縮刷版2005年8月下旬号


【8月31日】 真夜中の放映でリアルタイムに見られずタイマーでお留守番録画をしておいた「かみちゅ!」を後刻見る行為を「おるすばんかみちゅ」と名付けたい。すでに付いてたりして。そんなお留守番かみちゅは戦艦大和が浮かぶとき呉に物の怪現れる夏らしくって戦後60年っぽいストーリー。沈んでいた大和の声が最初は若本紀昭さんに聞こえたけれどあとでクレジットを見たら松本大さんって人でマネックス証券の社長の人は声優もやっているのかと驚いたら同姓同名の別人だった。こんなことってあるんだねえ。

 ゆりえの顔の造作が1話とかを中心にしたものと微妙に違って割に普通の幼女系少女で動きもあんまりくねくねしてなくって同日放送の「ぺとぺとさん」とますます区別が付かなくなって来た。動きはともかく作画は安定傾向にあってお話も派手さはないけど静かに心に染みいって来る「ぺとぺとさん」の方があるいは安定したファンを獲得してたりするのかも。それだけ「かみちゅ!」はふれ幅が大きい。大和だもんなあ、よりによって。これを普通に見て普通に楽しいと思うティーンって果たしているんだろーか。一方で40前後のおっさんだと素直には見られない感じも。浮上する瞬間に流れる音楽が違うと思ったのはきっと僕だではないはずだ。何の音楽? 決まっているよあのイントロだよ。「さらば地球よ」と続く。

政治より経済よりゆうこりん。郵政より年金よりゆうこりん。ゆうこりんに一票を。入れても何にもありません  理由は不明ながらも案内が来た各政党の論客たちによる討論会へのブログとメルマガ作者の出席を促すメールにやっぱり答えるのが誘われた者の義務かとも考えたけれど既に詰まっている用事が日本の政局どころか地球と異星との有効に不可欠と判断して、渋谷にあるセガのアミューズメント施設へと向かいそこではるか彼方の星よりセガのAMを宣伝するために舞い降りた天女を迎える。その星は「こりん星」。そして天女の名前は小倉優子さん。あのゆうこりんをお迎えするって会見に勝る政治家の討論なんてあり得ません、ええあり得ませんともさ。

 加えてこれがビキニ姿だったら国会議員が合衆国大統領であってもかなわないところだったけど、残念にも幸いとゆーかゆうこりんはセガが用意したイメージキャラクターのコスチューム。森高千里さんの「非実力派宣言」ばりに広がったスカート姿で手にはスティック、頭には触覚とこれぞアイドルって扮装はあるいは水着姿よりも強力にアイドリアンの魂をくすぐり揺さぶるかもしれない。なおかつそんな扮装でCM映像ながらも「チュッ」ってやってくれるんだからタマりません最高です。これを録画して家で無限ループで流したいって思った日本男児の1000万人は下らないだろーと予想する。中国だったら1億人を軽く超えるね。さすがはこりん星からの夢の使者、影響力が違います。

 それにしてもどこまでも徹底的にゆうこりん。しゃべりも仕草もいっさいの隙なく小倉優子を体言していてゆるみがない。これが地なのだとしたらそれはそれで凄いしお仕事だとしたらなお凄い。2年も経てば飽きられあわてていろいろと多面性を打ち出し知性に走るか笑いに向かうかするんだけど、登場から3年だか4年が経っても一切の変化を見せずに活動し続けるその強度はやっぱりゆうこりんだからか。研究の余地あるなあ。会見の後は「GIGO」の壁面に張られた超巨大ポスターの下で街をゆく下々の者に手を振って答えるゆうこりん。遠目に見て喜び騒ぐ女子高生とかの姿を見るに付け、揺るぎのない人気はまだまだしばらく続きそーだと確信する。このポジション、奪えるのは誰だろー?

 えっと何年ぶり? でもってシリーズ化が全盛のこの時代にどーしてやっぱり単独作品? その後がいったいどーなっとのか知りたいけれど知る機会の終ぞこなかった「黒闇天女にご用心 ビンボー神は女子高生」(ファミ通文庫)に続いてよーやくやっと登場した伊東京一さんの最新刊はその名も「バード・ハート・ビート 舞姫天翔!」(ファミ通文庫、600円)といって鳥に乗り空を行くことが可能な世界を舞台にして、鳥に乗って競争する選手を目指す少年が少女と出会い政争に巻き込まれた中で自分の内面も競鳥騎手としての腕前も成長させていくストーリーが爽快さと痛快さを与えてくれる。

 騎手を目指しながらも普段は運び屋の仕事をしているテオが谷で出会ったのは黒革のジャケットとパンツで身を包んだ寡黙な美少女リーン。鳥に襲われているところを助けてやったのにテオを襲い彼の愛鳥ミルヴィルを奪おうとしたものの果たせず、凶悪さでは谷でも随一のミルヴィルの返り討ちにあって沈黙させられる。ご愁傷様。けどしょの少女が実は大変な使命を負った存在でそんな彼女をテオは助けることになり、やがて国家間に巻き起こる陰謀に巻き込まれてはこれを暴き野望を砕く力となる。

 リーンって美少女キャラの乱暴で物知らずで実は純粋だったりするそのキャラクター造形がなかなかに吉。待ち受けている運命はテオの路と相容れないものだと分かっていても、時間を共有し想いを同じにする仲間として前に向かい進む展開が、仲が悪いようで仲が良かったりする腐れ縁的男女関係のはびこる中にあって目に新鮮。暗愚な王のその実……って展開もダメ人間だと誹られ無視されて生きていながらも実は自分にだって凄いところがあるんだぜ、って思いたい人の心をぐっと引きつける。おいしいところを全部持っていきやがってってやっかみも浮かぶけど相手は王様、及ぶべくもない。あとは彼が彼女とどんな未来を作りそこにテオとその仲間たちがどんな明日を過ごすのか、楽しみだけど果たしてそーゆー続きは描かれるのかな。続き物が苦手なのかそれとも続けさせてもられないのかは不明だけどこいつはちょっと続きが読んでみたいなあ。どーだろー。


【8月30日】 ベッキーさんが野生じゃないファービーさんとツーショットしてくるってんで、渋谷は円山町にある倶楽部「WOMB」へと出かける途中、昼日中の円山町に一般的な建物へと入っていく紳士淑女を発見。夏だなあ。夏は関係ないか。「WOMB」ではベッキーさんとCMに出られるよって誘われ集められたエキストラの女の子たちがお揃いのTシャツに身を包み頭にファービーの耳飾りを付けてまずはリハーサル。一斉に声をそろえる演技を数回のリハーサルで完璧にやりとげ昨今の誰でもタレント事情を目の当たりにする。街全体が劇場になっている世界では暮らしている人々すべてが役者なのだ。そんな名言はありません。

 んで撮影はベッキーさんが手に10月23日発売の「ファービー2」を持ち周りを囲んだエキストラの女の子たちといっしょにカメラに向かって「オーイエッ!」に類する言葉を叫んでほほえむ簡単なパターン。なので撮影も15分ほどで済んでしまって「CM撮影大変でしたまる1日かかりました」ってコメントも時に飛び出す昨今の工夫されまくったCMとの格差にうなる。でもここから編集加工作業を経て完成させられた映像あきっとそれなりに凝ったものになっているんだろー。ポスプロ重要。でもギャラはベッキーさんが1番。ところでベッキーさんて何やってる人? 歌手? タレント? ゴールデンハーフ? 子供たちには人気だったけど「ミニモニ」じゃないよね。さて。

 タレントを間近に見られタレントを取り囲むTシャツ姿の女の子たちを間近に見られて幸福な午後を過ごした時間の実はちょっと合間に「東急Bunkamura」へと立ち寄ってアートギャラリーで「Bunkamura Art Show 2005 ―人工楽園―」ってやつを見物。外からのぞいて目に付いた作品があって最初は会田誠さん? って思って近寄ると何とセルに描かれた美少女の戦うアニメチックな作品だった。出品作家の紹介によれば描いたのは福地英臣さんって佐賀県出身のアーティストで年齢はだいたい32歳くらい? 僕よりははるかに下だけど第三世代よりは上ってゆー、生まれた時からアニメがあってライトノベルもあって楽しい青春時代を屈託なく送れただろー世代の人っぽいけどその割には描かれている戦闘美少女の海女さんが悩ましい。官能的って意味じゃなく当惑的って意味で。

 なるほど美術を専攻している人だけあって絵がへたくそな訳じゃない。女の子の顔はそれなりに可愛いし手足もちゃんと生えてるしポーズもまずまず決まっている。妄念で美少女を描くミスターとは対極にあって半ば計算の上で今時のアニメの戦闘美少女を描いているんだなってことが伺える。でも違う。決定的に違う。スラリと描かれシャープに見えてこその手足の輪郭線が妙にぶみょっとしていて不気味に見えてどこか不気味。デフォルメをしているんだろーポーズもアニメを見て心地よさを覚えるデフォルメとはちょっと違う。それは動きの中でアクションを強調させるためのデフォルメであるべきものが、そこだけを抜き出しなおかつさらなる加工を行った感じのデフォルメで動きはアクションの動線から逸脱し、背後の爆煙も背景でしかなく眼前の美少女との関わりに乏しい。

 村上隆さんなんかが自分のマスターピースとしてよく金田伊功さんのアクション原画なんかを掲げているけどそれはすべてがキャラクターの動きの中に即したもの、不可欠なもの。そうしたアニメの中から抜き出された爆発の線なんかは確かに見て美しいけれどだからといってそれを様式として抜き出すと、とたんに浮いたものとなって感動から遠ざかる。部分であってもすばらしいんだと村上さんは絵にそれを描いているけれど、よく眼をつけてくれましたってアニメファン的な感謝は抱いてもだから何? それだったら金田さんの原画の方が100倍価値あるよってアニメ好きなら思えてしまう。でもアート好きには原点よりもムラカミのアニメ絵。アートが取り込み解釈したアニメ絵だからこそ価値があるんだって思考に向かってしまう。

 村上さんはそうした現象を強く認識した上で、あえてやってみせたところに意味があったけど、福地さんの場合は村上さんのよーな先駆者としての逡巡と葛藤があまり伺えない。オタクから誹られアートから笑われてもなおとどまらず前へと進み壁にぶつかってはこれを壊す気概が今のところはまだ見えない。「日本のサブカルチャー(漫画、アニメーション)が主流(ハイ・アート)となり市民権を得つつある現在の状況の中で、福地さんの作品は正統派VSサブカルチャー(オタク文化)対立の果てに現れた純粋無垢な日本文化の誕生を感じさせる」って解説の人は言うけれど、正当派としての核心を持たないままにサブカルチャーをご都合的につまんでみた、どっちつかずの混沌にしか僕には見えない。

 ただ絵や描く態度に疑問を抱きつつも描かれた女の子たちの脚がよくみると全部3本あったりしたところに、単なるオタク文化の搾取ではなくオリジナルの何かをそこに作り上げようって意志を感じないでもない。パッと見ではふつうの女の子なのに脚の数が多くって、それにもかかわらず美しく見えてしまうのっては日本のそーしたアニメ絵の美少女が持つアートの美女たちとは違った異形性を、あるいは衝こうとしたものなのかどーなのか。シュールであるはずのモチーフがビューティフルに見えてしまうこの不思議な現象は、アニメ的な美少女を脳内で美しいものなのだと認知させる作用が働いているからなのか。分からないけれどもともかくも、いろいろと考えさせてくれる作品ではある。31日まで拓かれていて作品は購入も可能。あるいは10年後のムラカミ作品なにみ価値が出る可能性もあるのかないのか、分からないけどやすいものは1万円でガレージキット1つ分。賭けてみても悪くはないかも。僕は遠慮させていただくけれど。

 今度は「各党政策討論会」へのブログ&メルマガ作者の参加容認とか。自民党本部にブログやメルマガの作者を招いて懇談を行うイベントがあっていよいよネットもそれなりな影響力を持ったメディアだと思われ始めているんだとゆー感慨をネット周辺とネットが旬だと思いたがってるマスメディアの関心を読んで一部で盛り上がってはいたけれど、所詮は1つの党が特定のブログなりメルマガを読んでご意見を伺ったってだけのイベントで、マスなメディアと同列に扱われたってことではそれ自体はなかった。

 けど「各党政策討論会」は一般のメディアが取材する列記としたイベントで、そこに一般のメディアに並んでブログやメルマガといったネットのメディアが参加し模様を目の当たりにするてのは、形の上とは行ってもマスメディアと、ネットメディアの”垣根”が消えたとゆー、メディア史においてそれなりに意義あるものだって言って言えないこともない。そんな重要きわまりない機会なのに昨日の今日の明日の何のと日もなければ時間帯も一般人には厳しい時間帯。果たして出られる人はいるのか? って疑問がまず先に立つ。本業をおろそかにすれば食べられないから出られないのが残念なら出られる立場を本業にするしかないんだけどそれを本業に食べていくことなんて無理だとゆーネットメディアの限界が、打破されない限り本当の意味でのイーブンな立場にはなれっこない。それをあるいは分からせるための平日開催だったりすのかな。しかし本当にどーしよー。見たいけど見られないけどでも見たい。明日までに選ぼう、国会議員とゆうこりんを。


【8月29日】 変わらない街に暮らす人々が変わることを拒否している訳では決してない。生まれ生き生み生かすその営みの中で、それぞれが様々な思いを積み上げ積み重ねては、街をそんな思いでもって彩り飾っていく。表向きには何も変わってないように見えても、街は毎年毎日毎時毎分毎秒を刻々と変わり続けているのだと、「奥様は魔法少女」で変化を迫られている街に暮らす魔女が変えようとする評議会に文句を付けに行っているシーンがあって、変革か現状維持かが問われる昨今の情勢の中で実に時宜にかなったテーマを打ち出して来るもんだと感心する。でも世間はアニメでそれも奥様が魔法少女を続けてる、淫靡でエロティックなアニメとした見ていないんだよなー、勿体ないもったいない。

 もちろんだからといって改革は善で停滞は悪だって割り切ることはできない。それは破壊は悪で伝統が善でもないのと同様で、どっちがどっちの二分法ではこの世の中の多様性は保たれず複雑さは維持できない。世界に暮らしているのは人間であって、そんな人間の幸福とは何かをまず考え、その上で必要なのは改革なのか破壊なのか、停滞なのか伝統なのかを選び取る必要があるんだろー。それはとっても難しいことだけど、考え行動することができる人間だったらどんな困難も乗り越え複雑に絡み合った糸の中から最善を選び取って先へと進むことができるのだと、やっぱり「奥様は魔法少女」から教えられることになりそーだけどそれもやっぱり見逃されてしまうんだろーなー。せめて僕だけは追いかけ続けよー。誰か次回予告の「キスはダメ」ばかりを集めた音声ファイルを作らないかなあ、毎回微妙に違って感情の機微が伺えて楽しくも面白いんだよなー。

 嵐の木曜日から4日経ってネットにもぼつりぼつりと言及が出てはいる「自民党幹部とブログ/メルマガ作者との懇談会」だけど、いろいろ漁ってずざざざっと見て感じた印象で言うならば、出席した人どうしがトラックバックを打ち合いコメントを付け合ったりして形成されたカタマリを中心に、周辺を「開かれました」程度の言及が覆う程度で最初に誰もが期待したよーな、選挙にネットが大きく関係してくる時代の到来を告げるフェスティバル&カーニバル的騒動には、ちょっとほど遠い状況になっている。

 そりゃせっかくの機会を無駄に潰して報告もお座なりな手前が悪いって言われれば多少なりとも感じるところはあるけれど、呼ばれたことは不可解であっても報告だけはそれなりにしよーとがんばった結果、当日の出席者の中でもそれなりの分量でもって報告を上げた方に入っている気はする。少なくとも最前列から並んだIT社長3連星よりは多い分量でもって報告を上げているって断言するけど、だからといってそれが多方面へと波及していっているよーには見えない。ブログじゃなくってトラバもコメントも付けられないから、ってシステム的な不備はある。けど5年前のそんなシステムがなかった時代でも、人はネット上にある言及を探し出してはハイパーリンクという形で紹介し合い、情報を網のように広めて来た。

 翻って今回の場合、出席者を中心に従来からのそれぞれのページのファンがトラバを打ち合いコメントを付けあってそれで終わりって印象からなかなか抜け出せない。なるほどシステムとしてトピックを探し紹介はしやすくなった。けどその分だけ意地でも探し出しては紹介してやるってゆー、情報への能動性が削られそこにあがった情報を、半ば自動的受動的に横流しすることで”参加”意識を得ているだけって感じがあるよーな気がして仕方がない。もちろん頑張って検索もかけて情報を集めている人もいたりするけど決して体勢ではない。ネット掲示板みたいにそこいら中から情報をかき集めて良い意味で晒すパワーが今回の件ではあんまり見えない。

 広大になったはずなのに漂う内輪感。ただでさえ日々より特定のトピックに関心を見せる人たちばかりが集まりがちなブログなりメルマガを集めて情報を出したところで、情報はその周辺に滞留して外へと流れ出さない。密教的に濃く盛り上がってはいても、フェスティバル的カーニバル的な”祭り”感からほど遠いのにはそんな理由があるのかなあ、なんて考えてみたけれど正しいかどーかは不明。あるいは次の機会があったなら、より日常的に政治なんて興味をもたないブログにメルマガの人たち、秋葉とか萌えとか科学とか鉄道とかSFとかサッカーとかいったさまざまなセグメントから人を集めてそこに横断的に政治の話題を流してみて、どこまでどんな風に広がるかって実験を、やってもらうと面白いかも。って書いてもブログじゃない当方の見解が政治ネタで盛り上がる方々に伝わるはずもなし。伝わっても小馬鹿にされるから別に伝わらなくっていいけどね。

 これで終わりなの? ってのが最初の感想。西島大介さんの「ディエンビェンフー」(角川書店、1000円)は北ベトナムの美少女殺し屋と出会ってしまった日系米兵のカメラマン、ヒカル・ミナミが幾度となく少女の虐殺から難を逃れる展開が、戦場に花咲く恋を想起させるけどしゃべりもせず心ものぞかせない少女を、ヒカル・ミナミはただただ意識するばかり。お互いに一方通行の関係でしかなく出会ってもその時ばかりの邂逅を経てまた別れてしまう。そして米軍に戻ったヒカル・ミナミを軍はスパイかもと疑い凄腕の大佐子飼いのこれまたすごい殺し屋の少年をお供に付けて、彼を少女の殺し屋討伐へと向かわせる。

 そしてはじまる少年の戦い。一方で繰り返される少女の戦い。空爆なんて無粋な手法は使わずひたすらに手と拳銃とナイフでもって繰り広げられる戦いは戦場から大量の人命を奪う非人道的な場面を見せつも、人間の手が人間の命を奪うという人間性がそこいはあるんだってことを感じさせる。そして出会う少年たちと少女の最後の戦いは? ってなるかと思ったらそーならなかったところに「これで終わり?」って感想が浮かんだんだけど、1973年を舞台にした冒頭で地雷を踏んだか何かして吹き飛んだ何かから、ギュッとつながれた手と手が降って来るシーンがあって、サイゴン陥落にはまだ間のある66年でとりあえず終わるエンディングから続いた未来の結末を、そこに描き出しているかもしれないって思ったけれど、どーなんだろー。果たして悲劇の結末なのかそれとも幸福のエンディングなのか。読んでも分からなかったんで9月3日はサイン会に行って本人に聞こう。整理券もゲットしたし。


【8月28日】 キシリアをザンジバルごとシャアが粉砕したシーンを見てから程ないこの時期に、レイが船ごとジブリールを宇宙の藻屑と変えた場面を目の当たりにするこの重なりに、偶然とは言え運命的な(ガンダムにとりつかれ続ける運命)ものを感じつつ、そんな風にジブリールが退場して行った直後にデュランダル議長が見せた笑みに、世界をその手に握るためには何億何十億を殺したってかまわない人間の覚悟と凄味を見たりしながら、眠り起きて今度はレントンの無気力な目つきに、少年の張りつめてピチピチとしたハートも見てくれる人気にかけてくれる人がいなければ萎み爛れ皺くちゃになってしまうものだと慨嘆。自分の成長を1番見てほしかった相手がそれを嫌っていると知れば誰だって落ち込むよなあまったくもう。

 とか言ってたら今度は当のエウレカまでもが倦怠感にとらわれ絶望の淵へと追い込まれあげくになにやら柱に取り込まれてどろりどろりと融けては”べとべとさん”状態に。その時になぜか着ていた服も履いていた靴もなくなってしまい駆けつけたレントンが引っ張り出した時にはぬとぬととしたものに覆われながらもぷにぷにとした肌があらわになってて、そんなエウレカを支えるレントンのエウレカを背後から抱える右腕が回った場所のおそらくは柔らかいであろう感触に、おいこらレンくんそいつはだめだそいつはあたしんだとハル子さん的心境を覚えて今度は憤慨。

 だけど白く融けてしまったその体は柔らかくっても弾力までもが維持されているとは限らないだけに、あるいは支える腕に当たった感触はそれなりに心地悪いものだったりしたのかも。なんてことを朝の惚けた頭で見た「交響詩篇エウレカセブン」はホランドのガキっぽさに対してタルホさんの大人っぽさが際だってきた回で、エウレカを心配するあまにりレントンに「ゴルァ」と脅しをかけるホランドを見るにつけ、誰もがあこがれたアウトローのその実ただのやんちゃで無鉄砲で小心者だったことが分かって嫌になる。ヒーローはおらんのかこのアニメには。

 けどどうやら来週あたりからレントンの逃避行が始まるよーで似たよーに家でしてハモンにランバ・ラルと出会い成長したアムロのごとくにレントンも、育ち自分の居場所を感じ役割を覚えてヒーローとして屹立してくれると信じたいけどやっぱり同じよーに逃げ出して、戻ってエヴァのパイロットになったものの最後は結局逃げ出してしまった碇シンジの例もあるからなあ。さてもレントンはどんな少年の生き様って奴を見せてくれるのか。不安でもあり楽しみでもあり。しかしやっぱりタルホさん、どんどんと生き生きとして来たなあ格好良いなあ服はやっぱり一緒だけど。

 ちょっとだけ寝て起きて「東京ビッグサイト」で開かれている夏の漫画祭りの掉尾を飾るイベントをのぞこうとしたら向かい合って2つもイベントが開かれていて迷ったけれどでもまあ見知った人もいそーだと思い「コミティア」に入ったら見知った人が机に座って居並ぶ人たちを相手に真剣な顔で何かしてた。出版社の編集部が出張しては「コミティア」に参加している人たちからイラストなり漫画を直接見せてもらうって試みなんだけど今回は漫画雑誌だけじゃなくってライトノベルのレーベルからも出張があって「角川スニーカー文庫」と「集英社スーパーダッシュ文庫」と「MF文庫J」が来ては机を並べて持ち込みの応対をしていいた。

 興味深かったのはそのにぎわいぶりでほかの漫画編集部向けの申込用紙がだいたい整理番号で正午前後で20番弱だったのと比べると、出版3社は60番まで用意してあったららしー申込用紙がすでに”完売”状態で、午後に来てらまず見てもらえる状況にはなってなくって漫画の同人誌の集まりで、なぜにこーも小説の編集部への持ち込みが多いんだろう? って思ったけれど考えるに漫画はストーリーが求められるのに対して、ライトノベルの編集部が求めていたイラストは1枚2枚、は少なくっても5枚あれば持ち込んでその作風を見てもらえる。漫画を描き切るよりはまだ気が楽で、それでいてプロとして活動できるんだったら漫画家になるよりイラストレーターになるほうが良いって考えている人が増えている現れなのかもしれない。

 ちなみに行列の1番長かったのは「スーパーダッシュ」で申し込み受付用紙も60番までが早々に品切れになった模様。ライトノベルの勢力図では新興なのにこの賑わいはそれだけ活躍できる余地があると思われてのことか、それとも知らないうちに「ダッシュ」人気がクリエーターの間で高まって来ているのか。小説の持ち込みも認めていたから創作系の人も並んでいたのかもしれない。詰めている編集長の人編集部の人はきっと1日中、机に張り付きになって大変だっただろー。お疲れ様。スニーカーの編集長の人編集部の人もお疲れ様。良い人が見つかれば良いですね。

 その足で西館(にし・やかた)へと回って「東京トイ・フェスティバル」も見物。来ているかなあ? と想像してたらやっぱり来ていた「トレジャーワークス」のブースで第2弾となった「エロポン」のラインアップを目の当たりにする。いやあエロい。その名も「美牝・淫虐の館 縄艶妖花」ってつけられたフィギュアは高杉涼さんプロデュースだった第1弾とはまた違って現代風の姿態をした豊満な美所が縛られつるされのけぞらされたフィギュアたちで、「肉鞘鑑定の性愛」だの「開花する媚肛」だのといった見るからに官能をくすぐられるタイトルも含めて大人の心を熱くさせる。

 勝新太郎さんの「座頭市」フィギュアでアクションフィギュアの世界に新たな和風フィギュアのカテゴリーを持ち込み旋風を巻き起こしていたアルフレックスが、どういういきさつかはともかく「赤影」を最後に店を畳んで成り行きを心配していたけれど「タモリ倶楽部」にも取り上げられたこちらは順風満帆な模様。この余勢をアルフレックスならではの技術とこだわりが注ぎ込まれたアクションフィギュアの方にもまた、向けてもらえると有り難いんだけどなあ。会場にはそんなアルフレックス時代のフィギュアも何種類か売られていたけど欲しいものは持っているか既に売り切れになっていて今回は遠慮。でも「赤影」はどこかのショップに残っているらしーんで探して買おう。貴重だし希少だしなにより良い出来だったし。

 美少女によるコスプレの白井ヴィンセントを見たりしながら歩いていた会場にひときわ大きな「増田ジゴロウ」のぬいぐるみが置いてあって、近づくと「ジゴロウ」作者のダイス・Kさん本人のブースで例の騒動以来、果たしてどーなるんだろーと様子を見ていたけれどここにしっかり独立独歩をしていく体制が整った模様でまずは善哉。ポストカードにサインなんかをしていてたぶんファンの人とかがひっきりなしに訪れていた。展示してあったジゴロウは番組でも使われたものと同じ大きさで質感も同様らしく、プッチャンみたいに背中から手をいれ口をパクパクとさせることもできて実際にやらせてくれたけど、生憎とボイスチェンジャーを持ってなくって黒幕ばりの減らず口は叩けず。写真も撮れなかったよお。でもまたいずれ出会う機会もあるだろー。ジゴロウは不滅だ。会場を歩いていたヴィンセントがその場を訪れたかは不明。


【8月27日】 遅れて行ったんで名刺交換もせず名刺を交換してくれとも言われなかったんで(生成の麻のスーツにパナマ帽に禿で丁髷では胡散臭がられても致し方ない。ちなみに今は髯はない)誰がいったい出ていたのか、質問した人以外は分からなかった例の「自民党幹部とブログ/メルマガ作者との懇談会」に関して、「CNETジャパン」の記事が出ていて誰が呼ばれて出席していたのがリストで判明。そーか花岡信昭さんもいたのか。

 産経新聞元政治部長で元論説副委員長で長野県知事選に出馬を表明しながらも断念して後に政治ジャーナリストとして活動を始めた偉い人。うちの社長よりきっと偉いに違いない。傾きかけてる子会社の末端でオタクな記事を書き散らしている僕から見れば雲上のさらに高みの成層圏のさらに上、宇宙の彼方に輝く星にも等しい身分の人が招かれているよーな舞台では僕なんかが出る幕もなくひとり末席で成り行きを見守っていて正解だったかも。

 そんな人とも名目的にはフラットに選ばれ同じ場に出席を認めてもらえるあたりがネットらしーと言えば言えるけど、発行を始めてまだそれほど間もないメルマガの主でも前歴が高く影響力も強い人が濃い内容を書いているってところが認められていたのだとしたら、ネットも決してフラットではなく、経歴なり知名度なりがやっぱり物をいう、ってかむしろ媒体の権威に頼れない以上は既存のメディア以上に経歴知名度が重要になって来る世界なのかもしれないなあ。無名で優れた書き手より有名で普通の書き手をやっぱり人は選ぶものだろーから。無名でオタクな書き手が呼ばれたのは単に長いからでしょー。参加者ではもしかして最古? 調べてないけどまあそれだけはとりあえず誇ろう。誇ったところで金にも食べ物にもならないけれど。

 パソコンの調子が悪さを極めてデータがまるごと吹っ飛ぶ不安に怯え続ける状況にこれはやっぱり買い換えが必要と思い立ち、秋葉原へと向かおうとして一考。折角だからと船橋から東武野田線に乗り、柏を越えて新しく出来た流山おおたかの森駅まで出向いてそこから「つくばエクスプレス」に乗り換え秋葉原へと向かうことにする。んでもって降り立った「おおたかの森駅」は周辺に広場しかなくスーパーもコンビニすらも存在していない超僻地。かといって大鷹も飛んでおらず何がいったい「おおたかの森」なのか分からないけどポツポツと家なんかも建ち始めていてこれからぐんぐんと開けて秋葉原へと30分とかって利便性から発展していくんだろー。住んでも良いかな。もう高いかな。

 反対に行けば「柏の葉スタジアム」だかがある駅に行くけどサッカーを見る用事はなく開かれる予定もないんでやっぱり一路秋葉原へ。見える車窓は緑の丘陵に平原でそこが街へと迫るに従い家並みが増えてくる。名鉄豊田新線に乗って豊田市から名古屋市へと向かう時に見える光景がこんな感じであの路線ができて三好あたりが大開発された経緯なんかを思えば筑波へと向かう途中の駅前も住宅が建ち並んでいくのかなあ。列車の中に下がった広告なんかを見るとマンションもまだ安いし買っておけば秋葉原に通い浅草に遊びに出るのに便利そーだけど便利になって人が集まるよーになった秋葉原が、そのお陰でいつまでも僕たちに好きな秋葉原、メイドさんがいてアニメショップとフィギュアのショップが居並ぶ秋葉原でいられるとは限らなくなっているのが悩ましいところ。それでも家電とパソコンの店はいつまでもあり続けるだろーし秋葉原を拠点に上野神保町日本橋へと出向くのも便利。ってことでそうだなあ、いつかそんな時が来れば選ぶ地域と頭に放り込んでおこう。まずこないけどそんな時。

 到着した秋葉原の「つくばエクスプレス」の駅は秋葉原から筑波方面へと向かう切符を買おうとする人で大行列。そんなに筑波へと向かう用事なんてあったっけ、科学万博はもう確か終わっているしコスモ星丸だっていなくなってるし。とりあえず乗って浅草に行こうとでも思っているのかなあ、それだと末広町から銀座線に乗る方が早いのになあ、不明。エスカレーターを上がるとそこにはメイドさんの格好をしてティッシュを配る美少女がいて秋葉原らしさがほのかに覗く。でもって自由通路から秋葉原駅前のロータリーに出ると絵売りの女性がいたりメイドのビラ配りがいたり口上の巧い販売員がいたりと以前のままの秋葉原。けどそれも果たしていつまで続くか。

 そのまま歩いて改装なったラオックスのコンピューター館を見たけど名前倒れでパソコンの置いてある数が少なくって早々に引き上げ、そのままニッシンパルまで行ってIBMとゆーかレノボのシンクパッドを物色する。キーボードとハードディスクの頑丈さを考えるならやっぱりシンクパッドかとこれまでのメビウス派からの乗り換えを決めたんだけど「X40系」と「X30系」のどちらにするか悩んで軽さよりも頑丈さ、ハードディスクの容量と電池の保ちなんかで竹熊健太郎さんも選んだX32の方を選び購入する。帰宅してセットアップして動かしたトラックポイントはまあそんな感じの使い勝手。トラックパッドに慣れた指では戸惑うところもあるけどまあいずれ慣れるでしょう。キーボードはまあこんな感じか。前に触ったX31よりも軽くなってる? 不明だけどメビウスよりは真っ当なんできっと今のペースで文章をうち続けてもヘタらず2年は戦えるだろーと信じたい。2年経った時にそれだけ打つ用事があるかどーかが肝心だが。ここも竹熊さんに倣って「仕事ちょうだい」とおねだりするか。自民党に?


【8月26日】 明けてざぐざぐとネット上の一般紙なんかのページを見ても昨日の「自由民主党『メルマガ/ブログ作者と党幹部との懇談会』」についての記事がアップされているところは毎日インタラクティブくらいで他は共同も含め見あたらず。見落としているだけかもしれないけれど見落としてしまうくらいの扱いの小ささだったってことで主催した側にマスなメディアを通してブログな人たちメルマガな人たちも意識してますよ、って伝えよーとする思惑がもしもあったのだとしたらそれは肩すかしだったって言えそー。

 自民党のそんなPR戦略には乗るものか、って矜持があっての非報道だとしたらそれはそれで立派ではあるんだけど、一方で起こっている現象、すなわち自民党がブログやらメルマガやらの存在を認知しはじめているんだってゆーことを伝える”義務”を怠ったとも言えないこともなく、敷衍してそーした新興メディアの登場に戸惑いを覚えての非報道なんだと受け取れかねない可能性もあったりする。言いたいことを伝えてくれない既存メディアへの不満なんかを抱いている政党が、そーした不満の要因が既存メディアの一体どこにあるのかを浮き彫りにしたとも言えそー。その意味ではやっぱり成功だったのかな。メディアに対するそこまで深読みするリテラシーなんて日本人にはまだないけれど。

 既存メディアの見方をする訳でもないけれど、懇談におけるネットな人たちと自民党幹部との質疑応答の模様を見るなら日々、大手のメディアが記者会見やらぶら下がりやら懇談やらで行っている質疑応答と大差はないし、答える側の言葉にも大きな違いはない。既存メディアは決して本音に迫っていない訳じゃなくって日々の仕事の中でやることはちゃんとやっているんだけど、問題はやはり紙でも電波でも時間的空間的な制約があるってことで、加えて商業的な制約もあって分かりやすくて喜ばれやすい方へと流れ自然、扇情的だったり情動的だったりするものへと陥ってしまうのだ。そんなことを積み重ねていけば自然とそれが普通のことだと体内に染みこみ、やがて紙面を作る段階になってそれ以外の伝え方を出来なくなってしまう。たとえ万の情報が集まっても切り口は同じ。新聞やテレビの報道がどこか画一的なのにはそんな訳がある。

 懇談での質疑応答なんかを見ていても、既存メディアを上回るよーな質問が飛び出した訳でもないし既存メディアに対する以上に深く答えた訳でもない。1時間で聞けることなんて限られているし、そんな質問への答え方なんて百戦錬磨の政治家なんで体に染みついてペーパーなんて見なくてもすらすらと出てきてしまうもの。過去にあちらこちらのメディアで喋っていることと違いはなかったし、政権公約なんかに書かれていることを改めてその口から説明しただけでもあって、ネットメディアだからこその質疑応答が行われたとはちょっと言えない。ネットメディアが情報にアクセスする機会を与えられたことに大きな意義はあると言えても、そこから先の、ネットが既存メディアを超えて何かをしよーとするまでんはまだまだ相当に、あるは永久に時間がかかるかもしれない。

 誰でも出られて何でも聞ける会見なんて、話し手に時間的な制約がある以上はこれからもきっと難しいんじゃなかろうか。情報の中枢にアクセスできる人たちにある程度の制約を設けるのもそれは仕方がない。それでも商業メディアが画一的にならざるを得ない内部的、外部的な要因を抱えて情報のアウトプットが滞っている状況において、そーした制約を受けにくいネットメディアが持つ機動力は情報の出し手んとっても受け手にとってもやはり魅力のあるもので、それこそ「無視できない」(世耕弘成・自民党広報本部長代理)なんだろー。

お洒落な環境からお洒落なアニメが生まれるのだ、GDHとは違うぞ、きっと  肩肘張って背伸びして、超えようとしたってそれは無理。むしろお互いがそれぞれの特性を認め合い、補完関係を維持しながらともに発展していくことが有意義なんじゃなかろーか。ただしそーした隙間狙いなネットメディアで意義は果たせても見返りは大手程にはならないのが難と言えば難。その当たりを解決する手段も情報の伝え手と受け手をダイレクトに結ぶネットが技術力でもって提供できるよーになってはじめて、メディアの構造に変化も生まれるんだけどなあ。あるいは稼いでる起業家のお歴々の篤信にすがるとか。食べる手段は他に持ちつつ、この国への博愛精神をブログにぶつけて周辺に集まる人たちを導こうとしている方々も増えておられるよーだし。昨日も目立ってたし。これからきっともっと目立つんだろーし。

 はるか地の果てへと京王線に乗って向かい到着した多摩霊園駅から徒歩1分の場所にある「FIXスタジオ」ってところでゲーム版「ミニパト」とそれから押井守さんの「イノセンス」に続く監督作品「立喰師列伝」の発表会見を見物する。入って2つの建物を渡り廊下でつなぐ間に芝生の青々とした庭があるスタジオは想像するに写真撮影だかビデオ撮影だかのスタジオとして使われていた模様で、なるほどだから会見場に使われた奥の建物の2階のホールはペントハウス風に天井から光が取り入れられるよーになっていたり部屋にステージが設けられてたんだと納得。それをプロダクションIGが買ってこれから新しいアニメーションの製作拠点にするみたいだけど敷地はそれなりにあっても建物はそれほどでもなくステージとか残っている設備もあったりして、これらをどー改装してIGが使える建物にするのかちょっと興味。今は中庭も綺麗なアメリカっぽい建物が、アニメ制作拠点化が進んで雑多になっていくのはちょっと勿体ない。

 けどIGの石川光久さんは結構不退転の意識でこの建物を買ったみたいで「『立喰師列伝』は儲かるから」ってゆー押井監督の囁きを信じ「イノセンス」の儲けではなく純粋に銀行から資金を借り入れ注ぎ込んだとか。ところが当の押井さんは会見で「何十億も儲かるなんて言ってない」とつれない御言葉。それでも「採算は取れるしアニメ史、映画史に残る作品」だって断言したところを見ると押井さん、相当に「立喰師列伝」に入れ込み自身も持っているらしー。なるほどこれまでに数々の実写作品を作り、損はしていないものの大もうけは出していない過去をしっかり踏まえつつ、ただの実写ではなく「ミニパト」で使った手法を実写に当てはめアニメ風に作ることで押井さんのアニメに関心を持つ層も映画館へと招き寄せようとしていたりと、売れることへの意識もちゃんとあってその点だけとっても作品への期待が沸いてくる。

押井のおしめのオシメーション。オシムのアニメもオシメーション。面白いのはどっち?  アニメ史映画史に残るってのはその手法で、2D風のパタパタを3Dで作って画面の中で振り回すって「ミニパト」を見た人なら分かる演出方法をそのまま実写にも応用したって所でそれがいったいどう見えるのか、デモ映像が未だ作られておらず判断のしよーがないけれど、「ミニパト」の楽しさを思いまた関係者が口を揃えて面白いと言うところを見て相当に、画期的な映像になっているよーな気がする。曰く「スーパー・ライブ・メーション」って押井さんはこの表現方法を指して言い、対してバンダイビジュアルの渡辺繁さんは「電脳紙芝居」って言って命名を争っているけれど、間を縫って石川さんが出してきたのがその名も「オシメーション」。ロゴまで作っておしめをつけた押井さん(犬バージョン)のイラストも作って披露してしまった以上はこれが正式にロゴもマークも含めて定着しては世界に「おしめの押井のオシメーション」として広まっていくんだろー。ジェームズ・キャメロンやスティーブン・スピルバーグあ「オッシメーショォオン! イエッ!!」と言って手く姿が目に浮かび、涙。

 会見がひととおり終わった後は中庭で「立喰師列伝」らしく立ち食いのガーデンパーティー。こーゆーことができるのが「FIXスタジオ」の強みか。同じくガーデンはあっても屋上でトリケラトプスだかの骨が転がっている「スタジオジブリ」じゃあちょっと難しいからなあ。パーティーには「立喰師列伝」にも出演sてる我らがアイドルの兵藤まこさんも浴衣で来場しておられたけれどアイドルだった時代から2昔を経てその見目には麗しさとともに貫禄も出て今が21世紀なんだなあってことを強く激しく認識させられる。いやお綺麗でした。あと見渡すと映画にも登場してる森岡浩之さんとか乙一さんとか滝本竜彦さんとか大森望さんとかも来場して歩いておられて挨拶。夏に帽子を被らない決意を僕も見習いたい。剃るかなあやっぱり。でもそこへと至る勇気が未だ生まれない。必要なのはなんだろう。お金か。それとも愛か。ちなみに滝本さん、9月1日に「ロフトプラスワン」で開かれる予定の将吉さん「コスチューム!」出版イベントへの動員に不安を覚えていたんで手の空いた人は駆け付け座席を埋め尽くせ。レイヤーもいっぱい来るみたいだし。


【8月25日】 そして迎えた最終回はジオングとガンダムのバトルがア・バオア・クーへとなだれ込んで闇討ちをかけるシャアにこれまでとは違った奸智も使って挑み白兵戦へと持ち込んだアムロ。そして割り込んだセイラに「いい女になるんだな」と言い残して1人バズーカをかかえ最高の表情で弾丸を発射しザンジバルごとキシリアを沈めて当人もそのまま煙の中へ。一方アムロはコアファイターへとたどり着いて迷うセイラを導きフラウ・ボウもミライもブライトもカイもハヤトも脱出させたものの当人だけが未だ到着せず「人がそんなに簡単に変われるはずがない」と涙するセイラたちのその横で、右だ真っ直ぐだと叫び「4、3、2、1、ゼローッ」とカウントしたカツとレツとキッカの合わせた声とともに、コアファイターが現れアムロが帰還しそして戦争は和平へと向かう。

 そのあまりにも感動的かつ完璧なラストが「機動戦士ガンダム」の評価をそれまでのアニメにはない極上のものとしたんだけど、拓けた未来にニュータイプとして覚醒した子供達を先達のアムロが導き平和な世界が出来上がって誰もが平和に暮らしましたと思っていたのも今にして振り返れば甘かった。世界はますます混沌へと向かい子供は純粋に愛しみより憎しみを醸成させてかくして「機動戦士Zガンダム」から「ガンダムZZ」そして「逆襲のシャア」へと至り大勢の人が死ぬことになった。なるほど人はそんなに簡単に変われず戦いの歴史は途絶えず続いたってことでそれはそれで人間らしいと言えば言えるんだけど、一方に続編が登場したことで失われた人類への信頼なり安らぎの気持ちなりってのもあった訳で、ちょっぴり寂しい気持ちに最終回を見れば見るほどなっていく。

 その点で過酷な未来が予想され漫画ではそれが描かれた「風の谷のナウシカ」が、アニメーション映画では訪れた平和で終わり未来に希望を頂かせたってのも方法としては良かったのかも。ガンダムについては続編が作られてしまいそれが永劫の業を描き対立を描くものだった以上はそれを飲み込みつつ、そうした苦労を超えて人間がいずれ平和を掴む日を、夢見続けることいしよー。来週からは「機動戦士Zガンダム」がスタートで映画版の原点となった作品がどんな描かれ方をしていたのかを、1週づつ噛みしめつつフォウ・ムラサメの声がどれだけマッチしているかを味わいつつ、これからの1年を楽しみ続けることにしよー。ハマーン様早く出ないかな。

 サンティアゴ・ベルナベウに倣うかのよーに栄誉を讃えイビチャ・オシム・シュタディオンなどと呼ばれるのではと期待する向きも犬方面に多かった蘇我にオープンの「千葉市蘇我球技場」がフクダ電子によってネーミングライツを買われたのが先月のこと。さてもいったどんな名前になるのかと正式発表が待たれたけれど、それがいよいよと明らかにされるってんで台風の中をパレスホテルへと駆け付け会見を聞く。まずはフクダ電子の社長の人から社員の提案があって企業の社会貢献の一環としてサッカー場の命名権に応募するのはどうかって考え結果応募したって経緯が明かされ、そしていよいよ「フクダ電子アリーナ」とゆー正式名称が発表されて場内には「おお」ってどよめきが……起こりませんでした。

 ってか真っ当過ぎ。もとより医療機関向けの製品が多い会社だけに社名をそこで語られたところで、フクダ電子への感謝は浮かんでも具体的な購買行動へは結びつかず「味の素」なり「日産」のよーな効果は果たして得られるのか? って疑問がちょっと浮かぶ。もっとも直接商品を売ることばかりがネーミングライツの目的じゃない。それなら場内に看板を出せばそれで澄む。重要なのは企業が社会においてどれだけ必要とされているのか、ってことを理解してもらい株価なり収益なりの安定的成長へとつなげること。その点で実は「フクダ電子アリーナ」には過去のネーミングライツとはひと味違った社会貢献策が盛り込まれていたりする。

 「フクダ電子アリーナ」と付けることで「フクダ電子って何?」って関心を持ってもらい認知度を高めることができる。社員もJリーグのチームの活躍を通して社名がいわれモチベーションが高められる。それは過去のネーミングライツと同じ。違うのは場内にAEDって心室細動が起こり心臓の突然死の危機が襲った時に使う機器を、100メートル感覚で計11台も設置して、訪れるお客さんにどんな興奮からも心臓を守り安心して試合が見られるよーにするって点。社会に貢献している企業ってことを、イメージだけじゃなく実行でもって理解させよーとしている。味の素を配るより自動車を展示するよりこれは大きな意義を持つ行為。これまでのネーミングライツの中でも屈指の内容を持った契約で、それが僕らの大好きなジェフユナイテッド市原・千葉のホームグラウンドに付けられたことは何だかとっても誇らしい。ジェフの選手もきっと喜んでいることだろー。有り難うフクダ電子。これで心臓がばくばく言うまで走れるね。

 近づく台風にこれは早く帰宅した方が良いだろう、って理由を盛り上げつつ内心は大層な場所へと赴き場違いな気分を味わわされるのが億劫だってゆー引っ込み思案な理由でもって誘われていた平河方面すなわち永田町にある自民党でのブログだか、メルマガだかを書いてる人への党幹部による直接的な政策説明とそして質疑応答ってゆーイベントを、パスしよーとも思ったけれど歴史的とは言わないまでもそれなりに面白げなイベントで、何よりどんな面子が自民党から認知されているのかを観察するって意義もあるんでよっこらしょと腰を上げ、定刻の午後7時からちょっと遅れて永田町にある党本部へと向かい警備の誰何もかわして会場へと潜り込む。

 すでに武部勤幹事長による挨拶が始まっていてそれを、こーゆーイベントに付き物の新聞テレビによる冒頭の頭録りって奴が捉えていて早々と駆け付け着席していたらそれが全国に写し出されてしまったなあと安心しつつ残念さも引き吊りつつ、様子を見守り案の定に頭録りが終わってカメラが退散した後に、最後列の空いていた席へと座って進行を見守り来ている人たちを観察する。自分も含めてざっと34人ばかりいた人たちは年齢も上下に開き雰囲気もばらばら。といってもアニメのTシャツにジーンズなアキバっぽい人はおらず背広だったりクールビズな扮装だったりと真面目さは維持されていて、SF系日記なりアニメ系サイトのオフで見かけるよーな人はいなかった。当たり前、かなあやっぱり。

 武部幹事長に元NTTらしー世耕弘成・自民党広報本部長代理も交えつ懇談会は質疑応答で進みたとえば公職選挙法とネットの関係をもっと融通の効くものにしてくれってな質問には自民党として努力して来たと武部さんが答え加えて「テレビのワイドショーのような意図的なものではなく、情報を正しく伝えてもらい受けての人が必要なことを感じてもらえるようになれば」といった感じにネットも含めた新しいメディアの可能性なんかに期待を示す。さらにその後に世耕さんは自民党の議員が早朝から党本部で開いている様々な会議の模様を全部ネットで公開したら、これほどまでに議論が尽くされているんだってことを分かってもらえて良いんだけどそれはさすがに現段階では難しく、けれども少しでも近づこうとネットにトピック的に議論が行われていることを紹介していく試みはしているって説明をしてくれて、ネットとゆー場に並々ならぬ関心を自民党としても抱いているんだってことを話ぶりから伺わせる。

 だからこその懇談会の開催だった訳でなるほど間近に顔を見て聞けば答えてくれるフェイス・トゥー・フェイスの関係は、コミュニケーションの円滑化に大きな利点があって苦手な相手でも頼られればシンパシーを覚えてしまわざるを得ない人間の、感情に働きかける上で大きな意味を持ったイベントではあった。あったけどでもそーしたシンパシーを、遠くどこの相手にでも広くあまねく感じてもらってこそのネット利用であってそれには情報を包み隠さず露わにし、かつ寄せられる真摯で真面目な質問には極力丁寧に説明していく必要がありそー。それを面倒がって一部のブログ運営者なりメルマガ運営者を呼んで彼ら彼女たちを介して意見を伝えよーとしても、それはセレクトされたメディアがマスに加えてちょっとばかり増えるだで広くあまねく真意を伝えられるよーになるとは思えない。

 あるいはブログやメルマガといった昨今流行のメディアもちゃんと意識してますよ、ってポーズを既存のマスメディアを通して喧伝するだけの効果を狙ったものだったら、集まっていたメディアの数なんかを見る限りにおいてそれなりに意味はあっただろー。そーしたマスメディアを通して、自民党はブログとかメルマガといったものを運営している”市井の人”にちゃんと関心を抱いているんだってスタンスは伝わっただろー。ただそこで止まっては正直言って勿体ない。今はまだ、あるいは永遠に1発の伝播力ではマスを超えられないネットのメディアであっても将来においてそれなりに、マスと補完し合ってマスによって打ち出されたオピニオンを検証し、マスが機動力で集めた情報を取捨選択してかみ砕き伝える行為を通して、発展し浸透する可能性は皆無ではない訳でその当たりをミニメディアの作り手もマスメディアの送り手も情報の出し手、今回の場合は政党が理解し維持発展をさせていこーと考えるよーになれば、メディアも政治も未来は暗いばかりじゃないって信じたい。丸め込まれてるなあ。

 質疑応答だとやっぱり郵政改革関連法案に採決で反対した人をとことん排除する方針に多様性を尊んだ自民党的、あるいは日本的な気風が見られず息苦しいんじゃない? って感じの意見もあったけどそれに対して「あれは改革に賛成反対というより倒閣運動であり小泉改革打倒であった」と武部さん。引き継いで世耕さんがこれまでに何年ものあいだ、誰でも参加できる会議でもって議論を重ね修正もし付帯決議まで付けてなお、賛成してもらえなかったんだって説明して反対した人たちの間際まで来ての頑なぶりを指摘して、単なる気分で動いているんじゃないってことを説明する。既存のメディアを通してそーした議論の子細が果たして公表されていたかは覚えてないけれど、反対か賛成か、親小泉か反小泉かってフレームをまず作りその枠内で物事を伝えよーとすると、議論の過程やその内容は脇においやられ表面のバトルばかりがクローズアップされてすまう。

 そーした積み重ねが今回の解散を唐突と印象づけ、非公認を独裁を印象づけたんだとしたらなるほど子細にプロセスまでをも伝えてくれそーな新しいメディア、融通の効くメディアへの意識を高めたいって考えても当然か。もっとも融通の効くメディアだって読んで面白がってもらうことが主となれば、マスと同様にフレームアップしアングルを作って叩き持ち上げることに終始するよーになる。堂々巡り。むしろ反対するメディアが小さいところまでをも含めて増えて鬱陶しくなるばかり。そーなった時にそれでもメディアの多様性、意見の自由性ととらえ尊重し続けるのかそれとも掌を返して押さえにかかるのか。聞きたかったけど聞けば誰もが知ってるIT業界の寵児たちや、地域で地道にメルマガを発行し続ける人たちといった活動する熱意にあふれた参加者からの質問のオン・パレードに、1人のブロガーですらない日記者、それも政治とは対局の書評でアニメで女子サッカーな身では質問をするのも恐れ多いんで、黙って様子を見守って1時間ちょっとを過ごす。

 そうこうしているうちにイベントもつつがなく終了してそれから総裁応接室を見学し総裁の執務室を見学する機会を得て向かった応接室には歴代の自民党総裁の額が並んで壮観。意識した佐藤栄作さん以降の総裁が並んでその顔にああいたなあ、懐かしいなあと思いつつ彼らが存命ならば今のこの難局に、どう取り組んだんだろーかって考えたくなる。時代も政治家や国民の気質も違いすぎるんで通用しないかなあ。突発的に竹中平蔵さんが登場。髪型が昔と違ってた。総裁の部屋は広くはないけど綺麗。椅子に座って記念写真を取っても良かったみたいだけどイベントではなく実力で、座る気概を持ちたいと思いぐっと我慢する。嘘です写真撮ってと見知らぬ人に言い出せなかっただけです。折角の大舞台で何にもできずに帰ってから居場所がなかったなあ、場違いだったなあと悩みもだえるだけで成長しない引っ込み思案に未来は暗そう。そんな引っ込み思案でも生きられる世界を自民党には作って頂きたいとここはお願いして世紀のイベントに出没を果たした記録を締めくくろう。「ハチクロ」見なきゃ。


【8月24日】 「ベターマン」のDVDボックスを引き取りに立ち寄った秋葉原は「つくばエクスプレス」の開通もあって普段はあんまり見かけない種類の鉄道好きやらサラリーマンやらがわんさと押し掛けなかなかな賑わい。筑波からの来場者も期待されてこれで今が旬の秋葉原も一段と盛り上がるんじゃないのって発想でもって語られまくっていたけれど、なるほど筑波の理系の人にも秋葉原の今を象徴するアニメとかゲームとかが好きな人がいるものの、全員が全員そーゆー志向の持ち主でないことは一般社会を見れば自明の理。なおかつIT拠点都市として整備が進む過程でおそらくはアニメやらゲームやらアダルト向けのゲームといったものは近未来都市には相応しくないものとパージされる可能性は結構大だったりする。

 事実千代田区議会なんかでは秋葉原の路上を彩るアニメにゲームの美少女キャラクターの看板やポスターは、公序良俗の観点から撤去すべしって意見も出されたりしていてそーした動きが「つくばエクスプレス」の開通で、現実化し加速化していく可能性もこれまた結構大。秋葉原に集まるオタクの感性が筑波に集う秀才と融合して次代の産業なり文化が花開くなんて口が裂けても言えないんだけど、秋葉原に脚も踏み入れたことがないのに秋葉原のことを知った気になっているオヤジな方々には、「つくばエキスプレス」の開通が次代を拓く可能性に見えるらしー。澄んだ水に魚は住めないのになあ。僕たちの好きだった”萌える趣都”としての秋葉原は遠からず浄化されショップは移転し、オタクな人たちは居場所を失い、いずれ別の場所へと生まれ育つそーゆーショップへと向かうなり、ネット上での購入へと走るんだろー。残された秋葉原はきらびやかなビルが並ぶ都心部のジャンクションとなって一瞬の輝きを放ちつつも、上野の雑多も銀座の華美も両国の伝統も神田の気っ風も持たない街として、21世紀を漂って行くんだろー。それもなるほど家電からパソコンからオタクと変遷した街の進む道らしー。

 恥ずかしくないかと言われればもはや恥ずかしい気持ちも失せたと答えよう、何せ不惑だし。とゆーことで近所の本屋で堂々と「マーガレット」を購入、あれ週刊じゃないや、5日と20日の発売だって、ふーん少女漫画の世界もいろいろ大変だなあ、って言ってる場合じゃないよそんな大変な世界で堂々の巻頭カラーなんて飾ってしまって、これで看板になるくらいの人気をとらないと、漫画としてだけじゃなくって原作までもがあれやこれや思われてしまうからここはやっぱり店頭で、一切の恥じらいも衒いも捨てて「マーガレット」を買い続けなくてはいけないのだ僕もみんなもすべての「銀盤カレイドスコープ」ファンは。

 長谷川潤さんの絵で描かれた桜野タズサは小説版のイラストと大差なくスレンダーで挑戦的な美少女。ただし小説ほどにはマスコミに対する悪口雑言罵詈雑言を吐きまくることはなくってちょっぴりの毒をつぶやきつつも話はピートとの出会いと戸惑い、そして三代監督とのバトルからおそらくはライバルとの戦いへと向かいその中で、自覚を持ち恋心も燃やす「銀カレ」でも本筋のラブストーリーが紡がれることになるんだろー。少女漫画にはその方が相性も良さそーだし。気になったのは高島コーチの造型で小説だと気の弱いお兄さん、って感じなんだけど漫画だとロココがバロックな感じのキャラになってて爆笑。何でこんな風になったかは分からないけどタズサの暴走をはらはら見守るキャラって感じは出ているからこれはこれで良いのかな。三代監督はゴージャス。ヨーコは可愛さ百倍。それぞれに立ってます。

 アニメ版の情報もあって絵はどーなんだろー、原作版のイラスト寄り? 小さくってよく分からないけど「ただ今、急ピッチで製作中」ってあるから来年早々のトリノ五輪に間に合わせて登場して来るんだろー。監督は「勇者」シリーズに「スクールランブル」の高松信司さんで脚本はもはやベテランの域に来た大和屋暁さん。キャラクターデザインの牧内ももこさんは「ぴちぴちピッチ」の人? そんな布陣でもって作られるアニメがいったいどこで放映されるのかそれともビデオで登場するのか、分からないけどともかくも「スーパーダッシュ文庫」からは当初からのメディアミックスが見込まれていた作品を除けばおそらくは初めてに近い映像化作品ってことでこの後に続くだろーアニメ化企画のためにも是非に、成功してやって頂きたいところ。そのためにもやっぱり本屋で買おー既にして不惑の歳を省みないで「マーガレット」を。「りぼん」買うよりゃ良いだろ?

 お尻には割れ目があってお腹にはお臍の窪みがあるのだ。体にピッタリとした水着になればそれらが当然のよーに体表に浮かび上がってくるのだ。これまでのアニメーションでは記号としての水着姿を前面に出すあまりにそーした体型の基本を蔑ろにした描写がどちらかといえば幅を利かせせて来たけれど、表情にしても動きにしてもリアルを追究しまくっている「かみちゅ!」は一切の手抜き無し。海岸へと到着して着替えたゆりえ祀光恵の水着姿の祀はお腹の平べったい中央にお臍がぺこっと凹んでて河童じゃなくって人間なんだと分かるし、ゆりえも小さいながらも丸く育ちかけてるお尻がぴったりとした水着に包まれていてグラビアアイドルの写真に遜色のない眼福を与えてくれる。巧いなあ作画。

 すっかり寂れた浜茶屋に神様となったゆりえが訪れ懐かしい景色を復活させて過去に人々を連れ戻す、って語られれば健全明朗過ぎて背筋にカユさも出そーなシナリオなんだけど、そこは初っ端から中学生が神様になってしまうって設定を無理にも納得させてしまった画期的な作品だけあって、ほのぼのとした中に心温まる展開を了解させてしまう空気感にあふれてて、見ていてこちらまでもがあの頃あの海岸で過ごしたあの夏って気分に引っ張り込まれる。とか言って海水浴に言って浜茶屋でかき氷や焼きそばやラムネを楽しんだ経験なんて生まれてこの方ないんだけど。もちろん彼女がどうとかいった話も。けどもう迷わない。惑わない。惑えない。惑っていられるか今さらよー。

 なるほどこれは面白そう。ブロッコリーがこの秋から販売を始める「ディメンション・ゼロ」ってトレーディングカードはシステムとか絵柄とかにも目新しさがあるけれど、やっぱり話題はプロ制度と賞金制度。年間でえっと2000万円だったっけ、それだけの賞金を用意して4回の大会を開いて優勝者にはグランプリって大会が100万円だったっけ、でもってメインの選手権大会が300万円だったっけ、それを筆頭に下の順位まで金額を切り下げ分配していくシステムは、プロゴルフのトーナメント大会に似てるっていえば似てるかも。4つの大会を全部優勝すれば600万円。これってちょっとした金額だよね、ってかぶっちゃっけ僕とそんなに変わらない。チャンピオンになれば雑誌とかで記事を執筆する機会なんかもあって副収入もありそー。合わせればマジに僕の年収を上回る。転向するか「ディメンション・ゼロ」のプロに。

 ってもプロになること自体はそんなに難しくなくっても(プロって仕組みを作らないと賞金を出せないらしーから作ったって程度)そこから大会で勝つ方が大変で、「マジック:ザ・ギャザリング」の大会で勝ちまくってて「デュエルマスターズ」の開発にも携わった中村聡さんが設計したゲームは、その奥深さから熟練するには日々の訓練とそしてカードゲームへの造詣が必要そー。なので当面は「アクエリアンエイジ」やら「マジック:ザ・ギャザリング」といったゲームのエキスパートが移行して、大会でも経験とノウハウを活かした技でもって上位を占めていくことになるんだろー。果たしてどんな人が日本初のプロカードゲーマーとして立ち上がるんだろー。美貌の少女だったりしたらそれはそれで世間の注目も集めそう。あるいは王子様然とした美青年とか。でもやっぱり現実はそれなりにそれなりな面子が揃うのかなあ。どんなだよ。


【8月23日】 んでどっちがアポロニアスなんだ「創聖のアクエリオン」。墜天翔族の名残を今に引き継ぐシリウスがその出自に悩みつつ、表向きはディーヴァの一員として堕天翔族と戦い続けたもののそんな心の迷いに付け込む敵あり。夢を通してシリウスへと伸びていたトーマの手が戦いの場でついにシリウスの心を掴んで自分たちの側へと引きずり込んでしまう。それもベクターマーズごと。その過程で何だかシリウスがアポロニアスの生まれ変わりみたいな話が出て、だったらアポロの立場はどーなるの? って疑問の尾を引きながら続く来週は、四つ目のお姉さんが何やら慟哭していてトーマとシリウスとの間に大きな進展があったみたいで、そーした方面への関心が強い婦女子の方々の人気もこれで更に爆発しそーな予感。

 もちろんそーした反応を最初から企んでいてキャラクターの設定もそんな関心を掴めるよーなものになっていたんだけど、前半はどちらかといえば男性と女性の関係にスポットを当てて婦女子が関心を持つよーなあからさまな描写をここまで抑えて、見る側の想像を散々かき立てて来たところに、どっと畳みかけてくすぶっていた心の炎にボッと火を着ける作戦には感嘆するより他にない。でももーすぐ終わってしまう予定なんだよなー。燃えあがった火がそこで新たな火種を得られず燃え尽きてしまう可能性もあるだけにちょっと勿体ない気も。それとも半年後に続編とかって行く考えでもあるのかな。決して注目を集めて始まった訳ではないのに、莫迦やってシリアスやって破天荒やって物語をやって大勢の注目を集めるまでになった作品に、今は更なる飛躍があって欲しい気がしてる。どーするんだろ。

 えっと「シェンムー」? でもってプラットフォームは「ドリームキャスト」? セガが新宿歌舞伎町にある国内最大規模のキャバレーを会場に発表した新作ゲームソフト「龍が如く」は、不夜城のよーな街を舞台にアウトローたちが跋扈し闘いを繰り広げるってストーリーと街での高い自由度が、まさしく鈴木裕さんがその才気のすべてを注ぎ込んで作ったセガ・エンタープライゼス(と敢えて言わせて頂く)の看板タイトル「シェンムー」だし、描かれているCGキャラクターの顔とかは妙にリアルなのに手足が棒のよーになってて、関節からぐにゃりと曲がる造型は次世代家庭用ゲーム機はおろか「プレイステーション2」や「Xbox」でもすでにお目にかからなくなっているオールドタイプ。「シェンムー」がその命脈を共にした一世代(半世代?)前の「ドリームキャスト」上でプレーされるに相応しいビジュアルを持った作品に見えた。

 最初の案内にあったコードネームの「プロジェクトJ」も勝手な妄想では日本が舞台の「シェンムー」すなわち「Jシェンムー」か何かだったのかも、だから「シェンムー」がたどった道をこの新作ソフトも歩んでしまうのかも、なんて後で勝手に妄想して涙を浮かべつつ半歩身を引いてこれでセガも大変だなー、なんて最初に思い浮かべた気持ちが作品のデモを眺めているうちにちょっとだけ変化して、もしかしたらこれって結構楽しめるのかしれないなんて思えるよーになって来た。理由の1つが馳星周さんの手によるストーリー。ヤクザでいうところの親父を殺した罪を背負い服役してから出所して来た伝説の極道が、歌舞伎町によく似た街へと戻ってきてはそこに迷い込んで来た少女を助けて大暴れするってゆー内容に、目新しさはないけどドラマとしては王道でそれだけ心に直球で刺さって来そー。

 なおかつ主演のえっと俳優さん? 声優さん? DJか何か? 良く知らないけどドスの効いた声をわざとらしさを見せずに演じる力があったり、助演で情報屋として主人公を助ける男を演じる藤原喜明さん声がちゃんと芝居になっていたりして、見ていてストレスを感じずに済んだことも作品に気持ちを流し込める理由になっている。主人公を見守るヤクザの親分を演じる渡哲也さんの巧いこと。俳優としてのキャリアが初めてと自身では言っていた声優の仕事を難なくこなさせていたって言えそーで、そんな芝居の部分からの確かさが、見栄えは決して超リアルに見えないキャラクターに魂を与え生命感を与え過去現在未来のドラマを与えた感じが今はしてる。妙にリアルな絵だとかえって絵に気持ちが引きずられて声とかドラマに目がいかなくなるからね。その意味でも棒手足のキャラは時代遅れでも正解だったのかも。

 気になるのはそーした筋のしっかりと通っているところが楽しいドラマと、筋からの逸脱なり筋の分裂が楽しさの本質になっているゲームとが相容れるのか、ってところでたとえば自由度が高いってことで歌舞伎町、みたいな所にあるハンバーガーショップやレンタルビデオショップや「ドン・キホーテ」に入って買い物をしたり質屋に物を売ってお金を得たりできるんだけど、極道のトップを張った男が歌舞伎町のそんなショップを出たり入ったりして「それはしかばねのようだ」なんて反応を得て回るのって、ストーリーとなかなか相容れないしむしろ真摯なストーリーを阻害しかねない。パチンコ屋でゲームもできます、って言われても追われ焦り探し急ぐヤクザにパチンコスロット類を楽しむ余裕があるのかどうか。そんなゲーム性とドラマ性の齟齬を果たして新作ゲームがどう解決しているのかに、注目して発売を見守りたい。それにしてもプレスキットがトランクに入っていたのには吃驚。開けてゲーム中に実名が出てくるサントリーのウイスキーが入っていたのにも仰天。トランクはドンキで買ってサントリーのウイスキーを詰めた、のかな?

 ってな具合におよそ政治とは無関係にアニメとかゲームとか漫画とかサッカーとか「アクエリオン」とかの話をしているブログ、ってゆーかぶっちゃけブログですらないページの綴り手に何を考えて「意見交換しませんか」って案内を送ってきたのか分からない平河方面。総選挙にのぞむスタンスとかをブログとかメルマガをやってる人に直接話してそれをブログなりメルマガを通して喧伝しれもらえればって意図をもってのことでつまり、廊下とんびをして情報を集めている平河クラブの人たちほどではないにしても、それなりの影響力がネットにはあるんだと平河方面の人たちも理解し始めたのかな、なんて思いつつ一方では今が流行のブログなりネット言論の人たちを意識してますよってスタンスを示し、それを平河クラブ経由でマスな媒体から喧伝してもらうことでマスから情報を受け取る大勢の人たちに、その開明性を訴えようとしているだけと取って取れないこともなく、その意味でメディアの使い方の巧みさを感じる。一日の長は彼らにあり。

 もちろんネットの言説がマスを超えないまでも大勢に影響を及ぼすくらいにはなるってビジョンも抱いてこその意見交換で、今からお互いに良い関係を作っておきたいって意図もあるんだろーけれど、ネットが大勢を動かすケースって多くが体制なり権力へのカウンターとして働く場合が多くって、それは拙いと体制側が考え大きくなっていくネットの言説にちょっかいを出す可能性もあったりするだけに悩ましい。「意見交換」はだからあるいは今から釘を打っておくためのものと見て取れないこともないけれど、あまりにあからさまにプレッシャーをかければ反発は必至。かといって徹底してネット言説に媚びたところで反発する人は反発し続ける。

 望ましいのは例え見方になってくれても、あるいは敵に回っても意見は意見と尊重し、マスではなくてもミニであってもジャーナルであると認め活動に制約を課さないことを明言すること、その上でネット者であろーと誰であろーと納得できる政策を打ち出していくこと、なんだけど何事も単純化してフレームにおさめたがるマスメディアは、「台頭するネットパワー、懐柔に先手」「迫る踏み絵、反発する個人ブロガー」なんて見出しに収めて煽って来るんだろーなー。必要なのは相互理解。それを分かって下さいなんてことをさて、平河方面へと出向いて懇願すべきかどーなのか。ってか一体どんな人たちが呼ばれてるんだろー。ショボいブログですらない身など出る幕もないから遠目に見守るだけにしよーかな。もしかして壮大な釣りか何か? 締めきりは明日なんで調べてみようっと。応募してもアクセス数の少なさとか内容のオタクっぽさで落選する可能性も高いんだけど。


【8月22日】 「俺は男だーっ」と叫ぶ竜之介、ってシチュエーションに何かとてつもなく懐かしいものを感じてしまったけどこちらの竜之介は生まれながらの女でありながら変態おやじに男として育てられた「海が好き」の竜之介ちゃんではなく新撰組の2世がご一新後の京都の町で妖怪変化と戦う「機動新撰組 萌えよ剣TV」の竜之介。もちろん生まれながらの男で「俺は男だーっ」と叫んだところで「当たり前じゃん」と言われてお終いなはずなんだけど、今回に限ってはちょっと事情が違ってた。

 風呂で石鹸が頭に当たって死んでしまった竜之介。付きまとっている猫の化け物が8つだか9つだかを限度に持っている予備の魂から1つ渡したらこれが何と女の魂で、それが入った竜之介は魂に支配されて体までもが女になってしまっう。そこに竜之介の見目それなりでナイスなバディを目当てに言い寄る男がいたものだから、「俺は男だーっ」と叫んだとゆー訳。実に分かりやすい。魂に性別があるのとかいった疑問は知りません。あるんだろーなー。でもそれで体が変化して心が変化しない理由はやっぱり不明。心も女になって目出度し目出度し、って普通はなるはずなんだけど。

 それじゃー面白くないってのが作り手も、そして見ている側も一致した意見。かくして着物に巨大な揺れる双房を押し込み両腕で抱え込んでは彼を男と信じて迫ってくる女たちから逃げ、無関係に闘いを挑んでくる敵を退け京の町をかけまわる。そんなドタバタだけで30分間を無理矢理にももたせよーとするものだから、ドラマがあって割にあっとゆー間に時間が経ってしまう「交響詩篇エウレカセブン」あたりと比べて何だか時間が長いながい。これで作画まで衰弱していたら目も疲れ痺れて来るところなんだけど高橋留美子さんのキャラクターの再現度が微妙に高いものだから、美少女たちの顔にデコボコのはっきりしたボディを時間の中で割に堪能してしまった。青春の脳に刷り込まれた高橋留美子の呪縛はやはり強力無比、だなあ。

 いよいよアニメ化される「エンジェル・ハート」の発表会を銀座で見物。真っ先に気になったのが冴羽遼の声がちゃんと神谷明さんでそれがちゃんと遼ちゃんに聞こえるか、って所だったけど劇場版の「機動戦士Zガンダム」で池田秀一さんがしっかりそれなりにクワトロ・バジーナを演じているのと同様に、ってかそれ以上に往事のテンションと若々しさと格好良さでもって遼ちゃんを演じててさすがは鍛えられた喉と演技に年月は関係ないと簡単する。っても流石に70歳を超えると大変になるんだろーなー、某「ルパン三世」の面々なんかを見ているとそれを切に感じます。

 まあもとが美少年役の多かった神谷さんが「北斗の拳」でケンシロウをやり「キン肉マン」でスグルをやってシリアスにギャグに演じる幅を広げた果てに、ギャグあり二枚目ありの遼ちゃんへとたどり着いたって経緯から見れば、遼ちゃんは一種の神谷明完成系ってキャラだったって言えそー。神谷さんらしさが最大限に出ればちゃんと演じられるってことで、18年の時を間に置いても絶えず鍛え研鑽を重ねて来ただろー神谷さんに、演じることは何にも難しくはなかったみたい。あと雰囲気が「シティハンター」のギャグ6割シリアス4割の塩梅から、シリアス9割ギャグ1割に変わっていたことも年輪を重ねた神谷さんには丁度良かったのかも。回が進んでギャグが増えて来たところで果たしてどーなるかにとりあえず注目、かな。

 絵は平野俊貴さんならではの端正に北条司さんのテイストを取り入れた感じで見れば漫画のリアルさ緻密さを堪能しつつアニメならではの生命感も得られるなかなかの労作。あと岩崎琢さんによる音楽がシリアスなテイストにマッチしていて格好良くって映画でも見ているよーな錯覚さえ感じさせてくれる。第1話ってことでオープニングとかエンディングに「シティハンター」ばりのビッグアーティストによる楽曲がまだ重なってはいなかったけど、ソニー・ミュージックエンタテインメントグループがバックに入っている以上はきっと、そこからビッグなアーティストをピックアップしてエンディングとかに使ってくれると信じたい。やっぱりTMネットワークかな、それとも岡村靖幸かな(それは無理だよ)。

 肝心のグラス・ハートこと香瑩の声を演じるのは川崎真央さん。北条さんも監督の平野さんも誉めているからたぶん大丈夫なんだろー。俳優がメインでセラミューの初代ちびうさなんかを演じてて、声優はこれが初めてってことなんだけど、セリフ回しは無茶苦茶巧いって訳ではないのにオーバーに演じたり媚びたりするところがなくって、若いのに悩みを多く抱え戸惑い苦しむ女の子ってのを割にしっかりと現している感じ。周囲が神谷さんに槇村香の伊倉一恵さんに海坊主の玄田哲章さんに野上冴子の麻上洋子さんと超絶巧者のベテランが揃っている中で1人、初めての声優をやって大きく違和感を覚えさせないところは大物の片鱗かも。麻上さんは大人の魅力が増していたかなあ。いつまでも「古代くーん」じゃないもんなあ。

 アニメの放映は10月あたりで時間は深夜枠。午後7時台に放映されたこともあってメジャーアニメとなった「シティハンター」に対して夜の放映で果たしてどこまで浸透するのか、見えないけれど深夜だからこそのハードでエロティックでシリアスな原作のテイストを、そのまま再現できるってこともあるんでかつて「シティハンター」に親しみ大人となって「エンジェル・ハート」を嗜む人にはむしろ、こっちの方がベストなのかもしれない。この秋もきっと山ほどの新作アニメがスタートするんだろーけれど、中でも注目の1作として放映を楽しみにして見ていこー。何よりやっぱり音楽が良かったなあ。「ウィッチハンター・ロビン」も「R.O.D THE TV」の人かあ。良いはずだよなあ。サントラ出たら買おう。

 夜に突然の会見でスクウェア・エニックスがタイトーを買収するって話になって適当に記事を書く。「企業プレゼンスを高めたい」ってのがスクウェアとエニックスを合併させる時の和田洋一社長の言い分だったけど成果もあってゲームソフト業界でそれなりな地位を得るに至ったスクウェア・エニックス。その次のステップがパッケージなりネットワークなり出版物といったコンテンツの窓口をさらに増やす上で有用なロケーションの入手だったってことでナムコとの経営統合を実施したバンダイの意図ともある部分で重なるところがありそー。

 家庭用ゲームソフトで圧倒的なスクウェア・エニックスとロケーションで結構なシェアを持つタイトーの連携が果たして何を生むのか。タイトーステーションのプライズが全部スライムになるってことはなさそーだけど、大昔に「プレイオンライン」を立ち上げよーとした時に見せた家からオンラインゲームをプレイしてそれからゲームセンターでもシームレスにプレーするビジョンが、これで現実に大きく近づいたってことは言えそー。ってかすでにネットカフェの普及がそーしたビジョンを現実のものにしているんだけど。いっそだったら開発して展開しよーぜ「スラムオンライン」を。


【8月21日】 ぱっと目が覚めて見た「交響詩篇エウレカセブン」は、ちょっとニルバーシュが人よりエウレカより巧く運転できるよーになったからって有頂天になってしまったレントンが、謎の住宅でピザを食い幻想にもまれ二代目の職人の奮闘とそれでも事業を承継できなかった厳しさを目の当たりにしたからなのか妙に大人の落ち着きを見せるよーになって、発掘屋のおっさんの理不尽な罵倒にも耐えおっさんの悪事にも彼を哀れむ余裕を見せ、果てにはエウレカの謝罪の言葉にすらも媚びず怯まずうれしがらず、自分の問題を探求しよーとする姿勢を見せてってあんまりレントンらしくなくっていて、きらめいていた少年のハートは過去のものとなってしまった感じ。

タルホはもっとたれ目でへの字口でふてびてしい感じが欲しいかも、でも綺麗  そんなレントンの態度に閉じられたドアをけ飛ばすエウレカの態度の方が、ちょっぴり子供っぽくって可愛らしかったけど、そんな2人の間に入ったすき間とそしてエウレカを心配するあまりにレントンに暴力を振るうホランドを、叱責するタルホさんの下から煽った構図が素晴らしかったってのはさておいて、ヒビの入った2人の関係がそれぞれにどこへと向かっていくのかにちょっと興味。

 そーでなくても最近タルホさんの存在感が薄れてて、昨今のアニメでも突出した人気を獲得して良いはずのところが、果たせずムラチューのごときごくごく1部にマニアックな人気を持ちつつも、総体としてはまるで記憶に残らないキャラクターと化す畏れもあるだけに、ここでレントンとの仲を深めて少年の欲望のミューズとなり、現役の少年と元少年である大人のハートをがっちりと掴んで永遠のフォウ的キャラへと昇華して頂きたい。ところで人気モデルのタルホさんがゲッコー号じゃあいつも同じ格好をしているのは何故? ものぐさ?

 眠り起きて「ワンダーフェスティバル」へ。午前11時半過ぎに到着した「東京ビッグサイト」の前には既に行列はなく会場まではスムースにイン。でもっていつもだったら大行列が永劫とばかりに続く「ワンフェス」特製のペットボトルフィギュアのブース前にも行列はなくフリで入ってそのまま買えるお気楽さ。これはこれで嬉しいんだけど午後を過ぎても大行列だった数年前の熱気との差みたいなものを感じないこともない。食玩めいたマスプロダクツのフィギュアが「ワンフェス」の場に登場してからそろそろえっと5年くらい? わざわざ会場へとやってきては行列までして買い求める人の多さが、出来の良いフィギュアってゆーものへの関心の広がりを証明してくれていた。

 マニアしか喜ばなかったはずのフィギュアってものに市民権めいたものが与えられたんだって、フィギュア好きとして嬉しく思ったんだけどコンビニに食玩があふれ、「スター・ウォーズ」のペットボトルフィギュアが1000万個とかいった単位で消化されるよーになった今、「ワンフェス」に行ってまでって必要性が薄れ、かといってそんな薄れた必要性を再び濃いものにするだけのパワーをあの場が見せられずにいるのかなあ、なんて思ったりもしたけれどどーなんだろー。もっと単純に人気のキャラがいないだけ? 「ガンダム」関連が「幕張メッセ」に流れてしまったってこともあるのかなあ。

 ペットボトル付きのフィギュア(逆か?)を買ってしまったんでこのままだとサッカー場には入れないんで帰宅して荷物を片づけ3時間ほど眠ってから東武野田線で柏へと乗り込みサッカーJリーグの「柏レイソルvsジェフユナイテット市原・千葉」の戦いを見る。いわゆる”千葉ダービー”って奴で今年の頭から数えるといったい何回目になるんだろー、「ちばぎんカップ」があって「ナビスコカップ」なんかでも対戦しているから結構な数だけど直近の「ナビスコ」では確かアウェーの「日立柏サッカー場」で勝利を収めたはずなんで(見てたけど)今回もきっとやってくれるだろーと期待。マリオ・ハース選手はおらずキーパーは櫛野亮選手じゃなくレギュラーが何人かかけているんだけどそれを日本代表が巻誠一郎選手に阿部勇樹選手が帰還していることもあるんで大丈夫。きっとやってくっるだろーと期待をこめて見ていたらもう出だしから華麗なパスワークとそれを支えるランニングが効果を発揮して柏陣に相手をほとんど封じ込めてしまい、そんな中から巻選手が押し込んで1点を選手し幸先良し。

 でもって後半にも羽生直剛選手が浮かしてループで放り込んで1点を追加。直後にPKを取られて1点を返されたものの立石尚紀選手が背番号1の凄さをここぞとばかりに見せつけ獅子奮迅の活躍ぶり。すっかり櫛野選手のお株を奪ってこのまま久方ぶり(それとも初めて?)の正ゴールキーパーの座を奪うんじゃないかって勢いを見せて守りきってそのまま勝ち点3ゲットに成功する。鹿島アントラーズとの差は9点あって間に4チームが立ちふさがって優勝の目はまだ開かないけれど小笠原選手問題で揺れていることもあってあるいはぐっと近づいて、最後に逆転なんて夢が見られるかもしれない。それより先にナビスコカップでの夢もみたいものだけど。とりあえず巻選手にはこの勢いを保ち代表としてドイツに行って頂きたいもの。でもってエースの城も果たせなかったジェフ選手としてのWC得点ゲットを是非に。阿部ちゃんのFKって手もあるなあ。平山相太選手にカレン・ロバート選手の台頭も気になるけれど、彼らには南アフリカまで待ってもらおー。

代表入りすると途端に格好よく見える法則、ってか元から格好良いんだけど、大黒より、絶対に  しかし何とゆーか黄色づくしだった千葉ダービー。レイソルもジェフもともにチームカラーが黄色なんでレプリカを着込んだ人たちが1万1000人と超満員に入ったスタンドは右を見ても左を見ても真っ黄色。市原の臨海で行われてもここまで埋まることはないだけに迫る黄色の壁が目に痛いほどでダービーらしさって奴を全身から浴びることができた。「東京ダービー」も「大阪ダービー」もスタジアムは確か陸上兼用だったはずでこおまでピッチに近いダービーって奴はないはずで、そんなイングランドみたいな環境に身を置いてダービーを堪能できる幸せって奴に酔いしれる。蘇我スタジアムが出来てもサッカー専用なんで状況は同様。ただしジェフ側でどこまで観客席を埋められるかが悩みどころでそのためにも、巻選手と阿部選手には代表に定着して欲しいもの。オシム監督には無理は言いませんから続く監督にも見て楽しめるサッカーをやってくれることを願おう。

 黄色づくしだったのはそれだけではなくイエローカードもピッチを乱舞。何しろアジアにその審判ぶりを見せつけた家本レフリーが仕切った試合は9枚ものイエローカードが出るは意味不明のレッドカードが出るわともうわやくちゃ。それでも双方とも暴力に訴えることなくかろうじて見られる内容で試合を終えたのは審判ごときにダービーを汚されたくないってゆー気概があったからなのか。そんな審判への文句を1言もいわず逆によけいなカードをもらって退場させられた巻選手を叱咤するオシム監督の度量に改めて感嘆。「巻のプレーに関しては、ジェフにそのような決まりはなさそうだが、本来ならクラブが罰金を科すべき。彼はプロフェッショナルであり、2日後には試合が控えているのだから、当然のことだと思う」って言葉は冷たいよーだけど、当人をプロと認めてるって発言でこれを乗り越えてこそ真のプロフェッショナルへと成長していけるんだろー。「今、彼の人生は一気に変わっている。彼自身も一生懸命やっているが、もう一回り大きくなるためには、プレーだけではなく人としてのふるまいなど、すべての面で頑張っていく必要があると思う」。増長なんてしている余裕もないか。がんばれ巻。ホンジュラス戦でゴールだ代表定着だ。


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