縮刷版2005年8月中旬号


【8月20日】 せっかくの機会だからと8巻までの間をつなぐ「ハチミツとクローバー」の漫画も一気に買って読んだらアニメと一緒だった。ってかここまで原作に忠実だったとは。演出からモノローグから構図からほとんどが原作のイメージを写してる感じで、その手法に大昔に見た「ハイカラさんが通る」とかいった少女漫画のアニメ化なんかを懐かしくも思い出す。なるほどここまで原作どーりだと読んでのめりこんで自分の中でセリフのタイミングとかギャグのタイミングとかを形づくってしまっていた人は間合いをはずされ戸惑うのも仕方がないかもなあ。まどろっこしく見えるってゆーか。

 アニメが先だった人は逆にアニメが決めてくれたタイミングで読めるからそんなに違和感がないってゆーか。動きとセリフが頭に入った状態で見られるんで展開の確認の役にも立つ感じ。こーゆーアニメブック的な、アニメのコミカライズ的な読まれ方が漫画家さんにとって果たして好ましいものかは分からないけれど、原作者が喜んで見ているらしーところを考えるとどっちがどっちってんじゃなく、相互に繋がり合える良い関係にあるってことで昨今大隆盛の漫画や小説のアニメーション化なり、逆にアニメーションのコミック化といったメディアミックス展開の中でも、大成功の部類に入れて間違いはなさそー。

 あと偉大なのは声優さんたちで、モノローグとかは読めば短いセリフでもしゃべると感情なんかも交じって結構な長さになるものなんだけど、それを聴いていてポエミーな気恥ずかしさを覚えさせはするもののちゃんと展開に引っ張り込んでしまう演技をする所に、選ばれた人たちのプロっぷりを見る。とりわけうえだゆうじさん。放映されたばかりのモカデミー賞受賞でのスピーチ場面のあの長いセリフを、漫画のネームそのままに読んでなおかつ抑揚を付けギャグもしっかり織り交ぜ聴いてて自然に最後まで聴かされてしまうよーにしてしまう辺りに既にしてベテランの風格を感じる。はぐの工藤晴香さんについては漫画版のはぐの声を最初に妄想していなかったんで全然オッケー。最初に違和感を感じが原作ファンの人は4ヶ月が経った今、どー思っているのかな。ちょと知りたいけれど周りに「ハチクロ」読んでいる同僚もいなければ「ハチクロ」アニメを見ている同僚もいない。それでトレンドがどうとか言ってるんだから先は暗いねえ。

 猛暑の中を眠り起きて「幕張メッセ」で開催された「キャラホビ」を見物。ずいぶんと前に「C3」って名前で立ち上がったイベントにホビージャパン主催のイベントも合流して立ち上がったキャラクター&ガレージキット系のイベントなんだけどむしろファンには「ガンダム」系のイベントって言った方が通りが良いのかも。それが証拠に場内はバンダイにアニメイトにコスパといったところが「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」関連のグッズを出したりイベントを打ったりしてそれがいずれも超人気。イベントなんかは開場して1時間も経たないうちに午後も含めた複数回あるショーのすべてがソールドアウト(売り物じゃないけど)してしまう人気ぶりで、それも大半が猛暑の中を耐え抜いた女性陣によって占められていて未だ衰えぬ婦女子受けっぷりにバンダイもあと3年はこれで戦えるって見通しを得る。

 面白いのはそーした企業のブースが並ぶ方向に女性陣が群がる一方で、開場の半分を占めていたホビー系のブースなりガレージキット系の卓には熱き男性陣が群がっていたことで、人数だけなら目分量でも男性女性が半々なのにも関わらず、その間には厳然として深くそして広い河があるんだって事実を突きつけられる。ちょっとものがなしい。明日は「東京ビッグサイト」の方でガレージキットの祭典「ワンダーフェスティバル」が開催されるんでプラモデル系狙いのファンはともかくガレージキット系の男性諸氏はそっちへと回りそーで、幕張メッセの女性比率もぐんと上がりそー。商業高校に入学してしまった男性みたいな状況を体感できるかもしれないけれど、そんな婦女子目当てでかけつけたところで彼女我の間にある河はまず絶対に超えられないんで、アスランとかキラとかアポロとかシリウスとかに扮して歩く美少女(予定)を愛でるだけで良いって覚悟を持って行くのが吉でしょー。

富野御大のTシャツが世界で1番似合う男、それが大野修一さんだ!  あとは徳間書店のブースで「富野御大Tシャツ」の最新版をいち早く手に入れたいって人とか。前のバージョンも凄かったけど新しいのは目にクワトロ・バジーナばりのサングラスをかけ額に「Z」の文字を浮かび上がらせた巨大な富野監督の顔が赤地もしくあ青地に染め抜かれた一本で、着れば心に「Z」の鼓動が響きオトナの醜さへの憤りが浮かび戦いへと身を投じたくなる、かどーかは知らない。色で選ぶならやっぱり赤だよなあ、クワトロ色だし。せっかくなんて1枚所望、今度会社に着ていこー。世界で1番、富野監督Tシャツが似合う「アニメージュ」編集長によれば夏ごとに新作を登場させたいってことなんで、来年はそーだな「百式」ばりに全身も全頭も金色に塗られた富野監督が屹立するゴージャスなTシャツなんて作ってくれたらやっぱり買うかも。

 「バキ」の不条理さにあふれた迫力たっぷりの格闘をゴスロリの美少女(但し身長181センチ)が繰り広げたら? って設定にピンと来たらこの1冊。井上元伸さんの「桃魂ユーマ」(秋田書店、533円)は表紙に描かれたパンツもまる見せのハイキック美少女がまず目を引くけど、中を開くとさらに目も釘付けとなるシーンが満載。ゴスロリな格好が大好きな身長181センチの美少女ユーマが入学した学校は、絶対に退学がないってことで不良どもが集まり権勢を競い合うハードな環境。そんな場所にどーしてユーマが入ったかとゆーと実は彼女、極端に激昂しやすくそーなると手がつけらない凶暴な人間になってしまうため、長身に似合わないゴスロリを指摘され暴れまくってふつうの学校にはいられなくなってしまった。

 ただ暴れるだけなら181センチの長身があっても所詮は女性、たいしたことがないはずなんだけどそおは何故か天性の格闘センスを持っているらしーユーマは最初は単にからかって来ただけの不良を叩きのめし今度は実力者と認めて挑んできた敵も上級生も教師も粉砕して、本人が望むと望まざるとに関わらず学校の中で一目置かれる存在になってしまう。そんな彼女に迫る新たな魔手、それは……ってことでそれまでは普通に喧嘩の強い格闘美少女(但し身長181センチ)の物語だった話がにわかに伝奇っぽさを帯びてきて、今後の展開に相当なエスカレーションを期待させてくれる。けどやっぱり何より描かれる女の子が普通にそれなりに可愛いってのが大きなポイントかも。師匠の板垣恵介さんは男に迫力はあっても女性はなかなかに微妙だから。ともあれ楽しめそーな1作。次はいつ頃出るんだろー。


【8月19日】 「キャイーン」の天野ってよりはむしろ「カンニング」の竹山孝範さんではないのかとスキマスイッチ原理主義者的な言霊による呪詛を彼方新宿方面へと飛ばしつつ(届いているかは知らない)、見た真夜中のアニメーション版「ハチミツとクローバー」は森田先輩がモカデミー賞の現場に登場してはぶっちゃけトークを披露。そのどこに行っても変わらない傍若無人ぶり唯我独尊ぶりに才能以上の大物っぷりを覚え、同じ日本人として似た舞台に立てる可能性のあった宮崎駿監督にも是非に登壇してはぶっちゃけトークをして頂きたかったと懐古調。

 けど労働組合ッシュな宮さんが本場米国であの時期にぶっちゃけたかもしれない内容を考えると、生きて帰れない可能性なんかもあったから白馬だか八甲田だかに引っ込んで戯れていてくれて日本人のアニメファンとしては有り難かったかもしれない。行きは日本足で帰りは8本足の肩の上のインザホワイトコフィでは洒落にならないからなあ。森田先輩の場合はしゃべりが日本語できっとニュアンスのぶっちゃけぶりがそれほど伝わらなかったことが命拾いの要因だったか。

 直後に入院中の竹本と同じ病室に発見され翌日に卒業制作を間に合わせ年度が替わって再入学する行動力にはひたすら唖然。けど一人ポエムな展開の多かった昨今から一変して見て楽しく笑える番組になったところを考えるに、やっぱり森田先輩は山田あゆみと並んで作品に欠かせないバイプレーヤーなのだと認識。ってか主役って誰なんだ、竹本の影もはぐの存在感もどんどんと薄くなる小さくなる。

 まあこのペースでははおそらく竹本の北行きが上下でラストを飾る感じなんで帰ってちょっと大人になってはぐに好きだと告げるあたりで第1部の完となり、来年度にその後の真山とリカとあゆと野宮のぐっちゃんぐっちゃんな関係を描く第2部をお届けしてやって欲しいもの。美和子さんの活躍も増えて来てオトナのオンナwith眼鏡好きにも満足のシリーズになりそーだし。頼むぞフジテレビ。

 んで買ったカルタ付きの漫画版「ハチミツとクローバー」第8巻は鳥取砂丘に降る雪の可能性に震えつつサンボマスターなみの青春スーツをまとい始めた野宮が存在感を増して青いスメルがページの端々から立ち上る。一方でリカと真山は優しさを認め合う関係へと向かい巻き起こる仲良しグループ大崩壊の展開へ。さらに森田ブラザーズの暗躍も始まり風雲急を告げる物語が果たして落ち着く先はあるのかどーなのか。アニメの放映がひとまず終わっても続く物語に抱かれる興味は果てしなく、アニメでファンとなった人も抱き込み堂々のロングセラー&ベストセラーとなって売り上げリストの上位のその名を刻みそー。耐えても良い話を描き続ければ幸運は訪れるって証明。素晴らしい。

 亀井静香代議士と言えば警察に強い影響力を持って向かってくる人の裏も表も知り尽くした上で反撃も懐柔も自在に行える脅威の人ってイメージがあって、だからこそ今回の優勢改革に絡んだ反小泉首相的な動きもある程度の抵抗の基盤を持ってのことだと思っていたんだけど、そんな亀井さんが自民党を飛び出し国民新党を作って立候補する同じ選挙区に、何とあのライブドアの堀江貴文さんが立候補すると表明して、それを自民党が公認ではないけれど黙認に近い形で支援することが決定。そこまで追い込めるほどに小泉自民党にとって亀井代議士の影響力ってものが小さくなっているんだってことが伺えて、何かが崩れ落ちて来ているんだってことが感じられる。

 堀江さんが身綺麗かどうかって風聞もあるにはあるって、それで亀井代議士を相手に戦って勝ち目なんかあるんだろうか、ってふつうは考えるものだけど、かくも注目が集まっている状況下で、堀江さんの過去をあげつらって攻勢に出るよーなことをすればそれはすなわちそこまでして勝ちたいって執念の現れで、仮にあげつらう過去が本当のことだったとしても、周囲の目はそこまでする亀井代議士の側に何か痛いものを感じてしまう。真っ向からぶつかれば押される可能性はあり、かといって搦め手から攻めようにも手段は縛られ使えない。これは辛い。厳しい。そんな中で果たしてどんな言動を取るのか、でもってメディアがどんな伝え方をするのか、興味がわいて仕方がない。

 もちろん気に入らないところはあって、佐賀だか福岡だかの出身で広島にまるで地盤のない堀江さんが、たとえ刺客的な行動だったとしてもそこへと突っ込んでいくスタンスにはちょっと賛成できない。代議士として国政の場に打って出たいのだったら今は比例とゆー手段もある。ある程度の地域性を保ちつつも”地盤”とやらに頼る必要なく、人気でもって代議士の椅子を手に入れられる。地方の方は地域から着実に活動を重ねて来た人が、認められ推されて国政の場へと出ていく窓となるべき存在。地域への利益誘導を生みやすいってゆー批判はもちろんあるけれど、衆人の目が政治へと向くなかで利益誘導もしづらくなっている昨今、やっぱり候補者は落下傘ではなく”おらが”候補者であった方が、地元としても支えやすい。

 そんな想像は誰だって出来て無関係の広島から立つ堀江さんへの違和感はこれからも高まって喧伝されそー。そーした喧伝を果たしてどーかわし、最大の敵も倒して国政の場へと果たして登場することはかなうのか、それとも敵権勢の前に頭を垂れることになるのか。気持ち悪い自体ではあるけれど、今選挙でおそらくは最大の争点となってこれからの20日余りを楽しませてくれそー。どーせだったらIT系かあ妖しげなのも真っ当なのも含めてあと何十人か、立候補してくれたらそんな候補者への選挙管理員会的だったり公安的だったり一般市民だったりの注目を通して、候補者の是非も分かり胡乱な輩を排除できて一石二鳥なのになあ。ともあれ興味津々の選挙。誰に入れよー地元では。誰かこないかなあとてつもないメジャーな落下傘。


【8月18日】 眠り眠り見た「ワールドカップ独大会」のアジア最終予選「日本代表vsイラン代表」は眠くなるのが当然なくらいに選手に目を見張らせるビッグネームがおらず、また試合自体も勝とーが負けよーが体面や気分には影響あったとして、日本代表を10ヶ月後にピークに持っていく上でそれほどの意味もなく、「絶対負けられないなんとか」って言葉が鬱陶しく響き渡ろうとも、ってか響けば響くほど気持ちにも虚ろさがあふれて眠さが頭や体を包み込む。

 出られることが第一義の予選でアジア1位になることになんかたぶん意味なんてない。ワールドカップへの出場が決まり半ば観光とそれから次へのチャンスにつながればって感じの国内組でやって来たイランが、真剣勝負をしてアジア1位になろーとしていたとはちょっと思えず、そんな相手に日本代表だって何の裏付けもない、だいたいが2組あってどっちが1位なんて決められないにも関わらず、4チーム中のトップになって”アジア1位”と僭称してこれから先に自信とか、コンビネーションとかがつながるとも思えない。

 1次予選の最終戦が消化試合になった時は、それまでの試合のふがいなさを払拭し、すぐに続く最終予選に向けたテストを行うって意味もあって名誉の招集なんて行うべきではないって気持ちを持っていたけど、10ヶ月も間があり間に10試合は組める余裕を持った今回のイラン戦にはカズ選手だって呼んだって、悪くはなかったよーな気がしないでもない。あるいは韓国戦の厳しいプレッシャーを戦ったメンバーが、イランとゆー早さと高さを持った中東のチームに果たして通用するのかを試してもよかった。けど総決算は国内組のAチーム。結果は予想の範疇。これでは眠るなって方が無理だよなあ。

 ただし加地選手はいつもの後ろでうじうじしている加地選手じゃなく、前に積極的に飛び出すコンフェデの加地だったし、アレックス選手も最初こそサイドに張り付き気味だったけど、途中から相手のボールをカットに行ったり前へと走り込んだりする積極性を見せていて、そーした”不動”の選手たちが刺激を受けた場合にどれだけのパフォーマンスを見せるのか、っていった意味でのシミュレーションには十分になった。

 ここでゆるめてまたポジションは安泰って顔を見せると元に戻って役立たずになってしまうんで、バックアップ選手の巧みな用兵なんかを通して常に競争意識を持たせながら、10ヶ月後の本番に最高のモチベーションと最高のパフォーマンスを持ち見せられる状況を、これから作っていって欲しいもの。それがジーコ監督にできるかは知らない。できるかなあ。とりあえず左サイドは村井慎二選手を常に帯同でたまには先発の起用もすること、かな。

 劇場版「機動戦士ガンダム」のスレッガー・ロウが玄田哲章さんじゃなくって井上真樹夫さんになったことに、今で決して芳しい気持ちは抱いていないんけど、それに比べるとそれほど思い入れを持たずに見ていた「機動戦士Zガンダム」のフォウ・ムラサメが、島津冴子さんから劇場版ではゆかなさんに代わった件に関しては、憤りも浮かばず違和感も覚えずむしろゆかなさん良いじゃん「青の6号」の紀之真弓は大好きなキャラだよ人形も持ってるよって、歓迎したい気持ちも持っていた程だったりする。「プリキュア」での活躍は実はあんまり知らないんでどっちでもない。

 もちろんオリジナルな人がオリジナルな声を維持して登場できるんだったら、それはそれで素晴らしいことで全然オッケーなんだけど、「さすがの猿飛」の魔子ちゃんとか「ダーディペア」のユリとか「うる星やつら」のしのぶといった、媚態やらキャピキャピ感やら遠謀ぶりやらが滲んだあの声が、歳を重ねた今も果たして維持されているのか正直言って微妙なところ。池田昌子さんがオードリー・ヘップバーンをもはや難しいのと同様に、過去の名演はそれとして残しつつ、後進によって新たなイメージを形づくってもらえるんなら良いじゃんってスタンスだったりする。だからこそ某ルパンな面々にもできればそろそろお引き取りを願いたいもの。婆さんの不二子ちゃんなんていい加減聴きたくねえんだよぉぉぉぉ。爺いの銭形警部もだ。

 ただ交代云々は、そーした監督の思いやファンの関心に答えられる声がもはや出せなかったってことが明らかになっているってのが納得を得られるための前提で、けれどもどーやら今回の交代劇ではそーした段取りが正しく踏まれていなかったところに、起こってしまった騒動の原因がありそー。もちろん新しい作品なんだからその時々に最適のイメージを持った声で行くんだって、作り手側に一貫したコンセンサスがあるってんならそれもそれで仕方がない。そーではなくって期待を持たせ他のキャストでも段取りを踏んだ上でどうこうしたのに、フォウ・ムラサメだけがそーした段取りを踏まれていなかったって点に誰もが引っかかってしまうんだろー。

 それすらも作り手側の権限と言えばもちろん言えるけど、その場合は反発を食らう覚悟をしつつ新しい声によって誰しもを納得させられる自信がやっぱり必要。あるいはそーした自信を持っての一件だった可能性をわずかであっても考慮するなら、今は映画が公開されてそれがどんな感情を見る人に与えるかでもって判断するより他にない。なので行くよ「機動戦士Zガンダム劇場版2 恋人たち」には。きっと違和感は覚えないんだろーなー、クワトロ・バジーナがシャア・アズナブルではなくデュランダル議長にしか聞こえなくたって、まるで違和感を覚えない程度の耳だしなー。ちなみに千葉テレビで放映中の「機動戦士ガンダム」はシャアでしかないシャアが「私もニュータイプのはずだっ!」と吐き捨てジオングに乗りガンダムとドッグファイトの真っ最中。格好良いなあ。そして次週はいよいよ「脱出」。楽しみたのしみ。


【8月17日】 スキマスイッチ原理主義者たちによるサンボマスター原理主義者の包囲は編集部を巻き込み進行中。天白川は越えた。万歳。それはそれとして、ありもしなかった戸田和幸選手の唾吐き事件を上げて東京ヴェルディ1969の試合態度を誹りスポーツチームが本来見せるべきパフォーマンスの欠片も披露できなかったレアル・マドリードに見方したコラムに、こいつは”スポーツの敵”であるとの思いを強くした記憶が未だ生々しいけれど、その一方では世界陸上でのTBSの報道(?)っぷりに、誰もが思っていることをちゃんと言ってくれていていて、それも同じテレビ業界に属するフジテレビのホームページで「日本のスポーツ界だけがどんどんゆがんで、沈下していく」と激しく非難までしてくれている辺りはmやっぱり見直さないといけないかなあ、などと感じつつ読んだ武田薫さんの「激辛スポーツ歳時記」

 つまりは織田裕二さんってスポーツの素人をキャスターに据え、現場からいちいち東京にいるその素人に話を戻して”スポーツはスタジオで行われているんじゃない、現場で行われているんだ”って本質を、一切合切スポイルしてしまうTBSの中継方式への非難で、そんな現場感のないスタンスに「いくら『すばらしい』を連呼しても、アスリートの緊張への実感を欠けば、それは深夜の空騒ぎである」と激しく厳しく断じている。まさしく同感。「オリンピック、世界陸上……たまたま目の前のスポーツイベントを利用してドラマを上塗りしているに過ぎない」テレビ局なり日本の主要メディアのスポーツ”報道”姿勢に対する、これは根元的な異論って言える。

 分けてもTBSのスタンスのひどさは折り紙付きで、曰く「最速伝説の継承者」だの「天然系仰天スプリンター」だの「哀しみの新皇帝」だの「空飛ぶヘルメットマン」だの「室伏に忍び寄るヒットマン」(室伏なんて出てねえよ)だの「ウガンダのジャンヌダルク」だの「ワールドレコードアーティスト」だの「ブロンドのぶっとび娘」だのいった、珍妙にして選手の一側面だけしか見ていないキャッチフレーズを男子にも女子にもつけては、そればっかりを連呼する喧しさ。なるほど分かるキャッチフレーズもあるけれど、それはあくまで結果であり状況であって、そこへと至る過程も含めてアスリートはアスリートであってそーした努力の積み重ねが生んだ成果なり、努力してもなおたどり着けない高見があったんだってスポーツ本来のドラマを堪能したいんだけど、TBSのキャッチフレーズ連呼はそーした努力の部分を一切無視して包み隠し、ただひたすらに選手をキャッチフレーズに押し込めそこよりの逸脱を許さない。これがアスリートへの侮蔑でなくて何であろう。

 「他局は、これをもって他山の石として欲しい」。これまた同感。とくにテレビ朝日。せっかく作ったキャッチフレーズなんだからって感じに前面へと押し立てて、別に負けたって構わない試合をことさらに「負けられない戦い」だなんて規定して連呼したり、さほど活躍できなかった女子サッカー日本代表の永里優季選手ばかりを持ち上げ「女子高生」「女子高生」とスポーツ選手であることとは無関係な属性で読んだりしては見ている側のひんしゅくを買いまくる中継を、もう何年も続けてまるで恥じ入るところのない放送局には武田さんが直に乗り込んで引導を渡してやっていただきたい。

 あるいは山ほど来ている連載なりコラムの執筆に滑り込ませてみたりとか。さらに返す刀でもってバレーボールという本質を伝えず選手を、それも女子だけをアイドル化した上にジャニーズ事務所のタレントの応援でもって視聴者を集めて莫迦騒ぎする非スポーツ的な中継を長く続け、バレーボールを日本では勝ててもアウェーではまるで勝てない内弁慶にしてしまったテレビ局とか、仕事とどう関係があるのか分からないにも関わらず、金メダリストだからといって女子モーグルの選手を抱え込んではそのご乱行に毅然とした態度もとれない某テレビ局にも一太刀を、浴びせてやっちゃあくれまいか。くれないな。それが武田薫クオリティ。

 「週刊サッカーダイジェスト」2005年8月30日号に掲載の村山文夫さんの漫画「スーパーさぶっ!!劇場」に笑う。題して「トラウマとの戦い」。フリーキックを奪った日本代表で任された阿部が壁を見るとそこには茂庭。「前にはモニワ…」「前にはモニワ…」「前にはモニワ…」「どうするオレ?」「どうするオレ?」「どうするオレ?」。そして倒れる阿部に今野が告げて一言。「そんなに引きずってたんだ…」。わははははははは。前に茂庭選手がいては阿部選手の華麗なフリーキックもすべて阻まれはじき返されてしまうんだったんだよなあ、けどそんなトラウマも「東アジア選手権」での中国戦で払拭されたと信じよー。信じたい。けどやっぱり気になる「前にはモニワ…」な日本代表FK場面。ドイツで見られるかなあ、必殺のモニブロックが。

 その「サカダイ」はグラスゴー・セルティックへと移籍した中村俊輔選手の記事が満載。ヘンリク・ラーション選手の2ページにわたるインタビューもあってセルティックがどんなチームでスコットランドリーグがどんなリーグでグラスゴー・レンジャーズとのダービーの意義がどんなに凄いかが分かって俊輔移籍でスコットランドリーグが気になり始めた人には最適のガイドになっている。それにしても意外に緑の横縞が似合っていた中村俊輔選手。これは元がガリガリなのが横縞ですこし恰幅良く見るからなのか。フォワードの2人なんてまるでラグビー選手のよーだもんなあ、もとがデカい上に横縞ジャージーで。

 アンブロからナイキに変わったってことはあんまり関係ないけれど、アシックスが提供していたレッジーナのユニフォームよりは臙脂だったあっちの色目のハンディもあって1万倍くらい格好良くなってるんで、これは1つ買い求めても悪くないかな、って思い始めているところ。そろそろとショップにも出回り始めたけれど、「NAKAMURA 25」のマーキングがまだないんで買うのは保留か。それよりトッテナムに移籍したダービッツのが欲しいなあ、けどKAPPAはピタピタなんで太り気味の身にはきついんだよなあ。ニューカッスルのエムレって手もあるか。この2つのチームには上昇を期待したいところなんだけど。エバートンは青さでチェルシーに勝てないし真似っ子と思われるし。ルーニーが残っていればなあ。

 同じ号にはオランダリーグのヘラクレスに移籍した平山相太選手の記事も登場して元ジェフ市原でヘラクレス監督のピーター・ボスさんへのインタビューもあってこちらも充実。20日にもデビューらしいってことでレンジャーズとのダービーを迎えるセルティックの動向も含め欧州から目の離せない週末になりそー。見られないんだけどね。悔しいから21日は柏にレイソルとの千葉ダービーを見に行くのだ巻がんばれ阿部がんばれ水野水本の復帰はあるかな。


【8月16日】 果たしてどんな絵柄で動きをするのか改めて振り返っておこーと「御先祖様万々歳!」のDVDを見返してから見た「創聖のアクエリオン」だったのに、今回はまるでうつのみや理さんテイストはなくってごくごくふつうの「アクエリオン」になってて残念。だけど毎週毎回あの絵柄だったら見ていて哲学的な気持ちへと陥ってしまうから美麗な絵でもって莫迦やるいつもながらの「アクエリオン」に戻って心休まるって言えそー。とはいえ動きが通常以下へとなってしまったのはなあ、逃げる人たちが誰1人として動いてなかったもんなあ。

 話はつまりは分別なしにワガママ勝手をした子供が鉄槌を食らう自業自得の訓話って奴? 前週から登場したフタバって子供が地上へと降りて人間たちを襲っていたら捕まってしまって解剖されてしまったって展開に夏休み中の子供たちの鬱陶しさを覚えている大人たちの喝采が起こりそー。お話はまだ分別を知らない子供に分別を教えるのが大人ってゆー不動GENの言葉があって、なのに展開的にはフタバは”死んで”しまったことになっている点が矛盾している感じ。殺さず叱って立ち直らせるってところに意義があるわけで、あるいはフタバはアポロと同様、羽根を失い天翔族でなくなってしまっただけなのかも。その辺を見つつ残る話数を追い掛けよー。けどこれホントにあと1ヶ月ちょっとで終わるのかなあ。

 絵が美麗だからゲームが面白いんじゃなく、ゲームはゲームとして面白いから面白いんだってことを分からせてくれる本が登場。卯月鮎さんが中学生の子供に「ファミリーコンピュータ」のゲームをやらせて感想を聞いていった企画がまとまった「はじめてのファミコン なつかしゲーム子ども実験室」(マイクロマガジン、100円)によると、今時の子供にとっても「スーパーマリオブラザーズ」はやっぱりやって断然楽しいゲームってことらしー。評価は星5つの満点で何故か「まるやきくん」ってプレーヤーネームの少年曰く「これマジヤバいね。すげぇよ、このゲーム。作った人がエラい」ってんだから素晴らしい。ちなみに「ゼルダの伝説」も星4つで「ほとんど満点」と高評価。さすがは宮本茂さん。地域が変わっても時代が流れても、ゲームの本質的な楽しさって奴は共通で、それを表現し得る人だからこそ世界のゲーマーが神と讃えあがめるんだろー。

 評価ではナムコの「ギャラガ」で星5つ、ハドソンの「スターフォース」で星4つと名作シューティングに高い評価。ストーリーよりアクションの妙で楽しませるゲームなんで別に美麗でなくっても良いんだろー。この辺は「テトリス」が携帯電話でめちゃめちゃ遊ばれているのと理由は同じか。美麗になったって「テトリス」、別に面白くないもんなあ。もっともサッカーとかプロ野球といった今だとリアルな選手のキャラクターや派手な演出でもって楽しませることができるゲームは軒並み低評価。レーシング系なんかもそーでリアルになればなるほど楽しめるゲームの種類って奴もあって、一方でリアルでなくても楽しめるゲームがあるんだってことが分かって面白い。超美麗な絵だって表現可能な次世代家庭用ゲーム機が登場して来る今だからこそ、この当たりを作り手は考え直す必要がありそー。

 意外なところだと糸井重里さんが手がけた「マザー」が星2つと低評価。攻略本がないとRPGはやらない、だって途中でアイテムとか取り逃して損をするのがイヤだから、って今時の少年がプレーヤーでは「ちょっと敵が強すぎない? すぐに出てくるし」ってコメントも致し方ないか。「ドラゴンクエスト」も星3つ。物語世界を楽しみ没入感に浸って漂うゲームなだけに、そーした作法をプレーヤー側が納得してないと入り込みづらいってことなんだろー。そんな「まるやきくん」を納得させたんだから「ゼルダ」ってのはよほど優れたゲームだったんだなあ。

 ほかに高い評価だとHAL研究所の「エッガーランド 迷宮の復活」が星5つ。どんなゲームかまるで知らないんだけどいまの「カービィ」につながるキャラクターも出ているってことだからそれなりに人気のゲームだったのかも。さらに驚きだったのが「きね子」ってアイレムが出したゲームでこれまた星5つ。ってゆーか「まるやきくん」に言わせれば300点の面白さ。パソコン向けの「キネティックコネクション」が何故か「ファミコン」向けでこんな名前になったそーだけど、ジグソーパズルを解いていくらしーゲーム内容が「まるやきくん」の感性にぴったりだったよーで「ケータイにこういうゲームがあったらハマっちゃう」とまで言わせてる。復活させる好機かも。しかしどんなゲームなんだろ。

 とにかく現れ街を破壊してそれから倒されるって怪獣についての認識が、「ゴジラ」誕生から50年を経て世間にはすっかり定着してしまっているから作り手も、なぜそこにそんな怪獣がいるかなんて気にせずとにかく出すのがお約束、って感じに出しまくってる観があって観る方もそれを喜んでいる節があるけれど、はるか以前の特撮映画黎明期、怪獣がまだ日本にそれほど浸透していなかった時代は脚本を書く人も映画やテレビ番組を作る人もなぜそこにその怪獣が現れるのか、考えて作品を作っていたんだってことが”ゴジラ映画最多出演俳優”こと佐原健二さんが書いた「素晴らしき特撮人生」(小学館)を読むと分かって面白い。

 それは「ウルトラQ」に出演していた時、路線が変わって怪獣を毎回出していかなくてはなくなったって話を脚本家の金城哲夫さんから聞いて「でも怪獣を出しながらそれを三十分の番組に収めるというのは、至難の業ですよ。やっぱり怪獣が出てくる必然性というか……」と佐原さんは金城さんに聞き返したとゆー。何しろゴジラ映画最多出演俳優だけあって特撮映画にいっぱいできた佐原さんは、「脚本家や監督が怪獣の出てくる必然性というもので非常に悩んでいたのを側で見てきた」。映画で困難なことがテレビでできるのか、って思ったのも当然で、けれどもそのことを金城さんもちゃんと分かってて、その上で「納得してもらえるよな作品を必ず作ります」と言ったとか。俳優も脚本家も”たかが怪獣映画”なんていっさい思わず、お約束にも頼らず一本の作品として作っていくんだって気概に現場があふれていたことが伺える。

 何しろ本多猪四郎監督自身が「会社も、ターゲットを、大人からもう少し子どもまでを含めたところに置こうとしている。だからこそ、大人から子どもまで、誰が見てもおもしろいと思うようなものを作らなければならないんだよ」と言い切る傑物。上から下までが一丸になり真剣に何かを作っていて、それを誰もが認め称揚していた「美藝公」みたいな世界がかつてはあったんだなあ、ってうらやましくなる。もちろんお約束化した現在においてその流れに身をゆだねるのも悪い気持ちじゃないんだけど、次の世代につながるファンを育てていこうとするときに、先達のそんな傲慢ともいえる内輪主義が疎外感を醸し出して縮小均衡へとたどらないとも言えないだけに悩ましい。

 まるでお約束のカタマリだった「ゴジラ ザ・ファイナル・ウォーズ」に佐原さんが出ているのは謎だけど、それも「ゴジラ」を見守ってきた矜持ってことでここを手始めに続く世代につながる作品を、送り出す役目を佐原さんが担ってくれればこれはこれで嬉しいなあ。ほかにも金城哲夫さんに関するエピソードとか、本多組の結束ぶりとか、平田昭彦さんが「ウルトラQ」の万城目くんをやりたがっていた話とか、黒澤明監督の「椿三十郎」に佐原さんが出損なった話とか特撮映画史、日本映画史にとって秘話とも言える話が満載で読んでとっても面白い。「妖星ゴラス」には足を骨折しながら出演していたとか、「ラドン」では目に焦点を合わせないで記憶喪失の雰囲気を出す演技を”発明”した話も面白い。それもそれでやっぱり演技に、映画に命をかけていたんだなあ、ってことが伺えます。良い時代。また来るかなあ。


【8月15日】 午前0時からの放映に戻って一週間は「奥様は魔法使い」から明けることになって、それはそれで何とも淫靡に愉快なアニメライフって奴かもしれない今日このごろ。クルージェが化けた女の子の大人版を連れて海に行った神楽巽をなぜか追い掛けて、海へとやって来たアニエスこと嬉子さんの誰に披露する訳でもない水着姿が痛ましいけど、そんな嬉子のやきもきした気持ちを知らず巽との仲を深めるクルージェの、沸き立つ情愛から生まれる口づけへの関心の前に魔法少女の掟が立ちふさがってクルージェを悩ませ惑わせる。

 愛してしまったが故に生まれる守りたいという感情が、愛してしまった故に起こる口づけを交わしたいという激情を反発しあって生まれる葛藤。その苦しみを味わい続けてきた嬉子への親近感を、これでクルージェもぐっと深めたんだろーけれどだからといってやっぱり魔法少女になるってことへの憧れも強く残っているよーで、そん葛藤にどう向かっていくのかって興味も起こってくる。

 それにしても一方で強い愛情を抱きながらも、その愛情を超えてまで長く魔法少女であり続けたいと願う嬉子の、母親が残した街への愛情っていったい何なんだろー。街なんて放っておいても動いていくのにそれを見過ごせない嬉子の執着心の源が、何にあるのかがちょっと気になる。表向きは平穏に見える街も裏では魔法のとてつもない力がなければ崩壊してしまうよーな危うい存在だったりするんだろーか。ただの街じゃなくって閉鎖された空間に生まれた理想郷か何かなんだろーか。そんな大きな設定への可能性なんかにも関心を抱きつつ続く展開をこれからも見守ろう。設定のギャグっぽさに流されているけど、ビジュアルの派手さとテーマの深遠さのギャップって意味では「少女革命ウテナ」なんかに並ぶ作品なのかもしれないなあ。

 「機動新撰組 萌えよ剣」は高橋留美子キャラであるだけで楽しい楽しい僕は「うる星」の子るーみっくの子。次週は竜之介が女の子になってしまうそーなんで必見。「ぱにぽにだっしゅ」は相も変わらずゆーるゆる。けどなぜか毎週見てしまう。眠り起きて1週間の苦行が始まるんだと思うといつまでも起きて1週間の訪れを妨げたいって気持ちが働き目をつむらせないのかもしれないなあ。逃避って奴だ。エピソード自体はスクール水着のオンパレードで目にも至福の30分。橘玲のぴちぴちぷくぷくしたスタイルも良いけどベッキーのスレンダーでスモールなのも悪くない、ってベッキーの場合はまんま子供なだけなんだけど。山椒魚がまた出たぞ。キャンプで食べられた訳じゃないんだなあ。それとも分裂して増えているのか。

 猟銃で全身を穴だらけにされても復活してツール・ド・フランスで欧州人以外で初めて勝利し、連覇も成し遂げたグレッグ・レモンだってもっと称えられても良いはずなんだろーけれど、衛星チャンネルが普及して情報も増えて来たところに現れたスターって奴に関心が集中するのは、ネット黎明期の人気サイトの何千倍何万倍ものアクセス数をネット普及期の人気サイトが獲得しては、メジャーシーンへとどんどん躍り出ていってしまうことにちょっと似てる。それはともかく「別冊RALLY−Xpress」として山海堂から出た「ツール・ド・フランス EX」を買って読んで表紙で足掻くランス・アームストロングの貫禄に感嘆。肉体的なタフさは連覇を始めた頃からあったけど、フランスで散々っぱら悪口を叩かれたにっも関わらず勝ち続けることを可能にした精神的なタフさが、その面構えに現れているよーに見える。

 冊子には06年の優勝候補たちってポスト・ランスな面々が紹介されているけれど、イヴァン・バッソにしたってヤロスラフ・ポポヴィッチにしたって若さに反してギラギラとした感じがその顔立ちにはまだなくって、ひとりヤン・ウルリッヒが目に熱いものを称えているけどすでにピークは過ぎたって感じで、この中から仮に06年のツールを優勝する選手が出たところで、ランスの7連覇はもちろんインデュラインの5連覇おろかレモンやフィニョンやイノーの連覇やインデュラインの連覇だって無理、せいぜいが勝ってそれぞれが1回って群雄割拠の時代が訪れそー。

 なんて思ったのは滅法強かったエディ・メルクスやイノーの直後だって同様で、にも関わらずフィニョンが出てレモンが出てインデュラインが出てアームストロングまで出てしまったんだからきっとやっぱりどこかから、妖怪とも怪物とも宇宙人とも妖精ともつかない凄い選手があらわれあっさり10連覇とかしてしまうのかもしれないなあ。まだ見ぬそんなスターのために来年はちゃんと衛星が見られる環境に移ろーかなー。逆にテレビすら見られない環境へと成り下がる可能性もあるんだけど。ふーん「kamzine」休刊かあ。団塊世代向けの音楽雑誌なんて誰も求めてなかったってことなんだなあ。次はこっちかもなあ。

 ツールの本を買ったのはランスの軌跡を追うよりは、乗ってる自転車がどんなかを知るためで掲載されているランスの「ディスカバリーチャンネル」のマシンと2位に入ったヴァッソの「CSC」のマシンと、3位のウルリッヒ所属「Tモバイル」のマシンがいずれもシマノのデュラエースをメインコンポに選んでいるのにちょっと驚き。21チームのうちでシマノは9チームと決して体勢ではなく残りはおそらくイタリアの名門カンパニョーロのコンポを組み込んでいるんだろーけれど、数で押してもトップ3はいずれもシマノになっている訳でそれだけメカとしての優秀さが伺える。

 1980年前後なんてカンパは神様の如く遙か高みに輝いていたブランドで、周辺にサンプレックスとかもあってそこに島野製作所や前田工業といった日本製の変速機とかチェンリングとかが入り込む余地なんてなかったけれど、20年以上を経てF1のタイヤがブリジストンになったよーに、あるいはバイクのロードレースが日本製マシンの独壇場になったよーに、自転車の世界にも中核的な部分でその製品力を見せつける分野が出てきたんだと思うと何だか感慨深いものがある。さすがにフレームはアルミやカーボンといった最先端の技術が競い合う場みたいで日本のビルダーが入り込む余地はなさそーだけど、ランスと同じチームに入った別府史之さんって日本人選手もいることだし、彼かあるいはその後に続く日本人選手が初のステージ1勝って奴を、いずれ成し遂げてくれたらそれはそれで快挙かも。ランスだってまず1勝から始まったんだ、日本人にだって不可能じゃない、かもしれない、と思いたい、けどランスはやっぱり別格かあ。


【8月14日】 再生したらゴルフでやんの。「交響詩篇エウレカセブン」は見られずHOMEMADE家族の主題歌も聞けずそのまま眠り目覚めてこっちはやってた「おねがいマイメロディ」を見てセバスチャンが昔はそれなりに良い男だったことにびっくり。あれがこーなる歳月の長さに涙しつつそれを地でいく当方の身の上を嘆いて泣く。さめざめ。

 お話は先輩の別荘に招かれた琴ちゃんが先輩の誘いに浮き立っていたところに起こった幽霊の大騒動。その渦中に同級生の少年が怪我をして彼の面倒を見るために先輩の誘いを断った琴ちゃんの案外に実直なところに惚れ直す。ここで同級生を見捨て先輩のところに駆けつける描写なんてしたら、今時のヒップがライトなレディを称揚する内容だって親やら偉い人からクレームが山ほど押し寄せたことだろー。でも現実はそんなもんだよなあ。

 んでもって起き出して灼熱の中をぬらぬらになりながら東京ビッグサイトへと向かい「コミケ」を見物。最終日の大行列を心配したけど午前11時ちょい前ですでに行列ははけてほとんどスルーで西館(にし・やかた)へと入れたのはつまり祭りに陰りが射してきたからなのか、それとも毎年こーだったのか、ちょっと記憶にないけれどどっちにしたって炎天下に入場待ちしないのはありがたい。歳とるとそーゆーことすら耐えられなくなるのだよ。

 取り急ぎ評論のコーナーへと行きあれやこれや散策。東浩紀さんがいて「波状言論」を全部収録していたCD−ROMを売ってて笹井一個さんの描いたジャケットが格好良かったんで買ってしまう。いちおうはメルマガの方で全部を読んではいるんだけど途中でパソコンがクラッシュしたりしてなくなってしまった回もあったりするんでまとまって読めるのはありがたい。デザインも含めてパッケージって奴の持つこーした利便性が残る限り、すべてがネットに移管するってことはないだろー、それはもちろん書籍も含めて。

 あとおまけの1万字インタビューって奴にも興味があったのも買った理由。「2004年で祭りは終わった」って最近感じている停滞ムードへの哲学者的な分析があって蒙を啓かれる思いができる、かと思ったけれどそーした大状況よりもむしろ「波状言論」をめぐっておこった栄枯盛衰を中心にすえつつ最先端の美少女同人ゲーム諸々をウォッチし続けるパワーが衰退気味な身辺の状況を吐露している内容で、それはそれで1人の人間が大きくなって大人になっておじさんになっていく様を、表しているっぽいんだけどでもちょっぴり寂しい気もする。

 世界がどーなろうと家族が増えようと美少女ゲームをやりまくりライトノベルを読みまくり桃井はるこのコンサートに行きまくり、そんななかから世界の変化の兆しをみつけてそれに言葉というベクトルを与えて次の時代を拓き人々を導くよーな活動を、して欲しかったんだんだけど”降りて”しまった以上は仕方がない、次代を担う第三世代の論客たちにそれは期待することにしよー。でも内ゲバった果てに絶望に浸りきっているからなあ第三世代。闘争と絶望の果てに新時代が覚醒するって手もあるからまあ良いのか。ところでインタビューに「いちばんいたいのは佐藤心くんの離脱です。彼は、僕にうんざりするあまりライターをやめてしまったよう」ってあるけどこれホント? 「波状言論」のCD−ROMの裏で笑う彼はいま何処? んまあきっとどこかでがんばっているんだろう。君の時代はいつか来る。いつなのかまではは知らない。

 んで近所に出ていた「直言兄弟」のブースへと出向いて「電脳記者 直言兄弟」って本を買う。表紙に描かれたプリキュアもかくやと思わせる2人の美少女のイラストと、それを売る2人のおじさんとたちとのギャップにしばし思考をフリーズさせて賑わう館内にしばしの静寂を感じ立ちすくみ深い瞑想へと没入した人のきっと大勢いただおーことを予想。僕はまあどちらの方も見知っていたから驚きはせず、むしろこーゆー風に”擬人化”してもらえる羨ましさに目を見張る。ショートの眼鏡とピンクのロン毛のどちらがどちら、なんだろー。

 しかし潔いとゆーかすばらしいとゆーか、めくってのっけから大手町の角にそびえたつプラウダに次ぐ部数を誇る世界最大級の部数を誇る日刊紙のビルをバックに佇む2人の反クールビズ的スーツ姿をした敏腕文化部記者の写真が登場して、これが裏とか闇とかじゃなく堂々の真正面から勝負に打って出た冊子だってことが分かって、これを許す国内最大規模の新聞社の鷹揚さに深く感じ入る。イジられイジめに出るどこかとは違いすぎ。どことは言わない。どこでしょう? どこなんだ?

 灼熱の中をとっとと帰宅して眠りつつ女子ゴルフの「NEC軽井沢72」を見たけど名にだよポーラ・クリーマーの19アンダーって。3日間の日程だから1日あたり6つのバーディーを取ったってことで18ホールの3分の1でバーディーをとりボギーは1つもないなんてことが、起こるトーナメントなんてものが果たしてプロのトーナメントと言えるのか。これが海外だったらラフにいれた段階でボギーは確実、ダブルボギーだって覚悟しなきゃいけないのにポーラ・クリーマーは最終日の最終ホールをラフに入れたにも関わらず、そこからしっかりグリーンに乗せてパーをセーブしてしまった。

 2位の宮里藍選手も3日間ノーボギーの16アンダーでともに10代の新鋭が、そんなスコアを平気で出せてしまうコースで行われるゴルフを”自然との闘い”がモットーである英国生まれのスポーツと、同じに考えるべきなのかを激しく迷う。ってかぶっちゃけゴルフじゃねえよなあ。まるでビリヤード台の上のよーに平べったいグリーン。サッカーのグラウンド程度に生えそろったラフ。こんな環境で育った日本のゴルファーが、世界の舞台で活躍できるはずないよなあ。実際にしてないし。しばらく前にあまりのコースの簡単さにキレて自らコース設定を難しくしてアンダーパーが出ないくらいに厳しくしたトーナメントのスポンサーである企業の社長がいたけれど、こーゆー人は異例も異例。見た目の派手さに流れ簡単なコースで甘やかすスポンサーに放送局が体勢をしめる限り、ミッシェル・ウィーもグレース・パクも日本人からは出ないだろーなー。日本って国のこれが溶解ぶりって奴だろーなー。


【8月13日】 我慢が出来ず箱から取り出し「フリクリ」のDVDを鑑賞。なぜか2枚目からで収録は第3話の「マルラバ」と第4話の「フリキリ」で、見始めて第3話ガニナモリメインの回でブルマー姿にパジャマ姿に洗髪姿のニナモリが出てきて果てには下肢を使って「火星人刑事」よろしく戦闘する、見て目に麗しい場面が満載だったことに気づいて、1発でコレを選び出す我が身の官能に対する直感力の確かさに感じ入る。偶然です。

 第4話はキングのつかないアマラオ登場。当時はあの張り付けた味付け海苔のよーな眉毛の形が気になったんだよなあ、あとキツルバミの声のイヤ可愛らしさとか。どちらも良いエピソードってゆーかはずれのなさが「フリクリ」の特徴で、動きもシナリオも見せ方もすべてにエッジが効いててなるほどこーゆー主題をこーゆーキャラでこー見せるのか、って勉強になるけど真似できないんだろーなー、結局は当人の「トップをねらえ2」まで待たないといけなかった訳だし。ともあれエバーグリーンなマスターピースと認定。2枚目のにはおまけで「ピロウズ」の主題歌「ライド・オン・シューティング・スター」のプロモーションビデオが入っていたけど、他のには何が入っていいるんだろー。それも楽しみ。今晩見よう。

 うだる熱さの中にきらめく雷の閃光と雷鳴を耳目にいれつつ眠り起きて「コミックマーケット」へとまず向かい、企業ブースで過紙袋にポスターに団扇にクリアファイルに後シールだかかで2500円モボりやがるGONZOの「電車男ちゃん」、じゃないけど名前まで知る気のない人参バニー娘が描かれたセットをそれでも購入してしまう、自分がちょっと許せないと思った有明の空の下。さすがに8800円とかするフィギュアは買いません。そのまま西館(にし・やかた)の1階へと降りてSF関連のブースを散策。慶應大学SF研の会報とか買い「コスチューム!}の将吉さんインタビューが掲載された東洋大学SF研のブースでは冊子が品切れコピー中につき正午まで手に入らないと知って断念してそのままバスで浜松町へと脱出する。その間わずかに40分。歳を取るっておこーゆーことか(どーゆーことだ)。

 浜松町から品川へとJRで動きそおから徒歩で御殿山へと上って「原美術館」へと向かう。途中で左手方向に見えた品川駅の海側に新しく立ち並ぶビル群の醜さに東京都ははやく「景観課」を作り街並みに対して景観的な観点からあれやこれや制限をする動きをはじめないと、10年後の東京はとてつもなく鬱陶しい街になってしまうかもって心配になる。なるほど真新しい高層ビルが立ち並ぶって意味では新橋の汐留と条件は変わりはないけれど、それなりに範囲の広い土地にそれぞれが独特な形状を持ったビルが並ぶ、その合間を「ゆりかもめ」が抜け通路が走り日本テレビとか四季劇場といったアミューズメントの施設もある汐留は、遠目にもモダンなら中にいても包み込まれる楽しさがあって悪くない。海からの風を遮っているって批判は別にして。

 けど品川は違う。ビルの形もばらばらで、それが重なり合うよーに狭い土地に立ち並んでいるものだがら不揃いの本棚を見ているよーで気分にささくれだった感情がわいてくる。ポストモダンでもレトロでもない、コストを考え事務的に作りましたって感じのビルが多くってなおかつそれぞれの天辺に正解的なブランドからはほど遠い社名が時には日本語で輝いていたりするものだから、どうにも見ていてスタイリッシュな気分が浮かばない。これが香港あたりだとより狭い範囲で尖塔のよーにビルが立つから凄みがあるんだけど、中途半端な広さで中途半端な高さのビルしかないからよけーに見た目が平凡になってしまう。

 下町の風情が漂う北の玄関口の上野とは対照的に、東京の南の玄関口として位置づけられているんだから悲しいやら笑えるやら。せめてランドマークになるよーな建物を1つ2つ、あるいは施設を1つ2つ作ってくれないと、山側のホテルが並ぶ風情には永遠に勝てず働く場所としての魅力も育てられないまま会社が1つ抜け、2つ抜けて寂れてしまうよーな気もしないでもない。開発を手がけたディベロッパーの人にはそれとも、将来にわたって街をもり立てていくプランでもあるのかな、六本木ヒルズだって1年経ち1年半が経って何となく形も付いてきたんでそんな変化が品川にも、訪れることを期待しつつ見守ろう。別にどっちだって良いけど。品川なんて行かないし。

 んで「原美術館」でやなぎみわさんの展覧会「やなぎみわ 無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」はガブリエル・ガルシア・マルケスの短編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」って言葉から着想を受けたらしー内容だけど、その短編を読んでも記憶から彼方に飛んでいるんでどう関連しているかは不明。ただし「エレンディラ」と名付けられた作品はあって、ほかにも「ラプンツェル」とか「白雪」といった童話に寓話から題をとった作品群があってそれぞれに、少女と少女の顔部分だけが老婆の面になった人物とが寓話や童話の場面を演じた写真になっていて、無垢に見えて残酷な少女と悪辣に見えて純真な老女という、童話や寓話の概念をひっくり返しつつ老女といえども少女が成長したものでしかなく、少女と老女の間によこたわる長い時間を歪め混在させつつ人間は、恒に無垢と無慈悲のを併せ持つ存在なんだってことを考えさせる。

 「砂女」というビデオは顔をテントのよーな形の布で覆い全身を覆った姿で荒野を歩く「砂女」という存在に出会った少女が、やがて砂女を追い求めるようになるものの果たせずそのまま行倒れてしまったところに、砂女が現れ少女を包み込んでは存在を消滅させ、そして少女は成長して老婆となって孫の少女にその時のエピソードを語って聞かせ、孫娘は砂女が気になり荒野へと探し求めに出る決心をするってストーリーが描かれる。脚は幼い少女のよーなのにテントとマントの下から伸びてくる手は皺だらけで、それが砂漠を彷徨い歩いて少女を抱え込むビジョンに諸星大二郎さん的な世界を見てしまったけど、諸星さんが描くよーな異形の怪物って感じではなく「砂女」はおそらくは女性が受け続ける抑圧の写しでありその抑圧から脱出したい願望で、けれども受け継がされた観念なり慣習なり風習によってテントを被せられ、自分を失わされたところでひたすらに人生をさまよい歩くことになる。

 なんて見方も出来たり出来なかったりといろいろ考えさせられるところの多い展覧会。もとより女性がどんな老後を迎えたいのかって訪ね聞いて、それを特殊メイクやCGを使って実現してあげ写真にして飾る作品を作り続けてきたやなぎみわさん。さらに以前にはエレベーターガールという記号化された女性像が無限に展開されるビジョンをみせて、男の目を惹きつつもそこに残酷な社会の様を浮かび上がらせ突きつけてきたこともあっただけに、「砂女」の映像作品やプリント作品にもきっとそーした作品からつながる込められたさまざまな寓意があるんだろー。女性も男性も行って見てなにかを感じてみてはいかが。個人的には「エレンディラ」って作品のヌードの子供がすべすべでふくらみかけで良かったなあ、ってつまりはそこかい? だって仕方がない、コミケ帰りに美術館に行くよーなオタクだからサブカル的な見方は出来ませんってば。っていった意味合いで「オタク」と「サブカル」って使うのか?

 新宿へと回って「ジュンク堂」で「polgasun aoisora」(パワーショベル、2800円)ってタイトルの写真集を「写真に対して少しでも愛情を持っている人なら、絶対無視できない。この本はそういう種類の本だ」って煽りとそれから「ある世界では結構有名な彼女が自分自身を撮った」って説明につられて買ってしまう。見ればその作品がピンホールカメラみたいなトイカメラにポラロイドのキットを付けた「POLGASUN」ってカメラを使って撮られたものであって被写体は、つまりは撮影者は蒼井そらさんだってことは分かるんだけど、ジャケットからしてモジャモジャとした下半身が超アップで撮られていたりと、いわゆるアイドルのヌード写真とは違った存在感があって買わずにはいられなかった。

 そして見た中身は……なるほどもはや写真家って職業は必要ないのかもって思わせられるくらいに深淵で静謐で、なのに活力にあふれて生々しくもある女性の姿が暗闇のなかに浮かび上がっている写真が満載で、これをたとえば森山大道さんが撮ったとか、沢渡朔さんが撮ったとか言われても納得してしまいそーなくらいにフォトグラフした写真集になっている。とはいえ誰もが自分を「POLGASUN」で撮ればそーなるとは限らず、まずは自らをさらけ出す根性とフレームにそんな自分のどこを切り取るかってゆーセンスがたぶん不可欠。この写真集も顔ばかりが撮られた写真が並んでいたりする場面に若干の弛緩した感じがあって、単なるナルシシズムだけでは”作品”にはなり得ないんだってことを示してる。とはいえそーした部分を抜いても圧倒感にあふれた写真集。篠山紀信さんの抜けた作品集は苦手で、アラーキーの作品にも食傷気味な人にとって別の世界を見せてくれるかも。しかし撮れるもんだなあ「POLGASUN」って。


【8月12日】 目覚めてとりあえず「ハチミツとクローバー」。竹本の青春が爆発した浜美祭の出し物は青春に躓いた竹本の手によって粉砕され、その後に作られた卒業制作の第2弾も青春のしゃっくりに挫折して放置。そのダメっぷりが見ていて痛々しくって、けれどもそんなダメっぷりに浸り続けていられた竹本の学生生活を羨ましく想う。余裕なかったもんなあ、学校に居続けるなんて、っても居続けたところで見つかるものなんてなかったし、見つけようとすらしていなかったんで別に良いのか。今はだったら見つかったか? まあ適当にそれなりに。

 そんな適当でそれなりな1つでもあるアニメ鑑賞(それが見つかったものか!)の為に秋葉原へと出て明日発売の「フリクリ DVD−BOX」の前日売りを買う。発売された当時に発売された初回限定の紙箱入りパッケージを全6巻、揃えたんだけど紙なんで出し入れが面倒臭いんで中身のカラーも鮮やかなプラスチックケースを出して置いておいたら踏んづけて粉砕されたのが何巻か。でもってむき身で積み上げて置いたら傷だらけになってしまったんでここで買い直しておくのも悪くはない。「新世紀エヴァンゲリオン」だってDVDがあって劇場版のLDがあってDVD−BOXもあるんだし。

 同じ流れでいくなら来月だかに出る「lain」のDVD−BOXも買ってしまいそー。録画したビデオはあるしDVDだってあるけど前に出たゴージャスなDVD−BOXはなくそーこーしているうちにDVDは山に埋もれて生き埋め散逸。見たい時に観られない苦闘月津手いたんでここで買い直してみるのもファンとしては致し方ない出費と理解するより他にない。流れは違うけど今月はあとDVD−BOXで「ベターマン」が出るとかどーとか。最初の発売時に箱付きを買い逃したのが引っかかってDVDを買わないまま来たんだけど紡がれた物語の難解さはこの10年でも究極の1本。見返してみたいって気になっていたんでこれは僥倖以外の何物でもない。あとは「ジェネレイターガウル」のボックスの再発とかあれば希望。「爆れつハンター」のボックスは……どっちでもいいや、むしろ「HAUNTEDじゃんくしょん」だな、まず出ないけど、主題歌がアレなんで。

 そうそう「ハチクロ」はエンディング近くに米国で開催中の「モカデミー賞」とやらがちらり映ってみていた花本先生にはぐみに山田に竹本が大爆発。理由は……まあ分かっているけど映像になって放映されるのを改めてみて驚こう。早く帰って来てくれよ、でないと話がトレンディドラマだよ、1980年代末期から90年代初頭の、僕の人生とはまるで重ならない、見ていて憧れよりも恥ずかしさが先に立つ。そんな「ハチクロ」の特集が本誌にも登場の「CONTINUE」第23号を購入。”鉄人”山田あゆみを演じている高橋美佳子さんをお台場に出来た「ハチクロカフェ」に置いて撮影してインタビューするセンスが「ハチクロ」特集の別冊を作った「CONTINUE」らしい。けどゲーム雑誌っぽくはない。この当たりが毀誉褒貶を招く要因か。「sakusaku」取り上げ過ぎだとかいった。

 なにしろ表紙が「白井ヴィンセント」。投入されて以降、メディアにその身体を晒したのはこれがたぶん初めてくらいで、あれだけの大騒ぎで日本中から注目を集めた直後に、木村カエラさんを挟んで竹内Pにご意見番といった当事者たちを招いた対談を実現させてしまった手腕は過去に営々と7度も特集を組み、しっかりと番組の面白さを伝えて来たからだろー。なおかつ今回はタイミングが実にグッドというかバッドというか。番組が見られない地域にいながらも伝わってきた情報によると先だって番組のご意見番だった人が35歳の若さで死去。「増田ジゴロウ」を失った時は中身一緒で「白井ヴィンセント」の登場と相成り、竹内Pの所収のコラムによれば7割批判で3割支持が1週間で逆転して元の楽しさを取り戻したけど今回ばかりは代わりが効くものではなく、ダメージは相当に大きそう。

 ゲーム雑誌なのにテレビ番組を取り上げ過ぎで(「ハチクロ」も連載になるみたいだし)おまけに神奈川県ローカルがメインの番組を取り上げて全国の読者をバカにしているのかってな意見も漏れ伝わって来る「CONTINUE」だけど、そーした積み上げがこのタイミングでご意見番へのインタビュー掲載ってゆー雑誌にとってはある意味での”スクープ”をもたらしたってことで、おそらくは番組を愛していた編集長にとっては痛恨時だろーけれど、一方で雑誌編集者としてこれほどの”手応え”って奴は早々ないだろー。21年前にかがみあきらさんの死去に接して最初の訃報を伝えその後の”伝説”の幕を開けた「漫画ブリッコ」みたいな感じ? 悲しいこではあるけれど、これが時代と併走する雑誌の妙味って奴か。

 会社を抜け出して「こどもの城」でピクサー・アニメーション・スタジオのアニメーターによるワークショップを見物。ジニ・サントスってゆーピクサーの「ファインディング・ニモ」でドリーの動きを担当し、「Mr.インクレディブル」では奥さんのヘレンや娘のヴァイオレットや息子のダッシュなんかの動きを担当した女性で、ワークショップでは「ファインディング・ニモ」に出てくるタコちゃんの絵を5枚、描いてちょっとづつ動きを付けてそれを後で撮影して、動いている様を見てもらうってことをやっていた。

 回り込むとか飛び上がるとかいったダイナミックな動きが5枚で表現できるはずもないけれど、脚が伸びたり耳がはねたりするだけでも、自分が手で描いた絵が動く様を目の当たりにすることってアニメ好きの子供にとっては大いなる喜びなはず。それを経験出来たって事でワークショップの中からたとえば20年後くらいにアニメーターとなって、手を動かしキャラクターに命を吹き込む仕事についていたらワークショップが開かれた意味もあったってものだろー。批評をする人は増えてもストーリーを作る人が増えても、キャラクターを動かし命を吹き込むアニメーターがいなければ何の意味もないのがアニメって奴。その土台となる部分をケアしよーとするピクサーの態度にはアニメ好きとして嬉しく想う。日本の最高峰のスタジオでもそーした子供の”夢”をくすぐる企画をやって、今から種を蒔いておかないと、20年後に”アニメ大国日本”なんて言っていられなくなるよ。

 リトルモアからしばらく前に出た成海璃子さんて12歳の女の子の写真集をペラペラと立ち読みして素晴らしくって買ってしまう。若くてスレンダーな女の子が肌色の薄色の水着を着て濡れた姿で立っている関係でいろいろ透けたりしている写真が掲載されていることはそれとして、すきっとピンの通った写真で写し出されている少女の自然な表情とか、背景になっているこれはどこかの離島か何かか、ともかくも緑豊かなな自然の光景が目にも美しくって眺めているだけで心癒されるものがある。撮ったTAKEO DECって人のことをあんまり知らないけれどいわゆるアイドル写真専門の人がプログラムピクチャー的に撮ったのとは違う空気があって、アイドル写真集ってより1人のモデルを使った写真家の作品集ってことでも捉えられそー。こーゆー写真集って珍しい。ホンマタカシさんのアシスタントだった人らしーけど、他には何を撮っているのか調べてみようっと。でもやっぱり成海さんは可愛いなあ。綺麗だなあ。結局はそれかい。


【8月11日】 すわ「サッカルチョ」復活か? なんて椅子から腰を浮かせかけたものの考えれば「サッカルチョ」の発行元は例の”お家騒動”で「ファミ通」のアスキーを飛び出した人たちが作ったアクセラって会社で青葉台の瀟洒なビルにオフィスがあって何度か取材に赴いたよなあ、などと遠い目になりつつこっちは本家、とは言えアスキー傘下にいたものがセガとの連携がありそれから投資会社の傘下に入って角川書店グループに今は移ったエンターブレインの発行なんで「サッカーJ+」と「サッカルチョ」、それほど中身的にも関係はなさそー。ってか「サッカルチョ」ってあんまり読んでなかったっけ、サッカーゲームの紹介が多かったし、最初の頃は。

 J1とJ2の30チームのそれぞれをフィーチャーした表紙のバージョンも作ってクラブのある近隣の書店なんかで売る大盤振る舞いぶりを見せてくれるのは角川傘下故の剛毅さかそれともとりあえずは目立った者勝ちのスピリッツか。何でもやってやる的スタンスは編集長の人の「こちとら自腹じゃ」的サッカーイベント探訪記なんかに出ていてワールドカップのドイツ大会に出るためのアジア最終予選でアウェーの3戦を試合が見られなかったタイでの北朝鮮戦も含めて回って更に、ドイツでの「コンフェデレーションズカップ」も回って3戦を見て合計109万円を自腹で払った捨て身っぷりにこいつはちょっとは信用しても良いのかもって思えてくる。自腹で各地のお土産のプレゼントまでやってるし。

 J探訪ってことで海外のスター選手がグラビアに出ている訳でもないし、Jのスター選手すらほとんど出ていない内容はアイドル的な関心からサッカーを見ている人には受けなさそーだし、Jリーグを見ている人にだって自分たちとは関係のないチームの号ではあんまり食指を伸ばさなさそう。もっとも僕にとってはアイドルであり神様であり心の拠り所でもあるイビチャ・オシム監督を取り上げた連載「イビチャ・オシムの真実」があるってだけで購入決定。サビチェビッチがチャンピオンズリーグでミランの一員として優勝した試合でずっと嫌っていたはずのオシム監督に感謝を捧げた逸話はなるほど、あの気分屋の天才をして認める指導力と人間性を備えていたってことが伺える。そんな人に指導してもらえるなんて幸せだねえ、ジェフユナイテッド市原・千葉の選手たち。

 なおかつ佐伯日菜子さんの対談までもが掲載されてれこれは絶対に買い! 買い! 買い! 横浜F・マリノスの奥大介選手の奥さんとして今は有名な彼女だけあって今回はマリノスの中西永輔選手を相手に喋っているけど読むと佐伯さん、中学3年生くらいの時にすでに中西選手の存在を知って憧れていたんだとか。奥選手はこれを聞いてきっと練習の時に削りに行こうと決めたに違いない。でもって削って怪我をさせた奥選手は黒井ミサの呪いを受けるのであった。それにしても佐伯さん、相変わらずのスリムっぷりで胸までスリムなのはともかくとして子を成し育ててる若奥様だとはちょっと目見えない。さすがは女優って奴。あるいはそれとも本当に魔女? 夜中に鏡に向かって「エコエコアザラクエコエコザメラクエコエコダイエット」と唱えていたりして。次号は誰と対談だろう? ってか次号って何時出るの? 3カ月先? 長いなあ。できれば「L・リーグ」の記事もちょっとは欲しいなあ。

 んで女子サッカーはユニバーシアード大会がトルコのイズミルで開幕して女子はチェコを3対0で撃破し好発進。スペランツァ高槻の庭田亜樹子さんが先取し日テレ・ベレーザの中盤の魔法使い、近賀ゆかり選手が2点を叩き込んだ模様でさすがは去年のアテネ五輪の「なでしこジャパン」に予備メンバーとして帯同しただけの実力者ってところを見せてくれる。けどあともう1歩でフル代表には入れないんだよなあ。素早い動きも派手なドリブルも東京電力マリーゼの丸山桂里奈選手に負けないものを持っているんだけどあと1歩のところで何かがアピールできていないのか及ばない。

 ベレーザでは中盤のダイナモとして底の酒井與惠選手なんかと連みつつ攻撃に参加しシュートまで行くんだけど、そーゆー周囲との連携が代表ではないってことか、それともどこかにムラっ気があって活躍の時間が制限されてしまうってことか。途中交代も多いしなあ。けどその途中交代でピッチ外に出るとすぐさまジャージを脱いでアンダーシャツ1枚になってピッチ外を歩き出す豪快さと、つみきみほさんとか真野きりなさんといった感じのキツ目の美人顔は女子でも突出したキャラクター。ユニバーシアードで10得点くらいして目立って代表へと参画してはそこに定着していって欲しいなあ、そーなれば去年買ったフィギュアにも価値が出てくるから。そーいやフィギュアってどこにしまったっけ?

 おるすばんかみちゅ。言ってみただけ。それはそれとして「かみちゅ!」はちゃんと豆腐ちゃんも出ていてすっかりレギュラー化して良いことなんだけど本編は中学生の女子の恋心って奴がにんわりとにじみ出ている内容で見ていてこそばゆい。書道をやってる同級生に気があるゆりえだったけど神様として恋愛相談を受けていた下級生がその書道部の男の子に気があるからどうしたら良いって聞いてきてもう大変。取るなとも言えないし応援するとも言えないゆりえは2人して書道部にはいったけれど朴念仁なその男の子は2人に不思議な特訓を課してはなおいっそう戸惑わせる。

 不条理極まりない前提を持ちながらもそれを際だたせることなく自然の流れに入れてしまい、奇蹟めいたことも日常にしてしまってちょっとした場面で現実にはありえない、けれどもその世界ではありえるシーンを作って見ている目を驚かせつつ楽しませる。んでもって本筋の方は子供の淡い恋愛が破れる悲しくも微笑ましい展開。これを中学生が見ている時間帯にやらずに真夜中に放映してしまうテレビ朝日には、サッカー中継に角澤アナを出して来ることには及ばないけれどちょっぴりの憤りを覚えてしまう。勿体ないなあ。けど8月には早くもDVDが登場して来るみたいなんでテレビを見られない子供は評判を聞いてそれを買うなりやっているならレンタルをして見て感動してくださいな。「アニメージュ」の2005年10月号でそーいや杉井ギサブローさんが、めちゃ誉めしてたなー。


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