縮刷版2007年6月上旬号


【6月10日】 さっと眺めたアニメーション誌の最新号の表紙は「ニュータイプ」が「コードギアス 反逆のルルーシュ」で「アニメージュ」が「おおきく振りかぶって」で「PASH」が「おおきく振りかぶって」だったかな、いや曖昧3センチな脳では記憶も3歩で吹きとぶんで買った「アニメージュ」と「ニュータイプ」についてしか確実じゃなかったりするんだけど「おお振り」で女性人気にあやかろうって画策する「アニメージュ」も開けば「コードギアス美女対談」ってことでC.C.のゆかなさんとカレン・シュタットフェルトの小清水亜美さんが登場してあれやこれやと男談義。決断主義の権化と狭い巷で評判のルルーシュ・ランペルージに関してゆかなさんは、奴はその手で父親を殺めながらも乗り越え「ルルーシュにはまだ到達できない強さ」を持つに至ったスザクに比べてまだまだってC.C.的に達観した視点から語ってる。そうかそう見えるのかやっぱりルルーシュはどこかうじうじした所が見えるのか。

 まあどだい男視点からの男好みするコンテンツを並べて決断だ何だと傾向と対策を練ったって世界の半分以上をたぶん支えていたりする女の側から見りゃあ違和感もさらにあろうってもの。データベース理論はそ点で男性女性をとわず受容し消化していくプロセスについて当てはまるところが革新的であり且つ核心的だった訳だし他の社会全般についても言えることだったからアートに社会に音楽芸能その他の方面へと波及し得た。そこが哲学としての思想と文学としての考察の差異となって読む人の感心は誘っても驚嘆は得られない理由になっているんじゃなかろーか、って何の話だ。「アニメージュ」はあとクリアファイルも付属しているけれど表紙裏表紙ともに「ルルーシュ×スザク」ってところが女性向け。「おお振り」表紙といいやっぱり婦女子ファンを狙っているなあ、せめて裏は「ユーフェミア×コーネリア」で温泉か水着にして欲しかったよ。

 水着といえば来週に幻の温泉パートのリベンジを果たすべく水着シーンもたくさん待っていそーな「天元突破グレンラガン」でいよいよシモン大復活。表向きの理由はニアちゃんを助けたいって気持ちにあったみたいだけどそーした感情を爆発させることなくとらえられた地下で手にした小さいドリルをつかいしこしこと壁を掘っていた所を見ると、根本として絶対に諦めないって気持ちを持っていて、それが上っ面の威勢の良さで突っ走っていったカミナの気持ちをアンカーとして支えていたんだってことが伺える。カミナがいたからシモンは引っ張って来られたけれどもシモンがいなけやカミナはああも奔放に走れなかったんじゃなかろーか。

 決断、なんて軽く言うけど裏には逡巡と葛藤があり好奇心と恐怖心がない交ぜになっていて、その上で現れる所作でしかない。結果としての決断ばかりを見るより裏にうごめく感情が、どうしてその結論へと至ったのかを見ないと何も分からない。ひきこもりだって立ち止まっている訳じゃあない、逡巡し懊悩した上での”決断”なのかもしれないのだから、ってまた話が流れたよ。だから「グレンラガン」は自分は自分なんだと自分を知ってシモンが立ち直り誰だっただどうするんじゃない俺だったらこうするって軸が見えていざ向かうぞ螺旋王の本拠地へ。捨てられたニアの捨てられた理由の理由なんて何もないただ飽きたから捨てただけってゆー螺旋王の酷薄さが明らかになって、だったらいった奴は何のために獣人なんぞを侍らし生き続けているのか? って目的が気になって来る。捨てられた他の姫たちっていったい何人くらいいたんだろー。そしてそれを全部埋葬する時に一行は何を思ったんだろう。かくして導き手となったニアを待ち受ける運命やいかに。悲しい未来も想像できるけれどもそこを乗り越えゆくのだ宇宙へ大グレン団。しかしてその目的は? まだ見えないんだよなあそこが。

 雨の中を出かけて最近は神保町の「VELOCHE」に代わって仕事場にしている八重洲の「TULLY’S」で原稿打ち。さすがにコーヒーはちゃんとしている。雨だったんで雨宿りの人で込んでて禁煙席の奥にあって横に床がしつらえてあって物が置ける席がふさがっていたんで喫煙席の道路側いなるカウンター席でしばらく作業。喫煙席ながらも空調が効いてて後ろで吸ってる人たちの煙とか中にこもらないのが良い。「VELOCHE」なんぞ名ばかりの分煙で奥から煙りがただよってきて充満するからなあ、全席禁煙にするかフロアを分けるかしないと意味ないじゃん、まあ個人的に煙草の煙の臭いが気にならない性質なんで良いけれど、吸えって言われれば吸うし、でも即座に止められるし、煙草ってどこが旨いのかが25年経ってもまだ分からない。

 適当に切り上げて秋葉原を散策。「石丸電気」で「花粉症姉妹」ってこユルい名前の女性デュオがキーボードを前に弾き語りをしている様に遭遇、何でもそれぞれが独立シンガーソングライターながらも結成していろいろ唄っているんだとか。歌声なまあそれなりで歌もまあそれなりに。ポップな歌はリズムがあってなかなかに楽しい。ビジュアルも花粉症のシーズンは大変みたいだけれども梅雨も迫る今の時期なら大丈夫。しかし春先とかいったいどーしてるんだろー、ぐじゅぐじゅさせつつだらだらさせつつそれでも必死に唄いきって歌い終わるとマイクはべとべとキーボードもねとねとってゆーライブを敢行しているんだとしたらそれはそれでそそられるものがあるなあ。粘液系? さすがにCDは買わずに退散、これが涙を流し鼻水をすすりながら売ってたら買ってたかも。花粉症姉妹は活動も花粉症のシーズンに。


【6月9日】 えっと初登場だよね悪の組織も女幹部もその娘に息子たちも。ファンタジーの世界を救い姫を連れて帰還し妻にした父親のところに生まれた娘や息子はみな超常的な能力を持っていて、世界に危機が迫るとそのタイプにマッチした能力者が引っ張り出されて解決に関わらされるとゆー橋本和也さん「世界平和は一家団欒のあとに」(電撃文庫)が確か前に出た時は、敵と戦うってよりもむしろ兄弟姉妹の間にあったわだかまりをどう解決するかが優先されてそれでこーゆータイトルが付けられたんだって記憶しているけれど、登場した第2巻では相手から力を吸い取る能力を持った少年が直近に悪の組織を壊滅させたことが原因で、首領の息子からちょっかいを出されている場面からいきなり始まっていていったい前巻にそんな戦いって描かれていたっけって瞬間戸惑う。

 実は書かれていたのか手元に1巻目が見つからないから判然とはしないけれども書かれていないことでもあった事実として置き、展開の中で何が起こったのかを徐々に示していって最終的に全体像が分かりそして今なにが起こり将来どうなるか、ってところも見えるよーになっているから気にならない。逆に一切過去にはなかったエピソードを当然のものとして描きそこから始めているんだとしたらなかなかのテクニック。流石は金賞を獲得しただけのことはある。さてお話の方はと言えば、前の巻が正義の味方の一家が事件と通して結束を改めて固めたのと裏表の関係にある感じで、正義の味方によって壊滅させられた悪の組織の首領が、気力も失われたまま公園のブランコでうらぶれている様を見て、息子は何とかしたいと思い、娘はどうにかしたいと心では思いつつも反発して家出し離散状態にある一家が、改めて結束を固め新たな道を踏み出すまでが描かれる。

 正義の味方にはかなわないまでも首領はかつては人望もあり迫力もあってなかなかのもので、その妻で組織ではボンデージルックに鞭を振って部下を叱咤していた悪キューレ、じゃない将軍を務め息子の1人は空気鉄砲みたいな能力がありそして娘の銀子は体力抜群エネルギー満タン。傷を付けてそこからエネルギーを吸い取る少年の能力を使っても吸い取りきれないくらいのエネルギーを持っていて、正義の味方である少年をこてんぱんに叩きのめす。もっともそんな銀子ですら恐れ狼狽するのが少年の姉の1人、七実で道ばたで出会ったら「ポマードポマードポマード」と3回唱えて逃げないと逃げられないて都市伝説までもが語られるくらいに爆裂の能力を持っているらしー。そーかそれほどまでに恐ろしかったのか。

 もっともセンスは今ひとつみたいで悪の組織が隠し持っていたアナクロの極みみたいなスタイルを持った巨大ロボットが突如街に現れた姿をみて実に格好良いと喜び是非に手に入れたいと画策。一方で巨大ロボットの登場を見て悪の組織の母親は夫が立ち直ったと思い銀子はこれを手に入れれば組織も再興できると画策したりと様々な思惑が交錯する。でもだったらいったい誰がロボットを復活させたのか? そんな謎も浮かぶ中で悪の組織の家族たちは、自分の置かれている立場を改めて見極め家族に対する思いを深めてこれからどうするかを考えていく。

 迎える大団円はなかなかの心地よさ。これで退場、ってことになるんだろーけど銀子とか未だ力も余ってそーだし良いライバル関係になりそーなんで続く展開では相変わらずのやんちゃぶりで展開に絡みつつ、さらに現れる別の敵との戦いなんかを描き、例えば七実ですらかなわない敵によってもたらされる一家団欒への危機に、皆が結集して挑む話なんてのを読んでいただけたら嬉しい限り。しかし何で「ポマード」なんだ?

 元気元気、風になれ元気。いや別に引退しなくても良いじゃんか、って大晦日に思った人も多かっただろー須藤元気は今や作家としてあちらこちらに出向きあれやこれやしているみたいで今日もきょうとて丸の内にある「オアゾ」の広場で自転車こぎのパフォーマンス。地球温暖化の防止に向けてエネルギーを減らそう、そのためには省エネで発電する電球型の蛍光ランプに取り替えようってキャンペーンをやっててだったらいったい蛍光ランプがどれくらいの省エネにつながるのかを、発電機のついた自転車をこいで証明したもの。隣で頭にランプを乗せた俳優さんがらくらくこぎつつランプを点灯させているのに、白熱電球を割り当てられた須藤さんがいくらペダルを踏んでも電球になかなか明かりを灯せない。

 そこに細工があったかどーかは分からないけど見るほどに電力を生み出す苦労って奴が伝わってくるパフォーマンスにはなっていた。なかなか分かりやすい出し物。考えた人の苦労がしのばれる。しかし元気。いやあ人気だそれも若い女性に。ステージが始まる1時間前にはすでにそれなりに女性陣が集まりステージを見つめてて、始まった時にはおよそ100人くらいが集まってはステージにあらわれる元気を熱い眼差しで見つめてた。すでに格闘家でもないのにいったいどこに惹かれるんだろー? 肉体派なのに知性的なところ?

 じっさいに会場で挨拶した時に量子論なんかを引き合いに人間のひとりひとりの観測が世界を変えるんだからもっとひとりひとりが手を取り合って未来を救おう、みたいなことを言っていて、それがさらりと出てしまうところにそれなりな勉強ぶりを感じさせてくれた。ちょっと前にはブラジルに行って古い車が排ガスをバンバン流して走っていた様に、環境問題はグローバルな問題だから皆で解決しなきゃあね、なんてことを思ったとも。出てきてひたすらに「気合いだ!」とか「ダーッ!」って叫ぶ勢いだけで環境問題に挑もうとする元プロレスラーとはえらい違い。どちらが上、って訳じゃないけど少なくとも女性には知的な方が受けるよなあ・あやかりたい。けど知性はともかく肉体が。鍛えよう。

 思い出したけど「コードギアス 反逆のルルーシュ」の世界ってのは東京租界のビルの上とゆー上にソーラーパネルが張られていたりナイトメアフレーム自体が電気で動くよーになっていたりとエネルギーに関してはなかなかにクリーンなものが使われているみたい。少なくともニーナが研究している姿が驚かれるくらいに原子力については未知なよーで原子力発電がない分のエネルギー需要をまかなう方法としていろいろと考えられているっぽい。サクラダイトてのはその点、エネルギー問題にどーゆー関わり方をしているのかな。原子力がないってことだと人間の健康に役立つX線もまだ発見されていないのかな。歴史改変の行われた世界を考えるといろいろな謎が出てくるなあ。格闘技とかってどーなっているんだろう? ボクシングにレスリングはあってもカポエラはないとか。

 丸善へと行ったついでに「ジーコ備忘録」(講談社)なんて本を買ってみる。もしかしたら案外に真っ当な指導を行っていたんだけれど選手たちがやっぱり今ひとつだったんだってゆー説を裏付けてくれる話があったりするかもしれないって期待したけど読み終えて納得、なるほどやっぱりジーコじゃあダメだったんだ。なるほど選手を信じるところがあった。自主性を重んじるところもあった。それが規律のゆるみにつなっがったって言うこともできるけれども選手を信じ自主性を重んじることはとりたてて悪くはない。日本代表にもっと誇りをもてと訴えること。それも監督としては当然の振る舞いだろー。問題はそうやって信じ自主性を重んじる結果として信頼を裏切ったり、自主性が発露されなかった選手を容赦なく切り捨てる挙に出て、日本代表とゆー場にいることの意味を理解させることが最後まで出来なかった点にある。

 体調を崩し発熱している中村俊輔選手を使い続けた。そりゃあケガだったらリハビリの度合いで日が経つほどによくなることもあるけれど、その当日に明らかに体調を崩している選手をもとからの力はあるからって言って使ったってそんな力なんて発揮されるはずがない。メンタルなんかじゃどーしよーもない部分なのにジーコ監督はがんばれ送り出す。使えない選手は引っ込め使える選手を使うってゆー当たり前のことができなかった。これはドイツに限らずあらゆる場面で繰り返されて来たことで、海外から来てコンディションが悪いと分かっているにも関わらず、引っ込めたり様子を見させたりすることなしに海外組を使い国内組の選手にあきらめの感情を持たせた。ここで代表に参加しているなら等しくモチベーションを保てと言うのなら、代表に相応しくない選手は使わないという決意も見せるべきだったけどジーコは一切動かなかった。

 中田英寿選手が前からプレスしたいと言い後ろの選手がもっと引いてくれと言って意見が対立した時もジーコ監督は選手間の自主性を重んじ調整しなかった。クロアチア戦の前にそーしたことを行って来た宮本恒靖選手の態度を「泣き言」とまで談じているけど一方では全体を押し上げることが「できなときがあるのだという点を中田英は理解しなければならない。それを理解したうえで、ではそういうときにどうすればいいのかと、ひとつひとつ解決を図っていくべきだろう」とジーコは言う。ヒデは理解したのか。していなかった。だから話し合いは平行線をたどりジーコが乗り出す羽目となった。

 どうすべきだったか。理解できないヒデを切るべきだった。それにより選手はジーコの意志が見え、ジーコが言う自主性には責任が伴うことを理解し、責任を真っ当してこその代表なのだという決意を持てた。けどしなかった。だからゆるみ曖昧になって崩壊した。 読めば読むほどにそーした状況が見えるって意味で貴重な本だし組織マネジメントを行う上でも欠かしてはいけないことが反面教師的に分かる本。自主性を醸成させつつ居場所への安穏とした感覚を抱かせずそして代表という場にいることの意味を感じさせるイビチャ・オシム監督の老獪さって奴も際だって見えて来る。この本を訳した鈴木國弘通訳の「神の苦悩」(講談社)も出ているけれど代表監督時代に関しては同じことしか言ってないんであんまり意味がなさそー。むしろここまで一心同体だったのかって驚く。鹿島アントラーズ時代の話は宮本征勝さんを棚上げしていくジーコのプライドとか見えたりして面白いからまあ読む意味はある。トニーニョ・セレーゾに向かって通訳でしかない鈴木さんがダメだしをして喧嘩になったって話はもはや何様? って印象だけれそそれだけの我の強さがあったからこそ15年もジーコとつきあって来れたんだろーなー。オシムの影武者にならなかった間瀬さんとのここでも違いが際だつ感じ。


【6月8日】 神保町にある「GAST」のダブルタルタルなんとかは竜田揚げとハンバーグにタルタルソースっていうよりはマヨネーズがかかったプレートで、ボリュームがあっておなかにたっぷりで近年のお気に入りではあるんだけど、なんだけれどカロリー高そうで悩ましい今日この頃を自転車漕ぎで解消しつつひたすらに読書。戦乙女に招かれヴァルハラに行ったはずが自ら乙女に転生してはアドルフィーネにスターリナの連合と戦う戦車の利たちを描いた深闇文貴さんの「ヴァルハラの戦姫」(KKベストセラーズ)も発想がすっとんでいて愉快だったけれども佐野しなのさん「リヴァースキス」(電撃文庫)もなかなかに奇想。善という少年が目覚めると横に自分がいてそして自分は自分が女性に生まれたら? って面もちの女の子へと変身している。

 なんじゃこりゃ、とお約束のタッチをした後で目覚めた男の格好をしている自分に聞くとどーやら中には自分ではない他人の魂が入っていて、事故で死んでしまったものの未練があって成仏できず、体をのっとったらしー。んでその未練ってのが可愛い女の子とキスをすること。そして女の子になってしまった善に一目惚れをしたらしくってキスを迫ってくるけど自分となんてキスできるかって拒絶。そこで体を乗っ取ったトモヨシという男はキスさせてくれそうな女の子を捜して街に出る。体が女の子になるんじゃなくってはじき出された魂が女の子の肉体を持ち男の子の自分とラブコメするってところが新機軸。というか奇妙極まりないけれどもラスト方面でそのあたりに、まあ必然であり運命だったんだってことで納得させてくれそーな理由も入っているんでオッケーとしておこー。つか相手が自分ならとっととキスさせてやって成仏させれば良いのに。そんなに嫌いか、自分。端で見ると嫌かもなあ。

 「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュがある朝目覚めたら……って話とかあったら歴史はどう動くのかって妄想しつつきっとそんな妄想を具現化した本とかあるんだろーな読んでみたいなと思いつつ御堂彰彦さんの「付喪堂骨董店2」(電撃文庫)を読了。アンティークって不思議な力を持った道具に魅入られた人々が破滅したり大変な目にあうエピソードを集めた連作短編の第2弾。音を消したり対面した人の見た物を感じたりできるアンティークが登場しては使った人たちの気持ちを増長させて悲劇へと至らしめる。人が死ぬのは気持ちいいものじゃあないけれど、通り魔的じゃあなくって増長すれば躓くんだって教訓めいたフォーマットになっているからまあ納得の範疇か。偽物のアンティークばかりをつかまされているらしー骨董店でバイトする少年と少女の仲が発展しないのは気にかかるところ。ってか少女の方、いくら気を引きたいからって化粧の教本に舞台女優の化粧法を選んではいけません。さぞや眉目秀麗になっていたことだろーなー。美人は何しても美人かもしれないけれども時と場合は選ばなきゃ。

 これまでは展開に悲劇はあってもどこかにお笑いの要素が入って和ませてくれたけれどもいよいよクライマックスってことで「セイントオクトーバー」は終始徹底してシリアス&サスペンス。力を解放気味にしてカードをばらまき人の心に進入しては街を支配しよーと企むクルツの魔手から逃れよーとユアンをつれて白ロリ赤ロリに熊のイワノフさんは白ロリの屋敷にこもったけれども街にあふれたクルツの手先が手に得物を持って屋敷へと集結して一触即発。一方でアッシュはあらたな僕を得るべくアルティスタを襲いそして巧士郎を操って小十乃とヨシュアが暮らす教会へと進入、そしてジャッジメントの力を失いフリーの小十乃を悪の大アルカナで僕にしよーと迫る。

 操られているだけの街の人が相手じゃあ身動きとれない白ロリ赤ロリ。ユアンだって何か力を解放させて街の人を浄化するよーなそぶりは見せない、ってことはそーゆー力はなさそー。だからこそ守ってくれるゴスロリ少女探偵団を作ったんだろーし。んでもって小十乃とヨシュアも相手がアッシュでは力でかなうはずがなくこれまた絶体絶命の大ピンチ。助けが入る感じもないけどはたしてどーやって逆転のドラマを導き出すのか、ヨシュアが魂の力を振り絞ってアッシュに挑み小十乃を逃がすのか、いやそれでも小十乃はもはやただの人、アルティスタの動向もこれある中でちょっとやそっとじゃあ逆転は出来そーもない。残るカードは掃除のおっさん? リバース社の人たちが頭にカードを光らせ歩く中でひとり何事もなかったかのよーに仕事を続けるおっさんこそが切り札ってことになるのかな、それともやっぱり最後までただのおっさんで終わるか。いやあ面白くなって参りました。

 こっちは低位安定って感じ? 「怪物王女」は原作ファンに血みどろなスタイリッシュさをスポイルされまくっててまるで面白くないと悪評ふんぷんだけれど原作を読んでない身には絵がちゃんとしていてキャラクターに声がついているってだけれもう、良かったねって暖かい気分がわきあがる。パンダはそうかただ寝ていただけなのは動物を家来にすることで動物愛護団体から非難を浴びることを避けたのか。でもそれだと「らんま1/2」だって放送できないぞ、今じゃあ。まあこのアニメは淡々と盛り上がらないまま流れる場面を見つつ背景に響く絵や場面にそぐわないピアノ曲を聞きつつ淡々と時間が過ぎていくのを味わう環境映像なんで一切の改変も気にせず気になっても良からず心落ち着けて見るべき。でなきゃあ見てられるかってことで。


【6月7日】 「イカ焼きのO迫浮き輪のO迫」の異名がそれで消える訳ではないけど「神曲奏界ポリフォニカ」のドクター・キリコじゃない悪の神曲楽士対ツゲ一家によるバトルに回はトーンとしてはまずまずの出来。ただやっぱり幾つか気になる所はあるなあ、それなりに力も持ってる精霊さんが火事の1つも沈められないのかとか単身楽団が動くくらいに綺麗だったら抱えていた妹さんだって焼け残っている地下室の状況なんかも含めて考えれば、煙に巻かれ手一酸化炭素中毒か何かで倒れていた模様で端から見て亡くなっているかなんて分からない。

 だったら精霊なんだからナイスバディなんだから今だって神曲の力をもらってないのにあんなにパワフルなんだから、妹も単身楽団も力にあかせて両方とも抱えて出て来れば良いのに明らかに死んでいると見て楽器だけ抱えて精霊は地下室から出てきたって展開に、何で皆が納得できてしまったのかが分からない。つか何で神曲楽士にとって商売道具以上に大事な単身楽団が地下室なんかに放り込まれていて、んでもってそこに妹がいたの? って理由も説明されない。逃げ出すより早く命より大切な物がそこにあったのか? 火事ではなく殺人事件だったのか? 妹の死から6年、追悼のために集まった5人の男たちの会話から、事態の新たなる真相が浮かび上がる……ってそれは映画「キサラギ」だった、07年ナンバーワン邦画、まもなく公開なのでみんな行け、喪服で、ピンクのカチューシャ着けて。

 マテルが何か愉快なボードゲームを日本でも出すってんで見せてもらう。名付けて「シーンイット?【ハリー・ポッター】」は一種の双六のDVDとカードがついたゲームでさいころを振り出た目の数だけ進んでから、もう1つのサイコロに出る指示に従ってDVDを再生したり、カードを引いて出題されるクイズに答えてボーナスをもらうって仕組み。「ハリポタ」だとたとえばこのシーンから消えているものは何? とかこのせりふを喋っているのは誰? といった感じで映画を見れば見込んだ人ほど有利になっているからちょっと忘れてしまっているなあ、って人がDVDを見返したり、無ければ買いに走りそう。映像はすべて映画のシーンからとられてて、「ハリポタ」のチームが全面協力しているとか。DVDのセールスにも繋がるって感がえればそーゆー協力もやって絶対に損はないのかも。何より「ハリポタ」の世界を改めて楽しんでもらえるってゆーのがクリエーター冥利に尽きるよね。

 見ていると最初の作品からまもなく公開の最新作「不死鳥の騎士団」までの映像が入っているそーでエマ・ワトソンなんて最初のいかにもハーマイオニー・グレンジャーってこましゃくれて可愛らしい時代からいったいこれのどこがハーマイオニー? って感じにアダルトになってしまった時代までがゲームをしている最中に現れて、見ている子供たちをちょっと当惑させそー。でもこれで遊ぶ子供たちにとっては最初の公開の時に幼かったら一緒に成長して来た同士的な愛情もあるだろーし、最近見始めたって人には最近の「ハリポタ」のハーマイオニーが自分たちのハーマイオニーだからアダルティでも別に気にならないか。気になるのはいわゆるそーした大人たち、ってことで。

 もっともこの「シーンイット?」はひとつのフォーマットでコンテンツさえ変えればいろいろと応用出来る点が優れもので、大人が好む素材をいれれば大人たちがわいわい良いながら楽しめる製品を作り上げられる。実際い「フレンズ」とかがあるそーでこれは20代とかの女性が好んで遊んでいるとか。バスケットボールや古い映画なんってのも割に上の世代が楽しみそー。日本だったらたとえば「アンパンマン」なんてのをこのフォーマットにぶち込めば子供たちが喜びそーだし「機動戦士ガンダム」だったらガンダム世代の30代とか買って皆でわいわいがやがや遊びそー。でもって「次にシャアが言うセリフは?」でプレーヤー4人が間髪入れず「坊やだからさ!」と叫ぶ姿がそこかしこに出現するとゆー。「コードギアス 反逆のルルーシュ」だったらやっぱりあそこか、この直後にオレンジ君は何と叫んでゼロたちを見逃そうとするか? とか。

 実際のところ「ガンダム」だったらDVDにおよそ1000は入るとゆークイズだって数も十分に作れそうだし駒も「ガンダム」「ガンタンク」「ガンキャノン」「ザク」で4人分をそろえられるし何より映像が豊富。見ていて飽きずやって楽しいゲームに仕立て上げられそーだけど問題は「シーンイット!」がマテルの商材で、一方で「ガンダム」はバンダイナムコグループががっちりと押さえているってことか。以前みたいにバンダイとマテルが資本・業務提携していて日本のマテルがバンダイの事業部になっていた時代だったらすんなりと決まっただろー話でも今だとどこが出す? ってところで綱引きがありそー。いっそだったら国内は「マテル」「バンダイ」のダブルブランドで出して儲けは折半、だけど数が出るんでともにほくほくって感じに落ち着けば嬉しいなけれどそーもやっぱり行かないか。「ウルトラマン」「仮面ライダー」とかもやっぱりバンダイが絡みそうだし。でもやれば面白そうだし売れそうなんでそこら辺を理解しバンダイには是非に前向きな検討を。

 さらに年輩向けだと「鉄道」なんでどーかと提案。DVDにはSLが走るシーンと汽笛の音が入っていて聞いてプレーヤーはどこそこ線を走っているなになにって蒸気機関車だと瞬時に答えてボーナスをもらう、とか。あとは日本だと「水戸黄門」かあ、時代劇。豊富すぎるコンテンツとエピソードがあるし。でも出題は「印籠を出した格さんが次に言ったセリフは?」。分かりやすすぎ。って想像もふくらむ「シーンイット?」。フォーマットさえあればこーやっていろいろ企画も出てくるんだけれど偉いのはやっぱり元のゲームシステムを考え出したクリエーターの人たちだろーなー。あとDVDから出題されるクイズが同じ物にならないよー、プログラムを仕込んで出題を記録し同じ問題が出ないよーにした技術者たち。この技術があるから他から同じよーなものを出そうとしてもなかなか出ないとか。だからやっぱり日本の玩具メーカーは真似するんじゃなしにプロパティを持ち込み企画化を。「アンパンマン」に「ガンダム」に「鉄」いん「エヴァンゲリオン」。「スター・ウォーズ」は玩具がマテルのライバルのハスブロだから絶対無理なんだけど。

 日本の企業戦士がワルキューレに導かれヴァルハラに蘇る、なんて話が前にあったけれどもこっとは第二次世界大戦時のドイツの戦車乗りたちがヴァルハラに蘇るって話、それも美少女姿で。ははははは。深闇文貴さんの「ヴァルハラの戦姫」(KKベストセラーズ、895円)は表紙からしてシャーロット・ランプリングもかくやと想わせるくらいに半裸な少女が描かれこいつは二次元ドリームかって印象だけれど中身の方は至って真面目、とゆーかおそらくは戦記シミュレーションが中心のレーベルらしく戦車戦については細かに描写されてて性能差から戦術の妙までが織り込まれていて手に汗を握りながら戦いの様を楽しめる。でも美少女。みんな美少女。ヒトラーだってスターリンだって美少女だ。

 どーやらヴァルハラに転生した戦車乗りたちが戦っているのはヴァルハラではない所に転生しては世界征服の野望を成し遂げよーと手を組んだアドルフならぬアドルフィーネ・ヒトラーとスターリンならぬスターリナ。小柄なアドルフィーネがナイスバディなスターリナをお姉さまとしたいしなだれかかっては犬となったボルマンに豚となったベリアをペットに指揮を発して攻め上がる。迎えるは武装親衛隊「ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー」に所属し戦車138両、対戦車砲132門を撃破したミヒャエル・ヴィットマン大尉。それが転生してはやや小振りなバストを持って背中に白い羽を生やした美少女となって今ふたたびティーガーを駆り戦場へと舞い戻る。これが面白くない訳がない!

 ってまあ別にドイツの戦車隊のことはあんまり知らないけれども実在していた軍人たちがそれぞれに美少女美女となって登場しては女子校的なのりで戯れ合いつつこと戦争となればかつての能力をそのまま受け継ぎバトルする、いくつもの楽しみどころを持った本って言えそー。野上武志さんの描くイラストも皆可愛いし。エーリッヒならぬエーリカ・フォン・マンシュタイン元帥もハインツならぬハインリーケ・グデーリアンもパットンまでもが美女美少女となり妖艶に豪快に指揮し戦うその様は、これこそが天上の戦姫たちによる饗宴だって思わせてくれる。とりあえず終わってはいるけどでも未だ企むスターリナにアドルフィーネの様子から続きはありそー、つかあってくれ。


【6月6日】 サッカー専門紙「エル・ゴラッソ」で女子サッカーを担当しているライターで、女子サッカー「なでしこリーグ」のチーム「浦和レッドダイヤモンズレディース」に所属している安藤梢選手を、日本代表「なでしこジャパン」のスターティングメンバーに今日しない大橋浩司監督の方針に激しい異論を展開していた江橋よしのり氏が6日、転向を表明した。2007年6月6日発行の「エル・ゴラッソ」で江橋氏は、安藤選手を退けて代表の右サイドバックに起用され続けて来た近賀ゆかり選手について、「4年越の夢。疾走する右SB」というタイトルのコラムを寄稿。その中で「スペースに向かって長い距離を疾走する役割は、彼女の長所を最も発揮できる『転職』ともいえる」と近賀選手を絶賛し、さきごろ行われた北京五輪出場を争う最終予選の対韓国戦のプレーに対しても「6.0」の高得点を付けた。

 江橋記者はこれまで、スピードを持ちクロスの精度にも高いものがある安藤選手を起用しない布陣はおかしいと主張。テストマッチで勝利を重ねても、北京で今年開かれる「FIFA女子ワールドカップ2007北京大会」への出場を決めても、大橋監督の起用法に異論を唱え安藤選手の投入、および左サイドバックではなく本来のトップ下での起用を主張し続けてきた。この関係で安藤選手を退けて起用され続ける近賀選手に対しては、江橋氏の評価には常に厳しいものがあったが、ワールドカップ出場を決めた試合も含め、ここしばらくの「なでしこジャパン」で近賀選手は、左サイドバックを務め続け、すばやい出足や相手を振りきるテクニック、安藤選手に負けず劣らないクロスの精度に自ら得点を奪う能力の高さを披露。こうした成果が、脳細胞のニューロンまでレッドに染まっていると見なされるくらい、安藤選手を擁護し続けた江橋氏の固執を翻させた格好だ。

 もっとも、五輪予選の対韓国戦で途中出場したものの、左サイドバックでそれほど決定的な仕事を見せてはいなかった安藤選手を、フル出場して高い守備意識を見せた磯崎浩美選手や、ノーチャンスに近い失点をのぞけば完璧な守備を見せたゴールキーパーの福元美穂選手と同じ「5.5」の点数を付ける振る舞いを見せており、講評でも「『抜かせて奪う』高度な守備が光った」と指摘。「抜かれたのを奪い返した」のか判然とし難いプレーを前向きに評価するなど、依然としてミトコンドリアレベルで赤いカラーを身に帯びていることを伺わせており、10日の敵地での対韓国戦で近賀選手が不調を示し、沢穂希選手の停滞が見られる事態が起こるようなら、再び安藤選手待望論を繰り出して、その贔屓目ぶりに対する苦笑を近賀ファンから浴びることになりそうだ。

 と新聞風に書いてみたら疲れた。まあともあれ近賀選手、認められて良かったねえ。昔から昼間のリーグの試合で途中交替させられユニフォームを脱ぎアンダーシャツ姿でベンチまで闊歩して来る向こう気の強さビジュアル的な麗しさを見せてくれてはいたんだけれど、途中交替させられてしまうくらいにフィジカル部分で不安があって、アテネ五輪の時もバックアップメンバーに入りながらメンバー入りはかなわなかった。それが今では最初から出て最後まで出られるくらいに体力もついたし、かといってプレースタイルは以前にも増してアグレッシブ。突っかけ走り込み切れ込んで打つ、その動きの質は男子の水野晃樹選手を思わせるほどで、そーいえば“男前”なところも水野選手とよく似てる。沢一辺倒であとボンバーな荒川恵理子選手とママさんってことで宮本ともみ選手が取り上げられるくらいな女子代表にあって、続くスターとしてメディアがもっと注目しても良さそうだけどなあ。美貌で成る丸山佳里奈選手が出遅れているだけに今がチャンスだ。でも僕は昔も今も酒井與恵選手ラブラブ。

 21カ所自由に開く! ってキャッチフレーズでもあればぴったりな「機動戦士ガンダム」の完成品プラモデル(どっか矛盾した言葉だなあ)「ハイコンプロ」の上位モデル「スーパーハイコンプロ」をバンダイが見せてくれるってんで六本木での取材を終え、近所にある「かつや」で新メニューのねぎおろしカツ丼(ベリー美味)を描き込んでから日比谷へと駆けつけ商品を見物。言ってしまえば「リボルテック」の豪華版みたいなんだけれど「リボルテック」が間接のボールジョイントに工夫を持たせてポージングの多様性に命をかけているのと比べると「スーパーハイコンプロ」は可動のギミックに「MG」だとか「HG」だとか「PG」といったガンプラで培った技術なんかをフル投入して機構的にも、また見栄え的にもしっかり動くよーにしてあってなかなかの感動。ボール間接が見えてうーむ、ってことがなく実際にロボットがあったらこんなんかも、って想わせてくれる。

 んでハッチ部分が21カ所開いてメカニックをのぞかせてくれるのも「スーパーハイコンプロ」のスーペルな所。さらに上半身と下半身が分かれて間にコアファイターを、それも戦闘機スタイルからコアブロックに変形させて挟み込めるからちょっと凄い。あのドッキングを自分の手で再現できるのだよ。ってまあ合体ロボット玩具の基本みたいなものだけれどガンプラじゃあそーゆーギミックよりも立ち姿の麗しさが尊ばれていた所があって、なかなか挑めなかったものに完成品でそれも究極の完成品なら挑まねばならないと担当者が頑張った。コアファイターはちゃんと車輪も出るしキャノピーだって開く。そこには操縦桿を握ったアムロが……さすがにいないけれども細かい部分にまでこだわった逸品を、買って動かしライフルにバズーカだけじゃなく、ハンマーからジャベリンからフルにそろった武器を持たせていろいろあの場面、この場面を再現してみたくなる人も多いかも。ジャベリンはガウの翼にゲシゲシだよねえ。それを恨み目で見るイセリナ恋の跡。

 これだけの技術力があるなら「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出て来るナイトメアフレームだって細部にまでこだわり叩くとコックピットが飛び出すギミックも備えたり、およそロボットとは思えないスピードで旋風脚を放ったりする「スーパーハイコンプロ」とか作れそー。問題は誰が買うかだけど。「スーパーハイコンプロ」がやっぱり初代「ガンダム」になってしまうのも、山とある「ガンダム」のなかでそれが1番売れるから、っていうかそれしかあんまり売れないから。「マーク2」とか「Z」とかスタイルも変形ギミックも格好良いのがあっても値段が7000円の「スーパーハイコンプロ」にして果たして皆が買ってくれるのか。キラもアスランもついていない「SEED」登場の「ガンダム」に8000円も婦女子が出してくれるのか。出さないよなあやっぱり。

 そこが「ガンダム」って商品を展開していく上の悩みでましてや武器よりキャラに注目が集まり伸びてる「コードギアス」じゃあ、メカ物での商売は今はまだまだ厳しいかも。これが「創世のアクエリオン」だったら河森正治さんの執念へのお布施ってことで超合金が売れたんだけど。同じことは新しい「機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)」にも言えそうだけれど果たしてどんな商品を作り展開して来るなろーか。月末に「東京おもちゃショー」があってそこにも展示されるみたいなんで背中のドリルが指しているのは天なのかそれとも地なのかとか、確かめて来ようっと。髭は生えてないよね?

 どの口がそれを言う、と入ったつっこみ1万件(推定)。楽天からプレッシャーを受け続けるTBSに対してお仲間のJNNネットワークがTBSに見方する声明を出したんだけれどそれが何ともまあ状況を錯誤しているとゆーか夜郎自大がきわまっているとゆーか。「報道機関としての社会的責任の重要性は普遍であり、放送の中立性保持はその基本だから楽天は株を持っちゃあいけないって訴えているんだけれどそのTBSがやらかしたことといったら「TBS、ハニカミ王子“盗聴”取材依頼でおわび」って事態。ゴルフ界のホープが関東アマでラウンドするってんでその同伴競技者にマイクを持ってもらって肉声を取ろうとこっそり頼んで断れれ、だったらバッグにつけてよと頼んでこっちもやっぱり断られた話が出てる。テレビ屋根性の鏡って言えば言えないこともないけれど、慣例常識良識その他に照らして過去現在からおそらく未来に渡って行われ得ない手法をやっちまおうって考えること自体がズレている。つまりはおよそ社会性を欠いている組織に「社会的責任」なんて果たせると考える方が奇妙なんだけれどそこは系列局の悲しさよ。言わなきゃいけないから情けないやら悩ましいやら。

 まあそこは譲って情報番組が行き過ぎただけって取ってとれないこともないけれど、同じラウンドに対してTBS、あろーことかヘリを飛ばして上空から撮影しよーとしたんだと。1度ならず2度までも。近くにいる人の携帯が鳴るのはもちろん携帯電話を落とした音だって気になるのがゴルファーって人たち。だからショットとかパッティングの時には「お静かに」って看板が出されてギャラリーに注意を呼びかける。それがTBSは爆音をならしてヘリを飛ばして1人のみならずすべての選手に迷惑を与えて平気の平左。且つそれをやったのが報道番組の「イブニング5」ってんだからもう「報道機関としての社会的責任」なんてあったもんじゃない。

 夕方のニュースが報道なんてもはや形だけの情報バラエティと化しているのは時代の流れではあるけれど、それでも報道が仕切っている番組でこの体たらくは、もはや局全体のタガが外れ底が抜け、てんやわんやのあっぱらぱーになっているってことなんだろー。「ニュースコープ」のTBSも地に落ちたか、いやすでに大キャスターから「死んだ」と言われて干支ひとまわり、そこからはい上がれないまま地の底へと潜りそろそろマントルを過ぎてコアへと達して圧力に崩壊寸前なのかも。いや拙いそれは拙いぞせめて「コードギアス 反逆のルルーシュ」だけは最後まで放送してから逝ってくれ。それが無理でも「おおきく振りかぶって」くらいは最後まで。


【6月5日】 バイク漕ぎ漕ぎ杉井光さん「神様のメモ帳」(電撃文庫)の第2巻を読了、とりあえず言えることはトウシロはすっこんでいるに限る! ってことで高校生な少年が前に知り合ったマンションの1室にパジャマ姿で引きこもってはパソコンを駆使し、ドクターペッパーをがぷがぷ飲みながら探偵をしている「ニート探偵」の少女の助手として、2億円もの大金を持って逃げてきたタイ人の少女をかくまったところから事件は進展。人材派遣みたいな仕事をしていたタイ人少女の血のつながっていない父親が、あるいはヤクザから金を持ち逃げして逃げている犯罪かもしれないって可能性から、少女探偵やその愉快な仲間たち、肉体派にミリタリーマニアにヒモにあと一応やヤクザの4代目らしき街の愚連隊を束ねる青年から、今回は係わるなって釘を差される。

 意味はもちろんその事を理解できてるんだろーけれども、そこですっこんでられないのが若気の至りって奴なのか、少年はちょこまかと動いては自らピンチへと陥ってしまう。そんな動きを見ていると、聞き分けがなく周囲の見られない奴らに対する憤りって奴が浮かんで心底鬱陶しくもなるけれど、進んでこその新発見ってこともあるのが冒険の世界。少年の場合は機知が結局は事件の解決に大きな役割を果たすことになる訳で、そーした結果を見ると向こう見ずって奴も捨てがたいって思えてくるけど、まだいたいけな少女が被ることになる“罪”って奴を思い、そこを共に分かち合えない、自ら責任をとれない小僧はやっぱりすっこんでいるのが正しいのかもしれない。行くべきか止まるべきか引くべきか。人生って難しいなあ。

 安倍ちゃんのやることだったらすべてポジティブシンキングな記事をしたため人気者になる記者もいたりする新聞界だけど、そーしたライトに寄ったメディアだけでなくっておおよその新聞って奴は自らに及ぶ危機があるときは同じ陣営へと寄り集まり、丸まってトゲを生やして外敵を退け、内には手をとりあって見方を守る習性があるってことは、講談社学術文庫から再刊された前坂俊之さんの「太平洋戦争と新聞」なんかを読むとよく分かる。ようは戦争に向かって新聞がどうヘタレて行き、そしてどう戦争を翼賛していったかが記録されている本で、軍部の暴走なんかに命を脅かされることだけじゃなくって統制によって紙を握られ出せなくなるって商売的な怯えもあって、翼賛せざるを得なかった事情が書かれている。命の危険もなければ紙が手に入らなくなる危険もないのにヘタレることもある現在の方がよ、ほど酷いってことも合わせて浮かび上がるところが何とも悩ましい。

 興味深かったのは戦争が終わって毎日新聞が果たして何を書くべきなのかが分からないと自問し新聞をほとんど白紙で出して懊悩を伝えよーとしたのに対して朝日新聞は社長も編集局長もまあ終戦になったことだし論調はアメリカ様に寄らないといけないんだけれど、これまでの翼賛を一気に変えては妙なんでだんだんとゆっくりと変えていけばいいんじゃない? って考えていたこと。これはすぐに大間違いだと分かって編集幹部はそろって辞めるんだけれど社長の人は最後まで、何で自分が辞めなきゃいけないかが理解できていなかったらしー。

 まあそれでも言論に対する自省がきいたってだけでもマシだった訳で今時の新聞で社員の不祥事から辞めても言論の不公正を理由に辞する新聞トップなんていやしない。言ってたことが間違ってたんなら間違ってましたと世論を欺いた責を取る。そんな事態が起こらないから言論の軽さって奴を見透かされ、不信と不振につながっているんだと認める時期にそろそろ来ているのかもしれないんだけれど、でもやっぱり変わらないんだろーなー、なぜなら現代的商業的情報産業であって言論機関じゃないんだから、イマドキの新聞って奴は。

 そーいや「コードギアス 反逆のルルーシュ」の世界って新聞って発行されていたっけ? ディートハルトが所属してるテレビ局ってのはあってディートハルトみたく軍部に呼びつけられてはあれこれ統制を受けていたりするみたいだけれど、突発的な事件事故を描写する時につきものの、街頭で号外を蒔くシーンとかは番組の中で見た記憶がない所から、すでにして新聞ってあの世界では絶滅しちゃったりしているのかもしれない、いや見返すと誰かが新聞を読んでいたりするシーンがあったりするかもしれないけれど。皆それぞれがハンドヘルドPCみたいなものを持っている世界で情報なんてリアルタイムで入手可能。ならばやぱり新聞なんていらないよね。「まなびストレート」の時代って新聞とかあったっけ? 「ギートテイスト」的には新聞ってどーなるんだっけ? 機会があったら聞いてみよー。

 つまり稲本潤一選手中田浩二選手の両“海外組”は初対面でダメ出しを食らったってことなのか。コロンビアを相手にした「キリンカップ」の第2戦、日本代表には中村俊輔選手に高原直泰選手が入り稲本選手中田選手も入った“黄金の海外組カルテット”がそろってスタメン出場するとゆー、興業重視な勢力にとってはまたとない布陣で始まった訳だけど右サイドに入った中田選手はボールを持ってもそこから前へと向かう気勢があまりなく、稲本選手も相手がボールを持ったところに突っかけていかず手前で立ち止まって様子をうかがう地蔵継。奪われ攻められてもとろとろと歩いて素早い戻りは見せず一方で攻撃の時に良い起点にはなってもそこから前へと押し上げる感じがあまりない。中田選手も右サイドで上がった時に戻るペースが遅かった。疲れてた? でもシーズンが終わってもう1週間は経っているから少しは回復してたって。だいたいJリーグの選手は全員がシーズン待った棚かな訳だし。

 それを言うなら中村俊輔選手だってボールをやや持ち過ぎなところもあったけれどこれだって周囲の動き出しがあんまりなかったが故の仕儀。後半から羽生直剛選手が入ると縦に左右に走り回る羽生選手に引っ張られて全体に前への意識が高まって、ボールが前後に良く動くよーになり駒野友一選手のオーバーラップも羽生選手らのゴール前への切り込みも頻繁に見られるよーになった。奪われればすぐさま追いかけボールを持った選手に突っかける羽生選手、凄し。見て稲本選手は何を想う? 高原選手は相変わらずに縦横無尽の動きで調子の良さを改めて披露。ただ前半のうちに決めておきたかったものがやや停滞した攻撃、というよりはむしろ受け身となってしまった展開では高原選手の出番もない。後半の布陣がスタートからだったらあるいは早めに勝負を決められたかもしれないなあ。

 守備に関してはやっぱり阿部勇樹選手のカバーリング能力が光り中沢祐二選手の高さが輝いたって感じ。2人をもっぱらストッパーにして時には中村選手が最終ライン近くまで戻りほぼ鉄壁に相手を完封。これで得点を奪えるにこしたことはなかったんだけど、相手だって百戦錬磨のコロンビア、時にはブラジルにだって勝ってしまう南米の競合な訳でそこと引き分け「キリンカップ」事態では得失点差もあり優勝と相成ったことをここは素直に喜ぶべきだろー。でも某セルジオはきっと言うんだろーなー、前半で変えられた稲本中田のフィットのしてなさはこれまでの試合に呼ばなかったからだオシム監督が全部悪いんだって。フィットしてるかどうかの問題じゃあないなけどね。それは目の前で羽生選手とかの走りっぷりを見れば誰だって瞭然なんだけどね。見えてないんだろうなあ、見たくないものは。それが老い、って奴なのだ。


【6月4日】 明けてスポーツ新聞は関東ローカルのお子さま野球大会関連の記事が軒並みトップを飾り、韓国戦で勝利を飾った我らがサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の記事はサッカー面に追いやられてしまってさらに、「スポーツニッポン」なんかは「FC東京」の今野泰幸選手がシエナだか何だかなセリエAチームに移籍するだのって記事の方がトップ扱いで大きく「なでしこジャパン」は隅で小さくなっていた。なんだこりゃ。

 曲がりなりにも日本の代表、そして公式戦での勝利を挙げて、こーした扱いってところがスポーツの格なり質ってってものを無視して人気だの、知名度だのを判断基準にしてもてはやしたあげくに人気とか、知名度が下がればいっしょに売れ行きも落ちていくのをくい止めようと、次の人気のネタを探して盛り上げ盛り下がっては衰退。それを避けよーと次へ次へと移りあれもこれもと持ち上げた挙げ句、ひとあし早く我に返って何でこんなものまで持ち上げるんだと気付いた読者から三行半を突きつけられるスパイラルを、現しているんだと思うのは単なる女子サッカーファンの僻みか。

 そりゃあお子さま野球大会だって全国の代表が集う甲子園での話だったらそのカテゴリーにおいてトップの競技であると認めるにやぶさかじゃないけれど、東京六大学なんて別に国内最強でもないローカルリーグ。下位リーグとの入れ替え戦もないんで実力がないチームだって淘汰されることもなく、10年100年と試合を営々と続けられる点はたとえ世襲でも力がなければ自然と淘汰されていく、それがいやなら頑張り実力を磨くしかない伝統芸能の世界にすら劣る、およそスポーツとは思えない空間だけれどもとよりスポーツとゆーより教育の場であって実力なんかとは無関係、青空の下で白球を追うすばらしさって奴を謳歌できればそれで良い空間でしかないものに、スポーツを看板に掲げるメディアが群がりもてはやしている時点でもはやジャーナリズムも末期を過ぎているんだと、言うのは愛知の田舎の学校をでて六大学とはまるで無縁の人間故の僻みか妬みか嫉みかその全部か。

 実力なきものは去る格闘技の世界って奴をテーマにしたのが将吉さんの「ガチパン! オレの無謀なハードデイズ」(角川書店)で主人公は空手家だった父親の期待を背負い救世主になるんだと言われ育った少年で、父親が事故で死んだあとも空手を続けに道場へと通っている。同級生の楓ってのの父親がやっている道場だけれど門下生は主人公と楓とほかにヤンキー崩れの1人しかいない貧乏道場。館長は極度に娘を溺愛していて楓が主人公を鍛えようとスタミナたっぷりのおはぎをつくったりメディシンボールにパチンコ玉を詰めて寝起きの腹筋にたたきつけたり進路希望調査票に勝手に救世主と書いて主人公から非難されるのを聞くと怒り主人公を痛めつける。つまりは目茶強い。

 そんな道場に国内有数の空手の流派から道場破りが参上。難癖をつけて勝負をふっかけようとするけど館長は乗らず黙ってお引き取りを願おうとする。それでも血気盛んな主人公は度重なる挑発に頭に来て1人は撃退したけどさらに続く襲来にてんてこ舞い。さらには近隣の街で正義の味方の仮面をかぶった男が格闘家と見るや襲いかかって来る事件が続出する中で主人公の少年は自分の弱さを見つめ直し、そして父親の想いを改めて受け止め次のステップに踏み出そうとする。

 こと主人公の目線で見るなら分かりやすくて楽しい成長の物語だけど印象としてはちょっと急ぎすぎてる感じ。学校で入っている天文部の胡桃さんとの関係が煮詰まっていない上に一方の楓との関係も進展どころか心が交わされている感じがなくって主人公は中ぶらりん。最強の敵の登場も唐突で道場が直面していた道場破りへの対処も吹っ飛んでしまってひとつ、山を越えたら続く次の山、って感じには盛り上がらない。それでもそこは格闘経験者だけあって最強の敵との戦いは緊張感もあってなかなかのインパクト。川で溺れて死んでしまった父親に対するわだかまりの解消とゆードラマも盛り込まれていて読み終えてスッキリ感はじゅうぶんに得られる。

 のであともーちょっと、胡桃との関係をドロドロでもベタベタでも構わないんで描き込みつつ楓の主人公へのこだわりがいったい何なのかを示しつつトライアングルな中で身もだえする主人公を見せ、そして壁に当たりけ落とされそれでもはい上がる主人公の格闘家としての覚悟を見せてくれれば感動の大巨編になったかもしれないけれど、それだと夢枕漠的全10巻以下続刊なお未完な話になりかねないんでこれはこれで良し、と。片岡人生さん近藤一馬さんのイラストも漫画も楽しいけれど表紙に楓を使うのはちょい反則。決して可愛いけれど勇ましいオレっ娘のラブコメ格闘ストーリーじゃあありません。

 世間じゃ「機動戦士ガンダム」って名前を背負った新しい番組の話がもちきりになっているみたいだけれどつまりそれが土曜日6時に来るってことはその時間帯での「コードギアス 反逆のルルーシュ」の再会はないってことでやや残念。かといって直前の「ラブ☆コン」枠でもないだろーしやっぱり深夜でお子さま除外のハードでピカレスクな展開をやってくれた方が話も変質しなくて嬉しいんだけれど、一方で売り上げを何とかしたいメーカーに放送局の思惑なんかも絡んで次の土6へと回されてしまっていたとしたら再会は半年から1年先となってその頃はキャラ絵がCLAMPさんから高河ゆんさんに頭の中で変換され、「00」とやらがランスロットに見えてしまうよーになるんだ。まあ高河CLAMPの連続コンボで土6を引っ張れればこれはこれで最強かも。ってことなるとますます「妖奇士」の地味さが引き立つってゆーか引き下がるってゆーか。何で企画したんだろーなー。


【6月3日】 「大江戸ロケット」は1話見ないで飛ばしてたんでソラさんの正体バレん所が分からずみんな知ってることになっててしまった感。あの可愛らしげな外観があのどう猛っぽい外観になった時にいったいどんな反応をみんあしたんだろー。やっぱり素っ裸で乳とかまる出しにしている姿に興奮? しないかやっぱり。あと敵方の方で八丁堀ん所に居着いた敵がどーなったかも不明。あっちはあっちで人間型になった時の方が素晴らしくも艶っぽいからなあ。犯罪者ならではの擬態って奴か。ともかくとっとと飛ばしている前週分、見返すか。

 こっちは毎週早起き、でもないけどちゃんと起きてみている「天元突破グレンラガン」は白ロリがノノしてた。なぜならば。共に天然キャラだから。事情を忖度したくてもできない状況でとりあえず正論を言って拒絶されるあたりがとってもノノっぽい。でもそこは螺旋王のお姫様、ガンメンで谷底へ函ごと放り投げられていたのはやっぱり捨てられてしまったからで攻めてきた四天王が1人を1度は退かせたものの、捨てられたんだと判明したんで今度は殺すと言われて危機一髪。そこに動かないガンメンを放り出して走り込もうとしながらコケてひっくり返ったシモンの姿とちゃんと見知って後でしっかりフォローするところは、天然に見えてあれでなかなか聡いところがある。とりあえず仲間に加わったもののそこはやっぱり敵方の女。「コードギアス 反逆のルルーシュ」で敢えなく散ったユーフェミアと同様、展開の中で犠牲になってルルーシュを決断させるってよりはのっぴきならない状況に追い込んだよーに、シモンをまた1つ成長させつつご退場へと向かうんだろーなー。でもってさらに落ち込むシモン。どこが決断主義の時代やねん。

 ちょっとだけ寝て「ハヤテの如く」。何か適当な回。つかハヤテが1言も喋らない。病気で入院でもしていたか。合間を縫ってオタクなネタとかいっぱいあって分かって楽しいのもあればアナクロ過ぎて鬱陶しいのもあって悲喜こもごも。「おしおきだベー」は何かちょっとイントネーション、昔と違うよなあ。いっそだったら「ブタもおだてりゃ」を交えて戴きたかった。声がいない? 山寺を呼べば何だって完璧さ。後藤邑子さんの声はあいからわず可愛いなあ。しかしやっぱり1番愉快だったパロディはマリアさんの年齢についての容赦ないつっこみか。17歳。うん確かに17歳。設定的だけじゃなくって中の人もたぶん17歳。声優さんは17歳から歳を取らないんだ絶対に。

 動かない自転車を漕ぎながら読書をひたすら。近藤信義さん「ゆらゆらと揺れる海の彼方」(電撃文庫)の第8巻はシグルドの王座獲得編の第2巻となって前巻で義勇軍へと成り上がったシグルドたちが見方の派閥争いなんかもあった結果、貴族にとりたてられることになって野望へと1歩前進。したのは良いけどシグルドが貴族になって「グランラガン」で言うところのカミナ役と言えそーなギュンターは平民のまま。どちらも気にはしてなさそーだけど厳然としてついてしまった身分を周囲がいろいろ指摘し意識するよーになるなかで、齟齬が生まれそれがやがて現在、つまりはノウラたちが活躍している本編の時代にギュンターの存在が半ばタブー視されている状況へとつながっていたりするんだろー。シュニッツラーも加わり徐々に形ができてきたシグルド軍。そして皇帝の座へと向かいかけのぼっていくまであと何巻? こちらもこちらで読み応えがあるなあ、もっと評価されても良い人だよなあ。

 んで藤原佑さん「レジンキャストミルク」(電撃文庫)の第7巻。おお。わあ。いやあ。参ったやっぱりこーなったか。前巻での「無限回廊」たちとの戦いの果てに至ったひとつの結果から予想はついたことだったけれどその予想のど真ん中を行き、且つ圧倒的に感動的なシチュエーションを残して行ってしまうとは。悲しいし残念だけれどある意味で避けられなかった事態。そして目覚めた蜜の参画を得て晶と硝子とそして仲間たちは平和な暮らしを取り戻せるのかそれともさらなる痛みを味わうことになるのか。気分的にはもう痛みは嫌だけれどそれで済ましてくれそーもないしなー、樹たち。まあ良いそれも運命だ。じぐじぐと進む展開がもたらす悲しみを受け止めその理不尽さに憤り、現実世界に理不尽を持ち込まないよう戒めとしながら続く展開をしっかと受け止めることにしよー。しかし。ああ。

 んでもって出かけてカフェをはしごしながら仕事をいろいろ。とりあえず気の向いた部分を拾って段落を作り重ねて行って間をつなぎ、順番をいじくり流れを組み立てて全体の構図が見えるよーにした段階で疲れたんで打ち止めに。そこまでできればいざって時でもとりあえず形にはできるし、時間をかければさらにブラッシュアップも可能。ロジックを大きく変える場合があったら大変だけれどまあそれも順列組み合わせの差配で対応できそーだからよしとしよー。眠り気分をリフレッシュしてからフィニッシュだ。ってところでカフェを出て東京駅の地下街にある「おりべ」とかゆー豚カツ屋でカツ丼を書き込み勝つんだと縁起をつけてから「国立霞ヶ丘競技場」へ。

 サッカーの女子日本代表が北京五輪に出場する最終予選の前半戦の天王山とも言える韓国戦。さぞや熱気もたっぷりに大勢が行列を作っているんだと期待したけど、開門5分前でせいぜいが100人くらいだったのがちょっと寂しい。まだ2次予選でしかない男子の五輪代表の試合に人が集まらないって嫌みを言われているけれど、それだって開門前には何百人も集まるし試合が始まれば2万人近くは詰めかける。なのに天王山であり日本サッカー界にとってはダービーマッチとも言える韓国戦で1万人を着る寂しいスタジアム。それもこれもこの試合の大切さとか意味とかをまるで喧伝しないメディアの腑抜けっぷりが悪いんだ。地方出身者にとってはどーでも良い関東ローカルのお子さま野球大会が大新聞の1面に来たりスポーツ新聞のトップに来たりするこの国のスポーツジャーナリズムに、期待なんて最初っからしてなかったけれどでもちょっとは気にして欲しかった。出場が決まる試合だけは国内での試合になりそーだったらもーちょっと、盛り上げ国立を満杯に近いところまで埋めてくれ。

 そんな寂しい状況でもメーンスタンドはほぼ満杯になったし何より試合の内容が素晴らしかった。ボランチの宮本ともみ選手を起点にボールが左右へとよく回る。さらに酒井與恵選手がカバーに入って下がって来るボールをさばき主に右サイドで近賀ゆかり選手を使って前へと攻め込むチャンスを作る。左では宮間あや選手がスピードを生かして切れ込みそして中央では荒川恵理子選手がどっかと立ってポスト役を務める布陣で韓国を責め立て前半に4点の大量リード。1点目はショートコーナーから入ったクロスを宮本選手が鮮やかにボレーでたたき込み、2点目もコーナーからファーに入った荒川選手が折り返して大野忍選手がヘディングでドン。3点目は右後方よりたぶん酒井選手のクロスを荒川選手が頭で合わせ、4点目は荒川選手へのニアクロスを邪魔しようとしたディフェンスに辺りオウンゴールといずれも高い技術と揺さぶりが生きたゴールで組織化されている日本の強さがのぞく。

 後半になっても責め立て伊藤香菜子選手が左からキーパーを越えるシュートを反対側の角に決めて5点目を奪い6点目は抜け出した沢穂希選手が最後はキーパーもかわし流し込むさすがなシュートでゲット。気がゆるんだのか相手のフリーキックが壁に辺り浮かんだところをディフェンダーがもたついた瞬間に、韓国選手が奪いそのままシュートし1点とゆー、ミスから失点があってたけれども時すでに遅くその後も難度も得点機会を作りつつ圧倒的なリードのまま試合を終えた。なんだ案外に弱いぞ韓国。これだったら残る試合もあっさりと勝って五輪出場を決められそーだけども何があるか分からないのはナビスコカップで3連勝して3連敗して決勝トーナメント出場を逃したジェフユナイテッド市原・千葉の例とかからも考えられるんで、ここは気を引き締め、後半に何で同じだけ得点が奪えなかったのか、また韓国に攻められるよーになったのかを考え次への糧として欲しい。しかし前女子代表監督の上田栄治さん、偉い人たちと貴賓席で見るんじゃなくってスタンドの上にある観覧席から1人で観察してた。政治よりも現場が好きなんだなあ。代表は無理でもどっかの女子チームを率いさせてみたいなあ。


【6月2日】 情報を入れないまなで録画を見たサッカーの「キリンカップ 日本代表対モンテネグロ代表」は左サイドに山岸智選手がスターティングメンバーで入っていたのが意外だったけれども中盤から放り込まれる眺めのクロスに長く斜めにゴール前まで走って合わせよーとする動きをしっかり見せてくれていて、これなら代表入りも納得の選手だって周囲にも認めれもらえるんじゃないかと期待したけどゴール前でのキックははずれ、ドンピシャリのヘディングは前の中沢祐二選手では出さなかったファインプレーをモンテネグロのキーパーが発揮したためはじき出されて得点にならず。ゴール左でフリーになった所も中央で持った中村憲剛選手が大きく外すミドルを打ってしまってその語、ゴール前から放ったシュートが上へと大きくはずれるに至ってお役ご免となってしまった。何か印象悪いなあ。

 けど見ているオシム監督は動きの質だけはちゃんと評価していたみたいでむしろ絶好の機会をつぶしてしまった中村選手の方への苦言が大きくクローズアップされてたみたいで次もちゃんと呼んでもらえそー。どーせだったらそのプレーをチームでも見せてもらいたいんだけど。でもチームだと中盤からゴール前にクロスを入れる選手がいないんだよなあ、阿部勇樹選手のいなくなってしまった今となっては。それからやり玉に挙げられた中村選手は可愛そうといえば可愛そう。でも積極性は良いんだけれど相手がまるで驚かない、待ちかまえているタイミングで大きく外すミドルを打つことを積極的とは謂わない。そこでシュートで終わらないと反撃が怖いってタイミングでもなかった訳でもしもより上のレベルを目指すんだったらシュートを打つなら枠へと飛ばし、あるいは最善の判断をとれるよーにしておかなくっちゃいけないってこれもまたオシム監督の愛情だったって理解できれば中村選手、さらに大きくなれるだろー。期待。巻誠一郎選手のヘッドもドンピシャだったなあ。あそこで決まらないのが今年の巻選手の不運でもあるんだけど。

 しかし新聞メディアも阿呆なのか阿呆なふりをしているだけなのか。静岡県ったって伊豆でも熱海でもなく静岡市ですらないほとんど浜松に近い、県でいったら神奈川よりも愛知が最寄りな掛川駅からバスで延々と山を登って数十分。さらにワールドカップの時だとバスの乗降口から徒歩で10分以上かけて行った先によーやく見えてくるスタジアムに月初めの週末金曜日なんて日の、それも夜に始まる試合を見に、わざわざ行く人がいったいどれだけいると考えていたんだ。試合が午後7時20に始まって終わると時間は午後9時を過ぎてて、そこからバスで掛川駅に降りたところで9時半から10時ってところ。JRが気を利かせてのぞみとかひかりとかを止めてくれたのかもしれないけれど、そこから東京へと帰ったって12時近くにはなっているし名古屋に出たって11時は過ぎてそー。

 掛川駅周辺にホテルなんかなく浜松や静岡に出るのだってなかなかに億劫。そんな条件下で行われたってことを一切抜かして新聞なんかは97年以降で集客がワースト3だったって書くのははっきり言ってフェアじゃない。アジアカップ優勝後で初の試合で相手はアルゼンチンならそれでも集まるだろーけど、去年の惨敗を受けて始まった、そしてアジアカップに向けて調整中のチームの試合を他の試合なんかと同列にして書くのは間違っている。もしかすると誰かの差し金? オシム不人気を裏で煽っている輩がいるのか? 全員が久保武司記者なのか? それともセルジオ越後さんなのか? 本来だったら川淵三郎キャプテンあたりがその辺を率先してたださないといけないんだけれど日本サッカー協会が開催場所を選んでいる手前、そーした文句は自らの運営にケチをつけることになるんで口が裂けても言わない。言えやしない。

 逆に田嶋幸三専務理事がお客さんに来てもらえる魅力を持った試合にしなくちゃって言う始末。そんなこと、ふつうの興業会社で言ったら即首だぜ、平日の昼間にアイドルのコンサートを富士のすそ野で開いたけれど、学校があるんでお客さんが集まってくれませんでしたなんて言って通用するエンターテインメントビジネスなんてないぜ。商品だって買ってくれそうなものを買ってくれそうな時期に買ってくれそうな場所に老いてこそ売れるんだ。それを手前たちの営業努力は棚上げして、魅力では過去に負けない商品の方にさも問題があるよーに言い募る。これじゃあやってる方はたまらない。いったいどんなプレーをすれば良いんだ。出場選手が全員でハットトリック達成か。それとみ地面に潜り空を飛んでシュートを放つイリュージョンサッカーか。いやいやそれでも平日夕方にエコパは行けない。静岡市民だって浜松市民だって二の足を踏む。そーした部分をネグレクトして一人歩きしていく“不人気”報がもたらすことと、そこから利を得る人の正体にこそ注目しておくべきだろーな。サッカーを壊す奴は、誰だ?

 煮詰まって来たんで上野へと出て会田誠さんと山口晃さんの2人展を見物する。権威を逆手にとって揶揄する部分がともにあったりする2人の展覧会を主催しているのが権威を重んじ権威に近いところで身を立てている産経新聞ってところが何とも皮肉だけれどもしかすると主催していてそーした皮相を作品からは受けず、ただ立派に古典的手法を現代に生かした立派なアーティストだって思って企画を立てたんだとしたらそれはそれで興味深い。けど驚いただろーなー、山椒魚とたわむれる全裸の美少女2人の絵とか出て来ちゃったんだから。あと滝で遊ぶスクール水着の女の子たちとか。けど会田さんと言えばな戦争画を女子高生にした奴とか(前の「ガンダム展」ではそれがさらにガンダムに差し替わってたっけ)女子高生が切腹している奴とか声ちゃんのヌードにペイントして生殖器も露わな写真作品とかがいずれも展示されていなかったのは残念。紐育空爆図とかはあるにはあったけれど見てそれが歴史を裏返し権威を裏返し日米関係を裏返してみせるメッセージ性にあふれたものと気付かない人の方が多そう。ショックがちょっと足らない。

 対して山口さんの方は現代の風景を錦絵風にしてみせたりする手法の絵が割と中心で、過去と現代の融合って意味以上の何かを感じさせられる絵は少なかった。なるほど絵は抜群に巧くって日本画的錦絵的手法をよく会得していてすごいとは思うんだけれどそこから先へと突き抜けるものがあまりない。日本画的な手法でDOB君を描いた村上隆さんの方がさらになお先進的で革命的だったかなあ。村上さんはそこから手法よりも言語の方へと流れてしまって作品から驚きが失われてしまったのが残念なんだけど。トータルとして面白いんだけれど衝撃の薄い展覧会。いつか見た「横浜ビエンナーレ」での美少女大虐殺的絵画が集中して並んでた会田さんのブースの方がすごいっちゃーすごかった。けどでもこーした絵が日本美術の殿堂が鎮座する上野の山にある美術館で開かれるよーになったことは快挙っちゃー快挙な訳で次は是非にさらなる過激さを求めてライブでのボディペインティングとかライブでの女子高生の切腹とかを見せてやって戴きたい。

 せっかくだからと御徒町を抜けて秋葉原まで歩いて「アニメイト」で懸案の「コードギアス 反逆のルルーシュ」のポスター自販機を回す。1回だけ。どーせまたルルーシュかスザクかスザク×ルルーシュのどれかと諦めながらのぞいた筒の中に見えた緑の髪。おお。これは。これこそは。もはや数えなくなって久しい、想像するなら秋葉原だけでも18度くらいで他店も混ぜれば20回を超えるチャレンジでよーやく手にしたC.C.にもしかすると何か良いことが起こる前触れか、なんて喜びも浮かぶ一方でこれからの1年にあったかもしれない幸運のすべてを使い果たしてしまった可能性に思い至ってどちらかと悩む。けどまあどっちにしたって後厄な訳なんで少々の不運は想定のうち。そんな中で得られた幸運はどんな些細なものであっても何事にも代え難いものに違いなく、ここは天恵と受け止めこの瞬間の喜びを、精一杯にかみしめることにしよー。残るはアッシュフォード学園生徒会。難物だか、がんばる。


【6月1日】 そしてインチキな催眠術により立ち直った千秋は飛行機で北海道へと行きカニを買いウニを買いして帰郷し訪ねたハリセンの家にいた奥さんが美人。あのおっさんに何でまたって憤るけどそれを言うならお調子者の峰に清良が惹かれたり、坊主頭の菊地が引く手あまただったりするくらいに釣り合いのとれていないカップルの多すぎる作品で、つまりは音楽の才能って奴は七難八難隠して人を振り向かせるってことなのだ。音楽やっときゃ良かったよ。次はそろそろのだめのコンクール? んでもっていよいよ欧州への旅立ちかあ。だいたいそのあたりで放映も終わりそう。単行本だと何巻くらいだろー。そろそろ読んでも大丈夫かな。10巻くらいまでだと部屋が狭くなるなあ。買いそろえた「ハチミツとクローバー」よ今何処。漫画喫茶の方が手軽かなあ。

 そして「セイントオクトーバー」は若いヨシュアの後をついて走る黒ロリ、ではまだない小十乃の声がひょほっひょほっとしていて可愛らしい。こーゆー演技をさせると片岡あづさは巧いとゆーか似合うなあ。んで明らかになるヨシュアと小十乃の過去。つまりはアッシュはひどい奴。どーしてそんなにひどい奴へと育ったのかって背景がなく、またポーズをきめるクルツに無条件で跪く展開に人間としての深みがまるで描かれてなくってちょっと戸惑う。

 最初は自分を絶対君主とさせ次はクルツを絶対君主に仰ぐその性格。生まれた時からじゃあなかったとしたらいったい何が原因だったんだろー。それは黒ロリのジャッジメントで癒せるのか、癒したところでクルツの呪縛から逃れて元の俺様なアッシュに戻るだけなのか。その辺の描写が欲しいけれどもきっとやられて終わり、なんだろーなー残り話数も少ないし。リバース社の最上階に現れたユアン君ちょっと格好良かった。地団駄を踏むクルツが愉快。つまりはそれほどまでに意外だったってことか。救出に現れた白ロリと赤ロリの絵もすごく動いて最高。このクオリティでラストまで突っ走れ。大丈夫だよなここまで来れば。「怪物王女」はまだ見てない。まあ見てもいつもどーりにFLASH並だろーけれど。

 これが新三島賞作家の受賞後第1作ってことになるのか佐藤友哉さん「灰色のダイエットコカコーラ」(講談社)を手に取る。装丁はめちゃめちゃ格好良いし版組が上下二段の上下にそれぞれぎりぎりまで字を詰めているのになぜか鬱陶しく感じない絶妙さで醸し出される雰囲気のあまりのスタイリッシュさにこれは傑作との予感も漂ったもののすでに「ファウスト」でもって発表されていた連作の再収録。つまりは「1000の小説とバックベアード」なんかより前に書かれた作品なだけに雰囲気は「バックベアード」よりもさらに自意識がにじみ出ている感じで、ジグジグとした湿り気があって読んでいるうちに子供の地方に閉じこめられてどこにも行けない鬱々感が、指先から腕をたどって首をはいあがり耳から入って脳を覆い尽くす。ってなんだ別に変わってないや「バックベアード」と。つまりはこーゆー作風だったんだ元から。

 だから三島賞の受賞はそーした作風が受け入れられる今がタイミングだったってことでこの勢いならあとしばらく、同じ作風のものを続けて作家の自意識がだだ漏れしている作品で多いに評論家の人たちを喜ばせそー。でも読み手としてはそろそろ良いかなって感じ。同じ北海道鬱々系では滝本龍彦さんの「ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ」があってエンターテインメントとして傑作で、読後の清涼感もあって若い層に受け入れられるのに対して「ダイエットコカコーラ」はどこまでも続く隘路が読者を縛り閉じこもらせてしまいそー。それこそが文学って奴なのかもしれないけれど、あまりに激しい主人公や登場人物たちのネガティブな自意識が徹底して喜びをスポイルしてしまう所があって正直辛い。あるいは桜庭一樹さんの「少女七竈と7人のかわいそうな大人たち」の方が北海道の田舎って隘路にありながらもそこを脱出できなかった弱い母親を反面教師に、自立し自活していく少女の強さが描かれていて驚嘆を与えてくれた。

 もしかすると少女の方が少年なんかよりも現実的で利己的で計算高くって、環境が悪いんだったら変えればいい、そのためには自ら動けば良いんだって割り切れるだけのことでそれが「灰色のダイエットコカコーラ」と「少女七竈」との作風や展開の差になって現れているのかもしれない。体験としては「少女七竈」の方が驚きを与えてくれたけれど、でも今時の文学って奴はどこかに作者の自意識って奴を見て受け止め味わうことに読み手の喜びがあるみたい。それが方や三島賞でこなた賞とは無縁、でもってどこか人工的な香りの漂う「赤朽葉家の伝説」が構築的なジャンルでもある推理小説を選ぶ日本推理作家協会賞の受賞へと至ったんだろー。傑作なのに文学としても「少女七竈」。

 そうそう佐藤さんと桜庭さんの一件は、等しくライトノベル系作家のカテゴリー越境による受賞を思われているし事実そーなんだけど、腑分けすると随分とニュアンスは違ってるんで、そこを踏まえておかないと現行のライトノベル作家に次、どこでどう実力を発揮してもらうかを考える時に間違った期待をしてしまいそー。誰もが文学を書ける分けじゃないし、誰もがエンターテインメントを書ける訳じゃない。桜庭さんは両方オッケーな希有な人だけど。

 かつて読んでた「平凡」とか「明星」に掲載されていたスターにこれまでの文筆業人生でインタビューするののは実はこれが初めてだったりするかもしれない仕事に歓喜。最近はアニメソングながらオリコンの週間ランキングの2位にチャートインした楽曲もあってさぞや社内には赤字で花の踊った垂れ幕が下がっているかと思ったけれどスタイリッシュなオフィスはごくふつう。その辺は視聴率トップとかで張り紙を出しまくるラジオ局とは違うなあ。シングルだとこーやってトップ10に入る楽曲も見えて来たけどアルバムだと最近はアニメ関係がチャートインするのってあったっけ。「エヴァ」の時にそーいやアルバムがチャートに入って新聞沙汰になったかなあ。日経産業新聞に載ってた記憶が。遠い過去だ。ゼロ世代から忌み嫌われ記憶の彼方に埋められるくらいに。

 あとは「機動戦士ガンダムSEED」みたく一般の一流ミュージシャンが提供した楽曲を集めたベストか。「コードギアス 反逆のルルーシュ」も1クールごとにオープニングを変えているけどアーティストにやや大物感が欠けてる感じ。まとまってもソニー系みたくチャート上位には顔を出しそうもないけどそれをいうなら「エヴァ」だって同様、ってゆーかあれはオリジナルサウンドトラックだった訳で、とにかく作品として話題になり、誰もが関心を抱くよーになればオリジナルサウンドトラックであってもドラマCDでも、チャート上位に顔を出すだろー。ジャケットのスパッツ姿のC.C.とともに、ってあのアルバムはそんなに売れてはなかったか。2枚目はナナリーだったから絵的には今ひとつだったなあ。次はユフィはコーネリア様を是非に。できれば水着で。

 ポッキーの謂われなんかを伺ったあと、新宿へと周りブロッコリー創業者の木谷高明さんが独立するその激励会みたいな宴会をのぞく。業界人じゃないんで知り合いも乏しいなかを見渡すとラムネの人とか出事故の人とか監督さん原作者さんがいたりたぶん声優っぽい人がいたりしてその人脈の広さを改めて思い知る。会社ってバックがなくなってもこれだけの人が詰めかける、それが人徳とゆーかキャラクターとゆーか。

 幹事の人に乞われて挨拶に立ったのも角川書店にメディアワークスに富士見書房のそれぞれ偉い人たち、ってみんな角川グループ? つまりはそれだけオタクなコンテンツの業界における影響力が高いってことなんだけれど、そこからそれぞれトップクラスの人が来て、門出を祝うんだからやっぱりこれまでの功績を単に讃えてのことじゃなく、これからの活躍にも期するものがあるんだろー。とか思いつつ知人もいないんで途中で退散。帰りがけにもらった新会社名を見て木谷さん、まだ諦めてないんだ全然やる気なんだと確信する。「株式会社ブシロード」。そうか。主筆を失い日の目を未だ見ていないけど面白そうなアイディアの詰まった「熱血海陸ブシロード」、いずれ再び世に問うてやって戴きたいなあ、吉田直さんのためにも。


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