縮刷版2007年5月下旬号


【5月31日】 そうかアイドルマスターはまだ他に2体がどこかに眠っているのか。つか1体はあったんだけれど双子の1人を乗っけてどっかに消えてしまったのか。もしも発見されたとして乗ってた双子の片割れの歳はいったい今幾つ? まんま成長しているとも思えないだけに差が出てしまってお互いにぎょっとするだろーな。けどしかし誰も連れ戻せなかった双海亜美をあんなにあっさり戻らせてしまうとは。天海春香の天然前向きっぷりはやっぱり伝染力が強いなあ。いずれ菊地真にも伝染するんだ「アイドルには心がある」病が。

 んでギガンティック・フォーミュラは日本に居ながらにして世界でのギガンティックの戦いを体験できる技術でもって今度はフランスと英国の戦いをのぞき見。不意打ちに近い反則攻撃でともにリタイアとゆー訳の分からない展開に国連が口で言うほどフェアではない戦いが繰り広げられている模様。裏で操る奴らは誰だ。目的は。とりあえずフランス連合の「ディアーヌ7」は女性の広げた足に頭を入れて女性の方を向き座るっぽいコックピットの着座姿勢がなかなかなに奇妙。誰が考えたんだ。ぶっちゃんか。そんな女性側のシルヴィアちゃんの子供の頃が何とも言えない可愛らしさ。泣きそうになってぷくっとふくれた顔をつまんで横に引っ張りたい。きっと両頬でそれぞれ1メートルは伸びただろーな。ぷにぷにぷにぷに。次週は今再びの孔雀なロシアが登場。いよいよ再びスサノオによる戦闘か。誰が乗っているんだろ。可愛いと良いな。

   頼まれて「熱帯森林保護団体」って所の記者会見に行く。5月末まで広島で開かれ7月14日からは岡本太郎美術館でも開かれる「アマゾンインディオ展2007」のPRなんかも兼ねた会見で、共催している「熱帯森林保護団体」の招きで来日していたアマゾン先住民のひとつ、カヤポ族の長老でかつてスティングといっしょに熱帯雨林保護の呼びかけを世界中回って行ったこともあるとゆーラオーニさんが登壇して、今のアマゾンの状況なんかを喋ってくれた。2万人の部族を束ねるリーダーってだけでその存在感も伝わるけれど、90歳くらいの年齢なのにかくしゃくとしている頑健さ、話す中身の確かさなんかかを目の当たりにするにつけ、どこかのスピリチュアルな太い人たちなんか比べ者にならない“オーラ”って奴を感じる。真正面に座っててとなりのNGOのおじさんが喋っている時は長さに眠気も出たのに、ラオーニさんがしゃべり出したら途端に意識もピシャンとしたし。

 ラオーニさんの言うには「この日本に来て、日本の精霊たちの存在を感じている」そーでそれって「もののけ姫」のコダマみたいなものなのかは分からないけど「この場でも、。行く先々でも土地の精霊が私に着いて来て、語りかけてくれる」とゆー。そして「土地の人たちに言葉を伝えてくれと私に言う。森がなくなっている。森がなくなってしまえば、そして河が汚れ生き物がいなくなってしまえば、森に生きる人間は死んでしまう。それだけではない。森がなくなれば世界もなくなる。人類はそこに気づかなくてはならないと語りかけてくるのだ」。言う内容は当たり前と言えば当たり前。だけれどもアマゾンに住んで日々、大豆やトウモロコシの増産のために森林が焼かれ畑にされていく状況に脅かされている人たちだけに、言葉には切実なものがある。日本人は気づいてないのか気づかないふりをしているけれど。

 「若者たちは古い物語を忘れている。大人たちは子供たちに古い物語を語りつがえて欲しい。精霊の物語を大人が子供に伝て欲しい」。でもなあ、その大人たちが先頭に立って森を削っているんだよなあ。どーしよーもない。「大統領や閣僚にもいつも警告するが、彼らは聞く耳を持たない。耳を傾けない。物語を忘れてしまっている。それが文明人だ」。悲しいけれどこれが現実。「森を破壊するままにまかせてしまえば世界は終わってしまう。森がなくなってしまうと風が吹き荒れ、空から氷が振り、そして悪いことが世界に起きると私たちは信じている。心配している」。異常気象なんかの続出がその心配を現実のものにしている。精霊もだてに精霊やってない。

 だからといって何が出来るかって所が最大の問題で、エコロジーって美名のもとにバイオ燃料がもてはやされサトウキビやトウモロコシが増産され、陰でアマゾンの森林が焼かれ畑にされて先住民たちの生活が、そして地球全体の自然が脅かされよーとしているこの状況に、さてはてどう立ち向かっていくのかが分からない。分かったところで現実問題どーしようもない。バイオ燃料は環境の敵だと叫んで果たして通用するか。国策として進めている国とその国にすがるメディアではきっと黙殺されるんだろーなー。それにはやらない。あのスティングすら一瞬盛り上がっても今は熱帯雨林からすっかり遠ざかっているもんなあ。せめて冷暖房は使わないことでエネルギー消費を減らすか。ってか我が家の冷暖房はずっと止まっているのです。冷蔵庫も。うーんエコロジー。

 思ったけれど「コードギアス 反逆のルルーシュ」の世界で南米ってどんな感じになってるんだろー。英国起源でアメリカ独立戦争がなかったかあっても本国が勝って北米を支配したんだとしても南米は英国が興隆する依然に栄えていたスペインとポルトガルがとっくの昔に占領してしまっていたはず。そこを後になって刈り取ろうとしたって相当な苦労がつきまとうはずで、ナイトメアの実戦配備があったとしてもあの広さではさすがに日本のよーに一気には占領できないだろー。じゃあブラジルやメキシコやアルゼンチンほか中南米の各国が独立しているかとゆーとフランス革命後に欧州で宗主国が弱体化した間隙をぬっての独立だった訳で、そーした歴史が「コードギアス」世界の欧州でどう書き換えられているかにもよりそー。誰かはやくあの世界の世界史と世界地図を描いてくれないかなあ。

 んで六塚光さんのFate系バトルロイヤル魔導大戦ファンタジー「レンズと悪魔」(角川スニーカー文庫)はサクラとカエデの集落を大虐殺した罪でとらえられていた男が牢獄を抜け出し街へとやって来る。目的は? そしてすでに始まっている8人の悪魔とその主が戦いあって勝利者を決める聖杯戦……じゃない八眼争覇へと絡んで新たなプレーヤーが登場しては一部は退場しさらに新たなプレーヤーを誘って次なる展開へと向かおうとする。うーんしかしやっぱり読めば読むほど。でもまあテッキちゃんとか手が万力なところが可愛いし炎の魔人みたいなネアは色っぽい。楚々としたミナが登場して退場してしまったのは残念だけれどそこはまあ、テッキちゃんがもうひと肌くらい脱いでくれると期待をしつつ次の展開を待つことにしよー。イリアみたいな幼女がいないなあ、そーいや。


【5月30日】 んで西谷史さん「黄金の剣は夢を見る」(ルルル文庫)も自転車漕ぎ漕ぎ読了、何かどっか「ホワイトハートX文庫」っぽい感じ、無理に異世界ファンタジーにせず現代を舞台にミステリアスな要素もまぶしつつ伝奇的な内容も盛り込みつつ描く青春小説。たぶん和歌山県のどっかにある街には液晶工場ができて人がどっと増えて進学した高校にも見知らぬ人がいっぱいいて、そんな中で同級生になった少年、相馬仁がどっか気になった主人公の弓里夏美。弱々しげでおどおどとしている上に仁を気に入らないのか足をひっかけ教科書を隠すいじめをする少年まで出てなおのこと同情を寄せていたところ、クラスだけでなく入った歴史ミステリー研究部でもいっしょになって自然と仲が近づいていく。

 仁がいじめられるのには理由があって事故で入院をした彼の父親の代わりに地元の大きな病院へと働きに出た母親がそこの院長と良い仲になってしまって院長は妻と別居。その病院の息子がいじめていた側の仁だってことで家庭を壊された恨みを浮気相手の息子で晴らそうというまあ何とも可愛い、けれどもリアルな理由があってライトノベルにしてはな生々しさが漂う。もっともそんな生々しい関係ばかりが描かれているだけだと文学になってしまうところをこの話は、街に伝わる伝承の解明へと向かい万能の力を持った神器を仁が探し求め、夏美もそんな彼に惹かれていっしょについていくファンタジックな展開へと進んでいくんで生々しさもやや薄れ、現実にはありえないけどあったらどうなる秘密の力、みたいな可能性の物語が提示されていろいろと考えさせられる。

 すべての事情が分かってしまう万能の神器。なるほど触れて仁が急に大人びて自身満々になっていじめる相手に立ち向かい逆に屈服させてしまうのもよく分かる。ただ得た力の大きさに対してふるったのが父親を車で撥ねた真犯人を追いつめ母親の不貞をなじりいさめる私的なこと。そこで世界征服だとかなんだと向かわない所が、ありがちな異能者バトルみたいなストーリーとは一線を画したまとまり感を与える一方で、これで終わりってもったいなさを覚えさせる。その辺りも単発で良い話が来るホワイトハートX文庫的って雰囲気を感じさせる要因か。睦月ムンクさんをイラストに誰もが振り返る絶世の美少女、アリスちゃんをキャラとして持ち出しながらこれで終わりってのも残念なんで、仁は消えても歴史ミステリー研究部は残してどことなくなぞめく信田くんを探偵役に青春伝奇ミステリーとして続けていって欲しいなあ。

 仕事絡みで「鉄子の旅」をまとめて読む。いやあすごいテンションだよ横見浩彦さん。目的のためなら手段を選ばず目的さえ果たせばあとはどうでも良いって投げつ放しぶりが実に煩悩一直線のオタクっぽい。もしもこれがダンディで良識があってすべてをわきまえた人ならきっと連載もつまらなくなってすぐに終わってしまっただろー。あのキャラクターを得たこととそれを嫌々な目線でけれども逃げずに最後までちゃんと描ききった菊池直恵さんは偉い。でもさすがに6冊も続けるとすり減っちゃったんだろーなー、でなきゃアニメ化を控えて連載、終わるはずもないもんああ。そのアニメ版「鉄子の旅」の方は放送がCSのファミリー劇場だけで一般人はちょっと見られず、せめてUHFのローカルネットで放送してほしかったけれどもまずはCSで続きどっかのローカルが流してくれることを期待しよー。旬とかある訳じゃないし、鉄道アニメに。

 しかしCSオリジナルにしてはゴージャスな配役。まず鉄オタの横見さんを勤めるのが勇者王こと檜山修之さんできっと常にハイテンションな叫びを聞かせてくれることだろーけど二枚目ばかりの檜山さんに果たして横見さん役は務まるか、いや漫画はああだけど横見さんって実はとってもイケメンなのか。実は割に。これ本当。あと話題は編集長役の古川登志夫さんの登場で最近あんまり最前線で聞いてなかっただけにいったいどんな声を出してくれるのかに興味、ほら漫画の「IKKI」編集長って割に二枚目だからそれと古川さんの声がどう重なるか、聞いてみたいとイメージがつかめないんだよね。さらにナレーションの原田芳雄さんが大物すぎてすごいというか素晴らしいというか。鉄道に関する格言をオープニングで唸るみたいで若本規昭さんとはまた違った、重みと深みのある演技で鉄オタとは、と語るそのギャップにはやく見えたいけどCS、入ってないんだよなあ。

 そーいや「コードギアス 反逆のルルーシュ」にも後にそのもの「オタク」って役が振られた2人組が出てきたけれどあいつらっていったい何のオタクだった。クロヴィスが殲滅しよーとした新宿ゲットーの扮装跡地に入り込んではどんな武器が使われたかを逐一解説しながら歩いていたからミリタリーマニアなのかもしれないけれど、迷彩服を着ている訳でも銃器を身に帯びている訳でもないんであんまりミリタリーって感じはしなかった。かといってあの世界で鉄道オタクなんているとも思えないし。河口湖へと行く列車とかあったんで各地に走ってはいるんだろーけどレジスタンスもはびこっている地域を走るローカル線へと乗りに出かけるだけのゆとりもないだろー。それともそんな危険すら省みないでそこに列車があるから行くのがオタクなのか。東京租界からほど近い房総へと出向き銚子電鉄にだって小湊鉄道乗りに行くのか。後編にはそんな感じに趣味を生きてる人とか出して欲しいなあ。ロボットづくりの趣味に生きてるおっさんはいたけれど。おっさんて歳でもないかプリン伯爵。

 移籍するかもなんて話があって日本代表に呼ばれなかった稲本潤一選手があっさりとフランクフルトに決まって帰国。たぶんだいたいの線で固まってはいたんだろーけど、何が起こるか分からないってことは前のガラタサライ移籍で身に染みていたんだろーからすぐには帰らずいろいろと、移籍の手続きなんかをしてたんだろー。その意味でもとっても欧州の選手っぽい。自覚が出来てるって意味で。それにしてもフランクフルトとはまたネタになりそーな球団だことよ。「スーパーさぶっ劇場」あたりだと初めて対戦する選手がフランクフルトソーセージどころかボンレスハムみたいなボヨヨンぶりに敵の選手がそれちゃうやんとはねとばされながら叫ぶ漫画が描かれそー。そんな様を脇で寿司が身ながらやっぱり魚より肉かもって物欲しそうに見つめるとゆー。ちょっとありがち。でもやりがち。


【5月29日】 今日も今日とて走らない自転車を漕ぎつつライトノベルダイエット。「ルルル文庫」から登場の高殿円さん「プリンセスパーツ 麗しの仮面夫婦の巻」は隣国の王国へと人質に預けられていた大公の息子がそこで見初めた王女を、公国へと戻り双子の弟の陰謀とか退け大公の座を得てようやく后に迎え入れられると申し入れたら来たのがそっくりな別人だったという。けど別に大公はだまされているって感じじゃなしに、王女のそっくりさんを1年以上も側に置きつつ暮らしてて、そっくりさんは出自こそ庶民であるにも係わらず、高い知能でめぐらされる謀略を退け豊富な科学の知識で毒殺等の危険から大公を守る。

 それはそれで麗しい光景ではあるんだけれど、偽物をよこしたってことは本物はまだ王国にいる訳で、けれども偽物であっても王女が嫁いだことを世間は周知している以上、王国にいる王女は外にも出られず何も出来ない。当然ながら政略結婚の駒にもできない、そんな立場に娘を追いやる王国の国王がいったい何を狙っているのかが分からない。所詮は子供の頃の約束であって、今になって嫌になったなら小国なんぞに嫁にやれるかと断れば良いだけのこと。もはやそれは無理だ隣国の公国は結構重要な国なんで怒らせて拙いと考えたなら、堂々と本物を嫁がせ懐柔に出れば良い。相手にすぐバレるような嘘をついてまで偽物を嫁がせ怒らない大公側に何か弱みでもあるのか、それとも王国側の意図を知って受け入れたのか。どっちにしたって分からない。

 単に入れ替わりを描くんじゃあ面白くないと設定をふくらませてはみたものの、奇妙に不条理な方向へと横滑りして収集がつかなくなっている感じもするけどそれだけに、本国で王女がどんな境遇におかれているとか、やって来た娘がどーしてああも科学に詳しくて、さらに何やら得たいのしれない精霊も使える身なのかといった理由も含めて明かされるだろー今後に期待だ。すでに王国は本物の王女が国王を傀儡にして陰で支配していて、だからこそ身を国から離せず代わりを寄越したとか。少女の頃から王女は謀略に長けてて大公を手玉にとろうとして婚約をほのめかせて懐柔いしようと企んで、今も大公を相手に手練手管を使いあれこれ煽っているとか。

 「神曲奏界ポリフォニカ」のある日なんでツゲ・ユフィンリーに敬意を払いつつ「てんや」に入って天丼を戴く。ふつうはかき揚げで懐を慰撫するんだけれどツゲ所長みたく海老天のはしを加えてみるにはかき揚げでは不可能と、奮発して「大江戸天丼」ってのを頂戴する。海老が2本に穴子が1枚。それのどこが大江戸なのかはよく分からないけど野菜とか乗ってないところが健康に良いとかお構いなしに、好きなものしか認めない江戸っ子の気っ風を表しているんだろーかどーなんだろーか。知らないけど。

 不思議なのは半熟卵をつけられることで、天丼に半熟卵ってあんまり見ないレシピだったけど、牛丼の類に玉子をかけてすき焼き風にするとご飯がまろやかになり牛も辛みが和らげられるのと同様、天丼もご飯が玉子かけに風になり天麩羅もタレの角がとれてまろやかさが出て天とじにやや近づくのを狙ってのことなのかも。味はまあそれなり。次にツゲ所長が天丼戴く時は半熟卵を乗せてかき混ぜる動作も描写を是非に、リアリティが出るし、ってそんなところでリアリティを出してどうする。ほかにもっとかけるところがあるだろうに「ポリフォニカ」。

 えっとあれはいったい何年前だって思い出しても記憶にひっかからない京商の二足歩行ロボット「マノイ」の通常販売版がやっと出るってんで行く発表会。なるほど初期に模型として見せられた丸っこくて可愛らしいボディデザインもそのままの「マノイ」が、歩き仰向けに倒れればのけぞり起きあがりうつぶせからもふんばり立ち上がる姿はなかなかにスムーズで、ガチャガチャとした感じのなさは家庭にあってもそれなりに受け入れられそーな雰囲気。それだけにここまで来るのに何年も要したってことなんだろー。でもそれを愛でるために支払う額が19万9500円ってのはちょっと。二足歩行の技術的な意義は認められても、それを確認するために支払うにはまだ高い。持ち主に癒しを与えるって意味で「AIBO」を超えているとも思えない。技術的な理想を実現しつつも商品としての効能を果たせる二足歩行ロボットが出てくるのはやっぱりまだ先になりそーだなあ、何しろ相手は「鉄腕アトム」だ、勝つにはあと100年はかかりそうだなあ。

 そう言えば「マノイ」って最初は人間の5分の1スケールでかけっこをするアスリートロボットとして確か開発されていて、そちらの目的は昨年末に発売された別バージョンの方ですでに実行に移されているみたいだけれど、こちらはボディのデザインが高橋智隆さんの描いたものとはまるで違った強面な顔をしたデザインになっているのが気になった。あのスタイリッシュなデザインだからこそ走ればロックマンっぽい可愛さ格好良さを見せられたのに、柔道選手みたいなデザインにされてはたとえそれなりな速度で走ったってあんまり見ていて美しくない。目的を果たすためとはいえ、理想を削りすぎると結果としてどっちつかずのものになってしまう例を見た気が。

 まあスタイルへの理想を置けば、戦うって目的のためにどんどんと異形化がすすみレギュレーションを固くしていかなくちゃまとまらなくなる格闘競技より、同じ距離をどれだけ速く走れるかって目的を、ワンメイクのマシンを使い改造改良の範疇で追求する競技の方が分かりやすい。今はまだ筋肉お化けのよーな形をしているけれど、改良されていけば初期の「マノイ」に近い形で速く走れるよーなロボットも出て来るんだろーと期待しよー。「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出てくるランスロットみたいに下にホイールつけて走らせるのはやっぱり反則? そーゆー改良はだったら格闘競技の方で試すか。スラッシュハーケンを飛ばして相手を粉砕する武器とかつけて、ってそれも反則? ヴァリスの使用も?


【5月28日】 ざっと見返して講評を書き段ボールに詰めて一段落。始まった「らき☆すた」をずっと見て前回前々回あたりとの大差のなさから飽きる人とか出るかもと思う一方で、大差なさなら「サザエさん」だって同様、30年一日の平凡きわまりない日常を繰り返し見させられていることを考えれば、それなりに新しいネタの仕込まれている「らき☆すた」の方がまだ、惰性ではなく能動性を持って見られる番組なのかもしれない。まあ大きく括ればやっぱり大した差はないか。「らっきー・ちゃんねる」を別にして。萌え演技とやさぐれ演技を瞬時に切り替える今野宏美さん、偉大だ。

 これが「あずまんが大王」の場合だとキャラクターにある程度の固まりはあっても外にキャラが広がりバラエティに富んでいた上に、作品内の時間もちゃんと流れていたからなあ、あるいは「ぱにぽにだっしゅ」だったらキャラ大過ぎな上に半歩引いて裏側を見せつつ押し切る演出の冴えがあった。「らき☆すた」は4人にプラス数人の会話芸だけだからなあ。それでもネタがあるうちは良いけど詰まってきたらこれ前にも見た感にとらわれそう。このままの淡々とした描写だけで何話かしらないけれど乗り切る根性、見せた果てに来るのは「サザエさん」的な国民的アニメへの道かそれとも良くできすぎていただけの記録性アニメへの道か。どっちにしたって見続けるけどね。アルトリコーダーの吹きっぷりの下手っぷりとか最高だったし。音響すごい。

 聴いた「コードギアス 反逆のルルーシュ」のドラマCD第2弾よりスザクの家にルルーシュがナナリーと世話になっていた頃のエピソードでゲンブなんてスザクに刺されて当然だったと強く激しく納得する。日本の未来のためだとか、抑圧された仕返しだとかなんて曖昧としたものじゃない。ナナリーのため。ナナリーの貞節と幸福のためにゲンブは損なわれるべきだった。もしも存命だったら今頃は……。ああ想像するのも背筋が凍る。そりゃあスザクだって凍っただろー、ルルーシュをお兄さんと呼ぶならまだしもおじさんと呼ばなきゃいけなくなったかもしれないんだから。つかだったらゲンブはスザクに誰をあてがおうとしていたんだろー。カグヤちゃん? お似合いだけれど元より親戚づきあいのあった家々が婚姻で更に結びついても意味がない。とすれば他に政略結婚の相手を捜すのか。誰だ。ラクシャータか。あれで意外にお嬢様、な訳ないな。ともかく良かった救われて。最後がどうなるかはまだ分からないけどそれでもゲンブ存命よりは素晴らしい未来を見せてくれると信じよう。続きはまだか。

 仕事していたら「ZARD」の坂井泉水さんの訃報が飛び込んできて騒然としていたところに農林相の松岡利勝議員の自殺の報。こりゃ何だとあれこれ調べていたらウィキペディアあたりに一瞬、坂井泉水さんの訃報を悼んでの後追い自殺だなんて記述も出たりしいてそれはそれでウィキペディアらしい話ではあるけれども、自由に書き換えられるネット上百科事典のこれが悩ましさって奴。しばらくしたら落ち着いたけれど油断は出来ないんで逐次アクセスして確認だ。しかし坂井さんが亡くなった慶応病院で取材していた人たちは、そのまま松岡農相の取材に追われることになったんだろーなー、行ってただろー芸能リポーターとかもかり出されたんだろーか。坂井さんの亡くなった場所に花を手向けに以降としていたファンも巻き込まれて大変だったかも。こちらも落ち着いてから様子を見に行ってみるか。

 「エル・ゴラッソ」のリポートとか西部謙司さんのリポートを見ると相当に26日の「ジェフユナイテッド市原・千葉vsガンバ大阪」の試合は素晴らしくも凄まじかったみたいで、ここんところ守備網をずたずたにされて大敗する試合ばかりを見ていただけに久々な安定した戦いぶりを目の当たりにしたかったって気も起こったけれど、東浩紀さんと宇野常寛さんの“論争”に対する認識軸を固められたのと、もしも現地で見ていてせめて引き分けって所に来ての遠藤保仁選手のフリーキックがズドンで崩れ落ちる選手たちの姿を目の当たりにて、心が砕け散って歩けなくなるのも辛かっただろーからここは結果を知りやや落ち込み、そして内容を知ってまあこれなら遠からず復活もありえると期待を抱けることの方を喜ぼう。次はどこで何時だっけ。行くぞだから勝ってくれ。

 いやその前にキリンカップか。平日の夕方に地の果ての更に山の奥にあるえ「エコパスタジアム」で試合なんかして客が来ると思っているなら日本サッカー協会、興業の何たるかって奴を誰か吉本興業か劇団四季に派遣して学ばせた方が良いんじゃないのか本当に。そりゃあワールドカップ2002に関連して各地に出来たスタジアムを使わなくちゃいけないって気持ちは分かるし、各地のサッカー協会に何か約束しちゃってるんだろーと想像も出来るけれど2004年のアジアカップでヘトヘトになった日本代表を再招集して夏の蒸し暑い時期にアルゼンチンと同じ「エコパ」で戦った試合ですら行く側にとっては大変だったりした訳で、くわえて昨年の大敗に今回の相手で且つアジアカップ前なんて時期に「エコパ」は絶対選ぶべきじゃあなかった、静岡県民には悪いけど。

 せめて大阪の長居か愛知県の豊田かにしておくべきだったんだろーけど長居は確か工事中。豊田も選ばれなかった所を見るとあるいは今回のどこか“消化”っぽさの漂うカードを「エコパ」にあてがい義務は果たしたってことにして、これからの稼げるカードを良い場所に持って来ようとしている、なんて思惑なんかもあったのかな、オシム監督就任後には未だ試合がないアルゼンチンが相手で豊田だったら平日でだって駆けつけるさ、あるいは新潟までだったら。宮城? それは今もなお存在しているのか? ジェレミーさんもその存在に疑問を投げかけているみたいだし。そろそろ化石化してたりして。選手も一緒に。ヒデとか。埋もれていたりして。

 どうせだったらいっそ埼玉の試合も遠くに振って、代わりに南米代表のコロンビアと欧州代表のモンテネグロとで繰り広げられる「偽TOYOTAカップ」を「国立霞ヶ丘競技場」で開催して欲しかったよ。いつかピクシーが最後に代表に入っていた新ユーゴスラビアと、あれはチラベルトがいたからパラグアイだったっけ、その試合を国立で見たけど技の競演でなかなか楽しかった。フル代表の方はもういっぱいで取れなかったのにそっちは簡単にチケットが手に入って、なおかつまあそれなりに世界の技を見られたっけ、サビチェビッチも監督やってたし。何で松本なんて選んだんだろう? 昼間に「なでしこジャパン」の五輪予選の韓国戦を入れれば満杯は確実だったのに。主催が違うから無理かもしれないけれどもそこの融通を利かせてこそのキャプテンじゃん。それとも選手の誰かが松本に行きたかったのかなあ。3戦目の相手をヘロヘロにしてかったのかなあ。でもコロンビアだったらボゴタなんで標高2400メートルなんで、松本の高地で戦ったって疲弊なんかしやしないのに。

 土木工事に欠かせないもの。クレーン。パワーショベル。杭打ち機。生コン車。そして人柱。なんだそりゃ? そう思ったあなたは日本の風習を知らない外国人。はるか昔より日本では工事の際に神様の怒りを鎮めようと人柱を現場に埋めてきた。そして現代もその風習は受け継がれ、工事現場では必ず人柱が地中に入って、工事が無事に完了するまで命を神様に預けている。そんなばかな! だから石持浅海が「人柱がミイラに出会う」(双葉社)で描く日本では、今も人柱の風習が生きている。ほかにも厄年になった人は会社に出てこられても他の人の足を引っ張るだけだから、1年間の休暇を取ることが半ば義務づけられている。都道府県知事は1ヶ月おきに東京と地元に住む参勤交代の制度も大名の次代と同様に設けられている。

 見えているけど見えないと見なす黒衣。ウサギならぬ銀行強盗を追いかけとらえる鷹を鷹匠。古くから伝わって来た習俗が、迷信として排除されず逆に社会にとけ込んでいる日本を描いた短編集。聞けばどの風習にも現代に残る納得の理由があって、だったらどうして今、人柱が見られないんだろう? という気になってくる。厄年休暇なんて本当にあってくれたら嬉しいのにと今まさに厄年の人間は強く思う。休みたいよお。くわえてこの短編。人柱なら人柱、鷹匠なら鷹匠がそれぞれに持っている特徴や役割を起点にして、人柱が消えてしまってミイラが残されていた事件や、鷹が犯人を脅すだけでなく殺してしまった事件、厄年になって休んでいるはずの人たちが次々に怪我をする事件について、自身が人柱という青年が探偵となって合理的な解決をしてみせる。奇妙な世界を描き奇妙な世界ならばこその事件を組み立て奇妙な世界故の答えを示した、3重の想像力が働いた奇想の書。自分だったら他にどんな風習が現代だったらどう残されているか、なんて考えてみると面白いかも。桃の節句? そりゃあやっぱり男児を一所に集めてのバトルロイヤルだろうなあ。生き残れればそりゃあ健やかに育つって。


【5月27日】 女高男低は世のクリエイティブなワークにおける傾向となりつつあるみたいで、少女向けに小学館から立ち上がった「ルルル文庫」から出た「小学館ライトノベル大賞」の「ルルル文庫部門」で大賞を受賞した倉吹ともえさん「沙漠の国の物語 〜楽園の種子〜」は、面白さでも確かさでも「ガガガ」の大賞作を上回っている感じで、他のどのレーベルに回って応募しても、、いつかどこかで何らか野賞を受賞したんじゃなかろーか。水を呼ぶ樹を守る村に住んでいた少女が、少女で未成年ながらも樹に選ばれ、他の村に種子を分け与える使者に選ばれたことで起こる出来事を描くストーリー。訪れた災難が偽善を暴き、原罪を償って人類に希望の持てる未来を開く。

 本来は男子の園丁だけが選ばれる使者になぜに少女が? って部分が今ひとつ分からないけど、どこか嘘にまみれながらも隠して生きる男どもでは、もはや役目は果たせないと樹が考えたってこともありそー。ここでもそうか女高男低だ。善人悪人の違いを問わず、守りたい人や家族のために必死になろうとする姿は心に痛く、目的は同じなのに陰に陽に分かれて争わなくてはならない悲しさも描かれていて考えさせられる。終わりの痛ましくも辛い別離の潔さにも心打たれる物語。素晴らしい。倉吹ともえの名はこの1冊で長く「ルルル文庫」に刻まれることだろう、「ルルル文庫」がどこまで続くかは知らないけれど。ドラマCD版も買ったけど、主人公の男の子っぽい格好をした少女は声が皆川純子さん。やっぱりコーネリアっぽいの?

 コーネリアといえばこっちは1発でちゃんとゲット出来た、メガハウスから発売中の「コードギアス 反逆のルルーシュ」の大判セルカード&ラフカード。シークレット込みで16種類があるんだけれどええい面倒とばかりに16種類入りのボックスを買ったらちゃんと全部がそろっている良心的なソートになっててシークレットを銘打たれている、そのくせにちゃんとルルーシュ・ランペルージだって書かれてある絵柄も出て別に特別な感じはしない絵に何でこれがシークレットなんだといぶかったけれどもあるいは1000枚に1枚くらいギアス目バージョンが含まれていたりするのかな。

 やっぱり女子は少なくカレンとユーフェミアとC.C.とそしてコーネリア様だけてシャーリーや会長やセシルさんはなく会長の猫耳バージョンとか欲しかった身にはやや残念なセレクト、あとヴィレッタさん千草バージョンとか。んでもなかなか男子が出ないことで有名なポスター自販機に比べりゃ、ちゃんと確率的に出るだけマシだしポスターにはないユフィにコーネリアが含まれているのも大きな利点。その凛としたまなざしに表情を眺めるだけでも、1日をがんばろうって気になって来る。なぜか1人ブリタニア軍から含まれているギルフォード卿がうやうやしく傅(かしず)いているのも分かるなあ。つか何でギルフォードだけ? 眼鏡男子はそれだけ人気ってことか。つまりはユーザー層の主たる女子への配慮か。男子ではなく。女高男低はここにも。

 目覚め「天元突破グレンラガン」を見たらオープニングからカミナが消えていた。早いなあ。けど仕方がない、本編にも容赦なしに回想シーンすら与えられずひたすらに兄貴を失い荒れて迷うシモンの描写が繰り広げられる。兄貴だったらこうするとばかりに悲しみを紛らわせる意味も含めて猪突猛進しては袋叩きに遭う繰り返し。果ては谷底へと落ちて動かないラガンに呆然としていたところにどこかの誰かが崖の上から箱を投げ入れシモンがそれを開けると中から白ロリが……じゃない白い衣装のお姫様が。こーゆーのをすてプリ、っていうのかな、というかどーして捨てられないといけないんだ、螺旋王の第一王女が。

 そもそもが王女ってのが唯一の子息なのか王子とかもいて跡目争いをしているのかも分からないから、どいういう経緯で放り出されたかは今後の展開で教えてもらおう。問題は見るからに人間っぽい格好をしたお姫様のニアの父である螺旋王の言動で、配下の四天王のそれぞれにアデニングアニンシトシンチミンというDNAの4塩基を土台にした名前を持った奴らを創造したって言っていたから、もしかしたら地上に栄えた文明の中で何かを研究していた科学者で、ゆがむ地上の様子に愛想を尽かしてこりゃあ一度、滅びるべきだと海人ではなく獣人を作り送り出した、アニメの「青の6号」で言うところのゾーンダイクみたいな役割を背負っていたりするのかな。

 ってことはやっぱり人間ではなくニアはミューティオか。ともかく記憶を奪われている訳でも立場を損なわれている訳でもなく、第一王女と言って攻めてきた螺旋四天王の1人のサソリ女の前に立ちはだかるくらいだから、正体バレのエピソードなんかはすっ飛ばして、獣人の秘密に迫り螺旋王の正体をつかみ人間の存在意義を問いそしてラガンが、シモンが向かう道って奴が示されることになるんだろー。早い展開でエピソードが消化されていっているだけに、ニアから螺旋王へと半分くらいでたどり着き、その先には地球すら末端と考えるオーバーロードがあってニアに導かれた大グレン団の面々が、星すら吹き飛ばすくらいにアップしたシモンの力を頼りに宇宙を進んでいくスペクタクルが繰り広げられる、なんて期待も浮かぶ。ならばタイトルもいっそ「ヒロイック・シモン」に代えるか。

 有り体の世界観を持ってきて置き換えただけなものを読んでもまあ、楽しくはあってもめくるめく新しいビジョンってのは覚えない。まったく新しい世界観って奴を作りその上に世界って奴を練り上げてこその“異世界ファンタジー”ってことで花田一三六さん「龍族(ドラッケンハイト)」 創世の契約1」(中央公論新社、900円)は描かれている世界自体が目新しく、果たしてこの先に何が待っているんだろうってわくわく感にあふれている。舞台は大陸。何でも最強の龍族ってのがいてほかに鳥族犬族猫族ってのがいて最後に神様らしき存在に作り出されたのが人族で、とりたてて武器を体に持たない人族は世界で虐げられていて大陸のはずれに押し込められて暮らしていた。

 とはいえ集団で戦い臨機応変が利くってことで傭兵としては徴用されてて、あと傭兵として大陸を移動する利点から銀行の業務も担ってそれなりに大陸に存在意義だけは持っていた。そんなある時、大陸の片隅にある人族の居留地に龍族がやって来るところから話しは始まる。神にも近い龍族がどうして人の住む場所にやって来たのか? 調査する新聞記者が巻き込まれた事件の話や、彼の生まれ育った過去の話、街の酒場で元傭兵が経営している酒場に生まれて後を継いだ息子がかつて抱いた夢とその破綻、猫族と人族の混血で居留地には母親を捜しに来た猫みたいな顔をした少年と入国管理官のエピソードなんかを連作的に描きつつ、この世界がおかれている状況を浮かび上がらせ、そして最後に龍族が抱く思惑と、それに巻き込まれていく人族の青年の話が示され次巻へと続く。

 “至高”と呼ばれる存在によって族が分けられ作られてから1500年、って辺りにまず何らかの秘密がありそー。生物が分化し進化するには短すぎる年月だけにあるいは舞台は何か実験的な場所で族が分かれているのもその結果で龍族は動向を監視している存在で、だからこそ起こるエラーに厳格に対処しようとしているのか、って創造も浮かぶ。となるとファンタジーってよりはむしろSFか。そーした設定への興味にくわえて、混血が差別されている状況なんかにもいろいろ考えさせられるところあり。全5巻とゆーシリーズが完結した暁には、きっとかつてない壮大でそして奥深い世界が立ち上がり、物語が形作られ迫って来ることと信じよー。次は何時だ? とりあえず猫族と人族の混血少女トーニが可愛い。リアル猫耳娘しっぽ付き。おお。


【5月26日】 んで結局黒(ヘイ)は未亡人ん家で何してたの? まさら本当にアルバイトをしていたの? 産業スパイを追うのに別に未亡人ん家は関係ない訳で、そっち方面のお話は正直探偵と未亡人と元夫人の関係だけで成り立つもの。なのに黒の仕事と絡めたのはやっぱりこれまで暗い話が多くって離れ始めた視聴者を、未亡人の魅力で引き戻そうとしたってことなのか。あるいはピンクの頭をしたコスプレさん。さらにはホームラン軒の娘さん。居並ぶ美女に美少女たちがこれからの展開の中でいろいろと、絡んでくれればありがたいんだけれど未亡人についてはこれっきりだろうなあ、んじゃやっぱり探偵ん家の助手に期待か。銀(イン)は滑り台が気に入ったらしいけど降りた後の描写がなかったのが気がかり。前のめりで砂場に頭を突っ込んでいたら愉快、だったけど。

 もう何度目かの「デザインフェスタ」へと起きてゴー。すでに通い始めた頃よりそれなりなにぎわいを見せてはいたけれど、「GEISAI」無き今はアート系の人たちにとって唯一くらいの大規模な発表の場ってことで参加者数も増えたのか、これまでだったら西館(にし・やかた)の1階部分でどうにか収まっていたブースがエスカレーターで上がった2階にまで広がっていてそこすらいっぱいっぱいな感じ。さらに訪れる人も老若男女にくわえて洋の東西を問わない感じになってて、英語中国語なんかが飛び交うインターナショナルなイベントへと発展を遂げていた。

 来ている人数も多様性もちょっと前に「東京国際フォーラム」で開催されたアートフェアよりずっと上。だいたいが「アートフェア」は入り口の受付用紙に英語の案内が書かれておらず、外国からの来場者を想定はしても意識はしていなかった程で、それにくらべりゃオープンな雰囲気の中に気軽に入れて堂々と出展者とやりとりできる「デザインフェスタ」の方が、よほどに日本のアートを世界にアピールする上で意味を持っているんじゃんかろーか。まあ「GEISAI」だって外国から審査員を呼んだりして、それなりな意義を持っていたんだろーけれど、肝心なところでは村上隆さんってアーティストが、若いアーティストを発掘して育成するというアート的行為として見なされてしまいそこから個として誰かが出て来られる空気にならなかったからなあ。そういう目でした「GEISAI」を見なせなかったメディアの責任でもあるんだけど。

 その点で「デザインフェスタ」は強烈な個性がセンターにある訳でもないひとつの器としての雰囲気がずっとあっていい感じに情勢されてて、かつてはそのフラットさがフリーマーケットなり原宿あたりの露天商の集合体とどこが違うって目で見られてなかなかメディアの権威付けに引っかかってこなかったけれども最近は、「GEISAI」が消える一方で「GEISAI」の存在がメディアに感づかせた、個人がアートなりファッションなりキャラクターなりを制作し発信し得るんだって事実を現時点で実践している場として任地されているらしくて今日も今日とてカメラを抱えた取材の人が、これまた日本人外国人と問わず訪れあれこれ見たり記録したり訪ねたりしていた。その中から遠からずメディアスターが生まれ付随して「デザインフェスタ」って器が知られ新たな才能を集めて発展していく、と面白いんだけれど妙な権威が付くのも鬱陶しい話だしなあ。大丈夫か今のフラットでフラワーな「デザインフェスタ」の雰囲気なら。

 あれこれと見る中で気に入ったTシャツを購入。佐藤貴房さんって人でエロティックな美少女を3DのCGで描く人でこれまではイラストを展示していたらしーけど、今回は初めてTシャツも出しててこれがやっぱりエロくって格好良い。おおっぴらに着るにははばかられる所もあるけれど、午後にあるイベントは動物がポストモダンした果てに何が来るかを問う革新的なイベントなんで大丈夫だと判断。実際に着てイベントに出てはみたけれど、この程度のエロさは語るに足らないと想われたのか、あんまり突っ込まれなかったのはやや残念。次はだったら会社に着ていって反応を伺うか。いやいやさすがに会社は拙いか。でもそれくらいの根性を見せないと差異化もはかれないまま自滅は必至なんだけど。困ったなあ。

 さらに見回ってセガワ智コさんってイラストの人の冊子とポストカードを購入。たぶん雰囲気からコミティアっぽい創作系の即売会で活躍なんかしている人じゃないかって感じたけれど、そーしたどちらかといえば漫画イラスト寄りな人が作品を出して、これはアートなんですイラストなんかじゃないんですってコンテクストを無理矢理に乗せなくっても、誰からも変だと想われないのが「デザインフェスタ」って場所。見回すと漫画のよーなアニメのよーなイラストが結構出ていて人気もあって、時代は確実にキャラ化サブカル化しているって感じさせられた。アートフェアだとどこまでポップでもこれはアートだ、アーティストの感性の発露だってことを強弁せざるを得ないもんなあ、でないとアートって言われないもんなあ、窮屈だよなあ。

 かといって完全なまでに漫画的アニメ的って訳じゃないのは、そーした方面で求められるある種の文脈に合わせてかけなきゃいけないリミッターを、外して自在な発想を披露できる場でも「デザインフェスタ」があるから。時にはそーした自由さがどっちつかずの作品になって、買い手をとまどわせることもあるけれど、反対にどちらの要素をうまく取り入れ昇華させた作品もあって、新しい表現へとつながっていることもある。他に類例を見てとれる表現とは違った何かを求める人たちには有意義な場所。単行本の表紙とかに使えそーな絵を探して編集者の人とか、行けばこれからの人を結構探せると想うけど。実際にすでにたくさんの人がピックアップされているのかも。

 東京コンテンツマーケットで授賞したりして今回も「デザインフェスタ」に出展していたTAKORASUさんなんかはまだみたいだけど。レトロな空気を幻想の中に描いたイラスト、幻想系SF系に良いと思うんだけれど。ほか目に付いたのはやっぱり漫画っぽくってアートっぽかったりもする壱太助丸さんなんかが良かったなあ、横で実際に絵を描いてたけど、これも実に可愛くて良かった。あとお父さんがチラシを配ってた寺田弥生さんのTシャツ屋さんも金蒔絵みたいな文様が描かれた和風にゴージャスなシャツが並んで手これからのシーズンにTシャツ1枚で存在感を見せたい時に結構有用そーだった。値段もゴージャスな割には3200円とか3600円とかでお買い得。こーゆーのを探して歩いて買うだけでも結構楽しいんだよ「デザインフェスタ」。明日もまた行って買おうかなあ、見比べて下げてしまったのTシャツとかも。

 終えて電車を乗り継ぎ東浩紀さんに笠井潔さんに海猫沢めろんさんが居並ぶトークショーを見物。東さんの言うには売れたいならこれからはケータイ小説か芸人小説だとかで、一般人の身で芸人になって小説を書くのは難しいならここはケータイ小説しかないのかもしれないけれど、どこか書き手のプロフィルと重なる雰囲気が受けているケータイ小説を中年にもなった人間が書いて受けるとも思えないから難しい。ネットオカマならぬケータイ小説イケメンになれる方法、どっかで教えてくれないか。あと「SFマガジン」の最新号で何かと話題の宇野常寛さんによる評論についての言及もあり。細かいところを考えずにドカンと東さんへの挑戦状をたたきつけて着たところに評論として立とうとしている覚悟があるって感じに誉めていた。

 ここで必要なのか、このスタンスを5年続けられるか、ってことで続けられればきっと今の若い世代が支持して次代を取れるんだけれど、そのためには2回目以降で何を書くかが重要になりそー。何を書くんだろう? 「コードギアス 反逆のルルーシュ」を決断主義における重要なコンテンツに位置づけ語ろうとしているけれど、未だ放映されざる後半でルルーシュが途端にヘタレになって迷い悩み引きこもったあげくにスザクにやられてしまったら語るに語れなくなってしまうし。その時は「ギガンティック・フォーミュラ」の迷わずあっさり登場して悩んでもすぐに立ち直る主人公を引っ張り持ち上げ決断主義の浸透と拡散って強弁すれば大丈夫か。「怪物王女」の比呂も迷わず助けて下敷きになり死んでも変わらず前向きだし。材料はたくさん。あとはアンチテーゼ東浩紀からアウフヘーベン東浩紀な何かを提示できるかだけど。できるかなあ。


【5月25日】 どこの二次元ナポレオン? って驚嘆を巻き起こしつつある「武林クロスロード」もすごかったけれど葉山透さんの「ファルティマの夜想曲 恋するカレン」もある意味すごい。舞台は大航海時代っぽい港町。主人公はカレンという24歳とかそんなもんの女性なんだけど、自立するために16歳くらいから娼婦になって街の酒場を根城に店員として働きつつ、誘われれば男と寝る暮らしを続けてる。当時はフィルという少年を拾い育ていたからってこともあったらしい。今は独立して働いていているフィルは、世話になったカレンを慕いカレンもフィルのことを弟のように感じているけど、最近になってフィルの気持ちに変化が出てきた。

 フィルはカレンを愛し始めていた。けれども迷っていた。カレンが男と寝て得た金で育てられた自分には、カレンを自分ひとりのものにする資格があるのか。カレンに場所を貸して幾分かの仲介料を得る酒場の主人とどこが違うのか。そう想うとカレンに面と向かって好きだとは言えなかった。それでも18歳の時に経験するお祭りをきっかけに告白しようと決めていた。一方のカレンもカレンでフィルが嫌いではないけれど、自分がどういう仕事をしているのかをあまり知られたくなかった。常に明るく気丈にふるまっていても、内心では遠慮があってフィルにすべてをゆだねられずに悩んでいた。

 そんなところにキースという男が流れ着いてカレンの客になる。誰かを思いカレンを抱く彼との出会いからカレンの気持ちに変化が起こる。とまあそんなドラマが書かれているのが「ハーレクイン文庫」じゃなくって、エンターブレインから出ている「ビーズログ文庫」ってところがなかなかに不思議。中高生だって読む少女文庫の主人公が娼婦なんだから。でも「武林クロスロード」みたいなティーンに直裁エロってゆーマッチング面での不格好さを感じないのは、シチュエーション的にはセクシャルでも直裁的なエロは書かれてない点と、カレンたちが感情に流されひきずられ翻弄されるんじゃなく、自覚し自立を目指してその道を選んでいるから、行動や言葉に無理がなく飛躍もなく、大人の世界にはそーゆーこともあるんだってオトメな方々に想起させられるから、なのかもしれない。

 流れ者のキースが裏で何をしているのかがあんまり書かれず、端々からほのめかされている程度なのがもどかしい気もして、もっとカレンの暮らしに踏み込み冒険の世界へと誘おうとすれば広がりが出るのかもって想わないでもないけれど、それをやるとカレンの突破していく前向きさにも、キースの届かぬ想いを呑み込み歩く性格にも歪みが出る。話自体も長くなるんで仕方がない。それにしても「9S」とは同じ作者とは思えない純愛にして大人びた世界を描いたものだよ。現代に舞台をうまく当てはめれば大人向けのメロドラマにだってなりそー。今回は「恋するカレン」ってサブタイトルが着いているってことは「ファルティマの夜想曲」としてシリーズ化され他のエピソードが出てくる可能性もあるのかな。その場合はカレンのその後になるのかキースの過去とか未来になるのか。サブタイトルは「君は天然色」か「カナリア諸島にて」か。

 むんむんとした色気だったらこっちだって負けてなかった「コードギアス 反逆のルルーシュ」のドラマCD第2弾は負傷して人事不省となったヴィレッタ・ヌゥを、助けた扇がベッドに寝かしつけたもののびしょぬれになったヴィレッタを見つつ、果たしてどう介抱したら良いのかを迷い悩んで悶々とする話。とっとと脱がして着替えさせれば良いんだけれどもあの年齢なのに未だ女性の服なんて脱がせたことがない扇なだけに、豊満にしてスレンダーとゆー理想体型を持ったヴィレッタの体に触れるなんてとてもじゃないけどできやしない。

 女性のことは女性に聞けと電話をかけて来たカレンに相談しては変態扱いされ、やっぱり電話をかけてきたルルーシュに聞こうとして誤解され大騒ぎされるかもと引っ込め、女の扱いだったら慣れてる玉木だったらと想ったものの酔っぱらってる玉木じゃ何をされるか分からないからと却下する。そもそもブリタニア人の軍人らしき女をかくまったとはっては「黒の騎士団」の幹部の地位すら危うくなると、覚悟を決めて女体に挑む扇に果たして明日は来るのか。来たからこその21話のラブラブ展開なんだけど。でもその後いったいどーなった? 早く見せてくれ24話と25話。

 んでエアロバイクを漕ぎつつ田口ロミオさんの「人類は衰退しました」(ガガガ文庫)も読了、ガガガもやればできるんだ! タイトルどおりに人類が衰退しかかっていて出生率が下がって学生も減っていく中で最後となった卒業生の1人の少女が故郷へと帰って祖父の仕事の後を継ごうとする。それは人類の衰退とは逆にむりょむりょとわき出して来た妖精とコミュニケーションを取る調停役の仕事で、少女は早速妖精のところにいってあれこれ話そうとしていろいろギャップを経験しつつもどうにか仲良くなっていく。

 って言うと異質な存在を相手にしたコミュニケーションを描きつつ人類が衰退してしまった理由を探り妖精が持つ次代に置ける覇者としての存在意義を考えさせるSF的なストーリーが思い浮かぶけれどもそーした鯱張った設定は表には出ず、裏にもある感じがないままなぞめいて面白い妖精と少女との、漫才めいたやりとりを楽しんでもらいましょう、それでもってぐんぐんとエスカレートしていく展開に驚いてもらいましょう、って雰囲気だから展開の妙に会話の愉快さを楽しみたい人には最高に見えても、かっちりとした設定を求めしっかりとした結末を求める人は肩すかしを食らった感じを味わいそう。人類が繁栄してそして衰退して滅亡する理由を寓意によって描いた話とも言えるのかな。とにかく愉快なキャラクターたち。少女も爺さんも妖精たちもそろっておまぬけな感じが読んで心をほこほこさせてくれます。続きとかあるのかな。なくても同じ筆致でユーモラスなお話を描いて欲しいなあ。

 せっかくだからと「ルルル」の方からも中里融司さんの「空色のリンク」をまず読了、孤児院で育った少女の性格の自分は誰からも愛されていないんだって被害者意識っぷりがありえるんだけれどそれだけになかなかキツくって、感情を添えられないなあって悩んでいたけど最終的にはそんな性格が、彼女の身代わりになってた女性のこれまた被害者意識に凝り固まっていた心を呆れさせて仲をとりもち異世界の平和につながったんだから良しとするか。現実世界の先輩と異世界の剣士の顔がそっくりなのは何か関連性があるのかな。ないみたい。まあそういうことってよくあるよね。


【5月24日】 「ガガガ文庫」から出た「小学館ライトノベル大賞」の大賞を受賞した「マージナル」がその陰々として滅々っぷりからとてもじゃないけどローティーンには読ませられないって感じた印象は実は甘かった。深見真さんの「武林クロスロード」は「ガガガ文庫」よりも二次元ドリーム文庫の方がふさわしいくらいのエロスが満載。表紙からして爆発しそーな胸をぶら下げた乙女が2人、絡み合っている絵で驚かされたけれども本編にはいるとそんな二人の間で合体に次ぐ合体が繰り広げられては液体が流れ、粘液も垂れ、読む青少年からもいっしょに迸らせるくらいの濃くて激しい描写があって、真夜中に「チャンピオンズリーグ」の決勝を待ちながらうとうととしていた目を一気にギラギラしたものへと変えさせた。

 武術を極め皇帝の横暴に逆らい暴れながらも皇帝の配下の者たちによってとらえられ、孫悟空よろしく岩にくくりつけられてしまった女傑が復活。仙道を学びながらも武術の動へと行きたいと師匠のところを出奔した少女リョウカが山賊に追われてたどりき見つけ、術を使って解き放ったもので女傑レイ・シュンライはリョウカに感謝をし、リョウカを弟子にしてともに最強の道を究める旅にでる。立ちふさがるのはシュンライの力を畏れ、そしてリョウカにどうやら秘められているらしい力を狙う皇帝の勢力。一騎当千どころか万の軍勢すらひねりつぶすパワーを放つシュンライや、その弟子の戦いぶりを溜飲下げつつ読むバトルストーリーって言えば言えるんだけれど、合間に挟まるエロスがどうにも嫌らしい、じゃないいただけない。

 もう徹底しての描きっぷりは漫画で言うところのぼかしなし。女の子なのに屹立させては突っ込み放つ繰り返し。相手も1人じゃなくってシュンライがいれば両手を罰として切られた美貌の元軍師もいれば敵のおぼこな女将軍もいたりして、喜ばせ泣かせわめかせる。このままでだって二次元ドリームの文庫として立派に役目を果たせそうだし、回数が増え長さも加われば新書の方でも看板はれる。さすがにイラストには二次元ほどの直裁的な部分はないけど歓喜する表情なんかは二次元と同様。そこに重なる文章を読めば健康な男子だったら1回また1回と開放感を味わえることだろー。

 面白いし一気に読めていろいろ教えられる所もあって、その意味ではさすがに中堅だけのことはあるって讃えたいけど、問題はこれが二次元ドリームから出た訳じゃないってことで、12歳とか15歳の中学生だって買って読みそうなレーベルに、混じって決して健全だとは言えないところに「マージナル」ともどもセレクトし、編集して刊行した人たちの得体の知れなさを見る。誰に読ませたかったんだろーか? 「ハヤテのごとく」のノベライズを読みたい中学生にも一緒に読んでもらいたかったんだろーか? それは重畳、読めばかよわい少女を脳内で虐待するよーな暗い感情は引っ込み、筋肉も露わな迫力の女性が全身で迫ってくる恐怖に嗜虐的な性向も去勢され、ひとりの真面目な男子となって社会を歩んでいこうって気になるだろーから。

 んでもって悶々として上気した頭で見た「チャンピオンズリーグ」の決勝戦「リヴァプールvsA.C.ミラン」はミランのガットゥーゾ様がサイドに張って攻めさせず削り一方で攻撃の機転にもなる活躍を見せながらも、要となるカカが囲まれ自由にさせてもらえず攻めあぐむものの、リヴァプールもサイドへとボールが出てもそこから折り返せず中にあわず決定的なチャンスをつくれず一進一退。そんな時に現れ活躍するのがスーペル・ピッポ。またの名をごっつぁんピッポ。フリーキックが壁の間を抜けてゴールに迫ろうとしてるところにすっと入って体に当てて、キーパーが読んで構えた方とは逆へと角度を変えて突き刺し1点。そしてオフサイドの位置からディフェンスが作るラインに紛れたかと思った瞬間に、カカが出したスルーパスへと反応してゴールキーパーと1対1になってそしてちょい、外に出しつつけり入れイン・ゴール。まさにインザーギって動きを見せて2点を奪い勝負を決めた。

 その動きっぷりを日本で例えるならば佐藤寿人選手が近そうだけれど、チャンピオンズリーグの決勝ってゆー場でジラルディーノってライバルを押しのけ先発して成し遂げるんだから根性が違う、格も違う。一方のリヴァプールもトップに2メートルのクラウチを入れてパワーで押そうとしたんだけど時すでに遅く、いくらクラウチが中央でターゲットにあり頭でさばく上に自らも高度な足技を見せて抜き、ミドルを放ってゴールキーパーがかろうじてはじくチャンスを作り出しても、それが波状となって相手を押しまくるまでには至らず試合終了。一昨年に3点リードから3点を返されPK戦で敗れ去ったミランが完璧な試合運びで勝利して、2年前の悪夢を完全なまでに晴らしてみせた。

 この勢いにロナウド&シェフチェンコが加われば冬の「クラブワールドカップ」でだって優勝は可能、とは思うんだけれどいつかの「TOYOTAカップ」に来た時もメンバー的にはベストながら勝てずボカ・ジュニアーズにPK戦で敗退したっけ。その時は来年こそと言いつつ来れなかっただけに、今回は気合いを入れて臨んで来るとなると相当に白熱した試合が期待できるかな。昨年末のバルセロナは何かあんまり見たくなくって行かなかったけれども本気のミランが見られる上に、もしかしたら日本のチームも出るかもしれない「TOYOTAプレゼンツ FIFAクラブワールドカップ」を今年は見に行ってみても良いかなそれとも冬は寒いから遠慮して家で見物かな。それより以前に12月の時点で路頭に迷ってないかが重要なんだけど、いや本当にマジでいろいろなんですわ。

 ちょっとだけ寝て起きて10キロほどエアロバイクを漕ぎつつライトノベルを1冊読み切る「ライトノベルダイエット」に挑む。かいた汗の分だけ昼にゴウジャスなご飯を食べたら一緒なんだけどこれまでだったらご飯を食べるだけだったから、それに比べりゃマシと思おう、気休めだけど。んでもって日取りも日取りだったんで早売りの「コードギアス 反逆のルルーシュ」のDVDとドラマCDの新巻を購入、DVDは第5巻でジャケットにはコーネリア様が描かれてはいるんだけれども、ランスロットの方がメインってのが釈然としない。これまで人間メインで来てどーして今度はナイトメアフレームなんだ、それともランスロットの方がコーネリア様より一般受けがするというのか?

 うーんそんな気もしないでもないか。いやしかしコーネリア様だってまだ27歳とクリスマス過ぎでも晦日前。焦りつつ泰然として見せたい微妙なお年頃が放つ、緊張感と可愛らしさを併せ持ったキャラクターとしてお近づきになりたいって気を起こさせるんだけど。付録のポストカードはエンディングのイラストから何枚か。とりあえず猫祭りの生徒会を描いたイラストが良い。これの大判が欲しいなあ。でもアニメイトに入ったって出ないからなあ。実際に今日も出ませんでした出たのは「ルルーシュ」でした。アニメ店長を倒さねば我が手にC.C.は入らぬか。

 気落ちを立て直すために出回り始めた「涼宮ハルヒの憂鬱」のフィギュアガシャポンのバージョン1.5を2度ばかり。どちらもハルヒが出たけどハルヒはそれだけで素晴らしい上に最初が「団長」バージョンで次が「超監督&ポニーテール」バージョンとバージョン違いでうれしさ2乗。とりわけ「超監督&ポニーテール」なバージョンは、ひるがえるスカートの下につけられている背後から見ればTの字にあったそれの色が腕章にも似たオレンジ色で、そんなものを好むのかってゆー意外さを感じさせつつも人と違ったものを求めたいハルヒならではの探求心冒険心を見てなおいっそう好きになる。ちなみに「団長」バージョンの色は白だ。キョンはどっちが好みだったんだろー。キョンの好みに合わせたいハルヒの思いに合わさり世界が変わるとしたら、オレンジ色もキョンにとってはOKってことになるのかな。下はともかく上もやっぱりオレンジなのかな。白いセーラー服に透けるオレンジ。夏だなあ。


【5月23日】 「神曲奏界ポリフォニカ」を見ると天丼が食べたくなる。人もいる。かも。ツゲ・ユフィンリーが昼になると食べるのがなぜかいつも天丼で、海老の天ぷらの太いところをくわえてしっぽの方をのぞかせている姿に、そのしっぽへと食いつきたくなるけれど、両側から海老天をくわえ合った状態ではきっと真正面から頭突きをくらい、下では跳ね上げられた膝が脚と脚の間に食い込み悶絶させられることは確実だから、ここは見逃し独り身の所長が寂しい日々の生活でも、最大の楽しみである海老天丼の昼食を、邪魔することは止めておこー。しかし他の面々は別にかき揚げ丼もカツ丼もざる蕎麦も食べていないよなあ。いったいどこから店屋物、とってんだろう? ピザハットはないのかな?

 そーいや「コードギアス 反逆のルルーシュ」で登場人物たちが天丼とかカツ丼とかラーメンとかカレーライスを食べている感じはしなかったよなあ、かといってハンバーガーにコーラをばく着いている感じも。それは英国流れのブリタニアの租界に住んでいるからブリティッシュに紅茶とスコーンが主食になっていたからなのかもしれないけれど、現実の英国だって寿司とか食べられている訳で、せっかく新鮮な魚の手に入る国に来たんだから幹部くらいは租界に近い築地で江戸前の寿司とかつまんでいても良いのになあ、それが貴族のたしなみとかいって。オレンジ君とヴィレッタが落ち合う場所もバーのカウンターじゃなくって白木の寿司屋のカウンター。オレンジ君はトロとウニとヒラメをつまみヴィレッタは玉子に穴子でコップからビールをぐいっ。ああでも奴らは純血派だから日本食は食わないか。だったらダールトンとギルフォードがコーネリア殿下のお守りに疲れて新橋あたりで立ち飲みしつつおでんをぱくぱく。絵になるなあ。

 赤ポリ黒ポリ白ポリ青ポリのシリーズ本編を手がける面々の本編を知り尽くした上での一般人には計り知れない奥深さを持った脚本とは違って、サポートメンバー的に世界設定に協力しているって話の日高真紅さんの担当した脚本はすっきりストレートでわかりやすくって、実は秘密があった双子のうちのプリネに持ち上がった恋が秘密故に実るかどうかってゆー話を、想像のとおりの展開で描いて想像のとおりの結末を見せてくれて想像のとおりに感動させてくれた。所詮は想像の範囲内でしかなかったってことになりそうだけれど型にはまったおもしろさって奴はあるもので、その意味ではこれまでの話数でも1番くらいに安定していたんじゃなかろーか。

 他の作家陣による超絶的な展開をはらんだ脚本を見るに付け、想像力を爆裂させなきゃ世界を言葉によってクリエイトする作家にはなれない、ってことを考えあんまり想像力の斜め上には行ってなかった日高さんは、作家にはちょっとむいてないのかもって思えなくもないけれど、一見さんも割といる視聴者も対象にしなくちゃいけないし、読み返すことも難しいリニアに時間が流れていくアニメーションの世界だと、むしろ分かりやすさの方が尊ばれるのかもしれない。ってことでこれからも日高さんの登場に期待を。いや別に水中眼鏡で浮き輪でイカ焼きの総動員って常人には想像もつかない発想力を見せてくれた方であとを全部、埋めて戴いても良いんだけれど。毎週愉快で愉快でたまらなくなるだろーから。

 桐青との試合終わる。「おおきく振りかぶって」の第8巻。リードされて迎えた9回表の西浦の攻撃を9番の阿部からつなげて田島まで回せるかってところで1球1球の投手の心理捕手の心理打者の心理が細かく描かれまるで自分もその場にいる感じ。だけど実在の人間だったら投手なり、捕手なり打者なり監督なりの立場からしか見えない訳で、そこを様々な角度から照らして野球ってゆーものが持つ奥深さとおもしろさを浮かび上がらせて分からせてくる。漫画のそれがすごさって奴だし作者のひぐちアサさんのすごさって奴か。

 最終回になって打たれランナーを出してしまい、崩れそうになっても交替を拒否してマウンドにしがみつく三橋の投手というポジションへの執着心が鬱陶しいけど羨ましい。この根性があればなあ。今ごろ何とかなっていたかもなあ。自信家じゃない点は同じだけれどそこで気取って諦念に逃げるといつまで経っても何も築き上げられない。三橋はそこを逃げず支えられて歩き続ける。きっとどこかにたどり着けるだろう。甲子園? そこに行くまであと何試合、でもって何巻を重ねれば良いんだろう。10年、つきあう覚悟が必要かなあ。アニメも頃合いを見て第2期を作る必要があるよなあ。1期で桐青戦まで行けるかな。

 何だろうこの目立たない題字は。白地にベタっと入れたって際だたないんじゃないの、って感慨をまず抱かされつつ書店に居並ぶ「ガガガ文庫」をどうにか見つけ、とりあえずノベライズを除いて(あとオモイデも)購入、んでもってやっぱりレーベルの方向性を計る意味からも「第1回小学館ライトノベル大賞」で大賞を受賞して優香さんから熱い包容を受けたかどーかは知らない神崎紫電って人の「マージナル」(ガガガ文庫、571円)を読んで読み終えてなかったことにした。なかったから何が書いてあったかは知らない。じゃあつまらないから書けば10歳、対象にしている読者を間違えているんじゃないかって印象。選んだのがおっさん(冲方丁さんはそれほどでもないけど)ばっかだからなのかは知らないけれども、すでに分別を持った大人だったらこういうのもありかもって思い流せるところを、いたいけなティーンは衝撃も驚きも感嘆も抱かずただただに薄気味悪さを気色悪さと居心地の悪さを不気味さを、感じて嫌な気分に浸らされそー。

 主人公はアングラで殺人や拷問について情報交換をしあうサイトを運営している美貌の高校2年生の少年摩弥京也。街で頻出している殺人事件について情報交換をしつつ新会員の許諾にチャットで話していたところ、応募してきた人間から死体の写真を見せられる。それは同級生の少女で摩也とも面識があっていったいどうしたとチャットで誘導すると相手は自分が連続殺人の犯人だと明かし問いつめた京也も手に掛けると脅してくる。京也はそんな犯人の攻撃を気にしつつ被害が及ぶかもしれない殺害された小百合の妹の御笠に近づきその身を守りつつサイトの面々を動員して犯人探しに乗り出す。

 ただただ快楽のために他人を殺害して何も思わない犯人の態度がメタフィジカルに虚無さを演出しているんならまだ一種の寓意として読めないこともないけれど、あまりに底が浅い殺人鬼ぶりは読んで鬱陶しくも薄気味悪いだけ。京也自身も精神にいろいろあって揺れ動く人間なんだけどそれにしては殺人を愛する冷酷な顔とまじめにおかしいことをしでかしてしまう描写とのギャップがありすぎて気持ちをそこに仮託できない。ひとやま片づいた後に来るもうひとやまも、まあ伏線があるといえばあるんだけれど唐突すぎるし無理すぎる。摩也ならまだしもなぜにそいつが、って部分が見えず単に展開を面白く複雑にするためだけにそーゆー役割を降られただけの存在にしか見えない。だから見に何かを迫られ考えさせられることもない。

 むろんそういう話でも大人向けに書かれ大人が読めば一種の寓意を読みとることだって可能なんだけどこれは「ライトノベル大賞」の受賞作だ。そしてライトノベルとは若い世代に物語りのおもしろさ、キャラクターの豊かさを味わってもらうために書かれるものだ、ってひとつの僕が抱く定義に照らすならば「マージナル」は境界どころか完全にあちら側へと行ってしまっている。それを選び讃える人たちは誰にどう読んでもらいたくて選んだのか。そこから何を感じてもらおうと考えたのか。そして何かは実際に感じ取れるものなのか。どちらかといえばそうした選考委員の世代に近い僕には何とも言えないけれどもそれはきっと読者が答えを出してくれることだろう。圧倒的な物語よりシチュエーションの奇矯さを選んでいては時代を瞬間、切り取れても未来への礎は築けない。

 まあその部分は「ガガガ大賞」受賞の山川進さん「学園カゲキ!」(ガガガ文庫、571円)がきっと十分にカバーしてくているから大丈夫かな。その学園はまるまるいっしゅの撮影スタジオで通う生徒は役者であり先生も役者で日々そこでドラマが作りだされては放映されて大勢の視聴者から有り体のドラマなんかより高い支持を集めている。本当だったらすごい競争を勝ち抜き入学を許されるところを、その生徒、会澤拓海だけはまるで事情を知らず何となくで面接を突破し入学したものの、演技力がある訳でもないから学園内のドラマに1年で抜擢されることもなく、むしろ学園で撮影されているドラマを本当のいじめと勘違いして飛び込み監督から跳び蹴りを食らう。

 そんな拓海が最初は反目しながらもお互いに関心を持つよーになったのがスポーツ推薦で入ってきた橘九月という少女。その特技を生かしたスポ根ドラマで人気を得たもののインターハイ出場という現実の壁を超えられないまま低迷し始めた視聴率を取り戻そうと何も知らない拓海を巻き込み感動のドラマにしよーとしたけどあまりにのめり込みすぎた結果、ドラマで役柄を演じる自分に悩み始める。そして起こった事件が拓海を動かし学園を動かし感動の“実話”を生み出し視聴者たちを感動の渦にたたき込む、のかと思いきや……。1枚の絵があり裏側があってそこから顔を出してひっかかったと笑っていたらさらに背中にカメラがあってそしてその全景をカメラが押さえているかもしれない、「トゥルーマンショー」を幾重にもしたよーな現実と虚構の狭間にもまれる感覚が味わえる。個人的には「マージナル」なんかより面白いけどそーゆー僕の感覚って毎度のこどだから、一般にはやっぱり「マージナル」の凄みが受けるのかも。でも僕は「学園カゲキ!」を応援します、有坂古都乃先生をとりわけ。


【5月22日】 さらにエアロバイクを踏む日々。朝のちょっとした時間に15分くらいを平均時速27キロくらいで踏んでだいたい6キロくらいを走った感じだけれど、実際に6キロを走ったらきっとヘトヘトになっているだろーからやっぱり感覚は違うものってことになりそー。本当だったらそのまま続けて15分踏めば汗もあふれ出て脂肪も燃焼が始まるんだろーけど今はそこまでやると歩けなくなりそーなんで遠慮。やっぱり夜に踏んでそのままバタンキューが良いのかなあ。でも夜はそこからくいっと呑む酒が旨いんだよなあ。ダメじゃん。

 家を出てエアロバイクが入っていた段ボールを倉庫に放り込んだついでに西船橋の駅の改札を出たところにあるパン屋で看板みたく積み上げられていたチョココロネを買って食う。大手メーカーの製品だと柔らかくってクリームパンみたいな周りが焼きたてジャパンだとちゃんとカリカリしていることが判明。香ばしくって歯触り舌触りが良くなかなかに旨い上に中のチョコレートも柔らかすぎず固すぎず、いい感じに収まっていてカリカリなパンによくマッチしてる。その硬度だったら頭、はどっちか知らないけれどもとりあえず頭だと「らき☆すた」では認められた、のかは覚えてないけどともかく頭っぽい細い方から囓っても、チョコは下に垂れないかもしれないけれども落ちてズボンに着く心配から太い方にかぶりついてしまう小心者はやっぱり「らき☆すた」ファンとは言えないのか?

 いかんそれだとこなたに蹴りを食らうんで「ゲーマーズ」へとかけつけ明日発売の早売りが出回っていた「らき☆すた」オープニングの「もってけ!セーラーふく」を1枚所望、ここならたしかオリコンにカウントされていたよな、ご近所の「とらのあな」でも「アニメイト」でも「アソイットシティ」でも絶賛好評大量販売中だった模様でこりゃあ来週のランキングが楽しみだ。去年の今時分の「涼宮ハルヒの憂鬱」オープニングをめぐる騒動からこっち、アニソン祭りが続いているなあ。とりあえずテレビじゃあ何唄っているのかまるで分からない歌詞を読んでやっぱり分からない。これ書いた作詞家は天才かそれと紙一重かどっちだろう? 紙一重の方かなあ。曖昧3センチそりゃぷにってことかいってどういうことかい?

 アニメイトをのぞいたついでに当然のごとくに「コードギアス 反逆のルルーシュ」のポスター自販機を回す。2度。そして2度とも当然のごとくに「スザク」のピンでありました。何かアニメイト、中身を入れ替えてないか、男子ばかりに。もう数えるのも面倒になって来たけど推定だとおよそ15回はチャレンジしてそれが全部男子キャラっていったいどーゆー確率だ。誰かあそこで「C.C.」が出たって人はいるのかなあ、時分は「C.C.」が2度も3度も出て困ってるんですって人はこの地球上に存在するのかなあ、いたら天然記念物の尊称を捧げます。しかしだんだん腹立ってきた。次も挑んでやっぱり男子だったらいよいよ何とかしなくっちゃ。何をする? 泣くか。

 んでもって「パプリカ」のゴージャスなDVDボックスもこれは石丸電器で確保。5000ボックス限定って数が果たして少ないのか、余るくらいなのかは分からないけど今敏監督の描きおろしの千葉敦子ちゃんが妖艶にほほえんでいるボックスなら是が非でも手に入れなくちゃいけないから、早い段階で確保しておいて損はなさそー。パプリカはいろんな場所で見る絵なんでまあいいか。中身はディスクが2枚に752ページものストーリー・ボードブックで氷川竜介さんの解説に始まり藤津亮太さんの絵コンテ解説に氷川さんの今監督インタビュー、藤津さんの安藤雅司さんインタビューといったゴージャスにして膨大な言葉の積み上がりがあってこれだけで数千円の価値がありそー。

 なにより緻密きわまりない絵コンテを手にして読めるのだ。コンテのコマを切り取り撮影したって1本のアニメくらいできてしまいそーな緻密さ正確さ。それを描き切ってしまう今監督が漫画ではなくアニメーションの世界にいるのを果たして喜ぶべきか残念がるべきか。これだけの絵が描ける漫画家って今だってそうはいないしいたとしてもその人、大友克洋さんは映画にベッタリで漫画の方には戻って来てくれそーもない。今さんだって戻っては来ないんだろーけど、未だ手で絵を描き物語を作る作業の最前線にいるからには、可能性として漫画にいつか帰還を果たしてくれる時があるかもって、考えてみたって悪くはない。アニメに飽きたら是非に。でもインタビューで次ぎは子供が喜びそうな冒険アニメをやるそーだからしばらくはアニメにべったりかなあ。子供向けの冒険アニメってことは御大・宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」に真正面から挑戦か? 公開時期が重なったりするとちょっと愉快。

 よく分からないけど届いていた藤崎慎悟さんの「鯨の王」(文藝春秋社刊)を読み始めたら5分の1くらいまで読んでこいつはすげえぜ日本SF大賞級の作品だぜって唸る。海底で巨大な鯨らしき動物の骨が発見され、どっかの潜水艦の乗組員の頭が潜水艦の中で次々に吹っ飛ぶ事件が起こる。一方でやさぐれて女房と娘に見捨てられた、って当人は思っているけど向こうは放っておかれたって思っているすれ違いが悩ましい大学教授は海底でマッコウクジラに似ているけれど、大きさが半端じゃない骨を見つけて持ち帰る。新種らしいけど調べる前に骨は盗まれ紛失。こりゃ参ったってところに世界的なバイオ企業から怪しげな救いの手がさしのべられて、大学教授はグアムへと行き23歳の女の子が操縦する深海艇に乗り込み調査に臨みそして……。

 って感じの展開は大昔に読んだ梅原克文さんお「ソリトンの悪魔」なんかとも重なりそーな海洋スペクタクル&バトルロマンの雰囲気があって、手も止まらずにひたすら読んで読んで読み続けて3時間も経たずに読了、やっぱりとっても面白い。「ハイドゥナン」とかだと入り組んでいたり小難しかったりする部分もあったけれどもこっちは「別冊文藝春秋」って中間小説誌が発表の舞台だっただけあってエンターテインメントに徹していて、キャラクターもまあ類型的で展開もすっきりしていて楽しく」思ったよりすっきりと読んでいける。海底が舞台となった一大バトルも迫力たっぷり。とはいえ所詮は文字でのこと。もしもビジュアル化されたら相当にすごい映像が見られそうだなあ、「青の6号」でムスカと人間の潜水艦が見えるよーな感じの。

 大学教授と家族の相克とか、イルカ好きな23歳の女性潜水艇乗りの生い立ちとか、絡んでくるイスラムっぽい宗教組織に入ってしまった日本人テロリストの屈折ぶりとか、描き込めば深まりそーな要素もあるけどそれやっちゃうと同じ分厚さで後編ができてしまうから仕方がない。米軍の潜水艦の館長がマッチョすぎる点も気になるけれどもこれも同様。とにかくわかりやすく。そして面白く。って点では日本SF大賞よりは日本推理作家協会の賞なんかがふさわしいかも。あるいは大藪晴彦賞とか。これ取っちゃったら表彰式が愉快だなあ。日本SF大賞との同時受賞、なんてあったらなおのこと愉快だなあ。


【5月21日】 さっそく朝からアルインコから届いたエアロバイクの「AF4500」を踏んでみる。ちょっぴり踏むだけで時速が30キロとかに達すんだけど、実際に自転車で時速30キロを出す大変さを思うとたぶん計算が違ってるんじゃなかろーか。でも別にエアロバイクならではの負荷もあるから運動量としては似たよーなもの? 15分ほど踏んで7キロくらい走ったけれどその昔、平針の自宅から緑区にある緑色なんだけど桃色と呼ばれていた学校に自転車ですっ飛ばしていた時もやっぱり15分くらいで7キロくらいを走ってて、感じた疲労感は自転車の方が圧倒的だからやぱりエアロバイクと自転車は根本的に違いものだと理解するのが良さそう。とはいえ今じゃあエアロバイクの15分すらしんどく感じてしまうお年頃。あの頃に帰りたい。

 東京ヴェルディ1969と湘南ベルマーレの試合を見たあとに立ち寄った秋葉原では昨日なにやら「ライトノベル大賞」の授賞式が行われていたとか。小学館のライトノベル関係とはまったく縁のない身としては、だからそれがどうしたってことでしかないんだけれど、授賞式に優香さんが来場していたってニュースが芸能マスコミで取り上げられていたのを見るにつけ、ライトノベル関係の会合ではまずもって滅多どころかほぼ絶対にお目にかかれない芸能人に見えられるんだったら、これはのぞいてみるのも良かったかもって思えて来た。つか優香さんって98年11月30日に四谷で開かれたホリプロのアイドルたちによるビットキャストって電波の隙間を使ってコンテンツを流す技術の発表会に来ていた姿を見ていたりはするんだけれど。そうかもう9年も前の話か。それだけ保ったんだなあ、優香さんもフカキョンも。

 とはいえライトノベルを好んで読むライトノベルのファンとしての立場になって考えると、優香さんが来たからってそれがどうしたって印象も一方にあって、だったらむしろライトノベルの有名作家さんとかライトノベルが原作のアニメに出ている声優さんとか主題歌を歌っている歌手とかの方が、出会えて嬉しかったかもしれない。つまるところは優香さんで来場していた人は喜べたんだろうかってことなんだけれども、小学館が望むライトノベル読者ってのは芸能にスノビッシュな一般的若者だったりするのかもしれない。どっちにしたって小学館のライトノベルとは今んところとりたてて接点もないんで、誰がゲストに来ようと関係ないのだ。ガガガがルルルで足して混ぜ合わして「ガルル文庫」って名前だったら、ワラゲッチャーブラックが主演の小説家って勘違いして読んだかな。まあとりあえず新人くらいは読んでみるか。

 野間清恵さんに喝采。誰? って思う人もいるだろーけどその昔、2003年の1月頃に開かれた未来のプロデューサーを発掘する「映画エンジェル大賞」で賞をとったことのある人で、けれどもその時の企画がしばらくペンディングになっていたままでしばらく消息が分からなくなっていたところに、連絡があって映画を企画しプロデュースしたって話でそれはいったいどんな映画なんだと試写も最終となった渋谷の「スペースN」下にある東芝エンタテインメントの試写室へとかけつけ、人気ぶりからか開場からまもなく満員札止めとなった試写に参加し、補助椅子ながらも座って鑑賞して得た心理が野間清恵に喝采、そしてシナリオの人に拍手といった絶賛の感情。よくぞこんなシナリオを書いたものだし、それが映画になるって認めて企画し、多士済々すぎる面子を集めて映画化してしまったプロデューサーの頑張りにはただただ頭が下がる。

 「キサラギ」というタイトルのこの映画。C級どころかD級と言われてももったいないくらいに売れてなかったアイドルの如月ミキが自殺して1年。未だファンを自認する5人がビルの屋上にある部屋に集まり開いた追悼集会で、本当にミキは自殺だったのかと起こった議論から話はとてつもない方向へと進んでいく。基本的なストーリーは追悼集会用にしつらえられた部屋だけで進み、合間にミキちゃんの部屋での出来事を回想したシーンが挟まる感じはまるで演劇の舞台のよう。というか脚本の古沢良太さんが舞台向けに構想もしたシナリオらしいから意識はしていたんだろーけれど、その基本となるアイディアを見た野間さんはすぐさま映画化を思いつき、出演のオファーを「あずみ」とか「花より男子2」に出ている小栗旬に言わずとしれたユースケ・サンタマリアさんに名バイプレーヤーの香川照之さんに「ドランクドラゴン」の塚地武雄さんに二枚目でハイテンションな若手の小出恵介さんに出した。

 これがもうベストすぎる布陣。小栗さんは若いアイドルオタクを演じユースケさんは「踊る大捜査線」とも違って真面目で科目な役を演じ小出さんは軽いノリで話を混ぜっ返しつつ引っ張り塚地さんは何しに来たのか分からない役を演じつつそれが後になって意味を持ち、そして香川さんは風貌からして怪しげなおっさん(っても生まれは僕と同年、誕生日はこっちが早いんだよなあ)を演じきる。その内容はどんでん返しにつぐどんでん返しで何となく先が読めそうでまるで読めない展開へと引っ張り込まれて、気がつくとアイドルオタクたちの会話やしぐさに笑わされ、展開の絶妙さに驚かされミキちゃんを失う悲しさに泣かされそして人を愛する形の様々あれど愛される幸せって奴は何事にも変えられないものなのだなあ、ってな感慨に耽らされる。

 とにかくすごい映画。もはや死滅したと思われながらも秋葉原の石丸とか、神田の書泉とかに行くと未だに大勢いたりする、アイドルに真剣になって追っかけている人たちなら見て思わされること多し。自分たちの好きさ加減が実は表面的なことでしかなく、本当に真剣に追いかけるんだったらここまでやらなきゃって自覚させられること多々。時に我にかえってこの声援にどれだけの意味があるんだろうと悩んだ時に見れば勇気も取り戻せるはず。その結果として改めてしんみりと落ち込まされそうな所で、笑えて楽しめる方向へとすいっと引っ張っていってくれる感情のコントロールも、意図してのことなのかそうでないのか分からないけど絶妙で、スッキリした気分で映画館を出られそう。6月16辺りから公開予定。こりゃあ売れるね。やっぱり劇場には喪服で行くべきなのかな。んでもってラストは総立ちでジャンプするのが礼節って奴なのかな。

 その試写室があるのがまさに渋谷の「アニメイト」の横だったんでここでなら出るはずだと「コードギアス 反逆のルルーシュ」のポスター自販機を探したら置いてなかった。逃げたな。場所がない訳じゃないんだろーけど表だと狭いし中だと通路にはみ出そうだから置かなかったか。無念。もはや秋葉原では男子しか出ず津田沼は遠いし池袋じゃあ最初っから男子が出る気がしないから、ここはやっぱり千葉あたりまで遠征するしかないのかな。でもジェフの試合行けない来週をもってしばらく中断だからなあ。錦糸町の小さい店には置いてあるのかな。せっかくだからと表のガチャポンで未だコンプリートならないスイングフィギュアを1つ回してルルーシュを出したけれども目にギアスが入っておらず残念。あとそれだけなのに。自分で描き入れるか。


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