縮刷版2007年10月中旬号


【10月20日】 いやあ凄いよ巨乳貧乳が勢揃いだよ桑島由一さんの最新刊「パイパイパイ」(集英社スーパーダッシュ文庫)はグラマラスなグラビアアイドルから未だ発達せざる少女までが勢揃いしてくんずほぐれつ大格闘……違うって? ああそうみたいだよく見たら「ポイポイポイ」(集英社スーパーダッシュ文庫)になっていた。舞台はとある金魚が名産となっている町で生きてる少年は幼なじみの少女から横向いて自転車を漕ぐと犬踏むよ犬と言われながらも効かずドーベルマンを踏んでふくらはぎを何度も噛まれるドジを踏みながらもまあそれなりに生きていた。元気な下級生から妙に慕われ同級生の男子からも異常に近い親近感を得てそれなしに幸せそうに生きてた人生に最大のピンチ到来。息子さんは夏を越せない命と父親が医者から告げられている場にこっそり居合わせてしまう。

 さらに幼なじみの少女に許嫁がいてこいつが美形ながらも唯我独尊で許嫁が自分を嫌っているとは認めずようやく認めても許さず少年が邪魔をしていると信じて挑んでくる。さあどうしたものかといったところで下級生の少女から飛び出た勝負の方法が何と金魚すくい。その町では昔から金魚すくいの大会が行われていて個人戦団体戦のどちらかに出て許嫁の金持ちを決着を付けることを求められる。ところが少年には金魚すくいをどうしてもやりたくなかった。それには家族が不幸に追い込まれた過去があって少年の手を縛っていたけれども許嫁の少女が誰か理不尽にもっていかれることへの憤りが少年を突き動かして、手に「ポイ」を持たせて団体戦による金魚すくいの大会へと身を臨ませる。

 そう「ポイ」とは金魚すくいに使われるあの紙が貼られたわっかのこと。厚さによって違いがあって薄いと6号、やや厚いと5号と言うってことが示されているけれど本当かどうかは定かではない。ただそうしたディテールに関する描写も含めてどーやってすくえばちゃんといっぱいすくえるのか、といった技術論なんかも登場して、今はホームレスをしている男から教えられる場面は「ハチワンダイバー」に出てくる将棋の強いホームレスから雨の漏るテントで将棋を教えられる場面にも通じるシチュエーション。もっともそのホームレス自身が少年とその父親が引きずる過去に関わりを持っていた辺りも明らかにされる展開の中、少年が決して人気者ではなくって町から様々な目で見られていた存在で、それが仲間に引っ張られてどーにか日々を過ごしていたんだってことが分かって来て、日々の軋轢に沈みがちになっている人の気持ちを奮い立たせる。

 さらに病にも関わらず最後の気力を振り絞り、過去も振り切って突き進む少年の姿が諦めなず、投げ出さずない気持ちの大切さってやつを見せつける。その結果。得られたものの何という大きさか。過去のもやもやも晴れ幼なじみや友人や下級生との絆も深まって晴れ渡る晴天のよーな爽快感がラストに読者の心を晴らす。ちょっぴり優しすぎるエンディングって気もしないでもないけれど、ここでバッドにダークなエンディングじゃあ読み終えた後の寝覚めが悪い。金魚たちポイに乗り、なべて世はこともなし。ひっかかるとすれば居なくなった母親との関係を取り戻せなかったところだけれども一方で父親との軋轢は成らされ新たなライバルも登場して未来に向かう気概も生まれた。そこから始まるドラマの中で少年はきっと手にポイを取り、プールへと向かって金魚をすくい心を救っていくのだろー。頑張れとエール。ちょっぴり不思議だけれども極めてまっすぐな青春ストーリー。夏に出来れば読みたかったかな。

 あれはいつだったっけ「東京国際映画祭」の向こうを張って秋葉原にレッドカーペットを敷き詰めその上をピカチュウとかドラえもんとかを歩かせたのは。まあそれっぽさも出ていたんだけれど1年だけで終わってしまって以降はオープニングセレモニーもないまま何とはなしに始まることになってしまった「秋葉原エンタまつり」は今年も午前11時ごろにオフィシャルショップが開いて何となくスタート。っても「ケロロ軍曹第3弾」の前売り以外は品物に目新しいものがなく、ほかは「コードギアス 反逆のルルーシュ」のゼロのお面くらいって寂しさに加えて灯りの乏しいスペースで、あんまり来ないお客を待ちわびる姿の秋っぽさが身に涼しさを感じさせたものの正午になって抽選会場にまあそれなりの人が並ぶに至って、お祭りっぽさだけは出てきた感じ。とはいえ最初のイベントになった「ご愁傷様二宮くん」のアニメ関連イベントは席が満杯にはなっておらず、なのに立って見ていた人は会場の外に立たせっぱなしって扱いで、まあ事前に締め切っている以上は仕方ないとはいえ座席の列と外の観客との間にひろがる空間が、これまた秋の青空のよーな清涼感を感じさせる。

 きっと午後の平野綾さんとか来たイベントとか、他のサイン会なんかにはもうそれなりな人数が集まってにぎわったんだろーけれども去年ほどあちらこちらでトークショーが開かれている感じもないし、抽選会の対象になっているDVDも品揃えが少なくって積極的に買いたいってものがあまりない。まあ5点くらいか。「MANGAフェスティバル」ってのが開かれはするもののビジネス寄りのシンポジウムで一般の客はお呼びじゃない。かといって共催イベントの「東京国際映画祭」から回ってくる人がいるとも思えず、だったらやっぱり一般のファンが盛大に楽しめるお祭りに仕立てあげてくれれば秋葉原も沸いて楽しいんだろーけれども年がら年中沸き立っている町にこの時期に更に、って求めるのも酷か。まあ業界もおつきあいしてまっせってスタンスを見せつつ行政あたりから次なる展開への足がかりを得るイベントとして、なんとなく続いていってくれればこっちもネタになってありがたい。でもやっぱりレッドカーペットくらいは欲しいよなあ。絵にならないんだよなあ、まるで。

 エダ格好良いよエダ知的だよとても暴力教会のやさぐれ尼には見えないよ、ってことはすでにして明らかになってはいたんだけれどもくそ眼鏡のメイドことロベルタがご主人様の仇とロアナプラまで追ってきた相手が国防総省の差し金とあっちゃあラングレーの出張所として黙ってはおらず身を寄せている暴力教会のヨランダ婆さん相手にいつものガサツな所を抑えて、っていうか地のクールなところを出して相対しては話に道筋を着けている。その喋りっぷりはもしも音声があればやっぱりクールきわまりないものになったんだろー、ちょーどラグーン号の中でカウボーイ相手に正体を明かした時みたいに。そーいやあのDVD、買ってはいたけど本編で見たんでまた見返してなかったっけ、聞き直してみるか、でも「ブラックラグーン」第7巻のエピソードがアニメになる時ってのはおそらくきっと当分先だろーからなー。せめてあと3冊分はたまらないと。第3期。見たいなあ。ロベルタはラストですっげえ格好に。まるで「サイレントメビウス」に出てくるAMPのメンバーみたいだ。


【10月19日】 とっても大きな七恵は母もやっぱり大きかったという「スカイガールズ」はエンディングの片岡あずささんによる天然ビブラートがかかったふるふるボイスによる歌にも耳慣れしてくるりと回りくるくると回るエリーゼの動きを余裕たっぷりに見られるまでに回復。もしかしてCDを買っても良いかもと思わせられているあたりはきっと低周波に含まれる振動が脳細胞のどこかを少しづつ浸食あるいは侵食しているからにに他ならず、これがマイメロの傍若無人な唯我独尊パワーと重なれば世界に怖いものなし。たとえワームといえども一瞬にして殲滅してしまうくらいの破壊力なんだけれどもそれをやってしまうとエンディングの歌い手の分際でメーン4人を脇に追いやってしまうんでここは歌のみのご出演ってことで。しかしやっぱり七恵は大きい。「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出演している誰よりも大きいけれおdも「機動戦士ガンダムOO」の中華娘には負けるかな。

 一流パティシエの作るシュークリームがおいしいのは分かるけれどもできたての「うまい棒」が旨いというのは都市伝説か何かなのか、それともどこかに行けばできたての「うまい棒」が食べられるのか。ともあれ勇者姫ロザリーを旨いシュークリームが跪かせてしまうよーに、魔法少女のナギサをその場に留めおく強い力をできたての「うまい棒」は持っているってことだけは何とはなしに感じられた七月隆文さんの「ラブゆう4」(集英社スーパーダッシュ文庫)は前の巻で単なる空想少女とリアル少年との邂逅から生まれるギャップの楽しさを味わうラブコメファンタジーから1歩進んで物語の力によるリアル社会の席巻といった設定が背後から押し寄せて来て風雲急を告げる。

 かと思いきや、まずは現れた魔法少女ナギサが神田俊の家へと押し掛けロザリーと、お姉ちゃんのみことと大金持ちの冷泉院撫子を慌てさせ驚かせてはお泊まり会へと一挙進展。食事の際にはシュークリームと「うまい棒」が入ったカレーの異臭が漂い、お風呂にはスクール水着姿のナギサが飛び込もうとしてバスタオルを巻き付けたみことと仲居さん然とした和装の撫子に引き留められ3すくみとなっているところにロザリーが飛び込み俊をクワトロロックに固めてのぼせさせ、寝る段になれば狭い部屋には撫子愛用の天蓋付きベッドが鎮座するドタバタが繰り広げられる中で、うらやましくも哀れにも俊はもみくちゃにされ神田家は粉砕されるのであった。ざまあみろ。

 んで撫子ん家に下僕として呼ばれる羽目となった俊に今度は別の更なる驚異が。俊に迫るみことお姉ちゃんにも勝る勢いで撫子を愛でる実姉の妹に対する溺愛ぶりが妹の周囲に出没する男性に向かった時に発生するデンジャラスなシチュエーション。ゆるんだ顔が一変して能面となり手にライフルを持ち口からはハートマン軍曹もかくやといった乱暴な言葉が飛び出しては俊の命を、いや存在そのものを消しにかかるもののそこは俊に想いを寄せる撫子だけあってロザリー相手に1歩も退かない華麗な技を次々繰り出し姉を海へと蹴り落とし、ベークライトで固めて海溝へと鎮め宇宙の彼方へと叩き送るもそこはやっぱり撫子の姉だけあって強靱無比。幾度となく蘇っては撫子にまとわりつくゴミ虫の排除に邁進する。

 今後の展開でもはたしてやっぱりどれだけの生命力と執念を見せてくれるか冷泉院真帆。この力があれば俊たちに迫る「ワン・プロパティ・ユーザーズ」だってたちどころに撃退できそーだけれども相手は物語を生み出す空想力にすべてを巻き込み進める能力の持ち主たち。ロザリーを召還してしまう力を持った俊ですら翻弄され、「人魚姫」から「眠れる森の美女」から「不思議の国のアリス」から「幸福の王子」へと連なる物語に俊を巻き込みロザリーと取り込み四季島市全体を巻き込み惑わす神にも等しい存在を相手に、果たして普通の人間でしかない俊は勝てるのかそれとも戦うべき相手はほかにいるのか。

 戦闘力のレベルは99ながらかしこさは40でしかなく俊と暮らす世界をそれまでの世界と信じ切っているロザリーに起こる変化がもたらすラブコメ展開からの脱却が、シリーズ全体のトーンをどう変えそして物語の行く末をどう発展させるのか。スタートした当初には考えも及ばなかったシリアスで奥深い設定とストーリーの帰結がとりあえず楽しみ。まさかぶん投げやあしないだろーな。まあそれでも良いけど、口絵の撫子みたいなイラストさえあれば、いやあ破壊力たっぷり、真帆ならずともむしゃぶりつきたくなるポーズ、いやむしゃぶりつくってよりはひれ伏しはいつくばって見上げたくなる、が正解か。

 んで読み返し始めた桜庭一樹さん「GOSICK」シリーズの本編第6巻は第5巻からの続きで捕らえられた修道院から逃げ出した一弥とヴィクトリカが乗った列車の中での物語。公妃だと言い孤児だと名乗り木こりと自己紹介し死者と証する面々を相手が関わり起こった事件の謎を灰色狼と家来のペアが説く。事件そのものの謎はまあ知ってなるほどそりゃそうだって思わされる程度でプロのミステリ読みなら瞬時に解いてしまいそーだけど、ほかに列車に乗り合わせた怪しげな面々が喋る生い立ちやプロフィルから名乗ったニックネームの虚実を暴いていく部分はなかなかにスリリング。そうかだからそう名乗りそう行動したのかって目にも鱗の謎解きぶりが繰り広げられる。

 それ以上に全体を覆うゴシックな香りがこのシリーズの持ち味で、科学とオカルトを司るそれぞれの機関の対立のはざまで、人間と人外の血を引く聡明にしてぷにぷにとした少女とそのおせっかいな下僕は果たして無事に生き抜きそして未来を掴めるのか。ぷにぷにとした手でぽかぽかと殴ったり、ぐしゅぐしゅとくしゃみをしたりごぶごぶとむせたりと幼さ可愛らしさが混じり合ったキャラクターとしてヴィクトリカの描くその描きっぷりの妙味も含めて著者のミステリーの知識とゴスへの愛と世界の造形力とそれらを紡ぐ文章力が、最高に絡み合い解け合ったシリーズとして行く末が楽しみ。長編って1年に1冊ペースなのかな。ってことは程なく次も出るってことかな。

 んで「バッカーノ!」の最新刊「2002 A Side」は豪華客船に乗って日本へと向かうフィーロとエニスとチェスの一行の回りで起こるあれやこれやな連中が入り乱れての大活劇、へと至る目前でとりあえず終わってしまってはいるけどとりあえず駒は出そろい先が楽しみ。船を乗っ取ろうとする一味の中でも変わり種のゴスい少女の仕事っぷりとか、美少女子役として名を成しているヴィーノことクレア・スタンフィールドの曾孫とその弟がきっと見せてくれるだろう曾祖父にも負けない得体の知れなさぶりとか、これまでには出ていなかったキャラクターの凄さを見たいけれどもどれをとってもクレアを超えることは不可能、だってあの強さを超える存在なんか出したらもはやファンタジーもSFも超えてしまうから。ところでフィーロとエニスはちゃんとしてるのか?


【10月18日】 だから山岸智選手にしろと言い続けたとおりにしっかりリターンパスを決めて前田遼一選手をアシストしたサッカー日本代表の対エジプト戦。スピードに乗って前へと攻め入り後ろからの駒野友一選手の上がりを助けたりもらいなおして切れ込みゴール前へと折り返すパスを見せたりと攻撃の上で大きな役割をちゃんと果たして存在する意義をちゃんと見せてはくれた。

 前田選手と並ぶトップのもう1人がが縦横無尽に駆け回る大久保嘉人選手だっただけにポジションの入れ替わりも頻繁で、前田選手へのアシストの場面でゴール前にいたのもそんな理由からなんだろーけど、サイドを中心に職人ぶりを発揮しつつここぞいう場面でゴール前へと走り込んでクロスにピンポイントで合わせる仕事がしづらかったのはやや残念。得点があればもーちょっと前向きな評価も出てくるんだろーけどなあ。ビジュアルは「コードギアス 反逆のルルーシュ」のクロヴィス殿下にあって負けてないのに存在感はリュバル並。でもまあオシム監督に使われ続けているということが実力の証明ってことで。羽生直剛選手は伝道師としての役目を終えたってことになるのかなあ、でももーちょっとだけ見てみたい。

 上着を脱いでシャツ姿になった時にあるいはささやかでも盛り上がっていたらどうしようかとハラハラしたけどそこは13歳の柏幸奈ちゃん、「魔法先生ネギま!」の実写版でネギ・スプリングフィールドを演じていても、その身長と年齢から来る未分化な死体でしっかり10歳の男の子の先生って役を表現してくれている。表情だって喋りだってしっかり10歳。ここに例えば10歳の男の子を持ってきたらちょっぴりたどたどしくなりすぎるか、あるいはバリバリな子役喋りで抜けがなくって居心地が悩ましくなるところを13歳の年相応のこなれっぷりを持ちながらも、見栄えは少年ではないが故に中性度が高くなっていて、頭のまあ良い10歳の男の子ってのにピタリとはまっている感じ。考えたなあキャスティング。お話の方も生徒たちの間抜けっぷりが存分に出ていて愉快痛快。「ブギーポップ」の実写版を撮った人らしービジュアルの奇矯さもなかなか。こいつは或いは単なる「ネギま!」のアニメなんかよりも見ていて考えさせられる作品になったりするのかも。しかしそれにしても神楽坂明日奈の存在感が薄すぎるなあ。

 「先進、先進、先進」ってのは確か中華人民共和国国家だったっけ、違うそれは前進だ。こっちは先進。その名も「インターネット先進ユーザーの会」とやらが発足するってんで西新宿にある「映画専門大学院大学」って所へと新宿から歩いて行ったら遠かった。ほとんど初台じゃん。まあ良いお腹が出てきたんで引っ込めるためのコルセットを着けたんで歩くのはかえって好都合。天気も良かったんで新宿中央公園を抜けて東放学園も横目に身ながら学校が近いのかなぜか結構いたりする若い女性の後ろ姿をながめながら歩いて歩いて会場に到着。長屋みたいに細長い作りの不思議な建物へと入り受付を済ませて会場に入り講義室みたいな場所へと入って、倒すと背もたれが立ち上がるなかなかにシステマティックな椅子に座って、目の前を白田秀彰さんとか津田大介さんとか小寺信良さんといったネットで名前を見る有名人が歩いていたりするのを眺めながら開催までの時間を待つ。

 「先進」だなんてひとつ間違われると妙なエリートっぽさが漂う名前が付けられていたりするこの会合が行う当面の活動は、「違法サイトからのコンテンツダウンロード違法化への反対意見表明」と「コピーワンス及びダビング10技術の採用に対する反対意見表明」と「著作権の保護期間延長に対する反対意見表明」とあとこれらに関するインターネットユーザーの意見表明の支援とか。悪くない。というよりむしろありがたい。会見で白田さんが「匿名だと世間に声を挙げた活動は難しい。私たちは“名無し”の意見を内容に関して責任を負担し社会に伝える代弁者になりたい。ネットの片隅で話されていることをカチッとした形にして伝えていく」って話していたよーに、先進だからって別に高みから物を言うよーなことはなく、単にちょっぴり他より詳しく実情を知っている「Active」なユーザーって意味合いで、何か行政なり企業に向かって言うにあたって、名も知られていているんで取り上げられやすいし相手にも届きやすいだろうって、機能面での有意性を見込んだ上での組織立ち上げってことになったみたい。

 終局的にはおそらくは、インターネットってツールが生まれ個人が情報を発信し受け取りながら総体的な情報空間が出来上がるよーになった現状を認識した上で、旧来の著作権とかいった法制度が果たしてそのまま通用するのかどうかを考え、改めるべきは改めつつ、ならば著作権者はどーゆー方法で著作者としての利益を享受するよーになるべきなのか、あるいはもはや著作権とゆー概念は通用しなくなっていて、オープンソースなりライツフリーといった概念の中から創作者が何かしらの恩恵あるいは賞賛を受け、次の創作へと意志を向けられるよーな仕組みなり観念を作り出していくべきなのか、って辺りを考え出そうとしているんだろーけれども、現状そーした理念先行の動きでは行政に押されて窮屈さばかりが増していく。喫緊の問題として違法コンテンツのダウンロードを違法化する動きにまずは反対しつつ、身近な問題から対応していくって活動が主となるみたい。

 もちろんいたずらにダウンロードの違法化に反対を唱えていては、違法コンテンツが増えるばかりだって著作権者の意見に強く反論はできない訳で、その辺り違法コンテンツを提供しているサイトとかを送信可能化権の侵害だってことでしっかり抑える方を優先させるべきなんじゃないか、ってことを津田大介さんあたりは話してた。これも納得。プラス違法にアップされているコンテンツを今は違法じゃないからってどんどんとダウンロードしてしまう行為そのものが、あんまり芳しいことじゃないって意識を全体に醸成させる活動なんかも加われば整合性も取れるんだけれど、法とゆー白黒つけやすい基準とは違って理念信念の部分について果たしてネット上で意見がまとまるか、ってところがなかなかに悩ましい。

 ただ現状あまりに違法コンテンツのダウンロードが横行すると法規制による圧迫があり、それは合法的なコンテンツのダウンロード行為にも何らかの萎縮をもたらし合法的なサービスが日本で導入・発展せず、結果としてユーザーが多大な不利益を被ることになりかねない。その辺りについての想像を働かせた上でじゃあ今何をすべきなのか、その上で何を働きかけるべきなのかをユーザーの方もよくよく考えないと、数が集まれば起こりやすいより先鋭的でより暖かい意見へと傾く現象が理性を覆ってあふれ出て、事態をより混乱へと至らしめかねないんで強く意識を保つ必要がありそー。果たしてどれだけの賛同を集めどれくらいの意義ある論議が行われ、そして世間を動かし行政を動かして事態をユーザーにとって、そして企業にとっても国にとっても有意義な方向へと向かわせるのか。眺めて行こう遠くから。

 それにしてもかしこまってた白田准教授。設立会見で並んだ4人で一番大きくついつい「ジャイアント白田」って名前が浮かんだけれどもそれはそれとして服装が、ピークトラペルのシングルのブラックスーツで中にシルバーグレーのベストを着用していてまるで結婚式とか晩餐会とかに出席するお父さんの様。靴も儀礼典礼に相応しい黒のストレートチップでシャツは白く、ただネクタイだけは何かのお揃いなのかレジメンタルストライプのものになっていて、これさえ外して白いネクタイに代えればそのまま結婚式にだって出られそー。まあそれだけおめでたい設立発表会見だったってことで。このあとであの格好で学校に行って授業をしたのかなあ。講義じゃなくって言祝ぎの挨拶をして「夫婦酒」を唄ったりしてないかなあ。

 んで「ドラゴノーツ ザ・レゾナンス」は話が……見えない。まあこれもこれで見ていりゃあそのうち明らかになって来るんだろーけれども誰が敵で誰が見方でどれが1番の巨乳なのかがはっきりしないうちはどうにも手がかりがなくって困ってしまう。主人公の少年の妙におどおどとした感じもあんまり好みじゃない。ここは虚心に揺れる胸だけを観察しつつそのうちに浮かび上がって来るだろードラマをどうにかキャッチしていくことにしよー。サキとリョウコとメグミのオペレーター3人娘は誰がヴァネッサで誰がシャミーで誰がキム? いやほら直後に「超時空要塞マクロス」の再放送をやっているんで。オペレーター3人娘ちゃあこっちが元祖ですからねえ。誰派って言えば早瀬未沙派なんで別に誰が誰でも良いんだけれど。


【10月17日】 んでとりあえず上遠野浩平さんの「しずるさんと無言の姫君たち」を引っ張り出して読んでなるほどこつはトリックの解決よりもむしろ病室にたたずみながらも脳細胞を働かせて事件を解決するしずるさんと話を聞いてあげるよーちゃんの労り合い思い合う関係を描こうとしたお話なんだと理解。雪山にハイヒールの女性が毒殺死体となって発見されたり海辺に上半身だけの女性の死体が流れ着いたりバーでさっきまで喋り飲み泣いていたニューハーフな人が気づくと撲殺死体になっていたり竹に突き刺さっていた人が消えたりと、見かけは派手だけれども読み解けばロジカルに理解可能な事件はなあるほどって感想を与えてくれてもそれだけじゃあただのパズル。そこに孤高に生き続けるしずるさんと彼女にとって自分はいったいどんな存在なんだと悩みながらも精一杯に支えようとするよーちゃんの間に通う様々な感情が、立ち上っては目をくらくらとさせてくれる。うらやましい関係だけれど永遠ではありえない関係の帰結や、いかに。

 「BLUE DROP」の話が見えない。まあそんなアニメーションなんて「コードギアス 反逆のルルーシュ」なんかを始め過去現在未来と幾らもあるから気にせず見続けていりゃあそのうちに何とはなしに分かって来るから良いんだけれど、次へとつながる引きがあるかってゆーとそーではなく、展開が未だ転校生の反抗期的なシーンとあと美麗なお嬢様の戦闘シーンとで分断されてて間につながりが見えない上に、お嬢様の戦闘シーンの時系列がストレートなのか歪んでいるのかが掴めないんでどうにもとっかかりが得られない。絵は一方で感情の移入をなかなか許さない80年代風。太った寮長にヤンキー風味の副寮長ってシチュエーションのどこに心を入れて見れば良いのか、かといって真面目な眼鏡っ娘も今ひとつぼくとつ過ぎるしなあ。変身後のお嬢様のお腹部分が菱形に開いてのぞくお臍を見れば良い? まあそれは可能だけれどもしかしあの服でどーしてあそこをカットするんだろー。お腹冷えちゃうよ。

 「ULTRASEVEN X」はその風貌に最初っから見るのを投げていたんで出来不出来については不明だけれども少なくとも真夜中にそんな企画をやって誰がいったい喜ぶんだって悩みもあって、けれどもそれをやらざるを得ないシチュエーションへと至っていたこと事態はひとつの傾向を示していたんだろー、てことでそんな傾向が究極へと達した果てに至った円谷プロダクションのTYOグループ入りがいよいよ成し遂げられたってんで会見にゴー。しらんどる間に(知らない内に、の意)名前が「グランドプリンスホテル高輪」に変わっていた新高輪プリンスホテルの部屋に行くと30分前だってのにあんまり人もおらず会場もそんなに広くはなくって、世間の円谷ブランドに対する微妙なニュアンスってやつをほの感じる。だって円谷だよ、「ウルトラマン」だよ、それがどこかに買われちゃったんだよ、もっとすっげえ事態になっても不思議じゃないのに記者はそれなりで何故かバンダイの人たちまで座ってる。あとTBSの記者っぽくない面子とか、ってそりゃあ関係者じゃん、それを含めてのぼちぼちな人数こそがなあるほど、今のポジションを示しているんだろー。

 それでもテレビ局なんかは結構きていたからまあ全くの無関心になり下がったってことはなさそーで、むしろだから一大看板の円谷プロを買収したTYOって会社がいったいどこの何者? って辺りを探りにきていた節もある。テレビCMの世界じゃあそれこそ東北新社や電通テックなんかと並んでとっても大きな会社で仕事もハイクオリティなのをバンバンと出していたりする上に、「アタゴオルな猫の森」とか「アップルシード」を手がけたデジタル・フロンティアやら「ARIA」のハルフィルムメーカーやら「アニメ制作進行クロミちゃん」のゆめ太カンパニーといったアニメ制作会社も傘下にあってオタクもサブカルも決して見過ごして良い企業じゃあない。

 CGやら実写特撮のビルドアップもいつの間にやらTYO傘下になってCMやらパンダやらアキバちゃんやらを作ったりしている。技術や能力はあってもクリエーターの商法ではまま立ちゆかなくなる場合もあることを理解し経営面をバックアップしつつクリエイティブな部分は自由にさせて実績を出す。そんなポリシーを持ったグループって言えそうでだからこそあの天下の円谷プロがのっぴきならない状況に陥りながらも、解体されて権利関係だけを棚上げされてライツビジネスに特化する空気のよーな会社になるのを避けて、TYO傘下になる道を自ら選び走ったんだったってこれも言えそう。一応会見じゃあ社長の人が話しが持ち込まれたのは8月17日でそれまではまるで知らなかったと言ってたし。そこから10日でデュージェリ終えて決断下すんだから早いはやい。その速さがこの数年でグループを急成長させた要因でもあるんだろーなー。

 会見はだからグループのそんな実状を示して決して怪しい会社じゃないよってことを満天下に示そうとしたもので、来週にはさらに広告なんかを出して世間に理解を求める模様。やさぐれパンダとウルトラマンが握手でもしていたりするのかな。とはいえ決して道楽で買ったわけじゃなくって円谷プロが陥っていた経営悪化の要因を根こそぎ取り除くと断言。何せ「仕事をしていない方があまりにも多すぎるし使われていないオフィスが多すぎる。意味のない出費も多すぎる。組織ができておらず命令ラインがはっきりせず権限の分掌も出来ていない」とはあまりの言われよう。そんな状況下でよくぞこれまで新作を作ったり版権を管理したりイベントを開いたりできたもんだよ素晴らしい。まあイベントはきっとバンダイとかに丸投げだったんだろーなー。そのあたりがTYO傘下入りでどーなるか、玩具なんかは実績もあるから他には簡単には移らないだろーけれど、円谷に仮に深入りして版権管理的な仕事まで入り込んでしまっていたとしたら、その辺りは仕切直しってことになるんだろー。

 あとやっぱり気になるのが映像の部分だけれどもそこはやっぱり効率化こそが至上命題ってことらしく、CGを取り入れアニメの技術も多用していくって明言してた。着ぐるみをつかったアクションはキャラクターの特色にもなっているから変えないけれども踏みつぶす街とか空飛ぶ飛行機なんかは作っては壊しワイヤーで飛ばしては線を消すって作業はなくしてCGで置き換える道を探るとか。「もっとリアルで映像効果の高いものが合成でより短い時間で安価に出来る」とは社長の人の弁。「今の子供はっ合成のリアルなものを見慣れている。ちゃちさがいいよね、ってマニアックな感覚があるのは承知しているが、それはオタク。あまりにも少数の人のための異常な愛着にこだわっていてはいけない」とまで言い切ったところに決意の程が見える。

 ミニチュアってそんなにちゃちか? って疑問は感性がミニチュアで育った人間なんで何とも言えないけれども、まあCGでリアルにしたからといって人気が出るとは限らないし、逆にCG自体がちゃちでも「仮面ライダー」の新シリーズや「スーパー戦隊」の新シリーズはずっと高い人気を維持している訳で、ようは誰に向けて何を作っているのかを作り手が忘れずわきまえて作り、それを支える企業なんかとの連携もちゃんと行って人気を維持していくことが何より大切なんだってことで、「ウルトラマン」なんかでも「ガイア」とか「ダイナ」辺りのころはそれが出来てたよーに思うんだけれど、どこかで踏み間違ってしまって人気が途切れてしまった模様。まずはそこを回復させて大人に媚びずマニアは大切にしながらも絶対視はしないでちゃちでも良いから、見て楽しく感動できて語り伝えられる「ウルトラマン」て奴を、作って作り続けてくれればそれで十分って気がするけれども、さてはて。ミニチュアがちゃちだからお客が離れた訳じゃないんだよってことだけは、感じて欲しいよなあ。


【10月16日】 ピンクのミヤミヤが実はブラックだと判明した「バンブーブレード」第3話は栄花とふりひら花をまき散らしながら走る途中からすでにやや黒。んでもって戦隊のピンクだと指名された直後にぶわっと立ち上った暗黒のオーラがブルーのサヤの猛進と出会って一気に爆発。目付きに陰を帯びさせ手に自転車を持ち川へとたたき込むその姿の猛々しさに今期1番のストロンガーなヒロインとの確信を得る。手に木刀のミヤミヤにかなうのはモンスター化した時の夏美くらいか「逮捕しちゃうぞ」の。

 んで「スケッチブック」はあんまり動きがなくって淡々。ラスト付近でわらわらと人が出てきてにぎやかになったけれども基本対人恐怖っぽい女の子の身辺雑記で進んだ部分はその心情の痛々しさが響いてきてどうにも見ていられなかった。絵はちゃんとしていて表情も豊かなところはハイクオリティぶりが生きている。次も人数は少なさそうだけれども賑やかしの先生にピーちゃんとか不思議な先輩とかが絡んで来るから展開としては起伏があって楽しそう。これで月曜深夜の真夜中じゃなきゃあリアルタイムで見るんだけどなあ。

 せっかくだからと勢いで得たいの知れない映画を見ていたらそれが噂の「タイタス」だった、「ライオンキング」の演出を手がけたジュリー・テイモアが監督した。前に「劇団スタジオライフ」が「ロミオとジュリエット」を上演した際に開いたトークショーでとんでもない映像だって話が出ていてどんなだろうと気にはなっていたけど、ぱっと見た場面では階段の上から80年代後半のDCブランド風な衣装と髪型をした野郎がくねくね降りてきて何だこいつはと見ていたら何と皇帝。でもってゴート人の女王のジェシカ・ラングがムーア人と逢い引きする場面では真っ赤なコンシャス系のスーツ姿でその直後に襲われたラヴィニアってアンソニー・パーキンスが演じている武将タイタスの娘がジェシカ・ラングの息子2人に襲われた後のシーンで手首から先に奇妙な枝を生やしてる。

 そんな彼女に近づくタイタスの弟マーカスはコンサバティブな英国風のスーツで本国のシェイクスピアの舞台にそのまま立っていたって不思議はなさそーな恰好。ひとりタイタスだけがローマっぽいっていうかドイツっぽい軍服姿だったりと、ファッションだけ見ていても楽しいし勉強になる上に話そのものがどろどろとしていてぐちゃぐちゃとしていて高踏的なシェイクスピアのイメージとはまるで違った愛憎劇を見せてくれる。こりゃあ劇場で見たかったけれども日本で公開されたかどーかの記憶がまるでない。あったとしても大々的ではなかったんだろーなー。後半は来週だそーでそれまで待てそうもないんでDVDでも買って真夜中に見ようか。でもそれを見る前に見なきゃいけない録画済みアニメが山ほどに。「機動戦士ガンダムOO」ですらまだしっかりとは見ていない。中華巨乳とかまだ直に。

 ミステリ系のライトノベルを集めなきゃいけなくなりそーだったんで池袋のジュンク堂へと出向いて桜庭上遠野田代あたりの富士ミスとか友桐夏とか拾い集めてから3階の文芸売り場へと上がったら著書もある田口御大がその辺にいた店員に「時東ぁみって有名なのねえ」と聞いている所に行き会わせる。「事務所で聞いたらみんな知ってた」と御大が言と菜っ葉服よりメイド服が似合いそうな店員が「そうですよ、売れているかは知りませんが」と答えていたのを聞いて「有名だし、売れている」と声を大にして言いそうになったけれども、ぁみにぃが世間的に売れているかって言われるとどーにも手前基準で売れているって判断だったりしたのでそこは黙って立ち去る。

 ちなみにその手前基準でいうなら時東ぁみはイビチャ・オシム監督くらいに有名で続くのはジェフユナイテッド市原・千葉の選手全部と日テレ・ベレーザの酒井與恵選手とあとその辺り。なのであんまり世間と会話が成り立たない。何故だ? そんなジュンク堂では前に学研から出ていた「THEポッシボー」の2冊ある写真集の方の、買い逃していた方をよーやく見つけて確保。やや小さい方だけど水着がいっぱい。もちろん確か全員が18歳以下。いろいろあっただけに大丈夫か、って心配もあるけどまあいろいろあったってのはモデルになっていたのが家出娘でその確保のためにとりあえず使える法律を持ち出したよーな気もしないでもない。でなきゃ本気ならもっと低年齢の奴をパクってるだろー。法的に児童だからって結婚できる年齢の女性を捕まえ水着をポルノだなんて堂々論陣を張れるほとこの国も堅苦しくはない、と信じたい、けど、さて。

 だいたいがちまたに溢れるアイドル写真集なんて基本がファンの劣情に働きかけるもの。その中にはギリギリな水着の写真集だってわんさかある。摘発されたものと着衣って条件も同じでどーして取り締まったり取り締まらなかったりなんて基準が作れるのか。まあ恣意的に用いることが可能だって分かったことで気分的には陰鬱ではあるけれど、そこであらゆる18歳以下の水着写真集は禁止になったら出版業界だってテレビ業界だって黙ってないだろーから、今回はあくまで緊急措置だと考えておきたいものだけれども、しかしいよいよ始まるのかって懸念も脇には置いてはおけないんで、ここは慎重に成り行きを模様を眺めていくことにしよー。今の内に仕入れておいた方がいいのって、どれだ?

 つまりは人間が悪かったってことで鷹野祐希さん「秋津島3 神ながら人ながら」(GA文庫)は天孫の斎から虫けら扱いされながらも戦うまでには至らなかった地祇の斎に叛意ありと見た天孫の斎が立ち上がり天孫を襲い初めて起こった戦いに巻き込まれた鹿島とゆー天孫の地で育った地祇の斎の少女が諏訪から安芸を経て諏訪に戻ってそこで戦いの端緒で巻き添えを食らって死んでしまった恋人の少年と出会い誘われ惑うところからスタートし、実はやっぱり死んでいて黄泉の国から蘇ってきた体だと知ってこれと対峙。一方で天孫を下におく伊勢の斎が天照の託宣を受けて調査に乗り出し高千穂へと出向いてそこで諍いの理由を確認。つまりは1000年もそらとぼけえいた間に人間たちの間で疑心暗鬼が生まれていたってことで悠長な神のペースを無言の示唆だと受け止め勝手に解釈する人間の愚かさって奴が浮かび上がる。何だよそれって少年も安芸の斎も無駄死にってことかよ。まあそーした犠牲もあってこその1000年ぶりの復活とそして新たな時代の始まりってことで、対立から協調へとフェーズを買えた天孫と地祇による秋津島の統治が向かうは永遠の安寧かそれともやっぱり途中で人間の思い入れお思いこみが新たな誤解と諍いを有無か。後者ってのが人間だよなあ、1万年経っても依然として争っていやがるし。


【10月15日】 そうかやっぱり直接は駄目でもブルマーなら良いのかテレビ東京。「みなみけ」の第2話で1番上の姉の春香と弁当を囲んでいる同級生のマキがスカートは時々見えるから理不尽だとかと叫びだし、しゃがんで姉の白いパン……なんとかが見えたと騒ぎ立てては理不尽さを強調しよーとしたものの、そこに入ったのが大人締めのアツコから「だったらブルマをはけば」の声。ならばとマキが自分ではやらずアツコにブルマーをはかせそして春香にスカートをめくらせブルマを見させる実験を行ったシーンで、人はいったい何を感じたか。

 言語によって説明している以上はあれは下着ではないって判断で、テレビ東京は放送させたんだろーけど音声を消したままそのシーンだけを見て、黒っぽいだけであれは白い下着と同格だと想ってテレビ東京の腐心転換を讃えた人もいたかもしれない。ようは人の思想と感性の問題に過ぎない下着かブルマーかの違いを、言語的とは言いながらも観念的でしかない定義によって確立してしまう態度はやっぱり不遜。なのでテレビ東京には今後いかなるロジックであっても、絵で描かれるものは見たものの判断にゆだねるとの姿勢から、白だろうと黒だろうと堂々の解禁へと至って欲しいものだとここに断固主張する。というかだからどーして実写版「ネギま!」だとオッケーなんだ。やっぱりあれは違うものなのか。

 こう書くと映像的な美学もストーリー的な文学もすべて否定し俗情へと走るゲス野郎って言われそうだけれどもロジカルで先鋭的な作品を撮る巨匠と美学文学の世界から讃えられ崇められているあの人だって俗情の必要性をしっかりはっきり説いている。「月刊アニメージュ」の2007年11月号に連載の「映像日記」で押井守監督はモウリーニョのチェルシー退団を嘆きつつ映画「ディープ・ブルー」を取り上げその設定の無理ぶりを論っているんだけれどそんな映画にも理があると指摘。あの「エイリアン」に登場したシガニー・ウィーバー演じるリプリーがラストシーンで見せるパンツに匹敵するイコンとして、ゴム製のダイブスーツを脱いだ女優が電気でサメを吹き飛ばそうとするシーンにどっきりめっきり「目に鮮やかなセパレートの下着姿」が登場するって讃えて喜んでいる。「コードギアス 反逆のルルーシュ」で言うなら神根島ですっぽんぽんのまま飛びかかるカレンのシーン? ああでもすっぽんぽんじゃあ情がない。下着だからこその沸き立つ情動。その意味で谷口悟郎監督はまだ押井戸監督の感性には至ってないか。

 ゴムを下に敷けば電流は絶縁できるだろうって展開なんだろーけど現実的には水濡れしたゴムが本当に電流を遮るかは微妙とのこと。もっとも「科学的なリアリズムなどどうでもよろしい。モンダイなのは、白い下着だ、と監督のレニー・ハーリンさんも考えたのでしょう」と擁護して「モンスターと裸女という、この手の映画のキモ部分の演出だけは見事でした」と賛意を贈っている。なるほど草薙素子がラストで幼女になるのもそんなキモを分かった上での演出なのかと理解すれば、押井監督が美学や文学よりも尊ぶものを持った監督であり、「みなみけ」の展開に一喜一憂してはテレビ東京の理不尽さに憤る者たちと同類なんだってこともよく分かる。「いやあ、いいもン見せてもろた」とは偽らざる心境であり至福の吐息。なればこそ「白いセパレートに興味のある方はレンタル屋さんに走りましょう」との呼びかけに答えて借りに、あるいは買いに行こうかと考えてみたりする今日この頃。

 モウリーニョと言えばふと気が付くとモウリーニョからストイコビッチへと候補がすり替わっていた「名古屋グランパスエイト」の監督人事。とはいえ未だはっきりとはせず監督なのかスポーツディレクターなのかも分からない状況なだけにリーグ戦が残り天皇杯だって残っている選手たちの気も晴れないだろー。もっとも歴代にずらりとあれだけの名監督たちを並べながらも中部独特の中位が大好きな心性を発揮して、下位に落ちないけれども優勝争いには関わらない順位を堪能してきたチームのメンバーが、次ぎに誰が来るとか来ないとかで慌てるはずもなければ今いる監督の花道を飾ろうと考えるもなさそー。勝ったり負けたりしながらシーズンを終わり、適当なところで天皇杯も敗れ気が付くと監督が替わりそして始まったシーズンもやっぱりそれなりな戦いを見せて、中位をキープし続けるんだろー。これが名古屋ならではの目立たずかといって下がらない性根の典型ってことで。

 見解としてはストイコビッチが監督になるのはちょっと反対。って別に今は名古屋グランパスエイトが1番のサポートチームじゃないから真剣には考えないけどチームで中心になって選手を叱咤してきたタイプでもないし引退してから監督として修行したこともない。そもそもライセンスって持っているの?? って所もあってただでさえモチベーションの維持に手を焼きがちな名古屋の面々を御しきれるとは思えない。オシムの薫陶を現役時代に受けているからってそれと監督としての力量は別。オシムの指導を真横で見てきたペトロビッチですら広島で、あれだけのメンバーを擁しながらも引き締められず、中位どころか下位を伺う場所での低迷を余儀なくされている。それほどまでに難しい仕事をストイコビッチがこなせるのか。口で「まかせてちょーよ」と言っても現実は……。

 ってところでここはやっぱりモウリーニョかあるいはザルツブルグをおん出たトラパットーニをかっさらい、スペインで不遇をかこっていながら南米選手権じゃあ2得点をたたき込む活躍を見せたリケルメ選手をレンタルでも良いから呼んできて、今はまだデカいだけでもターゲットにはなりえる巻祐樹選手にピンポイントで当てるなり自ら得点を奪うなりしてもらえればもう万全。さらにロサンゼルス・ギャラクシーからそろそろお荷物感が漂い始めているベッカウ選手をリネカーも所属したクラブの伝統とトヨタマネーで引っ張り込んでは、右サイドからの攻撃の軸にすればもう面白いよーに得点が決まるに違いないけど、ロートル2人のお守りに疲弊したディフェンス陣が続々と突破され、奪った以上の得点を奪われやっぱり中位に停滞となる可能性は9割以上。それが名古屋屈指の中位力(ちゅうい・ちから)。もはや呪いの領域だよなあ。

 日本テレビの「Moto GP」の番組は冒頭に阿部典史さんの追悼が流れて誘われる涙。長髪にあのにこにことした顔が重なるノリック風味を久々にみて、あの頃のあのアグレッシブさが勝利へとつながっていたら果たして今みたく国内を走り挙げ句に事故、なんてことになったんだろーかと悩みも浮かぶ。巡り合わせ、ってこともあるんだろーなー。明けて「東京中日スポーツ」には「Moto GP」の会場で3つのカテゴリーに参加している選手と関係者が全員集まり黙祷を捧げたとの記事。掲載された写真の中央で沈痛な立ち姿を見せる白に緑のカラーのツナギを来たライダーは「ろっしふみ」と自ら名乗るくらいにノリックに憧れたバレンティーノ・ロッシだろー。やっぱり衝撃もでかかったか。「Moto GP」のサイトじゃあ「ノリックは自分に大きな影響を与えたライダー」ってコメントを寄せて思い出を語っている。

 「子供の時の自分の部屋の中はノリックとコリン・マクレーのポスターばかりでした」っていったいロッシ幾つだよ、ノリックとそんなに変わらないんじゃないのかよ、って調べたら「1994年のノリックの500ccデビュー戦ビデオをいつでも見ていました。ノリックがケビン(シュワンツ)とミック(ドゥーハン)を相手に戦い、至る所で抜きにかかるやつです。2〜3ヶ月は毎日そのビデオを観てから学校に行っていたのを覚えていますね」って言ってる94年にロッシはだいたい15歳。なるほど確かにまだ子供で、家にポスターを貼って憧れていたって不思議じゃない。WRCのコリン・マクレーといい憧れを相次ぎ亡くして神経もおだやかじゃなかっただろーロッシだけれどその試合でしっかり3位をキープする辺りはさすがに天才。同じ天才でもたどりついた地平の違いを考えたいけどそれも片方亡き今は詮無いこと。ここはノリックの遺志を組みバイクレースが盛り上がるためには何が必要かを考えることにしたいなあ。でも「東京中日スポーツ」だけだったからなあ、ロッシらによる追悼の記事を掲載したのって。道は遠いなあ。


【10月14日】 「月刊アニメージュ」2007年11月号に掲載の紹介ページの絵があまりにも沙織お嬢様は艶めかしく歩くんは耽美でしおんは可愛らしくって原作の割に平べったい絵との違いに誰だこいつらはと訝ったけれどもスタートしたテレビアニメーション版「しおんの王」は塗りこそ平板なところに重ねて立体感を出そうとする一風変わった塗り方ながらも全体として原作の絵の雰囲気が出ていた感じ。しおんはくりくりとしていて沙織はそんなしおんをいじくり倒す影で蹴りいれていたりしてなかなかしたたか。そして歩。原作を読んでいるから知ってはいたけど改めて動いて喋っている所を見せられるとついつい情をかけてしまいそーになる。見破ったやさぐれ棋士の神岡九段はさすが。というかああいったアウトロー的な棋士ってゆーと、どーしてもいつも若き日の升田幸三っぽくなるかねえ。

 絵的にはやっぱり歩の女流棋士化した時の目つきとかしぐさとかが楽しみなところか。神岡九段に迫られた時の脚の描かれ方なんって実に肉感的。胸板は遠目にはちょい分からない感じになってて下半身の艶っぽさとの対比が過ぎて目に違和感とはあんまりならなかったけれどもワザとかは知らない。公園で追われるしおんを見つけた時のバージョンとあまりに違うのはやっぱり描く側に歩は女流棋士バージョンだって信念があって絵が適当になってしまうのか。その気持ちはとても分かる。ってまあ原作でもそっちのバージョンはあんな感じだったからそのまんまってことで。

 そーいや原作のかとりまさるが林葉直子さんだてってのは広く知られている話なのかなあ、あれだけワイドショーを騒がせた人の原作の漫画がヒットしてアニメまで始まったのにワイドショーが大々的に取り上げたって話は聞かないし。そーゆー方面での価値がないのかアニメには。いや既に林葉直子さんには。ならば文化の側から真っ当に原作者としてメディアで取り上げたいところだけれども将棋を主催しているメディアじゃあ出したがらないだろーなー。会長の弟子で前会長に突撃された身なだけに連盟の目もあるし。ちなみに漫画の安藤慈朗さんは別名あるまじろうさん。なるほどこりゃあメジャーなシーンじゃ扱い辛いよなあ。でも漫画は面白い。アニメも面白くなりそーなんで出した講談社に放送しているフジテレビには心よりの賛辞を贈ろう。完結していない作品だけにどこまで描くかにも興味、だ。

 もうむちゃくちゃに面白い。んでもって胸にジンと来る。こういっちゃあなんだけれども新風舎って決してメジャーではないレーベルから出ていることが何らかのハンディにならなきゃ良いけどって心配もしてしまうけれどもおいしい食べ物に国境はなく、楽しい小説にメジャーもマイナーもない。だから気にせず手に取るべきだと松山剛さんの「怪獣工場ピギャース」(新風舎文庫、848円)については断言する。

 舞台はいずこかの国で隣国に怪獣たちが暮らすギャース怪獣共和国があってこっちには人間たちのリベルタ国があってしばらく前に戦争も起こったけれども今は停戦状態にあってギャースからは戦争にともなう経済の疲弊であふれた怪獣たちが出稼ぎに来ていて、けれども真っ当な職にはなかなかつけない怪獣たちや、戦争で捉えられてリベルタ国に残った怪獣たちを養うべく作られたのが民間怪獣厚生施設。第一工場はアンギャースでそこでは怪獣をショーなんかに派遣する仕事が行われていたけど第二工場ピギャースは、本当に工場として怪獣をモデルにした玩具が毎日怪獣たちによって生産されていた。

 そのピギャースの工場長こそがクレアことクレアティフ・レイデル。あぶれた怪獣たちを救うべく工場をつくったバン・モンスタニア・レイデルの娘でまだ見かけは子供ながらも工場長として怪獣たちを叱咤し働かせては工場をもり立てようと頑張っている。時に叱咤が行き過ぎることもあったけれどもそこは生産管理チーフのアレックスがしっかりフォローし怪獣たちもクレアの日々の頑張りと、時に見せる優しさなんかを知っていてサボタージュを起こしたりするよーなことはない。クレアの幼なじみでライバルのフィオナ・イマジナルが工場長になっているアンギャースとの間で行われるレクリエーションのドッジボールでクレアがアンギャースの怪獣に小馬鹿にされると、奮起して崖っぷちから逆転を成し遂げピギャースに勝利をもたらす。そんな気のいい奴ばかりの怪獣工場に影が迫る。

 突如おこったギャース怪獣王国との戦争でピギャースの生産はとめられ怪獣たちには人間たちからの激しい差別が行われる。さらに迫る陰謀。アレックスが過去を暴かれ連れ去られ、ピギャースの怪獣にも押さえ込まれていた巨大化による暴走の鍵を外す仕掛けが繰り出されては人間たちから更なる反発を喰らう。板挟みとなって苦しむクレアにもその身に眠る力を求めた企みが迫る。もはや怪獣と人間は戦うよりほかにないのか。そこに響き渡る歌声は、第二工場ピギャースにいつからともなく歌い継がれている労働歌。未来に向かって希望をともすその歌声に怪獣たちは目覚め、クレアも心を取り戻して真の敵へと力を向ける。

 娘を想いかばって薬を与えた挙げ句に自らは暴走してしまったイカ怪獣イカロスの末路に浮かぶ悲しみや、同様に妹を半ば人質にとられスパイを勤め上げながらも妹とどもと陰謀に巻き込まれ身を散らす女性など、肉親を想う気持ちの尊さとそれを利用しようとする者共の悪辣さが響いて胸打たれる。すべての陰謀の主そのものが同様に肉親への情愛を募らせた挙げ句の暴走であったりするところに、怪獣であろーと人間であろーと等しく誰かを想う心は同じなんだと教えられる。

 けれどもだからといって他を犠牲にして良いはずもなく、あまりな暴走っぷりに憤りが浮かび犠牲になって倒れていく怪獣たちの姿に涙がにじみ流れて落ちる。それ故にだからこそ恨みとか怒りに走らずクレアを慕い続ける怪獣たちの心根の優しさと、そんな怪獣たちを慈しむクレアの情愛の深さが響く。ああ感動の物語。ラストに迫る悲劇の予感にページを繰る手も止まりそーになるけれど、そこを受け入れ読むのが逝った怪獣の親子や姉妹やその他大勢の者たちへの義務。差し込む光明に未来を二度とゆがめないためにすべき何かを思い知れ。

 夜に入って録画済みをあれこれ。「スカイガールズ」は必殺の片岡エンディングにも慣れた。「ef」なんとかは断片の積み重ねからだんだんと関係が分かってきた。「もやしもん」はきっと原作どーりなんだろー。ボンデージ姉ちゃんのボンデージっぷりが凄いけれども露出は今ひとつか。菌は3DCG? んで「レンタルマギカ」はとりあえず最初に戻ったところからエピソードをスタート。穂波・高瀬・アンブラーのあの四角い眼鏡はどに行けば売ってるんだろー。伊庭いつきのへたれている時の声はやっぱり「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュ・ランペルージには聞こえない。もちろんゼロにも。間のCMで流れる張りつめた声はちょっぴりゼロになるのに。幅の広い役者だなあ。それにしてもアディリシアの髪はどーしていつもあんなにクルクルしてるのか。


【10月13日】 土曜日でよかった。まあ最近近所に黒猫が出没するよーになって計ったよーに通りがかると前を横切るものだから、運とかあんまり気にしなくなって来た。というよりむしろずっとどん底なんで、草履屋の前を歩くだけて並んでいる草履の鼻緒がすべてぶっちぎれよーと、黒猫が1万匹前を横切るのに3時間くらい待たされよーと怖いものはないのである。怖いのは生きられずに「コードギアス 反逆のルルーシュ」の続きが見られなくなることくらいか。あと「ヱヴァンゲリヲン劇場版」の残り2話の完成が見られないことか。本当に完成するのか。

 まあ見ていると興行収入も好調なよーで1カ月経ってもベスト10にランクインしているみたいだし気をよくしてちゃんと作ってくれるものと期待しつつ電車に乗って秋葉原へと出向いてまずは「ヨドバシカメラ」の8階にある中華屋で炒飯の大盛りをかき込む昼食。3回目の今日はネギと挽肉の炒飯にしたけど相変わらず高温でご飯がからりとしてパラリとしていてなかなかに美味。フレークみたいなのをかけてるのも歯ごたえになって良いですねえ。次回こそはエビとかカニとか入った高い奴を喰いたいものだが、だんだんと給料日から遠ざかって次回の給料日へと迫りつつある状況ではちょっと厳しいものが。直前にアニメDVDがわさわさっと出ることもあってそれまで資金をプールしておかなくちゃいけないのだ。ゲームも出るよな「コードギアス 反逆のルルーシュ」のDS版とか。

 「ギアス」に関しては外国人の観光客で沸き立つ秋葉原駅前のコトブキヤへと入って前にも1つ買った475円のフィギュア入りボックスを2個追加。前はアッシュフォード学園の制服姿のルルーシュだったけれども今回は朝に黒猫をみかけなかった幸運もあってか1つはカレンでもう1つは待望のC.C.。数少ない女性キャラの2つともを同時にせしめる幸運はつまりこれより後に幸運は待ち受けていないってことの現れでもあるけれど、今のこの幸せを今日だけは存分に楽しませて頂くことにしよー。カレンもなかなかなスタイルだけれどC.C.は想像どおりにお尻の造型がなかなか。もっと出っ張っていても悪くはないけど全体にスレンダーな彼女なだけにこれだけの丸みがあればもう十分。触れてもフィギュアなんで固いだけだけれどもそこは想像のパワーでもってあの体脂肪率にあの服の素材からこれくらいの弾力だってことを脳内に無理矢理にでも感じさせて楽しむことにしよー。なあに時間はたっぷりあるぞ。本物を触る時間がまるで皆無な代わりとして。

 手に「ゲーマーズ」で買った平野綾さんのマキシシングルにおまけでついてきたポスターを下げつつ鞄にやや前屈みになった平野綾さんの見えそうで見えないところがなかなかにそそられるブロマイドを入れつつ山手線で有楽町へと出てオープンしたばかりの新しいファッションビルを見上げたけれどもどーせ中身は丸井なんだからと中には入らず即退散。交通会館側からガードしたを抜けて電気ビルへと抜ける道路が潰され広場になっていたのにはちょっと驚いた。たかだかファッションビルのために道路を潰すか。でもまあ抜け道にだって使えない道路だったんで広く空間をとって人が集まりやすいよーにすることで、より活気を高められるって考えもあるから良いか。あとはその広場をどう使うか。せっかくなんだからヘブンズアーティストだったっけ、東京都が認めた大道芸の人たちに自由に使ってもらえるよーにすればにぎやかで良いのに。あるいは紙芝居とかガマの油といった日本の伝統的な露天の芸なんかに。新しくするばかりじゃなくって文化と景観を守り育てていくってことをしないと他に新しいビルが出来たらそっちへ人が流れるだけ、なのだ。

 銀座から地下鉄丸の内線で荻窪へと出てちょっぴり休憩してから徒歩で「日本アニメーター・演出協会」の会見へ。前に来たのは3年半とか昔に杉並アニメーションフェアだかに近所の会館へと脚を向けた時以来か。いやそこだったのかどーか記憶にないけどアニメの里でアニメの新しい歴史を刻む会見が行われるってのはやっぱりなかなかに感動的。問題はその歴史的なイベントが例えば革命を目論む面々によって地下室で血判状が作り上げられるよーな血なまぐささをもったものなのか、それともアニメ業界が全体として次のフェーズへと向かう祝福と賛辞に満ちたものなのかって所で、代表の人とかが何を考えどうしていくのかを聞きたくって会見場に入って待つことしばらく。現れた芦田豊雄さんはとてもミンキーモモを描くよーな感じには見えないダンディな紳士で物腰も柔らかく、それでいて発現には慎重さと大胆さが備わっていてなるほど代表になるに相応しい、重みと深みを持った人だと納得する。

パプリカがいておきうらくんがいてジョミーがいてハクション大魔王までいる寄せ書き。売れば相当な額に。というより歴史的なこれは逸品だ  発起人として呼び入れられた面々がまたすごくって、背の高さと風貌ですぐに目がついたのが「パプリカ」の今敏さんで昨今のアニメ監督の中ではトップクラスの知名度と人気を持っている今さんが参加している上に「人狼」の沖浦啓之さんがいたりとか、「ファンタジックチルドレン」のなかむらたかしさんが多分いたりとか(名前が読み上げられていた)、「地球へ」が終わった山崎理かさんがいて寄せ書きに多分ジョミーを描いていたりとか、「ダンバイン」「エルガイム」の作画監督だった金山明博さんとか「セーラームーン」の只野和子さんとか、スケッチブックを持って回りたいくらいの面々が勢揃いして壇上に並んでいる様に、つまりこれは重鎮である芦田さんに対する敬意ってこと以上に、現場のアニメーターたちに状勢への危機感があるんだってことが伺えて背筋がピンと立つ。

 まずあったのは今敏さんの挨拶で「朝の新聞に『アニメ大国悲鳴』という記事が出ていたが、まったくその通りだと思う。悲鳴を上げ始めたのは30年ほど前で、30年も悲鳴を上げていると悲鳴も嗄れてきた頃だけど、こうして悲鳴を外部へ届けようとする団体が出来たことは喜ばしいこと。微力ながらお手伝いしたいと思う」といつもの訥々としてロジカルで説得力のある口調で話して集まった人たちを今が火急の時だと分からせそして「装甲騎兵ボトムズ」の作画監督で知られる谷口守泰さんが「専門学校で講師をしているが、希望の職業を聞くと2人がアニメで1人が美術とアニメ関係に行きたい人が3人しかいない」と今やアニメ専門学校の生徒ですらアニメ業界を敬遠するよーになっている実状を話して根底に「金銭的な問題が多い」と指摘する。

 そんな空気に対して何とかしないとって立ち上がったのが重鎮・芦田豊雄さんでそのあたりの経緯は「JAniCA」のページに詳しいけれども問題はやっぱり待遇改善を打ち出す以上は第二次世界大戦後に起こった数々の労働争議のよーな闘争による待遇改善を経営に対し求めていく、組合的ユニオン的な圧力団体を目指すのか、それとも違う道を選ぶのかってところで芦田さんの話なんかを総合すると、大目標はとにかく良いアニメーションが作られるよーになる環境づくりであって、それが成し遂げられるには現場の待遇改善がまず必要だけれども、経営にはだから待遇を改善しろってことじゃなく、むしろスポンサーも含めて危機意識を共有できるよーな雰囲気を作って、共に待遇の改善を通した質の向上を目指して行かなくては、アニメが持つ文化としての優位性も産業としての可能性も、ともに廃れていってしまうんで、ここはいたずらに対立するんじゃなくって、ともに頑張っていこうって声を挙げる、啓蒙的な団体になっていくって感じがした。

 そりゃあ構図としては労働運動みたく組合を作りストを行いかけがえのなさから要求を飲ませるって手が分かりやすいけど、今時そーしたことをやったって禍根だけが残って双方の意識は前を向かない。あの浜野保樹さんも応援団の1人として会見には参加していて、例えば米国のアニメーターユニオンのよーなものを作って権利を強めたら強めたで、アメリカの会社が欧州から安価なクリエーターを呼んで作らせるのユニオン外しが行われたりするだけだけのこと。一方で国がだったらアニメーターの地位と収入を保証しましょうってなっても、今度はフランスのよーにお金がもらえるんだったら働かないってクリエーターが出かねず、フランスのよーに作品が生まれにくくなることもあるってことを話してた。

 対立したって駄目なら共に前を向くしかない。それが共に良いものをもたらすんだって言ってもそれは資本の論理と反対だからあり得ないって返されそーだけど、だからといってやらなければ共倒れは必至。ましてや高齢化が進み少子化も進んで日本の人口が6500万人とか更に減って3500万人とかになっていき、それも頭でっかちで子供や青年が少なくなった時代に、国内市場だけで商売が出来るはずもなくいきおい海外に目を向けなくてはいけなくなるにも関わらず、とりあえず何とかなってる国内向けに粗製濫造していて残る物は何もない。やるなら今しかない、って切実さが「鉄腕アトム」のテレビシリーズスタート以来40年を経てよーやく、アニメーターたちが立ち上がっての団体の設立へと至ったんだろー。その限界ぎりぎりっぷりを見落として、年寄りの冷や水みたく考えていると手ひどいしっぺ返しを遠からず喰らうことになるんだってことを、知らしめただけでも設立の意味はとても大きい。とてつもなく大きい。

 「アニメーターは芸人みたいなものだから、給料が少なくたって仕方がない」って揶揄に対する反論もしきりにしていて、「貧乏な芸人は仕事がない芸人。月に1本くらいしか仕事がない。しかし我々は仕事がある。毎日働いていて、それなのに貧乏」なのは業界のどこかに構造的な問題があるってことで、これまではそれでも趣味とプライドでもって安くても頑張り最善を尽くしてきたものが、もはや限界に来てしまっていて何とかするべきに来ているんだ、だから立ち上がったんだってことを示唆してた。「アニメーターという餡を包むように脚本や声優がいて制作といった皮のところがる。今は餡のところが腐り始めている」は赤福問題があった時だけになかなかな例え。まあ赤福は餡が外側にあるんで例えには不適切だけれどもともかく根が腐れてしまっては立てる稲穂も倒れてしまう。なるほどな意見にひたすら賛意を抱く。

 もっとも。現場の収入を増やすには末端から上がる収益を増やさなくちゃいけないんだけれども現状、これほどまでに大量のアニメが放映されている中でユーザーはもはや全部の作品のDVDや原作本を買ってアニメを支えるなんてことは不可能になっている。一部ですら買うより録画してあるのを見返したり、どっかで見て良しとしてしまうよーになっていて、収益モデルがどんどんと崩れているにも関わらず増え続けるアニメの業界に回るお金は薄くなるばかり。途中でよほど搾取している存在があるなら別だけれどそれとてあらゆるアニメに参加しているクリエーターを支えられるほど儲けているかどうかは微妙。

 それでも赤貧にあえぐ現場からすれば気持ちだけでも還元は欲しいところだけれども一方で誰も見られず誰もDVDを買えないくらいにアニメが作られ過ぎている状況を、改善して例えば制作本数を絞り参加している人数も絞って1人あたりの利益を増やすとかいった計画経済的な制作体制を作るか、国内が飽和状態なら外に市場を見出し売り込んでいける仕組みを作るとかしないと現場で声をあげても無い袖は振れないって言われそー。気持ちとしては山ほどの作品から選んでみられる今の状況が大好きで、ネットメディアを利用することによってダイレクトにユーザーに作品を届けて中間を減らすとかによって作品本数は維持され現場も懐を癒される仕組みなんかが、生まれ定着していってくれれば未来も暗くないんだけれど果たしてどーなることか。今は参加していない大物も面子の凄さに入って来れば報じられる機会も増えて共感も広がりウィン・ウィンな関係づくりに動き出してくれると信じつつ、ないかが動き始めたこの記念すべき日を気持ちに刻んで30年後に自分がどんなアニメを見て喜んでいるかを想像しよー。やっぱりロボット×美少女×メイド物、か。魂は老いない。


【10月12日】 30年にわたって瞬間冷凍そしてゆっくり解凍を続けて誰もお腹いたいとか固さに歯を折ったとかって話もまるで聞かない訳だから、別に問題ないっちゃーなかった訳でこのエコ奨励社会において先駆的モデルとして逆に表彰してやったって悪くはないけど、法律がそう定めている以上はやっぱり製造年月日は守らなきゃいけないってことで、線引きが曖昧な義務でしかない賞味期限とは違ってやっぱりあれこれ指導されても仕方がないのが法治国家の定めって奴だ。ここはしっかり出直してやって頂きたいけれども冷凍解凍でもって処分を回避していた分が割とあるだけにそれらがなくなると果たして価格は大丈夫か。経営は危なくならないか。そんな心配も生まれてしまう今日この頃。そういやしばらく「赤福」食べてないなあ。

 まあ良い所詮は伊勢の名物「赤福餅」はえじゃないか、ちゅん。名古屋駅に売っていよーと名古屋の名物ではない訳で、なのに名古屋でも普通に売られている現状をずっと苦々しく想っていたに違いない地元は熱田神宮のそばで売られて必至になって名物だ名物だとテレビCMなんかで訴えてきた「きよめ餅」、餅を餡で固めた赤福をひっくり返して餡を餅の中にいれたパチもん、ってそりゃあ普通の大福じゃん、って意見はさておきともかくも「赤福」の前に名物争いで煮え湯を飲まされてきたきよめ餅がこれでぐぐぐっと頭を上げて熱田から逆に伊勢へと進撃し、京都東京へも出て日本の名物へと出世してくれても個人的にはあんまり嬉しくなかったり。

 だって上品すぎるんだもん、「きよめ餅」。あのでぼっとついた餡が口中でぶわっと広がる豪快さが「赤福」の魅力。対して薄い餅の皮の中にあってさくっと口中でにじむ甘さが「きよめ餅」。お茶請けには良いけどおやつにはならない。食べ終えた後に箱の内側に残った餡をへらでこそぎ落として食べる「赤福」ならではの楽しみも「きよめ餅」にはない。むしろ豪快さなら両口屋是清の「千なり」の方がただのどら焼きではあっても餡がこしあんつぶあんにくわえて赤いの緑色のとバラエティに富んでていろいろ味わいを楽しめる。インパクトだったら知立は藤田屋の「大あんまき」が最高。とにかくデカ。あまりいデカいもんだから「名古屋グランパスエイト」の試合の時にも「グランまき」として名物として売られていたりとちゃっかり名古屋進出を果たしてる。岡崎の備前屋「淡雪」はまだだけど岡崎なんで家康なんで泣くまで待とうホトトギス、100年後にはきっと全国を統一しているだろー。ってことできよめ餅の天下はそんなに続きそうもないけどまあ、せっかくだから買ってみるか「きよめ餅」。

 辺見えむさんとゆーまるで来歴を聞かず受賞歴もないまま颯爽と登場した作家の人の「ビジュアル7」(ビーズログ文庫)の最新第2巻の帯に「これはただの逆ハーレム小説じゃない(と思う)」とメッセージを寄せているのが小松左京賞を獲得してどちらかといえば硬派なお話をよく書いているSF作家の町井登志夫さんだとゆー、その因果関係がいったい何なのかを空想妄想していたりする秋の夜。お話の方は男子ばかりだった中に女子の入学も認められたけれども今んところ3人しか女子がいない学校で、学園祭が開かれることになって何をやるかって検討した挙げ句にクラスでも1番の”美少女”ジュリアが冷徹な仕切でもってメイド喫茶をやると決定。それも男子がメイドの服を着る喫茶店で屈指の美貌を誇り「ビジュアル7」と呼ばれ崇められている一部の男子生徒目当てに校外からの来場も期待できると皮算用も進む中で、ダ・ヴィンチが描いたと言われる幻の作品をめぐる事件が起こってただ美しいだけでなく能力も様々なビジュアルたちが活躍を見せる。

 転入して来て3人目の女子生徒となったヒロインの千晶は前巻同様にビジュアルたちに振り回され、あるいは使って事件の確信へと迫る。そして明らかになった「モナ・リザ」の真実が本当なのかどうかは知らないけれどもともかく見所はやっぱりビジュアルたちのメイド姿。残念にもイラストは仏頂面でパソコンをにらみトレードをし続けている明智優しか描かれていないけれどもすらりた伸びた脚を包むニーソックスに頭頂部の猫耳のマッチングが怜悧な表情と相まってなかなかに神々しい輝きを放っている。このセンスで仕立てられた衣装をホストとして大人気の綾辻光がまとったら……阿鼻叫喚も必至だし事実そーなったみたい。女性でなくても10回通ってピンナップをもらいたがるだろー。どーして折り込みイラストで付けてくれなかったんだビーズログ文庫。

 3人いる女子たちよりも美しいのにジュリアは残念にも執事服。女子は逆に執事服、ってことだけれどもジュリアの場合は3人いる女子よりも美しい存在だからなあ、つまりは、ってことで見ていてあんまり嬉しくない。ってことで1人増えたビジュアルたちの残りは1人。だけどそーした男性たちに囲まれもてはやされるって設定はなく、ただひたすらに手前勝手にふるまうビジュアルたちの飛んだ行動を楽しみつつ、巻き込まれ引っ張り回される千晶のとまどいを見つめつつ、そんな中から浮かび上がる事件の謎解きを味わうのがこの「ビジュアル7」の真骨頂ってことでその意味で町井さんの意見は実に的確、どこまでも裏側までも知り尽くしたかのよーなコメントって言えそう。だかだどーして町井さんが帯を?

 「ドラゴノーツ」もどっかんどっかんだけれど「機動戦士ガンダムOO」も女性キャラクターはクリスティナ・シエラもスメラギ・李・ノリエガも王留美も割にどっかんどっかんだなあと「月刊アニメージュ」2007年11月号に掲載のイラストなんかを見つつ感嘆。細身の腹からの付き上がりっぷりがいずれも凄くって中にいったい何が入っているのかと想わせる。ひとりフェルト・グレイスだけは標準だけれど14歳でこれなら未来は期待出来そう。そんな楽しみがあるってだけで「ガンダムOO」は良いアニメに認定。でもまだ第1話見ていない。「コードギアス 反逆のルルーシュ」関連は折り込みピンナップの裏に成田剣さん絡みの記事が大きく載ってて日陰の華っぷりがジェレミアらしいけど次はできればヴィレッタかコーネリアで。下敷きのシャナが悠二人形を抱えてて可愛らし過ぎ。


【10月11日】 真夜中にまどろみながらブルマが空を駆け上がって竜になるアニメーションを脳裏のどこかに刻みつつ気を失って目覚めて朝。いよいよ始まる「全日本模型ショー」へと向かって家を出て、「週刊新潮」に掲載されている朝日と産経の文通に関する記事は読まずに電車とバスを乗り継ぎ「幕張メッセ」へと到着。入って早速バンダイのブースへと向かってタチコマを探したけれどもこいつはまだ出ていなかった。ちょっと残念。

 替わりにメタル塗装のサザビーとか肩が赤く塗られたスコープドッグとかを見て1万円を超えてるサザビーとか7000円くらいしたレッドショルダーとかに今時のプラモデルって一体誰のものなんだろーって黙考、少なくとも子供のものではないけれど、かといってミリタリー系のスケールモデルを楽しむには組み立てて塗装をしたりって壁もあって、それを超えるべく高級感あるメタリック塗装を最初っから施して、色を塗ったりする手間を省いたサザビーが出たり、こっちも組み立てるだけでまあそれなりな雰囲気が出せるレッドショルダーが出たりしているんだろーと理解する。

 前にガンプラ名人の川口克己さんはサザビーなんかが入った「MG」も組み立ててそれなりに見栄はするけどそれはそこから先へと進んで欲しいよう、ステップが最初っから付けてあるだけなんだってことを話してくれたけれどももう1歩先に行くには現代人はあまりに忙しい。だから塗装で差が付けられるかわりに値段の高いサザビーなんかが出たりするんだろーし、似た傾向のプラモデルはこれからもどんどんと出てきそう。パール塗装のガンダムとか。ブラックマイカのサイコガンダムとか。ああ高そう。

 じゃあスケールモデルは誰の手に、ってことでもはや時間もたっぷりあって小金も持ってる団塊リタイア世代あたりが対象になって来ている模様。お仏壇ではない模型のハセガワが出してた350分の1スケールの「戦艦長門」は長門有希の名字を持ちながらもまるで媚びたところはなし。64センチくらいの巨体が800点以上のパーツでもって作り上げられていて、見た目にリアルな昭和16年当時の戦艦長門の偉容を見せてくれる。価格はちょっぴり高いパーフェクトグレード並の19950円くらい? 約2万円ってことで価格的にも、また組み立てる手間的にも子供がちょちょっとでは不可能だし、勤め人が日曜の休日を利用してってのも難しい。それだど何年かかるやら。

 だからやっぱり夕刻だとか午前だとかにいじる余裕のある人向きで、1週間くらいかけて艦橋をつくり継ぎに甲板の上を整備し時々塗装もしながらじっくりゆっくりと作り上げていく楽しみを、2カ月くらい続けてよーやく完成の日の目を見るってことになりそー。1カ月1万円の道楽だったら安いよねえ。プラスアルファで質感を高めるエッチングパーツも別売りであってこいつを付けると砲身とかが金属になり甲板の脇に金属の手すりもついてより戦艦らしく見えてくる。さらなる投資が出来てスキルも上達に時間をかけられる層ったらやっぱり団塊リタイア世代を中心とした年輩層。幼少の頃にあこがれた長門をその手に、って願いも潜在的に持っている層にはもうバッチリってことになりそー。戦艦ファンじゃないけどそのスケール感リアル感とあと付録の冊子の為に買って作ってはみたいけれどもさすがに時間も金もない。20年後の道楽にしよー、とか言っているといきなり暇だけは出来てしまったりして。いつがヤマだ。

 こっちはだからせいぜい「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出てくるナイトメアフレームの商品化を待って買ってささっと組み立てるくらいが丁度良いのか。展示してあったのは既発の「ランスロット」のほかに吸収へと攻めた時に使った飛行ユニット付き「ランスロット」にカレンが乗る「紅蓮 弐式」にルルーシュが操るガウェインにコーネリアが扱うグロースターあたりが目についたけれどもグロースターはプラモじゃなくってガレージキットだったかな。別のコーナーにはそのコーネリア様のガレージキットのフィギュアが灰色の地ながら展示してあって屹立する姿の勇ましさに跪いて拝みたくなった。下から見たってスカートじゃないから何も見えないなけど。見えて嬉しい買っていうとうーん、うーん、まあ嬉しい、かな。

 つるつると見て45度以上はある壁をずりずりっと上がっていくラジコンの車がなかなかに壮絶。壁面の抵抗が多い上にタイヤもきっと粘性の高いものをはめているんだろー。垂直の壁はさすがに難しいのかな。フィギュア系ではめがっさな鶴屋さんほかハルヒにみくるのフィギュアがあったりとらドラがいたり「世界樹の女神」のキャラがいたりとまあ多彩。以前ほどどこもかしこもじゃなくなった分、残されたメーカーはなかなかに精緻なものを出して生きている。あとは海上に続いて航空自衛官の娘フィギュアシリーズか。ロボット関係は前年と替わらないところが鉄棒をやらせたり千手観音をやらせたりしていた程度。大人のホビーとなるにはまだ、制御プログラムを入れるところでパソコンが必要になっているのがネックなのかもしれない。その辺りが改善されてオブジェクトのプログラムを携帯電話なんかでダウンロードしてロボットに転送してやれるくらいになればあるいはラジコンのロボット市場もぐんぐんと成長するのかも。

 とか何とか見物しつつ帰って原稿を書きサッカーなメディアの3年が経って続いているねえって話をしに新宿まで行ってから虎ノ門に移ったソニー・ピクチャーズの試写室で昨年の「アニマックス大賞」を受賞したシナリオが元になって作られたアニメーション「ゆめだまや奇譚」を鑑賞、その子供っぽい雰囲気とカラフルな色彩はどこがプロダクションIGの作品なんだって見る人の大半を思わせそうだけれど、DVDを買ってもらって何度も見返してもらうために謎を散りばめ絵も緻密にして、幾度かの鑑賞が必要にしてしまった挙げ句に一般の一見さんでは敷居が高い作品をいつまでも作っていては、クリエーターの傾向も偏ってしまう。

 「アニマックス大賞」は受賞作をスタジオが30分くらいのアニメにすることになっていて、この回では高品質って前提には立たず、ただテレビで見て楽しい時間を過ごしてもらえる作品を手がけることによってス、タッフも育成できるしスタジオとしての経験も付くって考えからプロダクションIGも引き受け制作したんだってことを後で石川光久さんも話してた。その甲斐あって他にはあまりないテイストの絵に仕上がっていたって印象。高橋葉介さんのキャラクター原案もどことなく面影はありながら、パッと見ではちょっと高橋さんっぽくないところがユニーク。そしてちゃんと動く。テイストは普段っぽくないけれども細部にまで手を抜かないIGらしさはちゃんと感じられる作品に仕上がっている。

 悩ましいのはだからストーリーとそれを見せる見せ方か。人の願いをかなえて夢にして見せてくれる「ゆえだまや」ってのが登場する設定で、主人公の女の子の家にやって来た「ゆめだまや」がもたらすあれやこれやを描いたストーリーになっているんだけれど、決して本心ではないどこかやけっぱちになって出した夢を棄てなくちゃいけなくなった時に苦衷の表情を浮かべる場面でちょっぴりひっかかった。望んでいないものを棄てて向かうのは安寧の境地、だからせいせいした表情で棄てるべきって気もして、そこで悩んでいるヒロインの感情に心をなかなか添えられない。むろん葛藤の果てに出した自棄でも最善の願いだから棄てるに悩むって心理は分かる。ただそこまでヒロインの心情に心沿わせられるほど人間は親切じゃなく、客観的に判断してそのわがままっぷりに気持ちを退かせてしまいかねない。見慣れればそうは感じないのか、演出でカバーできるのか根本のシナリオを吟味すべきだったのか、分からないけれどもともかく見ればいろいろと考えさせてくれる物語なんで「アニマックス」が見られる人は11月だかの放送を逃さずに見よう。


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