縮刷版2006年月2中旬号


【2月20日】 見ていたのももう、とてつもなく大昔になってしまたような気がする「創聖のアクエリオン」に登場した、堕天翔族のトーマが住んでいた場所に飾られていた巨大な花の塔の、美しくもグロテスクな様に目を引かれつつデザインした人の名前がokamaさんだと聞いて、過去に出た幾冊もの本の中でも色彩モチーフの実に不可思議であるにも関わらず、仕上がった様の誰もが目を引かれる姿に驚いてきた身として、なるほどそれなら「生命の樹」だって描けて当然描と納得していた、あれはもう1年くらい前のことだったか。時って流れるの、速いなあ。

 そんな激務をこなしながらも、連載の方はしっかりと続いているみたいな倉田英之さん脚本によるokamaさん漫画の「クロスロオド」(集英社)に超待望の第3巻が登場。巨大な花やらサボテンやらが所狭しと居並ぶ中にたたずむ女と少女の姿が描かれた、色使いもど派手な表紙絵の、よくよく思えばもはや花壇の美しさを超えたグロテスクさが浮かび上がって来て当然なのに、okamaさんの手にかかればトータルとしての美しさばかりが前面に立ち上がって来るとは見る目が慣れてしまっているからなのか、それとも心底よりの才能なのか。

 捨てられた時に包まれていたという謎の布の正体を確かめに旅に出て、トップブランドのひとつであるロイヤルカストラート本社に向かっていたファーガスとジェニファーの双子の兄妹が旅の途中で見かけたのが、花を愛で操るロイヤルカストラートのトップモデル、ジューン・メイ。そこで彼女からジェニファーが花を受け取ったことが災いしたのか幸運だったのか、やがてロイヤルカストラート本社へと赴いた双子はジューン・メイの花を持っていることを咎められ、捕らえられ誤解が解けてジェニファーが釈放されてもファーガスだけは捕まったままとなってそして、この星の秘密と自分たちを捨てた両親について聞かされる。

 一方のジェニファーはファーガスを助けたいとの一身でジューン・メイにすがり最初は一切の興味も抱いていなかった彼女をジェニファーを持ち前の根性と努力で振り向かせようと頑張る。その戦いぶりの無様なんだけど何故か目を離せない様に興味を抱いたのかジューン・メイ。トップモデルの愛想良い外面を脱いでジェニファーを本気で鍛えにかかるとゆー、展開で見せてくれるジューン・メイの凄みたっぷりな笑顔が本巻最大の見所か。その顔で見つめられたらその場で卒倒してしまいそー。「クロスロオド」の舞台で華麗に舞い凄惨に倒す彼女の姿を速く拝みたいけど1年に1冊ってペースでは見られるのは来年か。倉田さんokamaさんともに多忙の極みだからなあ。

 そんな一方の倉田さんが多忙の中にあっても忘れずにちゃんとしっかり引っ張り出してきた読子・リードマンの復活激を描いた「R.O.D」第11巻か集英社スーパーダッシュ文庫からいよいよ登場。読仙会を率いるおばあちゃん、といいつつ見た目は幼い少女のチャイナが手にするファウストの力を追って、英国を陰から支配していたジェントルメンが若さを取り戻し手に触れたものを勝手に進化させる力も得てそしてコンロンにたどり着いたチャイナと五鎮姉妹たちの元へと迫る。

 ジェントルメンに帰れと放逐された読子はそれでも本の力を諦められずにジェントルメンを追いチャイナを追ってコンロンへ。彼女を慕う菫川ねねねも英国からインドへと回りそしてどうにか中国へと向かおうと苦闘している最中で、傭兵ドレイクもダイブスーツに体のラインもくっきりで胸の部分はスーツがないからさらにくっきりなナンシー幕張とともに読子を助けようとコンロンへと向かう。主要な登場人物が再結集してそしていよいよ幕を開けるラストバトルは続く第12巻ってことだけど、さてこれまた一体いつ頃発売されるのやら。でもなあ赤城毅さんの「ノルマルク戦記」みたく良いところでストップ、移籍して再会なんてことにはここまで来たらならないから安心して首を伸ばして完結を待とう。その「ノルマルク戦記」は2冊が集英社スーパーダッシュ文庫から刊行。あとがきが……怖い。


【2月19日】 寝もせずに起きて「交響詩篇エウレカセブン」。そうかそんなに「金枝篇」をやりたいのか、やっても良いけど唐突過ぎるのだけは止めて欲しいよなあ、残りもそんなにない訳だし、今頃になってデューイとホランドの家系が代々贄とされる王家で、その嫡男として立てられたホランドに腹を立てたデューイがすべてをぶちこわしてしまった挙げ句に、役目を奪われ放逐された結果世界は科学の時代へと移り変わったなんて話を、アネモネとのソーシャルなダンスの間に喋られたって誰も面白がれないよ。フレージャーが13冊の分厚い本に著した話しを正味5分で振り返っては「エウレカ」世界の背景に重ねるなんて力業、成功すれば凄い物語が紡げたのに何だかスパイスにすらなってない。「死海文書」ほどの思わせぶりさも漂わせられてない。

 そういう話があるなら本編の主役たるレントンにだって超えるべき何かがあって、それがホランドとデューイのどちらかといえば旧世代との対峙の果てに成し遂げられるってんならバランスも良いんだけど、レントンはレントンでノルブとサクヤに見送られ、1人身に歯がみするアネモネを置き去りにしてエウレカと手を取りゾーンを超えて新しい世界のアダムとイブになるのかも、なんて期待を持たせた翌週に絶壁に囲まれた入り江で水もなくなり食べ物もなくなったことが堪えたのか、いったいここはどこなんだどこに連れて来たんだ答えろエウレカと迫る情けなさ。分からないって言ってるエウレカを攻め立てガキンチョの1人に止められバツの悪そうな顔をしている姿は、甲斐性なしの亭主が母親を守る子にたしなめられている姿に並んで格好悪い。

 あまつさえ動かそうとしてニルヴァーシュが崖から落ちて壊れ直そうとして直せないと、またしても苛立ちお前はニルヴァーシュの心が分かるんだろうとエウレカに絡み、だったらあんたはメカニックなんだからとっとと直せと逆に返される始末。率先して危地を脱出しようと画策しては、エウレカやガキんちょ3人に良い所を見せようなんて意識のまるで感じられないみっともなさに、だったら先週までのちょいマシになりかかってたレントンは何だったんだって頭を傾げた人も多くいそー。それとも何だろう結局は人なんて簡単に成長できる訳がない、ガキは最後までガキなんだってことを見せつけようとするドラマだったのか「エウレカセブン」って?

 ともあれとりあえずたどり着いた入り江でエウレカにも異変が起きつつあり、残った惑星でホランドも苦戦を強いられている中で一体何が起こりそしてどこへと向かうのか。1人取り残されデューイにも見すてられドミニクとは離されてしまったアネモネの安否を気遣いながら来週も見よう。ところでアネモネのペットのガリバーがドミニクのスーツケースに紛れ込んでまで彼についていったのは何か理由があるのかな。両手で持って持てないくらいに重たくベッドに上がると100キロの体重の人が乗っても撓まないベッドが歪み軋むってことはガリバーって200キロくらいあるのかな。そもそもガリバーって動物? その辺の謎解きにも期待。「金枝篇」を読むとそんな正体にも言及があるのかなあ、読んでみようかなあ。

 わはははははははは。子供の使いかってーの民主党の桜井議員殿。「サンデープロジェクト」に出演してはホリエモンが武部勤・自民党幹事長の息子に3000万円を振り込むよーに指示した例のメールの信憑性について説明しよーとしたけれど、そのことごとくが論拠の欠いたものでまるで釈明になっていない。電子メールについては専門家でもある元NTTの世耕議員がどうやったらそうなるんだと聞いてもネタもとの安全が云々とかいってごにょごにょ。そんな信憑性の乏しい紙切れ1枚を根拠に、さあ口座が誰かを明かしなさいなんて国会議員が国政調査権を濫用し始めた日には、永田町じゅうにインチキなメールが飛び交いそれを理由に口座を明かせ引き出しを開けろ冷蔵庫の中身を全部出せって事態になってしまう。そんな横暴を通してそれが自分たちに返って来ないとも限らないって、どーして想像が出来ないんだろう? ああ、想像できないから民主党なのか、納得。

 秘密を守ろうと黒塗りばかりにした言い訳も振るってる。メーラーの種類がバレると誰が発信したか分かるなんてこと、あるのかねえ? 「堀江」の署名の「堀」のヘンをどう書くかってことに何か符丁があってそれによってメールの発信者が特定されてしまうの? 忍者の書状じゃあるまいし、敵と味方を判別するため名前の書き方メーラーの種類を情報に近いレベルによって違えるなんて真似を、今時の会社がする訳ない。バラした奴が特定できるように人に、送った相手によってよってわざと違う言葉を交ぜたりしているんだろーか?

 その昔に検察庁内から情報が漏れ出し新聞にスクープとして載ることがあったんで、上の方が下の検事に対して違うネタをばら巻いて、それが抜けて新聞に出た所からネタもとが誰かをいぶり出すなんて真似を昔の検察はやって、それに読売新聞の立松和博記者が引っかかってガセのネタで記事を書いて逮捕されたって話もあるけれど、緊急を要するメールでもホリエモンが常にそこまで考え何かを書いていたんだとしたらそれこそ驚きだし、既に評判になっているだろー。でもそんな話は聞こえてこない。

 やっぱりどこか怪しげで、発信者も受け手も信憑性すらも特定不能なメールを元に、プライバシーの壁を超えて人様の身辺を洗い出し狩り出しては社会的に抹殺できる力を持ち得る国政調査権の発動を、何の臆面もなくおののきすら抱かず主張できる民主党に政治なんて任せられませんってば。だったら自民党しかない、って所の選択肢の微妙さが人のやる気を殺いでいるんだよなあ。困ったなあ。もうダメかもしれないなあ。

 そんな引きずる絶望感も蘇我駅あたりまで来ると収まり久々の「フクダ電子アリーナ」にて久々のサッカー「ちばぎんカップ ジェフユナイテッド市原・千葉vs柏レイソル」を見物。これも久々のJ2チームを相手にすることになった伝統のカップ戦でジェフ千葉は阿部勇樹選手と巻誠一郎選手とゆー司令塔と手法が欠けた状態で、且つ新しく獲得したプルクニ選手もまだ来ておらず戦力的には片翼状態だったけど、そこをマリオ・ハース選手のワントップ布陣で山岸選手水野選手中島選手佐藤勇人選手羽生選手坂本選手を入れ結城選手斎藤選手にストヤノフ選手で固める布陣をとってはレイソルの攻めをしのぎ跳ね返しては時折するどいパス交換から中央を突破する場面も見せて相手ゴールへと迫る。

 そして後半にまずはゴール前の乱戦から坂本選手が振り向きざまに蹴り込んで1点。そしてサイド深くに入り込んだ坂本選手からのクロスに走り込んでいたハース選手がどんぴしゃで当てて2点目を奪い勝負を決定。たぶんそれなりに久々の「ちばぎんカップ」を獲得した。巻選手に阿部選手が代表で抜けるよーになった時でも変わらないサッカーを出来るんだってこれは証明で、だからジーコ監督には是非に阿部選手巻選手をドイツへと連れていって頂きたいものだけど果たして残るか。残らないなら残らないでジェフに芯が戻ってなおいっそうの強さを獲得できるって寸法。これなら今年こそはって期待も膨らむ。

 一方のレイソルもディエゴ選手って大きくて強くておまけに速い選手を入れ善戦にこれまた大きくて速い北嶋選手が戻って来てなかなかの強者ぶり。トップにボールが入る場面などなかなかに怖いものがあったけど、押し上げ一気に攻め立てる所までにはまだ至っておらず中盤での存在感を1人で何人分も体現していた明神選手の穴って奴が、ここに現れているのかもなんて想像も浮かぶ。ディフェンスはなかなかで幾度とないジェフ千葉の攻めを跳ね返す堅さもあって、これならJ2で得点を重ねつつ失点をしない戦いぶりを繰り広げては上位に留まり1年での復帰って奴もありそー。ノブりん仕上げて来ています。来年は同じJ1チームどうしで戦いたいなあ「ちばぎんカップ」。J2チームどうしになってもやるのかなあ。それは考えたくないなあ。


【2月18日】 居ると眠り倒した挙げ句に太ってしまうんで起き出し、戻った寒さの中を神保町へと向かって本など買い込む。「七姫」ってタイトルにこれはもしかすると「七姫物語」の新シリーズがハードカバーで出たのかと、勘違いはしなかったけれど比べて果たして面白いのかと興味も抱いて森谷明子さんって人の「七姫幻想」(双葉社、1600円)を購入。読んで冒頭の1編の古代が舞台になったミステリーで、発表されたのが「小説推理」って媒体だったってこともあって、ちょっぴり風変わりなミステリーを書きたかったのかなあと若干微妙な感じを抱く。

 ところが続く何編か読む内に、ミステリー仕立ての部分は部分としてそれなりに奥深く、且つミステリー的な部分を追いやって姫という存在の生きるになかなかに不自由で、それ故に生まれるドラマというものが前面に浮かび上がって来て、ままならない立場の中で恋情であったり嫉妬であったり思慕であったりといった思いに悩み、そして身を滅ぼしていく哀しみが描かれて身を悶えさせる。国家レベルでの策謀を巡らせる「七姫物語」の姫たち程にはスケール面で大きくはないけれど、身の届く範囲で精いっぱいの策を弄して想いを遂げようとする心根に打たれて心引かれる。短歌の引用もあって学も付く連作短編集。ちょっと収穫。

 三省堂書店ではいっしょにジーン・ウルフの作品集を買って講演会の整理券ももらったら何と71番だった。ジーン・ウルフのそれも結構な値段がする作品集を買う人が今の三省堂に70人もいるのかと驚き。それとも登場する形や映画評論の分野で根強いファンを持つ柳下毅一郎さんのファンが70人くらいいたとゆーことか、相対する山形浩生さんのファンがやっぱりり70人くらいいたとゆーとこなのか。当日のファン層がどんな割合になっているかを知りたいところ。心底よりのジーン・ウルフのファンが実は1番少ないってこと、ありそーだなー。

 なんだ「なでしこジャパン」は中継無しか。結果はロシアを相手に2得点で見事な勝利。ランキングでは上だから勝っても当たり前なんだろーけれど、それでも勝てそーな相手に苦戦する兄貴分を見ていると勝てる相手にきっちりと勝てる所はとっても心強い。得点したのがアテネ五輪では出場を果たせず涙した永里憂季選手ってところが明日への希望もつないげ暮れる。荒川恵理子選手も代表復活とのこと。こいつも嬉しい。あとは中盤で酒井與惠選手がどこまでの凄みを見せてくれていたか、だなあ。見たかったなあ。

 ほぼレギュラーだった川上直子選手が外れた代わりに、「浦和レッズレディース」のチームでは圧倒的に女王様なんだけど代表ではあんまり機能してなかった安藤梢選手が、サイドバックに回って持ち前のスピードを生かして突破をしかけてクロスを上げて、良いアシストを見せ始めているらしーのも吉兆か。川上選手だってチームの「日テレ・ベレーザ」では完璧に近いプレーを見せているだけに、その上を行くって判断を監督がして起用した安藤選手の好調さも伺える。これも見たいなあ。次に国内で試合するのは何時なんだろー?

 そして始まった日本代表とフィンランド代表の試合をテレビで観戦。左のウイングに入った村井慎二選手が前へ前へと突破をしかけては何度も相手をぶっちぎって真ん中にボールを供給していた姿に感動。後ろとか周囲との連携もなかなかで、止まったままで受けてそれから動き出すアレックスでは囲まれ奪われると躊躇する周囲も、常に動いてボールをもらおうとする村井選手の方を使いやすいと感じてくれるよーになったのか、後半にアレックス選手が代わりに入った途端に、左サイドでミスが生まれ突破もそんなに仕掛けられなくなったよーに見えた。

 もっとももらいさえすれば自力で打開できる力を持つのがアレックス選手。裏を狙われ守備に謀殺されることもなく、待ってもらってそれから中央に切れ込み短くクロスを入れる彼らしープレーも随所に見られて健在ぶりを示していただけに、村井選手的にはクロスから1点が生まれる場面を創り出したかったんじゃなかろーか。素早いチェックと裏を狙う動きが敵にあると途端に不安定になる左サイドのオプションとして、動きもらって送る左サイドはやっぱり貴重。それが別に村井選手である必要はないんだけど、アレックス選手が慢心しジーコ監督が安心しないためにも残る期間に左サイドでタメを晴れる選手の台頭を期待したい所。

 「カーリング、そらカーリング。ここで1発テイクアウト。まーけてたまるかなるものか。ここで一発テイクアウト」。って歌を唄いながらテレビでトリノ五輪のカーリング「日本代表vsカナダ代表」を見ていた人は自分がいい歳になっていることを自覚した方が良い。ってかこの歌って一体いつごろくらいまで流れていたんだろー。記憶をサルベージすると小学生くらいの時でもテレビで流れているのを聞いたよーな。それも真夜中ってよりは昼間だったよーな。何の番組だったんだろー。

 ともあれカーリングはスキップの小野寺歩選手が何度となく絶妙なショットを決めてカナダチームのストーンを外へとはじき出すテイクアウトを決めて削り逆に自分たちの石を置いて得点を重ねてそのまま勝利。長野五輪の優勝チームってことは世界でもトップクラスを破って予選突破への期待を繋げてくれた。何十年も前から知られているスポーツで、雪国氷の国ではお馴染みのスポーツで、歴史が浅いために競技人口が少なく新興国でも上位に食い込めるってものでもなさそー。そんな中で強豪国に勝てるんだから日本チームが持つポテンシャルの高さも伺える。3度4度とスーパーなショットを見せた小野寺選手にカナダも驚いたんじゃなかろーか。そのカナダチームは眼鏡をかけた選手が2人ほどいてテレビに並んで映し出されて遠目にはなかなかのインパクト。だけどアップになるとそれなりなキャリアが頬に刻まれていて高まった関心を冷めさせる。眼鏡をかけていれば勝ち、って訳じゃあないのだよ。


【2月17日】 なるほどそうやって作られた人工ジェムを使ってトモエ・マルグリットは悪辣な雰囲気をまとったオトメとなるのか。でもやっぱり立ち位置としてはザコだよなあ、シズル・ヴィオーラをひたすらに想って入れられず逆に「きらいどす」とか言われ返り討ちにあうパターン。それもそれでトモエらしい最期かと。ナツキ・クルーがーにはやっぱりこれが必要だったかヒッチハイク。だけど「舞−HiME」の時みたいなボヨンと出てボインと震えるシーンは今回はなし。チラとも見せてくれないのは正直言ってとっても悲しい。DVDでは是非に。

 ミドリちゃんは「舞−乙HiME」でも17歳。それも理由があっての17歳。あの設定をこう活かすとややるなあスタッフ。前から見ている人には楽しく初めて見ても分かるとゆー、これが理想の続編って奴か。来週はエアリーズに到着したナツキにジュリエット・ナオ・チャンがハルカ・アーミテージといろいろドタバタしてくれそー。直情径行なナツキにハルカの間でニマニマっと策をめぐらせるナオに期待だ。学園に1人残って仕切るチエ・ハラードにも活躍を。シホ・ユイットはマキマキにしか役立たないのか。それともマキマキは何かの役に立っているのか。砂漠に怪物が現れたのもマキマキのせいなのか。うーむ。謎が多い世界だなあ。

 スキーを滑ったりスカイダイビングで落下したりスキューバダイビングで潜ったりしただけでは止まらず、遂には宇宙にまでその勢力を伸ばしてどこでも行くし何でもやる、古代生物の末たる凄みを見せ付けてくれたがガチャピン様。そして去年辺りからは世界も注目するヒーローの精神を受け継ぎ、その名も「科学忍者隊ガッチャピン」として地球の平和を脅かす悪との戦いを始めたていたけれど、たった1人で横に喋りはするけど芸はガチャピン、それでギャラおんなじなムックの博士を侍らせただけで、総裁X率いる悪と果たして戦えるのかと心配していたら、ちゃんとしっかり仲間がいてチームを組んで戦うことになっていたみたい。

 なるほど5人いてこそ「ガッチャピン」。んで仲間になるのは誰なんだろう、「Pちゃん」かなあ、他に誰か縁のキャラクターっていたかなあ、なんて思案を巡らせ「アミューズメントエキスポ2006」の会場に出展中のバンプレストのブースに行き見た「ガッチャピン」の仲間たちは! 既に明らかになっていたリーダーことG1号「大鷲のガチャピン」を筆頭に、射撃やナイフ投げの得意なG2号こと「コンドルのガチャピン」、手先が器用な白い肢体のG3号「白鳥のガチャピン」、愛嬌があって誰からも可愛がられるG4号「燕(つばくろ)のガチャピン」とそして、直情的で情に熱いG5号「ミミズクのガチャピン」といった具合にすべてがガチャピン。5人のガチャピンがそれぞれにそれぞれなコスチュームをまとい、それぞれがそれぞれの得意技を駆使して迫る敵と戦うのであった。とな。

 なるほどこれを見ればスキーはスキーの得意なガチャピンが滑ってレースは運転が上手なガチャピンがハンドルを握り宇宙も宇宙を得意としているガチャピン(どんなだ)がロケットの加速をものともしないで行ったのかもって想像も浮かぶ。「ガッチャピン」ではそんな様々いるガチャピンの中から、オーディションによってそれぞれのガッチャマンにふさわしいガチャピンが選ばれG1号から5号までを演じることになったのだろー。けれどもムックは1人だけ。南部博士は演じられてもベクルカッツェは演じられないのだ。まあその融通の利かなさがムックらしいねえ。

 ミッキーマウスが世界に1人しかいないのと同様に、偉大なキャラクターは1人しかいないってことを設定上でも頑なに守るのがキャラクタービジネスに必須のことかと思っていたけど、ことガチャピンに関してはこの原則はあてはまらない。適材適所ならぬ適ガチャピン適所によって世界のあらゆる場所にガチャピンを頻出させて、知名度を高め関心をあおりキャラクターとして最も大切な知名度ってやつを獲得していく戦略なのだ。そのうちに歴代「ウルトラマン」だって「ウルガッチャピン」とかって感じにすべてをガチャピンが演じ「仮面ライダー」も「ガッチャ面ライダー」として初代から響鬼からカブトまでをガチャピンが務める日が来るかも。30年に山と作られたスーパー戦隊のすべてだってガチャピンになる。アカレンジャッチャピンにバイオッチャピンブルーにガオッチャピンホワイトにマジッチャピンイエローにボウケンッチャピンピンクがチームを組んで戦うのだ。でも博士はムック。あるいは巨大ロボットがムック。

 そんなバンプレストのブースを抜けてぐるりと回った「AOU」。コナミでは「NOVA」ウサギが出てきて英語を教えてくれる「駅前留学」ならぬ「ゲーセン留学」のゲーム機を投入。中身はつまりは「クイズマジックアカデミー」の英語版って感じだけど、「ニンテンドーDS」の上で頭を鍛えるゲームが大流行している風潮もあるだけに、ゲーセンで学べるゲームってことでこれまでゲーセンには足を運ばなかった層とかが行って遊んだりする光景が見られそー。同じことはセガが出してた「頭脳能力向上マシン タッチでズノー」もやっていて、画面に出てくるクイズの答えを手にした棒で指していくことで頭をヤワらかくできる。もぐらたたきのクイズ版でなおかつモニター使用ってところが21世紀的? 舞台に出てきたおねいさんたちはポーズも様々でとっても目の保養になりました。見所か。

 訴えられたり訴えたりも茶飯事の業務用ゲーム機業界で今最先端なカードゲーム機ではセガが「甲虫王者ムシキング」に「オシャレ魔女 ラブ&ベリー」に「恐竜キング」を並べて展示すればタイトーも「ダイノキング」をしっかり展示。いろいろともめていはいるけれど、現状とりあえず法的な判断が出ていない以上はこれもともに当然といったところか。そんなタイトーのブースに見つけたのはあの「リカちゃん」をダンスさせてカードを集めるゲーム機。雰囲気だけなら「ラブ&ベリー」に近いけれどキャラクターが「リカちゃん」ってところがなかなかに強力。踊る姿もCGリカちゃんの歴史が結構あるだけにスムーズでなめらかで、リズムよく踊ってくれている。タカラの参考出品らしーけど果たして出るのか出ないのか。出たらいったいどうなるのか。興味津々。

 堂々の8位にしか食い込めない演技を見せている高橋大輔選手を中継する映像の肩に「メダルに届くか」なんてテロップを入れて流すTBSの煽りセンスに辟易とさせられながらも朝っぱらか見たフィギュアスケートの男子はやっぱり海外選手の演技の切れ味ジャンプの迫力に一日の長。日本でいくら高度な戦いを演じたところで井の中の蛙でしかないんだってことを思い知らされる。同じことはやっぱり女子にも言えるのかなあ。他の競技はとりあえず1つも見ていないけど、報道なんかで見ていると女子のアイススケートでジェットストリームアタックが正式競技に加わっていたとは知らなかったよ。そのうち長いコースを滑りながらバトルをし合う「GPX」なんて競技も生まれたりして。そんな長いアイスリンクが無理ならローラーで夏季にやれば良いのか。

 っていうか何やら屋内競技を夏季から冬季へと移管すればどうって話も一部には浮上している模様。別にバスケットボールやバレーボールといったインドア競技を夏にやる必要はなくって、冬場に体育館で開けば暖房も利いた中でプロシーズン真っ盛りの中でコンディションも万全なNBA選手、バレーボール選手の活躍って奴を見られるわけでファン的には嬉しい。インドア競技も含まれれば雪山がなくスケート場だって作れない南の国の人たちが、冬季五輪に参加してそっちの人数を増やし、一方で増加し続けている夏季五輪の競技数を減らし参加人数も減らしてバランスを取ることも可能になる。野球やソフトボールだって復活可能。そんなことをにらんで過去には田舎の山村が舞台だった冬季五輪が、最近はソルトレークシティーとかトリノとかバンクーバーとかって割に大きな町になっているんだって「スポーツ・ヤア」で玉木正之さんが書いていた。「雪と氷の祭典」ってイメージからは下がるけど、ウィンタースポーツのすべてが雪と氷に絡んでいる訳じゃないってことを考えると、いつかは夏冬が同等に賑わい話題に上る大会になる時代が来るのかも。


【2月16日】 泣き所は子供がパパだと行って走ってきた所ではなくって、死んだ娘を持つ母と、死んだ息子を持つ父がともに飛行機に子供を乗せたことを悔いつつも、母は娘の弾いたピアノを集めたCDを出して、それを父に渡して娘の弾いているピアノであなたの息子もきっと安らいでいるでしょうと告げて、聴いた父親もそうだと良いなと喜びCDを支えに没落はしても死ぬところまでは堕ちずに生きてきたってことを明言する所だった「神はサイコロを振らない」のテレビドラマ。

 誰かを失って覚えた喪失感のやるせなさって奴がぶわっと浮かび、そんなやるせなさを奇跡が埋めた素晴らしさに感じ入ってしまったよ。自分の死を利用したって憤っていた還ってきた娘がそれを聴いて母と和解に近づくステップにもなっててなかなか巧みなドラマ作り。次週は逃げ出したカップルが現れあれやこれやと大騒ぎするみたいだけど最後はやっちの頑張りで、きっとまっすぐになって前を向いて最後へと歩み去りつつ誰かを幸せにしてくれるんだろー。また見よう。しかしセーター姿になったやっち、意外に痩せているんだなあ。丸みのある顔だからって体も丸いと思っちゃいけねえ。

 フランスのファッションってったらジャンポールなんとかとかシャネルがエルメスだとかいった、高級プレタポルテにオートクチュールくらいしか浮かばないけど、日本にだってコム・デ・ギャルソンやらユキ・トリイだけじゃなくっていろんなファッションブランドが、値段も広い幅に渡ってあるよーに、フランスにだって「GAP」とか「ZARA」なんかよりはやや高めで、けれども高級ブランドよりは安い中間くらいのプライスを持ったファッションがあって、それが安い服じゃあ嫌だけど超高級ファッションには流石に手が出ないって人たちに、結構な人気になっているらしー。

道行く人も振り返る、のはテレビが来ていたからだけど、それでもちょっとのぞいてみたくなる明るい店舗  名を「コントワー・デ・コトニエ」ってブランドがあって、フランスじゃあ既に200店舗くらいも出ていて路面店から百貨店の中まで様々な場所に店を構えて、ナチュラルな素材とアースカラーが中心の色使いで、なのにどことなくパリのエスプリって奴? ちょっとした変わったデザインも施されていてそれなりに着るとオシャレな感じになる服を売っている。それがいよいよ日本の第一号店を17日にオープンするってことで、その内覧会が銀座6丁目の松坂屋の中央通りを挟んだ向かいくらいであったんで見物に行く。なるほどこいつはパリのエスプリだ。ちなみにエスプリがどーゆー意味かは知らない。

 運営しているのはファーストリテイリングって会社。聴いたことある? そりゃごもっとも。あの「ユニクロ」を全世界展開している会社で同じ銀座にもすぐ目と鼻の先に「ユニクロ銀座店」ってフラッグシップのお店を構えているんだけど、17日オープンの「コントワー・デ・コトニエ」にはそんな「ユニクロ」の「ユ」の字もなくって雰囲気的には緑の派手なベネトンから、色っ気を抜いたシンプルさ。置いてある服もカーキにべーずに薄いピンクにブルーにグレーといったシンプルさで、これを着て果たして地味子ちゃんに見えやしないかってパッと見た人は思いそう。

 でもよくよく眺めてみるとカーキでもいろんな濃淡があって、組合せによってグラデュエーションが出てそれなりに目を引きそうだし、デザイン面にも工夫があってシンプルさを極めたよーな「ユニクロ」の地味目の服だけを選んで着た時とは確実に、異なる雰囲気を醸し出せる。素材も凝っててリネンがあればふわふわのウールもあったりと実に様々。すべてがフランスでデザインされて欧州で作られているってだけのことはある。手触りも極上。これを着ている人とだったら侍りあっても楽しいかも。そんな機会は今も含めて未来永劫ないけれど(断定)。

 母と娘がいっしょに着られるってのも特徴で、プロモーションでは母と娘をオーディションで選んで着てもらった映像とか写真が使われていてなかなかな格好良さ。フランス人の細っこい母と娘だら似合ってて、これが日本人のちっこくってよこにぶっとかったりする母を横に置いてキマるかってゆーと微妙だけど、まあ最近の母とか娘ってどんどんと細くなっているからなあ。そんな人を選んで日本でもCMに起用していくんだろー。

 そんな「ユニクロ」とはまるで違うのを何故にファーストリテイリングがって聴かれれば、野菜とかいろいろ手を出しても巧くいかなかったことを踏まえつつ、ファッションの分野で新しい地歩を日本のみならず世界に固めて行きたいって思ったから。フランスではファッションショーも年に2回開かれて、それなりな知名度を確立しているブランドの経営に参画することで、フランスのみならず欧州での地位をファーストリテイリングが得たいって意図があったみたい。

 かといっていきなり買収する先がエルメスやらルイ・ヴィトンやらセリーヌじゃあ文化破壊の尖兵としてかつて米国の土地を買いまくった日本企業みたく、ただでさえ自国文化へのプライドが高いフランス人たちから叩かれる。買ってもあんまり騒がれず、かといって影響力もそれなりに持てる間合い良さでこの「コントワー・デ・コトニエ」、最適なブランドだったんじゃなかろーか。後はここでのデザインに関するノウハウが、多少なりとも本家「ユニクロ」にフィードバックされることが願いかな。昔に比べてずいぶんとマシになったんだけど、色も形もやっぱりどこか「ユニクロ」なんだよなあ、あか抜けない。

 信長秀吉と続いて斎藤道三&松永久秀と来た宇月原晴明さん描く歴史幻想小説の次の登場人物は、時代が一気に遡って鎌倉幕府の第三代将軍となった源実朝がまずは最初の主人公。そしてちょっぴり時代が下って元の王朝にはるばるやって来たマルコ・ポーロをもう1人の主人公にしながら、悲劇に満ちた生涯を送った1人の天皇、安徳天皇を両者をつなぐキャラクターとして登場させた幻想的で耽美的なストーリーを持つ物語になっている。タイトルは「安徳天皇漂海記」。聞けば誰もが思い出す澁澤龍彦さんの「高丘親王航海記」に名前を借りつつ敬意も示しつつ、1人の幼子がたどった数奇な運命を描き上げる。

 壇ノ浦で源義経によって滅ぼされた安徳天皇が何故に3代将軍実朝と絡むのか。そしてなおかつ源氏が滅んだ後に執権として鎌倉幕府を差配した北条氏が迎え撃った元のフビライに仕えたマルコ・ポーロとも絡むのか。その謎は読めば分かるし読んだら驚くこと請け負い。日本パートでは似合わぬ武家の頭領となった実朝の悲哀にあふれた生き様に泣け、そんな彼が贖罪の意識を育みその意志を貫き通してたどり着いた死に様に泣けるし、元のパートでは異国情緒の漂う中で繰り広げられる、幼き廃王たちのあどけなさも残しつつ立場に殉じて静かに時を過ごす、達観した立ち居振る舞いに心震わせられる。中央公論新社からまもなく登場。06年のベストが1本決まったね。


【2月15日】 をを「ノエイン」。訳わからないなりに何とはなしに思えば生まれる未来って奴の大切さを感じさせられたりられなかったり。量子論絡みの設定があってその上に未来とか別次元とか折り重なってくんずほぐれつになっているんだけど、メインの舞台が今の函館でそこに生きる小学生たちの言動を主軸に置いているからドラマの部分だけでも楽しめる。先週の巨大小学生女の突っ張っているよーで中身はやっぱり小学生っぽいところ、よく描けてたよなあ。

 思わせぶりな設定が頻出して展開もどこか不条理で、なのにそれを新しいとか格好良いとか思って作られている作品もあったりする中で、見ていてあんまり頭を悩ませないで済むのもそんなドラマの時にコミカルで時にシリアスな展開が、軸としてしっかりあるからなんだろー。作った人、偉い。04年から05年のベストを「ファンタジック・チルドレン」に置くなら05年から06年のベストが「ノエイン」。これに「灰羽連盟」を加えて21世紀のベストアニメトップ10がもう3本も出ちまったぜ。「ぱにぽにだっしゅ」は別腹だ。

 あらゆるものが「DS」に。最初は大人だって楽しめる簡単ゲームのプラットフォームかと思っていたのに、知らないうちにどんどんといろんな使い方が加えられて、ちょっとしたPDA並のマシンと化していくみたい。「ニンテンドーDS」の新しい戦略を発表するカンファレンスをのぞいたら、発表されたのが3月2日に発売される「ニンテンドーDSライト」だけじゃなくって新しいゲームソフトとそしてオペラブラウザ&ATOKの組合せによるインターネット利用ソフト。これを組み込めばDSを使いネットにつないでウェブ閲覧だって出来るよーになるっていゆーから、ウィルコムの「W−ZERO3」なんかを使ってネット接続している人も、接続環境さえ整うんだったらこっちの方が便利と乗り換えるって光景も現れるのかな。

 何しろ2面を使ってブラウジングできるから広いしタッチペンを使えるから支持だって簡単。日本語入力に関しても定評の「ATOK」を組み合わせるってジャストシステムがアナウンスを出しているんで、それこそ日立が昔出してた「ペルソナ」以上の変換力を誇るPDAになってくれたりするのかも。手書き文字認識機能なんかも利用できるんだったらこの上でサクサクと小説だって書けちゃうかも。無理に携帯電話で書きましたなんて、桑島由一さんが既にやっていることを今さらのよーに喧伝しては、賞の価値をアピールしている某賞の評判を超えることだって簡単だ。「ゲーム機で書いた小説です」。ほうってなもんだ。

 しかしそれより驚いたのが地上デジタル放送の携帯向け「ワンセグ」を受信できるDS向けのカードを発売するってアナウンス。ソフトを差し込むスロットにカードを入れてアンテナを立てるとほらごらん! 画面に「ワンセグ」の地上デジタル放送がくっきり映し出されてどこにいたって鑑賞できる。携帯電話で見るとどーしても残りの電池が気になるけれど、「DS」だったら遊べなくなることだけを心配すれば良いし、いざって時は充電コードを持っていってそこいら辺からチャージすれば即復活。学校とかでタコ足配線にしながら地上デジタル放送を「DS」で見る人とかいっぱい出てきたら、授業なんてちょっとやってられなくなるかも。いっそだったら授業を放送しちゃうって手も。インフラは「DS」にカードだけ。こりゃ簡単だ。カードが幾らになるかは知らないけれど。

 ゲームを楽しむために作られたプラットフォームでネットも出来ます、テレビだって見られますじゃあゲームが脇においやられる可能性だってありそーだけど、既にして600万台を出荷し1000万台だって年前半には達成しそーな勢いを持った「ニンテンドーDS」だ。そこには依然としてゲームを楽しむコアなユーザー層がしっかりあって、その周辺におまけ機能的な認識で、ブラウザーでネットを見たり地上デジタル受信カードで「ワンセグ」を見たりする人がくっついていって「DS」の市場を支えるってゆー構図を描いているんだろー。

 「プレイステーション2」の上でゲームとDVDビデオが時間を奪い合った構図とはちょっと違う。「プレイステーション・ポータブル」がゲームといっしょにUMDとして映像ソフトをリリースして、「PSP」の利用時間を奪い合いかけている構図ともやっぱり違う。あくまでもゲームが主であり、ネットとか地上デジタルは従。あるいはゲームを楽しむ層が主で、PDA的な使い方を目論む人は周辺ってことなんだろー。なるほど考えたねえ任天堂。ちなみにテストとして放送されていた地上デジタルの映像は、「DS」の上側のスクリーンにちゃんと映し出されていてそれなりの大きさ&クオリティ。どこまで行ってもデジカメのモニター以下な携帯電話の画面で見るよりはるかにしっかりと見られる。

 電池の関係もあるけど視聴時間も数時間は大丈夫なのかな。これだったら「ワンセグ」見てみようって人も大勢出そうで、地上デジタルを進めるテレビ局にとっても話としてはなかなかの美味しさ。なるほどだからテレビ局も一所懸命取材しリポートしていたのか。そしでそれがニュースでバンバンと流れ、更に「DS」の知名度が上がるって寸法。この足りも巧いもんだよ任天堂。いつからこんなに巧にメディアを使いなおかつ商品も市場が求めるものを迅速に出す会社になったんだろー。これなら「レボリューション」も相当に期待、出来るなー。「プレイステーション3」はどこに行ってしまったのかなあ。

 やって来たであります。「でっかいケロロ軍曹」であります。等身大であります。等身大って現実にケロロ軍曹が存在するかっていうと微妙なものがあるもののともかく現実にいたとしたらこんな大きさになるだろうという55・5センチの身長であります。部屋に置いておくとなかかの迫力であります。でも時々蹴躓いてお盆のジュースとかをこぼしそうであります。買った人は気をつけるであります。夜中になるともしかしたら動き出すかもしれないのであります。

 ちなみに「でっかいガチャピン」も55センチであります。あっちは等身大ではないのであります。つまりはニセモノであります。ケロロの敵ではないのでありますが何しろガチャピンであります。スキーもすればスキューバダイビングもすればスカイダイビングもすれば宇宙旅行もする強者であります。戦えば負けるかもしれないのでありますがそこは怯まずに挑み討ち果たすであります。しかし巨大だガチャピンもケロロ軍曹も。両方買った人、いるのかなあ。 僕? 僕ん家は等身大「ちよ父」だけで手一杯。等身大手先バージョン「美鳥の日々」もいるにはいるけどどこに行ったんだっけ? しばらく見てないなあ。


【2月14日】 聖バレンタインデーの虐殺があった日。アル・カポネによって敵対するモラン一家のヒットマン6人が殺害された事件で、この時に流された血を固めて囓りながら生き残ったモランが臥薪嘗胆を誓ったことから、固まった血に似たチョコレートを男だちが囓り復讐に執念を燃やすバレンタインデーの風習が生まれたというのはまるっきり嘘だ。しかしこの歳になるともらえるとかもらえないとか関係ないなあ、買えば自在に食べられるし食べれば太ると食べる気にもならないし。

 寝起きで「東京ビッグサイト」へとかけつけ「インターナショナルギフトショー」を見物。バンダイが昔懐かしい「ねこにゃんぼう」のリニューアル版を並べていて頭に猫耳を着けた女の子達がねこんやんにゃんにゃんいぬわんわんわんと唄いながらではないけれど、手に「ねこにゃんぼう」を持って来店客を招いていた。うん可愛い。聴くともちろん20年も前に人気になってた「ねこにゃんぼう」は知らないとのこと。そんな新しい人たちと、それから昔見て懐かしがる人たちが買って人気となるんだろー。

 すでに東急ハンズとか銀座の博品館とかでは売られているとか。並んでいるのを見ると前のよりサイズが小さめな感じ。切り取る猫を子供に変えたか。何しろ1匹から左右1本づつの計2個しかとれない貴重な品物。天然物では追いつかないと養殖物にクローン物も作り始めてはいるけれど、肉球の感じが艱難辛苦を乗り越えてきた天然物とは違うんで、質の良いのが市場に出回り始めるまでにはまだしばらくかかりそう。もちろんこれも真っ赤な嘘だ。そういえば「ねこにゃんぼう」って若手社員のアイディアから生まれたものだったって話を聴いたことがあったっけ。その人は今どこに?

 横ではトミーが「xavix」の出している専用端末「xavixポート」にカセットを入れつつ機器をつないで楽しむ足踏み機を展示中。腰とか細くて胸とかなかなかな女性のコンパニオンの人がうんしょうんしょと踏んでる様を間近に見て欲しくなる、コンパニオンの人が。もらえません。ただ踏むだけなら足踏みマシーンがるけれど、本格的に鍛えられる上にテレビ画面に映るゲームみたいなのも楽しめるのがこのマシンの特徴で、例えば画面にうつる轆轤を足踏みマシンを踏むことで回して、陶器を作る遊びとかが出来るらシー。万歩計みたく踏めば踏むほど江戸から京へと近づく映像とかあったら踏む気力も増えるかな。箱根八里のシーンで急に負荷が重くなるよーな仕掛けがあったら、そこでバテてしまう人とか続出しそー。やっぱり陶器作りくらいで良いや。

 「ボイルドエッグズが贈る次世代ストーリー」って帯に書かれてすぐにああボイルドエッグズかそれならばと食いつく人の果たして何人くらいいれば、滝本竜彦さんや三浦しをんさんの活躍を通してボイルドエッグズの名前が本好きの間に浸透しているのかも分かるかなあ、などと思いつつギャラクシーエンジェル文庫ことGA文庫をまとめ買いした中に1冊入っていた渡辺仙州さんの「神種 シェンシード」(ソフトバンククリエイティブ、620円)をちらりぺらろ一気読み、うん面白い。かつて行われていた研究に関わっていたものが次々と殺されていく事件が勃発。それも全身をすっぱりと切り刻まれる人知を超えた殺害方法で、事情を知る者たちの間に戦慄が巻き起こる。

 一方でただの高校生でちょっとあかりコンピュータに強い矢倉舜とゆー少年は、仲間のハッカーたちと集いあるサーバーに進入して、そこで常人とはかけ離れた体術を見せる人間の映像を発見する。もちろん信じずゲームの出たと思いこんでそのまま忘れていた彼の学校に、李恩とゆー少年が転校して来て舜と交流を始める。そんな日常が突如暗転。舜の身近に謎の殺人事件が迫り始め、それはかつて研究されていた「神種」と呼ばれる存在を浮かび上がらせる。人の願いを叶えるという「神種」とは一体何なのか。舜とその家族との関わりは。だんだんと明らかになっていく謎。そしてその先に蠢く陰謀が日本のみならず世界を巻き込んで人類の命運に深く迫る。

 周辺で起こる殺人事件の犯人。その驚くべき正体とそして事件の背後にあった情念が明らかになっていく展開は実にスリリング。なるほどそんなところへともっていくのかと驚かされるし、なおかつその先にまだ1段の過酷な運命を用意しているあたり、この物語を1巻では終わらせないで先に壮大なドラマを描き出そうって作者の企みを見てとれる。地球規模での問題が横たわっている一方で、この巻に関しては起こる事件の理由が極めて属人的だった辺りのバランスが今ひとつしっくりこないけど、最初は身の回りで始まった自体がやがて巨大な陰謀へと発展していくのはエンターテインメントによくあること。属人的な部分でまずはその凄みを見せつつ、やがてそれが地球規模になった時にどれほどの問題を生じさせるかを、類推させる上でも適当なプロローグ的ストーリーだってことなのかも。続く展開に期待だ。しかし見かけの幼女の見かけと違う中身に唖然。惚れなくて良かった。


【2月13日】 「タクティカル・ロア」も「Fate」もやっていないで千葉テレビではスノーボードがハーフパイプをはみ出しピョンピョン。うわぁあんなに縁から上へと飛び出すのか。見た目でルーズなファッションの兄ちゃんたちによるヤワいスポーツと思っていた目を改める。急斜面を斜めに滑り降りては空中へと上がっててどーしてそのままパイプの外へと飛んでいかないのか。真上に上がったのだとしたらどーしてそのまま失速から雪に頭を埋没とならないのか。考えると夜が眠れなくなっちゃうから考えないけどともかく凄い人たちばかり。そんなプレーに日本あたりで1番とか言ってる選手が呑まれ、メダル獲得を逸するどころか決勝に進めないのも当然か。内弁慶はどの競技でも変わらないものらしい。

 ”犬”ことウェズレイ選手がサンフレッチェ広島に移籍して来たと思ったら”鰻”ことマルケスまでもが横浜F・マリノスへと移籍して、去年の前半に名古屋グランパスエイトを引っ張りながらも何故か途中で相次ぎ消えて、ブラジルに帰ったはずの2人が供にJリーグに復帰とゆー、よく分からない状況が到来。日本がそんなに居心地良いなら、そのまま名古屋にいれば良かったのにって思わないでもないけれど、裏返せば名古屋にはもういられない事情があったってことで、もしも仮にウェズレイが得点王に再び輝き、マルケスがアシストをバンバンするよーになたとしたら、かくも恥ずかしい事情を創り出した名古屋のフロントの偉い人たちには、猛省を促したいところだけど既に最も猛省すべき人は消えてしまったからなあ、上田GM。今どこで何をしているんだろー?

 訥々と電撃大賞の受賞作を読む日々。「金賞」を受賞した来楽零さんの「哀しみキメラ」は何やら得体のしれない存在に融合されてしまった男女4人が、得体の知れない物になってしまって迷いながらも戦いそして破滅に向かうってストーリー。選考委員を唸らせるほどの圧倒的な筆力かは不明だけど、ある日を境に自分が変わってしまった時にいったい人はどうするのか、ってことを考えさせてくれる話ではある。それは大賞とは関係ないけど同じ電撃文庫から出た水瀬葉月さんの「ぼくと魔女式アポカリプス」にも言えることで、クラスでは目立たない、どちらかというと虐められっ子気味だった少女から告白されそうになった同級生の少年が、その時に巻き込まれた事件の中で少女のとんでもない正体を知り、あまつさえ自分までもがそうなってしまうというというから驚かされる。

 さらに言うならなってしまったもののどいういう理由かは分からないけどビジュアル的には素晴らしく、けれども必然性を考えた時には是非が相半ばしそうな変身後の姿を考えた時に、ほかにもうちょっとやり用があったんじゃないかって気もしてくる。少なくともそんな彼と彼女の関係だけで1巻を作っても良かった感じ。なのに幼なじみが絡み妹が絡んでは話を複雑にしてしまう。それならそれで少年を別に何かに変えることなく、彼にコクろーとした少女を半ば狂言回しにしつつコクられた少年を主軸にして、幼なじみとの関係を描いてみせても良かったんじゃなかろーか。でもそれがと何処から来た超常的な力を持つ美少女が混乱を巻き起こすってゆー、ありがちな展開になってしまうからなー。まあいいや少年の変身後の姿の麗しさがあるだけで今後にも期待が持てるってもので、それがしっかりイラストに描かれることを期待しつつ続刊がおそらくは刊行されるだろーその日を待とう。

 あるいはこーゆー処理の仕方もありか。行商人の主人公がある村で拾い上げることになった狼少女を連れに旅をしていくってゆー設定のありがちさに、最初はまた出たホイって眉根も歪んだ「電撃小説大賞」で「銀賞」受賞の支倉凍沙さん「狼と香辛料」だったけど、行商人が持ち込まれた儲け話の裏にある、商人やら何やらを巻き込んで繰り広げられている経済的な企みに気付いて、これを逆手にとってひと儲けしてやろうって計画を練ったりするとゆー、ライトノベルにはあんまり見かけない骨太で社会性を持った設定が目新しくって面白く、最後は一体どうなるんだろう? って期待をしながら最後まで一気に読み切ってしまった。口絵の尻尾と耳がついた裸の狼少女はなるほどキャッチーだけど、それだけではない奥深さを持った小説ってことで。まだ続くみたいな旅路で繰り広げられるしたたかさに溢れたやりとりに期待だ。


【2月12日】 感涙が足りないなあ。「びんちょうタン」なんかを見た後だとそれもなおらに感じる「交響詩篇エウレカセブン」は、ゾーンへと向かうレントンにエウレカとあとガキ3人(良いのか付いてて?)を見守るノルブにサクヤの2人組。そして追いかける「ニルヴァーシュ・タイプ・ジ・エンド」を駆るアネモネって構図から、40年ぶりの伴侶をお互いに得たカップルに出会いこれから明日を作るカップルに対してたった1人、思いも届かずその思いすらも果たして真実のものかが怪しいアネモネの悲しみって奴が、もっとくっきり浮かび上がってくれば同情に心も揺れたのに、そーした重たい演出を避けビートの利いたサウンドの上でノリの良いドラマを繰り広げて見せる演出からは、そーした重たさが浮かばずサラッと流れてしまった。浮かばれないなあアネモネ。最高の見せ場はもしかして悪夢の中で鮫か何かに化けた場面? そして現れたあの島国。おいおいどーゆー理屈だよ。もしかして魂魄集う阿弥陀如来の手に包まれに、奈良の東大寺三月堂とか法隆寺とか平等院にでも向かうのかい? でもって奈良で話題の弾圧に挑みニルヴァーシュが暴れると。それでこそフリーダム。

 山盛りの日本とドイツの芸術をバイキング形式の料理屋みたいに出されもたれた胃をおさめるためにと、「東京国立近代美術館」で開かれている「須田国太郎展」を見物。岸田劉生黒田清輝といった日本近代美術のルーツに連なる人たちや、梅原龍三郎とか岡本太郎ら現代にも及んで活躍していた面々、佐伯祐三藤田嗣司といったインターナショナルに知られる面々と比べるとメジャー度では一段下がる気もしないでもない人だけど、亡くなったのがもう40年以上前で僕の生まれる直前で、歴史になるには早すぎるけど同時代的には持てはやされておらず、浴びる情報が少なくなってしまっていたから仕方がない。こーゆー時代的な巡り合わせってやっぱりあるよね、何にでも。

 驚きだったのが須田国太郎がいわゆる東京芸大とかその辺の美術教育を専門に行う学校から出た人じゃなかったってことで、卒業したのは京都帝国大学で専攻は美学。学ぶ傍らで絵も独学で描き始めたんだとか。初の個展は昭和7年で既に41才。展覧会場において合ったカタログを読むと銀座の画廊でひとり受付に座っていて、そこを訪ねてきた「アトリエ」って専門誌の編集長を相手にようやく人が来てくれたと、嬉しそうに話しかける須田国太郎のエピソードが紹介されている。

 展示してあったのは風景画とかエル・グレコの模写とかで、それが独学を重ね学んで来た人とは思えない仕上がりを見せてくれている。谷川徹三が購入して「黄塵居清賞」って本にも紹介したとゆー風景画「アーヴィラ」もあって、これはどこなんだろう、スペイン? かどこかの村を描いた1枚は、静けさの中にたたずむ荒涼とした風景が眼に彼の国の広がりを浮かばせる。無名で端からは学者の手習いを思われていた節もある画家のこの1枚に、目を付けた谷川徹三も凄いなあ。展覧会場にはその第1回個展から結構な数が来ていて、模写もあれば41年ではあるけど画壇に出て初期の赤茶けたトーンが目立つ作品もあって”須田芸術”の原点をそこに垣間見ることが出来る。

 歳を経るに従って色彩も鮮やかになっていくのは面白いところ。オディロン・ルドンがモノクロの幻想的な世界から、原色も交えた花の色彩が破裂するかのような絵へと以降したのと比べると落差はそんなにないけれど、眼にも鮮やかに浮かび上がる花の色とか森の濃い緑なんかの輝きは、壮年になってなお失われない画家の探求心って奴を教えてくれる。どぶネズミ色になっていく中年は見て学べよ、派手な色彩を纏った老いの享楽を。

 あと画業よりも自信を持っていたらしー能に関する絵もあって、油絵になったものも悪くないけど能楽堂で見ながら描いただろー演じ手の動きをとらえたクロッキーが見事。すっくと立った役者がすーっと歩きくるりと回る、そんな動きをしっかりとらえて目に能舞台での役者の振る舞いを浮かばせる。デッサンも狂いなし。簡単な描線なのに能役者の体躯をしっかりとらえ衣装の形も歪みないところは、巧いアニメーターの人が描いた絵コンテのよー。もちろん絵コンテはここにカメラワークを乗せて来るからさらに別の、映像表現的な技術感性が必要なんだけどそれはともかく芸大でデッサンをみっちりやりまくった人でもないのに、描けば描けるんだってことを教えてくれる。描けば巧くなるかはともかく描かなくっちゃ巧くならない。文章も多分同じ。書かなきゃ書けない。書いたからって巧くなるとは限らないけれど。好例がここだ。

 ついでだからと所蔵作品展の中で行われていたプロダクトデザインの重鎮、渡辺力さんの作品を集めた「渡辺力:リビングデザインの革新展」も見物、ドイツのデザインもなるほど優れているけれど日本育ちで日本お良さも空気も知った人ならではの日本的な都会に溶け込む先鋭的であって同時に標準的なデザインの数々に、こーゆーのが普通に売られていた時代のデザイン性を尊ぶ空気がまだった時代の名残を感じてみたり。パタパタっとパネルが変わっていくデジタル表示の時計、今でも使いたいよ、LEDってどうも味気なくっていけない。今はデザインよりもコストだからなあ。「

 東京−ベルリン/ベルリン−東京展」でもフィーチャーされてたブルーノ・タウトに師事したそーで洋のファニチャーに和の素材や雰囲気を混ぜた椅子なんかに影響が伺える。1911年生まれながらまざ存命。腕時計なんかのデザインもしていてミュージアムショップで売られててなかなかの格好良さ。ポルシェデザインにばかりなびかずこーゆーのも、出せば良いのにマスプロな会社も。

 ゆらゆらと九段下まで向かう途中で「日本武道館」で開かれていた「第29回日本古武道演武大会」ってのを見物。いわゆる剣道柔道長刀弓道といった武道の流れを組みつつも現在では半ばスポーツとなっている種目とは違い、室町江戸って昔から今に伝わる武道がわんさと集まりその型を見せる一大イベント。「アメリカ侍小古武術修行」(柏書房)を書いた、アメリカで柳生新陰流から始めて様々な古武術を修めたデイヴ・ローリーさんなんかが眺めたら、歓喜して朝から晩まで釘付けになるんじゃなかろーか。でも下手したらデイヴさんの方が強かったりするかもしれない。本を読むと実に修行しているし歴史だって学んでるし。

 昼過ぎで行われていたのは「関口新心流柔術」で、畳を使って何やらおっさんたちがビシバシ。それが終わって次は「天真正伝香取神道流」の剣術長刀術で、続き「肥後古流長刀」が続いてそれぞれに形とはいってもだれずみなぎる闘気をぶつけあい、張りつめた空気の中で技を見せあってはその気合いに観衆を巻き込んで引きつける。「円心流居合据物斬剣法」は丸めた俵を持ち込みまず斬って、それからめいめいが腰からすらりと日本刀を抜き振っては鞘へと納める居合いを見せてくる。

 さすがに出てくる免許皆伝なり師範代なりといった人たちだけあって、抜くと見せた瞬間にはすでに刀は抜かれ構えられている。近寄れば斬られること確実。けどやっぱり真刀を使うってこそつく構えってのもあるみたいで、けれども「居合修行のネックとなっているのが刀の入手困難である」って活動状況に紹介されているよーに、昨今の法律がこーした武術の伝承に妨げとなっている模様。かといって解禁する訳にはいかないし。うーん難しい。

 続いて登場は「宮本武蔵」なんかでお馴染みの「宝蔵院流高田派槍術」。胤栄が興し武蔵と小説なんかでいろいろ関わりが描かれ地得る胤舜が二代目となり後に伝わる一方で、高田又兵衛が受け継ぎ伝えて今に残る高田流が登場。お馴染みの先に横棒のついた十文字の槍でもって普通の槍をはらい差し斬る動きはなるほど戦いを考え考案されただけのことはある。でもこれ持って街を歩くのは困難だから護身には使えない。それとも持ち運び用の組み立て式十文字槍とかってあったのかな。

 そしてその後に登場したのがお馴染み「柳生新陰流兵法」で、わりにぶっとい竹刀か木刀を使って打ち合い斬り伏せるところを見せてくれる。放たれる気合いはなかなか。且つ「無形の位」を本体とするだけあって形にハマらない受けと攻めの真剣味が伝わってくる。座り一方が投げた木刀を叩き伏せて折った場面は圧巻。さっきまで普通に振り回していたってことは芯もつまった棒で、それを折るんだから相当な速度と威力があったってことなんだろー。これなら銃弾だって叩き払うかも。柳生には喧嘩は売らないのが吉。俺が柳生だって歩いている人なんていないけど、千葉慎一さんくらいだね、見た目が柳生なんて人。


【2月11日】 11年目となっても別にどうとゆーこともなしに続く。「表参道ヒルズ」がオープンしたってことでこれを別に記念した訳ではなく、展覧会を見に「森美術館」のある「六本木ヒルズ」へと向かい「東京−ベルリン/ベルリン−東京展」を見物。「日本におけるドイツ年」あたりに絡めた企画展なんだろーけれど、テーマ自体が東京でベルリンってことで東京の都市だとかベルリンの風俗といった絞られた主題みたいなものがないってこともあって、19世紀末から現代までのドイツと日本の美術をずららっと並べただけって言えば言えそーな内容は、美術史アート史の勉強にはなるけど見てそこに新しい発見を感じづらい。ドイツ人が描いた昭和の日本とかいっか絵もあるけれど、それをもって日独に交流があったって言われてもそりゃあっただろうって感想しか浮かばない。

 バウハウス的なデザインの潮流が日独の間に水脈を作っているって展示に絞ってあったりすれば、シンプルで分かりやすい展示になったんだろーけれど、そーしたひとつの切り口だけでは満足できなかったのかキュレーター氏、100年以上の時代をそこに詰め込んで時系列的にズラリと並べるものだから、これ誰? って感じの作品ばかりが並ぶ最初の方の部屋で気持ちが萎んでしまう。戦前あたりの名取洋之助がベルリン五輪を撮った写真とか、その名取が編集長となって作った「NIPPON」とかの展示はそれで興味深かったけど、だからそれのどこが「ベルリン−東京/東京−ベルリン」なのかって明示がされていないんで、見知った人が出てきて良かったって感慨ばかりが先に立つ。

 フルクサス運動も同様で、ハイ・レッド・センターの活躍に感激は出来ても、ドイツでの活動と日本での活動が並列的に紹介されているなってだけの展示からは、その間にある連携なり連動が明示されていおらず、だからどうした的な感想しか浮かんでこない。個別に見れば草間彌生さんとか古賀春江さんとか(この2人が並んでなおかつ「ベルリン−東京」って言われて関連性が浮かぶ人ってどれだけいるんだろう?)見知った名前による作品を目の当たりにできる感銘はあるから、そーしたお気に入りを探して歩くつもりで行けば楽しいかも。

 唯一16人の一般人がイヤホンでマイケル・ジャクソンを聴きながら自分でも唄い踊る姿を、1人につき1枚のプラズマディスプレーで映し出してそれを横に16枚、ズラリと並べた作品だけはかけている金の凄さとそれからアイディアの楽しさに深い感銘を覚えた。1人1人を撮影していって、それを同時に再生しているんだろーけれど、部分によっては合唱に聞こえるところもあって面白い。仕草も完全にマイケルのコピーもいればフラダンスを踊りながらの人もいるし、仏頂面で直立しながらボソボソと歌う人もいて千差万別。それでもしっかりと唄いきるとろこに、米国でマイケル・ジャクソンが一種の国民的なアーティストとして認知されているってことが現れている。同じアイディアを日本の誰かでやるとしたら誰になるのかなあ。16人がそれぞれに矢沢永吉を唄うってのはアリか。モノマネ番組みたいだなあ。

 下で今度はドイツのデザインに関する展覧会を見て、ポルシェとかメルセデス・ベンツのフォルムの美しさにドイツはやっぱ絵画とかじゃなくプロダクト・デザインにおいて先進だねって意を強くする。この国でしっかりとした家電メーカーが育たなかった不幸が、身の回りにあふれるデザイン性皆無な日本製家電の氾濫につながっていんだよなあ。かろーじてアップルコンピュータが頑張って携帯音楽プレーヤーの世界に素晴らしいデザインを供給してくれているのが幸いか。もちろんデザイナーには日本人にだって優れた人は多いんだけど、そのアイディアを使い倒すメーカーのマインドの乏しさが結果としての不毛ぶりにつながっている。携帯電話だって酷いもんなあ。どれだけ有名人を起用したって、未だ深澤直人さんのデザインを超える携帯、出てないもんなあ。

 会場を出て青山トンネルをくぐって乃木坂から地下鉄で表参道へ。降りるととてつもない人混みで、それがぞろぞろと原宿方面へと向かって坂を下っていく。目当てはもちろん「表参道ヒルズ」のオープン。同潤会アパートが立て直されて大型の商業ビルになって登場した新しいビルを初日に見たいって人の波がとにかく凄まじい。何か凄い施設がある訳じゃないんだけど、それでもやっぱりのぞいてみたいってゆーのが新しもの好きな江戸っ子の気質かそれともお上りさん的感覚か。入るのにも制限があったんで行列には並ばず前を通り過ぎて原宿で会合をこなして帰宅。録画してあったサッカーの「アメリカ代表vs日本代表」を見る。巻誠一郎最高。フリーでもないのに相手を引きずりながらどんぴしゃのヘッドを決めるその強靱さは、代表にとってもジェフユナイテッド市原・千葉にとっても大きな財産になってくれるだろー。今年こそ。

 さらに「びんちょうタン」のアニメも鑑賞。泣きむせぶ。起きてお米がないのに気づいて町に働きに行くびんちょうタン。食べるものにこと欠くこともある暮らしの厳しさに同情心がまず浮かび、お仕事を終えてお米をもらって喜ぶびんちょうタンの姿にいっしょになって嬉しい気持ちがわき上がって笑みが出る。そんなびんちょうタンが玩具店でショーウィンドーに飾られたプカシューのフィギュアをながめて目を輝かせ、中に入ってキャラクターが描かれたパンツを欲しがったもののお金が足りなく諦めかける場面に心がキュンと傷んだけれど、隣のワゴンでお気に入りの絵入りパンツを見つけて喜んでレジへと持っていく姿に良かったねって気持ちが浮かんで口元もほころぶ。

 決して裕福な家じゃなくって娯楽関係にしても衣料関係にしても決して思い通りのものを買ってもらえなかった子供時代の記憶が蘇り、それでも我慢していたんだなあ、なのに今は欲しくもないのに買い込んでは使わず積み上げていたりするんだなあと反省。1番欲しいものは諦めても2番目に欲しかったものを買って喜びそれをぎゅっと抱きしめて寝るびんちょうタンの姿に、欲望に溺れず分をわきまえ奢らないで働き糧を得る日々を、僻まず嘆かずすべてに感謝し生きる素晴らしさって奴を、改めて感じさせられる。ほのぼのとして切なく心揺すられ癒される素晴らしいアニメ。「デ・ジ・キャラット」の「ほかほかごはん」と並ぶ傑作と讃えよう。DVD買っちゃいそーだな。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る