縮刷版2006年7月上旬号


【7月10日】 野方での賢人による預言ではイタリアの勝利が告げられいてたワールドカップ独大会の決勝戦「イタリア対フランス戦」は、その理由がジダンとアンリってゆー2人のスペシャルな選手だけに頼って他はリスクを冒さず守備的に臨み勝ち上がってきたフランスのサッカーが、もしも勝利をおさめるよーになればサッカーの為に宜しくない、むしろ守備的とゆー従前からの先入観をうち破って、クレバーで組織的な守備に加えて時にリスクを冒して攻めるイタリアこそ優勝に値するチームであるってゆーものだったけど、始まった試合はさすがに決勝とゆー舞台なだけあって、出だしは比較的堅実なサッカーが繰り広げられる。

 そんな最中に起こった事件はフランスのマルダ選手がペナルティエリアへと攻め入った所をマテラッティ選手が倒してPK。っても見るとマテラッティ選手はマルダ選手に触っておらずほとんどシミュレーションに近いんだけれど主審の目には入らなかったよーで、それをジダン選手がまるでトッティ選手みたいにふんわりと浮かすシュートで決めてフランスが1点を先取する。これで守りきる訳にはいかなくなったイタリアの攻め手が増えて激しい試合になるかって思ったんだけれど、フランスの守備もよくってなかなか破壊力を発揮できず、マテラッティ選手のヘディングによる1点だけで同点のまま後半が終わり、延長を経てPK戦へと突入するんだろーかと思っていたところに更に事件が勃発する。

 ジダン選手退場。それもプレー中のファールじゃなくってマテラッティ選手への頭突きとゆー意味不明な行動によるもので、何かを言われたんだろーけれどそれをピッチで暴力によって返して良い筈もなく、ジダン選手はピッチを歩み去りPK戦の時にも出てこず精神的な柱を失った中でフランスは、全員が決めたイタリアに及ばず98年以来の優勝を逃してしまった。ジダン選手が退場するまではそれなりに攻めていたし、PK戦になればその存在感で仲間を安心させられ鼓舞させられたんだろーけど、後味の悪すぎる退場の直後ではむしろ逆にフランスの選手たちを萎縮させてしまったみたい。嬉々としてペナルティスポットに向かうイタリアの選手たちに比べてどこか沈んだ雰囲気があってPK戦が始まる前から半ば負けが決まってしまっていた。

 となればまさに戦犯。かつ世界にフェアプレーをアピールしているFIFA国際サッカー連盟にとって暴力を見せたジダン選手は非難されこそすれ讃えられるはずがないのに何故か発表になった大会のMVPはジネディーヌ・ジダン選手。ええっ、イタリアのファビオ・カンナバーロ選手じゃないの、ほとんどの試合で完璧なまでの守備を見せてイタリアの優勝に絶大な貢献をしたカンナバーロか、あるいはPKによる失点以外はイタリアのゴールを守り通したゴールキーパーのブッフォン選手か、中盤であらゆるピンチに果敢に飛び込み失点の目を摘みまくったガットゥーゾ選手じゃないのって、全世界からとどろく疑念の声がドイツの地へと寄せられたんじゃなかろーか。でもやっぱりジダン選手。決勝の前に投票が行われていたんだとしたら、その復活ぶりを讃えられて不思議はないけど活躍できなかったどころか暴力で退場を喰らった選手にMVPではFIFAの権威も地に落ちるとゆーものだ。つか既に落ちているの?

 それともイタリアのユヴェントスを中心に起こった不正工作疑惑でカンナバーロ選手は移籍の際にいろいろと配慮を受けたことが分かっているし、ブッフォン選手は疑惑の台風の目となってるユヴェントスに所属する選手。ガットゥーゾ選手は決勝後のセレモニーでパンツ1枚になってピッチを駆け回っては集まった政財界のお歴々に開陳してしまったことが嫌われ除外されたって可能性も実はあったりするのかも。ピッチ上で断髪式を行ってしまったカモラネーシ選手もちょび髭がどことなく胡乱な雰囲気を醸し出してたトッティ選手も同様に除外。と考えていくと暴力があっても過去の活躍がすべて帳消しにしてお釣りすら出てくるジダン選手にMVPが渡っても仕方がなかったんだろー。前回だって得点王のロナウド選手じゃなく決勝で2点を奪われ敗れたオリバー・カーン選手がMVPだったし、普通の判断では理解できない基準がそこにはあるんだろー。深いなあ、ワールドカップって。

 ああ始まったよアニメーション版「N.H.Kにようこそ!」が夏の夜空を見上げた緑のピッチを健康と体力に溢れた男達が駆け回ってボールを蹴り合う世界的な大イベントを横目に。グルーブ感にあふれたオープニングの健康そうなビジョンにこれはあるいは楽しい話かもって思い見た人は、続く狭いワンルームに瓶やら缶やらゴミ袋やらをいっぱいに積み重ねた男が妄想の中で家電とおしゃべりしながら日々を鬱々と過ごしている描写にこれはいった何だと驚き、緑の上の球蹴りにこの1カ月を歓喜しまくってた人はゴールネットの中より狭い場所で3年もの間を留まり続けた男の不健康さに近寄りがたい衝撃を受けたかも。

 けどこれも現実。ああいやこれ自体はフィクションだけど実在し得るフィクションってことでそんな苛烈な自業自得の監獄から、逃げ出したいと足掻いても逃げ出す術を持たない野郎どもの心をきっと捕らえて来週も見なくちゃって気にさせたことだろー。ピンポンとなるドアチャイムに小さい窓からのぞくとそこには日笠を差した美少女がきょとんと経っていて、やがて再びピンポンとチャイムを流してはラブレターを郵便受けにに放り込んでいって暮れる人の到来を願ったことだろー。絶対にないけど、そんなこと。エンディングは久々に聞くシャウトの聞いた大槻ケンヂさんの叫び歌。テレビでUFOとか解説している姿も悪くはないけどやっぱり唄ってなんぼの人だよ大槻さん。これをきっかけに今再びの「筋肉少女帯」登場ってならないかなあ。まあ実質「筋少」って捉えられないこともないんだけど。CD買おう。オープニングの。


【7月9日】 そして始まったワールドカップの3位決定戦となる「ドイツ対ポルトガル戦」を遠目に見つつも、耳はパソコンから流れてくる音声に傾けて、はるか遠く松島で開催中の「日本SF大会」で繰り広げられている東浩紀さん桜坂洋さんに加えて新城カズマさんも参加したトークショー「ライトノベルの現在と未来」を聞く。違うって。

 本当は何でも2045年ってゆー、今ひとつよくわからない40年って区切りの近未来に、いったい何が起こっているのかを学術的&SF的に考察して、論文と小説によって描き出すってゆープロジェクトの所信表明イベントだったらしーけど、ライトノベルから出てきた作家が参加していたからなのか、聞き始めた時間がすでに開始から1時間以上経っていたからなのか、いきなり「俺って『メカビ』から声かからないし」って東さんの声が流れてきて、近所迷惑にならないよーに声を出さずに爆笑する。そうか声かかんなかったか。

 以下36時間とかゆー起動時間に頭もテンパって来たのか淀みなく勢いよく脈絡なく喋る東さんに時々冷静、時々激しく同意反論の類を示す桜坂さんと、それから東さんから「星雲賞をとる気まんまんでスーツを着てきた」と評された新城さんの、これまた東さん曰く「良い声」によるトークが午前5時過ぎまで繰り広げられては、目の前で行われているドイツが圧勝した3位決定戦の迫力に重なって居ながらにして密度の濃い時間を過ごす。

 途中で差し挟まれた声は東京創元社の小浜徹也さんの声か。もう聞けばすぐにわかる立て板に水な声。それらが「Air EDDGE PRO」による接続であるにも関わらず、もう目の前で行われているくらいにクリアに聞こえて来るから文明って凄い。別に宮城まで行かなくたって楽しめたってことで、主催者の人には申し訳ないけど何万円かを節約した気分になる。もっとも喋った4人ともどんな風貌でどんな声をしているか、知っているから聞き分けられたんだけど、そーでないリスナーには誰が誰だか混乱したかも。これからはネットラジオをやる時は、喋る前に名前を名乗ると有り難いかも。現場の人は鬱陶しいけど。

 しかしやっぱり気になる40年とゆースパン。1965年生まれの人間にとってそれは生まれてからこれまでの変化を踏まえつつ、死ぬだろう平均寿命の先端にあたる40年後を想うってことで振り返れば生まれた時にはすでに東京から大阪まで新幹線が走り、空にはジェット機が飛びテレビもカラー化されてて家々には車も電話も徐々にだけれど普及していた。それらが性能面ではアップしたものの何か劇的に代わったかというと社会の大きな仕組みにおいて劇的な変化はなかったと想う。

 唯一ネットのようなコミュニケーションの手段は発達したけどそれが日本の政治を変えたか? メディアを変えたか? 変えちゃいない。テレビは未だ圧倒的な伝播力を背景にメディアの王として君臨してるし、政治体制も自民党を筆頭に対抗馬として社会党ならぬ民主党がある程度でさほど変わっていない。80年前から40年前の変化に比べて差違はたぶんはるかに小さい。だとしたらこれからの40年に起こる変化も更に小さいものになるかもしれない。コミュニケーションが密になってもそれが人間の暮らしは変えないし、交通手段が発達してもそれが何かをもたらすこともない。40年なんてスパンでは本質的なものは変わらないって気がしてならない。

 そんな微妙な差違を、ちまちまとした積み重ねから想像して描いて面白いんだろうか。人間の想像力の限界を、はるかに超えるようなビジョンを見せてもらいたいというのが、SF読みとしてのSFに求める気分ではないのか。もちろん40年後を想像することは40年後に何らかのアドバンテージを得たい企業人にとって必要かもしれないし、政治家にとっても欠かせない部分かもしれないけれど、SFにとって必要なことだとは現時点ではあまり思ない。それでもなお走るプロジェクトが見せてくれるものが、こんな気分を払拭するくらいに革新性に富んだものになるのだとしたら、その時は改めてプロジェクトへの敬意を締めそう。ほとんど40年前に筒井康隆さんが「48億の妄想」で預言した、アジアをめぐる情勢なりメディアにまつわる異常事態に匹敵する凄まじいビジョンを見せてくれることを切に願う。

 しかしポルトガル。珍しくパウレタ選手が飛び出したり走ったりする姿にこの攻撃をどーして初戦から見せられなかったのかと切歯扼腕。そこがやっぱり無理なリスクをとってまで攻撃をした挙げ句にバランスを崩し、敗れ去ることへの恐怖と戦わなくてはいけないワールドカップって舞台の重さであり大きさであり怖さなんだろー。3位になっても4位になっても名誉にさほどの違いがない。だったらせめて最後の一花を咲かせてみせましょうって感じにポルトガルもドイツも激しさこそ薄れたものの胸襟を開いてぶつかり合ってくれた。点差は開いたけれども面白いゲーム。無意味と想われガチな3位決定戦にも意味があるところを見せてくれた。

 もはやビジネスとして見過ごせないところまで来ているワールドカップの舞台で、リスクを冒した美しいサッカーを見せることはいかな強国でも難しくなっているとゆーのは、9日に野方で開かれた「サラエボ・フットボール・プロジェクト」による企画でイビチャ・オシム監督が登壇して行われたトークショーでも指摘されたことで、割に守備的な試合が多くなって見ていてそれほど面白くない戦いが、ことに大国どうしがあたる決勝トーナメントに入ってから多く見られるよーになったこととも符号する。

 オシム監督がその意味で面白かったチームとしてガーナやコートジボワールを挙げていたけどそれはつまりアフリカが、ワールドカップの舞台で是が非でも好成績を残さなきゃいけないってプレッシャーとは無縁に、自分たちのやりたいサッカーを出来たからだって指摘してる。普段は欧州のクラブチームで大金を得ながらプレーしているアフリカ諸国のトッププレーヤーたちが、火急の時ともなれば国へと帰って国のためにプレーする。その愛国的な姿勢がビジネスのためにリスクを冒さずプレーしなくてはならない欧州の選手たちとはまた違ったパフォーマンスを試合の中で発揮させているのかも。

 ただ惜しいかな選手層の薄さとそして冒したリスクの反動から、ほとんどが敗れ去っていってしまった。もうしばらく時間が経って選手層も厚くなり、欧州での経験を持ち帰れる選手が増えた時にはアフリカは更に強くそして美しいチームとなって世界に君臨して来るかも。2010年はだから注目。そんなチームともし仮に出場権を得て出た日本が戦わなくちゃいけないんだから、オシム監督も大変だよなあ。あるいはオシム後に引き継ぐ日本人監督は。

 今とてつもなくホットな人間がやって来る会合だったけど、それ故に起こる混乱を懸念したのか当日はメディアは完璧にシャットアウトで「オシムの言葉」の著者の木村元彦さんが、どことなくリトバルスキーに顔の形が似たサーシャって名の通訳を挟んでオシム監督に聞いていったイベントでは、いろいろと楽しい話興味深い話も出たけど詳細は省略。とりあえず1点を挙げるとしたら、これまでずっと言っていたことにも重なるけれど走れない選手はまず必要ないというポリシーで、あと頭の良い選手でなければ今のサッカーではとてもじゃないけどつとまらないとゆーことか。一匹狼のような選手も活用が難しいといっていたのは誰か特定の選手を意識してのことじゃなく、チームとして機能できる選手たちでなければ現代サッカーは勝てないってことを言いたかったんだろー。

 ほかは、いくら監督が頑張ったところでメディアの影響力にはかなわないっていう言葉の、実に重くて深くて厄介な問題を孕んでいる点が気になった所か。そんな発言を総合した所からオシム監督が率いるだろー日本代表の姿って奴も見えて来そう。中田英寿さんの引き合いもあって同じ事務所に所属し代理人も同じ人になったって話がでかでかとスポーツ新聞の1年に出ていたけれど、それを見て注目されているねえと悦に入った挙げ句に、スペインの2部イタリアのセリエBに比べて劣るフランスの2部リーグで中位に沈んだチームの、レギュラーではないフォワードとして5得点しか取れず、本番のワールドカップでもまるで活躍できなかった我が身を省みないで、力を過信し必死さを失ったらどうなるか。分かっているとは思うけど、頭の良さより木訥さが先に見える選手だからなあ、大黒将志選手。前途は多難だぞ。まあ巻誠一郎選手に佐藤寿人選手に田中達也選手に平山相太選手に大久保嘉人選手がいるから良いんだけどね、4年後に30歳のフォワードがフランスで自惚れてたって。


【7月8日】 はっきりいってヤバさが全編に漂っていた1週目の「おとぎ銃士赤ずきん」をそのまま果たして見るべきかと、悩みながらもまあ義務だと思い生で見て歓喜。おもしれえじゃんこれ。犬(じゃない狼)がうめーうめーと良いながら肉ジャガ喰ってるし、その尻尾が左右にピコピコ動いているし、そんな喋る犬を見てもりんごって女の子は1度気絶するだけですぐに納得するし、あまつさえ東京では犬は喋らないって本質を突いているよーで核心を外したセリフを吐くし。そんなこんなに満載な突っ込み所を追うだけで30分があっとゆー間に過ぎていく。

 なおかつつかみ所も極めて多彩。「ずっきゅーん」はまあ「アラレちゃん」の「きーん」と同じよーな子供らしいかけ声だって納得度も高い。けど「じゅーうすぃー」はマズいだろー「じゅーうすぃー」は。白雪姫が出てきて同じ三銃士だから挨拶が「じゅーうすぃー」。これから出てくるいばら姫も加えて3人が揃ってポーズを決めつつ叫ぶ言葉が「この世に悪のある限り」でも「この日輪の輝きを畏れるのなら」でもなく「じゅーうすぃー」。いやあ敵もこれでは構えられない。戦いに気を高められない。そんな隙を突かれて打たれて終わり。そうかなるほどこいつはこいつで合理的なのかも。眼鏡っ娘ってことではづきちゃんみたく小心者かと思いきや、強欲でやや高飛車な性格が意外だった白雪姫がちょっと意外。いばら姫は果たしてどんな性格なんだろう。ってか三銃士って給料制? 幾らくらいもらえるんだろう?

 松島や、ああ松嶋菜々子や、松嶋尚美や。意味不明。ともあれ宮城県の松島にSFが大集結した関係で、初日の入りが心配されたアニメーション映画「ブレイブストーリー」を、東京方面に残留している身としては行って少しでも刺身のツマになりたいと思い発起して銀座へと出かけてサロンパスリーブル丸の内なんて入ると鼻がスッとしそーな劇場で鑑賞する。というのは半分くらいは真っ赤な嘘で、同じく初日を迎えたコナミのゲームが原作になった映画「サイレントヒル」のキャンペーンで、超ミニスカートなダークナースが大量動員されているって噂を聞きつけ、いったいどんな感じなのかを確認しい行ったのが理由の最大要因。有楽町「マリオン」前で三角形の頭をしたレッドピラミッドを囲みミニスカナースが中腰になった格好で、記念撮影に応じている様を後ろから見て今日を生きる幸せさを噛みしめる。

 「ブレイブストーリー」はそのついで。同じ「マリオン」の中にある映画館でやっていたんで折角だからを見たんだけどうーん、これをスタジオジブリの対抗馬としてぶつけるのはややキツいかなあ、それはジブリがおそらくは10歳くらいの子供だって見て何とはなしに分かり、いっぽうで70歳くらいのお爺さんおばあさんが孫に着いて行っても楽しめるくらいに観客のレンジをとっているのと比べると、「ブレイブストーリー」は画面こそファンタジー調で子供の興味を惹くよーになってはいるものの、設定として子供にどちらかといえば恐れとおののきを与える要素があって、見た子が心にあんまり楽しくない気分を抱かされそー。それが口コミで広がった時に、敬遠する親なんかも出て来るんじゃなかろーか。

 少年たちが願いをかなえるためにファンタジーの世界へと入り込んでは、RPGのように戦士だの魔導師だのに扮して冒険し、アイテムを集めてどんな願いも叶えてくれる運命の女神に近づいていく。典型的な少年の成長物語はそれで実に子供向け映画の設定なんだけど、叶えたい願いって部分が何とも現代的とゆーか社会的とゆーか痛ましいとゆーか。片や外に女性をつくって父が出奔し残された母も精神的なダメージからか体を痛めて入院し意識不明の状態。そんな壊れてしまった家庭を取り戻したいとゆーのが主人公のワタルって少年の願いで、なるほどとてつもなく切実なんだけどそんなワタルの切実さに共鳴できる子供の観客が果たしてどれだけいるんだろー。

 こなたミツルの方はといえば更に悲惨な境遇で、同情する子供はいそーだけどそーなった背景を理解できる大人は我が身につきまとう負い目なり将来への不安を覚えて戸惑いそー。実は未読な原作がどーなっているのかは知らないけれど、ともに同じ理由からの冒険なのだとしたらなるほど原作は、ファンタジーという形式を借りつつ現代の家族なり、社会なりが抱える問題をえぐり出し、自分さえ善ければって独善的な考え方にも警鐘を鳴らしたいってゆー大人向けの小説で、それをファンタジーだからとゆー印象で引っ張ってきてジブリよろしくアニメ映画化してみたのは良いけれど、にじみ出る痛くて重たい主題に子供はドン引きとなり大人も胸苦しさを覚えて劇場を後にして、リピーターとはならない映画に仕上がったってことにになるのかな。2度3度と足を運ぶ家族の多さが記録的な興行収益を生むジブリ作品とは、そこが決定的な差なんだろー。

 なるほどワタルはファンタジーの世界を救う英雄になるんだけれど、でもすべてを元通りにした訳じゃない。魔物に席巻され破壊された町はそのままだし、襲われて死んだ人たちの命もきっと元どおりにはなっていない。その一方で元の世界へと戻ってワタルはまあそれなりに妥当な居場所を得て日々の平穏を取り戻す。この何とも言えない不公平感。いったい何しに扉の向こうに行ったんだ、ただ混乱を巻き起こすために行ったのか。頼むんだったらすべてをチャラにして来いよ。ってそんな突っ込みもしたくなる。最後の場面もたしかに失われた存在が戻ってワタル的には嬉しかったかもしれないけれど、それはワタルにとっての主観でしかなく当人たちにとってはそれが当たり前のこと。最初から失われてはおらずだから失われた悲しみを味わっていないし取り戻した喜びも感じていない。

 それでも失われていた存在が戻ったことを喜べというなら、異世界の方こそ元通りになって焼けた森が戻りそこで死んだ命も戻るべきではないのか。ワタル主観での自己満足にも等しい幸福を見せられたってワタルに同化できない観客は、どこか置いてけぼりにされた気分を覚えたままで映画館を後にする。思い出しては釈然としない気分に悩まされる。うーん難しい。絵的にはとてつもなく素晴らしくってどのシーンをとっても楽しく明るく賑やかで、それこそ昔の夏休み冬休みに公開されるオリジナルの東映アニメなんかを見ているよーな気さえした。キャラクターもミーナの仕草、お姫様の丸顔とどれも可愛く愛らしい。ハイランダーの女性も目立ってなかったけど格好良い。

 デジタルとの合成とかも含めて技術的には最高レベルの作品なんだけどでも、やっぱり主題の所で引っかかる。物語の世界へと心を入り込ませない壁がある。その壁を感じているのが僕だけで、普通に見た子供やその親はひたすらに楽しい画面や、わくわくとする冒険に感動しているんだろーか。反響とか聞いてみたいところ。まあ数字がすべてを現すんだろーけれど。「Mi:3」がまあトップで次は何だろー、「サイレントヒル」? そんな同時公開前後公開の映画を含めて「ブレイブストーリー」は果たして週末の興収で何位に入るのか。その出足が「ゲド戦記」公開後もどこまで続くのかにとりあえずは注目。DVDは多分買いますミーナのふわふわ感が可愛かったんで。


【7月7日】 風通しの効かない6畳間に充満したサイレージのような据えた臭いが全身に染みつき、都会を歩こうものなら後ろ指を差されるより先に石でも飛んできそうな無粋極まりない牽牛であっても、年に1度くらいは見目麗しい織姫様に見えて悪い日じゃないと勇気を振り絞って武蔵野線に乗り武蔵浦和へと向かい、新しくオープンした「コナミスポーツクラブ武蔵浦和」のオープニングセレモニーに紛れ込んで、メグカナのうちのカナちゃんこと大山加奈選手を見物する。巨大だ。もうあまりにも巨大て武蔵浦和の駅を降りた瞬間にビルから突き出た頭から火を吐き近隣を蹂躙している姿が見えた。そんな訳はない。

 とはいえ187センチの身長は、サッカーの日本代表に紛れ込んだら最長身の中澤佑二選手と並ぶマウンテンぶり。高さを期待されてワールドカップメンバー入りした巻誠一郎選手よりも高い訳でそんな女性がズラリズラリと並んでいても、勝てないバレーボール女子日本代表を鑑みるにサッカーの日本代表が世界どころかアジアですら、今や及ばなくなりつつある現状も分かるよーな気がする。なでしこジャパンのスーパー少女プロジェクトよりも必要なのはスーパー男子プロジェクトなのかもしれないなあ、全国の190センチ以上の男子を捜して全員にロボットダンスを覚えさせる。そこから入るのかい。

 もっとも実のところは近くによってもそれほど偉容って感じはしなくって、後でプロフィルを見て187センチとあって意外に想ったほどに均斉のとれたスタイルをえいた。並ぶとさすがに頭が出るけどそれでもクラウチ選手ほどじゃあない。顔も小さくて可愛らしくってそのまま本当にファッションモデルとかをやっても、十分に舞台映えする容姿容貌だった。人気が出るはずだよなあ。聞かれれば答えもはっきりしていて、かといってキツい感じはまるでなくって人の良さがそこかしこに滲む。友達になりたい、けどでもこちらはサイレージに埋もれた牽牛であちらは1年中を星々に囲まれ凄くロレッタ織姫。なので静かに遠目で見守り心の中でニッポンチャチャチャをエールを送る。ブロック! 跳ね返されたっ!

 そんな彼女もコートの中では代わり猛々しくも激しい1人のアスリートとなりロシア中国アメリカキューバといった強豪国のこちらは横幅は広く胸板も分厚い選手から放たれる、弾丸のよーなスパイクに全身で向かっていく。その反射神経その動体視力があれば例え「急にボールが来た(略称・QBK)」って反応できるだろー。とゆー訳で中澤選手も巻選手も柳沢敦選手も日本のサッカー選手はしばらく柳本監督の下に入ってバレーボールのコートになって、大山選手が放つ激しいスパイクに向かい足で相手コートへと返す訓練を1カ月ほど受けて来たら如何。もちろんブルマーで。ボンバー中澤選手のブルマー姿。うーん見たくない。

 その足で電車を乗り継ぎはるばる蒲田へと出向いてセガの新作アミューズメント機器の内覧会をのぞく。フェラーリ。それは紛うことなきフェラーリのお尻の部分が4台並んだマシンがあってまず吃驚。つまるところはドライブゲームなんだけど、乗り込むコックピットの形がまんまフェラーリの「F50」「ディーノ246GTS」「360モデナ」「512BB」になっていて、後ろから見るとそんな跳ね馬4台が丸いテールランプを輝かせながらぐらぐらと動いていて実に壮観でありました。

 もちろん本物のフェラーリのお尻を切ってそこにゲームの仕組みを載せたんじゃなく、本物っぽく作った模型なんだけどそれでも見る人が見れば分かるほどにはリアルに再現されていて、おまけにハンドルにもしっかり跳ね馬が描かれていて音も含めてフェラーリを運転している気分だけは存分に味わえそー。買えば数千万円でも遊べば数百円。格差社会に歯がみしている若きゲーマーたちだってこれなら夢のフェラーリオーナーになれる。でもってゲーセンを出て目の前を行く360モデナの運転席にIT長者と女優なり女子アナの姿を見て世の理不尽に愕然とするんだ。嗚呼。

 どーせだったら同じ発想で歴代スカイラインを並べたマシンも造ってくれないかなあ。「プリンススカイライン2000GT−B」に「箱スカ」のGT−Rに「ケンメリ」のGT−Rに「R30」の「RS」辺りを並べてくれればおじさん毎日でも通っちゃうよ。箱スカは違うけどケンメリやらRSやらの丸いテールランプが輝く様に、そいつらを輝かせながら国道153号線を突っ走った数十年前の思い出をよみがえらせては感涙に浸り、こちらは経験がないけれどウェーバー3連キャブの調整が巧くいかずカブったりするGT−Bの初体験に歓喜して踊るんだ。受けると想うんだがなあ。

 手に「ゲド戦記」の試写状と「時をかける少女」の試写状があった場合に果たしてアニメファンとしてどちらに行くべきかと悩んだ挙げ句に、選んだ道は「トップをねらえ2 弟6巻 あなたの人生の物語「」の完成披露試写会。なぜならば。SFファンであるからだ。って世のSFファンの大半が「松島や、松島トモ子や松島かえでや」と唄い踊りながら宮城県の松島あたりに大集合している時に東京に残って何がSFファンだと怒られそうだけれども何を言う。「あたなの人生の物語」なんてサブタイトルが付けられたアニメーションが初めて披露される現場に居合わせることこそが実にSFだとは思わないかい? 思えないか。だって遠いんだもん松島。おまけにワールドカップ中なんだもん。6畳間で発酵しているサイレージ男にはちょっと行けません。ゴメンなさい。

 いやともかく「トップ2」最終回。凄かった。とてつもなく凄かった。「ゲド」より「時かけ」より凄いかもしれない。いや「ゲド」も別の意味で凄いかもしれないけれどこちてゃ7月末になれば公開されるから見られるし、「時かけ」も試写がまだありそーなんでそっちで見るか公開を見れば済む。けど「トップ2」の最終回は発売が8月25日。あと1カ月以上もみられない訳でそれをいち早く見られたことだけでも大感動。おまけに激しく凄まじくも素晴らしい完結ぶりを見せてくれてもう見ている最中に目がジンジンとして来たよ。

 何がどーなっているかは言えないけれども、とりあえずはラルクの着替えシーンが最高で、それから着替えた衣装がまた最高。地球規模の兵器があればそれよりデカい兵器もあり、お姉さまがいてコーチまでいて努力と根性を見せてくれるってんだからもう泣くしかない。次に見られるのは発売日だけどそれまで今の余韻を味わいながら、買い込んでおいた最初の「トップをねらえ!」を見返して重なる部分を探し見つけては繋がる感銘に心を燃えたたせて下らない仕事なんて蹴散らし急傾斜する業績も我関せずと決め込んでは夏の暑さをエネルギーへと変えて前へと突き進もう。ところで「ゲド」って、どうなのよ?


【7月6日】 こけたディフェンダーの脇をすり抜けざまにひっかけられた様な転び方をわざとしたのか、それともやっぱりひっかかってこけたのかは微妙ながらも相手に引っかけようって意識がなかったことは見ると確か。だからあれを故意の妨害と見てファールをとってPKを命じるのはちょっと可愛そうな気もしたけれど、ファウルでなければ流さなくてはならないところを笛を吹いてしまった以上はファウルをとらねばならず、ペナルティエリア内のファイルはPKにしなくちゃいけないって審判側の事情も鑑みればあの判定もやむを得なかったのかも。ワールドカップの準決勝「ポルトガル対フランス戦」でのひとこま。

 けどでもその後に攻めてポルトガルが得点をすれば良かったんだけどパウレタ選手のワントップにうまくボールがおさまらないのが今回のワールドカップでのポルトガル代表。再度からフィーゴ選手にクリスチアーノ・ロナウド選手がクロスを入れてもワントップを両脇から挟まれ届かず跳ね返されるとゆー、いつか見た光景がまた繰り広げられてはまともなシュートすら打てない状態のまあ時間だけがジリジリと過ぎていく。終了間際にフィーゴ選手の惜しいシュートがあったもののやや重なったクリスチアーノ・ロナウド選手が気になったのか、頭に当てたボールはそのままクロスバーの上を超えてしまってゴールネットを上から揺らすに留まって得点ならず。そのまま終了の笛を聞いてフランスがPKの1点を守ったまま、イタリアとの決勝へと駒を進めた。

 イタリア対フランスとはまたチャオでボンジュールな文化の香り漂う対戦で、これをベルリンなんて質実剛健の権化みたいな場所でやるってのが信じられないけれどドイツ大会だから仕方がない。パリのスタッド・ド・フランスとかローマのスタジオ・オリンピコなら差す陽の明るさも含めてピッタリって感じだけど、まあ今年のオリンピア・シュタヂオンだったら盛り上がるワールドカップ人気にしかめっ面のドイツ人の顔も綻びラテンと言われてもおかしくないような陽気さを見せているから、フランスやイタリアのラテン気質がそこでぶつかり合ってもそんなに違和感もないんじゃなかろーか。味わいたいけどもはや無理なんでテレビにかじりついて香りだけでもモニター越しに嗅ごう。

 そうか10年か。「何でゲームがないんだよう!」って暑苦しい顔の男が土手で叫んでからすでに。アニキャラショップとして池袋の地に店を構えた「ゲーマーズ」がこの7月6日で10年を迎えたそーで秋葉原に残ったショップの前でくす玉割が行われて見物に行ったら久々に「でじこ」の着ぐるみ……じゃない中の人などいない本物の「デ・ジ・キャラット」が現れ愛想を振りまいていた。今再びセル画となってテレビ画面の中を悪辣にうかつな言動を見せてくれる日の訪れることを期待しているんだけどまた聞こえず。とはいえイベントで木谷高明会長が「キーホルダーでもTシャツでも買って頂ければいつかまた、アニメになることもありますので宜しく」とお願いしたら拍手も出ていたから、ファンの期待もまだまだあるってことなのかも。頑張ろう僕も。まずは秋葉原の中央通りに面してでかでかと掲げられた看板がデザインされたTシャツとかかな。

 「ゲーマーズ」では発売になってた涼宮ハルヒ関連のCDをまとめ買い。ハルヒと長門有希と朝比奈みくるのそれぞれのキャラクターソングにあとは何だったっけ、ラジオ番組かドラマか何かのCDか、ともかくまとめて6000円ちょいを買い込みスタンプを押してもらってポストカードをカード入れをもらってポスターも戴き満足に浸る厄年。これで人生良いんでしょうか。ちょっとだけ鬱になる。けどすぐに気を取り直す。でなきゃオタクなんってやってられっかいい歳して。それにしてもこれだけ出しても見る間に売れていくのが凄いとゆーかハルヒのパワーっていうか。「東京国際ブックフェア2006」の会場でも角川書店のブースにずらりと並んでいたほどで、ここに来て爆発の兆しが見えて来た。

 アニメの放映自体はすでに終了しているにも関わらず、DVDは売れに売れまくってて生産が追いつかない状態。1巻の限定版に至っては秋葉原で1番仕入れた「ゲーマーズ」でさえ数日のうちに品切れとなり、近所の中古ショップに定価を大きく上回る1万2800円とかで並んでいたりするから笑えるとゆーか。こんな現象、ちょっと久々。ってゆーか21世紀始まって以来か。良いものを作ればビジネスも成り立つ。元より力のあったコンテンツだけど、そこに依存せず力いっぱいに作り上げたことがこのムーブメントになっているんだろー。最終巻まで突っ走れるか。突っ走るだろーなー、確実に。でもって他のタイトルにしわ寄せが。

 ちなみに「東京国際ブックフェア2006」は毎度お馴染み40人によるテープカットに今年は秋篠宮殿下が始めて加わりハサミでテープをじょっきん。その後は場内のあちらこちらをぐるぐる回っておられたみたいで大名行列のよーな人だかりが移動にともないあちらこちらに出来ていた。やっぱり根が研究者だけあって人文科学系に興味があったのか、岩波書店とかみすず書房とかのコーナーを見て回られていたけれど、もしもこれが御妹君ならばやっぱり「角川書店」のブースへと赴きズラリとならぶライトノベルのコーナーを立ち止まっては手に取りながめ、集英社のコーナーへと立ち寄られてはやっぱり並ぶコバルト文庫を右から左へと眺め微笑まれたので御座いましょうか。やっぱりだから黒田さんを早く東京都は「東京国際アニメフェア」の事務総長か何かにして、ご夫妻で場内を堪能できるようにするべきだと。想うのだが。

 徳間書店は出ておらず講談社も見かけず、大手のブースも巨大さはなく新刊書籍を並べる程度で日本最大のブックフェアとゆーにはちょっぴり寂しい感じ。それでも主要な人文系の出版社は出ていて国書刊行会も河出書房新社も未来社もみすず書房も岩波書店も新刊に倉庫から引っ張り出してきた旧作を積み上げ、だいたい2割引で販売していて欲しくなったけどカバンが重くなるからそこでは断念。国書刊行会なんか「未来の文学」の結構初期のものから引っ張り出して来ては並べていて、昔だったら空いてるナンバーを埋めに走ったかもしれないけれどすでにコンプリートを断念して幾星霜。よほど欲しい作家のものじゃなければ買わないよーになっているからすらりと見過ごす。

 スタニスワフ・レムのは既に持っているからパス。オラフ・スティープルトンは持ってないけど今買っても重いからやっぱりパスと眺めていくなかで目に入った1冊。おおっ、ティム・オブライエン「カチアートを追跡して」じゃないか、既に絶版となっているはずの、でも2巻だけ。まあラスト付近の演説の場面が読めればあれはあれで感動できるから良いんだけど。つーか家にあるから良いんだけど。読んでない人で文庫もすでに手に入らなくなっている人で下巻だけでも良いって人は行って拾ってみては、如何。


【7月5日】 そーかあれがゾーンか。「ファンタジックチルドレン」で”ベフォールの子供たち”が研究していた人間が死ぬと行く世界……じゃないあれがデル・ピエーロ・ゾーンって奴なのか。そこに来れば決めてみせる。というより決めて当然なゾーンを持つフォワードの凄みって奴をしっかりと見させて戴きましたよ朝からこの目でもうばっちり。

 一寝入りしてから早朝に起きて総合テレビで見ていたワールドカップ独大会の準決勝のうちの「ドイツ対イタリア戦」は、ガットゥーゾ先生の中盤から前線からディフェンスラインから出没しまくりな噛み付きディフェンスによって寸断されたドイツの布陣を縫って後方からピルロが上がりトッティが散らしカモラネージが切り込むイタリアのアグレッシブなプレーにも揺るがずドイツが守りきり、かといってドイツもイタリアの強固な守備に阻まれ得点を奪えないまま前半後半が終了して延長戦へと突入する。

 その直前から北朝鮮より飛来したミサイルが日本海に落ちる音が聞こえて(聞こえません)テレビにテロップが流れ、これはもしや試合の途中に速報へと切り替えられるんじゃないかとビクビクしてたけど、流石にそれをやったら地上波で放映するって契約にそむくことになると考えたのか切り替えず、ハーフタイムのニュースとあとは途中で画面の端を切ってそこにテロップを流す選挙速報仕様で前後半を乗り切って、放映の始まった教育テレビへと切り替えそこで延長戦の放映をスタートさせる。

 ここで最初っから延長を見込んで1時間、余計に録画を予約した上で眠っていたらいよいよ最後の死闘が始まるってところで画面にミサイルが飛び交い金正日が現れ安倍官房長官が会見している映像が、録画されてて噂に聞く素晴らしいシュートを見損なったと一生の悔いに心苛まれたことだろーけど、そこは起きてリアルタイムに見ていた強さって奴。途端に教育テレビでの録画をスタートさせて無事、後半の素晴らしい攻めと守りの応酬を録画する。これも日頃の行いの賜か。単にサボって昼間に眠っただけのことか。

 もちろんリアルタイムでも見ていたけれど、幾度となく攻め左側から放ったドイツのシュートをブッフォンが弾き他の攻撃もことごとくを跳ね返す大活躍。流石は世界最強リーグの優勝チームでゴールマウスを守り続けるプレーヤー。イングランドの2部の控えとは違いすぎ。世界との開きはフォワードに限らずむしろゴールキーパーに大きいかも。それはデンマークの控えが特別なだけ? 神掛かりさえすればスペイン2部くらいの実力は出せるんだけどなあ。でもやっぱりブッフォンは違う。レーマンも違う。世界って、凄い。何をいまさら。

 そしてやって来た後半も14分。コーナーキックがこぼれて来たところにつめたピルロがノールックで回したパスをグロッソがノートラップで蹴り込んだら、これがゴールキーパーを見事に外してゴールネットにドン! 左サイドが本職のグロッソがあの時間帯にゴール前右にいてピルロからのパスを予見し来たらそのままそこしかないってコースに蹴り込んで見せる素晴らしさ。グレート。そしてビューティフル。鮮やかに決まった1点の、その背後にある様々な積み重ねって奴を思い、夜明けに微睡みかけてた目も一気に目ざめる。

 特別なテクニックなんて何もない。次のプレーを予想し、ボールが来そうな場所へと走り、実際にボールが来たら蹴って、またそれから次の場所へと走って行く。サッカー選手として当たり前のことを、当たり前にやった結果に過ぎないんだけど、これが日本では「急にボールが来たから」、だもんなあ。改めてイタリアって国のトッププレーヤーたちのサッカー力(さっかー・ぢから)って奴を思い知らされる。ガットゥーゾだって猛犬なだけに見えて、何げにボールをしっかりトラップしてはワンタッチで空いてるスペースにいる選手に渡してるし。テクニックも戦術も、基本がしっかりあって全員がそれを認識しているからこそ、ピッチの上で調和のとれた姿で誰もが動き回れるなんだろーな。

 そして訪れたゾーンの瞬間。ポーンと贈られたボールを前線へと運びキープするジラルディーノの遙か後方より走り込む選手あり。誰? アレッサンドロ・デル・ピエーロ。イタリアの星。最近はちょっとばかり落下星。だけど大ベテランには違いないデル・ピエーロがトップのジラルディーノにボールが収まるか収まらないかを無関係に、横長のテレビ画面に映らない場所から画面を横切りジラルディーノ選手を追い越しゴールへと向かっていく、その運動量の豊富さは交代要員として後から放り込まれて体力がまだあったってこともあるけれど、それ以上に走り込まなくてはいけない瞬間を察知し、最前線を目指して真っ直ぐ走る感性が備わっていたってことになる。

 何より左斜めからならどんなボールも決めて見せる「デル・ピエーロ・ゾーン」って奴が、何故にそー呼ばれるよーになったのかを一目にして瞭然とさせるシュート。するりと出されたパスをこれまたノートラップでキーパーの及ばない場所へと蹴り入れて見せたその様に、散々っぱら枠外へと飛んでいったりする某国代表のシュートとは言えないシュートを見せられ淀んでいた気持も一転して爽快さに澄み渡る。

 途中出場だろーと得点する。得意なシチュエーションが訪れたのなら必ずや得点する。それを10余年も守り続け積み重ね続けて来たからこそ、信頼され監督に使ってもらえるし、見方からもボールがちゃんとそこに出てくるんだろー。決める型がない。とゆーより決める意識すらないフォワードなんて、下位に低迷するセリエAのチームでだって使われない筈だよなあ。そんあ選手が戻って来たらエースじゃ勝てる訳ないよなあ。ワールドカップのグループリーグは日本にはまだ早かったってことで。そして決勝戦の舞台はイタリアにこそ相応しかったってことで。さて決勝。メーンのメンバーが誰も出場停止にならないで臨める試合はきっと、凄まじくも素晴らしいものになるだろー。華麗なポルトガルか。したたかなフランスか。相手はどっちだ? どっちにしたって面白そー。生きてて良かったこの時代に。

 途中までペラペラと読んだ佐藤賢一さんの「女信長」(毎日新聞社)が妙に面白い。ってもまだ本当に最初の方だけで桶狭間での決戦も控えた初っぱなだけど、織田信長が実は女性だったって設定をまず置いて、そこからあの時代においてあり得ないほどの果断さ苛烈さを発揮した信長の行動を、単に男性はそんな性質で女性はこんな性質だったって男女差に留めず、あの時代にはあり得なかった女子が身を偽って統治しなくてはならなくなったって境遇が、必然として施策の果断さ振る舞いの苛烈さを招いたんだってゆー解釈も含めて描いてあって勉強になる。

 男子による承継が当たり前の時代で男児は親父を超えようとして背伸びし自滅するなり親と諍い内紛を起こす。その連鎖でもって世界は常に争いが絶えず人々の望む平穏など決して訪れない。がしかし、男子のように親を乗り越える必要などない女子ならば、背伸びして自滅をすることもなく何ができるかを考えその範囲で行動する。力比べに載らず平穏を目指してひたすら走る。なればこそ天下布武を目指しその暁に訪れる長の平穏を願って世界を相手に信長は戦った。うーん興味深い。

 男はこうで女はこうって決めつけに眉を潜める勢力なんかもありそーだけど、舞台となってる戦国の世は実際に男はあーで女はそーだって認識があった。決めつけではなく歴史的な情勢を土台にならば信長が女性だったらどーなったのか、女性だったからこーなったのかを考察したものとして読めばなるほどそうかもしれないと納得できる。まあそれもなある程度の先入観があってのことなのかもしれないんで、是非に女性にも読んで戴いてヒロインとしての信長の言動思考にどこまで納得できるのかを、考えてもられれば面白い。さらに凄い設定もあってこれまたあるいはって納得の奇想。確定しているけれどもいじれば歴史っていじりがいがあるものだなあ。


【7月4日】 ヒデが引退した。中田英寿選手が引退してしまった。悲しいか、と聞かれれば実はそれほど悲しくもなく残念かどうかも微妙なところ。ベルマーレ平塚にいた頃に応援していた訳ではないし、アトランタの五輪代表の時も1番の贔屓ではなかった。むしろ出身地の名古屋グランパスエイト所属ってことで、小倉隆文選手の怪我による出場断念が悲しくて残念で仕方がなかった。その後遺症が今なお決定力不足を叫ばれる日本代表の体たらくにつながっているんだと思うと悔しさも3倍増。あの瞬間へと戻って小倉選手にさっさと練習を上がれと言ってやりたくなる。

 対してヒデ。日本代表の中心メンバーではあったし98年のフランス大会に出られたのも中田選手の活躍があったればこそ。歓待したいしイタリアへと出て日本人としては究極とも言える活躍を見せてくれて心躍らされたこともあった。けどでも遠すぎるんだよなあ、ベルマーレも日本代表もイタリアのリーグも。もちろんプレミアも。そこでいくら活躍しよーと僕が出身地ということで注目していた名古屋とも、現在住んでいるってことで応援しているジェフユナイテッド市原・千葉ともつながらない。日本代表はそりゃあ応援したいけど、それは日本代表だからであって別に中田選手のことじゃない。敬意は払う。素晴らしいと讃えもする。その程度。引退? そうかいなくなるのか。お疲れさま。それくらい。ありがとう。そんな所か。

 もしも引退しないで次の日本代表に入ったとしたら、ひとつの重要なピースになることは確実ではった。その意味では残念って気持ちはある。まず実力。そして経験。それらが大幅に若返るだろー代表選手たちの間で大きな力となってチームを引っ張る。間近に高みを見せられた若い選手が近づこうと奮起しポテンシャルを高めていけば、チーム全体の底上げにもつながる。同世代が多く仲間意識と言うよりライバル意識、ですらなく半ば敬遠の意識を抱かれていたジーコの率いた代表よりも、深い働きが代表選手としての中田に期待できる。もしも次の代表監督がイビチャ・オシムでなければ、中田こそがチームをまとめ引っ張る存在となっただろー。

 けれども幸いなことに、次の日本代表監督はオシムとほぼ決まった。オシムならピッチに絶対のリーダーは要しない。自らが深い経験と広い知識で若い選手も中堅の選手もベテランも束ね指揮して導いていける。果てしない影響力で染め上げては、アウェーでも動じない強靱な精神力と炎天下でも消えないスタミナを代表に与えてくれる。そんなチームに果たしてヒデが必要か。悩ましいけれども仮に存在しなかったとしても、チームはちゃんと動いていくだろー。30歳を超えて衰えていく体にむち打って、中田が無理に参画する必要はない。やりたいことがあるならそれをやり遂げれば言い。代表にはやりたい選手を招く。それをオシムがやらせたいことが出来るようになるまで鍛え上げる。十分だ。

 だからヒデには安心して引退して戴こう。思う存分にやりたいことを追求してもらおう。欧州で通用するサッカー選手として日本人に見せてくれた夢を、今度は世界のビジネスで活躍する元サッカー選手の立場で見せてくれれば僕らとしては満足だ。オシム自身だっていつまでも永遠に監督をする訳じゃない。愛着があるはずのジェフ千葉でだって3年は長いと感じ代表監督への就任以来を切り替えのチャンスと感じて応じたよーな気がしてならない。ここでジェフ千葉に居残ったとしてもせいぜいが半年の差でしかない。ジェフ千葉がこれからも強豪として戦っていくためには、オシム後を固めることはいつか訪れる事態だった。

 それが半年早く訪れた。この日を予見したオシムが半年先を見越して契約を伸ばしていたのだとしたら、オシム後は逆に半年遅くやって来ただけのことなのかもしれない。日本代表も同じこと。4年後のヒデがいる代表を今から期待するより、ヒデのいない代表を今から作り上げていった方が良い。だから悲しまない。悔しがりもしない。それぞれが、それぞれに歩いた道が時には重なりながらも離れそしてどこかへと伸びていく。代表には代表の道があり、ヒデにはヒデの道がある。いずれまた重なることががあったら、その時は共にお帰りといい、ただいまといって歓迎し歓喜に叫ぼう。日本代表が世界に並ぶ力を身に着けた時に違いないから。

 そして日本代表の戦いは始まる。ってゆーかすぐに始まる。女子だけど。来年に北京で開催される「FIFA女子ワールドカップ北京大会」の出場をかけた「AFC女子アジアカップオーストラリア大会」に出場するメンバーが決定。ここで大会2位までに入ればW杯への出場が決まるし、中国が2位までに入れば3位でも出場権をゲットできる。中国に日本に台湾にベトナムの入ったグループAではまず確実に2位以内には入って決勝トーナメントへと駒を進めそう。そこでおそらくはグループBから出てくる韓国が北朝鮮にひとつ勝てば、その瞬間にW杯への出場が決まるし負けても3位決定戦を勝てば北中米・カリブとのプレーオフに進める。

 そーいや前回も3位になってメキシコとのプレーオフに周り、アステカスタジアム10万人のアウェーだなんて日本代表のドイツワールドカップでの戦いが遊園地に思えるくらいの厳しい環境で戦い引き分けて勝ち点をゲットしたっけ。それくらいの性根が据わったチームだけにメンバーの多くを残した今回もきっと、オーストラリアの地で躍動しては来年につながる成果を上げてくれるだろーし、その次に控える北京五輪の出場権も軽々と獲得してくれると信じたい。またメキシコとのプレーオフになったら是非にアウェーのアステカに行って応援したいなあ。怖いけど。

 メンバーでは酒井與惠選手が誰を置いても注目だけど、他は若さで宇津木瑠美選手かなあ、まだ高校生で15歳。お姉さんは女子フットサルの「チームドリーム」に所属している宇津木めぐみ選手なだけに、メディアによるスターシステムが入って大変にならないことかとやや心配。でも実力はタレントの揃った日テレ・ベレーザでも極上。澤穂希選手を超えて次のスターになっていくかもしれないなあ。ビジュアルクイーンだった丸山桂里奈選手は漏れたか。怪我だったっけ。残念。本大会での復活を期待だ。どこでも良いからテレビ中継してくれないかなあ。

 だめあねならぬ賢姉と愚妹ならぬ強妹が手を取り合って戦う。ありそうな構図だけれどもそんな姉と妹とに血のつながりはなく、けれどもというよりだからこそよりお互いを必要とし合って肩寄せ合い手を取り合って生きていこうと頑張る姿にこそ”人間”の本当の絆ってものがあるんだろー。ってなことを考えさせられる水口敬文さんの「ウィッチマズルカ」(角川スニーカー文庫)は偽魔法ってゆー、まあ魔法なんだけどそれを使える勢力があってそんな魔女たちを束ねる組織があって、けれども時にそんな組織から外れて生きている魔女もいたりする。

 それが綾白未玖。たぶんとてつもない力を秘めながらも力を爆発させることを姉の夏咲きから止められていたのは、力に目を付け仕切る勢力がちょっかいを出してこないか心配したからだったりして、言いつけを聞いて人前では滅多に力を見せることはなく、また夏咲による目くらましの成果もあって目を付けられることのなかった未玖だったけど、そんな姉と妹の暮らしに横やりが入る。1つは仕切る勢力のちょかいで、もうひとつはさらに別の下っ端な魔女による下克上。襲われ追われる未玖と夏咲に果たして安寧は訪れるのか? 

 って辺りがメーンストーリーなんだけど、「バイトでウィザード」や「円環少女」ががどんどんと苛烈になっていくのと比べると、今んとこ「ウィッチマズルカ」は割にほのぼの系。仕切る一族の少女が見かけによらずゴシック&ロリータ好きで同級生に隠れては手作りのフリヒラな衣装を着て街を歩く姿に癒されます。話がこのあともほのぼのでいくかは分からないし、謎めいた未玖の力が爆発する所にきっと大きな謎とそして展開への鍵も埋まってそーで、その辺りをどう展開させていくのかに注目しつつ今後を静かに見守ろう。「バイトでウィザード」みたいな急成長はあるのかな。

 これではヒデも浮かばれないなあ。東京スポーツの2006年7月4日売りに掲載のコラムのタイトルがまず「ポスト中田は小野」でやや苦笑。でもって本文「現代表メンバーからは『ヒデさんの代わりは小野しかいない。アイツの言うことなら素直に聞ける』という声が出ている」ってところで笑いが爆発する。つまりはヒデの言うことは素直に聞けなかったってことか。それはどうしてだ。理不尽か? 違うよなあ。だったら? 単なる感情。それで正論から背を向ける。そんな面々が大勢いた結果が先の惨敗だったことを改めてメッセージにしたため訴えたヒデの諫言が、他の代表メンバーにはまるで通じてなかったってことになる。悲しいよなあ。余りにも。

 「今大会の出番は少なかったが、W杯出場3回で海外経験も豊富だ。『ヒデさんほど、言い方はきつくない。それにオランダでずっとレギュラーだったし、UEFA杯も取った。伸二はチームを明るくできる』。日本代表は8月の再スタートを機に、ヒデからシンジのチームになる」。ふーん。でもそれって何年前の小野選手? UEFAは確かにとったけど、最近はとんと縁がない。何より最近はレギュラーですらなく、だからこそオランダを出て日本のJリーグへと復帰せざるを得なかった。

 そんな”敗残兵”に等しい状態にある小野選手を持ち上げスクデッドを取り、プレミアリーグで最後まで戦ったヒデをこき下ろせる選手に日本代表を名乗って欲しくない。もしもこれからも代表に居続けたとしたら更に悲惨なことになる。合宿の時から態度や言葉で示し、引退とゆー行動で示しメッセージに認めて示した”自覚”の必要性を、まるで我が身のことと覚えない選手たちでは100年経ってもグループリーグの突破はおぼつかない。そもそもワールドカップに出られない。東スポだからどこまで本当かは分からないけど、本当だとしたらもはや2010年に気を向けることすらわびしくなる。もっともそこはオシム監督。過去のUEFAに大昔のレギュラーなんて気にも留めず、今のパフォーマンスでもって切るなり焼くなりするだろー。とりあえずコラムのタイトルのまんまに進むのかに、注目。でも進みそうなのがどこからかのプレッシャーを避けられな代表だったりするからなー。嫌だなー。


【7月3日】 みんなが面白いと讃えるピクサーアニメの最新作「カーズ」の中身を、それほど面白いんだったらきっとこんな話に違いないって勝手に妄想してみる。舞台はおそらく2040年頃。軌道上に浮かぶ宇宙ステーションも出来てそこから地上へと降りたり月へと向かう宇宙交通も発達した時代。衛星軌道上に散財するデブリ(宇宙ゴミ)を取り除いていた業者が、それまでの軌道をちょっと外れたところに迷い込んだ際、宇宙空間を漂う奇妙な石を発見する。

 遠目には鉱物でしかない石だが近寄るとまるで人間が固まったような形をしている。漂い方にもどこか自律的なところが見られたためこれは奇妙だ珍しいと、拾い上げて船に乗せてそのまま基地としていたステーションへと持ち帰り、もっとよく確かめようと乗組員や会社の従業員が近づいた時。手に怪我をしていた従業員から小さい血の雫が石へと滴り石を汚してしまった。

 途端。鉱物のようだった石がみるみるうちに柔らかくなり、人間の腕や顔のように見えた部分がそのまま人間の生気を取り戻しては脈動を打ち始める。これはいったいどういうことだと近寄った従業員に、それまで折り曲げられていた腕しゅっと伸びて手のひらが顔を包み込んだ。腕に力が込められた瞬間、腕に捕らえられた男の全身がひからび塵となって消え、石から蘇った男の方は逆に全身からオーラを発しながら畳まれていた体を伸ばし立ち上がっては閉じられていた目を開け見回し冷たい声でおそるおそる見守っていた人々にむかい呟いた。「ワムウはどこだ」。

 彼こそがカーズ。古代の地球に完璧な存在として生まれ人類を支配して来ながらも、より高みを目指して石仮面の力を脳に受け、究極生物へと更なる進化を遂げようとしたが果たせず、ジョゼフ・ジョースターの奸計に敗れ去って宇宙空間へと放逐されてからおよそ100年。自ら軌道を帰る術をもたず地上へと戻れず、鉱物と化して眠り続けたカーズが人間達の発達させた科学の力によって人間世界へと連れ戻されては、己が野望を目ざめさせた。

 まずは仇敵ジョースター家の末裔を皆殺しにすべく、シャトルを奪うどころかステーションを破壊し飛び降りては身ひとつで大気圏を突破し地上へと舞い戻ったカーズに果たして、異能の力を受け継ぎ燃える魂を受け継ぎながら全世界へと散らばったジョナサン・ジョースターの子供たちは、ジョゼフ・ジョースターの子孫たちは立ち向かえるのか。絶対的な力に叡智と奸智とパワーと勇気で挑むジョースター一族に勝利の輝く日は来るのか。近日公開乞うご期待。って内容なんだと確信しているんだけれど、オッケー?

 なるほど頑として「週刊サッカーマガジン」はジーコ前監督個人の責任論を現時点では回避する気が。早売りで手に入れた「週刊サッカーマガジン」の2006年7月18日号では平澤大輔編集長自らが筆をとって「いま、だから日本代表を考える。」ってタイトルで緊急リポートを寄せているんだけどそこで語られる前半のほとんどが、オシム監督の就任をめぐって川淵三郎キャプテンが口をすべらせてしまったミスへの道義的責任を問うもので、大敗したジーコ監督を選んだ責任を川淵キャプテンに問うよーな部分は見られない。現実問題としてオシム監督は受諾の気持ちを見せているため「オシム監督がオファーを拒んでいたとしたら」といった問いかけもすでに無効となっている。

 続いて持ち出されているのは「チェック機能を求む」といった小見出しでもって代表監督の残したものを精査し評価する機関の必要性。「もう一つ、ジーコ監督体制下の日本代表に関するレポートの公開が必要だろう。これまでは、代表監督に対する日本協会自体の評価がつまびらかでないことが、少なからずファンの不信感を生んできた」と書いている。それはなるほど確かなことだけど、だったらまずはジャーナリズムとして自らのジーコ監督に対する評価を明確に記そーとしないのか良かったのか。悪かったのか。その検証を日本サッカー協会に求めるんだったらまずは自らも4年間を検証し、その評価をつまびらかにしてくれないと、一緒になって応援して来ながら本番で手痛いダメージを受けた読者に対して申し開きが出来ないのでは。

 「物言う機関」であるべきジャーナリズムが自らの役割を半ば放り出して「物言う機関を立ち上げよ」と書くこの不思議さ。それとも自ら物言うことが出来ない立場にあるのだろーか。書いてあることはすべてにおいて納得のことばかりで、それは「川淵会長が日本サッカー界に残してきた多大な貢献は、誰もが認めることだろう。今後はその手腕が、日本協会のさらなる構造改革に振るわれることを期待する」って部分においても同感だけど、でもジャーナリズムが掲げる檄文として、1番重要な所をすっぽり置いて来てしまっている感が否めない。

 読んでどうにも虚ろな文。ジャーナリズムとしての魂が見えない文。こうした文を掲げてしまうところにこの雑誌が置かれている立場ってものが透けて見える。続くページの日本敗戦に関するリポートでも、「ジーコの誤算」と小見出しに打ってジーコ監督が認識し信頼していたよーには選手が動けず実力がなかったってロジックを組み立てているし、風間八宏さんのリポートでも「自由という言葉を提言してくれた」ことを最大の功績と挙げるだけどその「自由」の中身が単なる「放任」で何の結果ももたらさなかった事実から目を背けてる。万事がこんな感じなところに「週刊サッカーマガジン」への信頼感って奴が今、どーなっていてこれからどーなっていくかを想像出来そー。しかしやっぱり不思議な立ち位置。


【7月2日】 希望格差社会におけるその顕著な例として、早くから格差社会の到来を予告し警鐘を鳴らしてきたジャーナリストの斎藤貴男さんが、そのキャリアの滑り出しにおいて嘗めさせられた辛酸から指摘する、3大紙を筆頭とした大手メディアと業界紙等を中心とする弱小メディアとの間に厳然として横たわる、情報源から読者層からすべてをひっくるめた世間とゆーもが示す関心の度合いの億兆倍に匹敵する格差とゆー奴を、何も目の前で痛感させられるのも業腹なんで当然のよーに土曜の夜の歌舞伎町へとは出向かず家で眠り起きてそれから見たワールドカップ準々決勝「イングランド×ポルトガル戦」 は、開幕前から妄想混じりで吹聴していたポルトガルの優勝って奇蹟にも等しい事態に、大きく近づく結果となってジグジグと煮えていた腹の底がすっと鎮まり気も休まる。

 そりゃ試合中はトップのパウレタにボールが収まらずポストプレーをしよーにも周囲に選手がいなくて波状攻撃が仕掛けられず、かといってフィーゴ先生に”私の大好きな”クリスティアーノ・ロナウド選手の両翼から放り込まれるクロスも合わず得点の香りすら漂わない。かといってイングランドも強力無比な中距離砲のジェラード&ランパードってまるでどっかのクッキーのブランド名みたいなコンビがこの大会の開幕からずっとだけど沈黙状態。ブラジルのジュニーニョ・ペルナンブカーノ選手みたいな凄まじくも素晴らしいミドルの1発も出ずかといってトップにはいったルーニー選手が1人で突破できるほどポルトガルのディフェンスも甘くなく、これまら得点の気配が見えてこない。

 そーこーしているうちにベッカム選手が足の故障でピッチを退きこのまま敗退すればおそらくは最後のワールドカップの舞台から消え、一方でフィーゴ先生も歳が歳だけに延長には耐えられずこれまた交替。ここでポルトガルが敗退すればやっぱり最後の雄姿って奴を全世界の視聴者の目に焼き付けそれだけでもお腹いっぱいになったけど、でもそこは白黒の決着が付く決勝トーナメント。延長でも決着が付かずPK戦へともつれ込んだところでこれまたジェラード&ランパードってまるでどっかの漫才師みたいな2人が外して万事休す。ラストを”私の大好きな”クリスティアーノ・ロナウド選手が決めてポルトガルが勝ち抜けて、フィーゴ先生のワールドカップ紀行はまだしばらく続くことが決定した。

 次はどこだっけ、フランスかあ、まあ買っても負けても3位決定戦があるんでフィーゴ先生のポルトガル代表姿はあと2試合、見られる訳だしジダン選手も引退までの試合数が決勝に出ようと出まいと2試合に広がった。あとは決勝のベルリンのチケットを買っていた人がジダンのラストプレーを目にする権利を得られるか、それともフィーゴ先生の妖しいドリブルを目の当たりに出来るかって所が分かれ目か。相手になるのはドイツだろーとどこだろーと激しくピッチを駆け回り噛み付きまくるガットゥーゾ兄貴の姿になるのかそれともベンチでガットゥーゾ兄貴以上の闘気を放って敵だけでなく味方までも萎縮されるカーン様の最後のワールドカップ姿いnなるのか。どこがどう出ても嬉しい組合せには変わりない。その意味でもこれは歴史に残るワールドカップになったなあ。ちなみに日本代表の歴史からは既にして消えてます。消されてます。

 ちょっとだけ眠り起きて幕張へと免許の書き換えに行って無事故無違反のゴールド免許をもらい帰宅。したけど家にいると眠ってしまうんで周りにある本を詰め込んで電車に飛び乗り秋葉原へと向かう途中でまとめ読む。まずは木村航さん「串刺しヘルパー さされさん 呪われチルドレン」(HJ文庫、598円)は世界屈指なヒロインが登場したと思ったらこれまた世界有数の”美少女”キャラクターも登場しては読む人を唖然呆然の世界へと叩き込む。まずヒロイン。職業はヘルパーつまりはお手伝い。家々を回っては家事に掃除に洗濯に子供の世話なんかをしているんだけどその容貌に問題があった。顔? まあ可愛い。体型? ごく普通。こんもりと盛り上がる胸がちゃんとついている。おまけにその胸の谷間から、背中へと突き抜けて巨大な剣まで刺さってる。

 何だって? それでどーして生きているの? 答えは呪われているから。何でもこの世界では呪いって奴が横行していて誰かが誰かを呪った結果が人に現れいろいろと問題を起こしているらしー。佐々岡支恵もそんな1人で何時頃誰によって呪われたのかは本人も覚えてないけど背中へと貫き剣を刺されてしまった。もっともそれが直接命を奪うことはないよーで、とりあえず長靴に放り込まれたネコの縫いぐるみみたいな監察官にサポートされながらお手伝いの仕事を続けてた。そんな支恵の新しい職場となったのが童子森家。父親は有名な作家だけどその子供の3人が3人とも呪われていて、かくして呪われ者たちによるくんずほぐれつなドタバタ人情劇が幕を開ける。

 童子森家が呪われているのは理由があってそれ故に周辺からあまり好意的には受け止めれられていない。とりわけ1番小さなアンニョロ君は幼いこともあって呪われたことによって身に付いた力を暴走させることもある。そんなアンニョロを支恵のより不幸な、けれどもそれを不幸と思わず前向きで明るく生きよーとするエネルギーでもって癒し導くってのがメーンストーリー。読めばきっと元気が出るけどそれより驚きは童子森家の子供3人の1人の容貌。名をキヨラと良い名前の通りに清らかな美少女のはずなんだけど、受けた呪いの結果とんでもない姿になってしまっている。その姿を見て果たして人間にとって大切なのは外見ではなく心だと、言い切れるのかどーなのか。言えたら貴方は余程の広い度量の持ち主かそれとも別の趣味の持ち主に違いない。果たして。

 そして在原竹広さん「ブライトレッド・レベル」(HJ文庫、598円)。こっちも凄まじいヒロインの登場に度肝を抜かれること請け負い。スレンダーでボーイッシュな雰囲気の女の子がいて能力を持ちながらもその能力によって課された責務に嫌気が差して施設を逃げ出したものの追われピンチに瀕している。追っ手として登場したのがいかにもお嬢様然とした美少女で、やっぱり能力の使い手で施設を逃げ出した少女に迫るものの訳あって対立し合うよりも共闘する道を選ぶことになる。

 かくして生まれたボーイッシュ少女とお嬢様系美少女のペアによる苛烈な戦いの物語は、ビジュアル的には「プリキュア」かもしれないけどいざ戦いの場となり2人が繰り出す技が「プリキュア」とは大違い。華麗な技も格好良い武器も使わずかたや毒、こなた虫をそれもとってもネガティブにビジュアル的な使い方をしてみせては向かってくる敵を撃退する。仮にこれを本家「プリキュア」がテレビのアニメで披露したとしたらいったいどれだけの子供が心に深い傷を負うことだろー。逆に言うならこの「ブライトレッド・レベル」をそのままアニメ化したらどんなに楽しい作品に仕上がることだろー。楽しみだけどさすがに挑戦する会社はないだろーなー。続編でどんなに美しくもグロテスクな戦いぶりを見せてくれるかに注目。


【7月1日】 なんでワールドカップの「アルゼンチン対ドイツ戦」に偽トキことアミバが出ているんだろーと思い、目を凝らしてみたけどやっぱりアミバにしか見えなかったけど背中の名前を確認したら「AMIBA」ではなく「SOLIN」となっていた。アルゼンチンでは「SOLIN」と書いて「アミバ」と読ませるのか。スペイン語って奥が深い。ちなみに本物のトキも出ていたけれど背中に書いてある文字は「CRESPO」で「TOKI」ではない上に字数すら合ってない。なおのことスペイン語って奥深い。

 ともあれ試合中に両選手からジグジグとドイツ選手に対して打ち込まれた北斗有情拳も効かずPK戦で感覚を間違えゴール外へとボールをけり出すこともなく、ドイツがPK戦を制して準決勝の場へ。相手もイタリアと決まってここに日本も加われば日独伊三国同盟の復活か、ってアジア情勢にも影響を与えたかもしれないけれどかの大戦では最後まで粘った国民性も今は昔。試合中から無情さを覚えた禅的達観で相手にゴールを許した日本は既にグループリーグで敗退しており、かくしてアジア情勢の安定は護持されるに至った次第。

 実はひそかに外務省が手を回して日本に早い敗退を働きかけていたとか、ゾルゲからジーコ監督の無采配ぶりが漏れていたとか。いや別にゾルゲでなくても分かっていたけど、ジーコの無采配は。それはそれとしてここでかつての枢軸2国が当たって沈むのは第3帝国復活を目論む勢力にとって残念な事態。これもまたここで枢軸2国を噛み合わせて勢力を半分に削ぎたい連合国側による陰謀が働いた結果か。そんな連合国でも英国が残れば話は別だけど残らずポルトガルにブラジルじゃあどっちが来たって60年の因縁なんて生まれやしない。ドイツ対フランスだったらそれでも第一次大戦第二次大戦を含めて重なる長年の因縁が渦巻く試合になるのかな。ブラジルには悪いけどフランスの進出をとりあえず希望。

 まんじりともせず蒸し暑い中を起きて出かけてお買い物。またしても創刊された「ホビージャパン文庫」の中からめぼしいものを見繕って購入したけど「GA文庫」も刊行点数が増えてるし「C☆NOVELS」も出ていたりしてお金が幾らあっても足りません。「ファミ通文庫」もだから全部は変えず「MF文庫J」もシリーズ途中なのは後回しにして完結時にまとめて読む考え。これでさらに新しいレーベルが創刊された日にゃあ破産しますよ金銭的にも時間的にも。つか余程読みたい大人だってこんな状況なのに本当に読ませたい読者はいったいどこまで付いていけるの? ちょっとどころかめちゃくちゃ心配。スニーカー文庫も新刊だよ。どうしよう。

 とか言いつつもお仕事おしごと。金田榮路さんの雰囲気がある表紙をまず見て読んだ葛西伸哉さんお「ブレスレス・ハンター1」(HJ文庫、598円)は……次に読むのは完結時かな。吸血鬼みたいに人を襲い仲間にすることもあるブレスレスって呼ばれる怪物が発生して人間を襲ってるって設定があってまずは学校にそれが現れ女の子たちをどてぽきぐしゃ。さらに足を伸ばして学校で殺られたと見られる女の子の家に現れそこにいた家族を襲い殺めるんだけど女の子の兄だけは現場に現れた「ブレスレスハンター」によって助けられた上に、何故か資質があるってんで「ブレスレスハンター」に加わり戦いに身を投じる。

 どうみたってただの普通の家族なのに襲われた途端に力が発現するってゆーところが実にヒロイック。なおかつ殺られた女の子が付き合っていたらしー少年にも似た力が発現したりすつとゆー、実に美しい偶然が幾重にも重なって転がっていく展開は無力に苛まれて自分なんていらない人間なんだと思いこんで世をすねてる人間に、もしかしたらって希望を与えちゃったりするのかな。しないかな。まあいいや実は殺られたと思われていた女の子がどうせそのうちブレスレスに姿を変えて現れ兄やら恋人たちの前に立ちふさがって葛藤のドラマをそこに繰り広げされるんだろーから、そんな時にこの化け物めと妹のフリをしたブレスレスを叩きつぶす兄の潔さって奴を見て、現実を冷静に受け止める気持ちを学ぶことにしよー。続くのかな。

 秘められていた力が偶然にも発現って点は中央公論新社から出た藤原瑞記さんの「刻印の魔女」(C☆NOVELS、900円)も似てはいるけどこっちはシリーズではなくお話を広げずきっちりとまとめられていて、縛ることの有効さとその裏側にある怖さってものを描いてあるから納得。食い扶持を減らす意味もあって奉公に出された少女が通りがかった魔女に惹かれ彼女の家に住み込んだところ自分には魔導士の力があるんだと知らされ学習を始める。

 何でも魔導士はかつて増長して人間に反抗していた時代があったけれど、そんな魔導士を良くないと考えた強力な魔道士が立ち上がり悪い魔道士たちを殲滅。その上で魔道士の力を封印する決まりを作ってそれから数百年がたったこの時代、魔導士は人間たちに仇なさないよう協会によって刻印を打たれ能力を制限され、所在を管理されながらそれなりに力を良いことに使って生計を立てていた。そこに現れたのが何故か人間たちに仇なす魔導士。いったい誰だと騒ぎ追いつめた協会も返り討ちに合ってしまう。

 これはまずいと白羽の矢が立ったのがジャックという名の魔導士で、師匠からの頼みとあって断れず仕事に向かおうと考えていた矢先に1人の少女と出会う。彼女はかつて奉公していた伯母の家から魔女によって救い出された上に魔導士の力を見出され、修行していたトリシャだった。何でも師匠の魔女サンディア・ウォレスが出奔してしまい、どこに行ったんだと聞いて探し歩いていたんだけどそこでジャックと出会ったのも何かの縁。というより2人の目的には重なる部分が多々あって、2人して消えたサンディア・ウォレスを探しに出かけることにした。

 ここでよくあるファンタジーだと野を越え山越え海越えながらサンディアに迫る何巻かのシリーズに発展していくところを「刻印の魔女」はそーした冒険を通じた成長やら恋愛といった要素を脇にやり、シンプルに魔導士が刻印されて管理されている状況が、管理されていないけれども悪くない魔導士だっているってゆーことから人間の目を覆い、結果として魔道士自信への信頼を損ね、差別を助長することになっているんだって訴える。

 隔離し管理すれば安全だってゆー”神話”にすがるんじゃなく、それぞれが安全であろうと自覚し安心できると認識すべき、でないと永遠に特殊な存在として崇められつつ畏れられるんだってメッセージは、何かにつけてカテゴライズした上に身内かそれ以外かで切り分ける昨今の風潮へのメッセージになっている。処遇に甘い部分もあるけど騒げば起こる風評を思えばそれも妥当か。この後に世界が果たして魔導士を受け入れ共生し始めたのか、それともやっぱり相容れず騒ぎを起こした存在の望む混沌が訪れたのか。シリーズならば読めたけどそーやって突きつけられる”現実”を思うよりもそうあってほしいとゆー”理想”をここは思ってページを閉じることにしよー。

 小説から浮気してGONZOってアニメスタジオを立ち上げた村濱章司さんの「オタクバカ一代」(角川書店)をペラペラ。野上ゆかなさんが演じた紀之真弓って名キャラクターを送り出してくれただけでも評価に値する「青の6号」を当時は画期的な3DCGもガンガンと使って作った当時のアニメ作りにかける熱情を記した部分とかは作品自体が好きだった身として共感。後に同じ路線で「戦闘妖精雪風」も作ってアニメの歴史に確実に名を刻んだけど、そんな過去のステップを羅列しつつも最近の業績ってゆーかある意味で問題作だった「銀色の髪のアギト」に関するコメントが前向きさに溢れまくっているのが気に掛かる。

 「ただ儲からない作品を長年つくり続けてきたくせに、のうのうと既存の利益だけで生きのびている連中を、私はブッ潰してやろうと思う。こちらには世界に通用するGONZOブランドがある」ってのは分かる。「少しづつであるが、私の後継者を育てている。企画のつくり方から経営のノウハウまで、かなり時間はかかるだおるけど、せっかく確立したGONZOブランドである。私の死後の、さらに先の未来へ、受け継いでいってほしいと思う」って意欲もなかなかなもの。でもなあ。

 ブランドは作り続ける作品でしか確立できないし、一時確立したと思ってもそれは永遠のものではない。その辺への熟慮なくしてブランドだ何だと言われても、ちょっぴり不思議な気持ちになってしまう。だいたいが物好きでもなければディズニーとジブリ以外のアニメブランドなんて気にしてませんって。マスを相手に商売したいんだったらとにかく良いものをしっかりと作り続けること。その結果まずは作品の名が残り、そこからブランドの名前がじぐじぐとしみ出しては人の心を掴んでいくことになる。

 GONZO以上に世界で知られる「プロダクションIG」だって、社長の石川光久さんがクリエーターに最良の環境を与える方便として確立・維持しているだけで、石川さんが外れたら後を誰が継ぐってことにならなさそー。また別の誰か優れたプロデューサーが生まれ新しいブランドの元でクリエーターを結集させて作品を生みだしていく。世間も心得たもので、スタジオの名前じゃなくてクリエーターの力量とプロデューサーの手腕に投資することになる。それでもやっぱりブランドにこだわるんだったら、兎にも角にも世界にその実力を、「青の6号」や「LAST EXILE」なんかで見せてくれた実力を安定的に見せてやって戴きたい。まずは「ブレイブストーリー」だ。大丈夫かなあ。トゥーラーって叫びたくならないかなあ。


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