縮刷版2007年10月上旬号


【10月10日】 元体育の日。祭日が逃げるなんてどういう国だ。おかげで連休を堪能できたから良いんだけれど。そんな元体育の日を狙ったかのよーに任天堂が「Wiiフィット」の日本投入を発表。いそいそと出かけた幕張メッセでは宮本茂専務が登壇しては板っきれに乗ってジャンプをしたりバランスをはかったりしてその使い方を説明してくれた。印象だけなら「Xavix」あたりが出しているフィット機器とそんなに変わらないんだけれどもすごいのはおそらくは仕込まれたセンサー技術で、乗れば体重が量れそしてどこに加重がかかっているかを検知しバランスが良いか悪いかを判断し、教えてくれるってところが有り体の足踏みマットとは大きく違う。

 そこでバランスをとる訓練をしているだけで養われる体幹の強さ。んでもって実際にフラフープだとかスキージャンプなんかを試すことによって得られる運動。それらを日々に積み重ねていくことによって体が運動に目覚めバランスに目覚めてそして一方でユーザーは「Wii」から離れられなくなるって寸法。これはなるほどなかなかに考え抜かれたタイトルだ。8800円って値段も魅力的。夏と違って外へと出る機会もなくなる12月1日の発売で、「Wii」ともども年末商戦をかっぱごうって魂胆も見えて商売上手なところもかいま見せてくれた。さらにバーチャルコンソールならぬ新しい新作ソフト配信チャンネルなんかをつくってそこに簡単なパズルゲームとかだけじゃなく、「ファイナルファンタジー」の専用タイトルなんかも配信をして「Wii」のネット接続率を高めて虜にしようって戦略も打ち出された。

 でもだってネットにつなぐのって面倒じゃん、ってユーザーもご安心。NTT西日本に東日本と連携してはユーザーサポートのためのコールセンターを作って「Wii」のネット接続に必要な情報を提供するサービスも始めるんだとか。簡単接続のための機器なんかもきっと開発して送り込むんだろー。そこまで周辺を固めてのサービス開始によってますます「Wii」はネットにつながれ、ソフトはネットの上を流れコンテンツもネットから提供されてそしてテレビとか、パソコンのインターネットに代わるコンテンツ流通プラットフォームとして「Wii」は屹立していくのだ。新聞業界もだからネット企業と連携している以前に任天堂と連携して、チャネルの中にニュースを提供していくコーナーを早く作らなきゃ。毎朝体重をチェックしながらお父さんがチャネルを立ち上げ配信されたニュースを見てそして会社に行く。そんなスタイルに潜り込めるプレーヤーはそんなにないぞ。

 あとやっぱりソフトも充実して来た「Wii」は「マリオカート」が登場しては4輪だけじゃなくって2輪も操作できるようになっていたり、あの四角いリモコンをハンドルの中にいれるとおやおや不思議だハンドル型コントローラーになるって仕掛けも導入。これを使えばほかの自動車レース系ゲームもどんどんと楽しくなって来るから「プレイステーション3」で期待されながらも未だ全貌が見えて来ない「グランツーリスモ」なんかのリアルな楽しさを、遊びの面白さが上回ってしまいそのまま突っ走っていってしまいそー。「F−ZRO」シリーズとかもあれば楽しめるのかな、でもあれはハンドル操作じゃなくってボタンとかスティックの微妙な支え具合がキモっぽいから違うのか。

 それよりやっぱり驚いた「モンスターハンター3」の「Wii」移籍。だってすくなくともポータブルは「プレイステーションポータブル」の看板タイトルだよ、あれが始めてミリオンとかいったタイトルだよ、その親ソフトが「プレイステーション3」じゃなくって「Wii」で出る、ってことああるいは「ニンテンドーDS」向けにポータブル版も登場して来るってこと? そうこう考えるとちょっと「PS3」側に勝ち目はなくなって来てしまう。残る大物は「メタルギアソリッド」に「ファイナルファンタジー」。だけど「プレイステーション2」の普及台数があっての「FF」シリーズの超売り上げだった訳でそのために安くたって39980円も出して「PS3」を購入するかってゆーとどうかなあ。プラス「ドラクエ」もあったんだよなあ「PS2」では。昨日の今日で激しい衝撃をくらったソニー陣営に続く起死回生策があるとしたらやっぱりブルーレイディスク。「コードギアス 反逆のルルーシュ」のブルーレイ版を特別に作って「PS3」のおまけにつけて売りなさい。僕は……買わないか、それだけじゃあ。ゼロのお面も付けてくれ。

 そしてはじまった「げんしけん2」は、いきなりの荻上登場に「くじびきアンバランス」のDVDボックス3箱を購入済みな自分の勝利を確信、して良いのかそれともいずれ放送されるのか。あそこで「逮捕しちゃうぞ」みたくOVA版から始められたらあんまり見てない「くじアン」のボックスまで買った自分が情けなくなってしまうんで、とりあえずのすっ飛ばしは歓迎。まあ1巻目はともかく2巻と3巻はアマゾンで半額で購入したんだけど。ついでにまだ「げんしけん」部分は見ていないんだけれど。監督も替わった「2」は何かオタク的なジャーゴンだかシチュエーションだかお約束だかの挿入があからさまだなあ、演出的にも。変化とかいれずに日常の描写の中で言葉とアクションでさらりといれて現実のオタクたちが普段着でそうした会話をしているって風を見せるってのがリアルだったのに。まあいいかそれも傾向だ。今度は最終回まで行くのかな。監督は替わってもメンバーの声には変化がなくってここでも川澄綾子さんが健在っぷりを大披露。いったい今どれだけの作品に出ているんだろう。

 ってかモウリーニョか、本当にモウリーニョが名古屋グランパスエイトの監督に就任するのか、するわきゃないって思ってはいるけれど何を考えているのかその面構えからでは想像しづらい御仁なだけに欧州で新シーズンが始まる来春から夏までの半年間だけでも監督とかになって采配を振るってくれたらあの真ん中大好きグランパスだって前半にぶっちりぎりの首位を走ってくれるんじゃなかろーか、んでもって抜けたあとは順調に負けてやっぱり真ん中と。どーせだったらドログバ選手とかランパード選手あたりも引き連れやって来ては本田圭祐のクロスとたたき込むドログバとか藤田俊哉とミドル合戦をするランパードなんて見たいけれども揃って呼べばトヨタ自動車だって年間のCM予算の割とそれないな比率がぶっとぶからモウリーニョ1人でも十分。とか言ってて決まったったってニュースを読み見たらモウリーニュってブラジルかどっかのチームでコーチをしていた人間が初めて監督になるって話だったら、どーしよー。まあベルデニックを引き抜いたってジョアン・カルロスを招いたってネルシーニョを誘ったってフィルフォーセンを立たせたって替わらないチームがモウリーニョがマウリーニュでも変わるとは思えないんでだれが来たって千葉的には安心。


【10月9日】 録画してあった分を先に再生しながら続く第2話を本放送でまとめて見た「バンブーブレード」は、先週だけだと続きが気になって仕方がなかったところが連続して見られてなるほどたまちゃん最強で万歳。喰らった突きに吹っ飛ぶ男子は呆然としていてそのまま退場、そして本編からも消えてしまうかどうなのか、原作だとどうにもあんまり出てこなくなるみたいだけれども本編自体が女子剣道部のお話だから仕方がない。1話2話だとまだ普通に可愛い女の子にしか描かれていないみやみやも、情報を探るといろいろあったみたいでそっちがどんな描かれ方になるかも楽しみ。広橋涼さんは「カレイドスター」のそらとか「ぱにぽにだっしゅ」の巨人女とかとは違った静かな演技も出来るんだなあ、「灰羽連盟」のラッカがそーいやそんな感じだったっけ。エンディングは元気でなかなかよろし。

 んで続いて「スケッチブック」も鑑賞、最初は音声を出さずに見ていたけれどもそれで分かるくらいに絵で語るストーリーってのが最初の印象。漫画じゃあ主人公の娘もあんまり喋らないみたいなんでサイレントでも通用するのかも。とはいえ音声があって音楽があってさらに響く清冽な世界観。田舎っぽい場所にある高校の美術部員たちの日常を淡々を描きつつギャグも交えつつやっぱり基本は純粋ストレートな青春の姿。見ていて「すくらっぷぶっく」を読んでいた時のよーなこっぱずかしさを覚えて「恥ずかしい話、禁止っ!」ってテレビに向かって叫びだしたくなるけれども、それを飲み込み見ているうちに浮かぶ幸せな気分はやっぱりなかなかに心地良い。絵の確かさともども今秋スタートの作品ではトップクラスの作品か。出来れば日曜深夜の明日から始まる喧噪を前に心を落ち着かせるために見たかったなあ、「Aria」みたいな感じに。あれがあったから乗り切れた1週間があった。いやまああんまり関係ないけれど、毎日が適当なんで。

 ちょい前だけど珊瑚に刻まれたのと同じ「KY」って頭文字が大流行したことがあってこれはつまりは「QBK(急にボールが来たので)」と同様に「KY(空気が読めない)」って日本語の文章を略したもので、その筆頭としてあげられたのが安倍前総理。庶民が暮らしの改善を求めているってゆーのに、教育だとか外交だとかにお熱を上げまくっては滑りまくった挙げ句に、国会での答弁をすっぽかして辞めてしまったとゆー前代未聞の事態へと至る言動が、「KY」とやらの最たる例だと示されて叩かれた。実を言うなら天下の総理として適切な状況判断が出来なかったってだけの理路整然と説明できる事態であって、「空気」なんていう曖昧とした概念でもってとらえて茶化すべきじゃないんだけれども、まあそれはそれ、そういう風に捉えるのも一種の「空気」って奴で、つまりは具体的な説明を省いて何かを非難したい時、または肯定したい時にこの「空気」という言葉は実に便利だってことになる。

 根底にあるのは多分「情緒」って奴で、「空気」ってものに左右されているんだって状況がみょうに情緒的にしっくりとして、ついつい納得させられてしまう。ってことは正確に物事を判断する上で情緒はよけいなものなのか、っていうとこれがなかなかに難しい。映画『クレヨンしんちゃん トナ帝国の逆襲』だとか、やっぱり映画の『機動警察パトレイバー THE MOVIE』に描かれた、万博だとか東京の下町だとかいった失われていく昭和の面影に喚起されて作品に気持ちを寄せたくなる理由となっている懐かしさは、まさしく情緒以外の何者でもなくってどうして懐かしいのかなんて理屈では絶対に語れない。つげ義春が描く、性描写があからさまでない漫画に感じるエロスも情緒が根にあるし、美少女ゲームの「AIR」だとか「CLANNAD」が心に響くのもせつなさ、って情緒をそこから喚起させるから。作品論では情緒は大事で廃すべきものじゃない、ってことを切通理作さんは最新評論集「情緒論」(春秋社)でピンク映画やアニメや美少女ゲームや漫画なんかを参考に挙げつつあれやこれやと語ってる。

 もっとも経済とかいったロジックが先行する世界で情緒は決して強くはないし、求められるものでもない。切通さんも関わっていた下北沢の保存運動は景観だとか街の意義だとか言ってもとどのつまりはそうしてくれた方がハッピーって情緒から来る肯定でしかなく、資本の力で押してくる勢力を前にはなかなか太刀打ちできない。おまけにそっちの方がみんな便利になるでしょ? って情緒までくっついて押してくるからなかなか厄介。そこに反権力だのといった過去に敗北を重ねてきた情緒では勝てないことをたぶん体勢は感じていて、妙なやるせなさがたぶん現場には漂い始めていたりするんじゃなかろーか。

 どっちの情緒がより情緒に働きかけるのか、なんて考えてもなかなかに出ない答えだけれども今回の例はともかくとして今後もなお出てくるであろー威圧的で官能的な情緒に立ち向かえる情緒って奴を、育み体勢へともっていくためのステップがこれからは大切になって行きそー。それが教育なのか倫理なのか宗教なのか空気なのかは分からないけれど、放っておいたら「国家の品格」なる情緒、「愛国心」なる情緒が情緒を誘い集めてすべてを覆い尽くすだろー。そうなってからではどんな論理も情緒もかなわない。左翼的言説の硬直ぶりをぬってわいてきた家族や国といった情緒になびいて右向け右な空気がはびこってきた90年代後半以降の状況を、なかなか覆せずにいる今を見ればそれは確か。なので情緒を決してあなどらず、情緒を巧みに扱いセカイを真っ当さに満たすための方法って奴を、「情緒論」からくみ取れたら面白いんだけれど、そーゆー本だったっけ、これ。

 良輔さん家に行って「コードギアス 反逆のルルーシュ」の谷口吾朗監督は虫プロ世代とも東映動画世代とも違う独自の手法を確立し得た最初の世代なのかもって話をした帰りに「プレイステーション3」値下げの報。まあ9月の「東京ゲームショウ」でも平井一夫社長は「商品を売っている会社として価格は大事だということを認識しているが、やはりまずは急務はソフトがどれだけ揃っているかに戦略の軸を置く。いかに早く立ち上げるかが大事」とは言っても「だから値下げはしない」とは言っておらず、むしろ「いつかはそういうことはあるかもしれない」とまで言っていたから含みは残しているんだなあと思い記事にも年末商戦に向けて一押しがあるかもしれないよって書いてはおいたけれども、まさかこんなに奇妙なスペックで出してくるとは思わなかった。何だよ「PS2」のソフトが動かないって。今この地球で1番出回っているソフトが「PS2」で、家にあるソフトでもきっとトップを堅持しているだろう。そーしたユーザーにとって新「PS3」は買い換えの対象になり得ない、ってことでつまりはだから「Wii」とか「Xbox360」と立場はイーブン、となれば純粋にソフトの面白さとか豊富さで選ぶだろーから「PS3」の順位はちょっと低くなる。ソフトないもんねえ。

 一方でDVDだって綺麗に見られるブルーレイディスクのプレーヤーだと考えば4万円は格安で、時々ゲームだって遊べてしまうんだってことで購買意欲に少しは働きかけそう。とはいえビデオがHDDレコーダーへと流れそれが次世代メディアへのアップグレードを進めている最中に、プレーヤー機能だけのものに果たしてどれだけの価値を見出すかってことろが謎。DVDプレーヤーとしての価値が見出されて「PS2」は確かに売れたけれどもそれだって「PS」のソフトがそのまま遊べるってアドバンテージもあったから。そこのところがズダンと切断されてしまって果たして単独の存在として「PS3」は屹立しソフト屋さんを抱え込んで発展していけるのか。加えて未だに好調な「PS2」の面倒も見て行かなくちゃいけない、だからハードだって出し続けなくちゃいけない2方面作戦をとって体力が保つのか否か。と考えるとあんまり芳しくない道を選んだよーで、なおかつ新しく作られる振動機能付きコントローラーが新しく発売される「PS3」にはつかないよーでそこまでして新型「PS3」を欲しがる人が今現在どれくらいいるかがちょっと見えない。どーゆー手で来てどーゆー層が買うのか、それとも買わないのか。年末商戦、いろいろと面白そー。


【10月8日】 アッシュフォード学園生徒会の猫っかぶりルルーシュが「黒の騎士団」の居丈だかなゼロにどーして代わったんだとアニメーション版「レンタルマギカ」を音だけで聞いていた人は思ったりするかもしれないけれどもそこはそれ、プロだけあって伊庭いつきが眼帯をしている時の声はどこか弱々しげで優しげで子供っぽさがあって、それが眼帯を外した途端に強靱な意志を持った大人の雰囲気が出ていたりするんであんまり間違えてしまうことはなさそー。少なくとも「大きくふりかぶって」の泉孝介とは絶対に間違えないんでご安心、坊主頭は浮かばない。

 ただしかしやっぱりどーしてアニメを文庫版の第9巻に入っている短編からスタートさせたのかがちょっと謎。ぱっと見た人だとよくある霊能力を持った探偵たちが集まりお仕事をしている話の1つにしか思えず、なあんだと以降を見なくなってしまう可能性だってありそー。それはそれで楽しめれば良いんだけれども本当はもっといろいろと複雑な経緯があって、父親が創設しながらも失踪してしまった魔法使い派遣会社の「アストラル」を継ぐ羽目となっつぃまって、日々をドタバタとしながら過ごしているんだって前提があって、そして「アストラル」の上には魔法使いたちを束ねる協会みたいなのがあってその管轄にあっていろいろ苦労をしているんだって設定がないと単なる若社長の奮闘記に思われてしまいそー。

 そもそもが縦ロールのお姫様然としたアディリシアが、高速道路では敵っぽく現れ箒にまたがって飛ぶ関西弁眼鏡の穂波・高瀬・アンブラーと対峙しつつ、後段では穂波や伊庭いつきたちと同じ学校に通ってはいつきを挟み穂波と火花を散らしているのかが分からない。あれでただの外国人留学生なんかじゃなく、いつきたちの「アストラル」なんて足下にも及ばないくらいに権威があって実績もある魔法使い派遣会社の「ゲーティア」を若くして率いる首領で、使える魔法も穂波なんかとほとんど五分、ってことはつまり穂波だって「アストラル」にいるよーな人材では本当はないんだけれどそれはそれとして、アディリシアがどーして日本に滞在をしていつきの側でツンツンデレデレしているのかを、瞬間にその構図から想起は出来てもロジカルには理解できないままになってしまいそー。あれで彼女も苦労人、なのだ。

 何よりあのいつきの眼。綾波だとか「ef」に出てきたなにやらかんやらだとはまるで違った分厚くでっかい眼帯が意味するものが何なのかが、アニメの1話じゃあまるでまったく分からない。猫みたいな化け物みたいな眼が露わになると途端にルルーシュがゼロになる、じゃあないけどまあそんな感じに変貌するのは、ちゃんと理由があってそしてそれには穂波といっちゃんとの悩ましくも愛らしい過去ああるんだってことを、とりあえず分かっておかないと、今後の展開にどーしてあれだけ優秀な穂波とか、猫屋敷とかが未だ伊庭の「アストラル」にいたりするのか、そして万能の切り札でありながらも、どこか「妖精眼」を使うのに不安感が漂うのかが分からないまま、何とはなしに見ていってしまうことになるんでここはしっかり文庫を1巻から見直して、ある程度のことを理解しておくのが吉かと。穂波ちょいアニメだと可愛過ぎって感想もそれならなるほどそうかもって分かるだろーし 。

 そんな「レンタルマギカ」は文庫の方では最新巻「妖都の魔法使い」が登場。「アストラル」の面々が幽霊社員も含めてごっそりロンドン行き。でも決して観光ではなく協会から査問を受けるってちょっぴり不安げな旅行だったりするんだれど行く先々で面倒が起きるのはいつものこと。現れた巨躯の怪人をかつての「アストラル」の社員ではないかと疑われ責任を追及されかった一方で、ロンドンを舞台に起こる協会へのクーデター的動きに巻き込まれてのっぴきならない状況へと陥る。さしものアディリシアも穂波もかなわなそーな相手の登場に話もぐっと広がりそうで、日本だけじゃなくって世界が舞台となった一大バトルへと発展していきそー。そんな中で限界に来ているいつきの「妖精眼」は果たしてどんな進展を見せるのか。現れた穂波と縁のありそうな人物と穂波との関係改善は。アニメじゃ見れない大きく激しい物語に期待。しかしやっぱりただ者じゃあなかった猫屋敷。そして影崎。いったい奴らは何者だ。そして何より伊庭の失踪した父親・司の行く末は。早く読みたくもあり、もっと楽しませて欲しくもあり。

 天気も陰鬱なんでもっと陰鬱になろうと上野の「国立西洋美術館」で始まった「ムンク展」を見に行く。有名な「叫び」はなかったけれども橋の上で陰々滅々としてたむろする人物を描いた絵とかはあってなかなかな感じ。マティスほどじゃないけど明るめの作品もあって意外だって印象を受ける。よくよく考えてみればあれで確か81歳くらいまで生きて大往生した画家で、エゴン・シーレとかモディリアーニなんかとはまるで正反対に生前に大成功して、あちらこちらから作品を依頼されていたりもして、晩年には労働者をモチーフにした絵なんかも描いてて不安とか懊悩とかいったレッテルとはあんまり関係なさそーな画家なんだけれどもやっぱり代表作が持つ印象と、実際に一時は精神に悩みを抱えていた時期もあってその時の作品が広く知られているってこともあって、どーしても暗くて奇妙な画家だって思われてしまうんだろー。岡本太郎さんみたくずっと爆発し続けている人もいるけれど。

 秋葉原へと回って「ヨドバシカメラ Akibaマルチメディア館」の上にある中華屋で最近ちょっぴりお気に入りの炒飯の前回の青菜豚に代わって鶏ピリ辛をやっぱり大盛りで食べて質量ともに大満足。同じフロアの「海峡」だかって店の超巨大唐揚げ定食も棄てがたいんだけれどあれは相当に胃の調子が良くないと完食が難しいんで、しばらくはこっちの炒飯巡りをしてみよう。蟹載せの大盛りは高いんでそっちの時は普通盛り。んでもって下がってガチャポンコーナーにいる眼鏡のメイドさんを横目で愛でつつ「ヴェローチェ」で仕事。ライトノベルの気になる女性キャラクターをあれこれ考えていたけれど、「レンズと悪魔」の万力娘テッキちゃんに「戦う司書」ででっかさを見せつけてくれたノロティ=マルチェルと「DDD」の石杖火鉈を挙げただけで枠いっぱいに。ほかにもまだまだまだまだ挙げられそうなんだけれども仕方がない。だったらと男性枠で瀬能ナツルとかミカエラ・ビットマンとか“だっちゃ娘”の水野和也とかを挙げてやるって手もないでもなかったけれどもそれだと趣味を疑われそうなんで断念する。性別不明キャラってコーナーがあれば秀吉なんかも交えて上位を締めそうだなあ。


【10月7日】 いやあ素晴らしい。曖昧模糊とした“主催者発表”なる数字に対してモノを言う新聞は今後必ず絶対的に異論を差し挟んでは、いちいち人数を数えて正確な数字を調べ上げて公表していくって態度をここに表明してみせた。国民の教育に関わることだから間違った記述は許されないにも関わらず、架空の数を頼みに押し切ろうとする策謀への厳然とした態度表明だっていった使命感が果たしてあるったのかどーかは分からないけれど、客観的に見れば事実として集団自決に軍の強要は皆無ではなかった模様で、存命の人が幾人もいて証言していることをひっくり返すのは難しく、だから教科書への記載を削除する側からすべてがそうだったという誤解を受けないためにも、載せなかったんですって言い訳が上がっていたりして、なるほど軍の真っ当だった人にまで罪を押しつけるのもしのびないって配慮も分からないでもないけれども、事実は事実で無しには出来ない。

 ようするに強要は一部にはあったらしいってところで話は落ち着きそうで、けれども昨今の情勢を鑑みるに教科書に載らないことはなかったことにされてしまうんじゃないかって気分に不安を抱いた人たちが、わんさかと生まれ集って行われたのがあの集会。ここから浮かび上がって来るのは、こうした意識にも配慮しつつ真っ当だった軍の人たちが辛い思いを抱かないようなバランスの取れた記述と、そしてその意思を汲んだ教育が行われるかってところであって、もはや事実関係なんてものは論点には成り得ない。11万人が1万人だからって、あったと主張し証言も得られてていることには耳を傾け慮っていくのが正しい歴史認識には大切なこと。ましてや過去に誰もがなかったと主張していた拉致をあると訴え続けて結果、行われていたことが判明して国民的なコンセンサスを得るに至った経験を、極めて身近に感じているメディアが例え少数であっても事実を訴える人の意見を、少数だからと反故にできるはずがない。

 だから記事は、決して間違った記述を数で押し切ろうとしている策謀への異論なんかではなく、純粋に単純に数が間違っていることへのきっちりしないと気が済まない態度からの異論であって、調べた結果として4万3000人だなんて「ジェフユナイテッド市原・千葉」が「フクダ電子アリーナ」を3試合連続で満員にしなきゃ集まらない人数、もし仮に国会を囲んだだどれだけの喧噪が起こるか想像もつかない人数が、わんさと詰めかけたってこれまた厳然たる事実を改めて指摘することによって、あの集会が持っていた強くて大きな意味をここに改めて示して見せたという、前向きに評価すべき記事ではなかったかとまあ、そんなことを思ってみたりみなかったり。打ち出し方に「11万人も集まらなかったじゃないの」ってツンケンと突き放してみせつつ「でも4万3000人なら凄いよね」ってことを暗に密かに微かに問わず語りに言って見せたりする、ツンしてデレっとした所があるけれど。可愛いもんだよまったく。

 むしろここで注目すべきはやっぱりそのきっちりぶりで、事実関係にさして重要ではない集会への参加者が43000人だったってことをわざわざ沖縄まで人を遣って証明して見せたくらいだからきっとこれから多くのイベントでもって主催者発表なんて言葉を鵜呑みにはせず、きっちりとした数字を公表していく報道姿勢をとるんだろー。イベントの集客は教育ほど重要じゃないってことはない。むしろこの資本主義経済において数の正確性ほど重要なことはなく、たとえばどっかの大会にどれだけ人が集まったかってことは、会場に設置される広告なんかの効果にも関わってくる問題で、それを主催者が勝手に水増しして報告し、高い広告料を取っていたとしたら立派な詐欺になる。どれだけ人を集めたかどうかで報酬が支払われるどっかがスポンサーになった集会に、関係のない人たちを金で雇って集めて座らせて満席でした成功報酬を下さいよって言っても、それは詐欺とは言わないまでも(一定の人数に情報は伝わった訳だし)狙った効果が存分に得られなかった訳で、決して好ましいものとは言えない。

 雑誌や新聞の部数だってそれに応じて広告を得ている訳で、水増しなんてもってのほか。たかだか数万部を数十万部と言い募るなんてことがあってはならない。政府や自治体の公報といった類を織り込んで配達する時に、水増しした部数を言って広告を集めておいてそれを全数配布しなかったらこれは国なり自治体への立派な詐欺で、ひいては元となる税金を支払っている国民全体を欺く所行と相成る。数は重要。数こそ正義。だからこその正確性ってことを今ここに改めて訴えることで、曖昧さが横行するこの社会に心棒を入れてみせようとした、高潔にして高尚な態度の表明であると理解するならたとえ身内のイベントであっても発行物の部数であっても、いっさいの曖昧さを認めず正確に数え上げ、公表していくことが今後は求められて来るんだろーし、当然にして答えていくんだろー。身内だからってモノが言えなくなるよーじゃあ、沖縄の言論空間がどうだなんて書けないし。数を数える現場はきっと大変だけど、それが社会正義だ頑張るのだ。まずはだから「日本野鳥の会」へと修行に出て、双眼鏡をのぞきながら見える人数を数える特訓から始めるのだ。面倒くさいなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出てきた特区日本の落成に集まった人数でも数えて練習しようかなあ。

 「ef」とかってアニメを見て唐突に荒唐無稽な謎展開から「セラフィムコール」あたりの懐かしさを感じつつビスコとうまい棒しか出てこない買い物袋の謎に興味を抱きつつカメラマンの眼鏡彼女の眼鏡を外した寝顔の美麗さを堪能しつつ絵だけはなかなかちゃんと描けているなあ音楽は天門さんかあやっぱり叙情的だなあとか感じつつ眠り起きて再び秋葉原の「UDX」へと向かい「JAM2007」へと行って人前に始めて顔を出すとゆーラレコさんを見たら「やわらか戦車」にそっくりだった、ってそれはだからただのぬいぐるみ。当人は後ろに隠れて例の声だけの出演と相成ったけれどもちゃんとそこにいたってことは受け答えから判明。例の「やわらかアトム」を作ってしまったことについて、手塚プロダクションの偉い人を前にして「最初に思ったのはこんな、作品で良いのってことで、アトムの世界観をお借りして、どこまで崩して良いのかと」悩んだ話を披露し、過去にあんまり悩まなかったのが今回だけはいろいろ考えたってことを話してた。

 何しろ「アトム」が最後はお茶の水軍団のためにお茶汲みにいってしまうって弱りっぷり。強いアトムのイメージが崩れるんじゃないかて心配も当然だろうけれど手塚プロの人は「アトムだって子供なんだから」ってことでなるほどヒーローだけれど等身大、子供の正義感と感性を持っていたからこそあれだけ子供のヒーローになれたんだって原点を改めて思い出させられた。コラボレーションは本質の再探求に意味を持つ、と。あと手塚プロの人が太っ腹だったのは「問題があるかどうかは、見て楽しんだ人が決めること」って見解で、場内から上がった拍手になるほど「やわらかアトム」はちゃんと支持されているんだってことを感じて満足そうだった。もちろんあらゆるこうした変形を認めているって感じではなく、もし仮に「ドラえもん」の同人誌みたいなことが行われたら果たしてどんな態度をとっただろうか? って気もしないでもなく、管理・把握できた上での改変しか認めないってことなのかもしれず、だからこそ監視された状況下ならキャラクターやストーリーをいじってみせて良いですよって場として「JAM」なんてプロジェクトを立ち上げたのかもしれない。ここ以外のお痛は許しません、というか。

 そんな一方で、田中圭一さんの「天罰」のような漫画も認められていたりする状況を鑑みるに、それが単なるキャラクターの模倣・複製ではなく何か新しいことにチャレンジしているものなら手塚プロは決して真っ向から否定はしないってスタンスなのかもしれない。仮にもし今手塚治虫さんが存命だったら「やわからアトム」とか見て何を思っただろうかって問いにあれだけチャレンジ精神が旺盛で負けることあ大嫌いだった手塚さんだから、「こちことアトム」だとか何かを作って対抗しようとしてたかもしれない、あるいはラレコさんがFLASHを手塚さんに指導していたかもしれない、なんて話が出てきてなるほどそれもまた手塚さんらし話だなあと納得。影響し影響されて生まれる新しい世界の大切さと面白さを体現して来た先駆者たちの鷹揚さが、跡を継ぐ者たちによってビジネスという言葉の向こうに隠されて見えなくされてしまう怖さをどうやって振り払うのか。短い中にいろいろ考えさせられるトークでした。そーかあの線はベクターで描いているのか、眼やキャタピラや口はパーツで作って重ねているのか。

 駄洒落落ちでオッケー? あんまり知らない椙本孝思さんって人の「魔人館事件」(角川書店)は山奥に落成した館に招かれた人たちが次々に惨殺されていくって館物の典型で、画家だった父とその妻だった母を交通事故で失ったと聞かされ育った少年が、電話で呼ばれて赴くと駅で幼さののこる少女が天真爛漫さを見せていて、その付き添いでカエルを探していたりする兄は若いのに博士と呼ばれて尊敬されてたりして、そんな2人連れも伴い向かった館にはメイドがいて執事がいて女性画家がいてパソコンの講師がいてフレンチの女シェフがいてといった具合に様々な人物がそろってて、そして現れた主人から館がが幻の名建築家によって作られたものだって説明があって西洋占星術に使われる星座の名がつけられた部屋があってそれぞれの星座を司る像もあったりして、風情のあるそんな館で事件が起こって残された物たちは疑心暗鬼の中で犯人探しに勤しむ。

 展開は典型で主人がまず頭を潰されそしてメイドが串刺しにされ他にも溺死させられ切断される人が続出するといった具合に進んでいって、明かされる真相やいかにってところで納得出来る答えはなるほどあるけれども、その単純だけれどちょっぴり異常なあたりにもしこれが今後もシリーズとして続くんだったら、いろいろと広がっていく起点がありそー。何でも知っててけれども世俗から興味を失っている犬神博士とか、いつも天真爛漫な妹のハテナちゃんとかが活躍するっていうか、何かに巻き込まれては周囲を巻き込んでいくシリーズになっていったら面白そう。今回のよーな大業を次も果たして見せてくれるのか。それはいったいどこの部位で行われるのか。ああ興味。そこんところは小説のために作られた映像で描かれているのかな。かさかさ。こそこそ。


【10月6日】 夜中にぼうっとしてたらルイズが喋ってたけどいつものルイズと違ってあんまり才人を下僕呼ばわりしていないからこれはルイズじゃなくってナギだと思ったけれども相手がやっぱりハヤテではないみたい。優しいけれども献身的とはちょっと違う立ち位置にいったい何だと眼を開けたらシャナがメロンパンを食べていた。ああ始まったんだ「灼眼のシャナ2」が。TBSで。何でだろう。それほどのバリューを持つ作品になったってことなんだろーか。別にUHFのまんまだって千葉県民的には支障はなかったし地上波ってことで白が見えなくなったり血が流れなかったりしたら逆に困ることになったかもしれないけれども幸いというか残念というか、「シャナ」はそーしたサービスとは無縁の作品だったからやっぱりTBSでも構わないのか。ヴェルヘルミナだってベルペオルだって見せてくんないもんなあ、ジャージョリーさんのも見たいかと言われればそれほどでもないし、ちゃんと着替えているのかも怪しいし。

 んで始まったのは夢にどーやら取り込まれるってエピソード。こんなのあったっけ原作に。ずいぶんと巻が進んではいるけれど片っ端から読んでは記憶から吹っ飛んでしまうんであんまり覚えていない。最新刊はハワイかグアムが舞台だったっけ。昔話だったな確か。いやだからテレビのシリーズは繰り返される夢につかまってしまった悠二が胡蝶の夢から瞬間目覚めると前に手に鈴を持った女性タイプの紅世の徒(ぐぜのともがら)が浮かんでいたけど何か弱っちい。フレイムヘイズきっての使い手のシャナにだって暴れなければ気づかれないくらいの弱さの彼女が何でまた? って疑問はシャナがそれを倒してからもつきまとい、そして悪夢の扉が開かれるとゆーのがおそらく次回以降の展開。そこでいったい何が起こるのか。シャナは悠二に届かなかった言葉を言い直すのか。半分くらいはきっと分かってて聞きシャナを慌てさせアラストールを口ごもらせる悠二の天然っぷりいけずっぷりがなかなかかどすえ。

 「しゅご」ってのはそうかしゅごい、って意味じゃなくって守護のしゅごだと分かった新番組「しゅごキャラ」は他のマニアが喜ぶ雑誌に連載されてた作品とは違って絵も展開も実に少女向き。ほんとうは口べたで意地っ張りなだけなのにそれがクールともてはやされてしまっている女の子が朝目覚めると得体の知れない卵3つを生んでいた、のか? は知らないけれども置いて置くわけにもいかず学校に連れて行ったら暴れておちつかせようとしたところを学校で生徒会的な役割を果たしているがーディアンのメンバーの通称”王子”から見とがめられて大慌て。どうやら向こうはそれを知ってるみたいだけども分からない主人公は引っ張り回された挙げ句になりたい自分になれるんだって声を聞いて変身する、というお話。

 なりたいけれどもなりきれない、勇気が足りない自分に悩んでいる女の子とかに受けそーな話だけれども小学生の時からそんな風にキャラをつくってネコ被って生きていなきゃあいけない子が今は多いのか。多いんだろうなあ。それ大人になる頃にゃあどうにも破棄の足りない奴か、被りすぎたキャラをはずせず突っ走った挙げ句に心と体がついてかずに数十年を経て大崩壊へと至るんだ。開放せよ、ってアジテーションも悪いものじゃないのかも。絵はしっかりしていてテンポも欲って土曜の朝にふさわしい作品。でも見続けるかってゆーとちょっと微妙か、エロスもないしシュールもない、ってそーゆーのを求めたがる大人のアニメファンってキャラを棄ててここは心開いて見続けることで、何か得られるものもあるのかも。「なかよし」アニメに癒されてどーする。

 つるりと秋葉原まで出て上りホームから下りホームへと乗り換え「CLANAD」のパン缶を確かめたら品切れで夕方入荷とのこと。まあ普段から売ってるパンの缶詰の外側が代わっているだけなんだろーけどそrでも欲しがるファン心理って奴か。「ヨドバシカメラ」お上にある中かな店で炒飯をかきこみそれから「UDX」へと回って「JAM2007」の一般公開日を観察したけど入り口がゲートになっててどうにもちょっと入りにくい感じ。無料なんだからとぱらってもっと呼び込みしたら良いのに。エヴァのアートな作品群をプロデュースしていた吉井さんは今日も立ってた。明日は「やわらかアトム」がしっかり評判なラレコさんが”出演”するってトークイベントがあるからもーちょっとは込むかな、けど顔所か性別も人間なのかも明かしていないラレコさんとどーやってトークするんだ。磨りガラスのケースで囲うのか。

 ゲーマーズとかコトブキヤとかを回って新しい「コードギアス 反逆のルルーシュ」のフィギュアを発見、すでにいくつか出回っているけどペタンとしゃがんでC.C.がピザを食ってる奴は顔がヘンでだいたいが最大の特徴であるお尻が造型されておらず買う意味がないと放りだしていた。今回のはC.C.も立像だからきっとちゃんと造型されているに違いないと、期待したけど1つしか買わなかったそれはしっかりとルルーシュのアッシュフォード学園制服バージョンだった。ああつまらん。だいたいが5キャラあるうちの2つはルルーシュでもう1つは当然にスザクで残りはカレンの戦闘服バージョンだから買っても掲げてのぞく、なんてことは不可能。もとよりそーゆーキャラの少なさが男性ファンを引きつけるに至っていない理由でもあるんだろーけどそれならそrで数少ない女性キャラをもーちょっと、人形にでもイラストにでもして欲しかったよ、特にコーネリア、あとコーネリア、何がなくともコーネリアで続きがヴィレッタか。やっぱり少ない。

 ずるりと東京駅まで出て近所のOAZOにある「丸善丸の内本店」へと出向いて有栖川有栖さんのサイン会のちょうど真裏でやってた「レンタルマギカ」の三田誠さんとイラストのpakoさんおサイン会を見物。入ると日曜日夜から放送が始まるアニメーションの映像が流れていたけどイラストでは割に高慢さも見える穂波がちょっぴり可愛らしくなっていた。読子・リードマン風? でも全体にしっかりと造型されてて美術もちゃんとしているんで見ていてストレスは感じない。あとはお話がどうなるか、か。オープニングの音楽にかぶせられて流れた映像で、箒に乗って飛ぶ穂波が垂直に落ちてくる場面を下から煽った絵があったけれども短いスカートがぶわっとまくれあがっているかと目を凝らしても見えやしないのはスピードが速いからかそれとも箒にしっかりスカートを織り込んでいたからか。実写ならいざしらず、アニメは描いてなければ絶対に見えないんだよなあ。だからこそ想像と妄想の輪も広がるんだけど。画面を見つめよ。そして心の眼を開け。

 疲れたんで家に帰ってご飯を食べて寝ようかとしたもののやっぱり貴重な機会だと「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」のオリジナル企画「劇的3時間SHOW」でも多分目玉の鈴木敏夫さんを見に行って、世界に日本が誇れるアニメーションスタジオを立ち上げ運営していくプロデューサーとしての勘所なんかを聞こうとしたら中身は「劇的鈴木敏夫3時間ものまねSHOW」になっていて、それはそれでとてつもなく愉快な中身に3時間を笑いっぱなし。ではあったものの果たして集まった小ぎれいで青山表参道にとっても似合いそうで、あとは江古田とか上野とかお茶の水とか多摩武蔵野付近にいっぱいいそうなアートの香りも漂わせた、とてもじゃないけど秋葉原池袋方面にはおらずアニメのロードショーがあって舞台挨拶が行われるからといわれても、決して集まりそうもない人種の方々で埋め尽くされた会場でいったいどれだけの人が分かり笑えたんだろーかって心配も浮かぶ。知らないだろー尾形英夫さんのことなんて。

 まあそんな方面への波及浸透もあったからこその世界におけるジブリブランドの確立ってことでもあるんだろーけどまあそれはそれとして鈴木さんのものまねショウはまずは高畑勲さんから始まり「アニメージュ」で登場をお願いにしに行こうとして電話をしたら1時間かけて理屈をこねられ断られ、隣にいた宮崎駿さんに降られてそっちは良いけど16ページ寄こせと言われて断念しつつつき合いが始まった話をあの高畑さん口調を交えて延々。講演とかテレビなんかで見ていて見知ったその雰囲気のそれなりな感じにまず笑う。エピソードの累々はなかなかというか。「火垂るの墓」が遅れて新潮社の当時は佐藤信孝社長? に話をしにいった時などちらも何を言ったら良いのか悩み訪ねられてサジェスチョンしてシナリオどーりに手打ちも完了、とはいかずになかなか大変なことになった話を胃が今でも痛むような顔をして話してくれてやっぱり笑う。

 それから徳間康快社長の話。無茶ぶりラッパぶりは実際にインタビューしたこともあるんで口調も含めて知ってはいるんだけれどもそれを鈴木さんのものまねで改めて教えてもらえるとこれがまたリアルで笑える。「紅の豚」をジブリで作りながら大映では「おろしや国酔夢譚」を作って両方のプロデューサーをやっていながら徳間さん、「おろしや国」の会議で鈴木さんを呼びつけまずはラッパを吹いた後で鈴木さんに「おろしや国」への出資者のお歴々が居並ぶ前でお前は「おろしや国」がこけて「紅」が当たれば良いと考えているなと言い切り「勝負だ」と言ってのけるその豪快さ。同じグループの映画を同時に公開することすらあり得ないのに手下が作っていてPDを勤めている映画をあげて「勝負」を挑むその稚気を、徳間さんって人のパーソナリティーをあんまり理解していない昨今の若い人がどう受け止めたか分からないけど楽しませてもらった身には愉快でそして頼もしい。あんな人がいたからジブリもアニメージュも日本SF大賞も出来たんだよなあ。

 さらに公開されて案の定に「紅」が好調に滑り出した2週間くらい経った時に「社長です」って電話がかかって来たとものまねで言われてああ言いそうだとまた納得。「勝って嬉しいか」と言われてさすがにはいとはいえない鈴木さんは「宣伝が間違っていた」とだけ言って勝ち誇らず、社長であっても真剣に社員をライバルとみて挑んでくる凄さに答えようとした話を紹介されてなるほど徳間さんらしーなーと重ねて納得。ようはそーゆー人がいたからこそ前に進んだ話もあって今に実った話もあるってことで、鈴木さん1人が高畑さん宮崎さんを見つけて育てた訳じゃなく、支える人や切り開く人があってのことなんだって言いたかったんだろーけれど、集まって話を聞いているプロデューサー志望の人は才能を拾い転がすことは考えても、金は銀行にあると胸を叩きノートはいわず突っ走ってそしてひとりすべてを抱え飲み込み生きていく存在の大切さを認め、自分はそっちに行くんだと果たして考えてくれたかどーか。

 1人でもいれば新しい才能は生まれ育つんだろーけど、そーゆー豪傑が叩かれ蹴落とされる時代だからなあ、今は。角川春樹さんくらいしか残ってないよなあ、豪傑は。せめてこの話が「コ・フェスタ」に百人委員会などという名称で参画している日本でも有数の企業のトップに伝わってくっればって思ったけれども、そんな中の企業がいくつか参画しては1本の映画を作ろうといて、各社からプロデューサー出てそして手前ん所の権利ばかりを主張して話がまるで進まない状況が、現出していたりするからなにをかいわんや。要求はせず金は出しすべてを任せて結果に対しての責任は負う。そんな豪傑がいてジブリは生まれ「アニメージュ」も出来上がったんだってことをこそ、百人委員会のお歴々は知るべきだったかも。録画してたんあらDVDに焼いて委員たちに送りつけてやったらどうだ。


【10月5日】 あれはパンツではない。そこには別にデュシャンのような哲学的な含みもなければ衒学的な惑わせもなく純粋に即物的にパンツではないとしか言いようがない。なぜってテレビ東京は放送されるアニメーションにおける表現にとてつもなく厳しい制約を課している。温泉シーンでは不自然にも全身にタオルを巻かせる現実的にはあり得ないスタイルにさせて一般庶民を惑わすし、服を着ている時はその下に身につけるアンダーウェアのとりわけ下半身を被う三角形の布きれが、その色を問わずテレビ画面に映ることを極端に、というより絶対的に拒絶する。だからそうした作品はUHFローカルへと流れて安心安全な作品くらいしか流れないようになり、次第に本数も減っていたりするのだけれどそれくらいに厳しい放送局が絵でしかないアニメ以上に人の劣情を誘うであろう実写において、モロに見せることなんてあり得ない。あるはずがない。だからあれはパンツではない。あるはずがない。

 では何なのか。実写版「魔法先生ネギま!」において神楽坂明日菜がネギの魔法によって吹き飛ばされながら見せたあれは何なのか。白かった。三角形だった。スカートの下の下半身を被っていた。一般通念的にはまさしくそれと呼ぶべき存在なんだけれどもテレビ東京においてそんなものが見られるはずがない。ならば何だ。スポーツウェアか。ホットパンツの類か。いやしかし明日菜は番組の中でそれを「クマパン」と自称していた。クマは熊のクマ。デザインされていた紋様を指す。ならばパンは。もしかしてパンなのか。あれはだから小麦粉を練ってイースト菌を混ぜ寝かせて焼いて朝に食べるパンの一種なのか。それを身につけ明日菜は投稿していたのか。お昼ご飯にするつもりだったのか。だからこそタカミチに見られていつもパンを身につけている大食いだと思われてしまったかもと恥じ入ったのか。きっとそうだ。だってあれはパンツじゃない。でもパンだと言うならパンなのだ。ってことでこれからテレビ東京でそうしたアニメを放送したい向きはスカートの下のそれはパンだと強弁しよう。1話に1回食べるシーンを入れれば納得もさせられるし説得も出来るぞ。出来なねーよ。

 おやエンディングが変わっていたぞ「スカイガールズ」は3人の日本人たちに混じってドイツから来たぐちゅ子、じゃないエリーゼちゃんがナイトメアフレーム、は「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出てくるマシンでこっちはソニックダイバーだった、それに乗り込み4人で出撃するもエリーゼが突出してまとまらず退散。けれども普段は茫洋としているかに見えた女医さんが過去を明かしてエリーゼを諭してどうにか納得。そして4人で頑張って的を倒して新たなる「スカイガールズ」の幕が開く、ってことでエンディングも4人が登場してはいるんだけれどずっと同じポーズで止まっている感じ。でも良く見るとエッジがはためいているから落下しているんだと分かるし、エリーゼだけがくるりと1回転して、しばらくしてくるりくるりと2回転してああこいつらは落下しているんだと分かるよーになっていたりとあれでなかなかに凝った作りになっている。それとも最小の力でそれらしき絵を作ってみせたか。いずれにしても頑張った。問題はだから歌声かあ。せめてのみこさんぐらいにぶち切れていりゃあなあ。

 そして多分久しぶりって漢字の「逮捕しちゃうぞ」は夏実も美幸も安定した作画で見ていて安心できそーで、夏実は胸元なんか増量気味だし異幸も美麗さが増していて、これがこのまま続いてくれることをとりあえず切に願うけれども「逮捕」の場合は問題はエピソードの展開のどことなく漂うユルさにあるからなあ。でもまあ外国から来たお金持ちの遺産を受け継ぐ少年を守り戦うって筋を入れてあるからそれを機軸に墨東署の面々のテキトーな日々を交えながらもしっかりと進んで行ってくれるだろー。キャラだとやっぱり葵ちゃんの美しさに注目下、作画力(さくが・ちから)のアップが1番効きそうだし、って葵ちゃん未だにちゃんと生えてるんだけど。あと漫画眼鏡度がアップしていた頼子のドタバタぶりかあ。オープニングがいきなりビーチバレーだったけれどもやってくれるかな、本編で、でもってホームラン男を相手にハッスルハッスル。期待だ。

 そうか1年も経ったか「キッザニア東京」のオープニングから。平日の午前とか昼間にいったいどれだけの客が行くんだろうって心配がずっとあって果たして大丈夫なのかと半信半疑を最初は持っていたけれど、しばらく経って聞こえて来る大混雑ぶりにこれは相当に教育委員会とかに営業をかけて来場してもらっているんだろうって考えていたらとんでもない。キッズシティージャパンの社長の人がいうにはそうした活動は一切やっておらず、なのにコンセプトの教育的な面での良さから課外授業だとか修学力に「キッザニア東京」が選んでもらえて、そしてこれほどまでの人気ぶりに至っているんだとか。テーマパークでもエンターテインメント系だと挙げにくいけど教育なんだから、職業体験なんだからと言えば納得の親に子供に教師たち。ただそこでちょっとでも子供だましで大人くすぐりな部分を入れたら見透かされるところを「キッザニア東京」は徹底して子供に楽しく、けれどもリアルな職業体験をしてもらうってところにこだわった。それが真っ当なものを求める人たちに認められての盛況へと至ったんだろー。

 もう徹底しての”子供の王国”で5日に開かれた1周年記念のオープニングセレモニーでも司会は子供たちが担当して、壇上にも子供たちがあがりそれを子供カメラマンと子供記者が取材しては号外まで出して配ってる。とんでもないまでの徹底ぶり。パビリオンに付き添いの大人は入れず見ているだけってことになっているし、そーしたどこにも媚びずけれども居丈高でもない生真面目さを、子供は支持し親も教師も安心して任せておけるんだろー。5日には新しく集英社がスポンサーになったパビリオンが出来て漫画家になれる、なじゃなくって漫画を編集するお仕事を体験できるとか。3日3晩の徹夜も覚悟で漫画家に付きっきりになってアイディアを出しお茶を入れ、逃げようとすれば捕まえ引き戻してペンを持たせて漫画を書かせる、その苦労を体験すればどんなわがままな誰かが現れようとも臆さず堂々としていられる人間に育つだろうし、大人になって子供をもっても耐えて導き真っ当な道へと歩ませる立派な親になることだろー。でも中には胃に穴をあけ髪を禿げさせる苦労にとか出てくるかも。なりたいと思っている子供は、自分の編集者への適正、試しにはかりに行ってみよー。


【10月4日】 さすがに全部は見切れない中でちょろっとだけ見た「ドラゴノーツ ザ・レゾナンス」は雰囲気新しくって展開にも期待が出来そう度では今期1番くらい? 「ウィチブレイド」に雰囲気が似ているなあって思ったらキャラクターデザインがうのまことさんで主役級の少女がブルマをはいていたりとビジュアル的に見所がたくさん。マキナとかガーネットマクレーンとかキタジマ・ユウリとか無駄にバストの巨大なキャラクターもたっぷり出ていて週中の真夜中に終末をこいねがって沈んだ気持ちをぶるんぶるんと奮い立たせてくれそー。触れやしないけど。でも目には迫る双房。日本に生まれて良かったなあ。しかこれもコナミデジタルエンタテインメントの提供作品か。「スカイガールズ」といい「天元突破グレンラガン」といいコナミアニメ、変わったな。「セイントオクトーバー」越えはまだまだだけど。

 オープニングの音声を消しつつ内心で「まくろのそーらをー」とか唄いながら始まった「超時空要塞マクロス」を見ようかと思ったけれど沈没。第1話ってあんな感じに前降りがあったんだ、もう記憶にないけれども来年だかにDVDボックスが出るんで買い直して確かめよう。例の「神曲奏界ポリフォニカ」が可愛く思えるくらいの止め絵の連発はDVDでいったいどーなっていたんだっけ。そんなこんなで眠り起きて秋葉原へと向かい「JAPAN国際コンテンツフェスティバル(コ・フェスタ)」の一環として今年から始まった「ジャパン・アニメーション・コンテンツ・ミーティング2007(JAM2007)」を見物。したもののそんなに取材が来ていなかったのにちょっと衝撃。なるほど来てくれって動員がかかるはずだよなあ。

 経済産業省が仕掛けて作り上げた「コ・フェスタ」だけれど今どっかでやってる「CEATEC」も含めて20だか何だかのイベントがあってジャンルもコンテンツとは銘打たれながらもゲームから音楽から映画からCGからアニメからばらんばらん。だからおそらくはそそれぞれに担当している人がいったりしているんだろーけれど、旧来からあるイベントに「コ・フェスタ」の名を冠したものならまだしもまったく新しいイベントとしてスタートした1日に始まった「劇的3時間SHOW」しかり、今回の「JAM2007」しかり誰がどう担当してフォローすればいいのか縦割り担当方式が根強い新聞あたりだと分からないみたい。「劇的3時間SHOW」だって面子が超ゴージャスなのに見知った記者とかいなかったもんなあ。

 産業振興を銘打つ以上は産業的な視点からの報道を望んでいたりするんだろー経済産業省なんだけれども、そっちの視点で取り扱うにはエンタメ寄り過ぎる。かといってエンタメを専門に扱う部署は映画音楽文芸がせいぜいでアニメに漫画にキャラクターといったものへの関心もなければ専門に分かる人だって置いてない。それが近年の新聞メディアの若い層を取り込めないで弱体化していった理由のひとつでもあるんだけれど、それでも文化的な面では若い人で取り扱う人も増えてきたからまだ良いけれど、産業としては経済を仕切る部署での理解がせいぜいゲーム機メーカーあたりまで。それ以外のことになると宮崎駿さんクラスの認知度、というか自分たちが知っているかどうかの基準でしか判断できず最前線で起こっているコンテンツ的なムーブメントは見落とし取り上げず、ネットに先行されて顧客を奪われ更なる弱体化を招く悪循環。

 それでいてネットへの対応を強化したいとか言い出して、ワイドショーみたいに公判の冒頭陳述を延々と書き連ねて悦にいっているんだから何というか。リアルタイムで昼間っからそーゆーのを見ている人にいったいどんな広告的なバリューがあると思っているんだろー。主婦がアクセスしてくれている? 会社でエリートサラリーマンがのぞいてる? そーゆー裁判がいつもある訳じゃないし、整理・編集されていない情報なんてものは見づらいだけで価値がない。やるんだったらあらゆる情報をプレーンな形で流して読者サイドで編集し閲覧するよーにすれば良いんだろーけど、そうはしないで編成権は維持して思い込みと思いつきだけで読者が望んでいるに違いない、と考えたコンテンツを流すから現場では乖離が生まれて離反を招く。その果てに来るものは。まあ考えたって仕方がないよそれが来る以前にこっちにいろいろ来てるだろーから。

 ともあれ他に見知ったプレスも見えない中で「JAM2007」を見物。「新世紀エヴァンゲリオン」の10周年を記念してサイトなんかで展開されてたお弁当とかリリスのお皿とか使徒がデザインされたテキスタイルで作られたTシャツなんかがあって格好良さに欲しくなる。話題のロンギヌスの槍はさすがになかった。回ってファンワークスと手塚プロダクションが出してたブースで噂に聞いてた「やわらかアトム」を発見、おおアトムだ、いややわらか戦車だ、どっちなんだ、どっちもだ。予想に違わずマッチしていてこいつは人気が出ると確信。見た映像もやわらかプルートもそれなりだったけれどお茶のジミ博士に奥さん息子のお茶の水化がされていたりとアトムがしっかり取り入れられてて笑う。アトムだからさすがに退却はできないよなあ。でもするのが「やわらか戦車」の心だし。どーするんだろうその葛藤を。

 「JAM2007」の面白いところは提示されているキャラクターを使って商品を考え出して応募してもらったら商品化されるかもしれないってオーディションが行われているところ。素人がキャラクターを使いたいって考えたって敷居が高くて値段もそれなりで手が出ないところをこーした企画によって敷居を下げ、新しいアイディアがキャラクターのビジネスの世界に入って市場を広げてもらいたいってねらいがあるよーで、公開されているキャラクターも「Aika」から「アイドル伝説えり子」から「青の6号」から「パンダコパンダ」から「鉄腕アトム」あら「リボンの騎士」から「宝島」から「ミンキーモモ」から何から何まで盛りだくさんの約70。

 とはいえ「東京国際アニメフェア」とは違うものをやって欲しいって言われて開催が決まって準備期間も短かったせいもあってか全部が全部、使われてはおらず会場にあがっていた作品も「鉄腕アトム」とか「ブラックジャック」とかメジャーな作品が中心。「ボトムズ」のドッグタグとかもあったけれどこれだったらコスパかバンプレストあたりで製品化されていそーだよなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」はなかったけれどもあったら何を作っただろー、C.C.用ドーナッツ座布団とか、あのお尻が収まるにはそうとうな深さと弾力が必要だし。いやいやC.C.のお尻を模したクッションか、枕にしたら良い夢見られそう、永遠に。

 中で興味深かったのは熊本の印刷会社が作ったとゆー香るカード。裏側にアロマ袋が張り付けてあってサンダルウッドだとかミントの香りが結構な期間にわたって漂い流れる。すでに宣伝用とかのカードとして使われているみたいだけれどもせっかくこーゆー企画があるんだからと知った経営社が「鉄腕アトム」をデザインしたカードを作って応募して来た。熊本の合資会社がアトムを使いたい、ってもなかなか億劫だからこーゆー企画は万々歳。とはいえ働きかければできない訳でないないものだけに、ここを1つのきっかけとして何か新しい企画が立ち上がって来る方が個人的には面白い。

 ほら会場は秋葉原、周囲を見渡せば美少女キャラクターの看板にポスターのオンパレード、ならば例えば美少女アニメのあのキャラクターにマッチした香りが漂うカードを作って売ってくれるとかすれば、ファンは揃えて買うんじゃなかろーか。「らき☆すた」の泉こなただとどんな香りだ、麝香か白檀か。近隣のメイド喫茶の1番人気の彼女の写真を表面にプリントした上で、彼女の香りを封じ込めて配るとかすれば名刺代わりになって面白そう。1枚450円くらいからで10枚くらいから作れるそーだし。どんな香りがいいかなあ、盛夏の最中の腋の香りかそれとも3日3晩はいた下着の香りか。


【10月3日】 この頃流行りの女の子は劇場版からの流れを継いだか妙におとぼけでドジっ娘で天真爛漫で変身してからも脳天気だけれど最後にちょっとばかり強い敵で顔をしかめて大苦戦で以下次回。すっぽんぽんっぽい恰好で広場を駆け抜けるシーンにインパクトはない訳じゃないけど見えるでもなく見せようとしている節もなく、これだけやってりゃ良いんじゃねえ的中途半端さがかえって気分を萎えさせる。おっぴろげジャンプくらいやらせてみろってんだ、ってそれは違う作品か。

 「キューティーハニー」ったら自分が人間じゃないと知り、父親代わりの博士が殺されて愕然として心に複雑な痛みを負い、陰で歯を食いしばり、それでも前向きに進んでいく強さが美しさと相まって醸し出される凛とした雰囲気が、お色気シーンの向こうにあったからこそ永遠の傑作になったのに、お色気の部分ばかりを選んで引っ張り出して見せてはいオッケー、じゃあハニーも浮かばれねえ。エバーグリーンな作品になるにつれ、大事な部分が背後へと下がり突出した部分だけが抜かれ再生産されていた果てに現れるグロテスクさ。あらゆるご長寿作品にとっての宿命と言えば言えるけれどもせめてもうちょっとだけでも過去への敬意とそして神髄を掴む努力をはらって頂ければ。だから変身シーンに光なんぞ重ねるな。

 えっと大食漢の女子高生がお化け屋敷みたいなところに住む魔人の子供探偵から自分の言うことにはハイかイエスで答えろと迫られ助手にされて異次元へと蹴落とされ、現れる敵を相手に戦うってアニメーションがやっていたようないなかったような。いやまどろみの中で見ているともはやどれがどれだか区別が付かなくなって困るっていうか、区別のつかない話ばかりをなぜに選んだかのように同じ日に放送するっていうか。すでに「アイドルマスター XENOGLOSSIA」と「機神大戦ギガンティック・フォーミュラ」で経験しているとは言え、この場合はキャラデザインに特徴があったり動きが緻密だったりお話の導入に巧さがあってそれぞれに興味を引かれて上の最終的な表裏、みたいな流れだったんで最初はそんなに混乱しなかったけれども「素敵探偵ラビリンス」と「魔人探偵脳噛ネウロ」に重なって来られると、明らかに違う設定ではあっても探偵と助手の事件をめぐっての珍道中という共通項からどうしても頭で番組が重なってしまう。夜中だし。

 だいたいが週刊少年漫画誌の作品をどーして真夜中にアニメ化するかねえ、「デスノート」ならまだしも大人が読んでいたから言いけど「ネウロ」とか「ラビリンス」なんて夜にアニメを見るだろう層はほとんど知らないよ。「リボーン」や「NARUTO」や「銀魂」や「ブリーチ」は朝とか夕方なのにどーしてこれらは真夜中なのか、その差にどういう理由があるのか、座組の問題か作品の人気具合か真夜中にした方がいろいろと冒険できるって配慮故の選択か。まあおそらくは昼間にゃあ食い込めない事情があるんだろーけどそれならそで「BLACK CAT」と見たく終わった作品ながらも文庫刊行にマッチした放送が始まり絵の美麗さでもってそれなりに、最後まで引っ張ったような流れをどちらにも作ってもらいたもの。「ネウロ」の大食漢女子高生の描写とか頑張ってるし期待を残しつつ経過観察。「ラビリンス」は……超高速回転するドジっ娘メイドをもっと出せ。

 ああ「ナイトウィザード」だった、えっと絵が……90年代前半風? とくに男性キャラに熱血っぽいのが入っているんだけれど今風じゃなくってどっか押しつけがましいっていうか。女性キャラも今風にやや届かずどこかに妙な懐かしさ。武器の描写とか崩れておらず割と緻密で絵に自信がない訳じゃないとしたらキャラに関してはもともとの仕様か。「ハイかイエス」の強引さとか展開の唐突さを笑えないこともないけれど、それで引っ張られるほどに世の中は甘くない。築かれている世界観にどこまで興味を抱けるかがたとえ1クールでも見続けさせる上で大切なんだけれどもそれが今のところあんまり感じられないのが何とも。女神様の笑顔だけでも楽しむか。

 その意味で言えば引きに謎があってこれからもとりあえず見なきゃと思わされたのは「BLUEDROP」くらいか。これもやさぐれたお嬢様が不満をかかえて送り込まれた学園の理事長が挑発な髭で声が中田譲治さんだったり紹介された真面目そうな同級生が庶民の出て庭いじりをしていたり、寮で同室の少女が生真面そうな令嬢だけれど得体の知れなさがあったり寮長が男にしか見えない巨漢だったり仕切る女性が口に楊枝だかチュパチャップスだかをくわえていたりと、キャラクターにいささか類型的な過剰さが見えないこともないけれどもとりあえず冒頭に宇宙が出てきて最後に海からマシンが上がってきたりと謎は多そう。原作を読めば住む話ではあるけれどもまあ、そこは読まずに我慢して展開の唐突さと秘められた謎を堪能していくことにしたい、けれどもしかしキャラクターがなあ。見てグッと来る作品は今秋にはお目にかかれないのかなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」の2期まで待たないとグッとこれないのかなあ。

 カイジはまあどうでも良いや。んでDVDとして登場した「神曲奏界ポリフォニカ」の例の第7話はやっぱり例の7話のまま。そりゃあなるほど顔の崩れとか、バンの天井に乗ったサメの風船が途中にイルカにならずサメのまんまだとかいった改変はあるけれども問題はそんな見た目の美醜じゃないってことに気づかないのか気づいていないのか。ガラスの天窓を突き破ってプールに落ちた車に乗っているフォロンとコーティとフォロンの友人が浮き輪を填めて水中眼鏡をかけてイカ焼きを加えているのは一種の面白がりだと認めて差し上げられないことはないことはない。どっちだ。いやまあ億歩譲って納得するけど問題はだからどうして車があんなに高いところから落ちて無事なのか。コーティが守ったのか。そうならそうだと見せてくれ。

 おそらくは左側通行が交通ルールとなっている高架の高速道路にどう見たって右側へと合流する進入路とか、マナガに打ち抜かれて開いたバンの穴の形がシーンごとに変わるところとか、考えれば整合性のとれない部分をこそ直してはじめて展開に納得性も得られるってもの。マナガとマティアが乗っていた四輪駆動車の車内に半分くらい水がたまってマティアが溺れているのを助けようとして、マナガが窓をちょっとだけ開くと天井近くの隙間から水が一気に溢れ出すのも絶対的にありえない。だってそれだとやっぱり半分は残ってマティアは溺れたまんまじゃん。精霊の力でポンプでも使ってくみ出したのか。だったらドアを開いた方がはやいんじゃないのか。そんな矛盾だらけの部分がたっぷりと残っていて、絵が美麗になったからってまるで喜べない。

 テレビ放映は時間もなく仕方なかったと原作者に同情しないでもなかったけれど、間をおいて出してこれで原作者たちは納得しているのか。自分たちの世界がこんなにされて幸いか。シリーズが新しい作家を引っ張り込んで、さらに広がる気配を見せているのは結構だけれどアニメを入り口に作品へと興味を持とうとしている人たちを、入り口で笑わせ拒絶するのはどうにもこうにも勿体ない。アニメ化は小説が大ヒットしたご褒美じゃないんだから、もうちょっといろいろ頑張ってやって欲しかった。2期があるなら是非に、ってあり得るかなあ。原作はたっぷりあるんだけどなあ。ああ今日も本が読めません。


【10月2日】 ハワイのすぐそばにシャムロック島ってのがあってそこに本社を置く航空会社「シャムロックエアライン」ってのが10月にいよいよ日本便を飛ばすことになったとか。世界で1番ワガママな女性として知られる「SAYOKO」さんが2代目オーナーとして君臨しているこのエアラインは、気まぐれに投げたダーツが当たった場所にしか便を飛ばさないからなかなかお目にかかれない。それでいて世界一わがままってことはつまり世界で1番贅沢な女性ともいえるSAYOKOの願いと思いが存分に反映されたエアラインのグッズは、全世界の女性から羨望の的になっていて、ウェブなんかで注文は出来てもなかなか手に入れることは難しい。だから。

 日本便の就航に伴って日本に10月6日にオープンするオフィシャルショップは世界中の女性が憧れる「シャムロックエアライン」のグッズがその場で見られてその場で変えてしまう日本では唯一、世界でもそんなにはないショップとして大きな注目を集めそう。何しろワガママなSAYOKO様の要求がすべて満たされた商品ばかり。胸元がハートになったエプロンとかは女性が着ればそれだけで男性諸子より垂涎の双眸で見られること請負だし、ゼロハリバートンのキャリーバッグもイメージカラーのピンクに塗られてなかなかな可愛らしさ。開けると間仕切りは飛行機の柄になっていて、それもピンクでデザインされてて格好良さと可愛らしさに悶絶する女性とかたくさん出そう。

ピンクの飛行機を見たらそれがシャムロック、ゴージャスな品物がいーっぱい  バスローブがありタオル地のキャミソールがありTシャツがありバッグもあるけど目玉はクリスタルガラスの名門スワロフスキーが手がけた飛行機の模型か。キラキラと輝くビーズが胴体いっぱいにちりばめられた模型は888万円と高額だけれどプラチナガンダムの3000万円に比べれば安いもの。今んところは1点物なだけに買ってレアアイテムとして飾りたくなる女性だってきっとどこかにいるだろー。同じよーにビーズがいっぱいにちりばめ裸得た腕時計なんかもあって填めれば目立つこと請負。飛行機のキャビンを燃した店内から1歩出るとそこは飛行機の胴体を燃した外装があって窓の部分には例の桜奈ちゃんがモデルになったスチュワーデスのフィギュアなんかも飾られてる。もう外から中からすべてが「シャムロックエアライン」。これほどまでに素敵なお店を作りアイテムを揃える航空会社だからさぞや飛行機自体もゴージャスでカラフルでキッチュなんだろーなー。乗りたいなあ。どこに行ったら乗れるのかなあ、羽田かな成田かな関空から中部国際かな。

 どこに行っても乗れません、ってのはまあ分かり切った話で「シャムロックエアライン」は実はバンダイが新しく立ち上げた女性向けの雑貨ブランド。架空の航空会社を設定して背景とな成り立ちとかってストーリーも着けた上で、あり得るだろーグッズを作って売ろうとしている。狙いはずばり女性層の開拓って奴で言われている少子高齢化で玩具のメーンターゲットがしぼむ中、新しい層を顧客にするべく考え出されたって訳。最初は一種の宣伝プロジェクトであってそういう変わったこともやってますって見せてバンダイの、企業イメージを高める狙いのものかって思ったけれどもショップに行くと並ぶグッズはどれも本物。ピーチジョンとのコラボもあればスワロフスキーやゼロハリバートンとのコラボもあったりと、品揃えも良ければ品質もしっかりしていてその本気度って奴が棚から店内からにじんでくる。

 オープンに合わせて揃う商品は直近でおよそ100アイテムでこれがさらに増えるとか。コラボレーションもどしどしと登場して来るみたいであとはどれだけ狙いの層にアピールできるかだけど、テレビとか雑誌なんかの食いつきも良いみたいなんで初日は結構な人が訪れ時計なんかを買っていきそう。個人的にはでもやっぱりエプロンが1番かなあ、あれをほしのあきさんに着せると相当にぐっと来そうだなあ、もちろんまとうのはエプロンのみ、だけど。ピンクってことは「ニンテンドーDS Lite」のピンクバージョンにスワロフスキーのビーズをコーティングして打ったらって思ったけれどもそういや航空機の中はDSは遊べなくなるんだっけ、そりゃあちょっと売れないか、「ワンダースワン」なら良かったのに、ピンクのワンダースワン、家のどっかにあったなあ、そういや。

 「でじこ」が生まれ変わった、カーニバルだ、って流れで良かったっけ、「究極超人あーる」もすでに10年は読んでなくってもちろん元ネタも知っちゃあいないけれどもとにかく「デ・ジ・キャラット」が様変わり。ってもデザイン的には帽子だった猫耳がカチューシャか何かになって服もちょいゴージャスになったくらいだけれども、10周年を区切りに新しく始まる「でじこ」では中に入っているらしい何かも代わってて、それが誰なのかを当てるクイズが繰り広げられることになるんだとか。誰だろう、平野綾さんでないことはたぶん確かだろうけれどもあの芸達者ぶりを見るともしかしてやっていたりする……訳はやっぱりないか。んでもって「プチ・キャラット」も新たに声優をオーディションするとかでプロアマ問わず応募可能、ってことはだったら現在もっとも巧い若手の声優でもオッケーか、名を沢城みゆきさんという、ってそれじゃあ前といっしょか。これもだったら芸達者な平野綾さんで。ハルヒとこなたが会話する感じで。視聴率だけは完璧だろうね。

 なるほどやっぱりいつ聞いても不思議な音色だハルダンゲルヴァイオリン。ノルウェーの民族楽器でヴァイオリンのような形をしているけれども弦が9本もついている。4本はバイオリンのように張られて5本はその下に2段重ねになる感じで張られてて、上の弦を弓で弾くと共鳴してうぉーんと響いてそれが1人なのに何人もで演奏しているような不思議な音空間をそこに生み出す。日本でってゆーかアジアで唯一、プロのハルダンゲルヴァイオリン弾きの山瀬理桜さんのコンサートが渋谷の「Bunkamuraシアターコクーン」で開かれることになって、記事を書いたこともあって見物に出かけるとそれなりに入る会場はほぼ満席に近い入り。ノルウェーの音楽もハルダンゲルヴァイオリンもそんなに知られてはいないはずなのに、聞きたい見たいって人がこんなにいるのかと音楽が持つ力に感じ入る。

 それともスタジオジブリの制作で「三鷹の森ジブリ美術館」だけで流れる短編アニメ「水グモもんもん」の音楽を山瀬さんが担当し、「ゲド戦記」でも楽曲を演奏したってことを知っての鑑賞か、いやどう見てもクラシックを好きそーな人たちでアニメファンとか子供とかはいなかったから、クラシックの世界でもちゃんと認知されているってことなんだろー。場内にいたアニメっぽい人は白い頭で眼鏡をかけて髭をはやしてジャンパーをはおったプロデューサーみたいな人とか、アニメ「ギブリーズ」に出ていた眼鏡のぬらりひょんみたいなキャラクターによく似た人くらいか、ってそりゃあ鈴木プロデューサーと野中さんじゃないですか、あと広報の西岡さん。ジブリの作品に関わっていたって縁もあってのご来場。こういうところが招く側招かれる側とも実に律儀。あるいはと思ったけれどもちゃんと鈴木さんがご登場とは、それだけ強く認知しているってことなんだろー。次の「崖の上のポニョ」には関わらないのかな。

 そしてコンサートはノルウェーから招いたハルダンゲルバイオリンの宗家みたいな所の坊ちゃんと、現地の博物館でダンスを披露している兄妹と、ソプラノ歌手の女性の4人をゲストとして迎えつつ山瀬さんの姪とピアノの2人を入れた編成でグリーグとか民謡とかいろいろな楽曲を演奏しつつ合間にMCを入れて楽曲や楽器を解説していく構成。なじみのない曲に楽器なだけにこういうティーチングが興味を喚起しファン層を広げることに役立っているのかも。とりあえず関心があったのはネイティブなハルダンゲルヴァイオリンの奏者がいったいどんな音を出すのかってことだったけれどもクリスティアン君、ネイティブなだけあって演奏は手慣れた上に深みもあってよく響く。共鳴弦の響かせ方とかはやっぱり幼い頃より身につけたテクニックが物を言うってことなのか。

 ただネイティブな演奏はつまりネイティブなダンスの伴奏にはなっても旋律を持った音楽にはなってなくって、プリミティブな感情を揺さぶられる楽しさは存分に味わえたもののやっぱりそこ止まり、って印象も浮かぶ。そんなクリスティアン君の力強い演奏を聴くと山瀬さんはウワーンと成るハルダンゲルヴァイオリンの音色もやや弱く聞こえてしまうけれども楽曲として演奏して旋律を奏でて音楽を形作ろう、って意識はあってだからこそオリジナルの楽曲も成立し得るんだってことを感じる。どっちも特徴があって素晴らしいってことで、それを1度に聴けるコンサートは貴重。10日には兵庫県の方でも開かれるみたいなんで関心のある人はチェック&ゴーだ。

 プログラムには「水グモもんもん」の楽曲の演奏とか、「ゲド戦記」で山瀬演奏した曲の披露とかもあってそういやあこんな音色が響いていたなあと記憶が蘇ってくる。あの土臭さ草臭さを感じさせる大自然の情景に、ハルダンゲルヴァイオリンのような民族楽器は実に良く合っていたんだよなあ。「ゲド戦記」関連ではあと、「テルーの唄」をノルウェーの言葉にして山瀬さんの姪が歌うコーナーがあって、プロの歌手ではないけど澄んだ声が手嶌葵さんっぽい感じでなかなか良かった。ちょっとはテレがあったかな。手嶌さんを聞いてピンと来たって前に喋っていた鈴木さんはどう思ったんだろう。エンディングを経てアンコールを重ねた後のフィナーレまでいると全員が登場してダンスを交えつつ場内を花を配って歩いてくれるんで立たずに待とう。終わった後に楽しく愉快な気分で家路に向かう人たちの足取りを見ていると、コンサートは成功だったって言えそう。東京でまた聴ける機会があったら是非にのぞこう。という訳で「コードギアス 反逆のルルーシュ」の文庫最新刊はまだ読めない。新番組のアニメも大量に始まったし、時間がどんどんと削られるう。暇にならないかなあ。なるかもなあ。


【10月1日】 本屋で「コートギアス 反逆のルルーシュ」のノベライズ最新刊なんかを買いつつふと気が付くと、売り飛ばされたかして所属する会社が変わっていたりして仰天の07年度後半戦。これでも学生時代は本多勝一さんを愛読して日本語の書き方なんかを勉強し、卒業前からずっと「朝日ジャーナル」を読んで最終刊までの数年分くらいは今でも家の冷蔵庫の脇に半分くらい塗れでカパカパになりながらも積んであったりする人間だったりするんだけれど、それが何の因果か靖国参拝万歳で国旗国家には敬礼が絶対、んでもって「七生報国」だの「北方領土返還」だのと雑嚢学帽に書き記して中学に通っていた人がエースと尊ばれる会社に所属する事態となるとは何とも運命の数奇って奴を感じさせられる。

 まあこれまでもそれなりに歴史があった媒体が崩壊の瀬戸際まで行き大転換を計って足掻く場面とかを目の当たりにして、今またそこが再びの激変を余儀なくされている様に巻き込まれているから驚くべきことではないかもしれないけれど、それにしても地元にいたころにはまるで縁遠かった、それこそ栄の地下鉄の隅っこにある売店でしか見ることがなかった会社に入るとは、20年も前にちょうど就職活動をしていた自分にはカケラも思わなかった事態だろー。それを言うなら当時ですでに6年とか愛読していた「SFマガジン」に何か書くとは考えもしなかった訳で、人間どこでどうなるか分からないんだってことを、或いは証明しているのかもしれない。ってことは10年後には芥川賞か三島賞でもとっていたりする可能性がある……訳ないか、さすがに。

 いやいやどうして数年前まで懊悩の中に陰々滅々としていた人間が、芥川賞に3度もノミネートされた美人作家で、沢尻会ならぬ島本会みたいなのを結成して近隣の若手作家たちを集めた文壇サロンっぽい華麗な人脈を作り上げてゴージャスに公有している島本理生さんを射止めたか、それとも射止められたか分からないけどともあれご結婚おめでとう、んでもって当人も三島賞を受賞して順風満帆に作家としての道を歩んでいるから人間の運命ってのは分からない。きっと当人だって分かっていなかっただろう佐藤友哉さん。

 だから、講談社から出した6冊は全部赤字で編集さんたちには申し訳が立たず、まだ幼かった頃に線路を横断しよとして列車に跳ねられ、体をまっぷたつにされてしまった妹の残滓が脳内に巣くって悩ませつつ励まされつつ、ようし一念発起して作家の道を再開しようと東京に出たものの、浜松町で出会った新興宗教めいた舞然姜華夢璃告里子(まいぜんしょうむりこくりこ)なんて名を名乗る少女に励まされながらも、彼女は一足先に東京タワーの側のビルから飛び降り自殺してしまい、残され妹の幻影と北海道を漂い自殺まで試みる中で書き上げその小説が、どうにか刊行されそうになったという青年が主人公の、どこか自伝的私小説的雰囲気を感じさせる小説「世界の終わりの終わり」(角川書店、1500円)をかつて「新現実」に書いてしまったんだろー。

 今の成功ぶりからそんな過去の境遇を書かれても、何を不幸ぶってんだって鼻白むだけなんだけれど、考えようによってはそうした苦難があったからこその今だって言える。ラストであらゆる艱難辛苦を乗り越えた果てに、作家になれたんだ夢がかなったんだ世界の終わりは終わったんだといって喜びを爆発させている様を読むと、なるほどこれが今のまさしく本音であって、たとえ脳内に妹を作り出して励まさせる傍目には気色悪いタイプの人であっても、真剣にまっすぐに頑張れば幸せになれるんだという事例を自ら証明した作品として、青い鳥探しのヤングなティーンには人気になったりするんだろー。おっさんたちが漫画しか読まなくなって、むしろ若者しか文学を読まない時代にあって、若者よ立てよ奮い立てよと訴える内容はまさしくぴったりの文学なのだろー。こういう小説の強度って、いくら東浩紀さんと桜坂洋さんが合作「キャラクターズ」でメタ化し相対化して粉砕しようとしたって、絶対に壊れないくらいに固くて強く、そしてでっかいんだよなあ。人気さらに出ちゃいそーだなー。

 かしわといったら名古屋では鶏肉のことを言ってそれでずっと覚えて来たから東京では誰もそう言わないことが不思議でしょうがないんだけれどもさすがにかしわ肉の名古屋コーチンに偽物が混じっていたってテレビで言われたって誰も分からないだろーから仕方がない。しかしいちいち取り寄せDNA鑑定をして調べるとはお役人たちもなかなか暇人というか念が入っているというか。思い返せばおよそ20年とかもうちょっと前に自宅から目と鼻の先にあって子供の頃から牛や羊や七面鳥や亀なんかを見に通った名古屋市農業センターで復活のための試みが始まってそしてどうにか成功。農業センターにある売店で冷凍にされた名古屋コーチンの販売が始まって、それを母親が買ってきてはいろいろと喰わせてくれたんだけれどブロイラーの柔らかさになれた舌には固くて噛まなければ染みてこない味に迷った記憶が今なお残っている。

 それが気が付くと「名古屋コーチン普及協会」なんてものが農業センターの中に出来るくらいのブランド品になっていて、あちらこちらで取り扱う見せも増えてきて結構な人気になっていたとか。そうなったらなるほど偽物だって出てきて不思議はないんだけれども問題は、ちゃんと公認されたものの中にも偽物が混じっていたってことで、公認を受けた業者が量を増すためにいろいろ混ぜて嵩上げしたか何かしたって可能性が考えられるけれどもそういうズルを公認する側で見抜けるか、防止できるかっていうと難しいからなあ。信頼するしかないんだけれど背に腹はって業者も中にはいるからなお悩ましい。それとも絶滅の縁から改良の果てに復活させた関係で、世代が下がるに連れてDNAなんかを調べた場合に差異が現れるものも出てきているんだろーか。だとしたらちょっと勇み足。その辺を明らかにしてもらいたいけどどっちにしたってケンタッキーとか食べ慣れた舌にゃあそれほどって気もする名古屋コーチン。歳をとって味が分かるよーになってから食べたいけれどもその時にゃあ歯はボロボロで噛めず味わえないって悲劇。やっぱり今のうちに楽しんでおくか。

 あっちは偽物も混じっていたかしわだけどこっちは実は本物のかしわだった佐藤可士和さん。アートディレクターとして「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」のシンボルマークなんかをデザインして、どう見てもカラーチャートにしか見えない単純さにどういう仕事ぶりだったんだろう、手じゃなく脚でイラストを描いても巨匠とあがめられる類のクリエーターなんだろうかって疑念も浮かんでいたけれど、そんな「コ・フェスタ」の中にあって過去にある展示会を1つ冠の下に束ねたものではなくって純粋に、新しく立ち上がったイベントとして今日から青山スパイラルホールで始まった「劇的3時間SHOW」の最初のゲストとして登壇した可士和さん。過去に手がけた仕事を挙げつつクリエーターとして心がけていることを、普段の講演とか取材なんかじゃ絶対にとってはもらえない3時間って長時間をかけて喋ってくれた。

 訴えていたのは「問診」と「整理」の大切さ。クリエーターといってもアーティストではなく思いを形にしていたんじゃあ仕事にならない。気がのらないって言ったところでクライアントは赦してくれない。商業としてアートディレクションを行う身として何をすべきかを突き詰めて言った時に、相手がまずは何をのぞむのかってことを丹念に聞き出す「問診」すなわち質問力が大事になって来るとゆー。こちらが出したいものではなくって相手がほしがっているもの。それを聞き出していった上で次に漠然として得られた情報を整理する必要があるとゆー。秩序立てて考えていないと、何となく分かっているような気にはなれても、だったらどうすれば良いのかを理論的に説明できない。情報を整理していくことで思考を整理すればもはや7割は完成。あとの3割をアーティスティックな作業で埋めて出来上がるんだと話してくれた。なあるほど。ちゃんと考えているんだなあ。

 富士幼稚園とかドーナツ型の建物を建てて屋上を遊び場にしてしまった発想なんかは、幼稚園は学び遊ぶところであるってことを理解した上で、でも建物があって遊具があるってだけじゃあ高校中学と建物自体は変わらない。遊具のあるなしが幼稚園であるかどうかではない、ってことを理解してそしてだったら幼稚園全体を遊具にするような発想を乗せてみようってことで世にも不思議でそして楽しい幼稚園が出来上がった。それから大阪の千里に作っているとゆーリハビリ病院も、病院ってだけで持たれる堅苦しくって圧迫されるイメージの原因になにがあるかを考えつつ、既存の白衣はペカペカっとしていて見る人を威圧しているんだからそれを和らげるために麻を使って手触りや見た目を優しくしよう、食事も病室でとっているけど社会に出たらそんなことはあり得ないんだからレストランみたいな場所で皆でとってもらおうってアイディアをぶち込んだ。8日にもオープンするらしーその病院のマークは亀。ゆっくりでも確実に目標に近づくリハビリの極意が象徴されているってことでこれまたなあるほど、だけど千里の千が亀の甲良にデザインされていると亀って千年じゃないだろう、って突っ込みたくもなって来る。かといって万じゃあ甲良にならないし。

 質問にだって丁寧に答えていく可士和さん。そんな人の良さもあってか開場は立ち見も出て500にからがぎゅっと詰め込まれて大盛況。佐藤可士和さんてアートディレクターがどれだけ若いクリエーター志望の人たちから憧れられ、注目されているかってことが分かって見物に行った甲斐もあった。ちなみに以後も亀山千広さんとか鈴木敏夫さんとか岩井俊雄さんとか、映画に音楽にアートの世界のトップクリエーターや超絶プロデューサーが連日連夜、登場してはやっぱり貴重過ぎる3時間の講演を行ってくれる模様。一部にゃあすでに埋まってしまったプログラムもあるけれど、まだ間に合うプログラムもあるみたいなんで気がむいた人は寄ってみてはいかが。鈴木さんはでももう一杯か。


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