縮刷版2005年3月下旬号


  【3月31日】 勝ちゃあ良いんだよこの戦いはとりあえず。それから1年先のことは考えれば良いんだよって気にもなってきている「ワールドカップ独大会」のアジア最終予選「日本代表vsバーレーン代表戦」を、寒風吹きすさぶ「国立霞ヶ丘競技場」で見物してカールスモーキー石井さんの歌が終わった途端に帰る婦女子の多さを目の当たりにして、それから秘密兵器の裏10番が見事なシュートを決めて表10番の中村俊輔選手がいくら蹴っても入らなかったのをカバーうする様を確認。帰宅して「機動戦士ガンダム」の「マ・クベ包囲網を破れ」でプラスチックの時計の登場にこーゆー小道具が”リアル”感の増強に役立っていたんだなあと思い出して眠って起きて「東京国際アニメフェア2005」へと向かう。

うんうんと素直な白と黒  開会式では「プリキュア」の黒いのと白いのが係員の説明にいちいちうなずくポーズにちょっとときめく。仕草があると着ぐるみ(中の人などいない)でも何とはなしに人間に(中の人などいないのだ)に見えるから人間の目って案外に好い加減かも。別方向からは「強殖装甲ガイバー」も登場。いよいよアニメ化がスタートするとか。1985年に徳間書店から「少年キャプテン」とゆーコミック誌が創刊されて読んでそこに掲載されているのを見て以来だからかれこれ20年、決してメジャーとはいえないにも関わらずアメリカなんかで人気になったりして命脈を保っていたけれど、20年目をむかえていよいよ本格的に展開することになったみたい。最初の頃しか読んでないんで一体話しがどーなっているか分からないけどこれを機会に読んでみよーかな。でも別にいいか。萌えないし(燃えるけど)。

 そういえば今回はやなせたかし先生の姿が開会式に見られず残念。特設コーナーまで出来て売るからてっきり来臨しては今までどーりに「あんパンマン」の乗り物に乗ったりキャラクターを手に取ったりして遊んでくれると思ったのに。単に時間の都合かな。隣りではアニメ黎明期から活躍して来た人たちの作品やら縁の品々やらを展示するコーナーもあって吉田竜夫さんの描いた「キャシャーン」のイラストに感激。30年近い昔にこーゆーセンスのデザインを出来た吉田さんってやっぱり偉大なクリエーターだったんだなあ。あのバタくささ(死語)を出せる人って今誰がいるんだろー。結城信輝さん? 金田榮路さん? うーんやっぱり吉田竜夫は吉田竜夫か。天野嘉孝さんも今あんまり描いてないしなあ。

 ぶらぶらと見物してたらコナミのブースに展示してあった「スペクター」のバイクなんかを見物している堺三保さんを発見。早朝から元気そうでなにより。午後に入ってもう一度再開して結構精力的にあちらこちらを見て回っている模様。面白い作品はあったのかな。あと今回は妙に外国人の姿も目に付く。最初の頃からアニメフェアと言いつつも海外からの来場者が少なく国際的な見本市とゆーは実質が伴っていない雰囲気がありありだったけど、そんな非難に真摯に取り組み海外向けのPRも積極的に行った結果か、あちらのブースこちらの通路で商談をしたり作品に見入る外国人バイヤーを大勢みかけた。実際の商談が行える体制にあったかまでは分からないけど、テーブルでしきりに話し込んでいる姿が見られたってことはそこでちゃんとしたビジネスが行われていると言えそー。東京都もなかなか頑張ってます。多分。

 期待の「ぺとぺとさん」はジェンコとかメディアファクトリーのブースにポスターだけが展示。動いている感じは不明だけどメディアファクトリーなんかでは看板も掲げられててそれなりな意気込みが感じられる。「ファミ通文庫」の作品がメディアファクトリーから、って妙な感じもするけどなあ。プロダクションI.G.あたりのブースでは例の「BLOOD」が新しくテレビだか何かのシリーズになるみたいなことが発表されてて期待。「攻殻機動隊」がテレビでは映画とはまるで違ったものになって、それがとっても凄いものになった例に倣って圧巻のバトルヒロインを見せてくれると期待しよー。監督は誰なんだろ? 北久保弘之さんってことはさすがにないよなあ。シリーズなんてできる体力、あったかなあ。

 午後に入ってフジテレビジョンの発表を特設ステージで見物。あの羽海野チカさんの傑作コミック「ハチミツとクローバー」が満を持してアニメ化されるみたいで会見にはチノパンこと千野志麻アナウンサーがチノパンならぬ白スラックスで現れなかなかな脚線美をまず披露。ヒップに下着のラインが透けてなかったってことはつまりはいてない? いえいえラインの出ない下着はいくらでもありますから。だいたい白いスラックスで吐いてなければ後ろはすけなくても前が透けてしまうし。何が? いやだからもじゃもじゃが。

 それはそれとしてアニメの方はちょろっと流れた映像を見る限りはなかなかにほんわかとした原作のテイストを受け継いでいる模様で大きく期待。「アニメーション」のアルファベットをひっくり返して「ノイタミナ」ってカテゴリーを作ってそこで放映するアニメってことで「アニメの常識をくつがえす」って製作者側の意気込みもそのままに、いわゆる美少女アニメとかロボットアニメといったもののファンとは違う、原作マンガのファンからトレンディーな青春ドラマのファンまでを惹き付けブームを起こしそー。放映もフジテレビにありがちな深夜2時40分とかからじゃなくって24時35分と起きていられる時間帯なんで見る人も多そー。僕? もちろん見ます「はぐ」の声を当てる工藤晴香さん16歳の演技がどんどん良くなっていく様を確かめたいし。

 これからのクリエーターが出展している「クリエーターズワールド」では「ニート」って作品が妙。ヘロヘロなキャラクターと実写を重ねた映像でもってニートな青年のみっともない姿から働く大切さを学べる、ってストーリーだったっけ。ともかくタイムリー。コンパニオン系ではフジテレビジョンの入り口で何かを配っていた、こっちは「ノイタミナ」の10月からの枠で放映が始まる矢沢あいさん「パラダイスキッス」の扮装をしたお姉さんの1人がとてつもなく長身で見上げて見下げられて臆する。東映アニメーションのコーナーにいたボーボボよりも高かったかも。ただのコンパニオンなんだろーかそれとも他に何かをしている人なんだろーか。

 角川が海外向けに雑誌なんかを展開する時に使っているADVって会社には今さらとは言え今だからこそでもある「新世紀エヴァンゲリオン」のアスカ&綾波に「キューティーハニー」加えたトリオが良い感じ。似てる似てないってレベルとは無関係ないかにも風を吹かしてた。あとはうーん、驚くよーなコスプレはいなかったけどビジネスデーでは邪魔だからと来てないだけかもしれないんで、一般客にアピールする必要のある3日目と4日目の公開日にも言って確認して来よー。個人的にはジェネオンで何かを配っていたコンパニオンの人のホットパンツのピチピチ具合が目にラッキーでした。去年の「エンタマ」と一緒だけど何度見ても良い物は良いのだ。

 立てよ国民、とギレン・ザビが存命だったら演説してその発売を断固阻止すべしとアジっただろーかそれとも自身がその気で有り難いと言って積極的に使っただろーか。その名も「ジオン」ってゆー薬があってそれが2005年の3月23日から発売になったそーで痛みにあがきながらも切れず痛みを抱えて生きていかなければならなかった痔の持ち主たちに福音をもたらしてくれるとのこと。注射すると痔核が無菌性の炎症を起こして退縮していくって仕組みらしー。それがどれだけ素晴らしいことなのか、痔主でない僕にはわからないけど何しろ人類を重力から解き放ち、宇宙に国家をうち立てた偉大な男の名前をとった薬だけにきっととてつもなく効くんだろー。これがあればギレンもあんなにイライラしなくて済んだかも。アルテイシアも使っているのかな。


【3月30日】 ヒゲだヒゲが生えてるけれどそれが妙に格好良くって表情も優しげになっているなあアーカード。「ヤングキングアワーズ」の2005年5月号は帰ってきたアーカードがなぜか青年ではなくおっさんに。拘束制御を全開放してその長い生涯で食って取り込んで来た命を全部出撃させてしまって、若さが抜けて本体がむき出しになってしまったからなのか。理不尽に居丈高で高慢だからこそのアーカードって感じもしないでもないけれど、恐れず明るく笑うセラスの顔を見るとこっちの方が今後の展開にポップな感じが出て良いかも。たんにセラスがおっさん好きヒゲ好きだっただけ? ともあれ始まったアンデルセン神父とのバトルと大隊指揮官の突入の果てに訪れる世界の変わり様に興味。執事どこ行った?

 んで「ジオブリーダーズ」はパソコンに向かってこっちにジーンズの尻を付きだしている姫萩夕ちゃんがせくしい。その不思議さを化け猫に教わった田波が高見ちゃんと図って社長を除け者にしているけれどそれに気付いているのか気付いていないのか分からず「おりょ〜〜〜?」と悩む社長が不気味。本性を現すか? でもってパソコンから古い化け猫が解答されて出現。こいつはいったい何者で、居合わせた栄子ちゃんと夕と梅崎真紀がどうなってしまうのか? 佳境へと突入する中で仲良しクラブだった神楽に起こるシリアスな展開からもう目が離せない。でもこの進み具合だと最終回までやっぱりあと3年はかかるんだろーなー。

 御堂さんは真寅にいったい何をしたのか? 「朝霧の巫女」は学校に通い始めた熊沢菊理ちゃんを拐かしに来た少年隊の班長・真寅を捕まえては耳を引っ張り奥座敷へと惹き吊り込む。でもって出てきた真寅は上半身を裸にされて泣きじゃくり、御堂さんは口をハンカチでぬぐうとゆー、その風体から想像できるのはとってもチュパチュパでピクピクとした大人への階段を上る儀式、なんだけど本当にそーなのかは不明。けどそれなりに筋金入りな真寅にすべてを吐かせるくらいの怖ろしくも素晴らしい体験だったに違いない。ああ羨ましい。「ラブ・バズ」はリングに上がったかおるの坊主頭にフリフリな衣装のミスマッチぶりが爆笑。「エクセルサーガ」はエクセルに何が起こったのか? 1カ月後が待ち遠しい。

 「このライトノベル作家がすごい!」をペラペラ。インタビュー集とはシンプルでなかなか。桜庭一樹さんが登場していて写真も掲載されててなるほどこんな人だったのかと始めて知る。ごーぢゃすなパンツに先のとがったミュールもキラキラで、こんなおみ足からいったいどんな蹴りが繰り出されるのかを見てみたいので「SFセミナー」は昼の部からちゃんと行こう。髪型は「花のあすか組」にあこがれてそうしてるっていうけどだったら是非にロングなスカートのセーラー服も着用して頂きたいところ。でもってずばっと蹴り上げると見えそうで見えないごーじゃすな体験が出来るのだが。「セミナー」では是非(やりません)。

 橋本紡さんは「毛布お化けと金曜日の階段」があんまり売れなかったとゆーのが意外。これで橋本さんのSFとか萌えといったライトノベルによくある設定に頼らない、物語でもってリリカルでシリアスな世界を描いて読者を引きずり込む才能が爆発したって思ってて、それが当たったから「半分の月がのぼる空」へと続いていったんだと思ってた。そうか売れなかったのか。でもって「半分の月がのぼる空」も出せるかどうか分からなかったのか。インタビュー後の各著作へのコメントで「再刊したい」ってあるってことはもしかして今絶版状態? うーんそういうものなのかなあ。けど単行本で続編らしい「猫泥棒と木曜日のキッチン」が8月に出るらしーんでそっちからライトノベルに限らない層へと広がり1巻目も同じ体裁で再刊されることを期待しよー。

 「創聖のアクエリオン」の突き抜けたバカっぷりにも期待大だし「極上生徒会」のほんわかと肩の力が抜けた阿呆な展開も面白そーだし「エウレカセブン」の映像音楽声優メカのどれをとっても超一流な感じに1年を楽しませてもらえそーな予感もあるけど、そんな数ある期待の新作アニメにあってまたしてもトップクラスに入りそーな作品が登場。その名も「おねがいマイメロディ」はサンリオにあって「ハローキティ」と並ぶ人気と知名度を持つキャラクターの「マイメロディ」が登場するアニメなんだけど、「キティ」の絵本チックなアニメとは違って本格的なテレビシリーズ。サンリオのベーシックキャラクターがそーゆーアニメになるのは始めてのことだとかで、アニメ化がもたらすアニメが終わった途端にキャラの寿命が終わるかもって懸念を払拭するほどに、定着したキャラクターに「マイメロディ」がなったんだってことが伺える。

 とにかく王道。お花畑の広がる平和な国で遊んでいたマイメロディ。そこに駆け寄ってきたのが悪いことをして閉じこめられていた牢屋を抜け出してきたクロミちゃんと愛馬ならぬ愛バクで、マイメロディを踏み台にして空に浮かぶラッパをくぐって人間の世界へと逃亡してしまう。凄いのはそこでクロミちゃんを逃がす手助けをしたんだろうってマイメロディがお城の衛兵に取り囲まれて処罰され、人間の国に追放されてしまうって展開で、別になんにもしていないのに無理矢理にも理不尽な扱いを受けてしまうその様に、これは単なる子供向けの甘い話ではなく毒もまぶされた話かもって興味が湧く。

 そんな期待にちゃんと応えてくれた本作。しっかりと大ボケをかましたあとにクロミちゃんを追って人間の中学生の女の所にやって来たマイメロディを見て主人公の女の子は自分を不幸にしたクロミちゃんと間違えて邪険に扱う酷い仕打ち。虐められて泣くマイメロディのその可愛いことといったら佐久間レイさんのキャラクター声とも相まって見る人を子供だけじゃなく大人の女性も含めていっぺんにファンにする。

 どこまでも平面なマイメロディのキャラクターとごくごく普通の人間の女の子たち男の立ちのキャラクターが同じ世界で同居している不思議なんだけどマッチしている画面も見所。魔法少女物として楽しめてキャラクター物としても面白い、そんな作品として注目を集めそー。声は主人公の歌が片岡あづささんって人で現役の高校2年生なんだけどなかなか達者。その姉の奏は加藤夏希さんで本人ともどもゴージャス。凄いのは妹の琴ちゃんで本人は「仮面ライダー555」で園田真理ってのを演ってた八武崎碧ちゃんでこちらはどもども愛くるしい。演技も達者だし将来の大ブレイクは確実。要チェックだ。


【3月29日】 録画して朝見るまとても我慢できないと、通常より30分押しとなって午前1時半からスタートした「ファンタジックチルドレン」の最終話をテレビの前に正座して鑑賞。いつものオープニングがなくどこかの岸辺へと流れ着いたトーマが目覚める場面から始まった物語は、コールタールのように重くうち寄せる波の際に倒れたヘルガを助け起こしたトーマが前世の姿を取り戻して赦しを乞い、そしてそのままゾーンの彼方へと歩み去ろうとしたところをヘルガに呼び止められ、ティナに願われて生き続ける勇気を取り戻し、共に現世へと藻度って行って一応の大団円を迎える。

 ベフォールの子供たちは22回目の生を全うする道を選びデュマは贖罪の中に自らを封印し、そしてトーマとヘルガはチットを伴い島へと戻る。10年後。大人となったティナのもとを訪れる人あり。それは……といった展開は見ようによっては残酷で唐突で、登場人物に感情を移入していた人たちの気持ちをそらして悩ませる。けれども王女故の運命に翻弄されたティナが何百年も1人の男を想い続けた果てに再び彼と巡り会うストーリーを、脇でその運命の流転に荷担した者たちが支え引っ張り励まし導いたのだと見て見られなくもない。

 ヘルガを助け罪を償ったトーマは癒され自らの道を歩き出す。科学を過信した挙げ句に暴走させ、自らを彼方の星での果てない探求へと追いやったフォールの子供たちも、さまよえるオランダ人のような宙ぶらりんの生から逃れ、閻魔の手からも逃れて自分自身を生きることを許される。そしてティナは望みを成就させる。まさしく大団円。これ以外の終わり方などないと言って良い。

 可能ならば惑星ギリシアに1人残された王の寂しく佇み朽ちていく姿、地球に根付いたベフォールの子供たちの地球人として生を謳歌する姿、トーマのそれからを少しでも良いから見たいけど、それは心の中で補完し想像することで埋め合わせよう。あるいはDVDで追加収録されないかな。あれば最高。ともあれ半年の素晴らしい時間をありがとうと、なかむらたかし監督には言ってその偉業を讃えよう。「パルムの樹」のショックもこれですっかり抜けました。

 続いてはじまったネコミミモードなアニメの最終回がこれまた神演出神作画。1度くらいしか見たことがなくってキャラクターの関係性もまるで分からなかったけど、喜劇なんかで使われる中身が丸見えのアパートみたいな部屋の中で繰り広げられるコントめいたやりとりの調子の良さと、タイミング良く振ってくるタライの可笑しさに知らず引き込まれて見てしまう。ほろりとさせられる演出もありお約束的なギャグもあったその最後に、耳慣れた「ネコミミモードでーす」って唄も入って気分は最高。この話だけを見るためにDVDを買ってもいいかもと思いつつネットでの反応を見ていたら、再びインドネシアで巨大な地震があったと伝えられていて飛び起きテレビを着けてニュースを見る。

 真夜中だけあって現地の映像がリアルタイムに入ってくることはなく1時間ごとに入るニュースで流されるネット経由か何かの映像の、揺れる電灯の絵に地震の大きさを知り再び津波が起こらないかと心配になっていたその時。説明のために現れた国際部の野田順子記者ってゆーどこかで聞いたことのある名前の人の起き抜けのよーなすっぴんの顔で体のでこぼこもうっすらと現れるカットソーを着用して、梳かれてもいない髪型をして話す眼鏡っ娘(という歳でもないけど)に目が釘付けとなってHDDレコーダーに録画してしまう。

 すぐに消えてしまったのでさらに1時間後に登場するのを待って再び録画。見返してその楚々とした姿にNHKは国民の財産だって意を強くする。1番地にお住まいのもう1にの眼鏡っ娘が嫁がれる今、国家的な財産として野田順子記者を保護することをWWF世界自然保護基金に提案したい。しかし度重なる天災はいったい何が原因か。過去には1番地に住まう眼鏡の君の動勢にリンクしているとの説も出たけれど今朝は何もなかったし。もしかしてそれとも何かあったんだろーか。それともありそーだっただけだからこの程度で済んだんだろーか。うーむ。悩ましい。

 行くアニメあれば来るアニメあり。ってことで今が旬な「六本木ヒルズ」へと出向いてコナミが4月から放映を始める「極上生徒会」の試写と記者発表を見物する。マンガやゲームの原作がなく事前の情報もなくっていったいどんなアニメになるのか興味も津々で、ただ岩崎良明さんって「地球防衛隊まおちゃん」とか「ラブひな」なんかを手がけた人が監督をするってことでほんわかしつつもちょっぴり毒って感じの作品になるのかなあ、って思ってみたらやっぱりそんな感じだった。ってゆーかぶっちゃけ傑作。その名の通りに極上。もしかしたらこの春スタートの新作でも屈指の話題作になるかもしれない。ならないかもしれない。どっちやねん。

 両親を失い転校した先の学校に行こうとして道に迷う転校生の少女・蘭堂りのとその相棒、ってゆーか手にはめたマペットなんだけど人格的には別らしー「プッチャン」はどうにかこうにか学校へとたどり着き、そこであれこれあって学園を仕切る「極上生徒会」の面々と絡みそのまま生徒会へと迎え入れられる。そこにはそれぞれに特徴を持った多士済々のメンバーがいて美貌の生徒会長がいて、そんな彼女たちが学園に起こる事件を解決していくってライトノベルやマンガに割に良くある設定で、キャラクターも萌え系美形とはちょっぴりはなれた絵柄でちょっぴりヤバい感も見る前には漂っていたけど、始まってみたらこれがどうして、テンポはやかましくもなくかといってのろくもなく良い塩梅。ギャグもいい具合に肩の力が抜けていて見ていてフッと微笑みが浮かぶ。

 「まおちゃん」はどちらかといえば設定の突拍子もなさが醸し出す可笑しさがあったし「あずまんが大王」は原作の持っていたパワーがアニメも引っ張った感があってそれぞれに面白かったたけど、「極上生徒会」は「まおちゃん」ほどには飛ばず「あずまんが大王」ほどにも抜けないながらもそれぞれのエッセンスをちょっとずつ入れて、じんわりと楽しめる作品に仕上がっている。眼鏡を外すと「33」になってる美少女とか、出てもそんなに寒くないのはそれが許される世界観を演出と物語の中で作ってしまったからかそれとも眼鏡っ娘なら何でも赦せてしまう寛容な心の持ち主だからか。反応を待ちたいところ。

 主役の声は田村ゆかりさんで凄いのは中学生の蘭堂りのと手にはめた「プッチャン」の両方を別録りではなくいっしょにやっているって点。女の子おんなのこしたキャラとマスダジゴロウチックに喋る「プッチャン」は震わせる声帯も口調もまるで違うんだけど、腹話術のように1人て2声を掛け合いさせてまるで違った感じに聞こえるから驚く。その美貌とスタイルでアイドル声優の筆頭めいて見られる田村ゆかりさんだけど実は実力派だったのです。他は生天目仁美さん(あんまり知らない)とか沢城みゆきさんとか川澄綾子さんとか川上とも子さんとか松岡由貴さんとか豪華な布陣。野田順子さんも出ているけれどNHKの仕事は大丈夫(違うって)。ともあれ期待の1作とここに断じて黒田洋介さんの技の冴えを最後まで見届けよう。


【3月28日】 よーやくやっと届いた「SFマガジン」の2005年5月号に「マルドゥック・スクランブル」の映像化プロジェクトが動き始めたって記事。制作を手がけるのが「青の6号」のGONZOってことで映像クオリティへの期待もふくらむけれど映像は凄くてもそれと比例して制作期間がやたらと長くなっている印象の強い「戦闘妖精雪風」の例に倣うと3巻きあって内容も豊富な「マルドゥック・スクランブル」の映像化が完結するのはそれこそ本当に次の「ワールドカップ」が終わり次の五輪が終わった後になって不思議はなさそー。

 否、それどころかさらに次の「ワールドカップ」が終わっても完結していない可能性すらあってその進みの遅さに業をにやした販売元がファンを満足させるために「おしえてウフコックちゃん」とかいった美少女鼠の大冒険ストーリーなんてものを作らせたりするんだ。それはそれで良いけれど。脚本は原作の冲方丁さん自身が手がけるとかでクオリティ方面では安心が出来そーだけどその分小説を読みたい読者はまたされ業を煮やした出版社によって冲方丁さんのプロダクションの新鋭に「ギャンブル天使バロットちゃん」なんていかさまをするディーラーの脳天をルーレットでぶっつぶして歩く美少女のぴぴるぴるぴるな物語を書かせたりするんだ。それもそれで良いかも。

 「SFセミナー2005」の案内も届いていたんで見たけど4本ある企画のうちの3本しか決まってなくって残る1本の情報が不明。残り1カ月ちょいの段階でこんなに毎年決まってなかったっけ? って疑問はともかく今回は「鈴木いづみRETURNS」って企画があるんで昼間にのぞくことだけは確定する。出演が高橋源一郎さんってのがちょと豪華。出来れば文遊社で鈴木いづみさん関連の編集をした西村珠美さん(第2期も担当していたのかは知らない)とかいづみさんの遺児の鈴木あづささんの言葉なんかも聞いてみたい期もしたけれど、「SFセミナー」って場だとやっぱり高橋さんに森奈津子さんあたりが適役ってことになるんだろー。

 あるいはいづみさんを起用した当時の「SFマガジン」編集長にどうして起用したのって訪ねてみたい気もするけれど、芸能界をぐるぐるまわってハプニングを起こしまくってた彼女にSFを書いてもらった編集長っていったい誰だったんだろー? 1975年11月号の「魔女見習い」が初登場なら倉橋卓さんで続く早川浩さん(今は社長か)なりその次の今岡清さんあたりが事情を知っているのかな。作品はともかく私生活では無頼を行く高橋源一郎さんが無頼を貫き通した鈴木さんをどう語るのかにとりあえず注目。

 「異色作家を語る」は作品への造詣がないと難しそうだけど勉強にはなるから聞くかロビーで寝るかは何を取り上げるかで決定。桜庭一樹さん出場の「正しいライトノベルの作り方?」は無頼派ならぬ武闘派の凄みって奴が舞台で披露されそーでこれも期待。一本背老いをみっともない体型のSF野郎へと見舞い、マルペ割り(積み上げた「ペリーローダン」を割る)にグイン裂き(「グインサーガ」の99巻までを連続して引き裂いていく)を見せてはこれから自分の時代が来るって高らかに宣言したら後々にまで伝わる評判となるんだけど、本がもったいないからそれはパスして想像される美貌で笑いかけてくれるだけで十分と言っておく。ともあれ期待。

 シロイシロイシタガシロイ。会話と擬音で改行ばっかりしてページの下半分が真っ白ってゆー小説の過去になかった訳じゃないけれど、21世紀の今になってどちらかといえば最近はページをぎっちり埋める傾向にあった富士見ファンタジア文庫から下の白い本が出るとはちょっと意外。市川丈夫さんの「TATTOO BLADE」(富士見ファンタジア文庫、620円)は、すべての文章を1行の内に収めて改行していくってゆー荒技が使われていて、そのせいで下に帯のように白い空間が出来ている。こーゆー風にしなければ描けない世界観なのかそれとも趣味なのか。趣味なんだローなー。お話はとりたてて普通だし。

 一子相伝とかゆー格闘技を受け継いだ少年が幼なじみの美少女を守って闘うって物語。敵が最初はナチスの残党か何かに見てたと思ったらクトゥルー的に発展して人類対魔物の壮絶バトルが繰り広げられ、その狭間でどっちつかずな幼なじみのヒロインが揺れ動く。怪物に感情があって仲間意識があって守り助け合うって描写に「鋼の錬金術師」のホムンクルスを思い出す。続くよーだけどラスボスを倒すまで主人公の力がパワーアップしていくのか。しないとおかしいけどしてもおかしい気もするし。ともあれどこまで1行改行の荒技を貫けるかに注目。


【3月27日】 コッホ展に行ってシャーレに繁殖した結核菌を見物する。違うゴッホ展だゴッホ今泉さんがデザインしたレディースブリーフを履いたモデルが登場するショーを……止めた真面目に書こう「東京国立近代美術館」へと「ゴッホ展」を見物に行く。世界の芸術アイドルだけあってきっと混雑するだろーと早めの午前10時半に到着したのにすでにギャラリー内は押せや押せやの混雑ぶり。絵に張り付いてゴッホの独特のタッチがどんな感じに塗り重ねられているのかを見物することも適わなず行列をただ流されていくだけとゆー、日本の展覧会にありがちな光景が繰り広げられてた。

 それでも前に「国立西洋美術館」で見たモネだかルノワールの時ほどには大渋滞にはなってなくって奥に行くほど人もやや減り作品によっては前に人だかりのまるで出来ていないものもあって張り付き100年以上も昔に描かれたにも関わらず、未だ生々しい色を放つ作品に、ゴッホには世界がどんな色をしているよーに見えたのかって考えをめぐらせる。実は描いたまんまに見えていたりして。太陽は黄色く糸杉はねじれ空には巨大な星が瞬くって感じに。

 いわゆる「ひまわり」とか「オーベールの教会」とか「アルルの跳ね橋」とか「耳のない自画像」とか「ガシェ博士」といったメジャーな作品はないけれどゴッホはやっぱりゴッホで「糸杉」(といっても超有名な奴とは別)とか「種をまく人」(たくさんあるうちの1枚か?)とかはもちろんどの絵もちゃんと、例の筆の線をまんま残して多彩な色を塗り重ねて浮かび上がらせた風景やら人物が描かれたゴッホらしさが出ていてその才気を存分に堪能できるからご安心。混雑だけが大敵なんで平日の午前中とかこっそりと、行って見るのが良いかも。

 特設のミュージアムショップではゴッホの絵を陶板に焼いたロイヤルコペンハーゲンの作品が39万8000円とかで出ていてちょっぴり欲しさも出たけど流石に値段が値段なんで眺めるだけに留める。あと触るだけ。陶板なんで触ってもびくともしないんだよね。これも100年くらいあったら価値出るのかなあ。100年後じゃあ個人的には意味ないけど、子孫に美田を残す意味でも買ってしまっておくかなあ。でもって遺品として発見されて「なにこのタイル?」って呆れられると。かくして風呂場に飾られるゴッホ。それも1つの運命か。

 美術館ではほかに横山操さんと中村正義さんの作品を集めたミニ展覧会もやってこちらもなかなかの迫力。横山さんは焼けた五重塔を描いた「塔」とか「ウォール街」といった西洋も東洋も関係無しに選んだ題材を洋画風のタッチで抽象化して描いた作品が日本画っぽくなくって目に斬新。村上隆さんとか安倍吉俊さんとかが芸大の日本画出身ながらも日本画に留まらない活躍を見せて注目されているけどそーした活動よりはるかに以前に日本画で、画材をそのまま使いつつも表現でチャレンジしよーとしたんだってことが伺える。それが成功しているのかどーかは素養がないんで分からないけど。

 中村正義さんは豊橋市出身ってことでちょっと親近感。作品は日本画のとりわけ絵巻めいたもが中心だったけど説明書きを読むといずれも小林正樹監督の映画「怪談」に使われた「源平海戦絵巻」ってことで活動の場を画壇ではないところに求めたあたりに横山さんとも共通する、日本画におけるチャレンジャー的な立ち位置にいたんだってことが伺える。転じされてない他の中村さんの作品はなるほど色彩も鮮やかだし、素材でも顔料以外のものが使われているとか。いつかまとめて見たいものだけど日本画の展覧会って滅多にやらないからなあ。川崎市にある「中村正義美術館」に行ってみるか、そのうちに。

 神保町へと歩いて書泉ブックマートで新刊あんど物色。帯の「彼女はなぜ人間ではないのか。異形なのは彼らかそれとも私たちか」って言葉にSFっぽい匂いを感じてアルベール・サンチェス・ピニョルってカタルーニャ地方出身の人類学者が始めて書いた長編小説「冷たい肌」(田澤耕訳、中央公論新社、2200円)を買って読んだらSFだった。まあ僕の場合はSFの定義が宇宙くらいに広いんで人によってまるでSFって思わないかもしれないけれど。

 アイルランドってカタルーニャにも似て難儀な地域で育った主人公の青年が絶望の果てに志願して絶海の孤島へと気象観測官として上陸すると観測小屋には誰もおらず燈台に男が1人こもっていただけ。彼に観測官の行方を尋ねても答えず分からない。おそらくは灯台守の彼を残して観測官は海に消えたか逃げ出したかしたのだろうと納得して、主人公はバティス・カフォーと名乗った男を横目に島で暮らす準備を始めた夜。何か得体の知れないものが彼の小屋へと襲い掛かってきた。

 海賊? 違うそんな存在ではない。そもそも人間かどうかが怪しいそれは、毎夜のように押し寄せてきては、主人公とカフォーを襲い命を奪おうとする。初対面ではコミュニケーションがとれなかったカフォーと主人公は程なく共同戦線を貼ることになって、銃を放って押し寄せる得体の知れない何かを撃退する日々を繰り返すが、そんな最中に主人公は燈台には別にもう1体、生きている存在がいることに気付く。それが帯にある「彼女」。そして主人公と彼女との交流が始まり、押し寄せて来る得体の知れない存在との戦いの背後にある人間のいたずらな恐怖心と邪な好奇心がもたらす悲劇を浮かび上がらせる。

 異質な存在の中へと飛び込み相手を理解し攻めてくるかつての仲間に懐疑を抱くってながれはそれこそネイティウ・アメリカンの中に飛び込んだ白人を描いた映画「ダンス・ウイズ・ウルブス」とか、新しいところでは日本人って蛮族の群れに入り込みいつしか自らが侍となった「ラスト・サムライ」なんかがあって珍しい主題ではないけれど、限定された空間で限られた登場人物たちが極限状態へと追い込まれる中で繰り広げる、さまざまな感情のやりとりは構図がシンプルな分明確になっていて、異質な存在への無知から生まれる恐怖心の愚かさ、異質な存在を理解しようと務める向上心の素晴らしさをストレートに伝えてくれる。

 攻守を変えて再び新たなタームが始まったラストシーンは巻頭へとループするのかそれとも次なるフェーズへと導くのか。それを想像させることで前向きならインターナショナルに世界を変えようとする強い意志、ループなら現状を超えて踏み出す勇気の乏しさがそこに働いているって言えそう。自分だったら前者を支持したいところだけど、いざそんな存在にでくわして攻められて果たして冷静でいられるのかどうなのかがはっきりしないからなあ。ラストシーンの先に来るシチュエーションなんかも想像しどちらが正解なのか、より正解に近いのかをもう1度読み返して考えてみよー。

 知らないうちにMF文庫Jの看板作家になりかけていたりするのかどーなのか、知らないけれども存在感だけはたっぷりな平坂読さんの新刊「ホーンテッド3」(MF文庫J、580円)を読んで久遠悠紀くんの寝姿に煩悩を刺激されて見えない鼻血を出す。家ではそうかそんな格好なのか。でもって噂の久遠くおんちゃんのパンツをはいていない着物姿に想像の着物の下を浮かべてほくそ笑む。はやりMF文庫Jからリリースの山口ノボルさん「ゼロの使い魔4」でもルイズがパンツをはかない姿でこちらは着物ではなくシャツ1枚って感じの姿で才人に迫る描写があって、何やらライトノベル界はパンツを美少女キャラに履かせないのがブームになっている様子。余勢を駆って是非に他の美少女キャラクターでもパンツを履いてない様を描いて鮮烈に加わって欲しいところ。差詰めそーだな、パンツを履いてないキノとかパンツをはいてないデュラハンとかパンツをはいてないこぬちちゃんとかってのを出して競わせて欲しいもの。でもやっぱり一ノ瀬弓子クリスティーナにはかなわないんだけど。


【3月26日】 半分眠りかけながら音声だけ聞いていて追いついたって声に見たら福西選手が鮮やかなボレーを叩き込んでいてこれで勝ち点1は確保したって安心したらサイドをえぐられ中央を突破されて鮮やか過ぎるヘディングで勝ち越されて万事休す。ドリブルをさせればボールが足に吸い付いているよーなマハダビキア選手とか、テクニックでも圧倒された感じで個の力では上回るとかどうこう日本のことを言ってた人はその言葉の虚ろさを、遠くテヘランの空を思いながら唇ごと深く噛みしめていることだろー。これで組織だけでも真っ当だったらあんな点の取られ方はしなかったんだがなあ。それも失われて久しいなあ。

 なんてゆーか日本人選手ってあんなにトラップ下手だったっけ? 飛んできたボールを足下に収めようとして収まらずこぼれたところをかっさらわれて反撃される場面続出。サイドからクサビへと打ち込まれたボールをクサビの選手がパチンコの点釘みたく打ち込んだ選手へと戻すプレーとかあっていったい何がしたいのか分からない。そこでキープして走り込んできた選手に出すなり戻すならクサビとなった選手が前にさらに行くなり左右に動くなりして道を明けるなりするのかと思ったらそうでもない。戻った選手が後ろに戻して攻め直し。テンポは上がらず守りを固められて攻めあぐねる繰り返しにこれはアウェーだからとかって関係なし、日本でやっても勝てないなんじゃないかって思えて来る。

 完全ホームでやっとこ苦労の上に勝った北朝鮮を相手に怒濤の攻めで2点を奪ったバーレーンが、その勢いを保ったままで日本に乗り込み戦う30日の戦いは果たしてどうなることか。どうにもなりそうもないけど復帰するアレックスが3バックの中盤の左に入りトリッキーな動きで攪乱してくれれば良いけれど、何故か突然採用された4バックの左サイドに入って上がりっ放しになって抉られかねない。

 トップもきっと高原選手をそのまま使ってはキープできず攻めきれず、間延びした中盤を切りさかれ貫かれる場面も容易に想像できるからなあ。3バックならトップ下の中村俊輔選手に右の中田英寿選手から繰り出される必殺のスルーにクロスをピタリと止めて冷静に、ゴールへと叩き込めるフォワードってのがいれば圧勝なんだけどなあ。平山相太が育ってくれていたらなあ。どこいっちゃったのかなあ。

 起きると何だかフジテレビジョンが株主を安定化させるために取引先に取得を呼びかけたとか何とか。良好な取引先であるところのテレビ局が経営を危なくさせているのは将来において宜しくないって判断から、ここは一肌脱いで安定化に協力しようって企業側主体の動きだったら納得もできるけど、国民から預かっている電波でもって商売を行いあげている高い利益をバックにして、お大尽として資材に機材なんかを調達している企業を相手に上手から、取引の打ち切りなんかもチラ付かせつつ株式を持つよう強く働きかけているんだとしたらちょっと気持ち悪い。

 これだけ衆人環視となっている中で、株主に権利ではなく義務を強いるような旧態依然とした方策を取るとも思えないから、純粋に安定経営による将来の株価維持配当維持をアピールした上で、下手にお願いしているんだと信じるべきなんだろー。だいいち今時の株主利益を極力守ろうって風潮の中では、たとえ利益供与をチラつかされてもそれが配当となってフジ株を購入した企業の株主に還元されるなりしないと、無意味な出費と訴えられかねないから、企業だって取引先の強要だから買いますってゆー風な単純な判断はできないし。

 5000円って配当があるから良いじゃんって言ったってそれが来年再来年と維持されなければ資産利回りが悪いとやっぱり非難を浴びる。配当が下がれば株価も下がるから損も被ってやっぱり株主代表の対象に。そんなリスクを上回るだけのリターンを果たして得られるのか、って逡巡を払拭できるだけの対価をテレビ局側は払いなおかつそーした安定株主への還元から得られた安定的な経営によって良い番組を作りこちらは電波の本来の持ち主である国民にも、還元してくれることになると信じよう。株主に支払いコンテンツ作りでお金をかけてそれで企業は大丈夫? なあに国内トップクラスの給与を誇る会社だ、その気で絞ればお金なんってワジワジと。

 半世紀ぶりの新球団のスタートを見るべきかとも思ったけれど、そこはサッカーの国の住民なんで幕張を超えて市原へとナビスコカップの「ジェフユナイテッド千葉・市原vs柏レイソル」のダービーマッチを見物に行く。すでにJリーグで1回顔を合わせてて、その前にもプレシーズンマッチの「ちばぎんカップ」での対戦していて何だかダービーマッチの大安売りって感じもするけど欧州のチャンピオンズリーグだって準々決勝がミラノダービーになってたりしてこれから続けざまの激突があるんで、それを思えば別に不思議なことではないのかも。ただしあっちは「A.C.ミランvsインテル」だから知名度も内容もケタ違い。こんな時はミラノに生まれてれば良かったと溜息。

 いやいやどーして「ジェフvsレイソル」だってコンパクトになった布陣から攻守の切り替えの早い試合が繰り広げられて見ていて楽しさはセリエ級。サイドからの攻撃も中央からのドリブル突破も豊富にあってボールが収まらず攻めが単調で眠気に沈んだ日本代表の試合よりもむしろ面白くって為になる。フリーキックはジェフの阿部選手が見事なものを決めてその飛び道具ぶりを披露してくれたし、ドリブルは韓国のマラドーナと呼ばれた崔選手がなるほどそう呼ばれるだけのことはあるプレーを披露。つっかかっては跳ね返される繰り返しにイライラも募った代表戦と比べてテクニックの重要性を改めて知る。そんな崔選手ですら呼ばれていない監督代表の強さとは? サウジ・アラビアに2対0で破れることか。やっぱり中東は侮れない。侮る余裕すらない。分かっているのかなあ、ジーコ監督は。

 マリオ・ハース選手ほか外国人選手の1人も入ってないジェフが押せばレイソルもトップの韓国人選手2人が左右に流れ中央に呼び込むスピーディーなプレー。阿部選手のFKでリードされながらも韓国のマラドーナが倒され得たPKを決めて同点としたレイソルが後半にカウンターから不用意なジェフのタックルをひらりとかわし持ち込み振って1点を奪い逆転。茶野選手とミリノビッチ選手が抜け新加入のストヤノフ選手も代表関係で入っていないたディフェンスはやっぱり課題で、W杯予選の進む今年は類似の事態も想定されそーで早急の対策をお願いしたいところだけど4000人の入りではなあ、新しい選手は呼べないなあ。阿部選手が代表に呼ばれないことを、祈るべきかそれとも入って欲しいと願うべきか。悩みます代表の不甲斐なさを見せつけられた後だけに。


【3月25日】 しまった「舞−HiME」撮り逃した。けどまあその方がDVDを買い続ける原動力になるから良いか、見てしまってラストがポン酢で買うのを止めたシリーズが結構あるからなあ、某「ガ○サキ」とか「ノ○ール」とか。って訳でとりあえず第3巻を購入、得体の知れないものがあれやこれやおまけについてて保管場所に困りそう。映像のおまけは止め絵ばかりで嬉しいものではないけどブラについて語られちゃったりするからなあ。まあ仕方がない。これが因業って奴だ。

 いっしょに「ファンタジックチルドレン」の第1巻も。そうかこれもバンダイビジュアルからだったか。おまけとかなく中身もそっけないけど2話入って3990円と値段が安くてお買い得。以降も4話入り5040円と破格の値段で始めから見ていた人が素晴らしさにご祝儀と買いそろえ、途中から評判になって見逃していた人がこれを買って盛り上がればバンダイビジュアルのアニメDVDの中でも屈指の売れ行きを見せるかも。映画化とかしないかなあ。でも「未来少年コナン」の映画みたいになったら困るし。「未来少年コナン2」ってそういえばどうなったんだっけ?

 「スウィングガール」は当然に「プレミアム・エディション」を購入。石丸の新しいDVD館(でぃーぶいでぃー・やかた)でも2本しか残っていなかったからやっぱりこれを買う人が多いんだろーなー、そんなにマスコットが欲しいのか。おまけのフィルムの切り出しは廊下でセーラー服が固まっている横をセーラー服が通り過ぎるセーラー服づくしの1枚でラッキー。セルだと顔アップが人気だろーけど実写ならこっちの方が楽しい。フィルムスキャナーで読みとってデジタル化してプリントへと回すことって出来るのかなあ。スキャナー買ってやってみるか。

 王子様の事務所に行ったらすごいことになっていた。こんなオフィスで働きたいと感嘆しつつシロツグ・ラーダットの話をしつつ楽しい時間を過ごす。でも記事にまとめるのは大変そー。戻ると生中継でワールドカップ独大会のアジア最終予選「北朝鮮vsバーレーン」が放映されててスタンドに居並ぶ観客の動きの無さに北朝鮮っぷりを覚える。あれはもしかして儀礼的においた人形ではないのか。捧げつつをする人形みたくウェーブをする人形を並べて観戦に来る偉大なる将軍様を満足させようとしているんじゃないか。なんて思えたけれど休憩時間には動いていたからやっぱり歴とした人間か。あの群衆を見に行くだけでも北朝鮮でのアウェー戦に乗り込む価値ありそー。

 ついにメジャーデビューか「kami−robo」。何年か前のイベントで見かけて以来、その動向に注目を払いバンダイとかで商品化される流れも見てきたけれど、ついに世界最大の発行部数を誇る「読売新聞」の25日付け夕刊掲載「OTAKUニッポン」のコーナーに、「kami−robo」を作った安居智博さんとプロデューサーの青木克憲さんが共に登場してはインタビューに答えてその特異にして圧倒的な「kami−roboワールド」をアピールしてくれている。

 どういう経緯で生まれどういう思想が込められどういう遊び方をするのかもちゃんと紹介。ともすれば根の暗い少年のおままごとが極められた”ひとり遊び”という実にストレートに本質を衝く言葉によって一つの立派なエンターテインメントへと昇華していて喜ばしい。4月1日カラスターとする「カミロボエキスポ」の紹介もあって読んで興味を持った人がおしかけその天晴れな戦いぶりに喝采を贈る光景とか見られそう。その評判を聞きつけWWEからビンス・マクマホンが来て何人かスカウトして帰り本場の「スマックダウン」とかのリングに立たせたら楽しいなあ。でもってアンダーテイカーのエルボーでマットに文字通り”沈む”んだ。

 船戸与一さんばりの大冒険に北方謙三さんばりのハードボイルドに福井晴敏さんばりのクライシスを描く作家だと思っていたけど垣根涼介さん、最新刊の「君たちに明日はない」(新潮社、1500円)は一変してのサラリーマン小説でそれもモーレツとは反対のリストラもので、どちらかと言えば池井戸潤さんの得意としそーな分野で一体、どんな心境の変化があったんだろーと思ったけれど過去から現在に至るまで、極限状態に追い込まれた人間がみせるあがきのようなものを描くことを心がけて来たらしく、それは今回の「君たちに明日はない」でも変わっていないらしい。

 もっぱら主役を務めるのは村上真介という男。働いているのは「日本ヒューマンリアクト」という会社でやっていることは首切りの代行業。会社がリストラを行いたいときに人事部に代わって社員を面接してはあれやこれやの言説を弄し、時には脅しときにはなだめ持ち上げさらには叩いて辞める決意をしてもらうとゆー、この不景気なご時世にあって全然不思議ではない会社だったりする。本当にそんな会社があるのかまでは知らないけれど。

 でもって冒頭から建材メーカーの支店長を面接して村上真介、会社の事情を話し「これを機会に、新たに外の世界にチャレンジされるのも一考かと思われますが、いかがでしょう?」と持ちかける。そこで納得させられれば仕事は終わるけれどもそうは問屋が下ろさない。首を切られる方は必至に自分の必要性を訴えるけど辞めさせたい側としてはまずは説得し、それでもダメなら奥の手も出して辞めざるを得ない方向へと持っていく。

 そんな説得する側のロジックと、説得される側の心理の変転が実にリアルでなるほど人間はこうやって、追いつめられていくんだと納得。会社の人事なんかが読んだら参考にしてリストラに役立ててみたくなる。なおかつ「君たちに明日はない」ではこの支店長に留まらず、中堅になって重責を担わせられながらも会社の都合で辞めてもらわなくてはいけない女性社員や、合併後の派閥抗争から脇においやられそこでもさらに冷や飯を食わされている銀行員、ひたすら開発に明け暮れ社会のことなんてまるで知らないオタクの玩具開発者といった、実在してまるで不思議のない面々が実にリアルな筆致で描かれ、なおかつ実にありがちなリアクションを見せてくれて読んでいて笑いつつもいざ自分のことになったらどうなんだろうと冷や汗が湧いてくる。

 村上自身が一種のリストラ組で、広告代理店に入りながらもそこでの将来に絶望し、けれども折角入った会社を辞めるのも勿体ないし他に趣味でやりたいこともあったからと、給料を計算し費用を計算してこれだけ働けば給料分は稼いでいるという、そのちょっと上のラインを狙って会社に首にさせないような仕事ぶりを示して社内を漂っていた。けれどもそうした計算を見破ったのがリストラに乗り込んできた「日本ヒューマンリアクター」を創業した高橋という社長。村上に作戦が見破られていることを伝え辞めさせた上で、誘い自社のスタッフに入れてしまった。

 自身がコストとプロフィットのバランスを取ることを実践して来た村上真介。リストラ請負人として乗り込んだ先でも相手を見、かかるコストに見合った利益をあげているのかを理解した上で責めていくから相手もぐうの音が出ない。かくして優秀なリストラ請負人となった村上は、各社を歩き社員たちを面接してはその首をどんどん切っていく。

 面白いのはそこで村上の側にだけ立った小説になっていないことで、追い込む側の事情を描いた上で追い込まれる側、支店長だったり銀行員だったり年齢の行ったショールームコンパニオンだったりが、突然のリストラを告げられ自分の価値を否定されて浮かべるさまざまな感情、怒りや哀しみといった気持ちを描いてこの理不尽にして不条理な企業社会を生きる難しさを、読む人に伝えようとしている。村上の側にばかり立っていると人間も心が荒んでくるけど、着られる側、追いつめられる側に立ち位置を転じさせることで双方の事情に感情が分かって、このままならない社会を、それでも生きて行かなくてはいけない気力を与えられる。

 悪が滅ぼされるようなカタルシスはないけれど、人間たちがそれぞれに収まるところへと収まって、新しかったりそのままだったりする道を歩んでいく姿に、読み終えて心に微笑みが湧いてくる。シリーズ化しても十分に耐えられそうだけど次々と新しい世界に「極限状態の人間」という共通テーマで挑み続ける垣根さんが、ひとつ所に留まってくれるとは限らないからなあ。ここは是非にベストセラーのリストへと放り込んで続きを書かせたいところ。長編で「大藪春彦賞」を取った後に連作短編で直木賞を受賞した奥田英朗さんの例もあるから、女性のキャリアにも支持されそーなシリーズとして描き次いでいけば大藪賞に吉川英治新人賞に推理作家協会賞の3冠に続く栄冠を、勝ち取ることだって決して夢ではありません。お願いします垣根さん。聞いてないか。

 こりゃ凄い。いや凄い。ファミ通文庫でも特段飛び抜け超絶ベストセラーの看板タイトル、角川スニーカー文庫で例えるならば谷川流さんの「涼宮ハルヒ」シリーズのよーな人気ぶりを見せていると言うよりは、静かな支持を集めているといった感じだった木村航さんの「ぺとぺとさん」がこの夏にテレビアニメーション化されるってことで美少女いっぱいな雑誌「マジキュー」の第13号巻頭で特報が。他にも人気のシリーズは沢山あるなかでこれが選ばれた僥倖を喜びつつもそこに至った理由もちょっと聞いてみたくなる。

 見た目のイラストは最強クラスに可愛いけれど、あれでお話はなかなかにシリアス。貧乏だとか差別だとか盛り込まれていてそんな中を健気に明るく真っ直ぐに生きるぺと子と支える若者たちの姿が感動を呼ぶって判断だったのかな。その辺りはシリーズ構成を担当する高橋留美子劇場なんかを手がけた笹野恵さんが「妖怪と人間が共存しているこの世界には、毒が亡いわけではない、けれど、自分らしく精一杯生きている彼女たちに、きっとみなさんも元気が湧いてくるはず」って書いているからやっぱり絵だけじゃない、お話が持つ強さにも惹かれこれが今のアニメに必要だって判断があったんだろー。良い判断。

 監督は今放映中の「ギャラリーフェイク」の西森章さんで総作画監督は「セーラームーン」やら「名探偵コナン」やらを手がけたとみながまりさんとなかなかの布陣。「マジキュー」や公式サイトの掲載されているぺと子にこぬりちゃんの絵を見るとYUGさんのプニプニ感フワフワ感を活かしつつもアニメ的にやや強みも出たキャラクターになっててこれが画面でどんな動きを見せてくれるかに今から興味も募る。こぬりちゃんどんな動きをするかなあ。沙原くぐるは格好良さげでスタイルもなかなか。あとはちょちょ丸あたりがどれだけのセクシーさを見せてくれるかに期待だ。ともあれおめでとうございます木村さんYUGさん。これで文庫もシリーズ続刊となるとなお嬉しい。


【3月24日】 千葉テレビで放映中の「機動戦士ガンダム」はランバ・ラル玉砕の後を受けてハモンが特攻、そしてリュウの体当たりと来て「ホワイトベース」の全員が号泣する感涙の1エピソードが繰り広げられて面白さ沸騰。どこか無理に背伸びをして強がって艦長を務めてきたブライトがこれを機会に態度をやや和らげ人間っぽくなったりアムロも反抗心を引っ込め闘いにのめり込んでいったりと、ひとつの転機になった話でこの後さらにマチルダさんの死とかミハルの死とかを経てクルーがちょっとづつ大人になっていくのであった。

 そりゃビジュアル的には迫る特攻機を抑えつつ背中でザクを中空に放り投げて浮かぶ砲塔もろとも破壊なんて無茶もあるけど(あの空中砲台はどうして浮かんでいられるんだろう? とか)、それを気にさせないでお話へとのめり込ませられてしまうのは、積み重ねてきたお話と絵柄の真剣味があるからなのだろう。今時の絵で(SEED DESTINYも含めて)このシリアスさは出るのかどうか。でも「鋼の錬金術師」はあの絵でシリアス感、出てたしなあ。ようはお話と段取りか。

 愛知県が万博誘致を表明したのは1988年と17年も昔のことだし決まったのだって8年とかそれくらい前。いつから始まるかってことも数年前には確定していたにも関わらず、それをメディアでどう伝えるべきかってことが決まったのは前日の夜遅くとゆーこの奇妙に不思議な事態を人は場当たりと呼ぶび利用は計画的にと諭すだろー。もちろんそんな不思議なメディアがこの世界に存在するはずもないからあくまで仮定の話となる。

 当面のプランニングを行いこの日にはこれがあるからこう伝える、開会式はこういう段取りになっているからこの辺りをピックアップする、時間的に〆切に間に合わないならある材料で作り上げておく、ってことくらい普通のメディアだったら必ずやっているはず。最終的にどのくらいの分量で(あくまで分量、中身は不明)いくかが決まったのは〆切3時間前という、綱渡りを超えて絹糸渡り(しかも渡っているのは曙)みたいなことを普通のメディアがするはずがないのでたとえ見かけがどうであれ、また日本語に乱れが招じているとは言え綿密な計画のもとに送り出された記事だと認めて読みましょう、ってだからそんなメディアはないんだってば。

 しかしそれにしてもあの着ぐるみの「キッコロ」をどうして誰も「これはキッコロではない」と言わないのかが分からない。絵として描かれている「キッコロ」は全身がささくれだった毛で包まれた感じになっているけれど、イベントとか「愛・地球博」の開会式とかに出てくる「キッコロ」は全身がつるんとしていてまるでふわふわ感がない。「モリゾー」だってぶわっとした感じがなくなっているけどそれでも触れば柔らかそうな雰囲気だけは残しているのに。

 海洋堂の食玩じゃないけど今時の技術を使えばどんなキャラクターだってそれなりの精巧さで立体に再現できるはず。5年程前に流行った「ファービー」のイベントに現れた着ぐるみだってもっと本物と近い雰囲気を持っていた。素人が作ったってあれより上手い着ぐるみになりそーなのに、開幕まで誰も「似てない」と指摘せず取り替えず使い通した理由は何なんだろー。もしかして着ぐるみではなく本物の「キッコロ」だったから? 写した絵のほうが間違っているから? それなら仕方がないか。だとしたらやたら大きい森の妖精さんだなあ。

 スポーツグラフィック誌の「Number」に柳下毅一郎さん登場。サイモン・クーパーの「アヤックスの戦争」(白水社)を翻訳した人として巻末の書評コーナーで顔写真も出してコメントしてる。こもとよりジョホールバルへとプレーオフを観戦に行くくらいのサッカー好きな人らしいけど、これで「Number」にもサッカー好きが伝わって、ベストセラー連発のサッカー好きの作家さんみたいな欧州選手権を見に行ってリポートしませんか的仕事が増えたらちょっと羨ましいかも。殺人の現場に行って解説しませんか的仕事もそれはそれで楽しそうだけどそればっかりでは陰惨だし。「アウェーを経験しろ」ってお達しも出ているんで今回はイランはいけなかったけど北朝鮮は行こう、できれば。


【3月23日】 クールでスタイリッシュなゲーム会社、ってイメージのとっても根強かったセガだけどここんところはキッズに人気のセガってイメージが強まってる感じ。もちろん理由は「甲虫王者ムシキング」の大ヒットで19日から21日まで東京・有明の「TFTホール」で開かれていた「GAME Jam」ってイベントでも「ムシキング」絡みのコーナーには子供とその親が長い行列を作ってて、関連グッズの前に物欲しそうにしている子供がいたりしてその人気の程が伺えた。

 そんな人気をさらに広げようってことで4月にはいよいよアニメーションもスタート。その名も「甲虫王者ムシキング 森の民の伝説」は制作をトムス・エンタテインメントが手がけて監督は「おジャ魔女どれみ」の山内重保さんでキャラクターデザインもやっぱり「おジャ魔女」の馬越嘉彦さんとそっち方面のファンから歓声が上がりそーな布陣。声優さんにも宮原永海さんに宍戸留美さんとこれも「おジャ魔女」な面子が入ってて、あの日曜朝の感慨を東京だったら水曜夕方に再び味わえることになるのかな、ならないか、絵のテイストがちょっと違ってるし。

 ただアニメ化への期待感は「おジャ魔女」とは無関係に高いよーで、テレビ東京の岩田圭介編成局次長兼アニメ制作部長が「『ポケモン』に似た感じ」とまで言う程で、それが本当だったら世界で1億本以上を売ったゲームソフトに匹敵する爆発的な売れ行きを、見せてセガの屋台骨を大きく支える柱になりそー。価格は100円でゲームには及ばないけどカードだけならすでに1億5000万枚を出しているそーだからあながち夢ではないかも。

 ってことで試写で見た第一話は……カブトムシのCGがとてつもなくリアルでそれも最前列で巨大なスクリーンを見上げる感じで鑑賞したものだから、眼前にあのギシャギシャっとしたカブトムシの口のあたりとか足のとげとげが迫って来るよー。その昔にカブトムシを飼っていた時に腹の上とか顔の上を歩かせて遊んだ記憶もない訳じゃないけれど、決して愛くるしさとは相容れないその造作は、人によっては見て目を見張るか背けるかしてしまいそー。あるいは台所にこれから増えてくる黒い奴との関係なんかも思い出されて悩ましい気持ちに陥るかも。ただ子供は甲虫でも昆虫でも手づかみで遊んで平気だからCGのリアルさも別に気にならないのかも。その辺りがひとつの注目の為所かも。

 気になったのは唐突に冒険が始まるストーリーで、森の中に暮らしている、でも人間って訳ではなさそーで背は草花よりも小さいコロボックルサイズの少年ポポが主人公なんだけど、他に村とかがあるわけじゃなく母親といっしょに暮らしてて、どーしてそーゆーサイズの人間がいて、けれども2人しかいないのかがちょっとよく見えない。彼らが「森の民」って説明もない。父親ってのがいて空を見る仕事をしていたんだけど何の為に見ていたのかが分からないし、ある日遠くに妙な光を発見してそれを確かめに行くと言って出ていってしまったっきり戻ってこない。これもまたよく分からない。

 でもって突然に現れた謎の怪人がポポに暴力を振るい、また森を妙な具合にしてしまったのもやっぱり理由がよく見えない。母親を奪われて森を汚されたポポが旅立つってゆー、ストーリー的には第一話に相応しいものなんだけど、ポポの属性も敵の正体もまるで見えないものだから、さあ行くんだその顔を上げてってな感じの旅立ちの物語に相応しい意識の高揚が見ていてあんまり起こらない。1年とゆー長丁場をいきなり強烈なエピソードで彩っては息切れも出るって配慮なのか、あるいは第2話以降で説明していこうって考えなのかが分からないだけにしばらくは見続ける必要がありそー。キャラはさすがになかなかな動き。なので頑張れ文芸陣。

 そうそう「Game Jam」では男の子向けの「ムシキング」に対して女の子向けのカードを使って遊ぶ業務用ゲーム機「おしゃれ魔女ラブandベリー」が女の子たちに大人気になっててこれから大爆発の予感がぷんぷん。カードを集めて着飾らせて、ゲームに叩き込んでリズム良くボタンを叩いて踊らせていくって単純さと集める楽しさが合わさった内容は子供の背伸びしたい気持ちにピタッとハマりそー。すでに分厚いカードの束を持って会場に来ている子供もいたほどで、親もいっしょにハマって中高生へも広がっていけば「ムシキング」以上の市場もあるいは確保できるかも。これまた注目。

 さて司法でとりあえずカタがついてしまったニッポン放送株のライブドアによる買い占め問題は、株式の過半数を握られてニッポン放送がライブドアの翼下に納まることがほぼ確定。無茶過ぎる防衛策を取った挙げ句のかかる事態に、かえすがえす序盤戦での戦略ミスが他人事(でもないけど)ながら悔やまれる。あくまで一種の刺激となって旧態依然とした部分が改善されて、より強固な集団へと変貌を遂げられればフジサンケイ的には万々歳だったんだけどその一角をほぼ切り取られてしまったからにはこから先、ニッポン放送をフジサンケイグループから切り離し、ポニーキャニオンを引き取り扶桑社も引き取り関係を絶つよりフジサンケイ的には手がなさそー。

 これで政治が暗然とした力を持っていた時代だったら、若い経営者の無茶に権力の側からあれやこれやプレッシャーをかけて断念せざる状態へと追い込むか、一部の実をとらせ名もあげさせて身を引かせるよーに仕立てたんだろーけど、真の意味での実力を持たない、寝技のからっきしな政治家ばかりになってしまったからなんだろーか、口先だけは威勢が良いのにまるで効果が上がらず結局ライブドアに最後まで突っ走らせてしまった。

 利権の窟とも言える電波事業への異分子の介入を許されざる事態と政治がとらえていたんだとして、それでも変えられなかったのだとしたらそれは政治が力を失った現れ。あるいは1局くらいはくれてやってもかまわないと思って政治が動かなかったのだとしたら、それはそれでメディアとして嘆かわしい事態だろー。見かけは単なるメディアの攻防戦でも、日本を支えたシステムに大きな変革が起こっているって言えそうで、そんな中を生き抜いていくためにはどこに付くのが良いのかを、しっかりと考える必要がありそー。引退できるくらいの大金せしめる良い方策、ありませんか?


【3月22日】 そしてラス前となった「ファンタジックチルドレン」は転生装置へとヘルガを運び込んでは学者たちに装置を作動させるよう命じるデュマ。何とかして阻止しようと転生装置の上をギガントの上のコナンよろしく駆け出すトーマにチットだったけど、オエセルの振る装置の側へは用意に近づけないまま時間ばかりが過ぎていく。落雷のような衝撃に身の危険すら覚えたその時、この旅をずっと共にして来たロボットのワンダがトーマとチットの上に被さり2人を守る。

 そんな感動と感涙の場面あり、葛藤に逡巡するデュマの苦しむ表情あり、迷うデュマに心からの声で呼びかけるソレトの何とも可愛らしい声ありと今回も見所のたくさんあった「ファンタジックチルドレン」だけど残る1話で果たしてどんな結末が出るのか、でもってティナが地球へと転生する際にいっしょに行くと誓ったソランとの再開とかはあるのかといった謎に期待もいっぱいあって、来週も録画しながらリアルタイムで見てしまいそー。でもって翌日に真っ赤な目をして仕事に行くんだ。2005年はこの作品があっただけでも儲けもの。なおかつ「エウレカセブン」もあるから楽しみは二乗。「アクエリオン」は……10話くらい見て結論。

 しかしそれにそても「ベフォールの子供たち」の多くが割に若手の声優さんだったのには驚き。あのつかみ所のない場所から始まって徐々に正体が明らかになって子供に見えて実はとてつもない老成をした頭脳明晰な者たちだったことが分かって、最初の頃に演じたプランが相当にずれてしまったんだじゃなかろーかって、ついつい同情してみたくなる。そのあたりはベフォールの子供たちへのインタビューでも明かされていて、矢口あさみさんの「タルラントのオーディションの時に、台詞と絵だけで何の設定も貰っていなかったので、ワンダーって何者なんだろうって? 木々が苔生して…って言っていたので木かなって」ってコメントが初期の段階で相当に手探りで声を充ててたんだなってことを伺わせてくれる。

 ヒースマ役の原沢勝広さんですら難しかったって言ってるくらいで、ベフォールでも中心的な役割を担ったアギにソレトの2人がともに声優を始めて1年とか2年とかそんな新鋭だったことにちょっと驚き。ラス前での演技なんかは実に堂に入って感情もたっぷりで見ていてほだされるくらい。半年のつき合いの中で作品とともに成長していったって感じ。こーゆー仕事が出来るのってやっぱり声優冥利に尽きるんだろーなー。声も可愛いソレト役の高口幸子さんがビジュアルでもなかなかでこれからファンになりそー。ベフォールでも真面目でクールなアギ役の浦田優さんのビジュアルが別な意味で凄いのにも驚き。舞台とかに立ってる人なんだろーか?

 なるほどやっぱり死んで終わるのか「ゴルゴ13」の最終回。ってついつい信じてみたくなるけれどそれが現実のものとなるより前にこっちの命が持たなかったりして。つまりはそれくらいに終わる可能性の薄い作品の最終回を勝手に予想してしまおうって試みをまとめた本が竹熊健太郎さんの「ゴルゴ13はいつ終わるのか?」(イースト・プレス)でほかに美内すずえさんの「ガラスの仮面」とそれから「美味しんぼ」の最終回を予想していて、これがなかなかに想像して納得の最終回でついつい読み終えてしまった気になってしまった。そうかやっぱりマヤは「紅天女」を……。

 もっとも凄いのはこれらが書かれた1993年から12年が経過したにも関わらず未だにこれらの作品がちゃんと続いているってことで、竹熊さんの想像力の確かさが証明される機会は未だ到来せず、はたしてどちらの命が先に費えるのかって勝負になって来た。この3作品以外にも当時すでに存在してなおかつ未だ健在な「こちら葛飾区亀有公園前派出所」とか「コータローまかりとおる」とかの結末も是非に予想して欲しいところだけど、これまたどっちもあと30年でも続いていそーなだけあって、予想しても結果の出ない虚しさに浸る可能性もあるんでやっぱり触らずそっとしておくのが吉なのかも。同じ長大マンガでも「島耕作」のラストは「社長」「会長」「名誉会長」「相談役 島耕作」と続いて最後は「無職 島耕作」となるだろーから予想はいりません。

 こいつぁ凄い。いや凄い。”中の人”なんておらず着ぐるみなんて存在しない「東京ディズニーランド」をもろ舞台に着ぐるみが盗まれてしまって大騒ぎとなる中でアルバイトくんが活躍し”中の人”も協力して事件を解決する小説が登場してしまったから驚いた。それも「千里眼」シリーズで有名な松岡圭祐さんが書いたってんだから2度びっくり。行ってしまえばとってもヤバいネタ、それこそ国際問題にだって発展しかねないネタだけあって一体松岡さんに何があったんだろう? って聞いてみたくなる。

 その他イトルも「ミッキーマウスの憂鬱」(新潮社、1300円)って物語はアルバイトに採用された21歳の青年が消えてしまった着ぐるみを探してランドと東奔西走するストーリー。キャストでも入っていけない場所があって許可がないからと断られるところを強引に入り突っ走る主人公の姿は、ドラマ的には格好良くても現実のランドでは絶対に許されない行為だし、そもそも着ぐるみがあって中に人が入っているってことを書くことだって許されていない。

 それを「フィクションです」って断りを入れても現実に存在する固有名詞でもって描き出そうとした理由は何なのか。告発とかではないのだとしたらやっぱりそれは「ディズニーランド」ってゆー夢の王国が、何故に夢の王国で有り続けるのかをそこに働く人たちの頑張りの中から感じ取って欲しいってゆー、作者の純粋な想いだったってことなんだろー。そんな熱情が伝わっているからこそ内容をおそらくは把握しながらも出版差し止めなんて挙に出なかったって言えるのかな。ともあれ異色の物語。文庫化はしないみたいなんであの世界に関する知識を得体人も、純粋に頑張る青年の物語を読みたい人も買っておいて損のない1冊。ただしフィクションなんで書いてあることをパークに行って大声で叫んだりしないこと。ミッキーは着ぐるみだとか中は男だとか。


【3月21日】 寒いのか暖かいのか微妙な狭間の天候をぬって「東京都現代美術館」で今日まで開催の「mot annual2005 愛と孤独、そして笑い」を見物に行く。割に若手とそれから中堅のアーティストをピックアップして展示するシリーズで98年にスタートしたから今回がえっと8回目くらい? 分からないけど過去に何度かいって見たアーティストがその後いろいろ活躍している所をみると、ギャラリーなんかで開かれる合同展とはまた違った1つのステップになっているみたい。

 入ってまず目立ったのがパンフレットにも使われている澤田知子さんのセルフポートレートシリーズ。木村伊兵衛賞も受賞した写真家で、そのどちらかとえば綺麗から正反対に位置する容貌をさまざまに飾って店頭の3分間写真で4枚づつ撮影したり、卒業なんかのクラスの集合写真を全部自分で作ったりした写真が展示されてて奇面フラッシュを浴びているよーな感覚を味わってくらくらする。

 シンディ・シャーマンに森村泰昌となりきりのセルフポートレートのアイディアは昔からあるけれど、それを徹底して実行してしまった執念みたいなものに、なるほどだから木村伊兵衛賞なんだと納得。あとやっぱりその美貌とは対極にある容貌がこれでもかって並べられている光景が、アーティストの自虐の笑いを見る人に感じさせ居心地の不安定さを覚えさせ、苦笑を浮かばせつつ真摯さを垣間見せるんだろー。お見合い写真のシリーズといい定形のフォーマットに落とし込む技がここんところ繰り出されているけれど、この後どこに向かうのかにも興味。生活ではシャーマンだし美術では森村泰昌。重ならない道は1人「YELLOWS」かなあ。見たい……かなあ。

 展示は冒頭がイケムラレイコさんてベテランな1人で暗闇にボーッと浮かび上がる感じに描かれた女性の絵が美しい。岡田裕子さんの1人で「シンギング・イン・ザ・レイン」を唄いながら団地や公園を走り回る映像は岡田さんの下半身がしっかりとした主婦体型&主婦ファッションが見ていてダンスから受ける官能をまったく感じさせず不気味。主婦なんて婦人の主みたいな言葉でくるまれたポジションの実に官能美とはかけ離れた存在であることか。うーむ。オノデラユキさんも木村伊兵衛さん受賞の写真家でシルエットになったポートレートが斬新。外見の美を写すファッション写真のネガポジ反転的な構図が内面の美を、あるいは醜をそこに現出されるのだ、なんつって。

 戦争時代の映像とポートレートを重ねたスライドの出光真子さんは女性の人権が蔑ろにされていた時代の存在を今に問う社会性を帯びた作品。運動盛んな時期に作られたものかと思ったら2004年の作品ってことで何だろう、やっぱり「9・11」をきっかけに世界の枠組みがガタンと変わって再びマッチョな方向へと流れ始めたことへの危惧なんだろーか。

 イチハラヒロコさんの「一生遊んで暮らしたい。」ほか女性の心情を吐露するコピーめいた文句を並べた作品は「1人OL委員会」? 枡野浩一さんの短歌のほうが形式に則っている分言葉にリズムと粘りがあって面白いって気が。鴻池朋子さんの狼ボールから羽根が映えてたりする作品は妄想の質がダリほど華麗じゃないのが見ていて判断を難しくしているなあ。でも狼の毛のむくむくした感じはちょっと好き。そんな感じで女性作家のさまざまな問題意識が現れた作品ばかりでいろいろと考えさせられること大。ってかやっぱり考えなくっちゃいけないものなのかと悩むこともちょっぴり。そーゆー男女差からもたらされる悩みが存在しなくなった社会を尊ぶべきか否か。対等になることが吉か差異が消えることが幸福か。うーん難しい。寝よう。

   いやあ素晴らしい。さすがは労資協調路線を標榜して組合の経営参画を認めて取り込み一心同体一致団結粉骨砕身やってきた会社だけのことはあって、従業員とその家族のことを考えた経営ってものの大切さを実に良く知っている。産経新聞の3月21日付け「主張」、題して「ライブドア 市場の論理は万能なのか」ってコラムはライブドアが株主利益を高らかに訴えることに異論を唱えて「軽視され過ぎている論点がある」と球を投げる。

 「あるべき企業経営の姿を考える際に”ステーク・ホルダー(利害関係者)”という言葉が使われる。株主の同義語として使われた時代もあったが、最近は株主だけでなく従業員、顧客、その企業がある地域社会・住民、取引先、同業他社まで含めている」と振り、米国で株主の権利ばかりが尊ばれた結果、経営にガタが来る企業が続出して「株主だけでなく企業にかかわる多くの人々に目配りし、中長期的成長をめざすのが、真の企業経営だという考えが登場した」のだとつなげる。

 日本で株主の利益が尊ばれた時代があったのかどーかって問題はこの際無関係。何故って今まさに起こっている問題に対して過去の謂われを云々したって意味がない。「主張」では「買収先企業で働く人や、その顧客、取引先など”株主以外の利害関係者”を無視して強行した買収・合併者は、こうした流れをどう考えるのだろう」とライブドアへの疑問を表明。買収先企業で働く人や顧客や取引先を無視するもなにも、まだどうするとも言ってないし具体的なことは何もしてないんだけど、そこは富士川に羽ばたく水鳥の音に大軍を見て恐れおののいた故事もある国、伝統文化の継承を尊ぶ社風で革命的な動きをまず危惧するのも仕方がないってことだろー。

 何より企業は家族の集合体であって経営者は家長であり、株主だけでなく社員や顧客のことをもっとよく考えようって思想はまさしく日本の伝統に則った美しいもの。自然を埃礼節を重んじるよう訴えかけて来たメディアだけに世界の企業経営の風潮が、株主の利益を上に置いてそれに奉仕するよー経営者を促すものへとなる一方で、従業員の権利も法律によってしっかりと守り時に経営との対立も辞さない労働組合の存在を認めている中にあって、経営者は従業員を守り従業員やその家族は経営者を親と仰いで付き従う、日本的経営スタイルの称揚をこの21世紀に改めて行う、その孤高ぶり高踏ぶりに頭が下がる。

 これだけのことを「主張」したんだから今後、例えばカルロス・ゴーンのような経営者が振ってきては工場を閉鎖して大勢の従業員から働き場所を奪い取引先を整理して下請け工場の少なくない数を先の見えない状況へと追いやり、地元の商店に食堂の経営も逼迫させたりして”株主以外の利害関係者”を無視しまくるよーな経営を始めたら、それを美しい日本の経営に反する行為と真っ向から非難し労働者よ団結せよ立ち上がれとアピールしてくれると信じよう。

 今まさに行われている堤義明さんの裁判でも、株主の利益はそこそこにしつつ従業員とグループ会社という”家族”を守るには自分1人が株を持つのが妥当だけど、それでは会社を大きくすることもできないんで他人に持ってもらったことにして実質は1人ですべてを掌握してグループを外敵から守り続けて数十年、その間に軽井沢に雫石に北海道に長野県、大磯ロングビーチに所沢球場と多くのリゾート事業を立ち上げ各地に観光客を誘致し地元経済の発展に貢献した堤さんを、”株主以外の利害関係者”を無視せずむしろ尊んだ名経営者と讃え裁判の不当を訴える主張を繰り広げてくれるものと期待しよー。

 しかしそれにしてもこの時期にこーゆー「主張」を堂々開陳してしまえる神経の鉄板ぶりには恐れ入る。言ってること自体に大きな間違いはないけれど、過去に数多ある例えば海外から期待経営者による大リストラの時期でもなく、企業の系列が徐々に崩壊していった時期でもなく、極めて身近に関連する事態が発生した時期になぜかピッタリのタイミングで書いてそれが一般にどう受け止められるのか、果たして考えているんだろーか。”李下に冠を正さず”ってゆー言葉があるよーにそうではなくてもそうとられかねないタイミングでは動くなって言われているのに、その正反対を行くこの行動。つまりはそれだけなりふり構ってはいられない、ってことではなくって欧米流の経営への危機感がピークに達したってことなんだろー。なればこそ堤義明無罪論を紙面で是非に。やってみろ。やれるものなら。


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