縮刷版2006年12月旬号


【12月31日】 4年ばかりほったらかしにしてあったユニットバスを根底から洗い直してどうにか床を見えるような段階までにこぎ着ける。去年はキッチンの正常化に挑んでその余韻でどうにかレンジで調理が出来るくらいまでにはこぎ着けて、それが1年経った今もちゃんと状況を保っていられるから大晦日にはお湯を沸かしてカップの蕎麦を食べられるのが有り難いというかとっとと引っ越せというか。ユニットバスの方はお風呂で読む用に積み上げてあった漫画本とかがふやけた上に黒く輝く昆虫の冬眠状となっていたんで余程の本じゃないかぎりはまとめて処分。「ファイブスター物語」はどうせ新しいバージョンがジグジグと出てきているから別に良いのだ。

 その後で夜更けにかけて千葉テレビで放送されてた「あしたのジョー2」の劇場版をつらつら。そーかカーロス・リベラは声がジョー山中さんででホセ・メンドーサは岡田真澄さんかあ。どちらも今は……ってジョー山中さんはまだ生きてるよ、でもってシェケラベイベな内田裕也さんとニューイヤーロックを演ってるよ。岡田さんは晩年の辺り役となる「仮面ノリダー」のファンファン大佐役を目前にしてしばし沈黙していた時期か。20余年を経て良い役者人生を全うできたなあ。白木葉子役では壇ふみさんも出演。20余年が経って相変わらずもしかしてシングルライフを満喫中? 阿川佐和子さんといー文士の娘には何か憑いているのか。いるのかも。

下にジャージなどと腑抜けなことはやらない女子校生に拍手。これが少女の戦闘服なのだ!  眠り起きて新年からフランスのグルノーブルに行く中京大中京高校の伊藤翔選手の勇姿を見に行こうと電車を乗り継ぎ「埼玉スタジアム2002」に言ったらどうも様子が変。慌てて確かめたら埼玉は埼玉でも中京の試合は「さいたま駒場スタジアム」の方でそこから転戦しよーにも脚がないんでとりあえずここで負けるな中京と念じつつ、そのまま武南高校と四日市中央工業高校のこれもカードだけなら高校サッカー界屈指の試合を見物する。最初はメーンスタンドに陣取ったけれどだんだんと太陽が昇るに連れて陽射しが屋根に遮られてしまうんで、バックへと回り武南の応援席のすぐとなりに着席すると、真横を現役の女子校生たちが短いスカートから生脚をにょっきり生やして観戦中。伊藤選手を見るよりあるいは貴重にして至福の経験だったかも。しかし大晦日の完封に生脚をさらす女子校生とは何と偉大な生き物か。このパワーが世界の消費とトレンドを選び支えて導くのだ。

 試合は攻める武南に守る四中工といった雰囲気でとくに武南の17番を背負ったフォワードの松永選手が高い身長の割に器用な足技とか見せてトップに張るもんだから、四中工としてもうかうかと攻めてはカウンターを喰らうんで攻められない。得点もそんな武南の17番がするりと抜けたところに届いたボールを優しく蹴り込みインゴール。ペナルティエリア内の落ち着きぶりに大物の片鱗なかを感じてみたけど、果たしてどれくらいの著名選手なんだろー。四中工は中央で10番を背負った選手は背は低いながらもさばき時にはループ気味にミドルを放ってゴールを脅かすものの届かず武南キーパーの攻守もあって得点できず、そのまま前後半を終えて武南が無難に(と早野なら言うだろーなー)1回戦を突破した。ってことはまた埼玉で試合か。生脚が見られるのか。行こうかな。

 いやいや1月2日こそは伊藤翔選手を見に行くんだと意気込んでいたら何と。負けてやがんの中京大中京。どーやら1人退場者を出してしまい攻め手に欠ける中を立てに入れて伊藤選手に預ける形にしていたよーだけど、1人で何とかなる程の甘さは相手の広島皆実にはなかったよーで無得点のままPK戦へと入り敗戦。そして伊藤翔の日本での試合はこれで終わった。次に見られるとしたらワールドユースに向けた壮行試合が仮に日本国内であった場合だろーけれど、その際に伊藤翔選手が呼ばれるって保障もないからなー。やっぱり見ておけば良かったかな。いやいや生脚に勝る伊藤翔無し。しょせんはその程度の選手だったんだとここでは思い、悔しさをフランスにぶつけてレギュラーを取り、1部へとチームを引き上げそのままプレミアでもリーガでも引き抜かれてスターとなり、チャンピオンズリーグを制して日本でやっぱり開催されてるクラブワールドカップに来てくれる日を信じて待とう。何年後だよ。

 終了後は埼玉高速鉄道から南北線経由で丸の内線に乗り継ぎ新宿へと回って紀伊國屋書店で桜庭一樹先生のサイン会に向けた告知ポスターの麗しさを眺めつつ、喫煙具のカガヤへと向かい好例になっているジッポ福袋を買ってみる。別に煙草は吸わないんだけれど時にとてつもなく高額のジッポが入っているかもしれないと店頭でそそのかされて以来、3年だか4年だか連続で買っているんだけど未だ何万円とゆージッポにはお目にかかれない。それでも去年は2006年だっつーのに2002年の日韓ワールドカップの時に作られた記念ジッポが入ってて、サッカー好きとしてはまあ満足な内容だっただけに今年は何がと期待しつつ開けたらジッポはともに7000円から8000円くらいの定価で1つはアルファベットが刻んであって価値不明、もう1つはブルーのチタンコーティングでこいつはなかなかに格好良い。

 あとはガスライターに灰皿に良クロスのシャープペンシルにカレンダーとそれからナンバープレート風のジッポの看板が1枚。袋物系がなくポーチが欲しかった身としてはそこが残念ではあったけど、5250円でまあそれなりに楽しめる内容だったんでこれはこれれ福もあったと納得しておこー。とはいえ煙草は吸わず過去に買ったジッポも溜まっているんでとりあえずは使わず鞄にでも放り込んでおいて誰か会う人がいたら押しつけよう。ちなみにこの年末年始に1人じゃなくって誰かとどこかに行く予定は全くなく、それどころか向こう半年の間に仕事以外でどこかに誰かと出向く予定は皆無だったりするんだけど。こーゆーのを“動的引きこもり”って言うのかな。まあそんなもんだってことで良いお年を。


【12月30日】 大昔に読んだ記憶のある神無月ふみさんの「トラブる×トラベる」(ジグザグノベルズ、998円)が面白すぎ。読めば上海蟹の選び方とかイタリアでの列車の乗り方とか、パレオがタヒチの民族衣装だって知識とかが得られて世界観光に役に立つって意味での面白さももちろんあるけれど、それよか面白いのはやっぱり出てくるキャラクターたち。主人公の1人の片倉勇輝は薬局で働くアルバイターで仕事は棚の欠品の補充係。ってゆーか忙しくなれば当然レジも打たなくちゃならないんだけど当人はそれが大っ嫌いでとにかく棚の空いたところに品物を補充して真っ平らに整った形にすることに生きがいを感じている。

 そんな不思議な青年のところを尋ねてきたのが自衛官の三尉とゆー女性の藤堂麻衣子。新米でとりたてて特技がある訳でもないのに突然政府の何か得たいの知れない仕事をしている男から仕事を命令されて、勇輝といっしょに世界を回っては、ゾディアックとゆー遺物を回収して歩く羽目となる。とにかく堅物で裏も表もない正確で、優柔不断にもぐずぐずとする勇輝をどうにか引っ張り出してはまず香港へと飛ぶんだけど、実は勇輝が不思議な能力の持ち主で、政府の陰の仕事をかつてこなしていたエキスパートだとは知らない麻衣子ちゃん。気軽な旅だと信じて香港では上海蟹を食べるのだと意気込みガイドブックを片手に品定め。そんな彼女を横目に勇輝はゾディアックが補完された博物館へとしのび込んで無事に奪取するものの、そこに不思議な力を持つ少女と少年が現れ勇輝と麻衣子に挑んできた。

 武器を使わずに破壊する力を駆使する少年と少女はいったい何者? そんな2人と関わりがあるような言動を見せ自らも不思議な力を発揮する勇輝の正体は? といった謎から物語は、イタリアへタヒチへ中東の内戦が続くよーな国へと飛んで回っては、ゾディアック集めとそれを奪おうとする謎の組織との対決をこなしていく勇輝と麻衣子の活躍が描かれる。最初はその裏も表もない堅物ぶりで任務に選ばれたと覆われた麻衣子ちゃんにあるらしー謎とか、再会を果たした勇輝ことクリストファーとかつて所属した組織の親玉アンドリューとのこれからとか、興味をかきたれられる部分も多くて続刊でその辺りがどう描かれるのかがとりあえず楽しみ。

 それ以上に楽しみなのは、香港ではパンダのTシャツを着せられ、イタリアではラザニアを食うのだと意気込んだものの果たせず、これまら3色にイタリア半島が染め抜かれたスウェットを着せられお上りさん色丸出しにされられぶつぶつ良いながらも僻まず真っ直ぐに仕事をこなそうと頑張る麻衣子ちゃんのこれから。最初はただの怠惰でいい加減な男だと思った勇輝の苦悩を知り、一緒に上海蟹を食べに行くよーになってもそうはその堅物ぶりが直るものでもない。相変わらず倉庫で段ボールを並べて悦に入る勇輝に舞い込む新たな任務に引っ張り出され、辟易としつつも共に行動をしながら今度は何を食べようと願っては、果たせず落ち込みなおかつ勇輝に堅物ぶりをからかわれ、地団駄を踏む可愛らしい姿を見せて欲しいもの。是非に続きをお願いしますと神無月ふみさんに、叩頭。

 来年早々に来る年間総括原稿で何を取り上げるのかを確認しに池袋の書店まで出向いてあれやこれや観察。家のどこかにある本が当然ながら出てこないために毎年行っている行動で、これするたびに広い部屋に住みたいものだと思うものの住んだら住んだでやっぱり本に埋め尽くされるのだけだから結局は年末の本屋詣でをするんだろー。つでに3階の自由価格本のコーナーへと上がったら舟越桂さんがNHKの「新・日曜美術館」に出演した時の映像で放送されなかった分も含めてロングバージョンで収録されたDVD「舟越桂(語りかけるまなざし)」が3800円の価格のところを1100円で出ていたんで即購入。床屋さんの跡地をアトリエにして人間の半身を刻み続ける舟越さんが「東京都現代美術館」で開かれた展覧会のために作品を作って頃に収録しされた番組で、あの彫刻を仕上げる上でどれだけの思索と作業が積み重ねられているかが分かって面白かった。DVDにはテレビでは見られなかった作業や紹介されなかった作品も納められているのかな。帰って見よう。時東ぁみさんのお芝居DVDとか見た後に。

 郵便局へと出向いて届いていた「涼宮ハルヒの憂鬱名場面線画集・凹巻」を回収。名作との誉れも高い「ライブアライブ」の回も収録されててバニー姿でギターを弾くハルヒのカットも収録されているけどそれ以上に注目なのは同じ回の終盤で、中庭の芝生に寝ころんでいたハルヒに近づいていったキョンに対してハルヒがむっくりと起きあがり、芝生をちぎって投げつけたら逆風に吹かれて自分の顔に芝生がまとわりついたって場面の線画。スカート姿で立て膝をしたハルヒのポーズがテレビでは都合よく脛のあたりから下がカットされていたけれど、線画ぎゃあテレビの枠から外れる部分もちゃんと作画してつまりは見えるのだ。テレビでは見せてはくれなかったアレが。もちろんモノクロの単なる線に過ぎないんだけれどそれがキャラクターという属性を持って眼前に現れた時、脳内には線が布となり中に血肉が現れ体温とともに網膜を差す。うーんいい仕事をしているぞ京都アニメーション。この1枚を見るだけでも買って正解だった。有り難う。

 シーア派の住民148人を殺害したことが「人道に対する罪」であり、その死をもって購わされるのならば、正当性なき空爆と占領によってイラクの兵士と民間人を大勢殺害したことは、いったい何の罪として裁かれそしてどんな刑に処せられるべきなのだろうか。結果として独裁がついえて救われた人の大勢いるだろうことは否定しない。けれどもだからといってそこに至る過程で失われ、またこれからも失われるだろう人命の多きことを思うと、容易には受け入れられない程のバランスの悪さを持った処遇だと言えるだろー。

 真正面から敵として戦い降伏させた後に、その国のトップを処刑することなく生かし続け、安保の傘にその国を入れて従え続ける余裕をかつて見せた国にしては、どうにも拙くて後味の悪さを残す処遇ぶり。トップを敬愛する国民がほとんどだった国と、トップが忌避されていた国との違いがあるとはいえ、治安を保持し戦乱を抑え立て直すためにはあるいは生かし続けるとゆー選択もあったかもしれないのに。防共の砦としたかったこの国に比べて、彼の地への執着がそれだけ薄いってことの現れか。ならばなぜにあそこまで事を急いで攻め入ったのか。

 唯一の超大国として繁栄を謳歌するなかで緩んでいた気風に刺さった槍が、パニックを起こして突っ走ってしまったんだろーか。例えるなら富士川での平家軍みたく。そんな自滅的な突っ走りをこれからも超大国の号令のもと繰り広げられ、そこに巻き込まれるどころか共に突っ走る極東の島国が、向かう先は壇ノ浦での共倒れかそれとも、盾として槍を受け使い倒されるだけのデコイか。世界って奴を見渡し未来って奴を見通す目を持つ賢人よ、何処に。


【12月29日】 ちょー日テレ・ベレーザ! トーナメントの準決勝が行われた全日本女子サッカー選手権大会で湯の郷Belleを相手に戦って0対1で破れて決勝進出を逃した模様でこれで川上直子選手も引退が決定。晴れの雄姿(雄じゃないけど)を古巣のTASAKIペルーレ相手に国立競技場で披露できないのが残念と言えば残念だけど、同日開催の男子の天皇杯が浦和レッドダイヤモンズ対ガンバ大阪とゆーどっかで見たことあるよーな決戦になってチケットも取れず行かれないんでどっちにしたって見られなかった訳なんでまあ仕方がない。ともあれお疲れさま。あとはなでしこリーグの覇者と全日本の覇者が戦うなでしこスーパーカップ(開催されるのか?)でのベレーザの雪辱に期待だ。川上選手の引退セレモニーとかやって欲しいよなあ。

 宅配便が届くのを待って家を出て船橋駅の下にある「船橋ラーメン横町」の1店舗「青葉」でつけ麺とやらを食べたらなんだやっぱりつけ麺ってスープはそれなりに温かくっても麺が醒めているんで、食べる時には普通のラーメンとは違ってひんやりするんだなあと妙に納得。冷や麦素麺みたいな冷たさではないけれどラーメンのよーな熱々感はないってところがなかなかに微妙。なおかつ汁は普通のラーメンよりやや濃いめに出来ているからあとで蓮華ですくって飲み干す訳にもいかなさそー。急いでいる時にかき込むのには良い食べ物だけどふうふう良いながら麺をすすりスープを飲み干す満足感は得られないのがやや残念。うーん不思議な食い物だ。ほかに「六角屋」と「匠屋」と「くにがみ屋」があって「六角屋」以外は全部入った(くにがみ屋が来る前に入っていたちばぎ屋は行かなかったなあ)んで残る「六角屋」で海苔ラーメンを食べよう明日にでも。

 んでもって「東京ビッグサイト」で開幕中の「コミックマーケット」へと向かいとりあえず読売の福田さんの島へと行って買ってそれから裏側に回ると小川びぃさんがいたので挨拶して夏コミん時から売ってた「時かけ」大宣伝大座談会のリーフレットを頂戴する。多謝。つか「時かけ」は「東京アニメフェア」であった発表会をそれこそ100行近い記事にして載せたことがあるんだけれど如何せん媒体力に乏しくって上映に当たっての何の助けにもならなかったし、配給側から何かしてよって話もまるでなかったのが哀しいというか寂しいというか。メディアってなぁ影響力を持ってこそだと深くしみじみ痛感。んでもって西館(にし・やかた)へと周りコスプレ広場へと上がる階段で「銀河英雄伝説」だか何かの集団が前を上っていてみんな女の子で白いスラックスで揃えていたんで透けるとゆーか線が浮き出るとゆーか。白いの履くときはバックはTにして下さいなと心で叫ぶ。でもちょっとは嬉しい。何のこっちゃ。

 西館では企業ブースを散策。通路が広めな東館とかに比べて狭いスペースに100社以上がひしめく関係で通路が人でぎっしり。出始めの頃は何だよコミケに企業ブースなんてって意識もあって寄りつかない人もいたのかもしれないけれど今じゃあこっちばかりをメーンで来ては3時間4時間を並んで過ごして買ってそれでお帰りって人もそれなりにいそーだからなあ。かといって「東京キャラクターショー」みたいな単独イベントになると今度は出展企業がぐっと経るのは、イベント側と企業側の間のどこかにマッチングのまずさがあるってことなのか、それともコミケの集客力がそれだけ凄まじいってことなのか。ぱぱっと見たところでは「ハルヒ」に「カノン」の効果か「京都アニメーション」のブースに凄まじい行列が。何年か前に出ていた時にはオリジナルのアニメとか手売りしててもまるでお客がいなかったのに、この違いはいったい何だ? 頑張れば報われるってことなのかそれとも技術よりキャラに目が行ってるだけってことなのか。思い出した京アニから設定画集の後編が郵便局に届いてたんだ取りに行かなきゃ。人のこと言えません。

 あとはジェネオンが凄まじかったなあ。アニメレーベルの「ロンドローブ」で出展していたから最初は気付かなかったけど、近寄って見てこれがそうかと認めそして眺めると京アニに負けない長蛇の列で近寄ることすら諦める。従って何が売られていて何が人気だったのかは分かりません。「BLACK LAGOON」ってことはないよなあ、美少女系で何か取り扱っていたっけ。ちなみに「ブラクラ」は小学館のブースでレヴィとロベルタが描かれているクリアポスターってのが売られていたけど今さら買っても飾る場所がないんでパス。ちょうど出そろったDVDの第1期をまとめて買うとパーカーがもらえるってプレゼントもやっていたけどその程度で再度買い直すのも阿呆らしいんで見送る。ソードカトラスくらい付けなきゃね。あるいはロベルタの振り回していたショットガン内蔵パラソルとか。

 でもって退散して電車を乗り継ぎ有楽町へと回って「ビックカメラ」に何の気モナしに寄ったらそこで「ニンテンドーDS Lite」の販売に遭遇してとりあえず並ぶ。ノーマル版の「DS」は実家に送りつけてしまって今手元にちょーどなく、でもって来年の「ドラゴンクエスト9」の発売に合わせてどーせ買うだろーと思っていたんでそれが1年(で済むのかなあ?)早まっただけと思えば気にならない。「株トレ」もやってみたかったし。整理券代わりの購入既望用紙をもらうことになっててその時に色も選ばなくちゃいけなかったんだけど迷わずノーブルピンクをセレクト。だってほら、ノーブルって響きが良いじゃない、お米がないならパンを食べれば良いってゆーか、そんな高飛車な響きが高邁にも高踏な独身貴族を貫く我が身に相応しい。言ってて虚しい。

 虚しさついでに誰からもどこからも忘年会とか新年会とかクリスマス会とかお誕生会とか結婚式とかにお呼ばれしない年末の身を叱咤しつつ秋葉原の石丸電気へと出向いて時東ぁみさんの夏に行われたお芝居のDVD発売に関連したイベントを見物。まずは参加券をもらいそれを入場整理番号付きの券に引き替える必要があって時間に再び石丸前を訪れたら後ろが見えないくらいの長蛇の列が。それで最後についても後にまだまだ人が並んで結局は300人近くが来たんだろーか。「GEISAI」とかでイベントをやった時でもそれ程までには集まっていなかったのに、高いDVDでもかくも大勢が集まるほどにぁみにぃ人気も急上昇中ってことなのか。凄いなあ。これからどこまで行くのかなあ。折角だからとイベント終了後に3月に開かれるライブのチケットも購入、って行く気満々じゃん。後厄の癖して。

 イベントでは唄われたのは2曲だったけど、ぁみにぃとそれからお芝居で競演していた「THEポッシボー」ってゆーか「ハロプロエッグ」のうちの3人が来場して踊ってそれからトークもしていて、リアル中学生も混じった面子の若々しさに打たれ来て良かったと涙にむせぶ。さらには握手会の時にも3人は一緒に並んで握手をしてくれたから感謝感激。だってリアル中学生だよ、14歳だよ、下手したらそれくらいの子供がいたって不思議じゃない後厄だよ、そんな娘たちと直にふれ合えた訳で忘年会で飲めない酒を飲むより100万倍くらい、有意義な時間だったって言えそー。健気にもぎゅっと握って「また来てください」「応援してください」と言ってくれた彼女たちに免じて明日も石丸で行われる「THEポッシボー」のイベントを覗いてみよーかと思っている不惑過ぎ、後厄、鳥の調教師にしてパン工場の労働者であった。3人だとあっきゃんこと秋山ゆりかさんが憮然として辛辣なぷちこ的妹キャラっぽくって好まれそー。横顔とか綺麗で将来性有望。でも肉付きだとはしもん橋本愛美さんもなかなかだったかな。もちぁみにぃは別格で。


【12月28日】 フィーゴ先生はマニア待望の名古屋グランパスエイト入りは適わずサウジアラビアのアルイテハドへと参られた模様で、チャンピオンズリーグを戦いセリエAでも首位を走る好調さの最中に何でまた、って気もしないでもないけれど、それだけにフィーゴ先生1人が抜けても好調を維持できるくらいの戦力が整っているってことなんだろー。筈か半年の移籍ながらも何億円とかの大金をせしめてインテルもフィーゴ先生もひと儲け。どうせだったらそのままアジアチャンピオンズリーグも戦って来年のトヨタカップに日本開催だったら出場して欲しいよなあ。その辺りってどーなってたんだっけFIFAのルールは。インテルもチャンピオンズリーグで優勝したらどっち側で出場するんだろ?

かつてチームメイトで今はライバルでなでしこジャパンの両翼でロナウジーニョにハワイだった2人の激突ももう見られない  右サイドでの縦横無尽の駆け上がりから正確で素早いクロスを放り込んでは得点につなげる活躍を見せてくれていたハワイさんこと女子サッカーの日テレ・ベレーザに所属する川上直子選手が引退とか。今期のなでしこリーグでだって存分に出場しては右サイドで良い連携を見せて攻め上がり、最後は優勝を勝ち取る活躍を見せていたんだけど歳も歳ってことで体力的に限界が来ていたってことなんだろー。日本代表の方も大橋浩二監督になってからは4バックの右に安藤梢選手が入って川上選手は呼ばれなくなっていた。これでベレーザでも中地舞選手とかサイドで速くて強い選手とかいて、メニーナから若い選手も出てきて出番も薄くなる所で、知名度的にもピークにあるこの時期に引退ってのが後の人生考えるとベストな判断だったってことになるのかな。

 ライバルで西の強豪のTASAKIペルーレから移籍するってゆー、この業界ではあんまり見ない動きを見せたあたりから、当人としてもライフプランを立てて引退後はメディアの仕事に就きたいって考えていた節がある。明石市出身でTASAKIペルーレ入りとゆーバリバリの関西キャリアであり、社員選手としてそれなりに身分保障をもらいながらも居心地の良いそっちに身を没することなく、東京へと出てきて居候しながらサッカー選手を続けて来た向上心はやっぱり並じゃない。この4月からはマネジメントをホリプロに任せていたってのも引退を考えてのことだったみたいで来期からさて、どんな活躍を見せてくれるのかにまずは注目。とりあえずはメキシコとのワールドカップ出場をかけたプレーオフの解説かなあ。かつて戦ったアステカスタジアムまで乗り込んで行くってのもありか。流石に芸能人女子フットサル入りはないよなあ。

 とりあえず前出過ぎ。織田兄弟によるHJ文庫からの新刊「ハカナさんがきた!」は胸元もざっくりと開いている上に前へとどばんと突きだしているものだから谷間も深く切れ込んだ美女が表紙でまずキャッチー。でもってそんな美女が突然ずかずかと入ってきては首を絞めて落としてくれるとゆー被虐家にはたまらない展開で心をグッと引きつけられる。目ざめると美女はトイレからザアザアと流れる水を飲み、置いてあったカレーパンを囓る傍若無人なのか物知らずなのかは分からない振る舞いで主人公の少年を驚かせる。いったい何者? どーやら3カ月前に死んだ父親の研究が関わっているらしい。

 おまけにハカナさんと名乗ったその女性が写真に残された自分の母親にそっくりだとゆーから悩ましい。加えて父と母と子の3人が仲良く写っているその写真自体にも秘密があっていったい何がどーなっていて、どれが真実なのかを見極めていくって展開の中に世界で起こる異形の力を取り込み何かを作り上げようとする陰謀も絡んで興味をそそる。が、やっぱり鍵は世の中の常識も何も知らないで振る舞うハカナさんってキャラクターか。傍若無人な幼いキャラならメロンパンを囓るアレとかいるけれど、前にドーンな大人のキャラはライトノベルの世界ではちょっと珍しいんで年上好きなのにそーゆーのがないと嘆いていた方々を集めて人気を呼ぶかも。

 そして待望の第2巻が出た神野オキナさん「うらにわのかみさま2」(HJ文庫)は神様たちが乗るアマノウキフネが英国生まれの幽霊船に奪われる事件が起こって神様たちは大慌て。北から蛇神さまと組んで和風の美少女が沖縄へとやって来ては虎神さまと組む垣華ユウといっしょに北から南進してくるアマノウキフネを奪還するべく戦いに臨む。そこに邪魔に入ってアマノウキフネをかっさらおうと企む猫神さまだったけど、使っていた模型のドイツ兵たちが英国の幽霊船に捉えられてしまったことから敵である虎神蛇神と共闘することに。そんな猫神と組む少年でユウを虎神さまのパートナーとは知らずほのかに心をよせる山内霧人も絡んで方や淡い恋のドラマ、こなたバトルモードとなったユウと霧人の闘いが繰り広げられる。

 それにしても相変わらずに沖縄料理が美味しそうな物語。ステーキってのはそうか蛇神さまがここに来たなら絶対にって言うくらいに、東京なんかとはやっぱり値段も味も大違いなのか。食べたいなあ。あとは模型生まれなのにしっかりと軍人魂を持って闘うドイツ兵たちの爽快さ明晰さって奴か。玉砕も覚悟で霧人たちを逃そうとしながらも諭され生きのびろと言われ納得し状況を冷静に判断して無事に霧人たちのもとへと還っていく。吶喊して玉砕して涙涙のウエットな展開がたまらなく鬱陶しい人にとってこーゆー頭の良い展開は読んでストレスなしに読めると受け入れられそー。狭霧の運転ってのはどれだけ凄まじいんだろー。ゆかり先生以上なら、虎神さまが怖がっても仕方がないねえ。


【12月27日】 遅ればせながら録画してあった「乙女はお姉さまに恋をする」の最終回を見る。まとまってるねえ。男子が女装してお姉さまとして讃えられながら女子高で生活をするってもはや目新しくも何ともない設定のお話のどこが人気なのかと最初は半歩引いていたけど、瑞穂ちゃんに最初は反発しつつも内心では憧れていた貴子さんとの話を軸にもっていくことでギュッと引き締まった話になって、おかげで謎めいた紫苑さんはずっと謎めいたまんまで終わってしまった。髪の毛を体に巻き付け達磨になってくれると思ったのに。絵も綺麗でキャラクターも可愛くてエンディングは最高でアイキャッチもBパート入りの所が楽しくって毎週をニマニマしながら見られたこの秋スタートでは珍しくちゃんとリアルタイムで見たアニメ。ノンテロップエンディング付きってキャッチに惹かれDVDを買ってしまいそーだよ。買うだろーなー。

 でも2月に出る「半分の月がのぼる空」のドラマ場のDVDボックスも買わないといけないからお金がないよう。そのふくよかな顔立ちで里香とあんまり思われなかった石田未来ちゃんと茶髪で軽薄なところが裕一っぽくないと非難囂々だった橋本淳さんとでどうなるかって心配も浮かんだ(そればっかり)けれど、始まれば命の瀬戸際で諦める方へと傾いていた里香が裕一との交流を通じて心を澄ましていく様がちゃんと描かれていて、そんな里香の姿にまず確実に自分より先に逝ってしまう里香であっても守りきるんだと心を固める裕一の葛藤から確信へと向かう様も伺えて、小説で読んだ感動を同じくらいに味わえた。夏目はともかく亜希子さんのあの脚がもう見られなくなると思うと残念。なのでやっぱりお金はないけど頑張ってDVDボックスを買おう。「ガンダム箱」の後編を買って足せば石丸のポイントでまかなえる、かな。

 月内で消滅する「アキハバラデパート」の「伊呂波」で土曜日のとり丼に続いてカツ丼も食べてその伝説に浸る。ってもまあ別にそれほど美味って訳じゃなく良が凄いって訳でもないけどひたすらに真っ当な味でおまけに480円とゆー安さは、秋葉原に来て飯をかっこむ上で重要なポイント。それを叶えてくれた店が消えてしまうことに改めて寂しさも募る。次からどこで何を食べれば良いんだろう? UDXの「秋葉海岸」のカレーも悪くないけど遠いからなあ、ブリッジ超えて行くには。かといって「ゴーゴーカレー」もちょいここんところ飽き気味で。普通に「ヨドバシカメラ」の上の「ペッパーランチ」にしておいくか、綺麗だし広いし。

 その足で「石丸電器」のソフト館へと回って「BLACK LAGOON」のシェンホアがジャケットの巻とそれから「アメイジングナッツ!」ってゆーオサレなDVDを購入。「BLACK LAGOON」はこれで第1期が終了だけどほぼ続けざまに第2期へと入っていってくれるみたいなんでとりあえず嬉しい。早く合いたいよ双子に。「アメイジングナッツ!」はエイベックスに所属のアーティストとスタジオ4℃のコラボレーションタイトルで、いかにも4℃って感じにスタイリッシュなアニメがおそらくはエイベックス的なアーティストのヒップでホップでダンサブルな(言ってて意味不明)曲に付けられ動き回るんだ。海外受けはしそー。でもアニメファン受けは? いやいやそーしたコアな市場じゃない所で、スタイリッシュでクールでキュート(言っててやっぱり意味不明)なアニメが受け入れられる素地が出来ているんだ。だとしたらきっとそーゆー人は秋葉原じゃあ買わないよなあ。「攻殻機動隊 ソリッドステートソサイエティー」の豪華初回限定版を新宿では品切れに遭遇し秋葉原じゃあ今も見かけるのもそんなギャップの現れか。アニメも拡散してますねえ。

 今度は実篤か野村美月さんの「“文学少女”と繋がれた愚者」(ファミ通文庫)は遠子先輩に誘われ学園祭で演劇をすることになってそこで武者小路実篤の「友情」を舞台化することになったんだけど集められたメンバーのうちの芥川一詩って男が端整な顔立ちと冷静な立ち居振る舞いを見せながらもどこか妙。更科さんって可愛らしい子に彼氏だと思われているんだけと当人は避けている節があっておまけに芥川の周りで本が切り取られ兎がいなくなり対には学校の先輩が刺される事件も起こってしまう。それもこれも芥川が小学校の時に起こした誤解と親切心が生んだ悲劇が原因? 進むうちにすれ違う気持ちが生んでしまった哀しい出来事が判明し、そーした心のもつれを遠子が舞台の上から演劇になぞらえ諭し導く様が描かれる。感動的。

 しかしそんなエンディングのラストに突きつけられる畏るべき真実。主人公でかつて人気作家と呼ばれつつ2作目を出せず沈黙して今は遠子の使いっぱしりをしている井上心葉にまつわる過去がリアルな形で浮かび上がって来る。次はいよいよ心葉自身の過去との戦いか。そこに“文学少女”はどんな文学で立ち向かうのか。楽しみ。初期から楽しく愉快な話を書いて書きまくってライトノベルのファンでも一部に指示されていた野村さんだったけど(「Bad Daddy」なんて超最高なのに)、この「“文学少女”」シリーズでティーンのみならず元ティーンの青春サイコロジカルなライトノベルを好む若い人たちにも一気にファンを広げた模様で善哉。そんな新しい人たちは是非に戻って読んでね「うさ恋」。おもしろい、ぞお。


【12月26日】 京都にあるお豆腐みたいに真四角なビルのすぐそばにある「ローソン」で拾った萩原玲二さんが作画を担当した漫画版「パプリカ」の1冊本を読み込む。おおエロい。このエロさは筒井康隆さんの原作どおりと言えば言えて是非に巨大なスクリーンで官能に悶えるパプリカちゃんを見てみたかったけれおd、もしもそのままアニメーションになっていたらきっと18歳以上じゃなきゃ見ちゃいけない作品になっただろーから仕方がない。まあアニメ版もあれで股ぐらから皮をひっぺがされるパプリカとか、最後のシーンで街に立つ千葉敦子がなかなかに麗しかったんでそれで精いっぱい、頑張ったんだと理解しよー。

 人数を減らし役柄もいじって圧縮しつつテーマは維持した今敏監督のアニメに対して漫画版は展開もキャラクターも原作のまま。警察でも中堅幹部クラスを主軸に据えたアニメとは違って自動車会社の重役に警察の重鎮といった面々が出て来ては、パプリカによって助けられその恩をパプリカと千葉敦子の危機に返そうとする。バーのマスターとバーテンもネットの中だけの存在じゃなく、リアルな存在として登場しては夢を暴走させて世界を混乱させようとする乾たちの陰謀に立ち向かう。クライマックスの部分は妄想が溢れだし流れ出して爆発する本編をなぞってか、漫画として筋をコマ割りによって描いていく手法を諦め筒井さんの原作を文字でページに散りばめつつ象徴的な絵を当てはめ、それを積み重ねていく感じで一気呵成に描き上げる。

 1読では意味が掴みにくいけど2度3度と繰り返すうちに見えてくるストーリー。きっと連載中は読んでいて意味分からないって人も多かったんだろーなー。ってか連載ってちゃんと最後まで描かれたんだっけ。単行本の1巻は買ったことを覚えているけど最終回を読んだって記憶が実はなかったりするんだよね。調べたらやっぱり途中で中断となって英知出版から単行本が出た時に100ページくらいが描き下ろされていたみたい。最後のドライブ感はこんな所にも理由があるのかな。その単行本も今は店頭で見なくなっていたから、こーして映画化に合わせてコンビニ向けのザラ紙本ではあるけれど、廉価版として復刊したのは有り難い。英知出版よありがとう。「楽勝! ハイパードール」なんかを買って支えて差し上げた効果もちょっとはあった、かな(ないない)。

 いやあ凄い。やっぱり凄い。ブラジル出身の名選手で引退後もさわやかなサッカー教室を全国各地で開いた功績を讃えたい気はあっても昨今のいたずらに挑発するよーな根拠の乏しい言動が妙に鬱陶しい爺さんだって、こいつを読めばその凄さが分かるってもんだよサッカー日本代表監督のイビチャ・オシムに対する「週刊文春」2007年1月4日・11日特大号に掲載のインタビュー。例えば欧州に行きさえすれば讃える風潮に対して「本物のサッカー選手になるにはちゃんとプレーすることが必要だ。なのにリザーブに甘んじてプレーの機会が得られず、毎年クラブを変えねばならない。中田英寿もそうだが、最後にはもういい、これで充分ということになってしまう」と日本メディアが筆頭に持ち上げ讃える人物からまず俎上に載せて実状をクールに指摘する。

 インタビュアーの田村修一さんが多分分かって敢えて「たとえ成功しなくとも、ヨーロッパで経験を積むのはいいことではありませんか?」と水を向ければ答えて「それは否定しないが、どういう経験かと考えてしまうよ」と即応。そして「大久保嘉人はスペインで1年過ごしたが、あまりプレーしなかった。彼は何を得て日本に戻ったのか。日本の監督もそれを分かっていて、彼はセレッソでも常時出場していない。つまり日本でもスペインでも、監督は同じ評価を下しているわけだ」と“海外組”なんて言葉が持つ意味の無意味さを明確過ぎる例を挙げて説明してくれている。こりゃキツいよなあ。でも事実だしなあ。

 「日本人の礼儀正しさ」についてもこんな洞察を。「そうした礼儀正しさの背後に、何かが隠されているようにしばしば見える。それを見極めない限り、本当の会話は成り立たない。言葉の後ろで、実は別のことを考えている」とはまさしく本音と建て前を使い分ける日本人の特質への指摘で、それを来日して3年のサッカー監督が理解し語ってしまえるとは、よほど観察力に長けているのかそれともそーした典型に身近に接した例でもあるのか。祖母井さんじゃないとしらたあの辺りか、犬の社長とか三本足の烏のキャプテンとか。あり得るなあ。「私は住もうが好きでときどき見に行くが」とは初耳。佐藤勇人選手は知人の力士がいるからよく見に行くみたいだけどオシム監督がいったらその場でスカウトされちゃうよ。だってデカいんだよ朝青龍よりも。

 しかし外国人力士の大勢いる相撲を例に挙げつつ「伝統を遵守しようとすれば完全に孤立する。他人とともに生きる気があるならば、それではうまくいかない。サッカーや野球で世界に出ていくならば、他人との交流は不可能だ」って語り台頭するアジア各国の経済状態に言及し国際化するアジア各国のサッカー状況について触れボスニアをはじめとした政治状況にも目を配る。そんな人物が意固地だからとかいった理由で欧州組を呼ばなかったりノルマがないからといって気を緩めたりするはずがない。常に何かを考え目的を定めそれに向かって進んでいる。そのことを知ろうともせず想像すらせず気に入らないからと断じるサッカー人たちの魂の貧困さが寂しい。そんなサッカー人たちを言論の代表格として祭り上げるメディアの貧困さも。「すべてを正常に働かせるために、われわれは努力している」のに「正常な状態というのは、ファンやメディアにとってもあまり面白いものでもない」ため異常さを作り出そうと騒ぎ暴き火を着ける。そんなメディアを永遠に沈黙させるためにもオシム監督、買ってくれ、2010年に、南アフリカで。

 その時は網走にいて、大学の同級生達と北海道を10日間ほどにわたって回っている途中で、宿に戻ってテレビをつけたらジャンボ機が落ちたというニュースがやっていて、坂本さんという有名人が乗っていたという話が出ていて、誰なんだろうと想像していたら坂本九さんだと分かって驚いた。それからしばらくして事故の全容が分かってきて、残された遺品の中から家族にあてたメッセージがしたためられたメモ帳が見つかったという話が伝わってきて、揺れるジャンボ機の中で書かれたメッセージから浮かぶ無念さと、そして家族を思う優しさに打たれて涙した。メッセージこそ残さなかったけど、同じように様々な思いを抱いて散った520人の心が浮かんで打ち震えた。

 JR尼崎線の脱線事故はあまりに突然だったために、携帯電話から発信されたメールとして遺された言葉は事故とは無縁の日常的な言葉だったけど、それだけに日常が突然に断ち切られる恐ろしさと、そんな恐ろしさを生きて味わう遺族の人たちの心に思いが及んで息が詰まった。この2つの大きな事故に限らずあらゆる事故や事件やそうではない自然の死であっても、逝く人の心と遺される人の心の有り様を思うと胸が痛む。いつか来るだろう身近な人の死、そして必ず訪れるだろう自分の死。それらがもたらす寂しさと哀しさ。だから不思議だ。他人を殺め他人を貶めて平気な世界の有り様が。故に読んで考えて欲しい。大井昌和という人の描いた「流星たちに伝えてよ」(幻冬舎コミックス、590円)が描く無念さの痛み、争う無意味さ、信じ合う喜びを。

 月へと人類が旅行できるようになった時代。月から地球へと向かっていた宇宙船が墜落した。その破片が散って大気圏へと突入して燃えて出来た流れ星を見て地上では、他人を殺めた青年が子供の頃に遊んだ友人の過去を懐かしみ流れ星に未来を夢見る言葉に感じ入って過ちを認め、学生時代に学んだ女教師の女としての表情に直面してそれが心に残っていた今は教師になった青年の生徒への接し方を変え、民族間で戦争状態にあった国では流れ星の破片が民族の違いを超えて通じ合った幼い2人の哀しい姿を世界に伝えて戦争を終わらせるきっかけを作った。流れ星のひとつひとつに込められた、流れ星にならざるを得なかった人たちの思いが、地上で大勢の人たちに繋がって、続いていく様にまず感じ入った。

 とどめが墜落した宇宙船で起こった数々の出来事。もはやこれまで。ひとしきり騒ぎわめいて諦念いたどりついた乗客は、思いをジャーナリストが持っていた紙にしたためスーツケースに封印し、みなでその周りに重なり合って燃えて消えるのを防ごうと頑張る。自分たちの思いを残したい。愛していた人たちに伝えたい。そんな感情が画面から溢れ出てきて目を湿らせる。そうして守り抜かれた乗客たちの遺した言葉たちが、結果として民族紛争を終結させ、今また巡り回ってジャーナリストの娘のわだかまりをとかす。涙。ただ涙のラストシーン。まるで知らなかった漫画家だけど、このシーンひとつでファンになった。3カ月連続刊行とのこと。リリカルな話しばかりじゃなさそーだけど、ちょっと注目して見ていこう。


【12月25日】 クリスマスイブの夜を京都駅前のアパホテルで1人「明石家サンタ」」を視ながら近所の伊勢丹で買ったチキンをかじり麒麟のブラウマイスターを飲んで過ごすのは、果たして八木亜希子さんに鐘を鳴らしてもらえるくらいの不幸なのかそれとも極楽なのか。どーせアパートにいたって1人でなおかつ暖房は効かず本が山積みで手足すら伸ばせない窮屈な状態。それに比べれば自在に動き回れて室温も快適なビジネスホテルなんて極楽以外の何物でもないって考え方も出来るなあ。そう思おう。でなきゃやってられませんってば。

 そして目ざめてピカチュウの偉い人に話を聞いた後は折角だからと後学のために京都精華大学が作った「京都国際マンガミュージアム」とやらを見物。アカデミズムが漫画とかアニメーションを取り上げるのはいい加減に行き詰まった社会学文学美学といった枠組みから外れた所に行くことで、新奇性を打ちだせる上にリーダーシップもとれるんじゃないかって目論見があってのことで、だから作るミュージアムも半ばアリバイ作りの適当なもの、代理店あたりに頼んでマンガジャパンあたりを巻き込みそれっぽい絵やグッズを並べて良しって程度だと思っていたら意外にそれなりにまとまっていて驚いた。

 まず場所が恰好良い。おそらくはそこにあった小学校だかの校舎を改造してのものなんだろーけど木造っぽい建物の廊下やロビーに棚が設えられてそこに「的場文庫」って貸し漫画屋さんから寄贈を受けた少年少女を問わない漫画がずらりと50音順に並べられて読み放題。1980年あたりからこっちの主要なコミックスが揃っているから懐かしい作家、ちょっと前に流行った作家、そして今も活躍中の作家をまとめて読むことができる。こりゃあ1日あったって足りないよ。少女コミックスの棚ではもはや古本屋ですら見かけなくなったぶーけコミックスの内田善美さんが揃ってて、久々に「ひぐらしの森」のお嬢様に会い「空の色に似ている」の指先でトントンと「オムスビ」を指示する女子学生の笑顔を目の当たりに出来た。どっちも部屋にあるはずなんだけど相変わらずのことで出て来ないんですごめんなさい。

 心配なのはこれだけ貴重なコミックスが持ち出されやしないかって点で監視カメラの装備された本屋からだって持っていくガキどもにかかれば根こそぎやられかねない。とりあえずビニールコーティングされているから新古書店に持ち込んだところで買い取られはしないんだろーけど、物知らずのガキはそーであってもお構いなしに持ち出して、古書店に持ち込み買って貰えないと分かると捨ててそれっきりって愚行をしでかしかねないからなあ。気持ち的には早いところで復刊して、古書価格が篦棒になるのを防いで欲しいんだけどそーゆー気配はまるでないもんなあ。こんなことなら80年代にもっと救出しておけば良かった。

 そんな文庫をぶらぶらと視て遠山光さんの「トゥインクルトゥインクル」とか「花の慶次」とかブックオフでは揃ってなくて読み切れない作品を引っ張り出して眺めつつ、展示室へと入って「世界のマンガ展」なんかも見物。メインギャラリーでは日本の漫画雑誌やアジアのマンガ雑誌が並んでて、一部の読めるよーになっているのもあってそこで「コミックドープ」ってゆー92年頃に出ていたらしー同人マーケットに着目した漫画情報誌を発見。開くと知っている人とかがコラムを持っていた。あとは御厨さと美さんの「NORA」が表紙になってたあすなろ出版から出ていた雑誌とか。御厨さん最近何描いているんだろう。

 紙芝居とか行われる一方でパソコン上で動く簡単なアニメを紹介する部屋もあったりと古今東西が集まってそれなりの頑張りっぷりを見せてはくれていた「京都国際マンガミュージアム」。だけど今んところは休日の漫画図書館代わりって印象が強くあって、もしもここから本格的なアカデミズムの確立を目指すんだとしたら展示の企画や行われるイベントに講演会のプログラムで、目新しさを打ち出して行く必要があるんだろー。来月だかには呉智英さんによる講演があるみたいで京都にいたら聞きに行くんだけど東京じゃあどーしよーもないんで諦める。願わくば京都を中心とした関西の人がこのミュージアムの意味を知り、尋ね講演を聞きつつ価値を共に高めようって行動を、重ねて言って欲しいもの。でないと宝も腐れてしまうから。

 御池通りまで来ていたんでそこから東西線に乗り東山まで行って噂の「一澤帆布」と「信三郎帆布」の道路を挟んでのバトルを見物。といっても道路を挟んでいるんで物が飛び交うとかってことはなく、ともに店を開いて品物を並べてはお客さんを待っていて、そんな見せにお客さんもとりたててどっちがどっちと迷うことなく、こっちがこれであっちはあれと理解して入店しては欲しい品物を買っていた。こーして伝統は分派しやがて300年の後に2つの巨大な潮流を作り日本に鞄芸の家本として君臨するんだろー。店は弟が職人ごと引っ張り開いた「信三郎帆布」がややモダンな店構えで、対するに「一澤帆布」は昔ながらの店舗を使って本家っぽさを醸し出す。「一澤帆布」の壁には奈良美智さんがサインを入れたトートバッグなんかも飾られていて伝統をアピールしていたけれど、午後だったんで商品が少なくあんまり選べなかったのが残念。

 対して「信三郎帆布」は「一澤帆布」と間を置いて並んでいる工場でガタガタとミシンを踏んで作り出している製品が運び込まれて並べられてなかなかに賑やか。とはいえ基本はトートバッグでカラフルなんだけどデザインの種類はあまりなく、また底が深くなったバッグは値段もそれなりだってんでこちらでもバッグは買わず。ただ帆布製のハットが色も多彩に揃ってて、その中から煉瓦色をしたメトロハットを選んで購入。ちょいデカいけれど洗うと縮むらしーんでしばらくは頷くと眼が隠れるのも厭わずに被り倒そー。それにしてもどちらの店も購入は1人で1日2点まで、ってしているのは業者対策って奴か。揃って同じよーな制限の看板を出しているところはやっぱり“兄弟”って奴?

 遅ればせながら「BLACK LAGOON」の最終回。検問が回っている中を神社に寄って決着を付けている暇なんて現実的じゃないってゆー考えもあったんだろーか、空港へと向かうレヴィとロックのバイクを逆に銀次たちが襲いロックにバラライカたちが乗る船まで案内させようとしたって展開にして納得性を高めている。ただ途中でレヴィに追いつかれて戦闘になってかはら同様。迎えた結末も哀しいもので他に道はなかったのかと悔恨も募る。香沙会の屋敷で縁側に立ち会話していたロックにバラライカの顔が迫っていく場面がなかなかにエロチック。あの顔は接触したのかなあ、なんて妄想も浮かぶ。つかあれだけ近づけば先に胸がロックに当たるだろー。煙草だって挟めそうな豊かさで近づき触れる質量にロックの煩悩はどんな刺激を受けたのか。思えば双子に大好きと言われスカートをまくり上げられたりレヴィに守られたりとモテモテだなあロック。ああ見えてやっぱり太いのか。肝が。


【12月24日】 讃えよ遠心力。褒めそやせよ重力。という言葉が脳内にわき上がっては喉を刺激し舌を動かし、空気を震わせ周囲に響き渡る声となって発せられる寸前まで行きそうになったけど、折しもおそらくは安倍晋三首相の来場を控えて内閣記者会だかスポーツ新聞だかの記者たちと、警備のSPがわんさと通路に溢れていたんでぐっと我慢をしながら三越日本橋本店で開催中の「2006年報道写真展」で、オープニング時にほしのあきさんが来場して、自分が写っているからとサインした写真を無言で眺めて3分ほど立ちつくし、それから数メートルほど下がって遠目から眺めて改めて遠心力に感謝する。ありがとう遠心力。そして重力。

 それは2006年5月7日に横浜スタジアムで行われた横浜ベイスターズと阪神タイガースの試合の始球式でのこと。ゲストとして登場したほしのあきさんはチアリーダーみたいに裾が短かく前面が大きく開いたジャケットを羽織ってマウンドに上がっては、ボールをもった手をえいやっとホームプレートに向かって振り下ろした。その時! 体をひねった時に発生した遠心力が体の前面へと突き出た脂肪のカタマリへと伝わり、そして脂肪のカタマリは右投げのほしのさんのアクションに従って右から左へ、上から下へ、奥から手前へと動いたのであった。

 ドーン。ブルーン。バイーン。その様をとくとご覧じろ。目に見えなくば心に思え。かくして出来上がった谷間の何とゆー深さよ。そして浮かび上がった山の何とゆー丸さよ。感謝するしかないだろー。遠心力に。讃えるしかないだろー。地球の重力を。遠心力と重力が作り出した決定的瞬間が、巨大なパネルとなって本人によるサインも入った状態で見物できるだけでも「2006年報道写真展」に行く価値はある。存分にある。安倍総理? 安倍夫人? 何かちょとちょろ来場したそーだけど意味無いね。価値もないね。見るのは1枚で良い。せいぜいがトリノ五輪に出場して表情を踊る荒川静香選手の写真を加えた数枚か。是非に巨大なパネルにして手元にもらいたいところだけど、眼前にあると押しつぶされそーな悪夢にうなされそーなんで、ここは目に焼き付けるだけに留めよー。それでも夢に出そーだな。25日まで。時間はないぞ。すぐに行け。

 狙っている所は違っていても、田舎の旧家に入り生まれ育って死んだ祖母より孫娘までの3代の女たちの時には従順で、時には憤怒で時には奔放に生きた様を描いた桜庭一樹さんの「赤朽葉家の伝説」(東京創元社、1700円)を読んで真っ先に浮かぶのは、岩井志麻子さんの「べっぴんぢごく」(新潮社、1500円)だったりして、そして年の功とあとはやっぱり経たドロドロとした経験の差でもあるんだろーか、読後の心への突き刺さり度では岩井さんの方に軍配が上がってしまうけど、読み手を従来からの桜庭さんのファンに限ってみれば、元暴走族で漫画家になりヒット作を残して急逝した娘にして母親の毛鞠のキャラクターなんかは戦いに生きる女性を描いて得た人気をそのまま受け継いで、すんなりと受け入れられそーで、そこを機軸に昭和20年前後の太平洋戦争終結時から現代へと連なる経済の発展、社会の起伏、文化の変容に日本人の佇まいの変遷を、辿り学んで驚き感嘆に浸れるんじゃなかろーか。

 その娘・万葉は古くより山から下りてきては里の人の葬送を手伝い山へと消えていく民の子として生まれながらも1943年くらいの時に人の里へと置き去られ、その地で営まれていた製鉄所に働く若い夫婦の子として育てられた。親からは疎まれもせず後に続いて生まれた弟や妹たちの面倒を見ながら長じた万葉は、何故か段々の最上部に屋敷をもって製鉄所を営む赤朽葉家の奥方に気に入られ、屋敷へと迎え入れられ跡取り息子の嫁となり長男の泪を産む。その出産の時、山から受け継いだ血の成せる力なのか、万葉は泪が20歳で早世する未来を視てしまう。

 その後も長女の毛鞠を生み鞄に孤独という名の子を産んで育てるが、産む際にはしっかりと目をつぶって子の最後を先に視ることはしなかった。代わりに夫の父親に夫の死を視たり、また製鉄所で働く男が事故で片方の眼を失う未来を視たりして時には家が傾くのを防ぎ、時には何の助けにもならないまま若奥様としての日々を生き、夫の母が死んでからは奥様として赤朽葉を支えていく。そんな万葉とは違って娘の毛鞠は1966年、丙午の生まれが作用したのか若い頃から暴れん坊で女番長として不良を仕切り、やがて山陰一帯を傘下におさめる暴走族の女族長として君臨するが、中学時代に仲の良かった美少女が族を抜け堅気として生きる最中に犯した罪を償う間もなく他界したショックから族を抜け、漫画家となり売れっ子となって結局は斜陽の赤朽葉家を支える立場に収まる。

 長男の泪の死もあって忙しい画業の合間に夫を迎え娘も出産。それが瞳子で平凡な少女時代を送り何かに夢中になることもなく大人になって日々を無為に過ごしていた。そこに起こった祖母・万葉の死。そして万葉が残した言葉の真意を探るため、瞳子は過去をたずね関わった人々に話を聞いて回って歩く。そこからたどり着いた出来事は、戦後の日本というものを象徴した産業が終焉を迎え、そんな産業を支えた日本の未来に希望を抱き自分たちの手で未来を支えるんだと意気込んだ日本人の美質の衰亡を現していて、わずかとはいえそんな時代の空気に触れたことのあるおそらくは40歳前後から上の世代の気持ちを刺激する。一方で目的を抱けず希望も持てない時代に生きる今の人たちが、描かれた活気と熱気に溢れ、ひたすら前を向いて進んで行けた時代をどう思っているのかに興味が及ぶ。

 こう捉えると女の生き様って奴が前面に出ていた岩井さんの「べっぴんぢごく」とはずいぶんと赴きも違うんだけど、夫を自分の意志とは無関係の所で決められて違和感を覚えず諾々と従う万葉や毛鞠といった女たちの、淡泊とゆーか無機質な生き方を見るにつけ、己の妄執にも近い想いを存分に発揮しては混乱の時代を生き抜いていった「べっぴんぢごく」の女たちとの凄みが浮かび上がってどっちが本当の“女”を描いているんだって思えてくる。女性はどっちの小説のどっちの女の生き様を憧憬として好むんだろーか。あるいは同族として嫌悪するんだろーか。少女たちの代弁者的なポジションとして桜庭さんを位置づけ楽しんでいる女の子たちには是非に岩井さんの「べっぴんぢごく」も読んで欲しいと言っておこー。毒気にあてられ凄まじい生き方に身を投じたって責任はとれないけれど。

 月曜の朝から取材があるってんで前日から入って置こうと京都入りしてとりあえず「晴明神社」へ行こうとしたら乗るバスを間違えて西大路まで行ってしまい慌てて戻り横に走る地下鉄の端の二条駅までたどり着いて1区だけ二条城駅まで乗りそこから堀川通りをバスで上って一条戻り橋の「晴明神社」へと言ったら結構な人出。もう5年以上前に最初に訪れた時はしょぼくれて人気もなかった場所なのに、映画に漫画に小説に安倍晴明が活躍するよーになった今は神社の改装も済んで参拝者も若い女性に観光コースを回る観光客と増えまくり、賽銭を投げる人の途絶えない神社になっていた。何百年って続いた地味な時代がこれで一変したって言えそーだけどさて、いつまで続くことやら。少なくともあと100年は「晴明物」「陰陽師物」のジャンルは栄えそーだから、それに従い「晴明神社」にも参る人は耐えることなく続くんだろーなー。代々の宮司は荒俣さん夢枕さん岡野さんには脚を向けて寝られない、かな。

 せっかくだからといつもや寄らなかったご近所の「白峯神宮」にも寄って参拝。蹴鞠のスペースが置かれてフットボール関係の人たちに崇められている神社らしくヴァンフォーレ甲府の奈須伸也選手の「レギュラーになりたいっ!」絵馬や京都パープルサンガの奉納提灯なんかがあった。あとはラグビーとかテニスとか。球技全般どんと来い? だとしたらいずれビーチバレーの浅尾美和選手なんかも来るのかな。試合の時の恰好で。来て欲しい。しかし奈須選手は結局はレギュラーじゃなかったし、パープルサンガはJ2落ちになってしまった訳で、ともに祈願成就とはならなかったのが気になるところ。絵馬が小さかったか。提灯が暗かったか。レギュラーが欲しければ額ぐらい奉納する必要があるんだろーなー。チームとなればさらに大事。京セラがスタジアムを作ってそれを奉納して「白峯スタジアム」って名前を付けるくらいの大盤振る舞いをすればJ1に安定して居られるんじゃなかろーか。


【12月23日】 咳と微熱で寝付かれないんで撮り溜めしてあったアニメの中から「ギャラクシーエンジェるーん」の温泉惑星の回を見たらとても良かった。やればできるじゃん。って言うと何だか今までがあんまり出来てなかったよーに取られそーだけど今までもそれはそれでまったりとしてのんびりとして良かったものが、温泉惑星の回ではギャグのテンポに展開の素早さが向上した上にトーンとしてのほのぼのさも加わって絶妙の味に仕上がっていた。とりあえず温泉饅頭と温泉玉子を食い合うアニスとリリィのバトル最高、1人で2役を演じて同時録音に挑んだカルーアとテキーラも頑張った。ここまでころころ切り替わったのは初じゃない。これが見たかったんだよなあ。でも来週で最終回じゃん。うーん続きを、って既に妖術に絡め取られているなあ。

 さらに「半分の月がのぼる空」のドラマ版も。一進一退を繰り返す里香にもう近づくなと裕一に向かって言う夏目がどーしてそーまで頑ななのかが夏目と亜希子の会話から明らかにされる大事な回。好きになっても遠からず失われてしまう愛しい人の思い出を抱えたまま残りの人生を生きる辛さを裕一は耐えられるのかとゆー夏目に亜希子がそんなことは夏目には関係ない、2人が一緒にいる時の裕一と里香の笑顔を見れば邪魔することなんて出来ないと諭してそして実現した2人の出会い。いい場面。なのに明けてやって来た里香の母親は裕一に強烈な張り手をかまして2度と里香に近づくなと怒りそして次回の最終回へと舞台は進む。

 アニメーション版だと短いってこともあって途中で終わっていたけれど、ドラマ版は原作のクライマックスも含めて全部をやるみたいで、なおかつ原作をそのまま踏襲した展開になっていて、読後感から味わったあの何とも言えない感情が蘇ってはじんわりと心に染みて来て、最終回なんて見ていてきっと泣かされそー。ちらっと見えた制服姿の里香。可愛いよなあ。原作のイラストとかアニメ版とかとの乖離も心配されたけれど誰が演じてもあの役は難しいと言われた中を石田未来さん、よくやった。夏目を演じる岡田皓輝さんのセリフ回しが拙く聞いてて耳に痛いけれど、その分は切実さがこもった言葉がカバーしているから良しとしよー。つーか岡田さんて「トゥー・ビー・コンティニュード」のボーカルだった人じゃんか。そっか俳優をやっていたのか。時代は巡る。

 恰好良い映像とはこういうことか。「URDA」ってフルCGのアニメーションをほとんど1人で作ったことで新海誠さんと評判を2分にするロマのフ比嘉さんが「ガングレイブ」のオープニングとかOVA版「HELLSING」のガンアクションの監修とかを経てこの1年の間にしこしこと作り上げてきたフルCGアニメ「ブルーキャット:ダイナマイト」が遂に公開。見てもう最初っから最後までアクションにセリフに音楽にストーリーのすべてが格好良くって脳天がジャッキーブラウンになって来る。いやいや年代的な雰囲気は原点のフォクシーブラウンか。鳴り響く陽気な音楽の中を歩く2人の男の歩き方がまずヒップ。おそらくはモーションキャプチャーな動きはなめらかな上にそれらしく、演じさせた方も演じた人も相当な遣り手って印象をまず受ける。

 そして登場した猫娘ブルー。キュッとしまったお尻を長いスラックスで包んで歩く歩き方に飛び回り方の可愛らしさと格好良さはパム・グリアにだって並ぶくらい。なおかつ猫娘で猫耳が立ってる上にお尻からにょろっと伸びた尻尾がひょひょっと動く仕草はとっても可愛く、その上に猫娘ならではの特徴を最大限に生かして敵をばんばんと蹴散らしていく姿はありそーだけどあり得ないビジュアルで、それがあり得そーに描かれているものだから見ている目もぐぐっと引っ張り込まれて離れない。なるほどそこで1本多ければそーゆー戦い方が出来るのか。トゥーハンドでもマガジンのチェンジが出来るってことか。でもなあ、両脇に延ばした拳銃で撃たれるならまだしも隙だと近寄ったところを尻尾で撃たれるのは何だかちょっぴり情けないなあ。

 敵の女ボスとの戦いの場面も恰好良さの連続で、ブルーが手にしたサーベルにキスしてつき着けた先端にキスマークがついていれば相手も吸っていた煙草を巨大な胸の深い谷間に差し込みかかって来る。そのポーズが過去に何かの映画にあったものを借りたのかそれともオリジナルなのかは分からないけどいずれにしてもキマってる。いつかどこかの映画で誰かが実写でやってくれたら楽しいなあ。でもあの煙草の刺さるくらいの巨大な胸を持ってる女優がいるかが問題だけど。ほしのあきさん? 可能そう。最近買った(買ったのか!)写真集でも白雪姫の恰好で巨大過ぎる胸を見せてくれているし。

 アクションをポーズも含めてどう見せるかってところでは「URDA」の頃からその実力を存分に発揮していたけれど、ハードの問題や制作体制の問題もあって滑らかさって所にやや及んでいなかったものが、人材を得て資金もそれなりに得て作られた「ブルーキャット:ダイナマイト」はキャラクターの動きが実に滑らか。それだけじゃなくって出てくるキャラクターの表情が、影の付け方も含めて実に巧みでこちらはきっととてつもない資金をかけて作られた「FREEDOM」の3DCGキャラよりも見ていて豊かで可愛く思えてくる。とりわけブルーの表情の豊かさよ。エンディング近くでジョンと並んで歩く場面でちらっと横目でジョンを見るその目、その口の愛くるしさは2Dのアニメでだってなかなかない。この表情なら絶対に一般のファンだって獲得できる。だから心ある会社は今すぐにこのシリーズを商業ラインに載せて僕たちの前にブルーの笑顔を、跳躍をガンアクションを見せてくれたまえ。でなければこの映像だけでもDVDに。是非に。

 ほかほかケーキにょ。美味しいにょー。ってセリフでもあればそれって分かったかもしれないけれどいきなり見た人にはそれがそれだとはまるで気づかなかったんじゃなかろーか。声だって姉はまるで普通の声だし、妹は喋りのキツさとか手にした包丁でロールケーキをスパスパと切り刻む仕草がそれっぽかったりするけれど、でもそれだけじゃあどこにでもいる粗忽で優しい姉に毒舌で心の奥では姉を心配している妹が繰り広げる冬のラブストーリーとしか思えない。これを単なるアニメとして描こうとしてもなかなかスポンサーが許さないんだろーけれど、例のあれの変形だってことだとなるほど企画も通ってそして、ほのぼのとしてしんみりとした素晴らしいアニメがこーして実現したってことなんだろー。いやあ素晴らしい。10年やってれば良いことあるよねブロッコリー。DVDボックスのCMとのギャップが激しいけれどでも、どっちも同じ監督が作ってるんだよなあ。人間って、凄い。


【12月22日】 あれやこれや考えを綴ってみたところで波及力ではアルファなんとかな方々に遠く及ばず、参照のされ具合から見て影響力も乏しそーなネットの孤島的存在な我が日記では、何の助けにもなりそーもないんでそろそろ言及するのも止めて、あとは偉い人たちがこぞって何だかんだと怪気炎をあげては、これからがいよいよ音楽ジャーナリストを支援していく様を見守ることにしつつ、こっちはこっちでひたすらに読書の日々。つーか夜々。集英社スーパー奪取文庫から出た柊ハルヤさんてあんまり聞いたことのない人の「クライム・ハウンド」(580円)は町を守るハウンドって自警組織みたいなところに入団を希望している少年2人と少女1人がまずは隊長あいてに5分間を致命傷を負わず戦い続ける場面からスタートする。

 少女は正面から戦い何とか耐え抜き主人公の少年は猪突猛進を止め頭と体の両方を使って切り受け見事に入隊。そして配属されたクライム・ハウンドで左側町に出没する通り魔を相手にすることになる。最初は見習い的に後詰めを担当していたのが何故か前線へと引っ張り出されてそこで町にお忍びで出ていた王太子と出会う羽目に。何者かに狙われている王太子を助け出した新米ハウンドの2人だったけどそれでも止まない通り魔事件に行方不明になった副隊長の動向も絡まり事態は混沌。あるいは見方のはずにハウンドに裏切り者でもいるのかって空気が漂う中で、智恵と行動力でもって少年と少女の真相究明に向けた冒険が繰り広げられる。

 SF的でもファンタジー的でもなくどちらかといえばミステリー的なストーリー。展開が入り組んでいる上に見えてきた真相もなかなかシリアス。それで国は大丈夫? って驚きも得られるけれどそれくらいでガタつくよーな国じゃないってことなんだろー。国と国とがぶつかり合うよーな壮大さにはやや欠けるけれど、気持ちの良い奴らによる正義の心の恰好良さって奴は存分に楽しめるんで、あんまり複雑じゃなくって熱血な奴らの頑張る様を味わいたい人は是非に一読を。深遊さんの描くキャラは表情があって動きがあって良いねえ。

 んでもって「げんしけん」の第9巻の特装版についている同人誌をぺらりぺらり。豪華だなあ。筆頭が安彦良和さんであの「機動戦士ガンダム」のコスチュームをデザインする時に、当時からすでにSF大会なんかで跋扈し始めていたコスプレを意識して、学生服なんかを細工するだけで安上がりで簡単に出来てしまうよーなものにしたんだて裏話が披露されている。本当か? けど実際にコスプレした人とか出てきたもんなあ、「トミノコ族」とか、原宿の歩行者天国で、ガンダムとかザクの恰好をして、花いちもんめをしていたっけ。その様が「ふぁんろーど」の創刊号で紹介されていて、原宿とは何と楽しそうな場所なんだと子供心に思ったよ。なんつって。

 同人誌はあと石田敦子さんの「アニメがおしごと」が「ヤングキングアワーズ」からご出張。題して「アニメがげんしけん」ではイチ乃が念願の「げんしけん」アニメ版で大野さんの胸を3割増量にして動かします。きっとぶるんぶるんとすることでしょー。見たかった。けどリテイク。放送コードが憎い。二太と2人で「斑目にシンクロせんアニメーターおらんで……」とつぶやいているけれど、アニメーターにとって斑目ってどーゆー存在に見えるんだ。健気。純情。報われぬ恋。うーんつまりは受けキャラってことか。違うのか。分からないけど本編でもついに告れなかった斑目に、誰かが告げ口して咲がそれを面白がる番外編が犬上すくねさによって描かれているんで注目だ。本編で描いてもそーなりそーな展開だなあ、これって。

 あとは安永航一郎さんがしっかりギャグしてる漫画を描いているのと鈴木次郎さんがべらぼうに可愛い香坂を描いているのに注目か。胸に響くのは篠房六郎さんの作品でストレートヘアの眼鏡巨乳美女として描かれている篠房六郎先輩が「げんしけん」の同人漫画に何かを描かなくちゃいけないってことで昔いた漫画研究会を尋ねて若い部員と会話していてジェネレーションギャップに直面するってストーリー。「俺とか『げんしけん』読んで何かいいなと思ったから漫研に来たわけで」って現役のセリフにまず目が点。「トップをねらえ2」を見たって部員に「だったら1のラストは」って聞いたら「1はまだ」と言われて飲みものを噴き出し今川監督が好きだとゆー割には「味っ子」は見て「ジャイアントロボ」は見ていない若い部員に「好きならなぜ見ない?」と問いつめ「何でそんなに必死なカンジだったんですか」と帰され蒼白。うーんなるほどそうなのかやっぱり。極めつけが「この後別の所で『知らない先輩にいきなり来られるのはかなりウザい』と言われてマジにヘコむ」って締めの言葉か。気を付けよう。僕も。みんなも。

 男ばっかりで「トーマの心臓」とか「死の泉」とか「月の子」とかって少女漫画に耽美小説から最近は吸血鬼物も題材にして舞台を作って演じては、数千人規模の動員でチケット完売満員御礼を続ける「劇団スタジオライフ」の演出家の人にインタビューへと赴きあれやこれや取材。先だっての「銀のキス」を見て感じた、女性を演じる男の役者に衣装はともかく仕草とか、声音とかで無理に女性を演じさせようとはせず割りに地声に近いところで動きもごくごく普通にさせているにも関わらず、物語の中におけるそのキャラクターの立ち位置なり、セリフなりから役柄としての女性を見ている人に分からせ、そしてその役にしか、すなわち女性にしか見えないよーに気持ちを誘うよーにしているるんじゃないかって演出の方法が、おおむね正しかったんだと知って安心する。

 そうだよなあ、無理にしなを作らせたり声を裏声にしたって違う場所のショーになってしまうもんなあ。少女が男の役を演じるのとはまた違う難しさを、そーした手法で誰もが納得できる舞台にしたて上げてしまった力量に改めて簡単。萩尾望都さんの「日本SF大賞」受賞も知っていたけど授賞式のある日で次回の公演のまっただ中じゃあ、なかったっけ。残念。授賞式にお祝いにかけつける美少年いよる女装メイド軍団とか見たかったのに。折角だからと次の題材には是非に桜庭一樹さんの少女小説が良いですよとプッシュして来たけど、分かってもらえたんだろーか。「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」とか「少女七竈と七人の可愛そうな大人」とか、「劇団スタジオライフ」が演じたらいったいどんなに耽美で残酷な舞台になるんだろー。うーん萌える。原作本をまとめて束ねて送ってしまおーか。


【12月21日】 「ふんっ、いーのよどーせあたしなんかアニメーションなんて華やかな場所に出られる人間なんかじゃないんだから。そりゃちょっとは夢くらい見たわよ、可愛い女の子を描いてくれることじゃあ業界でも随一って村田蓮爾さんが、あたしを描いてくれるってんだからいっぱいいっぱい期待しちゃったわよ。でもって出てきた絵、可愛かったわよねえ、手足はぷっくりとしておしりもぽやっとして見るからに柔らかそう。ガリガリで筋ばった女の子みたいな思われ方をしてたから、自分ってこんなに可愛かったんだって驚いちゃった。胸だってあるし、押せばへこむくらいのボリュームで」

 「それがなあに、制作中止ですって? 悪いのはどっちよ、GONZO? 猫娘のミーナに注ぎ込むお金はあって、あたしにはビタ一文払えないって? ふん、嫌な奴。一生猫でも抱いてれば。それとも冲方? 脚本が悪いだの絵が気に入らないだの文句を言ったの? どっちでもいいわ、あたしは所詮は日陰の女、殻の中で死んだ鳥なのよ。薄暗い下水道の中でネズミと遊んでるのがお似合いってことね。しくしく。もういじけちゃう。いじいじいじいじ、いじいじいじいじ。ごるぁ、なにみてんのよっ!」。って言ってるようだよなあ「マルドゥック・スクランブル公式ページ」のバロットちゃん。目がもう本当にいじけ虫。まるでこの日が来ることを予感していたよーなポーズに目つき。まさか描いた時点で村田さんの脳裏によからぬことでもよぎったか。

 ともあれ早川書房が「戦闘妖精・雪風」に続いてアニメ化と目論んだ冲方丁さん「マルドゥック・スクランブル」のアニメ化は露と消えて企画は宙ぶらりん。ここまでに幾らくらい突っ込んだのかは知らないけれども勿体ない話しであることには変わりがない。モンゴルに大金を注ぎ込んでホエーッな作品を作った某社にそれだけのお金を回してもらえばあっさり完成したかもなあ。それにしても原因は何だろー。単純明快にお金の問題? だとすればいったい何がネックになった? 新春の泰山鳴動アニメ映画かなあ。それとも夏の勇気物語? これから出てくる人参娘? まあその他にもあれこれ手広くやってたツケが回ってしまったんだろうなあ。でも勿体ない。うまく回せば損はしないだけの商売にできたのに、「雪風」みたく。そこに持っていくまでの資金も底をついていたとしたらちょっと悩ましいなあ。どっか引き取って作らないかなあ。

 迷っていたって仕方がない。悩んでいたって始まらない。走り出せ。そして見つけだせ。もやもやとした思いを取り払い、明日のその先へと続いている道を。橋本紡さんの「流れ星が消えないうちい」「ひかりをすくう」に続く一般小説進出第3冊目ってことになる「空色ヒッチハイカー」(新潮社)はそんな感じに悩んでいて足踏みしている僕たち私たちの心を、前に向かせて先に進むんだって気にさせてくれる。

 優秀な兄がいて東大を出て国家1種の試験に通り財務省への入省も決まっていたのに消えていってしまった。取り残された弟は兄だけを目標に勉強も何もかもやって来たから先をどう進んだら良いのか分からない。兄が置いていった1959年生のキャディラックを持ち出して、無免許なんだけど動かし方だけは勉強してハンドルを握り、国道をひたすら西へと走っていく旅に出る。途中で杏子とゆー女の子を広い同道。仕事途中のサラリーマンを乗せたり彼氏に会いに行くとゆー女の子とその友達を乗せたり家族に叱られてうずくまっていた女の子を乗せたりしながら進む旅で、弟はいろいろな人たちがいろいろな悩みを抱えつつ思いを抱きながら生きていることを伺い知る。

 そしてたどり着いた最終地点で待っていた意外だけど必然の展開。それを乗り越え弟は兄の壁を超え影を抜けだし自分としての生き方をはじめて考える。とてつもない奇妙な出来事は起こらないしとてつもなく不思議な人たちも出てこない。ロードノベルというにはそーした不思議で奇妙なエピソードが少なく、エンターテインメントとして読むには物足りないって思う人もいそーだけど、描かれるあり得そうな人たちが繰り広げるあり得そうなエピソードの方が、かえって生きていく上での道しるべみたいなものになる。他人から見ればちょっとした迷いや悩みが当人にとっては重たい迷い。他人を見て自分を振り返って世界を見渡し心にゆとりを取り戻す。そんな開放感を与えてくれる物語だ。出てくる人たちの気持ちの良さが荒んだ目には眩しいけれど、読み終えれば感涙とともに曇りも晴れて明日を気楽に生きてみようって気になって来る、かも。

 手に持った刃物を振り上げて今にも突き刺そうとするポーズを見せながら、お前は間違っているから謝れ、謝れば刃物は引っ込めてやるけど謝らなければそのまま突き刺す、って態度を人は普通「脅迫」と呼ぶ。それが鋭利な刃物や拳銃ではなく別の何かであっても、相手の“命”にかかわるようなものならそれはやっぱり凶器に等しい。決してお金なんて取ろうとはしていないんです、ただ傷つけられたから謝って欲しいだけなんですって言ってみせても、現に凶器を持ち出し大上段に振りかざしている状況を保ちつつ、さあ謝れという態度を変えない以上は、世間はそうかそんな事情だったのかなんて納得はしない。むしろ凶器をチラつかせつつ態度だけは慇懃な様に、とある業種の人たちを思い浮かべて印象を悪くするだけなんじゃなかろーか。

 例の「月刊サイゾー」においける20行のコメントが、事業の信頼性を損なうものだからって言ってオリコンがコメントを寄せた烏賀陽弘道さんを訴えた事件でオリコンの社長の人から新たに「『ライター烏賀陽弘道氏への提訴』について」ってコメントが出たけど、これが何というか火に油というか何というか。「ただ、我々の真意はお金ではありません。個人攻撃でもありません。上記のとおり、烏賀陽氏に『明らかな事実誤認に基づく誹謗中傷』があったことを認めてもらい、その部分についてのみ謝罪をして頂きたいだけです」って言葉は丁寧だけど、続けて「その際には、提訴をすぐに取り下げます」って言っている所に引っかかる。これってつまりは謝らなければ提訴を続けるって言ってるよーなもの。個人ライターにとっては命を脅かされる凶器に等しい高額の賠償金を振りかざしたまま、謝らなければ突き刺すぞって脅かしているよーに見えなくもない。

 お金が問題じゃないってんなら、訴状から損害賠償の部分を削り真否のみを争うくらいのことは言ってみせれば周囲の理解も得られるだろー。その上でランキングの信頼性に自信があるなら、公の場で堂々と争い白黒決着を付けてもらえばいい。あるいはいったん提訴を引っ込めて、お互いが手に裁判だのペンだのといった刃物を持たずに話し合い、誤解が生まれたんだとしたら何が原因だったのかをお互いに考え、過去に遠因があって今はそれは是正されているんだとしたらそれを説明して理解を求め、なおも残るあいまいな部分があったら是正し、一方でそーした不断の努力をジャーナリストの側も買い、納得したならそのプロセスを記事にし納得できなければできないとゆー理由をつまびらかにした上で、果たしてどちらが正しいのかを一般に判断してもらえばいい。オリコンが正しい、ってんなら人はランキングを信頼するし、烏賀陽さんが正しいってんならそちらを支持する。

 そうはしないで、手に相手のジャーナリスト生命を左右する裁判って武器を掲げた状態で、謝れば握り拳は引っ込めるって言い続けるのは、相手もそれなりに準備を整え、公の場で真否を争う事態になるのことを、何としてでも避けたいってゆー気持ちでもあるんじゃないかって勘ぐりを生んでしまう。自信があるなら提訴は引っ込める必要はない。ジャーナリストだって謝って提訴を引っ込めてもらえば、逆に困ったことになるだろー。何故にあーいったコメントを発するに至ったのかとゆープロセスが、つまびらかにされることなく闇へと埋もれてしまう。一切の弁明をしないで、ただ勘違いでしたと謝れば、そのジャーナリストは別の意味での“死”を迎えることになる。

 だからジャーナリストの側で意見を引っ込める訳にはいかない。相手が拳を振りかざしているならなおのこと引っ込められない。そーした心理に思い至ることができるんだったらこーした弁明めいたコメントを、遅れて出すよーな真似はしないんだろーけど、それをやってしまうところが何とゆーかあわただしいとゆーか。まあ少なくとも高額訴訟による言論弾圧なんていった深慮遠謀はなくって、どこか条件反射的な提訴だったってことだけは何となく分かってきた。それだけにネット上で激しい反発が起きてしまったことにちょっぴり慌ててしまっているみたい。これから先はやっぱり裁判に突入してしまうのか、それともいったんは双方が拳を納めてそして有意義な話し合いへと向かうのかを関心を持って見ていこう。


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