縮刷版2005年2月中旬号


【2月20日】 でろでろと眠っていたら「ギャラリーフェイク」を見忘れた。目覚めてとりあえず写真でも撮っておこうと「ワンダーフェスティバル2005冬」の会場へ。到着は午前10時50分くらいで行列は「TFTビル」の横あたりまでしか伸びてなくって、そこについて約20分ほどで会場内へと到着。まずは右へと曲がってアマチュアディーラーのコーナーへと行き、うろうろとしていたら発見したのが「もじぴっったん」のぴったんくん(だったっけ)の看板で、近寄ると何と「もじぴったん」をテーマにしたフィギュアを作っているディーラーだった。

 「あ」なら「あ」に関した言葉で、それも3つの段落に分かれているなら3つともが「あ」で始まる標語のようなものをつくって、それに合った小ヴィネットのようなキットを作ってあってその芸の細かさにひたすら感動。それにしても巧いもんだと思っていたら、話しているのを聞くと「プレイステーションポータブル」用の「もじぴったん」のソフトでジャケットに使われている「ぴったんくん」だか何だかが群れ上がっていあるフィギュアを作ったのがその人たちだったとか。

 本当なのかそれともセールストークなのかは分からないけど本当なんだとしたらそれはつまりは本物ってことになる訳でそんな人がひょろりと出ている「ワンフェス」の凄さをここに改めて認識する。って隣はアミューズのアートオーディションで賞をとったり「 さくや」や「キルビル」なんかの造型の仕事をしていたりする実質プロな寒河江弘さんが「ゴジラvsビオランテ」の女性オペレーターをいつもながらのリアルな造型で出していたりしたんだけど。

 とはいえやっぱり行列が出来るのは美少女系のフィギュアなよーでそーいったブースの前にはそれこそ数百人ってレベルの人が並んでいてなかなかの賑わい。一方で造型を極めようって人がいて、一方でエロスこそがテーマって追究する人もいてどちらかと言えば後者に共感を抱く人の集まりやすいこの世界。なので彼我の差はいたしかたないっちゃー致し方ない。けどでもやっぱり造型の祭りであるところの「ワンフェス」なんだから、美とかエロス以外の何かを探して歩くってのも悪くはないんだと、そう思えるようになったのは単に歳を取って枯れ果ててしまったからなのか。

 企業ブースに行っても例えばコナミのブースだと「おとぎ銃士赤ずきん」だかにとてつもない行列が出来ててすごい熱気。海洋堂もピンキーストリートをパク……じゃなかった先行する良質なコンテンツに多大なオマージュを捧げつつ進化的に咀嚼してみせた「ワンダ&リセットのおしゃれ泥棒」ってのを販売してこれがまた長蛇の列を作る大人気となっていたけどその行列に飛び込み購入に走る気力がまるでない。

 買っても家に置く場所がないってのもひとつ理由があるけれど、本当に好きなら無理にでも置く場所を作るだろーからやっぱり気持ちに萎えが出ているんだろー。このまま果てて爺いとなってしまうのかそれとも復活できるのか。それには爺いを蘇らせてくれるよーなすんごいコンテンツの登場が必要なんだけど、今のところはなあ、あんまりなあ、見あたらないなあ。春から始まる新番組のアニメに期待、って何か期待できるものあったっけ? そんな基本中の基本ともいえるチェックすら怠っているい萎えっぷり。ああやっぱり歳だ不惑だ厄年だ。

 コナミの玩具の偉い人がいて久々の行列っぷりに今後への期待を伝えて会場を抜け出し「コミティア」へと行ったものの同人の素晴らしい絵を見ている余裕があんまりなくって毎度おなじみな「ジュンク堂」の出張コーナーへと行き佐野絵里子さんって人の漫画「たまゆら童子」(リイド社、1000円)とそれから新海誠さんの新作アニメ「雲の向こう、約束の場所」のDVDを買ってさらに「トイフェス」をざっと舐めて「東京ビッグサイト」を後にする。「コミティア」で「月刊アニメージュ」の大野編集長とすれ違って「お互いに会社が大変で」ってことは別に言わなかった。言っても詮無い。大野編集長には髯がないと認識に迷うと言われた。髪を出していれば迷われなかったかな。

 会場を出てはみたもののそのまま「東京ビッグサイト」の前にある「ヴェローチェ」に籠もって残る1人のインタビューのテープ起こし。1時間20分くらいしかなかったのに早口で詰め込み中身のある話を喋る人だったんで把握に苦労して3時間くらいかかってよーやくとりあえず起こし切るけど、細部に不明なところもあって後で確認が必要。「機動警察パトレイバー」の劇場版の1で帆場が鳩だかに託したものが最後になって意味を持つとかどうとかいった脚本的演出的な仕掛けって、何だったっけ? DVDを見返せば分かるかな。豪華版は絵コンテがついているからあれで確認できたっけ。とりあえず掘ろう。

 帰宅してNHKの教育で「トップランナー」。出演はアニメーション監督の今敏さんで出てくるなり武田慎二さん本上まなみさんの司会コンビに「大きい」って言われてなるほどやっぱり誰がみても巨大に見えるのかと理解。いや本当に大きいんです2メートルはないけれど。話は会場ではきっと深く濃く広く激しかったんだろーけどそこはテレビだけに分かりやすくまた和気藹々とした部分がピックアップされて使われていた模様。怒り出したりもしなかったし武田さん本上さんに説教もしてなかった。してないって。

 面白かったのは生い立ちの部分で兄の今剛さんを昔話の良い爺さんに例えて本能本心でもってやりたい方へとひたすらに向かっていくタイプと言い、翻って自分は悪い爺さんの方でそんな上を見て自分もだったらと思いつつもそこは用意周到に、後ろを固めてから進むようなところがあったとか。高校を中退して東京に行きギター弾きになった兄に対して高校は出て大学も美大を選んだあたりにそれが出ているけれど、そうしてなった漫画家もいざなってみると一体だったら自分は何が書きたいんだって所で詰まってしまう。漫画が好きではあったけどお話を考え絵にしてみせるのはまた別の才能で、そこに至っていなかったことが今敏監督を売れっ子漫画家の道から遠ざける。

 もっともそこでの足踏みが、結果として世界にその名のとどろき渡るアニメ監督へと至らしめたのだから巧妙というか何というか。北久保弘之さんの「ジョジョの奇妙な冒険」を手伝ったことがきっかけにもなって「機動警察パトレイバー2」でレイアウトをやり「メモリーズ」の中の「彼女の思いで」で美術監督だかもやる中で、お話を作りそれをどう見せるのかってことを考え突き詰めるよーになったんだろー。なるほど漫画家として何を描けば良いのか迷った時期もあったけど、決してオリジナリティを自分の中に持っていなかったんじゃないことは、「パーフェクトブルー」へと至り「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」「妄想代理人」と物語的にもビジュアル的にも、オリジナリティ溢れるアニメを作るよーになったことが証明してる。

 それにしても理詰めな今監督。「妄想代理人」でキャラクターが世界の非現実ぶりに気付きそれを打ち壊すんだって宣言する場面があったけど、上がってきた脚本ではそうしたセリフを言わせつつ、ト書きでその男に小さなキーホルダーを地面に叩き付けて踏みにじることでそうした場面を表現させようとしていたものを今監督はそれでは動きが小さいし、当たり前過ぎるってことでセリフの部分から4つのカットを考え出し、おまけにキーホルダーを叩き付ける動作をどこからか出してきたバットでキーホルダーをはじき飛ばす動きへと変え富んでいくキーホルダーが世界の壁に辺りそれをガラスのよーに割り砕く演出にして世界の不条理感を高めさせた。

 絵コンテからどんな演出がそこで行われているかを分析し、実際の絵になった時との差異なんかも含めて研究する動きがあるけれど、絵コンテの時にはすでに演出プランも含めて完璧に決まっている今監督の場合は、脚本から絵コンテが作られるだんかいでどんな演出プランが今監督の頭の中で練られ、読めば普通に読み流せる脚本が絵になるとどれほど凄いことになっているのかを、それこそ「……」といった部分がどう絵になったかも含めて調べ研究しなくちゃいけなさそー。そこまでやってよーやく今監督ってゆー希代のアニメ監督の作風の一端に迫れるんだけど素人にはそこまでの余裕も知識もないんでプロのアニメ評論に人には是非に、すべての演出プランを逐一今監督に聞いて後の監督希望者にメソッドとして伝えるよーな仕事を、して頂けたらと思うけれども今監督にそこまでの余裕が出来るのはいつなのか。続く作品は年内に速ければ完成だそーだけれど公開はやっぱり2年後くらいになってしまうんだろーなー。


【2月19日】 テープ起こしを半分までやって指が動かなくなったんで近所の松屋に行ったら「味噌ハンバーグ」とかゆー新メニューが登場していて、お味噌の国の住人としては捨て置けないと早速食す。名古屋的にぬるりとした味噌がハンバーグの上からかかっているんじゃなくって、甘めに仕立てられた味噌のソースに浸かってて味噌おでんの具がハンバーグになっている感じか。

 味は濃くなく薄くもなく良い頃合い。「デミたまハンバーグ定食」みたいなトマトソースにデミグラスソースがこってりとまとわりついてて、胃や舌になかなかにヘビーだったりする味に飽きて来た時なんかには最適かもしれないけれど、ころころとメニューの変わる店だけに次行ってまた食べられるかは不明。なので速い内にもう1度食べに行こう。

 それにしても何故味噌か。近所のスーパーでも「味噌カツ丼」を売り出していたりしてにわかに味噌が見直された感じ。3月に始まる「愛・地球博」に絡めて名古屋のソウルフードである味噌にスポットが当たっていたりするのか。味噌カツはともかくハンバーグを味噌に浸けて食う習慣は流石にないけどこれを見た他の外食チェーンなんかからも味噌ベースのメニューとか出てきたりしたら楽しいかも。「CoCo壱番屋」からは「味噌カツカレー」。どんな味だ。「イタリアントマト」からは「スパゲッティ味噌」。旨いのか。

 なぜかひたすらに眠気が襲ってきて脳が働かずテープ起こしは1人分で打ち止め。六甲月千春さん「まおうとゆびきり2」(富士見ファンタジア文庫、580円)を読んで心を癒す。癒された? うんまあそれなりに。賠償金の代わりだといって魔王を押しつけられてしまった硝子ちゃん。その魔王を奪回して魔界の秩序を取り戻したいと今度は魔王の配下にいた九鬼のうちの幾つかが現れ硝子を襲ってくる。

 衰えているとはいえ力を持った魔王こと「まお」のガードで何とか切り抜けられはしたもののそこに送り込まれたのがかつて魔王を倒したという狂戦士。果たして魔王は勝てるのかって展開はそれでストレートだけど最初っからどこか一筋縄ではいかない設定の物語。硝子の幼い頃に家を出ていってしまった(というか浮気して硝子の母親に離婚だれた)父親ってのが出てきて徹底的に硝子につきまとっては愛を求めて鬱陶しくも熱血だったりする様を見せる。そんなことをする事情もやがて浮かんで優しさを人はどう見せるべきか、寂しさを人はどう受けいれるべきなのかってことをちょっとだけ考えさせられる。

 自分を「古今東西天地にまれに見るプロポーション」で「町内一の美少女」と断じてしまう語り口から自己主張が激しく我の強いキャラって思われてしまいそうなのに、傲慢でもなければ我が儘でも自己中心的でもない、素直でストレートな性格にちゃんと見えてしまうキャラクターの造型と、それを描く筆の運びが絶妙とゆーか不思議とゆーか。出てくる九鬼も悪い奴で強引な奴なのに何故か憎めないところも同様。読み終えるとこれでなかなかに心地良い気分にさせてくれる。野村美月さんに似てるかも。砂で出来てて裸に毛布だか外套だかを巻き付けているだけの幼女、って九鬼の1人の強さはよく分からないんで次とかにもまた出して来て欲しいもの。死んじゃった? まあそこは続き物のお約束って奴で。


【2月18日】 ついに激突。そして死亡。シリアスがあってギャグがあって楽しくも安心して見ていられた「舞Hi−ME」もクライマックスを迎えてシリアスパートの連続。それも大勢の人の間に猜疑心を芽生えさせてはお互いに憎み合い殺し合うよーな鬱々とした展開になっていて見ながら人間ってかくも醜く弱い生き物なのかと泣きたくなる。

 あのカラオケの夜から幾日も立っていないにも関わらず「姫」たちの仲は四分五裂。とりわけ悲惨なのがあれだけ親しげだった舞衣と命の関係が完璧なまでに壊れてしまったことで命は「黒曜の君」のささやきに突き動かされて相手が誰でどうなるかも気にせず剣を振るい挙げ句にとんでもない事態を引きおこす。それに怒った舞衣は憤怒にかられてカグツチを動かし命へと向かわせる。

 そして起こった惨劇が果たしてどんな結果をもたらすのか、ってのは次へのお楽しみ。次回予告のナレーションは相も変わらず漫才仕立てで荒みかかった心をほぐしてくれるけど、背後で流れる絵のなかなかに悲惨でシビアな様を見るとやっぱり次回も相当に鬱々とした気持ちにさせられそーで今から覚悟を固めておかねばならなさそー。なつきちゃんちょっとヤバそー。奈緒は相変わらずにしたたかそー。

 それにしても舞衣が憤怒の心を顔に写して唇を噛み破ったシーンの何と表情豊かな作画だったことか。楯が舞衣の心配をする場面での詩帆の嫉妬心あふれた表情といー、これほどまでに人間の負の感情を表現したアニメはなかったんじゃなかろーか。かくもすさまじい顔作画の志の1%でも「スターシップ・オペレーターズ」にあればなあ。動きの方は「魔法少年ねぎマ!」にあげます。最近はそれでももらわなくて済むレベルになって来たのかな。

 黒といったん決めたらその腹の色を黒いと言うのは当然としても着ている服から履いている靴から吸っている空気まで黒いと決めつけ徹底的に非難し叩きつぶそうとするメディア的、政治的な傾向の気色悪さは昔も今も代わらない。そのどれが正しくてどれが間違っているかを腑分けしてレイヤーごとに検証するなんてことは絶対にしない。したらちょっとでも正義だと認めたんだと思われ裏切り者扱いされてしまうから。不偏不党? 中立構成? それはどこの国のコトバデスカ?

 なるほどそれが砂上の楼閣かもしれない物であっても金科玉条にしている看板に泥を塗るような態度や発言をして来たなら、悪と決めつけ反論を加えるのも当然かもしれない。けど現行の制度として決して違反ではない手法、すなわち時間外取引の仕組みを使って株式を大量に購入したことをもって掟破りだのルール違反だのと非難されるのは筋違いってもの。穴があってそこを衝かれた結果何か問題が起こった時に非難されるのは、無事に通った人ではなくって明いていた穴だり穴をあいたままにしていた業者だろー。この場合はだから国ってことになる。批判をすればするほど穴を見過ごしていたって恥を上塗りしているだけなのに、それに気付かない政府や金融・証券関係者の厚顔ぶりにはちょっぴり呆れる。

 そうした意見を借りて時間外取引を悪と見なしそれを行った会社を悪と任じて非難するメディアもメディア。かつて野球協約の穴をついて”空白の一日”なんてものをでっちあげ、欲しいままにや怪物当主を入れようとしたプロ野球の球団って親会社が確か新聞社じゃなかったっけ。でもってテレビ局もバックアップしてたんじゃなかったっけ。穴があるなら塞いでおかなかった方が悪い、ちゃんとルールにのっとってやったんだって主張していたその球団の親会社が穴ではあってもルールを逸脱してないライブドアの手法を非難することなんて恥ずかしくって出来ないよね。

 けどそれを忘れて堂々とやってしまえるのが今のメディアって奴で、働かない自戒の感情に事情の作用といった状況が溜まり蓄積した結果が夜郎自大も甚だしい、メディアの増長へとつながり世間との乖離を生むんだけどそれに気付いてないからこそ、今回のよーな臆面もなく非難してしまえる傍目には滑稽な状況が起こってくる。乖離はやがて支持者離れを生んでボディーブローのよーに利いてくるんだけど、今のこの時期はそーした軽いブローをいなしているんだと信じたいんだろー。機が熟した時に倒れるのは誰だ?

 放送局の外資規制を一段と強化したいなんて総務省が言い出していることも、悪者に連なることならすべてが悪なんだと言って叩きつぶそうとする例のひとつか。なるほど言論を左右しかねない、思想に影響を及ぼしかねない機関を国策でもって守るってのが外資規制の理由だったとしてもそうした事態が起こったら経営に介入できるよう、免許制度ってのが別に設けられているし、あからさまな影響力の行使を行えばNHK問題じゃないけど視聴者が黙っていない。その外資とやらに異論反論をぶつけて排除する動きも出るだろう。むしろ資本も何も持ってないのに権力とやらをチラつかせながら影響力を行使する政治家の方がたちの悪さでは1万倍上だよね。

 ようは運用の仕方でどうにでもできることであって、だからこそこれからの多メディア時代、グローバル時代を見越しより強靱な体力を持ち、設備を持ちネットワークを築けるように経済団体連合会は「今後のメディア制度の課題(中間報告)」なんて報告書を出して「外資規制については、経済のグローバル化の進展を考慮し、外国人株主の経営への実質的な影響力の有無に配慮したものに改めるべきである。例えば、経営の実態に即した外資規制の適用除外基準を明記する等の方法が考えられる」って提言している。

 これが今も生きているなら経団連、合併して日本経団連は総務省の動きに即座に「いかがなものか」と言うのが筋なんだけどそこは国家合っての財界ってことなんだろーか。同じ財界団体のひとつ、日本商工会議所は時間外取引の規制強化に諸手をあげて賛成してしまってて悪を悪としか見ない風潮に同調してしまっているんでこの流れに沿えば放送の外資規制もお上の言い出したこととあっさり掌を返し、「おっしゃるとおり」なんて言い出すのかも。かくして保護の強化された日本のメディアはニューヨークタイムズのようにインターネット上の情報提供サイトを買収してよりサイトの価値向上に邁進する動きの逆を行き、競争にさらあれず夜郎自大を繰り返しては誰からも関心を持たれない、見てもらえないメディアとして衰え沈んでいくんだ。CNNやBBCのニュースの方が面白いしドラマだってCBSの方が面白いって人、増えるだろーなこれからますます。

 もっとも例のMSCBについては結構ヤバげってことが見えて来て、それにのってしまったライブドアへの懸念はそれとして指摘されても仕方がなさそー。証券会社にいたことのある今は別の会社の社長に聞いたらあのスキームはとてもじゃないが怖ろしくって近寄れない、差し出されても絶対に食べてはいけない毒饅頭みたいなものでそれをぶら下げられた美味しい餌だと飛びついたら、引き上げられ骨までしゃぶられることになるんじゃないかって想像をしていた。

 自分の株を貸してしまうなんて普通じゃあんまり考えられないことらしー。それを知ってやったなら大物だけど目先の結果を急ぐあまりに言われるがままにそうしたのだとしたらこれは拙い。はたしてどちらか。寸止めの条項があってそこで止まるか。更なる隠し球があって大逆転を狙えるのか。フジテレビのTOB期限隣ってる3月頭までの動きから目が離せません。


【2月17日】 「R25」の2005年2月18日−2月24日号を読んだら「つけ乳首」とやらがブームになっているとゆー記事。テニスのマリア・シャラポワ選手が鮮やかにもくっきりと突き立たせてはプレーしている姿に感化された女性がわんさと出たのか、ジェイ・ティ企画ってところが一昨年あたりから輸入販売していたニップルエンハンサーって製品が売れに売れまくっているらしー。ブラの上から付けるのかそれとも肌に直接張り付けるのか、どっちが正しい付け方なのかは不明。どっちでもいいのかな。

 とはいえ近寄れないシャラポワ選手だから見て眺めていられるんであって、街を歩いているごくごく普通の学生さんなりOLさんが本物は偽物かはともかくピンと突き立たせて歩いていたら、果たしてどんな顔をして見れば良いのか。見たら怒られるんじゃないかって懸念も浮かんでじろじろとはとても見られないけど、逆に付ける以上は見られたいって心理が当然に付ける側にはある訳で、そのあたりをどう判断して対応すればいいのか迷い所。とはいえ「つけ乳首だから見て平気」とは書けないし。書いたら意味ないし。とゆー分けで夏にかけて薄着な季節の到来にあわせ、蔓延る「つけちくびすと」を見るべきか、見ざるべきかを迷う男が街に大量にあふれかえるのであった。

 ちびっこいインターネット関連企業が老舗のラジオ局を買収しよーとするなんぞ身の程知らずにもほどがあるって言いたげなおっさんどももこの数字をつきつけられると流石に焦り怯え認めなくてはならなくなるかも。 電通が17日に発表した2004年の広告費によるとラジオの広告が0・7%減って1795億円。対してネット広告53・3%も伸びて1818億円となって4媒体といわれる「新聞雑誌テレビラジオ」の一角が、ネットとゆーメディアに切り崩されてしまった。いや吃驚。いつかは抜くだろうとは思っていたけど今まさにインターネット企業と放送事業とがバトルしている最中での逆転は、ホリエモンの言ってることが正しいんだって裏付ける支えにはなっても既存の放送事業者側の新参者は手出し無用と拒絶する行為を認めさせる理由には絶対にならない。

 インターネットの利用が広まりホームページが生まれた当初から広告ってのはあったけど、当時は誰が見ているんだろーと疑問に思われ価値も低かったネット広告。それがこれだけ多くの人がネットを使うよーになり、表現もバナーに限らずショートムービーからグーグルの「アドワード」にオーバーチュアの「スポンサードサーチ」といったキーワード検索広告から、種類も増え手法もあれこれ開発されてた結果、一方的に放送するだけでそれも音だけのラジオとゆー使い勝手の決してよろしくはないメディアがまずは追い抜かれてしまったってことになる。ラジオ広告を盛り上げようって団体も結成されたけど焼け石に水だったか。

 今でこそ安泰のテレビもだから、いつまでも安泰と果たして言えるのかどーなのか。抜かれないまでも互した地位へと上がってこられる可能性は皆無とは言えないだけにホリエモンが吼えていると毛嫌いせず、早くその真意を聞きビジョンを聞いた上で連携なり融合といった対策を立てないと、ラジオの二の舞になってしまわないとも限らないけどそこは未だに放送免許とゆー既得権益の上にどっかとあぐらをかいて、高邁さと尊大さをふりまきインターネット企業を小僧と鼻であしらい寄せ付けもしない輩の大勢いたりするテレビ界。とゆーか現場での危機意識をくみ取り共有できない老人たちが支配権を手放さないテレビ界だけに抜かれるのも案外に速いかも。時代はやっぱり堀江社長に追い風なのか?

 人生なんて実に嘘くさいもので100年生きようと死んでしまえば雲散霧消、当人にとっては一切の記憶も経験もすべてがそこで消滅してしまう。けどだからといって人生は無駄かというとそうでもないのが人生って奴で楽しさとか辛さとか、喜びとか哀しみを感じる一瞬一瞬は決して嘘なんかじゃない。すべてがリアル。その無数のリアルが生きた時間だけ積み重なった人生はだから死ぬ瞬間まで当人にとっては絶対に嘘なんかじゃないと、そう考えれば生きているのだって悪くはない。そんなものだよ人生って奴は。

 星々を滅ぼした悪い魔法使いが科学の力で倒され捕らえられ閉じこめられた刑務所を囲んで出来た村に暮らす人々はなぜなのか魔法が使えるようになっていて、箒で空を飛んだりしていたけれど中に1人だけ、魔法が使えない少年がいた。ムギという彼はけれども空を飛ぶのには魔法なんかいらないと、ジェットエンジンを箒とか、サーフボードに付けて空を飛ぼうと日々実験を重ねては、失敗し続けていたある日。飛びはしたものの失速して突っ込んだ悪い魔法使いの刑務所で、得体の知れない怪物に襲われていたところ1人の魔法使いの少女に助けられる。

 サン・フェアリー・アン。どこから来たのか分からないけど魔法の腕は超一流。それもそのはずで彼女こそ世界を破滅の危機へと追いやりかけた”魔王”と呼ばれる最強最悪の魔法使いだった。何故かムギに興味を寄せて彼の家に居候を始めたサン・フェアリー・アンだったけどそこでよくある”同居物”へと流れないのが西島大介。「凹村戦争」に続く長編コミック第2作目となる「世界の終わりの魔法使い」(河出書房新社、1200円)はサン・フェアリー・アンの出現を契機に起こり始めた現象が、発展してその世界への消滅へと向かっていく。

 世界なんて嘘で自分だって偽物で消滅したって関係ない。そう認めればすべて終わって終わってしまうけど、たったひとつ、信じられるものがあったからムギは諦めることなくジェットボードを空へと浮かべる。抗えない運命に身を委ねることなく勇気を振るって立ち向かう。ひとつでも信じられるものがあるリアル。ひとつでも信じたいものがあるリアル。そんなほのかなリアルが嘘にまみれた世界を、宇宙を貫き広がり輝き爆発しては僕たちを人生の終焉の果ての果てへと引っ張り導いていく。「読めばゼッタイもらえる勇気!」。1冊の本から始まる勇気にセカイの壁をうち破り、世界を君のリアルで包み込め。


【2月16日】 醒めたのが何時だっただろう。午前5時くらいだっただろうか。間を置かずにガタンと来てそれからガタガタと揺れ始め、これは大きいが果たして大丈夫かと、枕元の両脇に積み上がった本やら玩具の筺やらを見上げつつ上体を起こそうか、顔面をガードしようか逡巡しているうちに揺れもすっと引いて生き延びたことを知る。初期微動で目覚めたことは我ながら感心なれどそこで飛び起きず寝たままだったのは意味がない。人間、こうやって生存本能を弱体化させていくのだなあ。

 すぐさまテレビを付けて震度を確認したら茨城の方で震度4とかそのあたり。住んでいる千葉の東京よりは3とか2とかいったレベルで何だたいしたことなかったんだと安心してそのまま眠る。開けて見上げると一部の山に傾きの後。それも重量のある全集類の山でこれが倒れていたら生き延びてはいられなかったかもしれない。けどだからと言って他に積み上げる場所もない我が部屋。今晩も地震の起こらぬことを祈って床に就くしかないのである。死の床? 縁起でもない。

 読売新聞販売網での宅配も決まり「ファミリーマート」のメールニュースへの記事提供も決まって創刊から半年も経たずに存在感を高めてきたサッカー専門紙「エル・ゴラッソ」 の2月16日号、17日号にジェフユナイテッド市原・千葉ノイビチャ・オシム監督を取り上げた漫画が掲載。ジュビロ磐田に3人を”強奪”された監督がその人脈人望をいよいよ本格的に発揮して、とてつもない外国人を招く話になっているけどでも実際、現役オーストリア代表のマリオ・ハース選手に加えてルーマニアの元代表、ガブリエル・ポフスキ選手も来そうだしブルガリアの現役代表、イリヤ・ストヤノフ選手にも声がかかっているよーで揃い踏みすれば相当な戦力アップになりそー。

 有名外国人選手を招いても必ずしもチームにフィットするとは限らず評判倒れで終わってしまうことも多々あるけれどそこは天下のオシム監督、持ち前の鑑識眼でもって使える選手を取っているんだろーし選手も相手がオシム監督だったら怠けたりおどしたり逃げた理なんて絶対不可能。元教え子のハース選手に限らず3人ともそのポテンシャルを最大限まで発揮させられチームの勝利に貢献させられそー。正式発表は未だハース選手1人だけのよーだけどここは是非に交渉も成功させて”本物の移籍市場”が日本にも開かれそこをあのオシム監督がつついて宝を引っ張ってきたんだと信じて20日の「ちばぎんカップ」での華麗なサッカーの披露に期待することにしよー。この本気さと鑑識眼があれば代表ももーちょっと……なんだけどなあ。

 9日の堀江貴文社長による電撃戦への各週刊誌の所感が出そろうってことで早売りの店で「週刊文春」「週刊新潮」の2月24日号。「文春」は割に客観的に淡々と、堀江社長のメディアに対するスタンスを書き村上ファンドの動勢を書き買収しようとしている側にされようとしている側の対応の巧さ拙さを並べた上で最後は持久戦へと入っていく可能性を示唆。「今回の騒動で確実に得をするのは、リスクなしに儲かるリーマン・ブラザーズと村上氏。あえていえば、これまで以上に名前を世に知らしめた堀江氏までか。フジはどちらにしても、防戦以上のものは得られないだろう」と堀江氏に半身以下ながらも軍配を上げている。先、考えられるとしたら共に有利不利が渾然となった形勢に双方が歩み寄り話し合い一両損の中で一両得を出し合う決着か。それが何であるかは下っ端には分かりません。何であって欲しいかは……給料上がって欲しい、ってとこか。

 対して「新潮」は「『虚業家』の正体見たりホリエモン」と「堀江=悪」の図式。銀行はフジ側に付き第一段階の買収に成功したとしてもそこから先がまた一苦労で口に出した様々な策は全てが「机上の空論」と決めつける。ただライブドアの発行したものが「CB」ではなく「MSCB」ってことを失念しているのかそれともコメントに出た経済ジャーナリストが状況を把握していなかったのか「5年後の償還期限がきた時にライブドアの株に転換できる仕組みですが、その時の時価が今と比べて低ければ転換しませんから、800億円に利回りをプラスして返さなくてはならないのです。しかしそれだけの資金的余裕がライブドアにはない」なんて言わせちゃってる。あのう利回り0%なんですけどこの社債。買収戦略の肝心要のスキームを解説するところで大穴を開けて叩いているだけに、後で虚偽の情報を振りまき損害を与えた、なんて突っ込み返されないかと心配になる。

 そんなもの引き受けてリーマン・ブラザーズ大丈夫か、って疑問も浮かぶけど「法務だけど理系女子の綴るBLOG」でのMSCBの解説によれば株価が下がればその分多くの株式数がもらえるんで帳尻は合うし、堀江社長から借りている株を空売りして益を確定した上でMSCBを転換して返せばリーマン的には一丁上がり。返ってくる株数は増える訳じゃないんで株価が下がれば資産価値も下がってしまうから”人生かけてる”って言葉はなるほど根拠のあるもので、意地でも成功させるかあるいは収支とんとんやや損なところでも持って行きそう。

 成功したら後は5年で株価を上げればそれで良し。抵抗が激しくうまく行きそうもないと思えばコールオプションとやらを行使して償還しまうって見切りも可能、なのかな。その場合3月末までなら7%で6月末まで1%づつ下がって7月以降は満期日まで3%上積みすればいつでも償還できるよーになっている。その時には持ってるニッポン放送株を手放すことになるんだろーけど果たして売却が可能なのか、株価はいくらになっているのか、ってあたりでいろいろと議論が出そう。上場廃止になるから株価も下がって損が出る、って意見もあるけど資産価値を割り込んで下がれば体の言い買収の対象として転がされる可能性もあるから大きく下がり過ぎることなんてないって意見もあるんで不透明。倒産もしてないのに紙切れになるってことはないだろーから800億円まるまる大損ってことにはならないだろー。テレビなんかに出た堀江社長がダウンサイドリスクは限定されている、ってコメントしていることにもなるほど根拠はあるみたい。

 つまりはスキーム自体は割に練られたものらしく決して100か0かの大ばくちなんかなさそーなんだけど、そのあたりに目をつぶってでもメディアはライブドアの仕掛けが思い付きの突っ走りだって書きたてイメージダウンを狙って来るんだろー。でもって見たり読んだりする側はそう思ってしまう。株価も下がってライブドアは大損になるって寸法。けど果たしてそーした”風説”が少なくともMSCBの発行条件やら仕組みやらを読める株式市場に通じるか。通じてないからニッポン放送株も下げ止まり感が出ているし、ライブドアの株価も今が底なら市場が仕組みを受け止めた、ってことになるのかな。でもってあとはどっちに転ぶかって”政治”の世界でこればっかりは市場は読めないけれどどっちにしたって今の真っ向対立では共に得るものがないってことでやっぱり一両損なり得なりの決着へと向かいそう。その結果起こることは……給料アップ? ないだろーなー。

 穴も垣間見える「週刊新潮」だけど池田晶子さんの書くコラム「人間自身」はなかなかに秀逸。朝日新聞にコラムを書いていた時に毎回、担当があれやこれや指摘をして来てそれがまるで的を外したもので「文章の趣旨とは無関係の、言葉尻をあげつらうような、そういう指摘ばかり」だったという。担当の人は感じでは出来る人だったのにどうしてそんなとんまな事が起こるったかと想像して「その上に、そういうデスクがいるらしい。著者の書いたものに、一言いわなければ気がすまない、しかもその一言というのが、そんな頓場なものばかりだから、ああこの人は他にすることがないのだな」という結論に池田さんは達した。こういうのってすごくよく分かる。

 「言葉は読者にわかるものでなければならないという信条」を新聞は持っていて「これでは読者はわからない。もっとわかりやすく書け」と著者たちい言う。記者にもいうけど池田さんは切り返す。「わからないのは、つまりあんたでしょ。わかる人には、必ずわkるの」。はいそのとおり。分かる人には全部分かっている。それこそ社内も社外も9割9分が分かっているのに残りの1分、それこそ編集を仕切る1人が理解できなかったらそれは10割が「わからないこと」とされて著者に「わかりやすく書け」となる。「なべて新聞は読者というのを低く見ている」のである。

 「しかしそう信じているのは彼らだけなのだから、低く見ている体臭の側に、追い越される」「情報の速さとその量ということなら、今や新聞がテレビやインターネットにかなうわけがない」。なのにそれを理解しないで見下した読者に阿る言葉を連ねて「いよいよ見放されることになる」のだと池田さんは指摘する。ってかすでに見放されているんですけどね。ここで代案として「『読んでわからない』言葉の提供」を新聞に求め、読んで考えさせることを主としていけば活路も開けるって言っているのが面白いんだけどそれをすると当然ながら部数はさらに下がって、大部数を前提とした経営に支障が出る。割り切って大改革を進められれば良いんだけどそういうことが最も苦手なのがメディア業界ってことはライブドアの一件を見れば瞭然。という訳で新聞はどんどんと頓馬になり見放されて雲散霧消へと至るのである。ああやっぱり給料上がらねえ。


【2月15日】 やっぱり鼻が大きい奴ぁ駄目だ、って北村一輝のX星人だったら一言のもとに斬り捨てたに違いない「ファンタジックチルドレン」のヒースマ。ゲルタ博士の研究室へと忍び込んではゾーンに関する研究の成果を拾い上げよーとしていた所に現れ出たのがティナの父親が違う弟であると表明したデュマ。元のゾーンすなわちギリシアのゾーンへと戻っても老いずに生き延びられる方策があるんだってことを教えられ誘われると途端に「ベフォールの子供」を裏切って、ヘルガすなわちティナの居場所を吐いてはデュマを送り込んで彼女をさらわせてしまう。

 王の一派に反撃されて地球へと逃げ延びた形のゲオルカが反撃の材料にしよーとしているのがギリシアでティナが見せた破滅の力でティナの体を確保しそこに、ヘルガに入っているティナの魂を戻してはふたたびゾーンを開かせエネルギーを放出させよーとしているんだけど前回の轍で言うなら恐らく、暴走してギリシア全土は吹っ飛んでしまう可能性は大。そうはさせじと追いすがる「ベフォールの子供」にトーマにチットたちの果たして救出の手は届くのか? なんてまたしても素晴らし過ぎる引きで終わってこれからの残り少ない展開に胸躍る。クックス警部に見つかったアギたちがどう反撃するのかも見物。しかし母ちゃんといいアリスといい元気が良くって見ていて楽しい女性キャラの出番が少ないのが残念だなあ。母ちゃんまた出てこないかなあ。実は誰かの転生だった、なんて設定で。誰の?

 初めて見たのは2年前だったか3年前だったか。ともかくひと目みてその風体のそこはかとない可笑しさが気になって仕方がなかった「タイツくん」だったけど気がつかないうちに「ライセンシングアジア」ってキャラクター関連のイベント会場から出てあちらの雑誌こちらの雑誌に連載が始まりライターも出て扶桑社からは単行本まで出る大躍進。今も「SPA!」での連載は続いてそれなりに愛好者も獲得しているらしくこれは善哉を微笑ましく思っていたら何と。いよいよ超大手の玩具メーカーからキャラクターグッズが登場することになって世の中、面白いものを作れば神は見すてないもんだってことを実感する。

 15日から始まった「ギフトショウ」の会場で立ち寄ったバンダイのブースは、音楽を奏でるジャズミュージシャンのフィギュア「リトルジャマー」のスヌーピー版がいよいよ完成の域へと近づいて来ていて後半年ほどで商品化ってところで期待も膨らみ、またこれも「ライセンシングアジア」ってイベントで見かけて面白いなあと思っていたら、バンダイがしっかりと目をかけ商品化に取り組んでいた「kami−robo」の具体的な商品が出来上がって今春より発売の予定で善哉善哉。戦いの模様を治めたDVDもエイベックスから登場し、あまつさえ「パルコ」で展覧会まで開かれるとあって今年前半のムーブメントを作りそうな予感を抱きそこに載ったバンダイの、先見性にも感嘆をしていたその側に、発見したのが「タイツくん」のフィギュアなのであった。

 そうフィギュア。あの独特なテイストのイラストをそのまま立体化したもので張り切っているんだけどどこか空回りしているっぽいタイツくんたちの仕草や表情も、タイツくんがその済ました顔で狙いをつけている女性たちの時折羽目を外して乱れたりタイツくんの内心を知ってか知らずか澄まし顔でいたりする場面も、ものの見事に立体化してあるからもう吃驚。背景って感じに「励行カード」の文句をパネルにしてフィギュアの後ろ煮付けてあるのもナイスなアイディアで、つまりは平面の「励行カード」から絵の部分が飛び出して来たような感覚を味わえるよーになっている。別に励行カードのマグネットシール版もあるからこっちは自在に貼って楽しめそう。

 聞いて面白かったのはフィギュアにセレクトされた「励行カード」がちょっぴりハラスメントはいる感じに男性の願望欲望をコピーと絵にこめた種類のものが多く、一方でマグネットの方はタイツくんとか男性キャラの滑稽さをピックアップしたものが多かったこと。説明によるとフィギュアの方は企画を男性が担当していてマグネットシールは女性たちだとかで、そんな違い画商品に現れているってことにあるいはなっているみたい。とはいえブースの「タイツくん」フィギュアの前には男性サラリーマンも寄れば女性のバイヤーさんも寄って眺めながらにやりにたりのオン・パレード。つまりは人気だったってことで3月とかゆー発売では、それなりな規模でもって全国にあれやこれやを「励行」しているタイツくんたちの勇姿が蔓延りそー。次はそーだなやっぱり実在する人間によるドラマ化か。「とんねるず」じゃー月並みだから若手漫才師にここは是非。でも誰が良いんだろ?

 迫る黒船への対応について自前の判断を放棄し幕府の対応にすべてを委ねて一切の判断を停止し、見定めればおそらくは喫緊に的確な対応をしなくてはいかなかったにも関わらず、何も対策をとらず準備も怠ったまま戊辰戦争を迎えてしまった小蕃が果たしてどうなったのかは、歴史の結果がしっかりと現していたりする。ここで独自に判断をして敵の正体を見定めこれはかなわないと頭を垂れて教えを請い、力も受け入れた薩長あたりが後に天下を取ったよーに、独立した存在なんだから独立して判断すればあるいは天下にその名を轟かせられたかもしれない。

 けれども幕府が怖い小蕃でそんな英断を下すことなんて出来なかったってことでおそらくは遠からず楯の代わりにされては大砲によって打ち砕かれ、攻撃されボロボロにされた挙げ句に歴史の隙間へと埋もれ沈んでいってしまうんだろー。たとえ幕府が幕府ごと寝返り安堵されてその命脈だけは保ったとしても。そーやって長いものに巻かれたまま窒息しよーとほどき逃げるなんてもっての他ってのがつまりはサラリーマン根性って奴か? 下には独自性の発揮を口走りながらも上には徹底した隷属を言うのが処世術って奴か。

 なあにご安心。一時の処世なんぞすぐそばまで来ている大波に綺麗さっぱり現れ藻屑と消えてしまうから。なんて言ってもやっぱり気にもしないんだろーなー。してたら今頃いてもたってもいられないだろーから。あるいは進んでいる事態に心をわくわくさせていただろーから。駄目だやっぱりこれはもう。1年も前から分かっていた記念日に発売する商品を納品の2日前に発注して来てなおかつ仕様すらも一部に固まっていないよーな進行をしていて何も違和感を覚えず反論もせず怒りもしない企業と同じくらい駄目だ。困ったなあ。ところでまるで関係ないけどやっぱり「フィリシエラと、わたしと、終わりゆく世界に」(富士見ファンタジア文庫)の続編は出されるべきですよ。どこであっても早川であっても。うん。


【2月14日】 早速の「AERA」2005年2月21日号は、ライブドアの堀江貴文さんに直撃して聞き出したフジサンケイグループの改革案もさることながら、「ハガレン」こと「鋼の錬金術師」が女性層に大受けしているって記事の筆者に吃驚仰天。「伊東武彦」ってそれ、先代の「週刊サッカーマガジン」編集長ではないですか。朝日新聞社に移ったとは聞いていたけど、よりによってアニメーションのそれも「ハガレン」に関する記事を書いて婦女子からコメントをもらう仕事をするよーになったとは、朝日新聞社もなかなかに手厳しい人の使い方をするもんだ。

 ちなみに同じ号にはワールドカップのアジア最終予選初戦、北朝鮮戦の記事も掲載されてて伊東武彦さんはこちらでも健筆を振るってる。流石は”本業”だけあって記事は過不足もなくまとまっていて、なるほど人材の使い方に長けた企業だって納得させられ、だからこそ「ハガレン」記事での起用とのギャップが意外に映る。あるいは案外にアニメーションとか漫画とかが伊東武彦さん、大好きでノリノリで「ハガレン」の記事も手を挙げて担当したのかもしれない。だとしたら”羞恥プレイ”って見解は間違いなんだけど実態は果たして、それとも「AERA」編集部にはサッカーの伊東武彦とアニメの伊東武彦の同姓同名の2人がいたりするのかな。いたらそれはそれで面白いかも。「ハガレン」記事でコメントを寄せていた伊藤剛さんならどっちの伊東さんだったか分かるかな。

 北朝鮮戦の時に散々っぱら「スポーツと政治は別」だなんて言いまた日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンからもスポーツは政治と切り離して欲しいって話も伺いそのとおりだって思ったけれど土台としてスポーツがあまり国威発揚とかとは結びつかず、あるいは社会が不安定になってたまった不満のはけ口にスポーツがなるってことにもならず、娯楽として楽しまれてきたこの国だからこその恵まれた状況に過ぎないってことは、昨今に欧州なんかで差別的な言動がスタジアムからピッチの選手になされたり、近くは昨夏のアジア大会で中国のサポーターが日本に大ブーイングを浴びせたことなんかからも伺える。相手が中国だったら別にブーイングを浴びようとも構わないけど違う国を相手にした試合だったからやっぱりどこかに政治的なニュアンスがあったって言えるだろー、あの場合。

 小野伸司が所属して日本でも馴染みの深いオランダのフェイエノールトってチームは、試合の模様も結構日本で放映されたりするけれど、そこで唄われている歌がいったいどんなものなのか、なんてことは日本人にはまるで分からない。けどこれって実はとんでもないものらしいってことがサイモン・クーパーの書いた「アヤックスの戦争 第二次世界大戦と欧州サッカー」(柳下毅一郎訳、白水社、2300円)を読むと分かって吃驚させられる。本にはこうある。「近年、フェイエノールト対アヤックスの試合に行くと、ホロコーストの歌とガスが吹き出す音の口まねに迎えられるようになった」(272ページ)。

 でもって銀行家のサポーターが唄ったかもしれない歌を書き記す。「アウシュヴィッツから、アヤックスを乗せる列車ガヤッテクル」「ジーク、ジーク、ジーク」「ファン・プラーハはユダヤの疫病、ファン・プラーハは丸鋸の下」等々。卍がナチスの鍵十字に似てるからって排斥されたり、「ガス室はなかった」なんて書いた雑誌が廃刊に追い込まれたりするんだから、こんな歌が唄われている場所があったら何だっけ、サイモン&ローゼンタールだったっけ、そんな団体が乗り込んでいって全員を懺悔させたって不思議はないのにそうはならず、堂々とスタジアムでサポーターソングとして唄われている。”政治とスポーツは別”ってことだ。

 今でもそうなんだから昔だったら、そうナチスドイツがオランダを侵略した時だったらどうだっかっていうのは推して知るべし。オランダどころか欧州でも人気のチームでタイトルにもなっているアヤックスを含めて欧州のフットボール界が第二次世界大戦の前後にどんなことをしたのかってことが書いてある。「ユダヤ人のチーム」ってことで今もスタンドに「ダビデの星」が翻るチームだったりするんだけど、戦時中の応援歌は「ハイル、アヤックス、ハイル」になっていたらしい。まあそれはあの時代、あの情勢ではとりたてて糾弾すべきことではないのかもしれない。イングランド代表だってドイツ代表との試合でナチス式の敬礼をしていたんだから。

 「アヤックスの戦争」が描くのはもっと別の、サッカーを離れたところでオランダという国がナチスの侵略に対してどんな振る舞いをし、ユダヤ人のホロコーストにどんな態度で臨んだのかといったことだったりする。外国人をあからさまに排斥なんかせず優しくもてなす国。コスモポリタンの国。そんなイメージが今に広がり、アンネ・フランクを最後までかくまおうとした国だなんて実は大間違いなんだと本は書く。粛々と警官はユダヤ人の家へと向かい引っ張り出しては収容所へと向かう列車に乗せ、鉄道員は言われるがままに貨車の扉をきっちりと閉めた。アンネ・フランクの一家は誰に密告された? オランダ人ではないか。そうつまり流されるまま、言われるままにナチスドイツのホロコーストに協力した。それがオランダだったとサイモン・クーパーは指摘する。

 周囲の国ではどうだったのか。サイモン・クーパーがことナチスへの協力という面で「悪」だったと教わったベルギーは、実は半数のユダヤ人を救い「鉄道員はときに移送列車の扉に鍵をかけそこな」ったというし、ノルウェーは1700人いたユダヤ人の900人をスウェーデンへと逃がした。同盟国のイタリアであえもユダヤ法を実質的には骨抜きにしたままでいて、ナチスがやって来た1943年になってはじめて7500人のユダヤ人がアウシュヴィッツへと送られる羽目となった。それでも数はわずかに1割程度という。オランダは実に4分の3が死に絶えた。

 すごかったのがデンマーク。「ダビデの星」を付けろとナチスが命令するようならそれを真っ先につけて歩くと国王自身が明言し、ヒトラーからの誕生カードにはそっけない返事しか送らず不興を買った。ユダヤ人の移送が本格化しようとした際には、ユダヤ教のラビを通じて根回しをして大勢のユダヤ人を隠れ家へと向かわせた。病院にも患者としてかくまったというから国をあげてそうした姿勢が出来ていたということなんだろう。そんな空気に派遣されていたドイツ人も染まり、ホロコーストの遂行に嫌気を覚えるようになった。最終的には7800人いたデンマークのユダヤ人のうち7200人がスウェーデンへと脱出した。

 オランダはだから4分の3が絶滅収容所へと送られ殺害された。割合はもとより人数でもデンマークやイタリアの比ではない。なるほど近くにスウェーデンはなかったかもしれない。けれども国をあげて「ユダヤ人を殺すことはよくない」と訴えたデンマークで実行者のドイツ人も感化された事実が、オランダも取るべき道が他にあったのではないかといったことをこうした各国での状況の違いが訴えかけてくる。オランダが持つ”神話”を崩し、スポーツが政治とは無縁ではない事実を浮かび上がらせるこの本がだったら狙うところは何なのか。スポーツを政治と切り離そうとする”隔離政策”の賞揚では多分ないだろう。そうした可能性を探りつつも、現実問題として起こり得る差別にどう立ち向かうのか、それには確固たる信念を持ち、流されず惑わされずに団結してのぞむ勇気をどうやって育むのか、といった問題提起を行うことなのだろう。

 それがストレートに結果となるかは今のどんどんと政治が、ナショナリズムが世界を覆い尽くそうとしている時代だけに悩ましく難しいところだけど、アヤックスで活躍しながらホロコーストの波に飲まれ消え失せた選手の多々いる歴史も踏まえると、やはりスポーツは政治を切り離され、政治は悪意と切り離されてそれぞれが善意と正義のもとに屹立している状況の到来を心より望みたくなる。さてもどうなることか。このきな臭さ漂う情勢の中でせめて自分だけは、という意志を持ちつつ事の推移を見守っていこう。

 眼鏡っ娘の女流棋士が頑張っている「女流名人戦」の記事を読むために「週刊将棋」を購入。かつて碓井涼子といった今は千葉涼子女流三段と清水市代女流名人との3戦目のリポートがあって、千葉女流三段の目眼っ娘姿も拝めて嬉しさ沸々。顎をあげて天を仰ぐ横顔の可憐さには心も躍ります。とはいえ「碓井」が「千葉」に変わったことはつまりは結婚されたってことで眼鏡っ娘でありながら人妻でもあるその属性を、ともに愛でるべきなのかそれともここは本来の”眼鏡っ娘”属性をのみ取り上げ心沸き立たせるべきなのか悩むところ。とりあえずは次戦で千葉女流三段が買ってタイにして、最終局までもつれこんでは少しでも多くの眼鏡っ娘写真を僕たちに見せて欲しいってのが願い。なんて言ってたら14日開催の第4局で清水女流名人が勝って防衛だったとか。次週の「週刊将棋」が当面のラストになりそーだから買ってその眼鏡っ娘ぶりを記憶に刷り込まれるまで愛でることにしよー。


【2月13日】 作る側も慣れて来たのか見る側が慣れてしまったのか。最初の回はお洒落になろーなろーとしてスベり気味になってたアニメ版の「ギャラリー・フェイク」も2月に入って細野不二彦さんの漫画のギャグっぽい表情とか仕草を再現できるよーになってて見ていてころころと変わるサラの表情がとっても楽しい。最初の方しか原作を読んでなくって今回のダイヤとカルティエのミステリークロックを巡る話が原作通りなのかは分からないけど、別に矛盾も感じなかったし下品なオチが深夜に放映されている大人向けのアニメにそれなりにマッチしてるんで気にしない。DVDを揃えるほどじゃないけどとりあえず見て損はしないアニメと認めて土曜日の夜をひとり家で過ごす寂しい独身の身をサラの表情でもって慰めよー。

 「平井骸忽此中に有り」のシリーズが未だそれなりに評判なのに新作に手を出した田代裕彦さんの「キリサキ」(富士見ミステリー文庫、600円)は割にほのぼのした「平井骸惚」から一転して異常殺人が主軸なった猟奇的で伝奇的なミステリー。少年が死んで気がつくと目の前にいたのは冥土への案内人。言うのは少年にはまだ寿命があって願えば生き返られるというもので、そう願った少年が目覚めるとそこはなぜか病院で、おまけに体は霧崎いずみという女子高生のものになっていた。

 いったいどうしてこうなったんだと一緒についてきた案内人に聞くと元の少年の体に別の魂が入り込んでしまったからじゃないかという返事。今は少女になってしまった少年はそれを聞いて焦る。なぜなら少年は生きていた時に猟奇的な殺人者として何人もの少女を手にかけていたからで、そのままでは何が起こるか分からないと考え少年は元の体をいったん殺して魂を追い出しそこに自分の魂を入れ込んでくれと案内人に頼む。

 さてどうやって自分を殺すのか。学校でいじめられっ子だった少女の体でとりあえず登校しては再びいじめて来た同級生を撃退し、ひとり少年に近づく方策を考えていたその時。少年が少年だった時に犯していたのと同じような猟奇的な少女の殺人事件が起こって少女の体にはいっている少年を驚かせる。とまあそんな設定から始まるミステリーの謎解きは、いわゆるリアルな世界での物理法則には沿わないもので人によっては反則と言われることもありそうだけどそこは富士見の看板を持つミステリー文庫。伝奇的な設定の上でなるほどと思わせる謎解きを見せてくれて驚かせてくれる。続くのかどうかは分からないけど若月さなさん描く美少女のイラストの可愛さは格別で、中身が兄ちゃんだとゆー気色の悪さも吹っ飛ぶ程なんで、是非に続きを描いてはなおさら猟奇的な事件に挑む超猟奇的な奴らの活躍ってものを楽しませて欲しいもの。期待しよう。

 あるメディアコングロマリットがあったとする。テレビ局やラジオ局や出版社やレコード会社、そして新聞社も参加しているメディアコングロマリットだが一般的なメディアコングロマリットでは発生の起源からリーダーとなるべき新聞社が、そのコングロマリットでは形成の経緯からテレビ局なりテレビ局の傘下に位置する形となっている。畢竟発言力も影響力も程々に留められ、高収益の放送メディアから収益を吸い上げたり放送メディアを利用して拡販につなげたりといった、多のメディアコングロマリットでは一般的な活動も出来ないでいる。

 時はあたかも活字離れが叫ばれ新聞離れも進む時代。コスト構造の改善を進めようとしても新聞社単体ではままならない上にこの先ますます細っていく可能性も見えて果たしてどうすれば影響力を持ったメディアになれるのだろうかと考えてひとつの結論へと達する。新聞が下にあるメディアコングロマリット内のヒエラルキーをひっくり返してしまえば良い。けだし妙案。しかし資金はなく出資という形で首根っこも押さえられた状況では動くに動けない。

 そこで考えた。外の力を借りれば良い。折しも現れたのがインターネットを使って様々なサービスを行ってきたIT企業。より情報密度を高めてサービスとの連携を図るために彼らは情報発信力を持つ企業との連帯を模索していた。そうしたニーズに新聞社だったら十二分に答えられる。一方で今後ますます重要性を帯びてくるITといった分野への投資は資金面からできず、また検討していメディアコングロマリット内ヒエラルキーの転倒に必要な資金の調達先を模索していた新聞社にとって、現れたインターネット企業はまさしく絶好のパートナーだった。

 弱点なら知り尽くしている。加えて少しでもメディアコングロマリットのことを調べた者なら明らかに分かる弱点がある。こと細かな攻撃のポイントを知りそこを衝いてIT企業はメディアコングロマリットの根幹とも言うべき放送局を抑え、反撃もかわしてじわじわと支配権を確立していく。そのまま資本構造では末端に位置する新聞社まで支配が進むのかと思われた矢先、新聞社がIT系企業との経営統合を発表して共同持株会社構想をぶち挙げ、傘下に新聞メディアネットメディアとそして放送メディア出版音楽といったメディア企業が下がる新しいコングロマリットの形を指し示す。もとよりIT企業が保有していた金融証券といった分野も別に下がって一大情報産業がそこに現れる。

 将来展望こそ不透明ながらも新聞メディアが持つ信頼性は未だに高く、そことの統合は急成長して来たIT企業にステータスをもたらす。と同時にネットメディアでは持ち得なかった幅広い取材網も確保してネットメディアのみならず、金融証券といったプロフィットセンターとの連動をも可能にして全体の価値向上へとつながる。新聞メディアにはその傘下に別に経済を専門とするメディアもあったがこれは経済ニュースを専門とするネットメディアと統合し、プロフィットセンターと裏表の関係にする。傘下におさめた放送メディアや音楽メディアからは良質のコンテンツがネットメディアにももたらされて相乗効果が生まれる。利益も吸収できる。

 かくして新聞社が狙ったヒエラルキーの転倒はなされ立場も安堵されて新しい構造の中で生き残りなおかつ発展の可能性も生まれる。IT企業の狙った情報メディアとの連合も果たされここにかつてないほど強力な、世界でも類を見ないメディアコングロマリットが誕生する。米国のメディアコングロマリットでは中核となる映画会社がそこにはないが、これとて放送メディアが培った映画作りのノウハウがあればいつでも作り得るもの。興行といった部分の網の弱さも来るべきブロードバンド配信の一般化が解決する。さらに次。狙うのは果たして何なのか。それを知るものはIT企業を率いる男のみだった。なんて愚にも付かない小説のネタを考えたんだけどどこか使ってくれるところはあるかな。ないだろうなつまらなすぎて。事実って奴の方がきっとこんな三文小説のネタよりきっと激しく面白いに違いないから。事実が知りたいなあ。


【2月12日】 気がつくと羽生善治2冠王が3冠王になっていた。王将戦で森内俊之王将を4連勝で破って返り咲き。その最終局は2日目の昼食休憩前に投了してしまうってゆー展開で、初日に駒組みをやって昼食が終わり2日目によーやく駒がぶつかり午後に動いて夕食を挟むかどうかってあたりから最後の戦いが始まるのが2日制の一般的なスケジュールなだけに、いったいどうしたんだ森内って声も起こって当然。夕方のぶつかり合いを楽しみに来ていたお客さんもこれでは拍子抜けだっただろー。羽生さんがトークショーをやってお客さんを楽しませたのは奪取の余裕でもあるし、棋界の将来に想いを抱く大器っの現れってこともある。

 一時は竜王と名人の棋界でも最高位にある2つのタイトルを独占して時代を築くかって思われたのもつかの間、昨年末の竜王戦でもフルセットながら渡辺明新竜王に位を奪われ2冠に下がってしまったばかりの森内さん。最後の牙城となった名人位を果たして守りきれるのかって見方が強まりそー。おそらく挑戦者A組でトップを走る羽生3冠王。今も棋王戦で谷川浩司さんを相手に先手を取っててこれを奪えば4冠での名人位挑戦、そして奪取すれば5冠でなおかつ大山康晴15世名人に中原誠永世棋聖、そして谷川さんに続く18世名人の資格も得ることになる。竜王戦は調子が悪いみたいだし棋聖戦もあんまり愛称が良くないみたいでいつかの7冠王となるのは難しいかもしれないけれど、若手が台頭し同世代も円熟期を迎えた中での5冠は相当なもの。そんな時代を今ふたたび迎える将棋界の春に注目だ。高橋和ちゃんの引退は残念だ。大崎善生めえ。

 んあー、これは凄い。切なくて可笑しくそして美しい。「ダブル・ブリッド」の刊行がしばらく止まって何をしているのかと懸念もあった中村恵里加さんの最新刊「ソウル・アンダーテイカー」(電撃文庫、670円)は「ダブル・ブリッド」の勝るとも劣らない傑作中の傑作で、なおかつ大傑作へと向かって今なお進行中の物語に果たしてどこんな帰結を見せてくれるのか、哀しさに打ち震える怖ろしさも抱きつつその行く末に期待がふくらむ。

 主人公は江藤比呂緒とう名の少女。事故の影響かそれとも持って生まれた資質なのか。小学6年生とはいえその学年に見合ったとは決して言えない知性の持ち主で、人を疑わず自分を偽らず思ったことはそのまま行動し言われたことはすべてを前向きに受け止めては母親を心配させ父親を悩ませ妹を怒らせてばかりいた。冷蔵庫から雪だるまを取りだし学校へと行き帰って眠った夜、比呂緒を想う父親が謎めいた見せて買ってきたモデルガンをプレゼントとして与えたことが彼女を新しい、あるいは本当の運命へと導く。

 比呂緒にしか見えない猫が現れ自分の名をハンニバルだと言い彼女は未練を残して現世に留まる魂を月へと還す「ソウル・アンダーテイカー」になるのだと告げる。さほど歳の違わない三嶋蒼儀という少年が現れ比呂緒の指導役となって彼女を導こうとするものの、打算を知らず嘘を嘘と否定せず決して利口とはいえない頭で真っ直ぐに、精一杯に考えた結果をすぐさま行動に移す彼女に逆に引っ張り回される形となる。何よりソウル・アンダーテイカーとしての圧倒的な潜在能力が、三嶋蒼儀やハンニバルをして比呂緒に彼女が与えられた過酷な運命も、傍目には悲運ともいえる境遇も乗り越え世界を変えてくれるのではという可能性を抱かせる。

 無垢なことは善であり純粋であればあるほど正しいうのは、無垢でも純真でもなくなった心を持つようになった人間の勝手な思い込みに過ぎない。現実に比呂緒のような”無垢”で”純粋”な人間を家庭内に抱えてしまった者たち、友人に持ってしまった者たちが背負い込む物理的な苦労と心理的な圧迫を考えれば、無垢で純粋な、まるで天使のような存在を身近に持てて素晴らしいなどとはとうてい言えるものではない。将来を思い悩む父母に姉を疎みつついたわる妹の描写がそん現実をしっかりと読む者に考えさせる。

 けれども一方で無垢であり純粋な存在が放つ打算も嘘もない言動に、強い憧れを抱かされるのもまた事実。考え込むように「んあー」と言ってそれから繰り出すストレートな言葉、そして行動のどれもが実に当たり前で正しくて、そうしたいそうでありたいと想わせてくれる。想わせてくれてけれどもそうはできない身を恥じ入らせる。無垢だから善であり純粋だから正しいのではなく善であり正しいからそうであり、無垢であり純粋であることは打算や嘘の紛れ込んでいないことを裏付けているだけのことに過ぎない。

 とはいえ彼女が仮に高度な知性もあれば高い行動力もある人物で、得た知識から理論を組み上げそこより達した結論を信念として、同じ様な正義を主張したなら果たしてここまで説得されただろうか。従いつつも内心にどこか釈然としない気持ちが付きまとったのではなかろうか。恥じ入るよりも妬みに流されてしまったのではないだろうか。無垢で純粋な心根が裏付ける打算も嘘もない言動だからこそ感じられる正義。恥じ入りつつも従ってみたいと想わせる善意。比呂緒という存在がもたらしてくれる心情はかつてないほど心地よく、そして清々しい。

 至る将来は決して明るいものではないかもしれない。悲しくて切ない結末に涙する可能性は決して低くはないけれど、そこへと至る過程で見せてくれるだろう澄み切った空気の清冽さ、澄み渡った空の美しさはきっと格別な、そしてなにものにも代え難い貴重なものとなるだろう。願うべくはこの物語がしっかりと書き接がれ、結末へと書き記されれること。一方で哀しみへのルートを真っ直ぐに走る「ダブル・ブリッド」のこの先も気になるところだけれど、今はその将来ともども「ソウル・アンダーテイカー」の帰着する場所への期待を膨らませよう。

 クワイガンジンの像が来てるってんで上野の国立博物館へと行って「唐招提寺展」を見たらガンジンはガンジンでも鑑真和上の方だった。知ってたよ。唐招提寺に行かなきゃ見られない鑑真和上が東京でも見られるってんで評判のこの展覧会、午前中にも関わらず場内は人人人の波で押せ押せの状況で、とてもじっくりとその有り難い姿を拝んでいられる状況ではなかったけれど遠目にも優しげで理知的な表情を持った顔を拝めたのは実に僥倖。今年1年の厄を祓ってくれたかもしれない。6度も訪れた大厄を乗り越えた厄の王様だし。それだけ厄に遭うってことか?

 金堂の内陣を再現しれ大仏に四天王に帝釈天梵天を並べた部屋も凄かったけど、それより凄かったのは東山魁夷の襖絵が圧巻。圧倒的な筆力とそして構想力でもって広い襖を横に四方に山水の絵で彩ってあって、流石は昭和の日本画壇を代表する偉大な画家であったとその力を改めて思い知らされる。近所の学校で学長をやってる平山郁夫さんもそれなりの知名度だけど、どちらかといえば政治的な力が前に出がちな平山さんよりは純粋に、画家として東山さんは凄いって感じ。展示物の少なさでは過去に類をみない展覧会かもしれないけれど並んだ大物のすべてが国宝級ってことを考えれば、十分に値段に見合った展覧会って言えそー。行って損なし。リーアム・ニーソンはいないのでそれだけは要注意。


【2月11日】 資料の本を仕入れに秋葉原の「K−BOOKS」へ行くと出入り口の1番良いと所に店内を向いて一ノ瀬弓子クリスティーナのぱんつをはいてないPOPが立てられいて店内を睥睨していた。日日日とかいて「あきら」と読む人の「私の優しくない先輩」(碧天舎)も絶賛平積み中で、後に立ち寄った三省堂神田本店の在庫が見えなかったっぽいところら是非にも読んでみたい人は神田よりまず秋葉原へ。けどいつまでもあるとは限らないのでお早めに。弓子POPはいつまでもあって欲しいけど。

 4階に上がって海洋堂の「ホビーロビー」で「タイムスリップグリコ 大阪万博編」を購入。関西がメインなんで東京で売っているのはここだけ? 発売間もないってことで筺売りもやっていたけど持ち歩くのも面倒だし買っても家に飾る場所がないんで、3つだけ買って中身を確かめてみたら「お祭り広場」と「ガス館ホステス」と「三波春夫」でございます、だった。「お祭り広場」はエッセイが小松左京さんて岡本太郎さんのところに屋根のある広場の案を持っていたら「こんな屋根突き破ってやる」って塔のデザインを出して来た。

 すかさず小松さんが「『太陽の季節』みたいだ」と言ったら「だったらこれは『太陽の塔』だ」ってことで決まったとか。つまりは1970年の大阪万博のシンボルは、障子を突き破った男のシンボルってことで、なるほど全国各地に木彫りや石造りのシンボルをおいて崇め奉っている国のお祭りらしーと納得。一方でこの国には女性のシンボルも木彫り石造りにして崇め奉る風習があるんだけど、大阪万博ではそれはいったいどれだったんだろー? 「アメリカ館」か「オーストラリア館」か。「富士グループ・パビリオン」なんて近いかも。

 中央通りに出て「吉野家」。11日が牛丼の販売が停止されてちょうど1年ってことで全国から牛肉輸入禁止前に輸入されていた、ってことは1年以上もどっかの冷凍庫に眠っていた古米ならぬ古肉でなおかつ、検査もまだ始まっていなかった時代の微細ながらもリスクを持った肉を集めて作った牛丼で、そんな商品を有り難くも堂々と販売してしまえる会社の正気をまずは疑いたくなるけれど、人が並んでいるとそこに近寄りたくなるのが習い性。3人ばかりと少なくなっていた行列について3分ほど待って店内に入り大盛りと卵を頂戴する。

 味は……吉野家の牛丼の味ってこんなんだったっけ、店によって状態も違ったんだろーけど秋葉原のはタレがやや絡めで肉は固め。1年ってブランクが調理の仕方を忘れさせてしまったのか。これで20カ月だったっけ、未満の牛は大丈夫だからって輸入再開されて牛丼の販売が再開されても、果たして以前のよーな人気を獲得し続けられるのか心配になって来る。っても「吉野家」の場合はどちらかと言えば値段勝負で収益を確保し、業界トップに君臨していたから再開後もそちらで勝負をかけてやっぱりトップに返り咲くのかも。

 けどそーした低コスト偏重な施策って、また同じ問題が起こった時にやっぱり同じような事態を引きおこしかねないんじゃなかろーか。米国に牧場まで持って低コストで牛肉を調達し、店も単品販売で調理器とか器とかその辺も種類を最小限にして無駄な出費を切り詰めた成果としての低価格販売は、その大元である米国産牛肉の蛇口を締められただけで破綻した。けどここで下手に新規の投資をしてしまうと、早期に再開された時に無駄が出てしまうと考えたんだろーか、新しいメニュー開発に他のチェーンほど積極的に打って出なかったツケが長い期間の低迷につながった。もとより多メニューの松屋なんかと比べて回復が大きく遅れてしまった。回復したんだっけ?

 記者会見で新しく付き合うことになる業者のためにも牛丼へのこだわりを捨てるといいつつ一方で、牛丼の単品販売にこだわり続けるってインタビューで答えたりと腰のどうにも定まっていないところを社長の人は最初の頃見せていた。もしかすると早期に再開されるって目算があったのかもしれないけれど、結果的には1年経っても再開は行われておらず話し合いがついたとしても半年先。それも今後の状況でどーなるか分からない。しばらくは多メニュー展開で吉野家も行かざるを得ない。その覚悟が「牛丼の日」のよーな古肉をかき集めリスクを唄わず商売してしまうスタンスを見ると、本当に座っているんだろーかと不安に映る。

 「牛丼の日」はあくまでも1日限りのサービスで「CoCo壱番屋」が最初のカレーを「グランドマザーカレー」と銘打って期間限定で提供しているよーなものかもしれず、本気でこれからは様々なメニューを提供していくんだって覚悟を固めているのかもしれないけれど、だったらなおのこと、様々なメニューを出すことに慣れてきた現場を1日とは言え大混乱させるよーな施策が顧客サービスとしては正しくても、企業統治の面出た出し買ったんだろーか。それともやっぱり再開の暁には他のメニューをすべて引っ込めやっぱり「牛丼の吉野家」に戻ってしまうんだろーか。

 バイトから駆け上ったってゆー社長の人の思い入れとパフォーマンスはなるほど同情を集めやすいけど、この1年をリスクに強い体質に代えるチャンスとして使わず、未練を引きずった挙げ句に収益を低迷させ、なおかつ再びリスクを抱えた単品主義へと戻るんだとしたらやっぱり、その経営に対する考え方に各方面からの異論も出てきそー。牛肉輸入の再開に向かってこれからの発言なんかにちょっと注目。あと再開後の味にも。「らんぷ亭」に負けてるよーな味では再開後の収益回復なんておぼつかないぜ。

 ってことで満9年を達成して10年目に入った当ページ。大手紙にいて匿名でもって大所高所から政治社会経済を語ってみせて”新しいじゃーなりずむ”だと人気の「記者ブログ」とやらが大流行しているかたわらで、ばればれな仮名でもってオタクな話女子サッカーな話ライトノベルな話将棋な話を延々と書き連ねて来た結果未だマイナーの極みを走り沈降も著しいけれど、半ば備忘録として綴りつつ書評仕事なんかに利用しているところもあるんで勘弁を。ってかメディア状況な話なんで5年前6年前とかに随分とやって飽きちゃったよ、あまりにその変わらなさっぷりに。なんで変わらずアニメな話女子レスリングな話SFな話でもって10年目も走り続けます。ご贔屓に。


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