縮刷版2006年11月下旬号


【11月30日】 問題は単なる民間人でしかない人間を取り上げもてはやすメディアの側に多大にあることは承知しつつも、昨今のアッキー人気とやらにはちょっと違和感を感じていたりして、たとえ総理大臣の夫人だからといって当人が何か選挙を経て選ばれた訳でもないのに、総理と同行した場で外交とか福祉とかいった政策に絡む動きをして、それが実際に国政に反映されてしまうことがあるのは如何なものかってゆー、半分くらいは嫉妬羨望その他の感情も混じった反発を覚えていたりしたんだけど、当人を目の前にするとなるほどこいつは応援してあげたくなるってゆー、ビジュアルスタイルを持ってたからちょっと困った。

 「フラワー・オブ・ザ・イヤー」ってゆー、1年でいちばん優秀だった花を切り花に鉢植えに花壇の3部門から選ぶイベントがあってその特別ゲストにアッキー安倍昭恵さんが呼ばれたって話を聞いた時には、どーゆー資格で呼ぶんだろーか、資格がまったくないんだったら単なる総理大臣夫人ってことで呼ぶんだろーか、それって主務官庁の農林水産省あたりとそして「フラワー・オブ・ザ・イヤー」を主催している団体のご機嫌取りじゃないかって薄気味悪さが背筋を走って行く前からウンザリした。

 行ったら行ったで考えられないくらいに集まってたテレビカメラとスチールカメラの数に、あとアッキーを呼び水に目ぢはを集めて今年から始まった「フラワー・オブ・ザ・イヤー」を宣伝してもらおうって主催者の下心が見え、なおかつそれに乗ってしまうテレビとか週刊誌とかのスタンスのみっともなさが見えて、こんな“談合”を繰り返しているから政治は見放されメディアは信頼感を失っているんだって憤りも浮かんできた。

 当人がそーした客寄せパンダみたいな仕事は嫌だ、総理夫人なんて別に資格もないんだからって辞退すれば最初っから問題は起こらないんだけど、自分が出ていくことによって何かが前向きに動くんだって思うと、その力を権威としてではなく人助けのために使いたいって考えてみたくなる。ひとり安倍総理の印象を良くするためだけって意識からの出席だとしたらそれは論外。そうした言動があったとして“内助の功”とか讃え持ち上げるメディアがいたとしたら、それはアッキーを総理の従属物としか視ていないってことになる。

 いずれにしても李下に冠を正さず出、疑いをもって視られる場所には近寄らないで欲しいってことを、ご本人の登場までは感じていたけれど、いざ現れた当人はスリムで若くて可愛らしくって健やかで、天真爛漫っぽくて笑顔を見せてくれるだけである程度の年齢に達した男性を、幻惑する力を持っているってことが判明。総理夫人ってことじゃなく、人を引きつける自らのチャームを世の中に役立てているってことで、それも立派な才能だって思えばなるほどメディアが取り上げ団体が特別ゲストに呼ぶ理由も見えてきた。あと5年くらい経って自分よりも年下の総理夫人が出てきた日にゃあ親近感はますます強くなるだろー。団塊大量退職時代に向けておじさんたち、おばさんたちの“アイドル”が世に出て人気になる先駆けと、このアッキー人気を位置づけて考えてみると何か具体的な方向性も浮かんで来るかも。来ないかも。

 アッキーの撮影中も途中で止まったりピント合わせが遅くてシャッターチャンスを逃した「ペンタックスistD」かあの乗換を検討し、よーやく発売になったペンタックスの一眼レフカメラ「K10D」でも触りに行こうと江戸川橋に向かう途中で池袋のビックカメラに行って触ってシャッターを押したら速い速い連射が速い。おまけに軽くて煉瓦を持って歩いているよーな「istD」は鈍器として何かの折りに使うことにして、とっとと「K10D」に乗り換えるのが腰の為にも良いんじゃないかって感じて店員に尋ねたら、すでに初回出荷は完売で予約もいっぱいで、次に入るのは来年だって話しを聞いて鬼になて笑った。1カ月以上も発売時期を後にズラしておいてこの様とはペンタックス、商売する気がないのかそれともよっぽど初回ロットに自信がないのか。

 ともあれ今買えないんだったら来年に敢えて急いで買う必要もないし、月内に予約キャンセルのものとかぼつぼつ出回りそーな予感もしたんで今回はパス。こーゆのってタイミングだし巡り合わせなんで、「K10D」自体に縁がなかったと理解して、次のバージョンアップを待つのももしかしたら良いのかも。「K10DS」とか「K10DL」とか「L10DS2」とか訳の分からないラインアップがゾロゾロっと出て来かねないからペンタックス。とかいいつつ明日とかにどっかの見せに入って即納とかって言われると、ついつい買ってしまう気の弱さが当方流。果たして週末のフクダ電子アリーナに「K10D」の連射の音は響くのか?

 どちらかと言えば今日の夜に響かせたかったなあ、と思ったのは現役女子校生が壇上に上がって初々しい姿を見せてくれた時。集英社の「コバルト」が実施している新人賞を受賞した人の中に混じってて、東京の渋谷あたりと闊歩している生ドム女子校生とはまるで違って図書室とか、調理室とか家庭科室で本を読んだりお米をといだりミシンを踏んでいる姿が似合ってそうな風貌で、または音楽室でトロンボーンなんかを練習していたりする姿が似合ってて、忘れかけていた青春って奴を思いだして涙する。去年とか受賞したこっちはセーラー服姿の女子校生もいたからなおのこと、青春の甘酸っぱさが脳内をかけめぐる。だけど別に作家でも編集者でもないんで話しかけるのはパスして会場内を真っ赤な服で動き回ったコバルト&スーパーダッシュの新人賞授賞式。

 「みのぴよ」でもって「やわらか戦車」の10億円市場へと連なるウェブアニメの先駆者な役割を果たした本田透さんとか、文芸フリマで文学の極北をこっそり売って文学に革命を起こそうとしている桑島由一さんとか、「フレイアになりたい」がとてつもなく傑作だった岡崎信裕さんとか、「ブール・ノアゼット」が個人的にはとっても大好きで「ますらお同盟」に是非に加入したいとお願いしたい藍上陸さんとかと初めて話して感動しつつ桜坂洋さんに挨拶しつつ海原零さんが通り抜けていく姿を見つめつつ山形石雄さんはそういれば去年話したっけと思い出しつつ、遠目に見た緒方剛志さんは恰好良いなあと思いつつ場内をうろうろ。

 直木賞作家の三浦しをんさんが来てたのでお正月は箱根駅伝の解説をやらないんですかと尋ね今のところは話しがないみたいなのでここは第2日テレでも地上波波の副音声でもいいから解説を、それも有り体な選手が走っています大変そうですってんじゃなく、例えばたすきが手から手へと渡される瞬間に交わされる、2人の間の心の交流をどちらが受けでどちらが攻めか、外見や表情や雰囲気などから解説して欲しいとお願いしたけどこればっかりはテレビ局が首を縦に振らなきゃ始まらないから仕方がない。絶対に評判になると思うんだけどなあ。でも今年は大変にお忙しかったからお正月くらいはゆっくりとして、次の谷崎賞か泉鏡花賞か読売文学賞か吉川英治新人賞か何かを獲得する作品を書いてください待ってます。

 そんな大量の有名な方々をみられただけでも幸せだけどそれを越えて感動したのは名札に「生天目仁美」って文字を見かけた時。あっというまにすれ違ってしまったけれどあれこそは、我らが極上生徒会の会長様であるのだと思うと背筋も震えて来る。集英社的には「マリア様がみてる」の方なんだろーけど。加えて居合わせたジェネオンの人に「BLACK LAGOON」の素晴らしさを訴えていたらほらそこにレヴィがって言われてふっと見て豊口めぐみさんの後ろ姿を遠目に発見。あれは1998年1月28日に、富士通が何を考えてか出してたギャルゲー「エーベルージュ」に関連した発表会を開いた時に三石琴乃さんと一緒に登壇して歌を披露してくれたことを思い出す。長身でスリムだった記憶があったけどやっぱりスリム。このスタイルでカットジーンズ履いて手にソードカトラスを2挺持ってトゥーハンドをやってくれれば跪く人も山といただろー。当人出演で実写映画化とかしないかな。しないよな。


【11月29日】 ばつばつと「プレイステーション3」でゴルフゲームを遊ぶ日々。でもあんまり最先端次世代ゲーム機っぽくないんで折角だからとブルーレイディスクでも観るとかと「ブレイブストーリー」のBD版を買って来て観た。やっぱりあんまり変わらないなあ我が家の普通の21型液晶テレビだと。これが例えば37型以上のHDMI出力端子付きテレビだったら隅々までくっきりと映し出されてノイズも入らず鮮明な画像でもってミーナちゃんのムクムクとした姿を楽しめるんだろー。そんな環境にある家が今いったい日本にどれだけあるんだ? やっぱり早すぎるよなあ「PS3」は。3年後あたりが勝負かな。

 単著だと04年9月の「echo 夜、踊る羊たち」(ファミ通文庫)以来ってことになるのか枯野瑛さんの新刊「銀月のソルトレージュ」(富士見ファンタジア文庫)は前作が民話が現代の街に重なっては寂しさに沈む人間の心を迷わせつつも前へと向かう力を与えて去る快復の物語だったのに対して、新作は王国の滅亡を記した200年前の伝承が伝承の衣を脱ぎ捨て現実として後の世界に現れるとゆーストーリー。希望と願望にあふれた伝承と事実との対比で人間の楽観に流れる心理を示唆しつつ、絶望の中に長い時を生きる伝承の主たちの苦闘を描く。

 仲の良かった姉姫と妹姫が王位継承をめぐり対立して妹姫に座を奪われた姉姫は出奔。魔女となり国を脅かすものの討伐に立った騎士たちに追いつめられるとゆー話が200年前から伝わる世界は現代は平穏の中にあって、学生たちが集まり勉学に運動に文化的な活動に勤しんでいる。騎士道的な風潮が残り女性をかけて安全な武具を使い決闘が行われることもあったが、主人公のリュカ・エルモノトは隣家に済んで幼げな表情から全校生徒憧れのアリスをかけて申し込まれる決闘をことごとく退け連戦連勝。とおいっても当人にはアリスを我がものとしている意識はなく、アリスもリュカを今は兄と慕っている程度。いずれ長ずれば恋愛関係も芽生えていくのかと観られていたところに事件が持ち上がった。

 銀髪をした少女が現れリュカを細身の剣で貫いた。これは死んだ、と観念したらなぜか生きていたリュカ。起きあがり活動を再開したところにレオネルというなの男が現れリュカを刺した少女はリュカが5年前、500人の村人が瞬時に焼け死に、リュカだけがたった1人で焼け出された大火事の中に消えた魔法使いの少女フィオルを探しているんだと告げる。レオネルと共闘して銀髪の少女を追い始めたリュカの前に現れたその少女は、リュカに200年前に起こった事の真相を告げる。

 現代に舞台として再現される伝承を少しづつ描きながらそれに重ねて過去の真実を見せていく構成の妙がなかなか。キャラクターたちも優しいリュカに可愛いくてほわほわとしているようで妙に鋭いアリスに人当たりがよさそうに見えて実はなレオネルと、個性を持っていて表面的な雰囲気とは違うものがあって引きつけられる。何が真相で誰が正義なのかが入れ替わっていく展開も興奮もの。そして残された最大の謎を引っ張りつつ終わるエンディングには、次への期待を否が応でも書き立てられる。こーなったら出すしかないけど本当に出るのか微妙なところがあって悩ましいのでここは皆で「銀月のソルトレージュ」を買いまくって次を出せってプレッシャーをかけるのだ。2年後ってのは勘弁な。

 10月に始まったばかりな上に最終話の放送まで1カ月も残していない3カ月のアニメーションで途中経過がどうだって話を今してどーなる? って誰もが思うだろーことを敢えてやってしまうところが気合いの入れ方の違いって奴を現しているのか「ギャラクシーエンジェるーん」。御大・木谷会長も出席して行われた発表会には追い込みをかけているのか岸誠二監督もチラっと姿を見せつつ主役のアプリコット桜庭を演じる稲村憂奈さんも登場して作品をPR。アニメじゃ抜けたところばかりを見せるお姉ちゃんっ子のアプリコットなんだけど、当人はいたってはきはき喋るところが意外とゆーか声優さんならではとゆーか。演じるってことは素晴らしい。

 とにかく話題になりたいって気合いを見せる木谷会長はスレッドの伸びも数えてどんな評判であっても評判と前向きにとらえるスタンス。週に70本も放送されていくなかで埋もれてしまうのが1番拙い状況ってのは誰でも考えていることだけど、そこで悪評酷評も含めて評判ととらえる姿勢はある意味素晴らしい。何しろ「ギャラクシーエンジェル」しりーずを何もないところから企画しキャラクターの設定も考え出した生みの親。ムーンエンジェル隊の再登場が話題となった「るーん」の7話でキャラの設定を間違えてるぞって言われまくったことにはキャラを作り出した当人としていろいろ考えるものがあっても不思議はない。まあそれだけ原点を越えてアニメが暴走し、結果としてアニメ版「ギャラクシーエンジェル」がかつてない話題になったんだけど。

 個人的には真夜中にぼんやりと観ているとこれがなかなかに面白い「ギャラクシーエンジェるーん」は秋アニメでも上々の部類。前作が投げっ放しジャーマンだったらこちらは非力な関節技のようーにくすぐったさと心地よさの中にまみれて気分をゆったりとさせてくれる。キャラもアニス・アジートがいい味出してるしナノナノは尻尾の生えたお尻が可愛いしテキーラ&カルーアは平野綾さんだし。それだけでも充分なんだけどDVDの第1巻にはCDやら何やらがどっちゃりと付くからなあ。久々に買ってしまうかも。最後に買ったのってえーと、第1期の最初のDVDが出た時だってそりゃ昔過ぎ。あれから何年経ったのか。でもって未だに続いている。やっぱり凄いよ「GA」は。「でじこ」はどこ行った?


【11月28日】 スキマスイッチ超ポップ、サンボマスター超ダンプ、スキマスイッチ超クール、サンボマスター超フール、っておまじないの言葉が師走の街に響き渡る日も近いなあってことを感じさせてくれるアルバムが登場。その名も「夕風ブレンド」は映画「ラフ」の主題歌にもなってた「ガラナ」とか杏子さんたちがいる「福耳」のシングルとしても発表された「惑星タイマー」なんかを含んだフルアルバム。まだジェフユナイテッド市原・千葉が五井の「市原臨海競技場」で試合をしていた時代に会場で鳴り響いてた「全力少年」が収録されたアルバム「空想クリップ」に続く3枚目のオリジナルアルバムだけど、「全力少年」辺りではまだそれほど知られていなかっただけに超メジャーとなって第1弾となるアルバムって言えそうで、その意味で初週のアルバムチャートが気に掛かる。浜崎あゆみさんも同日に発売されたからなあ、抜いてたらちょっと凄いかも。

 んでつらつらと聞いてたら耳に響くメロウなピアノのイントロ、そして始まった寂しげで切なげな歌声の曲があっていっぺんに好きになる。タイトルを「ズラチナルーカ」。何でもセルビア語で空港って意味らしーんだけど、そんなどことなく旅立ちとか別離を感じさせるよーな曲に相応しい切なくて悲しい歌詞がテンポこそ良いんだけどどことなく曇り空っぽい旋律に乗って唄われる様を聞くにつけ、迫る冬にひとり寝の寂しさをひたすらバーボンで紛らわせ続ける人間の心にしんみりとした情感が浮かんで居ても立ってもいられなくなる。名曲。それも30年は残る名曲になると見た。「奏」に「螺旋」と並ぶ「スキマスイッチ」のベスト3と認定。

 と想っていたら続く「糸ノ意図」も名曲だったよ驚いた。「アカツキの詩」の心を捉えて離さない旋律もこれまた極上で合わせてベスト5入りを決定。したいんだけど「夕風ブレンド」には他にも「スフィアの羽根」とか「ガラナ」とか「藍」とか「アーセンの憂鬱」とか、良い曲ばかりが入っているからなあ。ええい面倒だスキマスイッチの過去に発売した曲はぜんぶまとめてスキマスイッチのベスト100に推すぞ。でもってそれらのすべてが同点だ。これだけ売れてこれだけ人気になって、それなのに素晴らしい曲づくりをし続けられるスキマスイッチはやっぱり絶対に凄かった。早くに出会えて良かったけれど今からだって遅くはないからとっととレコード店に行って「夕風ブレンド」を買いなさい。ちなみに正式な発売日は明日なんだけど。

 んでもってついでにアニメ版「BLACK LAGOON」のDVD第5巻を購入。誰このロベルタ? ってくらいに円らな瞳を眼鏡の奥からキラキラさせてる筏雅律さん描く見返りロベルタがハートをズッキューン。ただしコルトガヴァメントでだからふと見ると心臓に大穴が明いていることだけは間違いない。やっぱり同じロベルタが表紙になった単行本の第5巻は作者の広江礼威さんが描いているだけあって目つきが凶悪極まりない。どっちのロベルタが好きかってーとどっちも好きなんだけど、ご主人様を爆弾で殺害されて気の立ってる単行本第5巻のロベルタには、近寄っただけで蜂の巣にされそーな感じなんで、ここはガルシアくんとの静かな生活に帰っていったDVDの頃のロベルタを、とりあえずは選んでおくとしよー。ロベルタ祭り応募しなきゃ。

 こっちはリア・ガーネット・ジュスティエフがジャケットに登場の「銀盤カレイドスコープ」DVD。第5巻まで来て次はいよいよ最終話も収録の第6巻になるんだけど果たして監督名はやっぱりアラン・スミ・シーなのかそれとも満を持してタカマツシンジさんが登場なのか。高松信司さんってことはないよなあ、やっぱり。それにしてもジャケットのリアはスレンダーな肢体をアクロバティックに折り曲げビールマンのポーズをとっててなかなかに愛くるしい。そんな彼女が時を経て桜野タズサとの出会いと交流とそして別離を経て強大な壁となり立ちはだかってくるとは、アニメを見ていた去年の今頃ですら分からなかったよ。

 無垢な表情が背後に抱えた純粋さとゆーより唯一さ、つまりはそれしか他にないんだって切羽詰まってはち切れそうになった感情を、クールな表情の裏側で押さえつけていたんだと想うとジャケットを見る目も変わってくる。テレビじゃあろくに動かず喋らず出演せずに終わっただけに可能性があるならOVAででも、是非にトリノからバンクーバーまでの間に起こった出来事を、たっぷりのスケートシーンも込みで描いてやって欲しいなあ。監督はアラン・スミ・シーじゃなくってタカマツシンジで。若しくは高松信司でしっかりと。

 「文学フリマ」で買った桑島由一さんのレーベル「ノー・ディスク・レコーズ」から出ていた科学忍者村って人による「壊死マシーン」って奇妙なタイトルの1冊をよーやく読む。相当に気力がみなぎっている時でないと読んでも頭に入って来ないどころか、頭を「スキャナーズ」よろしく吹っ飛ばされてしまうって噂を伝え聴いてたもんだから、解説仕事とかいろいろあって忙しかった間には手を出さなかったんだけどイベントも近づいて来たんでとりあえずペラペラっとめくっていったん手を置く。なんだこれはバロウズの「カット・アップ技法」かって脈絡のない、けれどもスキマのない文章が続いて脳髄をギリギリと締め上げられる。

 「その長者は驚くべき事に表示されていのである。人呼んで表示長者。二十世紀を代表する偉人であり、傷負い人。強く光り輝き、嫌がられたり悲しませたりすることでその存在価値とか精神性みたいな部分が加速していくので第三文明の方ではフォーマルであることもさることながら統一性維持みたいな部分で大きく貢献しているし、水海道のとある地域では溝に填って身動きのとれなくなったダンプトラックの運転手が燐光を放ってにこやかに右折する組み合わせ、アンサンブルを目にしたという地方新聞の隅をもにぎわすトピックスを提供することもあるので心の健康とか、長寿とか」。はあはあ。

 そんなんが10ページくらい続いてもう投げだそうかと思えて来るんだけど次章に入ったあたりから文章はとりあえず流れるよーになって、シチュエーションも理解はできるよーになって来る。つまりは何だろー、挫折せずに読めって一種の挑戦状? でも確かに冒頭を抜けられればあとはとりあえず付いていけるよーなるから、訓練の役には立っているんだろー。もっともシチュエーションは理解できても不条理であることには違いなく、それらが意味するところが一体何であるのかって分析は難しいし、描かれているものが何かのメッセージを発しているのかどーかを掴むこともやや困難。それでも叩きつけられるーに繰り出される得体のしれないビジョンが放つパワーと熱量を、感じ味わうだけでも価値のある1冊。わずか50ページにも満たないのに1時間を濃密に過ごさせる1冊。書いた科学忍者村、凄い。これを選んでレーベルから出した桑島さん、素晴らしい。これまたどっかの純文学の雑誌が転載希望って言い出しそう。ってか言うべきだよ。


【11月27日】 改めてDVDで連続して観ると「孤島症候群」の前編と後編って展開的にはごくごく普通で謎解きも意外性に乏しんだけど、それが本編の中でシャッフルされて入っていると、解決編を遠くへ持って行ったって行為自体に何やら謎めいたものを感じさせられ、名作だって思わされてしまうんだなあと「涼宮ハルヒの憂鬱」の最新DVDなんかを観ながら思う晩秋の夜更け。もっともキョンの妹がダッフルバッグに入って丸まっているところとか、背中越しにハルヒのブラのカップがのぞく雨宿り中の洞窟のシーンとか名場面は豊富にあるし、真下から水着のみくるちゃんを煽ったレイアウトなんかもあってサービス精神は実にたっぷり。その辺の抜け目のなさもこの作品を強く印象づけて語らざるを得ない、買わざるを得ない所へと持っていった理由のひとつなんだろーなー。

 そんな「ハルヒ」DVDを買った「ときわ書房本店」のレジ横に積み上げてあった「まんたんブロード」の第30号を読んだら「たけくま月評 デジタルマンガの現在」で竹熊健太郎さんがTAKORASUさんを紹介している。10月末の「東京コンテンツマーケット」で「TCMアワード」の動画部門賞を獲得した人で、どこかレトロなマシンがモノクロの銅版画っぽいタッチで描かれているイラストなんかをずっと手がけていたんだけど、今年はそんなイラストだけじゃあダメだと一念発起して、動かしてみたところこれが審査員に好評で、晴れて部門賞の受賞と相成った。ただのイラストレーターで終わらないぞって強い意志が実ったって言えそうで、そんな努力を買って竹熊さんも「いつまでも見ていたくなる『動くイラストレーション』のような作品」って評価している。

 「六本木ヒルズ」なんて高尚な場所で行われてしまった関係で来場者の数が今ひとつ伸びず「TCMアワード」の受賞がすぐに何かのビジネスに結びついたって雰囲気はないのがちょっと残念。同じ琴は静止画部門で受賞した伝陽一郎さんもそんなことを話してた。ちなみに伝さんのパートナーが漫画家でイラストなんかも手がける伝説的なクリエーターのさべあのまさんだと知ったのはイベントが終わってからで、もしかしたら会場にいたあの人がと思うと何だか興奮いたします。それはさておき受賞してもビジネス展開がなかなか厳しいなかで竹熊さんが「まんたんブロード」で取り上げたことでTAKORASUさんの作品が、大勢の目に触れ商業作品化されたりすればこんなに嬉しいことはない。10年後と言わず来年を楽しみに活躍を待とう。引っかけに行くところは出るかな。

 最初に見たのは当時まだ奥さんだったアマレス女子の山本美憂選手の闘いを、代々木第2体育館まで応援に来ていたエンセン井上選手の周りに付き従いつつ姉の応援をしていた時だったからもう5年以上前のことになるのかな。当時は「修斗」に入門したてて評判の程はまるで聞かなかったけど、今や姉に妹の女子レスリング世界チャンピオンを差し置いて、高い知名度を誇りカリスマ性も充分な”神の子”となった山本“KID”徳郁選手がリーボックジャパンとパートナー契約を結んだってんで恵比寿まで会見を見物に行く。現れたKID選手は当時も細身で鍛え上げられていたけれど、今もこけた頬に比例してウォームアップスーツに包まれた体には筋肉がみなぎっている感じがありあり。アマレスでの北京五輪出場を目指してトレーニングに励んでいる最中ってこともあって顔つきや佇まいには闘気も漂っていた。

 163センチしかないんだけど64キロてのはそれだけ筋肉がいっぱいついているってことなのか。格闘を知らない人間が小さい野郎だって舐めてかかって挑めばきっと、即座に殴り返され蹴り返され、関節を固められて昇天ってことになるんだろー。もっともアマレスはアマレスで殴ったり蹴ったりが中心の「K−1」なんかとは別の筋肉の使い方が必要になって来る訳で、そのあたりをどうやってトレーニングしているのかが気になるところ。まあ2人の世界チャンピオンを女子ながら育てたミュンヘン五輪代表の父親が、コーチになって教えてるんだろーし、当人だって全日本学生選手権で優勝していたりするんだからブランクもものとはしないでそれなりの闘いぶりってやつを見せては、リーボックが望む効果を上げることになるんだろー。そうならなければリーボックと、その親会社のアディダスが別のパワーって奴を使ってKID選手を押し立てる? いくら何でもサッカーじゃないんでそこまでは。

 じゃあサッカーだったらあるのかっていうと現時点ではまるでない。あったらスポンサー筋がオキニなバットマン宮本選手だのボンバー中澤選手だのが、今なお代表でもってディフェンスラインにべたっと張り付きボールをただただ跳ね返しているはずなんだけど、そうなっていない上にアディダスが更に期間を延長して日本サッカー協会と巨額のスポンサー契約を結んだってことが、特定の選手だけをスポンサーとして持ち上げその人気にあやかり商品を売るよりも、代表ってもの自体を、というかサッカーというスポーツ自体をコンテンツと位置づけ、その盛り上がりが結果として自分たちの利益になるよーなマーケティングをしていこうって考えている現れだって言えそー。特定選手に依存したってその選手が怪我とかしたり調子を落としたらどうなるかってことを、02年の中村俊輔選手あたりでアディダスも学んでいるはずだから。

 むしろ学んでいないのが日本のメディアで、KID選手の会見の待ち時間に後ろで喋っていたスポーツ新聞の記者たちが、今の誰も知らない選手ばかりがいっぱいいる代表じゃあスポンサーがつかず電通も困っているようで川淵三郎キャプテンの首も怪しくなってるよって話をしていたんだけど、知名度に頼った選手選考がもたらした衝撃の大きさを噛みしめつつ、スタートしたばかりの新しい日本代表選手が、これからの活躍の中で有名になっていく可能性にかけようと電通だってしているはずで、むしろ人気がないなら自分たちのパワーでもって人気を盛り上げていくんだってゆーやり甲斐を、感じて日々を仕事に取り組んでいるのがリアルにスペシャルな広告マンって奴だろー。不人気だから投げ出したいなんてショボい考えの奴に務まる仕事じゃない。

 すでに阿部勇樹選手とか田中マルクス闘莉王選手とか、全国区になりつつ有る選手も出ていて1年後、2年後には06年のワールドカップに出場したどの選手よりも人気を獲得しているかもしれない。それより下の世代からだって北京五輪にワールドユースを経てスターが出てこないとも限らない。そーなった暁には誰も知らない選手ばかりで不人気だなんて言えないだろー。けれどもメディアは無名選手ばかりで不人気だと言い立てる。現在を見ず未来を見ないでありもしない憶測をさも事実のよーに書き立てる。スポーツの最前線で取材を重ねている記者が、そーゆー認識を持っているってのが何より驚き。なるほど日本のスポーツメディアが一向に真っ当にならない訳も良く分かる。メディアが単に不勉強なだけなのか、不勉強なメディアにつけ込んで操作しようとする輩がいるのか、知っててメディアも為にするよーな憶測に阿っているのか、分からないけどいずれにしてもメディアの意識と一般の認識の乖離はやがて、信頼性の喪失へとつながり崩壊を招くことになるんだろー。すでに起こっていること? そーなんだけど実際は。

 人が集まったから町なのか。それとも町があるから人が集まって来るのか。成り立ちは前者なんだろうけれど、そうやって生まれてしまった町はもはや人間の従属物としての立場を越えて人間を集め営ませてはエネルギーを生み出させる生命体のよーな存在になってしまうんだろー。そーなってしまった町にとって人間が逆に従属物となり、町が消える時は共に人間も消えてしまうってことになるんだってことをさて、三崎亜記さんは最新刊の「失われた町」(集英社)って小説で言いたかったんだろーか。印象としては長編ってこともあって一所懸命書きましたって感じだけど、伝わって来るパワーが「となり町戦争」に比べてどこか足りないよーな気がするのは何故なんだろー。

 30年にいっぺんくらい町が消えてしまうっていうか住んでいる人が消えてしまう現象が起こって、その際には町が住んでいる人たちを一緒に消えてもしょうがないって気にさせる作用があって、だから誰も逃げないしかといって外部の人間が町の人間を助け出そーとすると、今度は町の人たちの消滅とともに周辺も消えてしまう現象が起こってしまうため、誰も迂闊に助け出せもしない。そんな設定を基本に起きつつ物語では、消えてしまったある町に知り合いを奪われた人たちの哀しみが描かれ、人を引きつけ集め営まれる町ってものの意味が描かれ、そして様々な思いが引き継がれて世界は未来に進んでいくんだってメッセージが浮かび上がる。

 もっともそーしたメッセージを味わうんだったら途中の辺境の話とかあんまり必要じゃないし、むしろ焦点をボケさせる要因になっている。あと全体の構成でも、1つの町をめぐる攻防を描くより、1つの町に関わる人々の思いを様々な角度から描きモザイク状に組み合わせては、全体のトーンを浮かび上がらせていく方が、心にいろいろとじんわり浮かんで来る、泣ける話になったんじゃなかろーか。いっそだったら町が消えてしまう理由を、舞浜サーバーみたいな内にあるとかいった設定にして“外部”をほのめかせばSFになって楽しいんだけど、それだと「グランバカンス」で「ゼーガペイン」で「ばいばいアース」になってしまうから抜きんでられない。不条理な設定を並べつつそこからテーマらしきみたいなものを垣間見せていくブンガク作品とするには雑音が多すぎるし、かといってSFとするには説明が足りないって感じ。でもこのくらいのユルさがSFみたくロジックで原因を探求していく必要のある作品が苦手な人でも、読んで何とはなしに楽しめいろいろ考えさせられる1冊なのかも。


【11月26日】 お便りが届いたので誘われて新宿歌舞伎町の「ミラノ1」まで北村龍平さんの最新作「LOVEDEATH」を見に行く。途中で昨日のリベンジとばかりに「テアトル新宿」で「パプリカ」の午後4時45分からの回のを予約。その時は昼過ぎからのスタートだったけどまだそんなにお客さんが並んでなくって昨日は舞台挨拶でもあったから満席で、特殊事情でもなければ今敏監督の作品をこぞって人が観に押し寄せる時代なんてまだ来てないのかもってややガッカリしつつ、歌舞伎町を抜けて「ミラノ1」へと出向いて受け付けに行ったら北村監督本人が立っていた。相変わらず精悍で格好良い。握手してもらってちょっと嬉しい。再来年くらいにゃきっとハリウッドを闊歩している人だろーから、今度はホントの本当に。

 そんな新作「LOVEDEATH」は、「ヴァーサス」の時代に戻って完全自主制作体制で作った、って言うけでもどこの国に大友康平さんがボウリング好きなヤクザの若頭役をやっててエンディングではカラオケで主題歌を熱唱したり、2時間ドラマの帝王と呼ばれる船越英一郎さんがヤクザの組長役で登場しては股間を銃弾で粉砕された果てに男根を求めて手にピストル型のバイブレーターを持ち荒野で決闘をしたり、寺島進さんがいかにも寺島進さんってサングラスにちょび髭姿の風体の刑事役で登場したり杉本彩さんがヤクザの大親分の娘役を演じたり、その大親分役を泉谷しげるさんが演じたりする自主制作映画があるっつーんだ、ホントにもう。

 それだけならまだあるかもしれないけれどでも、森本レオさんが拷問好きなファーザーやってる横でインリン・オブ・ジョイトイさんが鞭を震っていたり、船木誠勝さんがカップルと観ればぶっぱなす頭の悪い殺し屋をやっていたりそのチームが川村かおりさんやらIZAMさんやらで構成されてたりするんだよってんだ。何より主役が武田真治さんだよあの二枚目の。それが初っ端からキザなセリフをぶっこきまくっては、新人らしーけど新人らしからぬ凄みと新人っぽい可愛らしさをその恐るべきスレンダーな肢体に同居させてるNorAさんを相手に、二枚目のアウトローっぷりを演じてた果てに引きずり込まれて、引っかき回されてはヤクザに追われる羽目となったのに、途中でおろおろしつつもやっぱり二枚目っぷりを最後まで発揮してくれる格好良さ。なおかつその格好良さを徹底して浮かせまくる他の面々が演じるギャグでコメディーなエピソードのこれでもかって大盛りぶり。そんな自主制作映画がある訳ない。普通だったら。

 ところがご存じ、北村龍平監督は普通じゃない。並じゃない。大言壮語にして有言実行の男だけあって、過去に仕掛けた山ほどのプロジェクトの過程で得ただろー知遇と評判を駆使してかくも凄まじいキャストを引き寄せ、そしてとてつもなく素晴らしい映画に仕立て上げてしまった。それが「LOVEDEATH」。「スカイハイ」の高橋ツトムさんを原作にしたその映画を一言で説明するのは難しい、ってゆーか不可能だけど見ればまずは背筋のゾゾっとする甘い言葉に目を眩まされ、そして始まるヤクザと刑事と殺し屋たちを背後に感じる逃亡劇に心引き寄せられる。さらにはクライマックスかと思ったそれから先に始まるスペクタクルとちょっぴりセンチなエンディングに呆れつつ笑いつつ、涙と感動のフィナーレを迎えることだろー。いやあ笑った。これほどまでに笑って楽しめてそして股間と背中にゾクゾクっと来る映画は見たことない。

 とにかく凄まじいばかりの映画を支えた俳優たちにまずは拍手。船越さん寺島さん大友さん竹内力さん泉谷さん渡辺裕之さんKAN(愛は勝つ!)さんPAFFYさん他累々な面々に喝采。そして武田真治さん。小さいんだけど小さく見えず細いんだけどしっかりと鍛えられてる肢体の素晴らしさに賛辞。美しすぎます。なにより新人らしーけど杉本彩さんインリンさんほか名うての女優陣を従える輝きを見せたNorAさん。綺麗です可愛らしいです恐いです。演技だって完璧で喋りなかプロの武田さんより時々巧いんじゃないかって思わせてくれる。どこから探して来たのやら。でもってこれからどんな凄い女優になっていくのやら。ともあれ見所たっぷり時間も長大。もうちょっと削っても罰は当たらないかもしれないけれどそれだとでられなくなる俳優さんもいるから仕方がない。公開は多分半年くらい先になるんだろーけれど、公開されたらまた見に行って散りばめられたギャグと溢れ出るNorAさんの麗しさにどっぷり、浸ってハマって来よう。

 でもってその脚で「テアトル新宿」まで戻って「パプリカ」。階段の上まで並ぶ行列で場内は満杯になってやっぱり昨日の夜の混雑ぶりは夢じゃなかったんだと理解。お洒落でスレンダーな女性とかがアニメを見に来ている様を見て、今敏監督の存在が宮崎駿さんとはまた違う、若い層にとっては男女を問わず高い認知度を持ち且つその作品を見てみたい監督になっているって現れなんだろー。「パーフェクトブルー」が公開された時とは大違い。ご近所で取り壊しの始まって更地にされていた松竹会館の1番狭い劇場で、いかにもな人たちとご一緒しながら観た日も今は遠くになりにけり。おめでとう御座います。

 そんな観客の期待に違わず素晴らしい作品だった「パプリカ」は、夢に入る機械が奪われ悪用され始めて起こる事件に、昼間はクールな研究者なんだけど夜はやんちゃなサイコセラピストに変身するパプリカが追うってストーリー。原作を読んでからもう10年以上が経っててどんなんだったかは覚えてないんだけど、前半はそんな小説のストーリーに沿いつつも夢の世界のグロテスクな感じが、玩具の大行進ってビジュアルでもって描かれ目に強烈な印象を残す。やがて事件の犯人らしき人物を追いつめたもののその背後に更なる黒幕の存在が見えて来て、追い掛けようとした矢先に事件は起こりそして空前絶後のクライマックスへと突き進んでいく。

 途中までだとあまりにストレート過ぎて夢と現実の境界が曖昧になるエピソードも単純で、めくるめく騙し絵の世界が繰り広げられた「千年女優」や、現実が妄想に浸食される怖さに震えた「パーフェクトブルー」を越えてないんじゃんって思ったけれど、その先に待ってた事件の真相に絡むスペクタクルがエロティックなシーンとも相まって、感激と官能の昂揚感を観る人の中にわき上がらせる。林原めぐみさんの演じるキャラでまたしてもアレを見せられるとは。10年ほど前の「新世紀エヴァンゲリオン」の劇場版にささげるオマージュ? いやいや今敏監督がそんなサーヴィスを敢えてるすとは思えない。それはまさしくアニメに脳内を冒された若者たちの集合的な無意識が、願望となり情念のエネルギーとなって今敏監督の脳内に働きかけて、あのシーンを描かせたに違いない。なるほどいかにも「パプリカ」らしー話だなあ。本当かどうかは知らないけれど。

 ともあれ傑作。「LOVEDEATH」が北村龍平さんって有言実行の大言壮語が描いた夢をそのままスクリーンに塗りたくった映画だとしたら、「パプリカ」はそんな夢が生まれて世界を巻き込み増殖していく凄さって奴をテーマに描いた「LOVEDEATH」とは表裏一体を成す映画って言えば言えるのかな。そーいえば共に同じ「トップランナー」に出演した中。今敏監督は確か番組で本上まなみさんから写真集にサインをもらってファンを広言してたっけ。その本上さんは北村監督と武田真治の雄姿を観に「ミラノ1」に来ていたらしー。うーん世界はつながっている。いっそ今度はアニメの中で筒井康隆さんとともに何もいえない味を持った役を演じたその演技力と、存在感たっぷりな長身を駆使して北村さんの映画に出てみては、いかが。相手役はもちろん本上まなみさんで。


【11月25日】 「鋼の錬金術師」の15巻を買ったらホークアイがバイーンだった。荒川弘さんによればそれは歳だからってことらしーけど彼女がいったい何歳なのかを聞いた瞬間に射殺されるんで聞けません。ストーリーはイシュヴァール殲滅の様が描かれ子供には厳しそう。過去の話が中心なんでエルリックをめぐる動きに進展はなくって「紅蓮の錬金術士」ことキンブリーの振る舞いなんかが描かれていて、それがこれからの本編にいろいろと絡んで来そう。しかし「焔」と「紅蓮」じゃ何が違うんだろう? 見ただけじゃあ違いもどっちが強いのかも分からない。そーいや水系の錬金術師っていたっけ? そもそも国歌錬金術師って何人いるんだ。まだまだ読みごたえがありそーだなあ、完結にはほど遠いなあ。

 1000円で拾った浜崎あゆみさんのライブDVDをつらつらと夜中にかけて見る。やっぱりライブは巧いなあ、演出も構成もバックもそして当人も。1番目立っているのがよっちゃん野村義男さんだけど、ドラムもしっかりと叩かれていてダンサブルな楽曲をキュッと引き締めてダレさせないし、キーボードもいい感じに鳴って耳に心地よさを感じさせる。何より“主役”が派手なダンサーに迫力のバックをちゃんと従え1番目立っているのが良い。映像だから目立たせようって編集は幾らだって可能だけど、会場にいたってあの存在感はアリーナでも、ドームであっても伝わって来るんじゃなかろーか。これは1度くらいは見ておかないといけないかなあ、でもちょっと行くのが恥ずかしい。

 ライブの良いのはいろんな楽曲をたくさん聴けるってことだけじゃない。テレビだとピンで立ってヒット曲を1曲唄うだけでそれはCMなんかで聞き覚えのある曲が聴けてうれしいねってだけの感慨しか巻き起こさないけれど、ライブだとたとえ席が遠くても同じ空間にいて“対話”している感覚を味わえるし、何より全身で浴びるサウンドが毛穴の奥まで音楽を染み渡らせてくれる。それはDVD化されても大きくは減殺されない。会場にいた人だったらあの感慨を今いちど、味わえるってことで買ってみたくなるんだろーな、だからそれなりに売れているのか、浜崎さんのライブDVDは。種類がちょっと多すぎるのが難だけど。

 10月に「に・よん・なな・みゅーじっく」丸山茂雄さん、ってゆーか元ソニー・ミュージックエンタテインメント社長でエピックの生みの親でソニー・コンピュータエンタテインメントをソフト面から支えた人に取材に行ったときに言っていたのが「これからはライブが中心の時代が来る」ってこと。、昔だったら巨大な装置を持っていなければ複製して頒布できなかった関係で、産業化していた音楽が今は簡単にCDにだってやけるネットを使えば配信だって自由自在、そんな時代に複製品で商売をするのは難しくなるって話してた。

 CDが売れなきゃ何で食う? それがライブってことで全国津々浦々をライブで回ってアクトを見せてはその場でCDを売りDVDも作って売り音楽配信でも聴いてもらって食べていくって寸法。数百万枚なんてミリオンヒットを当てて印税でガッポリ、って夢が消えてしまうのは寂しいけれど、そんなことが可能になったのなんて所詮はここ50年くらいの出来事で、それ以前の状態に戻るだけって言えば言えるんだろー。落語はいくら人気になったってCDが売れまくるなんてことにはならない。寄席で見てこその落語。音楽だって生演奏を見てこその音楽って感覚がいずれ主流になっていたっりするのかな。

 悩ましいのは浜崎さんのあのゴージャスなライブがおそらくはCDなんかの売上に寄っているってことで、何百万枚とか売れてこそあれだけのセットを組みスタッフを集められるんだろーけれど、ライブの収益を大きく上回ってCDが売れなくなるよーな時代になれば、CDの収益を突っ込みお客さんにサービスをしてまたCDの売上へとつなげるスパイラルも行き詰まる。ショボいセットで見せて果たしてあれだけの魅力を見せられるのか。それとも剥がれ落ちる虚飾とともにシンガーとしての芯まで崩れてしまうのか。淘汰も起こって来るんだろーなー。時東ぁみさんは残るかな、ライブ楽しいし、踊ってる奴見てるだけで。

 早起きをして任天堂が「幕張メッセ」で開いている「Wii」の体験会を見物。大阪だと入場制限まで出たって聴いていたからさぞや長大な行列が出来ているかと心配したらそうでもなくって、午前中ならいけばすんなりと入場までは出来た模様。ただそこからが大変でゴルフとか野球とかテニスとかボクシングとかボウリングといったスポーツのゲームを遊ぶのにはだいたい50分とか1時間とか待たされるし、「ゼルダの伝説」にいたっては200分とか220分なんて想像を絶する行列が午前10時前の段階で出来ていた。来週には発売になるんだから買って遊べばいいのに。待つよりそっちの方がはるかに楽だよなあ。

 そんなんだから午後に行っても何も楽しめなかったかもしれいないけれど、見ているだけでも楽しいのが「Wii」の良いところ。会場が広い関係もあって「東京ゲームショウ」みたく、ゲーム機の周りに人垣が出来て何も見えないってことはなくって、柵の後ろまでいってプレーしている人を眺めているだけで、それがどんな面白さを持ったゲーム機なのかってことを感じられる。そして見れば見るほど試してみたくなるってのが、「Wii」の強さか。美麗さは感心だけを高めるけれど、面白さはやってみたいって衝動を伝染させるのだ。

 あと親子連れがいっしょになって楽しんでいる姿の実に多いってことが気になったポイント。お父さんに息子とか娘とかが並んでテニスを遊びボクシングで闘い野球で勝負してる。外でキャッチボールなんてしている時間もなければ場所もなく、テニスコートになんて連れていけないご家庭でも、リビングくらいの広さがあればそこで“肉体”を通したコミュニュケーションを図れる。これってすごく大きいポイント。ゲームだからって親に目の敵にされていたのが親が率先してやらせようとするゲーム機になった。もはや無敵。なるほど岩田聡さんが家の誰にでも関係のあるマシンにしたいって言っていた意味が分かっていたけど形となって見えてきたよ。考えはついてもそれを実装できるかはまた別なんだけど、ソフトとそしてハードから実現して見せた任天堂。やっぱり恐るべき会社だなあ。

 見たソフトではスポーツ系はやっぱり買うかなあ、あと気になったのでは「大乱闘スマッシュブラザーズ」のビデオ。「スネーク」が出てたよ。こりゃ強いよ。マリオなんて瞬殺だよ。ピカチュウにはかなわないかな。あと「スーパーマリオギャラクシー」とか「ドラゴンクエスト」の「Wii」向けとか。「ドラクエ」は前にザビックスのシステムで出た剣聖なんとかって奴を「Wii」に移植してグラフィックを美麗にしてお話も膨らませていったって雰囲気。コントローラーをばしっとやるとスライムがすぱっと切れる、のかな。いちど実験しているだけにきっと奥深くて面白いものになっていることと期待しよー。

 会場を出て会社に寄って記事を突っ込んでから新宿に「パプリカ」を見に行ったらすでに満席でぎゅうぎゅう詰めで見られそーもなかったんでそそくさと退散。地下街にある「和幸」の別店舗で「豚丼」を貪り喰う。牛肉の輸入停止を受けて慌てて牛丼チェーンが作った奴じゃなくって、北海道の十勝で長く食べられているショウガ焼きみたいな豚のスライスをご飯の上に載せて食べるあれ。和幸はその専門店を作ってて、甘いタレのノーマルや味噌ダレをつけた味噌豚丼、豚とご飯を別にした定食なんかを出している。味噌を食べてみたけど味はまずまず。明日も新宿に行くんで今度は普通の奴を食べてみるか。「パプリカ」はいつ見られるかなあ。


【11月24日】 「アムロくん、細くすれば素早く振れると考えたのだな、だが甘いな」「何だと、シャア、ポッキーだから甘いのは当然じゃないか」「ふふっ、そうではない、その極細ポッキーでは私のノーマルポッキーを打ち折れないというのだ」「きさまが受け止められない速さで降れば関係ないっ」「だから甘いというのだよ、ただでさえ細くなったポッキーがザクの装甲を破れると思うのかい」「そんなことやってみなくちゃ分からない」「よかろう、来たまえアムロくん」。なんて会話をひとり語りしながら「ガンダム」と「シャア専用ザク」のプラモデルを戦わせるマニアとか続出しそーな予感を、バンダイとグリコが持ってきた「ガンプラ×ポッキー」のリリースを見ながら考える。

 「タイムスリップグリコ」なんかでフィギュアとか懐かしい音楽CDとか雑誌とかを付録に付けてきた江崎グリコが今度はポッキーでやってくれたのがこの商品。何でも女性層には圧倒的な支持を受けているけど男性層には今ひとつで、食べるのは銀座かどっかのクラブのおつまみで1箱数千円を出してつまみつつ女の子の歓心を買おうとする場面くらいのポッキーを、もっと男性層にも食べてもらいたいってことで企画されたのがこのコラボレーション。グリコ的には男子たるもの1度は手に取ったことがある「ガンプラ」でもって男性層を引きつけられるしバンダイ的にはポッキーを通して「ガンダム」の存在を改めてアピール出来るって寸法。考えたねえ。

 いっそだったら「シャア専用」だけじゃなくって「ストライク」とか「フリーダム」って女性に人気の「ガンダム」を付録につければ良かったのにって思うけど、それだと男性層へのアピールがちょい疎かになるからとりあえずは普遍の人気を誇る「ガンダム」に「ザク」で攻めたってことなんだろー。嬉しいことにそれぞれのガンプラは改良が施されていて、新型の手のパーツが積まれているから組み立てた時にポッキーを手に持たせられるらしー。それで自立するかどーかまでは確かめた訳じゃないから12月11日の発売日にはコンビニエンスストアへと通い詰めて何とか3体ともゲットしよー。次は「ドム」が欲しいなあ、「ドム」なら必ず3体まとめて売れるから商売的には嬉しいぞ、グリコさんバンダイさん。

 目ざめるとそこには見知らぬ美少女がいて何故か素っ裸で迫ってきて馬乗りになってポカポカと殴りかかってきたら、おまけにその美少女が「ココロ図書館」の高木信孝さんが描くようなプニっとしたやや幼げな姿態の持ち主だったら、君ならどーする? 気絶する、かもなあやっぱり。傍目に絶対に気絶じゃあ済まさないって殺意混じりの感情を抱くだろー、かくも羨ましい目にあったのみならず、美少女から頼りにされて挙げ句に同居までしてしまう少年が主人公の物語を、嫉み妬みの気持ちを抜きにしてはなかなか読めないんだけど、そんなネガティブな感情を持ちつつも圧倒的なポジティブさで評価したいのが、九品田直樹さんって人が書いた「からくりの闘姫」(集英社スーパーダッシュ文庫、552円)。いやあ面白い。

 時は徳川家康が天下を統一した時代へと遡り、家康に協力した人形たちがあった。とある呪法によって魂を持たされた人形たちだったけど、泰平の世の訪れとともに封じられて現代に至っていた。そんなある時、旅行中の傍若無人な若者によってダキニと呼ばれる一種の魔女の人形が盗み出され、社会に解き放たれてしまったことから新たな闘いの火蓋が気って落とされる。ダキニを追って来た“ひな”という人形がダキニを捕まえたのは現代のからくり人形、アクションフィギュアたちが世界でも1番くらいに集まっている秋葉原。そこでダキニに挑んだものの秋葉原の毒気にあてられ充分な力を発揮できないまま“ひな”は破壊され、うち捨てられる。

 そこに通りかかったのが人形町で人形師を営んでいる一家に育った少年の播磨神護。路地裏に転がっていた等身大の関節人形を持ち帰り、腹の穴を塞ぎ手足を綺麗に治してそして椅子に座らせ毛布をかけて寝入った翌朝、なんじゃこの体はって叫び声とともに飛びかかり跨って襟首を掴む美少女に殴りかかられる。眼前には揺れるバスト。跨られた腹の上には大事な部分。ああ羨ましい。羨ましいけれど神護にとっては災難で、いったい誰だと問いつめたところどーやら少女は昨夜に拾った人形で、どーゆー理由からか人間の体と心を持ってしまったと説明する。信じられないけれども信じるより他になく、家族をごましつつ少女の体力を回復させてはダキニの存在を探り始める。

 途中、家康の代からの言い伝えで心を持った人形はいずれ悪さをするよーになると資似ていた祖父たち人形師によって破壊されそーなになるピンチにも遭遇したけれど、まずはダキニを倒すとゆー使命を優先させて“ひな”と神護は連れだって秋葉原へと乗り込み罠をしかけてダキニを待つ。フィギュアにあれほど溢れた秋葉原が“ひな”にとては決して心地よい場所ではなく、昔気質の職人がいっぱいいる人形町を好むって設定は秋葉原のフィギュアたちを否定しているよーでちょっぴり気にいらない。たとえ昔ながらの職人芸じゃなくったって、原型師たちの頑張りやドーラーたちの熱情がこもった秋葉原のフィギュアにドールだって、立派に職人の魂がこめられたものだって気もするけれど、そーすると話がとん挫してしまうから仕方がない。

 まあ抑制された美学よりも欲情を尊ぶ本能が先走るのが秋葉原のフィギュアやドールたち。それを“毒気”と見れば見られないこともないのかなあ。とりあえず落着した本編に続きがあるとしたら新たなはぐれひなの登場か、秋葉原って場所に山と置かれたフィギュアに新たな魂が生まれてそれと、天宮ひなの名をもらった“ひな”とのバトルなり邂逅が中心になるんだろー。それとも秋葉原ではなく河岸をかえて東池袋あたりににわかに漂うよーになった別の“毒気”が生み出した人形とのバトルが描かれたりして。ともあれ期待の新鋭の登場に拍手。高木さんの描くイラストはやっぱりプニプニっとして可愛いなあ。悪辣なダキニまでも可愛らしく見えてしまうよ。それだけにちょっと可愛そうな気も。せめて安らかに。上野のお寺で人形供養してもらって下さいな。

 近所の紀伊國屋書店のDVDワゴンを掘る日々。真田広之さんと鈴木保奈美さんが出演している映画「ヒーローインタビュー」を拾う。狙いはもちろん保奈美……な訳ねえな。安達佑実さん。まだ13歳くらいだった安達さんが13歳らしいと言えば言えるし今とそれほど変わっていないとも言える姿態と笑顔で出演しているのを愛でられる映画としてこいつは貴重な1本だ。つでに転がっていた浜崎あゆみさんの2003−2004アリーナツアーのライブDVDも購入。ベースがエンリケさんだったよ、こんなところにいたのか。ギターは当然ながらよっちゃん野村義男さん。挑発でメタルっぽい服を着て弾きまくる姿が瞬間、クラウザー様に見えました。背丈も顔立ちもまるで違うけど、鬼気迫る感じってのがちょっと共通。実写映画化の歳にはギターシーンだけよっちゃんに演じてもらうか。それとも代役なしであのメイク後の迫力とメイク前のヘタレっぷりを出せるミュージシャンっているのかなあ。ウェンツ瑛二。あるかなあ。あるかもなあ。


【11月23日】 小さくて可愛らしい少年が、美人だけども猛々しくって類い希なる能力の持ち主でもある年上の少女に憧れ、少女もそんな初々しくも純真な少年に好意を寄せる物語、って聞けば真っ先に浮かぶのが岩田洋季さんの「護くんに女神の祝福を!」(電撃文庫)ってのは万人に共通なことだけに、似たジャンルへと飛び込んでいった勇気をまずは讃えよう夏希のたねさん「戴天高校勝利部」(集英社スーパーダッシュ文庫、590円)は、山奥にあって国家的な一翼を担いながらも表には出ないまま私立として体力的知能的に優れた人材を集め養成している「戴天高校」に、見た目がまるで女の子みたいに小さくて若いらしくて料理好きな男の子の山本杏梨が入学するところからスタートする。

 暴れん坊を矯正させてお国の役に立つ人材に育て上げるような、そんな学校にとりたてて能力もないごくごく普通の少年が、なにゆえに入学できたかっていうと何でも子供の頃から変態的だった父親を知る友人が、その学校に勤務していてあの父親の息子だったらとんでもない人間に違いないと思い込み、誘い応募があったので入学を許可したってことらしい。ちょっと微妙。少なくともビアトリスって物質を取り扱う能力を持って選ばれその扱い方を学ぶ学校に入って鷹栖絢子との邂逅を果たした護くんの方が展開として順当だけどそこはそれ、「戴天高校」の方も一筋縄ではいかない学校だけあって表にはまだ現れていない杏梨の能力に目を付け、それを伸ばそうと画策しているってことも考えられる。

 何しろその学校で9期連続して期末試験でトップをとり続けている「勝利部」の部長、神薙一花が表向き自分の能力だと標榜しているのが、情報を尊びあらゆる手段を駆使して集めた情報を使い“戦う前に勝つ”ことだ。杏梨の入学にあたってもいろいろと動き回っていた可能性がない訳じゃない。その結果として自分が部長を務める「勝利部」へと杏梨を誘い込んでは部員とし、そして並み居る強豪たちの頂点に杏梨を立たせようとしたのかもしれない。それだと杏梨はただ一花の手のひらの上で踊らされているだけで、護くんにベタ惚れな絢子とはちょっと立場が違ってて、強い美少女に惚れられるってゆー男子冥利に尽きる(のか?)シチュエーションをストレートには味わえない気もしないでもないけれど、それもあるいは惚れた相手を頂点に立たせて3歩下がってその影を踏まない立場に身を置きたいって一花の、乙女心って奴が働いてのことなのかもしれないんで、追って繰り出されるだろー続編を待って確かめよう。出るのか続編。

 イラストが緒方剛志なんだけど表紙が妙にポップで、どちらかといえばクールで殺伐とした雰囲気が得意っぽい(そうじゃないことは「ニュータイプ」の番組表のカットでいろんなキャラを描いているから分かっているんだけど)イラストレーターにしてはな雰囲気で、パッと見どうにも緒方さんに見えなかったんだけど口絵を何枚かめくって一花が森で賊に絡まられている場面で納得。半面を影にして片方の目をギラリと輝かせてにらむ一花の表情とかはとってもブギーポップっぽい。でもそれ1枚であとはやっぱり萌え系ポップ系。とりわけ目次に描かれたフリヒラなロリータ衣装の“美少女”なんてそれだけを見て緒方さんだって言われて信じる人なんていないんじゃなかろーか。ちなみに正体は……。いやあなるほど「萌え落とし」かあ。効く奴には効くよなあ、これ。

 仕事に詰まると逃避して書き溜めてしまう読書感想文のページを更新してこれでそろそろ一体何冊になったんだろうと数えようとして面倒くさくなって断念して、支度をして電車に飛び乗りまず千葉へ。「三越」の手前にある「ヨドバシカメラ」の地下にある玩具売り場を散策していたら例のメガブロック製「ガンダム&ザク」のうちの「ザク」だけを手にした女性がいて無頼だなあと感心する。どーやら旦那と男の子女の子の2人の子供を連れての買い物だったらしくほかにフィギュアとかプラモデルとかも手にしていたんだけどそれらが全部「ガンダム」関連ってのがまたすごい、そーゆーキャラになったんだなあと遠い目。それともやっぱりちょっぴり不思議な家族なのか。だからブロックで「ガンダム」じゃなく「シャア専用ザク」をまず買うのか。尋ねてみれば良かったかな。「本当はズゴックが欲しかったんです」とか答えられたら思考が更に泥沼なんで聞かないで良かった。

 そこから「フクダ電子アリーナ」へと出向き「ジェフユナイテッド市原・千葉対サンフレッチェ広島戦」を見物、悪くない試合だったと感想。千葉はパスをよく回してゴール前まで攻め込んでいたんだけどカウンターを狙っていた節のある広島にゴール前を固められ、またシュートを丁寧にしようとするあまりに回してしまう千葉の悪い癖も出てなかなかゴールを奪えない。そんな隙を突かれてカウンターから1発でゴール前へと運ばれ前田俊介選手に1点を奪われ追う立場に。ますます引きこもる相手に攻め立てるんだけどやっぱり奪えず逆にカウンターを喰らい、それをゴールキーパーの岡本選手が超超ファインセーブを見せ追加点を許さない展開は、見ていて心臓に悪いけどでも退屈さは感じなかった。

 動きのタイミングが合わないのかトップに入った要田選手にボールがフリーでは入らず、かといってポスト役にしよーにも要田選手では巻誠一郎選手ほどおさまらず奪われカウンターの起点に。マリオ・ハース選手と巻選手とゆーレギュラーのフォワード2人が出場していないとゆー状況だけに仕方がないと言えば言えるんだけど、だったら代わりに出場した山岸智選手や、途中出場の楽山孝志選手にはチャンスをものにして欲しかった。終盤に出場した“王子”こと青木孝太選手が潰されながらもトップでボールを保持して後ろから飛び込んでくる佐藤勇人選手たちにつなぐ役割を存分に果たし、そうでない場面でも動いて裏を狙おうとしてた姿を見ると来年は、彼がトップに収まり巻選手と良いコンビを見せてくれるんじゃないかって期待も膨らむ。楽は……精進がまだ必要かなあ。

 期待の水野晃樹選手はポジションがやや下目だった関係で日本代表U−21の韓国戦で見せたよーな、ディフェンダーをぶち抜きクロスを上げる場面がほとんどなくって怖さ半減。もうちょっと前目で使うかスピードに乗った形で受け取れるよーなサイドチェンジのパスを頻繁に渡すかしないと生きないなあ。ともあれ残り試合は2つでホーム「フクアリ」では1試合を残すだけ。その中で来年につながる選手たちをどこまで起用して目処をつけられるかってところにアマル・オシム監督の手腕とそれから遠謀が試されそー。おりしもジェフでデビューして4連続ゴールを記録した城彰二選手が横浜FCにて引退を表明。その後継を是非に青木孝太選手には担って欲しいなあ。


【11月22日】 遅ればせながら「ギャラクシーエンジェるーん」の幽霊の巻を見る。悪くない、って思っているのはもしかしたら僕だけ? だってほら、ナノナノたん可愛らしくって動き回っているだけでもう嬉しくなって来るし、ガラは悪くて熱血系なのにちょっぴりヌけてていじらしいアニスちゃんもやっぱり可愛くって登場してはどんな失敗をやらかしてくれるんだろうって、期待に胸躍らせてしまう。カルーアさんの美しさは言うことなし。リリィは存在感薄いけどあの訥々とした喋りは演技じゃないとしても耳に残る。そしてアプリコットの適当さ。前作にはないキャラクター群が繰り広げるストーリーは前作までの予想範囲内に予想を超えた展開とはまた違った意外性を見せてくれる。断固支持。もーちょっとテキーラさんも出てきて悪巧みとかしてくれれば言うことなし。なんで是非に出番を増やして差し上げてくださいな。平野綾さん大丈夫かなあ。

 まあお約束なんでとりあえず「MATAKUBOKA(=また久保か!)」。4万キロの彼方にあって姿もあんまり見たことなければ、声もそれほど聞いたことはないものの、風の便りで11月15日に北海道の「札幌ドーム」であったアジアカップの予選最終戦「日本代表対サウジアラビア戦」の前日14日夜に、オシム監督の会見も代表チームの前日練習の様子もうかがうことなく、東京にある本社にいたって話も伝わって来ている、「夕刊フジ」が全宇宙に誇るサッカー担当記者の久保武司編集員が、またもや素晴らしすぎるコラムを発表してくれた。「『素朴な疑問』をはぐらかし続けたオシム監督」ってタイトルのその文章では、サウジアラビアとの試合の後にオシム監督が巻誠一郎選手を重用する理由を聞いてもはぐらかされてしまったと嘆息してる。

 試合後の会見のリポートを読むと、オシム監督は「攻撃は最大の防御である。逆に、最大の防御は攻撃の中にある。巻はその点で実践している。つまり、攻撃の先頭の選手でありながらディフェンスもする。攻撃の能力という点で問題がないわけではない。しかし巻が果たす役割は、汚れ役だ」って感じに、巻誠一郎選手にタスクを与えていることを明かして「大事な役割を果たしているこを忘れてならない」と巻選手がそれを果たしていると説明している。その上で「相手のゴールとハーフウエーラインの間を走り回り、時にはスライディングタックルまでする。そういうFWがほかにいるだろうか?」と讃えて、起用し続ける理由を極めてロジカルに指摘している。

 僕みたいなサッカー観戦歴の浅い人間はもうこれで充分だって思ってしまうんだけど自ら「われわれ番記者」を任じる久保記者のよーなベテランにとっては、上っ面だけの中身の伴わないコメントだったよーで、「日本代表の素朴な疑問に答えてくれないオシム監督にも問題はないのだろうか…」と非難している。なるほどさすがは伝統を受け継ぐ“番記者”様。見るところが違うんだなあ。んじゃどこを見ているのかっていうとフォワードなのにゴールが奪えないことらしく、「どうしてゴールを外し続ける巻の起用を続けるのかという疑問は数多く聞く」って感じに、フォワードたるものゴールの有無がやっぱり重要だってことを示唆している。

 だったら代わりに誰がいるんだと聞かれた所で、即座に怪我でサウジ戦を事態した播戸竜二選手を並べた理由に、どうしてなんだって疑問の声もあがっているけれど、これはリーグでの実績を見つつも、どうしてこれまでそんなに使わなかったのか、ってサウジ戦に限らない一般論から挙げたんだろーし、高松大樹選手は実績で並び立つなら先発で起用した方が重用されているとの認識で、控えに回った高松選手の実力をオシム監督は下に見ているのかって聞いているんだろー。そう思い込めばそれほど突拍子もない質問だとは思えない。

 こだわりもあるみたい。日本人では巻誠一郎選手よりも得点を奪っている佐藤寿人選手をそこで真っ先に挙げなかったのは、ああいったちょこまかと走りウェズレイの助けも借りつつ得点を奪うタイプの選手は、釜本杉山の伝統に照らしたフォワードと認められないってことなのかも。なるほどいついかなる場面でも堂々として確実に得点を奪う、大ストライカーをこそ尊ぶ日本代表の古き良き伝統を、今に受け継ぎ未来につなげることを何よりも重んじる“番記者”だけのことはある。伝統はこーして守られ受け継がれるんだ。

 もっとも釜本杉山以来の伝統に敬意を払い、守備は守備をひたすら頑張り、中盤は中盤でボール奪取と供給に務め、そしてフォワードは89分遊んでいても残り1分で点を奪えばそれで万全というサッカー観を、今なお意地する日本代表の“番記者”も絶滅危惧種になっているみたい。ブログで久保記者は「われわれ番記者は、オシム監督と結局『友好関係』は結べずに、06年サッカー日本代表の日程はすべて終了した」って言っているけど、他のサッカー関連記事なんかを読むと、オシム監督の言葉を理解し言葉の裏側まで読み、それから練習もしっかりと見た上で何をやろうかと理解し、そーしたリサーチにもとづいて鋭い質問を飛ばしては、明確な答えを得ていたりする。

 ひとり久保記者だけが「『友好関係』を結べ」なかったと書いているよーに見えるのは、雇われ人に過ぎない監督に媚びるよーな振る舞いはせず、超然と構え練習も見ず前日会見も聞かず、揺るぎなき己がサッカー観に立って断じる伝統の日本代表“番記者”が、もはや久保記者しかいないって現れなのかも。歩く天然記念物。呼吸する世界遺産。そんな貴重で偉大な人と同じ空気が吸えればこんなに嬉しいことはない。4万キロの距離が何とも恨めしいけれど、ここは彼方から失われつつある日本代表の輝かしい伝統と釜本杉山以来のポリシーに、ひとりこだわり守ろうと頑張る久保記者に心底よりの声を贈ろう。「MATAKUBOKA」。

 4億とかって数字に釣られてトト大神さまのお告げにすがる。何だ明日の試合じゃなくって土曜日の試合か。見るとセレッソ大阪は大宮に破れて残留はもはや困難な状況。京都もガンバ大阪に負け福岡は名古屋に負けてと崖っぷちなチームには厳しい週になりそー。優勝争いの方はといえば、浦和はFC東京と引き分けるけど川崎は鹿島に敗れG大阪は前述のよーに京都に勝つ。木曜日の試合結果しだいではガンバ大阪が首位に立つってこともあるのかな。J2の方は首位の横浜FCが鳥栖に破れるものの柏は札幌と引き分け神戸は湘南に破れるみたいだけど、木曜日に試合があるからこちらも木曜日の結果次第か。ちなみに千葉は甲府と引き分け。連敗さえ止まればとりあえずは良いか。

 もしも桜野タズサの記者会見に久保“番記者”武司編集員がいたらいったいどれだけ楽しくて背筋のゾクゾクとするよーなやりとりが聞かれるのかにちょっぴり興味も湧くけれど、あの懇切丁寧な回答をもってして答えになっていないと退ける感性の持ち主だからタズサのどんな言葉も柳に風どころか美辞麗句と受け止め悦にいったりするのかもなあ、なんてことを考えながら遂に刊行となった海原零さん「銀盤カレイドスコープ」の「VOL.8 コスミック・プログラム」とそして最終巻「VOL.9 シンデレラ・プログラム」を一気読み。

 最初に出た1巻と2巻の頃と比べるとそのポジションが高くなったってこともあってマスコミ相手の丁々発止が見られなくなったのは残念だけど、一方でフィギュアスケートって競技に深く激しくのめり込むアスリートの凄さ凄まじさって奴を見せつけられて、テレビを通してでは単なる美を競い合う競技にしか見えなくっても氷上では1人ひとりが強い意思と高い希望を抱いて競技に臨んでいるんだってことが伺えて、漫然とテレビの競技を眺めていた目を開かせる。

 女帝のリア・ガーネットを越えたいとその元コーチに付き従って練習を始めたタズサは、激しいコーチのしごき(そのしごきにもいろいろな含みがあったことが明かされるんだけど)に耐え抜き実力も付けてリア越えを宣言したバンクーバーへの五輪に向けて実力を積み上げる。もはや敵なしでそれはリアさえもと考え乗り込んだバンクーバー。友達だったと思っていたタズサに牙を剥いて挑んでこられて怒りそして完璧な演技を見せたタズサに動揺したリアをタズサが乗り越えていくサクセスなストーリーが最終巻で描かれるんだと信じている人もきっと多いだろう。

 そんな期待を更なる驚きの展開でもって描き挙げた作者にとにかく拍手。予定調和の心地よさを知らず求めてしまいがちな小市民的感性をエッジの立ったスケート靴でズタズタに切り裂いてくれるそのストーリーを目の当たりにすれば、今が絶頂にある人でも逆に最下層まで落ち込んでいる人でも、調子に乗ってはいけないと思い知り諦めてはいけないと勇気づけられるだろー。いやあ驚いた。そして面白かった。これほどまでの作品を描き切った海原零さんにあらためて拍手。でもってこのエンディングを受けてもう1度、アニメーション化って奴に挑んでもらえるとちょっと嬉しいかも。1度や2度の失敗なんて取るにたらないことだってほら、桜野タズサも言ってるし。


【11月21日】 白くて青くて赤くて黄色い色が塗られていればガンダムで、赤くて角が生えていればシャア専用かっていうとそうも行かないのが「ガンダム道(がんだむ・みち)」って奴で赤いポストに角をつけたってザクではないし、フランスの国旗を身にまとっても誰もガンダムだとは想ってくれない。なおかつ微妙なディテールの違いとかを取り上げて、これは良いものだ悪いものだ論外だと区別する人の鉄道ファンに劣らず追い世界なだけに出す方も結構な苦労と試行錯誤を重ねたんだろー。

 その結果登場したメガブロックガンダムシリーズ「RX−78−2 ガンダム」&「MS−063 ザク2」は、レゴほどには細かくないピースを実に700近くも組合せ専用部品も混ぜて汲み上げられた結果、遠目に見ても近くによっても「ガンダム」であり「ザク」だって認め讃えられるくらいの出来に仕上がっている。

 そりゃあ細かくみればタコの吸盤みたいだったり逆にプチプチみたいだったりする突起があちらこちらにあって美麗ではないけれど、組み合わせなくちゃいけないブロック製のガンダムでありザクなんだから仕方がない。プラモデルのガンダムに張り合わせた線が必ず出てしまうのと同様で、かといってブロックだからプラモデルのパーツの隙間をパテで埋めるよーに突起を削って平たくすることは出来ない。でもたとえ突起があったり形に現物との差異があったとしても、佇まいの良さと独特のカラーリングがそれをガンダムでありザクだと認識させてくれるくらいの完成度は持っている。

 ザクなんて実にそれっぽいモノアイを持ってるしガンダムだってふくらはぎがちゃんとある。制約の中でその限度を超えて形作られたブロック製のガンダム&ザクをここは精いっぱいの感動と歓迎で讃えよう。けどちょっと値段高過ぎ。あと部品多すぎ。8500円なんてマスターグレードのプラモより高いよ。700ピースなんて組み上げるのにどれだけかかるんだ。児戯に思えるブロックなのに実は手強い商品。早組み大会とかあったらちょっと楽しいかも。

 どうにかこうにか大きめの仕事が終わってそれから分量では同じくらいの定期的なお仕事も終わって余裕が出来たかというと別にこれも大型の仕事があって来月の頭までかけて粛々とこなしていかなくっちゃいけないんだけれど、そればっかりしていると同時期に来るレギュラーの仕事が大変なことになるんで書店から買い込んできた新刊なんかをつらつらと読み進む日々。普段はあんまり気にかけてないのに何故か目についた新書館のウィングス文庫から登場の西城由良さんって人によるデビュー作品「宝印の騎士」(600円)を読んだらこれが面白い。

 構造は簡単で貴族がいて平民がいて差別されている階層があったんだけど何を考えてか、若い帝王が奴隷階層にも人間としての権利を認めたのがしばらく前。くわえて貴族の庶子として生まれたこどもは親に何か1つだけ、言うことをきいてもらえる権利が与えられた。その権利を行使したのがノイルという名のスラム出身の少年で、その国に伝わってえ人間に不思議な力を与える宝珠を身に取り入れ、宝印として使えるようにする学校に通う権利を、すでに死んでいた父親の父親すなわち祖父から得る。

 それがなかなか有力な貴族だったこともあったのか、学校で虐められのけ者にされることはあても叩き出されることにはならず、また持ち前の勝ち気さも手伝って何とか勉学をやりとげあとは卒業試験に合格するのを待つばかりになっていたのだが、ずっと2番の成績を取っていたノイルが完璧だと確信して書いた答案がなぜか不合格になってしまい、校長室へと呼び出される。行くともう1人、ウィリップという下級貴族の少年もある理由から不合格になっていて、2人はノイルの手に置かれたまま手のひらを綴じ合わされて見えなくされた宝珠が何かを、手を開けて確かめなることなく協力して答える追試を下される。

 ノイルにかわって宝珠を見たはずのウィリップに詳細を聞こうとしたけれど、口述試験の時になぜか口がきけなくなっていて、それで試験に落ちたウィリップは答えずおまけに紙にも答えを書かず、代わりに帝王が誰かに狙われているって話を書いてノイルを苛立たせる。そんなことがあるはずにないし、それよりも自分の合格の報が大事だと訴えるノイルにウィリップはようやく口を開いて暗殺の悪巧みをしている奴らがしかけた薬が効いているふりをしていて、それで試験にも落ちてしまったけどもう我慢ができない、1人でも帝王暗殺を止めに行くといって向かってしまう。

 これでは自分の合格もおぼつかないとノイルはウィリップをおいかけ、ノイルとはいとこにあたる貴族の嫡男のティフェールも巻き込んで帝王暗殺のピンチに挑む。自分さえ良ければというノイルの性格に臆病なウィリップの性格に唯我独尊なティフェールの性格が重なり合っても生まれるのは反目ばかり。けれども迫る危機を協力し合ってしのぎ帝王暗殺という一大事を防ごうと頑張る3人の間には、表向きの反目とは違った生きていくために不可欠な、思いやりと情愛が芽生え育まれていく。

 続く第2話では合格は果たしたもののまだまだ出自故に前途多難なノイルがやっぱり遭遇した事件を、ちょっぴり成長したウィリップと高飛車さの中にも正義を曲げないティフェールの力も加えて解決していく様が描かれる。一所懸命に努力したんだから何をやってm許されるんだと訴える敵の姿にちょっと前の自分を重ねて戸惑い悩むノイルの姿が、省みて考えを改め、そして前を向く大切さを教えてくれる。ノイルが得た名前のまだない宝珠の謎や、それがもたらす力の意味なんかが未だ語られていないだけに、続編ではそんな設定の深さも見せてくれながら、頑張る若者達の姿を見せて欲しいなあ。期待大の新鋭に敬礼。

 とりあえず水野晃樹選手はスペシャルだ。五輪代表にあたるU−21の日本代表対韓国戦でそれこそ数え切れないくらいに右サイドを駆け上がり破っては絶好のクロスを放り込んでは貴重な同点弾を演出してみせたそのスピード、その精度は加持亮選手すらしのぎかねない。もしも来月にフル代表の試合があれば絶対に呼ばれていただろーな。Jリーグでの試合が残り少なくなってなかなか勝てない鬱憤を代表で存分に晴らして来年のフル代表入り、そしてアジアカップ出場を果たした上に北京五輪出場も決めてくれちゃって欲しいもの。コーキだったら出来る。

 それにつけても合わせられないフォワード陣の情けなさ。平山相太選手の場合は、ポスト役として放り込まれたボールを巧みに足下でさばいては左右に振って攻撃の起点を作る役目を充分に果たしていたって言えるけど、肝心の得点機に最前線で絶好のクロスをもらいながらも決めきれないのが情けない。1回数なんか水野選手の鋭すぎるクロスに敵ディフェンダーだけじゃなく、確か平山選手に苔口選手の2人まではじき飛ばされた、よーに見えたからなー、よい高さが合わずにのけぞっただけなんだけど、それでもやっぱりみっともない。どっちかが決めて欲しかった。しかしまあこれも馴れの問題だろーからもう少し絞れた上に勘も戻ってくれば水野選手の面白いよーに放り込まれるクロスにちゃんと合わせて得点を奪えるだろーと信じよう。「あのデカいのが入れないのがいけない」ってまた言われちゃわないうちに何とか復活を。


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