縮刷版2007年6月中旬号


【6月20日】 本屋からお金を払わず持ち出すのにいつも心がびくびくしてしまう「コミックガンボ」の23号を「OAZO丸の内」にある「丸善丸の内店」で確保。冒頭に掲載の「ステージガールズ」がだんだんと快調に面白くなって来ていて良い感じ。2年前にダウンタウン松本になんとなく似ている大物芸人がネタをパクったのを咎めて番組をつぶした責任をとらされ引退していた天才アマチュアコンビ「ステージガールズ」のシゲさんが、新しいコンビ「ドルフィンズ」を組んで「M1」ならぬ「マゼコン」に出場するとゆー元相方のカメさんのことが気になり事情を聞きに、自分を引っ張り出そうとしている大手芸能プロダクションのお嬢様が作っておまけに生徒として通う芸人学校に偵察に行って感じたお嬢様のお笑いセンス。さあ始まる元相方同士の争いにどう発展していくのかって興味もそそられるけれど2週間に1回の連載じゃあなかなか話が進まない。毎週読みたいなあ。

著作権法違反の非親告罪化じゃああれやこれやと議論も起こったりしていたけれど昨日あたりに発表になってたこっちの議論もあれやこれや問題を興しそうーな割にあんまり評判になっていないのはあんまりたいしたことがないからなのか、それとも影響力のある人たちの目に届いていないからなのか。前者だと良いけど日本経済新聞が2007年6月20日付朝刊に掲載した「ネットや放送、幅広く規制・総務省研究会」って記事を読むととりよーによっては結構な問題をはらんだ規制がネットに対して行われようとしているみたい。

 ネット部分では「総務省の『通信・放送の総合的な法体系に関する研究会』(座長=一橋大学の堀部政男名誉教授)が19日、中間報告を公表した。高速インターネットやネット経由のテレビ視聴の普及で垣根が低くなる通信と放送の縦割りの事業規制を撤廃し競争を促す『情報通信法(仮称)』の制定を提言した。ネットや放送で情報を伝えるメディアを広範囲に規制対象にする案も盛り込んだ」とだけしか書かれていないけれども朝刊の方だと末尾にこうある。

 「特別メディア、一般メディアとは別に、ネット新聞・雑誌や個人のブログ(日記風簡易ホームページ)、2ちゃんねるなどネット掲示板は「公然通信」とし、守るべき共通ルールを定めて帰省する方針だ」。ここはブログなんてもんじゃなくただの日記なんで言及はされていない、って言って良いのかどうかは曖昧ながらもこれが本当だったら個人がせっかく得たメディアであるところのホームページが、お上か何かによって規制されかねないってことになる。総務省の出してる「通信・放送の総合的な法体系 中間取りまとめのポイント」とか「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間取りまとめ」とか読んでもブログとか個人ページって言及はないけれど、日経が記事で敢えて個人のブログも含めて挙げている以上は記者発表かブリーフィングで含まれるか否かの言質を取っての上だと理解するのが良いのかも。

 今後この方針が進んで「共通ルール」なんてものが定められた時には、その適用のの範囲をめぐっていろいろと議論が行われそう。そりゃあ明らかに違法性のある内容を含んだページもあるけれど、自殺の仕方を記したページがあったとして、そーゆー内容のものが本として売られている以上は違法ではないし、ロリータ趣味の小説が載っていたって、それが文学である以上は違法性を問うことは難しい。違法ではないけど青少年には有害な情報だからコンビニみたいに規制しろ、ってゾーニングを求める議論が出ているのは仕方がないとしても、個人のサイトでゾーニングなんてどうやるの? 18禁ってトップページで断れば良いの? ダイレクトにリンクされてしまう可能性あるから技術でもって防がないと条例違反に問われるの? 等々考えるとこれがなかなかに面倒くさい。

 アクセス制限が出来てねえぞ、って官憲がしゃしゃり出てきて規制するなり規制されるのが面倒とプロバイダー側が制限に乗り出しかくしてひっかかりそうなものは消えてしまうって寸法。これはイラスト類だってらち外ではない。それと有害図書防止条例なんかを参考にするって資料にはあるけど、「有害」の範囲って割に恣意的に策定されるから困ったもの。今だって地域によって濃淡が違ってて、それが最も厳しい方にあてはめられたら相当なものがネットでは発信できなくなってしまう。当初は「守るべき共通ルール」って柔らかい言葉で自主規制っぽく始めようとしているけれども規制は規制、安全パイを狙い拡大解釈の果てにぎりぎりと締め付けられることになりかねない。

 さらには義務化なんてことにもなったら、もうネットでは面白い情報なんて得られなくなる。情報でしかないのに。エロだったり誹謗中傷だったりへの規制はなるほど仕方がない、としたとしてもアナーキーな思想信条なんかが犯罪を助長するだの、特定な人への誹謗中傷だのと目されネットじゃあ発信できなくなるとかなったらこりゃあたまらない。メディア規制と言いつつ個人を含めた言葉や表現の統制へと、拡大解釈をし過ぎていけばいずれたどりつくこの案がどんな感じに世間の目をすり抜けて、姿を現し成り立ってそして世間にどんな影響を及ぼすのか。ちょっと気にして行こう。

 そーいや「コードギアス 反逆のルルーシュ」の世界ってテレビとかはむちゃくちゃ規制がかかっていたけどネットの方ってあんまり取り締まられていなかったよなあ、ゼロとか「黒の騎士団」とかが活躍する映像がネットを通してばらまかれたり情報が行き渡って日本人に希望を抱かせたり。支配のイロハから言うなら言論統制は何を置いてもやっとくべきことでそれはネットだって同様なはずなのに、総督府も案外と抜けていたのかそれとも言論の自由だとかいって緩めていたのか。まさかイレブンごときを相手に緩めるとかゆーはずもないんでいくら規制しようとも、規制しきれないことがあるんだってことのこれは現れで、だから総務省とやらも規制だ何だとやればやるほど、アングラになった情報源からより激しい情報が、漏れ出て染み入り世間を引っ張るんだってことを知って引っ込めちゃおうよこんな法律。でもやるんだろうなあ、それが日本の、お役所仕事。

 柴田ヨクサルさんの「ハチワンダイバー」に出てくるメイドで真剣師の「みるく」ちゃんと、かとりまさるさん原作で安藤慈朗さん絵の「しおんの王」に登場する女流棋士の二階堂沙織さんのいったいどっちが勝者かなあ、などと思いつつ「ハチワンダイバー」第3巻の143ページと「しおんの王」第5巻の75ページ掲載の27手表紙を見比べて思う今日このごろ。どっちもでっかいぞう。「みるく」さんの方はメイド姿の時から実にすばらしい谷間をご披露されていたから今さらなんだけど沙織さんはセーラー服姿の時はそれほどでもなかったのにシャツ1枚になるともうぱんぱん。カットソーでもキャミソールでも凄まじいばかりの張り出しぶりで、これじゃあ下の将棋盤だって見づらいんじゃないかって心配も浮かぶけれどもそれよりは相手になる棋士の方が目移りしてしょうがないかも、特に男子の場合。とかいいつつそんな沙織さんを相手にひょうひょうと勝ってしまった京戸9段はさすがに爺さん、子供の色香なんぞにゃあ負けません。早くそんな境地へと至りたいなあ、たっぷり嫌と言うほど味わい尽くしたその後で。


【6月19日】 本屋さんに噂の黄色い本を買いに行ったら黄色い本が2冊もあってサイズも同じ四六版でいったいどっちが本当の黄色い本なのかと戸惑ったけれども少なくとも永江朗さんは早川書房からSFの本は出さないと、表紙に永江さんの名前が見えた方は置いて帯にびっしりといろいろ書いてはあるけど表紙は背中に題字と作者名くらいの方の黄色い本を買う。開いたら中身は白くてバナナみたいだった、いやちゃんと文字はびっしり詰まっているけど紙の色は白いんでそう見えただけですごめんなさい。中身の方はこれからちゃんと読もうとは思うけれども脳がキャラが立ちストーリーに起伏があって美麗なイラストもいっぱい入った本向けにフォーマットされているんで、5ページ読んで角をパンくわえて曲がりぶつかっては仰向けに転がる美少女とか出てこないと放り出してしまいそう。果たしてどうだ。あるのかボーイミーツガール。

 分かっているじゃん稲本潤一選手。「週刊サッカーダイジェスト」の2007年7月3日号にインタビューが載っていてそこで「キリンカップ」での「日本代表vsコロンビア戦」で前半にまるで動けなかったことをちゃんと反省している。「監督は事前に、みんなが驚くようなシステムをやるかもしれないって言うてた。でもまさかそれが自分やとは思ってなかったんで(笑)。考えが甘かったですね、今思うと」。ガラタサライじゃあボランチしかやってなかったんでビデオを見たオシム監督も当然のよーにボランチで使ってくれるものだと思っていたらトップ下だったとゆー次第。次に同じ機会が与えられればきっとそれなりの活躍は見せられるだろー。

 欲を言えば試合の途中でも気付いて遠藤保仁選手に中村俊輔選手とポジションを入れ替わりながらボールを引き出し前へと攻め入る動きをして欲しかったしできる頭もあるとは思うんだけれどメンバー固定でポジションも固定で攻撃も守備も形式どおりのジーコ監督下の日本代表で過ごした4年間で何かを考え動きそれに周囲も理解を示して連動してさまざまな動きをする、なんてことはまるでなく、むしろ1人が創造性を発揮しよーものならついてこれない他のメンバーに混乱が起こるだろーから思いついても動けなかった。

 今は誰かがああ動けば自分はこう動く、って意識がメンバー全員に共有化されつつあるからポジションを替えても連動が効く。そのことをひとつ理解して次に臨むことの出来る選手であると信じて待とう、オオトロがトップにスコッチが右ウイングにタコが左サイドバックとなったピッチにボンレスハムとしてトップ下に入る日を、って「スーパーさぶっ!! 劇場」では相変わらず稲本選手はボンレスハムのままだけど、インタビューではスリムなスタイルを見せていた稲本選手。その体型と所属チームにマッチして、細身でピリッとマスタードの利いたフランクフルトになる日も近いと信じよう。

 授賞式にたぶんいたんだと思うけれども誰でどんな格好だったかは記憶にない木崎菜菜子さんってコバルト文庫のノベル大賞を受賞した人のデビュー作「空色のイシュラ」(コバルト文庫)は呼ばれて異世界へと行きそこで異世界人ならではの力を求められ争いの渦中へと放り込まれるとゆー、設定だけなら割にありがちな話だけれど世界の王を選ぶ役割を負った少年とは別にもうひとり、頭が良くって推理力も働く少年がくっついていったところが特徴的。熱血純情真っ直ぐ系の主人公では女王に騙され敵対する勢力に捕まり女王の奸計にはまり危機に陥ってもきっと抜け出せなかったところをもう1人があれこれ想像をめぐらし天才的な頭脳で現地の文献を読解し、自らにかけられた魔法すら解いて主人公をあれやこれやとサポートする。

 だけどボーイズなラブにはならない所がコバルト的。出来ることならそーいった感情がほのめかされていた方が、ここまで主人公に天才少年がくっついて世話をやくのかって理由付けにもなったんだけれど仕方がない。おかげで狂言回しにはなっても物語が醸し出すメッセージの部分にあんまり、大きく関わってこなかったのが残念と言える点かなあ。話は王を選ぶ役割を任された少年が世界を混乱させた女王を再任するよう求められようとして逃げ出し女王は世界の敵だと知ってひとあし早く別の王を選ぶために儀式の場所へと向かう途中に舟守の少女と出会い悲しい過去が明らかになり、と同時に女王の単純な悪ではなく純粋な想いもほの見えてきて同情も浮かぶ。そしてクライマックスに儀式の意味も明らかになって世界は選び直され新しい道を歩むんだけれど救いもあって意外な結末もあって楽しめる。でもやっぱり天才少年、目立っているのに影薄いなあ。次も2人が今度は別の世界へと落ち、そこでもやっぱり先代の英雄が起こした騒動の尻拭いをさせられるって話があれば愉快。

 やっぱり動いてなかったなあ最終回も。でもずっと流れている音楽と歌声が素晴らしかったから許すぞ「神曲奏界ポリフォニカ」は神曲を録音して再生できる機械を作ろうとして殺されてしまった研究者を愛していた精霊が、機械と研究者の思いを完成させるためにずっと横で神曲を唄っている一方で、神曲に飢えた精霊を閉じこめた箱を爆弾代わりに使うって陰謀が進んでて、1つの爆弾は回収されてももう1つが見つからなかったところに現れたテロリストたち。上でガンガンと精霊が唄ってて近所には高いビルもあって見下ろされ放題の屋上に、胡乱な風体の男たちがデカい箱を据え付けている様を見て誰も怪しいと思わないのか、つか怪しまれるとテロリストたちも思わないのか不思議だけれども思いこみってのは時として置かれた立場を見失わせるものだとここは理解。

 その爆弾も後ろでに尻餅をついた際に手でボタンを押したらパカンと開いてしまうくらいに安全装置もユルい代物。それこそ火の中でダイナマイトを導火線もむき出しにして扱うよーな所行にこいつら本当にテロを成功させる気があるのかって思ったけれどもやっぱりそこが狂信者ゆえの真っ直ぐな思いから生まれる単純なミスってことで納得するしかないよなあ、最終回だし。トーンとしては精霊の歌をまねる機械を作ることが目的じゃなくって、その機械が奏でる歌に共鳴した多くの人たちの思いが全体として大きな神曲を作り出すんだってゆー、素晴らしくも美しいメッセージがあってなかなかに感動的。時代の違う白とか住んでる場所の違う青とかも出てきたのはご愛敬としてオールスターキャストで世界の危機とそして救済を描いたクライマックスの畳みかけも気持ちを盛り上げてくれたんで、まあ良いアニメだったとゆー結論でここはひとまず締めくくろう。

 そろそろと発売になるだろーDVDはどーしよーかな、ツゲ所長の海老天くわえた顔が嫌いじゃないんで仕入れるかな。これで前代未聞の午前4時15分枠アニメも消滅。どーせだったらそのまま「コードギアス 反逆のルルーシュ」の再放送を当てはめていけば視聴も維持されるどころか増えて世界陸上の宣伝だって出来るのに。いやしかい「ポリフォニカ」を午前4時台に見ているファンに世界陸上をPRしたってどこまで意味があるのかTBS。番宣作れば何かやった気になっているってのもおめでたいよなあ、それよか日本人選手とか有名選手ばかりを取り上げ持ち上げスターを作る手法はやめて競技そのものの楽しさを啓蒙して誰もがその一瞬を見たがるよーな空気を作っていかないと、いつかの世界バスケの2の舞になってしまうぞ世界屈指のバスケ強国が来てても録画ですら放送しないんだからこの局は。


【6月18日】 そうかくさいのはセバスチャンだったのか、ってセバスチャンって何? 「らき☆すた」は4時間しか勉強できなかったと嘆くかがみと4時間も勉強したと威張るこなたの差が歴然として愉快。みゆきさんは笑っている時よりきょとんとしている時の方が何か可愛い。オープニングで踊っているクラスの面子がやっとしゃべり始める。でもだいたいが1言だけ。勿体ないけどでも鉄壁の4人組に割って入られると濃縮度が薄れるから仕方がない。つか原作じゃあどういう扱いになっているんだクラスメートたちは。

 中途半端な時期ながらも最終回だった「一騎当千Dragon Distiny」は籍壁の戦いっちゅー割にはあんまり奇跡めいたことはおこらず主役の復活とゆーお約束的な展開でもって敵を撃破しジ・エンド。終盤にかけては最大の見所でもあった見上げる形で見えるのか見せているのか分からないくらいに出まくっていた白がぐっと減ってしまい、時々なんか霞がかかったよーになってしまって悲しい思いをしたけれど、最終回もオーラが吹き上がる幻魔大戦的な場面はわんさかあっても肝心の白が少な目だったのはやっぱり残念。こんなことならちゃんと中盤の学園バトルなシーンを撮っておくべきだった。DVDにゃあいろいろと収録されるみたいだし露出も増えるそーなんでやっぱり買っておこうかなあ。どうしようかなあ。何だ佐藤琢磨はリタイアか。

 明けて新聞各紙は巻、巻、巻と巻誠一郎選手の血を流しながらの2ゴールを「スポーツニッポン」は終面でカラーで紹介し一般紙も中のスポーツ面で他のハンカチなんとかに交えつつしっかり紹介。17位に低迷するチームのなかなか活躍できなかったフォワードが、チームと監督の危機に奮闘しただけ、って言えば言えそうな話題なんだけれどもそこはなるほどワールドカップにも出場した日本代表フォワードってことで、お涙頂戴ストーリー以上のバリューがすでに巻選手にはあるってことを改めて認識させられる。2年前にはそれほどまでの選手になるとはまるで考えも及ばなかったなあ。まあ1年前ですら「コードギアス 反逆のルルーシュ」はかけらも噂になっていなかったし。人は成長するし時は確実に積み重なるのだ。

 小学館の「ガガガ文庫」第2弾として刊行された壱月龍一さんの「Re:ALIVE」を読む前に行っておくッ! おれは今このストーリーを読破した。……いや……読破したというよりまったく理解できなかったのだが……。あ、ありのままに今読んだ感想を話すぜ! おれは学園が舞台になったロックバンドのメンバーたちによるラブコメ話でメンバーの1人の縞パン露出のシーンとイラストに喜んでいたと思ったら、いつのまにか「となり町戦争」よろしくご町内が戦争のフィールドになっていて、住人に埋め込まれたFLAGなる謎の力を奪い合う戦いに巻き込まれていた。な……何を言っているのかわからねーと思うがおれも何が書いてあるのかさっぱり分からなかった……頭がどうにかなりそうだった。駄作だとか超ファンタジーだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。

 一方の犬村小六さん「レヴィアタンの恋人」(ガガガ文庫)は「北斗の拳」的で「覚悟のススメ」的な近未来ディストピアを舞台に力を得たものたちが支配し蹂躙しようとするのをケンシロウならぬ葉隠覚悟ならぬ久坂ユーキとゆー少女が、特進種としての力を発揮してはるばる調布まで攻め込んできた姫路あたりに都市を築いて一帯を支配する勢力と戦うストーリー。起こったのは核戦争でも天変地異でもなく細菌兵器か何かによる致死率9割8分の恐ろしいウイルスの猛威でほとんどの人間が死に絶えてしまった中で、とある研究者が急増したウイルスがカウンターとなって一部の人間を救いなおかつ特別な力を持たせることに成功した。それが特新種。

 なかでも霧崎キリヒトは自軍を組織し関東から西へと攻め入り行った先をことごとく蹂躙する暴虐を尽くして「簒奪王」の異名を賜った。それから半世紀。簒奪王が率いた神追軍は姫路に止まり都市を築き、遺された人々は力あるものが奪って当然な風潮の中でコミュニティを作り特進種を用心棒みたいにして奪い奪い合って生き延びていた。そんなあつ日。高い再生能力を持つ特進種で、追い剥ぎのよーなことをして生きていた青年がユーキに捕まりコミュニティに連れてこられて「ポチ」と名付けられ、。内蔵がカユくなる仕けをほどこされ、機動のキーをユーキに握られ仕方なくユーキの下で働き始める。

 そこに現れた西からの軍隊。どーやらユーキには秘密があって追ってきたものらしかった。迫る危機。しかしもっとすさまじい秘密がそこで明かされ、発動したパワーの前にすべてが蹂躙されよーとする。滅亡した都市を生きる人々ってゆー設定はほかにもいろいろ見るけれど、原始に帰らず近代文明が割に維持されつつある日本で「神追軍」とか「簒奪王」といった西欧の中世的なタームが踊り、異形の能力者が跋扈するシーンが連なり、そこに日本ならではの修験道も絡む世界観はなかなかに異様。古橋秀之さんの「ブラックロッド」シリーズにもどこか重なる退廃的で幻想的なビジョンを見せてくれる。さすがに「タマ」って名前はどーかと思うけれども殺伐とした世界に一筋の和やかさを与えてくれつ思えばまあ、納得できないこともないか。とりあえず次も買い。


【6月17日】 思うがこの連敗やゴールデンウィーク中の引き分けで監督による采配的なミスなり戦術面での至らなさが決定的な敗因となったってケースは余り思い浮かばず試合の入り始めのミスとか相次ぐケガ人でレギュラークラスがそろえられない不運といった部分で得点を奪われ引き分けるなり逆転されて勝ち点を落とした試合ばかりって印象。それらも含めて監督の責任と言えば言えるんだけれどもその間に試合にケガで出られず戦列から離れていた選手もやっぱり不運ながらも責任を負っている訳で、どちらがより正しいってことはなかなかに言い難い。いや片方はチームを預かる指揮官でもう片方が一介の選手ならば間に諍いが起こった場合に非難されるのは“造反”した選手の方。たとえ多大な貢献をしてくれた選手であっても妥当性を欠く見解に対して見方するのは筋が通らない。

 なので「フクダ電子アリーナ」で行われた「ジェフユナイテッド市原・千葉対ヴァンフォーレ甲府」の試合の前にゴール裏からしきりにストヤノフコールが出たのは正直言ってあまり愉快なことではないし、且つ選手紹介の後で監督名が紹介された時に恒例の名を呼びコールする行動を行わなかったのはもっと不愉快。これはゴール裏に陣取るサポーターはアマル・オシム監督を否定しストヤノフ選手を正義と認めた現れで、聞いてきっとアマル監督も愉快じゃなかったに違いない。試合が始まってもなかなかベンチに現れなかったのはゴール裏の“非難”にそれならそれで結構と、采配を拒否して帰ってしまったのかもって心配したけどしばらくして、珍しくスーツ姿で、それも白いスーツを来て現れたのを見て今日はアマル監督も覚悟を決めて試合に臨んだんだなって雰囲気が伝わってきた。

 いわば白は死に装束。たとえ選手のふがいない戦いぶりでも負けたらその場で辞表を書き退任する覚悟を持っていたんじゃないかって感じたけれどもそんな覚悟を感じたのか、試合で選手たちはいつものよーな短いパスをちょこちょこ繋いでは奪われ失点する無様な戦いぶりを捨て、相手が持てば何人も群がり囲み奪えば一斉に走り出す、がむしゃらサッカーでもって相手にプレッシャーをかける。そして中盤で持ったボールを巻誠一郎選手が倒れ込みながらもふわりと浮かすとキーパーを越えてゴールネットに吸い込まれるループが決まってまず1点。しかしやぱり中盤をお留守にしてこぼれたところをたたき込まれて追いつかれ、巻選手が久々なヘッドによる叩き込みの得点でリードしてもやっぱりこぼれたところをたたき込まれる同じ失点を繰り返してこいつはまたまたやばいいかも、って不安が頭をよぎる。

 巻選手がハットトリックを狙ったPKを上に外したり水野晃樹選手からの絶妙のクロスをヘッドしてはずしたりする場面が続いてヤバさも拡大。そんな中でゴール前で相手をひらりひらりとかわした羽生直剛選手がキーパー横をすり抜けるシュートでゴールに流し込んでリードを奪い、そのまま逃げ切って超久々の勝利ってやつを味わうことができた。普通に決めていれば楽に勝てた試合をこーやってはらはらにしてしまうところが今のジェフ千葉なんだけれど、今日についてはストヤノフ選手を謹慎で欠きながらも出場した選手たちがとにかく集中をし続け、護りきり攻めきって得た勝利。監督の采配を非難しストヤノフ選手にばかり肩入れしたゴール裏も今日については監督無視を謝して次回からは普通にコールすべきだと思うけれども、そーゆー理とは違った情が左右するのがファン意識って奴だから、ゴタゴタが続く間はやっぱりストヤノフコールが起こるゴール裏に奇妙な想いを抱き続けることになるんだろーなー。だからもっとすんなりと勝ってくれよジェフ千葉。

 兄貴分の不調とは正反対に妹分のジェフユナイテッド市原・千葉レディースはバニーズ京都サッカークラブに8対0と大勝して勝ち点差でFC高槻を上回りTEPCOマリーゼに続くディビジョン2の2位へと浮上。1位との差は2点でこのまま1位へと上がりそのまま突っ走れば入れ替え戦なしにディビジョン1へと上がって晴れてトップリーグでのその勇姿を見られることになるんだけれどそのディビジョン1で女王なはずの日テレ・ベレーザの調子が今ひとつで4位に甘んじているのが気がかりな所。今日も京都手TASAKIペルーれに3対2で負けていた。

 会場に向かう前に千葉を散策して千葉中央駅付近に散在するラーメン屋をながめて回るもののどこに入ればと迷い結局先に「アニメイト」をのぞいてここにはあったんだと「コードギアス 反逆のルルーシュ」のポスター自販機を見つつもさすがに今さら回すのも気がひける、ってゆーかリュックに1本さしてサッカー場に行く訳いんもいかないんで断念して向かいにある「宗庵」ってラーメン屋に入って「鬼こってり」ってのを食べたら旨かった。中細のストレートな麺は芯が残った固めなゆで方で味はスープも含めて熊本桂花ラーメンみたいな感じ。あっちはキャベツが乗っているけどこっちはネギがたっぷり。スープにびっちり背油が浮かんでいたけどくどくなく「こってり」な割には後味はさっぱりと不思議な感じ。また食べてみたいから船橋駅のそばにあると初めて知った船橋店をのぞいてみよー。

 代表の「なでしこジャパン」に大量に選手をとられ連携もままならないまま疲れを溜めてリーグにのぞんで勝てないってのは2004年のアテネ五輪前後でも見られた傾向で、このあたりトップチームの宿命と言えば言えるんだけれどもーちょっとリーグ側にはスケジュールとかの面で配慮が欲しいよなあ。日本が勝ってベレーザが負けてたんじゃあ本末転倒。このまま負け続けて2部へと落ちたら兄貴分とともに2部とゆー屈辱を味わわなくちゃいけなくなるからなあ、ってそれは千葉も同じか、レディースがあがれずジェフ千葉が落ちれば。うーんがんばれベレーザもジェフレディースもジェフ千葉も。ヴェルディはどーでも良いや。つか無理だろう。

 女性が「おんな」になる瞬間を見てしまった。そんな感じの想いを抱く短編集かもしれない小池昌代の「裁縫師」(角川書店)。近所にある事業家の屋敷に間借りする感じでテーラーを営んでいる裁縫師は腕前も良くセンスも良いと評判で、仕事の依頼がひきもきらない。今は定年で保険会社を辞めて清掃の仕事をしながら日々を送る女性はまだ9歳だった時分に母に連れられ服を仕立ててもらう。ジャンパースカートが良いと少女は良い母親はあとワンピースもと依頼しそしてデザイン画が上がり仮縫いの日が来てひとりで訪ねた少女は裁縫師の前で体を開く。「裁縫師」。

 40歳も超え独身のまま東京でひとり働きながら暮らす女性は田舎の家族と折り合いが悪くもう何年も帰郷していない。東京に住む唯一の親戚とはまだつきあいがあって3年前にその叔父といっしょになぜか動物園に行ったことがあった。本当は叔母も含めた3人で行くはずだったのが用事で叔母が外れて2人だけになって内省的であまり喋らない叔父を連れて動物園を歩く苦労をしたのに外国から叔父が戻ってくるから成田に迎えに行ってくれと叔母に頼まれ女性は出かけ、長い待機を経て出迎えのゲートに現れた叔父に向かって女性は乳首をつん、ととがらせ叔父のもとに走り出そうとして見知らぬ女性に遮られて呆然とする。「空港」。

 まだ10歳の少女は家の用事もこなして仕事から帰る母を出迎える。ヴァイオリニストだった父親はどこかへと消え快活だった兄は引きこもって部屋から出てこなくなった。少女は事故で失った小指でピアノを諦め淡々を日々を送っていたある時、母親がいなくなり部屋にいたはずの兄も消えてひとり家に取り残される。11歳の誕生日が過ぎ冬になっても少女は周囲の大人たちのうわさ話を横にひとり家で、自分だけのものになってしまった家で自由を感じる。「野ばら」。

 そんな短編に加えて妙にあらゆる科目の医者がそろった街に暮らす青年が診察を受けた帰りにいつも薬をもらいに立ち寄る薬局で受け付けから手だけのぞかせ声だけ聞かせてくれる女性と不思議な祭りの一夜を過ごす「女神」とか、交通事故にあっても無傷で済んだはずの女性が痛む肩を見てもらいに病院へと行く途中に事故の相手と出会い動物病院へと行き馬の油を塗り込められ興奮し気が付くと片腕が取れてしまいそして幻想と幻影の中に一瞬の生を知って虚無へと向かう「片腕」といったファンタジックな短編もあって川上弘美さんっぽくってSF系の人とかでも楽しめそう。これらんももやっぱり女性が「おんな」となって方や青年を癒しこなた置かれた立場を知る展開。通して読んで匂い立つ女の香りに男は煩悩をたぎらせ女は胸を尖らせ腰を左右に揺すれ。


【6月16日】 ようやっとこさ「セイントオクトーバー」。今回もギャグなしのオールシリアスな展開で、大アルカナを差し込まれたヨシュアに見捨てられた小十乃の泣きそうな表情と声に心痛めるもとりあえず元に戻ってカードも入っていない白ロリがいて赤ロリもいて熊もそろったメンバーご一行が乗り込もうとするとそこには先乗りしていた黒ロリが。ってか黒ロリではなかったはずなんだけれど、慈善の予想どおりにやっぱり何者かだった掃除の爺さんことエディ塚原によって直ったジャスティスのカードでもって大変身。そしてボウリングの格好をした巧士朗も呼び込み乗り込んだリバース社では奸計にはまりそれぞれがそれぞれに抱えた想いと対決させられる羽目となる。

 いやあここまでいろいろと繰り広げられてきた人間関係やら過去話やらがスパンと戦いの場面に投影されているシナリオワークにまず喝采。心に相当な痛手を覚悟しないと抜けられない相手たちばかりで、果たしてどーやって突破するのか次週のそれぞれの戦闘に興味が及んで仕方がない。例えば3人は破れて1人小十乃だけが相手の自分への想いを蘇らせる形で抜けても1対1でユアンくんすら取り込んだクルツを相手に戦い勝てるとはとても想わないしそれより以前にアッシュがまだ残ってる。あとでち娘も。そんな何段階にもそびえたつ巨峰を相手に果たしてどんな展開を見せてくれるかで、最初はただの萌えロリアニメとして始まったかに見えた「セイントオクトーバー」が2000年代を、つまりはゼロ年代を代表する作品へと昇華するか決まるだろー。ゼロ年代は決断主義の時代ではなくロリ驚愕な時代だったと認めさせるためにもがんばれ小十乃、そしてゴスロリ少女探偵団。

 久々に土曜日に仕事もサッカーもないんでとりあえず市場調査を兼ね秋葉原へと出向いて「ヨドバシカメラ」でちょっと前に「ヘルス&フィットネス2007」で見て面白そうだった「ジョーバ」を体験、そうかやっぱりこいつは結構効くんだなあ、誰もがだたの馬の鞍を切り取っただけのスタイルに暢気なフィットネス機器だねえ楽しそうだねえでもあんまり効きそうもないねえって想いを抱きそーだけれど、「ヘルス&フィットネス2007」の会場で載せられて揺れていたマネキンの腰部に取り付けられた筋のモデルが引っ張られひねられていた様に、意外と腰に効くのかって思い直してはいたんだけれどもいやあでもやっぱりただの鞍だからなあ、本物にはかなわないだろうと舐めていた。

 乗ってみた「ジョーバ」は前傾しつつ左右にひねられる際に背筋を張りつつ左右をのばし縮める必要があって結構きつい。んでもって後ろに傾く時は背中に力をこめて体制を真っ直ぐ保とうとする上に滑り落ちないよう股にも力を込めて鞍の部分を挟み込む必要があって結構な筋力を要求される。5分くらいの試用だったんでたいしたことはなかったけれどこれを15分とか30分とか続けた後は腰周りが結構引っ張られ縮められていい感じにエクササイズされているんじゃなかろーか。いやあ恐るべしジョーバ。ついつい欲しくなったけれども松下電器産業の正規な「ジョーバ」は10万円以上がレギュラーみたいで一般人には手が出ない。他のロデオなんとかといった物なら数万円からあるんで買えそうだけれども果たして同じだけの効果が得られるのか? ってところで疑問も浮かぶ。でも商品として売られているからにはそれなりに効果はあるんだろーなー、アルインコの激安マグネットバイクでもこぎ初めて1ヶ月くらいで顔とか痩せたよーな気がするし、気だけなんだけど。

 いい感じに運動になったんで上に上がっていつもの「ペッパーランチ」ではなく焼酎なんかを夜は飲ませる見せで「ネギ塩豚カルビ丼」とかを食べたらこれがなかなかにおいしかった。ご飯の量もあったしネギもしゃっきり豚もとろとろ。「ペッパーランチ」のくせになるハンバーグの胡椒っぷりも捨てがたいけどしばらくはこっちへと通い他のメニューも制覇といくか。そこから散策して石丸でDVDが出ていたことをようやく知った「ゲルマニウムの夜」とかその昔に上映された「アイコ16歳」の映画主題歌になっていた「Oh! キャティー」が入っている斉藤誠さんのゴールデンベストとかを買い込んでから渋谷へ。夕方から「青山ブックセンター」で開かれる豊崎由美社長と大森望フィクサーに佐々木敦さんが切り込むはずの対談までにやや時間もあったんで「キサラギ」の上映されている「シネクイント」の真下にある「パルコギャラリー」で「タイツくん良縁祈願祭り」って展覧会を見物する。

 いわずとしれた「タイツくん」のキャラクターを集めた展覧会で「SPA!」とかでおなじみの励行カードの特大版を中心とした展示がありグッズ類の販売がありそして本日は作者の松岡宏行さん&高橋潤さんのペアにある似顔絵書きのイベントもあって、これはせっかくの機会だからとモノグラムをモチーフにしたTシャツを買いカードをもらって松岡さんにありがたいお言葉、そして高橋さんに似顔絵を描いてもらう。偉い人に似顔絵を描いてもらったのってタカノ綾さん依頼かあ、いやあ流石に似ているなあ、って帽子に眼鏡って特徴ありまくりだから書きやすいんだろーけれど。でも見渡すと来ているのは女性ばかり。男性のそれも1人物で独身割引で入場して来た暑苦しそうなおっさんの絵なんて描きたくなかったかなあ、申し訳ないことをいたしました。

 思い起こせばんもはや何年前とも明言できない位に昔の2002年11月に「東京ビッグサイト」で開催あれた「ライセンシングアジア」ってキャラクター関係のイベントで、まだネット関連サービスをやってたスイスイって会社のブースに新しいキャラだよって感じに張り出されていたのを見たのが始まりだった「タイツくん」。それがあれよあれよとゆー間に雑誌のページを飾るよーになりライターのキャラクターになりフィギュアも出てイベントも開かれそして「パルコギャラリー」ってタカノ綾さんも展覧会を開く日本のアートシーンを代表する場所でもって展覧会が開かれるくらいの存在へと駆け上った。それもこれもキャラクターの持つそこはかとない可笑しさを表現される警句の率直さ。読めば誰もが肌身に刺さり胸をえぐられるくらいの真理がそこにあって、ついつい心を開いてすがりたくなる。

 だからなんだろーか、どちらかとゆーと斜に構えるふりをして近寄らない臆病な男性よりもあらゆることに前向きで何かを求めて生きている女性に「タイツくん」って人気になっているらしー。「SPA!」で確かに連載されているけれど最近の「SPA!」って女性も社会のことを知るために読むよーになっているし、他だと「フラウ」って講談社の女性誌なんかにも登場しては警句を発しているらしー。一人身で社会の荒波を生きる女性にとってタイツくんを媒介に浮き彫りにされる社会のひずみや人間関係の機微なんてものが心にズドン、と来るのかなあ。キャラクターを見た時にはこーゆー効果はまるで想像していなかっただけにちょっと感慨。それだけキャラクタービジネスって難しいってことだ。

 ここでもジョーバ、ならぬロデオなんとかってマシンの背中に「タイツくん」が飾れた、よく遊園地とかに置いてありそーな100円を入れるとぐんぐん揺れるウルトラマンとか仮面ライダーの乗り物にも近いアトラクションに載せられ揺らされ周囲で手拍子を打たれて愉快愉快、でもやっぱりロデオなんとかでも十分に腰は鍛えられることが判明した。試してみたい人はまだ会期がしばらくあるんで是非に。願い事を書いてぶらさげる絵馬カードとか、手拍子を打つと何かが起こる神社とかもあってこれで独身だの何だのって割引制度を申告すればたったの300円。「キサラギ」とかを見に行ったなら1階下がって日本のオタクな文化が映画ではなく別の方面へと抜けて現れた1つの形を体感してみては、いかが。

 歩いて表参道へと出て「マクドナルド」で「メガテリ」をむさぼってから「ABC」でトークショー、の前に書店で表紙を見てサンプルの中身を見てこいつはと感じた「Fandomania」って本をちょい高かったけど購入する、よーするに外国人のコスプレーヤーを撮影した本なんだけれど黒バックに人が浮かぶアーティスティックなレイアウトと、それから選ばれたコスプレーヤーたちの見目とはまた違った何かの基準がコスプレを、それも異国日本のキャラクターのコスプレをする外国人たちの真摯で熱烈で前向きな意識を反映しているよーでページをめくるたびに気持ちにガンガンと何かが響いてくる。

 これは何のコスプレか。そしてそれをどうしてこの人は選んだのか。似合っているとかどうとかじゃない、むしと傍目にはどうよと想われるよーなビジュアルのコスプレであればあるほど、キャラへの想いであり日本への想いって奴が浮かび上がりにじみ出る。なるほどエヴァのレイかもしれない。それは日本の最先端コスプレーヤーと造形的に比べ物にはならないけれども敢えて選び敢えてしてみせるその心意気が涙を誘う。なるほど「ガンダム」のシャアではなく「おたくのビデオ」の田中が扮したシャアである。体型からしてガンダムは無理、だがシャアが好き、ならこうするしかなかったという判断なのかそれとも根っからの「おたくのビデオ」好きなのか。聞いてみたいが聞くのが怖い。

 「ヘルシング」のセラスに扮した少女の眼鏡はかけたままないたいけさ、「ブギーポップは笑わない」のブギーポップに扮した少女のこれはなるほどと想わせる美少女ぶりがコスプレとしての静の爽やかさなら「撲殺天使ドクロちゃん」のドクロちゃんに扮した男の毒々しさはコスプレが持つ動の凄さ。つか何で外国人の兄ちゃんが「ドクロ」ちゃんなんて知ってて扮装したいと想ったのかを聞き作者のおかゆまさきさんにどう思うのかを尋ねてみたくなって来た。女の子のコスプレーヤーに割に眼鏡着用率が高いのは何だろー、コスプレ文化の発達した日本における眼鏡萌えの要素がコスプレにプラスアルファの効果をもたらすものと考えられ実践されたからなのか。単におたくな婦女子に眼鏡着用率が高いだけなのか。研究の余地あり。

 ほかにも見所突っ込みどころ満載の写真集がなぜに生まれたか、そしてどういう意義があるのかがたぶん書かれてある解説を読みたいなけれど英語なので判読できず。どっかの日本の出版社が翻訳版とか出さないかなあ、でも日本だとキャラにマルシーだのってうるさいとこになるから無理かなあ。まあ良いやとりあえずこれは「ジャパン国際コンテンツフェスティバル」が開かれ日本文化の海外に向けてのPRが行われるって記事に添えて日本の文化はすでに外国でもこーゆー感じに受容されているんだって証明に使うことにしよー。こーゆー受容をされてしまうのかと後込みするかもっとやれやれやってしまえと前進しまくるか。ああ愉快。「コードギアス 反逆のルルーシュ」関連のコスプレが出てくるのはまだしばらく先かなあ。扮装だけC.C.ででも眼鏡かけてる外国人女子、ってシチュエーションに今からそそられます。んでもってトークショーは佐々木敦さんが本谷有希子さんについて尋ねられて「ぅ……チャーミングな方……」と答えていた姿が強く印象に残りました。発せられるまでに繰り広げられた葛藤、言外に揺れ動く心理についていつか語られる時が来るのが楽しみだ。


【6月15日】 新陳代謝の激しい言論の世界でもはや過去のものとなりつつある決断主義だか何かに代わって、台頭しつつあるもはや主義と呼ぶのもはばかられるくらいに主体のない、周囲に押され当人もまあなんとなくといった感じに流される主人公たちの様が特徴的な物語で、これを果たして何と名付ければ良いのか適切な言葉が思いつかないんだけれども、主体のなさ故にもはや「○○主義」とは呼べず例えば「なんとなく系」だの「じゃまいか的」だのとでも名付ければ良いのかと、思ったものそれを決断するのも面倒なんで誰かがそのうちに何か考え出すのを待とう。ってことで「アイドルマスターアイドルマスター XENOGLOSSIA」と「機神対戦ギガンティック・フォーミュラ」だ。

 「アイドルマスター」の方は自分がやらなきゃって想いの強さと選ばれたんだってプライドの高さ故に、アイドルとの“交流”を否定し突っ走る真の決断が空回りする横で、インベル頑張ろうねって手を取り合い心を交わしあいながら敵が憎いってよりもインベル可愛そうって感情を漂わせて待つ天海春香の前に現れたのモンデンキントの敵組織トゥリアビータ。ところで奴らはいったい何のためにアイドルを確保しよーとしているの、っていうかそもそもアイドルって落下する月のかけらの破壊のためだけに使われるより、それは他国みたくミサイルに置き換え他のことに使った方が効果的だったりするんじゃないの、なんて疑問が改めて浮かんだけれどもまあ敵は敵なんで、インベルでもって戦っていたところにアイスランドの地中深くに眠った別のアイドルが感応して超音波。聞いて人工的にアイドルとのシンクロを増してた敵組織の千早とリファは頭痛に襲われたけれど、春香は平気に見えたところにトゥリアビータの疑似アイドルマスターたちの無理っぽさが伺え、なのにアイドルにこだわる必然性の見えなさに悩む。

 オーディションに受かって行ったらアイドルになるんじゃなくってアイドルに乗る仕事が待ってて、でもいいかって乗って地球を救うんだって言われてじゃあやりますって感じに流され押されて来た春香なんで敵がいて狙われていて襲われるなんてあんまり考えず、目の前で倒れたミサトさんじゃない千早を助けて毛布にくるまり人肌で暖め助けてあげる優しさってゆーか何も考えてなさってゆーか。んでもって後ろから脇腹下にふくらみをのぞかせつつ着替えた千早のサービスカットに続いてあっけらかんとすっぽんぽんで立ち(寒いだろう?)服着ろを言われるまで恥じらわない脳天気さを見せる春香からは、もはや何かを主体的に決断し、切り開いていくって態度は見えずむしろこの状況を上から下へ、右から左へと受け流していくだけの、一種の媒介としてしか機能していないこの立ち位置こそがいくら決断したってどうにもならないと分かったこの格差社会を、愉快に楽しく生きていく上での適切な態度ではないのかと思いつく。そうかムーディ的(主義じゃない)と呼べば良いのか、ひたすらに右から左へ、上から下へと受け流すこの態度を。

 「ギガンティック・フォーミュラ」の方はさらに主体性なく頼まれ戦って勝ってと可愛い子に言われ、ゲームの得意なこともあって参加して戦って相手が強いと怯え弱いと居丈高になり、自信みたいなのが出来ると突っ走ってはへこまされそれでもすぐさま立ち直ってしまう移り気ぶり。ロシアのギガンティックに攻められてもテンパリ過ぎて力が出せない慎吾は邪魔だと真名に言われて、そこでどうせ僕はやっぱり僕はといじけるのがちょい前のキャラだったんだけど慎吾はちょい憤りつつもそうなんだ、僕はしょせんはゲームがうまいだけの人間だったんだ調子に乗ってたいや参ったと、気づきすぐさま立ち直ってしまう、その変わり身の早さ移り気の多さもこれまたあらゆる変化を右から左へと受け流すムーディ的態度の現れであると、断じるんじゃなくってこれもそうかもってつぶやくだけで決断は誰かにお願い。

 千葉の彼方から世田谷を抜けて「あざみ野」で市営地下鉄乗り換えて3駅ばかり行きやっとこさたどり着いた「センター南」って駅の側にある「港北東急百貨店」の上に新しくバンダイが作った「キッズフォト バンダイスタジオ」とか何とかってゆー施設の内覧会を見物する。つまるところはコスプレして写真をとってもらえるスタジオなんだけれども置いててある機材はプロのフォトスタジオ並で、なおかつ衣装は写真館には絶対にないくらいの幅広さ。和服にドレスにキャラクターの衣装までがよりどりみどりで、行った人はその中からとっかえひっかえいろいろなものを着てなりきって楽しめる。ちなみに基本は子供のだけ。大人のはないよ。コスプレイヤーは残念。「コードギアス 反逆のルルーシュ」のがあったら毎日だって通ったのに、とりあえず着たいのはC.C.の拘束衣。あとはゼロでポーズはもちろん「合衆国、日本!」。

 思ったのは今時の流行らない写真館向けに、キャラクターバックの合成が出来るソフトとキャラクターの衣装をパッケージにしてレンタル提供するビジネスなんかができやしないかってことで、七五三と成人式くらいしか混雑しているのを見かけない街の写真館って今や生きるに必死の状態、そこに新たな商材としてこーゆーのを提供すれば、季節や行事に関係なしに子供たちに来て利用してもらえるんじゃなかろーか。ゲーセン向けにシールプリント機をレンタルして画像ソフトとか印画紙とかをサプライ用品として販売して収益をあげるモデルを写真館向けにしたって感じ?

 デジカメが出てきてプリンターが出てきてもはやDPEが専業の店は壊滅状態。記念写真を撮影できる設備を持った街の写真館だって記念写真の習慣が薄れてしまった今、何か新しい商材が欲しい所だけれど、それじゃあコスプレ撮影を専門にしようったってコスプレ用品をそろえるのは1つの写真館じゃあとても無理。商売にするならキャラクターの版権利用の許諾も必要だけれど、窓口がないからどこにも頼めず勝手にやれば著作権侵害になってしまう。だったらオフィシャルに利用できる衣装とキャラクターをそーゆーキャラクターマーチャンダイジングの得意な会社が代行して取得し提供してやることで、お互いにビジネスの幅を広げられるよーな気もするんだけれど、こーゆーアイディアって素人でも浮かぶんだからプロが考えて、そしてやられてないってことはきっとどこかに穴があるんだろー。でも近所の写真館でプリキュウアとかになれて立派な写真が撮れたら娘さんとか、喜んで通いそーだよなー。3ヶ月ごろくらいに新しい衣装やデータを提供すればリピーターも出て来そう。無理に子供と偽り着て写真に収まる大人の女性とかも出たらちょっと愉快。でも入りきらずに破いてしまったら弁償なんで体型への自覚だけはしっかりと。

 愉快だったのは映像スタジオの方でこちらはクロマキーをバックにポーズを決めるとそれが「ゲキレンジャー」の映像の中に合成されて戦隊ヒーローたちと一緒に自分もポーズを決めたりしているよーな映像が作れてしまう。「横浜アンパンマンこどもミュージアム」でもバップが似たよーなスタジオを運営していて「ばいきんまん」の飛行機に乗った所を撮影してもらうとそれがアニメの「アンパンマン」の中に合成されて、クレジットにもちゃんと自分たちの名前が出てくるよーになっていた。こっちはそれがもっと本格的になった感じでその場で渡すんじゃなくってちゃんと編集した上で、クレジットもいれジャケットにも出演している子供が登場したDVDソフトとなって手渡される。1万6800円とちょいお高いけれども世に1本のソフトのためなら、それくらいやるお父さんお母さんとかいそーだな。でも本当に本格的なお父さんお母さんは手縫いの衣装を子供に着せて自分たちも着てハンディビデオを使いCG合成もパソコンで行い自分たちで自主制作の特撮を1本、仕上げてしまうだろーなー。そこから未来の樋口さん庵野さんが生まれて来る、と。

 夏に開かれる「日本SF大会」について日本SF作家クラブがあれやこれやと協力するって内容の会見を聞きに市ヶ谷まで。途中から小松左京さんが登場して車椅子ではあったけれどもしゃべり出せばちゃんとしっかりした声音で安心。ただし話はやっぱり長め。海外から来る作家さんの名前とかもざーっと出ていてニーヴンにマーティンにホールドマンにベンフォードにシルヴァーバーグといった聞くも驚く大御所陣からソウヤーにバクスターといったところも加えて30人弱のリストが上がってた。でも目の前に平井和正さんがいたSF作家クラブの40年史完成記念パーティーでファンです握手してくださいと言い出せない人間が、しゃべれない英語を駆使してマーティンやベンフォードに話しかけられるはずもないので誰が来ようと実はあんまり関係なかったりする。見て嬉しいってことはそりゃあるけど、でもおっさんだからなあ。10代の美貌の女性SF作家は来ないのか。つかいるのか。

 パーティーには最早葉月さんが来ていてなるほど噂に違わぬ美麗な人。切れ者って雰囲気でもなく普通な感じだったけれども流石に臆して話しかけられず。綺麗な人が他にも何人もいたけれど誰だろう誰かしらってな感じで遠巻きにながめる非会員。あと東浩紀さんも来ていて髪の毛が茶色になっていた。染められるだけまだ良いよ無いと染められないんだもの。涙。大御所では眉村卓さんのお姿もあったけれども昔からJAなんかを読んで開くと載ってる写真とはまるで違うので名札がなければ分からなかったかも。そんな人は他にもいっぱいいそーで頒布していた「40年史」に若い頃の写真が掲載されている人はだいたいそーで高千穂遙さんはたぶん最たる例で知らない人が見たら絶対に分からない率100%。それを言うなら筒井康隆さん(会には所用で来られず)だって30歳の頃と今とではまるで違うけれども1点、ふさふさな髪は今なお健在だから重ねれば面影は残ってそう。やっぱり髪は大事です。もはや遅いんだけれど自分には。涙。


【6月14日】 似た設定ながらもこちらは割にストレートに、紛れ込んだ割に普通なところの出身の女性が教師として赴任した学園に散在している理事長やら教師やら生徒たちやらが全部結構な大金持ちの一族で、このうちの誰かと結婚するようにってすでに当主を隠居した老人から頼まれるってゆーのが加藤千穂美さんの「花宵ロマンス」(ビーズログ文庫)のストーリー。だけど別に候補たちが積極的にアプローチしてくるんでもなく、むしろそれぞれがいろいろと抱えているものがあって相対している中に紛れ込んで、翻弄されるって感じがあって読んで女教師に身をなぞらえる少女たちが、誉めてももらえずアプローチもしてもらえない展開に、どんな感じを抱くのかに興味が浮かぶ。

 ほらやっぱりこーゆーネオロマンスなお話って告白されて傅かれてこその喜びって訳で、なのに皆があさっての方向を向いておいてけぼりにされるのって不安にならないかって心配するけど、そーした手前勝手な奴らが一族のしがらみで持っているらしー「ロゴス」って一種の呪いを解放する力を女教師が持っているって設定があって悩み苦しんでいる彼らの心の奥を直感して懊悩を取り除いていく展開は、癒してあげたい救ってあげたいって母性的な本能って奴を、くすぐるのかもしれない。とりあえず着地点がまだ見えない展開はやっぱり誰かと結ばれることで終わるのかな、でも一族がそもそもどんな呪いを受けているのか、それをかけたのは誰なのかって当たりの説明もないんで伝奇的な展開なんかも混ぜつつ紆余曲折をしながら進んで行くんだと期待しよー。ある意味でとってもビーズログらしーシリーズかも。

 「6時間後に君は死ぬ」なんて突然道を歩いていて見知らぬ兄ちゃんから言われたら誰だって驚くし怪しむし訝るだろー。不幸が襲いかかるって言ってそれを避けるための厄払いのお札とか、幸運の壺でも売りつけよーと企む詐欺だと断じて近寄るなと追い払って当然な輩なんだけれども相手が妙に真剣で、そして5分後に目前で起こったことをピタリと 言い当ててしまったからちょっと困った。もしかして本当のこと? だとしたら自分はやっぱり6時間後に死んじゃうの? 江戸川圭史なんていかにもな名前を当てている青年から「6時間後に君は死ぬ」と言われた美緒は、圭史を信じてもしかすると自分を殺すかもしれない、しばらく前からつきまとっていたストーカーを捜して街に出る。運命を確かめるために。そして運命を変えられるものなら変えるために。

 高野和明さんの「6時間後に君は死ぬ」(講談社)はそんな不思議なビジョンを見ることができる圭史って青年をバイプレーヤーとして置きながら、運命とゆーものに直面して思い悩む女性たちを描いた連作短編集。圭史の見るビジョンは、残酷なまでに未来を確実に言い当てるんだけど、だからといって逃れられない悲劇を押しつけるだけとは限らない所がこの物語の大きなポイント。変えられない運命だからと絶望してはダメ。変えられるかもしれないと前を向き、たとえ受け入れがたい運命だとしても、それならそうと受け入れる心のゆとりを持とう、そうすることで何かが得られるんだってことを教えてくれる。

 例えば「水曜日に恋をしたら悲しい思いをする」と圭史に告げられた未亜も、なるほど涙を流す場面に行き当たるけれどもその涙がひとりの青年を幸せにして、自身も喜びを得た。決して無駄な涙じゃなかった。少女時代の自分が時を越えて現れ、脚本家になろうとしてあがく女性と出会う「時の魔法使い」も、過去を変えようとすれば変えられたんだけれどそこで妥協しないで今を、精一杯生きる確信を改めて得たことが止まっていた歯車を前へと進めた。「ドールハウスのダンサー」も、20年前から置かれていたというダンサーの運命を描いた連作のドールハウスが、プロダンサーとしての道に思い悩んでいた女性に自分自身を見つめ直させた。運命はひとつじゃない。いやある瞬間ではひとつかもしれないけれどもそれはいくつもの物語を負ってのものだし、そしてさらにいくつもの物語の始まりとなるのだ。

 「3時間後に僕は死ぬ」。そう自らの運命を見て諦めを抱いた圭史を導いたのも、圭史のビジョンによって未来を切り開いた女性の頑張りだった。雁字搦めになった運命とゆーパズルをどう解きほぐし、あるいは組み立て猶して新しくって素晴らしい運命を作り上げていくのかを教えてくれるファンタジックでロマンティックなミステリー。社会派チックでハードな長編ミステリーを得意としている人って印象があったけれども、短編だとこーゆー奴も書けるのか。SF的と言っても良さそうな内容だけにSFな人も興味があれば手にとって問題なし。時間と恋愛が軸になった短編集って点で古橋秀之さんの「ある日、爆弾が落ちてきて」なんかとも通じるかな、通じないかな、まあこれはこれで面白いのでとりあえず、おすすめ。

 ダムを見た。「ガンダム」のダム。意味するところは脚のふくらはぎの部分でこれがあるから連邦のモビルスーツは強いんだってゆー説が一部に流布しているけれど真相は不明。ともあれやっぱり10月から始まる新しい「機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)」に登場するガンダムにもしっかりとダムはついていた。品川で開かれたバンダイのガンダム関連商品発表会は冒頭から「ガンダムOO」についての商品戦略が行われ、中央にあったステージの上で大型のモデルが公開されるイベントもあったりして、バンダイとしてのなかなかな力の入れっぷりが伝わってくる。だいたいが「ガンダムSEED」ん時だって、番組が始まるからって何ヶ月も前の時期に、大々的な発表なんてしなかったし、関連商品だってせいぜいが主役メカのプラモデルくらいしか用意してなかった。

 同じサンライズの「コードギアス 反逆のルルーシュ」なんてホビー事業部系だとキーチェーンがあってあとはランスロットのプラモデルくらい。ほかにメカがあんまりないって言えば言えるんだけれど商品展開の現時点に至っての未だに少ない様と比べると、番組放送前にプラモデルの展開にハイコンプロの展開にメカとキャラのフィギュアの展開にそれからSDガンダムBBへの展開なんかがまとめて発表されるのは珍しい。放送終了から2年が立って土6は地味な作品が続き期待の映画も知らず情報が聞かれなくなるなかで、旧作はともかく新しい「ガンダム」に対して貪欲だったファンの気持ちもやや薄れかけているだけに、異例ともいえる早期の予告編放送と、そして商品展開の大々的な発表によって意識を再び「ガンダム」に向けてもらおうって考えたのかも。まあそれはそれで正しい。

 ただお話の方が「ガンダム」なのかどーかを迷うところ。舞台は地球で何でも3つの大きな勢力に分かれた世界が争っているところに戦争はいけない戦いは俺たちの力で止めるとばかりに「ガンダム」を駆る少年たちが現れるんだとか。何か国際救助隊みたい、ってよりはすでに放送されてる「ダンクーガノヴァ」と重なるところがとっても大きい。それを言うなら3つに分かれた世界ってのが、ブリタニアとEUと中華連邦に分かれている「コードギアス 反逆のルルーシュ」っぽい。つまりはあれやこれやと既視感の設定から生まれる物語なのか? いやいやそこは水島精二監督だからきっと深いテーマなり明るいギャグなりを挟んで独自の世界を見せてくれるんだと信じなくっちゃ。

 脚本も黒田洋介さんだし。各地から集められたスキルを持って性格も様々な少年たちの相克と、そして世界を護るってゆー使命とのすりあわせから生まれる様々なドラマはいったいどこへと向かうのか。最終的に見える世界は。背中の田螺は相変わらずに何のためかはモデルからでは見えなかったけれどもエネルギーをどーこーするっぽいその装置が、意味することを想像しつつ本放送を楽しみにして待とう。んで「コードギアス 反逆のルルーシュ」第2期はいつから、どこでだ?


【6月13日】 「月刊ニュータイプ」には「コードギアス 反逆のルルーシュ」のCDドラマもおまけて付いててまだ聞いてないけど強盗に囲まれたルルーシュとスザクとカレンが果たしてどんな動きを見せるのか、ってシチュエーションが面白そう。ルルーシュはスザクがランスロット乗りってもう知っているのかな? スザクはカレンが「黒の騎士団」の1人ってもう知っているのかな? エピソードの時期によって心理状態も変化しそうでその当たり、どう考えられたシナリオになっているのかに興味。あと23日に出るCDドラマの第3弾の案内もあってピザに執着するC.C.のエピソードに興味。何であそこまでピザ好きなのかが明かされる? ジャケットもシャーリーでなかなか。次は誰だろう?

 ゲームとか何かの新製品発表会に人気のタレントとかお笑い芸人とかが来てフォトセッションが行われた後、テレビの囲みになってとりあえずは製品の感想なんかをひとしきり聞いた後に、同日朝とかに発覚したタレントの結婚話だのについて感想を聞いて、羨ましいとか喜ばしいといった感想を引き出すケースは割とある。当日の午後のワイドショートか翌朝のモーニングショーでは新製品そっちのけでそちらのコメントだけが採用され、放送されるんだけれどもタレントにとっては誰かの尻馬に乗って露出するチャンスだし、その露出に乗ってまずワイドショーでは取り上げられない製品が電波に乗るんだから発表した側もしめたもの。だから誰も怒らないし止めはしない。当人の不倫発覚、とかになると流石に止めるけど。

 でも、いかに手練れのリポーターでも大御所の俳優とか大物の歌手が紅白歌合戦に出場するって記者会見にのぞんだ時に、海の向こうのパラグアイだかウクライナだかモザンビークだかで若干12歳の少女がプロ歌手としてデビューして、その国のヒットチャートをにぎわせてますけどどう思います? なんて聞く人はいない。いるはずもない。聞けばそれが自分に何の関係があるんだって怒鳴られるのが落ちだし、そうでなくても蔑まれ疎まれ二度と相手にしてもらえなくなる。主催しているNHKだってそんなリポーターは出入り禁止にして当然。仁義にもとると芸能プロダクションから圧力がかけられ使うテレビ局もなくなって、哀れリポーターは失職し路頭に迷って一家離散。でも仕方がない、それくらいに愚劣な愚問をしたんだから。

 だから全米オープンゴルフが始まるってんで正式な記者会見に臨んだタイガー・ウッズ選手やフィル・ミケルソン選手ってゆー、日本の大御所歌手ですら世界的な認知度では足下にも及ばない蒼々たるトップアスリートに向かって、今日本で評判のハム玉子サラダ? じゃない何とかって15歳のアマチュアゴルフプレーヤーがプロも居並ぶツアーで優勝したんだけどどう思う? なんて聞くのは蛮行も蛮行、およそ知能のある人間の振るまいとは思えないことなんだけれど、それを堂々とやってしまって恥じないのが日本のテレビ局。聞かれて大人のウッズ選手もミケルソン選手もそつなく答えを返したみたいだけれども、内心は何だこいつはって感じ、そしてアスリートたちに経緯をはらいルールを守って取材し記事を書く現地のメディアの人間も、これが日本のスポーツジャーナリズムのレベルかと爆笑し激怒し呆然としたに違いない。来年から行く日本のジャーナリストはすべてが同じ穴のミミズ野郎と蔑まされるんだ。可愛そうに。

 別にウッズ選手に聞くなとはいわない。テレビ番組として中継する局として話題づくりの一環として行って悪いことだとは思わない。経済関係の会見だって滅多に出てこないトップが来た時に、主題とは関係ないけど聞いておきたいことをここぞと聞くことはあったりする。あれは「ISAO」ってサービスの会見の時だったっけ、ちょうど孫正義さんについて書いてる記者から「ISAO」を立ち上げる大川功に孫さんいついて聞いてくれって頼まれたんで、頃合いを見計らいつつ同じインターネットサービスだけど孫とどこが違う? って感じに振ってあっちは虚業だこっちは実業だって答えてもらったことがある。その虚業が今なお残っているのは何か皮肉な話ではあるけれど。

 だからウッズ選手にハナカミ王子の話を聞いちゃいけないとは言わないけれど、それをするなら個別にインタビューを取って行うべきだし、公式会見の場でしかチャンスがないなら最後に申し訳なさそうに、うまい質問に絡めつつたずねるべきだった。なのに漏れ伝え聞くところでは会見が始まって早々に、それもストレートにジャパンのジュニハアイスクールのスチューデントの話を聞いたっぽい。なおかつそこで得た答えを天下の朝日新聞が何のてらいもなく、あのウッズが日本の石川選手を誉めたとかって記事にして、ウェブで流しているから笑えるというか呆れるというか。ゴルフ場で取材場所じゃない所で手紙を渡そうとしたリポーターを非難していたTBS以外のメディアだったけど、あっちは迷惑をかけるのは石川選手1人のことだし見て嘲笑するのは日本の視聴者だけ、こっちは恥をさらした場所が世界って舞台だったってところに、罪10等を乗じてなお及ばない罪深さがある。聞いた人間も聞かせた人間もどこか彼方へと行ってしまって戴きたいけど性懲りもなくやるんだよなあ、今度は別の局が似たことを。目玉ん所とかだってそのうちに。

 女子の受け入れも始めたとはいえまだ数人しか女子生徒のいない元男子校の名門学園に叔母の推薦で編入した平凡な家の出の渡部千晶って少女が見たのはパソコンを駆使して数千億円を取引する少年やランボルギーニを時速300キロで操るレーサーの少年や学校に通いながらホストクラブで働き女性たちに夢を与えて大人気の少年やら、前触れもなく現れては散らばる札束をかきあつめそして消えてしまうなぞめいた少年といったいずれも超絶のつく美少年たち。「ビジュアル7」とあだ名される7人の美少年たちの一部で、普通だったら足下にも近寄れないはずなのに千晶はそんな彼らとなぜか関わり合いになっていく。って聞けばどこにでもありがちな設定の辺見えむさん「ビジュアル7」(ビーズログ文庫、560円)なのになぜか面白い。

 それは美形たちがどこかの名門の御曹司たちで苦労もせずに育ち美貌だけを武器に女性をたらしこもうとしているってんじゃなく、株好きは自分の力で運用をしてはお金を稼ぎランボルギーニ乗りはお金の出所は気になるけれどもことレースに対しては真摯に真面目に取り組んでいるし、ホストはホストの道に邁進していて千晶に媚びるところはない。謎の少年も自分の役割とちゃんと果たして千晶を諭し励まし導こうとずる。個性的ではあるけれども突拍子もない訳じゃない、人間としてまあ許容できる範囲の人たちがそれぞれのスタンスをしっかりと持って千晶に相対するから読んでいてうっとうしさも嘘臭さも感じないで最後まで読んでいけるのかも。

 あと恋愛が目的となっていなあそうって部分も、千晶と少年たちの関係をドライでコミカルいしていて安心できる感じ。「ビジュアル7」といいながらもまだそろっていないビジュアルたち、ほかにいったいどんなのが出てきて絡むのか、ちょっと楽しみ。あと千晶の同級生のジュリア・チェンちゃんとかいい味出しててるんで、イラストも含めてもっと登場を願いたい。あとは平凡な千晶と「ビジュアル7」とが向かう場所の明示にも。恋愛関係のフラグとか立ちづらい設定なだけに楽しくあってもエンディングを設定しにくい。事件を起こして7人プラス1が挑む戦隊物にするのかそれとも1人を選ぶネオロマンス物にするのか。期待しつつ次を待とう。


【6月12日】 んでもって「月刊ニュータイプ」の最新号の「コードギアス 反逆のルルーシュ」記事はC.C.が何かぼろぼろになって地まで流しているけどいったい何かあったのか? 殺したって死なないC.C.が今にも死にそうな顔をしているところを見ると噂の24話と25話は相当に壮絶なバトルとか、繰り広げられることになるんだろーな。見かけはデカくたって乗ってる奴がルルーシュじゃあスザクの操縦するランスロットにかなうはずもない。押され蹴られ叩かれて搭乗者もろともかき回された挙げ句のC.C.の負傷か。でもそれだとルルーシュも壊れて不思議じゃないのに。谷口悟朗監督はスザクのピンチを誰かが救うって予言しているぞ。スザクがピンチとはこれいかに? 飛び込んで立ちふさがるC.C.をルルーシュが傷つける? いやあ分からないけどまあ良いいずれ放送される時を楽しみにして待とう。先行上映会は無理だなこの調子だと。

 今ごろ何を書いているんだって気持ちとそしてよーやく気にかけてくれたかって気持ちがない交ぜになった「週刊サッカーダイジェスト」2007年6月26日号の冒頭に掲載の編集部・塚越始さんによる「オピニオン・オブ・ディス・ウィーク」はタイトルに「U−20代表のスパイクに異論あり!」ってあるよーに、ユース世代のワールドカップに出場する選手が日本サッカー協会とアディダスとの間に結ばれた契約によって、アディダスのシューズしか履けないことへの異議を唱えている。気付いたのは05年にオランダで開かれた当時はまだ「ワールドユース」と言われていた大会で、廣長優志さんが「え、どういうことっすか!」と驚いた時。どーやらその当時から契約があった模様で廣長さんは「選手たちにとったら一番大事な商売道具」を制限されることへの疑問を呈したらしー。

 今回改めてその時の話を取り上げたのは、カナダでの旧ワールドユースこと現「U−20ワールドカップ」が迫っているからで、当時もそーだったけど今も同様にプロだっていっぱいいるU−20世代、高校生や中学生と違ってスパイクの1足も変えない訳ではないし、むしろ自分の特徴を最大限に発揮できるスパイクを山とあるメーカーの多才なラインアップから見つけてあわせていきたい世代。青田買いを狙うシューズメーカーにとっても注目の選手たちが、ほかのどの大会よりもリーグ戦よりも勇姿をアピール出来る世界の檜舞台で、大人が勝手に結んだ契約によって最大の武器を縛られるのはおかしい、今大会からその契約を見直せないかって論陣を張っている。だったらこの間際になって言うんじゃなくって、05年の時にもっと言えば良かったのにって思わないでもないけれど、よーやく気付いてくれたこと、そして協会のありがた迷惑な方針に真正面から挑んでくれた勇気は称えたい。

 どーせだったらやっぱりどーやらアディダスとの契約に縛られているらしー女子代表「なでしこジャパン」についても触れて欲しかった気が。05年5月21日に西が丘で開かれた対ニュージーランド戦に登場したチームは普段がナイキの沢穂希選手もプーマの酒井與恵選手もなぜかアディダスを履いていて、おかしいって思いそれを指摘した記憶がある。以後も「なでしこジャパン」の試合を見るたびにおかしいよう妙だようと言って来たのにどこのメディアも取り上げてくれる節がなかった。まあ僕も僕で「U−20代表」がやっぱり契約に縛られているとは気付かなかった訳だけど、国内で試合があんまりなくって見に行く機会もなかったんだから仕方がない。それよりは頻繁に強化試合とワールドカップ予選と五輪予選が開かれている「なでしこジャパン」だったら、誰かすぐに気付いて妙だと言ってくれても不思議じゃないのに、今回も「U−20代表」については書かれていても「なでしこジャパン」については書かれていない。やっぱりマイナーなんだなあ、専門誌であっても、女子サッカーって。

 プロ、といったらやや語弊はあるけれども沢選手はプロ契約だし浦和レッドダイヤモンズレディースにだってプロ契約している選手はいる。何より年齢だって25歳を越えた立派な大人たちな訳で、リーグ戦も含めてこなした試合数は「U−20世代」の何倍にも登る。その中から自分たちに最適のスパイクを選び履きこなして来た「なでしこジャパン」のベテランたちにも等しく真新しいアディダスのシューズを履かせるってのは、サービスどころか代表の持つポテンシャルに文字通りの“足枷”を嵌めようとする蛮行に他ならない。もらって嬉しいアマチュアな人もいるから支給は止めろとはいわないし、むしろどんどんと差し上げて戴きたいとアディダスにはお願いしたいけれどもすでに自分を確立している選手には、好きなシューズを履かせてやっても良いんじゃないかい? JFA。

 そーゆーことをこそ女子サッカーを追いかけているライター氏には書いて欲しかったんだけれどめくった「週刊サッカーダイジェスト」の2007年6月26日号のページに掲載されている「コーナーキック 蹴球情報前線」で「エル・ゴラッソ」や「日刊スポーツ」に「なでしこジャパン」の記事を寄せている江橋よしのりさんは、しばらく前に批判から転向して容認に至ったと理解した大橋浩二監督の采配に今ふたたびの批判を繰り広げていて時代が過去に戻った感じ。それも相変わらずにスピードがあって得点能力もあると絶賛の浦和レッズレディース、安藤梢選手がバックラインに入ってラインコントロールの練習に精出していることについて異論を繰り広げ、どーしてだったら前でもそしてサイドでも先発に名を連ねられないのかってゆー考察もなしに「違和感を覚えてしまう」と非難している。

 攻撃は得意なんだから苦手な守備の練習をしてるんじゃないの? って考えも浮かぶんだけれどそれはさておき「選手の適正に沿った競争の中からベストなコンビネーションを見いだすほうが、さらなる個人の成長とチームの熟成に近づくのではないか」って意見を言うなら、沢選手や宮間あや選手といった前目の選手にどうして割って入れないのか? ってことをまずは指摘してやってくださいな。それより以前に「なでしこジャパン」がアディダスのシューズを履かされた結果、大野忍選手のランに、宮間あや選手のキックに、沢穂希選手のスルーパスに影響が出ているかもしれない可能性を考察して、大橋監督に対するよーにJFAにも異論をぶつけてやって戴きたいもの。ワールドカップに五輪と大事な試合が続くだけに、「U−20代表」よりも早く何とかした方が良いんじゃなかろーか。酒井與恵選手はやっぱりプーマが似合うんだよ。

 日本のコンテンツをもっと世界に知ってもらおうとゲームはゲーム、映画は映画で漫画やアニメは漫画やアニメとそれぞれが独立して開かれていた秋の展示会をひとつの傘の下に入れて存在感を高めてアピール度を高めようって試みがお役人のお役所頭からわき出たのを拾い集めてお役所のお顔を立てようとする業界のお偉いさんたちによって仕込まれたっぽい香りがふんにゃかな「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」の新しいシンボルマークが決まるって会見があったんでこれまたお役人のお役所頭から染み出た箱物至上主義の殿堂とも言えそーな「国立新美術館」へと出向いたら今日火曜日が休館日と知らない観覧希望者がひっきりなしに門の所まで来ては訪ねて初めて休館日と知り踵を返す姿を黙劇。普通はこーゆー施設って月曜が休館だから今日は開いてるだろうって思ったんだろーしそれが普通な考えで、慣習に逆らうことがクールだなんて考えているっぽい美術館の立ち位置への疑念がわき、同時に火曜日が休みだって余りにも知られていない知名度のなさに苦笑が漏れる。いったい幾らかけて宣伝したんだ。それでこの体たらくか。

 ってな状況自体がお役人のお役所頭の空回りっぷりを体言していて愉快だったけど、肝心の「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」のシンボルマークの発表会も、まさしくそんな上っ面がピカピカしている場所で開かれるに相応しい内容だった。佐藤可士和さん。携帯電話だとかニューヨークのユニクロだとかのデザインをディレクションした当代きってのグラフィックデザイナーではあるんだけれどもコンテンツを世界にアピールするイベントのデザインを手がけるに相応しいかってゆーとこれが微妙。上がってきたのは円形のカラーチャートみたいな模様でそれがコンテンツの散らばる様を表しているとかゆーんだけれどだから何? って感慨しか浮かばない。

 つか何でシンボルマークが必要なんだ。それがなければ認知してもらえないのか。カンヌ映画祭に何かシンボルマークがあるのか。ベネチアの獅子だってアカデミーのオスカーだって渡すトロフィーが象徴となったもの。つまりはイベントから自然発生したものな訳でまるで何も関係のない所から、包む風呂敷を出されたって逆に中身が見えなくなってしまうだけだろー。これにいったい幾らかけたんだ。その金があるなら細田守監督と今敏監督に5000万円づつ渡して何かを作ってもらった方が、よほどか国際的に価値あるジャパンなコンテンツが出来るってもんだ。あるいは100人のコスプレイヤーと100人の声優を飛行機に積んでアメリカフランスイギリスイタリアロシアを回るキャラバンを実施すると。引率には高橋陽一先生をつければ世界が大歓迎してメディアも取り上げジャパンのコンテンツパワーを世界に見せつけられるだろー。

 そして音楽。音楽? どこの映画祭にテーマソングがあるんだ? それも久石譲さんだ。スタジオジブリ関係の音楽をやっているって言えば言えるけれどもそれはすべてジブリの絵があってこそのイメージな訳で単独の久石さんの音楽は幽玄な雰囲気の交響曲でしかない、それもだいたいが似た旋律の。だったらいっそすぎゃまこういちさんを起用するとか、桃井はるこさんに詞も曲も書いてもらって歌も唄ってもらうとかしてもらった方がよほどに“俺たちのジャパン国際コンテンツフェスティバルだぜ”感を出せるだろーに。それだと何億って予算がつかない? 有り難みが出ない? それがだからお役所頭ってんだ。

 まあエグゼクティブプロデューサーを担当しているテレビ番組プロダクションの偉い人の発想なんて、偉い人とか流行っている人を並べておけばどこからも文句が出ずに万事丸く収められるって八方美人の典型みたいなもの。その極地とも言えるセレクションを向こうがするなら外で勝手に金杉肇さんが言うところの「A−POP」アーティストを並べ、その詞の世界は「ユリイカ」でだって特集すべき価値があるし奥深さもあるし先進性もあると金杉さんが言う美少女ゲームとかの電波的で画期的な歌詞とそれからあらゆるジャンルを網羅した楽曲でもって、世界が驚く裏テーマソングを作って久石さんがテーマソングを披露する日にぶつけて大披露、なんてしたら愉快痛快爽快なんだけどなあ。嫌がるだろーな偉い人たちは、ヨーダとかとくに。


【6月11日】 点を取りたい気持ちと点を取られたくない気持ちが1つのボールを挟んでせめぎ合い、入れ替わりあう様があってこその感動って奴がサッカーにはあって、それはテレビの画面を通してだってちゃんと伝わってくるものだけど、テレビ朝日が“中田復帰”だなんて冗談にしか思えない煽りもくれて放送していたチャリティーマッチの模様は、確かに皆巧いしサイドの上がりとか、ディフェンス網をかいくぐっての飛び出しとそこへのスルーパスもあって、そうかこーやってボールを扱うんだこーやって攻めるんだってゆー一流の現役選手と元選手たちならではの才能を感じさせてはくれても、だからといってそこから何らかの感動を覚えることはない。サーカスじゃん、あれ。いやお金をとって命すらかけて技を見せるサーカスの方がはるかに真剣。戯れに過ぎないチャリティーマッチが真剣なスポーツの場へと子供たちを駆り立てるとはちょっと思えない。

 読んでないけどホームページで中田英寿さんは、世界を旅して子供たちと遊んでサッカーが夢を与えるものだって気付いたって書いているらしー。でもだからといってチャリティーマッチでプレッシャーのない中をちょんちょんとボールを蹴りあうことが子供たちに夢を与えることじゃない。だってそれは目一杯な姿じゃないもん。真剣じゃないもん。まだ現役でプレーできる肉体を持ち、スキルと持っている人間が目一杯な姿を見せられる場所で、真剣にプレーしてこその浮かぶ感動、ならば中田ヒデには今ふたたび現役の選手としてピッチに立ってその技を、目一杯な中で見せてはまだやれるんだ、どこまでもやれるんだ、だったら頑張ろう、サッカーでも他の何にでも、って思わせて欲しいんだけれどどーもそーゆー考えはなさそーだからなー。

 チャリティーマッチを否定する訳じゃないけど、スポーツにおけるチャリティーマッチって存在がどこか中途半端な気がしてならない。本人たちは慈善の気持ちがいっぱいなんだろうけれど、俯瞰して見えるスターがこの程度の技を披露しておきゃ観客も喜ぶしお金が集まる的なシーンはどーにもアスリート的じゃない。音楽でもよくチャリティーが行われるけど音楽の場合はチャリティーといっても誰もステージで手なんか抜かずに音楽を奏でる。それが出来るカテゴリーなんだけどスポーツはチャリティーでは真剣味が出ない。もう引退してしまった往年の名選手たちが老骨を鞭打ちひたすらに頑張る姿で感動を呼びお金も招くってんならまだ分かるけど、現役選手やまだ現役でやれそうな選手はまずピッチでプレーする姿で夢を与えるのが第一義。その上で稼いだ金を寄付でも慈善にでも使いそれをひけらかさないことの方が気持ちとしてはそぐうんだけれど。まあいいや現役復帰する気がもはやないならヒデには目一杯広告塔として資本から収奪してそれを可能な限り還元する立場を貫いてやって戴きたい。たとえ守銭奴とさげすまれても貫く姿がそういう生き方もあるんだって感動を呼ぶから。

 これこそが真剣勝負ゆえの感動って奴だと「F1カナダグランプリ」における佐藤琢磨選手の大活躍を見て実感。たいていが録画になって結果を知りながら見る関係で今ひとつ興味が薄れていたF1だったけれど北米で開かれる大会はスタートが遅くなる関係もあって生中継。でもってレースは序盤に大きなクラッシュがあって何度も先導車が入りレースの進みがトロトロになって、その間にぎゅっと詰まった車間から一気にレースが再開されるものだからチーム間のマシン性能による圧倒的な差がつくことがなく、ピットインしたか給油は済んだかタイヤは何を履いているのかって要素も絡んでなかなかに複雑。つまりはどこが優勝するのかが最後まで見えにくく、途中でスイッチを消して眠るなんてできない仕掛けになっている。

 ペースカーが入っての縦列走行はアメリカのインディなんかがオーバルコースで得意にしている手法でこれによって再度の楽しみが生まれるって奴らは言っててそれじゃあレースじゃないじゃん強い者が勝たないじゃんって以前は思っていたけどこーして見てみると案外に面白い。あとタイヤはハードとソフトの両方を1レースで使わなくちゃいけないってレギュレーションも、最善を選び走りきるのがレースの醍醐味って思いつつもその選択をどこでするのか、ペースカーが入る前に代えてゆっくりした周回の時に消費してあとは固いタイヤで走るのかどうかって選択がチームに生まれて、レースの行方を複雑にする。

 実際にこのレースでは、佐藤琢磨選手がレースも終盤でラルフ・シューマッハーを抜き7位に上がってそれで十分だよポイントも2点はとれたよって安心してたら何と前を走るフェルナンド・アロンソ選手がソフトを履いていてペースを落としていて、それを見て果敢に挑み去年のチャンピオンを去年から参加のプライベートマシンが抜き去るってゆー、夢幻のよーなシーンが見られた訳で、これも新レギュレーションの賜って言えそー。ともあれスーパーアグリ、スペインで1ポイントをとっただけで業界的には異例も異例遠さ和議されたのが今度は6位で3ポイント。昔のレースでも立派にポイントのもらえる位置へと入ってこれで、来年からの資金もきっと潤沢になるんだろー。問題は序盤に持ち上がったアグリのマシンに対する他チームからの異論の蒸し返しと、その来年のマシンへの影響か。でも支援しているって言われているホンダをしてポイントを奪えていないんだから、それだけアグリのマシンがちゃんとしているってことになる。ワークスはいったい何やってんの? 文句なんて付けられないよね恥ずかしくって。

 中国アニメを楽しむ会に行く、じゃなかった5月頭に上海に近い杭州で開かれた国際アニメ見本市に行った人たちによる報告会が行われたんで見に行ったら現地で配布されてたサンプルとかの上映もあって今の中国アニメの状況って奴が伺えた。端的に言えば千差万別で紙芝居より酷い日本の70年代だって使っていなかったよーな動きを見せる卓球少年アニメとか、宇宙の侵略者と戦うアニメとかもあったりしてそれが21世紀の今まさに最新の作品として作られようとしているって話で一体どうしたんだと愕然としたけど、一方では「抗日小奇兵」ってタイトルもそのままに日中戦争で攻め入ってきた日本軍を相手に小さい兄弟が知恵を勇気と行動力で戦うってゆー内容ながらも動きは完璧でレイアウトもばっちりな作品があったりして、中国アニメの持つ力強さって奴をひしっと感じさせられる。

 聞くと「抗日小奇兵」を作っている会社の社長は38歳くらいの人だそーで、もはや戦後すら知らない世代が何でまたこんな作品をって不思議に思ったけれどもひとつにはそーした道徳的教育的愛国的な作品が電波を国が握るあの国では受け入れられやすいってことがありそー。あとは天安門事件の後に上海から来た江沢民が押し進めた反日教育にかすってそーゆー考え方を世代的に持っていた可能性なんかも考えられるけれども年齢で言えばちょっと上だから、あるいはそーした教育を受けた世代に向けて送り出そうってマーケティング的な考え方もあったのかもしれない。もちろん根っこからばりばりの愛国反日主義者って可能性もないでもないけれど、それにしても絶品の技術をそーした限定的な方向に向けるのは勿体ないったりゃありゃしない。日本にゃあ絶対に売れないし欧米だって同様。ここは是非に技術を生かしてもっとエンターテインメントした作品を作って欲しいなあ。

 もっとも考えてみれば「コードギアス 反逆のルルーシュ」だってアメリカに暮らす人から見れば一種の反米アニメだったりする訳で、それがうまく改変された歴史に覆われ美麗なキャラクターとスタイリッシュなメカに隠されエンターテインメントへと昇華されている。だから「抗日小奇兵」も抗日的なシチュエーションを別の設定へと置き換えることによって普遍性を持たせることは十分に可能。「コードギアス」が案外にアメリカでも見られていたりする状況を鑑みるなら抗日的なシチュエーションでも見せ方によっては日本でだって受けるかもしれないけれどそれだと「抗日小奇兵」的な絵ではキツいかな。「コードギアス」はあの絵あのメカあのストーリーだからアメリカのオタクでも見れた訳だし。ともあれ1度日本のアニメの人たちに見てもらいたい作品。紹介してくれた柿崎さんありがとう。


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