縮刷版2005年6月上旬号


【6月10日】 言葉が生まれるとそれに情動が引きずられるってことがあって今だと”萌え”って言葉に感情とかものの見方が引っ張られてしまい、評価を分かりやすくする一方で発想を狭めてしまう懸念があって気に掛かる。「ハチミツとクローバー」でひとり作品と格闘し、小さい身長で対人恐怖症気味の性格にも関わらずアルバイトを頑張った花本はぐみの可愛らしさはそれとして確かにあるけれど、幼げな少女に対してわき起こる感情なんだからつまりは”萌え”だと既定してしまうとそこに評価が縛られかねない。

 そうなると”萌え”に付随するいたいけさへの親心めいた感情に引っ張られて、はぐみが頑張ろうとして空回りして葛藤して、けれども頑張り自分を出そうとしてやっぱり果たせず悶々としているひとりの人間なんだってことを、見忘れてしまいそうになってしまうんでここは極力絵面の可愛さに惑わされず、天然の天才が起こす騒動の意味をくみ取り周囲で慌てる人々との対比から、人間というもののバリエーションに富んだ様を伺うことにしよー。ってゆーかはぐ見てても実はあんまり”萌え”ないんだよなー。”萌え”なくっちゃって感情も起こらない。そう描いてあるのかそうこちらが踏ん張っているのかは不明。山田には燃えますが。

 「東京ヘッド」に格闘ゲームの熱さを知った。「ソリッドファイター」に格闘ゲームの可能性を見た。そして登場した桜坂洋の「スラムオンライン」は格闘ゲームのいったい何を僕たちに教えてくれるんだろう。光ネットワークの行き届いた時代。60分の数秒で打ち込まれるコマンドをパケットロスなしに拾い集め伝えることが可能になって登場した多人数参加型の対戦格闘ゲームを遊ぶ坂上悦郎はAボタンをクリックしてゲームの世界に没入。カラテ使いのテツオとなって架空の街を彷徨っては、カポエラ使いや蛇拳使いやボクサーや柔術使いと戦い倒して戦績に刻む。

 コンソールの前を離ればそんなテツオも坂上悦郎となって朝は学校へと通い退屈な授業を受ける。雨粒がガラス窓を叩くSE。チョークと黒板がぶつかるSE。雑多なSEにまみれた教室でノートもとらず席に座っていただけの悦郎の横に分厚いノートをかかえた少女が遅れて座る。走るシャーペン。つづられる板書。その生真面目そうな姿に悦郎は立ち上がって出席カードを予備の分も合わせて2枚、少女に差しだし教室を後にしようとする。

 「きょうの色、青いんだ」「きょうのカード、青なんだね」「青は猫の色なんだよ。新宿にいるって話。見つけると幸せになるんだって」。突然の言葉。不思議な言葉。逃げ出すように教室を出た悦郎はそのまま新宿へと向かいそこでコウモリのような女と出会い、青い猫の伝説を聞き、家へと帰り寝て起きて学校へと行き昨日の少女とまた出会い、逃げ出し家へと帰ってゲームの世界へと没入する。

 リアルな世界では話しかけてくる少女の真面目さがまぶしくいたたまれない悦郎。けれどもバーチャルな世界では向かうところ敵なしのテツオ。それで良い。それで日々は過ぎていく。そのはずだった彼の暮らしに変化が起こる。学校で隣の席に座った少女、薙原布美子と歌舞伎町にあるゲームセンターで再会したことをきっかけに、悦郎はリアルな世界で布美子と付き合うことになる。それでもバーチャルな世界から離れることはしない。それはそれ。格闘ゲームの世界で四天王と言われる凄腕のプレーヤーたちを襲い倒す辻斬りジャックを探して歩き、ジャックから闘いを挑まれるくらい強くなるためにストリートファイとに明け暮れる。

 なぜバーチャルな世界を彷徨うのか。なぜ闘いを求めるのか。リアルな世界の傍目には見える血と肉を伴った幸福も、バーチャルな世界の傍目には映る重さも痛みもない自己満足には叶わないのか。そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。ゲームの世界で開かれた武闘会の決勝トーナメントに出るために、布美子がセットした恵比寿のレストランでの食事を悦郎は捨てる。けれども決勝トーナメントの準決勝を前に現れたジャックを相手にテツオは武闘会での優勝という栄誉を放り出す。

 闘いたい、強くなりたいという思いと布美子が大好きだ、布美子に横にいて欲しいという願いは決して矛盾しない。バーチャルな世界であってもリアルな世界であっても、自分は自分であるこがなによりも大切なことなんだと、「スラムオンライン」は教えてくれる。バーチャルな世界で英雄だからといって、リアルな世界で凡人でいることを卑しむ必要なんてまるでない。リアルな世界の凡人が、バーチャルな世界で英雄になりすましても臆することなんてまったくない。どちらも自分。それでいい。それだからいい。そうなんだ。

 コマンドを打ち込みコンボで技を仕掛け、相手の仕掛けを読んでガードし反撃をして勝つ。そんな格闘ゲームの遊び方を知らない人には正直、バーチャルな世界で行われている60分の数秒を争う闘いの凄まじさを肌身で感じづらいかもしれない。けれどもそれが面白さを殺ぐ要因になるとは思わない方が懸命だ。何百分の1秒を争うフォーミュラーワンのドライバーの気持ちを知らなくても、知った気になってレース中継を楽しめるように、凄まじいばかりにコマンドの入れ合いが繰り広げられるのが格闘ゲームの世界なんだと、認識さえしていればあとは言葉によって醸し出される緊張感が、知らず格闘ゲームの世界へと読み手をしっかり没入させる。

 むしろリアルな世界で繰り広げられるボーイ・ミーツ・ガールの物語にこそ、読んでその微笑ましさを体感できない少年少女の方が多いかもしれない。教室での出会い。歌舞伎町での再会。そして陥る恋。けれどもすれ違う愛。コマンドを打ち込めば、そのとおりにCGが答えてくれるバーチャルな世界と違って、考え方も違えば行動の仕方も異なる相手が存在するリアルな世界は、いくら互いに好意のコマンドを打ち合っても届かず通り抜けてしまうことがある。描かれた成就はそんな打ち合いの中から生まれたひとつの偶然に過ぎないと、経験が語る人もいれば想像が導く人もいるだろう。

 だからバーチャルな世界に逃げ込むんだ。なんて考えては勿体ない。ともに歩く新宿のゲームセンター。ともに赴く恵比寿のレストラン。それが欲しいと思ったのなら、自分を貫き通せば良い。ダメならダメで結構だ。そうありたいと願い歩き続けてさえいれば、たとえ手に入れられなくたって、希望に溢れて未来を生きることができるのだ。信じろ。自分を。信じろ。青い猫はきっといると。

 なんて思い続けて数十年。未だ猫はいませんが、代わりにこんな素晴らしい小説に巡り会えるのだから人生も捨てたもんじゃあねえ。ゲラで読んだ時からさらに濃密さが増した感じ。toi8さんの表紙絵がつきハヤカワ文庫JAにしては珍しくイラストもはいってかつての白背テイストってゆーか、今のライトノベルテイストになった装丁を書店で見た時には「イチヨンハチロク」シリーズの最新刊が並んでいるのかと思ったよ。帯は背中がピンクでこれも非ハヤカワJA的。冒険したけどしただけの甲斐はあったとゆーものだ。ゲーマーに親和性の高いライトノベルのユーザーには違和感なく受け入れられそうだけど、ハヤカワ読者に根強いSF読みにどう受け入れられるのかに興味。まあSFだろーとSFじゃなかろーと、楽しめる小説なんだから別に良いじゃん、ってことで。来年の長編って奴がこれで更に楽しみになって来た。それより来月とかゆー「現代魔法」の新刊は大丈夫なのかな。

 知り合いの方から流れてきた某紙のわらえる話。何でもそこの映画担当記者が某超大作SF映画の試写を見てコメントしたところ、一般紙の夕刊各紙に公開前に出る広告にコメントを使いたいって話になって、未だマイナーな媒体名を売るチャンスでもあるんで承諾して実際に掲載されたんだけど、それを知った某紙の偉い人が「我が社の記者のコメントが広告に出るのは凄いことだ」と思ったらしく、そのことを手前の紙面に記事として載せようって言い出したらしい。そんなことで騒げば映画会社の人から「何浮かれてんだ?」と言われ担当記者も立場がないんで困ったけれど偉い人の周りの人は偉い人が苦手なのか諫言もせずにそのまま記事化の話が進んだらしー。

 んで結果がどーなったかまでは聞かなかったけど、借りに記事化が行われたとしたらやっぱりこんな感じの記事になったんだろーと勝手に妄想してみた。曰く『○月×日にA新聞B新聞C新聞に掲載された超大作SF映画の公開を案内する広告に、我が社の△△記者のコメントが採用された。超大作SF映画は超大作ET映画などを撮影した監督の最新作。某双子の片割れ映画評論家を始め著名な映画評論家のコメントが採用される中で、我が社の記者のコメントが採用されたことは映画業界における我が社の影響力の高さを現したものだと言えそうだ』。

 笑えるなあ。社員が算盤大会で一等を獲得したとか文学賞で新人賞を取ったとか、警察から表彰されたって話が社内報に載ることはあってもコメント如きを一般の人も読む紙面に記事を載せるって紙価をアピールしようって発想はさすがに考え付かなかった。本当に実際にやったとしたらそれはメディア史上に残る”快挙”なんでこんど合ったら実際のところはどーだったのか聞いてみよー。その記者の顔写真とかも入っていたらさらに凄いなあ。楽しみだなあ。わくわくどきどきどきどきどきどき。


【6月9日】 シックスナイン。だからどうした? 明けて「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」に続く「バンコクの一番乗り」だか「バンコクの圧倒的だな我が軍は」だかの結果を見るためにスポーツ新聞を買い込み。まずは「スポーツニッポン」の金子達仁さんのコラムを読んだら内容が実に真っ当だった。「代表チームの目標がドイツへ行くことではなくドイツでの勝利にあったことを考えると、手放しに浮かれる気にはなれない」「欧州や南米と違い、アジアのレベルはまだまだ低い。にもかかわらず、今回の日本代表はアジアですら内容で圧倒しての勝利をあげることができなかった」と的確に、現状を分析してはあれこれ提言してる。なんだ書けるんだジーコへの批判を。

 「これからの国際試合で常に勝利を要求し、負ければ手厳しい言葉を投げつけ、ときには監督の更迭を要求するようにならなければ」とファンをアジっているけど考えればこれってすでにやったこと。でもその時に金子さんは黙してジーコの批判に回らずどちらかと言えば擁護とも取れる論陣を張っていたけど、想像するにまずはアジア予選を勝ち抜いて、ドイツ行きの切符を獲得すること優先して波風を立てずにおこうって意識があったんじゃなかろーか。でもって最初のハードルを越えた今になって内心に押しとどめていたことを出して来たって好意的に取れば取れる。

 単に他が褒め称えるときに違うことを言えば賢そうに見えるってだけの理由かも、って想像も浮かんだけれど偉大なサッカージャーナリストがそんなことを言うはずないよね。誰もが歓喜した試合を「低俗なポルノ」って揶揄した時みたいな天の邪鬼じゃないよね。信じよう、あれから3年が経ってみんな少しづつ成長しているんだし。あとどーせだったらファンに更迭を叫べと言わず、自ら更迭を言い出すこともあるって宣言して欲しかったなあ。その辺も公約をして自らを追い込んでは立場を危うくすることを避ける処世術を働かせているって勘ぐられそうだけど、そうじゃなくってファンと意識を一体にしてるんだって考えておくことにしよー。だから期待してますコンフェデの結果への厳しい意見を。

 もういいです。間もなくドイツで始まるコンフェデレーションズカップのメンバーに新味がまるでなくたって構いません。ジーコの日本代表には今のまんまでドイツに行ってもらって3連敗でもしてもらいましょう。コンフェデを若い選手を試す場になんてしなくたって良いのです。より広い視野から選手を試してもらえるようにリーグを長く休む必要がこれではまるでなくなったって関係ないのです。温くたってちゃんと予選を勝ち抜いたジーコへのご褒美です。好きにやって頂戴な。東アジア選手権もそのままやって下さいな。残り1年。熟成され切った棒立ちリアクションサッカーの神髄が、世界に衝撃を与えるその時を楽しみにしています。

 その間に協会ではワールドユースの面々とアテネ五輪の面々を融合させたチームを作ってもらって、そこにオシム監督でもアルディレス監督でもビエルサ監督でも充てて戦術と体力を鍛えてもらいましょう。ドイツ大会が終わったらそこに中田英寿選手と楢崎正剛選手と大黒将志選手中村俊輔選手小野伸二選手を加えて年齢の幅を作って2010年の南アフリカ大会では26歳とかそんなもんんいなるようにして若さと老獪さを併せ持ったチームとして、世界の面々と対等に戦ってもらいましょう。問題は2006年の日本代表の戦いぶりが、南アフリカ大会のアジア枠をどのように変えてしまうか、だなあ。まあそれも試練だオシムジャパンあるいはビエルサジャパン。

 気を取り直してあれこれメモ代わりに読んだ本の覚え書き。つまりは無能な野郎であっても頑張りに様によってはヒーローになれるってことなのか。五代ゆうさん「パラケルススの娘1」(MF文庫J、580円)は古来から魔物退治の任務を負った家柄に生まれながらもまるで能力を発揮できず一族のお荷物扱いされていた少年の遼太郎が、海を渡って19世紀末のロンドンへと行きそこで男装をした美貌の魔術師・クリスティーナの家に厄介になることになったけれどそのレギーネ、なかなかに難儀な性格で得体の知れない降霊術の会合があると出かけて行っては降りて来た悪霊を退治するちょっかいを繰り返す。

 依代になった人間の命はあんまり省みない性格らしく、それが遼太郎が知り合った少女シシィが依代となった降霊会に乗り込んで行ったものだから遼太郎は焦る。クリスティーナが家に置くメイドのレギーネが傷つけられたことも重なって怒り遼太郎のことも退けようとするクリスティーナの圧倒的な力に無能な遼太郎は果たして立ち向かい、悲しい運命を歩んできたシシィを救うことができるのか。たぶんおそらく想像するにどっかに眠っているんだろー遼太郎の力がいつか爆発するんだろーと想像できるけど、そんな男性版イヤボーン展開がなくても熱くて正直な言動が、怒りも悲しみも恨みも妬みも越えて人を救うこともあるんだって教えられて嬉しくなる。「エマ」とは違った意味でシビアな19世紀末のロンドンの描写、魔術への関心が浮かび上がって誰もがオカルトに走った世紀末のロンドンの描写も楽しめドラマにも感動できる一作。次にどんな無能が人を救うのかが楽しみ。それにしてもクリスティーナのあれほど巨大なバストがおさまる男性向けのシャツってものがあるのだなあ。


【6月8日】 「プラネテス」の谷口悟郎さんに「R.O.D」の倉田英之さんが組んだ作品ってことで前評判の……あんまり聞こえてこない「ガン×ソード」を試写で2話まで見る。感じとしては『トライガン』で『ガングレイブ』で『サムライガン』で『トリニティブラッド』で『カウボーイビバップ』で名前は忘れたけれど千葉テレビでやってた女の子2人が銃をふりまわしながらガチャガチャやるアニメでその他、もろもろの要素がミックスされた感じと言えば言えるけれどそれが気になるかってゆーとあんまり気にならないのは人間が寛容になって来たからか、それとも忘れっぽいからなのか。

 やって来たのはタキシードを着た男。腹を減らして教会に入るとそこで少女が何者かに撃たれた瞬間で、撃った輩はそのままタキシードの男を脅して金を巻き上げようとしたものの、男の反撃にあって這々の体で逃げ帰る。男は助けた少女とともに街へと行ってそこで長から街を護ってくれると頼まれるものの気乗りしない様子。少女の願いも聞かず見捨てようとしたものの、そこに巻き起こった事件が男を燃えさせかくして巨大なメカとロボットによる一大バトルが繰り広げられる。西部劇風アクションにロボットアクションがプラスされた展開はスピード感があって格闘シーンでは巨大な感じも出ていて絵としては合格。ストーリー展開も起伏があって人情もいっぱいで楽しめる。ありがちと言えばありがちだけど西部劇ってのはそーゆーもんだ。あるいは時代劇だって。

 西部劇風の世界に何でロボットが、って理由の裏にもいろいろありそーでヴァンと名乗った男の正体、彼が追うかぎ爪の男の謎なんかに迫りながらも当面はさまざまな街をたずね歩いてそこでさまざまな人と出会い事件に巻き込まれ、解決していく繰り返しによって話をつないでいくことになりそーで、それもそれでいろんなパターンを楽しめそう。ちょっと『キノの旅』っぽい。2話目で登場のカルメン99と名乗った女性の見えそうな腰とか巨大な(99センチらしー)バストとかは見物。峰不二子とかフェイみたいにいろいろ裏で画策してくれそーで悪女好みのアニメファンにとっては嬉しい限り。声は井上喜久子さん。ちなみに主役のヴァンは星野貴紀さん。慣れない山寺宏一さんっぽいけどキャリアの浅さを考えればよくやってる方。ダレているけど芯のある男を演じてくれてて将来に期待。

 もしも仮に。1994年10月28日に国立霞ヶ丘競技場でパブリックビューイングが行われたとしたら、来場した人の中に車座になってビールを飲みつまみを囓りおしゃべりしながら時折オーロラビジョンを見上げて拍手する人がどれだけいたんだろーかと考える。あるいは1997年11月16日に同様のパブリックビューイングが行われたとして、試合の最中にトイレへと立つ人がどれだけいたんだろーかとも考える。皆無ではないにしてもずらっと眺めて散見される程の比率でそーした人がいただろーとはちょっと思えない。

 さらに言うなら2002年6月に4度行われたパブリックビューイングで、グループで来ておしゃべりしながらビールを飲みつまみを囓ってモニターに時折目をやる人たちはほとんどいなかった。みんな真剣だった。試合の行方の一挙手一投足に瞳を注いでいた。手に汗握り心の中で祈りを捧げリードしたらそのまま時間が行き過ぎるようにと願い、同点だったら相手に点をとられないようにと願って試合の行方を見守っていた。それからわずかに3年。国立競技場のパブリックビューイングは夏に同じ会場で行われる神宮前花火大会の如きイベントチックで物見遊山チックな空気が漂っていた。いずれ花火が上がって楽しませてくれるんだろうといった感覚と同様の、もはやそれが当たり前といった雰囲気でいっぱいだった。どうしてこうなってしまったんだろう。

 オーロラビジョンに映し出された日本代表が「ワールドカップ2006ドイツ大会」への出場を決めた北朝鮮戦は、突っ立った選手の足下から足下へとボールが渡りそこから前を向いて敵がいれば、すぐさま最後列へと戻す繰り返し。先週のバーレーン戦では催さなかった眠気が、家で見ていたらきっと起こっただろー内容に乏しい試合だったけど、相手がそれ以上にボールをつなげず奪えないため危機らしー危機は訪れない。そうこうしているうちにその時ばかりはと走った柳沢敦選手がこぼれたボールをボレーで叩き込んでまず先制。さらに前掛かりになった相手の背後に走った大黒将大選手にボールが渡りそれを落ち着きキーパーもかわして決めて追加点を奪ってあっさりドイツ行きを決めてしまった。

 こいつは快挙だ。南米だったら国が1日を休日に当てるくらいのお祭り騒ぎが起こって当然の出来事だ。実際に嬉しい。とても嬉しい。けれどもどこか冷めている。これで良いのか? って疑問が浮かぶ。喜ぶ人たちの手には箸。ワールドカップ出場が宴会の肴に毛の生えた程度のものになりかかっている。それだけ日本が強くなったってことなんだ。出場して当たり前なんだ。そう思えればアジア予選なんて宴会の肴だと言って言えないこともない。けれども本当に日本は強いのか。そこに覚える引っかかりが喜びのボルテージが上がるのを抑制する。

 イランに相手のホームで負けた日本が次のこちらのホームでイランに負ければグループでは2位になる。2グループ合わせれば3位以下。アメリカはこれでは駄目だった。フランスでも次が残っていた。日韓は主催国じゃなかったと過程すればやっぱり駄目な成績。なのに今回は余裕で出られてしまう。それは良いことなのか。お上が決めたことだから良いんだと言えば言える。けれども心情として、正々堂々と世界の檜舞台で誇れる内容を伴っての出場だと言えるのかが今ひとつ分からない。これで勝てれば御の字ではあっても、これで負けても仕方がないと思えるだけの熱が見えない。

 それでもワールドカップに出られてしまうという現実。否応なしに発生する微温的な空気が国立競技場にも流れ出しては、会場を花火大会を眺める河原のスタンドの雰囲気にしてしまい、サッカーを見ることをテレビで花火大会を見る程度のイベントに変えてしまう。とてもじゃないけど花火を打ち上げる花火師たちが命をかけて点火に望む打ち上げ場の空気にはならない。そして日本代表はイベントを楽しもうとする微温的な空気をまとってドイツに行っては、真剣勝負の波にもまれた精鋭たちの命を削る戦いに圧倒されることになるんだろー。そしてまた日本代表を応援する人たちも、当たり前のように上がっていた花火がふと気がつくとまるで上がらず、見渡すと季節も冬へと移ってワールドカップに出られない寒さに凍えることになるんだろー。2005年6月8日はもしかすると終わりの始まりの日として、日本サッカーの歴史に残ったりするのかもしれない。そうさせない為には。手段は1つ。決断。あるのかな。あって欲しいな。


【6月7日】 そっか子供か東さんさなえさん。おめでたいなあ。名前は凝ったなあ。でもさすがに冒険はしなかったなあ。マルチじゃあ古すぎるよなあ。でじこだったら面白かったかもしれないなあ。東でじこ。なんかよさげ。東ぷちこ。ちょっと不思議。ブロッコリーに教えてあげよう。東くらこだったら新井素子さんの「二分割幽霊綺譚」だなあ。羨ましいなあ。お嫁に欲しいなあ。40歳くらいなら差じゃないし。お父さんと呼ばせてください。

 きっと天翔族の住処には皆耀洞とかって窟があってそこには選りすぐられた原型師たちが集められ、形に優れ美にあふれたケルビム兵を生み出すべく日夜粘土を捏ねパテを盛りグラインダーで削っているんだろー。そんな中から忙目とかって名前の原型師が一頭抜け出しては天翔族が行列してでも手に入れたいケルビム兵を生み出すよーになるんだろー。夏の暑さ冬の寒さに負けず早朝から並んでようやく手に入れたケルビム兵のこの土手の表現が良いとかこの影の付け方が素晴らしいとかそんなことを話す天翔族。ちょっと萌えます。ません?

 そんな「創聖のアクエリオン」は異様にも不思議な形をしたケルビム兵創造の秘密が明かされる重要な回。それとシリウスとアポロが拳で語り合ってはちょっとだけ近づく重要な回。エピソード的な意味もあれば格闘シーンのスピード感と衝撃感のあふれる描写にアニメの新しい表現を見せられた気にさせられる史的にも重要な回。不動GENの訓辞もあって見終わればあれこれ蒙をかれるます。これが真夜中で「交響詩篇エウレカセブン」は早朝とともに一般人の届かない時間帯。アニメをテレビで流す意味って何だろーって考えさせられる昨今。HDDレコーダーがあれば時間は意味がないけど、その分回収の手段の重要なパートを占めるDVDの販売ビジネスに影響も出るからなあ。アニメビジネスの枠組みがどう変わるのか。ウォッチ。誰かが。僕は面倒だからパス.

 「週刊サッカーマガジン」を買ったら日本代表のトレーディングカードがおまけについてて開くと1枚が三都主アレサンドロ選手だった。これって吉兆? それとも凶兆? ほかにとりたてて欲しい選手がある訳じゃないけれど、逆に欲しくない選手ではトップに入って来る選手がいきなり出てしまうとゆーのは何だろー、事前の厄払いと考えて良いのかな。折角だから明日の国立霞ヶ丘競技場でのパブリックビューイングに持って行こう。行って聖火台に飾って帰ろう。よくやってくれた。もうお眠り。なんて。もう1枚は中村俊輔選手。2002年までならいらないけれど今は外国で苦労して覚醒したんでもらって納得。だけど最近はクロスもフリーキックも得点につながらないからなあ。トップとの連携をさらに。それが来年につながるのだから。

 ちなみに「サカマガ」のアレックス選手の対バーレーン戦は採点4・5点でダントツの最低。「週刊サッカーダイジェスト」でも5・0とやっぱり最低でなるほどプロフェッショナルの目でみてもあのパフォーマンスには及第点はつけられなかったってことなんだなあ。そんな選手を最後までフル出場させる監督って……。これじゃあ昨日といっしょだよ。ちなみに「サカダイ」には過去のビューティフルなゴールシーンを収録したDVDがおまけてついててファンは必買。もう絶対。

 マラドーナマラドーナマラドーナマラドーナな5人抜きとか神の手とか、バッジョとかツルっ禿じゃないけど剃ってるジャンルカ・ビアリとかバルセロナのジャージを身につけたロナウドとかリヴァウドとか、今も若いけどさらに若々しいクレスポとかのゴールシーンも収められているらしーんで得点力不足に悩む日本代表は今すぐに日本から送ってもらってイメージトレーニングに使うべし。けどむやみやたらに5人抜きとか仕掛けたって出来る奴なんていないからなあ。できれば釜本邦茂選手のどっかーんと破裂していたらしーゴールシーンも見たかった。第2弾があるなら是非。


【6月6日】 雨ざあざあ降ってない。折角だからと明け方にかけて録画しておいた先週の2つの「ガンダム」を鑑賞。まずは「機動戦士ガンダム」の「ザンジバル追撃」を見たらやっぱり面白え。成層圏より上でGにもだえるセイラさんの声は録音して着メロにしたいくらいの淫靡さだし、ミハルの死から立ち直って来たカイの活躍は人間がちょっとづつでも成長していく感じを見せてくれる。ザンジバルとホワイトベースがすれ違いざまに撃ち合う緊張感はシリーズ中でも屈指。そんな見所が20数分の中に塩梅よく入っていて飽きずにラストまで楽しめる。

 今回から登場のスレッガー・ロウ中尉は玄田哲章さんの声の方がニヤつき感の中に芯の太さが垣間見える感じで絶対に合ってるんだけど、劇場版では確か井上真樹夫さんになっていたんだよなあ。何でだろ。ここから「ガンダム」は宇宙を舞台にアムロがララアと出会ったりマ・クベがギャンで戦ったりミライが婚約者を袖にしたりセイラさんがお風呂に入ったりと満載の見所をこなしながらラストの「光る宇宙」「宇宙要塞ア・バオア・クー」そして「脱出」へと突き進む。千葉テレビが見られる地域に住んでて良かったなあと思える3カ月を過ごせそー。でもハードディスクの残りが少ないんだよなあ。DVDに焼きたくっても壊れてて焼けない。買ってしまうか「PSX」。今さらだけど「PSX」。

 流れで「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」の方も土曜日放映分を見たらステラが逝っちゃってた。途中をまるですっ飛ばしていたから彼女がどーゆー経緯でシン・アスカと良い仲になったのかが分からないけどヒロインの死って奴がカミーユ・ビダンなりハサウェイ・ノアといった過去の作品に出てきたキレる子供たちと同様に、シンの精神をはじけさせて話を陰惨な方向へと持っていきやしないかと心配になる。すでにアスラン・ザラを忌避する態度を見せてるし。一方で話の半分はシャア・アズナブル、じゃないクワトロ・バジーナ、でもないデュランダル議長の演説で毎度の事ながらもアジテーションの波動に溢れた声質で心をザワつかせてくれる。シャア声変換マスクとか作って売れば演説に使う政治家とか出て来るんじゃなかろーか。ダースベイダー変換マスクじゃ使ってもフォースは発揮されないし。

 「エル・ゴラッソ」の2005年6月7日号は後藤健生さん田村修一さん元川悦子さん宇都宮徹壱さんの4人のトップスポーツライターが日本代表の対バーレーン戦を採点する豪華な布陣。いつの間にこんなに有名所を使えるくらいのメディアになったんだ。それだけ需要があったってことか。「ワールドカップ2002日韓大会」が終わってサッカー市場がシュリンクしてるって見えて実は「ワールドカップ」でサッカーのスポーツとしての面白さを知った人がいっぱい生まれて、けれども旧態依然とスターシステムに励むスポーツ紙以外に読むメディアがないと嘆いていた時期に、創刊に踏み出した英断が見事にハマったってことなんだろー。

 それはそれとして採点は英雄・中田英寿選手が後藤田村元川宇都宮の順で6点6点6・5点6・5点の平均6・25点となっていて、柳沢敦選手の6・5点6・5点6・5点6点の平均6・38点より低いのが気になるところ。得点を決めた小笠原選手が平均で6・63点、守り通した中澤佑二選手が平均で6・75点となっているのは仕方がないとしても、あの活躍をこの3人に匹敵するくらいに採点しないってのはそれだけやって当たり前って思われている現れか。

 ちなみにアレックス選手は4点5点4・5点4・5点の平均4・75点と最低。そんなアレックス選手が交代させられず最後まで出てしまうところにジーコジャパンの選手起用の不思議さの大部分を語るエッセンスが詰め込まれているよーな気がしないでもない。そのアレックス選手がカード2枚で出場出来ない対北朝鮮戦では中田浩二選手が代役とか。三浦淳宏選手だっているのに中田浩二選手に代表では初のポジションを与えてしまうところもなあ。海外に行って正解だったって奴? 考えてみれば当日のスタメンでは1番の格を持ったクラブだもん、マルセイユって。ウェストブロムウィッチよりもメッシーナよりも。こりゃ出すしかないよね、やっぱ。

 状況は分からない。もしかしたら背後からいかにもな風体で携帯電話をかざして写真を撮ろうとして、その鬼気迫る雰囲気に怯えた女性が連れの夫に助けをもとめたのかもしれないけれど、だからと言って普段見せてる脚をカメラで撮影することが、「県迷惑防止条例違反(ひわいな行為)」に該当するからと逮捕されて良いものかどうかが分からない。なるほど迷惑行為ではあろう。恐れを感じて訴え出ることがあっても良い。けれども「ひわいな行為」に当たるのか。そこがどうにも悩ましい。

 脚を撮影することがひわいなら撮影される脚はひわいな対象でそれを見せて歩く行為はすなわちひわいな行為と言われかねないって飛躍する論法はさておいて、それをひわいな行為と解釈されたら他のどんな行為、たとえば満員電車で立った前に座っている女性の開いた胸元を上から見てしまうことだって、あいてが迷惑ですと訴え出れば逮捕されてしまう。撮影することと見ることの線引きなんてたぶんない。女性が視線を恐怖と感じれば成立してしまう。逮捕されれば事が破廉恥な内容だけに社会的な生命は断たれてしまう。冤罪だと言って認められても時すでに遅し。恐怖を感じる人がいて護られなければならないプライバシーがあることに間違いはない。一方でそれが拡大解釈されかねず、その解釈を特定の勢力に委ねなくてはならない国に生きる難しさ。かくなる上は予防が大事と、男は馬術の馬よろしく正面のやや上をのみ、見て歩く道具をこめかみにつけて歩くことになるのか。神奈川県の男性って大変だなあ。


【6月5日】 ものはついでと「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」続きで劇場版「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」を見る。実は初見。ファースト主義者でハマーン崇拝者にとって見られるのは「Z」までで、アニメじゃないらしー「ZZ」はハマーン様が出ていてもちょっと遠慮でそれ以降となるとまるでほとんど興味が湧かず、公開から17年間放っておいたんだけどなるほどこれを当時、劇場で見ていたとしたらどっち側に見方したのかちょっと興味。アムロかシャアかじゃなくって大人かガキかってところ。

 「Z」の劇場版でも親に反抗するだけならまだしも親をその手で殺めてしまうカミーユのガキっぷりが鬱陶しくって、こいついつか修正してやると心の底で幾度かつぶやいたんだけどそれ以上に鬱陶しかったのが「逆シャア」のガキども。とくにハサウェイ・ノア。民間人なんだから来るなと言われた場所に上がり込み入り込む分別のなさも嫌だったけど、モビルスーツに勝手に乗って戦闘に出ては、惚れたか惹かれたかしたクェス・パラヤの尻を追いかけ回し挙げ句に彼女の邪魔をし、それが原因でクェスやられてしまったら今度はやった見方のチェーンを殺してしまう無軌道ぶり無分別ぶりが見ていて嫌悪感をもよおさせる。

 クェスも似たよーなものだけどこいつの場合は繊細な神経を一目惚れした男にいいように操られているだけって見てとれないこともなく、その点で行動に一本筋が通っているんで鬱陶しくてもまあ許せる。ともかくも信念もなければ大望もない、ただ己が情動に突き動かされるよーに行動しては周りに死をもたらすガキどもを、17年前のちょうど社会に出るか出ないかって境目にあった当時の自分が見て抑圧された社会から脱出し羽ばたこうとしている行動の象徴なんだとハサウェイやクェスたちの振る舞いに同感できたのか、それともやっぱり周りを省みない無分別ぶりに憤りつつ自分の夢が原点にはありながらも周囲を気遣い大きなビジョンを持って動く大人たちに惹かれたのか。興味があるしだからこそ今「Z」のカミーユとかジェリドとかの無分別な振る舞いを、若い人が見てどう感じるかに関心が及ぶ。

 記憶違いかもしれないけれど「Z」公開に先駆けて「バンダイチャンネル」なんかでインタビューに答えていた富野由悠紀監督が、「Z」を割にハッピーなエンディングへと手直しするって話に関連して「Z」を作っていた85年当時ではまだ珍しかった、だからこそ将来を予見する上でも見る人に愕きを与える上でも効果的だったカミーユをはじめガキどものキレっぷりが、その後の社会の変化でまるで全然異常ではなくなってしまい、分別を持たず大望も抱かず理由すらなくただキレる人間の多く蔓延ってしまったんで、これはマズいと手直しを決めたんだって話してた。

 これを聞くと当時のそんな心境の延長線上にあった「逆シャア」でガキがキレまくっているのもうなずける。と同時に当時の富野さんがそうした子供に憂いを抱いていたのか、それとも価値観を破壊し明日を拓く希望を抱いていたのか知りたくなったけど、そーした面から富野さんが答えているインタビューってあったっけ。富野由悠紀全仕事とか、その辺に埋もれているけど案の定出て来やしないんで本屋で探そう。物語としては落下していくアクシズを止めようと踏ん張るモビルスーツたちが実に感動的。これが分別ある大人の良い意味でのガキっぽさって奴なのか。山寺宏一は若いなあ。

 大人に言い様に使われてしまうクェスとかミネバの何も考えてません的行動とか見ていると高野和さんの「七姫物語 第三章 姫影交差」(電撃文庫、590円)で1巻2巻と主役を張った七宮カセンの空澄姫は実にいろいろと考えていて、けれども事態が自分の想いだけでは動かない現実も認識してその間でいろいろと悩む様に好感。それは大人にとって使いやすい子供だからってことじゃなくって、世界を今は動かせなくても諦めず逃げずに世界と対峙しいつかその手で動かしたいと願う意志の強さが見えるから、なんだろう。

ジャニーズの応援でジャニーズ目当ての腐女子サポが増えた挙げ句に内弁慶なバレーボールにはなるなよサッカー  それは他の姫たちも同様で今回はどちらかと言えばメインを張ってる三宮ナツメの常磐姫も同様で、操られっぷりは他の姫と違わず劣らっておらず、本人が武人の出で意志だけは強く持っているだけに悲劇的ではあるけれど、それでも自分が今できることをしようとする意識を持っていること、それがちゃんと描かれていることが嬉しい。出そろい四宮ツヅミを囲んで対峙した七姫たちの今後とそして、軍事政治経済外交のさまざまなレイヤーで進められる国々の争いが進み帰結して行く先は? 歩みは遅いけれども決して緩めず真摯に、そして堅実に世界と向き合っていって欲しい。10年かかってもついていきます。

 起きて平塚で行われたL・リーグの「日テレ・ベレーザvsTASAKIペルーレ」。到着するとスタンドはそれなりの混雑で、去年の同じ時期に同じ場所で開かれたベレーザの試合よりもさらに増えてる感じ。とりわけ女子の来場が増えて女子サッカー選手が女の子たちの憧れになって来ている実状が見えてそんな中から凄い選手が出てきて5年後の代表のレベルが底上げされる可能性と、サッカーに理解のある母親たちの増加で少年のサッカー選手も増えて20年後の日本サッカー界全体が底上げされる可能性に思い及んで笑みが浮かぶ。もっともベレーザの選手で既婚率は0%。日本代表も宮本ともみ選手が産休明けで休んでいるんでやっぱり既婚率は0%。これでは子供をサッカー選手になんて出来ないなあ。

 試合は平塚競技場の芝生が重いのかパスがつながりゴールを目指し合うってよりはゴロゴロと転がるボールに選手たちが群がり集まりボールといっしょに足を蹴り合う痛そうな試合。切り裂くよーなパスでかわしていく攻撃もなければ左右に揺さぶるワイドな展開もなくって見ていてちょっぴり眠くなる。けどしばらくすると慣れて来たのかベレーザ側にパスのつなぎも現れ前線へのスルーも見えて良い感じ。それでもシュートまでは結びつかず後半0対0のまま突入したロスタイム。前線で粘った大野忍選手が叩き込んで1点を奪いそのままタイムアップでベレーザが勝利。強いなあ。

 ペルーレは最前線で大谷未央選手が走り回っていたけどボールが渡らず持ち前のスピードは発揮出来ず。でも去年に比べて引き締まった感じがあって後段よりの支援があれば得点屋としての実力を発揮して来そー。でないと8月の東アジア選手権を勝ち抜けないからね。ベレーザはボンバー荒川恵理子選手が後半から復帰。だけどペルーレの守備の前に突破は果たせず無得点。まあこちらもおいおい復活して来ることでしょー。ボールガールをしていたメニーナのポニーテールのちびっ子選手が今回も来場。パンツのすその番号が13番だったけど名前とか不明。ボールを扱う足捌きが滅茶苦茶美味いんだけいったい幾つなんだろー。これから出てくるのかなあ。でも今だとちょっと小さすぎるよなあ。育つかなあ。注視。


【6月4日】 眠って起きたら午前の1時でテレビを着けて「ジム・ビーム」のブラックを啜りメンチカツを囓りながらサッカーのワールドカップアジア最終予選対バーレーン戦を鑑賞。先に眠って予防しておいたのはどうせぐだぐだで眠くなること確実だって思ったからなんだけどこれが意外や眠くならない好試合。中田英寿選手がドゥンガ軍曹よろしくレジスタの位置から前戦の小笠原満男選手を叱咤し鼓舞し脅迫もたぶんして使い、サイドの加持選手は前へと行かないんだったら壁代わりに使って自分が前へと走って攻撃へと絡む文字通りの縦横無尽で八面六臂な活躍を見せてピッチの中盤を完全に支配。人も動けばボールも動く目にも楽しい試合になってテレビを見る目の瞼を下へと下げさせない。

 得点もそんな中田軍曹の突破を小笠原選手へのパスから誕生。中央でもらった小笠原選手の前をあれは柳沢敦選手だったんだろうか、左へと走ってディフェンダーを引きつけたかしたこともあって薄くなった中央目がけて積極果敢に振り抜いた足から放たれたボールが、敵バーレーンのゴールキーパーが伸ばした手の先を抜けてゴールネットへと突き刺さった。完璧。セットプレーでしか取れないと思っていた得点を流れの中からちゃんと作り出せたのは驚きだったけどそれもこれも中田選手がいたればこそで流石はやっぱり伊達に年期とそれに比例するプロでのキャリアを重ねてないと感心する。

 そんな中田選手でも使いこなせないのかアレックス選手。左サイドに張り付いてはボールをもらい突破を図ろうとしても敵は3枚が寄せて抜かせない。1人すらかわせないのはそれだけ動きを読まれてしまっているからなのか。逆にバーレーンの選手が2人3人に囲まれる中をドリブル&フェイントで抜けていく様が何度も見られてアレックス選手、あれで案外にテクニシャンじゃないのかも、なんて思ったりするのは遅すぎか?

 激昂しやすい性格も直ってないよーでシミュレーションからカードが1枚。これで前にもらった1枚とあわせて2枚で次の対北朝鮮戦に出られなくなったけど、これを幸いと三浦淳選手がサイドに定着してくれれば良いなんて、思うのはやっぱり早計で連戦後のコンフェデレーションズカップでも、8月のイラン戦でも代わらずピッチにはジュビロ磐田の村井選手でもジェフユナイテッド市原・千葉の坂本選手でもないアレックス選手がブルーのジャージで立って立ちっぱなしだったりするんだろー。それは来年のドイツまで続く。嗚呼。

 ボルトン移籍なんて話も出てるんでここは前回果たせなかったプレミア入りを果たしては、あのスピーディーな動きについていけずベンチ入りすらできず1部へと出され揉まれる中で鍛え直してもらって欲しいもの。それで消えるならそれまでさ。でも海外でマナーな国の控えだったゴールキーパーを代表に呼ぶジーコ監督だからなあ。2部とか3部に落とされたって代わらず呼ばれてピッチで道祖神のごとく立ち塞がるんだよなあ、見方のテンポ良い攻撃の前に。嗚呼。

 北朝鮮戦は中田選手も中村選手も出ないことになったけど果たして確変した小笠原選手はそのままの小笠原選手を保てるのか。同じフォーメーションを組むならボランチには中田選手の代わりが必要になるしトップ下には小笠原選手と組んだ中村選手の代わりも必要なんだけど、稲本選手は突っ込むタイプで遠藤選手は守備系で攻守兼ね備えたタイプのセントラルミッドフィルダーなんていやしない。

 阿部勇樹選手でもいれば大丈夫なんだけど残念にも幸運にも千葉で大活躍してくれているからこれは無理。ってことは稲本福西のダブルボランチに小笠原選手のトップ下で前は柳沢選手に鈴木選手ってことになるんだろーな。眠りそう。普通の時間帯にやってくれることがせめてもの慰めか。まあ勝たなくても引き分けで良いんで復帰した中澤選手には頑張って頂くことにして、コンフェデも含めた世界に互せる面子ってのを考えてくださるように監督とそして協会には心からお願いしよー。それは世界で戦える監督ってのも含むけど。

 熊パジャマが岩倉玲音なのは僕にとってはあまりに自明のことだったんで「よくわかる現代魔法 たったひとつじゃない冴えたやり方」を読んで嘉穂がそんな格好をしていてもまるで愕きもしなければ騒ぎもしなかったんだけどそこにビビッドに反応している人の多さに世間が「lain」を未だにそれなりな位置づけで見ているんだって事が伺え、同時に歳を喰って何かに反応するだけのエネルギーが下がってるんだなあ、なんてことを感じて感傷に浸る。

 そういえば鹿島茂さんが新刊のエッセイ集「モモレンジャー@秋葉原」(文藝春秋、1619円)で「SFがどれくらい忘れられたジャンルになっているかを端的に示すのが、近年、驚異的なベストセラーになった『世界の中心で、愛をさけぶ』という例の小説のタイトル。三〇〇万部を超えるベストセラーになったというが、あれが、ハーラン・エリスンの名作『世界の中心で愛を叫んだけもの』からの頂であることを指摘した評論はほとんどなかった」(159ページ)なんて書いていて、いやあ結構指摘してた人はいたし本当はエリスンの名作をいただいた「新世紀エヴァンゲリオン」のサブタイトル「世界の中心で愛を叫んだケモノ」を編集の人が頂いて付けたんだって話もあったりするんだけど、それはともかく見て「エリスンだ。でもってエヴァだ」と瞬間に思っても、それをことさらに騒ぎ立てる気力が前もなかったし今もない。

 エリスンも本屋で文庫を見たし「エヴァ」もリアルタイムで眺めて愛でた目には、それが使われるってことにささやかな喜びは覚えても激しく同意なり反発をしようって気が起こらない。これが思春期のまっただ中に「エヴァ」を見て強烈な体験をしてすべてを知った(気になった)世代なんかだとあの騒動から10年近くが経って現れた頂かれてしまったタイトルに、同意であれ反発であれビビッドな反応をしてしまうのか。「lain」だって放映されてから8年くらいが経ってる訳でその頃んすでに30を超えてた人間と、10代の始めに見た人間とでは思い入れの度合いは同じでも心に占める割合がやっぱり違って反応にも差が出たのかも。ライトノベルの読者が18歳くらいだったとしたら「lain」が放映されてた時代は10歳そこそこ。噂として聞いた伝説のアニメのキャラクターが”復活”すればそりゃあ騒ぎたくなるよなあ。をを。とか言って。

 だったら「機動戦士Zガンダム」だったらリアルタイムで見ていた時期はまだ若かったはずで受けた影響も大きいはず、なので復活なって劇場アニメ化されて公開された今回の「機動戦士Zガンダム1 星を継ぐ者」には騒がずにはいられないかってゆーと案外そーでもない。放映されてた当時にはすでに20歳前後になってたんで割に冷静に見ていたんで、これがリアルタイムでは最初の「ガンダム」だったって今だいたい35歳前後の世代とは、受ける感慨の度合いは違う。よくやるなあ、とは思うけど別に今やらんでも、なんて思ってしまう訳でそんな感情を引きずって「ワーナーマイカル市川妙典」で見た劇場版「Z」はなるほど劇場版「Z」ではあってそれ以上でも以下でもないなあ、ってな感想しか湧いてこない。

 それでも唯一、ぐっと来るところがあったとしたらそれはクワトロ・バジーナとアムロ・レイがジャブロー上空で邂逅する場面で「ア・バオア・クー」での決闘から10年近くの時を経て、再会した「1年戦争」の英雄と梟雄のツーショットには、ファースト世代賭してこみ上げるものがあった。その他についてはいったいどーゆー状況に宇宙があってどんな勢力が入り乱れているのかを、知っておかないと理解が正直難しそー。ティターンズだエウーゴだっていきなり出てきても、ねえ。声については池田秀一さんのクワトロ・バジーナは言われていた程の年齢は感じず、普通にシャアとして聴けた。アムロ・レイは流石に25年経ってもアムロ・レイで星飛雄馬。カイ・シデンもフラウ・ボウも代わらないけどそれよりは鈴置洋孝さんのブライト・ノアの変わってなさが凄かった。彼なら今でも波乱万丈、出来まっせ。

 今回がJ・P・ホーガンで次回がフィリップ・ホセ・ファーマーとSF続きだから最後の3作目のサブタイトルもやっぱり懐かしいSF作品からタイトルが取られるんだろー。「星を継ぐ者」も「恋人たち」もいかにも過ぎて「世界の中心で愛をさけぶ」以上に愕きがない。けどいかにもな所から選んでいる所を見ると「機動戦士Zガンダム3 たったひとつの冴えたやり方」とか「機動戦士Zガンダム3 宇宙の戦士」とか「機動戦士Zガンダム3 ティターン」って辺りに落ち着きそうな気がして張り合いがない。どーせだったら「機動戦士Zガンダム3 流れよ我が涙、と警官は言った」とか「機動戦士Zガンダム3 悔い改めよ、ハーレクイン! とチクタクマンはいった」なんて所にしてくれたら驚けるんだけどこれじゃー何の映画か分からない。「機動戦士Zガンダム3 ブロントメク!」「機動戦士Zガンダム3 サンディエゴ・ライト・フットスー」「機動戦士Zガンダム3 ステンレス・スチール・ラット大統領に」「機動戦士Zガンダム3 アルベマス」……。駄目だやっぱりここは穏当に御大から選んで終わることにしよー。「機動戦士Zガンダム3 宇宙戦争」。そのままじゃん。

 劇場を出て恵比寿の「ガーデンプレースタワー」で開かれた「スクールランブル」の舞台化の会見を見物。土曜日に、恵比寿の、共用会議室で何でまたって思わないでもないけれど、製作するマーベラス・エンターテインメントのジュニア中山晴喜社長にキングレコードの大月倫俊プロデューサーらしき人の姿が見えたことからもそれなりに力の入った作品だってことが伺える。何よりネルケプランニングが手がける漫画やアニメの舞台でおそらくは珍しく、小劇団で人気らしー『劇団ビタミン大使「ABC」』の宮川賢さんが脚本を演出を担当。「ギャラクシー・エンジェル」とか「テニスの王子様」といったミュージカル化とは違って「スクールランブル」が持つドタバタなギャグをちゃんと舞台の上で再現してくれそー。とりあえず河童は出すそーです。

 気になる配役は塚本天満に小清水愛さん、播磨拳児に高橋広樹さんとこれはアニメと同じ面子。だけど舞台では役の扮装をするよーで高橋さんはちゃんとあの、播磨のよーなサングラスをかけてヒゲを生やし、オールバックにしていて、これがなかなかに立派な播磨ぶりで実写テレビ化があってもそのまま行けちゃいそー。良く似せたなあ。それとも似てるからこそ播磨ぴったりの声が出る? ほか女性陣は塚本天満に明坂聡美さん。ちょっと前に「ギャラクシー・エンジェル」のミュージカルでヴァニラをやってた人らしー。沢近愛理も「ギャラエン」ミュージカルで蘭花を演じた元ルーガちゃんの小出由華さんと継続しての起用。マーベラス=ネルケ舞台の常連と化してどんな作品にもそれなりの配役で登場するよーになるのかな。

 ほかはもはや判別不能。新人さんありミュージカルで舞台経験のある人あり。まあそれぞれにそれなりに雰囲気は出しているんで7月21日から始まる舞台での「スクラン」ぶりは期待して悪くはなさそー。会見には来てなかったけど烏丸大路役に起用されたのは女性の北浦実千枝さん。演出の宮川さんの言う河童を演じることになるのかな。これの舞台とそれから「クロマティ学園」の実写映画公開が控えて「少年マガジン」はなかなかに賑わいそー。この勢いで「チェンジングナウ」のアニメ化なんかも、進んでくれると良いな。


【6月3日】 南瓜は嫌いじゃない。チョコミントアイスは大好きだ。けどでも南瓜のそれもレンジでチンしたほかほかな奴にチョコミントアイスを盛りつけて、果たして真っ当な味になるのかって言われると、実は案外に食べられないこともないんじゃないかと経験が語る。

 名古屋いりなか「マウンテン」。甘口抹茶小倉スパ。抹茶を練り込んだスパゲティを茹でてほかほかにしてその上に、冷たい生クリームと小倉アイスをかけて食べるあれ。単なる下手物かと思いきや意外にこれが食べられる。ぜんざいお汁粉の如き暖かい甘さに舌がおいつく。問題は膨大な量くらいでこれが小さい皿に盛りつけられたデザート的な存在だったらペロリを平らげてしまいそー。

 それを思えば南瓜にチョコミントアイス。いいんじゃない。おまけに作ってくれたのははぐちゃんに山田だ。天然の可愛さを発散するコロボックル的な可愛さ。恋に身もだえる純情さとそれを踵に込めて落とす可憐さ。そんな彼女たちが横で見つめるシチュエーションなら「カボミント」が「冬瓜バニラ」だって大丈夫。だと思いたい。「ハチミツとクローバー」は先週の静かな演出が一転して楽しくてそれでほろりとくる切なさもあって楽しめます。各話異なる演出のシリーズってのもこれで見応えがあるなあ。来週も楽しみ。スガシカオやらスピッツやら続いた豪華挿入歌もそろそろタネ切れ?

 気持ち悪い。気色悪い。何がってあの「クールビズ」。夏なんで暑いんでクーラーをガンかけるのはエネルギーの無駄なんで上着を脱いでネクタイもやめようって呼びかけで、その趣旨は別に悪くはないしむしろ大歓迎、ネクタイなんて見かけにしか役に立たない不要なものはとっとと止めてしまおうって主張し行動にも移してはや数年、なんだけどいざこれがお上の通達となってすべてがいっせいにそうなってしまうと、ってゆーかそうさせられてしまうとこれほど見苦しいものはない。

 主張がない。ファッションってのは主張。こうありたいってゆー意志の表明。だけど「クールビズ」にはそれらが微塵もない。言われたからやります。けどどーすればよいのか分かりません。だからとりあえずネクタイをはずしました。上着も脱いでみました。そんな感じ。だからどこかダラしがない。飲み屋に行って上着をぬいでネクタイをはずして首筋を、おしぼりで拭いて「ふー」と一息ついた時のよーなユルんだ空気が漂っている。それがすべての役所に。国会の論戦の場に。家庭でくつろいでいるわけではないけれど、職場ではりきっているわけでもない、中途半端な格好の奴らがうろうろとする気色の悪い場所になっている。

 ネクタイをしてよい形に見えるシャツの襟ってのはネクタイがなくなるとどこかバランスが悪くなる。カッコイイ男だったらそれを強引にねじふせて逆に魅力としてしまえるんだけど、首が太くて短く頭の大きい日本人ではそれは無理。バランスの悪さがダブルに重なりみっともなさに拍車を掛ける。ビジュアルがそんなんだから国会での論戦も見かけに引っ張られて中身がたとえ真っ当でも、そこから真剣味が伝わってこない。だったらネクタイをしていた奴らの論戦から、真剣味が伝わって来たかとゆーとそれもそれで茶番っぽかったんだけど。

 ってか国会の中って上着を脱がないといけないくらいに暑いのか。ネクタイを外さなければいけないくらいに暑くなっているのか。違うだろう。28度? 衛視はネクタイをしている。廊下とんびの政治記者共もネクタイ姿だ。それできっと大丈夫なくらいの温度になってる。そこを決まったからといってノーネクタイノージャケットがうろつく。だから格好に説得力がない。ファッションに必然がない。いっそ冷房を切ったらどうだ。背中に汗を滲ませ額から汗を飛ばして論戦する。聞いてる奴らの足下には水の張られたたらいがおかれる。漂う熱さ。真剣味。中身は相変わらずないんだけど。

 夏に涼しい素材だっていくらもある。ダンディに見える夏のスーツってのは存在する。リネンの上下に開襟シャツ。メッシュのベルトにスリッポン。頭にはパナマ帽。昭和の20年代とか、30年代ってそんなサラリーマンがいっぱいいて、冷房のない社会をばりばりと働いていたよーな記憶があるんだけど、何時の頃から夏でも黒とかネイビーとかダーググレーの暑苦しいスーツにびしっとネクタイをするのが普通になってしまった。夏にどうすれば涼しいお洒落ができるのかって記憶が失われてしまった。だから慌てて「クールビズ」をやっても、上着を脱いでネクタイを外すだけになってしまう。提案してもスタンドカラーの首が苦しそうなシャツ。そんな格好、石津謙介さんが見たら小粋さのカケラもないと怒り出すぞ。亡くならずに意見、して欲しかったなあ。VAN張りの「クールビズ」、提案して惜しかったなあ。

 まあ仕方がない。「クールビズ」。趣旨だけは悪くない。なのでこっちでそれなりに見える格好ってのを考え揃えてすることにしよー。とりあえずはパナマ帽。銀座のトラヤ帽子店で評判の、鈎編みでまるめて畳める奴を1つ所望。サイズはLL60センチ。デカっ。色はオフホワイト。被るととってもダンディ(自称)。これで顔さえデカくなければ良いのになあ。後はリネンのジャケットにパンツにメッシュのサンダルあるいはスリッポンを揃え、鞄も夏にマッチするキャンバス地のショルダーでも買って、「クールビズ」とはこういうものだってのを独り主張することにしよー。独り相撲? 放っておけ。

 派手に動かなくたって、感動できるアニメーションってのはあるんだなあと「goo」で配信が始まったフラッシュアニメの「森の戦士ボノロン」を見ながら考える。巨木から伸びた根の先、地中に暮らす巨大な生き物「ボノロン」が、地上からの呼びかけに応じてあらわれ救いをもたらすって話なんだけど、父母を病気で失った少女が自らを省みないで仲間を助けようとする、健気で切ない姿とそして、その優しい言葉をつむぐ折笠富美子さんの声、物語を導く池田昌子さんの声に流れる音楽が、感動の物語とあいまって見る人の目を潤ませる。

 原作が原哲夫さんってのに意外感。だって「北斗の拳」の人ですよ。あたたたたの原さんですよ。それが「ボノロン」。感動の物語。まあ「北斗の拳」だって義に生き愛に生きる人々の真っ直ぐな姿を描いて感動を呼んだんだけど、どちらかといえば圧倒的な画力でもって描き出す、迫力のアクションに持ち味があるって思われがちだったから、そーしたアクションがのぞかれ純粋な感動のドラマだけになった時に、あらためて物語ることへの真摯なスタンスが浮かび上がって来た感じ。それにしてもレモ。可愛いなあ。健気だなあ。折笠やるなあ。池田メーテル昌子さん年相応になって来たなあ。


【6月1日】 あははははははは。と響く虚ろな笑い。小野伸二選手がバーレーン戦を前にした練習で骨折。全治は不明だけどバーレーン戦はもとより北朝鮮戦にも出られない。下手したら夏の移籍だって飛んでしまうかもしれない。あれだけ才能にあふれて、あれだけ戦う意志を持った選手がアウェーの大事な一線にいないとゆーこの現実。この恐怖。押しつぶされそうになった感情から染み出てくるのは諦めにもにた笑いだ。あははははははは。

 UAE戦に読んで試合に出てもらって中盤に馴染ませた意味がこれですっとんだ。前線に中田英寿選手を置いて後方から要として試合をコントロールしてもらう役目も果たしてもらえなくなった。代わりに誰を入れるのか。前戦が頼りないから中田選手を入れたのだから小野選手の変わりには稲本選手を入れればいい? だめだ稲本選手に小野選手のような攻守をともに担わせる訳にはいかない。突破してパスをもらいまた出して走るパス&ゴーはできても両脇にいるアレックス選手や加持選手にパスを回すとか最前線で裏を狙う大黒選手に通すなんて芸当はできやしない。

 だから中田選手を下げると今度は前戦が軽くなる。代わりに小笠原選手を入れる? それが嫌だから中田選手を前戦に上げたんじゃないのかジーコ監督。こんな時に想う。阿部勇樹選手がいればなあ。守備はジェフでもアテネ五輪代表でもこなしてる。攻撃への切り替えだって一流だ。先の柏戦でだって最前線に待つ選手に一発でパスを通して得点へとつなげた。凄かった。代わりは充分ではないけれど8分くらいなら務まる。でも阿部ちゃんはバーレーンにはいない。千葉にいる。千葉で市長選の宣伝をしてる。どうなってるんだ? 諦めるしかないのかなあドイツ。でもドイツより目先のジェフユナイテッド市原・千葉の試合、目先のL・リーグの方が楽しみになっている僕がいる。やっぱりジーコ監督。代表よりもクラブチームへの愛情を日本人に育ませるための伝道師だったのかなあ。

 しかし凄いぞ岩本輝さん。「スポーツ・ヤア」の2005年6月3日−19日号で井原正己さんと対談している中でこんなことを言っている。「こう言ったら変ですけど、トルシェが監督していた時の日本代表チームの方が強いんじゃないですか。同じシステムで戦ったら、トルシェの時の日本代表が勝つと思いますよ」。そんなことは誰だって気づいているのです。岩本選手だって気づいているんだから日本サッカー協会の人だって気づいていると思います。でも……。

 「果たして前任者の時よりレベルアップしているのか、となると、停滞しているような気がしてならない。トルシェの時は左アウトサイドに俊輔や小野を使って、それがいいか悪いかは別問題にして、チームの中にいろいろとオプションが生まれていたよね。いまは窮屈というか、結局、稲本も小野も控えということになっている」。清水秀彦さんも言ってます。だからきっと日本サッカー協会の偉い人たちはみんなそう思っているはずです。でも……。これが政治って奴なのかなあ。それとも岩本さんや清水さんや、UAE戦でブーイングしたファンたちよりも分かってない人がこの世に存在しているのかなあ2人。1人はジーコ監督本人。もう1人は……。やっぱりみんなクラブチームへの愛を育めってことなのかなあ。

 日日日と書いて”あきら”と読む新鋭の最新2作のうちの残る1作「狂乱家族日記 壱さつめ」(ファミ通文庫、640円)も読了。なんだ乙一だけじゃなくって阿智太郎もできるのか。古来に災いを巻き起こして滅せられた魔人みたいな奴が復活するのを阻止すべく、その血筋を受けていると判断された人たちがひとつ屋根に家族として暮らし始めるとゆー展開は、集まった面々の異常っぷりとそれにも負けずに愛情を育んでいくほのぼのっぷりがちょっぴり「住めば都のコスモス荘」を思い出させる。本人的には桑島由一さんの「神様家族」なのかもしれないし実際に「神様家族」のテーマの”家族愛”みたいなものへの言及もあるけど、でもやっぱり爆裂な面々の揃い踏みは「コスモス荘」に近いなあ。

 1巻きでそんな家族の1人が抱えていた過去に清算がつけられまずは善哉。この調子で性同一性障害とかライオンとかブリキとか(オズみたい)海月とかの過去にケリが付けられ残るネコ耳で尻尾の少女を見かけとしながら性格は凶悪でパワーも凄まじい凶華ちゃんについても何かドラマが語られつつ、背後で蠢く謎な存在との戦いにも決着が付けられていくことになるのかな、だとすると5巻くらいで終わりかな。ややもすれば類型化されやすい話だけど阿智太郎さんがそんな話を文体の冴え展開の妙で乗り切っているよーな活躍を、日日日さんにもとりあえず期待しよー。頑張れ。


【6月1日】 さすがは愛の語り部。あらゆる世代のあらゆる愛の形に対して貪欲なまでの探求心を持っていると見える。「週刊新潮」の2500号記念号。 「あとの祭り」とゆー連載で渡辺淳一先生が「萌え」について語ってる。老人が若者文化の有り様に勘違いも甚だしい苦言を呈したものかと思ったらさにあらず。冒頭こそ「若い男のなかで、このごろ流行るもの。『萌え萌え』という言葉と『萌えちゃん人形』」 ってあってまるで聞いたことののない「萌えちゃん人形」にこいつは駄目かもと心配したけど、ちゃんとしっかり「萌え」の語源を研究し、それがどこから生まれてどういうシチュエーションで使われてるかを誤解なく紹介していてこいつは案外やるかもと見直させる。

 そして「最近の女性は強くなりすぎて、やわな男たちには手が負えなくなった。くわえて、男たちはくどくほどの勇気がなく、そのわりにはプライドが高くて、傷つきたくない」とゆー昨今の若者の感情を的確に指摘分析。そこから二次元だとかフィギュアだとかに走ってそれらを公然と「好き」とも言えないシャイな感情が作動して「萌え」なる言葉へと還元されているんだとゆー、至極真っ当な指摘をしていて驚かされる。なるほど愛につてのこの鋭敏さが世紀を超えても渡辺淳一先生を、ナンバーワンの愛の語り部たらしめてるんだなあ。最後に「ともかくこれでは、生男が減るのと同じだから、対女性への競争率は下がるばかり。こんなチャンスが訪れるとは、どうやら小生、早く生まれすぎたようである」と渡辺先生。なあに今もって現役の貴方に世の中はよりどりみどりですよ。

 同じ号の「週刊新潮」にはNHKと読売新聞の政治記者が結婚したって記事も。読むと読売の女性記者は有名な特撮オタクでもあって結婚式には「魔法戦隊マジレンジャー」の監督だとか特撮ヒーロー物の関係者だとかがわんさと詰めかけ政治家に混じって披露宴に臨んでなかなかにハイブリッドな空気を醸し出していたとか。政治記者の結婚式に政治家が出てくる可能性ってのは考えられないこともないけれど、特撮関係者がつめかけるってのはそれだけプライベートな部分で相当な”活躍”があったってことなんだろー。ちょっと羨ましい。それにしても写っている写真のNHKの男性記者も読売の女性記者も割腹といー色艶といー実に政治記者的。この押し出しの強さ、このみなぎる自信がが百戦錬磨の政治家たちを相手に丁々発止をするなり政治家と一体化して天下国家を切り盛りする原動力になっているんだろーなー。僕には無理だ。

 本屋に行ったら日日日とかいて”あきら”と読む新人作家の新作が、出版社も違うのに同じSPツールの中に2列で並んで売られていたんで早速購入。うちファミ通文庫から刊行の「狂乱家族日記 壱さつめ」(エンターブレイン、640円)は後回しにして角川スニーカー文庫から出た方の「アンダカの怪造学1 ネームレス・フェニックス」(角川書店、552円)を読んだらどこかで読んだかもしれない記憶が蘇って来た。これを人はデ・ジャ・ヴュを言う。理由は不明。けど角川学園小説大賞の優秀賞受賞から半年を経るまで改稿を重ねただけのことはあって、よーやく登場した文庫は読みやすい上に面白く、なおかつ先へと興味を引っ張る引きもあってこれからの展開に否が応でも期待が膨らむ。

 異世界か怪物を呼び出す「怪造」に長けた人たちが集まる学園に入学を許された空井伊依とゆー少女。上位の怪物を呼び出す力を試験では見せず才能に疑問符がつけられたけれど、父親が希代の怪造学者で「魔王」なんて剣呑な存在を呼び出そうとして失敗して死んでしまったものの魂だけは髑髏に定着させて現世に残り伊依の所に居座った、そんな才能を受け継いでいるのか知識だけは叩き込まれたのか、下級の怪物を使うのに手慣れている上に怪物たちの知識も豊富で、教師となった男にまでその”極意”を教えてしまう。それがとんでもない事件へと発展してしまうことも知らず。

 そんでもって訪れた世界のピンチに伊依は持てる力を発揮し、怪物たちに好かれている立場も使って立ち向かう。そこから立ち現れた将来に起こるかもしれない世界の終末に果たして伊依はどう挑むのか。それに彼女のクラスメートとか、領が同室ながらも普段は布団の下に潜って出てこない少女とか、見かけは少年ながらも中身は相当な高齢者らしー存在とその手下の少女とかがどう絡んでいくのか。伊依が見せる怪物たちへの愛しみの心根にほだされつつも、怒りが我を忘れさせてしまうような伊依の性格の危なっかしさへの懸念も浮かんで、それがどう錯綜しつつ進んでいくのか、今から興味がつきない。

 読んで確かな面白さは応募時よりもおそらくは相当にレベルアップ。学園超能力バトル物ってフォーマットに近いだけあって「ちーちゃんは悠久の向こう」よりも読みやすいんで、ホラーが苦手で「私の優しくない先輩」みたいな切ない話もちょっとって人はこれから読むと日日日の作風の感じが掴めて良いかも。ってこれで「狂乱家族日記」を読んだらスラップスティックコメディだったらいったいどれだけポケットを持っているんだと驚くかも。しかしまだ18歳とか19歳でこれだけのお話が書けてしまうとは末恐ろしいなあ。10年後にいったいどんな作家になっているのかなあ。億万長者になってたら門前まで行って托鉢しよー。


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