縮刷版2006年8月下旬号


【8月31日】 さわやかでもないけれど起きられたんで支度をして青山一丁目へと出向きコナミ創業者の上月景正社長が私財を拠出して創設した「上月スポーツ・教育財団」ってところが行っている「第5回スポーツ選手支援事業認定者」の認定式を見物に行く。今まさにバリバリのトップアスリートから将来有望なアスリートまで、幅広い競技と人材から選んで助成するってゆー制度で認定されると月々5万円が1年に渡って支払われることになる。

 たったの5万円、って思われそーだけど考えてみれば学生の頃って奨学金の3万円ですら大金に思えた訳で、アルバイトする訳ではなく何ヶ月に1回、リポートを提出するあけでそれだけのお金がもらえるってことは特に学生のアスリートにとっては結構な助けになるんじゃなかろーか。本当はもっと沢山出して出せるんだけど、そこはそれ、お上のプライドって奴があって上位のJOCが強化指定選手に出しているお金の下限を超えて、民が出すのは如何なものかってゆーご威光でありご意向への配慮が、5万円って金額にせざる得なくさせているんじゃないのかなって、そんな類推も出来るんだけどさてはて。

 ちなみにこの「スポーツ支援事業認定」制度は、JOCから金銭的な助成を受けている選手以外が受けられる仕組みらしーんだけど、そのリストにフィギュアスケートの男子でトリノ五輪に出場した高橋大輔選手と、それから高橋選手と出場枠を争った織田信成選手が入っていたんで驚いた。2人ってJOCからの助成が付くクラスの強化指定選手じゃなかったんだ。だって日本のトップだよ。メダルだって取れるかもしれない実力を持った選手だよ。なのに外れてる。いくらアテネ五輪が終わった直後で、今は2年先の北京五輪出場選手にお金を振り向けなくちゃいけないからって、女子選手には強化を受けている人が何人かいるのに、男子はトップ2人が除外されているのは可愛そうというか何というか。

 これでtotoが儲かって原資がたんまりとあれば、出場枠だってかかる途中の大会に向けて日々の鍛錬に勤しんでもらうべく、トップの2人にJOCが助成したって不思議じゃないのに、そのtotoは風前の灯火で原資は枯渇。かといって民間が出しゃばるのは認めないってゆーお上の縄張り意識が身動きのとれない状況を作り出し、選手に必要なお金を行き渡らせない状況を生んでいるんだとしたら本末転倒も甚だしい。前例主義で事大主義。なるほどtotoが融通のきかなさでもって売上を落とし、挙げ句に多額の賠償まで請求される訳だよ。おまけに誰も責任をとらないんだから困ったもの。文部科学省から早くスポーツ省を分離するなりスポーツ庁を作って真っ当にして迅速なスポーツ行政を行わせるべきだよ。初代大臣は……経験のあるジーコ? ブラジルじゃないんだからそれは勘弁。

 間近に織田選手も高橋選手も実にコンパクト。なのにスケートとなると立派にハードな演技を決めてくれるんだから凄いもの。同じ学校で同じ競技に勤しんでいるってことで2人は実に仲が良さげで階下の懇親会場にも2人いっしょに降りていった。ライバルでもあり友人でもある。なるほどこれが”とも”という奴か。その他の選手では千葉すずさんの夫でアテネ五輪では銀メダルを獲得した山本貴司選手とか、五輪には出られなかったけど有力選手の中村真衣選手とかが混じっていたけど両名とも欠席だったのは残念。ビジュアル方面では福岡大学で陸上の走り幅跳びをやっている桝見咲智子さんって選手に眼がいった。

 「大学スポーツ」って「日刊スポーツ」内にあるサイトでも紹介されてる大学最強ジャンパーだそーで、174センチとかゆー長身もさることながら安藤美姫選手にも似たあどけなさと妖艶さが入り交じった表情も実にセクシー。これで競技が女性美を競うよーなフィギュアとかシクロとか新体操だったら途端にアイドルになっていたかもしれないけれど、陸上でそれも幅跳びではちょっと如何ともしがたいか。これをきっかけに個人的に注目していこー。陸上女子だと今回は入っていなかったけど高校生の200メートルの記録を塗り替えた中村宝子さんって浜松西高校の選手がビジュアル的に大注目。今出ている陸上競技の雑誌が2誌とも彼女をフィーチャーしていたほどの逸材だから、店頭でチラと見た人もいるかも。細身で長身。おまけに衣装も体にピッタリ。ちょいハイレグ。これで注目しないでいられるかってんだ。早く全日本とか出てこないかな。見に行くから。

 ここんとこあっちこっちに引っ張りだこで出ずっぱりな木村元彦さんが書いてる「地球を一蹴」ってコラムの最新号「金額の差が歪みを表す!」でオシム監督”強奪”の”賠償金”がたったの5000万円だって書いていて、儲けている日本サッカー協会にしては少なすぎるじゃんって憤っているんだけどこれにつてちょっと分からないことがある。なるほどワールドカップ独大会から帰国して開いた記者会見で、川淵三郎キャプテンが次期監督候補としてイビチャ・オシムの名を漏らし、そこから交渉が始まって当時はまだジェフユナイテッド市原・千葉の監督だったオシムを協会が引っこ抜いたことになる。だから協会はジェフに違約金を支払うべきだ。それもたっぷり払うべきだってゆーロジックなんだろー。

 でも、別に協会がジェフに圧力を掛けて横取りした訳じゃない。なるほど突然の横やりで混乱は生じたけれど、そこでオシムが今は契約があるから半年待ってくれと突っぱねれば話は終わり、違約金も発生しなかった。けれどもオシムが代表に関心を示したから違約金が発生する事態となった。決断の要はつまりオシムにあった訳で、そこで発生する違約金ってのはつまり契約途中で辞めるオシムが、千葉との契約解除に伴い支払うべき性質のものだったんじゃないかって考えが浮かぶ。もちろんそんな違約金をオシム自信は支払えない。だから協会が肩代わりしたってゆー風に取って取れないこともない。そう考えれば協会が本来は支払う筋ではないお金を、5000万円も拠出したんだから認められこそすれ、誹られることではないってロジックも一方に浮かぶ。

 いずれにしたって協会がお金を供出せざるを得なくなったのは川淵キャプテンの失言があって混乱が起こったからだ、ってロジックも出ているけれど、もしも協会が任期を尊重した挙げ句に半年後、別の代表なりクラブチームにオシムをさらわれてしまった可能性を想像した時に、そんな事態が起こる前に早めに手を打った必要経費であって、結果日本が優れた成績を収めれば、それは損失というよりはむしろ投資に類するお金だったって考え方も成り立つ。

 まあこれも契約がどーなっているのかを確かめないで話していることだから成否は不明だけど、そーした契約についての説明をすっ飛ばして”強奪””違約金”って言葉を並べて協会ばかりに非を押しつけ、契約途中で辞めたオシムに対する見解をすっ飛ばしているのはやっぱりどうにも落ち着かない。悪をとことん悪にしたい気持ちは分からないでもないけれど、ややもすれば感情の交じった雑言ばかりを投げつけないで、どこに問題があったのかをもうちょっと冷静な視点から解説して欲しいもの。「スポーツ・ヤア」の最新号で亀田対ランダエタ戦に対して行ったよーな分析が、欲しいなあ。


【8月30日】 4週目にして「スーパーマン」に抜かれ2位へとダウンした興行通信による映画興行の週末ランキングでの「ゲド戦記」。それが夏休みも最後ってことでお駆け込みの観客も増えたのか、5週目となった8月27日28日の週末ランキングでは再び1位に返り咲いた。一方で「スーパーマン」は4位に急落の憂き目にあってここからの挽回はちょと厳しそう。明るく楽しい「スーパーマン」の再来だって評判にもなっていたのに、週末に観客を集められなかったのはどーしてなんだろう? 弾よりも速く高いビルだってひとっ飛びの肉体を過信するあまりに、身ひとつでテルーに向かって剣を振るうウサギの前に立ちふさがってみせたは良いものの、そんな姿をテルーに咎められ「命を大事にしない奴なんて大っ嫌いだ!」と誹られたんだろーな、きっと。

 「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」も2位につけててなかなかのしぶとさ。トータルで見たら1位を走り続けている「ゲド戦記」に軍配があがるのか、それとも1週目2週目の積み上げが効いて夏映画の興行トップを「パイレーツ」が堅持するのか。夏休みの終わる9月の成績が明暗を分けそう。子供連れが行きにくくなる一方で会社勤めの人は平日も含めて通いそーな「パイレーツ」が巻き返すのか。今度の週末ランキングに興味津々。「ゲド戦記」の公開規模って公開時からそんなに変わってないけど9月はどーなるんだろー。代わりに入る大作も見あたらないんでやや縮小しつつもやっぱり最大規模での公開が続くのかな。

 しかしあれやこれや言われても国内作品として2006年夏最大のヒット作となったことには変わりがない「ゲド戦記」なのに、今もってアニメーションを語る人たちの間で評判が悪いのが気になるとゆーか。「ヤングキングアワーズ」の2006年10月号でも小林治さんがあんまり褒めてはいない文章を寄せていたりする。下のイラストは見た目の可愛さ対決なんで「ブレイブストーリー」に「ゲド戦記」が負けて当然。個人的には後ろ手に縛られたテルーが杭ごと体を抜いて倒れた時に、足を踏ん張り立ち上がろうとする仕草が大好きなんですが。あれ、可愛くないけど格好良い。

 でも、そんなに評判が悪い作品であるにも関わらず、5週目にして1位って事実はいったい何を意味しているんだろー。5週目ともなれば宮崎駿監督かもしれないって騙しは効かなくなるだろーし、様々な評判も知れ渡ってスタジオジブリだからって神通力もそれほど効かなくなる。1度見た人が2度目くらいのリピートに入り始めるだろー時期にさしかかってなお、興行成績の1位を堅持し続けているってゆー事実をまず踏まえ、それがどーゆーことなんだろうって考えてくれても悪くはないのに、そーした観客を引きつける何かを探ろうとはしないで、未だジブリブランドの威光に観客の目が眩まされているじゃないかって感じの論くらいしか眼につかないのは、公開から1カ月も経ってなお、「ゲド戦記」を観に行っている大勢の人たちに対して、どっか礼を失しているよーな気がしてならない。

 ジブリブランドの威光云々で言うなら、2002年の「猫の恩返し」が直前の「千と千尋の神隠し」の記録的な大ヒットという恩恵をモロに受けながらも、64億円にしか達しなかった理由をどう説明すれば良いんだろう? その年では確かにトップだったかもしれないけれど、「千と千尋」に比べればおおむね5分の1。けれども当時、ジブリブランドの失墜云々なんて言い出す人はほとんどいなかった。ジブリというスタジオの作品であっても宮崎駿監督の作品ではないんだから、そのくらい行けば充分過ぎるくらいだってみんな思ったんだろー。なのに今回、やっぱり60億円を超えて「猫の恩返し」の記録を抜くのは確実な「ゲド戦記」に対しては、ジブリブランドなのに少な過ぎるって声が実に様々に響いて来る。100億行かなければ責任問題だなんて声もある。どーしてなんだろう。

 宮崎駿監督の作品じゃない。エンターテインメントというのも難しい。原作が有名? そりゃSF好きファンタジー好きの間では知られた作品だったけど、圧倒的に知られた作品だったってことはない。それが60億円だ。5週目に来て返り咲きの1位だ。これって驚くべきことだろー。館数が多い? でも「ボックス・オフィス」の前週の日本ランキングを見ると3位の「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」の方が2位の「ゲド戦記」よりも150スクリーンくらい多いんだよ。1位の「スーパーマン」は70スクリーン多い。「ゲド戦記」ばかりが突出したスクリーン数を確保している訳ではないのに、並ぶ興収を上げてアベレージを確保している訳で、それを今もってジブリの威光だとか駿監督と間違えているとかいった理由で流行っているんだと、斜めに見ていては何かを見誤るよーな気がしてならない。

 至らない部分はなるほどあった。映画としても未熟だったかもしれないけれど、それでもなお60億円を超える興行収入を稼ぎ出した何か、悪評も広まり原作者による異論も展開されながら、5週目になってなお1位に留まらせつづけている何かを考えることがきっと、映画やアニメの形式ではない根源の力に迫る道筋になるんじゃないだろーか。「ゲド戦記」の場合それは……テルーの食いしばった表情、かな、ついはり倒したくなるよーな。ばっつんばっつんと。やったら火を噴かれてこんがり焼かれて。ああ何て楽しい人生。

 さて「ヤングキングアワーズ」2006年10月号は「ジオブリーダーズ」がやっぱり過去編で地味。大事な部分なんだろーけどジリジリとした進まない話にそろそろ神楽綜合警備の奴らのど派手な活躍が見たくなって来た。「トライガン・マキシマム」はバッシュがいよいよ禁じ手を破る模様。見開きのウルフウッドに涙。「エクセルサーガ」はエルガーラの走馬燈。でもまだ死なない。死ねやしないで大事なことに気が付いた。今さらか。「それでも町は廻っている」は骨董屋の「亀井堂」が登場。主人の静さんが気怠げで妖しげで良い感じ。「吉永さん家のガーゴイル」に出てくる人みたい。タッツンの誕生祝いをしていたらその日が先輩の誕生日だと判明して居づらさにさっと引く血の気が愉快。「ナポレオン」はナポレオンがコルシカで母親と体面。いきなり振り回したのは麺棒か。凶暴なり。兄貴に蹴り入れる妹も過激。可愛いのに。まあそれがヴォナパルト家の血気って奴で。歴史的にはどうなったっけ、彼女。

 ハイテンションだよ中原昌也さん。「週刊SPA」連載の「エーガ界に捧ぐ」。2006年9月5日号掲載分で紹介している映画が「ハイテンション」だってことなんだけど、本文中に映画の紹介なんて「最悪にくっだらない連中をバッタバッタと痛快にブチ殺してくれます」ってことくらい。そんな殺伐とした映画を心待ちにする気分になった理由をその他の文章で詳しくそして激しく説明している。テーマはもちろん芥川賞、落選ね。まず「あの選評は何なんだ!!サギ以外のなんでもない。人の作品に大した意見も言えず、その辺でフラついている酔っぱらいでも書けるような評しか書けないで、連中は百万円、こっちはノミネートから2ヶ月も放ったらかされてノイローゼになってボロボロになって無能極まりない適当な評のネタにされて一銭の得もなしで文春だって送ってこない」と吼えている。

 んで「ともに意図を表現するだけの言語表現がまだ充分に獲得されていないのではないか」と評した黒井千次さんには「この先生だけは誠実に厳しく批評されておられて感謝いたします」と礼を述べつつ池澤夏樹さんに矛先を向けて「あんたは何が言いたいのか?」と厳しく指弾。池澤さんは「映画の影響の典型である。問題はこれが映画そのものであることだ。まず映画を一本作り、しかる後にその映像をできるかぎり言葉に移す。あたかもそういう手順に従ったかのように思われる」と書いていたけどそれを「『映画そのものである』だって? 文房具屋で大根売ってるか? あんたは人の書いたものを小説じゃないって評するのは勝手だが『構成の原理が映画であって小説じゃない(ママ)」だって! 何ですか、それは? 意味不明。日本語ですか? アンゲロプロスの字幕でもやってたちずさんでりゃ理解できるんですか?」って突っかかってる。ああ愉快。「わかったようなもっともらしいことを言って一般人を騙そうってんでしょ? ナメてるね」。ああ痛快。

 村上龍さんについては「『現代における生きにくさ』を描く小説はもううんざりだ」って言葉に対して「大枚はたいてサッカーやサルサや×××(何だろー?)にうつつ抜かしてkの世界に満足この上ないようなあんたはそうでしょうね。皆さんは世界の『殺伐さ』を隠蔽して何かに奉仕するのがお望みなんでしょうから。それが現在の日本の文学なんだね。ふーん、よくわかりましたわ」と。そんな反論が果たして当を得たものなのか、それとも単なる私憤なのかは文学に関わっていない身には不明だけれど今の中原さんの気分は「ハイテンション」といっしょに紹介されたビデオで伝わってくる。

 そのタイトルは「文学賞殺人事件 大いなる助走」。そうあの文学賞の選考委員を1人また1人とぶち殺していく痛快無比な小説の映画化作品。とゆーことはノイローゼの沈んだ気分を抜けてテンションをハイにした中原さんも、そろそろ麺棒を合羽橋あたりで買い込んで、それを手に振り回しては各選考委員の家へと乗り込む決意を固めたか。いやいや中原さんのことだから得意なノイズをカセットに入れて大音量で鳴らしては、ご近所一帯をデスな空間へと変えてしまう挙に出るかもしれない。すでにしていつの間にやら終了していた直木賞に芥川賞の授賞式に乗り込んだって話も聞かない以上はきっと、これから何かをやらかしてくれるんだって期待して、良いのかな。それとも更なる念を身の内に溜めるべく、次のノミネートとそして落選を待っているのかな。


【8月29日】 一方の「週刊サッカーマガジン」2006年9月12日号は、表紙が日本代表のオシム監督で、それもよくみると眼をウィンクさせたオシム監督の顔写真を細かく濃淡を変えてモザイク状に並べては、同じウィンクをしたオシム監督の顔に仕立て上げている。なかなかの手の凝りよう。でもまあきっとこーゆー画像を自動的に作り出すソフトがあるるんだろー。だって影になった部分の小さいオシムの顔写真は、光の当たった部分の小さなオシムの写真とただ濃度を変えてあるだけだから。濃淡の異なる切手を集めてモザイク状に張り付けていってモナリザを作るよーなアーティスティックな活動とは違うってことで。

 記事では遠藤保仁選手へのインタビューが登場。何故にヤット? ってセレクトの微妙さがあるけれど、もしかすると古い井戸を掘った誰かを賛辞したいって「マガジン」編集部の意図の現れって奴なのか。きっと呼ばれていたら宮本恒靖選手になった予感も。あるいは小野伸二選手とか。そーゆー見出しになる、表紙に名前を大きく刷れる選手がいないってところがメディアにとってはなかなかに厳しい昨今って奴なんだろー。これで海外組でも呼んでくれればもーちょっと何とかなったんだろーけど。

 とは言え不動のフォワードだったブンデスの寿司は試合に出られず、フランスでも2部でしかないグルノーブルの馬面も、移籍だ何だと散々っぱら夢を見させられた挙げ句にベンチ外。プレミアからたたき落とされたレッサーパンダも試合に出られないと来たんじゃあ呼びよーもないし取り上げよーもない。1人だけ、歴としたトップリーグのリーグ1でレギュラー張ってる松井大輔選手なら呼ばれても良かったし、呼ばれればでっかく字にもなったんだろーけど、それでも呼ばなかったのは、実力は分かっているから今はしっかりチームに根を張れ、そこで活躍を見せろってメッセージなんだろー。あとはお隣スイスのバーゼルで不動のセンターバックに成り上がった中田浩二選手も。呼ばれなくっても絶対に見てるって、オシム監督なら。案外に海外組では真っ先にサクッと呼んだりしそー。

 早起きして池袋へと回ってジュンク堂池袋店へと駆けつける。おそらくは数百人が行列を成して争奪戦を繰り広げているのかと心配し、出遅れたかもって焦っていたけど到着すると1階フロアはまだ閑散。そして店頭に平積みにされた相原コージさんと竹熊健太郎さんによる復活の「サルまん21世紀愛蔵版」(小学館、上下各1600円)を、そそくさと手に取りレジで聞いてカウンターへと出向きもらったサイン会の整理番号はたったの8番だった。みんなどうしたんだ。あの相原画伯に竹熊博士と生で見えられるんだぞ。ちんぴょろすぽーんを目の前でやってもらえるんだぞ。スクール水着からはみ出しているんだぞ。メイド服に乗った顔が髭面なんだぞ。見たくないのか? あんまり見たくないかもなあ。

 まあ朝も朝だし値段もそれなりなんで、機動力戦闘力のある学生にはちょっとキツかったのかも。社会人が真っ当に出歩けるよーになる夕方くらいからは売れて1日で整理券も出払ったと信じよー。でないと前日から机の上にずらりと積み上げ朝から出来るだろー行列を心待ちにし、整理しなくちゃと休日出勤までした書店員が可愛そう過ぎる。さてはて。ちなみに当日は流石にスクール水着は着ないしメイド服も着用はしないそーだけど、サインをしているお二方の後ろに飾ら拝見は出来るらしー。あのフリヒラなスカートから大根サイズのゴボウ色した足がにょっきり生えていたとか、あのピチピチっとした素材の裏側にむっちりしてねっとりとした肉体が詰まっていたのかって想像を、行列している間に妄想してみると楽しいかも。それが収まっていた場所に触れてみたい、なんて思う人も出たりして。まだ暖かかったら、ちょっとヤかも。

 ずざざっと呼んで印象は「ああこれみんな連載の時に読んでたなあ」ってことくらい? ほとんどの内容が記憶にあって20年近く経った今でもそれってことはつまり、それだけ強烈な印象を残した作品だったって証明にもなるんじゃかろーか。下巻に入って「とんち番長」編へと移っても、だいたいのストーリーは記憶にあったのは我ながらちょっと驚き。一緒に連載されていた漫画が何だったかって記憶はあんまりないのになあ。何だったんだろー。これは流石に覚えてなかったけど、「とんち番長」がアニメ化されてキャラクターグッズが続々と登場するって話の時に写真で登場した、ギャルソンって会社の担当の人が何をあろー現タカラトミーの副社長にして、ちょっと前までタカラの社長でもあった佐藤慶太さん。この後にあーなってそーなってあーなった挙げ句にこーなるとは。流れた時間の大きさを痛感。そりゃ掲載されてる竹熊さんの写真を見たって分かるけど。

 喧噪の中に身を置いてはしゃぎ回りながら、世界と繋がっているって実感をその時だけ得られたところで、家に帰ってふと我に返ればやっぱり1人。はしゃいだ分だけ孤独感もぐっと強まり身を苛む。だったら最初っから1人なんだと身を律し、孤独と対峙しながら自分を考え社会を考え世界を考えるのがより意義深い生き方なんじゃないのか。なんてことをつらつらと考えながら森博嗣さんの「少し変わった子あります」(文藝春秋、1365円)を読み終え、じっと天井を眺める深夜のワンルーム。そーいや最近誰とも喋ってないなあ、仕事以外では。どっかにお呼ばれもしなけりゃ誘われもしない。まあ1人でサッカーの試合を見に行き展覧会を見物に行き歩き回ってから、帰って眠り起きてアニメを見る日課を自ら選んでいるんだから文句も何もないんだけど。

 大学教授が友人から聞かされていたのは不思議な料理屋。行くと女将が出迎えてくれて食事を出してくれてそれを食べて帰るだけ。頼めば毎回違った女性を相手に食事が出来るんだけど、別に何かを与えてくれる訳でもないし、食事の後で付き合ったりも出来ない。ただその場で適宜会話を交わすのみ。分かれてしまえばそれっきりな一期一会を突き詰めた関係なんだけど、そんな時間が妙に心地良いものなんだと友人は言う。ふーんと聞いていた大学教授だったけど、その友人が失踪してしまった後、彼を探すとゆー名目で彼から聞いていた番号に電話し、料理屋を訪ねてそこで同じよーに見ず知らずの女性を食事をし、分かれそしてまた電話して、今度は前とは違った場所へと出向き、そこで前とは違った女性と食事をするようになる。

 女性の食事の代金を支払うのは教授。起こるのはその場限りの出会いと別れの繰り返し。得することなんて何もないはずなのに、教授は女性の立ち居振る舞いを見て、女性と少ない会話をしたことによって、自分の置かれている環境を見つめ直し、自分は何者なのかを考え、過ぎ去った過去を夢見続ける不可能さを知り、そして前へと向かい歩み出す気持ちを心に育んでいく。

 登場する女性はタイプもバラバラで態度もさまざま。だけどそれらは自分の中に眠っていた、あるいは眠らせていたさまざまな可能性。食事する女性の姿を鏡のよーにしてそれを思い出し、あるいは引っ張り出していく教授の姿を見ることで、読者もまた結局は孤独である己を知り、けれども孤独が己の内にある広がりを知って、生きる覚悟、生き続ける覚悟を得る、って話で良いのかな。ちょっと不思議だけど読むとホッとする物語。こーゆーのも書けるとはやっぱり凄いなあ森博嗣さんって。どーして賞とかに縁遠いんだろう?


【8月28日】 先週の予告から期待してテレビの前へと座りじっと見ていた途中から、ワイヤレスヘッドホンのスイッチを切り音だけにした途端に天国が広がった「ARIA The NATURAL」。そりゃ女性の声優さんは男の子の声だって出せるから良いですよ。アリシアさん晃さんアテナさんもほとんど完璧でした。けど。けど。暁だけは許せない。何とも可愛らしいポニーテールの女の子。ぎゅっとアリア社長を抱きしめたその胸にはこれまた、何とも柔らかそうな二つの山がこんもりと盛り上がっていて触れればぽよんと弾みそう。実に何とも羨ましいなあアリア社長。

 って思った次の瞬間に出てくる声が、声が、声が、声が。一気に気持ちが沈んで萎えて落ち込んで、おかげで月曜日に迎えた朝は全身が著しい倦怠感にとらわれていて、ベッドからなかなか抜け出せなかった。せめて暁だけは。暁だけは替えておいて欲しかった。せめてBパートの子供時代を演じた誰かに、そのまま大人となった時の声も当てておいて欲しかった。収録の日が違ってたんだとしても、そんな配慮があれば見る方もなるほど凝ったことしなって微笑めた。オリジナルをまんま使うってのも矜持だけどでも、明かなミスマッチは健康にはなはだよろしくない。しばらく立ち直れなさそう。それを言うならウッディはってことになるけど別に平気だったのは、ウッディはやっぱりウッディだったから、かなあ。描き猶してもらえない可愛そうなウッディ。母親は美人だったのに。

 そうそう母親といえばその昔、人造人間をやっていたころの暁が母と呼んでいた女性がやたらと若く見えたのはどーゆー訳だ。ってこれは原作の漫画の時から思っていたことなんだけど、見かけだけなら藍華やアテナとだってさほど違わず、人間的な落ち着きだったらアリシアさんの方があるよーにすら感じたけれど、そんなビジュアルを持ったキャラクターが2児の母でもって1人は中学生くらいに達している感じすらあるってのは、どう考えても無理がある。それともぐっと拡大して見ると暁の母の口元には小皺が走っていたり、目元にも皺が浮き出ていたりするんだろーか。うーん。まあいいや可愛いんだから。また出ないかな。そーいやグランマだって結構な年齢になっても見かけは若かった。アクアの大気にはきっと若返りの成分が大量に含まれて居るんだ。だから比較的大人っぽいアリシアさんは実はとんでもない年齢だったりするんだ。

 んで早売りで読んだ新編集長登場の「週刊サッカーダイジェスト」2006年9月12日号は……おおっ、「スーパーさぶっ!!劇場」からキャプテンネタが消えている、圧力鍋だ圧力ポンプだ圧力ブラだ圧力布団だ。いやまあ3本のネタからキャプテン絡みのネタが消えているってことは過去にもおそらく何度もあったんで、今後も載るかどうかって方に注目。とりあえずはちゃんと続いてます。なおかつ新ネタ披露。名付けて「チェルシー学園」。しばらく話題の中心だった「レアルマドリー学園」も濃いのと薄いのが抜けて、濃いのはインテル商事に移り大五郎も赤黒に移るだのって話もあったりする状況では、なかなかネタになりにくいからなあ。とりあえずモウリーニョ先生の描かれ方とかに注目。対戦するプレミアの選手の面々も。クラウチはきっと毎回3コマぶち抜きで登場だね。あるいは竹箒みたいな足だけとか。

 特集はジェフユナイテッド市原・千葉で表紙は巻誠一郎選手。なんだ巻かってくらいに別に誰も今だと不思議がらないけど、これが1年前だったら、いやいや半年前だってサッカー専門誌の表紙に巻選手が来るなんてことは考えられなかっただろー。隔世の感。それだけの短いスパンでも人はそれなりのポジションを得られるんだってことも分かって何だか頑張ろうって気になって来る。頑張ったってどうにかなるもんじゃないけどさ。中はイビチャ・オシムが監督をしていた時代に何が行われたのかってことだけど、欲を言うならそれより前のベルデニック監督にベングローシュ監督がどんな下地を作って来たのかって所も含めて解説して欲しかった。長期の視座の必要性、継続することの重要性って奴が分かるし、それらを踏まえてイビチャ・オシム監督が加えたスパイスの意味も分かるから。やっぱり祖母井さんに書いてもらうしかないかなあ、ジェフの10年。

 王米さんがやって来たのでのぞいてみる。あわわわわ。ひええええ。むぎぎぎぎ。いやまあ中には「仕事がなければ立ち上げようぜ! 沖縄に若手起業家の『いまどき』帽子店 」って有限責任事業組合として沖縄に立ち上げられた帽子屋さんの紹介記事もあって、地方のとりわけ沖縄という場所が抱える仕事探しの問題を見据えつつ、そんな状況をソーシャルネットワーキングサービスを使い仲間を見つけてコラボレーションして事業を立ち上げる現代性って奴も織り込んで、情報としても読み物としても興味深いものに仕立て上げた記事もある。

 けど例えば「ビール、『まじりっけなし』のまやかし 本物はヱビス、モルツなど5%だけ」って記事のよーに、ビールいは米とかスターチとかが入っていて、そーした副原料が使われたものをドイツではビールと呼ばないんだけど日本では呼んでいるのはおかしいって糾弾するものも。「まやかし」って言葉を使ってビール会社は消費者を騙してるんじゃないのってかって感じの論を繰り広げているんだけど、そんなことはキリンビールに副原料が使われはじめた大昔から、誰もが分かっていること。ちょっと前だってドイツでワールドカップが開かれた際に、本場ドイツのビールの話が出てドイツにおけるビールの意味合いってのが取りざたされたっけ。ほら、ワールドカップのスポンサーになってるバドワイザーの製品なんて厳密にはビールじゃないってことと絡めて。

 それをあたかもビール会社が隠していたかのよーに、「本場基準でビールと呼べるものは、ヱビス(サッポロ)、モルツ(サントリー)など数えるほどしかなく、数量ベースでは、なんと全体の5%程度しかないことが分かった」って書くから背筋がカユい。「分かった」ってそれは筆者が分かったってことじゃないの。こーゆー表現って新聞がよく使うんだけどたいていは周知のことをあたかも自分たちが調べて見つかったかのよーに取り繕いたい時に使う表現。もしかすると新聞的な場所で仕事をしたことがある人なのかな。あるいは担当した編集の人が新聞に経験を持った人だったとか。

 なるほどそりゃ麦100%のビールが個人的には好きで、副原料が使われていたりするビールや、エンドウタンパクとかから作られていたりする新ジャンルのを”ビール”と認めたくない気持ちは僕にもあるけれど、それは所詮は個人の嗜好でしかない。サントリーの「モルツ」がいくらドイツ基準でビールと言えたって、売れるのは昔のビールとまるで違う味を持ったアサヒの「スーパードライ」なんだから、世間がそれこそが国民的なビールなんだって認めたことになる。そんなビールを取り巻く状況を踏まえてなおかつ、日本には真っ当なビールがないんだってことを訴えたいんだったら、どうして日本じゃ副原料が使われているのか、味の問題なのか、価格なのかって点を追求したり、税制面から第3のビールが作られ売られざるを得ない実状があるんだってことに触れなきゃいけない。その上でオピニオンとして、食の伝統を守り敬意を示す意味からも、皆さん副原料が使われていないビールの味を尊びましょうよって呼びかけていけば、読み手も納得できるし勉強になる。

 ついでにエジプトで作られはじめたビールが、どうしてドイツを本場と見なすよーになったのかって歴史とかも。でなきゃただの独善。そうですか、そうですね、それで? って言われて終わって何の糧にもならない。とはいえこの記事も真っ当さでいえばずいぶんと上で、他には混んでる電車で奥から人をかきわけ降りようとした人を、マナー知らずと誹るだけの記事とか(お腹がいたくてトイレに行きたかったのかもしれないとかって忖度のカケラもない) 、甲子園で勝ったチームばっかり報道する姿勢に異論を挟みつつ(連投による体への負担って誰もが考えた問題点への言及はまるでなし)、小泉首相の態度へと話を繋げる牽強付会系の記事とかあってもう大変。

 「小泉首相のワンフレーズポリティクスに伴い、報道も勝ち負けの二局論に傾く傾向を感じる。読者、視聴者にとっての『わかりやすさ』という点は否定しないし、二局論を望んでいるのは、むしろ大衆側であるという考え方もあるだろう 」ってどうして高校野球の話が小泉首相の姿勢と取り巻くマスコミの態度に話をに転がるんだろう? だいたいが早稲田実業が決勝で負けていたらきっと、世間は敗者にばかり注目して取り上げ”悲劇のハンカチ王子”って持ち上げたに違いない。マスコミが重要視するのは勝ち負けじゃなく、世間受けするかどうかのバリューなんだよ、それも夜郎自大基準の。そーした考察が記事にはない。

 まあこれすらもまだ上等な方で、王米にはこの上を行く不思議系記事がさらに何本もアップされていたりして、話題にだけはこと欠かないけど情報機関に不可欠な説得力影響力伝播力って部分がまだまだ足りない。電波力だけならゆんゆんだけど。まあほら、電波をよーやく手にしたソフトバンクの資本も入っているんだからそれも仕方がないってことなのかも。明日はどんなゆんゆんに出会えるんだろうか。そんな中に1つでも良いから、納得の情報が混じっていることに期待。頑張れ市民記者。


【8月27日】 あんまり眠れないんで午前3時くらいから買ったばかりの「劇場版 機動戦士Zガンダム3 星の鼓動は愛」をDVDで見始める。途中で寝るかって気もしてたけど、編集の魔術か途切れなくテンポよく進む展開に最後まで起きていられたのには我ながら驚き。そーいや劇場でも朝1だったのに少しも眠くならなかったよ。途中に絶対に居眠りタイムの入る押井守監督の作品とはそこが違う。その分時間も短いし。

 んで「星の鼓動は愛」はやっぱりハマーン・カーン劇場で、冒頭から最後まで出ずっぱりのハマーン様の細くて強靱そうな肢体とそれから強くて激しい口調に心はマゾヒスティックな快感で埋め尽くされる。言葉に責められ足に蹴られて転げ回る夢想を頭の片隅に抱きつつ、画面いっぱいに現れては時に笑み、時に厳しい表情を見せるその顔に眼は釘付け。やっぱりガンダムシリーズでは最高にして最強のヒロインだ。並び立つのがセイラ・マス。富野ヒロインではこれに「重戦機エルガイム」のガウ・ハ・レッシィを入れた3人が我が永遠のイコンとして心に深く刻まれている。何か趣味がバレバレって感じ。

キャスバル兄さんもう出たの? アルテイシアこそもう出たのか?  気になっていた鈴置洋孝さんの声は、なるほどやっぱりどこかもごもごとしている感じがあって、腹の底からわき上がり胸で膨らまされて喉から前へと吐き出されては響き渡るあの声とはどこかがちょっと違ってた。胸が弱っていたのかそれとも体力全体が落ちていたのか日々のトレーニングがもう出来なくなっていたのか。個人としてもこれが最後に近い演技となったのは無念だったんだろうなあ。一方で池田秀一さんは若さも張りも演技力も戻って良い感じに。直前に「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」でデュランダル議長を1年間、演じきって自信も力も回復してたってことがあるのかな。やっぱり日々の鍛錬が声優も大事ってことか。当たり前だけど。

 折角「ガンダム」を見たんだからと眠りまた起きてから松戸にある「バンダイミュージアム」へとゴー。船橋から総武線に乗り武蔵野線に乗り換え新松戸から常磐線に乗り換えて40分ほど。こんな時に東京より東に住んでいると便利だなあ。到着するとしかし「ガンダムミュージアム」には長蛇の列で待つことおよそ40分。入っても中はやっぱり人でいっぱいでとりわけファンダムのコックピットに座って記念撮影できるコーナーに人気が集まっていた。ちなみにバンダイに聞いたら「なんでも鑑定団」で売られたってゆーのは模型制作会社が作った奴で「ガンダムミュージアム」に置いてある奴ではないって話しだったけど、その辺りどーなっているんだろー。売られてないんだったら静岡工場に移ってからも楽しめるんだけど。さてはて。

 さらに今日は「キャラクターワールド」の方も見物。プリキュアが2人で寂しそうにしていた横にプリキュアグッズを付けた少年が不思議な動きかたをしてうずくまったり喋っていたりしたのは何だろー、ファンならではの熱意って奴か。認めてあげようそれくらい。オープン前のプレスレビューで入って以来で当時はまた作りかけだったウルトラマンの撮影風景を再現したジオラマが、写真に撮るとバックのクロマキーっぽい青が映えていい感じになることを発見。でもこれも木曜日までの命か、松戸では。仮面ライダーの人形もバルタン星人の人形もゴレンジャーたちもやっぱりそのまま栃木だか群馬だかに連れていかれるのかなあ。より一層に観客が少なくなるかもしれないけれどグレて暴れないでね正義の味方なんだから。バルタンは別に暴れてもいいのか。悪者だし。

目立って迫力で格好良いアメコミTもいっぱい。サイズは……  松戸から常磐線で上野で乗り換え秋葉原へと出て「UDX」って建物で始まっている「マーヴェル・ザ・ヒーロー・アドベンチャー」を見物。入場料1000円で入ると中でスパイダーマンになって壁をよじのぼったりX−MENになって障害物を越えて走ったりできるアトラクションを自由に楽しめるんだけど体力もないこの季節にはきついと遠慮してひたすらにショップでお買い物。あんまり見かけない「The Mighty THOR」ってキャラクターの顔がでっかく描かれた緑色のTシャツとあと「スパイダーマン」のヒロインだかが腹から脇にかけて描かれたTシャツをまとめて購入。しめて6090円で5000円超ってなったことで脇の台から自由に福袋を選んで持って帰って良いって言われてラッキーハッピー。

 手提げサイズの「スパイダーマン2」が描かれたビニールバッグの中を開くとブロックバスターだかで使われているカップ(フタなし)とやっぱりスパイダーマンのパスケースにソフトペンケースが入っていて、あとは「X−MEN」のウルヴァリンのミニフィギュアが入っていてそれだけでもそれなりだけど更に凄いことにフランス語のハードカバーのコミック本まで入っていた。題は「ウルヴァリン」で描いているのはポール・ジェンキンスって人とビル・ジェームズ?ジョー・ケサダって人たちとアンディ・クバートって人? 読み方が合っている自信はないけど3人・組による漫画とイラストとスケッチがオールカラーで収録されていて読めないけれど眺めているだけでも結構楽しい。ちょとデジネっぽい体裁。買うと高いんじゃないかなあ。これがおまけでもらえてやっぱりラッキー。「XBOX」対応ソフト入りの袋にしなくて良かったよ。

 オフィシャルショップは小物系は結構充実。TシャツはスパイダーマンにX−MENにあとはキャプテンアメリカも用意はあったみたいだけど売り切れて見あたらず。シルバーサーファーとマイティー・ソーは残部僅少になっていたけど期間中に追加されるのかな。サイズがSとMとLだけってのは何ともかんとも。アメコミ好きには胴回りの巨大な人が多いからXLとか用意しておけってイベントを企画した電通テックの人に言っておいたのに。まあ仕方がない、巨大な人たちは無理して着るか、買っても着られない悔しさに歯がみしてください。

 あとパールイズミって自転車のウェアを作っている会社が出していたスパイダーマンの模様を取り入れたロードレース用のウェアが目茶格好良かったけど、値段が1万2800円とかして断念。並んで同じジャージー素材で柄は違うTシャツもあってこれまた実に格好良いけど、値段はマーヴェルのTしゃつが3045円のところを5000円弱してちょっとお高め。ジャージー素材だから伸びて体に張り付くんで巨大な人でも大丈夫? でもそれだと体を締め付けて大変かも。やっぱり大きめのサイズは用意しておくべきだったよなあ主催者、アメコミとかアニメとかのイベントでは。

 秋葉原を抜けだし「ゴーゴーカレー」でチキンカツにウィンナーを乗せたエコノミーを食べて(これが精いっぱい)から国立霞ヶ丘競技場へと向かい、「mocなでしこリーグオールスター2006」を見物。いわゆる女子サッカーって奴のオールスターで開かれるのは実に10年ぶり。当時出ていた選手で残っているのは澤穂希選手だけってゆーから時代の流れを感じるし、同時に澤選手の凄さってやつも思い知らされる。その澤選手も試合ではマークがきつくてなかなか活躍できなかったけど、2点をリードされた後半に中央付近から左にすっと出したボールが確か大野忍選手へとわたって、それが大野選手の鮮やかなドリブルと突破から放たれたシュートによって1点へとつながったりと流石な所は披露。諦めずに走る姿勢も素晴らしく、日本のみならず世界の女子サッカー界からレジェンドに数えられる選手だけのことはあると感心する。そんな選手を擁しても日本はアジアトップになれないんだよなあ。問題はどこに?

 試合はそのまま西軍が2対1で勝って日テレ・ベレーザを多数擁しながらも東軍は破れてメディア的には残念っていったところか。だって露骨だもんカメラマンの配置が。東軍が責めるゴールの裏にはズラリと並ぶのに西軍の方はその5分の1程度? 結局のところはメディアも澤選手しか知らず澤選手にしか興味がないんだろーなー、あるいは永里憂希選手か。でも活躍したのは2人以外のTASAKIペルーレでエースを張る大谷未央選手だったりスペランツァ高槻の相澤舞衣選手だったり。大谷選手なんて代表歴も長く得点王だって輝いたことがあるんだけど、在京中心のメディアの前では関西の選手なんて埒外ってことなんだろー。ああ世知辛い。男子のフル代表も1度西の選手ばっかりで(宮本恒靖選手だけは抜き)組んだらきっと紙面、作れないだろーなー、名前とか特徴とかポジションとか知らないし。

 出ていれば澤選手と並ぶスターシステムの中心になっただろー荒川恵理子選手は怪我からの戦列復帰が遅れた影響からかオールスターには選ばれず、開始前の時間をコンコースでサイン会に応じていた。横にはやっぱり怪我で出遅れている小林弥生選手もいて、どこのチームのブースよりも長い列を相手にせっせとペンを走らせていた。きっと最後までやり遂げたんだろー。こーゆーちょっとづつの努力がやがてファンの増加となって女子サッカーに果実をもたらす。頑張れその手がすり切れるまで。本当は足をすり減らして欲しいんだけど。

 ちなみに浦和レッドダイヤモンズレディースのブースには、コロポックルと見まがうばかりに小さくて可愛い身長わずかに148センチの法師人美佳選手がいて、TEPCOマリーゼにはモデルだって出来る丸山桂里奈選手がいて美貌と可愛さを張り合っていてやっぱり長打の列。その他のブースに圧倒的に差をつけいてちょっぴり可愛そうになたったんで、あっちこっちを回った果てにスペランツァ高槻FCで選手の手作りとゆーユニフォーム型のマスコットを購入する。400円。背番号11が誰だか分からなかったんで調べたら伊丹絵美選手だった。知らないなあ。今度注目してみよう。こっちで試合やるならサインとかもらうか。でもどうやって? 刺繍してもらうのが1番か。手間だなあ。


【8月26日】 スキマスイッチとのプロモーションビデオにして長澤まさみの競泳水着ショウでも観に行こうと思ったものの起きられず、家でタイマー起動したHDDに録画しながら「おとぎ銃士赤ずきん」をゆるゆると観る。深夜帯のアニメでリアルタイムで観ているのが妙にオープニングの歌のとりわけ出だし部分が気に入ってしまった「ゼロの使い魔」と、その流れで最近は不気味話が続いて夏に涼しい「ARIA The Animation」くらいで、直前の「N.H.Kにようこそ」は裏のサッカー番組に目が行き録画のみ。ウィークデーに至ってはひたすら録り溜めしているだけとゆー体たらく。それでDVDは買ってしまってでもやっぱり観ないで溜まっていくだけってゆーのは明らかに時間とお金の使い方を誤っているなあ。今日も買ってしまったし5000枚限定って引きに釣られて「ガラスの艦隊」のDVD第1巻豪華版って奴を。面白いのかこのアニメ。どーすんだハーモニカなんて。

 キャッチになるべきマスコットが放映開始から2カ月くらいで本格活動しはじめ商売的にも嬉しいところか。いきなり捕まり市場で売られて食材にされかかるマスコットってのも珍しいけど。ってかどう見たってウサギには見えないぞキュピ。ピンク色のウサギもどきを美味そうと思えるハンスもハンスだ。やっぱり逆さに吊して首を落として血を抜いてから後ろ足の根本にナイフを入れて皮を剥ぎ、内臓を取り出して香草をつめてから棒をさして竈で焼くのかなあ、って調理方法がボーイスカウト時代のバイブルだった「冒険手帳」に書いてあった。試したことないけど、ニワトリのさばき方もねじりパンの使い方も。木炭を使った濾過だけは試したっけ。水道水よりまずかった。

 まるで魎皇鬼ちゃんみたいにニンジンで喜ぶキュピを眺めつつ1本よこせと世知辛いことを言うヴァルにおまえそんなもの食うのかと笑いつつ起き出して秋葉原へと向かいDVD漁り。「ガラ艦」のほかには「ノエイン」の最終巻と「銀盤カレイドスコープ」の第2巻を仕込んでから新御茶ノ水駅まで歩いて千代田線で原宿へと向かい昨日に続いて「LAPNET」ってギャラリーで開かれているファッションドール「桜奈」の展覧会場に記事が載った新聞を届けに行ったら「桜奈」をプロデュースした「UNIVERSAL POOYAN」のお二人がいたのであれやこれやと話を聞く。

見よこの神々しさを。ソックスが落ち着く膝裏のふくらみにも注目だ  そうかなるほど顔の造型1つとってもそれほどまでの配慮が働いていたのか。コンピュータ上でデータとして作ってもそれを立体にすると妙に気持ち悪い顔になる。人間の手によって作られたものこそがやっぱり人間らしさを持つとゆーのは何だろー、歪みとか非対称っていったノイズが人間の脳にとって刺激となるのかそれとも慣れから来る安心を招くのか。興味深い。ちなみに立体的に作られた顔は改造すれば眼球もはめ込めるそーで頭を開いて裏側から眼球を入れるといったい、どんな表情になるのかにちょっと興味。どっかのドール雑誌でそんなカスタマイズ、やってないかなあ。調べてみよう。

 アクションフィギュアなんかを嗜んでいる身には、曲がっていたり開いていたりする手のひらが両方ついてて取り替えられるってのは普通のことなんだけど、ドール一筋って人には意外なことらしくって来場していたドールを嗜んでいる人がしきりに質問していたのが印象に残った。なるほどそーゆーものか。ちなみに「桜奈」は着替えさせる際に手足や首を外すってのもドールの人にはない習慣らしーけど、「桜奈」の場合は別に気にせず取り外しては着せてはめ込んでもらって構わないとか。人形を人と扱い上に被せる衣装やメイクを楽しむファッションドールと、ボディも含めたカスタマイズも辞さず最終的なスタイリングがどうなるかってことを考えいじって楽しむ模型の垣根が曖昧になって来ているのかなあ。いずれにしても楽しいんなら良いや。

 販売される「桜奈」の衣装にかけられた手間暇を聞くとこいつは買わなきゃいけねえって気になって来た。原価割れしてるんじゃないのかこの人形。さらには第2弾の「エリス中尉」の衣装にもとてつもない手間暇がかけられているって聞いてこいつも揃えなきゃって気にさせられる。アルフレックスの時代劇フィギュアでも最初の「座頭市 勝新太郎」が手編みの草鞋だったのに後から出てきたのはプラ製の草履になっていったよーに、商売物ってやっているうちに段々と簡略化されていくものだけど、こと「桜奈」についてはそんな妥協はしばらくなさそー、だと思いたい。ちなみに展覧会の出品物は「LAPNET SHIP」での展示が日曜で終わったあとに9月から品川にある三菱自動車のショールームへと場所を変えて展示されるそーなんで、そっち方面に勤務している人はのぞいて見ては如何。ご近所にあるバンダイナムコホールディングスの偉い人たちとか。

 勝ったかジェフユナイテッド市原・千葉。アビスパ福岡相手に15本もシュートを打たれながらロスタイムの1点に抑えつつたった6本のシュートから3点をもぎ取る効率的な試合を見せてくれたようで何より。とはいえ終盤に枠内シュートを集中されてそのうちから1点を決められているのは気になるところで終盤に怒濤の走力を見せて相手を圧倒していた千葉も、ここに来て流石に疲れが出て走れなくなって来ているのか。まあいいそれでも勝てれば重畳。ここで安心しないで次の川崎フロンターレ戦を勝ちさらにナビスコカップの準決勝でもやっぱり川崎フロンターレを相手に勝ち切って、調子を取り戻してから終盤戦に臨んで欲しいもの。御大にはだから8人くらい中東へと川崎から人を連れていって戴くか。とか言ってるとジェフ千葉から11人全員が連れていかれるんだ。国王代表入り!?


【8月25日】 お湯の中に半分浸って眠るような夜を過ごし体力を激しく奪われながらも起き出し着替えて原宿へ。「ラフォーレ原宿」の前を通るとゴスな女の子たちがわんさかたむろしていて何だと思いつつ開店までの時間を近所の「ブックオフ」で潰してから戻り5階のトイレを借りにエレベーターに乗って降りると、あったはずの本屋が消えてそっちの方々が大好きそーな黒かったり白かったりするファッションのお店で埋め尽くされていた。なるほど新装開店をお目当てにした人の波って奴か。けどそーゆーお洋服を買いに行く時でもそーゆーお洋服をちゃんと着ていく律儀さには感心。動きにくいし暑いだろーけどそんな苦難も装いたい、見せたいってスピリットの前には関係ないってことなのか。心頭滅却すればゴスもまた。

 だから目的は別にゴスではなくって近所の「LAPNET」ってギャラリーで開かれているバンダイのファッションドール「桜奈」にあれやこれや様々な衣装を着せたデビューイベントって奴を見に行くことで、ABCマートを過ぎてカラオケ屋のある角を左に折れてちょっといった所にあるギャラリーに入ると、そこには「キャラホビ2006」で展開されてた三菱自動車とのコラボレーション桜奈とはまた違った、いろんなカスタマイズが施された桜奈ちゃんがいっぱい飾ってあってなかなかに壮観。秋葉原にあるボークスのショールームか「ドールショウ」「ドールズパーティー」に来ているよーな気分になった。

見よこの生々しさを。美しくも凛々しい桜奈たんはあはあ  三菱とのコラボ向けに作られていた桜奈でも感じたことだけど、この桜奈って人形は顔の下がわりにぷっくりとなっていて唇とかほっぺたとかが膨らんでいて、ちょっと見には下ぶくれたパタリロガールって感じがするんだけどあのパタリロが化粧して鬘をかぶってほっぺたの前に髪を垂らすと途端に美少年になったが如く、桜奈も髪形やメイクの変化によって実に様々な表情になる。もともと桜奈の企画を立ち上げてプレゼンしてプロデュースを手がけている「UNIVERSAL POOYAN」がカスタマイズしたチリチリヘアのゴスっぽいファッションをまとった桜奈なんて実に表情が肉感的。おそらくはドールショウ向けに作られたものと同じなんだろーけど展示してあったのは唇の色が濃い臙脂色になっててさらに大人びて小悪魔的な雰囲気が増していた。これ売って! って訪れた誰もが言いだしそー。

 かと思えば髪を頬の上で切りそろえてボブっぽくルイーズ・ブルックスっぽくするとコケティッシュさが出たり少年っぽくなったりとなかなかに自在。ノーマルなバージョンではワンレンな髪形ではちょっぴりアーバンってよりはカントリーな感じが出てしまっていた表情に、化粧やヘアメイクをほどこすおとによって高貴だったり凛々しかったり幼かったり淫靡だったりと様々な表情が浮かんでくる。「キャラホビ2006」の開場でも見て思ったことだけど、実際にドール職人さんたちがプロの腕でもって衣装を作りメイクを施すとこーも変わるものかと驚くこと仕切り。関節とかにも特徴があって衣装を着せたときに人間が着たよーなフォルムが出るよーになっているとかで、この辺でも衣装を作る人は喜ばれそー。

 とはいえ当面は素体を展開する様子はないみたいなんでまずは秋に登場する「リアルビーボイス」のバージョンを買うかして改造するしかないのかな。続く年末とか来年あたりには「キャラホビ2006」にも展示してあった「謎の円盤UFO」のエリス中尉も登場とか。つかこれって原案としてデザインしたのはゴッホ今泉さんだったんだなあ、アメコミっぽいイラストで有名でバンダイでも「mi・ke・ra」にデザインを提供している。そんなアーティストとのコラボレーションも今後行っていってくれるんだとしたら会場に登場していた「トライガンマキシマム」の内藤泰弘さんが提供していたエウレカっぽいファッションの未来風少女もいずれ登場してくれるのかな。ちょい期待。メディコムトイと違ってキャラクターフィギュアがメインじゃないからミリメリを出す訳にはいかなさそーだけど、クリエーターが抱くオリジナルな美少女のイメージを桜奈に乗せて作り上げてみせるって展開はいろいろありそー。でも村上隆さんコラボのDOBくん桜奈はちょい勘弁。

 ふと気が付くと名古屋にも「YOSAKOIソーラン祭り」の因子が飛び火していた模様でその名も「にっぽんど真ん中祭り」なんて臆面もなく名古屋こそが日本の中心であると主張したお祭りが週末の25日と26日に開催される模様。もう結構な回数になるのにここん所しばらく名古屋に帰ってなかったら気づかなかったよこんな祭りが始まっていたとは。「コスプレサミット」は趣味の関係もあって知ってはいて、積極的に情報も集めて遂には記者発表会にも行ってしまったんだけど、「YOSAKOIソーラン」系ってのはどちらかと言えば埒外に置きたい気分があったんで、見かけても気づかず通り過ぎていただけかもしれない。

 何で埒外に置きたがるかって言うと、「YOSAKOIソーラン祭り」系に特徴的な、現代の竹の子って言うか。、80年代ジャニーズっていうか、光GENJIが「パラダイス銀河」を唄ううしろで裸に法被姿で白足袋履いて踊るジャニーズジュニア的っていうか、和風に洋風を取り入れたかの如くな不思議な扮装をした人たちが、手に持った杓文字とは違う何かをチャカチャカ鳴らしながら集団で踊る姿が、日本の祭りにある祝祭的なムードとは違うスポーツ的な激しさで迫ってくる一方で、スポーツ的なストイックさとはやや違った踊り手たちの自己主張が、見る方に迫ってきて圧倒されるから、あのかもしれない。

 なるほど集団で長く激しい練習を経て、踊りを揃え持久力も高めた上で本番へと臨んでは、見事に1幕を踊り遂げるってゆー達成感はあるかもしれない。参加する人たちが増えているのもそんな気分を味わいからなんだろー。でもそーではない、見ているだけの人にとってはどんな楽しさがあるんだろー? これがリオのカーニバルみたいな祭りだったら、美麗さと狂熱ぶりがほとばしってパワーとなり、見ている方を引き込むことが起こり得る。江戸の三社祭や京都の三大祭りだったら伝統に参加しているって気分を味わえる。

 でも歴史はまだない「YOSAKOIソーラン」系の祭りは眺める側を引き込む何があるのかが分からない。集団が思いっきり自己主張して周囲を圧倒しようって雰囲気があふれかえって、見る人を共に興奮させるよりは萎縮させてしまうんじゃないかって、そんな想像を持っているんだけど実際のところはどーなんだろー、本家の札幌といーこの名古屋のといー。これはやっぱり見ておく必要があるのかな。たまさか25日と26日は原宿の方でも「スーパーYOSAKOI」ってのが開かれるみたいなんで、見に行ってみるか美女が汗出し踊る姿を。美女以外? 目に入りません。

 合い言葉は「また久保か」。どういう理由からなのかサッカー日本代表のイビチャ・オシム監督に”妖怪”の異名を日本独自に奉ってはひたすらに使い続ける「夕刊フジ」の久保武司編集員がまたしても『厳しい「注文」待ち受ける!?オシム「語録」の落とし穴』って記事でもって「注文の多い妖怪監督」だなんて使っている様を見て、ここまで頑張り抜ける根性ってものの原点にあるものが知りたい昨今。給料、ってことはないよなあ事情はどこも違わないはずだし。だとしたら目立とうっていう鑑のよーなタブロイド記者魂? 単なる私怨? 分からないけどともあれ徹底していることだけは確か。でもどこも未だ付いて来ないところを見るとやっぱり無理筋なんじゃないのかなあ。

 ちなみに「また久保か」ってのは「オシム=妖怪」にだけかかるのではありません。その記事が狙いとする所にたいして起こる声を集めた総体が「また久保か」って言葉となってあちらこちらで相づちのよーに打たれ語られているのです。今回で言うなら「しかし、まずは『語録』で口説いてから、『注文』を出すのがオシム流だ。すでに日本代表監督に就任してから1カ月あまりがたったが、日本協会のスタッフも『朝令暮改』のオシム監督のリクエストに夏休み返上で汗を流す毎日を送っている」ってあたりかな、別に「朝令」なんてしていないからオシム監督、持論を通すようにひたすら動いているだけで。

 むしろ「ジーコ令オシム改」の激変ぶりに戸惑っているだけって感じか。「ヒデ仰天復帰プロジェクト」って記事もなかなかに愉快。「今年の秋はオシムジャパンよりも中田ヒデの本格復帰にサッカー界が再び盛り上がりをみせそうな雲行きだ」って別にサッカーとは無関係な中田英寿の露出をサッカー界は気になんてしませんから。ギョエテだか何とかってヒデの引退直後のインタビューを乗せた雑誌が話題になったのってそういう雑誌が出るって分かった時くらいで、発売前後にはまるで評判を聞かなかったし、感想もほとんど見なかった。

 スポーツ雑誌やスポーツ新聞が出した引退特集の特別号って売れている? サッカーが浸透するに従って、サッカーファンは今起こっているサッカーへと興味を向けるようになっている。サッカーに関わっていない人によるサッカーとは無関係な動きなんて、サッカー界にどれほどの影響力もないんじゃなかろーか。もちろんその生き様やスタイルに共鳴した、中田ヒデ個人へのファンがたくさん生まれて、これからも増えていくことは大いに結構。だけどそれとサッカー界を結びつけるのはどうにかならないものなのか。サッカー界は中田ヒデを未だ太陽のようにして周囲を回っているなんて考えていると、そうは考えてない読者たちによる「とんでもないしっぺ返しが待っている。このことはくれぐれもお忘れなく…」。言って分かるならとっくに”妖怪”なんて止めてるか。


【8月24日】 順位表ではJ2降格圏まっただ中の17位にいて直近のFC東京戦でも5点を叩き込まれる大敗を喫したからといって、アビスパ福岡を舐めると次に対戦するジェフユナイテッド市原・千葉ちょっとヤバいかも。そりゃFC東京、後半にこそ4点を獲得したけど前半は1対0で折り返すのがやっとで、そのゴールも記憶だと誰かに当たって角度が変わり反応していたキーパーの逆に行ってしまったもの。決してクリーンなゴールではなかった。おまけに後半早々にはオウンゴールとは言いながらも左サイドに深く切り込まれ、から打たれたシュートが入ってしまった訳で、そこへと至る福岡の攻め手の速度は素晴らしくもすさまじいものだった。

 その後も福岡は幾度となくすばやいパス回しと走り込みによってFC東京のゴールを脅かしていたし、一方のディフェンス陣も素早い寄せとシュートコースに体を投げ出す勇敢さを見せなかなかFC東京にゴールを割らせない。後半も20分過ぎから流石に崩れ奪われ反撃に出ようと前掛かりになった所を返され5点まで入れられてしまったけれど、前半22分なんて早い時間に1人退場を喰らったにも関わらず、その時間帯まで素早い攻撃と強固な守備を見せて戦った福岡なだけに、気持ちを切り替えホームで今をときめくジェフユナイテッド市原・千葉を迎えて、さらにいっそうの守備と攻撃を見せる可能性は低くない。

 そんな相手にどこかフラつく気持ちで臨もうならジェフ千葉、中村北斗ら福岡の攻撃陣のスピードと守備陣の固さの前に敗退してしまうかも。侮らないで臨むこと。勝てれば勢いもついてリーグ戦、ナビスコカップと続く川崎フロンターレ戦を連勝できるんだがなあ。佐藤勇人選手は復活して来てくれるのかなあ。それより9月の中東遠征に誰が抜かれてしまうんだろうなあ。4人くらいがいなくなったって戦えるチームにジェフ千葉、さすがにまだなっていないんだよなあ。いっそオシム監督、川崎から賀那覇選手だけじゃなく中村憲剛選手に谷口博之選手にピーカブーも連れて行っちゃえ。でないと残留メンバーだけじゃ川崎に勝てないよナビスコ初戦。

 とりたてて混雑もしていなかったのは時間が早朝ではなかったからなのか、ゲームショップの店頭は手に看板を持って「FF3」とそれから「ニンテンドーDS Lite」の入荷を案内している店員さんが見られたけれど、そんな誘惑は振り切って石丸でもって新作DVDを何作か購入。「涼宮ハルヒの憂鬱」第3巻(ちがう第2巻だ)は当然として後は鈴置洋孝さんのお声がたっぷりと入った「機動戦士Zガンダム3 星の鼓動は愛」とそれから「トップをねらえ2」最終第6巻なんかも確保。今聞くと「ガンダム」のブライトさんの喋りに何か泣いてしまいそうになるなあ。戸谷公次さんも出てたっけ。いずれにしても辛いけどでも一方で経験を積んで艶も出た榊原良子さんによるハマーン・カーンの声もたっぷりと聞けるからそれはそれでとても嬉しい。帰ったら即見よう。「ハルヒ」の後に。

 んでもう1本は悩んだけれど「Ploject Blue 地球SOS」の第1巻を購入、それもプラモデル風ボックス入りの方。小松崎茂さん原作の初のアニメ化って記念すべき作品である以上は、小松崎さんと言えばなプラモデルのボックスアートを取り入れた豪華版の方を買うのが真っ当な身の処し方って奴だ。値段もそれほど大げさには違わないのも嬉しいところ。今月はあとは「銀盤カレイドスコープ」のDVDの第2巻を買って「エルゴプラクシー」の4巻を拾って「Fate/stay night」の第6巻を買って余裕があれば「ヘルシング」の第2巻を買おうかどうしようか迷っているけど多分買ってさらに何かあれば買うくらい。まあ普通の生活でしょー。普通の基準が分からないけれど。

 「地球SOS」についてはアミューズソフトエンタテインメントに取材した際にPR用で1話分(ネット配信だと2話分)がまるまる入ったDVDをもらってそれで見ていたんだけど、内容を言うならなるほど60年代とか70年代のアメリカイギリス日本あたりで放映されたSF風のドラマな様。60年代70年代に少年少女の時代を過ごした人には魂にまで擦り込まれているはずの、宇宙人が円盤に乗って攻めてきてそれに科学者たちが叡智を結集して立ち向かうってゆーシチュエーションだから見ていて懐かしさに心も浮き立つ。なおかつそんなシチュエーションを今風のキャラクターに3DCGを使ったアニメでやってくれているから、見ても古くささは感じないし戦闘シーンもスピード感があって格好良い。

 妙に脳天気で淡々としていて明るいまんまに進んでいくのもかつての時代のドラマ風味? 「宇宙家族ロビンソン」とか深刻ぶった展開なのに妙に淡々とコメディのよーに進んでいった記憶があるけど、アニメの「地球SOS」もそんな感じに明るく楽しく進んでいく。驚かすような場面もなければ悲嘆にくれるシーンもないし、発進時とか合体時(合体はしないけど)なんかでも、日本のロボットアニメで一時スタンダードになってた熱血風の演出はなし。それが見る人の感情を画面へと引っ張り込まずに平板さを覚えさせるって原因になっている気もしないでもないけれど、お約束の熱血がパロディにまでなってしまっている昨今、時代を遡ってアットホームな雰囲気でもって地球の危機を描いてみるってのも試みとしては面白いかも。一緒に買ったのが「トップをねらえ2」なだけに差も激しいなあ。まあどっちも好みってことで。

 えっと加藤さん。何者だ加藤さん。木尾士目さんの「げんしけん」第8巻に「アフタヌーン」連載では見かけなかった回があってこれは読みのがしていたのかと思い返して思い出せず、考えて調べて理解。笹原×荻上の成立直後の話をどうやら描き下ろして入れたらしい。何と剛毅な。書き足し書き直しってのは「ヤングキングアワーズ」の「ジオブリーダーズ」「トライガンマキシマム」「ヘルシング」の御三家なんかでお馴染みだけど読んだことのないエピソードをまるまる2話も描いてしまうなんてちょっと凄すぎ。つかそこまでして描きたかったエピソードが雑誌掲載時には描かれなかった事情が知りたい。冒険をすっ飛ばしてエンディングに行くのって途中打ち切りのアニメによくある手法だし。でもあれだけ人気のあった漫画にそんな仕打ちもないだろうからやっぱり作者の気の持ちようか。

 んで加藤さん。漫画研究会の女子。上級生で細身で衣装はロリ? スタイルはなかなかだけど顔がよく分からない。なぜって前髪で顔を隠しているから。隙間からは小振りな鼻の周囲にそばかすが見えて口は横に長くて白井ヴィンセントみたくパカッと開きそうだけど顔が隠れている間は横に結ばれたまま。そんな加藤さんが実は凄いんです。とてつもなく凄いんです。存在していたら即座にひれ伏してしまいそうになるくらいに凄くって、そんな凄さに漫研男子だって女神と仰いでいそーなのに女王然としたところはなく、影響力こそ示しながらも顔がニャーとなった下級生とそれから荻上と同級生らしー藪崎くらいしか従えていないって所も孤高な感じがして惚れそうです。最終第9巻でも描き下ろされるらしーエピソードの中で再登場とかあるのかな。それより連載では棚上げ状態だった斑目と咲の方にウェートを置くのかな。しかし強烈。フィギュアとか作るの難しそう。ドールで誰か作らないかな。加藤さんドール。たのみこむか。


【8月23日】 土曜日には守備こそそれなりに堅かったけれど、攻撃に関しては無責任感が漂っているのか走らず出さない繰り返し。でもって10人しかいない相手に1点しか奪えない体たらく。そんな悲惨な状況にもはやJ2昇格も夢の彼方、続くJ2首位を走る柏レイソルを相手に大敗しては引導を渡されるんだろうって思っていたけど、どうした問東京ヴェルディ1969。2日を置いた22日の試合でレイソル相手に守備も強固なら攻撃も迫力のたっぷりなところを見せて4得点を記録。失点も1に留めて快勝してしまったよ驚いた。

 とくに守備。ボールの間際までチェックに迫りゴール前では果敢にスライディングしボールを安全なゾーンへと送り出す。タッチライン際ならセーフティー最優先で外へと押し出す泥臭さ。奪い迫る相手をひらりとかわし、華麗にパスで攻め上がるってヴェルディのパブリックイメージからすると、まるで正反対のチームって感じになっている。攻撃については右サイドを駆け上がる藤田泰成選手を頻繁に使う一方で、左サイドは割にタメをつくって押し上げるって感じに、速度と強度がうまく噛み合ったプレーを見せている。

 これが3日前に出来てりゃザスパ草津を相手に5点だって取れたろうに。それとも瀬戸際まで追いつめられたからこそ出た必死のプレーって奴なのか。それを確認するには次の試合を確認してみないと。相手はヴィッセル神戸か。昇格を果たしたいなら引き分けではなく勝って勝ち点3を得たい相手。さてはてどうなるか。ともあれ相手の出方を徹底的に研究した上で、2日の間に選手たちの揺るんでいた守備の意識を叩き直し、攻撃の速度を取り戻ししたスタッフと、そして実行してみせた選手に拍手。でも肝心なのは次。頑張れヴェルディ、日テレ・ベレーザの維持のためにも。

 ガンプラはえっと東京(千葉だけど)に出てきてから正月に1つ、安売りされてた「マーク2」のMGって奴を買って1晩以上かかり組み立てたのが1つとそれから、今は無き「ゲーム批評」で玩具を紹介する連載を持っていた時に(2年くらいやった記憶が)再発売された最初のガンプラのリニューアル版を買い込み作っただけ。1980年の発売だから時代としては重なっていない訳じゃないけど、「機動戦士ガンダム」はモビルスーツよりもキャラクターのとりわけセイラさん辺りに興味が集中していて模型にはあんまり食指が動かず、将棋倒しが起こるくらいに大ヒットしたって聞いてもあんまり実感は湧かなかった。

 もちろん模型はあれこれ付くって手、中でもマルシンだかがMGCだかが出してた拳銃のプラスチック模型に凝ってて、「コルトシングルアクションアーミー」を手始めに「コルトパイソン357マグナム4インチ」だの「スミス&ウェッソン44マグナム12インチ」だの「モーゼルミリタリー」だのを買い込んでは作って色を塗り動かしては遊んでた。近所の模型屋でも買ったし緑区にあったダイエーの中にあった模型屋でも買ってはせっせと作ってけど、その時もやっぱりガンプラには眼が向かなかったなあ。今にして思えば不思議な話。それともテレビに出てきたモビルスーツのスタイリッシュな造型との、あまりの違い遠慮する心が知らず働いていたのかも。

 23日から「池袋サンシャインシティ」で開幕した「ガンプラEXPO」にはそんな1980年から延々と作られ続けたガンダムのプラモデルこと「ガンプラ」がずらり勢揃い。もちろん初期の1980年発売初代「RX−78」も飾ってあってそのどことなく寸胴な感じに懐かしさも募る。けど考えてみればテレビシリーズに登場していたガンダムだって今の最新のアニメと比べればやや寸胴。その意味では割に忠実に再現してたんだなあって実物を見て感じたりもした。あの時代にこれを作ったんだからバンダイ、なかなか偉かった。その努力とそして無理矢理にでも版権を獲得に言った根性が、今のプラモデル市場で最大規模を誇る勢力へとバンダイを押し上げ、サンライズを買いバンダイビジュアルを作り名実ともに「ガンダム」の胴元へとバンダイを向かわせ業界首位の地位を確固たるものにしたんだから世の中ってのは面白い。もしもあの時「ガンプラ」が生まれなかったら? そんな架空世界を誰か書いてみませんか?

 オープニングでは古谷徹さんが来賓として挨拶。したんだけどこれが実に深くて重たい内容で、当時大学を卒業したての26歳くらいだった古谷さんは、かつて中学生の時に演じた「巨人の星」の星飛雄馬のイメージが足かせとなって、プロとして自立していくことに不安を抱えてた。来る仕事はあってもやっぱり熱血系が中心で、演じるとどうしても飛雄馬になってしまう。それが求められているんだとしても、当人としてはそれではいつまでも出来るものじゃない。そんな折に舞い込んできたアムロ・レイの仕事だった。

 コンピュータのマニアでどちらかと言えば引きこもり系で、今になぞらえるならニートの走りとも言えるアムロは、努力と根性が燃料の飛雄馬とは正反対。そんなのが出来るんだろうかと不安も抱きながらのぞんだアフレコで、最初のセリフ「ハロ、きょうも元気だね」をダルっとした口調で言えた時に、初めて古谷さんはアムロって役柄を掴んだらしー。話が進むに従ってニートっぽさが消えて、やや熱血な所も出てくるアムロだけど、根底には怯えがあって不安があって苛立ちがあって、自信だけがないとゆー今時の若者を体現したよーなキャラクター。その複雑だけれど等身大のキャラクターをやり切ったことが、古谷さんの自信につながり演技の幅につながって、今なお最前線に立ち続ける名声優の1人へと至らせた。

目をつぶっても組み立てられて1人前、だとしたら奥深すぎガンプラ道  とかって話とあとは、ガンプラについてそれまで作ったことがなかったけれど、イベントに呼ばれた以上はやっぱり作ってみなきゃってことで、MGを5つ買って作り始めたら部品が沢山で超大変。1晩かかってビームライフルとあと何かを組み立てただけって言っていたけど、長くとった夏休みの間に作るって言っていたから、きっと秋には完成された古谷さんお手製の初ガンプラが、どこかにお目見えするのではなかろーか。アムロお手製初ガンダム。価値出そう。一方で「ガンプラEXPO」の中では、ガンプラ作って30年、は長すぎるけど25年はおそらくは作り続けているガンプラ名人の川口克己さんと、それからガンプラ好きで知られる「ラーメンズ」の片桐仁さんが、金魚鉢みたいなブースに入ってひたすらガンプラ作りに挑むとゆーコーナーが。

 横に川口名人を侍らせてガンプラを作るなんて、モデラー冥利に尽きるってものだけど、ニッパーの持ち方はこれで良かったんだろーか、部品を切り取る時の手順はこれで間違いなかったんだろーかってガンプラのお作法に慣れていないと、あれこれ考え手先も鈍り、指とか切ってしまいそー。その点で片桐さんはガンプラの、ってもザクだけどそいつを取り出し組み立て図なんか見もしないで、パーツから多分最初に組み立てるべき部品を切り落としていたから、きっと相当に作り込んで来ているんだろー。30日までの期間中にずっといるのか、それともいるのは今日だけだったのかは分からないけど、あのモジャっとした頭とギョロっとした眼を間近に見られて感動爆笑。会場内には片桐さんがガンプラの部品で作った巨大なセルフポートレートの彫刻もあって、これがなかなかの派手さキモさ。巨大セイラさんには勝てないけれども評判にはなりそー。片桐ファンは必見です。

 「週刊サッカーダイジェスト」の編集長が辞めて部員も何人か抜けてリニューアルが行われるって話が伝わった途端に、やれ日本サッカー協会がプレッシャーをかけただの言論統制だのといった批判が湧いて出てくる様子を見るにつけ、ノリと反射のあふれかえって来ている社会が向かう先の不透明さを感じて気分が重くなる。そりゃ可能性として絶対になかったとは言い切れないよ、あれだけ批判めいたことを言っていれば協会も不興を示してそれに出版社が反応して、編集長の首を飛ばすことだってないとは言い切れない。でも昨今、そうした言論への介入めいたことをずっとやって来たかもしれないことへの批判が泉のよーに湧き出ているただ中で、あまりに見え透いたことを果たしてやるんだろうか? 普通はやらないよ、批判されるのが分かり切っているんだから。

 火中にダイナマイトを蒔いて癇癪玉を拾いにいくような間抜け極まりない動きを、ごくごく普通に思考できる人だったら絶対にやりはしない。批判を流しまくってるメディアがあったって、それにプレッシャーをかけたことが露見すれば、返ってくる非難は半端じゃない。協会長の首どころか監督官庁にだって影響が及びかねない。なにしろ言論弾圧だ。絶対にあってはならないことだ。それをやってしまったなんてバレたらメディアが黙っちゃいない。これまでやっぱりプレッシャーをかけれていた怨みを載せて一斉に叩きに回るだろー。そんなリスクを負って果たして一介のサッカー雑誌の編集長の首を取りになんていくの? まずいかないだろうって考えてみるのが普通の人による普通の思考プロセスだろー。

 だからとりあえず言論弾圧なんてなく、単に時期的なものかあるいは個人的な事情があったものと考えてみるのが先決。その上で、協会批判を延々とやられては及ぶ被害が甚大ではないって判断し、他のメディアには事を荒立てないようにとお願いをしてからプレッシャーをかけたのか、あるいは徹底して間抜けだから後先考えずに突っ走ったのかって可能性へと話を広げてみるのが真っ当ってもの。それを何の裏付けもなく起こっていた事象だけから何かあったと想像だけじゃなく断定し、ひたすらに批判を繰り広げてみるのは何だかちょっぴり居心地が悪い。

 悪なんだから悪いことをしているはずだから今回も悪さをしたんだろう、ってんじゃあ言論にも何にもなっていない。言論弾圧を非難して言論をすっ飛ばしているんじゃあ相手と一緒。まずは考え、隙がないかを探してそこを論理だてて検証していく積み上げなくして勝てはしない。それどころかそうありたいと願う方向へと導かれ続けては、快楽と称揚ばかりが蔓延る翼賛の世へと進んでしまいかねない。1人の独裁者がいることと、愚昧な民衆ばかりの世になることと果たしてどちらが恐ろしい? とおあれ真相は1つ。まずは当該者から事実関係が明かされるのを待ち、またリニューアルによって何かが変わったのかを判断してから、何があったかそれともなかったのかを決めるのが気分的にも落ち着くってもんだ。

 だいたいがこの4年間、キャプテンの専横ぶりとジーコ監督の無策ぶりを漫画にして掲載し続けて来たじゃないか。それでもお咎めなしだったじゃないか。結果を受けた真っ当な批判を弾圧するんだったら先に漫画を止めさせただろー。だから別に何もなかったんだと考えてみたいけれどでも、何かあったらどうしよう。その時は日本のサッカーが終わる時、そして弾圧する側と結託して弾圧されたメディアも終わる時。ともに手を携え三途の川を渡ろうではないか。お前ん所みたいな無名なメディアは一緒になんか乗せてやらない、って言われるかな。


【8月22日】 スパッツでやんの。メイドなのにスパッツ履いてやんの。ああ残念。せっかくロベルタちんのお弟子さんってんだからファビオラ・イグレシアスちゃん、アンダーウェアくらいはふりひらなものを身につけつつもその優雅なひだひだから手榴弾の100個でも転がし背中から日本刀を抜いて大立ち回りを演じてみせると思ったのに、ロワナプラへと乗り込みレヴィたちの前で大立ち回りを演じた際、イーオンフラックスよろしく大開脚をしてみせた脚がしっかりスパッツを履いていやがった。「BLACK LAGOON」の「サンデーGX」2006年9月号連載分。

 まあスパッツを履いていたって体にフィットしている分、丸みもふくらみもしっかり見えはするんだけれどそれでもそれはスパッツの布地。下でうごめく柔らかかったり固かったりする肢体そのものじゃあない。そのものってそもそも絵だろう? って聞くのはご勘弁、2D眼(にじこん・まなこ)には絵であってもそれは描かれたまんまの物質として認識されるのだ。故にスパッツにはがっかりした。落胆した。飛びはねるごとに大開脚でもってたっぷり丸みふくらみを見せてくれてもやっぱりそれはスパッツなのだ。アンダーウェアではないのだ。悲しいなあ。でもいいやこの活躍の果てにいずれ登場のロベルタちんが頑健なおみ足も露わに闘う姿を見せてくれるだろーから。それまでは秋スタートらしーテレビシリーズ第2期でのヘンゼルとグレーテルの暴れっぷりを堪能するとしよー。お兄さまお姉さまが入れ替わったら声も入れ替わるのかなそれとも金田智子と南央美って同じ声出せた?

   本気なのかこの人は。「このわかりやすさがうけるのか」と、野球について真顔で言っているとしたら何という脳天気さなのだろうか。ただの野球ファンではない。巨大なスポーツ新聞で編集委員なんて職責を担っているんだから、スポーツジャーナリズムの世界では重鎮とも言える存在。それが野球の面白さを体現する事例として、夏の甲子園大会で優勝した早稲田実業の斎藤投手が、連投に継ぐ連投で肩を壊す心配を受けながら、気丈にも「仲間と部員全員を信じてマウンドを守った」と言ったことを拾い上げ、それこそが野球の面白さだと訴える。

 1人の将来ある高校生が40度に迫るという炎天下、肩や肘を壊して長く野球を続ける可能性を失うリスクを冒しながらも、学校の名誉とか周囲の期待といったものを背負って連戦を投げぬいたという、端から見れば非人道的極まりない仕打ちに苦言を呈するどころか、それこそが野球の醍醐味だと言い放つ。これが果たしてスポーツジャーナリストの言辞と言えるのか。それ以前に1人の大人だと胸を張れるのか。はっきり言ってまともじゃない。まともな人間の思考じゃない。人権への罪として国連から非難決議を浴びても何ら不思議のない所業を、讃え称揚できる人間がこの民主化された世界に存在するはずがない。人以外の何か。敢えて言うなら鬼畜のそれと非難されても反論できない。

 まあ言いこれもヤキュウ脳の持ち主だろう年輩者故の信念なんだと理解くらいはして差し上げよう。「巨人の星」をバイブルに、努力と根性こそがすべてに勝ると教えられて育った世代。チームのためなら、勝利のためなら身を粉にしても厭わない精神をこそ称揚する空気によって育まれたヤキュウ脳。その脳内では1人の前途あるアスリートが壊れ潰されようとしていても、チームのためには仕方ないと考えるのが、常識なんだと認め、労って差し上げるのが大人の対応という奴だろう。サッカーを敵視し、サッカーにまつわるあらゆる事を非難して止まないヤキュウ脳。だから高校のサッカー部よりも高校の野球部の方が多いんだぞと自慢したって嗤って許してやろうではないか。

 「『サッカーが好きで高校野球なんてバカにしていたけど、考えが変わった』という若者もいた。サッカーと違い、やれ戦術がどうの、システムがどうのという難しい理屈はない。『仲間と部員全員を信じてマウンドを守った』(斎藤)。このわかりやすさが受けるのか」って素っ頓狂な発言をしたって、ヤキュウ脳なんだから仕方がない。戦術がどうの、システムがどうのと言っても結局のところをはボールを前へと運び、ゴールへと叩き込めば良いだけの単純明快なスポーツ。そこでの戦術とかシステムなんてものは、効率よくボールを運ぶための手段でしかなく、最終的な結果すなわちゴールに向けてのプロセスなんだと考え逆算していけば、極めて単純な筋道が見えて来る。

 むしろ野球の方がよっぽど戦術的でシステマチックなスポーツだ。選手1人ひとりのポジションが明確で、向かい合うプレーに対して何をすべきかを思考しそのために動作し、処理するとゆープロセスを、それこそ投手が投げるボールの1球ごとに行わなくてはならない。守備する方も攻撃する方も無数にある可能性の中から最善を選び出し、行動しなくてはならない。そんな野球を見る側だって本当は、投げる1球1球ごとに何が起こるのかを予想し、何が起こったのかを考え次にだったら何が起こるのかを想像していく必要がる。それでこそ野球を深く存分に楽しめる。

 実に奥深く幅広いスポーツ。肉体を知力のすべてを動員して挑まなくてはならないスポーツ。それを「このわかりやすさが」と言ってのけるとは何と大胆な御仁だろー。投げて打って走って捕ってが繰り返される”わかりやすい”スポーツなんだと野球を見ているんだとしたら、これほど野球を舐めた態度はないんじゃなかろーか。あれだけ野球を讃えていながらこの、程度でしかない野球への理解で”わかりやすい”と言われた野球も良い迷惑。高校野球だからって単純でひたむきなだけじゃないのは、高度に戦術的でシステマチックな闘いぶりを仔細にわたって教えてくれる漫画「おおきく振りかぶって」を読めば瞭然なのに。全巻そろえて目の前に積み上げさあ読め読んで学べと言って差し上げたいけれど、巨大スポーツ新聞の編集局なんてオレンジ色の夕刊紙を創ってる場所以上にそばに近寄ることなんて難しいのに(笑)。

 しかしそれにしても「スポーツニッポン」がコラムで連投に釘を差し「東京スポーツ」が1面でビートたけしに異論を出させていた程度で、一般紙はどこもひたすらに感動感涙を並べ立てるだけの報道ぶりを、異様に思っている人は実はとてつもなく多いはず。ネットに雑誌といった場所では真っ当にスポーツのあり方を考える言説が出ては広まり人々の意識を変えているのに、ただ大手のメディアだけが未だ巨大な図体を腐りかけた尻尾ともども引きずってはレミングよろしく枯れた大地を巨大な裂け目に向かって行進している。もはや崖っぷちってことはきっと現場に働く若い記者なら分かっているはずなのに、出てくるのは旧態依然も甚だしい根性万歳特攻万歳な翼賛紙面。恐ろしい。

 そんな状況に眉を顰める読者の行動が、数字になって出てきているにも関わらず、だめ押しのようにヤキュウ脳な人が奇天烈な見解を載せてはますます信頼を薄くする。どうしたものかなあ。もっとも新しいメディアと期待されてる生扉のPJとか、王米の市民記者だって靖国やら何やらは一所懸命に書いても、甲子園残酷劇場についてはほとんど触れられてない。そんな喫緊の問題なんかじゃなく、韓国のタレントの公演チケットが高すぎるって話を書いては、それのどこがニュースなんだ情を発しただけじゃないのかと訪ねた人に、韓国のタレントにかかわる金の流れに不透明さが巷間伝えられているって他事を挙げ、だからチケット代の高さについても報じた記事には意義があるって八艘飛びの理由を編集側が返して来ている。

 別に高くないじゃん2万4000円。特別席でしょ。1段下がったアリーナだったら1万5000円。スタンドだったら1万4000円とか1万3000円。普通じゃん。マドンナだってS席1万4000円でプレミアム席なんて5万円。チャリティーなし。それが全席売れてしまう。そもそも高くたって別に良いじゃん需要があるなら。見たい人は高くたって見に行く。DVDだって2話6000円は高すぎると思うけれども見たいし創った側への敬意って意味もあるから買って見る。見なくたって買って保存しておく。それが自己判断って言うものだ。

 もしも高すぎるチケットに裏があるなら、そのカラクリを調べて報じてこそのジャーナリズムって奴だろー。放り出された私憤に共感者を募り大きなうねりへと発展させて公憤にしたいって意図は分からないでもないけれど、でも私憤をとっかかりにして裏にどなカラクリがあるのかを調べ、世に問うてこそのジャーナリズムスピリッツって奴じゃないの? それをしないと私憤を公憤とすり替えて、やれ若者のマナーがなってないだの公僕の態度が悪いだのといった記事ばかりが集まるぞ。怒りの坩堝と化した場に集まる憤りが積み重なって澱となった果て。いったいそこからどんな匂いが漂いはじめるのか。鳥越さんの舵取りに注目しなきゃ。あと集まった編集の方々の差配ぶりにも。


【8月21日】 道路だったその場所に敷かれた線路の上を、何処ともなく現れた蒸気機関車から降りてきたのは、車掌の格好をして目深に帽子を被った巨大な生き物。佇んでいた灯里の側へと歩み寄っては、すっと伸ばした手を灯里の頭に置いた。最初はやさしくなで回していたが、ふいに腕に力をこめると開いた手のひらで灯里の頭部をつかみ、そのままギリギリと締め始めた。猫の王、ケットシーだと信じていつもと同じ優しい愛撫が始まったんだと思い込んでいた灯里は、急に増した力と激しい痛みに閉じていた目をあけようとしたが、押しつけられた手のひらが顔面を圧迫して開けない。

 強まるいっぽうの痛みに悲鳴を上げ始めた灯里だったが、甲高い声にはならず、のどの奥から抜け出す空気のようにくぐもった唸り声が周囲に漏れるばかり。そして締め上げる太い腕に走る筋が、ぐっと固く膨らんだ次の瞬間、ゴグッというビニールでコーティングされたガラスに金槌が当たってヒビが入った時のような音がして、灯里の頭を包んだ手のひら丸められ握り拳となり、その下で灯里の頭は血と脳漿を吹き散らしながら潰れて小さくなった。

 生き物が手のひらを広げると、ピクリとも動かなくなった灯里の体はドサリと路上に崩れ落ち、ぐちゃぐちゃに潰れた頭を石の敷き詰められた路上に激しくぶつけて、あたりに血をまき散らした。その姿を見下ろしていた謎の生き物が、被っていた帽子をとり顔を覆っていたマフラーを外すと現れたのはポッカリと開いた黒い穴。ゴーッという音を漏らすその穴を再びマフラーでふさいで帽子を被り、謎の生き物は灯里の死体に背を向け列車に乗り込んだ。どこからともなく湧き出る猫たち。目を光らせ牙を剥き、灯里の死体へと群がっては肉をついばみ、滴る血を舐め始める。朝。線路の消えた路上には灯里の着ていたアリアカンパニーの制帽だけがポツリと置かれていた。

 という話だったらきっと夜を眠れず憂鬱な朝を迎えたかもしれない「ARIA The NATURAL」だったけど幸いにして登場したのはちゃんとしたケットシーで灯里の頭をなでなでして、ほっぺたをぷにぷにしてから銀河鉄道へと乗って去って行ったんで一安心。次週以降も無事に灯里は登場してくれそーです、って次週は性別入れ替わりの巻かい? しかしわざわざ切符を送りつけて来た以上は乗って欲しかったはずなのに、灯里が切符を忘れた子猫に譲っても新たな1枚を出すこともなくそれを善行と見て褒めるケットシーの意図が分からない。灯里に出す切符があるなら子猫にだって切符は出せるだろーに。

 まあケットシーの考えることを人間が理解できるはずもないので一種の気まぐれだったと理解しておこー。もしも銀河鉄道が死の国への列車で集まった猫たちはすべて死の国へと旅立つ老猫と考えるなら子猫が切符を持っていなかったのも道理、死んだ両親にくっついて生きたくて乗り場まで来たけれど、まだ生きている子猫には鉄道に乗る資格がなかったって考えられないこともない。そんな子猫に切符を渡して死の国へと追いやった灯里。善行じゃないじゃん愚行じゃん。けど待てそうだということはケットシーは灯里に死の国へと向かう列車の切符を渡したってことになるか。やっぱり死に神じゃんケットシー。道理で顔のない貴婦人も逃げ出す訳だ。真相や如何に。うーん。

 第135回直木賞の選評が出た「オール読物」の2006年9月号が発売に。読むと渡辺淳一さんは森絵都さん「風に舞いあがるビニールシート」を推してたた模様で「それぞれに難点はあるが、強いて推すとすれば、この一作かと思った」らしい。三浦しをんさん「まほろ駅前多田便利軒」は「妖しげな小説である」「やや受けを狙いすぎて筆がすべりすぎたようである」「とくに男二人の生活はボーイズ・ラブの延長のつもりか、大人の男の切実さとリアリティーに欠ける」と散々。それにしても流石は愛の文士だけあって、ボーイズラブをちゃんと知っていたみたい、渡辺さん。若いなあ。

 井上ひさしさんは森さん三浦さんの2作推し。とくに「まほろ駅前」を「ため息が出るほどみごとで爽やかな成長小説でもあった」とベタ褒め。平岩弓枝さんも「まほろ駅前」を「ずば抜けた秀作と思った」と評し「この作者の年齢の時、私はこれだけの作品は書けなかったと思い知って、また一段と羨ましくなった」とまで言うのには驚いた。超ベテラン2人が褒めるってことはつまりそれだけのものなんだろう、掛け値なしに。超ベテランだからこそ褒めるって考え方もあるけれど。続く宮城谷昌光さんは貫井徳郎さん「愚行録」を「中途半端なピーカブー小説」と良い伊坂幸太郎さん「砂漠」を「伊坂氏は言葉の軽量を問う作業をなおざりにしている」「どれほどすぐれた意匠をもってきても、内容がつねに乖離していまう」と批判。受賞2作については「好意をもって読んだ」らしいけどそれより伊坂&貫井について書くのは期待の現れか。

 面白かったのは阿刀田高さんで三浦さんを「迂闊なことだが作者が男性だと思い込んで読んでいた」と白状。「男の作家なら、これくらい書くだろうな」と男性2人の活躍を読んでいたら女性だと知り「背後に相当な企みや修練が伏在していると考えるべきだろう」と言っている。ボーイズラブを読みまくるのを修練と呼ぶならそうかもなあ。「愚行録」については「ミステリーとして読むには謎解きを楽しむことができず、現代社会をえぐる狙いならば方法をたがえたのではあるまいか」と厳しい。選考委員のミステリー班からこう言われてしまっては受賞はないか。北方謙三さんは「風に舞いあがるビニールシート」を「読みごたえのある短編集」と評し「砂漠」は「この作者の作品にしては、小説的リアリズムに後退している」と指摘。「まほろ駅前」については「読んでいてひたすら面白いという、小説の本質のひとつを充分に持っている作品だった」と評価。「三浦氏が一番手で次に伊坂氏と森氏が並ぶ」と書く。おお、ここでも三浦推し。

 林真理子さんは「森絵都さんには驚かされ」て三浦しをんは「若さが前面に出ている。若者ふたりの生活が、ややありきたりのイマドキ小説っぽく、私には物足りなかった」と書くものの「しかし受賞作にふさわしい才能であることには間違いない」とフォロー。勢力を広げるために気を遣っているのかな。偉いなあ。伊坂さんについては「この方には今回少々がっかりした。彼の魅力である、シュールな空間が色あせているのである。小説にリアリティを持たせようとしたのが、中途半端な結果に終わっている」と指摘。ここは北方さんとも重なる選評か。リアルに行っても駄目だけどかといってメタに逃げても分からないと言われるんだろうなあ。ちょっと気鬱。

 そして五木寛之さんは「良かれ悪しかれ個性的な作品が次第に沈下していくなかで、ごく自然に浮上した」と受賞2作について触れ「森さんは小説を創ろうというはっきりとした意志が、脱力系の流行る昨今、とても新鮮な印象をあたえるところがあった」と評し「まほろ駅前」は「上手な小説である。しかし、この作家の本領は、もっと違うタイプの小説にあるかもしれない。思いがけない化け方をする予感を信じて、それぞれに一票を投じた」と締める。総じてやっぱり森&三浦の評価が高く全体を通せば三浦さんが優勢な印象。森さん一押しであとは誰? って感じの下馬評とはまるで違うこの選評を読むと今、求められているのはストーリーがしっかりしていてキャラクターも生き生きとしていて社会的な何かを考えさせてくれてそれでも楽しく読める物語、って所か。橋本紡さんとか有川浩さんにもチャンスありそう。

 俳句は暗号で記憶は密室、かあ。最近あんまりピンと来るのがなくって読むのは久々だったりする江戸川乱歩賞受賞作から鏑木蓮さん「東京ダモイ」を課題図書として読んで出来に関心。タイトルが示しているとおりにかつてシベリアにあった捕虜収容所に収容された日本軍兵士たちが過酷な環境にも耐えて生きのびようとしていた所におこった中尉の殺人事件。首を飛ばされ死んだ中尉のその事件の犯人も見つからないまま時が過ぎ、収容所から帰還を果たして肉体労働とかをしつつも定職にはつかず静かに生きてきた老人が、句集を出したいといって自費出版社系の会社にアプローチをかけて来て若い営業マンが派遣される。

 金を頂戴すれば利益の出る範囲でどんな原稿だって本にしまっせ的な商売に関するなかなかに緻密な描写があって、昨今の自費出版社の倒産だとか逆に新人賞をばんばん開催したり新刊をどんどん出したりして繁盛している様だとかを見るにつけ、裏ではこんなに過酷で激しい商売が行われているのかって驚くけれど本筋はそんな所ではなく、その句集を出したいと言ってきた高津と老人から原稿を半分もらいあとはもう半分をもらって契約するまでって段になって突然高津が書き置きを残して失踪。そしてロシアから来た老女の遺体が発見される事件へと発展していってしまう。

 高津が犯人なのかそれともロシアから来た老女を世話していた若い医師が犯人なのか。まるで見えない事件を担当した刑事が足と経験で探る一方で、預かった句集に書かれた文章や俳句を吟味しながら自費出版社の若い社員とその上司で遣り手の女性編集者が事件の真相へと迫る。俳句に込められた意味と前後の文章から謎へと迫る展開は一種の暗号解読のようだし、記憶の彼方に封じ込められた事件をささいな手がかりをもとに蘇らせ記憶の壁をこじ開けていく展開は密室のパズルに挑むかのよう。そんな先を読みたくなる書きっぷりの妙と、そしてシベリア抑留という戦後60年が経って風化しつつある事件への興味なんかが手に取った読者を飽きさせずに最後まで連れて行く。

 女性編集者と部下の青年とのあんまり色っぽくない関係とかが読んでもったいない気もしたけれど、仕事一筋な女性編集者の色恋沙汰には見向きもしない突っ走りっぷりを現す意味もあるからまあ仕方がないか。据え膳に見えたからといって手を出せば果たして青年くんはどうなったことやら。ともあれキャラクターも生き生きとして展開も興味深くそしてエンディングも鮮やかなエンターテインメント。社会的な要素もあって来年の夏あたりに向けてドラマ化なんかしてみたら面白いかも。高津たちがダモイしてたしか2007年はちょうど60年目にあたる訳だし。鬼編集者の晶子は誰が似合うかなあ。昔だったら江角マキ子さんなんだけど最近はあんまり見かけないし。藤原紀香さんってのも意外で良いかも。


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