縮刷版2005年9月上旬号


【9月10日】 初めて目にしてから幾星霜、待望とも思えるアニメ化が決まって内心に歓喜が沸き立ちながらも果たしてあの清冽なネオ・ヴェネチアの光景を、果たしてアニメとして描き得るのかという悩みも抱えて10月からの放映を待つ見に慈雨として注ぐ天野こずえさん「ARIA」の最新刊「第7巻」(マッグガーデン、フィギュア付き1600円)を読んだら藍華が玲音になっていた。髪の片方だけを顔の横で縛ってゴムひもで留めるあれ。「lain」の再DVD化記念かそれとも安倍吉俊さんの画集再発の記念か。池袋ジュンク堂のサイン会は整理券速攻品切れで残念至極。

 んで藍華の髪。師匠の晃ではなく灯里の師匠のアリシアみたいになりたいと願をかけアリシアのよーにのばしていた黒髪が、焼き肉パーティーのコンロに触ってぼうぼうと燃えてチリチリとした固まりになってポトンと落ちてしまったのを悩み悲しむ藍華に晃が諭し、灯里もアリスも囲んで慰めて復活した髪はアリスの師匠のアテナみたいなショートになってこれもこれで悪くはないけど根がボーイッシュに高飛車だった藍華が、ショートになるとどこか気恥ずかしさを覚えて臆してガーリッシュなところを見せるのがやや意外。髪型だけが性格を表すんじゃなくって周囲の環境そうなった状況を含めてキャラクターは作られるんだなあ。ひとつ勉強。

 と書いててやっと気が付いた「ARIA」世界ってゆーか旧「AQUA」から続くこの世界って名前が全部「あ」なり「A」から始まるってことに。男の子もそーいや暁くんにアルくんだ。これってやっぱり「AQUA」な星だからってことなんだろーか。実社会でこれやると何十億人も人がいて大変だけど漫画作業的には名付けで迷う範囲が経るから楽は楽。でも語感が似てしまう可能性もあるんでやっぱり大変か。7巻で特筆はアリシアさんの眼鏡つ娘顔と灯里のナイトキャップ猫耳仕様。あと目次のカラーのアテナさん。ジーンズ姿で超カッコ良い。フィギュア出ないかな。ガチャポンは出てたっけ。探そう。

 選挙前ってことで誰かの政策を聴こうと街を流離う。秋葉原に行ったけど候補者は誰もおらず。新党日本のワゴンが来ていてチラシを配っていたけど、おっさんが顔に日の丸プラス小丸(この小丸の意味が未だ不明、竹島?)をフェイスペインティングした姿に、運動会でお遊戯をさせられ戸惑う父親よりさらに不気味なものを感じてチラシをもらう手が伸びない。他に配っている人たちのモデルかコンパニオンかって自然さにもどっか違和感があるけれど。騒動で飛び出た人たちの55年体制的なメソッドと党首の人の80年代から引っ張るエージェンシー的メソッドが解け合わず相乗りしている感じと言えば良いのか。そりゃ不気味だわ。

 んで池袋へと回ってみたもののやっぱり誰もおらず。繁華街で大勢集まる人に向かってしゃべらなくって良いのか。それとも昼間の池袋は埼玉だから豊島区の候補者がしゃべっても無駄だと感じているのか。だとしたら選管は昼間の池袋で埼玉の候補者の演説を認めれば良いのだ。同じ理由で昼間の渋谷は川崎あたりの候補者もオッケーに。ただしだいたいが選挙権まだない子供だったりするんだけえど。昼間の新宿は千葉かそれとも武蔵野かどっちなんだろう。でもやっぱり候補者はおらず。いずれにしても外様と思い遠慮したのかな。

 有楽町なら党首くらすがいるだろうと転戦したもののここにもおらず。仕方がないのでアップルストアの中を品切れ中の4ギガの「iPod nano」を腕にくくりつけて歩いて見せびらかすもののそれが4ギガだと気づく人はおらず。当たり前だ。けどしかしどーして2ギガばかりが余るのか。中途半端な割に高いからか。中途半端がよくないのは経済に徹しきれずかといって媚びもできない故にまるで売れない某ビジネス新聞を見ていれば分からないでもないけれど、機能面で「シャッフル」とさほど変わらずそれでいて値段は倍ってところもやっぱり2ギガの場合はネックになるのか。4ギガなら「mini」お6ギガと同じ値段ながら薄さと機能で勝ってるから買い、って判断になるんだろう。マーケッティング重要。

 帰ったら地元の船橋に武部勤幹事長がやって来るって立て看板がいきなり立っていた。まるで渡辺文樹さんの映画「腹々時計」の上映会だ。突然にポスターが貼られ行われてどこか別の街へ行くという。それはそれとして武部さんはこの選挙期間中に実に船橋は3度目の来臨。なおかつ今日は選挙戦も最終日で、それも午後8時までとゆー期限の締めの場所として船橋を選んだってことになる訳で、つまりはそれだけ重要な選挙区だって認識なのかと今さらながらに知って驚く。

 なるほど相手は民主党の党首選にまで出た人で半ば鉄板。一方は3週間前に来ましたってゆー地縁もなければ知名度も皆無の人。普通だったら戦いにすらならないはずなのに、それでも互角に近い戦いを繰り広げられるのは自民党がもはや地盤とか看板とか鞄といったものに頼るだけの体制を脱却し、政策を訴えることで政党として有権者の感心を引きそこから出馬する候補者をも含めて認知してもらおうって戦略を採り、それが「郵政民営化」って掲げた看板の大きさもあって一気に広まったから、なんだろー。且つ勝てないまでも張り巡らされていた組織と、そして加えて相乗りしている公明党の組織力もあって互角といった所まで来ているんだろー。古い革袋に新しい酒を入れてラベルも麗しいのに貼り替え専門店だけじゃなくスーパーにもコンビニも卸し始めたって感じか。なるほどねえ。

 そこに最後の一押しをってことで現れたのが武部さん。現れるなり駅から人並みの真ん中を突っ切り握手攻めに遭ってみせるあたりが集まった人には好印象。選挙カーに上がれば立て板に水と演説を行い政策をしゃべり敵政党の無策を誹り候補者をほめあげ集まった人にアピールする巧者ぶりで、ノーネクタイのピンク色したシャツ姿とも相まってあの体型顔立ちにも関わらずなかなかの遣り手かもって思わせる。幹事長職って要職にあることが人を変えた例は過去にいくらもあるけれど、さわやかさまでをも見に纏わせたのはちょっと異例。この変身ぶりにさて、PR代理店の人たちは絡んでいるのだろーか。ともあれ最後の最後になって聴けた政策。そして見られた有名人。だから、ってことではないけれど、ともかく選挙には行こう、「エウレカ」を見て寝て起きて「マイメロ」を見てそれでも起きていられたら。


【9月9日】 やっとこさ自転車旅行へと旅立つ竹本くん。第1話の冒頭で予告されて既に単行本を読んでいた人はそのエピソードを知っていたんだろーけど、読んでなかった人にはこれが「ハチミツとクローバー」って作品にとってとてつもなく大きなエピソードで、これを境に主人公たるべき竹本のキャラがなおいっそう、屹立してはクライマックスへと向かうんじゃないかと思ってこれから残りの何話かの展開を、心待ちにしているに違いない。

 でもご安心を。本編は自転車旅行の先もちゃんと順調に続いて竹本は順調に脇役の座を固めつつ、山田と野宮、真山と理花さんとそして森田とはぐの立派な人たちの関係がどーなるかを中心に進んでいくのであった。掲載誌も変わるのにいったいどこへと帰着するのか見えないこの先。美和子さんと竹本があぶれ者どうしてくっつくってのは……ないな。

 重陽の節句のこの日は上田秋成の「雨月物語」に所収の「菊花の契り」で悲しくも美しい友情のドラマが繰り広げられる記念すべき日。そんな暦になぜかぴったりの話を偶然にも読んで世の中って奴の不思議さい気づく今日この頃。伝奇界に既にして重鎮の面持ちを見せる富樫倫太郎さんが新しく立ち上げたシリーズ「曾根崎比丘尼」(中央公論社、950円)は副題が「新・雨月物語」とあるよーに江戸時代の怪談集「雨月物語」を書いた上田秋成が主人公。未だ独り立ちはせず嶋屋という大店の若旦那、とは名ばかりで仕事はせず学問にも励まず俳諧に浸っていた仙次郎こと後の上田秋成が、大阪の街に起こる怪異に巻き込まれるエピソードが3本入っている。

 1本が次々と若い女が消えていく事件の裏に死んだ女の怨念があったという話。2本目が嫁に一家が惨殺された過去の事件で死罪となった嫁の墓を訪ねて事件の秘密を知る話。3本目が密室状態の店で幼い娘1人を残して一家が惨殺された事件に心の中に救う魔物を見つける話。怪異にみせかけたミステリーへと発展して「世の中に不思議なことなどないのだ」って台詞で締めくくられるかもって思わされたけど、結末部分ではしっかりと妖怪変化の類によるものあって明かされるんで伝奇方面が好きな人ならご安心、逆にミステリーを求める人は了解の上で読んだ方が良いかも。

 とりたてて積極的でもなく明晰でもなく、どちらかといえば俳諧仲間の茶狸と梅吉に先導され巻き込まれる形で怪異に関わる仙次郎だけど、内心に得たいのしれないものを飼っていてそれが時々表面に出ては仙次郎を苦しめもするし助けもするあたりから、今は怠惰な割に成り上がりたい認められたいって欲望ばかりがふくらみ悶々としている仙次郎こと秋成に、いずれ内心の”鬼”と戦う運命がもたらされ、また3本に登場した以上の妖怪変化も現れて秋成を否応なしに主役の座へと引っ張り上げては、後に彼が本居宣長とも論争を繰り広げるくらいの積極的で明晰な人間になるってことを伺わせてくれるキャラだってことを見せてくれると期待しよー。

 それにしても前作では物語尾「源氏物語」の世界を舞台に光源氏の子孫を主人公にして物語を作った富樫さん。今回も今まで誰も主人公になんかしなかった上田秋成を選んで来るところが巧いし面白い。なおかつどっちもちゃんとキャラが立って物語もまとまってるし。こーなると次に誰を引っ張り出して来てくれるのかなって期待も浮かぶ。誰あたりだと面白いドラマになるんだろー。葛飾北斎だと杉浦日向子さんの漫画の傑作があるけれど、同じ北斎で富樫さんがどんな伝奇を仕立て上げるのかもちょっと読んでみたい気が。あるいはやっぱり写楽とか。それを富樫流の新解釈で。

ここから次のサンボマスター原理主義者は出るか?  お台場から渋谷へと河岸を代えて何年か続いて来た「エンターブレイン えんため大賞」の授賞式が会社の皇居側移転ってこともあったからなのか「東京ドームホテル」へと更に河岸を代えて開かれたんで取材に行く。下読みとかには関わってないし編集部の人たちともとりたててつき合いはなく、どんな感じの受賞者が来るのかいつも分からないけれど今回も割にまじめに漫画とか、イラストとか小説とかに取り組んできた若い人たちが受賞したみたいでまずは第一関門をよくぞ突破したと、素直に喜んであげたくなる。先はまだまだ長いぞってここで脅かしたら続かないからね。実際に続かない人も割にいるし。

 小説について言うなら大賞は出ず優秀賞が2本に佳作が1本。77年生まれが2人とそして68年生まれだから37歳? 割にそれなりな年齢の人とかも混じっててさてこれをきっかけに独り立ちできるのかどうなのか、不安も浮かぶけどテーマが「非合法自転車レース」って所に何か過去にないものを感じられないこともない。ロードレースじゃなくって周回コースってのはスプリントみたいなのを集団で走ってローラーゲームよろしく削り合うのかな。読んでみたい。佳作の人はタイトルが凄い。「ワンダフル・ワンダリング・サーガ 〜世界を救うのはパンダと女の子とサラリーマンと女子大生〜」。きっとパンダと女の子とサラリーマンと女子大生が世界を救う話なんだろう。あるいはパンダでサラリーマンで女子大生で女の子だったりするのか主人公が。多重人格。おまけにパンダは人じゃない。

 多重人格と言えばとり・みきさんの名作「くるくるクリン」が早川書房から文庫で再刊されていて早速購入して冒頭に女教師として「大原まり先生」が出ていて、ちょっぴり太めではあるけれど長い髪をして可愛い顔をした姿に描かれている大原先生の姿に、そうか83年の連載当時の大原まり子さんはこんな見目をされておられたのだなあと遠い目。遠すぎる目。彼方を見る目。5・0でも見えないや。SF作家がちょろりちょろりと一般メディアにも登場していた時代でもあって大原さんは「くるくるクリン」のエピソードじゃないけど本当にCMに出たし、難波弘之さんもSF作家でキーボード奏者として「キーステーション」ってテレビのCMに出て歌まで唄っていたっけか。まさに21世紀の”未来”にテレビで笑顔を見せているSF作家がどれだけいるのか? ライトノベル作家ですらいやしないこの現実。知性の象徴としての文学者、先端の象徴としてのSF作家の像はもはや存在しないのだなあ。

 「えんため大賞」のパーティー会場では遠目にサンボマスター原理主義者のお姿を見かけるものの近寄ってスキマスイッチ原理主義者の愛唱歌を「iPod nano」で聴かせる真似はできずに退散。名札をしていないんで誰が来られていたのか誰が誰なのかすら分からないけど誰が誰だって分かっても向こうが一読者でしかない当方を知っているはずもないんで誰と分かったところで実はあんまり関係ないのかも。とはいえたとえば去年受賞した日日日さんはいたのかな、快調なペースで描き続ける野村美月さんってどんな人なんだろう、陽気さでなる田口仙念堂さんってどんな顔しているんだろう、ってのは気になった所で、それが判然としなかったのは残念といえば残念。授賞の時に見ているはずなんだがなあ。今年見た人も来年にはきっと忘れてしまうんだよなあ。美少女はいなかったんで別に忘れても良いんだけどね。


【9月8日】 それはたぶん意思表示なのだろう。高校野球。野球部員がたばこを吸ったとか万引きをしたとか暴力事件を起こしたとかで、その部が高校野球の大会に出ることを禁止されたり、すでに勝ち得た甲子園大会の出場権を剥奪されたり、優勝の栄誉の返還を迫られたりする事が過去に幾多となくあった。先の北海道駒大苫小牧で起こった部長による暴力事件は部員ではないということで優勝の栄誉が剥奪されることにはならなかったけど、これが部員による事件だったらおそらくは優勝旗は返還となったに違いない。そうでなければ部員の事件で出場を辞退した明徳義塾との整合性がとれなくなる。高校野球連盟も同じ処断を下しただろうし朝日新聞もそれを指示しただろう。

 けれども本日、そうした一蓮托生的な連帯責任について朝日新聞は改める余地があることを身をもって証明した。前日、長野総局の記者が起こした記事の捏造事件の責任をとって朝日新聞の取締役相談役で日本新聞協会会長の人がどちらの役職も辞任する考えを表明した。信頼が何よりも重んじられる新聞にあって虚偽報道は絶対にあってはならない事態。それを犯してしまった以上は責任をとるのもやむを得ないというのが大方の見方だ。けれどもおそらくは同じ日の会合で、まだ正式には辞任していないその人を会長に仰ぐ日本新聞協会は、朝日新聞の報じた紀宮妃殿下と黒田さんとの婚約に関するスクープと、それからJR西日本で起こった脱線事故を撮影した写真報道に日本新聞協会賞を贈ることを決めた。今日の紙面には辞任とそして受賞という、不幸と幸福の記事が並んで掲載されたことになる。

 これを以前の、というよりつい先だっての明徳義塾の代表事態に倣って考えるなら、同じ記者である以上は一方で栄えあるスクープを飛ばした記者を褒め称えたい気持ちがあっても、一方に社を代表する人が名誉の職責であるところの日本新聞協会長を辞任せざるを得ない事件を記者がしでかしたことを重く見て、過去に営々と高校野球を支援して来た家庭で高校野球連盟と結果として(批判をしてこなかった以上はそうとるべきだろう)二人三脚で推奨してきた連帯責任を、自らの場合も取り入れ新聞協会賞も辞退して当然だっただろう。たとえエントリーは事件の前だったとしても、発表が事件の後だったからその間に考え態度を表明するこは十分に可能だったはずだ。

 けれどもそれをしなかった。辞任を表明する一方で新聞協会賞も受賞した。事件は事件。栄誉は栄誉とそれぞれに切り分けてとらえるんだとその態度で持って表明した。部長がしでかしたことではない。記者が、すなわち野球部でいうなら同じ部員がしでかした事件も他の部員、すなわち朝日新聞でいうところの記者の栄誉には影響しないんだということをその受賞でアピールした。なるほどだからこれ以降、たとえ部員が事件を起こしてもそれが他の部員たちに出場辞退なり、大概試合禁止といった悲しみを味わわせることにはならず、仮に高校野球連盟がそういった処断を下そうとしたら、おかしいと主張してくれることになるんだろう。良かった良かった。これで高校野球が持つ潔癖さ故の居心地の悪さが解消される。朝日新聞よありがとう。だから返上なんかするなじゃないぞ新聞協会賞を。そして阿るんじゃないぞ。高野連に。

 食い足りない感じもあるけれど、これを手始めと考えるならば頑張ったと見るべきか。遊直さんって人の「オルガナー 〜さよなら、もう二人の麻理子〜」(集英社スーパーダッシュ文庫、540円)はのっけから「三つ目がとおる」を漫画喫茶で抱えた少女とぶつかる場面からスタートして、そんな少女に惹かれた少年が彼女とつきあううちに、彼女が抱えた秘密を知り彼女の悲しい運命を知って、それでもそんな困難を乗り越え再出発する物語が繰り広げられる。どうしてそうなるのか、といった部分でもっと深い技術的な喜寿が欲しかった気もするし、重なった人格が整理されていかなくてはならない悲しい場面ももうちょっと深く描き込んで欲しかった。割にあっさりと済んでしまって悲しみが薄まってしまってる。

 けどそこはそれ、去っていく人格が残す手紙を読む場面で今はもういない彼女たちへの感慨が浮かんで涙もにじむ。本来だったら徹底して強敵であるべき存在があっさりと寝返り、制裁に来た相手とも渡り合ってしまって後に問題が残らなかったりする悩みもあったりするけれど、人間にとって何が大事かってことを教えてくれる点でこーした展開も実はあったりするのかもしれない。願うならこの先、消えてしまっている主人公の母親が絡むよーな展開と、そして消えてしまった人格がたとえば再び復活させてもらえる可能性なんかも考慮しながら、続きを描き出してくれたら興味津々で読み続けるかもしれない。ともあれまずは1冊、そして次の1冊を頑張ってくださいな。そうでなくても新人津波に押し流されて戻ってこない人も多いから。

 何か欲しくなって銀座まで行って「iPod nano」を買ってしまう。過去に巨大な「iPod」もそれから「mini」も「shuffle」も買わなかったんだけど新しい奴はその薄さと価格の手ごろさ、それでいて中身の充実ぶりがピタリとマッチしている感じがあって手を出してしまう。4ギガと2ギガで黒と白があるはずなんだけど4ギガの黒は売り切れで白を選びついでに腕に取り付けるストラップも買って3万円超。早速ソフトを導入してから自宅のそこいらへんに転がっているCDを次々に放り込んではリッピングして「iPod nano」へと移して埋めていく。山下達郎山下達郎山下達郎相曽晴日相曽晴日相曽晴日スクウェアにそしてスキマスイッチ!

 そう世のサンボマスター派より毛嫌いされ唾棄され敵と目されているスキマスイッチのアルバムを2枚放り込んでその伸びやかで切ない歌声をたっぷりと放り込んではこれから吹いてくる寒風の中を聴いてメランコリックな気分に浸るのだ。とりあえずは明日の「えんため大賞」の会場へと運んでいっては居並ぶ人々を我がスキマスイッチ派へと引きずり込むべくロビー活動を展開しよー。あるいはもしかすると”神の子”とだって互角に渡り合えるブラックベルトなサンボマスター派がとぐろを巻いているかもしれないけれど、あっちが肉襦袢の青春スーツならこっちはアフロだ狐顔だ。天白川の産湯をつかった2人のキッコロ&モリゾーパワーで秋葉の星、サンボマスターを粉砕してやってくれると心の中で願おう。心の中でだ。表には出さない。弱いから。


【9月7日】 何か25周年で大会も開かれてるってんで買ってみた「ルービックキューブ」がまるで完成させられず、涙をのんで攻略サイトを見ながら苦闘5時間だかの果てによーやくやっと6面を完成させる。思い起こせば25年前の中学生時代に、ゆがんだ背骨を矯正しよーと通っていた原駅側の整体院の待合室に転がっていたのを遊んでも遊んでも揃えられずに悲しい思いをした記憶が今も鮮明に残ってて、その後も度あるごとに試したもののやっぱり揃えられなかったけど、今回ばかりは完成させたいって一念も強く、ネットの上に豊富に上がっている解法を見ながら右に左に上に下に、ぐるぐると回してよーやくやっと完成に至ったという次第。プロが15秒で揃えるものを5時間とは恥ずかしいことこの上ないけど仕方がない。

そろった。けどまたそろわない。なぜだ。  とはいえ所詮は解法を参照にしながらの完成で1人だと2列目までを揃えるのが精一杯そこから上にクロスを作り角を揃えてから一気に完成へと至るプロセスには、パターンの左右の違いを読みとり上下に180度回す操作が幾度となくあったりと覚えなくてはならない情報量が半端じゃない。弱った頭にはなかなかの難物でここから先はまず上にクロスを作るパターンを覚えるまでに1ヶ月、そこから角を合わせるまでを1ヶ月かけその上で最後のフィニッシュに1ヶ月くらいをかければよーやく、完成までのプロセスにたどり着けるだろー。もっともそのときには最初に必須の2列目までを合わせるパターンを忘れていたりするんだ。脳力トレーニングの方から先に始める必要もあるかなあ。4×4なんて夢のまた夢だなあ。

 そんな赤と緑と青のキューブのパターンと同じカラーリングの「IBM」ロゴも鮮やかなパソコンの「X32」は購入から10日ほど経ってまずまず順調に稼働。キーボードのタッチはさすがなものでこれまでに使っていたシャープの「MURAMASA」が玩具に思えて来る。ってゆーか昔使ってたワープロ専用機の東芝の「RUPO」とかシャープの「書院」とかって、キーボードもしっかりしてたよなあ。それを思えばノートパソコンの何とゆーヤワさ。とてもじゃないけど文章を打つ道具じゃないけどそんな感触に「シンクパッド」は1番近いマシンかも。電池の保ちも近所の「VELOCHE」で2時間くらい使っても半分も減らないタフさ。そこは無線LANも来ていて携帯につなぐ必要もないんで割に快適にお仕事ができるんで、蒸し暑さも残る今とか寒さで手がかじかむ冬にはそっちに仕事場を移して原稿を書くことにしよー。そんなにたくさんのお仕事が来るといいナ。

 台風は九州に酷い被害を残したよーで鹿児島宮崎に親類縁者のいる身としては心配もあるけどとりあえずは無事なようで幸い。被害に遭われた方々には心よりのお見舞いを申し上げます。しかし高千穂鉄道は全滅かあ。アメリカのハリケーンも凄かったけどこっちも凄い。雨がどんちゃか降るってのは大気がそれだけ不安定ってことでやっぱり地球温暖化の影響なんかも出ているのかなあ。5年10年のスパンでの変化なんて気候変動と言うには当たらないんだろーけどそれにしてもこう立て続けだといろいろ考えてみたくなる。とか言ってると冬は冬で厳冬になって二酸化炭素による寒冷化なんて話がまたぞろ出てきてどっちやねんになるんだ。どっちやねん。しかし何だよ「ウォームビズ」って。ただの重ね着だろ。だったらフリースにハイテックで万全。フリースのスーツにハイテックのコートをユニクロは出そう。ツイードのコートにジャケット、カシミアのマフラーなんて買えません。

 日本海をすぎる台風の影響で風の吹く中を東京ビッグサイトで開催されてる「ギフトショー」を見物。いつものことながら玩具関連を見て回ってまずはタカラで「MPTV」って装置に目がいく。よーするに「iPod」みたいな携帯型の音楽プレーヤーをテレビにつないで楽しむ装置で、音声出力端子からケーブルを引っ張って本体に差し込み、本体からAVケーブルでテレビにつなげると、携帯型音楽プレーヤーにため込んである音楽をテレビのスピーカーを通して聴けるよーになる。おまけに本体の中にあるチップから音楽にシンクロした映像がテレビに出力されるよーになっているから着かないテレビを見ながらじゃなく、動く絵とともに音楽を楽しめる。ここんとこ多分重要。テレビから音が出るのに絵がないんじゃあ寂しいじゃん。

 「iPod」を乗せて音楽をスピーカーから出すBOSEの装置なんかも出るには出ているけれど結構なお値段。かといってパソコン用の小型のスピーカーを直でつなぐのも何か物寂しい。その点テレビだったら最近はステレオでスピーカーの品質も良くなってて音楽を聴いても申し分はなし。流れる絵もウィンドウズメディアプレーヤーを流すときに再生される渦巻きみたいな映像じゃなくって、昔懐かしい「ファミコン」で出力された8ビットのドット絵の人がダンスしたりバンドが演奏したりするチープだけどスタイリッシュな動画像で音楽に合わせて動くそんな絵を流し見ながら音楽を楽しめる。CDから携帯型のプレーヤーへと音楽を移して溜め込んで、そればっかり聴く人も結構いたりするだけにそーした自分好みの音楽を、外だけじゃなくって家でも手軽に楽しめる装置ってことで話題になりそー。4000円弱って値段も有り難い。発売は来年早々とか。買おうかな。でも僕持ってないんだ「iPod」。CDプレーヤーもMDプレーヤーもつなげられるけどやっぱり持ってないんだよな。

 おるすばんかみちゅ。録画で見た「かみちゅ!」は絵が普通にぐにょぐにょと動いて口もおちょぼにとんがる口と絵的な見所がいっぱい。応援演説の眼鏡がかくんと首を下げた時に髪が前へとばさっと下がる場面といいビラを手渡すときに向かってくる相手に従って後ずさりする仕草とい、人の動きがリアルに再現されてて感心すること仕切り。当選してしまったゆりえの爆裂した行動は果たして全校生徒に歓迎されたんだろーか。巨人の穴を埋めてる人は辛そうだったけど果物だかお菓子をかじってる女性とは嬉しそうだったし妖怪をおっかけてる生徒は楽しそう……じゃなかったかな。1週間経っても残ってる巨大なプリンは何だろう、消すまで永遠に食べても減らず腐らないんだろーか。だとしたら神様って素敵、今度無料悩み相談があったら部屋いっぱいにプリンを出してもらおうっと。

 勘弁してくれアレックス。かったるい当たりをとばされかわされ1点を奪われ続く2点目も裏を抜かれるていたらく。それでも敵の足に当たったボールが高原選手の前に転がり1点を返しフリーキックから奪いPKで3点目と、幸運だったりセットプレーだったりす得点の積み重ねてペースを取り戻すと後半は疲れた相手にフレッシュな選手がぶつかっていって追加点から逆転へと至ってとりあえずの勝ちを拾う。けど日本の得点はそんなんばっかでホンジュラスの得点は崩したり抜いたり放ったりしたすばらしい点。その差がミスをしないワールドカップ出場国を相手にした時に大差となってきっと現れ日本を絶望の縁へと追いやるんだろー。だけどでもやっぱりこれで反省なんかしないんだよなあ、ジーコもアレックスも。心配は1年後まで続く。


【9月6日】 およそスーパーロボットとは言い難い細身のボディでなおかつCGだからデフォルメだって面倒くさいはずなのに、そんんあCGのロボット2体がバトルするシーンがCGにありがちな薄っぺらさのカケラもない、重厚感とスピード感にあふれていたのはやっぱり絵コンテ切って演出した人の腕が良かったからってことになるのか「創世のアクエリオン」。移動しながらとばすミサイルもしっかり1粒1粒が描かれそれが不揃いな統一感のある軌跡を見せて敵へと迫る板野風。手書きかCGかまでは見えなかったけど後ろでロボットがバトルする上に重ねて画面にテンポを出しては見ているものを緊張と興奮の連続へと引っ張り込む展開に、バトルのシーンが動きと叫びだけで実は誰と誰がどう戦っているのか判然としない「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」を思いつつ、もしかすると21世紀で1番のロボットアニメが「アクエリオン」じゃないかって気にさせられる。

 そんあバトルの間に兄シリウスの招く手に手を伸ばして答えようとして逡巡する妹シルヴィアの葛藤が描かれ誰であっても仲間は仲間なんだと認めるアポロたちの友情が描かれ、何を考えているのか分からないけど重みだけはたっぷりな不動GENの託宣はあってとドラマの方でも盛りだくさん。堕天翔の羽を移植された人間が発揮するパワーの凄まじさ、その羽の持ち主だった子供の陥った境遇等々、設定面にも迫るエピソードが挟まれ目に迫力のバトル、心に友情のすばらしさ、頭に世界を成り立たせる設定が迫って真夜中のまどろんだ目を一気に見開かせる。シリウスが堕ちグレンが現れシルヴィアが迷ってさて続く来週は果たしてシリウスの回帰かそれともシルヴィアの相克か。どっちにしたって最近まるでアポロが目立ってないのが気になる。麗華よりも目立ってないぞ主人公なのに。

 久々に六本木ヒルズ。最近はエスカレーターをあがった上からじゃなくって地下の道路がロータリーになってけやき坂へと向かう通路の通り方を覚えてハリウッド学院だかのビルからそっちを抜けてハイヤット東京へと向かい新世代って会社の会見に出る。知る人ぞ知る会社で「Xavix」ってブランド名で半導体を作ってはエポック社のテレビに向かってバットを振るとボールが打てるゲームとか、タカラのテレビにつないで歌うカラオケ「e−kara」の心臓部を作りついでのゲームまで作っていたりする会社だったけど操業から10年目にして遂に初の自社製品を発売することに相成った。

テニスも良いけど卓球も、決まれば「サア」と響く奴。ダーツなんかも欲しいけど、投げてテレビを突き刺す奴多発だから却下  その名も「ザビックス・ポート」は本体にチップを搭載しないでカセット側にチップを乗せてそこにゲームっぽい内容のアプリケーションだとかセンサーを動かすドライバーだとかを搭載し、ものによってはセンサーまでもカセットにくっつけて供給するタイプのマシン。使う人は遊びたいカセットを取り出しAVケーブルでテレビにつながれた「ザビックス・ポート」にカセットを差し込むだけで、エアロビクスでもボクシングでもボウリングでもテニスでも、好きな遊びを楽しめるようになる。エポック社の製品が野球なら野球、テニスならテニスと限定されているのとは違ってやや汎用性を持たせた感じ。とはいえ家庭用ゲーム機みたく本体が2万円とかする上にゲームと周辺機器とセンサー類だけで何万円とかするのと比べると、「ザビックス・ポート」は9800円くらいで大きさも単行本の薄い奴程度。テレビの横に置いてもゴチャつかない。

 ゲーム、っていうのかそれともアプリケーションと呼ぶかは判然としないけど見た目ゲームなんでゲームと呼びたいソフトの方はジャッキー・チェンさんが開発に関わっているフィットネスとボクシングが14800円くらいでややお高目。それでも取り付け方はカセットポンでボクシングのグローブからも、フィットネス用の足踏みマットからもケーブルはのびておらずコード類を気にせずに遊べるよーになっている。絵柄はさすがに「PS2」並みとはいかないけれど、動きがダイレクトに伝わる感覚はなるほど玩具メーカーとのコラボレーションで鍛えて来ただけあってお手の物。なおかつジャッキーさんの監修で動いた分がそのままトレーニングになるメニューとなっているから遊んで体力も鍛えられる、コナミが言うところのエクサテインメントになっている。デザインもシンプルで爽やか。本体と会わせると2万5000円くらいになるのが迷いどころだけど本体を1つ買えばあとはカセットだけで済むんでこれなら1つ、家にあっても良いかなって思わせられないこともない。

 カセット次第で何にでもなるけどだからと言って家庭用ゲームみたいに動作が制約されない良さ、ってのを多分狙った商品で、チップの性能が上がったらそのチップを組み込んだカセットを作れば良いだけで本体は買い換える必要がないってのも有り難い。5年先まで見込んで当時で最適のチップを組み込む関係でローンチ当初は高くなり、5年立てば陳腐化する家庭用ゲーム機の課題を別の形で解決したって言えそう。ただしカセットなんでチップが組み込まれているんで昔の「ファミコン」よろしく売り切れたら再生産にはやっぱり時間がかかるのかな。そーしたゲームのリピートモデルとは違う、静かに売り出して長く売る商品にしたいってことなのかも。ジャッキーさんは関わっていないけどボウリングは画面もなかなかにクールで大人向け。テニスも反応は情報で楽しんでいるうちに部屋の壁とか叩いてしまいそー。いずれにしても床の見えない我が家ではセンサーも足踏みまっともおけないんで導入は不可能なんで誰か広い家に住んでる人は買って僕に遊ばせてやってくださいな。ボクシングだったら大丈夫かな。

 んでもって記者発表に登場したジャッキー・チェンさんは51歳って年齢にも関わらず全身が鍛え上げられ腕なんか丸太のよう。高いところから落ちても吹き飛ばされても壁を駆け上がっても平気な人は違うなあ。テレビとかだと顔なんかふっくらしているよーにも見えたけど、当人は引き締まった顔立ちで笑っていない場面では目も口元も真剣で、格闘家って凄味をちょっぴりのぞかせてくれる。喧嘩なんて売れないね。それでもデモンストレーションを始めるとあれやこれやと動いてくれて絵にもなる。映画スターならではのサービス精神は旺盛。それが30年近い現役生活を支えて来たんだろー。ジャッキーに衰えはありません。今なら実写版の「エンジェル・ハート」があっても再び冴刃リョウを演じらっるかも。演じられるかな。グラスハートは後藤久美子では無理だけど。


【9月5日】 浅羽嬉子さんことアニエスがハイレグで太股むっちりな格好でもって目の前に浮かんで私は魔法少女だと告げたその時に神楽巽が抱いた感情はどんなんだったんだろうと想像。「少女って何やねん!」。まあきっと今時の若者ってことで子供の頃からいわゆる魔法少女物のアニメやら特撮やらを見て育って、魔法の国からこの国へとやって来た女性を総称して”魔法少女”と呼ぶのだと、理解して自分よりは年上な女性が傲慢にも”少女”と詐称したからといって、それを突っ込むなんて無粋な真似はしなかったんだろーと理解しよー。切れやすい浅羽保が来週に何とゆーか楽しみ。

 そんなアニメを見ていたら杉並方面で土砂降りとの報があってあれこれページを見回っていたら東浩紀さんの事務所が案の定に沈没してた。あれよあれよといった間に浸水されて1センチくらいの高さで床が水に浸かった模様。場所によっては背丈の高さまで水が来たところもあったそーでそれを思えば軽い被害で済んだと言えそーだけど、近づく台風なんかを思うと気も重いんじゃなかろーか。しかし都会の杉並が沈没して海が側にある船橋あたりはあんまり水に浸からないのは単に運が良いだけなのかな。1階で床が本で埋まっているだけに浸水されると結構鬱陶しいんで台風には是非に千葉を避けて飛んで行っていただきたいとお願いしよー。引っ越したいなあ床に物を置かなくても済む広い部屋、浸水を気にしないで済む高い階に。

 松りん頑張ってます。WAVE出版から刊行された鈴木邦男さんと元公安警察公安調査庁の人たちのと対談本「公安化するニッポン 実はあなたも狙われている!」(1400円)を拝受。3人の元公安警察の人と元公安調査庁でメディアにも頻繁に登場している野田敬生さんの4人が登場しては公安ってところがどんな組織でそこで働く人たちがどんな思考を持っているのかを明かしてるんだけど”告発”って感じの暗い熱情はあんまりなくってむしろ公安ってところでも適法にやろうとしている人たちがいて、公安の仕事が必要とされている場面があって、けれども現場が硬直化していたりメディアが画一化していたりして思うに任せないんだって意見が実直な態度でもって出されて、読むと存外に公安ってのも悪くはないって思わされる。

 だから鈴木さんも巻末で「読者は『そんなに凄い男達がいるのか。じゃあ公安は必要だ』『あらゆる手を使って日本を守るという姿に感動した』と思うかもしれない。それが心配だ」って書いて公安シンパが増えてしまう可能性を指摘していたりするけれど、確かに凄かった組織も長く続き巨大化する中で綻びも出始めていたりする訳で、中にいる人たちの懸念するそんな綻びなり緩みが矛先を謝って無実の者へと向かう可能性を思えば、ここにこーした本が登場して対話の中から様々な矛盾を浮かび上がらせてくれたのは、日本のために良かったのかもしれない。けれどもほころびを埋めて強靱になった組織が時の権力者の胸先三寸で動き始める時の怖さもあるからなあ。ともあれなかなかに立派な本。松りんあとがきでも誉められてます。

 40過ぎのニートで人形を「妹」と強弁して鞄に入れてつれ歩いてはあれやこれや話しかける太った男がいたとして、そんな彼が渋谷や原宿にはちょっと足を向けられず日暮里の繊維街へと赴き子供向けの衣料を物色していたそんな時、近寄ってきた黒づくめの美少女がこのキモオタと罵倒しロリ野郎と誹謗しては存在自体が犯罪野郎の手前を警察に通報しない代わりに奴隷になってフレンチを奢れと言われる姿を見て悲惨だと思うかそれとも羨ましいと感じるか。悲惨だけど羨ましいなんて微妙な感情に囚われる人もこの1億総オタクな時代には結構いそー。だからそんな男が登場する歌野晶午さん「女王様と私」(角川書店)も結構な冊数が売れるんじゃなかろーか。

 「さっきも言っただろ。おまえはロリコンな訳だ」「ホントは109や竹下通りに行きたかったんだな。けど、渋谷や原宿は鬼門なんだよ、おまえみたいなオタクには」「その点、ここは下町だ」「で、小中学生が集まる店に行き、ロリータ・ウォッチング。チャンスがあれば写真でも撮ってやれ」「家に帰って、隠し撮りした写真をオカズにする」「しかしおまえ、クセーな」。ううううう。これをツンとした少女から言われて背筋の凍らないオタがいよーか。ここまでオタの心理をえぐる文章ってのを歌野さんが書けるとは、もしかして歌野さん自信がとてつもないオタだったのかそれともオタを嫌悪して止まないいたいけな少女だったのか。知らないけれどもともかく全編にオタクなニートの痛みと喜びがあふれ、且つ事件の謎へと迫るミステリーの醍醐味もあって楽しめる画期的超絶的な1冊。読めばオタクの妄想って奴のすごさに誰しもが恐れ入るはずだ。

 歳は関係ないと思う。あるのは内容のみ。それで多分選ばれたんだと思いたいけど昨今の情勢で、若さばかりが取り上げられて内容が二の次になっている風潮を鑑みるに今回の15歳の中学生では初とゆー文藝賞受賞者登場ってのにはやっぱり内容とは違う基準がそこにあるんじゃないの? って勘ぐりが芽生えて頭を悩ませる。綿谷りささんの場合は幸いにも内容が伴っていたから芥川賞にも異論は出なかったけど今回の場合は果たしてどーか。年齢をねじ伏せるだけの実力を見せてくれると信じたい。しかしこー年齢が下がると3年以内に現役小学生の美少女が書いた小説が文学界賞とか受賞して授賞式に紅いランドセル背負って現れ縦笛を吹いてくれたりするんじゃないのって妄想も浮かんでしまう。男の子だったら半ズボン姿で現れショタ好きする文化担当の女性記者の魂を燃やすんだ。きっと出る。


【9月4日】 暑い。これで9月か。んな中で早起きして見た「交響詩篇エウレカセブン」は前回にもましてレントンが増長してはホランドへと突っかかっていく展開で、14歳にもなって自分の置かれた環境とか境遇とかを計れず気持ちの赴くままに突っ走って、はそんな問題なんて先刻ご承知な周囲の大人たちを不愉快にさせるガキのガキっぷりに部屋の湿気もあがって不快指数が頂点に達する。

 さらに小さい子供たちを安心させようとホランドが引きつりながらも笑顔で「ママは大丈夫」と言って聞かせたのとは大違い。なおかつそんな笑顔の裏側に多大なる感情を押し殺していたことが後半になって判明して、レントンのそのガキぷりがますます際だって来るから何とゆーか。ガキに夢を与えるアニメーションがガキにそのガキっぽさを突きつける内容になっているのは作り手側の趣味か。あんまり良い趣味じゃねーな。

 なおかつ危地に陥ったホランドを助けに颯爽と駆けつけたレントンが、ニルヴァーシュを一番巧く扱って囲んだ敵を突破するまでは良かったのものそこで心に悪鬼が取り付いたか何かして大暴走。沈黙した敵LFOをストンピングしては中に乗っている人をついに真正面からミンチにしてしまい、そのことに当人を気づかせてはもんじゃ焼きを製造させてしまうに至って作り手側もいよいよもって戦争が、人を相手にその命を奪うものだと見ている人に気づかせよーとして来たって感じだけどはっきり言って今頃何言ってやがんだ感。

 なるほどそれまでは陽気に新世界での冒険を楽しんでいた少年が、現実に気づいて慄然とするって展開はありだけど、これって14歳にもなった子供を通して語ることなんだろーか。アフリカじゃあ10歳前後の子供が銃持って戦争やってんだ。ベトナムでだって子供が米兵あいてに突っ込んでったんだ。見回せば悲惨な現実がゴロゴロしている中で14歳にもなって他人の迷惑も考えられないガキが虚勢を張ってる姿を見せられると、正直イライラしてくる。

 それとも何だろー、これを見る日本人ってのは14歳になったって28歳になったって、周囲の迷惑も人の命も考えられないガキばかりだってことを物語から浮かび上がらせたいのか。だとしたら正解。いい歳をして政治やら経済といった大切な話からは身を遠ざけて、虚構の物語の描き方を云々するガキな自分を苛立たせることに成功しているから。返す返すも悪趣味きわまりない制作陣が目指す地平ってのはいったいどこら辺なんだろー。戦い済んで平和になった世界でひとり自分はかつて英雄だったと語っては、子供に小馬鹿にさっる頑固爺レントンの姿に哀れさを覚えることだろーか。悪趣味ならそこまで徹底して夢ってやつをぶちこわして欲しいなあ。

 それはそれとしてあの世界では「MAXコーヒー」がデフォルトなのか。甘くて甘ったるくて美味しいけれど甘すぎる缶コーヒー。日本のコカ・コーラのボトラーだった利根コカ・コーラが今でこそ全国区の「ジョージア」が広まる依然に千葉やら茨城やらで発売した黄色い缶のコーヒー飲料だけど「ジョージア」の勢いが強まるに連れて存廃が問われ折衷案として黄色と茶色の半々の、見るも奇妙な「ジョージアマックス」の缶が登場した時期もあった。今では黄色は踏襲しつつも「ジョージアマックス」で命脈は保っている模様。「エヴァ」では「UCC」の缶コーヒーが取り上げられてメジャーになったけどデザイン的に今はないオリジナルな「マックスコーヒー」がこれで復活する、なんてことはあるのかな、ないだろうなあ甘いし。

 スタンドよろしく発動した異能の力でもって少年少女が狭い学園の中を戦い合う物語に食傷気味なのはきっと誰しも同様なんだと思うけど、それにも関わらず毎月のよーにスタンド合戦学園バトルストーリーが新しく生まれては書店の店頭にズラリと並べられるのは、誰もが非日常的な異能の力に憧れ、そーなりたいと願っているからなんだろーか。あるいは安易にそーした物語ならマーケットがあると踏んでいる送り手側の意図? 分からないけどやっぱり今月もそーした物語が登場しては書店の店頭を賑わせそー。果たしてそこから「またスタンドか」と飽きられずに巻数を積み重ねるシリーズは出るんだろーか。

 藤原祐さんの「レジンキャストミルク」(電撃文庫、620円)はその境界線上にあってどちらかと言えば先に期待を持たせてくれそーな作品かも。人の強い空想なり妄想の世界から引っ張り出された異能の存在が現在の世界に定着してはあれやこれや不思議な出来事を巻き起こす。主人公の少年もそんな異世界の扉を開いた1人で本人ではなく本人が側に従えるよーになった美少女が異能の力の持ち主で、他にもいる様々な異能の使い手たちといっしょにこの世界に時折現れては新たな異能の使い手を生み出し結果として悪さを為そうとしている存在の企みに挑む。

 フォーマットだけなら割にある異能者バトルと同様で、どんな力があるんだろうってそのバリエーションを楽しめるよーになってはいる。それが重なり続けると所詮はバリエーションかと飽きて来るし高飛車だとか寡黙だとかロボットみたいとかいったキャラクターの不思議さでもって興味を引っ張るのにも限界が見えて来る。ただ「レジンキャストミルク」の場合は根底に人の欲望が暴走した派手にもたらされる悲劇的な帰結ってゆーものがあって読むとあれこれ考えさせられるところが1つ違っている部分。優しくなくてもいるだけで良かった兄を記憶もろとも失ってしまう妹の、彼女自身はそれを不幸せとは思わなくてもそうした改変があったことを知り、妹が兄を思っていたことを知っている人間にとってそれはやっぱり悲しい出来事、だったりする。

 子供の存在を記憶もろとも失ってしまう少女の例でもそれは同様。そんな風に重なっていく悲劇に積み上げられていく喪失の記憶が、いつか正義の異能者たちの心を破壊し人間を破壊してしまわないとも限らない。そんなクライマックスへの興味を少しづつ加えながら異能者たちが繰り広げる多様多彩なバトルの様を楽しんで行けそうな気が今はとりあえずしてるんで、まずは次の巻が出てどんなバトルをドラマが描かれているのかを見てから境界線上の逆側に、落ちていないかを確認しよー。硝子のキャラはなかなかに良し。プリン好きはメロンパン好きのシャナへの対抗? 同じく新刊の「灼眼のシャナX」(電撃文庫、599円)は16世紀を舞台に繰り広げられる”紅世の王”たちとフレイムヘイズたちの戦略戦術異能体術が入り乱れたバトルがど迫力。存在への疑問と確信が下地となって響く物語に歴史の重みを加えて先への興味をいや増す。

 退屈だったんで上野まで出向いて「古代エジプト展」を見物。にゃんこの石像とかわんこの石像とかあってエジプトっぽさを感じられたけど面白かったのはそーしたよく見る神様の石像とかヒエログリフがかかれた石棺とかよりもエジプトの人が日常的に使っていた道具類。櫛はやっぱり櫛の形をしていたし杖もやっぱり杖の形で5000年とか昔のエジプト人でも毛は生えていたしそれを梳いていたし足腰も弱ったしそれを杖で支えていたってことが分かって興味が湧いてきた。人間の生活の姿を伝える道具の保存ってのは美術とか史跡以上に重要なのかも。とはいえ日本のわずか100年前の生活道具がさっぱり見えなくなっているのが現状なんだよなあ、価値が出ないからなあ、古民具って。


【9月3日】 伊東京一さんがひっさびさに新作を発表したと思ったら今度は長谷敏司さんが新作で登場とは作家をデビューさせてもあとが続かないなんてあれこれ言われていたりする業界だけどでもちゃんと書ける人書いて欲しい人にはちゃんと道は閉ざされる開かれているのだなあ、でもそれが書きたかった作品かどうなのかまでは不明だけど。とはいえ生き生きとした鳥の描写と自分の運命を自覚しそれに精一杯従うお姫様の強さは多にある作品とは一線を画していた伊東さんの「バード・ハート・ビート 舞姫天翔!」(ファミ通文庫)にもたぶん”書きたかったもの”は込められているよーだから長谷敏司さんの「円環少女1バベル再臨」(角川スニーカー文庫、552円)にも多分に当人の資質が込められているんだと思いたい。

 魔法とかがかなう余地ってゆーか魔法を発動させる素子みたいのがカケラもないこの世界が”地獄”と呼ばれて魔法が使える世界で悪さをした魔法使いが堕とされて来るって前提がまずあって、そんな”地獄”のこの世界でもなお悪さをしようとする魔法使いににらみを利かせる役所があってそこにつとめる青年が、堕とされて来て魔もない小学生くらいに見えるけど実はやっぱり結構悪な(堕とされたんだからそーなんだろー)魔法使いの少女・鴉木メイゼルを従え”地獄”の世界をひっくり返そうとたくらむ異世界から来た魔女だとか騎士だとかと戦うってのがもぱらメインのストーリー。

 んでもってそんな世界にジョーカーのごとく絡んでくる少女がいて、その少女をめぐって闘争が起こったり家族団らんがあったりとして、過酷な戦いに身を投じている魔法少女たちが普通の人間の少女っぽい暮らしに浸る場面に癒されながらもそれゆえに迫る戦いの日々の過酷さが浮かび上がっていたたまれなくなる。なおかつジョーカーの少女も決して幸福ではなくむしろ境遇としてはメイゼルたちより悲惨だったかもしれないこの残酷さ。そんな慟哭のドラマを織り込みつつも少女たちが青年をめぐり繰り広げる恋のドラマとかも描いてラブコメチックに楽しませてくれるところなんかが巧い。

 電撃を発射したり言葉を使って縛ったりと魔法には幾多の種類があってそれぞれに使い方があっていろいろ策を弄して自分に有利なよーに持っていこうと駆け引きしている場面なんかは、多の次元との闘争を描き多の次元では一般的な大系と現実世界との大系がぶつかり合う様を描いた川上稔さんの「終わりのクロニクル」に雰囲気ちょっと近いかも。言葉の概念についてのやりとりなんかは神林長平さんっぽい? それをぐっと砕けてストーリーに織り込むとこんな感じになるのかな。

 しかしなによりそんな激しい魔法使いたちのバトルにあってただの人間、魔法を信じず魔法を使えない”地獄”の人々が実は最強だったりする逆転の設定がナイス。それは一方には人間という存在の絶対性を問いつつもすがる相手、すなわち神を持てない悲しさにもつながって生きる意味って奴を考えさせてくれる。そんな感じに読みどころは数知れずありキャラクターも多彩でそれが1冊の文庫に詰まっているものだから読み終えた時にはおなかいっぱいな気分。だけど未だメイゼルは救われておらず戦いはまだまだ続きそう。果たしてメイゼルに幸福の訪れはあるのか等々の興味も抱きつつこれからの展開を見守ろう。1って付いてんだから2はあるよな。

 こちらは1って付いてないけど2以降も構想があると分かった西島大介さんお「ディエンビエンフー」(角川書店、1000円)。池袋にあるジュンク堂でサイン会があって行ったらすでに長蛇の列。1時間くらい並んで順番が回って来たんで訪ねたらこれからもどんどん描きます新キャラクターも用意されてますって話でまずは善哉、だったけど問題はそれを載っける媒体がまだ未定なこと。構想では全部で5巻くらいになるらしーんだけどそんな粗大なドラマを、それもベトナム戦争なんて今時の人にどれだけ認知されているのか不明な題材の漫画を載せる余裕のある漫画雑誌なりが果たしてあるのか考えるほどに悩ましい。なるほど「コミック新現実」ってのは尖ったものなら何でもあり、あとは大塚英志さの情念で売るってフォーマットがあったから乗せられて売られてそれなりに売れたんだろーなー。これが「野生時代」じゃ場違いすぎるもんなあ。

 けど行列に並んでいた人たちの顔を見ると見知ったSF関係は皆無で西島さんをいろんな媒体のそれこと小さなカットから漫画から知ったティーンも含めて若い人たちが大半で、女性もそれなりにいてちゃんと作品として届いている模様。「凹村戦争」だって「世界の終わりの魔法使い」だって描かれている題材に古典へのオマージュがありエッジなカルチャーからのサンプリングがあって普通のティーンでは解読するのに難儀しそーなのに、そんな億劫さを億劫と思わず軽々乗り越え好きになる強さを彼ら彼女たちは持っていて、且つそんな彼女ら彼たちの強さを受け止めるだけの幅を西島さんの作品は持っているってことなんだろー。でなけりゃ「ベトナム戦争」なんて辛気くさい題材の漫画にこれだけの若者は惹かれません。ティム・オブライエンの名著「カチアートを追跡して」だって絶版なんだぜ。「ディエンビエンフー」を読んだ人には是非に読んでもらいたい小説なのに、マボロシのベトナム戦争を描いた大傑作なんだけど。復刊してよ新潮文庫。あるいは国書刊行会。

 その場から退散して電車で「味の素スタジアム」へと向かい「東京ヴェルディ1969vsガンバ大阪」の試合を観戦、これで勝って鹿島アントラーズが破れるかすればガンバが1位にあがる試合だったけどそれに相応しく双方が攻防を繰り返してはキーパーの神技にディフェンス陣の奮闘が光って点をなかなか入れさせない締まった試合が見られて楽しかった。そんな試合を崩すのはやっぱりミスってことでヴェルディのミスをのがさず拾いぶち込んだアラウージョの1点でガンバが逃げ切り5年ぶりとかの首位に。華麗なサッカーをしている訳じゃないんだけど、最前線で縦横に走り回る大黒選手の姿を見るにつけ、単に前線の突破力だけに頼ったサッカーじゃなくって基本をしっかりし運動量もちゃんと持ち、ディフェンス力も中盤の構成力もちゃんとあるが故の上位進出なんだと分かって勉強になりまた大黒選手のすごさも理解した。代表に呼ばれて当然か。ただでもやっぱり前線の攻撃力はさすが。これがジェフユナイテッド市原・千葉にあればなあ。阿部勇樹選手のミドルボレーが決まってればなあ。


【9月2日】 人間が奈良漬けになる瞬間を見てしまった。ってナレーションの直後にYUKIちゃんの「ロマンチック」が鳴り出すCMを次には是非に見てみたい「ハチミツとクローバー」は山田が奈良漬けになって美和子さんが色気前回で目にも麗しい回ではあったけど注目はやっぱり森田の自我の爆発。はぐの描く展覧会向けに傾向と対策が施された絵を一目見て見抜き本人にはそうだと指摘して見透かしてるぞと諭しつつ、花本のところへと行ってなぜそんなものを描かせるんだと真正面からなじる。過剰にして繊細な自意識をほかに何かでごまかそうとして諧謔と韜晦に走り知らずそれがパーソナリティーとして認知されてしまった森田がすべての鎧を脱ぎ捨てる場面はそうそうなく、つまりはそれだけはぐの才能を認め心配しているってことになる。

 さらに連発。真山を振り向かせたいって欲心を持ちながら野宮のところに走り引き留められずそのまま奈良漬けとなった山田に森田が直接叱る場面も冗談に紛らせて他人を心配して来た森田にしては珍しくストレートな物言いで、これもやっぱりそれだけ山田という人間を認め心配しているってことになる。ってか2人とも相手は女の子じゃん、真山にも竹本にも真正面からアドバイスしたり叱ったりすることなんてないのに女の子が相手だとこうも明け透けになるってことはただの女好きだけなのか、森田。いやいややっぱりそこはモカデミー賞受賞の才能あふれる人間だけあって陶芸の山田、美術のはぐの2人の突出した才能を認め青春に沈む竹本に上司の女性におぼれる真山のまるで見えない才能には、友人として以上の興味を見せないだけってことなのか。なるほど才能の多寡を見抜く森田のこれが天才って奴なんだろー。

 とかなんとか無理目の深読みをしてたら欲しくなってしまって遅ればせながらDVDの「ハチクロ」の第1巻も購入。付属のブックレットは春の「東京国際アニメフェア」での発表会で配布していたものと同じだけど雑事に紛れてどこかに埋もれてしまっていたから改めて手に入れられたのはこれ幸い。インタビューとか面白いけどでもやっぱり「ハチクロ」らしくファンシーに花散る体裁が手にして忘れてきた青春って奴のスウィートな味を思い出させてくれます。2話収録で2940円って値段も良心的。同じく「ファンタジックチルドレン」も4話収録で5040円って更に爆安なんだけど同じ深夜アニメで2話5000円とかってのが大半な中でなぜにこれらが安いのか、安く売れるのかに興味津々。制作費だってどちらも結構かかってそうなんだけど。おまけに作品としても近年に飛び抜けてすばらしいんだけど。大人の世界は難しい。

 「HAUNTEDじゃんくしょん」のセクシーでエロティックな改造セーラー服姿で目にすばらしいものを見せてくれたトイレの花子さんに再会したいと願いながらも未だDVD化がされず叶わず、大女優の歌う頓狂な主題歌ともども記憶の彼方へと忘却されていく寂しさを味わっている今日このごろ。代わりといっては何だけど色気は足りないながらも数でもってその辺はカバーしている新・トイレの花子さんに出会えたことをまずは歓迎すべきか。葛西伸哉さんの「不思議使い」(MF文庫J、580円)は合併統合で3校が1つになった学校に転校して来た少年が自分にしか見えない3人の少女と出会い、彼女たちが繰り広げる得体の知れない相手との戦いに巻き込まれていくってストーリー。

 現れるのはいわゆる「学校の怪談」なり「都市伝説」といったもので、どちらかといえば敵として現れる都市伝説の切り裂きナースとかマッドドクターなんてものを有言実行三姉妹よろしく杏に菫に椿の3花子が、よくある学校怪談たちの助けを借りて退治する。転校して来た少年がどーしてそんな花子たちの戦いに関われたのか、そもそも彼にはどーして彼女たちが見えるのかよく分からないけど少年って奴は往々にしてそーゆーものだとゆーことで理解納得。以後は手に珠を持ち「ウェルカム!」と叫んでは花子たちにニノくん二宮金次郎に他勢揃いな学校の七不思議たちを束ね迫る敵と戦っていくことになるのだろー。少年につきまとう眼鏡の世話好き委員長の鈴の声はやっぱり仲間由紀恵さんになるのかな(なりません)。

 そうかやっぱり嫌いなんだオシム。ホンジュラス戦に選ばれたサッカーの日本代表からジュビロ磐田の茶野選手に村井選手も選ばれず、ジェフユナイテッド市原・千葉の巻選手阿部選手とも選ばれなかったことはつまりそーゆーことだと僻みっぽく理解したけど現実を思えばもとよりどちゃっと海外組に国内ジーコ組で固まっていた日本代表にたまたま偶然、怪我とか招集できないとかって事情から呼ばれただけのことでそーした条件が消えれば最初っからいなかったも同然になるのは見えていた。戦力になるかどうかはこの際無関係。ファミリーはファミリー。お客はお客。それが改めて歴然と満天下にさらされただけって理解しなけりゃ気分も晴れません。

 まあまだ巻選手も阿部選手も若いんで次の南アフリカ大会に次の監督の下で出ればいいし、それより日本の代表なんて狭いところじゃなくって海外のビッグクラブのレギュラーとして名をとどろかせ金も儲けてくれた方が個人的にはうれしいかも。マンチェスター・ユナイテッドのパク・チソン選手まではいかなくってもせめてトットナム・ホットスパーズのイ・ヨンピョ選手くらいのバリューを得て欲しいなあ。日本最強といわれる選手がボルトン・ワンダラーズの控えってのも悲しいものがあるよなあ。あっと世界のオリンピック・マルセイユのレギュラーがいたか。いつの間にか中田浩二選手が日本人最高になってるよ。巻選手も阿部選手も行くなら行くチームはよーく考えよう。お金も大事だけど時間も大事だから。


【9月1日】 そして始まった「機動戦士Zガンダム」はカミーユがジェリドをぶん殴って勃発した因縁が、いずれコロニー間を巻き込んだ大戦乱へと発展した果てに復活したシャア・アズナブルによるアクシズ落としへと、発展していくんだとその時そこにいた人は誰も気づかなかったという「黒いガンダム」の一節。すべては衆人監視の中で不用意に、カミーユカミーユと本人が気にしている女名前を叫んだファに責任があったってことで、人間いついかなる場合でも発言には気を付けようと深く反省。

 それにしても劇場版第一話の「星を継ぐ者」を見た後なのにやっぱりティターンズが何でアーガマが何だか分かりゃしねえ。最初にこれをテレビ放映で見た人もきっと戸惑ったんだろーと思うけど、遙か彼方の学校へと2時間かけて通っていたこともあって自分に関してはこれの放映をリアルタイムで積極的に見た覚えが最初の頃はなくって、第一話の感慨がまるで記憶から抜け落ちている。あるいは経験そのものがなかったっていうか。覚えがあるのは香港あたりでサイコガンダムが湧いて来たあたりからシャアがカサブランカで演説するあたり。そこまでは初物を見る新鮮な気持ちで毎週水曜日、ってゆーか木曜日に替わった午前0時半の千葉テレビを欠かさず逃さず見ていこー。

 目覚めて「アミューズメントマシンショー」へ。間違えて「東京ビッグサイト」へと行く人もあるいはいたかもしrないけれど今回は会場も「幕張メッセ」なら来賓の挨拶も亀井静香さんではなくって経済産業大臣と国土交通大臣のいずれも代読で代議士の人は来ず。選挙のまっただ中ってことはもちろんあるけど自由民主党から脱党した亀井さんを応援しているってスタイルを、見せることが業界にとっても逆に亀井さんにとっても相応しいことだったかどうかってのがお互いの想いの中に働いたのかもしれないなあ。迷惑をかけるかもしれないって亀井さんも思ったか。いやそんな殊勝な人なのか。分からないけど例年の亀節が聞かれない「アミューズメントマシンショー」も時代の変化にもまれてるってことなのかも。

 実際に展示してある新製品にも時代の変化の兆しが。ひとつには「甲虫王者ムシキング」で火がついた子供向けのカードゲーム市場の大隆盛でバンプレストが「データカードダス」で「ドラゴンボールZ」に続く第2弾の「NARUTO」を投入すればタイトーもカードに描かれたバーコードだかQRコードだかを読みとらせて遊ぶ「ZOIDS」のゲーム機とそして「ダイノキングバトル」ってゆー、恐竜をバトルさせて遊ぶマシンを投入してはセガのパク……じゃない流行の最先端を行く騎手を早々と導入しては、市場にさらなる旋風を巻き起こそうと頑張ってた。青少年がゲーセンでゲームをやらなくなった代わりに、子供がわんさと押し掛けにぎわっている状況に、だったら子供に人気のカード型ゲームを出そうって考える動きが強まっているってことなんだろー。

 とりわけ恐竜がモデルのカードゲームは元祖のセガが「恐竜キング」ってゆー名前で新型機を来年にも投入の予定で、元祖なのに先を越されそーな懸念からブースに「警告」って張り紙を出しては動きを権勢していたくらいで、この市場に対する各社の意欲の高さって奴が伺える。「ムシキング」の良かったところはキャラクターが独自開発、ってゆーかぶっちゃっけただの虫なんで、たとえ昆虫の王様であってもカブトムシ様にロイヤルティを支払う必要はなし。逆にそーした甲虫を束ねて上にタイトルの「ムシキング」を付けることでひとつのコンテンツとなり、カードゲームの評判を伝え聞いて使いたいと申し込んで来た他社からロイヤルティを受け取れる。

 キャラクターはその辺にいる(ミヤマクワガタはあんまりいないけど)甲虫。描こうと模型にしようと誰にはばかることもない。クワガタもカブトも文句は言わない。言っていたって聞こえない。でもそこにタイトルロゴを乗せるだけでひとつの価値が生まれい出る。キャラクター開発に悩みキャラクターの青田買いに精出しながらもなかなか、売れるキャラクターを作り出せない中にあって、「ムシキング」の成功にはモデルの大きな転換があった。器次第でただの虫がキャラクターになるって教えてくれた。

 これに続きたいなら、やっぱり肖像権の発生にないキャラクターを探し出せば良い、ってことで各社があれこれ模索した結果、現れたのが子供だった誰でも大好き、イベントを開催すれば何万人だって訪れてはその巨大さに簡単する恐竜だったってことになる。何せ恐竜だけに肖像権は何億年何万年も前に消えてしまっている。もしも相手が生きていたらそいつはそいつで大ニュース。幸いにしてギニア高地からもサウスダコタの砂漠からっもアフリカの奥地からも「おれティラノ」「おれトリケラトプス」と名乗りを上げる恐竜はおらず、タイトー(とゆーか中身は韓国の会社製)もセガも安心し皮算用もして恐竜をモデルにゲームを作ったってことになる。カードを読みとらせ戦わせるゲーム性そのものへのビジネスモデル特許があるかは不明。あったらセガにアドバンテージがあるけど、あったらバンプレストの「データカードダス」だって今頃問題になっているだろーからきっとその辺は自在なんだろー。

 かくして店頭に時期を違えて並ぶことになる恐竜カードゲームの勝敗やいかに。かつて「ムシキング」が未だ市場を固めきっていなかった時期にコナミが学研と組んで昆虫のカードゲームをカードゲーム&百科事典的な発想で出したことがあったけど、それほど評判にならずいつの間にか費えて「ムシキング」の圧勝に終わった。その時はゲーム性なりカードの目的に大きな違いがあったから勝敗が決した理由も見えるけど、「恐竜キング」と「ダイノキングバトル」の場合はほぼ同じ土俵で戦うことになってブランド力、営業力とそしてゲーム性の優劣がそこで競われることになる。勝のは果たしてどっち? その前にやっぱり別のコートで勝負が行われることになるのかなあ。要観察。

 子供向けのカードゲームと並んで目に付いたのが画面を手で触って操作するゲームの増殖ぶり。前からタッチパネルのものはあったけど、セガが開発している格闘ゲームの新型機までもがスティックもボタンもなしに画面を指で触って操作するよーになっていたのには驚いた。キャラクターを指で触れ続けてエネルギーを溜め放して発射させるんだったっけ? あと敵キャラを指でタッチするとそこに攻撃が向かうんだけど相手も動くんで先を読み、かつ相手の攻撃も自分のキャラにふれて防御するよーになっていたりとスクリーンの上を指が言ったり来たりして、知らず全身が動いてゲームの入り込んでいるよーな感覚を味わえる。目と指先をダイレクトに結びつけて勝負した「バーチャファイター」とはまるで違った操作感覚。これを同じ鈴木裕さんが作ったとゆーからまた面白い。

 ナムコの「ドゥルアーガ」って聞けば懐かしいRPGがゲームセンターに端末を置いて遊ぶオンラインゲームになって登場していたけれどこれもスクリーンを手でタッチして操作する遊び。コントローラーでカーソルを合わせるよりもダイレクトでスムースにキャラクターの操作を己の意志にそぐう形で行える、よーに見えて割に簡単に誰でもゲームに入り込めそー。思えば任天堂の「ニンテンドーDS」が携帯型ゲーム機として初めてタッチスクリーンを導入して話題になった上に結構売れていたりする。それも子供だけじゃなく大人にも。

 ボタンとキーの操作を究極まで突き詰めざるを得なかったゲームの進化が玄人の評判は呼んでも一般層を振り落とす結果となって、その反省から任天堂の社長の岩田聡さんがゲームの操作感をリセットして、すべてが同じスタートラインで始められるよーにしたいって「DS」の投入時に言っていたその言葉のままに、これまでゲームで遊んだことのない人とか遊ぶのを止めてしまっていた人が戻って来ている。その考え方をアーケードゲームの世界にも取り入れることでティーンの巣窟だったゲームセンターに新しい世代や休眠している世代を呼び込もうって考えがあったりするのかも。これまた今後の展開に注目。でもタッチスクリーンで指で触れるだけに汚れやすいんだよなー。汗っかきの男が魚肉ソーセージのよーな指で触れまくったゲームをその後、君はプレーしたいか? コスプレ美女が白魚のよーな指で触れた後なら大歓迎だけど。

 夜は夜とて将吉さんのボイルドエッグズ新人賞受賞作品「コスチューム!」(産業編集センター)の発刊記念イベントを見物に「ロフトプラスワン」へ。未だ新鋭の作家だけあって集客は満杯とはいかなかったけど、それでも司会進行を買って出たのか押しつけられたのかは不明ながらも登場しては約3時間をがんばった滝本竜彦さんの知名度もあって、50人くらいは集まってそのどんどんとネガティブに引きこもっていく絶妙のトークを満喫した。主賓であるところの将吉さんが描いている作品の割には武闘派で空手の話なりをしているのに滝本さん、すべてを自分に引きつけ自嘲自虐で落とす、とゆーより底のない沼へと引きずる込むトークで将吉さんの応援に来ていたコスプレイヤーさんたちすらひかせて青ざめさせる。いや凄いすばらしい。前の本田透さんのイベントでしゃべった時も凄かったけど長さで今回は5倍くらい凄かった。聴けなかった人は残念。

 コスプレイヤーさんでは会田誠さんのボディペインティングにも登場していたりして「ロフトプラスワン」でも働いていたことがあって個人的にはいつかの八谷和彦さんの中目黒であったトークショーで隣りあわせに座ってたらしー声さんが、ケロロ軍曹のコスプレでもって登場してタッキーの横に着座。「前に来て見ていつかどうにかなるんじゃないか」って思ったタッキーの念願かなってのツーショットだったにも関わらず、目を合わせず「ケロロ可愛いケロロかわいい、ケロロがなければ『少年エース』で『NHKにようこそ』が1位なのに」といった話をして場内の大受けをとる。イベントからは10時半には引き上げたんでその後に果たしてコミュニケーションがあったかは分からないけど5年越しだかの想いがかなって心からの交流が図れたと信じたい。でないと勿体なさすぎるよタッキー。


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