縮刷版2006年4月下旬号


【4月30日】 おおもう3分の1が過ぎてしまった早いなああ年末まであともう少し。それで何が変わるって訳でもないけれど。外的にはともかく。んで「ヤングキングアワーズ」06年6月号は「ジオブリーダーズ」がいよいよ謎へと迫る佳境へ。篠島か佐久島か日間賀島かは知らないけれどどっかの島へと上陸した一行の前に立ちふさがったのは歴代”まや”軍団。総じてちびっ子でファッションもロリっぽいのは黒猫の趣味かそれとも”まや”の特質か。成長し切らなかった子猫の怨念とかが凝り固まっているとかいった。

 そんな中に婆さん登場。誰? 名乗った”監視対象0(ゼロ)”は自身を「神楽の創始者」と紹介。ってことは菊島一族の御先祖様か何か? でも迫るヘリありでいよいよ今度はダイハードな戦闘シーンが久々に見られると。でも車がないから姫萩夕ちゃんの出番はなさそう。あと桜木高見も。もーいったいどれくらい高見ちゃんを見てないんだ。今どこで何してるんだ。颯爽と駆け付けさせてやって欲しいもの。でもやって来る運賃が神楽には……。頑張れ蘭堂栄子と梅崎真紀。やあ柊美晴だ。米軍が絡んでさらに話がデカくなるのかな。でも彼女ただの輸送機乗りだったよーな。それとも。想像するだけで楽しくなるよ。「ヘルシング」も「トライガンマキシマム」も載ってなくたって「ジオブリーダーズ」があれば僕には「アワーズ」は十分です。あと「エクセルサーガ」の美咲の変身シーンとか。

 「ブラックラグーン」はネオナチ相手の潜水艦バトル。そこへと至るUボートでのエピソードを長めにしっかりと描くことで別に1話でだって片づく話を2話だか3話まで伸ばそーとしているんだけど、ナチス政権に引っ張り回された挙げ句に海の藻屑と消えざるをえなかった海軍の面々の、職務にかける熱意とそれから葛藤がじんわりと浮かび上がるよーになっててこれはこれで正解か。乗り込んで来たSSの最初の不気味さと動かなくなってしまったUボート内での焦りとか、ギャップありすぎるのは原作のままとは言えやや違和感。総統の命第三帝国の夢をどこまでも探求するならあの場面は、絵をかかえて怯えてるんじゃなくって何が何でも脱出とか、そんな行動を取って欲しかったなあ。まあ所詮は小物だったってことで。そんな小物が中枢に集まりすぎて第三帝国は滅んでしまったってことで。

ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー  夏だ浴衣だお祭りだ。ってことでゴールデンウィークも始まったばかりなのに、早くも気分は夏って感じに日本橋にある高島屋でゆかたのファッションショーが開かれたってんで取材がてら見物に。あじさいやら藤の花やら竹やらいかにもニッポンって柄の浴衣もそれはそれで目に静かだけど、そんな当たり前の格好じゃあ世間の目はひけないってことなのか、不思議なモチーフの浴衣が続々と登場しては目を驚かせる。何しろ描かれているのが髑髏柄。粉砕された血肉を前にエルカリボルグを手に持ち振り上げ「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー」と呪文を唱えているドクロちゃんの姿が背中いっぱいに描かれた浴衣、ではなく昔の書物から引っ張り出して来たよーな、エッチングっぽい細密な髑髏と骨になった手が、背中とか裾とか袖とかに描かれた浴衣はまじまじと見るとなかなかないおどろおどろしい。

 けど遠目には白地に隅の柄が島状に描かれたシックな浴衣。遠目に大人っぽい美人だと思い近寄って、ナンパしようと声をかけてから改めて見てそれが髑髏だった気付いた時の野郎どもの心境たるやいかばかりか。やべえのに声かけちまったかなあ、とか感じつつここでひいては直れと話を続けるも、今にもカタカタと口をあけてしゃべり出しそうなドクロの柄に精気を吸い取られ逆ナンならまだしもカツアゲされて有り金全部持っていかれた挙げ句に放り出される、なんてことになるのかも。浴衣の柄は近くでしっかり確認しよう。髑髏が例えドクロちゃんでも凶暴なのことには変わりがないんで要注意。

 ちなみに別のデザイナーからは蝙蝠の柄の浴衣も登場。こちらにはゴスロリっぽいコルセットをアレンジした帯、すなわち「オビスチェ」なんてものも合わせられるよーになってて頭をツンツンにして目に黒いシャドーをいっぱり塗って脚に編み上げのブーツを履いて、蝙蝠柄の浴衣にオビスチェって和風ゴスロリな少女たちが夏の繁華街を闊歩する姿って奴を見られるかも。蝙蝠があるなら他にもフランケンとか狼男とかがデザインされた浴衣を作ってくれたら楽しいんだけど。できれば藤子先生じゃない柄で。いや藤子先生でもアレンジの仕方によっては派手でもなく子供っぽくもなく、キュートな柄になりそーだけど。

 例えばショーに出てきたディズニープリンセスのシリーズの浴衣は青い地の中にうっそらとシンデレラ城が描かれていたり波のよーな模様の中に「リトルマーメイド」のアリエルが泳いでいる姿が図案化されて描かれていたりと一工夫。まんま描かれるじゃなくモチーフとして柄の中に落とし込まれているからパッと見は伝統的な浴衣のデザインなんだけど、よくよく見るとディズニーファンなら気付く仕掛けがしてあって、着る人は自分の好みをあからさまじゃない形でアピールできるし見る人はそれが何かに気付いて驚く楽しみがある。これなら家から来て夜の「東京ディズニーリゾート」へと行きそのまま帰ってきても”いかにも”な奴だと思われないで済みそー。

 個人的にはすらりとした美女が堂々と、「美女と野獣」の野獣に染め抜かれた浴衣をまとって銀座原宿六本木を闊歩して戴きたいって気もしないでもない。女子高生に妙な人気のスティッチが描かれた薄紫の浴衣なんてあったら飛びつく若い女の子とか、いそーだけど広く一般人はほのかにオタクな心は持っていても、堂々とそれをアピールして見せることには躊躇がある。そんな迷いとあとは未だ失いたくない”乙女心”って奴にきっと「ディズニープリンセス・ゆかた」は訴えかけるんだろー。男性版で「スーパーロボット・ゆかた」なんてあったら今時の20代とか30代が飛びつくんだと思うけど、如何でしょーか高島屋。

 これも個人的には堂々と、トリコロールの中に「ガンダム」っぽいボディのデザインがプリントされて背中にはバーニアまで描かれたデザインなんかが欲しいところ。マニアってのはキャラクターがしっかり描かれていればオッケーな所が未だにあって、そーした自己主張を尊ぶ節があってそれを称揚したいってゆー作り手側の結託があって、デカデカと美少女キャラクターが胸に描かれたシャツとか、「百式」なんて文字が書かれたシャツなんかが売れている。けどそれを買うのはごくごく一部。もっと広い層にアピールしたいからってことで、「COSPA」なんかでも時々モチーフをそれとは話からない形でスタイリッシュにデザインしたシャツとか作ってみたりするけれど、受けるのはいかにもなモチーフが半端に格好良い奴だったりするから難しい。

 もっともどことのあくパージされていたことへの反発が、ストレートな自己主張へと走った古のオタクたちとは違ってアニメやロボットに生活の一部として触れ血肉に溶け込んでいる人たちにとって、そーしたあからさまな自己主張ってやつはかえって暑苦しく見えるもの。そーした層にはディズニーのシンデレラ城がうっすらと染め抜かれた浴衣のよーに、光子力研究所が裾にうっすらと描かれた浴衣とか、グレーの地にトトロのシルエットがぼんやりと浮かび上がる柄の浴衣なんてものが求められていたりするのかも。大小さまざまなホントで白地に「百式」と書かれた浴衣だったらそれはそれで和風かと思われヒットしちゃうかも。作らないかなあ。どっか。


【4月29日】 二俣新町から歩いて日通の航空貨物引き取り所まで行きミノキシジル5%の毛生え薬を受け取ってから新宿へと向かいサッカーショップの「KAMO」でワールドカップの混雑前に日本代表ユニフォームを1着買い求める。オーセンティックモデルで、マーキングはもちろん10番の中村俊輔選手。別に嫌いじゃないんです。むしろ日本ではトップクラスに才能のある選手なんだって認めてます。前回の日韓大会の時だってちゃんと中村選手のマーキング入りを買ったし。選考に漏れた後で投げ売りされていた奴を。

 使い勝手が悪いってゆーかフリーキックだけってゆーか、ベッカム選手みたいに瞬間でもフリーにさせればすごい球を放つんだけど、それ以外の時はあんまり攻撃に絡まない。意識だけはとても高くって時々バックラインまで戻って守備にも貢献するんだけど、それだと更に攻撃から遠ざかってしまう。周囲がもっと活かすよーな動きをすれば良いんだけど、ボランチは攻撃に出っ放しで左サイドも行ったきり。トップはトップに張り付きっ放しでは1人孤立するしかないんだよなあ。ジェフユナイテッド市原・千葉のオシム監督だったら誰と組合せてどこに置くかなあ。見てみたい聞いてみたい。

 例えば29日に開かれ勝利した大分トリニータ戦後のオシム監督。巻誠一郎選手を途中交替させたことについてこんなコメントを出している。「相手のストッパーもよく巻を抑えていたが、そうではなく今日はトリニータが高松にロングボールを当ててくるだろうと予想していた。それが一番怖いので、逆に巻にはすごくディフェンシブな仕事を与えた。つまり、前から相手のストッパーに詰めていき、ロングボールをブロックするという役割だ。彼はそれを見事に果たしてチームに貢献した。それによって体力を失った」。だから途中で交替させたんだとオシム監督は言う。

 相手の出方を読み戦術を立て使命を与えてこなさせる。そしてその理由をしっかりと語る。そうすることによって選手はどんな時になにを成すべきかを学び成長していく。自主性とやらをいくら育ませようとしたって、一切の説明を排除した放任からは、戦術として有効な気づきなんて生まれやしない。従って成長なんてあり得ない。場当たりに試合をこなして勝利すれば良いってゆー選手ばかりが増えていき、チームとして何も蓄積されていかない。「日本代表でプレーするような選手ですから、攻撃だけではダメなのです。ディフェンスも知っておかないと」。こんなことを言われてはりきらない選手なんているものか。教え諭して導く。そんな師匠に海外で不遇をかこつあの選手この選手が巡り会っていたらなあ。中村俊輔選手にはだから、すごい師匠の下でもう1皮むけてもらいたいものだよなあ。

 近所の「ゴーゴーカレー」でビジネスマンクラスをかっこみそれからサザンシアターにある紀伊國屋書店まで出向いて西島大介さんのサイン会を見物。あんまりザワついてないんで人数も少なく寂しいイベントになっているんじゃないかと心配したけど、裏の階段から上に結構な行列が延びていたみたいで1時間以上にわたって延々と、サインし続けて午後2時過ぎてよーやく終了、なかなかの盛況だったみたい。1人1分かけたとしても60人とか80人とか。確実に西島さんよりも若い世代が圧倒的に多くって、高校生とかもしかしたら中学生もいたみたいで、女の子も混じってて、上とか同世代からいろいろと言われていてもしっかりと、西島さんを支持している世代がいるんだってことを確認できた。これだからサイン会見物は止められない。

 あの衝撃のエンディングについては、決して最初から意図したものではなくもちろんそれありきで作られた物語ではなく、まずあの多層化した世界があってそれらが重合し拡散していくイメージがあって、その理由付けをだったらどうするかって所であの設定を引っ張ってきて当てはめたらしー。なるほどそれならば納得。でもやっぱり強烈過ぎるんだよなー、イメージとして。だからすべてがあのオチに収斂されてしまい読んだ人はそのオチに引っ張り上げられ、物語が紡いでいた多層化した世界で自分って何? って惑いつつも超越していく軽やかさなんかが後方へと追いやられてしまう。

 とくにあの技を伝統として聞き試しほくそ笑んだ世代なんかに顕著に出そうな反響で、発進力を持つそーした世代の褒めるにしても貶すにしても、まずはそこから語る評判が「アトモスフィア」の語ろうとしていた大半を、オミットしてしまう可能性も大きそう。けどまあサイン会に来ていた10代なんかだと確実に世代は「プレイステーション」。血肉として感じるよりもひとつの現象を現す記号として捉えた上で全体を俯瞰しそこに紡がれたテーマって奴を、素直に受け止め感動するのかもしれない。実際にあーやって大勢がサイン会に来ている訳だし。下の世代に確実に届く西島大介さん。その成長とともに支持は厚くなりまた熱くなる。あと20年は戦えるね。

 んで買った「涼宮ハルヒの憤慨」(角川スニーカー文庫、514円)を一気読み。今度は同人誌作り。といっても夏のイベントで売るんじゃなくって寄生している文芸部に活動の実績がないと生徒会からお取りつぶしされそうになって、それがイヤなら会誌を作って校内で配れってことになって受けて立ったハルヒたち。キョンは恋愛小説を書きみくるは童話を書き古泉はミステリーを書き長門有希までもが幻想ホラーを書いては寄せたんだけど紹介されてる有希のショートショートが謎。詩的に短いんだけど何か意味深。きっとこれまでとかこれからの展開に絡んでいるんだろーなー。鶴屋さんは変わらず元気に「わはははは」と笑いながら何か書いてよこしたけれどそれは紹介されてないのが残念。キョンの恋愛小説を読んでハルヒが怒ったか焦ったかどうかは、本編を読んでご確認。次の巻あたりでまた大きな展開とか、ないのかな。


【4月28日】 そうだよなあ、子供の頃って本当に夏が長かったんだよなあ、ってことを思い出させるあずまきよひこさんの「よつばと 第5巻」(メディアワークス)はまるまる1冊が夏休み。よつばがお隣に言っては洗濯を手伝ったり風呂掃除を手伝ったりしと健気な所を見せたり、父ちゃんを困らせてお隣を連れて海へと行ったりしては長くて充実した一夏を過ごしていく日々が描かれる。ミンミンとセミが鳴きジンジンと日が照りムンムンンと熱気が立ちこめる毎日を、今日は何して過ごそうかって朝に考え夜にああ今日も楽しかったなあと床に就く生活を、また送りたいものだよなあ。

 みうらちゃんが中に入ったロボット。一体何のために作ったんだろー、自由研究? それにしては作りが適当。箱をただ組み合わせただけで「ぱにぽにだっしゅ」に登場する芹沢茜のロボ子と良い勝負。スイッチが付いてて入れると目が光るって点は芹沢のロボ子よりは上かもしれないけれど、よつばのパンチに弱いところは鈴音チョップに脳天を割られるロボ子とそれほど違わない。いや白鳥鈴音のチョップだったらみうらちゃんのロボットは脳天に留まらず股まで抜けてまっぷたつになってしまうかも。良かったなあみうらちゃん、出演が「よつばと」で。

 ぷーらぷらぷらぷられーる。ってCMソングも懐かしい「プラレール」が大爆発してるってんで「池袋サンシャインシティ」で始まった「プラレール博 in TOKYO」を見物に行く。をを凄いぞホールに巨大なジオラマが出来ていて、そこをプラレールが何台何十台何百台と走ってる。狭い家と限られた財源でぐるりと廻るだけが精いっぱいだった我が家のプラレール事情からすれば夢のまた夢だった、どこまでもどこまでも続くプラレールって奴がそこにある。いつか家を買ったら、いつか大きな部屋に住めたら、ここまではいかないまでも1部屋をプラレールで埋め尽くしたいって願望を、見てちょっとだけ持った。頑張ろう。でもまずは本を入れる部屋からだ。それで満杯。プラレールの道は遠い。

 しかし凄い人気。初日で平日だってのに、朝からベビーカーに子供を乗せた母親が会場へと続くエスカレーターを何人も上がってく。会場前にはベビーカー置き場が作られていて、そこに何台ものベビーカーが並んでて、中に入るとジャージャーと走るプラレールを一所懸命に見ている子供達が何人何十人といたりする。子供は鉄道の玩具が大好きだってゆーけれど、時代も変わればさすがにプラレールに手を出す子供も減って、海外のもっと格好良い模型に向かうんじゃないのって想像もあったけど、そこは日本を代表する鉄道の玩具だけあって、毎年のよーに新しい子供たちが入ってきては買って作って卒業していく。なるほどトミーがいつまでもしっかりと経営を続けてきた訳だ。

 中には一生の趣味に鉄道を据えて、本格的な模型のTOMIXへと向かう子もいたりして、若いうちに蒔いた種を大人になって刈り取る準備も怠りない。初期の頃に比べるとプラレール自体の作りもどんどんとリアル感が高まっていて、モールドとかパンタグラフの造型とかも抜かりがなく、ただ遊ぶだけじゃなく大人の鉄道好きがコレクションしていっても結構楽しい玩具になっている。あと全国各地を走る路線から新しい列車もどんどんとプラレールに加わっていて、集め揃えていく楽しみもたっぷり。「プラレール博」でもイベント限定品とか出ていて、それを買いに来る男の大人の1人連れ、ってのがいたみたい。

 しかしどーして子供は鉄道の玩具が好きなのか。それとトミカやチョロQに代表される車の玩具が好きなのか。自分で動かしてみる楽しみがあり、組み立てた線路の上をうまく走らせる姿に何かを成し遂げた感動って奴を、きっと得られるからなんだろー。孤独に探求していくって意味で、大人のたしなむ趣味に近いかも。もっとも成長していくに連れて、テレビ番組のヒーローなりヒロインなりが持つグッズなり武器って奴に興味を移す。幼稚園とかに通い始める歳になって、大勢が共通する話題って奴をそーした番組に求めるよーになっていくことがあり、共通の関心の対象として憧れを抱いた挙げ句に、同一化したい近づきたいって感情が生まれてそーした玩具に走るのかなあ。で

 もって他人とくらべて自分がどうだって感覚も育んで、彼は彼女は持っているのに自分はって競争意識が働くよーになって、争ってキャラクター商品を買うよーになるとゆー。もはやそーなると楽しみってよりはコミュニケーションのツールなんだけど、そこを巧にくすぐることによって、玩具メーカーは売上を伸ばしていくんだろー。そこにどっぷりハマってしまうと、いい歳になっても争ってキャラクター商品を買いまくるよーになるんだろー。プラレールで耐えトミカで忍び突き詰める孤独な探求って奴を、味わわせ続けることによって子供は自立した男に成長し、途中でキャラクターに翻弄される道に惑わせることによって子供は自活も危ういオタクに成長するのだ。なんて。

 つまりはCMキャラクターにミッシェル・ウィーを起用するための命名か、任天堂。次世代ゲーム機「レボリューション」の正式名称が「Wii」に決定。「ウィー」と読むそーで過去に「ファミリーコンピュータ」を作り「ファミコン」と読ませ「スーパーファミコン」を「スーファミ」と略させ「プレイステーション」は「PS」で「ドリームキャスト」は「ドリキャス」と言わせてきたゲーム業界も、略さず一言でそのまま製品名を言えるよーにと配慮して来た現れか。流石に「ウ」とは略せんもんなー。「ィ」じゃあなおさら。何て読むんだよ。

 けどあの任天堂が、そんなに分かりやすい戦略を採るとも思えないのが実際のところで、裏をついてミッシェル・ウィーじゃなくってボクシングのウィラポン選手とか、ウルトラセブンのカプセル怪獣だった「ウィンダム」とか「Xbox」を作ってる会社の主力製品「ウィンドウズ」とかを引っ張って来てCMに使い話題を稼ぎに来るかも。なんて思わせておいてやっぱりストレートに「ウイー」と来ればなあの人を、今再び読んできては表舞台に立たせるんだ。って訳でCMは決定。後楽園ホール。四角いリングを囲む観客をかきわけて、手に荒縄を持ってテンガロンハットを被った男が乱入して来ては、リング上と立てビッグホーンを中空へと掲げ叫ぶんだ。「ウィーーーーー!!!」。ハンセン。お帰りなさい。


【4月27日】 女子サッカーの「なでしこリーグ」に所属する「TASAKIペルーFC」の山本絵美選手が、スペインのリーガ・エスパニョーラで首位を走る「FCバルセロナ」で大活躍するロナウジーニョ選手と”同一人物”であるというのはもはや自明の理であるが、しかしそれが国際的に認知されたとゆーのは大変に喜ばしいことで、日本の女子サッカーにロナウジーニョありって所を全世界へと喧伝しては、ちょっぴりだけど盛り上がった女子サッカーへの注目を、加速させる起爆剤になって欲しいもの。

 曰く「日本女子代表の合宿でイタリアに行った時のこと。みんなで近くのスーパーに行ったらイタリア人の男の子達が何人かで私の前をうろちょろ、うろちょろ…。通り過ぎたなぁと思った瞬間!! 『ロナウジーニョ!!』…いや〜ビビリましたね〜」。イタリア人も吃驚したに違いない。こんな所をロナウジーニョが歩いているなんて。リフティングとかやって、ちゃんとサッカーも出来るんだってことをそこで見せたら、男の子達もそっくりさんじゃなくって本当にロナウジーニョだって思ったに違いない。

 ニュースとかになって「イタリアにロナウジーニョ出現」って流れたのを見て、ガウッチが現れペルージャに入れてそのまま「セリエA」デビュー、なんてことになったかもしれないけれどガウッチは確か逮捕されペルージャも消滅あるいは沈滞へ。残念だけど今年はまだ世界に出る時ではないってことで我らがロナウジーニョ子にはチャンピオンズリーグの決勝を5月17日に戦うバルセロナのロナウジーニョ夫より一足早く、5月15日の「なでしこスーパーカップ」で華麗な技を拾うして戴きたい。でもって当日の代表メンバー発表を目前にジーコがスカウト、そのままドイツの舞台で日本とブラジルに分かれた2人のロナウジーニョの対決が実現するとゆー。

 広告業界ったらオシャレも最先端な人たちが集まり更なる最先端を競い合う場所ってことで、そんな最先端な人たちが別な意味で最先端を行く秋葉原をテーマに写真を撮ったらどうなるかってゆーと、話題になってるキーワードなり事象って奴を引っ張り出してはクローズアップした上で、自分たちの最先端を行く感性にマッチした形で図像化することになる。従ってそこに現れた最先端な秋葉原って奴には、別な意味で秋葉原を最先端と見て通い親しんでいる人たちの目から見るとどこか微妙なズレってものが現れる。

 博報堂プロダクツってゆーから広告代理店として電通と肩を並べる博報堂の関連会社。オシャレな度合いも頂点を極めているそんな会社にあって更に最先端で有らざるを得ないフォトクリエイティブ事業本部なんてところが発行している「写真山脈」(777円)の第1号がテーマにしたのが「AKIHABARA」。開くと色とりどりに抵抗やらコンデンサやらコードといった部品がアップにされていたり、ネオンも煌めく夜の街並みが高感度にばっちりと映されていたりして見るほどにハイエンド。スタイリッシュで美麗な街だと人によっては感じてしまいそーだけど、実際の秋葉原には雑踏の喧噪が鳴り響き、ひっきりなしの人や車の動きにかき消されてネオンはくすみ、パーツは大量のパーツ群に埋もれてカラフルな輝きを放たない。

 実は格好良いんだよ、って広告のクリエイティブな感性がアピールする秋葉原なんて初戦は虚構の秋葉原。けど世間に情報を届けるメディアが”誤読”して流したスタイリッシュなイメージが、一般化した果てに訪れる現実との摩擦がやがてスタイリッシュな方向へと、猥雑で喧噪に溢れた街を引っ張っていく。そして起こる六本木化。あるいは渋谷化。「秋葉原クロスフィールド」を中心に一部始まっている”浄化”の動きが広告とゆー燃料を投下されて拡大しよーとしているのが、たぶん今の状況なんだろー。つまりは「写真山脈」はその尖兵か。

 中には割にありのままの秋葉原と伝えようとしている写真もあって、例えば歩行者天国になった路上を歩くネコ耳のメイドさんとか、変身ポーズをする兄ちゃんとか、コスプレしている女の子たちなんかを捉え映したシリーズもあって、懐かしくもあるけれどオシャレさに惹かれ写真集を買った人が見たら、果たしてどんな感じに映るのかに興味津々。これは見てみたいと脚を運ぶか、これは何ともと思い背を向けるのか。「写真山脈」が狙うアートでクリエイティブでオシャレなターゲット層だとやっぱり、うーむとうなってひとしきり悩んだりしそーだね。

 これはどうしたものかって迷わされるのが、青野千紘さんって博報堂プロダクツの社員で写真家のオシャレ系眼鏡っ娘が、メイドの格好をして秋葉原の様々な場所に出没しているセルフポートレート。「街に対して、TVや雑誌やらで、なんとなくできあがった『アキバ』というイメージだけはある」って程度の人だけど、「メイドの格好をして街を歩き、ある時はテイコウと言われる部品や電球を接写して、撮影してたら楽しくなって、嬉しくなって、なんだぁ、私も写真オタクなんだぁと実感」したそーな。

 そりゃまた結構。努力は買う。だって27歳だよ。四捨五入すれば30歳だよ。頑張ったって讃えるよ。それに雑踏や満員電車やコンビニやゲーセンに立つ異様な風体のメイドコスした眼鏡っ娘、ってのは実に今時な秋葉原的なビジュアル。実際に駅前でメイドさんがチラシを配っている光景を見かける今、そんな娘たちが明いた時間にコンビニに立ち寄ったり、着替えもしないで家に帰る光景として実在するかもしれない。それを体を張って演じてみせたんだと、思えば頑張っって言いたくなる。

 けどでも。メイドはすなわち秋葉原って発想自体が何とゆーか表層的。「秋葉原=メイド」ってイメージは、この1年くらいの間で、マスメディアを通じて狭い穴から伝えられ、けれどもマスメディアであるが故に広く遠く真で伝わったイメージに過ぎないんだけど、それをマスメディアに働く人たちが、増幅してさらに広い範囲へと伝えよーとしているのが青野さんのシリーズ。そんなマッチポンプ的な図式の外に本来あって、濃く漂っていた秋葉原の特質が、フレームアップされたイメージに押され衰退し失われていくんだとしたら、青野さんのやっていることを美麗だからといって、果たして讃えて良いのかって気もしないでもない。

 「メイドの格好をしたら、ゲームセンターに行っても本屋に行っても、そんな日々の些細な事でも全て違って見えて、コスプレする人の気持ちがなんとなくわかった」んだって、青野さん。コスプレしないよりはした方が近づける。でもコスプレしたからといって近づけない部分も多分ある。今回のシリーズでは、あくまでも表層的な秋葉原を伝える素材として、自らメイドのコスプレをして秋葉原の秋葉原らしー場所に出没しただけのこと。そーしたスタンスが見てとれるうちは、秋葉原の「AKIHABARA」的イメージを掬い奪う立場を脱せない。今度はさらに「コスプレする人の気持ち」に近づくために、メイドとして歩きビラを配りカフェで給仕をし、ホコテンで踊り唄る休日を1カ月でも3カ月でも、続けてみては如何。27歳にしてそこまでやってくれればもう、大歓迎するしかありません。

 「セブン」って無料だったっけ有料だったっけ。そんな週刊紙を作ってはすぐ辞めた朝日新聞が知らないうちに発行していたフリーペーパー「ジェイヌード」ってのが恵比寿に行ったときに寄った「東京都写真美術館」に置いてあったんでもらってめくってなるほどうんうん、「AERA」好みな女性受けする執筆陣がずらりと並んでそっちにアピールしようって雰囲気。ホロスコープの鏡リュウジさんに作家陣では桐野夏生さんへのインタビューがあり、恩田陸さんのエッセイも収録。それからコラムを大宅映子さん白石真澄さん倉田真由美さんペリー荻野さんと並んでいるのを見て、これは面白そうだよ読んでみたいよって欲しがる男って、いないわな。

 ちなみに恩田さんのエッセイは、自主缶詰か何かで泊まっていたホテルで怖い思いをしたんじゃなくて、何が出てきたら怖いんだろうと作家的な頭で考えたりする話。住めば完全防音の高級マンションにだって住めるくらいの売れっ子作家なのに、家ではやっぱり落ち着かないのかホテルに篭もるってことなのか。添えられた写真は木村伊兵衛賞も受賞した長島有里枝ださん。セルフポートレートが得意な人だけどこちらはお姫様の人形が三面鏡を見ている写真とアート的。こんな写真も撮れるのか。あと書評で豊崎由美さんが登場して絲山秋子さん「沖で待つ」を紹介。突っ張ってない普通の文章だけど、このあたりが朝日発行の限界? それとも豊崎さん起用自体が冒険?


【4月26日】 つーってんで近所の「ときわ書房本店」で何故か売られている「ぱにぽにだっしゅ」のDVD第6巻を購入して録画したもののあんまり食指の動かない「シムーン」をそっちのけで4話続けてだらだら鑑賞、面白いなあ。何故かHDDレコーダーに録画してあって繰り返し見た「隣のホームルーム」が桃月学園へとやって来るエピソードなんか、気のせいかもしれいなけどテレビで見た時と発声のタイミングとか声の感じ(「ちんちんかもかも」って言う辺りとか)がちょっぴり違うよーな気もするけれど、それでもやっぱり何度見ても面白い。

 テレビで見逃していた芹沢茜がベッキーに変装して授業する回も鈴音のチョップが炸裂して、ロボ子の頭がぱっくり割れてあれでよくぞ芹沢無事だったものだと思いつつ割に斉藤千和さんっぽい声を出してる芹沢茜に感心する。ああ沢城みゆきさんかあ、だったら出来るか。江戸時代が舞台になった「死して屍拾う者なし」はばっくりと胸元の開いた玲ちゃんの衣装とか、乳母車に入りきらない鈴音のやっぱりばっくりと開いた子供にあるまじき胸元とか、見るべきシーンも多くて楽しい。この楽しさともあと2話でお別れとは寂しいなあ。続編の話って動いてないのかなあ。「スクールランブル」が2学期成立するなら「ぱにぽに」だって。けど単行本のエピソードをあっちから引っ張り継ぎ合わせ、あらかたやり尽くしているからしばらく先か。

 犬神がいればたぬきがいればお稲荷さんもいるライトノベルの獣神妖怪シリーズに新しく加わったんがハーフドッグ。ハーフドッグとは犬と人間の中間で人間の四肢を腕は肘から、脚は膝から切断してそこにキャップを被せて作る……のは人犬だから違います。おそらくは人間と犬との間に生まれた存在で、人にもなれば犬にもなれる存在だけど人の時でも時期によっては発情しやすくなっているのが特徴。高校に進学したばかりのハーフドッグのルルちゃんも、タイミング悪く発情してしまっては学校きっての二枚目で、けれども不愛想な少年の後を追いかけすがりついてはフェロモンむんむんで相手の気を引こうとする。

 けれどもそこはこらえたルルちゃん。双子ならぬ5つ子のうち同じ学校に通う男の子のロロにも止められひとまずピンチを乗り切るものの今度はロロが誘拐犯に間違われてしまう危機勃発。捕まるものの犬になる力で乗り切りそして捕まっていた犬を助けて悪者たちをやっつけるとゆー、見花大介さんの新刊「コイイヌ ゆれるシッポと恋ゴコロ」(ファミ通文庫)がここに開幕。未だ本編には絡んで来てないルルとロロ以外のたぶんララとリリとレレがどんなタイプで発情するとどうなるか、なんてことも含めて先行きに関心。しかし犬に狼に狸に狐と定番もいよいよふさがった次、出てくるのは狢か鼬か猪か。猪少女。見たいよーな見たくないよーな。

 ナルミヤ・インターナショナルのキャラクターがパクリだって訴え和解金を得た村上隆さんへの反響をネットでざくっと探ってみたけど、村上さんの快挙を讃える意見はまるで皆無。「GEISAI」なんかに行くと神様のよーに村上さんを仰ぎ見る現代アートの方々がいっぱいいて、今回の勝利もそんな後輩たちにとって現代アートの価値を高めてくれる行為だと、賞賛を浴びたって不思議はない。けれどもネットのどこを見ても、批判はあっても賛意がまるで見られないのは、やっぱり今回の一件が相当にナーバスっていうか正直ヤバいんだってことを、誰もが感じていることの現れか。こんな反響が果たして村上さんに伝わるか。東浩紀さんの諫言だったら届く可能性もないでもないけど、入れて改めるくらいだったら裁判なんてやってないか。うーん。

 またやってくれるのかワールドカップのパブリックビューイング。国立競技場に入りきれないくらいの人が集まり、スタンドを真っ青に染めて応援したあの喧噪を間近で見た身にとって再来は歓迎。さすがに割と真夜中になる試合を見ようとスタジアムに集まった人たちが、夜を徹して騒ぐのだけは勘弁といった地元の声もあったのか、国立での開催は出来なかったみたいだけど、代わりに会場となった「埼玉スタジアム2002」だったら、地の果てにあっていくら騒ごうとも周辺で聞いているのは狸と土竜くらいだから、心おきなくでっかい声でニッポンを讃える歌を唄えそー。でも唄わないけど。格好悪いから。「サムライブルー」なんて。

 円形になって1段しかない国立競技場でのパブリックビューイングは、ぐるりとピッチを囲んだ観客が時折ウェーブを始めて、それが何周も続いたりしてとっても感動的だった。その後に幾度となく国立で開かれた試合なんかを見に行って、ウェーブにも接したけれどあれだけの密度と迫力を持ったウェーブには未だお目にかかれていない。「埼玉スタジアム2002」は四角いピッチを四方から囲む形になってて、おまけにメインとバックは二層になっている関係で、ウェーブがあってもそれがぐるりとスタンドを走るよーな場面にはお目にかかれそーもない。ビジョンもホームとアウェーのゴール裏に2つあるんで、見つめる方向も左右にバラけそー。そんな中で一体感のある雰囲気をどこまで醸し出せるのか。おそらくは裏で仕切っているだろー巨大広告代理店のプランニングの腕前が問われます。「君が代」は誰が歌うかな。花火とか鬱陶しいから止めよーね。


【4月25日】 4月もはじめ頃の行事として、九段下にある日本債券信用銀行のたぶん上の階から北の丸公園に咲き乱れる桜を見下ろしつつ、銀行の偉い人と銀行と担当する記者とが情報交換をし合うってのが10数年も昔にあったらしいけど、下っ端は呼ばれなかったんで詳細は不明。今も変わらず咲き乱れている桜を見るにつけ、きっと壮観な夜桜見物だったと推察できる。肴は何だったんだろー? 黄金餅?

 ともあれその後の銀行をめぐるあれやこれやで、九段下の交差点にそびえたってた日債銀は敢えなく消滅。建物も取り壊されて今は「北の丸スクエア」なんてビルに生まれ変わって、中には頭に毛の生える薬を売ってる萬有製薬と、そして蒲田からお引っ越しして来たファーストリテイリングつまりは「ユニクロ」の東京本部が入居している。10数年前には郊外のアメカジ屋だったユニクロが、日本の長期金融を興銀長銀と支え日本の産業発展を支えた日債銀の跡地に入る。これが世代交代というものなのか。

 もっとも栄枯盛衰を乗り越え長く輝き続ける企業ってものもいっぱいあって、そんな企業ともなれば必然的に生まれるブランド的な価値って奴を、Tシャツにつけてさらにパワーアップさせる企画が毎年春の「ユニクロ」店頭で恒例となった「キギョウコラボTシャツ」って奴。その4シーズン目の発表会が開かれたんで見物に行くといるわいるわ、オリエンタルカレーやらサッポロビールやら崎陽軒やらアメリカン航空やら、なにやらかにやらでおよそ100社の企業が大集合。自分たちの企業ロゴとか商品のトレードマークがプリントされたTシャツを手に、記念撮影なんかに応じたり柳井正社長との記念撮影なんかをしたりしてた。

 面白いのはこの「キギョウコラボTシャツ」、ユニクロは別に企業に対してマークの使用料は払っておらず、かといって企業もユニクロの店舗を通じて社名や商品名の入ったTシャツを売ってもらう取次料を支払っていないってこと。つまりはバーター。企業の伝統的なロゴマークやトレードマークといった消費者の関心を弾きやすいコンテンツを、無料で使えるメリットがユニクロにはあり、一方で企業は自分たちの商品名なり会社名を、Tシャツって形でユニクロの店頭で喧伝でき、かつ買ってもらい着てもらい歩いてもらうことで、広く世の中にアピールできるメリットがある。

 おまけに企業はゼルスってゆーデザインを得意とする会社が抱えるデザイナーたちによって、自分たちのロゴをまったく新しいデザインでもって展開してもらえる利点もある。展示会なんかで配るただロゴを張り付けただけのTシャツじゃあ、今時誰も欲しがらないし、街でだって着てもらえない。けれどもユニクロの「キギョウコラボTシャツ」は、どの企業ひとつとってもデザインに工夫がされていて、パッと見は洗練されたデザインだったり、レトロっぽさを漂わせるデザインなんだけど、よくよく見るとそれが企業の名前だったり商品名だったりしてて、より強いインパクトを見る人着る人に与えられる。これならやってみてもらおうかって気にもなる。

これ着た好みでもない女の子に迫られたらやっぱスパムと追い返すのか  もちろんただ「デザインし直してみました、だからロゴを貸してください」と普通の企画屋が話を持ち込んだって、企業は絶対に応じてはくれないだろー。そこは全国に何百と店舗網があって、合わせて300万枚とか作ってバラ捲きますよと提案できるユニクロだから出来る企画。スケールがあれば、デザイン料がかかってもトータルでの売上を稼げるし、1枚あたりの製造コストだって下げられる。

 だって1000円だよ、1000円。コスパとかのTシャツが3000円4000円している中をたったの1000円。それもすべてが手の込んだデザインで、素材だって伝統企業ならかすりの入った生地を使ったりと、1点1点のすべてにこだわりが入ってる。これじゃ普通のデザインTシャツ屋はかなわない。ブランド力に頼るなり、デザインにビッグネームを招くなりマニア狙いに走るなり、メッセージ性を持たせたアート方面に走るなり道はない。たとえば企業ロゴを取り入れ茶化した「ちくわぶ」なんかの得意としているパロディTシャツとか。

 決してメジャーにはなり得ないし、許可してもらおうとしたって絶対に下りないからゲリラ的に作って売るしかないんだけど、そんな苦境をものともしないで突き進んでは突破していくのがパロディのスピリッツって奴。著作権的にヤバいのは承知の上で、企業から突っ込まれたらすいませんねえと平謝りしつつも、そんな居丈高で頑なな企業の古くさいスタンスって奴も含めて笑いのめしてやるってゆー、ドン・キホーテ的な蛮勇も含めてファンの支持を集めるからこそ、パロディTシャツは成り立っていく。そのパロディをさらに誰かが真似したら? 元ネタをからかってやる同志だと認めいっしょになって騒ぐのが美しい振る舞い方だ。

 だからとある日本を代表する世界的なアーティストってゆー人が、何十年も前から世界的に有名な、頭に丸い耳を2つ突き出したキャラクターへのリスペクトっぽい感性をそこに込めて生み出したもので、キャラクターという存在が持つ世界に波及する強さとそして商業的な価値で奴を、まとめてパロディ化してみせよーとしたアート作品に登場するキャラクターが、子供向けのファッションにそっくりの形で引用されたとしたら、一緒になって大笑いするのがアーティストのダンディズムって奴、だろー。たとえ引用した側に大元への批判精神がまるでなかったとしても、結果として起こったパロディの連鎖を、トータルでとらえてこいつは面白いって大笑いしてこそ、最初のパロディの価値も上がるってものだ。

 けど何を考えてか、パロディから生まれたキャラクターが使われてしまったからといって、アーティストは子供服のメーカーを訴え勝利し、和解金をもらってしまった。すなわちパロディとして生み出したキャラクター、オリジナルへのアンチとして作り出したキャラクターに、オリジナリティを主張してしまった。これは果たしてありなのか。オリジナルからの異論を半ば封じ、来たとしても言い返す根拠だけは保持していたパロディとしての”特権”を、自ら放棄してしまったことにはならないか。

 もしも自らの生み出したキャラクターはオリジナルだと主張するなら、そのオリジナリティを今度は耳の大きなキャラクターで世界を楽しませて来た大元と争わなくてはならなくなる。他にも幾つかある、アニメの名場面をとらえた作品なり企業ロゴをそのまま使った作品なりも、そのオリジナリティを問われることになる。違うこれらはパロディだ? だったら裁判で争った例のキャラクターもパロディではないのか。それをオリジナルと主張するなら他もオリジナルだと主張するのが筋だけど、そうすれば待っているのは著作権をめぐる争い。それも勝てる見込みのほとんどない。

 もしかするとあるいは著作権をめぐる騒動って奴も含めて取り込んだ上で、単なる絵でしかないにも関わらず、パワフルな展開力を持ち商業的な価値も持つ不思議で奇妙なキャラクターって存在を、より深く探求して明確に浮かび上がらせよーとするために、裁判を行ってみせたのかもしれない。そしてそれらを全部ひっくるめた行為がアートなんだと主張する狙いがあるのかもしれない。それだったら喝采を贈るに吝かではないけれど、どーもそーではなさそーなのが悩ましいところ。特権を脱ぎ捨てキャラクター企画室と堕したファクトリーが辿る道、それは。ユニクロと提携しのて「キギョウコラボTシャツ」作りだったりして。


【4月24日】 何か唐突に古泉一樹がメンバーに加わりフルメンバーとなっていたSOS団が草野球に挑戦するエピソードになってたアニメーション版「涼宮ハルヒの憂鬱」は、文庫の1巻のエピソードはすでに終わってそこでは世界が危機の瀬戸際まで行ってそれを一人ハルヒだけが気付かない中、キョンに長門有希に朝比奈みくるに古泉たちが何とかした模様。故にハルヒがとんでもない力を持っていることは周知として語られ、野球に負けそうになったハルヒの思念が閉鎖空間を拡大させてそこに現れ暴れる神人の姿も描かれたんだけどこれ、原作を知らない人にはどーゆー風に受け止められているんだろー。

 想像するに今時のアニメの視聴者って、時系列どーりに語られなくっても倒置法的に散りばめられた謎を後になって説明されて納得できる頭と理解力を持っているから古泉が突然加わり閉鎖空間がハルヒのお陰で拡大し、朝比奈みくるが聞かれたことに禁則事項と答えず長門有希がバットに何やら細工をして振れば当たるバットにし、投げればバットを避けるボールにしたことも「そういうもんだ」と納得してしまえるんだろー。作り手も別に無理にすっ飛ばしている訳じゃなく、次週には再び「涼宮ハルヒの憂鬱」へとエピソードの筋を戻してハルヒが関わる最初の事件を描くみたいなんで安心。原作のファンにはエピソードをシャッフルして見せることで「ああそうきたか」って驚かせつつ初心者にもやや配慮。作り手の苦労とそれから才能が詰まった作品だなあ。

 「Fate/stay night」は衛宮士郎の本領が発揮されて生まれた剣によってバーサーカーが昇天。アーチャーがあれだけ必至で戦って5つしか奪えなかった命を1発で削り取ってしまうんだからアーチャーも、アーチャーを捧げた遠坂凛も浮かばれない。その凛をめぐってこれからいろいろと起こりそう。住みついたイリヤがお兄ちゃんと士郎を慕いセイバーがお風呂に入っている姿を士郎にさらしている中で、ひとり孤独感を覚えつつ、かといってプライドが士郎へとなびくことを赦さない中で誘われダークサイドへと落ちていくって展開か。ゲームやってないんでその辺は分かりません。ビデオ「Faith/stay knight」じゃあ描かれてなかったし。

 まんまだらだらと「ARIA The NATURAL」を見てそれから録画はしてないけれど「スクールランブル二学期」も鑑賞。オープニングの歌を唄ってる時東ぁみさんも登場するCMが流れてその満面の笑顔と大きな眼鏡に昼間聞いた眼鏡っ娘話から引きずった眼鏡っ娘への関心が増殖されて気持ちを向かわせる。お話の方は魔法少女への変身シーンを見せてくれたりとサービスがいっぱい。だけどすでに原作への愛が薄れ始めている見には天満も八雲も沢近もあんまり心にピンと来ないなあ。むしろやっぱりCMの時東ぁみさんに。ってことはいよいよ二次元も卒業か。それとも別の何かとんでもない方面へと引っ張り込まれて魔界に堕ちる前兆か。用心。

 明け方まで起きてて眠りまた起きてからよっこっらしょと荷物を担いで南船橋まで徒歩で行こうとしたけれど、疲れそーだったんで京成で船橋競馬場まで行くズルをする。そこから歩いて南船橋のかつて巨大なスキードームがあった跡地に新しくできた世界最大の家具販売チェーン「IKEA」が日本に進出して作った新しい見せ「IKEA船橋」のオープニングを見物。2人でろうそくに火を着けて廻るんじゃなく、2人で鋸をひいて丸太を切り、共同作業の大変さと大切さを感じさせるセレモニーを行う辺りが、自然のたっぷりな北欧のスウェーデンから生まれた家具屋らしー。これがカナダ生まれだったら2人で丸太ではなく生えてる木を両側から切り倒しでもしたのかな。

 月曜日だってゆーのにオープンした店内は満杯に近い来場者。まさか既にゴールデンウィークに入っているってことはないんだろーから、近隣のマンション群に済んで暇をもてあましているヤングママさんたちがそれだけ沢山いるってことななろー。そんなママさんたちにも扱えるカートがあり託児所もあったりとホスピタリティも十分なのが北欧流。通路に立ってキャンディーを配るおばさんもいたりとサービスもたっぷりで、行けば何とはないしにいい気分にさせてくれる所が安けりゃ他には何もいらないって合理性が支配する、アメリカンなチェーンストアとの違いを感じさせる。独善でもって日本市場に殴り込んではノックアウトされて代える外資系ストアの中にあって、あるいはイケア、成功する可能性があるのかも。

 売ってる商品は家具が中心なんだけどとにかく安い。でもってデザインは上々。最近だと「無印良品」なんかも家具を扱っているけど4万平方メートルもある店内に並べられた家具は数がとにかく半端じゃないし、値段も無印なんかに比べればずいぶんと安い。でもって巨大な店内を倉庫代わりにしているため在庫も抱負で言えばどこからか持ってきてくれるみたい。それを車に積んで帰って組み立てれば、今日にも北欧風の優雅な暮らしに突入できるって寸法。これは強い。

 定番商品以外にバーゲン商品めいたものもあって現在は2メートルくらいあるヘビの縫いぐるみがあちらこちらに並べられて売られてる。時には家具の隙間から首を出していたりもして、そんな演出の遊び心も来店者の心を和らげ財布の紐を緩めさせそう。最後の会計の時に袋が有料で紙袋なりビニール袋なりを買う必要があるんだけど、そこまで見てきた安さには日本には過去にあまりなかったレジ袋有料サービスもあんまり気にならないか。以前に比べて買う側も売る側も環境への意識を高めていて、日本のスーパーなんかでもレジ袋の有料化を画策している話が広まっているのも追い風か。

 ちなみに「イケア」が日本に出てくるのはこれで2度目。かつて同じ南船橋の「ららぽーと」に出た時は、受け入れられず撤退した過去もあったとゆー。それだけに、今回はタイミングも売る商品も検討の上で進出して来たんだろー。事前に100軒の家を廻って何が求められているのか、どんな調理をしているのかってことを研究したってゆーから。その本気が日本の消費者にどこまで伝わり、どれだけの成果を上げるのか。ゴールデンウィークも本番を迎える週末にもう1度店をのぞいてみて、まずは出だしの盛況ぶりを観察して来よう。山と並んだ品物のどれ1つとして買えない、買っても入れる部屋がない寂しさは脇において。


【4月23日】 若本声がしたのでテレビに目を向けたら変なおっさんが映ってた。宇宙? なのに盛装。誰? どーやら何かのゲームを原作にしたアニメーションらしーけど今時ヒロインに向かって「ろけっとおっぱいこちゃん」と呼びかけるアニメが真っ当に正しく物語を語る内容だとも考えられない。きっと何かのパロディなんだろう。「無限のリヴァイアス」か何かの。そんな「ろけっとおっぱいこちゃん」の声が微妙にヤバい気もするし。「ソウルリンク」。次はたぶん見ない。でも若本規夫さんの本気を出した若本声は聞きたいし。

 だって直後の「吉永さん家のガーゴイル」の若本声はあんまり若本声じゃないんだもんん。まあ聞けば確かに若本さんでしかあり得ない声をしてるんだけどリズムがね、絵とか気にせず手前の感性のみで流す”強力わかもと”ではなくちゃんと、場面に合わせキャラクターに合わせて手前な部分を抑えつつ演技しちゃっているから、あの独特な抑揚とか迫力が出てない。

 守護者であるガーゴイルが自我丸出しで演技も出来ないとは分かっているけ、どだったら別に若本さんでなくても良いじゃん。いやいやあのどこか場違いに強気でくそ真面目な雰囲気は若本さんでないと出せないか。他の人だと演技が走ってどこかに弱気な内面を醸し出してしまうから。というわけで1時間。2通りの若本を楽しむ時間ってことで来週も見るか「ソウルリンク」も「吉永さん家のガーゴイル」も。土曜の夜にアニメかよ。悪いか。

 だって「ブラックラグーン」もやってるんだぜ。遊んでる暇なんてないよまったく。景山部長に捨てられ海賊になったロックが加わりラグーン商会は仕事もない暇そーな1日。そこに舞い込む新たな仕事はロックにレヴィにダッチにベニーの面々を罠にはめて抹殺し、その上で暗躍するバラライカを牽制しよーってエピソード。何隻もの敵を相手にレヴィがいよいよトゥーハンドの本領を発揮するアクションが漫画のまんまに、ってゆーかコマ割りでもって動きを見せている漫画を実際に見たかったよーに動かしてくれていて目に最高。跳躍するレヴィの重さと軽さ、撃った銃の凄さと撃たれた側の悲惨さもちゃんと表現されている。このクオリティをテレビでやりますか。

 ぬっと入ってきたバラライカの陰険さにあふれた眼差しも漫画の絵で見る以上に冷徹。小山茉美の声がまた凄みにあふれててバラライカの恐ろしさにさんに拍車がかかる。かつてミンキーモモを演じアラレちゃんを演じたアイドル声優に「馬糞野郎」と喋らせますか。キシリア・ザビだってここまでドス効いてなかったよなあ。25年経っても第一線で活躍できる声優さんって、偉大だ。今時の唄って踊れるアイドル声優の何人が20年後に「馬糞野郎」とドス効かせられることやら。田中理恵さん小清水亜美さんならやってたりして。

 むっくと起きて「ライトノベルフェスティバル」。会場は……なんだ前にナムコの株主総会をやっていた所じゃないか。あの広い会場を使うとはなかなか剛毅。それだけの来場者を集めた力にとりあえず脱帽。アイドル声優が来ていた訳でもなく、書くものは派手でも見た目はそんなに派手じゃない作家の人の顔を見たいって人がこれだめまだいるって事実がライトノベルのブームなんかじゃない地力って奴を証明していると信じたい。とは言え顔を見知っているのは桜坂洋さんくらいであとは誰が誰やら。出版社の人もいっぱい来ていたみたいだけど誰が誰やら。別に誰でも単なる読み手にとって出てきたものがすべてなんで関係ないっちゃーないんだけど。でも絶世の美少女だったらあるいは。

 もっとも14歳中学生美少女作家って印象づけて100万部を売ってしまったものの、実は中学男子で嘘偽りの中に生きるプレッシャーから次が書けずそのまま消えてしまった作家もいたりするから、見かけなりプロフィルなんかに惑わされるのは作品に対しても作家に対しても失礼か。野村美月さんのまたしても出た新シリーズ「文学少女と死にたがりの道化」(ファミ通文庫、560円)はそんな感じに中学時代に”美少女作家”と騒がれた正体はただの男子が偽りのペンネームを消し進学した高校で、奇妙な先輩と出会い事件に巻き込まれてはこれを解決するってストーリー。これまでの元気いっぱい明るさたっぷりな野村美月さんとはちょっぴり違った、ややダークな展開で人間の深淵な部分を見せてくれているんで手に取り読んで驚く人も多いはず。

 まず先輩の得体知れない。文芸部の部長で三つ編みの美少女で本好き。普通? いやいや普通じゃない。その物語への執着ぶりは凄まじくって市販されている本では飽きたらず、元ベストセラー作家で今は平凡な高校生の井上心葉に物語を書かせては、それを食して味わう日々。その日も飛び込んできた竹田さんって少女の、ある先輩と仲良くなりたいって依頼に強力してあげるから恋愛の経過をリポートにしてまとめろと、交換条件を出しつつ心葉に少女が先輩へと渡すラブレターの代筆をさせる。

 とりあえず仕上げて渡すと竹田さん、先輩がとても気に入ってくれたからもっと書いてと頼んで来てかくして竹田さんと先輩の、交わされる恋文の代筆をする羽目となった心葉だったがそこに疑問がわき上がる。竹田さんがラブレターを出している先輩ってのは誰なんだ。竹田さんはいるという。けれども学校の名簿には載っていない。もしかして。調べていくうちに、かつておこった事件が浮かび上がりそしてそれに絡んだ人たちの愛憎が錯綜する関係が立ち現れる。

 過去から現在へと繋がる事件の鍵となるのが太宰治「人間失格」の物語。道化として生かされ道化として死んだ「人間失格」の主人公のように、過去の事件を隠蔽し、内面を覆って上辺を取り繕い、今を生きる人間たちの罪を暴き心を突き刺す展開に身も震える。なおかつそんな謎解きに留まらず、もうひとつ別の、けれども過去の事件と重なる「人間失格」の物語をそこに描いては1人の少女を苦しみから救う。小説でありまた遺書ともいえる「人間失格」を解題しつつ解体しては新たな物語を紡ぎ上げる。一種の文芸批評ミステリー。それを「うさ恋」の野村美月がやっている。驚くより他にない。

 天野遠子の設定が未だに謎だし、心葉の過去にもあれこれ曰く因縁がありそーで、そのあたりをどう説明していくのかって所に興味が残る。とりわけ天野遠子の正体は、リアルでシリアスな文芸批評ミステリーの部分とはちょっぴり食い合わせが悪いんだけど、考えようによっては単なる悪食で物知りな人間の女の子って、取ってとれないこともないんで今は気にしないことにしよー。心葉の言動の謎もまあ、おっつけ明らかになるでしょー。ってことで次はどんな文学を下敷きにミステリーを描いてくれることか。セレクトにも、それを処理する腕前にも注目。

 ところで「ライトノベルフェスティバル」はとゆーと眼鏡についての話が出たんだけどそこで何故か今まさに注目を集めているのかいないのか、不明ながらもテレビで時々見かける眼鏡っ娘の時東ぁみさんに関する話題が出ずややがかり。あれをどう評価するのか聞いてみたかった。けどそれを聞いても果たして理解できるだけの知識がこっちに備わっているとも言えないんで、まずは理解に務めよーと帰りに秋葉原へと寄り「スクールランブル二学期」の主題歌が入っているCDを買って付録のDVDを見る。ふうん。可愛いじゃん。

 今風ではまるでない大きな形の眼鏡と、張り付くような笑顔で唄い踊る姿を見ていると、もしかしたらプロデュースしている側は大まじめなのかもしれないけれど、受け取る側としては眼鏡っ娘が流行っているので眼鏡っ娘を出してみましたって言いつつも、思いっきり流行と外したタイプを放り込んでみましたよって感じの諧謔味を、そこに感じて苦笑いしつつ愉快な気持ちになって来る。何よりやっぱりあの風貌。80年代テイストな雰囲気が80年代を書け抜けて来た身には理屈抜きで突き刺さるのだ。それが宿命という奴だ。コンサート行くか。行こうよみんな。


【4月22日】 完結というかおまけというか。すでにそこより違う場所へと移って行った神山佐間太郎とテンコがまだこちらにいて幼稚園児だった頃。まるでひねくれていない純粋無垢だった佐間太郎の垂れ流される願望に、神様のパパさんもへいへいと言うことを聞いていたらしく、ハリウッドみたいなスペクタクルが欲しいと言われれば、家の側まで高速道路を引っ張りダンプカーを窓から突入させ、親がパイロットにスチュワーデスだと自慢されれば、幼稚園の庭の上に飛行機を飛ばしてそこからパイロットの格好をしてスチュワーデスの格好をしたママさんと2人でパラシュートで降りてくる。

 そんな佐間太郎に絡んで来たのが嘘つきでイヤナヤツのイーちゃんこと信一で、親はパイロットだの家にテレビが50台あるのと言って佐間太郎に挑戦するけどそんな嘘にも佐間太郎、嘘だと言い返すことなく逆に自分の家にテレビを100台出したりパイロットの格好をしたパパさんを招き寄せたりしては信一を驚かせる。普通だったらそこで自分の嘘をあっさり現実のものにして突きつけてくる佐間太郎に、反発し激怒し嫉妬し嫌悪するものなんだろーけどそこは流石に未来の神様だけあって、相手をヘコまそうとかいった感情の欠片もなく、相手を信じ相手を喜ばせたいという思いから出た行為だってことが信一にも伝わったのか、喧嘩することもなく仲良くなってそのまま現在へと至る腐れ縁へとつながっていく。

 信一の嘘を真正面から嘘だと見きって怒るテンコの態度はなるほど当然のものかもしれないけれど、それだけでは頑なになった心が余計に頑なになってしまうもの。そんなテンコの失敗ぶりを出しつつ佐間太郎の純粋さを描くことで嘘をつくのも嘘を非難するのもどこか虚しい行為だと、知って普通にありのままに生きていく楽しさに気付く。もっとも成長した佐間太郎は純粋とゆーより単なる阿呆で欲望を爆発させて生きていた訳で、子供の純粋さなんてものを信じているとあとでとんでもない目に遭うんだっていう教訓を、改めて教えようとしたのかもしれないけれど。ともあれ完結。完璧な完結に「Z」なんて続きが本当にあるかは分からないけどその前にアニメ版も始まるんでそっちでのテンコの怒りとママさんのパカパカと美佐さんのグンゼ1枚の艶姿に期待しよー。

 ゴールデンウィークのネタにしよーと池袋まで行き「ナムコナンジャタウン」にオープンした佐世保バーガー「ビッグマン」を取材。記念式典には佐世保市長も来ていたけれどそんな政治的に偉い人だって軽く吹き飛ばしたのがやなせたかしさん。自らデザインした佐世保バーガーのキャラクターとその新作「ポコちゃん」を引き連れ登場しては、手にアンパンマンの団扇を持ち裏に書かれたあんちょこを見ながら「私はやなせたかしです〜、アンパンマンの作者です〜」ってな感じに踊りながら歌を唄い始めたから会場は大喜び。とても80歳を越えているとは思えないその元気さに、まだまだこの先も安心と胸をなで下ろす。きっと100まで生きて新しいキャラクターを生み出し続けてくれるに違いない。200までだってあるいは。

 引換券を落としたらしく試食のバーがは食べられず。でもまあ「ららぽーと」の「東京パン屋ストリート」で出来た時に食べたからいいか、いやあ美味しいっす、分厚いっす。値段はマクドナルドとかに比べれば高いけど今時の「ウェンディーズ」で大きいパテのダブルを食べれば似た値段になるし、マクドナルドだって値段の高めの商品を設定して客単価のアップを狙っているから昔ほど極端に高いって気もしない。かといってハンバーガー1つ食べるのに1時間待ち2時間待ちってのにはまだ慣れない。市長さんはそこまでして食べるごちそうだって言っていたけど、佐世保じゃ本当にそんな感じで長時間、並んでハンバーガーを食べているのかなあ、米軍基地の人も含めて。

土肥に川口と代表キーパーを相手に1勝1分けなら上々? これが決まってれば勝てたかなあ  とって返して千葉は「フクダ電子アリーナ」へと周り「ジェフユナイテッド市原・千葉vsジュビロ磐田戦」を見物。する前に広場の屋台で名物「Jボール」と「ソーセージ盛り」を買って喰う。「Jボール」とはその名のとおりに「Japan」を代表する米がボールとなったいわゆる「おにぎり」……ではなく玉状になったこんにゃくをイカといっしょに煮たもので、出汁の味が中までしみてなかなかの旨さ。パラリとかけた七味のピリリとした味わいとイカの歯ごたえが相まって、口の中に素晴らしいハーモニーを奏でる。これで200円とは超お得。2つだって食べられそー。家で作れるものなのか。それとも何時間も煮ないといけないのか。ともあれ行ったらまた食べよう。

 一方のソーセージ盛りはこれまた名前に恥じない盛りっぷり。手のひらにないる皿に5本6本8本と積み上がり最終的には10本くらい? のソーセージが積み上がってそれで400円とはまた安い。しっかり仲間で焼かれているからあっつあつ。ビールが欲しくなったけど今ダイエット中なんで飲まずに我慢。けどでももっと暑くなったら飲んじゃいそーだなー。手に皿を持ってゲートをくぐる時に落としそうになるのが難点か。別にタッパか何かを持って入れてもらえれば落とすこともなくなるんだけど、それだとあの”特盛り感”が出なくなるから悩ましい。やっぱり早めに行って買ってその場で食べて飲むのが吉か。

 さて試合はストヤノフ選手が出場停止で変わりに入った中島浩二選手が最初こそ危なっかしい足下でのボールさばきもだんだんと安定して来て最終的にはジュビロの攻撃を零点に押さえて万々歳。阿部勇樹選手も時々最終ラインに入り守備をしそれから攻撃にも廻りフリーキックでゴールを脅かす活躍ぶりでジーコにそのユーティリティぶりをアピールできたと思うけど、ジーコの目にはきっと川口選手のセーブぶりしか入らなかったんだろーなー、それがジーコアイ。見たいものしか見えないという。見えないものでも見たければ見えるという。アレックスの”完璧”な守備とか。巻誠一郎選手も最前線で体を張ってポスト役。シュートこそあんまり放たなかったけど高い外国人ディフェンダー相手でもそれなりに通用する所を見せられたよーな気がするけれど、ジーコアイだからきっと見えてなかったに違いない。でもオシムアイはちゃんと見ている。そしてオシムの目を通して世界が見ているから安心しろ。


【4月21日】 取材の対象にアニメとに女子サッカーを掲げる身としてはやはり買わねばなるまいとアマゾンから購入した「高円寺女子サッカー 1st stage」が届く。初回限定版って奴。だけど今我が家の「プレイステーション2」は2000年3月4日の発売直後に購入したリージョンフリーの初期ロットだけあって、油が切れたのかドライブが廻らず動きにくくなった関係で箱に仕舞われ稼働しておらずプレーが不可能。かといって絶賛稼働中にも関わらず入れるゲームがなく閑古鳥の「Xbox360」に放り込む訳にもいかず、いったいどんなゲームなのかを確認する術もないまま次の「プレイステーション3」発売まで安置の状態に置かれそー。

 想像するに高円寺で女子サッカーチームを作り選手を買い育ててれは練習させてリーグ戦を勝ち抜き世界予選を勝ち抜きチャンピオンズリーグでの優勝を目指す内容、ではなく3Dグラフィクスで構築されたリアルで美麗なキャラクターのバストとかが超微細なポリゴンでもって上下左右に揺れ動く様を目の当たりにしながら、コントローラーを操作してボールを蹴りまたマスをして相手ゴールに放り込む内容、でもなくいわゆる美少女アドベンチャーゲームなんだろー。止め絵でパタパタと身ながら時々アニメとかが入る? でもって最初はドジな少女が先輩と仲間に導かれ特訓に耐えて成長していき最後は強敵に勝つという。

 もっとも現実世界で女子サッカーが華々しく行われているのはリーグ戦のトップと後は芸能人によるフットサルぐらい。学生っぽいキャラクターたちのプレーする女子サッカーの場がどれだけリアリティのあるものなのかちょっと想像がつかない。けどこれがラクロスであってもアイスホッケーであっても同じこと。むしろ他にあまりない女子サッカーがテーマになているってことでどこまでリアルか、でもってどこが想像を絶しているのかを確かめつつ遊ぶのも悪くない。問題はやはり手元に「プレイステーション2」がないことか。手に入れるか。でも手に入れたら入れたで他のゲームを遊びたいしなあ。「エウレカセブン」とか(ちょっと嘘)。

 見えない場所から石礫でも生きた馬でも放り投げては加速度と質量でもって敵を潰し殲滅するハミュッツ=メセタの司書最強と言われる能力に、弱点があるとしたらそれは距離。間近に寄られれば加速を付けて放り投げた何かを当てるこなんてできやしない。けどそこはちゃんと考えられてて、近寄る敵には手にした常笑の剣シュラムッフェンが威力を発揮して、立ちふさがるあらゆる障害を切り刻む。だからやっぱりハミュッツ=メセタは最強なのかそれともどこかに穴があるのかってことを、描こうとしたのが山形石雄さんの「戦う司書」シリーズ第3弾「戦う司書を黒蟻の迷宮」(集英社スーパーダッシュ文庫)だ。

 登場するのはハミュッツと並ぶ強さを持つと言われる司書のモッカニア。だけど彼はある事件を境に外へと出なくなりやがて図書館の本、すなわち人間の記憶が欠片となっものが治められた迷宮の奥へと引きこもって、滅多なことでは姿を現さなくなった。そんな彼が何故か図書館に対して反旗を翻した。それぞれが強力な力を持つ武装司書を相手に最強と目される己が力を爆発させては向かってくる司書を撃退していく。傍らには若い女性。しかしモッカニアはその女性を”母”と呼んだ。

 彼女は本当にモッカニアの母なのか。そしてどうしてモッカニアは武装司書に対して反乱を起こしたのか。その女性の正体が明らかにされ、モッカニアが図書館の奥へと引きこもった鮮烈な理由が明かされて、モッカニアが単なる偏屈ではなくまた気を違わせた訳でもなく、昔と変わらない純粋な心を未だに持ちづけている武装司書にあって最も正義感に溢れた人間なのだということが判明する。子を思う母の心と母を思う子の心の何という美しさいとおしさ。1巻に描かれた図書の破片に封じられた少女と出会って心を取り戻す爆弾にされた少年の物語にも迫る感涙を与えてくれる。いやあ泣ける。

 そんなモッカニアに対してハミュッツ=メセタの実に冷徹なことか。ようするに自分より強い相手と戦えるんならそれでオッケー。モッカニアという迷宮では誰にも負けない力を発揮できる武装司書を相手に瀬戸際まで追いつめられる闘いに、ひるむどころか笑いを浮かべて真正面から向かっていくハミュッツの凄みには感涙とは逆の感動が走る。これほどまでにインパクトを持ったキャラクターを生み出せたって所に「戦う司書」シリーズの成功の秘密があるのかも。前嶋重機さんのそんなハミュッツに対する感情にも分厚いものがあるのか、口絵とキャラクター紹介とそれから挿し絵で2枚の計4枚もハミュッツを描いてくれている。そのどれもがとてつもなくグラマラス。胸元がぱっくりと開いた白いシャツ姿を見るだけでもう目がクラクラとして来るよ。隙間から手を差し込んで触れてみたい。その瞬間にハミュッツの手にした剣シュラムッフェンでギッタギタにされちゃうんだけど。それでも光栄だけど。

 富沢美智恵さんだとな。つまりは神崎すみれ。あるいはセーラーマーズ。強くて凄みがあって凛としたその声が当てるロベルタが、上っ面だけは可愛げで、でもその奥底にはドロドロとした恐怖が渦巻いているキャラクターをどこまで表現しているのか、今から聞くのが楽しみ。だけど「ブラックラグーン」のアニメでは原作と違ってロベルタの登場はちょいまだ先みたい。それまでは「月刊サンデーGX」2006年5月号に掲載されたアニメの絵でもって再現された、やや頭身の上がって冷たく眼鏡を光らせながらすっくと立ったロベルタの姿から声を、演技を想像することにしよー。おーっほっほっほ、とは笑わないよなあ。ちなみに本編ではエダがちょっと凄いことに。やっぱり月並みなキャラなんていねえよこの漫画。


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