレツンデレツンツン。

 割とそれぞれに感動の決着をつけてくれてた第1期のアニメーション版「CLANNAD」は藤林杏と坂上智代の躍動感にもほだされDVDを揃えたけれども第2期はのっけから固まってしまったカップルを軸に家族や周辺がうらうらと出てきては、あんまり前向きじゃない話を繰り広げていたりして苦手にして録画はしても見ないでいたら気がつくと事態はさらに暗黒へ。どうして岡崎の親父は刑務所だか拘置所の中に座っているんですか。渚と朋也はちゃんと学校を卒業したんですか。元ロッカーの割りに通り一遍な過去話なんかもあったりして男のノスタルジーなんぞのどこに興味を抱けば良いんだと迷ったりもしたエピソード。道化ともトリックスタートも言えそうで場をなごませる風子も現れないまま終わろうとしているこのシリーズの果たしてDVDは揃えるべきか? 前を買うとそうしなきゃ、って思えてしまう性格でもこればっかりは厳しいなあ。誰が好んで見ているのかなあ。京都アニメーション大丈夫かなあ。

 理由もあって川井郁子さんのCDなんかをあれやこれや聞く。クラシック畑から出てきた人なんだけれどそこでコンサート向けにクラシックだけを引き続けるヴァイオリニストとは違ってオリジナル曲を演ったり既存の曲をアレンジして他の楽器なんかとフュージョンしたりするタイプの人ってことをやっと知る。例えるなら溝口肇さん? まあ溝口さんは「ハーフインチデザート」の頃からオリジナルが中心でそれが最近ではクラシックに回帰して来たところがあったりするけど基本はクラシックの技術をベースにクラシックな楽器で新しい音楽を演ろうって人。そんな先駆者的な活動をファンとしてずっと聞いていたから川井さんの活動も納得がいった。クラシック畑をのみ至上と感じる人だとやっぱりこうしてあれやこれや手を出す人って目に触るのかなあ。良いじゃん良い音楽なんだから。そんな川井さんを聞いていたら溝口さんのことが気になって調べたら2008年に2枚もCDが出ていた。クラシックを演ったCDとあとテレビ番組とかに提供してきた曲の集大成。聞けば聞き慣れた曲とか出てきそうで今から楽しみ。でも3枚もあるんだよなあ。週末にじっくり。


【12月18日】 「Fate/Stay Night」とかって10人くらいたっけか、あと「レンズと悪魔」は確か8眼戦争だから8人だったよなあ、どっちにしたってケタは1ケタかせいぜいが1ダースってところが殺し合ってこそ、それなりの時間にきっちりと収まりつつ世間的にもそれほど影響を与えないバトルロイヤルが繰り広げられるってことなんだろうけど設定もバリエーション化が行き詰まると次に起こるのはインフレ化。ってことで森橋ビンゴさんの最新作「ソウルソードスーパースター(SSSS)」(徳間デュアル文庫)に至っては殺し合いに参加する人間のその数実に100万人。ワンミリオン人。人だけ漢字なのはご愛敬だけれどもともかくそんなに果てしない数の人たちが殺し合いをした日には、世間だって黙ってはいないし波及する影響だて甚大になりそー。

 なのでこの先にいったいどんな血まみれ汗まみれどころか国が1つぶっ飛んだって不思議じゃない争いが待っているんだろうって興味も浮かぶけれどもまずはプロローグ的本編だ。桜井太曜なる高校2年生が学校に行く途中で出会ったのは流れ星。それがなぜか自分へと迫ってきては触り消滅。気づいた時には綺麗さっぱり流れ星のことは忘れていたけど周囲に起こった事件がやがて太曜に流れ星の正体を知らせ、そして自分が世界にまたがるとんでもない争いに巻き込まれたことを知る。「ディバインソウル」なる存在が100万に分裂して星となって1万年ごとに降り注いでは100万人の人間に同化し不思議な力を発現される。それを扱う者たちが倒し合って相手の力を集め合っていった果てに来るのは100万のピースをすべて集めてディバインソウルを復活させるという野望。だから世界では1万年ごとに100万人が殺し合うバトルが行われていて、それがまさに今、始まったってことらしい。

 欧米あたりじゃあそんな100万をかき集めようって輩が生まれ争いつつも取りあえず表向きは協力し合って数をまとめようと画策している。対して日本では太曜を見つけて引っ張り込んだ「邪宗門」という集団があってそこは殺し合わずとも守り合って敵をしのぐことを目指してた。とはいえ相手が殺す気で来るんだから戦うことになるのは必然。そんな渦中に出現したピース持ちの太曜を「邪宗門」は見方か敵かと見定めた上で見方に引き入れ、狙ってくる敵を倒しさらに蠢く陰謀から現れた刺客を退ける。倒すことによって1つのピースがあらわれそれをつかんでようやく身に取り込めるという仕組みは了解。ならその倒したあいてが100のピースを集めていたとしたら現れるそれをつかみ取りしていかなくちゃいけないのか。100ならまだいいけど数がまとまって23万3842個とかだったらどうやってつかめば良いんだろう。深まる謎もあるし一方で誰がソウルソード持ちなのかを探すのも面倒だから、街なり国ごと全滅させればそこから浮かんで来るピースを拾おうって考える輩が出てこないとも限らないって懸念がある。

 ふくらませ過ぎたが故に起こる事態だけれども現時点ではそこまで行ってないんで現実はどうなるのかはこれからの筆の進み具合から判断。剣を基本にしたバトルでもその能力の発現の仕方が千差万別で、「ジョジョ」のスタンド的にどんな能力があってそれがどう使われるのか、ってあたりをコレクションしつつ見ていくこともできそう。いきなり巨大なすりこぎみたいな剣をだして先端を回転させたりするって発想を生みだした太曜もなかなか凄いなあ。たった1つでそこまでの武器を作り出せるんだから100個1000個とピースを集めた暁に、いったいどんな戦士になるんだろうか。それほどの力を得てもなおそれまでどおりの臆病で嘘つきで冷静で強靱な人物であり続けられるんだろうか。そんなキャラクター面への興味もあるんで今後の展開がどうなるのかを期待して待とう。続きはだしてもらえるだろうなあ。やっぱり火乃恵の登場がないと締まらないもんなあ。

 なかじまこーおーじー、おおおー、おおおー。のコールが遠く広島でも鳴り響くか? フットボールドラッグとあだ名され常人には理解できないプレーを平気でやってのけて誰もを驚かせる異才にして国王とあだ名されて最終ラインの底から中盤から広い範囲をこなし時々前線にすごいボールをフィードしてアシストしたり走り込んですごいゴールを決めたりもする中島浩司選手のサンフレッチェ広島行きが確定。オシム監督と仲の良いペトロビッチ監督が呼んだのかな、オシム監督が拾い上げて手塩にかけて育てたというか長所を伸ばしたことで伸びた選手寿命なだけに、オシムの弟子の下で存分に発揮して欲しいって気持ちがある一方で、活躍されてあの何気なさから放たれるシュートをフクダ電子アリーナで決められてもかなわないから、ヤバい時にジェフユナイテッド市原・千葉の敵を葬り去るような活躍を、ここは期待して西方へと送りだそう。おおおー、おおおー。

 遠藤遠藤遠藤遠藤楽しい遠藤愉快な遠藤遠藤、遠藤。まるで意味不明だけれどもそれくらいに小躍りしながら遠藤保仁選手の名前を連呼したい気になった「FIFAクラブワールドカップ2008」の準決勝「ガンバ大阪vsマンチェスター・ユナイテッド」の試合におけるPKシーン。いかな優れたPK職人とはいえ相手はオランダ代表経験があって今は世界屈指のチームでゴールを守る大巨人のファン・デル・サール。197センチの身長はひょいと手を伸ばせば隅っこまで届きそうなだけに、、キーパーの動きを見極め飛ぼうとした反対側にころころと蹴り込む遠藤選手でも、ぎりぎりまで待たれては防がれてしまうんじゃないかって心配したけどそこはやっぱり遠藤選手、相手が飛ばないと見るやコロコロの志向を変えて相手が手を伸ばしてもその先を抜けていくような角度と速度を巧妙に作り上げて、見事にファン・デル・サールの指先を抜き去った。

 これは屈辱。これは恥辱。一緒にプレーした経験もある朴智星選手ならあるいはアドバイスもできたかもしれないけれどずっとベンチでは仕方がないし、あれはファン・デル・サールがチェルシーのツェフでも取れないだろう。それくらいのPKを見せて果たして外国から及びがかかるか遠藤選手。ファーガソンがどう見てファン・デル・サールが何を思ったかも聞いてみたいなあ。それよりファン・デル・サールには橋本選手のシュートを止められなかったのも痛いか。真正面ではないとはいえ角度がやや浅い場所からのシュートなら読んで読めないことはないけど見事にぶち抜かれていたもんなあ。あのちょび髭にいったい何を鼻の下につけているのか気になったか。まるで冴えない伍長どの、って顔立ちだもんなあ。


【12月17日】 何もかもが慌ただしい。誰も彼もが気ぜわしい。切符を買おうとコインを投入してボタンを押して、ほんの数秒反応がなかっただけで気分がイラつく。け飛ばしたくなる。乗り遅れたって数分経てば次が来る。大したことではないはずなのに、人生において大損をしているような気分がわきあがる。そんなに急いでどこいくの? どこに行く訳ではないし、急いでも何かが変わる訳ではない。それなのに止まってしまってはいけない、ゆっくりしていてはいけないと、そんな気分に苛まれているのが、現代の社会に暮らす人間たちに共通する感情だ。

 かといって逃げ出すとかはしない。流されるだけ。それが1番楽だからだ。ゆったりとしてのんびりとした方が楽じゃないの? って思われるけどそれをするのって半端じゃないくらいのパワーがいる。だから逆らわない。漫然と懸命に怠惰する。それが都会での暮らし方。社会での生き方。でも。きっかけさえあれば変われるかも知れない。気がつけるかもしれない。たとえば言うことをきかないコピー機との格闘。それがいたずらにひたすらに流されるだけの暮らしに何かをもたらしてくれるかもしれない。なんてことを津村記久子さんの「アレグリアとは仕事できない」(筑摩書房)を読みながら考える。

 名をアレグリアという機械は新しく入ったコピー機で、きっと機能も最新のはずなのになぜか止まる。連続して動かしていると途中でスタンバイの状態に入ってしまう。1分動かすと2分止まる。そんなことがあるか? と誰もが思うけれどもそうなのだ。んでもって用紙が全部つかえない。15メートルも残っているのにもう紙がないとだだをこねる。あまりの遣いづらさにひとり文句を言う事務職の女性がいるけれど、周囲は誰もそうだと言い出さない。導入した担当者への気兼ねなのか。言っても詮無いことだと感じているのか。

 そりゃあちょっとの休憩ぐらいで騒ぐ方が可笑しいのかもしれない。のんびりといこう。ゆっくりとしよう。気ぜわしさに押されないでいればこの状況も楽しめる、って思えば思えないことでもないけれど、問題は本当はそうではないはずの機械が、そんな状態になっていること。なおかつ誰もそれを糺そうとはしないこと。波風を立てない。流れに逆らわない。それが1番だと誰もが考え遠巻きにしていることへの苛立ちが事務職の女性を苛み心を乱させる。顔色をうかがい自分だけを大事にして生きる気楽さと虚しさが、たった1代のコピー機の“反乱”によって浮かび上がる。もっと立ち止まって考えろと呼びかけてくるけれど、そうはいかないのがこの社会。だから先輩の事務員のように平和な貌をしていきなり爆発するような事態が起こるのだ。

 席を老婆にゆずる大学生と席取りに勝利したサラリーマンと少女に痴漢する男に憤るOLと男に触られ戸惑う少女の4態が交錯する電車の中を4方向から描いた作品もあっていろいろな人がいろいろなことを考えながらも決して重なり合わない都会の喧噪の奇妙さを浮き上がらせる中編「地下鉄の叙事詩」も収録。読めばよむほどに流されて漂いながら生きる何ともいえない虚しさが感じられて身を苛むけれどもだからといって逃げ出す勇気も気力もない我が身。溜まる鬱憤はどこに向かっていくんだろうなあ。こんな時は寝ちまうに限るなあ。

 訳あって上井草へと出向いてガンダム像に挨拶しつつベックスで珈琲を飲みながら読書。その後トイレがついてるマクドナルドへと移動して、巨大なクォーターパウンダーをパクつく胃の丈夫そうな女子高生をながめつつ113グラムなんて考えてみればウェンディーズのクラシックと変わらないじゃん、なにを今さら自慢げにしてるんだろうって気にもなりつつそこはそれ、マクドナルドの宣伝パワーがすべてを覆すって経済原則の残酷さを感じつつ店を出て当該の地へと向かい1階のそんなに広くないロビーで立ち並ぶ白いモビルスーツと赤いモビルスーツを眺めつつ皇帝の胸像と悪のリーダーの仮面が並んでいるぞと微笑みつつ時間になったんで人に会って話を聞いた雨の午後。なるほどあそこであの曲が流れた理由はそれだったのか。明日につながるのだなあ。やっぱり。

 愛とは諸刃の剣。愛すれば慈しみが育まれて世界に安寧がもたらされるけれど、愛し過ぎれば周りがおろそかになって逆に反発を招き、世界を混乱へと陥らせる。愛されなければ寂しさに苛まれて行き場がなくなり、愛されすぎれば重荷となって身を苦しめる。愛の素晴らしさと困難さ。そんなドラマが、銀色の砂が降りしきる美しくも過酷な世界を舞台に描かれているのが松山剛の「銀世界と風の少女」(一迅社文庫、638円)だ。

 粋銀という物質が積もる砂漠に覆われた世界。砂漠をはさんで王国と共和国が屹立していたけれど一時激しい戦争状態に陥ったこともあって、砂漠にまんべんなく地雷がばらまかれ、終戦後も両国の交流に支障をもたらしていた。加えて砂漠には巨大な生物が住んで行き来する人間を襲う。人間は赤道と名付けたレールの上を列車によって行き来しながら、現れる生物を追い払う「闘牛士」(マタドール)を雇って守ってもらい、風に吹かれて散らばる地雷を除去しながら暮らしている。

 ヒロインのソレイユもそんな「闘牛士」のひとりで、少数精鋭ながらも実力の高い団体に所属し仕事をこなしていた、そんなある日。ソレイユと同じ孤児院で育ちながらも今は反目し合っているイヴという少女が護衛していた王女の一行が何者かによって襲われ、イヴと王女だけがシェルターに入って命を長らえる。もっとも王都に生存は伝わらず、行方不明の王女を捜して人が集められ、反目していても友人のイヴを助けたいとソレイユも一行に加わって砂漠に赴くものの、凶暴さを増しているような砂漠に行く手を遮られた果てに、とある村へとたどり着く。

 そこで出会った学者によって語られる世界の有り様。人類によって破壊されつつある環境への自然の懲罰にもにた動きがあらわにされて、世界というものの大きさを知らされる。さらに。王女を追って砂漠へと出た王妃の狂乱が巻き起こす悲劇。愛しすぎたが故の騒乱に、どうしてそうなってしまうんだと身を焦がされる。

 ソレイユをヒロインとして彼女になにがしかの力があることをほのめかしつつも、未だ明らかにはせずむしろ彼女の仲間や友人、王女といった登場人物たちの背後にあるドラマを描いて関係性によってもたらされる勇気なり、怒りなり、悲しみといった感情の意味を考えさせる。王女にたいする王妃の愛。時に歪んでしまっていても奥に深さを持った愛の様に罪への憤りとは別の慈しみが湧いて泣けてくる。さすがは泣かせのSF「怪獣工場ピギャース」の作者だけのことはある。

 惑星や生命が意思を伺わせる生態系として描かれ、その上で人間たちが翻弄されながらも己をもって生きていくという設定は他にも多いけれども、そうした中で粋銀の降り積もる砂漠の美しさ、ばらまかれた地雷がもたらす悲劇の痛ましさ、そんなことを平気でして恥じず星を痛めつける人間の愚かしさといった要素を加えて目を引かせる。さらに、キャラクターたちがそれぞれに生きてきた過去をもって舞台に立ち、これからも生きていくんだと感じさせる“確かさ”を持っている。

 世界の成り立ちへと一気に迫り、ソレイユの属性を際だたせるようにしつつ描き込んでふくらませれば、なかなかに壮大な1冊のSF長編として立ち上がったかもしれないけれども、そこはライトノベルという形式ゆえに、まずはこれを顔見せにしつつ、ひとそろいそろったメンバーたちによって紡がれる愛のドラマと、そして世界に迫る物語を書き継いでいって欲しいものだけれど、さてどうなる。同時発売が「かんなぎ」では埋没しちゃうかもしれないなあ。


【12月16日】 訳あって見たくなってOVAシリーズ「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ」の最終第6巻を慌てて購入して、11話と12話を見てなあるほど人間、奢るとやっぱり破滅の道へと突き進むもんだと実感。怯え逃げ回ってこそ高まっていた生存率な訳で、それをすっかり忘れて突っ込んだりしちゃあ死ぬ確率も上がるわな。キリコは確かに特別なのかもしれないけれど、そこにしっかり用心深さと強さも乗っけているからずっと生きていられるんだ、きっと。

 んでもそんなキリコが最終的には徹底してコマになっていたなあって印象が強い「ペールゼン・ファイルズ」。タイトルに出てくるヨラン・ペールゼンが始めたレッドショルダー計画に、キリコの発見と育成が結果としてもたらしたものをざっとおさらいしたのがこのシリーズ。キリコもそれなりに活躍はするけれど、総じてペールゼンの手のひらの上で踊っているだけで自身は何も生み出さないし、何も起こしたりはしない。圧倒的なヒーローによる圧倒的な戦闘の興奮を味わう話とちょっとズレてしまっているけど、考えてみればワイズマンの手のひらで銀河を流され漂っていく孤高の男の物語が「装甲騎兵ボトムズ」だった訳なんで、そんな主題をしっかりとらえてウォッカムの気の迷いが起こした事件の中に描き出しているんだって言えるのかも。残るDVDも揃えなきゃ。当然AT付きの奴。

 きっと流行の批評家やその周辺に集う面々は、勘違いロック&サブカル&ノスタルジック中年かすみ網とでもラベルを貼って、手に取る人たちを“ルート8(by「黒百合」)”するんだろうなあと思いながら、ゆうきさまみさんが特集された「コンティニュー」の最新号なんかをペラペラ。ロックにはあんまり馴染んでないけど、サブカルでノスタルジックな中年的には実に楽しく、実に体にフィットした内容で、大学生あたりからずっと慣れ親しんできたもったりとして心地よい空間に、身を浸らせて漂う時間を存分に味わい尽くす。

 パロディがあってSFがあって青春があってエッチもちょいあってって感じに広がるゆうきまさみ世界と、SFやアニメーションや漫画の知人たちと群れて騒いで青春を送りつつそれが今も続いていたりするようなゆうきまさみ時空に、1度でもハマった者はもはや抜けられない。そんな同時代的な体験をさも先端のように語られて鬱陶しいって思う面々がいるのは承知しているけれど、そういう人には経験できなくって残念でしたと先に生まれた者としては言うしか他にない。今を見たいんだったら今を楽しみ30年後に下の世代にそう言ってやって、鬱屈でも何でも晴らしてもらいなさいとしか言いようがない。

 っていうかゆうきまさみさん、って今もなお現役じゃん。「鉄腕バーディー」が再漫画化されてなおかつアニメーション化もされて、連載誌が潰えても掲載誌を変えて続いているのは、その作品が単にノスタルジーから一部に人気なだけじゃなく、今を描いているから広く人気を得ているってことになる。でなきゃあ天下の小学館が看板の「スピリッツ」で連載なんかさせないよ。ゆったりとした日々に闖入する様々な異常事態。だけれどもやっぱりはんなりと構えながら起こる出来事を、ドタバタジタバタしつつ経験していく展開の、ゆったりとして時々迫力たっぷりな描写が、ノスタルジーとかいった感情に左右される少数派に頼らなくても、しっかりと市場に認知を得たってことなんじゃなかろーか。

この土埃ももうみられないのか?  だから「コンティニュー」が今、ゆうきまさみさんを紹介するのは正しいこと、なんだって言いたいけれどもレッテルを貼って逸脱は認めず、見つけても無視する手法の中では、そーした常識は存在を否定されてただただ類型化された認識ばかりがクローズアップされ、フレームアップされてつままれネガティブなコメントとともに流布されていかれかねない。まあそこまでの情熱を傾けるのって結構大変だから、もはや関心の埒外と認めて放っておいた、その間隙をぬって認知を確保しファンを集めて今ふたたびの、それとも三度?数えるのも困難なくらいに度々目となるゆうきまさみ人気上昇シーンを、勘違いシティポップ中年として存分に味わい尽くそう。アニメの第2部はどんな展開を見せるのかなあ。

 もう記憶にないけど北海道で始まった世界ラリー選手権の日本ステージ「ラリージャパン」にスバルに引っ張られて見物に行って、WRCに出場するラリーカーの圧倒的なパワーって奴を目の当たりにしたっけか。ほかのカテゴリーがやや下のマシンとはタイムからして段違い。爆音響かせ陸別だかのスペシャルステージを突っ走っていたその姿に、狭い林道を功名に高速で抜けていくラリーカーの醍醐味とはまたちょっと違った、ショウとしてのラリーの面白さって奴を感じて、日本で世界ラリーが開かれる喜びに浸ったっけか。けどそんな日本のトップチームのスバルが撤退を決め、それからスズキも撤退を決めてしまって果たして日本で世界ラリー選手権がこれからも続いていくことになるんだろうか。

 F1からホンダが撤退してもトヨタが残っているしばらくは日本でF1が開かれることになるだろうし、そうでなくても日本からの傘下がなくたってF1は世界最高峰が集うレースを見に行くんだっていったワールドカップ的な面白さがあるから、日本で開催され続けるだろう。同じことをラリーの世界最高峰にもあてはめたいけど、F1と違って身近な車が突っ走る様が楽しいラリーはより車への身近さが強い競技。そこに日本車がいるのといないのとではやっぱり見る人の意欲も変わって来そうで、それが結果として動員を減らして世界ラリーからの日本撤退、なんてことへと至っていくことも考えられそう。ともあれ残念。三菱はまだ残ってたっけ?

 おやおや吃驚。「オズワルド・ザ・ラッキーラビット」のDVDがディズニーから発売。そりゃあウォルト・ディズニーが最初に生みだしたキャラクターではあるけれど、ユニバーサルを出る時に権利は持って行かれた悔しさからこぼした涙を足の指でなぞって描いたネズミの絵が、あまりに本物そっくりでそれを見た映画会社の重役が彼に撮らせようと出資して作らせたのがミッキーマウスだった……ってそれは嘘、雪舟がちょっと交じってる、いやだからオズワルドを置いてきた悔しさから自分で立ち上げた会社で作ったミッキーマウスが世界的になった一方で、すっかり忘れ去られていたのがオズワルドって訳で、それを数年前に日本のユニバーサルのライセンス会社がキャラクター展開するってんで取材に行った記憶がある。でもあんまりヒットしなかったのが2006年だったっけ、いっそそれならとディズニーが権利を買い取ったみたいでそれから2年でようやくDVDの発売と相成った模様。まるでミッキーって風貌も興味深いけどミッキー以前にウォルト・ディズニーがどんなアニメを作っていたかを知る貴重な映像ってことになるのかな。買ってみるか。


【12月15日】 そしてようやく進み始めた「喰霊−零−」はなあんだ飯綱紀之存命じゃん、あまりの弱まりっぷりに差す気も失せたか、んでもオコジョじゃなくって管狐は消えた訳だし精神的にもはや退魔士として失格なところまで落ちてしまっていることなのか。んでもって土宮雅楽もいよいよ終わって神楽と諫山黄泉とのこれではじまる一騎打ち、白叡と乱紅蓮とをともに使ってぶつかる剣と剣の勝敗を決するのは心の弱さってことになるんだけれどその点で神楽の分が悪そう。いやそこは親父の屍を乗り越え大きく進歩した反面で、殺生石がときどき馴染まない黄泉が心の迷いをつかれて打ち倒されるってこともあるのかどうか。どっちにしたって間もなく大団円。さあてどうなるか。1話目でダミーにされた防衛省の四課の面々にもご復活を願いたいところだねえ。

 でっかい景気は先行きどうにも不透明だし、足下の経営はもはや崖っぷちからさらに半歩踏み出してピアノ線だか透明のガラス板の上に立って空中浮遊だと驚かせている状態。ルパン三世だったら即座にタネを見破って、ついでに指から火も噴き出して谷底へと葬り去るだろう状況を一方に抱えつつ、周辺もこれまた変わらず特になにごともなさすぎる低空飛行が続いている。

 週末の時間を傾けていたサッカーも来週あたりの「TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ」を最後にしばらく途絶える状況で、ひたすらに引きこもって本でも読むしかなくなりそうあけれど読んだところで誰に聞かせる訳でもなし。玄関先に積み上がっていく既読未読の山にちょっぴり虚ろな気分を舐めさせられている気分のまっただ中に飛び込んで来たものだから、ついついタイのバンコクあたりだったら今ある貯金でどれくらい、暮らせるんだろうかと想像してしまったよ。

 船場の会社がつぶれて日本にいるのも面倒と、流れ着いた先がタイのバンコク。当座の暮らしを送りながらもとりあえずパーツ屋で買った部品を組み立てパソコンを自作し売ったらまずまずの金になって、それをしばらく生業にしながら暮らしていたら、仲間ができていっしょにポルノ映像の配信サービスをスタートさせた。最初は違法にDVDとかをコピーして流していたけど著作権の手が回りそうになって終業。代わりに誰かが持ち込んできた自主制作ポルノを流すとこれが世界で大受けして、王侯貴族のような暮らしを送れるようになったある日。

 ヨーゼフというドイツ人が持ち込んできた映像を渡して、アメリカにあるサーバーから発信してもらったところ、それにスナッフビデオ、つまりは実際に人間が殺される映像が映っていたからもう大変。アメリカのサーバーは抑えられ、現地にいた仲間は乗っていたフェラーリが半分黒こげになって発見されて行方知れず。タイの方はそれでも平穏だったけれども、いつ手が回るかもしれないし消えた仲間も気になるってことで、ビデオを渡したヨーゼフを探してタイの街へと繰り出した。付き合っていたらしい女性に話を聞こうとしたけれど、彼女はヨーゼフから顔を縦横に切り裂かれ、男性不信からムエタイを極めて自分に勝たなきゃ話さないと頑なな態度。ならばと男はボクシングを学び挑んだけれども相手が1枚上だったのかリングに意識を沈めさせられる。

 合間に日本から消えた旦那を捜しに来たという温泉旅館の若女将と出会い逢瀬を重ね、それから性転換してとてつもない美少女になっていたレディボーイと再会しては体を重ねながらもヨーゼフの手がかりをさがして歩いたその先で、爆破事件が起こって命を危険にさらされる。どうやら相手はナチスドイツが計画した天才児の生産計画「レーベスボルグ計画」によって生み出されたらしく、天才と紙一重なところにあって何やらよからぬことを企んでいるらしい。いったい何処に行けば会えるのか。仲間は無事か。自分は大丈夫なのか、っていあったドラマが世界に残ったフロンティア、バンコクを舞台に展開される。

 しがないエロ画像配信業者とナチスドイツの遺産とが重なり合う荒唐無稽さも、バンコクって何でもありの場所が舞台なだけにむしろぴったり。タイのどこかにあるらしいロアナプラを舞台に、世界から流れてきたマフィアに三合会にスペツナズに商社マンにCIAにネオナチにコロンビアのカルテルにほか有象無象がバトルしていて何の不思議さもない「BLACK LAGOON」って先例を前にすれば、野崎雅人の「フロンティア、ナウ」(日本経済新聞出版社)もまだまだ大人しい部類に入りそう。命が危険にさらされた度合いじゃあ「BLACK LAGOON」のロックの方がはるかに上、だもんなあ。あそこまでのドンパチはないけれども、バンコク良いとこ恐いとこ、って気分を身に近い部分で感じさせてくれるってことで、読めば貯金の額をながめ、バンコク行きのチケットを探してみたくなる物語。行ってみたいけど行ってもやっぱりずっと引きこもっていそうだけど。

 いきなり暗目の展開に先週から何か続いてたっけと見返しても愉快なエスパー盗賊団が大暴れしていたくらいで続かない、かと思ったら最後にタナロットが刺され拓人が怒髪天となってトゥビコンテニュ。つまりは覚醒した拓人を治めようと逆さ吊りなファバロム博士が量子的に分解して取り込んだマシンの中で見せていた夢って感じでそこで魔法遣いとならなかったタクトが寂しい日常へと埋没していっただけってことななだけれど、外部にはちゃんと鈴穂も残されていた訳でタクトが装置の中で得た経験との齟齬が生まれていやしないかって、考えたけれど難しいことは分かりません。とりあえず榮太郎は底知れない感じ。正体やいかに。ってんでこれで終わりか「まかでみWAっしょい」。DVDなら煙は晴れるって先週あたりに言ってたけれどそこまでして見たいものでもないしなあ。原作でも読むか。


【12月14日】 疲れているのかやるせなさ居場所のなさとかが脳内をかけめぐってダウンな気持ちになりかけていたんで気合いを入れて起きだして、秋葉原まで出向いて「コードギアスくじ」を2枚引いていらにあファイルとこれは初のチビチビナイトメアフレームを確保してから本とかのぞいて退散。「ゲーマーズ」の上で新ぷちこ新うさだのデュエット発表会もあったけれども1時間を見物する気力にすら欠けていて、ましてや有明まで2メートル23センチだかなバスケットボールの選手を見に行く気力など毛頭なく、そのまま退散して布団に潜り込んで夜まで眠る有意義な日々。忘年会とかまるで無縁な師走があと半月。まあそんなもんだよ自業自得。

 「ゲーマーズ」では「喰霊−零−」のポストカードがついてくるってんで「ニュータイプ」の最新号を購入。黄泉と神楽が体操座りをしているイラストで当然のように見えてます。これがポスターサイズなら1000円だってだすぞ、ってそれは安すぎか。あと道満晴明さんってきっとその筋では有名なエロいけれども可愛いくってシュールな漫画を描く人の「最後の性本能と水爆戦」(ワニマガジン)を購入。2001年と2005年に正編続編が出ているって割にはすでにして稀覯本化しているあたりがエロい漫画の宿命か。それでも09年に2冊をカップリングした「征服」ってのをだしてくれるみたいなんで昔のはそっちで抑えつつ「最後の」を読々。おもしろいなあ。

 山本直樹さんのシュールさにあさりよしとおさんの濃度とキッチュさを混ぜつつ残酷さも入れつつ絵柄だけは可愛いって話はどれも逸品。同人即売会のテーブルにファンだと行ってきたゴスい格好の少女に握手をもとめられて握ったらキリで目を刺されお城へと連れ込まれ先生が好きだからと1カ月で24キロ痩せたという平らな胸板で迫られついに入れさせられそうになったところを手にしたトーン切りで突き刺し脱出したもののすぐに行方不明となって友人が羨ましがったりする話とか、告白された彼女たトイレに行った間に未来からやって来た男から彼女は未来に人類を滅ぼしかねないテロを起こす、その理由がお前を事故で失ったことだと告げられた少年はそのまま彼女を受け入れるという男冥利が炸裂した話なんか、短いけれどもまとまっていて愛の深さが滲んでくる。

 「宴の支度」に「宴の始末」の京極かおまえってタイトルの学園祭で猫を焼こうとしたりマンドラゴラこらおっぱいチケットをもらったりする話があったりいじめで自殺したい妹の通夜になにかやってきてなにかしてそして仇もとってくれたりする話があったりとどれもこれもがしっかり読めて考えさせられ官能も揺さぶられるという優れもの。ゾンビに取り囲まれたスーパーに残った男の子2人女の子2人が願い事を1つづつかなえてもらった果てにたどり着く喜ばしいのかどうなのかって未来もやっぱり痛々しいけどそれが可愛らしい絵で描かれているからついついそういう世界も悪くないねえって思わされる。名前は不思議でも描く物はさらに不思議な人だけれども不思議過ぎて漫画大賞とかに推してもいいのかどうか。まあ推すだけだったら何でもありで良いってことで。

 ちょっとだけ元気が出たんでさらに元気が出そうな坂本康宏さん「稲妻6」(徳間書店)をつらつらと。友人の連帯保証人になった借金がかさんでのっぴきならなぬなって自殺しようとした男が落下途中に大変身。愛媛の街を揺るがす怪物たちの前に立っては少女を守り人間ではかなわない怪物を追い払った。過去にあらわれた怪物は蝿型のも蟷螂型のもどれもが理性をすっ飛ばしては人間を襲い食い散らかしていたけれど、橘尚人が変身した鬼のような怪物は尚人の意識が残ったまま、暴れる怪物を相手に戦いその後も家族を守り借金をチャラにするために警察の意のままに怪物を相手に戦い続ける。

 どうしてそんな怪物が生まれてしまったのか、ってあたりの科学的な理屈を織り交ぜた謎解きがあって、やがて明らかになるラスボスとの激しいバトルへと至るスリリングなエンターテインメントの合間合間で、人間を超越する力を得てなお人間とともに戦う意味は何なのか、正義とはいったい何なのかってあたりが問いかけられて尚人を悩ませ苦しめる。家族を守りたいがために戦う利己主義者なだけの存在だと自分を卑下することもあったけれども戦いの中で誰彼となく迷惑をかけ続け、多くを悲しませる他の怪物たちの振る舞いから正義とはゆるすことだと悟りだから許せと聡して決戦の場に消えていく。勧善懲悪ともまた違う懊悩の中で光を求めてさすらうヒーロー。見かけはグロテスクだけれど中身は熱い男の戦いを堪能せよ。んまあぶっちゃけ「仮面ライダー」だけど。そういや「ウルトラマン」を科学的に描いたSFってのがあったっけ、誰が書いたか思い出せないあたりに歳を感じる。誰だったっけ。小林泰三さんだったっけ。「αΩ」だったっけ。

 考え事をして思い出せない情けなさにつのるダウナーな気分を癒そうと眠り起きてから「クラブワールドカップ」のガンバ大阪とアデレードの試合。場所は豊田スタジアムと最高なんだけれども夜の7時30分とかのキックオフで延長戦もあるかもしれない試合なだけに地方から出向くのは覚悟が必要なのかあんまり満杯になっていないのがちょっと寂しい。これでも前は月曜日とかにやっていたからさらに人間が少なかった訳で多少は考えたんだろうけどこれが限界。せめて昼間にやれば大阪からだって帰れない覚悟を決めた濃いサポーター以外のファンも来てスタジアムを埋め尽くせたんだろうけれど、テレビ中継とかってあったりするから昼間に試合はできないんだろう。しょせんは商業。

 それでいて試合内容はどこかゆったり。昨日のパチューカとアルアハリとのスピードが速くぶつかり合いもあってアイディアも豊富な好試合とは正反対の、激しさもなければスピード感もあんまりない試合で、これではテレビを見た人がまた見ようって気にはなかなかなれない。昼間にやっても視聴率はそんなに代わらないんじゃなかろうか。んでもゴールデンだからって奪える広告費はきっと何倍も多いんだろうなあ。それがテレビの商売作法。いつまで続くかねえ。ともあれ試合はガンバが1点を奪い逃げ切って次のマンチェスター・ユナイテッドとの試合に駒を進めてテレビ屋的には万々歳だしファン的にも嬉しいところ。佐々木が倒れ二川も倒れてと2人を失い次の試合をどう戦うかも興味。しかし2人ともボールを蹴って足をどういかしているのは寒さが筋肉を縮こまらせていたからなのかどうなのか。分析求む。って訳で1日が終わり。誰ともやっぱり喋らなかったなあ。


【12月13日】 「ヒャッコ」は虎子がいよいよ冬馬と対決、ってことでもないけど会話が絡んで2人の間に流れるさまざまな感情って奴が見えてくる。半分以上は冬馬が虎子にたいして抱いている親愛っぽい感情か、ときどき裏返って反感になってみたりするけれど。その他メンバーも勢揃いしてお弁当の見せ合いっこ。湊兎のお弁当がお菓子ばっかりってのは分かりやすいけれどもあんなジャンクを食べてどうしてあの体型を維持できるのかが不思議。ジャンクだからか。委員長はそもそもどんな弁当だったんだ。虎子に取り上げられて先生に食べさせられた祈ってもしかして虐められてる? それでも絡んでもらえるのが嬉しいのかなあ、それはそれでちょい関係が不健全。なので虎子には全力で祈を支えてあげてやって下さいなとお願い。下級生の会話はあれで声質がなかなか癖になって来た。淡々としてそれでいてひょろっと心を動かされるアニメになったもんだなあ。ギミックがやや増えて来た「かんなぎ」をまた追い越した?

エジプトにもゆるキャラが!  サッカーは続くよどこまでも、ってことですでにオセアニア代表とアジア2位とが対戦した試合から始まっている「TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ」のアフリカ代表「アルアハリ」と北中米代表「パチューカ」の試合を見に「国立霞ヶ丘競技場」へと出向く。入ると何やら得体の知れない生き物がいて胸に「アルアハリ」のマークなんかをつけていたからきっとそこのマスコットか何かなんだろうけれど、エジプトって場所にそーしたゆるいキャラが存在していたことがちょっと意外。なおかつそのキャラクターがハーフタイムにスタンドが見上げると、放送席にいて辺りを見渡していたのを見てそういう中継をする国なんだとさらに意外。世界って広いなあ。ってかこれってどこかの日本のキャラだったっけ?

 そりゃあ「クラブワールドカップ」で注目されているのは「マンチェスター・ユナイテッド」くらいで、いつかみたいに「バルセロナ」が敗れてもそれを悔いる口調の中継を続けた愚行をままた繰り返しそうな予感がしていて、21日の試合の日が今からちょっと恐ろしい。まあ当日は会場にいて中継なんて見ないからそれはそれで良いんだけれど、もしも仮に「マンチェスター・ユナイテッド」が準決勝でどこかに敗れて3位決定戦に回ってしまう事態となったら、大々的に放送枠が取られている決勝はいったいどんな中継が行われるのか、想像もつかないだけにそれはそれで楽しみ。観客にとって3位決定戦はまだ日が昇っている時間帯に行われるんで、そちらで「マンチェスター・ユナイテッド」を見て家路に着けるってむしろ受けが良かったりして。それほどまでに寒いんだよ真冬の「横浜国際競技場」って。

 しばらく前から日本のサッカー界じゃあ今の春から晩秋あたりまでの日程を秋開幕で年をまたいで春まで開催って欧州スタイルにすべきだって意見がごくごく1部から出て、周囲を右往左往させている。欧州への移籍のしやすさとか、代表の国際試合が多く組まれる1月、2月といった時期の選手のコンディションを考えた時、年をまたいでリーグを行っていた方が良いってことに真正面から反論はしない。でも日本は世界でもなかかな雪国だ。冬場の開催なんてとてもじゃないけど難しい。それ以前に冬場にスポーツを見に行く気分になかなかなれない。寒いから。寒すぎるから。好天にめぐまれたパチューカとアルアハリの試合だって日が陰ってきてから寒さが身に染みた。これが完全に夜となって1週間も開催が遅い決勝となると、寒さも半端じゃないくらいにすごくなる。というか過去何年かの試合は凄かった。

 欧州じゃあ聞くと冬の開催を想定して、スタジアムに暖房設備が設置されているとかで噴き出す熱気に足下のヒーターでぬくぬくとしながら試合を見ていられるとか。日本だと夏場に風通しを良くするよう設計がなされているけれど、欧州は逆に風を吹き込まないような構造を作り、屋根までおいて寒さが入らず温かさが逃げないような配慮がなされている。そうしたインフラ面での違いをさしおいてスケジュールが良いだの、根性があれば大丈夫だのって言われて選手たちは納得できても、観客はなかなか納得できない。かつては欧州にだって暖房設備はなかったぞ、って偉い人はいうけどそれって何時の話で、どれだけの観客が来ていたか、って言はなし。暖房を完備するようになってどれだけ増えたのかって数字を挙げてみたらあるいは、瞭然に設備の必要性が示されるのかもしれない。少なくとも根性だけでは寒さを人は乗り越えない。

 それでもまあ、クラブワールドカップの場合は世界屈指の人気を誇るクラブチームが、真剣勝負を繰り広げているという価値があるんで、寒風にも人を耐えさせる。1試合を見れば良いんだってことも、スタジアムへと足を運ばせる動機にはなる。これが毎週でさすがに萎える。というか凍り付く。そうした感覚を融かして冬場の観戦に前を向かせるまでの時間を考えることを、忘れては絶対に成功しなんだけれどまず結論ありきだからなあ、でもって言い訳を繰り出しそれで説得できたと思っていたりするからなあ。まあ良いや、とりあえず21日の決勝戦を暖かい場所から出て2時間前からスタジアムに立ち試合終了までを見続けて、それから冬場の観戦についての意見を言って頂きたいものだよ犬飼基昭会長には。

 それを勧めると人体実験をしたのか、って新聞で書かれちゃったりする可能性が目下の問題か。大人なでそれはさすがにないとは思うけど、学校での確かめてこそ説得力を出せる方法で夏場の暑さ体験会を行った学校を非難し、義務教育でもない高校生のサボりを非難する新聞なだけに世間の声が、犬飼会長を寒空に立ちっぱなしにさせたと言われかねないところが……それはないか。ともあれそんなこんなで冬場のサッカー観戦は辛いってことで、エジプトから来たチームが2点をリードしこれで決まったな、寒いし暖かい場所に逃げるかと会場に背を向けた塗炭に怒濤のゴールラッシュでパチューカが逆転し、愕然としたりするんだ。勝負は最後まで分からないのだと改めて理解。でも21日の決勝を延長からPKま見切る根性は……あるかなあ。

 「黒執事」は続きもの、か。シエルが過去にいろいろとやられているっぽい場面が出てきてその黒幕あたりがこれからの展開に絡んで来たりするのかな、分からないけど。グレル・サトクリフが登場で大暴れ。でも前ほど凶悪さはないのはすでにコメディリリーフとしての地位におさまってしまっているからか、アンダーテイカーといい劉といい恐そうで強そうなのにそうは見えないし見せさせもしない役柄が多いのがこの作品。だからシリアスとギャグが入り交じって見る方の気持ちを平板なものにさせてしまうんだよなあ、メリハリがあればさらに感銘も浮かぶんだろうけどでもそんな混ざり具合がもしかしたらこの作品の魅力なのかもと最近思うようになったのは、単に感化されてしまっただけか。慣れって恐い。


【12月12日】 咲いてしまったよ七号桜が全部満開。ってことは常世とこの世がつながて送られた悪鬼羅刹の類がわんさか蘇っては人間どもを根こそぎ食らいつくす地獄絵図が権限するんじゃねえとなと、心配したけど咲いたことがそのまま地獄の釜の蓋が開くことではないらしく、手に竜槍を持ったヒメちゃんと円陣とのラストバトルがいよいよ始まりどこへと向かうか「夜桜四重奏」。言霊使いが作り出したあれは列車砲? まっすぐにしか飛ばない弾をまっすぐに東京タワーへと向けるのって大変そうでいったいどこに場所を得たのか、路線図とか見返したくなったけれども平たい場所さえあれば線路もまとめて作り出せるから関係ないのか。いったいどれだけの言葉を放ったのか、のど飴でのどは荒れなくても舌の根っこが疲れそう。ろれつが回らなくなった時は変なものが出来上がるのかな。歪んでいたりぶよぶよしてたり。

 でもって最終決戦へと向かう中で土地神様たちも不干渉の掟を破ってシスターは二降りの剣を抜き出し影みたいなのをばったばったとなぎ倒し、兄貴も風で煽られた列車砲の弾丸を元に戻して円陣へとぶち込んだ。あるいはことはの「当たれ」って言霊に引っ張られて神様までもが動かされた? なんてことはさすがにないか神様だけに。お付きのマリアベルの格好がいつものどに凝ってなかったのは残念、あと遠目だったし。ジュリさんの看護婦服のわんさか出てきたのは嬉しい限り。キョンシーちゃんはずっとのあの服のまんまだよなあ。まあしかし残る話数も限られてきた中で最終決戦の行き着く先やいかに? 期して待とう桜新町にふたたび「つんつんでれつんでれつんつん」の歌が流れ響くその時を。

 繕う言葉、その何という虚ろさか。犬飼基昭・日本サッカー協会会長に西部謙司さんが聞いた「サッカー批評」第41号の記事。「日本のプロスポーツは冬に動いていない。Jが真剣勝負を冬にやればマスコミに取り上げられる頻度は上がる。というよりもメディアのほうからも言われていることなんですよね」(犬飼基昭)、「そうなんですか」(西部謙司、「我々が想定していた以上に、メディア側から強い要望があります」(犬飼)、「それはテレビのほうから?」(西部)、「そうです。地上波で放送してもらうことで、例えば冬でスポーツを何もやっていなかったけど、サッカーやっているから見ようかという感じで関心を持っていただける機会も増えるのではないか」(犬飼)、「冬に試合をやることで、地上波での放送が増えるメリットがある」(西部)、「そうです。地上波の影響は大きいですからね:(犬飼)。

 っていうけど夏にプロ野球だって見られなくなって中継もされなくなっているのに、冬ならサッカーしかないからサッカーを見てもらえると考えている方が甘い甘い甘すぎる。昼間だろう? 出かけているよ。ナイターだからそれでも野球は見てもらえたんだよ。そういった思案をまるでしていないで条件反射的に答えているっぽいニュアンスがむわっと漂う問答。夏にサッカーを中継しない言い訳に、冬だったらおっけーなんですなねえと言われて真に受けているような雰囲気すらある。冬にやってる真剣勝負の「天皇杯」がどれだけ見られているのか? きっと「ベストメンバーじゃないから」とか言うんだろうなあ。主張を通せば道理が引っ込む。

 そのベストメンバーについての問答。「去年は川崎フロンターレの件で怒ったら、川崎のサポーターが『怒らないでください』と言いに来た」(犬飼)、「サポーターは怒っていなかった」(西部)、「怒っているサポーターもいるんですよ。応援しているのに何やっているんだと思っていても、言わない人もいる。一部の声だけ聞くのもよくない」(犬飼)。そりゃあいるさ、いるけれども総体としてどうか、でもって主張としてどちらが正しいかの問題で明らかに劣性にある方に与しようとしているのは、それが自分の柱になってしまっているからなんだろう。そうまで少数の意見を聞くならベストメンバー規定に反対する声はなぜ聞かないでこだわりばかりを貫くのか。冬のリーグ開催に反対する地域の意見より自分の主張をより正義と位置づけるのか。

 つまりは結論ありきからの言葉で話すから、齟齬が出たときに取り繕おうとして穴をデカくする。理念から語り説得の言葉を発すれば周囲も聞こうという気になるんだけれどこの人の場合は先に断定からはいり反論には取り繕いで返すから周囲も不安をさらに増す。それに当人が気づいていないようなところがあるからなおややこしい。そういった部分を露わにして見せたインタビューとしてなかなかのお仕事。「エルゴラ」とは違うなあ。ちなみに冬開催についてもやっぱり似たような言いつくろいが。

 「これは実際にシミュレーションでやってみる必要があるんじゃないですか? お客さんの立場でどうなのか。いずれにしても、当初は冬開催で観客動員は落ちるのでは?」(西部)、「僕はそう思ってないんだけど……。夏は子どもたちが見られない。自分たちの試合が入っているし、夜も見られないし。冬のデーゲームなら見られるでしょう」(犬飼)、「いや、子どもは冬でもサッカーやってますよ、昼の試合のほうが余計に見られない」(西部)、「やっていますか? やっていないでしょ」(犬飼)、「やっています」(西部)、「子どもが冬にサッカーできるなら、大人は問題ないでしょ(笑)」(犬飼)。

 冬にサッカーをすることは高校サッカーを見てれば分かるだろうに。それをやっていないと言い切る根拠が分からない。やっていないと信じたいからそう言って反論されると開き直る。夏に子どもたちが見られないってどういうことだ。それこそ昼間に練習で夜に観戦のスタイルが夏の方ならとりやすいではないのか。夏の昼間にスポーツなんてというなら甲子園をぶったたけ。部活動を誹れ。それはしないで都合の良い方向へと引っ張り解釈しては主張し続け省みない態度にこそ、ノーが突きつけられていることに気づかないといけないのに。気づけないからこその今の不遜さか。もはや処置なしって感じ。どうにかならないものかなあ。

 将吉さんの「ハルベリー・メイ十二歳の誕生日」(講談社)をようやくやっと読了、なるほど少女が誕生日になるとグリム童話を現実化してしまう事件が起こってそれに同級生の少女が巻き込まれるって話で、現実化する童話世界とうグロテスクなビジョンを見せてくれる物語ってことだけれど、一方に小学校なり中学校にはびこるいじめの問題なども伺えたりして、昨今の映画「青い鳥」やコバルト文庫で賞をとったライトノベル作品「屋上ボーイズ」など取り上げられる作品の多さとも相まって、若い人たちの現場でおこっているこうした問題の深刻さがまたしても浮かび上がってきたりする。何か下半期に一気に増えて来たよなあ。

 治められているのは3編で始まりがあり当事者の消失という事件が起こってそして終結へと向かう3段が前は序破急のテンポ? 手頃なページ数が読みやすさをさそってくれている上に、喋る犬の忠犬ハチ公を尊敬していたりするそのキャラクターの可愛さ頼もしさもあったりして引きつけられるけれど、昨今の入り組んで重厚な、というより難解さをあおって雰囲気で引きつける作品の氾濫の中で逆に分かりやすすぎるとみなされ後回しにされがちな可能性もあって、判断する側を迷わせそう。ハードカバーという形態が正しかったのかどうなのか。届く人に届かせるんだったら他に形態はあったのか。そこは文庫化なりって段階でもう1度考えてみることも可能かも。割りにポップでヒップな作品の多かった将吉さんの新境地。試して見るのが吉かと。小か中か大かまでは知らないけれど。


  【12月11日】 「ザ・スニーカー」に畠中恵さんを入れ「週刊SPA!」の中くらいに久保寺健彦さんを入れ、「SFマガジン」にあれやこれやを放り込んでと連続して訪れた締め切りに向かい疾走していた関係で新刊に手が届かず。かろうじて「シャムロック」の人がレーベルを別にして同じ設定でキャラクターを代えて描いた4姉妹ポリスのどたばた捕り物探偵始末をつらりと読んで犬掻き最強と感嘆した程度で将吉さんの新刊は枕もと、三浦しおんさんの「光」も買ったままのを積み上げそして「ファミリーポートレート」はサイン会の衝撃から開くに開けない状況。

 週末にかけての対面仕事向けに宇宙歌劇の動漫シリーズを8話まで一気に見ていたこともあったし日々のアニメの消化もままならず。それもとりあえず落ち着いて来たんで週末にかけて未読の山を崩そう。おっと「クラブワールドカップ」の試合も近い。アフリカと北中米の試合のチケットも買ってあるんで行って見物しなきゃあ勿体ない。でも決勝と違って昼間なんで国立でひなたぼっこしつつ読書ってのもおつなもの、か? その日まで暖かいといいな。

 だ、だ、だだだだだだせいの。ってどうして続けないのだ木村貴子よ。それをやってしまうと「らき☆すた」と同じになっちまうって言うのけどでも重ね合わせの寸止めをやってちょろい関心を誘うぐらいなら、まるまる重ねてオープニングすらすっ飛ばして全編をカラオケでそれも映し出されるのはドアだけって展開にしてしまえば作画もきっと楽だっただろうに。見る方は根性を試されるけど。

 んで待望のカラオケ編はナギが納豆だかの歌を唄い大鉄はよく分からないけど真っ当に唄い、秋葉もまともで貴子はアニメ声でつぐみは音痴で仁も下手くそという分かりやすさ全開で楽しめはしたものの意外性はやや薄。間違えて開いたドアの中にいた4人組とかおかずはあるけどそれで楽しめるのもコアな人だけ。いっそさいごにしっかりと紫乃の目を見開かせてくれれば見ていて衝撃を受けたかもしれないけれど、それを最後に石にでもされてしまってはかなわないから、逆光で良かったとしておこう。しかし開くとどうなっているんだ。

 なんま真夜中にやってる「しゅごキャラ」は前週はなでしこを全編にヒューチャーで正体が露見してなかった段階では楽しめたかもしれないし正体が露見している今なら今で楽しめるかもしれないエピソードだったけれども今週は今週でバトルとかなくほのぼのとしてしみじみとしたエピソード。これを真夜中に見てそうかそうなのかって改めて気づいてDVDを買う層がどれだけいるんだろうって気にもなるけれど、新たに番組を作ろうとすでにある作品を流そうと枠の値段は同じだとしたらすでにある作品を流してそれで売上が増えれば新たに作るよりもお金は得られるってことになるんだろうから今のご時世仕方がないのかも。

 ってな話を大久保あたりのスタジオでもってとっても偉い人と話してアニメな未来をあれこれ逡巡。作品の本数があってこそ新しい才能も世に生まれてくるのは昭和30年代にプログラムピクチャーが月に8本とか公開されていた時代に映画や脚本の才能が世に出たのと同様。大作が増え監督も脚本も2カ月で1人づつとなった時代の人材の行き場のなさをアニメ業界もそのままではないとはいえ辿るとしたら、数年後ってよりはそれより10年の後にいろいろと禍根を残すこともありそう。でもまあこの10年でいっぱい生まれたからそんな人たちが引っ張っていってくれるのかも、60歳70歳の監督さんたちだって元気一杯な訳だし。

 そろりそろりとジェフユナイテッド市原・千葉の選手の去就が明らかになってすでに空かされているレイナウド選手の契約終了に続いて中島浩司選手との契約未更新が判明。とても危ういキープを見せたりすることがある一方でハマればすっげえフィードをしたり完璧に近いリベロを努めたりする異能の選手だったNAKAZIMAが、いなくなってしまったフィールドからファンタジーが消えてしまうのが残念といえば残念。でもそのボールが2つ見えているに違いないとかつての仲間に言わしめた才能を生かす場所はきっとあるはず。諦めないで誘われる場所へと出向いてその異能を見せつけてやって欲しいなあ。ほかに楽山孝志選手がJ1昇格を決めたサンフレッチェ広島に完全移籍。結城耕三選手は契約未更新だけれどそのまま広島に行くのかそれとも。

 もしもこれがエロプロダクツ展だったらどんな感じになっていたかと妄想しつつも幸いなことにエコプロダクツ展。並んでいるのは環境に優しい品々ばかりで見ていていらぬ妄想をかき立てられることはなかったけれども代わりに総合学習なのか社会見学なのが小学生中学生がわんさかやって来てはあちらのブースでクイズを楽しみこちらのブースで説明に聞き入っている様を見て、若さから漂う英気って奴を遠巻きに感じて気分がうわうわとして来たり。それにしてもいったいどこからこんなに子供が湧いて出るよーになったんだエコプロダクツ展。

 数年前にまだ西館(にし・やかた)で開かれていた当時は社会派な市民派的香りがあって言い換えるならソトコトってて見てもちょっぴり眉に唾、だったけれど今は時代が環境第1。電機に自動車に素材にエネルギーといった日本を代表する産業が勢揃いしては環境への取り組みをアピールする場に代わってた。出展スペースも東館(ひがし・やかた)の1ホールから6ホールまでをすべて使う大規模展示会に化けていた。これで入場は無料ってんだから儲けは基本は出展料。それでペイできるくらいの規模になっているってことで主催している日本経済新聞も、うまいツルを掴んだってことになるんだろー。かつて環境専門部局を作り環境専門面を作った新聞もあったけれども旗振れど人おらず誰も踊れないまま衰退。継続は力でロジスティックは大切だって思い知る。根性も体力もない者に待つは死のみ、と。


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