縮刷版2006年3月上旬号


【3月10日】 砂糖の日。ではないか。左党の日? だとしたら飲まないと。ちょっとだけ眠って起きて始まった「舞−乙HiME」はありゃりゃりゃ、世界紛争の抑止力となり得るくらいに強靱なはずのマイスターオトメが油断していたとは言えいかにもあっさりと退場に。これがシズルだったらもっと巧く用心深く戦っただろーし、アリカだって命を奪われる所までには行かなかっただろー。つまりはその程度の存在だったってことかフィア・グロス。そんな程度のマイスターオトメしか得られなかったカルデア王国ってのが本筋にまるで絡まなかったのも分かるなあ。

 一方でアリカに戦いを挑んだトモエら「ワルキューレ部隊」は「Zガンダム」よろしく飛行形態に変わったりしてなかなかの強さ。人数も4人と多くてかわせばニの矢が飛んでくる状況に戸惑うアリカだったけど、そこに颯爽とミユ登場。前作「舞−HiME」の時以上の圧倒的な強さを見せてむらがる敵をなぎ倒していくその先に、セルゲイがいて腹を貫かれてそれを見たニナが怒ってハイパー化。またしても大爆発の果てに目覚めるとそこにはキッチン用品を持った顔の見えない舞衣が側に佇んで……ってところで次回に続く。けど残る話数もいくらもないのにここからどーやって片を付けるんだろー。やっぱり夢落ち? 「ワルキューレ部隊」の格好をした時のチエちゃん、なっかなかにグラマラスぅ。

 そーいや最近あんまり言ってない「ロフトプラスワン」に今月はアニメ関連サブカル関連のイベントが多々あるよーでちょい興味。とりあえずは13日に東浩紀さんと佐藤大さんが揃って「動物化する東×大」ってテーマで何やら大喜利をするそーだけどはてさていったい何について語るのやら。「エウレカセブン」? でもそれは最終回の放映を終えた4月2日に「交響詩篇エウレカセブン非公式ナイト」ってタイトルで大塚ギチさんに宮昌太郎さんに監督の京田克己さんにアニメ評論家の藤津亮太さんが揃って現れ何やら語るそーで、そっちに行けば奇譚のない作品への意見も聞かれそーだけどでも、当事者が勢揃いしている場所で作品がどーしてあんなことになってしまったのかを語るのも困難を極めそーだしなあ。佐藤大さん東浩紀さんの対談の方がより語られ易いかな。東さん「エウレカ」見てるのかなあ。

 興味深いイベントは19日の「ワンフェス・ニジュウ」で言葉のとーりに「ワンダーフェスティバル」が20周年を迎えたことを記念するイベントでカリスマハイパー原型師の浅井真紀さんとアミューズ公認アーティストで原型師の寒河江弘さんに佐藤てんちょことガイナックスの佐藤裕紀さんに首藤一真さんといった面々が勢揃いして黎明期のまだゼネラルプロダクツが主催していた時代から、昨今の一大ブームへと発展していった過程とそして食玩大流行な今の状況、さらにはこれからの業界の動静についていろいろと示唆してもらえそー。

 「新世紀エヴァンゲリオン」が大流行した時代みたいな、誰もが挑んで誰もが購入するよーな中心的なコンテンツが無く、群雄割拠な時代にあってはたしてガレージキットはどこへと向かうのか、それは1人ひとりの原型師たちが己の求める作品を作り、また購入者も流行ではなく好みとそして目利きによって買うガレージキットを選ぶ時代が訪れるのか。そーなれば規模は縮小しても”熱さ”って奴は再び生まれそーだけど果たして。見たいなあ。行こうかなあ。「エヴァ」といえば庵野秀明さんも登場して出渕裕さん氷川竜介さん原口智生さんが「マイティジャック」について語り合う、ほとんど40歳代限定みたいなイベントも3月31日に開催の予定。年度末に相応しいのかは謎だけどでも意義深そーなイベント。思い出しに行くか。

 ラオウが内海賢二さんでなく宇梶剛士さんに変わりケンシロウが神谷明さんじゃなく阿部寛さんになって毀誉褒貶あれど個人的にはいずれもそれなりにマッチしていると喜んだりした声優の交代劇。中には「聖闘士星矢」の総とっかえみたいに波紋を呼んだりするケースもあるけれど、時代が経ってかつてのよーな声を出せなくなってしまった以上は交代もやむなし、それで新しい世代に向けてアピールできるならって鷹揚に構えていたところに入ってきた情報に前言を翻して眉を顰めて訝り悩む。

 「月刊アニメージュ」の2006年4月号に掲載されている広告に「砂沙美魔法少女クラブ」ってタイトルの作品紹介があってその「砂沙美」って名前に「天地無用」といっしょだなあ、なんて思ってよくよく見たら何やら兎のよーな見慣れたどーぶつが一緒に写ってた。んでもってさらによくよく見ると「天地無用」に出てきたマッドサイエンティストの鷲羽さんにギャラクシーポリスの美星さんとよく似たキャラが写ってた。もしやまさかと目をこらすとそこには「天地無用」の文字が。どーやらあの「天地無用」シリーズからスピンオフして立ち上げた、かつての「魔法少女プリティーサミー」を今時のテイストで描く作品ってことらしー。

 それは良い。多少砂沙美のキャラクターの雰囲気が違っていても、またライバルだった美紗緒ちゃんがしっとり系しかなくってもそれもひとつの新しい形だと思い理解できる。けど声が。違う。砂沙美といえば昔っから横山智佐さんだし魎皇鬼ちゃんは小桜エツ子さんに決まってる。美星は水谷優子さんで鷲羽さんは小林優子さん。だったはずなのにこの「砂沙美 魔法少女クラブ」では砂沙美は小川真奈さんって人が担当してるし魑魅魍魎皇鬼ちゃんは小暮英麻さんって人が担当するとのこと。どちらも名前と声がいっちせず、果たしてどんあ感じになるのかと今からちょっぴりの期待にずいぶんな不安が募り心を悩ませる。

 美星は氷青さんて人だし鷲羽ちゃんは平松晶子さんだ。平松さんに関しては何とはなしに同じイメージを抱けるけれど、氷青さんって名前ではまるで浮かばない。横手久美子さんだったら……やっぱりあんまり浮かばないや。でもまあそれなりにハマってくれるんじゃなかろーか。まあともかく単なるスピンオフで絵柄もちょい違うんで、オリジナルの「天地無用」と声が違っていてもそれほど違和感は覚えなさそー。それより以前に衛星なんで見られないんで違和感なんて抱きよーがないんだけど。でもさすがに阿重霞が高田由美さんじゃなく魎呼が折笠愛さんじゃないのはキツいかなあ。代わるとしたら誰が良いんだろーなー。


【3月9日】 うーんどうもワールドカップ独大会でのテクニカルエリアへの通訳同道案は却下となる模様で田嶋幸三さんもご立腹の様子。それが世界のルールってことだから仕方がないと言えば言えるから腹を鎮めるより他にないんだろーけど、そんな事態にこんなコメントを放つ奴がいて鎮まっていた腹立ちが大爆発して怒髪を天井へと突き刺しそう。「左サイドがベンチに近い方なら僕が通訳すれば問題ないでしょう。その分、勝利給を上げてほしいですね」。言っているのはそう、アレックスこと三都主アレッサンドロ選手です、キィ。

 何でまたこの話題がこうもいろんな人から注目されているのか分かっているのかアレックス選手。すべてはピッチ内に通訳代わりに配置され続けている誰かさんの攻撃も最近はヘロヘロなら守備は最初っからボロボロで、そこを既に世界中のサッカーチームが熟知して攻め立てる算段を立てているためワールドカップに出てもきっとクロアチアとブラジルとオーストラリアに大敗を喫し、下手をしたらアジアカップの予選だってアジアの国々にこてんぱんにノされかねないからじゃないか。それを自覚してたらとてもじゃないけど自分が通訳するなんて言えないはずなのに、冗談めかして堂々を言ってしまえるってことはアレックス選手、自分は決して拙いプレーはしていないって強く信じているってことなのか。ことなんだろーなー、このセリフは。

 おまけに「勝利給をあげて」とまで言い放っているから驚くやら楽しいやら。敢えて言おう。アレックス選手が左サイドバックで通訳兼選手をやっていては勝利なんてありません。だから勝利給なんてものも出やしません。監督のレベルがまるで自覚していないことはもはや定説だったけど、選手の間にもまるで自覚が広まっていないってこの状況。06年はもう諦めるしかないのかも。せめて続く10年南アフリカ大会を目指す監督と選手たちには、己を知る不断の努力をして見せて頂きたいもの。それさえあれば06年までにグチャグチャにされた日本代表もきっと立ち直ってくれるだろーから。もちろんそこにはピッチ上の通訳なんていないけど。いないと思うけど。でも……。ああ心配。続投? ないと信じよう。

 「スパイダーマン」になって壁をよじ登ったり、「X−メン」になってどんな荒れ地も高速で走り抜けたい人に朗報。この4月に「東京ドームシティ」の中にある「ジオポリス」にマーベル・コミックのキャラクターになった気分を味わえるアトラクションが登場する。その名も「マーベル ザ・ヒーロー・アドベンチャー」は電通テックが乃村工藝社なんかと組んで作り上げた移動型のアトラクションで、マーベルからライセンスを受けてそーした施設を作り日本中を巡回する許可をもらって作り上げた。作り上げられた装置を備えれば即座にそこに一種のアミューズメント施設が出来上がるって寸法。東京ドームの後は全国各地を順繰りに回っていく予定らしー。

 恐竜の風船の中に入って飛んだり跳ねたりする遊びがちょっと昔に流行ったけれど、「マーベル ザ・ヒーロー・アドベンチャー」はそれのもっと手の込んだものって思えば当たらずとも遠からず。すべてのアトラクションがマーベルキャラクターから題材を得ていて、例えばスパイダーマンがテーマになったアトラクションは垂直に近い壁をぐりぐりとよじ登って遊ぶんだとか。それってフリークライミングって言うんじゃない? って質問は却下だ。それから「東京ドームシティ」に登場するもうひとつのアトラクションは「X−メン」がテーマになったもので山あり谷ありのコースを走ってタイムを競うとゆー内容。障害物競走のどこが「X−メン」だって質問も却下。ってかそーゆー山越え谷越えの属性を持ったキャラっていたっけ、「X−メン」に。

 ほかにマーベル側の意向もあって「ハルク」に「キャプテンアメリカ」に「アイアンマン」のキャラクターが選ばれ5人のヒーローとしてこのイベントオリジナルのロゴに並んで登場している。まだ2つしか出来ていないアトラクションにも残る3人の雰囲気を持ったアトラクションが加わっていく予定で、その詳細は明らかになっていないけどシールドが特徴の「キャプテンアメリカ」には何かをシールドで避けるとか、パワーが武器の「ハルク」だったら巨大な風船でも手に持ち投げ飛ばすとかいった内容のアトラクションなんかが考えられそー。「アイアンマン」? そんなマーベルヒーローなんていた? 知らないなあ。

 あとイベントに限定の5人のヒーローが勢揃いするコミックを、日本オリジナルで作って会場で販売するとか。誰が描くのかは今詰めている最中らしーけどそれなりに知られた日本人の漫画家さんが描き下ろすことになるらしー。日本でしか手に入らない、5人のヒーローが勢揃いしたコミックだったらアメリカのマニアからの引き合いがありそー。5人が揃ったロゴの入ったTシャツとかグッズとか、そーいったものも含めてアメコミファンには目の離せないイベントは4月8日にお目見えの予定。全国のマーベル者は体を鍛え財布と整えて開幕を待て。

 どこも一緒だねえ。新聞業界を特集した「創」の2006年4月号に入ってる北村肇さん辰濃哲郎さん美浦克教さんの対談に昨今の新聞業界で広まってきている中間管理職の上しか見ない平目っぷりが紹介されているんだけど、破綻しかかって親会社に救われてとんでもない経営陣を送り込まれて傷口が広がった挙げ句に企業からの持ち込みを諸手を挙げて大歓迎して記事にする中小ビジネス系新聞社ならまだしも天下の朝日新聞ですら、広告主の企業の不祥事に関する記事を書くと「編集局長室が、原稿を変えてくれとはっきり言ってくる」(辰濃さん)んだそーな。

 「編集局長室の指示は本当に細かいですよ。もう毎日のように、局長室からデスクに指示がきます。”にてをは”まで言ってきますから。そこで『おかしいでしょう』と突っぱねるデスクはいなくて、変えろと記者に言う。当然記者は頭にくるわけですが、デスクは『いや、上が言っているから』と」(同)。なんだ漏れ伝え聞く某ビジネス紙と同じだよ。これで給料まで同じだったら嬉しいことこの上ないんだけど残念にも手取りでおそらくは半分なんだから某ビジネス紙の人のやる気なんて起こるはずもないよなあ。その結果がどーなるか。傍目で見てても心配だねえ。自業自得? そりゃまあそーだけど、でもせめてそれならそーなった責任って奴を、取るのが公器たる企業の経営に関わる人たちの矜持って奴だろー。矜持なんてものがあれば平目なデスクなんて発生しない。それもそーだ。暗いなあ。


【3月8日】 マッチメイクで不味い対応を見せたりジーコ監督の監督がどことなく不行き届きだったりしてその力量に不安を覚えていた日本サッカー協会の田嶋幸三技術委員長だけど、6月に開幕するワールドカップってゆー大本番に向けて初かもしれないグッドジョブを見せてくれている。何でもワールドカップではテクニカルエリアに1人しか立つことが認められず、通訳を帯同している外国人監督にとっては直接リアルタイムでピッチ上の選手たちに声を送れないとゆーハンディが与えられそーになっていた。

 それを田嶋さん、通訳だったらテクニカルエリア入りを認めろって大会の運営について話し合う会議で訴えたらしー。これってつまりは我が代表のジーコ監督に鈴木通訳を添えてテクニカルエリアに立たせろってことで、その延長線上には代表チームの左サイドに入って監督の指示を翻訳してチームメイトに伝える選手兼通訳、ってゆーか最近は選手としての存在意義をやや失いつつあるアレックス選手を、いつでも外せる体制を作れるよーにしたいってゆー深慮遠謀が伺える。

 これまではその攻撃力と何よりポルトガル語が分かるってゆー利点を買って、致命的とも言える守備力に目をつぶってでも左サイドで起用して来たけれど、別にピッチに通訳が不必要ってことになったら左サイドに村井慎二選手でも相馬崇人選手でも中田浩二選手でも、起用して守備力をがちりと固められる。ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で散々っぱら穴をつかれた上に、クロアチアがアルゼンチンを相手にサイドを蹂躙した試合を見せられこれはもはや放ってはおけないと協会も判断したってことか。出来ればその案が認められてジーコ監督にも納得してもらって、左サイドの穴をふさぐ算段を早急に整えてやって頂きたい。頼みますお願いしますブラッターFIFA会長ベッケンバウアー大会実行委員長。

 突き抜けるよーなマー坊田中昌幸のボイス抜きにして何がクリスタルキングだ、何が「愛をとりもどせ」だと訝り悲しむことなかれ。いよいよ感性した「真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝純愛の章」の完成披露プレミアが有明の「デファ有明」で開かれるってんで夜の人気が減った国際展示場駅から橋を渡り「有明コロシアム」の横を抜けて会場へ。入るとロビーにはケンシロウが立ち巨大なポスターが下がり「拳王」と書かれたTシャツが売られ立体壁掛けとかフィギュア類も揃っていよいよ映画が封切られるんだ、パチンコ屋さんで既に盛り上がってた北斗ブームが外にも広がり再燃するんだって期待感に20数年前の始めて漫画を読んだ興奮、アニメを見た快楽を思い出す。

 会場へと入り待つこと暫く。なり始めた音楽の中、あの伝説のグループが現れあの歌を歌い出してくれるって期待に胸が破裂しそーになる。そして現れたサングラスの男が1人。えっ1人? 浪々と唄い始めたのはエンディングに確か使用されてた「ユリア…永遠に」で出だしの部分はなるほど昔のクリスタルキングの低い方、すなわちムッシュ吉崎さんの絞り出すボーカルが今もちゃんと健在で、体にガンガンと響いてくるけどでも吉崎さんであの激烈なクライマックスの部分は出せないだろう、だとしたらオクターブを下げて違うアレンジにしてしまっているんだろうと久々に見えた興奮の脇で、冷めた部分も膨らんで高潮の中へと身を投じられない自分がいた。

 しかし。ムッシュ吉崎さんは頑張った。いや頑張ったというよりシンガーとして当たり前のことをした。ちゃんと唄ってみせた。突き破るよーなハイトーンではないけど天に響く声でもってあのクライマックスの部分を唄ってみせた。そしてそれは立派にクリスタルキングの「ユリア…永遠に」だった。練習したのか元からちゃんと出せたのかは分からないけれど、田中さんとのツインボーカルがひとつの売りだった時代はあんまり見せることのなかったその音域の広さに、デビューから30年を経て見えられたことに歓喜。これならばあるいはあの名曲「愛をとりもどせ」だって大丈夫だろう、立派にムッシュ吉崎ひとりで勤め上げられるだおると期待も膨らむ。

 そして流れ出したあのイントロ。あの冒頭。ユーアーショック! 被るハイトーンはないけれど、吹き上がる咆哮が響き渡ったあの冒頭から流れてそして、程なくたどりついたあのサビの部分をムッシュ吉崎がたったひとりで、けれどもかつてツインボーカルだった時代にも負けない迫力で高らかに美しく唄ってくれた。「俺との愛を守るため」と叫んでくれた。違和感なし。もちろん差違はあるけど聞いてこれは違う、これは俺のクリキンではないって想い惑うよーなことはなかった。

 ライブの臨場感がそう聞かせただけで、04年に出たセルフカバーでムッシュ吉崎さん1人による録音のCDなんかだと、やっぱり無理してるかな、って印象も受けるかもしれないけれどでも、ライブでここまで出せているんだから新しく発売される「愛をとりもどせ」はきっと素晴らしい作品に仕上がっていることだろー。でもやっぱりせっかくのこの機会にマー坊も交えた「愛をとりもどせ」を聞きたかったなあ。今はもういない「LOOK」の鈴木トオルさんを読んでくれても良いよ。

 完璧に仕上げて来てみせたムッシュ吉崎さんへの感慨もさめやらぬ中で、トークも挟みつつ始まった映画「北斗の拳」は……面白いし格好良い、とくに聖帝十字稜でのサウザーとの決戦シーンとか見応えもあるんだけど何かテンポがすべての場面において速すぎて、感慨を味わい尽くす前に次の場面へと進んでしまって何だか目まぐるしい。スライドショーのよーに切り替わる名場面集って感じもこれありで、あの見たかったシーンが新しい映像によって格好良いケンシロウの顔で蘇ったシュウの高潔さにまた触れられるって喜びの一方で、次々に繰り出される名場面の数々に頭の処理が追いつかない。

 見せたかった脚本の人の気持ちは分からないでもないけれど、それをつまみ時間の流れを調整して観客の感情をコントロールするのが演出の人の仕事な訳で、そのあたりの案配がどーなっていたのかがちょっと知りたい。「ラオウ純愛伝」ってなっているよーにラオウ親衛隊の女性が絡んで話をつないでいるんだけど、何しろラオウで無骨で不器用な奴でそーした純愛に答えているってあんまり見えないのも悩ましいところ。いっそだったら全部抜きにして兄弟の情愛に戦いへの意志といった面だけで引っ張ればシンプルになりタメも作れたんだろーけどそれだと新しさは出ないからなあ。まあ所見はいつも情報処理に迷うもの。すでに展開を知ってる目で見ればまた違った感慨も味わえるだろー。劇場で見よう。

 声はケンシロウは全然オッケー、なり切ってます入り込んでます。役者だなあ。ラオウは不器用で無骨そうな感じがラオウ。外連味がたっぷりな内海賢二さんのラオウもラオウらしーけどこちらもこちらでラオウらしさが溢れてる。レイナは北条司顔にピッタリ。だけど場面によって北条顔が違う顔に見えるのはなぜ? ケンシロウも途中で顔がガラリと変わったし。ほかサウザーの大塚明夫さんシュウの大塚芳忠さんとゆー超ベテランで超巧い2人が掛け合う場面は聞き応えもあれば色気もたっぷり。このW大塚を聴きに行くだけでも映画は価値がある。トキは偉く声が若いなあと思ったら堀内トム・クルーズ賢雄さんだった。ヤマナミさんじゃなくて良かったね。


【3月7日】 笹原と荻上がアレだって漏れ伝わって来たのを聞いて超久々に「月刊アフタヌーン」を買ったら「ヨコハマ買い出し紀行」が終わってた。まるで読んだことないから別に感慨もないけどそんなに圧倒的に世間一般から認知された作品でもなく、アニメ化されてもごくごく1部が見ていただけの作品がここまで続き、それも誌面の上では結構な人気を誇っていたあたりが「アフタヌーン」って雑誌が持つ漫画発表媒体としての価値であり、それを支持する読者が大勢いて支持しているとゆー文化的な価値なんだろー。ともあれご苦労様でした。

 でもってぱらぱらとページをめくっていたら「ああっ、女神さま」がまだ続いてた。それもまるで話の見えずなおかつ楽しそうでもない展開で。主人公と誰かが乗り物を代えてレースをしている描写が、その操縦している感覚ともども描写されているけれど、レース自体の位置づけがまるで分からない目には絵は綺麗なんだけどそれだけの漫画にしか見えない。そーいや昔読んでいたときも主人公がバイクで峠を走っていたっけ。でもってそれが何だか分からなかったっけ。女神さまがたくさんいてもそれはもはや無関係の、少年が自分を鍛えながら成長していく漫画になっているのかなあ。だったら個人的にはいらないなあ。けどそれでも掲載され続けるのが「アフタヌーン」の媒体的意義。尊重はしよー。

 さて「げんしけん」。7巻の終わりからどのくらい進んでいるんだろー。笹原は就職しているから卒業式とかも描かれた後で、季節は夏だから大野さんの友達が来て大騒ぎしていた前年の夏コミから1年くらいは立っているのかな。すでにして意識はし合っていた節のある2人だけど、ここに来てよーやく落ち着くところに落ち着いたってことか。長いねえ。けど羨ましい。落ち着く所に未だかつて落ち着いたことなんてないからなあ。アパートに被さった「ん」のセリフの裏で起こったのはいったい何か。それは深くて激しいものなのか、それとも軽くて優しいものなのか。単行本化された時におまけ漫画で描かれていると信じよう。

 サッカー漫画っていうからてっきりフットボールかと思ったら正真正銘のサッカーだっか。つまりやサック屋ってことでスーパーのレジに立って来店客が購入した商品を袋詰めしてあげる仕事に就いている人の話なんだけど、僕が名古屋のディスカウントストアでアルバイトしていた時に最初に担当したのがまさしくこのサッカー。レジの横に立って混雑している時にはそれこそ1日10時間。そのうち30分を食事で抜けても9時間半はまるまる立ちっ放しで延々と袋詰めをしていたっけか。それだけこなせば自然と袋にどう詰めればうまく詰まるかってのも覚えていく訳で、「ぷーねこ」に描かれた重い物安定感のある物を下に入れてサイドに壁を作り上に積み上げていく手法は経験からも理に適ったものだと断言できる。

 ただし僕のアルバイトしていたディスカウントはポリ袋がなくすべてが紙の袋で、いったん広げるとサイドがピンと立つため物を詰めやすい。最初にポンと袋を広げる手順だけしっかり出来れば後はどんどんと放り込んでいけば澄む。けど今時のふにゃふにゃな袋はそーした手法が仕えない。サッカーもだから壁をサイドに最初に作って中に積み上げていく必要に迫られている訳で、何をサイドに使えるか、でもって何を下に入れるべきかを相手がレジへと持ってくる駕籠の中身を横目で見て、瞬時に判断しないといけないからきっと大変だろー。相手あって危ないものを上に置いてレジに運んでくる訳で、それが真っ先にスキャンされて手渡されて来た時にそのまま受け取り詰めれば大変な目にあってしまうから。サッカー。それは小宇宙に安寧をもたらす神にも等しい職業である。なんつって。

 折角だからと自由民主党がまたしても開いたブロガーやらメルマガ作者との懇談会に一介の日記者として紛れ込む。ましてや今回は自民党が掲げた憲法改正についての議論がテーマで、憲法なんてまるで覚えておらず関心も薄い身に果たしてついていけるのかと心配だったけど、そこはテレビにも出演なれして喋りは巧く、なおかつクレバーさにかけても党内随一な舛添要一さんが、実はほとんどを1人で書いたとゆー起草者の立場から解説してくれたんで、現行憲法と改正案との差違がいかなる理由(あるいは妥協)から生まれたのか、そして書かれた文言にはどれだけの意味があるのかが実によく分かって勉強になった。

 書かれているだけの文字はただの文字に過ぎず、眺めているとその背後に何らかのタクラミがあるんじゃないかって勘ぐりも芽生えて健康に宜しくない。けどそんな疑問に明確に、そして決してお上が国民をハメてやろーって深慮遠謀を紛れ込ませているものではなく、主権者である国民を守るって強い意志のもとに書かれ編まれたものだってことを答えてくれた。面前とこーしたことを説明してもらえる機会って滅多になく、かといってテレビで討論をするとどーしても誰か茶々を入れて話がややこしくなって挙げ句に焦点がぼけてしまう。

 今回はブログとメルマガの作者に対する説明だったけど、これと同じものをもっと広くあちらこちらで開いていけば、国会で承認されて国民投票にかけられた時に過半数が反対して改憲が実らない、なんて事態に陥らずに澄むんじゃなかろーか。そのためには舛添さんの尽力が必要だけど、全国津々浦々まで行脚してたら大変だよなー。だからせめてあと100人は、来られなかった人も含めてネットのメディアの人たちに情報を流し喧伝してもらうのが戦略的にも良いでしょー。その手にはのるもんかって人も言って聞いてなるほどと多う部分も必ずあるから。それでも改憲に反対するならその理由を対案として出す。それで議論は歩き出す。

 さて舛添さん。冒頭から憲法改正がなぜ必要かって要点を説明するところで、ストレートに「メーンターゲットは憲法9条です」と言ってきたのには驚いた。最大の争点となり最大の難問となり得る部分で従来的な発想だったら背後に隠して周辺を承認して行き最後に一気呵成に押し切るのがパターンだったけど、今回ばかりはそうも行かないって認識も強くあり、またこれを乗り切ればあとはすべてがスムーズに行くってことを理解した上で、最初に真正面からぶつけて相手方の反応を伺うって作戦に出てきた。

 なおかつ出されて来たものも、本来だったら国防軍なり防衛軍なりにしたいって意見もあったところを、他の政党が反対しづらく国民の理解も得やすい「自衛軍」と命名してみせる。ウィークポイントから逃げず、かといって突っ張らずに突破口を探る剛柔一体の作戦は流石。この変が妥協をせずに突っ張った挙げ句自爆した民主党とは大きく違う。とはいえ今回の改正案で外国語の訳は敢えて添えず「自衛軍」としたまま国内でこれを通してから、海外に対してはアーミーネイビーエアフォースといった言葉で説明していく考があるってことを、舛添さんは明言してた。これまた問題を起こしそうだけど、聞かれたら答えてごまかさず逃げない所もまた舛添さんらしーってことで。信頼感の醸成にも繋がるし。

 舛添さんの見解では、そもそもが国際常識の中で如何ともしがたくなっているのが自衛隊とゆー存在で、特措法によって海外での国際貢献は認められるよーにあったけれど集団的自衛権の行使は難しいとか訳の分からないことになっている。負傷した外国人の兵隊を救護している時に攻めて来られたら、支配の範囲にあるってことで反撃しても良いけれど、武装している他国の兵隊が狙われているのを助けて敵を倒すと、国内法では殺人罪になるとゆー、この変の不思議さを是正して実態と整合性を持てる形にするのが、最小限最低限の目的であって、それを通すためなら国防軍が自衛軍でも構わない、まずは公明党であり民主党の理解を得られる範囲で改正しましょうってゆーだけの、懐の広さを持って舛添さんはこの草案を書いたとゆーた。

 前文が箇条書きで色も素っ気もないって批判も重々承知の模様で、だからこそ中曽根康弘元総理が書き上げた、日本海と太平洋に島々が現れ云々とかいった前文も草案を閉じた冊子に入れて「これこれこういう意見も御座いました」と証文代わりに載せている。けどそこまで。多様化する価値観の中で一方的な押しつけになりかねない文言はなるたけ避けつつ、最大公約数的な部分を挙げて並べたものがあのシンプルな前文になったと舛添さんは説明する。聞けば流麗で主張のたっぷりな前文こそが相応しいと思っていた人も、なるほどと納得できるし出来なくっても相手への理解は生まれるだろー。議論はそこから始まる。

 象徴天皇制についての説得がなかなかに奥深い。仮に天皇を国家元首と位置づけるとすると、米国では市井の人でも大統領で国家元首になれたりする訳で、そんな人たちと天皇が同じ国家元首で同格で良いのか? そんな一般人が及ばない所にこと天皇はあるべきでだからこその象徴なんだと主張することで相手も説得出来るらしー。詭弁かどーかはともかくそーゆー説得術があるのかと得心。ちなみに舛添さんは女帝女系を認める立場で、理由は側室制の復活も旧宮家の復興も現実にそぐわない以上は、現実に男系男子が少なくなっている状況を踏まえた改正が必要ってことらしー。これも合理性を重んじる舛添さんらしー意見。そこで4人女児が続いても側室を迎える考えを示さなかった昭和天皇を持ち出されては、反対もしづらいだろーし。

 あと気になったのが「公共の福祉」とゆー言葉が「公益及び公の秩序」って言い換えられている点で、理由は「公共の福祉では概念が曖昧」だからなんだけど、気になるのは明確に「公益および公の秩序」と規定された時の「公益」とは、「公」とは何かって部分。これを「国家」と言い換えその目的の前には人の権利も制限されるんだって解釈が成された上で、「国家」の目的が一般通念を外れた彼方へと向かい肥大化し先鋭化してしまった時に、起こる時代の凄まじさを思うとちょっと心配になる。時の政権によって「国家」の「公益」なり「公」なんて変化するし、そーでなくても官製談合なんて起こるこの国で、国家が唱える国益公益の中にしっかりと私利私欲近いものが混じってしまう懸念を誰しもが抱いている。

 それは自衛軍が憲法にうたわれ海外派遣が合憲化されても起こる問題で、命令を下す国のスタンスがいつしか強権の中に先走ってしまわないかといった懸念を孕んでいる。つまりは国とゆーシステムへの懐疑を払拭し切れない感情が、いつまでもネックとなって付きまとうことで、だったらどーすれば良いかってゆーと、やはり何より国民のために政権はあり政治家はいて、最大公約数的なところでしっかりとした政治をしてくれているんだとゆーコンセンサスを、誰しもが抱ける雰囲気を醸成していくことが必要なんだろー。自民党に限らず野党も含めて(野党がいつ政権党にならないとも限らないから)真面目に真っ当な政治をやっているんだってゆー気分をまずは作ること。そして居丈高で押しつけがましい正論ではなく、誰もが納得できるものを作ろうとゆー配慮から生まれた憲法草案であることを、周知徹底させていった暁に待望の憲法改正も成されることになるだろー。そんな時が僕の生きている間に来るのかねえ。


【3月6日】 リンガーハットの「とくちゃんぽん」に浸る春。普通のちゃんぽんだけど上にキャベツにもやしに練り物に海老といった具がどっさり載っててボリュームもあれば味わいもあって何だか得した気分になれるから「とくちゃんぽん」。特別メニューとして発売されたら好評で、定番メニューへと格上げになったらしくてどこのお店でも食べられるよーになったらしー。海老餃子もセットになった奴もあって750円とリンガーハットじゃ暴利に近い値段がついているけどこれまた好評。それだけ街行く人の財布が裕福になって来たのか、それとも1点豪華主義で昼食くらいにはゆとりを見せたいって人が増えてきたのか。なるほどこれがロハスって奴だな(違う)。

 ちゃんぽんはその昔に日本橋の小網町あたりにあった地下の混雑するちゃんぽん屋で、夏に汗をかきながらかき込んだ奴が美味くって、それ以降はどこのを食べても今ひとつでいつかまた日本橋に食べに行きたいと思っていたらいつの間にやら潰れてた。金融の街だけあってその後のバブル崩壊に金融不況で客が減り立ちゆかなくなったのか、それともあの濃い味に何やらイケナイ秘密があってそれが露見し営業停止を食らう前に上海へと高飛びしたのか。ちゃんぽんだからって長崎じゃあ高飛びにはならないし。ともあれちゃんぽんを食べなくなって10年ぶりくらいにお茶の水にあるリンガーハットとやらに入って食べた「とくちゃんぽん」が、ことのほか味わい深く食べ応えもあって、以来機会を見ては銀座とか、そこらへんの店をのぞくことにしている。

 日本橋にあったその店では皿うどんも出しててこちらは固い麺の上に具をかけるタイプではなく柔らかくした麺の上にどろりと具をかけるタイプの奴を好んで食べていたっけか。やっぱりボリューム満点で味も濃厚。夏にふうふう言って食べるのがおつだったけどこれも今では叶わぬ夢か。リンガーハットの皿うどんがどれほどのものかは分からないけど、でもまあ折角通い始めた訳だからいつかは頼んでみることにしよー。思い出したけど昔長崎に行った時に案内してくれた鹿児島生まれで宮崎空港に勤務している親戚が、ファミレスみたいな所にはいっていきなりちゃんぽんを注文してたっけ。九州じゃ長崎に限らずどこの店でも定番デフォルトなのか、ちゃんぽんは。東海だからって岐阜で味噌カツはあんまり見ないぞ。いや見るか。どっちだ。

 なんだ結局タレントの土田晃之さんに言わせているだけか「ジーコを切れ」って明言は。「週刊朝日」の2006年3月17日号に掲載のセルジオ越後さんと原博実さんにサッカー好きで有名な土田さんの3人による対談は、現状の日本代表で選手があまりにも固定化されてて新しい才能が台頭して来てもそこに加われないことへの異論が噴出しているけれど、だったらどーしたら良いかってところで劇的であり且つ実効的な「ジーコ解任」って刺激的な言葉を発しているのは土田さん。「しゃあ手っとりばやく、残り100日、川淵さんがジーコを切ってくださいってことでどうせしょう」って振って答えてセルジオ越後さんもJALの社長交代を引き合いに結果が出せないなら代わることもありってニュアンスのことを言っているけど自分で「切れ」とは言っていない。

 結論のところも土田さんが「今日の結論は『ジーコさん代われば』になるのかな」で念を押しててそれが「選手を競わせないなら、ジーコ監督交代しかない!」って刺激的な見出しになって中吊りにも掲載されているんだけど、それを怒って読んだサッカー協会の関係者が「週刊朝日」に電話したとしたら、果たして何て彼らは言うんだろう。「所詮はタレントの言ったギャグですから」とでも言って、セルジオさんも原さんも、朝日新聞社にもそーゆー誹謗の意志はありませんよってスタンスを取りそうで悩ましい。

 サッカーに関わっていることでは現役の原さんは流石に解任論は振りかしておらず、セルジオさんもどちらかといえば土田さんの発言を受ける形で可能性としての解任を示唆している程度。これでは協会は動かないし世論だってなびかない。サッカー界に対する影響力をそれなりに持っていて、この人が言うならって説得力を持ち得るサッカーファミリーのより濃い場所にいる人たちが、敢然とジーコ=川淵体制に反旗を翻したって内容だったら波及効果も大きいかったし実効性だって伴った。けどそれをやってしまってはメディアとして受けている恩恵に影響が出るかもしれない。とはいえ話題性のあるネタは欲しいってところで、サッカー好きのタレントに暴走させてそれを見出しに取りつつも、周囲のおじさんたちは微笑みながらそれを見ているってアングルを作り出して来たって匂いが漂って来て鼻が曲がる。

 本当に何とかしなくちゃとジャーナリスティックに考えているなら、それこそ副会長でもスポンサーでも代理店でもテレビ局でも、影響力を持ち得る人たちを集めてジーコではいけないって対談なりインタビューを乗せて協会に訴えかけるべきだけどそれはしない。だって余りに差し障りがあり過ぎるから。トルシェ監督の時だったらあるいは世界のストライカー副会長とかJリーグのチェアマン(当時)とかが現れぶつくさ言ってる記事を載せて平気だったかもしれないけれど、それは体制がトルシェ側ではなかったから。今の体制とイコールなジーコ監督を面罵できる記事を掲載するのは流石に、ってところでひねり出した逃げを打ちつつ遠吠えしてみたって所なんだろー。土田さんには良い迷惑。セルジオさんもだから土田さんを生け贄にしないためにも自分の名前で進退もかけてジーコ解任論を展開して下さいな。

 脳性小児マヒの息子を抱えてくろうしながら子育てしたら、その子が実はとても真面目で頑張り屋で、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に入りそのままコンピューターの技術者になったって話を書きつつ日本における介護の問題と米国における介護の充実ぶりを紹介した、母親とそして父親の手記って奴を読んで見た目は確かに不自由だけどそれは思索にも意志にも無関係、ちゃんとやれる人はやれるんだって理解を改めて持ちつつ日米の福祉に対する考え方の違いに唸りつつ、それでも頑張った息子は偉いと感動していた最後の段になってその父母が、介護の充実をより図る組織を作りたいけど資金が不足していて悩んでいた所、あるネットワークビジネスを紹介されて、これが素晴らしい商品を取り扱っていて飲むと本当に目からうろこが落ちる感覚を味わえて、且つ月商も数百万円になるって話に本格的にネットワークビジネスを始めましたってエピローグが載っていて気が縮む。夢の実現にはお金が必要。扱っているのは素晴らしい商品。だから正しい。何だかなあ。それで良いのかなあ。ちなみに版元の出版社はそのネットワークビジネスのカリスマの本も出してます。やっぱりなあ。


【3月5日】 ちょっとだけ「ドリームズ・カム・トゥルー」の「SUKI」に似た旋律が入ってて耳に響いた「スキマスイッチ」の新譜で映画「ドラえもん のび太の恐竜2006」の主題歌になってる「ボクノート」は、「奏」なんかとも繋がる雰囲気のスローなバラードだけど絶唱系の「奏」とは違って明るく開けた感じがあって心浮き立たせてくれるアッパー系。感動の映画を見終わって感涙に噎ぶ子供たちの心に染みいって、未来永劫のスキマスイッチファンに染め上げてくれることだろー。これで20年は安泰だぜスキマスイッチ。2年連続の紅白出場も決まったね。んでサンボマスターは……。

 えっともしかしてそのためだけにニルヴァーシュへと放り込まれていたのかチャールズの銃は。体が膨らみ光り出したエウレカを追って捕まえ臆しつつも寄り添い自傷でもって彼女の痛みを知ろうって青臭い真似に出たところを、ガキんちょ3人組の長男格がどこからかチャーズルの銃を引っ張り出してレントンに突きつけ離れろと憤る。自分たちのママを殺した代わりにママになってくれたはずのエウレカがどこかの誰かに捕られてしまうのを嫌がったからってゆー理由はまあ分からないでもないけれど、そんなガキんちょがエウレカに諭され銃を話したところでレントン、そんなこと(脅迫?)に銃は使っちゃいけないよって呟くんだけどだったら一体、どんな場合だったら銃は使って良いのかが分からない。

 現に携行してるんだからきっと役に立つ使い方ってものがあって、それを見せてはテレビを見ている青少年に力とはこう使うんだって、分からせてくれるのが親切ってものなんだけど、この先に何話も残っていない中で果たしてそんなシーンを見せる余裕はあるんだろーか。例えばレントンとエウレカとガキんちょ3人組の”家族”に対する脅威を排除し守るために敵を射殺するってゆー、至極真っ当な使い方をちゃんと示してくれるんだろーか。家父長的な存在をアピールして正義は力で力は正義を訴えてこそのチャールズの銃。そこでヘタれて銃なんていらない力なんて邪魔なだけ、なんて放り出しては折角のチャールズの銃もつまるところは無用の長物だってことになるんだけど。それをまさか訴えたかった? だとしたらチャールズもつくづく浮かばれないキャラクターだよなあ。母ちゃんの方が最後まで格好良かったなあ。

 行った方が良かったかそれとも行かずにおいて敗残の様を見ないで済んで良かったか。J2に続いていよいよJ1も本格的にスタートして、ジェフユナイテッド市原・千葉もアウェーながら関東圏にある「埼玉スタジアム2002」で大宮アルティージャとの初戦に臨んだんだけど仕事があって夜には「東京ドーム」で野球の「ワールドベースボールクラシック 日本代表vs韓国代表」を見る予定もあって梯子は難しく、涙を呑んで埼玉行きを諦め動向だけをネットでチェックしていたら、何と途中までの勝利を逆転されて4対2でもって敗れてしまったらしー。後半に追いつかれるあたりは先だっての東京ヴェルディ1969との練習試合と同じ無様。あの試合が単に新戦力チェックのための手抜きではなく、本当に問題を抱えていた現れだったんだと今になって知る。

 ってゆーか以前からそーゆー癖はあったんだけど、その割にはディフェンスラインに新戦力が台頭して来たって話はなく、逆に茶野選手を奪われたりと大変な状況になっていたりするのが実状で、これを放置してはこの後の戦いでもやっぱり同じ醜態を見せ続けては順位も下位に沈んで悪ければ降格なんて事態にも至りかねない。まあオシムのことだからきっと何とかしてくるんだろーけれど、何をするにも人材がいなけりゃ役に立たないからなあ。水本選手は快復したのか。ジャンボな188センチの巨体を誇る田中淳也選手はまだまだなのか。そんな期待も抱きつつ不安に震えつつ来週のホーム「フクダ電子アリーナ」でのヴァンフォーレ甲府戦へと臨むことにしよー。って行けるかな。

 代わりって訳ではなくって日本で久々にイチロー選手が見られる機会を逃してはつまらないと訪れた「ワールドベースボールクラシック」は渡辺俊介選手の下手投げを去年の「コナミカップアジアシリーズ2005」で見て以来に鑑賞、いやあ美しい。そして素晴らしい。地面すれすれの所から出てくるボールにはさすがに韓国の猛打者たちもタイミングを併せづらかったのか、5回までに1点しか奪えず逆に2点を先取した日本の勝利が近づいて来る。これに西岡選手が満塁で放ったライト線へのライナーが、捕られずヒットになっていたら勝利は確定したんだけど相手ファインプレーに阻まれたことが最後にイ・スンヨプ選手の逆転ホームランへと繋がってしまった。いやあ残念。

 イチロー選手はヒットを1本打つには打ったしアウトにはぎりぎりならなかったけどライトからタッチアップで3塁へと向かうランナーと3塁主とのクロスプレーも見せてくれて流石な貫禄。とはいえ肝心なところでのヒットが打てず勝利に貢献できなかったのは大リーグでも屈指のスラッガーと言うにはちょっと物足りなかった。逆に西岡選手は攻守に活躍。渡辺投手に里崎捕手ともども千葉ロッテマリーンズからの出場者はともに立派な働きぶりで、この冴えをシーズン中へと持ち込んでくれたら今年もロッテは優勝間違いなし。3つもデッドボールを出していたけど渡辺選手、あれはボールが慣れていない米国の公式だったから仕方がない。あとは疲れず怪我をしないまま世界戦を勝ち抜き気分良くシーズンインしてくれることを願おう。


【3月4日】 到着するとロビーは春休みに合わせて公開される「ドラえもん」やら「ワンピース」っていった子供向けの映画を、封切りで見ようとする親子連れやら子供たちだけやらでカウンター前に長い行列。混じって並んでも、これなら目当ての映画を見ようとする年輩層はそれほどいないだろうと高を括ってカウンターでその旨告げると、すでにスクリーンの見やすい後段の中央付近は売り切れで、隅かあるいはスクリーンが迫る前段しかないと言われ選ぶに迷うも、隅では出入りが面倒と前段のそれでも前から5列目に陣取り座って開幕を待つ。

 獣が入ったエヴァみたいな走りをする女優の映画の、果たして面白いのかどうなのか不明ながらも女優の格好だけはまあ良いかもと予告編にほくそ笑む。阿部寛のケンシロウもハマり始めそして宇梶剛士のラオウもキマって来ていて映画「北斗の拳」にも期待が膨らむ。そして始まった「機動戦士Zガンダム3 星の鼓動は愛」は、初っぱなからスクリーンの中央に仁王立ちとなって観客席を睨め付けるハマーン・カーン様が登場。その細くてけれども強靱そうな肢体を、ほぼ真下から仰ぎ見る着座位置の素晴らしさに心の中で快哉を叫ぶ。すっくと立ったハマーン様に、まるで踏みつけられ踏みにじられているよーな感覚は、テレビでは絶対に味わえない。映画館で見て良かったし、前段で見られて良かったと、春の混雑ぶりに後段の席が取れなかったことに対して心の底から感謝する。次も見るなら前段だ。

 その後もハマーン様の顔のアップにエマ中尉のノーマルスーツの後ろ姿と、スクリーンを見上げ視界いっぱいに見る劇場前段での鑑賞によってのみ得られる感動を散々に堪能。敵と味方が数分後にはガラリと入れ替わるめまぐるしさの中で繰り広げられる、モビルスーツどうしのバトルを追うにはやや辛いところもあったけど、そんなロボット戦のスピード感より次から次へと現れては、好いた好かれた裏切った裏切られたと言って揺れる感情の中で惑いながらも戦う女性たち、少女たちの生きっぷり死にっぷりを味わい浴びるのがこの映画の神髄。ならばスクリーンから放たれる彼女たちの鼓動を間近で感じられるスクリーン側で見るのが、やっぱりこの映画については正しい見方なのかもしれない。

 テレビ版を完璧に覚えている訳じゃないからあんなシーンあったっけ、それはどんなシチュエーションだったんだっけ、ってのは正直不明。ハマーンとシャアとシロッコが劇場で三竦みになる場面、本編だといつ頃登場したんだっけか。新作カットは絵が代わるから分かるから、古い絵柄のそれはテレビ版にはあったんだろーけど。千葉テレビで放映中の本編、ちょっと見返すか。あと陸続と登場人物たちが戦死していくシーンについては順番どーりなのか、同じ状況下なのかがちょっと分からない。もしかしてテレビでは死んでないのに死んでしまった人とかいた? シロッコはテレビ版だと確かに死んでたよなあ。カミーユの心を道連れに。

 そうその部分が果たして映画ではどうなっているのかが今回の劇場版が公開され始めてからの1番の注目点だったんだけど、なるほど富野由悠季監督そう来ましたか。完璧過ぎて完全なエピローグ。これをもってこられれば誰も文句を言いようがない。ただただ良かったねえって感慨ばかりが浮かんで劇場を気持ちよく後に出来る。そこへと至る過程で失われた女性たちの残した想いって奴の分厚さを見せつけられると、戦争なんて間抜けなものにプライドをかけ犠牲をいっぱい出しながら突き進む虚ろさって奴を覚えずには置かれない。

 思い込みで突っ走り巻き添えをいっぱい作った挙げ句に自爆していく野郎どもの莫迦さ加減を描きつつ、そんな野郎どもに振り回されて死んでいった女たち少女たちの存在を浮かび上がらせる啓蒙的で教訓的な内容を含んだ映画って言えそう。それを「ガンダム」って題材で劇場アニメでやってしまう富野監督は誰が何と言おうと世界のトミノ。アカデミー賞を受賞したりハリウッドが真似したりする日本人アニメ監督に負けず劣らず、むしろ同時代性メッセージ性で上回っている部分すらある。そうなんだけどでも高踏な文化がお好きなメディアに取り上げられ、讃えられるのはいつも宮さん押井さん。これが変わるにはここまで来るのと同じだけの、20年の時間がさらに必要なのかなあ。

 飛田展男がどんどんとカミーユ・ビダンになっていったのは素晴らしく、さすがにプロだと拍手。とても「創世のアクエリオン」で素っ頓狂な副官をやっていた人とは思えない。シャア・アズナブルもどんどんとシャアに。デュランダル議長とはまた違った凄みと切れ味が声に乗ってて身に刺さる。そしてパプティマス・シロッコ。最初に登場した時の「こいつ誰?」的な違和感が薄れて、どんどんと昔のシロッコに戻っていった。賢しげで不遜な態度が声音にちゃんとこもってる。ここまでよくぞ戻してくれたと島田敏さんにも拍手。

 そしてセイラ・マス。綺麗です。喋ってます。もちろん。あの。セイラさんの声で。たった一言だけど、ここに誰も新しく起用しなったことをもって、富野監督の、「ガンダム」とゆー作品を支えたスタッフたちキャストたちへの感謝と信頼が、いささかも衰えていないと理解する。ともあれありがとう。蘇らせてくれて。そしてお願いします。これからも素晴らしい作品を作り続けてくれることを。とりあえずはそうだね、劇場版「聖戦士ダンバイン」なんてのが見てみたいかも、ラストの悲しくない奴で。

 サッカー成分をとりに国立競技場へJ2落ちした東京ヴェルディ1969の試合を見に行く。相手は徳島ヴォルテス。たとえ嵐が吹こうとも、たとえ大波来ようとも、戦い続ける四国の男たちの勇壮とはややかけ離れているけれど、心浮き立たせてくれる阿波踊り的リズムに乗って現れた、おそらくは国立初見参のチームを相手にかつての名門ヴェルディが、どんな戦いぶりを見せるのかで今年1年で上に戻れるか、それとも中段に沈み万年J2の道を歩むか占えると思い見始めた試合は、徳島のサイドで11番を背負った片岡選手の突破と切れ込み、センターで会わせる18番の長身で屈強な選手の頑張りも利いてまずは徳島がヴェルディを押し込み、遂には1点を獲得してしまう。

 サイドの守備がまるで利かずその後も何度もピンチを招くヴェルディに対して、パス交換から両サイドを軽々と突破しクロスを上げる徳島の素晴らしさ。走りの質も量もたっぷりあって、これで正確なサイドチェンジのパスを蹴れる選手がいたら、更に凄い攻撃を見せてくれたかもしれないけれどそこはヴェルディの方が1枚上手で届かないパスを切っては逆襲へと転じ、次第に場面を拮抗させていく。

 それでも持ち前の華麗なパスから崩してシュートへとは至らないのがJ2のヴェルディ。得点も最初がフリーキックから相手ゴールキーパーを潰してのゴールで次はシミュレーションっぽさも漂うPK。前に同じよーな倒され方とした徳島の玉乃(ヴェルディよりレンタル中)がシミュレーションをとられたのと比べると、審判の甘さが緑の側に働いたって印象で、それをきっちり決められ逆転。さらにゴール前のフリーキックを決められ3対1と突き放されて万事休す。その後も1点を追加したヴェルディがスコア上なら4対1と圧勝した。

 もっとも中身はパス交換が乱れ守備もサイドを切り裂かれ、中央でもあたふたとする場面があってそしてシュートを打つ形へと持っていけない攻めのまずさもあってこの先、負傷者が出て選手が疲れ相手に研究されゴール前を固められた時、果たして得点を奪い勝ち点を積み重ねていけるのかが心配になる。前途洋々とは言えない感じだけど果たしてラモス監督はこの試合をどう見たか。そしてどう修正してくるか。足りないのが気迫だとしたらそれは注入しれくれそうだけど、逆に足かせとなっているのがプレッシャーだとしたら、叱咤はむしろ逆効果。それを陽気な都並コーチがどうほぐし、リラックスして試合に臨めるように仕上げてくるのか。1年をかけて見ていくのが楽しくなって来た。


【3月3日】 桃の節句。別に桃は食べない。桃尻は食べたい。売ってない。とても悲しい。仕方なくテレビで「舞−乙HiME」を見たら誰かが生き残ってた。病室で点滴を受けていたあれは誰? あとニナが最初に発見された時の写真にマシロが城から送り出された際に入っていたカプセルみたいなものが写っているのをナギが発見。ややこしいことになりそう。ますます立場が不確定なマシロ女王はアスワドの村に近づくビントブルームの貧民どもを崖の上から見下ろし「お主らわらわの侍従を追いつめ追い落とした罰が当たったのじゃいい気味じゃ!」と高笑い。

 はせずにアリカを発動させて化け物の攻撃から一行を助け出す。でも最初にちょっと迷ったことでミミちゃんが跳ねとばされて死ぬ羽目に。だったらもっと速く決断しろよ。あんたの迷いでまた死んだよ。と責めるのは流石に酷か。可愛そうにやられキャラ。割れた招き猫の意味は何? その横にいる命らしき少女は誰? シズルはそのガラガラとおしゃぶりでいったいトモエとどんなプレイをしたの? 深まる謎を積み残して話はラストへと近づいて……いる……のか? 舞衣よーやく登場。まさかすべて誰かの夢だったなんてオチ、ならないよね。

 予想を上回るってゆーか想像を絶するってゆーか。「甲虫王者ムシキング」に続く女の子向けのカードゲーム機として大人気になっていることは、1年近く昔に有明で開かれたセガのイベントに出展されてた機械の前に女の子達で大行列が出来ていたのを観て知ってはいた「オシャレ魔女 ラブandベリー」だけど、その関連アパレルまでもがこんなに大人気になるとは、ちょっと考えが及ばなかったよ驚いた。

 もとが着せ替えをテーマにしたゲームに登場する、様々なファッションアイテムを販売する店が、全国の百貨店なんかにオープンして、その筆頭ってことで池袋にある西武百貨店へと赴き、どんな人が来るのかを朝速くから見物。平日だし値段も高いしそんなにこないかもって心配していたらこれが何と! 開店と同時に押し寄せた人並でラックにつり下げられた商品はみるみるうちに消滅し、店頭のマネキンが着ていた衣装までもが剥がされもっていかれてしまった。

 脱がされたマネキンをそのまま運ぶのはしのびないと、胸にTシャツをあてて運ぶ店員さんがいたりと大混乱。マネキンが取り除かれた台座の上には袋に入ったままのアパレル製品が積まれてこれまた集まったお母様がたで奪い合う光景が演じられていた。それにしても分からないのがこの人気ぶり。Tシャツで4800円とかして靴も7800円とかして、上から下までそろえれば万は絶対に下らないアイテムで、けれども別にファッション的なブランドって訳でもない。

 いってしまえばキャラクターグッズ。例えるならバンダイなんかが出してるなりきり「プリキュア」とか、あるいはコスパの制服に近いものがあるんだけど、元がいわゆるアニメアニメしたキャラクターではなく、ごくごく普通の女の子で着るものもだから常識の範囲内にあってそれなりにオシャレって所が、実在のアパレルになった時に他のキャラクターグッズと違う動きを見せた背景としてあるのかも。

 あるいは子供よりも親の方がゲームを楽しんでいるんだってことを勘案するに、子供にカードを集めさせ、ファッションを揃えさせては対戦者とオシャレ度を競い合わせるゲームそのままに、実際の服でも子供にどれだけ着せられるかってことをその親同士が張り合っては、手当たりしだいにアパレル製品を買い込んでいるってことなのか。いずれにしてもエンターテインメントの世界から生まれて一般層へと浸透し、そして玩具売り場子供服売り場の底上げにだってつながった前代未聞なコンテンツ。この賑わいぶりなら消費され陳腐化してそのまま消滅へと向かうキャラクタービジネスの常を越え、長く親しまれるコンテンツへと成長し定着していってくれそーな予感。対抗はやっぱり「リカちゃん」か。それともすでに「リカちゃん」を越えたか。

名を知り以来25年? そして生まれる大賞作家。  隣近所で「日本SF大賞」の授賞式があったんで匂いに誘われ見物に行って取材で入る。見るとすでに始まっていて大藪晴彦賞のヒキタクニオさんが挨拶中。見るからに”ヒキタクニオ”って風体で挨拶も格好良くってハードボイルドは違うと感嘆。対するSFはその昔にあれは三省堂ショートストーリーコンテストだったっっけ? 1回だけ行われた賞があってそれで入選した作品を目にしれ以来独特な名前が気になっていた飛浩隆さんがこれまら相当の以前に発表していた作品に手を入れた中編集にて受賞。ご本人も来られていてお目にかかるのはえっと何時以来? たぶん紀伊國屋のサザンシアターで来られなくなったエド・マクベインの代わりにSFのイベントが行われた時に、来場されていたのにお目にかかって以来だから軽く3年半は経っているけど代わらず温厚そうな表情で、壇上に上がり賞を受け取り集まる挨拶に応対し続けていた、最後まで。きっと飲食できなかっただろーなー。それも受賞者の使命って奴で。

 日本SF新人賞は同年で厄年で新人っぽくない風体。小松左京賞の還暦前後に比べれば20年は若いけれど、それよりさらに20年は若い新鋭が続々と登場していたりするライトノベルなり一般文芸の新人賞状況と比べると、この差はやっぱり一時のSF冷凍睡眠時代に、馴染み触れて学び啓発されて書き始める若い人が生まれなかったってことになるんだろー。逆に言えばベテランの活躍は目立っても、華々しいデビューを飾って一世を風靡する若い作家のそんなに印象の見えないミステリーが10年後にどんな状況となるのか興味津々。SFは若い人が生まれそれに触発される作家が生まれて来るから10年後が楽しみ。でもその蜜月もいずれ終わり今ふたたびの氷河期が来る可能性だってあるんだろー。20年後か、30年後か。そこまで生きてないってことはこれからの還暦まではSFにまとわりついていけばそれなりに楽しめそー。頑張ろう。

 授賞式の会場に東浩紀さんがいてほしおさなえさんがいて間に子供がいてパパそっくりだった。それが良いことなのかどうなのかは不明。けど昔はパパだって格好良かった訳でつまりは可愛いってことだ。巽孝之さんからは日本SF評論賞の受賞作を読むようにと示唆。行われたことを知らず贈賞式は見られなかったけどいずれ掲載されるだろーからそれを読んで評論とは何かを学ぼう。感想は書けても評論はさすがに書けないんだよなあ、知恵がない身では。タカラトミーから拝領していた玩具をSFチルドレンに配りつつ心機一転な方を見つつ時間を過ごして帰宅。朝から仕事であちこちを回って疲れたんで寝る。アルゼンチンvsクロアチアって今晩だったっけ?


【3月2日】 「タカラトミー展」のレセプションでモリナガ・ヨウさんに会っててっきり50歳くらいのおじさんで髭なんか蓄えた趣味人かと思ったらまだ若々しくてのっぽで細身で会話も楽しい人だった。人は絵柄によらない。タカラから分社して玩具菓子を扱う会社の人と「王立科学博物館」とか「ワールドタンクミュージアム」とかの今後の展開なんかを聞いて、国内のみならず海外展開もトミーの販売網なんかを使いやっていけるかもって可能性が浮上して期待。あとはちゃんと続編が出るか、だけど。市場は未だにギチギチだもんなあ、DVD菓子とかも出始めているし、サッカー日本代表のDVDがついた玩具菓子がコンビニで売られているのには驚いたよ、面白いのか、あれ。

 展覧会を出て雨が降りしきっていたんで「HMV」に寄っていろいろ見ていたらポリスのシンクロニシティライブのDVDが出ていたことを知り購入。ああ格好良い。この頃のスティングが髪型も顔立ちも1番格好良いんじゃなかろーか。でもってスチュワート・コープランドも格好良い。打ち込みなんて無粋な真似はいっさいしないで汲み上げられたドラムセットに木琴にあれやこれやの間を動き回っては、的確にタイミングよく音を刻んで音楽にリズムを付ける。そしてアンディ・サマーズ。メロディを弾くでもなくコードを慣らす訳でもない、裏の旋律を弾いたり被せるよーにかき鳴らしたりしているのに、それが音楽の中で煌めきを放つ。

 そんな響き渡るビートとサウンドの底辺にスティングのベースが低く感情に揺れ動く鼓動のよーに鳴り、離れてスティングの甲高くてハスキーな声が空間を切り裂いて彼方へと届く。完璧な3人。完璧な楽曲。そんな完璧さが故にポリスは今もって永遠のマスターピースとして輝き続けるんだろー。そしてまた完璧さを封じ込めるためにも長き休眠状態を続けているのだろー。それでもやっぱり死ぬまでに1度、蘇ったポリスを見たいもの。永遠に見られなくなったオリジナルのビートルズにクイーンと違って3人はまだ存命なんだから。叶わないならせめてスティングだけでも見たいなあ。来るかなあ。

 ビールが発泡酒になった当たりまではついて行けるけど新ジャンルって言われるともはや何がなんだかサッパリ分からない。発泡酒自体がビールに対する新ジャンルな訳でそれを越えるジャンルだったら新・新ジャンルとかってことになるのかあるいは別にカテゴリーを作り、規定してくれないといったいそれがビール風味飲料なのか、それともリキュール混じりのカクテルなのか、一読して理解できず紛らわしいこと甚だしい。

 もっともだからといって一言で規定できないところがこの新ジャンルって奴で、何しろモノによって原料が違ってる。ビールでも発泡酒でも麦が使われていることには代わりがないんだけど、新ジャンルの場合はたとえば「のどごし<生>」は大豆たんぱくで所ジョージさんがCMで脳天気に唄っている「ジョッキ生」はコーン。サッポロビールの「ドラフトワン」は何だったっけ? エンドウ豆とか原料に使っている奴もあってそれらがともにビール風味飲料の新ジャンルってことで発売されているからややこしい。かといって酒税的に入れられている「その他の雑種(2)」じゃあさらに訳が分からないしなあ。それもこれも酒税が高すぎてビールが高くなり過ぎて、代用ビールを次々に造らなくちゃいけない状況にメーカーが追い込まれてしまったことが悪いんだ。

 まあそれでも味がちゃんとしてれば雑種が発泡酒でも構わない訳で、最近出たキリンビールの「円熟」なんて発泡酒でありながらアルコール濃度が6%あってコクがあり味わいも深くなかなかなもの。「エビスビール」なんかをぐいぐいと煽る気分に似たものを体験できる、よーな気がしないでもない、缶の色も金色でゴージャスだし。あとはサッカー選手をCMによく起用していたキリンの「淡麗」あたりかなあ、90%糖質オフって奴は体のことがちょっぴり気になった時には呑んでたよ。最近のCMはニセドリフターズが登場しては外国人顔した長介さんが「オーッフ!」って叫ぶ姿で、そのそこはかとない面白さにまた呑んでみてもいいかなって気も浮かぶ。

 これが新ジャンルとなるとまるで食指が動かない。大豆タンパク? エンドウ豆? コーン? いったいどんな味がするんだろうって気が先に立って、これまでなかなか手を付けられなかったけど、そんな新ジャンルにあってナンバーワンを顕示しているキリンビールの「のどごし<生>」のリニューアル発表会が、雨降りしきる「東京ドームシティ」であって、CMでそら美味いぞって感じに「のどごし<生>」を進めているぐっさん山口智充が登場しては、CMの雰囲気そのままにパワフルな笑顔でPRしている姿を見るにつけ、もしかしたら美味いのかもって気も浮かんで来た。

 次のキリンの社長になるらしー人もCMの効果が牽引役だったって言っていたくらいにぐっさんの起用は効果的だった模様。そのパワーを得てリニューアル後も突っ走るのか、一方の雄とも言えそーな所ジョージさんの「ジョッキ生」が追い抜くのか。CM対決も含めて行方がちょっと面白い。アサヒビールの「新生3」はCMがアレだからまるで気持ちが沸き立たない。せめて福澤朗ではなく角ちゃんだったらサッカー中継のよしみで呑んで……やらねえ絶対に。

 せっかくだからと都営三田線大手町駅のホームではなく上の通路部分にあって無料で見られる、けれども場所的に結構僻地な場所にある読売新聞だかが運営しているギャラリーで「ゲド戦記」の柱に巻き付けられるよーに張られたポスターなんかを見る。竜と誰か向かい合ってるイメージビジュアルのほかにはスケッチってゆーか設定画ってゆーかイメージボードみたいなのが結構な枚数あった。場所が場所だけに通りがかる人も少ないけれど、ファンなら1度は見て置いてそれなりに楽しめそー。剥がして持っていくのは不可能だけど、池袋のコスプレ真鍋じゃないから持っていく人もいないか。

 思ったのはそれをもしも描いたのが宮崎吾朗さんだったとしたら、その力量は半端じゃなくってプロフェッショナルだってこと。映画の監督をしているんだからアマチュアじゃあ困るんだけど、でも過去にそーした絵を職業的に描いた経験のない人な訳で、それでこのレベルってことはなるほど鈴木さんが、吾朗さんに監督を任せる気になった理由も伺える。もちろん吾朗さんが描いたのか他の誰かが描いたものなのかは不明。誰が描いたにしても雰囲気は十分にあるんで映画への期待もこれで、ちょっとばかり前進しそー。なるほどそれがジブリの作戦か。吾朗さん起用に対する風当たりの緩和も含めた。

 えっと新谷かおるさんの絵がコンテになっているのは何度目? けどそれでも巧いからやぱり凄い漫画家なんだと実感。「月刊ヤングキングアワーズ」2006年4月号に登場の「RAISE」はいつもだったら後半から絵が止まり白くなるに今回はなぜか冒頭から白いページが続いて途中で持ち直す。先にエンディングを描いていたのかそれとも最後まで描いてから前半が気に入らず描き直そうとして力つきたか。いずれにしても単行本までにはちゃんとしっかり描き込んでくれるだろー。期して待つ。白くてもラフでもアンダーウェアな美女は色っぽい。


【3月1日】 80年と50年。ともに僕より長い歴史を刻んで来た玩具メーカーの名前が消滅して、新しい名前に代わる目出度くも記念すべき日だってことで青砥にある旧タカラ本社の建物へと出かけて、雨の降りしきる微妙な中で新生「タカラトミー」の門出を見物。前の公園に置かれたスイッチを押して社屋の上にある看板にかけられた幕を下ろす式典だったけど見える2面のうちの1面はちゃんと幕が下がって看板が見えるよーになったのに、もう1面は幕が下りたままだったのはまだ積み残した課題があるってことを暗に示唆したのか、ゲーム会社とか家電会社とか。

ちゃんと降りたかな? ってのぞき込まないと見えないのって、変じゃない?  夜からは「パルコ」の方で「タカラトミー展覧」も始まって入ると「封印作品」になりかかったタカラの「ダッコちゃん」やら「変身サイボーグ1号」やら、古い初代の「トミカ」やら初期の「ゾイド」やらが並べられててなにもかもみな懐かしい。「ポケモン」とのコラボレーション版も程なく登場する「人生ゲーム」は初期のバージョンが飾られていて、升目を読んでいると子供の頃に毎日のよーに遊んでは読み覚えた内容が頭に蘇ってこれまた懐かしい。

 株だの給料日だのって言葉、よく分かったよなあ小学生の低学年に。つまりは遊ぶだけで経済社会に”人生”を学べる教育的ゲームの走りだったってことか。ファンタジックな世界で冒険とバトルを楽しむゲームなんてなかった時代ってこともあったけど、昔の玩具にはやっぱりいろいろ知恵が込められていた。学んだところで人生の何ら役には立ってないけど。コマの自動車に立つ棒は未だに青の1本だけだ。

 地下鉄の都営線大手町駅にもちょっとした展示が出来て「ゲド戦記」の予告編が見られる発表会があるってんで六本木へと行き、アサヒ飲料とスタジオジブリのタイアップ発表会を見る。7月あたりの公開に向けて飲料のCMに映像なんかが絡むことになるって奴で、ハウス食品だのローソンだの日本生命といった過去にジブリが企業とタイアップしては映画を大宣伝して来た戦略の流れを汲んだもの。だけど山ほどあっただろー待望のジブリ新作へのタイアップの話でアサヒ飲料を選んだ理由が振るってる。

 登壇した鈴木敏夫さんの話ではまず自分が「三ツ矢サイダー」が大好きだってことで、ずっと昔から飲んでいて、今も送ってもらったサイダーをスタジオじゅうで飲んでいるとか。さぞやげっぷげっぷって音がスタジオには響いていることでしょう。それから徳間書店の総帥だった徳間康快さんが、「東京国際映画祭」なんかを総合プロデューサーとして頑張ってやっていた時に、アサヒビールの社長から会長を務めた樋口廣太郎さんが支援してくれて、その様を横で鈴木敏夫さんがずっと見ていて樋口さんに恩義を感じていたこと。前者についてはリップサービスかもしれないけれど、後者については鈴木さんの徳間康快さんに対する尊敬の念なんかを過去に聞いていたこともあって、その徳間さんを支えてくれた樋口さんのいた会社の関連会社からなら受けない手はないと、思い立った流れも何とはなしに理解できる。いつかこーゆー時が来るかもしれないと、今はまだしょぼくれたアニメ制作スタジオに、企業もいろいろ種を蒔いておいてはいかが。

 質疑応答では当然のよーに宮崎吾朗監督起用についての理由を聞く声が挙がったけどれど、やっぱり聞かれると思ってか鈴木さんもしっかりと答えを用意していた。曰く「『ハウルの動く城』なんて作って成功もしたけど、ジブリは問題を抱えてる。宮崎駿は65歳になったし高畑勲も70歳になっていて、宮崎と足すと135歳。122年の三ツ矢サイダーより上になる。次をいったいどうしていくのか。ジブリはもともと宮崎や高畑のものを作りたいと始めた会社で、作らなくなればフタを閉じても良いと思っていたけど、今は160人くらいがいて、そんなスタッフや若い人たちへの責任もある。次の未来へ向かうべきで、その橋渡しが最後の仕事だと考えた」

 「そこで若い人を起用することも考えたけれど、中小企業なんで親父が若い人のやることにいろいろと口を出す。宮崎駿はよくいえば親切なんだけど、悪く言えばお節介で、そんな人の下で若い人を起用してもダメになってしまう。そこで考えた。彼の息子だったら手出し口出し出来ないだろうと。それで吾朗を起用した。彼に映画の監督をやらせるのは暴挙ではないかという意見もあったけれど、これまで見てきた範囲で言うと、彼はもともとは造園業で、三鷹の森ジブリ美術館を運営する経験なんでまるでなかったのに、うまくやってくれた。何も知らない男が美術館を作り運営し成功したんだから映画だって出来ると確信した」

 「『紅の豚』って映画の中で確か豚が新しいことをやる時に必要なのは、経験なのかインスピレーションなのか、どっちが大事かって聞く場面がある。映画ではインスピレーションが大事。経験があればできるものでなくインスピレーションが大事なんだと、それを思い出した。宮崎駿の所に説明に行かなくちゃいけない時が来て、それで父親は映画と同じセリフと同じ事を言うかどうか、息子に賛成するか反対するかを考えたら、案の定、「経験がないじゃないか!」って宮崎は言った。この人は嘘つきだねえって思ったよ」

 「まあそれが世間の親ってものだけど、映画作りは苦労の連続で、そこに引っ張り込みたくないという親心もあったのかなあ。それを説得して今「ゲド戦記」を作っている。父親だけじゃない。息子ってことだけで映画はできるのかって、一番危惧と愚案を抱きやっかみも抱いたのはスタジオジブリのスタッフで、ベテランのスタッフもそう言って来たけれど、その一人ひとりに宮崎吾朗は自分で絵コンテを描き、絵をどんどんと描いてみせた。音の関係も自分でやって説得していった。監督として立派にやってくれています」

 なるほどこれだけ聞くと今は混乱もなくしっかりとした体制で映画が作られているって感じられる。順調に遅れることが常なのに公開に間に合うどころか事前の試写会もちゃんと行えそーな進行状況だそーで、作品としてのクオリティを保ちつつ、商品としての意味もちゃんと理解しつつ作品を送り出していける体制が、構築され始めているって言えるのかも。ただ何より問題は出てくる作品がどれだけの内容かってことで、流れた予告編を見る限りは完璧なまでにジブリ映画、ってまあこれは作画スタッフや彩色スタッフの力によるものなんだろーけれど、違和感もなしにすんなりと見られそー。

 声は不明。こればっかりは聞いてみないと分からないけど、選んだ側も自信満々だったから信じることにしよー。主題歌を唄う手嶌葵さんって人の正体は謎らしーけど、九州方面では有名な超若手女性シンガーだとか。ヤマハ音楽振興会なんかがやってるコンテストの入賞者ってことで、映画公開の暁にはそのノラ・ジョーンズともベット・ミドラーとも並ぶ声を聞かせてくれることでしょー。見た目選考のDIVA流行りの音楽界に新のDIVAを。期待。して良い?


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