縮刷版2006年1月下旬号


【1月31日】 近所のコンビニに行ったら漫画のラックに挟まっていた「ドージンワーク」(芳文社、819円)ってタイトルの本が気になって購入。同人誌の方面では「月姫」を始めTYPEMOON系の本を作って売ってるヒロユキさんって人の始めての商業誌なんだけど、タイトルにあるよーに舞台となっているのは同人誌の世界。知り合いに引っ張られ同人誌に興味を持った女の子が自分で作り売り始めるって展開を軸に、同人誌にまつわるあれやこれやを描いている。

 3万冊を売る(でも値段は300円だから儲からず)美形な同人作家がいたりすぐにすっころぶ小さい女の子が現れたりとキャラクターにやや突飛な所があっても、それが突出しておらず薄い人でも大きく引くことはなく、濃い人でもそれなりに納得できるいい塩梅。最初はへたくそでなかなか売れず絶望に浸っている所に1冊売れて大喜び、ってゆー同人誌に関わる人なら多分味わっているだろー感動も抑えてあって、同人界に興味のある人もない人も引かず呆れずに読んでいける。普通の4コマ漫画誌に連載されて、普通の4コマコミックスとしてコンビニなんかで売られるギリギリの線にある漫画、って感じか。

 放り投げて終わる4コマ漫画のギャグは、ボケ突っ込み系とか逆キレ系とかパターンは様々あって、面白いかどうかは人それぞれ。個人的には読み込むほどにそのリズムが染みてくる、「あずまんが大王」を始めて読んだ時に似た間合いを探ってそして引き寄せる感覚を味わえた。絵が巧いかどうかも人それぞれの受け止め方がありそーだけど、これも個人的には好みの範疇。女の子も可愛いけれどクールなくせして喜怒哀楽を割に見せるジャスティスの表情が面白かった。1巻ってことは続きがあるってことで何時出るかは知らないけれど待ち望もう。ってか既に重々版で3刷りですって? 誰が買ってるんだろう。コンビニに出入りする一般人にも同人誌が既にして浸透しているってことなのかな?

 こっちの4コマはやっぱりハイブロウ過ぎてコンビニではちょっと無理かな。美麗な絵と対照的にあからさまだったりあけっぴろげだったりする展開に苦悶した「ひとりで生きるモン!」に待望の第2巻が登場。その名も「ひとりで生きるモン!2」(徳間書店、657円)は下ネタを無表情で叫び開陳する委員長然とした森川さんこそ出てこないものの、見合いの度に意表をついた行動に出て相手をどん引きさせる女性やら、半ズボンの男の子然として家庭教師を誘惑しては呆れられボーイッシュな美貌を誇るスレンダーな女の子のさゆりさんとか、癖のあるキャラクターがわんさと出てきて楽しませてくれる。

 清純そうな表情で眼をうるうるとさせては走る先輩のトランクスの下でゆれるあれに思いを馳せてため息をつくななちゃんが登場では最多か。多少は極端であっても男子がブルマーの下で擦れるあれに思いを馳せるんだったら、女子でトランクスの下のあれ、抱き上げられた時に触れたズボンの下のあれに思いを馳せても不思議じゃない、よね? 知らないけど。文庫のしおりに掲載の4コマに書き下ろしやら何やらを加えて作るんで次が出るのはまた先になりそーだけど、これもやっぱり続きをひたすらに待ち望もう。森川さん復活しないかな。あとさゆりさんも再登場を是非に。

 引継やら引越やらが始まり全容がほぼ見えて来るに従って、断末魔どころか瀬戸際で瀕死としか言いようのない状況に陥っていることが、くっきりと浮かび上がって来た模様。出向元へと戻る人の数に比して来る人は少なくまた別の部署別の法人へと行きっぱなしの人員もあって関わる人数は単純に減となっている。加えて現場の最前線にいる人の幾人かに週に幾度かの内勤を課し、また収益部門へと何らかの見返りとともに持ち込まれた企業の情報を記事化する部署へと幾人かが回ったことで最前線に配置される人員もまた純減となっていたりする。

 かといって全体の分量が減ったということはなく従前どおりの総量を求められるため、いきおい1人あたりの負担は増してクオリティの維持に多大なる影響を及ぼす可能性が高まっている。目先の収入を狙い見返りを伴った記事を増やしてもそれは結果としてクオリティと信用の低下を招き、遠くない将来のいっそうの部数減を招く。なるほど経費人件費のカットで見かけ上はプラスに収支をもっていけても、来るべきクオリティのダウンはさらなる部数の下落を招き収入を減らしてギリギリを超えて詰めた人員ですら負担になってくる。

 そして行う更なる人員の削減が、更なるクオリティの低下を招き収入を減らし人員の削減を招くとゆー縮小均衡の絶好のモデルがここに誕生する訳。そんな可能性が高い確率で訪れるだろーと誰が考えても分かるのに、それを放置しておくのは何だろー、下手に触って火傷するのを誰もが怖がっているからなのか、それとも本当に何も分かっていないのか。分かってないとしたらそんな人たちにモラルを欠いた経営だったと言われたくないだろーなー、ライブドア。上場企業でもないから中身の精査なんでどこの誰もやらないし。困ったもんです。

 普通買うだろう。「仮面ライダー新1号変身ベルト」。子供向けのプラスチックやメッキでペカペカとしていて、おまけに細くて男性のユルんだ腰にはとうてい巻けない奴とは違って形もリアルなら大きさも超リアル。輪ゴムとかで引っかけなくっても、上は1メートルを超える胴回りにだって対応可能な長さを持ったベルトの、その中央に、LEDが光って回転しているよーに見える仕掛けのついた正真正銘の”ホンモノ”を、良い大人だったら買って巻いて叫ぶだろう。「変身!」と。

 3万1500円は傍目には高いけど、夢を買う値段としてはごく普通。限定品じゃない点が食指をちょっぴり妨げるけど、子供の頃に買ってもらえなかった悲しみを晴らしトラウマを払拭するためにもここはやっぱり買うしかない。庵野秀明監督もやっぱり買うんだろーなー。子供向けで苦労していた話が確か「監督不行届」に出ていたし。あそこなら2人で買いそろえて豪邸でいっしょに「変身!」をやるんだろーなー。楽しそう。どーせだったら「仮面ライダーV3」も出ないかな、ダブルタイフーン付きで。腰のホッパーだかも入ってて。


【1月30日】 えっと何でしょう、海上自衛隊も取材に協力していてリアルにシリアスな海のドラマなんてものが繰り広げられるのかと、期待はオープニングの足組み替えシーンにのぞくホワイトでもって既に別の期待へと代わっていたからしていなかった「タクティカル・ロア」だったけど、それにしてもこの2話ほどは戦いなんでまるでなく、ドキッ! 女だらけの艦上男子争奪戦ばかりが繰り広げられて話が進む様子はなし。若くして1隻を任せられるほどの逸材が、幼なじみの青年の前ではトロトロになってしまう様ってもののギャップも、片方だけがこうも続くと気にならなくなって来る。

 けど次はどーやら激しい戦闘がスタートの予感。白やら谷間やら百合やらが減ってしまいそーだけど、知恵の出し合いで戦う海戦シーンの格好良さって奴をここで存分に見せて飽き始めていた眼を一発派手に覚まさせてやって下さいな。続く「Fate/stay night」はゲームやってないんで誰がどんなキャラなのか分からず唐突に始まった”聖杯戦争”とやらに戸惑うばかり。狭いご町内で顔見知りもいたりするみたいな奴らがどーしていきなり世界の覇権を目指してバトルを始めるの? おっつけその辺も明らかになると期待して見て行こう。キャラでは誰が人気なんだろ。ミサト風衣装のアスカ的喋りな遠坂凛? 部分甲冑娘のセイバー? まさか大河先生か。

 まさに乱戦突破の様相を呈して参りました「ジオブリーダーズ」は「ヤングキングアワーズ」2006年3月号にて取り囲む海上自衛隊の船を相手に突破を図る神楽の面々なれど、敵も強者歴戦の勇者だけあって電子を操る化猫の手をすり抜けるを繰り出し容易に突破を許さない。叩き込まれた魚雷に果たして神楽の命運や如何に? といったところで次回に続いてこのままおそらく2006年も、洋上での激戦で暮れを迎えてしまうんだろーなー。歩みの遅いのも読んでる身には嬉しいけれど一方に募る苛々感。七転八倒な社長がどーなったのかも分からないし高見ちゃんなんてもう何号蚊帳の外? あの温く緩やかな日々が懐かしい。

 「ヘルシング」。遂に表紙にまで登場のアンデルセン神父が人としての姿を捨ててアーカードに挑むも、そこは人外だったら経験も力量も上のアーカードだけあって屈せず蘇っては反撃の狼煙をあげて後は次号のお楽しみ。掲載されているだけで奇跡と呼ばれる作品とはいえこちらも他で何が起こっているのか気になって仕方がない。ウォルターとか。冒頭にOVAの告知もあって絵コンテじゃなく原画でもない色の塗られた絵で見るとこれまたなかなかの迫力で、動きもついてテレビモニターの中にすっくとアーカードが立った姿をまもなく見られるのかと思うと漫画の少々の進行の鈍りも気にならない。あと数日。待ちこがれよう。ちゃんと動いているかなあ。

 歩鳥死亡! なのか不明ながらも気になる終わり方をしている「それでも町は回っている」は、コバンって名前の猫をメイド(風)喫茶でバイトする歩鳥に捕まえてもらった猫少年、ではなく実は上級生の紺先輩が喫茶シーサイドに現れ嵐の予感。歩鳥とは同級生で紺先輩とはあれこれあった辰野俊子との間に飛び交う火花が今後にどんな波乱を招くのか。その前に歩鳥はちゃんと蘇るのか。1カ月を待つ間は発売になった単行本「それでも町は回っている」(石黒正数、少年画報社、533円)の第1巻を読んで読み返そー。商店街の喫茶店。経営する婆ちゃんが何を思ってかメイド喫茶への鞍替えを決め小さい頃から面倒を見てきた歩鳥をウェイトレスならぬメイドに雇い始めた喫茶シーサイドを舞台に起こる恋と笑いの物語。ユルくて楽しい。こんなメイド喫茶なら気疲れしないでいられそうだなあ。天然ドジっ娘喫茶ってのも、もしかしてありか?


【1月29日】 原稿を読むために電車に乗って日本橋へと出てそれから気が向いたんで上野まで行き「東京都現代美術館」で「ニューヨーク・バーク・コレクション展」を見物。世界有数の日本美術収集家らしーメアリー・バーク夫人のコレクションは縄文土器から弥生土器から仏像から工芸品から陶磁器から屏風から水墨画から浮世絵等々、数千年にわたる日本の美術を網羅していてなかなかな迫力。

 なおかつこれがただの日本マニアだったらどこかの骨董屋の軒先みたいにごっちゃになるところを、それぞれが質も高く名を持つ作品ばかりなのが凄い。どれだけ学べばこれほどまでの作品を騙されないで集められるのか。贋作に埋もれて気づかずほくそ笑む成金骨董マニアにはその知性と教養の一端にでも触れて学んで頂きたい。つか何者? メアリー・バーク夫人って?

 名のあるところではポスターにもなっている曾我蕭白の「石橋図」なんかが流石に圧巻。石橋から獅子が「うおーーーーーーーーん」って感じに落下してく場面が独特の太く力強い筆遣いで描かれていて目の当たりにしたガラスの前にしばし釘付けとなる。小さくなって手足をバタつかせる獅子がちょっと可愛そう。だがそこからはい上がってこそ獅子は獅子となれるのだ。蕭白はあと伯楽とかが描かれた屏風もあってこちらは大きく迫力たっぷり。見ればなるほど欲しくなる絵だとバーク夫人だって思っただろー。けどそーした見た目にばかり左右されていないからバーク・コレクションは素晴らしい。

 誰が描いたのかは分からないけど大麦の畑が描かれた屏風なんかはシンプルでモダンな構図の中に豊かな自然が捉えられた逸品。市井の工芸家による作品らしーけど、それを名ではなく目でもって買い揃えていく所に審美眼の本質って奴を感じさせられる。陶器類もどれも見れば輝く品々ばかり、だったもんなあ。金があっても眼がなくっちゃコレクターにはなれないんだなあ。

 とはいえやっぱり伊藤若冲は流石に若冲。「月下白梅図」は遠目に見ても入り組んだ梅の枝にポツポツと花や蕾が散りばめられて目にも華やかだけど、近寄るとそれらの梅のひとつひとつに雌蘂雄蘂といったものが細かく描き込まれていて、細部に至るまで手を抜かず徹底して美を探求した姿勢をそこに見て取れる。晩年に至っても枯れないで絢爛さを求めた画家だったんだなあ、若冲って。

 名のある者だとほかに与謝蕪村の屏風とか、池大雅の水墨とか快慶の掘った像とかあってどこから手に入れたんだろうと興味津々。普通はオークションだって売ってないよなあ、快慶なんて。今からこーしたコレクターに追いつくのは不可能だよなあ。どーしてるんだろ、コレクターの人たちって、やっぱり現代美術に向かうのかなあ、それともサブカルに? 漫画も買っておくと100年後に高額で取り引きされてたりして。生きちゃいないけど。

 1980年頃は「ツール・ド・フランス」とか「ジロ・デ・イタリア」なんて言っても周囲で知っている人は皆無で、自転車レースと言えば中野浩一さんが世界スプリントで連覇をし始めたピストや競輪が先に立っていたけれど、90年代に入ってテレビとかで放映されるよーになり衛星の普及もあって本場の映像がリアルタイムで放映されるよーになった今、「ツール・ド・フランス」を筆頭とした自転車のロードレースが一般性を持った知識として広い範囲に認められるよーになって来た。

 どんな感じに競技が行われてどんな感じで勝敗が決まるのか、どんな自転車を使うのかって知識も25年前とは比べものにならないくらいに広まっている模様。そんなバックグラウンドがあったからこそ、ロードレースを主題にしたライトノベルって物も生まれてこれたんだろー。これが例えばカーリングだったら、ルールや道具の説明を抜きにして楽しむのって不可能だから。いや書くと面白いライトノベルが出来そうな気もするけれど。女の子ばかりのチーム編成だし。

 それはそれとして自転車によるロードレースのそれも裏レースをテーマにした加藤聡さんの「走って帰ろう!」(ファミ通文庫、580円)は蓄電した父親が残した借金を返すために息子が有明埠頭で毎週日曜日に行われる「ドッグレース」って賭けロードレースを走る羽目になるってゆーのが基本的なストーリー。そんなレースが果たして実在するかは知らないけれど、平地が続き道も広い割に日曜日ともなると車のほとんど入ってこない埠頭だったら周回型のロードレースにはうってつけ。そこを裏から手を回して借り切って、アングラな勢力がギャンブルレースを行ってもそんなに無茶って気はしない。

 だったらロードレースがギャンブルになり得るかってゆーと難しいところ。短い周回レースで参加するのは借金を抱えた者ばかり。協力し合うってことがないからチームを組んでアシストをしながら最終的な勝利を1人がつかみチームで山分けなんて不可能。となるといきおいスプリントレースになって突出した力を持つ者が勝ち続けてしまうんで、ギャンブルにならない事が多々ある。実際に参加している中で主人公の少年と意識し合う関係になった、ニックネームを「委員長」(眼鏡をかけているから)という女性のドッグレーサーは賞金の出る着順には入っても優勝はほとんどできなかったりするから、競馬以上に人気が一部に偏ってしまい、なおかつ大穴も出にくい。

 けどそんな鉄板に近い状況を、ドーピング上等な裏レースならではの設定だったり整備されていない公道を使い行われるレースならではのアクシデントも盛り込んで、1人が勝ち続けるんじゃなく誰かが何かの弾みで勝つかもってゆードキドキ感を醸し出すことにとりあえず成功している。どれくらいのスピードで走っていて残りの周回がどれくらいあるんで時速がどれくらい上がれば差はどれくらい縮まりどこで追いつくか、っていったロードレースを楽しむ上で知っておいて損のない見方もちゃんと盛り込まれているのが偉いところ。勉強したのかそれとも元からロードレースが好きだったのか。自転車好きの人が読んでもこれなら納得できるだろー。

 ギア比のセッティングとかクイックリレーズハブの形状とかペダルの仕組みとかもちゃんとしている所を見ると、ロードレーサーについて元からそれなりに知っていたって考えるのが普通、かな、メーカーもトレックにビアンキにクラインとそれなりな所が出ているし。コルナゴにチネリにデ・ローザって有名で高級でもレース場面では今ひとつなメーカーではない辺りも最近のレースを知っているからこそのセレクトか。僕が作者だったらついついコルナゴあたりを出してしまうもんなあ、昔覚えた価値観で。

 あのエンディングを用意していたんだったら、主人公がすべきことはたった一つで、別に最後のレースで他の参加者を思い迷うことなんてないんじゃない? って疑問も浮かぶけど途中に事故を食らわされる場面とかもあり、またそれぞれのレーサーがそれぞれに抱えた事情にも触れてあるんで、自然と足がすくんでしまったと考え不問。動く金額の大きさについては、まあ最後のドッグレースなんだからってことで。

 イラストについてはちょっと可愛らし過ぎて大借金を抱えた奴らによる非合法レースって雰囲気から遠いのが気になる。けど自転車について詳しい寺田克也さんを起用すると迫力はあってもライト感からは遠ざかるから難しい。寺田さんが委員長を描いたらきっととんでもなくグラマラスで淫靡な委員長になっただろーし。ともあれ貴重にして異色にして、それでいてストレートに楽しいストーリー。ライトノベルじゃなくって普通に小説で出ても楽しく読まれたかもしれない。実写映画化とかされたら見てみたい気もするなあ。

 餅は餅屋ってことで、映像付きのニュースを作るんだったらテレビ局の技術やノウハウに一日の長があって喋る内容も見せる映像もフリップも、プロならではのものを仕立て上げては見ている方に分かりやすく伝えてくれる。だから産経新聞社がネットで配信している新聞で映像付きのニュースを流すって話しを聞いて、それだったら同じグループにあるフジテレビと連携を強化すれば、より良い内容のものが作れるんじゃないかって思ったけれど、どうやら出演するのは記者の人たちで、喋り慣れていない人がどんな喋りをするのかが目下の興味の置き所。

 ってゆーかテレビ局の女子アナによるトークでもない記者の解説喋るなんて果たしてネットで見たがる人がいるのかどーか。動くロボットとか立つレッサーパンダとか有名人のインタビューとかなら動画をおまけに添えつつ、解説記事なりインタビュー記事は文字でもって長く書いて掲載しておけば、それを読みつつ映像で確認できて読者も嬉しいと思うんだけど。それがより有効なメディアの使い方であり融合だろー。記者がハンディビデオで撮影した映像をパソコンで編集して流しつつ記者が喋る映像にどれほどの情報量があるのかな。こんな人が新聞を作ってるんだって親しみは感じてもらえるって利点はあるけど、そのために思い動画像をわざわざ閲覧してくれるのかどーなのか。とりあえず目新しいメニューを加えることで媒体への関心を再燃させる効果はあるんで良しってことなのか。うーん。要観察。


【1月28日】 そんなにモテるんだったらなりたいものだよ恋愛小説家。桜庭一樹さんの「荒野の恋」シリーズは続編「荒野の恋 第二部 bump of love」(ファミ通文庫、640円)へと進み、アメリカへと留学した悠也と文通しながら想いを繋げる山野内荒野ちゃん13歳の日々に新たな恋が忍び寄る。それも相手の一方的な想いに悠也への気持ちから戸惑う荒野の、中学生らしい一途さ淡さって奴が描かれていてとてつもなく遠い日に体験こそしなかったものの想像だけは巡らせた、甘酸っぱい恋愛ラブラブ学校生活って奴への記憶が蘇ってきてむーうと悶える。

 つか何でこんなに中学生の今って奴を描けるのかと作者に尋ねてみたいところだけど世代に関わらずその情感に思いを巡らせ公約数的な形にして文字に表せるのが作家の資質。中学生の淡くて酸っぱい心の機微の一方で、恋愛小説家として知られる荒野の父親、山野内正慶が後添えとなる蓉子さんを迎えながらも今再びの多感さ多情さを発揮して、かつてつき合っていたらしい小説誌の女性編集者の家へと転がり込んだりする様を、描きつつその正慶を挟んで女性編集者と蓉子さんが対峙しぶつけ合うプライドの生々しさって奴を、しっかりと見せてくれるんだから驚くばかり。

 荒野の前では良き母親であろうとする蓉子さんが、その女性編集者の前では相手の挑発をがっしと受け止めむんずと組み合う女へと変わる場面の恐ろしさ。荒野に心を寄せつつ同時代的な恋愛話に心浮き立たせて読んでいた中学生の読者なんかが、正慶相手には身より媚臭をしたたらせ、恋敵を相手に豹変する蓉子さんの姿を目の当たりにして何を思うのかに興味がある。

 あるいは中学性的酸っぱさも大人の熱さも超越して、打算と功利に生きるティーンの愛無きつき合いって奴を知り尽くした中高生だっていたりするかもしれないけれど、広い日本でそんなのは都会のごく一部。それをさも全国区的な事象ととらえ描写し若者を捉えた気になっているおじさん作家の若作りした恋愛小説なんかよりも、よっぽど今をとらえしっかり読者を掴むことが出来るのかも。しかし次から次へと言い寄る女性のいるものだよ山野内正慶。どんな面をしているんだか。モデルとかいるのかなあ。まさか山口隆……!

 魔王を倒しに行った勇者が魔王の力を奪い自ら魔王となってはみたものの、倒した前の魔王に心を惹かれてしまうってゆー機軸の設定を読んだ時には人間が魔王になってしまって大変ってゆー、昨今に大流行している話のバリエーションにラブコメチックな要素を混ぜたものかと思ったけど、そんな想像を超えるどころかまったく異なる切り口でもって、凄まじくドラマチックで素晴らしく感動的な物語になっていたのにひたすら驚いた「第17回ファンタジア長編小説大賞審査委員賞」受賞の三浦良さん「逆襲の魔王 抗いし者たちの系譜」(富士見ファンタジア文庫、560円)。毎年のよーに凄い新鋭を送り出して来てくれるけど、それに負けない新鋭がさらに現れてくるこの状況は、浸透の果てに拡散から雲散霧消するのではないかとライトノベルのブームに眉をひそめる向きに、むしろこれから凄い人たちが続々と集まってきて大隆盛を迎えるんじゃないかって期待を与えるんじゃなかろーか。

 魔王から力を奪った少女、サラ=シャンカーラがとった行動は、魔物を束ね不思議な力を持つ自分を人間と認めなかった人間たちの国々に攻め入り征服するというもの。持ち前の明晰な頭脳に魔王としての力も得たサラには魔族からも、人間からも勝れた者が従いサラを補佐しては、やがて近隣のすべての国々を魔物の領地も含めて滑る一大帝国を作り上げた。そんなサラを4年の雌伏を経て狙う者あり。サラから力を奪われ魔力なき魔物となった前の魔王、ラジャスが帝都へと乗り込んできては、サラを狙う別の一味が謀って開いた武術の大会へとエントリーして勝者となり、サラに近づく機会を伺っていた。

 魔力を持たないラジャスにサラの周囲を固めていた魔物たちは気づかない。ただひとりサラだけが、温め続けた想いもあって一目でラジャスの正体を見抜く。けれどもサラはラジャスを討たない。退けようとすらしないで勝ち残った彼を皇宮へと迎え入れて部下にする。何が狙いか。訝るラジャスだったが彼には心に誓った目的があった。それを果たすためにラジャスはサラの臣下となり、サラへと迫る別の一味の奸計に立ちふさがっこれを討ち、そしてその果てに念願だったサラと一対一で対峙する機会を得る。

 ラジャスがサラをこれほどまでにつけ狙った理由。それが単に魔力を奪われた復讐をして、魔王の地位を取り戻そうとしたものではなかったという部分が、怨みや欲望といった感情を越えて尊ばなくてはならない生きる意味といったものを感じさせる。そんなラジャスの清冽にして高潔な願望の一方で、人間から見下され畏れられながら生きて来たサラが魔王となりまた皇帝という地位を得てなお埋められなかった恋心というものを、ともらせ抱き続けた様に、名誉や責任といったものを越えて存在する感情の重さ大きさに気づかせる。なおかつそんな感情を、秘めつつ前へと進まなくてはならない立場ある者の哀しさというものにも。

 サラを狙い巡らされる奸計の後詰めまで考え抜かれた緻密さも、そんな奸計に対抗してこれまた謀を巡らせるサラの宰相スキピオの明晰さにも驚くばかり。征服されて今は臣下となった元の王が、怨を抱いて謀叛の時を待つだけの暗愚な存在として斬り捨てられず、彼は彼なりの思いがありまた彼に協力する魔物にも魔物なりの想いがあって、そうしたさまざまな想いのぶつかり合いから登場する者たちが動き物語が紡がれていく点は、記号的なキャラクターのバリエーション合戦となっている感のある小説の世界に、それはそれで面白いんだけどそればかりではないんだ、ちゃんとドラマも見せらるんだってことを事実として見せてくれた。集英社スーパーダッシュ文庫の山形石雄さんの「戦う司書と恋する爆弾」シリーズといい、読ませるライトノベルの新鋭たちの重なり連なる登場を喜ぼう。

 記号的なら記号的でその記号性を逆手に取って、記号だからこそ見なされ故に見落とされる陥穽を衝き、多層的で奥深いエンターテインメントを作り上げてしまったのが東亮太さんの「マキゾエホリック Case1:転校生という名の記号」(角川スニーカー文庫、533円)。行く先々で事件に巻き込まれ問題も起こして転校を続ける高浪藍子がようやく入学を果たしたのは進学校として知られる御伽学園。その初登校の日に遅刻しそうになって走っていた彼女は、男子学生とぶつかりくわえていたパンを彼の顔へと押しつける。

 ああやっぱりなお約束的ラブコメディ。そのあからさまな導入部からいかにもな設定を揶揄し捻って苦笑させる物語かと思ったらまるで違う。彼は彼で「女難」という”記号”を背負った学生で、彼のそばにいた「幼なじみ」の記号を背負って濫子とも、クラスのどの生徒とも昔から知人だという雛世といっしょに登校途中の彼らは単に戸惑っていただけで、その先には近道になる公園をすっぽりと包んだ霧があり、入るとそこには怪人がいて正義の見方がいて勇者がいては何かしらのバトルを繰り広げていた。

 藍子はやっぱりピンチに巻き込まれてしまったが、そこに現れたのが生徒監視員の灘英斗。クラスメートの異能者たちを動かしその場を治めて濫子を学園へと連れて行く。これまた新たな出会い? かと思ったらそうではなく、晴れて入学となったかに思われた藍子の入学データがすべて抹消されていて、彼女が正規な転校生かが分からない。おまけに藍子が学園に到着した時に暴れて魔法少女に退治されていた巨大ナマズにショックを受けて、記憶を喪失していた少女が自分も転校生だと言いだし、なおかつ彼女は誰かを殺しに学園に転入して来たのだと言い始めた。

 とりあえず2人とも入学をさせて様子を見ることに決定し、そして始まった藍子の学園生活は、世界的な超能力者の少女と密室に閉じこめられた女難の少年を、巫女が鬼を使役し救い出す場面に行き会わせたりととにかく受難続き。そんな事件のすべてに絡んで蠢く陰謀を、追いつめ解き明かそうと学園を走り回る灘の推理と、巻き込まれかき乱しながらも事件を集結へと導いていく藍子の活躍がメインとなってストーリーは進んでいく。

 なるほど登場するのは正義の味方に巫女にマッドサイエンティストにお嬢様に妖怪に座敷わらしに吸血少女に殺し屋少女。いかにもなキャラクターたちがいかにもな役回りで現れてはいかにもな行動を見せてくれて実に楽しい。けれどもそんなお約束的な楽しみ方は「マキゾエホリック」の本質ではない。記号的なキャラクターが持つ特質が、入り組んだ事件の中で必要不可欠な要素として取り入れられ、記号的なことを記号的だからと面白がって受け入れる、メタ的でお約束的な読み手の態度をもう一度、先に何が起こるか分からない物語を読みページを繰る楽しみへと引き戻してくれる。あるいは更に深い場所へと引きずり込んでくれる。

 読みにくい訳ではないのに、読み込まされてしまう物語。300ページもない文庫を読み終えるのに2時間近くかかったのには驚き。おまけに応募作の「君等の記号/私のジケン」として1度接しているにも関わらずの面白さ。これだけのものを書いてしまってこの後に同じだけの厚さと深さを持った話しをひねり出せるのかが心配だけど、なあに30人いるクラスメートの全員が登場した訳ではないんで”受難”の記号を新たに得た藍子のすべてを巻き込みそして引きずる才能が、新たなジケンを呼び込んではそこに新たな記号の特質を浮かび上がらせ、そして新たなる物語を紡ぎ上げてくれることだろー。期して待とう。


【1月27日】 よりによって5柱とはナオもつくづく運がないねえ。どんな人生設計を考えていたのか知らないけれど、シズルにナツキといったあれやこれやな面々の、仲間となって一生を独り身で過ごさなくてはならなくなるなんて。廊下の窓から外を見渡して呆然としている表情の、実に嫌そうってところに本気でその実力を発揮せずにテキトーな生き方をしたかったんだって意志が見て取れる。舞闘の場でも投げやりな雰囲気ありありだったし。そんなナオがどーして選ばれたのかがとりあえず不思議。

 だって五柱って毎年必ず1人は出るってもんじゃなくって、シズルがいて下に鴇羽舞衣とナツキの代からちょい間があいているのかな、アカネにシホにチエの代まで降りてそこで選ばれたのがナンバーワンのパールオトメだったアカネじゃなく、順位で言うなら4番目にいたジュリエット・ナオ・チャン。夜になれば街に出て悪事を働くギャングの親玉を務める不良ってとろが登場する全キャラの中でもナオを突出した存在に仕立て上げている漢字。

 おまけに実はアカネすら上回る実力の持ち主だったってことで、本来の力を韜晦しつつ、アウトサイダーに生きるキャラの格好良さってものに魅せられる、大勢の男子諸君をファンとして引きつけそー。「舞−HiME」での奈緒は拗ねと嫉みの激しさが目立ってて、それもそれで悪の魅力に溢れていたけど好かれるかって言うと逆に苦手とされるタイプだった。悪は働くけど合理的で陽性で、実は強いんです的な秘密も持ってる「舞−乙HiME」のナオの方が、個人的には好きかなあ。多分今シリーズでも1番好きなキャラクターかも。2番目はちなみにハルカちゃん(ユキノ付き)だ。あの分厚い胸板が良いねえ、いかった肩のラインともども。頭をその腕に抱えられ抱きしめられたいなあ。

 「日本SF評論賞」が決まってその授賞式なんてものが開かれていて、誰かに贈られたという話が彼方より流れて来て遅蒔きながらそんなことがあったのかと知り、それは目出度いことではあると思いつつペリー・ローダンについて論じた人とかがどんな人だったのかと気になりつつ、ライトノベル読みはライトノベル読みの任務に勤しもうと書店に行ったら「ファミ通文庫」の最新刊がズラリと並んでいてやっぱり桜庭一樹さんは必須と眼鏡っ娘の淡く憂いを帯びた表情の「荒野の恋 第二部」をまず手に取る。荒野かわいいよ荒野。

 それからとりあえずファンタジー系と伝奇系を担当だからと探して異世界ファンタジーで伝奇っぽい帰宅途中にジャングルに迷い込んで「『勇者なのです』と決めつける女の子ピヨリと、空手の胴着を着たスパルカタスというクマ」に出会う「ワンダフル・ワンダフル・サーガ」(矢治哲典、560円)を買い表紙のイラストの女の子を「撲殺天使ドクロちゃん」かと瞬間見間違えた櫂未高彰さんの「学校の改案」を拾い面白そうだからと「非合法自転車レースの選手になる」主人公が登場する加藤聡さんの「走って帰ろう!」も調達して帰ったら桜庭一樹さんよりスパルカタスのぬいぐるみではなく新刊を送って頂いていて多謝。今晩読もう。

 前経営者の無策に破綻したその会社を引き継ぎ、立て直しに乗り込んできたトップや幹部たちは、すべてを自分たちに預け委ねることで2年後には立ち直ると言い切り、半ばファッショ的な手法でもって人員を動かし、業務の内容を限定しては事に当たらせた。当時よりそのあまりに状況を勘案しない観念的で情動的な言説に、結果は火を見るより明らかだと大勢は感じていたものの、破綻した責任の一端を雇用者も少しは負うべきかもしれぬと、ひとまずは言説を受け入れ、給与のダウンも認めつついずれその言説の間違いに気づき、軌道修正に走るだろうと考えたが甘かった。

 当然のように結果は火に留まらず激しい炎を吹き出し、その会社の運営はすぐさま破綻をきたし始めたが、トップも幹部もそれを認めず、さらに戦線を広げては戦力を逐次投入し、各個撃破されるという無謀にして無知きわまりない戦術を繰り出して、類焼の範囲を広げ疲弊を招いていった。当然にして収益に影響が出たが、そこを支出の抑制によってカバーしようとした結果、人員が減り現場は破綻当時に劣らない多忙さに見舞われた。

 必然的に商品のクオリティにも影響が出始め、デフレスパイラル的に更なる縮小への道を辿り始めたが、そうした状況の改善に、まずは伸びきった戦線の立て直しが先決と心を入れ替え臨む考えなど、トップにも幹部にもなかった。減った収益を取り戻そうと誤った施策を打ち出しては、労働強化を招き質を下げて収益を減らす繰り返し。与えられた2年という期間に状況は一切の改善を見ず、むしろ前線は2年前よりも更に苛烈な状況に晒されているという。

 にも関わらず、この期におよんで更なるクオリティの低下を招く施策を打ち出そうとしているというから、その会社に働く関係者たちが覚えている虚無感、脱力感たるやいかばかりか。ただでさえ苛烈な労働状況にありながら、なおいっそうの実質的な人員削減を平気で行う。そんな少ない人員を無駄としか言いようのない戦場へと叩き込む。戦術論的に考えれば、それが総員玉砕しか招かない愚作と分かるだろう。

 ましてや外に向かって企業が持つべき理念やら、経営に対する意見やらを業務として説いているその会社ならば、もしも実行しようとする会社があれば、逆に声を上げて糾弾すべき愚作であると、そう認識していて当然だろう。それをこともあろうに自らのところで実施に移すなど、あってはならないことだろう。けれども、外に向かって理念を説きつつ内ではそんな理念などどこ吹く風と、ファッショな愚作がまかり通る。旧軍にも似て前線から離れた後方ではひたすらに楽観論だけが跋扈し、前線では餓死し玉砕に散って犬死にする兵士の屍が累々と積み上がる。

 いったいどういう了見なのか。どの面下げ説教を垂れらるのか。言行不一致も甚だしい。これで公器とは烏滸がましい。外に向かって経営の無能を説くならば、真っ先に内に向かって経営の無能を認めるべきではないか。2年経ったら少なくとも明るくなると信じ……いや信じてはいなかったが、信じるより他にないと従ってきた挙げ句、訪れたのはまさしく断末魔であり瀕死としか言いようのない状況だ。そんな状況に社員たちを追い込んだその会社の経営陣は頭を剃って詫びるげきだ。地に伏して神に許しを請うべきだ。

 なのに、嗚呼それなのにそんなそぶりはその会社にはまるで見えない。2年の猶予を無駄に消費し2年前以上に深刻な破綻的状況を招いたことを、トップも幹部もまるで自覚していない。このままでは遠からずとんでもない事態が起こるだろう。そうなった時に及ぶ類焼は、無為な2年をもたらした参謀本部の面々に留まらないだろう。高みへと上り彼方へと広がっては権限の頂点を打つだろう。

 ルビコン川などとうに越えた。大和はまもなく北緯30度43分、東経128度4分へと到達しようとしている。エノラ・ゲイは広島上空にさしかかった。続き訪れるのは……死だ。絶対的な死しかない。瞠目せよ、その歴史ある会社が米軍の爆撃ですらなく、内部の腐食によって東シナ海の底へと沈没していく様を。見方の漏らした毒ガスによって全滅していく有り様を。それはそれは多方面を巻き込んでの華々しい散り際が見られることだろう。しかしいったどんな会社だ、その会社って(笑)。

 そうかなるほどだったら共産党員にはこれから推定有罪の原則を適用して微罪だったり冤罪でガサ入れされたと世間に向かって抗議をしても笑ってスルーし逮捕され長期拘留されても黙して目をそらして差し上げることにしよー。「赤旗と共同通信、ライブドアHPにニュース配信中止」との報。「『しんぶん赤旗』(東京・渋谷区)は27日、ライブドアのホームページへのニュース配信を中止した。同紙を発行している共産党の広報部は『容疑の疑いが濃くなってきており、ライブドアの企業としての信頼が問われているため』としている」。容疑なんて権力のでっち上げだと訴え無罪を勝ち取ると戦って来た方々も最近は権力に対して丸くなったもんだなあ。つか「容疑の疑い」ってなんて言葉だよ。疑いを疑うんならそれは無罪ってことじゃないのか? ともかくもはや共産党までもがカウンターになり得ない時代か。息苦しい胸苦しい。


【1月26日】 ああ良かった。気になっていた「ジェフユナイテッド市原・千葉」の06年ユニフォームは形もデザインも去年とほとんど変化してないシンプルなものになっててこれならサポーターも安心して買えるってゆーか、同じなんで買わなくたって大丈夫ってゆーか。まあとりあえずオシム監督には世界に希なる配色だのと言われずに済むことだけは確かだろー。

 かつてのチームカラーのひとつだった緑は広域化を目指した去年から消えていたけど、背中のスポンサーがサミーでロゴマークが緑色でそれがワンポイントで入っているて点で、創設以来のファンも喜ばせそー。未だにサポーターの掲げる弾幕は緑色と黄色に彩られているものも多いから。「オートウェーブ」も見慣れればシンプル。漢字でも毛筆体でもないしね。あと気になるところはナイキ系のユニフォームか。どうなるのかなあ、鹿島とか浦和とか東京ヴェルディとか。

 中原昌也さんに高橋ヨシキさんの映画系な方々に更科修一郎さんと海猫沢めろんさんの30歳オタクがオタクの現在を語り導こうとする「嫌オタク流」(太田出版、1000円)を買う。安いなあ。内容はやっぱりといったところでタイトルはいささか挑発的ながらも中身はいたって冷静。オタクって何? って思ってる映画オタク(と端から見れば思われる可能性ナンバーワン)の中原昌也さんが感じる昨今のオタクを巡る言説の不思議さを、リアルタイムにアニメとかコミックとかエロゲーとかを体験している更科さん海猫沢さんが解説しているって構図。

 更科さん海猫沢さんとも全然言い訳がましくなくって、どーして政府がオタクを持ち上げようとしているのかって実状とのの持ち上げ方の奇妙さを打ち、さらに下の世代が条件反射的にオタク的なアイコンへと飛びつく様を中原さん高橋さんたちと一緒になって不思議がるって内容だから、そんな4人より更に上の世代が読んでも違和感なく楽しめるし、より下の世代で起こっている何かについての勉強にもなる。

 オタクにあった「諧謔」「自虐」「反逆」の「3ギャク」が最近は後退してしまっているって懐疑と不安についての海猫沢さんの指摘にはまさしく同感。出版社が出してくる読んでも知識の吸収にも実践への手助けにもまるでならない「オタクエリート」的な現象を、屈託もなしに受け入れ試験を受けてはどーだったかと点数を比べあっこする面々のメンタリティの見え無さに、かねがね悩ましさを覚えていた身としては、オタク嫌いでもオタク好きでもとりあえず対象に対して何らかの敬意を抱き臨んでいる4人の抱く、受け手の変化に対する不安のよーなものが全編から感じられて共感を覚えた。

 企業やら政府やらがビジネスとしてこーゆーオタク文化を持ち上げようとする風潮に関しては、そうしてもらえることによって自分が愛でていたものが認められる嬉しさは、その認められ方に問題はあっても感じていたりするんで、彼らに非難されても致し方ない。ただしそれによって自分までもが認められた気になるかってゆーと、働く自虐がそれを許さないから歯止めにはなっている。ってゆーかそれで自分までエラくなったと感じるオタクっているのかなあ。いるんだろーなー、きっと。でなきゃ「オタクエリート」が店頭に並ぶことなんてないんだろーし。

 「かしまし〜ガール・ミーツ・ガール」を見たら「アニマル横町」のヤマナミさんが出てた。違った全身タイツの宇宙人だった。こいつとそれからミルちゃんみたいなあかほりさとるさん的「オネニーサマ!」っ娘が出てくるまでは、突然に女の子になってしまった男の子が好きだった女の子とか幼なじみの女の子の間で同性としてどぎまぎしつつも自分を確立していくストーリーを描きつつ、思春期にありがちな恋とか何かといったものの機微を浮かび上がらせる良質のドラマになるかもって思っていたんだけど、ペースをギャグへと引っ張られてドタバタな展開になるなんじゃないかて不安も浮かぶ。

 けどでもいつまでも女の子になってモジモジしているはずむを描いた展開を続けていては、話がもたないし辛気くさくて重たくなる可能性が大。混ぜっ返すキャラクターを入れることによってテンポを上げ、そこにシリアスなドラマを挟み込むことによってかえってそーした心の動きって奴を浮かび上がらせることが出来るのかも。35歳でヤマナミさん、じゃない宇宙人で全身タイツの宇宙仁を一目見て美形を”勘違い”したり、窓から何度も落っこちる先生の月並子はいらないかなあ。個人的には出ているキャラの中でも結構好きなんだけど。ガサツさで「ノエイン もうひとりの君へ」に出てくる教師の雪恵ちゃんとタメはれそーな点とか。

 その「ノエイン」は現れた仮面のノエインに誘われハルカが引きずり込まれ見せられた世界はすべてが安定したとゆー安寧に満ちた草原。一方のカラスはハルカたちが暮らしてた時空へと戻され駆け付けたユウとともに惑い悩む。謎めいた輩に脅され引っ張り込まれるハルカの父の拓也がこれから果たす役割は何なのか。函館はやっぱり15年後にラクリマ時空界と同様の荒廃と侵略の悲劇を迎えるのか。動き始めたストーリーの行き着く先にあるだろー世界が幸せなものとなることを願いたいけど、そこに至るまでに重ねられる悲劇もちょっと怖い。改心して可愛くなってしまったアトリやもともと可愛いトビの命運ともども興味津々。しかし秋スタートではやっぱりこれが最高かな、05年度を通しても1番か、DVD買っちゃったよ。


【1月25日】 「黄色いバカンス」の印象が余りに強くておまけに時折こいつに戻ることもあって、すっかり耳に馴染んでしまっていたけど「ぱにぽにだっしゅ」のDVD第3巻は収録の4話とも「ルーレット☆ルーレット」になってて4話をぶっ通しで見るうちにこいつもしっかり耳に馴染んだ。この勢いで次の次くらいに出てくるだろー「少女Q」も耳に馴染んでくれると有り難い。何しろ放映中に1度もオープニングで見たことがない曲でタイトルバックにどんな絵が出ていたかもまるで不明。見るのは楽しみだけど果たしてどんな曲なのか。そもそもどんなイントロなのか。ちゃんと収録されているのか。買い続ける楽しみがあるって良いことだ。

 この1カ月の間に原作の「ぱにぽに」を既刊の8巻まで読んで出たところ勝負のテレビアニメと違ってある程度のストーリー性が原作にはあって、キャラクターの記憶とか経験とかが巻を重ねるごとに積み上がっていくのが分かったけど、そーした情報を含み置いた上で改めてアニメ版の第9話から第12話までを見返して、原作を知らなくて見ていてもしれなりに分かるくらいにうまくコミック版をリミックスしているもんだと感心すること仕切り。

 桃月学園へとやって来たベメディアがベホイミと軍隊話をし始めたのは、アニメだけ見た時はその場の勢いかと思ったけれど原作だとちゃんと過去にあれこれあったらしいエピソードが何作かあって、爆弾解体話も別のがあってちゃんと大量の爆弾解除話(原作では解除しなかったけど)へと繋がることが分かる。ベッキーが爆弾を抱えて震える話はオリジナル? それがメディアとベホイミの爆弾解体話とシームレスにつながりメソウサの悲劇で落ちる「ぱにぽに」らしさをちゃんと体言している辺り、作り手がよほど原作を読み込み且つ巧にリミックスしたんだってことが伺える。

 既刊の巻からエピソードを結構な分量で食い散らかしているんで、次のシリーズがあったとして混ぜられるエピソードが残っているのか悩ましいけど、オリジナルの創造力もそれなりにありそーなんでここは「ARIA」と同様に、次のシリーズって奴を作ってくれたらきっと見るぞ、DVDも多分買うぞ。しかしやっぱり船橋の「ときわ書房本店」は「ぱにぽにだっしゅ」のDVDを取り扱っているなあ、入れ込んでいるのかなあ、コミック売り場。「ARIA」のDVDも売ってたし、漫画原作のアニメはDVDが書店の商売になるってことなのかなあ。でも「灼眼のシャナ」は売ってないなあ。

 寒さの中を浅草は「都立産業会館」へと行ってトミーの新商品展示会を一巡。23日にすでに発表になっていた、重さわずか3・5グラムしかないラジオコントロールの飛行機も出展されてて部屋を模したブースの中をひらりひらりと飛び回っていた。手を上に掲げて落としてプロペラを回すとそのまま飛び回るから不思議とゆーか画期的とゆーか。空を飛ぶ乗り物の場合はエンジンと燃料が課題になるけれど、この「エアロソアラ」はモーターはニューム管の端っこよりも小さいし、電池はコンデンサーを利用しているから軽い軽い。30秒くらいの充電で30秒から40秒は飛び回れるらしく、リビングなんかのある家だと台所からテレビの前を横切らせてソファーをかすらせちゃぶ台へと落とす、なんて飛行も楽しめそう。値段も2000円ちょっとと安いんだ。でもなあ。すでに空間が埋められつつある我が部屋では遊べないんだよなあ。広い部屋、欲しい。

 4200万台とか売れた「iPod」を筆頭にした携帯型音楽プレーヤーを使った玩具も結構目立つ昨今の新商品。コナミが「オトイズム」だったっけ、携帯型音楽プレーヤーとヘッドホンに挟み込んで音楽を再生すると、液晶画面に現れるキャラが踊る上にキャラが音楽を覚え自分でリミックスだかして作曲してくれるって一種のバーチャルペットを発売すると発表してたし、トミーはトミーで携帯型音楽プレーヤーを繋ぐと音楽に合わせて踊る熊のぬいぐるみって奴を展示会に出していた。体を揺らし腕を左右に開いたり閉じたりする仕草はそれなりな可愛さ。眼がこれで閉じたり開いたりすれば完璧なんだけど、製品はやや上目遣いの目が張り付けられててアクションしない。まあ上目遣いのぬいぐるみが音楽に合わせてモジモジと体を動かす姿だけでも結構な可愛さ。寂しい独り身の音楽を一緒に楽しんでくれる伴侶として、買い求めるキャリアな方々とか出てきそう。

 とうこくりえさんが「エル・ゴラッソ」の2006年1月26日号で漫画に出してモザイクをかけてそのロゴの微妙さに切り込んでいるJリーグのチームの新しいユニフォームが、いったいどこの物なのかはまるで想像もつかないけれど、とりあえず良い家に住みたいんだったら飯田産業に頼んでみるのが確実だってことくらいは想像が付く。ってゆーか真夜中にアニメを見ていると、榎木孝明さんのナレーションをバックによくCMが流れていたあの会社が、どーゆーいきさつでジュビロ磐田の(言っちゃったよ)胸スポンサーになったのかが不明。全国区の知名度を持つ広告塔として、広く商品やサービスを喧伝したい企業にとっては絶好のチームってことなんだけど、その分安くはなさそうだからなあ。それだけの勢いがある会社なのかなあ、飯田産業って。

デジタルコンテンツだった「エウレカセブン」。でもどこが? 「アクエリオン」よりデジタル?  こーなると不安も期待も入り交じるのが「ジェフユナイテッド市原・千葉」の新ユニフォーム。日本語ロゴでは先輩の「オートウェーブ」を胸に描いて走り回っていたのが去年まで。その契約が今年も果たして続いているのか分からないけど既に見慣れたロゴなんで、どんな色でどんな形になっても驚くことはないだろー。奇妙な色だと最初は訝っていたオシム監督も慣れただろーし。課題があるとしたらデザインか。昨シーズンの分はデザインだけならリーグでも屈指だったけど、某横浜のチームのデザインがこれまた珍奇を極めていただけに、メーカーこそ違うとは言えどんなデザインになるかは蓋を開けてみなくては分からない。けどでもとうこくりえさんも言っている。ユニを買うのはサポの性。デザインなんて二の次だと。ってことで今年こそは買えたら買ってみたいジェフのユニだけど、でもなあ、やっぱり心配だなあ。

 いろいろとノミネートをしたけど落ち着いたところは妥当極まりない感じな「第20回デジタルコンテンツグランプリ」の贈賞式があったんで青山の「TEPIAホール」へと行き交流会だけ見物。サービス・システム創出部門の1等賞が「ポッドキャスト」で優秀賞に「PSP」って一体いつのイベントよ? って気もしないでもないけど05年のコンテンツが対象だから仕方がない。「ニンテンドーDS」が入ってないのは去年に既に優秀賞を獲得してしまっているからか。コンテンツ部門が「ALWAYS三丁目の夕日」ってのは妥当だけとやや小粒。どーせだったら優秀賞に入っている「惑星大怪獣ネガドン」の偉業を讃えて一等賞にしても悪くはなかったんじゃなかろーか。その方が独自性も出るし。度胸がないなあDcAJ。

 優秀賞に「交響詩篇エウレカセブン」が入っているのが謎。「機動戦士Zガンダム劇場版」はデジタル技術を使ってフィルムを洗っているって意味でデジタルだけど「エウレカ」にそんな目立つデジタルなんてあったっけ。個人的には「創聖のアクエリオン」を推してたんだけど、だってこっちの方が圧倒的にデジタルじゃん、でもってそのデジタルの欠点だった軽さと薄っぺらさを払拭した重量感とスピード感が両立したバトルアクションを見せてるじゃん。やっぱり70年代に青春を送った選考に当たる面々には「エウレカ」がマッチしたってことなのかなあ。交流会では富野由悠季監督が「次は3D」的なことを言ってて何をやるんだと期待。あとプロダクションI.Gの石川光久さんとGONZOの村濱章司さんが歩いていてアニメな会社の成功例2例を生で見る栄誉に。あやかるんならどっちの生き様?


【1月24日】 また懐かしい名前が。ライブドアの新社長に会計ソフトを作っている弥生の平松庚三さんが就任したって発表があって誰かと考えそうだよAOLジャパンの社長だった人だよと思い出す。その前はIDGコミュニケーションズの社長でもあってソフトとか、ネットワークとかの記事を書いていた時にたびたび名前を目にしていたこの分野での古株にしてパイオニア。ITだビットバレーだと騒がれ始めた時にはすでに一家を成していた人だけに、この難局を乗り切り周囲に安心感を与えるには適任って判断されたんだろー。なるほど弥生を買っても平松さんをそのまま就任させていた甲斐があったってことか。

 けど果たしてこれでライブドアがそのまま安定していけるのか。とりあえずの信頼は回復出来たとしてもかつてのよーなアグレッシブな経営が取れないと、大きくはなれず逆に戦線を縮小させる必要も出てくるかも。看板だった創業社長の逮捕って事態は現場の志気にも大きく影響を及ぼして、もとより寄せ集まった人材がこれで蜘蛛の子を散らすよーに逃げ出さないとも限らない。

 同じよーにカリスマ性を持った新興企業の創業社長が逮捕された例ではリクルートがあるけれど、江副浩正社長が逮捕され経営の一線から退かざるを得なかった後も、リクルートは本業であった就職情報なり住宅情報といった情報誌分野での圧倒的な強みを守り、なおかつダイエーとゆーパトロンも得て難局を乗り切った。それぞれに自主独立の気風が強く若い層への権限委譲も進んでいた会社の体質も助けとなって、逆に新しい事業をとんどんと立ち上げネットにも進出し新しい雑誌も立ち上げ大きくなっていった。それと同じ軌跡をライブドアがたどれるかとゆーと、リクルートの就職情報誌に匹敵するシェアの高い事業がなく、またトップに権限が集中していた会社で現場の若手が新たな収益源を見つけそこにリソースを突っ込み難局を乗り切る環境にもない。

 金は出すが口は出さなかったダイエーの中内功さんみたいなパトロンも今のご時世ではちょっと見つからない。手を出せば何故に拾うんだとマスコミが攻め立てるだろー。そんなリスクを犯してまで、従業員を助けネットとゆー分野の可能性にかける大企業の経営者なんていやしない。ソニーに出井伸之さんがいたら、あるいは一部の事業でも拾って「So−net」と連携させていたかもしれないけれど、既にソニーに出井さんは折らず余力もない。他のIT系新興企業ではとてもなじゃいけど面倒は見きれない。

 となればやはり自主再建しか道はないんだろーけれど、果たしてそーした立ち直りをメディアが看過するかどーか。すでにして”悪”のレッテルを貼ったライブドアが、いかなる形で立ち直ろとしてもそれを許すほどメディアは親切ではない。叩き叩き抜いて知らぬ顔、だろー。そんな仕打ちに耐えて平松さんがあの集団をまとめ率いていけるのか。言われているよーに解体され外資に呑まれベンチャーに拾われ後には何も残らない事態となるか。成り行きを見守りたい。しかしリクルートはよく耐えたよなあ。改めて凄い会社だったんだなあ。

 ある商店があったとしよう。どちらかと言えば金物屋に近い店で他にも食品雑貨を取り扱うこぢんまりとして、それでいて地域ではそれなりに信頼された万屋的な商店だった。しかし時移り、近隣に大手のスーパーが進出し、一方では住民が減って経営は左前に。もっともそれでも地域には必要な店として信頼感だけはあって、かろうじて生きのびていた。ここに問題が起こった。古くから店を守ってきた店主が死去。代わって新しく店主になった人間が、どうにも地域の一商店では我慢がならないと、金もないのに派手な宣伝活動に売って出た。

 取り扱う商品もアイテムを絞って、それをセールスポイントにしようとしたものの、狭い地域だけあってそうしたアイテムばかりを求める客などいやしなかった。売れ残り経営は傾き店員も仕入れ担当者も店を離れ、あるいは店を追い出されてしまった結果、並ぶ商品の質が大きく劣化し経営はさらに傾いた。けれども店主はその責任を認めず、逆に柱になるアイテムを何本か増やしてみたものの時すでに遅し。買い付ける人材も売る人材も払底した店で質の悪い商品を少数、売ったところで客など来ない。結果、経営はほぼ破綻の状態まで追い込まれた。2年と数ヶ月前のことだ。

 ここでようやく腰を上げたのが、商店に金を貸し付けている会社。経営を刷新する必要があると店主の首をすげ替え、店構えもモダンなものへと改め再生へと乗り出したものの、送り込んだ新しい経営陣たちの完成が前の店主以上にズレていた。地域でそれなりに認められていた時代を知らず、どうして認められていたかも考えないまま、コンビニエンスストア的な店構えを導入しようとしたから従来の顧客はたまらない。店主たちは売るアイテムはそれぞれの種類で1つか2つで良いとまず言い出した。それまで購入していた品物がなくなったため客が離れた。かといって新しい客もこなかった。そんな品物は大手のスーパーに行けば安く、そして確実に買えるからだ。

 ならばと新しい店主やその取り巻きたちは次の策に打って出た。年輩層に売ったら良いと彼らが好みそうな商品を並べろとバイヤーに厳命し、また女子高生が好む品物を集めて並べろと店員たちにセールスを呼びかけたが、ここに大きな落とし穴があった。年輩層は物など買わない。従って売れなかった。女子高生については店主やもとよりバイヤーも販売員も好みを把握できなかった。従って彼女たちが望んでもいない品物ばかりが並べられ、やっぱりぴくりとも動かなかった。

 店さらに店主は店で特定商品を大々的にキャンペーンを展開しろと言い始めた。今はギリシアが流行だからギリシアの品々を売れば良い。あるいは名古屋の名産品に注目が集まっているからそれを集めて売れば良い。並べた。それ専用にバイヤーも着けて仕入れたがやっぱり売れなかった。売れるはずもなかった。地域がその店に期待していた品々ではなかったからだ。付け焼き刃の知識で仕入れた商品は質も悪かった。惨敗だった。

 改装にかけた投資額は半端ではなく、何としてでも取り返さなくてはならないと焦った店主たちは、遂にご禁制の品々を扱うことを決めた。売れば購入者に迷惑がかかるようなものを売り始めた。仕入れにあたってマージンを取って売上の穴を埋め始めた。無理をして女性店員を入れてもみたが、どこかのひも付きで看板になど成り得なかった。やがてそんな店に品物を卸せば評判が落ちると、以前からのつき合いで品物を卸してくれていた老舗の問屋が手を引きはじめた。それならなおいっそうとばかりにご禁制の品々を仕入れ扱うことにした。それが2年後の今。

 売上は伸びたのか。伸びていない。客が寄りつかなくなったからだ。売り物も粗悪品ばかりだからだ。つぶれないのは暖簾のお陰か、お金を貸し付けている会社の思惑か。しかしそれもそろそろ限界だろう。否、限界はとっくに過ぎている。2年間という時間を無駄に過ごして、新装開店の看板はとうに利かなくなっている。にも関わらず店主は店を閉めようとしない。首にもならない。使った期間は2年だ。2カ月ではない。それだけの時間を与えられて結果を残せない店主は、普通だったら首だろう。あるいは自ら身を引くだろう。けれどもその商店には店主も番頭も居座り続ける。恥ずかしげもなく店の経営を仕切り続ける。不思議というより他にない。

 そしてここに新たな施策が下る。店員は朝、近隣の家々を回ってご用聞きをしてこいというのだ。行って顔を覚えてもらわないことには商品は売れない。そう考えているらしいが果たしてそうなのか。商品の質が問題なのだ。あるいは品揃えが問題なのだ。例え家までご用聞きに赴いても、そこで出してもらった注文に応えられる体制に、店がなっていないのだ。なおかつ朝に店をすべての店員が離れて空にすることで、数少ない商品の質が更に落ちる可能性が高い。納品してもらった商品を並べ足りない商品を発注し、必要な商品を吟味する時間をご用聞きに回るからだ。それで訪れた店に並んでいる商品の、他店に劣り品揃えも欠けた状況を見て客はまた来たいと思うのだろうか。思うはずがない。

 客にとっても迷惑だ。朝は忙しい。炊事をして掃除をして洗濯をして家族を送り出し内職があればそれをこなし夕食の仕込みをしなくてはならない。共働きなら外に出かけなくてはならない。近隣より人が訪ねて来ることもある。そんな忙しい時間にわざわざ来るご用聞きを果たして諸手をあげて歓迎してくれるのか。否だろう。むしろ反感を抱き二度と来るなと塩を巻いて追い返すのが関の山だ。親の代からつき合いのあった店だから最初は相手してやっても、希望する品物はすでになく新しく揃えてくれる可能性も低い店から来る店員を、程なく迷惑に思うようになるだろう。

 かくして顧客離れは加速化し、品揃えもなおいっそうの低劣さを極めて店は店の体を成さなくなると、店員たちが口を揃えて突き上げても、売り場責任者は店主や取り巻きの決めたことだと逆らわない。2年経ったら暮らし向きもよくなるだろうと言われ、休みもとらず言われたことに従いせっせと頑張っても、いっこうに叶えられることがなくむしろ悪化の一途をたどったその商店に果たしてどんな明日が訪れるのか。経営学を学んでいない浅学非才な人間にはまるで分からないけれど、でもまあそんな世間の失笑を招き侮蔑を浴びるよーな店が、このご時世に安穏として存在しているはずなんてないから別に考える必要もないのかも。ないんだよな。ないと言ってくれ……これはもうだめかもわからんね(ダメだってば)。どこか良いとこ、ないですかぁ?


【1月23日】 人狼娘で万全。「機動戦士Zガンダム文庫」ではなく「快傑Z文庫」でも「アルギンZ文庫」でも「アサヒZ」でもない竹書房の「Z(ゼータ)文庫」から創刊ラインアップとして出た1冊の神代創さん「ウェイズ事件簿」は、人間と魔族とが棲み分けながらも共に暮らしている世界が舞台となったファンタジー。おそらくは名家の出て手に力を持った刀を持ちつつも抜かず普段はよろず相談事を受ける便利屋稼業を営んでいる主人公に仕事の依頼が舞い込む。辺境の警備の仕事から帰ってきてから近衛隊士の夫の様子がどうも変だから調べてくれというのだ。

 聞くと夫は夜中に出歩き何かをしている様子。表情も乏しく顔色もおかしいその姿に主人公は疑いを抱き調査に乗り出したところを何者かに襲われた。撃退した相手が落とした、魔法が何かのかけられた探検の出所を探って魔族の代表者と会い辺境へと出向いてその男に何があったかを調べ、そしてどうやら得体のしれない存在による侵攻が始まっているらしいと知る。朴念仁に見えて実は強かったりする主人公に添うよーに妖精がいたり盗賊ギルドの娘で掏摸の少女がいたりと賑やかなんだけど、そんな美少女を押しのけ眼に止まるのはスレンダーな長躯に銀色の短髪で肉を抱えて歩くとゆー女。強そうで実際に強くって姉御肌な彼女と何かあったらしい主人公がとにかく羨ましい。毛深かったかどーかは不明。そのあたりは主人公にでも聞いておくれ。

 こっちは既にして大御所レーベルの仲間入りを果たしてしまった「富士見ミステリー文庫」からかたやま和華さん「楓の剣!」(富士見書房、588円)。大阪に転勤となっていた旗本の父親が江戸に戻りいっしょに戻ってきた娘の楓は、江戸にいた頃と同様に剣術を学び男のよーな格好をして街を闊歩していた。そんな楓と幼なじみの少年との喧嘩ともじゃれ合いとも付かない関係に割って入ったのが理知的な風貌を持った陰陽師の青年。昨今の江戸で大流行している放火ともつかない火事を防いで歩く彼の姿に惹かれた楓は、家族が止めるのもきかずに放火の謎に挑んではピンチに陥ってしまう。

 楓と親しかった藩主の娘がたどる儚げな運命とか、10歳で病没した楓の妹の行方とか、伝奇的な設定も絡んで来てなかなかな奥深さ。さらには大店の若で楓には子供の頃に助けられたと慕う少年の出生にも絡んだ謎もあって、今後シリーズ化された時にそのあたりが明らかになっていく面白さを味わえそー。現代とは違って封建制度バリバリな江戸時代。意に添わぬ結婚を迫られ身を自ら切る女も出てくる状況であるにも関わらず、大身旗本の娘が男のようななりをして、剣術に励み街を闊歩することが可能かどうかって疑問は浮かぶけど、まあそこはパラレルワールドの江戸だと認識しつつ読めば楽しくも愉快な破天荒ヒロインによる歴史ファンタジーってことで。続きも読みたい新シリーズの登場を祝。

 90年3月に就業して最初に着任した東京証券取引所の記者クラブで見たのは、雪崩のよーに落下し続ける日本の株価。その前年の大納会で最高値を付け年が明ければ4万円だって夢ではないと言われたものの、見込みに反して年明けから株価はひたすらに下がり続け、4月にはついに平均株価が2万8000円当たりへと1万円近く落ち込んだ。その後も一進一退を続けた株価は夏の湾岸紛争勃発でさらに下へと突っ込み湾岸戦争へと発展して終戦となっても留まることを知らず。そして発覚した証券不祥事がだめ押しとなって日本は長い株価低迷の時代へと入り、バブルの時代に株価上昇を当て込んで投資した人たちに痛い眼を見せた。

 その時の経験で日本人は、株式投資がただ単に値上がりだけを見越した投機であってはならず、企業の価値を適切に判断して長期的なスタンスで行うべきだって、心底から深く理解したはずだったし、バブルの時代に株で儲けない奴は無能とばかりに煽りたてたメディアも、同罪であって大いに悔いたはずだった。ところが21世紀に入ってこの何年かのメディアは、15年前の失態を忘れたかのよーに株式投資を煽り短期間でどれだけ儲けたかってことを、勲章のよーに讃える態度を見せていた。20数ページしかない新聞の3分の1を金融や証券や株価の記事に使い、アジアだ中国だとカントリーリスクも巨大な地域への投資を囃すメディアもあったっけ。

 そんな風潮があったればこそライブドアは個人投資家の投機的な目的による株式購入を得てぐんぐんと時価総額を増やし、それをテコにして買収を繰り返してはさらに大きく膨らんでいった。ここで個人投資家が名前とか規模ではなく実態を伴った業としてその流れを見極めていれば、業事態が別に大きく変化する訳でもない企業の株が大型分割されて流動性が増したとしても、分割分を埋めて上昇することはなくほどほどの水準で落ち着くと考え、一斉に飛びつくこともなかっただろー。投資ではなく投機を良しとする風潮になびいた投資家も煽ったメディアもその意味では同じ穴の狢であって、自己責任の原則に照らせば被害者と呼ぶにはやや憚られる部分もある存在であって、故に被害者たり得ずライブドアも加害者たり得ないのではないかって考えも浮かんで消えない。

 なるほど情報の提示が遅れ結果として個人投資家は乗り遅れたけれど、そこで全員が損をしていたらすぐさま騒ぎ立てられ問題化していただろー。そーはならなかっとのは極端に損をした人がおらずむしろより上昇するとの期待感を満たされていたからなんじゃなかろーか。これに比べれば大枚をはたいて買ったマンションが欠陥だった耐震偽装マンションの事件の方が直接的な被害者が多くいる分、問題としてより切実だし普通に買えば5万円とかで買えそーなディスプレー付きのファクシミリを30万円とかで購入した上で同じファクシミリを30万円とかで別の人に売ってその人がさらに別の人に30万円でファクスを売ることで何万円もの報奨金を得るとゆー仕組みのビジネスを名を変え運営母体を変えつつ展開している企業の方が、欲得に溺れて飛び込んでは大変な目にあう人を大勢生んでいる点で社会的な問題性が高いと言える。そんな企業のトップを記事として取り上げた上でインタビューが掲載された新聞を販促ツールにしたい彼らに販売する新聞があるんだから始末に負えないんだけど。

 何よりバブルの時代の投資失敗で巨大な不良債権を抱えた挙げ句に国民の税金を注ぎ込んでもらった銀行なり保険会社といった金融機関の方が、罪の深さではライブドアの何億倍も上だろー。デリバティブなんて内容不明な商品を売りまくって稼ぎまくって売り先に大損をさせ、それでも平気に生きている証券関係者の何と多いこと。にも関わらずそんな銀行やら金融機関のトップが、雁首を揃えて国民に対する罪を告発されて捕まり裁かれたって話しは聞かない。経営責任はとっても罪を認め罰せられたことはない。罪を負うべき企業もメディアも罪を負わず言動の目立った企業がより深刻な罪を差し置いて罰せられるこの不可解さ。なるほど小さくても罪は罪だけどより大きな罪に沈黙して小さな罪を捉えて罰することの奇矯さを国民は皆感じているし、バブルを煽り騰貴を煽っていたにも関わらずここに来て手のひらを返して1人を叩きまくるメディアのみっともなさを国民はやっぱり感じている。

 そんな矛盾をはらみながら向かう日本に若い層が抱く絶望感たるや。何かを始めて夢をつかみ金を得るとゆーモチベーションに確実にダメージを与え、これから後の10年に禍根となって現れる可能性を今は感じている。かといってもはやライブドアの逮捕されたメンバーがライブドアのトップとして復権するのは、事実上不可能に違いない。「リクルート」を国内有数の企業に育てた江副浩正さんですら、リクルート事件で逮捕されて以降、復権できないまま一介の資産家となって、おまけのよーな人生を生かされている。出れば打たれることがやっぱり如実に分かったこの国から、ぎらぎらとした上昇志向が失われていった先に来るべき未来。それはきっとつまらないものに違いない。失われた10年は失われる15年を加え消えた四半世紀として後の歴史に残るだろー。それが今日、決まった。


【1月22日】 雪も止んだよーなので真夜中に近所のコンビニへと出向いてちょうどCMで流れていた日清やきそば「UFO」のトリノバージョンとやらを書き込む。トマトソースみたいな味でとってもトレビアン、ってそれはフランス語だイタリア語だと何だっけ、マンマミーア? 違うなあイタリア語は難しいなあ。ほかに確か「どん兵衛」とそれから「カップヌードル」で同じイタリアバージョンが出ているよーなんで次に夜中に小腹が好いたら食べよう。しかし何だろうイタリア風「どん兵衛」って? 出汁が鰹節とか昆布じゃなくってムール貝とか浅蜊みたいなあっちの魚介類?

 喰いながら「陰からマモル」。まあ安定。けど目新しさはなく危うさもないから真夜中のわざわざ午前2時50分まで起きて見るのはどーかと。これなら作画の危うさとセリフの凄みで見せてくれた「銀盤カレイドスコープ」の方がハラハラ感があって良かったなあ。DVD発売向けに手直しした分を順次1時間枠くらいで再放送していけばトリノ五輪にだって間に合いそうなのに。手直ししなくともDVD発売記念とかで全話一挙放映って行けば例の浅田真央選手を出す出さないで連盟がゴタついた一件ともリンクしてより評判になるのになあ。勿体ない。もっともDVDだって「春」とは言いながらもいつ出るのかが不明。「今春」と言う「プレイステーション3」よりは確実だとは思うけど、それでどこまでの挽回が図られて来るのか。楽しみであり怖くもあり。出たら買って録画と見比べつつトリノ五輪バージョンの焼きそばくいつつ見よう。買い置きしておかなきゃ「UFO」。

 ちょっとだけ眠って起きたらサッカーが始まっていた。「交響詩篇エウレカセブン」。何故にサッカーとは聞くなかれ、そんなことを聞いたって還ってくる答えは「ノリ」に決まっているよ「ノリ」に。主題はチームワークを感じさせる何かを通じてレントンとエウレカの仲をより深めようってことだけどそれがサッカーである必然性はまるでなし。危険を冒して着陸してはどこかの誰かを招いて試合をするなんて追われている奴らには危険きわまりないし、だいいち「サーフィン」だとかいった西海岸でUSAな奴らが遊ぶスポーツじゃない。むしろビーチバレーの方が2人組でチームワークの醸成には適切だし、それだとエウレカの露出も派手派手しい水着姿が拝めて視聴者的にも嬉しかったのに、「サッカー」。

 元より平べったいエウレカでは揺れたり弾んだりするはずもなく見所を感じられないまま、ありきたりの努力友情勝利なドラマが展開される。途中にレントンを蔑むエウレカが出たりとビジュアル的には見るべき部分もあったけど、1話をそれに費やし得られたことはとりあえずの結束くらいとゆーのは、残り話数を考えても相当に厳しい感じがしてならないけれど10話あればそれなりなドラマを繰り広げられてしまうのが昨今のアニメって奴だし、姉貴の問題も父親の問題も登場するキャラのセリフでもって済ませる経済性でも鳴る作品。きっとそれなりな解決って奴を見せてくれることだろー。しばらくぶりに見た「BLOOD+」がオープニングに凄みが出て物語りもシリアスの度合いを爆発さsているのと比べるとえらい違い。けどまあそれが「エウレカ」クオリティってことで。タルホのフットサル姿を見たかったなあ。

 シャクシャクと雪を踏みしめながら郵便局へと出向いて届いていた長袖襟付き日の丸Tシャツを受け取る。前に半袖で出たときにもちょい欲しい感じがして、実際に女子サッカーの「なでしこJAPAN」が西が丘で試合をした時に何人か来ていてその眼にも鮮やかなデザインに欲しい度もアップしたけど時すでに遅く品切れだった品物が、長袖となり襟がついてよりクラシックなデザインでもって復活して来たんでこれは1も2もなく抑えておくかと購入。宅急便じゃなく郵政公社の着払いなんてシステムだったんで家にいなくても郵便局まで行けば受け取れるのがちょっと嬉しい。独り者でアパート暮らしに時間が曖昧にしか指定できない宅配便の類は実は鬼門なんだよね。近所に中央局がある強みってこともあるんだけど。とりあえず格好良いのが手に入ったんで次はこれを着る場所を作らないと。ドイツが最善なんだけどチケットが。それより時間が。何より金が。仕事はまあどうにでもなるんだけどね。その前にどうにかなっちゃうかもしれないんだけどね。

 例えばとゆー空想上の話。ある新聞社があって普通に売ってちゃなかなか売れないってこともあって、ひとつの作戦に打って出た。ベンチャー企業を会員として組織化して、会費をもらう代わりにそのベンチャー企業のプロモーションを代行する会社ってのがあって新聞社はその会社に出資をして、その会社が会員にしているベンチャー企業が会員から会費を受け取る代わりに、新聞を配るサービスをスタートさせた。それなら単に販売上の施策のひとつでしかないんだけど、新聞社では別にサービスとして、新聞紙上でその会社が会員にしている企業のリリースを、広告ではなく記事として取り上げることもするとゆー。

 新聞社は購読が増え、出資先の企業は新聞に記事が掲載されるって可能性を売り文句にして会員を募ることができ、会員となるベンチャー企業は会費を納める代わりに新聞に記事が出る可能性をゲットできるという仕組み。これがもしも現実のものとして存在したとしたら、どこかに問題はあるんだろーかと悩むけど企業から金をもらったり新聞を取ってもらう対価として、ニュースを載せる新聞なんてものが日本新聞協会に加盟の新聞に存在するはずがないんで、ここで悩んでいたりする必要なんてないってことで。ただなあ。ここに来て90年代末に続くIT不況なんってものが来た日には、背に腹は代えられないとやって来る新聞なんてものが出てくるかも。マルチな会社がセールスツールに出来るようその会社の偉いさんを黙って記事として紹介する、なんて事態も出てきたりして。暗いなあ。

 雪だろーと雨だろーと元気なオタクを見に(実践すべく)秋葉原へと出向いて電気まつりで当選した5000円の商品券を何で消費すべきかを逡巡。ダグラス・サークへのインタビューをまとめた本を読んでいたこともあって掲載されてる「翼に賭ける命」とか「悲しみは空の彼方に」のDVDを探したけれど見つからず。CDなら何が良いかと売り場を歩いているところに「ピンクレディー」の歌が流れて来たのに引っ張られて、前に海野がしていたら不具合が出て交換の事態になってたライブのDVDを買ってしまう。帰って見たらいやあ若い。もう若い。まもなく50歳になるとは思えない細さに瑞々しさ。歌もちゃんとしていていてケイがやや低すぎって気もしないでもないけれど気にならない範囲。それにも程なく慣れてあとは知ってる曲のオン・パレードに頭を70年代へと引っ張っていかれた。凄いなあ。ちゃんど踊っているもんなあ。素晴らしいなあ。今でこの凄さなら28年前のデビューからしばらくの全盛期は更にパワフルだったんだろーなー。当時の出演していたテレビ番組と唄っている場面ばかりを集めたDVDとか出ないかなあ。って出るじゃん! 買わねば。予約せねば。

 「機動戦士SDガンダム文庫」ではない「集英社スーパーダッシュ文庫」こと「集英社SD文庫」から出た佐山京輔さんの「Hot Rod」(648円)はえびねさん描くイラストがまず良い。カットジーンズの少女が表紙でぎゅっと体に力を入れた絵も良いし、その少女がスレンダーな体を縞々なアンダーウェアでちょっとづつ覆ってベッドでまどろむ口絵もグッド。そんあモチーフを決して平板ではなく立体感のあるデッサンでもって描き様々な色彩を派手ではなしに淡く重ねて仕上げた絵は見て眼に優しく入り込んでくる。

 そんな美少女が本編ではどちらかと言えば脇なのはライトノベルのお仕事としては正しいってことで。時は人類がいちど滅びかけた未来。文明は維持しているものの秩序が崩れた世界で子供たちは窃盗団を作り盗みを生業として日々の糧を得ていた。そんな窃盗団でのひとつ「Hot Rod」に所属する少年ハンズは仕事を終えて逃げる途中でひとりの少女を拾い上げる。人間なんだけど人間っぽくない少女はドールと名乗り窃盗団の面々と暮らし始めることになったけど、ドールには唄うと機械を直すとゆー能力があって、そんな彼女の能力を求めて大きな組織の魔手が伸びて来た。

 表紙の少女・ブレインは窃盗団のひとりでハンズに気があるんだけどそれを言うには性格が強気過ぎて素直になれないお年頃。つっかかったり拗ねたりする姿が何とも可愛いんだけど活躍はしてもそっちで報われないのは可愛そう。せめて表紙と口絵でもって読者とゆーファンの喝采を浴びて欲しいとゆー、作者と絵師の思いがイラストでの大盤振る舞いになったのかな。物語は別離もありアクションもあってそして大団円へと向かう痛快娯楽アクションで最後まで楽しくつき合える。敵の存在感が今ひとつ表層的だけどそこで描き込まれるとゴチャつくんで気にしない。続編とかもありそーで次もブレインにはカットジーンズに包まれたキュートなバディをいっぱいにはじけさせて頂きたい。


【1月21日】 読んでも読んでもライトノベルの新刊が減らないけどそれが地獄ではなく新しい物語に出会える快楽だと、まだ思えているうちはライトノベルのブームって奴がまだ続いてて、新しい才能がどんどんと生まれている現れだってことなのか、それとも僕が単に忘れっぽくって前に読んだよーな設定でも平気で楽しめてしまうだけなのか。でも面白いんだから仕方がない。まずは「機動戦士Zガンダム文庫」こと竹書房の「Z文庫」から刊行なった賀東招二さん監修によるきぬたさとし著で篠房六郎さん絵の「ドラグネット・ミラージュ」(竹書房、571円)は、冒頭で感じた期待がずれるどころか逆に膨らんで還って来る面白さでいっぱいのお話だった。

 異世界とこの世界とが繋がってしまった場所に出来た都市を舞台に起こる事件に取り組んでいる刑事ケイ・マトバ。麻薬の材料にされるとゆー異世界の妖精を密売する組織の摘発中に同僚を殺され、落ち込んでいたところにやって来たのが、取引材料にされていた妖精が実は異世界では名門の出で、それを救いに異世界から準騎士とゆー身分の少女ティラナ・エクセディリカ。警察へと彼女を案内していったケイ・マトバに向かって上司はティら名と組んで捜査に当たれと命令。かくして登場したやさぐれ敏腕刑事と高飛車美少女騎士のペアによるバディ物のアクション&サスペンス&ちょっぴりラブコメなストーリーが繰り広げられる。

 とにかくキャラクターの生き生きとした感じが読んで痛快。鬱屈した感じで倉庫の2階に住みアレルギーなはずの猫と一緒に暮らすケイ・マトバに、異世界の上流階級に所属し剣を扱えば右に出る物のいない腕前なのに何故か車が苦手らしく猫が好きらしーティナ・エクセディリカの主人公カップルはもとより闇であれこれ取引している親父に異世界から流れてきた没落貴族ながらこちらで才覚でのし上がろうとする青年に他、出てくるキャラクターにそれぞれに人格ってものが感じられるくらい、作り込んであって物語の中でそれぞれたしっかりと役割と果たす。

 そして物語。手がかりを軸に探索していく2人がやがて立場の違いもあって袂を分かつもののそこは少しの時間でもそれぞれを理解し合っていた2人だけあって、通じ合い最後はしっかりと手を取り合って敵に挑みうち負かすとゆーバディ物におきまりの展開があって、その中に正義のためには少々の犠牲も厭わないとゆー独善の恐ろしさ、虐げられた物が成り上がるために見せるあがきの凄まじさなんかが描かれる。

 愛用の品物には魂が宿るとゆー可能性。そしてそれが現実となる爽快さ。読み終えて得る心地よさには格別なものがある。これからも続く可能性がありそーでティラナちゃんがこの殺伐として喧騒にまみれた地球の都市で、高潔さを保ち続けられるのかそれとも純情さにつけ込まれて堕落していってしまうのか。その辺がちょっと楽しみ。早速この巻でも普段とは違った可憐にして淫靡なスタイルをさらしてくれたけど、次にはさらなるあでやかなスタイルを篠房六郎さんのイラストでもって見せて欲しいと期待。出来れば家政婦姿なんかが良いですねえ。

 雪の降り積む中をバスだと途中で止まる可能性もあるからと電車で「海浜幕張」まで行きそこから歩いて「幕張メッセ」で開幕した「次世代ワールドホビーフェア」を見物。とりあえず人気爆発中らしー「オシャレ魔女ラブandベリー」のコーナーに行ったら人気沸騰中で女の子とその親がマシンの前に大行列。一時の「甲虫王者ムシキング」すら上回る人気ぶりが21世紀に入ってしばらく停滞していたセガの本格的な逆襲って奴を、存分に感じさせてくれる。隣お「恐竜王者ダイノキング」もそれなりな人気ぶりだったし。

 ただなあ、「ムシキング」が4年とかかけてよーやく人気を広げグッズも売れるよーになり携帯型ゲームも売れてそれなりな市場を確保したプロセスを、「ラブandベリー」は2年くらいで消化してしまっている感じがあるし既にグッズまで登場の「ダイノキング」はそれを更に加速化している印象。次の種類次の種類と品数を増やしていっては前のバージョンの陳腐化を招き他社の参入も跳ね返せずに共倒れってのが、エンターテインメントのとりわけ業務用ゲーム機の世界での常道で、そのサイクルにはまって苦しんでいたセガがよーやく”定番”として長く引っ張れる商材を得たと思ったのに、再び同じ消費のサイクルへと陥ろうとしている感じがして心配になる。

「シンペイ」ただいま浸透中、覚えれば子供の人気者、かな?  だからこその他社に対する訴訟ってことなんだろーけど、守り維持したところで飽きられてしまったらそれまで。アニメのキャラクターが持つ強みをここに来て前面へと押し出し奪おうと躍起になってる会社もあって、今はその魅力にゲーム性で上回っているけれど、ゲーム性の上にキャラクター性を載せようとしてテレビ番組にしたり漫画にしたりしているうちに、同じ土俵の上でキャラクターの魅力を戦わせなくてはならなくなった挙げ句、相手の持つ歴史と伝統と大部数に後押しされた人気に押し流されてしまわないとも限らないからなー。そーは成らないための手はずってやつを整えているだろーと期待。でなきゃ20世紀末から21世紀にかけて、あれだけ苦しんだ意味がなくなるからね。

 会場ではバンダイのブースで「シンペイ」大会。壇上に上がって子供たちが盤を挟んでころころと駒を転がしている光景を見るとあれでなかなか地道に浸透して来ているのかも。開発者の高橋さんがきらびやかな衣装を着て解説したり指導したりしていて、しばらく後では子供たちを相手に100人抜きに挑戦なんかしたりしていてそれなりの人気ぶり。やはり強くって見ていると40人くらいまでは連勝していたけれど、先週の大阪では2人に敗れたそーで名人といえども相手が多いと気が抜ける瞬間があるのかも。あるいはとてつもなく可愛い女の子が相手に登場して眼を奪われている隙に並べられてしまったとか。

 プレーすれば金の駒がもらえたんだけど子供に交じるのは恥ずかしいんで遠慮し退散。「ドラえもん」とか「ソニック」とすれ違いつつ任天堂のブース前にいくと大勢の子供やどう見ても子供じゃない兄ちゃん姉ちゃんが「ニンテンドーDS」を広げてブースを取り囲んでいる。どーやらブースからワイヤレスでもって「おいでよ どうぶつの森」か何かのデータが配信されているとかで、それを取り込みに雪の中を近隣から大勢が集まった模様。集まれば20歳を過ぎた兄ちゃん姉ちゃんたちが「DS」を取り出しアイテムの交換なんかを始める光景を目の当たりにしたこともあって、その人気の浸透ぶりは分かっていたけどこーゆー場でそれなりな年齢の人が子供に交じって「DS」をつついている姿を見て、改めてその普及ぶりに驚くこと仕切り。岩田聡社長はこんな光景の到来を予感していたのかなあ。していたんだろうなあ。やっぱり凄い人なのかもなあ。


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