縮刷版2006年3月下旬号


【3月31日】 巻誠一郎選手も阿部勇樹選手も長谷部誠選手も出場しない日本代表選に見る価値などあるものかと思いつつも佐藤寿人選手だけはやっぱり見たいとながめた日本代表とエクアドル代表とのサッカーの試合はそこだったらそれなりに問題のないアレックス選手の鋭いクロスに佐藤選手が反応してはまたぎ越すよーにチョンとあわせて見事にゴール。セットプレーでもなければミドルでもない、崩したり飛び込んだりして奪うサッカーらしさに溢れた得点シーンって奴を見せてくれた。いやあ綺麗だ。けどそれがあまりに出なさ過ぎるんだよなー、日本代表は。

 もっともこれで佐藤選手がドイツに行けるかってゆーと難しいのは玉田圭司選手がいて柳沢敦選手が復活してくるだろーから。リーグでの活躍を見れば最初から使ったって良いのにそーしないところに監督の頑迷ぶりが見て取れる。それでも落ち込まずにリーグに帰って点をとり続ければ、フランスでまるで噂を聞かなくなった大黒将司選手を上回って呼ばれる可能性も……少ないか、やっぱり。だとしたら巻誠一郎選手はさらに遠いだろーなー、脳内序列で鈴木孝行選手を越えるのはちょっとやそっとじゃ無理だろーしなー。だからリーグで得点を。川崎F戦でも得点を。行くから。等々力まで。

 何とおっしゃったんでしたっけ、金子達仁さん。2002年のワールドカップ日韓大会、初戦のベルギー戦にのぞんだ日本代表がディフェンスラインからロングボールを相手陣地えと蹴り込んでは敵を疲れさせつ相手のラインを押し下げて、見方にかかるプレッシャーを和らげ攻撃のリズムを掴み結果引き分けを演じた試合を確か「低俗なポルノ」と評したんじゃなかったでしたっけ。それが昨日のエクアドル戦に関して書いた「スポーツニッポン」2006年3月31日号のコラムでは「単調ロングボールの効用気付いたはず」だなんて見出して一文を寄せていらっしゃる。

 「さらに、最終ラインから前線への長いボールは、攻撃面のみならず、守備面での負担を減らす意味を持っていることも選手たちは自覚してくれたに違いない。立ち上がり、猛烈に中盤での圧力をかけようとしたエクアドルは、一見単調に見えるロングボールで自陣に押し戻されることで、体力を消耗していった」。だからドイツ大会でもそれをやれ、そうすればクロアチアやオーストリアにも通用すると書いている。

 けどでもそれってトルシェが既にベルギー戦でやったことじゃん。でもって通用してたじゃん。そんなゲームプランを「低俗なポルノ」って非難したのは金子さんじゃん。今になって一体どーしてそれを言う。さも自分が気付いたかのように書く。もしかしたら「低俗なポルノ」ってのはホメ言葉だったのか、トルシェのプランを誉めて理解し今に持ち出して来たのか。だとしたら凄いけどそうじゃなければみっともない。でもって可能性が高いのは後者。困ったものです。

 ミスマリアである。ミスマリしかあり得ない。「舞−乙HiME」の最終回。1時間にもわたるバトルはアリカ憎しと挑むトモエ・マルグリットの悪意がたっぷりこもった嬌笑と憎悪に満ちた叫びに幕を開け、その悪辣さでもって全国民的なダークヒロインとしての地位を声の田中理恵さんともども確立してくれた。たとえ正義の味方に討たれよーともそれで参る女じゃない。事実そーだった訳でもしも仮にこれからもシリーズが続くとしたら、前作「舞−HiME」でもって悪の魅力をたっぷりを見せて今作では美味しい役所を与えられたナオのよーに、中心的な存在となって僕たちの前にその媚態を見せてくれることだろー。

 けどそんなトモエの活躍なんて吹き飛ぶ事態が起こった。ニナのハイパー化? まるで「VIRUS」に出てきた鈴置洋孝さん声のレイヴェンがまとった「ハルシオン・ブラック」にも匹敵する禍々しさを持ったローブを身に纏うものの、覚醒したアリカの前に討たれ共に成層圏を燃えながら地上へと落ちる”レイ・ブラッドベリ=石森章太郎”シチュエーション(そーいや「VIRUS」のエンディングもエリカとサージの宇宙遊泳だったっけ)はなるほど眼にも感動的で、最後の最後に描かれるシーンに向かってすべてが浄化されていく場面として、「聖戦士ダンバイン」のシーラ・ラパーナによる浄化に並ぶ感動を永遠にファンの間に与え続けることだろー。

 でもやっぱり違う。トモエじゃないしニナじゃない。スパイダーウーマンに初変身した場面が詳しく描かれず全世界のファンを愕然とさせたナオでもないし、逃げ続けていた関係でどうもデきなかったらしーアカネと5柱の1人とが、「VIRUS」のエリカを彷彿とさせるネリチャギでもってスレイヴを倒すシーンでもない。敢えて言うならハルカ准将が手にガンダムハンマーの棘無しを持って「一網大魔人よ」と叫ぶシーンが飛び抜けていたりするけれど、それでもやっぱり遠く及ばない、ミスマリアには。そうミスマリア。ああミスマリア。ミスマリア。

 まず圧倒的。5柱の中でも強そうに見えるナツキが後じさりする敵を前に怯みもせず、気合いすらいれずに一閃するだけですべてを倒すその強さはまるで剣聖ダグラス・カイエンのよー。並の騎士どころか同じ「ミラージュ騎士団」にあっても飛び抜けた強さを誇る彼とだって互角に戦えそーな腕前に、最初っから出てくればすべてがたちどころに終わっていたじゃん、そーしたらエルスちゃんだって死なずに済んだかもって思えてくる。けど問題はその強さだけじゃない。その美貌。美貌? ミスマリアが? しわしわが?

 違うんだ。そこが良いんだ……とは言わない。だってしわしわじゃないんだ。つるつるなんだ。ぴかぴかなんだ。すべすべなんだ。理由は不明。でもそうなったミスマリアの強さと美しさが、1時間に詰め込まれた怒濤のクライマックスからすべての注目をかっさらって行った。お陰で放映終了後もHDDレコーダーから当該の場面を引っ張り出しては、何度も繰り返して見てしまったよ。決して多くはない場面。けれどもそこに詰まった魅力と迫力は、これから放映される地域にも絶叫を引き起こしては熱狂を巻き起こしていくことだろー。全国に響き渡るミスマリアへの賛辞に耳を振るわせよ。おまけ影像で今ふたたびに描かれるならDVDだって買うぞ。買い切るぞ。


【3月30日】 世界の平和も滅亡も望めば叶う「聖杯」をめぐる闘いが日本だかの片田舎で何十年おきで起こりそれにご近所の方々が参加しては殺し合うなんていう、あるはずもない設定の根本に関わる部分での微妙さこそあるものの、それさえあんまり気にしなければそれでサーバントの属性やら能力の振り分けとか、闘いのルールといった細部についてはなかなかに興味深い「Fate/stay night」を第1話から第3話までDVDで再鑑賞。セイバーの腹から唸る叫びがなかなかに耳に良く、こーゆー声も出せるんだと声優さんに感心すること仕切り。

 けど3話まででは活躍も少々。お座敷でご飯も食べてない。ってゆーかそーかセイバーだけがご飯を食べるのは志郎の能力が未熟で肉体のままでしかいられなかったからなのか。なるほど納得。全部買い切れるかは不安ながらも録画しそこなったトリノ五輪開催中の分までは、とらえず買い続けてはセイバーの大飯食らいに入浴のシーンを楽しむことにしよう。ってゆーか「Fate」って2クールだったんだ。3話入りながらもボックスの幅から見れば8巻は収められそう。ってことは24話は行くってことでそれだけあれば、まだライダーが倒れただけの他のサーバントとの闘いも、全部描いて最終決戦まで持っていけるか。お座敷セイバーのつくねんと座った姿を楽しみに日曜夜の千葉テレビ、これからも楽しんで行こう。「タクティカルロア」の後番は何だったっけ?

 「少年キング」かと一瞬思った「ヤングキングアワーズ」2006年5月号は緑色で尖った髪のあんちゃんがでっかく映って眼にも鮮やか。顔こそ昔にくらべて大人びているけれど、ページを開けば筆致は往事の「超人ロック」とそれほど違わない。聖悠紀さんちょっと凄い。ちょっと前に買った「軽井沢シンドローム」の新シリーズの絵がまるで「週刊ビッグコミックスピリッツ」で「めぞん一刻」あたりと看板張ってた時代から遠く彼方へと来てしまっていて、というより何とも言えない見づらさを孕むよーになっていて、あれだけ巧かった人が何故にと読みながら立ちすくんだ記憶も新しいだけに、なおのこと聖さんの凄さが浮かび上がる。お話は……とりあえず読もう。

 そして「ジオブリーダーズ」。誰だ墓場の主は。でもって刻まれているハウンドのエンブレムとの関係は。孤島へとたどりついた神楽綜合警備の面々が上った山頂。そこで見た墓石の墓碑銘と、囲む猫たちの正体が明らかになる来月号の展開が今から楽しみで仕方がない。目覚めたまや姉はどんな活躍を見せるんだろー。それから姫萩夕はどんな活躍を見せないんだろー。ハンドルのない場所にいたら本当に役立たずなんだよなあ。あるいは島の地下に何かハンドルのついた乗り物とか眠いっていて、脱出の際に大きな力になったりするとか。ハンドルのある乗り物……スペースシャトルとか。ってスペースシャトルにハンドルってあったっけ?

 いいかよく聞け。今度の日曜日にたとえ午前7時から1時間にわたって放映される「交響詩篇エウレカセブン」の最終回を見逃したとしても、午前9時半から放映される「おねがいマイメロディ くるくるシャッフル」の第1話だけは絶対に見逃すな。見逃したら一生を悔いることになる。一生を暗黒の中に過ごすことになる。それだけ画期的だ。それだけ革命的だ。展開も凄まじいなら脚本もとてつもない。脳が融けるとゆーより脳が破壊されるくらいのインパクトを、見る人たちのすべてに与えることは確実。見終わった人たちはしばらく立ち上がることが不可能になるくらいに、強烈なメッセージを与えてくれる。だから絶対に見よう。

 それも録画なんかしないでリアルタイムで見よう。耳を澄ませば周囲でもやっぱり見ている人たちの、心にズギューンと言葉の矢がささる音が聞こえるはずだ。ガーンとショックに気絶する人たちの倒れる音が響くはずだ。すでに見てしまった身として当日に一般の人たちと同じ恐怖を味わえないのがただただ辛い。けれどもだからといってここで何が起こるのかは語らない。そんな勿体ないことはしませんよ。

 ひとつ忠告があるとしたら心に悩みを抱えては見るな。見ればそこに言葉の矢が刺さる。静かだけれど冷酷にして強烈無比な矢が刺さって全身を貫く。放つのは……これも秘密。ああ思い出したら全身がガクガクブルブルして来たぞ。夜中におしっこに行けなくなって来たぞ。ああ。ああ。日曜日が楽しみだ。見終わって立ち上がって川崎までジェフユナイテッド市原・千葉の試合を見に行けるかなあ。「エウレカ」の記念イベントが「マイメロシャッフル」のパワーにお通夜とならないことを祈ろう。

 そんな第1話の試写もあった「おねがいマイメロディ くるくるシャッフル」の発表会では別に「サンリオピューロランド」で6月5日からスタートするミュージカル「おねがいマイメロディ 天使の大行進」の案内も。マイメロだけでなくってアニメから生まれたサンリオにとっては異例にして異色のキャラクター、クロミが立体となってやっぱり立体となったマイメロと「ピューロランド」の中で来場したゲストたちも交えて何やらショーを繰り広げるらしー。

 「ピューロランドに来たゲストとミュージカルを上演しようと、キティとダニエルがレッスンをしていたところにクロミが現れ振り付けの先生に”悪夢魔法”をかけてしまう。スーパー振り付け師となった先生はめちゃくちゃな振り付けをするようになってしまい、困ったキティはマイメロに何とかしてよとお願いする」。ああ何とも「おねがいマイメロディ」。見ればきっと一緒に「おねがい」をしたくなるんだろー。あるいは一緒に歌とかもうたえるのかな。美紀の電波ソングを大声で歌えるんなら行っても良いかなあ。しかし着ぐるみのクロミ。良い意味でスマート。逆の意味では胴長……。


【3月29日】 秋葉原の中央改札口を抜けて足踏みしながら「この高慢ちきめ高慢ちきめ高慢ちきめ高慢ちきめ」と足踏みしながら内心でほくそ笑む野郎に幸いあれ。「Fate/stay night」のあれは遠坂凛か誰かの巨大な顔が通路の床面に張り付けられてて自信満々な笑みを見せていて、その顔を踏みにじる時にわき上がるちょっぴりの申し訳なさとたっぷりの嗜虐心にいつまでもそこに立って足踏みしていたくなるけれど、改札の真正面で通行の邪魔になるんでそれは断念。けど帰りもいつもは秋葉原デパートの上の改札を使うものを中央改札口に廻って今度は改札を抜ける前にやっぱり2度3度と足踏み。ああ快感。

 つかいつの頃からだろー秋葉原駅の床面にこーしたアニメやゲーム絡みの広告が現れるよーになったのは。そしてそれを踏みつけることにまるで葛藤を覚えなくなったのは。キャラクター愛って奴を持ってるマニアだったら床に置いたアニメ雑誌の表紙だって踏めないもの。それがどんなマイナーなアニメのキャラであっても申し訳なさが先に立つ。ましてやファンが多いからこそ広告にまでなるキャラクター。愛で慈しむ人も多く床に貼り付け踏み絵よろしく踏ませる広告が、成り立つなんて想像もつかずキャラを愛する強者どもが、跪きキスこそすれ踏みつけて踏みにじるなんて考えられなかった。

 それが今ではそれが立派にプロモーションとして成立しては、集まるファンたちの足下で汚されながらも決して変わらない笑顔を振りまき続けている。愛すべきキャラクターを陵辱しても平気な感情。これは何だろーキャラクターを思いのままに自在に操れる同人誌なりインタラクティブなゲームといったものが普及して、それまではただ与えられるだけってこともあって越えられなかった心理的な壁が崩壊しては、キャラクターへの能動的でそして内奥に仕舞われていた嗜虐の感情を、ぶつけ踏みにじっても構わないって風潮になっていったんだろーか。

 例えばこれがヨン様だったら、おばさんたちは決して踏んでは歩かないだろーしジャニーズのアイドルだって多分同様。実在する人間だからって理由もあるけれど向ける情愛ではキャラクターでもタレントでも違いはないし、むしろ架空のキャラクターへと向ける情愛の方がそれが架空だと自覚しつつ向ける必要があって、ロジックに補強されて固いものになっていたっておかしくなお。にも関わらず秋葉原では今日もキャラクターが踏みにじられている。ファンもさほど不思議と思わずふみにじって通る。それとも真のファンはやっぱり踏まずに避けて歩いているんだろーか。汚れた遠坂の顔を毎日拭いてあげているんだろーか。踏むなと上に覆い被さり通行人に踏まれ続けているんだろーか。そんな野郎がいたとしたらそいつこそが真のマニアなのだと讃え尊ぼう。気持ち悪いけど。

 そうそう秋葉原で思い出した「アニメ感想文(評論文)コンテスト」の開場を待つ間に近所のアニメショップの売り場と遜色ありまくりな「東京アニメセンター」をぶらぶらしていたら、入り口付近で看板を撮影しているお兄さんがいてどう見ても「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」の森川嘉一郎に首のあたりの形がそっくりだったんだけど果たしてご本人だったんだろーか。「アニメ感想文(評論文)コンテスト」とは直接は関係なかったし、かといって直前に開かれていた「妖怪談義」のイベントとも関係はなかったみたいだから、ご本人だとしたら単純に研究対象である秋葉原をリサーチに来ていたのかな。一方で廊下でどう見ても麿赤児さんにしか見えない髭坊主がいたけどまさかと思っていたらこちらはご本人で「妖怪談義」に出演した模様。お酉さまと抱きつきゃ良かったなあ、すでにして忘れ去られた役ではあるが。敢然にひとまわり経ってるし。

 そして最終回を迎えた「ノエイン もう一人の君へ」は悪役筆頭だったアトリがミホのすがるような眼鏡越しの眼差しにヤられてしまったのか敢然にベビーフェイスとなってシャングリラではカラスを助け現代に戻ってからも現れる奇妙な物体を相手に白い巨人となって大暴れ。暴走寸前の巨大なウロボロスの輪っかに取りすがって時空の収縮による世界の破滅を防ぎつつ、艦内で頑張るトビやラクリマ時空に帰って収縮を防ぐための方策を採ろうとするコサギの時間を稼ぐ。そしてシャングリラではユウがハルカを取り込んだ向こうの世界のカラスすなわちユウと対峙。かくして最後の闘いの幕は切って落とされる。

 篠原ってIT長者の阿呆さ加減は最後まで直らず、珍妙だけど性質の悪すぎるキャラクターとしてネガティブな存在感を放ち続けて鬱陶しいことこの上ない。単なる脇役だったら気にならないんだけどストーリーに大いに絡むだけあって、単なる名誉欲しかないそのキャラクターの定型ぶりが他の深刻なキャラクターたちに比べどこか上滑りしている感じがあって興を削ぐ。大団円を迎えた後でこいつがどうなったのかにも興味があるところで、あの正確だったら突然現れたウロボロスも幻と決めつけ再び金に飽かせて収縮実験を繰り返し、世界を終末へと追いやろうとしたって不思議はない。

 そうなっていない展開があるなら彼はその後にどうなったのかを、知らせてくれたら安心してミホやアイたちが美少女となり美女となり、ユウもハルカも立派に成長していってくれたと思えるんだけど。番外編とか続編とか、あるのかなあ。青い雪になったカラスやトビやアトリたちの”その後”があるならそっちにも興味。見たいなあ。ともあれ半年間、絵としても物語としてもとてつもない濃密な作品を見せてくれてありがとうと感謝。今世紀でも屈指の作品として歴史に刻まれることだろー。たとえ「東京アニメアワード」で賞にまるでかすらなくっても。かすりもしないだろーけれど。


【3月28日】 美人薄命、とは限らない。というよりむしろ長命でなおかつしたたかにその生と性を謳歌し尽くすものらしー。岩井志麻子さんの「べっぴんぢごく」(新潮社)は物乞いの母親から生まれた娘が訳あって分限者、というからつまりはお金持ちの家に養女にはいって送る一生を主軸に描いた小説だけど、出てくる女たちがどれも真面目さとは対局にいる異端者ばかり。なのに何故か悲惨には見えずむしろ羨望すら浴びそうな生涯を送って死んでいくから悩ましい。

 まずは主人公のシヲ。薄汚れたなりはしていても実はとてつもない美少女で、養女に入った時にそれが分かって以降、村でも評判の美女として縁談も舞い込む。その中から適当な相手を選び結婚した彼女。まるで馬面の不細工な男が相手だったこともあって生まれた娘はこれまた醜女だったけど、シヲはそれを別に気に病むこともなく、むしろ冷たくあしらっては淡々と生き続ける。一方で醜女ながらも縁談だけはちゃんとあったその娘。なぜか夫ではなく別の物乞いの子をはらんで出産する。

 こうして生まれた小夜子が祖母に似て美少女で世間の評判を浴びるがこれまた祖母に似たのか奔放で、初潮を迎えたばかりでピアノ教師の子をはらみ出産しては、それを母の子として押しつけつつ、自身は東京へと出て女優をやり歌手をやり、芽が出ず帰郷してもやっぱり衰えない容色を誇りながら祖母とどうように淡々と生き続けてはやがて死ぬ。さて小夜子から生まれ母の娘として育てられることになった子供は女の子ながらも果たして”人”かと言うのもはばかられる存在で、これで絶えるかと思われた家系だったがその子が流れかくまわれた男の子をはらみ、そして美少女を産み落とす。

 さらに続く淫乱と放蕩の系譜。すべてはルーツにあった禁断の情愛から続く因縁とも言えるけど、だからといってそうした出自を誰も気に病むことはなく、美少女は美貌を誇り我が意に従い奔放に生き、間に産まれる醜女もそれで自分の性を満足させては生を送る。なるほど幼くして孕み母に似ない醜女に産まれ人ならぬ子を産み禁断の恋をする女性たちの日々は傍目には地獄に見える。けれどもそれを気にしない当人たちにとって日々は果たして地獄だったか。分限者で生活に不自由なく思いにも自在だった女性たちの姿はむしろ極楽のそれに近かったのではないか。

 もちろんそうした己の思いをせき止められない女の有様そのものが、地獄に例えられる懊悩の現れなのかもしれないけれど、それでも日々の糧に困らずに一生をまっとうしていく彼女たちの有様を、地獄と呼ぶのはいささかはばかられる。最終エピソードで見せられた、絶える間際まで行った家系がふたたび繋がる可能性を見せらると、願っても断てない家系の因業にこれが地獄と感じられないこともない。けれども一方では喜びもあってやはり断じるに憚られる。作者が何を思い「べっぴんぢごく」の題をとったか。それは真の意味での「地獄」なのか。是非に聞いてみたいところ。一緒に地獄には堕ちたくないけど。

 味がどうかはともかくいわゆる新ジャンルと呼ばれるビール系飲料でもキリンビールの 「のどごし<生>」は、ぐっさん山口充智さんの押し出したっぷりなCMを見てあるいはぐっとやっちゃいたくなる気もちょっとは起こる。あるいはサントリーが所ジョージさんを使って売り出した「ジョッキ生」が所さんのどこかお気楽な感じと重なって、気楽に飲めるビール系飲料として1週間で160万ケースという前代未聞の出荷を獲得したのもよく分かる。けどあの福澤朗さんが珍妙な眼鏡をかけて宣伝している「新生3」だけはどうにも買おうという気がおきない。巧いのか。どんな味なのか。どんなシーンで飲むのか。あのCMからはまるで浮かばない。そーゆー提案がまるでなくってシーンを想像できない。だから苦戦しているんだろー。お陰でビール系飲料を発表酒にビールも含めた総計で、アサヒはキリンに1月2月と追い越されてしまった。

 その反省もきっとあるんだろーアサヒビールが5月30日に満を持して投入する「ぐびなま。」は、泡立ちのイメージが大きな文字の中にあって熱い最中にいっぱいやるとすっきりできそーな印象を受ける。その意味では「ジョッキ生」に近い雰囲気で、うまく売り出しさえすればそっちに流れた客を奪い返せそうな予感がするんだけど、何故かアサヒビールがそんなお気楽感漂う「ぐびなま。」で狙っているのは流行に聡い20代から30代といった戦。彼らが疲れて帰って家でいっぱい、あけるビールって想定をマーケティングの人は持っているらしい。

 けどそーゆー人たちっていったいどれくらいいるんだろう? ビールよりも酎ハイで育ちワインを嗜みカクテルをたしなむ若い世代が団塊サラリーマンよろしく疲れて帰って家でプシュッ! プハッって東海林さだおさん的シチュエーションに喜ぶとはちょっと思えない。むしろ爽快感と明るさを訴え仕事のあとに家にあつまりわいわいとやるなかでガンガンいったり、休日にアウトドアなんかへと行った先でガンガンと開けるイメージの方が狙う世代的にはマッチしているよーな気がするんだけどどーだろー。

 その場合も「ぐびなま。」って大きな書体は目立つけど主張は少なく底抜けの明るさって奴をちゃんと醸し出してくれる。あとはだからそーしたシチュエーションを提案できるCMを、タレントも含めて起用することなんだけどでも、やっぱり仕事後のプハッってイメージを持ったCMが作られてしまうんだろーなー。さてどうなるか。まだ明らかになっていないプロモーションと、その決壊ちょっと注目。

 ちょっぴり微熱のある中を秋葉原へと向かって4回目を迎える「アニメ感想文コンテスト」の授賞式に紛れ込む。去年までなら「東京国際アニメフェア」のステージイベントとして開かれていたから、一緒くたに取材も出来たんだけど今回はフェアも終わった後夜祭というにも微妙なロケーション、すなわち「東京アニメセンター」に併設のシアターに平日の夕方から客を集めて開くとゆー英断に、いったい何があったのかと不思議な気分が巻き起こる。なるほど日本動画協会がそこに拠点を持って来年から「東京国際アニメフェア」の事務を担当するって話しは石原慎太郎知事も話していたけど、それだったら半ばこけら落とし的な華やかさの中で晴れの授賞式を挙行して欲しかった。

 ところが到着すると受付は前のイベントの後始末が真っ盛りで担当者は不在。そのまま流れ込む形で始まってしまって最初は誰が受賞したかも分からなかった。後でリーフレットはもらったけれど、数が無く集まった人の決して満席ではないにも関わらず全員に配れなかった模様で、受賞者の作品のどこが素晴らしいのかを豊口めぐみさんによる朗読で前文を聞いて終わりで、後で確認できないってのはちょっと辛いとこかも。まあ生の豊口さんでなおかつ眼鏡をかけた豊口さんを見られただけでシアワセって人もいたよーで、朗読が終わるとそそくさと席を立ち帰った人も散見されたんで、受賞作がどんなかま別にどーでもよかったのかも。

 ちなみに受賞作はまだとっても若いらしー椎名健人さんって人による「『イノセンス』への感謝状」って作品。印象からいえばアニメに自分発見ってニュアンスで、それを普遍的な評論と見るとややものたりない気もするけれど、「感想文」という括りで自分がどんなに「イノセンス」から影響を受けたのかを語った内容は実にストレート。その真摯に賞が授けられたと見るのがこの場合は正しいんだろー。流石に王道も王道な作品だけあって、誰かが書いてるどこかで見た文脈だってことはこの際あんまり関係ないってことで。ただそれだとあまりに何なんで、切通理作さんはあまり誰も批評しない作品についての感想を求めた様子。その結果が「まほろまてぃっく」に「ファンファンファーマシー」に重鎮ながらも押井さんよりはやや下目の細田守さんに関する感想文3本が優秀賞を受賞。終わってみればバランスのとれた授賞になったんではなかろーか。

 日下公人さんの愉快な挨拶とかも聴けた式典は後半に「月刊アニメージュ」の矢野編集長と第一回目の受賞者で東京都も認めたアニメ評論家、藤津亮太さんを招き「アニメ感想文コンテスト」のコーディネーターもしている竹内義和さんが「アニメ評論で食えるの?」ってゆーみもフタもないテーマでの座談会。つまりは「評論だけでは食えない」ってことでいつかは喰いたいと期待に胸躍らせてやって来た受賞者には残酷な言葉が突きつけられることになった。果たして何を思いそれを聞いたか。

 座談会ではだからそーした評論が掲載できるメディアを作ろうよって竹内さんがけしかけていたんだけど、過去に「アニメ批評」だの「ニュータイプ・マーク2」だの獅子累々だったりするその世界。タイプこそ違え「アニメスタイル」も紙媒体は長くお目にかかっていなかったりする訳で、つまりはなかなか成立しがたい環境を、変えるには一朝一夕ではいかないってことを竹内さんには分かって欲しかった。コーディネーターなんて立場があればそれなりの場を作れるじゃん、藤津さんの奮闘にかけるよりも手っ取り早く。

 ただ竹内さん自身はどちらかといえばクリエイティブな方向での活動が最近は多い模様で、自分が東京都だか経済産業省だかからもらえるよーになったパイロットフィルムを作る資金を充当して立ち上げている企画とやらを発表。動物と機械が合体したよーな「ZOIDS」に雰囲気似てたりするかもしれないメカが出てきてそれは固そうに見えるんだけど柔らかかったりして、もしかすると「アストロガンガー」に使われていた生きている金属で作られていたりすのかもって想像もしたけどそれは聞けなかった。

 また語られた頭にインディアンの羽根飾りみたいなのがついたメカの凄さも今ひとつピンと来なかったけど、そこでは矢野編集長みたくうなずきつつ納得した気持ちになって、そうかなるほどこんなのが立ち上がるのかと思いはしたものの、新作のアニメのそれもパイロットフィルムが国の予算で出来ることと、アニメ評論の需要が高まりアニメ評論が掲載されるメディアが増え、アニメ評論家が評論で食べられるようになることの因果関係だけは最後まで分からなかった。それとも国からお金を引き出しパイロット評論を作れということか。なるほど流石に奥が深い。という訳で東京財団には年間に幾らの予算かは不明ながらも「アニメ感想文コンテスト」を実施している費用と同じくらいを充当して、アニメ評論誌を立ち上げてやって戴きたいもの。器さえあれば既存のメディアでなかなか描けない批評がわんさと集まりさぞや充実した内容のものになるだろーから。あれのワルクチとかそれのホメ殺しとか。読みたいなあ。


【3月27日】 「タクティカル・ロア」はラス前に来ていきなりのクライマックスで、世界が崩壊するかもしれない事態に巻き込まれては立ち向かう「パスカルメイジ」の面々に、果たして勝ち目はあるのかあるんだろーなそれがお話って奴だから。過去に本格的な戦闘は1度か2度あっただけ。あとは水着に下着にラブコメに嫉妬と友情なんてドラマのてんこ盛りで、世界を揺るがす戦略に戦艦潜水艦の戦術をたっぷり見せて感銘させる類のアニメになり得たところを割り切って視聴者サービスに徹した割り切りは、それはそれで認めなくてはいけない。だって楽しかったし。それにしても果たしてどんな決着が付くのか。それとも付かないのか。期して待とう。まさか26話とかってこと、ないよね?

 それから「Fate/stay night」も。何だか遠坂が思わせぶりでこいつ俺様に気があるのかそれともないのかって惑わせるあたりが恋愛シミュレーション(違う、けど半分そう?)ゲームに出自の作品だけのことはある。本命セイバーは健気にも戦っては敵を討ち果たすものの体力を使い果たしてダウン。そこを抱き留め寝かせそして……って展開に至らないのはメディアがテレビって制約故か。顔は見せないけれどバディはナイスも際まっていたライダーの退場は痛いとことだけど、その分を残されたセイバーに遠坂で楽しませてくれると信じてこちらも見続けよう、ってあと1回くらい? とにかくちゃんとまとまってくれることを期待。DVDとりあえず買うつもりなんだから。

 あっああんあん、あっああんあん。って脳天気さがウリだったはずなのに「トップをねらえ2」は第5巻へと来てぐっと陰気な展開へ。実はとてつもない存在だったことが明らかとなったノノとは対照的に実は役立つ存在だったことが分かった宇宙怪獣を敵と認めて戦っていたトップレスたちは冷や飯ぐらいの立場へ。顔に巨大な枷をはめられ額のマークを外せなくなってラルクもチコも病院住まいの軟禁状態。持てはやされては持ち上げらるノノへの想いをくすぶらせつつ日々を無為に過ごしている。そんな折り、冥王星だかに現れた新たな変動重力源を相手にするため向かうノノの希望で連れ出されたラルクは、闘いの中で次第に自分の居場所を見つけノノとともに最後の決戦へと挑む。

 気持ちを満面にしたところで起こった意外にも異常な展開。梯子を外されたラルクに、そして人類に果たして未来はあるのか。これはもう最終巻を見るしかないって引きもたっぷりなエンディングに商売巧いなあとうなりつつ、それでも買ってしまうだろう我が身の情けなさに嘆息する。ノノが漂っていたことが明らかになったけどそれが前シリーズとどーゆー関わりを持って来るのかにも興味。「ヲカエリナサイ」の文字に匹敵するだけの感動が得られるのか。それ以上の驚きが待っているのか。あえて続編。そしてまったく違う絵柄にノリを持ち出しただけの納得のいく帰結って奴を、見せてくれると信じて待とう、発売を。しかし何時だ。

 3600万円でお買いあげ。した訳ではなくってかり出したんだろーけど東京もど真ん中の歌舞伎町に榊原機械のウォーカーギャリア、じゃなかった二足歩行ロボット「ランドウォーカー」が出現。ペプシコーラの新しい商品「ペプシNEX」のキャンペーンに駆り出されて、歌舞伎町に突如現れたジャンヌダルクが襲われるところを助ける役柄として美形な兄ちゃんの操縦によっていつもだったら殴られ屋が殴られているシアター街の広場を、のっしのっしを歩いて見せた。いやあ群馬まで見に行く時間はなかったけど、本当にちゃんと歩くんだなあウォーカーマシン、じゃなかったランドウォーカー。

 前だけじゃなく後ろへも下がることが可能だったのは意外。いや逆に駆動させれば良いんだろーけれど、前へと歩くバランスとは違うバランス感覚が必要とされる訳で間接の動かし型も違う後じさりを、ちゃんとやれるところにこのマシンの”実用性”を見た感じ。もっともそれで何か生産的なことが出来る訳じゃなくって、キャンペーンの場で威容を見せては大向こうを狙うくらいしかまだ役に立たないんだけど。次はいったいどこで見られるかな。それよりどこか本当に作ってもらって購入するところは出ないのかな。六本木ヒルズの成金企業だったらひとつ買ってけやき坂を下るくらいの外連って奴を、見せてくれたて罰は当たらないのに。無免許で罪に問われる? それでも証券取引法違反よりゃマシでしょう?


【3月26日】 流石に今日は「東京国際アニメフェア」へは向かわず家でとりあえず「交響詩篇エウレカセブン」を見る、ちゃんと生で。思えばこの1年に渡り散々っぱら話しが見えないだのキャラの正確が読めないだのヒロインがみすぼらしくなっただのタルホのジョブチェンジが気にくわないだのと悪態を付いてきた作品だけど、その割には生での鑑賞率が高いのは、それだけリアルタイムで確認したいと思う何かがあったから。その意味においてはこの作品、2005年から06年を代表する作品だったってことになるんだろー。でも06年度に入った途端に誰も語らなくなるんだ。1年を放映して言論的な毀誉褒貶を受けても商業的なムーブメントにまるでならなかった作品もまた珍しいかも。続くのは「BLOOD+」。間違いない。

 んで地球。やっぱり地球。富士山よりも高く盛り上がって覆った珊瑚礁の上で暮らしていた人類。きっと空気が薄くて大変だっただろー。でもって降り注ぐ紫外線の強烈さにやられて皮膚ガンも大量発生していただろー。って疑問は果たして成り立つのかどーなのか。あと海もないのにどーやって循環していたのかって謎も。まあいいやそんな些末なことより物語りだ。地下におりても散々っぱらゴネて悩んでいたレントンも人の振りみて我が振り直せとばかりに落ちてきたアネモネの気持ちに矛盾して戦う姿に哀れみを覚え彼女を救う。さらに落ちてきたドミニクがアネモネを空中で抱き留め「君はどこへ落ちたい?」……とは言わずに何故か白い塗料がはげ落ちた「タイプゼロ」に救われ地表に舞い降りる。

 離れようとするドミニクとアネモネの手を間に入って引き寄せるガリバーが最高。1年に渡って繰り広げられてきた物語の中でここが1番の感動的な場面だった。そう思う人もきっと沢山いるんじゃなかろーか。つかベッドの上に乗っただけで床面がたわむ程の重さのあるガリバーを、よくぞドミニク頭で受け止め首の骨が折れなかったものよ。しかしデューイの攻撃は病まず中心核を失ったスカブコーラルは大爆発。そしてなぜかタイプゼロが消えニルヴァーシュも泡と消えてしまって残された外骨格に乗ってレントンと子供たちはいったいこれからどーなるの? 起こり得る統制を失ったスカブコーラルとのバトルは始まるの? その場にニルヴァーシュなしでどーやって戻るの?

 そこで巨大化ですよエウレカの。羽根を生やして巨大化しては地表へとレントンとアネモネとドミニクを送り返しさらに巨大化してはすべてのスカブコーラルを融合、新たな中心核となって大地を統べるとゆー寸法。さらにはガラガラと崩れ落ちて地表にその巨大な首が横たわり、それを遠くに眺めつつタルホが一言「きもちわるい」。んでホランドが「つわりか?」。果たしてそーなるか。「アニメーン・オブ・ジ・イヤーですねby6号」の発表会で聞いた話だと今なお原画チェックをしている最中とかで来週の1時間スペシャルにどんな影像が流れるのかにも注目だ。もちろん生で見るぞ。

 そして一足早く「おねがい、マイメロディ」の最終回。まさかあの電波な歌詞で涙を流す羽目になるとは。おそるべし。とくに次々と倒され諦めムードの漂う中で奏が伴奏もないなかをひとり唄い始めた場面は加藤夏希嬢の微妙な揺れる音程とも相まって、背筋にふるえが走ったよ。ダンスのうれしはずかしな振り付けといー見所満載。作画はちょっぴり揺れていたけど滲む涙の前ではそんな些末なことなど気になんてならないのだ。マイメロの母の淡々として凄みのあるセリフに脅かされつつ迎えたエンディングに新キャラ。最終回なのに。何故? それは来週から始まる新番組で明かされる。その全容、今週の制作発表会で見て来よう。夏希さんに唄ってもらえると嬉しいかも。

 サッカー成分が薄まって来たんで「東京国際アニメフェア」へと行かずに秋津へとJFLの試合を見物に行く。今年からJFLに上がった「ジェフユナイテッドクラブ」とそれから「YKK.AP」との試合はいくらジェフがジェフって名前だからって強いと思っていたら大間違い。去年まではアマチュアの名乗って地域のリーグで戦っていたチームが勝ち上がってノンプロの最高峰に上がったばかり。それが去年の2位の強豪と対決では勝つって方が無理だった。トップチームからフォワードの川淵選手やディフェンスの巨大な田中選手とかが加わったところでそれは同様。中盤からボールが廻らずサイドチェンジも少なくパスやトラップをミスっては奪われ攻められ3得点を奪取され、そのまま敗れ去ってしまった。

 4バックなんでサイドに釣り出されると中央が開いてそこを突破されるのも問題か。まあそれでもジャンボな田中選手はカバーリングもそれなりに見せたしコーチングも割とやっててこれでもうちょっと頑健さが出てフィードに力も入ればその巨大さでもって少しは上に貢献してくれそー。川淵選手はうーん、前に東京ヴェルディ1969との練習試合でも見たけれど気合いが先走っているっていうか巧さが空回りしているっていうか、周囲に生かしてくれる人がいないとサイドで孤立してしまって役に立たない勿体ない。まあそれでも34試合ある中でもまれ成長すれば、出られないトップチームで少ないサテライトで試合しているよりよほど強い選手になってくれると信じよう。市原選手はいつから出るのかな。

 眠くて仕方がないんで帰って眠る春。それから近所の「ときわ書房本店」(アニメ関係が妙に充実)で買っておいた「ぱにぽにだっしゅ」のDVDの第5巻を見てオープニングの「少女Q」をほとんど初めて真っ当に聞く。こーゆー曲だったのか。巻頭の学園祭のエピソードでよく見ると樹の上にびんちょうタン。そしてモブシーンのバックに「ヤングキングアワーズ」で連載中の「それでも町は廻っている」に出てくる喫茶シーサイドのメイド3人(うち1人は婆さんだ)も発見。いったいどーゆー趣味なのか。誰の関心事項なのか。あるいは「それ町」のアニメ化計画が動いているとか。だったら嬉しい。


【3月25日】 こりゃ面白い。むちゃくちゃ面白いから三浦しをんの「まほろ駅前多田便利軒」(文藝春秋社刊)をみんな読もう。主人公は便利屋を営んでいる多田という青年。過去にいろいろあり。んでもって郊外に便利屋を開いて犬小屋の修理とか草むしりとかチワワの世話とか塾に通う小学生の送り迎えとかしてる。バス停に来るバスが間引き運転されているんじゃないかを見張れって妙な依頼も。んでそれをやってる途中にふと気が付くと側に誰かいて、それが高校時代の同級生だったことに気付く。

 学生時代に会話はなし。というよりその男、行天は高校に通っていた時にまるで喋らずただ1回、指が工作機械に挟まれ飛んでしまった時に「痛い」と言っただけで皆から気味悪がられていた。それがなぜか多田を覚えていて再会した時も多田にちゃんと話しかけ、会話が始まりそのまま多田の便利屋に転がり込んでかくして男2人お奇妙な共同生活が幕を開ける。となるいわゆるボーイズ(ちょっと歳いってるけれど)ラブな展開へと流れ進んでいくんじゃないかと思う人もいそうだけど、さすがに文春そこまでくだけてはいない模様で、いわゆるバディ的な雰囲気でもって過去にそれぞれドラマを抱えた2人が織りなす物語へと流れていく。

 チワワの元の買い主を捜し出し、そして新しい買い主を見つけに奔走し、そこで新たに発生したストーカー事件に巻き込まれ、塾に通う小学生を送り迎えする仕事の最中に新たなな事件に遭遇し、それらの事件で関わりが出た人物から新たな仕事が舞い込みこれまたひとつの事件に発展しては巻き込まれるというエピソードの連鎖が読んでいて実に心地良く、次に何がおこってそれからどうなるんだろうって興味から次々にページをめくらせる。なおかつそれぞれの事件では人と人との関係って何だろう? ってテーマが描かれていてそれぞれの場合にそれぞれの答えなり、あるいは考え方なりが示されていて繋がりって良いなって心に浮かび染みてくる。

 近所づきあいから頼んでいたような作業が近所づきあいの希薄化もあって難しくなった状況を、心理的なつながりを排除して金銭的な一時の関係でもって代替するのが便利屋という仕事で、そんな仕事を営む多田は、どちらかといえば人間関係を疎んじ斬り捨てようとしている種類の人間だけど、そんな彼が世をすねているように見えて、けれども感情に純粋な行天との出会いがあり、また仕事先で出会う人たちの人と人との繋がりを見るうちに、ちょっとだけ沈んだ心に暖かみを取り戻していく。人の繋がりを描く物語に便利屋って設定が絶妙に巧妙に決まってる。巧いなあ。

 そして構成も。バス停での再会という光景の今一度の訪れ(実は間にもうひとつ、バス停での出会いがあってこれも重要な要素として本編に絡む)に嬉しさがわき上がり微笑みが浮かぶ。これまでの作品だと巧さもあるけど時にあざとい雰囲気もあった構成の妙が、この作品では凄まじくも冴えて完成されたパズルのような輝きを放ち、展開に付いて読んで来た人たちに達成感を覚えさせる。差し挟まれる会話も上等。何よりキャラクターたちがすべてにおいて心を持って生き生きと物語りの世界を泳ぐ。紛う事なき傑作。三浦しをんの転換点となるべき小説で、これでのぞむ文学賞レースの行方に今からワクワクしてる。

 いやもうこれを読んだら映像プロデューサーの人は、白紙の小切手を持ってエージェントをやってるボイルドエッグズに駆け付けるべき。格好良い男2人に美女に子供に悪党にチワワなんてキャッチてんこ盛りの作品なだけに、映像化されたら評判にならないはずがない。映像化するなら多田は誰で行天は誰が良いかなあ。浅野忠信にオダギリジョーはちょっと勘弁。豊川悦司とかもちょっと老け過ぎている。かといってジャニーズ系ってのもなあ。奴ら躁的な演技は巧でも寡黙ななかに何かを感じさせる演技に長けてないからなあ。でも起用されればヒットは間違いないし。長瀬と岡田の「タイガー&ドラゴン」コンビならあるいは。とにかく早急の影像化を希望。イラストの下村冨美さんによる漫画化とかも。

 んでもって3日目の「東京国際アニメフェア2006」は映画「ブレイブストーリー」の発表会に凄い人。ウェンツのファンか。そんなごった返す会場を早々に抜けて「東京国際アニメアワード」の発表会へ。午後3時に開場ってんで行くと受付で40分くらい待たされ20分前に入場とかってなってて段取りが意味不明だしそもそも「アニメフェア」と受付が違うってのも不明。同じイベントなはずなのに、腕章なんかも別に用意している所をみるとこっちは東京都が仕切っている模様で、そのためか運営に官僚臭さが微妙に漂う。フロントはそれなりに親切なんだけど、根っこが固いんで如何ともしがたいというか。間に挟まれるフロントが気の毒。

 開会されてまずは去年から始まった特別功労賞の授賞式。井上ひさしさんに清水マリさんに久里洋二さんといった伝説の名前が生身で登壇する姿に感動。アニメの黎明期から活躍し続け21世紀の今にこうしてお目にかかれる喜びは何事にも代え難い。世界に冠たる日本のアニメと讃えられる現在があるのも、ここにこうして特別表彰された功労者の人たちの、挑戦と活躍があったればこそと改めて思い知る。願うならそこに物故となった声の名優達も欲しいところだけど、現役物故者を含めて清水マリさんくらすとなると……いるなあ、アニメ界の未だに現役の長老達。そんな人たちを差し置いて、50代60代が受賞するはずもない。まずは山田康雄さんからか。冨山敬さんその次だ。

 続いて本編。「東京国際アニメアワード」は個人に対する部門賞から始まって、監督はこの人しかない、って訳でもないけどやっぱり授賞の富野由悠季御大で、声優は「ブラックジャック」の大塚明夫さが授賞し美術は「蟲師」の脇威志さんで音楽は劇場版「鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」の大島ミチルさんで原作も同じ作品で荒川弘さんが授賞。キャラクターデザインは「交響詩篇エウレカセブン」の吉田健一さんが授賞し脚本もやっぱり「エウレカセブン」で佐藤大さんが授賞する。つまりはこの1年間のアニメにおいて「エウレカ」の脚本が「マイメロ」よりも「ファンタジックチルドレン」よりも「かみちゅ」よりも「甲虫王者ムシキング」よりも素晴らしかったということで、オーケー? 素晴らしい趣味だ選考委員。

 作品賞では映画部門は国内はやっぱり劇場版の「Zガンダム」とそれから劇場版「名探偵コナン」でまあ妥当、か。海外映画は「Mr.インクレディブル」でこれも妥当。そして栄えある「アニメーション・オブ・ジ・イヤーですねby6号」は劇場版「ハガレン」とま、妥当と言えば言える選定に落ち着き水島精二監督が石原慎太郎都知事からトロフィーを受け取っていた。おっとOVA部門を忘れてたよこっちは「鴉 −KARAS−」と「戦闘妖精雪風」と納得のセレクト。5年をかけて完結させた「雪風」の受賞はクオリティの良さもさることながら足踏みする制作をそれでも最後まで引っ張りやり遂げた、すべてのスタッフと我慢したバンダイビジュアルに捧げたい。だから「鴉」もちゃんと出そう、最後まで。

 その後に石原都知事が長広舌。曰く「会場を回って企業に属さない連中と話してきて(クリエーターズ・ワールドの出展者たち?)、感心する者もあればマンネリもあった。絵や画像に個性が出てこないと行けないんだが、だいたい似ているねえ、日本のアニメは。もっと工夫しなさいよ」とお小言。それから横浜で中田市長がやり玉に挙げたおそらくは「グラン・セフト・オート」辺りの残虐さを挙げて、「散弾銃持って通りすがりの人間を撃つゲームの中でどういう情操が形成されているのか。やっかいだ」って指摘する。アニメの話にどーしてゲームが出てくるのかは不明だけど、あるいは極北としてそーした作品を挙げて昨今の刺激に溢れた作品への警鐘としたかったんだろー。

 ここで持ち出したのは1955年のフランス映画「空と海の間に」。この粗筋を説明した上で「善意がいかに達成されるか、いかにハラハラさせられるかということも考えたらどう? ギトギトしたのはもう慣れちゃった。刺激的だけど芸がない」と断じる。自身が体制に挑んだ作品でデビューしたアナーキーな作家にしてはってな意見だし、アニメに限っていえば「グラン・セフト・オート」みたいな、プレーヤーの想像力が結果として能動的な悪事へと向かう作品はあり得ない訳で、その議論の飛びっぷりに疑問も浮かんだけれど、刺激ばかりが横行する現状を憂う気持ちから出た「若いんだから、頭ひねって面白いプロットを考えようよ」って意見には、同意できないものでもない。

 ありきたりの設定のありきたり度を極めることで受けを狙う作品の、エスカレーションぶりに反応して喜ぶ受け手もそりゃあいない訳じゃないけれど、あまりに極北へと行き過ぎていて、いい加減に受け手にも飽きが出ている。それより絵による演技なり演出でもって感じさせ、ストーリーによって考えさせてくれる作品がもっと欲しいってのも昨今の個人的な心情で、そーした所への評価って奴をだから「アニメアワード」にもして欲しかったんだけど、うーん「エウレカセブン」。まあ良いけどね、最初の出だしと最終回付近の盛り上がりはこれで嫌いじゃないし。

 例年だとレセプションも取材していくんだけど、今年は東京都様のご意向とかで何かメディアはお呼びじゃなさそうな雰囲気があったんで、入り口とかで追い返されるのも鬱陶しんで寄らずに帰る。警備の関係? あるいは都職員の黒田さん一家とか来ていたとか。そんなレセプション会場へと向かうエスカレーターの前に乗ってた富野監督が、呼びつけておいて2時間も座りっぱなしにさせるなんてと苦笑しつつ話している姿に内心で激しく同意。どうやら「アニメフェア」自体の運営は、来年から動画協会に事務局が移るっていうけど果たしてこの官僚化も進むイベントに柔軟性とエンターテインメント性をもたらすか。でもなあ。「秋葉原クロスフィールド」に出来た「東京アニメセンター」の様子を見ると心も曇るなあ。何だあれ。近所のアニメショップの方がよほどグッズも充実してるぞ。


【3月24日】 マイスター・オトメの大バーゲン。過去にチラリチラリとは出てきていても声とか意思とかまでは紹介されていなかった各国とそれから5柱のオトメが次から次へと出てきては、陰謀に加担し戦闘に加わりくんずほぐれつの大乱戦へといよいよ次週に突入の模様。だけどその次週で1時間スペシャルながらもお話は終わり。オープニングとCMで散々っぱら見せられたナオのスパイダーマン風ローブも本編では最終回こっきりのお披露目となりそー。美麗ではないけど淫靡な雰囲気もあるだけにもっと見たかった。それともDVDのおまけ映像にはいっぱい出るのかな。それなら買わなきゃな。迷いどころ。

 5柱も勢揃い。仮面がトレードマークみたいだったサラが現れハルカが慌ておののいたのは何故なんだろー。苦い思いででもあるのか。もう1人もどこかの田舎のモーテルでカズくんと宜しくやってたアカネの所に出現。英語で「5柱」なんて書いてあ手帳を見せていたけどそーやって身分証明されるものなのか5柱って。ジェムだけで良いのに。それだと視聴者には伝わらない? なるほど親切設計だ。さらわれたカズくんはカルデアの王様にでもなるのかな。そのオトメになったらアカネ、一生添えないってことになるけど果たして。

 それともたとえ添い遂げても、ナノマシンへの交替を作る要素を体内に入れなきゃいいのかな。どう見たってセルゲイとの一夜を明かして目覚めの朝を迎えたニナだけど、セルゲイの危篤状態に耳たぶのジェムを発動させてハルモニウムを稼働させていた所を見ると、開かれるかどうかではなく浴びせられるかどうかがここでは問題なのかも。卒業の武闘を目前に駆け落ちしてから割に時間も経っててそれなりな夜を過ごしただろうアカネをスカウトに5柱も来ることだし。それはつまりカズくんが我慢し続けたか寸止めの技を駆使したかってことか。あれでなかなか立派な王になるかも、ね。

 映画化って一体どこを切り取るのだろー「灼眼のシャナ」。天道宮でのバルマスケたちとの闘いはひとつのクライマックスで、テレビシリーズをここまでにしたのは正解だけどここ以降、最大に盛り上がるのは時代を遡った先代の炎髪灼眼の討ち手が最後の闘いに挑むエピソード。だけどここにはシャナは当然ながら出演できない訳で映画化には難しい。かといってショボい敵を相手の半ばラブコメチックな話題も交えたエピソードでは弱すぎる。総集編的な扱いが妥当かなあ。それでもいいか、大スクリーンでシャナのアップを身ながら5・1チャンネルで「うるさいうるさいうるさい」と言われる快感、味わえるんだから。

 そして目覚めて今日も今日とて「東京国際アニメフェア2006」に言ったら竹熊健太郎さんがステージで話してた。いよいよ「サルでも描ける漫画教室」のアニメ化か、ってことはまるで全然ありません。フラッシュアニメの有名な人の作品がテレビ朝日でもって放映されることが決まったってことで、そーした分野に詳しい? 竹熊さんが司会者として呼ばれた模様。元がライターなのに喋りもとても巧いのは時折間違えられるなぎら健壱さん譲り? ちゃんと仕切り場をつないでは順次しっかり進行して行き滞りなく発表会を終える。記念撮影にもちゃんと写ってなかなか。テレビ朝日のあれはプロデューサーさんだろーか、スリムな美女に視界の美女も含めたメンバーでも目立つ度だったら負けていないかも。

 それからそのままサンリオが長編だったらほとんど20年ぶり、短編でも91年以来だから15年ぶりくらいになるアニメ映画の製作をスタートさせるって会見があって見物する。多摩センターの「ピューロランド」から踊り子さんたちがわんさと駆け付けスカートをフリヒラと踊って見せてくれてステージ下からかぶりつき。見せて大丈夫な物であっても見えると嬉しいものですねえ。一緒に踊るシナモロールたちも可愛いかわいい。「ピューロランド」で歩いていてもむしゃぶりつきたくなる可愛さだけど、その”巨体”でもってちゃんと動き踊るところはなるほど今や看板となったキャラクターの、これが矜持って奴か。

 アニメはその「シナモロール」とそして辻信太郎さんの原作絵本から題材をとった作品になる模様。公開は07年の冬だからまだ先だけど、「シリウスの伝説」に「ユニコ」といった傑作アニメの数々を送り出してくれたサンリオが、敢えて発表してまで置く出すアニメにはちょっと注目したいところ。「シナモン」はアニメでも可愛いのかな。でも見るならやっぱりナマの踊り子さんたちの方がいいかな。そのあたり流石に二次元野郎でもキャラクターには萌えられません。クロミだったら……ちょっと興味。ちなみに「ピューロランド」にクロミ様の着ぐるみが登場するらしー。見た人いる? バクもいた?

 さらに「時をかける少女」のアニメ映画の記者発表。筒井康隆さんが来場して喋ってた。さすがに歳も歳だけあって貫禄もたっぷりだったけど、それでも言葉に笑いを差し挟もうとする意欲はスラップスティックに大家ってところ。何度となく儲けさせてくれる「時かけ」の孝行娘ぶりを好々爺然として喋ってくれた。それともこれは本気のお爺さま的なコメントか。うーん不明。けどしっかり締める部分は締めていたんで老いてもまだまだ執筆に影響はないって雰囲気。来年には「パプリカ」が今敏さんの監督で映画化なんでその時にも現れて、是非に好々爺ぶりを見せてくださいな。

 ちなみに話の方は芳山和子さんは主人公じゃないらしい。まったく新しい第2世代の「時をかける少女」になるみたいで芳山さんがそれなりに歳をとった時代を舞台に若い少女で元気だけど勉強はあんまり得意じゃない娘が時代を行ったり来たりするんだとか。その引き金になるのがラベンダーの香りなのかも不明。ポスターなんかに思いっきり「タイムリープ」って書いてあって人によっては高畑京一郎さんの「タイムリープ」と混同しやしないかと心配。だってある世代から下にとってはスタンダードは「時かけ」じゃなくって「タイムリープ」だろーから。けどそーゆー世代もすでに歳をとったか。新しいファンには貞本義行さんキャラデザで細田守監督によるアニメの原作としての「時かけ」がスタンダードになるのかな。そーゆー作品があるって作家にとってこんなに嬉しいことはないんだろー。稼ぐ云々よりも作家冥利に尽きる作品。やっぱり孝行娘だ。


【3月23日】 スポンジとタワシ。戦ったら勝つのはどっち? それは実に深淵なる問題だけどもしかしたら近い将来においてその結果が見られるかもしれない。「東京ビッグサイト」で23日から始まった「東京国際アニメフェア2006」の会場で、ニコロデオンってゆーアメリカのキッズ向けケーブルチャンネルのトップ企業が来日して会見を開いてそこで、あの全米ではすでに誰もが知っていて、日本人でもキモカワイイと女子高生が身に着け評判となっている「スポンジ・ボブ」の映画を4月に公開するって発表を行った。

能面のようなシンプルさを美とみるか、過剰な微笑みを美と見るか  それは良い。既定路線だ。会場には実にアメリカンな風貌をしてニタニタと笑う「スポンジ・ボブ」が現れ何故かやっぱり女性陣から「かわいい」って嬌声を浴びていたけどそんな真四角なスポンジ野郎に、日本から敢然と挑むやっぱり四角いタワシ野郎が現れた。四角くて。茶色くて。目があって。口があってギザギザの歯が生えている。タワシ。そう。あのNHKが誇る人気キャラクター「どーもくん」が会場へとやって来ては「スポンジ・ボブ」の本場に殴り込みをかけるって意思を表明した。

 何でもいよいよ本格的に「どーもくん」のアニメ、といってもCGだか人形劇だかのアニメなんだけどそれが作られることになって、延長線上でアメリカ本土のニコロデオンによって放映されることが決まったらしー。いやっほう。まるで派手さはないあの表情、とゆーより無表情でもってずずずっと迫り来てはあらゆる困難を解決していく「どーもくん」。その沈思黙考なれど不言実行な様を見れば、いかなアメリカ人であっても仮面みたいだ不気味だと最初こそ思え、やがてはその魅力になびかないはずはない。

 いかにもヤンキー面して世界をヘヘッと笑いのめしているだけの、スポンジ野郎の上っ面だけの人気にもこれで終わりだ、ジ・エンドだ。四角いキャラクターのナンバーワンは「どーもくん」が戴いた。スポンジなんて所詮は海面、ふにゃふにゃだ。しっかりと作られたカチカチのタワシにそもそもかなうはずがなかったのだ。「どーもくん」万歳。もsもこのの無表情ぶりが全米に大旋風を巻き起こしたとしたら、次は「どーもくん」と並ぶ二大無表情キャラの「モリゾー」が「キッコロ」を連れてオジャマするから宜しく。

 場内をゆっくり見て回る時間もそれほどなく、何が新作で何がものすごいのかまるで不明。ひとつ「ときめきメモリアル(仮)」ってアニメがコナミのブースで発表されていたけどこれはいったい何だろう、新しい恋愛シミュレーションゲームの元ネタか? って冗談はさておき前にOVAで出たゲームの第1作とも劇場版の実写映画ともまるで違うキャラにキャストで再びアニメ化になる模様。さてもどうなることか。フジテレビのブースでは「ブレイブストーリー」に関する展示を見物して記事にする、ほら一応はグループだし、給料は3分の1でも、うーん、何か腹が立ってきた。けど作品に罪はない。イベント中は時々中に雑伎団の娘があらわれアクロバティックなダンスを見せてくれるから、何もねえぞと素通りしないで聞いてみよー。頭の間から顔が出てくる凄まじさ。この柔らかさなら40肩とか関係ないだろーなー。羨ましい。

 さらにあれやこれや眺めつつ雨宮慶太さんが「GARO」のブース前でゼロの役者の写真を撮ってる姿を見つつプロダクション・アイジーの会見に。その名も「シュヴァリエ」って聞けば耳に覚えのある作品がアニメ化されるってことで行くと壇上にどこかで前に見た顔が。イケメンの。どことなくアン・ジョンファンな。冲方丁さん。そう「シュヴァリエ」ってのは冲方丁さんが原作を書いて「マガジンZ」で連載している漫画のタイトルでもあり「日経キャラクターズ!」に書いている小説のタイトル。そしていよいよこれがアニメ化されるってことで原作者にしてアニメのシリーズ監修者にしてシナリオライターとして登壇し、そのライトノベル界SF界きってのイケメンぶりを披露してくれた。

 それにしても普通はこーゆーアニメ化の発表ってプロデューサーに聞き監督に聞き原作者はそれを聞いて「お任せしてます」って言うのが普通なのに、この会見に限っては真っ先に質問を受け1番質問に答えていたのが冲方丁さん。メディアミックスとはどんなものかを見せてやるからその目をかっぽじいて跪け、とまでは流石に言わないもののどの媒体にはどんな傾向のものがマッチするかを精査し漫画なら漫画、小説なら小説、そしてアニメならアニメって形にしていったんだってことを話すその口振りは、一原作者に留まらないプロデューサーとしての言動に他ならない。そう「シュヴァリエ」はすべての中心に作家である冲方丁さんがいてその周囲を漫画なりアニメのプロフェッショナルが固めて進む異色にして最強のメディアミックスだったのだ。

 小説家は小説だけ書いていれば良いってのはなるほど真理で、それでご飯が食べられそれも100歳まで食べられれば言うことはないんだけど、そーも言ってられないのが流行り廃りの多いライトノベルの業界だ。今は主役を張っていたっていずれ後から着たのに追い越され、旬じゃないからと見放されて埋もれていってしまう。だったら常に自分を旬に保てば良い。あらゆるメディアミックスの中心であり続ければいい。そのためには自分が書くだけじゃなくって仕掛けていけば良いって考えを冲方さんは自ら実践しているんだろー。

 それは福井晴敏さんが「終戦のローレライ」なんかで映像と連携して原作を作り共に売れるように頑張っていたりするのと同じ状況。なおかつ冲方さんの場合は、ゲームやアニメの業界に関わってシナリオとか書いた経験が、映像化なんかに役に立っているみたい。映像の作法を知らない原作者がいきなりアニメとは、なんて言われたってプロは困ってしまうから。そこを自分の知識とそして相手の考えをミックスさせ、最善の形で形にしよーとチームを組み、プロジェクトを立ち上げ形にしたのがこの「シュヴァリエ」プロジェクト。きっと面白いものに仕上がってくれることだろー。ところで「丸どぅっく・スクランブル」のアニメはどーなった。それより以前に「マルドゥック・ヴェロシティ」の小説はどーなった。信託されたって肝心のブツがなけりゃ利益は出ないんですけど。ねえ。


【3月22日】 「owari」にひとつ「a」を付けると「owarai」になるなあ、なんてふと思いつつ痛い肩をさすりつつ見た「ノエイン」。篠原がうらうらと踊る姿の醜さが目に刺さって気持ちが高ぶるものの彼の世界を滅ぼす可能性を越えて何かを成し遂げたいってモチベーションの根っこが見えないのがどうにも居心地悪い。金もあるしそれなりの名誉もあって何故にそこまで? そこが分からないと最後まで単なる嫌な野郎だってことになってしまう。それとも単に嫌な野郎なのか。そんな野郎に滅ぼされかけてる世界が哀れ。

 一方でシャングリラに来たミホとアイとイサミの一行を相手にアトリが何だか格好良い。過去も始めて明らかにされてその負った傷の深さも見えて来たけど、それがミホへの関心につながっているんだとしたらどーしてそれ以前の、カラスと戦い深手を負うまでのアトリはあーまで残虐だったんだろー。すでにほとんどの記憶を取り戻し、力も快復して来た今のアトリとの差があるとしたらやっぱりミホか、眼鏡っ娘のパワーか。こいつにかかれば篠原だって改心したかもなあ。個人的にはアイの方がスリムで薄くて好みではあるんだけど。15年後のアマミクもそれで。しかし15年後のミホだけは未だ出ず。何故だろう?

 これを勝てば世界一のタイトルを決める本戦に1番で出られるという試合があって負けても2番で出られるという試合だったりもして、そこでひとつの勝ち負けが生まれる。続いてこれに勝てば世界一のタイトルに大きく近づくという試合があって負けたタイトルから大きく遠のくという試合があって、そこでもやっぱり勝ち負けが生まれる。さらに進んでこれに勝てば世界一のタイトルに挑戦権を得られる試合があって負けたら挑戦権を剥奪される天王山とも言える試合があって、またしても勝ち負けが生まれる。

 その価値を冷徹に考えるならば、最後の天王山ともいる試合の勝ち負けこそが重要であって、他は単なる通過点に過ぎなず大きな意味などないのかもしれないけれど、それでも広くとらえるならば、ひとつ世界一のタイトルを目指してしのぎを削った同じ大会で、同じ条件の中から選ばれた選手たちが同じコンディションで戦った勝敗を、ほぼ等価のものと認めるにやぶさかではない。

 結果、最後の試合が意味を持って前に2勝したチームが世界一のタイトルをとれなかったとしても、それはルールの上でのこと。残念と思うことは別にやましいことじゃないけれど、だからといってルールの上で世界一になれなかったことを噛みしめ、次回にこそそのルールの上で世界一になるよう精進することが、文化的な社会に生きる人たちの嗜みって奴だろー。

 けれどもどうもそーした概念が通用しない国ってものがあるよーで、結果として1回しか敗れてないんだから本当は強いのは2勝したこっちの方で、それを証明するためにもう1度、秋に試合をしてはどうだろうなんて言い出したりする。それもその競技を司る団体のトップの人が。なるほど数学的に理解できない訳じゃないけれど、仮に出場選手の条件がこの春の大会と同じ条件になったところで、世界一のタイトルのかかる試合とプレッシャーも違う”親善試合”の結果が、果たしてどれだけの意味を持つとゆーんだろー。

 それを踏まえて再戦を言っているんだとしたら、彼らは春の大会の中でなし得た超大国を相手にして得たひとつひとつの輝かしい勝利を、たかだかライバル国との何の意味もない”親善試合”と同価値だと言って、自ら減ようとしていることにならないか。ひとつひとつの勝利を噛みしめつつ、天王山に勝てなかった身を嘆き精進を誓って道を歩き始めた選手たちの決意をも踏みにじる言動を、団体のトップがしてしまうこの不思議さ。あるいはそう発言しなければ批判されてしまうため言わざるを得ない国の不思議さ。理解がとっても難しい。

 再戦だ何だって言い出すんだったら既に、アテネ五輪のアジア予選でこちはら1勝してるからタイであり、コナミカップはクラブチームが出場しているとはいえ国の代表と考えるなら2連勝していて、トータルすれば4勝2敗。秋の再戦で勝っても追いつけない。条件の違う”親善試合”を同じ価値だと考えるならば、過去のそうした試合だって勘案するのが筋ってものだけど、それはこれとは違うって言い出すんだろー。とにかく今を納得させることが最優先。そのためには堂々と不思議な言動を放って見せる。望むと望まざるとに関わらず、目先の納得のために世界が謎を抱く立ち居振る舞いを求められる難儀な国に、生きている人たちの大変さに、拍手。

 オタクで引きこもりでデブチンで中年でおまけに童貞。そんな野郎に果たして生きてる価値があるのかって現代だったら思われているけど、実はとてつもない価値があったんだって設定の小説が戸梶圭太さんの「ちぇりあい」(祥伝社)だ。米国帰りの冴えない教授が実は密かに見つけていたのが、童貞の脳にだけ発生するある物質。それを使うと不老不死に近い効果を持った薬が作れるってことが判明して、製薬会社に化粧品会社なんかが教授を抱き込み童貞の確保に乗り出した。

 黙っていられないのがその冴えない教授をライバル視して来た別の教授。スパイを送り込んで秘密を掴むと自分も童貞の確保に乗り出した。金に飽かせて集めては、物質が出やすいように童貞野郎をいじめ抜く。あるいは好き者が集まるネットを通じて情報を流し、映画館に集めてアニメ映画を見せて興奮したところを棒でぐさり。開いた穴から脳内物質を取り出し塞いでまた収穫できる時を待つようにする。

 一方の元祖の教授も金に飽かせて童貞を集めようとするものの、そこに送り込まれたのが中年のオバさんによる童貞切り軍団。車を止めさせ童貞野郎を眠らせてから上にまたがり童貞を奪って去っていく。敵に渡すくらいなら自分たちで使えなくするという消耗戦。そんなこんなで激しい童貞争奪戦が繰り広げられる一方で、商品化された若返り効果のある化粧品を奪い合う女性たちの凄まじい戦いも起こり始めた世界。ひたすらに混乱していくその裏に、実はとてつもない陰謀が進んでいた。それは……。

 とまあ読めばすなわちSFで、それも筒井康隆さんが描くよーな疑似イベントのエスカレーションを存分に楽しめるスラップスティックSFで、なおかつ現代の日本で話題になっているオタクに喪男に童貞野郎の生態に切り込んだ社会派SFでもあったりする。読めば童貞野郎は歓喜の果てに恐怖を味わい、非童貞は失われてしまった自らの価値を嘆きつつもそれ以上に得ている至福を味わうことだろー。それにしても凄まじく童貞にオタクの生態をえぐる小説であることよ。エンディングの眼前につり下げられた餌が目的の直前に奪われ、そして己が性向の哀しくもおぞましい様を思い知らされる場面に君は笑えるか。笑えるとしたら君こそがすべてを諦観してそう生きることを決意した真の童貞だ。


【3月21日】 でかけようか、とも思ったけれど昨晩より特段重い物を持った訳でも捻った訳でもないのに急に、左肩に痛みが走って腕が上にも上がらず左右にも曲がらなくなってしまって身動きに不自由して出歩くのも億劫。これが四十肩って奴かと我が身体の老化ぶりを嘆きつつ、これも厄年と諦め覚悟を決めて家で「ワールドベースボールクラシック」の決勝戦「日本代表vsキューバ代表」をひたすらに見続けることにする。まあ半分以上は最初っからそのつもりだったんだけど。肩痛はだから言い訳。天気の良い日に家にいるには言い訳が必要なのだ。それがおっさんという奴だ。

 んで試合。いやあ凄い。初っぱなからキューバを捕まえ一挙に点を奪い一方で松坂投手がキューバ打線を相手にぼんぼんと投げては三振凡打に切って捨てる。内野も守備がほとんど完璧。本塁打で1点を奪われたもののそのまま4回までを投げきり渡辺俊介投手にスイッチ。これが捕まり1点差にまで詰め寄られるものの逃げ切り最終的には10点まで奪って4点差で勝利。数字だけなら圧勝に見えるけどでも気を抜けば、一気に攻め立てられ大量得点されるかもしれない状況を、着実な追加点と大塚投手の流石は大リーガーって剛投で断ち切り見事な勝利。瞬間も気を抜けない緊張感は3時間近い試合の間もテレビ画面から目をそらさせることを許さない。

 サッカーでも1時間半の試合時間の途中に怠惰なボール回しが続いて眠たくなることもある。ましてや攻守が切り替わる間があり投げて打つ間もある野球はテレビで見るには退屈過ぎるスポーツだって気になっていたけれど、それは試合の内容次第、というより選手のプレー次第だったんだってことを改めて教えられた。投げる前にも何を投げるのかという緊張感があり、打たれた後もランナーがどんな行動を取り守備陣はどんな陣を敷くのか、それを想像し確かめつつ次の投げ打ち走り捕るプレーに歓喜し落胆し、そして次の緊張と想像へと移り思考をめぐらせる。そう思考。グラウンドに立てばそれは肉体を駆使するアスリートたちのパワーとスピードの饗宴であり、グラウンドを見下ろせばそれは頭脳を刺激される将棋にも似た思考スポーツだったのだ。

 スタジアムへと行けば目に入る選手たちの一挙手一投足がそうした思考を促しグランドから目を離させないのに、カメラを通しテレビ画面を通すと途端に何やら因縁の対決だの番長の復活だのとプレーとは無関係な情報が溢れて気持ちを萎えさせる。プレーもどこかお座なりに見えてしまうしたぶん、中にはルーティンと化したお座なりなプレーもあってそれが、野球から楽しみの大きな部分を削いでしまっていたんだろー。そして贔屓球団が勝つか負けるか、好きな選手が打つか好投するかって”部分”にばかり目を行かせてしまったんだろー。

 けれどもキューバというほとんど知られていない、けれども強靱な肉体を誇るチームを相手にした試合では、因縁だの病気の監督への勝利の奉納だなんてフックは不必要。ただただそこに繰り広げられる、凄い投球に凄い打撃に凄い走塁に凄い守備のひとつひとつが目を見開かせる。そなプレーの間をつなぐ次のプレーへの思索が気持ちを画面へと引きつけさせる。これが野球か。これがベースボールか。これを目の当たりにしたら野球なんて退屈だ、サッカーの方が刺激的だなんて揶揄を飛ばす人もいなくなるだろー。これが常態化すれば日本の野球もまだまだファンの興味を引きつけられるだろー。

 既にして昨年末に千葉ロッテマリーンズが西武ライオンズやソフトバンクホークスと繰り広げたプレーオフの死闘が、野球を見る楽しさって奴を少しだけど見せてくれた。日変わりの打線で日替わりのヒーローが生まれ、そしてトータルで勝利を掴んでいく様が全体としての試合を楽しむ術を教えてくれた。その頂点がWBCの瞬時も気を抜けない試合たちだった。これに刺激されて日本のあらゆる球団に、選手達に、そして見る人たちに野球の肉体と精神のどちらをも使い行われる野球の凄みを体現し、楽しむ気持ちが再び生まれてくれればこんなに嬉しいことはない。あとはメディアがそうした野球の凄みを伝える手法を取り戻すこと、なんだけどきっとやっぱり松坂であり、清原であり長嶋なんだろーなー。北京五輪。長嶋ジャパン。復活させるようなら日本の野球もそれまでだったってことで。

 興奮さめやらぬ中を薬局に行ってバンテリンもどきの軟膏と関節や筋肉の痛みを取る錠剤を買って貪り喰いべたべた塗っても痛みは消えない。これが歳という奴か。「さくらや」に行って「キャノンE30D」を触り軽さと連写性能に感動。本屋に行って「朝日カメラ」「日本カメラ」をめくってインプレッションを読んだら欲しい度が高まったけれどペンタックスも新しいデジタル一眼レフを準備しているみたいだし。迷うなあ。「フォトイメージングエキスポ」には出て来るのかなあ、新型の概要。

 そのまま棚を見ているといつか見慣れた誌名の本が。「奇想天外」。えっ! えーっ! 「奇想天外」。それはかつて存在した雑誌で幾度と無く消えまた復活しては奇妙な小説群を続々と送り出してきた伝説の雑誌。新井素子さんが今あるのもその雑誌があったからで、SFの歴史においてとりわけ重要な意味を持っているんだけどその栄光も長くは続かず休刊。そして復活したものの今度は会社が倒産となって以来10余年? その名が店頭に並ぶことはなかった。もはや二度とお目にかかることもないと思ってた。それが復活。こいつは買わねばならない買って買い支えねばならないと、手に取り開いて棚に戻す。そしてもう一度誌名を見る。「奇想天外」。どこが?

 いや、ある意味これほど「奇想天外」な内容の雑誌はないかもしれない。「世界の不思議、謎、オカルト、古代文明、超常現象などを主なテーマとした、体験型ミステリーアドベンチャーマガジンを発刊いたします! 不思議好きなあなたの心を、きっと満足させられる充実度合いです」。つまりはそーゆー雑誌な訳で類例を挙げるなら「ムー」で、目次には2006年UMA最前線だの仙人列伝だのタイムマシンの作り方だのアガスティアの葉だのと与那国島の伝説だのと、聞けば耳が痒くなるけどそれでも耳が傾いてしまう”奇想天外”で”奇妙奇天烈”な話題がぎゅっと詰まってる。

 おまけに誰が書いたか分からない記事に混じってひとり、あの大御所とり・みきさんが「悲壮論外」って漫画を寄せている。「遠くへいきたい」で培った無言の9コマ。それが見開きで2本。いずれも「不思議と謎を楽しむパラレルワールド」である所の「奇想天外」に相応しい話題で流石はどこにでもどんな場にでも期待を上回る漫画を寄せるとり・みきさんであることよと、感慨に浸る。これを読み続けるためにもこれは買わねばならぬと再び手に取りレジへと運んで購入。して読みふけったけどやっぱり続きそうもないなあ。


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