縮刷版2007年4月下旬号


【4月30日】 真夜中に気がつくとさっき見ていたばかりの「らき☆すた」の監督が突然に交替していて仰天。アニメの監督が代わった例なんて「勇者ライディーン」の昔からたくさんあったりして珍しいものではないけれど、始まってまだ4話の段階で「監督において、まだ、その域に達していないと弊社は判断し、交代いたしました」って具合に風合いの違いではなく力量の面から降板さえるのはちょっと異例。4コマ漫画の原作のロジックを活かしつつ重ねつつ高品質の絵とそして達者な人たちによるセリフ劇でみせつつちょっぴり過激な内容で面白がらせるアプローチは決して嫌いじゃなかっただけに、それがつまらないと判断されての交替だったとしたら残念というより他にない。

 アプローチとしては「ぱにぽにだっしゅ」みたく原作のエッセンスを抽出しつつも外部にフレームをもうけてツッコミを入れる視点を加え内にはオリジナルな要素も交えてミックスして吐き出し驚かせるって方法もあってそれも悪くはなかったけれど(だってDVDを全部買った上に原作だって買って幾度と無く読み返すよーになったから)、一方には「あずまんが大王」みたく原作を重視して、原作を読み込む過程で内に育んだテンポとアニメのテンポとの違いから原作のファンを悩ませても、原作の面白さはそのまま踏襲して突き放さないアプローチもあったりして、馴れればそれも決して悪くはなかった。やっぱりDVDは買ったしね。

 実は原作をまるで読んでいない「らき☆すた」は、「ぱにぽに」みたく原作の枠をはみ出た頓狂な改編でもって驚かされるってことはなく、かといって原作のファンとしてテンポが違うと悩まされることもなくフラットな気持ちで見ていて、セリフ劇としての面白さと絵として描かれる表情とか背景の豊かさには感心させられていいた。やや単調なきらいはあったけれども「あずまんが大王」だって割に単調だったから突飛なものではない。そういうものだと見続けていればいずれ引っ張り込まれてそのワールドにしばし浸らされるものだと前向きに受け止めていたところに突如の交代劇は、だから単に演出方針の違いってよりは他に何か事情があってのことだって、思いたいけれども真相や如何に。

 想像するなら監督として必須の管理が行き届かずこだわりすぎて間に合わない事態が続出してしまったとか、中で使ったたとえばドラマCDとアニメとで声優が違うのはそこに政治と金が絡んだからだとかいった、過激なセリフ群のどこかに関係者を激昂させるものがあったとかいった理由が浮かぶけれども、それだって事前に関係者試写もある訳だし、進行はプロデュースする側の問題でもあるんで一概に監督に責任は強いられない。出演している声優さんと良い仲になってしまってロシアに駆け落ちしてしまった、なんて話だったらもはや事件であって想像の埒外。まあさすがにそんなことはないだろーけどいきなり誰か声優が代わっていたらもしかして、なんて思ってしまうかもしれない。もしかして。

 業界の楽屋話も割にあったりする作品なだけに監督交替すらネタとして織り込んだものだなんて穿った見方もあるけれど、企業が番組名ではなく企業名を関したオフィシャルなサイトで公告してしまっている以上はやはりシリアスなものとしてとらえるべきというのが僕の所感。だいたいがシリアスな場にネタを持ち込んでろくな試しはない。ネタ的にメタ的な人事をやった例だとセガが「ドリームキャスト」の立ち上げで部品調達に失敗して、垂直立ち上げに必要な台数を作れなかった責任を、当時の製造担当者ではなくソフト担当者であり、且つテレビCMでキャラクターとして登場していた湯川専務におしつけ「湯川常務に降格」する、なんて人事を出してアホかと思いアホかって記事を書いたっけ。人事というシリアスであるべき場で、無関係な人がネタで詰め腹切らされイジられる様を見て、働く人はその会社に身を預け己を発揮する気が起きるものか、ってのがアホかと非難した背景。

 同じ理由で単に会社の、あるいはスポンサーの”演出”でもって監督が降板させられて、且つ理由が「監督として、その域に達してない」と個人に帰結させられて、周囲がしてやったりと思いほくそ笑むことなんでできるのか? だからやっぱりこの一件は、理由はともあれメタじゃなくネタでもなくリアルにシリアスな交代劇だって見ているんだけれども、もはやそーした常識すら通用しない世界にアニメ業界が来ているんだとしたら、10年弱遅れてやって来たか90余年を先取りしての世紀末だと嘆息しつつそれならそれで結構だと、毎週毎日毎時のネタ合戦を目を細め、心静かに眺めていくことにしよー。しかしやっぱり気になるなあ。

 「SFセミナー」にはいかなかったんっでたっぷりと眠り起きて灼熱の中を品川経由で「原美術館」まで出向いて「ヘンリー・ダーガー展」を見物。童貞力のなせる技か、妄想の中で生み出したペニスのはえた少女たちが集団で冒険しては戦う異様な話を還暦を過ぎ古希を過ぎてひたすらに描き続けた爺さんだけに、見に来るのもそんな童貞力を内に貯め込んでいる兄ちゃんたちが中心かと思っていたら意外にも女子が、それも若い女性が大半とゆー客層になるほど、これがオタクブームであり電車男ブームであり秋葉原ブームのひとつの形なんだと理解。いまや童貞力こそがモテる要素であって悩める男子もひたすらに童貞力を養い妄想をふくらませて非現実の王国に引きこもっていれば、スリムにスレンダーなアート系の女性から関心をもってもらえる時代なのだ。本当か?

 ダーガー自体は「資生堂ギャラリー」とか青山の「ワタリウム」なんかで展示されていたこもあって珍しくはないけれど、今回は「非現実の王国で」は裏面にも描いてあるのを見せられるよーにガラスケースに入れて展示してあってなかなかの見応え。あとは単品として少女のイラストを模写したものなんかがあって、フォルムは歪んだ劣化コピーではあるものの、色彩なんかに独特さがあってこれはこれで1つのアートとしてとらえられるんじゃないかと感じたけれどそーしたアートの文脈でダーガーってやっぱりとらえられていない模様。妄執から生まれ出たアウトサイダーアートってレッテルがどこまでもつきまとっていてその独特のキャリアとは切り離して作品だけを考えてもらう事態には至っていない。

 それを言うなら村上隆さんのカイカイキキでひたすらに少女の絵をレシートからチラシの裏から描きまくっているミスターだってダーガーと代わらないアウトサイダーアートの一員だってことになるけどそこに村上さんが出てきてオタク的なビジョンを個人が内部で咀嚼し吐き出したものであって今のオタク的ビジョンが氾濫している状況から生まれ出たものだとかいったコンテクストを付与することで、アートの範疇に組み入れられて国際的なアートのマーケットで取引されるよーになったりする。よほど美麗なイラストを描いたって妄執の範囲にいてプロフィルと重ねてとらえられるか、妄執であっても外部とゆーかアートシーンという意味での内部によってコンテクストが与えられるかで扱われ方も変わってくる。不思議な世界だアートって。

 その足で池袋を周りながめ秋葉原に出て「ゲーマーズ」で2回ほど「コードギアス 反逆のルルーシュ」のスイングフィギュアが入ったガチャポンを回したけれど「ルルーシュ」が出ても目がギアス発動バージョンではなく2回目は「C.C.」で未だコンプリートには至らず。割合としてギアス付きとギアスなしが1体1なのかそれともギアス付きがレアなのか、分からないけどここまで来たなら何度だって回してやって手に入れてやるのがギアスに取り憑かれた人間の宿命。頑張ります。大手町のガチャポン売り場に入っていたら秋葉まで出なくて済むんだけど。

 世の中が1面的ではないことはたとえば企業があれば経営の効率性なり経済的な合理性と、働く従業員の幸福の最大化とではどこかで相容れない部分があって、その中間から社員に偏って見みれば合理性効率性ばかりを追求する企業は敵であり、企業側から見れば株主なりの利益を追求する上でギリギリのところで従業員なり消費者には我慢もしてもらって仕方がない部分があったりする、といった具合に立つ位置によって視点もロジックもずいぶんと変わってくる。そのどちらが正しくてどちらが間違っているというものでもなく、単に立場の差異から来る見解の相違としか言い様がない。

 だから題字に産業と経済を含む新聞が産業側の経済合理性に立脚して論を展開してもそれはそれで“正義”ってことになる訳で、たとえば昨今話題のJR東日本における駅の売店「KIOSK」が続々と閉鎖されている事象について、以前に築地の社会・庶民に足場を置いたメディアが利用客の不便さをことさらに声高に挙げ従業員に対する経営のプレッシャーにも触れて、合理性ばかりを求める経営に対し異論を述べていたとしても、それに引きずられることなく「消えゆく熟練おばちゃん キヨスクに時代の波」 って記事でもってKIOSK閉鎖の実体を取り上げ、売上が落ちているんだから閉鎖もやむなし、人材の育成に手間がかかるし育成すれば人件費も上がるんだから若い新米でも処理が確実にできるシステムを導入することも当然、すべては経営の合理性を求めたものだから寂しいけれども仕方がないってな論陣で、産業なり経済に見方していても当然だって言えるのかも。

 売上の落ち込みがあってそれなら営業スタイルを変えても仕方が無く、その過程でたとえ駅の片側にしかKIOSKを置かず長いホームの反対側まで歩かなくっちゃものが買えない不便さを消費者に一時強いていたとしても、あるいはICカードなりPOSシステムの導入で小さなガムなり雑誌なりをいちいちバーコードで読ませる必要がでて暗算によって処理していたかつてのスピードが未だ出せず、迫る電車に焦り時には乗り遅れることすら出で消費者の不安を喚起させていたとしても、それらを勘案していては経営が回らなくなってしまうってことなんだろー。

 それに健康増進が叫ばれる昨今、駅のちょっとの距離くらい歩いたって健康にはむしろプラスだし、余裕をもって早起きすれば買い物で1つ2つ列車を乗り過ごしたって大丈夫、だからみなさんゆとりをもって生きましょう、そのためにKIOSKも店舗の閉鎖でお手伝いいたしますってな経営側の御心を、ここは勘案するのが経済で産業の振興を旨とする立場からは当然の仕儀。よって記事でそーした消費者の消費者であることを錦の御旗に押し立てた不便さに対する見解についてはいっさい触れず、あくまで合理性の面から論陣を張っているんだと、読んで類推したんだけれども果たしてどーなんだろー。

 記事を書いた人のブログを読んでもとりたてて閉鎖なりPOSの導入が利用者に不便さを強いているんだってことへの所感は見あたらない。なるほど不満の声はあるけれどもそれは売店の人と話せないのが寂しいっていった、効率性とも利便性とも無関係の情緒的な部分での不満であって、そーしたムラ的内輪的な関係が新しい顧客、とりわけ女性層なんかの利用を排除していたんじゃないかって示唆も伺える。よくある庶民に足場を置く社会派ジャーナリズムでもなく、また高潔さと持ちつつ洞察力も備えたジャーナリズムが陥りがちな消費者か経営か、右か左かを逡巡しつつ悩みつつ、こおはあえて経営側に足を置いて利用者の不満をペンディングしたってことでもなく、最初っから立つ位置を経営側に起き、その効率性合理性を求める姿勢をを尊んで、閉鎖に賛意を送ろーとした、依って立つ位置の明快な記事って言えるだろー。

 よくメディアは販売場所であるKIOSKには逆らえないから見方する記事ばかりを書くって非難もおこるけれども、KIOSKの閉鎖は実はメディアにとっても大変な死活問題、200近くも閉鎖されていることで新聞はそれだけ置いて貰えなくなって、かといって他のKIOSKに足を運んでわざわざ買うほどの人も出てきて部数に着実に減るわけで、安易に見方なんでできるはずがない。あえてそれでも閉鎖にこれも時代の流れだ仕方がないよ的なポジティブな反応を示しているのは、叩いて共倒れしては意味がない、むしろ経営に理解を示して支える方向を打ち出すことによって共存共栄を図りたいってゆー、経済の流れからいえば至極真っ当な思考が背景にあったからなんだろー、たぶんきっと。

 根が庶民とゆーか庶民に及ばない生活を日々おくり、KIOSK閉鎖なりPOS導入で面倒な気分を朝毎に味わっている身としては、ただただ憤りばかりが浮かんでいたけどこーゆースタンスでの記事を読むとなるほど、立場を違えて多面的・複眼的に世界を見ることも社会で生きていく上では必要なんだってことに気づかされる。その境地にはまだまだ遠いけれども、端くれとして少しでもその域に近づくべく精進を重ねて行こう。なんちゃって。人生はいろいろだ。


【4月29日】 そして見た「コードギアス 反逆のルルーシュ」のDVD第4巻でいろいろと気づかなかったことが分かってきてやっぱり奥深い作品なんだと改めて。オーディオコメンタリーの入った「黒の騎士団」ではホテルジャックを解決した場面で屋上に経つ騎士団の面々で玉城だけが1人にやりと笑っているのに玉城本人の指摘ではじめて気づく。興奮していたななあ。ってかそこの場面で玉城って人間の状況に影響されやすい人間性とか、上を見続ける野心家ぶりが分かる。うつむいている扇はだからやっぱり迷う人ってことか。

 あと井上って最初から出ている女性メンバーもカレンにまけず後ろ姿がなかなかだってことにも今さらながらに気づく。ナリタで指揮とかしてたところは幹部っぽかったけど他にあんまり活躍がないなあ。続編では是非にもっとセリフと役柄を。誰が声を充てるんだ。「リフレイン」でミレイが訪ねてきたカレンの部屋にダンベルだかバーベルが転がっていたのにもやっと気づいた。ミレイは気づいたんだろーか。んでもって見て何を思ったんだろーか。病弱設定はミレイ相手にも見せてたんじゃなかったっけ。日本人とのハーフを隠すために病弱設定、ってのは変だしなあ。病弱を直すために体力を鍛えているんだって言い訳が通じる、わけないか。まあミレイもいろいろ隠してそーだしお互い様ってことで。

 おまーガンアクション描きたかっただけちゃうんかとツッコミが全国的に入った「黄色い花の紅」(集英社スーパーダッシュ文庫)より半年とちょっぴりが経って第2作を出してきたアサウラさんの「バニラ」(集英社スーパーダッシュ文庫)もやっぱり銃のスペック競争を描写したいがためな銃器が一般化されてそれでも派手にドンパチが起こっていないある程度の秩序が保たれている「黄色い花の紅」と同じ世界が舞台にはなっていて、そこまでして銃器を描きたいのかだったら舞台を銃器御免な国とか戦場にしちゃえば良いのにって気持ちも沸いてくる。

 もっともそんな社会的環境に日本がなっているんだって前提を受け入れた上のことなら、繰り広げられる虐げられたり邪険にされた少女たちが、世界を相手に立ち向かうために必要だった武器を手にして挑む反攻のドラマは可憐にして残酷。ぎゅうぎゅうと押さえつけられ出口も見えない状態にあえぐ人間たちに差し込む光となって心を照らし、明日のその先を感じさせてくれるってところで、単に銃器の知識開陳にとどまらない、何かを描こうと頑張った作者の人の心意気も伝わってくるんでこれならまあ、読んで讃えるに吝かではないかも。お姉さんタイプに妹タイプの百合っぽい少女2人のガンアクション、ったら真下耕一さんお得意のシチュエーション。「Noir」「MADLAX」に「エル・カザド」と続いたお後に如何。

 何だかSFのお祭りだったみたいだけれども今は危急存亡の時とジェフユナイテッド市原・千葉を応援するべくSFはパス。合宿でハルヒのハンドパペットでティッシュを抜き出し遊び倒したかったけれど、朝だけ顔を出しその足で抜けて夕方に合宿へと向かい座敷でゴロゴロ転がって認められるほどのキャリアも知名度もないんで涙を拭いて諦め先週「フクダ電子アリーナ」で買った1970年代風のユニフォームを模したTシャツを着込んでいざ参らん「古河ダービー」へ。何だそりゃ?

 いやだってほら、ジェフ千葉と言えばもとは古河電工って日本サッカーリーグの名門で今も古河が半分持って人もそっちから送り込まれている。胸のスポンサー名も今季からは古河電工から分派した富士電機だったりして古河色がいっぱい。一方の川崎フロンターレは元は富士通のサッカー部だった訳で、その富士通とゆーのは古河から分派した富士電気からさらに別れた孫会社。組織的には祖父であり胸スポンサー的には父親であるにも関わらず、川崎フロンターレが順位で上にいるのはだからジェフ千葉にとっても気に入らないことだと言える。

 なればこそここいらで一発御先祖様のご威光って奴で足下にひれ伏させてやんなきゃ古河グループの序列に関わると勇んで「等々力陸上競技場」へと乗り込んだものの当の川崎フロンターレ、FC東京との試合を「多摩川クラシコ」だなんて唐突に命名してそれも今年が11回目だと歴史まで掘り起こしては張り付け賑やかさと華やかさでもり立てているのに、親であり祖父であるジェフ千葉を相手にした試合にはそーした飾りを付けることをいっさいしないでシカトしてくれちゃってるのが何とも小憎らしい。それとも子であり孫である立場から「古河ダービー」などと唱え同じ土俵に並ぼうとするのは下克上じみてて無粋だとプライドが許さなかったか。

 ならばこっちで勝手に「古河ダービー」と呼んで差し上げ、ケーレツ的な序列って奴を見せつけつつ日本の企業スポーツの歴史にまつわる伝統って奴を機軸に両チームの戦いを、もっと盛り上げてやろーじゃないかとも思ったけれどもまあ、成り立ち的に親と子で祖父と孫な関係であっても、それしきのことで長幼の序を求めるのはスポーツにあるまじき行為。それにそーした余計な夾雑物で飾り立てなくっても伝統と実力のあるチームどうしが戦いを重ねれば、そこに自然と因縁が生まれ歴史が刻まれていくもの。ここは謙虚に強豪川崎フロンターレ様のお胸を借りるつもりで戦うのが下位にあえぐチームとしては順当な振る舞いと認めていつか自然発生的に「古河ダービー」と呼ばれる時が来るのを待とう。そとためにもJ2には落ちられねえ。

 んで「等々力陸上競技場」ではとりあえずローソンのフランクを貪り300円と安い上に国立とかと違ってちゃんと暖かい焼きそばを食いさらに近所の人っぽい店が出してる団子のワゴンで餡の乗った団子3串200円を買って貪りほお満腹。試合開始までを本など読んで過ごしそしていよいよ始まった試合は攻めてもはねかえされ攻められても跳ね返す攻防が盛んに行われて一瞬たりとも目が離せない。中盤で奪い左右に出した時は何とか攻められる感じがするんだけれど中盤でパス交換をしよーとするとどこかでトラップミスが出たり息が合わなかったりして奪われる。細かくやるよりしっかりつなぎ誰もいないところに走り込んで出すって動きを徹底すれば良いんだけれど、妙にテクニックを披露した挙げ句に奪われ反撃を喰らうから苦しくなるんだよなあ、ジェフ千葉。

 まあそこは最終ラインがびちっと締めて得点を許さず前半を終了。後半もスローインから放り込まれたボールをファーからヘディングで叩き込まれて1点を奪われても、すぐさま反撃して水野晃樹選手がフリーキックをにょろーんと抜けてく感じに直接叩き込んで同点。さらに背の高い中島浩司選手を入れたり足下の巧い青木孝太選手をいれたしてい圧力をかけ続けて最後に1、2度、追加点を奪うチャンスを得たけれども決められず同点のまま試合を終えて共に勝ち点1を手にする。

 勝てたかも知れないけれども負けた可能性もあるなかで、アウェーで勝ち点1はなかなかのもの。とはいえ次は浦和レッドダイヤモンズとアウェーで戦うことになっているんでここで破れてもその次の、歴とした「千葉ダービー」で柏レイソル相手に「ちばぎんカップ」の借りを返す感じで勝利し勝ち点を積み上げたいもの。だけれどもともに上位のチームだからなあ。両方を引き分けでしのぎきれれば上々かな。

 試合の前に「川崎市民ミュージアム」で「昭和ブギウギ」と「現代韓国マンガ展」を見物。「昭和ブギウギ」は昭和でも戦後の日本文化を象徴する品々を並べてあってなかなかの懐かしさ。「S.O.S」ってモデルクラブのカタログに菅原文太さんと岡田真澄さんが並んでいるのを見て後のヤクザでトラック野郎の文太兄ぃも当時は2枚目としてファンファンと並ぶ存在感だったって事実を目の当たりにする。いくら本人が今喋っても誰も信じられんけんのお。

 あとモニターが設置してあって力道山がルー・テーズと戦う試合を上映中。いやあルー・テーズいい体してるわ。力道山も。ともにプレースタイルはゆっくりめだけど締めれば締まるその迫力、その痛みがモノクロ画面からでもピンピンと伝わってくる。プロレスはギミックも大事だけれどもリングの中での肉体表現がやっぱり何より大事なんだよなあ。大男たち力持ちたちのぶつかりあい。それを表現できなくなったからこその今があるってことで。

 出て「現代韓国マンガ展」は昨今の韓国漫画が並んでてみんな巧いなあと慨嘆。そりゃあ表現の多彩さでは日本の方が市場がデカいだけに進んでいるけれど、最も人気のある作品てのは別に表現の最先端をいっているものじゃなくってドラマが面白いもの。それなりの絵柄を描けるよーになっている今、実写や映画で高い支持を集めるドラマを生み出せる国の物語がそこに加わって生まれる漫画がたぶん、つまらないはずはなく無理に外国産のもを仕入れて読むこともなくなっているのかもしれない。内国産でそれなりに賄われているところに日本が「日本の漫画は世界いちぃぃぃぃ」と攻めてったって結構ですって言われかねないんだけど、そこに気を向けずに国は世界が求めているからって思い込んであれやこれやと余計な施策をぶち挙げる。有り難いのか迷惑なのか。折角だからミュージアムで募ってたプレゼントに応募したけれど当たるかな、誰かのサイン入り単行本。誰のだったっけ。


【4月28日】 「超人ロック」の新章「凍てついた星座」の冒頭でロックがかつぎあげてぶん投げている「光の剣」は、この前の「神曲奏界ポリフォニカ」でコーティカルテが敵に向かってぶん投げていた精霊雷と、いったいどっちが強いんだろうかと考える連休初日は曇りのち雨。サッカー行かなくて良かった。んで「ロック」には頭がてっぺんまてツルリとしながら両脇には長いお下げ髪とゆー、ビジュアル的に挑戦心が露わなキャラクターが登場したりロックが女体化、っていうとアレなんでフツに女性化したりといろいろ楽しそう。お話はロック暗殺に殴り込んできた殺し屋エスパーたちとの戦いみたいだけれど、精霊雷と違って戦艦だってぶち抜く「光の剣」を飛ばすロックを相手に果たしてどんな戦いブリを見せるのか。以下次号にて乞うご期待。

 そんな「ヤングキングアワーズ」の2007年6月号は表紙がまや軍団。なのかどうかはともかく美少女姿の化け猫が黒い服でいっぱいたたずんでいて目つきも恐くて手に取るのがなかなかに恐ろしい。これがスザクだったら絶対に食いつかれていたね。お話の方は情報体となって電子化された兵装を操り攪乱する化け猫ならではの戦い方が出てきていよいよ今へとつながる人間対化け猫、っていうか神楽対黒猫のバトルの発端がここに開かれたって感じ? んでもってそろそろ片づき話は現代へと戻って篠島佐久島日間賀島ではないどっかの島に立てこもっている神楽と自衛隊だかとの決戦へと、戻ってくれると蘭堂さん梅崎さんたちの美麗な肢体に見えられて嬉しいんだけれど、あと半年くらいは「神楽創設編」が続くのかなあ。ロンドンでの「吸血鬼vs最後の大隊」戦はまだ続いているし、って何あれ少佐って人間なの? なるほどだからよくみると目元に小皺が、頭に白髪が。

 森見明日さんの新連載が縞々の連続で「一騎当千」的な感動をくれて目を涙に濡らしながらお出かけをして「ヨルムンガンド」の高橋慶太郎さんのサイン会にジュンク堂まで。いたいけな少年が銃を振り回しては人をばんばんばばんと撃ちまくるお話の昨今における風潮にある意味重なりつつも、どこか鬱屈した挙げ句の暴発でもない少年だったりパンツを履かないと生きる確率が上がるかもって考えている少女だったりが、手に銃を持ち撃ちまくっては殺しまくるシチュエーションは現実からはるかに遠く、であるからこそ別に何だかんだと言われることなく遠い彼方の空想に生まれた世界と感じ、まだ安心して読んで笑っていられるんだろー。でもよりシリアスな世界ではそんな子供でも銃をがんがんぶっ放していたりする訳で。平和って有り難い。

 高橋慶太郎さんは普通の人でサインは表紙を写真画質でプリントアウトしたB4サイズだかの光沢紙にさらりさらり。本の中にサインされるよりも高級感、プレミアム感があってちょっとお得な感じがした。色紙にイラストも悪くはないけど美麗な完成された作品にサイン入りってのも嬉しいもの。とりわけ「サンデーGX」は美麗なイラストを描く作家の人も多いんで次も似た形態でお願いしたいなあ、血まみれメイドのロベルタとかぱっつんぱっつんのカットジーンズをはいたレヴィとか。「ワイルダネス」とか「暗行隠史」とか。「新・吼えろペン」の仮面編集者・星紅とか。本物の星紅のサインも添えて。そーいやサイン会の会場に仮面の人はいなかったなあ。

 サインを待っている間に出たばかりの岩佐まもるさんによるノベライズ「コードギアス 反逆のルルーシュ STAGE −0− ENTRANCE」(角川スニーカー文庫、514円)を一気に読み切る。そうか子供のスザクが殺っちまってからブリタニアの進軍まで数ヶ月の時間があったのか。てっきり進軍して来る最中で徹底抗戦を呼びかけようとしてスザクに邪魔されたんだと思っていたけど、それだと場所が自宅ってのも妙な話。緊急時に家にいる総理がいるはずもないんで数ヶ月を遡って父が巡らす陰謀を知って挑んで果たした後、桐原を中心にした人たちが取り繕って戦争の形だけを整えたって方がなるほど正しい。

 とはいえ7年余に及ぶ占領下を耐えていずれの反攻を桐原が見越して手を挙げたのだとしたらなかなかの策士。現実にはルルーシュがギアスの力を得て「黒の騎士団」を組織しレジスタンスを軍隊にまで育て上げたことが、全面的な反攻から「合衆国・日本」の創設へとつながった訳で、それなくしては桐原の抱いた面従腹背も画餅に終わってしまっただろー。それとも他に何か決定的な手だてを用意していたんだろーか。「黒の騎士団」に渡さなかったら「紅蓮弐式」は別の誰かに渡ってそこから反攻への狼煙が上がったんだろーか。

 もしもルルーシュの現れない「エリア11」であと5年の雌伏をも覚悟していたのだとしたら桐原泰三、神聖ブリタニア皇帝にも負けない策略家ってことになるけれども果たして。次はいったいどの時代を舞台にどんなキャラクターの内面や、テレビでは描かれなかったエピソードを文章によって描いてくれりのかが楽しみ。ニーナはあんな顔して理科室を実験でいつも吹き飛ばしているのか。ミレイさんはお見合いの相手の股間をいつも蹴り上げ破談に持ち込んでいるのか。読んで知るキャラの意外な事実。アッシュフォード学園でのルルーシュとスザクの友だちっぷりドタバタっぷりもそれはそれで愉快なんで是非に。

 スクウェア・エニックス・ノベルズからはもう1冊の新人賞受賞作。月島総記さんって人の「emeth〜人形遣いの島〜」はゴーレムが作られ動かされているファンタジー調の世界が舞台。といってもゴーレムを作り出せるのは教会か何か許可を持っているところだけで、街にいる人間たちが独自にゴーレムを作り遣おうとすると罰せられる。けれども高い正規品を使うと大変だからと、下町ではもぐりのゴーレム遣いが使えるゴーレムを作って安く運用していた。主人公の少年クリフは、そんな中に自分も入ってゴーレムを作り遣えるよーになりたいって願い、ゴーレム部品の故買屋で働きながら勉強をしていた。

 その日も部品を集め教会から逃げ回って何とか一息ってところにラヴェルって名の少女が現れる。彼女はその直前に世界を壊そうとする陰謀を知ってその核となる赤い立方体を持って逃げ、教会へと持ち込んだもののなぜか相手にされずむしろ不審者と疑われて逃亡していてラベルを巻き込んでしまたった。さらにもう1人。エリーという名の少女がラベルと最初に戦った青年によって襲われ親友の少年を殺害されてしまた。エリーは少年の望みもあって彼をゴーレムに仕立て上げ、謎めいた立方体を持って島を逃げ回りながら真相を究明し、少年の仇を討とうと走り回ってその過程でクリフとラヴェルとも出会う。

 背後にはどうやら教会の重鎮の裏切りがもとになった事件があって、立方体はいわば教会の暗部として伝えられていた物らしい。取り戻そうとする教会勢力と、奪い世界を滅ぼそうとする存在との狭間に立ってクリフやラヴェルやエリーは戦う。そして明かとなる事件の真相はなかなかに奥深く、人の想念が歪んだりすれ違ったりした果てに起こった悲劇の連鎖に、人間の持つ感情の複雑さを見て取れる。一方で、心をもたないゴーレムという存在に開かれる可能性にも気づかされる。作者の人、いろいろと考えているんだなあ。さらに浮かび上がる驚くべき真相と、訪れる悲しい別離が涙を誘う。だから冒頭から会話の噛み合わない部分がいろいろあったのか。麻酔銃といい立方体といい、出てくる道具を巧みに物語の中に折り込んで、意外な展開を繰り出し驚かせつつまとめあげる力量はなかなか。どんな活動をして来た人かは知らないけれど月島総記、覚えておいて損はない作家って言えそう。次は何を描いてくれるんだろー。楽しみ。


【4月27日】 そしていよいよ発売になってた「コードギアス 反逆のルルーシュ」のスイングフィギュアをショップで見つけて即コイン・インサート。回してまずはちびちびカレンを確保し続いて待望のC.C.をゲット。間をおいて100円玉を作り回してスザクまで出し4種類あるうちの3種類をこれで確保し残るはルルーシュだけだと意気込み、コインを入れて回したけれど出てこない。ああまたしても球詰まり。ぎゅうぎゅう詰めにされている関係で下に穴が開いてもそこに転がらず落ちてこない現象が発声したんだろーと近所にいた店員さんを呼んで鍵で開けてもらって「何か欲しいものがありますか」と聞かれてはたと迷った。

 何が出てくるのかが分からないのが楽しみであり、極限すれば何かが出てきた段階で差台の楽しみを終えてしまいあとは飾ろうとあげようとあんまり気にしないのが僕にとってのガチャポン道。これが欲しいあれが欲しいと言うのは邪道の極みだと迷ったもののそこはそれ、集めきるのもまたガチャポン道のひとつであり且つ「ルルーシュ」にいては道だの流儀だのは関係ない、ただひたすらに突き進むのみと考えを改め「ルルーシュください」と言って選んで手渡してもらいこれでとりあえずコンプリート。早かったなあ。1日1個でじぐじぐと集めていくはずだったのに、突き動かされて10分で楽しみのすべてが終わってしまった。

 と思ったら「ルルーシュ」にはギアスが発動したバージョンがあるそーで、残る1つを求めて回す日々がしばらくは続きそう。でもそれが終わったらなにをよすがに生きるのか? 24話と25話の放送をまち、そして続編の放送開始をどうやって待てば良いのだ? 大丈夫だいじょうぶ、ドラマCDは毎月リリースの予定みたいだしDVDだって9月までは毎月出る。グッズだってアニメイト限定のポスター自販機がこれから登場してくる模様。種類も多いだけにこれのコンプリートは大変そー。昨日のぞいたところではまだ秋葉原には導入されていなかったみたいだけれど、予定が正解ならばそろそろ入って不思議はないはず。秋葉原通いは続く。

 目覚めたら「プレイステーション」の生みの親、ソニー・コンピュータエンタテインメントの久多良木健さんの首が上擦っていた。代表取締役会長兼グループCEOからただの名誉会長になる訳で、言葉を換えれば解任と言って言えないこともなさそーだけれど自ら言いだしたってことらしーしこれからもシニア・テクノロジー・アドバイザーとして技術面でのサポートは行うみたいなんでなかなか売れない「プレイステーション3」の責任をとらされ叩き出されたってことではとりあえずはないらしー。本質的にはやっぱり棚上げなんだろーけれど。

 その一言で数千億円を使い半導体を開発して「PS」から「PS2」そして「PS3」を開発して、文字通りのコンピューターエンターテインメントの実現を推進して来た頃とは明らかに立場が変わる訳で、遺された人たちの技術とビジョンを含めて未来を語り事業を構築する才覚への不透明感を鑑みれば、仮題としての「プレイステーション4」はもはや斬新さを持ったマシンとはならない可能性もありそー。っていうか「PS4」が開発されるかどーかも怪しくなって来た。今って時期の収益的な体裁を取り繕うために、未来を切ったんじゃないのってゲーム情報業界の偉い人も感想を話していたけどまさしくそのとおり。そしてそれはソニー本体の未来すらも不透明でどんよりしたものにしてしまう可能性がとっても高い。

 だってないじゃん、ソニーの画期的な製品。液晶テレビ? でもシャープには勝ててない。ウォークマン? iPodの足下にも及ばない。パソコン? VAIOに一時のパワーはないし、ハードディスクドライブを搭載しないフラッシュメモリータイプのパソコンなんていずれどこもかしこも追随する。オーディオも、デジカメも、ハンディカムもICレコーダーもどれもこれも「SONY」でなきゃ、って製品はない。かつてはあった。カセットレコーダーはソニーが良かったしテレビだってトリニトロンが群を抜いていた。CDウォークマンあたりまではやっぱり「SONY」が格好良かったけれども今、「SONY」である必然性を持っているのは「プレイステーション」だけだった。それを切るのか? 切って果たして未来はあるのか?

 もしも目があるとしたら「ブルーレイディスク」が次世代のメディアとして台頭していく中でプレーヤーとしての「プレイステーション3」が見直されて普及が進み、また「セル」搭載のAV機器がそこかしこに増え始めて事業収益的なプラスが出て来ることなんだろーけどそーなってから久多良木さんを呼び戻して、次への指揮を執らせようとしたってたぶん遅すぎる。かといって遺された他の誰かが出来るのか。久多良木さんと喧嘩したのかずいぶんと立ち上げ時の人材がいなくなっているみたいだからないー、ソニー・コンピュータエンタテインメント。

来週kらトップを入れ替えます、ったら世間も驚きだよなあ、楽しそうだけど  同じ状況は任天堂でも起こり得たけどそこを山内溥さんは若い岩田聡さんを抜擢し、「DS」を作らせ「Wii」を作らせ10年を経て王座奪還に成功した。SCEIはそんな攻勢をどこまでシリアスに受け止め対抗しよーとしたんだろー。半ば自滅に近い形で守った王座を明け渡すことになってしまった。でも任天堂が復活したんだから、SCEIだって復活できない訳じゃない。そもそもソニーがゲーム業界で覇権を握ることすら最初は誰もが不可能だって思っていた。それをやり切った訳だからここから10年、いや5年の雌伏を経ればまたしても立ち上がれるんじゃないかと思うだけどそれを引っ張るリーダーが、いないのがSCEIでは最大のネックとなるんだろー。岩田さんをヘッドハントしてみる?

 いやいや逆に任天堂が久多良木さんをヘッドハンティングしたらどう? なんて話を決算説明会で岩田さんに訪ねた人がいたけどそれはさすがにないないと首を振ってた岩田さん。そりゃそうで久多良木さん的なビジュアル重視の方向性とはまるで違うから雇って使う場所がない。いっそだったらマイクロソフトが久多良木さんを引っ張り何かをやらせてみるとか。あったら楽しいけれどでも日本の「Xbox」の代表が次々とシアトルに拉致され湖沼に呑まれ消えていく会社だからなあマイクロソフト。そこでも存在感を発揮できたらちょっとすごい。やってみる価値はあるけどさてはてどんなこれからの人生を、考えていくんだろー久多良木さん。まだ若いし。ちょっと興味。

 モモカンでっかい。態度じゃなくって。とくに野球のユニフォームを着た時なんかはもうぱっつんぱっつんで何巻だったっけ、単行本でそれを見たときに脳天に突き刺さった衝撃を今度は動画でもって見せてくれる快楽に、映像化を決断した会社への感謝を心から発したくなる。「おおきく振りかぶって」はいよいよもって三橋の前いた学校との練習試合がスタートするけど肝心な三橋の投球は来週へと回って楽しみはお預け。来週がうーん待ち遠しい。


【4月26日】 んでもって聞いた「コードギアス 反逆のルルーシュ」のドラマCDは雑木林ではなくってルルーシュの部屋でもってスザクとC.C.が鉢合わせ寸前。徹底的にその場の空気を読まないスザクの闖入に慌ててC.C.をベッドの下に隠したけれど、押し込むためにルルーシュもベッドの下にはまりこんで何やってるのと言われる始末。それでも気づかないのがスザクの察しの悪さで気づかず知らず、そのままルルーシュを相手に漫才を繰り広げる。

 ボケたスザクがとぼけたセリフを吐いてそれにルルーシュが、C.C.への昔年の恨みも込めて本当のことを言ってもそれが端にはボケてるようにしか聞こえない、ボケツッコミとツッコミボケが逆転して入り交じる不思議な言葉の空間に浮かぶ笑い。けどでも最後にちらりとナリタへの戦いが示唆され浮かぶあの惨劇。シャーリーの妄想がひたすらに繰り広げられる別の話も含めて途中にいくら逸れようとも決まっている未来がある以上は、哀しみを含んだ笑いにしかならないのがもの悲しい。

 オーディオコメンタリー的メタ的に半歩弾かせて外からながめる笑いに走らないのも、そうやってイジることで一時の快楽を醸し出しつつもあとに虚しさだけを遺して作品としての価値を下げる愚を犯したくないって作り手の矜持か。まだ見えない先を外からではなく肌身で感じるためにも、今しばらくは楽屋話のような安易な笑いに走ることをしないで下さいな。音響的にはルルーシュの部屋で長い髪の毛が落ちていたのをスザクが拾い上げる場面でちょろっと重なるC.C.の「あっ」って声が妙に可愛い。ひたすらに妄想が炸裂して暴走するシャーリーの演技も巧いなあ。スザクん家に世話になってた時にルルーシュが自分の力で生きると買い物に出かけてはポイントカードにポイントを健気に溜めていたって話に涙。そのポイント、ちゃんと交換できたのかなあ。

 どっかで聞いたことがあると思って調べたら「戦鬼」の人だった川口士さんは滅多に出ない富士見ファンタジア大賞で確か大賞を獲得した前途有望な新人さんだったはずなんだけれど知らず続きが見えないままに何故かスクウェア・エニックス小説大賞で入選を果たしていたみたいで「ステレオタイプ・パワープレイ」(スクウェア・エニックス、762円)を刊行。ただの高校生にしか見えない少年のところに異世界から巫女が、宇宙から姫君がやって来ては以前のよーに世界を好くってくれと頼む。転向してきた少女もやっぱり魔物が逃げ出したんで捕まえてくれと依頼して来てそれを分かったがんばると引き受けるいった少年は何ものだ。

 そして始まる異世界と宇宙とそれから現世を舞台に繰り広げられる大活躍はそれぞれが1巻くらいにしたって大丈夫なくらいの濃度を持ちながらもまとめてしまうところがゴージャス&パワフル。ありがちな展開でもこーやってまとめれば力にできるってところがまさしく「ステレオタイプ・パワープレイ」って所か。んでもって全部の事件を貫く陰謀があって加えて少年の義母義妹への微妙な感情も描かれてあってなかなかの読み出。ほうぼうの事件で見せる完璧ではないけれども最良の解決方法にも好感。何故に少年に力があるのかは知らないけれどもまあ、そういうものだから仕方がないや。イラストも美麗。誰が好みかって言われりゃあ……美幸さんかあ、もっとイラストで見たかった。続きがあるなら是非に。宇宙と異世界と超常能力者があるなら未来だってなくちゃあ、ね。

 ジャガイモを生で食うのはとっても赤ロリらしかったけど赤ロリだったらあそこでミミズも食べて欲しかった「セイントオクトーバー」。だからそんあに大きな蟻地獄はないし、タランチュラだって歩き回っていなってツッコミはそれとしていよいよもって正体を明かした猟兵が変身して黒ロリに挑むものの途中で登場のクマに襲われ崖下へ。でもまるで怪我もしていないのは変身していたお陰? それにしても顔が広いな赤ロリさん、クマだって知り合いか、戦って勝ったのか、喰わなかったのか。雀経由で猟兵の裏切りが露見してはたしてどう出るアッシュさん。社長ビームで脳まで洗脳して挑ませ2度のジャッジメントで消滅させたら物語的には盛り上がるけど気分は鬱になる。どっちを選ぶ。

 んで「怪物王女」、えっとこれはFLASHアニメですか、止め絵をベースに口だけ動かし会話させ、それからパラパラ漫画のようにチラチラと動かしアクションを見せるとゆーテクニック。いっそだったら間のつながりの悪い部分をフロッグマン氏に編集してもらって声も全部フロッグマン氏にあててもらって「蛙男劇場」でかけたらテンポもよくって中身も楽しいアニメになったかもしれないなあ。見るところがフランドルちゃんのふがって言う場面だけってのは。あとは壁に吹っ飛ばされた姫のにょきっとのびた脚か。それでも次週はテコ入れの水着でいろいろと見た目だけは楽しませてくれそー。美麗な絵さえあればあとは動いてなくたって構わないんだ。そうなんだ。それすら果たされていなかったらその時は。怪物王女がスタジオに乗り込みスタッフ一同、血祭りだ。


【4月25日】 C.C.かわいいよC.C.。ってジャケットを握りしめて目の前にかざして呟きたくなるのも無理はない「コードギアス 反逆のルルーシュ」のドラマCDは、アッシュフォード学園の体育の授業中に体操着を試してみたいとルルーシュの部屋を探したものの当然ながら見つからず、他の誰かのロッカーを探して見つけて失敬したC.C.が、Tシャツに半ズボンのジャージ姿となって校庭あたりをうろちょろしていたところをめざとくルルーシュが発見して、何をやっていんんだと連れて行こうとしたところに向こうからスザクの足音が。

 これはまずい見つかったら大変と木陰に引っ張り繁みに隠そうとするルルーシュの背中を見て、徹底的に察しの悪いスザクが「おおいルルーシュそんなところで何やっているんだと」声をかけながら近づいてきた場面だったりするのかな。本編はまだ聞いてないんでそーゆーシチュエーションがあるかは不明。けれどもそんなほのぼのとした雰囲気が、本編では今や風前の灯火だってところがもの悲しい。せめてCDの中だけでも幸せが続いていることを願おう。1作目でこのジャケットなら次はC.C.の水着かいよいよもって。でもお腹に傷があるからビキニは無理か。スクール水着? シャーリーの水着の切れ込み具合から想像するにそれはそれで涎(よだれ)もの。ああ楽しみ。ユフィの水着でも良いぞ。コーネリア様の水着だってどんと来いだ。

 棚倉が日本へとやって来たってんで五反田まで見に行く。棚倉っていったい何? 語感から想像するに蔵にしつらえられた棚におかれて熟成された古酒か、それとも隠れ家風で棚状になった部屋で酒を楽しめる新しいタイプの居酒屋か、何か分からないけどまあそんなものだろうと想像して行ったら全然違ってた。タナグラだった。だからタナグラって何だ? それは古代ギリシャに紀元前5世紀から3世紀あたりまで作られた30センチくらいの小さなテラコッタの女性像。粘土で造型して素焼きにして色を塗って副葬品にしたり祭礼に使ったそーで、日本で言うなら埴輪か土偶といった人形がこれにあたるかもしれない。

 でも土偶みたいに様式的ではなくって「ミロのヴィーナス」とかいったギリシア彫刻みたく、ドレープが下がった衣装をまとい冠なんかをかぶっていたりと細部まで造型されたなかなかの逸品。1870年代に発見されて欧州を中心に一大ブームを巻き起こし、当時の美術へと影響を与えたってのもよく分かる。それこそフィレンツェだベネチアだって行ってたイタリアにギリシア彫刻が影響を与えてルネッサンスを起こしたよーな。とはいえルネッサンスほど日本じゃあ話題になっていなかったそのタナグラが、パリにあるルーヴル美術館から持ってこられて大日本印刷が五反田のビルにルーヴル美術館と共同で開いた「ルーヴル−DNP ミュージアム・ラボ」で26日から一般公開。その内覧会があったんで、行って入ると3体の小さな人形がガラスケースに入って並べられていて、その細部にまで行き渡った造形美を間近に観ることができた。

 ひっくり返すことだって可能。もちろん直接像を持ってひっくり返せる訳じゃなく、脇にあるコンピューターの中にCGで再現されたタナグラを指で触って回して裏返してひっくり返せるだけのこと。なんだけど2000年以上も昔の像の裏側がどうなっているかをバーチャルであっても確かめられるのは貴重な体験。秋葉原で売ってるフィギュアを必ず持ち上げひっくり返してのぞく性質を持っている人たちにとって、ごくごく当たり前の確認作業を文化遺産のタナグラで出来てしまうんだから、これはすごいとしか言い様がない。もっともさすがにそこはタナグラ。ひっくり返したって履いてるかどーかは見えません。折角なんだからバーチャルならではの自由度を加えて、ひっくり返したら裾もまくれあがってくれれば楽しかったかも。ああ何て邪(よこしま)な。

 そんな妄想も浮かぶくらいにマルチメディアの可能性を使って新しい展示方法を考え出し、実現してみせるのがこの「ルーヴル−DNPミュージアムラボ」の目的でもあって、ほかにもDNPのICタグの技術を使ったちょっと面白い展示もあった。それはタナグラをバーチャルで組み立てられちゃうってもので、頭とか、胴体とか装飾品とかがパーツに別れて透明なアクリルの中に固められたブロックを、横のテーブルから置いてモニターの手前に置くと、ブロックの中にあるパーツと同じ形をしたものが、画面の中に現れだんだんと組み上がっていく。「オシャレ魔女ラブandベリー」のファッションカードを実際のブロックにしたものだと思ってもらえれば妥当かも。

 「ラブベリ」ならバーコードだけど、この場合はブロックの下につけられたICタグからブロックの情報を読みとって、モニター画面に映し出すって寸法。組上がったら今度は色のブロックを置いて、胴体やら顔やら羽根やら衣装に色をつけていく。完成したらそれを印刷してお持ち帰りも可能。タナグラ職人になった気分で、世界でたった1つのタナグラを絵ながら作れてしまうんだからこれは楽しい。

 あるいは中に切削器なんかを仕込んで置いて、組み上がり後のCGデータから立体像を削りだして、彩色もして下からゴトンと吐き出すよーにできたらそれはそれで愉快だけれど、ローランドのスキャンしてデータ化して削り出すシステムで立体物を作ろうとすると、結構な時間がかかったって記憶もあるから、現状ではさすがに難しいと諦めよう。ここではタナグラを素材に実演していたけれど、たとえば日本の仏像とかで、自在に組み上げ色を着けてみるって展示を作れば博物館なんかに需要がありそー。でもやっぱり個人的には美少女パーツを組み上げ彩色して、理想の美少女キャラを作る方向へと行ってしまうよなー。ゲームセンターなんかに置いておけば人気でそう。でもパーツをかっぱらわれるだろーなー、脚とか、腰とか、胸とか顔とか。

 コーティかわいいよコーティ。って明け方の放送を観ながらほくそ笑んだ人は全国に何十人くらいいただろー。「天元突破グレンラガン」とはまた違った作画的な現象からそろそろいろいろあるのかも、って思っていたら「キスダム」にあっさり先を越されて宙ぶらりんになってしまった「神曲奏界ポリフォニカ」。決して美麗でも華麗でもないけれど、これはこれで安定した絵が続いているし、何よりちちゃなコーティーが妙にいじらしくって可愛らしくって、その表情や仕草を観るために視聴を続けていたりする。今週はタタラ=フォロンがまだ学生だった時代に双子ちゃんが見学に来た時のエピソード。音叉を忘れた双子ちゃんが夜の後者に忍び込んだらフォロンの歌が鳴り響いてそれで封印されていたコーティが目覚めてガラス窓どころか壁を壊し手回りながらふらふらと漂う。

 強力な精霊なんできっと封印も強力だったはずだろーに、まだ卒業もしていない学生の単なる歌でもって封印を破り地上へと現れるとはよほどフォロンがすごいのか、それとも封印が適当だったのか。とりあえずすっぽんぽんで漂っていたけどフォロンが楽器を観につけ弾くととたんに落ち着くコーティカルテ。その時はすっかり服を着ていてフォロンの脚をけっ飛ばし、訪ねて自分を覚えていないのかもしれないと知ると頬ふくらませ手を振り回してフォロンをぽかぽか殴り出す。ここが可愛い。ここだけ観られれば途中がどうとか関係ない。たとえシナリオが妙でも絵が微妙でも、心に響くシーンが1つでもあれば許せてしまえるファン心理。それすら持てずにただただ完璧を求めたって世の中はつまらなくなるだけ。もっと鷹揚に、広い心で観ようアニメを、たとえそれが「キスダム」でも……でも……でも……。


【4月24日】 「壊れ果てたセルジオ」よりは「壊れ果てた越後」の方が語呂も良いという意見もあったりしたけど、ともかく「週刊サッカーダイジェスト」の2007年4月24日発売号に掲載されてる「天国と地獄」は「セルジオ」が「越後」でもやっぱり壊れっぷりは変わらず。なるほど確かにU−22の北京五輪代表にはチームにリーダーシップを発揮する選手が見えず、シリア戦でも中西永輔さんから散々っぱら指摘があったところではあるけれど、それはあくまで反町ジャパンに選ばれた選手たちのメンタリティであって、フル代表については同じ号のリポートで選手間の話し合いも持たれ、監督の支持ではなく(というより支持なんてなくポジションの指定があっただけ)独自の考えでもって、試合を組み立てようって動きがあったって書かれている。

 なのにセルジオ越後さんは「U−22代表の反町監督は、怖いというイメージの監督じゃないけど、日本の選手たちはトルシエやオシムのような教育者タイプの怖い監督から、ああだ、こうだと支持を出されて動くことに慣れているように見える」と書く。これってU−22代表への「怒ってます」じゃん。フル代表は関係ないじゃん。反町監督のチームじゃん。でもって反町あんまり怖くないって書いてるじゃん。だからU−22の不甲斐なさは選手に責任があるってことじゃん。あるいはそうした選手しか選べない反町監督の責任じゃん。なのにどうしてそこでオシム監督の名前を論って非難するのか。非難したいから非難するだめに、流れを無視してオシム監督の名前を持ち出して来るところが実に何とも薄気味悪い。

 「だから、ピッチの中で自ら修正しながらサッカーすることが、なかなかできずにいる」とも書くけどやっぱり同じ号の代表練習のリポートで、選手は自分たちで修正したって話が紹介されている。その練習の様子を自分で見て、オシム監督がかつて指導したジェフユナイテッド市原・千葉で活躍する羽生直剛選手がどんな動きをするのかスタジアムに足を運んで見物して、どちらかといえば引っ込み思案だった阿部勇樹選手がオシム監督からキャプテンを任された間にどれだけのリーダーシップを育み、自分で道を選んで浦和レッドダイヤモンズに移籍するまでになったかを当人から聞けば、ひたすらに怒り自分のスタイルに選手をあてはめようとしているだけ、なんてオシム監督への非難がいかに筋違いかは分かるだろう。でもそうしない。気付いていて敢えて言うなら1億歩譲って分からないでもないけれど、気付こうとする意思なんてものは最初からなく、脳内で固めた観念のみでもはや溢れかえってどうしようもなくなっているんだろうなあ。困ったなあ。

 小学校の頃に仲の良かった女の子が引っ越して住んでいるからって訳でもないけど、栃木県の奥までいかなくちゃならないと乗り継ぎを調べ空を見て、振り出しそうな天気にこれで雪に見舞われ遅れに遅れた挙句、到着が午前となってもはや帰ることすらできなくなったらどうしようって不安に震えたけれども今は4月も下旬で、桜の花びらが秒速5センチメートルで散り果てた今頃になって雪でもないと考え直して午前8時に家を出て、総武線から武蔵野線を経由し東武日光線から宇都宮線を経由して「おもちゃのまち」まで行ってそこから「おもちゃのまちバンダイミュージアム」へと徒歩で向かう。所要時間はおおよそ2時間30分。乗り継ぎ時間のそれほどなかった割には結構かかったなあ。特急とかいっさい使ってないからまあ仕方がないか。

 「おもちゃのまち」ったって別に家々がレゴで出来ているわけでもないし、住人たちがロボットってわけでもない。飼い犬がプーチとAIBOってこともなくって普通に地方の駅前で、そこから5分くらい歩いたところにバンダイが所有している玩具やエジソンに関連したコレクションを集めてみせる「おもちゃのまちバンダイミュージアム」を28日に開館するとかで、事前のプレス公開があったんで見物に行ったという次第。入るとまずはエジソン先生の彫像がお出迎え。その奥に松戸の「バンダイミュージアム」で最大の注目を集めていた等身大「機動戦士ガンダム」の半身像が鎮座していて夏からほとんど半年を経ての再開に心潤う。聞いていた話じゃあ静岡にあるガンダム関連のプラモデルを作っている工場へと移設するってことだったけれど、半身とはいえ高さで6メートルあり幅も相当な「ガンダム」を収めるスペースが静岡にはなかったらしく、栃木への移設となった模様。静岡よりは距離的に近いのは関東在住者には嬉しいところ。とはいえ雪が降ったら午前様な場所だけに乗り継ぎには注意が必要かも。

 展示はまずは玩具関連があって歴史に残る玩具がずらりと並べられていて、大人だったら昔遊んだ「ジャンボマシンダー」とか「超合金」とかを見て血を懐かしさに滾(たぎ)らせられそう。かのクローバー製「機動戦士ガンダム」の玩具もあるぞ。顔とか銀色メッキ風でいったいどうあれを再現すればこうなるのかって思考が謎。まあ往時のロボット玩具ってそーしたピカピカなパーツが多用されていたから「ガンダム」もそーしなきゃって思ったんだろーな。他では昨今話題の「パンシャーヌ」の原型ともいえる「美少女戦士ポワトリン」の変身グッズ関係なんかが勢ぞろい。仮面欲しいよ仮面。「トトメス」「大竜宮城」もありました。さらには「ゲーム・アンド・ウォッチ」の2画面タイプのものとか。これが「ニンテンドーDS」の原型かあ。違うけど。でもそこでの発想が山内さんの頭に残っていて、「DS」開発時に「2画面はどうや」って支持につながったのかもしれないなあ。知らないけれど。

 さらにはコードネネーム「ウノザワ」と今では呼ばれているかどうかは知らない「アットマークピピン」とか、やっぱりコードネーム「オオシタ」と呼ばれているかかもしれなかったりする「ワンダースワン」もあって、バンダイに歴史あり、人に過去ありって感慨にむせぶ。かたやバンダイナムコゲームスの副社長だしこなたバンダイネットワークスの社長、だもんなあ。失敗したってあとに成功へとつなげられるものだったらどんどんやってみるのが人生をより豊かにするのだ。問題は失敗してもそれを許し次へとつなげさせる度量が企業にあるかどーかってことなんだけど。「ジターリング」を担当していた人はいまどこで何をしているんだろう?

 仮にもしも「コードギアス 反逆のルルーシュ」が社会現象を巻き起こすくらいのヒット作となって、30年後も何か語られるくらいになっていたとしたら「バンダイミュージアム」にも「コードギアス」関連の展示とかがやっぱりされているんだろーか。さすがに古くなった「ガンダム」の代わりに実物大の「ランスロット」がお出迎えしてくれて、入ればフィギュアにプラモデルにカードに下敷き消しゴム鉛筆等々のキャラクター商品。あるいは今後発売になるかもしれないプラスチックで射出成型された等身大のルルーシュ&スザクフィギュアやらが並び、「ララビット」で限定生産されたゼロ仕様のバイク用フルフェイスヘルメットとかDVDボックスの付録としてついてくる可能性のあったりするセシルさんが握ったブルーベリージャムの入ったおにぎりのレプリカなんかが棚に入って、往時の人気ぶりを伝えてくれるんだ。生きてその日を迎えたいものだけど果たしてそれくらいの人気になってくれるか。やっぱり「ガンダム」が居座っていそーだなー。

 そして玩具と並んで注目の展示物がバンダイの誇る「エジソンコレクション」。米国の発明王トーマス・アルバ・エジソンの手より生まれた数々の品物をコレクションしているバンダイだけど、見せる場所って巡回する百貨店とかでのイベントとか、あとは年に回くらい開いているエジソン教室くらいしかなかった。「おもちゃのまちバンダイミュージアム」ではそれが常設になっていて、蓄音機だとか電池だとか電話機だとか映写機だとか電球だとかに間近にびったり触れられる。実演もあって筒状になったレコードでエジソンの演説を再生してみせてくれたり、SP盤より古い円盤状のレコードで音楽を再生してくれたりして気持ちを100年の昔へと引き戻される。そんな気分を味わえるのもエジソンが蓄音機を発明してくれたから。なるほど偉大だったんだなあエジソン。ジャンピングシューズじゃあそんな思い出は得られないから。

 行きも大変なら帰りはもっと大変で、到着した駅で出発する列車を見てから30分をホームですごし、乗った列車も途中でとまってそこから20分を待ち、さらに進んで南栗橋でよーやく急行に接続。午後1時半にミュージアムを出て大手町に到着したのは午後5時ってことはだいたい3時間半? 飛行機にのればグアムのそばまで行けてしまそーな時間がかかってしまったけれどももしも見送った列車に乗れていれば2時間くらいで到着できただろーから、これから行く人は時間とか注意しておくよーに。近隣に引っ越した小学校の同級生が住んでていっしょに納屋で夜を過ごしてくれるって人なら、冬場を選んでゆっくりかけつけてみるもの一興かと。もちろんその彼女とは成長してからあっさり振られる運命だけど。

 シンクロニシティ。店頭にならんでいて手にして支払う段になって税抜きで680円もすると驚いた「トニーたけざきのガンダム漫画2」の冒頭にクローバー社製のガンダムの玩具が堂々と登場してザクをなぎ倒して去っていく。ダイカスト製ガンダムらしくて「バンダイミュージアム」で見た合体セットとは違うけど、不思議なミサイルとかついていたり手足の帯のデカールが張ってあったりするのは共通。これで胸に「ガンダム」と描いてあったら最強だった。もしもテレビに出てくるガンダムがクローバー社製を同じデザインだったら果たして。そういや「ガンダム漫画」ではカトキハジメさんがシャア専用ボールをデザインして描いててなかなかのスタイリッシュさに仕上げているけれど、そのカトキさんがクローバーのガンダムと同じカラーリングで同様の武器を持たせてリファインしたらいったいどんなガンダムになったかなあ。バンダイで発売してくれないかなあ、カトキハジメさんによるクローバー製ガンダムのリモデル版。


【4月23日】 「宇宙鉄人キョーダイン」に「アクマイザー3」と来たなら次は同じく石森章太郎原作シリーズで「有言実行三姉妹シュシュトリアン」だと信じて、平野綾さんたちが「なせばなーるなにごとも」と唄ってくれると期待していたら何だあれはあの楽屋落ちは。同じ京都アニメーションが手がけて世にその実力のほどを示すきかっけとなった「フルメタル・パニック? ふもっふ」を持って来やがったよ無印じゃなくって「ふもっふ」ってところが深慮遠謀用意周到。とはいえここで自社の宣伝を持ってきたなら過去の2つは何だったんだ? 何かの宣伝とも思えないし。作り手の趣味か? そかしこれで斜めに八艘飛んでしまって予想の難しくなった次回エンディングのカラオケは何だ? 「MUNTO」の主題歌か? 「MUNTO」に主題歌なんてあったっけ。買ってあるんで見返そう。

 秋に北京だか中国だかで開かれるサッカーの「FIFA女子ワールドカップ2007」の組合せ抽選会があって日本はドイツとイングランドとアルゼンチンなんていう男子だったら卒倒しそうな組合せに放り込まれてしまったけれど女子について言うならイングランドってあんまりそれほど聞かないし、アルゼンチンは確か前の米国で行われた大会では勝っている。敵はだからドイツだけってことでちょっと前に欧州で行われた試合では6点くらいとられたけれど3点を返したりして攻撃が通用するところは見せているから後は守備。相手の巨大なフォワードを跳ね返し押し返せるディフェンスを揃え、前にボールを運べる中盤とサイドに良いコマを揃えれば悪くても引き分けくらいの内容に持ち込めるんじゃなかろーか。

 男子だったら見ただけで匙を投げそうな組合せでもワクワクできる女子ってやっぱりすごい。あとはこの凄さが世間にもっと伝わり試合に大勢が来てくれるよーになれば嬉しい限り。「なでしこスーパーカップ」だって有料なのに2000人入ったし、来場者には小さい子供たちの姿も多かった。ここで抱いた感動と憧れが10年後の女子の隆盛を生みそして親の世代のサッカーへの理解を生んで20年後に一大サッカーファミリーを日本の中に生み出すのだ。遠大だけど必要なプロジェクト。ここを丹念にやってくれているから日本サッカー協会の諸々を真正面からは非難できないんだよなあ。アテネ五輪前のリーグの試合を視察に来ていた当時の代表監督が大宮公園のグラウンドから大宮駅まで徒歩で帰った時代もあったけど、その当時の代表監督を引っ張り込んで選手やチームの面倒を見させる手腕を発揮できるまでに成長したんだ協会も。

 そして見上げれば曇天ながらも雨は降り出しそうもなく、これは挙行もあるかと飯田橋の東京大神宮へとかけつけ男性ばかりの劇団で、前に「トーマの心臓」といった萩尾作品やら「銀のキス」みたいなバンパイアものとか最近だと女子寄宿舎物なんかをやって三浦しをんさやら辛酸なめ子さんがブログに書いたり記事にした「スタジオライフ」が、5月に「紀伊國屋ホール」で開くシェークスピア劇「ロミオとジュリエット」の成功を祈願するために行う奉納芝居を取材。到着するとすでに応募で即満員となった見物の女性たちが100人ほどつめかけお参りしたり絵馬を買ったりと賑やかにして華やか。ちょっとした池袋っぽさを醸し出す。近隣にある角川書店からもそーしたジャンルの本とか出ているんだから見物に来れば面白かったのに。それとも来ていたのかな。

 イベントはまずはパーティーなんかが開けるホールでちょっとしたお芝居があって、それから神社へと回り祈願。かしこみかしこみと祝詞があげられ祝福の言葉、だと神父か、よく分からないけど神主様のありがたいお言葉があって巫女さんによる踊りもあって目の保養になりました。巫女さんといえばスタジオライフの男優さんが扮した巫女さんも奉納芝居には出てきたけれど、やっぱり本物にはかなわない、と思うのは男性であって来場していた女性にはやっぱり男性の巫女の方が麗しく見えたのかな。さらに賽銭をあげ2拝2拍をしてから記念撮影へとうつり見目麗しいジュリエットと凛々しいロミオを囲んで来場者たちが記念撮影をしていった。縁結びの神様として知られる大神宮で憧れの俳優さんたちと記念撮影とはきっと記念になったんじゃなかろーか。

 とはいえ悩ましいのは世紀の悲恋物とも言える「ロミオとジュリエット」を果たして縁結びの名所として知られる東京大神宮でやって良いのかどうかってことで、そんな縁起でもないお題目を奉納されたって神様も困ってしまうんじゃなかろーかって心配がまず浮かび、あるいはそれだけ奉られたんだから芝居の「ロミオとジュリエット」も悲劇をやめてハッピーエンドに変えちゃおうってことになって見に行った人を戸惑わせたりするんじゃないかって懸念も浮かんで頭ぐるぐる。まあそこはそれ、シェークスピアの台本では悲劇に終わったロミオとジュリエットの恋だけど、その悲劇が観客に伝わり皆を悲劇に陥れないよー、ここで大神宮に祈願してロミオとジュリエットの無念を供養しつつ、観客の皆さんは良い恋をして下さいねってゆー劇団の想いをこめたイベントだったってことも、あるのかも。ないのかな。

 そろそろ第4巻の発売も近いとショップをうろちょろしても「コードギアス 反逆のルルーシュ」の新作はまだ出ていない。その代わりによーやく通常版として出回ってきた「エコール」を購入、パッケージを開いたら棺桶から出てくる上半身がすっぽんぽんな主人公がばーんと真ん中に配置されていてちょっぴり顔が赤くなった。人前ではちょっと開けられないよなあ、ってかこれって噂の奈良県で持って歩いているとどーゆー扱いを受けるんだろー。一方で「コードギアス」は公式ホームページに第5巻の情報が掲載に。ジャケットが人物のアップじゃなくってランスロットってのはどーゆー訳だ。これまでずっと人物が前面だったのに、なぜか5巻ではランスロットで背景にコーネリア様。どーせだったらこっちを前面にアップにして配して欲しかったよ。でも表情が恐いと購入を躊躇う人も出そうだから仕方がないか。残る4巻分はユーフェミアにナナリーにマオあたり? 最後はやっぱりスザクとルルーシュで締めだよな。ガウェインだったら泣いちゃうかも。

 すごすぎる。いやもうすごすぎて読みながら脳髄を引っかき回されるような衝撃を覚えた上杉勇悟さんって人の「セブンウォーズ 炎の大陸」(コスミック出版)はシャチにもなぞらえられる黒光りした旧日本軍の潜水艦「伊−400」が21世紀の太平洋上、日本海溝の真上に止まっている場面から幕を開ける。乗って全寮制学校に通う7人の子供たち。何でもしばらく前に赴任して来た用務員の巌さんが7人の子供たちを導きその使命に目覚めさせたの打倒。実は7人は太古の昔から繰り広げられている太陽の王者と天魔王との戦いにピリオドを打つべく、かつて太陽の王者と戦った7人の勇士が転生した存在で、巌さんはそんな彼らを導くべく、1万2000年の時を待ち続けたのだという。

 おそらくは運命に導かれて同じ時代に生まれ友人となった7人の子供たちは、その使命を果たすべく巌さんに連れられ潜水艦で海溝に潜り、直径30メートルのトンネルをくぐる危険を冒して1万2000年前の状況が今なお続くムー大陸へと赴いて、そこで天魔王の手先として大陸を蹂躙していた魔女を相手に正義の戦いを挑むのであった。うーむ。これが1930年頃に書かれたものだったら、世紀の奇書として名を古書ファンの間に轟かせたかもしれないし、読む人に強い感銘を与えたかもしれないけれども21世紀の現代にこれって一体どーゆーことなんだろー。それっぽさを徹底して演出してみせたんだとしたらすごい筆力って言って言えないこともない。逆にすべてが天然のそれっぽさだとしたらある意味天然記念物的な貴重さを持った人なのかも。正義が貫かれ悪に対する情けはあってと良い話ではあるんだけれど、でもやっぱり読んで受けるビリビリとした痺れの方が問題かも。可愛い女の子たちを中心にした美麗なイラストに惹かれ読んで、繰り出される強烈なビームを浴びて脳が痺れる読者が果たしてどれだけいるのかに興味。そーでなくても21世紀の奇書として確保しておくのも一興か。


【4月22日】 「鹿男あをによし」では鹿島神宮って鹿だけに奈良の春日大社あたりとお友達っぽく描かれているけれど鷹野祐希さんの「秋津島 斎なる神のしもべ」(GA文庫)は男子が異世界にとばされ女子になってメイドになる「ぼくのご主人様!?」ってシリーズと同じ作者だととても思えないシリアス設定の伝奇ストーリーで、鹿島あたりに育った少女が古来より伝わる斎の力に目覚めたは良いものの、そこは鹿島あたりに住まう人々が崇める神様とは敵対する神様の力だったらもう大変。昨日まで姉と慕ってくれた少女がこの地虫野郎と剣を向けて襲って来ては連れ立っていたボーイフレンドを惨殺し、中のよかった双子の姉妹もやっぱり手に剣を持って襲い掛かってくる。

 つまるところは天孫降臨、アマテラスたち天津神が日本の国へと降りてきてはそれより以前に日本を治めていた大物主あるいは大国主を武甕槌に説得させて国を譲らせた故事が発端となって起こった天の神と地の神との対立がなお続いているってゆー構図。主人公の少女は地祇系の血を引く家に生まれながらもその血を引いて神を体に降ろす斎となるのを嫌い家を飛び出した母親が、敵対する鹿島の地へと来て生んだ子供だった訳でよりによっての四面楚歌な中で斎の力に目覚めてしまったという次第。とりあえず逃げろとばかりに飛び出し諏訪で同じ地祇系の血を引く少女に守られ諏訪を経由し混乱する奈良へは向かわず厳島へと入りそこでやっぱり襲われる。まさに日本を2分しての神様の代理戦争がとうの昔に和解したはずなのにいったい今も何故に続くのか。その帰結から何が浮かぶのか。そんな興味を抱かせてくれる新シリーズに期待。何より表紙と口絵もエロいし。

 そして目覚めて見た「天元突破グレンラガン」は……「グレンラガン」かこれ? ってキャラの顔を見てまず思ったけれどもメカに関してはいつも以上に「グレンラガン」。いわゆる作画崩壊って奴とは違う状況にガイナックスめやりやがったなと笑いながら画面に見入る。何て言うんだる70年代テイスト? とは違うけれども設定とは微妙に表情が違って鼻がやや大きめに描かれ目が垂れ小さめになっている顔は記号まみれな可愛さとは正反対の不格好さで見る人にまずは拒絶感を覚えさせる。けど動きのコミカルさは持続されメカについては動きも作画も完璧以上。合体するんだと近寄っていったガンメンがラガンをよじのぼろうとしてはじき飛ばされる場面とかもう見ていていかにもはじき飛ばされるって感じが出ていたし、キャラだって新登場した3人娘が岩にまみれて埋もれる場面とか止まっていながらも動きを感じさせる絵で、決して作画が間に合わなかったんじゃないってことを如実に示して問いかける。アニメは見た目の美麗さだけじゃない、動きとそして展開だと。

 そりゃまあ金髪に大きな胸をしたおねいさんとか眼鏡っ娘とかおかっぱ頭の元気な娘とかの見た目が可愛らしい方が良かったけれどもそれだって初戦は絵。キャラクターとして屹立させるにはシチュエーションの中でどう位置づけられているか、そしてどんな言動を見せるのかっていったまさしく“キャラクター(性格)”がなくてはらない。そこいらへんを感じさせる意味で小林治さんがいったん退いた絵を描きつつ本筋におけるキャラクターたちの立ち位置を再確認させたんだとしたらこれでなかなか用意周到に、いろいろと考え作られているアニメだって言えるんだけれど本当にそーなのかは知らない。単に小林さんが悪趣味を丸出しにしたあけなのかも。でも可愛らしさを描こうとするなら「パラダイスキス」みたいなモデルばりの可愛いかったり格好良かったりするキャラたちだって描けるはずだろーから、やっぱり何かの意図をもってのことだたんだろー。アニメな批評の方々にはその辺の解明を是非にお願いしたいところ。

 振り返れば「コードギアス 反逆のルルーシュ」ってこーした作画的なお遊びもそして品質的な上下もなかった作品だったなあ。それがサンライズってスタジオのこと作画的なクオリティに対するコントロール意識の持ちようって奴なのかもしれず、あとは演出的な部分で表情とかカメラワーク的な見せ方とかをいろいろとそれぞれにいじっていたのかもしれないけれども、映像を見慣れていない人間にはそこまでの深読みは難しい。「聖戦士ダンバイン」あたりだとジェリルのハイパー化みたいな見せ方は今川泰宏さんだね的分析も可能だったんだろーけど「コードギアス」にはああいった“個性”が際だつ演出ってあったんだろーか。気づいていないだけか。23話で成功を信じがら息を引き取るユーフェミアの言葉に魔女だと叫ぶ日本人の怒声を交互に重ねて見せた展開とはか印象に残ったたけど。この辺も誰か教えて欲しいところ。まあ何より展開の衝撃性と速さが持ち味な作品なんで絵よりはシナリオとコンテに重点がかかるのも止む無しか。

 そして久々の女子サッカー。いつ以来? 冬の「全日本女子サッカー選手権大会」は日程が合わず確かほとんど見ていないから「なでしこリーグ」で日テレ・ベレーザが優勝を果たした試合を西が丘で見て以来かもしれない。そのベレーザが全日本で優勝したTASAKIペルーレを相手に女子サッカーの真のチャンピオンを決めるカップ戦が「なでしこスーパーカップ」。2005年からスタートして去年は「フクダ電子アリーナ」で確か同じカードを見てペルーレが勝ってもしやと懸念させたもののシーズンはベレーザが突っ走って見事に優勝。強さの程を見せつけた。

 でも今年は春先にワールドカップの予選を戦うべく代表が招集されてそこにベレーザの選手が大量に引っ張られ、チームとしての熟成もままならず加えて疲労もあってあんまり良い状態でシーズンに臨めないんじゃないか、って不安がまず浮かぶ。思い返せば「なでしこ」ブームにわいた2004年もアテネ五輪で代表に選手がとられた結果、チームが完熟せず肝心なところで優勝を逃したんじゃなかったっけ。それと同じ状況に落居理やしないかって心配したけどむしろ逆、大量にベレーザの選手がとられて代表で中核となった結果、そこでチームが熟成されて今年最初の試合でもほぼ完璧なまでの試合運びを見せてくれた。たとえば右サイドの近賀ゆかり選手は4バックの右に入る代表と同じ布陣でのぞんで前後に激しく上がる。前は代表だと宮間あや選手だけれどベレーザでは超久々に復帰して来た小林弥生選手が入ってさすがなボールさばきで近賀選手のオーバーラップを助け自身も前に横にと駆け回る。怪我のブランクを微塵も感じさせないプレーぶり。こりゃ代表復帰も近いかな。

 そして大野忍選手。左の前目で張っては受け取り飛び出し切れ込み送る縦横無尽の走りっぷりでアシストのアシストをゲット。澤穂希選手へのどんぴしゃなクロスを送った中地舞選手へのパスで結果として澤選手のヘッドによるゴールを生み出した。飛び込んだ澤選手もすごいけど入れた中地選手と中地に渡した大野選手とその大野選手に入れた酒井與惠選手の連携の確かさが何よりすごかった。そんな左右のサイドからの切れ込みに切り崩しをみていると、同じ緑のユニフォームをまとった兄貴分の東京ヴェルディ1969の不調の原因も何とはなしに見えてくる。服部選手なりサイドバックの選手がいくらかけあがってもそこで大野選手なり伊藤香菜子選手なり小林弥生選手のよーに組んでコンビで崩し切れ込む選手がおらずプレーが停滞してしまう。

 荒川恵理子選手のよーにポストとなってさばいたところに澤選手なり大野選手なりが突っ込むプレーもヴェルディでは皆無。フッキ選手頼りというかフッキ選手の独りよがりになってそれが厚いディフェンスに潰されるよーな展開がベレーザではまるでなく、パス交換とサイドチェンジとオーバーラップを組み合わせてによって巧妙に相手ディフェンス陣を崩していく。まあそこはペルーレも代表に人材を送り込んでいるだけあって、風による事故みたいなコーナーキックの直接ゴールインをのぞけば澤選手の1点に抑え風上に立った後半はベレーザの得点を許さず拮抗した試合になったけれども全体としてはベレーザの方がチームとしての完成度が高かった。このままシーズンインすれば下位チームは蹂躙されるだろーなー。

 ペルーレの方は中盤がぽっかりあいて拾われまくったのが痛かった。あの辺を埋められる仕事ができる選手が欲しいところだけれど代表にも選ばれている中岡麻衣子選手が途中で怪我で退場となっただけにちょっと心配。ただ途中で出場した背番号13番のフォワード、田頭陽子選手がボールの扱いが目茶軟らかくって巧くって、その技巧を発揮すれば相当な活躍が見込めそうな印象。身長も167センチと長身で年齢はまだ19歳。やや横にずしっとしたビジュアルなところが俊敏性とは逆の印象を与えそーだけれどなかなかどーして、ちゃんと走って前線からチェックに行っていた。下位のチームを相手にどんな技巧を見せてくれるかに注目。二十歳になった清原万里江選手もビジュアル面での印象高くて注目大。

 売り出されていた今年の「なでしこリーグ」のガイドブックによるとあとスペランツァF.C.高槻に所属の金房夏希選手がとてつもなく良い写真写りでどんなプレーを見せてくれるのかって期待に胸もふくらむけれど2部なんで試合が関東ではほとんどないのが辛いところ。近場だと11月4日の秋津でのジェフレディース戦までないんだよなあ、同じジェフレディース戦でも7月22日は東総だし。高槻では櫻田有機子選手も写真が美麗だ注目したいが金房選手に同じ。見るのは秋か。でもってガイドブックの我らがジェフレディースの項目を見て驚いた。監督が里内猛さんになっていた。

 誰それって人は思い出そうあの6月の屈辱を。日本代表フィジカルコーチとしてジーコジャパンを支えたのかどーなのか、今ひとつ分からないまま06年をもって退任した人だけれど何故かジェフのそれもレディースの監督に。S級を持っている監督ってレディースにはなかなかいないのも驚きだけれど、鹿島系の人が何故に古河系にって流れもよく分からない。協会つながり? ただ女子サッカーに言えることは弱いチームは圧倒的にフィジカルで負けることが多くってそれは日本代表にも言えることだったりするんでまずはジェフレディースで女子の特質を鑑みながらもフィジカルアップのメソッドを確立して、チームを1部へと押し上げつつその経験を「なでしこジャパン」の方にも還元して日本の女子サッカー全体の底上げに貢献して頂ければこれ幸い。フィジカル畑の人に戦術的なところがどこまでこなせるかって疑問もあるけどそこはそれ、協会つながりを行かして世界的な戦術オタクの御大にも指導を仰ぎつつ1人の監督として成長していってくださいな。


【4月21日】 周辺に購入者の異様に多いことが分かったのはどんなシーンのフィルムしおりが着いてきたかを公表していたりするからで、周辺の年代を勘案すればやっぱり割に上の世代に大受けしてたんだなあと改めて、細田守版「時をかける少女」の人気の理由に思いを馳せる今日この頃。ちなみに僕のに入っていたしおりはどこだろう、家か学校かどっかに半身の真琴が立ってうつむき加減で目を閉じたところから目を半開きにしていく場面。確実にどこだって思い出せないシーンだけれど顔が見えるし真琴なんでとりあえずは良しとしよー。

 でも目覚まし時計に当たってパジャマで目覚めるシーンとか、お風呂に入っているシーンとかもしおりになって出回っているんだよなあ。羨ましい。真琴じゃなかったら妹が真琴をひっつかんでいるシーンとか、にへらっと笑う魔女おばさんとか、校庭で遠巻きにしていたところを声かけられてうろたえる3人娘とかが欲しかったなあ。1万円もするだけに限定版だけで何万本出たかは知らないけれども、5コマのしおりを1万人が持ち寄って5万コマにして編集して撮影しなおせば、いったい何分くらいのダイジェスト版「時かけ」が出来上がるんだろーかに興味。呼びかけて集まったらちょっとすごいかも。

 テレビなだけに当面は無理だろーけれどももしも「機動戦士ガンダムSEED」よろしく番組宣伝の意味も含めて劇場版になってDLPではなくってちゃんとフィルムで上映されたとしたら「コードギアス 反逆のルルーシュ」でもフィルムのおまけ、なんてものをつけて欲しいところで、その場合はいったいどこが欲しいかを考えたらやっぱりルルーシュもスザクも後回しで、真っ先にオープニングで迫り振り返って去っていくC.C.が第1希望になりそー。たとえ顔は見えなくって画面いっぱいにひろがるお尻があれば良いのだ。チーズを口からひっぱりながらピザをかじるシーンでも悪くはないな。

 あとはユーフェミアの訃報を聞いて部屋にこもり呆然と天井を見上げるコーネリアの顔アップ連続とか。気負いも何もかもが抜けた表情が妙に可愛らしかった。ほかニーナが机の角で何かやっているところとか、ヴィレッタがシーツ姿でベッドに横たわっているところとか。「いつか君を殺すよ」と言ってるロイドさんを横からひっつかんで押し倒すセシルさんの凶暴さが発揮されてる場面なんかを是非にも希望したいんだけれど、そー願っていると出るのが桐原かディートハルトか玉城になってしまうんだ。おっさんを混ぜるんだったらせめて藤堂だけにしておくれ。わっ高笑いする皇帝だ。いやこれはこれで。

 晴れたんで「フクダ電子アリーナ」へと向かい「ジェフユナイテッド市原・千葉vs大宮アルティージャ戦」を見物する途中の電車で山形石雄「戦う司書と荒縄の姫君」(集英社スーパーダッシュ文庫、619円)を読み愕然、なんて展開だよこいつはもう。帯にある「バントーラ図書館vs全世界。衝撃の死闘、開戦!!」の惹句もそのままに神溺教団の最後の計画が発動して全世界が図書館と武装司書の敵となって襲い掛かって来るからもう大変、いくら1人で1国の軍隊に匹敵するくらいの戦闘力をもっていても世界の半分が相手ではかなわない。これまで力をセーブしていた司書とか登場していなかった司書も出場して見せるバトルは目も醒めんばかりに凄まじいけれどそれでも1人またひとりと損耗してはじりじりと図書館に追いつめられる。

 同じ若さだったら館長代行のハミュッツ・メセタだってかなわないだろー、「ジョジョ」で言うディオのスタンド「ザ・ワールド」とと同じ時間を止める力を持ってその上に、腕力体力は「鋼の錬金術師」のアームストロングが束になっても適わないくらいのおばさん司書イレイアですら退かざるを得ない敵の猛攻。もとより死にたがりのハミュッツ・メセタもとりあずは退き図書館に結界を張ってたてこもるものの、いよいよとなって撃って出て全員討ち死にも覚悟した時、すべてが一変する。その裏側にあって世界を救ったのは、司書見習いとして登場して若さとまっすぐさだけで突っ走り、雷を操る神溺教団の刺客だったエンリケを翻意させる活躍を見せたノロティのどこまでも愚直な誰も不幸になって欲しくない、みんなが幸せであって欲しいと願う気持ちだった。

 ほぼ冒頭でつきつけられる衝撃的な事実。虚報であって欲しいを願う気持ちも虚しく事実はくつがえらずにひたすらに哀しみと悔しさを誘う。どうしてそんなことになったのかと展開を恨み、どうしてそんなことをしてしまったのかと作者を恨む気持ちに心かき乱されるけれども振り返れば登場してからずっと、ノロティは強弱で言えば最弱に近い司書であってハミュッツなりイレイアなりマットアラストといった錚々たるメンバーとは一線を画す存在だった。だからこその武装司書としての最弱さ、けれども人間としての最優さがどう話の中で使われるのかが重要だった訳で、巻を経て世界が滅亡に近づいたその時に、発動したのはむしろ喜ばしいことだと、ここは黙してその活躍に喝采を贈るべきなのだろー。最終決戦を超えて新たに踏み出した武装司書シリーズはおそらく、前作だかでほのめかされた武装司書=神溺教団による二項対立ではない新たな敵を加えた三つ巴の展開が激しさを増して浮かび上がって、単純な正義とも言えない武装司書のわけてもハミュッツ・メセタの命運が、描かれていくんじゃないかと期待しつつも今は静かに、黙祷。

 そして「ジェフ千葉vs大宮」は……すげえよ水野晃樹選手も水本裕貴選手も先発かよ。前日のそれこそ日付が代わりそうな時間に帰宅して寝て起きてすぐに試合。水曜日からだって単純に2日はさんだだけで時差もあれば移動の疲れもある中を押して出るとは流石にオシムの子供たち、鍛え方が違う。電柱フォワードがお休みだったのと比べるとその強靱さも目立つけど、見れば清水と広島の両青山も名古屋の本田も先発出場だ。先発どころか1人も登録メンバーに入ってなかったのはFCダービーを戦ったチームくらいで、それでも相手がFCダービーの相手だったこともあって勝てて監督も選手もとりあえずは良かったんじゃなかろーか。軟弱だの何だのと言われなくって。そんな選手層がちょっと羨ましい。

 試合は前半に怒濤の攻めを見せても入らずいやなムードが漂うフクアリ。守っては水本ストヤノフジョルジェビッチの3人に今日から先発復帰となった、っていうか何故に前の岡本昌弘選手がいきなりサテライトを飛び越えJFLの「ジェフ・リザーブス」に行ってしまったのか分からないまま1年ぶりくらいの先発をもぎとった立石智紀選手が安定感抜群の守りを見せて失点の匂いを感じさせないまま前半終了。あとは得点だけだと思ったところに疲れを微塵も見せないコーキのキレキレなドリブルからシュートへと至ったところをキーパーが弾きそこに寄せた羽生選手が奪いふわりとゴール前にあげ、キーパーが上に弾いたところを飛び込んでいた工藤選手がオーバーヘッド気味にボレーで叩き込んで1点を先取。相手がフォワード登録の選手を4人まで叩き込んでパワープレーに出始めひやひやさせられたものの守りきりしのぎきってホームのリーグ戦では横浜FC戦に続いての勝利をもぎとった。ああ緊張した。

 でも楽しかった試合。パスが回るようになり選手たちが走るようになりキャプテン佐藤勇人選手の突入からのミドルが炸裂するよーになるとやっぱり千葉は強いわ。長そうだったロスタイム前に選手を入れて時間をつなぎつつ前線からプレッシャーをかけ出所を塞ぎ最後の1手を防いだのもなかなかの采配。監督の意図と選手の動きが噛み合ってきた上に立石選手の復帰で守備も安定して、これで一気に上位進出といきたいところだけれど続く試合が川崎浦和に柏の上位陣だからなあ。せめて勝ちたや浦和と柏に。ついでに川崎にも、って贅沢?


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