縮刷版2005年10月中旬号


【10月20日】 んで来るのは結局コートジボワールなのかトーゴなのかアンゴラなのかガーナなのかチュニジアなのか。あのドログバ選手が見られるかもって期待に震えた日本代表の次の国際試合だったけど、コートジボワールはドログバが来られずにキャンセルとなりトーゴに変更になったばかり、なのにそれから幾日も経たないで何故か来日がアンゴラに変更になっている。トーゴがアンゴラでは大差はないかもしれないけれど、間際に来てのドタバタぶりを満天下に晒すとその交渉下手っぷりを衝かれて、出さなくても良い金を出さなくちゃいけなくなるかもって心配が浮かんで仕方がない。

 ウクライナ戦だってシェフチェンコを出すって確約を取っていたはずなのに熱だからって理由で放してそれでも負けて、けれどもシェフチェンコは程なく行われたリーグの試合でトップモードの動きを見せていたとかで、なるほど1週間とか離れれば病気も直るんだろーけれど、それでもたとえば半分くらい出て見せるとかして欲しかったのにそれをさせる力量が日本にはなかった。そして今度は日替わり対戦相手チェンジ劇。もう笑うより他にない。何かもう1回くらい変更があっても踊りかないぞ。ブータンだってモンセラーだってどんと来いだ。これでとっちかに負けたら目も当てられないけれど。

 別にブラジルとかアルゼンチンとかオランダと交渉している訳じゃなくって、ジャパンなマネーで呼べる世界でも貧困国の代表チーム。そこを袖にしたかされたかして1度ならず2度も変更を余儀なくされるなんて、普通のブッキング専門会社だったら信頼を失い倒産してるし違約金だって何億の単位でむしり取られてる。けど日本サッカー協会で今回の一件で誰がどうかなったって話を聞かない。そんな体質がトゥルシェを苛立たせジーコを増長させては最大の目標である代表強化へと繋がらない悪循環。これがある限りは川渕三郎キャプテンが裾のの拡大を叫んでも潰されてしまうなあ。協会も頼むからプロになってくれ。プロのつもりではもうダメなんだよ。

 マスコミのグダグダ感ってのは前からあったし実際身の回りでも起きていて、事大主義で形式主義も極まっていて何か事が起こると一斉に目を向けやんやと騒ぎ立てるけど、かねてよりある枠組みにはめての報道で別の視点が示されることはなく、それが正しければ問題はないけれど現実は上っ面しかとらえておらず、本質的なことに迫れないのか迫ろうとしないのか、 分からないけどすべてをオミットしてどうでも良い情報ばかりを垂れ流す。

 それが受け止める側の利に適っていると考えての親切って取れないこともない。けど今時の人はマスコミが垂れ流す情報がそうしたフレームアップとセンセーショナリズムにどっぷり浸ったものだってことは先刻承知で、一種エンターテインメントとして理解しつつもその裏にある事実真実を思考し見極めようとしている。ひとりマスコミだけが受けている認められていると信じて突っ走り挙げ句に墓穴を掘る。その繰り返し。

 巷間言われている東条英機元首相の孫の小泉首相による靖国参拝に関して言った、礼儀作法をわきまえないお参りでみっともないけど参拝は有り難いって内容の発言を恣意的に編集しては、小泉首相の靖国参拝いかがなものかってニュアンスにして部分的に抜いたテロップも付けて、遺族だって嫌がってるんだ的なコメントに仕立て上げる、なんて事も平気で起こる。

 けど同じ人を何人もの記者が取り囲んで同じ話を聞いているんだから、いくら恣意的に編集したところで他を見ればニュアンスが参拝に感謝するって発言者の意識は明確で、にも関わらずそれを参拝反対の”旗印”にしよーとしたのは問題だろー。ねえTBS。マスコミ自体が事態に意見を持つことを否定はしない。ジャーナリズムから告発を取ったらただの情報伝達装置に成り下がってしまうから。けどでもそんな手前のスタンスを補強する材料を、勝手に作ってしまうのはやってはいけないことだろ。

 アメリカのCBSだったっけ。あそこは確かインタビューの放映にあたって恣意的な編集しないよーな規定を設けていたって聞いたことがあるけれど、それだって他の人の発言なり綿密な調査の結果を添えることで発言の誤りを浮かび上がらせることはできるし、発言している姿を映すことで表情仕草から問わず語りにその内面を、視聴者に伝えることもできる。日本だったらそんな時に苦渋の表情を浮かべる相手からカメラを振って司会者の、鬱陶しい糾弾の顔に切り替えたりするんだろーけれど。

 新聞でも記事の途中に数行の識者コメントが挟み込まれることはあるけれど、何十分も話したうちの使いやすいところだけ切り取り張り付けているってケースがあることは、コメント取材を受けた人があちらこちらで話題にしている。それが意図にかなっているかどうかって所が問題になる場合もあるけれど、それでもコメント取りがなくならないのは事あれば識者談話だと叫ぶ誌面作りの責任者がなくならないからで、科学的法律的な専門知識が必要とされる場合のコメントだったらまだしも子供の事件に心理学者が出てきて最近の教育がどうのと言葉を添えてそちらへと意識を誘導する。「何でも香山リカ(さいきんはくらたま)」現象って奴? けどそんな作法も読者はすでに見抜いている。事の本質を考えようとしている。

 「週刊新潮」の10月27日号に掲載の高山正之さんによる「変見自在」によると「ヘラルド・トリビューン」のアジア版に、先の大阪高裁での”小泉首相の靖国参拝は違憲”とするコメントが判決に添えられた一件にカンする記事が掲載されて、それが小泉首相による参拝は違憲という”判決”が出たって内容になってて「国粋主義者の小泉首相には日本人も困っている」って記事が続いているらしー。フランスを本拠に世界で発行されている新聞だから影響力も相当なものがあるんだろーけど、高山さんが書いた記者を探っていったら何とニューヨーク・タイムズの東京支局にいる経済リポート専門の現地ライターだったらしー。

 そんな人がおそらくは記事を配信したって形で署名入りで「ヘラルド・トリビューン」の1面トップ記事を書いて小泉首相を批判する。ちなみに「ヘラルド・トリビューン」アジア版は「朝日新聞」との合同発行。なるほどねえ。ニューヨーク・タイムズの東京支局には日本のワルクチを書いて本国に掲載させてそれを通信社経由で日本のメディアに「あのニューヨーク・タイムズがこう伝えた」って書かせるマッチポンプのご本尊も確かいたりして、それもやっぱり世間的に認識されていたりするからなあ。まったく懲りないってゆーか。でもバレてるんだけど。

 すべての人がメディアの裏を読むことをしている訳ではなく、事大主義で騒ぐメディアを信じてしまう人もいるし、信じなくても信じたふりをして大騒して足れりとするメディアもまた多いけど、いずれそんな操作も通用しなくなる日が来るだろー。そんな時に脱却できないメディアがたどるのはどんな道か。刮目して待ちたい。巻き添えになっていっしょに転げ落ちながら。


【10月19日】 ウサギがクマをジグソーパズルに変えたりウサギが謎のパズルを出したりウマが鍋を用意したりクマが鍋に飛び込んだり松阪牛とホタテと伊勢エビの入った鍋が登場して幼稚園児と動物がつついたりその材料が台所の冷蔵庫からかっぱらわれたものだったりする子供向けのアニメーションを子供に見せていいのかどうなのか悩む秋。これを人はセンチメンタルと呼ぶ。ヤマナミさんって最初の登場だともっと茫洋としたキャラかと思ったら意外に喋り好きではりきり屋。とはいえそこは立場をわきまえイヨとかケンタとかを超えて前に出てアミちゃんに絡むことはない。これからも何かの時に現れ何かをして去っていく謎キャラぶりを発揮して下さない。ってことで「アニマル横町」。エンディングの爽やかさが大好きです。オープニングの出鱈目ぶりも好きだけど。

 今回がえっと何回目になるんだろう? またしても「文学フリマ」って奴があってこれまでにも出てた評論の人のかリアルフィクションの人とかいろいろ出てそれはそれで楽しげなんだけど、初回の舞城王太郎さんやら西尾維新さんやらが作った同人誌に匹敵するくらいの話題性って意味では今回登場の桜庭一樹さんが桜坂洋さんが出す同人誌が並ぶかも。何しろ今をときめくリアルフィクションの担い手で、書く物もかたや電脳と魔法とを融合させたりゲームの思考を現実に持ち込んだりしした世界を、若者好みする要素は散りばめてあってもどこか突き放したところのある文体で描いてみせる桜坂さんに、女の子の直面している問題やぶち当たってる壁やらをみずみずしくも怜悧な筆致で描く桜庭さん。そんな2人がおそらくは電脳上を激しくも鋭くやりとりしてできあがる物語は、過去になく斬新で抒情に溢れそして残酷なものになっているに違いない。

 前回は時間前に行っても行列はちょろりだった秋葉原での初の「文学フリマ」だったけど、今回は他にも浅暮三文さんがイラストレーターの京部沢克夫さんとともに何やら出すらしく、会場前に大行列が出来そうな予感。並ぶか2時間くらい。それにしてもあの賑やかしくも楽しげな浅暮さんが若い人のどっと繰り出す会場で、リアル費フィクションの人とか動物的な人たちなんかを向こうに1日をおとなしく売り子に徹することができるのか、それともぐるぐると周りちょいと本を手に取り質問を浴びせかける既にして大御所といった雰囲気を見せるのかにも注目したいところ。

 こんなにいろんな人が出るんだったらこっちも何か作って出すんだったよ。面識もほとんどない有名な方々に声をかけ原稿を集めて並べがっちり儲けまショウってツチブタ的大物ぶりを見せられるほど神経、図太くないもんなあ、出すなら自分の書いた何かがやっぱり気持ちが良いもんなあ。来年に向けて何か書こう。友人知人先輩後輩のまるでいない地方出身の独立系ライターとしては、1人がいちばん気楽だしそれ以前に必然として何でもひとりで切り盛りするより他にないし。いっそ日記10年分をプリントアウトしてランダムに量り売りとかしてみるか。A4用紙でプリントして積み上げると高さ何メートルになるんだろう? それを見るとやって来たことの虚ろっぷりも手に取るよーに分かるかも。10年やったって初めて1年2年の美人女子大生ブロガーたちに人気でも認知度でもかなわないんだから。値段は100グラム1円くらいかな。

 SFを読まなくちゃ週刊で瀬名秀明さんを後回しにして谷甲州さんの「パンドラ」(早川書房)を読んで上下を一気に読み通す。うん面白い。宇宙から来たっぽい謎の生命体によって地球の生命が脅かされそうになってそれを阻止しよーと人間達の叡智が立ち上がるって筋立てに、地球の生態系の変化を織り交ぜそこから見える進化発展のビジョンを描き人類にさあどうする? と説くメッセージ色も強い内容は、1970年代あたりに小松左京さんとか光瀬龍さんといった日本人のSF作家が描いた内容にも似てその辺りを好んで読みふけった心に強く響く。大好きだよこーゆースケール感。日本は賢いし米国は激しいし中国は巧妙だってのも70年代風。ソビエトがいないのが違う点、かなあ。崩壊しちゃうとは小松さんも70年頃には思ってなかっただろーなー。

 ただ思うに以前だったら先にたとえ暗黒が待っているかもしれないけれど、そこに敢然と立ち向かいあるいはうち破るかもしれないって期待感を抱かせてくれただろー70年代SFに比べると、谷甲州さんの描いた将来のビジョンにはなかなかに難しいものがあって、それをそのままハッピーエンドと素直に受け取るのが難しい。ってゆーかむしろアンハッピーエンド? メッセージ色こそあれどそこに漂うそこはかとない絶望感と諦観は何だろう、70年代ならまだ描けた人間の叡智って奴が発動して世界を善き方向へと導いてくれるかもしれないって期待が、このどうしようもない行き詰まり感の中で廃れ塞がれてしまったことの現れなんだろーか。

 いやいや小川一水さんは常に前向きなビジョンを見せてくれるから書き手の抱く問題意識の所産なんだろー。だとすると谷さんがそーしたビジョンを抱いた背後にどんな思索があるのか、いつか聞いてみたいけど会う機会なんてまずないからなあ。まあ良い僕はそれでも人間の最後に見せる叡智を信じたいから小川さんにはそんなSFを書いて頂き人類を善き方向へと導いていってもらおう。それにしてももしも仮に「パンドラ」のくれたビジョンを選んでたいら人類は、どんな姿へと進化していったんだろう? それはとても素晴らしいものなんだろうか? そうなったかもしれない世界って奴を「パンドラ2」で描いてもらえると嬉しいかも。「神狩り」だって30年後に「2」が出たんだし谷さんもありってことで宜しく。

 いやまあ面白いよ、うん面白い。なよっとした女の子顔の男の子が幼なじみのちょっぴり強引な女の子で眼鏡っ娘に誘われ女学園へと入学し、ツンツンとして高飛車な生徒会長を向こうに回して戦うって本筋に、美少女くノ一とか美少女剣士とかが絡んだり幼い肢体の少女がしなだれかかって来たりするってストーリーは散りばめられた無量大数のフックに心をひっかけられて最後までしっかりと読まされてしまう。うろたんさん描く挟まれるイラストだって白いの見えまくりだし。さすがは本田透さん。「アストロ! 乙女塾!」(集英社スーパーダッシュ文庫、571円)に売れない要素はまるでない。

 でもなあ。それは今だかこその流行であって今書かれたからこその人気であってたとえば3年、あるいは来年でも良いから読まれ感心されるものかってゆーと頭をひねる。ライトノベルってそーゆーもんじゃん、って声もあるし過去にそーやって売り続けてきた偉大な先達もいたけれど、桜庭さん桜坂さん橋本紡さん上遠野浩平さん古橋秀之さん等々の人の活躍でライトノベルでもあれこれやって良いんだってことになりかかってるこの時に、この設定で出してしまうってのは何だか勿体ない気もしないでもない。桑島由一さんだって「神様家族」は文体も凄けりゃ繰り出される”家族”ってテーマも思い。

 比べて「アストロ! 乙女塾」はとくると記号を記号的ストーリーでつなぎ記号的脚注を挟んだ標準の最先端。それが好まれるって理由も分かるけど、読んでこれだけ書ける人がこれを書いてしまうってのがどうにも勿体ない。あるいはこれを書くからこれだけ書けるスピリッツの持ち主って考え方もあるけれど、それにしてもやっぱりやり過ぎな気が。まあ良い名刺代わりの1冊ってことで次に何を出してくるかにとりあえず注目。楚々といした眼鏡の図書委員が書籍整理用のアームバンドを付けた途端、本に書かれた物体や人物を取り出し自在に操れるようになる超能力を得て、学園を裏から操りそこを橋頭堡にして世界征服を企む大金持ちの美少女生徒会長を相手に、図書館を潰さないでと言って戦いを挑むところに同じく文化部潰しのプレッシャーを受けていた音楽部の少女が金管楽器を装着し、演劇部の少女が誰にでもなりきれる能力を発揮し、物理学部の少女が手から分銅のつぶてを投げて居抜き生物学部の少女が輪にしたニシキヘビを放って締め上げる、なんて話にはしないでね。


【10月18日】 とりあえず日本シリーズに出場が決まった千葉ロッテマリーンズだけど今年はそこでの日本一にプラスアルファの栄冠が待っている。11月に開かれる「KONAMI CUPアジアシリーズ2005」ってのがそれで日本と韓国と台湾と中国のプロ野球のトップチームが出場して、アジアナンバーワンを決めるために戦う今年から始まった新しい大会で、勝てば実に5000万円って賞金も出るから選手たちにとってはちょっとしたボーナスになるし、チームにとっても初代チャンピオンって栄誉はそれなりに意味がある。アジア戦略を考えているチームだったらアジアでの知名度アップに繋がるから。千葉ロッテマリーンズはだから是非に出場して勝利したいんじゃなかろーか。

日本一になたらまた来てね。その時は飛びつきますからマーくん、じゃなくってM☆Splashに  他のチームは選抜で臨む中国以外はまだ未定で、韓国ではロッテに所属するイ・スンヨプ選手の古巣でソン・ドンヨルさんが監督を務める三星が、韓国シリーズでの優勝に大きく近づいていて仮にロッテが出て三星が出れば”ロッテ”絡みの因縁が生まれて話題になりそー。なおかつ中国選抜を率いる監督が元ロッテのジム・ラフィーバーさん。ロッテづくしの大会になれば千葉県民としてこれほど楽しいこともなく、ロッテvs三星なりロッテvs中国の試合だったらちょっと見に行きたいって気にさせられる。チケットの販売状況が今どーなっているかは不明だけど、首都圏からの観客動員が見込めて”ロッテ”絡みの話題も豊富になる組み合わせに、是非に向かって欲しいところでその為ににもロッテには日本シリーズを勝ち抜いてアジアシリーズ出場を決めて下さいな。決まったら行くぜ「東京ドーム」に。

 目覚めてスポーツ新聞を読みながら仕事に行こうとして広告で「東武百貨店船橋店」がロッテ優勝を記念した「千葉ロッテマリーンズ優勝ありがとうセール」ってのを開くと知って慌てて駅を出て会場へと向かう、ってすぐ隣りなんだけど。情報を知って各地からテレビカメラも集まっていてそれなりな賑わいで、混じって待つこと数十分。ロッテのマスコットのマーくんとそれからチアリーダーの「M☆Splash!!」 の2人が現れ来店客をお出迎えするために店頭とかに立つとマリーンズのファンが寄ってきては握手したり一緒に写真を撮ったりしてた。羨ましいなあ。チアリーダーの2人は千葉マリンスタジアムのスタンドから遠目に見てもキレイだったけど間近で見るとなお綺麗。こんなチアリーダーに応援されてりゃ選手も監督も力を発揮する訳だ。

 東武百貨店と千葉ロッテマリーンズに関係があるかと問われれば資本的にはまったく関係はないけれど、千葉にあって同じ千葉のチームを応援しよーと船橋店では以前から様々な応援セールを開催してパ・リーグとロッテを盛り上げて来た。船橋駅は線路を挟んで建つ西武百貨店が西武ライオンズの度重なる優勝で散々っぱら優勝セールを繰り広げては東武に集客面で差は付けてきた。その盛況ぶりを横目に見て、だったらロッテを応援しよーと心に決めたんだろーかまでは分からないけど、プレーオフではその西武を破り優勝を決める第2ステージでソフトバンクス・ホークスを破ってリーグ優勝をロッテが果たしたことで、東武百貨店船橋店の願いもひとつの成就を見たって言えそう。

 とはいえこれはまだ第1段階。続く「日本シリーズ」で優勝を果たして日本一の座をつかんだロッテを応援するセールを開いて百貨店の”船橋戦争”で今年のとどめを刺したいところ。開店後に開かれた鏡割りでも佐藤治夫さんって店長さんが「日本一を目指そう!」って叫んでいたし、さらに一段のセールを行うためにもロッテには是非に頑張って欲しいところだろー。果たして期待に応えられるか。数週間の間を開けて勝負勘の鈍ってきた阪神タイガースと厳しい試合を勝ち抜いたばかりのロッテでは感覚的にはロッテが有利。先にある「KONAMI CUPアジアシリーズ2005」の為にも千葉経済のためにロッテには頑張って日本一を達成してやって下さいな。今度は取材じゃなく買い物に行くから。

 我が千葉より優勝チームが出たことを祝って緩んだ懐から奮発して、水道橋の「ラクーア」にあるアメリカンカジュアルの店「METHOD」でショットのピーコートを買ってしまう。日曜日に見て気に入ったものの買うたやめた音頭を踊ってしばし見送った品だったけど、色がピーコートにおなじみのネイビーとかブラックではなく薄い茶色で見た目軽く見えるのが1点と、それからステッチが一部赤くなっててそれがアクセントになって格好良いのが1点、利点になっててそれが眠った頭の中をよぎり売れちゃうんじゃないか売り切れちゃうんじゃないかって恐怖心にも急かされ遂に買ってしまった。嗚呼。まあ良い京都のSFフェスティバルに行かず新幹線代とか参加費とかが同じくらいの金額浮いたからそれを当てたと思うことにしよー。とりあえずは似合うジーンズをあと1本。冬はTシャツにピーコートにジーンズにワークブーツでアメカジ野郎と決め込もう。その前に痩せなきゃ。


【10月17日】 「ぱにぽにだっしゅ」を見逃して悲しい。オープニングは「ルーレット☆ルーレット」だったのかなあ。目覚めひたすらに池上永一さんの新刊「シャングリ・ラ」(角川書店、1900円)を読み進める。近未来。放出され過ぎた炭酸ガスが世界の気候を大きく揺るがせ温暖化が進む中、大地震で崩壊した東京では再建の途上で炭酸ガスを減らすべく東京を森に変える政策が打ち出され、代わりに東京の首都機能は開発の進んだカーボンナノチューブを構造材に使用した巨大なタワーが東京の真上に建てられそこに集められることになった。

 すべての人が入れる訳ではなく金を持った人や政治的経済的に有用な人だけがその構造物「アトラス」へと移り、残された人々は密林化が進み熱帯のごとくに疫病が流行る森に追われながらも集落を作りそこに暮らしながら、一部は先鋭化して「アトラス」を相手にゲリラ戦をしかけて来た。そしてそのゲリラ組織のトップに1人の少女が少年院から還って来た。名を國子という少女は持てる才能を発揮してゲリラをまとめあげて戦い、炭素本位となった経済の中で炭素の取引を通じて富も蓄え存在感を高めていく。

 そんな國子に立ちふさがるのは「アトラス」に暮らし女官を従え牛車を乗り回し贅の限りを尽くして暮らす少女、美邦。秀才でメスの扱いにも長けた女博士の小夜子や地表から「アトラス」行きの籤に当って上がって来たニューハーフのミーコを周囲に侍らせ傅かれる美邦の存在が、國子の存在とぶつかり合い背後にある巨大な陰謀を浮かび上がらせ物語を壮大なクライマックスへと誘う。「アトラス」は何故作られたのか。「アトラス」はどこに作られたのか。その意味が明らかになった時、世界はやんごとなき存在の下に再生への道を見出す。

 最初は近未来の経済やテクノロジーを土台に変化し発達したディストピア的な世界を、野生の中で生き抜いて来た人間が力を発揮し打ち壊していくってゆー、割にありがちなSF的ストーリーかと思ったら、途中から高貴な血筋のそのさらにルーツへと連なる霊的な存在を示唆するオカルティックで伝奇的な物語へと発展していって、純なSFを期待していた気持ちに肩すかしを食らった印象もあったけど、思えば野阿梓さんのジャパネスクSFとして名高い「バベルの薫り」も、宇宙とか舞台にしつつも伝奇的な設定が混じり込んだ作品だった訳でそこで描かれたテーマとも重なるものを持った「シャングリ・ラ」もまた、世界のあり方を現実の延長にある技術や文化を土台に問うたSFだって言える、のかな? 言うけどね。

 しかし相変わらずに爆裂キャラ満載の池上世界。Aカップを気にしながらも戦う時は徹底して強い國子を筆頭に、彼女のボディーガードを努め母親の代わりもし武術の師匠でもあるモモコという名のバイスバディなニューハーフやらコンプレックスと悲しみを力に代えて戦う小夜子やら、小夜子のライバルというか小夜子のような頑張る人たちを見下し頭脳でも芸術でも運動でも美貌でもすべてに秀でた涼子やら、父母といっしょの時間を得るため父母の会社を買収したいと考え炭素を取り引きするカーボニストとなって大金を稼ぐ天才トレーダーの少女やら、女性を中心に出てくるキャラクターがどれも元気で迫力で、ともすれば陰惨で教条的になる物語を爽快にして痛快なアクション巨編へと変え、読む人をラストまで一気に引っ張っていってくれる。お近づきになりたいんだったら涼子だけどスレンダーな國子も気になるしモモコの涼子すら怯ませるボディも拝んでみたい気が。漫画か映画にならないかなあ。

 SFを読もう週刊(仕事だ)の次は山田正紀さんの「神狩り2」(徳間書店)。うーんつまりは神様なんて人間がいるから生まれるもので結局は脳内に生まれる幻想みたいなものでそれをみんなが同じ像として描けば宗教になって総意がうまれ逆にそれが人間の頭に生まれる神様を規定し人間を規定していくスパイラルに入り強固にしてやんごとない存在に祭り上げられていくってゆー話? それをさまざまな哲学なり科学なり歴史なりを土台にさまざまな角度から描き積み上げていくって展開は、格好いいって言えば言えないこともない。

 けれど導き出される主題そのものに既成概念をひっくり返してくれるよーな驚きがあるかってゆーと微妙で、果たして傑作と呼ぶべきなのかあるいは山田正紀の思索的1冊と呼ぶべきなのか悩む。神と人の関係だったら平谷美樹さんの一連のシリーズの方が奥行きも迫力もあったかなあ。20年の昔だったらSFが哲学へと切り込んだ意欲作って読んで讃えられたかもしれないし、だからこそ第1作はSFにこんな凄いことが出来るんだって評判になったんだろーけれど、SF的な視点から神についてあれこれ考える作品がその後もいっぱい出て来た今となっては、打ち出される主題の新しさよりも描き方のスタイリッシュさの方で勝負するしかないのかなあ。あるいは神を思い描く人間の思考の源に切り込んでいくとか。次はだから瀬名秀明さんの「デカルトの密室」を読んでみよう。ってかまだ読んでなかったのか? すいませんライトノベルが山積みで。ああ忙しい。

 ひとつのプレーが流れを変えるって本当なんだなあとパリーグのプレーオフ「ソフトバンクホークスvs千葉ロッテマリーンズ」の第5戦をみながら実感。直前にセカンドが鋭い辺りを見事にキャッチしアウトにしてチェンジになったイニングで、代打で出た初芝選手が今年で引退とゆー歳にありながらも果敢に打って、けれども三遊間に飛び残念かと思われたものが気迫がこもっていたのか流れがそーだったのか、三塁とショートの選手が交錯して守備に乱れが出て内野安打に。そこから二塁三塁になってヒットが出て同点から逆転へと至りそのまま最後まで逃げ切った千葉ロッテマリーンズが31年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。うんリーグ優勝だよ、そういう決まりになっているんだから。

 思えばえっと5年くらい前だったかなあ、千葉マリンスタジアムへと寄って見たロッテは内野こそガラガラながらも外野の1塁側には満員となるサポーター、と呼ぶのが相応しいくらいに統率のとれた応援をするファンがいて、その応援ぶりを見るだけでも価値があるなあと感じ入っていたけれどそんな応援に応えよーと選手たちが頑張り球団も頑張った結果、去年は4位ながらも明日に期待を持たせる戦いを見せ今年は年初から走り途中に下がったもののシーズンを2位で終えプレーオフのファーストステージを圧勝し、そして第2ステージを2勝し2敗して土俵際まで押し返されながら、戻し優勝を勝ち得たんだろー。過去の人気にすがってて観客を集め選手を集めても勝てないどこかのチームとは大違い。この経営ぶりこそがスタンダードになって欲しいものだけど球界は相変わらずに旧態依然としているからなあ。ともあれ今はおめでとうと千葉ロッテマリーンズの健闘を讃え阪神タイガースとの日本シリーズでの活躍を期待しよー。余勢を駆ってジェフユナイテッド市原・千葉も「ナビスコカップ」で優勝だ。


【10月16日】 高松伸司さんは依然としてタカマツシンジさんのままだけど作画監督は日本人でオープニングもしっかりと付いたアニメーション版「銀盤カレイドスコープ」の第2話は、ピートに憑依された桜野タズサが彼の嫌いなことを探してついにトマトを発見。丸かじりしては顔中をトマトだらけにしてほくそ笑むその表情を、コーチにも妹のヨーコにも見られて恥じず人前でもトマトジュースを啜り喋るピートを沈黙させる。

 けどいくら嫌ったところで一心同体少女隊、タズサの見た物はすべてピートの見た物となり感覚もすべてピートと同じ。つまりはお年頃の女の子にだってちゃんとある日々の代謝の結果もピートにバレバレで、それを嫌気して4日ばかり通わなかった結果がお腹にトマトの残滓を貯めることになってしまい、フィギュアスケートの先輩でライバルでもある至藤響子と邂逅した場面で残滓が下腹部を圧迫しては彼女を遂に排出の場へと走らせる。

 花も恥じらう乙女のそんな醜態を1話まるまる引っ張りオチにしたアニメがかつてあっただろーかと考えると、そのスポーツ根性&ギャグな日曜朝にだって平日夕方にだってやって不思議ではない内容のアニメーションながらも、真夜中に放映されているって理由も分かる。あるいは新聞記者やら何やらがスケートのことではなくって尾籠なゴシップでタズサを責め、見出しになる言質を引き出そうと躍起になる様をタズサの冷静さを通して暴き嘲笑するストーリーが、新聞を親会社に持つ放送局では大っぴらには流しづらかったのかも。

 けど話は明快でテンポも良くギャグも滑らないまま最後まで話が続いた所はさすがというか素晴らしいというか。第1話も絵柄はともかくテンポの良さで最後まで見せきったスタッフたちのパワーが、第2話に来て何とかひとつにまとまって、新しい傑作アニメを生み出しかけている予感に駆られる。いやほんと面白い。このテンションこのクオリティが最後まで続いてくれることが何よりの至福なんだけど果たして。監督名がタカマツシンジなままなのがやっぱり気になるなあ。オープニングは楽しげでテンポ良くってちょっと好き。小西康陽さんが編曲ってちょっと豪華だねえ。

 眠り起きて「交響詩篇エウレカセブン」。目覚め立派になったレントンがホランドのあがきにも冷静に対処し家出したエウレカを似るバーシュで追い助け上げ、ついでに包囲して来た軍隊を殺さないまま蹴散らす技を見せてよーやくにしてニュータイプだったって所を見せつける。ここに至る葛藤やら家出した時に出会ったチャールズ&レイ・イームズ夫妻、は違ったデザイナーで映像作家で「目黒美術館」で展覧会が開かれている人たちだった、こっちはチャールズ&レイ・ビームス夫妻との出会いで受けた影響やらが段取りとして納得のいくものだったら、レントンの発動も感動をもって迎え入れられたんだけど唐突さが多々あり尾を引くここ何話かの展開のどこにレントンの成長を促す要素があったのか、今ひとつ分からない所があって悩ましい。

 けどまあ良いレントンは成長しエウレカは可愛くなり、レイはお腹の中にあった何かが今の彼女の人格を形成しチャールズにも影響を与えレントンとゆーかサーストン家への思いとなって爆発する可能性を残しホランドはあきらめの境地へと至りタルホはローライズのスカートからのぞく下腹部の線が嫌らしくなって見る人たちを楽しませてくれて、これから先になおいっそうの波乱を期待させつつ先へ先へと引っ張っていってくれるだろー。後はしばらく姿をみかけないアネモネと謎のペットとタイプゼロの大復活が待ち遠しい。オープニングが今の「HOMEMADE家族」に代わってから何回出たんだろー、彼女。なおいっそう悪辣になって辛辣になったその姿その声を僕たちの前に現してやって下さいな。他の番組に流れる「エウレカ」のCMで泣き叫んでるタルホの悲しみの原因って何なんだろ? 知りたいなあ。けど怖いなあ。

 行けなかった「フクダ電子アリーナ」のこけら落としとなる「ジェフユナイテッド市原・千葉vs横浜F・マリノス」の試合をテレビで観戦、おお入ってるジェフの試合なのにスタジアムが満員になっている。そんな期待に応えるべくジェフ千葉は冒頭から相手ゴールに十重二十重の攻撃を仕掛けて攻め立て挙げ句にコーナーキックから阿部勇樹選手が得点。けど後半に選手交代をした直後のドゥトラ選手のミドルが決まって同点に追いつかれ、それからしばらく防戦を強いられてこのまま逆転され逃げ嫌えるのかもっていつか見た光景の再現に頭痛める。せっかくの「フクアリ」初戦を負けたら臨海で続いていた”不敗神話”とやらにけちが付き、さらには付き始めとなってこれから先の「フクアリ」戦で負けが込んでしまう畏れがあるからなあ。

 そこはさすがにジェフだけあって終戦目前に巻き返してマリオ・ハース選手がサイドを切り込み中へと折り返したボールを巻誠一郎選手が見事にボレー。頭じゃなく脚で押し込んだ得点にこれは逃げ切れると思ったのもつかの間、相手に運ばれサイドに開かれたところを誰も詰めずクロスを放り込まれてそれをゴールに叩き込まれて同点に。さらに1点の追加は奪われずに済んだけど、勝てる試合をちょっとした怠慢でもって落としてしまったのは残念で、その辺り「こんな状態なら、何も成し遂げられないと話した。犯したミスを考慮して、次に同じミスをしないように習慣づけていかなければならない」ってオシム監督の言葉を噛みしめ、次の試合その次の試合そして選ばれて行った代表の試合移籍した海外チームでの試合のどの場でも、見せられる選手になってくれたら日本のサッカーも欧州南米に通用するものになるんだけどなー。

 しかし格好良いぜ「フクアリ」。専用スタジアムでは鹿島アントラーズの「鹿島スタジアム」の方がスタンドの形も大きさもより臨場感があるけれど、こぢんまりとして屋根もついたスタジアムでは仙台の「仙台スタジアム」に並んで最高の部類に入れてまったく間違いない。スタンドを埋める黄色いサポーターたちのびっしりと埋まった姿は、千葉テレビでいつもガラガラの臨海のスタンドを見てきた眼には感動的。それだけにやっぱり勝って終わって欲しかったと残念な気持ちも浮かぶ。来週こそは是非に勝とう。幸いにして相手はヴィッセル神戸だ。弱い訳じゃないけど親会社がいろいろあるんで動揺しているかもしれない。会場に三木谷浩史オーナーが来ればなお盛り上がるんだけどどうだろう。来なくたってオシムは来る。その姿を拝みに行くぜ「フクアリ」。待ってろ「フクアリ」。


【10月15日】 「牙狼」を見る。テレビしか見てないな。偽京本政樹さんが剣を降り仮面のヒーローになって魔物と戦う話は普通だったら子供向け。だけど今時の仮面のヒーローが玩具を子供に売るために、アイテムのパワーアップだとか展開の派手さだとかに偏りがちになっている。それと比べると、人の欲望につけ込み魔物が忍び込んでいく展開とかはちょっと地味で、その分に欲望が交錯する大人の気持ちにフィットするって考えて、企画された作品ってことになるんだろー。

 雨宮慶太さんの特撮のテレビ作品っていったら「鉄鋼機ミカヅキ」以来? それなりに面白かったんだけど放映時間が適当で、いつ見たら良いのか分からないうちに終わってしまった残念な番組で、商業的にはあんまり芳しい印象は残ってないだけに、その後の成り行きが気になっていたけど信念を持って作るメッセージのある作品とか、独特のクリーチャーデザインとかいった所に熱烈なファンも多い雨宮さん。その活動の未だ衰えぬところを見せてくれるだろー作品として、関心を持って始まるのを待っていた。

 んで見た先週の第1回目から雨宮テイスト炸裂で、これなら大丈夫と安心して見た第2話もなおいっそうにど派手な展開。昼間の仮面なんとかがなかなかな中で大人の特撮変身ヒーロー物として、ファンを引っ張り込んでくれるんではなかろーかと社交辞令。主演の京本二世の演技がねえ。出ている本物の怪しげで胡散臭げで、それなのに耽美さを失わない演技にはまだまだ叶わない。しゃべりよりアクションをもっと見たいなあ。女性のスカート姿のバトルはいつ見えるのかって興味を引きつけて官能的。ついに見えたシーンを何度も巻き戻してああ黒だとほくそ笑む。また見せてくれるかな。

 寝て起きて原稿をべちべちとでっち挙げる。まとまった仕事はひとまずこれで終了。だけどこれから直しとかがどんどん来るから大変そう。加えてSFの大人向けをまとめて読まないといけなくなってちょっと大変。「デカルトの密室」と「エデン」と「神狩り2」と「シャングリラ」と「ハイドゥナン」と「ネクロポリス」と「空獏」と「ゴーディーダンサー」とあと何だっけ、たぶん読まないといけないんだけどいったいどれくらいの時間が必要なんだろう? 昔だったら1日で3冊は読めたんだけどなあ。最近テレビばっかり見ていて頭が活字に追いつかない。とりあえずは「シャングリラ」から取りかかることにしよー。おお美少女戦士。それもAカップ。惚れますなあ。

 原稿をどらどらと送ってから京成で上野に出てアメ横をうろうろしながらウェスタンブーツを下見。ってやっぱり買う気か? いやまだそれは不明だけど脈絡もなく脳に浮かんだ物欲ってなかなか払拭できないもので、似合わないし履いていく場所だてないって合理的な反対意見を頭の一方に浮かべつつも、もう一方で入ってくる様々な情報を身勝手に解釈しつつ買うべきだって囁きかける黒い自分がいたりする。転がっていたフリーペーパーに登場していた故・石津謙介さんがフォーマルにもウェスタンブーツを合わせてた、って話を読むとそうかスーツにブーツもありかもね、って解釈してしまったけどそれは石津さんだからオッケーなだけ。普通のおっさんがやってもまるで似合いません。けど欲しいなあトニー・ラマ。トゥーがリザードの奴。ショートかロングかが悩みどころか。うーん。うーん。

 御徒町から湯島天神の横を抜けて東京大学へ。ああ懐かしや我が母校。と大嘘を衝きつつキャンバスを迷って猫を追いかけ草ぼうぼうの横を抜け、片隅にある東京大学総合研究博物館へとたどり着いて「ディオニソスとペプロフォロス」の展示を見る。だいたい西暦472年頃にベスビオス火山の噴火で火山灰の下に埋もれたソンマって地域があって、1930年代にムソリーニ政権下のイタリアで古代ローマの威光にすがろうって動きが強まって掘り返されて見つかった貴族か誰かの別荘があって、お金を引っ張るには権威付けも必要ってことでとりあえずアウグゥストゥスの別荘だってことにされたけれど真相は不明。当時もお金が出なくて埋め戻されたその別荘を、2000年代に入って東大の人たちが発掘して見つかったのが2つの彫刻。それが9月まで開かれた「愛・地球博」での展示を終えて東大に立ち寄ったのが今回の展示になる。

 時代で言うなら紀元1世紀くらいの産物で日本にあるどの仏像よりも古い品物で、つまりは国宝級の遺跡でそれが間近で見られる貴重な機会。おまけに初日の今日は発掘に携わった国立西洋美術館の芳賀京子さんによるレクチャーもあったみたいで、間に合って聴講すると今回展示されたデュオにソスの彫刻が、古代ギリシャで作られたポリュクレイトスの作品からその系譜を組んだ「ドレスデンの彫刻」って作品を経て繊細な表現と美しいポーズに至ったものだって説明が聴けて彫刻の意匠は1日にしてならず、何百年もの歴史を経て生まれるものだって分かって面白かった。大英博物館にある「デュオニソスとアンペロス」はさらに後の時代のもの。それが博物館級の品なら今回のソンマの「デュオニソス」はやっぱりとっても貴重な物ってことになる。見られてラッキー。

 もうひとつの「ペプロフォロス」は「ペプロス」って女性向けの衣装をまとった女性像で神様なのか妖精なのかは不明。だからこそ単に「ペプロフォロス」と呼ばれるんだそーな。その作りは「デュオニソス」に比べればどこか粗雑で一緒に作られたものではなくって、別々に作られ一時は「ディアナ」として改造されて背中に矢筒なんかを取り付けられ、頭には冠なんかも取り付けられていあのかどーかは分からないけど発見された時は別荘の壁にうがたれたスペースに、デュオニソスの脇侍みたいに立てられ置かれていたそーな。

 「デュオニソス」が落っこちてバラバラになっていたのと比べると、「ペプロフォロス」はスペースに立ったままの姿で発見されて、すでに廃棄された別荘で建材や彫像の大理石から消石灰が作られていた時代にあって、取り外されないまま灰に埋もれたってことが、噴火による火山灰の滞積がそれなりに早かったってことが伺える。以来1500年。発見された少女は日本で何を見た? 「あの緑色の化け物はなに?」「あれが森の妖精ですって?」。そりゃ思うでしょう「モリゾー&キッコロ」を見ればギリシャ神話の神々だって日本の八百万の神々だって。

 レクチャーを聴き実物を見て案外な「デュオニソス」の小ささ(股間ではなく高さ全体が)に驚きつつもその掘りの繊細さリアルさには感嘆。これはなるほど確かに「ミュージアムピース」と言われるに相応しい彫刻だ。「大英博物館」にだって「ルーブル美術館」にだって納められ讃えられていたって不思議はない。それが日本で見られる絶好機。展示は11月13日までなんで機会があったらまた行こう。そこから歩いて水道橋に出て「ラクーア」にあるアメカジ屋でショットのピーコートを発見。薄いブラウンでステッチが赤でショットの黒いピーコートと比べて軽い印象。だけどしっかり暖かい。3万3000円。欲しい。ウェスタンブーツ。欲しい。欲しい欲しいという訳で仕事しよう。本を読もう。げっぷ。


【10月14日】 「ARIA The Animation」を見た。良いものだった。天野こづえさんの描く線のシャープなのに生き生きとした感じとか、水に浸ったネオ・ベネツィアの空気感がアニメになってカラーになってもちゃんと再現されていた。原作ファンにはたまらないし新しく見る人だってこのまったりと漂う時間にきっと、はまりまどろんでしまうだろう。晶さんが登場で声が皆川純子さんでキツい晶の感じがまあ出てて、「したっ!」って叱られたい気分。あとやっぱりアリア社長の「ぷいにゅっ」って鳴き声を耳元で聞きたい気分。つかほかのヒメしゃちょうもまあくんもそれなりに猫に見えるのに、アリア社長だけは猫に見えないのは何故? やっぱり特別なのかなあ。だから異世界へと導いてくれるのかなあ。

 「IGPX」を見る。やっぱり猫が喋ってたけどだから何? ってかそもそもこの話のどこを面白がれば良いのかが分からない。キャラクター? 普通。ロボットを使ったレース? バトルもせめぎ合いもなくって興奮しない。観客がわいている風もないし国家から推奨されている感じもない。なるほど舞台はゴージャスだけどアニメの中だとそこいらの草レール以上の価値がそこから感じられない。街道レースでも「頭文字D」とか「バリバリ伝説」のレース風景が心にグッと来るのとは大違い。つまりはキャラクターたちに走るための理由、そこにいなくちゃいえkないドラマが未だ見せてもらえないからだろう。そもそもそんなドラマが果たしてあるのか? 反抗をあっさり引っ込め良い子になる主人公の行動原理や心理状態もまるで不明。アメリカ向けだそーだけどこれで受けるのかなあ。受けたらそれはそれで怖いなあ。稼ぎたい会社がみんなこんな話を作るよーになってしまって。

 「パラダイス キス」を見る。素晴らしい凄まじい。矢沢あいさんの原作に美麗さ耽美差の漂う絵柄に服飾専門学校の生徒を登場人物に据えた物語からてっきりお洒落さの神髄を究める作品だと思っていたらこれがどーして。過剰なまでのお洒落演出の一方で頓狂なギャグが挟まれキャラの頭身も表情もごろごろ変わって、耽美に浸りそーになっていた頭に刺激を与えて内に向かっていた気持ちを再び画面へと引き戻す。エンディングに至っては全編がギャグ絵で最初に見たときあるいは「フリクリ」の今石洋之さんの手でも入っているのかと思ったら本当に原画で入ってた。絵コンテは監督の小林治さんだそーだけど動きはどう見ても「フリクリ」だもんなあ。モンキーダンスするキャロラインも微妙だけど糸巻き巻きするイザベラも妙。ってか何か可愛い。妖艶。糸巻き巻きやって妖艶さの増すキャラって彼女(彼氏)だけかもなあ。

 逆に糸巻き巻きして凄味が増したキャラが「舞−乙HiME」のシホか。見目麗しくおしとやかな姫をやっているよーに見えて影では得体の知れない道具を使って誰かをひたすらに呪う裏ありまくりなキャラクター。それが学園に入るためには会議に乗り込み直接アピールしたいと、シーツを巻き付けただけの格好でベッドを抜け出し外に出たアリカに裏の顔を見られたと知って、本性を現し凄い形相でアリカを追いかけはじめる。こりゃ怖い。前の「舞−HiME」でだって内奥の情念を力に変えて舞衣を追いつめていったけど、今度は情念が顔にあらわれ肢体にあふれて爆発するんだからたまらない。2うの世界を通じて最も因業の深いキャラかも。シズルさんはどこに行ってもシズルさんだなあ。京都弁だし一人だけ。このファンタジックな世界のどこにあるんだろう、京都。

 「灼眼のシャナ」を見る。己が既に喰われ残りかすのトーチだと分かった坂井悠二が平井さんも同じトーチでおまけに灯がすぐにも消え入りそうなのを見て見ぬふりはできず、彼女が好意を寄せていた同級生の池を誘って遊びに行くけどそれでトーチの灯が消えるのを防ぐことなんてできず、池も同級生の誰からも忘れられ写真からも姿を消して平井さんは存在を消失させる。知らずに済めばそれだけのこと。でも知ってしまった人には酷く残酷な話。そこで自暴自棄になるかと思いきや、今ここにいる自分は自分であり自分が覚えている限り平井さんは消えてなんかいないと宣言する悠二の強さが描き出される。

 文庫だとあやふやな存在でしかない悠二がただミステスに生かされているだけの存在にしか見えず、感情を彼に添えて読むことが最初のうちは出来なかったのが、いろいろな出会いや別れを経て自分じゃ自分でありシャナもシャナなんだという自覚にたどり着いて、よーや落ち着きどころを得てそれから話が走り出したって記憶がある。つまりは「灼眼のシャナ」って物語の、幼女が段平振り回してメロンパンを囓るキャラクター依存の作品では決してない、重いテーマをアニメではここで見ている人に突きつけて来たのは段取りとして最良かも。これで見る人たちはトーチの悠二に気を向けられるよーになったから。あとはマージョリー・ドーさんの色気やら何やらのおかずを楽しみつつ、シャナの戦いの苛烈さを堪能しつつどこまで話が進むかを堪能していこー。

 これだけ見てもまだ見ていない作品が山ほどあって、この秋は果たしてアニメ豊作なのかそれとも稔らぬ稲穂の乱立か。とりあえず新スタートの番組を8割方見て「ノエイン」は視聴決定で良ければDVDも購入で「ARIA」は展開次第で永久保存、「BLACK CAT」は視聴継続、そして「アニマル横町」は録画必至で何より「パラダイス キス」は21世紀に残る実験アニメ(お洒落アニメなどでは談じてない)になるかどうかを見極めたい気で満々。あとは「銀盤カレイドスコープ」の立ち直りに期待しつつ「エンジェルハート」はタイミングが合えば流し見るかどうかのボーダーライン、見ても仕方がないのは「SORTYREI」だけどこれ、女の子が可愛いからちょっと悩ましい。「クラスター・エッジ」? 世界の実力者の子息をただ勝負に勝ちたいからといって殺害に及ぶよーな後先考えない軍の士官候補生が登場するシナリオのどこに惚れろと? まあ何か世界に仕掛けがあるかもしれないんであと2、3話は見てどうするかを考えよう。


【10月13日】 シェフチェンコいねえじゃん。って分かった途端に見る気の失せたサッカー「ウクライナ代表vs日本代表」だったけどそれでも途中までは半目になりながら見て、ディフェンスは何とかなっていてもトップにまるでおさまらずシュートの打てない日本代表の相変わらずぶりに嘆息。ウクライナ代表が両サイドに開いた選手に向けてでっかいサイドチェンジを何本も繰り返しながら、中央への走り込みなり押し上げなりを使って攻めるその機動力を見るにつけ、日本代表のサイドのチェンジもしなければ中央にも送らず、ただこねくり回して後ろに戻すチキンぶりが目立って啼きたくなる。ラトビア戦はこんなんじゃなかったよなあ、松井大輔が突破とかしていたよなあ、ウクライナ戦は違うよなあ、誰のせいなんだろうなあ。分かってるって。

 んでもって中田浩二選手が軽率とは言い切れないまでも、アウェイに厳しい審判の笛を意識すれば止めておいた方が良かったタックルでもって1発退場となった場面で意識不明に。起きるとその後、待望の村井慎二選手が出てはこれぞサイド攻撃て奴を見せてくれたそーで、残念至極と歯がみしたものの一方でこれまたアウェイに超厳しい審判によって、あり得ないPKが相手に与えられたそーで、そんな場面を目の当たりにしてジーコ監督同様に怒り心頭し怒髪天を衝き髪が何本何十本も抜ける屈辱を味わわずに済んだことを、今はとりあえず良しとしよー。次は日本でのコートジボワール戦か。海外組はもう良いから、村井選手に中央では阿部勇樹選手にトップでは巻誠一郎選手を是非に使って試して欲しいなあ。あとポルトガル語枠も。

 しかしストイコビッチも大喜びだろーなーセルビア・モンテネグロ。日本がウクライナでガラガラのスタンドに向けてショボい試合をしていたその時に、セルビア・モンテネグロの地ではワールドカップのドイツ大会出場をかけて同じユーゴスラビアにかつて属していたボスニア・ヘルツェゴビナを相手に厳しい戦いをしていたよーで、集まったサポーターたちも内戦の記憶を引きずり一触即発だった中を、勝ち抜き98年のフランス大会以来2大会ぶりのW杯出場を決めた。スペインが同じ組にいる激戦を制しての1位通過だからこれは凄い。もしかしたら優勝なんてのもあり得るのかな。それはちょっと無理か、復調して来たスペインはこの2試合でフェルナンド・トーレスが5得点と大爆発。余勢をかってのぞむドイツではきっと本来の強さを発揮して来るだろう、プレーオフを勝ち抜けばって条件は付くけれど。

 それにしても頑張ったセルビア・モンテネグロ。内戦の後遺症で荒れた国内から選手が海外へと出て練習もままならず、しばらく低迷が続いていたのを会長に就任したストイコビッチが頑張って立て直したんだろー。今はレッドスター・ベオグラードの会長に鞍替えしたけど、祖国を愛するピクシーがこれを喜ばないはずはない。ボスニア・ヘルツェゴビナは残念だったけど力は拮抗していた訳だし、クロアチアはすでに出場を決めている。旧ユーゴが今もひとつにまとまっていたとしたら、いったいどれくらいの強さだったんだろー。94年のアメリカでも98年のフランスでもきっと優勝争いに絡んでいたんじゃなかろーか。それを思うと惜しい気もするけれど、一方で民族間の問題ってのは拭いがたいものがあった訳で仕方がない。ともあれ出場のセルビア・モンテネグロには東欧のブラジルと呼ばれた旧ユーゴの伝統を、今のドイツでもって見せつけてやって下さいな、ブラジル人監督が率いる我らが日本代表に。

 いずれ遠からず出てくるだろうとは思っていたけれど、こうも早く動いて来るとは三木谷浩史さん、これでなかなかの策士ってことになるんだろーか。ライブドアによるニッポン放送株買収問題がフジテレビとライブドアの手打ちでもって落着してから半年経つかどうかってこのタイミングで、楽天によるTBS株の買収が発覚。それも一気に15%を握った早業ぶりで、ライブドア騒動の時はフジテレビへのホワイトナイト的参画をもくろんだものの相手に拒絶されて果たせなかったその悔しさを、ライブドアがフジテレビ問題の尾を引きテレビに進出できないでいる今のタイミングでもって、一気に晴らそうとしたなろー。ソフトバンクも野球がプレーオフで忙しくってテレビなんか構ってられない? それはいけどテレビ朝日の時にさんざんっぱらテレビ業界を引っかき回したソフトバンクの不在ぶりがちょっと不気味で、ライブドアと楽天に先を越された悔しさが、どこで爆発して巻き返しに来るのかちょっと注目したいところ。相手先がちょっと見あたらないけど。フジテレビが再浮上なんてことになるのかな。

 とはいえ先にライブドアがいきなり乗り込んではTシャツ姿で引っかき回した挙げ句に拒絶され、あれこれ難癖をつけられ結局退散を余儀なくされた轍を踏むまいとする三木谷さん。相手を常におもんぱかる発言をしてメディアの公共性維持にも尽力すると明言。TBSが楽天の不祥事を報道するのを認めるかって問いにも当然って感じに即答してたくらいで、そこでその時になってみないと分からないとかいった、木で鼻を括ったよーなコメントを出さずに神妙な態度を見せるあたりに、相手を刺激して批判を浴びて悪者にされてしまったライブドアの二の舞は勘弁って意識と、そーならないために練り上げられたあろー返答の妙が感じられる。すでにライブドアの一見で洗い出された難癖の材料をすべて潰して臨んだ買収劇に、果たしてTBSやらメディア業界は差し挟む異論があるんだろーか。まずはナベツネ先生のコメントに注目したいところ。ここで相変わらずの爆裂っぷりを見せてくれるのがナベツネさんなんだろーけれど。

 しかしそんなメディアの公共性維持を訴え公序良俗がテレビには求められると三木谷さんが発言している会見場の部屋の隅で、いきなり生中継のリポートを始めるテレビ局があったのには驚いた。大きく響き渡る程ではなかったけれどしゃべり声は確実に部屋に響いていて、三木谷さんが喋ってる声がちょっぴり聞き取れない部分も出た。三木谷さんもちらっと様子を見たから気になった様子だけど、そこで止めると印象が悪くなると思ってか放置しておいたのは大人というか下出というか。ここにも世間を的に回したくないって三木谷さんの意志が見て取れる。ホリエモンだったら怒鳴りつけてたかなあ。

 けどやっぱり会見場は会見を聞く場所であって、それを遮るよーな行為は御法度。公序良俗以前の常識としてわきまえておかなくてはいけないのに、自分たちさえ良ければって意識が先に立って会見を邪魔する行為を平気でやってしまう、そんなメディアが真っ先に三木谷さんに買収されて公共性とは何か、公序良俗を守るとはどーゆーことかを叩き込まれるべきなんじゃなかろーか、なあ聞いてるか、フジテレビジョンと須田哲夫。手前ら格好悪かったぜ。まあもっともそんな常識に気づかないからライブドアの進入を許し、嘗めてかかって挙げ句に1200億円とかをむしりとられたんだろーけれど。

 しかしやっぱりこれで本格化したネットとテレビの融合話。会見で三木谷さんも言っていたけど、DVDレコーダーの普及でCMとばしの視聴スタイルが普通になって来ると、これまでのCM収入で稼ぐモデルがおぼつかなくなる。そこにネットが加われば、光ファイバーを使えば、デジタル化された鮮明な映像を家庭に直接配信できるよーになって必要ならば課金だってできる。キー局があり地方局がネットする今の放送局の形態にだって変化が起こる。全国どころか全世界のどこにいても見られるインターネットでコンテンツ配信されれば、地方局がキー局の人気番組をネットして、CM収入の分配を受ける収益モデルが崩れてしまう。そこで地方局が頑張って、全国区で通用するよーなローカルコンテンツを作れるよーになれば、キー局からのコンテンツもCM収入もなくなっても生き残る可能性は見いだせる。

 楽天によるTBS買収騒動は別に楽天1社の話じゃない。世界で進むネット企業とメディア企業の融合、そして生まれるコンテンツとメディアを軸とした情報コングロマリットの覇権争いへと発展していく大きな話なんだけど、そーしたビジョンを示すよーな原稿が社会部から来た偉い人にはあんまりピンとこなかったらしく、後の版ではすっぱり落とされ村上ファンドの金の出所がどーとか、それでいったい誰が特をするのかなんて些末な話ばかりがクローズアップされてしまった。そんな目先のドタバタばかりを追っているから、フジテレビともどもメディアの激変から乗り遅れ読者なり視聴者の歓心も失い凋落していくことになるのになあ。参ったなあ。

 もっとも楽天の会見場がオープンする前に並んでいた行列で、横にいた築地に本拠を置く巨大新聞社が出している女性に人気な週刊誌の人が、社会部から来た編集者の物の知らなさぶりを同僚のペンギン好きらしー記者にさかんにグチってたから、状況はいずこも同じか。かつてはそのフットワークの軽さと知的好奇心から、世間にうごめく悪を掘り返して切り善を見つけてそれを広めることもできたんだろーけど、時間に追われ横目で同業他紙を見て特オチを気にしてばかりいた結果、直情的で画一的な反応しか出来なくなってしまったってことなのかなあ、社会部って。そんな所が帝国を築く新聞にはやっぱり未来はないのかなあ。


【10月12日】 最高。もうばっちり。「創聖のアクエリオン」でも3DCGのメカの激しくって巨大感重量感のある動きを2Dのアニメーションの中に見事に表現していたサテライトだったけど、いよいよ始まったオリジナル作品の「ノエイン もうひとりの君へ」では、巨大感のあるメカが空中を動き回るところに2Dのキャラクターが絡んで激しいバトルを見せる場面も見事に表現。スピード感はあるしカメラワークに主張があるのかメリハリもたっぷり。何よりただメカとキャラがくんずほぐれつしているじゃなくって、何をしてどうなったのかがちゃんと分かるってゆー当たり前のことがしっかり出来ている。

 これを素晴らしいって誉めるのは筋違いなんだけど、似た格好のガンなんとかに乗ってそっくりな顔をした少年たちが叫びながら何かやっているうちにどうにかなったアニメを最近見たばかりなんで、「ノエイン」の凄さが妙に際だってしまう。コンテがちゃんとしているのか編集がしっかりしているのか。何より監督の人の意識がはっきりしているんだろーなー。物語は未来で竜騎兵とな何かになった青年が侵略者とのバトルのさなかに過去へと飛ばされ、そこでまだ少年だった自分と出会い親しい少女の上乃木ハルカが持つアイテムがそこに絡んで過去と未来、地球と異世界とが錯綜するスケールの大きな物語になりそー。

 カラスってキャラがタツノコのOVAと被るし(おまけにOVAの宣伝まで挟まれる)雰囲気は「ベターマン」みたいだけど、それを超えても未だ見えない展開に今から先が楽しみ。「ファンタジックチルドレン」以来の物語を追うアニメになってくれたら嬉しいかも。キャラではハルカがはぐそっくり、声が、って実際はぐみだけど「ファンタ」のヘルガみたいに大きい目のちょいつり上がり気味の顔が多々あるアニメと違ってなかなかにキャッチー。ほかに薄い胸板を誇る長身少女の長谷部アイとか、おしゃまさに見えて実はオカルト好きな眼鏡っ娘の向井ミホとか、ひっかかるキャラ満載で彼女たちの活躍ぶりもこれからの楽しみ。ハルカの母親の爛れっぷりも親近感わくなあ。

 函館の街が結構緻密に再現されているのは函館ファンには嬉しいのかな。1度しか行ったことがないから函館山の上からの夜景くらいしか覚えてないけど海と半島の感じは絵はがきのよう。あとはクラシックな街並みとかをどこまで再現できるのか、ってところか。こちらも注目。この絵をバンクに使えば「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」だってすぐにアニメ化できそーだぞ、キャラクターデザインは「lain」で安倍吉俊さんのキャラをアニメになおした岸田隆宏さんだし。やってみないかあ、サテライト。

 気合いを入れて「東京ビッグサイト」で始まったキャラクターとかロゴマークとかのライセンスを見せるトレードショーの「ライセンシングアジア2005」を見物。これでいったい何年連続になるんだろー、まだ「東京ドーム」横のプリズムホールで開かれていた時代から通って来たけれど、当時と比べてキャラクタービジネス、ライセンスビジネスってものへの世の中とか企業の認知度が、格段に向上しているってこともあって出展している企業もキャラクターの総本山的な企業、あのウォルト・ディズニーが遂に出展していたりして以前から出展のワーナーやユニバーサルなんかと軒を並べて自慢のキャラクターをアピールしてた。キム・ポッシブルもいたなあ、いわゆる戦闘美少女なんだけどオタクの間では今ひとつ評判になってないのは何故なんだろう? 眼鏡かけなきゃダメなのかなあ。

 そんな超大手に挑むかのよーに未だ見ぬ、けれどもこれから見返るよーになるかもしれないキャラクターもたくさん登場。中でも目を引いたのが、韓国から来ていたドリーム&プレイ・システムって会社のブースで、はるばるチリで生まれた女の子たちの日常をポップな絵柄で描いた「Pascuakina」ってキャラクターを持って来てはグッズなんかを並べて見せていた。米国以外のライセンス権を取ってこれからあちらこちらで展開していきたいんだそーな。これが日本での半ばお披露目になるってことだから知らなくっても当然か。

 印象としては外国によくあるガチャガチャっとしてカラフルなインテリアエクステリアをバックに女の子がいたりするイラストなんだけど、キャラクターの絵柄が日本人にも親しまれそうなデザインで、眼鏡をかけた女の子もいたりして店頭なんかで「これかわいい」って思う女の子からも「ググッと来た」って野郎からも注目を集めそう。とりあえずはソニープラザでダイアリー帳が販売されるみたいだけど、原作には漫画めいたストーリーがあるみたいでそっちの展開も含めて日本での受け入れられ具合が気になるところ。どこがライセンスを奪いにいくのかちょっと注目。

 ゼルスってのも気になった1社でキンチョーだとか浅田飴とかブルドッグソースといった昔馴染みの企業ロゴなり商品ロゴを格好良くデザインして配したTシャツなんかを並べてた。って聞くとどこかで見覚えのある商品だけどそれも当然で、数年前からユニクロが展開している企業コラボTシャツの企画を担当しているのがこのゼルスってゆー会社だとか。今は海外のエアラインのロゴを配したロングスリーブTシャツとかスウェットなんかを展開中。これもなかなかにレトロっぽかったりエッジが効いてて格好良い。

 放っておいたら埋もれてしまうし活用しても販促グッズっぽくなってしまう企業のプロパティだけど、認知度って点ではそんじょそこらのキャラクターなんかよりも上。それをうまくデザイン面で配慮してあげることでユーザーは喜び企業もPRにつなげられる商品ができあがる。キャラクター資産を持つ企業と、新しい新商品を求める企業の間をつなぎデザインとか企画力ってクリエイティビティーでもってキャラクター資産を活性化させ市場を盛り上げる仕事ってのはもしかしたら新しいビジネスモデルの1つになるのかも。あとはキャラクターを掘り出す目利きぶりと、それをアレンジするクリエイティビティーか。いやほんと格好良いんだよなあ、ここん家の商品、老舗の傘屋のデザインを配したTシャツなんかとてつもなく。

 んでもって今回もやっぱりいました我らがタイツくん。まだ小さかったイベントにコンピューターのソフトなんかを出していた時代から幾星霜、当時もちらりと見せていた「タイツくん」が今や全国のサラリーマンの溜飲を下げOLのむしゃくしゃを緩和させる癒しキャラの代表格として、世間に認知されかかっている。バンダイからフィギュアが出てさらに携帯ストラップも出て、100円ライターだけじゃなくジッポライターも出ていずれ遠からず映像なんかにもなる模様。そんな出世を果たせたのも筋の良さに加えてそれをしっかり続けたからで石の上にも3年4年、座り頑張る気合いがないtキャラクターは一人前にはならないってことを改めて教えられました。半年1年なんて小僧も小僧、キャラで儲けようなんてゆめゆめ考えなさんなおじさんたちは。

 あとは珍しいところでは「トラッキー」。ってかお前こんなとこ来てるばあいちゃうやん。大阪では村上ファンドが本丸へと迫り乗っ取られるかって瀬戸際なのに、阪神タイガースのプロパティを見せるブースに現れては「トラッキー」、場内を闊歩しナムコのブースで「パックマン」を遊んで(なかなか巧い!)それから通りがかったサンケイリビング新聞社の新しいキャラクター「あんふぁん」の先生とかムッピィとかと交流を深めるはっちゃけぶり。本家の危機なんてどこ吹く風とばかりに愛嬌を振りまいていた。けどまあこの「トラッキー」も含めてキャラクターが商品になって売れるっていったらジャイアンツよりはタイガース。その存在感に潜在力が村上ファンドから狙われる理由にもなっているんだろー。「ライセンシングアジア2005」でのアピールがファンを増やして悪意の買収にノーを突きつける原動力に果たしてなるか。けどそーした「トラッキー」の奮闘を取材に来たメディアが少ないんだよなあ、絶好のワイドショーネタなのになあ。


【10月11日】 「とりわけSFファンは、はぐれ者の可能性が高く、まちがいなく負け犬だという烙印が押される。いくら外見上は「まとも」に見えたとしても、友人、親戚、職場の同僚たちは百発百中当人を未婚で太り過ぎの四十代、ワンサイズ下のTシャツとひとまわり大き過ぎるスウェットパンツを着用し、空想の世界でドクター・フーとの知恵比べに興じたり、ミスター・スポックと立体チェス対決、あるいはレイア姫とベッドインなどといったことをことこまかに思い描く人間だろうと想像するのである」のだとアメリカ人が言っている。アメリカも日本もおんなじなんだなあ。みんな苦労しているんだなあ。頑張ろうなあSFファン。けど日本だとドクター・フーの代わりは誰なんだろう、今だとデュランダル議長あたり? レイア姫の代わりはいっぱいい過ぎて分かりません。

 そんなこんなで日米のSFファン気質の共通性を教えられたウィリアム・M・ツツイってハーバードやオックスフォードを出てカンザス大で歴史学を研究している人が書いた「ゴジラとアメリカの半世紀」(神崎京子訳、中央公論新社)は別にSFの本ではなくってタイトルにあるよーに「ゴジラ」の本。日本で生まれたモンスターがどれだけ米国でも受容されててエンターテインメントのみならず、文化や社会の隅々にまで行き渡っているかを様々な事例を挙げて分析している。たとえば「ズィラ」って名詞の後ろに付いてデカさとか強さなんかを現す表現がたくさんあるってことらしく、挙げるなら結婚した途端に強欲きわまりない人間になってしまった女性を「ブライドズィラ」って読んで畏れるらしー。あと政治的には2001年のテロを景気に国際的に討って出るよーになった米国をそのままずばり「ゴジラに豹変した」と解説した「ニューヨーク・タイムズ」とか。他に例える物のないくらいに「ゴジラ」は力と破壊の象徴になっているらしー。

 それにしても”ゴジラ愛”にあふれた本。9歳の時に自作の着ぐるみで近所を歩き回って恥ずかしい想いをした記憶を引きずりながらも、公開されれば見に行き昭和のシリーズに不満を抱きつつ平成のシリーズに不安を覚えつつ、それでもトライスターが作ったハリウッド版の「ゴジラ」に比べればどんな日本の「ゴジラ」作品だって素晴らしいんだと言い切ってくれる熱血漢。その情愛で歩いて出会った全米のゴジラファンたちもまたツツイに負けず劣らずの”ゴジラ愛”に溢れてる。読めば感動の1冊。「同年代の友だちの目が気になる思春期をとうに通り越している人々−の大半は、ファンについてまわる苦労を、あきらめやユーモア、あるいはある種の開き直りをもって甘受している」って対象との接し方はそう、日本のアニメやゲームや特撮を愛するオタクたちとおんなじだ。僕たちは分かり合える。日米は仲良くできるんだと、そんなことを教えてくれたウィリアム・M・ツツイさんに感謝。はやくオタク世代が大統領にならないかな。日本もオタク首相を選出して仲良く人類保管計画を発動しよーぜ。

 斧を持ってうろつきまわる殺人鬼が現れたと思ったら、自分は正義の魔法少女だと信じる魔法少女が現れて思い込みも激しく魔法を使ってはいろいろな騒動を巻き起こし、かと思ったら孤島に現れた人の心を歪ませる思念が島民を消滅させ好きあっていた少年と少女の間に相克を巻き起こす。そんなさまざまな事件が絡み合って重なり合ってくんずほぐれつになってどうにかこうにか解決する、そんなさまざまな事件の中心に1人の男がいたとしたら彼はいったい何なんだ? って話がつまり成田良悟さんの新刊「世界の中心、針山さん」(電撃文庫、650円)なんだろーけど、だとしたらやっぱり気になるのが針山さんって人の正体で、読む限りにおいてはたまさま偶然にすべての事件の中心めいた場所にいるだけの、例えるならば怪獣に必ず襲われる日本みたいな存在なんだろーけれど、そこはそれ錯綜する出来事を巧みにつなぎ合わせては、大きな絵を描き挙げることに長けた成田さん。ただの通りすがりの人に見える針山さんがどこにもはまらないパズルのピースであるはずはないと思いつつ、これから書かれるさらなる針山さんの巻き込まれる事件に目を向けていこー。でもやっぱり単に運の悪い人かな。

 女子大生社長だかカリスマブロガーだかが打ち合わせに来て精いっぱいに大人しているその近くで、テレビでちらちらと見ながら果たして「アニマル横町」は無事に予約録画に成功しているんだろーかと心配する不真面目なおじさんのことを”ちょいワル”と呼ぶんだよね? そうだよね? 違うかな。まあ良い帰宅してHDDレコーダーを立ち上げると無事に録画に成功していてオープニングの「あーりゃりゃこりゃりゃ」を堪能し、本編のケーキ作りでのウサギのイヨちゃんが見せたビーム技に驚愕し、お母さんの日常を動物の観察日記として書いて幼稚園に提出するあみちゃんの勇気に感嘆する。ってか宿題のある幼稚園なんてあるのかよ。部屋の中って限定された場所ながらも時々にジャングルだとか知床だといった異空間を引っ張り出してはそこを舞台にコメディを演じてみせる、その繰り返しがこれからも続くんだろーけれど、とりあえずは繰り出されるギャグの数とテンポに引っ張り込まれて飽きずに見られて知らず時間が30分近く過ぎている状況に満足。この畳みかけがいつまで続くのか。予約録画は毎週にして不安を抱かないで済むよーにしてから、毎週のあみちゃんのぶちキレぶりを見守っていこー。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る