縮刷版2008年11月下旬号


【11月30日】 面識の皆無ではない人よりスルーされる我が身の至らなさを省みながらも閉じこもっていてはさらに存在感が希薄になるだけど起きだして上野でフェルメール、はきっと込んでいるから国立西洋美術館で踏みとどまってオランダの画家、ヴィルヘルム・ハンマースホイって人の展覧会を観る。初期は人物とか風景も描いていたけど展示してあったのはもっぱらひとつの家の中の部屋をあちらこちらから何枚も描いた作品で、窓から差し込む光に照らされ浮かび上がる室内、ってモチーフにどこか先達のフェルメールなんかも感じられなくはないけれども、採光が行き届くようになった時代なだけにモダンな感じが先に立ってフェルメールほどの生活感はにじまない。連続して観て比べてみると面白いけどフェルメールは大混雑だからなあ、でもまあ行こうそのうちに。

 フェルメールを見に行ってベルメールを観てしまうのとベルメールを見に行ったらフェルメールだったのとどっちがより幸運でより不孝なのかを考える。どっちだって良いやってのが個人的な所管か。あと「お前はこれまでに観たフェルメールの枚数を覚えているか?」とディオに言われたらどう応えようかと悩む。いろんな展覧会でいろいろなフェルメールを観たけれども40点に満たないフェルメールの現存作品の決して全部を見切った訳ではないからなあ。ってかどれを観たのかも覚えてないや。フェルメール・シールとかあって絵のよこに置いてあって、観たら台帳に貼っていくような仕組みがあれば覚えられるのに。

 内閣総理大臣とか、どこかの自治体のトップとか、スポーツ団体の会長なんかがひょいっと軽口を叩いて非難されては前言を取り下げ、行き過ぎただの真意は別のところにあるだのと言って謝る姿勢を見せたその舌の根も乾かないうちに、同じような失言暴言の類を繰り出しては「これも個性だ」と開き直る。「綸言汗の如し」だなんって故事がまるで生かされず、言葉があまりにも軽んじられる現代。醜い言葉が簡単に発せられては誰かを傷つけている。反論しようものなら空気を読まない奴だと嫌われる。本気の悲鳴ですら軽く受け止められた果て。行き場をなくした憤りが溜まりにたまって大爆発を起こし、悲惨な事件へとつながっていく。

 言葉ににんじでいる“本気”を誰も察知できなくなっていることが、上辺の安寧のその陰で心の退廃を招き、社会を崩壊へと近づけている。求められているのは、使う方も聞く方も言葉に“本気”を見出すこと。そのために何をすべきなのかを、直木賞作家の重松清による同名短編を原作にした「青い鳥」という映画が教えてくれる。親が営むコンビニから商品を持ってこいと言われ続けた野口くんが自殺未遂を引き起こす。野口くんは転校し、残った同級生たちは学校に言われるままに反省文を出して、野口くんのことを忘れて1からやり直そうとする。

 ところが事件の心労で休職していた替わりにやって来た教師の村内は、忘れてしまうのは卑怯だと言って教室に野口くんの机をもって来させ、誰もいない野口くんの机に「おはよう」と挨拶をしつづける。自責の思いを忘れたがっている生徒には地獄のような仕打ち。他の教員も事件を蒸し返して動揺を招くのかと村内を非難するけれど、村内は一歩たりとも引こうとはしなかった。誰も野口君の“本気”の叫びを聞かなかった。道化にまみれたつぶやきだと思っていた。今も本気だったとは思っていない。これではいけない。5枚と定められ、そして何度も書き直させられた反省文には本気はない。本気で言葉を使えない者に誰かの本気を感じ取ることなんで出来はしない。そして繰り返される悲劇。そうならないように村内は、非難され嫌がられながらも言葉の本気とは何かを生徒たちに伝えようとする。

 吃音で、ひとつひとつの言葉を必死で話そうとする村内だからこそ、言葉の持つ重さをというものがくっきり際だつ。そんな吃音の教師を演じるのは阿部寛さん。派手なセリフ回しや大きなアクションが得意そうな役者でありながも、「青い鳥」ではつっかえているものを押し出すようにひとつひとつ、言葉を発して生徒たちに語りかける。それを名演技とよぶことは可能だけれど、上っ面を真似ただけではどうしても雰囲気に嘘が漂う。そうはなっていない自然体の村内の演技。言葉を扱う役者として、“本気”の言葉が持つ重さを心底より感じようとしたからこそ出た真剣さなのかもしれない。

 そこまでして成りきる役者としての“本気”もまた伝わってくる映画。軽薄であることが喜ばれ、立ち位置をわきまてたポジショントークが重用されるような現代に一石を投じてくれるはずだと信じたいけど、こういう映画ってあんまり受けないんだよなあ。観よう。でもって阿部暁子さん「屋上ボーイズ」も読んでいじめ問題の根に何があるのかを考えよう。

 あと和智正喜さんの「真っ黒焦げの凶暴なウサギ」(メガミ文庫)ってのも。起きると部屋の中はゴミだらけ。僚なんだけれど別の部屋から同級生が運んで来ては部屋にぶちまけ帰っていく。典型的ないじめの図。でもって学校にいけば教師が何かと目をつけ絡んできては罰を加える生き地獄のような生活から、ちょっとでも離れたいと少年は夜の学校を歩き回って地下の空間へと身をひそめる。そこに現れた体罰教師。誰かと謀議をこらしていたようで、闖入者である少年を捕らえて汚水の中に叩き込んでは命を奪おうとする。

 死にたくない少年が執念でつかんだ縫いぐるみの中の品を手にした途端、少年は全身がひどく焼けただれた姿をしたウサギの怪物となって復活し、学園に捕らえられた姉を捜そうとしていた少女と手を結んで悪事に立ち向かう。ここでも繰り広げられている理由なきいじめの図。嫌いだとかいった感情ではなく、それをすることによって自らがいじめられる側になることを防ぎつつ、罪悪感めいたものを共有して結ばれた仲間意識みたいなものをよりどころにできるっていった程度の感覚から始まるいじめってものの何ともいえな空虚さが感じられては、そんな社会に生きている若い人たちの怯えや諦めめいた思いに心が沈んでくる。

 映画にライトノベルってもので連続して指摘されるいじめの問題。つまりはそれだけ事態は深刻化して普遍化しているってことな訳で、いよいよもって何とかしなきゃあなあって思うけれども世の偉い人たちも軽ければ、そんな軽さを伝えるメディアも軽すぎてどこにも本気がありゃしない。近隣国を仮想敵だと想定しては非現実的なファクターの積み重ねの上に構築される危険性をさも直近のものだと煽って勇ましさを示し、それにすがりたい一派を集めて内輪で盛り上がろうって運動に没頭するのか関の山。それだって本気だって言いたいんだろうけれども何のことはない、数ある言説のあっちが左ならこっちは右だって程度のポジショントーク。事態を本気で解決する手段にはなりはしない。そんな感じの上滑りする言葉の応酬によって表面上は何事もなさげなこの社会の、裏側の大底で始まっている崩壊が噴出して来るのはきっとそんなに遠くはないんだろう。逃げたいなあ。行き場もないけど。


【11月29日】 毎週コーナーがぽっかりと口を開けているのにアニメーションな人たちから新作を宣伝したいんだけどページ貸してって話も舞い込まず汲々としている中で、ならば自力更正をばかりに痛車の展示会に行ったり眼鏡っ娘の顔を見に行ったりしてネタを仕入れに走る週末シリーズ第何弾だ? ってことで東京は青山にある「TEPIA」ってところで開かれた河森正治さんトークショーを見物に行く。途中でラグビーのトップリーグも開かれていてのぞいてみたかったけれども我慢がまん。清水でのジェフユナイテッド市原・千葉の決戦にも脚を向けられなかったんだから仕方がない。本当新作ソフトの宣伝なんかに使ってくれれば良いのになあ。知られてない媒体だから無理かなあ。綺麗な新聞。都会派タブロイド。実家の辺りじゃ売ってないもんなあ。

 でもってイベントの方はアニメーションとかとロボットの関係を探る、みたいなトークショーがメーン。「超時空要塞マクロス」から「地球少女アルジュナ」から「創世のアクエリオン」から「マクロスF」とヒット作話題作立て続けな河森監督が謎のインド人ではまったくない姿で登壇したその横で、古田貴之・千葉工大未来ロボット技術研究センター所長のガウォーク愛が炸裂。「ガウォーク神(かみ)!」と叫んではプレゼンテーションのスライドに紛れ込ませた自己紹介で、自分のバルキリーコレクションを見せてはこれも持ってるあれも持っているって自慢していたけれどもヴァネッサ・シャミィ・キムにランカ・リー&シェリル・ノーム愛はたっぷりあってもヴァルキリー愛の足りない僕には分からない。何でもセンターの自分の机のそばにコーナーを設けてあるそーなんで一度取材といって見に行くか。見せてくれるかな。

 そんな古田さんの言で意外だったのがファイターからバトロイドへと変形するプロセスの途中にあるガウォーク形態がもっとも好きだって話していたところ。フォルムとしてはどこか中途半端で人でもなければロボットでもない、脚が生えてて手まであるのに頭はとんがったノーズって格好の不思議さばかりが先に立つけど古田さん、「アニメージュ」なんかで見た止まっている姿は確かに格好悪かったけれどもテレビの中で動いて飛んでいる姿を見た途端にひらめいた。これこそが機能美だと。ホバーしながら動き回って手で作業をしつつ高速移動も可能という、実に多彩な機能を持ってストーリーの中で活躍する姿に惚れ込んで以来、ガウォーク様さま様って気分になったらしー。言われてみればなあるほど。

 それゆえに作るロボットも機能美を追求することにかけていて、デザインをおろそかにせず機能も考え合わせて全体をとりまとめていった作業から生まれたのが8本の脚から生えたタイヤでころがり関節を伸ばして立ち上がり気味になりタイヤの底を脚の底にして歩き回ったりするハルク2とかいうロボット。その自在さは2脚歩行ロボットへのこだわりから抜け出しているってこともあって幅広くって、まるで3段階に変形して自在に動き回るバルキリーみたいだって思ったら根底にあるのはガウォークだってあっぱり古田さん、叫んでた。もっとも。実際に動き出すまでには無線LANの調子の悪さもあってか時間がかかってしまったのがご愛敬というか。トークの最中に「バルキリー愛」を発揮し過ぎてロボットの上蓋をはずして裏側にサインをしてって河森さんにアピールした時にあるいは何か悪さしてしまったのかもしれず、はしゃぎすぎの罰があったというかあまりにガウォークガウォーク言うんでハルク2が拗ねたに違いない。口は禍の元。

 んで河森さんお方はと言えば持ち込みのバルキリーをガウォークに。素早く展開できるのは作者ならではか。いっぽうでそのバルキリーがどこから出たどのサイズのどんなバルキリーなのかを即座に言い当ててしまっていたのが古田さん。やっぱりその愛には並々ならぬものがある。いっそだったら河森さんとお仕事をすればいいのに、ってことで現場でもあれやこれやと頼んでたからいずれどこかでコラボレーションが実現するかもとりあえず変形することは確かだな。変形しない河森ロボを古田さんが認めるはずもないし。ってな感じで行われたトークショーで誰かに出渕裕さんかと聞かれたのにはちょっと驚いた。ずいぶんと前にちょんまげに髭で帽子被らずにイベントとかにいたら今敏さんと間違えられそうになったことはあったけれども今度は出渕さんとは畏れ多すぎ。そりゃあ眼鏡に帽子って感じだけれども最近の出渕さんって髪を縛らずザンバラにしてるしだいたい背だって今敏さんくらいに高いんだ。似た人がいたならまずは背が高いかをご確認。出渕さんにも新聞とかに出て欲しいなあ。

 青山から丸の内へと回ってOAZOにある丸善の丸の内本店で「ファミリーポートレート」が発売になった桜庭一樹さんのサイン会。名前を入れて頂けるってことだったので整理券に当方の名前を書いて見せてその名前を書いてもらってサインも頂いたその間に特段のやりとりはなし。というか誰ともあんまり喋ってないのは緊張しているからなのかどうなのか。まあずいぶんと昔に名刺とか差し上げた程度なんで覚えられていなくって当然だろーということで、もっと有名にならねばと精進を近いつつ、それでもこれからも勝手に遠巻きに応援させて頂くって決意をしつつ現場を離れてコミック売り場で「ヤングキングアワーズ」の最新号を買ったら「ヘルシング」のOVAの宣伝漫画が載っていた。そういやあまだ観てないや。ってか何巻まで出るんだこれ。制作会社が更に変化していかないことを祈ろう。

 というか「ワイルド7」か。「魔像の十字路」か。あらゆる漫画の最高にして至上のラストエピソードとして今なお我が漫画歴に君臨しつづけるあの傑作にあるいは匹敵するかもしれないラストエピソードが観られるのかもしれないって、興奮と同時に戦慄も感じて次号が出るのが恐くなっていた「ジオブリーダーズ」についにその時が来てしまったって感じ。この段階でのこの展開は例えるなら八百か。あれも悲劇的だったけれどもこちらもなかなかに劇的で、願うならば何かの冗談であって欲しいと思うけれども絵柄のシリアスさがそんな冗談を許してくれなさそう。竜もそこには来なかったってことはやっぱり来られない境遇にすでにあるってことなのか。うーん。

 そして続く展開でヘボピーが逝き親分が逝き両国が逝きそして……。夏に降る雪は誰になるんだろう。飛葉は田波か。いやいやこの世界にはまだ黒猫がいる。虎視眈々と逆転を狙っているに違いないからせめて栄ちゃんだけは残して置いて欲しいと切にお願い。高見ちゃんはボロボロのまんまでお蔵入りってことはないよなあ。社長は長生きできそうもないけれどもあれはあれで一種の装置なんで居残り次の神楽の中心にやっぱり座っていたりするって悪夢な展開の可能性もありそうだなあ。どっちにしたってもう目の離せない「ジオブリーダーズ」をラストまで見守ろう。「エクセルサーガ」も絵的に見所いっぱいだし。エルガーラってあれでなかなかナイスバディ。

 だからやっぱり木村航さんには文芸の方でもっともっと名前を知られて欲しいなあと最近はオリジナルにも力が入り始めたメガミ文庫から刊行の「ミラクルチロル44キロ Aパートチロルアレンジ」なんかを読んで改めて強く思う。中学生のつぼみちゃんが通りがかると何やら呼びかけをやっていた。「あなたのいのちをほんのちょっぴりわけてください」。答えて紙に1秒でも1分でも書くとその場に積み上げている銀色の特別なパッケージのチロルチョコを1個もらって帰れるという。つぼみは何を思ったのか用紙の空欄に「一生」と書いて渡してチロルをもらってその場を退散。ところが翌朝になると募金をやってた田丸くんが通学路にやってきてこれじゃあ分からないから書き直してと用紙を突っ返してきた。

 さらにふたたび募金の現場に行ったらサブカルファッションの胡乱な男に死にたいんかを咎められ、現場にいた小学生の小太郎くんからも命を粗末にするなと怒られる。いったいどういうことなんだ、ってことで見え始めて来たひとつの契約。ならば即座にチロル返上といきたいはずなのになぜかつぼみはチロルを返して契約を破棄することに戸惑っている。死にたいのかと聞かれ命を粗末にするのかと言われてそうかもしれないと思ってしまう理由がつぼみにはあって、祖父母がいて父親はいないけれども母親はいる家庭の中での居場所のなさ、というよりそもそも存在していることすら苦悩を覚える立場がつぼみを迷いの縁に立たせている。

 こちらは家庭の事情ではないけれど体が石化する難病という状況に存在の可否を考えネガティブに陥っている少女が出てきた同じ木村航さんの「愛とカルシウム」(光文社)と裏表というか対をなすというか、深くつながりあった作品でさらにこちらには山積みのチロルチョコっていうギミックもあって興味を引き寄せる。フェリックス・ゴンザレス=トレスっていうアーティストがゲイの恋人の死をきっかけにして制作した、キャンディーのを敷き詰めそれを観た人に持ち帰ってもらう「プラシーボ」っていうアート作品を素材として、借りて失った人への思いを現そうとした行為なんだけれども思いの共有化、普遍化といった「プラシーボ」の主題とはまた違って、命をもらう対価といった設定を与えもらった命をどうするのかって展開を与えてそして命の大切さって奴を考えさせる発展性を持たせてあるところに、作家性の発露を観る。

 謎めいた建築物に入ったら気分が晴れたり心が満たされたってアイディアが先に立って建築物自体の表情があんまり見えなかったりして隔靴掻痒な気分が残る作品が大賞だったり、異世界から連れてきた分身をただ走らせるだけってなワンアイディアで押して優秀賞なら「ミラクルチロル44キロ」、「日本ファンタジーノベル大賞」だって十分行けそうじゃん。まあまだ前半でここから一波乱も二波乱もありそう。その先に出てくるだろう結末が哀しいものにならないことを祈りつつ、現代アートが組み入れられて青春もあって初恋もあって命の大切さも教えてもらってチロルを囓る嬉しさも味わえる作品に仕上がることを願ってコンビニにチロルを買いに行こう。来年のSF大会とかで4000個44キロのチロルを持ち込み募金活動でもしてみるか。メフィスとフェレスのコスプレ少女2人を調達できればだけど。でも夏だし融けちゃうよなあ。


【11月28日】 アマゾン川の支流だからジャバリって名前ってことらしい靴とバッグの専門サイト「Javari」の発表会見をのぞいてページを閲覧していてアルフレッド・サージェントのカントリーブーツが妙に気に入って、これを履いて去年あたりにちょっと憧れた映画「エコール」で森の中をブーツ姿の少女たちが軽やかに歩く雰囲気を、味わってみようかって思いを抱いてのぞいた神田神保町の交差点からちょい水道橋に歩いたところにある靴屋には、カントリーブーツを出しているアルフレッド・サージェントもトリッカーズも置いてなくって試せなかった代わりに見かけたのがダナーのポストマンのチャッカーブーツ。

 普通はプレーントゥの黒くて底がラバーソールな靴がポストマンってことになっているけど、これをくるぶしあたりまでを覆うショートブーツにしたてたのがまずあって、それの色がダークブラウンってのが入っていて履いてみたら妙にしっくり来たところに、良いでしょうって店員さんの勧めもあって断るに断れずそのまま買ってしまう意志薄弱。でも実際に履いたらこれが素晴らしいってことで心を納得させれば良いなと、前に買ったH&Mのコムデギャルソンコラボスーツに合わせて美少女インタビューに合わせて履いていったらこれが実に軽快で驚く。

 そりゃあまだ硬いんでくるぶしあたりが痛いんだけれど、底の軽さと歩き易さはさすがにダナー。九十九乱蔵が履いて悪人どもを踏みつぶして闊歩する登山向けのダナーとはまた違った靴屋の真骨頂って奴を感じさせてくれた。こりゃあ良い買い物だ。訳あって冬の臨時のお駄賃がぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐっと減る見通しのなかで無駄遣いはあんまりできないんだけれども、他に買うのも特にないんでこれをもって打ち止めにするか、あるいは細江英公さんの「薔薇刑」を買って終わりにするくらいにしておけば、ゼロには近づいてもマイナスになるってことはないだろー。それにしてもこの歳になって在京準大手でハーフミリオンあたりを手取りがユラユラって状況が推定されるとは思いもよらなかった。地獄監獄残酷争いはまだ続く。

 とかいいつつ「かんなぎ」のDVDの完全限定版を拾ってしまってこれで全部揃えなくっちゃいけなくなったかあと嘆息。まあ仕方がないしれが宿命ならば。でもって近隣で漫画とかライトノベルとかの新刊を確保。あと「ソリッドファイター完全版」も。これで出すくらいなら普通にハードカバーで出せば良いのになあ。それともすでに世間でフルハシって過去名? いっそ早川で拾えば良かったとかどうとか。でもいろいろ事情があるんだろう。さらに「コードギアス 反逆のルルーシュ」のポートレート女性編。ミレイにアーニャにカレンが2枚にC.C.にナナリーの6種類。後ろ姿のアーニャのお尻が割れているのがちょっと凄い。いあ割れていないお尻なんてものはないんだけれどもそれが見えるちうのがなかなか。なかなか。

 そうだ漫画だ羽海野チカさん「3月のライオン」第2巻は天才ぶりで中学生棋士となりながらもどこか浮ついてしまっている桐山零が戦ったり煽られたりしながらちょっとづつ自分を出し始めていく感じ。ライバルとして近寄り迫る二階堂がテレビ将棋の解説に出て強気に見える1手をそれじゃあ勝てない勝つ気がないのかと叫ぶ姿はどうしてそこまでライバルに? って感じもするけど自分の決して健康ではない体を知り、そして桐山の才能の深さを知ってもっと頑張れ、自分の分も頑張れって言いたい気持ちにきっと溢れているんだろう。いずれ来るのか離別が。

 さらに引退間際の老棋士との対戦に、負けると暴れるからと離婚が確定した棋士との戦いに勝ちたくないと思いながらも勝って仕舞うエピソード。相手を蹴落としでも上に上がっていかなければ大名人との邂逅はないにも関わらず、誰も木津着けたくないのか曖昧に漂っていた身が引き締まっていった果てに激しいプロ棋士の戦いが待っているのかそれとも3人娘との楽しい暮らしに埋もれていくのか義姉とのいろいろな関係とかが生まれるのか。零の対戦相手についてあれこれ解説する義姉って零が本当に好きなのかもなあ、イジめてそこからはい上がって来て欲しいって思うくらいに。

 言葉があまりに軽んじられる時代というか、総理大臣からして軽口を叩いては非難されてすぐに御免と謝った矢先に失言を繰り返すんだからもはや処置無しってところなんだけれどもそうした言葉の軽さがもたらすのは上っ面だけが整った言葉のやりとりがさも身のある議論として受け止められてそれが行われたという事実をのみ尊ばれ、結果として中身はまるで代わらないまま流されていった果てに崩壊が待ち受けるという構図。小さい場面ですでに起こっていたりすることだしいずれ世界という大きな場所でも起こるんだろうけれどもさしあたって問題なのは日本サッカー協会であまりに軽い言葉が繰り出されては引っ込められる繰り返しが、サッカーへの信頼を損ね情熱を削いでいつかの冬を再びもたらすんじゃないかっていう不安が色濃いこと。半ば取り返しのつかない所まで来ているんだけれどもトップにいる人はそんなことは毛ほども感じないで今日も暴言を繰り返す。

 あれだけ天皇杯は権威ある大会でベストメンバーじゃなきゃあ許さないって叫んでた会長が何を思ったのか自ら推奨していた天皇杯でのベストメンバー規定導入には反対だって言っていやがる。言行不一致も甚だしい。かといってだったら監督が自らの裁量でもって選ぶメンバーこそがベストだっていう欧州スタンダードな考え方を理解したかっていうと「良識でやって欲しい」とかって曖昧模糊とした言葉しか与えない。良識っていうのはだから選手の体調に監督の意向を最大限い組んで選ばれたピッチに立っている選手こそがベストというグローバルスタンダードでの“良識”なのか、目立つ選手がピッチにコンディションとかお構いなしに立っていることこそが“良識”の結果なのかを言わないところが小憎らしいといくか、そこを旗幟鮮明にしておかないと現場だって迷うし当人だって筋が通らない。通らないんだけれどもそれが整合性のある言動だってすでにして思っていたりしそうな辺りにやっぱり未来への不安をひしひしと覚える。大変な時代に大変な人をトップに仰ぐこの不幸が世紀を越える禍根を残さないように祈る。


【11月27日】 地味な少女が眼鏡をとったら超美人というフォーマットと同じくらいに、不気味な顔立ちが前髪をあげたら超美人って展開も飽きるくらいにあるんだけれども、眼鏡を外した美人は眼鏡を外すとそれを自分では確認できないというハンディがあるのに対して、前髪を上げるだけの美人はそれをすればすぐにでも賞賛の嵐をなるところを、どーしてそうしないのかがずーっと気になっていて今も気になっていて答えは得られない。勿体ないってのは傍目の意見。きっと本人にとっては前髪をあげることに何か心理的な抵抗があるんだろうとしか考えられないけれど、それが何かを知るのは前髪が顔を覆える身になってみたいんと分からないのかもしれない。つまりもはや僕には永久に理解不能ってこった。哀号。

 ってことでアニメーション版「ヒャッコ」。ついにメインに座った蕾家祈ちゃん。小心者で他人に声をかけられず、多分目すらあわせられないからなのかいつも前髪で顔を覆っているのが仇となって周囲からは不気味がられてる。せめて友人くらいは欲しいと時々は誰かに微笑みかけるけれどもそれがにこりではなくにまーっとなるから周囲に広がる恐怖心は倍加。さらに人を寄せ付けなくなっていつも寂しい思いをしていたところに救いの神? 誰にでも明るく分け隔てなく接する虎子を相手に艱難辛苦の果て、親しくなってそして始まるいのちゃん改造計画は、当人にとどまらず暴走した虎子によってヤンキー風味な幕之内潮がリーゼント化して教師はエリート化して不気味さを加速させていく。髪型ひとつで世界って代わるものなのだなあ。髪型変えたいなあ。不可能だけど。号泣。

 蹴られるんなら生の脚が良いのか白いソックスを履いた足が良いのかという問題についてあれやこれや考えたけれども結論は出ず。いずれにしてもナギにゲシゲシと蹴り込まれるのはなかなかに心地良さげって気だけは存分にした「かんなぎ」はご神木を大鉄が決して許可を得てもらって来たんじゃなくって燃やすってのを聞いてこっそり持ち出していたってことが判明。燃やすってのはつまりおたき上げって神事だったのを経過しなかったものだから、宿ったままの神様が人型を得て発動してしまったってことになるんだろー。でも神社に残って地に宿っている本体もまだあるみたいで許しを請いに来た大鉄に向かいナギの体を借りてあれこれコメント。その姿を見て何か思うのが普通なのに事情をあんまりつかんでないのはいかにも大鉄らしいなあ。つまりは良い奴。幸せになって欲しいなあ。「かんなぎ」はドットアニメに在庫無しとのご報告。そりゃご無体な。買い揃えるのはもうやめだ。

 ってことで秋アニメだと買うのは「キャシャーンsins」と「ヒャッコ」と録画はしていても見てないんだけれど前のを買ってしまった流れで「CLANNAD」くらいになりそう。これに今の「コードギアス 反逆のルルーシュR2」と「マクロスF」と「鉄腕バーディー」が重なるのが1月以降か。「紅 −Kurenai−」は12月で終わるから。「ヘルシング」のOVA版もいよいよもって第5巻が登場して大佐のレリーフなんぞが入ってて豪華絢爛この上なし。漫画の終了を記念して1巻の後を逃していたのを揃えてみたけど実はまだ見ていないんで週末に気合いを入れて見直すか。それとも「マクロスゼロ」のブルーレイボックスの方をしっかり見るか。買っても見ない奴が溜まっていくなあ。いつかまとめて消化したいなあ。toto当たらないかなあ。

 中央公論新社の「C☆NOVELS」版の「スカイクロラ」シリーズ最新刊「スカイ・イクリプス」が発売になってて鶴田謙二さんの描く表紙絵のたぶん草薙水素がとってもキューティーでセクシー。アニメーション版だともうほとんどつるっぺたというか洗濯板っていうかその気配も感じさせなかった胸元なんだけれど、ノベルズ版の鶴田さんが「スカイ・イクリプス」向けに描いた水素はしっかり量感もあってさらに先端もくっきりしてて近寄って顔を埋めたいとか、指先で触れてみたいとかって情動をかき立てられる。ブラをしないのは主義か何かか、それともまだ若い頃なのか。他の巻でも鶴田さん描く水素は脚なんかスラリと伸びてて割にキュートだったなあ。改めてノベルズでも揃えたい感じ。これで文庫になった時に劇場版「スカイクロラ」のタッチでのバージョンも出してくれないと揃わないんだけど、どうでしょうか中公さん。

 巧い巧い巧すぎる。橋本紡さんの新刊「橋をめぐる」がとてもじゃないけど巧すぎて読んでていったいこれはどこの大御所の本なんだって経歴とかをひっくり返したくなる。橋を渡ってはじまるドラマを綴った連作短編。権威主義的な父親に反発して飛び出してから、しばらく帰っていない家に立ち寄るかどうかを迷う女性の話とか、進学校でのトップ争いにやや疲れ気味な上にライバルが事故死してしまうアクシデントもありながら、子供の頃から中の良かった今は不良の男と再会して今を語り合う少年の話とか、娘の進学について言い争う父親と母親の姿におびえ、祖父の家に預けられた少女が頑固だけれど温かい祖父の姿や、周囲に暮らす子供たちとも仲良くなる中で、両親への気持ちを言えるようになって少しだけ家庭の不和が改善する話とかいった話が入っている。

 どれを読んでも迷う心が和らげられ、明日に向かう気持ちをかき立てられるというそんな中に、下町にも増え始めたマンションとそこに繰らす住人たちの気質と昔気質の下町の住人気質なんかのぶつかりあいといった現象も盛り込まれていて、都会っていろいろなんだなあって気分を噛みしめられる。マンション住民と地元住民の対立を、銀座で長くバーテンダーを努め今は下町で小さいバーを開いている壮年の男を主人公にして、仕事の中で培った調整力や人脈なんかを動かしてきれいに治めてみせる話なんてもう最高。まるでタイプは違うんだけれど、稲見一良さんの書いてた強い男の物語なんかを思い出した。

 舞台はだいたいが深川とか清澄とかいったあたり。読むと何だかその辺に住んでみたくなる。もしもこれを直木賞とかに上げれば選考委員になった宮部みゆきさんも読んでいろいろ評することになるんだろうなあ、でも候補に入ってなければそれも捕らぬ狸の皮算用。もうたぶん決まりかけてはりうんだろうけど、どうなんだろう? お膝元の文藝春秋から出たこの本を推せないようじゃあ文春もいろいろ未来に悩みも多そう。果たして。まあこれだけの巧みさを表現できる書き手を文学賞とかが放っておくはずもないだろうから、いずれどこかに名を出すはず。とはいえ藤谷治さんとか萩原浩さんとか巧い作家が捨て置かれ、妙にキャラだけ立ってる作家に賞が傾く世の風潮なだけに不安も残る。本の売り手としちゃあその方が売りやすいんだろうけど、そればっかりをやっているといつか己の首を己で絞める。そうなったらなったで話題を盛り上げ売ってそして次の話題に乗り換える、ワイドショー的な出版へとシフトすれば良いって考えているのかな。悩ましいなあ。


【11月26日】 それほどまでに深刻なのかという驚きもあるし、それほどでもないという認識が端から見たときの深刻さを、より高めているのかもしれないという想像も浮かぶ「いじめ」の問題。最初は軽くちょっとイジってみたというだけのふるまいが、集団を動かして1人をパージ、ないしはタカったあげくに起こるのっぴきならない事態なんだけれども仕掛けた方はそれでどうして? って逆に意外に感じてしまうからなかなか話が噛み合わない。

 結果として起こった深刻な事態を見据え、それが我が身にふりかかってくるかもという想像をたくましくすれば踏みとどまれるのかもしれないんだけれど、身体性の拡張ができないというか想像力が貧困というか、衝動だけて突っ走って己のことも周囲の状況も客観視できないようにたぶん仕込まれていというか、その程度に留まらされているといった感じ。簡単に言うならジコチューって奴か。偉い人からメディアから芸能人から何から何まで俺が俺がな雰囲気の中で生きれば、そうなってしまうのも仕方がない。

 ってあたりを、集英社のコバルト文庫がやってる「ロマン大賞」を受賞した阿部暁子さんって人の「屋上ボーイズ」(集英社)なんかを読みつつつらりつらり。父は忙しく母は外であれやこれや。間柄が冷え切っている訳でもないんだけれどうまく繋がっていなさそうな空気が嫌で、家を抜け出し父方の叔母が営むアクセサリーショップでアルバイトみたいなことをしている少年が主人公。アウトロー気味に避難訓練を嫌がって屋上へと逃げたら、そこに同級ながら別のクラスの少年がいて本を読んでいた。

 何とはなしに言葉をかわすようになる2人。でもって主人公が教室に戻ると鷹司って高貴な名字をもったやや弱々しげな少年が、クラスの人間から全員にジュースを買ってこいと命令されてそれを嫌がらず文句もいわずに実行している姿を見て気分が曇る、けれども積極的に見方になるかというとそうでもないところが何というか、場の空気ってのを崩したくない心理がそこに漂ってもわもわとした気分をかきたてる。それでもとりあえず注意をしたら矛先が自分に向かって、不良じみた経歴を広められて誰も話しかけてこなくなった。

 もとから一匹狼的なところがあって激しく落ち込むことはなかったし、物を壊されたり盗まれたり隠されることもないかったから耐えられたんだろうけれど、気弱な人間がそれをやられたらやっぱり気分はどん底。いじめによる自殺、なんてものが取りざたされるのもそんなことが背景にあるんだろう。話はクラスにいるどこか超然とかまえていろいろ画策する男がちょっと動いたら、鷹司を中心になって虐めていた少年がクラスから阻害されることになって立場逆転。それもまた気分の悪い話で、そんなシーンに読む方はこれでいいんだろうかと思うんだけれど実際に、学生として暮らしている人たちはそれがどうしたと思うのか、それでもどうしようもないんだと諦めているのかが年寄りにはなかなか分からない。

 主人公が屋上で出会った少年の弟も、やっぱり小学校で虐められていて心理的に参っていたけど主人公の支えなんかがきいたのか、反旗を翻して立場を抜け出し前に向かって進み始める。クラスの方はいじめられていた鷹司にいじめていたものの逆にのけ者にされた少年とかも含めてどうにか救われそな感じ。主人公自身が覚えていた家庭の不和から来るストレスも思いを正直にうち明けることで改善が進んだみたいで、トータルとしては落ち着いたけれどもそううまくいかないのがきっと現実って奴なだけに、この物語から何かを感じて少しでも普通を取り戻そうって動き始めれば、書いた方も賞に選んだ方も本望なんだろうけれども、果たして。重松清さん原作の映画「青い鳥」ともども今に必要な作品。

 とかって思いながらのぞいた「集英社スーパーダッシュ文庫」と「コバルト文庫」の謝恩会には作家の人とかいろいろ。ただちょっっぴりゴージャスさが薄まっていたように見えたのは世にしのびよる不景気って奴なのか。行ったことないけど漫画家さんのパーティーみたくここ1番でゴージャスさを競い合うようなところあるらしくって、フワフワヒラヒラのオンパレードって話。それがないのは漫画家ではなく少女小説の作家な人たちだったから? とはいえ江戸川橋あたりで開かれていた時は、もうちょい着飾っていた人もいたような記憶がややあって、飾り付けなんかも含めて年の瀬の雰囲気を煽ってた。やっぱり不景気なのかなあ、本も昔ほど売れないし。

 ってあたりを選考委員の人たちとかと話し、そんな中で売るにはキャラ立ち重要って作家に求める風潮が版元に漂いはじめているって話に愕然とし、そんな中で良い小説巧い小説を書いて書き続けてそれなりに支持者を集めて来た中堅が飛び抜けるにはどうしたら良いんだろうかと考え、抜け道が見あたらない中をこちらとしては読んで読み続けて良さを語るしかないんだと覚悟するものの、それで動く世界でもないのがどこか虚しい。

 押し出す方がキャラを重要視するのはそれがメディアに乗せやすいからで、版元の責任だけってよりは伝える側の責任でもあるだけに、当方としても反省するところも多々。一方で読み手もメディアの情報だけを頼る風潮がいよいよ高まっている感じ。裏を狙い奥を探って自分だけの秘め事のように良いもの、優れたもの、楽しいものを見つけて楽しむ感覚が、希薄になっているんだろう。そこをカバーして来たのが探求心旺盛なオタクマインドって奴だったんだけれど、これすらも最近は。かくして出版は細し作家は飢えて書評家は仕事にあぶれると。マイナーな情報もメジャーと同格で発信できるネットに期待した時期もあったけれども、結局はメジャーなものに前以上のアクセスを集中させるツールだったってことなのか。うーむ。「かんなぎ」のDVDが届かない。


【11月25日】 ふと気がついたけれども日本のスポーツ紙って退任して名誉会長になった日本サッカー協会の川淵三郎さんに今も「キャプテン」の称号を着けて報じているんだよなあ、何でだろう? そもそもが会長という役職の代名詞的な称号だったはずでそれを降りた今ではキャプテンなはずがない。名誉会長って職責もキャプテンっていうすべてに権限を持って引っ張るリーダーって権能はないはずで、それなのにキャプテンと呼ぶのはやっぱり奇妙なことこの上ない。

 とはいえこうして使われているってことは、新聞側が今も川淵さんをキャプテンと認めているか、それとも当人がキャプテンと読んで欲しいと求めているかどちらかなんだろー。どっちにしたってヘンなことには変わりはないけど。それもともはやキャプテンというのは一種の芸名になっているんだろうか、だったらここは後じゃなくって前に持ってきてリングネームよろしく「キャプテン川淵」って名乗った方が一般にも広まりやすいって思うんだけど。どうでしょう?

 判官贔屓の日本人にとって赤穂浪士はいつまでだってどこまでだって正義の象徴。主君の仇を討って本懐を遂げた英雄だってことで300年経った今も賞賛が絶えない。もっとも討たれた吉良上野介が治めていた愛知県幡豆郡吉良町では、上野介は黄金堤って堤防を築いて水害を防いだ名君と讃えられていたりする訳で、そんな主君を奪った暴徒だって非難する声がやっぱり今も残っていたりするんだろー。あんまり行ったことがないから知らないけれど。ともあれ立場を変えれば見方も変わるってのが世の常で、それは忠臣蔵だって同じこと。そんな歴史の一幕を、ホラーから伝奇からユーモアから落語まで幅広く手がける異才の田中啓文さんが独特の視点でもって描いた「チュウは忠臣蔵のチュウ」(文芸春秋社)なだけに、浮かび上がる真相はもう驚天動地の一言。そうだったのかって目から鱗の気分を存分に味わえる。赤穂だって吉良だって吃驚だ。

 時は元禄。誰もが知ってる殿中は松の廊下での刃傷沙汰。上野介にいじめられた仕返しに浅野内匠頭が斬りつけたっていうのが通説だけど、「チュウは忠臣蔵のチュウ」では浅野内匠頭をハメたのは吉良とは違った一味で、それによってもとよりヒステリックな部分のあった内匠頭、自分が鯉にそっくりだって誹られていると勘違いして通りかかった上野介に傷を負わせて責任を問われ切腹へと追い込まれる。でもってここからが陰謀の本番。切腹したのは別の人間で当の内匠頭は時代劇でお馴染みの白い髭をした謎の老人に助けられて密かに生き延びてしまったからたまらない。それとは知らない赤穂浪士は半ば自棄になった大石内蔵助に率いられて吉良邸に討ち入り本懐を果たそうとして、髭の老人が企む幕府転覆という壮大な計画への片棒をそれとは知らず担がされる。

 もっともそこは幕府もさるもの。吉良邸で起こったとある出来事ってのも勘案したのか討ち入り後の四十七士に歴史とは違ったことをさせ、そして起こった天変地異にも似た出来事。再び行われる討ち入りは誰もが知ってる討ち入りとはまるで正反対というかまるで真逆の構図となって読む人をげらげらと笑わせる。こりゃあ痛快。ある意味ではまるで忠臣蔵じゃないけれど、考えようによってはむしろこれこそが真の忠臣蔵って言えなくもない。諫言っていうのか何というのか。歴史にもしもがあったのなら、こういう事態だって起こっていたって不思議はないのかどうなのか、いやまあ流石にないだろうけど想像の中なら何でもできるってことで。吉良がどうなったのかはちょっと気になるなあ。

 ソニックな人に浜松町へと合いに行ってペンギンだって遊べるゲームの誕生秘話を聞いてから東京駅へととって返して「日本ファンタジーノベル大賞」の授賞式。ともに割と年輩な人の受賞はSF関係の賞でも似たような状況。それだけ書き手が経験を積み研さんを重ねて挑んだ現れってことで受賞作も共に高い完成度を持っていそう。建築物にスポーツ物。他に類例がない訳じゃあないけれど、それなりな読み手がそろった選考委員が太鼓判を押したものだけにきっと一般的な建築ミステリーともスポーツ青春小説とも違った味わいって奴を読ませてくれることだろー。おっつけ読もう。会場では小谷真理さんにカフェサイの模様をプリントアウトしたカラー写真で紹介。あとは山之口洋さんにご挨拶。ほかにも名前だけは知っている人とかいたんだろうけど無名の書評家には近寄るだけの甲斐性もなく遠巻きに眺めて退散する。そんなんばっかだなあ最近。

 謎。「ケメコデラックス」でケメコ&エムエムの前に立ちふさがるミシマ電機の専務ことヴァニラ・M・リペアーズさんのあの横に広がって後ろにも付きだしたお尻がどーして搭乗するキリコの中にすっぽりおさまるんだろうかってことでしゃがめばさらに幅もひろがるだろうにはみ出したりしている風はない。それはエムエムがケメコに入る時だって同じだろうけどヴァニラさんの場合は立ってたって横幅がキリコより広そうだからなあ。苦ラインの壷的な謎でもあったりするんだろーか。

 そんなヴァニラさんの声がやっと遠藤綾さんだと気付く。つまりはシェリルさん。あんまり威張りんぼうじゃない外面を良くした時のシェリルっぽい。歌の人がアジアだ何だとがんばっている一方で声に人があんまり「マクロスF」関係では出てこないだけに他でずんたか活躍してくれているとシェリルファンとしては有り難い。やっぱりコンサートでも「あたしの歌をきけー」は遠藤さんに叫んで欲しいよなあ、そんな叫びをMay’nさんがしているのかは知らないけれど。してたっけ?


【11月24日】 とか言ってたらチリで開かれている女子サッカーのU−20女子ワールドカップ」「で日本代表は天下無双のドイツ代表相手に2対1で勝利! 永里妹の得点で突き放しての勝利は姉さん世代の「なでしこジャパン」がいつもドイツの分厚い壁にはね返されて刻まれた苦手意識ってのをあっさり突き崩してくれたみたいで、ここでの経験が次の例えばワールドカップなりオリンピックで大いに生かされ晴れてメダルの獲得へ、いやいやいっそ優勝なんて夢を現実のものにしてくれるんじゃないかって期待も湧いてくる。

 そりゃあ加藤與恵選手の引退とかって悲しい出来事もあったけれども、若い世代がどんどん出てきて上をぐんぐん追い越しそう。U−17でMVPを獲得した岩瀬真奈さんなんてまだ中学生だもんなあ。澤穂希選手がやっぱり中学世代で出てきた時より豊富な選手層。5年前のワールドカップ出場での頑張りと、4年前の天下分け目の決戦に勝利した効果ってのが着実に出てきているなあ。これを見れば加藤選手も小野寺志保選手も安心して後に譲っていけるってことなのかな。池田浩美選手はどうするのかな。

 ってのはどこかに移管も期待された「TASAKIペルーレ」の移管先が11月23日のリーグ戦最終節まで決まらず、ディビジョン2からの新チームでの参戦が不可能になってしまったことでTASAKIペルーレの選手たちが今後、ちりぢりになってしまう可能性が高まってきたからで、代表選手でキャプテンも務めた池田選手を欲しがるチームもきっとあるって思えるけれども、一方で年齢もそれなりなんで果たして本人が安心してサッカーできる環境が得られるかって部分が心配のしどころか。

 サッカーは続けられなくても職場で培った技術は今のまんま田崎真珠で活かせる訳で、引退して仕事に専念、なんて道も選択肢として上がって来てしまいそう。それもひとつの身の処し方だけれども加藤選手小野寺選手に四方菜穂選手のやり尽くしての引退とはちょい、事情が違っているだけにやっぱり無念さも漂いそう。池田選手に限らずスーパープレーを連発していた阪口夢穂選手もフォワードとして切れ味抜群なところを未だ見せ続けている大谷未央選手も他のチームでは引く手あまた。けれどもグウするには経営がってところも多いあけに才能が埋もれ消えてしまう可能性も100%は捨てきれない。願うならトップチームが1部に残留して経営規模を確保した上で女子もしっかり力を入れて、1部を戦うに相応しい陣容にしようとジェフユナイテッド市原・千葉レディースが、招いてくれれば嬉しいんだけれど関西から関東ではやっぱり無理か。どうなるんだろうなあ。

 んでもって「喰霊−零−」なんかを見たら楚々としたおねーさんが内心の葛藤を露わにしつつ胸元まで露わにして身もだえしている見物のシーンが連発。埋め込まれた殺生石に操られていたとはいえ決して無から有を生んだわけではないところに黄泉も怒りの矛先を収めず切り捨ててしまったってことになるんだろーか。けれどもそうして抱いた憎しみはやっぱり殺生石にとって格好の養分。叔父のタクラミに我を忘れて突っ走った挙げ句にあちらがわへと堕ちてそして冒頭の対決へと繋がっていく、ってことになるのかな。にょっきりと伸びた脚の白さ美しさは相変わらずだけれどもそんなに脚が見えまくるのに奥はまるで見えないところも相変わらず。立ってるだけで見ええしまう「ロザリオとバンパイア」とは志が違うってことで。どっちが崇高かは個人の判断にお・ま・か・せ。

 伊達はやっぱり許せないのかそれとも伊達でも愛があるからオッケーなのかもやっぱり個人の判断か、それとも曲げることのできない心理がそこにあるのか。ってことを探りに「第3回メガネっ娘・メガネ男子コンテスト」とやらを見物に朝も早くから浜松町の都立産業貿易センターへと向かって会場に入るとガラーン。いやまあそれなりに人もいたけどそれなりで、これで果たして盛り上がるんだろうかと懸念しつつ迎えた予選も決勝に残る人数の男子で倍弱しか出場者が集まらず、女子は定員割れすら起こしていたりする状況にウーンウーンと頭を抱えたくなったけれども、午後に入って決勝が近づくに連れ観客は増え、見学の人も数を増してきたようで闊歩する顔だけフィギュアなコスプレイヤーの素人目には不思議な存在感も、そう気にはならないくらいの密度が出てきてまあ安心。せっかくフジテレビとか取材に来ているのに閑散としてちゃあ鯖江の名も廃るってものだから。

 そう鯖江。日本の眼鏡の9割以上を生産し、世界シェアでも2割の眼鏡を送り出す福井県鯖江市の眼鏡協会眼鏡工業会がしっかり主催に並んだオフィシャルイベントがこのコンテスト。去年は地元鯖江で開いたんだけれど今年は東京・青山にショップを出したってこともあって東京を舞台に開いたみたい。それでこの集まりってのは考えようによっては少ないけれども眼鏡をかけていれば誰でもオッケーってほどには眼鏡道(めがね・みち)は甘くない。出てくる人の哲学を語ればヒップホップをうなり子連れでアピールして背中のゼンマイを回転させるといった具合に、ただ眼鏡をかけてまーすって態度じゃあとてもじゃないけど予選を突破できない。

 そんな心の関門をくぐりぬけてやって来たのは誰もが猛者、ってことで語られる愛を浴びつつ最後まで見学しては、圧倒的なパフォーマンスで優勝した男子のチームとそして子連れというハンディをむしろメリットに変えて勝ち抜いた女子(子?)の優勝者のエールを讃えて1日を終える。ああ面白かった。しかしフジテレビ、どこでどんな感じで放送したんだろう。おなじ目ん玉グループはラジオもあくまで見物がてらだけれどやって来てたし活字は朝からしっかり来てた、って僕のことか、まあいずれ書くけどそんな具合に楽しそうなところに現れ報じる遺伝子が、しっかり発動していたのはまだまだこのグループも捨てたもんじゃないってことか、でもなあ、活字の本体がまるで達磨さん、だもんなあ。どうなっちゃうのかなあ。

 会場ではあと眼鏡博士のカフェを遠巻きにしつつ見物。これも最初はどうなるものかと思ったけれども午後に入ってちょぼりちょぼりと客も入ったしなにより眼鏡コンテストに出場した1人が準グランプリみたいなのを取り2万円をゲット。きっと仲間の博士のために有意義に使われたことだろう。そんな人がかけてた光る眼鏡に司会の人もご執心。商品化、なんてことになったらさらにパテントとかもはいるのかも。司会じゃなくって歯科医ってことでは「パール兄弟」のサエキけんぞうさんが審査員としてやって来てはジョン・レノンの「イマジン」を唄いシャルル・ゲーンズブールの何か切符切りの歌だかシャンソンだかを披露してくれた。目の前で「パール兄弟」の人が唄う姿を見えられただけでも最高の1日。眼鏡万歳。


【11月23日】 なおも新刊なんかをざくざく。安彦薫さん「機械じかけの竜と偽りの王子」(電撃文庫)はモーターヘッドに騎士が乗り込み戦う話。って言えれば簡単だけれど設定面にはしかけがあって代々伝わる王家のモーターヘッド、ではなく機巧鎧の中でも特別なエリュシオンは王家の血を引きなおかつエリュシオンに認められた存在した操縦できない不思議な機体。なのに目の前で唯一操縦できる王女を乗せて逃亡中のところを攻撃されて動きが止まってしまったエリュシオンを見て、これは大変王女を助けなきゃと乗り込んだ奴隷の少年がなぜかエリュシオンを操縦できてしまったから誰もが驚いた。

 いったい少年は何者だ。王女はすっかり昔生き別れた母親違いの兄だと思いこんでいるけれども、そんな存在が現れては王女をかついで国を差配しようと考えていた臣下の者たちにとってはいい迷惑。かといって現れてしまった存在を無碍にはできないし何より国が隣国に攻められ存亡の危機。ならばとここは王子を立てて戦線に押し出し裏切り者をまず始末してそして敵でも相当な手練れを相手に立ち向かわせるとこれがなかなかに少年は巧みにエリュシオンを操縦して敵を追いつめ、最終的には敗走へと向かわせる。国はこれでひとまず安泰。けれども残るは少年の秘密。本当に王家の血を引くのか。それとも何か他に秘密があるのか。兄なら結婚なんてとんでもないけどそうでないならいろいろ考えてもみたいお年頃。そんな恋愛話への興味も感じつつ少年の正体、エリュシオンの秘密に関心を抱いて続刊を待とう。ところで安彦薫さんってどんな人?

 さすがに眠ってられないと無理に起きて電車を乗り継ぎ駒沢大学へと向かう途中に木村航さん「愛とカルシウム」(双葉社)を訥々と。ハンプティ・ダンプティ・症候群、ってものが本当にあるのかどうかは謎めいてはいるけれどもともかく主人公の環は子供の頃からそんなカルシウムが体表へと出てしまうっぽい病気で体の骨がとても弱く、けれども骨折しようものならギプスで固められている間に表紙がカサカサになり石化してしまって動かなくなるからとても大変。まずは歩けなくなって、養生のために入った病院兼教育施設でも子供の頃にだっこされて落っことされた記憶があるのか暴れて手を痛めてそのまま石化。今は四肢では左手がかろうじて動くくらいで病院にほとんどねそべったまま、後戻りの効かない日々を送っている。

 とても明朗ではきはきとしていて頭は良さげ。けれどもまだ19歳だし年齢なんかはたぶん関係はなしに不自由な体を持っていることへの複雑な意識はあるようで、いずれどこかへ、というより自分で自ら選んで死んでしまいたいという願望を心の奥に持ちながらもとりあえず表向きは世話はかけているけれどもそれでも施しなんか受けているんじゃないといった矜持も持ちつつ1日1日を生きている。そこに闖入者。巣から落とされ瀕死の雀を見つけて育ててみようということになった。手足も動かせないしエサだってやれない、というか自分で食事だって満足にとれない雀以上に不自由な身が果たして子雀なんて育てられるのか。

 それでも頑固に育てようとする環。周囲からは反発もあれば理解もあったけれどもそれでも一途に自分で育てる道を選ぶ。そうして始まった物語の中では身体が不自由な人をめぐった介護や医療の問題が指摘され、効率化の名の下に切り捨てられる福祉のことが明るみに出されたりしていろいろと考えさせられることがあり、また如何ともしがたい境遇にある人たちが何を考えどう日々を生きているんだろうか、ってとこが描かれこれまたそういうものなのかと考えさせられる、というかどうしてそこまでリアルにそんな世界を描いて見せられるんだろうかと思い且つ、ともすれば悲劇的な描写なんかがあって落涙を煽るような展開があって情動を刺激されるだろう内容であるにも関わらず、そうした上から目線の同情なんざあまっぴら御免とばかりに日々をしっかり生きている人たちの姿が描かれていてどうしてそんな心境を描き得るんだろうかといった思いを抱く。

 同情すれば拒絶されそうでかといって放ってはおけない人たちに、イーブンだと接してもどこか足下が浮つくし、ビジネスライクと言うのもやぱりどこかにひっかかりが出る。そんな時に関係を円滑にして結びつきを柔らかくするような心理が、恥ずかしい言葉禁止! って言われることになるかもしれないけれどもやっぱり「愛」ってことになるんだろう。それは恋情とか劣情といったものとは違った、つながりを前向きに考えるような心理といったニュアンスでの「愛」で、だから受け取るばかりではなくって与えることも大切になって来る。

 生まれながらにして病気で長く世話になってばかりの環は受け取る方にばかり気持ちが向いててそれが当然となってだから心に痛みも生まれた。雀に注ぐ前向きの感情を育ませたことで周囲に向かって何かを求めそして与える気持ちの意味に気がついた、といったところなのか。実を言うならそうした解釈が正しいのかどうかもひたすらに健康で入院なんて扁桃腺を切った時に1泊と盲腸の時の4泊くらいしか経験がなくって、介護され続ける気持ちに生まれる様々な感情なんて想像するしかないんだけれども、読み終えれば少なくとも健常者であってもそうでない人でも、生きられるなら生きていこうって気持ちにはなれる。雀だって生きてるのに人間が、とでも言うのかな。方言も交じって快調なリズムで語られ明るさの中に厳しさも見え隠れする一編。誰がどう読み何を思うのか。社会に、政治に、人々に広く問いかけ帰ってくる言葉とそして思いを伺ってみたくなる。傑作。

 とかいってたら到着した駒沢大学駅の上にあった「餃子の王将」はまだ開いてなかったんで親戚というかライバルな「大阪王将」へと出向いて炒飯大盛りに餃子のメニューを平らげる。卵スープに生姜が利いてて炒飯といい感じにマッチ。餃子もまずまず。何より安いよなあ。そして歩いて駒沢の競技場で見た女子サッカー「プレナスなでしこリーグ」の最終節「日テレ・ベレーザ対TASAKIペルーレ」の対戦は、前々から分かっていたようにTASAKIペルーレのリーグ戦最後の試合ということもあってテレビカメラも入ってなかなかの賑わい。あれはフジテレビのマークってことは「すぽると」あたりか。感動の物語に仕立てられちゃあ叶わないかな、でもそれも次に繋がるひとつの手段だし。うーん見てみないと何とも言えないか。

 さらにもうひとつ、日本代表で長く活躍してくれた日テレ・ベレーザのゴールキーパー、小野寺志保選手とディフェンダーの四方菜穂選手とそしてミッドフィルダーとして北京五輪にも出場していた我らが加藤與恵選手の3人が、今シーズンをもって引退という女子サッカーファンにとってとてつもなく残念なできごとが重なってたこともあって、集まった人たちが見る目もなかかなに真剣。すでに日テレ・ベレーザのリーグ戦の優勝が決まっていながらあらゆるプレーを見落とせないぞって気分が蔓延して、ダラけた感じのまるでない引き締まった試合になっていた。

決めたらスーパーヒロインだったのにぃ。  試合の方はTASAKIペルーレのキーパーのミスからか復活気味の小林弥生選手が押し込みまず1点。そこをTASAKIペルーレもエースの大谷未央選手が素早い切れ込みから小野寺選手をぶち抜くゴールを決めて同点をなかなかの競り合いになって流石伝統の一戦って空気を盛り上げる。それでも総合力ではやっぱり日テレ・ベレーザに一日の長があるのか追加点が決まりはじめて最終的には4対1。小林選手の見事なコーナーキックは代表でも十分に通用しそうな気がして来た。復活あるか弥生ちゃん。

2年後に復活、中田と同チームってことは……ないな  そして何より加藤與恵選手。女子代表の「なでしこジャパン」だと圧倒的に澤穂希選手の活躍が飛び抜けて多く伝えられるけど、同じ歳の加藤選手だって早くからトップチームで活躍し、中盤のキープレーヤーとして素早く危機を察知して守備に周り、ボールを受ければ広い視野からパスを出して攻撃につなげるプレーぶりを認められ、12年連続でリーグのベストイレブンを獲得している名選手。今日も今日とてサイドにボールを散らしたり、こぼれて来るボールを拾って前に出したり、最後には自らシュートにまで持ち込んだりと活躍してて、これなら引退しなくたってまだまだ海外でだってやれろうな気がしてきたけれどもそこは本人がが決めたことなんで仕方がない。これまでの偉績を讃えながらも今後の活動を見守っていくのが良いってことで。有り難うございました。

 試合の終了後にはこれでリーグ戦ではお別れとなるTASAKIペルーレに向けて日テレ・ベレーザのサポーターからもコールが起こって、長くライバル関係にあったチームへの惜別のエール。不遇の時代が続いて是が非でも女子サッカーを盛り上げていきたいという気持ちを常に持っていた女子サッカーのサポーターってのは、自分たちのチームだけを応援するってだけじゃなく、女子サッカー全体を応援したいという気持ちが強くあって、試合前にお互いをコールするような“儀式”もよく行われてた。今回は全日本女子サッカー選手権でどちらかが途中で負ければもう2度とできないかもしれないTASAKIペルーレのコール。叫ぶ声に籠もる感情もなかなかに熱いものがあったんじゃなかろーか。

 試合後には小野寺選手、四方選手、加藤選手の挨拶があって花束贈呈も行われて、長くチームのため、そして日本代表のために活躍してくれた3選手への感謝の気持ちが場内にいっぱい。そ陰でTASAKIペルーレの方では「なでしこジャパン」のメンバーでもある池田浩美選手がひとり、最後まで残ってテレビカメラの前にたって何かを話していたのが印象的。チームがこれで終わってしまうことを残念がるコメントだったのか、それともスポンサーはかわってもチームとして存続して欲しいと願う必死のコメントだったのかはあずかり知らないけれどもそこはテレビで明らかになるからそっちを待とう。どっちにしてもこれで終わりは寂しすぎるんで、新しいことへと挑戦していく意志を失わないでがんばっていってもらいたいし、そんな意志を支えてくれる「愛」が現れることをひたすらに願いたい。愛とサッカーボール。


【11月22日】 とか言ってたら「スポーツニッポン」あたりから「ベレーザなでしこトリオが今季限りで引退」との報。うわあ。ゴールキーパーとして長く日本代表を引っ張り日テレ・ベレーザを引っ張って来た小野寺志保選手にベテランとして守備に勤しんできた四方菜穂選手にそして日テレ・ベレーザの中盤に君臨し日本代表の中盤もしっかり固めて躍進に貢献して来た我らがゴミちゃんこと加藤與恵選手も引退。うわあ。同じ歳の澤穂希選手がまだまだ現役を続けるみたいなのと比べるといささか早いって気もしないでもないだけに、まずは驚きが先に立ってしまうけれども年齢から言えばなかなかで、下から良い選手も出てきた上に当人も結婚したって事情もあるからこれはこれで仕方のないことなのかも。

 以前から存在は知ってはいたけど本格的に女子サッカーに通うようになったのは2002年も秋深まった頃に確か西が丘で見た日テレ・ベレーザとTASAKIペルーレの試合で、それによってリーグ戦の優勝も確定するって試合だったっけ? 覚えてないけどそんな試合で中盤にあって素早い察知力からボールに迫って攻撃の芽を摘んだ上に、すばやくさばいて前戦にボールを送って攻撃につなげる戦術眼の高さを持った選手が1人いて、それが当時はまだ酒井さんって名字だった加藤與恵選手だと知ってこいつは凄いとファンになり、以後機会がある度に試合会場へと足を運ぶようになってかれこれ6年か。日本代表の試合を追いかけ仙台まで行ったこともあったけれども当時はまだまだ「なでしこジャパン」なんて名前もない頃で、試合会場も300人くれば多いくらいで仙台だってまるで人とか来てなかったもんなあ。

 それが今ではオールスターに5000人とか来る時代。リーグにだって1000人とか集まったりするから時代は変わったというか。そんな時代に引退だなんてやっぱり寂しすぎるけれども事情は事情と組んでここは笑顔で最終節、TASAKIペルーレとの試合でもってその偉業を讃えながら送りだそう。そんなTASAKIペルーレもこれが田崎真珠傘下としてはリーグ戦で最後の試合ってことになるんだよなあ。あらゆる意味でメモリアルな試合な訳でもうこれは行くしかない。行って「かっとうともえ、おっおおうおー」と唄いもしかしたら日本見納めとなるかもしれない澤選手のために「おれたちのー、ほまれさーわー」と唄いそしてラストマッチを迎えた好敵手を讃えて「たさーきぺるーれ!」と叫んで駒沢の青空に響かせよう。ジェフユナイテッド市原・千葉のチケット取れなくてこれはこれで僥倖だったかもなあ。

 問題は早起きできるかってところか。今日も今日とて起きてどっかに出かけようと思ったけれども目覚めて何か「しゅごキャラ」がやっているなあと見て猫耳男子がタコ殴りにされた模様なのを確認しつつ微睡んで起きたら午後の1時30分になっていてせっかくだからと名古屋にいた頃にはわりと行ってた「餃子の王将」にでも行ってみるかと原木中山まで出向いたら満員で入れず仕方なく千葉街道を歩いて西船橋まで歩く途中に赤字転落が報道されて大変そうとは思いながらもより大変過ぎる状況に世紀をまたいでおかれている身としては逆に羨ましさすら覚える朝日新聞の京葉支局ってのが街道沿いにあってそのモダンな作りにどいうい類の建物なんだろうと興味を抱きつつ西船橋から船橋に戻って「日高屋」で炒飯の大盛りを頼んだら本当に大盛りでおまけに具が少なくいのをスープと別に頼んだ餃子を頼りにかき込んで帰宅して「黒執事」の録画はしてあったけど見ていなかった回を眺めてリアルとギャグの間合いのつかめ無さは昔からだったのかと理解しつつ眠ったら午後の9時という有意義過ぎるのか無駄過ぎるのか判然としない1日を過ごして背伸び。あーあよく寝た。

 ってなことを繰り返しては明日は間に合わないから早く起きよう。しかし疲れているのかなあ。毎週2本のお題であれこれサブカルな記事とか書いているもんなあ。たいした量じゃないけど。まあそれも修行と思おう。問題はそれが収益にまるで繋がらないってところか。ならばと未来の収益に繋げたいと願いつつせっせとライトノベルの新刊チェック。MF文庫Jでもって「ライトノベル新人賞」の佳作とやらを受賞した樋口司さん「ぴにおん!」は発火能力、といってもライターにすら劣る集中と時間をかけてようやく火が着けられる能力を持った少年がテレビに出演したもののせいぜいがどんな仕掛けなのと揶揄され退散してそれで終わりかと思ったら、とつぜんに転校してきた少女からお前と結婚すると告げられ目を白黒。そういえば少女とはテレビのオーディションで出会ってて、動物の声が聞こえる超能力者だったと言っていたのを見ていたけれどもそれはそれとして木元二葉と名乗った少女は佐々木与四郎という何とも剣豪チックな名前の少年に宣言しつつも変わらぬぞんざいな口調で接し続ける。

 いったいどういう事情かと分からないまま過ごしていた与四郎にさらに新たな出会い。呼び出されて行くとそこに管崎ナナさんという優しげな少女がいてやっぱり与四郎に結婚して欲しいと迫ってきた。どういう訳だ。さらにさらに……といった具合に続く告白タイムの理由を知って与四郎は仰天。何もそこまでしなくっても、って思わないでもないけれども力を持ってしまった者の悩みってのはそれはそれでなかなかなかもの。常人には理解しがたい痛みってものがあるみたいでそれを無くすためには手段は選ばないってことなんだろー。

 与四郎の一人語りで進む物語はぶっきらぼうな物言いの中に疑義をはさんで逡巡しながら妄想も入ってそれが現実と区別つかなくなるような展開もあってとなかなかに達者な文章運び。本当に夢の世界へと落ち込む展開もあってそれが妄想なのか現実なのか能力なのか判然としないながらも進んでいくから読む方も結構惑わされて今の立ち位置が分からなくなる。なかなかの書き手。経験者なのかそれともまったくの新人なのか。ともあれそんな事情もしらず己の力をテレビで満天下にさらしてしまった与四郎には今後も様々なアタックが訪れそう。それが見目麗しい少女たちとは限らないかもしれないけれども選り取りみどりな中で果たして与四郎は誰を選ぶんのか。仏頂面の二葉か優しげだなナナかスレンダーなのに胸は巨大なニーナか。ニーナだよな。いやしかし。ってな気分を味わいながら続きを待とう。出るのか続き?

 でもってMF文庫Jから「審査員特別賞」を受賞したおかざき登さん「二人で始める世界征服」は高校に入学した少年がやっぱりとつぜん少女から声をかけられるってストーリー。何でも幼稚園のころになくなった指輪を探してあげたことがあったそうでその少女、千紗は赤尾竜太になくれとなく親しく接して良い感じになって来たけどそこに変化。両親が亡くなってしまったという千紗に竜太はできることがあるなら何でも言ってと言ってしまったのがきっかけで、千紗は竜太を自分の家へと招いてそして竜太にひとつの、そしてとっても壮大なお願いをする。それが世界征服、だった。

 何でも代々続く秘密結社の家系に生まれた千紗は両親の死後に後をついで世界を征服しようとしていたけれどもお金はあっても仲間はおらずこれからどうしようかと途方に暮れていた。そこに竜太。これはを引っ張り込んでは無理矢理にあれやこれやして仲間にしたもののそこは優しい千紗に一般人の竜太だけあって人に悪さがなかなかできない。巷をさがわがせる銀行強盗の赤ずきんちゃんこと「リトル・レッド・ライディングフード」の一味が現れた時も逆に銀行や来店客を守る方に働いたりして世間から正義の味方扱いされてしまう。おまけに「リトル・レッド・ライディングフード」の一味にも関わりができてしまってくんずほぐれつの所に迫る、本当の悪の一味の魔手。危機を乗り越え仲間を増やしてさあこれからどうなるのか、って辺りから次巻への興味も湧いて来る。まあありがちなご町内秘密結社ものではあるけれど、キャラを整え仕組みをかえればこれはこれで新しいってことで。

 さらにMF文庫Jから志茂文彦さん「乙女革命アヤメの!」。いきなり理由もなく元か男だったか女だったかも分からないまま記憶をまるで失った状態で目覚めたらそこに美少女。うーんと迷いつつ出歩くと何でもその学院で1番人気のお姫様な姫子って少女とそっくりなんだと分かって当の姫子に引っ張り込まれて彼女がめぐらせる深慮遠謀の片棒をかつぐ羽目となる。人前ではお嬢様なくせにひとりになるとなかなかの剛腕な悪女っぷりを見せる姫子さん。まずは生徒会の代わりにあたる学院府の権限を強化するため美貌と人気を利用した演説をかまそうとするけれども事情があって動けずアヤメと名付けたそっくりさんを動かし演説をさせたらこれが大当たりして反対も押し切り権限強化の議案は成立。

 ところがそんな活躍も学院府の長の三千代を助けるどころかむしろ追い込むためだったことが判明。姫子の見かけに寄らない悪辣ぶりが浮かび上がってくるけれどもそんな悪辣さで純情可憐な乙女を騙して三千代を誘い込もうとする活動のさらに裏なんかもあったりと、いったい本当はどっちなんだと姫子に問いただしてみたくなるもののそれができるアヤメじゃなくって、記憶を失ったまま姫子の影武者的な存在としてしばらく付き従うことになりそー。問題はいったい誰が何の目的てアヤメって存在を作り出したってことなんだけれど理由が明らかになりかけたと思ったら途端に退場。それってアリか? そもそも元が男子なのか女子なのか人間なのかも不明ってところは誰かに成り代わるってシチュエーションの楽しさを大いに削いでしまう設定なだけに、そこだけでもちょろりと説明が欲しかった。まあ分からないなら分からないなりにこれから明らかにされる楽しみもあるってことで、ここは続刊を待って謎解きを楽しむことにしよう。


【11月21日】 気がつくと女子のU−20ワールドカップなんてものが始まっていて日本はカナダに2対0で勝利! 日テレ・ベレーザからは宇津木瑠美選手なんかが選ばれて行って試合にも先発していたみたい。ずいぶんと前からトップの試合に出ていたからもう結構な年齢かと思ったら全然若くってこれからいっとトップの「なでしこジャパン」に定着した上に、レギュラーも奪いチームの顔になっていってくれると願いたいけど果たして。ベレーザって新顔はいくらだって出てくるけれどベテランも強力だからなあ。U−17の大会でMVPに輝いた岩渕真奈さんだってトップじゃあやっぱり控えだし。

 でもそこは揉まれて成長するも良し、Jリーグのチームだって女子を持つべきって空気を受けてこれから増えていだろう女子チームに移って活躍するも良し。場が広がって選手層が厚くなればそれだけ日本の躍進にもつながるってものだ。アジアだけじゃなくって国際大会での優勝。それがあってもう1歩前身できるってものだ、ってことで是非にジェフユナイテッド市原・千葉レディースに。うー20の大会には前にオールスターの前座で見たJFA福島アカデミー所属の超長身な山根恵里奈選手も行ってるみたい。試合には出てなかったけれども187センチなんて中澤佑二選手と並ぶ体格を躍動させてさばくキャッチングが印象的な選手だっただけに、国際舞台に出場を遂げて自信をつけて還ってきて欲しいなあ。そうなればもう鉄壁。パワープレーで最前線に出て長身を活かしゴール、なんて場面も見られたら面白いなあ。ありえないか。

 女子サッカーとえいばトップリーグの「プレナスなでしこリーグ」もディビジョン1が日曜日に最終節を迎える様子。日テレ・ベレーザは駒沢でTASAKIペルーレと対戦ってことでまだ全日本選手権が残ってはいるけどリーグとしてはこれがTASAKIペルーレのラストゲームってことになる訳で、言ってここまでの栄光とこれからの奮闘にコールをして差し上げたい。まあ裏で行われるJリーグの「ジェフユナイテッド市原・千葉vs横浜F・マリノス」の試合のチケットを取り逃してしまったってこともあるんだけれど。そういやあ今年は日程が泰斗でベレーザの試合をまだ見ていなかった。宇津木選手と原菜摘子選手はチリだけれども北京で躍動した人たちの姿を改めて、確かめに行くって意味でも良い機会なのかも。晴れてくれ。

 完璧に完全に画き込んであったら「かんなぎ」にも負けないダンスおオープニングだと話題になっただろうに一部のキャラの一部分が動きをちょっぴり繰り返したりもする映像に留まっていてやや残念な「ロザリオとヴァンパイアCAPU2」なんだけれども割に単純な動きしかしない多のキャラクターたちにあって、なぜかひとりだけ動きに工夫が見られてターンあり、手を上げる動作ありと複雑な動きをさせられていて見た目にもそれがとっても決まっている橙条瑠妃さんへのそれはスタッフの愛情の現れなんだろうと理解。でもってそんな理解を一段を深めてくれるエピソードの羅列に雌伏数年の瑠妃さんファンの歓喜の雄叫びが真夜中の空に木霊する。うーおんおん。

 いろいろあったらしくって校門で掃除をする瑠妃さんの前に現れる月音くん。頬赤らめるってことはやっぱり瑠妃さんも月音のことが……。どうしてなんだろうなあやっぱり後ろの髪の毛に寝癖がついていることかなあ。それはともかくとして月音に追い付き絡む萌香に胡夢に紫にみぞれが増えながら両手を前につきだしポカポカ殴り合うギャグ描写も愉快な中からわき上がる瑠妃の嫉妬心。その矛先は生徒の短いスカートへと向かって膝下10センチ以上にせよとのお達しが下り男子も女子も生徒は困りテレビを見ている視聴者も困る。立っているだけで見えてしまうその短さが消えてしまうのは一大事、なのだから。

 んでドタバタが起こるかと思ったら猫目先生やら李々子先生やらが絡むショートコンツェルンというか4コマ漫画みたいなエピソードの連打。犬を拾った紫ちゃんが虐められ無きそうな顔になっているエピソードのオチが分からなかったけれどもあれは普通に良い話、だったのかどうなのか。でもってラストに最初のエピソードに回帰してロングスカートの瑠妃さんのその正体が明らかに! でもアップじゃないからよく見えませんでした。残念! って斬ってたコメディアンどこ行った?

 でもってロングスカートでもしっかり萌香さんは前蹴りを1発。ちゃんと抑えてくれるところにスタッフの作品への深い情愛って奴を感じます。短かろうと長かろうと蹴り上げれば露わになる。それが真理。でもってキャラソンの後に瑠妃の役目が衆目にさらされる。これって後の展開に絡むのかな。とりあえず居場所を与えてみせただけなのかな。残る話数がどれだけあるかは分からないけど来週もいっぱい見せてやって下さいな。オープニングのフルダンスバージョンがあればDVDとか買うのになあ。

 神保町にある「まんてん」とやらの場所がようやく分かって食いにのぞんでなるほど熱い支持を集める理由に納得、家で作る挽肉カレーとおんなじ味だよ濃さもライスの分量も。 でもってカツは揚げたてでサクサクで分厚くってそれで600円ならお客さんも集まるよなあ。でもって書店をめぐって原稿を寄せた「ミステリが読みたい2009」と「このライトノベルがすごい! 2009」が店頭に並んでいるのを確認。1位はそうか。でもって目利きな推薦に「さよならピアノソナタ」の杉井光さんが多く挙がってる。

 ってか自分と極楽トンボさんとあと誰だっけ。合計で3人くらいが推していた。割に最前線でラノベ読んでる人と同じようなラインアップってことは自分もまだまだ現役で行けそうってことか。その杉井さんを丸の内にある丸善がフィーチャー。レジ横の棚に「ソナタ」「メモ帳」「ばけらの」等々をずらり並べて推しているのは「このラノ」での人気を受けてのことなのか。それともファンの店員がいるのか。丸善では桜庭一樹さんの新刊を確保しサイン会の整理券ももらう。あと橋本紡さんの新刊と三浦しをんさんの新刊。将吉さんの新刊に木村航さんの新刊も重なって週末はこれらを読み貪る時間に当てつつ家で養生。パトラッシェぼくもう疲れたよ。

 今さらながら「のだめカンタービレ」の巴里編が前の無印とは監督が違うってことに気付いたデジタルハリウッド大学での特別講義。今千秋さんて監督が来て話すって聞いてふうんと思っていたけどそんな人だったっけと調べて前は「ハチミツとクローバー」も手がけたカサヰケンイチさんだったと気付く。それが巴里編では「ひぐらしのなく頃に」の今千秋さんに代わってた。これはつまり巴里を舞台にのだめが手に鉈もって千秋も黒木も誰もかれもどっかんしちゃう展開が待っていたりするのかな、かな?

 それはそれとしてせっかくだからと秋葉原で今千秋さんを見物。手に鉈は持っていなかった。普通の人。講義は学生相手でまあ普通にアニメづくりの段取りについて話したくらい。自分らしさってことで今監督、前と見て違うぞって言われることだって話してたけどそんなに違うのか? 違うんだろうなあ。見返してみよう。誰か質疑応答で「どうして『ひぐらし』っていろいろ言われるかな、かな?」って聞くかと思ったけど、そんな深夜アニメに溺れている人はお洒落なデジハリには来てないか。ちょっと残念。


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