縮刷版2007年12月下旬号


【12月31日】 つか何だあのキャラクターはまるで雰囲気がゴージャス化していて誰が誰だか瞬間には判断がつかなかったぞ「みなみけ おかわり」の予告編。でもまああれに声がつけばきっとそれなりに誰だか分かるんだろうしシリアスになる部分の演出もこれはきっと本編の漫画にもあるんでちゃんと残っていたから楽しませてはくれそう。ただあの平板ななかにズレた感じが挟まっていた無印「みなみけ」のビジュアルや出てきたキャラクターの動かし方なんかに慣れてしまっていると、「おかわり」でリフレッシュされたキャラクターの関係性なり性格付けに最初は戸惑うんだろーな。

 しかしまあ2クールだと飽きられかねないところを(「らきすた」なんて10話くらいで中だるみしたし)ご一新というウルトラDな技で興味を引っ張ってみせるとは考えたもんだよ。最近いろいろ話題の「ハルヒ」の二期ならぬ新作ってのもこんな感じに見栄えもそして声優までもご一新して最初っから「憂鬱」をやってみせたら凄いんだけど。ハルヒはだから釘宮か田村でみくるは藍で長門は万能のみゆきち、と。何だそんなに変わらないぞ。って書店の文庫の帯が「二期決定」のまんまなんだけど。

 それにしてもいったいどこのジュースなんだろうあの青くて紫色して緑っぽい毒々しさにあふれた輸入物のジュースって。飲むと春香も千秋も酔っぱらったように寝てしまったところを見ると鎮静作用があるのか逆に幻覚作用を持っているのか。ずいぶんと前に会社の前にタヒチアンなノニって奴のセールス隊が来てこれはまあ1本売ったらバックが幾らってな感じの商売のタネにされているっぽい雰囲気があって近寄りがたかったんだけれども進められて飲んだものはまあそれなりに飲めたっけ。これに限らずジュースとして世に出ている以上は人類にとって決して害悪なものはないはずなんだけれどもくさやがダメでもチーズはオッケーとかいった味覚嗅覚の違いは人種なり生活習慣によって結構あるんで日本人にダメなジュースもきっとあるんだろう。ヤマブドウのジュースとか。コケモモのジャムとか。コケモモって結局どんなんだ? 教えてスプーンおばさん。

 適当に起き出して「コミックマーケット」へと行き評論のある西館(にし・やかた)へと向かった案の定、エスカレーター下のポスターにはってあったカラーコードの前に覆いがかけられ使用不能になっていた、当然だよなあ。とりあえず東浩紀さんのところへと行き大放談をしたらしいCDを買ったら500円のはずが300円になっていた。理由は聞けば納得らいしけれどもまだ聞いてない。斜向かいにあった宇野常寛さんのブースでも放談の半分が入ったCDが売られていたけどこっちも300円になっていたのはやっぱり内容が無いよう(ミスタイプではない)なんで激怒されるのを避けてのことらしーけどそこを2人揃って高額で頒布しその内容に激怒されるのがパフォーマティブな生き様って見方もあるだけに果たして妥当だったのか否か検討が必要。でも聞けば即座に300円でもボりやがってと怒るかも。「iPod」に落とすか。でも「iPod」に紛れ込ませるのもなあ、mp3かWMAにしてICレコーダーがPSPで聞くって手もあるな。

 んで氷川竜介さんのところで新刊を購入、平台に山と積まれた本が午後には完売になったとかで影響力の高さに改めて驚かされたけれども今回は書き下ろしな上にアニメーションとTVメディアの関係についていろいろと考察があって昨今のアニメバブルとアニメ氷河期の境界線が見えにくくなっている状勢をつかむ上でいろいろと参考になりそー。それからニッポン放送の吉田尚記アナウンサーが出してるオタク落語を拝領しつつ眼は隣の隣くらいに立ってた女性の胸元に釘付けとなって大火傷。ひらいた胸元からこぼれ出る山が。そして谷間が。こっちはカッカとして来たけれどやってる人は寒かっただろうなあ。

 ところが同じ西館ではシャッターに近い方にコスプレ関係の山があってそこではバニー姿で肩とか胸とか足とか出して売ってる売り子さんがわんさか。こっちの眼は火傷しそうだけれども吹き込む風にきっと寒かったに違いない。その頑張りに免じて買って差し上げたかったけれどもハマると経済的に地獄を見そうだったんで通り過ぎつつ売り子さんをチラチラと見るに留める、あっ初音ミクさんだ、おとついにコスプレ広場へと上がる階段でしたから見上げて脚の線とか素晴らしかった人かもって思ったけれど座っていたからはっきりとしたことは不明。しかし凄い一角だったなあ。その側で鉄道だのミリタリーだの菓子だのといった種々雑多な評論本が売られている、このミックスぶりがまさしくコミケって奴で。

 あとは森川嘉一郎さんのところで「おたくミュージアム」の構想に関する本を買いつついつか話を聞かせて欲しいと本業の名刺を渡してその場は辞去。4号はなかったけれどもこっちも買ってなかったと仕入れた「PLANET」の3号にも森川さんの秋葉原に関する考察が載って今度記事を書くときの参考になりそう。問題はその記事を書かなきゃいけない順番がちゃんと回ってくるかってことか、何しろ異動がめまぐるしいから周辺では、50歳とか超えてるベテランが若い人向けに作られた新しい媒体へと回されて一体ぜんたい何をするんだ? って感じだしさらなる大量異動もありそうだし。まあ偉い人の考えることを下々のさらに下々が分かるはずもないんで粛然としつつ成り行きを眺めていこう。分からなくたって結果だけは出る訳だし。出てもいるし。

 コスプレ広場は外周に沿って置かれていた企業ブースの有名所の行列に向かう通路がもはや売る物もないってことでふさがれて広々、してはいたけれども大晦日なだけに参加者もちょい減り気味でゆったりのんびりと眺められた模様、入らなかったけど。階段を上がったところにととろを連れた宮崎駿監督がいて吃驚、こんな所出たってないで「ポニョ」作りなさいってばさ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」関係は見えなかったなあ。んで企業ブースは実際にほとんどが売る物なし状態。なのでとりあえず「サンデーGX」のコーナーへと行き「BLACKLAGOON」のクリアファイルだけ買って退散してそのままビッグサイトも出て「ゆりかもめ」で豊洲へと出て「ららぽーと」で休憩しつつ原稿読み、良いのがあったんでこれなら推せると安心する。出てみわたすと周辺のにょきにょきと高層マンションが。欲しいけれども流石に買える値段じゃない。とはいえしかし景気もそんなに浮揚していない今、こんなにマンションばかり出来て大丈夫なのかといつか取った道への不安も。買うならまだ先が良いのかなあ。でも景気が沈滞したらマンションより先に暴落しそうだからなあ、周辺のあれやこれやが。

 せっかく厄年も明けるってのに見通しも明るくはなかったりして、セカンドライフがもはや壊滅状態になっているこの後に及んでオリジナルのメタバースなんか立ち上げようとしていたりする強気で不思議な思考に戸惑ったりもしてはいるけれどもまあ、身動きもしやすくなったんでそうなったらそうなったでそうするかどうするか、どうしようもないならそのときはそのときってことでとりあえず生きては行きますので来年もよろしくみなさんごきげんよう。ところでチェ・ホンマンの試合ってちゃんとTBSで放送された? 船木を桜庭の10年遅い闘いは見たんだけど。


【12月30日】 読み終えた川口士さんの「ステレオタイプ・パワープレイ2 イビルアイズ」(スクウェア・エニックス)はうーん、あんまりステレオタイプがパワープレイはしていなかったけれども「鉄球姫エミリー」でもって猥雑とシリアスの混在を示して読む人を圧倒した後で、「修道女エミリー」で猥雑をやや引っ込めつつシリアスも残しつつその上を行く愛と正義の強さって奴を見せた八薙玉造さんの前例にもあるように、設定を爆発させた後の続きってのはよりドラマ性へとシフトしていくもの。「ステレオタイプ・パワープレイ2」も主人公で異次元でも宇宙でも大活躍の石川涼と、彼を取り巻く女スパイやら女魔導師やらクローンで超能力者の母娘やらお姫様やら魔王やらの力を貸し借りできる関係に、どこか虚ろな気持ちを抱く幼なじみの少女の心情って奴が浮かび上がってきて心突かれる。

 見渡せば超人ばかりの物語が跋扈している世界があったとして、ごくごく不通の人間は果たしていったいどんな存在価値を持っているのか? フィクションに期待するのはこの現実とは違う世界とそしてやっぱり現実とは違う自分って奴で、フィクションであってもそういう可能性を考えることでつまらない現実を忘れ普通でしかない今を忘れようと思い、そして超常的な力を持つ素晴らしさって奴を感じさせてくれる物語へと身を傾け、力のないことを無価値と切り捨てる。たとえ無能に見えても実は……っていった物語に憧れる。でも本当に超常的な力がないってことは無意味なのか。力を持っている存在にとって邪魔でしかないのか。それは多分違うんだ、ってことを「ステレオタイプ・パワープレイ2」は示唆しているような気がする。

 宇宙を巻き込む闘いより期間した石川涼に挑む敵あり。まるで「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュが使うような相手の脳内に働きかけて意のままに操る“邪眼”でもって、涼の周囲の女達を操り襲わせて涼を討ち果たそうとするけれどもそこは戦闘アンドロイドに守られ、従姉妹の魔導師に教えられてどうにか洗脳を解いて敵へと向かう。そんな周囲にひとりだけ、何の力も持っていない幼なじみの少女が。真っ先に邪眼に操られて涼を倒そうとして、そして解けても危地へと向かう涼に何の手助けもできない自分を苛む。

 でもねえ、そんな少女がいてこそ少年は強敵を相手に闘うんだよ。惚れた相手を動かす力。これにかなどんな魔法も超能力もないってことで。しかしやっぱりうらやましいぞ石川涼。スリップ姿の女教師にワイシャツだけをはおった美少女アンドロイドにセーターの下は下着のみって魔導師の従姉妹に囲まれ、鍋とかつっつくその生活。ああ鼻血が出る。それで何にもないってのはやっぱりなるほど狙いはただ1人、ってことだったのか。やっぱり恋こそが最強のパワープレイ。でもやっぱり次はもっといっぱいのステレオタイプな超人達を叩き込んでは、それをことごとくなぎ倒すパワープレイを見せて下さいお願いします是非に絶対に。

 大掃除でもしないと仕事場に無理矢理している玄関すら本で埋め尽くされる心配が出てきたんで買い置きの巨大な段ボールに本とか詰めて倉庫へと運ぶ。最大の案件だった下駄箱上の古雑誌置き場を整理することにして、黒光りする蟲の排泄物なんかを避けつつ上から段ボールに詰めていったら下に「サイゾー」ではない「WIRED」の日本版の96年半ばから2年分くらいが出てきてぺらぺらとめくる。懐かしいなあ、でもってやっぱり格好良いレイアウトだったよなあ、この雑誌。

 詳しくは見てはいないけれども取り上げられている記事も企画も最先端。当時はマイクロソフトの会長だった古川亨さんが表紙になった号とか黒字にアップルのマークが浮かんだ号とかもあってそれだけで企画とデザインに凝り凝りだったってことが伺える。そうか開きも途中で変わっているんだな、右端が開いていたのが今の「サイゾー」と同じ左端が開くパターンに。何があったんだろう。ってそれは当時から編集に名を連ねていた揖斐憲さんに聞けば良いのか。いやもう相手は業界の御大であってマイナー新聞のヒラ記者なんぞが近づける方ではございません。それも含めて「WIRED」で流行りそうで儲かりそうな商売を先買いしておけば良かったよなあ。

 あとは「電撃アニメーションマガジン」も積んであって見返して連載していた書評のスタイルが今とあんまり変わらないことに気づく。毎回をテーマで区切って本を揃えて粗筋メインで感想を添えて並べるパターン。ただし「電撃アニマガ」にはジャンル縛りがなかったんでハードカバーのSFもライトノベルのファンタジーもイラストレーターの画集もアニメのムックも混在させていた。ここに入れ込む5冊とか6冊のために10冊以上は読んだっけ。なおかつ下の小さい4冊も全部ほとんど選んでた。もらった稿料よりも使った本代の方が多いくらい? ってそれは今の「SFマガジン」でも変わらないか、そーゆーもんだよ駆け出しの書評家って商売は。

 かといって次のステップにはなかなかな。「電撃アニマガ」は2000年くらいから2年くらいやったんだっけ。そこからほとんど地続きで「SFマガジン」を始めて隔月の「ザ・スニーカー」も続いているんで発表された書評関係だけでかれこれ8年分くらいは溜まっているんだろう。それぞれが原稿用紙で4枚はあっておおよそ400枚は溜まっているんだけれども割にサブジャンルばかりなんでまとめたところでブックガイドにはならないのだ。こっちはまるでロハでやってる書評ページもそろそろ940冊近くまで来て1000冊に近づいているけれどもやっぱりジャンル無視で格付け無用の思いつきラインアップだし。まあもとより手前の見栄と意地で続けているだけなんで別に良いんだ誰の気に留められなくても。1000冊目の栄冠を誰のどの本に? って権利を1000万円で募ったら売れるかな? 内々にはあの辺を取り上げたいって決めている本があるけどそれはそれで考えよう。

 品川駅のガード下にラーメンの店がずらり入ったモールが出来ていることに驚いたけれども似た状況は船橋駅にもあってガードしたのショッピングモールにラーメン屋が4軒入ってしのぎを削っている関係もあって、京成船橋駅の方にそれより以前からあった「麺工房さのや」にはずっと入ってなかったんだけれども重たい荷物を運んだ帰りにエネルギーを補給したいと空いてたそこに入って叉焼麺を所望、うんシンプルでこれぞ醤油ラーメンって味を楽しませてくれた。ネギたっぷりで叉焼たっぷり。でもって背脂もほどほどにあって心を暖めてくれる。ガード下のラーメン横丁では「匠屋」に麺もスープも近い味かな、「匠屋」も悪くないけど「さのや」の方がスープに麺がなじんでたような気も、腹がすちえたせいかもな、「匠屋」に近日再チャレンジだ。


【12月29日】 アルバムと合わせて買ったeufoniusの唄ってる「メグメル」が入ったテレビ版「CLANNAD」のオープニングをパワープレイ、やっぱり背後でなる楽器のアレンジが素晴らしいなあ、それからこれは茶太さんの唄う「だんご大家族」、テレビの短いバージョンでもシンプルな伴奏がどーんと大きく重なって行く感動の盛り上がりがあるのに、ロングバージョンでもそれがしっかりと感じられるのは元の曲がやっぱり良いからか。「メグメル」ってのはほかにもいくつかバージョンがあるみたいだけれどアレンジとか違っているのかな、「ひまわりっ」の主題歌になってた「ぐるぐる」はテンポに差があるバージョンがあって聞き分けると結構な違いがあるけど「メグメル」の場合はどーなんだろう。かといってそれのために劇場版のサウンドトラックを買うのもなあ、劇場版DVDが出たら考えよう。たぶん(絶対に)買うけどね。

 そして「コミケ」へと行くと正午前で行列は見えずそのまますんなりと入場、まずは西館(にし・やかた)の企業ブースを嘗めようと階段を上がる途中で見上げると前を初音ミクが歩いてた。良い物を見た。んで階段の上にあがるとそこで普段は全員が左へと折れて建物に添うように歩いて企業スペースへと向かうところを今回は、あるいは前回もだったかもしれないけれど人気どころ大手どころへと向かう人はテラスの縁にそって行くようになってて、それ以外はいつもどおりに左に折れてそれから右に折れて展示ホール手前のドアから建物の中へ、そして企業スペースに入るようになっていた。ってことはつまりコスプレ広場はぐるりと通路に囲まれていたって訳か。テラスの縁に陣取ってカメラを受けるのができないってのはいったいどんな現象を巻き起こしたんだろうか。ちょっとは狭くなっていた訳でもあるんで割にぎゅうぎゅうとした感じだったのかな。冬コミだから寒空+年末で参加者も少ないから大丈夫だったのかな。

 そうした影響も出た反動というか反比例として企業スペースは更なる繁盛ぶりを見せつけてくれていた訳で、仮に大手有名に並んだらおそらくは1つで1時間は確実で2つで3時間くらい並んで気が付くと夕方で結局は西館4階から1歩も出ないで終了という、体力的には優しいけれどもこれっていったい何のイベントなんだろう的シチュエーションも誕生してと、コミケマインド的に悩ましいことになって来た。行列の度合いも何だか回ごとに増している感じがあってて、大手に限らず展示ホール内にあるブースにもそこかしこに行列が出来てて関係ないところに近づくのも面倒、通路すら真っ当に歩けない状況が生まれていて、こいつは何とかしてくれないと来場者にとっても参加者にとってもあんまり有意義なことにはならないなあ、って考えたところでだったら西館4階にある更衣室を撤去するなんてことは絶対に不可能。ただでさえ通路確保で広場に影響が出ているっぽいのに、企業のためにコスプレを追い込めば起こるは多大な反発だ。あのスペースを動かせない中で出展したい企業が増えて参加者も増えていけばいつかは……。

 まあこれも流行みたいなもので人気作品が出た後には起こる現象で、一時すっげえ混雑してたものがちょと前は割に静かだったこともあるよーに、波が静まれば今よりは人も減って歩き易く見やすく買いやすくなるんだと思いたい。運営の上で企業スペースの廃止がおそらくはもはや不可能なものとなっている限りは、そこに企業スペースがあるのを常態と認めて、その上でどうにか何とかしていかざるを得ないってことでどんな策を講じてくれるのか。興味。結局何も買わず「ひだまりスケッチ」のポンチョっていうかでっかい袋の端に首を出す穴があいてる妙なグッズだけもらって退散して、東館へと向かう。エスカレーター直下に人が立ち止まって携帯をかざして撮影すると画像がもらえるカラーコードなんか貼ったら危ないよなあ、どっかの企業。

 そんでもって東館をぶらぶらと歩いて「直言兄弟」のブースで冊子を買いこんなオタク記事を書いて来た的な無料のペーパーももらってそれからうろうろとしつつ午後1時過ぎには退散。そうかこれなら1995年頃から「攻殻機動隊」の映画化だの「新世紀エヴァンゲリオン」のDVD化だの「エーベルージュ」の記者発表で三石琴乃さんと豊口めぐみさんが登壇した記事だの「ときめきメモリアル」実写版のレビューだの「もののけ姫」のレビューだの「ターンエーガンダム」の会見い出てきたシド・ミードのポートレートだのをひっぺがして来てみても面白いかもとか思ったけれども、手前の記事のスクラップなんてやってないから手元にないや。縮刷版も出ていないんで全部が幻に。マイクロフィルムならあるのかな。まあいくらやったところで一般的な認知度ゼロで世間的な影響力も皆無なメディアの上じゃあ無意味も甚だしいってこったなあ。

 臨海線で池袋へと向かって「ジュンク堂」でお買い物。スクウェア・エニックスから出ている新書サイズのノベルシリーズに「小説大賞」の佳作受賞作が入っていたんでまず確保、見た目じゃあ日野イズムって人の「ロールプレイ」が可愛らしげだけど内容では琴羽マクラって人の「紅刀三姉妹」ってのが何やらハードそうで中身も分厚くってちょっと期待。あとは「ライタークロイス」が富士見ファンタジアで続いている川口士さんの「ステレオタイプパワープレイ2」も登場、ステレオタイプな設定をパワープレイしたっていうタイトルそのまんまの内容で宇宙に異世界といったありがちな舞台をぐるぐるめぐらせた展開が圧巻だった前作から、さらにパワーアップしているとなるといったいどんな密度で設定が飛び回りキャラクターがはね回っているのか。「コードギアス 反逆のルルーシュ」の密度だって上回っているはず。こいつは楽しみ、だけど読む暇があるかなあ、原稿もそろそろ回答期限が近づいて来ているし。


【12月28日】 とりあえずF子だな。何がってそりゃあ「スカイガールズ」の最終回で新しくソニックダイバー隊解散後に作られたレスキュー部隊に新たに採用されたおネジっ子(from「銀河乞食軍団」、再刊しないかなあ)たち9人に向かって左からABC……と割り振っていった6番目のFに当たる子の見栄えがとりあえずは1番だってことで実家に帰って海女やってた音羽や源さん家ですっかり孫になってたエリーゼや、大学に戻って人見知りが消えた可憐たちを再招集してそしてレスキュー部隊の教官になってた瑛花とともに再結成されたスカガールズの演技飛行をモーションスリット姿で見ているシーンなんかでも、そのグラマラスな肢体が白を基調としたモーションスリットの色もあってまず目にズドンと来た。

 そのポカンと開けた口なんかから想像できるのは怜悧とか鋭敏とか可憐といったものとは正反対のキャラクター。かといってドジっ子ってことでもなさそーで、滑走路で瑛花を迎えて整列した時には他のおネジっ子たちが英雄を迎える緊張からか、直立不動の中をF子だけはちょい左手を腰にあててやや気を緩めていたところを瑛花の登場にあわてて気を付けの姿勢にもっていた風な描写があって、あれでなかなかな性格をしてんじゃないかって想像させてくれる。ちょいヤンキー気味? 声はやっぱりゴットゥーザ様あたりになるのかなあ、まああんまりメーンになりそうなキャラでもないんでそんな大物ではなく新鋭か。続編とか出来るのかなあ。

 もちろんビジュアル面と性格付けに癖を持たせた描き方が目立っただけでF子以外もなかなかになかなな。某19女にゃあ負けても9人いればいろいろとバリエーションをつけらえるものでお嬢様がいて秀才の堅物がいて幼げな娘がいてといった具合に好みのよっていろいろと選び取れる感じになっている。賢そうに見えて案外にドジっぽい大女風なG子とか。その薄べったそうなボディが包まれたモーションスリットを見てみたいけどそれだとアイーシャと重なるか。アイシャーはずっと眠ったまんまだったけど目覚めそうで良かった。暗くすればとことん悲惨な闘いにも出来た話を徹頭徹尾、明るくそれでいてしっかりとメッセージも含めて描き切ったスタッフに感謝、DVDはだから買いそろえます。

 ふと気になって同じ島田フミカネさんのメカ少女ものでこっちは足に零戦、ではなくエンジンを履いてプロペラを回して空を飛ぶ少女たちが異次元からの侵略者と闘う「ストライクウィッチーズ」に登場するキャラクターを見たけど重なっている娘はいなさそう。こっちもこっちでアニメ化の話が再始動しているみたいで嬉しいことこの上ないけど原作の方がそーいえばしばらく出ていないなあ。今いったいどの辺りまで進んでたっけ、スオムスのいらん子中退がお互いに愛を暖めていたところ? いやいや割に深刻な事態だったような記憶もあるけれどもその辺りも含めて急展開のある年だと2008年のアニメ界に期待だ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」の2期も始まるし。「ハルヒ」2期ってのはなくなったんだよね、んで新作? 「ネギま!」みたいなもんか?

 見せてもらった新作のゲームソフトのあまりの面白さ、楽しさに「Wii」を買い直そうかと決意する師走も押し迫った六本木あたりは、今日が仕事納めってこともあって人も少なくフードコートも空いていたんで十勝名産バージョンの豚丼を買って喰う。盛りが足りないけれどもタレの味はなかなかで新宿の地下街いなるあれは和幸だっけ、どっかがやっている店よりも十勝のに近いような気がしたけれど実は十勝で食べたことはありません。最初の「ラリージャパン」に行った時に食べておけば良かったよなあ。これとは違う牛丼の牛の代わりに豚をつかった豚丼もBSEの余波でファストフードのチェーンに出回ってそのまま定着した感があってこれはこれでさっぱりとした味で牛にやや食傷気味な時には有り難い。日本に2種類の“豚丼”が生まれて並立している状況はややこしいけれども「イタリアン」だって名古屋じゃ鉄板の上に卵焼きがあってその上にケチャップスパゲティが乗ったものだけど新潟じゃあもやし混じりの洋風やきそばだもんなあ、ってどっちもイタリア人が見たらびっくりするだろうけれど。食文化って奥深い。

 22ページかあ、んで今日は24ページと。年末で細り気味とはいえまだ仕事納めでもないこの時期で、他が36ページとか48ページとかあってそれでいてちゃんと夕刊も出していたりするところを見ると、価格に差があるとはいえ情報量で圧倒的に差をつけられているってのが目の当たりに感じられてどうにも未来に霞がかかる。編集紙面じゃクオリティで負けてないっていったってそれはつまり全面広告とかがまるで入ってないってことの裏返し。それが1日に10ページとかあった日にゃあいったい月にどれだけの差がついてしまうのか。だから質ではって言われても広告が入らないってことはすなわち部数が足りず媒体として価値を認められていないという現れでもあって、それで質とか言ったところで世間に影響力を行使できない独り相撲か単なる夜郎自大でしかない。もしくは空威張り。なおかつだったら数を稼ごうとして紙だネットだと媒体を増やしてそこに少ない情報量をばら撒くものだから金太郎飴を叩いてのばしてみましたってなシチュエーションが生まれてなおいっそうの客離れを引き起こす。どうするんだろうなあこれから。どうもならないか。どうにもならなかったんだからこれまで。厄年明けても変わらないなあ。

 気をなだめようと「eufonius」のしばらく前に出ていた新譜「metafysik」を買って聴く、メタフィジーク? だとすると前にメチルとつけてしまうのは毒されたSFファンの習性ってことで。んでやっぱり相変わらず良い声良い曲良いアレンジ。。アニメ本編はなかなかだった「神曲奏界ポリフォニカ」にあって唯一素晴らしかった主題歌も入っているし転調が衝撃的だった「ノエイン」の主題歌も収録。聴けばあの凄かったカラスの闘いぶりも脳裏に浮かんでくる。逆の「恋するココロ」って曲を聴いてあまりの心地よさにこれ何の主題歌だったっけと考えてそうだ「かしまし ボーイ・ミーツ・ガール」の主題歌だったと思いだしこの曲で始まるアニメなんだから中身も素晴らしかったはずだという模造記憶が頭を埋めてふらふらとDVD屋に足を向けそうになって踏みとどまる。原作は、誰だ? いや実はそれにしてはなピュアな内容ではあったんだけれど挟まれるギャグとかが邪魔で結局はDVDを揃えなかったんだよなあ、でも録画はしてあるんで思い出し気味に見返してみようかこの年末に。


【12月27日】 またぞろ肩とか痛くなって来たけどたぶんただの筋肉痛で3日も休めばスッキリするだろうとここは判断して備蓄のタミフルには手を出さずにチョコラBBでも飲んで誤魔化そう。んで年末であれやこれやと番組がすっ飛んで見られない中を録画分から未見のシリーズなんかに手を出す強化週間を独断敢行。まずは実写版「キューティはニー THE LIVE」だかを見たら何だかとっても面白いことになっていた。居酒屋での談義ばかりが続くってシチュエーションも良いけれどもそこで起こった乱闘に変身して闘うハニーたち(たちって何だよ)の闘いぶりがまた格好良い。

 赤ハニーっていうか普通のキューティーハニーはいつもどーりにおバカなんだけれどもバストはとっても丸くて深くて柔らかそう。それよりもむっつりとした顔の青ハニーがもう実に凛々しくって階段で両足を広げて両脇の壁にべったりとつけて止まる技を見せる場面なんかローアングルからのカメラでとってもイヤら……じゃなかったスタイリッシュ。このアクションを付けた人もこのアングルで撮ったカメラマンもともにそうとうな実力の持ち主って感じがする。事実そーみたいだし。

 そんなアクションの冴えは駐車場で何やら見かけのとってもアヤシゲな男が現れ白ハニーと闘う場面でも発揮されてて、マーク武蔵っていう武術太極拳の使い手が見せる足技がまずは半端じゃなしに強そうで、そんな彼を役柄とはいえ相手にして片足を張り付かせ振り上げられた片足をいなしてつま先に仕込まれた剣を引きちぎって捨てるクールさにもちょっぴり惚れた。でもどうやらこの子はハニー一筋らしーからなあ。設定だとドジっ子ってことになっているけどこの回ではちょっと分からなかったんで休みの間に録画してある分をちょっと見返して、アクションとかハニーが青白出ている理由なんかを調べつつ、来年の後半戦へと気持ちを繋げよう。足りないクラブの緑ハニーとかも出てくるのかな。赤に青で白だけに黒が出てきて闘うのかな。

 んで「BLUE DROP」最終回。おいおい萩乃さん、お前さんが演劇を一所懸命やっている間に侵略して来たアマゾネスどもによっていったいどれだけの地球人が惨殺されたと思ってるんだ、ってことは言いっこなしだ、だってたったブルー1隻で巨大で強大で膨大な相手を留められるはずなんてない。あそこは想いをひとつにしつつ地球人にもこういう少女が相手にいたんだってことを分からせ後のコミュニケーションへとつなげたんだと理解しておこー。

 しかしブルーって真っ当に戦えそうな戦力をこの1戦でもって失って、あと30年を地球はどーやって耐えたんだろー。離脱したツバエルが戦力を集めるなり隠していた戦力を地球人に与えて萩乃の仇を討とうとしたんだろーか。まあ良いやとりあえず終わって常に顔面を赤らめ話す奥ゆかしくも引っ込み思案な女の子たちの饗宴って今時珍しいシチュエーションに表現技法を見せてくれたって意味でも「BLUE DROP」は歴史に残りそう。問題はそのストーリーがさっぱり頭に入っていないってことか。漫画とか読んでおかないといけないかなあ。コマンダーのエカリルとなった萩乃は衣装がやっぱりエロいなあ。どーしてお臍の部分を菱形にくりぬいて外に見せているんだろう? お臍の形が階級を決めているのかもしかして?

 んでせっかくだからと劇団スタジオライフの公演「アドルフに告ぐ」を見に天王洲アイルの「銀河劇場」へ。記事を書いたしついでに萩尾望都さんのインタビューもさせて頂いたんで御礼もかねて招待とかじゃなくちゃんとしっかり普通に入ったら案外に一杯。何しろあの原作。20年以上も前ってこともあるしスタジオライフのファンとあんまり重なってる風がないってこともあって心配はしていたけれどもそれなりには入っていたようでまあ良かった。見た印象もやっぱり重たくって耽美じゃなくって果たしてスタジオライフの舞台ならではの物を期待していた人たちを満足させられたかどうか悩ましかったけれども、あの長大な群像劇を3時間弱の中に収めて見せただけじゃなくって、原作から放たれていたメッセージもしっかりと残して見ている人に伝えてみせた完璧なまでの脚本と、演出の力にひたすら感動して感嘆した。

 実際のところ原作を読んだのってもう20数年も前の話で、その後もあんまり読んだって記憶はないからおおよそ20年ぶりくらいなんだけれども、そんな原作が頭の中に蘇ってきてそうそうそうだよこんな話だったよ、そしてそんな場面だったよって絵が浮かんで懐かしさに涙しそうになった。スタジオライフのファンにはどうか分からないけれども手塚治虫さんのファン、そして「アドルフに告ぐ」という作品のファンには是非に見てもらいたい舞台だって断言できる。もちろん原作を知らないスタジオライフのファンにも、原作が持っていた強烈なメッセージがストーリーとともに伝わるはずだ。

 戦争によって翻弄された3人のアドルフ、ドイツ人と日本人の間に生まれてヒトラーの親衛隊に入るアドルフ・カウフマンに日本在住のユダヤ人夫婦の息子のアドルフ・カミル、そしてドイツを率い戦争をしかけてユダヤ人を虐殺しあアドルフ・ヒトラーの運命を、重ねつつ交錯させつつ描いた長大な物語。その中から浮かんでくるのは戦争の悲劇であり、憎しみの滑稽さであり愛することの重大さ。平和だったら仲良くなれたかもしれない人間たちが時代の翻弄され、すれ違いに惑わされた挙げ句に銃を向け合うこの悲劇を、見せられてさていったい僕たちは何をしたら良いのだろうか。

 手塚治虫が没して20年になろうというのに世界はますます憎しみに溢れて諍いが絶えず、大勢の人たちが不幸へと突き進んでいる。それは避けられないものなのか。最後はカミルとカウフマンのように銃を向け合うしか道はないのか。そうじゃないと信じたいけど信じられない現実もある。だからいったい何をすべきか。考えることからたぶん変化は生まれそして未来は作られるとここは信じて頑張るしかないんだろう。耽美を見に来たライファーにそう感じてもらえただけでも原作のファンとしては嬉しいし、またスタジオライフの活動に興味を抱く身としても、あの原作を舞台化してまた大きく演目の幅を広げたスタジオライフの面々の今後の成長に期待が持てる。今はまだ賛否両論かもしれないけれどもこれは絶対に財産になるから鍛えて叩いて再演を是非に。全国で。ちなみに今回も30日まではやっているんで手塚ファンなら絶対に見ておくべし。

 この日はコスプレ忘年会もあって訪れる面子の凄さに関心は及んだけれども場になじめるのかちょい不安なこともあって遠巻きに見させて頂きつつ、こっちで完璧なアドルフ・ヒットラーのコスプレを見させて頂きいたく感動。甲斐政彦さんって人が演じているんだけれどももう本当にヒトラーそっくりで顔つきから体つきからしぐさまで、見れば誰もが「あっヒトラーだ」って思って敬礼をしたくなるだろー。欧州にはブルーノ・ガンツがいるけれど日本には甲斐政彦がいる、って断言できるくらいに素晴らしいヒトラーぶりだった。あとは峠草平を演じた曽世海司さんがやっぱり巧かった。顔立ちの派手さは洋風向きだって思っていたけど陸上選手で通信社の記者になり弟のつかんだ情報を守ろうとして追われ叩かれながらも行き抜いた屈強な男を見事に軽やかに演じてた。この人がいたから場も流れて展開も見えた。立派過ぎる狂言回しに喝采を。

 あと女性役の人たちもみなさんやっぱり完璧でそのあたりは男性ばかりの劇団でも女性役を入れられるスタジオライフならではの部分を強く感じた。決してものまねじゃなくしぐさや声で強調するんじゃなくって相手との関係性や話し方からそれを女性だと感じさせるスタジオライフに独特の演技がここでもちゃんと働いていた。ユダヤ人の少女でアドルフ・カウフマンによってベルリンから脱出させられたエリザがとにかく女の子っぽかったし、アドルフ・カウフマンの母親で日本人の由季江も本当に優しい母親に見えた。原作どおりの生涯は見ていてやっぱり辛かったけれども仕方がない。唐突であっても別れは必ずやって来る。そこから何を掴むか。そして何を伝えるか、ってことなのだから。ともあれ完璧な「アドルフに告ぐ」の舞台をありがとうとスタジオライフと倉田淳さんに最敬礼。時間があればまた行きたいなあ。


【12月26日】 藪崎が照れ隠しに暴れるシーンが見られないことくらいは構わない。にゃーこについては前に「コミフェス」に登場して荻上の同人誌を買っていく場面で喋ったからそれで十分。でもでも。加藤先輩が顔にかかったカーテンのよーな前髪をかきわけキラキラと光る目を見せてくれなくって何が「げんしけん」だよ悔しいよ。

 あのいかにも作り混んでるキャラクターを何の衒いもなしに繰り出してみせてこそのオタク道。その様を見せて広げることによって「現代視覚文化研究会」なんて曖昧模糊とした名前を持ってるサークルに集う中途半端な奴らの中途半端ぶりを浮き彫りにし、そんな中途半端さを濃いと崇めている面々の鼻をへし折ってやって欲しかった。んまあぬるさに漂いそして流されていく奴らを描いてこその「げんしけん」だから無理に現実を突きつけるよりも夢見心地のままでいさせる方が作者としても本望だったのかも。でもやっぱり見たかったなあ加藤先輩のあの美貌。「げんしけん3」があるのかなあ、それともOVAなのかなあ。

 あっととちあえずはシャワーの途中で電話に出ていた荻上の上気した肌としたたりおちる滴が妙にエロかったんで最終回としては認めましょう。んでこっちも最終回だった「ナイトウィザード」は霧人が観察者ってことでエリスを動かし大魔王シャザーン、じゃないシャイマールへと変えて暴れさせているところに乗り込む柊蓮司に味方するアンジェロッテとベール・ゼファー。敵味方だったはずの2人が共闘する姿も珍しかったけれどもあれでなかなかにグラマラスな肢体をぴっちりとした衣装に包んで躍動するベール・ゼファーが、いつもよりいっぱい見られたのも最終回ならではの僥倖か。

 背中を全面覆うんじゃなくって半分くらいだけちょろっと隠す短いマントがひらひらとして可愛らしくってこれも良かった。偉そうに見せようとしてもどこかで可愛らしさをとってしまういじらしさ。ストーリー自体は予定調和にプラス死者の復活まであってと調和まみれだったけれどもベール・ゼファーに免じてここはすべてを許してとりあえずはまあ見られたアニメだったとここに記録しておこー。記憶からは遠からず外れるな。録画も全部消したし。

 アンバーかわいいよアンバー。「コードギアス 反逆のルルーシュ」が終わって不足気味だったC.C.成分をその神の色とあとは全身にピッタリとまとわりついたタイツでもって補ってくれた「DARKER THAN BLACK」のアンバーがDVDの最新第6巻にジャケットとして登場。箱に描かれたイラストの方ではタイツ姿の衣装でもって座ってそのなめらかなお腹とかを見せてくれてて目に楽しい。箱を覆う感じにつけられたカバーの方では大きな笑顔を見せてくれているんだけれど髪の色がなぜか赤っていうか茶色なのが謎、アンバーじゃないじゃん。

 いやでも琥珀って意味ではこっちの色なのか、うーん分からない、単に夕焼け空の下に出てきたから色も赤茶けただけなのか。収録の方はアンバーに連れられた少年がノーベンバー11に挑んで貫かれる前後編とあとはドールの少女がヤクザに囲われ逃亡する話の前編。ドールの少女のヌードが出ては来るけどガリガリなんでストライクな人は少なさそう。僕は大丈夫。何だって大丈夫。西瓜も洗濯板も。こなたもみゆきさんも音羽も七恵も。

 誰もやっぱりかなわいのだなあ、無償の愛には、無限の愛には志田桐涼女ちゃんもほだされ仲間となってそして逝ったし今また人工魔王のヴェクサシオンさえも空井伊依に闘いを挑んでそしてお定まりのコースを辿る。日日日と書いてあきらと読む人の「アンダカの怪造学」第9巻は第7巻から始まった魔王を相手とした闘いの続く中で延々と物語に絡んでは伊依を脅かし続けてきたヴェクサシオンとの間に遂に決着が! その姿を伊依も名だけは知る少女に変じてやって来て、生まれ出て虐げられた恨みを一族に生まれながらも縛られず自由に生きている伊依に向けてぶつけようとするヴェクサシオンの心ににじむ哀しみは、疎外感にさいなまれて生きている今時の子供たちにも通じるものがあってその哀しさが反発なり破壊へと向かっている昨今、どうすれば意欲を蘇らせ前を向かせられるのかということを伊依の姿が教えてくれる。

 涼女との対決とそして哀しいけれども嬉しい結末を合わせて読むとなお感動的。加えてあの戦橋真弓ちゃんの下から煽った水着姿とかがいらすとで拝め、表紙でも薄めではあってもそれなりに出たり引っ込んだりしている伊依ちゃんの水着姿が拝めるんでファンは有り難く拝読すること。この冬場に水着もないもんだけれどそれを言うなら「涼宮ハルヒ」の最新のガチャポンなんて水着シリーズ。季節感なんてない都会にはただ本能ばかりが漂い心をせっつくのだ。しかし真弓、グラマラス。

 幻冬舎メディアコンサルティングなんてところが発行元になっているからてっきり企業ブランドのイメージ向上をねらいに会社の歴史を頼んで小説にしてもらったんじゃないの、って懐疑も浮かんだ竹内清人さんって脚本家の人の「風流時蛙男」(幻冬舎、1500円)だったけれども確かにホッタって時計商の会社の3代目の生涯がモデルにはなっていてもその波瀾万丈な生き様と、関わった人々との情たっぷりなつき合いぶりは読んでとっても楽しくそして心地よく、モデル企業がどうだなんて無関係に物語として感動できるから心配は無用。オカリナ奏者として活躍しつつ社長を継いだホッタの現社長と似た境遇の主人公が、発祥の地・名古屋に発つ土蔵に現れた3代目の幽霊の話を聞いて会社の歴史や関わった人たちの想いを知って、どうせ1度の人生ならば欲張って生きようそして前向きに歩いていこうって思えて来る。清元や落語の知識が混ぜられ粋さにあふれるシチュエーションが重ねられた小説としてもなかなかの完成度を持った作品。どういう経緯で書かれ刊行されたかは知らないけれどもそんなの無関係に読んで面白がろう、そして感じよう。


【12月25日】 そういやケーキを食べてなかったなあ。んで「バンブーブレード」は超厳しい林先生んところの生徒と練習&試合で圧勝、したって相手が相手なんで珠ちゃんほかの実力は未だ不明。いや東聡莉だけはどうやら強そうだってことが分かったけれども眼鏡で吊り目で眼鏡を外すとなかなかの美少女で剣道も強いのにドジってところのギャップが若干新しめ。頭が悪いってのはたぶん違ってひとつ事に気を取られ過ぎるあまりに他のことがおざなりになる典型的なシングルタスクでテストの時も名前を書かなきゃ回答欄を間違えないようにしなきゃと思うあまりに見落とし間違え赤点続き、ってのが真相なんだろー。こーゆー人って実際のところどーやって“治療”すればマルチタスクになれるんだろう。要研究。あらゆることにちょっっかいを出してどれも中途半端なサヤと半分んこすれば大丈夫なのかな?

 なおも「スケッチブック」は今回が最終回で全編が晴ボンのポエミーな空想っぽく見ていてなかなかにこっぱずかしいけれどもそれが青春なのだ。「バンブーブレード」もそうだけれども部活って奴がどうにも堅苦しいって感じたり、逆に迷って遠ざけていたりした人たちに、昔にもどって部活ってのをやっときゃ良かったと思わせる効能はありそーだし今まさに遠ざけていたり迷っていたりする人たちに門を叩いてみようかって思わせる後押しにもなりそーだけれど扉を開けるとそこには積まれた段ボール箱from「CLANNAD」って状況もあるから後悔先に立たず。あとキリノみたく面倒見が良かったり涼風コンビみたいに変態だったりする先輩もいるとは限らないんでやっぱりやるなら時流に流されるんじゃなく手前の意志で決めなさいってこった。つか変態多すぎだぞ「スケッチブック」の美術部は。エレベーター女とか。鳥頭先生とか。

 立った。オシムが立った。いやまだ立ったかどうかは分からないけど浦安にある病院から都内にあるリハビリ施設へと移ったってことは少なくとも、寝たきりじゃなくって動いて喋ってそしてそれらが回復する見込みがあるって判断されたということだと理解するならいずれ遠からず立ち歩いて語るイビチャ・オシムを見られる可能性が高まったってことだと期待増大。このまま再び総監督として収まり代表を指揮とはいわないまでも未来へと導いて頂きたい、って考えるのが真っ当な品性の持ち主なんだけれどもどっかのオレンジ色のタブロイドは「未練」とかって言葉を使ってオシムの思考とはまるで違っているだろうし誰もが違っていると感じる言葉を持ち出し蔑もうとしているから何というか下劣というか。

 まあいつもの「MATAKUBOKA」なんで呆れつつスルーが最適なんだろうけれども、メディアが扱う言葉が憎しみを増幅させて内戦を激化させそれが何十万人もの人の命を差配したシチュエーションを間近に見てそしてくぐり抜け、メディアが使う言葉について散々っぱら意見し諭してきたオシムについて書き記した言葉だけに腹も立つ。いやいやここで腹を立てるということ自体が煽りたいメディアの思うつぼ。だからやっぱりオシムに倣って冷静に読みそして背後を考え全体像を掴んだ上で笑顔で嘲笑し侮蔑し左へと受け流すのが良いってことなんだろう。そんな人が増えているからオレンジ色も苦戦が続いている訳だし。でもなあこういうことをやってちゃ嘲笑されるだけってことを商売の面からメディア側が理解できないのかが分からない。オレンジ色の苦戦は他人事ではないだけにいい加減、悔い改めないと年越せないか、年は越せても年度は越せないぞ。青い一般紙や赤い経済紙も含めて。

 本をあれこれ。志村一矢さんの「きみと歩くひだまりを」(電撃文庫)は冒頭で手前の実力も考えず増長して危険地帯に突っ込んだ挙げ句にくっついて来た幼なじみの女の子もろとも命を失いそうになってごめんとかうろたえているガキが出てきて怒り心頭。空気が読めないガキってんじゃなくむしろ俺は強い頑張ってるからやってやるぜってな空気を読み過ぎた挙げ句の自爆行為とも言えそうなだけに、世間は空気を読めとか言って煽るんじゃなくその場の空気なんて意味がない、読むんだったら天山山脈だかどっかてはばたいた蝶の興した空気の触れが世界を暴雨風で包み込む可能性があるってことも含めて読んで読んで読み切るべきだと訴えるべきなんじゃなかろーか。いやそれをやりすぎると突飛な行動をも中国で蝶がと言い出す輩が出てきて収拾がつかなくなるからなあ、どこまで読むべきか空気。

 だから「きみと歩くひだまりと」はメロンパンじゃなくあんパンでそれもこしあんのあんパンで美少女は動くんだそうでこれもまたどこかでみた光景。でもそういうのって10年とかライトノベルを読み続けて分かることであって3年くらいで卒業して新しく入ってくる人にとっては新鮮で魅力的なシチュエーションだしちょっぴり現代用に調整もしてあるんでなお入りやすい。物語の数なんて決まっている訳で似た構造をカスタマイズしつつオリジナル要素も加えつつ再生産しつつ新しい読者を3年間、つなぎとめて次へと移って読者をつかみ平均年齢を上げないようにする方が、新しい読者が入ってこず平均年齢だけが上がってそしてボロボロとこぼれ落ちて市場が小さくなってしまうよりは、商売的にもそして本を読む人を増やす意味でも適切だったりするのかも。結論。とりあえずこしあんでも粒あんでも構わないってことで。

 んで田中ロミオさん「人類は衰退しました2」(ガガガ文庫)。会話芸の絶妙さは健在。というかそれをはがして残るのは何だ。アイディアか。いやアイディアだったら20年も昔に火浦功さんが「みのりちゃんシリーズ」でもって毎月のよーに「SFマガジン」にすっげえアイディアとそれから抱腹絶倒の会話に展開をコンパクトな中に詰め込み読ませてくれていた。次元スコップとか。その高密度ぶりを浴びて大きくなてなり過ぎてしまった身にはほんわかと会話が流れアイディアが取り混ぜられつつ延々と続けられていく物語がどうにもゆるやかで気がせっつかれる。もっと絞ってそして別のアイディアの短編をほかに何本も入れてくれた方が個人的には嬉しいんだけれどもそれだと打ち止めも早くなってあの独特の会話芸を楽しめなくなるんでゆっくりと、ひとつづつ、出してのばして漂わせつついつまでもって方が有り難いのかもしれないなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」みたくアイディア詰め込み怒濤の半年を経て1年の間を明けてしまうってのもこれ1つで勘弁して欲しいし。


【12月23日】 けどしかしいつから漫才ってロールプレイが主流になったんだろう、つまりは2人が何かの役になって行う漫才ってことで昨日の「M−1グランプリ」では決戦に残った3組が「トータルテンボス」は旅行代理店の店員と客で「キングコング」は気象リポーターとキャスターで、「サンドウィッチマン」はピザの宅配便と客といった具合にいずれも役が割り振られてそこを起点に話を始め、シチュエーションそのものが持つ非日常な感じとか、当たり前のシチュエーションを大げさにしたり裏返しにしたりして起こる違和感とかを軸にして観客の笑いを誘ってた。

 これにセットを組んでそれぞれが背広なり制服なりを着ればそのままコントとして寸劇めいた舞台に仕立て上げられそーな気がしたんだけれど、でも「M−1」ってのはとりあえずは漫才のナンバーワンを決める大会な訳で、そこでコントとしても通用する、っていうかコントを装置なしで見せたネタが堂々のトップ3を獲得して果たして良いのかって疑念も浮かんだけれど、別にそういうのを禁じている風もないし、そもそもが今時にロールプレイ以外に何かおかしみを誘うネタってのがちょっと思いつかない。

 あるとしたら点数が最低だった「ポイズンガールバンド」がやったみたいな、ちょっぴりシュールなシチュエーションを提起してそこで起こる奇妙な出来事を繰り出し聞く側を異次元へと誘うタイプのものか、または「笑い飯」のこれまた点数が伸びなかった、共にロボットを演じてその掛け合いを伸ばしていって、起こるやれやれってな違和感を笑いとして受け止めさせるタイプのものくらい。でもって共にあんまり点が伸びなかったってことを考えると「M−1」が求めるものは別にコントであっても構わないってことなんだろー。あるいは衣装もセットもない中でちゃんと通用した「サンドウィッチマン」の掛け合いの妙味をもって漫才であると認めたって証なのか。

 それなりな時代を「MANZAIブーム」のまっただ中で過ごして「ザ・ぼんち」や「ツービート」や「オール阪神・巨人」や「B&B」や「太平サブロー・シロー」や「のりお・よしお」やといった面々の舞台をテレビで散々っぱら見ていたはずなんだけれど、彼らって何かの役を割り当ててそこから派生するおかしみで観客を喜ばせるようなことってそんなにしてたっけ? 罵倒なり時事ネタへの言及なりものまねなりといった部分を活かしつつ喋りのキャッチボールでもって引きずり込んでいったんじゃなかったっけ。

 まあ「もみじまんじゅう」「ホーホケキョ」っていうだけで笑いが起こっていたブームの最盛期にどれだけの話芸があったかは悩ましいところではあるけれど、少なくとも今とは質がずいぶんと違ってたような気がするし、それでもってちゃんと笑いをとっていた気もしてる。一時を駆け抜けた「爆笑問題」もそいういう意味では「ザ・MANZAI」の時代に近いかなあ。どっちが上でどっちが下、ってことじゃなくって、そうした時代の笑いが笑いを誘わなくなってロールプレイが主流みたくなっている現代から先、形式としての漫才がいったいどーゆー方向へと流れていくのかちょっと興味がある。

 ロールプレイのバリエーション合戦も行くところまで行けばいずれまたかと飽きられる、そんな時に起こる衝撃的で革命的な笑いっていったい何だろー? 「ザ・健康ボーイズ」みたいな肉体系かはたまた「ザブングル」なり「さるつかい」のビジュアルショックか、それとも今はまだまだな「ポイズンガールバンド」みたいなシュールさか。「髭男爵」みたいなショートコンツェルンはだからシチュエーション限定なんでやっぱり現代止まりなのかなあ、まあコンツェルンって自ら言ってしまっているんだけれど。ともあれ一夜明けたらとんでもないことになっていた「サンドウィッチマン」が来年の「オートバックス」のCMでいったいどんな乱暴な客と虚ろな店員を演じてくれるかに注目。でもそれじゃあオートバックスにゃあそんな客とそんな店員しかいないのかって言われてしまそうだから無理かなあ。

 「レンタルマギカ」はアディリシアさんと穂波がドキドキだったけれども結局は何にももわらなかったみたいでいつきの朴念仁ぶりも頂点を極めた感じ。あれだけ誘われてどーして気づかない、というか気づく以前に手前から行けよどっちだろうと。でもどっちかに行けばヤドリギが飛んでくるなりソロモンの魔王たちに踏みつぶされるから無関心のフリをしているのが命のためにも良いんだろー。んで「みなみけ」は兄貴たちの間抜けっぷりが際だつ1日。小田原評定もここに極まれり。冬馬もそりゃあグレるよなあ。あとはナツキが想像した春香の胸元もぱっくりなビジョンがとってもすごかった。そりゃあ鼻血も出るよなあ。んで無印「みなみけ」も次回で終わり? このノリがスタッフが代わってどう受け継がれるなりぶち壊されるのか、その実験性を見守りたいけど商売的には冒険過ぎるよなあ。さてもどうなることやら。

 1999年に「東京都現代美術館」で行われた「身体の夢」って展覧会で見た映像の強烈さが強く頭に刷り込まれていてこれはいったいどういう性質の人なんだってことを調べてピピロッティリストなるアーティストのビデオインスタレーションだと知って以来、ずっと気になっていたら品川にある「原美術館」で日本では初となる個展が開かれているってんで駆けつけるとありましたありました、「身体の夢」でも出品されてた「エヴァー・イズ・オーヴァー・オール」って作品は道を歩く女性をスローで映した作品なんだけれども手に何やら花の茎みたいなものを持って笑顔で軽やかに歩いていて何か良いことがあったのかな楽しそうだなって思ったらその女性が手の茎をぶんと振って横に止まっていた自動車のサイドガラスにたたきつけ、叩き割り始めたから驚いた。

 もう終始笑顔で足取りも軽やかなんだけれども行っている好意はまがうことなき破壊。それを後ろから来た女性警察官も止めずむしろ笑顔で挨拶をして追い越していくから分からない。心なだめるバックのサウンドに登場している女性の足取りとそしえ笑顔でもって形づくられる浮き立つような雰囲気は終始一貫変わらないんだけれども、目に映る行為はとっても衝撃的。そのギャップにまずはとまどい、けれども赦されている世界もあるんだという理解へと及び、けれども身に振り下ろされることを考えて浮かぶ痛みなんかとともにやっぱりこれは異端の行為だって想いも浮かんで気持ちをどろどろに惑わせる。日常と非日常。そこから女性はおしとやかで可憐だという先入観が窓ガラスともどもたたき壊され、ならばいったい何なのだろうという不安を喚起させられ、そうかそういうものなのかもという強引な理解へと脳を傾かせて染め上げる。恐ろしくも痛快な作品。

 そんな刺激は他の作品にも共通で例えば「ジーナのモビール」って2階へと階段を上った場所に置いてあった作品に映し出されているのはまるで肉のカタマリのような物体なんだけれども見ているとどうやら毛の生え具合から女性の体の中心部分じゃないかって印象が浮かび、そうなのかってよくよく見るとスリットも映り突起もうつって何ともいえない気持ちをわき上がらせる。本当かはともかくそう見えてしまうとそうなってしまうから人間っていうのは情けない。本当にそれだとしたら男性にはいたたまれなさを、女性にはあけすけさへの近親憎悪なりあけっぴろげにする開放感なりを与える作品ってことになるけど果たして。ほかにも巨大な椅子に座ってビデオを楽しむ部屋とかあったけれどもリモコンを握った人の自在にされてしまい最後まで見られないのがやや難。年が明けたら平日に行ってひとりじめしつつ全部をゆっくり見ることにしよー。

 缶入りの図録もあったけれども重たいのと4800円もするのとで今回は遠慮。鞄にはすでにリボルテックの新しい女性ラインの第1弾となる「綾波レイ」が2つも入っていたんでこれ以上はもてません。このフロイラインシリーズは次に遠坂凛が出てあとアスカも出るみたいあけれどもここは是非に「コードギアス 反逆のルルーシュ」からC.C.を出して欲しいもの、あのヒップのラインこそは女性体の表現力向上を狙ったフロイラインシリーズが挑む価値があるのだ。そんなこんなで品川を引き上げ西葛西で堺三保さんの帰国歓迎会を鑑賞、まさしくクリスマス・イブに相応しいというか何というか。でも帰ってさすがにこれではもの悲しいと「ファミリーマート」で売ってたチキンを喰ったのだ。ケーキは食べなかったのだ。来年こそは。と言い続けて何十年。でもしかしやはり来年こそは。


【12月23日】 むろんテーブルを囲んで鶏とか七面鳥とかを貪り喰う間柄の人間なんていない身では家にいたって仕方がないので荷物をまとめて鞄に詰め込み家を出て、地下鉄に乗って都心部へと向かう途中で川口士さん「ライタークロイス2」(富士見ファンタジア文庫)をまずは読了、聖なる獣だかを召還して闘う資格を持った騎士になれるかどうかっていう試験を受けようとして田舎から出てきた少年カインだけれども特権の多い資格を狙って不正をする輩が発生していることを知ってそして世を忍ぶ仮の姿をしていたお姫様と一緒に不正を暴いて大団円、見事試験には落っこちたもののお姫様の従衛となることが決まって良かったねってところで終わっても別に構わなかったけれどもそこはそれ、せっかくの「富士見ファンタジア長編小説大賞」の受賞作を1本で終わらせるのはもったいないとばかりに続編が出ては従衛として日々を鍛錬に励む少年をめぐって起こる恋の鞘当てがメーンになるかと思いきや、意外に国家間をめぐる陰謀なんかが湧いて出てきて物語を大きくそして複雑な物にしてくれた。

 聖獣を召還可能な騎士の力を狙ってうごめいた国家がたくらむというか、これも別に悪意ではなく国を守り栄えさせるためには半ば当然の国家的な戦略という意味での正当性を感じさせながらの策謀がめぐらされてはお姫様を巻き込みカインとその友人のレイクを引きずり込んで危地へと陥れて更に、文字通りの一騎当千なはずの聖獣使いの騎士が一気に700人も損耗してしまう事態が起こって世界のバランスに大きな変化が見られたところで以下続刊とは楽しみも膨らむ。でもとりあえずはカインに気のあるお姫様とカインが居候する屋敷で働きカインが最初に出会って世話にもなってそんでもってやっぱりカインに心惹かれる侍女のイングリットとの互いを敵と認めて繰り出す技の応酬も楽しみ。どんなに陰険な争いが繰り広げられることやら。レイクが好きだと行った女の子のあだ名が「リラっ娘」って点も。これってつまりは……大変だよレイク。

 んで到着した新木場から珍しくバスにのらず「iPod」に入れた「ドゥービーブラザーズ」のベスト版を鳴らしながら歩いて「東京都現代美術館」へとやって来て開催中の「エリカ百面相」を……じゃない「アートとデザインの遺伝子を組み替える」って展覧会を見たけどやっぱりエリカ百面相ばかりが強く印象に残ったよ、あのアートディレクターのタナカノリユキさんがディレクションして沢尻エリカさんに100とおりの格好をさせた写真をパネルにして並べた展覧会だけれども実にまあさまざまな衣装があってそれをしっかり演じきっててよく頑張ったねエリカ様、こと仕事になると集中してやり遂げるんだってゆー生真面目さがとても伝わってきた。こーゆー外に出るところだけキチンとしてれば良かった昔に比べて今はプライベートを切り売りしてようやく露出もたくさんって現状は、人によっては耐え難いものがあるんだろーなー。かといって愛想笑いも出来ないとなったら起こるのは衝突とそして破裂。だったらやっぱり出ない方が良いよなあ。

 んでエリカ百面相はそれぞれに成りきるために顔にドーランぬったりメイクをされたりするエリカさんの頑張り以上に並べたれたポートレートの解像度の高さに仰天、だって間近で見ると産毛までくっきりと写ってるんだもん、1番お気に入りだったメイド服姿のエリカさんだと肩とかのあたりの肌は露わになっててそれが実にきめ細やかだし、メイクが薄目になったパネルだと顔がもうほんとうにつるつるで手を触れておもわず撫でたくなったけれども所詮はパネルだから意味がない。でもほんとうにつるつる。そんな肌を50歳とかいった高齢者の肌へと変えた特殊メイクのパネルもあってこれを間近で見ても全然作り物っぽさがなかったのがまたすごい。いったいどこが造型したんだろう、スペシャルエフェクトスーパーバイザーには松井祐一さんの名前が見えるからきっと彼なんだろーな、だとしたら納得。

 胸元が大きく開いたパネルの前なんて10分でも30分でもたってそのあまりにリアルな質感を眺めていたい気分だったけれどもやりすぎると邪魔になるんで数分で退散、でもやっぱりすごかった、これは写真集とかじゃあなくって現場で見るべきだ。できれば横20枚で上5段くらいだっけ、そんなブロック状に展示しないで全部を横一線に並べて全部のパネルを目の高さで見られるようにしてほしかった。そうすればそれぞれのメイクがどう肌に乗っているかを間近に見られたし目の色とか表情の付け方なんかも間近で勉強になったはず。スペースが厳しいかもしれないけれども別室で岡本太郎さんの巨大な壁画を展示できるスペースがあるんだからそれがどっかに常設された暁には、跡地にエリカ100連発を横一線に並べてやって欲しいなあ、でも無理だろうなあ。1枚づつ売ってくれないかなあ。メイドなエリカは僕んだけど。

 他の索引はあんまり記憶にないけどビーズクッションをほとんど着込む感じにした作品とかが楽しそう。あとイタリアのアーティストでグラッツィア・トデリって人の「ロッソ・バベレ(バベル・レッド)」って作品が遠景の夜に浮かぶ都市とそして巨大な塔に向かって爆弾が落ちて爆発していくっぽいイメージの画像が延々と流されていて見ていてずいっと引きずり込まれる。本当に都市なのかバベルの塔なのかは分からないけどでも例えばイラク戦争で夜間に炎を吹き上げ燃えたバグダッドのような、戦争で絶えず空爆される都市のイメージがそこに重なって見えてその傍目の美しさと、けれども下で起こっているだろう阿鼻叫喚への想いが交錯していたたまれなくなる。「コードギアス 反逆のルルーシュ」が見せる人間ドラマとしての戦争の悲劇とはまた違った感情が湧くなあ。蜷川実花さんのおなじみな極彩色写真で撮られた巨大金魚もまずまず。でもやっぱり最大な衝撃は吹き抜けを上まで登った巨大な銀色の四角い風船だろうなあ、石上純也さん、ここでしか不可能な展示なんでやっぱり見ておくには行くしかない。

 んで神田神保町から秋葉原へと回って「石丸電器」でやっぱり買ってしまった「CLANNAD」のDVD第1巻、すべては一ノ瀬ことみのヴァイオリンのおかげ、ではなく智代の足払いをしっかりと見たいから、なんだけれどもあそこでぶわっと浮き立つほこりはDVDも入っているのかそれとも外してあるのか否か、早速見よう。でもって「スカイガールズ」も第3巻を購入、おおこれは七恵のヒミツが露見する回と温泉に行く回のカップリングではないか、おそらくは全DVDでも屈指の密度とボリュームを誇ったものになっているだろーからこれまたじっくり鑑賞だ。

 しかし「CLANNAD」と「ef」を買い始めるとはよほどの美少女ゲーム好きかと思われそうだけれどもそーした系統のゲームはかつて富士通が出してた幻の「エーベルージュ」を除けばやったことなどないのだよ、もちろんいわゆるビジュアルノベルと言われるものは皆無なんだけれどもどちらもゲーム云々ってよりは「CLANNAD」はシナリオの良さで「ef」はビジュアルの凄さを評価、とくに「ef」はオープニングもすごいし本編での「少女革命ウテナ」なんかを思わせるシュールさを挟み織り込んだ場面の提示が素晴らしい、でもシナリオはちょっと卒業式の送辞に答辞の言葉っぽいかな、まあ良いけど。あとこれでアニプレックスからの3本を買うとして迷うのは「げんしけん2」と「もやしもん」かあ、「げんしけん」は揃えているから買わざるを得ないのか、「もやしもん」もぬいぐるみがついてるし……金が足りねえ。「DARKER THEN BLACK」はあと何巻続くんだっけ。


【12月22日】 ぞくぞくとする寒気よりも気になった背中と腰と肩の痛みにあるいはインフルエンザかもと懸念しつつ、まずは宅急便で届くはずの「機動戦士ガンダム劇場版ボックス」を待って受け取ったら巨大な箱。中に古谷徹さんと池田秀一さんのサインが書かれたポスターが入っていたからで、中学生の頃に見てからかれこれ30年近くなる「機動戦士ガンダム」の主役2人と時を経て、見(まみ)え仕事でインタビューまでした上に直筆サインまで入ったポスターをこれはちゃんとDVDボックスを購入した特典として頂戴できた2007年は、後厄な割に良い年だったよーな気もしないでもないけれども残る10日間に何が起こるか分からないからまだまだ用心、というより厄年ってのは年齢が切り替わるまで続くのかそれとも当該年の大晦日を過ぎたら終わるのか節分までを刺すのかがちょっと分からない。分からないけどまあ年を明けたらお払いをしてもらい続けた鬼子母神にはお礼参りに行って来よう。

 んでもって人参がトレードマークの病院へと行ったら待ち時間90分とかでさすがは週末にして年末の病院だけのことはある。とりあえず検査を受けつつ待ち時間に枯野瑛さん「銀月のソルトレージュ」(富士見ファンタジア文庫)の第4巻をぞろぞろと読む。アルト老……。いやまあ人形姿で食卓にぺたんとしゃがみこみ、大口をあけてあれやこれやにかぶりつく姿がイラストにされていて可愛らしいことこの上ないんだけれどもそんな姿もいよいよ見納めらしーのがやや残念。可愛らしさではまだ不死の身になるまえのジネットがまだ老人姿だったアルト老から「バカ娘」とたしなめられている場面のイラストに描かれていてこれもなかなかの可愛らしさ。姉を思って焦がれた少女が後にあんなになってしまうとは。でもまあ表面は鉄面皮でも内心には失ってしまったリュカへの感情がそよいではいるからあれでなかなかの人情家。それだけに200年を連れ添ったアルト老無きこれからの決戦をどう乗り越えていくのかに興味も及ぶ。次巻はいよいよ最終回か。キャラクターに設定とともに工夫の見られた良質ファンタジーの結末や以下に。期待して待とう。

 そうこうしているうちに診察で今はまだとりあえずインフルエンザではないと判明したもののいつまた熱が吹き出るかもしれないとタミフルを確保し辞去。いざというときにはこいつを貪り喰って熱をおさえることにしよー。しかしいっただったらこの節々の痛みは何だと考えやっぱり疲れているんだろーと薬局でパスビタンを買いビタミンを補給し今日は家で養生と決め込み、書店で漫画の新刊を買い込んで引きこもる。んでもってまずは「鋼の錬金術師」の18巻。セリムまでもが。というよりセリムこそがか。いよいよ混沌として来たけれどもコマも出そろって国の異常さも見えてきた中でいよいよ最終決戦へと突入していく道も見えてきた。何十年にもわっって国を牛耳ってる奴らにたかだか国家錬金術師のエドワード・エルリックが何をできるとも思えないんだけれどもそこは主人公、扉の向こう側を見てきた経験やらホーエンハイムを父親に持つ血筋やらを使って国家単位世界単位の謀をもひっくり返して見せるんだろー。あと何巻続くか分からないけど完結までは生きていたいな。

 んで「怪物王女」の第6巻は屈斜路湖上空を舞う令裡さんがなかなかに素敵。でもやっぱり黒なんだなあ。とりあえずは第26話の「霧中王女」が秀逸、よくあるボディスアッチャー物で複製されたリザや令裡の偽物たちが姫を襲って殺到する話だけれども中に混じっていたのが偽物の姫。だけども本能なのか指令なのかただただ攻撃するばかりのリザや令裡と違ってこの偽物の姫だけは本物そっくりの思考をするものだから傍目にはどっちが本物かが分からない。でもそこは己を克服する意志の強さを持った姫だけあってどちらが本物か偽物かでジタバタすることなしに自分こそが偽物なんだという蓋然性に達した姫はならばと火炎放射器を背負い敵に突入。その潔さと高潔さに姫も姫たるゆえんを感じ取る。これぞ王族。なのにセブランときたら。だから単行本の冒頭に収録の刑務所での出来事から明けて行われた前巻最後に収録の決闘で姫にかなわず敗れ去ったんだろー。そしていよいよ激化する王族の抗争は1人しか残れないバトルロイヤルなのかそれとも。徐々に広がる世界観が壮大さの果てに収拾つかなくなるのも考え物なんでそのあたり、案配しなが光永康則さんには進めていって欲しいもの。ところで表紙の火炎放射器を持った姫はどっちなんだろう、本物? 偽物? いやいやどっちも立派に姫。問題ない。

 んでよしながふみさん「大奥」の第3巻は家光ちゃんが全編にわたって実に可愛らしい。それほど多くよしながさんの作品を読んでいる訳じゃあないけれど、こういう絵でもって女性キャラクターを描けるんだったらちょと他のも読んでみようか、それとも江戸時代のほかにはなかなかに見目麗しくない人たちばかりの中で、比較的現代風に描かれていつのが家光くらいだから可愛らしく見えてしまうだけで現代が舞台では神通力も及ばないのか。さても物語の方は男子がほとんど死んでしまう状況を外に知らせないという意味合いを与えて鎖国政策を正当化してみせたりする論理的な歴史の解釈の妙が光る。厳然として残っていた男子の家督相続についてものっぴきならない状況を徐々に描き出していくことでそれは無理だと感じさせ、いよいよもって女子による相続でも大丈夫なのかもって思わせる所まで持っていったりと手並みも鮮やか。そこがしっかりしているからこそ第1巻へと戻って繰り広げられた男女逆転の不思議な光景が、単なる一発芸ではなくあったかもしれない歴史の可能性を示す思弁的なフィクションとして成立するんだろー。

 あとはここから流れた現代がどうなっているかに興味深々。描いてくれるかな。戊辰戦争を経て開国して世界から文明がもたらされたことによって男女逆転は終わって今と代わらない現代になっている可能性なんかも想像できるけれども逆に、男子ばかりがかかる病気は日本に限らず世界中で発生していて西洋でも聖職者にも騎士にも女性がなるようになった挙げ句に増えすぎた女性が、男子を求めて未だ病が届いてなかった北米へと進出してそこにうち立てた合衆国から女性が操る艦隊がやって来て日本に開国を迫るという歴史なんかも想像できたりするからなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」でブリタニアが帝国をうち立て世界の3分の1を支配したまま積み重ねられた歴史の上で日本が占領されてしまったみたいな大がかりな歴史の書き換えを果たして行うか、単なる日本の江戸時代だけのことで終わらせるのか。あれだけロジカルに女性将軍の世界を固めようとしているんだから目もきっと世界に向いているんだと期待しつつ展開を見守ろう。


【12月21日】 自分を卑下する沢木に俺ってそう見えるんだと聞かれて考える時に出した声がちょっぴり女の子っぽかった結城蛍だけどそれ以外は前と変わらない声でどうにも不思議なギャップがあった「もやしもん」は菌が見えなくなってそんでもって見えるようになってひとまず終了。長谷川遥に待ち受けている運命は描かれず、沖縄でのこっちは正真正銘に女の子だった蛍のそっくりさんのダイバーとの出会いは飛ばされたまんまなだけに頑張って原作をためてそして第2期へと行って欲しいもの。だけど今の原作の歩みじゃあ作られるのは1年とか経ってからになるのかなあ。やっぱり「のだめ」の方が早そうだ。

 そんなのだめの中の人が頑張った「スカイガールズ」は何だかよく分からないけど任務完了にして一件落着。モーションスリットにスレンダーな肢体を治めたアイーシャの姿もこれで見納めかと思うとちょっぴり寂しいものがあるけどその代わりを七恵さんが努めてくれるんだったら赦すから次に登場のワームは七恵さんの遺伝子に近いものになって欲しいと切に願おう。余りの最終話はいろいろなカップルに決着がつくってことなのかな。瑛花は冬后で音羽は遼平で可憐はたくみくんでエリーゼは源さんか大戸のどっちだろう。七恵は地元の漁師くん。アイーシャが余るからこれはどんどんと影の薄くなっていった緋月玲に押しつけるか。勿体ないからもらおうこっちで。嵐子晴子は2人で1つで十分ですよ。

 想像はできるが実感となると難しく共感となるとさらに困難さがつきまとう。この日本で今、出版されることの意味をだから正直言って掴みにくいことこの上ないんだけれどもその辺りを勘案してか、巻末に訳者の木村榮一さんが長めの解説をつけて知識面でのバックグラウンドを与えて作品への共感とまでは行かないまでも実感にくらいは近づけようとしているんであとはそれを読み、考えることによってフリオ・リャマサーレスの1985年に刊行されたデビュー作「狼たちの月」(ヴィレッジブックス刊、1700円)が持つ意義なり、それが2007年末のこの時期に日本で刊行された意義を理解するより他にはなさそー。それがないと何だこのお調子者の穀潰し野郎がってネガティブな印象しか主人公たちに抱けないから。

 舞台はスペインでそれも欧州では第2次世界大戦が起こってはいてもそこから外れてフランコ総統による反乱軍が左翼の支援した共和国政府軍をほぼ駆逐し残った関係者なり支持者なりゲリラなりを掃討していた時代。おそらくは赤くて熱い情動がわき起こってか共和国政府の活動に賛意を贈って闘いに身を投じたんだろう若者が3人ばかりいたんだけれども相手はヒトラーにムソリーニといった面々を当初は見方に付け、そんなファシストが追いつめられた後は中立を標榜しつつ富裕層と教会の支持を得て勢力を拡大していったフランコたち。かなうはずもなく追いつめられ崩壊した後に3人は追われ山を転々としながら強盗も追い剥ぎも押し込みもしながらその日をかろうじて生きている。

 時に故郷あたりに舞い戻っては家族の消息を気にするものの政府の追及は及んでいて見つかれば引っ張られおそらくは処刑。だから帰れずかといって亡命するだけの力もない彼らは八方ふさがり。身内に叛乱分子がいるってだけで弾圧の対象になってなかなか悲惨な目に遭っている家族のために身を引くだけの勇気も男気も見せない彼らの落剥した生活ぶりからは、弾圧に耐えつつ家族の愛に見守られながら闘い続ける勇気の尊さ、なんていった「コードギアス 反逆のルルーシュ」の「黒の騎士団」とかとも重なる部分がある、こーゆーシチュエーションの小説にあってしかるべきパッションはまるで浮かんでこない。あれば今も普遍な抑圧者と非抑圧者の闘いに日々を勤しむ面々からの共感もあっただろーけれど、そーした高尚さなどまるでない、迷惑をかけながら逃げまどい挙げ句に犠牲者まで出してしまう若者たちの様にむしろ反感すら覚えてしまう。

 最後までそんな感じの小説なのにスペインでは85年に刊行されるやいなや大人気となって作者も一躍人気作家となって「黄色い雨」なんかの刊行へとつながっていったのは、まさかこんなに長生きするとは1940年代では誰も思っておらず、スペイン内戦で市民どうしが争い雌雄が決した後は密告なり差別といった諍いもあって生じた傷が、1975年まで続いたフランコ独裁の中で闇の側へと押しやられ埋められていたものが、死後から10年を経て当時30歳くらいの若い作家の手によって掘り返され、暴かれえぐられたことに様々な反響があって、フランコに味方し迫害に回った世代に浮かび漂った気まずさなんかとともに関心を呼び集めたからなんじゃなかろーか。その時代だったからこその注目であり、今も含めてその国であればこその関心を現代の、この日本でどこまで認識できるかは正直言って難しい。

 ただ思うのは若気の至りっていうか若さ故の血気にはやって盛り上がった挙げ句にはまった最悪の事態って奴は、ほんの数年首をすくめていれば通り過ぎるなんてことはなくって場合によってはその後数十年も、レッテルとなってつきまとい追われ迫害される要因になり得るんだってことを人間はとりあえず学ぶべきで、その上で覚悟を持って行動すれば潔いと讃えられるけれども、無様に漂うだけでは身内からも見捨てられ何の賞賛も得られずただのたれ死にするだけ。それを理解した上でさて、どういう行動に出るべきだってことを考える上でこれは或いは極めて良質の反面教師となる小説なのかもしれない。こんな無様な末路は厭だと思うなら最初から関わらずにいるか、関わっても意志はしっかりと持ちタイミングを計って動き決断すべき。なるほど曖昧さに身を置きどっちつかずのまま流れを見ている現代の日本において、優柔不断の悲惨な末路を示した意味はあるのかも。

 先週の朗読がとっても愉快だったんで今度もきっと楽しいだろうと古川日出男さんの「ゴッドスター」刊行記念イベントをのぞいて今度は99冊限定ってゆー「ゴッドスター」用の特別版表紙って奴を頂戴する。シリアルナンバー入りでもらったのは07と一ケタ台。だからって価値が上がるとかどうとかってことはないんだろうけれど、でもまあ滅多に存在しない表紙ってことで着けておいたらそれなりに自慢にはなるのかも。みんな本体の方にサインを入れてもらっていたのは別ジャケに字なんか書かれると価値が下がるって思ったのかな、でもオリジナル性のあるものにサインが入っているかどうかは大きな意味を持つんでここは入れてもらって正解か、どうなのか、まあ良いやどっちにしたって売る気はないし。先週に本体の方にサインをもらった本を特別版のカバーで包めばサインづくしの1冊と、サインなしの1冊が出来るか。そっちをふだん用にするって手もあるなあ。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る